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イギリスにおける包摂的教育の政策とその特質
イギリスにおける包摂的教育の政策とその特質 ―社会的排除と社会的包摂の概念に着目して― 吉 原 美那子 本稿は、イギリスの現政権による社会的排除から社会的包摂を目指す教育政策の特質とそのプロ セスを解明することを目的とするものである。社会的包摂の文脈では、不利とは差別ではなく社会 的排除を前提とするものであり、つまり「積極的に差別化」であると言われている。この背景には、 「第三の道」を志向した政策策定、EU統合やグローバリゼーションに伴う労働条件の変容と「知 識社会」への対応の急務という社会の構造変化が指摘されている。 社会的包摂の概念には議論の余地が多い。だがその一方で、それは社会で生じるリスク回避の方 向性を示すとされている。よってその対極にある社会的排除の根拠を、政治的・経済的・社会的・ 文化的側面から分析し、かつニーズの把握した上で、包摂のプロセスを見出す必要がある。また、 この議論は差異の承認及び新たな社会的公正の論拠を与えるものであり、加えてそこで導かれた論 点が新たな社会の再構築に向けた教育政策や学校教育にとって重要となる。 キーワード:社会的包摂、社会的排除、第三の道、差異 はじめに 本稿は、イギリスにおける社会的排除へ減退から社会的包摂の推進の政策をもとに、包摂的教育 の特質とそのプロセスを解明することを目的とするものである。 )」 社会的包摂( )は、 「統合( ) 」「多文化主義( 「反差別( ) 」とも異なる概念である。それは、エスニック・マイノリティ、障害児 に限定せず、不利とされる者すべてを対象とし、排除という概念を前提とし、かつメインストリー 「積 極 的 に 差 別 化( ム そ の も の に 変 革 を 求 め る 原 理 で あ る 。つ ま り こ れ は、 )」により施策を講じる点で「統合」、 「多文化主義」 、 「反差別」との異なるのであり、 不利と判断される前提が「差別」ではなく「社会的排除」であることを意味する。 承知のように、不利とされる個人まるいは特定集団を対象とする教育施策は補償教育である。そ れは、積極的な差別化に基づき、貧困、剥奪の問題が深刻であり教育的に不利な地域が対象で、福 祉や教育の充実を意図したものである。そこでは、機会の均等よる平等よりもむしろ、結果におけ 東北大学大学院教育学研究科 教育政策科学コース 博士課程後期 ― ― 75 イギリスにおける包摂的教育の政策とその特質 る平等こそが社会的公正につながると考えられた。だが、この補償教育について望田氏は、これに 基づく「アファーマティヴ・アクションや教育優先地域プログラムは、結果における機会均等、実 際の政策の理念や手法に課題があった」と指摘している。だが、包摂的教育では、結果のみを要 求するのでなく、「プロセス」への着目を重要とする点が特徴的である。 イギリスにおいて、こうした原理に基づく教育政策が進められた背景には、第一に、現労働党政 権の「第三の道( ) 」を志向した政策策定を展開していること、第二に、EUによる労働 条件の変容と「知識社会」への対応である。社会的包摂は、ニュー・レイバーの中心的な言説であ り、市民社会の再生、社会的公正や社会的連帯の文脈をともなって新しい社会のあり方を示し、か つ刷新された民主主義の中での人間関係構築への目標であるというレトリックな側面をもつ。その 一方、EU政策とグローバリゼーションによる労働構造や雇用条件の変容に伴いながらも、政策が そうした変容に対処しきれていないという現実がある。 以上の点から、イギリスの社会構造の変化に伴う社会的排除と社会的包摂の概念に着目し、その 概念を整理し、関連する教育政策を分析することによって、 「包摂」の意義や問題点を明らかにする。 . 1 社会的排除に対する論議と定義 EUにおける社会的排除の論議 社会的排除の根源は貧困にある。だが、ここで問題にする貧困とは、発展途上国における貧困で はなく、先進国の新しい概念のもとでの貧困である。資本主義社会が発達し変化するにつれ、物質 的な貧困から貧困の文化( ) 、つまり諸権利の剥奪( )へ、そして自 らが望むと望まざるに関わらず社会的に排除されるといった状況が生ずる。ヨーロッパ中心に議論 された社会的排除の要因とその対策、社会的包摂の提唱を概観する。 社会的排除の言説は1974年のフランスの が最初と言われる。1980年代に入り、 ECによって論議されたが、その焦点はいわゆる「貧困」に終始する。その後、社会的排除の問 題が社会権と関連付けられ、1992年の報告書「ヨーロッパの連帯に向けて( )」において社会的排除の論点が明らかにされた。それは、第一に結果のみならずプロセ スも視野に入れなければならないこと、第二に問題を所得に限定せず社会の多次元的に言及するこ と、第三に権利やアクセスからの排除である。ゆえに、社会的排除の現象は、労働領域だけでな く、住宅や教育、医療、社会サービスといった領域にもその原因があるとされ、加えて、シティズ ンシップが強調される。 欧州委員会は、社会的排除の潜在の背景を、 4 領域における今日の構造変化を取り上げて分析し ている 。「産業構造」 「知識社会( ) 」「社会人口統計( ) 」 「社会分化」である。つまり、家族形態の変化、社会総体の分裂、産業構造の変化に伴い急速に発 展していく知識社会に対し、アクセスできるものとそうでないものの間に溝が生まれることを危惧 している。そこで、社会的包摂の推進という項目を明記し、EU加盟国全体で共通目標を設定した。 ①社会的包摂を推進するための先見的なアプローチ( ) 、②社会的排除、社会 ― ― 76 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年) 2 的包摂に対する共通の指標の開発、③知識社会へのアクセスの提供、④以後10年間経済成長である。 対策手法として、国レベルで包括的で一貫性のある戦略を立て、枠組みを定めた法制化( )、かつ/または整合的なメカニズム( )によりプログラムを 組むことなどが提示される。また、社会統合を進めるため、特に、生きていくための必要最小限の 教育、若者対策、インフラに関わる政策を推し進めることを強調し、プロセスを観察するためのベ ンチ・マーキングを提示し報告書の提出を求めている。 教育に関しては、1995年の欧州委員会の白書の中で、包摂的な学習社会構築が提言された。その ための対策として、若者に対する幅広い知識と雇用のための教育及び訓練を行い、学校と企業間の 連携を図る。さらに、情報化社会を発展させつつ、不利な条件におかれた人々に対し積極的な差別 化によって平等に教育権を与える。 各加盟国で、国家レベルでの社会的排除の解決にむけた政策が推進される。フランスでは基本的 人権という観点から枠組みを定めた法制化、オランダ、ベルギー、イギリスでは整合的なメカニズ ムの形成が政策手法として導入された。整合的なメカニズムとは、政策論争、指標と目標、組織的 観察の設定を行い、 「非難の受けやすい集団」や「剥奪された地域」を対象とする。以下、整合的 なメカニズムと社会的包摂の推進の強調を特質としたイギリスの政策分析を行う。 イギリスにおける社会的排除の定義づけと社会的包摂の概念 イギリスでは、他の加盟国と比べ政策的な議論が遅れたが、1990年代後半に入り社会政策研究領 域から議論が活発になった。社会的排除の定義と含意、社会的包摂の概念の議論をまとめる。まず、 社会的排除の定義について、オッペンハヘイムは「社会を構成している組織やコミュニティから引 き離され、経済的、社会的、政治的、文化的生活の中での参加ができず孤立し、かつメインストリー ム社会の経済的、社会的、政治的、教育的権利を付与されず、個人やある集団が社会資本の生産と 配分という大きなメカニズムから孤立していくプロセスである」、としている。さらに、パシー・ スミスは、社会的排除の問題構造が非常に多義に渡り複合的であることを証明している<表 >。 1 つまり、社会的排除の議論は、不利性( )の実態だけでなく、その定義や概念、含意 を積極的に位置づけているところにその特質がある。社会的包摂の概念を考える際にはその点を踏 <表 >社会的排除のディメンション 1 ディメンション 指 標 経済的側面 長期失業/臨時雇用や不安定な就職/仕事のない世帯/低所得者層 社会的側面 伝統的家族の崩壊/10代の望まざる妊娠/ホームレス/犯罪/若者の離反 政治的側面 エンパワーメントの剥奪/参政権の欠如/選挙登録を行わない/投票率の低下/コミュニティ活 動の低下/政治プロセスからの疎外または政治プロセスへの不信感/社会混乱または無秩序 近 隣 環境悪化/住宅供給の減少/地方サービスの解約/サポートネットワークの崩壊 個 人 心身の病/教育的達成能力が低い/スキルがない/自尊心または信頼の喪失 空間的側面 価値を認められない者の集団化または周辺化 グループ 特定グループ(年配者、障害者、エスニック・マイノリティ)の特異性を強調 出典: を参照。 ― ― 77 イギリスにおける包摂的教育の政策とその特質 まえなければならない。 次に、社会的包摂とは、社会的排除の対象を明確にし、二項対立化した単純な議論は避けて多次 元的な問題構造を把握し、指標を設けた上で、排除された人々のニーズに合った支援を行い、社会 に参加させ包摂することとされている。目標達成には、雇用、収入、適切な住居、教育や訓練、そ の他の適切な資源へのアクセスの提供、家族のサポートやシティズンシップの享受、社会資本の増 資と地域コミュニティの再生が重要である。 一方、現労働党政府は、1997年12月内閣府に、 「社会的排除問題対策室( 、 以下)」を設置した。「社会的排除」対策は、予算編成にあたっての優先事項となった。 は、まず、従来の社会的排除問題への取り組みの失敗について、 「社会構造の変化に応じた有効な政 策や地域コミュニティの活性化、並びに提携( )アプローチが欠如している」と解釈し た。そこで、社会的排除対策における積極的な財政投資、コミュニティ再生を主眼とした政策、縦 割り行政や単年度会計予算の制約を避けた横断的なアプローチ、以上三点の戦略を打ち立てること になる。 は、社会的排除の定義を、 「失業、スキルの欠如、低所得、質の悪い住宅条件、犯罪率の高 さ、不健康、家族崩壊、といった相互に関連する複雑な問題を個人または地域が抱え苦しんでいる 場合に起こりうる簡便なラベリング」としている。だが、これは、第一に、定義において「状態 ( )」に焦点を当てすぎており、プロセスが考慮されていない、第二に、社会的包摂への 言及や市民的権利に対し希薄である、第三に、他のEU加盟国と比べ、グローバル化や市場主義の 浸透へ警戒感が欠如していると批判される。 とはいうものの、社会的排除は、現労働党政権の新たな福祉国家戦略の標的として重要なテーマ となったのは明白である。その問題構造の枠組みを分析することだけでなく、政策としてより有効 なものにするため、かつEU政策との整合性のため、議論の焦点が社会的包摂の理論的可能性と目 標の定め方へと移行する。 . 2 包摂的教育の政策 教育における包摂の概念と政策 教育を最大のアジェンダとして登場した現労働党政権は、教育領域にも社会的包摂をターゲット とて導入する。教育活動の中での包摂の推進、あるいは社会的包摂のための教育活動を教育的包摂 が重要視されている。教育技能省( 、以下 )は、教育 的包摂の概念を、学校から排除という単一の問題だけではなく広範囲にわたるものだとしている。 それは、すべての子どもに対する機会均等でも関わる概念である。 教育における包摂( )の特質は、第一に、排除の縮小と参加、機会均等で ある。地元の学校の文化、カリキュラムおよびコミュニティから排除をなくし、子どもの関わりを 促進する。第二に、学校の再構築である。地域の子どもの多様性に対応するように、学校での文化、 政策および実践を再構築するとともに、コミュニティを構築し価値を再認識する際にも学校の役割 ― ― 78 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年) 2 を強調する。学校改善と評価は重要である。第三に、差異とすべての子どもの包摂である。子ども に対する最大の利益を広範囲から探求し、特別な教育的ニーズを必要とする者による障壁を克服し た経験を、すべての子どものため学習および参加に反映させる。その際、問題克服よりむしろ学習 支援を手段として、子ども間の差異を観察することに配慮する。第四に、教育における包摂は社会 の包摂の一側面であることを認識することである。 但し、 が「異なる子ども集団( ) 」に着目し、そこに特段の配慮を求めてい るところに、注意しなければならないだろう。 が提示した「異なる子ども集団( )」を識別する際の項目を以下に示す。 女子と男子/エスニック・マイノリティと信仰集団( )、旅人、亡命希望者、難 民/特別な教育的ニーズ()を必要とする子ども/付加言語として英語を学ぶ() 支援を必要とする子ども/才能のある子ども/地方当局の保護を受けている子ども/病気の 子ども、若年層の保護者、ストレスを抱えた家族の子ども、妊娠している女子子どもおよび 十代の母親/離反や排除の恐れがある子ども 社会的排除対策の教育施策プログラムには、主に政府主導によるものとして、学習支援対策室 ( ) 、学習メンター( )、コネクションズ( ) 、 適応指導教室( ) 、教育改善推進指定地域( 、以下) がある。 特には、設置対象と積極的な資源の投資という観点から、社会的排除対策と社会的包摂の 進展が顕著に表れると言える。並びに、近年のイギリスにおいて特に荒廃している地域は都市部や 遠隔地域であり、特に社会的排除の問題は都市部に集積する。都市部の再生プログラムと連結され て実施されている「都市の卓越性 ( 、以下 )」も同様である。そこでの公共サー ビスの質・量はともに最低レベルにあり、家族や近隣との繋がりにも影響する。こうした環境と子 どもの学力の間には明確な相互関係があり、学校のパフォーマンスに反映すると言われている。 学校運営、カリキュラムと教師の活動 教育的包摂の推進のため学校運営は、言語判断能力( )や数量判断能力( ) 、 情報技術やコミュニケーション能力、スキルの習得、生活態度、出席率、学校へのアクセス、学校 段階接続の改善に重点を置くである。また、特殊学校とメインストリームの学校のリンクを強化し、 親の参画と家庭学習を奨励する。学習メンターなどの特別職員を雇用、ホームワーク・クラブの開 設も必要に応じて行う。このための十分な資源を得る経営能力が求められる。 ナショナル・カリキュラムについて、カリキュラムに柔軟性を与える必要が生じ、さらに教師に 対して、適切な学習環境の設定、多様な学習ニーズへの対応を求めることになった。これまで、旅 人、難民、長期的治療が必要な子ども、神経疾患の子どもや退廃的な条件の中の人々にとって、学 校教育は間違いであったことを認めた。こうした特別なニーズを必要としている者には、カリキュ ラム編成において柔軟なアプローチを行い、子どもの能力に応じた知識、スキルおよび理解の項目 ― ― 79 イギリスにおける包摂的教育の政策とその特質 を教師自ら選択する。必ずしも年齢段階にとらわれず、該当するキー・レベルまで習得できていな い子どもに対しては、より一層の差異化を認めている 。こうした提言を踏まえ、教師教育庁 ( 、以下)は、教師に以下のような配慮を促している。 ・学校内で教室内での不平等な扱いやステレオタイプ的な行動は避ける。 ・個々の差異に逆らわない。 ・すべての子どもたちへ期待をする。彼らに自己敬愛や互いの尊重を促す。 ・文化的言語的多様性(linguistic diversity of the class)を反映させた環境を作り。 ・言語について、英語の習得の支援を行いつつも、子どもの文化的差異は承認する。 ・メインストリームの学校で生活する子どもへの援助。 ・教室内での個人的・精神的・道徳的・社会的・文化的発展。 以上のように、教師には日常空間である教室での意識的な活動を必要とされる。 評価方法 社会的包摂が政策の重要事項になる以前、教育水準査察庁( 、 以下)の評価項目は、学校の出席率や放校率に集中した。だが、包摂的教育の議論が深ま り、1999年の査察ハンドブックが配布されて以来、視学官は、各学校や、その他の国家施策に おける教育的包摂の進展の評価を行うことになる。 査察のプロセスは、第一に、対象となる子ども、子ども集団を発見し、彼らのニーズを把握する。 かつ学校全体の状況もみる。第二に、カリキュラムや教授学習、教育水準の達成度、出席率、生活 態度や身体的成長に関するデータや観察を行う。かつ子どもや教師、親から聞き取りを行う。第三 に、学校が彼らに与える効果についての評価とその報告がなされる。では、は、具体的に 各学校に対してどのような点を評価しどのような点を指摘することを要請しているのか。以下、教 育的包摂における査察項目をみる。 ①すべての子どもが、学校から様々なものを習得し、個人ニーズに応じて最大の利益を得ているか。 ②利益を得ていないあるいは達成していない子ども個人または集団の特定とその原因。 ③学校は、達成、教授学習、教育課程の機会へのアクセスという観点からの、子どもの集団の間の 差異を建設的説得力のある説明。 ④公的資金導入されている場合、学校はどう動いているか。また、成績が良くない子どもや子ども 集団の達成水準を上げているか。 ⑤学校の対策・指導は適切か。効果があるか。学校は結果をどのように捉えているか。 ⑥人種間の協調の促進、多様化し相互依存が進む社会の中で生きるための訓練、特に人種差別、性 差別、その他の差別の防止かつ問題への対処。これらに学校がどのように対処しているか。 包摂的な教育における論点 政策の中から見出せる包摂的教育における論点は つである。第一に、集団を特定することに対 2 ― ― 80 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年) 2 する弊害である。社会的排除の対象となる者を特定する場合に、 並びには、集団に 着目するよう指示している。そこでは集団化のプロセスまでは言及していない。主に目に見える差 異(人種、言語、性別、家庭の事情、数値化された学業成績など)でカテゴリー化するのである。 では、目に見えにくい差異を有する子ども( 「声」で表明できないもの) 、周辺化した状態で孤立し たままの子どものカテゴリー化は無視されている。グレイも、社会的包摂は個々の差異ではなく集 団の差異に傾斜しているのが欠点であると述べている。集団の識別という行為そのものが排除に なるのではないだろうか。また、現場に混乱が生じないのであろうか。この 点を注意深く見なが 2 ら事例で検証する。 第二に、メインストリームの学校変革についてである。包摂は同化とは異なりむしろメインスト リームに変形( )が求められる。その理由は、同化の場合、例えば学校の場合、 既定の概念に制約され、児童・子どもや教師がメインストリームの文化に適合される可能性がある が、一方、変形とは、多様性を承認し、その行為そのものを非常に豊富な資源と捉えることである。 学校は、児童・子どものアイデンティティ、経験、知識、技能に、学校から積極的に適応していく のである。これらを踏まえて、以下事例分析を行う。 . 3 事例研究 ニューアムの地域の特徴と地方教育当局 ニューアム行政区域は、1998年のの指標によると、イギリスの中でも最も剥離された行政区 (44箇所)のうちの一つ、ロンドン市内では 番目に剥離された区域である。若年者層の人口が多 3 く、そのうち30%以上がアフリカ系黒人、パキスタン人、バングラディッシュ人である。いわゆる 英国人としての白人人口は減少し続け、東ヨーロッパ出身の白人の難民や亡命者が増加している。 衛生状態、健康状態も統語失調症や結核の発生率が全国平均を上回っている。失業率は15.3%、犯 罪率11.9%であった。 給食支給は勿論、生活保護を受けている子どもも多い。教師一人あたりの子ども数もロンドンの 平均より低く、当然教育の達成水準も低かった。そのため、地方教育当局( 、以下)は政府から直接人事の梃入れを受け、加えて、政府の主導で実施されてい るシュア・スタート、幼児教育センター、健康保健学校、 、が施された地区である。 ニューアムは、社会的包摂の推進のため、ある特定の非難を受けやすい集団に対し、集中的 な資源を投じ、各行政機関の協働による効果的なサービスを模索し、1998年教育領域の職員のみな らず福祉領域の職員を包含した複合的な組織である社会的包摂実行対策室( )を設置した。学校からの排除は年々減少し、特に生活保護を受けている子どもの 達成度は顕著に表れ、の子どもやの子ども、エスニック・グループへの支援の評価も上がっ ている。 3 校あった特殊学校は 校に絞られ、メインストリームの学校教育の充実を図っている。 1 そういった意味で、剥離された地域の中でも、他と比べて施策が総合的に成功した地域と言える。 このニューアムの南西部(カンニング・タウン)に設定されたと、さらにその中の一つの学校 ― ― 81 イギリスにおける包摂的教育の政策とその特質 を事例として取り上げることにする。ともに、戦略として包摂的教育に力を入れている。 地域拠点プログラムの事例 ニューアム教育改善推進指定地域( )は、第 ラウンドで実施 1 された25地域の つでモデル的な 1 である。参加校は、保育学校が 校、初等学校が15校、中等 2 学校が 校と、公立学校で構成され、1998年 月から実施開始され、徐々にその効果が表れている。 1 9 では、が申請をした時点での社会的排除の現状を分析する。 社会的排除の現状を、 「社会的経済的剥奪( )」 、「文化的価値的要因 ( ) 」の つの要因から捉えている。特筆すべき点は、社会的経済的剥 2 奪の「エスニック・マイノリティ」の孤立、「父子家族、母子家族」の増加、また文化的価値的要因 の、親や子どもによる「反学校文化」 、 「教育への無関心」の定着である。それが数学、国語、科学 ともに全国平均の約10%以上下回る、出席率が全国平均以下、教育困難校が半数以上、言語教育カ リキュラムの問題、特別なニーズの教育への対応の不足、といった教育の質の低下の根拠に繋がっ たとされている。 <図 >ニューアムEAZの不利的環境の構図 1 不利性 社会的経済的剥奪 文化的価値的要因 ・ 片親の家庭 ・ 低所得 ・ 公団住宅が多い ・ エスニック・マイノリティ世帯の社会的孤立 コミュニティによる支援の不足 ・ ・ 言葉の壁がもたらすコミュニケーション問題 ・ 教育を十分に受けていない、または基礎的スキルが欠 けている親 ・ 反学校主義文化 尊敬されない学校や教師 ・ ・ 親の学校に対する乱暴な行為 ・ 子どもへの期待が薄い 出 典) ( − ) より作成。 学校経営が順調ではなかった原因として、この地域の学校の近隣には私立学校があり、学校間競 争が激しいこともあげられる。一方、ニューアムの最大の利点は、近辺に、教育に関心のある 企業や団体が多く、積極的な参加が全体の社会資本の増資に繋がったことである。 上記のような現状を把握しながら、ニューアムは、1999∼2000年度の活動計画として つの 6 戦略を立てた。 「学習内容の改善」 「人的資本の増強」 「社会的包摂」 「学習コミュニティの構築」 「情 報システムの確立」「プログラム・マネージメント」である。社会的排除や社会的包摂と学力との関 係をどのように捉えているかに着目するため、 「社会的包摂」 「学習コミュニティの構築」の活動計 画をとり上げる。 <図 >をみると、 2 ナショナル・カリキュラムの緩和をうけて、大幅なカリキュラム変更という試 み、ゾーン内の学校間の連絡を密にしようという動きが窺える。 「学習コミュニティの構築」とは、 主に、 教育におけるコミュニティの関わり合いや機関連携、 親への教育的支援を行う戦略である。 学 ― ― 82 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年) 2 習コミュニティを形成するプロセスの中で、社会的包摂を実現させていくことをねらいとしている。 年後の査察結果によって次のことが明らかになった。 3 独自に家庭と学校を支援する対策室 ( )を設置したのだが、チームワークが原因で廃止に追い 込まれた。その余剰資金を各学校に回したところ、各学校がカウンセラーや学習メンターを雇用し、 ボランティア組織と契約して、学校変革に成功した。によって、教授学習の質や出席率は向上 し、停学者が減少したのだが、社会的包摂へ考慮が十分でなかったと指摘されている。これは、 社会的排除の潜在の確認から社会的包摂への移行の段階で困難が生じ、排除の集団化の識別まで至 らなかったと考えられる。は学業成績に対しては結果を出すのだが、社会的包摂に関しては地 域基盤としたプロジェクトより学校への支援という形で講じるのが効果的だと考えられる。 <図 >ニューアムEAZの活動計画 2 戦 略 現状分析 目 標 プログラム 社会的包摂 ・数人の親による学校への攻 ・地域内の学校に通う子ども ・社会的包摂パイロット計画 撃的行動や罵倒。 に対し、よき行い、学習へ の作成と実施 ・子どもの破壊的行動。 の熱心な取り組みを可能に ・適応指導のプロセスの検討 ・悪条件の家庭や学校に対し し、卒業後も労働社会への ・子どもに対し自らの行動管 複数に跨るエージェンシー 適応と労働技術の進歩を可 理と訓練とその支援 による支援が不十分であ 能にするような学校をつく ・コミュニティに基礎をおく る。また、エージェンシー る。 社会的包摂戦略 間で共有されるべき情報が ・親やコミュニティ内の人々 ・エージェンシー間の情報共 欠如している。 を、学校や教育に対し積極 有 的な態度をもちかつ教育 学習コミュニティの ・子どもや親、教職員の学校 ・サマー・スクール サービスのよき消費者とな 構築 教育への期待のなさ。 ・サマー・キャンプ るよう変えること。また、 ・親やコミュニティによる学 ・学習支援プログラム 彼らを子どものコミュニ 校への支援の欠如。 ・家庭学校間連絡経路 ティ学習において活動的に ・親 の 子 ど も へ の 支 援 の 不 ・宿題 従事させる。 足。 ・成人対象の基礎スキル訓練 ・授業日以外の教育活動に対 ・コミュニティ学習センター する積極的行動のなさ。 の設置 ・親自身の基礎学力が低い。 ・生涯学習の拡大 ・教育におけるコミュニティ 内での関わり合いがない。 出典) より作成。 包摂的学校をめざすある初等学校の取り組みの事例 スター・プライマリー・スクール( )は、 3 ∼11歳児を対象とした公立学校 である。在籍者数610人(その他幼児段階に76人)。給食支給率、該当(26%)はで全国平均以 上。該当者がほぼ半数で、彼らは学校外で英語を使う機会が少ない。年度途中に転出入の割合 が多く、子どもにとって転校がトラウマとなっている。半数の子どもが学校在籍年数 年以下であ 2 る。 この学校は以前、教育困難校( )であった。この学校変革のインセンティヴは、 政府主導のプログラムである、 、コミュニティのためのニュー・ディール( ) 、ならびにシュア・スタート( )によるものである。によってカリ キュラムを見直し、企業とパートナーシップを強化した。 プログラムにより才能開発のパイロッ ト・スクールとされている。コミュニティのためのニュー・ディールによる資金から、教員アシス ― ― 83 イギリスにおける包摂的教育の政策とその特質 タント教員の補強を行った。加えて、からも、主に授業開発及び生活指導の支援を受け、生活 態度改善のための資金を得ていた。 すべての子どものニーズを考慮しているが、特に、様々なエスニック・マイノリティの子ども、 転校生、並びに社会的経済的に恵まれない白人の子どもに対して特別な配慮を行う。そのため、学 校内に、特別な教育的ニーズ対策、家庭支援教室、学習メンター、再スタートのためのアシスタン トを導入した。 ○ 特別な教育的ニーズ対策:特別な指導のみを行う担当者と配置。才能開発も受け持つ。非難を 受けやすい集団( )の包摂を促す。 ○ 家庭支援教室:親と学校との連携とともに、親への言語支援と子育て支援を行う。集団の包摂 を促す。難民支援も行う。 ○ 学習メンター:二人のメンターを配置。子どもの情緒や行動のカウンセリング、集団間摩擦の 対処、学習支援、授業以外での社会性をつけるための集団活動。学習メンターは転入生を学校生 活に慣れさせる。 ○ 再スタートのためのアシスタント:規則を守らない子どもに生活指導室にて問題行動について 話し合い指導を行う。 文化的言語的多様性を重んじた教育が特徴で、学校の特色として以下のような活動を行っている。 ○ヨーロッパ・ディメンションの教育:ヨーロッパ文化(ヨーロッパ・ディメンション)と並んで、 ヨーロッパでない他の文化も学んでいる。 ○言語教育:クラスメートの言語を学ぶ。 ○自他文化の比較:自らの文化及び他の文化についての議論を行う。ライフ・スタイル、衣服、皮 膚の色、食習慣など。加えて、オーストラリアのアボリジニー、難民、北アフリカ住民青年隊 ( ) 、ボツワナの旅人、および黒人の歴史、といったテーマを扱っ ている。 の視察結果では、校長および職員、及び学校全体が包摂的な学校に向けて発展している と評価されている。子どもの学習意欲と自尊心の向上、子どもの生活態度が改善し、学校は子ども が安心して学習できる安全な場所としている。また、アフリカ系の子ども、およびを必要とす る子どもの成績の伸び率が高かった。この成功の源は校長や職員の日々の活動や学校経営計画であ り、特に、精神的、道徳的、社会的、文化的側面を発展させたことが結果に結びついたとしている。 おわりに 社会の構造変化に伴う、社会的排除と社会的包摂の概念を整理しつつ、社会的排除へ減退から社 会的包摂の推進のプロセスを明らかにしてきた。社会的包摂は、社会で生じるリスクを予め回避す るための方向性を示すもの、概念が未成熟であるということが欠点であると言えよう。 一方で従来の政策は、政治的・経済的論点を中心にして再配分を行ったため、社会的・文化的側 面には着手してなった。だからこそ、社会的排除の根拠となる政治的・経済的・社会的・文化的側 ― ― 84 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年) 2 面にわたる多次元的構造を分析することは、今後の新たな社会の再構築や社会的公正に手がかりを 与えるものである。 しかも、教育においては、政治的・経済的側面よりもむしろ社会的・文化的側面に、慎重な姿勢 を要するのは事例で示したとおりである。排除という問題は構造的問題であるので、制度変革を要 求しつつも、差異によるニーズに焦点をあてるものであるため、<図 >のようなプロセスが重要 3 と言える。メインストリームを変革した上で、単に文化だけで捉えるのでなく精神的・道徳的・社 会的・文化的要素を一つの空間で発達させることによって、差別でなく差異を承認する。これが、 教育的包摂の特質と考えられる。 最後に、知識社会への移行はわが国も既に例外とは言えない。地域社会の機能の低下ないし崩壊 という現実社会の脆弱化、個性重視と謳いながらも能力のある者に傾斜した教育改革。それによっ て犠牲になるのは社会的に不利な状況におかれた子どもたちである。わが国においても、二極化し ていく社会構造の包括的な分析と公教育のあり方をもっと議論すべきと考える。 ᴹَᴰᴻᇋ͢ᄑȞɜᇋ͢ᄑӿଈɋɁʡʷʅʃ ᇋ͢ᄑɁߦ៎ ɥ࿑ް ȨɟȲᑔ ˁᛵىɥґ ʕ˂ʄɁੰ૱ ᄻൈᜫް ӿଈɁढ ሥᄑੵᴬɬɹʅʃɁ϶ ٥๊ڒႊᴬᄑᚐɬʡʷ˂ʋ 注 池田賢一「フランス多民族国家における「統合」社会像の矛盾」日本比較教育学会編『比較教育学研究』第24号、 1998年。統合について、フランスにおけるエスニックの文脈において、メインストリームの文化あるいは学校にマ イノリティを適応させるあるいは変容を迫る統合化政策は、矛盾を抱えていると池田氏は指摘している。社会的包 含と社会的統合の違いについては、 日本における社会的包摂に関する研究は、主に障害児を対象としたものが多い。例えば、落合俊郎「インクルー ジョン:本邦特殊教育学/発達障害学の近代化への糸口−通常の学級に在籍する障害をもつ児童・子どもの対応に 向けて−」『発達障害研究』第19巻第 号、1997年。 1 佐久間孝正「多文化、反差別の教育とその争点−イギリスの事例を中心に−」、宮島喬・梶田孝編『マイノリ ティと社会構造』東京大学出版会、2002年、67頁∼76頁参考。 望田研吾「英米における補償教育の展開」九州大学教育学部『九州大学教育学部紀要(教育学部門) 』第20巻、 1975年、17頁∼32頁参照。 ― ― 85 イギリスにおける包摂的教育の政策とその特質 中村健吾「EUにおける「社会的排除への取り 組み」」『海外社会保障研究』No.141、2002年、国際社会保障・人口問題研究所を参考。 − 他 に、ポ ル ト ガ ル で は、給 付 金 受 給 と 職 業 的 統 合 に よ る 最 低 限 の 賃 金 保 障 に よ る 政策が導入されている。デンマークやスウェーデンでは、社会統合や雇用改善を目的とした保護政策 や雇用政策の活性化( )を採用。 オッペンヘイムは、社会的排除の解決策のキーワードとして、社会的包摂、シティズンシップ、個性、帰属意識、 労働へのアクセス、社会資本へのアクセス、家庭支援、社会資本の整備、分権化、民主化をあげている。 SEUは官民の専門家からなる省庁横断的で組織である。2002年 月から副首相管轄となった。 5 具体的には、 1.失業・伝統的家族形態の変化・障害・犯罪・健康に対するニュー・ディール( )、 2. ) やシュア・スタート( )といった政策を伴う財政投入に 単一再生予算( よるコミュニティ再生、 3 .18の政策検討チームによる提携アプローチの確保。 を参照。 EAZ施策は、教育の水準や効果に問題を抱え、社会的に不利な条件におかれた地域(socially disadvantage area) に、集中的に資源を投じ教育改善を施す教育施策である。その他、同様の施策に がある。 を参照。 ― ― 86 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年) 2 − を 参照。 白人218人、アフリカ系黒人150人、カリブ系黒人26人、その他の黒人11人、バングラディッシュ人42人、パキス タン人24人、中国人 人、インド人 人、他のマイノリティ集団49人。 4 2 1 年間の停学者は 人程度である。 3 の項目を参照。 ― ― 87 イギリスにおける包摂的教育の政策とその特質 ― ― : ― ― 88