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マークレナード氏講演録

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マークレナード氏講演録
マークレナード氏講演録
マークレナード
ご紹介
若干25歳にしてブレア政権の外
交政策を仕切る男。ポールスミ
スやリチャードブランソンを巻き
込んだクリエーティブタスクフォ
ースを実現させ、現在シンクタン
クF.P.C.代表として、英国で「ブラ
ンドイメージの刷新」に取り組む
この男が、日本で何を語るの
か!?
FPC最新レポート
購入希望の方は
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■マークレナード滞在スケジュール
June 29
夕刻 マーク・レナード氏成田着。
June 30
12:00 外務省政務次官山本氏とのランチミーティング
(18:00)外務省職員数名とのディナー
(20:00)ディナー終了
23:00 NHK BS「BS23」スタート
23:30 番組終了
24:00 ホテル着
July 1
12:30 ブリティッシュ・カウンシルとのランチミーティング
14:30 ランチミーティング終了
15:00 ホテル着
15:00 ディスカッションイベント開始
17:00 イベント終了
17:00 メディアとのインタビュー
17:00-17:30 ジャパンタイムス
17:30-18:00 日経新聞
18:00 インタビュー終了
18:00 英国公使主催ウェルカムパーティースタート
20:00 パーティー終了
July 2
10:00 ホテルにて斎藤精一郎教授と面談
11:00 ホテル出
12:00 慶應義塾大学三田キャンパス着
13:00 シンポジウムスタート
18:00 シンポジウム終了
18:00 メディアとのインタビュー
18:00-18:30 朝日新聞
20:00 打ち上げ開始
21:00 打ち上げ終了
July 3
終日プライベート日本観光
July 4
昼頃成田発
21世紀のガバナンス マーク・レナード氏 講演録
2000.7.2 Sat. at 慶應義塾大学三田キャンパス
始めます前に、ドットジェイピー、特に佐藤さん、菅野さん、鈴木さんに御礼を申し上げます。今
回、ご招待をいただきまして、そしてまた、皆さんに今日お会いできる機会をいただきまして御礼
を申し上げます。それから、また日本の外務省の方々にも御礼を申し上げます。今回このプログ
ラムをサポートしてくださいまして、今回来日する手助けをしてくださいました。それからまた、ブ
リティッシュ・カウンシル、英国大使館の方々も、ドットジェイピーと協力して非常にすばらしいプ
ログラムをつくってくださいました。外務省、ドットジェイピーと協力のもと、こういったすばらしいプ
ログラムをつくってくださいました。ありがとうございます。
それでは、まず、最初にドイツの詩人の話から始めたいと思います。
ずいぶん前に、世界の終末が来た時にどこにいたいかと聞かれて、ハインリッヒ・ハイネは躊躇
することなく、イギリスだと答えました。イギリスではすべてが100年遅れでやってくるから、という
理由であったわけです。ジョークだったかもしれませんけれども、実際、真実を突いているところ
もあるわけです。世界の多くの人たちは、イギリスはまだ遅れている、100年とはいわないまで
も、時代に合っていない、と考えているわけです。イギリス人の多くは、国の状況に苦情を呈す
る、または経済の状況に苦情を呈する、また、現状に不満を持っているということを声高に言い
ます。新聞を見てみますと、毎日、崩壊に瀕しているというような記事がたくさん出ております。
ですから非常に悲観的な調子なわけです。自己批判が強い国なわけです。
日本に来て数日になりますけれども、日本も同じではないかと思います。ヨーロッパに来ます日
本人と話をしてみますと、一般的には非常に国の将来については悲観的、かつネガティブなわ
けです。ですから、日本に来るとなった場合には、いってみればゴーストタウンのようなところを
想像したわけです。消費者信頼感が非常に低くて、ほとんどの店が倒産の危機に瀕していると
いう状況を想像したわけです。また、すべての組織は、死にそうな高齢のエリートで、日本の近
代生活にまったくついていけない人たちが経営しているという状況を想像したわけです。
そして、若い世代については、エネルギー、創造力はまったく失ってしまっている。この50年間、
世界第二位の経済大国になった日本のエネルギー、創造力を若い世代は失っていると思ってい
たわけです。
したがって、表参道を行ってみますと、他の都市と同じように消費者がたくさんいるという状況を
見て、非常に驚いたわけです。山本外務政務次官は非常に若々しい方々で、私の想像していた
高齢のエリートとはまったく違っていました。山本政務次官は新しいロックグループについて話を
くださいました。外務省の幹部からなっている新しいロックグループについてということです。クー
ルといわれているブリタニアでさえも、外務省にロックスターがいるほどにはクールではありませ
ん。首相はギターを弾いていたということですけれども。
渋谷にも行ってみました。他の国の若い人たちと同じようにエネルギーとダイナミズムに溢れて
いました。そして今日、皆さんにお会いして、確実に、皆さんも若いエネルギーに溢れていると確
信したわけです。
皆さんが社会、将来について過剰に悲観的であるというだけではなく、これは、もっと基本的な
問題を指し示していると思います。国家として満ち足りた感覚を持っているのかどうかというの
は、経済的な繁栄だけで決まってくるわけではないということです。もちろん、バブル時代と同じ
ぐらいの繁栄は享受していないかもしれません。おなかをすかしている人もいませんし、また、世
界でも最高水準の生活水準を今でも保っていらっしゃいます。それなのに、なぜ悲観的になるの
かといいますと、国としての目的意識を失ってしまったのではないかと思います。ビジョン、夢、
エトス、価値観そういったものがないと将来に向かって進むことはできないのです。
それが本当だとすれば、これは日本にとって悪いというだけではなく、世界全体にとっても悪い
状況なわけです。日本は外を向いてもらわなければならない国なわけです。日本は世界経済の
エンジン役を果たしています。東アジアの安定に大きく貢献しています。グローバルガバナンス
に対する日本の財政的な支援というのは、世界的な秩序のためには絶対的必要なわけです。
満ち足りた国というのは自信を持って外へ目を向けることができます。ほかの人々、アイデア、
文化を自国の経済に受け入れることができるわけです。そして、多様性が生み出すエネルギー
を使って前へ進むことができるわけです。一方でそうでない国、満ち足りていない国は、内向き
になって自分の殻に閉じこもってしまいます。前ではなく、後ろに進んでしまいがちなわけです。
満ち足りた国家というのは、変化を一つの挑戦と受け取ります。つまり、エネルギーと熱意を持
って進歩の波を乗りこなしていけるわけです。そうでない国の場合には、すべての変化、または
すべての発展を脅威ととらえてしまいます。恐怖の流れに吸い込まれてしまうと考えるわけで
す。
世界では新しい分割線ができています。自信を持ってグローバル化の流れを最大限活用すると
ころとそうでないところです。この分割線は国家の間の分割線ではありません。冷戦時代とは違
います。この分割線というのは、国民同士を分割するものなわけです。
今年の状況を見てみますと、すべての外交政策に関する問題、たとえば、東ティーモールからシ
アトル、ピノチェット裁判、コソボ、そういったものを見てみますと、2つの対処の仕方があるという
ことがわかってきます。まず、シャッターを閉めて目を閉じるという方法、一方で、関与をして共有
の問題に対処していくという方法です。孤立主義か国際化なのかという選択です。
次の世紀の新しいグローバル化の新しいルールを取り入れることができるかどうか、ということ
です。しかし、大きな課題は国際的な社会というものがあり得るということを示していくことです。
日本やイギリスのような自信を持った繁栄した国というのは、その中心となっていかなければな
らないわけです。開放して、そして、国際的になるということは、脅威ではありません。自分の自
信を確認するということにつながっていくわけです。
外交政策は昔とは違っています。ヒットラーの戦車が1938年にチェコスロバキアに侵入した時、
ネヴィル・チェンバレン、当時のイギリスの首相ですけれども、これを「私たちのまったく知らない
人々の間の地、遠い国でのいさかいだ」と表現しました。しかしながら現在では、世界のどこも、
1938年当時のチェコスロバキアより近いわけです。毎日毎日、他国の悲劇を見て、そして、残虐
な観衆となり得る可能性があるわけです。洪水、ハリケーン、革命、飢饉、エスニッククレンジン
グ、外国の大統領の性的な事件、そういったものも、NHK、BBC、そういったネットワークのおか
げで、リビングルームで見られるようになっています。
遠い場所で起こっていることについて、1938年当初よりもより多く知ることができるということだけ
ではなく、ここで重要なのは日々、その影響を受けるということです。ニューキャッスルの工場が
閉鎖しますと、東アジアに影響が出てきます。ロンドンの銀行がロシアの証券取引場の崩壊で
大きな損失を被ります。
それからまた、スコットランドの羊もウクライナの原子力事故の影響を受けます。ドイツのソーセ
ージもブリュッセルでつくられたレシピに基づいてつくられています。つまり、外交というのは、外
国で起こっていることではなく、日々の生活に影響を与えるものなわけです。雇用、犯罪、身体
の安全、環境、そういった日々の生活に関わってくるわけです。ということは、まったく違う外交の
とらえ方をしなければならないということです。
外交政策、グローバル政策というのは、日常生活に大きな影響をもたらします。ということは、他
の政策と同じ視点から検証していかなければならないということです。つまり、合法性のことも考
えていかなければならないわけです。外交政策は日常生活に大きな影響を与えますので、いわ
ゆる専門家任せにしておくことはできなくなっています。専門家任せにしておきますと、密室の中
で決定をしていきます。政策決定の影響を受ける人々が、決定の過程に参加しなければならな
いわけです。これは実際に既に起こっています。すべての政府の防衛政策は市民の考えの影
響を受けるようになっています。市民は遺体収容袋を見たくない、または、医療、教育予算を削
って軍事費に当てるというようなことは望んでいない、そういった考え方の影響を受けるわけで
す。
イギリスではEUにおける民主制、または合法性といった問題がよく出てきます。こういった民衆
に対する権限の合法性、これは戦略的なプランナー、または政策決定者の考え方の中核とはま
だなっておりません。議論についてはIMF、国連、世界銀行、WTO、NATO、そういったところを関
与させる必要があります。その合法性を実現するための一つの方法が政党政治です。外交政
策が国内政策に関わるようになってきますと、価値観、または配分に関する対立が出てきます。
経済統合の収束基準の政府資質への影響から、トニー・ブレア政権の倫理上の外交政策まで、
価値観の対立というのがどうしても関わってくるわけです。
しかしながら私ども、外交政策というのは今まで外交官の聖域だと考えていました。そのため
に、それについて政策的な議論はしてきませんでした。優先事項は何なのか、または戦略的な
目標なのか、そういったことを考えていませんでした。
政治家も同じです。第2次のソーシャリストインターナショナルが第一次世界大戦を止めることが
できなかったということから、グローバルレベルでの政党間の協力はあまり行われてきませんで
した。そこを埋めようとしたのがNGOや企業です。シアトルで、いろいろな抗議をする人たちが集
まった。そして、政府の人たちがビルから出られなくなったということは、政治における国際交渉
の一つの側面を示しています。このエネルギーをもっと民主的な形で、そして構造的な形で活用
していく方法を考えていかなければならないと思います。
政党政治、またはグローバルレベルの政治を考えてみますと、アイデアを闘わせることなしに行
っていくことはできません。先進国の多くが同じ問題に直面しておりますけれども、一方で政策
議論を見てみますと、ほとんど国内議論にばかり目が行っているわけです。大事なグローバル
なアイデアの市場をつくることができなかった。そのために、国際外交がより難しくなっていま
す。もし、そういったグローバルなアイデアの交換の場をつくることができれば、すべての人がそ
の恩恵を享受することができるわけです。他の国とのベンチマーキング、比較をすることができ
れば、誰もがその恩恵を享受することができるわけです。日本の犯罪政策等からも学びたいと
思っています。
もちろん、文化的な背景が違うということがありますので、一つの国の政策を別の国の政策にそ
のまま取り入れることはできませんけれども、お互いの国内政策から学んで、そして比較するこ
とによって、国際社会をつくりあげることができれば、すべての人が恩恵を享受することができま
す。それから、外交政策が民主化されているというのも重要なトレンドです。冷戦当時、国益とい
うのは目に見えないものだと考えられていました。普通の人々には関係のないもの、国にだけ関
係あるものと考えられていました。
しかしながら、現在、外交政策の目標は、個人の関心、環境、雇用、犯罪といった視点から語ら
れるようになってきました。人権についても同じことがいえます。
伝統的には外交政策といいますと、人権問題を考えるにあたっても、国内でしか考えられていま
せんでした。しかしながら、コソボや東ティモールの最近の様子を見てみますと、個人の権利を
国の権利より優先させるという状況が出てきています。人権が大幅に侵害されているといった場
合には、個人の権利が優先するようになってきています。
この数年を見てみますと、外交でいわれていた今までの当たり前のことというのが覆されてきて
います。何十年にも渡って外交といえば、物理的に国を侵略部、または爆弾から守ることと考え
られていました。脅威といえばわかりますし、また、何年間脅威があるということも計算ができた
わけです。それを管理するにあたっては、提携関係をつくる、または武器のストックをつくる、ま
たはバランスオブパワー、勢力均衡をつくりあげることだと考えられていたわけです。優位を保
つために、技術情報を機密扱いしていましたし、一方で他の人の秘密を知るためにはスパイを
使っていたわけです。
しかしながら、現在、冷戦が終わっております。生存への危機を打ち負かすことができたわけで
す。伝統的な脅威、まだ残っているものもありますし、また、日本の場合には複雑な、地理的な
脅威、たくさんさらされています。しかしながら、日本はほかの国、特にヨーロッパの国がずいぶ
ん前からやり始めたことを、今、始めています。そういった古い外交政策のやり方をなくして、新
しいバランスオブパワーを求め始めています。そして他の人たちの問題に介入する、そして、外
交政策と国内政策の分割線というのが曖昧になってきている。そういった状況を、日本の状況も
反映するようになってきています。欧州通常兵器条約または化学兵器条約によって、銃兵器の
ロケーションを通知しなければなりませんし、また、抜き打ち検査にも対応しなければなりませ
ん。EUのような組織では、お互いの国 内問題に相互介入ができるようになってきています。遺
伝子操作といった部分まで入ってきます。
もちろん、この外交政策のやり方が変わってはきましたけれども、我々が議論をする仕方、ある
いは外交政策の立案方式というのは変わっておりません。すなわち、今もって密室で行われて
いますし、ほとんどグレースーツを着た男たちが、あるいはまた、19世紀の国際関係理論に基づ
く理論をする将軍たちによって行われているわけであります。新聞、あるいはテレビといったよう
なところでも、外交問題について、あるいは国際問題について取り上げるのは、第2面といった
ような部門で行われているわけであります。それが、我々の生活に直接影響を与えるようなもの
でもそうであるわけであります。ということで、私たちは今日、後ろのドアで外交政策に対応する
ようなやり方から、これを第一線に引き出して対応しなければならないと思います。そのために、
私たちのフォーリン・ポリシー ・センターというのがつくられたわけであります。外交政策の課題
を考え、そして一貫性を持たせる。そこから文化的なアイデンティティーをつくりだすというのが
我々の目標であります。
地球上どこの国を見ても、アイデンティティーや、文化的な外交というものが重視されるようにな
ってきました。共産主義と闘った冷戦時代が終わり、新しい時代になって、我々のつくりだす財
やサービスを販売する、あるいは投資を呼び込むためにも、この国のイメージが重要であると、
アイデンティティーが重要であるということが考えられるようになったからであります。企業にして
も、NGOにしても、政治にしても、外国で活動していく場合には、その国のイメージが非常に大き
な影響を与えます。
イギリスと日本には、たくさんの共通点があると思います。一つはもちろん、お互いに自己批判
的である、そして、自分の国の状況について非常に悲観的になるという傾向があると、そういう
点で似ていると思いますが、それと同時に我々は島国であること、また、帝国主義を経験し、帝
国主義としての罪を犯してきたという点でも似ております。それから、伝統を大切にするというと
ころも似ておりますけれども、お互いに、やはり前進をして近代化を進めなければいけないとい
う理解も持っている、この点についても似ているところであります。日本はそれを既に、今世紀初
めに行いました。もう一度行う必要がある時に来ています。イギリスはそれがなかなかできない
という状況が続いてきたわけでありますが、新しいビジョンを持って、新しい世紀に何を行ってい
くかということを考えるようになったわけであります。
もう一つ、今日お話ししたいのが、グローバリゼーションとグローバルガバナンスのお話でありま
す。グローバリゼーション、そしてグローバルガバナンス、新しいこの問題に対応するために、新
しいネットワークや組織が必要ですが、それには様々な課題があります。この問題については、
おそらくパネルディスカッションでも議論されることになるでしょう。時間が限られておりますの
で、それは後に残すことにいたしまして、イギリスにおいて、いかに私たちがいろいろな形で、
我々のアイデンティティーを改めて特定してきたか、そのプロセスについてお話をしたいと思いま
す。そして、グローバル化されている世界の中で、いかに私たちが、私たちのイメージを世界に
伝えようとしてきたかをお話ししたいと思います。そこから日本でも学んでいただけるところがあ
るのではないかと思います。
残りの時間の中で、2つのことをしたいと思います。一つは、我々のイギリスのアイデンティティ
ーがいかに古く、陳腐化してしまったかということ、そしてそれがグローバル化されている国際関
係の中で、どんな意味を持つかということについてお話をしたいと思います。そして、3つ目とし
ては、そのような全世界における一つの国のイメージを変えるためには、何をしたらいいかとい
う、どんなことができるかということをお話ししたいと思います。そして、いわゆる新しいブリテン、
イギリスのイメージがどんなものなのか、それをどのようにして世界に伝えようとしてきたかとい
うことをお話ししたいと思います。
これまでイギリスというのは、本当に信じられないような強力なアイデンティティーを持っていまし
た。しかしそれは自然に生まれてきたものではありません。昔のイギリスのアイデンティティーと
いうのはやはり、偶然に生まれたものではなく、つくりあげられてきたものなんです。18世紀、19
世紀の頃、スコットランドのジェイムス6世という王様がイギリスの、イングランドのジェイムス1世
という王様になったわけであります。これは偶然に起こった王朝の変遷でありましたけれども、
18世紀、19世紀、これを機に、非常に強力なイギリスのアイデンティティーがつくりあげられると
いうことになったわけであります。そして、そのアイデンティティーの柱になっていたのは、戦争で
あり、宗教であり、帝国であり、政治的な制度であり、そして、それからしばらく経ってからであり
ますけれども重工業です。それはイギリスが産業革命を実現したからであります。
これは非常に面白い側面でありまして、様々な専門家が研究をしております。しかし、このことか
らわかることは、アイデンティティーが政治によってつくりだされるものだということです。もちろ
ん、歴史的な背景もあるわけでありますが、アイデンティティーというのは、思想の基盤であっ
て、その国の活動のもとになるわけであります。そして、アイデンティティーを特定し、そしてそれ
を強化するというのは、歴史の中で行われてきたわけであります。良し悪しは別として、イギリス
のアイデンティティーに関して申し上げるならば、典型的な市民権の実権という形で行われてき
ました。権利と制度へのアクセスが、神話とあいまって英国の利益を生み出す、そういうアイデン
ティティーがつくりあげられてきたわけであります。非常に強力なアイデンティティーでした。
しかしながら、これは150年間ほとんど変わりませんでした。しかし、1950年から今日までこの50
年間で、このアイデンティティーが非常に大きな疑問を持って見られるようになりました。1990年
代に行われた世論調査によりますと、国民の半分が移住をしたいと望んでいるということがわか
りました。英国人であること、これは、自分のアイデンティティーとして中心的な重要なものである
と答えた人は、半分でしかなかったわけであります。そして、昔のアイデンティティーの中心にな
っていた柱がどんどん消えていきました。そしてそれに変わるものが生まれなかったわけであり
ます。したがって、大英帝国は、イギリスの外では50年前には8億人の人々がいたわけですが、
今日では16万8千人に減りました。
そして、政府、制度についての敬意も衰退いたしました。議会を尊重する、尊敬するという人たち
はほとんど、10%にも満ちません。また、50年先にも王室があるだろうという人は30%ぐらいでしか
ありません。プロテスタントも衰退しています。英国が発明したスポーツも、我々は敗退をしてい
るわけであります。
また、経済に誇りを持っているという人は20人に1人しかありません。自分の国の製品が優れて
いるという人は27%しかいません。日本ではすばらしいと、自分の国の製品がすばらしいという人
たちは75%いると聞いております。
それからまた、イギリスのイメージが低下してきたということで、ブリティッシュ・テレコムはBTにな
りました。ブリティッシュ・ホーム・ストアーズもBHSになりましたし、それからまた、消費者家電メ
ーカーも「マツイ」という日本語に聞こえるようなブランドをつくりあげました。日本語のように聞こ
えるからだということであります。マツイというと日本語には皆さんには聞こえないかもしれませ
んけれども、イギリス人が聞いたら、これは日本語だといってもわからないくらい何ですね。そう
いうふうにイギリスの企業も変わってきたわけであります。
また1990年代の終わりには、一貫したイギリスについてのストーリーがありませんでした。
イギリスというのは、物語を語るということが非常に上手なわけでありますが、いろんな物語を
次々に語るものであるから、それが本当かどうかがわからなくなってきているという、そういう状
況も発生しております。そして、現実と物語とは違うということがわかりますと、大変心を痛める
状況になりました。それからまた、世代間ギャップというものも生まれてきています。昔の話は戦
後生まれにはわからなくなってきております。ほとんどの人にとっては国のアイデンティティーと
いうのは、親であるとか、あるいは自分の価値観という、その個人のアイデンティティーと相克す
るようになってきたわけであります。じゃあ、そのアイデンティティーというのは、なぜ重要なので
しょうか。
一つには、アイデンティティーというのは、我々自身についてのアイデンティティー、それだけで
はないから重要であるわけです。つまり、他の人が私たちをどのように見るかと。それから、私た
ちが他の人たちに対してどんなイメージを伝えていくかということ、そのことがあるからこそ、アイ
デンティティーというのは重要であるわけであります。イギリスは通産省でありますとか、ブリティ
ッシュ・カウンシル等と通じまして、イギリスについて、世界にイギリスを売り込むために8億ポン
ドも使っています。また、コマーシャルなども使われることがあります。しかし、共有する前向きの
イメージ、あるいはアイデンティティーがありません。したがって、一番簡単な、抵抗のないアイデ
ンティティー、すなわち、伝統的なものが使われているわけであります。
これについては政府がリードしてきたようなところがあります。たとえば、通常、外交の場面で、
あるいはまた展示会などのようなところでは、チッペンデール式の家具でありますとか、ダンボー
ルに入ったビフィータージンでありますとか、ハロッズデパートとかそういうものがイメージとして
使われているわけであります。それからまた、企業についても同じですね。王室でありますとか、
非常になだらかなイギリスの緑の丘とか、衛兵の交代とか、そういうものをイメージとして使って
まいりました。そしてこのような世襲国家のイメージがマスコミによってつくりあげられ、そして強
化されてきたわけであります。そのほか、様々ないろいろなことが行われています。いろいろな
政府の機関でありますとか、あるいは企業等々がいろんなことが行われているわけであります
けれども、一貫したイメージというものはつくりだされておりません。
たとえば、ある調査が行われました。外国の人がイギリスについてどんなイメージを持っている
のかという調査でありますが、まったく現実とは異なるイメージが抱かれていました。伝統によっ
て影響を受けている、しかしながら、近代的なクリエイティヴィティーあるいはエキサイティングな
ものというのは、イギリスにはないというふうに見られていたわけであります。伝統というのは、も
ちろんイギリスにとっては大切なものでありますが、イギリスのすべてではありません。
外国からやってくる人たちは、イギリスについてのイメージがほとんどないか、あるとしても、天
候が悪いとか、食べるものがまずいとか、人々が友好的でないとか、非常に傲慢であるというよ
うなイメージを持っていた、あるいは人種差別的であるというふうなイメージを持っておりました。
もっと悪いことは、たくさんイギリスの方が来たとしても、なぜイギリスに来たんですかといわれま
すと、いわゆる、外国の人は大昔にあきらめてしまったものを大切にしている、そういう国を見に
来たんだというわけであります。さわやかな風の吹く住宅でありますとか、土のある暮らし、ある
いは伝統といったようなものを見に来たという人が多かったわけであります。しかし、うれしかっ
たのは、本当にやって来てみると、大きくイメージが変わったということであります。
それから、企業についてもやはり同じことが言えるわけであります。1990年代の半ばごろ、イギ
リスの産業界というのは、いつもストライキが多くて大変なところだと業界においても見られてお
りました。しかし、そういうことはほとんどなくなりました。それからまた、製品の質は悪いし、最先
端のものではないというふうに見られていたわけでありますし、払うお金の価値もないというふう
に見られていました。しかし今ではデザインも非常に優れたものになってきています。かつては
イギリスはジャムとかお茶とか、あるいはペイストリー、プリン、洋服や靴、あるいはスポーツカ
ー、モーターサイクル等々、伝統的ないいものは持っていると思われていたわけでありますけれ
ども、近代的なもの、あるいはクールなものはないと見られていました。過去に縛り付けられてい
る、過去にとりつかれていると思われていたわけであります。
しかし、なぜこのイメージが本当に大切なのでしょうか。なぜかといいますと、政治家、あるいは
国を代表するような人たちが、このイメージによって悪影響を受けるからであります。たとえば、
イギリスの、今もってイギリスのイメージであります、帝国主義というようなその古いイメージとい
うのは、フレキシビリティがないとか、そういうふうに見られることでマイナスのイメージになってし
まいます。それから企業もそうですね。フォーチュン500に載るような企業の調査をいたします
と、製品を購入する、ある国から購入する、あるいは投資をするというような場合には、この、国
のイメージが大きな影響を与えます。エンジニアリングの製品であったらばドイツ、あるいは家電
であれば日本、ファッションであればフランスというようなことになってしまうわけであります。明ら
かにイタリアというようなことになってしまいます。
明らかにこのほかにも、たとえば規制でありますとか、教育フレキシビリティーあるいは、製品の
質というものが影響するわけでありますが、すべてのものが同じであるとすれば、やはり、国の
イメージというものが大きな影響を与えるわけであります。ということで、このブリティンTMという
私のレポートの中で、新しいイギリスのブランドをつくりあげる必要があるということを主張したわ
けであります。
このブランドについて、よくある誤解についてちょっとお話をしたいと思います。
どのようにして、この誤解を解くことができるかを考えてみたいと思いますが、まず最初にブラン
ドというのは現実を隠すものだと考えがちであります。ひどい製品の質を隠すために、そのブラ
ンドをつくるというようなことが考えられてきたわけでありますが、しかし、いろいろな企業のトッ
プ、あるいはコンサルタントに聞いていただければわかると思いますが、製品が悪ければ、ブラ
ンドでそれを隠すことはできないということであります。現実と、つまり製品の現実と本物との間
にギャップがあるとすれば、ブランドでそれを隠すことはできない、自分自身をブランドで隠すこ
とはできないのです。自分の行く方向をブランドで隠すことはできません。
そして第一に、日本ではどうかわかりませんけれども、イギリスの場合はそう何ですが、イギリス
においては多くの人が、ブランドをつけるというのは、たとえば旗とか、あるいはロゴなど、ビジュ
アルなものをつくりあげることだというふうに考えていました。ですから、新聞などでは、ユニオン
ジャックをデザインし直そうなんていうことも取り上げられているわけであります。イギリスの旗を
デザインし直したほうがいいなんていうことを考えた人もいるわけであります。
しかし、まず第一に、このアイデンティティーを確立する上で重要なことは、ビジュアルなイメージ
ではなく、その中心となるエトス、物語が大切であるということであります。たとえば、これを同心
円ということで考えてみましょう。一番大切な同心円の中心に来るのがエトスであります。そして
その次に来る大切な同心円は、そのアイデンティティーのもとになる構造、あるいは制度というも
のです。そして最終的に大切な同心円の最後の同心円は、いろいろな広告でありますとか、関
税でありますとか、外国と接するところから送り出されるメッセージであります。それが最終的
な、円周、同心円になるわけであります。
ここで、私にとって、このことを物語るお話をしたいと思うんですが、これは国旗の問題でありま
す。1970年代の後半から80年代の初めに戻って行きますと、たとえば、フットボールでありますと
か、サッカーなどでイギリスの人々が暴力騒ぎを起こしたり、いろいろなことがありました。そし
て、ユニオンジャックというイギリスの旗は、その人種差別でありますとか、あるいは、その暴力
のしるしになってしまいました。イタリアの人でも、このイギリスの旗を振って暴力をふるうという
ようなことになってしまったわけであります。
スパイスガール、あるいはジェリーハルウェルというような人たちが、ユニオンジャックで衣裳を
つくって着るようになりました。彼女がそれを、その衣裳を着た時にはまったく違うイメージがイギ
リスについて、生み出されていたわけであります。クリエイティヴィティー、あるいはその熱意、パ
ッション、そしてグローバルというような、そういうイメージがつくりあげられていきました。旗は同
じだったわけですけれども、それによって物語られるストーリーというのは変わりました。つまり、
物語、その物語が語るところの価値、価値観、そしてそのイメージというものが重要になるわけ
であります。
では、英国に関して何ができるでしょうか。まず私たちはリサーチを行いました。つまり、どういう
ストーリーでもってイギリスのいいところを反映できるか、これは90年代後半に行いました。そし
て、過去の価値というもの、我々誇りの持てる過去の歴史と、そして、自分たちの望む将来の方
向を考えました。そして、具体的な現在の状況に関連したもの、それを考えました。その結果6つ
のストーリーができあがりました。これを簡単にご紹介したいと思います。それぞれすべて現実
のものであり、現在の英国の状態を反映しているものです。
まず最初に、Hubとしての英国ということです。Hub U.K。つまり、英国は確かに島ですが、決して
孤立していたわけではありません。むしろ、この大陸のどの国よりも他の国とつながっています。
Hubとして中心時として商品とかメッセージ、アイデアが交換されるところ。ヨーロッパとアメリカの
橋、架け橋、南北、東西をつなぐものでした。これは歴史の中でもそうでした。大英帝国でさえ、
これもまた、この海底ケーブルから、それから無線網、そして貿易航路、様々な交流が行われま
した。そして、今でも大勢の移民が入ってくる国であり、また多くの投資も行われており、インド料
理から日本のメーカーまで様々な文化が流れ込んできます。
そしてかつてないほど、このHubとしての性格が強くなっており、そこで我々としてはこの性格を
訴えつつ、一方で、EUに加盟したということから、ジャパンテレコムの株式を獲得することを通じ
まして、電気通信業界の強さとか、あるいは英語の成功とか、そういったこと、あるいは輸出入、
そして人々の出入り、そして迅速さ、そして軽さ。こういったことを表そうとしました。それからハイ
ブリッド国家であるということ。つまり多様な要素が一つになっているということです。
しかしアメリカのようにるつぼではありません。いろんな背景や民族の人たちが一つの国にやっ
てきて、一つの型にはまるということではなく、むしろ多様性の中で繁栄している、そして自らを
常に新しく再生していくという国です。
たとえば、私たちの言語も、料理も、様々なものが混ざり合っています。たとえば、一番有名な小
売店はロシア系のユダヤ人ですし、有名な作家といえば、サラマ・ルシディのような人がいます。
この人はもとの植民地から来た人です。それからポップミュージックといえばいろんな影響を受
けていて、イギリスのミュージックホールからアメリカのブルースも入っているし、そしてまた、こ
の、女王陛下の家系でさえ、ドイツ系、デンマーク系、そしてギリシアの祖先を持っているわけで
あります。ということで、ただ単に、民族が交じり合っているというだけではない、フリーメイソンも
いれば、紳士のクラブもある、パンクもいればいろんな夢を見ている人もいるというようなところ
です。そして、こういったハイブリッド国家であるということから、常にハイブリッドな形を生み出し
ている世界には、より合っていると言えます。
3つ目がクリエイティブネイションということです。わが国のエトスというのは個人主義ということで
した。決して一つの色に染まらないということ。これはシェイクスピアとか、ミルトンとか、それから
フランシス・ベーコン、こういった人を見ても明らかですが、しかし、アートの世界、あるいはデザ
イン、建築、音楽、コンピューターゲーム、映画、ファッション、こういった現代の状況を見ていた
だいてもわかると思います。そしてまた、私たちの心の中でも、常に何か新しいものを探していま
す。新しいテレビ、新しい物理の法則など、いろいろなものを求めています。これこそがすなわ
ち、創造性、クリエイティヴィティーと発明の最先端に立っている国であり、あらゆる学問分野で
世界に先駆けていた国でした。
小さな島国であっても大きなアイデアを詰め込んだ国です。
そして4つ目がビジネスのために開かれた国ということです。ナポレオン皇帝は、かつてイギリス
のことをこんなふうに揶揄しました。「あれは単に店屋が集まっているような国さ」と。これは決し
て侮辱ではありません。むしろ今日においては、これはナポレオンの時代よりも、もっとそれは確
かだと思います。つまり、イギリスの企業というのは、実際、特に世界の小売業の分野におきま
して、主流を占めています。たとえば、世界の中でも、イギリスのスーパーマーケットが大きなシ
ェアを持っておりますし、また小売業ということについて、常に新しいアイデアを見出そうとしてい
ます。日本ではBody Shopも有名ですが、こういった形で新しいいろいろな小売業が行われてい
ます。24時間の営業とか、あるいは金融業などに関しても、おそらくイギリスが最も先進国の中
でも進んだものであり ましょう。
小売とかサービスだけではありません。イギリスにおける重要な変化としては、すなわち、ビジネ
スにおいて、かつて与えられていた30年、40年前の古い烙印を消し去ったということにあります。
今、若い人たちがますます自営業を目指しています。つまり、いわゆる起業家になろうとして自
分の会社をつくっているわけです。そういった会社がそこらじゅうにあります。いろいろな意味で、
言ってみれば、やり手の起業家が常に新しいビジネスのやり方を模索している国といえます。
そして5つ目のストーリーですが、イギリスが、静かであるけども革命的であるということです。決
してストリートファイティングが行われている国ではありません。しかしながら、かなり深い意味で
革命的であるといえます。つまり新しい組織を常につくっており、そしてまた、新しい状況に常に
合わせようとしています。イギリスは産業革命を、先ほど申しましたように、世界に先駆けて始め
ました。産業革命を脱したのも世界で初めてでした。そして世界に先駆けて初めて民主化を図り
ました。そしてまた、経済に関しても民営化を行いました。そしてまたイギリスは、実に数限りな
いほどの、様々な制度モデルを世界に輸出しています。すなわち、市民向けのサービス、郵便、
また、議会制民主主義、大学、スポーツ、そういったもの、いろいろであります。しかも、さらにそ
れらを手直ししています。
最後に、イギリスはフェアプレーの国というのがストーリーです。チームとして情熱、共感、そして
また敗者に対しても支援を提供するという国です。今日のイギリスを見て、どんな制度がこういっ
た人々の尊敬を集めているか、人気が高いかといえば、まず第一に何といっても、まず議会とい
ったら、たぶん今まで80%ぐらい尊重されていたのが、今は10%ぐらいになってしまったかもしれま
せん。しかし、医療サービスということになれば、もう国民のアイデンティティーの核心にありま
す。医療サービスこそが、包括的な税制の元で運営されています。
これは無料であり、そして、いってみれば、我々の制度を一つにつなぐ重要な要素です。
もう一つ、人々が自分たちの生活の中でなくてなはならないと考えている制度として、ボランティ
ア組織、慈善組織があります。慈善団体です。現代のこの慈善活動というのも、わが国でつくら
れたものです。また社会的な起業家の国であるとともに、成人の半分はこういった、何らかの形
でボランティア活動を行っております。そして、こういった慈善活動をあらゆる人たちがサポートし
ています。
すなわち、王族だけでなく、企業においてもボランティア活動をサポートしています。そして、さら
にこれらが、お互いに一つの円となって結び合い、そして新しいストーリーをイギリスに関して物
語っているわけです。単に、過去を捨て去るというのではなくて、それぞれが長く、強力な歴史を
持っているものですが、将来と過去をつなぐものであり、また90年代後半におけるイギリスの強
力なステイトメントです。19世紀のことではありません。
そして、制度というのは時として現実とは外れてしまって、動かなくなってしまうものがあるわけで
すが、そういったものではなく、我々の新しいアイデンティティー、トレードマークを21世紀へ向け
て打ち出そうとしています。でも、ストーリーだけがあればいいというわけではありません。ストー
リーについて国民の意見が一致したら、今度はそれをいかに世界へ向かって投影していくか、
投げかけていくか、ということが重要です。トニー・ブレア首相、彼は、いろいろなスピーチの中で
イギリスらしさということを訴えています。また、外務大臣のロビンクックはパネル2000というのを
つくりました。これは官民のメンバーから構成されているもので、イギリスを世界にどうやって訴
えていったらよいかということについての意見を述べる諮問会議です。それだけでなく、あらゆる
レベ ルにおいて、世界に向けてこういったストーリーを訴えようとしています。
私自身もいろんな勧告を行いました。その多くは実施されています。しかし、必要なのは、どうや
ったら人々の目に我々が映るのかということです。つまり、私たち変わったというんではなくって、
ほかの国の国民と交流することで初めてそれがわかるわけです。そこで空港とか駅とか人々の
行き交うところにおいて、文化の一番いいところが打ち出されるようにしました。こういったところ
で人々を歓迎し、あらゆる旅客に 対してはどこの国からの人であっても、その人たちを歓迎しな
ければなりません。たとえば、世界中において、建物はどんどん高齢化しているような状況があ
るわけですが、そういった中で、いかにしてこの過去を新しい時代に合わせているかということを
考えていかなければなりません。イギリスというのは、いってみれば、おそらく世界のどの国より
も多くの国と関係を持っています。まあ、帝国主義があったからですが、 時としてこれは苦い思
い出をひきずっています。
これは、もしかしたら、おそらくお互いに学び合って教訓を得ることもできるんではないかと思い
ますが、こういった大英帝国の過去を今度こそ葬ろうということで、私はレポートの中でヒーリン
グツアーという、癒しの旅というのを過去の植民地を対象に考えました。そして、これからはパー
トナーシップと貿易関係をつくりあげていこうではないかということを訴えました。おそらく変化の
中で最も重要なのは、この、人々 とのやり取りの中で、何といっても人同士の関係、これをあら
ゆるレベルにおいて、学校において、若者の団体、NGO、観光客、科学者、大学、さらには政
党、地域社会こういったあらゆるレベルにおいて考えることです。
普通の人たちの間の仲間意識というのは、私たちの国に対するイメージを変える上で大きな影
響を持っているでしょう。そしてこれこそがグローバル化に対して大きな影響を持っているわけで
あります。イギリスというのは、決してこの数千人の外交団の外交努力に頼るのではなく、むしろ
6千万人の国民一人一人が自分の国の大使になるべきだと訴えました。というのも、結局、普通
の人たち同士の会話というのが一番弾むわ けであります。ですから、そういった中において、何
といってもアイデンティティー自体を真剣に取り組んでいかなければなりません。これ以上詳しい
ことは時間がないので申し上げられませんが。
しかし、最後にひとこと。このプロセスというのはもちろん簡単に済む、すみやかに解決がつくも
のではなくて、徐々に変わっていくものであります。しかし、こういった新しいアイデンティティー、
これを真剣に立ち向かうということに関して、おそらく日本もイギリスも同じようなプロセスにあう
のではないかと思います。若い人たちはおそらくこういったアイデアを抱えているでしょう。日本
が持っている伝統的な価値に、新しい意味を与えていく。政治的な環境の中でも、情報革命とグ
ローバル化という枠組みの中で新しい意味を与えていくということはできるでしょう。ますます、
各国がオープンになり、そして柔軟になっていく中において、いろんな会社を先ほどご紹介しまし
たが、イギリスの企業というのも、確かに20年前には日本には進出していませんでした。
そうなりますと、この時代においては、世界に向かって自らを開いていくというチャレンジがある
わけですが、同時に過去のよいところは維持していかなければなりません。ミレニアムというの
は、いってみれば、あらゆるすべてにとってのモーニングコールでした。つまり、過去の世紀にお
いて自分たちが置いてきたものに関して、何を置いていきたいのか、何を持っていくのかというこ
とを決めていかなければなりません。 そういった中で、ドットジェイピーというのは、このプロセス
の中でとても重要な役割を果たすでしょう。
そして、皆さんが日本でつくっているネットワークと、そしてコンタクトは、日本でも、そして世界で
も、これから21世紀のガバナンスをつくっていく中で、重要な役割を果たすと思います。どうもあ
りがとうございました。
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