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155号 2003年 6月 - 現在の活動状況その他は下記へお問い合わせ

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155号 2003年 6月 - 現在の活動状況その他は下記へお問い合わせ
発行日2003年6月26日
杉 岳 通 信
・
155号
編集人
安岡正俊
製作・発行人
中村利夫
発行所
杉岳同門会
杉並区和泉3~59~21
関西の山歩き・開始の弁
澤山弘明
大阪に移ってから早いものでもう 40 年近くになります。しかし考えてみると、つい最近まで地元
関西の山についてまったく興味を持たなかったため、ほとんど何の知識もないまま過ごして来たと言
っても過言ではないでしょう。
山に行くと言えば、私の場合その対象はほとんど信州を中心とした本州中部の山岳に集中していま
したから・・・。
又、元々関東出身のせいか、今もって昔通っていた丹沢や奥多摩の方が身近に感じるほど、関西の
山々は私の中では存在感も薄く、興味も知識もなかったのです。まさに「灯台もと暗し」の典型です
ね。
もう長い間こっちに住んでいると言うのに、しかもずっと山には登り続けているのに、なぜ関西の
山には興味を持てなかったのか・・・冬期はスキー等で比良山や氷ノ山等の近くに行ったことはある
くせに、登山対象としてそれらの山に目を向けなかったのはどうしてなのか?これはこっちの山仲間
達にも不思議がられていたのです。
その第一の理由は、ご存じのとおり関西には標高2000 m を超える山が無いこと、「山高きが故
に尊からず」とは言うものの、上に登って岩・雪・這松等に代表される高山的景観に乏しいのは、私
にとって魅力が半減するように思えたからなのです。
第二の理由は、一般的に低い山は懐が浅く変化に乏しい事、又杉や檜等の人工林が多く、山の奥ま
で人家が多い事等があり、山に入っても何かと人間社会の臭いが残り、せっかく行ったのに山の自然
の中に浸きった感覚が味わえない様に思えたのです。
そして第三の最後の理由、これは私自身の「登山」に対する思い入れがあります。ある種の冒険的
要素と挑戦的要素、これが今まで私の山登りには必要だったのかも知れません。そしてその2つをま
ったく感じない山登りは「登山」とは言えない!と思っていたのも事実です。
そのような「私の登山」をずっと続けて来た訳ですが、昨今の日本の山で特にシーズン中は、一般
ルートを取って小屋泊の山行をする限りどこの山に行っても、第一の理由以外は大差の無い状況にな
っているのが実態ですよね。
そのため、最近の私の山行では積雪期以外、メジャーなルートを避けてあえて人の少ないルートを
探したり、バリエーションルートを取って登る事のほうが多くなりました。当然それなりの経験に基
づく判断力、装備を含めた登山技術、体力には自信がありましたから・・・
しかしここに来て問題になって来たのが、最近つくづく感じる体力の衰えなのです。もはや20K
g 以上の荷を背負っての長時間登行や、ラッセル等にはとても耐えられない我が身となって来ていま
す。又長時間のスキー滑降や多少の荷を背負ってのグリセード等も、足が保たなくなって来たようで
す。ましてや荷を背負って岩登り等やったとしたら、すぐさまミシン踏みが始まってしまう事は必定
です。このままではバリエーションルートどころか、ちょっとした冬山に行くことも出来なくなりそ
1
うに思えて来ました。
そんな状況ですから今までの「私の登山」がだんだんと難しくなって来ているのです。もしこのま
ま続けたら、またぞろ「中高年登山者の遭難事故発生!」とマスコミを騒がせてしまう確率はきわめ
て高いでしょう。
そうかと言って簡単に今までの「私の登山」スタイルを変える事も出来ないし・・・最近山へ出か
ける時は、いつもこのジレンマに陥いるようになってきています。
日頃地道なトレーニング等とは無縁でずっとやって来たもので、今更改めてトレーニングを始める
つもりもないし、多分始めたとしても長続きしそうもないのは、自分が一番良く知っている事です
し・・・。
しかし何もしなければこのままどんどん衰えるのは目に見えています。そして「私の登山」を続け
る事が出来なくなってしまうのも、もう間もないことでしょう。さてはて、困った事になってなって
きました。どうしたものでしょうか・・・
そこで思いついたのが、地元関西近場の簡単な山歩きなのです!近場の山の中で色々興味深い山を
探しながら、そこに日帰りで行くようにしてみようと思いつきました。
これなら思い付いたら簡単にいつでも行けるし、多分「私の登山」を続けるための良いトレーニン
グにもなるでしょう。そして続けて行っているうちに、今まで私の思っているのとは別な「私の登山」
の視点を見つけられるかも知れません。
季節ごとの珍しい花、珍しい地形や地質、色々な動物達、山菜やキノコ・木の実、イワナ等の釣
など・・・その時その時で興味を引く目標を持って対象の山を探して行ってみよう、数多い関西
の山の中には、きっとそのような山も簡単に見つけられるでしょう。なんと我ながら良い事を思
い付いたものではありませんか!!
早速、近場の山歩きを開始し、皆さんにも「大阪支部通信・関西の山シリーズ」として紹介出来る
ようになったらいいなぁ・・・、と思ったりしながら、「関西の山歩き・開始の弁」といたします。
・
新人類紹介
編集人
☆ 前号で宴会(K2)で登場した新人類(23期、24期)の紹介です。
まず、島村からの紹介です。
安藤さんをとおして「地球外生命体」(正しくは地球外共同体ですって)からのコンタクトですね。
リンクはるだけ、というささやかな打診ですから交流にはほど遠い?おたがい「杉高山岳部がふたつ
あるなんて信じられない」って感じなんでしょうかね?
杉岳同門会としてはどー対応するんですか
ね。せっかくのおさそいなのにつれなくするのも大人げないような。
2
私(11 期)などからみる限りでは、15期くらいから後が根絶やし状態のように思われ、春の行者
小屋テント(安岡さんと立場川側から阿弥陀に上った時)で一緒だった武井クン以外はあまり記憶が
ありません。
私らのころは、私の八ヶ岳での準遭難(というか下山道間違えて適当に野宿して帰京出来なかった
だけ=カッコワル=なのですが)の結果の休部命令やその前後の仙水峠事件や、もうひとつなんか当
局にとっての不具合があって(魚沼の半遭難かな?わすれました)だんだん顧問らの姿勢も険悪にな
り、やがて都の教育指導もあって部活のありかたがそのものが変わったこともあり、後の山岳部はか
なり健全なスポーツ登山化していったと聞いています。
ここらで世代がいったん断絶したんでしょうね。
年間 100 日以上山に行ってたとか、昔の大学山岳部みたいなものいいをしていた私たちの世代はか
なりダサく思われてるんではないかとおもいます。まあ、新人類以前のわれわれは朴念仁で、今思う
とあまり都会で楽しくやれることがなかったんで山に情熱ぶつけたり劣情をたくましくしたりしてた
のでしょうか。
高校生の分際で衝立正面を登ったりしてた9期の菊地さんから下は、OB会でも超新人類かといわ
れてました。しかし、個体発生はやはり系統発生をくりかえすんですね。まったく我々の知らない新
しい世代の杉高山岳部がちゃんと存在していました。立派なものです。
さきほど彼らのホームページを見ましたが、先方もなかなかの足達者ぞろいのようですよ。掲示板
があるからそこになんか書き残してくればよかったですが中村さんあたりがなんか述べるかもしれな
いなどとおもい(卑劣)ちょいと覗いただけで帰ってきてしまいましたよ。雰囲気は開放的であっけ
らかんとしてます。オモシロイですからぜひ訊ねて見て来てください。
下記に安藤君のメッセージからもういちど URL を記します。
http://www.ne.jp/asahi/mtclub/suginami/
以降、個人紹介と1978年発行の都立杉並高校山岳部の記録からの他人紹介が続きます。
☆
月浦(23期)です(安藤へのメールから)
安藤先輩ご無沙汰しております。23期の月浦です。最後にお会いしてから何年になるでしょう
か、はや自分も43才そこから計算すると先輩は44才ですね。 宇都宮や石垣、土屋への返信メ
ールを見させていただきましたが、> お元気そうで何よりです。
立て続けに同期が自己紹介しているのを見て、慌てて御挨拶 しなければと思いメールしていま
す。同門会のメーリングリスト> にも登録させていただきました。同門会の諸先輩方々の繋がり
がここまで継続していることに大変驚いております。
同門会の諸先輩がたとは、昭和50年と51年のOB交歓山行といつか忘れましたが、同門会の
会合だったのだと思いますが、阿佐ヶ谷の商工会議所でお会いした憶えがあります。残念ながら
御名前と御顔は一致しません。
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卒業してからは同期の仲間との付き合いしかなく、居所を転々としたせいもあり、同窓会からも
疎縁でしたが、先月からの嵐のような杉高ブーム?で、一気にかつての母校を思い出しておりま
す。
杉高卒業後、宇都宮・丸山・土屋はガンガン岩やら雪やら登り始めましたが、自分はサンデーハ
イカー止まりで、人に言えるような山行記録はありません。杉高時代には良くバテて先輩の手を
煩わせていたわけで、卒業後もガンガン………とは行きませんでした。
自分は大学時代に海洋生物を相手にしていた事もあり、研究と趣味をかねてダイビングをしてい
ました。当時はまだダイビングの市民権が薄く、密猟者と間違えられる事もありましたが、逆に
今のような箱庭的軟弱ダイビングとは違い、体育会系的根性潜水で自由気ままに楽しむ事ができ
たと思います。社会人に入って からも暫く続け、海底の事では多少人より物知りになりました。
仕事はコンピュータ関係の会社で東京でSEを18年続けています。ここ数年アウトドアーと呼
べる活動には遠ざかり、心も体も中年太り化し、会社のオフィスでバテぎみです。
宇都宮がHPを作った事に触発され、昔の写真を探しだし、HPにのせ始めました。保存状態は
あまり良くなく、思い出がカビに食われてしまう前に、デジタル化してしまおうと思っています。
徐々に増やしていきますが、勝手に安藤さんの写真もありますけど御承知おきください。
近々お会いできる機会を楽しみにしています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
失礼いたしました。
★月浦博利
副部長
(月浦疲労凍死)
信じられない人間。はじめて部室で見たときには、きたないやつだ、と山へいくにもいや気がさした。
だがしかし、人間は外見だけではわからない。かめばかむほど味が出る。ということもあるものだ。あ
の人間性、あのスリムな足、あの生まれてからただ1回もくしをでとかしたことのない頭。すべて山岳
部に合う。いわば山岳部必需人だったのだったのだ。工事のおっさんのペンチはもらっちゃうし、ヘル
メットは盗むし、なにかと工事のおっさんに関係している。将来は工事現場の監督になるという。1泊
山行では必ずバテる。トマトを食べると直るというおかしなおかしな内臓器官系をもっていて、バテる
とトマトをムシャムシャと食べている。自分の枕でないと眠れない、という人間は世の中にくさるほど
いるが、それをテント生活をする山に持ってきたのは、この月浦が最初で最後だ。男だったらフトン一
式もってきてほしかった。ナベパッキングはへただったが、うまくなって元祖になった。足助に継承し
たが、1つも伝わらなった。
☆
月浦杉高山岳部24期の石垣です。(安藤へのメールから)
昨年末に宇都宮さん経由で杉高山岳部OB会のページと、安藤さんのアドレスを知る機会を得ま
した。このたび晴れて23期、24期の存在が認知され?、突然ではありますが、ご挨拶として
安藤さんにもメールをさせていただきました。
杉高山岳部のOB会とのつながりは、我々にとっては、唯一松田さんを架け橋としての繋がりで、
大学時代の裏高尾の小下沢の同門会のキャンプと、就職後の阿佐ヶ谷の飲み屋さんでの会合に参
加させていただいたのが唯一の参加、唯一の記憶です。
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松田さんとは、その後年賀状のやりとり程度で、23期の皆さんとも2年に一度程度、飲み会を
するくらいでした。今回、同門会の諸先輩が、こんなにたくさんいらっしゃり、活躍されていた
のにははっきり言って驚きでした。
書き込みによれば、同門会では安藤さんが最年少とのこと、今回、23期、24期、わずか2
年ではありますが、最年少が土屋、石垣になりました。おそらく遠からずして、最年少はその下
の代へ移ると思われます。うちのカミさんは 27 期の山岳部員ですので、そのあたりまでは、確実
に下がることでしょう。
微力ながら、お手伝いができればと思います。
私は、成蹊の工学部を 84 年に卒業後、清水建設に入社し、ずっと東京でシステム部門に在籍し
ておりました。今は、経営企画部門におりますが、システム畑であることには変わりありません。
小4と小1の男の子が2人おり、家族で山に行ける年になったと思いきや、初めに良い印象を
与えられなかったせいか、山嫌いになってしまい、今はキャンプやスキーでごまかして少し冷却
期間としています。
先週、1年半ぶりに宇都宮さん、月浦さん、君塚さん、土屋君と会いました。安 藤さんもお仕
事柄、転勤が多いとのこと、ぜひ東京にいらっしゃるうちにお会いしたいと思います。お会いで
きるのを楽しみにしています。
突然のメールで失礼しました
それでは失礼します
★石垣順史
前会計
16文の大足で大股に歩く。そのくせ山では遅くなる。
バテているくせに山行が終わるとバテていなかったというのが得意。
頭に汚い手ぬぎいをまき、執念で歩き通す。彼を見ている方が不安である。
☆
拝啓、大先輩の皆様、皆様の後輩たちも元気です。
23期
宇都宮龍彦と申します。
昨年末に宇都宮さん経由で杉高山岳部OB会のページと、安藤さんのアドレスを知る機会を得ま
した。このたび晴れて23期、24期の存在が認知され?、突然ではありますが、ご挨拶として
安藤さんにもメールをさせていただきました。
昭和34年9月7日生まれ、おとめ座、B型です。 安藤先輩の指示を待ってからとも思いまし
たが、バレバレでしたので、このままでは、失礼と思い、勇気をだして投稿します。
杉並現役時代~大学時代も、何度かお世話になりましたが、このように、活発に活動されていた
とは、正直のところ、まったく理解しておりませんでした。
何を書いて良いやらわかりませんので私のプロフィールです。現役時代は、本当にとんでもない
部員で、ストライキをやったり、せっかく来ていただいたOBの方にケンカを売ったり、しまい
には、合宿で火災を起こし、最初から最後まで安藤先輩には、ご迷惑おかけしました。
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杉並卒業後、たまたま、現役で大学に入ってしまったため、一年間はパートナーもおらず、登山
用品店にいりびたりました。店員捕まえて、登攀用具買うから岩登り教えろ!と脅迫し、日和田
や鷹取やら、ウィークデイは常盤橋に通いました。そのうち仲良くなった店員は、ヨセミテ行く
と言ったきり消息不明。山で亡くなった蒼氷の吉野さんには「バカは岩登りするな!」と言われ
ながら三つ峠に通いました。
みんな無事に大学に入り、少し登れるようになり、新しい仲間も加わった頃は楽しい時代でした。
同期丸山とザイルを組み、滝谷、チンネ、冬の槍ヶ岳横尾尾根などをなんとか登りました。涸沢
で、舟橋さんに出会い、2 4期土屋がメキメキ頭角を表しはじめ、私は就職。
職場でSAJクラウンの指導員に出会い、山屋ってのはスキーもできないか!と罵られ、何くそ
と、なんとかSAJ1級はとったものの、やっぱりものにはならず滑りは万年3級レベル。
岩
登りは、怖いので逃避に走り、滝谷の上を飛んでやろうと思い、パラグライダーに手をだし、パ
イロットまで取ったのですが、木島平で墜落、腰椎破裂骨折4ヶ月入院、6ヶ月休職しました。
と、こんな具合で私はダサく、40過ぎたとは言え、高校時代からまったく成長しておりません。
それでも、今は、杉並高校同級生の家内と一緒に、楽しく家族でハイカーやってます。早いもの
で、今年、息子も高校受験の年となりました。
HPでご覧いただいたように、23期
君塚、月浦、丸山
がんばっています。24期
石垣は、
杉並高校山岳部27期女性部員を嫁さんにし、スーパーゼネコンで情報関連の仕事!がんばって
います。土屋は今でも人工壁通いを続けており、60までにドリュー西壁!と言いながら本職は
公認会計士!がんばっています。
らいちょう世代各代とも団結力を評価され、また自負するところでもありますが、実は組織力な
どまったく無く、昔も今も、個人個人が、それぞれ勝手きまま!でたらめに動く!そして、強烈
なパワーとなんとも言えないハーモニーを奏でます。理解しかねる地球外生命と呼ばれるゆえん
です。
それにしても、45 年間の山岳部!在籍したのは、誰もがたったの3年だけの話です。な
のに、遠い昔はいつも近く、それぞれの杉高山岳部があります。大先輩の皆様が築きあげ、脈々
と続く歴史、感慨深く思います。きっと、地球外生命は、我々の下にも、そして上にも、まだま
だ、いっぱい居て、やはり、それぞれ頑張っていることと思います。
HPの方は、大上段に構えて作っているわけでもなく、大先輩の皆様の組織力とは比較になりま
せんし、いつ途絶えてしまうかもわかりませんので、ご笑覧お願いします。お気づきの点ありま
したら、ご指導よろしくお願いします。
P.S
HPタイトルは「らいちょう通信」と変える予定ですが、地球外生命の名付け親であられますし
まむら様
当初より暖かい目でみていただき、ありがとうございます。
また、添付は投稿しよ
うかと思い用意までしたのですが、送れなかったものです。公開で正式登録には紹介許可が必要
と聞いており良くわからなかったという面もあります。山渓版がすぐ発見されたようでしたので、
岳人版です。山渓ほど詳細な内容は見当たりませんでした。
戸田建設本社建築設計統轄部
宇都宮
龍彦
★宇都宮龍彦
キャプテン(うのみ、うちのみやタフひこ)
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ゴツイ。筋肉でその肉体は、ゴツゴツともりあがっている。精神的にはどんなやつにも負けない。
事実、2年のときすでにボッカでOBをけなし、何も言わせなかった。顔もすごい。とてもオレ
と同じ年の人間には見えない。オレんちのカアちゃんもどこのオッサンか、と悩んでいた。丸山
と並んで、親指曲げの名人。90°以上外にそらすことができる。たいしたもんだ。家族で白馬
へ行くのが得意である。まt、乗物に乗ったり、金(さつ)をくずしたりするのがきらいで、金
を持っていても、どんなに家から遠いところでも歩いて帰っていく。という、歩行者の名人でも
ある。幕営訓練のときには、よごれたからといって、1人で何も持たず銭湯へ行き、その肉体を
あの筋肉で、となりのガキから借りたという石けんでゴシゴシと洗い無事に帰ってきた。山行で
は、絶対にバテない。というより、バテないようにかってにうまくストライキなどやって調節し
ていた。
皆様、こんばんは、24期の土屋と申します。極く一部の方は17~18年前に一度、同門会の会合に
てお目に掛かっておりますが、改めてご挨拶させて頂きます。
ここ数ヶ月、23・24期の連携が急に強くなったのに伴い、皆さんの活動状況も手に取るように判
る環境に置かれていたのですが、向こっ気は強いのに気が小さいという生来の性格が災いして、なかな
か輪に入れなかったのですが、地球外生命の仲間が次々と地上に降り立つ姿を見て、勇気を奮って出て
まいりました。
杉高山岳部時代は皆さんと同じように、私にとっても「珠玉の時間」でありました。中学生の頃から
奥多摩あたりの山歩きはやっていたのですが、こうまで山に関わる人生にさせたのは山岳部以外の何者
でもありません。そして、変な言い方ですが、山と同じくらい「人間って面白い」という気にさせたの
も、やっぱり山岳部でした。
宇都宮くんを始めとする23期の先輩はもちろん、24期の同輩や後輩、安藤先輩やOBの松田さん、
そして高校生と躊躇無く居酒屋で酒盛りする顧問教師、なんて癖のある、愛すべき人間の集まりだった
でしょう。こうして思い返してみても、それは単なる郷愁ではなく、紛れも無い人間形成の場でした。
卒業後四半世紀を経て、自分の原点はここにある、と改めて確信します。
卒業後、宇都宮くんの手ほどきで三つ峠でザイルワークを教わり、そしてその知人の神戸のアルパイ
ンガイド舟橋氏の知遇を得て、私の山との関わりがより立体的になりました。日本橋の「常盤橋公園」
に毎日通うようになり、そこで知り合った仲間達と「まほろば同人」をでっちあげました。同人の代表
が「カモシカスポーツ」のバイトだったことから、店にたむろして邪魔者扱いされながらも、愛すべき
人間の発掘に努めていました。
7
「まほろば」は5年ほどで解散してしまいましたが、その残党で同人「ろばの耳」を催して、最近ま
で活動を続けてまいりました。「ろばの耳」は一時は名簿人数15名ほどを数えたのですが、活動方針
の対立と有力メンバーの家庭内事情等により、事実上昨年末で休会しました。
現在、私は「風来坊」という会に身を寄せつつ、新たなザイルパートナーの形成に取り掛かっている
ところです。山岳部のHPのキャプションには「スーパークライマー」などという恥ずかしげな単語が
載せられているのであれは削除してほしいのですが、自分なりに20年間のクライミング暦を振り返る
良い機会だったと思います。
20年前に攀じりたいと思ったルートの10分の1もトレースできませんでしたが、ルート名を入力す
る度に、あのざらついた岩や凍てつく氷瀑に緊張し、そして昂ぶった心が蘇りました。
クライミングをすると今でも自分を発見することばかりです。そして、信頼しあえるパートナーと出
会うことほどうれしいことはありません。私みたいな我が侭な人間だからこそ、他人と危険と時間を共
有することの歓びを教えてくれる、クライミングは願ってもない教師です。そしてそのルーツは全て山
岳部にあるのです。
え~、なんだか文体が高校生っぽくなってしまいました。時間も遅いので、そろそろ家に帰ります。(急
にトーンダウンですみません)
職業は自営の会計事務所をやっております。ある程度時間の融通が利くかわりに長期休暇が取れない
のが辛いところです。あと10年くらいして下の人間に任せられるようになったら、毎夏に2週間づつ
休みを取ってアルプス詣でをする、というのが目下の夢であります。ドリュの西壁は難しそうですが、
ミディ南壁のレビュファのルートくらいは攀じりたい、そう思ってまだまだ山を続けるつもりでおりま
す。
そんな訳で皆様にもいろいろとご指導賜りたく、今後ともよろしくお願い申し上げます。長文、失礼い
たしました。土屋です。
同門会の皆様、金曜はあっという間に過ぎるほど、愉快な時間を過ごさせて頂き、有
難うございました。宴会大臣様とは、あまり話す時間がありませんでしたが、次回よ
ろしくお願い申しあげます。
安岡様
私めも杉岳通信の送付、よろしくお願いいたします。
送付先は名刺の仕事場でもかまわないのですが、ついでながら自宅などは下記の状況
です。
郵便番号
住所
183-0053
東京都府中市天神町2-5-7-301
8
電話自宅
0423-36-9517
血液型
A型
生年月日
土屋洋泰
昭和 36 年 1 月 29 日
前キャプテン・・・異火座に[入ると一人だけいつも「ボルシチ」をたのみしぶいつらいし
てすすっている。
3年を3年と思わないでいるから怖い。
1年の時、前半はゆうれい部員でいたが、突如文化祭頃からではじめて、ついには山岳部をのとった。
これを書いている今もちょこと来て我々の食料である合成着色使用のマメを何もいわずに1つかみ持ち
去った。
菊池様
一の倉尾根の件です。
昨日、一の倉の一ノ沢・右壁・左方ルンゼへ行ってきました。3人パーティだったこと、前夜から降雪
があったこと、そして出発が遅れたことなどにより、予定通り、F 4までの氷壁部分のみ登攀して、懸
垂で降りてきました。
現在の一の倉の状況ですが、降雪量は例年より少なめのようです。2月の半ば過ぎと.いう時期にしては、
雪も落ち着いているように感じます。
今年はいわゆる冬型が長続きせず、南岸低気圧の周期的到来が早かったため、1月中から春先のような
雪の降り方だったのではないかと想像されます。
ただ、落ち着いているといってもやはり2月で、3月のようなクラストした堅さではありませんでした。
新雪は所によって、15cmから30cm。アイゼンがすぐ団子になるような、湿っぽい雪でした。
一の倉尾根を眺めた様子では、雪がさほどでもないに雪庇が随分と発達していて、末端の雪稜部分は3
~5mくらいの張り出しがずっと連なっています。
昨年、3月の2週目に一の倉に入った時は出会までダンプのような大きさのデブリで埋まり、完全に陽
春のコンディションでした。
今年は昨年と似たような気圧配置が繰り返されていますが、南岸低気圧と南岸低気圧の合い間にはそれ
なりの寒気が入ってきており、雪面における季節の進み具合が違っているのかもしれません。
9
3月9日というとあと2週間後ですが、今の状況があまり変わらないとすると、1Day のラッシュは厳し
いかもしれません。踝を超えるようなラッセルがあれば、出会いか.ら一の倉岳頂上まで10時間以上掛
かると思われますので、指導センターを3時に出たとしても国境稜線で日が暮れます。
まあ、1泊のつもりで行けば問題無いのでしょうが、すみません、私の都合としては、確定申告時期に
2日の休みは予定できません。
そこで計画なのですが、
1)金曜夜出とし、土曜日目一杯登って、力尽きたらビバークする
2)雪の状況次第では、もう少し軽めのルートに変更する
が考えられます。
いずれにしても指導センターに登山届けを出しておいたほうが良いので、氏名・生年月日・住所・連絡
先をお知らせください。同門会の名前を使う場合は中村会長の連絡先も教えといてください。
以上、よろしくお願い申し上げます。
土屋です。
先日の連休は結局、谷川に行ってきました。
当初は鹿島槍の予定だったのですが、メンバーの都合や直前の降雪状況などから変更となりました。
21日(金)幽ノ沢・しゃくなげ尾根雪の状態が悪く、4人で20時間の大残業。指導センターに戻っ
てきたのは、夜の11時頃。それから、なべ宴会となる。
22日(土)当然のように、休養。温泉で半日つぶす。
23日(日)一ノ倉・四ルンゼ
ルンゼ自体は正味2時間の速攻クライミング。結果的には雪の状態は割とよかった。四ルンゼの大滝
も雪で埋もれて、傾斜は60°足らず。
21・23日はいずれも大快晴。23日の昼頃から急に気温が上がりました。メンバーはいずれも「風
来坊」の人。
19日~20日で新雪が30cmくらい積もり、風の強くないところは雪が締まらず、ブッシュ、草付
の箇所は神経を使いました。
今日の暖かい雨で谷川の入山禁止が出るのも時間の問題かと思われます。
10
菊池さんへ。
谷川はもうだめですが、八ヶ岳のルンゼなどはまだ堅雪の登行が楽しめるはずです。
4月の5日か6日あたりはどうでしょうか?
菊池です
すでに土屋氏から報告の通り、日曜日(6日)は阿弥陀の北西稜へ
行って来ました。
ルートは人工も交えた手強いところで、またリッジへあがると高度感
もありなかなか緊張させられました。また、天気も前日の大雪も上が
り快晴だが、風が強く真冬を思わせる寒さの中の登攀と言うことで頬
にコイン大の凍傷が残りました。
土屋氏とはK2の飲み会、事前打ち合わせと2回しか合っていませんでしたが全く違和感無く、すばら
しい山行を楽しむ事ができました。ロープを結んだのは、3ピッチと少ないのですが、実にスムースで
した。
”神より与えられし”いい出会いをだったと感激しております。
土屋氏は、豊富な経験と圧倒的な体力でしっかり登るタイプのすばらしいアルピニストだと思います。
また岩登り技術も、安定的で信頼感があり、私の様にミックス壁のリスにピッケルのピックをぶち込ん
で強引に登るの比べると、レベルも違うのでしょうが、正統派ということでしょう。しかも、彼は仕事、
家庭との時間の折り合いをつけるため、通常の週末の山行は、金曜日の深夜車で出かけ、仮眠の後登攀
を開始、土曜日
夜帰宅と厳しいスケジュールをとっています。私もなれるため、富士山へ2度、3時に自宅を出て、往
復して帰ってくるというのをやりましたが、午後は眠くてつらいものでした。
23,24期の皆さんはそれぞれいろいろな山登りをされているそうです。
いろいろな山で交流を深めて行きたいと思います。
土屋さんどうもありがとうございました。またお願いします。
山下さま
> らいちょう
> は
3号
の
現役OB交歓山行
1975年の9月でした。
> メンバは
23期の君塚、丸山、月浦、宇
> 都宮、22期の安藤で
OBは
> 5期の中村、山下、18期の中山と19期
> の小林美でした。
H15年5月15日 毛勝三山・山行記
澤山弘明
後立山の山々から、そして又剣岳の頂
上から、いつもその存在が気になっていた毛勝三山!ついに今年はそこに行く機会がやってきました。
ほ
とんど毎年、この 5 月の連休は通っていた剣沢小屋滞在山行でしたが、ここ最近目立って人が多くなってき
たのと、アプローチのアルペンルートの殺人的混雑に嫌気がさしていたところでした。
11
そこでちょっとマ
イナーですが、この時期にうってつけの山、毛勝三山へ行くことを決めたのでした。
ここなら今までど
おり5月の剱岳の姿も、しかも今まで写真でしか見たことのない北方向からの剣岳を見る事も出来るし、小
生にとって初めて足を踏み入れる山域ですので、いろんな意味で興味津々だし、なんともってこいの山では
ありませんか! ところが小生の山仲間達にとって、この山はよほど人気ないのか、それとも皆の都合が悪い
のがたまたま重なったせいなのか、最終的に同行者は「往年のヤマンバ」河瀬さんたった一人だけ・・・連
休の山行にしては例年になく寂しいメンバーとなってしまいました。例年どおり剣沢に行くことにしていた
ら、もっと大勢の参加があったのかもしれませんが、今度ばかりは強引に小生のわがままを通させてもらい
ます!たった二人でもいざ行かん、毛勝三山へ!
山鉱泉へ」
******************* 「魚津・北
5 月 2 日、夏を思わせるカンカン照りの真っ昼間の大阪を、小生の愛車「ハリアー」で出発。
今夜の泊まりは河瀬さんが探して予約してくれた魚津市郊外の北山鉱泉、夕方までに着けばいいのでのんび
りとしたものである。
ところが・・出発早々京都まで行く間にその事件は起こってしまったのだ。名神
の天王山トンネルを抜けた辺り、追い越し車線を気分良く走っていたその時、ふと気がつくとバックミラー
に赤いランプがチカチカ!ありゃりゃ、しまった!後ろにいるのはなんと!覆面パトではないか!
その
まま桂川 PA に連れ込まれ、若い警官の馬鹿丁寧な応対に20分ほどつき合わされ、反則金6000円也の
切符を土産に持たされてやっとこ解放された。なんと情けない、出だしからこれでは先が思いやられるわ!
天気は雲一つ無い快晴なのに、気分はすっかり曇り空となってしまった。
それでも気を取り直して運転
再開、幸いその後は何事もなく順調に走って滑川 IC を出る。後はカーナビに導かれて、PM5 時北山鉱泉に
無事到着した。
道すがら雪のたっぷり残った白山や剣・立山を眺め、目指す毛勝の山々も間近に見えてく
ると、それまでのブルーな気分はすっかり消え去り、今の空のように晴れ上がったのである。
ここ北山鉱
泉は地元ではそこそこ名の知られた所らしく旅館も数軒あり、日帰りの入浴客で結構混雑している。予約し
た旅館も今日は客も少ないとのことだが、明日からは満員になるとのこと。
様」の看板もあげられていて、我々は意気揚々とチェックインした。
玄関には「歓迎・河瀬ご一行
「取り付きアプローチの偵察」
食まで時間もあるので、明日のため取り付きアプローチの偵察に出かけた。
夕
旅館から昔の登山基地・東蔵
までは車で 20 分ほど、そこから片貝川に沿って舗装された林道を 15 分ほど進むと南又谷林道との分岐に着
く。 ここで南又の林道を下って来た単独の登山者に出会った。我々はそのままこの未舗装の林道を 10 分ほ
ど進むと、行く手は雪に埋まっていて、そこからはもう車は入れない状態だった。これでは猫又谷に入るの
に相当時間の林道歩きが必要だろう。どうやら今の時期は猫又谷の奥まで車は入れないようだ。
そこか
ら引き返して、今度は阿部木谷の様子を見に行くことにする。分岐からは阿部木谷に沿った林道を上り出す
と、先ほどの登山者が前を歩いているのに再び出会う。片貝山荘に行くのか?車を止めて「乗っていきませ
んか?」と声をかけたら「いやあーどうも、助かります!」と大喜び。(後で知る事になるのだが、意外に
もこの人は小生の高校山岳部の後輩だったのだ!20 年近く年も離れているので顔も知らなかったが、下山後
のHPで判明したのだ!世の中狭いものである。)
聞いてみると今朝から毛勝谷を登り三山を縦走して、
今猫又谷を降りてきたのだそうで、なんとも健脚な人がいるものだと感心する。
その人の意見では猫又谷
から登るのは車が奥まで入れないので、毛勝谷からよりだいぶ時間が掛かるだろうとのことだった。
片貝
山荘を通り過ぎ10分ほど登った砂防工事のブルなどが止まっている所にその人の車が置いてあり、そこま
で送って行った。
事だった。
ここまで車で登れる事がわかったのは、その人と会ったおかげ、我々にとっても幸運な
結局我々も明日は予定の猫又谷を変更し、毛勝谷を登る事に決定。事前の有意義な偵察行を果
たし、夕闇の中を満足して旅館に引き上げたのである。
「毛勝谷を登る」
まだ誰も起きていない朝5時
前に、旅館の玄関の鍵を開けてそーっと出発、もちろん前夜勘定はすましてある。
12
昨日偵察済みの駐車ス
ペースまで30分ほどで到着。今日から連休とあって、すでに車が5台ほど停まっていた。我々の後からも
次々と車が登って来て、たちまちここのスペースは満杯となった。
この辺りは休日でなければ砂防工事中
なのだろう。車を駐車したら怒られそうな所である。地元の車が多いのを見ると、我々が考えていたより毛
勝三山は地元でメジャーな山なのかも知れない。そしてほとんどが日帰りの支度の様であった。周りの車の
人たちや、下の方から登って来た人たちが次々と横を通って登って行く。我々も準備を整えAM6時過ぎ出
発した。天気は上々で最高の登山日よりである。
登り出すとすぐ雪の上を歩くようになった。左岸に沿
っていくつかの砂防堰堤を越えて行く。最後の砂防堰堤を越えると谷巾が狭くなり、今まで見えていた水流
もここで雪に埋まって隠れてしまった。この辺りが「板菱」と言う所なのだろう。
右手に緩く曲がり込む
と、行く手にはすさまじいデブリに埋まった谷が続き、谷の奥には残雪に輝く稜線が視界に入ってきた。辺
りはあたかもブルトーザーで雪かきをしたように、谷の両側は高い雪の壁が出来、中央は平らになっている。
もう少し前の時期には大雪崩の通り道となっていたのだろうか。
と毛勝谷の分岐に着いた。
出発してから約1時間半ほどで大明神沢
今まで登って来た正面の谷は大明神沢で、デブリの跡がすざまじい陰惨な谷相
である。それに比べここで左手に分かれる毛勝谷は、デブリの跡も少なく大きく開けた明るい沢であった。
ここで標高約1250 M、まだ1000 M 以上も登らなければならないのだ。ヤレヤレ!
今までは日陰
に入っていて寒いくらいであったが、ここからはまともに日が当りぎらぎらした雪の上を歩かなければなら
ない。日焼け止め、サングラスと防備をし、アイゼンを付けて毛勝谷を登りだした。
広い谷の真中を約 1
時間登って三つ又に到着。ここで標高約1550 M、行く手真中の谷を豆粒のように先行パーテイが登って
いるのが見える。山の標高はそれほど高くないものの、さすが北ア北部の豪雪地帯の山、この谷の雪渓は思
っていたより長くスケールも大きい。
ここからは今までよりやや傾斜が増し、折からのきつい日差しも相
まって、汗がしたたり落ち息もあがって一段とペースが落ちてしまう。 1 ピッチ登り再び沢が二つに分かれ
る場所を見上げた。
ここからは右手のボウサマ谷を登って行くことになる。先行パーテイがゆっくり登っ
て行くのが見え、早くも下ってくるパーテイーとすれ違ったりする。
はるか上を見上げると雪渓はなおも
長く伸び、源頭と思われるコルあたりは一段と白く輝き、真っ青な空との間に美しいカーブを描いていた。
登るにつれ一層傾斜は増し、大股の踏み跡をたどるのがつらく新たにステップを付けながら登った。1 ピッ
チ登ってそろそろ腹も減ってきたので、右岸のブッシュ脇のシュルンドの中に入り大休止とした。
下を
見おろすと、今まで登ってきた毛勝谷の雪渓が長く遙か下まで続いていた。上から見下ろす傾斜は一層急に
見えるものだが、よくもこんな所まで登ってきたものだと我ながら感心する。
谷の向こう側には駒ヶ岳や
僧ヶ岳がその優美な姿を現し、日本海の海岸線が春の霞の中にうっすらと曲線を描き、その上方には地平線
がシンプルなラインを引いているのが見えた。 登り初めて約 7 時間半、PM2 時前にやっと毛勝山南峰直下
のコルに登り着くことが出来た。
「南峰コルにて幕営」
コルへ出たとたん、目の前に広がっている大
展望に思わず息をのむ。真正面には後立山の峰峰、右手には懐かしい剣岳が猫又山・釜谷山を前景に厳しい
姿で目に飛び込んで来た。
そうなんだ!我々はこれを見に今まで苦しい思いをして登って来たんだ。目の
前の山々はそれぞれに個性的な姿で残雪をまとい、真っ青な空の下、その美しさを競い合っているかのよう
だった。
時である。
テントを張り終え、ゆっくり湯を沸かして目の前の景色をサカナに紅茶を飲む。あー!至福の一
日帰りのパーテイーは、4 時を過ぎると全て下山してしまい、ここに残ったのは我々以外も
う 1 パーテイーのテント、あと南峰頂上にテントが一張り、静かな山の夕方となった。
ここから北峰頂上
へは15分ほどだった。頂上からは白馬から朝日岳、一昨年歩いた栂海新道の稜線、数年前に行った清水岳
から祖母谷への尾根も懐かしく眺められた。
かった。
夕食前に南峰にも登って見る。ここから見る剣もなかなか良
今回は極端に荷物軽量化を図ったため、いつもより質素な夕食であったが、満ち足りた気分で
13
すぐ就寝する。夜トイレに起きたら空は久々の満天の星、下には魚津の町の灯りが美しく輝いていた。
夜
になって気温はかなり下がり、今回持参の軽量薄手のシュラフだけでは寒くてたまらず、後から羽毛上下を
着込んでシュラフにもぐり込んだ。 「猫又山ピストン」
朝 4 時半起床。朝食後 6 時過ぎ行動食と水だけ
を持って出発する。すでに撤収されていた南峰テントの横を通り釜谷山へ、南峰の下りは広い雪の斜面で東
側には大きなクレバスが口を開けていた。
なんともったいない!
ところで河瀬さんはここで引き返すとのこと。良い天気なのに
釜谷山へは殆ど尾根の東側に厚く残っている雪の上を登った。この山稜東側にはま
だまだ厚い雪がべったりと張り付いていて、所々大きなクレバスが稜線との間に口を開け、細い亀裂がその
境目を走っている。亀裂の外側を通る時はちょっと気持ちが悪い。
て藪に覆われ、もし雪がついていなければ相当苦労するだろう。
右手にある本来の稜線は以外と狭く全
土の出ていた釜谷山山頂は意外に狭く、
毛勝北峰と同様山頂標識がちょこんと立っていた。広い雪の斜面をダラダラ下って猫又山との最低鞍部へ、
ここにもテントが一張り張ってあった。途中で会った「逆コースでピストンです!」と言っていたパーテイ
ーのものだろう。大芦見尾根の上にもテントが一張り見えていた。
午前 8 時猫又山到着、頂上部はなだ
らかな起伏の続く雪の広場のようであった。頂上標識は土の出ている一段低い所にある。
ここからの剣岳
の姿は圧巻!朝あった薄雲も晴れ、岩肌が一層凄みを増し、その姿に迫力を際だたせて目の前にそびえてい
た。
頂上這松の脇にテントが一張り、本来なら我々もここにテントを張って、朝焼け夕焼けに染まる剣の
姿を眺めるはずだったのだが・・・まあ、次の機会に残しておこう。
誰もいない山頂でお茶を飲みながら
軽食を食べ、あちこち動きまわって写真を撮りまくり、30 分ほどを過ごして帰路についた。 「テント撤収・
下山」 テント場帰着 11 時、河瀬さんが沸かしてくれた熱い紅茶をすすりながらまたまた至福の一時!相変
わらず空は晴れ上がり、真っ青な空をバックに山々が美しい。
今日も下からは日帰りパーテイーが大勢登
って来ている。ちょうど下から登って来たら、我々のテントの所が視界が開ける場所なので、「ワー!すご
ーい!」とパーテーが着くたびに決まって歓声が上がる。
まだ時間も早いので予定を繰り上げ、我々も今
日中に下山することにした。早速テントを撤収し、名残惜しい眺めを目に焼き付け 12 時過ぎに毛勝谷を下り
始めた。
地元の人と思われる数人のパーテイーと下りが一緒になった。長靴でグリセードで下っている人
や、ザイルで確保されながら一歩一歩下っている人等、様々である。
小生もボウサマ谷の急斜面はグリセ
ードで下るが、背中の荷が重くてあまりうまく滑れない。河瀬さんは一歩一歩アイゼンを踏みしめて慎重に
下っていった。
二又からはやや傾斜もゆるんで来たので、小生はシリセードで一気に三又まで下り、ここ
で河瀬さんを待った。
この辺りまでならデブリも少ないのでもし荷がなかったらショートスキーでも快適
に下れただろう。次回は是非ここの滑降にも挑戦してみたい。
高度が低くなったカンカン照りの雪渓上
は、さすがに暑くてやりきれない。大明神沢出合には 1 時到着、登りにかかった時間とは雲泥の差である。
板菱を過ぎると、たった 1 日しか経っていないのに目に見えて雪が少なくなっているのにはびっくりした。
愛車の待つ駐車場には午後 2 時過ぎ無事到着する。すでに周りの車は無く、たった 1 台ポツンと「ハリアー」
は我々の帰りを待っていた。
北山鉱泉近くの大谷温泉に寄ってさっぱりと汗を流し、PM 5 時過ぎ北陸道
経由帰阪の途についた。今回山行はまさに120%の満足度と満喫感を得たと言えよう。そして何事も無く
無事終える事が出来たのも当たり前のこととは言いながら大満足である。
↓おつきさまの写真館で雷電山スライドショーあります。
(再生ボタンを押す前に充分待たないとエラーになります
23期宇都宮です。
遅くなりましたが、ありがとうございました。おかげさまで、充実した山旅ができま
14
した。
ニアミスはできませんでしたが、5月2日、毛勝谷(右俣)から入り北峰ピストン、三山稜線と猫又
谷(右俣)を短板で滑ってみました。食料もテントも寝袋も担ぎ
あげたのですが、ズルズルと降りてきてしまい、夕方、第四発電所付近で車に拾って
もらったおかげで、1日で周遊できました。
まぼろしの通信 133 号がチェックできず残念でしたが、通信 137 号は手元にあったので
何度もチェックしました。例年より、雪はずいぶん少なかったと思います。林道は、
阿部木谷(毛勝谷方面)が第5発電所よりずっと上の堰堤まで、南又谷(猫又谷方
面)が第3(?)発電所よりずっと下の小沢の出合う橋あたりまででした。
菊池さん命名の猫の耳は良く判りました。また、猫又山頂から猫又谷への下降時、大
快晴で、視界 100 パーセントでしたが、「あれれどこ行っちゃうのよ?」と思った瞬
間、山下さんのMLコメントを思い出しました。ブナクラへの尾根から猫又谷への的
確なアドバイス、ありがとうございました。
--宇都宮
大阪・澤山です。
5 月2日~4日で無事毛勝三山行ってきました。行く前にいただいた山下さんから
の 情報、ありがとうございました。
ところで今日、宇都宮さんの報告拝見しましたが、ひょっとして2日夕方片貝山荘の
上まで
車 で送った方が宇都宮さん本人ですか?
もしそうだったらニアミスどころではなく、話も交わしたわけで笑ってしまいますね
!
お互い顔も知らないし名前も名乗らなかった ので、やむを得ないとは言いながら
大変失礼いたしました。また貴重な情報ありがと うございました。
世の中狭いものですね!
私の方も、結局その時車の中で聞いた(宇都宮さん?)情報にしたがって、3日朝
から毛勝谷を登り南峰直下のコルに幕営、
4日猫又山までピストン、その日のうちにテント撤収し、毛勝谷を下って無事帰阪
し ました。
毛勝谷往復にルート変更したのでショートスキーは車に残して持って行きませんで
した。猫又谷滑降は次の機会に・・・
その代わりにグリセードとシリセード併用であっという間に毛勝谷を下って来まし
た。
さすがに連休で登山者は多かったです。でもほとんどの方が毛勝山の日帰り登山
15
で、 意外に地元の方が多く登っているように感じました。地元では以外にポピュ
ラーな
山 なのかも・・・
幸い今回は久々天候に恵まれた山行で、思う存分剣の北面を筆頭に眺望を楽しむこ
とが出来て大満足!
又後日写真出来たら掲載させていただきます。
23 期宇都宮です。
今日は出張でしたので、メールノーチェックでした。
皆様、もう本当に土下座です。
間違いありません。それは、私でした。
2日であれば、朝の入山者と夕方残っていた車状況から考えて、車の回収が必要で
あったのは、私以外考えられません。
なにわナンバーが引っ掛かってはいたのですが、連休狭間のフライングであったこ
と、数人の大型パーティーばかりイメージしており、ちょっと羨ましいパターンは予
想していませんでした。
本当に失礼いたしました。
あの時、兼用靴の林道歩きで、足が爆発しており、そろそろ裸足になるか、腹いせに
道の真ん中にテント張って寝てやる!とか、泣きそうになっていたところでした。
結局、自分だけ得してしまい、済みませんでした。
スキーも、大昔
杉高同期の丸山と北穂山頂から滑ったりしたのですが、20 年ぐらい
のブランクで、つい最近、短板を衝動買いしたど素人です。来シーズンまだ気力があ
れば、そちら方面では、お得意の御岳や、中村会長の野伏なんかも行ってみたいと
思っています。また、どこかでお会いできればよろしくお願いします。
皆様、本当にありがとうございました。
--宇都宮
H15年5月10日
・
ニペソツ山、石狩岳、ニセイカウシュッペ山、ウペペサンケ山」
2002 年8月 1 日~5 日
会津駒ヶ岳
(滝沢橋登山口ピストン
新兵器テスト調整)
■ 日時:2003 年 3 月 15 日
■ メンバー:単独
■ コースタイム
16
中村利夫
3/15
滝沢橋登山口(5:00)~(12:09)会津駒ヶ岳(13:08)~(15:00)滝沢橋登山口
■ 山行メモ
少し仮眠してからと思っていたが余裕を見て、4:50 に車
を出る。ヘッドランプたよりに林道を行く。途中でショー
トカットらしきシュプールを発見。沢沿いをツボ足でたど
る。林道合流点で新兵器装着。そのまま沢を詰める。はし
ごのある尾根取り付きは良く判らなかった。
山でスキーを履くのは、20数年ぶり。シール登行の感覚が蘇らず苦労する。 ビンディ
ングのセッティングをちょくちょく変える。それにしても、
こいつは短すぎて良くもぐる。と、道具のせいにする。アンテ
ナのある旧ヘリポートへ着くころにはヘトヘト。
一本のトレールは、下りスキーのもので、合わず。トレ
ースを止め、自力ラッセルとする。ただただ尾根筋を忠実
にたどった方が良さそう。ボコボコに潜るが、ショートス
キー+シールは、急角度でも直登が得意のようだ。しかし、
今度は体力がついていかない。
稜線直下の展望の良い尾根上に出たときには、既に 11 時
を廻っていた。燧と至仏が、しっかり見えている。思った
とおり、天気は、良くはないが一時的に気がつかないくらいの小雪が舞う程度で、風もなく
安定していた。はじめから、今週末の天気は、南岸低気圧が近づいても、東北は荒れないと
勝手に決めつけていた。
駒の小屋を経て、なんとか山頂に、たどりつく。新兵器の調整をしながらとは言え、7時
間もかかってしまった。
写真のとおり、山頂ポールが1メートルほど出ているので、積雪は2メートル程度。例年
17
より少ないようだ。風も無いし、2日分の食料がたんまり
あるので、ゆっくり飯とした。
今日は、誰も登って来ないかと思っていたら、ロングス
キー単独に出会った。大戸沢岳に降りるという。こちらは、
キリンテのつもりもあったが、とても自信がないので、往
路ピストンとする。
シールをはずして新兵器初すべり開始。と、山頂から飛
び出す。
なんという恐怖だ。ソフトブーツで浮力に乏しいショー
トスキー!加えて幕営装備一式!トップからグッサリ行け
ば、ザックの後押しもあり、顔面からドボン!トップを浮
かそうと思っても、テールを押さえられない。おまけにザックに引っ張られ深雪にケツから
ドボン!往路を降りるだけなのに深雪とぶざまな格闘。2時間もかかってしまった。
一応、テストは、まずまず。道具より、体力と技術に問題あり。ラッセルも滑りもロング
スキーに負けるけど、なかなか面白い!気に入った。
今回登場の新兵器
アルペンクラブ http://www.big.or.jp/~arimochi/でおなじみのフリ
ートレックの新型 2003 年モデル『フリーヴェンチャー』
外見は、ナンバー以外、問題モデルと判別はできなさそう。
ビンディング廻りは見るからにキャシャなつくりだが、コンセプトは魅
力。壊れなければ、結構おもしろい。
18
■ 装備
幕営装備一式、フリーヴェンチャー、靴:ソフトブーツ(モンベル3000)
念のためアイゼン(サレワ 10 本)← 絶対に不要だった。
■ 駐車スペース
アルザ隣
桧枝岐スキー場前の?な駐車場に駐車。
■ 飯処
そばなどあるらしいが、この時期、桧枝岐村では 15:00 すぎると営業している店はないの
ことで、がっかり。
■ 立ち寄り湯
燧の湯
500 円
内湯
露天あり。 駒の湯とどちらか迷ったが、燧の湯にし、駒の湯は次
の機会とした。
越後駒ヶ岳(敗退)
(明神峠~百草の池~柳沢周遊)
■日時:2003 年 3 月 22 日
■メンバー:単独
■コースタイム
3/22
石抱橋(6:50)~(8:55)明神峠(9:15)~(10:10)道行山(→)~小倉山~(12:05)百草の池上(12:25)
~(12:35)百草の池(12:55)~(13:38)道行山(13:50)~(14:45)柳沢出合 14:55)~(15:
35)石抱橋
■山行メモ
銀山平へのシルバーラインは、朝6時まで通行止めであった。そんなことも知らずにアプローチ。ゲ
ート前で2時間寝る。石抱橋スタートは7時近くなってしまった。これでは、日帰りは厳しい。さらに、
柳沢から取り付くつもりではあったのだが、明神峠への尾根を少し登ってしまった。すぐ誤りに気づい
た。しばらく地図とにらめっこの末、峠に上がってしまうことにした。登りルートとしては、ロスタイ
ム1時間ほどと思われた。少し遅れてスタートした柳沢ルートのパーティーに、道行山で30分程度先
行されていた。それにしても、山容も立派。スケールのでかい山だ。高校時代の土屋の越後三山を思い
出す。雪庇も北アルプス級のドデカイのがベロベロ出ている。 百草の池あたりで、12時を過ぎてし
まった。稜線は予想に反してアイスバーン。シールは効かず、クトーで登る。先行パーティーは、アイ
スバーンだから中止と言ってシールをはずし、さっそうと降りて行った。この山域に精通してるようで
あった。このまま登れば、駒の小屋あたりで一泊か。アイゼン、ピッケルを車に置いてきたのを後悔す
る。 どちらにしても、時間は余裕だからお茶でも沸かして考えることにしようと、食料、コッフェル、
コンロを出したのだが、燃料が見当たらない。何をやっているのかとショックだが、火気無しの一晩は
辛い。良い言い訳も見つかり、あっさり敗退を決める。下りは、道行山から柳沢への尾根をきちんと滑
った。なかなか、良いルートであった。
19
銀山平入口
明神峠から越後駒ヶ岳
百草の池から荒沢岳
百草の池から越後駒ヶ岳
■ 装備
幕営装備一式、フリーヴェンチャー、靴:ツアーブーツ(ガルモント)
燃料タンク忘れ← 食料一式意味無しだった。
アイゼン、ピッケル携行無し← 持っていくべきだった。
■ 駐車スペース
石抱橋
除雪端
■ 飯処
チェックせず。
■ 立ち寄り湯
大湯
500 円
内湯
露天なし。
20
西大嶺・西吾妻山
(グランデコピストン)
■日時:2003
年 3 月 29 日
■メンバー:単独
■コースタイム
3/29
グランデコゴンドラ上(7::20)~(7:45)第4クワッド上(→)~(9:00)西大嶺(9:10)~(9:50)西吾妻山頂(10:
00)~(10:10)小屋(10:15)~(10:55)西大嶺(11:00)~(11:15)第4クワッド上(11:20)
~(11:30)グランデコゴンドラ下
■山行メモ
超手軽! 。ゴンドラは1回券2枚必要。500 円×2=1000 円!ゴンドラ営業開始は土日であれば7
時。取り付きは第 4 高速クワッド上からだが、営業開始は、9 時。ゴンドラからゲレンデ内歩きで 20
分程度。西大嶺までなら、視界ゼロでもOK!尾根を適当に詰めれば、どこでも進める。西吾妻山頂で
視界がなくなると方向要注意。天元台へ降りたい衝動に駆られるが、車回収困難!あきらめる。
西大嶺への登り
西吾妻から西大嶺
西吾妻山頂モンスター
西吾妻山頂
《フリーヴェンチャーゲレンデ滑走レポート》
21
固めの中斜面で、ほんの少しスピードを出しエッジを立てぎみに大回りすると
板が共振して、きもい! 技術的にも心理的にも、フィールドでは、まず低速タ
ーンしかしないから、まあいいか。
今回はスキーブーツ。終始、板を履いたままであったため、登行
もまったく問題なし。滑走感は格段に良く、登山靴とは比較にな
らない。バックル外してなんとか歩行できれば、スキー靴で登るという考えも良
い。板を履いての登行はもとより、アイゼンとの相性も悪くないかも(装着自体
は)。スキー靴で足があがるのか?岩稜歩きができるか?というイメージギャッ
プと、圧迫感に足が何時間持つかの問題か。
■装備
ツエルト、フリーヴェンチャー、靴:スキーブーツ
アイゼン、ピッケル携行無し
■駐車スペース
グランデコ駐車場 1000 円
高い!
■飯処
チェックせず。
■立ち寄り湯
チェックせず。磐梯側周辺魅力無しか?
焼岳
(下堀沢滑降)
■日時:2003
年 4 月 13 日
■メンバー:単独
■コースタイム
4/13
R158_1 号カーブ(4::08)~(5:05)10 号カーブ(5:15)~(9:05)焼岳南峰(9:10)~(9:35)下堀沢のコ
ル(9:40)~(10:00)北峰山頂(10:15)~(10:40)下堀沢のコル(10:55)~(11:40)下堀
沢出合(→)~(12:00)旧釜トンネル上高地側(12:10)~(12:30)R158_1
号カーフ
■山行メモ
取り付きは、10 号カーブとした。暮れにはガードレールの切れ目が露出していたが、今回は雪の下。そ
のまま尾根への急斜面となっていた。ジグザグにシールで登る。あまり右へ回り込まない方が良いよう
だ。急登を終えると夏道らしきに合流した。森林限界を超えるころから、下堀沢へのルートを悩む。も
う少しもう少しと尾根を詰めているうちに南峰直下まで来てしまう。断じて、入山禁止区域の南峰に登
るつもりはなかった。視界 100%にもかかわらず、あまりのルート取りの悪さ。深く反省するが、ちゃ
っかり縦走してしまった。ナイフエッジとコルへのギャプ下降にビビル!北峰山頂で穂高を満喫後コル
まで戻り滑降開始。春全開、雪は腐りきっている。焼岳にこんな美しいスキースロープがあろうとは。
下堀沢ルートのパーティーが続々と登ってきている。本日の一番乗りシュプールいただきます!穢れなき純
白の斜面にヨロヨロギザギザドボンでごめんなさい。
22
りんどう平付近
焼岳北峰
焼岳南峰
槍穂高連峰
焼岳北峰と下堀沢源頭
焼岳南峰と下堀沢
■装備
ツエルト、フリーヴェンチャー、靴:ツアーブーツ
アイゼン
■駐車スペース
R 158_1号カーブ中の湯ゲート前
23
■飯処
チェックせず。
■立ち寄り湯
中の湯 500 円
昼間なら釜トン売店で許可をもらいゲートを開けて中の湯までマイカーで行け
る。
至仏山
(ムジナ沢滑降)
■日時:2003 年 4 月 27 日
■メンバー:tatsu tetsu
■コースタイム
4/27
戸倉ゲート(3:35)~(4:45)津奈木(5:00)~(6:00)鳩待峠(6:20)~(9:45)小至仏(9:55)~(10:
55)至仏山山頂(12:00)~(13:00)山の鼻付近(→)~(14:45)鳩待峠(15:10)~(15:30)
戸倉ゲート
■
山行メモ
鳩待~小至仏へ
小至仏と至仏山頂
24
ムジナ沢上部ブッシュ切れ目を探す
至仏山頂
戸倉ゲートより、MTBアプローチ。聞こえは良いが、体力皆無。終始押す。意味無し。鳩待からし
ばらく視界不良。小至仏手前より、天気回復。視界良好。ワル沢の雪はしっかり。小至仏から山頂まで、
完全露出した夏道を行く。
山頂より、ムジナ沢に入るが、途中ブッシュで分断されていた。もったいないが、トラバースしなが
ら、ルートを探す。ブッシュのせいか冬季閉鎖解除延期のせいか、シュプールまったく無し。素晴らし
すぎる大斜面。気分は最高!
ムジナ沢下部、鳩待へのアルバイトを気にして、尾根を大きく回りこみ小沢を降りる。、山の鼻より
南に出た。渡渉ポイントを探してタイムロス。丸太を渡る。
鳩待から、ヒンシュクのMTBダウンヒ
ル。歩きパーティーには後ろめたいが、20 分で戸倉に着く。かっこ悪 MTB だが、登り全行程押しても有り
余る価値あり。
ムジナ沢
ムジナ沢
ムジナ沢からひうち岳
鳩待峠 MTB 下山開始
■装備
ツエルト
tatsu:フリーヴェンチャー、靴:ツアーブーツ
tetsu:スノーボード
■駐車スペース
25
戸倉ゲート 30 m手前駐車スペース(15 台程度)
■立ち寄り湯・飯処
道の駅 白沢温泉(生ビール有り)
毛勝三山
(猫又谷滑降)
■ 日時:2003 年 5 月 2 日
■ メンバー:単独
■ コースタイム
5/2
阿部木谷堰堤(5:30)~大明神沢出合(7:00/7:05)~毛勝南峰コル(11:00/11:05)~毛
勝北峰山頂(11:20/11:45)~毛勝南峰山頂(12:10/→ )~釜谷山山頂(13:10/13:25)~
猫又山山頂(14:15/14:30)~猫又谷コル(14:50/15:00)~猫又林道終点堰堤(15:
26
25/15:45)~南又谷出合(17:00/17:05)~発電所付近(17:20/なにわナンバーの車に拾
われる)→ 阿部木谷堰堤(17:45)
■
山行メモ
大明神出合から毛勝谷
毛勝谷三俣付近
毛勝谷右俣
毛勝谷右俣上部
R 158~神岡経由でアプローチ。富山から魚津へは高速を使う。雪が少ないのか、除雪が進んでいる
のか、車は阿部木谷堰堤まで。5 時半、急いでスタート。デブリの谷を進み、直進方向の大明神沢から
左手、毛勝谷に入る。上まですぐそこに見えているのに、登れども登れども、ちっとも進まない魔法の
谷だ。この時点で先行1名、後続2名。いずれも単独、それぞれ 30 分~1時間離れているようだ。雪
は硬く、右俣上部では、ピッケル、アイゼンで慎重に登る。コル手前で先行者下山とすれ違う。稜線は
27
近い。
コルより毛勝谷右俣
後立山連峰
毛勝北峰より釜谷、猫又
釜谷への稜線
傾斜がなくなると、いきなり黒部対岸となる後立山の大パノラマであった。北峰山頂には後続してい
たはずのソロテレマーカー。山頂へダイレクトに登ってきたらしく、左俣から抜かれたようだ。ワンデ
イ装備だが、山頂から直接ドロップ。ただものではない。こちらは、稜線を滑る。南峰から釜谷方面へ
の縦走者はいないようだ。消えかかった数日前のトレールをたどる。快適な雪稜だが、思っていたより
雪は少ない。南峰から釜谷への鞍部までは、雪庇に気をつけながら、滑ってみた。
28
釜谷山直下の登り
釜谷山山頂
猫又山頂 (直下猫の耳)
猫又より釜谷と毛勝
釜谷山 13 時過ぎ、今日中に猫又を降りるのであれば少し遅い。猫の耳は、左側の崩れそうなブロッ
クから越し、頂上雪稜に出る。猫又山頂、剣が素晴らしすぎる。猫又のコルへは、ブナクラへの顕著な
尾根筋を離れ、南西にトラバースするようにして尾根を乗り換える。なるほど、視界が無かったらと、
ぞっとする。猫又のコル。ここで一泊、朝焼けに包まれてみたいと思ったが、朝のアイスバーンも心配
だ。昼過ぎまで降りられないかもしれない。今なら、ゆるゆる、安全だ。思案の末、板を履き、猫又谷
に飛び込む。登行路としていないだけに、状況が判らず、慎重に降りる。
29
猫又谷上部
猫又谷
猫又谷下部より振り返る
林道より猫又谷
案の定、雪の状態は良い。一様に腐っているものの、板は潜らない。デブリも少ない。猫又コルから
25分で降りる。堰堤で少してこずる。南又の林道は随分下まで除雪していないようだ。
車は発電所よりずっと下の小沢出合付近まで。兼用靴の中で足が火を噴き始める頃、なん
とか南又出合到着 17:00 時。ここまで来たら、車デポ地の阿部木谷堰堤゙まで、戻ると決めた。残業
覚悟。ザックデポも考えたが、途中で睡魔に敗れることも考え、手離せず。3時間もあればなんとか
なるだろう。。。。
と、背後で、車が徐行してくる気配。
「片貝山荘まで乗っていきませんか?」と耳を疑う。感謝感激雨
霰。ついでに、デポ地の阿部木谷堰堤まで、乗せてもらいました。なにわナンバーのご夫婦に感謝です。
稜線で幕営しスキーをされるとのことで、取り付き偵察中でした。本当にありがとうございました。
■装備
幕営装備一式、ピッケル、アイゼン、ザイル無し
フリーヴェンチャー、靴:ツアーブーツ
■駐車スペース
阿部木谷堰堤
■立ち寄り湯・飯処
金太郎温泉(生ビール有り) B級のやすらぎあり。
道の駅 市振の関で力尽き、一晩寝る。
30
雨飾山
(小谷温泉~ピストン)
■ 日時:2003 年 5 月 3 日
■ メンバー:単独
■ コースタイム
5/3
小谷温泉上キャンプ場登山口(8:30)~荒菅沢出合(10:00/→ )~雨飾山山頂(11:40/12:
00)~事故現場(12:15/12:40)~荒菅沢出合(13:00/→ )~小谷温泉上キャンプ場登山口
(14:00)
31
■
山行メモ
雨飾山山頂
山頂より焼山火打方面
笹平より上部稜線
山田温泉
朝6時、市振の関で目がさめる。すっかり寝てしまった。昨日、毛勝下山で、なにわナンバーのご夫
婦の車に拾われ、一日儲けてしまった。糸魚川からR148に入る頃、右に栂海新道、正面には頚城の
山々。今日も、大快晴。逆光に雪の稜線が眩しい。ちょっと偵察、小谷温泉に行ってみた。雨飾山登山
口キャンプ場まで除雪されていた。
既に8時を廻っているというのに、登山口は出発準備に忙しい。実にさまざまなスタイルだ。ハイキ
ングシューズの丸腰組み、ストックのビスターリ風、重登山靴ピッケルアイゼンの旧アルパイン風、加
えてボーダーやスキーヤー。自分もまた分類困難、変てこスタイルを加えている。これこそGWの百名
山だ。特に、ピッケルは懐かしの名品揃い。シモンやシャルレのウッドシャフト。レア物展示会のようで、喉から手が
出そう。
登山口周辺からでは、荒菅沢の様子はわからない。地図はじめ用意がないので、少しためらったが、
荒菅沢偵察に行くことにした。ショートスキー、ピッケル、アイゼン、フル装備で出発。荒菅沢はクレ
バスで切れているようでもあり、判断できず。山頂まで行ってみたが、下が見えないので、滑降はあき
らめる。とても滑れる状態ではないと思われた。下山時、事故に居合わせる。とにかく無事だったのと、
考えがまとまらないので、コメントは控える。適当に尾根を滑って降りた。
32
■装備
ピッケル、アイゼン
フリーヴェンチャー、靴:ツアーブーツ
■駐車スペース
キャンプ場登山口駐車場
■立ち寄り湯・飯処
雨飾山荘(生ビール有り)
大町駅前通り カツどん
山田温泉旅館(渋い)
赤城山ミニミニハイク
(黒檜山~覚満淵)
■日時:2003
年 5 月 24 日
■メンバー:たつ うた ちい
■コースタイム
たく
5/24
黒檜山登山口(5:40)~黒檜山山頂(7:20/8:00)~駒ケ岳(8:30/8:45)~大沼(9:10→)~覚満淵(9:20)~
ビジターセンター・車回収
■山行メモ
黒檜山山頂
黒檜山山頂
33
地蔵岳と大沼
覚満淵
駒ケ岳の階段
おたまじゃくしウジャウジャ
走るなよ~!
■装備
ツエルト
■駐車スペース
黒檜山登山口路肩7~8台スペースあり
■飯処
チェックせず。
■立ち寄り湯
富士見ふれあい館(生ビールあり)
2003
H15
風来坊
5 北ア
明神岳東稜
村上
風来坊
4 鷹取山
鷹取山
sole
風来坊
4 八ヶ岳
阿弥陀岳北西稜
杉岳同門会
34
菊池
一ノ倉・四ルンゼ
風来坊
幽ノ沢・しゃくなげ尾根
風来坊
一ノ倉
2
3 谷川岳
風来坊
2 谷川岳
風来坊
一ノ沢
右壁・左方ルンゼ
安岡です。
21日宴会日、前日仕事をやりすぎ早めに帰宅して体調を整え
宴会場へ。少し、早く行ったので、早く行った分飲み過ぎた様
です。うろ覚えで、新世代へ一言。
>土屋
現役、バリバリの山いいですね。
古い約束、今は忘れます。都合がいい時に思い出します。
>宇都宮
女房と話したのですが、9期の村岡さんに似ています。
今は少し村岡さんは腹が出ていますが、眼が細いことなどそっく
りです。家は近くのようなので、お花見には是非参加を!
>月浦
驚きました。同じビルの1階と2階で仕事をしているとは。
酒を飲んでいない時はまじめに話が出来、仕事をしていた時は酒
を飲んでいなかったことも皆さんに伝えてください。
>石垣
島村と同窓でした?
話しました?
指を怪我していたようですが、いかがですが。
雷鳥6号から少し省略して
---------------------------この感動を
春
雪どけの水
夏
汗が目にしみる夏山大縦走
秋
紅葉をめで
冬
シビアな風雪の世界
すべてが凍りつく雪山山行
・・
---------------------------また、飲みたくなったら呼び掛けますので、参加をお願いします。
・
ファミリー山行
北ア・表銀座(燕岳・大天井岳・常念岳・蝶ケ岳)
<主としてeタマリより抜粋抄録>
☆
2003 年2月13日(木)~15日(土)に八方尾根スキー場へ
35
行ってきました。1・2日めは雪模様で天気が悪く、
イマイチでしたが、3日目は快晴で気持ちよくスキーが
できました。
☆
2003 年 2 月 23 日昨日、一の倉の一ノ沢・右壁・左方ルンゼへ行ってきました。3人パーティだったこ
と、前夜から降雪があったこと、そして出発が遅れたことなどにより、予定通り、F
4までの氷壁部分のみ登攀して、懸垂で降りてきました。
☆
2003
3/2(日)
安岡君と石割山(1413m・山梨百名山)。
土・日に中ア茶臼岳(2600m 超)への誘いを受けていたが、雨のため中止。
☆
日曜日は晴そうだと、安岡は乾徳山か石割山を挙げてきた
2003 年 3 月 8 日安岡です。
硫黄岳に行って来ました。
8日昼前に出てシラビソ泊まり
9日本沢~夏沢~硫黄岳~赤沢鉱泉~美濃戸8日の夜、朝5時で同じコースへ行くパーティありの情報を
得て、ゆっくりと7時半に出発。軽いトレースで、本沢を越え
所でスノウシューを付ける。スノウシュー、ワカンをつけた先
行パーティに稜線に出たところで会う。若い学生の様なパーティ
であるが、男二人で、ラッセル疲れで、夏沢の最後の登りで代わ
る。シラビソから夏沢まで3時間。彼らは5時間?
夏沢から森林帯を越すまでラッセル、スノウシューを付けても
吹き溜りは、腰まで潜る。頂上まで1時間40分。
硫黄の頂上から見た赤岳に嬉しくなる。
信州の南側はいい天気でした。
☆
2003.03.16
参加者:原田、中村、菊池(一郎、淳)、山本、安岡(和)、真山(静)、
三田村<担当L>
コース:本厚木=野外センター-仏果山-半原越-リッチランド(露天風呂)-坂尻
バス停=本厚木
3月20日~23日で予定通り、三伏峠から塩見岳を目指しました
が、
積雪量多く、予定の塩川土場まで車は入れずで、又久々の完全装備の重荷に
体力ももたず、初日三伏峠まで上がれませんでした。
従って翌日は当然塩見往復をあきらめ、本谷山と反対側の烏帽子岳でお茶を濁し
て帰って来ました。
今年は 4 年前よりはるかに雪が多く、奇妙な事に登る途中で何頭もの鹿の死骸を見ま
した。
雪崩にやられたのか、又は食料不足だったのか・・・この辺り鹿の多い所ではありま
すが
なんか異常な感じがしましたね。
36
稜線に登った22日はあいにく天気も悪く、期待の写真もだめでがっかりでした
越後駒ヶ岳(敗退)
(明神峠~百草の池~柳沢周遊)
■日時:2003 年 3 月 22 日
■メンバー:単独
■コースタイム
3/22
石抱橋(6:50)~(8:55)明神峠(9:15)~(10:10)道行山(→)~小倉山~(12:05)百草の池上(12:25)~
(12:35)百草の池(12:55)~(13:38)道行山(13:50)~(14:45)柳沢出合 14:55)~(15:
35)石抱橋
☆
2003 年安藤(22 期)です
本日3月23日(日)、子供二人連れで筑波連山北部にある「加波山」・「燕山」に登って来ました。
春うららかで、実にのんびりとした一日でした。常磐自動車道が往復とも渋滞がなくラッキーでした。
☆
2003.03.22~23
小坂、中村
コース:鴨沢-雲取山(泊)-石尾根-奥多摩
越後支部長が 3 連休で東京に来て、どこかの避難小屋で酒を飲みましょうという話に
☆
なったので、雲取の避難小屋と石尾根コースへ行ってきた。
安岡です。乾徳山
2003 年3月23日
☆
2003 年3月30日
安岡です。
甲武信の麓に雪の上散歩に行って来ました。
塩山から西沢渓谷の入口まで行って6時間程の散歩でした。
帰りの話です。
「お客さん一人ですか。一緒に行く人いないのですか!」
「時間が合わないので....」
「去年も一人東沢に入って、頭怪我して、遅くうちのタクシーで
病院まで、運んだのです。入口まで歩いてきたので良かったんで
すが。そんなことにならないよう気を付けてくださいよ。」
「・・・・・・・」
山で怪我しないように、気をつけましょう。
西大嶺・西吾妻山
(グランデコピストン)
37
■ 日時:2003
年 3 月 29 日
■ メンバー:単独
■
コースタイム
3/29
グランデコゴンドラ上(7::20)~(7:45)第4クワッド上(→ )~(9:00)西大嶺(9:10)~(9:50)西吾妻山頂(10:00)
~(10:10)小屋(10:15)~(10:55)西大嶺(11:00)~(11:15)第4クワッド上(11:20)~(11:
30)グランデコゴンドラ下
☆
200 3年4月6日菊池さんと八ヶ岳、阿弥陀の北西稜へ行って来ました。
>
¾
美野戸口5:00-南沢北西稜分岐8:30-阿弥陀岳14:00-行者小屋-15:00-美野戸口
17:30
¾
焼岳
(下堀沢滑降)
■ 日時:2003
年 4 月 13 日
■ メンバー:単独
■
コースタイム
4/13
R158_1 号カーブ(4::08)~(5:05)10 号カーブ(5:15)~(9:05)焼岳南峰(9:10)~(9:35)下堀沢のコル
(9:40)~(10:00)北峰山頂(10:15)~(10:40)下堀沢のコル(10:55)~(11:40)下堀沢出
合(→ )~(12:00)旧釜トンネル上高地側(12:10)~(12:30)R158_1
¾
☆
200 3年
号カーフ
4/19,20、奥美濃の野伏ヶ岳(J3)と白川郷東方の猿ヶ馬場山(J3)へ友人を
案内すべく出かけましたが、あいにくの荒天で、両山の取り付きを確認したまでで
退散となりました
☆ 200 3年4月27日(日)は、前日の天気予報では絶好の行楽日和ということでしたが、朝から
曇天で、登り始めは雨の中でした。霧の中、新緑と鳥の囀りを聞きながら頂上へ。
恒例の豚汁の鍋料理で昼食、晴れて暑くなってきた中、無人の笹子駅に下りました。
今回は23期の月浦さん親子、そして車で参加してくれた安藤さん親子と月例山行も
38
若返り、楽しい山行でした。参加メンバーの皆様に、感謝いたします。
反省点としては、珍しく中村会長が八王子駅の集合時間の間に合わず高尾駅で合流、
又、昼食後の下りで原田が両足痙攣(脱水症か?)を起しタイムロスを生じた事です。
2人共、今回山行の担当者であり、ご迷惑を掛けました事、お詫び申しあげます。
(月浦さん、25 日のメールの返事が出来なくて御免なさい。山から帰って初めて見ました。
反省しております。これに懲りず、次回以降もご参加ください。)
(記)
1.参加メンバー
菊地親子(2 名)、三田村、安藤親子(2 名)、月浦親子(2 名)
中村、原田
2.コースタイム
以上 9 名
初狩駅(9:30)---鶴ヶ鳥屋山登山口(10:30)
(途中の県道で、車で参加の安藤親子と合流)
山頂着(12:20)---山頂発(13:30)---
笹子分岐(14:40)---笹子駅(16:05)
(16:05発立川行にホームを走って飛び乗る)
日時:2003年4月27日
■メンバー:tatsu tetsu
■コースタイム
4/27
戸倉ゲート(3:35)~(4:45)津奈木(5:00)~(6:00)鳩待峠(6:20)~(9:45)小至仏(9:55)~
(10:55)至仏山山頂(12:00)~(13:00)山の鼻付近(→)~(14:45)鳩待峠(15:10)
~(15:30)戸倉ゲート
日時:2003年5月2日
■メンバー:単独
■コースタイム
5/2
阿部木谷堰堤(5:30)~大明神沢出合(7:00/7:05)~毛勝南峰コル(11:00/11:05)~毛勝北峰
山頂(11:20/11:45)~毛勝南峰山頂(12:10/→)~釜谷山山頂(13:10/13:25)~猫又山山頂(14:
15/14:30)~猫又谷コル(14:50/15:00)~猫又林道終点堰堤(15:25/15:45)~南又谷出合(17:
00/17:05)~発電所付近(17:20/なにわナンバーの車に拾われる)→阿部木谷堰堤(17:45)
5/3宇都宮
小谷温泉上キャンプ場登山口(8:30)~荒菅沢出合(10:00/→)~雨飾山山頂(11:40/12:00)~
事故現場(12:15/12:40)~荒菅沢出合(13:00/→)~小谷温泉上キャンプ場登山口(14:00)
5 月連休 2 日-5 日毛勝三山(猫又山、釜谷山、毛勝山)
☆
200 3年
新潟・毛猛山塊・太郎助山(1418m)
5/3,4 小坂、中村(前夜、長岡泊)
今年はじめての「カミさんと行く百名山」ということで、5 月 17 日、18 日に奈良県南部
の両山へ出かけました。
我が家から車で、名阪道路から大宇陀町、川上村を経て大台ケ原の駐車場まで
約 3 時間半です。本日はこの台地の周遊コースをゆっくりと散策しました。
39
残念ながら天気はいまいちで、日の出岳も大蛇嵓も白いモヤに覆われ展望は得ら
れませんでしたが、木々の青葉と満開の石楠花のピンク色は見頃でした。
泊りは、昨年澤山さんに紹介いただいた匠の聚コテージが取れず、同じ川上村の
入之波(しおのは)温泉という所に宿を取りました。公営、民営あわせて4軒という
鄙びた温泉地でした。
翌日は再び169号を南下し、天川村方面への林道を走って行者還トンネルを抜け
た所に弥山・八剣山への登山口があります。ここから結構きつい登りを1時間ほど
で大普賢岳からの奥駆け道にでます。
千年以上前の山伏・行者達から去年の安岡氏まで多くの人々が踏みしめた太古の
道を近畿最高峰1915メートルの八剣山(仏経ケ岳)まで更に3時間ほどでした。
この山系には野生の日本鹿が多く生息しており、人のすぐ近くでも群れてエサの笹
を食べていました。山肌の一部は北八ケ岳の縞枯山のように立ち枯れの木が多い
のですが、これは冬に鹿が木の皮を食べてしまうためということです。
カミさんいわく「おおみねもおおでゃあがはらも、ええとこだがね。シカも頑張っとるで、
おとーさんも負けれえせんよ」
御所山
仙丈敗退
三岩~会津駒
日時:2003年5月24日
■メンバー:たつ
うた
ちい
たく
■コースタイム
5/24
黒檜山登山口(5:40)~黒檜山山頂(7:20/8:00)~駒ケ岳(8:30/8:45)~大沼(9:10→)~覚満淵(9:20)~ビ
ジターセンター・車回収
会
員
消
息
川合です
今月1日に引っ越しました。
転勤??ではありません。前の所から1km位移動しただけです。
2年半の楽しくもありつらさもあった単身生活に19日に終止符を打つ予定です。
新住所:〒325-0065黒磯市豊浦南町88-87
電話は変更なし
0287-62-9169
なお、東亜物流株式会社の役員も兼任予定。
40
ドミール三川 406
編
集
後
記
夏はいかがお過ごしですか。
東北支部の北海道の旅行はいかがでしたか。
今夏の北海道は寒かったようです。
300名山達成もあれば、怪我、入院の人もあったようで、
もう少し元気で続けられることを、自分に願ってしまいます。
オヤジの会社の人で写真が好きで、富士山を撮っています。
ホルスタインの黒い牛と富士山の頂きだけ白い。
そして、今回もう一つ貰って来る。
深田久弥の神津牧場のエッセイを読む。
これも軽井沢からルートも記載している。
古い道、道はいつもある。自分が歩けば道。
ゼイゼイを言いながら歩いても道、軽く走っても道。自分が行けば道。
(門)
41
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