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Title Author(s) Citation Issue Date Type 「思出の記」とディヴィッド・コパーフィールド 海老池, 俊治 一橋論叢, 39(3): 323-330 1958-03-01 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/10086/3840 Right Hitotsubashi University Repository (81) 研 究 ノ ﹁思出の記﹂と﹁デイずィッド・ コパフィールド﹂ 海老池俊治 小説を書き出すまでの藍花徳富健次郎の経歴は、大健衣のよ うである。 明治十一年、十歳の少年であった健次郎は、兄猪一郎に従ワ て同士山祉に入事し、十三年に退皐したが、十九年に再入率、二 十年退率、二十二年上京して、兄を助け、二十三年以後、﹁閤民 からヒントをえて書かれたといわれるこの未熟な小礼町、種が 勿論、大山家一五一五の事賞がそのまま物語られているわけでは 見えすいている。執筆の動機が徐りに単純である。 ない。川島浪子の墓が雑司谷にがいことは、貫一お宮が熱海の 海岸を散歩しかが引がことに等しい。ただ、作者は即物的な奥 に同情しすぎているから、彼がどんな文率的教養をそなえてい 味を完全に伎作の世界に縛位せずに、事賓としての人間の不幸 たにもせよ、それが十分具現されているとは岡山われないのであ ところで、﹁不如蹄﹂を書いてから一二年後に、麓花は彼なり る 。 に最も小説らしい小説、即ち、仮作として首尾一貫した、今日 でも讃むに耐える小説を書いた。 それは、明治三十三l 四年に﹁園民新聞﹂に掲載された﹁思 いいかえれば、明治の日本という事賓をふまえている黙で、﹁不 出の記﹂であるが、明かに作者の賓生活を材料にしているll 新聞﹂の創刊とともに入枇して、翻誇を受け持った。 少くとも青年時代までの壷花は、兄蘇峰の指導の下に、営時 如蹄﹂同様に即物的である。そして、他方、明瞭に英文撃のあ の政治的雰囲属加を呼吸し、英語の数養を身につけていたのであ る。尤も、この場合、﹁英語の教養﹂とは必ずしも厳重な意味で る作品の影響の下に書かれたのである。 この小説は主人公菊池慎太郎の自叙俸という形になってい 入撃するが、正義感から問題を起し、中退、東上、奮師の助力 らくなる。出奔し、いろいろ辛苦をなめる。紳戸で関西事院に の家を継ぐことをすすめられて、それを断り、伯父の家にいず が、少年時代に零落し、父を失い、母とともに、母の姉の夫に 引取られる。そして、伯父に愛された徐り、従姉と結婚して九 る。彼は九州中部の農村(小さい町)のかなりな大家に生れた ﹁英文拳の教養﹂ではない。しかし、蓋花が英文拳の作品を讃 んで身につけ、それをいわゆる自由民権思想的な政治的興味と では、初期の文人麓花は賓際英文撃からどれほどの影響を受 重ね合わしていたことはたしかであろう。 けたであろうか。 有名な魔女作﹁不如蹄﹂(明治三十一 l 二年﹁園民新聞﹂に連 か、と潤うことは、見営外れであろう。大山大将家の家庭悲劇 載)が直接英文撃のどの作品からどんな影響を受けて作られた 323 / (82) 第三銃 第三十九巻 ー橋論叢 て一家をなす。その聞に、気丈な彼の母ゃ、馬子から石炭山の をえて、文科大事に入る。英文撃を修めて、卒業、文筆家とし 持主になる新五という昔なじみの事業家などが、彼の精神的な 主人公が幼友達の妹松村敏子に懸して、結婚し、幸稲な家庭 支えになって、自立を助ける。 を治るロマンスの経緯が、以上の経歴にからんでいる。 右にいったように、この小説には作者の宇生の経歴がかなり ﹁藍花停﹂の著者前回河氏は、 はっきり組み込まれている。 この小説のモデル考設には各種各説入り飽れてゐるが、それ らも全慢の筋が、やや健次郎の白停に近い程度での異質性を帯 (一一) びてゐると同程度の、賞在性しか帯びてゐないものと思惟すべ きであらう。 といい、数人の登場人物を賃在の人物に擬している。 素材の問題中、先ず目につき、また、殊に興味深いものは、 とにかく、主人公の生地妻縫の風物を描く作者の筆は、きわ その貼にづいて、麓花の知人粛藤弔花が語っている次のよう めて暢達であり、鮮明な映像を浮び上らせる。 取出でて一五ふ程でも無いが、 A7 も忘れ難く息ふのは、水の清 な挿話は、はなはだ示唆的だといわなければならない。ある死・ 刑囚が、機悔録を書いたが、飛騨高山在の彼の故郷を語った、 いのと、栢の美しさである、云一五 弔花がその話を麓花にすると、彼は笑い出して、﹁どこまでも ι と始まる文一章が、﹁回山出の記 L 一の巻(一)の文章を、二頁ほど 。 殆んどそのまま引き骨持したものであったというので 日 癖の出るのは人間の本能だ。知らず/(¥に泥棒の本性が出たの だ。併しよくまあそんなに暗記してゐたものだ。本人すら忘れ いたとき、笑ってばかりいずに、もし真面目に反省していたと てゐるのに﹂といったという。ところで、躍花が、その話を聞 この逸話は﹁思出の記﹂後端の逗しい描馬力と即物性とを詮 したら、或いは、彼は樗然としたかも知れない。 部の叙景がそのまま本州中部の叙景として通用すると人に息わ 明する名文に相違ない。しかし、翻って考えてみれば、九州中 いが、藍花はこの作品の執筆蛍時妻の故郷を見たことがなく、 物語の最初に描かれている主人公の生地であろう。その土地、 ︿三J V : 即ち、妻簡は作者藍花の妻愛子の故郷を主アルにしたものらし せたことは、それが暢達、鮮明であるにも拘らず、或いはむし (回﹀ る。従って、この場合、事責の寝生がどれだけ正確かは問題に 初めてそこへ行ったのは、大正二年であったということであ ‘ そこに、藍花の拾潟の本質が暗示されているように息われ る 。 ろ、そのために、非個性的で卒板であることを裏書きするとも いえるであろう。 ならない。しかし、自分の宇身である妻の故郷を主人公の生地 に措定した作者の心理には、その場所の選揮がかなり重要な意 前田河氏のいま)つの麓花研究室同﹁藍花の官製術﹂に、 p 起ぷ 味を持っていたに相違ない。物語の虚構性ははっきり事賓に支 4 えられているのである。 戸 、 3 2 4 (六) 主人公菊池慎太郎を通じて見た明治精一時は、第一に人の精神 の自由を等重する気瞬に窺はれる。 とあり、彼の知識慾、基督教への蹄依、女性の濁立の等重、楽 天主義などが指摘されている。 そのような精神態度はたしかに﹁明治精神﹂といわれるもの の典型であろう。が、問題は、その﹁典型﹂がどれだけ個性の うちに具現されているか││近代的な文撃の最も中心的な主題 である個性と環境の相克が、どれだけ深く切貫に鐙験され、表 現されているかであろう。 ここに表現されたものは、個或いは自己でやい、それらしい 擬装の下に、ある意味で習俗的な時代精神ないし生活感情が投 げ出されているにすぎないように思われる。 哲太郎という人物にひきいられる事校育英拳合で、讃み耽った にしのうみちしほのさるらし 小説の名が、挙げである。 e ﹁西洋血潮小嵐﹂、﹁自由の凱歌﹂などそれらの作品は、今日 殆ん ど顧みられないが、ともにデュ 1 7の翻誇であり、明治十 1持に出版された。営時、去に政治的興味から讃まれたものら しい。ところで、そのような讃書は明かに作者の貫生活の反映 であって、一九五六年八月競﹁文事﹂(岩波)に、勝本清一郎氏 の記すところによれば、明治十六、十八、二十年の麓花の子抄 本五冊(勝本氏の所蔵本)には、東海散士の﹁佳人之奇遇﹂や 矢野龍演の﹁経園美談﹂からの﹁抄寝が多い司﹂ということであ る 。 以上のうち、例えば、﹁佳人之奇遇﹂が直接﹁恩品の記﹂のど V 匙唯一完 ) h f hf齢制 帆 鉱 山 附 一 一 ノ 骨 士 ハ 窓学五骨除ハ険医除司令仲一戸広ハ審議 こにどう粉本として使われているかは、問題でない。 ヒ ラ デ ル ヒ ヤ イγヂベ γデγトホール 一 山 一 向 汀 都 民 日 一 一 四 円 一 四 月 齢 一 話 一 都 油 断 一 川 一 明 円 一 明 一 町 九 九 卦たわ一青山、品目白山町山内ルハ斡恥岡山 γ臨??除Pハ骨骨戸山町ムヤねア-一一昨 というような巻一の冒頭を見ただけでも、この作品が﹁思出の 立自由ノ民タルノ高風ヲ追懐シ術仰感慨ニ堪へス 記﹂と大分違うことがll ﹁思出の記﹂のほうがはるかに貫生 活に印した物語であることil近代的な一意味での小説になって いることが、分る。しかし、長静の貼では、雨者はさほど離れ ていないのである。 ﹁佳人之奇遇﹂を﹁思出の記﹂と並べたとき、そこにもう一 つの作品をおいて、それらを結びつけたくなるのは、思い過し であろうか。その作品とは、本間氏が﹁明治文亭史﹂上第一一編 第七草﹁政治小説﹂の第三節同に、﹁純粋の政治小説とは梢さ趣 を異にするが﹂と断って、﹁佳人之奇遇﹂と共に論じている菊亭 明治十七年に出版されたこの物一請は、ある田合の小学校教師 香水の﹁世路日記﹂である。 久松菊雄の立志談であり、結局彼が某政蒸に加わって、自由改 せたものである。 (一 O) 進を唱えることに、彼の教師時代の教え子に封する懸をからま ﹁世路日記﹂が﹁忠出の記﹂に連想されるわけは、先ず、そ の思想、印ち、﹁菊池慎太郎を通じて見た明治精神﹂のうち、 ﹁基督教への隠依﹂はとにかく、﹁知識慾、女性の濁立の曾重、 3 2 5 pノ r ー﹁忠出の記﹂一二の巻、(十一)に、少年時代の主人公が、駒弁 (83) 碗 究 ノ ー ト く、また、次のような不思議な一致が見出されるのである。 楽天主義﹂が、全く相通じるからである。が、そればかりでな れる。それは、 営然、明治初年の劃期的な翻誇小説﹁花柳春話﹂が思い合わさ ノミ凄然タリ 笠ニ説キ起ス話柄ハ市井ヲ距ル寸凡ソ四里許ニシテ一ツノ荒 トワヘイサクヲウ 菊亭香水が描いた主人公が久松菊雄であり、重花の主人公が 貯池慎太郎であることは、偶然の一致かも知れない。しかし、 スト・マルトラグァ 1 ス﹂とその績偏﹁アリス﹂(同言。同町民三・ 丘司 2tFU込仲opH∞313) の﹁ア 1 ネ リットン(同・の・国-HW サ そして、一方、﹁思出の記﹂の主人公を啓渡した育英拳合の師駒 守宮守旬、 ヒフウツウ(ソヴプソヨ 原アリ緑草繁茂、怪石突克、満眼荒涼トシテ四顧人襲ナク恰モ リヨグサゥ、ンモクワイ位争トツゴア ﹁世路日記﹂の作者ははじめ教員をしていたということであ と始まるのである。 砂漠ノ中ヲ行クカ如ク唯悲風ノ腿々ト y草蕪-一戦グヲ間クノミ j り、主人公は彼の学身であったに相違なく、彼はこの未熟な小 グy 説に主髄的な生命を盛ろうとしたものであることは疑いない。 井哲太郎は、主人公が東京で苦皐しているときに外園から蹄朝 │二年に出版され、政治的な興味のためもあって、時流に投じ、 H ∞ω 吋 士 山 EPω∞)の抄誇であるこの小説が、明治十一 いわゆる兵隊養子であり、一時駒井姓を名乗っていたのであ して、佐藤銭嶺という名で﹁卒民新聞﹂の主筆になった(彼は る)とあるのに封して、﹁世路日記﹂の作者菊亭香水は本名を佐 に、大きな放果をあげたことを思えば、﹁思出の記﹂の思想的起 リットンは今日殆んど真面目に取り扱われない英国十九世紀 源をこの作品まで遡らせても、不合理とはいえないであろう。 嘗時の日本人に新時代(ヨーロッパ風﹀の人情を理解させる上 佐藤哲太郎と佐藤裁太郎という名の類似、前者と久松菊雄の 藤戴太郎というのである。 経歴の類似は、ただの暗合であろうか。とにかく、﹁世路日記﹂ の小説家であるが、藍花が直接彼からどれだけ文撃的な養分を 説家ディッケンズ 2 E ユ gU5Zロ師、同∞巴│苫)の作品から、 の記﹂は、まぎれもなく、リフトンと同時代の代表的な英園小 さて、リットン(芙率的通俗性)との闘係はとにかく、﹁恩出 部分を占めていたに相違ない。 ハ 一 一 一 は出版とともに大いに流行して、版を重ねたのであるから、﹁佳 ではあっても、時事的流行作家であった後者の文撃がかなりの 吸牧したかは別にして、前者の英撃的教養のなかには、間接に 門一一﹀ 人之奇遇﹂を耽讃した謹花は、この本をも護んでいたに相違な 以上の論旨をいま一歩進めてみる。 、v γ ザ yモウアイ 上に引用した﹁佳人之奇遁﹂の冒頭を次のような﹁世路日記﹂ の冒頭と比べたとき lll ワグ 睦回務初メテ時テ太陽未タ昇ラズ四山腹藷ヲ帯ヒテ金星猶ホ西 天ニアリ堂々タル大屠ノ中東窓少カニ白フシテ四隅未ダ明カナ ディッケンズを心得ているものがこの小説を讃めば、すぐ感じ a 影響を受けて書かれたものである。そして、その事情は、多少 v ラズ満堂寂審更ニ人語ナク只タ時器ノ一隅ニ分秒ヲ刻スルノ↓晋 、 ‘ 包臨ムー」 (84) 第三競 第三十九巻 一橋論議 3 2 6 (85) 研 究 ノ ー 取れるほど明かであるばかりでなく、作者藍花自身がは?きり とにかく、﹁思出の記﹂がどんなにコアイグィッド・コバフィ ールド﹂から強い影響を受けているかを一示すために、前者の一 の巻(二)の一節(先に言及した風物描馬民つづく主人公の生 それを書き残している。 麗花は大正十四 1 昭和三年に、妻と共著で、自分の率直な人 という表題がついており、主人公が身のまわりを始めて見聞し σ83 叩 ミ 家の描馬)と、後者の第二章の一節(この一章には﹂o そのひとつ︿ら E' ︿つ ヒb ヒドぎ P LP にしであった事ゃ、裏の方が馬鹿に庚くて倉庫が劃箇もあった ︿ 暗に大きくて部屋が薄一暗かった事ゃ、舵風の所に鳩の働念宣同膨 やみまら 年月と云ふいたづら者が、受へて居たいと思ふ事は容赦もな く忘れさして、何でも無い事ばかり思び出させる。家の柱が鮮 た思い出が語られている)とを、比べてみたい││ 生記録を小説﹁富士﹂として出版したが、その第二巻第二十章 RH∞さ12) 一に、﹁思出の記﹂の執筆を語って、それがディッケンズのコア イグィッド・コパフィールド﹂(匂号&の号、白色。 デイジl から影響を受けたことを告白しているのである。 、 O 英吉利風の行儀のよいり・ 0・の書きぶりがヨリ好い粉本であ 一回﹀ った ﹄ LL L 端的に自己を書くとすれば、書くに忍びぬ事だらけである。 r 事ゃ、共一の倉庫には何時も米俵が山程積むであった事ゃ、馬 鹿勘と云って共慮にプヨ 此慮に四五日と町の豪家を食廻って 少し其家の米俵が減れば直ぐ他の家に移るのが癖であったが僕 の家ばかりは一ヶ月乃至二ヶ月逗留の楽を辱ふした事ゃ、イ一υ に於て、熊弐は自己のあるものを波離させ、兄のあるものを取 それを差引けば、いくらも書く事はない。そこで﹁思出の記﹂ り入れ、人物事物さまざまの思出の上澄みを軽くすくひ上げ 一倉庫には仁王様の風呂桶の様なのが一杯入って居て、共倉の屋 品事 同 州 円 0 0 ]向山口問g ド o w w 恒国同省戸田出品目ロ問、E S S叩EP口 附 。 同B 可 SF 50 凶叶田仲 ロ o t y a H E ぴ 冊 吋 但 師 団 ロ 3 B O H H H 4 g a E m o c ・ げ U15mggH42 吟OBP O 口 民ロ白山 O口O FEMP20B可E O E 5 2 8仏 旬 刊 誌0 ・ 巧E 円相︼田町円同 OHBB冊 2 u、 目σ03FaBめ ひけと云はれると一切分からぬ。 ω ' な事はきれん¥に受へて居るが、さあ家の全圃を た事ゃ、此様 初旬 い男女が二三十人も居て盆の月夜に裏庭で白子拭を冠って躍っ と螺の撃が宛がら雨の降る様であった事ゃ、共れから家には若 きな 根から恐ろしく大きな榎樹がぬっと頭を出して、夏の頃になる えのき て、気軽に商白い讃物を作った。 といっている。 グィクトリア朝的習俗から終生抜け出すことができなかった ディッケンズを、﹁行儀のよい﹂という批評は嘗っていなくはな い。しかし、宇田叙停コアイグィッド・コパフィールド﹂のな かで、自己をありのままに語らわが引かディッケンズは、ただ ﹁思出の記﹂のような、或いはまた、リットンの諸作のような ﹁気軽に面白い讃物﹂をしか書かなかったわけではない。なぜ なら、ディッケンズには強烈な個性があり、その環境との相魁 が痛ましいほど激しいからである。 327 / 踊骨骨・ ﹃ w HHOBSBgo三 O同喜冊。H Oロ門戸 05H55011白O件目。d サ q 己ZPEER-Egg oasBOBEggg 日夕ぴ三ρ 吋 。ロ己同日間吋。ロロ門ザ凶0 席。 0吋山田旬。問的0 H H O M Y 。防相回同 山口仲O 3 u、回附ロ H M M H P E口]阿古叶円ydiF 但立品川O ESOOロ伊吉日開山口 町 P F m g E 5 同 昨 日 4司 μ 。 ロ け 担 ロ 可 勺 紅 白 ロ ロ 即 日 山 口 担 。 。] O ロ 田 山 口 洋 山 担 問 時 由 主 a o m H E M n o B2、 H r o E 白口可仏 C問一軒ロ内HPρβ85可O同同0 HmB注目。O H円件。? 当H 4司 巴宮山、 SHHSBPdg-Eロ 関 与 。 三 宮 HHS88EMHS 四 円 rg巳055PHMHH2・寸︼M O吋冊目白。目。口O口附当日HOm注目ロ句。ロ担 吉田仲ぎの84FS山由。冊目白仲ogro 宮ユぽロ目白H 目。江口白色SO ︼o r注目岡山B 5 8同問伊丹H SHo H O E g r m w口当日ロ仏0 4 当日同O目prg Hロ四回E42 HH白山田由。片山200・。同匹目 mg曲目。β仲間広田50 聞広? ・ m m w Z 4 H H O口 OBm 毛色白HEmp32B担当日F50山ユO回関口ooz asR-HE0544rロHmop忠 司h q u H仏吋g 自主回目的宮山 田 h 恒8 8 3 1吋。目。円四ず可芝居 Z82 日 目 的 宮 骨 EBREosH - という非賞際的な、ただむやみに可愛い少女に懸して、結婚し、 次に、デイグィッドはド1ラ・スペンロウ(口。g ω]ugzdq) 3 2 8 - 組み入れて 1 1非現賓的な第二の現貨を創造する骨組の畑違を いかと思われる。 あげてみれば、上の疑問に封する幾分の解答が示唆されはしま L、再婚し、彼の不幸の原因にな 例えば、デイグィッドの母はおろかな女であり、夫の死後事 る。彼女はデイグィッドが成長(自己殻展)をとげる種にはな 賃上幼児デイグィッドをすて るが、直接それに閥奥しない。(注意すべきことに、その経緯 はディッケンズの貫生活上の事貫ではなかった。)一方、慎太 サポートである。少くとも、その最大の一つである。彼女は気 郎の母は、先にいったように、彼の成長(立身出世)のモラル・ 丈で、物分りがよく、息子が苦労している問中、泣一言一ついわ であって、家名という一種の幽霊である)を守る。幾何かの金 ずに、一家(とは、貨は、彼女と息子と二人が構成しているの を貯金しさえする。彼が敏子と結婚したいといったとき、早速 母のありがたさを感ずる﹂(十の巻(九))という慎太郎の感慨 る。﹁時として母を懐はぬことは無いが、事ある毎にいよ/¥ 電報で東京の親類にその周旋を頼んでくるほど焦が利いてい もんだ﹂という気がすることもたしかである。 、、、、 この類似が(相違でなくて﹁思出の記﹂の拾寝とそれを盗ん だ死刑囚の手記の類似に等しい、などといっては、穫を失した 、、、 いいかたであろう。しかし、本質的に、それら二つの聞にどれ ている個性、或いは、幻想的な、ある意味では偏執的な、特異 忽ち幻滅の悲哀を感じる。そこまで、異質感を以て、主人公の を讃むと、﹁お日出とう﹂という気がすると同時に、﹁いい気な だけ差があるであろうか。一アィッケンズの観察眼に生々と動い の描馬にならないであろうか。 な映像を矯正して、﹁行儀よく﹂したら、そっくりそのまま麗花 内心を辿って来た作者ディッケンズは、そこで途に話の績けよ うがなくなり、突然、ド lラを殺してしまうのである。そのよ ‘臨ム ﹁思出の記﹂とコアイグィッド・コパフィールド﹂との描潟 、 、 でなく、その構成の相違を、即ち、事賓の断片を仮作の世界に ー (86) 第三披 一橋論叢 第三十九巻 設定は、いかにも緊迫している。見事な人間造形である。一 いであろう。しかし、ド 1ラの性格と彼女と主人公との関係の うなプロットの慮置は行き営りばったりだという非難を売れな 次で、デイグィッドはド lラと結婚して、彼女が一家の主婦と 同。立とと駈落ちして、彼の楽園の夢が残酷にも破れてしまう。 コアイグィッド・コパフィールド﹂はまぎれもなく、グィクト して全然無資格であることを後見する。 リア朝的である。姿協のない個性の内的後展を用拾なくあとづ 方、慎太郎が懸する敏子は、聴明で、しとやかで、彼の事業を L よく理解し、償太郎の母を始め親類一同に瓶一踊されて、彼と結 婚したのちは、その理想的な妻になる。讃者はいよいよ﹁い みせる。とすれば、この粉本から、藍花が右のような話のうま にではあっても、人間性とその環境との厳粛な異質をひらいて けたリアリスティックな小説だとはいえない。しかし、断片的 すぎる物語を治り上げた原因は、一億どこにあったのであろう 気なもんだ﹂という集にならないわけにいかない。その筋の運 びは、ディッケンズのように投げやりでないにもせよ、﹁気軽﹂ ﹁思出の記﹂の主人公が敏子に久しぶりで再舎して、松滋と すぎる。果して員に﹁面白い﹂かどうか、保詮の限りでない。 共後ヂツケンスの﹁カツパアフィルド﹂を讃んで、主人公が クトリア朝的人道主義は十九世紀の﹁先進国﹂英国の枇舎史的 る後進的な歴史的保件から生じたものに相速なく、また、グィ 自由民権的立身出世主義の明治精紳は日本のおかれたいわゆ , 刀 ドラを懸ふる候下に﹁ドラと瑚排で生きて居る﹂と云ふ伺を讃 いう料亭で一一緒に食事をしたとき、 むで、失笑したが、僕自身も松、娠の一席は確かに﹁お敏君と茶﹂ 後見に努力する人、例えば、ディッケンズなどには、いつの世 なかったことである。ところが、いうまでもなく、矛盾はその を書いた嘗時、自由民権的精一脚にさほど大きな矛盾を感じてい しかし、ここでいま最も重大なことは、麓花が、﹁思出の記﹂ 保件から生じたものに相違ない。 で済ましたのである。(八の傘(十)) とある。しかし、松村敏とド 1ラ・スベンロウは全く遣った 女である。性格が遣うばかりでなく、主人公(自我ないし個性) ﹁デイグィッド・コパフィールド﹂第二十八章の始めによ に封する位置が違うのである。 にも存在するものである。 たことにはならないであろう。が、ただはっきりしていること 分ったような分らぬような問題の慮理法になり、それを骨恥仇し ﹁デイグィッド・コパフィイルド﹂と﹁思出の記﹂の差は、 ロ 官宮丘町色々 o ロ ロ oSFHH仏g 同町 0・3 という A口 t -葉がある が、デイグィッドがこうして懸の幻につかれている聞に、悲劇 の﹁資質﹂という言葉を﹁天才﹂という言葉におきかえれば、 根本的に、雨者の作者の資質から生じたものであろう。もしそ 4 a - は深刻な破局を準備している。三章先の第三十一章で、デイグ 2EqHVO 倒的05可﹀が、彼の友人スティヤフォ 1 ス 380F ィッドの清純な幼年時代の懸人(?)エミリ l ・ベゴティ 1 3 2 9 ト (87) は、コアイグィァド・コパフィールド﹂の作者ディァケンズは、 (七)柳田白木﹁明治初期の献誇文拳﹂﹃明治初期の献詩文筆﹄、 ︿六)﹁麓花の番術﹂七﹃思出の記﹄、﹁慎太郎と明治精一脚﹂ (八)岡崎抗﹁文拳﹂は萱花特集。 六参照 大衆作家ではあったが、偉大な馨術家であり、﹁思出の記﹂の作 (九)勝本清一郎﹁董花とキリスト教﹂(﹁文拳﹂) 者藍花は、話術が巧みな叙述家(それは明治文拳史上すこぶる 重大な事賓だとはしでも)ではあったが、震の近代的な萎術家 版の﹁訂正増補﹂版にくわしく詑かれているのである。初 (一 O) 主人公の政治活動を述べる部分は、明治二十八年出 版では、主人公の轡物語が主な筋になっている。 英文事から異に近代的な文撃の養分が吸放されたのは、麓花 ではなかった。 でなく、濁歩と、なお一そう明瞭に、激石においてであった。 ぅ。﹁董花の番街﹂七﹃息出の記﹄、﹁諸人物の類型につい (一一)た Yし、佐藤哲太郎の弔デルは馬場辰猪であるとい 立身出世主義を巌しく批判し、個性の近代的破滅を痛ましく意 識した(その原因がなんであったにもせよ)作家においてであ ﹁佐藤蕨太郎著﹂と記されている。 て﹂参照。なお、明治二十八年版﹁世路日記﹂の表紙には った。そして、その揚合、英文事の代表的な作家はディッケン ヲている。 -ンといわれているものは、まさにその郷土的倫理にほか (一一一﹀勝本氏は﹃﹁思出の記﹂のあかるい健康なパ y ク ポ ズではなかった。激石は不思議なほどディッケンズを軽く取扱 いや、不思議ではない。わが園でディッケンズが異に第一流 ならぬ﹄という。勝本清一郎﹁麓花と士族的倫理﹂(﹁明治 の文事者と見倣されるようになったのは、極端にいえば、ここ 数年来のことであろう。藍花がコアイグィッド・コパフィー 大正文筆研究﹂第二十三競、昭和三十二年十月品目行、特集 MM ﹁﹃不如蹄﹄の由来﹂参照 M gSFSEtoロ 浮Fag-gFσE p g (一一ニ)こ一回目当 h H 己H ロ 4hFF件 。 ] 町 民μ叩 口 吋mwpF件 。 同 同 一F冊 匂CMvc-但吋円 明 白 吋 口 広]μ 叩吋什一F ﹁徳宮藍花の研究﹂、東京堂)。 ルド﹂を﹁たピ行儀のよい書きぶり﹂だと感じたのは、右にい ったように、根本的に彼の資質(天才)のせいに相還ないが、 (一﹀前田河庚一郎﹁董花停﹂ ディッケンズの義術が大そう理解し難いこともたしかである。 ﹃m HoqhlldgHH刊叶 KHEHSSNug も hFHg NWBgb誌 (H 唱 師 事 一 ykFUH- 合一)問書必﹁段春﹂ の 培 、 常 軌 白 円 相 同 HN刷局叫qy培 (一四)トルストイに比べて。 (一橋大拳教授) 会一﹀隈府 (四﹀﹁麓花停﹂川町参照 記﹂﹄、﹃﹁思出の記﹂の拍車恕﹄ 溢血比一←ー ハ五)斉藤弔花﹁麓花と作品﹂四﹃明治中期を描く﹁思出の ・ 、u 330