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航米日録 巻七 【インドネシアのアンシャホエン港出航から、香港を経由して帰国まで】 注意:現代語訳の作成に当たっては、以下の点について心した。 (1) 「 日 本 思 想 大 系 66 西 洋 見 聞 集 」 (岩 波 書 店 ,1974 年 12 月 )記 載 の 「 航 米 日 録 」(沼 田 次 郎 氏 (東 大 名 誉 教 授 )校 正 )を ほ ぼ そ の ま ま に 現 代 語 に 変 換 す る よ う心掛けた。 (2) 玉虫自らが注意書きした箇所は( (3) 地名、呼名については、沼田次郎氏の校正註を基に現代語に変換した。沼 田次郎氏の校正註は《 (4) 》内に記載した。 校 正 註 に つ い て 疑 問 が あ る 点 、 或 い は 読 者 の 利 便 を 考 え た 註 を 筆 者 (菅 原 ) の独断にて付加した。それを【 (5) )内 に 示 し た 。 】内に朱記にて示した。 2月2日午後6時頃に、東経から西経へ日付変更線を通過したので、日に ちを減ずる必要があるが、そのままになっているので文中の曜日が合わな く な っ て い る 。こ の た め 筆 者 (菅 原 )が 日 に ち を 修 正 し た 。尚 、玉 虫 の 日 付 を 【 】 内 に 緑 記 し た 。 又 、 旧 暦 と 新 暦 の 対 応 は 、 筆 者 (菅 原 )が 付 加 し た 。 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 15日 (新 暦 9月 29日 ) 【 8月 16日 】 快 晴 、 東の風。 昨 夜「 ア ン シ ャ ホ エ ン 」に 停 泊 し 、食 品 を 買 う 。数 十 艘 の 小 船 が 来 る が 、 全 て 丸 木 舟 で あ る 。そ の 積 み 入 れ 品 は 、鶏 、ア ヒ ル 、南 蛮 瓜 (と う な す )、南 蛮 黍 (と う も ろ こ し )、椰 子 、橙 柑 の 類 で あ る 。中 に 一 つ の 珍 し い 果 物 が あ っ た 。形 は へたの所が で、頭の所が の様な球形であり、色は黒赤、味は甘美であ り 、 米 国 名 を マ メ ヤ ア フ ル ス 《 Mammee Apple: 【 ア ズ キ 色 の 厚 い 革 質 の 皮 と 水 分 の 多 い 黄色いか赤みがかった果肉をもつ球状か卵形の熱帯性果物 】》と言うものである。さ て こ の 辺 り の 人 物 は 、毛 髪 が 黒 く 、顔 色 は 中 国 人 に 似 て い る 。歯 は 黒 く て 染 め た 様 な 感 じ で あ る 。衣 服 は 連 縫 (ぬ い つ め )の 筒 袖 の 着 物 で 、胸 の 部 分 が 僅 か に 開 い た も の で 、扣 紐 (ボ タ ン )で 合 わ せ る 様 に し て い る 。着 る 時 は 首 か ら 被 る 。そ の 他 に 通 常 の 筒 袖 の 着 物 も あ る 。腰 下 は 股 引 或 い は ふ ん ど し を 身 に 付 け 、頭 に 更 紗 の 布 、又 は 日 本 の 僧 侶 が 被 る 笠 の 様 な 物 を 被 っ て い る 。そ の 立 ち 居 振 る 舞 い は 、ル ア ン ダ 人 に 比 べ れ ば 少 し は 粗 暴 さ が な く な っ て い る 。言 語 は 、多 く は 英 語 を 話 し 、 良く事をわきまえている。午前8時過ぎに碇を揚げて、東北に向って航行する。 南 に ジ ャ ワ 山 を 望 み 、 北 は ス モ タ ラ 岬 《 Sumatra: ス マ ト ラ 》 を 望 ん で 、 航 行 す る に 従 っ て 、景 色 が 急 に 変 わ る 。こ の 景 色 を 見 て 、【 過 ぎ 去 っ た 】 長 い 月 日 の 鬱 積 を 晴 ら す 。航 行 す る こ と 数 里 で 小 島 が 点 々 と し 、皆 樹 木 が 繁 茂 し て い る 。そ れ ら 航米日録巻七 現代語訳 1 / 26 の 島 々 は 大 抵 平 地 で 山 は 無 い 。大 き な 島 は 周 囲 が 一・二 里 、小 さ い も の は 六・七 町 、一 島 を 過 ぎ る と ま た 一 島 が 現 れ 、そ の 数 を 数 え る こ と が 出 来 な い 。或 る 説 に よ る と 、三 百 余 島 が あ る と の 事 。そ の 風 景 は 、日 本 の 松 島 に 似 て い る 。夕 方 に な り バ タ ビ ア 《 Batavia: 今 日 の ジ ャ カ ル タ の 事 》 近 く に 来 た 。 こ の 辺 は 暗 礁 が 多 く 、夜 中 に 測 量 す る こ と が 出 来 ず 、暫 ら く こ の 所 に 停 泊 す る 。夜 、月 光 が 美 し く 輝 き 、諸 島 が 分 散 し て 見 え 、実 に 絶 景 で あ る 。夜 8 時 過 ぎ 、音 楽 を 演 奏 す る 。常 日 頃 は 音 楽 を 聞 い て 【 海 上 で の 寂 し い 】 心 を 慰 め る こ と も あ る が 、今 宵 は 月 色 に 心 を奪われたのか、音楽が徒に耳に かまびすしく聞こえる。 ○寒暖計不試 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 16日 (新 暦 9月 30日 ) 【 8月 17日 】 晴 、 東の風。 又、東北に向う。二時間程でバタビア港 《ジャカルタ》に着いて停泊す る 。こ の 港 は 極 め て 広 大 で 、海 門 が 東 北 に 面 し 、数 十 の 小 島 が 碁 石 の 様 に 点 在 し て い る 。数 多 く の 現 地 人 の 船 が そ の 間 に 列 を 成 し て 係 留 さ れ て い る 。陸 上 に は 燈 台 が 高 く 聳 え 、 樹 木 の 間 に 家 屋 が 軒 を 連 ね て い る の が 見 え る 。 首 都 か ら 八 里 (日 本 の 三 里 余 )離 れ た 所 に 、 所 々 砂 洲 が あ っ て 、 大 型 の 船 舶 が 岸 に 接 岸 で き な い 。 日 本 の 品 川 港 を 思 い 出 さ せ る 。碇 を 下 ろ し た と き 、日 米 両 国 の 国 旗 を 高 く 掲 げ た 。 現 地 の 役 人 と 見 え る 人 が 小 船 で 一・二 人 来 た 。午 後 に 音 楽 を 演 奏 し 、且 つ 船 中 の 全員が、常時とは異なって衣服を着替え た。 ○ 寒 暖 計 82度 【 27.8℃ 】 ○ 昨 夜 ア ン シ ャ ホ エ ン で 碇 を 揚 げ て か ら バ タ ビ ア 港 《 ジ ャ カ ル タ 》 迄 70里 ○ 南 緯 6 度 08分 ○ 東 経 106度 50分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 17日 (新 暦 10月 01日 ) 【 8月 18日 】 晴 。 滞 留 【 ジ ャ カ ル タ 】 。 こ の 地 で 、 日 本 の 使 節 を 饗 応 す る と し て 祝 砲 21発 を 鳴 ら し た 。こ れ は 丁 重 な る 饗 応 の 礼 式 で あ る 。こ れ に 応 え て こ ち ら 側 も 祝 砲 を 発 し 、船 中 で 各 人 が 礼 服 を 着 用 し た 。午 後 に オ ラ ン ダ 人 数 人 が 来 た 。午 後 4 時 過 ぎ に 、又 祝 砲 が 13発 鳴 っ た 。炎 熱 の す ご さ は 船 中 と 言 っ て も 流 汗 を 拭 う に 暇 が な い 程 で あ る 。日 本 の 三 伏 (夏 季 極 暑 の 期 間 )の 日 で も こ の 様 に 暑 さ が 甚 だ し い こ と に は な ら な い 。夜 、遠 雷 が 鳴 り 雷 光 が 頻 り に ひ ら め い て 、に わ か 雨 が 降 る が 炎 熱 を 払拭するには至らない。 ○ 寒 暖 計 87度 【 30.6℃ 】 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 18日 (新 暦 10月 02日 ) 【 8月 19日 】 晴 。 滞 留【 ジ ャ カ ル タ 】。オ ラ ン ダ 人 等 が 頻 り に 来 た 。炎 熱 で 燃 え る 様 で あ る 。 ○ 寒 暖 計 88度 【 31.1℃ 】 航米日録巻七 現代語訳 2 / 26 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 19日 (新 暦 10月 03日 ) 【 8月 20日 】 晴 。 滞船【ジャカルタ】。午前8時頃、御奉行等が上陸し、同所の東インド総 督 《 Charles Ferdinand Pabud》 の 居 宅 を 訪 問 し た 。 自 分 も 随 臣 で は な い が 上 陸 し た 。但 し 、今 朝 6 時 (日 本 の 六 ツ 半 時 に 相 当 )に 東 イ ン ド 総 督 関 連 の 士 官 が 四 ・ 五 人 乗 込 ん だ 河 川 蒸 気 船 で 迎 え に 来 た (船 名 は ヨ ハ ン と 言 い 、30馬 力 で あ る )。7 時 頃 御 奉 行 等 が 乗 り 移 ら れ 、二 里 余 で 川 口 に 至 り 、又 遡 る こ と 一 里 弱 で 上 陸 し た 。 側 に 砲 台 が あ り 、祝 砲 21発 を 鳴 ら し た 。陸 上 に は 騎 馬 隊・歩 兵 隊 が 装 備 し て 警 護 す る 。御 奉 行 等 が 上 陸 し 、直 ぐ に 車 に 乗 っ た が 、船 長 が こ れ に 付 き 添 っ た 。そ の 列 に は 、先 頭 に 小 砲 隊 20人 、楽 隊 10人 、騎 馬 隊 10人 程 、そ の 次 に 御 奉 行 等 が 順 に 並 ん で 、最 終 列 に 小 砲 隊 20人 、騎 馬 隊 10人 程 が 警 護 と し て 行 進 す る 。自 分 は 随 臣 で は な い の で 、そ の 後 か ら 上 陸 し た 。2 時 間 程 し て 一 つ の 店 に 入 り 休 息 し た 。こ の 店 は 酒 を 売 る 所 で 、家 の 中 央 に ビ レ タ イ ホ《 ビ リ ヤ ー ド 》と 言 う 玉 突 き 台 な ど が あ り 、二 三 人 の 男 子 と 一 人 の 婦 人 が 遊 ん で い た 。日 本 の 茶 屋 で あ る 。自 分 達 を 一 目 見 よ う と し て 異 風 の 人 達 が 戸 外 に 立 ち 並 ん で い た 。米 国 人 と は 異 な り 、敢 え て 握 手 す る 人 は 居 な い 。尤 も 、婦 人 は 更 に 近 づ く 事 も せ ず 、日 本 人 を 思 い 出 さ せ る 。こ の 場 所 で 車 を 雇 い 、一 里 ば か り 行 く と 広 い 道 が あ り 左 右 に 分 か れ て 路 傍 に 並 木 が あ る 。倉 庫 が あ り 、こ れ を 過 ぎ る と 高 さ 三 間 弱 の 門 が あ り 、門 の 左 右 に 居 丈 高 の 人 物 が 槍 を 持 っ て い る 姿 を 木 で 作 っ た も の が あ る 。又 、門 の 上 に 小 砲 隊 の 人 物 を 彫 刻 し 、左 右 三 人 ず つ 並 べ て 建 て て い る 。門 外 に 黒 人 が 一 人 居 て こ れ 等 を 護っている。これは日本の見付番所の類であろう。ここを過ぎ一町ほど行くと、 一 軒 の 大 き な 家 が あ り 、恐 ら く 役 所 の 類 で あ ろ う 。門 外 に 常 時 歩 卒 が 居 て 警 備 し て い る 。又 、左 折 し て 少 し 行 く と 市 街 と な り 、そ れ ら は 皆 オ ラ ン ダ 館 で あ る 。こ こ か ら 橋 を 渡 る と 中 国 館 で 、家 の 作 り は 大 抵 日 本 と 同 じ で あ る 。高 い も の で も 二 階 建 て で 、店 の 前 面 は 皆 漢 字 で 物 品 名 を 記 し て あ る 。戸 外 に「 五 福 臨 門 」な ど と 記 し た り 、或 い は 聯 句 を 記 し た 一 片 板 を 掛 け て い る 。こ れ は 日 本 の お 守 り の 類 で あ ろ う か 。こ の 様 な 家 が 数 十 軒 並 ん で 建 っ て い る 。市 街 中 央 に 出 る と 、左 に《 中 国 周 代 の 》文 王 の 社 と 見 え 、門 の 左 右 に 文 王 の 二 字 を 記 し た 大 提 灯 が 掲 げ て あ る 。 こ こ を 過 ぎ 三・四 町 行 く と 左 に 川 が あ り 、雨 後 の 水 の 様 に 汚 れ て い る 。右 に は 堂 々 と し た 大 き な 家 が あ り 門 扉 で 出 入 し て い る 。何 れ も 白 い 漆 喰 を 塗 り 、非 常 に 美 し く 、日 本 の 寺 院 の 様 で あ る 。又 、七・八 町 行 く と 門 上 に 白 公 祠 と 記 し た 額 を 掛 け た も の が あ り 、思 う に 中 国 楚 の 白 公 を 祭 っ た も の だ ろ う 。こ こ か ら 一 里 ほ ど で ホ テ ル に 着 く 。 ホ テ ル の 名 前 は デ ス ・ イ ン テ ス 《 Hotel des Indes》 と 言 う 。 御 奉 行 等 は 東 イ ン ド 総 督 の 居 宅 を 訪 ね 、既 に ホ テ ル に 居 た 。こ の ホ テ ル は 門 の 正 面 か ら 三 十 間 程 離 れ た 所 に 建 物 が あ り 、前 五・六 間 ほ ど 、奥 二・三 間 で 出 入 口 が あ る 。 航米日録巻七 現代語訳 3 / 26 こ こ を 入 れ ば 一 部 屋 、一 部 屋 と 都 合 三 部 屋 に 区 切 ら れ 、そ の 左 右 に 小 部 屋 が あ る (そ の 数 の 詳 細 は 分 か ら な い )。何 れ も レ ン ガ を 敷 き 、各 部 屋 に 椅 子 を 設 置 し て い る 。奥 の 二 部 屋 に は 常 に 大 き な テ ー ブ ル を 中 央 に 置 い て あ る 。部 屋 の 前 は 風 雨 を 覆う所が無く、至って快活である 【バルコニーのことか】。旅客は常にここに来て 飲 食 す る 。こ こ は 客 を 待 遇 す る 所 だ と 言 う 。そ の 左 右 に 長 屋 が あ り 、各 々 二 十 間 余 で 、右 の 長 屋 の 中 程 か ら 少 し ば か り 離 れ た 所 に 浴 湯 所 が あ る 。そ こ は 円 形 で 周 囲 五・六 間 、中 央 を 高 く し て 湯 気 を 洩 ら す 小 窓 が あ る 。浴 場 六 箇 所 、各 々 戸 が 有 って出入のときは必ず鍵を掛ける。その形は の様である。又、客を持て成 す待遇所の後に、右に沿って調理場と馬小屋がある。その前より少し離れて又、 二 十 間 ば か り の 長 屋 が あ る 。こ の 長 屋 の 角 に ホ テ ル の オ ー ナ ー が 住 ん で い る 。そ の他は皆旅客の宿泊所である。 大抵、一部屋は一間半から二間の大きさである。 椅 子 並 び に ベ ッ ド を 配 置 し 、床 に は 皆 レ ン ガ を 敷 き 、そ の 上 に ア ン ペ ラ で 作 っ た 花 蓆 (は な む し ろ )を 敷 い て い る 。こ れ ら の 長 屋 は 皆 平 屋 で 二 階 は な い 。又 、待 遇 所 の 後 の 左 に 浴 湯 所 が あ る 。長 さ 二 十 三 間 で 浴 場 が 三 個 あ る 。皆 石 を 積 ん で 作 り 、 そ の 上 に 銅 管 が あ っ て 水 湯 を 注 ぎ 入 れ て い る 。そ の 機 巧 は 米 国 の 物 を 思 い 出 さ せ る 。さ て 、御 奉 行 等 の 饗 応 の た め 、当 地 の 総 督 が 酒 肴 を 出 し た が 、そ の 盛 大 な こ と は 種 類 が 既 に 三 十 に 及 ん だ 。食 い 残 り の 食 べ 物 が 我 等 に も 回 っ て き て 、酔 っ 払 っ て し ま う に 十 分 で あ っ た 。米 国 出 帆 後 の 抑 鬱 を 始 め て 払 拭 し た 。午 後 に ホ テ ル の 近 所 を 二・三 町 程 散 歩 し た 。左 右 皆 商 館 で 、右 は オ ラ ン ダ 商 館 、左 は 中 国 商 館 で混じり住んでいる。諸物の高いことは米国の倍で、腕組して見るのみである。 午 後 4 時 頃 ホ テ ル を 出 て 、前 に 行 っ た 道 を な ぞ り 、夕 方 に 船 【 河 川 用 の 蒸 気 船 】 に 乗 り 移 る 。波 濤 が 高 く て 船 が 小 さ い た め 、皆 困 却 し た 。午 後 6 時 頃 漸 く ナ イ ア ガ ラ号に着いた。 ○ 寒 暖 計 87度 【 30.6℃ 】 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 20日 (新 暦 10月 04日 ) 【 8月 21日 】 晴 。 今 日 は 石 炭 の 積 み 入 れ の た め 、船 で ネ ヒ ヤ ー ル ト《 Navy yard:海 軍 造 船 所》に行く。午前8時過ぎから碇を揚げる。河口から六里の場所との事 である。 暫 ら く し て 着 岸 す る 。日 々 蒸 し 暑 く 、流 汗 滴 々 で 、夜 半 に な っ て も 尚 同 じ 様 な 状 態である。その困苦は甚だしいものである。 ネヒヤールト情勢 ネ ヒ ヤ ー ル ト は バ タ ビ ア 川 か ら 西 南 に 六 里 の 場 所 に あ り 、二 つ の 小 島 か ら な っ て い る 。一 島 は 器 械 製 造 所 、一 島 は 石 炭 貯 蓄 場 で あ る 。ナ イ ア ガ ラ 号 が こ の 場 所 に 航米日録巻七 現代語訳 4 / 26 来 て 停 泊 す る 。そ の 周 囲 は 僅 か に 七・八 町 で 、石 炭 蔵 一 棟 、砲 台 一 個 、火 薬 蔵 一 棟 、役 所 一 個 、他 に 番 人 の 居 所 と 思 え る 粗 略 な 家 が 一 軒 あ る 。砲 台 は 円 形 で レ ン ガ を 積 ん で 作 っ て あ る 。外 壁 は 皆 黄 色 の 漆 喰 で 、高 さ 三 間 、厚 さ 八 尺 で 、周 囲 上 下 に 砲 窓 が あ り 、海 面 に 面 し て い る 所 は 左 右 斜 め に 砲 窓 を 作 っ て い る 。こ の 所 に 数 砲 が 集 ま り 砲 撃 す る た め だ ろ う 。又 、出 入 戸 の 所 も 左 右 斜 め に 砲 窓 を 設 け て い る 。極 め て 堅 牢 で あ る 。火 薬 蔵 は 方 形 で 前 一 間 半 、横 二 間 程 で 前 後 に 小 窓 が 二 個 あ る 。高 さ 二 間 、厚 さ 六・七 尺 で 、三 重 の 扉 を 設 け 、周 囲 に 土 塀 を 築 き 、常 に 門 戸 を 閉 じ て 部 外 者 の 出 入 を 許 さ な い 。そ の 作 り は 最 も 堅 実 で あ る 。役 所 は 小 さ な 建 物 で 、常 に は 使 用 せ ず 、事 あ る 毎 に 使 用 す る と の 事 で あ る 。も う 一 つ の 小 島 に は 器 械 製 造 所 並 び に 砲 台 が あ り 、常 時 罪 人 を 収 容 し 、仕 事 や 職 業 訓 練 を さ せ て い る。現地人はこの島を称してヲンリストアエランド《オンルストエイラント Onrust Eiland》 と 呼 ん で い る 。 ヲ ン リ ス ト と は 不 穏 の 意 味 で あ る 。 昔 、 オ ラ ン ダ 人 が 初 め て こ の 地 に 来 た と き 、こ の 島 を 根 拠 と し 、そ の 後 ジ ャ ワ 島 全 体 を 奪 領 し た 。そ の た め 現 地 人 は 今 で も こ の 様 に 呼 ん で い る と の 事 で あ る 。尤 も 、オ ラ ン ダ 人 も こ の 島 が 要 害 の 地 で あ る こ と を 知 り 、ネ ヒ ヤ ー ル ト を 建 設 し て 非 常 時 に 備 えている。 ○ 寒 暖 計 89度 【 31.7℃ 】 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 21日 (新 暦 10月 05日 ) 【 8月 22日 】 晴 。 滞船【ジャカルタ】。石炭の積み入れを行う。午後、オランダ人と中国人 が婦人を伴って来る。炎熱が烈しい。 ○ 寒 暖 計 90度 【 32.2℃ 】 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 22日 (新 暦 10月 06日 ) 【 8月 23日 】 晴 。 滞 船 【 ジ ャ カ ル タ 】 。石 炭 の 積 み 入 れ を 行 う 。又 オ ラ ン ダ 人 と 亜 刺 比 亜 (ア ラ ビ ア )人 が 来 る 。 夜 、 雷 雨 が あ り 、 炎 熱 を 払 拭 す る の に 十 分 で あ る 。 ○ 寒 暖 計 88度 【 31.1℃ 】 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 23日 (新 暦 10月 07日 ) 【 8月 24日 】 晴 。 滞船【ジャカルタ】。石炭の積み入れを行う。夜、雷雨がある。さてこの 小 島 に 時 々 上 陸 す る が 、海 岸 に 松 葉 に 似 た も の 、き の こ に 似 た も の 、或 い は 菊 花 に似た奇石が多い。始め数百の石を拾ったが、船中に収納する場所が無いため、 止むを得ずその内で最も奇なるものを選んで、僅か七・八石を持ち帰った。 ○ 寒 暖 計 89度 【 31.7℃ 】 航米日録巻七 現代語訳 5 / 26 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 24日 (新 暦 10月 08日 ) 【 8月 25日 】 晴 。 今日になって石炭の積み入れが終わり、ネヒヤールトから帰る。バタビ ア 川 か ら 一 里 程 離 れ た 場 所 に 停 泊 し た 。午 後 再 び 上 陸 し 、又 前 路 を 通 る 。帰 船 は 午後6時過ぎになった。雷雨がある。 ○ 寒 暖 計 87度 【 30.6℃ 】 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 25日 (新 暦 10月 09日 ) 【 8月 26日 】 晴 。 滞船【ジャカルタ】。午後当島の総督が来る。船上で祝砲を鳴らし饗応し て音楽を演奏する。船中で各人服を着替える。 ○ 寒 暖 計 88度 【 31.1℃ 】 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 26日 (新 暦 10月 10日 ) 【 8月 27日 】曇 、午 後 小 雨 、東 の 風 。 午後2時過ぎに碇を揚げ、東北に向う。蒸気機関を作動させているため 煙 が 雲 の 様 に た な び き 、如 何 に も 勇 敢 に 見 え 、船 の 速 度 は 最 速 で あ る 。夕 方 に な り バ タ ビ ア 諸 島 は 遠 く 小 さ く 見 え 、ま る で 雲 の 様 で あ る 。夜 、波 濤 は 静 か で あ る 。 炎熱は烈しいけれども、船足が速いため冷気が吹き、少し涼しく感じる。 ○ 寒 暖 計 87度 【 30.6℃ 】 バタビア情勢 ジ ャ ワ は 七 州 二 十 一 郡 か ら な り 、バ タ ビ ア《 現 在 の ジ ャ カ ル タ 》は 北 岸 の 海 港 で あ る 。一 名 、ヂ ャ カ タ ラ《 16世 紀 の 始 め は Sunda Calapaと 呼 ば れ て い た が 、回 教 徒 が Calapaを 征 服 後 に Jacartaと 改 め ら れ た 。外 国 人 が こ れ を 訛 っ て Jacatraと 呼 び 、 日 本 で は ジ ャ ガ タ ラ と 呼 ば れ た 》と 言 う 。テ ィ リ ウ ォ ン ク《 チ リ ウ ン:Tijliwong》 と 言 う 川 が あ り 、そ の 河 口 に 長 さ 一 里 余 の 石 堤 を 左 右 に 築 き 、波 濤 を 止 め て 石 沙 が 入 ら な い 様 に し て い る 。そ の た め そ の 間 は 深 く 、運 送 船 が 自 由 に 往 来 す る 。堤 の 上 に 灯 台 が あ り 、往 来 の 目 印 と し て い る 。左 右 に 砲 台 が あ り 、土 堤 を 高 く 築 い て お り 、こ れ は 日 本 の 砲 台 の 作 り に 似 て い る 。砲 台 か ら ニ・三 町 離 れ た 所 に 監 察 所 が あ っ て 、船 の 往 来 を 監 視 し て い る 。右 に は 中 国 人 の 家 が あ り 、周 囲 に 低 い 垣 根 を 作 り 、門 が あ っ て 出 入 し て い る 。そ の 作 り は 風 雅 で あ る 。上 陸 す る 所 に は 所 々 に 桟 橋 が あ り 、岸 頭 に 長 さ 七・八 間 の 家 が あ る 。こ れ は 荷 物 揚 場 で あ り 、そ の 管 理は厳重である。港門は東北に面し、非常に広い。港外に数十の小島が散在し、 強 烈 な 風 や 津 波 【 原 文 「 颶 風 海 嘯 (ぐ ふ う か い し ょ う )」 】 な ど の 心 配 が 無 く 、 船 舶 の 停 泊 場 所 と し て は 最 上 の 所 で あ る 。現 在 で は 、諸 外 国 の 船 が 数 多 く 停 泊 し 、日 々 に 出 入 す る 。 或 る 書 物 に 拠 れ ば 、 港 内 に 1200艘 が 停 泊 し て い る と 言 う 。 そ の 昔 、 英 兵 に そ の 地 を 奪 わ れ 、一 朝 に し て 寂 寞 の 地 と な っ た が 、オ ラ ン ダ 人 が 色 々 と 手 航米日録巻七 現代語訳 6 / 26 を 入 れ て 漸 く 現 在 の 隆 盛 な 港 に な っ た 。全 島 の 酋 長 が こ の 島 で 内 外 の 政 令 を 発 し た (訳 書 で は 、 1601年 以 来 、 英 人 が こ の 島 を 奪 領 し た 。 そ の と き オ ラ ン ダ 人 は 、 バ タ ビ ア の 西 に あ る バ ン タ ム と 言 う 所 で 強 力 な 勢 力 を 張 っ て い て 、英 人 を 追 い 払 い 自 分 の 領 地 と し た 。こ の 争 乱 で 家 屋 が 破 壊 さ れ 、城 市 が 悉 く 烏 有 と 帰 し た 。オ ラ ン ダ 人 が 新 た に 造 築 し て 、1619年 か ら 追 々 回 復 さ せ て き た が 、1811年 に 英 人 が こ こ を 奪 い 、1816年 に 再 び オ ラ ン ダ 人 へ 返 還 し た と 言 う 事 で あ る 。こ の 様 に 、兵 火 や 地 震 に 逢 い 、昔 は 人 口 が 16万 人 も 居 た が 、大 幅 に 減 少 し て 寂 し い 街 と な っ た 。 オ ラ ン ダ 人 が 種 々 の 工 夫 を し て 漸 く 現 在 の バ タ ビ ア に し た 。 )。 街 の 一 区 画 は 非 常 に 広 く 、道 路 は 整 正 で 、学 校・ 病 院・芸 術 館・寺 院・音 楽 堂 等 全 て 欠 け た も の は な い 。又 、道 路 が 通 っ て い る 場 所 に は 、劇 場・曲 芸 所・骨 董 店 等 が 立 ち 並 ん で 、 常 時 人 が 集 ま っ て い る 。中 国 人 と オ ラ ン ダ 人 は 住 居 区 を 分 け 、長 い も の は 四・五 町 、短 い も の は 二・三 町 で 、そ の 間 に 寺 院・神 社 等 が あ っ て 樹 木 が 森 々 と し て い る 。街 区 の 左 右 に 多 く の 樹 木 を 植 え 、日 光 を 遮 っ て い る 。こ れ は 炎 熱 を 避 け る た め で あ ろ う 。ま た 所 々 に 小 さ な 堀 を 設 け 、地 面 の 汚 湿 を 洗 い 流 し 、庶 民 が 伝 染 病 に 掛 か ら な い 様 に し て い る 。こ の 様 に し て 日 々 を 追 っ て 繁 華 と な り 、オ ラ ン ダ 東 イ ン ド 領 中 第 一 の 所 と な っ た 。 人 口 11万 8300人 (訳 書 に は 、 欧 州 人 2800人 、 中 国 人 2 万 5000人 、 現 地 人 8 万 人 、 ア ラ ビ ア 人 1000人 )で あ る 。 風俗 オ ラ ン ダ 、中 国 、ア ラ ビ ア 、現 地 人 の 交 雑 の 地 な の で 、各 々 風 俗 は 異 な る 。○ 現 地 人 は 顔 面・毛 髪 共 に 皆 黒 く 、ア フ リ カ 人 に 比 べ れ ば 少 し は 薄 い 。衣 服 は 筒 袖 の 着 物 で 、長 い も の は 膝 ま で 、短 い も の は 腰 ま で で あ る 。皆 草 木 の 花 を 染 め た も の や 或 い は 白 木 綿 を 用 い て い る 。胸 先 は ボ タ ン で 合 せ る か 、又 は 無 縫 の 片 布 を 三 重 に 腰 に 巻 い て 前 で 結 ん で い る 。日 本 の 帯 に 似 て い る 。着 物 は 大 抵 左 前 【 左 衽 (さ じ ん )】 に 着 て い る 。 又 筒 袖 の 着 物 の 周 囲 を 縫 い 合 わ せ て 、 着 る と き に 首 か ら 被 る ようにして着るものもある。腰より下は股引を用いる。その上から腰巻を巻く。 長 い も の は 踝 ま で 、短 い も の は 膝 ま で 来 る 。首 に は 風 呂 敷 の 様 な 物 を 被 り 、額 の 前 で 結 ぶ 。皆 草 木 の 花 を 染 め た 布 を 用 い て い る 。又 、下 僕 は 唯 筒 袖 の 着 物 と 腰 巻 の み で 股 引 は 用 い て い な い 。そ の 容 態 は ル ア ン ダ 人 に 似 て い る 。又 、羅 紗 の 筒 袖 の 着 物 に 股 引 を 用 い る 者 も 居 る 。そ の 作 り は 大 抵 米 国 と 同 じ で あ る 。肩 よ り 脇 の 下 に 至 る ま で 、幅 二 寸 程 の 袈 裟 の 様 な 物 を 掛 け 、胸 に 当 た る 所 は 真 鍮 で 出 来 た 長 さ三寸、横二寸程の物に文字を記した 物がある。横文字を読むことが出来ない。 【この服を着ていたのは】この地の兵卒である。大抵裸足で、草履を用いる者は少 な い 。女 性 も ま た 男 性 に 準 じ て 装 い は 至 っ て 粗 末 で あ る 。首 に は 風 呂 敷 の 様 な 物 を 被 っ た り 、或 い は 髪 を 束 ね る の み で あ る 。○ 中 国 人 は 、顔 及 び 毛 髪 等 、日 本 人 航米日録巻七 現代語訳 7 / 26 に 似 て い る 。首 は 中 央 に 切 り 髪 周 囲 二 寸 程 を 残 し て そ の 他 は 全 て 剃 り 落 と し 、そ の 長 さ は 腰 を 超 え る も の で あ る 。も し 短 髪 な 者 は 糸 で 接 続 し て い る 。ま る で 組 紐 の 様 で あ る 。髪 は 常 に 背 後 に 垂 ら し 、事 あ る と き は 首 に 巻 き 付 け る 。こ れ は 即 ち 弁 髪 で あ る 。帽 子 は 絨 (じ ゅ う )と 呼 ば れ る 地 の 厚 い 毛 織 物 で 作 ら れ 、そ の 形 は 円 形 で 頂 上 に 括 り 付 け ら れ て い る 。そ の 括 り 付 け 部 分 は 高 く な り 、小 さ な 円 と な っ て い る 。こ れ は 飾 り の た め で あ ろ う 。全 て の 帽 子 は 小 さ く て 、僅 か に 頭 の 中 央 を 覆 う の み で あ る 。衣 服 は 筒 袖 の 着 物 で 、白 木 綿 或 い は 羅 紗 を 用 い て い る 。股 引 は 、 米 国 等 の も の に 比 べ れ ば 、少 し 緩 や か で あ る 。襟 は 狭 く て 首 の 所 で 止 ま る 。全 て 胸先でボタンで結合している。 ガラス・木実或いは黄金等で飾りを作っている。 その長さは腰下或いは膝下に至 り、必ずしも一ではない。前後にひだを付けず、 日 本 の 丸 羽 織 と 同 じ で あ る 。腰 下 に は 股 引 を 用 い 、又 、革 靴 を 履 く 。下 僕 は 白 木 綿の筒袖の着物と草鞋を履くか裸足である。寛いで休むときは、殆ど裸を好む。 日本の下僕と同じである。女性の服も筒袖の着物で非常にゆったりとしている。 長 さ は 腰 下 か ふ く ら は ぎ の 下 ま で あ り 、必 ず し も 一 つ で は な い 。腰 下 に は 股 引 を 用 い 、そ の 上 に 腰 巻 を 纏 う 。頭 は 全 髪 を 堅 く 束 ね 、後 で 結 ん で い る 。か ん ざ し と こ う が い《 簪 笄 (し ん け い )》で 飾 り と し て い る 。顔 に 紅 粉 を 塗 り 、歯 を 黒 く し て い る 。こ れ は 日 本 と 同 じ で あ る 。○ ア ラ ビ ア 人 は 頭 に 巨 大 な 布 を 被 り 、中 央 は 中 国 の 帽 子 の 様 に し 、左 右 長 い 所 は 頭 の 周 り へ 幾 重 に も 巻 き つ け 、日 本 の 槍 丁 が 帯 を 纏 う よ う な 感 じ で あ る 。衣 服 は 永 さ が 踝 ま で く る 白 木 綿 の 筒 袖 の 着 物 を 下 に 着 て 、そ の 上 に 袖 な し の 襦 袢 に 数 種 類 の 刺 繍 が 有 る も の を 着 て 、胸 先 で ボ タ ン で 合 わ せ て い る 。非 常 に 美 し い 。又 そ の 上 に 長 衣 を 着 て 、前 を 開 け て 合 わ せ な い 。こ れは筒袖の着物であるが、腕半分の所で二つに別れ、辺端を金色の糸で刺繍し、 そ の 裾 が 踵 ま で 達 し て い る 。左 右 少 し ば か り 分 か れ て い て 縫 い 取 り が あ る 。全 て の 服 が 日 本 で 俗 に 用 い る カ イ ト リ《 婦 人 の う ち か け 》に 似 て い る 。履 (く つ )は 日 本 の 草 履 の 様 で 鼻 緒 が あ り 、そ の 中 央 に 幅 一 寸 程 の 革 を 左 右 に 廻 し て 足 が 回 ら な い様にし、履の先端に の様なものが有る。何のためのものかは分らない。履 は 三 重 で 非 常 に 美 し い 。女 装 は 見 て い な い 。或 る 説 に よ る と 、大 抵 、男 装 に 同 じ と の 事 で あ る 。○ オ ラ ン ダ 人 の 服 装 は 男 女 共 に 米 国 人 と 変 わ ら な い 。家 の 作 り も 又 各 々 違 っ て い る 。オ ラ ン ダ 館 の 高 さ は 二 階 か ら 三 階 建 て で あ る 。レ ン ガ を 用 い て い る 所 は 少 な く 、多 く は 木 角 で 出 来 て い る 。屋 根 は 赤 瓦 で 葺 い て い る 。棟 は 高 い が 、四 簷《 し え ん:ひ さ し 》は 非 常 に 低 い 。周 囲 は 白 い 漆 喰 を 塗 り 、窓 と 格 子 は 皆 ガ ラ ス で 出 来 て い る 。市 中 の 店 は 外 部 を ガ ラ ス で 作 り 、内 部 に 数 種 類 の 奇 品 を ガ ラ ス 箱 の 中 に 置 い て あ る 。そ の 作 り は 殆 ど 米 国 と 同 じ で あ る 。中 国 人 は 木 材 で 家 を 作 り 、屋 根 は 赤 瓦 或 い は 椰 子 の 葉・茅 で 葺 い て い る 。家 の 周 り に 低 い 垣 根 航米日録巻七 現代語訳 8 / 26 が あ り 、門 戸 を 作 り そ こ か ら 出 入 す る 。そ の 作 り・配 置 は 風 雅 で あ る 。オ ラ ン ダ 館 に も 同 様 の 作 り が あ り 、門 上 に 漢 字 の 大 額 を 高 く 掲 げ て い る 所 が あ る 。こ れ は 寺 院 で あ ろ う 。市 街 の 店 前 で は 数 種 類 の 器 を 陳 列 し た り 、窓 に 漢 字 で 物 品 名 を 記 し て い る 。店 内 に は 席 を 設 け ず 、レ ン ガ の 床 の み 、棚 の 上 に 数 品 を 陳 列 し て い る 。 道 路 の 往 行 に は 車 を 用 い て い る 。そ の 作 り は 米 国 と 同 じ で あ る 。行 商 は 大 抵 、天 秤 棒 で 荷 物 を 担 い で 行 く 。大 き な 通 り の 地 に は 必 ず 数 種 類 の 食 物 が 並 び 、座 っ て 商 売 し て い る 。又 、劇 場・曲 芸 等 が あ っ て 大 い に 繁 盛 し て い て 、殆 ど 日 本 の 風 俗 に 似 て い る 。し か し 、人 情 は 純 朴 で は な く 、他 国 の 人 を 侮 弄 し て い る 。諸 国 交 易 の 場 所 で あ る た め 、自 然 に 利 に 敏 (さ と )く 、少 し の 損 も 出 る の を 恐 れ 、至 っ て 狡 猾 で あ る 。今 、自 分 達 が 上 陸 し た と き 、現 地 人 で 巻 タ バ コ を く れ た 者 が 居 た 。親 切 の 事 と 思 い 辞 退 せ ず に 貰 い 、そ の ま ま 帰 っ た が 、翌 日 に な っ て 券 札 を 持 っ て 来 て 、そ の お 金 を 支 払 う よ う に 厳 し く 要 求 し て き た 。又 、自 分 達 の 服 装 が 現 地 人 の も の と 変 わ っ て い る の を 見 て 、道 路 で 嘲 り 笑 う 。甚 だ 失 礼 で あ る 。考 え る に 、昔 は こ の 様 な 非 礼 な 人 間 で は な か っ た が 、後 世 に 亘 っ て 他 国 の 人 間 と 交 流 す る に 及 んで、性格が変質していったのだろう。 恐るべき事である。 気候 南 緯 6 度 08分 、 東 経 106度 50分 の 地 で あ る の で 、 年 中 日 本 の 夏 の 様 で 、 四 季 は 無 い と 言 う 。昔 か ら 伝 染 性 の 熱 病 の 発 生 が 多 く 、又 、大 地 震 が あ っ て 人 口 が 減 少 し て 行 っ た 。今 で は オ ラ ン ダ 人 の 考 え に 基 づ い て 熱 病 を 避 け 、疾 病 を 防 止 し 、漸 く 良 地 と な っ て 前 記 の 様 な 心 配 は 無 く な っ た 。唯 炎 熱 が 甚 だ し く 、年 中 綿 入 れ を 着 る こ と は 無 い (訳 書 に 、年 中 中 度 の 暖 は 78度 3分 、冬 は 78度 1分 、夏 は 78度 6分 、午 後 の 温 度 は 80度 か ら 90度 以 上 に な り 、夜 は 70度 で 暑 さ は 少 し 減 少 す る 。2、3月 か ら 10月 に 亘 り 好 天 気 で 、気 候 は 甚 だ 穏 や か で あ る 。そ の 外 の 月 は 、晴 曇 風 雨 不 定 で あ る 。 地 震 ・ 風 雨 が 多 く 、 時 と し て 暴 風 が あ り 、 船 が 流 さ れ る こ と が あ る )。 自 分 が 入 港 し た 時 は 、 西 暦 で 言 う 10月 で あ っ た が 、 炎 熱 が 甚 だ し く 寒 暖 計 が 90 度になった。船中でも流汗を拭うのに暇が無い。 夕方から時として雷雨が降り、 炎 熱 を 一 掃 す る 。少 し 気 晴 ら し に な る 。畑 の 野 菜 は 、胡 瓜・ナ ス・イ ン ゲ ン・ボ タ ン ナ・ス イ カ・ザ ボ ン・大 根 の 類 で あ り 、船 中 に 持 ち 込 ま れ る の を 見 る 。日 本 の【旧暦】六月の様である。その炎熱の凄さはこれで分るであろう。 草木 草 木 は 色 々 の 物 が 多 く 、逐 一 記 載 す る こ と が 出 来 な い 。先 ず 目 に 付 く も の と し て 、 椰 子・芭 蕉 が 最 も 多 い 。又 、幹 は シ ュ ロ の 様 で 葉 は 芭 蕉 の 様 に 数 葉 が 連 な っ て 羽 扇 の 様 な も の が あ る 。又 、日 本 の ネ ム の 木 に 似 た も の が あ る 。道 路 に 桑 の 葉 に 似 航米日録巻七 現代語訳 9 / 26 た 木 を 植 え て 常 に 日 光 を 遮 っ て い る 。日 本 の 菩 提 樹 の 様 で あ る 。何 れ も 名 前 を 聞 こ う と し た が そ の 暇 が 無 か っ た 。そ の 他 に 、松・竹 が あ る 。松 は 日 本 の 五 葉 松 の 様 で 葉 は 少 な く て 長 く 、竹 は 節 が 薄 く て 女 竹 の 様 で あ る 。又 、籐 が あ り 、多 く は ザルに使用する。その他に色々有るが一々枚挙は出来ない。 鳥獣 鳥 獣 は 多 く 居 る と の 事 で あ る が 、多 忙 で 探 索 す る こ と は 出 来 な か っ た 。船 中 に 持 ち 込 ま れ た も の に は 、牛・豚 或 い は 鶏・ア ヒ ル・七 面 鳥 が あ る 。 カ ラ ス ・ ト ビ ・ ツ バ メ・ス ズ メ も 居 る と 言 わ れ て い る が 、自 分 は 未 だ 見 て い な い 。唯 、海 上 に 頭 が白く羽が赤黒の斑のトビに似た鳥が居る。犬・猫は日本のものと同じである。 犬 は 至 っ て 小 で 、大 き い も の は 一 つ も 見 な い 。馬 も 小 さ く て 高 さ は 大 鹿 と 同 じ で あ る 。常 に 車 を 引 い て い る 。力 は 非 常 に 強 く 、四 人 乗 り の 車 を 二 頭 で 引 き 、あ っ と 言 う 間 に 二・三 里 走 る 。牛 は 大 抵 日 本 に 居 る 牛 の 大 き さ で 、角 は 日 本 の よ り 少 し大きい。 貨幣 こ の 土 地 は オ ラ ン ダ の 領 地 で あ る た め 、オ ラ ン ダ 紙 幣・銀 貨 が 通 用 す る 。銀 貨 は 2 ギ ル ダ ー 半 か ら 1/5ギ ル ダ ー ま で あ る 。 又 銅 銭 も 色 々 種 類 が あ る 。 米 国 の 1 ド ル は こ の 地 の 2 ギ ル ダ ー 半 に 相 当 す る 。 こ の 関 係 を 基 に す る と 1 ギ ル ダ ー は 40 セントに相当する。金貨については自分は未だ見ていない。 物価 こ の 地 の 物 価 は 甚 だ 高 い 。オ ラ ン ダ の 物 は 本 国 か ら 輸 入 し て い る 。値 段 は 非 常 に 高く、日本の銀貨で簡単に買えるものではない 。 一 呉呂服三尺 1ドルから2ドル (呉 呂 服 (ご ろ ふ く ):オ ラ ン ダ 語 Grof grein、 粗 い 生 地 の 毛 織 物 ) 一 アンペラ一枚 セ ン ト か ら 20セ ン ト 大 き い も の は 2 ド ル か ら 50セ ン ト 、 小 さ い も の は 25 (ア ン ペ ラ : 藺 草 (い ぐ さ )で 編 ん だ む し ろ ) 一 砂糖一斤 50セ ン ト 一 日 本 醤 油 一 瓶 (三 合 ) 25セ ン ト 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 27日 (新 暦 10月 11日 ) 【 8月 28日 】朝 晴 、午 後 雨 、東 の 風 。 又東北に向う。午後船の左右に数十の小島が点在するのを見る。 夕方に な っ て も 同 様 の 風 景 で あ る 。夜 午 後 8 時 過 ぎ に 海 上 に 停 泊 す る 。こ の 辺 り は 島 嶼 航米日録巻七 現代語訳 10 / 26 が 多 く 且 つ 暗 礁 が あ る た め 、停 泊 し 夜 の 明 け る の を 待 つ と 言 う 事 で あ る 。夜 、午 前0時過ぎに小雨が降る。 ○ 寒 暖 計 84度 【 28.9℃ 】 ○ 昨 日 碇 を 揚 げ て か ら 今 日 の 正 午 迄 160海 里 ○ 南 緯 3 度 36 分 ○ 東 経 107度 18分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 28日 (新 暦 10月 12日 ) 【 8月 29日 】 曇 、 時 々 驟 雨 、 北 東 の 風。 今日になって北に向う。逆風で帆を揚げることが出来ず、蒸気機関で航 行する。午前8時過ぎ、船の左舷に小島が見え 、その側に大船一艘が暗礁に乗 り上げて破砕しているのが見えた 。遠見で詳細には分らないが、マスト が今に 残っている。暗礁の恐るべき事はこの様で、この光景を見て思わず戦慄する。 午後驟雨が降る。この辺りに来て波濤が静かになり、平路の様である。唯憂う るべきは、小島が点在していて時として暗礁すると言う事である。 夜午後6時 頃俄かに暴風が吹き、船中大騒動となる。暫らくして止む。 ○ 寒 暖 計 84度 【 28.9℃ 】 ○ 正 午 迄 135海 里 ○ 南 緯 1 度 30分 ○ 東 経 107度 13分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 8月 29日 (新 暦 10月 13日 ) 【 9月 01日 】 晴 、 西 北 の 風 。 今日は、北より少し西【北北西】の方向に航行する。これは暗礁の憂慮を 避 け る た め で あ る 。午 前 8 時 過 ぎ 、帆 を 揚 げ た が 風 が 弱 く て 十 分 に 航 行 出 来 な い 。 唯 波 濤 が 静 か で 船 足 は 速 い 。午 後 2 時 過 ぎ に 驟 雨 が 降 る 。夕 方 過 ぎ に 一 天 雲 無 く 、 全 天 の 星 が 爛 々 と 輝 い た 。こ の 辺 り は 炎 熱 が 烈 し く 、時 々 雨 が 降 っ て 少 し 涼 し く な る 。夜 、風 波 が 穏 や か で 、午 前 0 時 過 ぎ に 驟 雨 が 降 る 。今 日 、赤 道 を 通 過 し た 。 ○ 寒 暖 計 85度 【 28.9℃ 】 ○ 正 午 迄 188海 里 ○ 北 緯 1 度 05分 30秒 ○ 東 経 106度 44分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 01日 (新 暦 10月 14日 ) 【 9月 02日 】晴 、午 後 曇 、東 北 の 風 。 今朝から北に向う。午前8時頃左舷に島嶼が点々として見える。 午後海 上 渺 茫 (び ょ う ぼ う )と し て 物 が 見 え な く な っ た 。午 後 4 時 過 ぎ 、驟 雨 が 降 っ て 炎 熱を緩和する。夜になって波濤が少し高くなり 、船が揺動する。 ○ 寒 暖 計 86度 【 30.0℃ 】 ○ 正 午 迄 180海 里 ○ 北 緯 4 度 15分 ○ 東 経 106度 51分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 02日 (新 暦 10月 15日 ) 【 9月 03日 】 曇 、 時 々 驟 雨 。 今日から北より少しばかり東【北北東】に航行する。午前8時過ぎ、米国 の 商 船 一 艘 に 出 会 う 。互 い に 船 号 を 唱 え 、暫 ら く 談 話 し て 別 れ る 。そ の 船 は 蒸 気 船 で は な く 、帆 力 の み で 航 行 す る 。こ の 辺 り は 風 が 静 か な の で 、空 し く 海 上 に 漂 流 し て い る 。日 本 人 は 短 気 な の で 、そ の 様 な 船 に 乗 っ た な ら ば 、さ ぞ か し 気 を 揉 航米日録巻七 現代語訳 11 / 26 む で あ ろ う 。し か し 、彼 等 は 悠 々 と し て そ の 様 な 状 況 を 気 に も 留 め ず 、婦 人 な ど を 乗 せ て 航 海 を 楽 し ん で い る 。こ れ を 見 て【 玉 虫 は ?】恥 ず か し く て 顔 が 赤 ら ん だ 。 午 前 10時 過 ぎ に 驟 雨 が 降 っ て き た 。そ の 後 は 晴 れ た り 雨 が 降 っ た り で あ る 。船 の 左舷に大船一艘が見えるが、遠くて何国の船であるか分らない。夜になって も 、 晴雨不定である。 ○ 寒 暖 計 85度 【 29.4℃ 】 ○ 正 午 迄 194海 里 ○ 北 緯 7 度 24分 ○ 東 経 107度 11分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 03日 (新 暦 10月 16日 ) 【 9月 04日 】晴 、午 後 2 時 過 ぎ 驟 雨 、 東北の風。 又、東北に向う。午後2時過ぎ、夕方、俄かに東風に変わり、帆を揚げ て 航 行 す る 。船 足 非 常 に 速 い 。夜 に な り 冷 風 が 吹 い て 炎 熱 が 少 し 減 少 す る 。今 日 は波濤が高く、船が揺動する。 ○ 寒 暖 計 85度 【 29.4℃ 】 ○ 正 午 迄 194海 里 ○ 北 緯 7 度 24分 ○ 東 経 107度 11分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 04日 (新 暦 10月 17日 ) 【 9月 05日 】 晴 、 午 後 驟 雨 、 東 北 の 風。 又、東北に向う。逆風で帆を揚げることが出来ず、蒸気機関にて航行す る が 波 濤 が 高 く 、船 足 は 速 く な い 。右 舷 に 英 船 一 艘 が 見 え る 。夜 、遠 雷 、雷 光 が 光る。炎熱が烈しい。 ○ 寒 暖 計 87度 【 30.6℃ 】 ○ 正 午 迄 135海 里 ○ 北 緯 10度 57分 ○ 東 経 110度 18分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 05日 (新 暦 10月 18日 ) 【 9月 06日 】 晴 、 北 東 の 風 。 又 、北 東 に 向 う 。こ の 辺 り は 波 濤 が 漸 く 静 か に な り 、船 足 は 非 常 に 速 い 。 夜になり、冷風が吹いて炎熱を 緩和している。遠雷、雷光が光る。 ○ 寒 暖 計 85度 【 29.4℃ 】 ○ 正 午 迄 176海 里 ○ 北 緯 13度 19分 ○ 東 経 112度 04分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 06日 (新 暦 10月 19日 ) 【 9月 07日 】曇 、時 々 驟 雨 、東 の 風 。 又、北東に向い、横帆を揚げて航行する。 夜明けに驟雨が降り、涼しさ を 催 す 。そ の 後 、雨 が 次 第 に 烈 し く な り 、部 屋 の 湿 気 が 甚 だ し く 、衣 服 類 が 水 に 浸 っ た 様 な 感 じ で あ る 。 こ の 辺 り は 右 に マ ッ カ レ ス 《 Macclesfield Bank: マ ッ ク ル ズ フ ィ ー ル ド 堆 》 、 左 に フ ラ ッ セ ル 《 Praters Cliff: プ ラ ッ タ ー ズ さ ん ご 礁 》を 控 え 、そ の 間 の 距 離 は 僅 か に 一 度 位 で 、昔 か ら 難 所 と 言 わ れ て い る 所 で あ る 。午 後 に な り マ ッ カ レ ス を 過 ぎ る 。満 天 に 雲 が む ら が り 、に わ か 雨 が 降 る 。波 頭 が 特 に 高 く 、少 し ば か り 心 配 に な る 。夕 方 に な り 漸 く 両 礁 を 過 ぎ 、大 い に 安 心 する。夜波濤高く、船が頻りに揺動する。 航米日録巻七 現代語訳 12 / 26 ○ 寒 暖 計 84度 【 28.9℃ 】 ○ 正 午 迄 175海 里 ○ 北 緯 16度 06分 ○ 東 経 113度 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 07日 (新 暦 10月 20日 ) 【 9月 08日 】 晴 曇 不 定 、 東 北 の 風 。 又、北東に向う。この辺りは風が無いが白波が高く 、あたかも天を蹴る 様 で あ る 。こ の た め 、蒸 気 機 関 の 力 は 十 分 で あ っ た が 船 足 は 速 く は 無 い 。夜 に な っ て 波 濤 が 少 し 穏 や か に な り 、船 の 揺 動 は 少 し 緩 和 さ れ た 。こ の 辺 り に 来 て 少 し 冷気を感じる。日本の【旧暦】八月の気候である。 ○ 寒 暖 計 84度 【 28.9℃ 】 ○ 正 午 迄 166海 里 ○ 北 緯 18度 45分 ○ 東 経 113度 49分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 08日 (新 暦 10月 21日 ) 【 9月 09日 】 晴 、 東 北 の 風 。 又、北東に向う。波濤が高く船足は速くは無い。 午前8時頃、右舷に大 船 一 艘 を 見 る が 何 処 の 国 の 船 か は 分 ら な い 。午 後 に 船 の 左 右 に 漁 船 が 点 在 す る の が 見 え た 。そ の 数 は ど の 位 な の か 分 ら な い 。ま し て 陸 地 に 近 い 所 に 行 っ た ら 、ど の 位 の ほ ど に な る の か 。午 後 2 時 過 ぎ 、左 舷 に 六・七 島 が 微 か に 見 え る 。午 後 4 時 頃 に な っ て は っ き り と 見 え る よ う に な っ た 。そ の 内 の 一 大 島 、遠 く 見 え る の は マ コ ウ 島《 マ カ オ 》で あ る 。夕 方 に な り 、香 港 か ら 七・八 十 里 の 所 に 来 た 。香 港 の海門左右は、皆堅固な石で出来ており、 夜中【の入港は海門への衝突の可能性があ り 】 甚 だ 危 険 で あ る 。こ の た め 、蒸 気 機 関 の 作 動 を 緩 め 、漂 漾 (ひ ょ う よ う )し て 夜 明 け を 待 つ 。夜 明 け に 一 人 の 中 国 人 が 来 る 。こ れ は 水 先 案 内 人 で あ る 。波 濤 が 静かで川の様である。 ○ 寒 暖 計 78度 【 25.6℃ 】 ○ 正 午 迄 137海 里 ○ 北 緯 21度 ○ 東 経 114度 07分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 09日 (新 暦 10月 22日 ) 【 9月 10日 】 晴 、 東 北 の 風 。 今朝になって香港島に近づく。 船の左右は皆島で、香港島は西にある。 北 は 一 面 の 山 で 堅 固 な 岩 で 出 来 て い る 。こ こ は 広 東 地 方 で あ る 。そ の 距 離 の 隔 た り は 、広 い 所 で 二・三 里 、狭 い 所 で 五・六 町 で 、左 右 険 し く そ そ り 立 っ た 岩 石 で あ る 。そ の 間 を 通 過 す る の で 水 先 案 内 人 を 雇 い 、蒸 気 出 力 を 緩 め 、且 つ 水 深 の 深 さを測り、始めは北に向って十五・六町進み、そこから少し西に方向を変え た。 こ の 辺 り は 所 々 に 港 の 形 を 成 し て 漁 船 が ぎ っ し り と 係 留 し て い る 。又 、進 む こ と 十 二・三 町 で 広 東 地 方 に 一 岬 が あ り 、城 塞 を 築 い て あ る 。こ れ は 九 竜 城 と 言 わ れ て い る 。こ こ を 過 ぎ て 十 七・八 町 行 っ た 所 で 碇 を 下 ろ し た 。西 南 の 山 麓 に 数 千 の 民家が軒を並べて立っている。南に沿ってネヒヤールト《海軍造船所》があり、 又 、岸 か ら 一・二 町 離 れ た 所 に 一 小 島 が あ り 、そ こ に 蔵 庫 を 造 営 し た 。そ の 他 に 、 所 々 に 浮 砲 台 が あ り 、非 常 に 厳 重 で あ る 。下 碇 は 午 後 2 時 過 ぎ に 終 わ っ た が 、商 船 数 艘 が 来 て 、数 種 の 果 物 を 持 っ て 来 て 売 り 、喧 騒 が 甚 だ し い 。何 れ も 中 国 人 で 航米日録巻七 現代語訳 13 / 26 立 ち 居 振 る 舞 い は 日 本 人 に 似 て い る 。夜 午 後 8 時 頃 に 太 鼓・小 鼓 を 打 ち 、笛 の 音 を合わせ、停泊の儀式を行う。 ○ 寒 暖 計 82度 【 27.8℃ 】 ○ 昨 日 正 午 よ り こ こ 迄 85海 里 ○ 北 緯 22度 16分 30秒 ○ 東 経 114度 11分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 10日 (新 暦 10月 23日 ) 【 9月 11日 】 晴 。 滞船【香港】。今日から石炭の積み入れをする。 午前8時過ぎに官吏が上 陸 す る 。午 後 米 国 の 中 国 駐 在 公 使 が 来 る 。祝 砲 を 発 し て 饗 応 す る 。昨 日 か ら 商 船 が入港して、混雑振りは言うに及ばない。 このため、【入港は】一日に三度と定 め た (朝・昼・晩 )。商 船 に も 決 ま り が あ り 、三 艘 以 上 の 入 港 を 許 可 し な い 。各 々 米 国 国 旗 を 掲 げ さ せ る 、こ れ は 日 本 の 印 鑑 の 類 で あ ろ う 。こ の た め 混 雑 す る と 言 っ て も 甚 だ し い も の と は な ら な い 。停 泊 中 の 儀 式 は こ の 様 で あ る べ き で あ る 。そ う で な い と 、水 夫 の 者 、商 船 に 心 を 引 か れ 自 分 の 職 業 を 怠 る の み な ら ず 、船 中 の 混 雑 は 推 し 量 れ な く な っ て し ま う 。こ れ は 小 事 で あ る が 、航 海 者 は 知 ら な け れ ば ならないものである。 ○寒暖計不試 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 11日 (新 暦 10月 24日 ) 【 9月 12日 】 曇 。 滞船【香港】。今日、自分は新見正使の陪員として上陸した。午前8時頃 小 船 に 乗 り 、一 里 程 し て 波 止 場 に 到 着 し て 上 陸 し た 。こ こ は 石 壇 で 出 来 て お り 高 さは三段である。陸上の左側は空き地で物揚場であり、右には大きな家がある。 建 物 は 英 風 の レ ン ガ 作 り で 高 さ が 三 階 、一 階 で 諸 品 を 売 買 し て い る 。大 抵 、英 米 の 産 物 で あ る 。こ こ を 過 ぎ 、一 町 ば か り 行 き 右 折 す る と 中 心 街 に 出 る 。左 右 巨 屋 が 軒 を 並 べ 、中 国・英 国・オ ラ ン ダ の 商 人 が 雑 商 す る 。英 国・オ ラ ン ダ の 店 は 大 抵 米 国 で 見 た 様 な 物 で あ る 。金 銀 類 そ の 他 数 種 の 物 品 を 陳 列 し て い る 。中 国 の 店 は 文 房 具 類 が 多 く 、日 本 人 の 好 む 所 が 多 い け れ ど も 、値 段 が 非 常 に 高 く 、簡 単 に は 購 入 で き な い 。も っ と も 、貨 幣 単 位 が 日 本 と は 異 な っ て お り 、香 港 で は 高 く な い と 思 わ れ て い る も の で も 、日 本 人 か ら 見 る と 高 い も の と な っ て い る 。そ の 中 で 値 段 が 安 い 物 は 、古 藤 で 作 っ た 紙 (藤 紙 )、呉 呂 服 、○ の 類 で あ る 。散 歩 は す で に 3 時 間 に 及 ぶ の で 、数 十 人 の 中 国 人 が 見 物 に 群 が り 、自 分 等 の 装 い を 見 よ う と し て い る 。英 国 の 兵 卒 が 傍 ら で 棍 棒 を 持 っ て 彼 等 を ま る で 犬 馬 の 様 に 追 い 払 う 。こ れ を 見 て 甚 だ 心 を 痛 め る 。或 る 人 が 言 う に は 、中 国 人 等 は 日 本 人 が 入 港 す る の を 疑 い 、も し 米 国 と 日 本 が 密 談 し て マ カ オ を 攻 め 入 る 企 て で は な い か と 、頻 り に 入 港 の 理 由 を 尋 ね る 者 が い る と の 事 で あ っ た 。但 し 、新 聞 紙 に 日 本 か ら マ カ オ を 攻 め る と 言 う 記 事 が 記 載 し て あ る の を 見 れ ば 、そ の 説 が 既 に こ の 地 に 伝 播 し て い る 航米日録巻七 現代語訳 14 / 26 と 見 え る 。誰 の 虚 言 で あ る の か 、奇 妙 と 言 う べ き で あ る 。【 中 国 人 達 が 】 自 分 達 日 本 人 の 長 袖 を 見 て 昔 を 思 い 出 し 、悲 憤 慷 慨 し て 涙 を 流 す も の も 居 た 。こ の 土 地 に 居 る 者 達 は 、明 朝 の 当 時 を 思 い 出 し・慕 っ て 、一 朝 事 あ れ ば そ の 機 に 乗 じ て 蜂 起 し た い と 思 っ て い る 。即 ち 、現 在 の 北 京 の 状 態 を 想 像 し て み れ ば よ い 。又 、英 華 書 院《 1818年 英 国 人 が マ ラ ッ カ に 建 て た 中 国 人 の 宣 教 師 養 成 施 設 で 、1842年 に 現 地 へ 移 設 さ れ た 。》が あ る 。日 本 に も そ の 名 が 知 ら れ て い る 学 校 な の で 、一 時 訪 問 し よ う と し た が 、従 臣 の 身 な の で 自 由 に な ら ず 、終 に 行 く こ と は 出 来 な か っ た 。 或 る 人 が こ こ に 行 く こ と が 出 来 た の で 、そ の 話 を 聞 く と 、生 徒 は 僅 か 三・四 十 人 ほ ど で 、 極 め て 寂 し い も の で あ っ た と の 事 。 遐 邇 (か じ )・ 六 合 叢 談 (り く ご う そ う だ ん )と 言 う 中 国 の 月 刊 雑 誌 を 求 め よ う と し た が 、 【尋ねられた中国人がそれらを】 分 ら な か っ た 。そ う で あ る な ら ば 、英 華 書 院 の 名 を 借 り て 他 所 で 印 刷 し た も の と 考 え ら れ る 。以 前 に 聞 い て い た 評 判 と は 大 い に 違 っ て い た と の 事 で あ る 。書 籍 は 少 な く 且 つ 値 段 が 高 い 。 自 分 は 花 英 通 語 《 英 漢 単 語 帳 》 一 部 を 1ド ル で 購 入 し た が、日本では銀一朱位の【価値の】本である。その値段の高いことは以て知るべ しである。午後4時過ぎに帰船する。 ○寒暖計不試 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 12日 (新 暦 10月 25日 ) 【 9月 13日 】 晴 。 滞 船【 香 港 】。昨 夜 、オ ラ ン ダ 船 が 一 艘 入 港 し た 。こ の 船 は 長 崎 を 出 港 し 、 六 日 ほ ど で 香 港 に 着 い た と の 事 で あ る 。船 長 は ト ン ク ロ《 ド ン ケ ル・ク ル テ ィ ゥ ス 》と 言 い 、長 崎 に 数 月《 1852年 出 島 の オ ラ ン ダ 商 館 長 と し て 着 任 し 、1857年 に 日 本 文 典 を 記 し て い る 。従 っ て 数 月 で は な く 数 年 の 間 違 い で あ る 》居 た 者 で あ る 。 今日、ナイアガラ号に来て、御奉行等と会い、日本の近時の情勢を話し合った。 午 後 4 時 過 ぎ に 、こ の 地 に 在 住 の 米 国 婦 人 が 来 て 船 上 で 舞 踏 を し 、夕 方 に 帰 っ た 。 ○寒暖計不試 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 13日 (新 暦 10月 26日 ) 【 9月 14日 】 晴 。 滞船【香港】。午後2時過ぎに、英国の香港総督が来る。 祝砲を鳴らして 饗応する。 ○寒暖計不試 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 14日 (新 暦 10月 27日 ) 【 9月 15日 】 晴 。 滞 船 【 香 港 】 。 今 日 、 北 京 が 落 城 《 ア ロ ー 号 事 件 を 口 実 と し て 1857年 、 英 国 は フ ラ ン ス と 協 力 し て 清 国 を 攻 め 、1859年 に 天 津 条 約 を 結 ん だ が 清 国 が 批 准 を 渋 っ た た め 、北 京・天 津 を 攻 め て 北 京 条 約 を 認 め さ せ た 。そ の 際 、清 国 は 北 京 を 航米日録巻七 現代語訳 15 / 26 す て 熱 河 に 逃 れ た 》し た 事 を 聞 く (巻 八【 10】参 照 )。或 る 説 に よ る と 、咸 豊 帝 (か ん ぽ う て い )は 宮 女 13人 を 連 れ て い て 英 人 に 禁 固 さ れ 、 現 在 頻 り に 和 議 を 行 お う と し て い る と の 事 で あ る 。又 一 説 に は 、韃 靼 (だ っ た ん:モ ン ゴ ル )へ 遁 走 し た と 言 う 事 で あ る 。又 聞 く と こ ろ に よ る と 、咸 豊 帝 は 惰 弱 で 、平 日 は 女 色 に 耽 り 、国 家 の 事 に 意 を 使 う こ と を せ ず 、こ の た め に 民 心 が 離 れ て 天 命 が 尽 き 、民 衆 は 英 兵 の 乱 入 を 幸 い と し て 蜂 起 し 、数 ヶ 月 の 間 に 終 に 落 城 し た 。こ れ 自 ら 招 き 入 れ た も ので、知者が居ると言っても如何ともすることが出来なかった。 ○寒暖計不試 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 15日 (新 暦 10月 28日 ) 【 9月 16日 】 晴 。 滞船【香港】。事件の記すべきものが無い。 ○寒暖計不試 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 16日 (新 暦 10月 29日 )【 9月 17日 】 曇 、 時 々 小 雨 。 滞 船【 香 港 】。今 日 、日 本 の 芸 州【 現 在 の 広 島 県 】出 身 の 亀 五 郎 と 言 う 者 が 、 先 年 漂 流 し 米 国 人 に 助 け ら れ て 現 在 香 港 に 居 る と の 事 。御 奉 行 等 が 到 着 し た と い う こ と を 聞 い て 、喜 ん で 帰 国 を 願 っ て い る と 言 う 事 で あ る 。帰 国 を 許 さ れ 、ナ イ ア ガ ラ 号 に 来 た 。当 人 の 履 歴 を 聞 こ う と し た が 、陪 従 の 人 間 が 彼 と 接 触・談 話 す る こ と を 禁 じ ら れ た の で 、 こ こ に 伝 聞 を 記 す 。 亀 五 郎 は 芸 州 因 島 (い ん の し ま ) の 出 身 で 、嘉 永 年 間 (酉 或 い は 戌 の 年 。1849か 1850年 )に 大 阪 か ら 17人 乗 り で 千 六 百 石 積 み の 船 で 酒 等 を 積 み 入 れ て 江 戸 に 来 た 。そ の 帰 り に 暴 風 に 逢 い 、日 本 を 離 れ て 漂 流 す る こ と 一 年 余 り 、食 料 が 尽 き て 船 が 破 損 し 沈 没 寸 前 で あ っ た 。幸 い な こ と に 米 国 船 に 出 逢 い 、頻 り に 救 助 を 求 め 、船 を 捨 て て 17人 が 全 員 米 国 船 に 乗 り 移り、漸く一命を取り留めた。 それから四十日余り経って「サンフランシスコ」 に 上 陸 し 、そ こ で 船 頭 一 人 が 病 死 し た 。一 年 ほ ど そ の 場 所 に 居 た が 、渡 世 の 術 も 無 い た め 、中 国 香 港 島 に 行 け ば 何 と か な る だ ろ う と の こ と で 、連 絡 便 船 に 乗 っ て 香 港 に 来 て 一 年 強 居 た が 適 す る 仕 事 が 無 く 、各 自 が 自 分 の 意 思 に 任 せ て バ ラ バ ラ に な っ た 。亀 五 郎 と も う 一 人 が 再 び「 サ ン フ ラ ン シ ス コ 」に 戻 り 、厨 房 等 の 仕 事 をして月日を過ごしていたが、時折故郷を思い 一途に帰国したいと思っていた 。 近 頃 同 船 に 乗 っ て い た 彦 蔵《 播 磨 の 人 、浜 田 彦 蔵 。1850年 海 難 に 逢 い 米 国 船 に 救 助 さ れ サ ン フ ラ ン シ ス コ に 着 く 。 帰 化 し て Joseph Hecoと 言 う 。 米 国 領 事 館 の 通 訳 と し て 活 躍 》等 が 日 本 に 帰 国 し た と 言 う 事 を 聞 き 、帰 国 の 願 い が 一 層 強 く な っ て 米 国 人 に 丁 寧 に 帰 国 さ せ て 欲 し い と 懇 願 し た が 思 う 通 り に は 行 か な か っ た 。今 春 連 絡 便 船 が あ る と 聞 い て 、厨 房 の 仕 事 を し て 来 た が 、日 本 に は 行 か ず に 香 港 島 に 来 た 。今 帰 国 の 願 い を 許 さ れ た 。何 と 言 う 幸 せ で あ ろ う か 、こ れ は 天 の 助 け で 航米日録巻七 現代語訳 16 / 26 あろうと言ったとの話である。 ○寒暖計不試 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 17日 (新 暦 10月 30日 ) 【 9月 18日 】曇 、夜 快 晴 、東 北 の 風 。 午前8時頃碇を揚げる。始め東南に向かい、2時間程して漸く海門を出 た 。こ の 港 は 前 に も 記 述 し た が 、左 右 皆 堅 固 な 岩 で 出 来 て お り 、大 船 の 出 入 り が 自 由 に は 出 来 な い 。こ の た め 海 門 ま で は 蒸 気 機 関 の 作 動 を 緩 め 、水 先 案 内 人 を 雇 う 。時 は 午 後 に 及 び 漸 く 海 門 に 来 る 。こ の 所 で 水 先 案 内 人 が 別 れ を 告 げ 、祝 砲 を 発 し て 去 っ て 行 っ た 。水 先 案 内 人 の 雇 い 賃 は 40ド ル と の 事 で あ る 。こ こ か ら 広 東 の 陸 地 に 沿 っ て 東 北 に 向 か い 航 行 す る 。夕 方 、陸 地 が 連 連 と 見 え る 。夜 快 晴 、一 天 雲 が 無 く 、月 光 が 玲 瓏 (れ い ろ う:曇 り が 無 く 照 り 輝 く 様 )と し て い る 。唯 逆 風 で帆を揚げることが出来ない。 ○寒暖計不試 香港情勢 香 港 島 は 広 東 の 河 口 に あ る 諸 島 の 中 の 一 島 で あ る 。広 東 の 地 を 離 れ る こ と 遠 く は 二・三 里 、近 く は 五・六 町 で あ る 。全 島 の 長 さ は 四 里 弱 、広 さ 三 里 強 に 過 ぎ な い 。 山 は 骨 だ っ た 様 に 、堅 固 な 岩 が 屹 立 し て 数 種 の 奇 形 を 形 成 し て い る 。大 木 は 無 く 、 青 草 が 生 え て い る 。山 で 最 も 高 い も の は 千 八 百 二 十 五 尺【 548m】で 、大 平 山 と 言 う 。山 頂 に 英 国 の 国 旗 を 掲 揚 し て い る 。そ の 山 麓 は 皆 市 街 に な っ て お り 、南 西 に 屈 曲 し て 軒 が 連 な っ て い る 。大 抵 は 英 国 風 で レ ン ガ を 積 み 、外 壁 は 皆 白 漆 喰 を 塗 っ て い る 。そ の 高 さ は 三 階 建 て に 過 ぎ ず 、家 に は 皆 ひ さ し が 有 っ て 木 柱 で 支 え て い る 。又 木 造 の 家 も あ る が そ れ ら は 皆 小 さ い 家 で あ る 。道 路 は 縦 横 に 通 じ て お り 、 大 通 り に は 必 ず 左 右 に 樹 木 を 植 え 、常 時 日 光 を 遮 っ て い る 。こ こ か ら 少 し 南 に 行 く と 浮 砲 台 と ネ ヒ ヤ ー ル ト が あ る 。港 内 に 浮 砲 台 を 四・五 個 備 え て い る 。そ の 管 理 は 非 常 に 厳 重 で あ り 、水 深 が 深 い た め 巨 船 と 言 っ て も 接 岸 し て 碇 を 下 ろ す 。今 、 近隣国の船が百余艘、隙間無く係留されていて、その繁盛振りが推し量られる。 昔 は う ら 寂 し い 所 で あ っ た が 、1840年 間 に 【 中 国 と 英 国 間 で 】 阿 片 戦 争 が あ り 、中 国 が こ の 地 を 英 国 に 割 譲 し て 和 議 を 結 ん だ 。そ れ 以 後 、英 国 人 が 来 て 城 塞 や 市 街 を 造 築 し 、万 国 と 交 易 す る こ と を 中 国 に 認 め さ せ 、更 に 、課 金・運 上 等 の 制 約 の 無 い こ と を 中 国 に 認 め さ せ た 。こ の た め 、近 隣 国 の 船 が 引 き も 切 ら ず 来 て 日 々 に 繁 盛 す る よ う に な っ た 。現 在 で は 人 家 が 山 腹 ま で ぎ っ し り と 建 ち 、学 館・政 官 等 全 て 備 え て い る 。 1853年 に は 人 口 39,017人 と あ り 、 現 在 で は 4万 人 を 超 え て い る こ と は 疑 い な い 。海 門 は 東 西 に あ り 、西 は 諸 島 が 碁 石 の 様 に 点 在 し 、往 々 浅 い 所 が あ り 大 船 が 来 往 す る の は 難 し い 。東 は 少 し 南 に 向 か い 、北 西 に は 広 東 山 を 控 え 、 航米日録巻七 現代語訳 17 / 26 側 に タ ム ト ク 《 Tathong》 と 言 う 名 の 一 小 島 が あ る 。 香 港 と の 距 離 は 僅 か に 五 ・ 六 町 で あ る が 、水 深 が 深 く 巨 船 が 自 由 に 来 往 出 来 る 。こ の た め 、今 回 ナ イ ア ガ ラ 号 は こ こ か ら 入 港 し た 。海 門 内 は 所 所 に 港 の 形 を 成 し 、そ の 所 に は 必 ず 漁 家 が あ り 、小 船 が 常 に 隙 間 無 く 係 留 さ れ て い る 。又 、大 平 山 か ら 一 里 程 離 れ た 所 の 広 東 に 一 岬 が あ り 、城 塞 が 築 か れ て い る 。遠 見 に は 外 郭 に レ ン ガ を 積 み 、砲 台 を 設 け て あ る 。小 さ い け れ ど も 非 常 に 堅 固 で あ る 。中 国 人 は こ れ を 九 竜 城 と 呼 ん で い る 。 今 そ の 情 勢 を 見 る と 、広 東 第 一 の 要 所 は 、澳 門《 マ カ オ 》・香 港 の 二 島 で あ る が 、 澳 門 は 蒲 国《 ポ ル ト ガ ル 国 》に 奪 領 さ れ 、香 港 は 英 国 の 植 民 地 と な り 、万 一 事 が あ れ ば 広 東 地 方 は 容 易 に 侵 略 さ れ る 。こ の 様 な 状 態 に な っ て 後 悔 し て も 、も う 手 遅れである。 風俗 諸国交雑の地であり、衣服は各自異なるけれども、その他は大抵中国風である。 英 、米 、ア ラ ビ ア 人 の 衣 装 は 以 前 に 述 べ た 。中 国 人 は 多 く 筒 袖 服 で 前 幅 が 脇 下 に 達 し て 、そ こ に て ボ タ ン 或 い は 糸 組 で 結 ん で い る 。そ の 長 さ は 膝 下 或 い は 腰 下 に 達 す る 。 股 引 は 幅 が 広 く て 脛 に は 脚 絆 を 付 け て い る 。 こ れ は 日 本 の 小 袴 (こ ば か ま )の 様 で あ る 。 靴 は 革 で 作 り 、 靴 底 の 厚 さ は 七 ・ 八 分 で 、 革 で 靴 上 を 覆 う よ う に し て あ る か 、或 い は 甲 を 覆 う よ う に し て あ り 、一 定 し て い な い 。大 抵 金 持 ち は 靴 を 履 い て い る 。貧 乏 人 は 草 履 或 い は 裸 足 で あ る 。女 は 男 と 同 じ で あ る が 、袖 は 少 し 広 い 。頭 は 全 髪 を 後 で 束 ね 、髪 飾 り に は 数 種 類 あ る 。細 い 銅 線 を コ オ ロ ギ の 羽 の 様 に 張 っ た り 、分 け て 楕 円 に 束 ね た り 、櫛 で 束 ね た り し て い る 。耳 輪 、腕 輪 、 指 輪 は ガ ラ ス 或 い は 木 実 の 類 を 用 い 、貧 富 に 従 っ て 、大 い に 異 な っ て い る 。そ の 容 貌 は 日 本 人 の 様 で 、食 事 に は 必 ず 箸 を 使 用 す る 。し か し 、異 装 の 者 が い る 。衣 服 は 大 抵 英・米 人 と 同 じ で あ る が 、帽 子 は 長 く て 後 ろ へ 斜 め に 傾 け 、天 辺 が 折 れ て 内 側 に 入 り 、又 少 し 出 て い る 。頭 は 左 右 の 半 分 を 剃 っ て 、そ の 他 は 皆 束 ね て い る 。日 本 の 奴 髪 と 言 う も の に 似 て い る 。色 は 少 々 黒 く 、身 長 は 高 く て 衣 服 は 最 も 美 し く 、た い そ う 威 壮 に 見 え る 。こ れ は イ ン ド の ボ ン ベ イ の 者 で 、当 時 は 英 国 の 植 民 地 で あ り 、そ の 所 の 官 吏 等 が こ こ 香 港 で 【 英 国 人 の た め に 】 働 い て い る と 言 う こ と で あ る 。道 路 の 往 行 に は 車 を 用 い ず 、常 に 駕 籠 を 用 い て い る 。こ れ は 山 道 が 多 い た め で あ ろ う 。そ の 駕 籠 の 作 り は 、高 さ 六・七 尺 、長 さ 八・九 尺 、駕 籠 の 底 か ら 三 尺 程 離 れ て 左 右 に 長 さ 一 間 程 の 竹 の 棒 一 本 を 刺 し 貫 き 、棒 の 下 四 面 を 板 で 囲 み 、棒 の 上 の 後 面 を 板 に し て 左 右 に 簾 (す だ れ )を 下 げ て い る 。前 面 は 出 入 口 で あ り 、常 に 布 の 幕 を 張 っ て い る 。天 井 は 皆 板 で あ る 。駕 籠 か き は 皆 中 国 人 で あ る 。 前 後 二 人 で 担 ぎ 、日 本 の 神 輿 の 様 で あ る 。商 売 人 は 座 っ て い る 人 も 居 る し 、行 商 す る 人 も 居 る 。行 商 人 は 大 抵 天 秤 棒 で 荷 物 を 担 い で い る 。商 売 人 は 疑 い 深 く て 狡 航米日録巻七 現代語訳 18 / 26 猾 で あ る 。殊 に 道 路 に 盗 賊 が 多 く 、用 心 し な い と 担 い で い る 荷 物 と い え ど も 奪 い 去 ら れ る と の 事 で あ る 。且 つ 中 国 人 は 英 国 人 に 使 わ れ る こ と 犬 馬 の 様 で 、汚 い 仕 事 や 辛 い 労 力 仕 事 は 全 て 中 国 人 が 行 っ て い る 。こ れ は ま る で 黒 人 の 扱 い と 同 じ で あ る 。そ の 地 の 出 身 で 他 国 の 人 間 に 使 わ れ る こ と 、こ の 様 で あ り 、傍 観 し て い て も歯ぎしりして止まなかった【無念でならなかった】。 気候 こ の 香 港 島 は 、 北 緯 22度 16分 30秒 、 東 経 114度 14分 45秒 に 位 置 し 、 寒 暖 が 丁 度 具 合 の 良 い 場 所 と 思 っ た が 、現 在 九 月 中 旬 で あ る が 炎 熱 が 甚 だ し く 、寒 暖 計 は 85 ・ 6度 前 後 で あ る 。胡 瓜・ス イ カ・ナ ス が 熟 し て い る 。日 本 の 【 旧 暦 】 六 月 頃 の 気 候 で あ る 。そ う で あ れ ば 年 中 温 暖 で 、寒 冷 に な る こ と は 少 な い だ ろ う 。且 つ 、常 に 晴 天 が 多 く 雨 が 少 な い 。四 面 は 山 で 、時 と し て 山 雲 が む ら が り 、小 雨 が 急 に 降 っ てきて炎熱を一掃する。 草木 草 木 が 深 く 、探 査 す る こ と が 出 来 な い 。聞 く 所 に よ る と 、茘 枝《 れ い し:中 国 南 部 原 産 ム ク ロ ジ 科 常 緑 木 。果 実 の 種 子 は 美 味 と し て 賞 味 さ れ る 。ラ イ チ 》、竜 眼 肉《 中 国 南 部 原 産 ム ク ロ ジ 科 常 緑 木 の 果 実 の 種 子 。こ れ も 食 用 及 び 薬 用 と し て 珍 重 さ れ る 。》、橙 (だ い だ い )、柚 子 、梨 、米 、甘 藷 、苧 、麻 の 類 が あ り 、一 寸 見 た と こ ろ で は 、芭 蕉 実 、ス イ カ 、胡 瓜 、ナ ス 、大 根 、ニ ン ニ ク 等 が あ り 、こ れ ら は 船 中 に 持 ち 込 ま れ た も の で あ る 。他 に 数 種 類 の 蔬 菜 が 有 る が 、名 前 が 分 ら な い 。 禿 山 で 大 木 が 生 え て い な い 。大 抵 の 樹 木 は 他 か ら 移 植 し た も の で あ る と 言 う 事 で ある。松・杉・竹・梅の類は見かけなかった。 鳥獣 鳥 獣 も 船 中 に 運 ば れ て き た 物 を 見 た が 、鶏 、ア ヒ ル 、豚 の 類 で あ る 。小 鹿 、サ ソ リが居るとの事であるが、自分は見ていない。犬は日本の物に比べれば小さく、 毛が長い。ツバメ、スズメ、カラス、トビの類は 見ていない。 貨幣 英 国 本 国 か ら 貨 幣 を 輸 入 し て い る 。金・銀・銅 貨 が あ り 、逐 一 調 べ る こ と は 出 来 な い 。又 外 国 の 貨 幣 が 通 用 す る 。殊 に 中 国 の 銅 銭 が 多 く 、当 一 文 、当 五 十 文 の 銭 を 見 る 。 1 ド ル は 中 国 の 銅 銭 一 貫 文 に 相 当 し 、 日 本 の 方 銀 は 333文 に 相 当 す る 。 中 国 の 貨 幣 の 価 値 は 非 常 に 低 い と 言 う べ き で あ る 。 且 つ 、 米 国 の 金 幣 一 円 で 90 セ ン ト に 相 当 す る 。五 円 で 50セ ン ト 減 耗 す る 。そ う で あ れ ば 、諸 国 の 貨 幣 が 相 通 航米日録巻七 現代語訳 19 / 26 じ て 用 い ら れ る と し て も 、そ の 土 地 に よ り 損 益 が 有 り 、こ れ は 知 っ て い な け れ ば ならないことであろう。 物価 こ の 島 の 物 価 は 高 く 、米 国 の 2 倍 で あ る 。唯 、中 国 の 物 産 中 に 日 本 よ り や や 安 い 物がある。下記に記す。 一 コッブ六個 1ドル 一 磁器六個 1 ド ル (大 小 に よ り 甲 乙 が あ る 。 自 分 が 買 っ たのは小品である) 一 藤紙一束 上 は 3 ド ル 、 中 は 1 ド ル 半 、 下 は 1 ド ル (但 し 、1 ド ル は 中 国 の 銭 一 貫 文 に 相 当 す る の で 、 上 紙 一 束 三 貫 文 で あ る 。日 本 の 銀 二 両 一 歩 に 相当する。) 一 呉呂服三尺 上 は 2 ド ル 、 中 は 1 ド ル 、 下 は 50セ ン ト (但 し 、日 本 の 方 銀 で 上 品 一 両 二 歩 二 朱 に 相 当 す る。中国では二貫文から五百文になる 。) 一 ○ ○ 八 枚 (長 さ 六 七 尺 、 幅 四 尺 ) 1ドル (但 し 、 中 国 の 銭 一 貫 文 で 日 本 の方銀三歩に相当する。) 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 18日 (新 暦 10月 31日 ) 【 9月 19日 】 曇 、 東 北 の 風 。 又 東 北 に 向 う (北 に 向 っ て 僅 か に 1 分 東 向 き )。逆 風 で 帆 を 揚 げ る こ と が 出 来 な い 。今 朝 に な っ て 、広 東 は 何 も 見 え な く な っ た 。午 後 に な っ て 一 天 黒 雲 が 群 が り 、大 風 雨 が 来 る か と 恐 怖 を 抱 い た が 、夕 方 に な っ て 快 晴 と な り 、全 員 安 堵 す る 。夜 、船 の 左 舷 半 里 程 の 所 に 一 艘 の 船 が 見 え た 。夜 中 な の で 詳 細 は 分 か ら な い 。 ○ 寒 暖 計 83度 【 28.3℃ 】 ○ 正 午 迄 175海 里 ○ 北 緯 22度 28分 ○ 東 経 117度 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 19日 (新 暦 11月 01日 ) 【 9月 20日 】 晴 、 北 の 風 。 今 朝 か ら 東 南 に 向 う 。 午 前 8 時 前 か ら ホ ル モ サ 島 《 Formosa》 (台 湾 な り ) が 微 か に 見 え る 。午 前 10時 頃 鮮 明 に 見 え て き た 。正 午 頃 島 の 南 に 沿 っ て 航 行 す る 。 そ の 距 離 は 遠 い 場 合 で 一・二 里 、近 い 場 合 で 十 町 程 で あ る 。さ て 、台 湾 等 は 北 緯 23度 、 東 経 120度 前 後 で 、 南 北 245里 、 東 西 100里 、 人 口 250万 人 と 言 う 事 で あ る 。 船 中 な の で 詳 細 は 分 か ら な い が 、山 嶺 は 連 々 と し 、樹 木 が 繁 茂 し て い る 。そ の 天 に 聳 え る 山 は 、日 本 の 富 士 山 に 似 て い る 。又 、海 岸 に 小 島 が 点 在 し て お り 、青 草 が ま る で 座 布 団 の 様 で あ る 。そ の 昔 、鄭 成 功《 て い せ い こ う:中 国 明 代 末 期 か ら 清 朝 初 期 の 人 物 で 、明 朝 の 遺 臣 。明 朝 滅 亡 後 清 朝 に 抗 戦 し て 台 湾 に 渡 る 。日 本 で 航米日録巻七 現代語訳 20 / 26 は 近 松 門 左 衛 門 の 「 国 姓 爺 合 戦 (こ く せ ん や か っ せ ん )」 に 出 て く る 国 姓 爺 (こ く せ ん や )と し て 有 名 》 が 拠 有 (中 心 と な っ て )し て 明 朝 の 末 裔 を 再 興 し よ う と 計 画 し た 所 で あ り 、実 に 都 合 の 良 い 要 害 の 地 で あ る 。そ の 後 中 国 の 領 土 と な り 、幸 い に 人 に 奪 領 さ れ る こ と な く 、今 に 至 っ て 人 家 の 竃 か ら 煮 炊 き の 煙 が 盛 ん に 上 が っ て い る と の 事 で あ る 。 こ こ を 過 ぎ 、 夕 方 に ま た 一 小 島 を 見 る 。 タ ハ コ 島 《 Botel Tobago:紅 頭 嶼 の こ と 》と 言 う 島 で あ り 、台 湾 か ら 米 国 里 標 で 二 十 里 程 離 れ た 場 所 で あ る 。こ こ を 過 ぎ て 直 ぐ に 東 北 に 向 っ て 航 行 す る 。今 朝 東 南 に 向 か っ た の は 、 暗 礁 を 避 け る た め で あ っ た の だ ろ う 。夜 に な っ て 天 気 晴 朗 、満 天 の 星 が 爛 々 と 輝 く。波頭は静かで、川を渡る様な感じである。 ○ 寒 暖 計 83度 【 28.3℃ 】 ○ 正 午 迄 168海 里 ○ 北 緯 22度 11分 ○ 東 経 120度 15分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 20日 (新 暦 11月 02日 ) 【 9月 21日 】 晴 、 東 の 風 。 又、東北に向う。風が弱くて帆を揚げることが出来ず、蒸気機関のみに て航行する。この辺りは炎熱が尚消えず、夜中と言っても裸で寝る。 ○ 寒 暖 計 83度 【 28.3℃ 】 ○ 正 午 迄 170海 里 ○ 北 緯 23度 ○ 東 経 122度 55分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 21日 (新 暦 11月 03日 ) 【 9月 22日 】 晴 、 東 の 風 。 又、東北に向う。横帆を揚げたので船足が少し速くなった。この辺りに 来て波濤が高くなり、時たま船が揺動する。夜はまた昨夜と同じである。 ○ 寒 暖 計 84度 【 28.9℃ 】 ○ 正 午 迄 180海 里 ○ 北 緯 24度 13分 ○ 東 経 125度 57分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 22日 (新 暦 11月 04日 ) 【 9月 23日 】 晴 、 東 の 風 。 又、東北に向う。風波静かで海面は平らかである。 未明から琉球列島が 微 か に 見 え 、午 前 10時 頃 い よ い よ 鮮 明 に 見 え て き た 。諸 島 が 相 続 き 、夕 方 に な っ て も 尚 見 え て い る 。こ れ は 中 山《 ち ゅ う ざ ん:琉 球 の 別 名 》・首 里 の 諸 島 で あ ろ う 。全 て 平 山 で 樹 木 が 繁 茂 し て い る 。日 本 人 一 行 は 皆 故 郷 に 帰 っ て き た 気 持 ち に な り 、そ の 喜 び 様 は 言 葉 に 表 わ せ な い 。全 員 船 の 傍 ら に 立 っ て 島 を 眺 め 、指 を さ し た り 話 し 合 っ た り し て 盛 り 上 が っ て い た 。夜 午 後 8 時 頃 に な っ て 漸 く そ の 地 を 通過した。 ○ 寒 暖 計 81度 【 27.2℃ 】 ○ 正 午 迄 173海 里 ○ 北 緯 26度 13分 ○ 東 経 128度 13分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 23日 (新 暦 11月 05日 ) 【 9月 24日 】 晴 曇 不 定 、 北 の 風 烈 し い。 又 、東 北 に 向 う 。今 朝 、左 舷 に 一 小 島 が 見 え る 。薩 南 諸 島 で あ ろ う 。こ の 辺 り は 波 頭 が 高 く 又 風 が 強 く て 船 が 頻 り に 揺 動 す る 。夜 に な っ て も 尚 止 ま ず 、器 航米日録巻七 現代語訳 21 / 26 物 が 時 と し て 転 倒 し 、破 損 す る 音 が 聞 こ え る 。且 つ 俄 か に 寒 冷 と な り 綿 入 れ を 着 る。夜半になり、寒冷が肌を刺すようになった。 ○ 寒 暖 計 74度 【 23.3℃ 】 ○ 正 午 迄 181海 里 ○ 北 緯 28度 20分 ○ 東 経 130度 37分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 24日 (新 暦 11月 06日 ) 【 9月 25日 】 晴 曇 不 定 、 北 の 風 。 又 、東 北 に 向 う 。風 が 少 し 止 み 、船 の 揺 動 が 緩 や か に な っ た 。今 朝 か ら 横 帆 を 揚 げ 、且 つ 蒸 気 機 関 を 全 開 に し た た め 、船 足 は 非 常 に 速 く な っ た 。さ て 日 本 の海に来て波濤が非常に高くなり、 【 南 ア フ リ カ の 】喜 望 峰 の 海 を 思 い 起 こ さ せ る 。 し か し 故 郷 が 近 い こ と を 思 え ば 、一 行 の 喜 び は 甚 だ し く 、波 濤 が 強 く と も そ こ か しこに団欒し、帰国後の事を話し合い、談笑の声が夜半になっても尚止まない。 数か月の航海の後、漸く日本に帰る。 その喜び様は如何にも尤もである。 ○ 寒 暖 計 67度 【 19.4℃ 】 ○ 正 午 迄 205海 里 ○ 北 緯 30度 33分 ○ 東 経 133度 35分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 25日 (新 暦 11月 07日 ) 【 9月 26日 】 晴 、 北 の 風 。 又、東北に向う。今日は波濤が少し静かで、船の揺動は烈しくは無い。 午 後 に な り 左 舷 に 一 山 が 見 え る 。雲 間 に 険 し く 聳 え 立 っ て い る 。こ れ は 勢 州《 現 在 の 三 重 県 伊 勢 市 》の 浅 間 山 で あ る 。夜 午 後 8 時 頃 か ら 北 風 が 激 し く な り 、船 が 揺 動 す る 。夜 午 前 0 時 頃 船 を 急 に 西 に 転 じ た 。こ れ は 暗 礁 を 避 け る 措 置 で あ る と の 事 で あ る 。2 時 間 程 で 又 東 北 に 向 う 。寒 冷 が い よ い よ 甚 だ し く な り 、綿 入 れ 二 枚を重ね着する。 ○ 寒 暖 計 64度 【 17.8℃ 】 ○ 正 午 迄 190海 里 ○ 北 緯 32度 38分 ○ 東 経 136度 28分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 26日 (新 暦 11月 08日 ) 【 9月 27日 】 晴 、 東 の 風 。 又 、東 北 に 向 う 。午 前 8 時 過 ぎ 、豆 州 (伊 豆 )の 七 島 が 始 め て 見 え る 。2 時 間 程 で 益 々 は っ き り と 見 え 、一 行 は 全 員 が 喜 び 、或 る 人 は 眼 鏡 を 用 い 、或 る 人 は 地 図 を 調 べ て 大 い に 心 強 く な っ て き た 。夕 方 に そ の 近 辺 を 通 過 し 、夜 午 後 8 時 頃 、 宮 田 海 (宮 田 海 は 浦 賀 か ら 五・六 里 の 距 離 )《 神 奈 川 県 三 浦 市 。久 里 浜 の 南 、京 急 久 里 浜 線 三 浦 海 岸 駅 近 傍 》に 来 て 停 泊 す る 。こ れ は 海 門 暗 礁 の 危 険 性 が あ る た め である。富士山を望むこと僅かの距離であるが、雲霧模糊として見えない。 ○ 寒 暖 計 65度 【 18.3℃ 】 ○ 正 午 迄 145海 里 ○ 北 緯 34度 14分 ○ 東 経 138度 43分 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 27日 (新 暦 11月 09日 ) 【 9月 28日 】 晴 、 北 の 風 。 今 朝 、北 東 に 向 い 航 行 す る 。午 前 10時 過 ぎ に 浦 賀 港 を 通 過 し 、正 午 に 横 浜 港 に 入 る 。こ こ で 暫 ら く 停 泊 す る 。在 住 の 米 国 人 が 数 人 来 る 。又 、日 本 の 咸 臨 丸 の 官 吏 が 一 人・二 人 来 る 。2 時 間 程 応 接 し て 午 後 4 時 過 ぎ に 品 川 に 入 っ て 碇 を 下 航米日録巻七 現代語訳 22 / 26 ろ し た (横 浜 か ら 帰 国 の 旨 を 知 ら せ る 官 吏 の 従 臣 各 一 名 を 上 陸 さ せ た )。さ て 千 萬 里 外 の 航 海 を し て 、漸 く 帰 国 し た の で 一 行 の 喜 び は 限 り な い も の で あ る 。大 洋 中 未 曾 有 の 艱 難 辛 苦 を 味 わ い 、し ば し ば 死 を 覚 悟 し た こ と も 有 っ た が 、今 に し て 思 え ば 、夢 か 現 か 一 行 全 員 回 顧 し て 疑 っ て い る 様 子 で あ る 。そ の 心 中 察 す べ き で あ る。夕方、官吏二人が来た。 ○ 寒 暖 計 64度 【 17.8℃ 】 ○ 昨 日 正 午 か ら 品 川 迄 80海 里 ○ 北 緯 35度 強 ○ 東 経 139度 強 旧 暦 万 延 元 (1860)年 9月 28日 (新 暦 11月 10日 ) 【 9月 閏 28日 】 晴 。 夜明けから荷物運搬で混雑を極める。 午前8時頃、官船数十艘が装備し て 来 た 。各 々 番 号 が 付 い て お り 、自 分 は 御 奉 行 に 先 ん じ て 第 一・第 二 の 官 船 に 乗 り 、荷 物 を 監 視 し て 築 地 の 講 武 場 に 行 っ た 。自 分 を 迎 え に 来 て 待 っ て い た 者 が 数 十 人 、岸 頭 に 居 た 。大 い に 喜 ん で 左 右 よ り 集 ま り 、袖 を 引 い た り 肩 を 叩 い た り し て 帰 国 の 喜 び を 言 っ て い た 。自 分 は 一 介 の 書 生 で あ る が こ の 様 な 喜 び 様 で あ っ た 。 ま し て い わ ん や 他 の 人 は 推 し て 知 る べ し で あ る 。こ こ で 昼 飯 を 食 べ 、午 後 2 時 頃 に 官 吏 が 各 人 自 分 達 の 地 位 に 相 応 し い 服 装 を し て そ の 家 に 帰 ら れ た 。嗚 呼 (あ あ )、 今 回 の 航 海 、日 本 開 闢 (か い び ゃ く )以 来 未 曾 有 の 事 で 、特 に 正 月 か ら 九 月 ま で 僅 か 十 ヶ 月 に し て 地 球 を 一 周 し て 来 た こ と は 、万 国 で も 稀 有 な こ と で あ る と の 事 で あ る 。さ て 、今 日 廿 八 日 は 、自 分 が 付 け て き た 日 記 の 順 次 を 検 討 す る と 、廿 九 日 に 当 た り 、一 日 の 差 が 出 た 。こ れ は 地 球 一 周 の 間 に 、東 方 に 太 陽 に 向 っ て 航 行 す る と き に 自 ず か ら 差 が 出 る と 言 う 事 で あ る 。今 、そ の 理 由 を 記 述 す る 。地 球 一 周 360度 、 一 度 を 60ミ ニ ー ト (1時 間 《 こ れ は 角 度 の 60分 の こ と で 、 1時 間 で は な い 。 玉 虫 の 誤 解 》 )と す る と 、 地 球 は 昼 夜 左 方 に 一 転 す る 。 船 舶 が 左 方 に 太 陽 に 向 っ て 航 行 す る と き は 、 経 度 一 度 に 付 き 「 四 ミ ニ ー ト 」 の 余 り が 出 る 。 こ れ に 360度 を 乗 ず る と 1440と な る 。即 ち 、西 欧 の 24時 間 で あ る 。こ こ で 二 日 を 兼 ね て 一 日 と し 、余 り を 加 え る 。又 、右 方 に 日 に 背 い て 航 行 す る 時 は 24時 間 を 減 少 す る 。こ こ で 一 日 を 分 割 し て 二 日 と な し 、時 間 の 減 少 を 補 う 。今 回 の 使 節 の 旅 は 、地 球 と 共 に 左 方 に 向 っ て 航 行 し た 。こ の た め 、一 日 の 剰 余 が 生 じ た 。地 球 の 子 午 線 を 通 過 す る 時 は 、そ の 日 の 増 減 す る こ と を 定 法 と す る 。そ の た め 、米 国 は 英 国 ロ ン ド ン 市 に 基 づ き 午 線 を 定 め 、 北 太 平 洋 東 経 180度 の 所 で 日 の 増 減 を す る 。 日 本 の 国 で 行 う と き は 、ロ ン ド ン 市 西 経 42度 の 所 、此 処 は 午 線 で あ る 。自 分 は 此 処 で【 日 を 】 増 減 す べ き で あ る け れ ど も 、初 め て の 航 海 で あ り 、そ の 理 由 を 知 ら な か っ た の で 、 唯 、日 を 追 っ て 事 を 記 し 、帰 国 後 、日 本 の 暦 に 合 わ せ て 漸 く そ の 差 が あ る の を 知 った。このため、今日廿八日を閏とした。 閏を加える方法は、午線を通過する、 午 前 で あ れ ば そ の 日 を 閏 と し 、午 後 で あ れ ば 翌 日 を 閏 と す る 。こ れ は 定 法 で あ る 。 自分は暦学に暗く、今回の航海同行中、一人非常に良く知っているものが居て、 航米日録巻七 現代語訳 23 / 26 今その人にその説明を受けた。その詳細については、専門家を待つのみである。 海陸里数 【 01】 日 本 よ り サ ン ド ウ ィ ッ チ 島 ま で 、 日 本 里 で 1911里 26町 余 、 米 国 海 里 で 4071 里。 【 02】サ ン ド ウ ィ ッ チ 島 か ら サ ン フ ラ ン シ ス コ 港 ま で 、日 本 里 で 1001里 7町 、米 国 海 里 で 2132里 。 【 03】 サ ン フ ラ ン シ ス コ 港 か ら パ ナ マ 港 ま で 、 日 本 里 で 1630里 16町 、 米 国 海 里 で 3472里 。 【 04】パ ナ マ 港 か ら ワ ス ペ ン フ ル ま で 、日 本 里 で 19里 12町 半 、米 国 海 里 で 47里 半 。 【 05】 ワ ス ペ ン フ ル 港 か ら ワ シ ン ト ン 市 ま で 、 日 本 里 で 1092里 27町 、 米 国 海 里 で 2327里 。 【 06】ワ シ ン ト ン 市 か ら ポ ー ル ト モ ル ま で 、日 本 里 で 20里 13町 、米 国 陸 里 で 50里 。 【 07】 ポ ー ル ト モ ル か ら フ ィ ラ デ ル フ ィ ア ま で 、 日 本 里 で 40里 11町 半 、 米 国 陸 里 で 99里 。 【 08】フ ィ ラ デ ル フ ィ ア か ら ソ ー ト ア ン ホ ー キ ま で 、日 本 里 で 26里 2町 半 、米 国 陸 里 で 64里 。 【 09】ソ ー ト ア ン ホ ー キ か ら ニ ュ ー ヨ ー ク ま で 、日 本 里 で 14里 3町 、米 国 陸 里 で 30 里。 【 10】 ニ ュ ー ヨ ー ク か ら シ ン ト ヴ ィ ン セ ン ト 島 ま で 、 日 本 里 で 1434里 31町 、 米 国 海 里 で 3055里 半 。 【 11】 シ ン ト ヴ ィ ン セ ン ト 島 か ら ル ア ン ダ 港 ま で 、 日 本 里 で 1437里 24町 、 米 国 海 里 で 3061里 半 。 【 12】ル ア ン ダ 港 か ら ジ ャ ワ 港 ま で 、日 本 里 で 3709里 28町 、米 国 海 里 で 7902里 半 。 【 13】 ジ ャ ワ 港 か ら 香 港 島 ま で 、 日 本 里 で 890里 19町 、 米 国 海 里 で 1897里 。 【 14】 香 港 島 か ら 江 戸 ま で 、 日 本 里 で 782里 20町 、 米 国 海 里 で 1667里 。 総 計 で 海 の 距 離 は 日 本 里 で 13906里 (米 国 海 里 で 29615里 )、 陸 の 距 離 は 日 本 里 で 106里 2町 (米 国 陸 里 で 260里 半 )で あ る 。 米 国 の 里 法 6086フ ィ ー ト は 海 上 の 1 里 で あ る 。 5280フ ィ ー ト は 陸 上 の 1 里 で あ る 。 但 し 、 1 フ ィ ー ト は 日 本 の 一 尺 0寸 0分 2 厘 7 毛 で 、 六 尺 が 一 間 、 六 十 間 が 一 町として参考に算出した。 正使及び属官・従臣の姓名 航米日録巻七 現代語訳 24 / 26 【 01】 正 使 外国御奉行 従臣 新 見 豊 前 守 (正 興 ) 三浦司 新井貢 佐山八郎 安田善一郎 堀内周吾 柳川兼三郎 荒木数右衛門 玉虫左太夫 日田仙蔵 【 02】 副 使 外国御奉行 従臣 村 垣 淡 路 守 (範 正 ) 高橋森之助 野々村市之進 西井金五郎 吉川謹次郎 綾部新五郎 松山吉次郎 福村礒吉 谷文一郎 鈴木岩次郎 【 03】 御 目 付 小 栗 豊 後 守 (忠 順 ) 従臣 吉田好三 塚本真彦 江幡祐三 三好権三 福島恵三郎 三村広三郎 木村鉄太 佐藤藤七 狩野庄蔵 三浦東三 木村浅之助 【 04】 御 勘 定 組 頭 従臣 森田岡太郎 広瀬格蔵 石川鑑吉 五味安郎右衛門 【 05】 外 国 御 奉 行 組 頭 従臣 成瀬善四郎 北条源蔵 【 06】 外 国 御 奉 行 調 役 従臣 伊藤久三郎 庵原熊蔵 刑 部 (お さ か べ )鉄 太 郎 佐藤栄蔵 【 09】 御 医 師 小池専次郎 宮崎立元 従臣 斎藤吾一郎 【 10】 御 医 師 村山伯元 従臣 大橋金蔵 【 11】 御 普 請 役 従臣 益 頭 (ま す ず )駿 次 郎 佐野鼎輔 【 12】 御 普 請 役 従臣 辻芳五郎 中村新九郎 【 13】 外 国 御 奉 行 定 役 従臣 従臣 松本三之丞 大浜玄之助 【 14】 外 国 御 奉 行 定 役 航米日録巻七 谷村左右助 日高圭三郎 【 08】 御 徒 目 付 従臣 塚原重五郎 島東西八 【 07】 御 徒 目 付 従臣 山田馬次郎 吉田佐五左衛門 岸珍平 現代語訳 25 / 26 平野新蔵 【 15】 通 詞 名村五八郎 従臣 片山友吉 【 16】 御 小 人 目 付 従臣 栗島彦八郎 坂本泰吉郎 【 17】 御 小 人 目 付 従臣 塩沢彦次郎 木村伝之助 【 18】 通 詞 立石得十郎 【 19】 通 詞 御 雇 立石斧次郎 【 20】 御 雇 医 師 川崎道民 従臣 島内栄之助 【 21】 御 賄 方 御 用 達 岡田平作手代 山本喜三郎 半次郎 加藤素毛 鉄五郎 総計七十七人 【巻七 終】 航米日録巻七 現代語訳 26 / 26 佐藤恒蔵 飯野文蔵