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インターネットの登場と情報通信産業の発展
情報産業論 情報技術の発達と情報産業の成立 第4回 インターネットの登場と情報産業の発展 1、ネットワークとコンピュータ (1)バッチ処理とタイム・シェアリング、UNIX の登場 コンピュータが普及し始めた当初(1950 年代) は、大型で高価なコンピュータを使って多くの人 が作業をしていたが、データをまとめて入力して 一気に処理をさせるという方法をとっていた。バ ッチ(batch)処理という方法で、ユーザはあら かじめ一連の操作を登録しておき、ためておいた データをまとめて処理する方式である。だがこの 方法ではユーザはコンピュータの利用の順番を 待たなければいけない。 そこで、1960 年代からコンピュータ を複数のユーザで共有し、処理装置を 極短時間ごとに各ユーザに使わせるこ とで、擬似的に同時に複数のユーザが 使える方法、タイム・シェアリング (TSS :Time Sharing System)が登場 した。 このTSSの思想に基づいた最初のOSはMIT(Massachusetts Institute of Technology:マサチューセッツ工科大学)とAT&T Bell Laboratory(ベル研究 所)およびGE(General Electric)の共同プロジェクトとして始まり、1964 年 にMultics(Multiplexed Information and Computing Service)として開発さ れた。このMulticsはスピードも遅く使いものにならなかったが、1968 年には ベル研究所のKen Thompsonにより軽くて使いやすいOS、UNIXが開発さ れ 1DECのミニコンピュータに採用された 2。更にUNIXの開発者たちはこのOS のソースを世界中の大学や研究機関に非常に安価な値段で販売され、普及して いった 3。(→第5回) UNIX 開発の際に、効率低下の原因となるセキュリティの機能は必要ないとして外された。 最初はアセンブリ言語で書かれていた UNIX も、1972 年には Dennis M.Ritchie により C 言語で書き直され、これにより多くのマシンに比較的楽に移植できるようになった。 3 独自の拡張が施された多くの派生 OS が開発され、現在では UNIX 風のシステム体系を 持った OS を総称的に UNIX と呼ぶことが多い。 代表的なものだけでも、 Sun Microsystems 社の Solaris と SunOS、Hewlett Packard 社の HP-UX、IBM 社の AIX、SGI 社(旧 Silicon Graphics 社)の IRIX、Caldera Systems 社(旧 Santa Cruz Operations 社)の UnixWare、 1 2 25 情報産業論 情報技術の発達と情報産業の成立 (2)分散処理とネットワーク、ワークステーション Xerox社のPARCが 1974 年に発表したAlto(下左図)には、Ethernet(イー ザネット)と呼ばれるネットワークの技術が盛り込まれていた。これはAlto同士 を接続してデータやプログラムなどのリソース(資源)を共有しようという技 術であった 4。Altoによるネットワークそのものがコンピュータ・アーキテクチ ャーになるのである。 しかしながら、コンピュータ同士を社内、研究室内で接続して処理するとい うLAN(Local Area Network)の考え方は、パソコンの開発には導入されな かった 5。 一方、LAN の思想はミニコンや UNIX マシンに普及し、大型コンピュータの 端末としての機能だけをもつ端末型ワークステーションから専用のハードウェ ア構造とグラフィック処理能力を持つ EWS(Engineering Workstation)へ、 そして 1980 年代には UNIX ワークステーションとして一般化していく。 また、UNIXのTSS(タイム・シェアリング)の技術と相まって、コンピュー タ・ネットワークを仕事の分散のために利用する方法も進んでいる 6。 カリフォルニア大学バークリー校(UCB)の BSD と FreeBSD などの派生 OS、そして Linus Torvalds がパソコン用に開発した Linux などがある(第5回) 。 4 もちろん大型コンピュータの時代には高性能の大型コンピュータに複数の端末機をつな いで処理を行うという形態でのネットワークは存在していたが、Alto によるネットワーク はネットワークで各コンピュータがつながり、分散して処理を行うというものである。 5 Microsoft 社の MS-DOS を始め、パソコンの OS はネットワークには不向きで、またネッ トワークの実用化にはより強力なプロセッサと高度な OS が必要であった。 6 グリッド・コンピューティングと言われ、仕事を小さな単位に分割しネットワーク上で処 理能力に余裕のあるコンピュータに仕事を送り、自動的に結果を集めることで、コンピュ ータのネットワークをまるでスーパーコンピュータのように使う方法である。 26 情報産業論 情報技術の発達と情報産業の成立 2、インターネットとソフトウェア産業の拡大 (1)ARPANET と分散型ネットワーク 1969 年、ARPA(アメリカ国防省高等研究計画局)は 軍事技術の研究情報交換と核戦争時のコンピュータ同士 の接続を目的として、大学間 7をコンピュータで結んで 相互に通信が可能になるための研究を始めた。ARPANET の誕生である。 通信の方法として、サンタモニカのランド(Rand) 研究所の Paul Bran(1926-)が 1964 年に発表した、 データを小さなまとまりに分割して一つ一つ送受信する パケット通信 (packet communication、下右図) という 方式がとられた 8。 パケット通信を使えば、小分 けにされたパケットを次のコン ピュータ=ルータ(router) 9が 宛名を調べて次に転送してくれ るので、核戦争で通信網が寸断 された場合でもどこかのネット ワークを経由して目的地にたど りつけることになる。集中型の ネットワークではなく、分散型 のネットワークが可能になる。 7 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA) 、サンタ・バーバラ校(UCSB) 、スタンフ ォード研究所(SRI) 、そしてユタ大学(Univ. of Utah)の 4 つの研究機関の大型コンピュー タに、 現在のルータにあたる IMP というコンピュータが取り付けられ、 通信が開始された。 8 データのほかに送信先のアドレスや、 自分がデータ全体のどの部分なのかを示す位置情報、 誤り訂正符号などの制御情報が付加されている。パケット通信を使うと 2 地点間の通信に 途中の回線が占有されることがなくなり、通信回線を効率良く利用することができる。 9 ネットワーク上を流れるデータを他のネットワークに中継する機器。 ネットワーク層のア ドレスを見て、どの経路を通して転送すべきかを判断する経路選択機能を持つ。 27 情報産業論 情報技術の発達と情報産業の成立 (2)ARPANET の拡大とインターネット 1970 年代に入るとARPANETは大学などの研究機関を中心に接続を拡大した。 1976 年には当時驚異的な性能を持ったスーパーコンピュータ 10CRAY-1 が登場 し、研究者達はこれにアクセスするためにネットワーク技術を発展させた。ま た 1977 年に発売されたパソコンのApple IIはARPANETへ接続するソフトを組 み込まれており、モデム(modem)を接続して一般電話回線を通してARPANET に接続できるようになり、これから計算機を接続するサービスが開始され研究 利用者の急速な増加が始まった。 1980 年代に入るとはネットワークに大学以外に民間機関も接続されるように なり 11、このころからインターネット(Internet)と呼ばれるようになる。1983 年にはコンピュータ同士が通信を行なう上で相互に決められた約束事=プロト コル(protocol)としてUNIXに標準で実装されていたTCP/IP(Transmission Control Protocol/Internet Protocol)が採用された。またUNIXの開発者である Ken Thompsonが 1984 年にUNIXソフトをオープン・ネットワーク構成でも利 用できるように開発、公開し、LANとインターネットの融合が加速化した 12。 ネ ッ ト ワ ー ク の 運 営 は 1989 年 か ら 全 米 科 学 財 団 ( National Science Foundation NSF)が引き継ぎ、1990 年には商用の利用も認められたため、電 話 回 線 など を利用 し てインター ネット 接 続を提供す る商用ISP (Internet Service Provider:インターネット・サービス・プロバイダー) 13も次々と誕生 し、個人でもインターネットの利用が可能になった 14。 10 大規模な科学技術計算に用いられる超高性能コンピュータ。その時点での最先端の技術 を結集して開発され、価格も性能も他のコンピュータとは比べ物にならないほど高い。原 子力、自動車、船舶、航空機、高層ビルなどの分野で設計やシミュレーションに使われ、 近年では分子設計や遺伝子解析などバイオ、化学分野での導入も活発になっている。 11 1981 年にはアメリカの大学と研究機関を IBM 社のホストコンピュータで接続したネッ トワーク BITNET が稼動し始めた。 12 UNIX はもともとデータの送受信やファイル共有などネットワーク上の分散処理に適し た OS として開発されたので、インターネットの普及にあたってもサーバで最初から最もよ く使われている OS は UNIX であった。 13 1987 年には世界初の商用 ISP、UUNET がサービスを開始している。 14 日本では 1984 年に東京工業大学の村井純によって JUNET という大学のコンピュータ 間でのデータ転送接続の研究がボランティアで始まった。1988 年には通信プロトコルとし て TCP/IP を採用した WIDE が発足し、1992 年から民間企業も巻き込んで相互接続の実験 が行われた。また 1992 年には商用プロバイダー会社、IIJ が発足した。 28 情報産業論 情報技術の発達と情報産業の成立 (3)インターネットの普及とソフトウェア(ブラウザ) インターネットの普及にはコンピュータ・ハードウェアやネットワーク接続 の技術だけではなく、ソフトウェアの発達が不可欠であった。インターネット はもともとUNIXなどで開発されたデータ転送とファイル共有の仕組みをオー プン・ネットワーク上で行うものであり、巨大なデータベース 15でもある。こ の膨大な情報の中からユーザが自分に必要な情報を探すのは大変な作業である。 そこで、1990 年にスイスのジュネーブにある CERN(Conseil Européen pour la Recherche Nucléaire:ヨーロッパ素粒子物理学研究所)の 物理学の研究者 Tim Berners-Lee(1955-)が データの所在を示すリンクをそれぞれのデータ に付け、これを関連付けることによって目的の 情報にたどりつける仕組みを考案した。そして このデータベースを整理統合し、文書やデータの意味や構造を記述するための マークアップ言語、HTML(HyperText Markup Language)を作成し、現在 WWW(World Wide Web)と呼ばれている概念を提唱した。 WWW は当初はテキストベースの情報で、研究者間で の連絡や研究論文の交換などが中心であったが、1993 年にイリノイ大学(UIUC)内にある NCSA(National Center for Supercomputing Applications:国立スーパ ーコンピュータ応用研究所)に所属していた学生の Marc Andreesen(1971-)が、HTML で記述された WWW 上の情報を探し出すための閲覧ソフト(ブラウ ザ)を作成し、これを Mosaic と名づけた。Mosaic に は GUI が使われ画面をクリックするだけで情報にたど りつけるので、またたくまに普及した。 その後NCSAがMosaicの権利を主張したため、Marc AndreesenはSGI社の元 社長、James H. Clark(1944-)が設立したMosaic Communications社 (のち にNetscape Communications 社と社名変更) 16に入り、Mosaicのコード関連の 書類を破棄した上で、1994 年にNetscape Navigatorブラウザを発表し、たちま ち市場を制覇した 17。 一方、Microsoft社も 1995 年に発表したWindows95 にInternet Explorer1.0 15 複数のアプリケーションソフトまたはユーザによって共有されるデータの集合のこと。 また、その管理システムを含める場合もある。 16 1998 年にアメリカ最大のインターネット・プロバイダーである AOL 社(America Online)に買収された。AOL 社は 2000 年には総合メディア企業 Time Warner 社と合併、 AOL Time Warner となるが、IT バブルの崩壊によってプロバイダー部門が業績不振とな り、Time Warner 社に社名が「戻っている」 。 17 当初、機能に制限を設けた Web ブラウザである Netscape Navigator をシェアウェアと して無料で配布し、機能制限のない製品の購入を促進する戦略をとった。 29 情報産業論 情報技術の発達と情報産業の成立 を添付、ブラウザ戦争が開始されたが、1996 年には大幅に改良を加えたInternet Explorer 3.0 が販売され、OSのWindowsの一部とすることで実質的に無料とし、 OSとあわせてブラウザの市場においても独占状態を維持している 18。 また、1994 年にはスタンフォード大学電気工学 科の博士課程で学んでいた大学院生、David Filo (1965-)と Jerry Yang(1968-)がインターネット の個人的な興味を記録する目的でリストを作成し 始めたが、あまりにもアクセスが多くなりすぎた のでサーバをNetscape に移設 19、1995 年には Yahoo Corporation を設立し、本格的に Yahoo!に よる情報検索用のサイト運営を開始する 20。 1990 年代に始まったインターネットの商用利用はインターネットの普及につ ながり、同時にネットワーク上での新たなサービスを生み出し(これがまた普 及を加速化させたのであるが)、そのサービスを提供するためのシステム、ソフ トウェアの開発を促していったのである。これはコンピュータ産業の中心がコ ンピュータ・ハードウェアからソフトウェアへ、そして情報通信と結びついた ソフトウェア産業や通信サービス産業へシフトしていくことも示していた。 3、情報スーパーハイウェイ構想と IT(情報通信)産業 (1)情報スーパーハイウェイ構想とアメリカ経済 インターネットの普及が加速化していた 1990 年のはじめに、アメリカで情報 スーパーハイウェイ(Information super-Highway)構想 21が発表され、政策 に移され、実現化し、そしてアメリカ経済が景気回復に向かっていた時期でも あったのでその景気拡大を加速化した(「情報経済論」第5回「情報スーパーハ イウェイ構想とアメリカ経済」を参照)。 2004 年時点で Microsoft 社の Internet Explorer(以下 IE)はブラウザ市場の 80%以上 を占めている。一方、Netscape/Mozilla 系の Firefox や Opera、Apple Computer の Safari なども市場シェアを伸ばしつつあるが、現在も証券会社のリアルタイム株価情報やオンラ インバンキングなどの金融サービスや一部の有料サービスでは、IE を対象にしたサイト開 発を行っているために IE を利用しなければサービスを受けられなくなっている。 19 Yahoo という名前は、"Yet Another Hierarchical Officious Oracle"の略だといわれてい るが、Jonathan Swift の『ガリヴァー旅行記』に登場する、人間に似たおろかな動物の yahoo (野獣のような動物、ならずもの)という意味があるようである。 20 1996 年には日本のパソコンソフト卸売会社・ソフトバンク(1981 年設立・孫正義社長) と共同でヤフー株式会社を設立、Yahoo! Japan のサービスが開始される。 21 クリントン大統領とゴア副大統領は 1992 年の大統領選挙期間中に 「すべての家庭、企業、 研究室、教室、図書館、病院を結ぶ情報ネットワークをつくる」と公約し、大統領当選後 の 93 年にシリコンヴァレーでアメリカの産業競争力強化のための「情報スーパーハイウェ イ」を 2015 年までにつくるという構想を発表した。かつて全米に張り巡らされた高速道路 網が物流革命をもたらしたことにあやかっており、アメリカの高速道路(ハイウェイ)の 基盤整備を提案したのがゴアの父(当時上院議員)であったという因縁がある。 18 30 情報産業論 情報技術の発達と情報産業の成立 1980 年代に低迷していたアメリカ経済は 22、コンピュータとインターネット を機軸とした情報通信技術=IT(Information Technology)23の革新を、最新の 技術を体化した設備投資でダイレクトに取り込んでいった。IT(情報化)投資 を中心とした設備投資が需要項目として現在の景気に直接影響を与えるだけで なく、その結果がサプライサイドの構造に作用して中長期的なインパクトを経 済に与えたのである。ここからIT投資が需要の側面から景気拡大に貢献しただ けでなく、供給の面(サプライサイド)を活性化させ、労働の生産性を高め長 期的な景気拡大を生み出す、という考え方=ニュー・エコノミー論も登場した (「情報経済論」第7回~第 9 回「IT(情報通信技術)とマクロ経済成長」参照)。 (2)通信インフラ・通信産業とインターネット 情報スーパーハイウェイ構想の基盤を支えていたのは、光ファイバー(Optical Fiber) 24 を中心とした通信インフラであった。1994 年にはNII(National Information Infrastructure:全米情報基盤)が発表され、ハイウェイ建設に関 して 94 年~98 年に投資総額 2 億 7500 万ドルが計上された。また民間企業によ る情報化投資を促すため、規制緩和による民間の投資活動を促進し、巨大メデ ィア産業を中心とした買収・合併劇が繰り返されたのである。特に光ファイバ ー技術による通信網は従来の電信・電話だけでなくデータ通信、画像や映像の 転送を双方向で可能にし、高速のネットワーク網とこれを利用した新しいサー ビス(新しい産業)の創出を可能にすると考えられた。 22 アメリカの情報スーパーハイウェイ構想は、日本の動きに刺激されたものでもあった。 日本の NTT は 1980 年代から光ファイバーの敷設を始め、これが VAN などの企業のデー タ通信、POS システム 、ファックスなどに利用されてきた。そして 90 年の「新高度情報 通信サービスの実現 VI & P」では光ファイバーを 2015 年までに家庭に張り巡らし、 B-ISDN(広帯域統合サービス・デジタル通信網)の全国ネットワークをつくると提案され ている。このような NTT の動きや 1980 年代の日本経済の好調がアメリカを刺激し、情報 スーパーハイウェイ構想にも影響を与えた。ゴア副大統領に影響を与えたと言われる経済 学者 George Gilder は『テレビの消える日』 で、 「日本は 1200 億ドルを投じて、2000 年 までに光ファイバーを家庭にまで伸ばす計画をたてている」と警告を発し、地域電信電話 会社やケーブルテレビの利益を投じて光ファイバー網を作れと提案している。 23 90 年代前半は ICT(Information & Communication Technology)とも言われていた。 この言葉はまた現在の日本の総務省を中心としたユビキタスを中心とした情報通信政策に も再び登場するようになった(第 11 回~第 12 回) 。 24 ガラスやプラスチックの細い繊維でできている、光を通す通信ケーブル。 光ファイバーを使って通信を行なうには、コンピュータの電気信号をレーザ ーを使って光信号に変換し、できあがったレーザー光を光ファイバーに通し てデータを送信する。1957 年に東北大学(現岩手県立大学長)の西澤潤一 博士が、光源として使えるレーザー光を発射することを発明し、ガラスの中 心に材質のちがうガラスを入れるという構造をとることによってガラスの線 による通信を可能にした。 31 情報産業論 情報技術の発達と情報産業の成立 だが、まだこの時期には通信インフラ整備について強調はされていたが、イ ンターネットの「革命的」な意義は盛り込まれていなかった 25。半導体技術を 中心とした情報技術の発達はコンピュータ産業の成立と成長をもたらしたが、 これにはソフトウェアによる利用分野の拡大が不可欠であった。通信技術の発 達においても同様のことが言える、通信技術の発達は通信産業の成長をもたら すが、通信インフラのみの膨張はいずれ破綻する 26。 情報スーパーハイウェイ構想を実現に移し、IT投資を拡大し、アメリカの産 業の競争力を強化したのは、通信インフラと同時に、通信インフラで接続され たコンピュータ・ネットワークのアーキテクチャー=インターネットと、WWW やHTML、ブラウザ、サーチエンジン (search engine) 27といったネットワーク 上のアプリケーション=ソフトウェアやこれを使ったサービスであった。1990 年代に入り通信技術も含めたIT(情報通信技術)が経済に与える影響を拡大し たが、それはIT産業が情報産業(半導体、そしてコンピュータ・ハードウェア とソフトウェア産業)から情報通信産業へと発展し、特に通信技術と結びつい たソフトウェア産業のウェイトが、IT産業の中でも、また産業全体に対してウ ェイトを増大してきたのである。 通信技術の発達は FTTH(Fiber To The Home)や携帯電話の発達・普及、 へとつながっていく。また通信の大容量化と放送技術のデジタル化は放送と通 信の融合をもたらす。これは IT 産業(情報通信産業)をどのように変化させる のだろうか? また IT 産業自体の発達がこれらにどのように関わっていくので あろうか?(第7回~) そして、それ自体がオープン・アーキテクチャーであるインターネットは、 ソフトウェアの開発技術もオープン化させていく。これはソフトウェア産業の 市場構造を変化させる可能性がある。次回以降探っていこう。(第5回~) 【参考文献】 ・ アンドリュー・S・タネンバウム 『コンピュータ・ネットワーク』 ピアソン・エデ ュケーション ・ AT&T ベル研究所 『UNIX 原典』 パーソナルメディア ・ ティム・バーナーズ=リー 『Web の創成』 毎日コミュニケーションズ ・ ロバート・リード 『インターネット激動の 1000 日』 日経 BP 社 ・ ジョージ・ギルダー 『テレビの消える日』 講談社 1994 年ごろは Time Warner 社が発表した双方向テレビ実験や、VOD(Video On Demand)と電話を相乗りさせて CATV で提供する Full Service 計画などが本命だとされ たが、いずれも頓挫した。また同時に日本でもマルチメディア(Multimedia)の名の下に 様々な実験、模索がされていったが、いずれも必要なサービスを定着させたとは言い難い。 逆に光ファイバーを中心とした通信インフラだけが残ったと言われている。 26 2000 年から始まる IT バブルの崩壊は、通信会社の過剰な設備投資が最大の要因であっ た( 「情報経済論」第 10 回「IT バブルの崩壊と景気回復」参照) 。 27 インターネットで公開されている情報をキーワードなどを使って検索できる Web サイト のこと。Yahoo!の他に、全文検索型の Google(Google 社は 1998 年、スタンフォード大学 で博士号候補であった Lawrence "Larry" E. Page と Sergey Brin によって設立)や goo (1997 年にサービスを開始した日本の NTT-X が運営するポータルサイト)等が有名。 25 32