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契約責任の本質と限界 - ー契約責任の拡大に対する批判的考察 (序説) ー
契約責任の本質と限界 575 裕 之 契約責任の本質と限界 契約責任の拡大に対する批判的考察︵序説︶ 一 はじめに ニ フラソス法 三 西ドイツ法 四 考 察 1 わが国の状況 2 私 見 五 おわりに 一 は じ め に 野 “契約責任の拡大”に存していると言えよう。それ故に、拡大された契約責任の領域に多くの問題が現れてきてい ヘ へ う ヘ シ シ ヘ ヘ ヘ へ て ヘ へ O 現在、契約責任と不法行為責任との限界は必ずしも明瞭であるとは言えず、この限界を不明瞭にした原因は 平 律 叢 576 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ る。即ち、契約責任と不法行為責任との競合が問題とされてきた領域はまさにこの領域であり、それは契約の存在と へ は無関保に存ホか和益︵後述の給付外利益︶が侵害される場合である。そして、かかる被侵害利益面の特殊性は、違 反ざかか義務という側面からの考察と結びつき、現在ではわが国でも、右の両責任の競合が生じる領域では、給付義 ヘ へ て このように・契約責籔・一方で・契約ないし契約上の一次的給付藷とも、他方で、不法行為責任とも異なると 日⋮。エo訂くo一〇ロ芯︶ないし私的自治︵勺叶声く飴⇔P已けOづO目一〇︶の原則がこれに拍車を駆けたと言える。 る契機とな・たのは、〃契約”が意思墓つく独自の債務発生原因として承認された.﹂とであり、意思自治︵。已。。ロ9 ことはなかったが1契約責任と不法行為責任とは歴史的に区別されるようになっており、前老を後老から独立さぜ 元説という問題を生じさせたわけである。他方でー古法慣習では、合意の不履行は他の加害と異なる扱いをされる ω喜きとなると、いずれに基づくかは明らかではなく、そのために、後述のようにZフンスにおい三元説.二 務が後老に基づくことは疑いない。しかし、契約責任たる賠償義務、即ち、二次的給付義務︵ω。オロ 合﹃。↑。一ω言ロ咋 の三雰けられ硲ω契約上の一次的給付霧︵苫目ぎ[・ξ・㊧︷妻︶が前者に、⑰不法行為法上の賠償義 ⇔人が何故債務を負わされるのか、その原因を問うとき︵債務発生原因論︶、大きくは契約︵。。目・.。。︶と法︵一。﹂︶ うに思われる。そこで、これにつき簡単に付言しておきたい。 に対する独自性が十分に明らかにせられることがなかったことにも存し、右の問題解決の鍵はこの辺に見出しうるよ 要求されている状態に至・ている。と・ろで、両責任の限界を不明瞭とさせた別の菌は、契約責任の不法行為責任 を持つことが明らかとなり、今や、契約責任と不法行為責任の関係及び差異、従って両責任を分つ基準につき再考が とが解明されてい箒このように・契約責任の拡奈はかられている震は、麓森益蕊藷の両面から篇性 務梁馨ではなく保護霧㌍レ窒義務の震によ・て損害が生じている場合が問題とな。ているにすぎない、・ 論 法 契約責任の本質と限界 577 いうジレンマの中に置かれているわけであるが、現在では、両責任が民事責任として括られることにより、不法行為 ヘ ヘ ヘ へ 責任の影響が大であり、契約との結びつきにおける独自性は希薄である。しかし、契約責任の内容は、その性質上当 事者間で原則として自由に定めうるのであり、これを徹底させるならぽ、契約責任における賠償義務は黙示的に合意 されたものとも言えなくはない。また、契約責任の不法行為責任に対する独自性が、契約←意思自治の原則に拠るの ︵4︶ ならぽ、契約をめぐる法的効果の一つたる賠償義務にそれが貫徹されないのは矛盾とも言える。筆者はそこまでの極 論は控えるが1契約責任についての規定は衡平と長き実践とによって意思を定型化したものとも言えようがー、 契約責任における意思自治の原則の貫徹という原点に戻ることにより、契約責任と不法行為責任との限界が明らかに され、それは、利益面、義務面の考察と結びつくことにより、両責任の構造上の差異を浮き彫りにすることができる のではないかと思っている。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ て へ て へ ⇔ ところで、確かに法律の規定が十分でない場合、契約責任の拡大という形でそれを回避することの実際上の意 ヘ ヘ ヘ へ て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 義は否定しえないところである。しかし、それは飽くまでも法律解釈上の理論の借用としてであり、後述の私見によ ヘ ヘ へ るならば、従来の契約責任の拡大をめぐる議論は、契約責任と不法行為責任との理論的限界を越えて、法律︵民法︶ 解釈上、契約責任の規定ないしそれと結びつけられた理論を適用するために、ある事例を契約責任と構成していたに すぎないという面を持っていたー後述するように一定の例外はあるがーと言える。 以上のように、筆者は契約責任の独自性ということから契約責任と不法行為責任との限界を捉え直してみたいと考 えており、これにつき、臼法史学的考察、伍比較法的考察、恒理論的考察、及び、@法解釈学的考察を予定している が、本稿では紙数の制約のためその構想を示すに止まらざるをえない。いずれ別稿で詳論していきたいと考えている。 以下では、侵害される利益面、義務面という構造を中心に、契約責任の拡大及び契約責任の本質をめぐるフランス 叢 578 律 fA fima 法 法及び西ドイッ法の議論を眺め、わが国の議論を一瞥した後に契約責任のあるべき姿、及び、従来の契約責任の拡大 領域の処理につき構成を示してみたい。 ︵1︶ 奥田昌道﹁契約法と不法行為法との接点﹂﹃於保先生還暦記念・民法学の基礎的課題㈲﹄︵昭49︶ 二四七頁、四宮和夫﹃請 ︵2︶ ○︹28日9目呂゜民.Oo日9“弓ぼoユΦ△窃ωo旨8ω江o一、oげ昌σq讐合PおΦ◎。“口。、。N89Φ゜ 求権競合論﹄︵昭50︶九四頁。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヤ ス へ ︵3︶ 契約責任11債務不履行責任ではない。民法四一五条が契約法ではなく債権総論に置かれているのはそのためであろうが、 ヤ シ ヘ ヘ ヘ へ 契約責任と然らざる債務不履行とを同一に扱うことには、疑問がないとは言えない。 えていたようである︵<ロピ≧#oロ民O①冨o亡O①ω<o書巴け巳ω<oロ<㊦詳﹃①ぬω‘ロ昌江Oo=オ冨﹃oo﹃ρ﹂笥伊ω゜ト。Φ︶。 ︵4︶ 一九世紀初期のフランス民法の注釈者は、契約によって、給付義務のみならず、黙示的に賠償義務も約定されていると考 ニ フラソス法1.、oぴ=σq①亘oづ画oω∩6ξ一9、”による契約責任の拡大− て ヘ へ て ヘ シ ヘ ヘ マ ヘ へ O ローマ法に淵源を有するフランス法では、契約責任と不法行為責任とがフォートの証明責任において重大な差 異を示し、それは、産業革命を経て一九世紀後半に至り、人が機械との接触による被害、即ち、労働災害、次いで旅 客運送事故に直面することにより実際上重要な意義を有することになる。即ち、一方で不法行為法上フォートの構 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 成・証明をめぐる改善が試みられながらも、他方で、契約責任へのしわ寄せがはかられることになる。そのために、 給付義務︵oぴ寓σq暮︷oロェo買而巴暮一〇昌︶には実質上は含ましめえない保護義務︵oひ寓σqp江oロェ。。。舎斥一芯︶が、黙示 の意思表示という媒介項を通して導かれ、その違反が契約責任と構成されるようになる。この保護義務は二〇世紀に 至り判例上多くの契約へと拡大されるが、現在では”保護義務の衰退”と呼ぼれるようにその手段債務化が進み、他 契約責任の本質と限界 579 方で、不法行為法においても無生物責任の発展を中心に改善が進み、今やフォートの証明をめぐって両責任の差異は 拡大、及び、⋮m契約責任の要件、分析の順で考察を加えていきたい。 殆どないと言われるまでに至っている。以下では、ω契約責任と不法行為責任との関係、本質的差異、㈹契約責任の ノ ︵5︶ ⇔ 一九世紀前半までは、契約責任と不法行為責任とは全く根拠を別にするものと考えられていたが︵古典的二元 説︶、一九世紀後半には、かかる二元説︵⇔ぽo註o工巴o匹已巴津ひ︶に対し両者を同一視する一元説︵夢合﹁﹂oエ巴、已巳宗︶ が提唱される。しかし、二〇世紀に至り、両責任を別個のものとみながらも両者を民事責任︵﹃。名oロωo窪一︷忠。一く一一〇︶ として括り、共通性を認める修正された二元説が支配的となる。その結果、両責任の境界が暖昧とされたことは否定 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ マ しえず、これに併行して契約責任の拡大が進行したことは偶然ではない。先ず、二元説を徹底したω巴ロ9①一29の 見解をみていきたい。 oり巴ロ。需一⑦茸。の見解は、要するに契約責任なるものは責任︵冨ω℃oロω筈一一︷涼︶の名に値せず、単なる債務の履行の 保証︵σq曽o茸一⑦︶にすぎないというものである。それは、法︵巨︶と契約︵ooロ言暮︶の峻別・対立によって特徴づ けられており、概ね次のようである。 社会と私人、公の意思と私人の意思とは区別され、、.9巷8ωpゲ巨芯.、︵注ー不法行為責任をさす︶は公の意思の作 り出した法の遵守を確保し、、。σqo冨ロ江o.、︵注−契約責任をさす︶は私人の意思が作り出した契約の遵守を確保する機 能を有する。、.﹁o名oロ゜。oぴ巨涼.、は公の秩序︵o己器署9。︶の問題、..σq①日ロ江。.、は私的利益の問題である。従って、 ..器・。℃oロω餌宮﹁︽依、。は排除・制限をなしえないが、..σq碧昌注o”、は私的利益の問題であり契約当事者の好きなように解 決しうる。契約不履行によってもたらされた不正︵⇔O詳︶は、明示または黙示的に契約当事者によって評価されてい る。立法者もかかる差異を認め、用語上も、民法二二八三∼六条が、、﹁oω喝oロω㏄窪。、、としているのに対し、契約不履 叢 580 論 律 行によってもたらされた不正︵片O詳︶については、、、σq20ロロびσq曽oロ亘ρσq20暮、、という語が用いられている、と。 ︵6︶ かかる考えは、法と意思とを峻別する一九世紀フランス法学の発現であり、他方で、形成されつつある意思自治の 原則を組み込んだものである。これに対して、○日ロ日o己︷ロは一元説を唱え、概ね次のような主張をなしていたよ うである。即ち、 ︵7︶ 契約上の義務違反であろうと、不法行為法上の義務違反であろうと、責任、、冨ωづoロωo宮一一依、、は一つしかない。侵 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ 害される義務︵oひ=σq忠一〇ロ︶が法定のものか、契約上のものかは重要でない。契約から生じた最初の債務︵o窪品巴合ロ 甘三巴o︶は契約が履行されないことにより消滅し、それに代る賠償義務は、法によって生じた新たな債務であり法 ︵8︶ 定の原因︵oユσqぎo宗両巴o︶を有している。即ち、法定のものか、契約によって生じたものかを問わず、義務︵o窪︷西㌣ 注oロ︶の違反により損害をもたらした場合は、不法行為︵工巴一吟︶となり一つの責任が存するのみである。合意は、契 約上の債務を定めることにより責任に間接的に影響を与えることができるが、責任の源︵。。o昌6。︶を修正することは できない、と。 に基づき、旬債務不履行による損害賠償はフォートに基づくという、債務︵o誓σq良8︶と責任︵器ω℃o昌ω飴窪一﹂芯︶ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て へ ω契約の履行は契約上の意思によって創造された法的拘束︵<ぎ。巳已日甘民ω。穗oUo叶言くo一〇〇芯8巳墨。言。一一〇︶ 約責任の本質を考えるうえで注目される内容を含んでいる。概ね以下のようである。 ︵許合ユΦエ。言σq曽§江。。o巳8。9。已。︶と称する徹底した二元説を主張し、修正された二元説を批判しており、契 端なものとして退けられ、折衷的な二元説が支配的となる。ただ、その中にあって、む力9零村が“契約的保証理論” ︵9︶ 賠償責任は不法行為責任のみであるとして、契約責任を別個に認めない一元説との対立は、二〇世紀にはいずれも極 このような一九世紀後半の、μ口契約責任と不法行為責任をあたかも契約と法の関係と同視する古典的二元説と、ω 一法 契約責任の本質と限界 581 とを区別する考えは、法学の黎明期の遺物であり熟慮の結果ではないにも拘らず、これまで全く疑問を挾まれること がなかった。即ち、合意に結びつけられた社会的価値・効力が理解されることがなかった時期には、oぴ=ぬo注oロとい う概念はフォートという観念に支配されていたが、契約が独立した債務発生原因として認められるようになっても、 て ヘ ヘ へ て て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て て ヘ ヘ ヘ ヘ へ て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ へ フォートにより支配されたままであった。しかし、G契約上の債務は意思に、領そのサンクションはフォートに基づ くという構成は、債務の発生の平面の議論と債務の効果の議論とを誤って理解している。契約上の債務が合意に基づ くならぽ、そのサンクションについても異なるはずはない。即ち、契約の債務的効力︵甘800巨一σq暮o一﹃。注ー給付 義務をさす︶がフォートの観念から独立し、それが意思自治の原則に基づくならぽ、同様のことは契約責任にもあて はまらねぽならない。即ち、次のように解されるべきである。 ︵10︶ 契約責任を予見しうる損害に限定する民法一一五〇条は、当事者の意思解釈によって説明しうる。また、契約はそ の合意によって完全な保証︵①o◎ω已﹁O︼POOw 舶四印﹁餌口⇔一Φ︶にまで至りうるのであり、フォートと結びついた手段債務・ ヘ マ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ シ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 結果債務という考えは、実質上は、フォートではなく契約上の債務の内容、即ち保証︵σq①﹁oロごo︶を問題としている と言える。結局、契約責任の内容は、フォートの理論から独立した契約的保証理論︵台ま自8エo一餌σqo日算8。○ロー ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ☆o。巨。一一〇︶によってのみ説明可能である。即ち、契約責任の内容は、フォートではなく、契約によって当事者がそ の債務にどの程度の保証を付与したかによって決定されるのである。その結果、ここでは、不法行為責任のようなフ ︵11︶ オートか危険かというジレンマは存在せず、単に合意と結びつけられた債務的効力の解釈の問題があるにすぎない。 o力吟費舞の考えは、要するに契約責任の問題は当事者がその債務に付与した保証︵窓日昌江o︶についての契約解釈 の問題にすぎないというものであり、契約により黙示的に賠償義務も合意されているという一九世紀初期の考え︵注 ︵4︶︵5︶参照︶に一脈通じるものである。しかし、先に付言したように、現在ではQ力9言オの批判した修正された二 律 582 叢 論 法 元説が支配的となっており、このような考えは全く顧みられていない。即ち、一方で、契約責任と不法行為責任とが 異なることを認めながら︵一元説の否定︶、他方で、契約上の最初の債務と賠償義務とを同視することもできないとし ている︵古典的二元説の否定︶。両責任を民事責任︵器名。ロ器窪一一芯合く二⑱︶として統一し、両責任に根本的な差異は 存せず、両責任のフォートの概念も同一であり、その証明責任の準則も同様とされ、両責任についての差異は歴史的 なものにすぎないとするなどの点では一元説に従っている。しかし、契約との結びつきも当然視され、契約責任は法 ︵12︶ ︵13︶ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ 賠償債務︵oひ=σqp江oロ匹o﹁音費巴﹂○ロ︶に変形すると考えられている。 と契約の両者に基づくとも言われ、契約上の最初の債務︵o巨一西飴工oロ︷巳江巴o︶は同一性を保ちながら不履行により ︵14︶ ⇔ 先に付言したように、修正された二元説の浸透と共に契約責任の拡大が発展しており、次にこれにつき考察し たい。一九世紀中頃まで古典的二元論の下で比較的安泰であった契約責任も、フォートの証明をめぐり不法行為法の しわよせを受けるようになる。 先ず、その萌芽は、旅客運送事故につき、﹁運送人は、預けられた物︵o庁oωo︶の滅失及び殿損につき責任を負う、 但し偶然事または不可抗力によって︵廿碧8ω︷o詳已什o自͡08。目どo已。︶滅失または殿損したことを証明したとき はこの限りではない﹂と規定した民法一七八四条の類推適用が問題とされる一九世紀後半前期に求めうる。しかし、 これは破殿院の認めるところとはならず、旅客運送事故についての﹁民事責任の規定は、排他的に民法一三八二条以 下に固定されている﹂と判示されることにな菊次に・後の保護霧による契約責任の拡大への理論的轟が天八 〇年代には作り出されることになるのだが、それは、一八八三年の白力pξ曾、一八八四年のむ力巴白90一〇詳oの見解を噛 矢とする。以下、保護義務の生成から衰退までを辿ってみたい。 ︵16︶ 労働災害をめぐる責任は、フォートの客観化、契約責任説、無生物責任という三つの発展段階を経ている。契約責任 契約責任の本質と限界 583 説は、o力碧N魯と切巴ロ90﹁。詳。の提唱後、多くの支持者をみるが、その内容は一致していない。即ち、次の三つに分 かれる。ω先ず、Q力。旨9とむ力巴昌9。一⑦詳。の主張した最も絶対的な安全の保証を認めるものがあり、使用者は、被 用者のフォート及び不可抗力による場合を除き、被用者の絶対的な安全を約束しているとされる。従って、フォート ⋮ 、 ・ ・ ⋮ 、 ・ 、 、 ︵17︶ の証明︵フォートすら︶は要求されず、被害者︵11被用者︶としては事故が労働中に生じたことを証明すれば十分とさ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ れる。しかし、その後の学者はこれに従わず、物の保管とは異なり人には活動の自由があることから1後の危険の ヘ ヘ ヘ へ 引受につながるがー、これを緩和した主張がなされている。㈹その一つは、↑oひげひに代表されるものであり、使用 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 者は安全の確保という結果を保証しているのではなく、単にフォートによって事故を起こさないようにするという必 要な行為を約定しているにすぎず、被害者は事故と設置された器具︵O已[= ︷O已﹁ロ一︶との結びつきを証明することを 要し、使用者は、免責のためには不可抗力を証明する必要はなく、事故防止のための手段を尽したことを証明すれば よいとされる。恒他は国‘・日。ぎの主張する折衷的見解であり、使用者は機械の暇疵によってもたらされる危険につ ︵18︶ー 、、 、 、 ・ ⋮ ︵19︶ いてのみ安全という結果を保証し、従って、労働中の事故の発生という事実だけでは不十分であり、被害者は機械の 暇疵によって事故が生じたことを証明しなけれぽならないとしている。 ヘ ヘ ツ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ ヘ へ このようにして、使用者に対して、被用者の安全︵←結果︶を保証する義務、または、安全の確保をなす︵←行為︶ 義務が雇傭契約から導き出され、その違反により契約責任が構成されるわけであるが、ω巴ロ9巴o口oは、これを旅 客運送契約にも適用しており、次のように主張している。即ち、民法一七八四条は債務不履行についての一般規定た る民法一一四七条の適用にすぎない、物品運送人は物品の運送のみならず、目的地までそれを良好な状態に保つこと ヘ ヘ ヘ ヘ シ ヘ ヘ ヘ ヘ へ を約していると解されるが、それは民法一一三五条により理性と衡平とにより導かれるのであり、同様のことは旅客 ヘ ヘ へ 運送についても言えるわけである、即ち、旅客が対価を支払うのは、目的地まで安全に︵ω知一ロO吟ωO已͡︶運送するこ 律 584 叢 論 法 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ マ とにであり、運送人は契約上運送中の旅客の安全を保証している、この契約上の債務︵o巳一σq讐︷o目︶の不履行に対し ︵20︶ ては、運送人は責に帰すべからざる外部的原因を証明しなけれぽ免責されることはない、と。 しかし、旅客運送契約と物品運送契約とに共通の準則を認めることには批判が多く、例えぽ、次のように言われ る。即ち、物品運送と旅客運送には本質的な差異がある、前者には後者にはない”寄託”という要素が存している、 人は寄託の対象たりえず、保管︵噌a。︶は物についてのみ考えられる、旅客運送は運送人に旅客の保管を与えるも のでなく、彼︵11旅客︶は自己の保管者であり、自由かつその責任において自己の保護について自ら配慮せねぽなら ︵21︶ ない、それ故、運送人のフォートが証明されたときにのみその責任を認めるのが衡平に適する、と。 学説上は旅客運送事故につき契約責任説が一般化するが、右の批判からも窺われるように、労働災害同様にω巴ロO 吟o一〇⇔需の構成を緩和しており、例えぽ之く霧ωo自ロは次のように主張する。即ち、運送人は、旅客を商品のように目 、 、 、 、 、 、 ・ 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、︵22︶ 的地まで安全に保つ債務を負うことはないとしても、旅客をできる限り安全な状態に置かねぽならない、と。 さて、労働災害については、契約責任説は破穀院の認めるところとならず、結局は立法によったのに対し、旅客運送 事故では、当初は破殿院も否定したものの、一九=年には遂に学説に屈し契約責任説を採用することになる。即ち、 を含んでいる﹂、とした。これがその後の契約責任の拡大の端緒となり、かかる契約上の義務は付随義務︵oひ=σqo民oづ ﹁民法一一三四条よりみて⋮運送契約の履行は、旅客を安全に︵ω巴昌o[°。o昆︶目的地に到達させる債務︵o窪︷σq①江o目︶ ︵23︶ ︵24︶ ず、この判決はすべての運送類型に採用され、結果債務・手段債務という区別が認められるようになると、結果債務 ①8。ωωo岸︶たる保護義務︵o匡一σq馨一8エ。品。已津伽︶と構成され契約責任の拡大の基礎を形成することになる。先 ︵25︶ へと分類されることになる。即ち、被害者は事故の発生︵H安全の確保という結果の不実現︶という事実を証明すれ ぽよく、運送人が免責されるためには、損害が責に帰すべからざる外部的原因︵8已ωo舎轟oσq障o︶、被害者のフォ ート、予見も防止もできない排他的原因たる第三者の行為を証明せねぽならず、 される。 ︵26︶ フォート不存在の証明では不十分と 更に、この判例の進行は旅客運送契約に止らず、保護義務︵oぴ一一σq①江oロェo絵6斥﹂芯︶という構成によって多くの 契約へ波及と般化がはかられ・・とにな菊そして・今やいかなる契約に保護霧が認められるか・その藁につ いては一般的墓を導く・とは不可能とさえ言われてい稽ただ・ξご↓Φまは・必ずしも頁はし三ない が、被害者が債務者の権能︵唱O已くO旨︶に多少なりとも依存している場所・器具の存在と結びついている場合ーま 任の構造の分析という観点から考察していきたい。フランスでは古くは契約責任をめぐる議論の中心として、契約 四 以上のように保護義務による契約責任の拡大につき再考の期は熟しているわけだが、最後にこれにつき契約責 匹ひ・ま工三、。げ菅・ぎエ。・ぎ・ま︶とまでも言われるようにな・てい玲∼ ぎないとされ債務者11加害者のフォートを証明しなけれぽならないとされるようになり、今や保談義務の衰退︵一Φ 本来フォートの証明責任を回避することに立日冗い義が認められていた保護義務−更には契約責任1が、手段債務にす 特に危険の引受︵§・§§合・§・︶という観点から手段霧と構成する・と窪目されてい葡その結果・ くみられるようになる。更に、最近では残された唯一の牙城たる旅客運送契約についても批判が多く出されており、 れ れるようになり、結果債務と構成して責任を肯定した原審を、手段債務にすぎないとして破棄する破殿院判決が多 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ ヘ ヘ へ 結果債務たる保護義務が他の契約にも拡大される傾向がみられたものの、一九三〇年代頃より手段債務として構成さ このように、保護義務という観念が形成され、それにより契約責任が拡大されているわけであるが、初期のうちは が不完全となるか否かという萎を提示してい菊 カ さに身を委ねる︵8ロ民2︶ と分析し、]≦p﹃江ロoは、主たる債務と密接な結びつきを持ち、それなしでは契約内容 一契約責任の本質と限界一 585 律 類型ごと呈求されるフ・|トの程度゜内容の藁が論・掩・・れが民法=三七条と=四七条の差として現 れ、二〇世紀に至りフォート一元説が一般化した後に証明責任と結びついた手段債務.結果債務という分類へと結実 している。しかし、債務不履行の態様という観点からの考察は欠けており、契約責任は債務︵oぴごσq暮日ロ︶の不履行 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ︵蚕ぎ§︶とい旦般的概舗が歪放置されている・結局、契約責任において意義があるのは、結果債務・手段 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ へ 債務という侵害される債務の内容による分類である。 また、本稿の被侵害利益・義務という観点からみると、保護義務という観念が析出されているとはいえ、西ドイツ におけるような体系的分析はみられない。契約責任の要件としては、ω有効な契約が存在すること、及び、⑥損害が 契紗かか胎心た債務︵o匡一σq暮合口昌ひ。匹。訂8づ言讐︶の違反によって生じたことが挙げられるのが通常である。問 題は後者であり、契約責任が認められるためには、単に損害が契約の履行の際に生じただけでは足りず、また、A口意 ヘ ヘ マ ヘ マ ヘ ヘ ヘ ヘ マ へ て ヘ へ と結びつけられえない誠実の一般的義務︵エo<o=σq曾舎巴エ①一〇宮已エ窪。①︶の不遵守でも足りないと言われてい 起の当初から常にその契約責任性には疑問が投げかけられていたわけである。そして、フォートの証明責任の転換と が・畠にその内容を定められかつ霧㌫ぞ作払菖務ξきその排除を認めないのは矛盾するなど、その提 歪・−・とは恣意的であるとされた輪wξ多;善は、保嚢務につき免主貝蚕の効力喋定している の違反を契約責任と構成することは当然疑問を生み、契約からかかる義務を導き出すー=三五条と黙示の意思表 り、保護義務に至っては、、匹o<o一﹁、.に等しいものとして用いられている。従って、保護義務を契約から導き出し、そ エo買oω冨江oロ︶と同意語であったわけである。しかし、これは次第に判例.学説により曖昧に用いられるようにな 民法上.、o匡一σqo江o見、とは負債︵匹①暮o︶または合意︵8目くoロ江8︶の意味で用いられ、本来は給付義務︵。ひ=σq陣江。目 サこで、かかる構造上、保護義務がどう評価されるかが問題とならざるをえない。 繍胆 586 叢一 論 一法 いう実益も奪われた現在では、理論的・体系的な再考の機は熟しており、例えば、次のように言われている。 判例は、璽。者を救済するために、不法行為責任を犠牲にしてまで契約責任の藷姦大してい繍w判例の構盛 侵略的であり、不法行為責任の適用が当然と思われる身体護︵§︷工臣8§邑の領域への契約責任の拡大で ある、それは無生物責任の適用を奪うことにより、逆に被害者に不利益を与えてい碗∼と。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て 更に、被侵害利益の面から考察する者もあり、ζ旨已σqぼは次のように論じている。 または不完全履行に存すること、及び、仙不履行から生じた損害が、契紗におがで創造ぶかか和益ないい価値︵已ロ 契約責任が認められるためには、有効な契約の存在の他に、ω損害の原因が契緑心おがで創造さかか債務の不履行 芦桿舎Φ叶・:・<量;害§・・尋・・︶の侵害にあ・・とを琴菊侵害された利奈・契約前からまたは蕎 い無恩幕芸な募る謙、それ暴懲婁吉恩蕎言堅で契約責任たりえず三法行為責任 が成立するにすぎない。保護義務は、いかなる契約においてであれ契約的性質を有しえない、蓋し、身体の保護は、 く︷°。日Φoけ切ロ宮ゆ百臥己ω日Φ合昌切一、①90甘ユ合ρ已P声自戸゜o°ω声べ︶。なお注︵4︶も参照。 亘ま涼忌Φ△、已白①oけ。﹂自﹁︼象ρ已o︶は債務の効果にすぎないと考えられていたなどと言われている︵﹄8目出碧ωΦ50ぴ]8亭 実から生じる責任︵.①叶①・。・。昌・。四。⋮吟3江・還三・漬・邑は霧⇔璽露、法律行為から生じる責任︵・・§°§ いう語が用いられていた︵出。二・﹂・冨§昆﹄§え・臼8三三;]=パ㊨・。こΦべ゜。§9§。・三ω。戸︶・法律事 ︵5︶ 不法行為責任のみが民事責任︵﹁窃oo5ψ。筈旨涼oぎ一㊦︶と考えられ、契約責任は契約の研究の付録とされ、.,・q①量葺一馬と われ、現在根本的に再考を要する状況に至っていることが知りえたであろう。 開した契約責任の拡大が、一方で、保護義務の手段債務化により、他方で、不法行為法の発展により本来の実益が失 以上がフランス法の概要であるが、不法行為法上のフォートの証明責任の回避を原因とし、保護義務という形で展 契約によって創造されたものではなく、契約の存在とは無関係に存するものだからであ誠Vと。 一契約責任の本質と限界一 587 律 @問題を予想していなかったとも言われる︵<§問町P掲①ωOo目ω①ぴ巨吟ひ呂自巨o昌昌Φ卑8ロ☆ρ⇔Φ白合o富Ooω宣ひ目㊤ωω゜O°N︶。 ︵6︶ o力巴ロ9Φ︼Φ詳P図o。・ooo器ぴ巨み9σq胃き江9H。。。。卜、o°。。興。・﹂H含ω二㎝Φ⇔ω゜ふ戸9ω゜また、民法の立法者は、請求権競合の @声。。ONの主張するところであるが、参照しえなかったため諸文献の説明による。なお、それ以前にも、責任︵器題oo鐙ぴ巨涼︶ ︵7︶o日昆§已日.密ロ器昼買匡冨。こ・§8§ぴ葺ご。旨蕊。亘8●、旨・。・這昌。:8§。け匡ぎけ9。。・勺良ω・ アとになる︵9禺゜忌§きρ問゜ω゜8ω①ぴ津ひ昼葺匡89﹁①ω。8ω①ぴ巨ひ。8冨。斤・竺9智く◆旦日・貸巳く・§ぷ ︵8︶ 民法一三〇二条はかかる一般原則の発現にすぎないとするわけだが、この規定の特殊性を無視するものとして批判される ○日邑日o巳宮はこれを一般化したものと言えようか。 @存しえない、と主張する者がおり︵ピo͡Φ●30二︶Φ一①器題oコω書巨蘇ユ豊o汁巳言。8☆碧9竺P問Φく゜oユ[﹂◎。°。◎昏゜。Oも込逡︶ @はフォートにより生じるのであり、契約から生じるのではない、フォートは全て不法行為であり契約的フォートなるものは @ @頃o冨問江oΦ古OΦロ江ooOユ<∩声Φミ“O°ト。ΦΦo[o力゜ 但し、08津9<芦o●ζぬ①江o昌“HΦべぷO。−。Nト。NOo[ω゜ではかかる理論 ︵9︶bd9ωむ・§°ぎ国・°・巴臼、旨。§。幕゜・念旦・全・一⋮ω。。§亘巨ひ・≦。8・え。旙8留臼。邑。峠。p合8c。 留Pロ。o∨9ぺ︶。 8↓自∋8F冨﹃①。。o§ω①昆ぼ。﹂邑pω窪゜声・∋。。N三。Hωω。。・ ○へ゜力塁日8ユo力巴o︷=oぷいoω自6n江o問富Co茸①<①=o͡訂﹁oω08ω①宮=涼9<一言声゜。㊤SO°°。9°。°わが国への紹介とし pωω゜2こさきく二゜。°。ふ“°り゜H°。。。ぷ吉5g吟Φξ8−○・。。三〇﹂。。。。。=三ωω・ ) ) ︵71︶ ケ゜け゜匡゜三u°号︵白2Φ①︶三﹄。。け・°⋮ωき・。︹〇二ご・・g§亘巨ひ。・ω§§・≦・・÷・ 。。△6・,8ヨ。﹃・,§・, ては、岩村正彦﹃労災補償と損害賠償﹄︵昭59︶、一七九頁以下及びその所掲文献がある。 ) 15 14 ︵13︶認巳゜二;■艮弓邑⇔ご巨︷ε・§津。匡h・§曇司゜≦・。.ひ臼﹄Φ日§国ω日・亘・。§も・§・ オかし、掛術的二元性︵△一﹂①一一⇔ひ吟OO庁昌︷ρ仁Φ︶という理念に支えられていると評される︵出①已。。①︹oO°9庁︵昌o吟oOン⑰ω戸Φ︶。 @ @島=日#o江8ユΦ訂器ωOo冨ぴ声忌ooo☆①09竺oりH㊤。。古PωN それ故に、両制度は、根本的一元性︵巨巳涼︹oロ合日①暮巴o︶、 へ ひ ゐ ︵12︶≦3三①﹃暑゜§ぴ巨けρ声・・°・碧o喜器、8°。詳゜︵日g切︶;ω翌ぎ・。茸・9・艮・§。詳ぎ簑︷・§・隅 ︵11︶oり[胃済﹂●︷△こbふq⊃◎。。Oω。叶・・° ︵−o︶o。吟曽。ぎ巨匹二b°N89ω゜NΦω゜ 主張されていない。 ( ( A16 む・ 588 叢 論 法 一契約責任の本質と限界一 589 ︵18︶↑①ぴσか⇒。⇔。。力﹂。。。。朝二三。⋮。り﹂。。。。Φも・㊤ごω]。。。。ρ♪ご・。﹂。。㊤★N㌫ご身89Φpgg。力゜H°。°。°二、旨豆゜カニ゜。°。べ 庁ω知6n庄oo房ぎ△已・。詳︷巴ω、知o<°oユ吉冨◎。ω、OΦO卑自∨“b°①忘o[ω゜ ︵19︶ 国oo日o︷Pロ09むカニ◎◎Φぷ吉口. どNo三〇Φ﹃ロ﹃阜冒Φ一。q①σq。創。。り①2︷8ω。二①苫題8墨げ︷≡︾合邑。△。の冨障8°・“問゜タ゜暮﹂°。°。°。玉ト。ρb°卜ωρ ︵20︶ oo巴5990暮ρo℃°n︷︹︵昌9⑦Φ︶、P°。べ暮ω゜ ︵21︶Rづ。﹃白自白画司①・。ω。9・↑窃①8︷亀6暮。。江。o。叶ω。目。ω三Φ。。8昌゜。書≡[∩合く。ぎ﹃︷°︹各ぽ゜汐叶旦H8ωも二〇°けωふΦ⋮ ︵22︶綱①ω・慶。=昌・誓・筈ω・なお、9§・量・。・。三・・8、・・“§は、旅客が事故発生につき・積極的な役割を果した ω一日oooOo江。。o庁目試でい、o●=両①江o白△oωひn已ユま“一⑩ふべU°撃゜ か、単に消極的役割を果したかで区別し、後者についてのみ契約責任を認めようとする。 ︵23︶Pωる・・9<こ巴口o<﹂Φ二“ω二Φ長ど品9͡。[町8・。9三〇おHμ一“陪ぷ9需ω自日庁 ︵42︶保安債務、安全霧、安全霧など訳語は統ぎれていない。・れについては、高世三郎ヲラン乏おける安全配慮義 務L司法研修所論集六八号︵昭56︶一頁以下、石川良雄﹁フランス判例における安全債務の諸問題﹂判タ五一四号︵昭59︶ 四五頁以下があり、いずれも資料的価値は高い。 ︵52︶織田博子﹁フ・フン乏おける手段霧、結果債務理論の意義と機能について﹂早稲田大学大学院法研論集二〇号︵豊︶ ︵26︶ Q・O器。・°巳くこ戸くミoo吟゜GOω、切己一゜n︷<°一白。N°。ぷ勺﹄ω゜。° 五五頁以下参照。 ︵72︶そのリストについては、9≦§・。:・・︵9・・ピN︶三。竃§・ξなお、喫茶店内の有料電話を利用し集た にすぎない者が床の上のバナナの皮に滑って負傷した事例に、保護義務︵手段債務︶違反にょる契約責任を認めたものもあ ︵28︶ <日O 当 ﹂ ぴ 己 こ o 。 切 O P る︵○印ω切゜叶。ρ、蜀g<.巨。、]°ρ勺゜§Φ﹄°°。§°︶。 ︵29︶ 司①⋮9弓o口∩↑①゜。oO=ぬ①江o昌o−ωΦ9二戸O°。Pロ。ふ8° ︵30︶呂①叶江昌Pい.89目9☆。訂9ω宮2餌亘ま8耳日69竺。舞﹃Φω8房①巨ぼ△°豪ε゜一5戸Φoへ戸呂゜ ︵13︶㊦①﹃Φ×・。。ωω・。一く﹂吟。・H。。§§三2﹄やp一く暮⋮・・ω:・﹄Φ、ぎ・ユ=Φ∨°・三2﹄や゜・、]<廿二゜・° なお、不法行為責任を当然視されていた医療過誤も一九三六年の判決︵○器ρ9でNO日巴声Φω◎O Φω◎ド。。。。⋮o力゜一㊤ω\ 律 @一゜ωN﹂︶以来契約責任が認められるが、手段債務の典型とされる︵9勺Φ自8子罫吟Φ゜。勺8ω知昆ま日宣。巴。二Φミ昌。N㊤︶。 @.、ぎ一。σq。︾Ωロ巨p。巳冨一Φ<5一日①<①巳吟.、という格言により最軽過失で十分とし、契約責任では、ローマ法末期の江。一⊆ω“ ︵34︶○い者曽江白Po戸巳戸︵昌o冨ωO︶、O°戸O⑦吟ω゜⋮≦⇔着而け↓o苔∩8右巳﹃︵ロo[Φト。㊤y昌。ふO吟 中世の学者は、念宗では ︵33︶冨弓゜已昌①貝β。︷͡°︵ 。gε三。戸ωω。。⋮≦・Φ当8三叶゜︵。。gHN︶三。﹂。。。9ご・ ︵32︶≧巴昌ωひ﹃ぎ凶罫甘暮①口β§霧宕旨葺HΦ忠三。。ω声Φ;・ . , @N︷己≒㊦n宮<o︹一曽声㊤べおむり゜+。。Nぼ︶、現在西ドイツでも一般条項︵11Z︹Oげ⇔O叶S口=已コぴq︶によることが検討されている。 ︵35︶ 契約責任についての一般条項を有することが、ドイツ民法典との差異と言われ︵くσqピ室言牲ヴ6﹃一鼻O①ω︹﹁①ロN助ω︷6庁Φ ︵昭38 ︶ 二 二 頁 以 下 参 照 ︶ 。 @なお、これは体系化のなされる前の一九世紀前半のドイツ普通法学でも同様のようである︵北川善太郎﹃契約責任の研究﹄ @o巳ロ冨一彗P否巳B宮≦ω∨o巳冨一①己ψ・。。ぎロという区別を体系化し、これがフォートニ元説へと受け継がれたわけである。 @o庁Φ匡§°°ロ︵白o甘旨︶らNご§三・・三u°。︷吟゜︵§・ω。y℃°N。⋮汀弓。・・§・三p。片︵§。ε・。§ご≦・6s ︵63︶ぎsg﹃03戸﹃°三富§ω↓≦ご。﹄品・。畠・。昌。旨。二・・。巨戸゜・・§・・HH。伽含﹄。。N。・ミご @殺害○昌●o 巳隅”︷宮臼゜︶、また、契約の機会に︵陣一、08器ω日o臼、β昌8ロ茸巴︶フォートがなされただけでは十分であり、 ︵37︶ ○ひ﹀β亘日o斤問四ぷ︷ぴ︷臼契約当事者間での加害が全て契約責任となるのではないのは当然であり︵ホテル経営者の旅客 8°。︷戸︵白o需旨︶∀ふ已. ︵42︶≦9ざ8°。芦︵きg嵩︶二。ooH° . ︵41︶○冨冨ρ8°9°︵8go︶もヂω8ΦけωΦo・ ゜宣庁ユ窪゜g竺゜°け゜°白§。g①=p↓﹄N°<。ピΦ。伽o﹂・,。。ω。c−。田8。けω・ ︵04︶°。巴匡゜三廿゜°汽︵§・HΦ︶も゜・・⇔。へ﹄°。[↑°。﹄・§芦↓昌ひぽ。g器・:﹃・§Φら。一①﹃Φω。。5・り餌亘ξ ↓二Nよ△.声o朝戸﹄。・。声器゜;⋮問。念﹁ρ8g]°o°勺二㊤冷二Hω忠o° ︵39︶§N§江三゜三吟゜︵§。°・︶三。。H;・。・§・△三。け。oら゜§鴛5葛§﹃≒・・ま画Φ冨﹃①ωb。。ω①匡涼n︷<=。 ︵38︶02亘§己。び8°。︷け︵ロ。吟。ωΦ︶ら﹂9 ︵昌o甘NΦ︶、 。や忠︶。 @債務の履行上の︵合5一、6蓉8江o昌匹o一.o亘=σq餌江8︶フォートでなければならないと言われる︵ぼΦ≡。仲↓m叶﹁︹。やn㌣ 590 叢 論 法 契約責任の本質と限界一一 591 ︵43︶ 従って、暇疵惹起損害を環疵担保責任に含める呂①N。①邑の見解に反対する︵ぎ井印o。一巴︶。筈③No①已口は、ω暇疵自体 の損害←引渡債務、㈲暇疵惹起損害←保護義務という構成を採る︵ロ。旨一国忠8已鼻い①﹁窃∀o自書巨涼o∼<一一。合くΦoユ。葺・ ︵44︶呂e已σq耳↑。念6旨臼。。。。一ざω窃ユ、6図8舎昌8亀Φ9ωb8器げ葦ひω。ロ。・︷、ぎ芦窪80°一、°昆器日9°9乏β∼ 合げユ8暮“図Φ<°吟ユ日゜江﹃°9<°お9°目。・。N㊦[o。︶。 6苦︵昌o吟oO︶、ロ。︽8.︶。 おQ。古ロ。.戸昌9坦 なお、医療契約など一定の契約では、保護義務は主たる債務となることを認める者もいる︵○訂ぴ器、8° 三 西ドイツ法ー、、Cり合耳Nb匪6宮、、による契約責任の拡大1 O 西ドイツにおける契約責任の拡大−特に契約締結上の過失へのーが、不法行為法の不備に基づくことは有 名である。即ち、不法行為責任では、中核たる民法八二三条一項は一定の絶対権が侵害される場合のみを規定し、同 八三一条︵使用者責任︶では免責立証が認められ、また、消滅時効及び過失の証明責任の点においても契約責任によ る実益は大きい。その結果、契約責任へのしわよせがなされるわけであるが、現在では不法行為法の発展により不法 行為責任でも満足いく解決が可能とされており、従来の契約責任の拡大に対して反省がなされて来ている。そこで、 以下では、被侵害利益・義務という観点から豊富な材料を提供してくれる契約責任の拡大及びその評価をめぐって考 察していきたい。 契約責任の拡大の端緒は、ω富已げによる積極的契約侵害︵b。ω庄く。<。苔飴σqω<巴。言巨σq︶の提唱にある。即ち、 民法は履行の不能・遅滞という不履行︵Z8宮①匡巨§σq︶の場合のみを規定し、債務者が積極的態様によって義務違 ︵45︶ 反をなした場合には法の欠訣が存すると主張する。しかし、o力富已ひの挙げた事例には異質のものが混在されていたた ︵46︶ め、o力9已ぴの問題提起を受け活発な議論が展開されるや、その過程で異質なものが浮き彫りにされ、それが本来の 契約責任の領域を越えるものであることが解明されていく。即ち、↑8ロ﹃﹃匹は、固有の契約上の義務の違反では なく単なる付随義務︵Z。ひ。昌臣6宮︶の違反の場合があることを認める説に注目し、それは侵害される行為の種類で ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ はなくいかなる損害が発生しているか、ということに基づくとし、付随義務違反は契約の目的を害するが履行を挫折 させるものではない︵告o艮o宮一巳ω[きσqω宮目エo﹃巳⑦巨く2一〇言已目σq︶という特質を持ち、付随的加害︵bdΦσ。匡︹ 尓x合σq已目σq︵一日σq。σq。ロω暮NN巨↑o一ω9ロσqω巳え2巨σq︶︶という結果の面から区別されるとした。他方、=o夢o言 ︵47︶ X一一であり、ーナチス法学全盛期のものであるがー付随損害は給付義務︵↑①一゜。宮Oσq°。嘗一一6宮︶の不履行ではな ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ひ而N8庁已昌σq︶としての債務関係︵ω⇔庁已匡くo﹁庁餌#巳ω︶に求めた。そして、これらを総合し発展せしめたのが出o一ロ巳o古 は、この付随義務の根拠につき、契約に直接求めることを否定し、給付関係から独立して存する枠関係︵ヵ印古日①ロー ︵48︶ ヘ ヘ へ ゐ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て へ て へ 6・ ぎ8巳日庁Φ昆o︶が認められ、それが契約準備段階の加害に拡大されているということである︵以下、契約締結上 ⇔ 西ドイツにおける契約責任の拡大を特異なものとさせ、その中心をなしているのは、契約締結上の過失︵。已■o すわけにはいかない。次にこれを考察しておきたい。 ところで、西ドイッにおいてはー法律規定の差異の他にーフランスと異なる周辺的状況があり、その影響を見落 ︵50︶ このように民法は債務関係を給付義務によって規律しており、かかる給付プログラムに基づく契約責任の構造上異 ︵51︶ 質なものが、積極的契約侵害の議論の過程において、付随損害・保護義務という形で明らかにせられることになる。 はなく信頼関係︵ノ\①叶︷﹁O已O問むりくO︹ゲ陪一⇔ロ一co︶としての債務関係に基づく、とした。 ︵49︶ 益︵[。﹂ω古§σqω甘g苫自・°。。︶を目的とせず、それ故に特別の取扱いを要する、保護義務は給付関係︵‖交換関係︶で ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ く、それとは別個の保護義務︵c力。ぎ言喝臣。宮︶の違反によるものであり、保護義務は他の付随義務と異なり給付利 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 0力 592 叢 論 律 法 契約責任の本質と限界 593 の過失という語は、この類型を念頭に用いる︶。また、不法行為法の回避という現象は、実際上この領域において顕 著である。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て へ て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 一九=年のリノリウム事件判決がその端緒をなし、法律行為的結果の発生を目的とした契約準備交渉は、純粋な 事実的経過ではなくー不法行為法を越えたものでありー、契約を準備する契約類似の性質を有した法律関係を基 礎づけ、関与者は相手方の健康・所有権につき配慮を命ぜられるとし、民法八三一条ではなく同二七八条が適用され た。この判決自体は、契約締結上の過失として議論をなしたものではないが、学説により契約締結上の過失に新たな ︵52︶ 類型を加えたものとして理解されることになる。そして、これが信頼関係により基礎づけられると、積極的契約責任 における給付関係から債務関係を独立させ保護義務をこれに基づかせる考えと結びつけられ、契約締結前の段階で信 頼関係としての債務関係が成立し、これから契約前の保護義務︵<o﹁<Φ詳冨σqま庁①む力合已古N噂宗。宮︶が導かれること になる1一次的給付義務なき法定債務関係︵σqoωΦ言一一〇プoωQ力。ゴ仁匡くo臣餌一吟巳゜・○庁目。苫一日腎oピo一ω[已ロσq名宗。宮︶ と称されるー。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ゐ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ゐ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ︵53︶ 他方、契約解釈における客観主義は、意思11契約という理念を動揺させ、また、事実的契約関係︵合古富6庁o<雪戸 目σQ。・<。品巴9富︶の提唱はこれを更に進め、契約法上の効果を導くのには必ずしも合意11契約は必要ではない、とい う気運を高揚したことは疑いない。そして、事実的契約関係論は契約締結上の過失へ影響を与えることになる。即 ち、OO巳。は、社会的接触︵。。oN]巴o民oロ9古︶なる観念を提唱し、保持義務︵国呂巴巨昌σq°・叉一ば宮︶は法律行為的 ヘ ヘ へ て へ 性格なき客観的社会的接触によって導かれ、関与者間に、一定の目的達成のために他の権利領域への影響が可能とな ︵54︶ り、その配慮についての特別の信頼が成立することが根拠とされる。い曽oロNは、これに取引の平面で結びついた接 ︵55︶ 触であり、取引の締結を導く可能性あることという限界づけを与える。こうして、保護義務←契約責任の規定の適用 叢 律 594 論 法 ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ コ ヘ シ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て へ ということが、その構造上法律行為的拘束から完全に解き放たれ、更に、その延長線上に製造物責任︵暇疵惹起損害 ︵56︶ 責任︶が一部の学者によって組み入れられるようになる。 判例も、学説の成果を受け入れ、﹁契約締結の際の過失に基づく責任︵口江言ロσqき゜・<o﹃°。。ゲ已匡oロひo︷<o﹁詳oσq− ωoゲω。匡島︶は、実定法を補充する法定債務関係︵σq。ω9N一8古oむ力。ぎ匡くo﹃庁巴什巳ω︶に基づく責任であり、この関係 は契約準備交渉の開始により始まり、取引の相手方に対する行態につき取引上通常の注意をなすことを義務づけるも ︵57︶ のである﹂とする。学説も、これを援護し、かかる責任は第三者の併存という不法行為法の類型を越え、ここでの義 ︵58︶ 務違反を契約責任の準則の下に置くことが正当化されると言われることになる。 ⇔ このように、積極的契約侵害と契約締結上の過失が、給付利益以外の一般的利益︵保護利益︶の保護を目的と し、信頼関係としての債務関係に基づく保護義務の違反に基づくという、責任構成上パラレルな関係に位置づけられ る状況が作り出される。ただ後者には有効な契約が存するという差異がみられるだけである。しかし、通説は両者に ヘ ヘ マ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ おける保護義務を別個のものと解し、契約前の保護義務は信頼責任︵<。葺巨昌ω﹃は巨σq︶に、契約後の保護義務は るとしていると言われる。更には、保護義務を導くことさえ否定する者もおり、≦び一͡は、債務者は決して”注意” 契約責任に分類され、後者は契約上の付随的給付義務︵Z。古。巳o一・。宮ロσqω勺庄。宮︶とされ契約解釈により導き出され ︵59︶ ︵ωo叔︷巴[︶をただ単に負うことはなく、注意深く給付をなすこと︵・。o﹃σq齢一江σq。ωいo一ω9白︶を義務づけられるにすぎな ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ マ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ マ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ い、注意は給付ではなく、単に義務づけられた行態の性質ないし態様にすぎない、従って、”配慮義務”︵Q力自σq︷巴[− ︵60︶ 宗6宮︶なるものは決して存在しえない、と主張している。 象としているのであり、契約の前後で保護義務を別々のものとすることに疑問が提起されるのは当然の結果であっ しかし、契約上の保護義務も、契約上の義務という装いを施そうとも、本来契約責任では正当化されない利益を対 む・ 契約責任の本質と限界 595 た。そのため、Oo9江ωによってこれは統一されることになり︵統一的保護関係論..司げ8﹁ば合㊤oぎけ⑦戸臣。古oロ e暮ミ。呂巴9一ω。・①児、︶、契約締結上の過失、積極的契約侵害、第三者保護効を有する契約︵<隅障。σq日詳Q力。げ呉N禎 適用されるためーここにも適用される、と。しかし、かなり無理のあることは否定できないところである。 ︵68︶ 務は訴求可能であり、履行不能及び遅滞についての原則はーそれが契約上のもののみならず、法定の給付義務にも 保護義務関係は、通説のように”一次的給付義務なき債務関係”ではなく法定の給付関係である、それ故に、保護義 れねぽならない、蓋し保護義務は法定債務関係の給付義務であり、保護利益は給付利益であるからである、従って、 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 活上の義務と変りがないとする説には賛成できない、給付義務←給付利益、保護義務←保護利益という区別は否定さ ︵67︶ 責任性を維持しようとする者があり、例えぽ、寓o訂o﹃は次のように主張している。即ち、保護義務を実質上社会生 性︵民冨σqぴ知完⑦εは、多くは給付義務でないことを理由に否定し、また、免責条項の効力が及ぶかも問題とされ、更 ︵66︶ に、民法八五二条︵時効︶等不法行為法の規定の適用も積極的に肯定される傾向にある。これに対し、飽くまで契約 ︵64︶ ︵65︶ しかし、それが本質的には契約責任に属しないため、多くの不合理な点が出てきている。即ち保護義務の訴求可能 益の保護を目的とすることを明らかにし、従来不明瞭であった付随的給付義務と保護義務とが構造上全く異質のもの ︵63︶ であることを明らかにした。そして、契約前後の保護義務を統一することには、多くの賛同を受けることになる。 も シ ヘ シ ヘ ソ ヘ ト ゐ て ヘ シ ヘ へ 異なり、給付義務←契約責任は給付利益の保護を、保護義務←信頼責任は保護利益、即ち契約とは無関係に存する利 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ マ ヤ ヘ ヘ ヘ マ へ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ へ はそれとは別個に存する“信頼関係”︵<Φ詳目g昌ω<o品巴[已ω︶に基づく、また、両者は被侵害利益においても全く は、=oぎユ。ゲω9=の再評価であり、給付義務︵従たる給付義務も同じ︶が法律行為に基づくのに対し、保護義務 て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 一爵自σq宮叶O昆9︶、更には製造物責任を、同一の保護義務違反とし、不法行為責任でも法律行為に基づく契約責任 ︵62︶ でもない第三責任原理たる“信頼責任”︵<o詳目已。目路o#巨σq︶によって統一的に基礎づけられることになる。それ ︵61︶ 、 、 、 o力 叢 ㈲ さて、このように契約の前後で保護義務に変りがないことが明らかにされた結果、もし契約締結上の過失が否 定されるならぽ、従来契約責任たることの疑われることのなかった積極的契約侵害までもが崩壊する危険性が生ずる ことになる。そして、実際に契約締結上の過失に対しては多く疑問が提起されており、右の危険性は現実化しようと している。即ち、現在では、契約締結上の過失を中心とする契約責任の拡大が不法行為法の難点の回避の結果であっ たことが認識され、本来不法行為法の問題は不法行為法の改善によって処理されるべきであるとする傾向がみられる ようになっている。 かかる傾向をもたらした原因は二つあり、り一つは、比較法の成果として、契約締結上の過失が西ドイッ特有のも ︵ のであることが明らかにされたこと、⑥他は、社会生活上の義務の発展、過失の証明軽減︵表見証明・危険領域論︶、 民法八三一条の解釈による制限等によって、不法行為責任によっても十分な解決が導き出しうるようになったことで あ菊即ち・Z嘉が・それは西ドイツ独自のものであることを指勤・<9。9日日゜§は・それが不法行為法上 ︵71︶ の難点を回避するという便宜性の結果であったことを指摘して以来、保護義務に裏打ちされていた契約締結上の過失 ︵72︶ が、本来不法行為責任の問題であることが承認されつつある。 このように侵害される利益と義務とは表裏の関係にあり、契約前の保護義務が不法行為法上の社会生活上の義務と 何ら変りのないことが認識されるようになると、同様に契約とは別個に存する利益を目的とする契約後の保護義務← 積極的契約侵害もその契約責任性が危くならざるをえない。例えぽ、司蒔。暮ω。プ2は、ω固有の不完全履行損害︵。︷・ 叙レ巳一〇庁oむ力o匡06宮oエ己一一巨σqωωoゴ江o⇔︶ー完全な履行との差額1と、ω履行外利益︵声ひ而﹃o﹃宮一后目σqω日餌巨σqo を目的とし、㈹は不法行為責任の問題である、しかし、不法行為法の不備のために㈹も契約責任として構成され、そ ぎ9﹁。ω器︶の侵害とを区別し、本来、契約責任は、ωを含めた不履行損害︵Z一。宮2宮一一昌σQωωo庁註o⇒︶の賠償のみ σq 596 論 律 法 契約責任の本質と限界 597 の意義は給付義務の違反により構成される契約責任を不法行為法上の損害に組み込むことにある、かかる責任体系違 反は現在では慣習法となっている、但し不法行為法上の請求権を契約法上取り扱うために、時効等の不都合な問題を 生ぜしめていゑと主張している。また、国已ゲ2も、従来、積極的契約侵害は、給付義務違反の場合のみならず単 ︵73︶ なる一般的な社会生活上の義務違反の場合にも適用されており、それは不法行為法の補充・修正である。そこで対立 しているのは、給付義務と保護義務ではなく、むしろ給付義務と一般的な社会生活上の義務である、社会生活上の義 務と異なるその違反が”不履行”としての責任を導く保護義務ーいわば給付義務たる保護義務1は、医師等の債 権者の身体ないし財産を特定的に保護することが債務者の給付義務の内容となっている場合にのみ認められるにすぎ ない、と主張している。 ︵74︶ こうして保護義務.保護利益という構造が契約責任において異質なものであることが解明され、今やその契約責任 の規定の適用が便宜的なものであることが認識されつつあると言える。その根拠づけについても、例えぽ]≦o合2ω は、慣習法や民法二四二条︵信義則︶を持ち出すよりも、端的に民法二八〇、二八六条等の類推適用と言うべきであ るとしている。要するに、従来暖昧な形で契約責任の中に含まれていた異分子が、積極的契約侵害の分析の過程で、 ︵75︶ 被侵害利益の面から、次いでその裏面として被侵害義務の面から、その異質性を明らかにされた、と言えよう。但 し、契約責任に組み込むための構成が、フランスのように、、oぴ=σqo江oロ、、という概念を暖昧にすることによらず、明 確に給付義務と保護義務とを分け、契約責任を導くのは給付義務に尽きないとしたわけである。その結論は妥当とは ヘ ヘ シ ヘ ヘ シ へ て ヘ ヘ へ ひ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 言い難いが、却ってそれにより本来の契約責任の領域と契約責任の拡大との分岐線が明らかにされたことは、大いに 評価して然るべきである。 ︵45︶国。日亘。り8ロき8庄Φユ<8△零冨宮。<8画隅宮゜。︷け冨く6﹃§σq°・<旦Φ§5ぬ“︾亀一ωΦ︵一Φ日︶し9。。°ωoごパ 598 一 の他の付随義務の違反に分けられている︵<o完。﹁国日日。9亡O①ω問。合吟江g↑書gRωωε日R。昌﹂自。。、む力゜犀。。︶。 その後も積極的契約侵害の下にさまざまなものが論じられ、大きくは給付義務の不完全履行︵ω己①o宮6託口=暮σq︶、及びそ ︵46︶ これについては、松坂佐一﹁積極的債権侵害の本質﹂﹃債権老取消権の研究﹄一二七頁以下、林良平﹁積極的債権侵害論と ︵47︶ ウ冨昌Nいoo昌げ碧鼻︾=σq6B6日oωωo庁巳昔8宮江①ω切○じo、おNΦ゜oo°OωOは日ωげ゜9戸へ゜ その展開O⇔﹂法学論叢六五巻五号、七一巻二号、北川善太郎﹃契約責任の研究﹄︵昭38︶四二頁以下参照。 ︵48︶ 司①一冨出6各o亡O器むo合巳C︿而許巴[巳ω巴ω犀8ω8暮Φカ①日9亘o注合已昌帆﹀島おO︵畠NΦ︶°綜So力゜ω8︵柏﹂コ。。げ゜ω嵩゜ ︵50︶国る。ω雪\o力9日庄戸o力o﹃巳合8げけじO●炉Φ゜﹀βP声Φ゜。古ωSふ竺忌曽日③印oω︹、.<自く①詳日頓ぎ9、、ロa..<6詳冨σq一8汀、、 ︵49︶ 国Φ日江oげoo8=①﹄°ρ︵司白冷yむn﹄°。べは゜ωば︹ ︵51︶ 付随損害の被侵害利益は、保護、保持または完全性利益︵むn合巳NJ国︸巴吟§oqω−o亀隅ぎ9讐津馨。・一艮o器。。ω①︶などと呼ば ◎力n庁暮N宮=o宮“HΦ◎。N°oり゜声9° 拡大された行態義務︵司色9冨く6昏c。#o冒ω宮一︷。宮︶など用語︵更には内容も︶は、統一されていない︵<σq一゜民昌一い曽6ロN、 れ、また、その保護に向けられた義務についても、保護義務の他、配慮義務︵ω。芸パ巴け゜。嘗一︷。宮︶、付随義務︵2巾ぴΦ暑庄。宮︶、 お。。吉国日一゜ざ宏忠一問合﹃ト。Φ切゜S︹°本稿では論老の説明につきその用語による他は、一応”保護利益”及び”保護義務” ︵57︶ 切O出N“ρωω9 但し、最少限の要件として契約締結の可能性を要求する︵くσqピ↓o︷合日①昌P①﹄°O°︵ウ昌日︶、むり゜ωO︶。 ︵56︶ <σq[戸09詳綱o目胃、O巳2ω99白σq自Nc日即o庄o日△o﹃即o合寄①白富津旨騨一〇〇や“ω.﹃͡︷° ︵55︶ 民①ユ↑胃oR、O巳冨日8白吟日汀註P<o済①宮。・O自声o宮ロ且、、。。oN芭o民8冨宮、、呂O問HΦ9°O口゜oり゜田O ︵54︶ O呂P>βゆ實ぬo。。o旦︷oゲooり9暮昌宗o宮oPNo力吟綱Sω︵一路ωyΦ◎日ω●°oり゜べ∈ ︵53︶ 五十嵐直行﹁いわゆる﹃事実的契約関係の理論﹄について﹂法協一〇〇巻六号︵昭58︶一一〇二頁以下参照。 戸Φ。。心が有益である。 頼責任﹄論﹂民商八八巻二号︵昭58︶一一六〇頁以下参照。西ドイッのものとしては、↓①一合日①o見○巳冨ぎn8耳恥古窪ユO ︵52︶ その経過・発展については、北川・前掲注︵46︶一九四頁以下、渡辺博之﹁契約締結上の過失をめぐる体系化の傾向と﹃信 二五頁以下参照。 という用語による。なお、宮本健蔵﹁西ドイツにおける安全配慮義務と保護義務﹂法学研究︵明学大︶三三〇号︵昭60︶一 9冒9合合ωo力合巳腎①口庁亘ロ亀一゜﹂ω゜﹀昆ピ一㊤゜。N°むカニO⋮oり訂已合白唄隅民o日日o巳自昌日bdOロ゜ロ巳H押﹂°弓巴﹂N°︾昆[ eA 日冊 叢 律 法 一 ︵59︶ 局叶Ogり戸①﹄°○°︵ウ昌朝O︶“o力﹂ωo。︵木゜忘︽津゜6力゜NO︽ば. ︵58︶ <σq庁ピ曽①昌N“①﹄°○°︵司o朝O︶“ω゜望Φ゜不法行為責任の領域をこのように限定して捉えることに注意を要する。 ︵60︶ 国昌゜。け綱o拝問己o宮ユ子<o詳g甘白日5ωo昌已口巳く隅゜慶oげ巳ユoP>o勺嵩ω︵お課︶°ΦSむ力]HNhS° ︵61︶ O印昌①ユ禦O︷Φ勺δ匹已N①葺o昌庁忠90σq日Ooσq日彗︷°。o庁o﹁ロ昌江﹁8宮呂巳亘゜りo庁雪むリド耳゜臼N◆おΦ゜。、お企oり゜朝Oド ︵62︶ O●8ユ。。、︾ロω℃呂合o司①・qo昌、.Ooω三く2<Φ詳雷ぴqω<6ユ9N已昌σq、ヒロ色.、ω合巳N司障犀ロ白民合﹁Oユけけ9ぴ忠邑合江σq窪く隅薮湾坦 ]N°戸ΦΦぷ古やO⋮αo﹁ω巴ぴP切nゴ暮Noqoo力o言Φ<2吋Φげ房艮=o宮o昌あ6匡暮N嘗ば6宮巾P司oり︹陰﹃民oユい①8白N“這o◎PNや゜Qo°鷺 その紹介としては、奥田・前掲注︵1︶二四八頁以下、宮本健蔵﹁契約責任の再構成をめぐる最近のドイツ民法学の一動向 9﹂法学志林七九巻一号一一一頁以下、田沼柾﹁O§曽﹂ωの統一的法定保護義務関係論﹂比較法雑誌一八巻三号︵下︶︵昭 ︵63︶ 弓臣9P[o︷ω90口ωω8﹁已oσq已己。り合巳No宗o宮o昌、.]N二〇①SOお゜今や両極は、ω不法行為︵已コo﹁訂ロ宮6出碧合冨昌口︶ 59︶七五頁以下がある。 基づく責任か、ω他者に対する具体的義務の違反に基づく責任︵頃印☆§険碧。。江魯く零一6⇔N旨成。ぎ雪丙§宮①需p<Φ﹃− ﹄已o力w冶やω゜OΦご呂口=2−○叶忠抽OけOΦ切6匡驚冨く2げぎ餌已昌σq巴ロ。oりn匡已吟N葺=n宮く2庁巴9︷o。、SN’﹂㊤や◎嵩ω⋮国く知ロω−<o⇒ ℃庄6宮二目θqoq而σqo昌9魯碧△巽o⇒︶かであるとする。O①︸曽合︾08出忠9コロψ。目豊。。け①亘一日鳴ψ。9昌合o口白り合旨N<。︸巴け巳ρ 民呂①ぎ2[o宮oユ巳︼已昌口ω﹁o頃Φぎo已o庁ぴ9≦o詳o﹁Φ白く2ば巴吟o口ω−o匹隅ωo﹃σqゴ印#題臣o宮く6ユΦ蔚已⇒σq噌︾o勺S⑰︵一Φ﹃㊤︶、o◎朝 る。喝30。ρPPO°︵男昌mO︶° 呂O言O︹む力O討已言や木=O宮<OユO言已白oq已口画↑O﹂ωεO㈹ψ。已日Oσq=O庁吋江8﹄N°一Φo。ω“o。忽゜ 法律行為的接触は意識的な法益の接触を目的とし、不法行為法上の権利領域の保持という関係を越えていることを根拠とす ラ ︵64︶ o力9日隅は、ω保護義務、㈲付随義務及び匝配慮義務に分け、ωと㈹についてのみ内容が十分に具体化されている限り ︵65︶ 例えば、国日日。ユoゴは、法定または契約上の責任の制限は固有の給付関係にのみ適用され、保護義務関係には及ばない 訴求可能性を認める︵O魯﹀白ω買ロn庁碧︵国瓜巨一口目口く8弓叶o已Φ己ロユ0り自・qパ①一冨O͡一一〇宮o白]N°声q⊃べΦ゜ω忠゜︶。 ヘ シ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ツ としている︵PPO°︵昌09冷︶“o力﹂巴S°︶。 ヘ ︵66︶ 国ω゜−。お①.PO°︵ヴ500yoo°嵩ω゜なお、P白曽富は、信頼責任は、不法行為責任でないだけでなく、契約責任でもない ︵67︶ これについては、浦川道太郎﹁紹介・クリスティアン・フォン・バール著﹃社会生活上の義務﹄臼 口﹂早稲田法学五七巻 ため、不法行為法の適用を否定する必要は全くないとしている︵均む力 ͡ρ﹁↑①叶OON ︵男昌 ΦN︶“ω゜一〇。。︶。 ︵68︶ ]≦o言①︹Po°ρ︵勾昌Oω︶、芦o。げ゜m°◎。◎o﹃は゜ 一、二号参照。 シ 一 契約責任の本質と限界 599 ︵69︶ <σq一゜民﹁OCNΦ5︾昌日①﹃犀ロ白鳴臼N°声Oべ9や∨o◎、ω.やooO⋮<O昌口①さくO﹃け﹃①ぬ一︷OげO ωOげ①△ΦOωΦ吟◎り餌叶NO͡一︷O●⇔O口O﹃ロO<6﹃[﹃①oa喝 ︵07︶ Z﹂﹃汁、カOO●冨くΦ﹃ぴq一〇︷n庁O昌らOωN已﹁国①津已昌σq︵呑﹃O已一〇①一昌nO白͡吋四げ①ロムP問知●Φ一ωNHo◎︵一㊤OωyωHρoo“ωO一゜ 日已ω ︼OOoN° Oωや゜ ω゜忠O° ︵17︶ <O昌O①Φ旨日O﹁Φ︹≠ぺ但昌ロ一β昌瓜●ロ臣Φω06一︷犀吟ω﹁ΦO庁⇔o駐 ︵戸㊤ΦOyOΦo。ω日日O一[6ωOげユS吟Oβbdユ一s白o°ふΦO︵S° ︵72︶ 因o巨い曽①口N、ロ。日魯犀已oぴqoロN旨出①津9頓津叶.、6巳o知ぎ8暮日げ自江o、、・司ω凄吟ロ臣o目9卑・HΦや臼ωq⊃S 過失の証 行為法の領域に置かれることになると言う︵ω込Oω︶。呂Φ合o已9<雲ωoば巳臼Φ昌ひΦ声日く雪茸①oq・。<o書昌合ロ昌険oPOロ訂o宮o白 明責任はもはや両責任で差はなく︵ω゜SN︶、民法八三一条と二七八条の差異がなくなれば︵積極的契約侵害を含めて︶不法 ロロ巨︿O叶ω⇔●一餌σqON已﹁d≡O﹁①﹃ぴO津口OσqらΦωo力Oゴ已一画叶OOげ[ω切江一゜H㊤◎◎お ふやΦ゜ω゜昏ooqつS︵⋮色O叶oIO一●P oDO庁二一△﹁①O庁古oり 一゜N°﹀ロ︷一 H⑩oo古 o力∋切戸⋮↓Φ一〇げ旨ロ白問w餌゜①.O°︵勾白 切N︶ ω゜NΦ木尺 ﹂ωO咋︹ 出①白ωoo吟〇一一︼ 弓知けぴΦoo辞蝉昌エOβ⇒ムヴ已昌吋け一〇白声O﹃Φ昌△O﹁国①木け二目ぬ ︵37︶ 司O一͡σq①Oσq司剛ズO昌[ωO庁①5むoO匡ロ一〇﹃ΦOゴ戸S︾ロ木一゜HΦ◎oぷω゜NOべSS°声口ω亘.NべどNやωwト3﹃ΦS° ͡熔叶Oロ一〇四︷⇒nO口͡﹃①﹃Φ口画O“司o力 ﹃β﹃<O口〇四Φ日日①﹃Φ吟w 声Φ﹃oo°︽ωO°o力゜卜ON吟︵° ︵74︶ d一ユO庁 国GぴO﹃wN口﹃ OOσq日ロ寓吋 巳⑦﹃ <Φ﹃⇔﹁①σqoりくOユΦ吟N已ロロOO 冒①O庁 Φ一昌古O一匡一〇庁Φ昌 民餌βS﹁⑦6ず吟 已⇒△ OΦ已吟ωO庁O昌 む力O古ロ一〇・ <O﹃⇔吋餌σqoo︿O﹃一〇[Nロ昌険﹀ ︾O勺 ﹂∨や ︵一q⊃べ﹃︶° N忠り 切゜ω戸◎o吟◆⋮ 全O﹁ooΦ一●P 冒O︷ω古ロロσqoりωけO叶口昌口O目、 ○βけ四〇庁仲①昌 口白阜 くO﹁ωO庁一障ぬO ﹁OO庁戸 男o力 柏ぴ﹃ <O昌 O①O日日O﹁05 HΦやoo°◎◎ωS 一白oり●° o力゜ooONSh°⋮ ユO﹁ω〇一ぴP ]︻但柄叶已づ頃 OΦoり くO﹁村位口峠Φ﹁ω 司O頒Φ昌 OOψり一江くO﹁ ︵75︶ 呂Φ合6ロψ・°。力合巳合①o宮︼°N°︾ロSピHΦ。。♪ω]qコρ履行不能・遅滞の規定の類推適用というのはo。訂已●と同じであるが、 N口叶一qσO﹁①叶亘O#已昌ぽq江OωむりO●ロ一ら叶①O古吟夕 切臼゜担 HΦooド Φ︽﹃uoD°﹃ω﹃° 察 その意義が全く異なるわけである。 考 O わが国では、フランス、西ドイツにおけるように不法行為法の難点のしわよせが契約責任になされるというこ 1 わが国の状況 比較法の成果をふまえて 四 600 法律論叢 契約責任の本質と限界 601 とはなかった。ところが、戦後、学説により西ドイッの議論が一部で輸入され、他方、判例上も昭和四〇年代以降契 約責任の拡大がなされる傾向があり、特に”安全配慮義務”がフランスのo窪一σqp江oロ合ω警巨津ひのように一般化 される可能性を示している。従って、わが国でも契約責任の領域、その拡大の意義について明らかにする必要のある 状況に至っている。ところで、契約責任は民法四一五条により﹁債務ノ本旨二従ヒタル履行ヲナササル﹂こととして ︵76︶ 統一的・一般的に規定されており、同条はフランス民法に連なるものと言われている。従って、本来、フランス民法 の。.﹂ロo×曾暮一〇ロ、、と同様の状況であるが、明治末期以降ドイッ法学の影響を受け、その内容に不履行態様による分 ︵77︶ 類が盛り込まれることになる。しかし、わが国の不完全履行論は民法四一五条の一般条項の下に安住し、活発な議論 を生むことなく、戦後の議論を含めドイッ法上の議論の後追いにすぎないと言えなくはない。以下では、被侵害利 益・義務からの議論、そして、契約責任と不法行為責任の本質的差異をめぐる議論につき、一瞥しておきたい。 ヘ ヘ ヘ ヘ へ ⇔ わが国でも、不完全履行論において給付利益以外の利益︵以下給付外利益と略記︶が侵害される場合を含めて 考えられていたが、かかる異分子が、西ドイッのように給付利益←給付義務に対する保護利益←保護義務という形で ︵78︶ ︵79︶ 析出されることはなかった。それは、やはりナチス期のドイッ民法学の輸入により始まり、松坂博士により次のよう にわが国への導入が主張されることになる。即ち、﹁債務関係から給付結果、即ち財貨の取得を目的とする給付義務 の外に、債務関係の発展過程において、相手方の物的乃至精神的財貨に対する特別な干渉によって生じ得べき損害の 防止を目的とするところの保護義務が発生する﹂、﹁債務関係はその当事者間に信頼関係を発生せしめ﹂、﹁この信頼関 ︵80︶ 係は給付関係に従属するものでなく﹂、却ってこれが保護義務を発生させる地盤をなすものである、と。 こうして、ω給付利益←給付義務、㈹保護利益︵給付外利益︶←保護義務という構造がわが国にも導入されたわけ であるが、直輸入の域を越えず、その有する意義は解明されることなく、却ってかかる利益←損害による分類を批判 律 602 叢 論 ︵81︶ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ する者がみられた。その意義が解明されるのは北川教授によってであり、次のような問題の提起・分析がなされる。 即ち、①﹁法律行為−契約ー履行義務ー債務不履行・契約責任という伝統的な体系とならんで、契約の前中後 における当事者の一定の法的態度に対しても、そこに契約的保護に値する契約債権関係が発生していることから、契 で ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 約責任を論ずる余地がみとめられる﹂︵傍点筆者︶、②そこで、ω給付義務の違反を内容とした”基本的契約責任”と は別に、㈹付随義務及び注意義務違反を内容とした”補充的契約責任”が認められるべきである。㈹はω﹁における 契約利益・期待の対立原理の貫徹のために、契約の前中後にみられる一定の利益・期待の衝突・紛争を調整すること を目的としているが、債権関係は、かかる履行義務外の諸利益や期待に対して外枠ないし定着性を与えるという機能 ︵82︶ をになう﹂、と。 ヘ マ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ これは、契約責任の拡大という意図の下でなされたものであるが、逆に、給付外利益の侵害事例での責任が被侵害 利益・義務という観点から本来の契約責任ではなくそれを拡大するものであることを明らかにすることにより、契約 ︵83︶ ︵84︶ 責任の固有の領域を限界づけるという成果をもたらした。学説の影響を受けてか、従来みるべきもののなかった判例 も、昭和四〇年代以降契約責任の領域を拡大する傾向にある。即ち、①医療過誤が初めて契約責任と構成され、②幼 @ て受給者に対して安全を確保すべき義務がある﹂として、爆発事故につき契約責任を認めたものなどがみられるよう 人の死亡につき賃貸人の契約責任を認めたもの、⑥プロパンガス供給者は、﹁プロパンガス供給契約に伴う義務とし 命・身体・財産上の法益を害しないよう配慮すべき注意義務を負って﹂いるとし、不完全履行を認めたもの、⑤賃借 売買の目的物を交付するという基本的な給付義務を負っているだけでなく、信義則上、これに付随して、買主の生 児保育委託契約につき、幼稚園経営者は﹁園児⋮⋮を安全に保護すべき債務を負﹂い、園内での事故につき契約責任 ︵85︶ が認められ、また、暇疵惹起損害につき、③民法五七〇条で処理したもの、及び、④﹁売主は、買主に対し、単に、 一一 になる。 ヘ ヘヘ ヘ シ へ の認めるところとなったこと、また、その判例数の多さからも、現在、契約責任の拡大の中核をなしており、この安 ︵86︶ その中にあって最も注目されるのが、労働災害における安全配慮義務による契約責任の承認である。これは最高裁 全配慮義務がフランスのoひ=σq彗一8エ。ω舎已﹂依のように一般化される兆候がみられる。しかし、医療過誤責任と 同様にその契約責任性には疑問も多くあり、その中で、国井教授は、契約責任構成の意義を積極的に認めようとし て、”通常の安全配慮義務”と別に、一定の場合にーフランスの結果債務たる保護義務にも似たー“絶対的な安全 配慮義務”を認めており、注目される。いずれにせよ、現在では給付外利益が侵害される事例につき特別の考慮を要 ︵87︶ することが承認されており、それと結びつけて契約上の義務論を展開するのが一般となっている。その現在の到達点 ︵88︶ を示すものとして、奥田教授は次の・うな分類をな輔ω︵主・従の︶給付義㈹付随的注意嚢これは・﹁給 付義務の存在を前提として、この給付義務を債務の本旨にかなって実現すべく配慮すること、および給付結果ないし 給付利益︵⋮:︶の保護へと向けられた注立日心義務﹂である、働保護義務、これは、﹁相手方の生命・身体・所有権そ の他の財産的利益を侵害しないように配慮すべき注意義務﹂であり、その根拠は、給付義務︵←合意︶から独立した 責任との限界という観点から光を当ててみなければならないのである。 たと言って過言ではない。それ故に、冒頭に述べたようにこの給付外利益が侵害される事例を、契約責任と不法行為 為責任との関係で問題を生じていたのは、まさにこの領域であり、この領域あるが故に両責任の限界が不明瞭にされ 結果、何故この領域が契約責任に組み入れられるのかという問題も生じてきている。既述のように契約責任と不法行 ⇔ このように現在では、給付外利益←保護義務という異分子がわが国でも解明されるに至ったと言えるが、その ︵90︶ ところの信義則に求められるにすぎない。 契約責任の本質と限界 603 604 ヘ ヘ ヘ ヘ へ 債務者による給付義務違反が契約責任のみを成立させ、請求権競合が債権以外の権利︵‖給付外利益︶が侵害され る場合にのみ認められることは当然視されていた。しかし、債権が給付義務に対応するものならぽ、保護義務という ゐ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヤ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 構成を知らない以上、債権以外の権利の侵害は給付義務違反に還元しえず、そこで、給付外利益の侵害が何故契約責 任とされるのか、その説明が要求されることになった。これを、不法行為責任から契約責任へというテーゼの下に説 明しようとしたのが川島博士であり、何故契約責任とされるのかにつき、次のように説明をなしている。即ち、 ①﹁契約は本来、人と人とを接触せしめる点において一の加害の危険を含むのであり︵ドイツ学者のいわゆる く。詳日σq°・σQ。合宮︶、⋮⋮最近の経済および文化の発達のもたらした契約の多くは、それに固有な危険を含んでおり 一般社会生活関係に対し一の特別な危険関係を構成し、その社会関係の特殊性は契約外の一般関係とは異る特殊の規 ︵例えぽ⋮⋮運送事故、工場災厄等︶、その損害発生の可能性においては特に顕著のものが存する﹂、②﹁契約関係は 律を要求する。契約法はまさにこの特殊の規律としての機能を担当するものであるが、不法行為法の規定はかかる特 ︵91︶ 殊な関係に適用されるに適しない所の一般的標準的内容を有して﹂いる、と。 複雑化し、損害発生の危険が高度化・広汎化した現代社会にあっては、契約関係固有の危険領域と不法行為固有の危 うな両責任の差異を﹁社会的地盤の差異に求める考え方﹂は、﹁社会的接触の増大することにより、紛争が多様化. ヘ ヘ ヘ ヘ マ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 適用範囲を非常に制限したことである。その後の学説に与えた影響は非常に大きい故に注目される。しかし、このよ 任は契約関係に特別な加害を対象とせず、それとは無関係な第三者間の加害にのみ適用されるとし、不法行為責任の ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ 契約責任を拡大することを正当化したこと、㈹他は、その結果、そして、法条競合説を採ることにより、不法行為責 契約責任は契約関係という特別の危険関係に適用されるとすることにより、給付利益←給付義務という領域を越えて ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ この川島説には二つの重要なテーゼが含まれている。ω一つは、社会関係の差異により責任の適用範囲を区別し、 マ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 論 叢 律 法 険領域の差異は著しく不明瞭になってきた﹂、と批判され、今や両責任を分つ基準たりえないことが明らかにされ、 ︵92︶ 議論は振り出しに戻されている。 そこで、請求権競合の領域における議論に目を向けてみると、戦後この分野では、ω一方で実益論の影響、㈹他方 で訴訟物論の影響が大きな髪落している・即ち・理論と法律解釈とが混乱されてお聴この領域につき・学説は・ ω不法行為責任は成立しえないか、または、㈹契約責任も成立するとするのか、という理論的な面を問題とするの ラ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ か、それとも、領いずれの責任が成立するかは問題とする必要なく、ただ法律解釈上問題となるそれぞれの点につき いかなる規定が適用されるべきかさえ考えれぽ十分であるとするのか、明らかではない。一方で、保護義務といった 及びその展開については、北川・前掲注︵46︶三〇〇頁以下参照。 ︵77︶ 用語も内容も統一されていない︵五十嵐清﹁不完全履行・積極的債権侵害﹂法セ三二〇号︵昭56︶三七頁以下参照︶。学説 ︵76︶ 星野英一﹃民法概論皿﹄︵昭53︶四六頁、北川善太郎﹃日本法学の歴史と理論﹄︵昭43︶四三頁以下。 上の処理を要するものも含まれていることも否定できず、その検討は問題として残される。 て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 義務という構成はそのための手段にすぎないことが意識されつつあると言えよう。但し、その中には価かかの契紺法 本来不法行為責任の問題に法律解釈上契約責任についての規定を適用させるという意味を有するものにすぎず、保護 ヘ シ ヘ ヘ へ が契約責任として擬制されているものなのである﹂、という主張もみられ、給付外利益侵害についての不完全履行が、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 ︵98︶ に、﹁要するに、不完全履行は、右のような契約的効果を帰属させるという法政策的考慮に基づいて、不法行為責任 ヘ へ て ヘ へ て て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ ヘ へ 的糞ならない・とが認めら姪その契約責任性に疑票投げかけられてい菊その結果西ドイッにおけるよう 理由づけをも・て契約責任を説明する点では㈹のようであるが・多くは・結局鋤に落ち着いてい璽しかし・給付外 く ︵95︶ 、 、 、 、 、 、 、 、 利益が本来不法行為法上の問題であり、保護義務も不法行為法の一般的義務︵以下一般的不可侵義務と略記︶と本質 契約責任の本質と限界一 605 律 叢 606 ∋ム 戸田 法 ︵78︶ ﹁従来問題とされた不完全履行の例は拡大損害が中心を占めていた﹂と言われている︵五十嵐・前注、四〇頁︶。勝本博士 全履行序論﹂︵初出昭4︶﹃民法研究ω﹄一八四∼五頁︶、それがいかなる意味を持つかは明らかとされず、また義務論からの は、不完全履行中、積極的な損害が生じた場合を”加害的履行”とし、特別の考慮を要するとしているが︵勝本正晃﹁不完 考察と結びつけられてもいない。なお、石田文次郎﹃債権総論講義﹄︵昭11︶は、この給付外利益の侵害の部分を”積極的 ︵79︶ 中川一郎﹁ストールのナチス債権法理論ー給付障碍論l﹂商業経済論叢一五巻別冊︵昭12︶七八頁以下、我妻栄﹁ナチス 債権侵害”として類型化する説に従う︵一=一七頁︶。 の契約理論﹂︵初出昭17︶﹃民法研究1﹄四二三頁以下、松坂佐一﹁積極的債権侵害の本質について﹂︵初出昭19︶﹃債権老取 ︵80︶松坂・同右二四五頁。同﹃民法提要債権総論︹第四版]﹄︵昭57︶七頁、八三∼四頁も同様である。 消権の研究﹄二一七頁以下。 ︵81︶ 西村信雄﹃債権法総論﹄︵昭23︶七六頁、林信雄﹃債権法総論﹄︵昭28︶一一一頁、我妻栄﹃新訂債権総論﹄︵昭41︶一五七 頁、但し、舟橋諄一﹁不完全履行について﹂﹃末川還暦記念民事法の諸問題﹄︵昭28︶七八頁は、原因ないし因果関係の起点 ︵82︶ ①北川・前掲注︵46︶一頁、②同﹁契約締結上の過失﹂﹃契約法大系1﹄︵昭37︶二三二頁、同上①三四九頁以下、同﹁債務 を異にすると言う。 ︵83︶ 但し、旅客運送事故は別である。わが国ではフランスと異なり商法五九〇︵旧三五〇︶条が旅客運送事故につき規定して 不履行の構造とシステム﹂法学論叢=六巻一∼六号︵昭60︶二二九頁以下。 おり、同条の下で、明治四三年七月七日の大審院判決︵民録一六輯五二五頁︶は、訴訟代理人青木徹二博士のフランスの契 約責任説に従った主張を受け入れ、﹁旅客運送契約ハ安全二放客ヲ目的地二輸送スルコトヲ目的ト﹂し、旅客死傷の場合は ﹁運送人ハ其契約上ノ義務ヲ履行シタルモノト為スヲ得﹂ないと判示した原審を支持し、これを”旅客安全輸送義務”と称 している。その後、この判例は現在に至るまで学説・判例により当然のように受け継がれているが、商法の片隅にこのよう ︵84︶ ①神戸地竜野支判昭四二・一・二五下民集一八巻一11二号五八頁、②大阪地判昭四三・五・二判タ五二四頁、学校事故に なフランス法の残津が存することは興味深い。 関しては、伊藤進﹃学校事故の法律問題﹄︵昭58︶五七頁以下参照、③福岡地久留米支判昭四五・三・一六判時六二一号七 六頁、前橋地判昭四七・五・二判時六八七号八八頁、④岐阜地大垣支判昭四八・一二・二七判時七二五号一九頁、高松地判 昭五五・一一・二八判時一〇一五号一〇九頁も不完全履行と構成する。⑤山形地米沢支判昭五四・二・二入判タ三入一号五 一契約責任の本質と限界 607 ︵85︶ 西ドイツでは暇疵惹起損害︵呂昌σq。罵巳σq霧合牲。口︶は、現在では環疵担保責任ではカパーしえず、積極的契約侵害によ 三頁、⑥京都地判昭五六・一二・一四判タ四七〇号一五四頁。 るというのが多くであり、他方、フランスでは、暇疵担保責任を履行不能論により限界づけることを知らず、暇疵惹起損害 も暇疵担保責任により処理されている。わが国では、D給付義務違反との因果関係の問題とするもの、⑥保護義務違反とす るもの、価不法行為責任とするもの︵更に特定物については債務不履行と区別された暇疵担保責任の内容とすることも考え ︵86︶ 最判昭五〇・二・二五民集二九巻二号一四三頁、安全配慮義務を、﹁生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき られる︶が一応考えられる。 ︵87︶ 国井和郎﹁﹃安全配慮義務﹄についての覚書㊦﹂判タ三六四号︵昭53︶七二、七三頁。 義務﹂としている。 ︵88︶ 例えば、中井美雄﹁履行の契約不適合性﹂﹃現代契約法大系第二巻﹄︵昭59︶二二入頁、高橋真﹁ドイツ暇疵責任法におけ ︵89︶ 奥田昌道﹃債権総論ω﹄︵昭57︶一六頁以下。 る積極的契約利益・消極的契約利益・完全性利益の区別﹂﹃林還暦現代私法学の課題と展望㈲﹄︵昭57︶一七二頁。 ︵90︶ その他、給付外利益の侵害を給付義務以外の義務違反と結びつける者に、於保不二雄﹃債権総論︵新版︶﹄︵昭47︶=○ シ ゐ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て ヘ シ へ 頁、林良平他﹃債権総論﹄︵昭53︶一三、九八∼九頁、鈴木禄弥﹃債権法講義﹄︵昭55︶一九二頁、北川・前掲注︵46︶三五七 ︵91︶ ①川島武宣﹁契約不履行と不法行為との関係について﹂︵初出昭9︶﹃民法解釈学の諸問題﹄四頁、②同一二九頁、同﹃債 頁、四宮・前掲注︵1︶九六頁などがある。 ︵92︶ 平井宜雄﹃損害賠償法の理論﹄︵昭46︶五〇四頁。 権法総則講義第一﹄︵昭24︶一三五頁以下。 ︵93︶ 川島・講義︵前掲注︵91︶︶一三六頁も、民法規定が歴史的産物たることから類推適用が必要とされることを認めていた ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ へ が、その端緒は、両責任が理論的に異なることを認め法条競合を主張しながら、他方で、類推解釈という手法により民法解 ︵49︶ 平井・前掲注︵92︶五〇五頁、鈴木・前掲注︵90︶一九四∼五頁、全規範統合説︵四宮・前掲注︵1︶九一頁以下、奥田・前 釈上その相互移入を認める加藤一郎﹃不法行為法﹄︵昭32︶五〇頁以下に求められよう。 ︵95︶ 北川・前掲注︵46︶三七九頁、奥田前掲注︵1︶二〇九頁、同前掲注︵89︶一八頁、鈴木・前掲注︵90︶ 一九〇頁。 掲注︵1︶二六四頁︶も、責任決定を要しないとする点で同様である。 律 608 ︵96︶ 奥田・前掲注︵1︶二六一頁、四宮・前掲注︵1︶一〇八∼九頁。但し、於保教授はこれを区別し︵前掲注︵90︶一一一頁 注︵2︶︶、また、四宮教授も﹁例外的に、不法行為法上の一般的法義務を取り込んだというのではなく、契約の本来的給付目 った保護義務は、特定人間に欲せられ目的とされた接触という契機を欠く社会生活上の義務と異なると言う︵①◆PO°︵男昌 的が相手方の権利の安全をはかることに存するものがある﹂、としている︵同前︶。なお、吋巨巴。は、初めから特定人を狙 ︵97︶ 安全配慮義務についての判例において、時効や賠償債務遅滞の起算点、遺族の慰謝料等多くの問題を生じているのはその Oω︶”白力゜Φ9︶。 ︵98︶ 川村泰啓﹁増補商品交換法の体系1﹄︵昭57︶二六五頁。 実際上の例で あ る 。 き状態︵ω99ωaρ宕日︶における利益、即ち契約によって当事者に観念的・抽象的に創造された利益が保護され ︵101︶ 意思自治の原則の下に、ー物権法・不法行為法的な1現状︵ω冨言ωρ已o︶のあるがままの利益とは別に、あるべ の保護を目的とするという点で、両責任は区別されるべきである。かかる分離は、所有から︵債権︶契約が独立し、 ︵99︶ ︵伽︶ の保護を目的とし、旬不法行為責任は、公の秩序として一般的利益︵給付外利益︶1契約とは無関係に存する利益− ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ マ ︵ ︰11契約責任は、意思自治の原則の下に私人が自由に創造した利益︵給付利益︶1契約なしには存しえない利益1 ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ シ ヘ へ て ヘ ヘ へ とを認識した上で、その取り扱いがなされねぽならないことになる。以下私見を述べていきたい。 あり、ここに契約責任の本質を見出すことができる。従って、契約責任の拡大領域については、契約責任ではないこ とにより、消去法的に契約責任の本来の領域を残すことになった。それは、まさに意思自治の原則に適合するもので るために給付義務以外の義務が生み出された。しかし、それは、本来の契約責任の拡大であることを明らかにするこ ヘ へ ⇔ 契約責任に歴史的に混在せられていた異分子が、契約責任の拡大の過程で解明され、それを契約責任と構成す 2 私 見−契約責任の理論的純化 叢一 論 法 契約責任の本質と限界 609 るようになり認められたものである。これは義務論と表裏の関係にあり、ω不法行為法上、給付外利益を侵害しては ならないという一般的不可侵義務が、単にある利益が社会的に保護されることの表現ないし裏面にすぎないのに対 し、⑥給付利益を実現すべき積極的義務は、まさに給付︵ないし履行︶義務であり、契約の存在を前提とし当事者に ヘ ヘ ヘ ヘ へ のみ負わされる特別の義務︵11債務︶である、ということが導かれる。 ︵201︶ ︵皿︶ ⇔ 以上の契約責任と不法行為責任とを分つ基準は、理論的には厳格に守らねぽならない。これを一歩踏み出すな らば、両責任の限界は果しなく不明瞭とならざるをえない。また、契約責任でも不法行為責任でもない責任なるもの ︵401︶ も存しえない。但し、従来の契約責任の拡大における議論については、全くその意義が否定されるのではない。即 ち、ω先ず、被害者救済という法律解釈上の実益の存することは否定しえず、㈹更に、理論上も、一定の場合には確 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ かに契約法上の処理が正当視される場合が存すると考えられる。従来、この両者が明確に分けられることなく、契約 責任の拡大を推進してきたと思われる。りについてはここで述べるまでもないので、ここでは均について論じていき たい。 ︵501︶ 従来、契約関係に固有の危険とか、義務違反が﹁何らかの意味で債務履行態様に関連する﹂などと言われるとき、 それは単なる便宜性を越えて、給付外利益の侵害を契約外の問題として放置することへの疑問の表明が含まれていた と言える。その類型は三つに分けることができ、ω給付義務の不履行の結果として給付外利益が侵害される場合︵類 ︵ EO 1 ︶ 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 ︵701︶ リ へ て て ヘ ヘ へ て へ て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ 型ω︶、ω給付義務の不履行はないが、その履行に際して給付外利益が侵害される場合︵類型②︶、及び、垣主たる給 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ハ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ハ ラ 付 義務と何らの関係がない場合︵類型③︶であるーσは拡大損害、倣は付随損害とも言えようー。ここでは、い ずれも特定の給付外利益︵Gとωでは給付関蘭逗ぽ冷、め違溜連利益と言。えようが︶の墾.が契約上当然に 予見しうる場合であり、これを契約当事者間で全く契約外の問題としたと考えるのは不自然に思われる。しかし、問 叢 律 610 論 法 題となっているのは給付外利益の侵害である、というジレンマが生じ、それ故に従来この領域をめぐって議論が紛糾 し、第三の責任などという主張までもなされたわけである。 しかし、以上の考察によれぽ、契約関連利益は飽くまでも給付外利益であるため、その侵害は不法行為責任を導く のみである。但し、それは、契約責任は成立しえないというだけであって、契約法上の処理を否定するものではな ベ ヘ ヘ ヘ マ ヘ シ へ ゐ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ツ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ へ へ い。即ち、契約上その侵害が合理的に予想される場合には、かかる契約関連利益を侵害しない、換言すれぽ、保証な いし担保する趣旨が給付義務の内容から論理的に導かれると解する余地がある。これによれぽ、給付利益とは別に、 ヘ ヘ ヘ へ て へ て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ へ て 契約関連利益を保証ないし担保することが合意︵いわば責任契約..口昆言目σq。。<。詳﹃eσq。、︶されたか、ないしは、1別 ヘ ヘ ヘ マ ヘ へ て ヘ ヘ ヘ ヘ マ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ も ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 個の契約とはせずに1契約上の債務の保証的効果が契約関連利益に及ぶか否かの問題となり、これが肯定された場 合、その賠償義務は契約に基づく一次的給付義務であり、給付義務の不履行による二次的給付義務︵契約責任︶では ないことになる。また、その保証ないし担保の内容は当事者間で自由に定めうるのであり、過失の要否は、絶対的な ヘ ヘ ヘ へ ︵801︶ 保証ないし担保を約したか否かという契約解釈の問題に解消される。 ⇔ 以上の私見を体系的に述べるならば、以下のようである。契約︵←意思自治の原則︶の貫徹として独自性の認 められる契約責任は、契約によって作られた利益11給付利益の保護←︵一次的︶給付義務の違反←賠償義務︵11二次 ︵901︶ 的給付義務︶11︵一次的︶給付義務の同一性を維持した内容の変更、という構造を持つ。これを貫徹するならば、契 約責任としては不履行態様からみても、履行不能と履行遅滞の二つのみで十分であり、かかる分類が意思自治の原則 に基づいていたことが分る。即ち、次のようである。 、 、 、 、 、 、 、 、 ︵m︶ 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 ︵ m ︶ 先ず、給付利益に関する不完全履行なるものは不要である。蓋し、これを不完全な履行を全くの無とするのではな く一定の履行価値を認める問題と捉える限り、ω量的なものは、一部遅滞にすぎず、㈹質的なものは、意思自治の原 契約責任の本質と限界 611 則から言えぽ、別個にそれを目的とする合意がなけれぽその履行価値が認められるはずがないからである−民法五 七〇条は歴史的沿革に基づく特定物についての例外と言えようかー。次に、給付外利益に関する積極的債権侵害な ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ るものも不要である。契約責任は給付利益にのみ関するからである。給付外利益の保護を給付義務の内容とする場合 ヘ へ でも、給付利益はそのための役務それ自体であり、給付外利益が給付利益となるわけではない。但し、一定の契約関 連利益については、契約上、その保証ないし担保︵責任契約ないし債務の保証的効果︶がなされていると考える余地 があり、この賠償義務は契約責任ではなく契約上の一次的給付義務である。 更に給付利益←契約責任、給付外利益←不法行為責任と分けるならぽ、両責任の競合はありえないことになる。但 し、契約関連利益につき保証ないし担保が及ぶ場合には問題が残されるが、解答は留保しておく。要するに、従来給 付外利益に契約責任が議論されていた領域は、ω契約関連利益につき保証ないし担保がなされている場合、及び、㈹ 単に契約責任についての規定ないし理論を不法行為事例に適用するために、契約責任についての理論の借用がなされ ていたにすぎない場合とに分かれる。後者に関しては、民法の規定が歴史的産物であり不備が存する以上は、妥当な 範囲においてその結論は是認されて然るべきであるが、契約責任とした上でその理論を借用するというのではなく、 直戴に法律解釈上の類推適用として説明すべきである。 ㈲ 最後に、若干の各論的考察により私見を敷行しておきたい。先ず、売買契約については、ω暇疵それ自体の損 用法に適した物を給付することは、危険なき物を給付する趣旨を含み、暇疵惹起損害を保証ないし担保する趣旨を含 害のみが給付利益の問題となり、㈹暇疵惹起損害︵類型ω︶は給付外利益の問題となる。但し、給付義務の性質上、 ︵211︶ むと解する余地はある。次に、旅客運送事故︵類型②︶については、旅客の生命、身体は給付利益たりえず、契約責 ︵⋮⋮︶ 任は成立しえない。・れは、運送人の繧霧仁でω運送の他に・㈹施客安念驚が内容とされようと漂 律 叢 612 論 法 ツ ヘ ヘ へ 様である。蓋し、旬の給付義務は、それが主たる給付義務とされる場合でも︵例えば、ボディガード契約︶、その給付 、、、、、 、、パ、、、、、、、、、、、、、、、、、 利益は生命・身体ではありえず保証という役務にすぎないからである。但し、かかる給付義務が導き出される場合に は、契約関連利益の保証ないし担保が導かれる可能性はあろう。これは人に限らず物についても同じであり、例え ︵511︶ ぽ、受託者が寄託物を滅失ないし穀損した場合︵類型ω︶も、給付利益は寄託物それ自体ではありえず、保管という 役務にすぎない。但し、その債務の性質上、寄託物の損害についての保証ないし担保を導く余地はある。 医療過誤については、事例が、ω診療・治療をなさない、または、完全になさない場合︵類型ω︶、及び、㈹診療・ 治療の際に加害をなした場合︵類型②︶とに分けられる。いずれにせよ、給付利益は診療・治療という役務にすぎず、 ︵Ell︶ ωについては生命・身体の損害についての保証ないし担保を認めねぽ不都合であるが、他方、㈹については微妙であ る。これらに対し、労働災害︵類型③︶は問題である。蓋し、類型ω及び②は“履行によって”損害が生じたと比喩 シ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 的に言え、不完全履行に何の疑間もなく含ましめられてきたのに対し、ここには、かかる状況はないーそれ故に安 全配慮義務という特別の義務が特にこの事例で注目されたわけであるーからである。しかし、旅客運送契約と同様 に、労働者を安全に保護する役務が独立した従たる給付義務として導かれるならぽ、生命・身体の損害についての保 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 ︵m︶ 証ないし担保を認める余地はあろう。 ︵99︶ 我妻・前掲注︵81︶八頁は、物権は﹁物資の保持を利益内容とし﹂、債権は﹁物資の獲得を利益内容とする﹂と述べる。 民許o犀は、﹁いわゆる絶対権から生ずる全ての請求権は、権利者とその対立関係にある者との間の権利領域の限界の保持に ︵ppρ︵日Φωy°り゜零︶。因に、アメリカの㊥8。・°・魯も、﹁契約と不法行為の基本的差異は、被保護利益の性質に存する。 奉仕する。他方、債務的請求権については、債権老と債務者の権利領域の間の権利者のための移動が可能とされる﹂と言う 不法行為訴権は、さまざまな加害から利益を免れしむるように保護するために生み出される。⋮⋮契約訴権は履行を約され た利益の保護のために作り出される。契約上の債務は当事老の合意を表明する行為により課せられ、契約上名の現われた特 契約責任の本質と限界 613 定人のみが負うL、医者が治療しない、運送人が運送しないのは契約不履行であるが、治療を誤ったり、運送中に損害を加 ︵001︶ 川島・講義︵前掲注︵91︶︶五∼六、一〇二∼三頁参照。 えたときは不法行為責任が成立する、と言う︵口①昆ぴoo村o木各。冨司o︹けo﹁戸ふ江゜おや一〇°Φ一ω1心︶。 ︵101︶ 但し、かかる給付利益は、物の売買契約では比較的明確であるのに対し、為す債務では常に明瞭とは限らない︵星野・前 掲注︵76︶四九頁参照︶。契約責任論−更に契約総論一般もーは売買契約を専ら念頭において構築されており、それ故に ︵201︶ 西ドイツでは、給付義務とは別に給付誠実義務︵い。芭ロロσqω☆。自o宗o宮︶が認められ、それは、給付義務を確保するための補 ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 為す債務については十分に機能しえないということが考えられる。 充的義務であり、給付目的ないし給付結果を侵害・危殆化せしめる行為をしてはならない義務とされ、一方で給付利益の確 呂旨。言窪民o日日Φ目富︹切合H°N°︾c︷[一Φ。。切く自芯誤wカO旨戸一Φ⋮5訂ロム戸bd臼ぴq。庄合。°。男8宮℃ぱ゜﹀ロPHΦ◎。ρ●呈ぷ 保へ向けられている点で保護義務と、他方で、独自の給付利益を有しない点で付随的給付義務と異なるとされる︵bウ日目。﹁一n戸 ︵301︶ なお、かかる利益面からの契約責任の独自性は、賠償範囲を、いかなる利益が契約によって保証されたかという観点から ヘ ヘ へ て て ヘ へ ぬ ヘ ヘ ヘ ヘ パ へ て ヤ ヘ ヘ へ ふud餌︶。 決することを可能とする。不法行為責任における因果関係論の契約責任へのパラレルな適用︵‖不法行為責任からの非独立 性︶については近時批判が多く︵”契約利益説”好美清好﹃民法判例百選旦債権︵第二版︶﹄︵昭57︶二〇∼一頁参照︶、これ ︵401︶ 奥田・前掲注︵1︶二五七頁以下、平井・前掲注︵92︶五〇五頁が、法律解釈上、民法の規定の適用を決定する際に、契約 ヘ ヘ ヘ へ て ヘ マ ヘ ヘ ヘ ヘ ヤ ヘ へ て は、右の観点から評価されうる。 えない。 責任か不法行為責任を論じる必要はないというのではなく、理論的にもいずれかに決定しえないというのであれば、賛成し ︵601︶ 星野・前掲注︵76︶五二∼三頁参照。 ︵501︶ 潮見佳男﹁債務履行構造に関する一考察9﹂民商九〇巻三号︵昭59︶三四六頁。 ︵了OI︶ 我妻説等では給付義務違反との相当因果関係の問題とされ︵注︵81︶参照︶、保護義務を認める説では、給付義務と保護義 務の両義務違反が競合するものと言われる︵Oo冨ユω、﹄N°一〇〇〇PPO°︵ウ昌ΦN︶“切゜ミS 奥田・前掲注︵89︶一九頁︶。 ︵801︶ かかる限度でω訂苫×の契約的保証理論、国井教授の安全配慮義務の二分類という思想に賛成したい。また、可能かどう かは別として、契約締結上の過失を契約法上の問題とするためには、責任契約だけを独立して認めるしかないであろう︵な 律 ︵901︶ 西ドイツでは、一次的給付義務なき法定債務関係における保護義務の違反により、二次的給付義務が生じると言われるが お、北川・前掲注︵46︶二〇五頁以下参照︶。 ︵↑胃Φ白N“①﹄°O°︵勾oOH︶、oo°◎。︶保護義務に本文のような構造があてはまらないことは明らかである。 ︵lll︶ 下森定﹁種類売買と暇疵担保﹂﹃民法学5﹄︵昭51︶一〇〇頁参照。 ︵Oll︶ 鈴木・前掲注︵90︶一六八∼九頁に従う。但し、既に西村・前掲注︵81︶七五∼六頁の示唆していたことである。 ︵211︶ フランスの現在の学説は、これを、呂鵠8昆のように保護義務︵oげ一一σq巴日口△6。・ひ。旨詳ひ︶を独立させないで、適合物 給付義務︵oぴ一蒔巴﹂oOユooo昌甘﹃旨︹[ひ︶に統一している。 ︵311︶ 因に、BGB四六三条一項の解釈につき、08合ユo冨。oは損害賠償の範囲は保証の及ぶ範囲か否かで決定されるとし ︵、.ω合巴9°・2°。9N司。σq窪2︷n宮。ユ巨ζR.、§全bウ﹁°−暮N<8忌9ぬ。5一湾ω9ざ。PP勺一ΦO︵おΦ口︶“嵩ρω]零吟ご、 ︵411︶ 付随的給付義務は、ω主たる給付利益に向けられた非独立のものと、㈲独自の給付利益を目的とする独立したものとに分 ヘ ヘ シ シ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ BGHも暇疵惹起損害に保証が及ぶことを認めている︵bd∩一口N°OO.NO︶。 類されーこれによると給付誠実義務はまさに司o一︷の言うような付随的注意義務に限定されることになろうー、この ヘ シ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ へ て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ シ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て ヘ ヤ へ 給付義務たる保護義務は⑥に分類されよう。なお、類型ω∼㈲は主たる給付債務との関係においてであり、契約関連利益に ついての保証ないし担保が認められるのが、給付義務たる保護義務が認められる場合とすれば、それとの関係では、すべて ︵511︶ 従って、民法上、特定債権という観念によって売主の給付義務等と同一に論じる︵四〇〇条︶のは妥当ではない。この規 シ ヘ ヘ へ 類型ωとなる。 定の意義が少ないとされているのは︵例えば奥田・前掲注︵89︶三四∼五頁︶、かかる理由から支持される。なお、賃貸人の債 務不履行によって賃借人の所有物が穀損されたとしても、それは﹁使用収益そのものを阻害することとは別の出来事であ﹂ り、﹁債務不履行以外の責任体系に属する﹂とした判決がある︵福岡地判昭四二・一二・二二判タニ一六号二三二頁︶。 @奥田・前掲注︵1︶一六五頁、淡路剛久﹁医療契約﹂﹃新民法演習4﹄︵昭43︶一八三頁など。淡路教授は、㈲の事例を不法 c) ︵711︶ 安全配慮義務を給付義務と明言する者もみられる︵奥田・前掲注︵89︶二〇頁︶。 ωO︶、O.Oぱ︶。 行為責任によらしめる。フランスでは、いずれの場合も契約責任によると言われている︵﹀ロ●昌9男碧、oU°。芦︵昌90 (… 614 叢一一 論 法 契約責任の本質と限界一一 615 五 お わ り に ヘ ヘ ヤ 本稿の結論を要約すれば以下のようである。契約責任と不法行為責任とは、契約が独自の債務発生原因として承認 されることにより明確に分離された∼但し、沿革的な拘束の残津は存したがー。しかし、二〇世紀における契約 責任の拡大は、両者の限界を不明確にする。反面、契約責任の拡大のための技巧を凝らすうちに、契約責住の本来の 領域とその拡大の領域とを明らかにするという思いがけない成果を残した。そこに示された契約責任像は、まさに意 思自治の原則に基づく初期の理念型とも言え、ここに契約責任の本質を求めることができる。 即ち、契約責任は、給付利益・給付義務という構造により不法行為責任と限界づけられ、両責任の競合はありえな い。そして、給付外利益の侵害について契約責任が拡大されている領域については、一方で、法律解釈上の理論の借 用にすぎないものがあり、他方で、真に契約法上の問題とされるべきものがある。しかし、後者も給付外利益の侵害 がなされているため契約責任たりえず、契約関連利益の保証ないし担保ということにより説明されねぽならない。そ れが、いかなる場合に認められるかは個別的に決せられねばならない。 本稿は紙数の制約上論点を十分に示すことができず、説明もまた要約程度のものとなり、各論的考察は無に等しく、 また、法解釈学的考察に至っては全く割愛せざるをえなかった。いずれ別稿で論じていきたいと思っているが、先ず は、フランスにおける契約責任の拡大とその衰退とについての論稿を予定している。 ︿付記﹀ 校正の段階で、平井宜雄﹃債権総論﹄が公にされた。債務不履行責任の要件・効果の再構成を狙っており注目される。 また、早川真一郎﹁不完全履行・積極的債権侵害﹂﹃民法講座4債権総論﹄もでており、各論的研究・比較法的研究とのタ 律 616 叢 論 法 「 イアップの必要性を唱えている。判例としても、大阪高判昭六〇・四・一八︵判タ五五九号二二三頁︶がホームステイ計画主 催者が参加者︵未成年︶に対して負う安全配慮義務に関連して興味深い判決をなしている1特にフラソス法的にみてー。 その一般論︵二二五∼六頁︶については私見︵保証的効果説︶と内容的に対応するものと評しうる。