...

Ⅶ 妊娠期からの虐待予防 -「特定妊婦」概念を活用する-

by user

on
Category: Documents
13

views

Report

Comments

Transcript

Ⅶ 妊娠期からの虐待予防 -「特定妊婦」概念を活用する-
Ⅶ 妊娠期からの虐待予防
-「特定妊婦」概念を活用する-
1.妊娠期からの虐待予防
-特定妊婦-
妊娠期からの虐待予防活動体制についてはいまだ不十分である。
妊娠期にすでに産後の虐待危機が予測されていた事例に対しても適時に介入できず,胎
児虐待ならびに新生児遺棄,殺害を防げなかった事例が例年跡を絶たない。幾例もの犠牲
を積み重ね,ようやく「特定妊婦」や「要支援児童/家庭」が法的に規定された(児童福
祉法第6条の3第5項)。
これにより児童相談所や市区町村の児童福祉部門が扱う対象の範囲に妊婦が加わり,出
産後の養育に困難が生じると見込まれる妊婦について要保護児童地域対策協議会(以下,
要対協)の検討対象と位置づけられた(児童福祉法第25 条の2第2項)。妊娠期からの関
係機関のネットワーク強化,妊娠期ならびに産後早期の要支援家庭への関与の仕組みや介
入技法の充実化,とりわけ,望まない妊娠に対応可能な体制と関与スタッフの技量の向上
が要請されるようになったことは望ましいというべき変化であろう。
本論では,「特定妊婦」(出産後の養育について出産前に支援を行うことが特に必要と
認められる妊婦)を切り口にして,安全かつ安定した周産期,そして出産後の「自分らし
く,ほどよい育児」を保障するための保健/医療活動への展望について述べる。
2 特定妊婦の法定化への期待と残る課題
市区町村は,母子健康手帳(以下,母子手帳)の交付事業(同時に妊婦健診無料券等を
配布)を通じて従来,心身両面の視点からハイリスク妊婦を把握できるポジションにいる。
しかし,これまで把握されてきた「ハイリスク妊婦」,例えば,「子どもを持つ資格が
ないと悩む妊婦」,「望まない妊娠に戸惑う妊婦」,「先に生まれた子に拒否感情を抱い
たり,虐待行為を行ったり,既往のある妊婦」,「レイプやDVで不本意な妊娠をしたが妊
娠週数が進み中絶できない妊婦」などのハイリスク妊婦が,すべて法定化された特定妊婦
に該当するのか,要対協での検討事例になるのかなど,ハイリスク妊婦と特定妊婦の境界
線は曖昧である。また仮に特定妊婦と評価され,要対協検討事例として受理された場合に
も,どの支援機関が主たる責任を引き受けて関与を始めるべきか,現場では,用語の定義
に始まり役割分担に関する疑問も多く,困惑している現実がある。しかし,いずれにして
も,妊婦はこれまではずっと要対協の検討対象ではなかったために,個人情報保護の壁に
遮られて関係機関の連携が困難であった。「特定妊婦」の規定ができたことで,妊婦(胎
児)も要対協の対象となり,速やかな情報共有および対応が期待できる。
一方,望まない妊娠による出生ゼロ日殺害事例や妊娠を否定する(中絶を希望する)女
性が産後に虐待や乳児殺害に至る事例,きょうだいが,親からの虐待を理由に,乳児院あ
るいは養護施設に措置されている家庭の事例,次の出産後に子を殺害したり虐待したりす
る事例などの中には,妊娠を届け出ず,母子健康手帳未交付のままのケースもある。また,
妊娠確認のために産科受診はしたものの,様々の理由により母子健康手帳の交付申請をし
ない妊婦もいる。
つまり,要請されているのは,「ハイリスク妊婦」,「特定妊婦」の境界の明確化の一
方で,妊婦すべてを保護対象として把握し,妊娠期から保健・医療・福祉関係機関が総出
で支援可能な態勢を確立することなのである。したがって,上述のような,妊娠判定のた
めに産科を訪れた妊婦の中でハイリスクと判断された場合には,市区町村の保健部所へ情
報提供可能な仕組みを作り,医療と保健が情報を共有し,早期の支援につなげる道筋を見
つけ出さなければならない。
3 新たな概念を最大限に活かすために
現場の迷いや課題はあるが,「特定妊婦」というこの新たな概念を最大限に活かし,妊
娠期・周産期の虐待予防策の一歩にしたい。
基本としてポピュレーション・アプローチとハイリスク・アプローチの適切な組み合わ
せで展開することが望ましい(図1)。
出典)21 世紀における国民健康づくり運動
(健康日本 21)報告書.健康日本 21 企画検討会.P9.平成 12 年 2 月
母子手帳交付時に把握された虐待リスクをもつ妊婦に,個別継続的な保護施策,子育て
支援策を提供し,こうした支援を通じて彼女たちが徐々に妊娠を肯定的に受け入れ,ほど
よい親役割を果たせるようになることを目標とする方法がハイリスク・アプローチである。
一方,その時点では,ハイリスク妊婦や特定妊婦には該当しない大多数の妊婦であって
も,妊娠期を通じて全くリスクが生じないとは限らない。妊娠期あるいは産褥期のどこか
で潜在的なリスク要因が表面化する事例が必ず存在するという前提に立って,対象の絞り
込みを緩やかにし,集団的に働きかけ,乳幼児期の子育て親の虐待リスクを全体的に下げ
ていこうという方法がポピュレーション・アプローチである。
ポピュレーション・アプローチのひとつの例としては,母子手帳交付時面接や妊婦検診
等の機会を活かし,妊婦の精神保健に関する一般的な心理教育的情報提供を通じて,自己
の心身の状態や家庭環境の重要性に関する妊婦の自覚を高め,その後の自発的相談の動機
づけを目論み,結果的に関与・介入のチャンスを広げることである。そのためには,母子
保健と精神保健を統合した視点での対応技術の充実が母子保健活動の今後のテーマである。
また,妊娠等に関する相談窓口を増やすのもそのひとつである。女性健康支援センター,
児童相談所,保健所,市町村保健センター,福祉事務所,婦人相談所など,多領域の窓口
で対応することで間口を広げ,妊婦にとって相談しやすい環境を築くことで,そこで適切
な保健指導が提供されれば,教育的配慮にもつながる(「妊娠期からの妊娠・出産・子育
て等に係る相談体制等の整備について」厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長,家庭
福祉課長・母子保健課長通知,平成23 年7 月27 日)。それぞれの窓口で最初の相談にあ
たるスタッフには,リスク情報として重要な項目(望まない妊娠,若年の妊娠,精神疾患,
支援者の不在など)に関する知識の供与,また妊婦が胸襟を開いて相談できる雰囲気やコ
ミュニケーションスキルを洗練させる教育が必要となる。受理した相談に対して,児童相
談所及び市区町村の児童福祉・母子保健等の関係部署等が,必要時に医療機関(小児科,
産科や精神科等の妊婦が受診する医療機関)と情報共有して個々の対応につなぐ作業はポ
ピュレーション・アプローチとハイリスク・アプローチの接点となる。
ハイリスク・アプローチは,ポピュレーション・アプローチから把握されたハイリスク
妊婦に対し,市区町村の児童福祉部門を中心に産科医療機関や保健機関などが集まる要対
協において特定妊婦として位置づけ,妊婦を取り巻く家庭環境や心理社会的背景,生活史
情報を総合して,保健・医療・福祉機関連携のもとに個別対応を開始させるのがハイリス
ク・アプローチである「養育支援を特に必要とする家庭の把握及び支援について」(雇児
総発1130 第1号,雇児母発1130 第1号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長,母子
保健課長通知,平成24 年11 月30 日)」
この際に,とくに医療機関の医師等が,守秘義務や個人情報保護の関係から,児童相談
所又は市区町村への情報提供に消極的である場合が未だに散見されるが,積極的に協力連
携することが子どもの虐待予防及び対応における医療機関の責務であることを理解しても
らえるように,保健分野等関係機関は日頃から医療機関と顔つなぎをしておきたい。
事例紹介
妊娠期の支援について2事例を紹介する。(個人情報保護の観点から,本人が特定できな
いように背景情報については大幅に改変して提示する)
【事例1】「望まれない妊娠」に悩む若年妊婦への支援
高校2年生,17歳のA子が19歳のB男との間で妊娠した。
A子は出産を希望して母子手帳交付を受けに来所した。交付時面接で,若年妊婦である
こと,親に内緒であること,経済的に未計画であることなどから,ハイリスク妊婦と判断
され,A子とともに実母C子への関与が開始された。
A子の母C子はA子の堕胎を望んだが,すでに妊娠28週に達しており,C子の希望は叶わ
なかった。保健師が司会役となって,A子の両親(C子とD夫)とB男,A子の4人の話し合
いが重ねられた。A子は高校から退学を要請され,C子やD夫からも非難され,孤立してい
た。四面楚歌のような状況で,A子はB男との生活を阻まれることを恐れ,孤立感,不安感
とともに,苛立ちも募らせていった。しかし, A子との対話を重ねるにつれて,保健師に
は,A子のB男への愛情や信頼感が確固としたものであり,出産後の子育てについても現実
的に考えている姿勢が確信されていった。またB男にも,いささか頼りない側面はあるも
のの,A子と結婚して家族を作っていきたいとの思いが一貫して表明されていた。
保健師はA子の想いが両親や教師など関係者に伝わるようにA子の言葉を補い,対話の場
に工夫を凝らしながら,話し合いのメンバーを高校の担任や教頭に拡大させた。
そうした対話を継続するうちに,徐々にA子の両親の頑なさは解け始め,A子とB男の関
係についても理解が進んでいった。ついにはB男がA子宅に同居することを両親は許した。
B男の真面目な生活状況をA子の両親が直に見ることで,ようやく両親は二人の関係と出産
を受け入れられるようになった。
保健師は,妊娠中から産後にかけて養育支援訪問事業導入を勧め,モニタリング体制を
構築して継続的に関与した。このような取り組みの中で,学校は退学の勧奨を取り下げ,
A子の出産は周囲に祝福されるものになった。
【事例2】胎児虐待を行う母親に対する病院内連携及び地域保健福祉機関との連携
(1)胎児虐待の発覚-精神科入院-出産まで
精神科通院中の27歳の経産婦D子が第二子を妊娠した。D子は,未熟なパーソナリティ
を基礎として強迫,解離,抑うつ症状を呈する神経症圏病態と診断されていた。
妊娠16週目,母との口論を契機として自分の腹部を強打するという,最初の胎児虐待
行為が現れた。29週になって妊娠中断を希望したが,それが受け入れられないとわかる
や,腹壁を殴打したり,風呂場で転倒したりと,胎児への侵襲行動が続発したため,32
週目,胎児の危険を回避するため,D子の合意を得て精神科病棟に入院させた。
入院前から産科,小児科,精神科の院内カンファレンスを実施し,さらに出産後の子
どもの養育の安全を図るため,33週目に児童相談所,市の子育て支援部署,市保健セン
ターを招請して地域ネットワークカンファレンスを行った。これは,D子を「特定妊婦」
と位置付けた上で,要対協個別会議に準じたものとして行われた。その後も様々な胎児
虐待行為が散発したが,どうにか37週まで持ち込んで,帝王切開術により出産した。
児は2,250gの低出生体重を示し,向精神薬の胎児移行のため自発呼吸が開始されず,
数週間の呼吸管理を要した。D子退院後も,児が小児科に入院していた約2か月間を利用
して,ネットワークにおいて在宅養育の可否が引き続き検討された。結果的に母と夫の
全面的協力,保健師や児童福祉機関スタッフの支援を受けて在宅養育が始められた。
(2)産科,小児科,精神科の院内リエゾンと,地域保健・福祉機関との連携
医療スタッフと地域保健・福祉スタッフとの合同カンファレンスでは,精神科医が上
述のようなD子の感情や振る舞いの力動的理解や家族関係を解説した後,D子の育児スキ
ルの水準や2人の乳幼児への虐待危険性,緊急時の対応等について検討し,出産後も多機
関による継続的関与が不可欠であると合意された。
D子の精神的安定と出産までの胎児の安全は,身体的側面でも心理的側面でも不可分の
事象であったが,母-胎児分離が不可能であるため,胎児を人質に取られている感覚が
医療スタッフ側に生じ,とくに産科スタッフの間には「子どもより自分を優先し,母と
しての役割意識の乏しい」D子への陰性感情が蓄積されていった。精神科スタッフは頻繁
に行われた大小カンファレンスの場で,このような陰性感情を十分に吐露させた上で,
そのように感じることは自然なことだと保証する一方,このような母親でも適切な精神
科治療を継続すれば成長可能性があることを過去の事例を参照しつつ解説し,子どもを
安全に出産させるという目標を再確認した。
出産当日までD子の生活管理を精神科で行うこと,出産後の緊急事態に備えて地域保
健・福祉機関が出産前から待機しているという包括的なケア構造が作られたことは,産
科・小児科スタッフにとって大きな安心の拠り所となった。
事例1,2から妊娠期の支援の基本的事項を学ぶことができる(図2)。
1)点での評価/判断を避け,線と面でリスクを評価/判断する
原家族との確執や葛藤を抱える場合や望まない妊娠等何らかの理由により,本人あるい
は周囲の支援者であるべき人が,妊娠・出産・育児に対して否定的感情を抱いていたり,
胎児に対し拒否感情を持っていたりする場合には,産科医や助産師との密な情報共有のも
とに,出産直後のみならず,出産前後を通じて,途切れることなく関与した上で今後の虐
待リスクの評価を行う必要がある。
2)密なモニタリングの必要性
虐待リスクが高い特定妊婦の場合,本人の心情を理解してくれるパートナーをはじめと
した支持者が存在するか確認し,危機を見逃さないモニタリング体制を要対協で具体的に
決定していくことが不可欠である。事例2のように深刻な場合,入院管理が妥当と判断され
る場合もあり,その際には,精神科主治医と産科医との密な連携が必要であり,両医療ス
タッフの要対協への積極的参加が望まれる。
3)精神医学的精査と支援(治療)必要性の判断の重要性
妊婦が精神科既往歴を有する場合や,現在精神科治療を受けている場合,保健・福祉と
精神科医療との連携は欠かせない。妊婦の精神状態は産後の育児にも大きな影響を及ぼす
ので,妊婦(母親)の精神科的経過を関係者が追跡し共有し続けることは重要である。
4)妊婦の回復と成長を信じる
事例1のように,妊娠を守ってもらえるはずの周囲から否定されたり非難されたりする環
境下では,精神疾患がなくても,妊婦の不安や孤独感が増大するのは当然である。ハイリ
スクか否かの判断は,当事者の表面的な言動からのみ判断するのではなく,家族背景や身
近な支持者の存在を合わせて考える必要がある。
事例1を例にするならば、A子の健康性や関係保持の力を確かめた上で,「本当は,B男
と一緒に生活をし,子どもを産み,育てたい」という想いに真に共感できたなら,A子を支
えるためには,どのようにA子を取り囲む人々に働きかけたらよいか,A子自身に伴走して
考えていくことは,失いかけたA子自身の、そして、その家族の強さ(リジリアンシー)を
引き出すことでもある。
4 事例を積み重ねて,特定妊婦への支援を組織的な取り組みに構造化する
ハイリスク妊婦と特定妊婦が全く同じ意味を表す言葉として扱われるのか,重なる部分
はあるが,一部は重ならないと考えるのかは,今後の事例の積み重ねにもよるところであ
ろう。いずれにせよ,「特定妊婦」が法的に規定され,制度上は児童福祉の管理下にも置
かれることになったからといって,地域の子育て支援や虐待問題を予防的視点から関与す
べき保健師ら援助職が「特定妊婦」から手を引いてよいということでは全くない。保健部
門援助者は,援助資源が増えたことを活用して,むしろこれまで以上に活動の幅を広げ充
実させていくよう努めなければならない。
事例1のように未婚カップルの若年妊娠であっても,家族調整等により支援体制を再構築
することがうまくいけば,リスクを回避でき,妊婦の不安解消につながる場合もある。一
方,事例2のように,家族背景が比較的良好であっても胎児虐待という深刻な事態が現れる
こともある。
「特定妊婦」という概念が導入される以前ならば,事例1も2も,保健,福祉,医療のど
の領域にせよ,最初に関与を余儀なくされた援助者個人の裁量に任されてしまってきたの
ではないだろうか。特定妊婦の規定により,要対協の事例として他の領域が協調しやすく
なり,各機関の情報のやり取りが,公然と可能になった利点は大きい。
「特定妊婦」として扱うべき事例の輪郭が明確ではない間,しばらくは,従来の評価基
準でハイリスク妊婦とされるものすべてを特定妊婦として検討し,事例を積み重ねる必要
がある。関与を通じて新たな評価の物差しが見え始めてから,リスクの軽重を総合的に考
慮して「ハイリスク」と「特定」を使い分けることにするのが安全な態度であろう。
現実問題として,ハイリスク妊婦すべてを要対協で検討対象とした際の業務量の試算は
なされておらず,業務負担の評価と合わせて人材確保策についても再考の必要がある。
おわりに
妊娠中から産後にかけてのどのようなサービスを国策としてあるいは各地域独自の取り
組みとして可能か,それらのサービスをどのような妊婦や家族に適用し,その優先度はど
のように判断するかを評価判断できるシステム構築が望まれる。また,そのシステム運用
にあたっては,母子の心身の健康に関わる産科,小児科,精神科各医療スタッフ,保健,
福祉スタッフが,事例に合わせて参画できる要対協を,現場からボトムアップ的に構築し
ていけることを期待したい。われわれには,「特定妊婦」を,そうした各機関各科スタッ
フをつなぎ合わせる実り多い概念に彫琢していくことが求められている。
本論は2012年12月7日に開催された日本こども虐待防止学会第18回学術集会高知りょうま
大会にて筆者らが担当したシンポジウムを参照して記述された。
(中板育美・佐野信也)
Fly UP