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見る/開く - 茨城大学

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見る/開く - 茨城大学
ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
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Gottlob Fregeの存在論-1-対象Gegenstandの世界
野本. 和幸
茨城大学教養部紀要(5): 1-23
1973-03
http://hdl.handle.net/10109/9867
Rights
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します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。
お問合せ先
茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html
Frege’s Ontology (1)
一The World of Obj ects (Gegeπ8オ伽dε)一
Gottlob Fregeの存在論〈1>
一対象Gegenstandの世界一
はじめに一
H・ショルッ曰く「フレーゲはもっとも偉大なドイッの思想家の一人であった。そ
れどころか,西洋全体においてさえもっとも偉大な思想家の一人だったのである。す
なわち,フレーゲは,ライプニッッに比肩する高さと深みに達し,稀にしかみられな
い強い創造力を具えた思想家だったのである。」ω
にもか・わちず,日本での本格的なフレーゲ研究は,まだほとんど試みられていな
いo
1 フレーゲの処女作「概念文字」Be87伽8cん7諺公刊の1897年は,数理論理学発展の
画期であったことは既に周知のことである。実際,ほとんど突如として,真理関数的
言明算・量化理論の公理的展開,数学的系列の論理的定義等の提示がなされたことは
まさに瞠目に値することであった。
このように数理論理学プロパーにおいて,革命的貢献を行ったフレーゲは,同時に
論理学をめぐる哲学的諸問題に対しても,重要な寄与を行っている。
論理学と哲学との関係であるが,A・チャーチいうところの論理算系logistic sys
tem(つまりいかなる解釈も特定されていず,したがって構文論syntaxはもつが意
味論semanticsはもたないところの,抽象的に定式化された計算abstractlyformu・
lated calculus(2))だけ1こか・わっている限りは,論理学研究と哲学とは直接的連関
はないといってよい。だが吾々が,形式言語formalized language(すなわち各表現
への意味賦与を伴った論理算系㈲)に関わる否や,当然意味論や存在論の問題に直面
することになる。
クワインは,「数学の基礎に関する現代的観点の中にある基本的分裂は,束縛変項
が指示することを許されるべき存在者の領域についての不一致である」ωと考える。
すなわち,中世の普遍論論争における三つの立場,実念論realism,概念論concep・
tualism,唯名論nominalismが,二十世紀の数学の哲学において,それぞれ,論理
注
著書・論文の略号は,Bibl iographyを参照のこと。
(1)Schol z, H.,“Gottlob Frege”石本訳57頁
(2) Church, A.,〔Need〕p.194.
9
i3) Church, A.,〔Need)p.194.
(4) Quine, w.v、 o.,〔1〕p.14.
2 茨城大学教養部紀要(第5号)
主義10gicism,直観主義intuitionism,形式主義formalismという名前で再現され
ているとみなす。
実念論は,普遍者ないし抽象的存在者が心とは独立に存在するというプラトン的な
説を意味し,フレーゲ,ラッセル,ホワイトヘッド,チャーチおよびカルナップの主
張した論理主義は,か・る実念論であるとクワインは考える。
他方,概念論は,普遍者は存在するけれどもそれは心の構成物mind・madeである
とする説で,ボアンカレ,ブラウァー,ワイルらの直観主義は,ある場合にかぎって
抽象的存在者を指示する束縛変項の使用に賛成する故に,この概念論にあたり,また
古典数学を無意義な記法の遊戯として保持するヒルベルトらの形式主義者は,唯名論
者に相当するとクワインは考える。(5)
これに対し,G・ベルクマンは,フレーゲには,唯名論への傾向がある,フレーゲ
の存在論は隠された唯名論hidden nominalismだと主張し,(6)クワインに賛成するE・
クレムヶと(7)論争が行われた。この論争は,単に言葉の上での争いにと“まらず,よ
り実質的な内容を含む。銘じつめると,抽象的存在者,就中フレーゲのいう関数Funk・
tionを,存在論的にも意味論的にも,どう解するかにか・ってくると思われる。実際
フレーゲの理論の中で,関数の概念は,最も重要でありながら,最も難解でまた困難
を含むのである。フレーゲの存在論では,存在者は,対象Gegenstand の世界に属す
るものと,関数の世界に属するものとの二大カテゴリィに区分されるのだが,関数の
世界(概念Begriffや関係Beziehungを含む)の分析は,次の機会に譲り,本稿で
は,フレーゲの存在論研究のいわば前編として,主に対象の世界に属する存在者につ
いて,や・立ち入って吟味してみることにする。対象の世界の存在者中にも,値域
Wertverlauf,意味Sinn,ウエルズ名付けるところのfunction・correlates(8)等々の,従来
判明に理解されなかった存在者が多々含まれているからである。
1・記号・表象・意味・指示
1−1)まず「概念文字」中,吾々の主題に関係の深い意味論上の論点を拾い出してお
こう。
(1)表現つまり記号Zeichenと.表現されるもの(これをフレーゲは概念内容be・
grifflicher Inhaltと呼ぶ(9))との区別,
(2)判断Urtei1の,判断化しうる内容beurteilbarer Inhaltと肯定Bejahung
とへの分析,(1①
(3)表現(文に限らない)の関数Funktionと独立変項Argumentへの分析(従っ
(5) Quine, w.v. o.,〔1〕pp.14−15.
(6)Bergmam, G.,〔1〕,〔2〕.
(7) Klemke, E.D.,〔1〕,〔2〕.
(8)Wells, R. S.,。Frege’s ontology”in 〔Essαgs〕p.17.
(9) Frege, G.,〔B8〕 §3, S.3.
(1① Frege, G.,〔B8〕 §2, S.2.
野本:Gottlob Fregeの存在論〈1> 3
て, 「概念文字」では,関数も独立変項も一種の表現である)。(11)
かくて「概念文字」では,記号と概念内容との区別がなされつ・も.関数と独立変
項に関しては,この区別がなされていず,また関数の規定も不十分である。(12)
また,概念内容が多義的で十分分節されていない。,トA≡B‘という判断は,記号
Aと記号Bとの代入可能性の原理(つまりAとBとは同じ概念的内容をもち,AとB
とは互いに置換可能であるという原理)をあらわす。(1のところで“…”のような同一
性を表現する記号の必要な理由を,フレーゲは次の如くに説明する。同じ概念内容は
二つの定め方Bestimmungsweiseによって規定されうるのであり,この二つの定め
方に対応して,二つの異った名前が割りあてられなければならないが,この二つの異
った名前を結合するのが同一性記号“≡”なのである。(1のすると,ここでは,名前の
の概念内容は,後述の指示体Bedeutungと同義と考えられ,また名前の相違に反映
する内容の定め方というものが,後の意味Sinnの確立への萌芽である。
ところが他方,,−A‘であらわされる判断化しうる内容は,フレーゲ自身が認める
ように,㈲後に文の意味とみなされる思考Gedankeであると考えられる。更にこの
判断化しうる内容をフレーゲはまた,単なる表象結合 bloβb Vorstellungsverbin・
dung(1のとも呼んでいる・かくて,概念内容は,その場合場合に応じて指示体とか意
味とか表象と,多義的に用いられており,分節されていない。
1−2)「概念文字」では,関数も独立独項も言語的表現であったが,やがてフレーゲ
は,関数記号と関数独立変項記号と独立変項とを区別し,関数や独立変項は表現さ
れるものの側に位置づけられる。(1の
更に「概念文字」ではなお未分明であった概念内容そのものについて,明確な分節
がなされることになる。(ここでは,関数をめぐる問題は除外して,専ら独立変項記
号即ち固有名Eigennameに考察を限定する。)即ちフレーゲは.(1)記号ないし名前,
(2)表象Vorstellung,(3)指示体Bedeutung,(4)意味Sinn,を区別する。(1鋤
独立変項記号は,固有名Eigenname,名前Name(1の対象名Gegenstandesname¢①と
も呼ばれる。「固有名は,その意味を表現しausdr廿cken,その指示体を指示bedeuten
(11) Frege, G.,〔Bg〕 §9, S.15f.
⑫ 〔B8〕では,関数と独立変項との区別に関して,ある場合には両立しない二つの規定が
みとめられる。即ち規定(a)ある表現中,不変で定常的な構成部分bleibender Bestandteilを
関数他の表現で置換されうる記号を独立変項とするもの(〔Bg〕§9, S.16),規定(b)は,
関数は関係の全体Gesammtheit der Beziehungを示しdarstellen,独立変項はこれらの関係
のうちにある対象Gegenstandを表示するbedeuten(〔Bg〕§9, S.15.)ものである。
(13) Frege, G.,〔Bg〕 §9, S.15.
(14) Frege, G.,〔Bg〕 §8, S.14.
㈲ Heilenoort, V. J.,〔Heilenoort〕p.11. Footnote by Jourdain(1912,p.242).
(16》 Frege, G.,〔Bg〕 §2, S.2.
(17) Frege, G.,〔FuB〕7, in〔FBB〕20.
(18) Frege, G.,〔SuB〕26, in〔FBB〕39.
.
i19) Frege, G., 〔SuB〕27, in〔FBB〕39.
(20) Frege, G.,〔BuG〕193, in〔FBβ〕65.
4 茨城大学教養部紀要(第5号)
ないし表示するbezeichen」⑳とフレーゲはいうが,それでは何故に,固有名につい
て,その指示体とは区別された意味というものを想定しなければならないとフレーゲ
は考えたのか。
それは,二つの同一性言明‘6a=a”と‘亀a=b”との認識価値Erkenntniswertの相
違に由来する。㈱チャーチもいうように,㈱もし二つの名前が同義的synonymOUS,つま
りあちゆる点で同じ意義meaning⑳をもつならば,意義を変えることなく,常に一方
を他方に代入しうるはずである。ところが,“Sir Walter Scott is the author of
Wα”θγ♂θゼ ㈱という文は,“Sir Walter Scott is Sir Walter Scott.”という文と
は非常に異る意義を画つ。前文は後文のもたない文学史上のある重要な事実を伝えて
いる。意義上のこの相違は,一方の名前の他方の名前への代入が,ある文脈では,真
理性の相違をうむ事に示される。例えば,“George IV once demanded to know wheth一
er Scott was the author of Wα拶θ7♂叫”は真だが,“George IV once demanded to
whether Scott was Scott”は偽である。
“a=a”と“a=b”とのこのような認識価値の相違をフレーゲはどう説明しようと
したか。それには同一性関係がいかなる項の間で成立するかを明確にせねばならない。
(1)もし記号“a∴“b”の各指示体である対象間においてであるとすると,“a=ゼは,
もし“a=b”が真ならば,“a=a”と同じ認識価値をもつことになってしまう。㈱
(2)「概念文字」において考えちれた如く,記号“a”“b”間で成立するとしても,(イ)“a”
と“b”とが,た・対象として(その形とか音とかによって)のみ区別され,自分以外の
なにかを指示する記号(即ち対象言語object・1anguageに属する語)とはみなされな
い場合には,“a=b”は単に記号についての言明にと“まり,対象にか・わりのある本
来の認識を表現しない。伽即ち“a=b”はメタ言語中の言明にすぎないことになる。㈱
(・)かくて“a=b”は,何かを指示する記号の間に成立しなければならない。ところでそ
の場合,“a=b”が先述の如く“a=a とは異る認識価値をもちうるためには,“a”“b”
が同じ指示体をもつときでも,“a”“b”の記号の相違がその指示体の与えちれ方die Art
des Gegebenseinsの相違に対応する場合のみである。この与えられ方がそのうちに含
まれているものを,フレーゲは記号の意味Sinnと名付けるわけである。⑳かくて,
“a=a”とは異る認識価値を“a=b”がもつという事実を,フレーゲは記号“a”“b”がそ
の指示体以外に,意味をももっということによって説明しようとするわけである。以
上が.固有名に関して指示体以外に意味というものを要請したフレーゲの理由である。
(21) Frege, G.,〔SuB〕31, in〔FBB〕44.
⑫2) Frege, G.,〔SuB〕25 f,. in〔FBB〕38f.
㈱ Church, A.,〔LML〕pp.5−6.
⑳ チャーチは,meaningをフレーゲのSinn(sense)とBedeutung(denotat ion)の両者を覆う
ものとして使っている。Church, A.,〔IML〕loc.cit.
㈱ ラッセルは,この文を単純な同一性言明とはみなさず,記述理論によって全く異る言明
に環元する。Russell, B.〔OnD〕.
㈱ Frege, G.∫〔SuB〕25, in〔FB13〕38.
⑫7) Frege, G.,〔SuB〕26, in〔FBB〕39.
㈱ Wienpah1, P. D., in〔Essays〕p.206.
(29) Frege, G.,〔SuB〕26, in(FBB〕39.
野本:Gottlob Fregeの存在論〈1> 5
さて固有名の指示体は,最広義に解された一つの定まった対象Gegenstandであっ
て,いかなる概念Begriffでも関係Beziehungでもない。(3①また意味は表象Vor・
stellungとどう区別されるのかといえば表象は全く主観的ganz sublektivな内的心
像inneres Bild(31)であるのに対して,意味は個人の心Einzelsseele’の部分や様態で
はなくして,多くの人々の共通の所有物gemeinsames Eigentum von vielen(32)であっ
て,もはや単に主観的ではない(しかし対象自体ではない㈱)というのがフレーゲ
の答である。ところで,フレーゲは,とくに表述文Behauptungssatzの意味Sinn
を思考Gedankeと呼んだ。(34)だが,副文章は,完結した意味をもたず,全文章の意味
即ち思考の部分を,その意味としてもつのみだとみなしている。㈲
1−3)さて,すべての言語的表現は,固有名(独立変項名,対象名)と関数記号との
二つのカテゴリィに大別されるわけだが,フレーゲが固有名のカテゴリィに含ませて
いるものを拾いあげてみよう。
A.(1)文法上の通常の固有名:例えば,Berliガ,,Caesar‘の如く,一定の場所Ort,
人,事物,時点Zeitpunkt,時間Zeitraumなどの名前。㈹
(2>数字Zahlzeichen:,1‘,,3‘など,数Zah1の名前。
B.(3)複合的固有名Zusammengesetzter Eigenname(3の(これはラッセルの確定記
述definite descriptionに相当する表現で,定冠詞が通常冠頭されるこれらの句に対
する記法として,フレーゲは,,唾φ(ε)‘を導入するG⑳):これに属する句としては,
例えば(i),der Morgenstern‘,,die negative Quadratwurzel aus 4‘とか,(ii)定まっ
た独立変項に対する関数の値Wert der Funktionの表現,,2・12+1‘(これは数3の
名前),,die Hauptstadt des deutschen Reichs‘(これはBerlinの名前),6ii)ウエル
ズ名付けるところのfunction・correlates(3田の名前である,der Begriff F‘といった表現4①,
(・i),der Sinn des Ausdrucks”A“‘と、いった通常的意味gew6hnlicher Sinn(4Dの名前。
C.(4)表述文Behauptungssatz:真理値Wahrheitswert,即ち真又は偽の名前。ω
(5)定まった独立変項に対する等式ないし概念の値に対する表現も,真理値の名
前である。例えば,(−1)2=1‘は真の,,02=1‘は偽の名。
(6)一般表述文:例えば,(κ)ノ(κ)‘といった普遍量化文も真理値の名前。
r (30) Frege, G.,〔SuB〕27, in〔17BB〕39.
(31) Frege, G.,〔SuB〕29, in〔FBB〕42.
(32) Frege, G.,〔SuB〕29, in〔F.B.B〕42.
(33) Frege, G.,〔SuB〕30, in〔FRB〕42.
(3の Frege, G., 〔SuB〕33, in〔FBB〕45.
(3⑤ Frege, G.,〔SuB〕39,42, in〔FBB〕52,54.
(36) Frege, G.,〔SuB〕42, in〔FB、B〕55.
(37) Frege, G.,〔SuB〕39−42, in〔FBB〕51−55.
(38) Frege, G.,〔Gα4〕1, §11, S.19.
㈲ Wells, R, S., in〔Essαys〕§12.p.17.
(4① Frege, G.,〔BuG〕197, in〔FB、B〕69.
i41) Frege, G.,〔SuB〕28, in〔FBB〕41.
「
(42) Frege, G., 〔SuB〕33, in 〔FBB〕45.
6 茨城大学教養部紀要(第5号)
(7)複合文即ち真理値である独立変項に対する真理関数の値の表現:これも真理
値の名前。例えば,真の否定の表現,7T‘は偽の名前。
D.(8)関数の値域Wertverlaufに対する記法,,セφ(ε)‘:例えば,と(ε2+2ε)‘㈲
(9)概念の外延Begriffsumfangに対する記法:一般的には,むφ(ε)‘,例えば, ,
歪(ε2=1)ニ』(〔α+1〕・=2〔α+1〕)‘ω
1−4)以上列挙された固有名の通常の指示体gew6hnliche Bedeutung㈲とされる存在
者は,広義での対象Gegenstand(4⑤のカテゴリィに属する。すると対象の世界には以下
のような存在者が含まれることになる。 疋
A.通常の指示体gewbhnliche Bedeutung
(1)外界Auβenwe ltの対象(場所,時点,時間,事物,人その他)
(2)表象Vorstellung
(3)関数の値域Wertverlauf(概念の外延も含む)
(4)数Zahl
(5)関数対応物function・correlate
(6)真理値Wahrheitswert
B.通常の意味gew6hnlicher Sinn.
ところで通常の意味を対象のカテゴリィに含めることに関しては異論がありうる。㈹
先述のとおり,フレーゲは,意味とは表象の如く主観的ではないが,しかし対象その
ものではないと述べているからである。(48)
だが他方フレーゲは間接話法や信念文に関して,間接的指示体ungerade Bedeutung
つまり通常の意味gew6hnlicher Sinnがみとめられると主張する。つまり間接話法
において,話し手の言葉によって,話し手とは別人の発言の意味Sinnが指示され,
また,daβ‘ではじまる副文の指示体は思考Gedanke,信念むberzeugungであるとフレ
一ゲは言う。㈲また通常の意味は単に間接的指示体でありうるのみならず,一般に「表
現”A‘の意味」,der Sinn des Ausdrucks”A“という表現(確定記述)を構成すれば,
これは固有名の一種であるから,通常の意味はこういう固有名の通常の指示体gew6hnl・
iche Bedeutungでもありうるわけである。(50)従って,通常の意味も対象のカテゴリィ
に含めてよいと考える。
なおまた,表象Vorstellungを対象のカテゴリィに含まれる存在者として認容する
(43) Frege, G.,〔FuB〕8−9, in〔FBB〕21.
(44) Frege, G., 〔FuB〕16, in〔FBB〕26.
(4励 Frege, G.,〔SuB〕28, in〔FBB〕41.
但⑤ Frege, G.,〔SuB〕27, in〔FBB〕39.
(4の Cf. Klemke, E.D.〔1〕in〔E88α〃8〕p.75.
@紛 Frege, G.,〔SuB〕30, in〔FBB〕42.
(4{り Frege, G.,〔SuB〕37, in〔F.BB〕49.
(50) Frege, G。,〔SuB〕28, in〔FBB〕41.
JacksonやCatonもこの点を指摘しており, Jacksonはまた1891−1892の未刊論文中でフ
レーゲが表現の意味は一種の対象であると明言しているとも伝えている。Jackson, H, in
〔E88α忽8〕p.78;Caton, C.E., in 〔E88αg8〕p.101.
野本:Gottlob Fregeの存在論〈1> 7
ことにも異論があるかもしれない。詳しくは次章で述べるとして,表象が,外界の事
物Dinge der Auβenwelt及び思考Gedankeつまり意味の世界と並んで,第三の内 ,
的世界Innenweltを形成していることをフレーゲは明言しており,㈹のみならず,一
種の確定記述をもって各人の表象を表示するbezeichnen可能性を示唆してもいる,侮2)
ということを指摘しておこう。表象の記述について,例えば現在私がもっている菩提
樹の表象を,Meine Vorstellung jener Linde‘といった表現で表示することができる。
たぐ吾々の日常言語は,公共的な外界の表現に適しているので,内的世界の描写には
非常なぎこちなさが伴わざるをえないし,相当の工夫を必要とする。
II.対象Gegehstand,の世界
ここであらためて,フレーゲ存在論において,関数(概念や関係を含む)の世界とならん
で二大カテゴリィを構成する対象の世界をとりあげ,や・立ち入って考察してみよう。対象
とは先述のとおり関数以外の存在者,固有名の指示体になりうる存在者である。
II−1)先ず表象Vorstellungからとりあげる。ラレーゲのいう表象の世界とは,外
界Auβenweltから明確に区別された世界であって,感覚印象Sinneseindr廿cke,各
人の想像力の創出物Schbpfungen seiner Einbildungskraft,感情Empfindungen,情
念GefUhle,気分Stimmungen,傾向性Neigungen,願望WUnsche等をお・うとこ
ろの内的世界Innenweltを意味する。(53)
その特徴をあげるならば,以下の如くである。
(1)諸表象は,見られもしなければ触れられもせず,嗅がれもしなければ味わわれ
もせず,聴かれることも出来ない。(54)(フレーゲは,日常語の「見る」とか「聴く」
とかといった言葉は外界の事物に関して用いられているとみなしているわけである。)
(2)諸表象は,もたれるgθんα配のである。ひとは,感情や情念,気分,傾向性,
・ ・ ● ■
願望をもつ。あるひとのもつ表象は,彼の意識内容Inhalte seines Bewuβtseinsに
, ●
属する。㈲
(3)諸表象は担い手ein Tragerを必要とする。それに比して,外界の事物Dinge
der Auβenweltは,独立自存的selbstandigである。(5の
(57)
i4)各表象は唯一人の担い手をもつ。二人の人間が同じ表象をもつことはない。
かくて,フレーゲのいう表象の世界とは,大体において,ラッセルの現象appea既
nce即ち感覚与件sense−dataの世界侮8)(物的対象physical objectの世界から区別
された),個別的particularで私的なprivate世界(59),知覚されたパースペクティブ
(51) Frege, G.,〔Gedanke〕66f in〔Lσ〕40f.
(52) Frege, G.,〔Gedanke〕68, in〔Lσ〕42.
(53) Frege, G.,〔Gedanke〕66, in〔Lσ〕40.
⑤1) Frege, G.,〔Gedanke〕67, i n〔Lσ〕40.
(55) Frege, G., 〔Gedanke〕67, in 〔Lσ〕41.
(56) Frege, G.,〔Gedanke〕67, in〔Lこノ〕41.
(57) Frege, G.,〔Gedanke〕68, i n〔Lσ〕42.
(58) Russell, B., 〔Pγo配ε?π8〕,P.12.
(59 Russell, B.,〔P70δZe魏8〕,p.20.
8 茨城大学教養部紀要(第5号)
perceived“ 垂?窒唐垂?モ狽奄魔?h⑯①に相当するとみなされる。
II−2)次に,場所,時点,時間,人,事物等,外界Auβenweltの対象について考え
る。
外界の事物とは,木や石,家など吾々が見たり触わったり,つまり感官で知覚しう
るすべてのものであり,㈹単に個人の意識内容ではなく,また担い手を一切必要とせ
ず,⑯2)独立自存的selbstandig㈹である。また他人も同様に私自身の見かつ触わってい
るのと同一の木や石を見かつ触れることができる。㈱吾々が通常固有名を用い,確定
記述を用いて表示したいbezeichnenと思うのは,われ一ひとともに見かつ触れうる
ようなetwasであり,㈲日常言語の大部分の固有名や確定記述が自然に適用されう
る指示体は,通常,外界の事物であるといってよい。
再びラッセルとの類比を求めるならば,フレーゲのいう外界の事物とは,吾々とは
独立に存在し,感覚与件の一方の原因であるところの物的対象physical object㈹で
あり,中立的neutralで公共的public世界を形成するものである。ラッセルにお
いては,時間も空間も形も場所も,私的なそれと公共的なそれが区別されているわけ
であるが,フレーゲがここでいう場所とか時点とかは,ラッセルでは公共的な場所,
空間,㈹パースペクティブ空間㈹,公共的時間等を意味しているとみなしてよい。
さて,ところで,吾々は常識や科学のように,素朴に,外界と表象の世界とを二つな
がら前提してしまうわけにはいかない。デカルトがその方法的懐疑の道程において夢
の仮説を提出し,考える我の確立から神の存在証明を介して,ようやくにして,外界
の存在証明に到達した如く,外界の存在証明には多大の困難がはらまれている。ある
いは極端な現象論者のいうように,認識論的順序からいえば,外界の事物よりは表象
の方が先行する故に,外的事物の世界などいうのは空であって,吾々には表象しかな
いのだともいいうるであろう。フレーゲもまたこの問題に直面して,私の知識や認識
は私の表象の領域・私の意識の舞台に制限されていて,私はたぐ内的世界だけをもち,
他人について何も知るところがないのか,私の表象のみが私の考察の対象Gegenstand
meiner Betrachtungなのか,㈹と問うている。
この問題に対する突破口は,フレーゲの場合,表象の担い手Tragerにある。もし
. すべてが表象であるとすると,表象の担い手は存在しない。しかし表象の担い手が存 ●
在しないと,なんらの表象も存在しなくなってしまうというのがフレーゲの議論であ
㈹) Russe11, B.,〔0κEVの , p.95.
⑯1) Frege, G.,〔Gedanke〕66, in〔L〔ノ〕40.
俗2) ]Frege, G.,〔Gedanke〕69, in〔L〔1〕43.
⑯助 Frege, G.,〔Gedanke〕67, in〔Lの41.
64) Frege, G.,〔Gedanke〕66, in〔五〔1〕40.
㈲ Frege, G.,〔Gedanke〕68, in〔Lσ〕42.
㈹ Russell, B.,〔P70blems〕,p.12.
⑯7) Russell, B.,〔P70配eω8〕,pp.30f.
⑯8) Russell, B., 〔OKEW〕 , pp.97f.
⑯{カ Frege, G.,〔Gedanke〕70, in〔Lσ〕45.
野本:Gottlob Fregeの存在論〈1> 9
る。㈲かくて,私の表象ではないが,しかし私の考察Betrachtungの,私の思惟Den・
kenの対象でありうるところのetwasが存在し,私がそれである。私は私の表象を
もつ,しかし私はこの表象と同一ではない。かくてフレーゲは私の意識内容Inhalt
meines Bewuβtseins,即ち私の表象と,私の思惟の対象Gegenstand meines Den・
kensとを峻別する。従って,私の意識内容に属するものだけが,私の思惟の対象だ
というテーゼは偽である。⑳
同様に,諸表象の独立の担い手としての他者をも認知しうるとフレーゲはや・素朴
に議論をす・める。他者についての表象と他者自身とを混同すべきでない故に。(72)
このように,私の表象とは区別されたその担い手としての私自身,及び私の他者に
ついての表象とは峻別された他者自身の存在が認められると,更に吾々は,他者の表
象の表象をも共有できる。今ここに激痛を感じている一人の患者がいるとして,彼の
激痛はその患者の表象であり,患者はその表象の唯一の担い手である。ところで,こ
の患者の傍らに,二人の医師がいるとしよう。二人の医師A,Bは,患者の激痛を和
・
轤ーたいと考えている。さて医師AもBも,それぞれ患者の激痛についての表象をも
つが,これらの表象は患者の激痛即ち患者の表象ではない。従って二人の医師が和ら
げようとしているのは,患者の痛みについての医師自身の表象ではなくして,彼らが
その担い手ではないところの,かの患者の激痛であり,この激痛をA,Bは,二人の
共通の反省の対象gemeinsamer Gegenstand des Nachdenkensとしてもつ。従って,
事物のみなちず表象もまた,それの担い手でない人々の思惟の共通の対象となりうる
のである。㈲
ところで,上のように,表象という内的世界から出発しつつ,外界を獲得してゆこ
うとするフレーゲの歩みにおいて,私の表象の担い手としての「私」”ich“,諸表象
の独立の担い手としての他者,二人の医師の共通の対象である患者の苦痛等々が,思
惟の共通の対象gemeinsamer Gegenstand des Denkensといわれていることは注目に
値する。「外界の事物を見るSehen der Dingeためには,視覚印象をもつことHaben
von Gesichtseindr廿ckenが確かに必要ではあるが,それで十分であるわけではない。
更に,非感性的なものnichts Sinnlichesがつけ加わらねばならない」㈹とフレーゲ
は主張する。外界の事物の認識には,カント的にいえば,表象と思惟の綜合が必要な
わけである。これは,つまり,表象の世界と外界との関係,感覚世界world of sense
と物理世界world of physics(7魁の関係の問題に他ならない。実際,一時期のラッセ
ルは,感覚与件と普遍者から,「数学原理」の論理的装置を駆使して,外界を論理的
に構成しようと試み,㈹カルナップやグッドマンがそれをより精緻に展開しようとし
(7① Frege, G.,〔Gedanke〕72, in〔Lひ〕47.
(71) Frege, G.,〔Gedanke〕72, in〔L乙1〕47−48.
(72) Frege, G.,〔Gedanke〕73, in 〔Lσ〕48.
(73) Frege, G.,〔Gedanke〕73, i n〔Lひ〕48.
(74) Frege, G.,〔Gedanke〕75, i n〔Lσ〕51.
・ (7励 Russell, B;,〔0κEレr〕,p.106
(7⑤ Russell, B.,〔OKEレの .
10 茨城大学教養部紀要(第5号)
たのであった。㈹しかしフレーゲにおいては,この非感性的なもので何が意味されて
いるのか,また表象と非感性的なものとから,どのようにして外界の事物が認識され
るのかということについて,これ以上立ち入って検討されてはいない。
他方フレーゲは,吾々が各自表象をもつこと,例えば緑の視覚印象をもつことは疑
いえないが,私が菩提樹の葉を見ているということはそれほど確かでないとし,私が
環境世界Umweltを手に入れるその一歩によって私は自ちを誤まρの危険に晒すの
であり,内的世界には確実性があるが,外界への遠征においては,疑いが全く晴れる
ということはない,たf多くの場合,蓋然性Wahrscheinlichkeitと確実性Gewi・
βheitとはほとんど区別できないので,敢えて吾々は外界の事物について判断しうる
のだ,と述べている。(7㊥この考えは,科学的法則の,仮説的hypothetical・推測的
conjectural性格を強調し,科学的法則の完全な立証可能性verifiabilityに反対して
反証可能性falsifiabilityを主張し,現在認められている法則や理論も,いまのとこ
ろ暫定的に批判的テストに耐えている単に確証されたcorroborated言明にすぎない
としたポパーらの批判的合理主義critical rationalismの認識論㈹に通ずるとみな
される。(た“蓋然性Wahrscheinlichkeitという問題に関しては,帰納論理学,確率
論理学という分野で,その後,重要な研究が生れてきている。侶①)た“フレーゲにおい
ては,好意的にみて,そういう方向への繭芽がみられるというにすぎない。
II−3)次に意味Sinnの世界をとりあげよう。指示体以外に意味というものを固有名
に関して容認したフレーゲの意味論上の理由についてはすでに先に述べた。関数その
他に関して以外は,大体においてフレーゲの意味論・存在論を,その単純性,自然で
あること,及び説明能力の大の故に,⑳踏襲しているチャーチは,侶2)意味とは,ひと
が名前を理解するときに把握されるgraspedもので,指示体を限定するdθεe¢帰
ηα孟e(ないし指示体の概念concept of the denotation⑱3)である)等ある要請された
特性をもつある要請された抽象的対象apostulated abstract object, with certain
postulated properties⑱4)であるとみなす。従って,固有名の意味は,特殊の場合,例
えば人名のように,指示体が単に「しかじかと呼ばれているということbeing called
so and so」とか,指示詞“this”のごとく「今ここにあらわれているものであるbeing
what appears here and now」とレ・うことにすぎない場合もある。㈲表述文の意味は,
思考Gedankeと呼ばれたが,チャーチはまた命題propositionとも呼んで,ひとが
(77) Carnap, R.,(!1ガδαπ〕;Goodman, N.〔St7uctu¢e〕.
(78) Frege, G.,〔Gedanke〕73, in〔Lσ〕48−49.
㈹ Popper, K.,〔L.8c. D.〕p.30,〔OSIE〕vol.2.,p.231.
なお詳しくは,拙稿〔1〕参照。
㈲ この点に関しては,内井,〔帰納論理学〕に,優れた紹介と展望がある。
(81) Churcん, A.,〔Need〕p.195.
(82) Church, A.,〔1、ML〕p.6.
㈲但しこの場合のconceptは,チャーチ独自の用法で,フレーゲのBegriffとは峻別さ
れる。
(8の Church, A.,〔IML〕p。6, Note.15.
㈱ Church, A.,〔IML〕p.6, Note.14.
,
野本:G。ttlob Fregeの存在論〈1> 11
表述文を理解するときに把握されるもので,異る言語で表現された二つの文が互いに
正しく翻訳されうるために共通にもたねばならぬ抽象的対象で(8⑤,命題は,ある真理値
を隅牢すうないし真理値の概念concept(チャーチの用法で)であるとする。㈱
だが,“a=a”と“a=b”との認識価値の相違が,指示体だけでは説明できず,な
にか意味論上のうまい説明が要請されるという問題と,意味という抽象的存在が要請
されるという存在論上の問題との間には,ある論理的隙間があるといってよい。
しかしながら,フレーゲは,かの認識価値の相違の説明という意味論的課題は,存
在論において意味という抽象的存在の措定によって解かれると考えて,外界でもなけ
れば表象の世界でもないところの第三の国ein drittes Reich侶8)として,意味の世界
をはっきり容認しており,チャーチも又そうである。
それでは意味という存在者はどのような特性をもつか。
(1)表象と同様に,感性的には知覚可能でないnicht sinnlich wahrnehmbar。㈲
(2)表象の如く各自がそれをもつhabenのではなく,ひとは意味や思考Gedanke
を把握するfassenないし思惟するdenkenのであるぷ9①
(3)外界の事物と同様,意味は担い手を要しない。⑲1)無論思考の把握は把握者ein
Fassender・思惟者ein Denkenderを前提する。だが思惟者は,思惟の担い手Trager
ではあるが,思考Gedankeの担い手ではない。⑲2)
(4)意味・思考は,私から独立unabhangigであり,われ一ひとともに把握可能であ
って,㈱思考は真理1生と密接に連関し,⑲4)それを真と認める者の存否とは独立に真で
ある。鱒従って,意味・思考はひとが創り出すのではなく,既に予じめ存在している
bestehenのである。(9⑤
(5)意味,思考は,無時間的zeitlosで,永遠でewig,不変unveranderlichであ
る。働
(6)思考は把握され真とみなされることによって影響を与えるwirken曾⑳思考は伝達
mitteilenされるのであり,世界史上の重大事件は思考の伝達Gedankenmitteilung
なしには不可能であった。(9帥フレーゲはいう,「思考は断じて非現実的unwirklichで
はない,だがしかし思考の現実性Wirklichkeitは,事物Dingeのそれとは全く種
侶6) Church, A.,〔IML〕p.26.
(87) Church, A.,〔1」ML〕p.27.
(8{動 Frege, G.,〔Gedanke〕69f, in〔Lひ〕43.
侶④ Frege, G.,〔Gedanke〕75, in〔Lσ〕51.
(9① Frege, G.,〔Gedanke〕69, in〔Lσ〕44, Fuβnote 5.
⑲1) Frege, G.,〔Gedanke〕69, in〔五σ〕43.
⑲2) Frege, G.,〔Gedanke〕75, in〔Lσ〕50.
⑲3) Frege, G.,〔Gedanke〕74, in〔1 U〕49.
(94) Frege, G.,〔Gedanke〕74, in〔Lσ〕50.
(95》 Frege, G.,〔Gedanke〕69, in〔Lσ〕43.
(96) Frege, G.,〔Gedanke〕69, in〔Lσ〕44, Fuβnote5.
(97) Frege, G.,〔Gedanke〕76, in〔Lび〕52.
「
i98) Frege, G.,〔Gedanke〕76, in〔Lσ〕53.
鯛} Frege, G.,〔Gedanke〕77, in〔Lσ〕53.
12 茨城大学教養部紀要(第5号)
類を異にする。そしてその影響Wirkenは,思惟者の一つの行為によって喚起され
る。」圃
かくてフレーゲは“a=a”と“a=b”との認識価値の相違という意味論的問題を,
意味という抽象的存在者の存在論上の認知によって解こうとし,この意味という存在 ’
者は,自存的な,そして,伝達によって影響を与える現実性をもっと主張したのであ
った。
これに対してオッヵムの剃刀の要請からいっても意味という抽象的存在者の措定な
しに, “a=a”と“a=b”との認識価値の相違を説明しようという試みがなされるの
は当然であろう。
ウインパールは,オッカムの剃力の原理と意味という存在者の立証verifyの不可能
ということから,「ある記号の物理的諸特性(例えば形など)の組み合せthe combin・
ation of its physical propertiesが,記号として機能する.ような一つの対象である
限り,その記号の意味とは,その物理的諸特性の組み合せである」(1°1)とみなす。
ところでラドナーの指摘の如く,(1)記号symbolは相似の符号のクラスclass of
similar tokensであって物理的事物ではないから物理的諸特性をもたず,従って意味
をもたない。物理的特性をもつとすれば符号であるが,二つの符号が全く同じ物理的
諸特性をもつことはなく,従って同じ意味をもつことはない。(1°ll(2)クラスはしかし順
序の特性property of orderのようなものはもちうる。すると記号の意味とは,この
ような擬似物理的特性physica1・like propertiesの結合であるか? だが‘急=a”とい
う記号系列series of symbolsにおいて,初項の記号の特性中には,その系列中で最
初に現われるという特性が含まれるが,最終項の諸特性中はこの特性は含まれず,同
じ意味ではありえない。(1⑧
一方,ラッセルも,フレーゲ的なSinnという抽象的存在を存在論から追放しよう
とした。⑯「数学の諸原理」(1903)では,指示句denoting Phrase・記述句descripti・
ve phraseが,フレーゲの意味に相当する抽象的存在「指示概念denoting concept」
をもつとされていた。(’o⇒しかし有名な論文“On Denoting”(1905)において提示され
た記述理論では,確定記述はその文脈をはなれ孤立してはなんらの意味ももたず,時
折指示体denotationをもつのみとされた。(1°Φ即ちフレーゲが指示体以外に意味を認
める根拠となった“a=a”とは異る認識価値をもつ“a=b”という文も,よく分析す
ると,通常は単純な同一性命題をあらわしているのではなく,複雑な存在量化言明な
のである。
ところが,ラッセルにおいても,表述文の意味については必ずしも明瞭でない。フ
レーゲがいう文の意味即ち思考Gedankeは,ラッセルでは非断定命題unasserted
(1⑩ Frege, G.,〔Gedanke〕77, in〔Lσ〕53.
(mΦWienpahl, P.D.,in〔E88α雪8〕p.209.
(10⇒ Rudne r, R., in〔E88α〃8〕p.220.
(10⇒ Rudner, R., i n〔E88α忽8〕p.221.
(1⑲ 詳しくは,拙稿〔2〕, 〔3〕参照。
(1⑮ Russel l, B.,〔PoM〕, §58, P.56.
(1⑮ Russell, B.,〔OnD〕,p.46, footnote†.
野本:Gottlob Fregeの存在論<1> 13
proposition,命題概念prQpositional concept(1のと考えられ,文の指示体は,フレーゲ
のいう真理値ではなく,その意味が真である断定命題asserted proposition(1面,知覚
の単一の複合的対象asingle complex object(】㊥,即ち事実factであるとみなされ
る。(1’°従って,ラッセルも,Sinnの一種であるGedankeは,存在論から消去しえて
いないようにみえる。
ラッセルの方向を徹底し,すべての固有名を記述によって消去可能とみなし,また
「存在するということは変項の値であるということであるTo be is to be the value
of a variable.」(111)という有名な存在論上の規準を提出したクワインは,また意味をなに
か中間的存在者とみなすという考えは,意味meaningと名ざしnamingないし表示
referenceとの混同に基くとした。(11幼従ってフレーゲは,意味と指示とを区別しつつも
混同したというわけである。そしてクワインは,表示の理論theory of referenceが,
名ざしnaming,真理性truth,指示denotation,外延extension,変項の値等を扱う
のに対し,意味の理論theory of meaningは,意味という抽象的存在者には一切触れ
ることなく,同義性synonymity(即ち意味が同じであること),有意義性significance
(意味をもつこと),分析性analyticity(意味による真),含意entailmentを扱うべ
きだと主張する。⑯このような方向で,例えば,グッドマンやメイッは,“a=a”と㌔=
b”との認識価値の相違,“a”と“b”との意味の相違を,意味という存在者を措定せず
に,文脈的に説明しようと試みている。ω
クワインは,結局文の意味である命題propositionを追放するのだが,それは,オ
ッカム流の思考経済の立場にもとつくのでもなく,また個体主義particularism,っ
まりつかみどころのない抽象的存在者の否認という立場からでもなくもっと切実な理
由による。即ちもし命題というものが存在するのなら,文と文との間の同義あるいは
等値関係acertain relation of synonymy or equivalenceがなければなちないだろ
う。つまり,同じ命題を表現する文どうしが等値でなければならないだろう。しかし
クワインは,文どうしのレベルにおいては適切な等値関係は客観的な意味をなさない
とみなし,⑯その理由によって,命題を追放する。
他方には,チャーチのように,意味論的分析には,意味という抽象的存在が必要だ
として,意味と指示の論理を提唱する人もあり,フレーゲの投じた一石は,なお多く
の破紋を生んでいるが,より立ちいった吟味は別の機会にゆずらざるをえない。
II−4)次に関数の値域Wertverlaufとはいかなる対象であろうか。ラッセルは,値域
(1吻 Russell, B.,〔PoM〕, §38,P.34.
(1⑧ Russell, B.,〔PoM〕,Appendix A,§479, p.505.
㈹ Russel1, B.,〔PE〕p.155.
(11Φ拙稿〔3〕,IV,注(2)参照。
(11ゆ Quine, w.v. o.,〔1〕,p.15,
(11⇒ Quine, w.v. o.,〔1〕,P.9.
(11蓼 Quine, w.v. o.,〔1〕,p.130.
(110 Goodman, N.t〔Likeness〕;Mates, B.。Synonymity.”
(11⇒ Quine, w v. o.,〔3〕,PP.3f.
14 茨城大学教養部紀要(第5号)
を一一方でクラスとほ“同じようだとみなしているが,⑯他方,値域を存在者としてみと
めることに疑いをもっている。㈹実際,値域という存在者は,フレーゲの原始概念中極
めて難解なものの一つである。それは,フレーゲが,主に値域そのものの定義ではな
くして,以下の如き値域の同一性の定義を与えようと試みているからであろう。値域
の同一性の定義とは,「関数φ(ξ)が,関数ψ(ξ)と同じ値域をもつ」とは,一般に「関数
φ(ξ)とψ(ξ)とが同じ独立変項に対して,常に同じ値Wertをもつ」ということと同
義的gleichbedeuteudであるということである。(11の
いま関数φ(ξ),ψ(ξ)の各値域を,それぞれもφ(ε),』ψ(α)とすると,上の定義は,
(D)セφ(・)一』ψ(・)・一・Df(x)〔φ(x)一ψ(x)〕(11Φ
となる。また,この定義から,値域に関する外延性の原理が帰結する。
(E)(コδ)〔φ(」ρ)=ψ(⑳)〕0.ちφ(ε)=…ψ(α)(12の
他方フレーゲは関数に関する外延性の原理を否定していることは注目に値するが,ω
ここでは立ち入らない。
さて,ウエルズも指摘する如く,(12⇒フレーゲには,値域とは何かに関して少くとも三
つの相異る示唆がある。即ち,(1)ある値域はクラスKlasseである,圃(2)ある関数
の値域はその関数のグラフである,(12‘)(3)ある値域は真理値Wahrheitswertである。㈱
ウエルズは,結論的には,以上三つの示唆を矛盾なく説明しうるものとして,フレ
一ゲの値域とは,順序対ordered pairs,順序づけられた三つ組ordered trios…等
のクラス,即ち外延的関係relations in extensionであるとの,すぐれた解釈を提示
している。㈱
そこで吾々は,フレーゲの念頭においていると思われる関数を例示しつつ,や・立
ち入って,関’数の値域とは何か,ウエルズのようにつまるところ外延的関係なのかど
うかをさぐってみよう。
(1)フレーゲは,その値が常に真理値であるような関数を,概念Begriff(但し異る
独立変項を二つ以上伴う関数は,関係Beziehung)と名付け,その値域を概念の外延
Begriffsumfang, Umfang des Begriffes(1切と呼び,かつ明らかに,この概念の外延を
㈹ Russell, B.,〔PoM〕,Appendix A,§.484, p.511.
㈹ Russell, B.,〔PoM〕,Appendix A,§.486, p.513.詳しくは拙稿〔2〕,11頁以下。
砲1⑳ Frege, G.,〔Gα4〕Bd.1, §.3, S.7.
{(!10 cf.Frege, G.,〔GG/1〕Bd.1, §.9, S.14.
0含o)ibid.
(1宮O Frege, G.,〔FuB〕9, in〔FBB〕21.
集合論では通常採用される,二つの関数の値域が等しければその関数も等しいとする,関数の
外延性の原理:(x)〔φ(x)=ψ(κ)〕O.φ(ξ)二蘇ξ)をフレーゲは否定した。このことは,フレー
ゲが関数を内包的intensionalに解していることを示す。
(1功 Wen s, R. S.,in〔E88α雪8〕pp.13f.
㈱ Frege, G.,〔GG/1〕Bd. II, §161, S.159; 〔Kritische〕455, in〔L乙1〕112.
(129 Frege, G.,〔FuB〕8−9, in〔FBB〕20−21; 〔GG湾〕Bd.1,§.1, S.5f.
(12う Frege, G.,〔GG/1〕Bd.1, §10, S S.16−8.
(1殉 Wells, R. S., in〔E88α〃8〕p.16.
(1助 Frege, G.,〔FuB〕15−16, in〔FBB〕26; 〔Gα4〕Bd.1, §3, S.8,〔Kritische〕
455,in〔Lσ〕112.
野本:Gottlob Fregeの存在論〈1> 15
クラスKlasseと解している。㈱また関係の外延Umfang einer Beziehungは,重層
値域Doppelwertverlaufと呼ばれている。⑯例えば,「4の平方根」即ちξ』4とい
う関数の値域℃(ε2=4)は,+2と一2とからなるクラス{+2,−2}である。
ところで,関係の外延即ち重層値域であるが,N.ウィーナーは,順序対ordered
pair〈Xsy〉をクラスのクラスとして,即ち〈κ,〃〉=Df{{婦,包, A}}と定義し,㈹更に
クラトウスキはこれを変形して, 専
〈x,y〉==Df{{劣}, {κ,〃}}
つまり,順序対〈x・y〉とは,その各メンバーが単元クラス{κ}と,対クラス{κ,g}
であるようなクラスと定義したことは周知のことである。ωそしてこの順序対の定義
をつかってフレーゲやラッセル=ホワイトヘッドではクラスに還元できなかった関係
を外延的に模造することが可能となった。㈲つまり関係ψ(ξ,ζ)の外延,重層値
域訪ψ(ε,α)は,ψ(κ,〃)なるすべての順序対動,シ〉のクラス{〈κ,雪〉:ψ(砥Ψ)}なの
である。一般に,関係の外延は,順序対,順序づけられた三つ組等々のクラスである
と解してよい。
ところでまた,単元クラスや空クラスの存立を認めるフレーゲは,ラッセルらと異
り,クラスに関して内包的見地に立つ。㈱つまりフレーゲは「概念の外延は,その存
立を個物Individuenのうちにではなく,概念自身のうちにもつ」⑲のであり,「概念
の外延は,その概念の下に帰属するfallen unter den Begriff諸対象からなるのでは
なくして…・その概念自体においてかつそれにおいてのみその支えをもつ。従って概念
が,その外延より論理的先行性をもつ」⑯とも主張している。
(2)さてその値が真理値ではないような別種の関数,例えばξ2−4ξ,ξ(ξ一4)とい
った関数の,各値域も(ε2−4ε),』(α・〔α一4〕)を考えてみよう。いまその独立変項
の変域を任意の実数とすると,二つの関数ξ2−4ξとξ(ξ一4)とは,同じ独立変項に
対し同じ値をとるから,
セ(ε2−4ε) =a(α・〔α 一4〕)
が成立する.㈱
さてしかし,同一とみなされるセ(ε2−4ε)と各(α・〔α一4〕)とはいかなる存在者な
のか。
もう一つ別の関数ξ2+4ξを考えてみる。だがこの関数の値域わ(ゲ+4η)に関して
は,同じ独立変項に同じ値が対応しないから,上の定義(D)により,
も(ε2−4・)≠わ(η2+4η)
(1掬 Frege, G.,〔GGノ隻〕,Bd. II, §.161, S.159.
(1助 Frege, G.,〔GGA〕Bd.1, §36, S.54.
㈹ Wiener, N., in〔Heijもnoort〕,224−227.
(13⇒ Kuratowski, C.,〔la notion de 1’ordre〕.
(1鈎 Quine, w.肌o.,〔2〕 §.9, PP.58f.
(1…噂 Frege, G.,〔Kritische〕455, in〔Lσ〕111.
〈13φ Frege, G.,〔Kritische〕451, in〔Lσ〕108.
(13Φ Frege, G.ジ〔Kritische〕455, in〔Lσ〕112.
(1均 Frege, G.,〔FuB〕8−11, in〔FBB〕21−23.
.
16 茨城大学教養部紀要(第5号)
故に,値域を単に各関数の値のクラスと同一視するわけにはいかない。関数ξ2−4ξ
ザ ξ(ξ一4),ξ2+4ξの各値のクラスは,独立変項の変域が実数とすれば,−4より大の
すべての実数のクラスであって,同一だからである。他方,これら三つの関数の値域
を単にその独立変項の変域とすることも馬鹿げている。と(ε2−4ε)=と(α・〔α一4〕)
一わげ+4η)がt・ivi・1に成立するはずだからである・従って・む(ε2−4・)・わげ+4η)
等を,概念の外延の場合のごとく,単純にクラスとは同一視できない。
さて,任意の独立変項とそれに対応する関数の値とを座標とする平面上の点のクラ
スを考えることによって,これら値域というものをフレーゲは直観化することができ
ると示唆しているとみられる。この点のクラスがその関数のグラフであって,このグ
ラフが即ちその関数の値域であると解される。例えば,関数ξ2−4ξの値域は,ある特
(13の
濶サされた放物線により直観化されるわけである。
そこで,値域ということを,集合論の術語で言いなおせば,独立変項が原像inverse
im。g。,その変域である実数のクラス・カ・始域関数ないし写像m・pPing(1吻一4ξ
の値は,像image,その変域である実数のクラスβが終域といわれる。そしてクラス
αとクラスβとの各元からつくられる順序対の全体からなるクラスα×βは,αと
βとの直積direct product(デカルト積)といわれるが,関数のグラフは,か・る直
積の部分クラスに他ならない。かくて関数ξ2−4ξと同種の関数の値域は直積,より
一般的には独立変項とそれに対する関数の値とからつくられる順序対のクラス,であ
ると解される。ξ+ζのように二つの独立変項を伴う関数の値域は,順序づけられた三
つの組のクラスということになる。
(3)それでは,真理値を値域とするような関数とはどのような関数であろうか。恐
らくか・る関数は,真理関数Wahrheitsfunktionをさすと解され.る。真理関数とは,
一
サの独立変項も,関数の値もすべて真理値であるような関数である。圃ところで,真
理関数の値域は,単純に真理値であるとはいえない。
一ξといった真理関数は,ξが真であれば,その値が真,ξが偽であれば,その
値は偽となる。
一「ξという真理関数即ち否定は,ξが真のとき,その値は偽,ξが偽ならば,そ
の値は真となる。
ところで,関数一ξ,Tξ,更に二重否定T「ξの各値域をそれぞれセ(一ε)・
む(Tα),わ(下「η)とすると,先の値域の同一性の定義(D)により・セ(一ε)=
》(丁「η)は成立するが,双一ε)=a(一「α)は成立しない。
ところが,関数の値だけを孤立して考えれば,三つの関数とも,その値は単に真,
偽の真理値にすぎず,区別できない。従って値域とは,単に真理値ではなくて,独立
変項の真理値と関数の値の真理値との,順序対ないし順序づけられた三つ組等々…の
クラスであると考えられる。真理値真をT,偽をFとすると,例えばセ(一ε)や
》(丁「η)は,〈T,T>,<F,F>という二っの順序対からなるクラス・条件法τ1
(13う Frege, G.,〔FuB〕8−9, in〔FBB〕21.
⑯ 但しフレーゲは関数ないし写像の外延性を否定していることは,注㈱でのべた。
(1鋤 Frege, G.,〔FuB〕20, in〔FBβ〕29.
野本:Gottlob Fregeの存在論<1> 17
の値域訪(τα ε)は,〈T,T, T>,〈T, F, F>,〈F, T, T>,〈F, F, T>とい
う四つの順序づけられた三つ組からなるクラスとなる。
さて,以上の具体例の検討から,一般的に関数の値域とはいかなる対象であると規
定しうるであろうか?
ウエルズは先述の如く,値域とは,順序対ないし川頁序づけられた三つ組等々のクラ
ス即ち外延的関係であると規定した。この規定は,関係の外延(重層値域),概念以
外の関数の値域真理関数の値域といった広範な部分について妥当であるといえるけ
れども,少くとも,概念の外延についてはあてはまらない。この規定を強いて適用す
ると,概念の外延とは,独立変項と真理値との順序対のクラスになるべきだが,これ
は,概念の外延の場合にフレーゲのいうクラスとは同一視できない。
そこでむしろ吾々としては,一般に値域とは,広義のクラスであると規定する。概
念の外延については勿論この規定は問題なく妥当するが,先述の如く,ウィーナーや
クラトウスキの仕事によって外延的関係は.順序対や順序づけられた三つ組等々からな
るところのクラスつまりクラスのクラスと解しうるのであるから,クラスのクラスを
も含めた広義のクラスが値域であるという規定は,外延的関係にも妥当するわけであ
る。
逆にフレーゲのいう関数の値域がこのように一般的な規定であるとすると,各種の
値域の特定化には,厳密な分節が必要となるわけである。例えば,ラッセルのいう記
述関数descriptive function(14°の値域とはいかなるものか。 the father ofξを例に
とると,その値域敏the father ofε)とは,
(i)ある父の子であるクラスつまり父の領域domain。
(ii)ある子の父であるクラスつまり父の逆領域。
(iii) 〈イサク,アブラハム〉,<ヤコブ,イサク>etc.といった,独立変項と関数
の値との順序対のクラス.
といった三つの解釈が可能であることになり,単に値域というゆるい規定では特定化
特定化できないであろう。
II−5)数とは何か,それはいかなる対象であるか。この問いは千古の昔からの難問で
あったが,正確に答えられたのは,1884年,フレーゲの「算術の基礎」G7槻dJα8εη
de7孟7痂η乙θ漉においてである。
フレーゲによる定義は以下の如くである。
「概念Fに帰する数die Anzah1, welche.dem Begriffe F zukommt」とは,「『
概念Fと同数的である』という概念の外延der Umfang des Begriffes,, gleichzahlig
dem Begriffe F”」である。(14!)つまり数とはある特殊な概念の外延に他ならない。
ところで,「概念Gが概念Fと同数的(14⇒である。Der Begriff G ist gleichzahlig dem
(1朔 Russell, B.,〔PM)vo1.1.p.31f.
㈹ Frege, G.,〔GL4〕 §.68, S.79;§.72, S.85.
(14⇒ラッセルなどは,数をクラスのクラスと考えて,。gleichzahlig“という概念間の関係も,
二つのクラスの間の「相似similar」という関係におきかえる。つまり二つのクラスが「相似
一
I」であるのは,一方のクラスの各項を,他方のクラスの一つの項と対応させる1対1関係
one・one relationが存在するときであると解する。 Vide. Russel1, B.,〔1MP〕,pp.15f.
18 茨城大学教養部紀要(第5号)
Begriffe F“」とは,「概念Gの下に帰属する対象を, Fの下に帰属する対象と一対
一対応させるような関係φが存在する。Es gibt eine Beziehungφ, welche die
unter dem Beg夏iff G fallenden Gegenstande den unter F fallenden Gegenst琶nden
beiderseits eindeutig zuordnet“」ということである。(14帥
ところで関係φが一対一関係であるとは,φに関し,次の二つの言明がともに
真である場合である。即ち,
(1)任意のx,y, zについて, xがyに対しφの関係にあり,かっxがzに
対しφの関係にあるとするならば,yとzとは同一である。 i.e.VxVyVz〔φ(x, y)
`φ(x,z)。つ.y・=z〕
L
(2)任意のx,y, zについて, xがyに対しφの関係にあり,かつzがyに
対しφの関係にあるならば,xとzとは同一である,ωi.e.
Vx∀y Vz〔φ(x, y)Aφ(z, y).D。x=z〕
また個別の数のフレーゲによる定義について例をあげると,
0とは,「自己自身と等しくない“sich selbst ungleich”」という概念に帰する数で
あり,⑯
1とは,「0に等しい」という概念に帰する数である,⑯等々となる。
フレーゲは更に,1893年の「算術の原理」G7甑d8e8e孟2e de7A7‘言ん椛e励, Bd.1
において,論理主義的な数論を,一層厳密に展開するわけであるが,⑯ここでは技術
的にわたることになるので立ち入らない。
要するに,フレーゲは,数をある特定の概念の外延,つまりある種のクラスと定義
しており,数とは自存的存在者なのである。
II−6)さて関数対応物function−correlatesとは何か?フレーゲは,‘der Begriff
Meπ8cん’とか,‘der Begriff Q駕αd7α伽秘γ之εZ碗84’といった表現を導入し,かつ
この表現を,述語的pr琶dikativ・不飽和ungesattigtである概念Begriffωを指示
する関数名Funktionsnameとは唆別している。つまり,‘der Begriff F’といった
表現は,固有名であって,概念ではなくて対象Gegenstandを指示する記号である。11‘°
この対象を,ウエルズは関数対応物function−correlatesと命名しているが,それが
いかなる対象であるかについては,なんら解明されていない。
まず,φ(ξ)がある概念Begriffだとすると,‘der Begriffφ(ξ)’という表現は,
確定記述句に他ならず,フレーゲの「算術の原理」での記法では‘、勧(ε)’とか・れ
る表現である⑯と私は考える。
(14⇒ Frege, G.,〔GL/1〕 §.72, S.85.
(14ゆ Frege, G.,〔GL、4〕 §.72, S.84.
⑯ Frege, G.,〔GL、4〕 §.74, S.87.
⑯ Frege, G.,〔GLA〕 §.77, S.90.
(1の Frege, G.,〔GG/1〕Bd.1, §.38f, S.56f.
(14⇒ Frege, G.,〔BuG〕197, in〔FBB〕69.
(1ゆ Frege, G., 〔BuG〕197f, in〔FBB〕69f.
(1馴) Frege, G.,〔Gα4〕Bd.1, §.11, S.19.
野本:Gottlob Fregeの存在論〈1> 19
それでは,確定記述‘、勧(ε)’の指示する対象とは何か。これはフレーゲが確定記
述の指示体をどう解釈したかを問うことである。フレーゲの主張は以下の如くである。
(1)φ(ξ)がその下に一つかつ唯一つの対象△の帰属するような概念の場合,確定記
述句‘、もφ(ε)’の指示体は,その唯一の対象△である,即ち畦φ(ε)=△,例えば,
、セ(ε+3・=5)−2
(2)φ(ξ)の下に二つ以上の対象が帰属するか,または,一つの対象も帰属しない
場合に関しては,フレーゲに二つの考えがある。
④脳φ(ε)=とφ(ε)つまり記述句の指示体を,概念φ(ξ)の外延即ちクラスとみな
す。例えば,、ち(ε2=1)=・セ(ε2=1),即ち‘、ε(ε2=1)’の指示体は,±1からなるクラ
スも(ε2=1)であり,酔(一「ε=ε)=も(一「ε=ε),即ち,空クラスが,記述句,監
(Tε=ε)’の指示体である。(151)
◎ 人工的にその指示体脳φ(ε)はすべて数0とする。㈱
かくて‘der Begriffφ(ξ)’という表現は,確定記述句であって,ラッセル流には
‘(7x)φ(x)’にあたり,その指示体であるfunction−correlatesとは,記述が(1)の
ように本来的に用いられる場合は,φ(ξ)の下に帰属する唯一の対象であり,その対
象は,外界の事物でも表象でも意味でも特定の数でもよいと考えられる。他方記述が
(2)のように非本来的に用いられる場合には,φ(ξ)の外延拗(ε)ないし0がその
記述の指示体である。ラッセルは,これに対し非本来的な記述には,端的に指示体は
ないとみなした ⑯ことは周知のことである。
幽 II−7)最後に,真理値Wahrheitswertについて簡単に解れておこう。フレーゲは真
理値を一種の抽象的存在者としてみとめているが,この奇妙な存在者に吾々は当惑を
。 おぼえる。
ベルクマンは,(i)‘p’を文とし,今‘p’が真Tとすると,p=T,(p=T)=T,
[(p=T)=T]=T…という無限の系列が成立するのに対し,他の対象では,ε2=9
(ε2ニ9)=9,[(ε2=9)=9]=9…といった式は,最初の式以外整成的でさえない,
(ii)‘p’と‘p=T’とは同じ意味Sinnをもつが,‘ε2’と‘ε2=9’とは同じ意味
をもつとはいえない,といった理由で,真理値なるものを対象Gegenstandのカテゴ
リィに属するとは認めがたいと主張する。㈱
ラッセルは,表述文の指示体を真理値とするフレーゲに反対し,㈱真理についての
事実との対応説つまり文が現存する事態を指示するとき,その文は真であるという説
を採る。
フレーゲも当然対応説については検討しており,真理の問題は,文Satzについて,
より厳密には,(文が真だと呼ぶとき実際は,その文の意味Sinnが真であることが
意味されているから)文の意味即ち思考についてであるという。(1的又真理Wahrheit
(15Φ Frege, G.,〔Gα4〕Bd.1, §.11, S.19.
(15⇒ Frege, G.,〔SuB〕42, in〔FBB〕54.Fuβnote 9.
(1繭 Russell, B.,〔OnD〕p.46.footnote†.
(1印 Bergmann, G.,〔1〕in〔E88α忽8〕p.53; 〔2〕in〔E88α写8〕p.143f. 「
(15⇒ Russel1, B.,〔PαM〕Appendix A, §.479, pp.504−5.
(1碕 Frege, G.,〔Gedanke〕60−61, in〔Lひ〕33.
20 茨城大学教養部紀要(第5号)
とはあたかも,思考の一特性Eigenschaftであるかの如くに扱っておくとも述べて
いる。㈹かくてフレーゲにおいては,対応説についての吟味も不充分である。
基本的には対応説に基く真理概念の満足のゆく定義,つまり内容的に充全で形式的
に正しい定義,を追求提示したのは,タルスキであった。彼は,対象言語と高次言語
を区別し,真と偽の定義を「文が真なのは,それがすべての対象によって充足される
場合であり,又偽なのは,そうでない場合である」㈱というように充足性 satisfaction
という別の意味論的概念によって獲得する。そして,充足性は,回帰的に定義された
文関数sentential functionの,単一,順序対,三つ組といった系列sequenceによる充
足,というこれまた回帰的手続きにより定義される。㈲
フレーゲにおいては,真理値がいかなる対象であるかを明確に規定することなく,
単に文の指示体の要請から対象として措定されているにと“まり,対応説での真理概
念との関係も吟味が十分なされていないといわねばならない。
おわりに一
フレーゲの存在論中,対象Gegenstandの世界に分類される諸々の存在者について
や・立ち入って吟味してみたわけであるが,従来必ずしも明確にされなかった値域
Wertverlaufとかウエルズ名付けるところのfunction−correlatesとかについて一応
の解明が出来たと思われる。しかしなお,意味Sinnであるとか真理値であるとかと
いった対象(対象と認めるべきかどうかをも含めて)については,フレーゲを離れて
むしろ吾々自身の問題として残されていると考えられる。更に,フレーゲの意味論,
存在論中最も問題の多い関数Funktion(概念Begriffや関係Beziehung)の吟味は・
全く触れられずに次の機会に残されねばならなかった。吾々の次の課題は,この関数で
ある。
(Sept. 26. 1972. )
(15う Frege, G.,〔Gedanke〕61, in〔Lひ〕34,
㈱ Tarski, A.,〔1〕353.in〔Linsky〕μ25.
(1両 Tarski, A.,〔1〕372, in〔Linsky〕p.44, footnote 15, 〔2〕p.152f.
野本:GottloしFr6geの存在論〈1> 21
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o
野本:Gottlob Fregeの存在論<1> 23
@ ’
Frege,s Ontology(1)
The World of Oblects(Gegenstdnde)
NOMOTO KAZUYUKI
Frege’s ontology consists of the tvり・o categories of entities, functions and objects.
This paper is a critical exposition of Frege’s world of objects in detai1. The
oblect(Gθgθπ8言απのis the reference(Be4ε刎伽8)of a proper name in a wider sense,
including definite descriptions and sentences etc。
The world of objects consists of the following entities:
(1) things of the external worl(1,
(2)ideas(V・78言e〃秘π9),
(3)senses(Sゴηπ),
(4) ranges of values (レしze7勧e7‘α復ノ)including the extensions of concepts,
(5) numbers,
(6) function・correlates,
(7) tru七h・values.
The author proposes new interpretations on several controversial topics.
The ranges of values, for example, would be interprete(l as classes in a wider
sense, including classes of ordered pairs, ordered trios and so on, and the func・
tion・correlate would be the reference of a definite description.
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