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医師とプロッフェッショナル オートノミー
医の倫理の基礎知識 (4)団体としての活動 4つ目は、プロフェッションとして社 会的に承認され、社会的地位を獲得し、 「医師とプロッフェッショナル それを維持発展させていくためには、そ オートノミー」 れが1つの集団として存在し、有用な活 手塚 一男(日本医師会参与、弁護士) 動を行っていくことが必要であると考え られていることから、そのための団体(専 門職業団体)が設けられていること。こ 1.プロフェッションについての確立した のプロフェッション団体の特質は、第1 定義や概念がどのようなものかは、明ら に、プロフェッションとしての社会的承 かとは言えない。ここでは、まず、プロ 認を得るための政治的社会的活動を行う フェッションなる用語を生み出した欧米 団体であること、第2に、プロフェッシ において、伝統的に三大プロフェッショ ョンとしての技能の教育、訓練、維持、 ンと呼ばれてきた聖職者、医師、弁護士 向上のための基本的責任を負う団体であ のうち、特に後二者を念頭において、プ ること、第3に、メンバーの行動を規制 ロフェッションの基本的特徴を述べる。 し、ときにはその非行に対して懲戒等の (以下のこの点に関する記述については、 倫理的自己規制を行う団体であること、 石村善助、 「現代のプロフェッション」至 等である。 誠堂 1969 年に負うところが少なくな 以上プロフェッションの基本的特徴と い。) 思われる点について述べたが、本稿で問 プロフェッションの基本的特徴として、 題とする「プロフェッショナルオートノ 以下のような点を挙げることができる。 ミー」は、大きくは、上記4点のすべて (1)高度の学識と技能 に関わりをもつと考えられるものの、よ 1つ目は、プロフェッションが、科学、 り具体的には4つ目の団体としての活動 歴史、その他の学問上の原理に裏付けら に関わるところが大きい。これについて れ、しばしば長期にわたる教育と訓練に は後述する。 よって習得された、一定の体系的学識と 専門的技能(professionality)をもつこ 2.次に「プロフェッショナルオートノミ と。 ー」という言葉についてである。まず「オ (2)国家による資格の承認・特権の付与等 ートノミー」の意味が問題になる。 2つ目は、医師や弁護士は、その有用 オートノミーは「自律」と訳されてい 性が歴史的にも社会的にも承認され、公 るが、 「自律」の意味は、一般的な日常用 的試験等を通じて政府の資格承認や特権 語としては「自分の行為を主体的に規制 付与がなされ、無資格者による類似の活 すること。外部からの支配や制御から脱 動が法的に禁止されていること。 して、自身の立てた規範に従って行動す (3)非営利性 ること。」であり、哲学分野での用語とし 3つ目は、医師や弁護士は、依頼者の ては「カントの倫理学において根本をな 具体的要求に応じて必要とされるサービ す観念。すなわち実践理性が理性以外の スを提供し、そのことを通じて社会全体 外的権威や自然的欲望には拘束されず、 の利益のために尽すことを目的とする職 自ら普遍的道徳法則を立ててこれに従う 業であり、その点において、私益追求を こと」であり、 「他律」と対峙する概念と 第一義的に掲げる企業活動やビジネスと されている(広辞苑 第6版) 。 は異なること(医師法第1条、弁護士法 意志の「自律」について、カントは「実 第1条参照)。 践理性批判」の中で、 「意志の自律は、一 基本的事項 №6 1 医の倫理の基礎知識 性界の一員であるだけなら、すべての行 為は、純粋な意志の自律の原理に一致す るであろうし、感性界の一員であるだけ なら、すべての行為は欲望と心の傾きと いう自然法則に従い、自然による他律に 一致すると考えられる。しかるに人間は、 知性界と感性界の双方に属するから、そ のすべての行為が意志の自律の原理にふ さわしいもの「である」とは言えないが、 ふさわしいもの「であるべき」とは言え る。 (前記「基礎づけ」206-207 頁)。 カントの著作の記述に基づく上記の説 明は決して平易とは言えないが、カント が述べた意志の自律(オートノミー)に ついて、我国のカント研究の第一人者と 目される識者によって簡潔に示された説 明は次のとおりである。 「カントの道徳哲学においては、意志 の自律と意志の自由とは不可分の関係に あるというよりも、むしろ同義語的であ る。カントにおける意志の自律は、意志 が道徳法則以外のいかなるものからも独 立していて、意志が自己自身の純粋な理 性的意志に基づいて、道徳法則を自らの 意志の格率として採用することである。 したがって、意志の自律とは、たんに感 覚的・自然的欲望に拘束されないという 「消極的な意味」の自由ではなく、道徳 的法則自身を意志の規定根拠として自ら に課し、これに従って自ら行為し・・・、自 らの行為をこれに従って自ら判定す る・・・という意味において、 「積極的意味」 における自由を内容としているのであ る。・・・このように、意志の自律としての 積極的な意味での意志の自由を前提にし てのみ、個々の行為者の道徳性が成り立 つことから、カントは、意志の自律を「道 徳性(人倫性)の最上の原理」であると 語っている。」(有福孝岳、善意志の倫理 学「カントを学ぶ人のために」181-182 頁。世界思想社 2012 年所収。) 以上が、意志の自律(オートノミー) について、カントが述べていることの概 要である。カントは「プロフェッショナ 切の道徳的法則と、これらの法則に相応 する義務との唯一の原理である」(“Die Autonomie des Willens ist das alleinige Prinzip aller moralischen Gesetze und der ihnen gemäßen Pflichten.” )と述 べている(日本語訳は、波多野精一他訳 「実践理性批判」岩波文庫 78 頁。以下単 に「同書」として引用。)。その意志の自 律とは何か、ということになるが、これ につきカントは、人間が(外から与えら れた外的な義務ではなく)自ら定めた普 遍的な法則に従うという原則を、意志の 自律の原理と呼んでいる(同書 78 頁およ び中山元訳「道徳形而上学の基礎づけ」 光文社文庫 147 頁)。そこで言う「自ら定 めた普遍的法則」とは何なのかが問題と なるが、カントによれば、道徳的法則(普 遍的法則)はおよそ理性と意志とを具え ている人には元々備わっていて、例外な く妥当すべきものであると言う。そして、 カントは、 「道徳的法則に従えば、何が為 されねばならないか」ということを判定 するのは、格別難しいことではないから、 ごく普通の、まだ十分に訓練されていな い悟性でさえ、たとえ世才に長けてなく ても、たやすく決定できるというのであ る(同書 84-86 頁)。 以上のような考察の下に、カントが道 徳性の定言的命令(行為を義務たらしめ る実践的法則)として指定するのは、 「君 の意志の格律が、いつでも同時に普遍的 立法の原理として妥当するように行為せ よ」(“Handle so, daß die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten könne.”)ということである(同書 72 頁)。 ここで言う「格律」とは行為者の主観的 行動原理であり、 「普遍的立法の原理」と は、上述の普遍的法則(道徳的法則)の ことである。何故カントが定言的命令と したのかにつき、カントは次のように言 う。 人間は叡智的な主体として知性界に属 するが、他方感性界の一員でもある。知 2 医の倫理の基礎知識 ナルオートノミーの重要性を再確認 し、医の倫理の基本原則である患者 診療におけるプロフェッショナルオ ートノミーを維持し、保証すること に努めること(第2項)。 ③プロフェッショナルオートノミーの コロラリー(必然に伴うこと)とし て、医師専門職(Medical Profession) は、個々の医師の職業上の行動を自 ら規制する継続的な責任を負ってい ること(第3項)。 ④患者診療におけるプロフェッショナ ルオートノミーを最終的に保証する のは、実効性のある自己規律に向け た積極的な取り組みであり、それ故 世界医師会は各国医師会に対し、医 師の自己規律のシステムを確立し、 維持し、これに積極的に参加するよ う勧告すること(第4項)。 ここに示されているプロフェッショナ ルオートノミーについての見解は、後述 する若干の修正的宣言においても基本的 に継承されており、医師専門家集団の現 時点におけるほぼ共通の認識を示すもの と考えられる。 同宣言は、さらに、第5項以下におい て、自己規律のシステムについての留意 点、各国医師会間の情報交換、国民への 周知、各国医師会の共同行動等について 述べている(その詳細内容については同 宣言を参照されたい) 。 その後、旧マドリッド宣言の一部は、 2008 年に同宣言から切離されて改めてソ ウル宣言として採択され、残余の部分は 2009 年にニューデリーにおいて、マドリ ッド宣言改定版として採択された(した がって 1987 年マドリッド宣言は実質的に はその後の上記2つの宣言に振り分けら れた) 。 このうちソウル宣言は、 「プロフェッシ ョナルオートノミーと臨床上の独立性に 関する WMA ソウル宣言(Declaration Of Seoul On Professional Autonomy And Clinical Independence)」と題するもの ルオートノミー」について特に述べては いない。しかしカントは、意志の「自律」 の根幹を示す道徳的な法則は、人間だけ でなくすべての理性的な存在者一般に適 用できるものであると述べている(前記 「基礎づけ」72 頁)。それ故、カントの言 う意志の「自律」 (オートノミー)が、プ ロフェッションたる医師およびプロフェ ッションたる医師の団体にあてはまるの は当然のことと考えられるのであり、 「プ ロフェッショナルオートノミー」という 言葉の中の「オートノミー」が、カント の言う「自律」 (オートノミー)に由来す ることは否定し難いことと思われる。 3. 「プロフェッショナルオートノミー」と いう言葉は、そもそも、誰がどのような 意味で用いているのか。 「プロフェッショナルオートノミー」 なる言葉は、筆者の知る限り医師という プロフェッションのグローバルな集会で ある世界医師会において、近年しばしば 使われるようになった用語である。 嚆矢となったのは 1987 年のWMAマド リッド宣言(以下「旧マドリッド宣言」 という)である。同宣言は、 「プロフェッ ショナルオートノミーと自己規制に関す るWMAマドリッド宣言」(WMA Declaration Of Madrid On Professional Autonomy And Self-Regulation)と題す るもので、プロフェッショナルオートノ ミーと自己規制の重要性に関し、10 項目 からなる宣言を採択したものである。同 宣言がプロフェッショナルオートノミー に関して述べていることは次のとおりで ある。 ①プロフェッショナルオートノミーの 中心的要素は、患者診療に関して自 らの職業的判断を自由に行使できる という保証であること(第1項)。 ②世界医師会と各国医師会は、質の高 い医療の本質的な要素であり、した がって患者の利益のために維持され るべきものとして、プロフェッショ 3 医の倫理の基礎知識 動原則に近いものと考えられる。医師と プロフェッショナルオートノミーの問題 を正面から取り上げた新旧マドリッド宣 言およびソウル宣言を全体として見ると、 プロフェッショナルオートノミーの中心 的要素は医師専門職としての自律であり、 その自律とは、ごく簡単に言えば(1) 患者診療に関して政府や行政機関等の外 部による規制(他律)を受けないという 自由を意味すると共に、 (2)患者診療に 関して、自ら実効性のある自己規律のシ ステムを構築しそれに従って行動してい くという積極的義務を伴った自由をも意 味している。この内2番目の、自己規律 のシステムの構築については、それが医 師や医師団体の唯我独尊的なシステムで あってはならないことは、改めて言うま でもない。それは、プロフェッションと しての医師や医師団体によって、あるべ きシステムとしてのコンセンサスが得ら れるものでなくてはならないことも当然 であろう。それらの点については、上述 した世界医師会の各宣言の内容には相当 な配慮が加えられていることが窺われる。 しかし、それで十分かについて新しい感 覚の下に問題を提起していると思われる のは、新マドリッド宣言に盛込まれた次 に掲げる条項である。 で、その前文で、 「世界医師会は、医師の プロフェッショナルオートノミーと臨床 上の独立性の重要性を探求し」、5項目の 原則を採択すると述べている。 ソウル宣言は、旧マドリッド宣言で述 べられているプロフェッショナルオート ノミーの理念を全体として継承しつつ、 より臨床の場にそくした医師患者関係や 医療コストを含めた観点から、 「プロフェ ッショナルオートノミーと臨床上の独立 性」の重要性に焦点を当て、これを医師 のプロフェッショナリズムの最も重要な 原則と把えている点が特徴的である(詳 細内容は同宣言を参照されたい)。 2009 年のマドリッド宣言改訂版(以下 「新マドリッド宣言」という)は、 「医師 主導の職業規範に関するWMAマドリッ ド宣言(Declaration Of Madrid On Professionally-Led Regulation )」と題 するもので、その前文で、 「医師が、自ら が定める職業規範の責任を果たすという 点で、患者の利益のために一致団結し行 動することは、各々の医師が、何人から も干渉を受けずに自らの判断で診療する 権利をより確実に保証することとなる。」 と述べ、世界医師会は各国医師会および すべての医師に対し、8項目の活動を行 うことを要請している。 新マドリッド宣言は、プロフェッショ ナルオートノミーにおける自己規律に重 点をおいていることが特徴的であるが、 その内容は次項で指摘する点を除き全体 として旧マドリッド宣言を継承するもの である(詳細内容は同宣言を参照された い)。 第4項「各国医師会は、代表者とし ての責務と規制者としての責務の両方 (both representational and regulatory duties)を担うことで生じ る潜在的な利益相反によって影響を受 けることがないように、会員および一 般市民を対象として、医師主導の職業 規範の概念の理解や支持の促進のため に最善を尽くさなければならない。」 4.これまで述べてきたことからひるがえ って、医師のプロフェッショナルオート ノミーとは結局何なのか、また、現時点 で課題があるとすればそれはどのような ものなのか、について考えてみる。 既述のとおり、医師のプロフェッショ ナルオートノミーとは、一般的に言えば、 現代の医師および医師集団にとっての行 第8項「各国における医師主導の職 業規範の効果的かつ責任あるシステム は、私利的または内部保護的であって はならず、また、公平、合理的で、十 分な透明性を備えていなければならな 4 医の倫理の基礎知識 第8項を含め、新旧マドリッド宣言およ びソウル宣言等が述べているのは、医師 のプロフェッショナルオートノミーに関 する基本的な課題の提示と提言であり、 それらをいかにして達成していくかは、 主として各国の医師および医師会の今後 の具体的な活動に委ねられていることで ある。 い。各国医師会は、自己規律システム が、医師を保護するものとしてだけで はなく、医師という職業そのものの名 誉を守り、そして、一般市民の安全、 支持および信頼を維持すべきものであ ると会員が理解するよう支援しなけれ ばならない。」 上記第4項は、医師の団体が担う、医 師の代表者として政治的・経済的あるい は社会的に積極的な活動を行う責務と、 医師の自己規律の面における規制者とし ての責務との間に生じうる潜在的な利益 相反の問題を取り上げ、その影響を受け ることがないよう、会員のみならず一般 市民に対しても医師の職業規範の概念の 理解や支持を促進するために最善を尽く すべき旨を述べる。これは、プロフェッ ショナルオートノミーにおける重要な問 題として従前から認識されながら、これ まで正面から取り上げることの少なかっ た課題への積極的な取り組みの姿勢を示 すものと言えよう。 上記第8項は、医師主導による職業規 範のシステムは、法令のように外部から のチェックを受けたものではないが、だ からといって、私利的または内部保護的 であってはならず、また公平、合理的で 十分な透明性を備えたものでなければな らないこと、そしてそのことが、医師と いう職業の名誉を守り、一般市民の安 全・支持および信頼に結びつく所以であ ることを明言する。 この第8項は前述したカントの意志の 自律の原理に一脈通ずるものを含んでい るようにも思われるが、従来のプロフェ ッショナルオートノミーについての考え 方を一歩前進させ、さらに困難な課題に 積極的に取り組む姿勢を示すものと考え られる。 以上「医師とプロフェッショナルオー トノミー」について述べてきたが、留意 しなければならないことは、上記第4項、 5