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南ベトナム社会の構造と過程 - Kyoto University Research Information

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南ベトナム社会の構造と過程 - Kyoto University Research Information
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南ベトナム社会の構造と過程 : 1954-63
中野, 秀一郎
東南アジア研究 (1968), 6(1): 55-72
1968-06
http://hdl.handle.net/2433/55482
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
東南 ア ジア研究
第 6巻 第
1号 1
9
6
8
年 6月
南 ベ トナ ム 社 会 の 構 造 と過 程
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54
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Ⅰ 分 析 枠 組 の提 示
本稿 の 目的 は,今 日,社 会 学 の分 析枠 組 と して台頭 しつ つ あ る体 系 - 機能 分 析 (
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-
1
954-63)の社 会 構造 上
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)2'の方 法 によ り後進 型 社 会 の一 つ で あ る南 ベ トナ ム (
の諸特 質 を 明 らか にす る こ とで あ る。 その場 合 , 体 系 一 機 能 分 析 の方 法 に よ る とは, この時
期 の南 ベ トナ ム社 会 を い くつ か の機 能 要件 (
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) の充 足 を必 要 と し, その
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) か ら 構成 され て い る一 つ の 自足 的 な
た め に 機 能 分 化 した い くつ か の下 位 体 系 (
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全 体 と して の社 会 との連 関 で 理 解 しつ つ , 社 会 の 存 在 様態 を解 明 しよ う とす る 方 法 を とる こ
1
) この研究は,当初,筆者の博士単位取得報告論文 「
比較社会構造論」の一部に 「後進型社会の-ケス ・スタデ ィ」 として添えた付録を原型 とし, これを実証的資料を中心に書 き改めたものである。その
第 1回 1
9
63
年 8月∼1
0
月,第 2回
うちのい くつかの資料は,筆者の 2度にわたる南ベ トナム滞在中 (
1
9
6
4
年 3月∼ 7月)に直接入手 したものであり,また特に最近の文献については,1
9
6
6
年 4月より1
9
6
7
年 3月まで,筆者が嘱託の栄を もった京都産業大学 世界問題研究所の御厚意によって収集 した。前者に
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関 しては, ミシガ ン州立大学の現地調査報告質料の一部を寄贈 して下 さった Nat
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on (サイゴン)に,また後者に関 しては,筆者の 1年間にわたる気ままな 研究に精神的
・物資的支援を択 く提供 して下 さったことにたい して同研究所所長岩畔豪雄先生に, この場所を借 りて
感謝の意を表 しておきたい。なお, この諭稿を書 き改めるについては,京都大学東南アジア研究 センタ
ーの石井米雄教授 と坪内艮博氏 に多 くの有益な示唆をいただいた。記 して御礼を申 しあげる。
2
) 全休社会に関す る社会体系論の展開は,主 として T.Par
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nsによってなされた。
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しか し,本稿の図式はこれ らを基礎に しつつ も,かなりの修正を加えてある。修正過程で示唆的であ
ったのは次の二つの論文であ ったC 吉田民人 「集団系のモデル構成-機能的系理論の骨子」 『社会学評
論』算1
4
巻第 2号 (日本社会学会,1
9
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5
東 南 ア ジ ア研 究
第 6巻 第 1号
とを意 味 して い る。 体 系 一 機能分 析 は また, この よ うに社 会体 系 と観 念 され た社 会 が , 環境
(
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) との 間 に起 こす 相 互 作用 に も 深 い関心 を もち, 特 に環境 か らの イ ンパ ク トと
して その社会体 系 の機能 要件 に緊急性 の強 弱 に従 って 一 定 の 階統 (
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注 目す る。 こ う して ,異 な った強度 の機能 要 件 の充 足 の た め に体 系 内の資 源 (
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)3'が
機能 要件 充 足過 程 で配分 され,一 定 の分 布 を示 す状 態 を こ こで は その社 会 の構造 と呼 ぶ。 しか
し,社会 構 造 の決 ま り方 は上 に述 べ た よ うな機能 的 プ ロセ ス に よ るだ けで はな い。 とい うの は,
な るほ ど,社会 の構造 的秩序 は その機能 的必 要 に よ って規 制 され る ことは疑 いえ ぬ事 実 で は あ
るが ,具体 的 ・歴 史 的個 物 と して の社会 は常 にな にが しか の 「機能 の残 基 」 (
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) と して の定 着 物 を制度 や慣 習 (さ らには,一 定 の価値体 系)と して残 存 させ て い る もの
で あ る。 そ して , これ は,上 記 の 「機能 連 関」 に対 して 「勢 力連 関」 と呼 ん で い い。 「勢 力連
関」 は,社 会 の資 源配分 (-構 造) を決 定す る も う一 つ の重 要 な契 機 で あ って ,特 に その社会
の構成 要素 で あ る特 定 の集 団 (また は集合体 col
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ect
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y) の主 我 的 な利 益 志 向 と関係 が深 い 。
この よ うに して ,社会 構造 は以上 の二 つ の契 機 , 「機能 連 関」 と 「勢 力連 関」 との錯綜 の うち
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m) 対 個別 主 義
に現 出す る ことにな るので あ るが , これ を 要 す るに, 普 遍主 義 (
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m)4' あ るい は集合体 志 向 (
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d) 対 自己志 向
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とい う形 相 変 数 (
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) で把 え る ことがで きよ う。
と ころで ,分 析的 ・演樺 的 な意 味で の結 論 を先 にいえ ば,歴 史 に現 われ た 「近代 化」 は国民
レベ ル (
nat
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o
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) にお け る普 遍主 義 化 ・集合 体 志 向化 (
す なわ ち, 1 国民 国家 の形 成
・発 展 , 2 国民経 済 の形 成 ・発 展) とい うことで あ った。 その た め に, 全体 社会 の機能下位
体 系 5)は, 当然 , これ を推 し進 め る方 向で活 動す る ことが 期待 され る。 その ことを, や や抽象
3
) この場合,「
資源」とは,人的 ・物的 ・社会的 ・文化的のものいっさいを指 し,抽象的には Par
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のいう 「
一般化 された能力」 (
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y) として理解 される (
1
) 「
物財およびサー
ビス」
,(
2
) 「
政治力」,(
3
)「
連帯」および (
4) 「
威信」である。 これ らについては, T.Par
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6) および,拙稿 「階級構造の要
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因分析に関する一考察」『
社会学評論』第17巻第 1号 (1966) を参照 されたい。
4) この視角から,
後進型社会を分析 しているものに,W.F.We
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) がある。
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nsのいう全体社会の機能分化 としての下位体系 とは ;
A次元 (
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n適応を受けもつ下位体系-目標達成に必要な用具を調達する機能を分担する下
位体系)
G次元 (
GoalAt
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nt目標達成を受けもつ下位体系-目標達成そのものを直接に遂行する機能
を分担する下位体系)
Ⅰ次元 (
Ⅰ
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n統合を受けもつ下位体系-成員の活動の円滑な組織化 ・活動の相互調整の促進
などを分担する下位体系)
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nt潜在的なパターンの維持 と緊
張の処理を受けもつ下位体系-世代から世代に文化を伝え,教育 し,また肉体的疲労や心理的緊張を緩
和するような活動を分担する下位体系)
なお, この発想の妥当性や限界については,拙稿 「T ・パーソンズの機能主義について」 『ソシオロ
966
)参照。
ジ』第13巻第 2号 (1
56
- 56-
中野 :南 ベ トナム社会 の構造 と過程
的 に述 べ れ ば , 各 機 能 下 位 体 系 は, 国家 レベ ル で の o
ut
putの総 量 を 最 大 にす るよ うな 仕 方
●●
で ,他 の下 位 体 系 の生 産 物 を 資 源 と して 動 員 しな けれ ば な らな い とい う こ とで あ る。 しか し,
問 題 は, こ う した オ プ テ ィマ ムな資 源 配分 (-構 造 ) を実 現 不 可 能 とす る現 実 的 要 請 の存在 で
954-63に お いて分 析 ・究 明す る ことが , 後 進 塑 社 会 に お け る
あ る。 これ を , 南 ベ トナ ム社 会 1
社 会 構 造 の あ り方 とその変 動過 程 を さ ぐる本 稿 の第 一 義 的 目的 で あ るo
Ⅲ 分 析 枠 組 に よ る対 象 の概 念 化
1. 両 ベ トナム社 会 1
954-63の成 立
-
歴 史的背景 -
「1
954-63」の南 ベ トナ ム共 和 国 の基 礎 は ,1
949年 6月 29日,統 一 の崩 れ た民 族 戦 線 か ら仏 政 府
承 認 のパ オ ダ イ政 権 が 成 立 した とき に湖 行 し うる。 1
858年 の ナ ポ レオ ン三 世 に よ る仏 艦 隊 の ツ
00年 弱 の仏 植 民 地 支 配 は, 1
945年 の ホ 一 ・チ ・ミン (
HoChiMi
nh) に よ
- ラ ン攻 撃 に始 ま る 1
るベ トナ ム民 主 共 和 国 の独 立 宣 言 で終 結 した か にみ え たが , 第 一 次 イ ン ドシナ戦 争 は早 くもそ
の翌 年 か ら始 ま った。 最 後 まで事 態 を平 和 的 に解 決 せ ん と した ホ 一 ・チ ・ミン政 権 も, つ い に
1
948年 9月 9日,対 仏 戦 争 宣 言 を行 な わ ざ るを え な か った 。分 裂 した ベ トナ ムの二 つ の政 権 は,
1
950年 に は冷戦 の 渦 中 に巻 き込 まれ る。 同年 , 中国 ・ソ連 が ホ ー政 権 の北 ベ トナ ムを承 認 す る
や 米英 は これ に遅 れ じとば か りパ オダ イ政 権 の 南 ベ トナ ムを承 認 した。 そ して , 仏 勢 力 と米勢
954年 の
力 が この戦 争 の背 景 で 漸 次 交 代 して ゆ く過 程 で戦 争 その もの の性 格 も変 化 し始 めた 。1
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m)内閣 の成 立 は ,
ジ ュネ ー ブ会 議 と南 ベ トナ ム に お け る ゴー ・ジ ン ・ジ ェム (
この変 化 の 明確 な指 標 で あ る。 それ は反 共 を 国是 と した親 米 (
反 仏) 国家 の成 立 で あ った 。6)
2. 社 会 体 系 ・環 境 ・機 能 要 件 の 階統
本 稿 が直 接 分 析 の対 象 とす る南 ベ トナ ム社会 1
954-63は, 1
954年 , 合 法 的政 権 と して の ジ ェ
ム 内閣 の成 立 に お いて 始 ま る。 これ に よ って , 当時 の南 ベ トナ ム社 会 が 一 定 の共 同 目標 や適 応
諸 制 度 , さ らに合 法 的 政 府 や 価 値志 向 を備 え た一 つ の社 会 休系 と して 概 念 化 され る。 その解 体
963年 11月 に崩 壊 す る時点 で起 こる。 これ は, 級
は, 同 じ く合 法 的政 権 と して の ジ ェム政 権 が 1
cons
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ncy), な か ん ず く価 値 ・規 範体 系 の一 貫 性 (も
能 要 件 の具 体 的 内容 に関す る一 貫 性 (
ち ろん , この場 合 は タテ マ 工 と して の それ) に その根 拠 を お く。
この社 会 体 系 を取 り囲ん だ環境 は
,「冷戦 下 の 国 際状 況 」 で あ り, 特 に直 接 的 環境 と して の
米 国 が 重 要 で あ る。
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)の 4次 元 で
954-57年 で は Ⅰ次 元 の統 合 お よ び L次 元 の 形 相 維 持 (共 に系 内的 i
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)
起 こ るが ,特 に 1
6) もっとも, この場合の親米は反仏の裏がえ Lにすぎず, 基本的には ナシ ョナ リズムのほうが 強い。
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6の安定期は, こうした反共 とナシ ョナ リズムの圧倒的な国民感情を基礎に していた0Nguye
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東 南 ア ジ ア研 究
第 6巻 第 1号
が優起 的で あ り, 1
957年 以 降,対 共 産 ゲ リラ対 策 (G次元) を 中 軸 と して , あ らゆ る資 源 が こ
こに集 中的 に動員 され る ことにな る。 な お,初期 の形 相維持 シ ンボル (
一 定 の社会秩序 を正 当
2)民族 主義 (
反 仏親 米) で あ る。
化す る価 値 的 シ ンボル) は, (1)反 共 と(
以下 ,社会 の機能 下位体 系 の各 々につ いて,具体 的 な事情 を述 べ て, これ に若干 の分 析 を加
えつつ ,社会体 系 の構造 と過 程 を, そ こに 一貫 して流 れ る part
i
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s
m (
個別 主 義) - の傾
斜 とい う主 軸 に沿 って考察 して みたい。
Ⅲ
A次元-
≠経 済 '
Y
をめ ぐる諸 問題
A次元 は,全体 社会体 系 で は,通常 , 広 義 の経 済 (
economy)に対応 す る社会体 系 の機能分
化領域 で あ るが,歴 史 的事情 か ら,後進 型社会 で は, この次元 で の out
putを増加 させ る こと
が,一般 に,潜在 的 な (そ して , しば しば顕在 的な)共 同 目標 で さえ あ る. もちろん ,南 ベ ト
ナ ムで もこの ことは例外 で はな い。 しか し,機能要件 の階統 性 か らみれ ば, 当然 この領 域へ の
資 源配分 は大 きな制 限 を受 け ざ るをえなか った。 その うえ,追 って指 摘す るよ うに,系 外 か ら
の莫大 な資 源導入 も再 生産過 程 を支 え る基 盤 には投入 されず , もっぱ ら消費過 程 で循環す る。
元 来 ,南 ベ トナ ムは 自然資 源 に恵 まれ,農産 物 の輸 出で も多様 な幅を もって いた。平 和 時 に
50万 トンの米, ゴム ・
茶 ・コ シ ョウ・
魚 な ど6000トンを輸 出 して お り, サ イ ゴ ン周 辺
は,年 平均 1
7
) けれ ど も,政 治 的独
の貧農 です ら北 ベ トナムの小 地主 程度 の生活水 準 にあ った といわれ る0
立 と平 和 とい う経 済発展 に とって重 大 な二大 要 件 を欠 如 した この国で は, む しろ往時 の植 民地
的 ・封建 的時代 の経 済水準 を さえ維持 す る ことが で きず ,他 方 ,莫大 な外 国援 助 はその経 済的
956年 の GNP につ いて み るな ら,人
自立性 さえ麻 捧 させ て しま った。 その異常 な経 済構造 を 1
7% ,工 業 11% ,商業 29% , サ ー ビス業 1
9% ,政府 関係 1
4%
口の約 85% を 占め る農業が全体 の 2
8
)す なわ ち,
とな って お り,商業 とサ ー ビスを合 わせ た第三 次産業 の48% とい う高率 が 目立 つ 。
これ らの肥大 した商業部 門 はそれ でな くと も生 産性 の低 い他 の経 済活動 に対 して正 に寄 生 的収
奪 を行 な う。 しか も, ここで は経 済 の中味が外 か ら入 って くる。 同 じ年 の米 国 の援 助額 は62億
4900万 ピアス トル で, それ は国家 予算 の約 32% , しか もその予算 の90% 以上 が実 質 的 には軍 事
9
)ちな み に, この年 の ドル換算 1人 当 り国民 所得 は 1
37ドル と出て い るが 10
)
,それ
予算 で あ る。
も先 ほ どみた国民総 生産 の 内容か らも推 察 され る通 り,大 きな所得格 差 を 内蔵 して い る ことは
否定 で きな い。
7
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,pp.1
4
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45より計算。
1
0
) 朝 日新聞調査研究室 『
激動するインドシナ』(
朝 日新聞社,1
9
6
3
),p.1
40.
5
8
- 5
8-
中野 :南 ベ トナム社会 の構造 と過程
表 1
両 ベ トナ ム 経 済 の 支 出 内 分 け と 米 国 の 援 助
(
単位
1
95
5
米 国 の 援 助
軍
行
事
予
政 ・ 安
交
通
・ 情
7
0
3
7.
6
算 !1
0
6
2
2.
1
全 : 43
3
5
報 ; 1
223.
1
経
済
合
活
計
∃
1
95
7
1
95
8
65
9
8.
6
49
91
.
2
1
5
48.
7
807
7.
1
6
0
42.
9
5
51
7
.
6
1
1
9
8.
7
(a)
計- (
A)
小
1
1
95
6
動 ・
(B)
米援助 の割合 (a/B)
_
(
%_
)
頁 膏 章 事薯 面 割 合
(
%)
(A/B)
6
96
7.
7
46
01
.
6
1
1
1
4.
3
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5
6
百万 ピアス トル)
7
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6
9
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5
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9
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7
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1
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5
1
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1
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2
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5
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1
2
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6
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,pp.1
4
4-1
45 よ り作成
米 国 の 援 助 は , ま ず 武 器 援 助 と い う形 で 入 って い る
(1
955159:4億 2400万 ドル , 1
959-60
955-59:9億 160万 ドル ), そ れ
:7448万 2000ドル )。 け れ ど も物 資 の 形 で 入 る もの も多 く (1
は 米 国 の 大 会 社 を 通 じて 南 ベ トナ ム に 流 れ , そ の 金 が 米 軍 と南 ベ トナ ム政 府 を 養 うわ け だ が ,
この 流 通 機 構 の 実 権 を 掌 握 して い る の は ≠南 ベ トナ ム の 大 蔵 省 〃 と い わ れ る
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n)で あ る。 か く して , 1960年 ま で に , 米 国 は この 国 に約 20億 ドル
の 援 助 を 行 な う こ と に な る。
つ いでなが ら,南ベ トナム経済をめ ぐる外 国勢力 についてみ るな ら,1
95
4年 には7
6
% の輸入を一手 に
独 占 して いた仏 国が,若干 の増減 はあ るが 1
96
0
年 には 2
2
%強 に落 ち,かわ って,1
9
5
4
年 には 7
.
8
% およ
び 3% の米 国および 日本が, これ また若干の増減を伴 いなが らも1
9
6
0
年 には1
9
%強 および1
7
% と各 々そ
の シ ェアーを拡大 してい る。 その間,仏 国は米 国 との交渉 によ り政治的利益 は棄てて も経済 的利害 は守
ろ うと し,南ベ トナムか らの輸 出品の買入れで は1
95
5
年 の3
7
%強 を 1
9
6
0
年 には約 4
2% と増加 させてその
地位 を保持 して いる。11) 実際, 仏国 は, 1
95
5
6
0
年 の米 国資本の圧迫 とジ ェム政権 の民族主義的政策 に
もかかわ らず,その利権 (
資本) を この国 にかな り残 す ことに成功 した。例 えば,資本投資 では,依然
仏因 は トップに立 ち,1
9
6
0
年 の経済危機 の場合 には,公認でその生産を 倍加 し,増資 を行 な ってお り,
1
9
6
0
年現在 その勢力 は南ベ トナム産業の約 5
0
%を 占め る と推定 されてい る。12) この仏系経済力 はゴム園
につ いては最 も明 白に現 われて お り,約 1
0万 ha の うち 7割 が仏系の会社 に掌握 されてい る。13) 仏 ・米
・日本 につ ぐ外国勢力 は,台湾 ・西 ドイツな どであ る。
この よ う に 実 質 的 に は , 再 ベ トナ ム の 経 済 体 制 が 半 独 立 ・半 植 民 地 的 で あ る と い う指 摘 と 開
936年 , す で に コー チ シ ナ
通 して , この 国 の 華 僑 勢 力 に つ い て も一 言 して お か ね ば な らな い 。 1
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,p.150.
1
2
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, p.1
51.
1
3
) I
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d.
,pp・152-153. 茶や コ- ヒ-の農園 もまた多 く仏系会社 の支 配下 にあ るO
- 5
99
東 南 ア ジ ア研 究
第 6巻 第 1号
表 2
お よ び安 南 を合 わせ て 1
8万 2000を数 えて い
南ベ トナムの労働者 (
1
95
9
年現在)
る これ ら中国 人 は,主 に商 業 (イ ン ドシナの
場 合 は,その主 要 生 産 物 で あ る米 の取 引 き)
商
に お いて圧 倒 的 な勢 力 を有 し, 特 に コー チ
シナに は 全 イ ン ドシナの 華 僑 人 口の 25%
業
労
働
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:
‥十 _
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(1
7万 1000人 ) が 集 中 して い た 。1
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小
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在 で , 首 都 圏 サ イ ゴ ンー シ ョロ ン地 域 の人
口 は約 1
70万 以 上
(内 シ ョロ ンの人 口 約 80
万 ),シ ョロ ンを 中心 に住 む 中 国系 の人 口 は
2
8
6,
3
2
0
*産業の7
0
%が1
0
人以下の零細企業
約 70万 と推 定 され た。 この 地 域 は, 南 ベ ト
ナ ムの商工 業 の 中心 とい って よ く, 多 くの 商 社 や工 場 が 群 居 す るが , 1
956年 現 在 で 中 国人 所 有
の工 場 2864 (内食 品生 産 653, 維 繊 625), 3979の商 会 ・商 店 が あ った。 しか し, 1956年 8月 3
日の法 令 で , 中 国人 に対 す るベ トナ ム国籍 強 制 取 得 の措 置が と られ ,追 って 同年 9月 6 日に は
外 国人 に対 す る1
1種 目の営 業 禁 止 法 令 が 出て , か な りの 中国人 が ベ トナム国籍 を取 得 した 。1
5
)
なお
,
サ イ ゴ ン- シ ョロ ン地 域 を 中心 に存 在 す る南 ベ トナ ムの労働 者 は表 2の ど と くで あ る
が , その都 市 生 活 の状 態 は か な り悲惨 で不 安 定 な もの で あ る 。1
6
) こ う した ス ラム的 人 口の増 加
945年 以 来 の戦 乱 に よ る地 方 か らの避 難 者 と 1
954年 以 来 の北 部 か らの
は, い うまで もな く, 1
移 住 者 に よ る人 口の都 市 集 中 の結 果 で あ り, これ は後 で も述 べ るよ うに, この社 会 で の 緊 張 の
原 因 とな って い る。 す な わ ち, 仏 教 徒 対 カ トリック教 徒 (
特 に北 部 か らきた村 落 カ トリック教
徒 ),南 部 人 対 北 部 人 の対 立 が それ で あ る。
938年 に は, 南 ベ ト
最 後 に, 農 業 の 中 で も最 も主 要 な 生産 物 で あ る米 につ いて みて み よ う。 1
ナ ムで ,246万 4000haの耕 地 か ら530万 トンの生 産 を あげ, そ の うち 1
20万 トンを輸 出 した実 績
を もっ が , 1
957-58年 を境 に して耕 地 は減 少 し, 1
962年 に は 166万 ha, 生産 量 も 300万 トンと下
落 して い る。 これ に加 えて , 1938年 以 来 ,約 58% 以 上 の人 口増 加 が み られ るの で あ るか ら, 覗
) これ は, い うまで もな く, 戦 乱
らか に食 糧 生産 レベル は戦 前 の植 民 地 時 代 に さえ及 ば な い 。17
に よ る農 業 の荒 廃 を示 す もの で あ って, それ 自身 この豊 か な農 業 国 の荒 廃 を示 唆 す る もの に外
な らな いC さ らに,単 位 耕 地 当 りの収 益 の伸 びが 欠 如 して い るが , これ は,農 業 生 活 に お け る
根 深 い停 滞 性 を示 して い る と思 わ れ る。
1
4
) 満鉄東亜経済 調査局 『改訂仏領 印度支那篇』 (
東京 1
9
41
),p.7
3
4.
1
5
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9
6
3
)p・2
9
4.なお,南ベ トナム経済全
体を扱 ったものに 『
南ベ トナムの経済開発』 (
アジア研究所,1
9
6
2
) がある。 また,南ベ トナムの農業
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問題に関 しては,Nguye
(
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9
6
3
)があ って,1
95
9
年までの数字が入手できる。
6
0
- 6
0-
中野 :嫡 ベ トナム社会 の構造 と過 程
蓑 3
1
9
61
1
96
2
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95
9
南 ベ トナ ム に お け る 米 の 生 産
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9
4.
以上 にみ られ る通 り, A次元で の問 題 は, 1) この下 位体 系 の活 動が,社 会体系全体 か らみ
れば低 い要件性 しか備 えて いないため,実質 的 に も out
putの量を増大 させ るための資 源配分
に恵 まれな い上 に, 2) 社会体 系 の主体性 を保持 すべ き国家 が この次元 で の out
putを掌握 し
て お らず , その上 3) 経 済 を核 とす る生活 圏が植 民地 の 旧弊 を残 しつつ残存 し (例 えば,i
.高
地諸 部族 の焼 畑農業圏 ,i
i
.低地住民 の米作闇 , i
i
i
.外人支 配 のプ ラ ンテー シ ョン圏 ,i
v. 寄生
的な金融 ・商業 の中心で あ る都市 圏な どが分 裂 的 階層構造 を形 成 して国民 的統合 を阻害 してい
る18'
),加 えて 4) 経 済活 動 の志 向が きわ めて偏 狭 な sel
f
-Ori
e
nt
ed (
華僑 ・外 国資本 ・特権 商
人層な ど) の傾 向 を強 くもって い ることで あ る
O
特 に, この最後 の特徴 は, ここでの生産 物
(
系外資 源 を も含 めて)が他 の下位体 系-動 員 され る過 程 で,国家- の普遍的忠 誠 を もち合 わ
せ ぬ系 内 ・外 の集団 成員が ,国家 資源 動員 を形 骸 化 して しま うことを意 味 し,構造 決定 におけ
る 「勢 力連 関」 の優位 を導 くので あ る。
N G次元-
≠政 治'
'
をめ ぐる諸 問題
社会体 系 の共 同 目標 は,一般 に最 も要件性 と緊急性 (
時間的 に課題 の解 決が急 で あ る度合)
の高 い機能 要件 の 充 足 に重 な って くるのが 普通 で あ るが, その担 い手 は 社会体 系 の主体性 を
具現 してい る 「
政府」 で あ る。 そ して, この政 帝の正 当性 を支 え る 2本 の柱 は, 1) 能率性
(
ef
f
ect
i
venes
s
) と 2) (
狭 義 の)正 当性 (
l
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gi
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macy) で あ るo (ちなみ に, この G次元 にお け
る out
put 「
政 治力」 は この正 当性 の函数 で あ り, しか もこれが E
l
j家 的 レベル の もので あ るた
めには,正 当性 自身が まず そ うで あ ることが必要 で あ る。
) この点 を r
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1
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81
- 61
1-
東 南 ア ジ ア研 究
第 6巻 第 1号
治権力 の問題 を考 察す るのが 目下 の課題 で あ るが,具体 的な資 源動員 の点 で は, 1
)能率性 に
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n) と 2) 正 当性 に対応す る民衆 の
対応す る政策 の遂行 に対す る民衆 の充 足感情 (
政権支持 (
s
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) が 「政 治力」 の内容 を構成 す る。 さて, 初期 の共 同 目標が Ⅰおよび L次
元 にあ った ことはす で に述 べ たが, この辺 の事情を考 え ることか ら分 析を始 めた い。
954年 7月 か ら,大 統領 と して米 国 を訪
ジェムが前 の皇 帝パ オダ イの下 で首 相 に任命 され た 1
957年 5月 頃までは, いわば この政権が最 も安定 して いた時期 で あ った。 もちろん, イ
問 した 1
ン ドシナ半 島の戦乱 は1954年以来 日常化 して いた し,南 で も1
949-54年 当時 は 「
封建勢 力」,す
なわ ちカオダ イ, ホ ア- オ, ビ ンスエ ンな どの政 治一宗 教集団 (
Fal
l
,B.B.
)の群雄 割拠 時代
949年以来入 れ替わ り立 ち替 わ り現 われ る政権 (1
949年 6月首 相パ オダ イ帝で仏連
で, それ に1
n Phan 内閣, 50年 5月 Tr
an Van-Hu 内閣一親仏-,
合 に加盟 して以来 ,49年 9月 Nguye
52年 6月 Nguyen Van-Tam 内閣一対 仏- ,54年 1月 BuuLo
c内閣-親 仏- ,54年 7月 Ngo
Di
nh Di
e
m 内閣-親 米-) は全 国の民族主 義者 を統 一的 に動員す ることに成 功 しなか った。
こう した状況 の中で, ジ ェムが米 国の強力 な後 押 しで登場 して くるわ けで あ るが,かれ はあ
る意味で 当時 の南 ベ トナムの もって いた 「切 り札」 で あ った。 旧官僚 で優 れて封建 的な背景 を
もった ジェムで はあ ったが,かれ は当時 の国民的 な反仏 ナ シ ョナ リズ ムと反共 感情 を象徴 的 に
統一 しうるよ うな前歴 の持主 で あ った. ジェムは32才 (1932年)に して安南 のパ オダ イ帝の下 で,
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erの地位 にあ りなが ら,仏植民地勢 力 の政策 に反対 して その職 を辞 し,爾来 野 に
あ って仏 当局 の監視 と, 後 にはべ トミンの テ ロに 追 われ なが らも 終始 ベ トナムに 留 ま った。
年 1月 か ら 2年 間米 国-亡命 ,政 治活動 を続 けた。
) ただ,かれが カ ト
(
せ っぱっ ま って , 1951
リック教徒 で あ った こと,特 に南部 で は政 治的地盤 を もたなか った ことのため に, 1
954年 に南
で政権 を担 当 した ときには,北 か ら逃 れて きた特 権勢 力 の上 にその根 を下 ろ さざるをえなか っ
956年 7月 の統 一選挙 を ボイ コ ッ トさせ たの もこう した勢 力で あ った)020)
た と思 われ るol9'(1
そ こで, ジ ェム政権 の成立 を理解 す る鍵 を整理 すれ ば, 1
)東 西 の冷戦下 におけ る共産主義
勢 力 の抑圧 を 目指 して仏 に と って代 わ った米 国の反共 の利害 , 2)共産主 義者 に土 地や特 権 を
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6odaux)奪 われ て南へ逃 れて きた封建支 配層 (
地主 ・高 級官僚 ・名主層-
の く北 の
奪 回> とい う階級的利 害,3)反共 ・ナ シ ョナ リズ ム (
反 仏) とい う民 衆 の一般 感情 お よび 4)
混乱 に疲燈 した民衆 の秩序 や カ リスマ的英雄へ の憧 れ, とい った要 因を考 え る ことがで き る。
1
9
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),pp.3
2
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1
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2
9. なお,ジェムとその家族の
詳 しいヒス トリーに関しては, Nguye
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,pp.739
7;E.
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1
5.
6
2
- 6
2-
中 野 :南 ベ トナ ム 社会 の 構 造 と過程
確 か に, ジ ュムが政 権 を 引 き受 けた ときの南 ベ トナ ムは容 易 な らざ る状 態 で あ った。南 部 の
農 民 を 中 心 に して,南 ベ トナ ム人 口の約 半 分 は反 ジ ェム勢 力 の砦 を築 いて い た し,半 封建 的勢 力
は皇 帝 や仏 国 と繋 が って い た。 ジ ュムの失敗 を望 ん で いた 仏勢 力 は ヒ ン将 軍 (
Gener
alNguyen
Van Hi
nh) をかつ いで クー デ ター の試 み さえ もって い た 。膨大 な北 か らの避 難 民 (これ らは仏
軍 の撤 退 に伴 って起 こ った)の移動 は,ジ ェム政 権 を混 乱 に 陥れ るた めの フ ラ ンス側 の 策略で あ
った とさえい われ て い る (
Shapl
an,氏.
)。 に もか か わ らず , ほ ぼ 1
956年 前 半 をや まに,カオダ
イや ホ ア- オ を討 伐 し終 えた ジ ェムは, い ちお う南 ベ トナ ム政 府軍 を統 合 ,これ を掌握 す る。21)
しか しなが ら,問題 は
,
か れ の封建 的背 景 , カ トリック教 徒 で あ った こと,加 えて有 能 な補
佐 官 や行 政 組 織 を もた なか った ことな どの た め に ,国内的 な不 満 を充分 処 理 で きなか った点 で
あ る。 それ に,救 国 の使命 感 の故 にか え って権力 に執 着 す る偏 狭性 ・排 他 的性 格 が か れ と民 衆
との距 離 を ます ます拡 大 させ る ことにな った。情 熱 的 な民 族主 義者 が 必 ず しもそ の ま ま有 能 な
行 政 的 リーダ ーで あ るとは限 らな い。 Lancast
erや Thaiは この点 か ら ジ ェム体制 の危 機 を理
解 せ ん と して い る。22'それ に, ジ ェム政 権 の決 定 的 な失 敗 と して 当時 か ら指 摘 され て い た もの
956年 6月 お よび 8月 村 長 お よび省議 会 議 員 の選 挙 を 廃止 し, これ を任 命 制 に した ことが
に ,1
挙 げ られ る。 この処 置 は, ベ トナ ム社 会 の伝 統 的 な村 落 自治 制 を 崩壊 して民 心 を政 府 か ら離 れ
させ ると同時 に,無 能 な官 僚 行政 組 織 に ます ます 膨大 な 仕 事 を背 負 わせ る結 果 とな り,行 赦の
施 行 を混乱 させ て しま った。 この混 乱 と弱点 に拍 車 をか けた のが ,1
957年 中 頃 か ら南 ベ トナ ム
全 土 に拡 が り始 めて いた共 産 側 の武 力活 動 で あ り,1958年 1月 4 口には,大 規模 な共 産 ゲ リラ
が サ イ ゴ ン北 部 の農 園 を攻 撃 した (
機能 要件 の 階統 性 の変 化 )0
この危 機 に対 処 した ジ ェム政 権 の姿勢 は, しか しなが ら,上 にみた 混乱 と弱点 を い っそ う深
めて ゆ く方 向 で あ った O 行 政 組 織 や政 策 の改 革 は, 1960年 4月 30日, 自称 「進 歩 と 自由の た め
の1
8人 委員 会」 が大 統 飯 に直 接 要 望 23)を訴 えた 内容 か ら も分 か る通 り, <Di
emocr
acy> の弊
書 を いかん な く露 呈 して い た。 能 率 よ り もゴ-族 - の忠 誠が人 事 移動 の原 理 とな り,1
959年 8
月 30日の第 2回全 国選挙 で は徹 底 的 な非 民主 的 干渉 の結果 ,与 党 派 が 国会 の全 議 席 を独 占す る
とい う有 様 で あ った。 こ う した傾 r
E
引こ輪 をか けた のが ,ジ ェムの ラスプ ー チ ン(
Shapl
an,良.
)と
な った ニ ュー (
NgoDi
nh Nhu ジ ェムの実 弟) が 組繊 した 「人 格主 義 労 働 車 命党 」 (
Can-Lao
Nhan-ViCach-Mang-Dang=Revol
ut
i
onary Per
s
onal
i
stW or
ker
s'Part
y) で あ り, それ は 例
の 「パ ー ソナ リズ ム」24)の哲 学 とは うらは らに,実 際上 はニ ューの秘 密 警察 で しか な く, ジ ェ
ム政 権 の独 裁 化 を 助長 した。活 動 と表 現 の 自由が こ う して 全 く制限 され て しま った と ころで人
21
) B・
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N・Muf
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ngHous
e,Bombay
1
9
6
4),pp・1
2
5
-1
62にはこの間の全般的事情が詳 しい。
22
) D・Lanc
as
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,oP.c
i
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.
,p.3
47;Nguye
n Thai
,o少. c
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.
,p.87.
23
) 要望の内容は,"Mani
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stoft
heEi
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n" として B.B.Fal
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,o
P.c
i
t
.
,pp.43
2
43
8 に収録 さ
れている。
2
4) 「パーソナ リズム」については,I
b
i
d.
,pp.2
462
5
2.
6
3
東南 ア ジ ア研 究
第 6巻 第 1号
材 を求 め る ことは不 可 能 で あ った。 米側 は, ジ ェムに連 合 政 府 を作 るか また は政 治 的反対 派 の
活 動 を 自由 に認 め る ことを勧告 したが , これ は ほ とん ど無 視 され て しま った 。2
5
)
以上 の点 か らも明 らか な よ うに, ジ ェム政 権 の誕 生 が 強 い米 国 の支持 に負 って い る と同時 に,
初期 の 国 内統 合 の漸 次 的成 功 (
能 率 )が ジ ェム 白身 の民 族 主 義 者 と して の正 当性 と相 ま って , あ
る程 度 まで成 功 を収 めた ことは否 定 で きな いで あ ろ う。 しか し,客 観 的 にみて ,ジ ェムの南 部 で
の正 当性 (
s
uppor
t
)は それ ほ ど高 か った とは い えな い。 そ して , この点 は 1957-58年 を境 に して
体 系 の第 一義 的機能 要件 が反共 産 ゲ リラ戦 争 の遂 行 に変 化す る ことで決定 的 とな る。 ジ ェム政
権 は, この共 同 目標遂 行 にお いて充 分 な成 果 を あげ えず ,戦 いの イニ シア チ ブを取 る ことが で
きなか った。加 えて , それ に よ って失 わ れて ゆ く正 当性 を強 制 力 で保 持 しよ うと した。 す な わ
ち, 自ら体 系 構造 の 中 に強 力 な 「
勢 力連 関」 を組 み込 ん だ の で あ る。 そ の結 果 , 目標 に倒 錯 が
起 こ り,体 系 の機 能 要件 充 足 で は な く, この 「
勢 力連 関」 そ の ものの維持 が 「政 府」 の 目的 と
化 した。 この た め実 質 的 な 「
正 当性 」 の分 解 が起 こ り,政 治権 力 ・軍 隊 ・警 察 力 な どの 「私 化」
が 国家 レベル で一般 化 し,一方 で は全体 主 義 的 な権 力構 造 が 存在 す る反 面 ,他 方 で は, 多数 の
f
or
mal
)と 「分 権主 義 」(
i
nf
or
mal
) の共
下位 特 殊 集 団が これ を分 有 す る とい う, 「中央集 権 」(
存 関係 が 現 出 した ので あ る。
Ⅴ
Ⅰ次元 -
≠
統 合 ク をめ ぐる諸 問題
社 会体 系 の統合 は, あ る意 味 で ,す べ て の活 動 の基 盤 で あ り, 中核 で もあ る。 そ して , この
次元 で の o
ut
put「連 帯」 は,他 のす べ て の下 位体 系 で要 (か な め)の役 割 を果 たす。 しか し,こ
の領 域 で も, 国家 レベル で の国 民 的連 帯 は努 力 目標以上 の もの とはな らなか った のが 南 ベ トナ
ムで の現 実 で あ る。 「連 帯」 は,す で に擬似 血 縁紐 帯 を主 柱 とす る下 位 集 団 に吸収 されて いた
か らで あ る。 ここで は,実 証 的 デ ー タと して は, 国家 レベル で の統合 を 困難 に して い る階層分
化 の問題 を手 掛 りに して , この問題 を検 討 して み る ことに しよ う。 な お,統 合 の要件 性 が高 ま
●●
るの は,社 会体 系 が 「
適応 」 的機能 一 般 の遂 行 で失敗 す る とい うよ うな危 機 に直 面 した場 合 で
2
5
) Nguye
nThai
,o
P.c
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.
,pp.25130,pp.303
8; R.Shapl
an,o
P.c
i
t
.
,pp.1
40
-1
87.
ジ ェム政権の初期から,その行政全般にわたる技術援助を行な ったものに "
MSUVAG"があったが,
95
7
年以降)その政策勧告が無視されたことを述懐 している。 この
かれ らも後期になると (
すなわち,1
グル-プは,さらに,(
1
)新 しく作 られた行政組織ほど,人間関係が組織の レッド・テープやプ レステ
イジの問題から自由であったので,能率的にかれ らの勧告を受け入れ,実施 したこと,(
2
)既存の行政
3
) 中央集権的な行政的権威
組織が変革 されねばならぬような種類の勧告には常に難渋を示 したこと,(
を強化する方向の勧告は容易に受け入れたこと,などを述べている。
R.Sc
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9
5
6
),pp.2
4-2
6.行政の問題については,特にベ トナムの伝統的なバ
e
m Dang,Vi
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ク- ンから説 き起 こした専門的研究が最近出版 された。Nghi
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6
6
).
6
4
- 6
4-
小 野 :南 ベ トナ ム 社 会の 構造 と遇 f・il_
あ るが , こ う した危 機 は, 南ベ トナ ムで は , 1
961年 末か ら62年 にか けて 急 増 して くる。 しか し,
政 治権 力 の孤 立 化 と硬 直 化 , 米 国 の 介入 , さ らに資 源 動 L
r
=
i
の G次 元へ の 集 申 , それ に 一般化 し
た 「私 化」 の 傾 向が , 国民 的連 帯 の 阻害 要 因 と して働 い た
。
さて , Lacos
t
e は, 後 進 型 社 会 の諸 特 徴 を 検 討 して い る所で , 農 業 上 の欠 陥 とい う項 を か
き,土 地 所 有 の矛 盾 につ いて述 べ て い る。 それ は,人 口の小 部分 が 広大 な土 地 を所 有 し,逆 に
人 口の大 多数 が ほ とん ど土 地 を もた ぬ とい う矛 盾 で あ る 。26) こ う した人 口 と土 地 所 有 o
j不 均 裾
は,パ オ ダ イや ジ ェムの土 地 改 革 の プ ログ ラム に もか か わ らず 南 ベ トナ ム に も存在 す る。 一 般
に, ベ トナ ムの大 土 地 所 有 制 は 旧 コ- チ シナで最 も顕 著 で あ り,総 じて 貧 しか った北
・中
部ベ
トナ ムで は元 来 農 業 構 造 の様 子 が異 な って い た。 南 部 で は, 50ha 以 上 を もた ぬ と大 土 地 所 有
者 の範 暗 に は入 らな か ったが , 申 ・北 部 で は 1
0ha以 上 を もて ば す で に重 要 な 地 主 と考 え られ
939年 の統 計 で は, サ イ ゴ ン西南 の メ コ ンデル タ1
4県 で , 50ha 以 上 を所 有 す る地 主 は
た。 1
6306人 (
総 地 主 人 口の約 2%) を数 え るが , か れ らは 98万 71
00ha (総 面 積 の約 90% ) c
D土 地
)最 近 で も この地 域 で , 25万 人 中 6200人 (
約 2%) の地 主 が 1
03万 5000ha
を 所 有 して い た 。27
(
約 45% - 水 E
E
l
) を もち,他 方 , 1
8万 3000人 の 地 主 (
約 72% ) が 34万 5000ha (
約1
5%) 0
)土
2
8
)Ki
en は また , 同地 域 で の現 状 に触 れ て , 5ha 以 下 また は全 然 土
地 を所 有 して い る とい う。
3% を もつ にす ぎな い点 を指 摘 し,
地 を もた ぬ農 家 が 人 口の 約 72% を 占め, それ が 全 耕 地 の約 1
「3軒 に 2軒 は全 く耕 地 を もた ぬ」 とい って い る。 か れ らは, 俗 に タ ・デ ィエ ン (
t
a-di
en)と
J
_
)
呼 ば れ ,農 地 改 革 前 の大 きな 問題 で あ った. しか し,戦 争 に よ る地主 の都 市 - の逃 避 で (そ C
うちの 5% が わず か に小 作料 を 獲 得 で きた), 1
956年 まで には, 34万 9500ha の水 田が 見 棄 て
られ , これ と仏 人 コ ロ ンの所 有 して い た土 地 は貧 農 に分 配 され た 。29)
ちなみに, t
adi
e
n とは,土地を もたぬ農奴的な小作人で,地主か ら土地を借 りて,労働 ・道具 ・家
畜およびその他のいっさいの リスクを F
lら負担 してそれを耕 し,収穫の3
3
-6
6
% くらいの小作料を支払
う農民である。かれ らの地主 との閑係は二重であって,一方では, こうした土地賃貸イ
酎二よって搾取 さ
れ,他方,道具 ・家畜 ・不作の時の娃活費などを地主か ら借 りて金融的な紐帯で も強 くこれ に縛 られて
いた 。30)
1
956年 10月 30日, ジ ェムは法 令 57号 に よ って土 地 所 有 の 制 限 を行 な った。 それ に よ る と,最
高 1
00haを個 人 所 有 の 限 界 と して , それ 以 上 は農 民 に売 却 さ るべ Lと され た
。
この場 合 ,土
0% の現 金 ,90% の政 府 公
地 を 買 った農 民 は 6年 年 底 で支 払 い を 行 な うが , 旧地 主 に は地 価 の 1
2
6
) YvesLac
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e『低 開発 諸 国 』 (野 E
E
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早苗 吉
沢 白水社 1
9
6
2
)pp.2
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2
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1
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2
7
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,p・30
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5
6
年以前の土地所有の有様は∴ 詳しくt
は,Nguye
nVanHao, o
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2
8
) B.B.Fal
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t
.
,pp.4
41
5
4 を参照。所有の構成 ・規模 ・共有地 な どに関連 して, 中部および南部の差異 もよ く理
解 され る。
2
9
) Nguye
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.
,Pp.1
2
3
1
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,pp.3
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43.
3
0
) Nguye
nVanHao,oP.c
- 6
5-
6
5
東 南 ア ジ ア研 究
第 6巻 第 1号
債 , 3% の 利 子 が 支 払 わ れ た 。31'農 地 改 革 実 施 後 の 効 果 な どを も含 め て , 以 上 の状 況 を や や ミ
ク ロ に 眺 め て み よ う。
これはかな り典塾的なデル タ地帯の-村落のケース ・スタデ ィであ り,調査 は1
95
8
年 に行 なわれた。
対象の村落 はサイゴ ンと ミ トの中間 にあ り,戸数 5
9
0,人 口3
2
41,六つの村 (
haml
et
) か ら構成 されて
いた 。32) 1
95
7
-5
8
年現在 (
1
95
6
年の土地改革 は この頃にな ってや っと実施段階に入 る), この村落での土
5.
91
ha は, その5
8%が 1
ha 以下 に細分化 された
地 (
水田)所有状況 は次の ごと くである。総面積 92
9
ha の社寺所有地 があ る。公有地 は全体 の3.
1
% にす ぎず, ほ とん ど無視 しう
耕地であるが, これ に 2
る (
北 ・中部ベ トナムでは, 公有地 は2
0-3
0
% の 高率 を 占め るのが普通で 南部 とはかな り様子が異な
る)。 この 9
0
0
ha 余 の土地を 1
3
0
人 の地主 (内3
1
人が不在地主)が所有す るが,大地主が 1人 いて 3
2
3.
全体 の3
5
%) を一手 に所有す る。6
ha 未満を所有す る地主 は7
6
%強 におよぶが,かれ らの所有
86
ha (
面積の割合 は21
%弱 にす ぎない。 それ に対 して 1
0
ha 以上 の地主 1
4人 (
約1
1
%)が 6
0
3.
41
ha (
約6
5
%,
最大の地主を除 いて も4
6
%弱) を所有 している。 また,在村地主 (
全体の7
6
%) の うち7
1
% (
全体 の5
4
%)が 3
ha 未満の土地を所有す る零細地主であ り, かれ らは全体 の1
1
% の土地を所有す るにす ぎない
のに対 し,不在地主 (
全体 の2
4%) は, 2
ha 以下 または 4-8ha の所有者が圧倒 的に多 いが, うち 6
人 (
全地主の4.
6
%) が全耕地 の47
%弱を 占めるとい う数字が明 らかであ る。
さて,1
95
6
年 の法令 は 1
0
0
ha 以上 の大地主 を対象 に した ものであ ったが, この地方 (
Long An 県)
8
人の該 当者があ り, 調査対象地域では, すでに述べた通 り, 3
2
3.
86
ha の地主が 1人 であ った。
で3
1
95
7
-5
8
年 にかけて, ここではかれの土地 2
2
3.
86ha が再分配 され ることにな り, 以前 の小作人 であ っ
49
人が 自分の土地を もつよ うにな った。 その平均再分配土地面積 は 1
.
5ha強。新 しい土地所有者 の
た1
7
3
%が 2
ha 以下 の土地を もつ ことにな った。 しか し,農地改革前後の土地所有状況を ロー レンツ曲線
で比べてみ ると,なるほど,分配 は以前 の土地所有形態 に比べてず っと平等 にな っているが,村落全体
の土地所有形態 には大 きな効果を及 ぼ していない。 その上,再分配のための土地が絶対量 において希少
であ ったため,t
adi
e
n に土地を与 えることがで きなか った点 は, この土地改革 の限界 を如実 に示す も
のである。33)
土 地 所 有 の 形 態 は お お む ね 上 に み た 通 りで あ るが , 次 い で これ に若 干 の 資 料 34)を 加 え , さ ら
1
954-63) に お け る成 層 構 造
に社 会 ・経 済 ・政 治 的 一 般 事 情 を 考 慮 しつ つ , 南 ベ トナ ム社 会 (
を 素 描 して み よ う。 (図 お よ び 写 真 参 照 )
Ⅰは , い わ ゆ るパ ワ ー ・エ リー トで あ って , 頂 点 の 人 々で あ る. 政 治 的 ・経 済 的 権 力 を 大 幅
31
) なお,農地改革全体 の研究 としては, Nguyen VanHao,o
P.c
i
t
.
,pp.1
1
9
-1
3
9. ここで,かれ は
次の 2点で この改革を批判 している。すなわ ち, (1
)買上 げ後 の再分配が きわめて遅 い こと- 1
9
61
年
/
4(
1
2
万0
463
ha) がそのままにな っている- , (
2
)1
0
0
haの最高制限所
の数字で も未だ買上げ地 の 1
95
6年 の法令 5
7
号第 3条 では, 30
ha 以上
有地 は,最高許容制限 としては高す ぎること- もちろん 1
ha 以上 の水 田は
を 1人 で耕 してはな らぬ とな っているが,実際は, 現在の技術水準では一家 5人で 5
耕せぬ といわれている-
。
32
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9
),pp.7
45.
3
3
) J
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B.He
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P.c
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.
,pp.3
2
-3
4.
3
4
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b
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,<社会一経済階層> についての家計支 出の調査 G・C・Hi
ckey,TheSt
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Rur
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y-So
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gy-(
MSUVAG Sai
go
n1
9
6
0
) による家屋の分類調査 および村落社会
G.C.Hi
c
key,o
P.c
i
t
.
,p.2
6,pp.9
0
-1
2
4).
の階層構造な らびに各階層 の生活 に関す る記述 (
J.B.He
ndr
y,TheWo
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kFo
r
c
ei
nSai
go
n(
MSUVAG,Sai
gon 1
9
6
0
)によるサイゴンー シ ョロ
ン地域の中小企業労働者の賃金調査な ど。
6
6
- 6
6-
中野 :南 ベ トナ ム社会 の構 造 と過 程
南 ベ トナ ム 社 会 (
1
95
463
)C
/
)成 層 構 造 モ デ ル
Ⅰ. パ ワ ー ・エ リ- 卜, I
l. 準 パ ワ ー ・
I
I
.超大地主層
エ リー ト, I
<都市社会>
1.都市上 層
2.都市 中層
3.都市下層
i
・村落上 層
i
i
.村落 中層 i
i
i
.村落下 層
<村落社会>
写真
成 層構造 モ デル に対 応 す る家尻
・
: ・∵
-i・
十
一・
一
..
・
.
.
:
.・,
・
東 南 ア ジ ア研 究
第 6巷 轟 1号・
に独 占 して い るO この集 団 は大統領 とその一族 ,国政 の計画 ・決定 ・施行 の権限 を有す る少数
の高級政 治家 ,高 級官 僚 ,高 級軍人 , それ に最 も豊 かな一部 の商人 ,企業家 よ りな り, これ ら
の問 には イ ンフ ォ-マル な繋 が りが存在 す ると思 われ る。 Ⅲは, Ⅰに同 じ く,高 級官僚 ,高 級
軍 人,大 商人 な どで構成 され るが ,Ⅰに対 して従属的でかつ 明確 な権力志 向性 を有す る。頂点の順番 を最 も高 い所 で待 って い る人 々で あ るが,派 閥が存在 す るか ら必ず しも強固 な統一 を示
して い るわ けで はな い。 1ほ,将校以上 の軍 人 ,役付 き以上 の官僚 ,上層店舗 , 中 小 企業 以上
の経営者 ,仲 買 また は卸商人 ,高 級技能職 , お よびその他 の 自由業 (
聖職者 ,弁護士 ,医者,
大 学 ・高 校以上 の教職者 な ど) を含む雑 多な幅の広 い層で ある。忠 誠の方 向は体制権力 と反対
制 の二方 向- の可能性 を もってい る。 2は, 中堅 の商人層,下士官 クラスの軍人 ,官僚 ,大 企
業労働者 また は熟練 労働 者 ,下 級 自由業 な どによ って構成 され, 3は残 りのすべ ての都市住民
で ある。職 種 の雑 多性 に もかかわ らず ,その収入 につ いてみれば (これで妻 子 3- 4人 を養 う
500-3000ピアス い レ (約 1万 2500- 1万 50
00円) と推定
のが普通 ), 2と 3の境 界線 は ほぼ 2
され, 3の構成 部分 は都市人 口の約 7
0% と思 われ る。 2の上 限 は ,5000-8000ピア ス トル (約
2万 5000- 4万 ) くらい と推定 され る。
村落 社会 の ほ うは, Ⅲが超大 地主 で きわ めて少数で あ り,次 いで iは,農 村 の大 地主 ,勢 力
68
- 6
8-
中野 :南 ベ トナ ム 社会 の構 造 と過程
家 , 名 望家 また は高 級官 僚 層 で あ って , 都 市 社 会 との連 繋 も深 く体制志 向。南 部で は土 地 に し
iは,
て 30-50ha 以上 が基 準 にな ろ う。 そ の数 は ほぼ農 村 人 口 の 5% くらい と推 定 され る 。i
IJ
L、
とす る階 層で,土 地 所有 の点 で は 5-6ha 以上 , それ に
いわ ゆ る 中 流 の 自作農 を 「L
iii
a),
わ れ るo な お, 同一 階層 レベ ル に あ って も村 落 社会 の場 合, 考
虹金収 入 の 水準 で は都 l
吊仁
会 の場
合の半分 を下 回 る と推 定 され る。
以上 , ジ ェム政 権 下 南 ベ トナ ム社 会 の成層 構 造 を や や図式 的 に描 いて み たが , この 場 合,那
市 社会 と村 落社 会 の人 口比 は ほぼ 1対 4 くらい と考 えて よか ろ う。 こあ よ うな成 層構造 が示 唆
して い るの は,生活 圏 を異 にす る階層 c
J
j併 存で あ り,特 に社 会 的距 離 の大 な る階層 間で は相互
に著 しい心 情 的 紐帯 の 欠落 が あ る。 さ らに, 国民 的連 帯 の 阻害 閑 とい う ことになれ ば, こ う し
た 階層 間 の分 裂 に加 えて ,都 市 と農村 , 南部 人 対 北 部人 , キ リス ト教 徒対 仏教 徒,親米対 朗 畑
(
特 に指 導 者 層 の問 で) の諸分 裂 を これ に加 え る必 要 が あ る
。
そ う して , こう した 社会 的 カテ
ゴ リーの 内部 で は , 成 闘 こ諸 欲求 充 足 を提 供す るか わ りにか れ らの忠 誠を 全 面 的 に吸収 して い
る f
unct
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ngs が , 時 には競 合 し叫 には融 和 しつ つ l
'
j
l々の カテ ゴ リー 全 休
を支 え る連帯の核 を形 成 して い るので あ る。
Ⅵ
L次元-
≠ment
al
i
t
y〟 と ≠価値体 系'
'を め ぐる諸 問題
j社 会
社会体 系 の L次元 の機能 は , い ささか陵 味な点 もあ るが , その最 も重 要 な もの は所 与o
体 系が も って い る秩 序 (-構造 と呼 びか えて もよい) を正 当 化 し, 教育 や宣 伝を通 して そ の正
当性 を強 化 す る ことで あ る
。
そ う した機能 の遂 行 は,通 常 ,最 も基 底的 には第 -一
次 集 団 (なか
んず く家族 ) にお け る成 員 のく 社会 化_
:
>と して 行 な われ るた め,特 に家 族集団 が こ0
)機能 の 担
い 手と して 重要 視 され た ので あ る。
さて , 社 会 休系 と して の南 ベ トナ ム社 会の存立 を 合法 的政 権 に よ る (タテ マ 工 と して の) 価
値 ・規範体 系 の確 立 で把 えた本 稿 で は,実 際問 題 と して それが どの程 度 まで人 々の意 識 に定 着
して い たか,す な わ ち この次元 で の out
put「
威信」 の産 出量が体 系 に と って充 分 な もの で あ っ
たか ど うか とい う点 を 明 らか に しな けれ ば な らな い
。
それ は,分 析 的 には, a) 経 済 秩 序 に閲
諸 部 分 の欲求
す る正 当化 , b) 共 同 目標 の設 定 ・遂 行 に関す る正 当化, C) 系 内的 緊張処 理 (
T
I
.
当化, の
充 足 と利 害 の調 整) に関す る正 当化 , お よび d) 価 値 休 系 の維特 ・強 化の た めの 7
四つ の 側面 を含 ん で い るO しか るに,す で に概観 して きた よ うに, 同家 レベ ル で は, 国家 桁 力
が非 能 率 化 と独蓑糾ヒの悪 循環 に落 ち込 み, それ は一 方 で は民衆 との距 離 を拡 大 す る反 面
他万
で は権力 自体 も上 層 ク リー クの間 で 分有 され る ことに よ って /多元 的私 化> の 傾 I
r
z
.
」を著 し く示
す よ うにな って いた。従 って ,人 々の正 当性 の信念 ・価値 意識 ・忠 誠 もまた国家 レベル で収 敬
- 69I
9-
東 南 ア ジ ア研 究
第 6巻 第 1号
す る ことな く, こ う した下位 集 団 に吸収 され て いた と推 論 され るが , この点 に関す る条 件分 析
が 目下 の課題 で あ る。確 認 して お けば, この よ うな下位 集 団 は,南 ベ トナ ム社会 で は, い わ ゆ
る ki
ns
hi
p-ori
ent
ed part
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cul
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m (
M.
J.Levy,Jr.
) を 強 い主 柱 と して も って いた し, その
うえ個 々の成 員 の第 一 次 的 (
cat
het
i
c)な欲求 充 足 の みな らず ,r
e
cr
ui
t
me
ntchannelと して も
重 要 な社 会 的機能 を有 して お り,全体 社 会 の 多元 的私 化 傾 向
的 に も対 応 して い た と考 え られ る
(
R.
K.Mer
t
on の い う
(
-解体 ) に よ る機能 喪 失 に機能
「潜在 的機能 」)0
ご く一般 的 にい えば,後 進 型 社 会 で は,万 事 にお いて 社 会 的分 化 の程 度 が低 く,従 って ,機
fus
e な 関係 ゼ 繋 が れ るパ ー ソナル な ク リー クの遍在 性 が認 め られ る. しか も,情報
能 的 に di
交 換 の システ ムが未 発 達 で,人 々の空 間 約 ・時 間的パ ー スペ クテ ィブは偏狭 で あ り,当然 国民 的
レベ ル で の共 有 され た価 値 志 向が生 まれ に くい 。35) さ らに, 自然 的条 件 の影 響 を受 け易 い貧 し
い農 民達 (
か れ らとて ,少 な くと も妻 子 を伴 った核 家族 を形 成 して い る) が , 「寄 らば大樹 の
ns
hi
pが
か げ」 で , よ り能 力 の あ る, よ り豊 か な 人 間 の周 囲 に集 ま り, しか もその場 合 , ki
ns
hi
p
そ う した集 団形 式 の第一 次 的基 準 にな る ことは 容易 に 理解 しうる. なぜ な ら, この ki
の なか には 自然 な形 で 「所 属 ・親 しさ ・信 頼 の感情」 が 組 み込 まれて い るか らで あ る 。36) も っ
と も, こ う した いわ ば ki
ns
hi
p を核 と L par
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i
c
ul
ar
i
s
m に貫 か れ た機能 的 に d躍us
eな 集団
が どの程 度 まで 制 度 化 (
従 って正 当性 を も って人 々の意 識 の 中 に 内面 化) して い るか は各 々の
社 会 に よ って異 な る37
)
に しろ,少 な くと も南 ベ トナムの場 合 につ いて みれ ば,これ に支持 的 に働
いて い る条 件 と して ,1)伝 統 的 な communalme
nt
al
i
t
y と 2) 精 霊 信 仰 (
ani
mi
s
m) と家族
主 義 を基礎 に したく 祖 先崇拝 > の習 俗 を挙 げ る ことが で き よ う。 しか も この 2者 は有 機 的 に深
く結 びつ いて い るので あ る。 そ の 中核 は ベ トナ ム人 の 「自我」 に関す る考 え方 で あ る。 か れ ら
に と って理 想 的 な 「自我」 の存在 様 態 は (自然 を も含 めた) 他 者 との揮 然一体 と した調 和 で あ
mi
s
m と co
mmunal
i
s
m の心理 的基礎 で あ るが ,他 方 こ
る .38' これ は 明 らか に,一方 で は ani
fus
e な第 一 次 的集 団 内部 で しか存在 しえぬ もの で あ る以上 ,
う した 「調和」 が 現実 的 に は, di
内集 団- 外 集 団 感情 の基 底 で あ る こと も否 定 で きな い 。39)
35
) L.W .Pye
,Po
l
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y,& Nat
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Yal
e
Uni
v.Pr
e
s
s,New Have
n & Lo
ndo
n 1962),pp.16-31.
3
6) H.
P.Phi
l
l
i
ps,ThaiPe
as
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s
o
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t
y(
Uni
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,Be
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y& Los
Ange
l
e
s1965),p.27.
ns
hi
p なかんず く家族 (
f
ami
l
y)の重要性であり,差異は ただこうした 家族的結合
37
) 共通な点は,ki
の重要性にどの程度公的なイデオロギー的な ものをつけ加えるかであるといわれる。 中国 ・日本 ・ベ ト
ナムさらにはフィリピンとタイやビルマの差異がそれである。例えば, タイやビルマで も ki
ns
hi
pの
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i
mat
eな家族外社会関係で使用 され,また幼期における社会化過程で,家族の重要性が教え
呼称が i
られる。L・W .Pye,o
P.c
i
t
.
,p.181; H・P・Phi
l
l
i
ps,o
P.c
i
t
.
,pp・22-23・
3
8) Huynh Di
nhTe, Vi
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name
s
eCul
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ur
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r
ns& Val
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of
i
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ms,I
nc.
,AnnAr
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r 1962
)Abs
t
r
actp・i
i
,p・52,p・71・
3
9) ペイは, こうした 「
調和」や 「
協同」 (
c
o
o
pe
r
at
i
o
n)-の 過剰な配慮が 東南アジアのたいていの国
々の文化の中にあること, しか もこれが決 して国造 りに必要な 「
能率的な組織」の基礎にはな りえぬ点
P.c
i
t
.
,pp.5ト52.
を指摘 している。 L.W .Pye,o
70
- 70-
中野 :南ベ トナム社会の構造と過程
0
)
,
さて , ベ トナ ム社 会 に お け る宗 教 的 信仰 の雑 属性 は , つ と に指 摘 され た と ころ で あ るが 4
そ れ は逆 にか れ ら間 有 の信 仰 (精 霊 信 仰 )が きわ め て 強 い こ との 証 拠 で あ る とい わ れ る。 しば し
ば 強 調 され る仏 教 の 場 合 に して も, そ の 普 及 は物 理 的 ・空 間 的 な もの で あ る にす ぎず , そ の 内
) こ う した 精 霊 信 仰 が 家 族
'
7
_
L
fはI貫 して か れ らの土 着 信 仰 に還 元 され て い る と い う0
)で あ る 。41
e を 意 味 し,両 系 の 同一
の制 度 (
特 に, 狭 義 の家 族 nha に対 す る広 義 の h?は , 広 く parant
祖 先 か ら 派 生 した す べ て の 人 間 の み な らず 死 者 を さ え含 むる42)-
家 族 は一 つ の大 きな 寺 院 で あ
) と結 び つ い て 祖 先 崇 拝 を!
上み , これ が 狭 少 な共 同体 精 神 の 基 礎 とな って い る。 特
に, 南 ベ トナ ムで は, 開発 と村 落形 成 が 比 較 的 新 しい の で , 村 落 レベ ル で さえ , 北 部 や 中 部 に
み られ る よ うな 強 い連 帯 が 形 成 され て い な い
43)
とす れ ば , 家 族 ま た は ki
ns
hi
p の もつ 意 義 は
こと さ ら強 調 さ るべ き価 値 が あ る よ うに思 わ れ る
。
家 族 に対 す る強 い忠 誠 や責 任 が 強 調 され る
こ う した家 族 原 理 は , 社 会 生 活 や 政 治 の 申- 浸 透 L s
ect
ar
i
ani
s
m や nepot
i
s
m の温 床 にな る
こと は 明 白で あ る 。44)
こ う して , この 社会 で は, 「威 信」 も体 系 下 位 集 団 に分 有 され , 国 家 レベ ル で の 価 値 体 系 と
人 々の 日常 的 世界 の そ れ とが 離 れ て しま う。 従 って , タテ マ 工 と して の 価 値 (「反 共 」 と
「民 族 主 義 」) も, 一 般 の人 々に と って は , 日常 的 レベ ル で の か れ らの エ ネル ギ -活 性 化 に役
_
立つ とい うわ けで は な い。 そ して , この構 造 は こ う した下 位 集 団
(
具 体 的 に は, 家 族
・擬 似 血
縁 集 団 ・自然 村 落 な ど) の も って い る機 能 的 自足 性 とそ れ を支 え る 「個 別 主 義 的 倫 理 感」 さ ら
特 に, 村 落 の 日常 生 活 を支 配 す る) に よ って 再 生
に伝 統 的 ・停 滞 的 な 生 活 環 境 の圧 倒 的 重 み (
産 され 続 け る こ と にな る の で あ る
(
M.
J.Levy,J
r.
)0
\
l
l要
約
社 会 体 系 の成 立 ・存 続 を 合 法 的 政 権 の存 立 を 基 準 に して 把 え た理 由 は最 初 に述 べ た が , そ れ
は む しろ 「構 造 」 の在 り方 に 対 す る タテ マ 工 に 準 じて の ことで あ った 。 しか し, 現 実 に は,
40
) 満鉄東亜経済 調査局 『改訂仏領印 度支那篇 』pp・47
01
471.
41
) I
b
i
d.
,p.4
72. 「
現在,安商人にその宗教を問えば,殆 ど総てが仏教であると答 える。然 も仏教が何
たるかを知 らず, 自分の周間に行われている正体不明の種 々な宗教的礼拝を仏教 と称 している場合が多
。
」
L.Cadi
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,2
8mee
d.Sai
gon 1
9
5
8
),p.31
「仏教は物質的に (
mat
とr
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l
l
eme
nt
)拡が っているが, 仏教の教義や 道徳はこれ と無禄である-.
・
・
換言す ると,ベ トナム人 は仏教的礼拝を全 くアクセサ リー的に行 う,あたか もかれ らが変 ることな く忠
実であるかの偉大な信仰一精霊信仰-の二義的な行為で もあるかのように---」
なお, 今 仁
1
における具 体的なベ トナム村落における信仰の記述に関 しては, G.C.Hi
cke
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y-So
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gy-.pp・1
8ト2
2
3・参照
42
) L Cadi
と
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e,o
p.c
i
t
.
,p.
35.
bor
ne,St
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Cor
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9
65
),
43
) M .E.Os
p.2
0.
4
4) H uynh Di
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P.c
i
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.
,p.1
0
5.
い
一 71-
71
東 南 ア ジ ア研 究
第 6巻 第 1号
1
95
7
年以前 と以後 で は,特 に 「
政府」 の役割 (その 「能率性」 と 「
正 当性 」) を め ぐって顕 著
な差異が存 す る。c
o
ns
ol
i
dat
i
o
n の作業 を 中心 と した初期 の Ⅰ ・L次元 での機能要件 の充足 は,
特 に米国の強力な後押 し, ジ ュムの民族主義者 と して の イ メ- ジの斬新 さ,反仏 ・反封建 ・民
族 主義 の一般 感情な ど,f
avor
abl
eな諸条件 にめ ぐまれて い ちお う成 功的で あ った。 もっとも,
政府 ・行政 レベル にお ける ki
ns
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m の傾 向はすで に 1
9
5
5
年 5月の ジ ェム内閣
1
9
5
6年 初頭 の政 治一宗教集団 の掃 討 と政府軍 の確立 ・強化 と
の組 閣 に も顕 著 に現 われて い るが ,
にみ られ る成 功 は,いちお う新政権が期待 しうる成果 と して は上 出来 の もので あ った。 しか し,
r
o
ut
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ni
zat
i
o
n)
一方 で は主要 な機能要件が 対 ゲ リラ戦- の諸活 動 とな り, 他方,行政 の 日常 化 (
過 程で権力 の窓意性 と権威 主義 (
特 に, ゴー一族 の国政 における私 的干渉,例 , 1
9
5
7
年の ≠
家
族法J
')が増大 し,体 系機能 の全体 的遂行 とい う視 角が消 えて しま う。 こうした体 系機能要件
t
i
c
ul
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i
s
m の進行 に伴 う, 命 令統一 ・ライ ン組織 の秘密警
遂行 の阻害 は,組織論的 には,par
察組織 による破壊が致命 的で あるが, これ らはすべて 「
政策」施行 の フ ィー ド ・バ ック機構 を
閉 ざす ことにな り,権力 の孤立化 と独 善 化を招 いた。特 に, これが人的資 源 (
忠誠 と能力) の
動員 とい う社会構造 の 中心的要 素 を破壊 す るもので あ った ことは ここに詳 らか にす る必要 もあ
9
61
年 か ら始 ま った ≠
戦 略村〃計
るまい。 (こうした行政 的欠 陥を如実 に暴露 して い るの は, 1
画で あ った。
4
5
)
) 中央権 力の機能喪失 と正 当性 の失墜 は,par
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m の多元 化 と して体 系下
位 集団- の 「
資 源」配分 の傾斜 を招 くが, それが伝統 的な <ki
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e
nt
e
d> の 価値観 を中
核 と して, さ らには第一次 お よび文化的 ・派生的な機能 を も充足 させ うる 自足性 の高 い社会単
位 の生成 を促す (も っとも, こうした状況 自体 を可能 にす る もの は,後進型社会 に特徴的 な社
会 的 ・機能 的分 化 の未発 達 で あ る)。 こうして, 社会 の四つ の機能 的下位 領域 で 「
政府」 によ
る 「資源」 動員の体 制が空洞化 し,体 系 の崩壊が必然 とな るので ある。
(
1
9
6
7
年 7月 1
5日)
4
5
) M.E.Os
bo
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P・c
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・
,pp・5
2
5
7
・
7
2
- 7
2-
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