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20周年記念誌

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20周年記念誌
創立20周年記念誌
き ず な
野木町国際交流協会
栃木県
(表紙写真:赤塚自然の森にて)
野木町国際交流協会20周年を迎えて
会長
池田朝子
国 際 交流協会が今年 、20周年を迎える ことと成りました 。今まで当協会
に 対 し ましてさまざ まな視点からご支援 、ご協力を賜りまし た 、皆様に感謝
と 、 御 礼を申し上げ ます。
今 か ら20年前の平 成8年3月13日に 設立されました 。発 足当時の経過
に つ き ましては別記 で述べてありますが 、中国の河南省との 友好都市構想は
文化、人的交流 、経 済交流等の関係上、町として友好都市は 結べませんでし
た。しかしその後 、町としては諸外国と の交流として、ラテ ンアメリカ美術
展 の 開 催事業、ミュ ン ヘン放送交響楽団 サロンオーケストラ の町 招聘事業に
取 り 組 み、野木中訪 問、ホームステイの 実施を行ってまいり ました。
平 成 23年4月より 当協会は民間の任意 団体組織に変更とな り、現在に至
っ て お ります。民間 の任意団体とはなり ましたが、活動につ いては町の補助
金 等 を 頂き事業を展 開しております 。そ のような意味から、社会的責任の役
割 も 課 していかなく てはならないものと 思っております 。
当協 会の発足当時か ら20年の間には社 会情勢、経済状況と も大き く変化
し 、 今 は情報に於い ては瞬時に世界の状 況を得られるように なりました 。
平成27年4月現在で野木町在住の外国人は21ヶ国227名でありま
す 。 現 在の当協会の 活動内容としては外 国の方のための日本 語教室を開催 、
教 室 に はブラジル、アメリカ、マレーシ ア、インド、中国、バングラディシ
ュ、オーストラリア 、インドネシア、ネ パール、台湾等の方 々が学んでおり
ま す 。 ま た、 協 会の HP、 会 報『 き ずな 』 春 、 秋号 の 発 行、 公 民 館 協働 講 座
開設、生花、そば打 ち等、行っておりま す 。昨年2014年 度には、カンボ
ジア、トラペアンル ーン村に井戸を4 基 贈りました 。現在も 募金活動を継続
し、さらに贈呈を進 めてまいります 。今 後は当協会としては グローバルな世
界市民との考えに立ち野木町に住んで良かったと思える活動を会員の皆様
の 協 力 を頂きながら 進めてまいります。
-3-
==============目
次==============
発刊の辞-野木町国際交流協会 20 周年を迎えて-(会長 池田朝子)・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・3
第Ⅰ部 祝辞
・20 周年を祝う! (名誉会長・野木町長 真瀬宏子)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
・国際交流協会2 0 周年に寄せて(顧問 伏木 浩)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
第Ⅱ部 2 0 年の歩み
(1)野木町国際交流協会発足の経緯について(顧問 伏木 浩)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
(2)年表から振り返る 20 年(事務局・編集)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
(3)写真で綴る国際交流協会の歩み(伊東正道)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14
第Ⅲ部 事業部の活動
(1)事業部の活動について(山田 渉)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38
(2)国際交流協会の発展を願って川島良一)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・40
================================
∽∽∽野木町紹介∽∽∽
♦町の位置 : 東経 139 度 45 分/北緯 36 度 14 分
♦町の面積 : 30.26k ㎡
♦町の総人口 : 25,310 人(平成 27 年 12 月 1 日現在)
♦町のシンボル : 町の木-えんじゅ/槐
町の花-ひまわり/向日葵
町の鳥-ふくろう
♦町のゆるキャラ : のぎのん・ひまわりサンちゃん
♦町の沿革 : 1889 年(明治 22 年)野木村誕生
1963 年(昭和 38 年)町制施行
栃木県下都賀郡野木町となる
==============目
次==============
(3)国際交流に携わってきた想い(渡邉陽子)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41
(4)国際交流に係わってきた想い(渡邉秀男)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42
(5)私と国際交流協会(真瀬美智子)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43
(6)蕎麦打ち教室(町井 寛)・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・44
第Ⅳ部 情報交流部の活動
(1)情報交流部の活動を振り返る(伊東正道)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・46
第Ⅴ部 事務局としての取り組み
(1)「官」より「民」へ組織移行(堀越惇生)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48
(2) カンボジア井戸支援活動の報告(関根秋雄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50
(3) そして、此処から(宮崎美知子)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52
〈資料編〉 会報『きずな』のあゆみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53
編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・62
================================
第Ⅰ部
祝辞
20周年を祝う!
名誉会長
野木町長
真瀬宏子
野 木 町国際交流協 会が 20 周年を迎えられました事、誠に おめでとうござ
い ま す 。この 20 年間たゆまぬ創意工夫 をもって、色々な機 会に国際交流を
促 進 し て下さった事 に対しまして、心よ り感謝申しあげます 。会員一人一人
の 国 際 交流に対する 純粋なお気持ちが事 業に生かせ、更に活 動範囲が広げら
れるよう、町としま しても出来るだけの 支援をしていきたい と思っておりま
す。
私 は 短い期間ではあ りましたが、会長の 座を仰せつかりまし た。殆ど会員
の 皆 様 の熱い思いに 支えられて、会長職 を無事勤めることが 出来ました事を
こ の 場 で感謝致しま す。その時に強く感 じた事は、国際交流 を目指す時には
、まず野木町を、ひいては日本を正しく 理解してからでない と交流相手に不
安 を 与 えてしまうと いうことです。また 逆説的に捉えれば、我々日本人の現
状 を 理 解するために は、国際交流が有効 であり、野木町や日 本の「特色や長
所 短 所 」をよく認識 するためにも国際交 流は重要であると思 います。
会長任期中は、町内 在住の外国人の方へ 日本 語を教える講座 や交流会を開
催 し て 好評でした。更に我々も語学力を 身につけようと数カ 国語の講座を設
定 し て 色々な外国語 に親しんで頂く機会 を設けました。その 結果、英語圏だ
け で は なく近くて遠 いハングルや中国語 の入口に立つことも 出来ました。又
、外国に井戸を掘る 国際的な支援活動に も力を入れ、野木町 のネイミングが
入 っ た 井戸等も贈る ことが出来ました。これからも地道な国 際交流を積み重
ね て い くことがいず れ大きな実績に繋が ると期待しておりま す。
野 木 町 の 国際 交 流が町 民 の 皆 様自 ら の自発 的 協 会 とな っ てから と い う もの 、
さ ら に 自由闊達に活 動されて、大きく飛 躍する可能性が感じ られます。益々
の ご 発 展を期待して おります。 20 周年を心よりお祝い申しあ げます。
-6-
国際交流協会創立 20 周年に寄せて
顧問
伏木
浩
野 木 町国際交流協 会創立 20 周年おめでとうございます。 協会設立に携わ
っ た 一 人として感慨 深いものがあります 。協会は発足15年 が経過した平成
2 3 年 4月1日、町 の行政改革により民 間の任意団体に組織 変更となり、民
営 化 の初代会長とし て協会を預かること になりました。当初 は協会運営につ
い て 手 探りの状態で ありましたが、役員 各位の協力を得なが ら試行錯誤を繰
り返し、協会運営の 基本となる規約・事 業方針など協会とし ての形態を整え
る こ と ができました 。協会が現在、その運営方針に基づき国 際化社会に対応
し た 諸 活動を積極的 に取り組んでおり、 誠に喜ばしく思いま す。
次 に 協会発足の基 となった平成 6 年 11 月の公式視察以外の現地の様子に
つ い て 若干触れてみ たいと思います。視 察は町長以下 4 名で構成されました。
目 的 地 の河南省武陟 県へのルートは、北 京駅から最寄り駅で ある鄭州市まで
は 電 車 を利用し、鄭 州市からは 車となり ます。当時、北京 駅 は構内・駅前広
場ともに大きな荷物を持った地方からの出稼ぎの人たちで怖いくらい溢れ
ていて、通行もまま ならないほど混雑し ている状態で、私た ちは別の通用口
か ら 入 場し夜行寝台 特急で鄭州市に向か いました。翌朝 到着 し、ホテルに荷
物 を 預 け 、迎 え の県幹 部 の 車 でパ ト カーに 先 導 さ れ武 陟 県へ出 発 し ま した 。
途中、黄河を渡る時 モヤがあの広い黄河 の川幅一杯にたれ込 め、川面は全く
見 る こ とはできませ んでした。道路は右 側通行ですが、自転 車・原付リヤカ
ー・バス・ト ラック などが道路幅一杯に 互いに競うように走 行しており、パ
ト カ ー 先導がなけれ ば大変であったとの 印象が残っておりま す。
視察を終え、往きと 同じ夜行寝台特急で 北京に帰る途中の明 け方、車窓よ
り外を見ると線路の傍らに数え切れないほどスコップを持った工夫が一列
に 並 ん でいるのを見 て驚いたことが思い 出されます。滞在 3 日間晴れた日は
一 日 も なかったと記 憶しており ますが、文化的な建造物は鄭 州市近郊にもた
くさんあり、県幹部 の車で少林寺・中嶽 廟など主に寺院を案 内され、建物の
素晴らしさにさすがに仏教の国である中国の歴史の重みに感銘した次第で
す 。 結 びに、野木町 国際交流協会の益々 のご発展をご祈念申 し上げます。
-7-
第Ⅱ部
20年の歩み
(1)野木町国際交流協会発足の経緯について
顧問
伏木
浩
野 木 町国際交流協会 創立20周年にあた り、協会立ち上げに 関わった一人
と し て 原稿の依頼が ありました。20年 以上前の事象なので すべてではあり
ませんが、視察時の 古い資料を参考に、また、記憶を辿りな がらできる限り
当 時 の 状況を記述い たしました 。
そのころ、国内で は外国を含めた都市 交流が盛んに叫ばれ ていた時代であ
り ま し た。
当時、野木町はゴミ のリサイクル事業を 、信州大学農学部教 授酒井信一先
生 指 導 の もと 、「資源 化 セ ン ター 」 を設け 、 生 ゴ ミの 堆 肥化、 可 燃 ゴ ミの 固
形燃 料 化に取り組ん でおり、国内では、リサイクル事業の先 進自治体と言う
こ と で 町長は県外自 治体に招かれ講演を 行っておりました。
ぶ
ちょく
酒 井 先 生は 、 中 国河 南 省 武陟 県 と 交 流 が 深く 、 先 生 の紹 介 で 武陟 県 長 が、
リ サ イ クル施設視察 のため平成 5 年 5 月 14 日に当町を訪 れており 、その折
に 武 陟 県長より町長 に対し武陟県への招 聘がありました。
これを受けて町は友好交流の可能性を探ることを目的とした武陟県への
視 察 が 計画され、平 成 6 年 11 月 23 日から 26 日までの 3 泊4日(車中2泊
北 京⇔ 鄭州)の強行 日程で視察が実施さ れ ました。
北 京 より夜行列車 で鄭州に 24 日朝到着。迎えの車で現地 に赴き庁舎にお
い て 、 双方の紹介と 武陟県側より県の概 況説明を受け視察を 行 いまし た。
武 陟 県の 当時の人 口 は 57 万、面積 832 ㎢ で、視察場所は県内に 1000 人規
模 で 構 成されている 団地で、団地内には 9工
場 ( 電 線、製粉、皮 革)と集団農場(生 産
物 は 主 に小麦、トウ モロコシ)で生産物 は
日 本 ・ 韓国に輸出し ているとのことで し た 。
住 居 は民家を国費 で2階に改造したも の
で 集 合 住宅となって い ます 。テレビは共 同
ア ン テ ナで各戸が保 有してい ます 。視察 は
住 宅 地 区より順次、 皮革工場から電線工 場、集
団 農 場 と行い、その 後、意見交換をおこ な
い ま し た。
-8-
な お 、第2視察団 として野木町経済
団 体 代 表が、同行程 で後日、視察を行
っ て お ります。
そ の 後、先方から野 木町訪問の申し
出 が あ り、視察内容 、日程など具体的
に 話 し 合いましたが 、視察団の費用(
す べ て 野木町負担)、その他の条件が合
わ ず 武 陟県との交渉 は終了し まし た。
武 陟 県との友好交 流の話しは白紙と
なりましたが、当時 、社会全体が国際化 へとの気運が高く、その社会背景に
野 木 町 としても必要 性を考慮し、町長を 会長として平成8年 3月 13日協会
を 設 立 したものです 。
平 成 23年3 月1 3日、協会は町の行 政改革の一環として 民間の任意団体
と し て 組織変更を行 い現在に至って おり ます 。
-9-
(2)年表から振り返る20年
事務局(編集)
年度
当協会の活動等
◆平成8年3月13日(3.13)
1996年度 ◆野木町国際交流協会設立
(平成8) (会長:町長、事務局:総務課)
野木町のの動静等
◆4.21 ヤーノシュ・マテー:ヴァイオリンコンサート
◆11.ケニヤ井戸掘りボランティア『ミコノ』に浄水装置
(炭焼き)を指導 講師:生田目光世氏
◆町人口26,634人 ◆【広報】『県青年の船(中国)に参加して』古沢、安藤氏
◆在住外国人290人
◆4.30 総会
◆『95北京NGOフォーラムに参加して』海老沼トキ氏
1997年度 ◆町人口26,701人
(平成9) ◆在住外国人290人
◆4.世界児童画展【特別賞】受賞 友沼小6年 広瀬望君
◆6.27インドネシア フイリピン メキシコ等11ヵ国一行、
『野木資源化センター』を視察
◆【議会レポ】町議員米国高齢策視察
◆【広報】『97青年の船(中国)に参加して』塚田,福島,多田氏
◆4.28 総会
1998年度 ◆町人口26,973人
(平成10) ◆在住外国人324人
◆3.19 講演会:『どうする野木町の国際交流』
県総合教育センター生涯学習部主事 中村正之氏
◆日常英会話教室(全4回)講師:ハナ・ワーリントン(英) ◆エニストリオコンサート ●バリ舞踊団々員交流会:吉野真琴氏
◆11.新橋小学校児童、インドの子どもたちと絵の交換
◆守谷町国際交流協会視察
◆5.23 ミュンヘン放送交響楽団サロンオーケストラ招聘
◆町の国際交流事業への協力
◆同楽団員18名との交流 ○野木中訪問(給食会食)
1999年度 ◆野木町施設振興事業団等との
(平成11) 共催。
◆9.『専門部会』設置
◆町人口27,080人
◆在住外国人307人
◆国際交流活動研修会 6名参加
◆町の国際交流事業への協力
◆野木町施設振興事業団等との
2000年度 共催。
(平成12) ◆町人口27,057人
◆在住外国人322人
○茶道接待 ○ホストファミリー9家族と日光見学
◆9.25~10.3 ラテンアメリカ・カリブ諸国美術展
◆エニストリオ・オータムコンサート
◆10.30 中国大黄河の音楽:二胡演奏会
◆11.14 ミゲル・アンヘラ:フラメンコ舞踊団
◆6.3~.11マルトン・ラースロー彫刻美術展
(ハンガリー・フェスティバル)
◆ロシア民族アンサンブル公演 ◆公開講座『私なりの国際理解』野木小 安良岡綾子氏
◆公開講座『食指導・青年海外協力隊員としてエクアドルへ』
野木二中 大畠昌枝氏
◆【広報レポ】『第16回県青年の船』田川・佐藤・三橋氏
◆ 町議員ドイツ視察(ドイツの介護保険制度について)
◆鹿沼市国際交流協会視察
2001年度 ◆外国人のための日本語教室
(平成13) 開始で、アンケート調査を実施
◆海外で使える英会話教室 講師:福田デニス氏(英)
◆公開講座『英語活動の実践』 新橋小 木下京子氏
◆【広報レポ】『米国農業視察』大森氏 寶示戸氏 ◆町在住外国人マップ作成
◆外国人演奏家を迎え、3本のコンサート公演
◆演奏者との懇談(15名参加)
◆取手市国際交流協会視察
◆町人口26,692人 ◆在住外国人333人
◆4.20ヴァイオリンコンサート&公開レッスン
◆日本語指導者養成講座 7名
2002年度 ◆町外国人にガイドマップ送付
(平成14) ◆英会話初 講師:デニス福田氏
◆10.クラシックコンサート(フラビオ・バラーニ他2名) ◆12.1アルゼンチンタンゴ エンリケ・クッチーニ楽団
◆料理教室 講師:長島善英氏
◆【広報レポ】『県女性海外研修に参加して』
(ノルウェー.他2カ国)鈴木登代子氏
◆ドイツ国際平和村:大貫昭夫氏
◆町人口26,531人 ◆在住外国人356人
ー10-
年度
2003年度
当協会の活動等
◆桐生市国際交流協会視察(日本語教授法)
◆永田町長所信表明「国際化対応の語学教育を」
◆料理教室『キムチづくり』講師:長島善英氏
◆韓国語会話・初心者コース(全10回)
◆英会話初級を2コース(各4回)講師:デー
◆公開講座『私の見た中国』野木中 江田訓子氏
(平成15) ヴィッド・ウエブ氏、ウルリーケ・エアメル氏
◆第1回 国際交流サロン(一般11名と会員)
野木町の動静等
◆『二胡演奏会』チェン・ミン
◆『ピアノコンサート』フラビオ・バラーニ
◆町人口26,377人
◆『ロシアの人達との交流』フォークダンス
◆在住外国人324人
◆馬頭町教育委員会視察(13名参加)
グループ 神原トモ氏
12.26スマトラ島沖大地震
※義捐金募金(5万円)
2004年度
(国際交流への取組み&小学校英語授業見学)
◆英会話初級2コース(各4回)講師:アーウィ
(平成16)
ン・ゴンザレス氏 福田デニス氏
◆エニストリオコンサート(ヴァイオリン:マ
◆料理教室『キムチづくり』長島善英氏
テー、チェロ:アマン、ピアノ:ラビッツ)
◆中国語会話初心者教室(全10回)
◆永田町長の新年挨拶「英語教育を小1から」
◆国際交流サロンを4回開催(自由参加・無料)
(ポルトガル語、英語、中国語、韓国語)翻訳付 ◆日本語講師養成講座(全15回)
◆町人口26,378人 ◆在住外国人363人
◆英語版「タウンマップ・ノギ」作成
◆しょうぶ・ローズバーグ協会視察(14名)
◆公民館スプリングコンサート
(米ローズバーグ市との交流について)
(ヴァイオリン:ルークス)
◆国際理解講座 ①『異文化理解の視点』②『韓 ◆エニストリオコンサート(ヴァイオリン:マ
国の生活文化を知る』 宇大国際学部教授
2005年度
①柏瀬省悟氏 ②佐々木史郎氏
テー、チェロ:アマン、ピアノ:ラビッツ)
◆【広報レポ】『夢は世界を 韓国・中国との
(平成17)
◆第1回留学生日本語スピーチ県南大会
交流』小野 功氏
(6ヵ国12名発表 テーマ:「異文化体験」) ◆アルゼンチンタンゴ
(エンリケ・クッチーニ楽団)
◆世界の料理交流と年末パーティー(アジア・
2006年度
(平成18)
南米のお菓子とフィリピン・ペルー等の料理)
◆【広報レポ】『県海外女性研修に参加して』
◆英語・独語・ポルトガル語・スペイン語教室
◆ホームページ立ち上げ 責任者:伊東正道氏
(ノルウエー、仏)今野里子氏
◆ 町人口26,174人 ◆在住外国人329人
◆(埼)ふじみの国際交流センター視察
◆永田町長の所信表明
◆第2回留学生日本語スピーチ県南大会(50名)
◆世界の言葉『英会話・スペイン語・韓国語』
『小中校の語学教育の充実とALT増員を』
◆町人口25,919人 ◆在住外国人324人
◆キムチ作りと料理教室『ドイツ伝統料理&菓子』
◆日光散策(10.22・20名参加)&年末パーティ43名
◆小山市国際交流協会等の事業視察 市立三中
◆[広報レポ]『ギムナストラーダ世界
(外国人児童・生徒への日本語教室参観)
大会(オーストリア・ドーンビルン大会)
◆世界の言葉『スペイン語・韓国語』
7月開催 野木町2名参加 小澤洋子氏
2007年度
◆第3回留学生日本語スピーチ県南大会
※ギムナストラーダ(独語)一般者(競技 (平成19)
(9ヵ国17名発表)参加者62名
者を除くの意味)の体操の祭典。4年毎に
◆音楽と世界の料理ティー・パーティー(参加30名)
ヨーロッパで開かれる世界大会は『一般体
◆音楽と世界の料理年末パーティー(参加40名)
操のオリンピック』とも言われている
◆国際理解『ハワイアンキルト』長谷川幸子氏
◆町人口25,918人 ◆在住外国人308人
◆日本芸能講座『歌舞伎のイロハ』板東悟氏
◆留学生ホームスティ(5名・5軒)
ー11-
年度
当協会の活動等
◆事務局、町・総務課→町生涯学習課へ移動
野木町の動静等
◆永田町長所信表明『ALT配置事業
◆留学生短期ホームスティ(韓国1名、中国2名)
の強化』 ●8.24 真瀬町長就任
◆外国人のための日本語教室 通年 月3回・無料
◆ヴァイオリン:ヤーノシュ・マテー
◆6.第4回留学生日本語スピーチ県南大会(5ヵ国9名)
2008年度 ◆日本の伝統文化『生け花を楽しむ』 ◆世界の言葉を学
公演&公開レッスン&懇話会
◆【広報レポ】『県次世代人材造り研
(平成20) ぶ(ロシア語、韓国語、英国英会話、中国語、独語、アラ
修に参加して(中国)』川元由美子氏
ビア語) ◆世界の料理を学ぶ(韓国・コチュジャン、
5.2 ミャンマー・サイクロン大災害
独・チェコのスープとクッキー、キムチ料理)
◆会員招待事業:コンサート&ティーパーティー(40名)
5.12 中国四川省大地震
◆国際交流サロン年末パーティー(70名参加)
◆5.国際交流ティーパーティー31名 ◆年末パーティー30名
◆町人口25,796人◆在住外国人316人
◆日本の文化『生け花初心者講習』
(モンゴル、中国、シリア、チェコの家庭料理と共に)
◆外国人のための日本語教室 通年 月3回・無料
◆【広報レポ】『県次世代リーダー育成
研修に参加して(米国)』鶴岡学氏
2009年度 ◆世界の言葉入門編『ポルトガル語・韓国語・英会話』
(平成21) 講師:イネス・アゼーニャ氏 他5名
義捐金5万円
◆【広報レポ】『青年海外協力隊員と
してスリランカへ』富山あすか氏
◆国際理解講座『ポルトガル紹介』「ラオス小学校建設
◆『インドネシア人看護師候補生2名、
・支援活動」『チェコ共和国紹介』『中国・浙江省・寧波
野木病院[花の舎]へ』三木和代氏
の紹介』 ◆日本の文化『生け花を楽しむ』
◆外国人のための日本語教室 通年 月3回・無料
◆町人口25,664人◆在住外国人306人
2010年度 ◆日本の伝統文化『生け花』2回 ◆ホームスティー4名
(平成22) ◆世界の言葉『韓国語入門』12回 『英会話入門』3回
◆『青年農業者の海外研修(ヨーロ
ッパ)に参加して』小野泰宏氏
◆町人口25,723人◆在住外国人284人 ◆世界の料理『韓国家庭料理』講師:長島善英氏 他5名
◆国際理解講座『ラオスでの支援活動』講師:川島良一氏
◎『民間任意団体移行』元年(組織・事務局の民営化へ)
3.11東日本大震災福島第一原発事故
◆会長:伏木浩 副会長:山中丑松・川島良一
◆5.ボランティア支援センター「きら
事務局長:堀越惇生 ◆会報『きづな』創刊号発行
り館」オープン
2011年度 ◆韓国語講座 通年38回 講師:金賢東氏 他2名
(平成23) ◆世界の料理『韓国』講師:鄭玉順氏
◆日本の伝統文化『生け花教室』講師:真瀬美智子氏
◆7.30~8.4に予定されていた
日独スポーツ少年団交流事業中止
◆ホームスティ引受大募集を中止
◆国際理解シリーズ『書道教室』講師:田中氏(日本書鏡院) ◆日本の伝統食『ソバ打ち』教室
◆国際理解シリーズ『そば打ち教室』講師:町井寛氏 他
◆町人口25,616人◆在住外国人264人
◆国際交流サロンパーティー ◆講演:今野善伸氏
◆会長:伏木浩 副会長:山中丑松・川島良一
◆ロシア文化フェスティバル
事務局長:堀越惇生
モスクワ国立音楽院合唱団来日
◆外国人のための日本語教室 通年240名 講師:6名 2012年度 ◆英会話初級教室 3回 ◆会報『きずな』第2号発行
(平成24) ◆外国人のための日本文化 『生け花教室』3回
『ソバ打ち教室』2回 ◆韓国料理 講師:鄭玉順氏
コンサート(主催・古河労音)
◆第43回ジュニアオリンピック大会
女子100m:6位入賞
野木中1年 小野真由さん
◆国際理解シリーズ『ラオスの教育支援』『韓国あれこれ』 ◆第8回日韓交流ソフトテニス大会
『世界の山登り』『ラオスの地雷撤去視察報告』『熱気球』 (会場:野木町・韓国20名参加)
◆国際交流サロンパーティー(参加131名) ー12-
◆町人口25,582人◆在住外国人236人
年度
当協会(略:国交協)の活動等
◆会長:山中丑松 副会長:川島良一・池田朝子 事務局長:堀越惇生
◆会報『きずな』第3号・第4号発行 各300部
野木町の動静等
◆小学生対象の英語教室開催
あかつか児童センター 3回
◆栃木市国際交流協会視察
◆町人口25,512人
◆「役員会議事録を全会員に配布」を始める
◆在住外国人216人
◆小山市国際交流協会主催日本語教授法初級講座へ受講者派遣
2013年度 ◆町の各種イベントに写真・パネル等の展示と出店
(平成25) ◆国際理解・大人の世界史講座①【公民館協働講座』(全4回)
『世界遺産から見た東南アジアの魅力―その歴史と文化』
中央大学講師 関根秋雄氏
◆カンボジア・トラペアンルーン村に井戸支援事業
(寄贈10万円4基分)
◆外国人のための日本語教室 通年100回程度 講師:5名
◆英会話教室 初級6回 延60名 中級3回 延30名
◆外国人のための日本文化『生け花教室』『ソバ打ち教室』
◆国際交流サロン年末パーティー 89名参加
◆会長:山中丑松 副会長:川島良一・池田朝子 ◆女団連主催:『世界ふしぎ発見―
事務局長:堀越惇生
◆会報『きずな』第5号・第6号発行 各300部
◆小山市国交協主催:日本語教授法講座へ受講者派遣
スペインの巡礼路を歩く」
講師 山中詔八氏
◆ 熱気球世界選手権ブラジル大会
2014年度 ◆国際理解・大人の世界史講座②【公民館協働講座】(全4回)
優勝:藤田雄大氏
『“驚き”のインドを知る4つの話』 中央大学講師
◆町人口25,453人
(平成26)
関根秋雄氏
◆在住外国人221人
◆カンボジア トラペアンルーン村に井戸支援募金活動
◆外国人のための日本語教室 通年12回 延193名 講師9名
◆英会話講座 初級6回(延べ60名)、中級3回(延べ30名)
◆中国語会話講座 初級3回
◆日本の伝統文化『生け花教室・ソバ打ち教室』
◎組織に続き、『事務局も町から完全独立』元年
4.25 ネパール中西部大地震
◆会長:池田朝子(新任) 副会長:堀越惇生(新任)
◆町人口25,396人
◆在住外国人227人(21カ国)
事務局長:宮崎美知子(新任) 事務局庶務:関根秋雄(新任) 会計:渡邉秀男(新任) 事業部長:山田渉(新任)
◆国籍と傾向 (2015.1.1現在)
事業部副部長:渡邉陽子(新任) 情報交流部長:伊東正道
ブラジル65人 韓国31人 中国33人
(留任) 情報交流部副部長:町井寛(新任) フィリピン20人 ペルー19人 ◆総会:2015.4.17
ネパール9人 タイ9人 アメリカ6人
台湾6人 バングラディッシュ5人
2015年度 ◆会報『きずな』第7号・第8号発行 各300部
(平成27) ◆国際理解・大人の世界史講座③【公民館協働講座】(全2回) マレーシア6人 インドネシア4人
『歴史から学ぶイスラム世界』中央大学講師 関根秋雄氏 パキスタン3人 インド3人 イラン
◆国際理解・大人の世界史講座④【公民館協働講座】(全2回) 2人。カナダ、スリランカ、朝鮮、
『現代史は第一次世界大戦から始まった』中央大学講師
関根秋雄氏
メキシコ、イギリス、ドイツ各1人。
※7年程前迄はブラジル国籍が約6割
◆日本語教授法講座(全4回)講師:神山英子氏
占めたが、現在は3割弱。野木町も
◆外国人のための日本文化『生け花教室・そば打ち教室』各2 多様な人々と「共に生きる」町に
◆英会話初級・中級(全9回) 講師:アン・ルン氏
変化している。
◆1.30『第4回事例に学ぶ町づくりシンポジウム』で発表
◆協会設立20周年記念事業(『記念誌』発行・パーティー)
-13-
(3)写真で綴る国際交流協会の歩み
平成16年度
第13回ひまわりフェスティバルに参加しました。
平成16年7月31日(土)~8月1日(日)
野木町国際交流サロンを開催し、外国の方々と楽しくお話をしました。
平 成 1 6 年 8 月 2 8 日 ( 土 )、 野 木 町 公 民 館 第 3 研 修 室
第27回産業祭に参加しました。
平 成 1 6 年 1 1 月 1 4 日 ( 日 )、 野 木 町 エ ニ ス ホ ー ル
-14-
野木町の皆様のための英会話初級教室を開催しました。
平成16年11月20日(土)~12月11日(土)
野木町公民館
野木町国際交流サロンを開催し、留学生の皆様との親交を深めました。
平成16年12月18日(土)
野木町公民館視聴覚室
平 成 1 7 年 2 月 2 3 日 ( 水 )、 野 木 町 国 際 交 流 協 会 視 察 研 修 で 「 馬 頭 町 教 育 委 員 会 」 と
「馬頭町立健武小学校」を訪問しました。
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平成17年度
国際理解(世界の料理の旅)シリーズ
平 成 1 7 年 6 月 1 8 日 ( 土 )、 世 界 の 料 理 を 作 っ て 食 べ る 交 流 会 を 行 い ま し た 。
国際理解シリーズ、基礎講座第1回「異文化理解の視点」の開催
平 成 1 7 年 6 月 2 5 日 ( 土 )、 宇 都 宮 大 学 国 際 学 部 大 学 院 教 授
柏瀬省五先生をお招きしていろい
ろなお話を聞く「国際理解基礎講座」を開催しました。
国際理解シリーズ、留学生日本語スピーチ県南大会の開催
平 成 1 7 年 7 月 9 日 ( 土 )、 近 隣 地 域 に 在 住 す る 外 国 か ら の 留 学 生 を お 招 き し て 、 日 本 語 に よ る ス
ピーチ大会を開催しました。
-16-
国際理解シリーズ、基礎講座第2回「韓国の生活文化を知る」の開催
平 成 1 7 年 7 月 1 6 日 ( 土 )、 宇 都 宮 大 学 国 際 学 部 大 学 院 教 授
佐々木史郎先生をお招きして
いろいろなお話を聞く「国際理解基礎講座」を開催しました。
外国人のための日本語教室の開催
平成17年7月より毎週日曜日の午前中(9:00~12:00)に公民館にて、
初級・中級・上級の日本語教室を開いています。
野木町国際交流サロンの開催
平 成 1 7 年 1 2 月 1 8 日 ( 日 )、 野 木 町 在 住 の 外 国 人 の 方 、 栃 木 県 在 住 の 留 学 生 の 方 と お 友 達 に な
り ま し た 。チ ェ コ か ら の 留 学 生 の 方 の バ イ オ リ ン 演 奏 を 聞 き な が ら 各 国 の お 菓 子 を 味 わ い ま し た 。
野木町国際交流協会視察研修
平 成 1 8 年 2 月 1 3 日 ( 月 )、「 菖 蒲 町 役 場 」「 し ょ う ぶ ・ ロ ー ズ バ ー グ 協 会 事 務 局 」 を 訪 問 。
-17-
平成18年度
国際理解(世界の料理の旅)シリーズ
世界の料理を作って食べる交流会
平 成 1 8 年 5 月 2 1 日( 日 )、ウ ル リ ー ケ・エ ア メ ル 先 生 の 指 導 に よ り 、ド イ ツ の 伝 統 的 な 料 理 や 、
お菓子を、一緒に作って、食べました。
国際理解シリーズ
留学生日本語スピーチ県南大会(第2回)
平 成 1 8 年 7 月 1 日 ( 土 )、 栃 木 県 の 南 部 地 域 ( 県 南 ) に 在 住 ・ 在 学 す る 外 国 か ら の 留 学 生 を 野 木
町 に お 招 き し て 、留 学 生 各 自 の「 異 文 化 体 験 」な ど を 、日 本 語 を 使 っ て 一 般 の 市 民・町 民 の 前 で 発
表していただく「留学生日本語スピーチ県南大会」を開催しました。
国際理解(世界の料理の旅)シリーズ
「世界の料理教室リハーサル」および「親睦会」
平 成 1 8 年 1 2 月 3 日( 日 )、今 回 は 留 学 生 、県 国 際 交 流 員 の 方 達 と「 世 界 の 料 理 教 室 リ ハ ー サ ル 」
お よ び 試 作 し た 料 理 を 食 べ る 「 親 睦 会 」、 古 河 の 「 ち ょ う ち ん 祭 り 」 と 「 野 木 神 社 祭 り 」 に
ご案内をしました。
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国際理解(世界の料理の旅)シリーズ
世界の料理教室および年末パーティー
平 成 1 8 年 1 2 月 1 6 日 ( 土 )、 今 回 は 留 学 生 、 県 国 際 交 流 員 の 方 達 と 世 界 の 料 理 づ く り に チ ャ レ
ン ジ し ま し た 。 終 了 後 は 恒 例 の 年 末 パ ー テ ィ ー を 開 催 し 、珍 し い「 世 界 各 国 の 料 理 を 食 べ な が ら 、
一緒に交流を楽しみました。
国際交流活動の一環として、キムチづくり教室を開催しました。
平 成 1 8 年 1 2 月 1 7 日 ( 日 )、 お 正 月 用 の キ ム チ を 作 り ま し た 。
野木町国際交流協会視察研修に行きました。
平 成 1 9 年 2 月 5 日 ( 月 )、「 ふ じ み の 国 際 交 流 セ ン タ ー 」 を 訪 問 し ま し た 。
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平成19年度
平 成 1 9 年 6 月 1 7 日 ( 日 )、 外 国 の 方 と 気 軽 に 語 り 合 い 、 互 い の 文 化 を 知 り 、 国 際 理 解 を 深 め て
いただくための場として、国際交流サロンを開催しました。
フ ル ー ト 演 奏 、マ リ ン バ の ピ ア ノ 伴 奏 で の 演 奏 に よ る ク ラ シ ッ ク・ポ ピ ュ ラ ー 音 楽 を 聴 き 、ド イ ツ
の家庭クッキーやベトナムのデザートを食べながら 交流を楽しみました。
平 成 1 9 年 6 月 3 0 日 ( 土 )、 近 隣 地 域 に 在 住 す る 外 国 か ら の 留 学 生 を お 招 き し 、 恒 例 と な り ま し
た日本語による留学生日本語スピーチ県南大会(第3回)を開催しました。
こ れ は 、県 内 外 の 留 学 生 の 方 々 に 野 木 町 を 知 っ て い た だ く 良 い 機 会 で あ る と と も に 、私 た ち に と っ
ても、留学生の皆さんと様々な体験を共有することにより 、身近な国際交流を体感できる貴重な
機会でもあると思います。
平 成 1 9 年 8 月 5 日 ( 日 )、「 歌 舞 伎 の イ ロ ハ 、 今 ・ 昔 に つ い て 」 の 講 座 を 開 催 し ま し た 。
国 際 理 解 の 一 助 と し て 、「 歌 舞 伎 」 の イ ロ ハ に つ い て 学 ぶ 講 座 で し た 。
歌舞伎座で活躍中の若手俳優さんの坂東
悟氏から、初心者にも分りやすいお話を伺いました。
さらに、くまどり(顔のメークアップ)の実演もしていただきま した。
モデルは、野木町在住のメキシコから来られた方です。
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平成19年11月14日、21日、28日、12月5日(水)全4回で、海外ロングスティへの
第1歩、英会話初級の学習をしました。
海 外 旅 行 と は 違 い 、長 期 で 滞 在 し て 、そ の 国・地 域 を ど っ ぷ り 肌 で 感 じ 楽 し み た い と お 考 え の 中 高
年 の 英 会 話 初 心 者 を 対 象 に 、基 本 的 な 言 葉・文 化・生 活 習 慣 を 、留 学 生 3 人 を 講 師 と し て 勉 強 を し
ました。
平 成 1 9 年 1 2 月 9 日 ( 日 )、 世 界 の 料 理 教 室 と 恒 例 の 国 際 交 流 サ ロ ン 年 末 パ ー テ ィ ー を 開 催 し ま
し た 。留 学 中 の 学 生 を 招 い て 、手 作 り ド イ ツ ク ッ キ ー を 食 べ な が ら 、三 味 線 、二 胡 、ギ タ ー 、ピ ア
ノなどの音楽演奏を聴いて、 一緒に交流を楽しみました。
平 成 1 9 年 1 2 月 2 2 日 ( 土 )、 国 際 交 流 活 動 の 一 環 と し て 、 キ ム チ づ く り 教 室 を 開 催 し ま し た 。
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平成20年度
平 成 2 0 年 5 月 1 7 日 ( 土 )、 2 4 日 ( 土 )、 韓 国 人 留 学 生 を 講 師 に お 招 き し て 、
あいさつなどの日常会話を中心とした基礎から始める集中入門講座を開催しました。
平 成 2 0 年 5 月 3 1 日 ( 土 )、 世 界 の 料 理 の 旅 シ リ ー ズ
韓国からの留学生をお招きして、韓国の家庭料理教室を開催しました。 鶏とジャガイモのコチジ
ュン煮、チジミの料理を美味しく頂きました。
平 成 2 0 年 6 月 2 8 日 ( 土 )、 留 学 生 日 本 語 ス ピ ー チ 県 南 大 会 ( 第 4 回 ) を 開 催 し ま し た 。
近隣地域に在住する外国からの留学生をお招きし、留学生各自の異文化体験などを発表する、
日本語スピーチ大会を開催しました。
これは、県内外の留学生に野木町を知っていただく良い機会であるとともに、私たちにとっても、
留学生の方々と様々な 体験を共有することにより、身近な国際交流を体験できる貴重な機会でし
た。
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平 成 2 0 年 7 月 2 0 日 ( 日 )、 い け ば な の 楽 し み 方 講 座 を 開 催 し ま し た 。
伝統の「いけばな」をとおして、日本文化のひとつを体験しました。
平 成 2 0 年 1 2 月 7 日 ( 日 )、 世 界 の 料 理 シ リ ー ズ
ドイツクッキー教室を開催しました。
ドイツとチェコの伝統的な「クリスマス用クッキー」と、チェコのおいしいスープを作りました。
平 成 2 0 年 1 2 月 7 日 ( 日 )、 国 際 交 流 サ ロ ン 年 末 パ ー テ ィ ー を 開 催 し ま し た 。
近 隣 在 住 の 外 国 の 方 や 県 内 に 在 住 の 留 学 生 を 招 い て 、手 作 り ク ッ キ ー を 食 べ な が ら 、歌 や 音 楽 の 生
演奏を楽しみました。
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平成21年度
平 成 2 1 年 7 月 1 9 日 ( 土 )、「 夏 の 花 を 楽 し む 」 い け ば な を 楽 し み ま し た 。
現代では国際的に拡がってきている「いけばな」をとおして、日本文化のひとつを体験しました。
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平 成 2 1 年 1 2 月 1 9 日 ( 土 )、 世 界 の 料 理 の 旅 シ リ ー ズ で 、
韓国からの留学生をお招きして、おいしい韓国家庭料理とデザートを作りました。
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平成22年度
平 成 2 2 年 7 月 1 0 日( 土 )韓 国 人 留 学 生 を 講 師 に お 招 き し て 、ハ ン グ ル の 基 礎・発 音 か ら 始 め る
入門クラス、ハングルの復習・日常会話の初級クラスの講座を開催しました。
平成22年7月10日(土)米国人留学生を講師にお招きして、
日常会話の基礎をメインに行いました。
平 成 2 2 年 7 月 1 7 日 ( 土 )、「 夏 の 花 を 楽 し む 」 い け ば な 講 座 を 開 催 し ま し た 。
日本発祥の芸術である「いけばな」をとおして、日本文化のひとつを体験しました。
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平 成 2 2 年 1 1 月 1 3 日( 土 )、ラ オ ス 国 に お け る 教 育 環 境 等 の 現 状 に つ い て 、 国 際 理 解 の 一 環 と
して野木町国際交流協会会員より、報告会を実施しました。
平 成 2 3 年 1 月 1 5 日 、 2 2 日 、 2 9 日 ( 土 )、 ハ ン グ ル の 基 礎 ・ 発 音 か ら 始 め る 入 門 ク ラ ス を 開
催しました。
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平成23年度
平 成 2 3 年 7 月 3 0 日 (土 )野 木 町 在 住 の 鄭 玉 順 先 生 を お 招 き し 、韓 国 の 庶 民 料 理 を つ く り ま し た 。
料 理 は 、 韓 国 冷 麺 ( 夏 の 定 番 料 理 )、 海 鮮 チ ヂミ ( 子 供 の 大 好 き な お 好 み 焼 き ) と 大 根 と サ ン マ の
煮込み(お酒のつまみ)でした。
平 成 2 3 年 1 0 月 2 3 日( 日 )も っ と も っ と 多 く の 外 国 の 方 に 東 洋 の 造 形 芸 術 、書 道 に 触 れ 合 う 機
会を体験できる教室を開催しました。
講師は、日本書鏡院5段
田 中 恵 子 先 生 で し た 。 ALT の 方 が 参 加 さ れ 、 書 道 を 楽 し み ま し た 。
平成23年12月10日、野木町ボランティア支援センター
きらり冬フェスタに出店しました。
各 コ ー ナ ー に 大 勢 の 方 々 が 訪 れ 、食 べ た り 、観 た り 、体 験 し た り と 笑 顔 が 一 杯 、楽 し い 1 日 で し た 。
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平 成 2 3 年 1 2 月 1 1 日 カ ナ ダ 、ロ シ ア 、韓 国 の 簡 単 な 料 理 を 食 べ な が ら 年 末 パ ー テ ィ ー を 楽 し み
ました。
青 年 海 外 協 力 隊 員 に よ る ス リ ラ ン カ で の 活 動 報 告 と 写 真 展 示 、韓 国 語 受 講 生 に よ る 成 果
発表、ゲームなど行い外国の方々との親睦を深めました。
平成23年12月18日、蕎麦を打つのが初めての方の「そば打ち体験教室」を開催しました。
二八蕎麦を打って、打った手打ち蕎麦を茹で試食をしました。
蕎 麦 打 ち 指 導 は 、野 木 手 打 ち 蕎 麦 愛 好 会 の 1 0 名 の 皆 様 方 、午 前 の 部 、午 後 の 部 と 1 5 名 の 方 々 が
参加、カナダから来られたALTの方も初挑戦しました。
平 成 2 4 年 2 月 1 9 日 、 野 木 町 第 5 回 公 民 館 ま つ り に 、「 い け ば な 講 座 」 受 講 生 に よ る い け ば な と
活動パネルを展示しました。
平成24年2月21日、 「アフリカわがまま歩き
サ フ ァ リ と キ リ マ ン ジ ャ ロ 」、ア フ リ カ 大 陸 最
高 峰 の キ リ マ ン ジ ャ ロ と 次 峰 ケ ニ ア 山 頂 登 山 の お 話 で し た 。当 協 会 会 員「 今 野 善 伸 さ ん 」の 講 演 で
した。
-29-
平成24年度
平 成 2 4 年 6 月 2 3 日 ( 土 )、 野 木 町 公 民 館 と 国 際 交 流 協 会 で の 協 働 講 座 「 ラ オ ス の 教 育 支 援 1 」
で し た 。小 学 校 、中 学 校 を 自 費 で 建 設 し 、多 く の 子 ど も た ち の 、教 育 支 援 を し た 話 を 川 島 良 一( 当
協 会 副 会 長 兼 事 業 部 長 )、 川 島 佐 代 子 氏 に 聴 き ま し た 。
平 成 2 4 年 6 月 3 0 日 ( 土 )、 野 木 町 公 民 館 と 国 際 交 流 協 会 で の 協 働 講 座 「 韓 国 の ア レ コ レ 」 で し
た。
韓 国 の 現 状 と 将 来 の 展 望・観 光・シ ョ ッ ピ ン グ・産 業・歴 史 等 ア レ コ レ 、混 ぜ て の お 話 し を 白 鴎 大
学経営学専攻留学生
金賢東氏に聴きました。
平成24年7月7日、野木町公民館と国際交流協会での協働講座「熱気球の魅力」でした。
熱気球に乗って世界24ヶ国を踏破。40年の実績と数々の賞を取り、 世界チャンピオンになら
れた日本熱気球競技の第一人者、藤田昌彦 氏(日本人初の熱気球競技世界チャンピオン・200
1年スペインで優勝)の講演でした。
-30-
平成24年10月27日~28日、 第36回野木町文化祭に展示発表と模擬店を出店しました。
平成24年12月23日、年末交流パーティーを開催しました。
真瀬町長も参加され、予定を大幅に上回る131名の出席があり、盛大に行なわれました。
平成25年1月27日、2月3日、10日、英会話教室(基礎)を開催いたしました。
講 師 は 、 町 ALT オ リ ン
サザー先生(カリフォルニア
サン・ベルラルディーノ大学)でした。
平成25年2月17日、第6回公民館まつりに模擬店といけばな・写真の展示を行いました。
模擬店では「えびせん」を販売し、ご好評により完売しました。
-31-
平成25年度
平 成 2 5 年 6 月 2 3 日 ( 日 )、 野 木 町 公 民 館 と 国 際 交 流 協 会 と の 協 働 講 座 【 大 人 の た め の 世 界 史 講
座 ( 1 )】
『 世 界 遺 産 か ら 見 た 東 南 ア ジ ア の 魅 力 ― そ の 歴 史 と 文 化 ― 』を テ ー マ に 第 1 回 は『 ア ン
コール・ワット―クメール帝国の輝き―』を中央大学文学部講師
関根秋雄先生から聴きました。
平成25年7月14日、世界の芸術シリーズ、いけばな講座を開催しました。
~
夏の花から・・・・楽しむいけばな
~
平成25年7月14日、21日、8月4日に英会話教室・夏季講座を開催しました。
講 師 は 、 町 ALT ア ン ・ ル ン 先 生 で し た 。
平 成 2 5 年 1 2 月 8 日 野 木 町 公 民 館 調 理 室 に て 、世 界 の 料 理 シ リ ー ズ 、日 本 の 食 文 化「 第 4 回 手 打
ち 蕎 麦 教 室 」を 開 催 。新 蕎 麦 の 季 節 に な り 、美 味 し い 蕎 麦 を 打 っ て み よ う と 1 2 名 の 受 講 生 が 集 ま
りました。
-32-
平成25年12月15日野木町公民館にて、年末交流パーティーを開催しました。
カ ン ボ ジ ア の 井 戸 に つ い て の 講 話 に 始 ま り 、 マ ジ ッ ク 愛 好 会 に よ る マ ジ ッ ク を 楽 し み 、「 ア リ ス と
テ レ ス 」の 有 志 に よ る ダ ン ス 、軽 食 タ イ ム で の 外 国 の 方 々 と の 団 欒 、チ ョ コ は さ み ゲ ー ム 、ビ ン ゴ
ゲームを和気あいあいと行いました。
日曜日の午前9時30分~11時00分、町在住、在勤の外国の方を対象に、
「外国人のための日本語教室」を開催しています。
平 成 2 6 年 3 月 1 6 日 ( 日 )、 日 本 語 教 室 の 授 業 風 景 で す 。
平 成 2 6 年 3 月 9 日 、1 6 日 、2 3 日 の 3 日 間 、野 木 町 公 民 館 に て 、英 会 話 教 室・春 季 講 座 ~ 英 会
話 (中 級 )を 開 催 し ま し た 。 1 0 名 の 出 席 者 は 、 講 師 の オ リ ン 先 生 と 英 会 話 を 楽 し み ま し た 。
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平成26年度
日 曜 日 の 午 前 9 時 3 0 分 ~ 1 1 時 0 0 分 、 町 在 住 、 在 勤 の 外 国 の 方 を 対 象 に 、「 外 国 人 の た め の 日
本 語 教 室 」 を 開 催 し て い ま す 。 平 成 2 6 年 5 月 1 1 日 ( 日 )、 日 本 語 教 室 の 授 業 風 景 で す 。
平 成 2 6 年 5 月 1 1 日 、 1 8 日 、 2 5 日 の 3 日 間 、 野 木 町 公 民 館 に て 、 は じ め て の 中 国 語 教 室 (初
級 )を 開 催 し ま し た 。 講 師 の ウ ー ・ ロ ン 先 生 と 、 4 名 の 出 席 者 は 中 国 語 を 楽 し み ま し た 。
平 成 2 6 年 5 月 1 1 日 、1 8 日 、2 5 日 の 3 日 間 、野 木 町 公 民 館 に て 、英 会 話 教 室 (初 級 )を 開 催 し
ました。講師のアン先生と、10名の出席者は英会話を楽しく勉強しました。
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平 成 2 6 年 6 月 8 日( 日 )、野 木 町 公 民 館 と 国 際 交 流 協 会 と の 協 働 講 座 、
【大人のための世界史講座
( 2 )】 を 開 講 し ま し た 。『“ 驚 き ” の イ ン ド を 知 る 4 つ の 話 』 を テ ー マ に 、 第 1 回 は 『 ル ピ ー 紙 幣
か ら イ ン ド が 見 え る 「 多 民 族 国 家 イ ン ド の 驚 き 」』 を 、 中 央 大 学 の 関 根 秋 雄 先 生 か ら 聴 き ま し た 。
平 成 2 6 年 1 1 月 1 6 日 、2 3 日 、3 0 日 の 3 日 間 、野 木 町 公 民 館 に て 、英 会 話 教 室 (基 礎 )を 開 催
しました。11名の参加者は講師のアン先生と、楽しく英会話を勉強しました。
平成26年12月21日、最後の日本語教室終了後 にささやかなミニパーティーをしました。
先生や生徒のアメリカ人、ブラジル人、マレーシア人など約20名が参加しました。
平 成 2 7 年 1 月 1 8 日 、野 木 町 の し い た け 栽 培 所 を 見 学 し ま し た 。野 木 町 に 在 住 し て い る 、マ レ ー
シ ア 人 ご 夫 妻 の も と に ご 両 親 や ご 兄 弟 が 来 日 し 、皆 様 と ご 一 緒 に 、し い た け 栽 培 所 を 見 学 し ま し た 。
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平成27年度
平 成 2 7 年 6 月 2 1 日 ( 日 )、 2 8 日 ( 日 ) に 町 生 涯 学 習 課 と 国 際 交 流 協 会 と の 協 働 講 座 を 野 木 町
公民館で開催しました。
【 大 人 の た め の 世 界 史 講 座 (3 )】
『歴史から学ぶイスラム教の世界
ラムの正しい理解のために』講師は中央大学文学部講師
―イス
関根秋雄先生でした。
平 成 2 7 年 7 月 1 9 日( 日 )、日 本 語 教 室 最 終 日 の こ の 日「 日 本 文 化 を 伝 え る 」と い う 趣 旨 の も と 、
世界の芸術シリーズ
い け ば な 体 験 講 座 と コ ラ ボ 形 式 で 受 講 生 7 名 が 参 加 し 、い け ば な 講 座 を 体 験
しました。はじめてのいけばなを体験し、楽しそうな笑顔が綺麗でした。
平 成 2 7 年 1 1 月 2 2 日 ( 日 )、 野 木 町 公 民 館 に て 、 2 0 1 5 年 度 野 木 町 協 働 講 座 【 大 人 の た め の
世 界 史 講 座 (4)】『 現 代 史 は 第 一 次 世 界 大 戦 か ら 始 ま っ た 』 を 開 催 し ま し た 。 講 師 は 、 当 協 会 会 員 、
中央大学文学部講師の関根秋雄先生です。
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平 成 2 7 年 1 2 月 2 0 日 ( 日 )、 日 本 語 教 室 で 勉 強 し て い る 外 国 人 生 徒 と 一 緒 に 、 日 本 の 味 、 蕎 麦
打ちを楽しみました。
蕎 麦 を 打 ち 終 わ っ た 後 に 、皆 で 茹 で て 外 国 人 の 生 徒 達 と 、楽 し く お 話 を し な が ら 蕎 麦 を 味 わ い ま し
た。
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第Ⅲ部
事業部の活動
(1)事業部の活動について
事業部部 長
山田
渉
私 が 事業部を引き継 いでからまだ一年も 経っておりませんが 、私が国際交
流 協 会 に参加したの は、もうかれこれ 7 年前のことです。
野木町には、以前よ りブラジル人が多く 住んでいることを知 っていたので、
ブ ラ ジ ル駐在中にお 世話になった日系人 の方々に、なんらか の形で役に立ち
たいと考え、日本語 を教えるボランティ アに参加しました。当初は、日本語
教 室 で 主にブラジル 人に日本語を教えて おりましたが、その うち、小学校に
日 本 語 が全く話せな いブラジル人の子が 、親の仕事の都合で 入学してきまし
た。この子を初めと してブラジル人の子 ども 達に、勉強を 2 年半程教えたこ
と も あ りました。子 ども 達は、親も知ら ない世界で、一生懸 命日本の学校に
慣 れ よ うと努力して おりました。
こ れは、小学校だけ の問題ではな く 、 保 育 園 ・ 幼 稚 園 で も 同 じ こ と で す 。
以前と比べて、最近 野木町に住んでいる 外国人の年齢層は若 くなってきてい
る と 思 われます。従 い、小学校へ入学す る子 ども達も多くな ってきておりま
す。
2015 年 11 月 27 日 の朝日新聞では、日 本語指導が必要な外 国人の子 ども が
2014 年 度 には、 2 万 9198 人となり過去最高だったとのこ とです。 こうした
子 供 が 住んでいる市 町村は、全国の 47%にあたります。
国 際 交流協会として も、彼ら外国人の子 ども 達が、楽しく勉 強でき、高校・
大 学 と 進学できるよ う取り組んでいかな け ればなりません。「負の連鎖」と
い う 言 葉で表現され ることが多々ありま すが、この連鎖を断 ち切るには、教
育 し か ありません。彼らは母国では、大 学生であったり、学 校の先生であっ
た り 、 営業マンをし ていた人たちもおり ます。日本での仕事 は、「ことばの
壁」で、殆ど の人が 工場で働いており、母国での経験を生か すことができま
せん。
それ故、ス トレスを持っている 人が多いと言われて おります。
野 木 町の 2015 年の統計では 、野木町に は外国人が 228 名住んでおり、国
別 の 分 類は次の様に なっております。
ブ ラ ジル
中国
韓国
フィリピン
62
33
28
24
タイ
9
ペルー
18
その他
54
(出典:野木町ホームページ)
-38-
外 国 の人たちとの異 文化共生に重きを置 き、同じ野木町の住 民として楽し
く 生 活 出来るように していきたいと考え ております。
2015 年 度 か ら 、 日本 語 教 室 を 、春 期 ・秋 期 ・ 冬 期 の3 コ ース に 分 け 、 メ
リ ハ リ をつけると共 に、各コースの最終 日には、各国のお菓 子を持ち寄りホ
ー ム パ ーティを開い ております。
来 年 度 ( 2016 年 度) に は 、 新 たに 、 夏休 み の 期 間 中の 子 ども 達 へ の 学 習
補 助 や 町内のお祭り にテイクアウトでき るような外国料理を 作り、販売出来
れ ば と 考えておりま す。
さら に、就学 未満の子 ども 達への 遊びの場の提供
等々、本事業部は 、今後外国人との交流 をより深める為に、いろいろなこと
に チ ャ レンジしてい くつもりです。
熱心に教える日本人の先生と
熱心に学ぼうとする外国人生徒
和気藹々の雰囲気が伝わる
日本人の先生と外国人生徒
たちの集合写真
-39-
(2)国際交流協会の発展を願って
前事業部部長
川島
良一
協会設立二十年。その内の半分の期間に自分が係わって来られたことを嬉しく
思っている。改めてその間の出来事を振り返り、これからも協会の発展を願いた
い。
まず日本語教室指導の数々―ボランティアの一人として、自分も学びながら取
り組んできた。初めは、国籍や人数の違い、教材の準備等がなかなか順調にはい
かなかつた。
中でもコミニュケーションのとりかたの難しさには、自信を無くす程だった。
その頃は組織立てたものはなく、個々に任された方法でやっていたので、やる気
は十分でも心細かった。
その後、指導員が増えると共に、問題を話し合ったり、指導方法を試行錯誤し
ながら取り組むうちに、軌道に乗って来たように思う。まさに横の繋がりと工夫・
根気が、ボランティアの継続に結びつくことだと分かった。
現在は生徒の国籍もアジアにとどまらず、アメリカ、カナダ.オーストラリア
等に広がっている。また、指導する先生と生徒のコミュニケーションもスムーズ
になり、楽しそうに活動している。
次に事業部の担当者として―協会では、一年間に幾つかの行事や講座等を企画
して町民の方々との交流を図って来た。中国語や英会話、歴史の講座等に人気が
集まった。多くの人に知らせて活動していくことに、意義があると思っている。
ラオスでの学校建設の紹介や、カンボジアで井戸掘りに取り組んでいる方の講
演会も行った。その後、カンボジアの井戸不足解消の為に、本協会でも井戸掘り
に係わるようになったことは、国際交流の輪が広がったことであり、喜ばしいこ
とだ。
私は昨年で事業部を退いたが、日本語
教室はこれからも続けて行くつもりだ。野
木町国際交流協会のさらなる発展が楽し
みである。
協働講座「ラオスの教育支援」
-40-
(3)国際交流に携わってきた想い
事業部副部長 渡邉
陽子
私は数年間海外に住んでいました。行った当初は、言葉も習慣も常識も何もかもが
違い、戸惑うことが多くありましたが、助けられ教えられて無事過ごすことができま
した。
帰国後、この経験を何か役に立てることができないか・・言葉の判らない心細さ、
習慣が判らないための誤解など、初めて日本に来て困っている人達のお手伝いができ
たらと思い野木町国際交流協会に入会しました。
当初は、どのようにお手伝いしたらいいかが判らずにいましたが、年末パーティの
案内などが届き、片言ながらも外国の方々と楽しい時を過ごしました。
平成16年度の会議内容は今とほぼ同じで、産業祭について、英会話初級講座、料
理教室、国際交流サロンについてなどです。
平成17年2月には、馬頭町に研修に行き、国際交流取り組みについての話や健武
小学校で英語教育の授業を見学しました。
平成18年には、
『留学生日本語スピーチ県南大会(第 2 回)
』があり、台湾女性の
「やっぱり好きやね〜ん」や韓国女性の「日本のお弁当文化」努力賞を貰った白鴎大
学留学生の「ボランティアでの出来事」など参考になる話がたくさんありました。
しかしこの当時、外国の方々が野木町の住人ではなく、多くが留学生であったこと
に少なからず戸惑いを持っていました。
留学生も他国に来て困っているのは同じなのですが、
この地域に住み、
この地域の人々
と関わりを持っていきたいと思っている外国の人と知り合い、力になりたいと思って
いたからです。
そんな中、職場では外国の子供たちに日本語を教える機会に恵まれ、日曜日も野木
町の日本語教室に参加することになったのです。
「入学式前に何を準備したらいいの?」
「健康診断前の問診票にはどのようなことが書いてあるの?」
「ゴミはどこに捨てたら
いいの?」など。
外国の人達には判らないことばかりです。
野木町国際交流協会に入会して10年が過ぎ・・やっと地域に住む外国の方々と親
睦が持て、本当に助けてあげたい、ご恩返しがしたいと思っていたことができるよう
になり嬉しく思っています。今後とも野木町国際交流協会の中で、また社会の中で真
摯に耳を傾け、私にできることを精一杯やっていこうと思います。
-41-
(4)国際交流に係わってきた想い
事務局(会計 )
渡邉
秀男
私 が 国際交流協会 に入会した 動機は、毎週 金曜日 はダンス レッスン 日のた
め夜公 民館に 行った 時、外国人に 日本語 を教えている のを見 て、国際交流 協
会は ど んな事をして いるのか、会員数は 何人いるのか、会長 さんは誰がやっ
ているのか等興味を持ち自分も入会してみようと思い平成27年4月から
入 会 し 早くも1年に なろうとしています 。
話 によりますと 国 際交流 協会は平成 23 年4月より 民間の 任意団体となり
町 の 補 助金を受け運 営し ておりましたが 、会計業務 の方は町 で管理しており
ま し た。今年度から 当協会で 管理するよ うになり縁あって私 が会計を担当す
る こ と になりました 。事業部費、情報交 流部費等 、分からな い所が沢山あり
ま し た が会員の皆様 のご協力 とご理解 が あり業務を遂行して おります。まだ
まだ未熟ではございますがご指導していただき協会のため頑張りたいと思
います。
今 後 の国際交流に 思うことは、野木町 に居住している外国 の人に野木町の
良 い と ころを教え理 解してもらい 、野木 町に来てよかったと 思えるようにし、
将 来 は 野木町の国際 交流協会も外国に行 き 、交流をもっとも っと広げるよう
に し た いです。
真夏の新橋祭にも参加。
カンボジア井戸支援の
募金を訴える
-42-
(5)私と国際交流協会
事業部員(草月流師 範) 真瀬美智子
国 際 交流協会の事業 として「いけばな講 座」を担当
し 、 本 年八年目を迎 えました。
「 い つでも、どこ でも、だれにでも」
そしてどん
な 材 料 を使ってもい けられるということ を特色として
い る 草 月流は、世界 共通のテキストで学 び、日本国内
は も と より、世界各 国に活動の輪を広げ ています。私
も 微 力 ながら野木町 に住み、生活をして いる外国人の
方 が 、 野木町民と共 に、四季折々の花を 愛で、心をな
ご ま す ことのできる 「日本の伝統いけば な」をとおし
て 、 心 と心をつなぎ 、ふれあい、「野木 町に住んで良かった 」と思えるよう
な 関 わ りができれば ・・・と講座を続け てまいりました。
この度は、野木町 国際交流協会創立二 十周年という節目を 迎え、私自身の
こ れ ま での会との関 わりを振りかえって みました。
‘04/10/23~‘ 05/ 7
講 い た しました。
「国際サロ ン」の中で、チェコ 語基礎講座を受
講師は宇都 宮大学留 学生の Lenka Vyletalova さん。と
ても気さくで、ユー モアのあるお嬢様で した。月3回 、途中 春休み等除い て
約6か月間、チェコ の挨拶、簡単な日常 会話等楽しく学び、さくらの花の時
期に、講師と共に 、野木神社や、その周 辺のお花見をしたこ となども懐かし
い 思 い 出となってお ります。
‘07/ 6/30 ‘08/6/ 28 野木町公 民館に於いて留学生 日本語スピーチ
県南大会(第3回・第4回)が開催され 、いずれも執行部よ り司会と会場花
を い け ることを依頼 され、当時外国 人 と 全 く 触 れ 合 う こ と の 無 か っ た 私 は 、
留 学 生 は自国で数年 間日本語と日本 の 文 化 を 学 ん で 日 本 に 来 て お り ま す が 、
親 に 連 れられ日本に 来て学んでいる中学 生
は 、 言 葉や生活習慣 に慣れ、親しい友達 が
出 来 る までの苦労は 、私の想像以上のも の
が あ る ことがわかり ました。私も折に触 れ、
国 際 交 流協会の一員 として、外国人を見 か
け た 時 には声かけ等 して、心のふれあい を
し て 見 ようと思って おります。
-43-
(6)蕎麦打ち教室
情報交流部副部長
町井
寛
蕎 麦 は中国雲南省と チベットの境界地域 が
発 祥 と されています 。気候的に冷涼な厳 しい
環 境 の 下でその植物 としての特性から冷 害時
の 救 荒 作物としてフ ランスはブルターニ ュ、
イ タ リ アさらに朝鮮 半島から日本各地に 広が
り ま し た。
現 在 では健康に有益 な食料としての評価 も
高 く 北 アメリカ、カ ナダ、タスマニアで も栽
培 さ れ るようになり ました。麺としての「 そば」も和 食とし て一昨年にはユ
ネ ス コ 無形文化遺産 に登録され、健康食 としての認識が国際 的に高く評価さ
れています。私達も そばを食べることは 多いですが、現在で は そば を打つ機
会 も な くなりつつあ ります 。
「 日 本の食文化を外 国人に伝えることが でき、趣味も生かせ るだろう」と
友 人 に 背 中を 押 され蕎 麦 打 ち 教室 を スター ト さ せ まし た 。「美 味 し い そば を
一 緒 に 打って食べる 」ことで相互理 解 を 少 し で も 深 め た い と の 思 い で し た 。
教 室 は 2011 年から八回目と なりまし た。七回までは外国 人の参加も少な
く 日 本 人だけの教室 のときもありました 。
今 年 2015 年は、当協会の日 本語教室の 最終日のミニ ・パー ティー時に蕎
麦 打 ち 教 室を 計 画しま し た 。 参加 者 はバン グ ラ デ シュ 一 人、ネ パ ー ル 一人 、
台湾のご夫婦、日本 の中学生二人、当協 会員二人と今までに ない国際色豊か
な 教 室 となりました 。
講師陣は、日本語以 外は片言の英語が出 来るぐらいです。言 葉が通じず身
振 り 手 振りに笑顔が 広がり楽しい そば打 ちとなりました。
パ ー ティーでは、「 初めて打 った そばを 初めて食べる」そし て「その そば
が 美味しいと 、 ここ でも笑顔が広がり、 予定し
た 一人当たり二人前 以上の大盛りの蕎麦 も完食
し 楽しいパーティー となりました。
こ れからも大勢の方 に日本の食文化を知 って
も らいお互いが少し でも理解でき楽しい 交流が
深 まるよう活動を続 けていきたいと思い ます。
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蕎麦打ち教室
準備は整った!
なかなか良い手つき
これぞ、打ち立て!茹でたて!
美味しく出来上がりました!
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第Ⅳ部 情報交流部の活動
(1)情報交流部の活動を振り返る
情報交流部部長
伊東
正道
情報交流部の主な活動は、ホームページでの情報提供です。
平 成 1 7 年 に ス タ ー ト し 、 URL は http://www.nogitown.com で す 。
協会のお知らせ、様々な語学教室、国際理解のための講座、各種イベ
ント等の最新情報をタイムリーにお知らせしています。
アルバムのページには、今まで実施してきた様々な写真が掲載されて
います。写真を観るたびに懐かしさと、楽しかった国際交流が目に浮か
びます。ホームページの管理・更新は大変でしたが、続けていて良かっ
たと思います。
*野木町国際交流協会トップページ
-46-
それと、年2回の会報「きずな」の発行です。
4月1日に発刊する春季号と10月1日に発刊する秋季号で、交流協会
のトピックスをお知らせしています。会報「きずな」は、町公民館、野
木町
社会福祉協議会、野木駅、野木町ボランティア支援センター等で皆様に
配布しています。
また、外国籍町民と日本人町民がともにくらしやすい多文化共生社会
の地域づくりを推進するための情報収集、調査研究を行っています。イ
ンターネットの利活用で情報提供、情報収集は以前よりは容易に便利に
なりました。
情報提供に関しては、国際交流協会の名に恥じないよう、多言語での
提 供 も 徐 々 に 進 め て お り 、自 動 翻 訳 機 能 を 使 用 し て 提 供 を は じ め ま し た 。
更に、複雑化、深刻化する問題を抱える在住外国人支援として、知り
たい!
聞きたい!
をわかりやすい多言語で提供できるように進めて
いきたいと思っています。
それと、ボランティア養成事業を積極的に進め、町民ボランティア活
動に対する理解、交流を深め、国際交流活動へとつなげるための環境づ
くりを図っていき、多文化共生社会づくりを実現していきたいと考えて
います。
-47-
第Ⅴ部 事務局としての取り組み
(1)「官」より「民」へ組織移行
副会長
堀越
惇生
平成22年の後半のある日突然、役場(公民館)の金谷係長と協会の理事進藤部
長より招集がかかった。集められたのは山中・川島・池田・伊東・町井・堀越の
各会員であった。発表された内容は全く意外なものであった。曰くこの協会の事
業すべてを予備期間3年を以て民へ移行したい。依って従来の役員は23年の総会に
おいてすべて辞任する予定なので、本日集まった諸氏で新しい組織を審議してほ
しい。また事業の内容も併せて考慮して下さい。完全移行するまでは公民館でお
手伝いします。と言う申し出であった。
従来、協会の会長は歴代の町長が継承され、町のそうそうたるメンバーが理事
を務めておられ、事業は進藤部長が仕切られており、全て「官」の主導組織であ
った。どういう理由で「民」へ移行することになったのか説明は無かったが、「移
行は決定事項である。本日集まって頂いた諸会員にて検討審議して下さい」との
ことであった。
この通達を受けて取り敢えず集められたメンバーで二、三回協義したが、まず
組織のヘッドの会長が問題であり、手を挙げる人もいないので、組織も事業内容
も前に進まなかった。そんな中、山中会員より「設立当初より係わりがあって役
員もされた人で心当たりの人がいるという申し出でがあり、交渉を一任すること
になった。結果、一期限りでOKが出たという報告がなされた。町会議長もされ
引退したばかりの伏木浩氏であった。「民」の初代会長が決まり、急速に組織作
りが固まり会長・副会長・事業部長・同副部長・情報交流部長・同副部長・会計・
事務局長・同庶務等の名称と人選が決定した。
私は現役の頃、東京で青年会議所(JC)・ロ一夕リークラブで事務局の経験
があったので「民」初代事務局を引き受けることとなった。
新役員予定者が決定したところで事業予定の協議が始まり初年度の事業が次の
様に決定し、予算も計上された。
(1)役員会年六回開催
(2)事業部・情報交流部の事業内容の決定
(3)町イベ
ントに参加、事業写真の掲示・模擬店参加
【註】事業部事業=日本語・韓国語・世界料理・生け花・蕎麦打ち等各教室・Ⅹ
マスパーティー等
事務局としては(1)情報伝達として役員会議事録作成と議事録を会員全員に送
-48-
付
(2)情報収集のため栃木県国際交流協会賛助会員へ登録
人との接触調査
(3)町在住外国籍の
(4)各種国際関係の情報ポスターを公民館や駅等に掲示等を行
なう事とした。
この後、24年度にはSVCに参加・会報「きずな」年2回発行・ホーム・ぺージ
作成継続中。25年度にはカンボジアのトラペアンルーン村に井戸枠を寄贈し、現
在も継続中である。
26年度には英会話教室、日本語教室継続中などと推移している。27年度は役員
が一新し予算・事業も新しい形で変化進行している。
2013 年 12 月 の 年 末 パ ー テ ィ ー
で楽しく
談笑する野木町在住の外国人の
方々
第 36 回 野 木 町 文 化 祭 で の 模 擬 店
-49-
(2)カンボジア井戸支援活動の報告
事務局(庶務)
関根秋雄
お よ そ 30 年にわたる内戦とその混乱 の中から、近年、よ うやく経済発展
の 兆 し がみえてきた カンボジア。それで も地方都市や農村で の人々の暮らし
は 物 質 的な豊かさと はほど遠い。とりわ け、大半の農村は貧 しく、人々の暮
ら し に 欠かせない“ 水”を確保すること すら難しいのが現実 の姿である。日
本 で 暮 らす私たちに は想像すらできない 現実がカンボジアに はある。
私 た ち野木町国際 交流協会は、町内に 住む外国人のための 活動を主目的に
活 動 し てきたが、こ の度、 相模原市に拠 点を置き、 20 年にわたって 在日カ
ン ボ ジ ア難民やカン ボジア本国の支援活 動に取り組んできた「インドシナ難
民 の 明 日を考える会 ( CICR)」との出会 いから、カンボジア 農村 での井戸の
支 援 活 動の大切さ を 知り、 2013 年から 井戸支援の取り組みを 始めることと
なった。
2014 年 4 月、世界遺産アンコール・ワ ットがある町シエム リアップ市の
東 方 約 60km にあるトラペアンルーン村 に CICR のみなさんの協力を得て、四
基 の 井 戸を支援する ことができまし た 。 井 戸 が な い た め に 、 生 活 水 に 困 り 、
子 ど も 達の健康にも 大きな問題となって い ただけに 、村民の みなさん にとっ
て は、 何よりの支援 となったようです。 この井戸に私たち国 際交流協会は
「NOGIMACHI-IDO」 と命名しました。野 木町の名をカンボジ アの片田舎に刻
ん だ の です。
村 で はまだまだ井 戸は不足しています 。そこで、野木町国際交流協会とし
ては、野木町の皆様 のさらなるご支援を 頂いて、第 2 期の井戸支援活動をお
こ な っ ていきたいと 考え、2015 年度も、町の様々な行事に積 極的に参加し、
写 真 展 を通じて知っ ていただくと同時に 、カンボジア民芸品 の販売から得た
収 益 金 や多くの町民 の方々から頂いた募 金でさら に四基の井 戸を支援すべ
く 活 動 しているとこ ろです。
私 た ちのほんの少し の気持ちが集まれば 、大きな力となって 、
・ 泥水から村人を救 うことができます 。
・ 子どもたちの笑顔 と健康をもたらすこ とができます。
町 民 の 皆様には、是 非、この“井戸支 援 ”の取り組み への理 解とご協力を今
後 と も 頂ければ幸い です。
-50-
自分たちで掘った井戸を見つめる村長
村人自ら井戸枠を取り付ける
完 成 し た NOGIMACHI-IDO
NOGI-MACHI が 刻 ま れ た プ レ ー ト
井戸の周りで水浴びを楽しむ子どもた
大人にとっても子どもにとっても命の
ち
水
-51-
(3)そして、此処から
事務 局長
宮崎美知子
協 会 発足時からの『 名ばかり』会員だっ た私の手帳に、会の スケジュール
が 踊 る ようになった のはこの二年余りの ことである。とはい え、
『 言葉の壁』
もあり具体的な外国の人と気軽に接することができない我が身に変わりは
ない。
こ の ような私が、設 立から二十年目を迎 えた年度の昨年 4 月、事務局長を
担 う 事 となり、必要 とされる活動をさら に進める立場となっ た。
外 国 語 は 話せ な く ても 気 後 れ せず 楽 し く参 加 し た い・ ・ ・
「 困 っ た な」
が ま た 一つ増えた。
そんな折、この年末 からお正月にかけ、当協会の『二十年記 念誌』編集の
た め に 依頼していた 、
『年表から振り返る 20 年』の手書き原稿をパソコンに
打 ち 出 す作業に関わ った。作業を通し、この間の町と当協会 の国際交流の活
動 を 鳥 瞰することが できた。文化会館を 主会場に、野木町も 国際交流に積極
的 な 時 期があったこ とを、懐かしく思い 出した。
当 協 会 と 町、 町 民 の国 際 交 流 活動 と そ の追 体 験 は 私に 、「 外国 語 が で きな
くても、国際交流活 動は楽しいのだ。国 際交流は、特別な人 による特別な活
動 で は ないのだ」、 と感じさせ てくれた 。気持ちが軽くなっ た。
『年表』の基本資料・データを収集・整 理したのは、現『事 業部会』の前身
の『専門部会』を 牽 引してくれた 、会員 の進藤一幸氏である 。町図書館の多
く の 司 書の方々のご 協力のもと、平成元 年から毎月の『町広 報誌』及び、昭
和 63 年 発刊の『議会だより』等を丹念 に調べられたという 。正確性を期す
ため、当協会設立時 からの歴代の事務局 担当職員から、両誌 に未掲載のもの
も含め、各事業の内 容や経緯を再確認さ れたという。
関係 者多数のご支援
が 得 ら れ たこ と で作業 を 進 め るこ と ができ た 、 と 明か し てくれ た 。 改 めて 、
同氏、並びにご協力 いただいた皆様に、深く感謝の意を伝え たいと思います 。
皆さま、どうぞ年表 に目を通してみて下 さい。20 年の足跡を楽しめます。
多 く の 人が盛り上げ てきた野木町の国際 交流です。気持ちが 明るくなること
請 け 合 いです。
-52-
〈資料編〉
会報『きずな』のあゆみ
-53-
会報『きずな』第 1 号
2012 年(平成 24)創刊号
-54-
会報『きずな』第 2 号
2012 年(平成 24)秋季号
-55-
会報『きずな』第 3 号
2013 年(平成 25)春季号
-56-
会報『きずな』第4号
2013 年(平成 25)秋季号
-57-
会報『きずな』第5号
2014 年(平成 25)春季号
-58-
会報『きずな』第6号
2014 年(平成 26)秋季号
-59-
会報『きずな』第7号
2015 年(平成 27)春季号
-60-
会報『きずな』第8号
2015 年(平成 27)秋季号
-61-
編 集後記
野 木 町 国 際 交 流 協 会 創 立 2 0 周 年 を迎 えるにあたり記 念 事 業 の一 環 と
して、 記 念 誌 を発 行 する運 びになりました。
記 念 誌『 きず な』の発刊 に着 手 して以来 、関係 各 位 のご支 援とご協力
によりいまここに記 念 誌を発 刊 することができました。
今 日 、このように皆 様の手 元 にお届 けできたのも、記 念 誌作 成 にあたり、
ご指 導・ご協力 いただきました多 くの方々 のお陰 と心 から感 謝 申 し上げま
す。
2 0 周 年を回 顧 するとともに、これを機 に野木 町 国 際 交 流協 会 関 係各
位 の一 層 のご活 躍 を期 待 し、 かつ今 後 の協 会 活 動 の益 々 の発 展 を御 祈
念 申 し上 げ、 今 後 もより一 層 の皆 様 の暖 かいご支 援 ・ ご協 力 を賜 ります
ようお願いいたします。
また、 終 始 一 貫 何 かとご協 力 下 さいました編 集 委 員 の皆 様 に心 から御
礼 申 し上 げます。
編集 委 員 長 情 報 交 流 部
伊東正道
20 周年記念誌
編集委員
伊東正道
宮崎 美 知 子
堀越惇生
町井
渡邉陽子
関根 秋 雄
寛
20 周年記念誌「きづな」
発行日
平 成 26 年 ( 2018 年 ) 3 月 20 日
発
行
野木町国際交流協会( NIA)
〒 329-0195
栃 木 県 下 都 賀 郡 野 木 町 丸 林 571
野木町庁舎内(事務局)
Tel: 0280-57-4188
印
刷
油鉄印刷株式会社
〒 306-0034
茨 城 県 古 河 市 長 谷 町 28-32
Tel: 0280-22-0433( 代 )
-62-
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