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第8回中国大学生「走近日企・感受日本」 訪日団報告書

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第8回中国大学生「走近日企・感受日本」 訪日団報告書
第8回中国大学生「走近日企・感受日本」
訪日団報告書の刊行にあたって
本書は、「走近日企・感受日本」事業の第8回訪日団の報告書です。
「走近日企・感受日本」事業は、中国日本商会が2007年から始めた中国人大学生を日本視察に招待す
る社会貢献事業です。未来の中国を担う若い世代に日本及び日本企業を知ってもらうことを目的に、中
国日本商会の総意で実施が決議され、会員有志企業の寄付金によって費用を賄っています。過去7回の訪
日団で26大学204名の学生を日本に招待してまいりました。
第8回目となる今回は、一時、東日本大震災の影響で派遣が危ぶまれたこともありましたが、外交学
院、北京師範大学、北京航空航天大学、北京科技大学、北京林業大学の5大学から、日本に行ったことの
ない学生29名を選抜、一行は2011年5月30日から6月8日までの10日間、日本に滞在しました。
視察先は企業では、宝酒造伏見工場(京都)、ヤマハ発動機(静岡)、杉正農園(静岡)、三井住友
銀行(東京)、中央清掃工場(東京)、伊藤忠商事(東京)、三井化学市原工場(千葉)、新日本製鐵
君津製鉄所(千葉)、全日本空輸羽田メンテナンスセンター(東京)、ホテルニューオータニ(東京)
の10社。その他、中国大使館訪問、日本の大学生との交流、一泊二日のホームステイ体験など多岐にわ
たるプログラムが組み込まれています。ホームステイ受け入れに協力いただいた企業は、14社(アルプ
ス電気、伊藤忠商事、キヤノン、JTB、新日本製鐵、住友商事、全日空、トヨタ自動車、日本航空、日本
商工会議所、丸紅、三井化学、三井物産、三菱電機)にのぼっています。
このように「走近日企・感受日本」事業は、中国日本商会の会員企業の協力によって実施されていま
す。また、共催団体である中国日本友好協会はじめ中国側にも全面的な協力をいただいており、訪日団
の日本受け入れ、本報告書の編集にあたっては、財団法人日中経済協会にご尽力をいただいておりま
す。加えて、寄付金の管理につきましては、中国側では中国友好和平発展基金会に、日本側では財団法
人貿易研修センターにご協力をいただいております。改めて、本事業実施にご協力、ご尽力をいただい
た皆様に厚く御礼を申し上げます。
本報告書に寄せられた参加学生のレポートを拝見いたしますと、本事業が学生たちに深い印象を残し
ていることが分かります。本報告書をご一読いただき、日系企業の社会貢献活動の一端と中国の若者た
ちの真摯な、活気があふれた姿に触れていただければ幸いです。
日本商会では、引き続き「走近日企・感受日本」事業を実施してまいります。本事業が日中の相互理
解促進の一助となり、将来さらに大きな実を結ぶことになれば、これに優る喜びはありません。
中国日本商会 会長 梶原謙治
2011年7月
––
中国日本商会社会貢献事業「走近日企・感受日本」
寄付金申込社(者)一覧
〔寄付金額〕1,000万円
1 朝日ビール株式会社
34 日本たばこ産業株式会社
69 トヨタモーターファイナンスチャイナ
2 伊藤忠商事株式会社
35 日本農林中央金庫有限公司
70 株式会社日新
3 キヤノン(中国)有限公司
36 日本郵船株式会社
71 株式会社損害保険ジャパン
4 新日本製鐵株式会社
37 野村ホールディングス株式会社
72 マルチメディア振興センター
5 住友商事株式会社
38 松下電器産業株式会社
73 日本東京海上日動火災保険株式会社
6 全日本空輸株式会社
39 三菱化学株式会社
74 日立高科技貿易(上海)有限公司
7 トヨタ自動車株式会社
40 三菱電機株式会社
75 日立租賃(中国)有限公司
8 NEC(中国)有限公司
41 ワコール(中国)時装有限公司
76 阪和興業株式会社
9 株式会社日本航空インターナショナル
77 ブラザー(中国)商業有限公司
10 株式会社日立製作所
〔寄付金額〕10万円~100万円未満
78 北京HYFソフト有限公司
11 丸紅株式会社
42 株式会社IHI
79 北京キューピー食品有限公司
12 株式会社みずほコーポレート銀行
43 あいおい損害保険株式会社
80 北京KDDI 通信技術有限公司
13 三井物産株式会社
44 アルパイン(中国)有限公司
81 北京宏達日新電機有限公司
14 三菱商事株式会社
45 インテック国際科学技術有限公司
82 北京新世紀日航飯店
15 株式会社三菱東京UFJ銀行
46 川崎汽船株式会社
83 北京図新経緯導航系統有限公司
47 キッコーマン株式会社
84 北京日立華勝信息系統有限公司
〔寄付金額〕500万円~1,000万円未満
48 協和発酵工業株式会社
85 北京日立控制系統有限公司
16 株式会社イトーヨーカ堂
49 株式会社組合貿易
86 北京村田電子有限公司
17 ソニー(中国)有限公司
50 KDDI 株式会社
87 本田技研工業(中国)投資有限公司
18 豊田通商株式会社
51 五洲大氣社工程有限公司
88 前田建設工業株式会社
19 三井住友銀行
52 J-POWER電源開発株式会社
89 三井化学株式会社
53 JVC(中国)投資有限公司
90 三井住友海上火災保険株式会社
〔寄付金額〕100万円~500万円未満
54 住金物産株式会社
91 三菱自動車工業株式会社
20 旭化成株式会社
55 住友化学株式会社
92 三菱重工業株式会社
21 味の素株式会社
56 住友電気工業株式会社
93 三菱UFJ証券株式会社
22 アルプス(中国)有限公司
57 積水化学工業株式会社(京都研究所)
94 三菱UFJ信託銀行
23 岩谷産業株式会社
58 双日株式会社
95 明治安田生命保険相互会社
24 オムロン(中国)有限公司
59 太平洋セメント株式会社
96 明和産業株式会社
25 新日本石油株式会社
60 宝酒造株式会社
97 柳田 洋
26 JFE鋼鉄株式会社
61 株式会社竹中工務店
98 湯浅 弘
27 大和証券SMBC株式会社
62 大日本印刷株式会社
99 理光軟件研究所(北京)有限公司
28 株式会社電通
63 大福自動輸送機(天津)有限公司
100 ヤマハ発動機株式会社
29 東芝(中国)有限公司
64 長富宮中心有限責任公司
30 日産(中国)投資有限公司
65 帝人株式会社
〔寄付金額〕10万円未満
31 オークマ株式会社
66 株式会社東京機械製作所
101 北京エプソン電子有限公司
32 株式会社商船三井
67 東工コーセン株式会社
102 北京集佳知識産権代理有限公司
33 株式会社JTB
68 東レ株式会社
103 日本海事協会
––
2011年度 中国日本商会役員一覧
5月度現在
商会役職
会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
氏 名
梶原 謙治
山﨑 史雄
小関 秀一
木戸脇 雅生
小澤 秀樹
林 岳志 田中 孝明
北田 眞治
堂ノ上 武夫
山口 栄一
酒匂 崇示
大野 信行
鹿間 千尋
岡 豊樹
瀬戸山 貴則
矢野 雅英
高橋 修 川﨑 一彦
横井 昭正
長岡 秀典
鶴島 敏章
加悦 文雄 矢島 克文
千場 清司
山田 晶一
小林 兼一
武川 昌俊
洪 嘉偉
湯浅 健二
白井 省三
稲葉 雅人
岡部 裕弥
二方 歩 久保田 陽
山田 正晴
箕田 好文
城阪 俊郎
増山 寛
森山 博之 中村 総明
会社名
住友商事
アサヒビール
伊藤忠 NEC(中国)
キヤノン
新日本製鐵
東芝(中国)
トヨタ自動車(中国)投資 日中経済協会
日本航空
日本貿易振興機構
日立(中国) 丸紅
みずほコーポレート銀行(中国)
三井物産
三菱商事
岩谷産業
双日(中国)
豊田通商
阪和興業
住金物産 東工物産貿易
旭硝子汽車玻璃(中国)
出光能源諮詢(北京)
NTTファシリティーズ
荏原製作所
JX日鉱日石エネルギー
前田建設工業 三菱重工業
アルプス(中国)
NTT
北京電信NTT工程
NTTドコモ ソニー(中国)
京セラ
富士通(中国)
パナソニックチャイナ
マルチメディア振興センター
旭化成
伊藤喜商貿(上海)
––
役職
専務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
執行役員 中国総代表 総裁
常務取締役 中国総裁
中国総代表 北京事務所長
執行役常務 中国総代表
総経理
北京事務所長
執行役員 中国総代表 北京支店長
北京代表処 所長
執行役常務 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
北京支店長
常務執行役員 中国総代表
副社長執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
理事 中国副総代表華北担当兼北京所長兼大連所長
北京事務所大連事務所 所長
北京分公司 副総経理
董事長
董事長 兼 総経理
総経理
北京事務所 首席代表
執行役員 中国総代表
北京駐在員事務所 首席代表所長
中国総代表
総経理
理事 中国総代表
総経理
北京事務所 所長
董事長 中国総代表
北京代表処 首席代表
董事長
董事長
北京代表処 首席代表
北京事務所 所長
北京分公司 総経理
商会役職
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
監事
監事
氏 名
山岡 保夫
岩崎 明
寺師 啓
千葉 雅哉
得丸 洋
池本 一彦
小林 義和
堀内 詳介
長谷川 寛樹
趙 克非
新川 陸一
今川 真一郎
柳岡 広和
堀 俊雄 稲田 健也
森 哲夫
永井 圭造
山崎 道徳
麦倉 弘
近藤 重和
三木 日出男
鈴木 浩
川畑 保 田淵 真次
田中 雅教
藤田 千栄子
石舘 周三
越智 博通
末木 孝幸
中嶋 清治
片平 猛 河原 東
三浦 智志 越智 幹文 会社名
王子製紙
住友化学株式会社
東レ
凸版印刷
三井化学 三菱化学
三菱製薬研発(北京)
あいおいニッセイ同和損害保険
住友信託銀行
第一生命保険
日本銀行
三井住友銀行(中国)
三菱東京UFJ銀行
三菱UFJ証券ホールディングス
全日本空輸
日通国際物流(中国)
日本郵船
JTB CHINA
イトーヨーカ堂
電通
日航国際旅行社
長富宮中心
北京発展大廈
日中経済貿易センター
日本国際貿易促進協会
ジェイエィシーコンサルティング
資生堂(中国)研究開発中心
北京陸通印刷
三菱電機(中国)
宝酒造食品 電源開発 オリンパス(中国)
監査法人トーマツ
国際協力銀行
––
役職
北京事務所 所長代理 代表
北京代表処 首席代表
北京事務所 所長
北京駐在員事務所 首席代表
北京事務所 専務執行役員 中国総代表
執行役員 中国総代表
総経理
駐中国総代表
北京駐在員事務所 首席代表
北京事務所 首席代表
北京事務所 首席代表
北京支店長
常務執行役員
参与中国総支配人
執行役員 中国統括室長兼 北京・天津支店長
董事 総経理
経営委員 中国総代表
執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
北京事務所 所長
董事長 総経理
総支配人
董事 総経理
専務理事 北京事務所長
北京事務所 所長
董事長 総経理
董事 総経理
董事長 総経理
中国総代表
董事 総経理
執行役員 中国総代表
総経理 董事
パートナー
首席代表
2011年度社会貢献委員会委員名簿
氏 名 (会社名・役職)
社会貢献委員長
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
瀬戸山 貴則 (三井物産 常務執行役員 中国総代表)
山﨑 史雄 (アサヒビール 常務執行役員 中国総代表)
小関 秀一 (伊藤忠 常務執行役員 中国総代表)
木戸脇 雅生 (NEC 執行役員 中国総代表)
小澤 秀樹 (キヤノン 常務取締役 中国総裁)
林 岳志 (新日本製鐵 中国総代表 北京事務所長)
梶原 謙治 (住友商事 専務執行役員 中国総代表)
田中 孝明 (東芝 執行役常務 中国総代表)
北田 眞治 (トヨタ自動車(中国)投資 総経理)
堂ノ上 武夫 (日中経済協会 北京事務所長)
山口 栄一 (日本航空 執行役員 中国総代表 北京支店長)
酒匂 崇示 (日本貿易振興機構 北京代表処 所長)
大野 信行 (日立 執行役常務 中国総代表)
鹿間 千尋 (丸紅 常務執行役員 中国総代表)
岡 豊樹 (みずほコーポレート銀行(中国) 北京支店長)
矢野 雅英 (三菱商事 副社長執行役員 中国総代表)
稲田 健也 (全日本空輸 中国統括室長兼北京・天津支店長/執行役員)
高羽 人志 (JTB 北京事務所 事務所長)
––
2011年度社会貢献委員会ワーキンググループ委員名簿
会社名
氏名
役職
【社会貢献委員長】
瀬戸山 貴則 三井物産 常務執行役員 中国総代表
【WG座長】
堂ノ上 武夫
日中経済協会 北京事務所長
アサヒビール株式会社
飯塚 喜美子
行政局主任
伊藤忠(中国)集団有限公司
篠原 弘樹
中国人事・総務部長代行
キヤノン(中国)有限公司
二瓶 伸久
企画本部 DIRECTOR
新日本製鐵㈱ 北京事務所
長南 隆
代表
㈱JTB 北京事務所
高羽 人志
事務所長
能勢 敦司
華北管理部門 総括部 副部長
韓 建平
総括部 総務科長
全日本空輸㈱ 北京弁事処
柏木 寿州
銷售部 経理
東芝(中国)有限公司
馬場先 雄二
総裁室 副室長
トヨタ自動車(中国)投資有限公司
栗田 弘毅
渉外部主査
(財)日中経済協会
葛西 敦
所長代理
日本航空インターナショナル
上り浜 健一
北京支店銷售部総経理
日本貿易振興機構 北京センター
島田 英樹
進出企業支援センター センター長
日立(中国)有限公司
佐々木 良二
副総経理
丸紅㈱ 北京事務所
稲積 和典
総代表助理
三井物産㈱ 北京事務所
李 貝貝
副経理
三菱商事(中国)商業有限公司
李 征
企画発展部 経理
三菱東京UFJ銀行(中国) 北京支店
室賀 隆
副支店長
三菱電機(中国)有限公司
原 正英
副総経理
みずほコーポレート銀行 北京支店
西村 浩二
総務課 課長
【オブザーバー】
柳澤 好治
日本大使館 広報文化センター 一等書記官
【オブザーバー】
平嶋 隆幸
日本大使館 経済部 三等書記官
【訪日中のアテンド等】
渡辺 光男
日中経済協会(東京) 総務部参与
住友商事(中国)有限公司
––
第8回「走近日企・感受日本」中国大学生訪日団報告書
団長挨拶
第8回「走近日企・感受日本」中国大学生代表団一行34名は、中国日本商会の招待で去る2011年5月
30日から6月8日までの期間、東京、大阪、京都、静岡、神奈川、千葉の各地を訪れました。我々一行は
3月11日の東日本大震災以来、初めて日本を訪れた中国の大学生による訪問団となりました。訪日期間
中は、中国日本商会、日中経済協会、貿易研修センターおよび各関係企業、大学、ホストファミリーの
皆さまのご協力と行き届いたご配慮を賜り、無事に日本訪問を終えることができました。今回の訪日で
は、震災を乗り越え、復興に全力で取り組む日本人の勇気と自信に胸を打たれました。10日間の訪日が
充実した実り多いものとなりましたのも、ひとえに関係各位のご尽力の賜物であると心よりお礼申し上
げます。 本訪問団には外交学院、北京師範大学、北京科技大学、北京航空航天大学、北京林業大学の学生と教
員が参加しました。この10日間、我々代表団は、宝酒造伏見工場、ヤマハ発電機、三井住友銀行東京
本店、東京の清掃工場、伊藤忠商事本社、三井化学市原工場、新日鐵君津製鉄所、ANA機体メンテナン
スセンター等の企業を訪問したほか、静岡県の杉正農園やホテル・ニューオータニ(東京)のエコ施設
を見学させていただきました。また、在日本中国大使館の程永華大使との会見、早稲田大学の学生との
交流、中国日本商会会員宅でのホームステイの機会にも恵まれました。更には京都の清水寺、高台寺な
どの世界文化遺産を訪れ、茶道や温泉等の日本文化に触れ、ディズニーランドでも遊ぶことができまし
た。
今回の訪日で、学生たちは日本の企業文化や経営理念、農業の現状、伝統文化への理解を深め、日本
という国と日本人をより身近に感じるようになりました。また、ホストファミリーや日本の大学生とも
温かな友情を育むことができました。日本の関係機関や企業、大学、ホストファミリーが一堂に会した
送別会の席では、学生たちが今回の訪日で感じたことや収穫を日本語や英語で発表させていただきまし
た。また、送別会の最後には、中国と日本は心を一つにし、震災や津波の被害に立ち向かい、復興への
道を歩んでいこうとの思いを込め、SMAPの「世界に一つだけの花」を全員で合唱しました。私は学生と
ホストファミリーが抱き合い、別れを惜しむ姿に日中友好はこれからも末長く続いていくことを確信い
たしました。 代表団の学生の出身地はさまざまですが、彼らが綴った日記やそこに収められた写真には、彼らが心
で感じた日本が記録されています。この報告書から彼らの日本や日本国民に対する思いを感じていただ
けることと思います。 末筆ながら、本代表団の訪日にご支援、ご尽力頂きました関係各位にあらためて心よりお礼申し上げ
ます。なお、学生諸君には今回の訪日で見、聞き、感じた真の日本の姿を多くの人に伝え、日中友好の
懸け橋となってくれることを期待しています。
第8回中国大学生訪日団団長 関立彤
––
主催、共催団体の概要
中国日本商会
在北京企業の円滑な事業活動を支援するとともに、日中間の経済交流の活発化を通じて、日中友好を
促進することを目的として、1980年10月に設立された北京日本商工クラブを前身とする。中華人民共
和国国務院令第36号「外国商会管理暫行規定」に基づき認可された外国人商工会議所の第1号として、
1991年4月22日に設立された。
会員数は、2011年6月末日現在、市内法人会員661社、市外法人会員60社、個人会員39名、賛助会員
8名の合計768社(名)を擁している。
中国日本友好協会
1963年に中華全国総工会、中国人民外交学会など19の民間団体によって発起設立された、中国におけ
る最も代表的な対日民間友好組織である。創立以来、周恩来総理の提唱の下で積極的に対日友好交流活
動を展開し、1972年の中日国交正常化と1978年の中日平和友好条約の締結においては大きな貢献を果
たした。政治、経済、文化、スポーツなどの各分野で対日友好交流事業を強力に展開し、健全で安定的
な両国関係の推進に重要な役割を果たしている。
中国友好和平発展基金会
中国人民対外友好協会の下部組織として、1996年に設立された。各国との友好増進、国際協力の推
進、世界平和、共同発展を主旨とし、世界平和と人類の進歩に貢献するため、中国と海外各国との友好
事業を始め、文化、教育、医療衛生、環境保護、スポーツ、経済、貧困支援などの数多くの分野で社会
的公益活動を行っている。
財団法人貿易研修センター
国際的な経済活動に携わる官民の人材の育成と我が国と外国との経済交流促進を目的に、「貿易研修
センター法」に基づく特別認可法人として1967年に設立された。
財団法人日中経済協会
経済産業省を始めとする日本政府及び日本経済団体連合会他経済界の支援の下に、日本と中国との経
済交流促進のため、1972年に設立された。
––
第8回中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団団員名簿
姓 名 性別
所 属
団 長
関立彤
男
中日友好協会
副秘書長
団 員
兪 成
男
外交学院 外語系
日本語
団 員
範新葉
男
外交学院 外語系
日本語
団 員
陳 鑫
男
外交学院 外語系
日本語
団 員
王 正
男
外交学院 外語系
日本語
団 員
張 然
女
外交学院 外語系
日本語
団 員
徐 星
女
外交学院 外語系
日本語
団 員
徐 頎
女
北京師範大学 管理学院
管理科学
団 員
楊清媛
女
北京師範大学 外国語言文学学院
日本語
団 員
曹淞淋
女
北京師範大学 外国語言文学学院
日本語
団 員
魏丹寧
女
北京師範大学 外国語言文学学院
日本語
団 員
李常英
女
北京師範大学 外国語言文学学院
日本語
団 員 董 程
女
北京師範大学 経済・工商管理学院
国際経済・貿易
団 員 張蔚泓
男
北京航空航天大学 物理化学・核能工程学院
応用物理(核物理)
団 員
鍾 興
女
北京航空航天大学 計算機学院
計算機科学・技術
団 員
練虹怡
女
北京航空航天大学 法学院
法学
団 員
全思遠
男
北京航空航天大学 外国語学院
英語翻訳
団 員
禹文娟
女
北京航空航天大学 新媒体芸術・設計学院
視覚伝達
団 員
邱明晶
男
北京科技大学 機械工程学院
熱エネルギー・動力工程
団 員
蒋劉芯
女
北京科技大学 土木・環境工程学院
安全工程
団 員
陳 定
女
北京科技大学 土木・環境工程学院
環境工程
団 員
黄 琨
男
北京科技大学 土木・環境工程学院
土木工程
団 員
王 雷
男
北京科技大学 機械工程学院
機械製造及び自動化
団 員
周笑靨
女
北京科技大学 数理学院
理科実験班
団 員
王磊明
男
北京林業大学 環境科学・工程学院
環境工程
団 員
康雲澤
男
北京林業大学 環境科学・工程学院
環境科学
団 員
劉美辰
女
北京林業大学 環境科学・工程学院
環境工程
団 員
王君竹
女
北京林業大学 環境科学・工程学院
環境工程
団 員
李 黎
女
北京林業大学 環境科学・工程学院
環境工程
団 員
湯 韜
男
北京林業大学 環境科学・工程学院
環境科学
団 員 (事 務 局)
王 磊
男
中日友好協会 経済交流・都市交流部
団 員 (引率教員)
郭景芳
女
外交学院
団 員 (引率教員)
範 民
女
北京師範大学 国際交流・合作処
団 員 (引率教員)
章 靖
女
北京科技大学
––
専 攻
教師
第8回中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団視察日程
日次
1
月日
5月30日
(月)
2
5月31日
(火)
3
4
5
6
6月1日
(水)
6月2日
(木)
6月3日
(金)
6月4日
(土)
7
6月5日
(日)
8
6月6日
(月)
9
6月7日
(火)
10
6月8日
(水)
日程
14:15 北京首都国際空港発(NH160便)
18:15 関西国際空港着
22:00 頃 ホテル着
08:30 ホテル発
09:30~12:00 宝酒造伏見工場(西)
14:00~17:00 京都観光:高台寺茶道体験、清水寺
17:56 京都駅→19:10 浜松駅 ひかり482
19:30 頃 ホテル着
08:30 ホテル発 09:30~12:00 ヤマハ発動機本社
14:00~16:30 杉正農園視察
17:30 箱根温泉着(温泉体験と日本旅館体験)
08:30 ホテル発 10:30~13:00 三井住友銀行東京本店(昼食含む)
13:30~15:00 東京清掃工場
16:00~19:30 伊藤忠商事(夕食含む)
20:30 ホテル着 08:30 ホテル発
10:00~13:00 三井化学市原工場(昼食含む)
14:00~17:00 新日鐵君津製鉄所
アクアライン経由都内へ
20:30 頃 ホテル着
09:00 ホテル出発 徒歩にて移動
09:30 日中経済協会着
※ホームステイ家族の中国大学生出迎え
終日 学生はホームステイ
午前~午後 ホームステイ
16:30~19:30 中国大使館訪問
20:00 頃 ホテル着
09:30 ホテル出発 東京観光
14:30~19:30 早稲田大学交流
20:30頃 ホテル着
09:00 ホテル発
09:45~12:00 ANA羽田メンテナンスセンター
14:00~20:30 東京ディズニーランド観光
22:00 頃 ホテル着
09:30~11:00ホテルニューオータニでの環境対策
12:00~13:30 昼食:歓送会
17:20 成田国際空港発(NH955便)
20:05 北京首都国際空港着
– 11 –
宿泊地
大 阪
ホテルニューオータニ
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第8回中国大学生「走近日企・感受日本」
訪日団視察先出席者リスト
1.宝酒造株式会社 伏見工場(5月31日)
柴田 佳弘 伏見工場 工場長
井上 三千雄 〃 工場管理部長
坂田 次朗 〃 生産管理部長
安藤 真吾 〃 生産管理部 詰口課長
太田 裕之 〃 工場管理部 工場管理課
新開 裕之 本社 海外事業本部 海外管理部長
松浦 慎一郎 〃 〃 海外管理部
寺西 康則 宝酒造食品有限公司 営業本部長 2.ヤマハ発動機株式会社(6月1日)
瀬戸 浩之 MC事業部第1事業部 中国・中南米マーケティング部 部長
本丸 勝彦 〃 〃 〃 中国マーケティンググループ
張 寧 〃 〃 〃 〃
粟野 英昭 〃 〃 〃 〃
山本 千賀 〃 〃 〃 〃
伊澤 知晃 〃 〃 〃 〃
大隅 哲雄 人事総務統括部 広報宣伝部 部長
石原 信一 〃 企業広報グループ グループリーダー
末永 篤 〃 〃 主務
有吉 一広 生産戦略統括部 海外生産部 中国グループ
小倉 正夫 MC組立工場 管理課総務係 主査
平松 修 〃 〃
杉浦 優 〃 〃
松尾 弘子 MC事業部第1事業部 中国・中南米マーケティング部 中国マーケティンググループ 3.杉正農園(6月1日)
杉本 正博 杉正農園経営者 静岡県農業経営士 地域特産物マイスター
全国エコファーマーネットワーク幹事
宮野 舞 静岡県経済産業部 農林業局農業振興課 主任
芹澤 駿治 静岡県東部農林事務所 生産振興課 課長
小松 善利 JA三島函南 総務部 総務課
4.株式会社三井住友銀行 (6月2日)
古川 和彦 グローバルアドバイザリー部 部長
– 12 –
白方 賢治 〃 中国グループ長
梅 衛東 〃 部長代理
楊 永健 〃 中国グループ
加藤 一樹 国際統括部 業務推進グループ グループ長
富田 太郎 〃 〃 部長代理
保泉 学 〃 〃 〃
金 秋霞 〃 〃
柳 欣伶 〃 〃 アジア研修室
飯塚 真之介 人事部 グローバル人材戦略グループ 部長代理
松井 貴之 〃 〃 〃
5.東京都中央清掃工場(6月2日)
幸元 良介 東京二十三区清掃一部事務組合 中央清掃工場 技術係 主事
真柄 知明 〃 〃 主事
6.伊藤忠商事株式会社(6月2日)
高坂 正彦 執行役員 開発・調査部 部長
高野 紀元 顧問
韓 桂月 伊藤忠(中国)集団有限公司 総経理席
大月 秀夫 開発・調査部
堀尾 卓 〃 海外総合支援室長
陳 楽 〃 海外総合支援室
(懇親会)
宮西 英明 統合リスクマネジメント部 海外総括室長代行
趙 静 リーテイル・資材部 ライフ&リビング部
張 佳盈 生活資材・化学品リスク管理室
趙 旭明 法務部 第四法務室
韓 桂月 伊藤忠(中国)集団有限公司 総経理席
大月 秀夫 開発・調査部
堀尾 卓 〃 海外総合支援室長
陳 楽 〃 海外総合支援室
栗坪 由佳 〃 〃
7.三井化学 市原工場 (6月3日)
今井 照彦 市原工場 総務部長
宅明 謙吾 〃 総務部 総務グループリーダー
宜保 琢也 〃 〃 総務グループ
青木 貴子 〃 〃 〃
– 13 –
河野 幸春 〃 安全・環境部 安全・環境グループリーダー
王 果 〃 製造2部 ポリプロピレン課
武者 典子 〃 管理部 工場革新グループ
野中 武 本社 CSR推進部 企画課長
8.新日本製鐵株式会社 君津製铁所(6月3日)
戸田 悦照 君津製铁所 広報センター マネジャー
9.中国大使館 (6月5日)
程 永華 特命全権大使
張 成慶 参事官
王 天霊 参事官
張 社平 大使秘書
盂 素萍 友好交流部 一等書記官
杜 暁曦 〃 三等書記官
10.早稲田大学 (6月6日)
江 正殷 国際部副部長
白木 三秀 政治経済学術院教授
宮房 寿美子 国際部留学センター
楊 振 国際部国際課
中越 明子 国際部国際課
山本 美都里 国際部国際課
白木ゼミ学生 約40名
11.全日本空輸株式会社 羽田機体メンテナンスセンター(6月7日)
小嶋 幸男 整備本部 機体メンテナンスセンター 業務推進室 主席部員
笠井 和 〃 〃 〃
岩田 大助 〃 〃 〃
12.ホテルニューオータニ(6月8日)
山本 正巳 ファシリティマ ネージメント部 ファシリティマネージメント課 マネージャー
三浦 光昌 ファシリティマネージメント部 ファシリティマネージメント課 係長
長嶋 慶一 宿泊営業部 国際営業課 シニアセールスマネージャー
– 14 –
日本の食文化の伝道者——宝酒造
外交学院学生代表
見学日時:2011年5月31日(火)10:00~12:00
見学場所:京都宝酒造伏見工場
見学概要
5月31日、代表団一行は宝酒造伏見工場の見学に行った。工場長の柴田さんが一行を温かく出迎えて
くれた。まず柴田工場長が生産現場(1階から8階)になっている工場棟に案内してくれた。その後、柴
田工場長の案内で9階の会議室に上がり、そこで会社の概要についての説明を受けた。宝酒造について基
本的なことを理解してから、グループに分かれて生産現場を見学した。実地に瓶詰や箱詰めの生産ライ
ンを見学したほか、ビデオによる説明もあったので、より具体的な形で宝酒造の全生産工程を理解する
ことができた。見学後の質疑応答ではたくさんの質問が出されたが、宝酒造の各部門の責任者がどんな
質問に対しても的確に回答してくれたので実り多い見学となった。
概況
柴田工場長の説明により宝酒造が非常に長い歴史を持つ企業であり、1842年の創業、1846年から焼
酎と調味酒の販売を始め、消費者の好評を博したことを知った。その後も酒造技術の改良に努め、1916
年からは新しいタイプの焼酎の販売を開始した。1925年に社名を寶酒造株式会社に改め、以来、鍛え抜
かれた伝統技術によって確かな品質と味を確立し、商品開発に努め、日本の食文化と酒文化の発展に貢
献するという目標を掲げ続ける。
宝酒造は1933年に国内外にその名を馳せる清酒
「松竹梅」の販売を開始し、1960年には京都に
みりん工場を設けて、西日本に酒造り用の原料を
提供している。さらに1964年には生産規模の拡
大を目指し、主に清酒を生産する西工場を建設し
ている。会社の拡大と発展に伴い、宝酒造は新た
な分野への進出も始めている。1984年には缶入
りチューハイの販売を始めると同時に、清酒醸造
技術(1989年)と生産設備(2004年)が更新さ
れ、更なる発展が促進されることになった。宝酒造が販売している主な商品には焼酎(43.5%)、清酒
(12.4%)、ソフトアルコール飲料(13.3%)、調味料(13.2%)、原料用アルコール(3.7%)がある。
現在、宝酒造には千葉県等の工場をはじめ合計6つの工場がある。
今回、大学生訪日団が見学した伏見工場は東工場と西工場の2つに分かれ、東工場の敷地面積は約
6,331㎡、西工場は約47,051㎡である。生産能力は東工場が年間24,000kl、西工場が年間100,000kl、
400種類余りの酒を生産していた。現在の作業員は184名、そのうち26名が女性である。工場の自動化
が進められてからは、工場で働く作業員の数が徐々に減少しているとのことだった。
次に、柴田工場長から伏見工場で生産している酒のおおよその生産工程についての説明があった。即
ち、蒸留後に缶詰工程に運ばれ、その後トレイに乗せてエレベーターで1階にある製品出荷場に運ばれ、
トラックに積み込まれる。この一連のプロセスはすべてコンピュータで制御されていた。
– 15 –
「宝酒造は“信頼を得る優良工場”を目指し、厳格な方法で賞味期限を保証している」と柴田工場長が言
う。厳しい衛生管理と従業員研修の強化以外に、一連の厳格なチェック体制が敷かれていた。こうした
長年の努力の結果、現在の日本での販売量は、焼酎と調味料がトップ、日本酒で第3位となっている。
また、宝酒造の海外での事業展開についての説明があった。ここ10~20年、世界中で日本料理が注目
されるようになっている。現在、世界に3,000の日本料理店があるが、その日本料理店向けの調味料や日
本酒が大きなビジネスチャンスになっているという。これらを背景に、宝酒造は日本の飲食文化の伝承
を目的に世界各国に工場を建設している。中国を例に挙げると、1995年8月に工場建設の登録手続を行
い、1997年に操業を開始している。1998年には本格的な販売が始められ、中国市場の開拓がスタート
した。中国の工場は主に日本向けに原料を提供し、中国国内向けには日本酒を販売している。
企業の経営努力もさることながら、私たちが最も感動したのは、宝酒造が環境分野を非常に重要視し
ているという点である。宝酒造は自然への感謝の気持ちを基本に、水や穀物、微生物という自然からの
恵みを利用し、酒類、食品、アルコールなど幅広い事業を展開している。宝酒造がこれらの事業を進め
るに当たっては、常に自然環境との調和を重視し、独創的な技術によって開発された商品やサービスを
積極的に顧客に提供し、人と自然が調和した社会を目指し、自身の持てる力を発揮することを念頭に置
いている。生産においては、関連法の順守以外にも、社内基準を高めることで自らを厳しく律すると同
時に、環境負荷を減らし、社会貢献活動に積極的に参加し、自然保護に取り組んでいる。
また、宝酒造は工場周辺の環境を常時公表して自己監督と外部監督を行っている。例えば、重油から
天然ガスへの転換を図ったり、余剰材料は飼料として再利用するなどしてゴミの量を減らしたりといっ
た技術の更新にも努めている。物流面では、クリーンエネルギー車を導入し、開発部門では酒ビンのリ
サイクルを行っている。1979年からは環境ポスターによる広報を始め、さらに1985年には環境関連の
ファンド(ハーモニストファンド)を設け、日常的に市民の環境保護活動への参加を促している。企業
として社会的責任感を果たそうとする姿勢が見て取れる。
知っていますか?
Q:宝酒造の各生産ラインには何人の作業員が必要
か?
A:わずか5名の作業員ですべての仕事をこなすこ
とができる。
Q:3R原則についてはよく知られているが、宝酒造
はこの3R原則を4Rまで発展させているという。こ
の4Rの意味するところは何か?
A:3Rとはreduce、recycle、reuseのことで、宝酒
造ではそれにrefuseを加えて4Rとしている。環境
汚染や無駄を省く努力と同時に、4R原則に基づく生産を行っている。
Q:宝酒造の酒ビンの回収率・再利用率はどのくらいか?
A:90%以上の酒ビンが何度も再利用されている。
Q:184名の作業員のうち女性はわずか26名しかいないが、これらの女性作業員は主にどんな職種につ
いているのか?
A:女性作業員は主に液体チェックなどの仕事をしている。女性作業員の数は大変少ないが、非常に重要
な役割を果たしている。
– 16 –
感想
宝酒造は今次代表団が最初に見学した企業である。これまで宝酒造について多少のことは知っていた
が、今回の見学と責任者による会社紹介を通して宝酒造についての理解を深めることができた。
酒類メーカーとしての宝酒造は、多くの国民の目にはおそらく利益第一、物質重視の会社として映っ
ているかもしれないが、実は宝酒造は心のこもった生産に努め、常に顧客、地球(環境)、社会、社員
に対する責任を忘れない企業である。宝酒造は顧客の安全と安心を第一義に置き、顧客の健康と顧客と
のコミュニケーションを非常に大切にしている。化学工業関連企業としての宝酒造は環境汚染がないだ
けでなく、環境、自然ひいては地球全体の生態バランスの保持も自らの責務と考え、惜しげもなく環境
分野に多くの資金と精力を投入している。企業として環境分野への取り組みを重視する以外に、宝酒造
は環境保護の重要性を次の世代に伝え、より良い社会環境を構築するための努力も続けている。
宝酒造の目標は「信頼に値する企業を構築する」ことである。この「信頼」というのは、顧客の信頼と
いうだけではなく、すべての自然環境や社会環境から信頼を得るということである。たとえ宝酒造の商
品を購入しない人でも、宝酒造が環境や社会のために行っている貢献を享受できるということである。
或いは、すべての環境、地球全体がある程度宝酒造の恩恵を被ることができるということである。この
ような企業こそが成功を収めた企業、信頼に値する企業だと言えるのだと思う。
近代的企業にとって独自の企業理念を掲げることは非常に大切なことである。現在、中国の企業も
徐々に環境保護を重視したり、それぞれの顧客の個別のニーズを重視し始めたりしているが、宝酒造が
社会や世界のために力を尽くすという理念と比べると、まだまだ大きな開きがあるように思う。こうい
うことを知ったことが今回の見学の収穫であり、なおのこと中国の企業が真摯に学ばなければならない
ところである。
– 17 –
「新たな感動と豊かな生活を提供する」
―二輪界の巨頭YAMAHA
北京師範大学全学生代表
見学日時:2011年6月1日(水)9:00~12:00
見学場所:ヤマハ発動機株式会社 静岡県磐田市新貝2500
見学概要
周知のとおり、YAMAHAは世界有数のブランドで、その傘下のヤマハ発動機株式会社は世界的に見て
も規模が大きく、優れた技術と品質で有名な多国籍企業である。1955年7月1日に日本楽器製造株式会社
から独立したヤマハ発動機株式会社の本社は静岡県磐田市にあり、子会社の数は106社を数え、日本、
アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ大陸、オセアニアに至る35の国と地域に分布し、世界中で製品を販
売している。訪日3日目、第8回「走近日企・感受日本」訪日団のメンバーは、静岡県にあるヤマハ発動
機株式会社本社を見学に訪れた。
ヤマハ発動機側が全従業員そろって訪日団を迎えたいということで、時間調整のために約20分待機す
ることになった。
(会議室で説明に耳を傾ける様子)
担当者から「感動創造企業」というヤマハの経営理念や企業の沿革、日本国内に分布する工場、従業
員などについての説明があったほか、ヤマハについてさらに理解してほしいということで企業紹介ビデ
オが放映された。ビデオでは漁船の発動機やオートバイのエンジン、東南アジアやヨーロッパ、漁師や
オートバイのツーリングといった各地のさまざまな人々がヤマハ製品の素晴らしさについて語ってい
た。
その後、オートバイ組立てラインを見学した。工場の中の様子はまさに驚きの一言に尽きるものだっ
た。高度にオートメーション化された組立てラインが整然と並び、全く無駄というものがなく、効率を
高めるために最大限の努力がはらわれていた。特にラインの間を行ったり来たりして自動的に部品を送
る台車が印象的だった。この台車はラインの間に敷かれたレールの上を行き来するのだが、部品が必要
なところでピタリと止まるようになっていた。また、ミスを防ぐため、さらには人によりやさしくある
ために、この台車は音楽が流れるように作られており、作業員はいろいろなメロディによって部品の付
け忘れがないか確かめることができるようになっていた。作業員たちが活き活きと仕事をしている姿も
印象的だった。見学の途中で出会った作業員は誰もが笑顔で、情熱を持って仕事に打ち込んでいること
– 18 –
が見てとれた。ヤマハは文字通り「感動創造企業」だと思った。
Q&A
Q:各部品工場とヤマハの本社との距離は?震災の影響で部品工場の供給が不足して生産が間に合わない
ときはどうするのか?
A:各部品工場は本社から20キロ以内のところにあるので、生産には非常に便利である。部品の供給が
不足した場合は、部品工場と連絡をとって可能な限り部品を確保し、部品を合理的に配分して生産に支
障が出ないように努める。また、顧客ともよく協議して損失を最小限に抑えるようにする。
Q:2008年の世界金融危機のときもヤマハは高い売上高は維持したが、利益はそれほど多くなかったよ
うだが、それはなぜか?
A:2008年の金融危機のときは、東南アジアでは高い売上高を維持したが、欧米市場でのオートバイと
海運設備の売上げが大幅に減少した。ヤマハにとって利益の最も大きい欧米市場が不振だったことが、
売上高が多い割には利益が少なかった理由である。
Q:社会的責任の履行について
A:ヤマハは企業の社会的責任を積極的に果たしている。例えば「ビーチクリーン作戦&子ガメ放流会」
は、社員が海岸で貴重なウミガメの産卵のための環境を整えたり、子ガメを放流したりする活動で、人
と自然との共存を目指すものである。また「おもしろエンジン実験室」などの活動によって子供たちの
興味を育んでいる。さらに中国やベトナムの貧しい学生たちのために文房具を寄付するなどの教育支援
を行っている。2008年の四川大地震と今回の東日本大震災では、共に難関を克服すべくヤマハも物資の
援助を行っている。こうした社会的責任をきちんと果たすことができる企業こそが、人を感動させるこ
とができると同時に、成功を収めることができると信じている。
知っていますか?
◇ヤマハ発動機株式会社の前身は日本楽器製造株式会社
1887年、山葉寅楠がオルガンの修理工場を設立。ブランド名YAMAHAはこの創始者の名字の日本語の
発音に由来する。
1900年、山葉が日本初・アジア初のピアノを製造。
1950年、川上源一が第4代社長に就任。新製品の開発に取り組む。
1955年、オートバイ製造部門が日本楽器製造株式会社から独立し、ヤマハ発動機株式会社となる。
(1階ホールの博物館に置かれた2台のピアノ)
– 19 –
ヤマハによって音楽の町となった浜松市には世界最大の楽器博物館がある。大小のコンサートホール
がいくつもあり、音楽関係のポスターを町のあちこちで見かける。
◇ヤマハの社章の意味は?
山葉寅楠によって日本楽器製造株式会社の社章として採用された「音叉」のマークは、3本の「音
叉」、即ち楽器の調律器具をモチーフにしたもので、「技術」「製造」「販売」の3部門がそろって世界
に羽ばたくことを意味している。現在では更に「顧客」「社会」「個人」という、企業を経営する上で
の重要な要素の意味も込められており、顧客のために想像を超えるような価値を産み出し、企業の社会
的責任を果たし、全ての従業員が誇りに感じられる企業環境を創出するための象徴となっている。
◇それぞれの市場の需要に応え、製品の多様化とグローバル化に着目
ヤマハはオートバイのエンジンのみならず、レース用車両、オートバイ、レクリエーション用車、
ボート、電動自転車、無人ヘリコプター、ゴルフカート、車椅子など多岐にわたる製品を生産してい
る。
(1階の博物館に置かれたボート)
◇ヤマハと中国
ヤマハと中国との関係は、中国が改革解放政策下にあった1970年代まで遡ることができる。
1975年、北京で開催された日本技術譲渡展覧会に参加。
1976年、広州ヤマハ展覧会を開催。
1981年、広州ヤマハメンテナンスサービスセンターを設立。
1986年、ヤマハ発動機株式会社北京事務所を設立。
– 20 –
感想
ヤマハ発動機の歴史はさまざまな挫折と喜びに彩られている。統計によれば、会社設立当初、日本国
内のオートバイメーカーは既に150社以上を数え、それがヤマハにとって大きな壁となっていたが、創
業者と従業員は「世界最高の製品を作る」「世界に通用しない商品は商品ではない」という思いで生産に打
ち込んだ。その後、日本や海外のモーターレースに参加することで、自らの製品の性能をアピールし、
ブランド力の確立に努めた。
今日、ヤマハは自らを「感動創造企業」と位置づけ、知恵と情熱、困難に立ち向かう精神で全世界の
人々のために感動を創造し続けている。
ヤマハが「感動創造企業」たり得ているのは、挑戦を旨とする企業魂のみならず、市場のニーズを探
り、高品質の製品を生産し続けているからである。ヤマハの技術者たちは自らアジア、アフリカ、ヨー
ロッパ、アメリカの市場を視察し、それぞれの市場で異なる環境とそれによって生ずるさまざまなニー
ズを自ら体感し、世界各地の顧客の声に耳を傾け、こうした従業員の体験や顧客の反応からアイディア
が産み出されている。
ヤマハの40年にわたる中国市場の開拓には少なからぬ障害もあったはずだ。まず、欧米の消費者と
違って中国の消費者は冒険心に欠け、レース用オートバイやモーターボートのようなマリン製品に対す
る需要が少ないことに加え、中国の道路関連法令の規制によって、オートバイは高速道路を走行するこ
とができず、ツーリングを楽しむ消費者が二輪車を購入したがらないという事情がある。
とは言え、ヤマハはこれからも積極的に社会的責任を果たし、「感動創造企業」として更に多くの喜び
と感動を私たちに与えてくれることだろう。
– 21 –
杉正農園
北京航空航天大学学生代表
見学日時:2011年6月1日(水)14:00~16:00
見学場所:杉正農園
見学概要
今日の見学は訪日後初めての雨天の中で行われた。この雨のおかげで、杉正農園に対する印象がさら
に良いものになったような気がする。雨によって畑の空気が清々しさを増していたことと、雨が降ると
凸凹の土地が一面のぬかるみになる中国南部の農村とは対照的に、杉正農園が雨の中でも変わらず整然
さを保っていた点が印象的だった。この農園は規模こそ小さいが、杉本正博さんが心血を注いで作り上
げたものであり、日本一の品質を誇る小松菜が栽培されている。なお、杉正農園は今回の訪日団の見学
先に組まれた唯一の農園である。
見学はリラックスした雰囲気の中で行われた。初めに杉本さんが素晴らしい手品を披露してくれた。
農園についての説明を受けながら、小松菜やチンゲンサイをたくさん食べさせてもらった。最後の質疑
応答の時に、杉正農園の後継ぎに名乗りを上げる学生もいたりしてとても楽しい見学だった。杉正農園
の成功の理由について以下のようにまとめてみた。
1.科学的根拠に裏づけられた生産。杉本さんは顧客第一という考え方から化学薬品の使用をできる限り
控えているが、農薬の作用を単純に否定するというわけでもなく、合理的に農薬を使うことで虫害等
を防いでいる。一般に土地は7季ごとに休ませる必要があり、化学肥料によって土壤の改善を行うのが
普通だが、杉正農園では米ぬかや卵の殻といった有機肥料のみを用いて土壤の改善を行っている。こ
のような栽培を15年間続けてきたが、方法が適切だったおかげで土壌障害は発生していないという。
2.積極販売。杉本さんはいろいろな農産物品評会で自分の作物を紹介する技術に長けている。良い作物
も宣伝がよくなければ売れ行きは伸びないが、杉本さんはまさにこの点で非常に成功している。ほと
んど「来る者拒まず」の姿勢で各種視察団を積極的に受け入れ、自作の農産物について、その品質だ
けでなく、その源流から知ってもらうように努めている。また、周辺の農家とも積極的に協力して販
路を広げるとともに、多くの農家に参入してもらうことで供給の安定と信用の向上を図っている。積
極販売が功を奏し、小規模農園ながら、20数店舗と34校の学校給食に小松菜を提供している。
3.個人的な努力と人柄の魅力。今日の見学は農業分野の経験についての学習というより、杉本さん自身
の精神と人柄についての学習となった。高校卒業後、両親とともに農業に携わり、まずは養豚業で日
本一を目指した。努力が実り、静岡県の豚の品評会で金賞を受賞した後、養豚をやめて野菜の栽培に
切り替えた。そしてついに日本初の「小松菜王」の栄誉に輝いたのである。高校を卒業しただけの杉
山さんが、これほど科学的かつ革新的な栽培方法をどうやって身につけたのかは分からないが、一歩
一歩、試してきた結果であろう。杉本さんの成功は、その理想と努力によるところが大きい。普通の
農家であれば、自分の狭い土地をその場しのぎ的に耕すだけかもしれないが、杉本さんは最高のもの
を求め、絶えず研究を続けてきた。その姿勢は我々も学ぶべきだと思う。また、ユーモアや思いやり
があるのは言うに及ばず、その寛大な人柄も杉本さんの魅力だ。近所の農家との交流を厭わず、彼ら
が自分を超えることさえ恐れずに、誠実な態度で周囲の人に接する杉本さんはとても人気がある。さ
らに農園でともに汗を流す素晴らしい家族に恵まれ、幸福を感じながら仕事をしていることも杉本さ
んの成功の一因であろう。
見学を通して杉正農園の農産物の放射線量は安全基準値内であることが分かった。また、有機肥料
– 22 –
で栽培されているため、小松菜や大根がすべて生で食べられるようになっている。これも他の農園と大
きく異なる点である。震災後、日本の観光産業や飲食業は大きな打撃を受けているが、農産物は生活必
需品であるうえ、品質も良いため、農園の売上に大きな変化はないという。
日本一の小松菜や大根を味わえたことも嬉しかったが、それ以上に農園主である杉本正博さんに会っ
て、その経歴や農業の経験について知ることができて良かったと思う。我々大学生が学ぶべき点は多
く、今日はとても有意義な授業を受けたような気がした。
– 23 –
歴史の継承と発展のための開拓・刷新
北京師範大学学生代表
見学日時:2011年6月2日(木)10:30~13:00
見学場所:三井住友銀行本店
見学の概要
三井住友銀行は日本の金融業の代表として今回の訪日団の日程に組まれていた。三井住友銀行は、
2001 年 4 月 1 日、住友グループの中核であった住友銀行と三井グループのさくら銀行が合併して誕生
した。総資産 100 兆円にのぼる三井住友銀行は三井と住友の中核企業であり、日本第 2 位、世界でも
10 指に入る商業銀行である。
東京都千代田区の本店ビルに到着すると、まず本店営業部に案内された。一般の銀行と異なり、本店
ビルの 1 階は営業窓口ではなく、主にコンサルティングサービスのためのスペースになっていた。日本
の銀行は個人客だけでなく、法人や投資家の顧客も多く、そうした顧客が投資や資産運用をする際の相
談や確認のために本店 1 階を主にコンサルティングサービ
ス用のスペースにしているという。
続いて会議室に移り、まずグローバル・アドバイザリー
部の古川部長より歓迎の挨拶をいただいた。古川氏は 1984
年に中国に駐在し、中国の改革開放期の大きな変化を目の
当たりにしたという。挨拶の中でも、この間の中国の変化
に対する感嘆の意が述べられた。
次に、グローバル・アドバイザリー部の梅氏より三井住
友銀行に合併される前の三井銀行と住友銀行の長い歴史に
ついての説明があった。
三井銀行の歴史
江戸時代、三井家に生まれた三井高利が三井越後屋(現・三越百貨店)を創設。明治以降、三井財閥
は近代化経営の道を歩み始める。1876 年、三井銀行と三井物産が営業を開始。三井財閥は業務拡大を続
け、1909 年に三井合名会社を設立した頃にはすでに日本最大規模の財閥となっていた。第二次世界大戦
後に三井財閥は解体されたが、60 年代に巨大産業集団として再び集結する。
住友銀行の歴史
徳川幕府の時代、住友家は銅山の経営を家業としていた。1875 年、鉱山経営で得た資本を元手に担
保貸しを業務とする「並合業」を始める。これが住友銀行の萌芽となる。1895 年 11 月に住友銀行設
立。戦後の財閥解体の過程で住友銀行も解散するが、1948 年に行名を大阪銀行と改め再出発を果たす。
1965 年 3 月、住友銀行は河内銀行を合併し、預金残高で邦銀第 2 位に躍進。1986 年 10 月には平和相
互銀行を合併し、日本ないし世界第 2 位の商業銀行となる。なお、2001 年 4 月に住友銀行とさくら銀
行の合併により設立された三井住友銀行は、三井住友フィナンシャルグループの中核企業である。
三井住友銀行には長い歴史だけでなく、国内外の巨大な支店網と常に新戦略を打ち出していく能力が
備わっている。国際統括部の富田氏から中国での事業展開についての説明があった。1982 年 8 月に中
– 24 –
国の最初の出先機関として住友銀行北京事務所を開設したが、その後しばらくの間は外資系銀行の支店
開設が制限されていたために、住友銀行、三井銀行、太陽神戸銀行などは上海、広州、天津、大連等の
駐在事務所を少しずつ増やしていくことになった。
1992 年 12 月 18 日、さくら銀行の上海支店開設に続き、同年 12 月 29 日には住友銀行も広州支店を
開設し、中国での営業活動が始まった。1995 年 8 月に開設された天津支店は天津初の邦銀支店である。
高品質のサービスの提供という原則に基づき、2007 年 3 月 26 日には天津濱海出張所を開設。2009 年
4 月 27 日には、それまでの三井住友銀行股份有限公司中国地区支店を改め、三井住友銀行(中国)有限
公司とし、本店を上海に置いた。現地法人の設立により中国に根を下ろしたサービスの拡充が期待され
ている。
三井住友銀行は、アジア市場での商業銀行業務の拡大をグローバル戦略の中心に据えている。支店網
を増やし、人的資源を拡充するとともに、自身の経営能力の不足を補うため、各地の大規模銀行との提
携を強化している。
東日本大震災後は、三井住友銀行は被災地に対し
個人向けの特別な住宅ローンや企業向けの低金利
融資を行っているが、CSR の一環として被災地の
再建にも貢献していくという。
見学後、三井住友銀行の職員といっしょに昼食を
とった。日本での感想を語ったり、日本での中国人
の就職状況や中国での人材募集の状況について意
見を交換したりと、打ち解けた雰囲気の中で楽しい
ひとときを過ごした。
知っていますか?
1. 窓口カウンターの前にある小さな部屋は何に使うのか?
2 階の窓口カウンターの前にたくさんの小部屋があった。ある学生が何に使うのかと質問した。VIP 等
の特別な顧客にだけ使う部屋だと思ったのである。案内してくれた職員によると、話を人に聞かれたく
ない場合、顧客なら誰でもこの部屋を利用することができる、とのことだった。
2. 三井住友銀行の中国の支店や事務所はいくつあるか?
現在、株式会社三井住友銀行は中国(香港・台湾を含む)に天津、上海、蘇州等 10 ヶ所の支店を持ち、
本店を上海に置いている。また、天津濱海出張所や上海浦西出張所等 6 ヶ所の事務所がある。
感想
三井住友銀行の歴史は、いわばたゆまぬ開拓と刷新の歴史である。時代の変化に対応し、時代ととも
に歩み、常に軌道修正をし続けてきたからこそ、世界的な競争力をもつ金融サービスグループに成長で
きたのだと思う。日本の銀行は中国の銀行とは違って、個人や企業向けの預金や融資を扱うだけでなく、
銀行自身が多くの企業や金融機関の株式を保有している。好況期には銀行や企業の経営状況も一般に良
好だが、景気が悪化すると状況が変わってくる。特に 1990 年代に日本でバブル経済が崩壊した際は、
企業の倒産の影響で銀行も相次いで倒産するという事態が起こった。以来、銀行のリスク管理能力を高
めることと景気回復における役割の強化が大きな課題となっている。
中日国交正常化以降、両国は経済、文化、教育、医療、希望プロジェクト(訳注:中国青少年発展基
– 25 –
金会が実施する社会公益事業。主に農村部の貧困児童に対する就学援助を実施)、ビジネス、貧困家庭支援、
生態系修復等の分野で友好的な協力を進めてきた。国交回復以降の両国間の経済貿易関係を振り返ると、
中国と日本はお互いにとって最も重要な経済パートナーであることに気づく。現在、日本は震災後の復
興期にあるが、今後数年のうちには中国金融市場も開放され、中日両国の企業の相手国での経営活動が、
両国経済の長期的発展に寄与していくことになるだろう。
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「全地球的理念と社会的責任のある企業として」
北京林業大学学生代表
見学日時:2011年6月2日(木)16:00~19:30
見学場所:伊藤忠商事株式会社 東京都港区北青山2丁目5番1号
見学概要:
6月2日午後、東京都港区北青山2丁目にある伊藤忠商事株式会社の本社を訪問した。隣国からの若い
訪問者を迎えるにあたり、伊藤忠商事は最高幹部が重要会議を開く際に使う会議室を特別に開放してく
れた。まず日本の前駐韓国大使で、伊藤忠顧問の高野紀元氏が多忙な時間をさいて私たちのために話を
してくれた。その後、業務の都合で高野氏は会議室を後にしたが、高野氏の話は示唆に富むものだっ
た。それは単なる日本の今の社会や政治問題を論じ
る「社説」ではなく、同じ地球に住む一員として、
若者こそがこれからの地球の希望とならなければな
らないこと、国際的な視野を持って全人類と全社会
に対し責任を果たすこと、より高い次元に立って全
世界の人々の福祉のために努力しなければならない
ことを語りかけるものだった。同氏の話しは、一人
のベテラン政治家としてのキャリアと世界に対する
確固たる認識に裏打ちされたものだと思った。
次に海外総合支援室の堀尾室長から日本の対外経済と伊藤忠商事の中国戦略についてのレクチャーが
あった。このレクチャーから総合商社の長期的な市場潜在力についての優れた見識を知ることができ
た。中国の世界の新興経済体としての潜在力は無限だ。伊藤忠商事はこの点に着目し、早くから中国市
場に進出し、食品・穀物・油、金融・不動産、保険、リスク管理、物流、生活資材、化学製品、繊維な
どの分野で事業展開を行っているほか、今後は中国市場への投入と環境分野への投資を一層強化してい
くという。
夜は伊藤忠の中国人社員といっしょに日本情緒溢れる居酒屋で食事をした。お酒を飲みながらの語ら
い、そして笑い、とても打ち解けたひと時となった。こうした楽しい雰囲気の中、名残惜しい気持ちを
抱えながら伊藤忠の皆さんと別れた。
知っていますか?
伊藤忠商事という総合商社は、中日
国交正常化の半年前の1972年3月に中国国
務院が初めて正式認可を与えた
会社であり、中日貿易の回復に貢
献してきた企業であること
を知った。その後、1979年に
北京に駐在事務所を設立
し、1992年には上海に現地
法人を発足。1993年に
は許可を得て投資会社を設
立し、2005年には多国
籍企業の「地域本部」の認
定を得るなど、それぞれ
の段階で市場をリードし、着
実に中国市場における基礎
を築いて来た。
伊藤忠で働いている中国人社
員は研修のためにグループごとに日
– 27 –
本の本社に派遣され、日本人社員に対しては中国語の学習が求められるなど、伊藤忠がいかに中国市場
を重視しているかが分かる。ちなみに日本の現駐中国大使の丹羽宇一郎氏も伊藤忠の出身である。
中国と日本の単位GDP当たりのエネルギー消費量の比率は7.6、つまり同じ量を生産するのに、中国は
日本より7.6倍のネルギーを消費しているということになる。
感想
今回の伊藤忠商事の見学では二つ印象的なことがあった。一つは高野紀元氏の「国際的な視野を持
ち、全人類、全社会の責任を担える人にならなければならない」という話で、もう一つは伊藤忠商事の
ような総合商社の潜在力だ。
まず、高野氏からは日本の現在の高齢化と少子化という社会問題のほか、高福祉と比較的健全な社会
保障制度の下で税収の低迷により大幅な財政赤字と政府の負担を招いているという話があった。日本の
福祉は優れているが、高い生活レベルと税収に見合わない高福祉が、今の日本の若者の生活を安逸すぎ
るものにし、日本を出て世界を見てみようという気概がない。日本の若者はこうした現状と財政赤字の
悪化に甘んじているという。税収と社会福祉のバランスをいかにとるかが、日本政府にとって大きな問
題になっている。高野氏はさらに続けて言った。「今、世界は国際化しており、各国の人材や資金は国
際間で流動している。今後、世界各国はFTA(自由貿易協定)を前提とし、相互依存の関係になっていく
だろう」「世界の人々は地球という同じ船に乗っているのであり、各国間で相互信頼と友好を深め、世
界の人々、特にこれからの希望を担う若者には国際的視野と全人類の福祉という大きな志を持ってほし
い。そうしてこそ、人類と地球環境の調和と共存が可能となり、安定的な発展が実現し、私たちのこの
地球という大きな船と、それに乗っている人々をより良い未来に導くことができる」。
次に印象的だったことは、伊藤忠という総合商社の広範な業務範囲だ。それは繊維産業から金属、エ
ネルギー分野、機械から食糧・油、食品、金融、不動産、保険、物流、情報通信、さらには生活資材か
ら航空電子分野にいたるまで、人々の生活のほとんどあらゆる面に及び、世界の全大陸をカバーしてい
た。その規模の大きさと莫大な資産には本当に驚かされた。伊藤忠のような企業が、平時には巨額の収
益があげ、資源供給の逼迫した時期や有事に際しては、エネルギーや食糧など、戦争の勝敗を決する重
要産業を掌握することになるのだが、こうした資源配分や有事の際に世界情勢をも変え得るほどの大き
な影響力を持っているのも資源と資本を握っているからである。中国も政府が支援して世界情勢に影響
を与えるような総合商社を1社ないし2社設立してはどうかと思う。これは国防と国家戦略的にも必要な
ことだと思う。
– 28 –
化学の力で夢を形に
——三井化学工場見学報告
外交学院学生代表
見学日時:2011年6月3日(金)10:00~13:00
見学場所:千葉県三井化学市原工場
見学の流れ
東京湾を横切り、千葉県京葉工業地帯の三井化学市原工場にやって来た。京葉工業地帯は消費活動の
最も活発な首都圏に隣接した日本最大のエネルギー産業拠点だ。三井化学市原工場は工業地帯の中心に
位置し、出光興産や住友化学等と京葉工業地帯の各種設備を共用している。市原工場の会議室で工場の
詳細について説明を受けた。三井化学と市原工場の紹介では、環境、安全管理、地域社会への貢献につ
いての話しや今回の東日本大震災とも関係のある工場の地震対策についての話があった。その後、再び
バスに乗り工場見学へと向かった。3EPT充填倉庫では作業員が丁寧に生産ラインの説明をしてくれた。
1時間の見学が終了すると、豪華な昼食が用意され、社員の人たちと話しをすることができた。
概要
三井化学は1997年10月1日に設立された日本最大の化学工業グループである。日本国内に64の子会社
と海外に27の支社を持ち、従業員数は12,000人を超える。三井化学は地球環境との調和を図りながら、
材料・物質のイノベーションと創造によって高品質の製品とサービスを提供し、広く社会に貢献するこ
とを企業理念として掲げている。
日本国内には、樹脂加工を中心とした名古屋工場、基礎化学品と機能性材料の生産を中心とした岩国
大竹工場、有機合成技術により機能性化学品を生産する大牟田工場、有機・無機材料複合化装置の主力
工場である大阪工場、機能性樹脂と電子情報部品を生産する茂原分工場、そして今回見学した石化製品
の主力工場である市原工場がある。三井化学はさまざまな製品を生産しているが、大きく分けて自動車
部品、電子・情報部品、日用品や環境・エネルギー材料、包装材の4つに分けることができる。
三井化学の環境、安全、衛生、品質についての基本方針は以下の通りである。
環境:新技術や新製品の研究開発によって環境保全に貢献する。製品の研究開発から廃棄に至る全ての
ステップで環境に与える影響を評価し、環境負荷を低減する。
安全・衛生:安全確認を徹底させて無事故・無災害を目指す。良好な作業環境を創出し、従業員の健康
意識を高める。化学物質の安全処理を徹底させる。
品質:顧客が満足、安心して使える信頼される高品質な製品とサービスを提供する。
こうした一連の基本方針の下、三井化学は自主管理を重んじ、安全で衛生的な労働環境と品質の向上
に努めている。
近年、三井化学は海外市場の開拓に力を入れている。海外に生産拠点を設けている以外に、中国では
技術譲渡を進めている。また、国際シンポジウムを開催し、世界の企業や専門家、ノーベル賞受賞者と
議論を重ね、少しずつ夢を形にして来ている。現在、三井化学には中国石油化工股份有限公司とフェ
ノール等の合弁事業のほか、世界最大のエチレン開発拠点である袖ヶ浦センターがある。三井化学は技
術革新を重ね、新材料と新技術を導入して製品品質の向上に努めている。
今、日本の大手企業は企業の社会的責任を非常に重視している。三井グループは社員が誇りを持って
働くことのできる「優良企業」を目指し、経済・環境・社会の3者のバランスのとれた経営を模索してい
る。企業というものは利益や経済効果のみを追求するだけでなく、環境を護り社会に貢献してこそより
– 29 –
良い経営ができるというのが三井化学の考え方だ。その一例として、同社は日本の環境基本法を遵守す
ると同時に、工場では廃水の処理状態を常時分析器を使ってモニタリングし、廃水の水質管理を行って
いる。なお、こうした企業理念は三井化学の中国事業にも活かされている。内モンゴル自治区で進めら
れている砂漠の緑化活動がそれに当たる。
また、三井化学は防災にも力を入れている。独自の防災システムがあり、海上保安庁とも連携して普
段から防災訓練を実施している。また、同社は地域社会との交流も大切にしている。一般市民の工場見
学の受け入れ、工場紹介のパンフレットの配布、清掃活動やペットボトルの回収、子ども化学実験教室
の開催等、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
知っていますか?
◇ 三井化学のある工業地帯は各社工場がパイプラインを共用している。万が一、ある工場で原料が不
足しても、電話一本でこの共用パイプラインを通じて他社の工場から原料を融通してもらう仕組み
になっている。
◇ トヨタとホンダの車の材料の70%を三井化学が提供している。
◇ 「アインシュタイン」工場。私たちを乗せたバスが三井化学の工場敷地内に入っていくと、左手の
大きな壁一面にアインシュタインが描かれているのが目に入った。このアインシュタインは、従業
員がイノベーションの励みにしようと1997年に描いたものだという。
◇ 今回の工場見学では三井化学の王果さんが解説と通訳をしてくれたが、王さんは来日当初は日本語
が全くできなかったそうだ。初めの3ヶ月間というもの、三井化学の上層部は王さんの教育に熱心で、
仕事の合間を縫っては王さんを旅行に誘うなどして日本語力のアップに力を貸してくれたという。
感想
三井化学市原工場の見学を終え、多くのことを考えさせられた。中国で化学工場と聞くと真っ先に思
い浮かぶのは、煙突から吐き出される黒煙、悪臭を放つ汚水、鼻を突く悪臭といった汚染問題だが、三
井化学は環境に非常に配慮しており、市原工場には黒煙や鼻を突く臭いもなく、敷地内には青々とした
芝生が茂り、東京湾の青い海を臨むことができた。
化学工場でもこんなに環境と調和できるのだということに本当に驚いた。また、三井化学は地域や社
会貢献活動にも非常に熱心に取り組んでいる。ゴミ拾いや清掃を行ったり、子どものための化学実験教
室を開いたり、少年野球大会を支援したりと、本当に感心した。化学メーカーと社会貢献活動には必然
的な関係はないが、三井化学の社会貢献活動を重視し積極的にそれに取り組む姿勢はとても素晴らし
く、血の通った温かみのある企業経営が感じられた。利益だけを追求するのではなく、社会貢献を重視
するこの姿勢を中国の化学メーカーや企業も見習うべきだと思う。利益だけにとらわれることなく、広
い視野を持ち、社会的責任を果たすことが成熟した企業の証だと思う。
– 30 –
新日鐵君津製鉄所
北京科技大学学生代表
見学日時:6月3日(金)14:00~17:00
見学場所:新日鐵君津製鉄所
見学概要
新日鐵は目下、日本ないし世界最大級の鉄鋼製造企業の一つであり、その年間粗鋼生産量は約3000万
トン、日本の総生産量の約30%を占め、日本最大の企業グループである。新日鐵本体の10ヵ所の製鉄所
が鉄鋼事業に従事している以外に、新日鐵グループには8分野193社のメンバー企業がある。
最強の国際市場競争力を持つ鉄鋼会社の一つである
新日鐵は、その研究開発力や管理レベル、また製品品
質や技術のどれを取っても、鉄鋼業界の旗手とも言う
べき存在だ。また、新日本製鐵はクリーナー・プロダ
クション企業としての道を見事に歩んでいる。同社は
技術改造と技術革新により資源利用率を最大限高め、
資源消費を削減し、ゼロエミッション効果を追求して
いくことで、企業自身の価値を創造しつつ社会貢献に
も取り組んでいる。
新日鐵のエネルギー利用はほぼ極限に達し、ゼロエ
写真1.4号高炉
ミッションも実現している。資源の節約と環境分野に
おける模範とも言えるが、これは鉄鋼会社にとっては、ほとんど達成不可能なレベルである。中国の鉄
鋼会社を比較すると、両者の間にはまだ大きな差がある。
鉄鋼業界は高汚染業種である。環境騒音や固体廃棄物、大気や水質面から見ても高汚染業種だが、日
本ないし世界の鉄鋼業界のリーディングカンパニーである新日本製鐵が周囲の環境に影響を及ぼすこと
はない。以下、新日本製鐵の見学の感想を述べることにする。
固体廃棄物については、新日本製鐵は老舗鉄鋼会社だが、技術と設備を更新し、最新の溶鉱炉を採用
していることもあり、排出されるスラグの量は非常に少ない。鋼材1トンを生産するときの廃棄物はわず
か0.8トン。発生量が少ないので処理も非常に簡単である。同社は水焼き入れ方式でスラグをガラス状の
ビーズにし、それを原料にして建築材料を生産
している。案内してくれた技術者の話では、製
鉄所周辺の道路にはすべて製鉄所のスラグが使
われているとのことだったが、これが同社の資
源化の主な方法になっている。
環境騒音防止対策としては、場外に植物によ
る緑の防音壁を作っている。それにより製鉄所
の外に放出される騒音が削減され、周囲の環境
緑化にもなる。こうした「一挙多得」とも言う
写真2.工場敷地内の緑化
べき方法が、製鉄所の随所に体現されていた。
– 31 –
大気については、製鉄所内で廃ガスが排出されているのを全く見かけなかった。多分その日の天候の
せいもあっただろうが、拡散条件が極めて良好なことに加え、脱硫、脱硝、更には二酸化炭素貯蔵技術
によってほぼゼロエミッションが達成されている。
水質面では、通常の水処理技術を使って排出基準を満たしている。簡単な例を一つ挙げると、製鉄所
の傍を流れる川の水は澄み、時々小さな魚が水面を飛び跳ねていた。こうしたことも厳しい排出規制が
なければあり得ないことだ。
要するに、考え方の問題なのだと思う。日本の企業は環境保護を重視しているが、それは彼らの考え
方が進んでいるからというわけではなく、彼らがかつて手痛い目に遭っているからである。名だたる公
害事件が、日本の国民すべてに自らの環境を保護しなければならないという信念を起こさせ、この信念
が各人の心に深く根づいているからこそ、今日の日本企業の厳しい環境基準があると言うべきだろう。
技術革新だけでなく、中国には考え方の革新が必要であり、それを十分に重視しさえすれば、中国も環
境、資源、経済の調和のとれた発展の道を歩むことができると確信している。
– 32 –
早稲田大学
北京航空航天大学学生代表
見学日時:2011年6月6日(月)14:00~19:00
見学場所:早稻田大学
見学概要:
今日の午後は早稲田大学を見学し、学生と交流をした。日本の大学で最初に知った大学が早稲田大学
という訪日団のメンバーも少なくなく、私たちは今日の交流会を心待ちにしていた。
早稲田大学のキャンパスは静かで落ち着きがあり、牧歌的な雰囲気だった。古い伝統の中にも現代的
な息吹が感じられた。大隈講堂と坪内博士記念演劇博物館からは、早稲田大学の長い歴史とその中で培
われてきた実直で向上心溢れる精神を見て取ることができた。532万冊の蔵書と人工知能システムで管
理された図書館はどこも近代的で、早稲田大学の先進性とエネルギーを感じた。また、私たちの北京航
空航天大学と同じように、早稲田大学の教学棟には名前がつけられておらず、数字の番号が割り振られ
ているだけだったが、早稲田大学も北航のように質実を伝統としているのだと思った。
しかし、見学が進むにつれて、この考えが間違っていることに気がついた。早稲田大学の一番の特色
は開放的で自由なことだった。学生の約3割が海外に留学しているというが、日本では海外に出たがら
ない若者が多いと言われる中、この数字はすごいと思った。80の国と地域の600の大学と協力関係にあ
り、現在3,000名の留学生を受け入れているとのことだった。中国とも密接な関係にあり、留学生のうち
1,400名余りが中国からの学生で、日本の大学の中で一番多いという。また李大釗や陳独秀といった革命
家や多くの優秀な中国人が早稲田大学で学び、江沢民や胡錦涛主席も講演をしていることもあり、早稲
田大学の知名度は日本国内よりも中国の方が高いという人もいるくらいだ。
最も印象的だったのは大学の自由な雰囲気だ。早稲田大学には校門がない。「制服を着た人(警察官
や軍人)」は学長の許可が必要だが、それ以外の人は自由に出入りできる。これには第二次世界大戦へ
の反省が込められているそうだが、こうしたことも早稲田の自由な学風を作り出している一因だと思っ
た。そしてこれこそが早稲田大学の創設者である大隈重信が提唱した「在野精神、進取精神、庶民精
神」の表れであり、政治に縛られることなく、エリートや指導者の育成というよりも、実務に長けた人
材の育成を重視する姿勢にもつながるのだと思った。早稲田大学には2,000を超えるサークルがあるそう
だ。中国の大学ではせいぜい100くらいが精一杯で、サークルの数では中国のどの大学も足元にも及ば
ない。そして早稲田の学生はとても「遊び上手」だ。「遊び上手」な学生こそ今の日本企業が求めてい
る人材だという。学業優秀な学生でも中途退学してしまうこともあるそうだが、成績重視の中国の大学
では考えられないことだ。
私たちは白木三秀教授のゼミに参加し、早稲田の学生と今後も原発を継続していくべきかについて話
し合った。早稲田の学生はこの問題をとても冷静に捉えていた。多くの学生が原発推進に肯定的で、今
回の震災で福島原発が事故に見舞われたが、原発に対して偏った見方はしていなかった。これは素晴ら
しいことだと思ったが、やはり学生は原子力の専門家ではないので、間違った認識をしている所もある
かもしれない。次に理想的な大学生活についてお互いの考えを披露し合った。日本の学生が自由である
ことと良い就職先を見つけることに重点を置いているのに対し、中国の学生は自由な生活に憧れるとい
う一面もあるが、落ち着いた学習環境も必要だと考えており、就職については余り期待をしていないこ
– 33 –
とが分かった。
その後の交流で、日本の学生を取り巻く環境についてより深く理解することができた。就活について
は、日本の学生の方が中国の学生より厳しい現実に直面しているようだった。特に今回の大震災の影響
で日本企業も大変苦しい立場に立たされているため、学生の就職が一層厳しくなることが予想されるほ
か、社会へ出てからのプレッシャーも中国より大きいことが分かった。海外留学をする学生は中国の方
が圧倒的に多く、この点については先日見学した伊藤忠商事の人も話していたが、中国は海外留学する
学生が極端に多く、些か盲目的な感じさえする。また帰国せずにそのまま留学先に留まる人も多く、そ
れが人材の流失をまねいている。日本の学生は中国の学生ほど勉強熱心ではないようだ。どちらの学生
も同じように夜遅くまで起きているが、中国の学生のそれは勉強のためであるのに対し、日本の学生は
面白いことがあり、それに夢中になる余りの夜更かしだという。日本の大学には寮がなく、学生は自分
で部屋を借りて住んでいる。これは自立を促すことができる半面、自己管理が甘くなるといった面もあ
ると思うが、それによって元々自由な早稲田の学風がより自由になっているという側面もある。
今回の交流で日本の大学と学生について知ることができた。日中それぞれの相違点が印象的だった。
私たちの考え方は多少主観的かもしれないが、日中双方の相違点はどちらが正しく、どちらが間違って
いるということではないように思う。日中の大学間の交流がさらに緊密になり、相互理解が深まってこ
そ互いに学び合い共に成長できるのだと思った。
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全日空機体メンテナンスセンター
北京科技大学学生代表
見学日時:2011年6月7日(火)09:45~12:00
見学場所:全日空機体メンテナンスセンター
見学概要
ANAと聞いてすぐに思い浮かぶのはあの空飛ぶパンダだろう。7日、全日空の機体メンテナンスセン
ターでパンダ飛行機の写真を見たが、その翌日にその飛行機に乗れるとは思ってもみなかった。飛行機
に乗った瞬間は、まるで童話の世界が現実になったような気がして楽しかった。今、全日空での見学を
思い返してみると、やはり安全性についての話が一番多かったように思う。
2011年6月7日午前、私たちは羽田空港にある
ANA機体メンテナンスセンターを訪れた。安全担
当の小島氏が同社の安全に関する制度を詳細に紹
介してくれた。ハインリッヒの法則として有名な
300:29:1の比率は、1件の重大事故・災害の背後に
は29件の軽微な事故・災害があり、300件の危険
事例があるという意味である。中国では「生産はお
金を生み出すが、安全にはお金がかかる」という考
え方があり、企業のほとんどは事故が起こってか
らようやく安全を重視し始めるが、全日空は事故につながる可能性のある潜在的危険に目を向け、すで
にそれらの収集を始めている。自己申告制度がとられているが、当然これには莫大な資金、物資、人力
が必要となる。小島氏が質疑応答のときに言っていたように、全日空でも運の良さを当てこむ心理が蔓
延し、始めからこの取り組みが歓迎されていたわけではなかった。それでも全日空はかなりの労力を費
やして社員を説得し、道理を説き、そうすることの重要性を説明したという。なぜなら事故によって生
じる損失のほうが、300件の情報を集めるときの負担よりもはるか大きなものになるからだ。
中国にも災害や事故の発生を予防する先進的な
技術が無いわけではない。ただ安全問題を軽視し
て経済効果を優先させているだけのことだ。そこ
で人々のこうした誤った考え方を変えていくこと
が非常に大事になる。事故の発生を完全に予防す
ることはできないにしても、その確率を最小限に
食い止めることはできる。黄琨さんが言っていた
ように、全日空の見学で最も印象的だったのは、
その安全への取り組みだった。単に同社の見学の
重点が安全対策の解説に置かれていたというばかりでなく、ANAがこれらの対策を通じて安全をいかに
重視しているかが伝わってきた。こういう航空会社こそが顧客の信頼を得ることができるのだと思う。
小島氏も言っていたが、同社は安全のために巨額の資金を投入している。それは一見浪費のようにも見
えるが、実際に事故が起これば、その損失は経済的利益にとどまらず、乗客の命、会社の信用と人々の
– 35 –
航空事業全体に対する信頼にも関わる問題にもなる。責任感のある企業だけが顧客の信頼を得、最終的
に顧客に選ばれる企業になるのだと思う。
また、全日空は社会貢献にも取り組んでいる。その日、私たち以外にも老人の団体と小学生の団体が
見学に来ていた。案内係の社員が丁寧に解説し、見学者の質問に答えていた。見学の受け入れには一般
市民に対する教育と知識普及という側面と同時に、格好の宣伝の場という側面があるが、その意味で、
ANAの見学では企業の十分に考えられた戦略と理念が感じられ、同社がこれからも発展を続け、更なる
高みを目指していくことを確信した。
付記:ちょうど友だちに大学の航空模型クラブに入っている人がいるが、その彼は飛行機を見ると、い
つも興奮する。クラブのメンバーと一緒に飛行機を飛ばしに行く時には「まずボルトがきちんと締められ
ているか、緩んでいる所はないかをチェックする。チェックがいい加減な場合は、操作ミスによって大
きな事故になることがある」と言っていたのを思い出した。今回、全日空のメンテナンスセンターですべ
ての物が整然と置かれ、どの工程も整然と行われているのを目の当たりにして、これこそが命に責任を
負うメンテナンスだと思った。飛行機に乗るすべての人に対して責任を負うという意識があって初めて
毎回のメンテナンスをしっかり行うことができるのだと納得した。
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省エネ・環境保護とは即ち高効率である
北京林業大学学生代表
見学日時:2011年6月8日(水)09:30~11:00
見学場所:ホテルニューオータニ(東京都千代田区紀尾井町4-1)
見学概要
主にホテルの発電設備、水の循環利用、固体ゴミの処理及び緑化面について見学した。水処理につい
ては、ホテルで生じる汚水は処理後に比較的清潔な透明の再生水となり、庭園の灌水や水洗トイレの水
に用いられる。こうすることで上水道の使用量が節約でき、汚水・廃水の排出量も減らすことができ
る。最も興味深かったのは木製のタンクだ。タンクといえば、普通は金属製で、いかにも工業的なデザ
インのものが多いと思っていたが、このタンクは厚さ70ミリ、アメリカのヌマスギで作られ、優良な水
を提供して40年以上になるという。木材独特の抗菌効果が水質浄化の役割を果たしているのだ。
固体ゴミの処理場では新しく運ばれて来た厨房ゴミが処理設備の中に入れられていた。説明によれ
ば、1日当たり水分80%の生ゴミが5,000kg処理さ
れているという。まず、蒸気を使って水分を20%ま
で下げた後、堆肥工場に運ばれ、3ヶ月間の発酵処
理が行われ、最終的に農業用肥料として用いる。設
備全体の投資に1億1千万円かかったが、3年7ヶ月
でそのコストが回収できるという。この設備はこれ
までのゴミ焼却設備に比べ清潔無害かつ経済的だ。
最後に緑化の状況を見学した。ホテルニューオー
タニのすばらしい緑化環境が印象的だった。朝食の
ビュッフェのときに望める庭園の風景しかり、屋上
緑化による断熱効果しかりである。今回はローズガーデンも見学した。ローズガーデンは屋上緑化の極
致とも言えるもので、ロマンチックなウェディング会場となっている。見学のときにホテルニューオー
タニの耐震能力が改築後に大幅に向上したことについても言及があった。
ニューオータニの一流ホテルとしての環境への取り組みは非常に成功している。建設と計画の段階か
ら環境についての考慮がなされている。環境への投資によって何がもたらされるかをきちんと理解し、
かつ明確な計画のもとで進められていた。ホテルの環境への取り組みがどのシーンにおいても行われ、
最善を尽くす。文句のつけようがなかった。汚水の処理から再生水の循環使用、ゴミの分別処理から堆
肥処理、自家発電からエネルギー利用、もちろん屋上のローズガーデンに至るまでほぼ完璧であり、環
境保護の各段階が互いに深く結びついた、非常に体系的なものになっていた。ホテルの経営陣にとって
もこうした投資は価値あるものに映るだろう。「環境保護のために投資するのは即ち金銭の浪費だ」と考
える中国企業とは反対に、ホテルニューオータニはそれは価値のあることであり、更に言えば、金銭の
節約にもなると考えている。そして何よりも重要なことは、こうすることによって企業の社会的責任を
果たすことができるという点である。
知っていますか?
ホテルニューオータニは開業以来一貫して「複合エネルギー型ホテル」を目指し、環境保護と快適さ
の有機的結合に努めているという。さまざまな環境保護措置を積極的に講じていくことによって、環境
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にやさしいということと宿泊客の評価の両方を目指す。ホテルニューオータニに宿泊した5日間、ホテル
の心のこもったサービスと環境施設の見学によって、トップクラスのホテルとしての経営理念を感じる
ことができた。
これまでホテルというのは少しの間留まるだけの
駅のようなもので、逗留したところで特別な印象な
どないと思っていた。いわゆる5つ星ホテルとユー
スホステルとの違いについても、前者は豪奢なホテ
ル、後者はどこにでもある質素なホテルというふう
にしか思っていなかった。ホテルというのは、そこ
に宿泊する人に快適だと感じさせることができれ
ば、それでもう十分なのだ。だからこそ、お金が
あってもユースホステルの気楽な賑やかさこそが面
白いとしてユースホステルに泊まる人もいれば、ド
バイのブルジュ・アル・アラブなどの5つ星ホテル
に泊まることが一生の夢だというような人もいる。いずれにしても、これまでは宿泊客がリラックスで
きるように最善を尽くしていれば、ホテルとしては既に一流であり、また、それこそがホテルが最優先
すべき責務であり、それ以上のことを要求されることはないと思っていたが、今回ホテルニューオータ
ニに泊まってみて、こうした考えが改められることになった。
見学後の感想
日本滞在中、日本人にとって環境への取り組みが負担になっていると感じたことはなく、むしろ日本
人は環境保護を金銭と労力節約のための良い方法だと考えていることが分かった。今、中国はまだ発展
途上にあり、かつ転換期にさしかかっているが、中国は経済発展のスタートが遅かったために、環境保
護に関する認識も他国よりかなり遅れている。私たちの焦りは、ほかでもなく更なる進歩を求める心理
の表れだ。自分の祖国を愛するがゆえに、他国に負けたくないと思い、祖国をよくしたいと焦り、一刻
も早く他国の歩みに追いつこうとする。こうした心理は自らを過小評価しがちだが、客観的に見て、あ
と30年もすれば、中国の環境への取り組みも今よりも良くなるはずである。私たちは今こそ先進的な環
境保護のための方法を学び、よくそれを理解し、先進国がこれまで経済発展と環境分野で歩んできた道
のりを研究し、その真髄を吸収し、遠回りすることなく、環境にやさしい社会を早急に実現していく必
要がある。
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学生たちの感想文から
学生たちは毎晩、一日のスケジュールを終えてから日記形式の感想文を書き、第 8 回訪日の記録とした。
以下ではその一部を紹介する。
日付:5月30日(月) 1日目
大学名:外交学院
氏名:陳鑫
いよいよ日本へ旅立つ日がやって来た。緊張のせいか、7時前に目が覚めてしまった。いつもはこの時
間はまだ夢の中だが、目が覚めてしまったので、思い切って起きることにした。忘れ物はないか、日本
へ持って行く荷物をもう一度チェックした。
10時半に学校を出発して11時半頃には空港に到着した。各大学のメンバーと合流し、記念写真を撮
り、搭乗手続きをした。中日友好協会の関団長、王磊先輩、王正先輩、そしてJTBのガイドの詹さんに引
率され、搭乗手続きを済ませた。ところが、「好事魔多し」とはこのことで、フライトは1時間遅れ、午後
7時半やっと関西空港に到着した。機内では楽しみにしている日本でのあれこれを話したりして、アッと
いう間に時間が過ぎた。
飛行機から降り立ち、島国日本の澄んだ空気を吸い込んだ瞬間、日本に来たんだという実感が湧いて
来た。まるで夢のようだ。僕は今、日本の大地を踏みしめている。3年間日本語を学んで来たが、本当に
日本を肌で感じたのはこれが初めてだった。
荷物をバスに乗せ、ガイドの呂さんがホテルのビュッフェに案内してくれた。呂さんは55歳のベテラ
ンガイドだが、30代にしか見えない。杜汶澤(訳注:香港生まれの男性歌手、俳優、司会者)に似てい
て、話しが上手、とても頼りになる。
ホテルのビュッフェはとても豪華で、主催者側はわざわざ一人ひとりに魚料理をつけてくれた。ずっと
食べていたいと思った。
食事を終えると、またバスに乗り込み、1時間程揺られ、大阪城の隣にあるホテルニューオータニに着
いた。嬉しいことに、僕たちの部屋は大阪城に面していた。大阪城はゲーム、新聞、テレビで何度も見
たことはあったが、こうして実際に目の前にすると、却ってリアリティが感じられなかった。静寂の闇
の中に白く浮かび上がる大阪城は一際目を引き、何か語りかけているような気がした。5月30日は僕の
大学生活にとって夢のような一日となった。
日付:5月30日(月) 1日目
大学名:北京科技大学
氏名:邱明晶
晴れ。今日は僕の人生にとって特別な一日となった。5大学から集まった学生29名からなる「中国大
学生訪日代表団」は中日友好協会の先生の引率で北京から大阪へと旅立った。これから日本を肌で感じ
る旅が始まるのだ。今日はほとんどの時間を空港と機内で過ごして少し疲れたが、これから始まる日本
での10日間を思うと、胸は期待でいっぱいになった。 各大学からの参加メンバーとは空港で合流した。僕の大学は一番乗りで首都国際空港に到着した。待
ち時間には「三国殺」ゲームをしたり、これから始まる日本での生活について話したり、みんな逸る気
持ちを抑えられないといった感じだった。また、全日空の飛行機はどんなだろうと想像したりしている
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うちに、搭乗するまでの2時間はアッという間に過ぎた。
機内ではお喋りに花が咲いた。隣の席は北京航空航天大学の学生だった。それほど親しいというわけ
ではなかったが、簡単に自己紹介をして話をしているうちに打ち解け、意気投合した。飛行機は雲の間
を縫うように飛び、窓から見える空はどこまでも青く、僕の心は一足先に日本に着いたような感じがし
ていた。飛行機が着陸する時は、言葉では言い表せないほどの思いが胸に込み上げて来た。眼下に見え
る小さな島々に向かい「ついに来たよ、日本!」と心の中で叫んだ。
いよいよ日本での生活の始まりだ。最初は大阪だった。飛行機を降りた時は午後7時。夕食は関西空
港のビュッフェで簡単に済ませ、その足でまたバスに乗り込み宿泊先のホテルニューオータニに向かっ
た。バスでガイドの呂純明さんと日中経済協会の渡辺光男さんと合流した。この二人が僕たちの日本で
の生活を最後までお世話してくれることになる。
今日という一日が間もなく終わろうとしている。明日からの10日間がとても楽しみだ。見聞を広め、
中国大学生の等身大の目線で本当の日本に触れてみたいと思う。
日付:5月30日(月) 1日目
大学名:北京林業大学
氏名:康雲澤
期待に胸を膨らませて大阪行きの飛行機に乗った。雨でフライトが2時間遅れたが、僕たちの期待と興
奮はそんなことではへこたれなかった。全日空の客室乗務員や日本に着いてから接した日本人の丁寧な
対応がともて印象的だった。大阪に到着し、ホテルのビュッフェを食べた。東日本大震災が起こったば
かりだが、食べ物も水もとても美味しく、心配いらなかった。
ホテルはどこも環境保護意識がいき渡っているように感じた。照明の数も明るさも控えめで、差し支
えない適度の明るさが保たれていた。浴室の石鹸やアメニティには環境に配慮した素材が使用されてい
て、使い心地も良かった。また、バスでホテルに向かう途中に見た日本の夜景は想像していたような煌
煌としたものではなく、明る過ぎず暗過ぎず、適度な明るさだった。環境保護と省エネ精神が隅々まで
いき渡っているんだなぁと感心した。
僕は水が大好きだ。北京は水不足だが、ここは水も景色も綺麗だ。飛行機から小さな島々と海が日本
を形作っているのが見えた。どこもかしこも水の優しさに包まれ、とても癒される。
今、ホテルのベッドに腰掛け、窓の外の美しい夜景を眺めている。心地よいピアノの調べを聴きなが
ら、書き尽くせぬ思いを書き留めている。
日本の旅が順調で、楽しく、実り多いものとなりますように。Come on!がんばるぞ!!
日付:5月31日(火)2日目
大学名:北京科技大学
氏名:陳定
今日も天気は上々だ。このしっとりとした空気が好き。気分が自然とよくなる。
昨晩は興奮してほとんど眠れなかったが、朝はそれでも北京時間でいえば4時50分に起きた。寝ぼけ
眼のまま大阪城を散歩した。大阪城はとても綺麗だった。ふと「服部平次」(訳注:名探偵コナンのキャ
ラクター)のことを思い出した。友だちに絵ハガキを書いた。サクランボを摘んでいるおじいさんやお
ばあさんに遭った。赤くておいしそうなサクランボだった。
朝食を済ませ、バスに乗り込み京都へ向かった。京都もとても有名な所だ。宝酒造の工場を見学し、
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お土産に携帯ストラップと酒(1合瓶)をもらった。このお酒は大学の友だちに持って帰り、仲間にも異
国情緒を味わってもらおう。
午後は有名なお寺を見学した。日本の茶道を体験し、抹茶を飲んだが、少し落ち着きがなかったかな
と反省している。その後、清水寺に行き、そこで「泉水」を飲んだ。私が飲んだのは「智」と「富」の水だっ
た。自分で選んだわけではなく、たまたま飲んだのがそうだった。美貌はなくてもかまわないが、知力
は一生必要になる。
途中、美味しいお餅を試食した。大学へのお土産に買ってもいいかなと思った。
新幹線に乗った時、ふと、名探偵コナンの元太たちも新幹線に乗って興奮していたのを思い出した。
だから、私が興奮したのも当たり前だと思う。車窓からはいろいろな建物が見えた。どれも小さかっ
た。もしかすると日本人にとっては整然としていることが最も重要であって、建物に大きさを求めると
いうことがないのかもしれない。
また、特に感心したのは防音壁だった。高速道路に沿って40kmにも渡り防音壁が設置されていた。北
京の三環路の防音壁は僅か2kmしかなく、とても残念に思った。
今日の食事は最高だった。昼は和食で夜は西洋料理だった。日本のお米はとても美味しく、もち米が
混ぜてあるような食感がした。毎日こんなに美味しいものばかり食べていたら太ってしまうかもしれな
い。
夜は静岡の夜景を堪能した。セブンイレブンで日本語の名探偵コナンのコミックを買った。日本語は
解らないけれど、日本に来た記念には最高だ。
夜も更けて来たのでそろそろ寝ようと思う。明日はもっと日本を楽しむぞ!
日付:5月31日(火)2日目
大学名:北京林業大学
氏名:王磊明
朝6時に起床し、すぐ隣にある大阪城の散歩に出発した。8時半にはこの日本第二の都市・大阪を離れ
なければならない。この散歩が日本を肌で感じる最初の体験となった。道路がきれいで、ゴミ一つ落ち
ていなかった。ガイドの呂さんが日本では何日はいても靴が汚れないと言っていたが、北京では毎日磨
かなくてはならないだろう。
大阪城へ向かう途中、日本人の温かさに触れることができた。ある年配の人に大阪城にはどう行けば
いいか尋ねると、お互い言葉が通じなかったが、その人は嫌な顔一つせず、行き方を丁寧に説明してく
れた。結局、大阪城まで連れて行ってくれた。
9時30分、日本での見学先の一つ目、宝酒造伏見工場に到着した。関団長が言っていたように、日本
も中国もとても大事にしているこの特別な液体が、両国の距離を縮め、友情を育んでくれたらいいなぁ
と思う。宝酒造は経済利益の追求と共に環境保全事業にも積極的に取り組んでいた。中でも「3R+R」の
理念がとても印象的だった。Reduce、Reuse、Recycleの3Rに加え、Refuseの考え方を取り入れていると
いう説明があった。また、機械の自動化が進んでいて、あんなに広い作業現場をたった3人で制御してい
るのには驚かされた。
午後はとてもHAPPYだった。茶道を体験し、清水寺の清水を飲んだ。「美」「富」「智」を司る3つの水に
観光客が集まっていた。17:56、憧れの新幹線に乗った。新幹線の速度は北京・天津間の高速鉄道ほど
速くはなかったが、車内の快適さや清潔さと、前から乗ってみたかった気持ちも手伝い、とてもワクワ
クした。
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日付:5月31日(火)2日目
大学名:北京林業大学
氏名:李黎 大阪での滞在時間が非常に限られていたので、同じ大学の6人は朝5時半に起きて大阪城に散歩に行っ
た。早朝の大阪の空気は澄んでいた。曇り空だったが、とても爽やかだった。ホテルから大阪城に向か
う途中、沢山のお年寄りが散歩や体操をしていて、生活の息吹が感じられた。大阪城公園のインフラは
細かい所まで整備がいき届いていた。3メートルほどの緩い坂にさえ両側に手すりが設置されていた。ま
た、自転車に乗ったとても親切な伯父さんが、大阪城への行き方を教えてくれたが、大阪城にたどり着
くまでに3、4回、その伯父さんと出くわした。後で分かったことだが、実は伯父さんは道案内をするた
めに、私たちが写真を撮り終えるのを先に行って待っていてくれたのだという。公園ではお年寄りが互
いに挨拶を交わし合ってラジオ体操をしていた。生きることへの前向きな姿勢が伝わって来た。
ホテルに戻り朝食を済ませ、8時半に「宝酒造」伏見工場に向かった。工場見学はまず説明を受けてか
ら、いくつかのグループに分かれて生産ラインを見学し、最後に質疑応答という流れで行われた。私は
環境工学専攻なので、環境保全への取り組みが一番興味深かった。日本の環境保護法は大変厳しく、工
場は全てその法律を順守して建設され、環境に配慮した設計になっているという。エネルギー、廃材、
運送に至るまでさまざまな工夫が凝らされていた。また、「宝酒造」は「自然に感謝する」という環境
理念の下で環境保護活動に積極的に取り組んでいる。環境保護基金を設立したり、環境保全教育を実施
したりしているとのことだった。
午後は京都の清水寺と高台寺を見学した。私はもともと仏教に関心があったので、寺の草木、梁、
瓦、石の一つ一つに心が惹かれた。お寺では「世界平和」と「日本の安寧」を祈願した。
夕食は浜松のホテルのビュッフェだった。ベジタリアンといっても、食べられる物を選んで食べれば
何の問題もないのだが、わざわざ私のために特別なメニューが用意されていて感激した。大げさな話で
はなく、この2日間、日本で食べた料理は、私がベジタリアンになってから食べた食事の中で一番美味し
く、繊細で、心がこもっていた。夕食を済ませると、同じくカメラが趣味だというメンバーと「夜の浜
松の街」に繰り出した。夜景は本当に美しく、一見の価値ありというところだった。それぞれ雰囲気の
違う小さなお店が並び、その多くが日本情緒の漂うお店だった。街の至る所に自動販売機や24時間営業
のコンビニがあり、とても便利に感じた。
日付:6月1日(水)3日目
大学名:外交学院
氏名:範新葉
早朝、慌ただしくホテルコンコルドを出発し、次なる目的地に向かった。バスが静岡の曲がりくねっ
た道を走り、僕は頭がクラクラして来た。9時半ぴったりにあの有名なヤマハ本社に到着した。ヤマハの
大勢の従業員が道の両側に整列し、温かく迎えてくれた。これにはとても感激した。こんなに有名な会
社がこのような形で中国の学生を迎えてくれるとは思いもよらなかった。ヤマハは感動を与える企業と
なること、世界の人々に新鮮な感動と豊かな生活を提供することを目指しているという説明が案内の人
からあった。続くヤマハの展示室では、目と心を奪われるような衝撃を受けた。何台もの精巧で、カッ
コよく、オシャレなバイクの数々に心が釘付けになった。このバイクを全部持って帰りたい!という衝
動を抑えるのに苦労した。バイク以外にもスポーツカー、ゴルフカート、SUVがあった。どれもヤマハ
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の製品だった。ヤマハのバイクは外見がかっこいいだけでなく、中身の部品やエンジンも凄いというこ
とを立証するためか、次に生産ラインを見学した。社員の方の真剣な表情や進んだ自動化生産設備を目
にし、頭をもたげていた沢山の疑問が一気に消えた。ヤマハがここまでの成功を収めたのは当然だとい
う思いがより強くなった。
午後は農園を見学した。農園のご主人が新鮮な大根と小松菜を勧めてくれた。それを食べながら話し
を聞いた。日本の農家の科学的見地に基づいた栽培方法や、日本人の他者への配慮を忘れず、他人を犠
牲にして私腹を肥やすようなことはしないという考え方を感じることができた。
夜は箱根で一番立派な温泉旅館に泊まった。みんなで浴衣を着て、畳に座り和食を食べながらの懇親
会となった。飲んで、食べて、騒いで本当に気分は最高だった。
温泉旅館に泊まったからには「温泉」に入らない手はない。時間の許す限り、思いっきり「温泉」を
堪能した。まさに「極楽!」の一言だった。
日付:6月1日(水)3日目
大学名:北京航空航天大学
氏名:練虹怡
「Always Moving 」。これが私のYAMAHAに対する第一印象だ。また、ヤマハの紹介DVを見て一番新鮮
に感じた点だった。世界中の消費者に感動を与えることを企業理念としている会社とは一体どんな会社
なのか?今日の最初の訪問先はYAMAHAだった。 正直、初めはどうしてヤマハが「感動」を自らの企業理念として掲げているのかよく分からなかっ
た。普通、企業は「一流のサービス」とか「クオリティーの追究」などを理念に掲げている所が多いと
思うのだが、ヤマハは独自の道を切り開こうとしているように感じた。紹介DVを見て、きめ細やかな心
のこもったサービスと製品で消費者の心をつかむという、ヤマハが大切にしている純粋な思いを理解す
ることができた。この「感動」はDVの中だけでなく、組み立て現場で働いている作業員の真剣な姿から
も感じた。私たちの到着を拍手で温かく迎えてくれたその瞬間から、私の心に感動の種がまかれ、ヤマ
ハを離れる時には、社員の皆さんの誠実さと友好への思いを強く感じることができた。
ヤマハの次は、エコ農園の杉正農園にお邪魔した。農園のご主人の杉本正博さんは素朴で優しい人
だった。杉本さんは数十年、農業一筋で頑張って来たということだが、杉本さんの農業にかける熱い思
いと信念が感じられた。農園の主力野菜は小松菜で、本当に美味しく、自然栽培なので農薬汚染の心配
もない。その他にもミニ大根などの野菜も栽培されていた。どれも杉本さんと同じく「自然」で、飾り
気はないが、中身はしっかりしていた。杉本さんは私たちに対してもとてもオープンに生産方法を話
してくれた。初めはとても意外に感じたが、杉本さんのこのオープンな人柄が多くのものを杉本さんに
もたらしているのだということに気づいた。これは私にとってとても意外な発見で、深く考えさせられ
た。ビジネスの場だけでなく、普段人と接する時もオープンマインドであればあるほど、より多くのも
のを得られるのだと思った。
農園を後にし、箱根の温泉旅館に向かった。ついに日本の温泉にやってきたのだ!日本の温泉文化は
古く、今夜それを初めて体験したのだが、噂通りだった。温泉につかった後は本当に気持ちが良く、一
日の疲れも吹っ飛んでしまった。温泉の後は、豪華な食事を頂き、懇親会で盛り上がった。
これまでの経過はさておき、どの団員もとても芸達者だということが今夜判明した。これからの9日
間、みんなで楽しく過ごせると思う。
食事の後は湯の里に行った。風情たっぷりの温泉が心地よい眠りを誘い、幸せ気分でいっぱいだっ
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た。もう眠たくて仕方ない。温泉は本当に効果てき面だ。
日付:6月1日(水)3日目
大学名:北京科技大学
氏名:蒋劉芯
私は日本の朝食が大好きだ。特にコクのある牛乳と美味しい卵が最高だ。もちろん添加物は一切な
し。何種類もの果物、パン、魚介類、野菜、スパゲティそして牛乳と半熟玉子、これが私を目覚めさせ
る原動力だ。私は朝食を3段階に分け、1時間かけて食べることにした。本当に大満足だった。
午前中はヤマハの発電機工場の見学に行った。ヤマハは元々楽器を製造する会社だったが、その後
モーターバイクなどのエンジンを生産する企業に成長した。ヤマハは感動を生み出す企業、世界中の
人々に新鮮な感動と豊かな生活を提供することを目指しているという説明を受けた。私たちが9時半に
到着すると、ヤマハの全社員が入口に整列して出迎え、バスから降りる私たち一人ひとりにお辞儀をし
てくれた。これには本当に感激した。中国国内でもこんな待遇を受けたことはなかった。更に私たちを
驚かせたのは作業現場の環境だった。清潔で整然としていて、油臭い臭いもないし、機械の音も聞こえ
なかった。青色の通路の傍には自動運搬車が動いていた。前進する時とバックする時で違う警告音を発
し、周りで作業している作業員に注意を促していた。
午後は杉正農園を見学した。小松菜、大根、ジャガイモ等の野菜を栽培している農園だった。農園の
ご主人の杉本正博さんが自分で育てた小松菜と大根を勧めてくれたので、喜んで大根に手を伸ばした。
緑の葉っぱがついて、見るからに美味しそうだった。でも、一口かじると、その辛さに涙が止まらな
かった。なんとか堪えて、必死で美味しいという表情を浮かべた。杉本さんがお父さんからこの農園を
引き継いだこと、そして杉本さんの息子さんに農園を継ぐ意思がないことも話してくれた。質疑応答の
最後に邱明晶君が「杉山さんはお父さんからこの農園を任され、息子さんには農園を継ぐ意思がないと
のことですが、では、将来誰に農園を引き継いでもらうつもりですか」と尋ねると、みんな爆笑してし
まった。この質問の前にも別の団員がお給料や仕事内容について質問していて、このままここに残って
働きたいのかなと思ったほどだったが、今度は農園を引き継いでもいいとも取れる質問が飛び出し、こ
れには団長や渡辺さんも堪え切れず噴き出していた。最後に王磊君も「邱明晶君は杉本さんご夫婦と記
念写真を撮っておかなきゃ。将来は邱農園の主になるのだからね!」とからかっていた。今日は最高に
楽しい一日となった。
日付:6月2日(木)4日目
大学名:外交学院
氏名:王正
今日は早朝から車でもう一つの人口密集地である東京に向かった。昨日はみんなで温泉に浸かり、今
朝はまた梅雨の雨が降っていたこともあり、つい眠気に誘われ、バスで東京へ向かう道中はほとんどの
団員が眠っていた。
ぐっすり眠って充分英気を養った僕たちは日本の旅を続けた。三井住友銀行本店内の装飾は落着いた
雰囲気だった。重厚、質朴、清新、まるで日本の伝統美が漂う和室の大広間のような感じがした。銀行
をこんなにも穏やかな気持ちにしてくれるように造ることのできる、日本の伝統哲学の力と影響力が見
て取れた。
今回の訪日では経済・政治・文化・教育などの各分野における代表的な企業や組織を見学し、日本に
ついて全体的かつ系統的に感覚的及び理性的な認識をすることができ、非常に効率の高い有意義な訪問
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となった。
確かに、東京の建物は大阪や京都と比べて美しく、見ていても気持ちがよかった。今日は小雨模様、
雨に煙る皇居、道路、建築物、公園、通行人を見た。晴天のときの東京と比べ、雨の東京はイギリスの
ような雰囲気が漂っていた。雨や曇りの日は何か風情があっていろんな物語が生まれることが多いが、
残念ながら、僕は曇りや雨の日はとにかく眠く、眠ることばかり考えていた。
今日は一番疲れを感じた一日だった。三井住友銀行、清掃工場と伊藤忠商事の本社を訪問したが、見
学後の居酒屋での夕食ではビールや日本酒を飲み、日本人のもう一つの一面に触れることができた。日
本人の二面性は主に2つの分野、つまり職場と居酒屋に表れていた。職場における日本人は誰もが勤勉で
慎重、口数も少ないが、その同じ日本人が、居酒屋に行くとガラリと変わる。リラックスし、少しエッ
チな話題もあり、酒を飲み、みんな和気藹々の関係になる。
日本と中国の最大の違いは単一性と多元性の違いだと思う。日本ではみんなが同じ環境の中で生活
し、共通の思考方法や習慣を持ち、同じような服装で出勤し、仕事が終われば同じような道を帰り、同
じような生活をしている。一方、中国人はというと、各地方や各民族と、さまざまな異なるライフスタ
イルの人々が生活している。道路はいろんなことをする人々で溢れ、ごった返している。頭の中もご
ちゃごちゃと混乱しやすい。日本、小さな日本、小さくて純粋で混じり気のない日本、それが日本の美
しさの源なのだ。中国、大きな中国、大きくてさまざまなものの入り混じる中国、それが中国の良いと
ころだ。
中国人と日本人は隣国同士、お互いに仲良く付き合い、それぞれのやり方で楽しく生きて行けばいい
のではないかと思っている。
日付:6月2日(木)4日目
大学名:北京師範大学
氏名:徐頎
一泊の箱根の温泉旅行を終え、2時間余り車を走らせ、山道を越え、日本の首都―国際的大都市・東京
に向かった。しかし、残念なことに、少し疲れていた私は車の中で眠ってしまい、沿線の景色を楽しむ
チャンスを逸してしまった。東京に入ると、車のスピードが急に落ちた。目を覚ましてみると、目に映
る景色は林立する高層ビルだった(もちろん皇居周辺は除く)。東京は戦後日本のさまざまな改革の証
人であり、象徴としての天皇制や国会制度、経済の高度成長、80年代末のバブル経済とその後日本が教
訓を生かして行った一連の金融改革……など、歴史と現代の息遣いが交差し、一国の百余年にわたる命
運を訴えかけてくる。
午前中、千代田区にある4世紀にもわたる歴史を持つ三井住友銀行(SMBC)を訪問した。この銀行は
2001年に三井グループの旧さくら銀行と住友グループの旧住友銀行が合併して設立された銀行で、日本
第三位の銀行である。この銀行の業務は幅広く、世界の顧客に優れた金融サービスを提供することを目
指している。1階と2階の窓口を見学したが、客はそれほど多くなかった。それは今ネット銀行の推進に
力を入れているからである。次に会議室に移り、グローバルアドバイザリー部の古川部長が、歓迎の挨
拶を交えながら簡単に中国での事業について紹介してくれたが、三井住友銀行の中国業務は企業への貸
付と投資コンサルティング業務のみに限定されているため、個人レベルでの中国事業の把握は難しく、
自分自身も今まで三井住友銀行という名前を耳にしたことがなかった。
三井住友銀行に勤務している梅さんが、19世紀から頭角を現し始めた三井財閥と住友財閥が徐々に発
展を遂げてきたこと、三井住友銀行がこれまで何度もウィン・ウィンの合併を経験してきたという銀行
– 45 –
の沿革について説明してくれた。世界各国の銀行システムを見渡してみると、全国規模の大型銀行の数
は数えるほどしかないことが分かる。日本は1980年代末にバブル経済を経験し、それに見合った金融改
革を行ったが、銀行もこの改革に呼応し、それを推進していくためにウィン・ウィンの合併という手法
をとった。また、この措置は数十年来のグローバル化の流れに呼応するものでもあった。
SMBCのもう一つの顕著な優位性は強固な顧客基盤を持っていることである。トヨタやパナソニックグ
ループとの協力関係は、今や業界の美談となっている。古川部長は話の最後に、2010年に中国のGDPが
初めて日本を超え、世界第二の経済体になったことについて個人的な考えを披露したが、それは中国の
評論とほぼ一致していた。まず、中国の膨大な人口、広い国土及び豊富な自然資源に鑑み、中国のGDP
の拡大は必然的現象である(つまり中国は「大きい」のでGDPが2位になるのは当然であり、少しも誇る
に値しないということ)。1人当たりのGDPについて言えば、中国は先進国のレベルにはまだ遠く及ばな
いが、GDP世界第2位になったことは、中国が今後も経済を発展させていく上で重要な突破口となるだろ
うというものであった。これに加えて、中国はその発展方式において重大な不備があると考える。例え
ば目前の利益を重視するあまり、長期的利益を軽視或いは犠牲にしていること、資源を濫用することで
GDPを増やしていること、中国社会の貧富の格差が拡大し二極分化が深刻だということ、さまざまな法
律や法規、社会制度がまだ十分に整備されていないという問題がある。こうしたことが、中国がより豊
かで安定した国に向かおうとする潜在力を制約しているわけだが、こうした現象に思いいたることも、
現代に生きる若者が負うべき社会的責任であると思う。
次に見学した中央清掃工場は、東京都23区のすべてのゴミ処理を行うセンターの一つである。ゴミ
処理場だというのに事務所の環境はとても清潔だった。ゴミ処理には一連のプロセスがあり、ほとんど
がコンピュータ制御されていた。職員はより効率の高い、環境にやさしいゴミ処理技術の研究開発を担
い、常時データの収集と分析を行っている。一言でいえば、ゴミの分別は非常に面倒な仕事で、ゴミ処
理場の建設には巨額の資金が必要になるが、コストを上回る収益が見込まれる。この収益は主として焼
却時に生じる熱エネルギーによって得られるものだが、この熱エネルギーは処理場の自家用電力として
使うこともできるし、周辺住民や企業に販売することもできる。こうして毎日億トン単位の都市ゴミの
処理以外にも、効果的なフィードバックが行われ、資源の再利用という好循環を確立している。
上述した仕事を達成するためには、当然のことながら、各区住民のゴミ分別に対する支援が欠かせな
いわけだが、個人的には、ゴミの処理と利用という面で中国はまだまだ遅れており、一般庶民には基本
的にそういう意識がないと思っている。恥ずかしい話だが、昨年の今頃、オランダからの留学生数名を
案内した時に、その留学生の1人から中国での回収可能ゴミと回収できないゴミの分別について質問され
たが、言葉につまり、答えることができなかったことがあった。
その後、伊藤忠商事を訪問した。会社は大きな立派なビルの中にあった。ビル全体が伊藤忠の事務所
になっていたが、その規模の大きさが強く印象に残った。高野元大使からは「今の日本は社会や生活が
あまりにも安全すぎて、若者に「上昇志向」がなく、日本を出て世界に目を向けようという気概がない
ようだ」という話しがあった。これが、日本企業がグローバル人材の育成に力を入れている理由の一つ
なのだろうか……。
日付:6月2日(木)4日目
大学名:北京科技大学
氏名:周笑靨
ついに東京にやって来た。ビルの高さが強烈な印象だった。北京のビルより高い。
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最初の目的地は三井住友銀行だった。ここでもまた大変な歓迎を受けた。日本の企業は本当に中日友
好をとても重視し、訪問者の受け入れを非常に大事にしている。銀行は通常の営業をしていたが、整然
とし、静かで、効率の良さを感じた。中国の銀行よりも親近感を覚えた。こんな風に親切だから多くの
人が相談に来るのだと思う。
会議室で三井住友銀行の歴史と拡大する中国事業についての説明を受けた。金融のことは全く分から
ないので、別に何も感じなかった。昼は日本の人たちと一緒に食事をしてとても楽しかった。
午後は東京のゴミ処理場を見学した。日本のゴミ処理は徹底した管理のもとで行われていた。ほぼゼ
ロ・エミッションを実現しているのには驚いた。
最後の見学は伊藤忠商事だった。この商社のことは聞いたことがあったが、今日の訪問でさらに理解
を深めることができた。この会社と中国との間には長い歴史があり、今も中国でもさまざまな事業を展
開している。夜、伊藤忠の人たちが近くの居酒屋でお酒や食事をご馳走してくれた。日本の人たちと一
緒にお酒を飲み、本当に楽しい時間を過ごすことができた。きれいな日本の女の子、由佳さんとも知り
合うことができた。
今日の宿泊先は有名なホテルニューオータニだ。格式の高い、美しいホテルだ。広い日本庭園があ
り、その美しさに息をのんだ。周辺は東京の繁華街で、ぶらぶらと散歩をした。とても楽しかった。
日付:6月3日(金)5日目
大学名:外交学院
氏名:徐星
訪日5日目、既に4日間にわたる過密「見学」スケジュールをこなし、多少の疲れが見え始める。三
井化学の市原工場の見学に向かう車中では、少しでも休もうと、誰もが申し合わせたように目を閉じて
いた。東京湾を渡る時にガイドの先生が記念写真を撮る時間をわざわざ作ってくれた。海を眺めている
うちに、みんなの表情から疲労の色がだいぶ消え、興味津々といった顔つきになった。海底トンネルを
通って千葉県側に入った。関団長とガイドの先生の人生観についてのやりとりに耳を傾けているうち
に、三井化学の市原工場に到着した。
中国出身の王果さんから三井化学という会社の概要や製品に関する説明を受けた後、バスに乗って工
場内を見学した。文系の学生なので化学分野の知識をそれほど持ち合わせているわけではないが、詳し
い資料を読み、説明を聞き、「化学」「革新」「夢」をCSRのキーワードとしている三井化学のについて
いろいろと理解することができた。また、環境重視の姿勢や次の世代の人々の育成と教育といった生産
理念が特に印象的だった。三井化学の心づくしの昼食会に参加した後、先輩の王果さんから「将来日本
で働く機会があれば、日本で働いた経験は一生の宝になるので一生懸命努力するように」と激励を受け
た。
千葉県には大きな工場がもう一つある。それは新日鐵君津製鉄所だ。午後は製鉄所の戸田さんのガイ
ドでオートメーション化の進んだ鉄鋼の生産ラインを見学した。また、防護服に身を包み、ヘルメット
と防護サングラスをつけて4号高炉も見た。圧延生産現場に入ったとたんに熱風が吹きつけてきた。生産
ラインでは1200度にも達する鋼材の原料が高速で生産されていた。ほとんど生産ライン全体が機械化さ
れており、生産効率が非常に高い。産出される製品も高い品質が保証されている。実は以前に中国の馬
鞍山製鉄所を見学したことがある。鉄鋼生産が国の発展にとって重要であることは言うまでもなく、中
国の鉄鋼生産技術や生産量は飛躍的な発展を遂げているが、生産過程で発生した廃棄物の処理、環境問
題、原料の利用率といった面ではまだまだ改善の余地があり、それらを克服して初めて環境にやさしい
– 47 –
持続可能な発展を実現できるのだと思う。
新日鐵の見学後は、東京に戻るバスの中で大学生交流会の席で歌うことになっている「世界に一つだ
けの花」の練習を始めた。団員の誰もが多芸で、歌も上手だが、日本の歌はやはり難しいので、中国語
バージョンと日本語バージョンを一緒にしてみるといいかもしれない。
ホテルに戻り、明日のホームステイに必要な品々を準備してからベッドに横になると、あっという間
に眠りに落ちた。
6月3日(金)5日目
大学名:北京師範大学
氏名:張蔚泓
今日は日本の重工業企業を見学した。三井化学では中国人社員の素晴らしい説明が聞けてとても嬉し
かった。この企業は「化学」「革新」「夢」をスローガンに掲げているが、特に「夢」というスローガ
ンが印象的だった。夢のある化工工場であればこそ夢のある素材を産み出し、国民経済の発展を支える
ことができるのだと思う。日本は工業地帯の密集度が高いが、その利点は資源を互いに補い合えるこ
と、欠点はいったん何か危害が加えられると、連鎖反応的事態が起きてしまうことだ。見学では安全に
関する質問をしてみた。企業の回答は満足のいくものではあったが、安全に関することはまだ改善の余
地があると思われた。
午後は新日鐵君津製鉄所を見学した。男性社員の一人が最初から最後まで案内してくれたが、この男
性はとても仕事熱心で、どの解説も行き届いたものだった。鉄鋼の生産現場を見学したが、その壮観さ
に本当に驚いた。見学は教科書で習った知識の復習だった。鉄の色とそれとの距離から熱放射量を計算
しようと思ったが、うろ覚えの知識でそれができなかった。もっと勉強しなければ!
日本の重工業を見て最も印象に残ったのはその清潔さだった。こうした重工業企業はゼロエミッショ
ンというわけにはいかないが、排出されるのはすべてクリーンな煙だった。生産現場にはさまざまな騒
音削減対策が施され、緑化帯にも注意が払われ、汚染物質が市街地に拡散するのを防いでいる。こうし
たクリーンな生産措置は中国企業も見習うべきだと思った。
日付:6月3日(金)5日目
大学名:北京科技大学
氏名:王雷
今日の見学には期待していた。見学先の2社、三井化学市原工場と新日鐵君津製鉄所はともに重工業型
の企業で、北京科技大学の北京鋼鉄学院の歴史背景とも一致するところがあるからだ。重工業は国の製
造・建築・国防事業の基礎であり、国を支える柱であると言ってもよく、その重要性は誰もが認めると
ころだ。
まず美しい東京湾の南側に位置する三井化学の市原工場に到着した。道中、想像されたような汚染の
ひどい海域も機械の騒音もなかった、周囲には東京特有の緑化帯が設けられていた。応対してくれたの
は中国の浙江大学の卒業生だった。その若者が三井化学唯一の中国人従業員であると知った時は、さら
に親近感が増した。最初に三井化学の歴史や現在の組織や市場販売状況について説明を受けた。特にCSR
面で非常に緻密な仕事をしている点が印象的だった。日本の企業は生産性の向上と同時に、社会に対す
る還元に心がけ、廃物利用や公益活動を展開している。
説明の中にあった「宝鋼」の名はとても馴染み深いものだった。「宝鋼」建設の提唱者である鄧小平
– 48 –
は、まさに新日鐵を見学した後に、中国初の近代的製鉄所建設という考えを抱き、その実現に着手した
のであり、最初は新日鐵を模して製鉄所の建設が進められた。新日鐵は著名な歴史ある企業であり、そ
の製造設備は多少古くなっているが、新技術を絶えず導入し、その生産技術は今もなお世界のトップク
ラスで、その業績には目を見張るものがある。
日付:6月4日(金)6日目
大学名:北京師範大学
氏名:張然
終にホームステイの日がやって来た。これからホームステイ先の人に会うのだと思うと、朝からとて
も緊張した。日中経済協会の会議室に座り、一人ずつそれぞれホームステイ先の人と出ていくのを見て
いる時も心臓がドキドキ鳴っていた。10時頃、終に丸紅の重山さんとご主人が来た。重山夫妻は50歳過
ぎだと聞いていたので、もう少し年とった感じを想像していたが、実際に会ってみると、ご夫婦はとて
も若々しく、30歳過ぎぐらいにしか見えないことにとても驚いた。
実際のところ、重山夫妻は見た目だけでなく気持ちも若々しかった。夕食前に中国についてたくさん
質問し、私がそれに答えると、宝物を見つけた子どものように嬉しそうに笑うのだった。夕食の時間は
とても楽しかった。3人で7時から10時半ぐらいまでゆっくり食事をし、食事というよりはホームパー
ティーのようだった。親切な重山夫妻は日本料理をいろいろ準備してくれただけではなく、ちょっとし
た手品も披露してくれた。中国の麻雀から世界各地のさまざまな興味深い事などをあれこれ話をしてい
るうちに、3時間半という時間がアッという間に過ぎていった。私が昨日は5時間しか寝ていないことを
知った重山夫妻は、11時には寝るようにと勧め、ご夫婦で考えたという翌日のスケジュール表を見せ、
私の意見を訊いた。スケジュール表は7時の起床から午後3時半にホテルニューオータニに戻るまで、私
の想像をはるかに超える内容豊かなものだった。早朝の海辺の散策や昼間のカラオケなど、いろいろな
予定が組まれ、期待に胸をふくらませた。
これは私にとって2回目のホームステイ体験だった。それぞれ全く異なるホームステイを経験したが、
今回はとても気楽な感じだった。それは2回目だったからということだけではなく、ご夫婦がとても親
切で優しく、一緒にいても緊張を全く感じさせず、同年代の人のように共通の話題がたくさんあり、一
緒になって楽しめたからだと思う。この日、私は自分が外国人ではなく、川崎の住人、重山家の一員に
なったような気がした。私にとって重山夫妻は日本の友人であり親戚だ。
日付:6月4日(土) 6日目
大学名:北京師範大学
氏名:李常英
(これは当日書いた日記ではない。自分の感想を以下のようにまとめてみた)
私のホームステイの家族は4人で、お父さん、お母さん、二人の息子さんだ。とても幸せな家族だと思
う。9時半に家族に会って子供達も来てくれて、とても嬉しいと思った。
お父さん(後藤さん)は残業があり、土曜日、日曜日も会社に行った。私はお母さんと原宿、渋谷、
浅草に行き、とても楽しかった。
以下は私がまとめた感想だ。
まず、日本語学科の学生として、授業や映画で知っている日本と実際に見た日本とは大体同じだと
思った。私達が授業で発表した内容も日本人が注目されることで、例えば日本人の若者の内向的思考や
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日本人の変わったお風呂に関する習慣などだ。
略語について、例えば「秋葉原」は「あきば」になっていて、スカートみたいなパンツは「スカパ
ン」だった。とても面白いと思った。
次に日本人の運転手や店員たちがとても親切でやさしいと思った。お母さんに日本の女性の洋服には
とてもかわいい服の種類があって、中国では「日系スタイル」と言われているという話をしたら、お母
さんはとても驚いていた。そして、そのような洋服の店に行き、お母さんは私が話したことを店員さん
に伝えたら、店員さんもとてもびっくりして「へぇー、へぇー」と言った。そして、日曜日にまたこの
店に洋服を買いに行った時は、とてもやさしく紹介してくれた。
晩御飯を食べた時、お母さんがこういう話をしてくれました。三月にお父さんが仕事で家族と上海に
行ったことがあり、行く前はお母さんも子供達も行きたくなかったけれど、上海に行ってみたら中国の
成長にすごくびっくりして、深い印象が残ったと言いました。だから中国に私達のような日本の大学生
に行ってもらえればいいかなと思った。中国の成長や発展は世界に注目されているが、実際に中国はど
うなるのか、多分普通の人々はあまり分からないと思う。だからより多くの人々、特に若者達が中国に
来てもらったほうがいいと思った。
日付:6月4日(土)6日目
大学名:北京師範大学
氏名:董程
今日のホームステイのために昨夜から不安だった。特にこの貴重なホームステイの機会を使って日本
の庶民の生活を自ら体験したいと期待する一方で、自分の不注意でお互い気まずい思いをし、中国の大
学生の体面を汚すようなことがあるのではと恐れていた。
心配で眠れなかったので、早く起きて荷物を整理していると、うれしいことに気づいた。トランクの
中からホームステイ先の人にプレゼントする品物を取り出すと、トランクの大半が空になり、存分に
ショッピングできるということが分かった。
日中経済協会に着くと、ぐるりと輪になって着席し、ホストファミリーの人が迎えに来るのを待っ
た。みな非常に緊張した面持ちで互いに見つめ合い、落ち着かない気持ちでホストファミリーの来るの
を待った。ホストファミリーが迎えに来て一緒に出掛けるときは拍手で見送り、次に拍手で送られるの
は自分であることをこっそり祈った。ついに私のホストファミリーである扇常夫さんが来てくれた。扇
さんと会ったときはとても嬉しかった。そしてとても緊張した。扇さんは中国に8年も住んだことがあ
り、中国語もかなり上手だった。先ずどこへ行きたいか訊いてくれた。すこし街をぶらぶらして買い物
がしたいと答えると、扇さんは新宿に連れて行ってくれた。多分10時頃新宿に着いたと思うが、多くの
店が開店前だったので、すでに開店していたデパートに行った。その時、驚くべきことを発見した。父
に服を買おうと思っていたのだが、そのほとんどが「Made in China」なのだ。何軒も紳士服店を見て回っ
たが、「Made in Japan」はほとんど無く、結局、この事実を受け入れざるを得なかった。もう一つ驚いた
ことがあった。私が服を見ている時、扇さんはとても紳士的に後ろについてバッグを持ってくれたり、
試着を勧めてくれたりした。初対面の人にこんなに根気よくショッピングに付きあってもらったことな
どなかったので、これには非常に驚いた。
午後は扇さんが浅草に連れて行ってくれた。とても賑やかな所で、扇さんは浅草の歴史を事細かに紹
介してくれた。おみくじを引いてみたが、悪いおみくじだったのでがっかりしていると、扇さんは木に
結べば運が開けると慰めてくれ、気持ちが晴れた。
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夜は扇さんの家で奥さんや息子さんも一緒に心のこもった盛り沢山の家庭料理を食べた。経済や教育
面の問題についていろいろ話しあったが、とても啓発された。ゆっくり休んで明日のスケジュールに期
待するとしよう。
日付:6月4日(土)6日目
大学名:北京航空航天大学
氏名:全思遠
今日から今回の日本旅行で一番楽しみにしていたホームステイが始まる。僕は山崎さんの家庭を割り
当てられ、他の3人の訪日団メンバーが同行した。なぜ僕たち4人が一つの家庭に泊まることになったの
かは後で説明する。
山崎さんは三井化学CSR推進部の部長で、中国で言えば、SINOPEC(中国石油化工股份有限公司)北
京本部の部門マネージャーに相当する。したがって日本では中流以上の経済レベルだと言える。山崎さ
んは朝早から車を運転し、長女を連れて日中経済協会に迎えに来てくれた。まず浅草寺に連れて行って
くれたが、これが今日のメインイベントというわけではなかった。浅草寺を見た後、山崎さんは高速道
路を走って自宅に向かった。最初、山崎さんは目的地がどこなのか教えてくれなかったが、王正君の磁
石は車が北東方向つまり福島県に向かって走っていることを示していた。聞くのもためらわれたので、
車のナンバーに注意していると、次第に福島ナンバーに変わってくるではないか……。が、結局、僕た
ちが想像していたようなことにはならず、むしろ逆の展開になった。車は次第に那須の山々をめぐる道
路を走り始めた。道路の両側もだんだんと緑の樹木に覆われ、30分ほどで那須山麓に到着した。山崎さ
んとロープウェイに乗って那須山を遊覧したが、これで今回富士山を見る機会がなくてもいいかと思っ
た。
那須山の遊覧も終わり、ついに山崎さんの家に着いた。山の中の純ヨーロッパ風ログハウスの別荘
で、夢のようだった。山崎さんの家族に挨拶した後、那須の天然湧出温泉に連れて行ってくれた。なん
とも快適なライフスタイルだ。
夕食は新鮮で美味しいバーベキューで、花火まで用意されていた。一晩中、笑い声が絶えなかった。
両国の言葉や文化、アニメや映画まで話題は広がり、いつの間にか国境がなくなったような気がした。
夕食の後は山崎家の長女と次女とで花火をした。言葉では言い表せないほど楽しかった。
日付:6月5日(日)7日目
大学名:外交学院
氏名:兪成
福井さんが自然に目が覚めるまで寝かせてくれたので、それまでの見学の疲れがすっかりとれた。盛
り沢山の朝食の後、僕と福井さん一家は車で横浜港に向かった。横浜港は1853年にペリー提督が来訪し
たときに最初に開港した港で、日本の近代化にとって非常に重要な意義を持つ。車が横浜港に近づくに
つれ、多様な建築スタイルが目立ち始め、日本式のビルに取って替わった各種洋式建築が異国情緒を醸
し出していた。
遊覧船Royal Wings号が横浜港を離れる時、遠い外国に向かって出航するような錯覚を覚えた。海風に
吹かれ、遊覧船に流れる英国風の軽音楽を聞きながら、遠くなったり近くなったりする周りの景色を眺
めていると、とても落ち着いた気分になった。いつか海を航行し、海の懐に抱かれて生活したいと思っ
ていたが、夢というのはいつでも束の間のことで、遊覧船は港を一周した後、埠頭に戻り、僕は現実の
– 51 –
世界に引き戻された。それでもこれは僕にとって素晴らしい経験になった。いつも夢の中にいられたら
どんなにいいだろう……。
午後3時10分、福井さんとはホテルニューオータニで別れたが、ちょっと名残惜しい気持ちがした。
福井さん一家は本当にとても親切で、思いやりのある人たちだった。福井さんは安定した仕事と住む家
があって、いつも助け合える奥さんと可愛い赤ちゃんがいる、これほど温かみのある幸福な生活が他に
あるだろうかと、とても羨ましく思った。金銭や権力なんて本当にどうでもいい、こんな生活を送るこ
とこそが本当の幸せというものではないか。福井さん一家、そして日本のすべての家庭に幸あれ!
日付:6月5日(日)7日目
大学名:北京師範大学
氏名:曹淞淋
今朝は早く目が覚めた。優しくて親切な「お母さん」がすでに朝食の用意を始めていた。この専業主
婦は家事の一切を整然と切り盛りしていた。同時に週3日は市立図書館に行き仕事をしている。彼女はこ
の仕事がとても好きだと言う。一方、「お父さん」は家では実にのんびりした様子で、すべての家事は
妻任せ、自分はテレビを見たりインターネットをしたりしていた。日本の伝統的な女性の生活を垣間見
たような気がした。
午前、「お父さん」と4人の「妹」が横浜の中華街に連れて行ってくれたが、ここは東京のどこよりも
はるかに賑やかで、黄色い肌と黒い髪、誰が中国人で誰が日本人か区別できなかった。記念にプリクラ
を撮った。かわいい写真には屈託のない笑顔が写っていた。これらの写真を大事にして、この永遠に愛
すべき、愛情溢れる家庭を忘れないようにしよう。
一日余りというなんとも短い出会いだったが、私たちはすでに離れ難い気持ちになっていて、別れが
目の前に来ていたことに気づかなかった。訪日団のメンバーの多くが「家族」と別れる時は泣いたとい
う。私は泣きこそしなかったが、大平さん一家との思い出は一生忘れない。
日付:6月5日(日)7日目
大学名:北京科技大学
氏名:蒋劉芯
昨夜はぐっすり眠り、8時過ぎにようやく目が覚めた。愛犬モモは2階の足音を聞きつけて嬉しそうに
走って来た。お父さんとお母さんは私のために純日本式の朝食を用意してくれた。お父さんの焼き魚と
コーヒーは本格的でとてもおいしかった。さすがは良い夫で、仕事もできるし家事もする。この点は中
国の男性よりずっといい。友だちの羽生さんもこんな風にしているのだろうか。間違いなくそうしてい
ると思う。朝食後、モモを連れて公園に散歩に行くと、一面ラベンダーの花が咲いていた。お昼にはお
父さんが私の写真をプリントし、スパゲッティーを食べに連れて行ってくれたが、なんとこの時、不慣
れな従業員が水をカメラと写真の上にこぼしてしまったが、驚いたことに、お父さんもお母さんも「大
丈夫」と言って、少しも彼女を咎めることなく笑っていた。もし私の父なら、間違いなく怒って、あの
従業員にきつくあたっていたに違いない。人の振る舞いの大部分は経済レベルで決まることが多い。食
後、高玉さん夫妻はとても高級な店に行き、プレゼントを買ってくれた。なんて優しいのだろう。
予定の時間は3時半だったが、高玉さんは 3時前にホテルまで送ってくれた。高玉さんは常に前向き
で、この「お父さん」は必ず仕事でも成功すると思った。別れはいつも悲しいもので、別れたくないと
思った。お母さんは涙を浮かべ、私も泣きたくなった。でも、祭りはいつか終わるのだ。高玉さんご夫
– 52 –
婦が中国に遊びに来たときはしっかりもてなそうと思う。高玉さん一家がいつまでも幸せでありますよ
うに。この一家のことは忘れない。
次に中国駐日大使館の中国優秀自費留学生に対して奨学金を支給するレセプションに招かれ、しかも
私たちのために特別に座談会を開いてくれた。座談会が終わるや、急いでパーティーに参加した。私が
飲み終った飲料のペットボトルとコップを手に持ち、真っ先に会場に入ると、数え切れないほどのカメ
ラが向けられた。今までこれほど注目されたことなどなく、逃げ出したい気持ちになったが、何とか平
静さを保ち、落ち着いて大広間の向かい側まで歩いて行った。いやはや大変な目に遭ったものだ。その
後、程永華大使のスピーチがあり、奨学金が手渡された。それは豪華で盛大なパーティーで、中国式バ
イキング料理を楽しんだ。大使館の参事官や秘書の人たちと将来についてゆっくり話をしたが、神秘の
ベールを取った彼らはとても親しみやすかった。
その夜、陳定さんと散歩に出て道を尋ねると、2人の男性が地下鉄乗り場まで連れて行ってくれると
言う。もともと行きたいというわけではなかったが、陳定さんが「subway」と言ったばっかりに……。途
中、雨が降り始めると、そのうちの1人が傘をさしてくれた。地下鉄乗り場に着くと、道順を書いてくれ
るなど、とても親切にしてくれた。雨はますます大降りになり、交差点で青信号を待っていると、また
通行人の1人が傘に入れてくれてホテルの玄関まで送ってくれた。
日付:6月5日(日)7日目
大学名:北京林業大学
氏名:湯韜
この2日間で最も印象的なことはやはりホームステイだった。最初はあまり歓迎されないのではとか、
気まずくなるのではかと、ずっと心配していたが、その心配はホストファミリーの人たちによってすぐ
になくなった。
この2日間、僕の希望を訊いてホームステイ先の人と一緒に2つの町に行った。都庁にも行き、展望台
から東京を見渡した。次に新宿に行って楽しく遊んだ。2日間の交流で一番心に残ったことは次のような
ことだった。
(1)初めて会って電車で古い町を見に行くことを決めた時、僕が切符を買おうとすると、ご主人の阿部さ
んが電車のカードをくれた。すでに2日間使うのに十分な2000円分がチャージされていた。その細や
かに配慮に驚かされた。
(2)古い町で遊んでいた時、奥さんに誕生日を聞かれた。その時は不思議に思ったが、あえて何も聞かな
かった。その晩は高級レストランでご飯をご馳走になったが、食事がすんでもなかなか帰ろうとしな
かった。その時、ウエイトレスがやって来て写真を撮り、アッという間にプリントをして持って来て
くれたが、それには僕の誕生日が書き込まれていた。別のウエイトレスが大きなアイスクリームケー
キを運んできて、みんなが僕のためにハッピーバースデーの歌を歌ってくれた。誕生日を繰り上げて
祝ってくれたのだが、本当に嬉しかった。
(3)夜、ご主人に掛け軸をプレゼントしたが、とても喜んでくれた。何度も握手をして記念写真を撮った。
ご主人はすぐに壁に釘を打って掛け軸を飾った。
ホームステイの2日間、感動したことは書ききれないほどたくさんあった。ホームステイは本当に楽し
く、忘れられない思い出となった。
– 53 –
日付:6月6日(月)8日目
大学名:外交学院
氏名:徐星
ようこそ、日本の有名なアニメ・電気製品の街、秋葉原へ。
日本語専攻の学生なので「秋葉原」という3文字はずっと前から知っていた。秋葉原と言えば、「アニ
メ」「デジタルカメラ」「オタク」などという言葉がすぐに思い浮かぶ。秋葉原は常に日本の流行文化
の最新動向をリードし続けている街だ。新しい日本を知るには秋葉原に行ってそれを実感しなければな
らない。
スケジュールが過密で、秋葉原には1時間半ほどしかいられなかった。訪日団のメンバーは慌ただしく
走り回り、いろいろなものを見て回った。秋葉原を紹介するテレビ番組では、パソコン部品やアニメの
DVD、ゲームのCDを並べた小さな店、そして人々の行きかう通りがよく紹介されているが、今回、秋葉
原に来てみると、ここも東京の他の繁華街と同じで、高層ビルが林立し、LEDの広告看板が溢れる、と
てもファッショナブルな街だということが分かった。日本の電気製品、特にカメラやテレビは世界的に
評価が高く、訪問団のメンバーもまたとない機会とばかりに、品質が良く、価格もリーズナブルな電気
製品をたくさん買っていた。私は日本のアニメにずっと関心があったので、先輩に付き添ってもらって
「ブックオフ」に行き、欲しかったマンガやDVDをとても安く買うことができた。1万冊以上のマンガ本
を並べる大型書店を見て、日本のマンガ産業やアニメ文化の勢いを実感した。
秋葉原の後のスケジュールは有名私立大学―早稲田大学の見学だ。早稲田大学は日本の著名な政治
家・教育者である大隈重信が創立した大学だが、その創立当初から数え切れないほどの優秀な人材を輩
出してきた。早稲田大学の正門は「門のない門」とも呼ばれている。この言葉には、早稲田大学はどん
な人でもここへ来て学ぶことを歓迎するという意味が込められていて、その校風は自由で開放的なもの
だった。かわいい女性通訳の塩沢さんの案内で早大講堂、図書館、学内を見学した。ここは自由な空気
に溢れ、環境の良い現代的な大学であり、ここでは学生たちが興味のあるキャンパス活動を通じて総合
的な資質を高めているのだというのが見学後の感想だった。
見学の後は有名な白木教授のゼミの討論に参加することができた。早大生と交流する中で、彼らが中
国の学生の訪問を歓迎し、私たちとの交流を楽しんでいることが分かった。討論の後の発表会では、日
本の学生は流暢な英語で自分の考えをはっきりと述べ、中には英語と中国語をとても流暢に話す学生も
いた。理想の大学生活とはという話題になった時は、今回の訪日団のような交流活動は大学生活の重要
な部分であり、これからもどんどん実施し、大学生も積極的にそれに参加すべきだと思った。
今日はもう訪日8日目、この短い間にたくさんのことを体験し、多くの問題に気づき、いろいろな感想
をもった。こうした問題や気づきは大学に戻ってからも考えていく必要があると思う。
日付:6月6日(月)8日目
大学名:北京師範大学
氏名:徐頎
ここ数日の集中的な企業訪問も一段落し、楽しいホームステイも終わった。昨晩は程永華駐日大使に
会っていただくと同時に、大使館で多くの優秀な自費留学生たちに会うことができた。
今日は楽しい日だった。午前は秋葉原にショッピングに行った。バカな浪費をしないようにと、日本
円への換金をできるだけ減らしていたので、残念ながら、友だちへのお土産があまり買えなかった。意
外だったのは、秋葉原では中国人がたくさん働いていて、コミュニケーションは基本的に問題なかった
– 54 –
ことだ。多くの日本人の目には、今の中国人の経済力はすごいと映っているようだが、実際には日本に
来て買い物をすることができる中国人がそうだということに過ぎない。また、商品の多くが依然として
中国製だった。この点は今後も10年以上は変わらないだろうと思う。中国の「アジアの工場」としての
役割は、その国情によってしばらくは続くだろう。
早稲田大学の学生との交流も多くの成果があった。早稲田大学は日本で最も自由な大学と言われてい
るが、「自由」というのは「民主」を意味しているのだろうか。白木教授のゼミで討論した2つのテーマはと
ても面白かった。今回の日本の原子力危機は日本人に原子力エネルギーへの反省を促し、それぞれ支持
派と反対派に分かれた議論がなされているが、今、世界的に民生用電力の方法としては火力発電、水力
発電、原子力発電、風力発電、潮汐発電、太陽光発電などに限られている。前の3つが発電量の大部分を
占め、その他の方法は立地条件の制約を受け、局限的な面が強いため、原子力発電を完全に放棄するこ
とはできないと、個人的には思っている。安全管理、例えば新しい原子力発電所の設置場所を選定する
際にその地質条件を厳しく審査し、既に稼働中の発電所に対しては全面的な検査とメンテナンスを強化
することはできる。また、この分野の研究を強化することも必要だと思う。
もう一つのテーマは理想の大学生活についてだった。日本の大学生と中国の大学生ではやはりかなり
違っていた。結局のところ、これは個人の問題であり、理想の生活は人によってそれぞれだが、その中
核に教授、歴史上の人物、同級生や先輩たちとの思想面での交流があることは間違いないと思う。コ
ミュニケーションはあらゆる問題を解決するための前提であり、誤解の原因は理解不足にある。この旅
行は日本を知る良い機会になった。
日付:6月6日(月)8日目
大学名:北京林業大学
氏名:劉美辰
今日は早稲田大学に行き、意義深い一日だった。アジア屈指の早稲田大学ということでさぞや立派な
正門があると思っていたが、そこには曖昧な境界があるだけだった。が、大学の自由はそこから始まっ
ていた。「早稲田では誰もが自由であり、総長に向かって異議を唱えることもできる。誰もが好きなこと
ができる」と教授が言った。私たちも早稲田大学の状況は中国式の教育とは違っていることに気づいた
が、ここでの授業は中国よりも内容豊かで、自由で、リラックスした感じがした。日本の学生はとても
フレンドリーで、とても楽しくおしゃべりすることができた。
彩子さんという女の子が案内してくれた。彼女は美人で、英語が上手だった。学校のことをあれこれ
語り合い、とても楽しかった。
日付:6月7日(火)9日目
大学名:北京師範大学
氏名:楊清媛
安全第一の全日空
飛行機といってまず思い浮かぶのはやはり安全である。今日の全日空の整備工場の見学は驚きと感動
の連続だった。
飛行機に乗ったことはあっても、飛行機の組み立てプロセスやメンテナンスを見たのは初めてだっ
た。全日空の羽田整備工場では、ビデオでボーイング777の組み立ての全プロセスを見た。5ヶ月の組み
立てがわずか数分間に凝縮されていた。飛行機の組み立ての複雑さに驚くと同時に感動がこみ上げてき
– 55 –
た。更に驚き感動したのは全日空の飛行機の整備業務だ。全日空は3ヶ月に一回各航空機に対して定期メ
ンテナンスを行っているが、発生しうる危険を最低限に抑え、確実に乗客の安全を保証することがその
目的である。また、3年ごとに飛行機の全面的整備を行っており、これも全て乗客を安全に目的地まで送
り届けるためのものである。
もちろん、ここまでの精力を航空機の安全に費やす以上、巨額の支出が伴うわけで、私は心中「これ
で利益があるのだろうか?」「ほんとうに必要なのだろうか?」と思ったが、答はもちろん「イエス!
」。全日空は飛行機の安全検査とメンテナンスに大量のヒトとモノを投入しているが、まさにこうするこ
とで飛行機の安全が保障され、乗客が安心して乗ることができると同時に、全日空の良い企業イメージ
が作られ、顧客との間に信頼関係が築けるのである。そしてこうした企業だけが長期的に発展していく
ことのできる企業なのだと思う。利益は時間的な問題に過ぎない。
全日空の羽田整備工場の見学を通じて全日空が責任のある企業だということが分かった。人について
も同じことが言えると思う。常に自分を高め、責任ある行動のとれる人だけが信頼され、そういう人に
こそ未来があるのだと思う。
日付:6月7日(火)9日目
大学名:北京航空航天大学
氏名:禹文娟
今日は午前中、全日空の羽田空港整備センターを見学した。私たちを乗せたバスが玄関に着いた時、
そこに置かれていた飛行機の模型が目に入った。突然、全思遠さんが「ただいま」と言った。見慣れた
飛行機の模型やエンジンを目にし、本当に大学に戻ったような気がしたのだろう。航空宇宙が専攻とい
うわけではないが、航空宇宙には馴染みがあり、自分の通っている大学が懐かしくなった。
午後はみんなと一緒に東京ディズニーランドに行った。ディズニーランドは楽しい所で、とても気に
入った。この楽しい場所で愉快に遊び、この間の日本での生活に完全に終止符が打たれることになっ
た。ここ数日の企業訪問の緊張したスケジュールの中、この時ばかりはリラックスすることができた。
身も心もおとぎ話の世界に浸り、おとぎ話の世界を満喫した。
夜はいつものように買い物の時間だった。荷物と気持ちを整理し、明日北京に戻って大学生活を続け
る心の準備をした。日本での生活ももう終わり……、とても名残惜しい気持ちがした。この数日間に見
学し、学んだことをこれからの日々に生かし、専攻の勉強に役立て、幅広い知識を蓄えて自分を充実さ
せていきたいと思う。
日付:6月7日(火)9日目
大学名:北京科技大学
氏名:黄琨
今日訪問した全日空は日本最大の航空会社2社のうちの1社だ。小島さんが案内をしてくれたが、同社
が安全を非常に重視していることが分かった。中でも最も印象深かったものに以下の2点がある。
(1)同社は飛行機事故を一連のミスによって生じるものと定義し、真剣に安全のためのチェックを行い、
一連のミスの中の任意の一つを発見することで、事故の発生を防ぐことができると考えている。
(2)安全への投入について。安全予防対策の強化は必然的に運営コストの上昇をもたらすが、全日空の考
え方には説得力があった。全日空は航空会社として人々の生活を便利にするというだけでなく、乗客
の安全を保証することにより重きを置いている。安全予防対策の強化は確かにコスト上昇をもたらす
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が、飛行機事故によって生じる損失は安全への投入をはるかに上回る。飛行機事故による損失は巨額
になるが、飛行機事故は人々に経済的損失を与えるだけでなく、多くの人々の命を奪い、航空会社や
業界全体に大きなマイナスの影響を与え、航空機という交通手段に対する信頼を損なうことになる。
午後は楽しみにしていた東京ディズニーランドに行った。楽しいアトラクションを体験し、美しいパ
レードを楽しんだ。おとぎ話の世界の魅力を堪能し、愉快な午後を過ごした。アドベンチャー型のアト
ラクションは怖いと思っていたが、みんなに励まされて刺激的なアトラクションをいくつか楽しんだ。
園内では科学技術の魅力も体験できた。機械やシミュレーションなど、園内のさまざまなハイテクに
よって充実した半日となった。疲れた体をひきずってホテルに戻り、帰国の準備にかかった。
日付:6月8日(水)10日目
大学名:北京師範大学
氏名:魏丹寧
今日は帰国の日だ。
10日間がいつの間にか過ぎていった。この10日間、さまざまな体験をし、感動し、たくさんの収穫が
あった。日本語を学び始めてもうすぐ3年、日本に来て自分で体験した全てが、やはり想像したものとは
違っていた。
日本の気候がとても気に入った。湿気があり爽やかで、雨の後の土の匂いに自然を感じた。箱根の温
泉、京都の風情、東京の賑やかさ、全てが深い印象となって心に残った。
飛行機は午後の便で、もうすぐ出発だ。全てが名残惜しい。
日本のこと、この10日間に見聞きしたことをどのように表現したらよいかわからない。日本よ、また
すぐに会えるさ!来年は日本の大学院に進みたい。心の中は名残惜しさで一杯だ。来年また日本に来ら
れるよう頑張るぞ!
日付:6月8日(水)10日目
大学名:北京師範大学
氏名:鐘興
日本滞在の最後の半日、訪日団のメンバーは誰も名残惜しい気持ちで一杯だった。「世界に一つだけ
の花」の音楽が流れた時、朝夕慣れ親しんだ友だちに別れを告げる時、私たちを子供のように可愛がっ
てくれたホームステイ先の家を出る時、最後に両手を思い切り振って別れた時、飛行機がだんだんと滑
走路を離れた時、誰もが心の中でそっと涙を流したに違いない。この10日間の訪日では大変な歓迎を受
け、日本企業を訪問して各界のエリートと交流するという得難い機会を得ることができた。この全てが
きっと忘れられない思い出になるだろう。名残はつきないが、祭りはいつかは終わるものだ。思い出、
友情、感動、交流だけが消えずに残る。
歓送会では感謝の他に、東日本大震災のことが多く触れられた。中日両国は一衣帯水の隣国というだ
けでなく、こうした大災害の時に同情するのはごく自然なことだ。各国・各民族が祈りをささげ、可能
な援助を全力で提供している。地震は物質面での破滅だけでなく、放射線危機、放射線への恐怖と偏見
をももたらす結果となった。こうした偏見の原因は情報不足にあり、こうした偏見を解消する方法とし
ては、情報のチャネルを開き、真実の状況を世界に伝えるということが考えられるのではないか。今回
の代表団がこうした特別な時期に訪日したことに日本の人たちは感謝しているが、我々がこの感謝に応
えるためにできることは、日本で見聞きし、感じ、体験したことを伝え、多くの人に真実の日本を知っ
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てもらうことだと思う。
日付:6月8日(水)10日目
大学名:北京林業大学
氏名:王君竹
10日間の交流訪問はアッという間に過ぎ、日本を離れる時が目前にせまっている。本当に名残惜し
い。午前はホテルニューオータニの水処理施設とバラ園を見学した。沈殿池や曝気池はとても馴染み深
く、大学に戻ったような気がした。中でも循環型処理設備が最も印象的で、含水量80%以上のゴミを
20%にまで乾燥することができるという。お昼の歓送会では、嬉しいことにホームステイ先のお父さん
と早稲田大学の学生たちに会うことができた。すっかり話し込んで最後の時を楽しんだ。
今回、日本を訪問していろいろと交流できたことは、本当に幸運だったと思う。この10日間で日本の
さまざまな風習・文化を体験し、多くの先進的な知識を学んだ。日本国民の友好と熱意、特に3月11日
の大地震を経た後でも日本人は全くパニックに陥ることもなく、いつもと同じように生活し、働いてい
るのを目の当たりにした。帰国後は日本で見聞きしたことを家族や友だちに伝え、この素晴らしい体験
を分かち合い、真実の日本を伝えたいと思う。私の努力が中日交流にわずかでも貢献できればと思う。
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北京での壮行会風景
中国大学生の「日本頑張れ」の声援に中国日本商会
の皆さんの心も熱くなる。
北京空港にていざ出発
笑顔が溢れるが青年友好使節として気持ちはやや緊
張気味。これから10日間の「走近日企・感受日本」
の旅です。 宝酒造伏見工場
江戸時代からの歴史を持つ老舗。清酒「松竹梅」の
ブランドは中国でも有名です。工場の自動化レベル
の高さに驚く。
ヤマハ発動機本社工場
バイクの生産ラインの見学の後はコミュニケーショ
ンプラザでヤマハの歴史と製品の展示をみる。
三島市の杉正農園
経営者の杉本氏の安全・安心で美味しい野菜を消費
者に提供するとの経営理念と実践の経験に耳を傾け
る。
三井住友銀行本店 午前中は銀行の概要、歴史、中国事業の話を伺う。
昼は行員の方と一緒に昼食しながら懇談。最後に玄
関で記念撮影。
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東京都中央清掃工場 中央区のごみを焼却処分し発電、熱水供給を行う。
近隣がマンションのため環境対策には十分な措置が
執られている。
伊藤忠商事本社 22階の役員会議室で総合商社伊藤忠商事についての
レクチャーを受ける。学生は中国にはない総合商社
というものに興味津々。
三井化学市原工場 京葉工業地帯の中央に位置している。広範な産業に
多品種の樹脂を供給している。敷地に張り巡らされ
たパイプライン網が圧倒的な迫力。
新日本製鐵君津製鉄所 見学の前に会議室で工場概要の説明を受ける。60年
代に操業開始の製鉄所が不断の技術革新で最新鋭の
技術水準を保っていることに驚く。
全日空羽田メンテナンスセンター
広大な格納庫をバックに記念撮影。飛行機3機が入る
巨大格納庫には柱がありません。
ホテルニューオータニエコセンター
華やかなホテルの裏側では環境保護のための中水造
水プラント、コンポストプラントが24時間体制で運
転中。
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早稲田大学大隈講堂前
これからキャンパスツアー、大学紹介、ゼミナール
参加、懇親パーティと盛り沢山の交流アイテムが待
っています。
早稲田大学懇親パーティ 大隈タワーの最上階で国境を越えての交流。若者同
士なので親しくなるのも早い。今日はカジュアルウ
ェアーを着たかった?
中国大使館 タイトな日程の中で今日は中国に里帰りです。程永
華大使と記念撮影。優しい大使の人柄に皆緊張も解
けて顔が和らぐ。
中国大使館 各大学の学生が今回の訪日の体得を大使に感想発
表。代表発表の後は我先に自由発表して発言の機会
を逃しません。
歓送会 各大学の訪日の感想発表の後には学生達が東日本大
震災の日本声援の横断幕と「世界に一つだけの花」
の熱唱で激励。感激の一瞬です。
歓送会 最後に全員で記念撮影。10日間の「走近日企・感受
日本」を無事に終え満足感と日本を去り難い気持ち
が入り混じります。
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ホームステイ
ホームステイ1 三井化学の山崎さん宅には4人の学生がお世話になり
ました。日中経済協会を出発前に全員で記念撮影。
ホームステイ2 浅草寺を見物の後は浅草から水上バスに乗船して隅
田川を遊覧。
ホームステイ3 二日間の日本人の家庭での滞在を終えホテルのロビ
ーで送ってくれたお母さんと小さなお友達ともお別
れです。
ホームステイ4 二日間お世話になりました。沢山の思い出が出来ま
した。
ホームステイ5 ホストファミリーご夫婦に息子さん夫婦とお嬢さん
二人も加わり遅くまでの語らい。楽しいひと時で
す。
ホームステイ6 今日はホストファミリーに連れられて鎌倉にやって
来ました。長谷寺の前で。
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日本点描
京都から浜松への新幹線内 中国も新幹線ブームだが兄貴分の新幹線に乗れて感
激もひとしお。1時間の乗車だが暫しの息抜き。
大阪城をバックに 二日目の朝一番で起きて朝食前に
近くの大阪城まで一歩き。豊臣秀
吉の居城でした。
海ほたるにて 東京から千葉へは東京湾横断道路のアクアラインを
経由するのが最短時間。途中の海ほたるにて休憩。
周りは海です。
箱根温泉旅館「おかだ」 初めての日本の温泉、畳敷きの大広間の和食、浴衣
をエンジョイ。壮行会で初顔合わせした同士ですが
懇親会でようやく親しくなりました。
京都高台寺月真庵の茶道体験
お茶を振舞われた後はお点前の体
験。先生が優しく教授してくれま
すが見ると自分でやるのでは大違
い。
ディズニーランド 何はともあれディズニーは見逃せない場所。真面目
な学生もこのときばかりは童心に帰ります。
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