南ベトナム社会の構造と過程 - Kyoto University Research Information
by user
Comments
Transcript
南ベトナム社会の構造と過程 - Kyoto University Research Information
Title Author(s) Citation Issue Date URL 南ベトナム社会の構造と過程 : 1954-63 中野, 秀一郎 東南アジア研究 (1968), 6(1): 55-72 1968-06 http://hdl.handle.net/2433/55482 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 東南 ア ジア研究 第 6巻 第 1号 1 9 6 8 年 6月 南 ベ トナ ム 社 会 の 構 造 と過 程 - 19 -631 ) 54 中 野 秀 一 郎 Thes t ruct ur e &pr oc es soft heSout l tVi et names es oci et y -1 954-63by Hi dei c hi r oNAKANO Ⅰ 分 析 枠 組 の提 示 本稿 の 目的 は,今 日,社 会 学 の分 析枠 組 と して台頭 しつ つ あ る体 系 - 機能 分 析 ( Sys t e mFunc - 1 954-63)の社 会 構造 上 t i onalAnal ys i s )2'の方 法 によ り後進 型 社 会 の一 つ で あ る南 ベ トナ ム ( の諸特 質 を 明 らか にす る こ とで あ る。 その場 合 , 体 系 一 機 能 分 析 の方 法 に よ る とは, この時 期 の南 ベ トナ ム社 会 を い くつ か の機 能 要件 ( f unct i onale xi genci es ) の充 足 を必 要 と し, その s ubsys t e ms ) か ら 構成 され て い る一 つ の 自足 的 な た め に 機 能 分 化 した い くつ か の下 位 体 系 ( ( s el f -s ust ai ni ng な) 社 会 体系 ( soci als ys t em) と観 念 し, それ らの機能下 位 体 系 の諸 活 動 を 全 体 と して の社 会 との連 関 で 理 解 しつ つ , 社 会 の 存 在 様態 を解 明 しよ う とす る 方 法 を とる こ 1 ) この研究は,当初,筆者の博士単位取得報告論文 「 比較社会構造論」の一部に 「後進型社会の-ケス ・スタデ ィ」 として添えた付録を原型 とし, これを実証的資料を中心に書 き改めたものである。その 第 1回 1 9 63 年 8月∼1 0 月,第 2回 うちのい くつかの資料は,筆者の 2度にわたる南ベ トナム滞在中 ( 1 9 6 4 年 3月∼ 7月)に直接入手 したものであり,また特に最近の文献については,1 9 6 6 年 4月より1 9 6 7 年 3月まで,筆者が嘱託の栄を もった京都産業大学 世界問題研究所の御厚意によって収集 した。前者に i o nali ns t i t ut e of 関 しては, ミシガ ン州立大学の現地調査報告質料の一部を寄贈 して下 さった Nat Admi ni s t r at i on (サイゴン)に,また後者に関 しては,筆者の 1年間にわたる気ままな 研究に精神的 ・物資的支援を択 く提供 して下 さったことにたい して同研究所所長岩畔豪雄先生に, この場所を借 りて 感謝の意を表 しておきたい。なお, この諭稿を書 き改めるについては,京都大学東南アジア研究 センタ ーの石井米雄教授 と坪内艮博氏 に多 くの有益な示唆をいただいた。記 して御礼を申 しあげる。 2 ) 全休社会に関す る社会体系論の展開は,主 として T.Par s o nsによってなされた。 T.Par s o ns ,The So c i a lS ys t e m ( The Fr e e Pr es s , N・ Y.1 9 5 1 ); T.Par s o ns," Ge ner al "R. K.Me r t o n,etaleds. , So c i o l o gyTo da y( Bas i cBo oks ,I nch ,N・ Y・ The or yi nSo c i ol o gy, 1 95 9 )pp.3 3 8; T.Par s ons," AnOut l i neoft he Soc i alSys t em, " T.Par s o ns ,etale ds・ , The o r i e so f So c i e t y( TheFr e ePr es s ,N. Y・1 9 61 )pp. 3 0 7 9 ;T.Par s ons,So c i e t i e s( Pr e nt i c e l l ,I nc. ,Engl e woodCl i f f s ,Ne wJ e r s e y1 9 6 6 ). Ha しか し,本稿の図式はこれ らを基礎に しつつ も,かなりの修正を加えてある。修正過程で示唆的であ ったのは次の二つの論文であ ったC 吉田民人 「集団系のモデル構成-機能的系理論の骨子」 『社会学評 論』算1 4 巻第 2号 (日本社会学会,1 9 6 3 ).A. A.Gabr i e l ," A De ve l opme nt alAppr oac ht oPo l i t i , "Wo r l dPo l i t i c s ,1 7( 1 9 6 5 ),pp.1 8 3 21 4. C alSys t e ms - 5 5- 5 5 東 南 ア ジ ア研 究 第 6巻 第 1号 とを意 味 して い る。 体 系 一 機能分 析 は また, この よ うに社 会体 系 と観 念 され た社 会 が , 環境 ( e nvi r onme nt ) との 間 に起 こす 相 互 作用 に も 深 い関心 を もち, 特 に環境 か らの イ ンパ ク トと して その社会体 系 の機能 要件 に緊急性 の強 弱 に従 って 一 定 の 階統 ( hi er ar c hy) が生ず る 点 に 注 目す る。 こ う して ,異 な った強度 の機能 要 件 の充 足 の た め に体 系 内の資 源 ( r es o ur ce s )3'が 機能 要件 充 足過 程 で配分 され,一 定 の分 布 を示 す状 態 を こ こで は その社 会 の構造 と呼 ぶ。 しか し,社会 構 造 の決 ま り方 は上 に述 べ た よ うな機能 的 プ ロセ ス に よ るだ けで はな い。 とい うの は, な るほ ど,社会 の構造 的秩序 は その機能 的必 要 に よ って規 制 され る ことは疑 いえ ぬ事 実 で は あ るが ,具体 的 ・歴 史 的個 物 と して の社会 は常 にな にが しか の 「機能 の残 基 」 ( r e s i dueoff unc - t i ons ) と して の定 着 物 を制度 や慣 習 (さ らには,一 定 の価値体 系)と して残 存 させ て い る もの で あ る。 そ して , これ は,上 記 の 「機能 連 関」 に対 して 「勢 力連 関」 と呼 ん で い い。 「勢 力連 関」 は,社 会 の資 源配分 (-構 造) を決 定す る も う一 つ の重 要 な契 機 で あ って ,特 に その社会 の構成 要素 で あ る特 定 の集 団 (また は集合体 col l ect i vi t y) の主 我 的 な利 益 志 向 と関係 が深 い 。 この よ うに して ,社会 構造 は以上 の二 つ の契 機 , 「機能 連 関」 と 「勢 力連 関」 との錯綜 の うち uni ver s al i s m) 対 個別 主 義 に現 出す る ことにな るので あ るが , これ を 要 す るに, 普 遍主 義 ( ( part i c ul ar i s m)4' あ るい は集合体 志 向 ( col l e ct i vi t y-or i e nt e d) 対 自己志 向 ( s el トor i e nt e d) とい う形 相 変 数 ( pat t er n var i abl e s ) で把 え る ことがで きよ う。 と ころで ,分 析的 ・演樺 的 な意 味で の結 論 を先 にいえ ば,歴 史 に現 われ た 「近代 化」 は国民 レベ ル ( nat i o nall evel ) にお け る普 遍主 義 化 ・集合 体 志 向化 ( す なわ ち, 1 国民 国家 の形 成 ・発 展 , 2 国民経 済 の形 成 ・発 展) とい うことで あ った。 その た め に, 全体 社会 の機能下位 体 系 5)は, 当然 , これ を推 し進 め る方 向で活 動す る ことが 期待 され る。 その ことを, や や抽象 3 ) この場合,「 資源」とは,人的 ・物的 ・社会的 ・文化的のものいっさいを指 し,抽象的には Par s o ns のいう 「 一般化 された能力」 ( t hege ne r a l i z e dc apac i t y) として理解 される ( 1 ) 「 物財およびサー ビス」 ,( 2 ) 「 政治力」,( 3 )「 連帯」および ( 4) 「 威信」である。 これ らについては, T.Par s o ns& .Smel s e r ,Ec o no my & So c i e t y( TheFr e ePr e s s ,N. Y.195 6) および,拙稿 「階級構造の要 N.J 因分析に関する一考察」『 社会学評論』第17巻第 1号 (1966) を参照 されたい。 4) この視角から, 後進型社会を分析 しているものに,W.F.We r t he i m,Eas t We s tPar al l e l s -So c i 0 Pr o ac ht oMo de r n As i a-( Quadr angl e Books Chi c ago, Fi r s tAme r i c an Edi t i o n, 7 o gi c alAl・ 1 965 ) がある。 5 ) T.Pa r s o nsのいう全体社会の機能分化 としての下位体系 とは ; A次元 ( Adapt at i o n適応を受けもつ下位体系-目標達成に必要な用具を調達する機能を分担する下 位体系) G次元 ( GoalAt t ai nme nt目標達成を受けもつ下位体系-目標達成そのものを直接に遂行する機能 を分担する下位体系) Ⅰ次元 ( Ⅰ nt e gr at i o n統合を受けもつ下位体系-成員の活動の円滑な組織化 ・活動の相互調整の促進 などを分担する下位体系) L次元 ( Lat e ntpat t e r nma i nt e nanc eandt e ns i o nmanage me nt潜在的なパターンの維持 と緊 張の処理を受けもつ下位体系-世代から世代に文化を伝え,教育 し,また肉体的疲労や心理的緊張を緩 和するような活動を分担する下位体系) なお, この発想の妥当性や限界については,拙稿 「T ・パーソンズの機能主義について」 『ソシオロ 966 )参照。 ジ』第13巻第 2号 (1 56 - 56- 中野 :南 ベ トナム社会 の構造 と過程 的 に述 べ れ ば , 各 機 能 下 位 体 系 は, 国家 レベ ル で の o ut putの総 量 を 最 大 にす るよ うな 仕 方 ●● で ,他 の下 位 体 系 の生 産 物 を 資 源 と して 動 員 しな けれ ば な らな い とい う こ とで あ る。 しか し, 問 題 は, こ う した オ プ テ ィマ ムな資 源 配分 (-構 造 ) を実 現 不 可 能 とす る現 実 的 要 請 の存在 で 954-63に お いて分 析 ・究 明す る ことが , 後 進 塑 社 会 に お け る あ る。 これ を , 南 ベ トナ ム社 会 1 社 会 構 造 の あ り方 とその変 動過 程 を さ ぐる本 稿 の第 一 義 的 目的 で あ るo Ⅲ 分 析 枠 組 に よ る対 象 の概 念 化 1. 両 ベ トナム社 会 1 954-63の成 立 - 歴 史的背景 - 「1 954-63」の南 ベ トナ ム共 和 国 の基 礎 は ,1 949年 6月 29日,統 一 の崩 れ た民 族 戦 線 か ら仏 政 府 承 認 のパ オ ダ イ政 権 が 成 立 した とき に湖 行 し うる。 1 858年 の ナ ポ レオ ン三 世 に よ る仏 艦 隊 の ツ 00年 弱 の仏 植 民 地 支 配 は, 1 945年 の ホ 一 ・チ ・ミン ( HoChiMi nh) に よ - ラ ン攻 撃 に始 ま る 1 るベ トナ ム民 主 共 和 国 の独 立 宣 言 で終 結 した か にみ え たが , 第 一 次 イ ン ドシナ戦 争 は早 くもそ の翌 年 か ら始 ま った。 最 後 まで事 態 を平 和 的 に解 決 せ ん と した ホ 一 ・チ ・ミン政 権 も, つ い に 1 948年 9月 9日,対 仏 戦 争 宣 言 を行 な わ ざ るを え な か った 。分 裂 した ベ トナ ムの二 つ の政 権 は, 1 950年 に は冷戦 の 渦 中 に巻 き込 まれ る。 同年 , 中国 ・ソ連 が ホ ー政 権 の北 ベ トナ ムを承 認 す る や 米英 は これ に遅 れ じとば か りパ オダ イ政 権 の 南 ベ トナ ムを承 認 した。 そ して , 仏 勢 力 と米勢 954年 の 力 が この戦 争 の背 景 で 漸 次 交 代 して ゆ く過 程 で戦 争 その もの の性 格 も変 化 し始 めた 。1 NgoDi nh Di e m)内閣 の成 立 は , ジ ュネ ー ブ会 議 と南 ベ トナ ム に お け る ゴー ・ジ ン ・ジ ェム ( この変 化 の 明確 な指 標 で あ る。 それ は反 共 を 国是 と した親 米 ( 反 仏) 国家 の成 立 で あ った 。6) 2. 社 会 体 系 ・環 境 ・機 能 要 件 の 階統 本 稿 が直 接 分 析 の対 象 とす る南 ベ トナ ム社会 1 954-63は, 1 954年 , 合 法 的政 権 と して の ジ ェ ム 内閣 の成 立 に お いて 始 ま る。 これ に よ って , 当時 の南 ベ トナ ム社 会 が 一 定 の共 同 目標 や適 応 諸 制 度 , さ らに合 法 的 政 府 や 価 値志 向 を備 え た一 つ の社 会 休系 と して 概 念 化 され る。 その解 体 963年 11月 に崩 壊 す る時点 で起 こる。 これ は, 級 は, 同 じ く合 法 的政 権 と して の ジ ェム政 権 が 1 cons i s t e ncy), な か ん ず く価 値 ・規 範体 系 の一 貫 性 (も 能 要 件 の具 体 的 内容 に関す る一 貫 性 ( ち ろん , この場 合 は タテ マ 工 と して の それ) に その根 拠 を お く。 この社 会 体 系 を取 り囲ん だ環境 は ,「冷戦 下 の 国 際状 況 」 で あ り, 特 に直 接 的 環境 と して の 米 国 が 重 要 で あ る。 T.Par s ons に したが え ば , 社 会 体 系 の機 能 要 件 は, A ( adapt at i o n),G ( goalat t ai nme nt ), Ⅰ( i nt e gr at i o n)お よ び L ( l at e ntpat t er n-mai nt e nance& t e ns i on manage ment )の 4次 元 で 954-57年 で は Ⅰ次 元 の統 合 お よ び L次 元 の 形 相 維 持 (共 に系 内的 i nt er nal ) 起 こ るが ,特 に 1 6) もっとも, この場合の親米は反仏の裏がえ Lにすぎず, 基本的には ナシ ョナ リズムのほうが 強い。 1 9 5 4 5 6の安定期は, こうした反共 とナシ ョナ リズムの圧倒的な国民感情を基礎に していた0Nguye n ,I sSo ut hVi e t nam Vi ab l e? ( Mani l a1 9 6 2 ) ,p.8 8. Thai - 5 7- 5 7 東 南 ア ジ ア研 究 第 6巻 第 1号 が優起 的で あ り, 1 957年 以 降,対 共 産 ゲ リラ対 策 (G次元) を 中 軸 と して , あ らゆ る資 源 が こ こに集 中的 に動員 され る ことにな る。 な お,初期 の形 相維持 シ ンボル ( 一 定 の社会秩序 を正 当 2)民族 主義 ( 反 仏親 米) で あ る。 化す る価 値 的 シ ンボル) は, (1)反 共 と( 以下 ,社会 の機能 下位体 系 の各 々につ いて,具体 的 な事情 を述 べ て, これ に若干 の分 析 を加 えつつ ,社会体 系 の構造 と過 程 を, そ こに 一貫 して流 れ る part i cul ari s m ( 個別 主 義) - の傾 斜 とい う主 軸 に沿 って考察 して みたい。 Ⅲ A次元- ≠経 済 ' Y をめ ぐる諸 問題 A次元 は,全体 社会体 系 で は,通常 , 広 義 の経 済 ( economy)に対応 す る社会体 系 の機能分 化領域 で あ るが,歴 史 的事情 か ら,後進 型社会 で は, この次元 で の out putを増加 させ る こと が,一般 に,潜在 的 な (そ して , しば しば顕在 的な)共 同 目標 で さえ あ る. もちろん ,南 ベ ト ナ ムで もこの ことは例外 で はな い。 しか し,機能要件 の階統 性 か らみれ ば, 当然 この領 域へ の 資 源配分 は大 きな制 限 を受 け ざ るをえなか った。 その うえ,追 って指 摘す るよ うに,系 外 か ら の莫大 な資 源導入 も再 生産過 程 を支 え る基 盤 には投入 されず , もっぱ ら消費過 程 で循環す る。 元 来 ,南 ベ トナ ムは 自然資 源 に恵 まれ,農産 物 の輸 出で も多様 な幅を もって いた。平 和 時 に 50万 トンの米, ゴム ・ 茶 ・コ シ ョウ・ 魚 な ど6000トンを輸 出 して お り, サ イ ゴ ン周 辺 は,年 平均 1 7 ) けれ ど も,政 治 的独 の貧農 です ら北 ベ トナムの小 地主 程度 の生活水 準 にあ った といわれ る0 立 と平 和 とい う経 済発展 に とって重 大 な二大 要 件 を欠 如 した この国で は, む しろ往時 の植 民地 的 ・封建 的時代 の経 済水準 を さえ維持 す る ことが で きず ,他 方 ,莫大 な外 国援 助 はその経 済的 956年 の GNP につ いて み るな ら,人 自立性 さえ麻 捧 させ て しま った。 その異常 な経 済構造 を 1 7% ,工 業 11% ,商業 29% , サ ー ビス業 1 9% ,政府 関係 1 4% 口の約 85% を 占め る農業が全体 の 2 8 )す なわ ち, とな って お り,商業 とサ ー ビスを合 わせ た第三 次産業 の48% とい う高率 が 目立 つ 。 これ らの肥大 した商業部 門 はそれ でな くと も生 産性 の低 い他 の経 済活動 に対 して正 に寄 生 的収 奪 を行 な う。 しか も, ここで は経 済 の中味が外 か ら入 って くる。 同 じ年 の米 国 の援 助額 は62億 4900万 ピアス トル で, それ は国家 予算 の約 32% , しか もその予算 の90% 以上 が実 質 的 には軍 事 9 )ちな み に, この年 の ドル換算 1人 当 り国民 所得 は 1 37ドル と出て い るが 10 ) ,それ 予算 で あ る。 も先 ほ どみた国民総 生産 の 内容か らも推 察 され る通 り,大 きな所得格 差 を 内蔵 して い る ことは 否定 で きな い。 7 ) Nguye nKi e n,I , eSudVi e t nam de Pui sDi e nBi e nPhu, ( Fr anG Or' sMas per o,Par i s1 9 6 3 ) , 43 1 4 4. pp.1 8 ) J.B.He ndr y,TheWo r kFo r c e inSai go n( Mi c hi ganSt at eUni ver s i t yVi et nam Advi s or y 9 6 0 ),p.2. Gr oup- 以下 MSUVAG と略す- Sai gon 1 9 ) Nguye n Ki en,o P.c i t . ,pp.1 4 41 45より計算。 1 0 ) 朝 日新聞調査研究室 『 激動するインドシナ』( 朝 日新聞社,1 9 6 3 ),p.1 40. 5 8 - 5 8- 中野 :南 ベ トナム社会 の構造 と過程 表 1 両 ベ トナ ム 経 済 の 支 出 内 分 け と 米 国 の 援 助 ( 単位 1 95 5 米 国 の 援 助 軍 行 事 予 政 ・ 安 交 通 ・ 情 7 0 3 7. 6 算 !1 0 6 2 2. 1 全 : 43 3 5 報 ; 1 223. 1 経 済 合 活 計 ∃ 1 95 7 1 95 8 65 9 8. 6 49 91 . 2 1 5 48. 7 807 7. 1 6 0 42. 9 5 51 7 . 6 1 1 9 8. 7 (a) 計- ( A) 小 1 1 95 6 動 ・ (B) 米援助 の割合 (a/B) _ ( %_ ) 頁 膏 章 事薯 面 割 合 ( %) (A/B) 6 96 7. 7 46 01 . 6 1 1 1 4. 3 . 2 0 83 6. 3 0 - -1 5 6 百万 ピアス トル) 7 7 5. 6 9 0 9. 5 97 6. 4 1 8 6・ 5 1 87 2・ 2 3 9 8 1 ∃ 1 95 9 1 9 6 0 81 7 6 61 7 3. 2 63 3 0 1 1 4 4 83 5 0. 0 3 5 9 9 2. 8 6 43 9. 5 1 2 9 4. 2 21 8 2 3. 2 0 2 2 07 6. 5 3 1 2 9 4. 6 1 1 90 2 9 7. 5 3 3 4・ 1 2 40 6 8. 1 0 1 9 8 9 4. 5 0 2 3 5 5 3. 3 0 2 9. 2 4 31 . 41 3 6. 65 3 6. 3 7 . 3 4. 86 3 5. 4 4 9 6. 47 95. 1 6 . : 9 2. 4 4 93. 81 93. 0 6 9 3. 6 9 2 3 5 6 4. 0 3 So ur c e:Nguye nKi e n,o 少.c i t . ,pp.1 4 4-1 45 よ り作成 米 国 の 援 助 は , ま ず 武 器 援 助 と い う形 で 入 って い る (1 955159:4億 2400万 ドル , 1 959-60 955-59:9億 160万 ドル ), そ れ :7448万 2000ドル )。 け れ ど も物 資 の 形 で 入 る もの も多 く (1 は 米 国 の 大 会 社 を 通 じて 南 ベ トナ ム に 流 れ , そ の 金 が 米 軍 と南 ベ トナ ム政 府 を 養 うわ け だ が , この 流 通 機 構 の 実 権 を 掌 握 して い る の は ≠南 ベ トナ ム の 大 蔵 省 〃 と い わ れ る USON ( Uni t e d St at e sOpe r at i o nsMi s s i o n)で あ る。 か く して , 1960年 ま で に , 米 国 は この 国 に約 20億 ドル の 援 助 を 行 な う こ と に な る。 つ いでなが ら,南ベ トナム経済をめ ぐる外 国勢力 についてみ るな ら,1 95 4年 には7 6 % の輸入を一手 に 独 占 して いた仏 国が,若干 の増減 はあ るが 1 96 0 年 には 2 2 %強 に落 ち,かわ って,1 9 5 4 年 には 7 . 8 % およ び 3% の米 国および 日本が, これ また若干の増減を伴 いなが らも1 9 6 0 年 には1 9 %強 および1 7 % と各 々そ の シ ェアーを拡大 してい る。 その間,仏 国は米 国 との交渉 によ り政治的利益 は棄てて も経済 的利害 は守 ろ うと し,南ベ トナムか らの輸 出品の買入れで は1 95 5 年 の3 7 %強 を 1 9 6 0 年 には約 4 2% と増加 させてその 地位 を保持 して いる。11) 実際, 仏国 は, 1 95 5 6 0 年 の米 国資本の圧迫 とジ ェム政権 の民族主義的政策 に もかかわ らず,その利権 ( 資本) を この国 にかな り残 す ことに成功 した。例 えば,資本投資 では,依然 仏因 は トップに立 ち,1 9 6 0 年 の経済危機 の場合 には,公認でその生産を 倍加 し,増資 を行 な ってお り, 1 9 6 0 年現在 その勢力 は南ベ トナム産業の約 5 0 %を 占め る と推定 されてい る。12) この仏系経済力 はゴム園 につ いては最 も明 白に現 われて お り,約 1 0万 ha の うち 7割 が仏系の会社 に掌握 されてい る。13) 仏 ・米 ・日本 につ ぐ外国勢力 は,台湾 ・西 ドイツな どであ る。 この よ う に 実 質 的 に は , 再 ベ トナ ム の 経 済 体 制 が 半 独 立 ・半 植 民 地 的 で あ る と い う指 摘 と 開 936年 , す で に コー チ シ ナ 通 して , この 国 の 華 僑 勢 力 に つ い て も一 言 して お か ね ば な らな い 。 1 ll ) Ng uye nKi e n,oP. ci i. ,p.150. 1 2 ) Z b i d. , p.1 51. 1 3 ) I b i d. ,pp・152-153. 茶や コ- ヒ-の農園 もまた多 く仏系会社 の支 配下 にあ るO - 5 99 東 南 ア ジ ア研 究 第 6巻 第 1号 表 2 お よ び安 南 を合 わせ て 1 8万 2000を数 えて い 南ベ トナムの労働者 ( 1 95 9 年現在) る これ ら中国 人 は,主 に商 業 (イ ン ドシナの 場 合 は,その主 要 生 産 物 で あ る米 の取 引 き) 商 に お いて圧 倒 的 な勢 力 を有 し, 特 に コー チ シナに は 全 イ ン ドシナの 華 僑 人 口の 25% 業 労 働 i -:: : ‥十 _ : : _ (1 7万 1000人 ) が 集 中 して い た 。1 4 )1 959年 現 小 計 合 計 者 . 87 , 43 0 I = 士二 二 二 r 23 0, 5 2 0 在 で , 首 都 圏 サ イ ゴ ンー シ ョロ ン地 域 の人 口 は約 1 70万 以 上 (内 シ ョロ ンの人 口 約 80 万 ),シ ョロ ンを 中心 に住 む 中 国系 の人 口 は 2 8 6, 3 2 0 *産業の7 0 %が1 0 人以下の零細企業 約 70万 と推 定 され た。 この 地 域 は, 南 ベ ト ナ ムの商工 業 の 中心 とい って よ く, 多 くの 商 社 や工 場 が 群 居 す るが , 1 956年 現 在 で 中 国人 所 有 の工 場 2864 (内食 品生 産 653, 維 繊 625), 3979の商 会 ・商 店 が あ った。 しか し, 1956年 8月 3 日の法 令 で , 中 国人 に対 す るベ トナ ム国籍 強 制 取 得 の措 置が と られ ,追 って 同年 9月 6 日に は 外 国人 に対 す る1 1種 目の営 業 禁 止 法 令 が 出て , か な りの 中国人 が ベ トナム国籍 を取 得 した 。1 5 ) なお , サ イ ゴ ン- シ ョロ ン地 域 を 中心 に存 在 す る南 ベ トナ ムの労働 者 は表 2の ど と くで あ る が , その都 市 生 活 の状 態 は か な り悲惨 で不 安 定 な もの で あ る 。1 6 ) こ う した ス ラム的 人 口の増 加 945年 以 来 の戦 乱 に よ る地 方 か らの避 難 者 と 1 954年 以 来 の北 部 か らの は, い うまで もな く, 1 移 住 者 に よ る人 口の都 市 集 中 の結 果 で あ り, これ は後 で も述 べ るよ うに, この社 会 で の 緊 張 の 原 因 とな って い る。 す な わ ち, 仏 教 徒 対 カ トリック教 徒 ( 特 に北 部 か らきた村 落 カ トリック教 徒 ),南 部 人 対 北 部 人 の対 立 が それ で あ る。 938年 に は, 南 ベ ト 最 後 に, 農 業 の 中 で も最 も主 要 な 生産 物 で あ る米 につ いて みて み よ う。 1 ナ ムで ,246万 4000haの耕 地 か ら530万 トンの生 産 を あげ, そ の うち 1 20万 トンを輸 出 した実 績 を もっ が , 1 957-58年 を境 に して耕 地 は減 少 し, 1 962年 に は 166万 ha, 生産 量 も 300万 トンと下 落 して い る。 これ に加 えて , 1938年 以 来 ,約 58% 以 上 の人 口増 加 が み られ るの で あ るか ら, 覗 ) これ は, い うまで もな く, 戦 乱 らか に食 糧 生産 レベル は戦 前 の植 民 地 時 代 に さえ及 ば な い 。17 に よ る農 業 の荒 廃 を示 す もの で あ って, それ 自身 この豊 か な農 業 国 の荒 廃 を示 唆 す る もの に外 な らな いC さ らに,単 位 耕 地 当 りの収 益 の伸 びが 欠 如 して い るが , これ は,農 業 生 活 に お け る 根 深 い停 滞 性 を示 して い る と思 わ れ る。 1 4 ) 満鉄東亜経済 調査局 『改訂仏領 印度支那篇』 ( 東京 1 9 41 ),p.7 3 4. 1 5 ) Nguye n Ki e n,o P.c i t . ,p. 1 3 0,p.1 3 9. 1 6 ) I b i d. ,pp.1 30 -1 31. 1 7 ) B. B.Fal l ,TheTu J oVi e t nam ( Pr ae ge r,N. YリLondon1 9 6 3 )p・2 9 4.なお,南ベ トナム経済全 体を扱 ったものに 『 南ベ トナムの経済開発』 ( アジア研究所,1 9 6 2 ) がある。 また,南ベ トナムの農業 n VanHao,Le ePro b l d me sdel aNo uv e l l eAgr i c ul t ur e Vi e t nami e nne 問題に関 しては,Nguye ( Par i s1 9 6 3 )があ って,1 95 9 年までの数字が入手できる。 6 0 - 6 0- 中野 :嫡 ベ トナム社会 の構造 と過 程 蓑 3 1 9 61 1 96 2 2323 1 ⊥9 0 2 1 ⊥8 21111 12 22 1 1 9 3 8 1 95 4 1 95 5 1 95 6 1 95 7 1 95 8 1 95 9 南 ベ トナ ム に お け る 米 の 生 産 2, 46 4, 0 0 0 2, 0 85, 2 0 0 2, 2 43, 0 0 0 2, 5 40, 0 0 0 2, 71 9, 0 0 0 2, 2 91 , 0 0 0 2, 5 03, 0 0 0 . 2, 02 8, 00 0 1 , 6 6 0, 0 00 5, 3 0 0, 0 0 0 2, 5 65 , 5 40 2, 83 9, 3 2 4 3, 41 2 , 5 6 7 3, 1 91 , 5 6 7 3, 9 95 , 33 3 5, 31 1 , 25 0 4, 95 5 , 00 0 4, 2 5 9, 0 0 0 3, 0 0 0 , 0 0 0 Sour c e:B.B.Fal l ,TheTwoVi e t nam,p.2 9 4. 以上 にみ られ る通 り, A次元で の問 題 は, 1) この下 位体 系 の活 動が,社 会体系全体 か らみ れば低 い要件性 しか備 えて いないため,実質 的 に も out putの量を増大 させ るための資 源配分 に恵 まれな い上 に, 2) 社会体 系 の主体性 を保持 すべ き国家 が この次元 で の out putを掌握 し て お らず , その上 3) 経 済 を核 とす る生活 圏が植 民地 の 旧弊 を残 しつつ残存 し (例 えば,i .高 地諸 部族 の焼 畑農業圏 ,i i .低地住民 の米作闇 , i i i .外人支 配 のプ ラ ンテー シ ョン圏 ,i v. 寄生 的な金融 ・商業 の中心で あ る都市 圏な どが分 裂 的 階層構造 を形 成 して国民 的統合 を阻害 してい る18' ),加 えて 4) 経 済活 動 の志 向が きわ めて偏 狭 な sel f -Ori e nt ed ( 華僑 ・外 国資本 ・特権 商 人層な ど) の傾 向 を強 くもって い ることで あ る O 特 に, この最後 の特徴 は, ここでの生産 物 ( 系外資 源 を も含 めて)が他 の下位体 系-動 員 され る過 程 で,国家- の普遍的忠 誠 を もち合 わ せ ぬ系 内 ・外 の集団 成員が ,国家 資源 動員 を形 骸 化 して しま うことを意 味 し,構造 決定 におけ る 「勢 力連 関」 の優位 を導 くので あ る。 N G次元- ≠政 治' ' をめ ぐる諸 問題 社会体 系 の共 同 目標 は,一般 に最 も要件性 と緊急性 ( 時間的 に課題 の解 決が急 で あ る度合) の高 い機能 要件 の 充 足 に重 な って くるのが 普通 で あ るが, その担 い手 は 社会体 系 の主体性 を 具現 してい る 「 政府」 で あ る。 そ して, この政 帝の正 当性 を支 え る 2本 の柱 は, 1) 能率性 ( ef f ect i venes s ) と 2) ( 狭 義 の)正 当性 ( l e gi t i macy) で あ るo (ちなみ に, この G次元 にお け る out put 「 政 治力」 は この正 当性 の函数 で あ り, しか もこれが E l j家 的 レベル の もので あ るた めには,正 当性 自身が まず そ うで あ ることが必要 で あ る。 ) この点 を r ef erence に しなが ら政 1 8 ) Nguye nCaoHack," SomeObs t ac l e st ot heAppl i c at i onofNe w Te c hni que sofPr oduct i o n i nSo ut hEastAs i a, "VuQuo cThuced. ,So c i alRe s e ar c h & Pr o b l e mso fRur alDe v e l o pme nt i nSo ut hEas tAs i a( Unes c o,1 9 6 3 ) ,pp・1 8 9-1 9 81 - 61 1- 東 南 ア ジ ア研 究 第 6巻 第 1号 治権力 の問題 を考 察す るのが 目下 の課題 で あ るが,具体 的な資 源動員 の点 で は, 1 )能率性 に gr at はcat i o n) と 2) 正 当性 に対応す る民衆 の 対応す る政策 の遂行 に対す る民衆 の充 足感情 ( 政権支持 ( s uppo r t ) が 「政 治力」 の内容 を構成 す る。 さて, 初期 の共 同 目標が Ⅰおよび L次 元 にあ った ことはす で に述 べ たが, この辺 の事情を考 え ることか ら分 析を始 めた い。 954年 7月 か ら,大 統領 と して米 国 を訪 ジェムが前 の皇 帝パ オダ イの下 で首 相 に任命 され た 1 957年 5月 頃までは, いわば この政権が最 も安定 して いた時期 で あ った。 もちろん, イ 問 した 1 ン ドシナ半 島の戦乱 は1954年以来 日常化 して いた し,南 で も1 949-54年 当時 は 「 封建勢 力」,す なわ ちカオダ イ, ホ ア- オ, ビ ンスエ ンな どの政 治一宗 教集団 ( Fal l ,B.B. )の群雄 割拠 時代 949年以来入 れ替わ り立 ち替 わ り現 われ る政権 (1 949年 6月首 相パ オダ イ帝で仏連 で, それ に1 n Phan 内閣, 50年 5月 Tr an Van-Hu 内閣一親仏-, 合 に加盟 して以来 ,49年 9月 Nguye 52年 6月 Nguyen Van-Tam 内閣一対 仏- ,54年 1月 BuuLo c内閣-親 仏- ,54年 7月 Ngo Di nh Di e m 内閣-親 米-) は全 国の民族主 義者 を統 一的 に動員す ることに成 功 しなか った。 こう した状況 の中で, ジ ェムが米 国の強力 な後 押 しで登場 して くるわ けで あ るが,かれ はあ る意味で 当時 の南 ベ トナムの もって いた 「切 り札」 で あ った。 旧官僚 で優 れて封建 的な背景 を もった ジェムで はあ ったが,かれ は当時 の国民的 な反仏 ナ シ ョナ リズ ムと反共 感情 を象徴 的 に 統一 しうるよ うな前歴 の持主 で あ った. ジェムは32才 (1932年)に して安南 のパ オダ イ帝の下 で, Chi ef -Mi ni s t erの地位 にあ りなが ら,仏植民地勢 力 の政策 に反対 して その職 を辞 し,爾来 野 に あ って仏 当局 の監視 と, 後 にはべ トミンの テ ロに 追 われ なが らも 終始 ベ トナムに 留 ま った。 年 1月 か ら 2年 間米 国-亡命 ,政 治活動 を続 けた。 ) ただ,かれが カ ト ( せ っぱっ ま って , 1951 リック教徒 で あ った こと,特 に南部 で は政 治的地盤 を もたなか った ことのため に, 1 954年 に南 で政権 を担 当 した ときには,北 か ら逃 れて きた特 権勢 力 の上 にその根 を下 ろ さざるをえなか っ 956年 7月 の統 一選挙 を ボイ コ ッ トさせ たの もこう した勢 力で あ った)020) た と思 われ るol9'(1 そ こで, ジ ェム政権 の成立 を理解 す る鍵 を整理 すれ ば, 1 )東 西 の冷戦下 におけ る共産主義 勢 力 の抑圧 を 目指 して仏 に と って代 わ った米 国の反共 の利害 , 2)共産主 義者 に土 地や特 権 を l e sf 6odaux)奪 われ て南へ逃 れて きた封建支 配層 ( 地主 ・高 級官僚 ・名主層- の く北 の 奪 回> とい う階級的利 害,3)反共 ・ナ シ ョナ リズ ム ( 反 仏) とい う民 衆 の一般 感情 お よび 4) 混乱 に疲燈 した民衆 の秩序 や カ リスマ的英雄へ の憧 れ, とい った要 因を考 え る ことがで き る。 1 9 ) Nguye n Ki e n,o P.c i i . ,p.82,pp.9 495; E.J.Hamme r ,The St r uggl efo rI ndo c hi na ( St anf o r dUni ve r s i t y,Cal i f o r ni a1 95 4 ),p・2 8 4; D・La nc as t e r ,TheEmanc i pat i o no fFr e nc h I ndo Chi na ( Oxf o r dUni ve r s i t yPr e s s ,Lo ndo n1 961 ),pp.3 2 8 1 3 2 9. なお,ジェムとその家族の 詳 しいヒス トリーに関しては, Nguye nKi e n,09. c c ' i . ,pp.739 7;E. J.Ha mme r ,o P.c i t . ,pp. 86 8 7,pp.1 49 1 50 ,pp.21 82 1 9,pp.2 2 7 2 2 8;Nguye nThai ,oP. c i t . ,pp.909 4;B.B.Fal l , oP.c i t . ,pp.23 42 5 3;R.Shapl an,TheLo s tRe v o l ut i o n;Vi e t nam 1 9 45 65 ( Har pe r ,I l l i noi s 1 9 6 6 ),pp.1 0 0 1 3 9. 2 0 ) D.Lanc as t e r ,o P.c i t . ,pp.3 41 3 46;Nguye nThai ,oP. c i t . ,pp.878 8;Nguye nKi e n,o P. c t t ・ ,pp・828 3;R.Shapl an,o カ.c i t . ,pp.11 41 1 5. 6 2 - 6 2- 中 野 :南 ベ トナ ム 社会 の 構 造 と過程 確 か に, ジ ュムが政 権 を 引 き受 けた ときの南 ベ トナ ムは容 易 な らざ る状 態 で あ った。南 部 の 農 民 を 中 心 に して,南 ベ トナ ム人 口の約 半 分 は反 ジ ェム勢 力 の砦 を築 いて い た し,半 封建 的勢 力 は皇 帝 や仏 国 と繋 が って い た。 ジ ュムの失敗 を望 ん で いた 仏勢 力 は ヒ ン将 軍 ( Gener alNguyen Van Hi nh) をかつ いで クー デ ター の試 み さえ もって い た 。膨大 な北 か らの避 難 民 (これ らは仏 軍 の撤 退 に伴 って起 こ った)の移動 は,ジ ェム政 権 を混 乱 に 陥れ るた めの フ ラ ンス側 の 策略で あ った とさえい われ て い る ( Shapl an,氏. )。 に もか か わ らず , ほ ぼ 1 956年 前 半 をや まに,カオダ イや ホ ア- オ を討 伐 し終 えた ジ ェムは, い ちお う南 ベ トナ ム政 府軍 を統 合 ,これ を掌握 す る。21) しか しなが ら,問題 は , か れ の封建 的背 景 , カ トリック教 徒 で あ った こと,加 えて有 能 な補 佐 官 や行 政 組 織 を もた なか った ことな どの た め に ,国内的 な不 満 を充分 処 理 で きなか った点 で あ る。 それ に,救 国 の使命 感 の故 にか え って権力 に執 着 す る偏 狭性 ・排 他 的性 格 が か れ と民 衆 との距 離 を ます ます拡 大 させ る ことにな った。情 熱 的 な民 族主 義者 が 必 ず しもそ の ま ま有 能 な 行 政 的 リーダ ーで あ るとは限 らな い。 Lancast erや Thaiは この点 か ら ジ ェム体制 の危 機 を理 解 せ ん と して い る。22'それ に, ジ ェム政 権 の決 定 的 な失 敗 と して 当時 か ら指 摘 され て い た もの 956年 6月 お よび 8月 村 長 お よび省議 会 議 員 の選 挙 を 廃止 し, これ を任 命 制 に した ことが に ,1 挙 げ られ る。 この処 置 は, ベ トナ ム社 会 の伝 統 的 な村 落 自治 制 を 崩壊 して民 心 を政 府 か ら離 れ させ ると同時 に,無 能 な官 僚 行政 組 織 に ます ます 膨大 な 仕 事 を背 負 わせ る結 果 とな り,行 赦の 施 行 を混乱 させ て しま った。 この混 乱 と弱点 に拍 車 をか けた のが ,1 957年 中 頃 か ら南 ベ トナ ム 全 土 に拡 が り始 めて いた共 産 側 の武 力活 動 で あ り,1958年 1月 4 口には,大 規模 な共 産 ゲ リラ が サ イ ゴ ン北 部 の農 園 を攻 撃 した ( 機能 要件 の 階統 性 の変 化 )0 この危 機 に対 処 した ジ ェム政 権 の姿勢 は, しか しなが ら,上 にみた 混乱 と弱点 を い っそ う深 めて ゆ く方 向 で あ った O 行 政 組 織 や政 策 の改 革 は, 1960年 4月 30日, 自称 「進 歩 と 自由の た め の1 8人 委員 会」 が大 統 飯 に直 接 要 望 23)を訴 えた 内容 か ら も分 か る通 り, <Di emocr acy> の弊 書 を いかん な く露 呈 して い た。 能 率 よ り もゴ-族 - の忠 誠が人 事 移動 の原 理 とな り,1 959年 8 月 30日の第 2回全 国選挙 で は徹 底 的 な非 民主 的 干渉 の結果 ,与 党 派 が 国会 の全 議 席 を独 占す る とい う有 様 で あ った。 こ う した傾 r E 引こ輪 をか けた のが ,ジ ェムの ラスプ ー チ ン( Shapl an,良. )と な った ニ ュー ( NgoDi nh Nhu ジ ェムの実 弟) が 組繊 した 「人 格主 義 労 働 車 命党 」 ( Can-Lao Nhan-ViCach-Mang-Dang=Revol ut i onary Per s onal i stW or ker s'Part y) で あ り, それ は 例 の 「パ ー ソナ リズ ム」24)の哲 学 とは うらは らに,実 際上 はニ ューの秘 密 警察 で しか な く, ジ ェ ム政 権 の独 裁 化 を 助長 した。活 動 と表 現 の 自由が こ う して 全 く制限 され て しま った と ころで人 21 ) B・ S・ N・Muf t i , Vi e t namDi v i de d:TheUn jni s he dSt r uggl e( As i aPubl i s hi ngHous e,Bombay 1 9 6 4),pp・1 2 5 -1 62にはこの間の全般的事情が詳 しい。 22 ) D・Lanc as t er ,oP.c i i . ,p.3 47;Nguye n Thai ,o少. c i t . ,p.87. 23 ) 要望の内容は,"Mani f e stoft heEi ght ee n" として B.B.Fal l ,o P.c i t . ,pp.43 2 43 8 に収録 さ れている。 2 4) 「パーソナ リズム」については,I b i d. ,pp.2 462 5 2. 6 3 東南 ア ジ ア研 究 第 6巻 第 1号 材 を求 め る ことは不 可 能 で あ った。 米側 は, ジ ェムに連 合 政 府 を作 るか また は政 治 的反対 派 の 活 動 を 自由 に認 め る ことを勧告 したが , これ は ほ とん ど無 視 され て しま った 。2 5 ) 以上 の点 か らも明 らか な よ うに, ジ ェム政 権 の誕 生 が 強 い米 国 の支持 に負 って い る と同時 に, 初期 の 国 内統 合 の漸 次 的成 功 ( 能 率 )が ジ ェム 白身 の民 族 主 義 者 と して の正 当性 と相 ま って , あ る程 度 まで成 功 を収 めた ことは否 定 で きな いで あ ろ う。 しか し,客 観 的 にみて ,ジ ェムの南 部 で の正 当性 ( s uppor t )は それ ほ ど高 か った とは い えな い。 そ して , この点 は 1957-58年 を境 に して 体 系 の第 一義 的機能 要件 が反共 産 ゲ リラ戦 争 の遂 行 に変 化す る ことで決定 的 とな る。 ジ ェム政 権 は, この共 同 目標遂 行 にお いて充 分 な成 果 を あげ えず ,戦 いの イニ シア チ ブを取 る ことが で きなか った。加 えて , それ に よ って失 わ れて ゆ く正 当性 を強 制 力 で保 持 しよ うと した。 す な わ ち, 自ら体 系 構造 の 中 に強 力 な 「 勢 力連 関」 を組 み込 ん だ の で あ る。 そ の結 果 , 目標 に倒 錯 が 起 こ り,体 系 の機 能 要件 充 足 で は な く, この 「 勢 力連 関」 そ の ものの維持 が 「政 府」 の 目的 と 化 した。 この た め実 質 的 な 「 正 当性 」 の分 解 が起 こ り,政 治権 力 ・軍 隊 ・警 察 力 な どの 「私 化」 が 国家 レベル で一般 化 し,一方 で は全体 主 義 的 な権 力構 造 が 存在 す る反 面 ,他 方 で は, 多数 の f or mal )と 「分 権主 義 」( i nf or mal ) の共 下位 特 殊 集 団が これ を分 有 す る とい う, 「中央集 権 」( 存 関係 が 現 出 した ので あ る。 Ⅴ Ⅰ次元 - ≠ 統 合 ク をめ ぐる諸 問題 社 会体 系 の統合 は, あ る意 味 で ,す べ て の活 動 の基 盤 で あ り, 中核 で もあ る。 そ して , この 次元 で の o ut put「連 帯」 は,他 のす べ て の下 位体 系 で要 (か な め)の役 割 を果 たす。 しか し,こ の領 域 で も, 国家 レベル で の国 民 的連 帯 は努 力 目標以上 の もの とはな らなか った のが 南 ベ トナ ムで の現 実 で あ る。 「連 帯」 は,す で に擬似 血 縁紐 帯 を主 柱 とす る下 位 集 団 に吸収 されて いた か らで あ る。 ここで は,実 証 的 デ ー タと して は, 国家 レベル で の統合 を 困難 に して い る階層分 化 の問題 を手 掛 りに して , この問題 を検 討 して み る ことに しよ う。 な お,統 合 の要件 性 が高 ま ●● るの は,社 会体 系 が 「 適応 」 的機能 一 般 の遂 行 で失敗 す る とい うよ うな危 機 に直 面 した場 合 で 2 5 ) Nguye nThai ,o P.c i t . ,pp.25130,pp.303 8; R.Shapl an,o P.c i t . ,pp.1 40 -1 87. ジ ェム政権の初期から,その行政全般にわたる技術援助を行な ったものに " MSUVAG"があったが, 95 7 年以降)その政策勧告が無視されたことを述懐 している。 この かれ らも後期になると ( すなわち,1 グル-プは,さらに,( 1 )新 しく作 られた行政組織ほど,人間関係が組織の レッド・テープやプ レステ イジの問題から自由であったので,能率的にかれ らの勧告を受け入れ,実施 したこと,( 2 )既存の行政 3 ) 中央集権的な行政的権威 組織が変革 されねばならぬような種類の勧告には常に難渋を示 したこと,( を強化する方向の勧告は容易に受け入れたこと,などを述べている。 R.Sc i gl i ano& G.H.Fox,Te c hni c alAs s i s t anc ei nVi e t nam-i keM3 ' C hi ganSt at eUni v e r s i t y Ex Pe r i e nc e -( Pr a e ge r ,N. Y.1 9 5 6 ),pp.2 4-2 6.行政の問題については,特にベ トナムの伝統的なバ e m Dang,Vi e t nam-Po l i t i c s& Pub l i c ク- ンから説 き起 こした専門的研究が最近出版 された。Nghi Admi ni s t r at i o n-( Ea s t We s tCe nt e r ,Ho no l ul u1 9 6 6 ). 6 4 - 6 4- 小 野 :南 ベ トナ ム 社 会の 構造 と遇 f・il_ あ るが , こ う した危 機 は, 南ベ トナ ムで は , 1 961年 末か ら62年 にか けて 急 増 して くる。 しか し, 政 治権 力 の孤 立 化 と硬 直 化 , 米 国 の 介入 , さ らに資 源 動 L r = i の G次 元へ の 集 申 , それ に 一般化 し た 「私 化」 の 傾 向が , 国民 的連 帯 の 阻害 要 因 と して働 い た 。 さて , Lacos t e は, 後 進 型 社 会 の諸 特 徴 を 検 討 して い る所で , 農 業 上 の欠 陥 とい う項 を か き,土 地 所 有 の矛 盾 につ いて述 べ て い る。 それ は,人 口の小 部分 が 広大 な土 地 を所 有 し,逆 に 人 口の大 多数 が ほ とん ど土 地 を もた ぬ とい う矛 盾 で あ る 。26) こ う した人 口 と土 地 所 有 o j不 均 裾 は,パ オ ダ イや ジ ェムの土 地 改 革 の プ ログ ラム に もか か わ らず 南 ベ トナ ム に も存在 す る。 一 般 に, ベ トナ ムの大 土 地 所 有 制 は 旧 コ- チ シナで最 も顕 著 で あ り,総 じて 貧 しか った北 ・中 部ベ トナ ムで は元 来 農 業 構 造 の様 子 が異 な って い た。 南 部 で は, 50ha 以 上 を もた ぬ と大 土 地 所 有 者 の範 暗 に は入 らな か ったが , 申 ・北 部 で は 1 0ha以 上 を もて ば す で に重 要 な 地 主 と考 え られ 939年 の統 計 で は, サ イ ゴ ン西南 の メ コ ンデル タ1 4県 で , 50ha 以 上 を所 有 す る地 主 は た。 1 6306人 ( 総 地 主 人 口の約 2%) を数 え るが , か れ らは 98万 71 00ha (総 面 積 の約 90% ) c D土 地 )最 近 で も この地 域 で , 25万 人 中 6200人 ( 約 2%) の地 主 が 1 03万 5000ha を 所 有 して い た 。27 ( 約 45% - 水 E E l ) を もち,他 方 , 1 8万 3000人 の 地 主 ( 約 72% ) が 34万 5000ha ( 約1 5%) 0 )土 2 8 )Ki en は また , 同地 域 で の現 状 に触 れ て , 5ha 以 下 また は全 然 土 地 を所 有 して い る とい う。 3% を もつ にす ぎな い点 を指 摘 し, 地 を もた ぬ農 家 が 人 口の 約 72% を 占め, それ が 全 耕 地 の約 1 「3軒 に 2軒 は全 く耕 地 を もた ぬ」 とい って い る。 か れ らは, 俗 に タ ・デ ィエ ン ( t a-di en)と J _ ) 呼 ば れ ,農 地 改 革 前 の大 きな 問題 で あ った. しか し,戦 争 に よ る地主 の都 市 - の逃 避 で (そ C うちの 5% が わず か に小 作料 を 獲 得 で きた), 1 956年 まで には, 34万 9500ha の水 田が 見 棄 て られ , これ と仏 人 コ ロ ンの所 有 して い た土 地 は貧 農 に分 配 され た 。29) ちなみに, t adi e n とは,土地を もたぬ農奴的な小作人で,地主か ら土地を借 りて,労働 ・道具 ・家 畜およびその他のいっさいの リスクを F lら負担 してそれを耕 し,収穫の3 3 -6 6 % くらいの小作料を支払 う農民である。かれ らの地主 との閑係は二重であって,一方では, こうした土地賃貸イ 酎二よって搾取 さ れ,他方,道具 ・家畜 ・不作の時の娃活費などを地主か ら借 りて金融的な紐帯で も強 くこれ に縛 られて いた 。30) 1 956年 10月 30日, ジ ェムは法 令 57号 に よ って土 地 所 有 の 制 限 を行 な った。 それ に よ る と,最 高 1 00haを個 人 所 有 の 限 界 と して , それ 以 上 は農 民 に売 却 さ るべ Lと され た 。 この場 合 ,土 0% の現 金 ,90% の政 府 公 地 を 買 った農 民 は 6年 年 底 で支 払 い を 行 な うが , 旧地 主 に は地 価 の 1 2 6 ) YvesLac os t e『低 開発 諸 国 』 (野 E E I 早苗 吉 沢 白水社 1 9 6 2 )pp.2 5 2 6, P.ci t . ,p. 1 2 2. 2 7 ) Nguye n Ki e n,o l ,o P.c i t . ,p・30 8・1 9 5 6 年以前の土地所有の有様は∴ 詳しくt は,Nguye nVanHao, o P. 2 8 ) B.B.Fal c i t . ,pp.4 41 5 4 を参照。所有の構成 ・規模 ・共有地 な どに関連 して, 中部および南部の差異 もよ く理 解 され る。 2 9 ) Nguye n Ki en,oP. cl ' t . ,Pp.1 2 3 1 2 4. i t . ,pp.3 9 43. 3 0 ) Nguye nVanHao,oP.c - 6 5- 6 5 東 南 ア ジ ア研 究 第 6巻 第 1号 債 , 3% の 利 子 が 支 払 わ れ た 。31'農 地 改 革 実 施 後 の 効 果 な どを も含 め て , 以 上 の状 況 を や や ミ ク ロ に 眺 め て み よ う。 これはかな り典塾的なデル タ地帯の-村落のケース ・スタデ ィであ り,調査 は1 95 8 年 に行 なわれた。 対象の村落 はサイゴ ンと ミ トの中間 にあ り,戸数 5 9 0,人 口3 2 41,六つの村 ( haml et ) か ら構成 されて いた 。32) 1 95 7 -5 8 年現在 ( 1 95 6 年の土地改革 は この頃にな ってや っと実施段階に入 る), この村落での土 5. 91 ha は, その5 8%が 1 ha 以下 に細分化 された 地 ( 水田)所有状況 は次の ごと くである。総面積 92 9 ha の社寺所有地 があ る。公有地 は全体 の3. 1 % にす ぎず, ほ とん ど無視 しう 耕地であるが, これ に 2 る ( 北 ・中部ベ トナムでは, 公有地 は2 0-3 0 % の 高率 を 占め るのが普通で 南部 とはかな り様子が異な る)。 この 9 0 0 ha 余 の土地を 1 3 0 人 の地主 (内3 1 人が不在地主)が所有す るが,大地主が 1人 いて 3 2 3. 全体 の3 5 %) を一手 に所有す る。6 ha 未満を所有す る地主 は7 6 %強 におよぶが,かれ らの所有 86 ha ( 面積の割合 は21 %弱 にす ぎない。 それ に対 して 1 0 ha 以上 の地主 1 4人 ( 約1 1 %)が 6 0 3. 41 ha ( 約6 5 %, 最大の地主を除 いて も4 6 %弱) を所有 している。 また,在村地主 ( 全体の7 6 %) の うち7 1 % ( 全体 の5 4 %)が 3 ha 未満の土地を所有す る零細地主であ り, かれ らは全体 の1 1 % の土地を所有す るにす ぎない のに対 し,不在地主 ( 全体 の2 4%) は, 2 ha 以下 または 4-8ha の所有者が圧倒 的に多 いが, うち 6 人 ( 全地主の4. 6 %) が全耕地 の47 %弱を 占めるとい う数字が明 らかであ る。 さて,1 95 6 年 の法令 は 1 0 0 ha 以上 の大地主 を対象 に した ものであ ったが, この地方 ( Long An 県) 8 人の該 当者があ り, 調査対象地域では, すでに述べた通 り, 3 2 3. 86 ha の地主が 1人 であ った。 で3 1 95 7 -5 8 年 にかけて, ここではかれの土地 2 2 3. 86ha が再分配 され ることにな り, 以前 の小作人 であ っ 49 人が 自分の土地を もつよ うにな った。 その平均再分配土地面積 は 1 . 5ha強。新 しい土地所有者 の た1 7 3 %が 2 ha 以下 の土地を もつ ことにな った。 しか し,農地改革前後の土地所有状況を ロー レンツ曲線 で比べてみ ると,なるほど,分配 は以前 の土地所有形態 に比べてず っと平等 にな っているが,村落全体 の土地所有形態 には大 きな効果を及 ぼ していない。 その上,再分配のための土地が絶対量 において希少 であ ったため,t adi e n に土地を与 えることがで きなか った点 は, この土地改革 の限界 を如実 に示す も のである。33) 土 地 所 有 の 形 態 は お お む ね 上 に み た 通 りで あ るが , 次 い で これ に若 干 の 資 料 34)を 加 え , さ ら 1 954-63) に お け る成 層 構 造 に社 会 ・経 済 ・政 治 的 一 般 事 情 を 考 慮 しつ つ , 南 ベ トナ ム社 会 ( を 素 描 して み よ う。 (図 お よ び 写 真 参 照 ) Ⅰは , い わ ゆ るパ ワ ー ・エ リー トで あ って , 頂 点 の 人 々で あ る. 政 治 的 ・経 済 的 権 力 を 大 幅 31 ) なお,農地改革全体 の研究 としては, Nguyen VanHao,o P.c i t . ,pp.1 1 9 -1 3 9. ここで,かれ は 次の 2点で この改革を批判 している。すなわ ち, (1 )買上 げ後 の再分配が きわめて遅 い こと- 1 9 61 年 / 4( 1 2 万0 463 ha) がそのままにな っている- , ( 2 )1 0 0 haの最高制限所 の数字で も未だ買上げ地 の 1 95 6年 の法令 5 7 号第 3条 では, 30 ha 以上 有地 は,最高許容制限 としては高す ぎること- もちろん 1 ha 以上 の水 田は を 1人 で耕 してはな らぬ とな っているが,実際は, 現在の技術水準では一家 5人で 5 耕せぬ といわれている- 。 32 ) J .B. He ndr y,TheSt ud yo faVl ' e t name s eRur alCo mmum' t y-Ec o no mi cAc t i v i t y-( MSUVAG Sai gon 1 9 5 9 ),pp.7 45. 3 3 ) J . B.He ndr y,o P.c i t . ,pp.3 2 -3 4. 3 4 ) Z b i d. ,<社会一経済階層> についての家計支 出の調査 G・C・Hi ckey,TheSt ud yo f aVi e t name s e Rur alCo mmuni t y-So c i o l o gy-( MSUVAG Sai go n1 9 6 0 ) による家屋の分類調査 および村落社会 G.C.Hi c key,o P.c i t . ,p.2 6,pp.9 0 -1 2 4). の階層構造な らびに各階層 の生活 に関す る記述 ( J.B.He ndr y,TheWo r kFo r c ei nSai go n( MSUVAG,Sai gon 1 9 6 0 )によるサイゴンー シ ョロ ン地域の中小企業労働者の賃金調査な ど。 6 6 - 6 6- 中野 :南 ベ トナ ム社会 の構 造 と過 程 南 ベ トナ ム 社 会 ( 1 95 463 )C / )成 層 構 造 モ デ ル Ⅰ. パ ワ ー ・エ リ- 卜, I l. 準 パ ワ ー ・ I I .超大地主層 エ リー ト, I <都市社会> 1.都市上 層 2.都市 中層 3.都市下層 i ・村落上 層 i i .村落 中層 i i i .村落下 層 <村落社会> 写真 成 層構造 モ デル に対 応 す る家尻 ・ : ・∵ -i・ 十 一・ 一 .. ・ . . : .・, ・ 東 南 ア ジ ア研 究 第 6巷 轟 1号・ に独 占 して い るO この集 団 は大統領 とその一族 ,国政 の計画 ・決定 ・施行 の権限 を有す る少数 の高級政 治家 ,高 級官 僚 ,高 級軍人 , それ に最 も豊 かな一部 の商人 ,企業家 よ りな り, これ ら の問 には イ ンフ ォ-マル な繋 が りが存在 す ると思 われ る。 Ⅲは, Ⅰに同 じ く,高 級官僚 ,高 級 軍 人,大 商人 な どで構成 され るが ,Ⅰに対 して従属的でかつ 明確 な権力志 向性 を有す る。頂点の順番 を最 も高 い所 で待 って い る人 々で あ るが,派 閥が存在 す るか ら必ず しも強固 な統一 を示 して い るわ けで はな い。 1ほ,将校以上 の軍 人 ,役付 き以上 の官僚 ,上層店舗 , 中 小 企業 以上 の経営者 ,仲 買 また は卸商人 ,高 級技能職 , お よびその他 の 自由業 ( 聖職者 ,弁護士 ,医者, 大 学 ・高 校以上 の教職者 な ど) を含む雑 多な幅の広 い層で ある。忠 誠の方 向は体制権力 と反対 制 の二方 向- の可能性 を もってい る。 2は, 中堅 の商人層,下士官 クラスの軍人 ,官僚 ,大 企 業労働者 また は熟練 労働 者 ,下 級 自由業 な どによ って構成 され, 3は残 りのすべ ての都市住民 で ある。職 種 の雑 多性 に もかかわ らず ,その収入 につ いてみれば (これで妻 子 3- 4人 を養 う 500-3000ピアス い レ (約 1万 2500- 1万 50 00円) と推定 のが普通 ), 2と 3の境 界線 は ほぼ 2 され, 3の構成 部分 は都市人 口の約 7 0% と思 われ る。 2の上 限 は ,5000-8000ピア ス トル (約 2万 5000- 4万 ) くらい と推定 され る。 村落 社会 の ほ うは, Ⅲが超大 地主 で きわ めて少数で あ り,次 いで iは,農 村 の大 地主 ,勢 力 68 - 6 8- 中野 :南 ベ トナ ム 社会 の構 造 と過程 家 , 名 望家 また は高 級官 僚 層 で あ って , 都 市 社 会 との連 繋 も深 く体制志 向。南 部で は土 地 に し iは, て 30-50ha 以上 が基 準 にな ろ う。 そ の数 は ほぼ農 村 人 口 の 5% くらい と推 定 され る 。i IJ L、 とす る階 層で,土 地 所有 の点 で は 5-6ha 以上 , それ に いわ ゆ る 中 流 の 自作農 を 「L iii a), わ れ るo な お, 同一 階層 レベ ル に あ って も村 落 社会 の場 合, 考 虹金収 入 の 水準 で は都 l 吊仁 会 の場 合の半分 を下 回 る と推 定 され る。 以上 , ジ ェム政 権 下 南 ベ トナ ム社 会 の成層 構 造 を や や図式 的 に描 いて み たが , この 場 合,那 市 社会 と村 落社 会 の人 口比 は ほぼ 1対 4 くらい と考 えて よか ろ う。 こあ よ うな成 層構造 が示 唆 して い るの は,生活 圏 を異 にす る階層 c J j併 存で あ り,特 に社 会 的距 離 の大 な る階層 間で は相互 に著 しい心 情 的 紐帯 の 欠落 が あ る。 さ らに, 国民 的連 帯 の 阻害 閑 とい う ことになれ ば, こ う し た 階層 間 の分 裂 に加 えて ,都 市 と農村 , 南部 人 対 北 部人 , キ リス ト教 徒対 仏教 徒,親米対 朗 畑 ( 特 に指 導 者 層 の問 で) の諸分 裂 を これ に加 え る必 要 が あ る 。 そ う して , こう した 社会 的 カテ ゴ リーの 内部 で は , 成 闘 こ諸 欲求 充 足 を提 供す るか わ りにか れ らの忠 誠を 全 面 的 に吸収 して い る f unct i onaldi fus egr oupi ngs が , 時 には競 合 し叫 には融 和 しつ つ l ' j l々の カテ ゴ リー 全 休 を支 え る連帯の核 を形 成 して い るので あ る。 Ⅵ L次元- ≠ment al i t y〟 と ≠価値体 系' 'を め ぐる諸 問題 j社 会 社会体 系 の L次元 の機能 は , い ささか陵 味な点 もあ るが , その最 も重 要 な もの は所 与o 体 系が も って い る秩 序 (-構造 と呼 びか えて もよい) を正 当 化 し, 教育 や宣 伝を通 して そ の正 当性 を強 化 す る ことで あ る 。 そ う した機能 の遂 行 は,通 常 ,最 も基 底的 には第 -一 次 集 団 (なか んず く家族 ) にお け る成 員 のく 社会 化_ : >と して 行 な われ るた め,特 に家 族集団 が こ0 )機能 の 担 い 手と して 重要 視 され た ので あ る。 さて , 社 会 休系 と して の南 ベ トナ ム社 会の存立 を 合法 的政 権 に よ る (タテ マ 工 と して の) 価 値 ・規範体 系 の確 立 で把 えた本 稿 で は,実 際問 題 と して それが どの程 度 まで人 々の意 識 に定 着 して い たか,す な わ ち この次元 で の out put「 威信」 の産 出量が体 系 に と って充 分 な もの で あ っ たか ど うか とい う点 を 明 らか に しな けれ ば な らな い 。 それ は,分 析 的 には, a) 経 済 秩 序 に閲 諸 部 分 の欲求 す る正 当化 , b) 共 同 目標 の設 定 ・遂 行 に関す る正 当化, C) 系 内的 緊張処 理 ( T I . 当化, の 充 足 と利 害 の調 整) に関す る正 当化 , お よび d) 価 値 休 系 の維特 ・強 化の た めの 7 四つ の 側面 を含 ん で い るO しか るに,す で に概観 して きた よ うに, 同家 レベ ル で は, 国家 桁 力 が非 能 率 化 と独蓑糾ヒの悪 循環 に落 ち込 み, それ は一 方 で は民衆 との距 離 を拡 大 す る反 面 他万 で は権力 自体 も上 層 ク リー クの間 で 分有 され る ことに よ って /多元 的私 化> の 傾 I r z . 」を著 し く示 す よ うにな って いた。従 って ,人 々の正 当性 の信念 ・価値 意識 ・忠 誠 もまた国家 レベル で収 敬 - 69I 9- 東 南 ア ジ ア研 究 第 6巻 第 1号 す る ことな く, こ う した下位 集 団 に吸収 され て いた と推 論 され るが , この点 に関す る条 件分 析 が 目下 の課題 で あ る。確 認 して お けば, この よ うな下位 集 団 は,南 ベ トナ ム社会 で は, い わ ゆ る ki ns hi p-ori ent ed part i cul ar i s m ( M. J.Levy,Jr. ) を 強 い主 柱 と して も って いた し, その うえ個 々の成 員 の第 一 次 的 ( cat het i c)な欲求 充 足 の みな らず ,r e cr ui t me ntchannelと して も 重 要 な社 会 的機能 を有 して お り,全体 社 会 の 多元 的私 化 傾 向 的 に も対 応 して い た と考 え られ る ( R. K.Mer t on の い う ( -解体 ) に よ る機能 喪 失 に機能 「潜在 的機能 」)0 ご く一般 的 にい えば,後 進 型 社 会 で は,万 事 にお いて 社 会 的分 化 の程 度 が低 く,従 って ,機 fus e な 関係 ゼ 繋 が れ るパ ー ソナル な ク リー クの遍在 性 が認 め られ る. しか も,情報 能 的 に di 交 換 の システ ムが未 発 達 で,人 々の空 間 約 ・時 間的パ ー スペ クテ ィブは偏狭 で あ り,当然 国民 的 レベ ル で の共 有 され た価 値 志 向が生 まれ に くい 。35) さ らに, 自然 的条 件 の影 響 を受 け易 い貧 し い農 民達 ( か れ らとて ,少 な くと も妻 子 を伴 った核 家族 を形 成 して い る) が , 「寄 らば大樹 の ns hi pが か げ」 で , よ り能 力 の あ る, よ り豊 か な 人 間 の周 囲 に集 ま り, しか もその場 合 , ki ns hi p そ う した集 団形 式 の第一 次 的基 準 にな る ことは 容易 に 理解 しうる. なぜ な ら, この ki の なか には 自然 な形 で 「所 属 ・親 しさ ・信 頼 の感情」 が 組 み込 まれて い るか らで あ る 。36) も っ と も, こ う した いわ ば ki ns hi p を核 と L par t i c ul ar i s m に貫 か れ た機能 的 に d躍us eな 集団 が どの程 度 まで 制 度 化 ( 従 って正 当性 を も って人 々の意 識 の 中 に 内面 化) して い るか は各 々の 社 会 に よ って異 な る37 ) に しろ,少 な くと も南 ベ トナムの場 合 につ いて みれ ば,これ に支持 的 に働 いて い る条 件 と して ,1)伝 統 的 な communalme nt al i t y と 2) 精 霊 信 仰 ( ani mi s m) と家族 主 義 を基礎 に したく 祖 先崇拝 > の習 俗 を挙 げ る ことが で き よ う。 しか も この 2者 は有 機 的 に深 く結 びつ いて い るので あ る。 そ の 中核 は ベ トナ ム人 の 「自我」 に関す る考 え方 で あ る。 か れ ら に と って理 想 的 な 「自我」 の存在 様 態 は (自然 を も含 めた) 他 者 との揮 然一体 と した調 和 で あ mi s m と co mmunal i s m の心理 的基礎 で あ るが ,他 方 こ る .38' これ は 明 らか に,一方 で は ani fus e な第 一 次 的集 団 内部 で しか存在 しえぬ もの で あ る以上 , う した 「調和」 が 現実 的 に は, di 内集 団- 外 集 団 感情 の基 底 で あ る こと も否 定 で きな い 。39) 35 ) L.W .Pye ,Po l i t i c s ,Pe r s o nal i t y,& Nat i o n Bui l di ng:Burma' sSe ar c hfo rI de nt i t y( Yal e Uni v.Pr e s s,New Have n & Lo ndo n 1962),pp.16-31. 3 6) H. P.Phi l l i ps,ThaiPe as antPe r s o nal i t y( Uni ve r s i t yofCal i f or ni aPr e s s ,Be r ke l e y& Los Ange l e s1965),p.27. ns hi p なかんず く家族 ( f ami l y)の重要性であり,差異は ただこうした 家族的結合 37 ) 共通な点は,ki の重要性にどの程度公的なイデオロギー的な ものをつけ加えるかであるといわれる。 中国 ・日本 ・ベ ト ナムさらにはフィリピンとタイやビルマの差異がそれである。例えば, タイやビルマで も ki ns hi pの nt i mat eな家族外社会関係で使用 され,また幼期における社会化過程で,家族の重要性が教え 呼称が i られる。L・W .Pye,o P.c i t . ,p.181; H・P・Phi l l i ps,o P.c i t . ,pp・22-23・ 3 8) Huynh Di nhTe, Vi e t name s eCul t ur alPat t e r ns& Val ue sasExpr e s s e di nPr o v e r b s( Uni ve r s i t yMi c r of i l ms,I nc. ,AnnAr bo r 1962 )Abs t r actp・i i ,p・52,p・71・ 3 9) ペイは, こうした 「 調和」や 「 協同」 ( c o o pe r at i o n)-の 過剰な配慮が 東南アジアのたいていの国 々の文化の中にあること, しか もこれが決 して国造 りに必要な 「 能率的な組織」の基礎にはな りえぬ点 P.c i t . ,pp.5ト52. を指摘 している。 L.W .Pye,o 70 - 70- 中野 :南ベ トナム社会の構造と過程 0 ) , さて , ベ トナ ム社 会 に お け る宗 教 的 信仰 の雑 属性 は , つ と に指 摘 され た と ころ で あ るが 4 そ れ は逆 にか れ ら間 有 の信 仰 (精 霊 信 仰 )が きわ め て 強 い こ との 証 拠 で あ る とい わ れ る。 しば し ば 強 調 され る仏 教 の 場 合 に して も, そ の 普 及 は物 理 的 ・空 間 的 な もの で あ る にす ぎず , そ の 内 ) こ う した 精 霊 信 仰 が 家 族 ' 7 _ L fはI貫 して か れ らの土 着 信 仰 に還 元 され て い る と い う0 )で あ る 。41 e を 意 味 し,両 系 の 同一 の制 度 ( 特 に, 狭 義 の家 族 nha に対 す る広 義 の h?は , 広 く parant 祖 先 か ら 派 生 した す べ て の 人 間 の み な らず 死 者 を さ え含 むる42)- 家 族 は一 つ の大 きな 寺 院 で あ ) と結 び つ い て 祖 先 崇 拝 を! 上み , これ が 狭 少 な共 同体 精 神 の 基 礎 とな って い る。 特 に, 南 ベ トナ ムで は, 開発 と村 落形 成 が 比 較 的 新 しい の で , 村 落 レベ ル で さえ , 北 部 や 中 部 に み られ る よ うな 強 い連 帯 が 形 成 され て い な い 43) とす れ ば , 家 族 ま た は ki ns hi p の もつ 意 義 は こと さ ら強 調 さ るべ き価 値 が あ る よ うに思 わ れ る 。 家 族 に対 す る強 い忠 誠 や責 任 が 強 調 され る こ う した家 族 原 理 は , 社 会 生 活 や 政 治 の 申- 浸 透 L s ect ar i ani s m や nepot i s m の温 床 にな る こと は 明 白で あ る 。44) こ う して , この 社会 で は, 「威 信」 も体 系 下 位 集 団 に分 有 され , 国 家 レベ ル で の 価 値 体 系 と 人 々の 日常 的 世界 の そ れ とが 離 れ て しま う。 従 って , タテ マ 工 と して の 価 値 (「反 共 」 と 「民 族 主 義 」) も, 一 般 の人 々に と って は , 日常 的 レベ ル で の か れ らの エ ネル ギ -活 性 化 に役 _ 立つ とい うわ けで は な い。 そ して , この構 造 は こ う した下 位 集 団 ( 具 体 的 に は, 家 族 ・擬 似 血 縁 集 団 ・自然 村 落 な ど) の も って い る機 能 的 自足 性 とそ れ を支 え る 「個 別 主 義 的 倫 理 感」 さ ら 特 に, 村 落 の 日常 生 活 を支 配 す る) に よ って 再 生 に伝 統 的 ・停 滞 的 な 生 活 環 境 の圧 倒 的 重 み ( 産 され 続 け る こ と にな る の で あ る ( M. J.Levy,J r. )0 \ l l要 約 社 会 体 系 の成 立 ・存 続 を 合 法 的 政 権 の存 立 を 基 準 に して 把 え た理 由 は最 初 に述 べ た が , そ れ は む しろ 「構 造 」 の在 り方 に 対 す る タテ マ 工 に 準 じて の ことで あ った 。 しか し, 現 実 に は, 40 ) 満鉄東亜経済 調査局 『改訂仏領印 度支那篇 』pp・47 01 471. 41 ) I b i d. ,p.4 72. 「 現在,安商人にその宗教を問えば,殆 ど総てが仏教であると答 える。然 も仏教が何 たるかを知 らず, 自分の周間に行われている正体不明の種 々な宗教的礼拝を仏教 と称 している場合が多 。 」 L.Cadi とr e, Cr o yanc ee t Pr at i que sr e l i gi e ns e s de s Vi e t nami e ns ( Ⅰ mpr i mer i e Nouvel l e d' Ext r gmeOr i e nt ,2 8mee d.Sai gon 1 9 5 8 ),p.31 「仏教は物質的に ( mat とr i e l l eme nt )拡が っているが, 仏教の教義や 道徳はこれ と無禄である-. ・ ・ 換言す ると,ベ トナム人 は仏教的礼拝を全 くアクセサ リー的に行 う,あたか もかれ らが変 ることな く忠 実であるかの偉大な信仰一精霊信仰-の二義的な行為で もあるかのように---」 なお, 今 仁 1 における具 体的なベ トナム村落における信仰の記述に関 しては, G.C.Hi cke y,The Sl ud yo f aVi e t name s eRur alCo mmumt y-So c i o l o gy-.pp・1 8ト2 2 3・参照 42 ) L Cadi と r e,o p.c i t . ,p. 35. bor ne,St r at e gi c Haml e t si n So z dh Vi e t nam ( Cor ne l lUni ver s i t y,I t hac a1 9 65 ), 43 ) M .E.Os p.2 0. 4 4) H uynh Di nh Te,o P.c i t . ,p.1 0 5. い 一 71- 71 東 南 ア ジ ア研 究 第 6巻 第 1号 1 95 7 年以前 と以後 で は,特 に 「 政府」 の役割 (その 「能率性」 と 「 正 当性 」) を め ぐって顕 著 な差異が存 す る。c o ns ol i dat i o n の作業 を 中心 と した初期 の Ⅰ ・L次元 での機能要件 の充足 は, 特 に米国の強力な後押 し, ジ ュムの民族主義者 と して の イ メ- ジの斬新 さ,反仏 ・反封建 ・民 族 主義 の一般 感情な ど,f avor abl eな諸条件 にめ ぐまれて い ちお う成 功的で あ った。 もっとも, 政府 ・行政 レベル にお ける ki ns hi p par t i c ul ar i s m の傾 向はすで に 1 9 5 5 年 5月の ジ ェム内閣 1 9 5 6年 初頭 の政 治一宗教集団 の掃 討 と政府軍 の確立 ・強化 と の組 閣 に も顕 著 に現 われて い るが , にみ られ る成 功 は,いちお う新政権が期待 しうる成果 と して は上 出来 の もので あ った。 しか し, r o ut i ni zat i o n) 一方 で は主要 な機能要件が 対 ゲ リラ戦- の諸活 動 とな り, 他方,行政 の 日常 化 ( 過 程で権力 の窓意性 と権威 主義 ( 特 に, ゴー一族 の国政 における私 的干渉,例 , 1 9 5 7 年の ≠ 家 族法J ')が増大 し,体 系機能 の全体 的遂行 とい う視 角が消 えて しま う。 こうした体 系機能要件 t i c ul ar i s m の進行 に伴 う, 命 令統一 ・ライ ン組織 の秘密警 遂行 の阻害 は,組織論的 には,par 察組織 による破壊が致命 的で あるが, これ らはすべて 「 政策」施行 の フ ィー ド ・バ ック機構 を 閉 ざす ことにな り,権力 の孤立化 と独 善 化を招 いた。特 に, これが人的資 源 ( 忠誠 と能力) の 動員 とい う社会構造 の 中心的要 素 を破壊 す るもので あ った ことは ここに詳 らか にす る必要 もあ 9 61 年 か ら始 ま った ≠ 戦 略村〃計 るまい。 (こうした行政 的欠 陥を如実 に暴露 して い るの は, 1 画で あ った。 4 5 ) ) 中央権 力の機能喪失 と正 当性 の失墜 は,par t i c ul ar i s m の多元 化 と して体 系下 位 集団- の 「 資 源」配分 の傾斜 を招 くが, それが伝統 的な <ki ns hi p-or i e nt e d> の 価値観 を中 核 と して, さ らには第一次 お よび文化的 ・派生的な機能 を も充足 させ うる 自足性 の高 い社会単 位 の生成 を促す (も っとも, こうした状況 自体 を可能 にす る もの は,後進型社会 に特徴的 な社 会 的 ・機能 的分 化 の未発 達 で あ る)。 こうして, 社会 の四つ の機能 的下位 領域 で 「 政府」 によ る 「資源」 動員の体 制が空洞化 し,体 系 の崩壊が必然 とな るので ある。 ( 1 9 6 7 年 7月 1 5日) 4 5 ) M.E.Os bo r ne ,o P・c i t ・ ,pp・5 2 5 7 ・ 7 2 - 7 2-