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サムスンの技術能力構築戦略

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サムスンの技術能力構築戦略
オンライン ISSN 1347-4448
印刷版 ISSN 1348-5504
赤門マネジメント・レビュー 4 巻 10 号 (2005 年 10 月)
〔研 究 会 報 告〕コンピュータ産業研究会
2005 年 7 月 21 日
1
サムスンの技術能力構築戦略
曺
斗燮
横浜国立大学経営学部
E-mail: [email protected]
1
要約:サムスンが高い競争力を獲得することを可能にした、
「組織」
、「マネジメント」
、
「戦略」とはいったいどのようなものなのか。日本的経営や技術は、サムスンにおいて、
どのように移転、吸収、変容されたのだろうか。以上のことについて、本稿では、技
術能力の発展段階モデル(吸収段階→模倣段階→改良段階→革新段階)を用いて、サ
ムスンの技術能力構築のプロセスを説明する。
キーワード:サムスン、技術能力構築、技術能力の発展段階
1. はじめに
サムスンの電子グループは、サムスン電子、サムスン電管(現在はサムスン SDI)、サム
スンコーニング、サムスン電機の 4 社から構成される。本報告はサムスンのテレビ技術の能
力構築戦略を基本テーマにしているが、テレビ技術はこの 4 社による垂直構造となっている。
サムスン電子の現在の主力製品は、半導体(全体の売上高に占める割合:30%)、LCD(30%)、
携帯電話機(30%)、デジタル家電(10%)である。家電企業として出発したサムスンでは、
家電の中でテレビが主力製品だったので、サムスンの技術能力構築過程で、テレビ部門が果
たした役割は非常に大きい。収益の源泉であったばかりでなく、テレビ部門で訓練を受けた
エンジニアが他の部門の発展を主導したからである。
歴史的に企業経営を研究する上で、時代区分は重要な研究の出発点となる。どのようなイ
ベントや出来事に基づいて時代区分するかということによって、その研究者のスタンス、さ
らには歴史観がわかる。
本稿で示されるモデルは、もともと筆者が以前多国籍企業の現地子会社への技術移転を研
1
本稿は 2005 年 7 月 21 日開催のコンピュータ産業研究会での報告を福澤光啓(東京大学大学院)が
記録し、本稿掲載のために報告者の加筆訂正を経て、GBRC 編集部が整理したものである。文責は
GBRC に、著作権は報告者にある。内容の引用または複製には著作権者の許可を必要とする。
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©2005 Global Business Research Center
www.gbrc.jp
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究する際に採用した「現地子会社の技術能力高度化モデル」の修正版である。親会社は現地
子会社に技術を移転するが、その技術能力はステップ・バイ・ステップで高度化していく。
このモデルでは、親会社の技術能力や現地子会社の技術能力などが重要な概念である。技術
能力の発展段階には、① 吸収段階、② 模倣段階、③ 改良段階、④ 革新段階といった四つ
の段階がある。ゆっくり技術能力を向上させていく企業と、早く向上させる企業がある。そ
のスピードは企業ごとに違う。
多国籍企業の現地子会社の場合には、親会社に技術依存しているので第 2 段階の「模倣」
段階まで到達していれば十分だが、先進企業からの技術移転を通じて技術自立を図ろうとす
る途上国の企業の場合には、模倣段階でとどまっていては独自の生存がおぼつかない。一層
の発展を遂げるには、自力で改良やイノベーションができるより高度な技術能力を構築する
必要がある。以上の 4 段階モデルを用いて、サムスンの技術能力構築のプロセスを説明して
いく。
2.サムスン電子の躍進と論点
サムスン電子の業績は驚異的である。2004 年の実績をみると、韓国輸出の 20%を占めて
おり、売上高 121 兆ウォンは、韓国の国家予算を上回っている。また、ブランド価値の世界
ランキングは 21 位(トヨタは 9 位、ソニーは 20 位)である。創立後 35 年(2004 年 11 月 1
日:半導体事業を買収した日を記念日としている)で 250 万倍に成長した。株価総額はソニ
ーの 3 倍であり、営業利益は世界の製造企業のなかではトヨタと並んで 100 億ドルを突破し
た。
サムスン電子の競争力の中身に関して、有利な為替レートによるコスト優位に過ぎないと
いう意見もあるが、技術・デザインの素晴らしさを指摘する専門家も少なくない。競争力の
中身がコスト優位から質的優位(品質やデザイン)へと急速に高度化、洗練化しつつあるこ
とは間違いない。製品により競争力の中身には差異があるだろうが、サムスンの成功に共通
していえることは、日本の技術をうまく吸収・学習して、それにサムスン式の味付けを巧み
に行ったということであろう。
サムスン電子が高い競争力を獲得することを可能にした、「組織」、「マネジメント」、「戦
略」とはいったいどのようなものなのか。日本的経営や技術は、サムスン電子において、ど
のように移転、吸収、変容されたのだろうか。
技術能力の構築を議論するには組織の能力向上を何らかの段階で区切ることが必要であ
る。そうしなければ、能力が向上したことを示すことができない。その意味で段階論はダイ
ナミズムである。技術能力構築の段階区分をするには、研究所などの新しい組織の創設、新
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しい技術の開発、新しい経営管理方式の採用など、企業の質的な能力向上を示す証拠(イベ
ントでもいい)を提示しなければならない。能力高度化に成功している企業を見ると、能力
を一段と高度化させるための措置が明確に存在する。これによって組織は一種のジャンプを
経験するが、組織能力に飛躍と断絶が見られるのはこのジャンプがあるためである。企業の
成長発展はさまざまな能力の蓄積を基盤としており、この点から企業の本質を議論すると、
「能力の束」として企業を定義することもできるだろう。
組織が持っている技術も知識であるから、これに対して組織をうまく適合させていかなけ
ればならない。これを可能にするのは、経営者のビジョンや構想力かもしれない。サムスン
のオーナーが持っていたビジョンはどのようなものなのか。サムスン電子の歴史をみると、
技術能力の高度化に合わせてそれを支える組織や管理システムをタイミングよく採用して
いる。韓国では「組織のサムソン」「管理のサムソン」と言われ、オーナーの一存ですべて
が決まる他の財閥系企業とはその経営スタイルが大きく異なるが、ということはサムソン電
子は段階的にその能力を構築、向上してきたことを示唆する。
このような、「勝ち馬にうまく乗る」という「サムスンモデル」はうまく定式化できるのだ
ろうか。そして、モデルの持続性はあるのか。うまくモデル化できれば、これから産業化、
工業化を始めようとする途上国にとって、サムスンのようにグローバルに競争力のある企業
を作るには、段階ごとにいかなる組織能力が必要なのかという点でインプリケーションにな
る。多国籍企業に依存し過ぎる工業化戦略は長期的には成功しない。サムスンのように、自
国の企業で「革新段階」の技術能力をもつ企業を数多く育成しなければ、自立した工業国家
になれないし、国としての技術能力を発揮できない。多くの途上国が先進国入りの一歩手前
で挫折してしまうのは、たいていの企業の技術能力が「模倣」段階にとどまっていて、「改
良」や「革新」段階というより高度な段階に進められないためである。この点サムスンはコ
マを革新段階まで進めるのに成功している。
サムスンの技術能力構築の歴史を段階に分けると、① 吸収段階(1970 年代前半)
、② 模
倣段階(70 年代後半)
、③ 改良段階(80 年代)
、④ 革新段階(90 年代)となる。
まず、吸収段階では、電子グループ 4 社ともに、外国企業とのジョイントベンチャーを設
立した。1970 年に真空管技術を導入した。これは、将来、半導体をやりたいのであれば、
まず真空管から始めた方が良いという日本人のアドバイスを創業者が受け入れたためであ
った。真空管やブラウン管、半導体、液晶で用いられている基本的な技術は根っこ(クリー
ンルーム技術など)がつながっている。この根っこの共通性をみて、部下の猛烈な反対を押
さえ、当時すでに衰退期を迎えていた真空管の製造から始めた創業者の勘は鋭いとしか言い
ようがない。実際、真空管を作った経験のない企業で半導体に成功している企業はないとい
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う。
次に、模倣段階では、ジョイントベンチャーの解消を通じて経営能力の蓄積を図った。ジ
ョイントベンチャーでは本当の経営はできないし、自分でやってみなければ、技術を学習し、
うまく蓄積することができないとオーナーが考えたので、合弁相手とどんどんケンカしてい
た。しかし、ケンカしたといっても、現場のマネジャーレベルのケンカで、経営者同士の人
間関係が喧嘩別れすることは一度もなかった。
模倣段階では、製品を開発するために必要となる基本的な技術についてはある程度理解し
たが、それ以上先に進むことができなかった。そこで、改良段階では、各社ともに中央研究
所を作って技術改良を本格的に行うが、部品技術のレベルがまだ低いことから新製品の開発
まではできない。
これが 90 年代の革新段階となると、少なくともテレビ技術分野においては日本企業と同
一のスタートラインにたち、開発競争に本格的に参戦する。これまで蓄積してきた技術が一
気に開花する段階である。以下では各段階をより詳細にみてみる。
3.「吸収」段階:1970 年代前半
創業者主導による電子事業の構想として、まず真空管からスタートした。同時に、日本企
業とのジョイントベンチャーを立ち上げて、三洋電機からはセットの組み立て技術を、NEC
からは部品技術を獲得した。当時、サムスンは、テレビ事業をやるときに東芝や日立、松下
と手を組みたかったのだが、すでに各社とも他の韓国企業と組んでしまっていたので、やむ
を得ず、NEC(家電はメインではなかった)や三洋電機(マイナーだったので技術を教える
ことへの縛りが少なかった)と組むことになった。
部品国産化の基盤を構築するために、垂直統合戦略(ガラス、ブラウン管、電子銃、部品、
組立を全部グループ内で行う自前主義)をとった。サムスンが最初にテレビの技術を学ぶた
めに NEC に技術者を派遣したが、その際には女子工員まで派遣した。彼女たちの優れた学
習能力に受け入れ側の NEC も驚いた。サムスンは、現場の工員が持っているノウハウやス
キルが、製品の品質にダイレクトに効いてくると考えていた。これは、暗黙知の重要性をい
ち早く見抜き、それに真剣に取り組んだ最高の現場主義であった。
また、OEM 輸出を行なうことによって、品質を飛躍的に向上させ、コストを大幅に低下
させることに成功した。以上のような能力構築に伴うキャッチアップの過程で、合弁パート
ナーとの葛藤が生じたが、相手とのケンカが絶えなかったこと自体、ある意味では吸収段階
の終焉を意味した。
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4.「模倣」段階:1970 年代後半
合弁事業の経営主導権を確保して、国際下請けからの脱皮を図り、「経営能力」を蓄積し
た。サムスンの技術情報への感受性は高く、NEC の「意図せざる技術移転」による即動型
ブラウン管を開発した。また、技術を選択的に導入することが可能になった。
この段階での特徴的な事例として、電子銃の国産化が挙げられる。電子銃のキーパーツで
あるキャソードスリーブを、4 年間の試行錯誤の末 1980 年、ついに国産化に成功した。こ
れはサムスンの技術自立の大きな一歩を示す出来事で、これによって応用能力を身に付ける
ことができた。ちょうどそのとき、中国が開放され白黒テレビの巨大市場が目の前に現れた。
電子銃の国産化に成功したサムスンはこの大きなチャンスを自分のものにしたが、日本から
部品を購入していた他の韓国企業はこのチャンスを逃がしてしまった。国産化能力で業績に
大きな格差が生じてしまったのである。ちなみに、ブラウン管テレビの一番大きな問題は幅
の厚さであるが、最近サムスンは電子銃を改良することによって、液晶やプラズマ並みのス
リムなブラウン管テレビの開発生産に成功したと自慢している。
5.「改良」段階:1980 年代
この時期に、サムスンは日本的現場管理を徹底的に学習した。品質と生産性の向上につい
て、小集団活動や ZD 活動、TQC、TPM の導入と体系的な実施を行なった。製品の多様化と
高付加価値化としては、カラーブラウン管の開発を行い、自社ブランドを育成するために
OEM から脱却した。さらに、R&D 組織を創設して技術自立を目指した。最終的には、ブラ
ンドの輸出と海外生産を行なうまでになった。
6.「革新」段階:1990 年代
革新段階は「新経営」の宣言とともにスタートした。1993 年に二代目のオーナー経営者
は、
「奥さんと子供以外は全部変えよう」というスローガンの下で大規模な改革を実施した。
また、1997 年の IMF 通貨危機をうけて、「選択と集中」を行い、人員削減と本社のスリム化、
戦略計画の樹立を行なった。1999 年の従業員数は 96 年の水準の 64%まで減少し、本社のス
リム化も進められた。さらに、赤字事業と非主力事業も処分した。負債の償還も進めており、
97 年の負債比率が 297%であったものが、99 年には 85%、2001 年には 43%にまで低下した。
さらに、この「新経営」によって、製品技術から源泉技術へと技術革新の焦点が変わり、開
発体制の整備がなされ、「日本製製品の模倣」から「独創性の追求」へと開発スタンスが変
化した。
以上テレビ技術を中心にしたサムスンの技術能力構築戦略を 4 段階に分けて整理した。以
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下では「勝ち馬にうまく乗った」サムスンのスピーディーな技術転換能力に関して簡単に説
明する。技術能力の真髄は技術転換能力にあるといっても過言ではない。
7.スピーディーな技術転換
(1)ブラウン管
1971 年における白黒ブラウン管の生産量は、月産 15,000 台であった。1987 年には、白黒
ブラウン管で世界第一位の生産量となった。この時期に、日本企業がカラーブラウン管への
技術代替のために投資を控えているときに、大型先行投資により逆転して、市場を席巻した。
成功要因は、中国市場の開放と電子銃の国産化がある。
また、カラーブラウン管では、1992 年に世界第一位となった(マレーシア工場の建設)。
釜山工場は世界最大のブラウン管工場である。日本企業が液晶への技術代替のために投資を
控えているときに、大型先行投資により逆転して、市場を席巻した。そこでは、歩留向上の
ための高度な生産管理技術が採用されている。
(2)半導体(DRAM)
日本企業を逆転する契機となったのは、1993 年に 6 インチから 8 インチへとウェハサイ
ズの代替が生じたことである。日本企業が非メモリへの技術代替のため投資を控えていると
きに、大型投資先行により逆転して、市場を席巻した。ここにも、垂直的な歩留向上を可能
にする高度な生産管理技術が生かされている。
(3)液晶ディスプレイ
逆転の契機となったのは、1998 年の大型投資(最新鋭の第三ラインの完成)である。日
本企業が価格競争や不況などを理由に投資を控えているときに、大型先行投資により逆転し
て、市場を席巻した。そこでは、垂直的な歩留向上のための高度な生産管理技術を導入して
いる。
(4)デジタル家電
これまで日本製製品のコピーを作ってきたので、これからは部品に特化しようという社内
の声があった。しかし、オーナーはホームネットワーキングを念頭に、セット製品を捨てる
ことなく、サムスンオリジナルなものを作っていこうと考えている。
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8.ディスカッション
サムスンが技術能力をうまく構築することができた要因として、次のことが考えられる。
① 高い技術吸収能力:大量の人材交流、特に日本人の献身的な技術指導(NEC)によっ
て可能となった。研修を受けた人材の組織内活用。部品国産化や技術吸収のための組織
の創設。高い日本語能力と日本・日本人・日本文化への理解力が高かった。社長や常務
クラス以上の役員は日本語でコミュニケーションできる。サムスンは、日本の文化を理
解する能力が高いので、日本からの技術を学ぶ能力が高いのではないかと考えられる。
② オーナー経営者のリーダーシップと実験精神:一代目は組織のサムスンを目指し、緻
密な管理システムを作り上げた。二代目は「半導体」の成功および「自動車」の失敗経
験をベースに、緻密な組織と柔軟な発想という一見矛盾しそうな課題に着手しているよ
うである。天才経営と言って優秀な人材を外部から積極的にスカウトする最近の動きは
その矛盾解決の第一歩のように思われる。二代目は、スピーディーな意思決定の必要性
を学習し、経営の脱政治化を図った。戦略計画よりはアクションを重視するリーダーシ
ップである。動いて失敗した場合には許されるけれども、頭しか使っていないで失敗し
た場合には怒られる。
③ 技術と組織のサムスン式の組み合わせ:技術は日本式(生産技術を重視、現場主義、
自立志向)であり、オフィスはサムスン式(若いメンバー、中途採用、成果主義)であ
る。
④ 財閥組織の長所:経営資源の傾斜配分。経営者育成メカニズム(秘書室)が整備され
ている。執行役員制度(平均 47.5 歳の若い重役。これは、複雑性を処理できる人事革
新かも知れない)。三洋電機の井植氏が言っていた「人を大切にする」ということを心
がけている。世界中から優秀な人材をスカウトしている。サムスングループ電子で、常
務以上が 1200 人(?)もいる(これによって、部分最適ではなくて、全体最適を目指し
ている)
。90 年代の日本企業の問題は、事業部が強すぎて部分最適に陥ったことであっ
た。
⑤ 国際化戦略:中国を重視しながら、人材経営の現地化を最優先課題にしている。
サムスンが抱えている今後の課題として、イノベーションへの挑戦(「サムスンバブル論」
)
や無組合主義への国民からの反感への対応、グループの結束力の低下、国家経済における大
きすぎる存在感(サムスン共和国の問題)などが挙げられる。
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赤門マネジメント・レビュー編集委員会
編集長
編集委員
編集担当
新宅 純二郎
阿部 誠 粕谷 誠
片平 秀貴
高橋 伸夫
西田 麻希
赤門マネジメント・レビュー 4 巻 10 号 2005 年 10 月 25 日発行
編集
東京大学大学院経済学研究科 ABAS/AMR 編集委員会
発行
特定非営利活動法人グローバルビジネスリサーチセンター
理事長 高橋 伸夫
東京都文京区本郷
http://www.gbrc.jp
藤本 隆宏
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