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平成 21 年度中学生姉妹都市派遣事業報告書

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平成 21 年度中学生姉妹都市派遣事業報告書
平成 21 年度中学生姉妹都市派遣事業報告書
引率職員
企画管理部契約課 山中早紀
1、はじめに
「職員になったからには、一度は絶対姉妹都市に行きたい」
、そんな思いを私はずっと持
っていました。そして今年、4年越しの思いを叶えることができました。中学生という、
成長過程でとても多感な人間が、アメリカという大国で様々な経験をして、何も得ずに帰
ってくることなど考えられません。そんな彼らのサポートをしつつ、職員として姉妹都市
のことを隅から隅まで勉強してこようと思いました。
10 日間の研修を充実させるため、限られた時間の中で行った事前研修は、テーマを絞っ
て行うことになりました。まず、引率者も含め、アメリカで富士吉田市のことを聞かれ答
えられないような恥ずかしい思いをしないために、富士山課からいただいた富士山と簡単
な歴史についての資料には、各自目を通しておくことにしました。異文化交流をするため
には、自分たちの文化を知らなくては、そこから何も学べません。もうひとつ、今ではホ
ームステイをしたいと思えば、旅行会社等を使って簡単にすることができます。しかし、
私たちは市から援助を受け、富士吉田市の代表として姉妹都市に行く、このことだけは絶
対に忘れてはならないと話しました。個々の成長のみだけでなく、互いの市のつながり強
化のために、富士吉田市のことを伝え、帰国してからは各自がコロラドスプリングスにつ
いて周囲に伝えることに決めました。その他に英会話や、コロラドスプリングスの基本的
な知識も学びました。
今年は、新型インフルエンザの影響で、例年とは違う行程となりました。最初の 4 日間
はコロラド州の州都デンバーに滞在、残りの4日はコロラドスプリングスに滞在するとい
う行程でした。今回この報告書では、単にこなした日程について報告するのではなく、い
くつかのポイントに絞って報告を進めていきたいと思います。研修として何を学び、どん
なものを見て何を感じたのか、報告させていただきます。
≪デンバー滞在≫ 8 月 3 日(月)∼6 日(木)
①デンバーのダウンタウン
デンバーはコロラド州の州都です。晴天の日が年間平均 300 日ある程、天候に恵まれて
います。海抜は 1,609m、富士山にしてほぼ 3 合目という、非常に標高の高い都市です。
1858 年、ロッキー山脈の麓に誕生した金鉱掘りのキャンプを基盤に、デンバーの街は形
成されました。デンバーには一攫千金を狙った多くの人々が集まり、ゴールドラッシュに
沸きました。まさに西部劇のような建造物や展示品が、デンバーには多く残っています。
デンバーには、アメリカで 3 つある造幣局の 1 つがあります。私たちは近くを通っただ
コ
ロ
ラ
ド
ロ ッ キ ー ズ
けですが、中を見学することも可能です。また、メジャーリーグ“Colorado Rockies”の
クアーズ
フィールド
本拠地であり、ホームスタジアムであるCoors Fieldもあります。そして、コロラドが赤い
レッド
ロ ッ ク ス
土地であることを実感させる、Red Rocksの風景はまさに絶景であり、西部劇の主人公に
なったような気分に浸ってしまいます。
そんなデンバーに滞在中、私たちが毎日のように訪れたのがダウンタウンです。ダウン
タウンは碁盤目状になっており、またそれぞれの通りには名前が付けられているので、と
ても行動しやすくなっています。
『16 番ストリートモール』と呼ばれるメイン通りは全長約
1.6km で歩行者天国になっていて、非常に多くの店が並び、食事や買い物はすべてここで
済ますことができるほど、充実した賑やかな通りです。
オフィス街でもあるため、ビジネスマンの姿も多く見ら
れました。スーツを着た日本人の集団に会ったので何の
団体か尋ねてみると、日本各地から集まった中学校の英
語教諭の方々で、1 ヶ月半の研修を受けているとのこと
でした。北杜市から来ている方もいました。私たちがお
世話になったMEMトラベルのオフィスもこの付近にあ
ったため、何をするにもここに来なければ始まらないほ
ど、私たちにとっても主要な通りでした。
この 16 番ストリートモールの特徴を、3 つ説明します。1 つめは、道の美しさです。ま
っすぐに伸びた道の景色はとてもきれいですが、それだけではなく、道自体が非常にきれ
いなのです。ゴミがまったくと言っていいほど落ちていませんでした。夜は昼以上に活気
づきますが、清潔感がありました。2 つめはホームレスの多さです。常に活気のあるこの道
ですが、いたるところにホームレスの姿が見られました。おもちゃを売ったり、歌をうた
ったり、客を乗せられるように改造した自転車をこいでいる人たちなど、あらゆる方法で
お金を稼ごうとしている人々の、必死な姿を目にしました。多くの人が集まる華やかなこ
の通りで、アメリカ不況の一面を目の当たりにしたのです。物乞いに話しかけられた中学
生もいたようで、こういった経験に大きな衝撃を受けたようでした。
3 つ目は無料バスです。16 番ストリートモールには
深夜 1 時まで、無料バスが 36 台も走っています。
これらはエコマークという、ハイブリッドバスです。
これは、公共の交通手段の効率化をはかり、ダウンタ
ウンのオフィスが空洞化するのを避け、またデンバー
の空気清浄化にも非常に大きな役割を果たしています。
バス停は短い間隔で設置されており、バスは数分おき
に来ます。乗りたい場所から降りたい場所まで、何回
でも自由に乗り降りできます。また、16 番ストリート
モールでは、多くの車椅子の方を見かけました。おそ
らく、エコマークがそのような方たちでも簡単に乗り
降りできるようになっていたためだと思います。身障
者にとても親切な場所でした。買い物客もビジネスマ
ンも、皆このバスを使っており、どれだけ大きな役割
を果たしているのかわかりました。
16 番ストリートモールでは、牛の銅像をいたるとこ
ろで見かけました。アメリカは牛肉大国ですが、やは
りデンバーでも多くの牛が育てられています。牛丼チ
ェーン店吉野家の牛肉は、アメリカでもデンバーの牛
肉を輸入しているそうです。アメリカの吉野家 1 号店
も、このデンバーだったそうです。
②ロッキーマウンテン国立公園
ロッキー山脈。それは誰もが耳にしたことのある山脈の名だと思います。北はカナダの
ブリティッシュコロンビア州から、南はアメリカのニューメキシコ州まで伸び、全長約
4,800km にもなる壮大な山脈です。山脈と呼ばれているので、いくつもの山地が連なって
できています。私も中学生のとき地理で学んでいたため、教科書で見た壮大な姿を実際に
見てみたいという思いがありました。私たちは今回、ロッキーマウンテン国立公園の頂上
付近にある、アルパインビジターセンターへ向かいました。
まず、デンバーからロッキーマウンテン国立公園までは、車で西に向かい、約 1 時間半
の距離になります。デンバーを抜けると、ひたすら何もない真っ直ぐなハイウェイを走り
続けます。途中、ボルダーという小さな町があります。元マラソン選手の高橋尚子選手な
ど、日本の有名なマラソンランナーたちが高地トレーニングのために、この町に滞在しま
す。健康マニアの町と呼ばれ、多くのマラソン好きが
集まる場所です。また、エコの町とも呼ばれ、一時期
よく耳にした『ロハス』という言葉もこのボルダーか
ら生まれたそうです。また、学園都市でもあり、コロ
ラド大学という有名な国立大学もあります。こじんま
りしていますが、とても雰囲気のあるおしゃれな町で
す。
ロッキーマウンテン国立公園に入る手前にエステス
パークと呼ばれる小さな町があります。そこにフォー
ルリバービジターセンターがあり、水洗トイレが使えるのはここまでです。そこを通過す
ると、ロッキーマウンテン国立公園の入り口となる料金所があります。
山頂に向かうために使う道は、トレイル・リッジ・ロードと呼ばれる山岳道路です。全
長は約 77km、標高約 3,595mのアルパインビジターまでは、数え切れないほどの蛇行を
重ねます。ここで、ロッキーマウンテン国立公園での、基本的なルールについて説明しよ
うと思います。まず、野生動物に一切触ることは許されません。たとえどんな小さな虫で
も許されません。餌をあげるなど、問題外です。ここには約 350 種類の野生動物が生息し、
間近で見ることができます。例えば人間が餌をあげたことにより、何らかの病気を発症し
たとすると、瞬く間に感染が広がり生態系を崩してしまう恐れがあります。それほどここ
の自然環境は、純粋さをずっと保ってきているのです。また、植物に触れることも許され
ず、松ぼっくりひとつ、花びら 1 枚でも持ち帰ることは許されません。もちろん、国立公
園内にゴミなどひとつも落ちていません。パークレンジャーが常駐し目を光らせているの
で、違反が発見されれば多額の罰金を科せられます。ここは私たち人間が入り込むことな
どできない、動植物中心の世界が広がっているのです。
アルパインビジターセンターに向かう途中には、ビーバーのいる池や湖、自分たちが登
ってきたトレイル・リッジ・ロードを見渡せる展望スペースなどがあります。山頂付近ま
で車で行けるようにするため、最小限の自然破壊でおさまるように考えて作られたこのト
レイル・リッジ・ロードが、木々の合間からくっきり浮いて見える姿が、やけに美しく見
えました。またここでは、エルク、ビッグホーンシープ、コヨーテ、クマなど、様々な野
生動物を見ることができますが、私たちも遠目にビッグホーンシープを見ることができま
した。1 時間半ほどかけて、アルパインビジターセンターに到着し、そこからさらに徒歩
10 分くらいかけ、上を目指しました。 先程も述べましたが、ここの標高は 3,595mなので、
たった 10 分の徒歩が非常に辛く感じましたが、
予想通り そこから見た景色は絶景でした。
ロッキーマウンテン国立公園の 1/3 は、樹木限界線の上に位置しています。国立公園に入
ってしばらくは、マツなどの針葉樹林で埋め尽くされていますが、樹木限界線に差し掛か
ると、徐々に木々の姿は消えていき、ツンドラ(樹木が生息しない地帯)が広がります。
山頂付近になると、雪も見られます。 また、ロッキーという言葉は rock = 岩からきてお
り、ロッキーロードとは岩山となった道の、 岩石がゴロゴロしている様子を表します。ご
サーティーワン
存じの方もいると思いますが、3 1 アイスクリームにはロッキーロードと言うチョコレート
アイスクリームがあります。 中にはナッツやマシュマロ、チョコレートのかけらなどがた
くさん入っています。これはまさに、この『ロッキーロード』のゴロゴロした道の状態を
表しています。コロラド州のアイスクリーム店のメニューには、必ずこのロッキーロード
がありました。
私たちは翌日も、ロッキーマウンテン国立公園
を訪れ、この日はハイキングを行いました。約 1km
の行程の途中には、きれいな湖があり、 ハスの花
が咲いていたその姿は明見湖に似ていて、特に明
中生たちは驚いていました。昼食の最中に、何匹
ものリスが寄ってきました。本当にすぐ側まで寄
って来るので、触ってしまいたいぐらいかわいい
のですが、ルールのもと、見て楽しみました。
ロッキーマウンテン国立公園では、自然環境を
守るための徹底した管理に驚きました。富士山は
国有地、公有地、民有地が複雑に混ざっています
が、ロッキーマウンテン国立公園はすべて国が管
理するからこそできる、保護の方法だと思いまし
た。
≪コロラドスプリングス滞在≫ 8 月 7 日(金)∼11 日(火)
①ポール丸山先生との再会、ジル・マックミランとの初対面
デンバーで多くのことを学んだ私たちは、素晴らしい体験の余韻に浸りながら、姉妹都
市のコロラドスプリングスへ向かいました。国道 25 号線を南に向かい、バスで約 2 時間の
道のりでした。標高は 1,839mでデンバーよりさらに高い位置にあり、デンバーに次ぐ大き
さの都市です。今年は例年と違い、南コロラド日米協会会長であるポール丸山先生と、姉
妹都市委員会富士吉田担当のジル・マックミランに、キャノンシティにある『ロイヤルゴ
ージ』という谷を案内していただけることになっていました。ポール丸山先生は、柔道の
アメリカ代表としてオリンピックに出られた経験があり、現在はコロラドカレッジで日本
語を教える傍ら、姉妹都市の関係をよりよくするためにボランティアの方たちと尽力され
ています。ジル・マックミランも現在はコロラドカレッジで教員として働いていますが、
約 10 年前には下吉田中学校で AET として働いていました。その経験を生かし、現在 CIR
として働いているロビン・ローレンツの後任として、富士吉田市とコロラドスプリングス
を繋ぐ懸け橋となってくれています。今回、ホームステイ先を探すことから始まり、こち
らの要望にもすぐに対処してくれたジルには、本当に頭が下がる思いです。会って早々、
バスの中で下中の校歌を歌いだし、下中生たちはとても驚いていました。
丸山先生は今年の 6 月に、コロラドカレッジの生徒を連れ、富士吉田市を訪問されまし
た。私はこのとき、とてもありがたいことに、先生との食事に同席させていただくことが
できました。出発前に先生にお会いできたことは、非常に心強いものとなりました。未知
の場所へ行くのはとても楽しみなことですが、引率として行く以上、知り合いが誰もいな
い場所へ行くのは少なからず不安があるものです。先生はとても紳士的で物腰も柔らかく、
長年アメリカに住んでいるにも関わらず、日本の精神を忘れていません。これを機に、先
生と数回メールを交換し、今回の中学生派遣事業の
テーマを相談したり、これから交流を続けていくた
めの意見などを聞くことができました。
そんな経緯があったので、丸山先生との約 2 ヶ月
ぶりの再会は、とても嬉しいものとなりました。ロ
イヤルゴージに向かうバスの中で、丸山先生は姉妹
都市委員会の苦労と問題を話してくれました。例え
ば、2 年後の姉妹都市提携 50 周年記念に、吉田の
火祭りをコロラドスプリングスで再現する計画があります。昨年、隣のワイオミング州の
ジャクソンで火祭りの再現をし、大成功に終わりました。しかし、すべて民間ボラティア
の手でするこの計画には、多額の費用がかかり、どんな規制がかかるかも予想がつかない
ため、規模が限られる恐れがあります。それでもなんとか実践しようとする先生の強い意
志と、この苦労をもっても姉妹都市である富士吉田市のことをコロラドスプリングスの
人々に伝えたいという先生の思いに、私は何とも表現できない気持ちがこみ上げてくるの
を抑えられませんでした。
②ロイヤルゴージ
さて、ロイヤルゴージについて説明します。
まず 1642 年、スペイン人 により初めてこの地は
発見され、その後、1806 年 12 月、アメリカ人で初
ぜ ブ ロ ン
パ イ ク
めてこの地を発見したのが、探検家のZebulon Pike
です。 谷の間にはアーカンソー川が流れており、あ
まりの高さにこの谷の反対側に渡るのは永遠に不可能
だと言われていました。
1877 年、この地で銀が発見されたことをきっかけに、2 つの鉄道会社が谷底に鉄道を建
設したいと名乗り出ました。その権利を決めるための戦争が起こりましたが、裁判の結果、
デ ン バ ー
&
リ オ
グ ラ ン デ
Denver & Rio Grandeという鉄道会社がその権利を得ました。1907 年、国家制定法によ
り、ロイヤルゴージは公園としてキャノンシティのものとなり、1929 年 12 月、着工から
6ヵ月の期間を経て橋は完成しました。橋の全長は 384m、幅 5m、谷底からの高さは 320
mです。谷底には、ケーブルカーを使っておりることができます。
『アーカンソーのグラン
ドキャニオン』と呼ばれているだけあり、そこを走る鉄道と、アーカンソー川、ロイヤル
ゴージの絶壁のコラボは、映画のワンシーンのようで本当に素晴らしいものでした。
ここは公園となっているので、橋の両側には様々な施設があります。コロラドに生息す
る動物を見ることができ、また西部劇を見ることができる小さな劇場や、砂金採りを体験
ロイヤル
ラッシュ
スカイ
コ ー ス タ ー
できる施設もあります。何よりの目玉は、Royal Rush Sky Coasterという、振り子状のア
トラクションです。崖の淵に設置されたこのアトラクションは、片側が谷に向かって振ら
れるので、高い場所が好きな人にとってはたまらないアトラクションです。
ロイヤルゴージは今では観光スポットとして有名になっていますが、橋の建設に至るま
での歴史には、一攫千金を夢見る多くの人々の希望と知恵、そして努力と汗が存在したの
です。美しい自然に囲まれているコロラドスプリングスで最初に訪れたロイヤルゴージは、
これから 4 日間この地で過ごす私たちに、さらなる期待と興奮をもたらしてくれました。
とても幸先の良いスタートを切ることができたのです。
③パイクスピーク
パイクスピークは、コロラドスプリングスにある山で、ロッキー山脈の一部です。1806
ぜ ブ ロ ン
パ イ ク
年に、ロイヤルゴージュを発見したZebulon Pikeによって発見され、彼の名が山の名前に
由来しています。 コロラドスプリングスと富士吉田市が姉妹都市になった理由のひとつに
このパイクスピークの存在があります。標高は 4,301mに達し、国の天然記念物に指定され
ています。 パイクスピークもロッキーマウンテン国立公園同様、山頂まで車で行くことが
可能な山です。 山頂までは、ジルと、ホストファミリーのメンバーであるダン・ヨシイさ
んが一緒に行ってくれました。
富士山では、毎年 6 月に Mt.富士マウントヒルクライムという自転車レースが行われ、7
月には富士登山競走が行われますが、 このパイクスピークでもそういった有名な大会がい
くつかあります。その中でも特に有名なのが、
『パイクスピーク・インターナショナル・ヒル
クライム』です。 初開催は 1916 年で、アメリ
カの中でも 2 番目に長い伝統を持つ大会です。
毎年、アメリカ独立記念日(7 月 4 日)前後に
行われ、二輪車と自動車の 2 種類のレースがあります。 この時、ダンさんがある日本人に
ついて私たちに教えてくれました。その自動車の部において、2006 年から 4 年連続で総合
優勝を果たしている人が、田嶋伸博さんという 日本人レーサーだということです。レース
は、標高 2,862m のスタート地点から山頂までの全長約 20km、156 箇所のコーナーをクリ
アしながら一気に駆け上り、別名『雲へ向かうレース』と呼ばれています。 ロッキーマウ
ンテン国立公園同様、樹木限界線を越えるころには赤い岩肌が見え始め、 後半は道路も舗
装されていません。山頂付近は酸素が薄いため、パワーも 30% ダウンすると言われている、
非常に苛酷なレースです。2007 年に田嶋さんが記録した 10 分 1 秒 408 というタイムは、
今後、 誰にも破ることはできないと言われているほどの素晴らしい記録ですが、田嶋さん
は『10 分の壁を越える』という目標を持って挑戦しています。
山頂までの道、道路沿いには 1km ごとに残りの距
離を示す看板が立っています。 途中には美しい湖も
あり、 こんなに標高の高い場所に湖があることが、
とても神秘的に感じました。 パイクスピークは、ロ
ッキーマウンテン 国立公園よりも 樹木限界線を越
えたあたりの岩肌が赤いのが特徴です。道は舗装さ
れていないので、もちろんガードレールもなく、ヘ
アピンカーブが続いた箇所では、少し冷や冷やさせ
られました。また、ロッキーマウンテン国立公園を
訪れたときより、皆、酸素の薄さを感じていました。
顔色はみるみる悪くなり、頭痛を訴え、生あくびを
している生徒の姿も多く見られました。高山病です。
約 1 時間で山頂に着きましたが、高山病と闘っている私たちがさらに悩まされたのが、
その寒さです。このときの気温は、1℃でした。山頂には売店があり、そこは登山列車の駅
にもなっています。私たちはダンさんのはからいにより、名物のドーナツをいただくこと
ができました。このドーナツ、成田空港に向かうバスの中で、当時下吉田中学校のAET
をしていたキンバリー先生から話を聞いていた噂のドーナツで、揚げたてのドーナツは非
常においしいと聞いていたので、とても楽しみにしていました。うわさ通り、表面のさく
さく感と中のふんわり感がとてもおいしくて、皆、高山病と寒さのことも忘れおいしそう
に頬張っていました。また、山頂では自転車のレンタルをしているので、自転車で下山す
ることも可能です。私たちが訪れた時も、多くの人たちが自転車を使って下山していまし
た。
山頂に近付くほどに広がる赤い岩々、 こんなにも標高の高い場所にあるきれいな湖、そ
んな風景を見ているだけで、自分たちが今、 どこにいるのかわからなくなってしまうほど、
日常とかけ離れた世界を見ることができました。
③ガーデン・オブ・ザ・ゴッズ
『コロラド』という言葉は“color red”
(赤い色)という言葉に由来しています。最初に
この地を見たスペイン人は、その景色があまりに赤かったのでそう呼びました。訪問して
きた至る場所で、そう名付けられた意味が分かるほどの赤い土地を目にしてきました。そ
の中でもここは 1 番と言っても過言ではありません。
ガーデン・オブ・ザ・ゴッズはパイクスピークの入り口付近にあります。1909 年初期に、
コロラドスプリングスの公園となり、豊かな自然と野生動物が生息しています。ガーデン・
オブ・ザ・ゴッズ、
『神々の庭』とは、そこにある赤い岩の姿からそう呼ばれるようになり
ました。不思議な形の岩がいくつもありますが、3 億年前からの浸食によって、現在の形に
なりました。
この日、ビジターセンターに集合することに
なっていましたが、その途中、私たちのホスト
ファミリーであるダンが、ガーデン・オブ・ザ
・ゴッズがとてもきれいに見えるスポットがあ
ると連れて行ってくれました。
朝 8 時ちょっと前、この日は少し肌寒く、いつも以上に空気が澄んでいる感じがしまし
た。車から降りると、大きな岩が 3 つ、目の前に飛び込んできました。辺りはとても静か
で、岩の上には薄らと月が見え、赤い岩とそこに生える青々とした木々、後ろにはパイク
スピークの姿、その幻想的な景色にまた自分がどこにいるのか分からなくなってしまうほ
どでした。この景色の存在を知ることができてよかった…と、景色の素晴らしさと同時に
雰囲気の良さもあって、今回、念願だった派遣事業の引率でこの地に来ることができたこ
との喜びを、再度噛みしめたことを覚えています。
ガーデン・オブ・ザ・ゴッズはとても広い公園なので、バスで回りました。道路の両側
に大きな岩たちが並び、その間をバスで走る気分は冒険しているようでした。特に有名な
バ
ラ
ン
ス
岩を紹介すると、岩の一点だけが地面とつながっていてバランスをとっているBalanced
ロ ッ ク
シ
ャ
ム
ツ イ ン ズ
キッスィング
Rock、まるで双子のようなSiamese Twins、ラクダがキスしているように見えるKissing
キ ャ メ ル ズ
Camelsです。想像できない長い年月を経て作り上げられてきたこの庭ですが、またこれか
ら先も長い年月をかけて姿を変えていくのです。
④市役所訪問、姉妹都市委員会のミーティング出席
私と美代子先生は帰国前日、市役所を訪問しました。この日、姉妹都市委員会のミーテ
ィングが市役所で行われるということで、委員になっている私たちのホストファミリーで
あるダンとペグについていきました。着いてまず、これが市役所?と思うくらい立派な建
物で驚きました。この日は議会が行われていて、地元のテレビ局も来ていました。ペグは
先にミーティングに出席し、ダンが私たちを案内してくれました。2階へ行くとまず秘書
室があり、その隣に市長室があります。市長室はとてもこじんまりしていて、秘書室とほ
ぼ変わらない大きさでした。雑然としたデスクの上には資料がたくさんあり、家族の写真
が飾られていました。部屋は様々な本に囲まれていて、私が想像していた市長室とはかけ
離れた、ビジネスマンの部屋という感じでした。後で詳しく話しますが、コロラドスプリ
ングスは富士吉田市以外に 5 つの姉妹都市を持っています。両部屋には、姉妹都市から寄
贈されたタペストリーや写真が飾られていました。見学中には何人かの議員さんとお会い
することもでき、私たちの訪問を喜んでくれました。
すると、ちょうど議会が終わったという連絡が
入り、私たちは議場へ向かいました。議場は富士
吉田市のものと違い、平面的な作りになっていて、
傍聴席も一体となっていました。テレビ局のインタ
ビューに答え忙しそうにしている市長でしたが、私
たちを迎えてくれました。自己紹介をし、わずかで
すが会話を交わすことができ、私たちの訪問をとて
も喜んでくれました。議場を出ると、その廊下にも
姉妹都市からのプレゼントが飾られていました。
一通りの見学を終え、私たちは姉妹都市委員会の
ミーティングルームに向かいました。約 10 名の委員がすでにミーティングを始めていて、
その中にはジルの姿もありました。コロラドスプリングスの姉妹都市ですが、富士吉田市
以外に、高雄市(中国)
・スモレンクス(ロシア)
・ビシュケク(キルギス共和国)
・ヌエボ
カサスグランディス(メキシコ)
・パンクスタウン(オーストラリア)があります。私たち
がちょうどミーティングルームに着いたとき、ひとりの男性が入ってきました。
“What’s
your favorite color?”
(好きな色は?)と突然聞かれ、私と先生はお互いに好きな色を答え
ました。するとその男性は、ジーンズのポケットからコアラのぬいぐるみのキーホルダー
を出し、私たちにプレゼントしてくれました。彼は、オーストラリアの姉妹都市担当の委
員だったのです。コアラの着ていた服の色は私たちの好きな色と違っていましたが、用意
してくれていたのか、いつも持ち歩いているのか分かりませんが、いかにもアメリカ人ら
しいこのパフォーマンスに、少しリラックスすることができました。6 つも姉妹都市がある
ので、彼やジルのように、それぞれの姉妹都市には担当者がいます。その担当者たちが集
まって月に 1 度、ミーティングを行っています。ちなみに私たちのホストは、ロシア担当
です。それぞれの担当が近況報告をしたり、これから行われるイベントについて話します。
ジルの順番が回ってきたときに、中学生が訪問していることを話してくれていました。メ
ンバーのひとりから、この姉妹都市派遣事業は中学生に人気があるのか、またどうやって
生徒を選んでいるのかと質問があったので、美代子先生が答えてくれました。
富士吉田市やオーストラリアの姉妹都市との交流は、生活レベルに問題のない都市間の
交流になるので、異文化交流を中心にすることができます。しかし、それ以外の国は比較
的貧しい都市なので、私たちが行っているような交流にはなりません。たとえば、子供た
ちに勉強道具を寄付したり、衣服を寄付したりと、どちらかと言えばボランティア活動に
近いかもしれません。私はそれまで、姉妹都市交流と言えば、相手の生活と文化を学び、
自分たちの生活と文化を見直すことばかり考えていましたが、こういった交流もあるのだ
と知り、一方向からしか見えていなかった姉妹都市交流に、もっと別の見方があるのでは
と気付かされました。
また、ロイヤルゴージに向かうバスの中で丸山先生もおっしゃっていたことですが、ジ
ルは姉妹都市が 6 つもあることを多すぎると感じていました。姉妹都市委員会はすべて民
間で行っているので、特に問題なのは費用の面で、とても苦しんでいます。市長の秘書に
尋ねたところ、コロラドスプリングスの市役所には国際交流室のような課はないそうです。
本当にすべて、民間人の力で交流を続けてきているのです。それぞれの姉妹都市の会員は
年会費を払いますが、ひとりあたり 8 ドルという少ない金額です。今回、私たちが訪問し
た際にコロラドスプリングス側で色々用意してくれていたものも、この年会費を使っただ
けでなく、コロラドカレッジ等からの寄付をもらいやりくりしています。何かイベントを
するとなれば、そういった寄付に頼らなくてはなりません。
ジルは 10 年前に富士吉田市に住んでいました。私たちのホストマザーはロシア系で、ロ
シアに住んでいたので語学にも堪能です。中国担当の方はアジア系の顔立ちをされていた
ので、元をたどれば中国に繋がっているのだと思います。皆、それぞれにその都市への想
いを抱えていて、その想いというのが交流を続けていく上で、彼らの支えになっているの
です。おそらく、その交流から得たものが彼ら自身を変えるような大きな出来事であった
り、それによってまわりにも良い影響を与えたいという思いがあるのではないでしょうか。
しかし、コロラドスプリングスはこの交流をすべて民間でおこなっていますが、富士吉
田市の場合、市役所内に担当する課があります。つまり仕事の一部として、この姉妹都市
交流を続けています。ここに、何か違いを感じてしまいます。事前研修で、中学生たちに
は研修の意義と自分たちの役割については話してきましたが、どこまで中学生たちに求め
ていいのか悩みました。仕事として姉妹都市に行くこの研修が、市民生活に何をもたらせ
るのか。出発する前から考えていたことですが、結局結論は出せず、これはとても難しい
課題だと思います。
ともかく、少しの時間でしたがミーティングに出席できたことは良い経験になりました。
2、おわりに
私はこれまでにも何回かホームステイをしたことがあり、その度にカルチャーショック
を受け、帰国してからも忘れられないくらいの経験をしてきました。1 番ひどかった時期は、
海外の良い部分ばかりに目を向け、まったく日本に目を向けようとしませんでした。自分
が育ってきた日本のこともろくに説明できずに海外に行くことが、とても愚かなことだと
気づいてからは、もっと中身の濃いホームステイができるようになりました。その都度、
日本の良さにも気付かされます。
そんな私自身の経験もあったので、中学生のみんなにはコロラドについて学ぶだけでは
なく、これを機に富士吉田市についてもっと知ってほしいという思いがありました。富士
山課からいただいた資料には、私たち引率者も知らない富士吉田市のことが沢山書いてあ
りました。
姉妹都市のつながりを強化したいという思いを全員が持ちつつも、この短い期間では自
分たちが思っていたことのわずかしか実行できなかったように思います。それでも生徒が
作成しホストファミリーにプレゼントした『富士吉田市を紹介する冊子』には、地図も付
けて、コロラドの方たちがいつ富士吉田市に来てもその冊子を片手にまわれるようにとの
思いが込められていました。とにかく 1 度富士吉田市に来て欲しい、そんな思いは十分届
いたのではないでしょうか。
富士吉田市とコロラドスプリングスの姉妹都市関係を続けていく上で、現状は満たされ
ているとは言えないと思います。丸山先生やジルの抱えている問題を思うと、姉妹都市交
流を行うのも、らくなことではありません。そういった状況を知ることができたことも含
め、私が今回引率として学んだことは、予想以上のものばかりでした。私が思うことは、
この派遣事業は行く本人の心がけ次第でいくらでも学んでくることができる、立派な研修
だということです。そして、コロラドを訪問してきた私の仕事は、これからだと思ってい
ます。この研修で学び、知ることができた姉妹都市の現状、これからの関係を築いていく
ために、どう役立てるのか考え中です。
また、この滞在中には色々な方と出会いました。行きの飛行機で隣に座った日本が大好
きな韓国人の女の子。デンバーのダウンタウンで、独学の日本語があっているかどうか話
すのを聞いてほしいと話しかけてきた男の人たち。50 年以上前、軍隊として日本に滞在し、
そのとき富士登山をしたというバスの運転手チャーリー。明見からコロラドスプリングス
にお嫁に行った勝俣かおりさん。帰国時、デンバーの空港で話しかけてきた女性は、偶然
にも元CIRであるアンディの高校からの友達でした。こうやって出会うことができた皆
さんのことを、忘れることはありません。
今回、私がこのように姉妹都市を訪問できたことに対し、協力してくれた方々には感謝
しきれません。契約課・国際交流室の皆さん、激励してくれた職員の皆さん、各中学校の
先生方、アンディ、キンバリー、ジュン、丸山先生、ジル、MEMトラベルの皆さん、そ
してコロラドスプリングスの皆さん、本当にありがとうございました。
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