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一人でも多く(PDF/1.75MB)

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一人でも多く(PDF/1.75MB)
 国際緊急援助隊、 年の歴史
鈴 木 日 本 の 国 際 緊 急 援 助 隊 が、来 年、設 立
周
年 を 迎 え ま す ね。設 立 の き っ か け は、カ ン ボ ジ ア
難民の支援でした。
小井土 カンボジア難民の流出がピークを迎えた
197 9 年 当 時、日 本 の 緊 急 援 助 は 国 際 社 会 に 立
う 緊 急 援 助 の 緊 張 と 連 帯 を 身 に 染 み て 感 じ、医 師
小井土 1996 年にパプアニューギニアの津波
鈴木 昨年は国際緊急援
均等であるべきです。また、
﹁税金を使うのだから、
で も あ り ま す。そ の 意 味 で も、隊 員 の 派 遣 は 機 会
国 際 的 な 潮 流 と し て は、20 10 年 の ハ イ チ 地 震
中頃からこのような機能拡充を検討し始めた一方、
も で き る よ う に な り ま し た。日 本 が20 0 0 年 代
は フ ィ ー ル ド ホ ス ピ タ ル と し て 手 術・入 院・透 析
ニ ッ ク、つ ま り 診 療 所 の み だ っ た の が、こ れ か ら
小井土 そうですね。それまではフィールドクリ
鈴木 先進国で日本ほど多種の災害が頻発する国
きたいと思います。
参 加 し て も ら う な ど、包 括 的 な 支 援 を 展 開 し て い
後 対 応 も 踏 ま え て、リ ハ ビ リ や 栄 養 の 専 門 家 に も
チ ー ム に 関 し て 言 え ば、今 後 は ホ ス ピ タ ル で の 術
教 訓 は、国 際 援 助 に 生 か し て い く べ き で す。医 療
は 成 り 立 た な い こ と が 明 ら か と な り ま し た。こ の
連 死 が 発 生 し、被 災 者 支 援 が 医 師 と 看 護 師 だ け で
か。日 本 で は 重 大 な 感 染 症 が 流 行 す る こ と は ま れ
染 症 対 策 チ ー ム は、そ の 良 い 例 で は な い で し ょ う
れ、コ ン ゴ 民 主 共 和 国 で 黄 熱 の 対 応 に 当 た っ た 感
鈴 木 そ の 通 り で す ね。今 年7 月 に 初 め て 派 遣 さ
なる。その循環が大切なのです。
ノ ウ ハ ウ は、必 ず 国 内 に 還 元 さ れ、国 民 の た め に
の 援 助 隊 派 遣 は セ ッ ト な ん で す。海 外 で 培 わ れ た
を 受 け て い ま す。国 内 へ の 援 助 受 け 入 れ と 国 外 へ
小井土 雄一 さん
生活に慣れるに従って忘れつつあった医療の原点
被 害 の 支 援 に 行 っ た と き、一 緒 に 手 術 を し た 現 地
こ と が よ く 分 か っ た。一 緒 に 活 動 し て く れ て あ り
助隊に新たに感染
協 力 を 申 し 出 て、災 害・救 急 医 療 体 制 の 底 上 げ と
故やけがが一度もなかった伝統を今後も守り続け
国 内 で 活 動 す べ き﹂と の 見 方 が あ る か も し れ ま せ
後、各 国 の 医 療 チ ー ム の 水 準 の 標 準 化 に 向 け た 認
先 人 た ち の 思 い を 大 切 に し な が ら、自 分 に で き る
最大限の協力を続けていきたいと思います。
1984年に日本医科大学救急医学教室に入局後、救急医療や災害医療に従事。国際緊急
援助隊の医療チームとしてパプアニューギニアや台湾など、5カ国での活動経験を持つ。
現在、国立病院機構災害医療センター臨床研究部長と厚生労働省DMAT事務局長を務
める。今年4月より国際緊急援助隊支援委員会委員長。
鈴木 規子 さん
と し て の 一 体 感 を 高 め 合 っ て き ま し た。そ れ は 今
鈴 木 任 務 を 遂 行 し て 帰 国 し、解 団 式 に 出 席 す る
に立ち返ることができました。
鈴木 小井土先生が最初に派遣されたのはいつで
の医師から、
﹁日本はお金持ちで上から物を言う国
がとう﹂
と言われたんです。国際緊急援助を通じて、
月 間 滞 在 し ま し た。火 砕 流 で や け ど を し た 人 た ち
1987年に発足した国際緊急援助隊。
脈々と受け継がれてきた情熱とノウハウがある一方で、
変わり行く世界の緊急援助ニーズに合わせて国際緊急援助隊は進化を続けてきた。
その両面を知り尽くす二人が国際緊急援助隊の 年の歴史と今後を議論した。
長線上といえますが、被災地でホスピタルを運営す
を立ち上げました。また、この 月には医療チーム
ネットワークの強化を支援しています。
て ほ し い と 思 い ま す。ま た、参 加 隊 員 の 裾 野 を 広
ん が、日 本 も 災 害 時 に は 国 際 社 会 か ら 多 く の 支 援
小 井 土 市 民 参 加 は、国 際 緊 急 援 助 隊 の 基 本 理 念
その総合力は計り知れません。
ル に よ る 究 極 の 市 民 参 加 運 動 だ と 思 っ て い ま す。
鈴 木 私 は、国 際 緊 急 援 助 隊 は プ ロ フ ェ ッ シ ョ ナ
国際緊急援助隊の役割と今後
るのは、平時にはない役回りです。今後はその体制
鈴木 今後の国際緊急援助隊の方向性をどのよう
援助体制の強化に向けて
をより強化していくことが必要です。
り行く緊急援助のニーズに柔軟に対応できるよう
年間で災害の性質自体が変化して
に、各 チ ー ム の 体 制 や 機 能 の 整 備 も 進 ん で い ま す
小井土 この
ね。
小 井 土 過 去
にお考えですか。
回 の 医 療 チ ー ム 派 遣 で、隊 員 の 事
い ま す。感 染 症 対 策 チ ー ム を 創 設 し た の も、国 際
鈴木 医療チームとしては、ネパール地震への派
2014年のエボラ出血熱流行時の教訓からです。
の 東 日 本 大 震 災 の 後、3 0 0 0 人 を 超 え る 震 災 関
げ て い く こ と も 重 要 で す。日 本 で は、20 1 1 年
証 制 度 が 始 ま り ま し た。今 回、日 本 の 医 療 チ ー ム
ですが、チームを設立して海外で協力することで、
医 療 チ ー ム も、国 際 緊 急 援 助 隊 の コ ア メ ン バ ー が
いつか日本でもその経験が必要になったときに生
中 心 と な っ て 立 ち 上 げ た も の で、研 修 内 容 な ど も
は あ り ま せ ん。こ う し た 災 害 へ の 対 応 を 経 験 し た
小井土 WHOも今後はネットワーク構築に注力
踏 襲 し て い ま す。国 際 緊 急 援 助 の 基 盤 が 国 内 の 緊
日 本 だ か ら こ そ 分 か る こ と が た く さ ん あ り、そ れ
が 世 界 で 4 番 目 の 認 証 取 得 チ ー ム と な れ た の も、
世界に先駆けて動き
し て い く の で は な い で し ょ う か。災 害 医 療 の 分 野
急援助の土台を作ったといえるでしょう。
小井土 DMATとして知られる国内の災害派遣
で も 国 際 学 会 が あ り、ア ジ ア は も ち ろ ん、世 界 の
かされるはずです。
医師たちが平時から学術レベルで情報を共有して
小 井 土 今、治 安 の 悪 化 に よ り 入 国 で き な い 国 が
鈴木 国際緊急援助に携わっていく上での今後の
増 え て い る こ と は、緊 急 援 助 の 従 事 者 に と っ て は
目標をお聞かせください。
鈴 木 は い。東 南 ア ジ ア 諸 国 連 合︵A S E A N︶
を始めていますよね。
い ま す。日 本 の 医 療 チ ー ム の 派 遣 報 告 も 行 わ れ て
を 発 信 し て い き た い と 思 っ て い ま す。加 え て、平
始めていたからでし
ょう。
鈴木 医師や看護師
の他にも、医療支援
を支える隊員がたく
さんいますね。
小井土 はい。クリ
ニックからホスピタ
ルになる上で、運営
を支えるロジスティ
年の歴史を築き上げてきた
大 き な ジ レ ン マ で す。そ の よ う な 課 題 も あ り ま す
2013年に安倍総理が〝日ASEAN防災協力強
年計画の資金協力や人材
化パッケージ〟を打ち出したことを受け、
J ICA
が、国 際 緊 急 援 助 隊
カ 国 に は、災 害 対 応 ネ ッ ト ワ ー ク が あ り ま す。
い る の で す。J I C A も ネ ッ ト ワ ー ク 作 り の 協 力
時からの国際ネットワーク作りもとても大事です。
ピタル〟の展開を開始しました。
遣時から、現場で手術なども行う〝フィールドホス
57
はASEANに対して
30
ックス面の役割は特
に重要です。医師や
看護師の活動内容
は、平時の仕事の延
10
独立行政法人国立病院機構災害医療センター臨床研究部長・救命救急センター長
厚生労働省 DMAT 事務局長
も変わらず活動の基盤です。
鈴 木 医療チームには、約1000 人もの医療関
隊 員 た ち は、へ と へ と に 疲 れ 切 っ て い ま す が、派
係者が派遣に備えて登録してくださっています。昨
年もネパール地震後に隊員の募集をかけると、一瞬
遣前にも増して瞳が輝いているのがいつも印象的
で す。自 分 自 身 を 見 直 す 機 会 に も な っ て い る の で
のうちに定員の3倍もの応募がありました。
し ょ う ね。こ れ ま で の 活 動 で 印 象 深 い 経 験 は あ り
すか。
なのだと思っていたが、一番早く駆け付けくれた。
ましたか。
の た め に 医 療 チ ー ム を 派 遣 し た 経 験 を 基 に、19
小井土 インドネシア・ジャワ島中部のメラピ火
国際緊急援助の現場とは
8 2 年 に 国 際 緊 急 医 療 チ ー ム︵J M T D R︶を 設
山 が 噴 火 し た19 9 4 年、熱 傷 の 専 門 家 と し て 派
ち 遅 れ て い ま し た。そ こ で、カ ン ボ ジ ア 難 民 支 援
立したのが、現在の国際緊急援助隊の原点です。
目。救 急 医 療 漬 け で、病 院 に 住 み 込 ん で い る か の
日 本 の イ メ ー ジ を 変 え る こ と も で き る の か、と 喜
日本人も私たちと同じ心を持っているのだという
鈴木 国内で災害医療に注目が集まり始めたのは
よ う な 日 々 で し た。そ れ が、国 際 緊 急 援 助 隊 と し
年
小井土 阪神・淡路大震災の翌年1996 年に災
て の 派 遣 で、初 め て〝外〟に 出 た こ と で、稲 妻 に
遣 さ れ た の が 最 初 で す。当 時 は 医 師 に な っ て
害 医 療 に 関 す る 研 究 会 が 立 ち 上 が り ま し た。で す
いつごろですか。
から、国際緊急援助の方が歴史は古いんですよ。
鈴木 日常の業務から離れて活動に参加するわけ
打たれたような衝撃を受けました。
びを感じました。
鈴木 海外の災害対応で培った緊急援助のノウハ
の 植 皮 手 術 を 現 地 の 病 院 で し た ん で す。会 っ た こ
近年の動向
小井土 JMTDR時代から重んじられてきたの
小井土 噴火から1 週間後に現地入りし、約1 カ
ですから、驚きも多かったことでしょう。
は、全 隊 員 が 同 じ 志 を 持 っ て 援 助 に 尽 力 す る こ と
症対策チーム
周年
ともない人々と同じ目標に向かって手を尽くし合
特集 国際緊急援助隊
で す。平 時 か ら 数 々 の 研 修 を こ な す 中 で、チ ー ム
環が生まれていますね。
を経て、対応能力が高まっていく。
〝内と外〟の循
ウ が 日 本 に 逆 輸 入 さ れ、さ ら に 国 内 で の 災 害 対 応
10
が、世界保健機関︵WHO︶から国際水準を満たし
30
た 緊 急 医 療 チ ー ム と し て 認 証 を 受 け ま し た。変 わ
10
的な協力なくして感染症には対応できないという
30
04
December 2016
30
一刻も早く、
一人でも多く
30
10
December 2016
05 30
ネパール地震の際のフィールドホスピタル
独立行政法人国際協力機構(JICA)理事
1981年に旧国際協力事業団(現JICA)に入団。青年海外協力隊事務局、無償資金協力
調査部、社会開発協力部、国連日本政府代表部一等書記官、理事長秘書役、スリランカ
事務所長、マレーシア事務所長、広報室長などを務める。2014年4月より国際緊急援助
隊事務局長、今年10月より現職。
巻頭
対談
一刻も早く、一人でも多く
ネ パ ール 地 震
月
1979年: 日本政府がカンボジア難民支援のために、医療関係者らによる
「Japan
Medical Team」
を初めて海外に派遣。
1982年: 平常時から医療関係者を登録し、海外の災害に迅速に派遣するシステ
ム「国際救急医療チーム
(JMTDR)」
が設立される。
1984年: エチオピア干ばつにJMTDRが初めて派遣される。
1985年:メキシコ地震、
コロンビア火山噴火にJMTDRを派遣。医療関係者だけで
なく、捜索救助隊や災害対策専門家の必要性に対する認識が高まる。
1987年:「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」が施行される。被災地のニー
12:50
4 2 6 日(日)
月
3:52
バンコクからカトマンズに
向けて出発
出発前にバンコクの空港で
救助犬のケアを実施
4 2 5 日(土)
2 0 1 5 年 月
15:11
救助チームのうち、救出時の医療対応
とチームの健康管理を担当する「医療
班」、建物の安全性を判断する「構造評
(全て日本時間)
ネパールの首都カトマンズ
北西約80キロで 地震発生
価専門家」の隊員の募集を開始。登録
者にメールやFAXで呼び掛ける
ズに応じて、救助チーム、医療チーム、専門家チームを組み合わせた「国
際緊急援助隊(JDR)」
を派遣する総合的な緊急援助体制が確立。
8:00
1992年: 法律改正により、紛争に関係する人道支援は内閣府PKO事務局が、
自
然・人為的災害はJDRが担当することに
(大規模災害の際には、必要に
隊員募集を締め切る。応募者の中から
応じて自衛隊部隊をJDRチームとして派遣する)。
医療班5人、構造評価専門家2人の隊
国際緊急援助隊(JDR)事務局をJICAに設置。
員が決定
1995年: 阪神・淡路大震災で、医療チーム登録者の派遣をJDR事務局がサポート。
2004年:スマトラ島沖地震・インド洋津波を受けて、
スリランカ、
モルディブ、
インドネ
シア、
タイの4カ国にJDRの合計14チームを派遣。一つの災害に対する
派遣規模としては、過去最大。
2005年: パキスタン地震で、救助チーム、医療チーム、
自衛隊部隊が、同一地域
で相互に協力し救援活動を展開。NPOとも連携し、
オールジャパン体制
で活動を実施。
9:30
17:35
救助チームから、カトマンズの空港が
混 雑しているため、いったんインドの
コルカタに向かうとの連絡が入る
(INSARAG)」から、救助チームが最高難度である
「ヘビー」チームの認
定を受ける。
2011年: 東日本大震災を受けて、24の国と地域から救助チームや専門家が救援
に駆け付ける。JICAは、
その受け入れや調整を行う
「国連災害評価調整
事務局の第一陣が成田空港に向けて出発
事務局のスタッフがJICA本部に集合
10:40
23:53
取れないため、タイのバンコクに戻り
救助チーム隊員の
受付開始
もう一泊するとの連絡が入る
能力を有するチームとして、世界保健機関(WHO)
から
「緊急医療チー
ム
(EMT)」の認証を受ける。
派遣要請を受ける
最近の緊急援助物資供与の実績
2015年
ミクロネシア
台風
離陸前の空港では現地メディアが
ネパール
地震
6月
ガーナ
洪水
殺到した
8月
ミャンマー
洪水
ドミニカ
洪水
9月
ミャンマー
洪水
インドネシア
火災・煙害
2月
台湾
地震
2月
フィジー
サイクロン
3月
マーシャル
干ばつ
4月
パラオ
干ばつ
4月
エクアドル
地震
5月
スリランカ
豪雨
8月
マケドニア旧ユーゴスラビア共和国
洪水
8月
ミャンマー
洪水
9月
タンザニア
地震
10月
ハイチ
ハリケーン
10月
キューバ
ハリケーン
December 2016
成田空港で結団式を開催
(地震発生から約27時間)
70人の隊員を乗せ、
15:00
(地震発生から約72時間)
救助チームが カトマンズに到着
現地での活動の様子は8ページへ
第1回局内ブリーフィング
ブリーフィングは合計7回行い、
その時々での状況を全員で確認した
17:52
※2 015 年 度 以 降
07 バンコクからカトマンズに
向けて再び出発
4月
9月
22:15
13:05
4月
10月
2016年
4 2 8 日(火)
月
12:00
21:58
ネパール政府から救助チームの
チーム」の業務に協力。
2016年: 医療チームが、外来診療に加え、外科的手術や入院・透析機能などの
旅行会社を通じて直近のフライトの
空席状況を調査→ゴールデンウィー
ク前でどの便も満席だと判明
救助チームから、コルカタのホテルが
2015年: 西アフリカで感染が拡大したエボラ出血熱への対応を踏まえ、感染症対
策チームを立ち上げる。
メールでの一斉連絡を受けて
事務局の第一陣が空港に到着
2008年: 中国西部大地震で、初めてチャーター機を活用。
2010年: 捜索救助の国際的ネットワークである「 国際捜索・救助諮問グループ
20:34
チャーター機が 成田空港を離陸
24:42
乗り継ぎ地のタイのバンコクに到着。
昨 年4 月 日 、
マグニチュード 7・8の巨 大 地 震 が ネパールを 襲ったのは 記 憶に新 しい。
その発 生 から3日 後には、日 本の救 助チームが 現 地に到 着 し 、活 動 を 開 始 した 。
迅 速 な 対 応の裏 側では、どのよ う な 準 備や 調 整 がなさ れていたのだろう か 。召 集 から 派 遣 までを 追った 。
4 2 7 日(月)
国際緊急援助隊30年の歩み
J I CA 国 際 緊急 援 助 隊 事 務局の動き
25
23:50
国際緊急 援 助 隊 派 遣 の 裏 側 に 密 着 !
特集 国際緊急援助隊30周年
外務大臣から救助チームの
派遣命令が下る
旅行会社にチャーター機の手配を
依頼→フライトが決定
ホテルで一泊
December 2016
06
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