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Page 1 Page 2 ヶネー 「経済表」 の経済成長理論 動を始めた。 十八
ケネー﹁経済表﹂の経済成長理論 小 島 照 男 はじめに 一 重農学派の経済成長観 二 ﹁経済表﹂ 三 ﹃経済表﹄の池本方程式 四 エルティス︵或・戸固g︶の再構築 五 不均衡成長の﹁経済衷﹂ 結びにかえて はじめに フランソワー・ケネーが経済学説史上にその不朽の名をとどめることになったのは、一七五八年Tableau Ency dope die︵﹃百科全書﹄︶の執筆者として六十二歳にして政治経済学者としての活 Economiqueにょってである。この晩成の政治経済学者は﹁中二階の会合﹂︵Reuniondetenぼ乙︶を舞台にそ の経済学的思考を醸成し’ −439 − 動を始めた。 十八世紀を特徴づける重農学派は、ケネーの諸論究に示された経済考察を源泉とし、強力な分析用具としての ﹁経済表﹂を縦横無尽に利用して、ケネー理論の精緻化と拡充をはかりながら発展した。おそらくは重農学派と 総称される一群の政治経済学者の隆盛に伴ってケネー理論は各方面に多大な影響を与えた。それらはフランス革 命の基礎的諸派因についても、アダム・スミスについても、またスミスを通じてマルサス、リカルドォおよびそ の後継者についても、さらにマルクスについても認められる。この方向の探究は確かにかなり歴史的な興味を喚 起する。 ﹁経済表﹂に見える雄弁なジグザグは、経済体系の生産、支出、分配を明示し、体系の連統的再生産過程を解 明した。この再生産機構の精密な定式化は、マルクスの再生産表式やレオンティェフの産業連関分析の原型とな った。また、重農学派の諸文献が発見されていくにつれて、その分析体系は比較静学的なマクロ経済分析を誘導 しているばかりでなく、経済体系が均衡から乖離したり、均衡を維持しつつ動的な拡張過程を経験したりすると いう動学的成長分析をもその領域内にとらえていたと理解されるに至っている。 最近エルティスは相次ぐ二つの論文によって現代成長理論の立場から﹁経済表﹂に興味深い光を投げかけてい る が 、 そ こ に 示 さ れ た 視 点 が 、 わ が 国 の ケ ネ ー 研 究 に お い て す で に 十 年 余 も 前 に 主 張 さ れ て い た 解 ︵釈 3で ︶あること は驚くべき事実である。わが国のケネー研究は昭和三十年代をもってその豊富にして深奥な足跡を溶暗させてい るが、その水準と詳察とは、﹁経済表﹂理論を現代に伝えて余りある。 現代までにこれらの貢献が重農学派に押しつけられた不当な過小評価を払拭しているかどうかは残念ながら疑 −440− わしい。近年における様々な理論の意義深い再評価・再解釈の動向は経済理論の全領域を席巻するかの勢いであ るが、﹁経済表﹂体系にも現代経済成長理論の分析手法に基づく改装が施されつつあることは意味がある。 本稿は﹁経済表﹂による重農学派の経済学体系に関するこのような諸論考や再解釈を追跡したプログレス・リ phuseos kratrr﹂に由来する。十八世紀 ポートである。同時にこれまでほとんど言及されることのなかった﹁経済表﹂のインプリシットな洞察や主張に も光をあてていくことにする。 一 重農学派の経済成長観 III需要サイド経済学としてのフランス古典学派ll フィジオクラシィー Physiocratieとは語源的に﹁自然の統治tes 後半のフランスにおいてフランソワー・ケネーを始祖とし、旧 体 制が大革命へとながれこむ時代の激動の中 で﹁経済科学﹂という名の原理と、それに内在する主張を絶対の真理としてセクトSQteを構成した一群の人 々の思想学問を呼称するのにこの吻原器ocratFが用いられ、このセクトに属する人々がフィジオクラートとよ ばれるのである。 シュムペーターによると、彼らは教義と仲間と伝道者とをもち正統派の周囲になお多くの同情者をもって、 −441一一 本来の経済﹁学派﹂を形成した学史上稀有な存在であった。 この学派の教義は、メルシェ・ド・ラ・リヴィエールの L。'orcLre poltttques。 1767・﹃政治社会の自然的・本質的秩序﹄とミラボー侯爵のFhilosophie 学﹄を通じて最もよく把握されるといわれる。前者はジイドとリストによって﹁重農主義学説の法典﹂とされ、 ︵3︶ ︵4︶ A・スミスも﹁この教義のもっとも明確で首尾一貫した説明﹂と賞賛している。また後者はグリムが﹁重農学派 の ペ ン タ チ ュ ー ク り e n t a t Q ︵ U 6 I ︶ である﹂と重視するものである。 確かにフィジオクラートの教義は、その名のごとくordrenatugF﹁自然秩序﹂に基づいている。この当時 の形而上学は理神論DQrmusを特徴とし、ニュートンが天体について構築した自然体系のうちに社会構成の原 図がよって立つところの自然秩序をみながら、社会的世界を形成しようとするNestonrmaの影響を強く受 けていた。 ヴェルナー・ゾムバルトは十八世紀以後の﹁あるべきものdal∽e‘nsoFndQ」を認識目標とする規範科学と naturel して経済学をとらえる体系を、d{er-訃tendeNationalokonom-e﹁規正経済学﹂とよびこの基礎になっている経 済哲学をdFHarmonisma(調和主義︶と命名した。この調和主義に立脚基盤を提供したものが Ord「e ロature」}eである。そしてその﹁自然秩序﹂を最高善とした嚆矢が重農学派であるととらえている。 世界観の中心に人間が位置し、人間をとりまく自然現象の規律性が﹁永遠の法則﹂として認識され、redo- nrEleな幸福は自然の中に摂理するこの法則に従うことによって追求されうるということが創造主の善意で あり世界秩序の秘密である。それ故に﹁原罪は妄想のみであり、﹁善良な未開人﹂のうちにある善き人間の原型 et societes 1763。﹃農業哲 essentiel des rurale。 −442− 司r応}dをゆがめたものは社会的諸制度だけである。もしかかる原型が再び形成されれば、人がその自然的行動 を 自 由 に 放 任 す る 場 合 に 人 間 社 会 に は ﹁ 天 体 の 調 和 ﹂ と 対 応 す る 完 全 な 調 和 が 支 配 す る に 至 る で あ ろ ︵う 8。 ︶﹂これ がハーモニスムスである。 フィジオクラートの﹁自然秩序﹂を具体的に追究すると、この﹁自然秩序﹂は、自由の上に基づく人間社会、 自然世界の対立概念としての人間社会であり、さらにはディスポティスム・レガルDespotr日e芯ga︷︵法受託者 etin'eヨ9nt︵人間は本来 支配︶、自然法則性︵NQErnaeticie{t︸をもった王国を想定したと考えられる。フィジオクラートの経済学がレ ッセ・フェール・レッセ・パッセの主張を展開し、にeQtdQSnat回ed。心qelibre 自由であり知的である。︶の格率に基づいて自然秩序としてのディスポティスム・レガルの王国の経済分析をする場 合に、憧憬の祖・スーリー公DUQde∽U}ぐ時代のフランスを一つの理想像として懐抱していたことは拒めな い。そして本来あるべき自然秩序のもとで経済はいかなるものであるかを如実に示す分析ツールとしての﹁経済 表﹂の創案に連なり、あるべき正しい経済の実現に至る処方を政策論として展開したのである。これらすべて は、フィジオクラシィーの規正経済学たる特質を明確に示しているといえよう。A・スミスに発する﹁重農学 派﹂の呼称はフィジオクラートの尚農的偏向、農業重視の側面を印象づけているが、学派の全体像を浮び上らせ ることには成功しなかったといえる。 ここで、現代経済理論とは次元を異にするフィジオクラシィーの体系内で経済成長がどのように捉えられたか の考察に移ろう。 フィジオクラートにとって、経済成長とは﹁真の富﹂︵richesses reelle昌の増加であり、その発現形態は﹁純生 ― 443 − 産物﹂(prodin息と人口の増加である。純生産物は﹁土地の恵み﹂︷donde}a{er'e}であり、この増加には農 業生産力の拡大が必要となる。生産力拡大には農業資本︵特に年前払︶の成長、すなわち農業への生産的支出 depensesprodUR7esの増大を要す。 農業への生産的支出とは投資であるがそれは形態的に三つの範疇に分類される。つまり土地前払(Ava巴 {oncia}、原前払︵AvaocQsprぽ−t-va)、年前払︹AvaロQQ∽a`︺'`︺'ロe}rs︶である。 richee sntSpreneursd㎡9ru}Ere︶がなすものである。土地前 これらは二つの投資主体をもっている。士地前払は不生産階級である地主がなすもので原前払と年前払とは生 産階級である借地農業企業家︷フェルミエfermier。 払は、耕作地として利用可能状態にするための投資で、生産過程の創造と維持改善を目的とするもので、新投資 と補槇投資の性格をもつ。﹁地主がその所有地の保全や改良のために、また耕地の拡大のためになす支出﹂であ る。原前払は借地農の創業資本に相当するもので﹁大農経営における犁一台、家畜、道具、種子、飼料、賃銀な どのかたちで初収穫に先立つ期間における初期の基本的支出﹂である。これは固定資本投資の性格を主に有して おり、耐用期間を10年と設定して減価償却までも考慮されている。この償却積立金は﹁資本利子interetsdeJ avagapr-mSveごとよばれ、ある箇所では耕作拡張や改良、災害時予備などの資金としても用いられう・ると している。 年前払は生産過程で消費されっくすもので賃銀、フェルミエの生活維持費さらには原前払の償却分も含まれ る。主に生産費の性格を有し︵生活維持費は借地農の企業者正常利潤と解せる︶、この流動資本投資が雇用水準と産出 量水準とを決定することになる。これらは簿記学的範疇といっても適切であり解釈の上で社会会計アプローチも 'Qea −444 − なされている。 フィジオクラートが直視していた経済状況は、耕作可能な土地が未耕で、既耕地でも改良を加えられない分益 net利潤と解することもできる︶が投下資本以上の水準にあれ 小作農が中心となっている状態であったため、成長の鍵を握る戦略的変数は年前払に帰着したのである。したが って体系が年前払を保証しその純生産物︵produit ば、すなわち投資利潤率が一〇〇八Iセント以上であれば体系は経済成長径路にのることになる。 かくて、フィジオクラートの分析的状況にとって﹁農業経営の富﹂︷richessesdぞxp}o{tat-ondQtagrr5US︸が 不足しており、土地の生産性は耕作者の前払︸a帥VpnQe∽deaQU}t7ateUrsと正相関をもっていると定式化した のである。 こうして農業資本成長こそが経済成長の実現であり、そのためには十分高い投資利潤率が必要となるが、それ は農業生産物に対する高い消費性向すなわち恒常的な需要圧力とvaleursvra}a︵市場の価値︶としての﹁良価 び呂prr」の成立を妨げない市場状態を前提にもたらされるとしたのである。政策論としては自由放任と減税 ︵単一十分の一税体系︶及び生産費である﹁根本価格﹂を常に上回る農産物価格維持政策の主張へと連なっていく のである。 このようなフィジオクラートの議論は同時代のフランス古典経済学派のJ・B・セイの影響を斟酌して﹁販路 説﹂に基づいて解釈されることもあるが、それは歴史的解釈であり、正鵠を得ているとはいい難い。議論の方向 性はむしろ需要サイド経済学と解するべきであるといえよう。このような性格を明確に語るのは次の一節であ る。 −445 − ﹁豊富と低価格とは決して同宿増進ではない。不況下の高価格は貧惨である。高価格で豊富であることが富裕 である。私は永続的な高価格と豊富のことを考えているのである。なぜならば二時的な高価格は国民全体に対し ての富の一般的分配を可能ならしめないであろうし、また地主の収入も国王の収入も増加させることがないだろ うから。﹂︵(ya{ns} ﹁多量の財を低廉に﹂ということは供給サイドの行動仮説である。﹁高価格で多量﹂という状況は、強力な投 資インセンティ1ブとなろうし、その投資による生産力の増大も価格を引き下げることなしに多量の需要にょっ て支えられていくことになる。これが真の繁栄であるが、当時、需要勢力の大半は、宮廷文化の爛熟の中に﹁装 飾の奢侈﹂や不生産的濫費に向っていて農業資本投資として実現しなかったのである。 さらに哨amFa﹁借地農論﹂には﹁農民の貧窮をもって彼らを労働にかり立てるのに必要な刺激物と見なす ことがいわゆる政策であると考えられてきた﹂が﹁富の所有者は破産を欲しないし富をもたぬ者は働くことの益 が無い。人間は自己財産に対してなんら希望するべきものがなければ労働意欲を高揚せられることはない。人間 ﹁リ の活動は常にその成功に比例する。﹂という論述を指摘することができる。これらを考察すれば、フィジオクラ ートが有効需要の創出と維持に多大の関心を寄せて、投資需要の分析に進展していったことが解かる。 以上の議論をケネーの論述をかりて再現しよう。 ﹁土地こそ富の唯一の源泉であり、富を増加するのは農業であることを決して忘るべからざること。︵Maximes。原則第三︶ 生産的支出は農業、草原、牧野、森林、鉱山、漁業等に用いられ、その目的としては穀物、飲料、木材、家畜、手工加工品 の原料等のかたちで富を永続させるものである。不生産的支出は手工商品、住居、衣服、利子、僕婢、商業経費、外国製品 ― 446 ― などのかたちでなされる。RxpFat‘on゙p.ご 生活の豪奢︵{asedesμrrtage}の結果は装飾の奢侈︷}uxeded`cR医自︶の結果ほど怖るべきものにはならない。一 リトロンのエンドウ︵碗豆︶を一〇〇リーブルで買う人はこれを耕作者に支払い、耕作者はこれを年再生産のために耕作の 支出に使う。金モールを一〇〇リーブルで買う人は、これを職人に支払うが、かれの生活資料の買入れに用いられる部分が 生産階級に帰るだけである。︵Ore笥Eon乙mpoa tQs) 装飾の奢侈を毫も煽らないこと。この奢侈は農業の経営・改良の支出と生活の消費の支出とに対し有害である。︵だIa吃mey 原則第二十二︶﹂ 生産的支出の増減が成長と減退をひきおこす。生産物の購入が生産要素の購入であるとすれば、収益の支出分 配は生産的雇用への利潤分配となり、この分配率が高いほど資本蓄積のテンポも速くなる。他方、自由放任の競 争市場で成立する均衡価格は正常利潤を保証して農産物適正価格となる。この価格が投資利潤率を恒常的に高水 準に維持し、経済体系は円滑な均衡成長を実現する。これがフィジオクラートがみ統けていた。Iトピアであっ た。 ― 447− 二 ﹁経済表﹂ フィジオクラートの分析用具である﹁経済表﹂はケネーの創案にょり一七五八年Tableau EconomiqueやUami Economique。 des hommes。 ou traite de、a populationを中心に展開され fl{ed゛として出現︵現存していない︶して以来形式的には三類型を区別することができる。 第一にTableau た﹁原表﹂である。これはtaざraμfoodamenta}゙grand剪にeau(大表)、lgsag︵ジグザグ・電光線図︶などとも ― 448 ― 呼ばれ最も大きく複雑な表である。ケネーの表として﹁すべての近代経済学にとって解くことのできなかったス du Tableau Economiqueやミラボー候のElements フィンクスの謎﹂であり長く解明の手の及ばなかった未踏の経済表である。 第二は、Analyse 1767 RESIにILI de Philosophie rurale。 にある﹁範式﹂である。これは﹁略式﹂、formu}eduta応eaulonomyue。formu}eabregeedμta応eaulonol miqueなどと呼ばれるが、単純再生産の一循環だけをとり出したもので最も簡略な図式である。 ruraleにある径済表である。これは﹁略表﹂、ta応auabrege tableauenp応ssとよばれ﹁原表﹂のジグザグが消え、社会的支出波及の結果のみ 第三類型の経済表はミラボー候のPhilosophic あるいは﹁概括小表﹂petit LA DISTRIBUTION REPRE3ENTEE DANS LE TABLEAU「表に示された分配の諸結果の概括﹂と題している。 を総まとめに示し、その小表の下に簡単な説明を加えたものである。ケネーは自らぶRの訪DES TASDE これらの経済表はフィジオクラートの諸著作中に四〇有余を数えることができる。創案者ケネーにとって経済 表がいかなる意図をもって形成されたものであるかは次の一節が明らかにしている。 ﹁算術的象形文字︹経済表のこと︺に対する嫌悪は誠に不当であります。たしかに複雑な計算は読者が理解するのに大変負 担となるでしょう。しかし一般的読者は、彼らを一挙に賢くする結果を重視するだけであり、真剣に徹底的に究めようとす る者はそのままで済ますことはしない。そのような人は極めて難解な科学を単純な断片ごとに分解し、それを詳察し総合す docteurQues斜) るのです。心をくだかねばならないのはこのような読者です。暇つぶしのためや訳もわからずに悪口ばかり言う読者、社会 的に重要でない読者は、私は余り関心がありません。﹂(he −449− 経済表の三型が次々と提示されていく過程は、りa応eauM8nomlqueの難解さと一般的理解を求めて尽力する 意義の大きさをフィジオクラートが認識していた証左である。しかし、この努力が成功をおさめたとは言えない のであってラングー{印monツコco}asHenriL-nlat)はtylk‘ng︵易経︶と経済表を対照させて次のように述べ た。これがおそらく、当時﹁経済表﹂に寄せられた代表的評価であったと推定できる。 ﹁パリの学士はその小さな破線の間に帝国の再生を識別し、その繁栄あるいは衰退の秘密を見台わめたのである。しかし⋮ ⋮経済表は確かに眠りと夢想の産物であると思われる。﹂ ruraleの一節はこれを明示する。 このような巷説とするどいコントラストを示しているのは経済表の真の理解者であるフィジオクラートの論述 である。A・スミスがやや要約的に引用した﹄。ミ、osoqhie ﹁世界開聞以来、人類のあいだに政治社会に安定を与えた三つの重大な発明があった。それを豊富ならしめ潤飾したその他 の多くの発明とは関係なくその第一は文字の発明であった。これのみが人類にその法律、契約、歴史および発見に何らの変 更も加えずに後世に伝える力を与えた。第二は貨幣の発明である。これは文明社会のあらゆる諸関係を相互に結合せしめた ものである。第三は﹁経済表﹂の発明であって、これは右の二つの発明の結果ではあるが、両者の目的を完成することにょ ってこの二つの発明をともに完全なるものにした。これこそわれわれの時代の大発見である。それ故後世の人々はその恩恵 に浴するであろう。﹂ 鳶りgt召eの究極的な抽象型として﹁範式﹂を理論上の最終完成形態 原表が発見されていなかった時代にK・マルクスは卓抜の眼光をもって剴切に﹁範式﹂を解明した。マルクス 以後、資本側生産様式のアルケティープ −450− とみなす話もあるがゝ三類型の発生を追跡してみると疑念の余地は多い。 乙胞 。 いた いび 。 1766 avec sesexplications。1760。 。すなわち、芯uest{on乙ロ限reSほI を詳察して次のことを指摘して 1766および∽eQondProざ芯metonomyue゙{767‘ボードー僧正(帥aode ' Economiqueを中心に総合的に把握しさらにyna}ySdu、‘ぃaざざauE8nomique。 hconomtque。↑758°↑2゛およびHa応eaに}yonomyue。 オンケンは﹁経済表﹂体系を統一的全体像としてとらえる必要性を説 tes゙{75?とTableau の三部作を9S、eau と吻aem{er})3ざ芯melogmique。 Nar貳)の昨MpFRonduHaZeaulonom器μe‘ 社会全体の病理研究には原表が適するが局部限定的病理分析には詳細にすぎて混乱をひぎおこす。﹁原表全体 の代りに単に最初のジグザグを模写しているにすぎない﹁略表﹂で充分足りる。専門家にとってはすでに残りの 3uane︵歯車︶の結果が概観できるからである﹂。 この故に﹁範式﹂は﹁経済表﹂を単純化する努力の最終的帰結であったと解するのである。ハーヴェイによる 血液循環の発見と医師ケネーとを結びつけるアナロジーから経済表の原理に迫るオンケンは、類推の域に留まっ たとの批判は別として、経済表の三類型の変遷を単なる省略および簡略化の過程とした。 再生産過程の分析が再生産構造の把握に、mfhebenしたと﹁範式﹂に惜しみない賛辞を与え極限的抽象性の エゾテーリッシュな真理にA.スミスヘの連繋をかいま見ることもできる。しかし、この﹁範式﹂に至る変化過 程で欠落していったもの、すなわちマクロ世界の流通と取引の解明モデル化過程で消滅した﹁純生産物﹂のジグ ザグこそ、経済成長の分析的観点から最大の凝視を往がれるべき指摘であったといわねばならない。 かくて、経済表の三類型はその分析対象をそれぞれ異にするという質的変化を受容することから剔出されてき −451− たのであり、特に不均衡あるいは変調における経済表、︷.aZQaU叩onomyUedans うちにおさめると、原表は﹁範式﹂の完結性を求める試みからは発生しないと言わねばならない。したがって経 済成長を論ずる場合には﹁原表﹂による分析を求めなくてはならない。 経済表は無限に続く原表の束こそがその理論的体系であり、一︷。︱}e賢の下に、{.aZeauがあり、HaZe の上 に、{.aZeauが積み重なるということの方が妥当であろう。 sesderangementsを視野の jとよんだ。この﹁意味命題﹂の中の﹁部分・総 ゾムバルトは、ライプュッツの理性法則︵VeritesderaisonLeFnin昌即ち﹁先験的洞察﹂にしたがって、 ﹁事物の意味﹂から誘導された命題を﹁意味命題bmngesetze 体の関係﹂に属するものとして数学的合法則性を挙げ、ここから誘導された﹁数量法則G&Sengaetse」の一 つとして﹁経済表﹂を分類し次のように述べている。 ﹁もし一定量の純生産物が、それを消費するのみで、自ら新しい生産物をもたらさない経済主体に供給される場合には、そ の量は益々減少し逐には全く消失するに至る。﹂ 明証によって把握された経済体系の本質はミクロからマクロヘ自明の数量法則に貫かれて積み上げられた総体 であるというゾムバルトの指摘も﹁経済表﹂を遇した一つの視点であった。 フランス経済の発展史にスーパーインポウズして﹁経済表﹂をみると次のような現実的論拠も理解できる。 ﹁ケネーをして経済表を構築せしめたいわばその害践的動機なるものは、⋮⋮当時疾弊の極にあったフランス国民経済の再 建retablissemeほにあったので、彼はその提唱しようとした経済・財政諸政策の理論的な基礎とする意味で国民経済を −452 − −453− HeMHHHOB)は﹃経済表﹄のテーゼをそれぞれ独自の詳察のうちに、これを二部門一 三 ﹁経済表﹂の基本方程式︵片口EonfondaSentale︶ 菱山泉とネムチノフ︵B. 財 モ デ ル 体 系 に お け る 消 費 性 向 の 国 民 所 得 ︵ 売 上 高 ︶ 決 定 理 論 で あ る と 主 張︵ し1 た︶ 。さらに経済表の循環図式は乗 数理論の{旨応}dであり明らかにそのジグザグが乗数波及過程を写し出していると論じている。 ﹁経済表は⋮⋮二部門構成をとっている。⋮⋮経済表のモデルでは唯一の基礎的な生産物として⋮⋮代表的商品としての農 産物がえらばれている⋮⋮農産物がすべての部門に従事する人々の生活資料としてばかりでなく、さらにそれらの部門の生 産に投入される財貨⋮⋮種子や家畜の飼料などの形で投入する一方⋮⋮基本的な原料としてそれに加工するものと考えられ た。﹂ 経済表モデルの農産物はスラッフアー・の基礎財rSICp≒odUctlであり﹁それ自身の生産と他のあらゆる商品 の生産との双方に必要とされる一つの生産物として穀物をえらび出すという方法﹂をとったのである。﹁経済表﹂ のジグザグは基礎財による基礎財の生産という生産過程を示しながら基礎財消費が社会全体に波及して付加価値 の創出に関与する過程であると解するのである。 ﹁経済表﹂モデルは消費性向と投資利潤率とが構造パラメーターであり、生産要素︵特に土地︶が不適切な利 用にょって逆に稀少性をもっている状況で経済成長には生産性の上昇だけが頼りとされるモデルなのである。各 部門内の消費を捨象すると支出はすべて消費支出セクターである地主階級の地代収入からの支出に始まり﹁支出 ― 454 − する仕方こそがそれぞれの生産部門の売上高の決定に、ひいては産出高の規模の決定に大きな影響を与える﹂。つ まり、初期条件としての外生的な支出総額と構造パラメーターの消費性向にょって産出高が決定され︵m限t低{er Feorx︸それと投資利潤率とから次期支出額が決定されるという構成である。 菱山・ネムチノフの定式化は、まず﹁経済表﹂を左の第1表のように再構成することに始まる。 原表のこのような再構成をH︲Hモデル︵菱山・ネムチノフモデル︶とよぶことにする。なお第1夫の文字は次の 経済諸量を示している。 Y︵国民所得︶、瓦︵産業Iの総売上高︶、7心︵産業Ⅱの総売上高︶、λ︵農 産物消費性向、ネムチノフの素材構成係数︶、産業T⊥の産業皿への売上高は Z。-IY=IZ^ ︵仔は産業Iから非生産部門への売上高であり、産業Ⅱはそ の総売上高のλにあたる分だけ購入する︶ classedep sroprietairesは生産過程 第1表の一般的関係を︷npuTOutpu{、‘一.a ・}eの形に再構成し次頁 の第2表を示している。 非生産部門である地主階級la での価値生産に寄与せず単に貨幣所得フローの流通にかかわるとする HlHモデル第2表は、産業Iの非生産部門への支払額としてJを計 上している。ところでJは産業Iの総売上のうち産業Iの生産物に向 う部分であり、いわば部門内消費である。したがって生産費として処 −455 − 理される部分で確かに純生息物の算定に入らないが、部門内取引部分︵加I 泗︶もその価値総量としてはJである。これは二重計算でなく、非生産部門 が貨幣の供給をしたと解するべきである。当然ニュメレールもしくは支払手 段としての貨幣ではあるがHlHモデルは﹃経済表﹄体系が貨幣経済分析であ ることをも示唆したのである。 ﹁経済表﹂をレオンティェフ型の連関分析に再構成するについては菱山・ ネムチノフの試みのように二部門とする他に三部門構成をとることもでき る。これは地主階級︵非産業部門︶から、産業部門への投入の解釈による。 HIHモデルや久保田モデル、山田説の解釈はこの投入を生産部門の地主 階級へのトランスファーとみる。︵したがって産業Ⅱへの投入はゼぃである。︶ またK・マルクスは﹁反対給付なしに︷orneのenen}E{u品}﹂支払われた ものとし形式的にはトランスファーの解釈をとった。 produktivekratt lhrer Grundstucke iあるいは﹁土地用役 ︵6︶ ︵7︶ これに対しA・ビリモヴィックやA・フィリップスは、地主階級が﹁土地 の生産力die renta s l ervicesjを供給すると解する。すでに述べたように地主は土地前払という投資の主体として設定されて いるので後者の解釈が適合的と考えられるが、この前払は﹁経済表﹂体系において隠伏的部分であるために、一 層の考察を要するであろう。 −456 − 以上の再構成を踏まえて﹁タブロウによる方法the に凝縮される。 flowは経済表では tableaumet回d」を用いた連関モデルは次の方程式体系 この体系が菱山・ネムチノフの定式化にょって導出された﹁経済表の基本方程式﹂である。この ぶuation fondamQnta}eの一般解として、第1表の経済表が導き出す瓦、瓦を得ることができる。これを各部門の需給均 衡方程式と解することもできよう。 菱 山 ・ ネ ム チ ノ フ モ デ ル の 定 式 化 に ょ り ﹃ 経 済 表 ﹄ 体 系 に 関 し 次 の よ う な 視 点 が 開 拓 さ れ た の で あ る 。 ︵8︶ ﹁ケネJの経済表は巨視的観点からとらえられた動学的発展理論の最初の体系的な試みである。継続する各期を通じて純収 益の支出方向の如何が考えられた体系を動学化しかつその動学的発展経路の確定について決定的な要因となるという諸命題 を提示している。﹂ ﹁経済表を静学的循環の構成としてのみとらえる通説は決定的に放棄されねばならない。⋮⋮c-rcular 動学的構成の一つ⋮⋮に他ならない。﹂ −457− 四 エルティス︵芦戸口tr)の再構築 近年エルティスは精力的に古典政治経済学に現代経済学の光を投じながら丹念に再解釈と新発掘とにとり組ん でいる。ケネーの﹃経済表﹄についても、フィジオクラートの研究では英国第一人者である学説史家R・L・ミ I ク と の 論 争 を 交 え な が ら 、 再 解 釈 を 試 み て ︵い ︱る ︶。菱山論文が英語版としても発表されたという好条件に支えら れてHIHモデルを根底に置いてエルティスは再構築をなしている。 エルティスは﹃経済表﹄の着眼点を次のように指摘する。 「Philosophieruraleのケネーの表はフランスが二九九〇万の人口を養いうることを示し﹁略表﹂はそれが 三〇〇〇万人であると述べる。ケネーはフランスの人口、産出量、富の減退を説明しこの傾向を覆す方法を発見 しようとして 、{.i}eau図8nomiqueを発明し、タブロー・IIはその有能な用具となった﹂と。フィジオクラート のペンタチュークPhtlosophie ruraleを詳察したエルティスは動学プロセスにおいて動学的効果を産み出す 不均衡要因として次の三要因を論じた。第一に農業生産物に支出される所得の割合︵社会の平均的な農産物消費性 向︶が定常的均衡値の0.5を乖離すること。第二に課税により農業生産における必要投資量が変動すると経済の減 退や成長がひきおこされうること。第三に農庶物価格が﹁良価﹂}etonpr即を下回ることにょって農業投資の −458 − 投資収益率が低下しこれが撹乱要因となりうること。以上三要因である。 このエルティスの指摘は、﹁経済表﹂の経済体系において成長に関する農産物消費性向の戦略変数性を印象づけ るとともに、均衡成長径路上に体系を維持するための財政政策や価格維持政策の重要性を強調することになった。 エルティス分析の特徴は、生産階級に流入する貨幣所得に注意を集中しこの貨幣所得の成長が経済成長と主要 連関をもつというところにある。 貨幣所得はsぞzagprogSで受領する瓦と工業部門︵産業Ⅱ︶への原村料の販売分る2とである。︵エルテ ィスのこの定式化は原表に範式の諸関係をスーパーインポウズさせたもので、工業部門は総産出高忌のうちの半分を次期の年 前払として留保する必要から結局農業部門から買入れる原材料農産物、すなわちこの部門の賃金支払分をろ2としているの である。︶ この貨幣所得から、工業製品︵犁や車を含む道具ou己setcや衣服、什器など︶の購入として︵↑−`︶N.︷および年 前払としての地代Yとが支出される。かくして余剰純貨幣所得が農業資本への新投資として加えられると農業部 門の年前払が成長し生産能力を増大することによって経済成長が実現すると定式化したのである。エルティスの 設定では純貨幣所得の丈2を前払付加分としている。 financial tr sa民oSを考慮したと主張した。 エルティスはこうしてHIHモデルの解析に基づき菱山荒原表︵第1表︶に年前払の導入をなしさらに﹁農業階 級の完全な金融取引﹂trefU11 エルティスの﹁経済表﹂モデルは、﹃経済表の説明﹄だけに積極的に示された国際貿易をも分析内にとり込ん でいる。国際貿易はフィジオクラート体系においては不生産階級の活動であり﹁商人の行う売却は外国から取得 −459− する商品や金銀村料の購入と相殺される﹂と明記されているが、エルティス・モデルでは均衡要因として影響力 をもち均衡においてY瀋になることが示されている。 以上の議論のもとにエルティスは次のように﹁経済表﹂の成長率方程式を定式化した。なお、経済諸量の記号 は便宜上HlHモデルと統一させてある。 印農業部門の金融的余剰︵純貨幣所得︶瓦 ②農業部門への仮説的投資J ㈲農業部門の年前払Yの成長率ぬ −460 − ﹁経済表﹂から明らかなように体系の拡大再生産はこV十︶条件を必要とする。そこで右の成長方程式を この方程式によってエルティスは、﹁経済成長率は農産物消費性向が0.5を越えるその超過分xとともに変化し ︵﹁経済表﹂体系の定常均衡をもたらす農産物消費性向0.5からの︶その慌かな乖離はそれと同程度の成長あるいは減退を ひきおこす﹂と結論した。 エルティスの再構築は、経済成長が﹁消費内容﹂の関数として定義されている側面を明示した。このように ﹁適正﹂財の消費が経済成長をひきおこすと信じたのはフィジオクラートだけではなくA・スミスもD・リカル ドゥもこの系譜のうちにとらえることができる。 ケネーの﹁重要質問﹂には次のような一節を見出すことができる。 −461 − ﹁国富の消費と年々の再生産とによって王国の富を永続せしめ、地主収入と国民の富裕が発生するのは国富の売上価値の維 持であり、それはまさに消費によるものに他ならない。よって⋮⋮消費は一国の繁栄の主要源泉である。﹂ ウーグは﹃経済表の説明﹄の次の一節にフィジオクラートの主張をとらえた。 ﹁不生産的支出あるいは生産的支出のどちらか一方が他方にまさる程度の大小如何に従って所得の毎年の再生産にどのよう な変化が生ずるかについてはこれを容易に判断することができる。⋮⋮そのことは経済表の秩序の中に生ずるであろう変化 によって容易に判断される。﹂ ﹁かくて収入の質的支出の決定は直接的には社会的総所得に量的影響を与え貨幣所得の減少は実質所得の低下 を伴う﹂とウーグは指摘しでいる。 生産階級が経済成長に必要な資本蓄積を行う場合に国民所得の消費支出が主要な影響力をもつという構想は充 分注目に値するのである。エルティスはさらに前述の不均衡要因二つを成長方程式に組み込んでいるが、多分に 政策論的色彩をおびるため今は論じない。 −462 − 五 不均衡成長の﹁経済表﹂ 第3表として示した経済表はミラボー候爵︵Victor 表が﹁変調せる経済表﹂とよばれる不均衡再生産を示す表の一つである。 通常のケネー型経済表と対比するといくつかの特異性を識別できる。 Riqueti MarquisdQMira忌の経済表である。この経済 まず農業部門の年前払がそのまま地主階級の収入にならないこと︵一二〇〇リーブルが八〇〇リーブルになってい る︶、地主階級の支出配分比率が工業部門︵不生産階級lr-r︶にかたよっていること、すなわち農業部門への支 出比は1一4であり通常の股定条件たるよ2と乖離しているという特徴を指摘できる。 sesderangementsによって何を明示しようとしたかはもう既に明白である。つまり、 フィジオクラートの中でもケネー理論の最も深淵な理解者と目されるミラボー候、またこの表の作成に当然関 与したケネーがこのd s 年前払と地代との乖離は課税の悪効果を示すためであり不均等支出配分は﹁装飾の奢侈﹂が﹁富裕な一国をきわ めて迅速に華やかさの中に没落させる﹂ことを説くためである。 これらの特異性の他に、経済表体系全般に指摘できる問題がある。それは表中の第2段階以降に出てくる支出 の漏出である。第一段階でハ○○の支出は両部門に二〇〇と六〇〇に過不足なく配分され尽しているが、次の第 二段階では三〇〇と一〇〇〇分配がなされ原初の総所得ハ○○はこの第二段階で半分になっているのである。経 −463− −464− 済表の表面から消えて沈潜したこの漏出部分は、実は、各部門内における部門内消費である。 この点を指摘した菱山論文の﹁経済表の一般公式﹂の着想をかりて、﹁経済表﹂の隠伏的側面に留意しつつ体 系の一般的基本構造を表わしたものが第4表である。第4表は、経済表のすべてを一般化し明示しているので一 般型経済表、︷.a応eaμg`n彫a︸と呼ぶことにする。 各表示記号は次の経済諸量を示している。 幽︵国民総生産︶Y︵可処分国民所得︶召︵不生産部門の中間生産財総額︶a︵社会的純生産物の部門間配分率︶λ︵社 会の平均農産物消費性向︶瓦︵生産部門の総生産高︶瓦︵不生産︵工業︶部門の総生産高︶瓦︵生産部門の部門外売上高︶ 瓦︵不生産部門の部門外売上高︶£︵生産部門への支出が剔出する剰余生産高︶ 一般型経済表は次のように動いていく。まず生産部門で前期に生産した純生産物幽一二〇〇リーブルから税及 び懲税費用を控除した八〇〇リ1ブルが年前払となり前年の小作料︵地代︶として非生産部門︵地主階級︶に支払 われる。この可処分国民所得Yは分配率aによって生産部門および不生産部門に投下される。生産部門に投下さ れたJは㈲一%の利潤率をもって純付加価値を生産する。その純付加価値Jについて﹁もう一つの経済表﹂を開始 させることができる。それはふの代りにJとなる。このような投入と産出とが継続する。﹁経済表﹂全体を一単 位期間の循環図式と解してもよいし、ケインズのように即時乗数過程としてもよいであろう。そうすれば次期に ついての﹁経済表﹂が連続する。ふの代りに£が入る。 一般型経済表の中央欄に並ぶ総額Eの生産物こそが﹁経済表﹂世界の成長の鍵を握るものである。 この、一「aZem吼n彫にのように部門内消費を追載すると両部門における生産コストと純生産とを関連づけた −465 − Tableau general ― 466 ― っ生産関数経済表﹂とよべるような特徴が示される。両部門の生産物瓦、ぶは﹁経済表﹂の生産過程でことご とく消費され尽し生産部門たる農業部門にだけ£の付加価値が創造される。不生産部門たる工業部門の生産過程 では質的変容はあるけれども総所得ベースでは初期水準と同じ3に回帰するといういわばアインシュタイン的世 界mass conservationを描写している。 £を創出された有効需要総体とみるとこれはケインズの乗数理論と有効需要論を彷彿とさせるものとなる。い わ ゆ る t r e M d i m e n t a 々 ∃ u { t ' p H e a r n a l y s i s の 指 摘 は ボ ー ︵マ 3ン ︶女史やD・リーガー以来周知の特徴付けである が、まさに﹁経済表はケインズ経済学の揺り藍だった﹂のである。 超え難いのはこの二〇〇年余の星霜である。経済表をどのように補完しても現代の成長モデルに復元されはし ない。しかし経済表が潜在的な生産能力成長と現実成長とのコントラストをきわ立たせ萠芽的成長理論を形成し ていたことは否定できない。 すでに明らかであろう・が、第4表の£は、六六六億リーブルとなり体系はリセッションの暗闇にころがり込ん でいく。 −467 − 結びにかえて 一七七四年十二月十六日、世紀の巨星ケネーはその八十年の生を永絶させた。彼が晩年に夢みた祖国フランス の豊饒はセーヌの朝もやの中に遠離していった。爾来フィジオクラートの諸理論は不当な処遇のうちに二十年間 の短い隆盛期のみをスポットライトに照らし出させて忘却の淵に沈んでいった。ジイド吋リストは言う。 ﹁完全なる学説の一致の故に此の群の人々が統一されて各々その名と及び個性とを殆んど滅し包括的集合名詞の下に永遠の 歴史の一頁に只一つの小さき群として入り来った事は余りにも他に例の少ない事であり、むしろ悲壮の感すらも与えるので ある﹂と。 しかるに真の悲壮は、一つの謎の中に﹁経済表﹂を埋没させてしまったことにこそあったと言わねばならな い。総帥ケネーはミラボーに宛てて﹁瞬時のいのちしかもたないような科学の書物をつくってはなりません﹂と 述べている。その述懐のごとく﹁経済表﹂は経済理論の中天に舞い上る不死鳥の観すらある。 ケネー全集の﹁譯者の言葉﹂は﹁経済表﹂体系を次のように論じている。 ﹁ケネーの経済学は近世経済学の生成期における分水嶺の稜線上に位置づけられている。︵経済学の︶その後の発展の流れ はその水源を︵ケネー︶に求められるまで溯行することが可能である。︵この︶古典的偉業は経済学の発展にも拘わらず時代 の推移と共に、新たなる課題と方法とのもとに幾たびかなされる挑戦にも充分堪えうるだけの高さをもっているのである。﹂ ︵昭和五十七年一月六日稿︶ ― 468 ― 参考文献 9 一 6 4 − ― 470 ― −471− −472− 一一473− −474−