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男女平等に関する作文コンクール

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男女平等に関する作文コンクール
平成 19 年度
「男女平等に関する作文コンクール」
小・中学生入選作品集
会 津 若 松 市
目
作品を審査して
次
会津若松市男女共同参画審議会会長
佐々木 篤信
小学生低学年の部
優 秀 賞
僕のランドセル
長谷川 翔太
河東学園小学校3年 ・・・・・・・・ 1
優 秀 賞
はたらくお母さんをみて思ったこと
小杉
恵理
城北小学校3年 ・・・・・・・・・・・・ 3
小学生高学年の部
最優秀賞
野球を通して見る男女平等
佐藤
勇人
城南小学校6年 ・・・・・・・・・・・・ 5
優 秀 賞
みんなが楽しく
大堀 香那子
城北小学校6年 ・・・・・・・・・・・・ 7
優 秀 賞
男女平等とは?
狩野
桃実
日新小学校6年 ・・・・・・・・・・・・ 9
中 学 生 の 部
最優秀賞
家庭での男女不平等をなくすために
吉田 丈一郎
第二中学校1年 ・・・・・・・・・・・・ 11
優 秀 賞
自分らしく生きる
佐藤
智恵
第一中学校3年 ・・・・・・・・・・・・ 13
優 秀 賞
男女が共に生きる社会
宗形
遼佑
第四中学校 1 年 ・・・・・・・・・・・・ 15
作品を審査して
審査委員長
会津若松市男女共同参画審議会会長
佐々木篤信
会津若松市における男女平等に関する作文コンクールは、平成 19 年度で 4
回目を迎えました。今回の応募者は全体で 81 人、これまでの 4 回の中では最も
多くの作品が寄せられたことになります。小学校低学年が 5 名、小学校高学年
は 16 名、中学生は 60 名でした。全体としては参加者は増加傾向にあるとみて
よいかと思います。取り組まれた全ての学校、生徒、これを支えた関係の皆様
に心より敬意を表したいと思います。
小学校低学年については、テーマそれ自体の理解、対象として意識する内面
の成熟度、これを前提とした取り組み方自体の課題が少なくないように思われ
ます。この点は小学生高学年についてもある程度同じことがいえます。しかし、
小学校高学年の場合、これまで自分が育まれ、無条件に受け入れてきた身近な
人、親や先生、友だちを含めた自分の環境に、距離をとりこれを対象化する力
が芽生えてきます。内面の自己、自分の中のもう一人の自分と対話が始まり、
これが他者との関係に関与し大人の世界との接点を持ち始めるのです。
個人による差はありますが、中学生になると、自我の目覚め、他人との複雑
な関わり方は、大きな広がり、質的な変化を伴って一人ひとりの子どもたちに
定着していきます。かけがえのない自己、他者を意識し、他人を思いやる心、
他者との関わり方、この関係を生きる力、時には駆け引きを含む他人との関わ
り方、一言で言えば「社会関係の力」を身につけていくことが中学生時代の重
要な特色となります。大切なことは、このような成長期に、子どもたちがどの
ような関わりの環境に身を置くか、ということです。
これからの時代を生き抜くためには、言葉、習慣、宗教、制度のことなる多
様な国や人びとが相互に交流し、関係する技術や知恵を一人ひとりの中に形成
していくことが欠かせません。地球社会、世界社会でお互いが生き、共存して
いくためには、自分と同じく他人がかけがえがない存在であることを受け入れ
ることが大前提です。また、急速に進行する少子高齢化の時代では、どの年代
も、また男女を問わず誰もがその人らしく人生を生き、持ち味を発揮して役割
を担い続ける力をもつことが強く求められます。
しかし、こうした時代と社会の感覚、そこでの意識や行動のあり方は、ある
日突然作られるものではありません。実際の行動、関係、役割、評価といった
子どもたちの育ちの過程で、自分の頭で考えそれを言葉で表現する場と機会を
意識的に作り、時代の要請に対応していく必要があります。本作文コンクール
の意義はまさにここにあります。多くの小中学校が、今の時代の課題と結びつ
いた本作文コンクールの意義を理解され、自信と誇りを持って積極的にこの取
り組みに参加されることを強く期待しています。
小学生低学年の部
優
秀
賞
僕 の ラ ン ド セ ル
河東学園小学校
3年
長谷川
翔太
皆さんのランドセルは何色ですか。黒や赤、ピンクなどですね。僕は赤っぽ
いオレンジ色です。
年長の時、大好きなサッカーチームの所へ観戦に行き、ランドセルのパンフ
レットをもらい、見るとマーク入りの赤、黒、オレンジの3つあり、僕は、チー
ムカラーのオレンジが、絶対に絶対に欲しくなりました。
両親は、「女の子みたいと言われたり、いじめられるかもしれないよ。
」とは
言ったけど、反対はしませんでした。さらに学校も決まっていないことで、両
親も、「好きな色でいいよ。」と言ってくれたので、この色にしました。
ランドセルが届いた時、パンフレットの写真より赤っぽかったけど、両親は、
「カッコイイよ。」と言ってくれました。
入学式の日。男の子なのに赤っぽいランドセルなので、教室でジロジロと見
られました。それに、僕は電車通だったので、車内でもジロジロと見られたり
もしました。その時は、「おかしくないのに。」と言いながら帰っていました。
入学して1ヶ月。3年生に、
「ねえ君、女。女でしょ。赤だもん。
」と言われ、
確かに赤っぽいけど女ではないので、「色なんて何でもいいでしょ。
」と答えま
した。また、友達にも、レッドマンとよばれたこともあります。その時も、と
ても嫌な気持ちでした。
でも、よいことだってあります。5年生の人が、
「男の子でも、オレンジのラ
ンドセルってありですか。」と聞き、先生が、
「ありだよ。」と言ったらその5年
生が、「カッコイイ。」と言ってたと、先生が話してくれたことを母から聞き、
オレンジでよかったと思います。
友達が黒のランドセルを背負わせてくれました。でも、
「翔太君はやっぱオレ
ンジがにあうよ。」と言ってくれて、本当にうれしかったです。
男子が赤を、女子が青を着ても、服だと何も言われないのに、ランドセルは、
1
なぜ言われたりじろじろ見られるのか。ランドセルの色なんて決められてなけ
れば自由でいいと思います。ランドセルの色に男も女もありません。
講
評
気に入って買ってもらったオレンジ色のランドセル。ランドセルの色は、日
本人の男らしさ、女らしさの一部をつくっています。作品は、男女「色分け」
に対するそぼくなぎもんをとおして、いろいろな感じ方があることをすなおに
うったえています。
2
優
秀
賞
はたらくお母さんをみて思ったこと
城北小学校
3年
小杉 恵理
さいきん、わたしのお母さんは、おしごとに、行くようになりました。日曜
日も、おしごとなのでとてもたいへんそうです。今までは、お家のことを、全
ぶやっていたので、あまりこまったことはありませんでした。でもお母さんが、
家にいないとこまったことがあります。学校からかえってあそびに行くとき、
お友だちのお家までおくってもらえないことと、おじいちゃんやおばあちゃん
はいるけど、やっぱりさびしいと思うことです。
わたしの兄弟は、そうだんして、おてつだいをするようにしました。兄は、
おへやのかたづけやごみのぶんたん。姉は、おりょうりのおてつだい。わたし
は、お皿あらいとお皿ふきをします。お父さんは、遠くに行っていますが、か
えってくるようになって、日曜日はラーメンを作ってくれます。お母さんの肉
じゃがはとてもおいしいけど、お父さんのラーメンも、しょうゆ味がきいてて、
とってもおいしいです。それからおなべもつくります。
「なんだ、お父さんつく
れるじゃん。」と思いました。
わたしも、大きくなったら、たぶん、おしごとをしながら、お家のこともす
るのかな∼と思います。お母さんやお父さんやおじいちゃんやおばあちゃんを
みてると、みんなニコニコしてるので、
「おしごとしてもだいじょうぶ。がんば
れ、お母さん。」と思いました。
3
講
評
お母さんがしごとで外に出るようになり、さびしく感じることがあるようで
す。でも、このことによって、家族みんなが分担して協力し合い、お母さんを
やさしく支えあうようになりました。そのようすが生き生きとえがかれていま
す。
4
小学生高学年の部
最 優 秀 賞
野球を通して見る男女平等
城南小学校
6年
佐藤
勇人
ぼくは、門田野球スポーツ少年団に入団していて、四番、ファースト、キャ
プテンです。会津は10チームあり、女子の団員がいるのは2チームです。ぼ
くのチームの今年の団員募集ポスターには、
「女子も入団可能」の言葉は、あり
ませんでした。他のチームでは、女子もいますし、
「入団出来ます。」とも書い
てありました。男子は、野球、女子はソフトの思いが以前からあるようです。
ぼくのお母さん達は、試合の応援に来て、
「あっ女の子だ。女の子なのに上手
ね。」と話しています。ぼくは、ただ単に野球が大好きで野球がしたくて入団し
ているのに、女であることは関係ないし、がんばっている人に対して、しつれ
いだと思います。でも現実に試合で対戦となると、「女子になんか打たせない
ぞ。」「走られてたまるか。」と、いつもより気合いが入ってしまいます。ピッ
チャーが打たれると、心の中で「何やってんだ、女だろう。
」などと思ってしま
う自分がいます。かんとくも「女になんか負けるな。
」と言います。やっぱり女
子は男子よりも下手で、力がないと思っているようです。男子の中に女子が1
人いることを紅一点と言うそうです。男子にまじって、女子で野球をしている
人は、光っています。それに上手です。男子と五分に戦える力があるのは、す
ばらしいです。とっても努力して練習していると思います。
この前の大会で、広野の野球チームの女子が、ランニングホームランを打ち
ました。おじいさんが、
「お姉ちゃん、女の子なのにすごいね。」と話しかけて
いました。彼女をほめてはいるけど、「女の子なのに。」と言い、ちょっとした
差別発言です。「足速いね、ホームランおめでとう。」と声をかけた方が、彼女
にとってもうれしかったと思います。お母さんも、
「女の子がホームランを打っ
た。」とこうふんして話していました。女子がプレーするだけでおどろきなので、
すごいプレーが出ると有名人です。ぼくがホームランを打ってもチーム内でさ
わぐだけです。ぼくは帰ってから、選手名ぼを見てみました。やはり、それだ
5
け女子は、特別な存在のようです。
こんなにがんばっていても、中学校や高校の野球部に、女子で入部している
人はいないので、野球を続けられなくて、かわいそうで気のどくでたまりませ
ん。中学校では、女子はソフトボール部ですが、彼女達は、試合には出場出来
なくても、ボール拾いやスコアラーとしてでも、きっと野球をやっていたいと
思っているはずです。彼女達がまだまだ野球が出来るように応援したいです。
女子野球のWBCをめざして、進んでほしいと思います。野球をやりたいと申
し出た彼女達に対して、その時、男女の区別なく、最強のバックアップをする
チームの体制を作って欲しいです。
講
評
野球少年団キャプテンの目を通して、競技に関連した女子への特別視、差
別意識の存在を感じ取っています。夢を追い続け競い合うことを妨げる壁が
女子にはある。男子側から、女子差別の現実、不合理への葛藤をよく描いて
います。
6
優
秀
賞
み ん な が 楽 し く
城北小学校
6年
大堀
香那子
「どうすれば・・・。」
私の学校には、週に2回、
「ふれあいタイム」という、みんなで遊ぶ休み時間
があります。しかし、自分たちで遊び方を考えるので、男子の意見、女子の意
見、どちらも取り入れなくてはいけません。そこで、
「ふれあいタイム係」とい
う係をつくりました。
最初は、うまくやっていたのですが、だんだん、1人1人が不満を持つよう
になってきました。そのため、学級活動の時間に話し合うことにしました。
みんなで話し合ううちに、男子がやりたい遊びは、ボール遊びなどの激しい
スポーツが意見として出てきました。しかし、女子は、ボールが苦手な子、激
しいスポーツをすると、発作がおこってしまう子などがいるので、うまく意見
をまとめることができません。
「どうしたら、みんなが楽しくなるのかな。」と、
悩んでいると、1つ意見が出てきました。
「女子も楽しく、男子も楽しくできる
ように、ハンデをつければいいと思います。
」そのハンデとは、男子が左手で投
げる(ける)、男子対女子のドッジボールなどは、男子の陣地をせまくするなど
のことです。この意見を聞いた時、私は正直、
「男子はこのことになっとくして
くれるかな。」と思いました。でも、男子は笑顔で、
「いいです。」と言ってくれ
たのです。
さらに、もう1つの意見も出ました。
「2日あるのだから、1日目は男子がや
りたい遊び、2日目は女子がやりたい遊びにすればいいと思います。」この意見
は、みんなが賛成でき、そしてこの学級活動の時間は終了しました。
そして、その話し合い後は、男女平等に遊ぶことができ、クラスのみんなと
も協力することができました。
今まで少しゆううつだった「ふれあいタイム」も、1週間が待ちきれないほ
ど楽しみになりました。これからも、男女平等の楽しいクラスにしていきたい
7
と思います。そして、大人も子どもも、男女平等のルールをつくれば、私達の
クラスだけじゃなく、社会全体がもっと楽しくなるのだと思います。
でも、そのルールも、どちらかががまんをしたり、協力したりすることが必
要だと思います。私は、その協力、ゆずりあいの心を男女みんなが持てば、
「男
のくせに。」
「女のくせに。」なんて言う人はいなくなり、明るい笑顔があふれる
社会になると思います。
講
評
男子と女子の間に起こった身近な問題を、みんなで話し合って解決した経験
を通して、自分の意見を論理的に述べています。
8
優
秀
賞
男 女 平 等 と は ?
日新小学校
6年
狩野 桃実
平等という意味を辞書で調べてみました。すると、
「ちがいがなくみんな同じ
である様子」とありました。男女平等というと、難しい事のような気がしまし
たが、意味を知ってみると、人として当たり前のような気がしました。男女性
別にこだわらず、自分の個性をいかしていけたら素晴らしい事だと思います。
今年は、私の祖父母が半年もの間に続けて亡くなってしまいました。私にとっ
ては、今までで一番ショックで、悲しい出来事でした。祖父はとても物知りで、
読書が大好きで、私はよくことわざや漢字を教えてもらいました。とても勉強
になりました。祖母は、とてもやさしくて、私や妹をいつも心配してくれまし
た。小さくてこがらでしたが、とても力持ちで、大雪の時には、重い雪でも上
手に片付けをしたり、遠くから私の家まで、自転車でやってきたり、とても元
気いっぱいの祖母でした。祖父母たちは、自分たちで出来る事は何でもしてい
ました。「男だから」「女だから」と関係なく、自分の得意な事をして、おたが
い協力し合いながら生活をしていました。私も近くで見ていて、祖父は祖父の
個性があるし、祖母も祖母らしい個性があってとてもいきいきしてると思いま
した。自分らしく生きるという事は、その人の人生を輝かせる事なんだなあと
思いました。祖父母は、私に大切な事を気づかせてくれたと思います。しっか
りと心にきざんでおきたいです。
今年は「世界陸上」が大阪であり、世界の国々の選手が集まって、金メダル
を目指してがんばっている姿を見ました。そこには、男性も女性も関係なく、
自分の得意な種目に出場しています。ある種目では、女性では不可能といわれ
ていた記録を出している選手もいました。男女がそれぞれ自分の目標に向って
戦う姿は、とても素晴らしいと思いました。
私たちが住むこの社会も「男・女」というわくをはずして、自分らしさや自
分の個性を発きし、住みよい社会にならなければいけないと思います。
9
小学生最後の夏休みは、色々と考えさせられる事がたくさんありました。たっ
た一度きりの人生だから、私も自分の個性を大切に毎日を生きていきたいと思
います。
講
評
半年の間に共に亡くなった祖父母を振り返り、自分らしく生きることが人生
を輝かせることになると導き出している点が非常に素晴らしい作品です。
10
中学生の部
最 優 秀 賞
家庭での男女不平等をなくすために
第二中学校
1年
吉田
丈一郎
「オレは皿洗いを今までやったことがないんだよなあ。」
夏休み中、祖母が祖父に食器洗いを手伝ってもらっていた時の、祖父の言葉
だ。その時僕はびっくりした。70年も生きてきて皿洗いをしたことがないと
いうのは、どういうことだろうと思った。このことをきっかけに、ぼくは、家
族の男女平等について考えてみることにした。ぼくの家の家族構成は、曾祖母、
祖父、祖母、父、母、妹そして僕の7人家族である。家族みんなに、女または
男で損をしたことや、得をしたことはないか聞いてみた。
曾祖母は、とにかく男と女の仕事が別だった。不平等だとは、思ったことは
ない。男は外で働かなければならないので、家事(水くみ、かまどの火つけ、
炊事、洗たく板での洗たくなど)朝から夜まで仕事があったと話していた。
祖母は、女は家事をやるものだと思っている。不平等と考えたことはない。
夫(祖父)は、家事をやったことがないので頼ろうとも思わない。しかし最近
は、家の簡単な掃除を頼んだりもしている。自分の世代でも、親と同居してい
ない人達はもっと、夫婦で協力して家事をやっていると思う。逆にそうでない
と、生活が成りたたないと思うと話していた。
祖父は、男で損をしたようなことはない。次に生まれてくる時も、男がいい。
理由はいろいろなことを自由に自分の好きなようにできるからと話していた。
父は、男で損をしたことはない。女の人は、妊しん、出産などで仕事を休む
ことで、不平等が生じているのが現実だと思うと話していた。
母は、20年くらい前に仕事に就いたころは、お茶入れは女の仕事だった。
仕事の内容も、事務的なことは女、企画的なことは男というパターンが多かっ
たと思う。今は仕事では、男女の区別ではなく、その人のやる気により、仕事
が振り分けられるようになってきたと話していた。
妹は、男女で不平等な扱いを受けたことはない。ただ学校で、力仕事は男の
11
子が頼まれることが、多いと話していた。
僕自身は、家庭や学校で男女差別を受けたと感じたことは、ほぼない。しか
し家庭では女の人が家事などを、多くやっていることが事実である。日常の家
事においては、男女間は不平等である。こういった不平等をなくすには、まず
自分ができることをすることが大切である。通常の家事や、大工仕事など、男
でも女でもできる力や能力を養い、またそういったことを家族の一員としてや
るんだという意識を持つことで、男女平等な家庭を築くことができるのだと思
う。僕は、このことを家族に呼びかけて、実践していきたいと思う。
講
評
曾祖母を含む 7 人家族、一人ひとりから考えを聞きながら家庭での男女不平
等の解決方法を考えていくというユニークな視点と、世代間のギャップを埋め
合わせる決意が強く伝わってきます。
12
優
秀
賞
自 分 ら し く 生 き る
第一中学校
3年
佐藤
智恵
「智恵が私なんて言うのめずらしい!!」
中2の時に、友達に言われた一言。「そうかなぁ∼。」と、笑ってその時は流
したが、心の中では、自分の事を私って言っちゃ駄目なのかなぁと考えてしまっ
た。今まで、自分のことを俺と呼んでいたのに、急に私なんて呼ぶのは変なの
かなぁ、と思っていた。ただ、自分で呼ぼうと思ったのにそういうことを言わ
れると言いにくいものだ。いつも、何かとへこみ、周りに流される自分はどう
なのだろう、考えた。
その時期に、私はある人の生き方に影響を受けた。シンガーソングライター
なかむらあたる
の中 村 中 さんである。この人は、自分が性同一性障害であることを自分のファ
ンに明かした。性同一性障害とは、体と心の性が違うことである。
あたる
中 さんの場合は、体は男でありながらも、心は女で生まれてきてしまい、そ
あたる
の逆もある。体が女でありながら、心は男。 中 さんは昔から何かと女の子の物
に興味があり、姉の服を着て踊っていたという。中・高校では、男の制服を着
た。自分が普通の人間ではないと感じていたが、そのことをなかなか周りに打
あたる
ち明けられなかった。悩んでいた 中 さんを支えていたのは音楽だという。幼い
あたる
頃から歌うことが好きだった 中 さんは、中学生ぐらいから作詞・作曲をした。
あたる
しかし、声変わりがあり自分が男であると思わされたが、歌はやめなかった。中
さんの曲の中でこういう歌詞がある。
「手をつなぐぐらいでいい。ならんで歩く
あたる
くらいでいい。それが危ういから大切な人は友達くらいがちょうどいい。」中 さ
んは、心が女であるため男性を好きになり、その心情を音楽として表したので
ある。
あたる
中 さんがファンに自分が障がい者であることを伝えたのは、本当の自分を
知ってほしいからだそうだ。
あたる
そのことを知った私は 中 さんがかっこいいと心から尊敬した。何かに流され
13
あたる
ず、ありのままの自分をたくさんの人達に見せる。自分が 中 さんの立場ならそ
んなことができるのだろうか?少なくとも障がい者であることは誰にも言わな
あたる
いと思う。だからこそ 中 さんの考えや生き方に影響をうけたのだ。私らしく生
きる、誰もがそう思いながらも出来ない人はたくさんいると思う。私もその中
の1人であろう。自分で私と呼ぼうと思っても、誰かにそのことを言われたら、
あたる
嫌になってしまう自分が心の中にいる。 中 さんのようにかっこよくは生きてい
けなくても、自分の思うようにやりたい。今だからできること、今しかできな
あたる
いことをやっていきたい。いつも後で後悔してしまう自分を変えようと、 中 さ
んを見て思った。
講
評
「性同一性障害」であることをカミングアウトした歌手の中村中さんの生き
方から、自分らしく生きる勇気をもらい、私もありのままに自分らしく生きよ
うとする思いが素直に表現されています。
14
優
秀
賞
男女が共に生きる社会
第四中学校
1年
宗形
遼佑
ぼくが小学校から帰る頃、兄は毎日洗濯物をたたんで夕食を作っていた。兄
の親子丼はぼくの好物だった。父が食事を作ることも多くある。ぼくの家では、
父も母も働いている。母は教員で帰宅が 8 時を過ぎることもある。父は鉄道会
社に勤め、一時期勤務のために夜間家に帰れないこともあった。母が、そして
父が食事の準備や洗濯ができないときは兄ががんばってくれたのだ。できる人
間がする。それが当然のことだと思う。しかし最近までそう考える人は非常に
少なかったそうだ。
一学期、総合の時間に「男女共同参画社会」について学習した。少し前まで
外で働くのは男性、家で家族の世話をするのは女性と性別で役割が決められて
いたらしい。さらに女性は外で働いたとしても、家に帰ると家事を 1 人で行わ
なければならなかったという。女性が選べる職業も限られていたと聞いた。平
成 11 年に男女共同参画社会基本法が制定され、
「看護師」
「保育士」と名前が変
わったが、少し前までこれらは女性の仕事とされ「師」や「士」の代わりに「婦」
や「母」という言葉がつけられていたらしい。また「女弁護士」や「女医」「婦
人警官」等とわざわざ「女性」を表す文字がつけられることもあったそうだ。
社会の中で男女が平等に生活していくことができるよう定められ、様々な職業
の名前も変えられた。しかし呼び方が変えられただけで人々の考え方も簡単に
変えられるものだろうか。女性が大型トラックを運転すれば未だに多くの人に
「女のくせに」と思われるのではないか。女性はか弱く、人の世話をする存在
と思われているのではないか。だが、逆の意味で気になっていることもある。
映画館などでよく見かける「レディースデイ」だ。レディースだけで、なぜ「メ
ンズデイ」はないのか。男女の性別だけでどちらかが優遇されているのだ。
先日、学校の保護者会から帰ってきた母が感心したように教えてくれた。体
育館での会議、その準備のために台を並べるよう男の先生達が声をかけられた
15
とき、ある若い女の先生が率先して男の先生に交ざって重い台を運ぶ仕事をし
たそうだ。男にしかできない仕事、女がすべき仕事というように区別するので
はなく、自分にできることを進んで行ったその先生の姿がとてもさわやかだっ
たと母は言っていた。「男女共同参画社会」とは、1 人 1 人ができることを率先
して行い、そして 1 人 1 人が認められる社会なのではないだろうか。
この春、兄は進学のために家を離れた。今、夕食を作る人がいないときは、
ぼくが挑戦している。冷蔵庫にある物を確かめて、作れそうな物を考え、兄に
メールをして作り方を尋ねる。すると兄からやはりメールで返事が届く。ぼく
が準備した料理を家族がおいしいと食べてくれるのはとてもうれしい。今後も
ぼくは、男女の別に関わらず、自分にできることを進んで行っていきたい。
講
評
共働き、兄の家離れで自分にまわってきた夕食作り。
「男女が共に生きる社会」
の基本を「できる人がする」こと、と表現しています。実際に実行することは
なかなか難しいものがあります。経験から導き出した言葉の重い響きを感じま
す。
16
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