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314KB - 兵庫県立教育研修所

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314KB - 兵庫県立教育研修所
伝説番号:005
高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
伝説
高座石の椀貸し
感謝がつなぐ神様と里
紀行
ひょうごの椀貸し伝説をめぐる
・全国に伝わる椀貸し伝説
・丹波の高座石
・椀貸し狐と椀貸し淵
・白滝さんと鬼面様
・借膳岩
・椀貸し伝説と木地師
・水と岩の精霊
関連情報
用語解説
参考書籍
所在地リスト
歴史博物館ネットミュージアム
ひょうご歴史ステーション
Copyright (C) Hyogo Prefectural Museum of History. All Rights Reserved.
高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
高座石の椀貸し
感謝がつなぐ神様と里
丹波(たんば)の清住(きよずみ)の里に、達身寺(たっしんじ)というお寺があって、そのおくの山の中に
高座石(こうざいし)というたいへん大きな岩があります。この岩にはふしぎな伝説が伝わっています。
むかしむかし、清住の里の人たちは、何かのお祝いやおそう式をするのに、たくさんのお椀(わん)が入り用
なとき、いつも高座石にお願いしてお椀を借りていました。そのころは、どこの村の暮らしもそれほど豊かでは
ありませんでしたので、どの家にも余分なお椀などなかったからです。
お椀を借りたいとき、里の人たちは高座石の上に、大根やおいもや、そのほかいろいろなものをお供えして、
大きな声でお願いするのでした。
「およめさんをもらうので、お祝いをします。どうぞ、浅いお椀を二十と、深いお椀を二十お貸し下さい。お
願いします」
すると次の日には、高座石の上に立派なお椀が、ちゃんとそろえて置いてあるのです。
「立派なお椀やなあ」
「ありがたいことや」
里の人たちは、いつもそう言ってはお椀をほめたたえ、山の神様に感謝するのでした。
歴史博物館ネットミュージアム
伝説番号:005
ひょうご歴史ステーション
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高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
使い終わったお椀は、きれいに洗って、また高座石の上に返しにゆきます。
「おかげさまで助かりました。どうもありがとうございました」
そうお礼を言って、石の上に置いておきます。すると、お椀はいつの間にか消えてなくなるのでした。こうし
て、里の人たちは高座石とお椀を、長い間大切にしていました。
ところがあるとき、心根のよくない男が、貸してもらったお椀を一つ返さなかったのです。
「こんなにたくさんあるのだから、一つくらい返さなくてもだいじょうぶだろう。おれが自分で使うのにも
らっておこう」
よくばりな男は、そう思ったのでした。
それからというもの、里の人たちがいくらお供えをして、お願いをしても、お椀を貸してもらえなくなりまし
た。お椀を返さなかった悪い心に、山の神様がおこったのでしょう。今でも、こけむした高座石だけが、山の中
にぽつんと残っています。
高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
おわり
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伝説番号:005
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高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
紀行「ひょうごの椀貸し伝説をめぐる」
全国に伝わる椀貸し伝説
「椀貸し」の話は、子供のころ、何かの本で読んだ記憶があった。昔話の一つとして、頭の隅っこに残っていたので
ある。だから、『ひょうご伝説紀行』であれこれと調べるうちに、兵庫県に「椀貸し」伝説があること、それどころか
全国各地に同じような伝説があることを知って、懐かしく思うと同時にとても新鮮な驚きを感じた。
「ある所でお願いすれば、お椀を貸してもらうことができた。使った後はきれいに洗って返す。ところがある時、悪
い人が借りたお椀の一つを返さなかったため、2度と貸してくれなくなった」というのが、このお話の筋書きである。
兵庫県に残る椀貸し伝説も、細かい部分はともかく、すべて同じパターンを踏襲している。
伝説のページの「高座石の椀貸し」は、その中でも、お話として比較的よくまとまっていたので取り上げることにし
た。このお話は、丹波市の氷上町に伝わっている。伝承地は、旧氷上町西部にある山中である。
丹波の高座石
氷上町の中心部から、加古川支流の葛野川(かどのがわ)を西へた
どる。町並みを抜け、たおやかな里山を眺めながら道をゆくと、中野
の集落あたりで北側に広い谷が見え、この奥に清住の村がある。
この静かな山あいの村にある達身寺は、丹波(たんば)を代表する
名刹(めいさつ)の一つである。僕たちが訪ねた時には、寺の前に広
がる水田一面にコスモスが咲き、多くの観光客でにぎわっていた。華
彼岸花と達身寺
やかなコスモスとは対照的に、落ち着いたたたずまいの山門をくぐっ
て境内に入ると、手入れが行き届いた庭にも秋の色は濃く、わらぶき
コスモス畑
の本堂がとてもゆかしく感じられる。
達身寺(看板)
背後の山から
蓮がたくさん
干してあった
痛々しく
傷ついた仏様も
達身寺の仏たち
達身寺は、丹波の正倉院とも呼ばれている。奈良時代(8世紀)に行基(ぎょうき)が開いたとされ、丹波でもっとも
古いお寺の一つであるともいわれている。かつては背後の山々に伽藍(がらん)が広がっていたのだが、明智光秀の丹
波攻めで焼け落ちたという。
本堂に上がらせていただき、奥へ進むと、古くから伝えられた多
くの仏像たち――いくつかは、苦難の時代をその身に刻みつけたか
のように傷んでいる――が安置されている。さらに宝物殿へと進む
と、国指定重要文化財の仏像12体と県指定の仏像11体を拝観するこ
とができる。荘厳な、あるいは峻厳な仏像群は、かつて山上にあっ
たという堂坊に祭られていたものであろうか。昔日の達身寺の繁栄
をしのばせてくれる。
本尊阿弥陀如来
坐像
薬師如来坐像
十一面観音坐像
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伝説番号:005
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高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
達身寺の西方、民家の間から、細い道を谷奥へとたどると、葛野川から
分かれた清住谷川(きよずみたにがわ)に沿って、林道の登り坂へ導かれ
る。スギやヒノキが植林された山腹をしばらく登ると、やがて右前方の杉
林の中に、巨大な岩が見えてくる。「高座石」という立札もあるから、見
落とすことはないだろう。
杉木立の中の巨岩
巨大な岩である。ツタが絡みつき、岩の上にはシダやササが育っ
ている。どれほど前から、この場所にあったのだろうか。ずいぶん
昔に、近くの山腹から崩れ落ちてきたのであろう。到底登ることは
できないけれど、岩の上はわりあいに面積もあって平らな感じなの
山道の右手に
岩が見える
で、伝説のとおりそこにお供え物を置くことはできそうだ。もちろ
ん今は、岩の周囲に、「お供え物」の痕跡など見つけることはでき
ないが。
単なる岩なのだが、そう思って見るせいか存在感がある。伝説を語った人たちは、
清住谷川と村とを見下ろすこの岩の前で、何かのお祭りをしたのだろうか。
岩は上下に
割れている
高座石と人
椀貸し狐と椀貸し淵
但馬南部の朝来市(あさごし)の旧生野町には、「椀貸
し狐」の話が伝わっている。場所は、新井集落の南のはず
れにある崎山稲荷神社である。伝説では、ここのお稲荷さ
んがお椀を貸してくれたそうだ。神社は、西から延びてき
た山塊が、円山川に向かって大きく張り出した先端にある。
草木が茂って、はっきりとは見えないが本殿の背後には大
きな岩盤があるようだ。眼前の円山川は、滔々(とうと
う)とした下流の流れとは異なり、透明な水がさわやかな
対岸から見た稲荷社
(手前は円山川)
音をたてている。
崎山稲荷神社
(鳥居)
崎山稲荷神社
(本殿)
ここから南へ峠を越えると、播磨国、神崎郡神河町(かんざきぐんかみかわちょう)であるが、この町の南東にある
越知谷にも、椀貸し伝説が残っている。県道8号加美山崎線を東へ、越知川に沿って上流へさかのぼると、越知谷小学校
の500mほど手前で渡る橋のあたりが「椀貸し淵」である。深い碧色の水をたたえた清流に、大小の岩が顔を出している。
その前にある小さなお稲荷さんが、お椀を貸してくれるというのだ。
このあたりは越知ヶ峰(おちがみね)の名水で知られているそうで、椀
貸し淵の傍には切り立った岩壁と、有料の給水施設がある。
深い淵
清らかな水が流れる
稲荷社の鳥居
深い谷を流れる川
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伝説番号:005
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高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
白滝さんと鬼面様
さらに西へ目を転ずると、揖保川(いぼがわ)上流には2か所の椀貸し伝説が残っている。宍粟市
(しそうし)一宮町の「白滝さん」と、同山崎町の「鬼面様」である。
白滝さんは、宍粟市の北端に近い一宮町倉床(くらとこ)にある。一宮町の
安積(あづみ)から県道6号八鹿山崎線をたどり、上岸田から揖保川支流の倉床
川に沿って上流へとさかのぼる。その途中にかかる「浜廻橋」を渡った所で車
を停め、そこから、川の左岸に沿って続く細い道を行くと、ほどなく小さいけ
れど新しいお堂が見える。その横に流れ落ちるのが「白滝さん」と呼ばれる小
白滝さん
さな滝である。伝説では、ここのお不動様にお願いすると、とても立派なお皿
(ここではお椀ではない)を貸してもらえたという。
白滝さんの場所を教えていただいた地元の田中豊彦氏によれば、今、杉林に
杉木立に囲まれて
なっているお不動様の裏山は、昔はすべて雑木林だったという。「スギを植林してから、水が汚れて
しまった」と嘆息しておられた。普段は大した水量もない流れだが、以前、大雨で出水した時には、
滝の前に祭られていた石仏のうち二つが流されてしまったという。「一つは掘り出せたが、あとの一
つはまだこのあたりに埋まっとるやろ」とのことであった。さらに田中氏は、「このあたりの岩は
『白滝岩』といって石灰岩を含み、そのおかげで
対岸から
よい水がわく」とも語ってくれた。
倉床川は今もなお清流を保っている。そこへ流れ落ちる白滝とお不動
様は、ずっと村と人々を守り続けてきたのだろう。
白滝さんと石仏たち
白滝さん(石碑)
もう一方の「鬼面様」は、山崎町の中心部から西へ抜けた所
にある。県道53号山崎南光線を西へとたどり、市場集落の中
ほどから北へ農道を進むと、揖保川(いぼがわ)支流の菅野川
を渡った山すそに、古びた鳥居が建っているのが見える。ここ
鬼面様からの眺望
が鬼面様の入り口である。鳥居をくぐり、鹿除けの金網を通り
抜けると、石ころの多い谷筋を登る坂道である。息を切らせな
遠景
(鬼面様は山の中腹にある)
がら登ってゆくと、やがて道は右手(西)に屈折して、今度は
尾根へとさらに急斜度で登る。前方がようやく明るく見え始めた所に、またひとつ、今に
も倒れそうな古い木の鳥居があって、そこが鬼面様の前である。集落から見上げてもほと
んどわからない場所であるが、鬼面様の前からは集落がよく見える。
崩れ落ちそうな巨岩
山腹に露頭した巨大な岩の下に、鬼面様の小さな祠(ほこら)が
ある。上方の岩があまりに巨大なので、押しつぶされてしまいそう
な感覚を覚えるが、よく見てみると、岩にはいくつか深い亀裂が
走っているので、本当に崩れてしまうかもしれない。よくこんな場
所で、神様のお祭りをする気になったと思うけれど、巨岩や巨樹な
ど、人智を超えた巨大な自然物を崇め、祭ることは、昔の人たちに
とってはむしろごく当たり前のことだったに違いない。
鬼面大明神
巨岩の下の祠
鬼面様(鳥居)
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伝説番号:005
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むねゆき)
高300mほどの山が迫り、そのふもとを智頭急行(ちずきゅ
うこう)が走っている。岩から東には眺望が開けている。
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高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
用語解説
加古川(かこがわ)
兵庫県の南部を流れる一級河川。延長96km、流域面積1,730平方キロメートルを測る県下最大・最長の河川である。
但馬・丹波・播磨の三国が接する丹波市青垣町の粟鹿山(あわがさん、標高962m)付近が源流で、途中小野市、加古川
市などを流れ、加古川市と高砂市の境で播磨灘に注ぐ。
加古川の水運は、古代から物流を担う経路であったと考えられ、特に日本海に注ぐ由良川水系へは峠を越えずに到達
できることから、「加古川−由良川の道」とも呼ばれて、日本海側と瀬戸内側を結ぶ重要なルートとされている。
里山(さとやま)
人里に接する位置にある山で、森林を中心とした生態系を、人が継続的に管理・利用している場所。兵庫県下では、
薪炭林(しんたんりん)として利用される、クヌギ・コナラなどの雑木類を中心とした雑木林であることが多い。多様
な動植物が生育するため、生態系としての価値は高いが、近年は利用度が低下して放置され、荒廃する例が増加してい
る。
達身寺(たっしんじ)
丹波市氷上町清住(きよずみ)に所在する曹洞宗の寺院。十九山(じゅうくさん)と号する。開基は行基(ぎょう
き)、あるいは法道仙人(ほうどうせんにん)とも伝え、元は天台または真言系の宗派であったと推測されている。平
安時代から鎌倉時代には、丹波一円に勢力を張ったとされているが、天正年間(1573∼92)に兵火にあい、タルミ堂を
残して全山を焼失した。その後は荒廃したが、江戸時代の元禄年間(1688∼1704)に当地に疫病が流行した際、占いに
よって、村人が渓谷に流出していた仏像を集めて、現在の位置に本堂が建立された。平安時代の弘仁・貞観期(9世
紀)から鎌倉時代初期にかけての優れた仏像が多数残されており、「丹波の正倉院」と呼ばれる。また、鎌倉時代の仏
師快慶(かいけい)も、達身寺と深いかかわりがあったとする説がある。
正倉院(しょうそういん)
古代には、寺院や官の主倉庫を正倉と呼び、正倉院とはその一角を指す言葉であったが、現存するのは奈良県の東大
寺に付属する正倉院のみであるため、正倉院といえばこれを指す。現在、東大寺正倉院は宮内庁が管轄しているが、そ
の中でも特に歴史的に重要なのは、校倉造(あぜくらづくり)の宝庫で、奈良時代以来の遺品がおさめられている。
行基(ぎょうき)
奈良時代の僧(668∼749)。河内国(かわちのくに)出身。父は百済系の渡来人であった。はじめ官大寺で修行した
が、後に民間布教をおこなったため律令政府の弾圧を受ける。ため池や水路などのかんがい施設を整備しながら説教を
おこない、広く民衆の支持を集めた。東大寺の大仏造営にも協力し、745年には大僧正となった。墓は奈良県生駒市の
竹林寺にあり、1235年に金銅製の骨蔵器が発掘されたが、現在はその断片が残されるのみである。
伽藍・伽藍配置(がらん・がらんはいち)
伽藍とは寺院の建物のこと。伽藍配置とは、寺院における堂塔の配置で、時代や宗派により、一定の様式がある。
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高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
用語解説
円山川(まるやまがわ)
兵庫県北部を流れて日本海に注ぐ但馬最大の河川。朝来市円山から豊岡市津居山(ついやま)に及ぶ延長は67.3km、
流域面積は1,327平方キロメートル。流域には平野が発達し、農業生産の基盤となっている。河川傾斜が緩やかで水量
も多いため、水上交通に利用され、鉄道が普及するまでは重要な交通路となっていた。
揖保川(いぼがわ)
兵庫県の西播磨地域を流れる河川。兵庫県最高峰である氷ノ山(ひょうのせん:1,510m)の南麓に発し、宍粟市(し
そうし)、たつの市を経て瀬戸内海に注ぐ。全長は69.7km、流域面積は770平方キロメートル。流域の開発は古く、
『播磨国風土記』にも多くの記述が見られる。
利神城(りかんじょう)
佐用町平福(ひらふく)にある山城。14世紀中頃に、赤松氏の一族である別所氏が築城した。嘉吉の乱(かきつのら
ん:1441年)の後、一時山名氏が入ったが、赤松氏の再興とともに、再び別所氏が入った。1577年に、山中鹿之助に攻
められて落城し、宇喜多氏の支配下となったが、関ヶ原の戦い後、播磨国を与えられた池田輝政が、甥の池田由之に佐
用郡を支配させた。標高373mの山頂に、本丸、鵜の丸、二の丸、三の丸、大坂丸などの郭群を設けて威容を誇ったが、
一国一城令により取り壊された。石垣、馬場、井戸などが残り、近世初頭の山城の姿をよくとどめる。
柳田国男(やなぎたくにお)
民俗学者(1875∼1962)。兵庫県神崎郡福崎町(当時は田原村)に生まれる。東京大学卒業後農商務省に入り、後に
は貴族院書記官長となったが1919年に退官。朝日新聞社に入る。同社の論説委員などを経て1932年に退社。以後は民俗
学の研究に没頭する。1935年に民間伝承の会(後の日本民俗学会)、1947年に民俗学研究所を創設し、日本民俗学の発
展に努めた。100余の編著を残している。福崎町辻川に記念館があり、生家が保存されている。
木地師(きじし)
木地屋ともいう。ろくろを用いて、椀、盆など、日用の器物を作る工人あるいはその集団。原料を求めるため、山中
で漂泊生活を送っていたとされる。このため定住民からは軽べつされがちであったというが、庶民工芸史上、木地師が
果たした役割は大きい。
参考書籍
伝説
歴史・文化
書籍名
郷土の民話西播編
郷土の民話丹有編
播磨伝説風土記
兵庫の伝説
日本伝説大系 第8巻
丹波のむかしばなし第三集
しそうの逸話
兵庫のふるさと散歩5.丹波編
兵庫県大百科事典(上・下)
刊行年
1972
1972
1976
1980
1988
2000
2006
1978
1983
著者名
郷土の民話西播地区編集委員会
郷土の民話丹有地区編集委員会
読売新聞姫路支局編
兵庫県小学校国語教育連盟
黄地百合子・酒向伸行・田中久夫・福田晃
「丹波のむかしばなし」編集委員会
(財)しそう森林王国協会
兵庫のふるさと散歩編集委員会
神戸新聞出版センター
発行者
兵庫県学校厚生会
(財)兵庫県学校厚生会
読売新聞姫路支局
日本標準
みずうみ書房
(財)丹波の森協会
(財)しそう森林王国協会
神戸新聞出版センター
神戸新聞出版センター
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伝説番号:005
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高座石の椀貸し
―感謝がつなぐ神様と里―
所在地リスト
⑥崎山稲荷神社(椀貸し狐)
③白滝さん
①達身寺
②高座石
⑤借膳岩
⑦椀貸し淵
④鬼面様
①達身寺
丹波市氷上町清住259
②高座石
丹波市氷上町清住
③白滝さん
宍粟市一宮町倉床
④鬼面様
宍粟市山崎町市場
⑤借膳岩
佐用郡佐用町宗行
⑥崎山稲荷神社(椀貸し狐)
朝来市羽渕字崎山2
⑦椀貸し淵
神崎郡神河町越知48-17
ひょうご歴史ステーション「ひょうご伝説紀行」は、兵庫県立歴史博物館
により管理・運営しております。サイトで使用するテキスト・画像などの
コンテンツ全般の著作権は当館に帰属し、無断での複写・転用・転載など
を禁止いたします。
ひょうご伝説紀行
―神と仏―
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend2/
編集発行
兵庫県立歴史博物館
〒670-0012 兵庫県姫路市本町68
℡ 079-288-9011
第1刷
2008年4月1日
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