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Page 1 Page 2 ニ” 挨 拶
九州歯科大学同窓会会
報
'80 第19 号j
も
く
ご 挨 拶 …… ……… …… ……
1
会 務 報 告 ……… …… …… ……
2
欧 米 ひ と り あ る 記 …・
︶
会 計 報 告 … …
…
c%r
昭 和55年 度 九州 歯科大 学 同窓会 評議 員 会報告 …… …… …… ……
…
( 内田康 也) … …… ……
講 座 紹 介 “ 歯 科 麻 酔 学 教 室 …… … … … … … … … … … … … … …
学 術 部 報 告…… … ………
各 支 部 だ よ り …… …… ……
23 24
杉田 玄白に 想い を寄せ て…‥
N
N
O B 会 特 集 レ ポ ー ト I
`バ ス ヶ ツ ト 部 籠 の 会 の 歩 み ”・… … … …
O N お ん礼 と憶い 出… …… …
…( 池 尻 茂 )… … … … … … … … … … …
6
18
25
遠 賀・大 分・ 広 島・ 香川 一大 阪・ 静 岡・東 京・愛知 ・北 陸・愛 媛
学 内 だ よ
30
卒 業 式・ 入学 関 係・ オー ルデン タル・学 内 人事移動 ・ 学部 棟別 館建 設に
つい て・ 中央 研究 室完 成す る・ 内 外地留 学関 係
和田教 援退 官さ れ る…… …… …… …… …… … ……… ……
37
附 属 歯科衛 生学 院 創立30周年 記 念式典 挙 行さ る…… …… …… …… …… … ……
37
住所変 更等 のお知 らせ …・
38
編 集 後 記
= 1
1
挨 拶
九州歯科大学学長 上 野 正 康
昨年 7 月11 日学 長 新 任以 来 、 元気 で 頑 張 っ てい ま
す 。「司窓 会に は 日頃 か ら 、物 心 両 面 に わた り 大変 ご
援助 を い ただ い て お り ま す。 と くに 九 州 歯 科学 会 、
学 生 自 治 会 、 永松 奨 学 会 、 ま た図 書 館 落 成 につ き 、
多額の ご 援 助 を賜 り 厚 くお 礼 申 し 上げ ます。 学 長 就
任以 来10か 月 、各 地 の 支 部に お 招 きい た だ き大 変 お
世 話に な り まし た 。 重 ね て厚 くお 礼 申 し 上げ ます 。
本 日はI ’
度 い い 機 会 であ り ます の で 、 最近 1年 間
の学 内 事 情 に つ い て 報告 い たし ます。 昨年 の 4 月か
ら 口腔 科 学 講 座 、歯 科麻 酔学 講 座 、 小 児歯科 学 講 座
が新 し く発 足 し 、19 講座 が22講 座 に な り まし た。 従
来 、基 礎 部 門 に 属 し てお り まし た 口 腔 衛生 学 講座 が
臨床 部 門に 入 り、予 防 歯科 の 診 療 室 を病 院に 開 設 い
たし まし た 。 また 6 月に は 待望 の 附属 図 書館 が 落 成
し 、そ れ ま で 学 部 棟に あ っ た 旧 図 書館 は4000 万 円 の
改 造 費 をかけ 、 中 央研 究 室 に 衣 替 え をし まし た 。 さ
ら に 解 剖 悚 横 に 、 昨年 予 算 要求 のお りに 総 面 積3200
平 方 米( 4 階 建 、総 工 費 6億 円 ) の新 研 究 棟 の 建 設
を要 求 し て お り まし た とこ ろ 、今 年1500 万 円 の 設 計
費 が 認 め ら れ 、 来年 度 は こ の建 設 が実 現 す る 運 び と
な り ま し た 。 そし て 、年 毎 に母 校 に 対 す る県 の 理 解
が 深 ま りつ つあ り ます こ と は 、 誠に 喜 ば し い こ と で
あ り ま す。
母 校 も 歯 学の 進 展 に 遅 れ ない よ うに 、 また 社 会 の
要 請 に 答 え て 徐々 に 内 容 、 外観 と もに 変 身 い たし て
お り ま す。
終 りに 、母 校 の 発展 の た め に微 力 で は あ り ます が 、
頑 張 り たい と思 い ます 。 各 支 部長 並 び に 評 議 員 の 先
生 方 には 、今 後 更 に母 校 にご 関 心 を持 っ て 戴 き まし
て 、ご 支援 下 さい ます よ うお 願 い 致 し ます 。
1
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55.1.13 務 報
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Q
東京医科歯科大学 故中村平蔵先生葬儀
出席者 上 潟 囗専 任
出席 者 穂坂 会長
15 東京医 科 歯科大学 名 刺交 換会
6 第3回機 構 運営委 員 会
場 所 本部事 務局
出 席者 笠 原副』
会長 外 2名
出 席者 香原 副会長
18 第四 回学術 委員 会
13 泉友 会総 会
場 所 九 歯大
場 所 九 歯大
出 席者 平 野委 員長 外
出 席者 穂坂 会長 、笠 原 副会長 、
17 監事故 村田 清七郎 先生 通夜
出席 穂坂 会長
上 潟口専 任
29∼30 鹿児 島県支 部総 会
出 席者 上 野名 誉会長
18 大 学部局長 と本部 役員 と懇談
本部… 穂坂 会長 、笠 原副 会長 、上
4. 3 広 報委 員 会
潟口専 任
場 所 生理 学教 室
大学…上 野学 長 、島 村、 佐藤 、長
出 席者 上潟 口専 任 外
野、 山田教 授
18 児玉常 任理 事ご 母堂 葬儀
9 束肉同 窓会 井上 名誉 会長就 任祝 賀 会
出 席者 穂 坂 会 長
出席 穂 坂会長 外
11 広 報委 員会
19 監事故 村 田清 七郎 先生 葬 儀
場 所 生理 学教 室
出 席 笠 原 副会長 、上潟 囗専 任
2. 9 53年度 会計 打合せ
出席 者 上 潟 囗専 任 外
12 第32回 入学 式
出席 者 上 潟 口専任 、 山田 、長 野
出席 者 上 潟 囗専 任
12 第6回学 術委 員 会
会計 担当理 事
9 進 学和 田寿 教授退 官 パー テ ィー
場所 小 倉 ホテ ル
場 所 講堂 会議 室
出席 者 児玉常 任 外
出席 者 上 潟 囗専任
12∼13 大分 県 支部総 会
場 所 別 府
]5∼16 54年 度学 術 講演会
講師 森克栄 講 師
出 席 者 穂 坂会 長 、上潟 口専 任
場 所 大博 多ビ ル12F
4.19 全国 歯科 大学 同窓 、校 友会 懇談 会
出席者 穂坂 会長 、上 潟[]専 任、
学 術委 員全員
場 所 東 京
出 席者 穂 坂 会長 、香原 副会長 、
小 倉常 任理事
16 河 野学 術 委員ご 母堂 逝去
出 席 穂坂 会長 、上 潟[]専 任
19 大学18期 生10周年 記 念
23 山口支 部総 会
場 所 下関 市
場 所 小 倉 ホテル
出 席者 上 潟口 専任理 事
出席 者 上 潟 囗専 任
26 第2 回理事 会
場 所 学部 棟 会議 室
23 yj
ヽ倉支 部総 会
場 所 小 倉
出 席者 穂坂 会長 外
出席 者 穂 坂会 長 、梶 山教 授( 学
長 代理)
27 54年度 全国 評議 員 会
場 所 九歯 大記 念 講堂
出席 者 穂坂 会長 外
3. 1 中 国地区 連合 会総 会
場 所 徳 山市
55.5.10 愛媛 県 支部総 会
場 所 松山 市
-
2
出席 者 上 潟 囗専 任 、中原 教授
出 席者 穂 坂会 長
31 日歯 中原 実先 生米 寿祝 賀会
10 第1回学術 委員 会
場 所 学部棟 会議 室
出 席者 穂坂 会 長
6
出席者 児玉常 任 外
5 第 2回広報 委員 会
15 第1 回広報委 員会
場 所 生理 学 教室
出 席者 上潟 囗 専任 外
場 所 生 理学 教 室
7 永松奨 学会 理事 会評 議会
出 席者 上 潟 匚]
専任 外
27 進学 2年 懇談 会
出 席者 上 潟 囗専任 他
出席 者 上 潟 囗専任
14 第1回 理事 会
29 進 学1年 懇談 会
場 所 学 部 棟 会議室
出席 者 上 潟口 専任
出席 者 穂 坂会 長鍠
14 九 州歯 科学 会学術 部 講演会
30 関 口け い ぞ う先 生事 務所 開 き
場 所 東京都
−
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φ
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講 師 荒牧 純二
−
昭 和55
年 度 九 州 歯 科 大 学 同 窓 会 評 議 員 会 報 告
日時 昭和55年4 月27日(
日)10
時 場所 九州歯科大学記念講堂
1。 開 会のこ とば
徴収 に関し 承 認 を求 む るの件
2. 会 長 挨 拶 穂 坂 会長
第6号議案 福祉 共済 給付 金に関 し承 認 を求む
3 . 名 誉 会 長 挨 拶 上 野 名 誉 会 長
るの件
4. 議長 ・ 副議長 の選 出
第 7号議案 基金 積立 金の一 部支 出に 関し 承認
議 長 坂 本 政 弘( 福 岡 )副 議 長 門 司 健( 佐 賀 )
を求む る の件
第 8号 議案 名 誉会 貝 の推 薦に関 し承 認を求 む
5. 議 事 録 署 名 人の 指 名
島 村昭 辰( 泉友 会 代)池田 勝 広( 小倉 )
るの件
6 . 物 故 者 の 黙 祷 54 年 度
第9号 議案 監事 欠員 の選 出に関 する件
田 川 支 部 石 橋 政 雄 先 生 外33 名
福 田俊 介( 福 岡 大 3)
7. 表 彰 者 に 対 す る 記 念品 贈 呈
第10号 議案 新 入会 貝 入会 の入会に 関す る件
大 分支部 糸瀬 勝也
八 幡 支 部 高 山 三 郎 先 生 外10 名
8. 報 告
10. 閉会 のこ とば
1会務 報 告
笠原 副 会長 、上潟 口専 任
2学術 委 貝会
児玉 常 任理 事
3監事 報告
津 島監事
9. 議 事
第1号議 案 昭 和53年 度決 算 及び財 産 目録に 関
以上 評議 員会 で承認 可 決さ れた 。
昭 和55 年 度 会 費 は 下 記 の と お り 徴 収 す る 。
1 . 会 費 1 人 当 り 10,000
円也
2 . 各 支 部 長 は 別 表 昭 和55 年 度 会 費 徴 収 額 基 準 表
( 評 議 員 会 議 案 書 ) に 基づ い て 、 昭 和55 年 7
し 承認 を求 む るの 件
第 2号議 案 同 窓会 会則一 部改 正に 関し 承 認を
求む る の件
提案 理由
今年 度機 構運 営委 員 会で 検討し
月 末 日 ま で に5,000
円 10 月 末 日 ま で に5,0
00円 を 本 部 に 納 入 す る 。
但 し 、 各 支 部 会 費 納 入 時 1 人 当 り(10,000 円 )
に 3% を差 し引 いて納 入する。
福 祉共 済給 付金
た結 果。顧 問 の新 設と 同窓 会運営
に 必 要な会 則 の改正 及 び次 の議案
に提 出し た予 算 会 計項 目の新 設O
移 項 を必要 と認め たこ とに よる。
第3号 議案 昭 和55年 度 事業 計画案 に 関し 承認
を求む るの件
第4号 議案 昭 和55年 度歳 入歳 出予 算 案に 関し
承 認 を求 む るの件
第 5号 議案 昭 和55年 度会 費並 びに 入会金 賦課
1. 共 済 ( 昭 和55 年 度 )
(1 ) 死 亡 弔 慰 正 会 貝10 万 円 学 生 会 員 6万 円
(2 ) 全 盲 廃 疾 見舞 金 10
万円
(3) 疾 病 、 傷 害 で 引 続 き60 日 以 上 休 診し た場 合
2万 円
(4) 災 害 見 舞 金 ( 自 宅 、 診 療 所 ) 2万 円
上 項 は 、当 該 支部 長 の 申 請に 基い て 実施 す る が会 貝
とし ての 義務 履 行 を行 なっ た も の につ い て 給付 す る。
3
福 岡 和 田 益 男
昭和55年度事業計画について
μ 山 本雄三 郎
勲五 等 双光旭 日章 8名
2. 会 員福 祉 の増進に 関す る件
3. 会 報 及び名 簿の 発行
4. 会 貝の 学術 研修に 関す る件
庫 畸
2。 本部 役員及 び支 部長 の 役職に 通 算20年 以上
兵 長
1。 母 校 発展に 対す る援助
勲 四等 旭 日小 綬章
朝 倉元三 郎
野 田 久 雄
3名
大導 寺 宏
11
5. そ の他
謹んでお悔み申し上げ ます
昭 和55年 度同 窓会事業 とし ては 、母 校 発展に 対
白 昭 和54 年 3 月 1 日 ∼ 至 昭 和55 年 2 月28 日
す る援 助 とし ては 九州 歯科学 会 、学生 自治 会 、永
氏 名
員 の福 祉 に対 して は前年 通り であ り、 会報 及び名
石 橋 政 雄
簿の 作成に つ いて は、 発行し た名 簿記 載内容 の訂
青 柳 広 洲
正 が 多数 寄せ ら れてい るので 、原 簿の 検討 中 であ
丸 山賢 次郎
り、 発刊期 間 の短 縮の ため 名 簿積 立金 を増 額さ れ
三 宅 太 郎
卒 推 郭 13
松 奨 学 会な ど例年 通り であ るが 、昨年 6 月落成 し
た図 書館 備 品代 として200 万円が 寄贈 さ れた。 会
専14
支 部
死亡 年月 日
田 川
54. 3 . 6
久 留米
54. 2 . 28
大 阪
54. 3 . 5
山 口
54. 3 . 5
山 口
福 岡
54. 3 . 6
熊 本
54.4.17
本田 志 香都
専12
近 藤 一 孝
古 田 秀 男
専15
県3
山 田 茂 生
専3
水 黒 稔
専10
教 授
井 上 俊 一
附属 病 院長
吉 田 俊 治
専8
県5
μ
a
285
0
2
2
1
2530
7 7
N ¥
1920
4
大牟田
¥ 一
専7
CQ ¥
園 田 普
7
1 日歯有功 章
S I
N C\j
瀬 川 三 郎
福 岡 堀 尾 義 勝
・ ●
︱ ︱
日歯有功 章
a
太 田 信 良
11 西 山 昂
1一 1
秋 山 清
勲五 等 双光 旭 日章
S @
5555
藍 綬褒 章
11 島 崎 頴
1
熊 本 緒 方 益 夫
村上 静
17
24
S 1
9一
勲 五等 瑞宝 章
勲 五等 双光 旭 日章
54. 12
9一
専8
県6
大 牟 田 佐 野 三 郎
1
専11
上 鶴 一 誠
I
1
八 幡 高 山 久 三 郎
O
1 中jll壬 子 郎
1。叙 勲 綬 勲 者
︵リ
専7
︵リ
県2
宇 治 誠 孝
au
小笠 原路 幸
本年 度 表彰 者
I S
r︶
」n
r︶ 」」r
」
︶
専14
県3
7.
・ −
5555
井 石 亀 夫
10.
1
野 田 茂
l 1
4
5
24 年
勤続年 数
54
4
5
専10
C C ︵X
︶
専 専 専
専5
菅 原 重 雄
8
・ ・
4 − 4 」r ︶
」r︶」r ︶」r ︶
∼
永 原 勇
1/ 退 職
54
7
学 長
r
@
91」
︶
‘ 54年 7月10日
`
県4
∼
49年 3月22 日
49年 7月11 日
5
4 4
4
」r︶」 Q 」r ︶
専5
佐 藤 堋
‘
小 林 篤
学長代 理
54
5454
47年 4 月22日
49年 7月21 日迄
1 9
5354
’ 33年 8 月1 日
九州 歯科 大学 助教 授
一
昭 和30年 7 月16日
崎 分知 岡 根 崎 分 庫倉 賀 都 阪 崎前 本 本 方紫 賀 本 崎
会貝に 承認 さ れた。
池尻 茂先生 略 歴
北海 道
長 大愛 福 島 宮 大 兵小 佐 京 大長 豊熊 熊 直筑 佐 熊 長
55年 度評 議貝 会にお いて 、 池尻 茂 前学 長が 名誉
北海 道
713
専13
7
9一27
石 川 清 江
池 尻 茂前 学長名 誉会員 に 推薦 さ る
癶0
1
京 都
北海 道
坂 梨 武 行
専10
専3
1024
安 永 政 俊
一⋮
⋮
一29
大20
るO
2915
佐 々 木智 教
4
同 窓校 友会 懇談 会開 催を主 催す るこ とに な ってい
I 山 口
n乙
県4
●
﹂r︶
川 元 武 雄
● を予定 して いる 。 また今年 度後 半期 におけ る全国
54. 2 . 28
t
田 中 晋
1
5
23日に 夏期 臨床 セ ミナー 、来年 2 月に学 術 講演会
● 専18
専5
専15
7
4
浅 野 光 男
渥 美 淪 吉
l a
5454
たO 会 員 の学術 研修に つい て は6 月14日の 九州 歯
科 学会 総 会に 荒牧 準二会長 の特 別 講演 、8 月22日、
ふ
Xi
昭 和55 年 度 九 州 歯 科 大 学 同 窓 会 歳 入 歳 出 予 算 案
昭 和53 年 度 九 州 歯 科 大 学 同 窓 会 決 算 書
人
の
引
額額
収
入出
収支
差
額
収
昭和53 年 度決 算 額
金
費
金
費
金
子
入
計
出
の
一
支
入
−
出
額
一
額
58,590,614円
58,590,614円
2,595,737円
項 目
支
収
27,437,759円
24,842,022円
部
第 一 項 一 般 費
第 一 目 繰 越 第二 目 会 第三 目 入 会 第 四 目 過 年 度 会
第 二 項 寄 イ 寸 金
第 一 目 寄 付 第 三 項 雑 収 入
第 一 目 利 第 二 目 雑 jiZ.
SXI
計 報
項 目
27,184,595 円
3,692,595
19,878,000
2,660,000
954,000
0
0
253 ,164
83,164
170,000
27,437,759 円
項 目
昭 和53年 度 決 算 額
4 ,245,350 円
3,630,232
200,000
182,970
232 ,148
1 ,676,706
1 ,645 ,148
31 ,558
0
16 ,119,966
1,406,022
7 ,125,142
586,075
1 ,231 ,670
1 ,466,720
122,300
188,095
262,015
2,845,000
49,297
800.000
37,630
2,800,000
2,800,000
0
0
計
24,842,022 円
昭 和55 年度 予 算 額
第 一 項 一 般 費
第 一 目 繰 越 金
第 二 目 会 費
第 三 目 入 会 金
第 四 目 過 年 度 会 費
第 二 項 寄 付 金
第 一 目 寄 付 金
第 三 項 繰 入 金
第 一 目 繰 入 金
第 四 項 雑 収 人
第 一 目 利 子
第 二 目 雑 人
54,480,000
円
5,000.000
35,680,000
13,200,000
600,000
10,000
10,000
2,490,614
2,490,614
1 ,610,000
100,000
1 ,510,000
計
58,590,614 円
攴
部
第 一 項 人 件 費
第一 目 給 与 手 当
第 二 目 退 職 金 積 立
第 三 目 旅 費 手 当
第 四 目 福 利 厚 生 費
第 二 項 事 務 費
第 一 目 通 信 費
第 二 目 筆 紙 文 具 費
第 三 目 備 品 費
第 三 項 事 業 費
第 一 目 印 刷 費
第 二 目 会 議 費
第 三 目 渉 外 費
第 四 目 連 絡 会 議 費
第五 目 助 成 金
第 六 目 機 俳 運営 委 貝会費
第七 目 広 報 委 貝 会 費
第 八 目 学 術 委 貝 会 費
第 九 目 慶 弔 費
第十 目 用 地 管 理 費
第 十 一 目 名 簿 積 立 金
第 十 二 目 雑 費
第 四 項 基 金 積 立 金
第 一 目 基 金 積 立 金
第五 項 予 備 費
第 一 目 予 備 費
人 の 部
出 の 部
項 目
第一 項 人 件 費
第 一 目 給 与 手 当
第 二 目 福 利 厚 生 贄
第 二 項 事 務 費
第 一 目 事 務 還 付 金
第 二 目 旅 費
第 三 目 臨 時 雇 用 贄
第 四 目 印 刷 贄
第 五 目 通 信 費
第 六 目 消 耗 品 費
第 七 目 備 品 費
第 八 目 雑 費
第三 項 事 業 費
第 一 目 会 議 費
第 二 目 渉 外 費
第 三 目 連 絡 会 議 費
第 四 目 学 会 費
第 五 目 助 成 賢
第 六 目 機 構 運営委貝 会費
第 七 目 広 報 委 貝 会 費
第 八 目 学 術 委 貝 会 費
第 九 目 表 彰 費
第 十 目 慶 弔 費
第十 一 目 用 地 管 理 費
第 四 項 繰 出 金
第 一 目 基 金 積 立 金
第 二 目 名 簿 積 立 金
第三 目 退 職 金 積 立 金
第五 項 予 備 費
第 一 目 予 備 費
昭 和55年 度 予 算 額
4,700,000 円
4,250,000
450,000
7 ,160,700
1 ,070,700
510,000
270,000
1 ,660,000
2,900,000
50,000
500,000
200,000
23,645,000
10 ,500,000
1 ,000,000
1 ,300,000
1 ,370,000
2,250,000
300,000
500,000
600,000
125 ,000
5 ,500,000
200,000
16,000 ,000
13,200,000
2,000,000
800,000
7,084,914
7,084 ,914
計 1 58,590,614
-
5 −
円
欧 米 ひ と りあ る記
補綴学 第 2講座 教 授
は じめ に
内 田 康 也
昨今 は 海 外旅行ブ ー ムであ る。 歯科学 の雑 誌に
肩 から ぶら さげ 、駅の 案内 所で希 望 する ホテ ルを
探し て もらい 、 そこ まで歩 く姿 は タイト ルそ のも
も殆ど 外国 のこ と が記 されて いるO その 目的 に差
こ そあ れ 、私 も一度 は 外国の 大学へ 行 ってみ たい
の であっ た。 ド イツ 、 スイス、デ ンマ ー ク、 スエ
ーデ ン 、イ ギリ ス、フ ラン ス、ア メリカの 7 力国
とい う希望 は もって いた。1979年 2月 7 日、学長
で12の 歯科大学 を見学 し意 見を交 換レ 2ヵ所 の
寔 に呼 ば れ、 池尻学長 か ら「 内田君 、 外国に 行っ
学会 に 出席し 、3つ の 歯科関 係 の工場 を見 学し た。
て 見聞 を広 めて 来 ませ んか 」 とい われ、Fあり かた
西 ド イツ
い とは 思い ます が、教 室 作り も完全 とは 言い 難い
7 月24日、 午後10時30分に 成田 空港 を出 発し た
し時 期 尚早 と思 われ ます」 とい うや りと りが 何度
か 続い たが 、医局 の先 生方 と相談 し たとこ ろ案 に
JAL は 、ア ンカレ ッ ジ、 ハンブ ル グを経由 し て
フラ ン クフ ルト へ 着き 、生 れては じめ て通関 手 続
相違 し て、教 室 のこ とは心 配せ ずに 是非 出かけ る
きを すませ 外国 の 通貨 を両替 したo
よ うに とい う返 事がか え って来 た。 豊田教 授や そ
そ れから ま た乗 り替 えて最 初の 目的地 ウ ルムの
の他 の先 生方 も行 った 方が よい と言 われつ いに 決
心 し た。 なに しろ 外国 とい えば 、小学 校 入学 前に
ブ ンデ ン バーン ホ テルに 到着 した。 約15,000km、
30時 間の旅 であ っ た。途 中 の st
u ttga
rt の鉄 道駅
当時 の 朝鮮 、満州 、 スマト ラ と父の あとにつ い て
構内 で、 日本で は みるこ とが 出き ないめ すら しい
行っ たらし い が 記憶に はないO 大 学卒業 後 、 H本
駅 の ガラ ス張り のド ー ムと客 車の 乗降 のため の 夕
復帰 前の 沖縄 無歯科 医 村診療 に 出かけ たが 、こ こ
ラップ をカメ ラにお さめ てい ると き、 いき なりフ
ァイ ンダー が真 暗に なっ たの でカ メラか ら 目を離
は ご 存知 のと おり 日本 語が通 じ るとこ ろで 、 とに
か く生 れて初め て の外 国旅行 であ るO はな はだ 心
すと そこに真 黒 い顔 をし た黒 人が立 って いて、「何
細いこ と であ った。 欧米 諸国 の各 大学教 授へ の受
故 、俺 の顔 を撮し たか 」 とすご い 見幕 でせ まら れ
入れ依 頼状 の 発送 とそ の返信 も思 う ように は行 か
た。こ のと きば かりは 肝 をつ ぶし た。 それか らは
当分 の 間、黒 人恐 怖症 にな って しま ったが 、こ の
ず、こ の年 から 共通 一 次試験 があ り、 日野学 生 部
長 はし め我 々学 生部 委員 はひ どく 忙しか った 。 ま
ようなこ わい 思い をし た のはこ れが 最初 で最 後で
た 、旅 行 社に切 符 を依頼し た とき 、外国 は 日本 ほ
あ ったo ま た、 ホテ ルで夕 食す る ときに 出さ れた
ど 治安 が よく ない とい うこ と で、 まず ホール ド ・
メニュ ーは ドイ ツ語 で、 とて も理解 で きる もので
ア ップ の練 習から は じめ られ 、学長 はじ め 多く の
先生 方 、 香月次長 や 岡本庶 務 課長 など事 務の 方に
は なか ったが 、 ステー キとい う単語 は世 界共 通語
の よう で、 とにか く ステー キを注文 した 。し かし 、
御迷 惑 をかけ 、 途中 で何 度か中 止 も考え たが 、 そ
ど の ような ステー キが 出て く るのか 全く わか らな
の 都度 皆さ んに励 ま され ながら な んとか 準備 を 整
か った。 食べ て みる と、い まだ かっ て口 にし たこ
え てい った。 主 な目的 地は 、 ヨーロ ッ パでは 、 デ
とのない昧 で あ る。急 に思 い出 して 、英 語の メニ
ン マ ー クの コペ ンハー ゲ ン王立 歯科 大学 であ っ た
ュー があ るか と聞 いて み ると「 はい 、ご ざい ます」
が 、7 月から 9 月ま では夏休 み でと て も希 望に 沿
と いう返 事で あ る。そ れ をみ るとな んと七 面 鳥の
え ないの で中 央ヨ ーロ ッ パなら ば大学 も診 療だ け
はし てい るの で 、そ ちらか ら まわって 来て 欲し い
ステー キであ った。 そ れから は 、レ スJヽランに 入
るとまず英 語 の メニュ ーが あ るかど うか を確 かめ
とい うこ とだ った ので 、あら ため て西 ド イツ・ ス
るこ とに した 。
イ スの各 大学 と一工 場 を見学 す るこ とにし た。 こ
26口はビ バ ラハ とロ イト キル ヒにあ る カル テン
バ ッハ とい う工 場 を見学 し た。こ れは 私 共の 教室
の タイト ルは 女優 の高峰 秀子 さ んが ずっ と以 前に
に も、数 台の ユニ ット 、チェ アー 、エ アー タービ
書 い た作 品の タ イト ル と よく似 たもの であ るO 重
い 荷 物 を引っぱ り 、ショ ルダ ー バッ グとカ メ ラを
ン 、ハンド ピ ー スなど を使用 し てお り 、なじ み深
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い 名前 と製 品 であ る。す ばらし く きれいに 整 理整
とい う具合 で 、 多くの 人達 の手に わたり秩序 正し
頓 され た工 場内 で見 学す る私 も大変 気持 の よい も
く管 理 、運営 さ れてい る ものの 、その 経 費とチー
の であ っ た。 技工 机 、エ ンジ ン、吸 塵装 置な ど新
ムワ ー クの保 持は 大変 な ものであ ろ うと思 わ れるo
し いア イデ アが いっ ぱい で、こ れが 教室 に備 え る
こ とが 出来 たら どん なに 素晴ら しい か、 どれ もこ
しか し 日本 を除 く外国 は殆 どが似 た よう なシ ステ
れ も欲し い ものば か りであ る。
床義 歯であ る 。出 来る だけ 多くの 鈎歯 に クラ スプ
ム であっ たo こ こ で大変 に興 味 をもっ た のは局 部
27日か ら 8 月3 日までは 、フ ラン クフ ルト大 学
をかけ 、 クロ ーム の 鋳 造 床 を 金 メ ッ キし た も の
であ った。 また、 ポー セレ ンは症 例が 比較 的少 な
歯学 部 を訪 問し た。 教授は休 暇 中で若 い助 教 授の
くて 、レ ジ ン前装冠 が 多く みら れ意 外であ った。
8月 5日か ら16日ま で・
は 、デュ ッセ ルド ル大学
のEngelhaldt教授 診療 室 を見学し た。 彼 は補綴 の
スペ シャ リ スト で 、他 科の 診療は 一切 やら ない。
日本に も講演 で来 だこ とがあ るら し く自宅に 招待
を受け た とき にア ルバ ム をみせ てもら っ たが 、こ
との ほかユ カ タがお 気に 入 りの よう であっ たo 歯
科医 師3名 、 技工 ±3 名、 看護婦 と助 手 と衛生上
が 5名 、受 付 1名 、掃 除婦 2名 、洗 濯婦1 名とい
う スタッフ で ある。 診 断に は時々 スチ ュア ート の
校合 器 を使 用 し、 補綴物 の 製作に は、 デ`イナー の
校合器 が使 わ れてい た。 特に 目立 つ補 綴物 は 、フ
フランクフルト大学
ラン クフル ト大 と は全 く異 なり 、 クラ スプ を用い
ずにす べて テレ ス コープ シ ステ ムであ った。 た と
え生 活歯 であ って も歯 質の削 除量 は失 活歯 と殆 ど
かお るこ とな くど んど ん削除 さ れたo ま た内冠 、
外冠 とも白 金加 金 であ るこ とは勿 論で あ るが 、 そ
の他の 補綴 物 もす べて 金合 金で 、パ ラジウ ムなど
はつ い にみ るこ と はなか っ たo たまた ま 日本人 が
新 患 として 来 院し た。 匯1 歯欠損 が主 訴で あった
が 、口 の中 は ひどい も ので全 歯牙 に白 色合 金冠が
装着 されて い た。早 速 パント モ とデン タル の写真
が並 べ ら れ、診 断に 入 ったが 、根 管処 置歯は 全て
根 充不 十分 で根 尖病 巣が あ り、冠 の適合 が悪 く殆
ラ イン川下りの観光船
どが 2次 う蝕に 罹 患して い たo 教 授は じっ と見 入
Dr.Sassen が 私 の 案 内 役 で あ っ た 。 彼 が 最 も 誇
っ てい たが 、 その 目は 日本 ではこ の よう な教 育 を
ら し げ に み せ て く れ た も の は 教 室 で あ っ た 。長 さ
20m は あ る 黒 板 と 、 テ レ ビ に よ る 教 育 、 学 生 デ モ
し てい るの か と言い たげ な 日で、 私は 思 わず目 を
伏せ た 。先 生は 大 きく 口を開け て 楽 凵 ずに笑 う と
用の ユニ ット な どがあ っ て、大 きさ や規模 は ヨ ー
い う表 情は ほ とん どみせ るこ とは なく 、不満 な と
ロ ッパで一 番 とい う階段 教 室 であっ た。 学生 診療
きは首 を左 右に 振 る動 作 が 多く みら れ診療中 など
室 は80 台 の ユ ニ ッ ト が あ り 、 そ れ ぞ れ が セ パ レ ー
は 横に いるこ とすらこ わい くらい に迫 力があ った 。
トさ れて いて 、診療 中 の所 には赤 い ランプ がつ い
い かに もド イツ 人 とい う感じ であ ったo
てい る。先 生方 は その場 所 をみ て まわり 、指示 を
ス イス
与 え た り 、 あ る い は 診 療 の 手 伝 い を し て い るo ま
た、 医 院の 診療 室は 個 室 に な っ てい て、 診 断、 設 計、 診
数 年 前学 会出 張の と き台風 で新 幹線 が スト ップ
し て飛行 機 で台 風の 中 を上京 して以 来 、飛行 機 ぎ
診療 は 診療 室 で行 い、 印 象採 得 さ れ た印 象 は封 され て
ら いに なっ たが 、今 回の 旅行 では 、な んと22回 も
い る 。こ れ を 運 搬 す る 人 が 技工 室 に 運ぶ。 技 工 室 で 作
搭 乗し た。 そし てヨ ーロ ッパ では ほと んどの 場合
られ た 補 綴物 は 、ま た 別 の 運 搬 す る 人が 中央 管 理 室 へ
着 陸態勢 に 入っ てから 厚 い雲 の中 に突 入し、 かな
り とん での ちに い きな り視野 がひ らけ ると 、も う
持 っ て行 き、予 約 さ れた 日時に 診療 室に 運ば れ る
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真 下に 住宅 があ っ たり林 があ った りし て、 それ も
今 に も手が 届 きそ うな所に 出 て来 るの で、 その た
きも、 表札 は、ピ ー ター・ シェ ラー が「世 良平 太」
び に肝 を ひや し 、手 のひ らに びっし ょ りと 汗 をか
く ので 、 もし私 か早 死し たら 多分飛 行機 のせ い と
多く落 着い た気分 で話 合う こと が 出来たO 日本で
は受 験地 獄 とよ く言 われて いる が 、ス イスは 日本
思 うほ どで あっ たo チュ ーリ ッヒ空 港 でも全 く そ
と少 しこ と なるが 、小 学校 5∼ 6年 生の とき の成
の 通り であ り冷 汗 をかい たo ホテル は大 学の 近く
績が 、殆 ど一 生 を左右 してし ま うら しく 、この時
期の 成績 で上 位か ら大学 に 行け る者 が何% と決 ま
となっ ていて 大笑 い 、家具 など も 日本調 の ものが
で 歩い ても 5分 くらい の所 であ ったo ピ ー ター・
シェ ラ ー教 授は 、丁 度そ の日国家 試 験で 忙し く、
り、 その上 歯 科大学 を受 験す るこ とが 出来 る者 が
そ の間 の私 のス ケジュ ー ルが秘 書か ら渡 さ れた。
何 人と決 まり 、高 等教育 を受け る者 も順番 にな る
チュ ー リッ ヒの街 は 、九州 と似て い て坂道 が 多く
ので かえ って 日本 より も大変 か も知 れない とい う
道路 のあ ちこ ちは 入り 組ん でいて と ても わか りに
こ と であっ た。 チ ュー リッ ヒ大学 の局 部床義 歯の
くい 所 であ る。そ して 町全体 はあ ま り大 きく なく 、
主維持 装 置はア タ ッチ メント で 、金属 焼付 ポー セ
商店 街は き れい ではあ るが品 物の 値段 がド イツ に
比べ て高 い ようで ある。 また 食事 量は ド イツ より
も少 ない が 、味は とて もよ く毎朝 のむ 牛乳 の味 は
印象に 残 って いる。 スケ ジュ ール どお りに まず バ
ー ゼ ル大学 を訪 問し た。 ここ は、 ス イスで も大 変
に 古い 町 で校舎 自体 も5 ∼600 年 前の建 築物 で 、
補 綴学 の ガッ セル教 授は60才 を超 えた 方だ が、 と
て も 温厚 な人 で彼 自身の 図書 室は 、 まるで古 い 宮
殿 の会 議室 の ようで 天井や 壁 に彫刻があり、い かに
もどっ し りした もの で、 昔の教 授が 如何 に価 値 が
あ った か を思 い知 ら され た。 また 、今か ら2500年
前 のロ ーマ 人の 遺体 から 発見 された 純 金のブ リ ッ
ジ が展示 さ れてい た のが大 変に興 味 深か った 。 市
チューリッヒ大学歯学部
内に は12世 紀当時 の家 屋が 並び今 で も 人が住 ん で
レ ンが数 歯連 結さ れて いた 。こ れだけ で も3大学
い たが 、こ れは地 震 などの 災害 がな いこ と と、古
い もの を大切 にす る国民 性に よ る ものと 深く 感心
を まわっ てそ れぞ れ 異って いて興 味 深い もの であ
し た 。し かし 、歯 学部 の隣に あ る医学 部 の附属 病
っ た。 また ポーセレ ン のた め の支 台歯形 成と印 象
採得 は 、私 もは 匕め てお 目に か か るお もし ろい 方
院は 超近代 的 なビ ル と設備 がと との えら れて いた。
法で あっ た。麻 酔 から は 匕まっ て まず圧排( 第1
特に地 下 室は 現在 駐車場 とし て使 用 され てい るが 、
もし も原 爆等 が投下 さ れる と、 直ちに 診療 施 設及
回 目)し 、ラ ウン ド・ バー で歯 頸部に 沿 って基 準
び患 者はこ の 地下 室に移 さ れ、 その うえ 、20cm以
上 の 鉛の 入っ た厚 い扉は 被爆 患 者を出 さ ない ため
タ イプ の バー で形 成し 。2 回 目の圧排 を行 っ たの
ち仕上 げ 形成 を終 え、 歯肉切 除 を行い 寒 天に よる
の も のであ っ た。 スイ ス国自 体がこ れを推 奨し て
印象採 得 をす る。 寒天は 水 で冷や す ので 歯周組 織
い て個 人家 屋 もアパ ート も新築 の 際は 必ず 地下 室
の安定 と 止血 をす ると いう理 由 でこ の方 法ばか り
が 作ら れて いて 、 永世中 立を宣 言 して い るこ の国
で行 われ てい たO さらに 、 必ず 3回 印象採 得 をし
が 、安 全 とい うこ とに 如 何に大 き な努 力が 払 われ
て よりよい も のを選 び 出して 作業 模型 にす る とい
て い るかが うか が われ、 日本が 水 と安全 は タダ み
うこ とであ った。 滞在中 に ポー セレ ンの支 台歯形
たい に思 われて い るのと対 象的 であ っ たが 、 最近
は防 衛問 題が 国 会で とりあ げら れ討 議 され はじめ
成 から はじ ま るテ クニ ッ クの 問題 、審美 、岐 合 の
問 題に いた る まで一 連 の操作 につ いて テレビ 録画
線 を作 り、おお む ねの 形成 が終 る とシ ャンフ ァー
たこ とは、あ る 面で当 然 のこ とであ ろ う。 さて 、
とそ れに関 す る討 議 の中 に私 も 参加 を許 され有 意
シェ ラー 教 授は 大変 な親 日家で夫 人は 日本 人で あ
る。 教授 室に 表 札があ って 「世 良教 授室 」 と 日本
義 であ った。 欧 米 では視 聴覚 教育 には と ても熱 を
語で 書か れてお り、 日本語 も少 しだ がし ゃ べ るこ
入れてり る よ うで 、その ため の撮 影 設備は とにか
くすば らし く 、参考に な っ たとい う よりは 驚くば
とが で きた。 外 国で 日本語 が話 すこ とが 出 凩 るの
か りで あっ た。 ス イスは 世 界一の 観光 国 だけ あ っ
はほ ん とうに う れしか っ た。 自宅 に 招待 さ れた と
て 、どこ を眺め て もす ば らし い景 観 であっ たO シ
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エラ ー教 授は 、私 か毎 日8時 半か ら学 校に 出かけ
ゲン空 港に 到着 し てから ロビ ー までの 通路 がと て
て 来 るの をみ てブあ な たは 、はるば る 日本か ら ス
も長 く 感 ぜ ら れ重 い シ ョ ル ダ ー バ ッ グ と 重 く る し
イ ス ま で や っ て 来 て 、ど うし て毎 日学校 に 来 る の か。
い 気 特 で 、 こ こ の 第一 歩 は 暗 か っ た 。 こ の 空 港 で
今 から 秘 書にプ ランを 立てさせ るか ら主 な 所 を見
は じ め てLost and Found 係 と い う も の が あ る こ
物 しな さい 。こ れは 私 の命令 だ」 とう れし い命 令
と を 知 り 、 そ こ で 数 時 間 ぶ りに 荷 物 と 対 面 し た と
が 出さ れ 、チ ュー リッヒ を出 て、ロ ー ザン ヌ 、モ
き は 思 わ ず サ ム ソ ナ イト の ト ラ ン ク を 抱 き し め て
ント レ ー を経 て、 シヨン 城 をみて まわ り、 ツェ ル
し ま っ た 。 そ し て 初 日の ホ テ ル は 旅 行 者 で 満 員 で
マ ット に羞 い た。途 中豪 雨に 会い びし ょぬ れに な
何 軒 も 断 わ ら れ 途 方 に く れ た が 、 夜10 時 す ぎ に や
っ て ホテル に とび 込んだ 。翌 朝は ウソ のよ うに 晴
っ と み つ け た か そ れ は 古 く て不 潔 で そ の 上 料 金 が
れ 上 が り 早 速 登 山 電 車 に の っ た。 マ ッ タ ー ホ ル ン
高く てど うし ょう もない 所 だっ た。 スカン ジナビ
が いつ もみ ら れるよ うに 設 計 さ れ た こ の 電 車 は
ア地方 は 冬期に は旅 行 客が極端 に 少な く夏期 も短
100 年 近 く な る ら し い。 真 白 に 雪 を か ぶ り 、 雲 一 つ
い 期 間 に 1年 分 を 稼 ぐ ため に 1 人旅 で予 約 な し の
私の ような 者に は 目も くれない の が当 然であ る。
お り あ い 長 期 滞 在 な の でペ ン シ ョ ン を 探 し は じ め
や っ と 1 週 間 後 に 入居 出 来 た 。 い わ ゆ る 屋 根 裏 部
屋 で あ る 。 し か し 日 本 で 考 えら れ て い る よ う な 狭
くて 、日当 りが悪 く寒々 とし た そのよ うな悪 い イ
メ ー ジ と は 異 な り ト イレ が 共 同 であ る とい うこ と と
風呂が な くシャ ワー のみ とい うこ とを我 慢 すれば
意 外 とよい もの であ る。 ここ も同 じく 物価 高で 夕
バ コ 1 箱20 本 入 り が1100 円 で 、 サ ン ト リ ー オ ー ル
ド は 1本が 1万 円、 どこ の店に で も売 ってい る デ
ンマ ー ク 風 の オ ー プ ン サ ン ド は う す 切 り の パ ン の
マッターホルンの眺望
上 に 肉 や 魚 と 野 菜 が お い て あ り 美 味 し い もの で あ
ない 青空 に そび え立つ雄 姿 は思い 出 すた びに その
るが 、その上 に のっ てい る材料 で値 段 がか おり 、
感 激が新 たに な りまぶ たか ら離 れな い。 その 日の
う ち下 山 し イン ター ラーヶ ンに 泊り 、翌 朝 グリン
上 第 の も の は 1 片 が700 円 も す る 。 コ ペ ン ハ ー ゲ
デ ルワ ル ト を経て ユン グフラ ウに や はり 登山 電 車
の 「 す き 焼 」 とい う 日 本 レ スト ラ ン が あ り 、 休 店
ンに は 、駅 の横 道を 少し歩 い た所 に、 日本 人経営
で登 った が 、8 月下旬 とい えば 日本 では 真夏 であ
日以 外 は 毎 晩 こ こ で 夕 食 を し た 。 こ こ は 日 本 語 が
るのに 、 大雪 に会 い山 頂は 猛吹雪 で一 寸先 もみえ
し ゃべ れて 楽し みであ っ た。 そし てこ の地方 で と
ず寒 さに震 い 上が り、 気候 の変化 の 激し さに 驚か
さ れたが 、とに 角 私に とっ てはす ばら し く楽 しい
れ る ニ シ ン の 塩 焼 は と て も 美 味 し く あ ま り 続け て
思 い 出と なっ た。 その点 で もシェ ラ ー教授 に感 謝
み た ら ど うか 」 と 笑 わ れ る 程 で あ っ たo
食べ る の で 店 貝 か ら 「 も う 少 し 違 う も の を 食 べ て
さ て 、 デ`ン マ ー ク王 立 歯 科 大 学 は 5年 制 で あ る
す べ きであ る。
デ ンマ ー ク
こ と と 、 女 子 学 生 が50 % 以 上 占 め て い て 教 貝 も 女
9月1 日から10 月10日ま での約50 日間は テ'ンマ
性 が 多い とい う こ と に 驚 い た 。 い ろ い ろ の 先 生 方
一 クで の生 活 であ ったが 、ここ で数 々 の失 敗 が集
中 して し まっ た。 即 ち 、チュ ーリ ッヒ 空 港で 出 発
に 聞 い て み た が や は り 5年 制 で は 無 理 が あ る と い
時 間 を間違 えて 、私 かゲ ートに 入った と きはす で
とは 、 スカン ジナ ビ ア地方 の特 長 で、 基礎 、臨床
に予 定 の飛行 機 は飛 び立 った あと で3 時半 後 の便
面 で女性 の役 割の 大 きいこ とと、 結婚 、出産 、育
うこ と で 一 致 し て い た 。 ま た 女 性 が 多い と い う こ
に乗 るこ とに な って しま った。 そ の上 もっ と 困っ
児の 期 間 休 職 し て も 体 が 自 由 に な る と 職 場 復 帰 が
たこ とは 荷物 だけ は一 足先 にデ ンマ ー ク入りし て
い たの であ る。こ の 荷物 が紛失 す る と、 その 中に
簡単 で 、そ れを待 っ てい る職場 が とて も多い とい
は 日本 で用 意し た資 料 を全て 入れ てい て失 く なる
補綴 の基 礎 実習は 、理 工学 教室 に相 当す る 講座が
と私 の 外国生 活 をす る目 的は失 っ た も同 然 であ るO
行い 、有床 補 綴 と継架 補綴 と校合学 講座 とが 補綴
うこ と で 女 子 学 生 が 多 い 理 由 が 理 解 出 来 た 。 ま た
こ れには 本当 に 困っ てし まい 、ふ き出 る汗 を拭 い
と関 連 あ る 講 座 で あ る が 、 所 属 し た の が 校 合 学 講
なが ら 次の便 を待 っ たO デンマ ー クの コペ ン ハー
座 で メ ラ ー 教 授 が 担 当 し て い た 。 内 容 は El
ect
ro
9
− myography で 殆 ど生 理 学 の 分 野 で あ り 、 オ シロ
グ ラ フ を み る の が 約25 年 ぶ り で 、 こ れ に は 閉 口 し
時間し ゃ べり 通し で、 その タフ さに驚 いたO 残 念
なこ とにデ ンマ ー ク語 で話 され るので 私に は一 言
た。 コ ペン ハー ゲン で忘 れられ ない 人が 、 クロー
も わから なか った。 ただ 写し 出さ れ るスラ イド を
ポール セン 先生 であ る。 メラー 教授 の前 任教 授で
みな がら 想像 をた くまし くし なが ら理 解す るしか
顎 関 節 症 に 関 し て は 世 界的 な 権 威 者 で 現 在70 才 で
方法 がなか った。 とこ ろ が講 演終 了後 私を 送っ て
あ る 。 日本 に も数年前 講 演に来 られ たこ とがあ り 、
神 奈川 歯科 大学 の青 木教授 は以 前数年 間 彼の もと
くれ ながら 「デ ンマ ー ク語 でし ゃ べって 申 訳なか
った。 明 日の夜 英語 でや り直 すか ら是非 家に きて
で 研 究 活 動 を さ れ た と い うこ と で あ る 。 デ`ン マ ー
くれ」 とい われ 恐縮し ながら 次の 夜先生 の家 に行
ク到 着 後 最 初 に お 宅 を 訪 問 し た の が 先 生 の 家 で 、
き地下 室に 案内 さ れたが 、 そこに は大 きな ス クリ
その 日は つ きっ きりで 学校や 市内 を 案内し て下 さ
り、毎 水 曜 日は 彼の診 療所 を見学 に来 る ように ス
ー ン があっ て教 室 を小 さ くし たよ うな部 屋で 、先
生 が私一 人のため に 夜更け まで2 日分 のス ライド
ケ ジ ュ ー ル を 組 ん で 下 さ っ たo 彼 の 診 療 所 は コ ペ
を英訳 して下 さったO た また ま奥 様の体 の具合 が
ンハ ー ゲンの 中心 部にあ るト ーバ ルセ ン公 園の 近
悪 く、先 生 がケ ー キを作っ て下 さ り、お茶 を のみ
くにあ り 、訪 問し て最初 に驚い た のは 診療 キャビ
な がら御 馳 走に なった が、 学問 の道 では 雲の上 の
ネット の上 に は ミラー 1本があ る だけ であ とは 何
存 在の先 生 が人 なつこ く 、思い や りのあ る面 をみ
も置か れ てい ないこ と であっ た。こ れは あ とで す
せ られ 本当に う れしか った 。 彼は今 だに ヨーロ ッ
ぐ理解 出来 だ。 即 ち、他 の医 院から 紹 介さ れた 顎
関 節症 の 患者 のみし かあつ か わず 、診断 は 、レ ン
パ を中心 に平 均 月1回 は 講演 をさ れてい る。元学
長 の坪 根、 池尻先 生に この 件につ い て御 報告し 、
ト ゲン と 彼の作 っ た顎関 節症 診断用 カル テに よ っ
出 来るだけ 早 い時 期に 何ら かの 形で 日本 の歯科 界
て 行 わ れ て お り 、 こ の カ ル テ は 大 学 で も。全 く 同 じ
も の が 使 用 さ れて い た 。 レ ジ ン の スプ リ ン1ヽを 入
の ため に も う一度 頑張 って 欲し い とお 便 りし たこ
と を思い 出す 。
れ て関 節症 の治療 を行う方 法が 多か っ たが、 ミラ
コペ ンハー ゲン の町 は平 旦で高 い 山 もなく駅 周
ー1 本 と校合 紙 と削 合用の ポ イント 類があ る だけ
辺の建 物 はい かに も古い が と ても落 着いた町 であ
であ るが 、 スプ リント の削 合は 出来 るだけ 小 さ な
る。庶 民 は 税 金 が 高 い と い っ て 悔 む が 、我 々か
唆合 小面 が歯 牙に 接 する ように するこ と が大切 で 、
中 心 位 と 校 頭 嵌 合 位 で 接 触部 分 が 異 る の で そ の 点
らし てみ ると 医療 費、 教育 費や老 後の心 配 をし な
くて うらや まし い ばど であ る。お 天気 の 日などお
を 何 回 も て い ね い に チ ェ ッ ク し て い たo そ し て 早
年 寄 りの方 達 が散 歩し て い る姿 が目立つ 。し かし
い 時 期か ら天 然歯 の削 合は行 わ ず、 補綴物 や充 填
若 者もウロ ウロ し てい る人 が多い ので 聞いて み る
物 があ れば 、 それ らから 削合 しけ じめ その テ クニ
と仕事 を辞 め ても休業 補 償 があ り、 食べるこ とに
ッ クは唆頭 嵌合 位 を保護 して 、側方 運 動時 の早 期
接 触 を 全 て 削 合 す る 方 法 で あ っ たo あ る 日 、 彼 が
心 配は ない とのこ とであ った 。高 福祉高 負担 を目
の 前に みせ ら れ、 うらや まし い面 とそ うで ない面
コペ ンハー ゲ ン市 内の開 業医 の先生 方 へ講 習会 が
が 交錯し た が 、若者 が仕 事 をし ないとい う姿 は決
開 か れ 、 ゲ ス ト と し て 招 待 を受 け た の で 出 席 さ せ
し て よい印 象 を与え る もので は なかっ たO マ ー メ
て い ただい た。 2 日間に わた って行 われ、 1 日8
イドは デン ヤー クを象徴 す る銅像 であ る。海岸 の
マーメイド
クローボールセン先生の 講演
10
手 に と ど く 所 に 置 い て あ っ て 、 と て も小 さ く て 可
で あっ た。
愛 い も の で あ る。 外 国 の 美 術 館 に 置いてあ る美
私の 泊っ た ホテ ルは 、王宮 が 入江 をはさ んで真
術 品は 殆 ど手 で 触れるこ とが でき る ような とこ ろ
正 面に 見え る最高 級の もの であ っ た。 宮 殿の 中に
に おい て あ り、 とて も親近観 がわ き、 その 感 激も
一 層 深 い も の で あ っ た 。 町 の 北 の 方 にFredens 城
を 見学 に 行 っ た が 、 池 の 中 に あーつて 規模 は 大 き く
な い が、 一歩 中に 入る と美術 館と工 芸 館をl つ に
し た よ うで 、その 作品の 1つ 1つ がすば らし く、
以 前 天 皇陛 下 も こ こ を 御 訪 問 な さ れ た よ う で 菊 の
御 紋 にHi rohitoの サ イン が あ り 、 世 舁 中 の 高 貴 な
方 々が 見 学さ れて いた。 チャ ンスが あ れば 是非 も
う一度 訪 ねて みた い場所 であ る。
ス エ ーデン
クロ ー ポ ー ル セ ン 先 生 と メ ラ ー 教 授 の 紹 介 で ス
ホテルからみ た王宮
エ ー デ`ン を 訪 問 し た の は 9 月17 日 か ら わ ず か 3 日
間 で あ っ た が コ ペ ン ハ ー ゲ ン を 出 発 し て 1 時 間15
も入る ことが 出 来る とい う 日本では と ても考 えら
分 で ス ト ッ ク ホ ル ム に 到 着 し た。 超 音 波 ス ケ ー ラ
れ ないこ と であ る。 バルチ ッ ク海は 出 入口が小 さ
ー を 作 っ て い るAmlab社 の ア ン ダ ー ソ ン 氏 が つ き
い 湾 の よ う に な っ て い て 、 潮 の 流 れ か 少 な い うえ
っ きり で案 内し て くれた。 彼は 出張 で よく 日本に
に 各国 の川の 水が どん どん 流 れこ むため に 、海水
来 られ るそ うで 私か 帰国し てか ら間 もな く来 日し 、
をなめ てみ たが 日本の 水よ り も塩か ら くな く不思
私 を訪 ねて くれ 、一 夜の みだっ たが 夕 食を一 緒に
議 であ った。 鮭が 産卵 の ために ここ に集 まる そ う
楽し ん だ。 彼に 「 スエーデ ンは フ リー セッ ク スの
で 、鮭 料理は 名物 であ る。 ま た、小 え びを海 水で
国 だと 日本 では 評判 だ」 とい うと彼 はむ きに な っ
ゅ でた もの をつ まみビ ール をの めば 、 まさに 天国
て、「 そ ん な 国 で は な い 。 日 本 の 方 が フ リ ー だ 」 と
の 心 地 で こ の 昧 は 忘 れ 難 い もの で あ る 。 私 は 日 本
説 明 し て い た が 、 ま さ し く 健 全 な【、I
】
と思 わ れた。
で はあ まりビ ー ルを好 まな いが 、 ヨーロ ッパ では
スト ッ クホル ム大 学歯学部 は ヨーロ ッパで 一 番
と て も おい し く 感 じ た が 、 こ れは お そ ら く 気 候 と
く に 湿 度 の せ い に よ る もの だ ろ う と 思 わ れ た 。
規 模 の 大 きい も の で あ る ら し い が 、 8 階 建 て の ビ
イギ リス
10月11 日か ら10 日間 が 、 イ ギ リ ス の 生 活 で あ っ
た。 ヒー スロ ー空 港か ら タ クシー で、ロ ンド ン市
内 ピカ デリー の ホテル に着 く まで今 迄の 国 とちが
い 看 板 な ど も み な 英 語 で 書 か れ て い る の で安 心 し
て ホ テ ル に 入 り 、本 場 の 英 語 を 聞 き 、 し ゃ べ る こ
とが 出来 る と大い に 発奮し たが 、ベ ル ボーイに 何
かの 用事 を依 頼し た ところ 、 その返 事が もの すご
く 早い英 語 で何 を言っ てい るの か さっぱ り わから
ず に 大 変 な シ ョ ッ ク を受 け 、 と う と う夜 も 眠 れ ず
に どうし たら よい かを 考え 続け た。 結局 通訳 をつ
スト ッ クホルム大学 歯学部
ル が 歯 学 部 で 、 反 対 側 に 技 工 士 学 校レ 歯科 所 生
け て 、Guy’
s Hospjtalと ロ ン ド ン 大 学 歯 学 部 ( U
士 学 校 、看 護 婦 学 校 な ど が 2階建 ての ビ ルの 中
・C ・H )に 通っ た。 とこ ろが 学校 で教 授達 と話
に あ る 。 ど ち ら も広 々 と し たロ ビ ーが あり 、 喫
をす る と例のベ ル ボー イほ ど難 解 ではな かっ た。
煙 者 用 と そ う で な い 人の た め の部 屋 とがあ り 大
通 訳の 人にベ ル ボー イと話 をし て もらっ た ところ
変 に 余 裕 が あ る 。 学 生 部 診 療 室 は ユ ニ い・
卜 が`250
ひ どい なま りで理 解し 難い との こ とだっ たの で一
台 ず ら り と荳 ん だ 光 景 は 、 まさ し くお どろ きで
応安 心し たが 、彼 の英 語 と標準 語の 英語 も区別 出
あ る。休 暇 で実 際に 活動し てい るとこ ろ を見 るこ
き な い 情 な さ が ま じ わ っ て 思 わ ず 苦 笑 し たo さ て 、
と は出 来なか っ たが 、こ れか らあ らゆ る面 で 急成
Guy’SHospital は 、30 階 建 て の 近 代 的 ビ ル で 下
長 するで あ ろ うと思 われ るすば ら しい 設計 と 設備
部 が 医 学 部 と附属 病 院、 上 部 が 爾 学 部 と 附 属 病 院 で 、
n
私 と通 訳 は26 諧 の ジ ョ ー ン ズ 教 室 を 訪 ね た 。 大 変
U・H・C のアレ キサン ダー 教授 は縺架 補綴 の教 授
見張 らし の よい部屋 であ る。 イ ギリス の歯科 大学
であ る と同時に 学 部長 の要職 にあ り 、多忙 な毎 日
の 学 生 は 入 学 す る と 、500
ポン ド の 歯 科 用 器 具 が
を送 ってお ら れるが 、 私の ために か なりの 時 間を
プ レ ゼ ン ト さ れ 、 校合 器 具 等 は す べ て 貸 し 出 さ れ
費し て下 さりあ り かた かっ た。現 在 の校舎 は古 く
る 。 た だ し Deposit を 入 れ て お き き ち ん と 返 済 す
れば 問 題は 生じ ない。 お金 は生 活費 と本 代であ る
なっ たの で間 もな く改修 に 入る とい うこ とであ っ
た。 た またま案 内 され てい るう ちに小 手術 室で 根
が 、こ れ も奨学 金制度 があ づて殆 ど 親の 負担 はな
尖切 除術 を見学 し たが完 全消 毒 を目的 とす るため
いo そ こ で 私 は 「 殆 ど無 料 で 親 も 日 本 の よ う に お
か、 私 も入室の 際に 帽子 、マ ス ク、白 衣が 貸与 さ
金 の 心 配 が な く 、 本 当 に よろ こ ば し い と 思 う が 、
れ、中 に 入るとエ ンジ ンの管 まで 滅菌 ガーゼ で封
物 を 大 切 に す る 気 持 が な く な り結 果 的 に は 将 来 本
人 達 が 困 る こ とに な り は し な い だ ろ う か 」 と 聞 く
され るとい う 念の 入れ ようで あっ た。土 ・ 日 を利
用し てマ ンチェ ス ター
−に 行 き、 キュラー 先生 に 久
と 教 授 は、「 全 く そ の 通 り で 、 そ の こ と は 今 後 問 題
振りに お会 いし た。 いつ もの よう ににこ やか で 、
物 事す べて が紳士 的 であ るO マ ン チェ スター 大学
歯学部 の中 を案 内して い ただ き、 キュ ラー・ ア ン
カーの工 場 も見せ てい ただ い た。 イギ リスで は、
時 間が なくて 観光 す る暇 もなか っ たが 、2階 建て
の バ ス、地下 深 く入 り急傾 斜 のエ スカレ ー ターを
下 り、い ざの と きには 地下 壕に も なると いう地 下
鉄 、一 目で わかる ボッ クス型 のオー スチ ンの タ ク
シー な ど乗 物 は大 変に 特徴 があ る。 また 、さす が
と思 わせ る途 方 もなく集 め ら れた美術 品 、芸術 品
が大 英博物 館 は 匕め 多 くの 美術館 に 陳列 され てい
る。 よく英 国は 斜陽 の国 だ とい われてい る が 、私
の ように短 期 滞在 者に は、 昔の ように 思い の まま
活動 するこ と は出 来な いか も知 れない が 、すご い
地 上30 階 建 て の ス マ ー ト な ガ イ ス ・ ホ ス ピ タ ル
底力 を感じ ざ るを得 なか っ たO
フラン ス
10月20日から10 日間は パ リに滞 在し た。F・D・
I が 、21日から26 日まで コ ンコ ルド・ ラ・フ ァ イ
ェ ット で開 催 され 、そ れに 出 席す るため であ っ た。
ロンドンブリ ッジ、丁度軍艦が通 過してブリッジが開い た
に な る と 思 う 」 とい うこ と で あ っ た 。 大 学 の 別 棟
に あ る ジ ョ セ フ 資 料 館 の コレ ク シ ョ ン の 中 で ワ ッ
ク ス に よ る た く さ ん の 人 体 解 剖 の模 型 は 全 く す ば
ら し い もの で あ っ た 。 ま た 、 教 授 は 遇 然 に も我 々
と全 く同 じ実験 をや ってい て 、使 用機 械は 以 外に
も 古 い 日本 製 の もの で 、私 の テ クニ ッ クに 非 常 に
しか し 、こ こ で私 かデ ンマ ー クか ら 送っ た荷物 が
興 味 を示 し 、 そ の 論 文 を 、Briti
s11 0r al Rehabi
イ ギリ スに到 着し ない ままに フ ラン スへ 出発し て
−ljtat
ion に 投 稿 す る よ う に す す め て 下 さ っ た 。
し まったが 、 その中 に学 会 会場 の入場 券 を入 れて
いた ので 入場 出 来ず 大変 困 った。丁度イギリス空 港
こ れは思 い もよ らぬ うれし いこ とであ った。 また 、
12
る。学 会期 間中 は会場 の うらに あ る近代 的 な ホテ
ルであ っ たが 、立 派な建 物で すば らし いが 、近代
的 なビ ルは 世 界中どこ で も似 てい る。 学会 終了 と
同 時に 星 3つの 古い ホテ ルで 3 日間ば かり宿 泊し
たが 、いか に もヨーロ ッ パ的 であ った。 エレベ ー
ターが 円筒 で 周囲に 金網 が貼 ってあ り 、そ のま わ
りにらせ ん 階段 があ り、 昔のフ ラ ン ス映画に 出て
くる ような 格好 でと ても落 着い た 雰囲 気の もの で
あ った。 西 独、 スイ スで は土 ・ 日曜 日に 小旅 行 を
して まわっ たが 、少々 飽 き がきた のと 、あ まり う
ろ うろす る と全体 の印 象 が ボケて くる ので、 パリ
では ルーブ ル美術 館 を主に 観 てま わっ たo 29万 点
ホテルからみる凱旋門
の 荷役 の 人達 が ストに 突 入した ため にお きた 被害
以上 の 美術 品の コレ クショ ン なの で、ここ だけ で
もか な り時 間を要 す る。 モナ リザだけ は ガ ラスの
害 者の 1 人であ ったO 会場 が広 く案 内の 所に は常
ケー スに 入 って 直接 触れ るこ と。
は出 来 ないが、 他
に 大で一 杯 で、 その上 、 外国 人に わか りに くい標
の ものは 全 て直接 み るこ とが出 来 る。 ミロのビ ー
識 であ った。 結局 は 日本歯科 医 師会 の事 務の 方の
ナ スは 日本に 来た と きは長 蛇の 列 をなし てゆっ く
名札 を 借り て彼 の入場 券で 入場 出来 た。 講演 は、
りみ るこ とが 出来 なか った が 、ここ では 、彫刻 部
殆ど 同時 通 訳つ きなの で、 どの国 の 人の 講演 でも
門の 中に あっ ては と んど中 央部 にあ り、手 で 触れ
直ちに 理 解で き るし有 難い と内心 よろ こ び勇 んで
イヤ ホー ン を耳に した。 我々 が考 え てい る同時 通
てい る 人も 多いo 特に 私に とっ ては 、 ミレ ーの 落
穂ひ ろい の絵 は感動 的 で時 のたつ こ と を忘 れ るほ
訳と はごロ ケ ット が 月面着陸 した と きの テレ ビ で
どで あっ た。 複製画 が あっ たの で買 ったが 、送 る
みたあ の同 時 通訳 ぶり であっ た。 実に 見事 であ っ
と毀 れそ うで 自分 で持 って 帰っ たが大 変だ った。
た し 、当時 ほ れば れと 聞き入 った もの であ った が 、
たま たま グラ ン・ パレ でピカソ展が開催されていた
ので長い行列に並 んで見物し た。800点 の出品 であ っ
今 回の もの は 、 外国語 を一旦 英語 に翻 訳し た もの
が 日本 人通 訳 のとこ ろ・
に 放送 され 、そ の英 語 を日
たが 、税 金のか わりに 国に 納め たも のとい うこ と
本 語に 通訳 す るから 事が 面倒 であ るO 結果 的に は 、
であっ た。 しか し 、私は 彼 の作 品を理 解す る審 美
ど ちら かの 部 分でこ とば がと ぎれ ると 全 くわか ら
眼が ないこ と もあり 、 がっ かりし てし まっ た。 た
な くな り、 ほ とんど 最終 的な我 々 の知 りた い と思
うこ と ばや数 字 が放 送さ れず、「一寸 お待 ち下 さ い」
とえば 、50cm四方のベ ニ ヤ板 を石 膏 でオペ ー クし
た上 に が一 ゼ を貼 りつけ て 、その 上に 針金 をぐ る
がや た ら多 く 、間の びし たり で聞 きづら い場 面 が
ぐる巻 きに した もの を接 着 剤で くっつけ てあ る作
多か っ た。数 年 後に 日本 で、F・D・I が 開催 され る
品 など は 、ど うみて も芸術 品 とい う ものに はみえ
とい う話 を 聞い てい るが 、歯科 学 のこ と をよく理
ず 逆に 腹立 たし さ を感じ た。 ま たどこ の国 の美術
解で き る各国 の 通訳 を探し てや ら ねば 、殆 ど 外国
人は理 解 出来 ない ま まに なるだ ろ うし 、一方 、 そ
館に も必ず ピ カソの も のは 置いて あっ たが 、長命
であ っ たと はい え、 ど うし てあ の よ うに 多 くの作
品が 製作 で きた のか不 思 議であ っ た。
のよ うな 大 を探し 出すこ とは大変 に むつ かし いこ
とだ ろ うと思 わ れるが 、関 係者 の努 力 をお願 いし
アメ リカ
た い もの であ る。
3ヵ 月間 を無 事に ヨー ロ ッパで 過し10月29日パ
パ リは誰 で も一 度は訪 れてみ たい と思 う町 であ
リ のシ ャル ルド ゴー ル空 港正 午発 、T・W・A にの
る。 美 術 品の蒐 集 などお そら く世 界一 を誇 るであ
り 、き っか り8時 間か かっ てニ ュー ヨー クの ケネ
ろ うル ーブ ル 美術 館があ るし 、 ショ ッピ ン グをす
る なら 女性 フ ァッ ショ ンはこ の地 か ら生 まれ る。
デ ィー空 港に 到着 した 。着 陸 と同時 に満 貝の ジャ
ン ボ機か ら大 き な歓声 と拍 予 が起 りみ んなが 無事
ま た、 食物 は特 に かき 、えび 、し ゃこ 、 かに 、舌
平 目な どの 海産 物 はとて も美味し い。 そ れに ワイ
に到 着し たこ と をよろ こび あっ た。 こ のよ うな陽
気さ はア メ リカ なら ではの 光景 であ る。 さて 、ア
ンは 誰 で も知 っ てい るほ ど有 名で あ り品 種も 多いO
しか し 、ここ も物価 が高 くて パ リに住 ん でい る大
メリ カは 入国 手続 が最 もや っか い な国であ っ たo
持 物 検査 、所 持金 は特 にや か まし く問い ただ され
はど の よう な生 活 をして い るのか 聞 きたい 位 であ
たo その 日 のう ちにフ ィラ デ ルフ ィアに向 っ た。
-
13
空 から 眺め るニ ューヨ ー クの夜景 はす ばら し くき
れ いであ っ た。
フ ィ ラデ ルフ ィアは私 か最 も長 期 間滞 在した 都
市 であっ た。 お世 話に なった とこ ろは 遇然に も私
の小 ・中 ・ 高校時代 の 後輩で 、 キリ スト教 の牧 師
をしている島田さんのお宅 の3 隋で あ る。 門司 港 の
自宅 もす ぐ近 所で あっ たため 大変 な親近 感が あ り、
ホ ッとし た気 分に なり 、その安 心感 から か途端 に
体 調 をこ わし数 日問 寝こ んで しま った。 気の ゆ る
み はお そ ろし いもの であ る。ア メ リカ とい う田 は 、
途 方 もな く大 きな国 で最 もRiChな国 であ ると い う
の が実 感 であっ た。お まけに 野菜類 まで 大 きく、
なす び 、かぼ ち や、 きゅ うりな どは 日本 の2 ∼3
倍位 あ るお ばけ 野菜 であ る。 ま た、子 供達 が 人参
を その ま ま、水洗いして食べ てい る姿 をみ て、は じ
ペン大の学生寮
め のう ちは 奇 異に 感じ ら れ、 日本で は馬か 兎し か
その よ うな 食べ方 はし ない とい って 笑うほ どで あ
ペニ シルベ ニア 大学 は歴 史の古い私 立大学 の一
った 。 ステー キも大き くてと て も安 い 食物 で、 う
つ で、 その キャン パ スは広 く、挂 物の数 が200 を
ら や まし いほ どであ るが 、い ず れも ジャン ボで あ
越 え、学 内を バ スが通 り、 大学 がパト ロー ルカー
を もち常に 警 備の ために 走っ てい る。 そし て歯学
るが 味 も大味 であ った。 日本や ヨーロ ッ パの方 が、
料 理や 食事を 楽し むとい うか 、 うつ わで 食べる と
い うほ ど 食器に 気 をつか い、 調理 方法 もい ろい ろ
部は 開学100 年 祭 が1976年に 行 われた。 建物 は古
かっ たが隣に 大 き くて新 しい 研究 棟が建 てら れて
い た。ア メリ カで も臨 床系 の教 官は 研究 のため に
工夫 され優 れ ている よう であ るO フ ィ ラデ ルフ ィ
ア の一 般庶 民の 家の広 さ は地上 3 階、地 下 口 皆で、
費す時 間はな く、 恭礎 の先 生方に 資料を 渡すの み
地 下は 、暖 房 ・給湯 設備 かお り、殆 ど家 に撞 球場
で 、我々 のよ うに 診療 、 講義 、会議 、研究 とい う
や 卓球 台がお い てあ り、家 の値段 は 比 較出 来ない
ほど 安価 で 、聞 いた範 囲で 中 古の家 が1 軒 1ドル
ようなこ とは なく 、夜 遅 くまで 仕事 があ るなど と
い うこ とは信 じら れな い。 自分 の家 庭をど の よう
であ っ た。 私か 帰国し たらマ ン ショ ンを 購 入し て
に 考えて いる のか とい う質 問 を逆に受け て参っ て
入居 す るとい う話 をす ると「 そ れは すば らしい 、
し まった。 学生 は 各学年160 名 で毎年学 校に 納 入
あ なたは と てもお 金持 とみ える。 とこ ろ で何エ ー
カー の土 地に 家 を建て るの か」 と問 われ 、こ ちら
す る授 業 料、実 習 興は約15,000 ドル でほ とんど は
が駑 い て計算 が 出来なか っ た。 後 日アメ リカ のマ
の で親の 負担 とい う ものは な く、成 人す ると独 立
銀 行から 融資 を受 け 、卒 業 後に返 済す る仕 組み な
ンシ ョン を見 物に行 っ たが 、広い 牧場 か ゴルフ 場
の中に 御 殿の よ うな自宅 があ る とい う広大 な もの
で、 日本 では ど んなに働 い ても作 るこ とが で きな
い よ うな 代物 で労働 意欲 を失 う よう な建築 物で あ
る。 貧乏 人根性 を出 して光 熱 費や 管理 費 などが 大
変 だろ う なとつ ぶや くと 笑 われた。
す ると いう考 え方 が実 に はっ きりし てい て 日本 で
は 考え られ ない制 度 であ る。
こ こ ではア ム ステ ルダ ム教授 の部 屋で 、 セミナ
14
一に 出 席し たり 、週1 度は 彼の診 療所 を訪 問し た。
会場 に入 る と彼と奥 さ んの ボッ クス席に 座 るこ と
に な り、 演奏終了 後 貴賓 宗に通 さ れ20人位の 特権
外国 で は私 の知 って いる範 囲で は英国 を 除いて 臨
床 系 の 教授 は自分 の診 療所 をもつ か 、ま たは大 学
階級 と自 負す る人達 と一 緒に いた が、 その うち呼
ば れ て個室に 案 内さ れ1 時間ぽ か りし ゃべ り、お
の設 備 を借 りて 使用料 を支払 って 自分 の患 者の 診
療 をし 、 教 材用の スラ イドは そこ で制 作し てい る。
互に 写 真 をとり 、サ インし たレ コー ド をもら った
全 日制 の 教官 の数 は少 なくて あと不 足 分は非 常 勤
りして 大変に 楽し い夜 を2回 計画し てい ただ いた。
講 師 で まかな われ てい る。そし て 講師 の先生 方 の
12月に入 ると街 中が 一斉 に クリ スマ スセー ルが
給 与は 日 本同 様安 いが 、大変に プ ライ ド をもって
学 生教 育に あ たっ ていた。 さて 彼 の診療 所 で驚い
た のは 、歯 科医 師10名 、 技工 ±10名 、女 性26名の
大世 帯 で、 開業以 来 のカ ルテ、 ス タディ モデ ル、
作業 模 型、 テン ポラ リー クラウ ン、 半年毎 に リコ
ー ルし て撮 影す るレ ント ゲンフ ィル ムな ど、患 者
に 関 す る全・
て のデ ー タが保管 さ れてお り 、そ れが
ボタ ン操 作一 つで受 付け に出 てく る仕 組 みであ る。
こ れ は 彼の 几帳面 な性格 もさ るこ と ながら 、提 訴
さ れ たと きの 資料 として 大変重 要 であ る という の
で 米国 中 の 歯科医師 がこ のよ うに全 て を保管 す る
フィラデルフィアのクリスマスの夜景
義務 が あ るか とい うとそ うで もない らし い。 ま た、
テ ン ポラ リー クラウ ンが大 変に 素晴 らし く支 台 歯
は じ ま り 何 と な く そ わ そ わ 凵 まじ め る 。 街 路 樹 に
に きっ ちり 適合し た 純金 バンド にレ ジン を外装 し
た もの で、こ れは長期 間口 腔内 に装 着し たと きに
豆 電 球 をつ け 、 各 家 庭 も 趣 向 を こ ら し た 装 飾 品 が
歯髄 への 為害 作用や 破折 を防 止し 変 色が ない ので
気 分 に な るo ペ ン 大は12 月20日 か ら 冬 休 み に 入 り私
よい とのこ とであ ったO私ど ももよいことは わか っ
の仕事 も終 了し た。こ の 休暇 を利 用し て東部 の 都
て い ても でき る業 では ない。 だか ら といっ て例 え
市 をま わるこ とにし た。
ば 金 属焼 付 ポーセレ ンが 高い か とい うと400 ド ル
であるから 日本円では9万円 以下 であ るか ら 特別 高
部 を訪 問 し て Wa
lko助 教 授 と面 会 し て 案 内 し て い
各 窓 に 飾 ら れ 、 夜 は そ れ が か が や い て は なや い だ
ま ず ニ ュ ー ヨ ー ク州 の バ ッ フ ァ ロ ー 大 学 の 歯 学
価 と も思 われ ない。 それに 教授 の印 象採 得 方法は
ただ き食事 を ともにし た。 ここ は 、ニュ ーヨ ー ク
独 特 なもの で、 全 て カ ッ パー バ ン ド に 印 象 用 モ
州 で も最北部 に位 置し 、 かな りの積 雪 量があ り、
デ リ ン グ で上 部 を 密 閉 し て そ の中に 印 象用ワ ッ
クスで印 象採 得 匸 作業 模な は シル バー モデ ルで
車 の ガ ラ スの 除 雪 用 の ス ク レ ー パ ー と 道 路 等 の 氷
あ っ た。 カッ パー バンド の 試適 が平均20杪 以 内で、
れ ていて よ く使っ た。 道路 は凍 結防 止の ために 薬
1歯 の印 象が約 2分間 で終了し 、その 手際 の よさ
品が 散布 され るの で車が 銹 びつい て 困る とみん な
とア シ スタント へ の教育 の よさに 全 く感心し てし
が 悔 ん で い た 。 大 学 か ら30 分 位 で カ ナ ダ 領 に 入 る 。
まった。 彼の患 者は 有名 人 も多く 、会 わな かっ た
け れど もモ ナ コ王妃 の元女 優 の グレ ー ス・ ケリー
パ スポート に捺 印さ れて ナ イヤガ ラの 滝 をみるこ
が 、 わざ わざや って 来る と自慢 気に 話し て いた。
我 々 を含め て極 く少数 で 、 暃々 と岩 をも砕 く勢い
世 界的に 有名 なピ ア ニ スト のゼ ル キンやフ ィラデ
のア メリ カ滝 とカナ ダ滝 に圧 倒さ れた。 周囲 は み
をはが すスコ ップ は必 需品 で、 どの 車に も用意 さ
と が で き た。 観 光 シ ー ズ ン で は な い の で 見 物 客 は
ルフ ィア オ ーケ スト ラの指 揮者 で今年 引退 す るユ
な凍っ てい て樹氷 が 見事 であ った。 滝の 水し ぶ き
ー ジ ン・ オーマ ンディ ー氏 などに は 会っ た。私 か
ア メ リカ生 活に 慣 れて 来て島 田 さん とよ く オー ケ
で びし ょぬ れとな り 、カ メラ も写 すと きだけレ ン
スト ラの 演奏 を聞 きに行 く ように なっ た。 あ る 日
まう程 であっ た。こ の 雄大 の 滝が 2月に なる と完
ズの キャップ をは ずし 、 すぐ納 めな い とぬれ てし
教 授室 で演 奏会 のす ばらし さに 感 動し たこ とを 話
全に 凍 っ て し ま う と い う か ら そ の 寒 さ が 想 像 さ れ
す と直 接彼に 電 話 をかけ て「 日本 から 自分 を訪 ね
る 。 つ い で にHanau と い う 咳 合 器 を 作 る 会 社 に 立
て来 た友 人 が、あ な たの 演奏 を聞 いて感 激し て い
る」 と いうこ と をし ゃべ ると 、オ ーマ ンデ ィー氏
寄 り、新 しい 製品の 説明 を受け たの ちに資 料館 に
が 大変 喜ん で招待 して 下さ るこ とに な った。 演 奏
式校 合器 の初期 のも のが 陳列 さ れてい るの をみつ
−15
入っ て校合 器の 歴史 を 見学し てい る うちに 、坪 根
−
け 、 と て も な つ か し く う れ し い も の で あ っ た。 ボ
が は ず ん だ 。 U・ S・C で は レ イ モ ン ト ・ キ ム 教 授
スト ンでは 昨年卒 業し た樋 口 君と 会い とて も元気
に大 変お世 話 に なっ た。韓 国 人であ るが 日本 語が
に 勉強 し て いる ところ をみ せ て も ら い、 タフ ツ 大 学 の
非 常 に 上 手 で、 日 本 に は私 よ り も知 人が 多い よ う で
大学 院 の 試験 に 合 格 し、 今 年 7 月 か ら 通 学 す る こ と
驚い た。 さら に 日本の 歯科 医師 免許 を持 ち、 日本
を 聞 き安 心 し た。 ニ ュ ー ヨ ー ク市 は 、 超 高 層 ビ ル
の 雑 誌 に も 投 稿 さ れ て い て お 会 い す る ま で は 、こ
が林 立し てい て 空 ばか り 見て 歩 く よ う な感 じ で、 肚 界
わい と い う 印 象 を も っ て い た が 、 実 際 お 会 い す る
中 でこ れほ どビ ル のあ る 所 も な く 、 さ す が に 世 界 一
と全 く そ の よ う な 所 は な く 、 学 生 に 対 す る 態 度 は
の 大都 会だ な と感心せ ざ るを得 なか った。 クリ ス
きび しさ とや さし さが 半ば して愛 情の 深さ を感 じ
マ ス は フ ィ ラ デ ル フ ィ ア で 迎 え た 。 私 は クリ ス チ
とる こ とが 出 来 た 。 こ の 大 学 は 留 学 生 か 多 く 、留
ャ ンでは ない が 、島田 さ んの紹 介で はじめ て教 会
学 生 の ため の 教 室 や 実 習 室 が 多 く 、 そ し て ペ ン 大
で行 わ れる クリ スマ スの行事 に 参加 するこ と がで
と同 じ よ う に 卒 後 教 育 が 盛 ん に 行 わ れ て い て 、 私
き たO 説 教 、 合 唱 、 器 楽 演 奏 、 キ ャ ン ド ル サ ー ビ
も 出 席 し て 聴 講 が 許 さ れ た 。 こ こ は 日 系 2せ や 3
ス など 次々 とあっ て荘 厳で すば らし いプロ グラム
世 の 学 生 が と て も 多 く 殆 ど 日 本 姓 を名 乗 る が 、 日
ム であっ た。 私は 毎年 大晦 日の 夜に 除夜 の鐘 の音
本 語 は 話 せ ず 多 く は ハ ワ イjl
ヽか
│ らの学 生で あっ た。
を聞 き なが ら家 を出て 門司 港の神 社 を参 拝し てお
また日本 人観 光客 も 多く、 どこ でも 日本 人と 会え
正 月を 迎 え る 習 慣 が あ る が 、 こ の年ば か りは そ
る し 、 日 本 人街 も あ る 底 抜 け に 明 る く 楽 し い 南 国
れ が 出 来 な か っ た が 、心 静 かに お正 月 を迎え た
であ るこ と を感じた 。 市内 にあ るハ リウッ ドは以
か っ た 。 何 と な くア メ リ カ の首 都ワ シン トン で
前映 画の メッ カ として 栄え た所 だが、 現在 はテレ
過 そ う と 思 い 、 島 田 さ ん の 息 子 を つ れ て 出 か け たO
ビ 制 作 に変 身 し て い る と 聞 い たO も し こ の 地 を 訪
落着い た街 でお正 月の ため 人通 り も少な く静か で
れ たら是非 お すす めし たい 博物館 があ る。 コ ール
あ っ た。 ホワ イト ハウ スの裏 通 りに は、ア メ リカ
タ ー ル が 自 然に 湧 き 出 る 池 か ら 発 掘 さ れ る 動 物 の
各 州 の ク リ スマ ス ツ リ ー が 飾 ら れ て い た 。 年 末 年
骨格 標本 をみ るこ とが 出来 るも ので 、その数 のす
始 で 入場 は出 来な かっ たが 、全世 界の注 目を 浴び
ご さ と 、 発 掘 さ れ た 動 物 の 骨 の 組 合 わ せ 作 業 をし
る白亜 の 殿堂 は、あ ま り大 きくは ない が上 品で す
てい る作業 室 も窓 ごし にみ るこ とが 出来る。 こ の
ば らし い建 築 物であ る。 丁度 、大 統領 選挙 が行 わ
規模 はお そら く世 界に ない であろ う と思 われる す
れる予 備 選挙 の最 中であ るこ と、イ ラン問 題 で世
ば ら し い 蒐 集 で あ っ たO ハ ワ イ で は 、 到 着 し た 日
界中騒 然 とし てい る時期 であ っ た が、何 とか 平和
にア メ リ カ 州 の 太 平 洋 学 会 が 行 わ れ て い た が 会 場
な 解 決 を 望 み た い と お 祈 り し たい 気 持 に な っ て い
に 行 く と 終 りに 近 づ い て い た 。 こ こ で 数 日 間 を 友
た。
人 と過し旅 の疲 れ を 治レ
1 月7 日か ら学校 が再 びは じ まり 、私 も今度 は
体調 を整 るこ とに専 念
し た。
一 転し て アメ リカ の西 海岸の カ リフ ォルニ ア州 の
1 月22 日 ハ ワ イ を 出 発 し 帰 国 し た。 8時 間 後千
ロ マ リ ン ダ 大 学 と U・S・C と 見学 し た。 東 西 を 横
葉 県 の 海 岸 が み え た と き 、や っ と 日 本 に 近 づ い た
断 する のに 6時 間 もかか り 、この 広大 な国 を相 手
感 激 を 忘 れ る こ と が 出 来 な い 。 夜10 時 す ぎ 福 岡 空
に 戦争 を した 日本は 初め か ら国力 の差 を感 じ なか
港に 近づ く とき無 事着 陸し て欲 しい と一心 に 念願
っ たの か と疑い た くな る程 であっ た。
し た。 空 港 に は 思 い も か け ぬ 多 勢 の 人 達 の 出 迎 え
ロマ リ ンダ とい う町は 、セブ ン スデ ーア ドベ ン
を受け 感 謝し 感 激し た。翌 日か ら早速 出 勤し 、半
チ ス ト と い う キ リ ス ト 教 の 一 派 で 作 ら れ て い る街
年 間 に 積 っ た 仕 事 の 山 に 取 組 んだ が、以 前 と一
で 、酒 、 タバ コを一 切口 にせ ず肉 類 も食べ ない 所
種 異っ た何 とも 言いあ ら わしが たい充 実感 を もっ
だ とい う予 備知 識 をもっ てい たが 、行 って み ると
て過 して いる。
な る ほ ど そ う で あ っ た 。 しか し、 ハム 、ソ ー セー
お わ りに
ジ 、 ハ ン バ ー グ な ど が 食 前 に 並 べ ら れ 食べ て み た
出 発 前は何 か 起き るか わから ない とい う悲 愴感
が 、すべ て 大豆 か ら 作 っ た もの で 、 か た ちは 、
が あ っ た。 し か し 一 旦 外 国 の 地 を 踏め ば あ と は 、
本物 と全 くかお り なく、 味が ほん の 少し違 う よう
自分 で 自分 を守 らねば なら ない とい っこ とが す ぐ
に 感じ た程 度で ある
に 理 解 出 来 た。 た と え ば 、 宿 泊 す る場 合 も ホ テ ル
ただし 、牛 乳 と卵だけ は 本
O
物 で あ っ た。 こ の 学 校 で は 、 ポ ー セ レ ン に つ い て
は よ り 安 全 な 場 所 を 求 め 、 日常 生 活 も 日 本 に い る
の研 究が な され てい て、 私共 と実 に よく似 た実 験
と き よ り も 控 え 目 に し た 。 そ れ を 基 盤 とし た生 活
がな さ れて い たので 、 わずか数 日間 であっ たが 話
で も今か ら考 え ると 大変に 楽し い 思い出 の 多い旅
16
旅 で あっ た。 そ れぞ れの国 、町 で皆 が心 から 親切 に
行 日 程
し て下 さ り何 の不 満もな く、 ホー ム シッ クらし い
7 月24 日
成 田 発 、
JA L
も の も全 く感 ずるこ とは なか った。 しか し 、い ろ
7 月25 日
西 独 ウ ル ム 着
いろ な 場面 で生 活感 の違 いを 感じ た。 考えて み る
7 月27 日 ∼ 8 月 4 日
西 独 フ ラ ン クフ ル ト 大 学
と 日本 と 外国で は 、歴史的 に みて も農耕 民族 と狩
8 月 5日∼
16 日
西 独 テ’
ユッ セル ド ルフ 大 学
猟 民族 の差 があ り、 日常 でも全 てに 宗教 との か ら
8 月17 日 ∼
31 日
ス イ ス チ ュ ー リ ッ ヒ 大 学
み合 い のあ る 外国生 活は惑 いが あっ て当 然で あろ
9 月1 日∼
16 日
デ ン マ ー ク 王 立 歯 科 大 学
う 。 し か し 同 じ 人 間 で あ る'
以 上 共通 点が 多い こ と
9 月17 日 ∼
19 日
ス エ ー デ ン ス ト ッ ク ホ ル
も、 そ の国独 自の解 決方法 で解 決さ れ、 他で 批判
9 月20 日 ∼10 月10 冂
デ ン マ ー ク 王 立 歯 科 大 学
が 起き るが 、その 国情 、国民 性 の違 いに よるこ と
10 月n 囗∼10 月15 囗
イ ギ リス ガ イス ホ ス ピ タル
が 多く一 概に 良 否の判定 はす べ きで ない よう な気
10 月16 日 ∼10 月20 日
イ ギ リ ス ロ ン ド ン 大 学 歯
も事 実 であ る。 各国 で色々 と事 件か 起 きた ときで
ム大 学
が す る。
学部
と に か く 、無 事 に 公務 出 張 を 終 え て 自 宅 に 帰 り
10月21日∼10月28 囗 フ ラン ス パ リF・ D・L 総 会
つ き畳 の 上 に 座 り 、 日 本 式 の 風 呂 に 入 っ た と き 日
10月29[]∼12月20[]
ア メ リ カ フ ィ ラ デ ル フ ィ
くて も 日本が 最も すばら しい 国で あ るよ うな気 が
12月21日∼1 月6 日
冬休 み(束 、西 部旅 行 )
し て なら ない。 日 本は世 界で 最 も歯科 に関 す る情
1 月7 日∼ 1 月10日
ア メ リ カ カ リフ ォ ル ニ ア
本 人 であ るこ と を痛感し た。 そし て 。い くら忙 し
アペ ンシルベ ニ ア大学
報 の 多い国 であ る。 我々は 少 々そ れに ふり ま わさ
ロマ リン ダ大学
れ過 ぎる きらい があ る。 もう そろ そろ 落着 いて 目
1 月11 日∼ ].
月 17 日 ア メ リ カ カ リ フ ォ ル ニ ア
標 を定 めて 進 まねば なら ない と考え てい る。 私 の
U・S・C ・
出 発前 から 帰国 まで 、あら ゆ る面 で 応咬し て下 さ
1 月18 日 ∼ 1 月22 日
ハワイ
っ た 多くの方 々 に心か ら感 謝す る 次第で あ る。
1 月23 日
帰国
17
講 座 紹介
歯科麻 酔学教室
昨年 5 月 1 日イすけ で 、 当 九 州 歯 科 大 学 に 歯 科 麻
れま したか ?」「いい え 、注射 はし てもら っ てい ま
酔 学講座 が 新設 され ました。
第 1 口 腔 外 科 の 助 教 授 とし て 、 主 に 麻 酔 を 担 当
せ ん。」「西君 、何 もや って ない では ない か。/」「はい
看護婦 にす る よう命 令し まし た。」「なに 、君 が確認
さ れ、 日本 歯科麻 酔学 会で も、九 州に その 人あ り
せ ん から君 が悪 い。」と一 喝 されたこ と もあ った 、
と知 ら れた西 正勝先 生 か主 任教授 に昇 格 され 、当
とい うエピ ソー ド もあり ます。
講座 は 発足し まし た。
この 間、医 科に 於 いては 、昭 和30年 、第 1回 日
6月1 日付け で 、第 1口腔 外科 に属 し、 口腔 外
本麻酔 学会 が開 催さ れてお り ます。以 後、急 速に
科 学 を研 鑚中 の金 田 多恵子先 生が 助手 とし て参加
わが国 の麻 酔学 の研 究も 進み 、各医 科大学 に 麻酔
レ12
当 大 学15 回 卒 の 中 地 進 が 助 教 授 と し て 着 任 し ま し
科学 講座が 設立 され て、 昭和33年 に は麻 酔標 榜医
制 度が 生ま れま した。 次い で昭 和38年 に は、 麻酔
し た 。 ま た 、 本 年 4 月 1 日 付 け で 、 口 腔 外科 の 大
指導 医 制度 が定め ら れ 、麻酔 専門 医 の制 度が確 立
学 院 を卒 え た 仲 西 修 先 生 が 医 局 長 を 兼 ね て 、 助 手
し てお りま す。
月 1 日 付 け で 、 札 幌 医 科 大 学 口 腔 外科 よ り
に 任 官 し 、 6 月 1 日付 け で 、 今 年 当 大 学 を 卒 業 し
た 第28 期 生 の 石 九 孝 則 先 生 が 助 手 に な り ま すO 新
設 され た当 講座 も、陣 容 を整 えて来 まし た。 発足
当 初 とはい え 、当九州 歯科 大学 では 口腔 外科 の麻
酔 に 関 し て は 、 昭 和30 年 頃 よ り 歴 代・ 川 上 親 世( 現
鹿 児 島 開 業 )・古 本 克 麿 ( 現 ・ 福 歯 大 口 腔 外 科 教 授 )
の 諸先生 方 が麻酔 を担 当し 、他 大学 口腔 外科に 比
べ て も ひ け を 取 ら な い 位 の臨 床 例 を 誇 っ て お り ま
すO 昭 和32 年 頃 は 、 古 本 克麿 先 生 が オ ピ ア ト 、 オ
ピ ス コ 等 の 麻 薬 を 術 前 の 投 薬 とし て い ろ い ろ な 手
術 に 用 い て お り ま す 。 同 じ 頃 、 川 上 親世 先 生 は B
OC麻 酔 器 を使っ て笑気 に よる全 身麻 酔 を試 みて
い ます。
昭 和34 年 ∼37 年 頃 迄 は 、 口 唇 ・ 顎・ 口 蓋 裂 の 手
わが歯科 界でも 、麻 酔学 の必要 性か 叫ば れ 、昭
術に 超短 時間 作用性 の バルビ ター ル酸 剤であ るラ
ボナー ル を筋 注して 用い 、麻 酔 を行っ て来 まし た。
和39年 東京 医科 歯 科大学 に 歯科麻 酔学 教室 が 設置
され まし た。そ の 後、 歯科麻 酔学 の重 要性 が認 識
術 中 に 体 動 か あ る と19 世 紀 の 麻 酔 で は な い ぞ 、 と
され 、昭 和48年 第1回 日本 歯科麻 酔学 会が 発 足し
術 者 の 平 川 教 授 に お 叱 り を受 け たこ と も あ っ た そ
昭和52年 3月に は 、日 本歯科麻 酔 学会 認定医 制 度
う です 。 その頃 は、上 顎 洞根 治術 、顎切 除等 は 、
がも うけ ら れ、 その 第1 回の 試験 が行 わ れてい ま
勿 論、 局 所麻酔下 で 行な い、 患者は 「 ヒ イーヒ イ
ー 」 と 唸 っ て 手 術 を受 け て い た そ う で す 。 西 正 勝
す。
当 九州歯科 大学 でも 、昭和37年 頃 より全 身麻 酔
教授 の 思い 出に よ ります と…… …あ る 日あ る時 、
の必要 性が叫 ば れ 、昭和38年 、古 本克麿 先生 が 、
平 川 教 授 よ り 上 顎 洞 根 治 術 を 行 う か ら 、 オピ ス コ
九州大 学医学 部 へ研修 に行 か れ、 その年 の11 月よ
を 注 射 す る よ う に 命 令 さ れ まし た と こ ろ が 、 手 術
室 に 患 者 自 身 が 「 の こ の こ 」 歩 い て 入 っ て 来 まし
りエー テルに よ る閉 鎖循環 式 気管 内麻 酔が 行 われ
るよ うにな りまし た。 そ れに より 、局 所麻 酔下 で
た。「 西 君 、 前 投 薬 は や っ た か ね 」
「 は い。」と 返 事 を
は 到底 実施 さ れ得な かっ たい ろい ろな 手術 も比 較
し た の で す が 、 平 川 教 授 は 患 者 に 対 し て、「 注 射 さ
的安 全に 実施 出 来 るよ うに な り、 また 、顎切 除 、
18
頸部 廓 清等 の手術 症例に よ っては 、夜 の11時頃 ま
全身麻 酔 見学 、実物 大 の人形 を使 って の救 急蘇生
で 、覚 醒せ ず、非 常に苦 労 したこ と もあ った そう
です。
法実 習、精 神鎮 静 法の実 習 と体験 等 を含め 、患 者
の全 身状態 評価 を理 解す るこ とに 教育 の主 眼を 置
き、麻 酔学 、全 身管 理学 を理 解し た歯 科医 師を 目
古 本 克麿 先 生が 、九州 大学 医学 部の 研修 よ り戻
って 間 もな く、「
西 君、麻 酔 をやっ て みない か 曷
指 し てい ますO
近 い将来 、 スタ ッフ を充実 させ 、口 腔外科 の み
と言 わ れて 、麻酔 の本 を、 現教授 の西正 勝 先生 へ
渡さ れて から 、西正 勝教 授は 麻酔 の面 白さ に取 り
つ か れ 、現 在まで の約16年 間に わたっ て麻 酔一 筋
なら ず、保 存、 補綴 、小 児 歯科 等 の歯科 診 療の 服
の道 を歩 み、 当大学 の麻 酔 の変遷 と発 展 を育 て て
り充実 した 歯科 医学 教育 に力 を 入れ √ 歯科医 療 の
為 に役 立つ 麻酔 学の 改善 と 発展 を主体 とし た研究
要な部 門に も麻 酔サ ービ スが 出来 る よう、 また よ
来ま したO
西正 勝 教授 の臨床 経験 に より ますと 、当 大学 口
腔 外科 で は 、昭和38年 より現 在 まで約2500例の 全
を目指 し て頑張 って お ります。 ( 中地 元 )
身 麻 酔症例 を有し てい ます。 昨年 5 月1 日講座 が
ス タッフ 紹 介
誕生 してい ら い、今年 4月30日迄 の1年 間 では 、
教 授 医学 博士
西 正 勝 ( 大 学 5期 )
230例 の全 身麻 酔症 例 を経験 して い ます。本年 6月
14 ・ 15日に 開 催さ れます 第40回九州 歯科 学 会総 会
助 教 授 医学 博士
医局 長 歯学 匯士
仲 西 修 ( 大 学23 期 )
に て 、こ の1年 間 の臨床 分 析を行 い、 報告 する予
助 手 歯 学 士
金 田 多 恵 子 ( 大 学26 期 )
定 に なって い ます。
研究 面 では 、昭和37年 以来 、輸 血節 減下 手術時
助 于
石 丸 孝 則 ( 大 学28 期 )
歯 学 士
中 竝 進 ( 大 学15 期 )
の 術 後病態に 関 す る研 究 をテ ーマ とし て、術 中 出
血 量 と輪血 節 減に関 す る臨床 的検討 を重 ね て、 昭
和48年に は 、 口腔 外科手 術時 の輸 血適 応菘準 を定
め 、輸 血量 も術中 出 血輦 の40∼50%沚に 節 減し得
て い ます。
近 年 の歯科 診 療は 高度 の発 展を とげて い ますO
医療 サ ービ ス として 、 多数 の 鎬蝕 歯を 、い かに無
痛下 に 恐怖感 なし に処 理 する か 7また今 迄は 歯科
治 療に 恵ま れなか っ た心 身障 遲者 への施 療等 、こ
れら は みな近 年 の麻酔 学 の進 歩に関 連し て 発展し
て来 まし た。
し か しこ 歯科 治療時 、 また は局所 麻酔 時に 、い
わ ゆる ショ ッ ク症 状 を起こ し て死亡 し たとい 引 列
が最近 のマ スコ ミをに ぎ わせ てお ります 。こ れら
の 歯科 治療時 の事 故 を事 前に予 測し 予防 す る為に
は 、や は り 、よ り一層 の麻 酔学 の研 鑚 と発展 が必
要 と され 、こ れか ら の新 しい 歯科医 を養 成す るの
に も卒 前 教育 とし ての 、 より高 度 な麻酔 学の 教育
が必 要であ るこ とが痛 切に 感 じら れる昨 今 です。
当大 学 は全 国 各歯科 大学 に 次いで 、12番 目の歯
科 麻酔 学 教室 を持つ こ とに な ります 。し かし 、国
公 立 の大学 と して は 2番 目に 設立さ れて お り、当
教 室の 創 設は 、歯 科医 療に 従忝 す るもの に とって 、
また歯 科医学 教育 の為 、 そして 九州 幽科 大学 の将
来 の 発展に 非常 に 有意義 なもの であ ると 言え まし
ょ っ。
誕生 し て1年 の 当講座 で は 、今 年 から 臨床 実習
全 身 麻 酔器 西 独 ドレ ー ガ ーの ロ ム ル ス19
にお い ての学 生 教育 も 始 まり まし た 。手 術室 での
19
おん礼と憶い出
池 尻
茂
故 郷 で 開 業 し まし たO そ れ か ら 間 も な く 故 橋 本 美
たい へん 永い 間母 校に 勤務 しまし た が、 昨年 7
月10トヨ を も っ て 任 期 満 了 に て 無 事 辞 任 致 す る こ と
智雄九 大 教授 の許 に 参 ‰
が で きまし た。こ の 間同窓 の皆 様に はい ろ いろ と
さ あ こ れ か ら ど う し よ う か な あ と 思 っ て る とこ ろ
病理 学 の研 究生 となり
お 世 話 に な り まし た。 と く に 最 後 の 5 年 間 は 学 長
へ 、母校 から 口腔 外科 に 人手が 足り ない から 帰っ
職 に あ り まし た た め 、 公 私 と も に 一 段 と 同 窓 会 と
て来 い と、灘 吉・ 坪 根・ 永松の 諸先 生が か わるが
の 接触が 多くな りまし たが 、会長 以下 会 員 各位の
わるおみ えに なり まし たの で、 遂に 意 を決し て母
お 心か らな るご理 解 とご 支援に て無事 任 期 を全 う
校へ 帰り まし た。 母校 に帰 って も当座 は助 教授 で 、
す るこ とが でき 、心か ら感 謝し てお り ます。 はん
間 もなく 教授 にな り まし たが、 母校 に講座 制が 敷
と う に あ り が と うご ざ い まし た 。 厚 く お ん 礼 申 し
か れ た の は39 年 で す か ら 、 そ れ以 後 私 は 主 任 教 授
上 げ ます。
とし て 働 け た わ け で す 。
振 り 返 っ て み ま す と 、 昭 和14 年 母 校 を 卒 業 し ま
そ れ か ら 一一
方 同 窓 会 の 会 計 担 当 理 事 を仰 せ つ か
す と、私 も若 い歯科 医 の 1人とし て、 東 京に 出て
り、 同窓 会役 員の仕 事 をや る数年 間 を経験 し まし
み たい と思 い 、 東 大 ・ 口 腔 外 科 ( 当 時 は 歯 科 学 教
たO 42 年 の 母 校 創 立50 周 年 記 念 に 際 し て は ミ シ ガ
室とい って い まし た)故 金森 虎男 教授 の許 へ 勉強
ン 大 学 ヂ ン グマ ン 教 授 招 待 講 演 で 大 奮 闘 し ま し た 。
に 参 り ま し た 。 こ こ で 3年 余 医 局 活 し を し て 、 口
こ れ は 私 か 前 年 の41 年 暮 、 ヒ ュ ー ス ト ン 滞 在 中 、
腔 外 科 の 概 念 をつ か み 、 ま た 医 局 生 活 を 身 に つ け
テ キサ ス 大 学 カ ト ー ニ 教 授 ( 保 存 ) と 招 待 講 演 を
け まし た。 たし かに医 局 とい う場 所は 勉強 に もっ
口 約 束 し て た の が 、42 年 夏 に な っ て 急 に 旅 費 の 点
て こい です。 どんなに 夜 おそ く、 たとい 徹 夜で 勉
で 物 別 れ と な っ た た め で すO 幸 い 同 年 谷 ヂ ュ セ ル
強 して も文 句 をい われる どころ か 、当 然 と考え ら
ド ル フ 大 学 レ ー アマ ン教 授 の招 待 講 演 を お世 話 し た
れ知 識 獲得 と修練 には も ってこ いで す。 私 の 専門
経 験 も あ り ま し た の で な ん と か 間 に 合 わせ ま し た 。
知 識 の 大 き な 部 分 は こ の 時 代 の蓄 積 で す 。 そ し て
こ れ ら の 経 験 か ら も 招 待 講 演 、 とメ に 外 人 と な る
こ の間 に、 教室主 任は 如何 な る場合 も先 生 と呼ば
と文 書 に よ る 契 約 を し て お か な い と い け な い こ と
ね ば な ら な い と教 え ら れ 、こ れは い つ の 間 に か 私
を 痛 感 し まし た 。 こ の 経 験 は51年 秋L」本口 腔 外科 学
の 身 に つ い て し ま い まし た。 そ れ で 今 で も 3 人 の
会 会長 とし て、 ペン シ ルバニ ア 大学ッ ップ 教授 に
恩 師( 2 人 は 既 に 故 人 と な ら れ ま し た )
は 如何 な る
総 会講 演を お願 いす る のに役 立 ちまし た。
場 合 も 先 生 ま た は 教 授 以 外 の 言葉 で 呼 ん だ こ とは
さ て1960 年 代 後 半 よ り 全 世 界 を 吹 き 荒 れ た 学 園
あ りませ ん。 つい で下 関 市で開業 し まし たか 、米
騒 動 は つ い に46 年 暮 母 校 にも波 及 。100
軍の 焼夷 弾爆 撃で 全焼。 そ れから 開業 し てる と き
ぶ スト ライ キ となり まし た。翌 年 3 月一応収 拾さ
日にお よ
総 義 歯 に 興 味 を も ち まし た の で 、 こ れ を 機 に 母 校
れまし たが 、何 人か の先 輩は母 校 を去 られ 、 また
へ 帰 り、 坪根先 生 の許 で総義 歯の 勉 強を 致し まし
新 し く 平 川 教 授 が 学 長 就 任 、私 は 病 院長 に 就 任 し
た。1 年 半ば かり の在局 でし たが 、こ の 間に ま と
まし たO し か し 母 校 は 尚 騒 然 と し て 落 着 か ず 、 十
め た 「総義 歯 調整時 に於け る 陶歯 自動 削合 法に 関
分に 勉 強出来 ない 雰 囲気 でし た。こ の 間私 は病 院
す る一 私 見並 びに そ の 臨床 的 処 置 に つ い て 」
(歯 科学
長 とし て、弱 い 患者 さん を預か っ てい る という病
雑 誌 4 巻 3 号 昭 和22 年 ) は そ の 研 究 成 果 で 私 と し
院の 特 殊 性 を主 張 し て 紛 争 の 環 境 か ら 除 外 す る よ
て は会 心 の労作 で す。 ところ がこ の時 分は 猛 烈な
う努 力 し ま し た 。49 年 3 月 平 川 学 長 病 気 の た め 学
イ ンフレ で、 月給全 額 を下宿 へ渡 して も良 い顔 を
長代 行 を命ぜ ら れ、つ い で平 川学長 病 気辞 任に伴
さ れ な い と き で し た。
い 、 7 月 学 長 に 就 任 し まし たO 学 長 就 任 と共 に 私
妻子は 故 郷へ 疎開 させ た ままでし た が 、そ うい
は 積 極 的 に 学 生 の 中 に 入 っ て 行 き ま し たO こ の た
つ ま で も こ の よ う な 不 自 然 さ は 続 き もせ ず 、22 年
め 、 丁 度50 年 泛母 校 主 催 で 挙 行 さ れ た 第 8 回 全 日
20
本歯 科学 生総 合 体育大 会は 、も っと も良 き体 験と
な りまし た。 学生 諸君 も全学 が一 体 とな ってこ そ 、
考 えたの です。
大学 人 とし ての 活動 ができ るこ とを身 を もっ て知
こ の ような こと は例 外で 、大 学全体 とし ては 社
会の 期待に 十 分答 えてい る と自 負し てい ます。 そ
るこ とが で きた のです 。幸 運に もこ のと きの学 生
こ で53年 秋 、母校 創立60周年 記 念祝典 を 盛大に 行
指 導 者と して 、井 上賢 吾・評 議委 貝長 、 岡本光 信
い ました。60年 と いえば 人生 で も還暦 と称 してお
・実 行委 員長 を得 たこ とは母 校に と って何 よ りの
祝い 致し ます。 そこ で 、大学 と して も医の 原点に
幸運 でし た。 こ のお 二 人を始め 関 係 各位に 心か ら
感 謝し てい ます。 またこ の頃 よ り学生 と同 窓会 ・
かえ るべ きだ と思 い立 ち、医 学 を始め て学 問的に
体 系づけ たヒ ポ クラテ ス生 誕の地 ギリシ ャ・コ ス
島 よ り巨石 を 運び母 校正 門 傍に 据え、 また 同じ く
父兄会 と の対 話 も復活し 、学 園ら しい 気風 がた だ
よう ように な ったの は何 よ りの幸せ で した 。
コ ス島よ り運 んで 来たヒ ポクラ テス の樹 を配し ま
次に 教育 と研 究の 府 であ る大 学 とし ては 、常 に
し た。 ま たヒ ポ クラテ ス像 入り の記 念メダ ルをこ
歯学 の 先達 であ ら ねば ならぬ との 信 念から 、施 設
し ら えて 配布 し まし たO こ れが私達 が 医徒 として
の充 実 、 人員の 拡充 には 特に努 力 しま した。 幸 い
にし て 、母 校挙 げて の協 力と設 置 者であ る 福岡 県
活 躍す る励 み とな るよ う、 また 彼が示し た 医徒 と
当局 のご 理 解に より体 育館 の落 成につ づ き 、学生
し ての 道 、ヒ ポ クラ テ スの誓 を卒業 式 で宣 誓させ
まし た。 こ の宣 誓は今 年 3月 の卒業 式に も上 野学
クラブ 室の建 設 、続 いて図 書館 の落 成 、こ れにつ
長 の許 で 、昨 年 同様 行 われたこ とは私 とし ては何
づ く旧 図書 館利 用の中 央研 究室 の開 設( こ れの 完
より の喜 びで す。
こ のよ うに憶 い出 を述べ る と際限 もあ り ませ ん。
最 後に私 の在 任 中、 陰に陽 にご 厚情 をい ただ きま
成は 上 野学長 に 引きつ ぎ) 、各 種教育 、研究 機械
や診 療材 器 の導 入、 また もっと も問 題 であっ た 3
講座 の開 設 と共に 附 属病院 診療医 員 の増 員 ・拡充
し た同窓 会長 以 下会 員各位 に心 か ら感謝 の 誠を捧
が実 現 でき まし た。 また研 究の ために 国 外 出張 を
げ擱 筆致 し ますO
積 極的 にす すめ 、こ れが毎年10 名以上 を数 える よ
うに至 り まし た。 これ 偏に 、同窓 各位 のご 理 解と
ご 支援 の成 果 と心 より 感謝致 し てお り ます 。
こ の ようなご 理 解 をいただ いて い るの で 、大学
の運営 につ いて は研 究 ・教育 の 府とし て 、恥 しか
ら ぬ 行動 をし なけ れば ならぬ と常 に自 戒し て 参り
ました 。一 例 を申 します と 次の ような こ とがあ り
ました。 大 学教 員は 地域 の文 化振興 の ため 、 他の
大 学 、その 他の 機関 へ 講義指 導に 行 くこ とは 、本
務 に差 し支 え ない 範囲 で学長 が許 可で き るこ とに
な って いま す。 あ ると き、こ の許 可願 書に 認可 の
ため に 印を押 し てい たら( いつ も盲判に な って い
まし た が) 遇然 にあ る助手 があ る 看護学 院 へ皮 膚
科学 を 講義 に 行 くと い う願 書 を発 見し たの です。
私は オヤ ッ と思 い その助手 を 呼ん で「 あな たは学
生時代 皮 膚科 学 の単位 をとっ てい ます かJ と尋 ね
第28 回 卒 業 弍 に おけ る ス ナ ッ プ
る と「 あ り ませ ん」 と答え ます 。 そこ で私 は「 そ
前池尻学長・穂坂会長 ・元坪根学長
れでは 、あ な たは 皮膚 科学 を 講義す る十 分 な知 識
をど うして 得 まし たか 」 と尋 ねる と黙し て 答え ま
せ ん。 そこ でヽ
私は 「 では主 任教 授に か わっ て説明
し て 貰い ます から 、教 授に 来 るよ うに 云 っ て下 さ
い 」 と頼み ま した。 そ れで その 願 書を 没にし まし
た。 な る程 相手 は 看護学 院 の生徒 で すか ら 、皮膚
科学 を講義 す るのに 成 書の棒 読 みで も通 るか も知
れ ませ んO し かし 、そ れでは 学問Iに対 し て 申し訳
な く、 また大 学 人とし てや るべ きこ とで はな いと
21
前 に特 別の由 来は ない の だが 、古 くはバ スケ ット
匹 蘚玉 石
ボー ルのこ と を籠球 と呼 ん でい たのでこ の よう な
名前に し 、O Bだけ に とど まら ず、現 役部 員、 さ
らに歯 科医 の先生 な ど バス ケット ボー ルに 深い 興
バ スケ ット部
籠の 会の 歩 み
味 をお 持 ちの方 々に も参 加し てい ただ いて 、なご
や か な会に 発展 させ よ うと企 画し たの であ る。年
々 会 員 数 も 増 え 続 け 、 昭 和53 年 1 月 に は 福 岡 市 民
体 育 館 に お い て 、 籠 の 会 の 親睦 会 と して O B対 現 役
バ スケ ット ボー ル部は 専門学 校時 代に も存在し
の 試 合 と 福 歯 大 対 九 歯 大 定 期 戦 ( 昭 和53 年 か ら 定
た とい う 話 もある が、実 質的に 活動 が 始ま った の
は 昭 和27年 で 、北 九州6 大学 リー グに 、野 球部 や
期 戦 として年 2回行 って い る)お よび 市内の 中学
生 を 集 め て エ キ シ ビ シ ョン グ ー ム ( 参 加 賞 と し て
ラ グビ ー 部な どの援 軍 を受 け て、 現会長 の 福田 悛
歯 ブ ラ シ を 配 る ) を行 な う な ど 幅 広 い 活 動 を 行 っ
祐 先生 を中 心に 参加 した とのこ と であ るO その 後、
山 田博 教 授を 部長 として 迎え 、 クラブ とし ての体
て い る。 ま た そ の 時に 将 来 社 会 人 チ ー ム の 参 加 を
制 が整 い 出す が 、O B会組 織 など十 分 な状態 では
ー ル 連盟の 理事長 な らび に協 会理事 を なさっ てい
なかっ た。 昭 和43年 福丸 隆先生、 藤井 修一 先生(19
る )OB用 のユニ フ ォー ム( 名前 はデ ンテ ィスト
期 )が 加 って からは 戦績 も向上 し 、 第1回 歯学体
から 第3回まで3 年連続優勝し、 その後も53年ま で 2
・ ク ラブ ) も 新 調 し た 。
位 、 3位 をは じめ毎年 上 位入賞 をは たし て いる。
運 営 が 行 わ れ て お り 、 現 在 会 員 数77 名 で 、 顧 問 は
こ の よ うに バスケ ット ボー ル部 も 多数 の OB を
山 田 摶 教 授( 口 腔 解 剖 学 )、会 長 は 福 田 俊 祐 先 生( 大
予 定し て(福 田 会長は 福 岡 市社会 人バ スケッ ト ボ
この よ うに本 クラブ は この 「籠 の会」 を中 心に
出し たに もか か わら ず、昭和50年までOB会 とし て
3 期 )、副 会 長 は 花 田 勝 正 先 生 ( 大10 期 )、幹 事 長 は
の 組織 を持 って はお ら ず、多面において不 自由 し て
堀 田 謙 一 郎 先 生( 大18 期 )
であ る。 活動 として 、春
いた。 また それ まで大学 に は体育 館 が なく 、Ξ 萩
野 の市立 体育 館 等を 借りて の練 習で OB 戦 も開催
の 「籠 の会」 総会 、 親睦 試合 、交 歓会 と、秋 に0
Bと現役 の試 合 を行っ てい る。 また今後 はこ の会
しに くい 状態 で あっ たが、 昭和50年 3 月に 本学 の
を 中 心 に 先 叢 、 後輩 お よ び 大 学 当 局 が 一 体 と な っ
体育 館が 竣工 し 、昭 和50年 7月 の 第8回 歯学体 を
て 活動 を行い 、九州 歯科 大学 のみ なら ず地域 社会
当地( 北 九州 )に おいて 開催 する にあ た り、F籠 の
の 発展 にも貢 献し たい も のであ る。
( 佐 藤 ・ 古 橋 記 )
会」 とい う名 の 組織 を発足し た ので ある。 こ の名
22
杉 田 玄 白 に 想 い を寄 せ て
片 岡 繁 男
私は 杉 田玄 白のこ とを思 うとき 、彼 がこ の世 に
驚 き 、 喜 び は 簡 単 に は 言 い あ ら わせ な い も の で あ
生 を享け たと きのこ とが強 烈に 胸に 迫 って くる。
っ た。『 狂 医 の 言J は 『 解 体 新 書 』 刊 行 の 翌 年 の 著
彼は 死産 の 嬰 児とし て放っ てお か れた ので あ る。
で 、自分 を気 狂い医 者 として 、友 人 との問 答型式
そ れ とい うの が、 彼が生 れると き大 変 な難 産 で、
で 書 か れ た も の。「 形 影 夜 話 」 は 、 後 年 の 玄 白70 才
母 親はつ いに 息 をひ きとっ てし まっ た。 悲嘆に く
れた 周 囲の 者は 、ここ で先刻 、布 片に く るんだ ま
の と き の 著 で 、 自 分 と 自 分 の 影 法 師 との 対 話 で あ
る。
こ の著は「 蘭学事 始」 と並 んで 、玄 白の代 表的
ま放 っ てお いた死 産 の子に ようや く 気づ いたの で
あ る。そ の布 片 の中 で嬰 児は生 きてい た。 死産 で
な著 書であ るが 、こ の中 で、
は なかっ た のであ る。
「 古 も 今 も い づ こ の 国 に て も 、 人 間 とい う も の は
上 夫 子 よ り 下 万 民 に 至 る ま で 男女 の 外 、 別 種 な
い まか ら247 年 前の 亨保18年 9月13 日、 江戸 、
牛込 矢来 、若 狭小 浜藩 酒井下 屋敷 での 出来 事であ
し。 み な人間 であ るこ とに変 りは ない 」
と言って いる。
っ た。
こ うし て杉 田玄自 は小 浜藩 藩医 杉田 甫仙 の子 と
[ 医 者とし て患 者に 接す ると き、 そこに 階級 とか
し て 、母 親の死 と引換 えに 生 を 享け た のであ る。
富 賎 とかに よる 差別 をつけ ては なら ない]
とい うの であ る。
玄 白のこ と を思 うと き、私に は 、も う一つ 、す
そこ には「 医は 仁 なり」 とい う東 洋の 儒教に 基
ぐに 胸 に うか んで くる ものがあ る。 玄 白が55才か
ら73才 ま での約20年 間の 日記に 『く塢斉 目録』 とい
づ く医 学観 より も、 さらに 深 く人開平 等 観へ と掘
うのが あ る。そ の中 で 、玄 自 が68才 の寛政12 年(18
り下 げ ら れ て い る の で あ るO
00)10月 9日の 日記に 。
深 川・ 本庄( 本所 )病 用。 蔵 前官蔵 と
「 お よそ医業 を立 てん と欲 する 人は 第一 、廉恥 の
心 を 失 わ ず 、 そ の 業 は 寸 陰 の 間 に も 油 断 せ ず 、‐
人にて も託せ ら れし 患者あ れば 、 わが妻子 の わず
云 者、 母の 仇を 打。
とあ る。
こ の 日の 日記 はた ったこ れだけ であ るが 、私に
ら うご とく思 い、深 く 慮 ん ば か り て 親 切 に 治 を
は「 蔵 前の 官蔵 とい う者が ほの 仇 を打 っ た」 とい
官 富 豪 の も の に て も 療 治 は 同 じ よ う に 心 得 べ しJ
う一文 が心 に 深 く残っ てい る。
そ れは 私 の作家 的興 味と いう より さらに 根 源的
と。
に 、医 者 の玄 白 と、他 人の生 命 を故意 に絶 つ 仇討
単な る新 しい医 学知 識が 医 療技術 の翻 訳 と摂取 に
とい うこ とに 関し て 、私自身 に問 い かけ て く るも
終 っ て は い な か っ た の で あ るO
施 すべし 。 たとい 、い かな る貧 賎の ものに て も高
玄白 たち初 代の 蘭学 者た ちの 西洋医 学研 究は 、
それ と同時に 、こ の西 洋医 学 の中核 にあ る西 洋
のがあ っ たか ら であっ たo
杉田 玄 白につ い て、世 間一 般 では 『蘭学 事始 』
文明 とい うも のの 中か ら、 その 人間観 、社 会観 ま
の著 者であ り、
『 ターヘ ル・ア ナト ミア 』を 翻 訳し
て 『解 体新 書 』と した蘭学 者 の一 員と いう こ とに
で も捉え 咀嚼 する玄 白ら 自 身の内 なる もの の熟 成
止まっ てい る よう な気が して なら ない。
の絶 筆『医 事は 自 然に如 か ず』に充 実 する のであ
を、 私は 注目し たい。 か く て、 その 熟成は 、玄 白
る。
だが 私は 、玄 白 がたい へん 内省 的な 人であ っ た
こ とに 深く 惹か れて い る。
私はい つ から か 、一 自分 と、 もう一 人 の自 分
とが対 談 をす る 、とい うこ と を私 自身の 生 き方 と
して いた。 そう い う私 か 、玄 白のr 狂医 の 言』や 、
と くにr 形影 夜話 』 といっ た著 に 出会 った ときの
23
根尖 病巣 の大 きさ と治療 法 との関 係。 すな わ ち、
外科的 歯内療 法か、 あ るいは エ ンドか とい う点 で
鋭い 質疑 応答が 行な われた。
こ のよ うに 従来に 比べ 、若 手 臨床家 の 台頭が み
られ たこ とは今 後 の講 演会が よ り充実 さ れるこ と
が期待 さ れる 反面 、学術 部に おい ては同 窓 会諸 氏
へ意 義あ る講 演会 を企画 、開 催 すべ く責 任 の重 大
さ を痛感 する。
筆 者が同 窓 会学術 部 へ関係 し てから す でに4 回
の国 際学術 講 演会 と、 6回 の特別 研修 講 演会が開
母 校玄関にて 劉 寒 吉氏と
片
岡
先
生
催さ れ。す ば らしい 臨床 家や 研究 者に接 す るこ と
がで きた。 い ずれ の講 演にお い ても 、その 基本 を
流 れるも のは 日常 の臨床 で 禎み重 ねら れた 豊富 な
資料 の整 理、 整頓に あ るとい っ ても 過言で はな い。
特 に明 日を約 束 され る若 き臨床 家達 は 日常 の 臨
床資 料 を整理 し、積 み重 ねる以 外に道 はな い と思
うの は筆 者の みであ ろ うか。
( 九 州歯 科大学 同 窓会学 術 担当理事 梶 山 稔)
学術部報告
第 1 回 臨 床
九 歯大 同窓 会学術 部は 昭 和50年 に 発足し て以 来
セ ミ ナ ー 御 案 内
昭 和55年 度 の 第1回 臨床 セ ミナー を開催 す るは
その 基本的 姿勢 とし て「 社 会が 歯科医 に何 を求 め
こ び とな りまし た ので 御案 内申し 上げ ます。
て い るか」 と い う情勢認 識 を把握 し 、こ れから の
広 く先 生方 の御 参加 をお待 ちし てお り ます 。
歯科医 療に 対 処すべ きこ と であっ た。 その ため に
は卒 後 教育 の重 要性 を主 体 とし た諸 事 業の 企画 を
一 校合 器の理論と実際一
一一
計り、今 日までに極 め て良 い事 績 を上 げ るこ とが で
( 実 技主 体 の 2日間 コー ス)
きた と思っ てい るO 特に 、昭 和54年 度 学術 講 演会
講師 九州 歯科 大学 第 1補綴学 教 室
教 授 豊 田 静 夫
は 本年 2 月16日、大 博 多ビル( 福 岡市 )に 森 克
○日
栄 講師( 東 京都 開業 ) を迎え、283名 の受 講 者が 参
時 昭 和55年 8 月23出 ∼24(日 )(2 日間)
加し、F 歯 周疾患( ペ リ オとエ ンド )の 治療 限 界」
AM9 :00 ∼PM5 :00
○ 会 場
九州 歯科 大 学 附属 病 院
( 補 綴学 教 室 )
30,000 円
さ れ、受 講 者へ 深い 感銘 を与 えた。 本 講演 会で 、
○ 会 費
○ 定 員
と くに注 目 すべ きこ とは若 手 臨床家 に より 活 発な
○ 申込 /切 日
昭 和55 年 7 月31 日 迄
質疑 応答 が なさ れたこ と であ る。 ちな みに 、下 川
○ 申し込 み先
〒803
とい うテー マで 開催 され たO 内容 も 日常 の 臨床 と
直結 し た もので 豊富 な症 例 スラ イド で 明解に 講 演
21 名 ( 先 着 順 )
北 九州 市小 倉北 区真 鶴 2−
公一 先生( 北 九州 市 ・開業 、九歯大16 期卒 )は感
6− 1九州 歯科 大学 同窓 会
染 、非感 染 根管に おけ る 根尖部 歯 周組 織の 処置 と
条件 、 さらに 根尖 の吸 収 とペ リオ、 エ ンド の相関
忝 務 局T E L093-561-5077
関係に つ い て スライド10 枚に よる 貴重 な症 例を 紹
O定 員に 達 し次 第jy切 ります ので 、早め に御 中 し
込 み下 さいO 尚 申 し込 みと同 時に 御 送金下 さ い
介 。また 、 4症例 につ い て病理 組織 スライ ドを 供
覧 さ れた。 一 方 、井上 龍彦 先生( 九 先大 ・ 第2 保
ます よ う御 願い 申し上 げ ます。
存・大 学 院 )は 大学に おけ る臨 床研 究 の而か ら 、
24
各 支 部 だよ り
遠賀支部・大分県 支部・ 広島県支部 ・ 香川県支部 ・大阪府支部
静岡県支部・東京都支部・愛知県支部・北陸支部・愛媛県支部
遠 賀 支 部
支部 通信 員 守 田 邦 昭
快 晴に 恵 まれ た、 3月15日、16 日の 2日間 、同
窓会 貝 の慰安 と、遠 賀支部総 会 を兼 ねた 、岡 山・
倉敷 一泊 旅行 を実 施し たO 午後 の新幹 線に て 岡 山
に 向 い、 日 本三大 名 園のーつ と云 われる 後楽 園 を
観 賞し 、 次い で岡 山城 を見学 、 その後 は総 会 の為
早 々に ホテル に 入り、6 時 より 、総 会が始 めら れ
た。
支 部長 の沖 永先生 の 会務報 告 、会 計の 村田先 生
の 会 計報告 と スムー スに 進み 、新 役貝に は 、支 部
長に 野中武 彦先 生 、副支 部長に は 、 村田始 先生 、
会 計に森 山剛先 生 を満場一 致 で承 認、 決定 した 。
その 後は 盛大 な宴 会が 行な われ 、夜 の更け る の
も忘 れ て談 笑に 花が 咲い た。翌 日は 、 鵞羽 山 より
瀬戸 内 の景 勝 を堪能し た後 、大 原 美術館 を見学 倉
敷 市内 の自由 散 策と 日程 を恙 なく 終え 、土 産を 両
同窓会の発展を祈って/
手に 帰 路につ い た。
広 島 県 支 部
大 分 県 支 部
支部 通信 員
八 島 敏 彦
支部 通信 員 柴 崎 哲
広島 県支 部は 、県 内で は 九州 歯科大学 広 島県同
55年 4 月12日 午後 5時 よ り別 府市 三泉 閣に 於 て
窓 会 と称し てお り、 津島 孝臣 会長 以下 、 副会長 3
54年 度 支 部総 会が 本部 より穂 坂 会長 、上 潟 口専務
名 。理 事9名 、 その他 の 役員 で構 成さ れてお り ま
を迎 え開催 さ れ た。 三浦 専務 の司 会に より 秋吉 副
会長 の開 会挨拶 、小野支 部長 の 挨拶 の後 、穂坂 会
す 。会 貝も140 名に達 し よ うとし てお り。広 島 市
長 、毛 利県 歯 会長 、荷宮 前教 授 より夫 々 祝辞 を戴
き 、上 潟 囗専務 から は母 校 の現 況報 告が 詳し く述
'八 島あ り でか なり広 範 囲で あ り、会員 の先 生方
の 意志 の疎 通を欠 くこ とも 多く 、問題 となっ てお
べら れ た。 三 浦専務 の会 務報 告 、辛 島常務 の 会計
り まし た。
近 郊に約 半数 が集 中し て はい ます が、 県内は 山あ
報告 のあ と議題 では55年 度の 予 算案等 の 審議 が な
昨年 度 よ り、県 下 を広 島 市支部 を筆頭 に 8支部
さ れ、別 府 市の 糸瀬 勝成先 生( 日大 歯学部 卒 )の
推 薦 会貝 入会 を万場 一致 で承 認 、 豊田副 会長 の閉
に 組織し 、全 会員 に同 窓 会の 行事 等が 徹底す るよ
う 改めら れ まし た 。県 下 の全 会員 が集っ て顔 を合
会の 辞で 総 会 を終 り、続い て の懇 親会 では 山 田 豊
わす 機 会は新年 宴 会 と年 度初め の総 会の 時に しか
先 輩 の乾 杯 の音 頭で始 ま り、穂 坂 会長 はじ め先 輩
ない わけ です が、 地 理的に 広 範 囲なこ と もあ り、
後 輩 を問 わすの カラ オヶ大 会 があ り 、和気 ア イア
全 会貝 の参加 はな かな か 困難 です。 この 支部 の改
イの うち に刻 の 過ぎ るの を忘 れ、校 歌 合唱 を最 後
に 盛大 裡に 幕 を閉 じ た。
組に よっ て、三 役 を混 じ えた定 期的 な支 部長 会 も
可能 とな り、 会員 同志 の心 の交 流 は前に も増し て
25
容 易 とな り まし た。 恒例 となり ました が 、毎 年
親睦 旅 行、 ゴ ルフ コンペ 、学 術講 演 会等 も行 って
お り 、そ のつ ど多数 の会員 の 参加 をみ てお ります 。
また 、広 島 県同窓 会の長 年の 懸案 であ り まし た
広 島県 同窓 会会 史( 仮称 ) も発行す るこ とに なり 、
編集 委員 会 も組 織さ れまし た。
まず 資料 集め から始 るこ の事業 は全 会員 の協 力
がな くて は 成就 するこ とは 困難 ですが 、諸 先輩 の
きず きあ げ た実 績を 活字 として 記録 ・整理 して ゆ
くこ とは 、結 局 、同 窓 会の 団結につ な がる こと と
思 われ ます。
戦 後生 れの 新しい 会員 も増 えて きた 現在 、こ の
会史 の発 行は 意義あ る もの として 、津 島会長 以下
役 員一 同 編集委 員会 を バッ クアップ し て、こ の事
業 の完 遂 を期し てお り ます。
香 川 県 支 部
支部通信員 佃
九州 歯科大学広 島県同窓 会役員
専務 理事
林
学出 身と はひ と味違 う もの をもっ てい る集 りで も
須 山 礼 吉
筆頭に 酒 を飲ん で歌 った り 踊った りし てさ わぐの
は人一 倍好 きであ る。
さて昨 年 は九 歯大 四国地 区連 合会 の開 催が 当 番
道
県に 当 り、母 校 から新 学長 に なら れた上 野学 長の
田
中
邦
是
出席の もとに 四国 地区 の同 窓の 先生 方 が大勢集 り
土 曜 日に 総 会と 親ぼ く会 をして 高松 の 夜を大い に
たの で今 後は同 窓 の親 ぼく をよ り一層 深め あっ て
前進 した い と思 っ てい ます ので よろし くお 願い し
ます。 全員 で写 し た写 真が ないの で 次回に は みな
さんに 全貝 の写 真 を紹 介し たい と思い ます。 ど う
藤 田
薫
ぞ香 川県支 部 をお忘 れ なく。
最 後に今年 は 九 歯大 を卒 業し て 一度 も 母校に行
森
田
中
田 森
大 竹 支 部
片 山 博
佐々 木
佐々 木 幸
って いない 先 生がお ら れるの で一 泊二 日 で母校 見
学に行 こ うと計 画し てい ます の でその 節は よろし
洸 晃 賤 稔 繁 郎 積 雄
芸 南 支 部
備 後 第一 支 部
田
山
備 北 支 部
コンペ を催し 。無 事 2日間 の 日程を 終 りまし た。
平 岡 悛 美
畠
佐 伯 支 部
芸 北 支 部
楽 しみ 、翌 日は 高松 グラン ドカ ント リー でゴ ルフ
当 県支 部 も│可窓生 か40 人を越 す支 部に なり まし
広 島 支 部
池
之 厳 一 彦
公
靖 晴 敏
広
原 石 底 島
谷
広 島県 同窓 会 支部長
備 後 第二 支 部
ある。 一 口に ほう と呑 ん気 者の集 りで あくせ くし
た者 が少 ない支 部で ある と思 う。 豊島武 夫 会長 を
粟 古 河八
茂郎 一 之 誠 彦 弘士 馬 憲 洸 六 春 雄
久 次 広 睦 敏 征 数 義 市 平 信
中 亀 田 谷 尾 島生 田 本 波 山 川田 藤
田 高 大 新長 八 瓜 冨木 神 畠 大山 後
名 誉会 員
地 方の 単科 大学 出身 の歯 科医 と直 ぐわか る位 の
んび りし た人 間の集 り であ る。 他 の都 会の 歯科 大
( 昭 和54 年 7 月 )
臣 弘 隆夫
田 坂
久保 田
事 務政 険術 祉 報 務計 事長 長 問
津 島
議
理 総医 保学 福 広 庶会 監 議 副顧
長
副 会 長
孝 寿 和
会
肇
く。
恐
26
計画 が出 来 ると 、当 日当番 は集合 一時 間 前に は
大阪府 支部
安 倍 川奥 の 現場に 出 かけ 、テ ント を張 り、 穴掘り 、
鉄板 の 位置 設定 。河 原に 番号( 宝 探し )をか くし
支部通 信員 古 庄 列
設営 を完 了 、マ イカー で の仲 間の到 来 を待つ ので
支部 が昭 和10年に 出来 てから 今年 で丁 度45年に
な り ます。 初代 支部 長武 田征紀 先生( 現 在小 倉支
す。 バー ベ キュ ー、 水泳 。宝探 し 、西 瓜割 り等賑
部 )の もと で 、会貝諸 先生 方の 御 協力に よっ て う
ぶ声 をあ げ まし た。 発足当時 の30余 名 会貝の 先生
は現 在13名、 東部 地区 4名 、中 部地 区8 名、西 部
地区 1名夫 々 公私 共に 活や くし てい ます。 和 を拡
方 も、今 で は野 村清二 先生 、鳥 羽長 閑先生 、 天津
げ元 気で 全員 集合 の 日を楽 しみ に してい ます。
正 嗣 先生 だけ に なり ました が、今 で も支部 の 相談
役と して 又 、大先 輩 として支 部 の為に 御指 導下 さ
東 京 都 支 部
やか な健 康的 な一 日を過ご すの です 。静 岡県支 部
って い ます。
支部 通信 員 神 代 達 司
会 貝相 互の 親睦 と向上 、 そして 母校 の 発展に 寄
与 す べく 発 足し て から45年 た った わけ です が 、そ
「 支部 会員の 活躍 と母 校 愛」
の趣 旨は現 在 も引 きつ がれて い ます。
東京 都支 部 会員数 は昭 和55年 1 月現 在161 名 で
さて 支部 の 活動状 況 です が、 前年度から役員は 殆
ん ど若 い先生 方 がしめ るよ うに な りまし た。 中村
す が 、勤務 医 とか大 学研 究生 など 若い 会貝 の異動
か激し く 、実質 的な 会貝数 は正 確に 把 握出 来ない
支部 長 のも とで若 い先 生方 が中 心に なっ て活 躍さ
のが実 情で す。 さて 本支 部会員 は数 こ そ少 ない 、
れて い ます 。 その 一つ とし てこ れから 増々 厳し く
い わゆ る少数 民 族の 東京に あ って 、そ の個々 の活
なり ます 歯科 状勢 の中 で、そ れに 対処 い たす べく
く学術 の高 揚に と学 術研 修に 力 を入 れてお り ます。
躍は目 ざ まし い もの があ り ますO小 倉利 通先 生
(玉
川歯会長 ) 立石 聡明先 生( 大森 歯会 長 )はじめ 各
近畿 地区 連合 総 会が今 年で25年 を迎 え ます。 そ
地域 の歯 科医 師会 の重 要 な ポストに つい て活 躍さ
の 為に25 周年 記 念が行 われ ますが 、大 阪支 部 が当
れ、 まさに 九歯大こ こ にあ り といえ る もの ですO
番県に あ たる ために 会 輿一同 準備 委貝 とし て 、準
備 計画 に奔 走し て います 。来 る8 月23 日に 開催 さ
ただ 東京 都支 部会員 の 危惧 は、 母校 の教 授陣 の学
界で の活 躍の 少 ないこ とに 対す る もの です 。三 十
れ ますO
5 月11日大 阪「鳥 よし 」で 支部総 会 が開 催 され
校に近 い 大学 、そ の新 生の 意気に も え る研 究陣 を
ました。 総 会 の後 、懇親 会が もた れ まし たが 、極
に の まれ 、埋 没す るの では ない かと い う気がし ま
め てな ごや か な震 囲気 の会で 、例年 に 見 ない 盛会
すO
新進 気 鋭の若 い研 究 者を どし どし母 校 の発展 の
みるに つけ て も、や が て わが母 校はこ の新 しい 波
で した。
ため 登 用し てい ただ き たい もの です。 歴史 と伝 統
静 岡 県 支 部
支部 通信員
だけ で は学 問の世 界は通 用し ない こ とは今 さら 申
す まで もな いこ とでし ょ うが…… …
…。
仲 野 和 夫
七 月と もな れば 、ぼつ ぼつ 同窓 生並 びに 家 族 の
愛 知 県 支 部
野 外 での バーベ キュー の計画 にか から ね ばな り ま
せ んO 子供 達 が楽し みに して い るから な ので す。
支部 通信 貝
奥田
是
池 清輔氏 愛知 県 歯科 医師 会理 事 に /
愛知 県 歯科医 師 会( 会員2300名 )は 、こ の ほど
任期満 了に よ る役 員改 選の 結果 、 われ われ同 窓会
から 、大学 9期 生 の池 清輔 氏が 就任し た。
就任の 弁
今 回は から ず も理事 の 末席に 連 なり公 衆衛 生
を担 当す る事に なり まし た。
前期ま では 公衆 衛生 部員 とし て診 療部 門にお
いて 、巡 回診療 及 び予防 処 置な どで 会務に 協力
安倍川原 にて
させ てい ただ き まし た が 、こ の 度は 医療 セン タ
-
27
−
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ぢ
・
一部 門 を担当す るこ とに
に より 、開 か れ田践 支部 会長 の挨 拶のあ と上 潟 口
な りまし た。
諸先 輩 の地 道に築 き上
先 生よ り来 賓の 挨拶が あ り続 いて只 木 副会長 の評
議 貝会報 告が あり 研究 棟 の改築 、 図書館 の図 書の
げ ら れた事 業 内容 を引 き
充実 を はか るこ と、4 講座 増 設さ れたこ と等 の報
継ぎ部 員の 諸先 生共 々 努
告 があ った。 会務 報告 のあ と 各部 の事業 計画 案が
力い たすつ も りで おり ま
示 され協 議事 項 として 東 南予に 理事 を 増員す る件 、
すので 、先 生方 のご 指 導、
慶弔 に関 す る会 則一部 改正 案 が可 決さ れた。 総会
ご 協力 の程 、 よろし く お
に ひきっ づ き松田 理事 の司 会 で学 会が開 か れ「痛
願い致 し ます。
み を中心 と した 口腔の 生理j と題 して中 原教 授の
プ ロフ ィ ール
講 演があ り 象牙質 の痛 みに 関 する動 水力 学あ るい
は 連関 痛につ い て非常 に 簡 明で有 意義 な内容 であ
池先生 は 、 昭和11年3 月生 まれの 満44才。 長崎
県 松浦 市出 身 、昭和36年 3月母 校卒業 後 、 昭和45
っ た。
年 まで 口腔 外科 研究 生とし て研修O 昭 和44年10 月
名古 屋 市南 区の 現住 所へ移 転、 父上 、ご 末弟 氏と
開業 さ れ 、昭和47年 4月 より55年 3月 まで 、愛知
県 歯科医 師 会公 衆衛生 部員 とし て活 躍さ れ 、こ の
度 、同所 公 衆衛生 部 部長に 就任 さ れた。
趣 味の ゴ ルフ は始め て 3年だ そ うです が 、い ま
だハ ンデ ィ キ ャップ がもら えな いと のこ と。
会 員 各位 のご 声援 をお願 いし ます。
北 陸 支 部
支部 通信員 宮 田 三 郎
学 会 終 了 後 場 所 を大 ホ ー ル に 移 し て 原 瀬 支 部 副
北 陸支 部 の会 員数 は現在14名 で石 川12名富 山 ・
福井 各 1名 です。年 1回 の同窓 会 を石 川県 の加 賀
会長 の 司会に より懇 親会 が催 され 愛媛 ではす でに
能登 の温 泉地 で 行って い ます。一 昨年・は 大学 よ り
恒 例 となっ てい る 各歯科 大学 の同 窓会 会長 及び県
山本 博武 教授( 保 存学 ) を迎 え て和 兪温泉 で 夜 の
歯 科医 師会 副会長 、全 常務 理事 等 多数 の来賓 をお
更け るの も忘 れ てなつ かし い思 い出話 に 花 を咲か
招 き し て 盛 大 に 行 わ れ たO 田 窪 支 部 会 長 の 挨 拶 に
せ ました が 、昨年 は大学 当 局のつ ご うで 会員 だけ
の同 窓会 でし た が、や は り大学或 は 同窓 会 本部 よ
年 は 吾 が 歯 科 覃に とっ て 重 要 な る 参 院 選 の 年 で あ
ひ きつづ き 来賓 の 祝 辞が 次々 と 述 べ ら れ 、 こ と に 本
り御 出席 いた だ いて開 催い たし たい と思 っ てお り
り全国一 の 得票率 を誇 っ てい る愛 媛県 では 参院選
ます。
必 勝を 期し て大い に 盛り上 が った もの とな った。
今年 の春 の 叙勲 で先 輩の 新谷 富士雄 先生 ( 専11
回) が勲五 等 瑞宝 章 を受 章 され まし た。 本当 にお
目度 とう ご ざい ますO こ れから もお体 に 十分 気 を
つけ て 校 医 として自宅診療、衛生指 導に 益々 ご 活 躍
下 さ る よう希 望致 してお ります。
愛 媛 県皮
部
支 部 通信頁
岩 渕 晃 三
愛 媛県 支部 総 会並 びに懇 親 会開催
去 る5 月10 日愛媛 県 支部 総会 、学 会並 びに 懇 親
会が 本部 より上潟口専任理事、学 会講 師とし て 生理
学 の中 原敏 教 授 をお 迎 えし て松 山市 の三 越 会議場
に て開 催 され た。総 会 は忽那 明専 務理 事 の司 会に
28
さ れ 、 新 し い 役 貝 も 選 出 さ れ たO
続 い て 会 場 を小 倉 北区 内 の ホ テ ル に 移 し、 恩 師 ・
大学18 期生 卒業10 周
同 窓生 な ど多数 の出 席者 を得 て記 念祝 賀会が 開か
れ た 。 上 野正 康 学 長 を は じ め 来 賓 の 方 々 よ り 祝 辞
年 記念同窓会の報 告
を い た だ き 、 さ ら に 、 永 松 育 英 会 に18 期 卒 業 生 よ
り ゛母 校 の た め に 役 立 て て 下 さ い ″ と 金 一 封 を 贈
っ た。こ のあ と、池 尻茂 前学 長に よ る鏡開 きで祝
大学18期 生 の卒業10 周年 記 念同 窓会 は、 4月18
宴 に うつ り 、 祝 賀 会 は 盛 会 裡 に 終 了 し たO 祝 宴 ・
・19 日に開 催 さ れた。18日のレ クリェ ーシ ョン に
二 次 会 と 短 い 時 間 で は あ っ た が10 年 ぶ り の 再 会 と
始 まり 、19日に は母 校の学 生 食堂で 旧友 と 語りつ
あ って 、全 貝が恩 師や 旧友 と語り 、唄い 、 踊る な
つ懐 かし い 味覚 を味 わっ た。続 いて 、新 築 され た
ばか り の附 属図 書館 の視聴覚 教 室で 、学 生時 代 の
ど 、時 が経つ の を忘 れて 過し た。 5年 後に再 び一
体育 祭や マ ラ ソン大 会など の スラ イド を映し 、若
で 賑っ た。
堂 に 会 す るこ と を 誓 い 合 っ て 、 夜 の 小 倉 は 遅 く ま
( 大 学18 期 空 閨 記)
き 日の己 の 姿に 笑み がこぼ れる 和や か なひ とと き
であ ったO
総 会で は 、九州 歯科 大学18期 生 会の 設立 が決議
祝 宴 で は 恩 師 や旧 友 と の 間 で 思 い 出 話 に 花 が 咲 い た
祝辞を述べる上野学儁
ペ リ オ に つ い て 口 腔 顎 系 の 多 面的 な問 題とし て
学
一
術
講
演
会
催
る
/
謙 虚 にかつ 広 く深 く展開 さ れ 、質疑 応答 では 、若
い会 員 より活 発な質 問 があ り、 成功 裡の 内に幕 を
講 師 森 克 栄 先 生-
閉じ た。
昭 和54 年 度 学 術 講 演 会 が 2 月16 日出 福 岡 市
に て開 らか れた 。数 日来 の寒 波で 近郊 の背 振連 山
には 白 いも のが みえ る様 な冷い 朝 であ った が、 開
始 三 十 分 頃 よ り 多数 の 会 員 が 会 場 で あ る 大 博 多 ビ
ル12 階大 ホ ー ル に 参 集 し 始 め た 。
会 は平 野学 術 委員長 の 開会の 辞 に始 まり 、穂 坂
恒 夫 同窓 会長 の 挨拶 の後 、学 術部 顧問 であ る豊 永
美 津 糸 先 生 よ り 講 師 紹 介 が あ り 、 講 演 が 始 ま っ たo
演 題は 歯 周疾 患(ペ リオとエ ン ド) の治 療限 界
特 に 治 療 効 果 か ら 検 討 し たSeq ue
ntial Therapy
で、 東京 都世 田 谷区 に開業 さ れて いる 有名 な森 克
栄 講師 に より 豊富 な臨 床経 験 をも とに 、時 には辛
辣 と も お も え る 話 術 で も っ て 、 会 場 を う め る288
森先生の講 演
名 の同 窓会 員 諸氏 に熱 烈な 話 をさ れた。 エ ンド と
29
卒 業 式
第28回 卒業 証書 授与 式
昭 和55年 3月21日、記 念講堂 にお い て、 亀井 県
知 事( 代理 )上 野学 長 をはじめ 、 前池 尻学長 ・穂
坂 同 窓会長 臨席の もとに105 名 の卒 業 証 書 授与 式
が 行 われた。
ヒ ポ クラテ ス像の 前で 、ヒ ポ クラテ スの貨 誓文
を誓い 、 歯科学 徒とし て 、 日々 研 鑚を 行い 、歯科
医 師 として の社 会的 使 命を深 く自覚 し て卒 業 して
昭 和54 年 度 卒業 式 風 景
い った 。
入 学 関 係
男
55年 度大 学・ 大学院 入学 式
受 験者
現 役
昭 和55年 4 月12日出 午前10時 よ り、母校 記 念 講
堂に お いて 、第32回大 学 入学 式お よび 、第15回大
学院 入学 式 が挙行 さ れた。 本年 度学 部受 験生318
女
合計
20
139
159
合 格 者1 43
16
59
受験者
147
27
174
合 格者
55
浪 人
名 より 見事合 格し た もの121 名 であ った。 大 学院
62
一一
生は15 名であ っ た。
昭 和55年 度 入学 試験合 格者 調
高
││
匸
校
55
53
54 (2)
(現役) に)
卒
業
年
52
51
・(3) (4)
二
度
50
(5)
計
鶻
高
55
54
(現役) 巾
北 海 道
山 梨
青 静 岡
富 山
岩 手
岐 城
愛 知
2
山 形
福 井
1
福 島
栃 木
1
1
石 茨 城
新 1
1
埼 玉
千 束 刈
葉 .1
京
神 奈J11
1(1) 2
1
1
1
1
I
I
1
|
|
1
1
2 11
1
1
4(2) 2 12
1
1
叩)
1
糺)
|
兵 庫
鳥 取
2
|
長 野
|
和 歌 山
5(1)
1
2
││
il
大 阪
i 2
l
1
3
││
1
川
奈 良
諒)
度
計
仞 49以上
(5) (川
j
1
京 都
群 馬
年
51
(4)
阜
| 三 重
潟
業
1
∩ 茲 賀
1
1
卒
53 52
(2) (3)
1
森
秋 田
宮 校
岡 山
一一
30
−
|
4(1)I1
い
州
』
|
|
∩
|
刈
匸
島 高
校 卒
業
年
度
根
53
(2)
52
(3)
51
(4)
1
広 島
瞋
香 1
川
徳 島
1
一
次
長 崎
6
卵)
宮 崎
1
鹿 児 島
1
川
沖 繩
1
o )
福 9〔3〕
1
1
1
1
3
−
罔
一一
佐 賀
53
(2)
業
52
(3)
年
51
(4)
度
50 似 上
(5) (り)
2(1)
熊 本
1
4(3) 2
大 分
ァ
2
校 卒
55
54
(現役) 剛
-
2
1(1)
愛 媛
一高 一知
r■
1
3
山 囗
50 似 上
(5) (6 川
高
言
計
55
54
濁 殳) 剛
岡
−
2剛
6剛
1
川
瑁
-
1
2
1
叫
鎗〕 3
2
2
1
59
28
7
3
2
5(1)扉 )
■ ・■ ァ
11
10
計
(16) (6)
120
(1) (23)
−
-
参 考 事 項
備 考
男
300
女
33
計
一
受
333
男
286
験
女
32
者
計
318
合
男
格
者
女
志
願
者
98
一
23
一
計
現
受験者
男
男
女
-
41
一
に
女
98
3
34
3
98
3
-
男
女
13
139
20
50%
13
43
16
49%
12
50%
7
51 %
9
147
4 一 55 一
40
90
10
196
22
286
32
6
74
17
98
23
合
合格 者
一
一
受験者
24
100
218
318
計
合格 者
31
89
121
m
31%
69%
26%
74 %
計
ン タ ル
計
受 験者
121
デ
県 外
合格者
9
役
− 受験者
そ
49
の 合格者 一
一
他
15
率 八
オ ー ル
県 内
率
募 集 人 貝( 定 員)120 人
関 し て
-
な れば話 は違 い ます。 参加 校全 てが似 たよ うな立
場 に あ り 、 ど の ク ラ ブ も 目 標 を 『デ ン タ ル で 勝 つ
こ と』 にして い るので す。
全 日本歯 科学 生総 合体 育大 会 (略称 デ ン タル)
は、 全国の 歯学 を志 す若 人 が、 スポ ーツ を通じ て
デ ンタ ル開催 まであ と わず かとな り、各 クラブ
相 互の 交流 ・親 睦 をば かり、 そ れに よっ て人 間形
と も 目 標 達 成 の た め に毎 日 練 習 に 励 ん で い ま す。
成 に寄 与す ると い う目的 を達 成す るた め に毎年 一
回 行 な われる もので す。 今年 は鶴 見大 学歯 学部 の
大会 日程 予定 お よび競 技会場 は 前回号 に掲 載 さ れ
主 管 で第13回大 会 が開催 さ れ、 本学 から も16種 目
輩方 に応 援し てい た だけ れば、非 常 な励 まし とな
に参加 す る予定 に なって い ます。 歯学 部と い う特
り 、 よ り い っ そ う の 成 果 を上 げ る こ と が で き る と
殊 な単 科大 学で あ るため 、北 九州 の一 般 大学 との
試 合で は負 け ること が多 いの で すが、 デ ン タルと
思 い ま す。 大 会 期 間 中 の 応 援 を よ ろ し く お 願 い い
てい ますが、遠 方 まで 行く 選手一 同 にとっ て、 先
た し ま す。 ( 学 生 体 育 会 )
31
大 学 ( 第32 回) 入学 生名 簿
番号
出身 校
本 籍
番号
氏 名
出身校
本 籍
長 崎
1
安 部 昌 史
修 猷
館
福 岡
39
城 台 維 子
長 崎 南
2
荒 善 信
東 筑
福 岡
40
杉 田 周 子
宮 崎 南
3
荒 牧 利 裕
愛 光
福 岡
41
重 岡 利 幸
小 貪
4
有 田 正 博
下 関 西
山 口
42
嶋 田 潔
宮 崎
一一
一 岡
福 ・- 一
大 野 福 井
5 安 丙 茂 廚
一
6 池 谷 朧 浩
脇 町
徳 島
43
白 浜 立 二
久留米大附設
鹿 児島
浜 松 北
静 岡
44
末 永 隆
下 関 西
7
板 野 賢
小 倉
福 岡
45
杉 岡 英 明
広 島 基 町
山 囗
一
広
島
8
伊 東 毅
別 府鶴 見丘
大 分
46
鈴 木 克 年
磐 城
福 島
9
飯 田 さ を り
松 山 東
大 阪
47
瀬 冂 清 文
大 分
10
井 山 理 美 子
束 筑
鹿 児島
48
高 田
一
関 西 大 倉
高 田 利 之
11
伊 藤 秀 樹
紫 野
京 都
49
鈴 木 潤 子
浦和第一女子
埼 玉
12
井 村 秀 樹
松 江 南
島 根
50
- 田 中 し の ぶ
山 口
山 口
13
大 川 智 弘
熊 本
熊 本
51
高 浜 栄 二
筑 紫 丘
熊 本
日 田
大 分
52
田 代 枩
鞍 手
福
−- 一
宗 像 一福 岡
東 筑
福 圖
萩
山 口
14
−
氏 名
大 倉 秀 一 郎
15
大 野 昇
兵 庫
兵 庫
一
53 竜 口 雅 成
16
岡 原 圭 三
柳 井
山 口
54
立 園 隆 右
一
一
田 中 克 典
大 阪
岡
17
大 心 池 清 和
広島大学附属
広 島
1 55
18
加 藤 寛 二
呉 三 津En
広 島
56
田 中 勝 馬
西 南 学 院
福 岡
19
大 谷 朗 栄
今 治 西
愛 媛
57
田 辺 道 徳
小 倉
20
沖 田 幸 子
田 川
福 岡
58
.田 沼 芳 愽
茂 木
福 岡
一
栃 一木
21
加 藤 浩
津 西
三 重
品 干戈  ̄生
今 治 西
愛 媛
順
子
金 田 和 彦
林 野
岡 山
60
二 宮 志 乃
一 一 一岡
国 立 福
23
河 野 秀 鯲
鶴 丸
宮 崎
61
玉 乃 井 勉
松 山 東
愛 媛
24
北 原 利 彦
大 分 舞 鶴
佐 賀
62
.玉 寄 兼 治
束猷 附属尠5
沖 繩
兵 庫
中 国
門 司
福 岡
愛 知
22
25
木 村 元 信
修 道
広 島
63
陳 隆 俊
26
許 芳 郎
寝 屋 川
朝 鮮
64
塚 本 浩 樹
1
27
草 場 隆 夫
大 里
福 岡
65
柘 植 優 三
一 宮 西
28
楠 原 光 珍
清 水 谷
韓 国
66
槌 本 亮 二 郎
鷦 本 マ リ スト
学 園
熊 本
29
川 人 貴 子
池 田
徳 島
堤 隆 志
済 々 黌
熊 本
30
五 島 恵 子
熊 本
熊 本
東 島 哲
安 房
干 葉
31
小 西 法 文
土 佐
香 川
69
野 末 優 子
門 司
一
福 岡
32
駒 形 廉 平
長 岡
新 潟
70
箱 田 倫 弥
金 光 学 闡
広 島
33
小 山 要
三 国 丘
大 阪
71
戸 高 祥 二
八 代
熊 本
72
一一一
一73
豊 田 博 佗
明 善
福 岡 |
内 藤 徹
新 城 東
愛 知
1 74
34
斎 藤 俔 郎
川 越
埼 玉
35
坂 口 洋 一
一
一
岡 崎
愛 知
匸
一
京
36
佐 川 秀 樹
都 立 西
束
中 崎 裕
高 鍋
宮 崎
37
佐 藤 礼 生
ラ・サ ール
緇 岡
75
中 島 和 久
松 江 北
島 根
38
真 .
田 英 太 郎 | 高 松
香 川
-
76
中 林 弘 行
生 野
大 阪
−32
−
番号
氏 名
出身校
本 籍
番号
氏 名
出 身校
本 籍
77
西 野 一 寿
東 筑
福 岡
100
松 尾 典 子
加 古 川 束
兵 庫
78
畑 弘 倫
岡 山 白 陵
大 阪
101
光 広 裕 次
広 島 舟 入
広 島
79
平 本 悦 次
小 倉
福 岡
102
峯 島 正 志
横 浜 翠 嵐
茨 城
80
日 南 休 智 恵
束 筑
福 岡
103
三 原 豊 弘
萩
島 根
81
平 元 芳 哉
鳥 取 西
鳥 取
104
宮 川 武 昭
戸 畑
長 崎
82
藤 井 勝 也
長 崎 北
長 崎
105
宮 本 亮 二
佼 成 学 園
山 口
83
藤 井 芳 郎
噛司 ぺ
ま
ゴ 福 井
[i
心
い
106
村 瀬 岳 仁
南 山
愛 知
84
藤 田 浩
別 府鶴 見丘
大 分
107
村 田 比 呂 司
広 島 基 町
広 島
85
藤 野 康 則
福 岡
福 岡
108
毛 利 保 幸
門 司
福 岡
86
藤 原 正 彦
岸 和 田
大 阪
109
安 増 恵 子
明 治 学 園
福 岡
87
細 川 隆 司
久留 米大附設
福 岡
110
矢 野 裕 子
門 司
福 岡
88
堀 江 俊 典
目 黒
東 京
111
森 高 民 三
朝 倉
福 岡
89
[j 野 美 奈 子
下 関 南
山 囗
112
森 本 佳 成
智 弁 学 園
奈 良
90
藤 崎 千 和
松 山’ 東
愛 媛
113
八 尾 正 己
米 子 束
鳥 取
91
前 出 忠 彦
宇 部
滋 賀
114
山 内 英 史
武 蔵
佐 賀
92
牧 憲 司
鹿 児島中央
鹿 児島
115
山 畸 陽 司
綾 部
京 都
93
真 島 隆 一
湘 南
新 潟
116
山 田 昌, 樹
松 山 東
愛 媛
94
増 山 智 美
鷦 丸
鹿児島
117
吉 田 毅
小 會
福 岡
95
町 野 進
広島大学附属
広 島
118
米 尾 政 一 郎
宮 崎 西
宮 崎
96
松 本 克 彦
高知 追手 前
高 知 `
119
米 村 幸 城
姫 路 西
兵 庫
97
真 鍋 雅 夫
御 影
兵 庫
120
吉 岡 江 里 子
宇 佐
大 分
98
丸 田 洋 一
小 金
京 都
121
吉 田 美 穂
岩 国
山 囗
99
正 木 園 子
高 津
兵 庫
大学 院(第15 回)入学生 名簿
番号
氏 名
本籍
主 科 目
丸 山 陽 市
福岡
歯 科 矯 正
│ 杉 本 忠 雄
大阪
口 腔 病 理 学
3
安 藤 彰
福岡
口 腔 衛 生 学 1
4
児 玉 紳 介
宮崎
歯 科 矯 正 学││
5
駒 井 英 基
福岡
歯 科 補 綴学 第 2
1
∩
卜
6
松 尾 和 廣 |佐 賀
小
7
山
保 存 学
8
地
誠
治││ 型II
学|
児 歯 科 学
第 2
久 保 雅 晴
大分
歯科 補 綴 学 第 1
1 9,・ 安 元 和 雄
福岡
歯科 補綴 学 第1
1 1101
福 光 保 之
福岡
保 存 学
庁 台湾
歯科 補綴 学 第1
11
梓
琲
33
第 1
学内 人 事 異 動
4 月1 日 鯨 吉 夫助 手 (体育 学)
岩 永伸 子助 手(口 腔細 菌 学)
転 退 職
河 岸重 則助 手(口 腔 科学)
3 月31 日 和 田 寿 教 授 ( 体 育 学 、 定 年 退 職 )
大 木達 雄助 手(保 存学 第 1)
徳 永純 一助 教授 (細 菌学 、鹿 大 教授)
徳 永 美 和 子 講 師 ( 夕 り 力教授 )
坂 本将 尚助 手( 々 )
岩 谷 秀明助 手(補 綴 学第 1)
堀 孝良 講 師 ( 補 綴 学 第 2 、 開 業 )
安蘇 健 二助 手(補 綴学 第 2)
新 見昌 一助 手( 細菌 学、 鹿大 助手)
関 正 広助 手( 〃 )
岡 本幸 代助 手( 保存 学第 1、 在家庭 )
入 学陽 一助 手(口 腔外 科学 第 1)
樺 島 邦 仁 助 手 ( 々 第 2 、 勤 務 医 )
山 崎 博助 手( 々 )
帆鷲 郷一 助 手( 補綴 学第 1、 開業)
矢 野茂 良助 手(口 腔外 科学 第 2)
若 松敏 行助 手( 補綴 学第 2、 開業)
山隈 正 人助 手( 々 )
久 保 哲 郎 助 手 ( 口 腔 外 科 学 第 2 、開 業 )
大石 範子 助手 (内 科 学、結 婚)
有 松俊 明助 手(放 射線 学)
今浪加栄 子助 手 (・j
ヽ児 歯科 学)
原 田 篤 実 助 手 ( 々 九 大 助 手 )
福 村淑子 助 手( ク )
中 武 幸 一 助 手 ( 々 九 大 研 究 生 )
仲 西 修 助 手(麻 酔学 )
瀧原 秀憲 助手 (外 科学 、福 大助 手)
井 上 文 夫 助 手 ( 々 勤 務 医 )
菊地 正 統助 手(内 科学 )
吉富 宏 治助手 ( 〃 )
中 山 真 一 助 手 ( 々 国 立 福 岡 東 病
佐 々木 晃代助 手( 〃 )
院)
池田 正仁 助手 (外 科学)
4 月19 日 古 賀 利 枝 助 手 ( 口 腔 細 菌 学 )
武藤 庸一助 手 ( 々 )
任 用
坂田 久信助 手 ( 々 )
3 月 1 日 竹 原 直 道 助 教 授 ( 昇 格 、 口 腔 衛 生 学 )
斉藤 敏子助 手 ( 4・
旧 中 照真助 手 (口腔 外科 学 第2)
)
5 月1 日 落合 俊助 手 (口腔 衛生 学)
学部棟別館建設について
〔九州歯科 大 学建 物配置図〕
昨年 、新 設 さ れた 歯 科麻 酔学、 小児 歯科 学 、口
腔 科学 の 3講座 の研究 室 を確 保 する こと と、 従来
から の基礎 、臨 床の 各 講座 も研究 室 が狭小 に なっ
てい ること から 、昨 年11月末 に学 部棟 新館 の建 設
を県 に要求 した が、 本年 度の 予 算に 調査 設計 料が
計上 された。 こ のよ うに、 スピ ーデ ィに 予算 が計
上 されたの はあ まり例 のない こと で あ る。
最初 、要 求し た建物 の 規模 は地 下 1階 、地上 5
階であ った が、 予算 の関 係で地 上 4階 (総 床面 積
3300
)の 建物 に縮小 された。 建 物 の建 設場 所 は
現 在の 解剖棟 の 西側 、記 念講堂 と の 間の空 地で あ
る。
建 物 の部屋 割 は、 1階 に学生 用 ロ ッ カー室、 機
械 室、 2階 に大 会議室 、歯 科衛 生 学院 の教 室、 院
長 室、 専任 講師 室、 3・ 4階 に基礎 、 臨床 から 数
講座 が移転 する予 定 であ る。 移転 す る講座 など の
詳細 に つい ては 、現 在検討 中 であ る。
心
本年10月 には設 計 を完 了す るこ と になっ て おり、
近年 中 に完 成 す ると思 われ る。 ( 中原 記 )
道
3 号
徊
九 州 歯 科 大 学 建 物 配 置 図
34
学部 棟 3階 にあっ た旧 図 書館( 閲覧 室・事務 室・
電 子顕 微 鏡 など) を一 室に集 中設 置 させ て、全 学
書庫 ) と それ に隣接 す る生化 学 実習 準備室 を合 わ
的 に共 用 で きる態 勢に 整え 、もっ て研究 能 率の 増
進 をは かるこ と を目的 とし てい る。 中央 研究 室 の
せた総 面積約1700
を中央 研究 室 とし て活 用す る
ため、昭 和54年 9月 から 大改 造工事 を進め て きた
略 図 を示 すと 次の よ うにな る。
が、予定 ど おり 本年 3月31 日に完成 し た。
こ の研究 室 は、 こ れまで学 部棟 や病院 棟 の各 講
れた。
( 4月 9日 島村 記 )
中央 研究 室 の室 長は 学長 が兼 ねるこ と に決定 さ
座 研究 室 に分 散 されて いた 大型の研 究 機器 (各 種
〔 中 央 研 究 室 略 図 〕
R
¨¨¨走 査 電 顕 室
E2
… … 雌l
室 室
〔説 明 〕E1
R 。 ‥‥‥‥‥‥N音
… …透 過電 顕室
E3 … … ア ナ ラ イ ザ ー 室
G
E4
A … … 原 子 吸 光 室
o …… …… … オペレ ー ター室
CI
ガ ス クロ マ ト 室
P …… …… …a周整 器室
… …2令 室
C2 … …
…11
亘 温 室
1
2 。3… … 蒸 留 装 置
4
5 …… … 洗 浄 器
″
h︶
S … … 超 遠 心 機
製 氷 器
7
イロ ハ ニ ホ … … 準 備 室
8
35
ド ラフトチ ェ ンバ
・研 究 台
昭和55年度 国内・国外派遣研修員推せん一覧
国 内
順位
順位
研 修 題 目
所 属
職
氏 名
派 遣 先
期 間
口 腔解剖 2
助手
小 林 繁
国立 科学
は 物館動
物研 究部
55 年 5 月 9 日
8 月8 日
所 属
職
氏 名
派 遣 先
期 間
口腔解 剖 1
教授
山 田 博
メ キシ コ
μ
講師
六 反 田 篤
//
μ
助手
伊 東 励
μ
μ
講師
六 反 田 篤
中 華民 国
台 湾 省
yj
助手
伊 東 励
μ
薬 物
助手
竹 中 栄 子
ア メ リカ
合 衆 国
8 月6日
8 月31 日
歴 史 学
教授
熊 谷 治
Xチ ェ レ マ ーア
コ
ポーラン
ド
ハ
之ガリ ー
8月 7日
8 月26 日
生 物 学
助手
高浜 有明夫
西 ド イツ
フ ラ ン ス
ギリ シア
55 年 7 月1 日
56 年 3 月31 日
葉緑 体で の光 エ ネル ギー変換 機構
の研 究
口腔 外科 1
助手
福 田 仁 一
55 年 8 月31 日
56 年 8 月30 日
骨移植 に 関す る実 験的研 究睡 顎口
藍裂 の形 成手 術に躙 す る研究
( 文 部 省 在 外 研 究)
ス
イ
8 月15 日
8 月31 日
μ
//
μ
μ
36
−
国際 解剖 学 会に 出席の ため
( 第11 回)
//
7 月10 日
7 月20 日
ス
研 修 題 目
台 湾山胞 の歯 科学 的研 究 及び口腔
衛生 状況 の研 究
メノ
歯 科用薬 剤の 発癌 性荳 びに 歯牙 硬
組 織に 及ぼ す作 用動 態に関 する 研
究 、実験 操 作の ため
ーア
第15 回 国 際 歴 史 学 会 が ル ー マ
にて 開催 され る。こ れに 参加 し 各
岡 の 研究 実態 を知 るため
7777T
匸 口 叭,州 洫ダ
糾 大 学し:=
…
…
10 田 嗇 教 授 退 官 記 念
和田寿教授退官 され る
『 和
田 課
寿
教
授
退
官
さ
れ
る
程
体
育
学
教
授
と
し
て 奉
職
さ
れ
て
い
た
和
田
本
年
3
月
末
を 以
っ
て
定
年
退
官
さ
れ
ま
し
た
年
本 学
の
前
身
で
あ
る
福
岡
県
立
医
学
歯
等
学
校
久
留
米
大
学
(
歯 学
コ
進
学
先
生
が
先
生
は
昭
和19
学
専
門
学
校
ー
ス
)
こ
の30
学
生
』
。
、
川
日 制
高
、
を
経
て
昭
和33
年
4
月
か
ら
本
年
3
月
ま で
数
年
間
つ
ね
に
一
貫
し
た
教
育
理
念
に
基
づ
き
、
指
導
と 大
学
運
営
に
情
熱
を 傾
注
さ
れ
て
き
ま
し
た
退
官
に
先
立
ち
日
記
念
講
堂
で
最
終
講
義
の永年 の御 尽 力に感 謝し 、今 後の御 発 展と 御多 幸
が
行
な
わ
れ
たO
年
に
亘
る
先
生
白 身
の
教
貝
生
活
の
体
を祝 って 、盛 会の うちに 終了し た。
なお 、先 生 の現住 所は下 記 の通 りで す。
で
2
時
間
余
小
倉
ホ
テ
ル
会
場
に
は
本
学
、
、
。
1
月30
テ
ー
マ
験
か
ら 「 私
り
講
演
日 に
は
に
お
い
て
退
官
記
念
祝
賀
会
が
開
催
さ
れ
た
教
職
員
や
卒
業
生
が
多 数
出
席
し
、
先
生
。
を
さ
は40
、
数
の
人
れ
生
た 。
観
ま
と
た
教
育
2
、
へ
月
の
9
私
見
」
〒8n
−41
福 岡県宗 像郡宗 像町 自由 ヶ 丘3丁 目19− 1
和 田 な T EL(09403)3−7179
。
"・ ●・-・││
●・
〃・sI・・
〃 ●〃・lllllil・・
〃a・J・J・・-・II ●-・-・11
●・
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・ ●1 ● III
●S--g ●、● I ・
●J_ 再yl ご
創
手・・rrII 争--
φ
立30
周
゛ ¨ ゛4
丶
4
年
記
-・・ 之・・・,-.,・
之・・-・・,-4・-
念
式
與 丿挙
行
さ
る
●・-,・,II・
〃・41・・ミi・
心,--J・・t〃・ 〃・・S・,-J,-.
” ;
4
より 、昭和24年 4 月設置 され た7つ の養 成所 の う
6 月22 日
(日)
、九川 歯科大学附 属 歯科衛 生 学院 創
立30 周 年 の 記 念 式 典 が 挙 行 さ れ た 。 学 院 開 学 以 来
ちの1つ とし て 、福岡 市に 開 設さ れた福 岡 歯科衛
初 め て の 式 典 で あ り 、 九州 歯科 大 学 歴 代 学 長 の 坪
生士 養 成所 とし て発 足し た。翌25年 4 月に 九州 歯
很 政 治先 生 、 平 川 正 輝 先 生 、 池 尻 茂 先 生 、 上 野 正
康 現 学 長 を 始 め 歴 代 学 院 長、 歯 科 医 師 会、 講 師 な ど
科 大学 内に移 さ れ、昭 和39年に は 、九州 沫
「科大 学
の 附設 機関 とし て九州 歯 科大学 附 属染科 衛生学 院
多 く の 来 賓 の ご 臨 席 を い た だ き 、出 席 者は 学 院同
と 名称 を変 更し 、現 在に 至 っ てい る。現学 院長 は 、
窓 生 を 含 め 約350
佐 伯栄一 教 授( 口腔衛生 学 ) てヽ
ヽ
あ る。
名 に 及 び 盛 会 で あ っ た。
講 演 は 、 九 州 大 学 安 藤 延 男 教 授 に よ る ゛生 き が
その 間 、2年 間の閉 鎖時 代 を除い て 、養成所 と
い 、 ま た は 人 生 の 危 機 に つ い て ″ で`あ っ た 。
し て12回 、衛 生学 院と して16 回通算28回 の卒業 生
式 典 後 、 来 賓 の 先 生 方 を まし え て の 祝 宴 が 取 り
行 な わ れ 、 養 成 所 卒 業 生 か ら 在 学 生 ま で がー- 同 に
を世 に 送り 出し てい る。 卒 業生 総数878 名 であ るO
学 院は 、全国 に最 初に 出来 た 歯科 衛生士 養成所 機
会し 、約 2時 間恩 師 を囲ん で学生 時 代の懐 し い 想
関 であ り、 最も長 い歴 史 と伝統 をもち 、更に全 国
い で 話 し に 楽 し い 一 時 を過 し た 。 最 後 に 、 学 院 の
唯一 の 公立 歯科大 学附 属の 歯科 衛生 学院 とし て高
こ れ か ら の 発 展 を 祈 っ て 閉 会 さ れ た。
い 水 準を誇っ てい る。
衛 生 学 院 は 、 歯 科 衛 生 士 法 制 定 ( 昭 和23 年 ) に
佐 伯 学 院 長 の 式 辞
37
一住 所 変更 等 のお知 らせ 一
名 誉 会 員
( 六 月末 日受 付分)
職 名
氏 名
郵 便 番号
元 教 授
大 曲 靖 夫
807
住 所
北 九 州 市 八 幡 西 区 東 折 尾18 −11
電 話
093 −691 −0576
特 別 会 員
氏
職 名
名
吾 秋 輔夫
卒 業 回数
欽 種 泰文
本 山 貞宮
木 中 秋荷
授授 授授
教教 教教
元 元元 元
友
一
泉
住 郵便 番 号
− 730
一
所
電
話
一
広 島 市南千 田 西町 3番 1号
062
札 幌 市 白 石 区 東 札 幌 3 条 2− 1 コーユーハイデンス1303
号
011 −811 −5548
062
札 幌 市 白 石 区 東 札 幌 2 条 5 丁 目7
011 −824,−3438
874 −01
別 府市 亀川古 市 5組 1
−10 −505
会
氏
郵便 番号
名
住 所
宏宏
忠
代 山
野 福
1717
大 大
800−02
813
小 倉 南区沼 緑町 4丁目16番10号
福 岡 市東 区香住 ヶ丘 4 丁目16番17号
郵便 番 号
800
801
住 所
電
話
093−471−8238
092−661−6977
門 司 支 部
卒 業 回数
名
氏
毅 浩 則 夫 宏 巧
芳功 芳
谷 辺 田 田 溝 畑
32
42
42
5
2
鳥 渡 松 柳 大 中
1518
大
大 大 大
大大
801
800−01
802
800
門司 区 黄 金町2 −24 第3マ ナ ーハ ウス3F
門司 区 丸山I −11− 9
飾 門司 区 清滝5 −1135− 5
門司 区栄 町5 −12 第一工 藤ビ ル (退 会)
門司 区 大字畑 字 大道829− 1
小倉 南 区北 方2 −11−35
門司 区 黄金 町3 −26 前田 ビ ル302号
電
話
093−391−3355
093−331−3664
093−331−5557
093−332 −1561
093−481−3595
093−941−4173
093−371−8183
小 倉 支 部
氏 名
卒 業 回数
一
大 6.
中 道 正 義
大 16
内 田 稔
大 18 吉 永 栄ご 樹
郵便 番号
住 所
一 一
803
小 倉北 区上 到津 2 丁目3 − 1 −403
勵)yj
ヽ倉 南区 下徳 力1 町内
806
八幡 西区 別所 町 6番23−101
803
斡 小 倉北 区 東篠崎 1 丁目6 −5 −207
小 倉北 区 霧 ヶ丘 2丁目 9− 9
802
38
−
電
話
093−592−0329
093−961−6620
093−642−0317
093−951−7125
卒業回 数
大 18
大 20
雄 三 実
達泰
5
名
藤部
県
氏
近 罔
-
覇
津
郵便 番 号
一 一
803
803
住
小 倉 北 区 日 明2
所
−2
電
−20
小 倉 北 区 緑 ヶ丘 1 丁 目14番37 号 稲 生 ビ ル102 号
勵 ) 小 倉 北 区 緑 ヶ 丘 1 丁目14 番37号 稲 生 ビ ル
yj
ヽ倉 北 区 下 到 津 1 丁 目2
803
−14
勵 ) 七ヽ倉 北 区 下 到 津 4 丁 目61 番 地
大 20
山 地 正 樹
803
大 21
植 波 寛 也
803
小 倉 北 区 下 到 津 4 丁 目10 − 6
勵 ) 小 倉 北 区 中 #1
−16 −12
小 倉 南 区 下 南 方 岩 鼻590 − 8
木
利
一 保
山尻
松 池 滝
大大
2222 2223
大 大
勵 ) 小 倉 南 区 大 字 蒲 生 字 山 の 下1305
康 宏
喜代 治
800
800
千香 子
洋 一
802
802
02
− 5
小 倉 南 区 葛 原 1 丁 目13 −16
門 司 区 藤 松 1 丁 目12 −20
勵 ) 小 倉 南 区 湯 川 5丁 目10 −10 北 九州 湯 川 総 合 病 院
大 23
小 倉 北 区 黄 金 町 1 丁 目2
小 倉 北 区 足 立 3 丁 目5
−21 −3
松 山歯科
−201
勵 ) 小 倉 北 区 貴 船 町 1 番 1 号 小 倉 記 念 病 院
豊
802
小 倉 北 区 黒 原1
−2
鮓 小 倉 北 区 大 畠1
大 23
田 中 裕 治
大 24
小 田 秀 幸
807
803−01
802
−20 −202
−1
勵 ) 小 倉 南 区 大 字 市 丸474 番 地 1
小 倉 北 区 足 立1
−11 −36
馴 小倉北区堺町卜2-16 大 24
久 鍋 渭
800 −02
大 26
槇 原 正 人
804
−20
八幡 西区永犬 丸新藤 ヶ丘 3組
十八銀行第一生命共同ビル3F
小 倉 南 区 大 字 吉 田1190
勵 ) 小 倉 南 区 沼 南 町 1 丁 目1
−14
丿戸 畑 区 夜 宮 1 − 1 一27 富 士 ビ ル503 号
勦) 吋ヽ倉 北 区 中 津 口1 −3 −24 不 ニ ヒ ル 2F
話
093−561−0250
093−571−4817
093−592−4790
093−581−1446
093−582−1658
093−571−2328
093−561 −0127
093一963−3098
093−963−5454
093−473−2001
093−381−7019
093−921−0560
093−921−2208
093−922−2792
093−921−2231
093−951−4400
093−511−0902
093−611−2063
093−451−5237
093−921−6647
093−541−4618
093−473−3732
093−473−6294
093−881−0268
093−511−2029
八 幡 支 部
卒 業回 数
氏 名
大 17
藤 村 克 成
8
大 18
有 吉 正 義
804
806
住
郵 便番 号
所
電
話
☆
弋幡西 区幸 神 3丁目11−65
093 −631 −6096
勵)093−631 −2902
戸畑 区初 音3 −17 初 音 マ ンシ ョン502号
勵) 八幡西 区大 字上 上津 役字植 松2049− 7
八幡西 区光 貞台 1丁 目2 − 4−303
齟 八幡西 区光 貞台 1丁 目10一 5
戸 畑 支 部
-
39
093 −882
−9267
093 −613
一4979
093 −602 −3140
093 −602 −1388
京 都 支 部
氏
卒 業 回数
名
郵便 番号
田 中 一
大 18
所
住
一
行 橋市魚 町571
一一
誠 一824
電
話
-
09302 −3 −0648
歉09302−4−2372
飯 塚 支 部
名 郵 便 番 号
フヤ業 回 数 匸 ご
元Tj
原
電
住 所
一
嘉穂 郡穎 田町 上勢 田729
齟 嘉穂 郡穎 田町 囗の原 前牟 田334−7
-
820 − n
話
09496−2−0057
09496−2−0063
直 方 支 部
名
氏
郵 便 番号
所
住
一 一
電
話
-
卒業 回数
〃 ァ
大 13
-
直方 市須崎 町 9− 3
822
山 本 展 理
09492 −2 −6127
宗 像 支 部
卒業 回数
==-
大
氏
名
郵 便番 号
20 -W・r
安 増 惇 夫 8n
所
住
-ミ=- |
→
11
−34
〃
ゥァ
ァ心 − ・
万
電 話
 ̄'
 ̄
京 像 郡 宗 像 町 日 ノ里 1 丁 目10
一5775
福 岡 支 部
氏
所
住
電
話
-
番号|
田
塩
本 素 行
智 陽 三
55044
11111
CX︶Cg Cg
6
松 和
4
県 県
︵X︶C Q
孝平
悛
島田
中太
2 6
大 大
宏 一 進 癇
忠 陽
泉 村島
福 藤牛
大 大
7 19一15
大
大 16
〕 ̄
林
410
一専 専
卒 業 回数
815
815
815
812
814
清
野
一
一
宮 成 徳 814
福 岡 市 西区 西 新 3丁目6 −18
福 岡 市南 区南 大橋1 −26 ∼26
勵) 福 岡市 南区南 大橋1 −26−17
福 岡 市 南区 野 間1 丁目2 −13
福 岡 市南 区多賀 1 丁目19− 1
勵) 福 岡 市中央 区天 神 2丁目6 −26
(靭 福 岡 市西区堤352 −4
福 岡 市西 区原 1丁 目26−10
勍) 福 岡 市西 区壱岐 団地76
福 岡 市 南区大 橋 3丁目 3− 9
|福 岡 市 南 区 西 長 住 2 丁 目26 −38
1酬
福 岡 市 西 区 別 府7 −11 −35
−5496
092 −541 −5616
092 −541
−4578
092 −551
−1339
092 −771
−3273
092- -801 −5331
092 −851 −8388
092 −811 −3255
092 −541 −0258
092 一541 −6066
092 −511 −9605
福 岡 市 南 区 長 住 7 丁 目32 −13
福岡市博 多区博 多駅前1−卜1
092 −844 −3728
092 −561
博 多新三井 ビル3F
092 −431 −1783
092 −831 −5163
勵)092−821 −0584
大 17
福 岡 市 西 区 干 隈171 − 4
092 −863 −8812
勵)092−863 −8813
40
洋一
幸
立 岡
羽 長
1920
大 大
大
名
氏
卒業 回数
郵 便 番号 l ァ -・ ↑
福 岡
814
I
福 岡
814
住 所
電
話
-
市 西 区 西 新 1 丁 目5
−17
092 −851 −6482
市 西 区 笹 丘 3 丁 目29 −12
092 −751 −6371
20
勵) 福 岡 歯 科 大 学
比 江 島 俊 和 ,812
福 岡 市 東 区 箱 崎 原 田 3− 2 − 6
| 勦) 福 岡 市博 多 区 千 代5 −14 −24 千 鳥 橋 病 院 歯 科
大 22
−
一
末 廣 裕
815
,福 岡 市 南 区 三 宅 1 丁 目15 −21
092 −622
−5737
092 −641
−2761
092 −512
−0194
勵 〕092
−5G1 −4412
外 山
大 22
大 23
井 上
覚
健
司
郎男
次隆
田 原
藤笹
2324
大大
815
810
814
810
811−11
815
福 岡 市 南 区 和 田430 −52
092 −512
−4550
齟
092 −781
−2010
福 岡 市 西 区 百 道2 丁 目4 −45 藤 崎 住 宅435 号
092 −843
−2425
勵) 福岡市中央区天神 1丁目15−25 江上ビ ル2F
092 −713 −1367
福 岡 市 西 区 大 字 重 留1297 −10
092 −804
−1963
福 岡 市 南 区 花 畑 2 丁 目31 −13
092 −565
−0183
福岡市中央区 大名1丁目2 −15 坂田ビ ル2F
糸 島 支 部
氏
卒業 回 数
名
郵便 番号
部部生
大 大 蒲
92020
専大大
健 之 助 i 819−11
徼 夫
美 保子
819−11
819−11
所
住
糸島 郡 前原 町 前原358 −36
糸 島 郡 前原町 前原358−36
糸 島 郡 前原 町 前原549−11
電
話
09202−2−5281
09202−2−5281
09202−2−2217
井 支 部
卒 業回 数
‥
大 9
氏 名
郵 便番 号
北 原 照 玉
(旧姓 上 野)
830 −12
住
所
電
話
09427 −7 −0032
三 井 郡 大 刀 洗 町 本 郷2280 − 7
久 留 米 支 部
氏
名 郵 便 番 号
卒業 回 数
一一
大 17
古 屋 利 幸
(「日姓E i青川」
830
大 15
田 島 寛 廸
830
住
久 留米 市国 分 町180− 2
勵) 久 留米 市 国分町n97
久留米 市 本町7 −23
所
電
話
0942 −22 −n72
0942 −22 −0203
0942 −39 −7294
勵)0942− 32 −4755
八 女 支 部
卒業 回数
氏
名
郵便 番号
所
住
電
話
一
一一
一一 一
大 8
横 山 茂
834
大 24
川 崎 充 則
833
八女 市北平 塚364− 4
勵) 八 女市 南平塚377 −11
筑 後市 大字徳 久
勵) 筑後 市大字 和泉285− 9
−41
−
09432−2−5537
09432−2一5384
09425 −3 一7232
柳川・ 山門支 部
卒業 回数
氏 名
郵便 番 号
住
大 2
安 田 嘉 道
832
柳 川 市椿 原 町15
大 21
古 賀 剛
832
柳 川 市筑 紫 町 成 町70 −56
所
電
話
09447 一3 −1616
勵)09447
−2 −2789
大 分
県 支
卒業 回 数
09447 −3 −6012
部
氏
名
郵便 番号
住 所
川野
古河
613
県大
臼 杵 市 塩 田292
三千 雄
尚 俊
875
870
杏 典
870
大分市 都町 2 丁目5−6 双葉 タクシービル301号
879−04
876
宇 佐 市 大 字 長 州545
大 分 市 大 手 町 1 丁 日3 −18
黻 大 分 市 府 内 町3 丁 目4 −20 恒 和 ビ ル 3F
大
15
田
囗
純治
明
部田
石 金
1827 薦
大 大 推
勳) 大 分 市 金 池 町 2 丁 目14 −15
電
話
09726−2−3751
0975−36−0124
0975−34−0621
0975−37−8584
0975−33−0322
09783−8−4611
佐 伯 市 中 川 区16 班
倒 佐 伯 市 坂 下 西 町 吉 田 歯 科 医 院
糸
瀬
勝
成
874
別 府 市 船 小 路 町39
勳〕 別 府 市 北 浜 1 丁 目 歯 科 イ ト セ 医 院
佐 賀 県 支 部
卒 業回 数
氏
名
郵 便 番号
住
所
電
話
勝人明 勝
俊安俊正
原 山原田
萩前 萩太
75H13
専県大 大
09546 一
一3 −4073
849 −13
鹿 島 市大 手通 り575
佐 賀 市水 ヶ江 5丁 目8 −19
鹿島 市 大手 通 り575
848
伊 万 里 市 立 花 町3366 −10
09552 −3 −9573
849 −13
840
0952 −24 −4587
09546 −3 −4073
長 崎 県 支 部
住 所
卒業 回数
氏 名
郵便 番 号
電 話
専 6
田 中 英 夫
859 −06
西 彼 杵 郡 長 与 町 吉 無 田 郷579 −185
勵) 長 崎 市 花 園 町4 −12
0958 −61 −0217
専 9
馬 場 豊
852
850
長 崎 市 風 頭 町26 − 8
0958 −22 −7557
勵) 長 崎 市 銅 座 町14 −1
0958 −23 −2389
専 16
川 谷 武 房
859 −63
北 松 浦 郡 吉 井 町 直 谷 免41 − 3
095664
勵) 北 松 浦 郡 江 迎 町 田 ノ 元 免1284
09566 −6 −9806
09588 −3 −6508
− 2193
専 17
末 永 福 利
852
長 崎 市 滑 石 4丁 目5 −33
0958 −56 −8237
県 2
村 橋 宏
859 −06
西 彼 杵 郡 長 与 町 高 田 郷3613 − 5
09588 −3 −3588
852
勳) 長 崎 市 大 橋 町10 −32
0958 −44 −3279
852
長 崎 市 虹 ヶ 丘 町24 −4
0958 −57 −1038
勸) 長 崎 市 大 橋 町3 −28 田 ロ ビ ル 2F
0958 −45 −5309
大 4
家 永 春 男
42
卒業 回数
氏 名
大 4
小 林 敬
大 5
郵 便 番号
藤 井 誠 一 郎
850
住 所
電 話
長 崎 市椹 木 町7 −20
0958 −26 −3013
勵) 長 崎 市 川 上 町2 −10
0958 −23 −7746
852
長 崎 市稲 佐 町 7 − 8
0958 −62 −2603
850
働) 長崎 市浜町1
(〕
−8 浜町 アーケード 目鏡 の玉屋3F
0958 −25 −7666
大 7
伊 藤 輝 夫
852
長 崎 市 白 鳥 町11 −18 −105 号 (退 会 )
0958 −45 −0201
大 11
江 原 勝 弥
857
佐 世 保 市 山 手 町9 −10
0956 −22 −7073
勵) 佐 世 保 市 春 日 町29 −10
0956 −23 −6001
大 12
奥 村 俊 彦
854
諫 早 市山川町 2− 7
09572 −6 −3969
大 13
大 石 久 志
854
諫 早 市 中 尾 町4 −50
09572 −5 −n55
大 13
床 島 昭 男
859 −51
平 戸 市宮 ノ町598 宮 ノ 町 歯 科 診 療 所 ( 退 会 )
09502 −2 −2732
大 14
品 川 正 雄
857 −01
佐 世 保 市 田 原 町9 −31
0956 −49 −7939
大 16
金 子 鴻 二
852
長 崎 市 滑 石 5 丁 目15 一 4
0958 −57 −1506
勵) 長 崎 市 葉 山 町363 − 8
0958 −56 −0415
大 16
大 17
藤 肇
原 口 昭 平
850
852
長 崎 市 西 山 町 2 丁 目185 − 9
0958 −21 −7439
齟 長崎市伊良林町1−1−1 大場ビ ル2 F 201号
0958 −24 −2616
長崎 市泉 町 3− 6
0958 −44 −8312
勵) 長 崎 市 花 丘 町1 −27 出 ロ ビ ル 2F
0958 −47 −6482
大 18
矢 勳 丸 秀 成
817
下 県 郡 厳 原 町 天 道 茂482 播磨コ ーポ301( 退会)
09205 −2 −5122
大 19
亀 田 純 輔
850
長 崎 市 桜 馬 場 町148
0958 −22 −6448
勵) 長 崎 市 銅 座 町14 一 8 柿 田 ピ ル 3F
0958 −21 −7169
大 村 市 東 三 城 町18 − 2
09575 −2 −2667
勵) 大 村 市 東 三 城 町18 −14
09575 −2 −2667
大 20
大 道 寺 功
856
大 21
稲 澤 陽 三
852
長 崎 市 若 竹 町6 −18
0958 −48 −6288
勵) 長 崎 市 大 黒 町14 − 5 長 崎 ビ ル 4F
0958 −27 −3388
赤 司 睦 雄
850
850
長 崎 市 五 島 町 3 − 3 プ レ ジ デ ン ト 長 崎 6F
0958 −24 −4870
大 21
勵) 長 崎 市 桜 町6 −10
0958 −27 −6707
(退 会 ) 09208 −2 −0785
大 21
深 見 恒 夫
817 −14
上 県 郡 峰 町 佐 賀 大 20
菅 原 秀 道
852
長 崎 市 平 野 町12 − 7
0958 −44 −0748
大 23
川 谷 石 太 郎
852
長崎 市上 野町 2− 1
0958 −46 −3551
大 5
井 上 壽 雄
856 −01
大 村 市 富 の 原2 −57 一 3
09575 −5 −7462
大 8
前 田 弘 道
857 −11
佐 世 保 市 天 神 町843 − 3
0956 −31 −1087
857
勵) 佐 世 保 市 東 山 町 1 − 5
0956 −33 −1260
大 11
大 6
平 井 清
856
大 村 市 武 部 郷324 − 5
09575 −2 −3367
御 手 洗 博 之
817 −14
上 県 郡 峰 町 大 字 佐 賀608 − 2 峰 町立歯科診療所
09208 −2 −0785
大 13
山 本 正 俊
817
下 県 郡 厳 原 町 久 田 道1619 − 2
09205 −2 −3000
軻 下県 郡厳原 町大字今屋敷670−12 厳 原歯科診療所
09205 −2 −2844
熊 本 県 支 部
卒業 回 数
氏 名
郵 便番 号
住 所
電 話
専 7
本 山 実
866
八 代 市 千 反 町1278 − 2
専 9
徳 永 赳 夫
862
熊 本 市 保 田 窪 本 町1007 −11
0963 −82 −7688
860
勵) 熊 本 市 段 山 本 町4 −29 熊 本 市 立 西 保 健 所
0963 −54 −1201
大 8
09653 −3 −4362
田 中 宏
青 山 雅 子
860
熊 本 市 出 町1 − 5 −201
0963 −52 −1864
大 14
869 −31
宇 土 市 下 網 田 町1937 − 1
09642 −7 −0230
大 15
(「日女
生 斉111)
規 矩 保
863 −19
牛 深 市 牛 深 町 大池 田
09697 −3 −2548
43
卒業 回数
氏 名
郵 便 番号
住 所
大 15
坂 本 憲 昭
862
熊 本 市 九 品寺1
大 17
松 枝 勝 昭
869 −46
八 代 郡宮 原 町 大 字 宮 原 村795 −1
0965 −62 −2032
大 18
後 藤 俊 一
862
熊 本 市 龍 田 町 上 立 田1658 −9
0963 −38 −25n
大 21
友 枝 和 夫
862
熊 本 市武 蔵 ヶ 丘 1 丁 目186
0963 −39 −4593
−7 −21
電 話
0963 −62 −6768
勵)0963
−66−135 ε
鹿 児 島 県 支 部
卒業 回 数
氏 名
郵便 番号
県 1
藤 崎 松 雄
891 −01
鹿 児 島 市 上 福 元 町4974
大 12
野 添 良 隆
890
鹿 児 島 市 西 田2 −22 − 3
住 所
電 話
0992 −68 −2338
0992 −54 −5970
魴 鹿児島市山之口町1−10中央ビ ル6F 中央ビル野添歯科 0992 −24 −5125
沖 縄 支 部
卒 業 回数
氏
名
郵便 番 号
所
住
電
男 宗学郎
敏 清 哲
連山 橋 城
勝徳高山
71
856り
1
乙 り&
大 大 大 大
一
具志 川 市赤道178 − 2
浦添 市内 聞582
南 風原 村兼城587 − 2
石垣 市大川13
話
09897−3−7862
0988−79−0648
0988−89−5655
098082 − 2538
山 口 県 支 部
卒業 回 数
名
氏
郵便 番号
寿 明郎文 典尋夫
三 希 昭子 照
岡 鍋 清 永本 本 村
吉真兼徳 松藤木
い1一
11
17
119556
専 専専 専県県県
752
751
744
電
住 所
− − 下 関 市 長 府 黒 門 町 松 原2851
( 退 会)
下 関 市 赤 間 町2 −17
下松 市新町
下 関 市彦 島 江 ノ 浦 町9 −4 −15
下 関 市 西 入 江 町3 −12
大津 郡油 谷 町向津 具下 南方
宇部 市厚 南区 上 中野
勵) 宇 部 市 西 宇 部 町 西 宇 部 歯 科
750 −11
510
455
777
昭 彦孝彦
満 富吉邦
1610914
大大 大大
北 野
山 田
阿久 津
登 根
下 関 市 小 月 町1074 の 1
徳 山 市 平 和 通2 −23
15
嘉 室 錬
下 関 市 彦 島 本 村 町5 −16 −22
一
0832−45−3614
0832−22−2433
0833−41−0943
0832−66−2652
0832−22−43n
08373−2−0380
0836−41−1046
0836−41−0468
0832−82−0262
0834−21−1045
下 関 市 山 の 田 本 町20 −7
齟 下 関 市 彦 島 江 ノ 浦 町 1 − 7 − 2
大
話
−
一一
751
下 関 市 上 田 中 町6 −12 − 1
齟 下 関 市 中 之 町2 −11 林 ビ ル 2F
−44
0832−66−1526
0832−66−8011
0832−32−5641
0832−32−0148
広 島 県 支 部
氏
卒 業回 数
郵 便番 号
3407
3332
7777
人 夫
義利
田 江
石 大
1116
専専
6
県
名
横 山 隆 国
住 村 上 恒 延
大 16
河 底 晴 一
大 18
今 田 義 孝
大 24 高 橋 宏 治
733
720
733
730
720
電
話
広 島市 舟入 南 3丁目 1− 2
0822 −92 −3828
広 島 市 宇 品 西 2 丁 目8 −12
0822 −53 −0437
醂) 広島 市大手町1丁目 NHK中国本部歯科 室
0822 −47 −6161
庄 原 市 川 手 町784
08247 −2 −0471
勵) 庄 原 市 本 町
大 16
所
日赤 病 院 前
08247 −2 −0398
広 島 市 己 斐 東 2 丁 目27 −27
0822 −71 −1942
齟 広 島 市 富 士 見 町 1 − 1 熊 本 ビ ル 2F
0822 −49 −7176
福 山 市胡 町4 −29
0849 −23 −9535
勵) 福 山 市 今 町2 −19
0849 −31 −0041
広 島 市 己 斐 束 2 丁 目15 − 5
0822 −73 −2267
餌
0822 −28 −9334
広島 市八丁堀 3−8 ハ イネズ白峰ビ ル404
福 山 市 光 南 町3 −9 −24
0849 −31 一
一0503
勵)O −23−3136
島
根
県
支
部
¬
哇j]数 , 氏 名
郵便 番号
寛 恵
香 川 県 支
699−15
697
住
所
仁 多郡仁 多 町 三成703 −12
浜 田市杉 戸町2637 −1
勵) 浜 田 市相 生町3765− 1
電
話
08545−4−0101
08552−2−2517
08552−2−0181
部
兵 庫 県 支 部
正
成作
田
古
郵便 番 号
名
一明 守
20
一村 垣
N 」r︶
県 大
大
氏
・津 谷
卒 業回 数
彦
652
658
669 −53
住 所
-一
一
神 戸 市兵 庫 区熊 野町3 −16
神戸市 東灘│)(
御影山 手 4丁目24− 5
鯏 神戸 市灘 区鴨 子 ヶ原 3丁目25− 2
城 崎郡 日 高町 宵 田144− 1
電
話
078−521 −2758
078−851−8463
078−851−0435
07964−2−2510
大 阪 府 支 部
卒業 回数
氏
名 郵 便 番 号
之 夫
敏貞
山 鍋
中 真
110
県 大
-
563−03
560
住
豊 能郡 能勢町 今西187 − 3
豊中 市緑 丘 3 丁目18一 1
−45
所
電
話
0727 −34 −0252
06−853 −4463
京 都 府 支 部
卒業 回数
氏 名
大 22
守 谷 佳 樹
滋 賀
県 支
郵 便 番号
623
住 所
電 話
綾 部 市 岡 町 山 田21 −14
0773 −42 −8571
勸) 綾 部 市 西 新 町 西 馬 場 の 下20 −1
0773 −42 −2056
部
卒業 回数
氏 名
大 6
望 月 睦 子
郵 便番 号
520
住 大 津 市 園 山2 −10 B 1
所
電 話
−22 ( 退 会 )
0775 −34 −0280
重 県 支 部
一
一
一
愛 知 県 支 部
住 所
郵便 番号
電 話
卒業 回数
氏 名
大 4
犬 塚 宏
482
岩 倉 市 昭 和 町3 −19
0587 −66 −3800
大 16
石 川 保 英
470 −01
愛 知 郡 日 進 町 大 字 岩 崎 字 芦 廻 間112 −883
05617 −3 −3301
450
勵) 名古屋市中村区漲 島町11-2 住友生命名古屋ビル14F
052 −581 −4718
医療 法人 日進 会 名古屋矯正歯科 診療 所
大 17
藤 村 克 成
452
名 古 屋 市 西 区 山 田 町 中小 田 井 島 落68 −1( 退 会)
052 −502 −7298
大 19
芦 苅 良 成
471
豊 田 市 山 之 手 3丁 目71 番 地
0565 −29 −5350
斟
豊田市喜多町2丁目8接 地 とよた歯科医院
0565 −32 −7568
西春日井郡師勝町大字鹿剛751-2 グリーンシティ師勝B一窈 号
0568 −23 −3470
料 江 南 市 大 字 古 知 野 桃 源70 大 島 ビ ル 2F
05875 −4 −5787
東 海 市 元 浜 町18 − 1
0562 −33 −0850
大 20
大 26
国 崎 拓
矢 永 武 徳
481
477
静 岡 県 支 部
卒業 回数
氏 名
大 2
仲 野 和 夫
郵 便 番号
422
住 所
静 岡 市 小 黒 1 丁 目1 −17
電 話
0542 −85 −3946
東 京 都 支 部
氏
卒業 回数
専 19
一
一
名
木 服 業
住 所
郵 便 番号
102
105
千代 田 区麹 町 4− 8
鮮
港区虎 ノ門1−1−21 新虎ノ 門実業会館地下 2階
−46
−
電
話
03−262 −3039
03−591 −5677
卒 業回 数
郵便 番 号
124
I
り
1
n乙
トO
7
1
弘一 實
正 義秀
O
rO
1
木 村 正 勝
望 月 睦 子
192
152
100
108
100
りJ
O
一
馬 谷 原 宣 彦
n乙
qy
1
大 6
月 城馬
大 19
名
岩 今中
41616
大 大大
大 17
氏
02
住 所
葛飾 区 東 立 石3
電
−9 −14
話
03−697 − 6638
神 奈 川 県 川 崎 市 高 津 区 有馬1 −20 − 7
044 −855 −1182
練 馬 区 早 宮4 −33 − 3
03−994 − 6618
餌 新 宿 区 高 田 馬 場3 −12 −5 セ ブ ンビ ル3F
03−364 − 0309
八王 子 市 下 柚 木 南 陽 台37 − 1
0426 −76 −5635
酢 多摩市東寺方282 第一清和ビル3F 馬谷原歯科
0423 −74 −9589
目黒区鷹番3 −13−5 シャンボ ール学芸大学508
03−712 − 8845
魴 千代田区丸の内3-2-3 富士ビル1F 富士ビル歯科医院
03−213 − 4180
港 区 高 輪4 −8 −11
高 輪 マ ン シ ョ ン503 号
03−443 − 6093
歡 千代田区丸 の内2−7−3 東京ビ ル3F304 号
03−212 − 6847
日本総合歯科協 会 吉田 歯科医 院
千 葉 県 支 部
元 水 ふ
一詐 ゴ
ぶ ふ
畑沢2 -238
二
| 電 話
二
乱
東 北 支 部
卒 業回 数
氏
名
郵 便番 号
雄実
善
箇山
三 前
214
県大
943
970
住
新潟 県上 越 市本町 6丁 目 2− 8
福島 県 い わき市寺 廻
−47
所
電
話
0255 −22 −1211
編 集
後
記
今号 特 集 として アン ケート を募 集し た とこ ろ 、 多数 の 回答 を戴 きまし た。中 に 設問 がな って いない
とのお 叱 りが 2 .3あ りまし た。 ご尤 と申 し上げ る 次 第で、此 処 でお 詫 びを 申し上 げ ます。 なお 残 念
乍ら紙 面 の都合 で 次号取 扱い とな り ました。
実は こ のア ンケ ート を作製 するに 当 って 、年初 委員 会 でテーマ な しの放 論 をし たとこ ろ 、卓論 。 激
論 果し な く 、都 合 3回に互 っ て連 続討 議し た結果 、纒 め たとこ ろ散 漫な 設問 となっ て 、御迷 惑 をかけ
るこ とに なり まし た。
われ わ れ歯科 医は余 りに 真 面目す ぎは し ないだ ろう か 7と云 うこ とから 、単 一大 学の 単一
一学 科の 母
校 を持つ ものの 欠点 は 7われ われ は何時 、何 の病 気で死 ぬ と思 うか ?卒 後 教育 を考 え るために は母 校
の 力り キュ ラム を検 討し なけ れば なら ない と思 うか ?なぜ 歯科医 だけ が保 健所 長に なれ ない か、 また
話 の展 開と して は理解 出来 て も、問 題 として列 記 した ときは 、違 った もの とし て受 取ら れたこ と を痛
感し まし た。け どさす がに アン ケー ト を集め てみ ると 、いろ いろ 面白 い もの が 見受 け ら れます 。次 号
乞御 期待 ( 口 )
今年 か らI剩科麻 酔学 講座 も臨床 実 習を開 始し まし た。 手術jlでの 全身 麻酔 学 見学 、救急 蘇生 法実 習
や 全 身状 態評 価 を理解 するこ とに 教育 の主 眼 をおい て 、全身 管理学 を理 解し た 歯科医 師 の養成 を行 な
っ てい る。 ( 西 )
今 年 進学 の学生 諸君 に同 窓 会の説 明 を行な った とこ ろ、 日なら ずし て 入会 金の申込 み が数 名あり ま
した。 現 在進 2 、進1 と も90%に 達 して います。 残 り の諸 君 もず業 迄に 完納 さ れんこ と を。/
住所 録変 更 につ いて
今年 1 月に皆 様に 配布 いた しま した 凵 司窓会 名簿に つ きまし て、 多数 の会 貝諸 氏 より住 所変 更や訂
正 、新 入会 等 の連 絡を受け ました。 今 号38P ∼47P に ま とめ て 、正 しい 住所 を印刷 い たし まし たの で
皆 様の 名簿 に よろし く御 訂正 下 さい。 ( 中 村)
−48
昭 和五 十五 年 七月一 日 発行
発行所 九 州 歯 科 大学 同 窓 会
潟
恆 囗 坂 武
夫
北九州市小倉北区 真鶴二丁目六番一号
電 話 五 六 一− 五 〇 七 七 番
上
発 行人 穂 編 集
責 任者
印 刷所
青 柳 工 業 有 限 会 社
北九川市小倉北区 原町 一丁 目
TE L 五七 一上︵ 四こ 七番
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