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作文集 (PDF:810KB)

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作文集 (PDF:810KB)
平成26年度
第36回「全日本中学生水の作文コンクール」
栃木県審査会入賞作品集
那珂川
栃木県水の週間実行委員会
第36回「全日本中学生水の作文コンクール」栃木県審査会入賞者
【優秀賞】 (5編) ※国土交通省(中央審査会)送付作品
※井戸を見直そう
佐野日本大学中等教育学校
1年
中村 華
※水資源を大切に
佐野日本大学中等教育学校
1年
横山 結羽菜
※安全な水を得るために
佐野日本大学中等教育学校
2年
井上 広夢
※「節水」をすることの大切さ
真岡市立真岡中学校
2年
風山 彩綾
※故郷の水を守るために
茂木町立中川中学校
3年
廣木 未唯
作新学院中等部
3年
中川 純利
佐野日本大学中等教育学校
1年
小川 穂高
真岡市立真岡中学校
2年
海野 真由
佐野日本大学中等教育学校
1年
横田 菜々子
2年
三浦 亜美
1年
茂又 香乃
1年
奥澤 愛深
1年
樋口 文菜
3年
菅原 由莉菜
2年
海老沼 花菜
【特別賞】
(11編)
□栃木県教育長賞
僕たちの将来のために
□栃木県企業局長賞
よみがえれ!おいしい水
□公益社団法人日本水道協会栃木県支部長賞
水の大切さ
□栃木県道路河川愛護連合会長賞
自分の力で
□国土交通省鬼怒川ダム統合管理事務所長賞
大切な水
真岡市立真岡中学校
□独立行政法人水資源機構思川開発建設所長賞
水の存在とは
佐野日本大学中等教育学校
□栃木県土地改良事業団体連合会長賞
水の大切さ
佐野日本大学中等教育学校
□一般財団法人栃木県環境技術協会理事長賞
人類の希望
佐野日本大学中等教育学校
□一般財団法人渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団理事長賞
蛇祭りから水の大切さを
佐野日本大学中等教育学校
□公益財団法人とちぎ建設技術センター理事長賞
きれいな水を目指して
佐野日本大学中等教育学校
□一般社団法人栃木県建設業協会長賞
水を守るための言葉
【佳 作】 (9編)
真岡市立真岡中学校
2年
望月 みあ
水
佐野日本大学中等教育学校
1年
石倉 和希
かけがえのない水について
佐野日本大学中等教育学校
1年
川田 尚生
私達と水
佐野日本大学中等教育学校
1年
島田 賀衣
水の大切さ
真岡市立真岡中学校
2年
大坪 歩夢
水のたいせつさ
真岡市立真岡中学校
2年
黒岩 京悟
三本のペットボトル
真岡市立真岡中学校
2年
笹原 世玲菜
私たちの暮らしと水
真岡市立真岡中学校
2年
吉川 友唯
水のありがたさ
真岡市立真岡中学校
2年
渡辺 萌香
水を「大切に」すること
佐野日本大学中等教育学校
3年
前出 裕亮
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
参
考
【第36回「全日本中学生水の作文コンクール」中央審査会】
※応募総数:全国
※中央審査会送付数:
※入賞数
19,418編(応募学校数 368校)
123編(地方審査を経て選出)
33編
最優秀賞
1編
優秀賞
5編
入選
27編
優秀賞
優秀賞
栃木県知事賞
井戸を見直そう
佐野日本大学中等教育学校
私達の身近にある水―日本のように、いつ
も水道からきれいな水が出る国は、ほとんど
ないと言っていいでしょう。毎日、たっぷり
のお湯でお風呂に入れるし、水を飲みたくな
れば、蛇口をひねっていつでも飲めます。私
達にとってこのようなことは,普段の生活で
している当たり前のことです。今まで当たり
前すぎて、あまり考えることはありませんで
したが、改めて考えてみると、とてもありが
たいことだと思います。
私の住んでいる栃木県佐野市は、自然豊か
で山に囲まれており、地下水が豊かです。佐
野市では、その水を浄水場できれいにし、各
家庭に給水しています。凝集剤注入や塩素注
入など科学技術の力で、安全な水を使うこと
ができるのだということが分かりました。こ
のように、きれいなおいしい水が飲めるとい
うことはとても幸せなことだと思います。
しかし外国では、日本のようにきれいでた
くさんの水を使えるところは、多くはありま
せん。アメリカのラスベガスは砂漠の中にで
きた都市で、水が不足しています。そのため、
水を使い過ぎると、多額の罰金を払わなけれ
ばいけない、という決まりがあるそうです。
また、日本でも災害時には、水が使えない
ことがあります。3 年前の東日本大震災の時
に祖父母の住む茨城県が何十日間も断水にな
りました。停電や余震をおそれながらの生活
は、とても大変だったと思います。お風呂に
入ること、トイレで水を流すこと、水道水を
使って料理をすること、いつも当たり前のよ
うにしていることができなくなってしまった
そうです。いとこは当時赤ちゃんでしたが、
何日もお風呂に入っていなかったために、し
っしんができ、ついには皮ふ炎になってしま
いました。私はそのことを聞いた時、とても
かわいそうだと思いました。私の家は断水に
はならなかったので、何とかして来てほしい
1年
中村
華
と頼みました。
しかし、数日後の電話で赤ちゃんのしっし
んが治ったことを知りました。その話を聞い
た近所の人が家の井戸を貸してくださり、そ
れをわかしてお風呂に入ることができました。
その井戸は、長い間使っていなかったのです
が、震災の後もう一度手入れをし、断水の期
間にたくさんの人の生活を支えました。
私はそれまで、井戸を使っていたのは大昔
で、今はどこにもないものだと思っていまし
た。早速井戸について調べてみると、実はつ
い最近まで日本人の生活になくてはならない
ものだったと分かりました。井戸は、約 9,000
年前から使われていました。井戸ができたこ
とによって、より水が身近になり、いろいろ
な場面で活用され、人々の生活を豊かにして
いったと思います。しかし近年、衛生の基準
が厳しくなり、井戸は日本の社会からだんだ
ん姿を消してしまいました。水道は、浄水場
の機械や、薬を使って水をきれいにするので、
いつも安全な水です。しかし、井戸の水は土
地や時期に水質が左右され、また管理も大変
なため、使用してはいけないと言われること
が多くなり、井戸の数が減ったそうです。し
かし、井戸は災害時に大いに活やくしました。
井戸の水で救われたという人もたくさんいま
した。そして、震災をきっかけにして、井戸
を見直し、作りたいと思う人が増えてきてい
るそうです。
私達が豊かに暮らしていくためには、浄水
場で水をきれいにし、水道の設備を使って各
家庭に給水することが不可欠です。しかし、
それと同時に昔から日本人が活用してきた井
戸を見直し、整備し、再び活用していくこと
も大切ではないでしょうか。新しい科学技術
と古い伝統が一緒になった時、日本は大きな
力を得て豊かな水を持つ国になります。私は
水をかけがえのない資源として、大切に使っ
ていきたいと思います。
優秀賞
栃木県知事賞
水資源を大切に
佐野日本大学中等教育学校
日本は水資源が豊かな国です。水道の蛇口
をひねれば安全で、美味しい水が出てきます。
それが当たり前のことだと思っていました。
しかし、それが当たり前ではないと気付いた
のは、小学校の社会科見学で浄水場に行った
ときです。
見学に行く前に班に分かれて水のことを調
べました。私たちは「世界の水」について、
インターネットで調べました。そこで目にし
たのは「世界の 8 割以上が安全に飲めない水」
という内容です。私たちはとてもびっくりし
ました。水を安全に飲める国の方が少なかっ
たのです。私は「安全な水が飲める日本はな
んて恵まれているのだろう。」と思いました。
また安全な水を届けるために、多くの人が働
いていることを知りました。私たちは水に興
味を持ちさらに調べてみました。
そこで出てきた内容も、また私達がびっく
りするような内容でした。それは「水不足や、
不衛生な水しか手に入らず世界中では、1 分
間に 17 人の人々が亡くなっている」という内
容です。そして人がひとり生きていくために
はバケツ 2 杯の水が必要だそうです。蛇口を
ひねれば 1 分もかからずに出てくる量です。
それが手に入らないために、今このようにテ
レビを見たり、ご飯を食べたりして、何気な
く過ごしている間に、世界中では何十人とい
った人々が亡くなっていると思うと、なんだ
か背筋がぞっとします。また尊い命が失われ
ていると思うと、とても悲しいです。
また世界の中で安全に水が飲めるのは、13
ヶ国しかありません。その中に、日本は入っ
ています。普段何気なく使っていますが、水
は大切な資源です。今後も、今のように安全
で清潔な水が、手軽に手に入る日本であって
欲しいとおもいます。
限りある水資源を大切にするために、私た
ち中学生でもできることは「節水」だと思い
1年
横山
結羽菜
ます。節水の他に、水を汚さないということ
も大切です。私の家でも今まで以上に節水を
しようと思います。私の家では、三つを目標
にして頑張りたいと思います。
一 水を必要以上に出しすぎない。
二 米のとぎ水を花にあげる。
三 お風呂の水を洗濯に使う。
など、他にも色々とあると思います。「これ節
水できるな」と思ったら、実行してみたいと
思います。よく、母は「水、出しすぎもった
いない!」と言います。私はいつも、「うるさ
いな」と思いますが、今度からは、聞き流し
てばかりいないで、素直に受け止めたいと思
います。
しかし水は大切な物でもありつつ、恐ろし
い物でもあります。誰もが忘れてはいけない
東日本大震災です。巨大な津波が来てたくさ
んの方々が犠牲になりました。私の親戚も宮
城県仙台市にあります。幸い親戚は助かりま
したが、その地域はたくさんの方々が犠牲に
なったそうです。話を聞いて「水は大切だが
怖いものだな」と改めて感じました。二度と
起こって欲しくない出来事です。しかし水害
は東日本大震災だけではありません。ゲリラ
豪雨などで床下浸水したなど最近よく聞きま
す。
人に関わらず、動物や植物が生きるために
欠かせない物は水です。限られた水資源なの
で、節水をしたり、汚さないようにしたりす
ることが大切です。一度汚してしまった川な
どは、もとに戻すのは大変です。一部の人が
気をつけても意味がありません。一人一人が
汚さないように努力することが大切だと思い
ます。日本がいつまでも安心して、きれいな
水が飲めるようにもう一度水と向き合って考
えてみることが私は大切だと思います。
優秀賞
栃木県知事賞
安全な水を得るために
佐野日本大学中等教育学校
近くのショッピングモールで募金を呼びか
ける店内放送を耳にしました。その内容は、
カンボジア、ミャンマー、ラオスの郊外では
安全な水を得られることが少なく、給水施設
を作るための募金とのことでした。そこに住
む多くの子供達が遠くの川や池の、それも汚
れた水を汲みに行っているというのです。そ
の汚れた水を日常生活に使っているので健康
を害しやすいこいと、水汲みの労働のために
学校で学ぶ時間が少なくなってしまうことな
どの弊害が出ているそうです。そこで、子供
達が暮らす村に給水施設が設置されれば、子
供達は安全な水が飲め、病気になることも少
なくなり、、水汲みなどの労働から解放され、
学校で学ぶ時間も増え、きちんとした教育を
受けることができるようになります。そうい
った子供が大人になれば、国の力も高まり、
国の発展につながるのです。
私達の住む日本では、蛇口をひねるとすぐ
に安全でおいしい水が必要なだけでてきます。
もしもそれがなかったら、自分達も健康被害
を心配しながら、水汲みの時間を取らなけれ
ばならなくなります。私の家からは近くの川
まで歩くと約 20 分かかります。生きるために
は一日一人あたり 2 リットルの水が必要とさ
れていますので三人家族の我が家では一日 6
リットルの水が必要です。さらに、体や手を
洗うなど、衛生的な生活をするために必要な
水は一日一人 20 リットルにもなるとのことで
す。そうなるととても子供一人では一日一回
の水汲みではとても運べません。水汲みだけ
で一日が終わり、学校へ行く時間なんて確か
になくなってしまいます。
また、私が住んでいる佐野市には名水百選
にも選ばれた湧水があり、とても清らかです。
水量も豊富で一日に 2,400 立方メートルも出
るそうです。この水は田畑を潤し、おいしい
米や野菜を作り、さらに、おいしい水を使っ
2年
井上
広夢
た豆腐やお酒などの加工品もあります。私は
水についてはとても恵まれた環境に住んでお
り、安全な水がすぐに手に入れられることが
でき、そのおかげで健康でいられ、学校へも
不自由なく通えます。ついそれを当たり前の
ことと思っていましたが、実はとても幸せな
ことだったんだと改めて思いました。
日本でなぜ安全に水を得ることができるか
を調べてみると、国の事業としてしっかりし
た法制度のもとに、安全基準をきちっと守り
上水道が整備されているためとわかりました。
また、水環境を守るためには公共用水域に流
すまでに下水とその処理をする施設がしっか
りしているためだということもわかりました。
しかし、その日本でも下水道の設備は全国の
約四分の三程度しか整備されていないとのこ
とでした。世界ではまだ半分の人達が水道を
持っていないところで生活をしていることを
考えると、日本のように世界中で上下水道の
整備を進めていくことは確かにとても重要で、
そのためには施設設備の費用も必要であり、
みんながそのために募金することも大切かと
は思います。しかし、生きていくのに必要不
可欠な水を安全で清潔にこれからもずっと手
に入れていくには設備だけでもいいでしょう
か?私は決してそうは思いません。水ととも
に生きていくためには自然や地球環境を汚さ
ないということが最も重要だと思います。下
水の汚染も七割が生活用水によるものだとい
われています。私達ができることは小さくて
も、多くの人が行えばとても大きな環境対策
になるはずです。昨年、水についての作文を
書いた際に見直した、短い距離なら自動車に
乗らない、水を無駄のないように使う、草木
を大切にする、ゴミや排水をできるだけ少な
くするといった行動をこれからもずっと続け
ていき、そういった行動を他の人にも広め、
自然に少しでも優しくしていけたらいいなと
思います。
優秀賞
栃木県知事賞
「節水」をすることの大切さ
真岡市立真岡中学校
今まで私が「水」について思っていたこと
は、「蛇口をひねれば、いつでもきれいな水が
出るのが当たり前。」ということでした。さら
に、清涼飲料水が出回っている今、水を飲む
機会があまりないため、「別に水が無くなって
も、雨が降れば大丈夫だ。」という勝手な理由
で、学校でも家でも「水を出しっぱなしにす
ること」について深く考えたことはありませ
んでした。
そんな中起こった、あの東日本大震災で、
私は水の大切さを知ることになりました。私
のいとこ家族は転勤族であり、震災が発生し
た当初は原発により多くの被害を受けた、福
島県の大熊町というところに住んでいました。
地震が起こってすぐに、いとこ達は指示され
るままに避難し、そのまま家に帰ることは二
度とできませんでした。急な激しい災害に、
冷えきった体と心を温め、落ち着かせるため
に、いとこ達が真っ先に求めたもの、それは
「温かい食べ物」と「温かいお風呂」だった
そうです。しかし震災のさなか、ゆっくりと
温かいお風呂につかることは、決してできな
い「願い」でしかありませんでした。ところ
が、震災から数日たち、たまたま福島県の郡
山市に立ち寄ったとき、運よく温泉に入るこ
とができました。そのとき、いとこ達は温か
さをかみしめながら、安心感と幸福を感じて
いました。
実家である祖母の家で再会した私達に、い
とこ達は水の大切さについて教えてくれまし
た。その話を聞いて、今までの水の使い方に
ついて、私ははっとさせられました。水は飲
むためだけにあるのではなく、もちろん生き
ていくために不可欠な物質であり、さらに人
の心や体を温め、落ち着かせてくれる力も秘
めていたのです。そんな大切な水を、今まで
私はどのように使っていただろう。そう考え
ると、いとこ達を始めとするたくさんの、水
2年
風山
彩綾
を必要とする人達に、申し訳ない気持ちでい
っぱいになりました。そして、改めて水につ
いて考えさせられました。しかし、実際に水
を大切にするにはどうしたらよいのだろう。
今までそう思ったことの無かった私は、少し
考えこみました。すると、当たり前のことが
頭をよぎったのです。「歯みがきなどで出しっ
ぱなしだった水を、できるだけ止めるように
すればよい。」と。単純で分かり切ったことに
思えるかもしれませんが、実践してみようと
すると日々の習慣に逆らえず、忘れてしまう
などと意外に難しいものです。こうして私は、
日々の小さな「節水」を心がけることにしま
した。お風呂のシャワー、手を洗うときなど、
見落としてしまう節水ポイントがたくさんあ
りました。それらを確認をしていくと、今ま
で私は一日にどのくらいの量の水を無駄にし
ていたのだろうと、大きな数字を思い浮かべ
て怖くなりました。きっと、水を大切にしよ
うと意識して実践している人は、あまりいな
いと思います。みんなが前の私と同じように
水を使っていたら…いつか本当に水が無くな
ってしまう日が来るかもしれません。少しだ
け、小さなことを気にかけるだけで、水を大
切にすることの第一歩になるとしたら、それ
は水だけでなく水が作り出す、川、海、森、
山全ての自然を守ることにもつながり、さら
にいずれは自分達が安心して暮らせる豊かな
地球になる、と言っても過言ではないと思い
ます。
私は、いとこ達の話を聞いてから家族にも
節水について呼びかけています。小さなもの
でも、「ちりも積もれば山となる」という言葉
のもと、水を大切に、節水をすることの大切
さを胸に生活をしていきたいです。
優秀賞
栃木県知事賞
故郷の水を守るために
茂木町立中川中学校
清 流 那 珂 川が 流 れる 私 の 故郷 で は、 四 季
を通 し て美 しい 景観 を目に する こと がで き
る。きれいな水と空気に恵まれた里山には、
斜面 地 を利 用し たた くさん の棚 田が 広が っ
てい る 。中 には 、日 本の棚 田百 選に 選ば れ
ている美しい棚田もある。
私 の 祖父 母も 棚田 でお米 を作 って いる 。
その た め、 我が 家で は毎年 、お いし い棚 田
米を食べることができる。
私 が まだ 小学 校二 年生の とき 、夏 にな り
祖母 と 一緒 に棚 田に 稲を見 に行 った こと が
あっ た 。そ のと き、 私は祖 母に 素直 な疑 問
を投げかけた。
「ど う して ここ はい つもお 米が たく さん と
れるの?」
「ここは水がきれいだからねぇ。」
「水がきれいじゃないとだめなの?」
「あ た り前 だよ 。汚 かった らな にも でき な
いん だ から 。き れい な水の おか げで お米 が
たくさんとれるんだよ。」
そ う 祖母 が教 えて くれた 。そ のと き八 歳
だっ た 私に は、 水が 万物に とっ てど んな に
貴重なものかはわからなかった。だが、「き
れい な 水が 大切 だと いうこ と」 は祖 母の 言
葉から伝わってきた。
私 の 学校 では 、毎 年冬に 那珂 川を きれ い
にす る ため に河 川敷 清掃を 行っ てい る。 昨
年は 12 月の土曜日に実施された。当日は 9
時に 学 校に 集合 し、 保護者 や漁 業組 合の 方
々と 一 緒に 徒歩 で河 川敷に 向か った 。そ の
途中 、 空き 缶や たば この吸 い殻 など がた く
さん 落 ちて いた 。河 川敷に 到着 する と、 川
沿い に 目立 った ゴミ はなか った が、 草む ら
をの ぞ いて みる と、 タイヤ や電 化製 品な ど
のがらくたが捨てられていた。その他にも、
燃え か すの 中に 釣り 針が埋 めら れて いる 状
態で 捨 てら れて いた 。また 、放 置さ れた 鮭
の死 骸 が異 臭を 放っ ていた 。川 の水 が汚 れ
3年
廣木
未唯
れ ば、 自然 界 の生き 物 や人間 にも 少な から
ず 影響 が出 る 。あき ら かに故 意に 捨て たと
思 える ゴミ を 目にし て 、とて も残 念な 気持
ちになった。
その 一方 で 、一つ だ け嬉し いこ とも あっ
た 。そ れは 、 ゴミが 多 いとは 言っ ても 、年
々 その 量が 減 りつつ あ ること だ。 こら から
も 、地 元の 川 をみん な の手で 守り 続け てい
きたいという気持ちが強くなった。まずは、
水 を流 しっ ぱ なしに し ない、 家庭 の台 所か
ら 油を 流さ な いなど 、 誰にで もで きる こと
から実践していきたいと思う。
貧し い国 に は、泥 水 を飲ん で生 活し てい
る 人も いる 。 水をく む ために 毎日 何キ ロも
歩 いて いる 子 どもも い る。新 鮮な 野菜 もお
米 も作 れな い 。私た ち は、き れい な水 を飲
んで、おいしいお米を食べることができる。
こ れは とて も 恵まれ て いるこ とだ 。だ から
こ そ、 有限 で ある水 を 私たち は大 切に しな
け れば なら な い。あ る とき、 ニュ ース で他
の 地方 の棚 田 が稲の 病 気や害 虫な どの 被害
を 受け たこ と を報道 し ていた 。そ のと き、
私 の家 は何 一 つ問題 が 起きて いな かっ た。
そ れど ころ か 、毎年 、 決まっ た量 かそ れ以
上 のお 米を 収 穫して い た。そ れは 、祖 母が
言 う「 きれ い な水の お かげ」 なの だろ う。
ま た、 水に 恵 まれた 棚 田やそ の周 辺に は様
々 な植 物や 生 物が生 息 してい る。 中に はハ
ッ チョ ウト ン ボのよ う な珍し いト ンボ の姿
も見ることができる。これも、
「きれいな水」
の恩恵の一つだ。
春に なる と 、棚田 一 面に張 られ た水 が輝
き 出し 、田 植 えが始 ま る。夏 には 、緑 色の
稲が太陽に照らされ、ぐんぐん伸びていく。
秋 にな れば 、 黄金色 の 稲が揺 れ、 収穫 へと
向 かう 。や が て冬を 迎 え、山 々と 段々 畑に
は 雪が 静か に 降り積 も る。私 は小 さい 頃か
ら この 風景 を 眺めな が ら育っ てき た。 この
故郷 の 景観 を保 つた めに必 要不 可欠 な豊 か
な水 。 その 水を 守る ために 、今 でき るこ と
を行っていきたい。
特別賞
特別賞
栃木県教育長賞
僕たちの将来のために
作新学院中等部
世界の三分の一近くの人々が、健康や経済
の発展を脅かすような水不足の中で暮らして
いると言われています。安全な飲料水を確保
する こ とが 難し いこ とによ り 、毎日 およ そ
6,000 人もの子供達が命を失っているそうで
す。
さらに、このままでは 2025 年までには、世
界人口の三分の二近い人々が、何らかの形で
水に関係する困難を経験するであろうと言わ
れています。僕は、きれいな水が豊富にある
状況で生活しているため、実感として危機感
がありませんが、現実的には他人事ではなく
なるかもしれません。
実際、東日本大震災の後で断水した時には
とても不安になったことを思い出します。最
近、首都直下型地震の被害想定が発表されま
したが、地震後の最初の一週間で 1,700 万 L
の飲料水が不足するだろうと予測されました。
人間は水を補給できないと三日ほどで命を落
としてしまいます。恵まれた水環境にいる僕
には、こうした災害に直面して初めて、人間
にとって水がいかに重要なものであるかを再
認識させられます。
人の生命を維持し、生活を向上させるため
に不可欠なものも水であれば、水質汚染や自
然災害のように人に敵対して生活を脅かす存
在になり得るものでもあります。日本の歴史
の中で、経済の発展とともに、水質汚染によ
る公害はたくさんの人達を苦しめてきました。
そのたびに、人間は水と上手に寄り添うため
の対策を考えて、改善しながら生きてきまし
た。水質汚染と聞くと、工場などの事業排水
が一番の原因と思われがちですが、実際は家
庭排水が大きく占めると言われています。し
かし、僕が、環境問題を改善するために、日
常生活の中で生活習慣に気をつけて、水を大
切にしているかというと自信がありません。
3年
中川
純利
一人一人が正しい知識を持って、日頃の意識
の改善と継続する努力がなくては、自分自身
の将来は守れないのだと思います。洗面、手
洗い、風呂などで、水を無駄に流しっぱなし
にしないようにと心がけてはいますが、それ
以外に取り組めることをきちんと家族で話し
合う必要があると思いました。
地球上で水は、液体、気体、固体いずれか
の状態で循環しています。最近、大気汚染な
どが進み、自然の浄化作用では分解できない
化学物質も排出されるようになってきている
そうです。このままの状態を放っておくこと
はできません。現状を知ることがさらに環境
を守ろうという意識を高めると思います。
また、地球上にある水の 97 %を占めると言
われる海水を淡水化することができれば多く
の人達を助けられると考えます。実際にたく
さんの企業がさまざまな研究を重ねています。
しかし、淡水化するためには、莫大な費用が
必要であり、たくさんのエネルギーを消費す
るので地球温暖化の問題も出てきてしまうな
ど、まだまだ課題があるそうです。水の豊か
さは、人間生活の豊かさに比例しまう。きれ
いな水があれば、当然、健康でいられます。
すると、生活基準も向上します。水はあらゆ
る意味で人間生活そのものに大きな影響力を
及ぼします。すべての生命の源である水の質
と量を維持するために、身近な努力の積み重
ねが大切だと思います。
宇都宮市を流れる釜川の源泉である弁天沼
に行ったことがあります。その周辺は静かで
自然が残されています。おいしそうな水が湧
き出ていきました。水道をひねると豊富に出
てくる水を「当たり前」と思うのではなく、
どのように大切に残していくかが、自分の将
来のために、そして「青い地球」を守るため
に、僕達が今やらなくてはいけない使命だと
思います。
特別賞
栃木県企業局長賞
よみがえれ!おいしい水
佐野日本大学中等教育学校
「一杯の水がこんなにおいしいなんて。」
僕は今、足尾の山を 1,200 段登り、頂上に
近い斜面に苗木を六本植えた。ここから周り
を見ると、緑の木はとても少なく、岩がむき
出しになっていて、日本の山とは思えない風
景だ。この場所に、僕とみんなで植えた木が
将来大きくなって森になり、たくさんの水が
貯えられたらいいなと思いながら、水を飲ん
だ。
今日は、足尾の山で春の植樹デーがあると
聞いていたので、僕は父と初めて参加した。
この植樹デーは、明治時代に足尾銅山から出
た有毒ガスにより、山の木が、全て枯れてし
まったので、もう一度、山に木を取り戻すた
めに毎年開かれている。
ここに来るまで、道路両側の山は、緑が生
い茂っていて、豊かな森を作っていた。森は
緑のダムと言われていて、たくさんの雨水を
木の根元や、落ち葉の下に貯えることができ
る。貯えられた水は、少しずつ川に流れ出て
いる。しかし、山に木が 1 本もないと、一気
に水が流れ出てしまい、洪水を引き起こして
しまう。洪水は肥よくな土を下流に運び、豊
かな恵みを与えることもあるが、家や田が浸
水し、人々を困らせることもある。ところが、
大洪水になると、考えたこともない大きな被
害が出たことがあった。それは、明治 23 年 8
月の大水害である。
僕が住む館林には、田中正造記念館がある。
そこには足尾鉱毒事件についての資料がたく
さんあって、それを見ると、昔の産業の様子
や、鉱毒被害のことが良くわかる。大水害に
より足尾鉱毒事件は起こった。足尾の山から
銅を掘る時に出る、カラミという有毒物質が
ある。これが、大洪水により渡良瀬川に流れ
出て、下流の水を汚したため、魚が死んだり、
田の米ができなくなったりしたのが、足尾鉱
毒事件だ。鉱毒により、生活している人々が
1年
小川
穂高
困っているのを見た田中正造は、人々を守る
ため、銅山を閉鎖しようとがんばった。けれ
ど、銅山を閉鎖することはできなかった。そ
れは当時、生糸や茶と並ぶ主要な輸出品にな
っていて、足尾銅山は生産量が日本一だった
ためである。しかし、田中正造と地域に住む
人々の力により、国も鉱毒事件を認め、対策
を取るように考えた。その結果、銅の採掘を
しながら国や県が、山崩れを防ぐ復旧工事や
緑化工事を始めた。それは、約 100 年前から
行われているが、まだ足尾の山に緑が戻って
きていないため、19 年前から足尾の山に 100
万本の木を植える運動が始まった今年の植樹
デーには、二日間で約 1,600 人の人が参加し
て苗木を植えた。僕が見たところ、大人の人
が多かったけれど、高校生や僕みたいな中学
生も大勢参加していた。初めの挨拶の中で、
一年間に植えることができる苗木は約 1 万本
と話していた。目標の苗木を植えるためには、
これから百年をかけて植える必要があるが、
その仕事は若い僕達の役割になるという話を
聞いて、なんか責任を感じた。
足尾の山で飲んだ水もおいしいけれど、僕
の家で飲み水もおいしい。外国と比べると、
日本の水はどこで飲んでも、病気にならない
くらいきれいな水である。それは、緑のダム
を作っている森の働きにより、きれいな水が
作られていると僕は思う
水は洪水などにより、鉱毒を運んだり、家
や田を浸水させて人々を困らせたりするが、
飲み水になって、僕達の命を支えてくれるや
さしい水でもある。水は人間にとって一番に
必要なものである。
僕は、今年の植樹デーに参加したことを忘
れず、また来年もその後も必ず参加する。そ
して、足尾の山にたくさんの木を植え続け、
おいしい水が湧き出る、緑のダムになるよう
な森を作りたい。そして、その森を守ってい
きたい。僕は、おいしい水が大好きだから。
特別賞
公益社団法人日本水道協会栃木県支部長賞
水の大切さ
真岡市立真岡中学校
それは突然やってきた。今から三年前の 3
月 11 日。東日本大震災である。私の地域は
震度 6 強の地震に襲われ、水道も電気もすべ
て止まった。社宅の集会場に集まり、石油ス
トーブで寒さをしのいだ時のことはよく覚え
ている。のどが渇いても水は飲めず、明かり
をつけたくても電気がつかない。そんなこん
なで一夜を過ごした。幸い私の所は次の日に
は電気がついたが、水は蛇口をひねっても少
しも出てこなかった。私は衝撃をうけた。日
本は水資源が豊富で、水が出ないなんてこと
はありえないと思っていたからだ。このまま
もし水が出なかったらどうしよう、と私は恐
ろしい不安に襲われた。
少しして大分県に住むおじさんから水が送
られてきた。私達のことを心配して送ってく
れたのだ。もう水をわざわざとりに行く必要
がないと思うと、私は本当に救われる気持ち
だった。あんなに水を大切に思ったのは、生
まれて初めてだった。
あの震災を通して私は、いつでもきれいな
水を飲めることに感謝し、自分が恵まれてい
ると感じるようになった。もしあのまま水が
出なかったらと考えると、今でもとても恐ろ
しく思う。そんな時、私は決まってあること
を思い出す。それは浄水場に行ったときのこ
とだ。
小学生のとき、私は近所にある浄水場に見
学に行った。職員の人に連れられてある建物
に入ると、そこにはどろどろとした汚い液体
がたまっていた。職人の人は、
「ここには、家庭などから出た油や洗剤が入
った生活廃水が溜まっています。とても汚い
ですね。あまりにも油や洗剤が多いときれに
にするのもとても大変です。」
と、言った。
私はそのことを思い出すと必ず、きれいな
水を飲めない人も世界にはたくさんいるのに、
2年
海野
真由
きれいな水を当たり前のように飲める私達が
このようで良いのだろうかと疑問に思う。東
日本大震災を経験してからはその気持ちがさ
らに強くなった気がして、私は水を大切にす
るにはどうすれば良いのかと考えてみた。
一つは水のことをもっと良く知る、という
ことだ。
なぜなら、私達が水のことを良く知らない
ため、水を汚しても何とも思わないのではな
いかと考えたからだ。
それでは水とは一体何なのか。書籍等で調
べてみた。
私達が普段使っている水は、川からくみ上
げた水を、浄水場できれいにしたものである。
しかもその水の量は昔から変わっておらす、
限りある大切な資源である。
しかし、その水が今汚染されつつある。理
由は、水源のある森の開発、私達一般家庭に
よる水の汚染などだ。水が汚染されるという
ことは、私達が飲んでいる水も安全ではない
ということだ。このことを知って、ますます
水の大切さが身近にせまってきた。
もう一つは、水を守るため、私達が水を汚
さないようにするということだ。
そのためには何をすれば良いのだろう。そ
こで私は、次のことを実践しようと考えた。
それは、シャンプーや洗剤などをたれ流しに
しないということだ。
実践してみて、これがなかなかできていな
かったことに気がついた。シャンプーや洗剤
などを、必要以上にたくさん使っていたのだ。
自分一人でもたくさんたれ流しをしていたと
いうことは、世界中の人だとどのくらいの量
になるのかと考え、少し恐くなった。
水は私達人類にとって、生きていく上で大
切なものだ。水を守るということは、私達人
類を守るということでもあるのかと思う。こ
れからは、もっと水と向き合い、自分一人で
もできる水を守る活動をしていきたいと思っ
特別賞
た。
栃木県道路河川愛護連合会長賞
自分の力で
佐野日本大学中等教育学校
「あ、いけないっ。」
みそ汁のおわんを台所に置こうとした私は
手をとめた。そして、少し残ってしまった汁
を飲みほして再び流しにおわんを置いた。あ
る体験をきっかけに、私は少し変わることが
できた。
私が小学六年生の夏休みの時、町内の行事
で「名草川の水質調査」に参加した。「名草」
は祖父の実家があり、なじみがあった。名草
川には何度も遊びに行った。夏の暑さも忘れ
るほど夢中になって遊んだ時の記憶はこれか
らもずっと忘れないだろう。そのころは、
「キレイだなぁ。」
くらいしか思っていなかったが、今回の調査
で、どのくらいキレイなのかをくわしく知り
たいと思った。
調査の仕方は、名草川に住んでいる生物を
見つけて観察カードに記録。調査が終わった
らグループごとに結果を報告し合う。生物は
自分の体が住んでいる環境と合っていないと
生きてはいけない。当然、名草川に住んでい
る生物だって同じだ。きれいな水にはサワガ
ニやヘビトンボ、ややきれいな水にはカワニ
ナ類、汚れた水にはミズムシやタニシ、たい
へん汚れた水にはアメリカザリガニ等。この
ように、住んでいる生物によって川の水質が
決まるのだ。いつも遊んでいる時には気づか
なかった、岩の裏や草の中、あらゆる場所に
生物たちが住んでいた。
名草川の水質はPH 7 ~ 7.5、COD 6 そこ
そこキレイという判定だった。PHというの
は水溶液中の値のことだ。25 度のときPHが 7
の場合は中性。PHが小さくなれば酸性、大
きくなればアルカリ性となる。この時の名草
川の水温は 23 度だったので中性である。CO
Dは、水質をはかるときの目印で、このCO
Dが高いほど水質が悪いということになる。
名草川はCOD 6、良いほうだ。
1年
横田
菜々子
地球温暖化や自然破壊など最近問題が多発
していて私は不安だった。けれど身近にキレ
イな川があるということを数値でも証明でき
すごくうれしかった。でも、
「名草川がずっとキレイなままとは限らない。」
というリーダーの言葉に私はひっかかってい
た。今はキレイでも油断していると今のよう
にみんなが笑顔になれる川は消えてしまうの
かもしれない。そう考えると怖くなった。で
も、同様に
「名草川を後世に伝えたい。」
と思った。
「え、こんな事くらい誰だってできる。」
そう思っていることほど意外にできていない
のが現実。最初に書いたみそ汁の件。以前の
私はできていなかった。少し汁が残っていて
も、ご飯つぶが残っていても気にしなかった。
でも、これではだめだ。直せば、食への感謝
につながっていく。少しの心がけ。残ったみ
そ汁を飲みほす。これだけの事でも良いのだ。
「ひとりひとりの力が集まれば世界が変わる。」
このような小さな積み重ねがいつか大きな結
果に結びつくのではないだろうか。普段の生
活を見直してみれば多くの改善点があると思
う。洗ざいの量、米のとぎ汁。米のとぎ汁は
花だんにまくと良いそうだ。
「誰かがやってくれる。」
そうではなくて
「自分が変える。」
その心が大切だと思う。
「水」は無限にあると思われがちだが決し
てそうではない。もちろん限りはある。水が
あるからこそ今の私達があるのだ。名草川の
ようなキレイな水を汚してしまうわけにはい
かない。川に住んでいる生物を死なせるわけ
にもいかない。水は地球上全てのものを支え
ている「母」のような存在。「水」という存在
を地球レベルで考え、今自分が何をするべき
なのかを改め直し、実行していきたいと思う。
特別賞
国土交通省鬼怒川ダム統合管理事務所長賞
大切な水
真岡市立真岡中学校
私がはじめて水を大切に思ったのは、3 月 11
日の東日本大震災のときでした。あの突然の
出来事は、言葉を失うほどの恐怖や驚きがあ
ったことを今でもしっかりと覚えています。
寒い冬の中、電気も水道も止まってしまい、
何もできずに明かした夜。水が出ずに、手を
洗うことも、十分にトイレをすることも、当
然お風呂に入ることもできない数日間を過ご
していました。水を使いたくても使えない生
活。今まで、水のことを考えたことがなかっ
た私は、この震災で水について考えさせられ
た気がします。それまでは、日常の生活の中
で、何気なく使っていた水。その水を失い、
私達の生活は水があってこそ送れていたこと、
水へのありがたみを痛感させられた出来事と
なりました。
また、世の中には、日本のように蛇口をひ
ねればすぐに水が出てくる国もあれば、たく
さんの苦労や努力をして、やっとの思いで水
を手に入れることができる国もあります。水
の豊かな国と貧しい国では、水に対する価値
観の違いがあるのではないかと、私は思いま
す。豊かな国では、蛇口の水の出しっぱなし
や、普段の生活の中で何気なく水の無駄使い
をしていることがあります。しかし、貧しい
国では、限られた水をどのように使うべきか、
どうしたら水を一滴でも多く手に入れること
ができるのか、そんなことを考えて生活して
いるのでしょう。そのため、水を無駄にする
ことがなく、水を大切に思っているのだと思
います。
私たち日本という国は、水にとても恵まれ
ている環境で暮らすことができています。水
不足になやむ国々もあるということを考えて
みれば、私達は水を大切にしなくてはいけな
いと思います。日頃の生活で、毎日かかさず
使う水。その水の中で本当に意味があって使
っている水はどのくらいなのでしょう。また、
2年
三浦
亜美
意味もなくむだに使っている水はないでしょ
うか。
そこで私は、水の無駄使いを少しでもなく
すため、普段の日常生活で気をつけなければ
ならないことを考え、そのことを実行しよう
と思います。それは、歯を磨くときに一回一
回水を止め、水の使用量を最低限に抑えるこ
とです。また、他にも家族の人とも、水につ
いて話し合ってみたいと思っています。お風
呂で利用した水を洗濯で再利用したり、お風
呂で使用する水を減らすため、何度も水をあ
たため直さなくてよいように、あまり時間を
空かさずに入ることなど、家族の人とも協力
してやってみたいと思います。そのことを実
行することで、日本のためにも、世界のため
にも、さらに自分のためにもなります。実行
することでしか分からない、水に対して感じ
る気持ちが見つかるかもしれません。また、
このことは節水にもなることであり、よいこ
とがたくさんあります。これから、家族など
周りの人とも協力し合って、実行していこう
と思います。
いつも蛇口からでてくる水。いつも私達の
生活を支えている水。そんな水が十分にない
国々もこの世の中にあることを思うと、日本
という国はこんなにもすばらしい環境の中で、
幸せな生活が送れているのです。水が不足し
ている国々では、遠くはなれたところまで、
人々が水を汲みに行かないと使用することが
できません。私達は水を汲みにいかなくても、
蛇口から水がでてきます。その水をむだに使
ってしまうこともあります。苦労や努力をし
ないと分からない水への思いなどを知るため
にも、日常生活において水をむだなく使うよ
うに進んで取り組んでいきたいです。そして、
この取り組みを周囲の人にもぜひ取り組んで
もらえるようにしたいです。大切な水の資源
をどのように利用するのが一番よいのかを考
え、むだを少しでもなくすことが今自分にで
特別賞
きることだと思います。
独立行政法人水資源機構思川開発建設所長賞
水の存在とは
佐野日本大学中等教育学校
ジャー。毎朝母のお弁当作りの水の音で目
が覚める。ジャー。今度は、私が歯磨き。そ
の横でジャブジャブと洗濯機が回っている。
目覚めてから五分で、こんなにも水が活躍
している。もし水がなかったら、どう生活し
ているのだろうか、水が人間にとって必要不
可欠な存在である事を感じた。
昨年群馬県の水上温泉に旅行に行きました。
八木沢ダムの見学をしました。アーチ式コン
クリートダムで、関東地方では最大級多目的
ダムであり、私達が使う水道水は、ここから
来ると知りました。このダムによって形成さ
れた人造湖の奥利根湖でカヤックで湖を周り
ました。その時のガイドさんの話によると、
水不足で通常は深さ 25 メートルの水があるの
に、まったくありませんでした。
私は、一人一人が節水を心がけなくてはい
けないと感じました。
日本では、水道をひねると水が出て飲料水
となったり調理に使ったりします。また、ス
ーパーなどでは無料で水を汲むことができ、
恵まれた環境だと思います。海外では、ホテ
ルの水道水も飲むことが出来ず、ミネラルウ
ォーターを買いますが、ジュースよりも値段
が高くて驚いたことがありました。
カンボジアでは、井戸が足りなくてたくさ
んの人々が困っています。着れなくなった服
やノートやエンピツといっしょに井戸を取り
つける為の寄付をしています。また、カンボ
ジアの子供達を日本に招待してヒップホップ
のダンスを見せて交流会をしました。
国連は 1997 年に世界では、人口の約三分の
一が水不足という状況で、2025 年には世界の
人口の半分から三分の二が水不足という状況
になるであろうとありました。
汚染された水を使うと人々の間に病気や死
をもたらします。
たくさんの国々で水不足により農作物を育
1年
茂又
香乃
てる水がないために食料不足で困っている人
々がいることも忘れてはいけない事だと思い
ました。「水」は人々の命を支える大事な大切
な宝物だと思いました。
先日、祖母が心臓の大手術をしました。何
日も眠らされていました。何日かたって意識
がやっと戻ろうとした時、お医者さんがひと
粒の氷を口に入れました。その氷が水に変わ
った頃、祖母は「おいしい」と涙を浮かべて
言葉を発しました。その氷水で生き返りまし
た。あの時のあの冷たい氷水は一生涯忘れる
ことのない味だったと祖母は言ってました。
水は、無色で無味なのにと思っていました
が、「おいしい」と言った時の祖母の顔は、と
ても幸せそうな顔でした。
一滴の水は人を救う。その一滴の水を大切
にしていこうと思いました。
一滴の水は小川になり、やがて大河になる
ように、一人の力は小さくてもたくさんの人
が協力し合えば大きな力となる。
水には怖さもある。覚えているだろうか、
大地震で私は、水の怖さを知りました。大き
い揺れがあり、ニュースには津波警報も出て
いました。水で命を奪われた人、行方不明の
人、負傷者、合わせて 2 万 4,658 人の人々が
おそわれました。
自然災害で、このような水の怖さもある。
どれほど怖さがあったことだろうか。
水には、大切さと大事さ、怖さがある。
まず自分で、出来ることは何かと考えてみ
よう。まず身近な事から始めてみようと思う。
一つは節水だ。水の出しっぱなしには気を
付けようと思う。小さな事から取り組む事に
よって、やがて大きな結果が出ると思います。
水にはいろいろな役割がある。それは、人
間にとってかけがえのない大切な水である。
命と水は、切っても切れないかけがえのない
存在であると私は思いました。
水に感謝の気持ちでいっぱいです。ありが
特別賞
とう。
栃木県土地改良事業団体連合会長賞
水の大切さ
佐野日本大学中等教育学校
みなさんは水といったら何を想像しますか。
コンビニに売っているミネラルウォーター。
雨が降ってできた水たまり。それともトイレ
の水でしょうか。この地球には、様々な水が
あります。そこで私は水について考えること
にしました。
私はまず朝起きるとコップ 1 ぱいの水を飲
みます。水を使ってハミガキをして顔を洗い、
朝ごはんを食べるときにも水を飲みます。そ
して学校に行く前にトイレへ行ってから出発
します。学校でも何度かトイレに行ったり、
水を飲んだりします。お昼ごはんの前になる
と水で手を洗います。家に帰ってくるとお風
呂にも入ります。このように、私の毎日の生
活を考えてみると、いったい 1 日にどのくら
いの水を使っているのか想像ができませんで
した。きっとものすごく大量の水を使ってい
るのだと思います。世界では、水道のない地
域があるそうです。そのような水道のない地
域では、毎日片道 1 時間かけて水のあるとこ
ろまで歩いて行き、大きな容器に水をくんで、
頭にのせて持って帰るそうです。けれど、そ
の水は土などが混ざっているドロ水です。で
も、そのドロ水を飲むしかありません。ドロ
水には様々な雑菌がふくまれているので、そ
の水を飲んで毎日生活している人々は、病気
になってしまうこともあるそうです。水を飲
んだだけなのに、病気になり、死んでしまう。
私はとてもかわいそうだなと思いました。
また、水は循環しています。雨から考えて
みましょう。雨が降ったら川へ流れていきま
す。川へ流された水は、土砂・浮遊物・細菌
等を沈殿・ろか・滅菌する設備、浄水場を通
って、私たちのもとへとやってきます。家庭
で使った水は家庭排水として流され、下水を
浄化する下水処理場できれいにし、海に流れ、
水が凝結して微細な水滴または氷晶の群とな
り、高く空に浮く雲になっていきます。そし
1年
奥澤
愛深
て、大気中の水蒸気(雲)が高所で凝結し、
水滴となって地上に雨が降ってきます。この
ように、水はなくなってしまうということが
ないのです。そこで私はもし水がなくなって
しまったらということを考えてみました。今
まで当たり前のようにじゃ口をひねれば出て
きた水が出てこなかったら、私たちは水を飲
むことができません。お米をたくことも、煮
物をすることもできません。トイレも水が使
えなければ使うことはできません。では、人
間だけでなく動物や植物はどうでしょう。植
物の場合、もし水がなかったら、土の中にの
びている根から、水や、水にとけた養分など
をとり入れることができなくなってしまいま
す。こうなってしまうと、きちんと育たず、
かれてしまったりします。植物がかれてしま
うと草食動物は食べるものがなくなってしま
います。食べる物がないと、動物たちは死に
至ることになっていきます。草食動物が死ん
でしまうと、肉食動物も食べるものがなくな
り死んでいってしまいます。植物も動物も死
んでしまってなくなってしまったら、私たち
も生きていくことはできません。人間も動物
も植物も実は水に支えられて生きているので
す。
地球上の水の質量というものは、常に変わ
らず、新しい水ができる訳ではありません。
だからこそ、水をもっと大事にするべきだと
思いました。地球上のかけがえのない、限ら
れた水。私たちはその水に支えられていると
いうことを忘れずに、ありがたみを感じなが
ら生きていかなばなりません。これからは、
毎日少しでも、工夫して節水をしたいと思い
ます。そして、いつか、世界中で安全な水を、
安心して使えるようになることを願っていま
す。
特別賞
一般財団法人栃木県環境技術協会理事長賞
人類の希望
佐野日本大学中等教育学校
水とは、水素と酸素との化合物です。純粋
なものは無色、無味、無臭で常温で液体です。
地球上に広く分布し、海洋・水・雪・湖沼・
河川・地下水や大気中の水蒸気などとして存
在し、自然界を循環します。動植物体の構成
成分として大きな割合を占め、生命に不可欠
なものです。また、日本の水道水は、水道法
の 51 項目の水道水質基準に合格した水が私達
の共用している水になるのです。日本では、
そうした生き物に害のない安全な水を作って
いるのです。そこで日本は、昔どこから水を
えていたのか調べてみました。江戸時代のこ
ろには、水を確保できないところに住む人は
なかなかいなかったそうです。特に日本は、
山が多いので水質には結構恵まれています。
しかし江戸の町は湿地帯で塩水しか取れず、
井戸を掘っても良い水を手に入れることは出
来ませんでした。そこで徳川家康は、江戸幕
府を開く際に水を確保するための対策を始め
たそうです。地中に埋めたパイプで、池から
城下に水を送る仕組みを編み出し、また生活
廃水を捨てるためのドブをつくったそうです。
これは、現在の上水道・下水道の原理とほぼ
同じそうです。そこで現在、水はどこから来
ているのか調べてみました。私達が毎日安心
して水を飲んだり、洗濯をしたり出来る水は
森林の働きによるところが大きいと言う事が
分かってきました。そこで森林で長い時間を
かけ水を蓄えた後、川を育み海へと流れこみ
そこに多種多様な生物の命を支えている事が
分かってきます。私達がいつもおいしい水を
飲む事ができ、安心して水を使えるのは日本
国土の 70 %を占める豊かな森がつくり出した
一滴の水が蓄積し様々な命を支えている事が
理解出来ました。水は私達にとって最もあり
ふれた物でありまた、生物が生きていくうえ
で最も基本でありなくてはならない物質です。
では、水と人間との関わりについて考えてい
1年
樋口
文菜
きたいと思います。人間の体の中にどれくら
いの水が含まれているか調べてみると約 60
%。生まれたばかりの赤ちゃんは体重の約 90
%が水で出来ているなんてとてもおどろきま
した。老人になると水分の割合が少なくなり
約 50 %。赤ちゃんはツルツルしてかわいいが
年をとるとしわも増えます。これは体内の水
分の量を考えれば分かります。
私達の住む地球にどれだけの水があるかも
調べると約 14 億k㎥とされる水により地表の
表面 70 %がおおわれています。そのうち 97.
5%は塩水、淡水は残りの 2.5 %しかありませ
ん。その 2.5%のうちの 70 %が氷河や氷山と
してあり我々人間が使うことが出来ません。
後の残り 30 %は土の中あるいは地下水となっ
ています。人間が利用している水は森から流
れ出し川になる水であり、この量は地球上に
存在する水のわずか 0.01 %にすぎません。こ
のうち雨が降ったりして利用可能な量は約 10
k㎥にすぎません。使える事が出来る水の量
は決まっているのに地球上に人口は増えてい
けば水が足りなくなる事は予測出来ます。そ
れと地球温暖化経済成長により工場などで使
う水も量も増えるに違いません。これらの問
題に対し私達はどうしたらいいのかを考えな
ければなりません。決して人ごとではないの
です。しかも衛生施設が無く安全な水を利用
出来ない人々がアジア、アフリカ地域に集中
しています。毎年 180 万人もの子供達が安全
な水を使えず死亡しています。
私は以前テレビ放送の中で、納豆菌のネバ
ネバ成分から水を浄化出来る事を知りました。
数千万円するフランス製の浄水装置は買えな
いが、納豆のネバネバ成分からの水質浄化剤
であればコストを下げる事が出来れば、毎年
安全な水が無く死んでいく 180 万人の子供達
の命を救う事が出来るかもしれません。小さ
な希望の種が世界各国にまかれ、夢という花
を私は全世界にさかせたいです。
特別賞
一般財団法人渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団理事長賞
蛇祭りから水の大切さを
佐野日本大学中等教育学校
「ジャーガマイタ、ジャガマイタ。5 月 5
日のジャガマイタ」
大きな掛け声とともに、長さ 20 メートルを
越える竜頭蛇体の巨大な蛇を担ぎ、町中を練
り歩く。
これは、私の住んでいる栃木県小山市間々
田地区で毎年 5 月 5 日に行われている「蛇祭
り」という祭りの様子た。400 年近い歴史が
ある蛇祭りは、県の無形民俗文化財にも指定
されている。間々田で知らない人はいない有
名な祭りだ。
そんな蛇祭りの起源は、釈迦誕生に遡る。
八大竜王が竜水を降らせたという故事にちな
み、ほどよい雨による農作物の豊かな実りを
祈願する、八大竜王信仰が間々田の地にも伝
わり、やがて人々は竜を模した蛇体を作り、
これを御輿ののうに担ぎ回り、「雨乞い」「五
穀豊穣」
「疫病退散」を祈願するようになった。
蛇祭りは田植えの時期を前に、間々田八幡
宮で行われ、神池の水を蛇に飲ませる「水呑
の儀」がとても盛り上がる。なかには勢い余
って担ぎ手まで池に飛び込む蛇もあり、激し
い水しぶきが上がるたびに池の周りにいる人
々から大きな拍手と歓声が聞こえてくる。そ
んな水呑の儀の後、七体の蛇は再び各町内に
散っていく。
なぜこうまでして、間々田の人々は蛇祭り
を毎年行っているのか。それは、言うまでも
なく豊作を祈るためだ。水がなければ凶作に
なってしまう。農業に密接にかかわっている
この地域だからこそ水は生活していく中で大
切なもののひとつなのである。このように昔
から人々は水を大切にし、雨を恵んでくれる
ことに感謝していた。
しかし、農業用水のみならず水は地球に有
り余っているわけではない。水は地球上に 14
3年
菅原
由莉菜
億k㎥あるといわれている。しかし、私たち
が使える水は 14 億k㎥の 0.8 %だ。0.8 %と
聞くととても少なく感じるのではないか。お
風呂でたとえてみると全体の 0.8 %は一滴に
しかならない。
また、ただでさえ私たちが使える水は少な
いのだが、今、森林伐採による水の汚染が深
刻になっている。森林伐採と水の汚染は、一
見関係のないことのように感じられるが、と
ても深い関係がある。
例えば、森の土は落ち葉などに覆われて、
湿っている。それは、森に雨水などを蓄える
力があるからだ。蓄える力はしばしばダムに
例えられ、それに相当する水が蓄えられると
いわれている。しかも、水をきれいにする働
きもある。地面に水がしみこむ時に水に混じ
ったほこりなどが取り除かれ、さらに土の中
にいる微生物の働きによって、水に溶け込ん
だ成分が分解される。こうして、森に蓄えら
れた水はきれいになって川に流れる。そのた
め、森林が伐採されてしまうとこの働きが崩
れ、水が汚染されてしまうのだ。
では、どのようにしたら、このサイクルを
崩さずに済むのだろうか。私は、一つの答え
を導いた。それは、水を守るからと言ってそ
こだけにとらわれず、その周辺にあることも
広い視野として入れて、水を保護するべきだ
ということだ。
蛇祭りは後世へ残すことによって、祭りの
良さ、水の大切さについて知り、稲作への関
心を持つことができる。私たちは、水と森林
といった広い視野をもつことを大切にするこ
とと共に、蛇祭りをはじめとした水に関連す
る伝統も引き継いでいくことも大切なのでは
ないだろうか。
特別賞
公益財団法人とちぎ建設技術センター理事長賞
きれいな水を目指して
佐野日本大学中等教育学校
私たち人間が生きていく中で大切なものは
何でしょう。それは「水」です。私たちが口
にする飲み水はもちろん、作物を育てる時に
も必要です。また、お風呂やトイレなど生活
をしている中で誰もが毎日使っています。1
人が 1 日に使う水の量はおよそ 250 リットル
といわれています。それを知りこんなに使っ
ているのかと驚きました。それくらい私たち
に密接で当たり前にある存在なのだと実感し
ています。日本では蛇口をひねればすぐにき
れいな水が出てくるというとても恵まれた環
境です。しかし、最近川や海を見ると汚染が
目立つようになり心配な部分もあります。
私は毎年夏になると家族で海へ遊びに行き
ます。その中で印象に残っている海が 2 ヵ所
あります。
1 ヵ所目は茨城県の海です。私が住んでい
る所からも近いため毎年のように行きます。
でも、海岸へ行って気付いたことは汚れてい
るとうことです。花火の後のゴミや食べ物が
入っていたトレーなどが落ちているのが目立
ちました。また、海へ入ってみても、水がに
ごっていて水面から見て何があるのかも分か
らないほどでした。
2 ヵ所目の海は沖縄県の海です。小学生の
時に初めて行き、とても感動したのを今でも
よく覚えています。海岸は真っ白でゴミもま
ったく落ちていませんでした。さらに海も青
々と輝いていました。水も透き通りたくさん
の魚が泳いでいる姿を確認することができま
した。同じ日本なのにこんなに差があるのだ
と驚きました。
この二つの海の違いは本当に大きいです。
ただ、自然を汚しているのは残念ながら私た
ち人間なのです。このままゴミなどを放置し
続ければ、海が汚れ、魚も死んでしまいます。
そうなれば私たちにも直接大きな影響を及ぼ
2年
海老沼
花菜
してくるはずです。
では、どうすれば海やきれいな水を保つこ
とができるでしょうか。それは、一人ひとり
の心がけが大切だと思います。川や海などの
自然を守るため、出かけた時にはゴミは必ず
持ち帰り、さらに落ちているゴミまでしっか
り拾うだけでも大きく変わってくると思いま
す。
また、日常でも水を汚したり、水のムダ使
いをしないということもとても重要だと思い
ます。例えば、私の家ではお風呂の水を洗た
くの水に再利用したり、食器などまとめて洗
う工夫をしています。それから、油や汚れの
ついた皿などは一度紙などでふき取ってから
洗ったり、古い揚げ油は油を固める市販の薬
を使って燃えるゴミとして出したりと少しで
も油を流さないようにしています。私もハミ
ガキやシャワーの水をこまめに止めるように
心がけています。
このように、私たちが水に対してできるこ
とは本当に小さいことかもしれません。でも
意識を持っていることで魚も人間もお互いに
住みやすい環境が成り立つと思います。さら
に、海も水もきれいに保つことができるはず
です。
詩人の金子みすゞさんの「水と影」という
作品があります。その中に、
「水はすなお、なんの影も映す。」
と、いう一文があります。この詩を読んで
透き通ってきれいな水はくもりやにごりもな
く風景をそのまま映すことができるのだと感
じました。この作品の水もきっときれいな水
があったからだと思います。私たちはこれか
らもこの大切な環境を守り、次の世代、そし
てまた次の世代へと受け継いでいけるように
努力しなければいけないと思いました。
特別賞
一般社団法人栃木県建設業協会長賞
水を守るための言葉
真岡市立真岡中学校
私はいつも母に言われている言葉がある。
「あたりまえでしょ。水を止めなさい。」
はみがきや朝、顔を洗うときいつも水を出
したままにしてしまう。最初は別にいいじゃ
ないか。と気にもしなかったが今年の夏、日
本全国を異常気象が襲った。雨が家に入って
くる地域もあれば、全然雨が降らない地域も
あった。
私たちの住む地域は、雨がなかなか降らな
いために本来たくさんの水を管理していたは
ずのダムの水さえも、みんなが使えるか分か
らないような所まで水が減っていた。しかも
そのダムに水がなくなってきているため、葉
や虫やらがたくさん入ってきていることをT
Vのニュースで知った。私たちの地域のいた
る所に「節水をしてほしい。」とアピールをす
るポスターやシール等がたくさんはってあっ
た。水が限りある資源だということには、変
わりはないけれど、あらためて考えてみると
水は私たち人や動物・植物すべてを支えてい
ることが分かった。
そんなある日、広島に住む祖父母が私たち
の家に心配した様子で来た。祖父は大きな船
を持ち、いつも海に出ている。祖父母に今の
雨の現象を説明してみると「水の姿」につい
て語ってくれた。
地球は水の惑星。しかし水が流れる星は地
球だけ。水は静かに流れながら、私たちの生
命を支えてくれる。そして、その水のもとの
姿は雨水である。この水による循環によって
海のある地球が生まれ私たち人間をはじめと
する地球の生き物を育ててきた。
そんな事を話している祖父母を見ていると
私が水に対する「大切にしなきゃ」っていう
気持ちが甘かった気がした。なんとか雨が降
るようになり、各地のダムに水がたまりはじ
めた頃私は一つの思いをもとに男体山へ向っ
た。身近に水を感じてみたかったからだ。山
2年
望月
みあ
の空気は、すきとおっていてきれいな空気を
吸えることにうれしく思うほどだった。
「森の香りってこんな香りだったんだ。」
ふとそんな言葉が私の口から出た。なぜなら
雨は山にも降る。山は雨を吸収し大地をつく
る。そんな優しくおだやかな香りを持つ「森
の香り」いや「水の香り」というべきか。こ
んなにのんびり空気が吸えるのも水があるか
らだ。やはり何かの大切さを学ぶには、実際
に見て香って触るという体験をしなければ学
ぶ事のできないことばかりだと私は思ってい
る。私はこの山に行くという一つの行動を起
こしてみて水が身近にあるということになれ
ていたし感謝するっていう気持ちを忘れかけ
てしまっていたけれど、私たちがどんなこと
でも行動をおこすためには水が関わっている
ことが分かった。
そのことをしっかり理解した私は、その日
から自分自身に節水を生活の一部となるよう
に。また節水ということが私の行動の一部に
なるように毎日心がけている。そして私の生
活から一日、一日と月日がすぎるにつれて、
「あたりまえでしょ。水を止めなさい。」
という言葉が消えてきている。私に水の大切
さを教えてくれた母の言葉には人が水に対す
る考え方を考えるという大きな力を持ってい
ると思っている。この言葉が私の生活から生
まれていなかったのなら、私は水の大切さや
ありがたさを深く考えることはなかっただろ
うと思う。
水は私たちの生命を育むと共に、多くの命
ある生き物を支えてくれるとても大切なもの。
だからこそ私は限りある資源に対する考え方
を私だけではなく一人一人みんなが水に対し
て目を向けて考えなおしてほしいと思ってい
る。そして何よりも水が「限りある資源」だ
ということを実際に水を感じられる山や川沿
いなど自然に触れてほしいと思う。今度は私
が、水を守るためのこの言葉を色々な人に伝
えて少しでも水が守られるようにしたい。
佳作
佳作
水
佐野日本大学中等教育学校
1年
石倉
和希
皆さんは、普段使っている水がどこからき
らなければ渇水になってしまいます。このよ
て、使用後にどこに流れていくのか知ってい
うな自然災害が毎年のように各地で発生して
ますか?
います。
生活の基本となる水ですが、もしも水が止
世界に目を向ければ、きれいな水を自由に
まってしまったら、どんなにか不便でしょう。
使えない人たちや使えない国はまだまだ、た
何年か前の夏に、水不足になり、水道水の使
くさんあると言う事も、ニュースなどで見う
用が制限されたと、両親から聞きました。市
けます。そんな話を耳にした時には、今まで
の広報車が、水の使いすぎに注意をしてくだ
以上に大切さを感じることでしょう。
さい。と、まわっていたそうです。私の生ま
私は、自分自身の生活の中で、むだな水の
れる以前の事ですが、水の大切さを感じまし
使い方をしている所もあります。シャンプー
た。その頃、幼かった私が兄の付きそいで、
の時、今までは出したままだったシャワーを
ダムを見学に行きました。ちょうどその時、
必ような時、必ような量を出すように心がけ
季節は夏で、雨量が少なくダムの水の平均値
るようにしています。朝晩のハミガキの時も
を下まわっていた事を覚えています。管理人
同じように心がけています。出先などで、し
さんに普段見る事ができない、地下を案内し
っかりじゃ口がしまっていなく、ちょろちょ
てもらいました。中は、とてもひんやりして
ろ水が出ている時には、すぐにしめます。そ
いて時々、上から水が落ちて来る事もありま
んな小さな事でも、そうすることでとても水
した。そんな生活の基本となる水が、そこか
が、大切な物であると思えます。
ら来ている事も分かりました。
今まで私が生活をしてきた中で、水不足な
私たちが毎日あたり前に使っている水を、
ど、不便を感じた事がなく、じゃ口をひねれ
安全に安心して使う事ができるのは、色々な
ば水が出てあたり前の生活でしたが、みぢか
人たちに支えられているからです。先ほどの
におこった大震災などをまのあたりにして、
ダムの管理人さんのように、私たちが使った
つくづく水の大切さを感じました。この先、
水をきれいにしてまた自然へ返すための仕事
どんなふうに環境が変化していくか、まった
をしている人たちがいるおかげです。
く想像もつきませんが、どんな時でも不便さ
中々、普段、当たり前のように使っている
にたいおうできるようにじょうほうしゅうし
水ですが、実は知っているようで知らない事
ゅうに心がけて行きたいと思います。人間だ
があると思います。例えば、普段、私たちに
けではなく、草木や他の生き物などにも水不
うるおいを持たらしてくれる水も、雨として
足はえいきょうしてきます。今後、水にかん
集中的に降れば洪水が発生します。ずっと降
してもっとたくさん調べて見たいと思います。
佳作
かけがえのない水について
佐野日本大学中等教育学校
5 月 4 日の早朝、伊豆大島の近海を震源と
する大きな地震が起こりました。僕は、前日
から埼玉の祖母の家に泊まっていて、起こっ
た時には気づきませんでした。しかし起きて
テレビをつけてビックリしました。地震の情
報が画面いっぱいに流れて緊迫した雰囲気で
した。僕は 3 年前の東日本大震災のことを思
い出していました。
あの日、今まで体験したことがないような
大きな揺れにおそわれ、ぼくの住む地域では
電気が全く使えなくなりました。幸いガスと
水は使えましたが、いとこの住む地域では水
が全く使えず本当に苦労したそうです。
以前「ライフラインの断絶により一番困る
のは水の確保である」と聞いたことがありま
す。飲料水や食料としてだけでなく、トイレ、
洗面や掃除などの生活用水としても必要とな
る大切な水ですが、普段は当たり前のように
使っていてその大切さを忘れてしまっていま
す。ぼくは、その大切な水について調べてみ
ました。
「地球は水の惑星」と言われますが、実は
そのうち 97.5 %が海水で、つまりほとんどが
利用できない水なのだそうです。淡水(塩を
ふくまない水。真水)はわずか 2.5 %で、そ
の淡水でさえ氷河になっていたり、汚染され
すぎていたりして、利用できるのはさらに少
なく 0.007 %しかないそうです。「地球を正確
に言いあらわすならば『使えない水の惑星』」
という言葉に驚いてしまいました。
「使えない水」の惑星であるのに、ぼくた
ちは蛇口をひねれば水はどんどん出てくると
いう恵まれた環境にあるせいで、日本人の節
水意識はどんどん低くなっています。「地球上
には水が足りない。日本人には節水の心が足
りない。」という言葉にとても考えさせられま
した。
「節水」という言葉で僕が思いつく事は、
1年
川田
尚生
①お風呂の時に、シャワーのお湯を無駄に使
わない。②トイレを使った後に流す水を「大」
「小」に使い分ける。③歯みがきをしている
時に水道の水を出し放しにしない。くらいし
かありません。他に何かできそうな身近な節
水の方法はないか調べてみました。
①蛇口は、いっぱいには開かない・・・水
道の蛇口は普通に開くと 1 分間に約 5 リット
ルの水が流れます。それをいっぱいにひねる
と、4倍の 20 リットルになり、あっという間
に無駄な水を流してしまうことになるそうで
す。
②炊事の後片付けの工夫をする・・・食器
やフライパンは、油汚れなどを新聞紙や布で
落としてから水洗いをすると、節約すること
ができるそうです。蛇口のこまめな開け閉め
でも節水できます。
③節水グッズを利用する・・・お風呂のシ
ャワーヘッドを節水用に付け替えるなど色々
なグッズを見つけて上手に利用すれば良いと
思います。
これらは、小さな事かもしれませんが、一
人一人が心がければ必ず良い結果につながっ
ていくと思います。
また、以前テレビで見た事がある、海水を
淡水に変えることができる「海水淡水化装置」
がもっと普及すれば良いなと思います。
世界に目を向けると、約 12 億人もの人が安
全な水を飲めないでいるという事実や毎年水
不足で 400 万人が命を失っている事実がある
と知り、水を知らないうちに無駄に使ってい
る自分を反省しました。
僕は今まで何か不便な事が起こらなければ
水や電気などのありがたさに気付くことがで
きませんでした。今回大切な水という資源に
ついて深く考える事ができて、これからの生
活を変えていく良いきっかけになり良かった
と思いました。
佳作
私達と水
佐野日本大学中等教育学校
水とは、私達の生活に欠かせないものです。
人間は、水がないと生きていけません。飲み
水として必要なのは、もちろん様々な生活用
水としても使います。料理、洗濯、風呂など
毎日の生活に水は必ず使われています。また、
食事のもととなる作物を育てるのにも大量の
水が必要とされています。
水はどこから来るのかというと、空の雲か
ら雨として降ってきます。雨は、海などから
発生した水蒸気が、上空に上がって雲となっ
て降るものだそうです。地上に降った雨は、
植物に吸収され、地下水となり、または川に
流れ、最後は海に戻ります。このように、水
は自然の中でじゅん環しているのです。
言うまでもなく、海にはたくさんの水があ
ります。地球の地表の七割は、水でできてい
て、
「水の惑星」と呼ばれるほどです。しかし、
その中で私たちの生活で使える水は、淡水と
いって、すべての水の約 2.5 %しかないそう
です。残りの部分は海水で、塩が混じってい
て、私たちの生活には使うことができません。
97.5 %の海水と 2.5 %の淡水は、じゅん環の
中の蒸発で塩分が取り除かれ、海に流れこむ
時にまた塩分が加わることで、入れ替わりな
がら比率のバランスを保っています。2.5 %の
淡水は貴重なので、私達は家や学校で節水を
心がけるよう言われています。
世界では、雨が降らない事により、湖の干
ばつや砂漠化が進んで、生活や農業に必要な
水が手に入らず、困っている人が沢山いるそ
うです。乾燥した土地では、水を手に入れる
ために必死になっている人も沢山いるでしょ
う。私は、日本に生まれてとても恵まれてい
ると思います。蛇口をひねれば、水が出てく
るわけですから。
逆に、雨が多すぎる自然災害もあります。
夏になると、「ゲリラ豪雨」により貯水池が溢
れ、様々な問題が起こるニュースが流れます。
一年
島田
賀衣
私も、道路が田んぼからあふれた水でいっぱ
いになり、車が通れなくなったのを見た事が
あります。その時、津波の被害を思いだし、
怖くなりました。水がありすぎて困っている
ところもあるという事です。
地球には、
「2.5 %の淡水」があり、これが、
バランスよく分配されればいいのですが、実
際は、あるところにはあり、ないところには
ないのです。自然による水のじゅん環は、人
間の希望通りにはいかないから、当然起こる
問題です。
この問題を解決する為、淡水のあるところ
からないところへ運ぶ方法を考えました。飛
行機や船で運ぶ手もありますが、水は重いの
で、沢山費用がかかり、運べる量も少ないと
想像します。太くて長いパイプでつないで運
ぶ方法が効率良いと考えます。また、毎水か
ら淡水を作りだす事も、問題解決に有効です。
雲を作って水のないところの空に運ぶという
手もありますが、狙い通りに雲を飛ばすのは
難しいかもしれません。海水から淡水を作る
工場を作り、水がなくて困っている人の住む
場所へパイプで運ぶのが一番良い方法だと思
います。
人間だけが水を確保できれば良いというわ
けではありません。淡水の中でも、自然界に
存在する湖、川、沼などの湿地帯には沢山の
生き物が住み、植物があります。彼らの命も
大事にしなければなりません。
水は、全ての生物に必要不可欠なもので、
私達の命を救ってくれます。しかし、水の量
が多くなったり、力を持ったりすると、私達
の命を奪うこともあります。水を安全に使用
する為に、人類はこれからも、工夫を重ねて、
水と共に生きていく努力をし続けていかなけ
ればならないと思います。
佳作
水の大切さ
真岡市立真岡中学校
3 月 11 日、2 時 16 分でたくさんの人をまき
こんだ、東日本大震災から 3 年がたちます。3
年前の今ごろは、まだ地震がおそってくる前
で、いつも通りの生活をしていました。そん
なふつうの生活を送っていた私たちを突然地
震がおそってきたのです。3 月 11 日の地震は
とても長く、大きくゆれ、机の中に入ってい
ても机がうごいてしまったり、水そうが落下
したり、掲示してある写真立てがたおれてい
たり。学校の外でもかわらがはがれおちたり、
ひどいところでは車庫の屋根がおれていたり、
たおれていたりとたくさんの被害を受けまし
た。また、海岸沿いでは、約 1 万 5,000 人も
の人が亡くなったり、命は助かったものの、
住む家を奪われたり、原発の事故で家に入る
ことができず、仮設住宅に 3 年がたった今で
も住まなくてはならなくなってしまったりと、
とても津波の被害は大きいものでした。
私は、当時の私のまわりのことを思い返し
てみました。余震がつづく中、私は学校から
家に帰りました。家の中はとてもごちゃごち
ゃになってしまっていました。家についた私
はのどがかわき、のみものがのみたくなりま
した。冷蔵庫は電気が通っていないことを知
っていたので冷蔵庫は開けちゃいけないなと
思い、落下物をさけながら、やっとの思いで
水道につきました。いつも通り、コップを手
に、じゃ口をひねりました。いつもでるはず
の水がでてこなくて、一度閉め、もう一度、
試してみました。その後、水はでてきたもの
の、水の色は茶色く変色し、でてきた量もほ
んの少しでした。家にある水道全部試してみ
ましたが水の色は茶色でした。今まで生きて
きた中で水道から水がでてこなくて困ったこ
となんて、一度もありませんでした。それに、
水がでてこなくて、とても困りました。飲む
水がない、料理ができない、手やものが洗え
ないなど本当に困りました。家に何本かあっ
2年
大坪
歩夢
た水を家族みんなで大切に使いました。3 月 11
日から何日かがたち、電気や水が復旧しまし
た。しかし、安全とはいえない水が水道から
出回っていました。そのため、私の家では買
ってきたペットボトルの水などを飲料水とし
て使いました。震災がおこる前まではふつう
に水道の水を飲んでいたため、とても違和感
や、めんどうくささを感じていました。
震災から 3 年がたった今は、全く水の問題
はなくて、私たちの地域では震災前のような
生活を送っています。しかし、東日本で今だ
に苦しんでいる人を始め、世界中には水で困
っている人がたくさんいます。私たちは二、
三日水が使えなかっただけで「辛い」という
言葉を発していましたが、世界を見れば生ま
れてから死ぬまで、ずっと泥水を飲まなくて
はならない人、ましてや水もめったに得るこ
とができない人がたくさんいるのです。そし
て、私たちの国、日本でも水で困っている人
たちがまだいるのです。そんな中で私たちが
水をむだな使い方をすることはとても失礼な
ことです。水をもとめる人がいるということ
を考え、私たちに少しでも水をむだにしない
行動をとることが大切だと思います。
私は、むだな水を減らすために、節水をし
ています。例えばおふろで頭を洗ったあと、
そのせっけんをいちいち流すと大量の水を使
ってしまうことになります。なので私は、頭
を洗った後、そのせっけんはまだ流さず、体
を洗います。そうすればシャワーを使う回数
が一回減り、むだな水も減らすことができる
のです。
私たちが節水をすることで笑顔になれる人
が増える。そう思うと私はどんどん節水をし
たいと思います。水はとても大切な資源なの
です。この限られた資源を、一生付き合って
いくこの水を、私は大切に使っていきたいで
す。
佳作
水のたいせつさ
真岡市立真岡中学校
昔の僧侶はご飯をいただいた後は、その茶
わんにお茶をそそぎ、はしで洗って飲みほし
たと言って、祖父は、そのしぐさを時々する
と母は言っていた。
2年
黒岩
京悟
かり、どんなにありがたく大切なものを知っ
た。
どんな種類の水でもあるだけいいし、水が
ない不便さを初めて体験した。飲み水はもち
僕の祖父は 89 才。ぼくの年頃は水は井戸水
ろん貴重だった。それからよごれた水でゆす
で、今でも残っている井戸につるべがあり、
いだぞうきんは、何度床をふいてもきれいに
そこからくみ上げて使っていた。
ならなかった。何度も使いまわした水を最後
井戸の水は冷たくて、夏はスイカやトマト
はトイレの流す水として使った。おふろの水
を冷やして食べたらしい。大きな水ガメもあ
なんて、毎日夜には捨てていたのに、湯船に
って、それは金魚を飼うのかと思っていたら、
ずっとためてそこから、手を洗ったり、そう
水をくんできてためておく、水ガメだったら
じに使った。何日も蛇口から水が出ない日が
しい。大きくて小さな子供ならすっぽり入っ
続いた。つい、蛇口をひねってしまう。でも
てしまうほどだ。
そこからは一滴も水が出ない。とてもつらい
水に不自由する土地で、みんな地域の人は
と思った。
井戸を掘ったがなかなか出なかったらしい。
あれから、僕の意識は、ずい分変わったと
祖父の家の井戸は水がよく出て、近所の人た
思う。おふろに入る時、シャワーが適温にな
ちが水をもらいに来たという。
るまで湯船にシャワーヘッドを入れて、水を
「ふーん。」と聞いていた。昔は大変だった
節約している。母は食器を洗う時、水をため
なあという気持ちで、今は楽でいいなって思
て、まとめて洗うようにするようになった。
いながら。
観葉植物に水をあげる時は、ペットボトルを
母がぼくの年の頃は水が売られているなん
ゆすいだ水や、米をといだ汁をあげるように
て考えられなかったと言う。水もお茶もお金
しているという。父は車で洗う水をバケツに
を出して、ましてやジュースと同じ値段で買
ためてから洗うようになった。水が出ないつ
うなんてことは思わなかったのだ。それくら
らさがわかった今は水を使った後も気になる
い水なんてどんな水でも同じだと考えられる
ようになった。
くらいあたりまえにあるものだった。
川などからくみあげられた水は、僕たちの
今水も種類があり、値段もいろいろで、消
暮らしの中で使われた後下水道管を通って水
費者が選ぶことができる時代だ。こだわりの
再生センターに送られる。きれいに生まれ変
水が市場に出回っていて、どこのがおいしい
わった水は再び川や海に戻される。水は僕達
なんて言っていたりする。それが当たり前だ
の生活の中で循環していることを考えたら、
ったが、みんな僕の年頃の子達が初めて水の
一人一人が気をつけて水を使用しなければな
大切さを感じたのは、きっと今回の東日本大
らないと思う。
震災だったと思う。
あの時、僕は水の大切さの本当の意味が分
これからも人々がきれいな水を使えるよう
に、今から僕達は意識を高め、そして努力し
ていかなければならないと思った。
佳作
三本のペットボトル
真岡市立真岡中学校
私の家は、お父さん、お母さん、お兄ちゃ
ん、私、妹、弟の六人家族。
2年
笹原
世玲菜
に行ったのは、お風呂場。足からお風呂に入
ったとたん、体の力が抜けていく。ただの水
私は水に対する事など一度も考えた事など
なのに、その水は私の体の中に不思議なくら
なかった。学校などで「節約に協力しよう」
いのパワーが入ってくるよう。「水がこれだけ
などと言われても、節約しようと思うのはそ
の力を持っているなんて。」私はそう思った。
の時だけで、水を使っていると、節水の事な
まだ水が流れていない。家に帰った時、少し
ど頭の中から消えていた。しかし、私が水を
がっかりした。配給車が来たという放送が流
大切にしようと思い始めたのは、今から約 3
れた。私のおじいちゃんが配給の水を届けて
年前の、「東日本大震災」だった。
くれた。私はその時にのどがかわいていたの
「水がにごっている」それに気がついたの
で、その水を飲んだ。なんてことだろう。普
は、あの地震から約二時間くらいたったとき
通の水なのに、魔法がかかったのかというぐ
だろうか。地震が落ちつき、私が家に帰った
らい、とてもおいしく感じた。「命の水」それ
ときだった。「水がでなくなります。」その放
が私がその時に思ったこと。私はその時にや
送が流れたときに、お母さんが、「ペットボト
っと気がついたんだ。水のすばらしさに、あ
ルに水をためて」と早口で私に言った。私は
りがたさに。
言われるがままに急いでペットボトルに水を
世界には、私たちみたいに水を飲むことが
くんだ。私が水をくみ終えたとたん、さっき
できない人たちがいる。その人たちからした
まできれいな水がでていた蛇口から、黒くに
ら、私たちが住んでいる日本は幸せなのだと
ごった水がでてきた。土が混ざっているのだ
思う。
ろうか。そのくらいきたない水だった。「別に
私たち日本人は水のありがたさを分かって
水がなくても二、三日ぐらいはもつだろう。」
いない。私もそのうちの一人だった。けれど
私はそう甘い考えだった。時間が経ち、夜ご
今はちがう。あの時の三本のペットボトルが
飯の準備で三本あったペットボトルが二本に、
何を意味していたのか。それは私たちが水の
二本あったペットボトルが一本になってしま
大切さをどれだけ理解していなかったのか、
った。歯をみがくときも、私の家は家族が多
私は今まで水を大切だと思っていなかったと
いので、あっという間に一本のペットボトル
いうことが、身にしみて分かった気がした。
の水が半分にまで減ってしまった。その日は
この地震がなかったら、今の私ではなく、昔
水が通っていなかったため、お風呂にも入る
の、水の大切さを知らない人間になっていた
ことができなかった。その残った半分の水で
ことだろう。
タオルをぬらして、手足、顔などをふいた。
その半分の水はなくなってしまった。
水を大切にする。一人一人が自覚して、呼
びかけていかなくてはいけない。未来のため
次の日の朝、私のおばあちゃんの家の方は
にも、私たちが今何をしなくてはならないの
水が通っていると聞いて急いで行った。おば
か。水の大切さが分かる人たちが増え、その
あちゃんの家につき、まず一番最初に真っ先
ために行動に移れる人が、一人でも多く増え
ることを、私は願っている。
佳作
私たちの暮らしと水
真岡市立真岡中学校
2年
吉川
友唯
3 月 11 日、大きな地震が私たちを襲った。
けで、私はとても不安だった。きっとこんな
まだ小学四年生だった私は、家の片付けをす
思いをしたのは私だけではないだろう。しか
る家族のことを庭で見ていることしか、でき
し、水はたくさんあるから少し無駄にしても
なかった。余震に恐怖と不安を覚えながら、
大丈夫。と思っている人も多いのではないか
眠りについた。翌朝、顔を洗おうと洗面所へ
と思う。蛇口をひねると水が出てくると言う、
行くと、蛇口をひねっても水が出てこなかっ
日常的な事だが、それは日本などの先進国だ
た。そして、電気を付けようと、スイッチを
けなのだ。
押しても電気が点かないことに気付いた。し
私は、10 月にオーストラリアにホームステ
ばらくして、水も電気も寸断されていること
イに行った。オーストラリアは、蛇口から水
に気付いた。まだ 3 月ということもあり、日
も出るし、飲むこともできる。しかし、どの
差しは暖かいが風が冷たく、気温も低かった。
家も水を大切に使っている。シャワールーム
食べ物もカップ麺はあったが、水が使えない
には 30 分以上いるが、水を使う時間は 10 分
と意味がなかった。のどが渇いていても水は
程度だ。食器を洗う時も、水をためて必要最
出ない。お風呂に入ることも、手や顔を洗う
低限しか水を使っていなかった。プールの水
ことさえも出来なかった。トイレの水も無駄
も、流さず繰り返し使い、葉っぱなどのゴミ
には出来ず、トイレに行くことも控えた。次
が入ってしまったら網ですくうなど、水を大
の日には、給水車が来た。早めに行ったもの
切に使っていた。ホームステイに行く前、母
のたくさんの人が水を求め並んでいた。私は
から「オーストラリアは水を大切に使ってい
この時、やはり水は無くてはならないものだ
るんだよ。」と言われ、正直「水なんてたくさ
と改めて思った。毎日目を覚ますと私は洗面
んあるんだから。」と思っていた。だが、ホー
所の蛇口をひねり、電気のスイッチを押す。
ムステイに行くと、母の言った通り、水を無
しかし、水は出ず電気も点かない。震災から 3
駄にせず環境に優しい暮らしをしていた。
日たった日、家の電話の音が鳴った。急いで
震災やオーストラリアへのホームステイが
部屋の電気を点けると、明かりが点いた。「よ
あったおかげで、私の水に対する考えが変わ
かった。」と安心したものの、水が出ないので、
った。水は、地球上のすべての生物の暮らし
また不安だった。ある日、母が「水が出たよ。」
を支えている。日本は、水が豊富だが、だか
と言う声が聞こえた。まだ、泥が混ざってい
らと言って水を無駄にしてはいけない。私た
てにごってはいたが、
「これでもう大丈夫だ。」
ちが無駄に使った水で何人もの人が水に困ら
と本当にほっとした。
なくなるだろうか。きっと一人一人が水を大
私は、3 月 11 日の震災以来、水に対する考
えが変わった。私たちにとって水は、なくて
切に使えば、水に困る人がもっと少なくなる
と私は思う。
はならないものだ。水が無いと料理を水分を
私たちが水を大切に、そしてきれいに使う
補うこともできない。動物や、植物は死んで
ことで、未来にきれいで豊かな水を残せるだ
しまう。数日間水が使えなくなってしまうだ
ろう。水は、私たちにとって身近なものだが、
水に対する考えを広げていけば、世界へとつ
ながっていくのではないだろうか。
佳作
水のありがたさ
真岡市立真岡中学校
2年
渡辺
萌香
2011 年 3 月 11 日あの日私は水のありがた
て行動していきたいです。他の人がこうだか
さを実感しました。地震のせいで電気は止ま
らこうしようとかではなく、自分がこう思う
り、ガスは止まり、水も止まってしまい、当
のだからこうしようと、いつでも自分の気持
たり前の事が何もできなくなってしまいまし
ちに素直になりたいです。
た。大好きなお風呂にもはいれず、歯をみが
例えば、歯をみがく時は、コップに水をた
くことも、温かい飲み物を飲むこともできま
めて歯をみがき、お風呂も時間を合わせて家
せんでした。
族皆で順番にはいれるようにしたりと、自分
あの時、水が私のように当たり前に飲めな
い人の気持ちを痛い程分かりました。そして、
自身、身の回りでできることから実践してい
きたいと思います。
水がやっと出た日、どれだけ嬉しかったこと
海の水や川の水を直接私達が飲むことはで
かすぐお風呂にはいりました。数日ぶりのお
きません。それを機械を使いきれいにし、私
風呂はとても気持ちがよく改めて幸せだなと
達のところまで運びます。私達は日本のどこ
実感しました。
にいても安全な水を飲むことができます。し
水がないとどれだけ苦しいのか、自分の生
かし、外国では水道からの水を飲めるところ
活に絶対ないといけないものなのか、それま
は少ないそうです。アフリカなどでは、子供
で何も知らなかったことに対して、自分がと
達が何キロもの道を汗水かいて水を運んでい
ても恥ずかしく感じたことを覚えています。
ます。毎日何度も往復しなくてはいけないと
水がないと、植物が生きていけない、魚が
テレビで報道していました。そうしないと家
生きていけない、トイレも流せない、歯がみ
族全員が困ってしまいます。だから学校にも
がけない、飲み物を飲めないなど、なにもで
行けないことがあるそうです。私達は何も考
きなくなってしまいます。木は枯れ果ててし
えずに水道からの水を飲んでいますがそれは
まい、動物もどんどん死んでいってしまいま
とても幸せなことなのだと思いました。地震
す。この世界にある水は無限にあるわけでは
のとき、水道が使えなくなって改めて実感し
なく、限られています。なので、水を使うと
ました。
きどれだけ必要なのかを良く考えて使い分け
ていこうと思います。
水はいろいろなものを作ることにも使われ
ています。私達の身の回りのものを作る工場
水が全て無くなってしまった時のことを考
でも水はたくさん使われています。だから、
えると、ものすごく怖くて、少しでもいいか
水が使えなくなったら、私達の生活は成り立
ら使う水の量を減らしたいと思います。私だ
たなくなってしまいます。
けやってもそんなに変わりません。ですから、
水のありがたさについて色々考えていくと、
この地球に生まれたからには、一人一人意識
本当に私達の生活になくてはならないものだ
をもってとりかかってほしいと私はそう思い
と改めて思いました。今までなにも考えずに
ます。他の人がなんと言っても結局は自分の
あるのが当たり前だと思って使っていた水で
行動で決まるのでちゃんと自分の意志を持っ
すが、これからは節水することを心がけ大切
に使っていきたいと思います。一人一人が意
ていけば私達自身のためにもなるし、地球の
識して使っていく。それを多くの人達が行っ
ためにもなると思いました。
佳作
水を「大切に」すること
佐野日本大学中等教育学校
「あなたは水を大切にしなければならない
と思うか」こう尋ねられれば、多くの人は「は
い」と答えるだろう。では、「あなたは水を大
切にしているか」と尋ねられたらどうだろう。
「いいえ」と答える人も多いのではなかろう
か。日本人はこの問い掛けに対して、それぞ
れ「はい」「いいえ」と回答する人が多いよう
だ。「水を大切にしよう」と思っていても、そ
れを本当に実行しているかどうかと聞かれれ
ば口籠ってしまう。その結果、日本という国
全体が水を大切にしなくなってしまいがちな
のである。「水を大切にしよう」は有名無実に
なりつつある。
その例として、福島第一原子力発電所の事
故が挙げられよう。この事故で、東北地方、
関東地方を中心に日本全国を、いや、世界中
を放射能で脅かすことになった。その事故の
中でも特に大きな問題は、未だに処理するこ
とのできていない放射能汚染水だ。処理の方
法がまだ確立されていないにも関わらず、大
量の汚染水が作られてしまったのだ。
では、水の沸点より放射性物質の沸点の方
が高いことを利用し、汚染水を蒸留すれば良
いのではないか。こうすればほとんど放射性
物質を含まない水を作れるという科学的根拠
もある。原発内の水槽にたまった汚染水を蒸
留すればそれを浄化できるはずだ。しかし、
それは安易な考え方だ。なぜなら水が綺麗に
なったとしても蒸留後の残骸から放射能は無
くなっていないからだ。水が地球を循環する
ことは当たり前のことだ。だから、その辺の
地面に残骸をばら撒けばそれは雨に流され、
海を回り、そして人が摂取することになって
しまう。
現在、汚染水は原発内に保管されているも
のの、一部の汚染水は既に自然界に漏れ出し
てしまっている。これは極めて重大な問題で、
3年
前出
裕亮
もう取り返しのつかない事態になっている。
前述のように、自然界に一度放射能が入って
しまえば、海にたどり着き、魚などの生物の
体内に入る。魚に入ってしまった放射能は、
蒸留して取り出すことすらできないまま人が
食べることになるのである。水が汚染されて
しまえば、我々は何らかの形で放射能を摂取
してしまうのである。
水が循環することを改めて考えると、地球
が生まれてから今まで続いた水のサイクルに
壮大さを感じる。だからこそ、人間がそのサ
イクルに放射能を入れてしまったことは深刻
な失敗であり、極めて恥ずべきことである。
水がいかに私たちの生命と関係していて、汚
染されるとどれだけ生命に影響するかが心に
染み込んでくる。
人間が、人間の作ったものによって、人間
の健康を害する。いつも水を飲んでいる私も
他の誰しもがこんな状況は望んでいないが、
現実はそうなってしまっているのである。し
かも、そういう状況を作り出したのもまた人
間なのである。自分たちの生命や環境より経
済や金に対する目前の欲を見てきた結果だ。
原発事故の原因も結局はそれ、そして水も汚
染されたのである。
今の大人たちは次の世代、すなわち我々子
供やこれから生まれてくる人に汚染された水
を譲っていくことになる。処理の仕方も分か
らない水を譲っていくことになる。そして私
たちは処理できない水の処理を任されるのだ。
こんなことは二度とあってはなるまい。少な
くとも私は次の世代に汚染された水を譲りた
くない。そのためには目前の欲に駆られず未
来を見据えていかなくてはならない。今ある
生命もこれから生まれてくる生命も全てが健
康であるために、その源である水を、本当の
意味で「大切に」しなくてはならない。
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