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今求められる幼児教育とは(仮)

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今求められる幼児教育とは(仮)
甲南大学
2014 年 度
指導教員
マネジメント創造学部
卒業研究プロジェクト
佐藤治正
「今求められる幼児教育とは(仮)」
11181134
目次
はじめに
1 章 幼児教育とはなにか
2 章 今求められる幼児教育とは
3 章 日本の幼児教育の課題
4 章 社会と幼児教育の関わり
おわりに
1
水野綾香
目次
はじめに
第 1 章 幼児教育とはなにか(現状)
第 1 節 幼児教育の定義
( 1) 辞 書 か ら 見 る 教 育 の 意 味
( 2) 文 部 科 学 省 に よ る 学 習 指 導 要 領
( 3) 人 間 と い う 種 に お け る 教 育 の 重 要 性
第 2節
日本における幼児教育
( 1) 万 葉 集 時 代 か ら 、 前 近 代 ま で
( 2) 現 代
第 2 章 今求められる幼児教育とは
第 1 節 幼児教育の目指すべきところ(理論)
( 1)「 エ ミ ー ル 」 か ら 読 む 幼 児 教 育
( 2) モ ン テ ッ ソ ー リ 教 育
( 3) シ ュ タ イ ナ ー 教 育
( 4) 生 き る 力 を 養 う と い う こ と
第 2 節 いかに「生きる力」を養うか(データなどを用いて)
( 1) マ シ ュ マ ロ テ ス ト で 測 る self-control
( 2) self-control か 、 IQ か
( 3)
第 3 章 日本の幼児教育の課題
( 1) 現 代 の 幼 児 教 育 に 足 り な い も の
( 2)
第 4 章 社会と幼児教育の関わり
おわりに
2
はじめに
第1章 幼児教育とは
第 1節 幼 児 教 育 の 定 義
( 1) 辞 書 か ら 見 る 教 育 の 意 味
教育の意味を辞書に求めると、
「 あ る 人 間 を 望 ま し い 姿 に 変 化 さ せ る た め に 、心 身 両 面 に
わ た っ て 、意 図 的 、計 画 的 に 働 き か け る こ と 」
「 知 識 の 啓 発 、技 能 の 教 授 、人 間 性 の 涵 養 な
ど を 図 り 、そ の 人 の も つ 能 力 を 伸 ば そ う と 試 み る こ と 」 1 と あ る 。ま た 、別 の 辞 書 で は「 社
会 生 活 に 適 応 す る た め の 知 識・教 養・技 能 な ど が 身 に つ く よ う に 、人 を 教 え 育 て る こ と 」 2
と あ る 。言 い 回 し は 違 う が 、こ れ ら に 共 通 す る の は「 人 間 形 成 の 働 き か け 」
「 文 化・技 術 を
伝え、社会の成員として生きていけるようにする営み」である。
ま た 、 教 育 ( education, educate) の 語 源 は ラ テ ン 語 の educere で 、「 引 き 出 す 」「 潜 在
するものを実現化する」ことを意味する。子どもがもつ可能性を教育が引き出し、実現化
す る の で あ る 。そ の た め 、教 育 と は「 発 達 の 可 能 性 を 実 現 化 す る 、発 達 を 促 進 さ せ る も の 」
と い う 側 面 が あ る と 言 え る 。加 え て 、
「 社 会 化 、社 会 的 同 化 作 用 」と い う 側 面 も あ り 、教 育
によって子どもは社会に合う存在、他者や社会と調和的な存在になっていく。自分の欲求
のまま生きるのではなく、集団の規範に従い、集団が共有する行動様式を身につけ、また
社会が必要とする知識や技術を身につけて社会の成員になり、そして次世代に文化を伝達
していくのである。このように教育の意味をたどっていくと、教育とは、人間が自己を形
成し社会で生きていく上で最も重要なものと言えるのではないだろうか。
( 2) 文 部 科 学 省 に よ る 学 習 指 導 要 領
文 部 科 学 省 は 1980 年 代 か ら 、大 人 が 示 す 知 識 を 学 び と る だ け で な く 、
「自ら学び考える
こ と 」や「 生 き る 力 」を 重 視 す る よ う に な り 、1989 年 に 学 習 指 導 要 領 を 改 訂 し 、新 学 力 観
を 打 ち 出 し た 。知 識 中 心 か ら 自 ら 考 え 主 体 的 に 判 断 す る 力 の 重 視 、学 習 指 導 か ら 学 習 支 援 、
知識・理解の重視から関心・意欲・態度の重視へと重点が移行し、子どもの能動性や主体
性を重視する教育観が提唱された。なかでも幼児期における教育の重要性について文部省
1小 学 館
デジタル大辞泉より
明鏡国語辞典より
2大 修 館 書 店
3
は、
「 人 の 一 生 に お い て 、生 涯 に わ た る 人 間 形 成 の 基 礎 が 培 わ れ る 極 め て 重 要 な 時 期 」だ と
述 べ て い る 3 。し た が っ て 大 人 は 、幼 児 期 に お け る 教 育 が そ の 後 の 人 間 と し て の 生 き 方 を 大
きく左右する重要なものであることを認識し、子どもの育ちについて常に関心を払うこと
が必要だという。
( 3) 人 間 と い う 種 に お け る 教 育 の 重 要 性
次に、なぜ人間にとって教育は重要であるのか、他の高等哺乳動物と比較して述べたい
と思う。人間以外の高等哺乳動物たちは、生きていくための基本的な能力をほとんど身に
つけて生まれてくる。それに対し、人間は種としての生存に関わる諸能力を身につけない
ままの状態で生まれてくる。人間の場合だけ、種としての生存に関わる重要な基本的能力
を生まれてから後で獲得するのである。
ア ド ル フ・ポ ル ト マ ン 4 は 、そ の 理 由 を 、人 類 が ほ か の 動 物 と は 比 較 に な ら な い ほ ど の 大
きな脳を手に入れたためだと考えた。そしてそのため人間の新生児は、ほかの高等哺乳類
に比べて大脳が未熟な状態で生まれ、ゆっくり時間をかけて大人になるという生育過程を
持つようになったと考えた。ポルトマンは人間の新生児と他の高等哺乳動物の新生児を誕
生時の状態を比べ、人間の新生児は「生理的早産」であると指摘した。他の高等動物の新
生児が種としての基本的な能力を誕生時にすでにもって生まれてくるのに対して、人間の
場合、直立姿勢、言語能力、洞察力のある行為など、種としての基本的な能力は生後 1 年
近 く た っ て よ う や く 獲 得 さ れ る 。人 間 は 大 き な 学 習 可 能 性 を 持 つ 状 態 で 生 ま れ 「
、ゆっくり」
成長するのである。人間は他の高等哺乳類に比べ、子ども時代(=成長期)が長い。つま
り人間は、環境からの影響を早い時期から長い期間にわたって受け、環境によって変わり
う る 、発 達 の 可 能 性 が 大 き い と い う こ と に な る 。そ の た め 、生 後 に 与 え ら れ る 、
「人間形成
の働きかけ」である教育は非常に重要だと言える。
第 2 節 日本における幼児教育
( 1) 万 葉 集 時 代 か ら 、 前 近 代
ではその人間にとって大切な教育は、日本においてどのように変化してきたのか。そも
そも日本人は本質的には子どもを大切にする民族で、いつの時代でも子どもを産み育てる
ことは社会全体の重要な使命とされ、子どもの日々の成長を楽しみとし、喜んできたと言
わ れ る 。『 万 葉 集 』 に は 、 山 上 憶 良 の 「 瓜 食 め ば 子 ど も 思 ほ ゆ 、 栗 食 め ば ま し て し の は ゆ 、
いずくより来たりしものぞ、眼交にもとな懸りて安眠し寝さぬ、銀も金も玉も何せむにま
さ れ る 宝 、 子 に し か め や も 」 と い う 「 子 等 を 思 ふ 一 首 」 が あ る 。『 竹 取 物 語 』 に も 、「 養 う
程にすくすくと大きくなりまさる」
「 こ の 稚 児 の か た ち 、け う ら な る こ と 、世 に な く 、屋 の
うちは暗きところなく光に満ちたり。翁心地あしく苦しき時もこの子を見れば苦しきこと
もやみぬ。腹立たしきことも慰みにけり」とある。これは、大事に育てられる子はすくす
くと育ち、その成長ぶりが育てるものに喜びを与え、苦しいことも忘れさせることを意味
する。
そして、時代は変わるが、日本に滞在した外国人の記録からも日本人の子どもへの接し
方 が う か が え る 。 1873 年 か ら 85 年 ま で 日 本 に 滞 在 し た ネ ッ ト ー 5 は 、「 日 本 ほ ど 子 供 が 、
下層社会の子供さえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、
小 髷 を つ け た 子 供 た ち が 結 構 家 族 全 体 の 暴 君 に な っ て い る 」6 と 言 っ た 。1872 年 か ら 1876
3
文 部 科 学 省『 第 一 章 子 ど も を 取 り 巻 く 環 境 の 変 化 を 踏 ま え た 今 後 の 幼 児 教 育 の 方 向 性 』
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04102701/002.htm
4 ス イ ス の 生 物 学 者 。バ ー ゼ ル 大 学 教 授 。著 作『 人 間 は ど こ ま で 動 物 か 』で 教 育 学 な ど に 大
き な 影 響 を 与 え た 。( コ ト バ ン ク よ り )
5 ド イ ツ 人 鉱 山 学 者 。 明 治 6 年 ( 1873 年 ) に お 雇 い 外 国 人 と し て 来 日 。
(コトバンクより)
6『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p390 よ り
4
年 ま で 在 日 し た ブ ス ケ 7 に も「 日 本 の 子 供 た ち は 、他 の ど こ で よ り 甘 や か さ れ 、お も ね ら れ
て い る 」 8 よ う に 見 え た 。 モ ー ス 9 は 、『 日 本 そ の 日 そ の 日 』 に お い て 、「 私 は 日 本 が 子 供 の
天 国 で あ る こ と を く り か え さ ざ る を 得 な い 。世 界 中 で 日 本 ほ ど 、子 供 が 親 切 に 取 り 扱 わ れ 、
そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断する
と 、子 供 達 は 朝 か ら 晩 ま で 幸 福 で あ る ら し い 」1 0 と 繰 り 返 し て い る 。カ ッ テ ン デ ィ ー ケ 1 1 は 、
「一般に親たちはその幼児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高下を問わず、どの家庭生
活 に も み な ぎ っ て い る 」 1 2 と 感 じ た 。ま た 、「 日 本 の 子 ど も は 泣 か な い 」と い う の が 、訪 日
欧米人の定説だったと言われている。モースは「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめった
になく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見て
い な い 」 13と 書 い て い る 。 こ う い っ た 記 録 か ら 、 日 本 の 子 ど も が ほ と ん ど 溺 愛 と い っ て よ
いほどの愛情を受け育っていたことが分かる。しかし、甘やかされてだめになることはな
く、子どもは小さいときから礼儀作法を仕込まれていて、親の最大の関心は子どもの教育
だ っ た と ア ン ベ ー ル 14は 証 言 し て い る 。 以 上 か ら 、 日 本 に お い て 親 が 子 に ど の よ う に 接 し
てきたのか、想像することが出来る。
では、子ども達は実際にどのような生活を送っていたのだろうか。これも、日本に滞在
経 験 の あ る 外 国 人 の 記 録 か ら 読 み 取 り た い 。 イ ザ ベ ラ ・ バ ー ド 15、 ジ ェ フ ソ ン = エ ル マ ー
ス ト 16は 「 子 ど も に 特 別 な 服 装 は な く 、 子 ど も が 大 人 と 全 く 同 じ 衣 装 を し て い る 」 こ と に
奇妙さや滑稽さを感じたという。
し か し 在 日 外 国 人 た ち を 驚 か せ た の は そ れ だ け で は な い 。 フ レ イ ザ ー 夫 人 17や バ ー ド は
「 子 ど も た ち の 威 厳 と 落 着 き 」 を 目 に し た こ と を 記 録 し て い る 。 フ レ イ ザ ー 夫 人 は 1890
年の雛祭りの日に、ある華族の家に招待された。彼女は『英国公使夫人の見た明治日本』
で、その日のヒロインである 5 歳の少女が「お人形をご覧になられますでしょうか。別の
部屋においで下さる労をおかけしますことをどうかお許しください」と口上を述べ、完璧
に落着きをはらって彼女を奥の間に導いたと述べている。バードは、土崎港の祭にて、町
筋 を 練 り 歩 く 車 の 上 の 舞 台 で 、顔 を 真 っ 白 に 塗 り か つ ら を か ぶ っ た 8 つ か 9 つ く ら い の 少
女がまるで「江戸の新富座の俳優」のように巧みに踊るのを見、その完璧な落着きに胸を
痛めたという。日本の子どもは、近代的観念と同様、無邪気で愛らしい、子どもらしいこ
どもだった。しかし必要とあれば、大人顔負けの威厳と落着きを示すことを何ら妨げるこ
とはなかった。それは、不断に大人に立ち交って、大人たちの振舞いから、こういうとき
は こ う す る 、と 学 ん で い た か ら で あ る 。ブ ス ケ や ネ ッ ト ー は 、
「 日 本 の 子 ど も は 、外 で の 娯
楽や寺詣りに花見、長旅の巡礼にと、大人と一緒にどこへでも出掛けた」ことを述べてい
7
明 治 初 期 、司 法 省 が 初 め て 雇 用 し た フ ラ ン ス の 法 律 家 。お 雇 い 外 国 人 の 一 人 。
(コトバン
クより)
8『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p390 よ り
9 ア メ リ カ の 動 物 学 者 で 、 お 雇 い 外 国 人 の 一 人 。 1877 年 来 日 。 大 森 貝 塚 を 発 見 、 そ の 調 査
にあたり、東京大学で動物学を講じ進化論を紹介するなど日本の考古学・人類学に道を開
い た 。( コ ト バ ン ク よ り )
10『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p390 よ り
11 オ ラ ン ダ の 海 軍 士 官 、 海 軍 大 臣 。 長 崎 海 軍 伝 習 所 教 官 ペ ル ス ・ ラ イ ケ ン の 後 任 と し て 、
幕 府 注 文 軍 艦 『 ヤ パ ン (咸 臨 丸 ) 』 号 の 回 航 を 兼 ね て 1857 年 11 月 7 日 、 長 崎 に 到 着 。
幕 臣 勝 海 舟 (安 芳 ) , 榎 本 武 揚 を は じ め 諸 藩 の 伝 習 生 を 多 く 教 育 。( コ ト バ ン ク よ り )
12『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p392 よ り
13『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p394 よ り
14幕 末 に 来 日 し た ス イ ス の 教 育 者 、 政 治 家 。
(コトバンクより)
15 イ ギ リ ス の 女 性 旅 行 家 、 紀 行 作 家 。
16
17
ヒ ュ ー・フ レ イ ザ ー( 外 交 官 )の 妻 、メ ア リ ー 。回 想 記『 英 国 公 使 夫 人 の 見 た 明 治 日 本 』
に よ り 有 名 に な る 。( ウ ィ キ ペ デ ィ ア よ り )
5
る 。エ ド ウ ィ ン ・ ア ー ノ ル ド 1 8 に よ る と 、日 本 の 赤 ん 坊 は お ん ぶ さ れ な が ら 、
「あらゆる事
柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買物、料理、井戸端会議、洗濯など、まわりで
起るあらゆることに参加する。彼らが四つか五つまで成長するや否や、歓びと混り合った
格 別 の 重 々 し さ と 世 間 智 を 身 に つ け る の は 、 た ぶ ん そ の せ い な の だ 」。 1 9
これらのから、徳川期の日本では、大人と子どもの分割線の配置が異なっていて、幼く
し て 大 人 の い で た ち だ っ た こ と が わ か る 。 フ ィ リ ッ プ ・ ア リ エ ス 20は ヨ ー ロ ッ パ で は 近 世
に至るまで子どもは小さな大人として扱われ、子どもという特別な人生のステップは認め
ら れ て い な か っ た と い う 。し か し 彼 が 言 う の は 、18 世 紀 後 半 以 降 に 設 け ら れ た よ う な 、特
殊近代的な子どもと大人の分割線はそれ以前においては存在しなかったということにすぎ
ない。これは日本においても同様のことが言えるのではないだろうか。
カ ッ テ ン デ ィ ー ケ は 、 日 本 人 の 幼 児 へ の 態 度 を 『 エ ミ ー ル 』 21に 例 え て 賞 讃 し た が 、 年
齢がやや長ずると親が子どもを放任するため「
、或る階級の日本人全部の特徴である自惚れ
2
2
と自負は全て教育の罪だ」 というのが彼の結論だった。またチェンバレンも日本の子ど
もを賞讃した後、
「 残 念 な こ と は 、少 し 経 つ と 彼 ら の 質 が 悪 く な り が ち な こ と で あ る 。日 本
の若い男は、彼の八歳か十歳の弟よりも魅力的でなく、自意識が強くなり、いばりだし、
と き に は ず う ず う し く な る 」 23と 書 い て い る 。 盲 愛 に 近 い 子 ど も へ の 愛 情 は 、 子 ど も の 基
本的な情感と自我意識につよい安定を与えると同時に、一方では別種の問題を生じさせる
可能性を持ったようだ。欧米人からすると、日本人の子育てはあまりに非抑圧的で、必要
な 陶 冶 24と 規 律 を 欠 く も の の よ う に 見 え た の だ 。
( 2) 現 代
で は 次 に 、現 代 の 幼 児 教 育 の 現 状 を 述 べ た い と 思 う 。2013 年 に 出 さ れ た 文 部 科 学 省 の『 教
育 指 標 の 国 際 比 較 』に よ る と 、2011 年 の 幼 稚 園 の 在 籍 率 は 、3 歳 児 が 41.4%、4 歳 児 が 53.6%、
5 歳 児 が 54.8%。一 方 保 育 所 の 在 籍 率 は 、3 歳 児 が 37.2%、4 歳 児 が 40.6%、5 歳 児 が 39.8%。
幼 稚 園 と 保 育 園 を 合 わ せ る と 、3 歳 児 が 78.6%、4 歳 児 が 94.2%、5 歳 児 が 94.6%。現 在 の
日 本 に お い て は 3 歳 児 の 半 分 以 上 、4、5 歳 児 の ほ ぼ 全 員 が 幼 稚 園 か 保 育 所 に 在 籍 し て い る
こ と が わ か る 。 幼 稚 園 の 3 歳 児 の 在 籍 率 の 変 化 を た ど る と 、 1965 年 が 2.9%、 1975 年 が
6.5%、1985 年 が 14.0%、1995 年 が 28.3%、2005 年 が 36.3%で 、3 歳 児 の 在 籍 率 の 伸 び が
著 し い こ と が わ か る 。濱 名 陽 子( 2011)は 、満 3 歳 に 達 し た 日 か ら の 幼 児 の 就 園 を 許 可 す
るという幼児教育施策上の措置や、私立幼稚園の経営上の必要性もあいまって、子ども達
を出来るだけ早く正規の教育機関である幼稚園に就園させる傾向を読み取ることが出来る
と述べている。
ま た 濱 名 ( 2011) は 、 現 代 の 日 本 で は 、 都 市 化 や 核 家 族 化 、 ま た 少 子 化 の 進 行 と 家 庭 の
教育力の低下を関連付け、そのことを解決すべく政策や法制上で「幼児教育」を重要視す
る傾向にあり、また社会的にも子どもを早くから意識的な教育の対象としてとらえる動き
が強まっていると言う。幼児期において子どもの育ちに関わる場は、現在大きく次の 4 つ
に分けられる。第一は、子どもの養育者によってしつけ等の働きかけが行われる家庭。第
二は、子どもが近所の子どもと一緒に遊んだり、養育者以外の地域の大人として関わる場
としての地域社会。第三は幼稚園や保育所といった正規の就学前教育(保育)機関。そし
て第四が、お稽古事や通信教育、幼児向けの塾などの幼児教育産業が提供する幼児教育の
場 で あ る 。 濱 名 ( 2011) は 日 本 の 幼 児 教 育 の 特 徴 と し て 、 第 一 に 家 庭 と い う 私 的 領 域 で 行
18
イ ギ リ ス 出 身 の 新 聞 記 者 、 詩 人 。( ウ ィ キ ペ デ ィ ア よ り )
『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二 p406 よ り
20 フ ラ ン ス の 中 世 社 会 研 究 を 主 と す る 歴 史 家 。
(ウィキペディアより)
21 ル ソ ー の 書 い た 小 説 形 式 の 教 育 論 。
「子どもの発見の書」とも言われる(コトバンク)
22『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p419 よ り
23『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p419 よ り
24 人 の 性 質 や 能 力 を 円 満 に 育 て 上 げ る こ と ( コ ト バ ン ク よ り )
6
19
われる部分が大きく、各家庭の階層や文化、保護者の意識等によって規定され左右される
側面が強いと指摘している。そしてその家庭において、子どもと主に接していると考えら
れ る 母 親 と の 関 係 は 近 年 変 化 し て き て い る 。首 都 圏( 東 京 都 、神 奈 川 県 、千 葉 県 、埼 玉 県 )
の 0 歳 6 ヶ 月 ~ 6 歳 就 学 前 の 乳 幼 児 を も つ 保 護 者 3522 名 を 対 象 に Benesse 次 世 代 育 成 研
究 所 が 2010 年 に 実 施 し た 調 査 で は 、 平 日 、 保 育 園 ・ 幼 稚 園 以 外 で 幼 児 が 一 緒 に 遊 ぶ 相 手
は 、「 母 親 」 が 2010 年 ま で の 15 年 で 55.1%か ら 83.1%へ と 30%近 く 増 加 。 そ の 一 方 「 友
達 」 が 56.1%か ら 39.5%へ と 20%近 く 減 少 し て い る 。 こ の よ う な 数 字 か ら 考 え る と 、 母 親
と子どもとの関係は近年濃厚になってきていると考えられる。このことからも、家庭とい
う 私 的 領 域 で 行 わ れ る 幼 児 教 育 の 影 響 は 非 常 に 大 き い と 言 え る の で は な い だ ろ う か 。ま た 、
家庭教育だけでなく、幼稚園選びや第四の教育の場である幼児教育産業でも、そのどれを
購入し子どもを与えるかについては、子ども自身よりも保護者の意向が強く働き、保護者
自身の価値観や意識によって左右される側面が強いという。加えて第二の特徴として、公
的な制度としての幼稚園も、初中等教育の学校と異なり、その 8 割を私学が占めており、
園の設置基準や保育のあり方の面で全国的な基準はあるものの、初中等教育と比較すると
園によって独自性、多様性に富んでいることを挙げている。したがって幼児教育産業ばか
りでなく、公的な制度の中にある幼稚園も市場競争の中に存在する傾向にあり、それを利
用する側の選択の余地が大きいことが特徴といえる。
こ の よ う な 幼 児 教 育 に 関 係 す る 問 題 と し て 、 原 子 純 ( 2011) は 1990 年 代 の 半 ば 頃 か ら
広 ま り 出 し た 「 小 1 問 題 」 を 挙 げ て い る 。 小 1 問 題 と は 、「 子 ど も た ち が 教 室 内 で 勝 手 な
行動をして教師の指導に従わず、授業が成立しないなど、集団教育という学校の機能が成
立しない学級の状態が一定期間継続し、学級担任によるこれまでの慣習化した手法では問
題 解 決 が で き な い 状 態 」だ と 国 立 教 育 研 究 所 は 定 義 し て い る 。こ の 問 題 に 対 し て 原 子( 2011)
は 「 子 ど も 同 士 で 学 び 合 う 経 験 が 不 足 す る 中 で 、 小 学 校 に 入 学 す る と 35 人 近 い 子 ど も た
ちが 1 つの教室で学習するのである。様々な問題が起こっても当然」だと述べている。そ
の上で、
「 就 学 前 に お い て は 、保 育 所 や 幼 稚 園 が 中 核 と な っ て 家 庭 や 地 域 社 会 と と も に 幼 児
教育を総合的に推進していくことが重要であり、また、幼児の生活の連続性及び発達や学
びの連続性の観点から、保育所・幼稚園と小学校双方が円滑に接続されていることが望ま
しく、就学前から小学校への切れ目のない支援が必要」と述べている。
第2章 今求められる幼児教育とは
第 1節 幼 児 教 育 の 目 指 す べ き と こ ろ
( 1)『 エ ミ ー ル 』 か ら 読 む 幼 児 教 育
私はここまで、幼児教育とはなんなのか、その定義や重要性、現状等を述べてきた。し
か し 私 が 一 番 に 述 べ た い こ と は 、こ の 論 文 の 題 名 の 通 り「 今 求 め ら れ る 幼 児 教 育 」で あ る 。
こ の こ と に つ い て 述 べ て い く 上 で 、 私 は ジ ャ ン = ジ ャ ッ ク ・ ル ソ ー 25の 『 エ ミ ー ル 』 か ら
読み取れることを参考にしたい。
『 エ ミ ー ル 』は 幼 児 教 育 の 専 門 書 で は な い が 、こ の 本 で 述
べられるルソーの教育論には、私の考える「生きる力」を養う上で大切なことのいくつか
が含まれると考えるからだ。そのため、ここからは『エミール』から学べる生きる力を養
う上で大切なことを述べていく。
まず前提として、
「 人 間 は よ い 者 と し て 生 ま れ る が 、社 会 は 人 間 を 堕 落 さ せ る 」 2 6 と い う
のがルソーの根本の命題であり、
「 子 ど も を 自 然 の 発 育 に ま か せ 、教 師 は た だ 外 部 か ら の 悪
2
7
い影響をふせいでやる」 こと教育の方針としている。
「わたしたちは弱い者として生まれる。わたしたちには力が必要だ。わたしたちはなに
ももたずに生まれる。わたしたちには助けが必要だ。わたしたちは分別をもたずに生まれ
る 。わ た し た ち に は 判 断 力 が 必 要 だ 。生 ま れ た と き に わ た し た ち が も っ て な か っ た も の で 、
25
26
27
『 エ ミ ー ル ( 上 )』 ジ ャ ン = ジ ャ ッ ク ・ ル ソ ー 【 著 】・ 今 野 一 雄 【 訳 】
『 エ ミ ー ル ( 上 )』 ジ ャ ン = ジ ャ ッ ク ・ ル ソ ー 【 著 】・ 今 野 一 雄 【 訳 】
7
p7 よ り
p7 よ り
大 人 に な っ て 必 要 と な る も の は 、 す べ て 教 育 に よ っ て あ た え ら れ る 」 28。 こ の 文 か ら 、 ル
ソーが生きていく上で教育というものを非常に重要視していることがわかる。ではそのル
ソーの考える教育とは何なのか。
『 エ ミ ー ル 』を 簡 単 に ま と め る と 、
「どんな環境においても良いこと悪いことに耐えるこ
とを学ばせる」
「 他 人 の も の さ し で は な く 、自 分 の も の さ し で 物 事 を 判 断 す る 、判 断 力 を 鍛
える」という 2 つのことがルソーの掲げる教育論の重要な点である。
そしてこの教育を実現するためには、
「 経 験 で き る こ と は 経 験 さ せ 、そ の ほ か の こ と は 帰
2
9
納 によって発見させる」というように、学問は与えるのではなく、その子ども自身に気
付 か せ 、理 解 さ せ る こ と が 必 要 だ と 述 べ た 。ま た そ の た め に 大 人 は 、
「学ぶべきことを子ど
もの手の届くところにおき、巧みに学びへの欲求を生じさせ、理解を満たす手段を提供す
ればよい」とした。
以 上に 述 べ た 、ル ソ ー の 教育 論 の 2 つ の 重 要 な点 、そ し てそ の た め に大 人 は ど うす れ ば
よいのかということは、現代の幼児教育においても大いに参考になることであると思う。
( 2) モ ン テ ッ ソ ー リ 教 育
『エミール』で述べられるルソーの教育論は、今も多くの教育関連の書籍で言及され、
非常に大きな影響を持つものだと言える。しかし『エミール』発表から長い年月が経ち、
彼の教育をそのまま実現するのに難しい点があるということも事実である。そこで私はこ
こから、現在において実際に行われている、モンテッソーリ教育も参考にしたい。モンテ
ッソーリ教育にも、私の考える「生きる力」を養う上で大切なことが含まれると考えるか
らだ。
ま ず 、 モ ン テ ッ ソ ー リ 教 育 と は 、 マ リ ア ・ モ ン テ ッ ソ ー リ 30に よ る 教 育 論 で あ る 。 彼 女
は「子どもには生まれながらに自ら成長発達する自然のプログラムと力が備わっており、
適 切 な 環 境 と 援 助 が 与 え ら れ る な ら ば 自 分 自 身 で 積 極 的 に 成 長 を 遂 げ る 存 在 」で あ り 、
「人
間形成の一番大切な時期である幼児期に自主性・協調性・社会性が育まれなければならな
い」と考えた。モンテッソーリ教育を受けた著名人には、ビル・ゲイツ、グーグルの共同
創立者サーゲイ・ブリンとラリー・ページ、オバマ大統領等がいる。
私が、モンテッソーリ教育を受けた子ども達に共通する特徴として特筆したいことは、
「 自 分 で 判 断 し 、自 分 の 責 任 で 行 動 す る 」
「 先 を 見 通 し 、計 画 的 に 段 取 り 良 く 物 事 を こ な す 」
「自分のやりたいことが明確で、その実現のための取組みを考える」の 3 点である。1 つ
めの特徴はルソーの教育論にも見られることであるが、残り 2 つの点も私は「生きる力」
を養う上で必要なこととして加えたい。
ま た 、モ ン テ ッ ソ ー リ 教 育 は 脳 の 前 頭 連 合 野( 前 頭 葉 の 前 半 部 )を 育 て る と も 言 わ れ る 。
前頭連合野は「自己意識、自己制御」をつかさどり、また目的に向かって現在の自分をコ
ントロールする「目的志向性」という重要な機能をもっている。前頭連合野を使うという
ことは、自分の行動をコントロールし、周りの人に気を配り、集中して考え、未来を見通
し、好奇心を発揮することだと言う。前頭連合野こそがヒトを人たらしめる脳領域で、逆
に、前頭連合野の働きが「人間らしさ」をつくるとも言える。
では具体的にどのような教育を行っているのか。モンテッソーリ教育は、子どもが手を
使 っ て 活 動 す る 環 境 を 整 え 、そ こ に あ る 物 を 使 う「 使 い 方 」を わ か り や す く「 し て 見 せ る 」
ということを大切にしている。そして教具の扱い方だけではなく、日常生活の立ち振る舞
いの仕方の全てを、このようなやり方で教える。例としては靴の片付け方、洋服の着脱等
がある。子どもは「どうすれば自分一人で出来るか」をじっくり見て、見たことを自分で
実 行 、繰 り 返 し や り な が ら 自 分 の も の に す る 。こ の よ う に「 順 序 立 て 」
「 ゆ っ く り 」教 え て
も ら う 経 験 を 積 み 重 ね て き た 子 ど も 達 は 、理 解 と 処 理 の 仕 方 が 論 理 立 つ 。先 生 か ら「 習 う 」
28
『 エ ミ ー ル ( 上 )』 ジ ャ ン = ジ ャ ッ ク ・ ル ソ ー 【 著 】・ 今 野 一 雄 【 訳 】
29
30
8
p28-29 よ り
の で は な く 子 ど も 達 が「 発 見 す る 」、こ れ は ル ソ ー の 言 う「 経 験 で き る こ と は 経 験 さ せ 、そ
のほかのことは帰納によって発見させる」ことと同じであると思う。
( 3) シ ュ タ イ ナ ー 教 育
次に、モンテッソーリ教育と同時代に生まれたシュタイナー教育を参考にしていきたい。
シュタイナー教育も知育に重心を置くのではなく、心の教育に力を入れたもので、その子
どもの道徳観、意思の力を養うことを重視している。幼児教育以降ではあるが、シュタイ
ナーの教育を終えた後、
「 や り た い こ と が 見 つ か ら な い 」と い う 卒 業 生 が ほ と ん ど い な い 等
の声もある。これらのことを考慮すると、シュタイナー教育は子どもが自分の将来につい
て考え、行動する上で何らかのプラスの影響を与えていると考えても無理はないと思う。
また、私の考える「生きる力を養うこと」について述べていくために参考にしたいと感じ
る部分がいくつかあった。そこで次からシュタイナー教育の現状及びその特徴について述
べていく。
ま ず 、 シ ュ タ イ ナ ー 教 育 と は 、 オ ー ス ト リ ア 帝 国 出 身 の ル ド ル フ ・ シ ュ タ イ ナ ー 31に よ
るものである。現在、世界でヨーロッパを中心にアジア、アフリカ、アラブを含めて、シ
ュ タ イ ナ ー 学 校 は 1000 校 、さ ら に シ ュ タ イ ナ ー 幼 稚 園 は 1500 園 あ る と 言 わ れ て い る 。一
方で日本では学校法人化されたシュタイナー学校はわずか 2 校に留まるのが現状だ。
シ ュ タ イ ナ ー 教 育 で は 、 子 ど も が 成 長 す る 21 年 を 7 年 ご と の 3 段 階 に 分 け 、 そ の 人 間
観に基づいたカリキュラムが組まれる。芸術を通して豊かな感性を育むことを重視するた
め 、備 品 の 色 彩 や 質 感 な ど 細 部 に ま で 芸 術 的 な 配 慮 が 行 き 届 い て い る と い う こ と も 特 徴 だ 。
シュタイナーはなかでも就学前の幼児期こそ、道徳教育にとって最も重要な時期だとし
た。なぜなら、幼児期に身についた「道徳的基本傾向」はその後の発達期においても簡単
には変わらないものであるために、その子どもにとって取り返しのつかないものになりか
ねないと考えたからだ。この時期においては、意思の発達が顕著であり、これを特に丁寧
に育てる必要があるとしている。
シ ュ タ イ ナ ー の 指 導 を 受 け た E.M.グ ル ネ リ ウ ス に よ る と 、子 ど も の 心 の 働 き は 大 人 と 異
なる。大人の場合は思考、感情、意思の順に働き、子どもの場合は意思、感情、思考の順
で働いている。例えば、大人が何か行動をおこす場合、まずそれがどのようなものである
かを考え、次にそれについて様々な感情を抱き、最後にそれを実行するか判断する。しか
し子どもの場合、まず手当たり次第行動してみるところから始まり、その結果それについ
て様々な感情を持ち、最後にそれについて考察する。子どもの場合はまず行動してみよう
という意思から物事が始まる。
では子どもの意思はどのように育つのだろうか。このことについて述べる上で大切なこ
とは、
「 模 倣 」と「 模 範 」で あ る 。幼 児 に は 、周 り の 大 人 の 言 動 を 、そ の 瞬 間 の 感 情 や 心 の
姿勢までも含めてまるごと体が無意識に模倣するという特性がある。そうすることで、意
思の力を育んでいくとされているが、シュタイナーはこの時期に子どもの体の中にしみつ
いた感覚は生涯続くと考えている。この点を踏まえると、幼児期への子どもへの正しい働
きかけとして唯一あげられるものは、お手本を示すこととなる。つまり、幼児の模倣対象
と し て の 大 人 と い う 模 範 の 存 在 が 大 き な 意 味 を 持 つ 。こ の よ う な「 示 す 「
」自分で経験する」
ことを大切に考えるところは、ルソーの教育論やモンテッソーリ教育とも共通しているこ
とだと思う。
また、初めに述べたようにシュタイナー教育は芸術を重視している。そのためシュタイ
ナ ー は 、幼 児 の 遊 び に お い て も 知 的 な 要 素 で は な く 、美 的 な 要 素 を 重 視 す る こ と を 説 い た 。
それはシュタイナーが子どもは正しい行為を何度も繰り返すことで意思が育つと考え、そ
のために芸術が有効であると考えたからだ。芸術において練習は欠かせないものであり、
子どもは繰り返し練習するなかで、芸術の美しさに触れ、感動し、喜びを感じていく。そ
こにさらに体験してみたいという子どもの意思表示があらわれる「
。芸術の美しさに何度も
31
9
触れるたびに、正しい意思が芽生え始める」というのがシュタイナーの考えだ。
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