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九州歯科大学同窓会会 報 '80 第19 号j も く ご 挨 拶 …… ……… …… …… 1 会 務 報 告 ……… …… …… …… 2 欧 米 ひ と り あ る 記 …・ ︶ 会 計 報 告 … … … c%r 昭 和55年 度 九州 歯科大 学 同窓会 評議 員 会報告 …… …… …… …… … ( 内田康 也) … …… …… 講 座 紹 介 “ 歯 科 麻 酔 学 教 室 …… … … … … … … … … … … … … … 学 術 部 報 告…… … ……… 各 支 部 だ よ り …… …… …… 23 24 杉田 玄白に 想い を寄せ て…‥ N N O B 会 特 集 レ ポ ー ト I `バ ス ヶ ツ ト 部 籠 の 会 の 歩 み ”・… … … … O N お ん礼 と憶い 出… …… … …( 池 尻 茂 )… … … … … … … … … … … 6 18 25 遠 賀・大 分・ 広 島・ 香川 一大 阪・ 静 岡・東 京・愛知 ・北 陸・愛 媛 学 内 だ よ 30 卒 業 式・ 入学 関 係・ オー ルデン タル・学 内 人事移動 ・ 学部 棟別 館建 設に つい て・ 中央 研究 室完 成す る・ 内 外地留 学関 係 和田教 援退 官さ れ る…… …… …… …… …… … ……… …… 37 附 属 歯科衛 生学 院 創立30周年 記 念式典 挙 行さ る…… …… …… …… …… … …… 37 住所変 更等 のお知 らせ …・ 38 編 集 後 記 = 1 1 挨 拶 九州歯科大学学長 上 野 正 康 昨年 7 月11 日学 長 新 任以 来 、 元気 で 頑 張 っ てい ま す 。「司窓 会に は 日頃 か ら 、物 心 両 面 に わた り 大変 ご 援助 を い ただ い て お り ま す。 と くに 九 州 歯 科学 会 、 学 生 自 治 会 、 永松 奨 学 会 、 ま た図 書 館 落 成 につ き 、 多額の ご 援 助 を賜 り 厚 くお 礼 申 し 上げ ます。 学 長 就 任以 来10か 月 、各 地 の 支 部に お 招 きい た だ き大 変 お 世 話に な り まし た 。 重 ね て厚 くお 礼 申 し 上げ ます 。 本 日はI ’ 度 い い 機 会 であ り ます の で 、 最近 1年 間 の学 内 事 情 に つ い て 報告 い たし ます。 昨年 の 4 月か ら 口腔 科 学 講 座 、歯 科麻 酔学 講 座 、 小 児歯科 学 講 座 が新 し く発 足 し 、19 講座 が22講 座 に な り まし た。 従 来 、基 礎 部 門 に 属 し てお り まし た 口 腔 衛生 学 講座 が 臨床 部 門に 入 り、予 防 歯科 の 診 療 室 を病 院に 開 設 い たし まし た 。 また 6 月に は 待望 の 附属 図 書館 が 落 成 し 、そ れ ま で 学 部 棟に あ っ た 旧 図 書館 は4000 万 円 の 改 造 費 をかけ 、 中 央研 究 室 に 衣 替 え をし まし た 。 さ ら に 解 剖 悚 横 に 、 昨年 予 算 要求 のお りに 総 面 積3200 平 方 米( 4 階 建 、総 工 費 6億 円 ) の新 研 究 棟 の 建 設 を要 求 し て お り まし た とこ ろ 、今 年1500 万 円 の 設 計 費 が 認 め ら れ 、 来年 度 は こ の建 設 が実 現 す る 運 び と な り ま し た 。 そし て 、年 毎 に母 校 に 対 す る県 の 理 解 が 深 ま りつ つあ り ます こ と は 、 誠に 喜 ば し い こ と で あ り ま す。 母 校 も 歯 学の 進 展 に 遅 れ ない よ うに 、 また 社 会 の 要 請 に 答 え て 徐々 に 内 容 、 外観 と もに 変 身 い たし て お り ま す。 終 りに 、母 校 の 発展 の た め に微 力 で は あ り ます が 、 頑 張 り たい と思 い ます 。 各 支 部長 並 び に 評 議 員 の 先 生 方 には 、今 後 更 に母 校 にご 関 心 を持 っ て 戴 き まし て 、ご 支援 下 さい ます よ うお 願 い 致 し ます 。 1 溘 、、 ;Z:X・ 55.1.13 務 報 j 辷. Q 東京医科歯科大学 故中村平蔵先生葬儀 出席者 上 潟 囗専 任 出席 者 穂坂 会長 15 東京医 科 歯科大学 名 刺交 換会 6 第3回機 構 運営委 員 会 場 所 本部事 務局 出 席者 笠 原副』 会長 外 2名 出 席者 香原 副会長 18 第四 回学術 委員 会 13 泉友 会総 会 場 所 九 歯大 場 所 九 歯大 出 席者 平 野委 員長 外 出 席者 穂坂 会長 、笠 原 副会長 、 17 監事故 村田 清七郎 先生 通夜 出席 穂坂 会長 上 潟口専 任 29∼30 鹿児 島県支 部総 会 出 席者 上 野名 誉会長 18 大 学部局長 と本部 役員 と懇談 本部… 穂坂 会長 、笠 原副 会長 、上 4. 3 広 報委 員 会 潟口専 任 場 所 生理 学教 室 大学…上 野学 長 、島 村、 佐藤 、長 出 席者 上潟 口専 任 外 野、 山田教 授 18 児玉常 任理 事ご 母堂 葬儀 9 束肉同 窓会 井上 名誉 会長就 任祝 賀 会 出 席者 穂 坂 会 長 出席 穂 坂会長 外 11 広 報委 員会 19 監事故 村 田清 七郎 先生 葬 儀 場 所 生理 学教 室 出 席 笠 原 副会長 、上潟 囗専 任 2. 9 53年度 会計 打合せ 出席 者 上 潟 囗専 任 外 12 第32回 入学 式 出席 者 上 潟 口専任 、 山田 、長 野 出席 者 上 潟 囗専 任 12 第6回学 術委 員 会 会計 担当理 事 9 進 学和 田寿 教授退 官 パー テ ィー 場所 小 倉 ホテ ル 場 所 講堂 会議 室 出席 者 児玉常 任 外 出席 者 上 潟 囗専任 12∼13 大分 県 支部総 会 場 所 別 府 ]5∼16 54年 度学 術 講演会 講師 森克栄 講 師 出 席 者 穂 坂会 長 、上潟 口専 任 場 所 大博 多ビ ル12F 4.19 全国 歯科 大学 同窓 、校 友会 懇談 会 出席者 穂坂 会長 、上 潟[]専 任、 学 術委 員全員 場 所 東 京 出 席者 穂 坂 会長 、香原 副会長 、 小 倉常 任理事 16 河 野学 術 委員ご 母堂 逝去 出 席 穂坂 会長 、上 潟[]専 任 19 大学18期 生10周年 記 念 23 山口支 部総 会 場 所 下関 市 場 所 小 倉 ホテル 出 席者 上 潟口 専任理 事 出席 者 上 潟 囗専 任 26 第2 回理事 会 場 所 学部 棟 会議 室 23 yj ヽ倉支 部総 会 場 所 小 倉 出 席者 穂坂 会長 外 出席 者 穂 坂会 長 、梶 山教 授( 学 長 代理) 27 54年度 全国 評議 員 会 場 所 九歯 大記 念 講堂 出席 者 穂坂 会長 外 3. 1 中 国地区 連合 会総 会 場 所 徳 山市 55.5.10 愛媛 県 支部総 会 場 所 松山 市 - 2 出席 者 上 潟 囗専 任 、中原 教授 出 席者 穂 坂会 長 31 日歯 中原 実先 生米 寿祝 賀会 10 第1回学術 委員 会 場 所 学部棟 会議 室 出 席者 穂坂 会 長 6 出席者 児玉常 任 外 5 第 2回広報 委員 会 15 第1 回広報委 員会 場 所 生理 学 教室 出 席者 上潟 囗 専任 外 場 所 生 理学 教 室 7 永松奨 学会 理事 会評 議会 出 席者 上 潟 匚] 専任 外 27 進学 2年 懇談 会 出 席者 上 潟 囗専任 他 出席 者 上 潟 囗専任 14 第1回 理事 会 29 進 学1年 懇談 会 場 所 学 部 棟 会議室 出席 者 上 潟口 専任 出席 者 穂 坂会 長鍠 14 九 州歯 科学 会学術 部 講演会 30 関 口け い ぞ う先 生事 務所 開 き 場 所 東京都 − φ f φ − φ 講 師 荒牧 純二 − 昭 和55 年 度 九 州 歯 科 大 学 同 窓 会 評 議 員 会 報 告 日時 昭和55年4 月27日( 日)10 時 場所 九州歯科大学記念講堂 1。 開 会のこ とば 徴収 に関し 承 認 を求 む るの件 2. 会 長 挨 拶 穂 坂 会長 第6号議案 福祉 共済 給付 金に関 し承 認 を求む 3 . 名 誉 会 長 挨 拶 上 野 名 誉 会 長 るの件 4. 議長 ・ 副議長 の選 出 第 7号議案 基金 積立 金の一 部支 出に 関し 承認 議 長 坂 本 政 弘( 福 岡 )副 議 長 門 司 健( 佐 賀 ) を求む る の件 第 8号 議案 名 誉会 貝 の推 薦に関 し承 認を求 む 5. 議 事 録 署 名 人の 指 名 島 村昭 辰( 泉友 会 代)池田 勝 広( 小倉 ) るの件 6 . 物 故 者 の 黙 祷 54 年 度 第9号 議案 監事 欠員 の選 出に関 する件 田 川 支 部 石 橋 政 雄 先 生 外33 名 福 田俊 介( 福 岡 大 3) 7. 表 彰 者 に 対 す る 記 念品 贈 呈 第10号 議案 新 入会 貝 入会 の入会に 関す る件 大 分支部 糸瀬 勝也 八 幡 支 部 高 山 三 郎 先 生 外10 名 8. 報 告 10. 閉会 のこ とば 1会務 報 告 笠原 副 会長 、上潟 口専 任 2学術 委 貝会 児玉 常 任理 事 3監事 報告 津 島監事 9. 議 事 第1号議 案 昭 和53年 度決 算 及び財 産 目録に 関 以上 評議 員会 で承認 可 決さ れた 。 昭 和55 年 度 会 費 は 下 記 の と お り 徴 収 す る 。 1 . 会 費 1 人 当 り 10,000 円也 2 . 各 支 部 長 は 別 表 昭 和55 年 度 会 費 徴 収 額 基 準 表 ( 評 議 員 会 議 案 書 ) に 基づ い て 、 昭 和55 年 7 し 承認 を求 む るの 件 第 2号議 案 同 窓会 会則一 部改 正に 関し 承 認を 求む る の件 提案 理由 今年 度機 構運 営委 員 会で 検討し 月 末 日 ま で に5,000 円 10 月 末 日 ま で に5,0 00円 を 本 部 に 納 入 す る 。 但 し 、 各 支 部 会 費 納 入 時 1 人 当 り(10,000 円 ) に 3% を差 し引 いて納 入する。 福 祉共 済給 付金 た結 果。顧 問 の新 設と 同窓 会運営 に 必 要な会 則 の改正 及 び次 の議案 に提 出し た予 算 会 計項 目の新 設O 移 項 を必要 と認め たこ とに よる。 第3号 議案 昭 和55年 度 事業 計画案 に 関し 承認 を求む るの件 第4号 議案 昭 和55年 度歳 入歳 出予 算 案に 関し 承 認 を求 む るの件 第 5号 議案 昭 和55年 度会 費並 びに 入会金 賦課 1. 共 済 ( 昭 和55 年 度 ) (1 ) 死 亡 弔 慰 正 会 貝10 万 円 学 生 会 員 6万 円 (2 ) 全 盲 廃 疾 見舞 金 10 万円 (3) 疾 病 、 傷 害 で 引 続 き60 日 以 上 休 診し た場 合 2万 円 (4) 災 害 見 舞 金 ( 自 宅 、 診 療 所 ) 2万 円 上 項 は 、当 該 支部 長 の 申 請に 基い て 実施 す る が会 貝 とし ての 義務 履 行 を行 なっ た も の につ い て 給付 す る。 3 福 岡 和 田 益 男 昭和55年度事業計画について μ 山 本雄三 郎 勲五 等 双光旭 日章 8名 2. 会 員福 祉 の増進に 関す る件 3. 会 報 及び名 簿の 発行 4. 会 貝の 学術 研修に 関す る件 庫 畸 2。 本部 役員及 び支 部長 の 役職に 通 算20年 以上 兵 長 1。 母 校 発展に 対す る援助 勲 四等 旭 日小 綬章 朝 倉元三 郎 野 田 久 雄 3名 大導 寺 宏 11 5. そ の他 謹んでお悔み申し上げ ます 昭 和55年 度同 窓会事業 とし ては 、母 校 発展に 対 白 昭 和54 年 3 月 1 日 ∼ 至 昭 和55 年 2 月28 日 す る援 助 とし ては 九州 歯科学 会 、学生 自治 会 、永 氏 名 員 の福 祉 に対 して は前年 通り であ り、 会報 及び名 石 橋 政 雄 簿の 作成に つ いて は、 発行し た名 簿記 載内容 の訂 青 柳 広 洲 正 が 多数 寄せ ら れてい るので 、原 簿の 検討 中 であ 丸 山賢 次郎 り、 発刊期 間 の短 縮の ため 名 簿積 立金 を増 額さ れ 三 宅 太 郎 卒 推 郭 13 松 奨 学 会な ど例年 通り であ るが 、昨年 6 月落成 し た図 書館 備 品代 として200 万円が 寄贈 さ れた。 会 専14 支 部 死亡 年月 日 田 川 54. 3 . 6 久 留米 54. 2 . 28 大 阪 54. 3 . 5 山 口 54. 3 . 5 山 口 福 岡 54. 3 . 6 熊 本 54.4.17 本田 志 香都 専12 近 藤 一 孝 古 田 秀 男 専15 県3 山 田 茂 生 専3 水 黒 稔 専10 教 授 井 上 俊 一 附属 病 院長 吉 田 俊 治 専8 県5 μ a 285 0 2 2 1 2530 7 7 N ¥ 1920 4 大牟田 ¥ 一 専7 CQ ¥ 園 田 普 7 1 日歯有功 章 S I N C\j 瀬 川 三 郎 福 岡 堀 尾 義 勝 ・ ● ︱ ︱ 日歯有功 章 a 太 田 信 良 11 西 山 昂 1一 1 秋 山 清 勲五 等 双光 旭 日章 S @ 5555 藍 綬褒 章 11 島 崎 頴 1 熊 本 緒 方 益 夫 村上 静 17 24 S 1 9一 勲 五等 瑞宝 章 勲 五等 双光 旭 日章 54. 12 9一 専8 県6 大 牟 田 佐 野 三 郎 1 専11 上 鶴 一 誠 I 1 八 幡 高 山 久 三 郎 O 1 中jll壬 子 郎 1。叙 勲 綬 勲 者 ︵リ 専7 ︵リ 県2 宇 治 誠 孝 au 小笠 原路 幸 本年 度 表彰 者 I S r︶ 」n r︶ 」」r 」 ︶ 専14 県3 7. ・ − 5555 井 石 亀 夫 10. 1 野 田 茂 l 1 4 5 24 年 勤続年 数 54 4 5 専10 C C ︵X ︶ 専 専 専 専5 菅 原 重 雄 8 ・ ・ 4 − 4 」r ︶ 」r︶」r ︶」r ︶ ∼ 永 原 勇 1/ 退 職 54 7 学 長 r @ 91」 ︶ ‘ 54年 7月10日 ` 県4 ∼ 49年 3月22 日 49年 7月11 日 5 4 4 4 」r︶」 Q 」r ︶ 専5 佐 藤 堋 ‘ 小 林 篤 学長代 理 54 5454 47年 4 月22日 49年 7月21 日迄 1 9 5354 ’ 33年 8 月1 日 九州 歯科 大学 助教 授 一 昭 和30年 7 月16日 崎 分知 岡 根 崎 分 庫倉 賀 都 阪 崎前 本 本 方紫 賀 本 崎 会貝に 承認 さ れた。 池尻 茂先生 略 歴 北海 道 長 大愛 福 島 宮 大 兵小 佐 京 大長 豊熊 熊 直筑 佐 熊 長 55年 度評 議貝 会にお いて 、 池尻 茂 前学 長が 名誉 北海 道 713 専13 7 9一27 石 川 清 江 池 尻 茂前 学長名 誉会員 に 推薦 さ る 癶0 1 京 都 北海 道 坂 梨 武 行 専10 専3 1024 安 永 政 俊 一⋮ ⋮ 一29 大20 るO 2915 佐 々 木智 教 4 同 窓校 友会 懇談 会開 催を主 催す るこ とに な ってい I 山 口 n乙 県4 ● ﹂r︶ 川 元 武 雄 ● を予定 して いる 。 また今年 度後 半期 におけ る全国 54. 2 . 28 t 田 中 晋 1 5 23日に 夏期 臨床 セ ミナー 、来年 2 月に学 術 講演会 ● 専18 専5 専15 7 4 浅 野 光 男 渥 美 淪 吉 l a 5454 たO 会 員 の学術 研修に つい て は6 月14日の 九州 歯 科 学会 総 会に 荒牧 準二会長 の特 別 講演 、8 月22日、 ふ Xi 昭 和55 年 度 九 州 歯 科 大 学 同 窓 会 歳 入 歳 出 予 算 案 昭 和53 年 度 九 州 歯 科 大 学 同 窓 会 決 算 書 人 の 引 額額 収 入出 収支 差 額 収 昭和53 年 度決 算 額 金 費 金 費 金 子 入 計 出 の 一 支 入 − 出 額 一 額 58,590,614円 58,590,614円 2,595,737円 項 目 支 収 27,437,759円 24,842,022円 部 第 一 項 一 般 費 第 一 目 繰 越 第二 目 会 第三 目 入 会 第 四 目 過 年 度 会 第 二 項 寄 イ 寸 金 第 一 目 寄 付 第 三 項 雑 収 入 第 一 目 利 第 二 目 雑 jiZ. SXI 計 報 項 目 27,184,595 円 3,692,595 19,878,000 2,660,000 954,000 0 0 253 ,164 83,164 170,000 27,437,759 円 項 目 昭 和53年 度 決 算 額 4 ,245,350 円 3,630,232 200,000 182,970 232 ,148 1 ,676,706 1 ,645 ,148 31 ,558 0 16 ,119,966 1,406,022 7 ,125,142 586,075 1 ,231 ,670 1 ,466,720 122,300 188,095 262,015 2,845,000 49,297 800.000 37,630 2,800,000 2,800,000 0 0 計 24,842,022 円 昭 和55 年度 予 算 額 第 一 項 一 般 費 第 一 目 繰 越 金 第 二 目 会 費 第 三 目 入 会 金 第 四 目 過 年 度 会 費 第 二 項 寄 付 金 第 一 目 寄 付 金 第 三 項 繰 入 金 第 一 目 繰 入 金 第 四 項 雑 収 人 第 一 目 利 子 第 二 目 雑 人 54,480,000 円 5,000.000 35,680,000 13,200,000 600,000 10,000 10,000 2,490,614 2,490,614 1 ,610,000 100,000 1 ,510,000 計 58,590,614 円 攴 部 第 一 項 人 件 費 第一 目 給 与 手 当 第 二 目 退 職 金 積 立 第 三 目 旅 費 手 当 第 四 目 福 利 厚 生 費 第 二 項 事 務 費 第 一 目 通 信 費 第 二 目 筆 紙 文 具 費 第 三 目 備 品 費 第 三 項 事 業 費 第 一 目 印 刷 費 第 二 目 会 議 費 第 三 目 渉 外 費 第 四 目 連 絡 会 議 費 第五 目 助 成 金 第 六 目 機 俳 運営 委 貝会費 第七 目 広 報 委 貝 会 費 第 八 目 学 術 委 貝 会 費 第 九 目 慶 弔 費 第十 目 用 地 管 理 費 第 十 一 目 名 簿 積 立 金 第 十 二 目 雑 費 第 四 項 基 金 積 立 金 第 一 目 基 金 積 立 金 第五 項 予 備 費 第 一 目 予 備 費 人 の 部 出 の 部 項 目 第一 項 人 件 費 第 一 目 給 与 手 当 第 二 目 福 利 厚 生 贄 第 二 項 事 務 費 第 一 目 事 務 還 付 金 第 二 目 旅 費 第 三 目 臨 時 雇 用 贄 第 四 目 印 刷 贄 第 五 目 通 信 費 第 六 目 消 耗 品 費 第 七 目 備 品 費 第 八 目 雑 費 第三 項 事 業 費 第 一 目 会 議 費 第 二 目 渉 外 費 第 三 目 連 絡 会 議 費 第 四 目 学 会 費 第 五 目 助 成 賢 第 六 目 機 構 運営委貝 会費 第 七 目 広 報 委 貝 会 費 第 八 目 学 術 委 貝 会 費 第 九 目 表 彰 費 第 十 目 慶 弔 費 第十 一 目 用 地 管 理 費 第 四 項 繰 出 金 第 一 目 基 金 積 立 金 第 二 目 名 簿 積 立 金 第三 目 退 職 金 積 立 金 第五 項 予 備 費 第 一 目 予 備 費 昭 和55年 度 予 算 額 4,700,000 円 4,250,000 450,000 7 ,160,700 1 ,070,700 510,000 270,000 1 ,660,000 2,900,000 50,000 500,000 200,000 23,645,000 10 ,500,000 1 ,000,000 1 ,300,000 1 ,370,000 2,250,000 300,000 500,000 600,000 125 ,000 5 ,500,000 200,000 16,000 ,000 13,200,000 2,000,000 800,000 7,084,914 7,084 ,914 計 1 58,590,614 - 5 − 円 欧 米 ひ と りあ る記 補綴学 第 2講座 教 授 は じめ に 内 田 康 也 昨今 は 海 外旅行ブ ー ムであ る。 歯科学 の雑 誌に 肩 から ぶら さげ 、駅の 案内 所で希 望 する ホテ ルを 探し て もらい 、 そこ まで歩 く姿 は タイト ルそ のも も殆ど 外国 のこ と が記 されて いるO その 目的 に差 こ そあ れ 、私 も一度 は 外国の 大学へ 行 ってみ たい の であっ た。 ド イツ 、 スイス、デ ンマ ー ク、 スエ ーデ ン 、イ ギリ ス、フ ラン ス、ア メリカの 7 力国 とい う希望 は もって いた。1979年 2月 7 日、学長 で12の 歯科大学 を見学 し意 見を交 換レ 2ヵ所 の 寔 に呼 ば れ、 池尻学長 か ら「 内田君 、 外国に 行っ 学会 に 出席し 、3つ の 歯科関 係 の工場 を見 学し た。 て 見聞 を広 めて 来 ませ んか 」 とい われ、Fあり かた 西 ド イツ い とは 思い ます が、教 室 作り も完全 とは 言い 難い 7 月24日、 午後10時30分に 成田 空港 を出 発し た し時 期 尚早 と思 われ ます」 とい うや りと りが 何度 か 続い たが 、医局 の先 生方 と相談 し たとこ ろ案 に JAL は 、ア ンカレ ッ ジ、 ハンブ ル グを経由 し て フラ ン クフ ルト へ 着き 、生 れては じめ て通関 手 続 相違 し て、教 室 のこ とは心 配せ ずに 是非 出かけ る きを すませ 外国 の 通貨 を両替 したo よ うに とい う返 事がか え って来 た。 豊田教 授や そ そ れから ま た乗 り替 えて最 初の 目的地 ウ ルムの の他 の先 生方 も行 った 方が よい と言 われつ いに 決 心 し た。 なに しろ 外国 とい えば 、小学 校 入学 前に ブ ンデ ン バーン ホ テルに 到着 した。 約15,000km、 30時 間の旅 であ っ た。途 中 の st u ttga rt の鉄 道駅 当時 の 朝鮮 、満州 、 スマト ラ と父の あとにつ い て 構内 で、 日本で は みるこ とが 出き ないめ すら しい 行っ たらし い が 記憶に はないO 大 学卒業 後 、 H本 駅 の ガラ ス張り のド ー ムと客 車の 乗降 のため の 夕 復帰 前の 沖縄 無歯科 医 村診療 に 出かけ たが 、こ こ ラップ をカメ ラにお さめ てい ると き、 いき なりフ ァイ ンダー が真 暗に なっ たの でカ メラか ら 目を離 は ご 存知 のと おり 日本 語が通 じ るとこ ろで 、 とに か く生 れて初め て の外 国旅行 であ るO はな はだ 心 すと そこに真 黒 い顔 をし た黒 人が立 って いて、「何 細いこ と であ った。 欧米 諸国 の各 大学教 授へ の受 故 、俺 の顔 を撮し たか 」 とすご い 見幕 でせ まら れ 入れ依 頼状 の 発送 とそ の返信 も思 う ように は行 か た。こ のと きば かりは 肝 をつ ぶし た。 それか らは 当分 の 間、黒 人恐 怖症 にな って しま ったが 、こ の ず、こ の年 から 共通 一 次試験 があ り、 日野学 生 部 長 はし め我 々学 生部 委員 はひ どく 忙しか った 。 ま ようなこ わい 思い をし た のはこ れが 最初 で最 後で た 、旅 行 社に切 符 を依頼し た とき 、外国 は 日本 ほ あ ったo ま た、 ホテ ルで夕 食す る ときに 出さ れた ど 治安 が よく ない とい うこ と で、 まず ホール ド ・ メニュ ーは ドイ ツ語 で、 とて も理解 で きる もので ア ップ の練 習から は じめ られ 、学長 はじ め 多く の 先生 方 、 香月次長 や 岡本庶 務 課長 など事 務の 方に は なか ったが 、 ステー キとい う単語 は世 界共 通語 の よう で、 とにか く ステー キを注文 した 。し かし 、 御迷 惑 をかけ 、 途中 で何 度か中 止 も考え たが 、 そ ど の ような ステー キが 出て く るのか 全く わか らな の 都度 皆さ んに励 ま され ながら な んとか 準備 を 整 か った。 食べ て みる と、い まだ かっ て口 にし たこ え てい った。 主 な目的 地は 、 ヨーロ ッ パでは 、 デ とのない昧 で あ る。急 に思 い出 して 、英 語の メニ ン マ ー クの コペ ンハー ゲ ン王立 歯科 大学 であ っ た ュー があ るか と聞 いて み ると「 はい 、ご ざい ます」 が 、7 月から 9 月ま では夏休 み でと て も希 望に 沿 と いう返 事で あ る。そ れ をみ るとな んと七 面 鳥の え ないの で中 央ヨ ーロ ッ パなら ば大学 も診 療だ け はし てい るの で 、そ ちらか ら まわって 来て 欲し い ステー キであ った。 そ れから は 、レ スJヽランに 入 るとまず英 語 の メニュ ーが あ るかど うか を確 かめ とい うこ とだ った ので 、あら ため て西 ド イツ・ ス るこ とに した 。 イ スの各 大学 と一工 場 を見学 す るこ とにし た。 こ 26口はビ バ ラハ とロ イト キル ヒにあ る カル テン バ ッハ とい う工 場 を見学 し た。こ れは 私 共の 教室 の タイト ルは 女優 の高峰 秀子 さ んが ずっ と以 前に に も、数 台の ユニ ット 、チェ アー 、エ アー タービ 書 い た作 品の タ イト ル と よく似 たもの であ るO 重 い 荷 物 を引っぱ り 、ショ ルダ ー バッ グとカ メ ラを ン 、ハンド ピ ー スなど を使用 し てお り 、なじ み深 6 い 名前 と製 品 であ る。す ばらし く きれいに 整 理整 とい う具合 で 、 多くの 人達 の手に わたり秩序 正し 頓 され た工 場内 で見 学す る私 も大変 気持 の よい も く管 理 、運営 さ れてい る ものの 、その 経 費とチー の であ っ た。 技工 机 、エ ンジ ン、吸 塵装 置な ど新 ムワ ー クの保 持は 大変 な ものであ ろ うと思 わ れるo し いア イデ アが いっ ぱい で、こ れが 教室 に備 え る こ とが 出来 たら どん なに 素晴ら しい か、 どれ もこ しか し 日本 を除 く外国 は殆 どが似 た よう なシ ステ れ も欲し い ものば か りであ る。 床義 歯であ る 。出 来る だけ 多くの 鈎歯 に クラ スプ ム であっ たo こ こ で大変 に興 味 をもっ た のは局 部 27日か ら 8 月3 日までは 、フ ラン クフ ルト大 学 をかけ 、 クロ ーム の 鋳 造 床 を 金 メ ッ キし た も の であ った。 また、 ポー セレ ンは症 例が 比較 的少 な 歯学 部 を訪 問し た。 教授は休 暇 中で若 い助 教 授の くて 、レ ジ ン前装冠 が 多く みら れ意 外であ った。 8月 5日か ら16日ま で・ は 、デュ ッセ ルド ル大学 のEngelhaldt教授 診療 室 を見学し た。 彼 は補綴 の スペ シャ リ スト で 、他 科の 診療は 一切 やら ない。 日本に も講演 で来 だこ とがあ るら し く自宅に 招待 を受け た とき にア ルバ ム をみせ てもら っ たが 、こ との ほかユ カ タがお 気に 入 りの よう であっ たo 歯 科医 師3名 、 技工 ±3 名、 看護婦 と助 手 と衛生上 が 5名 、受 付 1名 、掃 除婦 2名 、洗 濯婦1 名とい う スタッフ で ある。 診 断に は時々 スチ ュア ート の 校合 器 を使 用 し、 補綴物 の 製作に は、 デ`イナー の 校合器 が使 わ れてい た。 特に 目立 つ補 綴物 は 、フ フランクフルト大学 ラン クフル ト大 と は全 く異 なり 、 クラ スプ を用い ずにす べて テレ ス コープ シ ステ ムであ った。 た と え生 活歯 であ って も歯 質の削 除量 は失 活歯 と殆 ど かお るこ とな くど んど ん削除 さ れたo ま た内冠 、 外冠 とも白 金加 金 であ るこ とは勿 論で あ るが 、 そ の他の 補綴 物 もす べて 金合 金で 、パ ラジウ ムなど はつ い にみ るこ と はなか っ たo たまた ま 日本人 が 新 患 として 来 院し た。 匯1 歯欠損 が主 訴で あった が 、口 の中 は ひどい も ので全 歯牙 に白 色合 金冠が 装着 されて い た。早 速 パント モ とデン タル の写真 が並 べ ら れ、診 断に 入 ったが 、根 管処 置歯は 全て 根 充不 十分 で根 尖病 巣が あ り、冠 の適合 が悪 く殆 ラ イン川下りの観光船 どが 2次 う蝕に 罹 患して い たo 教 授は じっ と見 入 Dr.Sassen が 私 の 案 内 役 で あ っ た 。 彼 が 最 も 誇 っ てい たが 、 その 目は 日本 ではこ の よう な教 育 を ら し げ に み せ て く れ た も の は 教 室 で あ っ た 。長 さ 20m は あ る 黒 板 と 、 テ レ ビ に よ る 教 育 、 学 生 デ モ し てい るの か と言い たげ な 日で、 私は 思 わず目 を 伏せ た 。先 生は 大 きく 口を開け て 楽 凵 ずに笑 う と 用の ユニ ット な どがあ っ て、大 きさ や規模 は ヨ ー い う表 情は ほ とん どみせ るこ とは なく 、不満 な と ロ ッパで一 番 とい う階段 教 室 であっ た。 学生 診療 きは首 を左 右に 振 る動 作 が 多く みら れ診療中 など 室 は80 台 の ユ ニ ッ ト が あ り 、 そ れ ぞ れ が セ パ レ ー は 横に いるこ とすらこ わい くらい に迫 力があ った 。 トさ れて いて 、診療 中 の所 には赤 い ランプ がつ い い かに もド イツ 人 とい う感じ であ ったo てい る。先 生方 は その場 所 をみ て まわり 、指示 を ス イス 与 え た り 、 あ る い は 診 療 の 手 伝 い を し て い るo ま た、 医 院の 診療 室は 個 室 に な っ てい て、 診 断、 設 計、 診 数 年 前学 会出 張の と き台風 で新 幹線 が スト ップ し て飛行 機 で台 風の 中 を上京 して以 来 、飛行 機 ぎ 診療 は 診療 室 で行 い、 印 象採 得 さ れ た印 象 は封 され て ら いに なっ たが 、今 回の 旅行 では 、な んと22回 も い る 。こ れ を 運 搬 す る 人 が 技工 室 に 運ぶ。 技 工 室 で 作 搭 乗し た。 そし てヨ ーロ ッパ では ほと んどの 場合 られ た 補 綴物 は 、ま た 別 の 運 搬 す る 人が 中央 管 理 室 へ 着 陸態勢 に 入っ てから 厚 い雲 の中 に突 入し、 かな り とん での ちに い きな り視野 がひ らけ ると 、も う 持 っ て行 き、予 約 さ れた 日時に 診療 室に 運ば れ る 7 真 下に 住宅 があ っ たり林 があ った りし て、 それ も 今 に も手が 届 きそ うな所に 出 て来 るの で、 その た きも、 表札 は、ピ ー ター・ シェ ラー が「世 良平 太」 び に肝 を ひや し 、手 のひ らに びっし ょ りと 汗 をか く ので 、 もし私 か早 死し たら 多分飛 行機 のせ い と 多く落 着い た気分 で話 合う こと が 出来たO 日本で は受 験地 獄 とよ く言 われて いる が 、ス イスは 日本 思 うほ どで あっ たo チュ ーリ ッヒ空 港 でも全 く そ と少 しこ と なるが 、小 学校 5∼ 6年 生の とき の成 の 通り であ り冷 汗 をかい たo ホテル は大 学の 近く 績が 、殆 ど一 生 を左右 してし ま うら しく 、この時 期の 成績 で上 位か ら大学 に 行け る者 が何% と決 ま となっ ていて 大笑 い 、家具 など も 日本調 の ものが で 歩い ても 5分 くらい の所 であ ったo ピ ー ター・ シェ ラ ー教 授は 、丁 度そ の日国家 試 験で 忙し く、 り、 その上 歯 科大学 を受 験す るこ とが 出来 る者 が そ の間 の私 のス ケジュ ー ルが秘 書か ら渡 さ れた。 何 人と決 まり 、高 等教育 を受け る者 も順番 にな る チュ ー リッ ヒの街 は 、九州 と似て い て坂道 が 多く ので かえ って 日本 より も大変 か も知 れない とい う 道路 のあ ちこ ちは 入り 組ん でいて と ても わか りに こ と であっ た。 チ ュー リッ ヒ大学 の局 部床義 歯の くい 所 であ る。そ して 町全体 はあ ま り大 きく なく 、 主維持 装 置はア タ ッチ メント で 、金属 焼付 ポー セ 商店 街は き れい ではあ るが品 物の 値段 がド イツ に 比べ て高 い ようで ある。 また 食事 量は ド イツ より も少 ない が 、味は とて もよ く毎朝 のむ 牛乳 の味 は 印象に 残 って いる。 スケ ジュ ール どお りに まず バ ー ゼ ル大学 を訪 問し た。 ここ は、 ス イスで も大 変 に 古い 町 で校舎 自体 も5 ∼600 年 前の建 築物 で 、 補 綴学 の ガッ セル教 授は60才 を超 えた 方だ が、 と て も 温厚 な人 で彼 自身の 図書 室は 、 まるで古 い 宮 殿 の会 議室 の ようで 天井や 壁 に彫刻があり、い かに もどっ し りした もの で、 昔の教 授が 如何 に価 値 が あ った か を思 い知 ら され た。 また 、今か ら2500年 前 のロ ーマ 人の 遺体 から 発見 された 純 金のブ リ ッ ジ が展示 さ れてい た のが大 変に興 味 深か った 。 市 チューリッヒ大学歯学部 内に は12世 紀当時 の家 屋が 並び今 で も 人が住 ん で レ ンが数 歯連 結さ れて いた 。こ れだけ で も3大学 い たが 、こ れは地 震 などの 災害 がな いこ と と、古 い もの を大切 にす る国民 性に よ る ものと 深く 感心 を まわっ てそ れぞ れ 異って いて興 味 深い もの であ し た 。し かし 、歯 学部 の隣に あ る医学 部 の附属 病 っ た。 また ポーセレ ン のた め の支 台歯形 成と印 象 採得 は 、私 もは 匕め てお 目に か か るお もし ろい 方 院は 超近代 的 なビ ル と設備 がと との えら れて いた。 法で あっ た。麻 酔 から は 匕まっ て まず圧排( 第1 特に地 下 室は 現在 駐車場 とし て使 用 され てい るが 、 もし も原 爆等 が投下 さ れる と、 直ちに 診療 施 設及 回 目)し 、ラ ウン ド・ バー で歯 頸部に 沿 って基 準 び患 者はこ の 地下 室に移 さ れ、 その うえ 、20cm以 上 の 鉛の 入っ た厚 い扉は 被爆 患 者を出 さ ない ため タ イプ の バー で形 成し 。2 回 目の圧排 を行 っ たの ち仕上 げ 形成 を終 え、 歯肉切 除 を行い 寒 天に よる の も のであ っ た。 スイ ス国自 体がこ れを推 奨し て 印象採 得 をす る。 寒天は 水 で冷や す ので 歯周組 織 い て個 人家 屋 もアパ ート も新築 の 際は 必ず 地下 室 の安定 と 止血 をす ると いう理 由 でこ の方 法ばか り が 作ら れて いて 、 永世中 立を宣 言 して い るこ の国 で行 われ てい たO さらに 、 必ず 3回 印象採 得 をし が 、安 全 とい うこ とに 如 何に大 き な努 力が 払 われ て よりよい も のを選 び 出して 作業 模型 にす る とい て い るかが うか が われ、 日本が 水 と安全 は タダ み うこ とであ った。 滞在中 に ポー セレ ンの支 台歯形 たい に思 われて い るのと対 象的 であ っ たが 、 最近 は防 衛問 題が 国 会で とりあ げら れ討 議 され はじめ 成 から はじ ま るテ クニ ッ クの 問題 、審美 、岐 合 の 問 題に いた る まで一 連 の操作 につ いて テレビ 録画 線 を作 り、おお む ねの 形成 が終 る とシ ャンフ ァー たこ とは、あ る 面で当 然 のこ とであ ろ う。 さて 、 とそ れに関 す る討 議 の中 に私 も 参加 を許 され有 意 シェ ラー 教 授は 大変 な親 日家で夫 人は 日本 人で あ る。 教授 室に 表 札があ って 「世 良教 授室 」 と 日本 義 であ った。 欧 米 では視 聴覚 教育 には と ても熱 を 語で 書か れてお り、 日本語 も少 しだ がし ゃ べ るこ 入れてり る よ うで 、その ため の撮 影 設備は とにか くすば らし く 、参考に な っ たとい う よりは 驚くば とが で きた。 外 国で 日本語 が話 すこ とが 出 凩 るの か りで あっ た。 ス イスは 世 界一の 観光 国 だけ あ っ はほ ん とうに う れしか っ た。 自宅 に 招待 さ れた と て 、どこ を眺め て もす ば らし い景 観 であっ たO シ 8 エラ ー教 授は 、私 か毎 日8時 半か ら学 校に 出かけ ゲン空 港に 到着 し てから ロビ ー までの 通路 がと て て 来 るの をみ てブあ な たは 、はるば る 日本か ら ス も長 く 感 ぜ ら れ重 い シ ョ ル ダ ー バ ッ グ と 重 く る し イ ス ま で や っ て 来 て 、ど うし て毎 日学校 に 来 る の か。 い 気 特 で 、 こ こ の 第一 歩 は 暗 か っ た 。 こ の 空 港 で 今 から 秘 書にプ ランを 立てさせ るか ら主 な 所 を見 は じ め てLost and Found 係 と い う も の が あ る こ 物 しな さい 。こ れは 私 の命令 だ」 とう れし い命 令 と を 知 り 、 そ こ で 数 時 間 ぶ りに 荷 物 と 対 面 し た と が 出さ れ 、チ ュー リッヒ を出 て、ロ ー ザン ヌ 、モ き は 思 わ ず サ ム ソ ナ イト の ト ラ ン ク を 抱 き し め て ント レ ー を経 て、 シヨン 城 をみて まわ り、 ツェ ル し ま っ た 。 そ し て 初 日の ホ テ ル は 旅 行 者 で 満 員 で マ ット に羞 い た。途 中豪 雨に 会い びし ょぬ れに な 何 軒 も 断 わ ら れ 途 方 に く れ た が 、 夜10 時 す ぎ に や っ て ホテル に とび 込んだ 。翌 朝は ウソ のよ うに 晴 っ と み つ け た か そ れ は 古 く て不 潔 で そ の 上 料 金 が れ 上 が り 早 速 登 山 電 車 に の っ た。 マ ッ タ ー ホ ル ン 高く てど うし ょう もない 所 だっ た。 スカン ジナビ が いつ もみ ら れるよ うに 設 計 さ れ た こ の 電 車 は ア地方 は 冬期に は旅 行 客が極端 に 少な く夏期 も短 100 年 近 く な る ら し い。 真 白 に 雪 を か ぶ り 、 雲 一 つ い 期 間 に 1年 分 を 稼 ぐ ため に 1 人旅 で予 約 な し の 私の ような 者に は 目も くれない の が当 然であ る。 お り あ い 長 期 滞 在 な の でペ ン シ ョ ン を 探 し は じ め や っ と 1 週 間 後 に 入居 出 来 た 。 い わ ゆ る 屋 根 裏 部 屋 で あ る 。 し か し 日 本 で 考 えら れ て い る よ う な 狭 くて 、日当 りが悪 く寒々 とし た そのよ うな悪 い イ メ ー ジ と は 異 な り ト イレ が 共 同 であ る とい うこ と と 風呂が な くシャ ワー のみ とい うこ とを我 慢 すれば 意 外 とよい もの であ る。 ここ も同 じく 物価 高で 夕 バ コ 1 箱20 本 入 り が1100 円 で 、 サ ン ト リ ー オ ー ル ド は 1本が 1万 円、 どこ の店に で も売 ってい る デ ンマ ー ク 風 の オ ー プ ン サ ン ド は う す 切 り の パ ン の マッターホルンの眺望 上 に 肉 や 魚 と 野 菜 が お い て あ り 美 味 し い もの で あ ない 青空 に そび え立つ雄 姿 は思い 出 すた びに その るが 、その上 に のっ てい る材料 で値 段 がか おり 、 感 激が新 たに な りまぶ たか ら離 れな い。 その 日の う ち下 山 し イン ター ラーヶ ンに 泊り 、翌 朝 グリン 上 第 の も の は 1 片 が700 円 も す る 。 コ ペ ン ハ ー ゲ デ ルワ ル ト を経て ユン グフラ ウに や はり 登山 電 車 の 「 す き 焼 」 とい う 日 本 レ スト ラ ン が あ り 、 休 店 ンに は 、駅 の横 道を 少し歩 い た所 に、 日本 人経営 で登 った が 、8 月下旬 とい えば 日本 では 真夏 であ 日以 外 は 毎 晩 こ こ で 夕 食 を し た 。 こ こ は 日 本 語 が るのに 、 大雪 に会 い山 頂は 猛吹雪 で一 寸先 もみえ し ゃべ れて 楽し みであ っ た。 そし てこ の地方 で と ず寒 さに震 い 上が り、 気候 の変化 の 激し さに 驚か さ れたが 、とに 角 私に とっ てはす ばら し く楽 しい れ る ニ シ ン の 塩 焼 は と て も 美 味 し く あ ま り 続け て 思 い 出と なっ た。 その点 で もシェ ラ ー教授 に感 謝 み た ら ど うか 」 と 笑 わ れ る 程 で あ っ たo 食べ る の で 店 貝 か ら 「 も う 少 し 違 う も の を 食 べ て さ て 、 デ`ン マ ー ク王 立 歯 科 大 学 は 5年 制 で あ る す べ きであ る。 デ ンマ ー ク こ と と 、 女 子 学 生 が50 % 以 上 占 め て い て 教 貝 も 女 9月1 日から10 月10日ま での約50 日間は テ'ンマ 性 が 多い とい う こ と に 驚 い た 。 い ろ い ろ の 先 生 方 一 クで の生 活 であ ったが 、ここ で数 々 の失 敗 が集 中 して し まっ た。 即 ち 、チュ ーリ ッヒ 空 港で 出 発 に 聞 い て み た が や は り 5年 制 で は 無 理 が あ る と い 時 間 を間違 えて 、私 かゲ ートに 入った と きはす で とは 、 スカン ジナ ビ ア地方 の特 長 で、 基礎 、臨床 に予 定 の飛行 機 は飛 び立 った あと で3 時半 後 の便 面 で女性 の役 割の 大 きいこ とと、 結婚 、出産 、育 うこ と で 一 致 し て い た 。 ま た 女 性 が 多い と い う こ に乗 るこ とに な って しま った。 そ の上 もっ と 困っ 児の 期 間 休 職 し て も 体 が 自 由 に な る と 職 場 復 帰 が たこ とは 荷物 だけ は一 足先 にデ ンマ ー ク入りし て い たの であ る。こ の 荷物 が紛失 す る と、 その 中に 簡単 で 、そ れを待 っ てい る職場 が とて も多い とい は 日本 で用 意し た資 料 を全て 入れ てい て失 く なる 補綴 の基 礎 実習は 、理 工学 教室 に相 当す る 講座が と私 の 外国生 活 をす る目 的は失 っ た も同 然 であ るO 行い 、有床 補 綴 と継架 補綴 と校合学 講座 とが 補綴 うこ と で 女 子 学 生 が 多 い 理 由 が 理 解 出 来 た 。 ま た こ れには 本当 に 困っ てし まい 、ふ き出 る汗 を拭 い と関 連 あ る 講 座 で あ る が 、 所 属 し た の が 校 合 学 講 なが ら 次の便 を待 っ たO デンマ ー クの コペ ン ハー 座 で メ ラ ー 教 授 が 担 当 し て い た 。 内 容 は El ect ro 9 − myography で 殆 ど生 理 学 の 分 野 で あ り 、 オ シロ グ ラ フ を み る の が 約25 年 ぶ り で 、 こ れ に は 閉 口 し 時間し ゃ べり 通し で、 その タフ さに驚 いたO 残 念 なこ とにデ ンマ ー ク語 で話 され るので 私に は一 言 た。 コ ペン ハー ゲン で忘 れられ ない 人が 、 クロー も わから なか った。 ただ 写し 出さ れ るスラ イド を ポール セン 先生 であ る。 メラー 教授 の前 任教 授で みな がら 想像 をた くまし くし なが ら理 解す るしか 顎 関 節 症 に 関 し て は 世 界的 な 権 威 者 で 現 在70 才 で 方法 がなか った。 とこ ろ が講 演終 了後 私を 送っ て あ る 。 日本 に も数年前 講 演に来 られ たこ とがあ り 、 神 奈川 歯科 大学 の青 木教授 は以 前数年 間 彼の もと くれ ながら 「デ ンマ ー ク語 でし ゃ べって 申 訳なか った。 明 日の夜 英語 でや り直 すか ら是非 家に きて で 研 究 活 動 を さ れ た と い うこ と で あ る 。 デ`ン マ ー くれ」 とい われ 恐縮し ながら 次の 夜先生 の家 に行 ク到 着 後 最 初 に お 宅 を 訪 問 し た の が 先 生 の 家 で 、 き地下 室に 案内 さ れたが 、 そこに は大 きな ス クリ その 日は つ きっ きりで 学校や 市内 を 案内し て下 さ り、毎 水 曜 日は 彼の診 療所 を見学 に来 る ように ス ー ン があっ て教 室 を小 さ くし たよ うな部 屋で 、先 生 が私一 人のため に 夜更け まで2 日分 のス ライド ケ ジ ュ ー ル を 組 ん で 下 さ っ たo 彼 の 診 療 所 は コ ペ を英訳 して下 さったO た また ま奥 様の体 の具合 が ンハ ー ゲンの 中心 部にあ るト ーバ ルセ ン公 園の 近 悪 く、先 生 がケ ー キを作っ て下 さ り、お茶 を のみ くにあ り 、訪 問し て最初 に驚い た のは 診療 キャビ な がら御 馳 走に なった が、 学問 の道 では 雲の上 の ネット の上 に は ミラー 1本があ る だけ であ とは 何 存 在の先 生 が人 なつこ く 、思い や りのあ る面 をみ も置か れ てい ないこ と であっ た。こ れは あ とで す せ られ 本当に う れしか った 。 彼は今 だに ヨーロ ッ ぐ理解 出来 だ。 即 ち、他 の医 院から 紹 介さ れた 顎 関 節症 の 患者 のみし かあつ か わず 、診断 は 、レ ン パ を中心 に平 均 月1回 は 講演 をさ れてい る。元学 長 の坪 根、 池尻先 生に この 件につ い て御 報告し 、 ト ゲン と 彼の作 っ た顎関 節症 診断用 カル テに よ っ 出 来るだけ 早 い時 期に 何ら かの 形で 日本 の歯科 界 て 行 わ れ て お り 、 こ の カ ル テ は 大 学 で も。全 く 同 じ も の が 使 用 さ れて い た 。 レ ジ ン の スプ リ ン1ヽを 入 の ため に も う一度 頑張 って 欲し い とお 便 りし たこ と を思い 出す 。 れ て関 節症 の治療 を行う方 法が 多か っ たが、 ミラ コペ ンハー ゲン の町 は平 旦で高 い 山 もなく駅 周 ー1 本 と校合 紙 と削 合用の ポ イント 類があ る だけ 辺の建 物 はい かに も古い が と ても落 着いた町 であ であ るが 、 スプ リント の削 合は 出来 るだけ 小 さ な る。庶 民 は 税 金 が 高 い と い っ て 悔 む が 、我 々か 唆合 小面 が歯 牙に 接 する ように するこ と が大切 で 、 中 心 位 と 校 頭 嵌 合 位 で 接 触部 分 が 異 る の で そ の 点 らし てみ ると 医療 費、 教育 費や老 後の心 配 をし な くて うらや まし い ばど であ る。お 天気 の 日などお を 何 回 も て い ね い に チ ェ ッ ク し て い たo そ し て 早 年 寄 りの方 達 が散 歩し て い る姿 が目立つ 。し かし い 時 期か ら天 然歯 の削 合は行 わ ず、 補綴物 や充 填 若 者もウロ ウロ し てい る人 が多い ので 聞いて み る 物 があ れば 、 それ らから 削合 しけ じめ その テ クニ と仕事 を辞 め ても休業 補 償 があ り、 食べるこ とに ッ クは唆頭 嵌合 位 を保護 して 、側方 運 動時 の早 期 接 触 を 全 て 削 合 す る 方 法 で あ っ たo あ る 日 、 彼 が 心 配は ない とのこ とであ った 。高 福祉高 負担 を目 の 前に みせ ら れ、 うらや まし い面 とそ うで ない面 コペ ンハー ゲ ン市 内の開 業医 の先生 方 へ講 習会 が が 交錯し た が 、若者 が仕 事 をし ないとい う姿 は決 開 か れ 、 ゲ ス ト と し て 招 待 を受 け た の で 出 席 さ せ し て よい印 象 を与え る もので は なかっ たO マ ー メ て い ただい た。 2 日間に わた って行 われ、 1 日8 イドは デン ヤー クを象徴 す る銅像 であ る。海岸 の マーメイド クローボールセン先生の 講演 10 手 に と ど く 所 に 置 い て あ っ て 、 と て も小 さ く て 可 で あっ た。 愛 い も の で あ る。 外 国 の 美 術 館 に 置いてあ る美 私の 泊っ た ホテ ルは 、王宮 が 入江 をはさ んで真 術 品は 殆 ど手 で 触れるこ とが でき る ような とこ ろ 正 面に 見え る最高 級の もの であ っ た。 宮 殿の 中に に おい て あ り、 とて も親近観 がわ き、 その 感 激も 一 層 深 い も の で あ っ た 。 町 の 北 の 方 にFredens 城 を 見学 に 行 っ た が 、 池 の 中 に あーつて 規模 は 大 き く な い が、 一歩 中に 入る と美術 館と工 芸 館をl つ に し た よ うで 、その 作品の 1つ 1つ がすば らし く、 以 前 天 皇陛 下 も こ こ を 御 訪 問 な さ れ た よ う で 菊 の 御 紋 にHi rohitoの サ イン が あ り 、 世 舁 中 の 高 貴 な 方 々が 見 学さ れて いた。 チャ ンスが あ れば 是非 も う一度 訪 ねて みた い場所 であ る。 ス エ ーデン クロ ー ポ ー ル セ ン 先 生 と メ ラ ー 教 授 の 紹 介 で ス ホテルからみ た王宮 エ ー デ`ン を 訪 問 し た の は 9 月17 日 か ら わ ず か 3 日 間 で あ っ た が コ ペ ン ハ ー ゲ ン を 出 発 し て 1 時 間15 も入る ことが 出 来る とい う 日本では と ても考 えら 分 で ス ト ッ ク ホ ル ム に 到 着 し た。 超 音 波 ス ケ ー ラ れ ないこ と であ る。 バルチ ッ ク海は 出 入口が小 さ ー を 作 っ て い るAmlab社 の ア ン ダ ー ソ ン 氏 が つ き い 湾 の よ う に な っ て い て 、 潮 の 流 れ か 少 な い うえ っ きり で案 内し て くれた。 彼は 出張 で よく 日本に に 各国 の川の 水が どん どん 流 れこ むため に 、海水 来 られ るそ うで 私か 帰国し てか ら間 もな く来 日し 、 をなめ てみ たが 日本の 水よ り も塩か ら くな く不思 私 を訪 ねて くれ 、一 夜の みだっ たが 夕 食を一 緒に 議 であ った。 鮭が 産卵 の ために ここ に集 まる そ う 楽し ん だ。 彼に 「 スエーデ ンは フ リー セッ ク スの で 、鮭 料理は 名物 であ る。 ま た、小 え びを海 水で 国 だと 日本 では 評判 だ」 とい うと彼 はむ きに な っ ゅ でた もの をつ まみビ ール をの めば 、 まさに 天国 て、「 そ ん な 国 で は な い 。 日 本 の 方 が フ リ ー だ 」 と の 心 地 で こ の 昧 は 忘 れ 難 い もの で あ る 。 私 は 日 本 説 明 し て い た が 、 ま さ し く 健 全 な【、I 】 と思 わ れた。 で はあ まりビ ー ルを好 まな いが 、 ヨーロ ッパ では スト ッ クホル ム大 学歯学部 は ヨーロ ッパで 一 番 と て も おい し く 感 じ た が 、 こ れは お そ ら く 気 候 と く に 湿 度 の せ い に よ る もの だ ろ う と 思 わ れ た 。 規 模 の 大 きい も の で あ る ら し い が 、 8 階 建 て の ビ イギ リス 10月11 日か ら10 日間 が 、 イ ギ リ ス の 生 活 で あ っ た。 ヒー スロ ー空 港か ら タ クシー で、ロ ンド ン市 内 ピカ デリー の ホテル に着 く まで今 迄の 国 とちが い 看 板 な ど も み な 英 語 で 書 か れ て い る の で安 心 し て ホ テ ル に 入 り 、本 場 の 英 語 を 聞 き 、 し ゃ べ る こ とが 出来 る と大い に 発奮し たが 、ベ ル ボーイに 何 かの 用事 を依 頼し た ところ 、 その返 事が もの すご く 早い英 語 で何 を言っ てい るの か さっぱ り わから ず に 大 変 な シ ョ ッ ク を受 け 、 と う と う夜 も 眠 れ ず に どうし たら よい かを 考え 続け た。 結局 通訳 をつ スト ッ クホルム大学 歯学部 ル が 歯 学 部 で 、 反 対 側 に 技 工 士 学 校レ 歯科 所 生 け て 、Guy’ s Hospjtalと ロ ン ド ン 大 学 歯 学 部 ( U 士 学 校 、看 護 婦 学 校 な ど が 2階建 ての ビ ルの 中 ・C ・H )に 通っ た。 とこ ろが 学校 で教 授達 と話 に あ る 。 ど ち ら も広 々 と し たロ ビ ーが あり 、 喫 をす る と例のベ ル ボー イほ ど難 解 ではな かっ た。 煙 者 用 と そ う で な い 人の た め の部 屋 とがあ り 大 通 訳の 人にベ ル ボー イと話 をし て もらっ た ところ 変 に 余 裕 が あ る 。 学 生 部 診 療 室 は ユ ニ い・ 卜 が`250 ひ どい なま りで理 解し 難い との こ とだっ たの で一 台 ず ら り と荳 ん だ 光 景 は 、 まさ し くお どろ きで 応安 心し たが 、彼 の英 語 と標準 語の 英語 も区別 出 あ る。休 暇 で実 際に 活動し てい るとこ ろ を見 るこ き な い 情 な さ が ま じ わ っ て 思 わ ず 苦 笑 し たo さ て 、 と は出 来なか っ たが 、こ れか らあ らゆ る面 で 急成 Guy’SHospital は 、30 階 建 て の 近 代 的 ビ ル で 下 長 するで あ ろ うと思 われ るすば ら しい 設計 と 設備 部 が 医 学 部 と附属 病 院、 上 部 が 爾 学 部 と 附 属 病 院 で 、 n 私 と通 訳 は26 諧 の ジ ョ ー ン ズ 教 室 を 訪 ね た 。 大 変 U・H・C のアレ キサン ダー 教授 は縺架 補綴 の教 授 見張 らし の よい部屋 であ る。 イ ギリス の歯科 大学 であ る と同時に 学 部長 の要職 にあ り 、多忙 な毎 日 の 学 生 は 入 学 す る と 、500 ポン ド の 歯 科 用 器 具 が を送 ってお ら れるが 、 私の ために か なりの 時 間を プ レ ゼ ン ト さ れ 、 校合 器 具 等 は す べ て 貸 し 出 さ れ 費し て下 さりあ り かた かっ た。現 在 の校舎 は古 く る 。 た だ し Deposit を 入 れ て お き き ち ん と 返 済 す れば 問 題は 生じ ない。 お金 は生 活費 と本 代であ る なっ たの で間 もな く改修 に 入る とい うこ とであ っ た。 た またま案 内 され てい るう ちに小 手術 室で 根 が 、こ れ も奨学 金制度 があ づて殆 ど 親の 負担 はな 尖切 除術 を見学 し たが完 全消 毒 を目的 とす るため いo そ こ で 私 は 「 殆 ど無 料 で 親 も 日 本 の よ う に お か、 私 も入室の 際に 帽子 、マ ス ク、白 衣が 貸与 さ 金 の 心 配 が な く 、 本 当 に よろ こ ば し い と 思 う が 、 れ、中 に 入るとエ ンジ ンの管 まで 滅菌 ガーゼ で封 物 を 大 切 に す る 気 持 が な く な り結 果 的 に は 将 来 本 人 達 が 困 る こ とに な り は し な い だ ろ う か 」 と 聞 く され るとい う 念の 入れ ようで あっ た。土 ・ 日 を利 用し てマ ンチェ ス ター −に 行 き、 キュラー 先生 に 久 と 教 授 は、「 全 く そ の 通 り で 、 そ の こ と は 今 後 問 題 振りに お会 いし た。 いつ もの よう ににこ やか で 、 物 事す べて が紳士 的 であ るO マ ン チェ スター 大学 歯学部 の中 を案 内して い ただ き、 キュ ラー・ ア ン カーの工 場 も見せ てい ただ い た。 イギ リスで は、 時 間が なくて 観光 す る暇 もなか っ たが 、2階 建て の バ ス、地下 深 く入 り急傾 斜 のエ スカレ ー ターを 下 り、い ざの と きには 地下 壕に も なると いう地 下 鉄 、一 目で わかる ボッ クス型 のオー スチ ンの タ ク シー な ど乗 物 は大 変に 特徴 があ る。 また 、さす が と思 わせ る途 方 もなく集 め ら れた美術 品 、芸術 品 が大 英博物 館 は 匕め 多 くの 美術館 に 陳列 され てい る。 よく英 国は 斜陽 の国 だ とい われてい る が 、私 の ように短 期 滞在 者に は、 昔の ように 思い の まま 活動 するこ と は出 来な いか も知 れない が 、すご い 地 上30 階 建 て の ス マ ー ト な ガ イ ス ・ ホ ス ピ タ ル 底力 を感じ ざ るを得 なか っ たO フラン ス 10月20日から10 日間は パ リに滞 在し た。F・D・ I が 、21日から26 日まで コ ンコ ルド・ ラ・フ ァ イ ェ ット で開 催 され 、そ れに 出 席す るため であ っ た。 ロンドンブリ ッジ、丁度軍艦が通 過してブリッジが開い た に な る と 思 う 」 とい うこ と で あ っ た 。 大 学 の 別 棟 に あ る ジ ョ セ フ 資 料 館 の コレ ク シ ョ ン の 中 で ワ ッ ク ス に よ る た く さ ん の 人 体 解 剖 の模 型 は 全 く す ば ら し い もの で あ っ た 。 ま た 、 教 授 は 遇 然 に も我 々 と全 く同 じ実験 をや ってい て 、使 用機 械は 以 外に も 古 い 日本 製 の もの で 、私 の テ クニ ッ クに 非 常 に しか し 、こ こ で私 かデ ンマ ー クか ら 送っ た荷物 が 興 味 を示 し 、 そ の 論 文 を 、Briti s11 0r al Rehabi イ ギリ スに到 着し ない ままに フ ラン スへ 出発し て −ljtat ion に 投 稿 す る よ う に す す め て 下 さ っ た 。 し まったが 、 その中 に学 会 会場 の入場 券 を入 れて いた ので 入場 出 来ず 大変 困 った。丁度イギリス空 港 こ れは思 い もよ らぬ うれし いこ とであ った。 また 、 12 る。学 会期 間中 は会場 の うらに あ る近代 的 な ホテ ルであ っ たが 、立 派な建 物で すば らし いが 、近代 的 なビ ルは 世 界中どこ で も似 てい る。 学会 終了 と 同 時に 星 3つの 古い ホテ ルで 3 日間ば かり宿 泊し たが 、いか に もヨーロ ッ パ的 であ った。 エレベ ー ターが 円筒 で 周囲に 金網 が貼 ってあ り 、そ のま わ りにらせ ん 階段 があ り、 昔のフ ラ ン ス映画に 出て くる ような 格好 でと ても落 着い た 雰囲 気の もの で あ った。 西 独、 スイ スで は土 ・ 日曜 日に 小旅 行 を して まわっ たが 、少々 飽 き がきた のと 、あ まり う ろ うろす る と全体 の印 象 が ボケて くる ので、 パリ では ルーブ ル美術 館 を主に 観 てま わっ たo 29万 点 ホテルからみる凱旋門 の 荷役 の 人達 が ストに 突 入した ため にお きた 被害 以上 の 美術 品の コレ クショ ン なの で、ここ だけ で もか な り時 間を要 す る。 モナ リザだけ は ガ ラスの 害 者の 1 人であ ったO 会場 が広 く案 内の 所に は常 ケー スに 入 って 直接 触れ るこ と。 は出 来 ないが、 他 に 大で一 杯 で、 その上 、 外国 人に わか りに くい標 の ものは 全 て直接 み るこ とが出 来 る。 ミロのビ ー 識 であ った。 結局 は 日本歯科 医 師会 の事 務の 方の ナ スは 日本に 来た と きは長 蛇の 列 をなし てゆっ く 名札 を 借り て彼 の入場 券で 入場 出来 た。 講演 は、 りみ るこ とが 出来 なか った が 、ここ では 、彫刻 部 殆ど 同時 通 訳つ きなの で、 どの国 の 人の 講演 でも 門の 中に あっ ては と んど中 央部 にあ り、手 で 触れ 直ちに 理 解で き るし有 難い と内心 よろ こ び勇 んで イヤ ホー ン を耳に した。 我々 が考 え てい る同時 通 てい る 人も 多いo 特に 私に とっ ては 、 ミレ ーの 落 穂ひ ろい の絵 は感動 的 で時 のたつ こ と を忘 れ るほ 訳と はごロ ケ ット が 月面着陸 した と きの テレ ビ で どで あっ た。 複製画 が あっ たの で買 ったが 、送 る みたあ の同 時 通訳 ぶり であっ た。 実に 見事 であ っ と毀 れそ うで 自分 で持 って 帰っ たが大 変だ った。 た し 、当時 ほ れば れと 聞き入 った もの であ った が 、 たま たま グラ ン・ パレ でピカソ展が開催されていた ので長い行列に並 んで見物し た。800点 の出品 であ っ 今 回の もの は 、 外国語 を一旦 英語 に翻 訳し た もの が 日本 人通 訳 のとこ ろ・ に 放送 され 、そ の英 語 を日 たが 、税 金のか わりに 国に 納め たも のとい うこ と 本 語に 通訳 す るから 事が 面倒 であ るO 結果 的に は 、 であっ た。 しか し 、私は 彼 の作 品を理 解す る審 美 ど ちら かの 部 分でこ とば がと ぎれ ると 全 くわか ら 眼が ないこ と もあり 、 がっ かりし てし まっ た。 た な くな り、 ほ とんど 最終 的な我 々 の知 りた い と思 うこ と ばや数 字 が放 送さ れず、「一寸 お待 ち下 さ い」 とえば 、50cm四方のベ ニ ヤ板 を石 膏 でオペ ー クし た上 に が一 ゼ を貼 りつけ て 、その 上に 針金 をぐ る がや た ら多 く 、間の びし たり で聞 きづら い場 面 が ぐる巻 きに した もの を接 着 剤で くっつけ てあ る作 多か っ た。数 年 後に 日本 で、F・D・I が 開催 され る 品 など は 、ど うみて も芸術 品 とい う ものに はみえ とい う話 を 聞い てい るが 、歯科 学 のこ と をよく理 ず 逆に 腹立 たし さ を感じ た。 ま たどこ の国 の美術 解で き る各国 の 通訳 を探し てや ら ねば 、殆 ど 外国 人は理 解 出来 ない ま まに なるだ ろ うし 、一方 、 そ 館に も必ず ピ カソの も のは 置いて あっ たが 、長命 であ っ たと はい え、 ど うし てあ の よ うに 多 くの作 品が 製作 で きた のか不 思 議であ っ た。 のよ うな 大 を探し 出すこ とは大変 に むつ かし いこ とだ ろ うと思 わ れるが 、関 係者 の努 力 をお願 いし アメ リカ た い もの であ る。 3ヵ 月間 を無 事に ヨー ロ ッパで 過し10月29日パ パ リは誰 で も一 度は訪 れてみ たい と思 う町 であ リ のシ ャル ルド ゴー ル空 港正 午発 、T・W・A にの る。 美 術 品の蒐 集 などお そら く世 界一 を誇 るであ り 、き っか り8時 間か かっ てニ ュー ヨー クの ケネ ろ うル ーブ ル 美術 館があ るし 、 ショ ッピ ン グをす る なら 女性 フ ァッ ショ ンはこ の地 か ら生 まれ る。 デ ィー空 港に 到着 した 。着 陸 と同時 に満 貝の ジャ ン ボ機か ら大 き な歓声 と拍 予 が起 りみ んなが 無事 ま た、 食物 は特 に かき 、えび 、し ゃこ 、 かに 、舌 平 目な どの 海産 物 はとて も美味し い。 そ れに ワイ に到 着し たこ と をよろ こび あっ た。 こ のよ うな陽 気さ はア メ リカ なら ではの 光景 であ る。 さて 、ア ンは 誰 で も知 っ てい るほ ど有 名で あ り品 種も 多いO しか し 、ここ も物価 が高 くて パ リに住 ん でい る大 メリ カは 入国 手続 が最 もや っか い な国であ っ たo 持 物 検査 、所 持金 は特 にや か まし く問い ただ され はど の よう な生 活 をして い るのか 聞 きたい 位 であ たo その 日 のう ちにフ ィラ デ ルフ ィアに向 っ た。 - 13 空 から 眺め るニ ューヨ ー クの夜景 はす ばら し くき れ いであ っ た。 フ ィ ラデ ルフ ィアは私 か最 も長 期 間滞 在した 都 市 であっ た。 お世 話に なった とこ ろは 遇然に も私 の小 ・中 ・ 高校時代 の 後輩で 、 キリ スト教 の牧 師 をしている島田さんのお宅 の3 隋で あ る。 門司 港 の 自宅 もす ぐ近 所で あっ たため 大変 な親近 感が あ り、 ホ ッとし た気 分に なり 、その安 心感 から か途端 に 体 調 をこ わし数 日問 寝こ んで しま った。 気の ゆ る み はお そ ろし いもの であ る。ア メ リカ とい う田 は 、 途 方 もな く大 きな国 で最 もRiChな国 であ ると い う の が実 感 であっ た。お まけに 野菜類 まで 大 きく、 なす び 、かぼ ち や、 きゅ うりな どは 日本 の2 ∼3 倍位 あ るお ばけ 野菜 であ る。 ま た、子 供達 が 人参 を その ま ま、水洗いして食べ てい る姿 をみ て、は じ ペン大の学生寮 め のう ちは 奇 異に 感じ ら れ、 日本で は馬か 兎し か その よ うな 食べ方 はし ない とい って 笑うほ どで あ ペニ シルベ ニア 大学 は歴 史の古い私 立大学 の一 った 。 ステー キも大き くてと て も安 い 食物 で、 う つ で、 その キャン パ スは広 く、挂 物の数 が200 を ら や まし いほ どであ るが 、い ず れも ジャン ボで あ 越 え、学 内を バ スが通 り、 大学 がパト ロー ルカー を もち常に 警 備の ために 走っ てい る。 そし て歯学 るが 味 も大味 であ った。 日本や ヨーロ ッ パの方 が、 料 理や 食事を 楽し むとい うか 、 うつ わで 食べる と い うほ ど 食器に 気 をつか い、 調理 方法 もい ろい ろ 部は 開学100 年 祭 が1976年に 行 われた。 建物 は古 かっ たが隣に 大 き くて新 しい 研究 棟が建 てら れて い た。ア メリ カで も臨 床系 の教 官は 研究 のため に 工夫 され優 れ ている よう であ るO フ ィ ラデ ルフ ィ ア の一 般庶 民の 家の広 さ は地上 3 階、地 下 口 皆で、 費す時 間はな く、 恭礎 の先 生方に 資料を 渡すの み 地 下は 、暖 房 ・給湯 設備 かお り、殆 ど家 に撞 球場 で 、我々 のよ うに 診療 、 講義 、会議 、研究 とい う や 卓球 台がお い てあ り、家 の値段 は 比 較出 来ない ほど 安価 で 、聞 いた範 囲で 中 古の家 が1 軒 1ドル ようなこ とは なく 、夜 遅 くまで 仕事 があ るなど と い うこ とは信 じら れな い。 自分 の家 庭をど の よう であ っ た。 私か 帰国し たらマ ン ショ ンを 購 入し て に 考えて いる のか とい う質 問 を逆に受け て参っ て 入居 す るとい う話 をす ると「 そ れは すば らしい 、 し まった。 学生 は 各学年160 名 で毎年学 校に 納 入 あ なたは と てもお 金持 とみ える。 とこ ろ で何エ ー カー の土 地に 家 を建て るの か」 と問 われ 、こ ちら す る授 業 料、実 習 興は約15,000 ドル でほ とんど は が駑 い て計算 が 出来なか っ た。 後 日アメ リカ のマ の で親の 負担 とい う ものは な く、成 人す ると独 立 銀 行から 融資 を受 け 、卒 業 後に返 済す る仕 組み な ンシ ョン を見 物に行 っ たが 、広い 牧場 か ゴルフ 場 の中に 御 殿の よ うな自宅 があ る とい う広大 な もの で、 日本 では ど んなに働 い ても作 るこ とが で きな い よ うな 代物 で労働 意欲 を失 う よう な建築 物で あ る。 貧乏 人根性 を出 して光 熱 費や 管理 費 などが 大 変 だろ う なとつ ぶや くと 笑 われた。 す ると いう考 え方 が実 に はっ きりし てい て 日本 で は 考え られ ない制 度 であ る。 こ こ ではア ム ステ ルダ ム教授 の部 屋で 、 セミナ 14 一に 出 席し たり 、週1 度は 彼の診 療所 を訪 問し た。 会場 に入 る と彼と奥 さ んの ボッ クス席に 座 るこ と に な り、 演奏終了 後 貴賓 宗に通 さ れ20人位の 特権 外国 で は私 の知 って いる範 囲で は英国 を 除いて 臨 床 系 の 教授 は自分 の診 療所 をもつ か 、ま たは大 学 階級 と自 負す る人達 と一 緒に いた が、 その うち呼 ば れ て個室に 案 内さ れ1 時間ぽ か りし ゃべ り、お の設 備 を借 りて 使用料 を支払 って 自分 の患 者の 診 療 をし 、 教 材用の スラ イドは そこ で制 作し てい る。 互に 写 真 をとり 、サ インし たレ コー ド をもら った 全 日制 の 教官 の数 は少 なくて あと不 足 分は非 常 勤 りして 大変に 楽し い夜 を2回 計画し てい ただ いた。 講 師 で まかな われ てい る。そし て 講師 の先生 方 の 12月に入 ると街 中が 一斉 に クリ スマ スセー ルが 給 与は 日 本同 様安 いが 、大変に プ ライ ド をもって 学 生教 育に あ たっ ていた。 さて 彼 の診療 所 で驚い た のは 、歯 科医 師10名 、 技工 ±10名 、女 性26名の 大世 帯 で、 開業以 来 のカ ルテ、 ス タディ モデ ル、 作業 模 型、 テン ポラ リー クラウ ン、 半年毎 に リコ ー ルし て撮 影す るレ ント ゲンフ ィル ムな ど、患 者 に 関 す る全・ て のデ ー タが保管 さ れてお り 、そ れが ボタ ン操 作一 つで受 付け に出 てく る仕 組 みであ る。 こ れ は 彼の 几帳面 な性格 もさ るこ と ながら 、提 訴 さ れ たと きの 資料 として 大変重 要 であ る という の で 米国 中 の 歯科医師 がこ のよ うに全 て を保管 す る フィラデルフィアのクリスマスの夜景 義務 が あ るか とい うとそ うで もない らし い。 ま た、 テ ン ポラ リー クラウ ンが大 変に 素晴 らし く支 台 歯 は じ ま り 何 と な く そ わ そ わ 凵 まじ め る 。 街 路 樹 に に きっ ちり 適合し た 純金 バンド にレ ジン を外装 し た もの で、こ れは長期 間口 腔内 に装 着し たと きに 豆 電 球 をつ け 、 各 家 庭 も 趣 向 を こ ら し た 装 飾 品 が 歯髄 への 為害 作用や 破折 を防 止し 変 色が ない ので 気 分 に な るo ペ ン 大は12 月20日 か ら 冬 休 み に 入 り私 よい とのこ とであ ったO私ど ももよいことは わか っ の仕事 も終 了し た。こ の 休暇 を利 用し て東部 の 都 て い ても でき る業 では ない。 だか ら といっ て例 え 市 をま わるこ とにし た。 ば 金 属焼 付 ポーセレ ンが 高い か とい うと400 ド ル であるから 日本円では9万円 以下 であ るか ら 特別 高 部 を訪 問 し て Wa lko助 教 授 と面 会 し て 案 内 し て い 各 窓 に 飾 ら れ 、 夜 は そ れ が か が や い て は なや い だ ま ず ニ ュ ー ヨ ー ク州 の バ ッ フ ァ ロ ー 大 学 の 歯 学 価 と も思 われ ない。 それに 教授 の印 象採 得 方法は ただ き食事 を ともにし た。 ここ は 、ニュ ーヨ ー ク 独 特 なもの で、 全 て カ ッ パー バ ン ド に 印 象 用 モ 州 で も最北部 に位 置し 、 かな りの積 雪 量があ り、 デ リ ン グ で上 部 を 密 閉 し て そ の中に 印 象用ワ ッ クスで印 象採 得 匸 作業 模な は シル バー モデ ルで 車 の ガ ラ スの 除 雪 用 の ス ク レ ー パ ー と 道 路 等 の 氷 あ っ た。 カッ パー バンド の 試適 が平均20杪 以 内で、 れ ていて よ く使っ た。 道路 は凍 結防 止の ために 薬 1歯 の印 象が約 2分間 で終了し 、その 手際 の よさ 品が 散布 され るの で車が 銹 びつい て 困る とみん な とア シ スタント へ の教育 の よさに 全 く感心し てし が 悔 ん で い た 。 大 学 か ら30 分 位 で カ ナ ダ 領 に 入 る 。 まった。 彼の患 者は 有名 人 も多く 、会 わな かっ た け れど もモ ナ コ王妃 の元女 優 の グレ ー ス・ ケリー パ スポート に捺 印さ れて ナ イヤガ ラの 滝 をみるこ が 、 わざ わざや って 来る と自慢 気に 話し て いた。 我 々 を含め て極 く少数 で 、 暃々 と岩 をも砕 く勢い 世 界的に 有名 なピ ア ニ スト のゼ ル キンやフ ィラデ のア メリ カ滝 とカナ ダ滝 に圧 倒さ れた。 周囲 は み をはが すスコ ップ は必 需品 で、 どの 車に も用意 さ と が で き た。 観 光 シ ー ズ ン で は な い の で 見 物 客 は ルフ ィア オ ーケ スト ラの指 揮者 で今年 引退 す るユ な凍っ てい て樹氷 が 見事 であ った。 滝の 水し ぶ き ー ジ ン・ オーマ ンディ ー氏 などに は 会っ た。私 か ア メ リカ生 活に 慣 れて 来て島 田 さん とよ く オー ケ で びし ょぬ れとな り 、カ メラ も写 すと きだけレ ン スト ラの 演奏 を聞 きに行 く ように なっ た。 あ る 日 まう程 であっ た。こ の 雄大 の 滝が 2月に なる と完 ズの キャップ をは ずし 、 すぐ納 めな い とぬれ てし 教 授室 で演 奏会 のす ばらし さに 感 動し たこ とを 話 全に 凍 っ て し ま う と い う か ら そ の 寒 さ が 想 像 さ れ す と直 接彼に 電 話 をかけ て「 日本 から 自分 を訪 ね る 。 つ い で にHanau と い う 咳 合 器 を 作 る 会 社 に 立 て来 た友 人 が、あ な たの 演奏 を聞 いて感 激し て い る」 と いうこ と をし ゃべ ると 、オ ーマ ンデ ィー氏 寄 り、新 しい 製品の 説明 を受け たの ちに資 料館 に が 大変 喜ん で招待 して 下さ るこ とに な った。 演 奏 式校 合器 の初期 のも のが 陳列 さ れてい るの をみつ −15 入っ て校合 器の 歴史 を 見学し てい る うちに 、坪 根 − け 、 と て も な つ か し く う れ し い も の で あ っ た。 ボ が は ず ん だ 。 U・ S・C で は レ イ モ ン ト ・ キ ム 教 授 スト ンでは 昨年卒 業し た樋 口 君と 会い とて も元気 に大 変お世 話 に なっ た。韓 国 人であ るが 日本 語が に 勉強 し て いる ところ をみ せ て も ら い、 タフ ツ 大 学 の 非 常 に 上 手 で、 日 本 に は私 よ り も知 人が 多い よ う で 大学 院 の 試験 に 合 格 し、 今 年 7 月 か ら 通 学 す る こ と 驚い た。 さら に 日本の 歯科 医師 免許 を持 ち、 日本 を 聞 き安 心 し た。 ニ ュ ー ヨ ー ク市 は 、 超 高 層 ビ ル の 雑 誌 に も 投 稿 さ れ て い て お 会 い す る ま で は 、こ が林 立し てい て 空 ばか り 見て 歩 く よ う な感 じ で、 肚 界 わい と い う 印 象 を も っ て い た が 、 実 際 お 会 い す る 中 でこ れほ どビ ル のあ る 所 も な く 、 さ す が に 世 界 一 と全 く そ の よ う な 所 は な く 、 学 生 に 対 す る 態 度 は の 大都 会だ な と感心せ ざ るを得 なか った。 クリ ス きび しさ とや さし さが 半ば して愛 情の 深さ を感 じ マ ス は フ ィ ラ デ ル フ ィ ア で 迎 え た 。 私 は クリ ス チ とる こ とが 出 来 た 。 こ の 大 学 は 留 学 生 か 多 く 、留 ャ ンでは ない が 、島田 さ んの紹 介で はじめ て教 会 学 生 の ため の 教 室 や 実 習 室 が 多 く 、 そ し て ペ ン 大 で行 わ れる クリ スマ スの行事 に 参加 するこ と がで と同 じ よ う に 卒 後 教 育 が 盛 ん に 行 わ れ て い て 、 私 き たO 説 教 、 合 唱 、 器 楽 演 奏 、 キ ャ ン ド ル サ ー ビ も 出 席 し て 聴 講 が 許 さ れ た 。 こ こ は 日 系 2せ や 3 ス など 次々 とあっ て荘 厳で すば らし いプロ グラム 世 の 学 生 が と て も 多 く 殆 ど 日 本 姓 を名 乗 る が 、 日 ム であっ た。 私は 毎年 大晦 日の 夜に 除夜 の鐘 の音 本 語 は 話 せ ず 多 く は ハ ワ イjl ヽか │ らの学 生で あっ た。 を聞 き なが ら家 を出て 門司 港の神 社 を参 拝し てお また日本 人観 光客 も 多く、 どこ でも 日本 人と 会え 正 月を 迎 え る 習 慣 が あ る が 、 こ の年ば か りは そ る し 、 日 本 人街 も あ る 底 抜 け に 明 る く 楽 し い 南 国 れ が 出 来 な か っ た が 、心 静 かに お正 月 を迎え た であ るこ と を感じた 。 市内 にあ るハ リウッ ドは以 か っ た 。 何 と な くア メ リ カ の首 都ワ シン トン で 前映 画の メッ カ として 栄え た所 だが、 現在 はテレ 過 そ う と 思 い 、 島 田 さ ん の 息 子 を つ れ て 出 か け たO ビ 制 作 に変 身 し て い る と 聞 い たO も し こ の 地 を 訪 落着い た街 でお正 月の ため 人通 り も少な く静か で れ たら是非 お すす めし たい 博物館 があ る。 コ ール あ っ た。 ホワ イト ハウ スの裏 通 りに は、ア メ リカ タ ー ル が 自 然に 湧 き 出 る 池 か ら 発 掘 さ れ る 動 物 の 各 州 の ク リ スマ ス ツ リ ー が 飾 ら れ て い た 。 年 末 年 骨格 標本 をみ るこ とが 出来 るも ので 、その数 のす 始 で 入場 は出 来な かっ たが 、全世 界の注 目を 浴び ご さ と 、 発 掘 さ れ た 動 物 の 骨 の 組 合 わ せ 作 業 をし る白亜 の 殿堂 は、あ ま り大 きくは ない が上 品で す てい る作業 室 も窓 ごし にみ るこ とが 出来る。 こ の ば らし い建 築 物であ る。 丁度 、大 統領 選挙 が行 わ 規模 はお そら く世 界に ない であろ う と思 われる す れる予 備 選挙 の最 中であ るこ と、イ ラン問 題 で世 ば ら し い 蒐 集 で あ っ たO ハ ワ イ で は 、 到 着 し た 日 界中騒 然 とし てい る時期 であ っ た が、何 とか 平和 にア メ リ カ 州 の 太 平 洋 学 会 が 行 わ れ て い た が 会 場 な 解 決 を 望 み た い と お 祈 り し たい 気 持 に な っ て い に 行 く と 終 りに 近 づ い て い た 。 こ こ で 数 日 間 を 友 た。 人 と過し旅 の疲 れ を 治レ 1 月7 日か ら学校 が再 びは じ まり 、私 も今度 は 体調 を整 るこ とに専 念 し た。 一 転し て アメ リカ の西 海岸の カ リフ ォルニ ア州 の 1 月22 日 ハ ワ イ を 出 発 し 帰 国 し た。 8時 間 後千 ロ マ リ ン ダ 大 学 と U・S・C と 見学 し た。 東 西 を 横 葉 県 の 海 岸 が み え た と き 、や っ と 日 本 に 近 づ い た 断 する のに 6時 間 もかか り 、この 広大 な国 を相 手 感 激 を 忘 れ る こ と が 出 来 な い 。 夜10 時 す ぎ 福 岡 空 に 戦争 を した 日本は 初め か ら国力 の差 を感 じ なか 港に 近づ く とき無 事着 陸し て欲 しい と一心 に 念願 っ たの か と疑い た くな る程 であっ た。 し た。 空 港 に は 思 い も か け ぬ 多 勢 の 人 達 の 出 迎 え ロマ リ ンダ とい う町は 、セブ ン スデ ーア ドベ ン を受け 感 謝し 感 激し た。翌 日か ら早速 出 勤し 、半 チ ス ト と い う キ リ ス ト 教 の 一 派 で 作 ら れ て い る街 年 間 に 積 っ た 仕 事 の 山 に 取 組 んだ が、以 前 と一 で 、酒 、 タバ コを一 切口 にせ ず肉 類 も食べ ない 所 種 異っ た何 とも 言いあ ら わしが たい充 実感 を もっ だ とい う予 備知 識 をもっ てい たが 、行 って み ると て過 して いる。 な る ほ ど そ う で あ っ た 。 しか し、 ハム 、ソ ー セー お わ りに ジ 、 ハ ン バ ー グ な ど が 食 前 に 並 べ ら れ 食べ て み た 出 発 前は何 か 起き るか わから ない とい う悲 愴感 が 、すべ て 大豆 か ら 作 っ た もの で 、 か た ちは 、 が あ っ た。 し か し 一 旦 外 国 の 地 を 踏め ば あ と は 、 本物 と全 くかお り なく、 味が ほん の 少し違 う よう 自分 で 自分 を守 らねば なら ない とい っこ とが す ぐ に 感じ た程 度で ある に 理 解 出 来 た。 た と え ば 、 宿 泊 す る場 合 も ホ テ ル ただし 、牛 乳 と卵だけ は 本 O 物 で あ っ た。 こ の 学 校 で は 、 ポ ー セ レ ン に つ い て は よ り 安 全 な 場 所 を 求 め 、 日常 生 活 も 日 本 に い る の研 究が な され てい て、 私共 と実 に よく似 た実 験 と き よ り も 控 え 目 に し た 。 そ れ を 基 盤 とし た生 活 がな さ れて い たので 、 わずか数 日間 であっ たが 話 で も今か ら考 え ると 大変に 楽し い 思い出 の 多い旅 16 旅 で あっ た。 そ れぞ れの国 、町 で皆 が心 から 親切 に 行 日 程 し て下 さ り何 の不 満もな く、 ホー ム シッ クらし い 7 月24 日 成 田 発 、 JA L も の も全 く感 ずるこ とは なか った。 しか し 、い ろ 7 月25 日 西 独 ウ ル ム 着 いろ な 場面 で生 活感 の違 いを 感じ た。 考えて み る 7 月27 日 ∼ 8 月 4 日 西 独 フ ラ ン クフ ル ト 大 学 と 日本 と 外国で は 、歴史的 に みて も農耕 民族 と狩 8 月 5日∼ 16 日 西 独 テ’ ユッ セル ド ルフ 大 学 猟 民族 の差 があ り、 日常 でも全 てに 宗教 との か ら 8 月17 日 ∼ 31 日 ス イ ス チ ュ ー リ ッ ヒ 大 学 み合 い のあ る 外国生 活は惑 いが あっ て当 然で あろ 9 月1 日∼ 16 日 デ ン マ ー ク 王 立 歯 科 大 学 う 。 し か し 同 じ 人 間 で あ る' 以 上 共通 点が 多い こ と 9 月17 日 ∼ 19 日 ス エ ー デ ン ス ト ッ ク ホ ル も、 そ の国独 自の解 決方法 で解 決さ れ、 他で 批判 9 月20 日 ∼10 月10 冂 デ ン マ ー ク 王 立 歯 科 大 学 が 起き るが 、その 国情 、国民 性 の違 いに よるこ と 10 月n 囗∼10 月15 囗 イ ギ リス ガ イス ホ ス ピ タル が 多く一 概に 良 否の判定 はす べ きで ない よう な気 10 月16 日 ∼10 月20 日 イ ギ リ ス ロ ン ド ン 大 学 歯 も事 実 であ る。 各国 で色々 と事 件か 起 きた ときで ム大 学 が す る。 学部 と に か く 、無 事 に 公務 出 張 を 終 え て 自 宅 に 帰 り 10月21日∼10月28 囗 フ ラン ス パ リF・ D・L 総 会 つ き畳 の 上 に 座 り 、 日 本 式 の 風 呂 に 入 っ た と き 日 10月29[]∼12月20[] ア メ リ カ フ ィ ラ デ ル フ ィ くて も 日本が 最も すばら しい 国で あ るよ うな気 が 12月21日∼1 月6 日 冬休 み(束 、西 部旅 行 ) し て なら ない。 日 本は世 界で 最 も歯科 に関 す る情 1 月7 日∼ 1 月10日 ア メ リ カ カ リフ ォ ル ニ ア 本 人 であ るこ と を痛感し た。 そし て 。い くら忙 し アペ ンシルベ ニ ア大学 報 の 多い国 であ る。 我々は 少 々そ れに ふり ま わさ ロマ リン ダ大学 れ過 ぎる きらい があ る。 もう そろ そろ 落着 いて 目 1 月11 日∼ ]. 月 17 日 ア メ リ カ カ リ フ ォ ル ニ ア 標 を定 めて 進 まねば なら ない と考え てい る。 私 の U・S・C ・ 出 発前 から 帰国 まで 、あら ゆ る面 で 応咬し て下 さ 1 月18 日 ∼ 1 月22 日 ハワイ っ た 多くの方 々 に心か ら感 謝す る 次第で あ る。 1 月23 日 帰国 17 講 座 紹介 歯科麻 酔学教室 昨年 5 月 1 日イすけ で 、 当 九 州 歯 科 大 学 に 歯 科 麻 れま したか ?」「いい え 、注射 はし てもら っ てい ま 酔 学講座 が 新設 され ました。 第 1 口 腔 外 科 の 助 教 授 とし て 、 主 に 麻 酔 を 担 当 せ ん。」「西君 、何 もや って ない では ない か。/」「はい 看護婦 にす る よう命 令し まし た。」「なに 、君 が確認 さ れ、 日本 歯科麻 酔学 会で も、九 州に その 人あ り せ ん から君 が悪 い。」と一 喝 されたこ と もあ った 、 と知 ら れた西 正勝先 生 か主 任教授 に昇 格 され 、当 とい うエピ ソー ド もあり ます。 講座 は 発足し まし た。 この 間、医 科に 於 いては 、昭 和30年 、第 1回 日 6月1 日付け で 、第 1口腔 外科 に属 し、 口腔 外 本麻酔 学会 が開 催さ れてお り ます。以 後、急 速に 科 学 を研 鑚中 の金 田 多恵子先 生が 助手 とし て参加 わが国 の麻 酔学 の研 究も 進み 、各医 科大学 に 麻酔 レ12 当 大 学15 回 卒 の 中 地 進 が 助 教 授 と し て 着 任 し ま し 科学 講座が 設立 され て、 昭和33年 に は麻 酔標 榜医 制 度が 生ま れま した。 次い で昭 和38年 に は、 麻酔 し た 。 ま た 、 本 年 4 月 1 日 付 け で 、 口 腔 外科 の 大 指導 医 制度 が定め ら れ 、麻酔 専門 医 の制 度が確 立 学 院 を卒 え た 仲 西 修 先 生 が 医 局 長 を 兼 ね て 、 助 手 し てお りま す。 月 1 日 付 け で 、 札 幌 医 科 大 学 口 腔 外科 よ り に 任 官 し 、 6 月 1 日付 け で 、 今 年 当 大 学 を 卒 業 し た 第28 期 生 の 石 九 孝 則 先 生 が 助 手 に な り ま すO 新 設 され た当 講座 も、陣 容 を整 えて来 まし た。 発足 当 初 とはい え 、当九州 歯科 大学 では 口腔 外科 の麻 酔 に 関 し て は 、 昭 和30 年 頃 よ り 歴 代・ 川 上 親 世( 現 鹿 児 島 開 業 )・古 本 克 麿 ( 現 ・ 福 歯 大 口 腔 外 科 教 授 ) の 諸先生 方 が麻酔 を担 当し 、他 大学 口腔 外科に 比 べ て も ひ け を 取 ら な い 位 の臨 床 例 を 誇 っ て お り ま すO 昭 和32 年 頃 は 、 古 本 克麿 先 生 が オ ピ ア ト 、 オ ピ ス コ 等 の 麻 薬 を 術 前 の 投 薬 とし て い ろ い ろ な 手 術 に 用 い て お り ま す 。 同 じ 頃 、 川 上 親世 先 生 は B OC麻 酔 器 を使っ て笑気 に よる全 身麻 酔 を試 みて い ます。 昭 和34 年 ∼37 年 頃 迄 は 、 口 唇 ・ 顎・ 口 蓋 裂 の 手 わが歯科 界でも 、麻 酔学 の必要 性か 叫ば れ 、昭 術に 超短 時間 作用性 の バルビ ター ル酸 剤であ るラ ボナー ル を筋 注して 用い 、麻 酔 を行っ て来 まし た。 和39年 東京 医科 歯 科大学 に 歯科麻 酔学 教室 が 設置 され まし た。そ の 後、 歯科麻 酔学 の重 要性 が認 識 術 中 に 体 動 か あ る と19 世 紀 の 麻 酔 で は な い ぞ 、 と され 、昭 和48年 第1回 日本 歯科麻 酔学 会が 発 足し 術 者 の 平 川 教 授 に お 叱 り を受 け たこ と も あ っ た そ 昭和52年 3月に は 、日 本歯科麻 酔 学会 認定医 制 度 う です 。 その頃 は、上 顎 洞根 治術 、顎切 除等 は 、 がも うけ ら れ、 その 第1 回の 試験 が行 わ れてい ま 勿 論、 局 所麻酔下 で 行な い、 患者は 「 ヒ イーヒ イ ー 」 と 唸 っ て 手 術 を受 け て い た そ う で す 。 西 正 勝 す。 当 九州歯科 大学 でも 、昭和37年 頃 より全 身麻 酔 教授 の 思い 出に よ ります と…… …あ る 日あ る時 、 の必要 性が叫 ば れ 、昭和38年 、古 本克麿 先生 が 、 平 川 教 授 よ り 上 顎 洞 根 治 術 を 行 う か ら 、 オピ ス コ 九州大 学医学 部 へ研修 に行 か れ、 その年 の11 月よ を 注 射 す る よ う に 命 令 さ れ まし た と こ ろ が 、 手 術 室 に 患 者 自 身 が 「 の こ の こ 」 歩 い て 入 っ て 来 まし りエー テルに よ る閉 鎖循環 式 気管 内麻 酔が 行 われ るよ うにな りまし た。 そ れに より 、局 所麻 酔下 で た。「 西 君 、 前 投 薬 は や っ た か ね 」 「 は い。」と 返 事 を は 到底 実施 さ れ得な かっ たい ろい ろな 手術 も比 較 し た の で す が 、 平 川 教 授 は 患 者 に 対 し て、「 注 射 さ 的安 全に 実施 出 来 るよ うに な り、 また 、顎切 除 、 18 頸部 廓 清等 の手術 症例に よ っては 、夜 の11時頃 ま 全身麻 酔 見学 、実物 大 の人形 を使 って の救 急蘇生 で 、覚 醒せ ず、非 常に苦 労 したこ と もあ った そう です。 法実 習、精 神鎮 静 法の実 習 と体験 等 を含め 、患 者 の全 身状態 評価 を理 解す るこ とに 教育 の主 眼を 置 き、麻 酔学 、全 身管 理学 を理 解し た歯 科医 師を 目 古 本 克麿 先 生が 、九州 大学 医学 部の 研修 よ り戻 って 間 もな く、「 西 君、麻 酔 をやっ て みない か 曷 指 し てい ますO 近 い将来 、 スタ ッフ を充実 させ 、口 腔外科 の み と言 わ れて 、麻酔 の本 を、 現教授 の西正 勝 先生 へ 渡さ れて から 、西正 勝教 授は 麻酔 の面 白さ に取 り つ か れ 、現 在まで の約16年 間に わたっ て麻 酔一 筋 なら ず、保 存、 補綴 、小 児 歯科 等 の歯科 診 療の 服 の道 を歩 み、 当大学 の麻 酔 の変遷 と発 展 を育 て て り充実 した 歯科 医学 教育 に力 を 入れ √ 歯科医 療 の 為 に役 立つ 麻酔 学の 改善 と 発展 を主体 とし た研究 要な部 門に も麻 酔サ ービ スが 出来 る よう、 また よ 来ま したO 西正 勝 教授 の臨床 経験 に より ますと 、当 大学 口 腔 外科 で は 、昭和38年 より現 在 まで約2500例の 全 を目指 し て頑張 って お ります。 ( 中地 元 ) 身 麻 酔症例 を有し てい ます。 昨年 5 月1 日講座 が ス タッフ 紹 介 誕生 してい ら い、今年 4月30日迄 の1年 間 では 、 教 授 医学 博士 西 正 勝 ( 大 学 5期 ) 230例 の全 身麻 酔症 例 を経験 して い ます。本年 6月 14 ・ 15日に 開 催さ れます 第40回九州 歯科 学 会総 会 助 教 授 医学 博士 医局 長 歯学 匯士 仲 西 修 ( 大 学23 期 ) に て 、こ の1年 間 の臨床 分 析を行 い、 報告 する予 助 手 歯 学 士 金 田 多 恵 子 ( 大 学26 期 ) 定 に なって い ます。 研究 面 では 、昭和37年 以来 、輸 血節 減下 手術時 助 于 石 丸 孝 則 ( 大 学28 期 ) 歯 学 士 中 竝 進 ( 大 学15 期 ) の 術 後病態に 関 す る研 究 をテ ーマ とし て、術 中 出 血 量 と輪血 節 減に関 す る臨床 的検討 を重 ね て、 昭 和48年に は 、 口腔 外科手 術時 の輸 血適 応菘準 を定 め 、輸 血量 も術中 出 血輦 の40∼50%沚に 節 減し得 て い ます。 近 年 の歯科 診 療は 高度 の発 展を とげて い ますO 医療 サ ービ ス として 、 多数 の 鎬蝕 歯を 、い かに無 痛下 に 恐怖感 なし に処 理 する か 7また今 迄は 歯科 治 療に 恵ま れなか っ た心 身障 遲者 への施 療等 、こ れら は みな近 年 の麻酔 学 の進 歩に関 連し て 発展し て来 まし た。 し か しこ 歯科 治療時 、 また は局所 麻酔 時に 、い わ ゆる ショ ッ ク症 状 を起こ し て死亡 し たとい 引 列 が最近 のマ スコ ミをに ぎ わせ てお ります 。こ れら の 歯科 治療時 の事 故 を事 前に予 測し 予防 す る為に は 、や は り 、よ り一層 の麻 酔学 の研 鑚 と発展 が必 要 と され 、こ れか ら の新 しい 歯科医 を養 成す るの に も卒 前 教育 とし ての 、 より高 度 な麻酔 学の 教育 が必 要であ るこ とが痛 切に 感 じら れる昨 今 です。 当大 学 は全 国 各歯科 大学 に 次いで 、12番 目の歯 科 麻酔 学 教室 を持つ こ とに な ります 。し かし 、国 公 立 の大学 と して は 2番 目に 設立さ れて お り、当 教 室の 創 設は 、歯 科医 療に 従忝 す るもの に とって 、 また歯 科医学 教育 の為 、 そして 九州 幽科 大学 の将 来 の 発展に 非常 に 有意義 なもの であ ると 言え まし ょ っ。 誕生 し て1年 の 当講座 で は 、今 年 から 臨床 実習 全 身 麻 酔器 西 独 ドレ ー ガ ーの ロ ム ル ス19 にお い ての学 生 教育 も 始 まり まし た 。手 術室 での 19 おん礼と憶い出 池 尻 茂 故 郷 で 開 業 し まし たO そ れ か ら 間 も な く 故 橋 本 美 たい へん 永い 間母 校に 勤務 しまし た が、 昨年 7 月10トヨ を も っ て 任 期 満 了 に て 無 事 辞 任 致 す る こ と 智雄九 大 教授 の許 に 参 ‰ が で きまし た。こ の 間同窓 の皆 様に はい ろ いろ と さ あ こ れ か ら ど う し よ う か な あ と 思 っ て る とこ ろ 病理 学 の研 究生 となり お 世 話 に な り まし た。 と く に 最 後 の 5 年 間 は 学 長 へ 、母校 から 口腔 外科 に 人手が 足り ない から 帰っ 職 に あ り まし た た め 、 公 私 と も に 一 段 と 同 窓 会 と て来 い と、灘 吉・ 坪 根・ 永松の 諸先 生が か わるが の 接触が 多くな りまし たが 、会長 以下 会 員 各位の わるおみ えに なり まし たの で、 遂に 意 を決し て母 お 心か らな るご理 解 とご 支援に て無事 任 期 を全 う 校へ 帰り まし た。 母校 に帰 って も当座 は助 教授 で 、 す るこ とが でき 、心か ら感 謝し てお り ます。 はん 間 もなく 教授 にな り まし たが、 母校 に講座 制が 敷 と う に あ り が と うご ざ い まし た 。 厚 く お ん 礼 申 し か れ た の は39 年 で す か ら 、 そ れ以 後 私 は 主 任 教 授 上 げ ます。 とし て 働 け た わ け で す 。 振 り 返 っ て み ま す と 、 昭 和14 年 母 校 を 卒 業 し ま そ れ か ら 一一 方 同 窓 会 の 会 計 担 当 理 事 を仰 せ つ か す と、私 も若 い歯科 医 の 1人とし て、 東 京に 出て り、 同窓 会役 員の仕 事 をや る数年 間 を経験 し まし み たい と思 い 、 東 大 ・ 口 腔 外 科 ( 当 時 は 歯 科 学 教 たO 42 年 の 母 校 創 立50 周 年 記 念 に 際 し て は ミ シ ガ 室とい って い まし た)故 金森 虎男 教授 の許 へ 勉強 ン 大 学 ヂ ン グマ ン 教 授 招 待 講 演 で 大 奮 闘 し ま し た 。 に 参 り ま し た 。 こ こ で 3年 余 医 局 活 し を し て 、 口 こ れ は 私 か 前 年 の41 年 暮 、 ヒ ュ ー ス ト ン 滞 在 中 、 腔 外 科 の 概 念 をつ か み 、 ま た 医 局 生 活 を 身 に つ け テ キサ ス 大 学 カ ト ー ニ 教 授 ( 保 存 ) と 招 待 講 演 を け まし た。 たし かに医 局 とい う場 所は 勉強 に もっ 口 約 束 し て た の が 、42 年 夏 に な っ て 急 に 旅 費 の 点 て こい です。 どんなに 夜 おそ く、 たとい 徹 夜で 勉 で 物 別 れ と な っ た た め で すO 幸 い 同 年 谷 ヂ ュ セ ル 強 して も文 句 をい われる どころ か 、当 然 と考え ら ド ル フ 大 学 レ ー アマ ン教 授 の招 待 講 演 を お世 話 し た れ知 識 獲得 と修練 には も ってこ いで す。 私 の 専門 経 験 も あ り ま し た の で な ん と か 間 に 合 わせ ま し た 。 知 識 の 大 き な 部 分 は こ の 時 代 の蓄 積 で す 。 そ し て こ れ ら の 経 験 か ら も 招 待 講 演 、 とメ に 外 人 と な る こ の間 に、 教室主 任は 如何 な る場合 も先 生 と呼ば と文 書 に よ る 契 約 を し て お か な い と い け な い こ と ね ば な ら な い と教 え ら れ 、こ れは い つ の 間 に か 私 を 痛 感 し まし た 。 こ の 経 験 は51年 秋L」本口 腔 外科 学 の 身 に つ い て し ま い まし た。 そ れ で 今 で も 3 人 の 会 会長 とし て、 ペン シ ルバニ ア 大学ッ ップ 教授 に 恩 師( 2 人 は 既 に 故 人 と な ら れ ま し た ) は 如何 な る 総 会講 演を お願 いす る のに役 立 ちまし た。 場 合 も 先 生 ま た は 教 授 以 外 の 言葉 で 呼 ん だ こ とは さ て1960 年 代 後 半 よ り 全 世 界 を 吹 き 荒 れ た 学 園 あ りませ ん。 つい で下 関 市で開業 し まし たか 、米 騒 動 は つ い に46 年 暮 母 校 にも波 及 。100 軍の 焼夷 弾爆 撃で 全焼。 そ れから 開業 し てる と き ぶ スト ライ キ となり まし た。翌 年 3 月一応収 拾さ 日にお よ 総 義 歯 に 興 味 を も ち まし た の で 、 こ れ を 機 に 母 校 れまし たが 、何 人か の先 輩は母 校 を去 られ 、 また へ 帰 り、 坪根先 生 の許 で総義 歯の 勉 強を 致し まし 新 し く 平 川 教 授 が 学 長 就 任 、私 は 病 院長 に 就 任 し た。1 年 半ば かり の在局 でし たが 、こ の 間に ま と まし たO し か し 母 校 は 尚 騒 然 と し て 落 着 か ず 、 十 め た 「総義 歯 調整時 に於け る 陶歯 自動 削合 法に 関 分に 勉 強出来 ない 雰 囲気 でし た。こ の 間私 は病 院 す る一 私 見並 びに そ の 臨床 的 処 置 に つ い て 」 (歯 科学 長 とし て、弱 い 患者 さん を預か っ てい る という病 雑 誌 4 巻 3 号 昭 和22 年 ) は そ の 研 究 成 果 で 私 と し 院の 特 殊 性 を主 張 し て 紛 争 の 環 境 か ら 除 外 す る よ て は会 心 の労作 で す。 ところ がこ の時 分は 猛 烈な う努 力 し ま し た 。49 年 3 月 平 川 学 長 病 気 の た め 学 イ ンフレ で、 月給全 額 を下宿 へ渡 して も良 い顔 を 長代 行 を命ぜ ら れ、つ い で平 川学長 病 気辞 任に伴 さ れ な い と き で し た。 い 、 7 月 学 長 に 就 任 し まし たO 学 長 就 任 と共 に 私 妻子は 故 郷へ 疎開 させ た ままでし た が 、そ うい は 積 極 的 に 学 生 の 中 に 入 っ て 行 き ま し たO こ の た つ ま で も こ の よ う な 不 自 然 さ は 続 き もせ ず 、22 年 め 、 丁 度50 年 泛母 校 主 催 で 挙 行 さ れ た 第 8 回 全 日 20 本歯 科学 生総 合 体育大 会は 、も っと も良 き体 験と な りまし た。 学生 諸君 も全学 が一 体 とな ってこ そ 、 考 えたの です。 大学 人 とし ての 活動 ができ るこ とを身 を もっ て知 こ の ような こと は例 外で 、大 学全体 とし ては 社 会の 期待に 十 分答 えてい る と自 負し てい ます。 そ るこ とが で きた のです 。幸 運に もこ のと きの学 生 こ で53年 秋 、母校 創立60周年 記 念祝典 を 盛大に 行 指 導 者と して 、井 上賢 吾・評 議委 貝長 、 岡本光 信 い ました。60年 と いえば 人生 で も還暦 と称 してお ・実 行委 員長 を得 たこ とは母 校に と って何 よ りの 祝い 致し ます。 そこ で 、大学 と して も医の 原点に 幸運 でし た。 こ のお 二 人を始め 関 係 各位に 心か ら 感 謝し てい ます。 またこ の頃 よ り学生 と同 窓会 ・ かえ るべ きだ と思 い立 ち、医 学 を始め て学 問的に 体 系づけ たヒ ポ クラテ ス生 誕の地 ギリシ ャ・コ ス 島 よ り巨石 を 運び母 校正 門 傍に 据え、 また 同じ く 父兄会 と の対 話 も復活し 、学 園ら しい 気風 がた だ よう ように な ったの は何 よ りの幸せ で した 。 コ ス島よ り運 んで 来たヒ ポクラ テス の樹 を配し ま 次に 教育 と研 究の 府 であ る大 学 とし ては 、常 に し た。 ま たヒ ポ クラテ ス像 入り の記 念メダ ルをこ 歯学 の 先達 であ ら ねば ならぬ との 信 念から 、施 設 し ら えて 配布 し まし たO こ れが私達 が 医徒 として の充 実 、 人員の 拡充 には 特に努 力 しま した。 幸 い にし て 、母 校挙 げて の協 力と設 置 者であ る 福岡 県 活 躍す る励 み とな るよ う、 また 彼が示し た 医徒 と 当局 のご 理 解に より体 育館 の落 成につ づ き 、学生 し ての 道 、ヒ ポ クラ テ スの誓 を卒業 式 で宣 誓させ まし た。 こ の宣 誓は今 年 3月 の卒業 式に も上 野学 クラブ 室の建 設 、続 いて図 書館 の落 成 、こ れにつ 長 の許 で 、昨 年 同様 行 われたこ とは私 とし ては何 づ く旧 図書 館利 用の中 央研 究室 の開 設( こ れの 完 より の喜 びで す。 こ のよ うに憶 い出 を述べ る と際限 もあ り ませ ん。 最 後に私 の在 任 中、 陰に陽 にご 厚情 をい ただ きま 成は 上 野学長 に 引きつ ぎ) 、各 種教育 、研究 機械 や診 療材 器 の導 入、 また もっと も問 題 であっ た 3 講座 の開 設 と共に 附 属病院 診療医 員 の増 員 ・拡充 し た同窓 会長 以 下会 員各位 に心 か ら感謝 の 誠を捧 が実 現 でき まし た。 また研 究の ために 国 外 出張 を げ擱 筆致 し ますO 積 極的 にす すめ 、こ れが毎年10 名以上 を数 える よ うに至 り まし た。 これ 偏に 、同窓 各位 のご 理 解と ご 支援 の成 果 と心 より 感謝致 し てお り ます 。 こ の ようなご 理 解 をいただ いて い るの で 、大学 の運営 につ いて は研 究 ・教育 の 府とし て 、恥 しか ら ぬ 行動 をし なけ れば ならぬ と常 に自 戒し て 参り ました 。一 例 を申 します と 次の ような こ とがあ り ました。 大 学教 員は 地域 の文 化振興 の ため 、 他の 大 学 、その 他の 機関 へ 講義指 導に 行 くこ とは 、本 務 に差 し支 え ない 範囲 で学長 が許 可で き るこ とに な って いま す。 あ ると き、こ の許 可願 書に 認可 の ため に 印を押 し てい たら( いつ も盲判に な って い まし た が) 遇然 にあ る助手 があ る 看護学 院 へ皮 膚 科学 を 講義 に 行 くと い う願 書 を発 見し たの です。 私は オヤ ッ と思 い その助手 を 呼ん で「 あな たは学 生時代 皮 膚科 学 の単位 をとっ てい ます かJ と尋 ね 第28 回 卒 業 弍 に おけ る ス ナ ッ プ る と「 あ り ませ ん」 と答え ます 。 そこ で私 は「 そ 前池尻学長・穂坂会長 ・元坪根学長 れでは 、あ な たは 皮膚 科学 を 講義す る十 分 な知 識 をど うして 得 まし たか 」 と尋 ねる と黙し て 答え ま せ ん。 そこ でヽ 私は 「 では主 任教 授に か わっ て説明 し て 貰い ます から 、教 授に 来 るよ うに 云 っ て下 さ い 」 と頼み ま した。 そ れで その 願 書を 没にし まし た。 な る程 相手 は 看護学 院 の生徒 で すか ら 、皮膚 科学 を講義 す るのに 成 書の棒 読 みで も通 るか も知 れ ませ んO し かし 、そ れでは 学問Iに対 し て 申し訳 な く、 また大 学 人とし てや るべ きこ とで はな いと 21 前 に特 別の由 来は ない の だが 、古 くはバ スケ ット 匹 蘚玉 石 ボー ルのこ と を籠球 と呼 ん でい たのでこ の よう な 名前に し 、O Bだけ に とど まら ず、現 役部 員、 さ らに歯 科医 の先生 な ど バス ケット ボー ルに 深い 興 バ スケ ット部 籠の 会の 歩 み 味 をお 持 ちの方 々に も参 加し てい ただ いて 、なご や か な会に 発展 させ よ うと企 画し たの であ る。年 々 会 員 数 も 増 え 続 け 、 昭 和53 年 1 月 に は 福 岡 市 民 体 育 館 に お い て 、 籠 の 会 の 親睦 会 と して O B対 現 役 バ スケ ット ボー ル部は 専門学 校時 代に も存在し の 試 合 と 福 歯 大 対 九 歯 大 定 期 戦 ( 昭 和53 年 か ら 定 た とい う 話 もある が、実 質的に 活動 が 始ま った の は 昭 和27年 で 、北 九州6 大学 リー グに 、野 球部 や 期 戦 として年 2回行 って い る)お よび 市内の 中学 生 を 集 め て エ キ シ ビ シ ョン グ ー ム ( 参 加 賞 と し て ラ グビ ー 部な どの援 軍 を受 け て、 現会長 の 福田 悛 歯 ブ ラ シ を 配 る ) を行 な う な ど 幅 広 い 活 動 を 行 っ 祐 先生 を中 心に 参加 した とのこ と であ るO その 後、 山 田博 教 授を 部長 として 迎え 、 クラブ とし ての体 て い る。 ま た そ の 時に 将 来 社 会 人 チ ー ム の 参 加 を 制 が整 い 出す が 、O B会組 織 など十 分 な状態 では ー ル 連盟の 理事長 な らび に協 会理事 を なさっ てい なかっ た。 昭 和43年 福丸 隆先生、 藤井 修一 先生(19 る )OB用 のユニ フ ォー ム( 名前 はデ ンテ ィスト 期 )が 加 って からは 戦績 も向上 し 、 第1回 歯学体 から 第3回まで3 年連続優勝し、 その後も53年ま で 2 ・ ク ラブ ) も 新 調 し た 。 位 、 3位 をは じめ毎年 上 位入賞 をは たし て いる。 運 営 が 行 わ れ て お り 、 現 在 会 員 数77 名 で 、 顧 問 は こ の よ うに バスケ ット ボー ル部 も 多数 の OB を 山 田 摶 教 授( 口 腔 解 剖 学 )、会 長 は 福 田 俊 祐 先 生( 大 予 定し て(福 田 会長は 福 岡 市社会 人バ スケッ ト ボ この よ うに本 クラブ は この 「籠 の会」 を中 心に 出し たに もか か わら ず、昭和50年までOB会 とし て 3 期 )、副 会 長 は 花 田 勝 正 先 生 ( 大10 期 )、幹 事 長 は の 組織 を持 って はお ら ず、多面において不 自由 し て 堀 田 謙 一 郎 先 生( 大18 期 ) であ る。 活動 として 、春 いた。 また それ まで大学 に は体育 館 が なく 、Ξ 萩 野 の市立 体育 館 等を 借りて の練 習で OB 戦 も開催 の 「籠 の会」 総会 、 親睦 試合 、交 歓会 と、秋 に0 Bと現役 の試 合 を行っ てい る。 また今後 はこ の会 しに くい 状態 で あっ たが、 昭和50年 3 月に 本学 の を 中 心 に 先 叢 、 後輩 お よ び 大 学 当 局 が 一 体 と な っ 体育 館が 竣工 し 、昭 和50年 7月 の 第8回 歯学体 を て 活動 を行い 、九州 歯科 大学 のみ なら ず地域 社会 当地( 北 九州 )に おいて 開催 する にあ た り、F籠 の の 発展 にも貢 献し たい も のであ る。 ( 佐 藤 ・ 古 橋 記 ) 会」 とい う名 の 組織 を発足し た ので ある。 こ の名 22 杉 田 玄 白 に 想 い を寄 せ て 片 岡 繁 男 私は 杉 田玄 白のこ とを思 うとき 、彼 がこ の世 に 驚 き 、 喜 び は 簡 単 に は 言 い あ ら わせ な い も の で あ 生 を享け たと きのこ とが強 烈に 胸に 迫 って くる。 っ た。『 狂 医 の 言J は 『 解 体 新 書 』 刊 行 の 翌 年 の 著 彼は 死産 の 嬰 児とし て放っ てお か れた ので あ る。 で 、自分 を気 狂い医 者 として 、友 人 との問 答型式 そ れ とい うの が、 彼が生 れると き大 変 な難 産 で、 で 書 か れ た も の。「 形 影 夜 話 」 は 、 後 年 の 玄 白70 才 母 親はつ いに 息 をひ きとっ てし まっ た。 悲嘆に く れた 周 囲の 者は 、ここ で先刻 、布 片に く るんだ ま の と き の 著 で 、 自 分 と 自 分 の 影 法 師 との 対 話 で あ る。 こ の著は「 蘭学事 始」 と並 んで 、玄 白の代 表的 ま放 っ てお いた死 産 の子に ようや く 気づ いたの で あ る。そ の布 片 の中 で嬰 児は生 きてい た。 死産 で な著 書であ るが 、こ の中 で、 は なかっ た のであ る。 「 古 も 今 も い づ こ の 国 に て も 、 人 間 とい う も の は 上 夫 子 よ り 下 万 民 に 至 る ま で 男女 の 外 、 別 種 な い まか ら247 年 前の 亨保18年 9月13 日、 江戸 、 牛込 矢来 、若 狭小 浜藩 酒井下 屋敷 での 出来 事であ し。 み な人間 であ るこ とに変 りは ない 」 と言って いる。 っ た。 こ うし て杉 田玄自 は小 浜藩 藩医 杉田 甫仙 の子 と [ 医 者とし て患 者に 接す ると き、 そこに 階級 とか し て 、母 親の死 と引換 えに 生 を 享け た のであ る。 富 賎 とかに よる 差別 をつけ ては なら ない] とい うの であ る。 玄 白のこ と を思 うと き、私に は 、も う一つ 、す そこ には「 医は 仁 なり」 とい う東 洋の 儒教に 基 ぐに 胸 に うか んで くる ものがあ る。 玄 白が55才か ら73才 ま での約20年 間の 日記に 『く塢斉 目録』 とい づ く医 学観 より も、 さらに 深 く人開平 等 観へ と掘 うのが あ る。そ の中 で 、玄 自 が68才 の寛政12 年(18 り下 げ ら れ て い る の で あ るO 00)10月 9日の 日記に 。 深 川・ 本庄( 本所 )病 用。 蔵 前官蔵 と 「 お よそ医業 を立 てん と欲 する 人は 第一 、廉恥 の 心 を 失 わ ず 、 そ の 業 は 寸 陰 の 間 に も 油 断 せ ず 、‐ 人にて も託せ ら れし 患者あ れば 、 わが妻子 の わず 云 者、 母の 仇を 打。 とあ る。 こ の 日の 日記 はた ったこ れだけ であ るが 、私に ら うご とく思 い、深 く 慮 ん ば か り て 親 切 に 治 を は「 蔵 前の 官蔵 とい う者が ほの 仇 を打 っ た」 とい 官 富 豪 の も の に て も 療 治 は 同 じ よ う に 心 得 べ しJ う一文 が心 に 深 く残っ てい る。 そ れは 私 の作家 的興 味と いう より さらに 根 源的 と。 に 、医 者 の玄 白 と、他 人の生 命 を故意 に絶 つ 仇討 単な る新 しい医 学知 識が 医 療技術 の翻 訳 と摂取 に とい うこ とに 関し て 、私自身 に問 い かけ て く るも 終 っ て は い な か っ た の で あ るO 施 すべし 。 たとい 、い かな る貧 賎の ものに て も高 玄白 たち初 代の 蘭学 者た ちの 西洋医 学研 究は 、 それ と同時に 、こ の西 洋医 学 の中核 にあ る西 洋 のがあ っ たか ら であっ たo 杉田 玄 白につ い て、世 間一 般 では 『蘭学 事始 』 文明 とい うも のの 中か ら、 その 人間観 、社 会観 ま の著 者であ り、 『 ターヘ ル・ア ナト ミア 』を 翻 訳し て 『解 体新 書 』と した蘭学 者 の一 員と いう こ とに で も捉え 咀嚼 する玄 白ら 自 身の内 なる もの の熟 成 止まっ てい る よう な気が して なら ない。 の絶 筆『医 事は 自 然に如 か ず』に充 実 する のであ を、 私は 注目し たい。 か く て、 その 熟成は 、玄 白 る。 だが 私は 、玄 白 がたい へん 内省 的な 人であ っ た こ とに 深く 惹か れて い る。 私はい つ から か 、一 自分 と、 もう一 人 の自 分 とが対 談 をす る 、とい うこ と を私 自身の 生 き方 と して いた。 そう い う私 か 、玄 白のr 狂医 の 言』や 、 と くにr 形影 夜話 』 といっ た著 に 出会 った ときの 23 根尖 病巣 の大 きさ と治療 法 との関 係。 すな わ ち、 外科的 歯内療 法か、 あ るいは エ ンドか とい う点 で 鋭い 質疑 応答が 行な われた。 こ のよ うに 従来に 比べ 、若 手 臨床家 の 台頭が み られ たこ とは今 後 の講 演会が よ り充実 さ れるこ と が期待 さ れる 反面 、学術 部に おい ては同 窓 会諸 氏 へ意 義あ る講 演会 を企画 、開 催 すべ く責 任 の重 大 さ を痛感 する。 筆 者が同 窓 会学術 部 へ関係 し てから す でに4 回 の国 際学術 講 演会 と、 6回 の特別 研修 講 演会が開 母 校玄関にて 劉 寒 吉氏と 片 岡 先 生 催さ れ。す ば らしい 臨床 家や 研究 者に接 す るこ と がで きた。 い ずれ の講 演にお い ても 、その 基本 を 流 れるも のは 日常 の臨床 で 禎み重 ねら れた 豊富 な 資料 の整 理、 整頓に あ るとい っ ても 過言で はな い。 特 に明 日を約 束 され る若 き臨床 家達 は 日常 の 臨 床資 料 を整理 し、積 み重 ねる以 外に道 はな い と思 うの は筆 者の みであ ろ うか。 ( 九 州歯 科大学 同 窓会学 術 担当理事 梶 山 稔) 学術部報告 第 1 回 臨 床 九 歯大 同窓 会学術 部は 昭 和50年 に 発足し て以 来 セ ミ ナ ー 御 案 内 昭 和55年 度 の 第1回 臨床 セ ミナー を開催 す るは その 基本的 姿勢 とし て「 社 会が 歯科医 に何 を求 め こ び とな りまし た ので 御案 内申し 上げ ます。 て い るか」 と い う情勢認 識 を把握 し 、こ れから の 広 く先 生方 の御 参加 をお待 ちし てお り ます 。 歯科医 療に 対 処すべ きこ と であっ た。 その ため に は卒 後 教育 の重 要性 を主 体 とし た諸 事 業の 企画 を 一 校合 器の理論と実際一 一一 計り、今 日までに極 め て良 い事 績 を上 げ るこ とが で ( 実 技主 体 の 2日間 コー ス) きた と思っ てい るO 特に 、昭 和54年 度 学術 講 演会 講師 九州 歯科 大学 第 1補綴学 教 室 教 授 豊 田 静 夫 は 本年 2 月16日、大 博 多ビル( 福 岡市 )に 森 克 ○日 栄 講師( 東 京都 開業 ) を迎え、283名 の受 講 者が 参 時 昭 和55年 8 月23出 ∼24(日 )(2 日間) 加し、F 歯 周疾患( ペ リ オとエ ンド )の 治療 限 界」 AM9 :00 ∼PM5 :00 ○ 会 場 九州 歯科 大 学 附属 病 院 ( 補 綴学 教 室 ) 30,000 円 さ れ、受 講 者へ 深い 感銘 を与 えた。 本 講演 会で 、 ○ 会 費 ○ 定 員 と くに注 目 すべ きこ とは若 手 臨床家 に より 活 発な ○ 申込 /切 日 昭 和55 年 7 月31 日 迄 質疑 応答 が なさ れたこ と であ る。 ちな みに 、下 川 ○ 申し込 み先 〒803 とい うテー マで 開催 され たO 内容 も 日常 の 臨床 と 直結 し た もので 豊富 な症 例 スラ イド で 明解に 講 演 21 名 ( 先 着 順 ) 北 九州 市小 倉北 区真 鶴 2− 公一 先生( 北 九州 市 ・開業 、九歯大16 期卒 )は感 6− 1九州 歯科 大学 同窓 会 染 、非感 染 根管に おけ る 根尖部 歯 周組 織の 処置 と 条件 、 さらに 根尖 の吸 収 とペ リオ、 エ ンド の相関 忝 務 局T E L093-561-5077 関係に つ い て スライド10 枚に よる 貴重 な症 例を 紹 O定 員に 達 し次 第jy切 ります ので 、早め に御 中 し 込 み下 さいO 尚 申 し込 みと同 時に 御 送金下 さ い 介 。また 、 4症例 につ い て病理 組織 スライ ドを 供 覧 さ れた。 一 方 、井上 龍彦 先生( 九 先大 ・ 第2 保 ます よ う御 願い 申し上 げ ます。 存・大 学 院 )は 大学に おけ る臨 床研 究 の而か ら 、 24 各 支 部 だよ り 遠賀支部・大分県 支部・ 広島県支部 ・ 香川県支部 ・大阪府支部 静岡県支部・東京都支部・愛知県支部・北陸支部・愛媛県支部 遠 賀 支 部 支部 通信 員 守 田 邦 昭 快 晴に 恵 まれ た、 3月15日、16 日の 2日間 、同 窓会 貝 の慰安 と、遠 賀支部総 会 を兼 ねた 、岡 山・ 倉敷 一泊 旅行 を実 施し たO 午後 の新幹 線に て 岡 山 に 向 い、 日 本三大 名 園のーつ と云 われる 後楽 園 を 観 賞し 、 次い で岡 山城 を見学 、 その後 は総 会 の為 早 々に ホテル に 入り、6 時 より 、総 会が始 めら れ た。 支 部長 の沖 永先生 の 会務報 告 、会 計の 村田先 生 の 会 計報告 と スムー スに 進み 、新 役貝に は 、支 部 長に 野中武 彦先 生 、副支 部長に は 、 村田始 先生 、 会 計に森 山剛先 生 を満場一 致 で承 認、 決定 した 。 その 後は 盛大 な宴 会が 行な われ 、夜 の更け る の も忘 れ て談 笑に 花が 咲い た。翌 日は 、 鵞羽 山 より 瀬戸 内 の景 勝 を堪能し た後 、大 原 美術館 を見学 倉 敷 市内 の自由 散 策と 日程 を恙 なく 終え 、土 産を 両 同窓会の発展を祈って/ 手に 帰 路につ い た。 広 島 県 支 部 大 分 県 支 部 支部 通信 員 八 島 敏 彦 支部 通信 員 柴 崎 哲 広島 県支 部は 、県 内で は 九州 歯科大学 広 島県同 55年 4 月12日 午後 5時 よ り別 府市 三泉 閣に 於 て 窓 会 と称し てお り、 津島 孝臣 会長 以下 、 副会長 3 54年 度 支 部総 会が 本部 より穂 坂 会長 、上 潟 口専務 名 。理 事9名 、 その他 の 役員 で構 成さ れてお り ま を迎 え開催 さ れ た。 三浦 専務 の司 会に より 秋吉 副 会長 の開 会挨拶 、小野支 部長 の 挨拶 の後 、穂坂 会 す 。会 貝も140 名に達 し よ うとし てお り。広 島 市 長 、毛 利県 歯 会長 、荷宮 前教 授 より夫 々 祝辞 を戴 き 、上 潟 囗専務 から は母 校 の現 況報 告が 詳し く述 '八 島あ り でか なり広 範 囲で あ り、会員 の先 生方 の 意志 の疎 通を欠 くこ とも 多く 、問題 となっ てお べら れ た。 三 浦専務 の会 務報 告 、辛 島常務 の 会計 り まし た。 近 郊に約 半数 が集 中し て はい ます が、 県内は 山あ 報告 のあ と議題 では55年 度の 予 算案等 の 審議 が な 昨年 度 よ り、県 下 を広 島 市支部 を筆頭 に 8支部 さ れ、別 府 市の 糸瀬 勝成先 生( 日大 歯学部 卒 )の 推 薦 会貝 入会 を万場 一致 で承 認 、 豊田副 会長 の閉 に 組織し 、全 会員 に同 窓 会の 行事 等が 徹底す るよ う 改めら れ まし た 。県 下 の全 会員 が集っ て顔 を合 会の 辞で 総 会 を終 り、続い て の懇 親会 では 山 田 豊 わす 機 会は新年 宴 会 と年 度初め の総 会の 時に しか 先 輩 の乾 杯 の音 頭で始 ま り、穂 坂 会長 はじ め先 輩 ない わけ です が、 地 理的に 広 範 囲なこ と もあ り、 後 輩 を問 わすの カラ オヶ大 会 があ り 、和気 ア イア 全 会貝 の参加 はな かな か 困難 です。 この 支部 の改 イの うち に刻 の 過ぎ るの を忘 れ、校 歌 合唱 を最 後 に 盛大 裡に 幕 を閉 じ た。 組に よっ て、三 役 を混 じ えた定 期的 な支 部長 会 も 可能 とな り、 会員 同志 の心 の交 流 は前に も増し て 25 容 易 とな り まし た。 恒例 となり ました が 、毎 年 親睦 旅 行、 ゴ ルフ コンペ 、学 術講 演 会等 も行 って お り 、そ のつ ど多数 の会員 の 参加 をみ てお ります 。 また 、広 島 県同窓 会の長 年の 懸案 であ り まし た 広 島県 同窓 会会 史( 仮称 ) も発行す るこ とに なり 、 編集 委員 会 も組 織さ れまし た。 まず 資料 集め から始 るこ の事業 は全 会員 の協 力 がな くて は 成就 するこ とは 困難 ですが 、諸 先輩 の きず きあ げ た実 績を 活字 として 記録 ・整理 して ゆ くこ とは 、結 局 、同 窓 会の 団結につ な がる こと と 思 われ ます。 戦 後生 れの 新しい 会員 も増 えて きた 現在 、こ の 会史 の発 行は 意義あ る もの として 、津 島会長 以下 役 員一 同 編集委 員会 を バッ クアップ し て、こ の事 業 の完 遂 を期し てお り ます。 香 川 県 支 部 支部通信員 佃 九州 歯科大学広 島県同窓 会役員 専務 理事 林 学出 身と はひ と味違 う もの をもっ てい る集 りで も 須 山 礼 吉 筆頭に 酒 を飲ん で歌 った り 踊った りし てさ わぐの は人一 倍好 きであ る。 さて昨 年 は九 歯大 四国地 区連 合会 の開 催が 当 番 道 県に 当 り、母 校 から新 学長 に なら れた上 野学 長の 田 中 邦 是 出席の もとに 四国 地区 の同 窓の 先生 方 が大勢集 り 土 曜 日に 総 会と 親ぼ く会 をして 高松 の 夜を大い に たの で今 後は同 窓 の親 ぼく をよ り一層 深め あっ て 前進 した い と思 っ てい ます ので よろし くお 願い し ます。 全員 で写 し た写 真が ないの で 次回に は みな さんに 全貝 の写 真 を紹 介し たい と思い ます。 ど う 藤 田 薫 ぞ香 川県支 部 をお忘 れ なく。 最 後に今年 は 九 歯大 を卒 業し て 一度 も 母校に行 森 田 中 田 森 大 竹 支 部 片 山 博 佐々 木 佐々 木 幸 って いない 先 生がお ら れるの で一 泊二 日 で母校 見 学に行 こ うと計 画し てい ます の でその 節は よろし 洸 晃 賤 稔 繁 郎 積 雄 芸 南 支 部 備 後 第一 支 部 田 山 備 北 支 部 コンペ を催し 。無 事 2日間 の 日程を 終 りまし た。 平 岡 悛 美 畠 佐 伯 支 部 芸 北 支 部 楽 しみ 、翌 日は 高松 グラン ドカ ント リー でゴ ルフ 当 県支 部 も│可窓生 か40 人を越 す支 部に なり まし 広 島 支 部 池 之 厳 一 彦 公 靖 晴 敏 広 原 石 底 島 谷 広 島県 同窓 会 支部長 備 後 第二 支 部 ある。 一 口に ほう と呑 ん気 者の集 りで あくせ くし た者 が少 ない支 部で ある と思 う。 豊島武 夫 会長 を 粟 古 河八 茂郎 一 之 誠 彦 弘士 馬 憲 洸 六 春 雄 久 次 広 睦 敏 征 数 義 市 平 信 中 亀 田 谷 尾 島生 田 本 波 山 川田 藤 田 高 大 新長 八 瓜 冨木 神 畠 大山 後 名 誉会 員 地 方の 単科 大学 出身 の歯 科医 と直 ぐわか る位 の んび りし た人 間の集 り であ る。 他 の都 会の 歯科 大 ( 昭 和54 年 7 月 ) 臣 弘 隆夫 田 坂 久保 田 事 務政 険術 祉 報 務計 事長 長 問 津 島 議 理 総医 保学 福 広 庶会 監 議 副顧 長 副 会 長 孝 寿 和 会 肇 く。 恐 26 計画 が出 来 ると 、当 日当番 は集合 一時 間 前に は 大阪府 支部 安 倍 川奥 の 現場に 出 かけ 、テ ント を張 り、 穴掘り 、 鉄板 の 位置 設定 。河 原に 番号( 宝 探し )をか くし 支部通 信員 古 庄 列 設営 を完 了 、マ イカー で の仲 間の到 来 を待つ ので 支部 が昭 和10年に 出来 てから 今年 で丁 度45年に な り ます。 初代 支部 長武 田征紀 先生( 現 在小 倉支 す。 バー ベ キュ ー、 水泳 。宝探 し 、西 瓜割 り等賑 部 )の もと で 、会貝諸 先生 方の 御 協力に よっ て う ぶ声 をあ げ まし た。 発足当時 の30余 名 会貝の 先生 は現 在13名、 東部 地区 4名 、中 部地 区8 名、西 部 地区 1名夫 々 公私 共に 活や くし てい ます。 和 を拡 方 も、今 で は野 村清二 先生 、鳥 羽長 閑先生 、 天津 げ元 気で 全員 集合 の 日を楽 しみ に してい ます。 正 嗣 先生 だけ に なり ました が、今 で も支部 の 相談 役と して 又 、大先 輩 として支 部 の為に 御指 導下 さ 東 京 都 支 部 やか な健 康的 な一 日を過ご すの です 。静 岡県支 部 って い ます。 支部 通信 員 神 代 達 司 会 貝相 互の 親睦 と向上 、 そして 母校 の 発展に 寄 与 す べく 発 足し て から45年 た った わけ です が 、そ 「 支部 会員の 活躍 と母 校 愛」 の趣 旨は現 在 も引 きつ がれて い ます。 東京 都支 部 会員数 は昭 和55年 1 月現 在161 名 で さて 支部 の 活動状 況 です が、 前年度から役員は 殆 ん ど若 い先生 方 がしめ るよ うに な りまし た。 中村 す が 、勤務 医 とか大 学研 究生 など 若い 会貝 の異動 か激し く 、実質 的な 会貝数 は正 確に 把 握出 来ない 支部 長 のも とで若 い先 生方 が中 心に なっ て活 躍さ のが実 情で す。 さて 本支 部会員 は数 こ そ少 ない 、 れて い ます 。 その 一つ とし てこ れから 増々 厳し く い わゆ る少数 民 族の 東京に あ って 、そ の個々 の活 なり ます 歯科 状勢 の中 で、そ れに 対処 い たす べく く学術 の高 揚に と学 術研 修に 力 を入 れてお り ます。 躍は目 ざ まし い もの があ り ますO小 倉利 通先 生 (玉 川歯会長 ) 立石 聡明先 生( 大森 歯会 長 )はじめ 各 近畿 地区 連合 総 会が今 年で25年 を迎 え ます。 そ 地域 の歯 科医 師会 の重 要 な ポストに つい て活 躍さ の 為に25 周年 記 念が行 われ ますが 、大 阪支 部 が当 れ、 まさに 九歯大こ こ にあ り といえ る もの ですO 番県に あ たる ために 会 輿一同 準備 委貝 とし て 、準 備 計画 に奔 走し て います 。来 る8 月23 日に 開催 さ ただ 東京 都支 部会員 の 危惧 は、 母校 の教 授陣 の学 界で の活 躍の 少 ないこ とに 対す る もの です 。三 十 れ ますO 5 月11日大 阪「鳥 よし 」で 支部総 会 が開 催 され 校に近 い 大学 、そ の新 生の 意気に も え る研 究陣 を ました。 総 会 の後 、懇親 会が もた れ まし たが 、極 に の まれ 、埋 没す るの では ない かと い う気がし ま め てな ごや か な震 囲気 の会で 、例年 に 見 ない 盛会 すO 新進 気 鋭の若 い研 究 者を どし どし母 校 の発展 の みるに つけ て も、や が て わが母 校はこ の新 しい 波 で した。 ため 登 用し てい ただ き たい もの です。 歴史 と伝 統 静 岡 県 支 部 支部 通信員 だけ で は学 問の世 界は通 用し ない こ とは今 さら 申 す まで もな いこ とでし ょ うが…… … …。 仲 野 和 夫 七 月と もな れば 、ぼつ ぼつ 同窓 生並 びに 家 族 の 愛 知 県 支 部 野 外 での バーベ キュー の計画 にか から ね ばな り ま せ んO 子供 達 が楽し みに して い るから な ので す。 支部 通信 貝 奥田 是 池 清輔氏 愛知 県 歯科 医師 会理 事 に / 愛知 県 歯科医 師 会( 会員2300名 )は 、こ の ほど 任期満 了に よ る役 員改 選の 結果 、 われ われ同 窓会 から 、大学 9期 生 の池 清輔 氏が 就任し た。 就任の 弁 今 回は から ず も理事 の 末席に 連 なり公 衆衛 生 を担 当す る事に なり まし た。 前期ま では 公衆 衛生 部員 とし て診 療部 門にお いて 、巡 回診療 及 び予防 処 置な どで 会務に 協力 安倍川原 にて させ てい ただ き まし た が 、こ の 度は 医療 セン タ - 27 − ・ ・ 、 湮: 冖 ‥ l . %;・M ぢ ・ 一部 門 を担当す るこ とに に より 、開 か れ田践 支部 会長 の挨 拶のあ と上 潟 口 な りまし た。 諸先 輩 の地 道に築 き上 先 生よ り来 賓の 挨拶が あ り続 いて只 木 副会長 の評 議 貝会報 告が あり 研究 棟 の改築 、 図書館 の図 書の げ ら れた事 業 内容 を引 き 充実 を はか るこ と、4 講座 増 設さ れたこ と等 の報 継ぎ部 員の 諸先 生共 々 努 告 があ った。 会務 報告 のあ と 各部 の事業 計画 案が 力い たすつ も りで おり ま 示 され協 議事 項 として 東 南予に 理事 を 増員す る件 、 すので 、先 生方 のご 指 導、 慶弔 に関 す る会 則一部 改正 案 が可 決さ れた。 総会 ご 協力 の程 、 よろし く お に ひきっ づ き松田 理事 の司 会 で学 会が開 か れ「痛 願い致 し ます。 み を中心 と した 口腔の 生理j と題 して中 原教 授の プ ロフ ィ ール 講 演があ り 象牙質 の痛 みに 関 する動 水力 学あ るい は 連関 痛につ い て非常 に 簡 明で有 意義 な内容 であ 池先生 は 、 昭和11年3 月生 まれの 満44才。 長崎 県 松浦 市出 身 、昭和36年 3月母 校卒業 後 、 昭和45 っ た。 年 まで 口腔 外科 研究 生とし て研修O 昭 和44年10 月 名古 屋 市南 区の 現住 所へ移 転、 父上 、ご 末弟 氏と 開業 さ れ 、昭和47年 4月 より55年 3月 まで 、愛知 県 歯科医 師 会公 衆衛生 部員 とし て活 躍さ れ 、こ の 度 、同所 公 衆衛生 部 部長に 就任 さ れた。 趣 味の ゴ ルフ は始め て 3年だ そ うです が 、い ま だハ ンデ ィ キ ャップ がもら えな いと のこ と。 会 員 各位 のご 声援 をお願 いし ます。 北 陸 支 部 支部 通信員 宮 田 三 郎 学 会 終 了 後 場 所 を大 ホ ー ル に 移 し て 原 瀬 支 部 副 北 陸支 部 の会 員数 は現在14名 で石 川12名富 山 ・ 福井 各 1名 です。年 1回 の同窓 会 を石 川県 の加 賀 会長 の 司会に より懇 親会 が催 され 愛媛 ではす でに 能登 の温 泉地 で 行って い ます。一 昨年・は 大学 よ り 恒 例 となっ てい る 各歯科 大学 の同 窓会 会長 及び県 山本 博武 教授( 保 存学 ) を迎 え て和 兪温泉 で 夜 の 歯 科医 師会 副会長 、全 常務 理事 等 多数 の来賓 をお 更け るの も忘 れ てなつ かし い思 い出話 に 花 を咲か 招 き し て 盛 大 に 行 わ れ たO 田 窪 支 部 会 長 の 挨 拶 に せ ました が 、昨年 は大学 当 局のつ ご うで 会員 だけ の同 窓会 でし た が、や は り大学或 は 同窓 会 本部 よ 年 は 吾 が 歯 科 覃に とっ て 重 要 な る 参 院 選 の 年 で あ ひ きつづ き 来賓 の 祝 辞が 次々 と 述 べ ら れ 、 こ と に 本 り御 出席 いた だ いて開 催い たし たい と思 っ てお り り全国一 の 得票率 を誇 っ てい る愛 媛県 では 参院選 ます。 必 勝を 期し て大い に 盛り上 が った もの とな った。 今年 の春 の 叙勲 で先 輩の 新谷 富士雄 先生 ( 専11 回) が勲五 等 瑞宝 章 を受 章 され まし た。 本当 にお 目度 とう ご ざい ますO こ れから もお体 に 十分 気 を つけ て 校 医 として自宅診療、衛生指 導に 益々 ご 活 躍 下 さ る よう希 望致 してお ります。 愛 媛 県皮 部 支 部 通信頁 岩 渕 晃 三 愛 媛県 支部 総 会並 びに懇 親 会開催 去 る5 月10 日愛媛 県 支部 総会 、学 会並 びに 懇 親 会が 本部 より上潟口専任理事、学 会講 師とし て 生理 学 の中 原敏 教 授 をお 迎 えし て松 山市 の三 越 会議場 に て開 催 され た。総 会 は忽那 明専 務理 事 の司 会に 28 さ れ 、 新 し い 役 貝 も 選 出 さ れ たO 続 い て 会 場 を小 倉 北区 内 の ホ テ ル に 移 し、 恩 師 ・ 大学18 期生 卒業10 周 同 窓生 な ど多数 の出 席者 を得 て記 念祝 賀会が 開か れ た 。 上 野正 康 学 長 を は じ め 来 賓 の 方 々 よ り 祝 辞 年 記念同窓会の報 告 を い た だ き 、 さ ら に 、 永 松 育 英 会 に18 期 卒 業 生 よ り ゛母 校 の た め に 役 立 て て 下 さ い ″ と 金 一 封 を 贈 っ た。こ のあ と、池 尻茂 前学 長に よ る鏡開 きで祝 大学18期 生 の卒業10 周年 記 念同 窓会 は、 4月18 宴 に うつ り 、 祝 賀 会 は 盛 会 裡 に 終 了 し たO 祝 宴 ・ ・19 日に開 催 さ れた。18日のレ クリェ ーシ ョン に 二 次 会 と 短 い 時 間 で は あ っ た が10 年 ぶ り の 再 会 と 始 まり 、19日に は母 校の学 生 食堂で 旧友 と 語りつ あ って 、全 貝が恩 師や 旧友 と語り 、唄い 、 踊る な つ懐 かし い 味覚 を味 わっ た。続 いて 、新 築 され た ばか り の附 属図 書館 の視聴覚 教 室で 、学 生時 代 の ど 、時 が経つ の を忘 れて 過し た。 5年 後に再 び一 体育 祭や マ ラ ソン大 会など の スラ イド を映し 、若 で 賑っ た。 堂 に 会 す るこ と を 誓 い 合 っ て 、 夜 の 小 倉 は 遅 く ま ( 大 学18 期 空 閨 記) き 日の己 の 姿に 笑み がこぼ れる 和や か なひ とと き であ ったO 総 会で は 、九州 歯科 大学18期 生 会の 設立 が決議 祝 宴 で は 恩 師 や旧 友 と の 間 で 思 い 出 話 に 花 が 咲 い た 祝辞を述べる上野学儁 ペ リ オ に つ い て 口 腔 顎 系 の 多 面的 な問 題とし て 学 一 術 講 演 会 催 る / 謙 虚 にかつ 広 く深 く展開 さ れ 、質疑 応答 では 、若 い会 員 より活 発な質 問 があ り、 成功 裡の 内に幕 を 講 師 森 克 栄 先 生- 閉じ た。 昭 和54 年 度 学 術 講 演 会 が 2 月16 日出 福 岡 市 に て開 らか れた 。数 日来 の寒 波で 近郊 の背 振連 山 には 白 いも のが みえ る様 な冷い 朝 であ った が、 開 始 三 十 分 頃 よ り 多数 の 会 員 が 会 場 で あ る 大 博 多 ビ ル12 階大 ホ ー ル に 参 集 し 始 め た 。 会 は平 野学 術 委員長 の 開会の 辞 に始 まり 、穂 坂 恒 夫 同窓 会長 の 挨拶 の後 、学 術部 顧問 であ る豊 永 美 津 糸 先 生 よ り 講 師 紹 介 が あ り 、 講 演 が 始 ま っ たo 演 題は 歯 周疾 患(ペ リオとエ ン ド) の治 療限 界 特 に 治 療 効 果 か ら 検 討 し たSeq ue ntial Therapy で、 東京 都世 田 谷区 に開業 さ れて いる 有名 な森 克 栄 講師 に より 豊富 な臨 床経 験 をも とに 、時 には辛 辣 と も お も え る 話 術 で も っ て 、 会 場 を う め る288 森先生の講 演 名 の同 窓会 員 諸氏 に熱 烈な 話 をさ れた。 エ ンド と 29 卒 業 式 第28回 卒業 証書 授与 式 昭 和55年 3月21日、記 念講堂 にお い て、 亀井 県 知 事( 代理 )上 野学 長 をはじめ 、 前池 尻学長 ・穂 坂 同 窓会長 臨席の もとに105 名 の卒 業 証 書 授与 式 が 行 われた。 ヒ ポ クラテ ス像の 前で 、ヒ ポ クラテ スの貨 誓文 を誓い 、 歯科学 徒とし て 、 日々 研 鑚を 行い 、歯科 医 師 として の社 会的 使 命を深 く自覚 し て卒 業 して 昭 和54 年 度 卒業 式 風 景 い った 。 入 学 関 係 男 55年 度大 学・ 大学院 入学 式 受 験者 現 役 昭 和55年 4 月12日出 午前10時 よ り、母校 記 念 講 堂に お いて 、第32回大 学 入学 式お よび 、第15回大 学院 入学 式 が挙行 さ れた。 本年 度学 部受 験生318 女 合計 20 139 159 合 格 者1 43 16 59 受験者 147 27 174 合 格者 55 浪 人 名 より 見事合 格し た もの121 名 であ った。 大 学院 62 一一 生は15 名であ っ た。 昭 和55年 度 入学 試験合 格者 調 高 ││ 匸 校 55 53 54 (2) (現役) に) 卒 業 年 52 51 ・(3) (4) 二 度 50 (5) 計 鶻 高 55 54 (現役) 巾 北 海 道 山 梨 青 静 岡 富 山 岩 手 岐 城 愛 知 2 山 形 福 井 1 福 島 栃 木 1 1 石 茨 城 新 1 1 埼 玉 千 束 刈 葉 .1 京 神 奈J11 1(1) 2 1 1 1 1 I I 1 | | 1 1 2 11 1 1 4(2) 2 12 1 1 叩) 1 糺) | 兵 庫 鳥 取 2 | 長 野 | 和 歌 山 5(1) 1 2 ││ il 大 阪 i 2 l 1 3 ││ 1 川 奈 良 諒) 度 計 仞 49以上 (5) (川 j 1 京 都 群 馬 年 51 (4) 阜 | 三 重 潟 業 1 ∩ 茲 賀 1 1 卒 53 52 (2) (3) 1 森 秋 田 宮 校 岡 山 一一 30 − | 4(1)I1 い 州 』 | | ∩ | 刈 匸 島 高 校 卒 業 年 度 根 53 (2) 52 (3) 51 (4) 1 広 島 瞋 香 1 川 徳 島 1 一 次 長 崎 6 卵) 宮 崎 1 鹿 児 島 1 川 沖 繩 1 o ) 福 9〔3〕 1 1 1 1 3 − 罔 一一 佐 賀 53 (2) 業 52 (3) 年 51 (4) 度 50 似 上 (5) (り) 2(1) 熊 本 1 4(3) 2 大 分 ァ 2 校 卒 55 54 (現役) 剛 - 2 1(1) 愛 媛 一高 一知 r■ 1 3 山 囗 50 似 上 (5) (6 川 高 言 計 55 54 濁 殳) 剛 岡 − 2剛 6剛 1 川 瑁 - 1 2 1 叫 鎗〕 3 2 2 1 59 28 7 3 2 5(1)扉 ) ■ ・■ ァ 11 10 計 (16) (6) 120 (1) (23) − - 参 考 事 項 備 考 男 300 女 33 計 一 受 333 男 286 験 女 32 者 計 318 合 男 格 者 女 志 願 者 98 一 23 一 計 現 受験者 男 男 女 - 41 一 に 女 98 3 34 3 98 3 - 男 女 13 139 20 50% 13 43 16 49% 12 50% 7 51 % 9 147 4 一 55 一 40 90 10 196 22 286 32 6 74 17 98 23 合 合格 者 一 一 受験者 24 100 218 318 計 合格 者 31 89 121 m 31% 69% 26% 74 % 計 ン タ ル 計 受 験者 121 デ 県 外 合格者 9 役 − 受験者 そ 49 の 合格者 一 一 他 15 率 八 オ ー ル 県 内 率 募 集 人 貝( 定 員)120 人 関 し て - な れば話 は違 い ます。 参加 校全 てが似 たよ うな立 場 に あ り 、 ど の ク ラ ブ も 目 標 を 『デ ン タ ル で 勝 つ こ と』 にして い るので す。 全 日本歯 科学 生総 合体 育大 会 (略称 デ ン タル) は、 全国の 歯学 を志 す若 人 が、 スポ ーツ を通じ て デ ンタ ル開催 まであ と わず かとな り、各 クラブ 相 互の 交流 ・親 睦 をば かり、 そ れに よっ て人 間形 と も 目 標 達 成 の た め に毎 日 練 習 に 励 ん で い ま す。 成 に寄 与す ると い う目的 を達 成す るた め に毎年 一 回 行 な われる もので す。 今年 は鶴 見大 学歯 学部 の 大会 日程 予定 お よび競 技会場 は 前回号 に掲 載 さ れ 主 管 で第13回大 会 が開催 さ れ、 本学 から も16種 目 輩方 に応 援し てい た だけ れば、非 常 な励 まし とな に参加 す る予定 に なって い ます。 歯学 部と い う特 り 、 よ り い っ そ う の 成 果 を上 げ る こ と が で き る と 殊 な単 科大 学で あ るため 、北 九州 の一 般 大学 との 試 合で は負 け ること が多 いの で すが、 デ ン タルと 思 い ま す。 大 会 期 間 中 の 応 援 を よ ろ し く お 願 い い てい ますが、遠 方 まで 行く 選手一 同 にとっ て、 先 た し ま す。 ( 学 生 体 育 会 ) 31 大 学 ( 第32 回) 入学 生名 簿 番号 出身 校 本 籍 番号 氏 名 出身校 本 籍 長 崎 1 安 部 昌 史 修 猷 館 福 岡 39 城 台 維 子 長 崎 南 2 荒 善 信 東 筑 福 岡 40 杉 田 周 子 宮 崎 南 3 荒 牧 利 裕 愛 光 福 岡 41 重 岡 利 幸 小 貪 4 有 田 正 博 下 関 西 山 口 42 嶋 田 潔 宮 崎 一一 一 岡 福 ・- 一 大 野 福 井 5 安 丙 茂 廚 一 6 池 谷 朧 浩 脇 町 徳 島 43 白 浜 立 二 久留米大附設 鹿 児島 浜 松 北 静 岡 44 末 永 隆 下 関 西 7 板 野 賢 小 倉 福 岡 45 杉 岡 英 明 広 島 基 町 山 囗 一 広 島 8 伊 東 毅 別 府鶴 見丘 大 分 46 鈴 木 克 年 磐 城 福 島 9 飯 田 さ を り 松 山 東 大 阪 47 瀬 冂 清 文 大 分 10 井 山 理 美 子 束 筑 鹿 児島 48 高 田 一 関 西 大 倉 高 田 利 之 11 伊 藤 秀 樹 紫 野 京 都 49 鈴 木 潤 子 浦和第一女子 埼 玉 12 井 村 秀 樹 松 江 南 島 根 50 - 田 中 し の ぶ 山 口 山 口 13 大 川 智 弘 熊 本 熊 本 51 高 浜 栄 二 筑 紫 丘 熊 本 日 田 大 分 52 田 代 枩 鞍 手 福 −- 一 宗 像 一福 岡 東 筑 福 圖 萩 山 口 14 − 氏 名 大 倉 秀 一 郎 15 大 野 昇 兵 庫 兵 庫 一 53 竜 口 雅 成 16 岡 原 圭 三 柳 井 山 口 54 立 園 隆 右 一 一 田 中 克 典 大 阪 岡 17 大 心 池 清 和 広島大学附属 広 島 1 55 18 加 藤 寛 二 呉 三 津En 広 島 56 田 中 勝 馬 西 南 学 院 福 岡 19 大 谷 朗 栄 今 治 西 愛 媛 57 田 辺 道 徳 小 倉 20 沖 田 幸 子 田 川 福 岡 58 .田 沼 芳 愽 茂 木 福 岡 一 栃 一木 21 加 藤 浩 津 西 三 重 品 干戈  ̄生 今 治 西 愛 媛 順 子 金 田 和 彦 林 野 岡 山 60 二 宮 志 乃 一 一 一岡 国 立 福 23 河 野 秀 鯲 鶴 丸 宮 崎 61 玉 乃 井 勉 松 山 東 愛 媛 24 北 原 利 彦 大 分 舞 鶴 佐 賀 62 .玉 寄 兼 治 束猷 附属尠5 沖 繩 兵 庫 中 国 門 司 福 岡 愛 知 22 25 木 村 元 信 修 道 広 島 63 陳 隆 俊 26 許 芳 郎 寝 屋 川 朝 鮮 64 塚 本 浩 樹 1 27 草 場 隆 夫 大 里 福 岡 65 柘 植 優 三 一 宮 西 28 楠 原 光 珍 清 水 谷 韓 国 66 槌 本 亮 二 郎 鷦 本 マ リ スト 学 園 熊 本 29 川 人 貴 子 池 田 徳 島 堤 隆 志 済 々 黌 熊 本 30 五 島 恵 子 熊 本 熊 本 東 島 哲 安 房 干 葉 31 小 西 法 文 土 佐 香 川 69 野 末 優 子 門 司 一 福 岡 32 駒 形 廉 平 長 岡 新 潟 70 箱 田 倫 弥 金 光 学 闡 広 島 33 小 山 要 三 国 丘 大 阪 71 戸 高 祥 二 八 代 熊 本 72 一一一 一73 豊 田 博 佗 明 善 福 岡 | 内 藤 徹 新 城 東 愛 知 1 74 34 斎 藤 俔 郎 川 越 埼 玉 35 坂 口 洋 一 一 一 岡 崎 愛 知 匸 一 京 36 佐 川 秀 樹 都 立 西 束 中 崎 裕 高 鍋 宮 崎 37 佐 藤 礼 生 ラ・サ ール 緇 岡 75 中 島 和 久 松 江 北 島 根 38 真 . 田 英 太 郎 | 高 松 香 川 - 76 中 林 弘 行 生 野 大 阪 −32 − 番号 氏 名 出身校 本 籍 番号 氏 名 出 身校 本 籍 77 西 野 一 寿 東 筑 福 岡 100 松 尾 典 子 加 古 川 束 兵 庫 78 畑 弘 倫 岡 山 白 陵 大 阪 101 光 広 裕 次 広 島 舟 入 広 島 79 平 本 悦 次 小 倉 福 岡 102 峯 島 正 志 横 浜 翠 嵐 茨 城 80 日 南 休 智 恵 束 筑 福 岡 103 三 原 豊 弘 萩 島 根 81 平 元 芳 哉 鳥 取 西 鳥 取 104 宮 川 武 昭 戸 畑 長 崎 82 藤 井 勝 也 長 崎 北 長 崎 105 宮 本 亮 二 佼 成 学 園 山 口 83 藤 井 芳 郎 噛司 ぺ ま ゴ 福 井 [i 心 い 106 村 瀬 岳 仁 南 山 愛 知 84 藤 田 浩 別 府鶴 見丘 大 分 107 村 田 比 呂 司 広 島 基 町 広 島 85 藤 野 康 則 福 岡 福 岡 108 毛 利 保 幸 門 司 福 岡 86 藤 原 正 彦 岸 和 田 大 阪 109 安 増 恵 子 明 治 学 園 福 岡 87 細 川 隆 司 久留 米大附設 福 岡 110 矢 野 裕 子 門 司 福 岡 88 堀 江 俊 典 目 黒 東 京 111 森 高 民 三 朝 倉 福 岡 89 [j 野 美 奈 子 下 関 南 山 囗 112 森 本 佳 成 智 弁 学 園 奈 良 90 藤 崎 千 和 松 山’ 東 愛 媛 113 八 尾 正 己 米 子 束 鳥 取 91 前 出 忠 彦 宇 部 滋 賀 114 山 内 英 史 武 蔵 佐 賀 92 牧 憲 司 鹿 児島中央 鹿 児島 115 山 畸 陽 司 綾 部 京 都 93 真 島 隆 一 湘 南 新 潟 116 山 田 昌, 樹 松 山 東 愛 媛 94 増 山 智 美 鷦 丸 鹿児島 117 吉 田 毅 小 會 福 岡 95 町 野 進 広島大学附属 広 島 118 米 尾 政 一 郎 宮 崎 西 宮 崎 96 松 本 克 彦 高知 追手 前 高 知 ` 119 米 村 幸 城 姫 路 西 兵 庫 97 真 鍋 雅 夫 御 影 兵 庫 120 吉 岡 江 里 子 宇 佐 大 分 98 丸 田 洋 一 小 金 京 都 121 吉 田 美 穂 岩 国 山 囗 99 正 木 園 子 高 津 兵 庫 大学 院(第15 回)入学生 名簿 番号 氏 名 本籍 主 科 目 丸 山 陽 市 福岡 歯 科 矯 正 │ 杉 本 忠 雄 大阪 口 腔 病 理 学 3 安 藤 彰 福岡 口 腔 衛 生 学 1 4 児 玉 紳 介 宮崎 歯 科 矯 正 学││ 5 駒 井 英 基 福岡 歯 科 補 綴学 第 2 1 ∩ 卜 6 松 尾 和 廣 |佐 賀 小 7 山 保 存 学 8 地 誠 治││ 型II 学| 児 歯 科 学 第 2 久 保 雅 晴 大分 歯科 補 綴 学 第 1 1 9,・ 安 元 和 雄 福岡 歯科 補綴 学 第1 1 1101 福 光 保 之 福岡 保 存 学 庁 台湾 歯科 補綴 学 第1 11 梓 琲 33 第 1 学内 人 事 異 動 4 月1 日 鯨 吉 夫助 手 (体育 学) 岩 永伸 子助 手(口 腔細 菌 学) 転 退 職 河 岸重 則助 手(口 腔 科学) 3 月31 日 和 田 寿 教 授 ( 体 育 学 、 定 年 退 職 ) 大 木達 雄助 手(保 存学 第 1) 徳 永純 一助 教授 (細 菌学 、鹿 大 教授) 徳 永 美 和 子 講 師 ( 夕 り 力教授 ) 坂 本将 尚助 手( 々 ) 岩 谷 秀明助 手(補 綴 学第 1) 堀 孝良 講 師 ( 補 綴 学 第 2 、 開 業 ) 安蘇 健 二助 手(補 綴学 第 2) 新 見昌 一助 手( 細菌 学、 鹿大 助手) 関 正 広助 手( 〃 ) 岡 本幸 代助 手( 保存 学第 1、 在家庭 ) 入 学陽 一助 手(口 腔外 科学 第 1) 樺 島 邦 仁 助 手 ( 々 第 2 、 勤 務 医 ) 山 崎 博助 手( 々 ) 帆鷲 郷一 助 手( 補綴 学第 1、 開業) 矢 野茂 良助 手(口 腔外 科学 第 2) 若 松敏 行助 手( 補綴 学第 2、 開業) 山隈 正 人助 手( 々 ) 久 保 哲 郎 助 手 ( 口 腔 外 科 学 第 2 、開 業 ) 大石 範子 助手 (内 科 学、結 婚) 有 松俊 明助 手(放 射線 学) 今浪加栄 子助 手 (・j ヽ児 歯科 学) 原 田 篤 実 助 手 ( 々 九 大 助 手 ) 福 村淑子 助 手( ク ) 中 武 幸 一 助 手 ( 々 九 大 研 究 生 ) 仲 西 修 助 手(麻 酔学 ) 瀧原 秀憲 助手 (外 科学 、福 大助 手) 井 上 文 夫 助 手 ( 々 勤 務 医 ) 菊地 正 統助 手(内 科学 ) 吉富 宏 治助手 ( 〃 ) 中 山 真 一 助 手 ( 々 国 立 福 岡 東 病 佐 々木 晃代助 手( 〃 ) 院) 池田 正仁 助手 (外 科学) 4 月19 日 古 賀 利 枝 助 手 ( 口 腔 細 菌 学 ) 武藤 庸一助 手 ( 々 ) 任 用 坂田 久信助 手 ( 々 ) 3 月 1 日 竹 原 直 道 助 教 授 ( 昇 格 、 口 腔 衛 生 学 ) 斉藤 敏子助 手 ( 4・ 旧 中 照真助 手 (口腔 外科 学 第2) ) 5 月1 日 落合 俊助 手 (口腔 衛生 学) 学部棟別館建設について 〔九州歯科 大 学建 物配置図〕 昨年 、新 設 さ れた 歯 科麻 酔学、 小児 歯科 学 、口 腔 科学 の 3講座 の研究 室 を確 保 する こと と、 従来 から の基礎 、臨 床の 各 講座 も研究 室 が狭小 に なっ てい ること から 、昨 年11月末 に学 部棟 新館 の建 設 を県 に要求 した が、 本年 度の 予 算に 調査 設計 料が 計上 された。 こ のよ うに、 スピ ーデ ィに 予算 が計 上 されたの はあ まり例 のない こと で あ る。 最初 、要 求し た建物 の 規模 は地 下 1階 、地上 5 階であ った が、 予算 の関 係で地 上 4階 (総 床面 積 3300 )の 建物 に縮小 された。 建 物 の建 設場 所 は 現 在の 解剖棟 の 西側 、記 念講堂 と の 間の空 地で あ る。 建 物 の部屋 割 は、 1階 に学生 用 ロ ッ カー室、 機 械 室、 2階 に大 会議室 、歯 科衛 生 学院 の教 室、 院 長 室、 専任 講師 室、 3・ 4階 に基礎 、 臨床 から 数 講座 が移転 する予 定 であ る。 移転 す る講座 など の 詳細 に つい ては 、現 在検討 中 であ る。 心 本年10月 には設 計 を完 了す るこ と になっ て おり、 近年 中 に完 成 す ると思 われ る。 ( 中原 記 ) 道 3 号 徊 九 州 歯 科 大 学 建 物 配 置 図 34 学部 棟 3階 にあっ た旧 図 書館( 閲覧 室・事務 室・ 電 子顕 微 鏡 など) を一 室に集 中設 置 させ て、全 学 書庫 ) と それ に隣接 す る生化 学 実習 準備室 を合 わ 的 に共 用 で きる態 勢に 整え 、もっ て研究 能 率の 増 進 をは かるこ と を目的 とし てい る。 中央 研究 室 の せた総 面積約1700 を中央 研究 室 とし て活 用す る ため、昭 和54年 9月 から 大改 造工事 を進め て きた 略 図 を示 すと 次の よ うにな る。 が、予定 ど おり 本年 3月31 日に完成 し た。 こ の研究 室 は、 こ れまで学 部棟 や病院 棟 の各 講 れた。 ( 4月 9日 島村 記 ) 中央 研究 室 の室 長は 学長 が兼 ねるこ と に決定 さ 座 研究 室 に分 散 されて いた 大型の研 究 機器 (各 種 〔 中 央 研 究 室 略 図 〕 R ¨¨¨走 査 電 顕 室 E2 … … 雌l 室 室 〔説 明 〕E1 R 。 ‥‥‥‥‥‥N音 … …透 過電 顕室 E3 … … ア ナ ラ イ ザ ー 室 G E4 A … … 原 子 吸 光 室 o …… …… … オペレ ー ター室 CI ガ ス クロ マ ト 室 P …… …… …a周整 器室 … …2令 室 C2 … … …11 亘 温 室 1 2 。3… … 蒸 留 装 置 4 5 …… … 洗 浄 器 ″ h︶ S … … 超 遠 心 機 製 氷 器 7 イロ ハ ニ ホ … … 準 備 室 8 35 ド ラフトチ ェ ンバ ・研 究 台 昭和55年度 国内・国外派遣研修員推せん一覧 国 内 順位 順位 研 修 題 目 所 属 職 氏 名 派 遣 先 期 間 口 腔解剖 2 助手 小 林 繁 国立 科学 は 物館動 物研 究部 55 年 5 月 9 日 8 月8 日 所 属 職 氏 名 派 遣 先 期 間 口腔解 剖 1 教授 山 田 博 メ キシ コ μ 講師 六 反 田 篤 // μ 助手 伊 東 励 μ μ 講師 六 反 田 篤 中 華民 国 台 湾 省 yj 助手 伊 東 励 μ 薬 物 助手 竹 中 栄 子 ア メ リカ 合 衆 国 8 月6日 8 月31 日 歴 史 学 教授 熊 谷 治 Xチ ェ レ マ ーア コ ポーラン ド ハ 之ガリ ー 8月 7日 8 月26 日 生 物 学 助手 高浜 有明夫 西 ド イツ フ ラ ン ス ギリ シア 55 年 7 月1 日 56 年 3 月31 日 葉緑 体で の光 エ ネル ギー変換 機構 の研 究 口腔 外科 1 助手 福 田 仁 一 55 年 8 月31 日 56 年 8 月30 日 骨移植 に 関す る実 験的研 究睡 顎口 藍裂 の形 成手 術に躙 す る研究 ( 文 部 省 在 外 研 究) ス イ 8 月15 日 8 月31 日 μ // μ μ 36 − 国際 解剖 学 会に 出席の ため ( 第11 回) // 7 月10 日 7 月20 日 ス 研 修 題 目 台 湾山胞 の歯 科学 的研 究 及び口腔 衛生 状況 の研 究 メノ 歯 科用薬 剤の 発癌 性荳 びに 歯牙 硬 組 織に 及ぼ す作 用動 態に関 する 研 究 、実験 操 作の ため ーア 第15 回 国 際 歴 史 学 会 が ル ー マ にて 開催 され る。こ れに 参加 し 各 岡 の 研究 実態 を知 るため 7777T 匸 口 叭,州 洫ダ 糾 大 学し:= … … 10 田 嗇 教 授 退 官 記 念 和田寿教授退官 され る 『 和 田 課 寿 教 授 退 官 さ れ る 程 体 育 学 教 授 と し て 奉 職 さ れ て い た 和 田 本 年 3 月 末 を 以 っ て 定 年 退 官 さ れ ま し た 年 本 学 の 前 身 で あ る 福 岡 県 立 医 学 歯 等 学 校 久 留 米 大 学 ( 歯 学 コ 進 学 先 生 が 先 生 は 昭 和19 学 専 門 学 校 ー ス ) こ の30 学 生 』 。 、 川 日 制 高 、 を 経 て 昭 和33 年 4 月 か ら 本 年 3 月 ま で 数 年 間 つ ね に 一 貫 し た 教 育 理 念 に 基 づ き 、 指 導 と 大 学 運 営 に 情 熱 を 傾 注 さ れ て き ま し た 退 官 に 先 立 ち 日 記 念 講 堂 で 最 終 講 義 の永年 の御 尽 力に感 謝し 、今 後の御 発 展と 御多 幸 が 行 な わ れ たO 年 に 亘 る 先 生 白 身 の 教 貝 生 活 の 体 を祝 って 、盛 会の うちに 終了し た。 なお 、先 生 の現住 所は下 記 の通 りで す。 で 2 時 間 余 小 倉 ホ テ ル 会 場 に は 本 学 、 、 。 1 月30 テ ー マ 験 か ら 「 私 り 講 演 日 に は に お い て 退 官 記 念 祝 賀 会 が 開 催 さ れ た 教 職 員 や 卒 業 生 が 多 数 出 席 し 、 先 生 。 を さ は40 、 数 の 人 れ 生 た 。 観 ま と た 教 育 2 、 へ 月 の 9 私 見 」 〒8n −41 福 岡県宗 像郡宗 像町 自由 ヶ 丘3丁 目19− 1 和 田 な T EL(09403)3−7179 。 "・ ●・-・││ ●・ 〃・sI・・ 〃 ●〃・lllllil・・ 〃a・J・J・・-・II ●-・-・11 ●・ ●-・・-〃。 ・ ●1 ● III ●S--g ●、● I ・ ●J_ 再yl ご 創 手・・rrII 争-- φ 立30 周 ゛ ¨ ゛4 丶 4 年 記 -・・ 之・・・,-.,・ 之・・-・・,-4・- 念 式 與 丿挙 行 さ る ●・-,・,II・ 〃・41・・ミi・ 心,--J・・t〃・ 〃・・S・,-J,-. ” ; 4 より 、昭和24年 4 月設置 され た7つ の養 成所 の う 6 月22 日 (日) 、九川 歯科大学附 属 歯科衛 生 学院 創 立30 周 年 の 記 念 式 典 が 挙 行 さ れ た 。 学 院 開 学 以 来 ちの1つ とし て 、福岡 市に 開 設さ れた福 岡 歯科衛 初 め て の 式 典 で あ り 、 九州 歯科 大 学 歴 代 学 長 の 坪 生士 養 成所 とし て発 足し た。翌25年 4 月に 九州 歯 很 政 治先 生 、 平 川 正 輝 先 生 、 池 尻 茂 先 生 、 上 野 正 康 現 学 長 を 始 め 歴 代 学 院 長、 歯 科 医 師 会、 講 師 な ど 科 大学 内に移 さ れ、昭 和39年に は 、九州 沫 「科大 学 の 附設 機関 とし て九州 歯 科大学 附 属染科 衛生学 院 多 く の 来 賓 の ご 臨 席 を い た だ き 、出 席 者は 学 院同 と 名称 を変 更し 、現 在に 至 っ てい る。現学 院長 は 、 窓 生 を 含 め 約350 佐 伯栄一 教 授( 口腔衛生 学 ) てヽ ヽ あ る。 名 に 及 び 盛 会 で あ っ た。 講 演 は 、 九 州 大 学 安 藤 延 男 教 授 に よ る ゛生 き が その 間 、2年 間の閉 鎖時 代 を除い て 、養成所 と い 、 ま た は 人 生 の 危 機 に つ い て ″ で`あ っ た 。 し て12回 、衛 生学 院と して16 回通算28回 の卒業 生 式 典 後 、 来 賓 の 先 生 方 を まし え て の 祝 宴 が 取 り 行 な わ れ 、 養 成 所 卒 業 生 か ら 在 学 生 ま で がー- 同 に を世 に 送り 出し てい る。 卒 業生 総数878 名 であ るO 学 院は 、全国 に最 初に 出来 た 歯科 衛生士 養成所 機 会し 、約 2時 間恩 師 を囲ん で学生 時 代の懐 し い 想 関 であ り、 最も長 い歴 史 と伝統 をもち 、更に全 国 い で 話 し に 楽 し い 一 時 を過 し た 。 最 後 に 、 学 院 の 唯一 の 公立 歯科大 学附 属の 歯科 衛生 学院 とし て高 こ れ か ら の 発 展 を 祈 っ て 閉 会 さ れ た。 い 水 準を誇っ てい る。 衛 生 学 院 は 、 歯 科 衛 生 士 法 制 定 ( 昭 和23 年 ) に 佐 伯 学 院 長 の 式 辞 37 一住 所 変更 等 のお知 らせ 一 名 誉 会 員 ( 六 月末 日受 付分) 職 名 氏 名 郵 便 番号 元 教 授 大 曲 靖 夫 807 住 所 北 九 州 市 八 幡 西 区 東 折 尾18 −11 電 話 093 −691 −0576 特 別 会 員 氏 職 名 名 吾 秋 輔夫 卒 業 回数 欽 種 泰文 本 山 貞宮 木 中 秋荷 授授 授授 教教 教教 元 元元 元 友 一 泉 住 郵便 番 号 − 730 一 所 電 話 一 広 島 市南千 田 西町 3番 1号 062 札 幌 市 白 石 区 東 札 幌 3 条 2− 1 コーユーハイデンス1303 号 011 −811 −5548 062 札 幌 市 白 石 区 東 札 幌 2 条 5 丁 目7 011 −824,−3438 874 −01 別 府市 亀川古 市 5組 1 −10 −505 会 氏 郵便 番号 名 住 所 宏宏 忠 代 山 野 福 1717 大 大 800−02 813 小 倉 南区沼 緑町 4丁目16番10号 福 岡 市東 区香住 ヶ丘 4 丁目16番17号 郵便 番 号 800 801 住 所 電 話 093−471−8238 092−661−6977 門 司 支 部 卒 業 回数 名 氏 毅 浩 則 夫 宏 巧 芳功 芳 谷 辺 田 田 溝 畑 32 42 42 5 2 鳥 渡 松 柳 大 中 1518 大 大 大 大 大大 801 800−01 802 800 門司 区 黄 金町2 −24 第3マ ナ ーハ ウス3F 門司 区 丸山I −11− 9 飾 門司 区 清滝5 −1135− 5 門司 区栄 町5 −12 第一工 藤ビ ル (退 会) 門司 区 大字畑 字 大道829− 1 小倉 南 区北 方2 −11−35 門司 区 黄金 町3 −26 前田 ビ ル302号 電 話 093−391−3355 093−331−3664 093−331−5557 093−332 −1561 093−481−3595 093−941−4173 093−371−8183 小 倉 支 部 氏 名 卒 業 回数 一 大 6. 中 道 正 義 大 16 内 田 稔 大 18 吉 永 栄ご 樹 郵便 番号 住 所 一 一 803 小 倉北 区上 到津 2 丁目3 − 1 −403 勵)yj ヽ倉 南区 下徳 力1 町内 806 八幡 西区 別所 町 6番23−101 803 斡 小 倉北 区 東篠崎 1 丁目6 −5 −207 小 倉北 区 霧 ヶ丘 2丁目 9− 9 802 38 − 電 話 093−592−0329 093−961−6620 093−642−0317 093−951−7125 卒業回 数 大 18 大 20 雄 三 実 達泰 5 名 藤部 県 氏 近 罔 - 覇 津 郵便 番 号 一 一 803 803 住 小 倉 北 区 日 明2 所 −2 電 −20 小 倉 北 区 緑 ヶ丘 1 丁 目14番37 号 稲 生 ビ ル102 号 勵 ) 小 倉 北 区 緑 ヶ 丘 1 丁目14 番37号 稲 生 ビ ル yj ヽ倉 北 区 下 到 津 1 丁 目2 803 −14 勵 ) 七ヽ倉 北 区 下 到 津 4 丁 目61 番 地 大 20 山 地 正 樹 803 大 21 植 波 寛 也 803 小 倉 北 区 下 到 津 4 丁 目10 − 6 勵 ) 小 倉 北 区 中 #1 −16 −12 小 倉 南 区 下 南 方 岩 鼻590 − 8 木 利 一 保 山尻 松 池 滝 大大 2222 2223 大 大 勵 ) 小 倉 南 区 大 字 蒲 生 字 山 の 下1305 康 宏 喜代 治 800 800 千香 子 洋 一 802 802 02 − 5 小 倉 南 区 葛 原 1 丁 目13 −16 門 司 区 藤 松 1 丁 目12 −20 勵 ) 小 倉 南 区 湯 川 5丁 目10 −10 北 九州 湯 川 総 合 病 院 大 23 小 倉 北 区 黄 金 町 1 丁 目2 小 倉 北 区 足 立 3 丁 目5 −21 −3 松 山歯科 −201 勵 ) 小 倉 北 区 貴 船 町 1 番 1 号 小 倉 記 念 病 院 豊 802 小 倉 北 区 黒 原1 −2 鮓 小 倉 北 区 大 畠1 大 23 田 中 裕 治 大 24 小 田 秀 幸 807 803−01 802 −20 −202 −1 勵 ) 小 倉 南 区 大 字 市 丸474 番 地 1 小 倉 北 区 足 立1 −11 −36 馴 小倉北区堺町卜2-16 大 24 久 鍋 渭 800 −02 大 26 槇 原 正 人 804 −20 八幡 西区永犬 丸新藤 ヶ丘 3組 十八銀行第一生命共同ビル3F 小 倉 南 区 大 字 吉 田1190 勵 ) 小 倉 南 区 沼 南 町 1 丁 目1 −14 丿戸 畑 区 夜 宮 1 − 1 一27 富 士 ビ ル503 号 勦) 吋ヽ倉 北 区 中 津 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−851 −6482 市 西 区 笹 丘 3 丁 目29 −12 092 −751 −6371 20 勵) 福 岡 歯 科 大 学 比 江 島 俊 和 ,812 福 岡 市 東 区 箱 崎 原 田 3− 2 − 6 | 勦) 福 岡 市博 多 区 千 代5 −14 −24 千 鳥 橋 病 院 歯 科 大 22 − 一 末 廣 裕 815 ,福 岡 市 南 区 三 宅 1 丁 目15 −21 092 −622 −5737 092 −641 −2761 092 −512 −0194 勵 〕092 −5G1 −4412 外 山 大 22 大 23 井 上 覚 健 司 郎男 次隆 田 原 藤笹 2324 大大 815 810 814 810 811−11 815 福 岡 市 南 区 和 田430 −52 092 −512 −4550 齟 092 −781 −2010 福 岡 市 西 区 百 道2 丁 目4 −45 藤 崎 住 宅435 号 092 −843 −2425 勵) 福岡市中央区天神 1丁目15−25 江上ビ ル2F 092 −713 −1367 福 岡 市 西 区 大 字 重 留1297 −10 092 −804 −1963 福 岡 市 南 区 花 畑 2 丁 目31 −13 092 −565 −0183 福岡市中央区 大名1丁目2 −15 坂田ビ ル2F 糸 島 支 部 氏 卒業 回 数 名 郵便 番号 部部生 大 大 蒲 92020 専大大 健 之 助 i 819−11 徼 夫 美 保子 819−11 819−11 所 住 糸島 郡 前原 町 前原358 −36 糸 島 郡 前原町 前原358−36 糸 島 郡 前原 町 前原549−11 電 話 09202−2−5281 09202−2−5281 09202−2−2217 井 支 部 卒 業回 数 ‥ 大 9 氏 名 郵 便番 号 北 原 照 玉 (旧姓 上 野) 830 −12 住 所 電 話 09427 −7 −0032 三 井 郡 大 刀 洗 町 本 郷2280 − 7 久 留 米 支 部 氏 名 郵 便 番 号 卒業 回 数 一一 大 17 古 屋 利 幸 (「日姓E i青川」 830 大 15 田 島 寛 廸 830 住 久 留米 市国 分 町180− 2 勵) 久 留米 市 国分町n97 久留米 市 本町7 −23 所 電 話 0942 −22 −n72 0942 −22 −0203 0942 −39 −7294 勵)0942− 32 −4755 八 女 支 部 卒業 回数 氏 名 郵便 番号 所 住 電 話 一 一一 一一 一 大 8 横 山 茂 834 大 24 川 崎 充 則 833 八女 市北平 塚364− 4 勵) 八 女市 南平塚377 −11 筑 後市 大字徳 久 勵) 筑後 市大字 和泉285− 9 −41 − 09432−2−5537 09432−2一5384 09425 −3 一7232 柳川・ 山門支 部 卒業 回数 氏 名 郵便 番 号 住 大 2 安 田 嘉 道 832 柳 川 市椿 原 町15 大 21 古 賀 剛 832 柳 川 市筑 紫 町 成 町70 −56 所 電 話 09447 一3 −1616 勵)09447 −2 −2789 大 分 県 支 卒業 回 数 09447 −3 −6012 部 氏 名 郵便 番号 住 所 川野 古河 613 県大 臼 杵 市 塩 田292 三千 雄 尚 俊 875 870 杏 典 870 大分市 都町 2 丁目5−6 双葉 タクシービル301号 879−04 876 宇 佐 市 大 字 長 州545 大 分 市 大 手 町 1 丁 日3 −18 黻 大 分 市 府 内 町3 丁 目4 −20 恒 和 ビ ル 3F 大 15 田 囗 純治 明 部田 石 金 1827 薦 大 大 推 勳) 大 分 市 金 池 町 2 丁 目14 −15 電 話 09726−2−3751 0975−36−0124 0975−34−0621 0975−37−8584 0975−33−0322 09783−8−4611 佐 伯 市 中 川 区16 班 倒 佐 伯 市 坂 下 西 町 吉 田 歯 科 医 院 糸 瀬 勝 成 874 別 府 市 船 小 路 町39 勳〕 別 府 市 北 浜 1 丁 目 歯 科 イ ト セ 医 院 佐 賀 県 支 部 卒 業回 数 氏 名 郵 便 番号 住 所 電 話 勝人明 勝 俊安俊正 原 山原田 萩前 萩太 75H13 専県大 大 09546 一 一3 −4073 849 −13 鹿 島 市大 手通 り575 佐 賀 市水 ヶ江 5丁 目8 −19 鹿島 市 大手 通 り575 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町29 −10 0956 −23 −6001 大 12 奥 村 俊 彦 854 諫 早 市山川町 2− 7 09572 −6 −3969 大 13 大 石 久 志 854 諫 早 市 中 尾 町4 −50 09572 −5 −n55 大 13 床 島 昭 男 859 −51 平 戸 市宮 ノ町598 宮 ノ 町 歯 科 診 療 所 ( 退 会 ) 09502 −2 −2732 大 14 品 川 正 雄 857 −01 佐 世 保 市 田 原 町9 −31 0956 −49 −7939 大 16 金 子 鴻 二 852 長 崎 市 滑 石 5 丁 目15 一 4 0958 −57 −1506 勵) 長 崎 市 葉 山 町363 − 8 0958 −56 −0415 大 16 大 17 藤 肇 原 口 昭 平 850 852 長 崎 市 西 山 町 2 丁 目185 − 9 0958 −21 −7439 齟 長崎市伊良林町1−1−1 大場ビ ル2 F 201号 0958 −24 −2616 長崎 市泉 町 3− 6 0958 −44 −8312 勵) 長 崎 市 花 丘 町1 −27 出 ロ ビ ル 2F 0958 −47 −6482 大 18 矢 勳 丸 秀 成 817 下 県 郡 厳 原 町 天 道 茂482 播磨コ ーポ301( 退会) 09205 −2 −5122 大 19 亀 田 純 輔 850 長 崎 市 桜 馬 場 町148 0958 −22 −6448 勵) 長 崎 市 銅 座 町14 一 8 柿 田 ピ ル 3F 0958 −21 −7169 大 村 市 東 三 城 町18 − 2 09575 −2 −2667 勵) 大 村 市 東 三 城 町18 −14 09575 −2 −2667 大 20 大 道 寺 功 856 大 21 稲 澤 陽 三 852 長 崎 市 若 竹 町6 −18 0958 −48 −6288 勵) 長 崎 市 大 黒 町14 − 5 長 崎 ビ ル 4F 0958 −27 −3388 赤 司 睦 雄 850 850 長 崎 市 五 島 町 3 − 3 プ レ ジ デ ン ト 長 崎 6F 0958 −24 −4870 大 21 勵) 長 崎 市 桜 町6 −10 0958 −27 −6707 (退 会 ) 09208 −2 −0785 大 21 深 見 恒 夫 817 −14 上 県 郡 峰 町 佐 賀 大 20 菅 原 秀 道 852 長 崎 市 平 野 町12 − 7 0958 −44 −0748 大 23 川 谷 石 太 郎 852 長崎 市上 野町 2− 1 0958 −46 −3551 大 5 井 上 壽 雄 856 −01 大 村 市 富 の 原2 −57 一 3 09575 −5 −7462 大 8 前 田 弘 道 857 −11 佐 世 保 市 天 神 町843 − 3 0956 −31 −1087 857 勵) 佐 世 保 市 東 山 町 1 − 5 0956 −33 −1260 大 11 大 6 平 井 清 856 大 村 市 武 部 郷324 − 5 09575 −2 −3367 御 手 洗 博 之 817 −14 上 県 郡 峰 町 大 字 佐 賀608 − 2 峰 町立歯科診療所 09208 −2 −0785 大 13 山 本 正 俊 817 下 県 郡 厳 原 町 久 田 道1619 − 2 09205 −2 −3000 軻 下県 郡厳原 町大字今屋敷670−12 厳 原歯科診療所 09205 −2 −2844 熊 本 県 支 部 卒業 回 数 氏 名 郵 便番 号 住 所 電 話 専 7 本 山 実 866 八 代 市 千 反 町1278 − 2 専 9 徳 永 赳 夫 862 熊 本 市 保 田 窪 本 町1007 −11 0963 −82 −7688 860 勵) 熊 本 市 段 山 本 町4 −29 熊 本 市 立 西 保 健 所 0963 −54 −1201 大 8 09653 −3 −4362 田 中 宏 青 山 雅 子 860 熊 本 市 出 町1 − 5 −201 0963 −52 −1864 大 14 869 −31 宇 土 市 下 網 田 町1937 − 1 09642 −7 −0230 大 15 (「日女 生 斉111) 規 矩 保 863 −19 牛 深 市 牛 深 町 大池 田 09697 −3 −2548 43 卒業 回数 氏 名 郵 便 番号 住 所 大 15 坂 本 憲 昭 862 熊 本 市 九 品寺1 大 17 松 枝 勝 昭 869 −46 八 代 郡宮 原 町 大 字 宮 原 村795 −1 0965 −62 −2032 大 18 後 藤 俊 一 862 熊 本 市 龍 田 町 上 立 田1658 −9 0963 −38 −25n 大 21 友 枝 和 夫 862 熊 本 市武 蔵 ヶ 丘 1 丁 目186 0963 −39 −4593 −7 −21 電 話 0963 −62 −6768 勵)0963 −66−135 ε 鹿 児 島 県 支 部 卒業 回 数 氏 名 郵便 番号 県 1 藤 崎 松 雄 891 −01 鹿 児 島 市 上 福 元 町4974 大 12 野 添 良 隆 890 鹿 児 島 市 西 田2 −22 − 3 住 所 電 話 0992 −68 −2338 0992 −54 −5970 魴 鹿児島市山之口町1−10中央ビ ル6F 中央ビル野添歯科 0992 −24 −5125 沖 縄 支 部 卒 業 回数 氏 名 郵便 番 号 所 住 電 男 宗学郎 敏 清 哲 連山 橋 城 勝徳高山 71 856り 1 乙 り& 大 大 大 大 一 具志 川 市赤道178 − 2 浦添 市内 聞582 南 風原 村兼城587 − 2 石垣 市大川13 話 09897−3−7862 0988−79−0648 0988−89−5655 098082 − 2538 山 口 県 支 部 卒業 回 数 名 氏 郵便 番号 寿 明郎文 典尋夫 三 希 昭子 照 岡 鍋 清 永本 本 村 吉真兼徳 松藤木 い1一 11 17 119556 専 専専 専県県県 752 751 744 電 住 所 − − 下 関 市 長 府 黒 門 町 松 原2851 ( 退 会) 下 関 市 赤 間 町2 −17 下松 市新町 下 関 市彦 島 江 ノ 浦 町9 −4 −15 下 関 市 西 入 江 町3 −12 大津 郡油 谷 町向津 具下 南方 宇部 市厚 南区 上 中野 勵) 宇 部 市 西 宇 部 町 西 宇 部 歯 科 750 −11 510 455 777 昭 彦孝彦 満 富吉邦 1610914 大大 大大 北 野 山 田 阿久 津 登 根 下 関 市 小 月 町1074 の 1 徳 山 市 平 和 通2 −23 15 嘉 室 錬 下 関 市 彦 島 本 村 町5 −16 −22 一 0832−45−3614 0832−22−2433 0833−41−0943 0832−66−2652 0832−22−43n 08373−2−0380 0836−41−1046 0836−41−0468 0832−82−0262 0834−21−1045 下 関 市 山 の 田 本 町20 −7 齟 下 関 市 彦 島 江 ノ 浦 町 1 − 7 − 2 大 話 − 一一 751 下 関 市 上 田 中 町6 −12 − 1 齟 下 関 市 中 之 町2 −11 林 ビ ル 2F −44 0832−66−1526 0832−66−8011 0832−32−5641 0832−32−0148 広 島 県 支 部 氏 卒 業回 数 郵 便番 号 3407 3332 7777 人 夫 義利 田 江 石 大 1116 専専 6 県 名 横 山 隆 国 住 村 上 恒 延 大 16 河 底 晴 一 大 18 今 田 義 孝 大 24 高 橋 宏 治 733 720 733 730 720 電 話 広 島市 舟入 南 3丁目 1− 2 0822 −92 −3828 広 島 市 宇 品 西 2 丁 目8 −12 0822 −53 −0437 醂) 広島 市大手町1丁目 NHK中国本部歯科 室 0822 −47 −6161 庄 原 市 川 手 町784 08247 −2 −0471 勵) 庄 原 市 本 町 大 16 所 日赤 病 院 前 08247 −2 −0398 広 島 市 己 斐 東 2 丁 目27 −27 0822 −71 −1942 齟 広 島 市 富 士 見 町 1 − 1 熊 本 ビ ル 2F 0822 −49 −7176 福 山 市胡 町4 −29 0849 −23 −9535 勵) 福 山 市 今 町2 −19 0849 −31 −0041 広 島 市 己 斐 束 2 丁 目15 − 5 0822 −73 −2267 餌 0822 −28 −9334 広島 市八丁堀 3−8 ハ イネズ白峰ビ ル404 福 山 市 光 南 町3 −9 −24 0849 −31 一 一0503 勵)O −23−3136 島 根 県 支 部 ¬ 哇j]数 , 氏 名 郵便 番号 寛 恵 香 川 県 支 699−15 697 住 所 仁 多郡仁 多 町 三成703 −12 浜 田市杉 戸町2637 −1 勵) 浜 田 市相 生町3765− 1 電 話 08545−4−0101 08552−2−2517 08552−2−0181 部 兵 庫 県 支 部 正 成作 田 古 郵便 番 号 名 一明 守 20 一村 垣 N 」r︶ 県 大 大 氏 ・津 谷 卒 業回 数 彦 652 658 669 −53 住 所 -一 一 神 戸 市兵 庫 区熊 野町3 −16 神戸市 東灘│)( 御影山 手 4丁目24− 5 鯏 神戸 市灘 区鴨 子 ヶ原 3丁目25− 2 城 崎郡 日 高町 宵 田144− 1 電 話 078−521 −2758 078−851−8463 078−851−0435 07964−2−2510 大 阪 府 支 部 卒業 回数 氏 名 郵 便 番 号 之 夫 敏貞 山 鍋 中 真 110 県 大 - 563−03 560 住 豊 能郡 能勢町 今西187 − 3 豊中 市緑 丘 3 丁目18一 1 −45 所 電 話 0727 −34 −0252 06−853 −4463 京 都 府 支 部 卒業 回数 氏 名 大 22 守 谷 佳 樹 滋 賀 県 支 郵 便 番号 623 住 所 電 話 綾 部 市 岡 町 山 田21 −14 0773 −42 −8571 勸) 綾 部 市 西 新 町 西 馬 場 の 下20 −1 0773 −42 −2056 部 卒業 回数 氏 名 大 6 望 月 睦 子 郵 便番 号 520 住 大 津 市 園 山2 −10 B 1 所 電 話 −22 ( 退 会 ) 0775 −34 −0280 重 県 支 部 一 一 一 愛 知 県 支 部 住 所 郵便 番号 電 話 卒業 回数 氏 名 大 4 犬 塚 宏 482 岩 倉 市 昭 和 町3 −19 0587 −66 −3800 大 16 石 川 保 英 470 −01 愛 知 郡 日 進 町 大 字 岩 崎 字 芦 廻 間112 −883 05617 −3 −3301 450 勵) 名古屋市中村区漲 島町11-2 住友生命名古屋ビル14F 052 −581 −4718 医療 法人 日進 会 名古屋矯正歯科 診療 所 大 17 藤 村 克 成 452 名 古 屋 市 西 区 山 田 町 中小 田 井 島 落68 −1( 退 会) 052 −502 −7298 大 19 芦 苅 良 成 471 豊 田 市 山 之 手 3丁 目71 番 地 0565 −29 −5350 斟 豊田市喜多町2丁目8接 地 とよた歯科医院 0565 −32 −7568 西春日井郡師勝町大字鹿剛751-2 グリーンシティ師勝B一窈 号 0568 −23 −3470 料 江 南 市 大 字 古 知 野 桃 源70 大 島 ビ ル 2F 05875 −4 −5787 東 海 市 元 浜 町18 − 1 0562 −33 −0850 大 20 大 26 国 崎 拓 矢 永 武 徳 481 477 静 岡 県 支 部 卒業 回数 氏 名 大 2 仲 野 和 夫 郵 便 番号 422 住 所 静 岡 市 小 黒 1 丁 目1 −17 電 話 0542 −85 −3946 東 京 都 支 部 氏 卒業 回数 専 19 一 一 名 木 服 業 住 所 郵 便 番号 102 105 千代 田 区麹 町 4− 8 鮮 港区虎 ノ門1−1−21 新虎ノ 門実業会館地下 2階 −46 − 電 話 03−262 −3039 03−591 −5677 卒 業回 数 郵便 番 号 124 I り 1 n乙 トO 7 1 弘一 實 正 義秀 O rO 1 木 村 正 勝 望 月 睦 子 192 152 100 108 100 りJ O 一 馬 谷 原 宣 彦 n乙 qy 1 大 6 月 城馬 大 19 名 岩 今中 41616 大 大大 大 17 氏 02 住 所 葛飾 区 東 立 石3 電 −9 −14 話 03−697 − 6638 神 奈 川 県 川 崎 市 高 津 区 有馬1 −20 − 7 044 −855 −1182 練 馬 区 早 宮4 −33 − 3 03−994 − 6618 餌 新 宿 区 高 田 馬 場3 −12 −5 セ ブ ンビ ル3F 03−364 − 0309 八王 子 市 下 柚 木 南 陽 台37 − 1 0426 −76 −5635 酢 多摩市東寺方282 第一清和ビル3F 馬谷原歯科 0423 −74 −9589 目黒区鷹番3 −13−5 シャンボ ール学芸大学508 03−712 − 8845 魴 千代田区丸の内3-2-3 富士ビル1F 富士ビル歯科医院 03−213 − 4180 港 区 高 輪4 −8 −11 高 輪 マ ン シ ョ ン503 号 03−443 − 6093 歡 千代田区丸 の内2−7−3 東京ビ ル3F304 号 03−212 − 6847 日本総合歯科協 会 吉田 歯科医 院 千 葉 県 支 部 元 水 ふ 一詐 ゴ ぶ ふ 畑沢2 -238 二 | 電 話 二 乱 東 北 支 部 卒 業回 数 氏 名 郵 便番 号 雄実 善 箇山 三 前 214 県大 943 970 住 新潟 県上 越 市本町 6丁 目 2− 8 福島 県 い わき市寺 廻 −47 所 電 話 0255 −22 −1211 編 集 後 記 今号 特 集 として アン ケート を募 集し た とこ ろ 、 多数 の 回答 を戴 きまし た。中 に 設問 がな って いない とのお 叱 りが 2 .3あ りまし た。 ご尤 と申 し上げ る 次 第で、此 処 でお 詫 びを 申し上 げ ます。 なお 残 念 乍ら紙 面 の都合 で 次号取 扱い とな り ました。 実は こ のア ンケ ート を作製 するに 当 って 、年初 委員 会 でテーマ な しの放 論 をし たとこ ろ 、卓論 。 激 論 果し な く 、都 合 3回に互 っ て連 続討 議し た結果 、纒 め たとこ ろ散 漫な 設問 となっ て 、御迷 惑 をかけ るこ とに なり まし た。 われ わ れ歯科 医は余 りに 真 面目す ぎは し ないだ ろう か 7と云 うこ とから 、単 一大 学の 単一 一学 科の 母 校 を持つ ものの 欠点 は 7われ われ は何時 、何 の病 気で死 ぬ と思 うか ?卒 後 教育 を考 え るために は母 校 の 力り キュ ラム を検 討し なけ れば なら ない と思 うか ?なぜ 歯科医 だけ が保 健所 長に なれ ない か、 また 話 の展 開と して は理解 出来 て も、問 題 として列 記 した ときは 、違 った もの とし て受 取ら れたこ と を痛 感し まし た。け どさす がに アン ケー ト を集め てみ ると 、いろ いろ 面白 い もの が 見受 け ら れます 。次 号 乞御 期待 ( 口 ) 今年 か らI剩科麻 酔学 講座 も臨床 実 習を開 始し まし た。 手術jlでの 全身 麻酔 学 見学 、救急 蘇生 法実 習 や 全 身状 態評 価 を理解 するこ とに 教育 の主 眼 をおい て 、全身 管理学 を理 解し た 歯科医 師 の養成 を行 な っ てい る。 ( 西 ) 今 年 進学 の学生 諸君 に同 窓 会の説 明 を行な った とこ ろ、 日なら ずし て 入会 金の申込 み が数 名あり ま した。 現 在進 2 、進1 と も90%に 達 して います。 残 り の諸 君 もず業 迄に 完納 さ れんこ と を。/ 住所 録変 更 につ いて 今年 1 月に皆 様に 配布 いた しま した 凵 司窓会 名簿に つ きまし て、 多数 の会 貝諸 氏 より住 所変 更や訂 正 、新 入会 等 の連 絡を受け ました。 今 号38P ∼47P に ま とめ て 、正 しい 住所 を印刷 い たし まし たの で 皆 様の 名簿 に よろし く御 訂正 下 さい。 ( 中 村) −48 昭 和五 十五 年 七月一 日 発行 発行所 九 州 歯 科 大学 同 窓 会 潟 恆 囗 坂 武 夫 北九州市小倉北区 真鶴二丁目六番一号 電 話 五 六 一− 五 〇 七 七 番 上 発 行人 穂 編 集 責 任者 印 刷所 青 柳 工 業 有 限 会 社 北九川市小倉北区 原町 一丁 目 TE L 五七 一上︵ 四こ 七番