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「思出の記」とディヴィッド・コパーフィールド
海老池, 俊治
一橋論叢, 39(3): 323-330
1958-03-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/3840
Right
Hitotsubashi University Repository
(81) 研 究 ノ
﹁思出の記﹂と﹁デイずィッド・
コパフィールド﹂
海老池俊治
小説を書き出すまでの藍花徳富健次郎の経歴は、大健衣のよ
うである。
明治十一年、十歳の少年であった健次郎は、兄猪一郎に従ワ
て同士山祉に入事し、十三年に退皐したが、十九年に再入率、二
十年退率、二十二年上京して、兄を助け、二十三年以後、﹁閤民
からヒントをえて書かれたといわれるこの未熟な小礼町、種が
勿論、大山家一五一五の事賞がそのまま物語られているわけでは
見えすいている。執筆の動機が徐りに単純である。
ない。川島浪子の墓が雑司谷にがいことは、貫一お宮が熱海の
海岸を散歩しかが引がことに等しい。ただ、作者は即物的な奥
に同情しすぎているから、彼がどんな文率的教養をそなえてい
味を完全に伎作の世界に縛位せずに、事賓としての人間の不幸
たにもせよ、それが十分具現されているとは岡山われないのであ
ところで、﹁不如蹄﹂を書いてから一二年後に、麓花は彼なり
る
。
に最も小説らしい小説、即ち、仮作として首尾一貫した、今日
でも讃むに耐える小説を書いた。
それは、明治三十三l 四年に﹁園民新聞﹂に掲載された﹁思
いいかえれば、明治の日本という事賓をふまえている黙で、﹁不
出の記﹂であるが、明かに作者の賓生活を材料にしているll
新聞﹂の創刊とともに入枇して、翻誇を受け持った。
少くとも青年時代までの壷花は、兄蘇峰の指導の下に、営時
如蹄﹂同様に即物的である。そして、他方、明瞭に英文撃のあ
の政治的雰囲属加を呼吸し、英語の数養を身につけていたのであ
る。尤も、この場合、﹁英語の教養﹂とは必ずしも厳重な意味で
る作品の影響の下に書かれたのである。
この小説は主人公菊池慎太郎の自叙俸という形になってい
入撃するが、正義感から問題を起し、中退、東上、奮師の助力
らくなる。出奔し、いろいろ辛苦をなめる。紳戸で関西事院に
の家を継ぐことをすすめられて、それを断り、伯父の家にいず
が、少年時代に零落し、父を失い、母とともに、母の姉の夫に
引取られる。そして、伯父に愛された徐り、従姉と結婚して九
る。彼は九州中部の農村(小さい町)のかなりな大家に生れた
﹁英文拳の教養﹂ではない。しかし、蓋花が英文拳の作品を讃
んで身につけ、それをいわゆる自由民権思想的な政治的興味と
では、初期の文人麓花は賓際英文撃からどれほどの影響を受
重ね合わしていたことはたしかであろう。
けたであろうか。
有名な魔女作﹁不如蹄﹂(明治三十一 l 二年﹁園民新聞﹂に連
か、と潤うことは、見営外れであろう。大山大将家の家庭悲劇
載)が直接英文撃のどの作品からどんな影響を受けて作られた
323
/
(82)
第三銃
第三十九巻
ー橋論叢
て一家をなす。その聞に、気丈な彼の母ゃ、馬子から石炭山の
をえて、文科大事に入る。英文撃を修めて、卒業、文筆家とし
持主になる新五という昔なじみの事業家などが、彼の精神的な
主人公が幼友達の妹松村敏子に懸して、結婚し、幸稲な家庭
支えになって、自立を助ける。
を治るロマンスの経緯が、以上の経歴にからんでいる。
右にいったように、この小説には作者の宇生の経歴がかなり
﹁藍花停﹂の著者前回河氏は、
はっきり組み込まれている。
この小説のモデル考設には各種各説入り飽れてゐるが、それ
らも全慢の筋が、やや健次郎の白停に近い程度での異質性を帯
(一一)
びてゐると同程度の、賞在性しか帯びてゐないものと思惟すべ
きであらう。
といい、数人の登場人物を賃在の人物に擬している。
素材の問題中、先ず目につき、また、殊に興味深いものは、
とにかく、主人公の生地妻縫の風物を描く作者の筆は、きわ
その貼にづいて、麓花の知人粛藤弔花が語っている次のよう
めて暢達であり、鮮明な映像を浮び上らせる。
取出でて一五ふ程でも無いが、 A7
も忘れ難く息ふのは、水の清
な挿話は、はなはだ示唆的だといわなければならない。ある死・
刑囚が、機悔録を書いたが、飛騨高山在の彼の故郷を語った、
いのと、栢の美しさである、云一五
弔花がその話を麓花にすると、彼は笑い出して、﹁どこまでも
ι
と始まる文一章が、﹁回山出の記 L 一の巻(一)の文章を、二頁ほど
。
殆んどそのまま引き骨持したものであったというので 日
癖の出るのは人間の本能だ。知らず/(¥に泥棒の本性が出たの
だ。併しよくまあそんなに暗記してゐたものだ。本人すら忘れ
いたとき、笑ってばかりいずに、もし真面目に反省していたと
てゐるのに﹂といったという。ところで、躍花が、その話を聞
この逸話は﹁思出の記﹂後端の逗しい描馬力と即物性とを詮
したら、或いは、彼は樗然としたかも知れない。
部の叙景がそのまま本州中部の叙景として通用すると人に息わ
明する名文に相違ない。しかし、翻って考えてみれば、九州中
いが、藍花はこの作品の執筆蛍時妻の故郷を見たことがなく、
物語の最初に描かれている主人公の生地であろう。その土地、
︿三J V :
即ち、妻簡は作者藍花の妻愛子の故郷を主アルにしたものらし
せたことは、それが暢達、鮮明であるにも拘らず、或いはむし
(回﹀
る。従って、この場合、事責の寝生がどれだけ正確かは問題に
初めてそこへ行ったのは、大正二年であったということであ
‘
そこに、藍花の拾潟の本質が暗示されているように息われ
る
。
ろ、そのために、非個性的で卒板であることを裏書きするとも
いえるであろう。
ならない。しかし、自分の宇身である妻の故郷を主人公の生地
に措定した作者の心理には、その場所の選揮がかなり重要な意
前田河氏のいま)つの麓花研究室同﹁藍花の官製術﹂に、
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起ぷ
味を持っていたに相違ない。物語の虚構性ははっきり事賓に支
4
えられているのである。
戸
、
3
2
4
(六)
主人公菊池慎太郎を通じて見た明治精一時は、第一に人の精神
の自由を等重する気瞬に窺はれる。
とあり、彼の知識慾、基督教への蹄依、女性の濁立の等重、楽
天主義などが指摘されている。
そのような精神態度はたしかに﹁明治精神﹂といわれるもの
の典型であろう。が、問題は、その﹁典型﹂がどれだけ個性の
うちに具現されているか││近代的な文撃の最も中心的な主題
である個性と環境の相克が、どれだけ深く切貫に鐙験され、表
現されているかであろう。
ここに表現されたものは、個或いは自己でやい、それらしい
擬装の下に、ある意味で習俗的な時代精神ないし生活感情が投
げ出されているにすぎないように思われる。
哲太郎という人物にひきいられる事校育英拳合で、讃み耽った
にしのうみちしほのさるらし
小説の名が、挙げである。
e
﹁西洋血潮小嵐﹂、﹁自由の凱歌﹂などそれらの作品は、今日
殆ん ど顧みられないが、ともにデュ 1 7の翻誇であり、明治十
1持に出版された。営時、去に政治的興味から讃まれたものら
しい。ところで、そのような讃書は明かに作者の貫生活の反映
であって、一九五六年八月競﹁文事﹂(岩波)に、勝本清一郎氏
の記すところによれば、明治十六、十八、二十年の麓花の子抄
本五冊(勝本氏の所蔵本)には、東海散士の﹁佳人之奇遇﹂や
矢野龍演の﹁経園美談﹂からの﹁抄寝が多い司﹂ということであ
る
。
以上のうち、例えば、﹁佳人之奇遇﹂が直接﹁恩品の記﹂のど
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hf齢制
帆
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山
附
一
一
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窓学五骨除ハ険医除司令仲一戸広ハ審議
こにどう粉本として使われているかは、問題でない。
ヒ ラ デ ル ヒ ヤ イγヂベ γデγトホール
一
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九
九
卦たわ一青山、品目白山町山内ルハ斡恥岡山 γ臨??除Pハ骨骨戸山町ムヤねア-一一昨
というような巻一の冒頭を見ただけでも、この作品が﹁思出の
立自由ノ民タルノ高風ヲ追懐シ術仰感慨ニ堪へス
記﹂と大分違うことがll ﹁思出の記﹂のほうがはるかに貫生
活に印した物語であることil近代的な一意味での小説になって
いることが、分る。しかし、長静の貼では、雨者はさほど離れ
ていないのである。
﹁佳人之奇遇﹂を﹁思出の記﹂と並べたとき、そこにもう一
つの作品をおいて、それらを結びつけたくなるのは、思い過し
であろうか。その作品とは、本間氏が﹁明治文亭史﹂上第一一編
第七草﹁政治小説﹂の第三節同に、﹁純粋の政治小説とは梢さ趣
を異にするが﹂と断って、﹁佳人之奇遇﹂と共に論じている菊亭
明治十七年に出版されたこの物一請は、ある田合の小学校教師
香水の﹁世路日記﹂である。
久松菊雄の立志談であり、結局彼が某政蒸に加わって、自由改
せたものである。
(一
O)
進を唱えることに、彼の教師時代の教え子に封する懸をからま
﹁世路日記﹂が﹁忠出の記﹂に連想されるわけは、先ず、そ
の思想、印ち、﹁菊池慎太郎を通じて見た明治精神﹂のうち、
﹁基督教への隠依﹂はとにかく、﹁知識慾、女性の濁立の曾重、
3
2
5
pノ
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ー﹁忠出の記﹂一二の巻、(十一)に、少年時代の主人公が、駒弁
(83) 碗 究 ノ ー ト
く、また、次のような不思議な一致が見出されるのである。
楽天主義﹂が、全く相通じるからである。が、そればかりでな
れる。それは、
営然、明治初年の劃期的な翻誇小説﹁花柳春話﹂が思い合わさ
ノミ凄然タリ
笠ニ説キ起ス話柄ハ市井ヲ距ル寸凡ソ四里許ニシテ一ツノ荒
トワヘイサクヲウ
菊亭香水が描いた主人公が久松菊雄であり、重花の主人公が
貯池慎太郎であることは、偶然の一致かも知れない。しかし、
スト・マルトラグァ 1 ス﹂とその績偏﹁アリス﹂(同言。同町民三・
丘司 2tFU込仲opH∞313) の﹁ア 1 ネ
リットン(同・の・国-HW
サ
そして、一方、﹁思出の記﹂の主人公を啓渡した育英拳合の師駒
守宮守旬、
ヒフウツウ(ソヴプソヨ
原アリ緑草繁茂、怪石突克、満眼荒涼トシテ四顧人襲ナク恰モ
リヨグサゥ、ンモクワイ位争トツゴア
﹁世路日記﹂の作者ははじめ教員をしていたということであ
と始まるのである。
砂漠ノ中ヲ行クカ如ク唯悲風ノ腿々ト y草蕪-一戦グヲ間クノミ
j
り、主人公は彼の学身であったに相違なく、彼はこの未熟な小
グy
説に主髄的な生命を盛ろうとしたものであることは疑いない。
井哲太郎は、主人公が東京で苦皐しているときに外園から蹄朝
│二年に出版され、政治的な興味のためもあって、時流に投じ、
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∞ω
吋
士
山 EPω∞)の抄誇であるこの小説が、明治十一
いわゆる兵隊養子であり、一時駒井姓を名乗っていたのであ
して、佐藤銭嶺という名で﹁卒民新聞﹂の主筆になった(彼は
る)とあるのに封して、﹁世路日記﹂の作者菊亭香水は本名を佐
に、大きな放果をあげたことを思えば、﹁思出の記﹂の思想的起
リットンは今日殆んど真面目に取り扱われない英国十九世紀
源をこの作品まで遡らせても、不合理とはいえないであろう。
嘗時の日本人に新時代(ヨーロッパ風﹀の人情を理解させる上
佐藤哲太郎と佐藤裁太郎という名の類似、前者と久松菊雄の
藤戴太郎というのである。
経歴の類似は、ただの暗合であろうか。とにかく、﹁世路日記﹂
の小説家であるが、藍花が直接彼からどれだけ文撃的な養分を
説家ディッケンズ
2
E
ユ gU5Zロ師、同∞巴│苫)の作品から、
の記﹂は、まぎれもなく、リフトンと同時代の代表的な英園小
さて、リットン(芙率的通俗性)との闘係はとにかく、﹁恩出
部分を占めていたに相違ない。
ハ
一
一
一
は出版とともに大いに流行して、版を重ねたのであるから、﹁佳
ではあっても、時事的流行作家であった後者の文撃がかなりの
吸牧したかは別にして、前者の英撃的教養のなかには、間接に
門一一﹀
人之奇遇﹂を耽讃した謹花は、この本をも護んでいたに相違な
以上の論旨をいま一歩進めてみる。
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γ ザ yモウアイ
上に引用した﹁佳人之奇遁﹂の冒頭を次のような﹁世路日記﹂
の冒頭と比べたとき lll
ワグ
睦回務初メテ時テ太陽未タ昇ラズ四山腹藷ヲ帯ヒテ金星猶ホ西
天ニアリ堂々タル大屠ノ中東窓少カニ白フシテ四隅未ダ明カナ
ディッケンズを心得ているものがこの小説を讃めば、すぐ感じ
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影響を受けて書かれたものである。そして、その事情は、多少
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ラズ満堂寂審更ニ人語ナク只タ時器ノ一隅ニ分秒ヲ刻スルノ↓晋
、
‘
包臨ムー」
(84)
第三競
第三十九巻
一橋論議
3
2
6
(85) 研 究 ノ ー
取れるほど明かであるばかりでなく、作者藍花自身がは?きり
とにかく、﹁思出の記﹂がどんなにコアイグィッド・コバフィ
ールド﹂から強い影響を受けているかを一示すために、前者の一
の巻(二)の一節(先に言及した風物描馬民つづく主人公の生
それを書き残している。
麗花は大正十四 1 昭和三年に、妻と共著で、自分の率直な人
という表題がついており、主人公が身のまわりを始めて見聞し
σ83 叩 ミ
家の描馬)と、後者の第二章の一節(この一章には﹂o
そのひとつ︿ら
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︿つ
ヒb ヒドぎ P
LP
にしであった事ゃ、裏の方が馬鹿に庚くて倉庫が劃箇もあった
︿
暗に大きくて部屋が薄一暗かった事ゃ、舵風の所に鳩の働念宣同膨
やみまら
年月と云ふいたづら者が、受へて居たいと思ふ事は容赦もな
く忘れさして、何でも無い事ばかり思び出させる。家の柱が鮮
た思い出が語られている)とを、比べてみたい││
生記録を小説﹁富士﹂として出版したが、その第二巻第二十章
RH∞さ12)
一に、﹁思出の記﹂の執筆を語って、それがディッケンズのコア
イグィッド・コパフィールド﹂(匂号&の号、白色。
デイジl
から影響を受けたことを告白しているのである。
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英吉利風の行儀のよいり・ 0・の書きぶりがヨリ好い粉本であ
一回﹀
った
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端的に自己を書くとすれば、書くに忍びぬ事だらけである。
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事ゃ、共一の倉庫には何時も米俵が山程積むであった事ゃ、馬
鹿勘と云って共慮にプヨ 此慮に四五日と町の豪家を食廻って
少し其家の米俵が減れば直ぐ他の家に移るのが癖であったが僕
の家ばかりは一ヶ月乃至二ヶ月逗留の楽を辱ふした事ゃ、イ一υ
に於て、熊弐は自己のあるものを波離させ、兄のあるものを取
それを差引けば、いくらも書く事はない。そこで﹁思出の記﹂
り入れ、人物事物さまざまの思出の上澄みを軽くすくひ上げ
一倉庫には仁王様の風呂桶の様なのが一杯入って居て、共倉の屋
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ひけと云はれると一切分からぬ。
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' な事はきれん¥に受へて居るが、さあ家の全圃を
た事ゃ、此様
初旬
い男女が二三十人も居て盆の月夜に裏庭で白子拭を冠って躍っ
と螺の撃が宛がら雨の降る様であった事ゃ、共れから家には若
きな
根から恐ろしく大きな榎樹がぬっと頭を出して、夏の頃になる
えのき
て、気軽に商白い讃物を作った。
といっている。
グィクトリア朝的習俗から終生抜け出すことができなかった
ディッケンズを、﹁行儀のよい﹂という批評は嘗っていなくはな
い。しかし、宇田叙停コアイグィッド・コパフィールド﹂のな
かで、自己をありのままに語らわが引かディッケンズは、ただ
﹁思出の記﹂のような、或いはまた、リットンの諸作のような
﹁気軽に面白い讃物﹂をしか書かなかったわけではない。なぜ
なら、ディッケンズには強烈な個性があり、その環境との相魁
が痛ましいほど激しいからである。
327
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恒8 8 3 1吋。目。円四ず可芝居 Z82 日 目 的 宮 骨
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-
という非賞際的な、ただむやみに可愛い少女に懸して、結婚し、
次に、デイグィッドはド1ラ・スペンロウ(口。g
ω]ugzdq)
3
2
8
-
組み入れて 1 1非現賓的な第二の現貨を創造する骨組の畑違を
いかと思われる。
あげてみれば、上の疑問に封する幾分の解答が示唆されはしま
L、再婚し、彼の不幸の原因にな
例えば、デイグィッドの母はおろかな女であり、夫の死後事
る。彼女はデイグィッドが成長(自己殻展)をとげる種にはな
賃上幼児デイグィッドをすて
るが、直接それに閥奥しない。(注意すべきことに、その経緯
はディッケンズの貫生活上の事貫ではなかった。)一方、慎太
サポートである。少くとも、その最大の一つである。彼女は気
郎の母は、先にいったように、彼の成長(立身出世)のモラル・
丈で、物分りがよく、息子が苦労している問中、泣一言一ついわ
であって、家名という一種の幽霊である)を守る。幾何かの金
ずに、一家(とは、貨は、彼女と息子と二人が構成しているの
を貯金しさえする。彼が敏子と結婚したいといったとき、早速
母のありがたさを感ずる﹂(十の巻(九))という慎太郎の感慨
る。﹁時として母を懐はぬことは無いが、事ある毎にいよ/¥
電報で東京の親類にその周旋を頼んでくるほど焦が利いてい
もんだ﹂という気がすることもたしかである。
、、、、
この類似が(相違でなくて﹁思出の記﹂の拾寝とそれを盗ん
だ死刑囚の手記の類似に等しい、などといっては、穫を失した
、、、
いいかたであろう。しかし、本質的に、それら二つの聞にどれ
ている個性、或いは、幻想的な、ある意味では偏執的な、特異
忽ち幻滅の悲哀を感じる。そこまで、異質感を以て、主人公の
を讃むと、﹁お日出とう﹂という気がすると同時に、﹁いい気な
だけ差があるであろうか。一アィッケンズの観察眼に生々と動い
の描馬にならないであろうか。
な映像を矯正して、﹁行儀よく﹂したら、そっくりそのまま麗花
内心を辿って来た作者ディッケンズは、そこで途に話の績けよ
うがなくなり、突然、ド lラを殺してしまうのである。そのよ
‘臨ム
﹁思出の記﹂とコアイグィッド・コパフィールド﹂との描潟
、
、
でなく、その構成の相違を、即ち、事賓の断片を仮作の世界に
ー
(86)
第三披
一橋論叢 第三十九巻
設定は、いかにも緊迫している。見事な人間造形である。一
いであろう。しかし、ド 1ラの性格と彼女と主人公との関係の
うなプロットの慮置は行き営りばったりだという非難を売れな
次で、デイグィッドはド lラと結婚して、彼女が一家の主婦と
同。立とと駈落ちして、彼の楽園の夢が残酷にも破れてしまう。
コアイグィッド・コパフィールド﹂はまぎれもなく、グィクト
して全然無資格であることを後見する。
リア朝的である。姿協のない個性の内的後展を用拾なくあとづ
方、慎太郎が懸する敏子は、聴明で、しとやかで、彼の事業を
L
よく理解し、償太郎の母を始め親類一同に瓶一踊されて、彼と結
婚したのちは、その理想的な妻になる。讃者はいよいよ﹁い
みせる。とすれば、この粉本から、藍花が右のような話のうま
にではあっても、人間性とその環境との厳粛な異質をひらいて
けたリアリスティックな小説だとはいえない。しかし、断片的
すぎる物語を治り上げた原因は、一億どこにあったのであろう
気なもんだ﹂という集にならないわけにいかない。その筋の運
びは、ディッケンズのように投げやりでないにもせよ、﹁気軽﹂
﹁思出の記﹂の主人公が敏子に久しぶりで再舎して、松滋と
すぎる。果して員に﹁面白い﹂かどうか、保詮の限りでない。
共後ヂツケンスの﹁カツパアフィルド﹂を讃んで、主人公が
クトリア朝的人道主義は十九世紀の﹁先進国﹂英国の枇舎史的
る後進的な歴史的保件から生じたものに相速なく、また、グィ
自由民権的立身出世主義の明治精紳は日本のおかれたいわゆ
,
刀
ドラを懸ふる候下に﹁ドラと瑚排で生きて居る﹂と云ふ伺を讃
いう料亭で一一緒に食事をしたとき、
むで、失笑したが、僕自身も松、娠の一席は確かに﹁お敏君と茶﹂
後見に努力する人、例えば、ディッケンズなどには、いつの世
なかったことである。ところが、いうまでもなく、矛盾はその
を書いた嘗時、自由民権的精一脚にさほど大きな矛盾を感じてい
しかし、ここでいま最も重大なことは、麓花が、﹁思出の記﹂
保件から生じたものに相違ない。
で済ましたのである。(八の傘(十))
とある。しかし、松村敏とド 1ラ・スベンロウは全く遣った
女である。性格が遣うばかりでなく、主人公(自我ないし個性)
﹁デイグィッド・コパフィールド﹂第二十八章の始めによ
に封する位置が違うのである。
にも存在するものである。
たことにはならないであろう。が、ただはっきりしていること
分ったような分らぬような問題の慮理法になり、それを骨恥仇し
﹁デイグィッド・コパフィイルド﹂と﹁思出の記﹂の差は、
ロ 官宮丘町色々 o
ロ
ロ oSFHH仏g 同町 0・3 という A口
t
-葉がある
が、デイグィッドがこうして懸の幻につかれている聞に、悲劇
の﹁資質﹂という言葉を﹁天才﹂という言葉におきかえれば、
根本的に、雨者の作者の資質から生じたものであろう。もしそ
4
a
-
は深刻な破局を準備している。三章先の第三十一章で、デイグ
2EqHVO 倒的05可﹀が、彼の友人スティヤフォ 1 ス 380F
ィッドの清純な幼年時代の懸人(?)エミリ l ・ベゴティ 1
3
2
9
ト
(87)
は、コアイグィァド・コパフィールド﹂の作者ディァケンズは、
(七)柳田白木﹁明治初期の献誇文拳﹂﹃明治初期の献詩文筆﹄、
︿六)﹁麓花の番術﹂七﹃思出の記﹄、﹁慎太郎と明治精一脚﹂
(八)岡崎抗﹁文拳﹂は萱花特集。
六参照
大衆作家ではあったが、偉大な馨術家であり、﹁思出の記﹂の作
(九)勝本清一郎﹁董花とキリスト教﹂(﹁文拳﹂)
者藍花は、話術が巧みな叙述家(それは明治文拳史上すこぶる
重大な事賓だとはしでも)ではあったが、震の近代的な萎術家
版の﹁訂正増補﹂版にくわしく詑かれているのである。初
(一 O) 主人公の政治活動を述べる部分は、明治二十八年出
版では、主人公の轡物語が主な筋になっている。
英文事から異に近代的な文撃の養分が吸放されたのは、麓花
ではなかった。
でなく、濁歩と、なお一そう明瞭に、激石においてであった。
ぅ。﹁董花の番街﹂七﹃息出の記﹄、﹁諸人物の類型につい
(一一)た Yし、佐藤哲太郎の弔デルは馬場辰猪であるとい
立身出世主義を巌しく批判し、個性の近代的破滅を痛ましく意
識した(その原因がなんであったにもせよ)作家においてであ
﹁佐藤蕨太郎著﹂と記されている。
て﹂参照。なお、明治二十八年版﹁世路日記﹂の表紙には
った。そして、その揚合、英文事の代表的な作家はディッケン
ヲている。
-ンといわれているものは、まさにその郷土的倫理にほか
(一一一﹀勝本氏は﹃﹁思出の記﹂のあかるい健康なパ y ク ポ
ズではなかった。激石は不思議なほどディッケンズを軽く取扱
いや、不思議ではない。わが園でディッケンズが異に第一流
ならぬ﹄という。勝本清一郎﹁麓花と士族的倫理﹂(﹁明治
の文事者と見倣されるようになったのは、極端にいえば、ここ
数年来のことであろう。藍花がコアイグィッド・コパフィー
大正文筆研究﹂第二十三競、昭和三十二年十月品目行、特集
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﹁﹃不如蹄﹄の由来﹂参照
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﹁徳宮藍花の研究﹂、東京堂)。
ルド﹂を﹁たピ行儀のよい書きぶり﹂だと感じたのは、右にい
ったように、根本的に彼の資質(天才)のせいに相還ないが、
(一﹀前田河庚一郎﹁董花停﹂
ディッケンズの義術が大そう理解し難いこともたしかである。
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(一四)トルストイに比べて。
(一橋大拳教授)
会一﹀隈府
(四﹀﹁麓花停﹂川町参照
記﹂﹄、﹃﹁思出の記﹂の拍車恕﹄
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ハ五)斉藤弔花﹁麓花と作品﹂四﹃明治中期を描く﹁思出の
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