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第 回在北米被爆者健康診断第 班の活動報告

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第 回在北米被爆者健康診断第 班の活動報告
( )
年(平成
年) 月
日
広島県医師会速報(第
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
第 回在北米被爆者健康診断第 班の活動報告
広島県医師会 副会長 豊田 秀三
常任理事 有田 健一
常任理事 山田 博康
在北米被爆者健康診断医師団第 班はサンフランシスコ、シアトル地域を中心に在住する
被爆者の健康診断を目的に
年 月 日㈬から 週間の予定で渡米した。医師団は広島地域
にとどまることなく全県下の医師で構成することを目指して表 に示す編成となった。内科
医 名、産婦人科医 名、外科医 名に加えて広島県と長崎県から 名ずつ、広島県医師会事務
局から 名が参加した。
今年度から在外被爆者健康診断事業は毎年の健康診断実施が予算的に確保されたことから、
健診団には来年の健康診断に関する事前調査の使命も課せられた。サンフランシスコではセ
ント・メアリーズ・メディカルセンター(SMMC)で健診を行ったが、姉妹病院であるセン
ト・フランシス・メモリアル・ホスピタル(SFMH)での将来の健診についての調査も行っ
た。SFMHでは日本と同様の人間ドック方式の健診が可能なシステムが存在したが、SMMC
での健診を支えてくれるウメクボ医師とボランティア体制を今後も維持したいという私たち
の思惑もあって、帰国後広島県と現地とでやり取りをすることにした。
シアトルではパシフィック・メディカルセンター(PACMED)で健診を行ったが、現地の
被爆者団体が解散状況にあることから、今後のことを考えて団体としての立て直しを要望し
た。シアトルでの健診参加者にはカナダからの参加者が含まれているが、「たとえ健診は毎
年可能となっても、医師団の来ない健診のために国境を越えることはないだろう」という声
に彼らの気持ちが凝縮されていた。
北米で行った健診の実績を表 にまとめた。幸い、緊急を要するような受診者は見られな
かったが、被爆者の高齢化は明らかであった。結局サンフランシスコでは健康診断受診者は
合計
人、外科診察希望者は 人、婦人科診察希望者は 人であった。また受診者のうち
世は 人であった。シアトル健診 日目の受診者は 人(そのうち 人はカナダのバンクーバー
から高速バスで来た)、 日目の受診者は 人で 日間の合計は 人となった。そのうち外科
診察希望者は 人、婦人科診察希望者は 人で、受診者のうち 世は 人であった。北米被爆
者健診では、被爆者に対しての費用は国が出しているものの、被爆 世の健診費用は全額広
島県医師会が出して今日に至っている。被爆 世の健診費用に関しては引き続き国庫補助を
要請する取り組みを続けなければならない。
以下に、日々の出来事を日記風にまとめて報告する。
第 日: 月
日(水曜日)
サンフランシスコへ
時 分広島駅新幹線口に集合し、柳田実郎
常任理事の司会のもと出発式が開かれた。平松
恵一広島県医師会長の挨拶後、総団長豊田秀三
ならびに団長有田健一がお礼と決意を述べて広
島空港行リムジンバスに乗り込んだ。猛暑の中
を見送っていただいた広島県、広島市、広島県
医師会関係者や家族に感謝したいと思う。成田
空港では、広島県医師会の中元、上河内より日
程、注意事項の説明、確認などが行われた。
NH 便にてサンフランシスコ(以下SF)に向
けて飛び立ったのはちょうど 時だった。
日付変更線を越えて、同じ日の 時 分にSF
国際空港に到着した。 時間 分のフライトだっ
た。SF国際空港では日本総領事館からの出迎え
があり、短時間で入国することができた。ホテル
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
広島県医師会速報(第
出発式
チェックインまで時間があるということで、
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dgeに行き、霧のない Gol
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dgeの全景を見ることができたのは第
班の運の良さを暗示したもののように思われた。
第 日: 月
日(木曜日)
号)
年(平成
年) 月
日( )
た夏まっさかりであっても涼しい気候となり、
霧も発生しやすい。そこで近くの港町である
Sa
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i
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oを散策して時差ボケからの脱却を図っ
た。霧がかからない Sa
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は 夏の太陽の光で
暖かかった。巨大なアメリカンバーガーを口に
頬張り、食べきれない大半をカモメに与えた後
SF側に戻り、Fi
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fを散歩した。
岸壁からは、クリント・イーストウッド主演の
「アルカトラズからの脱出」の舞台となった Al
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ndが湾内のすぐ近くに見えた。Fi
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fからホテルまではケーブルカー
で丘を越えて 分くらいの距離である。坂道を
登るケーブルカーのケーブルは軌道の下の地中
内にひかれて常時動いており、そのケーブルに
接続器をひっかけてケーブルカーは移動するの
だと聞いた。ケーブルカーの運賃は$ 。高い
ため、観光客しか乗らないようだった。
第 日: 月
日(金曜日)
在SF日本総領事館表敬訪問
SF医師会への表敬訪問と健診準備
時に日本総領事館を全員で表敬訪問した。領
事館の前では今城領事の出迎えを受けた。領事館
はどこも同じような構造と思うが、安全のため、
領事館入室には、外側のドアから小さな小部屋に
いったん入り、その小部屋の外側のドアのロック
がされると、内側のドアのロックがはずれて入室
できるシステムである。帰国直前の猪俣弘司SF
総領事は被爆者健診に深い思いがあるようで、原
爆被爆者健診について多くの質問をされ、「でき
るだけ協力したい。自分は帰国するが、資料や希
望を送るように」と声をかけていただいた。
時に健診会場となるセント・メアリーズ・メ
ディカル・センター(以下SMMC)を訪問し
た。がんセンター地下 階の会議室で朝食をとり
ながら、アン・チェウン病院長をはじめ、バ
リー・ラウラー部長などと健診について話し
合った。この病院は日本の幕末の時代に開設さ
れ、現在では ブロックの広さの巨大病院になっ
ている。がんセンターは、外来患者中心の抗が
ん剤治療、リニアック治療を行っていることや、
その終末期の入院期間は 、日程度であるという
ことだった。SF健康診断でのスーパーバイザー
のジョン・ウメクボ先生の案内で、SMMC内の
I
CU、入院病室、個室部屋、放射線治療室、抗
がん剤治療室、リハビリ室などを見学させてい
ただいた。リハビリ室のテーブルは患者がテー
ブルの脚にひっかかって転ぶことがないように
天井から吊り下げて設置されていた。明日から
健診を行う場所となる健診センターではECG担
当の豊田秀三、下江俊成の 人が使用方法、記録
方法など入念な病院スタッフとの打ち合わせを
行った。ただ本番では病院スタッフがすべてを
こなしてくれたので、 人の出番はなかった。
時からはSF医師会へ表敬訪問を行った。
SF医師会の医師会館は、Gol
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近くの閑静な住宅街の 階建て住宅であった。あ
いにくシャノン・ウドヴック・コンスタント会
長は所要で不在であったが、ロジャー・ユン先
生、ジョージ・フォーラス先生、ジョージ・
在サンフランシスコ総領事館
午 後 は、藤 本 三 喜 夫 企 画 の Gol
den Gat
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dge徒歩制覇を試みかけたが、霧のためあま
りに寒く、橋の散歩どころではなかった。SF湾
は寒流が流れているため、海水浴はできず、ま
( )
年(平成
年) 月
日
広島県医師会速報(第
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
セント・メアリーズ・メディカルセンター
健診者の列
スーエンス先生夫妻、メアリー・ルー・リク
ウィンコ事務局長、ポシ・ライオン部長など多
くの人から歓待を受けた。手作りのクッキーと
美味しいワインを飲みながら北米被爆者健診の
経緯、現在の健診の問題点、世、世の放射線障
害の有無、福島原発の放射線障害の現状、さら
には人口減少の問題、生活形式の変化などを話
題に 時間を過ごした。
ためには通りを渡る必要があり、交通整理にあ
たる係りも配置された。
内科医 人で 人(うち 世 人)を診察した
が、外科の藤本三喜夫は外科診察(直腸がん検
診、甲状腺がん検診、乳がん検診)希望の 人
を 人で診た。また婦人科の小川達博も婦人科健
診(子宮頸がん検診)希望の 人を診た。団員
のほとんどの者が、まだ時差ボケから解放され
ておらず、毎晩午前 時~ 時ごろに目を覚まし
熟睡ができていない状態で、昼前後になると睡
眠誘発状態となった。健診初日で緊張していた
ことも加わり、みな疲労困憊の様相で、 時 分
ごろホテルに帰った。
その夜のレストランで出た被爆者から聞いた話
は印象的であった。昭和 年 月 日の話である。
原子爆弾により市内電車の中には吊り輪を持った
まま死んでいる通勤者たち、母親が原子爆弾から
子どもを守るように手を伸ばし、子どもも母親の
方向に手を伸ばしたまま死亡している母子の光景
など当時の様子に感じることが多かった。
一方で、無事に一日目が済んだという満足感は
進行中であった呉市長選にからんで「もし市長選
に立候補したら…」という医師会役員を仮想した
格好の話題を団員の間に提供することになり、そ
の場は大いに盛り上がった。SFの夜は長袖の
カッターシャツに上着の姿では寒く、コートを
着た人も見られた。
サンフランシスコ医師会
時からは団員全員と健診のボランティアの人
たち、病院のスタッフなど総勢 人くらいで健診
会場の設営にあたった。受付から始まり、身長・
体重・血圧の測定、尿検査、血液検査、心電図検
査、X線検査、内科診察、外科診察、婦人科診察、
行政相談などを行う場所を決め、健診のリハーサ
ルまで行った。終わったのは 時だったが、日本
では夏の 時ころの感じで、まだ少し明るかった。
第 日: 月
日(土曜日)
SF健康診断第 日目
時にホテルを出発した。SMMCでは 時前よ
り 名を超えるボランティアの方々と打ち合わ
せを行った。今回から加わった胸部写真撮影の
第 日: 月
日(日曜日)
SF健康診断第 日目
時 分に健診会場に到着した。ここSFの被
爆者健康診断の特徴はボランティア主体の運営
により成り立っているが、われわれのSF被爆者
健診は、日米ウィークリーの新聞記事「Doc
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昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
広島県医師会速報(第
号)
年(平成
年) 月
日( )
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ng」として掲載された。
第 日: 月
日(月曜日)
健診予備日
日間の健診が順調にいったため、この予備日
は完全にわれわれの休養日となった。多くの者
が初めての健診で疲れていたため、絶好の休養
日であった。もちろん寸暇を惜しんでSFを堪能
した者もいたし、市内をジョギングして km
を走破した者もいた。
被爆者協会との晩餐会
第 日: 月
日(火曜日)
新たな健康診断提携病院をさがす
SF被爆者協会主催の晩餐会
午後からセント・フランシス・メモリアル・
ホスピタル(以下SFMH)を訪問した。来年か
らの健診に備えての事前調査である。健康診断
部門の担当、チハル・ヤマダ看護師、その部門
の責任者、カーラ・ヘムブレッヒ女史と意見交
換を行った。SFMHでは日系人、日本人や、日
系の会社の従業員の健康診断を行うことが多い
とのことで、受診者一人に対して一人の日本語
が話せるスタッフがついてくれるシステムで、
午前中 ~ 人の人間ドック的健康診断を行って
いた。
第 日: 月
日(水曜日)
サンフランシスコからシアトルへ移動
SF被爆者協会の方々の見送りを受け、SFか
らシアトル(以下SE)へは飛行機で 時間 分
のフライトとなるところだったが、寸でのとこ
ろで全員乗り遅れるところだった。チケットに
番ゲート発と記載されていたのでみんな安心
して 番ゲートで待っていたのだが、離陸予定
の 分前になっても搭乗のアナウンスがない。
疑問に思った藤本三喜夫が確認して、 番ゲー
トに変更になっていたことを知り、あわてて移
動したのだった。足を痛めた藤本の痛みを押し
ての頑張りにみんなが救われた。
第 日: 月
日(木曜日)
在SE日本総領事館への表敬訪問
午前中は日本総領事館で百々(どど)智子首
席領事と川邉 肇領事に面会した。百々智子首席
領事は第 回在北米被爆者健康診断成績(広島
医学 巻 号)を読まれていたようで、「受診者
は 年毎に受診されるので、毎回受診者の平均年
齢は 歳上昇するのですか」と質問があった。そ
の質問には有田健一が「理論的にはそうなるは
セント・フランシス・メモリアル・ホスピタル
時 分からSF被爆者協会主催による晩餐会
がベイブリッジの見える、SF湾に面した中華レ
ストランで行われた。挨拶をし、歓談し、中華
料理を満喫した。そして最後に被爆者協会より
健診団一人ひとりに感謝状をいただいたのはよ
い記念となった。出席者の全員が「 年後にまた
会いましょう」と言ったような気がする。
在シアトル日本総領事館
( )
年(平成
年) 月
日
広島県医師会速報(第
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
ずですが、高齢者が健診会場に来ること自体困
難になってくることから受診者の平均年齢はほ
ぼ同じ状態が続いています」と答え、癌の罹患
が増加していることも説明した。
午後は首席領事に勧められたSEの名所を観光
することにした。Chi
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endenLocks& Fi
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rでは産卵のため川を上る鮭の大群も見る
ことができた。Ker
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kからのSEの眺めは
絶景だったし、またアメリカの有名なTVシリー
ズ「ツインピークス」のロケ地だった郊外の
Sno
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eの滝は圧巻だった。
パシフィック・メディカルセンター
第
日: 月
日(金曜日)
パシフィック・メディカルセンターで
の健診準備
時に健診会場となる、パシフィック・メ
ディカルセンター(以下PACMED)を訪ねた。
PACMEDの理事や、実際に手伝だっていただ
く、医師、看護師、コメディカルのスタッフ 人
と名刺交換後、軽食を取りながら、自己紹介を
行った。その後、SFと同様に尿検査、血液検査、
ECGおよび診察場所などを確認し、設営した。
時からはPACMEDの医師、看護師、コメ
デ ィ カ ル、お よ び 被 爆 者 協 会 の メ ン バ ー と
Spa
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eの見える湖畔のシーフード・レス
トランで夕食会を行った。家族の話から始める
のが共通の話題として仲良くなれるコツのよう
な気がする。特に山田博康らのテーブルでは、
のりまくった看護師のシリは歌を歌いだすし、
団員もそれにつられて調子に乗りすぎた。早速、
シリから「NAUGHTY△△!!」(△△は名
前;NAUGHTYは、日本語では親が子どもを叱
るときの「こら!」
「メ!」に相当する)と冗談
で叱られたり、楽しいひとときであった。他の
テーブルではスマホが威力を発揮した。声の認
知で、言葉が表示され、しかも訳も瞬時にでき
るので、英語に難点のある者には利用価値十分
であった。
第
日: 月
主催の夕食会が郊外の香港系の中華料理店で開か
れた。その店ではちょうど結婚式の披露宴も行わ
れており、ラオス系のベトナム人が花嫁で、台湾
人が花婿だった。日本ではふつう結婚式の場所は
貸切りになるのに、米国では空いている席があれ
ばちゃんと営業をしている、合理的というべき
か。われわれにとっては生バンドの演奏と歌が聞
けたので、ある意味でよかった。夜ホテルに帰る
と、ちょうど市内パレードが行われており、ホテ
ルの近くの通りには見物の人だかりであった。広
島のフラワーフェスティバルとディズニーラン
ドのパレードのようなにぎやかさで、軍楽隊や、
ボーイスカウトや、アラジンの魔法のランプと美
女のコスチュームのパフォーマンスなど、趣向を
凝らしたいろいろなチームの行進が延々と続い
た。最後にはSEの海岸での盛大な花火で終わっ
た。とても幻想的な夜だった。
第
日: 月
日(日曜日)
SE健康診断第 日目
日目でもありPACMEDの看護師さんなどス
タッフと打ち解けてきたため、会話も弾んだ。
待ち時間に折り紙の講義もした。講義と言って
も、鶴やかぶとや箱などを広島から持参した色
日(土曜日)
SE健康診断第 日目
時 分に朝食会場に集合し、食事兼打合わせ
を行った後、 時 分にPACMEDに向けて出発
した。その日のわれわれのバスの運転手は女性
で、道を間違えたため、 分のところが倍の 分
以上かかった。
健診は順調に経過した。夕方はSE被爆者協会
折り紙での交流
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
広島県医師会速報(第
とりどりの折り紙で、スタッフの方と一緒に
折っただけだが、皆さん喜んで、折った作品を
大切に持ち帰った。
その日はハプニングが起こった。
「採血中に
歳の 世男性が倒れた」の連絡。それまでにこや
かだったPACMEDのスタッフも一瞬で真剣な
顔になり、現場に急行した。そこには蒼白の顔
をした男性が上を向いて横たわっていた。呼び
かけても答えない状態で、上腕の橈骨動脈の拍
動は微弱だった。すぐに下肢の拳上を指示し、
状況を聞いた。 歳代の母親が必死の形相で言
うには「採血がうまくいかず、急に顔が蒼白に
なり倒れた」とのことだった。話の内容から迷
走神経反射と判断して様子をみることにした。
しばらくすると話せるようになり、胸痛などの
痛みを聞くと「ない」とのこと。血圧も良好で
先ほどより橈骨動脈も強く触れるようになった。
念のため低血糖も考慮し、ジュースを飲むよう
に指示。幸いその後問題なく経過し、健診を続
けることができた。
世の受診者との面白い会話を つ紹介したい。
それは胆石の手術に関しての質問だった。
「先生
からゴルブラッドをとったと言われたが、胆嚢
の血をとるとはどういうことですか?」一瞬何
を言っているのかと思ったが、すぐに気付いた。
「Gal
lBl
oodではなく、Gal
l
bl
adderですよ。胆
嚢の血ではなく、胆嚢そのものを胆石といっ
しょに手術で取り除いたという意味ですよ」
「娘
にも聞いたのだけど解からず、ずっと考えてい
ました。そういう意味だったのですか、やっと
解りました」と笑顔を残してくれたのだった。
世の方々も英語は得意ではないし、いわんや、
医学用語の困難さは日本でもアメリカでも同じ
であり、われわれ医師は患者の表情をみながら、
十分に説明しないといけないと痛感した。
健診終了後、SE被爆者協会の方々と意見交換
を行った。いろんなことを相談できたと参加者
から温かい言葉をもらった。今回の健診を行う
号)
年(平成
年) 月
日( )
にあたって、診察時間を長くしよう( 分以上)
と打ち合わせていた気配りが評価されたものと
思われ、うれしかった。
第
日: 月
日(月曜日)
SE健康診断予備日
事務団(広島県医師会の中元一望、上河内和
子、広島県の福原美百合、長崎県の古田伊織)
はPACMEDからの健診データの回収とデータ
確認、さらには申請書類の整理、また広島から
持って行った道具の確認を行った。その中には
威力を発揮したi
Pa
dもあった。
夜は全員での食事会を行い、今回の北米健診で気
付いたことや、今後のことなど、また、エピソード
なども披露した。そのとき団員全員が感じたこと
は、週間の旅程は長いと思っていたが、あっという
間の 週間だったということだったと思う。
今回のミッションは、関係各位の協力があっ
て達成されたことは言うまでもない。もちろん
事務方の人たちの縁の下の力も忘れてはならな
い。事前の準備から始まって、旅行トランク 個
分の健診資料、北米の健診関係者、被爆者協会、
領事館との交渉や土産の手配、過去の健診受診
者の手書き資料がファイルされたi
Padの準備、
懇切な行政相談など健診を支えるのに大きな力
となった。日本とまったく同じように生活・診
療ができたのは、英語の堪能な上河内和子、有
田健一、福原美百合の頑張りがあったからであ
る。参加した個々の医師の実力もいかんなく発
揮された。団員のまとまりにも感謝したい。日
本語を話しても、雰囲気で英語を堪能に話して
いるように錯覚する婦人科の小川達博、負傷に
も負けずにみんなを鼓舞した外科の藤本三喜夫、
物静かな中にも常に落ち着いてことにあたった
下江俊成、バック一杯のチョコレートの気配り
と家族愛が凝縮された石田邦夫、団員の名刺を
枚ずつ集めてトランプを作る山田博康、その
キャラクターは多士済々であった。
第
日: 月
日(火曜日)
SEより日本へ Uni
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便
米国からの出国審査はなかった。不思議に思
いパスポートをよく見るとアメリカ入国の際に
月 日まで有効のスタンプが押されていた。
SFのこともあるので搭乗ゲートを何度も確認し
て、 時 分発の Uni
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便に乗り
込み米国をあとにした。
診察の様子
( )
年(平成
年) 月
日
広島県医師会速報(第
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
表 サンフランシスコ・シアトル班 団員名簿
氏 名
診療科
総団長
豊 田 秀 三
内
広島県医師会副会長、豊田内科胃腸科 院長
所属・役職
団
長
有 田 健 一
内
広島県医師会常任理事、広島赤十字・原爆病院 呼吸器科部長
団
員
小 川 達 博
産
前広島赤十字・原爆病院 産婦人科部長
団
員
石 田 邦 夫
内
厚生連廣島総合病院 参与
団
員
下 江 俊 成
内
福山市民病院 医療技術部長
団
員
山 田 博 康
内
広島県医師会常任理事、県立広島病院 消化器内科主任部長
団
員
藤 本 三喜夫
外
国家公務員共済組合連合会、広島記念病院 外科医長
団
員
中 元 一 望 (事務) 広島県医師会 経理課長
団
員
上河内 和 子 (事務) 広島県医師会 広報情報課 職員
団
員
福 原 美百合 (行政) 広島県健康福祉局被爆者支援課 主任専門員
団
員
古 田 伊 織 (行政) 長崎県福祉保健部原爆被爆者援護課 主任主事
表 第19回在北米被爆者健診(サンフランシスコ・シアトル)結果
日
程
男 性
女 性
小 計
健 診 場 所
新規受診者
男 性
女 性
小 計
サンフランシスコ
月
日(第 日目)
棺
監
簡
月
日(第 日目)
柑
歓
漢
小 計
歓
缶
諌
月
日(第 日目)
換
柑
柑
月
日(第 日目)
桓
柑
款
小 計
桓
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合 計
( )内は被爆 世
表 日程(サンフランシスコ・シアトル班)
日付
曜日
都市
行 程
7
/
1
7
㈬
SF
広島→成田→サンフランシスコ
7
/
1
8
㈭
SF
表敬訪問(総領事館)
7
/
1
9
㈮
SF
表敬訪問(健診受け入れ病院)
、関係者・ボランティアとの打合わせ、表敬訪問(サンフ
ランシスコ医師会)、健診準備
7
/
2
0
㈯
SF
健診
7
/
2
1
㈰
SF
健診
7
/
2
2
㈪
SF
健診予備日
7
/
2
3
㈫
SF
健診成績の整理・集計、St
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訪問、被爆者協会および健診関係者
との晩餐会
7
/
2
4
㈬
SE
サンフランシスコ → シアトル
7
/
2
5
㈭
SE
表敬訪問(総領事館)
7
/
2
6
㈮
SE
表敬訪問(健診受け入れ病院)
、関係者・ボランティアとの打合わせ、健診準備、被爆者
協会および健診関係者との夕食会
7
/
2
7
㈯
SE
健診
7
/
2
8
㈰
SE
健診
7
/
2
9
㈪
SE
健診成績の整理・集計
7
/
3
0
㈫
シアトル発
7
/
3
1
㈬
成田着→広島
St
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Se
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Fly UP