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論文メモリと商法

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論文メモリと商法
2005 年 6 月号
●巻頭言 北里 一郎 …………………………………………………………………………
1
●巻頭対談
̶経営学者が語る̶
文理融合の産学連携、文系の産学連携 ……………………………
2
研究者発ベンチャーは難しいことではない ̶「軽量経営」のススメ̶ 武内 一夫 ………………………………………………………
●連載
8
國領 二郎*沼上 幹 ●特集
地域産学官連携「強さ」を探る
上毛地域における大学と町の共生
̶北関東産官学研究会の取り組み̶ 根津 紀久雄 ……………………………………………
産学官連携をマネジメントする
技術移転エージェント̶民間からの活動報告 原 健二 ………………………………
13
19
実録・産学官連携
(財)
大阪科学技術センターにおける産学官等連携への取り組み①
̶
̶ 八木 嘉博 ……………………………………………
産学官等連携のOSTECモデル
●産学官連携事例報告
産学官連携によるバイオベンチャー設立まで
̶大学教官とバイオベンチャー取締役の両立を目指して̶ 黒田
22
俊一 …………………………
25
………………………………………………
29
●産学官連携海外トレンド報告
産学官連携教育̶コーオプ教育の現状と展望 スージー・K・チョードリ ……………………
32
●イベント・レポート
産学連携学会 第3回徳島大会 開催報告
̶スムーズな大会運営のもと、活発な議論が展開̶ ……………………………………………
36
●編集後記 …………………………………………………………………………………
37
●特別寄稿
ニーズデータベース構築に向けて
下平 武
Vol.1 No.6 2005
北里 一郎
食料と医薬を業とする弊社では、これら事業の中核となるビジネス展開を産学
官連携の推進によって加速、拡大し、あわせて社会や消費者のニーズに応える商
品・情報の創造、提供を行ってきた。以下にその代表例を紹介したい。
北里 一郎
(きたさと・いちろう)
明治製菓株式会社代表取締役会長
食料では、チョコレートの栄養追求とその情報普及を産学連携下に推進してい
る。チョコレートは昔から、おいしさとともに健康への寄与が知られていたが、
この健康面にも科学的なメスを入れるべく、学(医、薬、農)による研究会を編成、
多面的で学術的な評価を行った。まず、健康に関与する物質がチョコレート原料
のカカオマスであり、Ca、Mg やビタミンB群など栄養に必須の成分を豊富に含む
ことを確認した。
さらにカカオポリフェノールという新規成分にも着目、この物質に生体内抗酸
化作用(動脈硬化抑制)と抗う蝕作用(虫歯菌の繁殖抑制)があることを見いだした。
その成果は、逐次、国内外の学会と関係企業で編成したチョコレート・ココア
国際栄養シンポジウムで発表するなど、国際性、科学性、信頼性に裏づけられた
データとして一般に広く啓発してきた。
話はかなりさかのぼるが、医薬品では創薬の嚆矢(こうし)とされる抗生物質ペ
ニシリンの工業化に産学官連携の成果を見いだすことができる。終戦直後、保健
衛生向上が我が国喫緊の課題とされた当時、厚生省(現、厚生労働省)は感染症対
策の切り札として産学官合同のペニシリン実用化推進を健康関連の重点施策に掲
げた。
「日本のペニシリンを完成し国民の福祉に貢献する」とのスローガンの下、官は
傘下に設けた産学連携組織の(財)日本ペニシリン学術協議会や日本ペニシリン協
会に指導、助言を与えるなど、官主導の連携システムを構築した。
それを受け、学は学術評価や生産技術検討を行い、産は官や学と協調しつつ増
産への取り組みに邁進した。なお、産は、工業化に際して技術供与やアドバイス
を受けた学に対し寄付金や研究費提供で報いるという連携推進の「正のスパイラ
ル」を形成、この仕組みがペニシリンの実用化と保健向上に貢献した。弊社は産
の中核として本プロジェクトに参画、1946 年のペニシリン製造に関する承認取得
以降、一貫して「抗生物質の明治」として高い評価を得ている。
我が国は、世界最速で少子高齢化社会に突入した。生活習慣病予防、健康寿命
延伸などを目標とした「健康日本 21」の実現が不可欠である。官は戦略立案と
重点的予算投入を、学は医療高度化による罹患者数の減少と早期社会復帰促進を、
また産にあっては効果の確実なテーラーメイド型医薬・食品の開発推進を自らに
課せられた責務と認識し、成果を早期に実現していく必要がある。
幸いにして我々はバイオやナノテクという革新的な研究・技術ツールを手にし
た。国家レベルの壮大な産学官連携の枠組みの下、健康バイオ産業ともいうべき
新たな産業を興すことによって、活力ある社会、持続的な経済成長を実現すると
ともに、高齢化社会を迎える欧米諸国の産業政策をリードする好機でもある。
「健康」を経営の柱に掲げる弊社も、これまでの経験を生かしつつ、産学官の一
員としてこの取り組みに参画し、健康を機軸とした21世紀の我が国経済、社会実
現に微力ながら貢献できるとすれば、これに勝る喜びはない。
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
2
巻 頭 対 談
◆文理融合で「死の谷*1」を越える
國領 二郎
沼上 國領さん、KBS(慶應ビジネススクール)から SFC(湘南藤沢キャン
パス)の方へ移られていかがですか。
國領 前と今とでは、やっていることがまったく変わりましたね。もちろ
んそれが狙いで移ったわけですが……。
沼上 ビジネススクールでは飽き足らなくなった?
國領 技術者から離れた所にいると、すでにビジネスでやられていること
の後追いになってしまいがちで、ビジネスになる前の川上の段階から追
ってみるのが難しい。私の場合、ネットワークビジネスの研究が多いの
で、工学系の人たちとコラボレーションすれば、川上へ踏み込むことも
不可能じゃないから、いつかそこをやってみたいなと思っていました。
SFC のネットワーク系の人たちとは、以前から交流はありましたが、も
っと密接に共同してみたいという思いが募って、2 年前についに移るこ
とにしたわけです。
沼上 実際、望みどおりの研究はできていますか。
國領 ええ、技術開発、アプリケーション開発から関与して、実証実験を
通じて、その技術の使用前と使用後で、人間の心理や行動がどう変わる
かを測るというところをやってみたかったわけですが、今のところまさ
にどんぴしゃりな研究が展開できています。さらにはインプリメンテー
ション、つまり川下で世の中にそれが広がっていくところまで面倒みた
いという欲張りなことを考えています。
沼上 SFC はいわゆる文理融合をうたっていますよね。
國領 プロフェッショナルスクールと文理融合を標榜しています。確かに
SFC は、日本の中ではかなりうまく文理融合ができているほうだと思い
ますが、それでも言うほどに簡単じゃないです。理系と文系のカルチャ
ー・ギャップ、コミュニケーション・ギャップは厳然としてあります。
発想とか見ているところとか、全然違いますから。もちろんその違いを
乗り越えてコラボレーションすることに意味があるわけで、苦労しただ
けの見返りも大きいです。
沼上 産学連携とか共同研究において文理融合することの価値というか、
文系の果たせる役割って、どういうところにあるのでしょうか。
國領 工学部の人がつくったものに、文系の視点から「意味づけ」をする
ことじゃないかと思います。工学系の人たちも、それなりにアプリケー
ションまで考えて、「こんな面白い道具つくったから、なんか売り方考え
てよ」ってやってくるんだけど、ところが工学の先生の製品アイデアは
たいてい売れそうもない(笑)。やっぱりその一歩手前で、文系の視点で
技術に意味づけを与えることがとても大事です。
例えば、今は電子タグ(RFID)*2 をメインにやっています。電子タグと
(こくりょう・じろう)
慶應義塾大学 環境情報学部
教授
沼上 幹
(ぬまがみ・つよし)
一橋大学 大学院 商学研究科教授
*1:死の谷
技術革新を産業に結びつける際
に、その高い技術力を実際の事
業に転換できない状態を主に指
す。これを解決するには、研究
開発部門と事業部門、あるいは
大学・研究機関と産業との緊密
な連携マネジメントによる新し
い仕組みが必要とされる。例え
ば、社内発ベンチャー、スピン
アウトベンチャーや異業種との
提携等を通じた休眠研究成果の
迅速な事業化の必要性が指摘さ
れている。
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
2
いうのは、あらゆるモノにユニーク ID を振ったタグを貼り付けて、例え
ばそれが今、流通過程でどこにあるのかとか、ユーザが品質や成分情報
などの詳細が分かるとか、いろいろな用途が考えられています。私たち
はこの電子タグが持つ社会的な意味に、「可視性」という名付けをしたん
です。この可視性という概念から、いろんなビジネスの可能性が見えて
くる。今はまだ企業秘密であまり言えないんですが(笑)。
産業社会は、この 150 年の間に、商品を大量生産して一挙に散らばす
ことのコストを大きく縮めることに成功してきました。で、今何が起こ
っているかというと、POS(Point of Sale)からインターネット、そして
電子タグによって、逆に散らばっているものを再集約することのコスト
が下がってきているわけです。とりわけ、電子タグが持つ「可視性」と
いうものがビジネスに与える影響の大きさは、計り知れないものがあり
ます。
沼上 いわゆる産学連携の「市場イノベーション」
のところを、文理融合でやるということですね。
國領 そう、まさに研究と実用化との間に横たわ
るといわれる、
「死の谷」を越えるプロセスです。
結局、かなり先の市場の見通しを、社会の変化、
人間の変化まで含めて、実証まで含めて立てて
おくところまでやれないと、大学のシーズを「死
の谷」の向こう側へきちんと渡すことは、なか
なかできないと思います。
沼上 やっぱり SFC は工学系の発想があるから、
産学連携についてもインフラからきちんとして
いるんでしょうね。
國領 組織的なインフラはかなり整っている方じゃないでしょうか。案件
をホイって投げると、事務的なことはやってくれるし、決算も自動的に
やってくれますから。ただし上前もきちんと取られます(笑)。
*2:電子タグ(RFID)
RFID(Radio Frequency
IDentification) は、無線・電磁
波で ID を識別するシステム
である。電子タグは小型の安価
なチップで、メモリと通信回路、
アンテナで構成される。無線を
通じてメモリに格納されている
データを読み書きできる。この
ような性質により、この電子タ
グをものに貼り付ければ、物流
(バーコードの代わり等)管理
やセキュリティ(固有認識等)
用途などさまざまな目的に利用
できる。
◆文系の産学連携としてのコンサルティング、MBA教育
沼上 なんか、楽しそうだなあ(笑)。お話を聞いていると、やっぱりユニ
バーシティだなって感じがしますね。それに比べると、うちはカレッジ
でしょう。語源のユニバース(世界)とコリーグ(同僚)の違いを、その
まま表しているような……。
國領 一橋はどうですか。
沼上 まず、理系との接点がほとんどないですし、TLO(技術移転機関)
のような意味での産学官連携のブームからはかなり距離があるというか、
実感がなかなか持てないところにいます。産学連携という意味では、企
業へのコンサルティング的な情報提供とか、MBA(Master of Business
Administration:経営管理修士課程)教育とか、純粋に文系の連携になり
ますね。
國領 MBA は、だいぶ社会人の入学生が増えてきたんじゃないですか。
沼上 そうですね。今は商学研究科全体で 80 名ほどの修士の学生がいて、
そのうち 60 名くらいが MBA コースです。一方では大学院大学化の波の
中で、きっちり質の高い研究者を育てていくという課題を抱えつつ、こ
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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の人数の比重を考えると、どうしても MBA 教育が中心になっているの
が現実です。
國領 企業との相互作用はやっておられますよね。
沼上 それもようやくここ 10 年ほどですね。わずか 10 年前はまだ「産学
連携なんて悪」という時代でしたからね。
じつは今、21 世紀 COE プログラム *3 の一環として、企業 20 数社と
のコンソーシアムを組んで、長期的な連携の取り組みを始めています。
例えば、各企業のビジネスユニット(BU)の組織の重たさを測定したり、
BU 長にあたる方々のキャリアの調査を行って、リーダーの類型化を図
るなどの研究に取り組んでいます。参加企業の方々には、これらのデー
タをもとに、問題点の洗い出しや、改善案などのフィードバックを行い
ます。
國領 まさに実学の精神にもどっての産学連携ということですね。
沼上 ええ。一橋大学の建学の精神、もともとの「商法講習所」の精神に
もどって、「アドバンスト算盤学校」を創ろうと(笑)。ただ、今や簿記
や貿易実務を学ぶことが大変な進歩であった時代とは違うわけです。今
の時代にあった実学、それも大学でしかできないことを教えなければ意
味がありません。
その中核になるのが、「理論構築」の力だと思っています。中間管理職
でいえば、企業のマネジャーに必要とされる能力とは、「何か問題が起き
ているその場所で、問題解決のための理論を即興で創り出せる人」とと
らえるべきです。その場しのぎの対応ではダメ。自分なりに理論化でき
て、合理的で妥当な解決方法を出せる、そんなマネジャーを育成するこ
とが、MBA 教育に本来求められているものだと、そう考えています。
この間の文部科学省の、専門職大学院化の政策で、あちこちに社会人向
けの大学院がたくさんできました。しかし文科省の方針にしても、あまり
にも「実務重視」に寄りすぎていて、いちばん大切な「理論化」とか「深
く考える力」がおろそかにされている、そんな気がしてなりませんね。
このあたりの専門職大学院化の影響、KBS の方ではどうですか。
國領 幸いなことにというか、KBS はそれよりも早い段階で立ち上がって
しまいましたから、あまり外からの影響を受けずに、独自の方針でやっ
てこられたと思います。専門職大学院
化はまだしていません。
沼上 コンサルティングとかの提供は?
國領 まだ KBS では、個人レベルの受
託契約が中心だと思います。もちろ
ん、エグゼクティブプログラムなどの
教育研修は提供しています。一橋でも
やっておられると思いますが。
沼上 ええ、うちのエグゼクティブプロ
グラムは、4∼5社という割合と絞り
込んだ数の企業に参加していただい
て、執行役員になる手前くらいの方々
を対象にした教育を行っています。
*3:21世紀COEプログラム
大学の構造改革の方針(平成13
年6月)に基づき、平成14年
度から文部科学省が研究拠点形
成費補助金を措置した。このプ
ログラムは我が国の大学に世界
最高水準の研究教育拠点を形成
し、研究水準の向上と世界をリ
ードする創造的な人材育成をは
かるために重点的な支援を行う。
国公私立大学の大学院レベルを
対象に世界的な研究教育拠点を
形成するための事業計画を公募
形式で募集し、審査で年間10
∼30件程度選定する。選定さ
れた事業計画に1件あたり年間
1千万円から5億円の資金を提
供する。
慶應義塾大学大学院 情報・電
気・電子分野21世紀COEプロ
グラム
http://www.coee.keio.ac.jp/
一橋大学21世紀COEプログラム
http://www.cm.hit-u.ac.jp/
coe/index.html
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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◆マクロな人材育成の観点から日本の社会人大学院を見直す
國領 ずっと気になっていることが一つあって、日本の社会人大学院とい
うのは、いったい米国型のマスター教育中心なのか、あるいはヨーロッ
パ型のドクター教育中心でいくのか。この点について、じつはまだはっ
きりと議論されてきていないし、いまだに不明瞭という気がしているん
です。
沼 上 一 応、 専 門 職 大 学 院 と し て、MBA と か MOT(Management Of
Technology:技術経営)がたくさんできてきてはいるけれど、そこで終
わりなのか、あるいは MBA ではなくむしろ博士号を取得した人が企業
経営にあたる、という考え方もあり得ますね。その辺りは、確かにまだ
あいまいですね。
國領 ヨーロッパだと、政府で上の方へ行くには、ドクターを持っていて
当たり前だし、企業の経営者とか管理職の人たちも、かなりの割合でド
クターを持っていますからね。MBA とかが流通してきたのは、それこそ
ここ最近の現象でしょう。
沼上 結局、これから日本の企業がどういう人事体系でいくのか、あるい
は個人がどういうキャリアパスでいくのかという、日本社会のあり方と
大きく関係してくる問題です。
國領 そこの問題について、われわれの業界(笑)も、もっと戦略的に考え
るべきじゃないか。社会人教育の目指すべき理想像は、さきほど沼上さ
んがおっしゃったように、「即興で理論が創れるマネジャー」とか、そこ
はかなりはっきりしているわけです。あとは、キャリアパスに応じたプ
ログラムのポートフォリオですよね。
沼上 今、うちの MBA コースでは、30 歳前後の人を想定対象にしていま
すけれど、さらに 40 歳前後で企業経営についてみっちり考える機会を
与えて、博士号取得を目指すという、そんな人事体系があってもいいの
かもしれないですね。
國領 とはいえ、研究者になるには、もうポストが頭打ちで難しい。
沼上 いや本当に、ドクターが急激に増えてきて、もう人余り状態でし
ょう。残念ながら、現在の社会科学系ドクターの供給によって、今後、
徐々に需要が喚起されるということは起こりそうにありません。十分な
品質管理ができていない場合が多いですからね。これは完全に政策の失
敗ですよ。
國領 これからもっと増えますからね。
沼上 当分の間、世の中の混乱が続くのでしょう。
國領 アメリカやヨーロッパでは、いちばん優秀な層にはそういう産学官
の人材流動性がありますからね。もしかすると中国や韓国など、ほかの
アジア諸国の方が、それは日本よりあるかもしれません。
ここで一度、日本の中で人材育成をマクロに考えたときに、MBA を取
得した社会人、あるいはドクターを取った社会人に、どういうキャリア
の流れとどういう市場がありうるのかというところを、需要予測までき
っちり分析する必要があるんじゃないでしょうか。
ただ、じつはそれ以前の問題として、日本の企業がバブル以降、30 代
の教育に顕著にお金を出さなくなっているという傾向があります。これ
は、決して 30 代の教育をおろそかにしているからではなくて、リスト
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
5
ラで中間管理層をがくっと減らしたから、彼らはめちゃめちゃ忙しくて、
まともな教育なんか受けさせている暇がない。会社としても「行ってこ
い」と言えなくなっているということです。その代わり、企業はもっと
上の世代のエグゼクティブプログラムにお金をかけるようになっていま
す。このギャップの問題は深刻だと思います。本当に受けるべき人が、
大学院教育を受けられていないという実態があるのではないでしょうか。
◆大学はパブリックドメインの知識を生む装置だ
沼上 話は産学連携に戻りますが、産学連携をしていても、相手企業寄り
になりすぎずに、大学としての独自の立場を維持することは難しくない
ですか。
國領 確かにね。結局、大学というのは、企業とは違って、基本的にはパ
ブリックドメインの知識を増やす装置なんですよ。
われわれの電子タグの研究にしても、企業からの連携のお話はとても
たくさんいただきますが、スクリーニングしていくと、結局残るのはそ
のうちわずかです。というのも、われわれは何のために企業と連携した
いかというと、技術を移転することが一義的な目的なのではなくて、究
極的には「川上」の研究、つまり基礎研究をやるための研究資金がほし
いからなんです。
例えば電子タグを本格的に運用するには、セキュリティーやプライバ
シーの研究とか、人間心理・人間行動の研究がとても大切になります。
もしも将来、電子タグを使って、食品の成分、添加物、原産地、すべて
の詳細なデータがどこかで表示されて見られるようになったときに、消
費者は果たして本当にそれを見るのかとかね。
沼上 見ないかもしれませんね。「電子タグを使っている」「情報公開され
ている」というその事実を知るだけで十分に安心感を得て、わざわざ見
に行くまでもないと。
國領 そう。実際、そういう研究データはすでに出ています。こういうデ
ータは、やはり文系の基礎研究が提供する知見として、「死の谷」越えに
も重要な意味を持つんですよ。だから、研究開発ステージの早い段階で、
こうしたデータを含めて特定企業に占有していただくということはでき
ません。こちらの条件を呑んでくれる企業、例えば「この知財は公開し
ますよ」「このデータは論文に自由に使わせてもらいますよ」といった条
件を受けてくださる企業を選んでいくと、
ほんの一握りの企業しか残りません。も
ちろん研究資金の桁も、がくっと1桁下
がります。
妥協して一挙にお金を稼ごうと思えば
できなくはないんだけど、そうしたら1
年後には、研究室はみんな死んでますね。
院生は疲弊しきって、研究や論文どころ
じゃなくなる(笑)。
沼上 いや、それはまったくその通り。わ
れわれも短期的な収入や寄付金の最大化
を目指して産学連携に力を入れすぎたら、
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
6
知らないうちに大学としての研究力量・教育力量が大幅に落ちるという
ことになってしまうと思います。
國領 企業の下請け的な仕事だったら、「院生に市場レートの報酬払えます
か」と言います。これ、強気でもなんでもなくて、本当にそれくらいの
気構えで来てもらわないと困るんです。
どうも今の知財ブームで、大学外の方々に大きな誤解があるのは、大
学の店先にりんごやぶどうやバナナが並んでいて、一山いくらで売って
いるみたいな感覚でおられるようで……。産学連携というのは、「知財を
創りこむ」ところから一緒にやらないと意味がありません。
沼上 実際にそこに取り組んでおられるからこそ、その言葉に説得力を感
じます。
國領 ちょっと前の景気の悪かった時には、企業は1年先にモノになる技
術しか追ってなかった。それが今はやや持ち直して、それでも3年先が
いいところです。ところが大学というのは、10 年、20 年先にようやく
モノになるかどうかという研究をしているところなので、このギャップ
を双方がどこかで埋める努力、折り合う努力をしないと、なかなか本当
の意味で、産学共同研究を成功させるというのは難しいと思います。
沼上 なるほど。いやなんだか、國領さんが経営学者じゃなくて、工学系
の先生に見えてきました(笑)。
司会進行・構成/田柳恵美子(本誌
編集委員)
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
7
はじめに、起業をするきっかけについてお教えください。
武内 初めは、起業するつもりは全然ありませんでした。きっかけは簡単
に言えば有馬先生(有馬朗人:理化学研究所理事長/平成5年 10 月∼平
成 10 年5月)が「誰かやる人いないのか」とおっしゃったことに尽き
ますが、そこに至るにはいくつか伏線がありました。一つは、父親が商
社マンだったということ。それから、近代においては商人と職人、現代
でビジネスマンとエンジニアが価値をつくってきたという認識が、もと
もと僕にはありました。だから、理研のような公の機関で研究している
人間も、実は社会で商人と職人がつくってきた価値を高めるために「お
まえら、給料をやるから」と国民に言われてやっているようなものだと
思っています。また、理研で工学をやっているので、せっかく給料をも
らってやるからには、民間企業でやれないような科学技術を社会に出し
ていくようなことをやりたいと思っていました。ベンチャーというのは
その実現のためのいい機会だとは思いました。そんなわけでベンチャー
をやることに抵抗感はありませんでした。
武内 一夫
(たけうち・かずお)
ワイコフ科学(株)代表取締役社長
会社というのは比較的簡単につくることができましたか。
武内 実は僕の父親は先ほど申しましたように商社マンで、すでに引退し
て経済関連の洋書の輸入などを行うために自分の会社(ワイコフ興業)
をつくっていました。それで有馬先生が「誰かやらんか」とおっしゃっ
たときに父親に「定款変えてくれる?」と相談しましたら「いいよ」と
言われたので、社長をそのままにして、事業を始めました。そのときに
「どうせ素人がやるのだから、『在庫は、なし』の受注生産、『工場は、な
し』の OEM *1 という軽量経営でやりなさい」という助言をもらいました。
その後、やり方がわかったので、ワイコフ科学(株)をつくって、事
業を移しました。一方では、有馬先生に声をかけていただく前に、DMA
(Differential Mobility Analyzer:微分型静電分級器)を気に入ってくれた
人が何人かいて「あれをつくってくれよ」とか言われていたので、欲し
い人がいるということはわかっていました。
僕はよく言うのですが、基本的には研究者発ベンチャーは素人がやる
スモール・ビジネスですから、パンをおいしく焼ける主婦が駅前にパン
の店を自分で開くようなノリで、まあまあそんなに大した野心を持たず
に、お客が「おいしいな」と言ってくれればいいというつもりで始めた
ら良いと思います。
JST 編集部員 ワイコフ科学の ワイコフ について名前の由来をお聞
かせください。
*1:OEM
(Original Equipment Manufacturing)
相手先ブランド商品
製造。
武内 ワイコフというのは、ニュージャージー州の北にある町の名前です。
僕は 67 年から 69 年まで米国の大学に学部の学生として在籍しました。
そのときに僕の父親が商社のニューヨーク支店長をしており、自宅があ
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
8
ったのがワイコフという郊外の住宅街でした。だ
から、どちらかというと懐かしいという思いがあ
り、ワイコフの名前が気に入っていたので、それ
に科学という言葉をつけました。
由来を聞かれた際にきちんと説明できるよう、
ワイコフ科学のホームページには、
「アメリカのベ
ンチャースピリットを忘れないために、この名を新
会社にも継承しています」と記載しています(笑)。
ワイコフ科学の業務内容についてお教えください。
武内 ビジネスとしては、さまざまな用途に応じた
カスタムメイドの DMA をつくることに特化してい
ます。例えば、ある家電メーカーが、体に良いと言われている水の負イ
オンクラスターを発生させてエアコンから風と一緒に吹き出したいけれ
ど、水クラスターのサイズを測るための装置をつくってくれないかと言
ってこられたことがあります。それに対していろいろ検討し、DMA の仕
様を決めて、注文を受け、受注後3カ月で製品を納めるということをや
りました。これが基本的な我々のビジネスのスタイルです。
このやり方を過去6年以上やってきましたが、だんだん DMA 市場が
大きくなってきました。特に自動車関連の排ガス用の測定器というのは
今国際標準化が進んできて、あと数年以内に規制が始まる見込みですの
で、量産を視野に入れなければならなくなってきました。しかし、我々
では量産ができませんから、昨年の3月に島津製作所と業務提携契約を
結びました。というのは、市場が拡大しそうだからといって、工場を作
るために銀行からお金を借りるのはいやですし、資本を入れるのも嫌い
です。研究が好きですから、ベンチャーと両方やりたいのです。これが
僕のスタイルです。そうすると、事業がどんどん大きくなるのも、「うれ
しいような、うれしくないような」ところがあるので、カスタムメイド
だけやって、量産は我々ではやらないと決めていました。初めから、量
産が必要になってきたら、業務提携でいこうと考えていました。昨年、
業務提携先として島津製作所を選んで、今は量産に必要なノウハウを全
部お渡ししています。量産化できた暁には、ロイヤルティーをいただく
という契約です。
「研究が好きですから、ベンチャ
ーと両方やりたいのです。これ
が僕のスタイルです」
現在のワイコフ科学の会社規模についてお教えください。
武内 会社規模はあってないようなものですが、新産業創出促進法に基づ
く株式会社で、資本金は 100 万円です。もともと僕は、物事に対して良
く言えば慎重、悪くいえば臆病であるらしく、自分が「大丈夫、できる」
と思うことしかやるつもりはありません。アントレプレナーとしては、
もっと景気のいいことを言ったほうがいいのかもしれませんが。もう 20
年若く、30 代ならばまた違うと思いますが、50 代の僕のような人間が
創業するときにやれるのは、多分こんなやり方だろうと思います。資本
金はそんなものですし、従業員は兼業も含めて6∼7名程度です。
『在庫は、なし』、製造部門は OEM で外部委託です。販売でも、販売
代理店契約を結んだ会社がお客をつれてきてくれますし、意外と僕自身
もいいセールスマンになっています。僕がどこかで研究の講演をすると、
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
9
「あれはどこで売っている?」という話に
なって、その後で売れるということが多
いようです。今の規模でやる限りは特別、
営業の部隊を持たなくてもいいですね。
ライセンス料の株式での支払いなども含
めて理化学研究所(理研)との出資関係は
ありますか。
武内 理研とは出資関係はまったくありま
せん。それが昔の理研コンツェルンと違
うところです。昔の理研の体制は財団法
人理化学研究所と持ち株会社の理化学興
業株式会社の 2 本立てでした。両方とも
大河内正敏先生が代表をされていました。理化学興業はベンチャー会社
をつくり、それに出資をして、そこで上げた利益を取り上げて、理研に
研究費が入るようにしていました。このようにしてできたベンチャー会
社は五十数社もありましたが、すべて、理化学興業の子会社でした。現
在は、資本関係はありませんので、僕が理研の研究者として書いた特許
の実施料は、ワイコフ科学がちゃんと契約に基づいて、理研に納めてい
ます。
現在は、理研ベンチャーに対して、出資をできるようにしたらどうか
という議論があるとは聞いていますが、制度的には今のところ出資を受
けている会社は1社もありません。
「理研ベンチャーのような制度があ
れば、研究者は少しだけビジネス
の方へ歩み寄り、企業者は研究の
方に少し歩み寄れます。その意味
で、これはいい制度だと思います」
理研ベンチャーについて教えてください。
武内 もともとは戦前の理研コンツェルンのイメージです。基礎研究をや
っている理化学研究所には、社会とつながるインターフェースとして、
コンツェルンとかベンチャーというものがあるのが望ましい。また、外
国の状況を見ても、大学教授の3人に1人ぐらいは自分のベンチャーを
持っているという状況があります。そこで、日本でもぜひ研究ベンチャ
ーを育てたいと、有馬先生が考えられた。理研ベンチャーの要点として
は、研究者の起業を認めること、兼業を認めること、それから、特許の
優先実施権をそのベンチャーに与えるということですね。理研としては
何を理研ベンチャーに期待しているかと言えば、理研が持っているたく
さんのいい特許が使われていないという状況を、何とか使われるように
改善したいということです。いわゆる、研究成果の社会還元をやろうと
いうのが主目的です。もちろん、特許の実施料収入を上げることも目的
ですが。といっても、特許の実施料をいくら稼いでも、今ではとても、
理研の予算を賄いきれるものではないわけですが、もともと理研は民間
の研究所でしたから、自分で研究費を稼ぐぞという大河内正敏先生の精
神は、立派な伝統として大切にしたいと思います。
企業および研究者としての理研ベンチャー制度を利用してのメリットに
ついてお教えください。
武内 企業から見ると、科学技術研究のどこにビジネスの種があるかは、
普通はなかなかわからないですよね。僕は工学系の研究者ですから、自
分の分野の中で、これはビジネスの種になるかもしれないということは
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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日頃感じているわけです。ところが、まったく見ず知らずの人に、あな
たの研究は面白い、商売にしてあげるから一緒にやろうと言われても、
なかなかそうはできないでしょう。理研ベンチャーのような制度があれ
ば、研究者は少しだけビジネスの方へ歩み寄り、企業者は研究の方に少
し歩み寄れます。その意味で、これはいい制度だと思います。もちろん、
研究者が兼業でビジネスをやることには常に限界があるので、僕は自分
なりの小さいスケールでやっています。要するにベンチャーを生むだけ
で、大きく育てることはやらない。事業を育てるのは、業務提携をして
いる島津製作所さんにやってほしいというスタンスです。
また、僕は工学系の研究者ですし、理研という 88 年の伝統があると
ころにいるので、自分たちがやったことが社会に出ていくのを見たいと
いう気持ちが強いのです。これまでも、それを実現するためにたくさん
の企業と共同研究を行い、また、受託研究費もいただきましたが、結局、
お金をいただいて研究をし、成果を報告書にして向こうへお渡しすると、
その成果は会社でファイルされるだけで、なかなか製品化されず、もど
かしい思いをしてきました。逆に、会社のほうから見ると、武内の言う
ことはおもしろいけど、やはり基礎研究からちょっと応用に入ったぐら
いの段階で、商品までは来ていないなと思っておられる。会社の立場か
らは、もうちょっと商売になるようなところまで持ち上げて欲しいと見
られているようです。ところが、理研ベンチャー制度を利用することで、
小規模ながら DMA を商品として販売するようになると、量産化をやっ
てくれる企業まで現れました。
ワイコフ科学として今心掛けていることがあれば教えてください。
武内 僕は、「自分で会社をやるとすれば、これしかやりようがないな」と
思うやり方でやってきました。決して、僕を見習えと言えるものではな
いことは僕自身がよく知っていますが、こんなやり方でもくじけずにや
れるという一つの例になれば、それはそれでいいと思っています。
若い人と話していてびっくりすることは、少数ですが、ベンチャーを
やることに対して、すごく反感を持っている人がいる。特にアカデミッ
クな世界に来る人たちの中には、官尊民卑みたいな考え方が、ずいぶん
あります。先ほど僕は近代とは何かという話をしましたが、お上が国を
動かしているわけではなくて、商人と職人が国を動かしてきたと僕は思
っているんです。その人たちが価値を生んで国を支えてきたから、その
人たちがさらに価値を生んだりもっと仕事がしやすいように、サービス
をするために国があり、国に雇われた研究者がいたりするのであって、
主客を転倒させてはいけないと思います。理研はもともと民間の財団法
人でしたから、若い人たちがお上の側に立って、民は卑しいと思うのは
特によくないと思っています。
理研ベンチャーの制度ができて研究員の意識は変わってきていますか。
武内 もちろん変わってきたところも多いですが、一方では、さっき言っ
たように、若い人たちの中にも官尊民卑の考え方は生きています。また、
研究者は清く貧しく研究一筋に打ち込むべきで、お金のことなんか言っ
ちゃいけないという考え方は、今でもありますね。僕はさっき言ったよ
うに、近代とは何かと考えろとか、お上も大事だけど、商人や職人のほう
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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が実際の価値を生んでいるから大事なんだと彼らに言っています。
ワイコフ科学としての理想の姿や目標とするイメージを教えてください。
武内 「すべてのプロジェクトは、始める前に終わり方を考えろ」と、指導
をしていただいたビジネスマンの方々に散々言われたので、終わり方を
考えてやっているつもりです。島津製作所との量産型の DMA に関する
業務提携をしたのも、ワイコフの部分的な終わり方の一つです。会社が
いつ終わるということはありませんが、僕は今 58 歳ですから、理研と
縁が切れるのも数年後です。そのときに、今やっているカスタムメイド
の DMA の製造販売をどれくらい続けるかという問題はあります。場合
によっては、いつかどなたかに譲渡するかもしれません。そうすれば、
ワイコフは知的財産を保有して DMA を普及させていくことを主たる業
務とするコンサルタント会社になる。それはそれで、僕のやれる範囲と
しては楽しいかもしれません。
最後に、研究者発ベンチャー企業として、大学や独立行政法人の研究者
で、今後ベンチャー企業をつくりたいという方々にアドバイスをお願いし
ます。
武内 人生はリスクだらけです。だからこそ、チャレンジすることに意味
はあると思います。ベンチャーもやってみたら面白いと思いますよ。そ
んなに片意地張らなくても、僕みたいに軽量経営などといったやり方で、
人に迷惑をかけないで、自分が開発したものが世の中に出ていくのを見
ることはできると思います。だから、あまり大げさに社会に対する貢献
をしようと構えなくても、自分が満足できるようなやり方はあるのでは。
その人に合ったやり方をなされればいいのであって、みんながビル・ゲ
イツになる必要はないと思います。もちろん、株式を上場して大金持ち
になることを志向されること自体も決して悪いことではなく、できそう
な人はチャレンジしてみるべきです。
要するに、コンペティションというのを基本的に悪いと考えるか、い
いと考えるかなんでしょうね。僕は、商人の息子ですからいいと考えて
います。研究者は、競争がいけないとは決めつけないほうがいいと思い
ます。
理研ベンチャーのような制度があちこちにできてくれば、
チャレンジするための敷居が下がってくるので、研究者とし
ては、ベンチャーをやれたらやったほうがいいと思います。
そんなに大変なことではないような気がしますので。もちろ
ん例えば、自分の家を銀行の担保に差し出したら、お金が返
せなくて家を失ったなどということになると、奥さんに泣か
れるだろうから、慎重に考えたうえで始めるべきですが。で
も、自分の限界を知ったうえで、研究者が、自分の研究の一
つの完結法として、自分の開発した製品を世の中に出してい
くというパスを考えるのは、決して悪いことではないと思い
ます。
どうもありがとうございました。
インタビュアー/構成:遠藤達弥氏
聞き手 : 文部科学省 科学技術政策研究所 客員研究官 遠藤達弥
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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◆設立の経緯
根津 紀久雄
北関東産官学研究会は今年7月で設立4周年を迎えます。設立の経緯は
どのようなものでしたか。
(ねづ・きくお)
特定非営利活動法人 北関東産官
学研究会 会長
根津 平成 11 年、私が群馬大学工学部長に就任したとき、桐生市と地元
産業界、そして群馬大学工学部の三者がもっと密接な関係を持ちましょ
うということで、私は桐生市の商工会議所の講演会に招待されました。
そこで私は産学官が一体になって活動しようと提言しました。ただ提言
をしただけでは皆さんの印象には残らないと思い、「まちの中に大学があ
り大学の中にまちがある」推進協議会を発足させました。長い名前です
が、これには町が繁栄しても大学が寂れているとか、大学だけが燦然(さ
んぜん)と輝き、町が寂れていくなんていう姿は想像したくないという
思いがあったのです。昔、私が若いころ、『若きハイデルベルグ』という
ドイツ映画のワンシーンで、市民の若い恋人同士が大学内のベンチで語
り合っている場面がありましたが、そのようなものをイメージし、大学
は垣根を全部取り払って、全面的に市民に開放しますよと、そのような
発想でした。
ちょうど時を同じく、桐生市も経済部の中に産学官推進室を新しくつ
くり、行政側も産学官連携に積極的に乗り出してきました。この2つの
機運が重なって、ただの推進協議会ではなく、もっと産業界や大学にも
役立つ、有効的な活動ができる組織にしようということで、新たな組織
として、北関東産官学研究会が立ち上がりました。
推進協議会の改組ではなく、新たな組織を立ち上げた意図は何ですか。
根津 推進協議会では、総会のもとに、群馬大学工学部をキャンパス面か
ら支援しようということでキャンパス分科会、桐生市の情報化を推進す
るための情報化分科会、地域ベンチャーの立ち上げを推進
するベンチャー分科会を設定し、それぞれいろいろ議論を
していたのです。ところがいざ具体的に活動をしようとし
ても、組織の一端に行政が入っているとなかなか自由がき
かない面もあったのです。そこで行政を抜きにした、もっ
とフリーハンドなものということで研究会を立ち上げまし
た。しかし、産学官連携ですから、もちろん行政との連携
も必要なので、研究会には行政は賛助会員として参加して
いただいています。
この研究会の目的は、大学の教育・研究の支援と地元産
業界の活性化の2つを目的にしています。実際は大学の教
育面への支援は、せいぜい地元企業に大学生のためのイン
ターンシップを受け入れてもらうだけですから、実質的に
群馬県と桐生市
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
13
は、大学の研究への支援と地元中小企業の活性化なのです。昔から群馬
大学には地域共同研究センターがありましたし、設立当時には、ちらほ
らとベンチャーも立ち上がり、ちょうど知財本部もできましたから、大
学と地元企業が連携する基盤はありました。
北関東産官学研究会は任意団体のままで設立されましたが、その理由は。
根津 群馬県では十数年前から、機械・電気・情報・建設関係を網羅した
群馬地区技術交流研究会、化学・環境関係で北関東地区化学技術懇話会、
FRP *1 などの複合材料を扱う複合材料懇話会という3つの任意団体が活
動していました。企業からすると、会費を3つの会に別々に支払うなど
不便な面もあったので、ならば、これら3つの任意団体を1つにしよう
という意味もあって、北関東産官学研究会を設立しましたので、そのま
ま任意団体にしました。したがって、北関東産官学研究会内にある分科
会は、これら3つの団体がベースになっています。また仮に財団法人と
して設立するなら、億単位の基本財産が必要になり、それを整えるのは
とても短時間ではできないので、手っとり早くつくるために任意団体に
したという理由もあります。
ただ、設立後1年半ほどしたら、国の事業、例えば経済産業省の産業
クラスター計画 *2 の1つである首都圏北部地域産業活性化プロジェクト
の仕事を受託しました。それで補助金を受けるためには法人格が必要な
ので、NPO 法人にしました。もちろん職員には給料を払っていますが、
私自身は年金で暮らしており、無報酬です。まあ、NPO 法人らしく、私
にとっては老後のボランティアと言えましょう(笑)。
*1:FRP
Fiberglass Reinforced
Plastics. ガラス繊維強化プ
ラスチック。
*2:産業クラスター計画
各地域における人的ネットワ
ークの形成を核としてイノベ
ーション創出の環境を整備し、
それにより内発型の地域経済
活性化を実現しようという経
済産業省による施策。
参考サイト:経済産業省
http://www.meti.go.jp/
policy/local_economy/
◆運営と活動内容
北関東産官学研究会は会員制ですが、会の運営状況はいかがですか。
根津 会の運営は、会員企業さんの会費と国、群馬県、桐生市からの補助
金を基本に、その他、地域コンソーシアム研究会の管理費用で運営され
ています。全部を合わせて1億円に届きませんが、財政的には、まあま
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あ回っているかなと思います。
会員向けサービスとしては、各種の技術情報やイベント情報の提供な
どをダイレクトメールやEメールで行っているほか、一番大きいのは、
やはり共同研究費の補助です。これには第1種(共同研究)と第2種(調
査研究)があって、第1種は1件 300 万円、第2種は1件 50 万円です。
採択実績は各年度でばらつきはありますが、4年間で第1種
と第2種合わせ 69 件の支援をしました。そのうち 21 件が
製品開発に至りました。約3割の事業化率ですが、普通、産
学共同研究では、ここまでの高い率で事業化に至らないので
はないでしょうか。私たちは大学側のシーズではなく、企業
側のニーズに基づいて共同研究を展開しているので、これだ
けの実績を残せたのではと思っています。実際、研究の採択
基準は、もちろん研究のオリジナリティーとか、学問的な裏
づけ、特許取得の可能性などもありますが、一番ウエートを
置いているのは事業化の可能性です。
あと、私たちの特徴は、登録顧問団制度を採用しているこ
とです。これは群馬大学工学部をはじめ、足利工業大学、群馬高専など、
両毛地域の大学の先生方 135 名に顧問として登録してもらっています。
そして、私たちのコーディネータが訪問した企業から相談があった場合、
内容に適した顧問の先生をマッチングして紹介するという制度です。
会員外の企業とは共同研究できないのですか。
根津 いえ、会員外の企業からの共同研究のお話もお受けしますし、その
ときに「じゃ、うちの会員になってください」と勧誘するわけです。つ
いでに申し上げると、例えば県の産業技術センターや第3セクターのぐ
んま産業高度化センターのような公設試も研究機関と見て、共同研究を
行っています。
産学共同の一環として、企業の提案に基づいて大学に卒業研究をしても
らう制度もあるとお聞きしましたが。
根津 それは商工会議所の青年部が主催しているものです。毎年のイベン
トの際、企業提案型卒業研究募集ということで、企業の方にプレゼンテ
ーションをしていただきます。私も審査員になっていて、いいものは卒
業研究の課題として大学にお願いします。企業の提案と実施をお願いす
る大学の先生のマッチングは群馬大学の地域共同研究センターにお願い
してやってもらいますが、卒業研究に要するお金は 30 万円。それは私
どもで出しています。
ただ、これはお金を渡しっぱなしで、何の成果報告もないんです。そ
こで、あるとき実態をお聞きしたら、結局、こちらが採用したテーマで
は卒業研究をしていないというケースがあったため、昨年は行いません
でした。今後、復活するかもしれませんが。
この企業提案型卒業研究募集制度で卒業研究した学生さんが、提案した
企業にそのまま就職できれば、人材育成の面からもいいなと私は思った
のですが。
根津 そうですね。ただ、提案する企業は、どうしても小規模事業者が多
くなりますので、実際、学生の就職に結びつけるのはなかなか難しいで
すね。
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
15
こちらのコーディネータと群馬大
学や県のコーディネータとの連携
関係はどうなっていますか。また
こちらのコーディネータの特徴は
何かありますか。
根津 私どもで企業から相談を受け
て、その話を例えば群馬大学の地
域共同研究センターに持ち込み、
マッチングを依頼する場合には、
私どもと大学のコーディネータ間
で連携は取りますが、ほとんどは
独自に活動しています。コーディ
ネータは個性が強いですから、私
たちのコーディネータと企業の間で話がうまく進んでも、連携先のコー
ディネータとその企業の間でもめてしまう事例が結構あるようです。
私たちのコーディネータは6人いて、そのうち1人、県からの補助金
で雇用しているコーディネータで、販売戦略や販路の確立を主にやって
いる人がいます。中小企業が下請けから脱して独自に製品開発しても、
現実問題、販路がないですから、その確立は非常に重要です。例えば今
実際にやっている案件としては、ある企業が新しい建築用材を製品化し、
それをどうやってどこに売るかで、DIY(Do It Yourself:日曜大工用品)
のような量販店、あるいは建築協同組合、大手建築メーカーなど、販売
先を開拓する仕事をします。これには県や銀行の方、また東京の商社に
も参加していただき、盛んに打ち合わせをやっています。
最近、他の産学官連携機関では、金融機関との提携の動きが活発ですが。
根津 私たちも群馬銀行、東和銀行、桐生信用金庫といった地元金融機関
とは業務協定の覚書を取り交わしています。群馬銀行とは2カ月に1回、
情報交換会を行っています。特に技術評価では私どもは銀行に大いに協
力しています。例えばバイオ関係企業への融資案件がある場合、銀行は
その辺の技術は全くわからないですから、私どもで技術評価をしてあげ
ます。また共同研究から事業化へ進む段階では、保証書まではいきませ
んが、「これは非常にいい技術ですよ。うまくいくとそれなりの事業規模
になりますよ」という推薦書を銀行に出しています。それと融資だけで
はなく、現在、群馬県と群馬銀行単独の2つのベンチャーキャピタルフ
ァンドがありますので、それぞれにうちから出資をお願いすることがあ
ります。
ところで、今お話に出たベンチャー設立の動きはどうですか。
根津 大学発ベンチャーはなかなか出にくいですね。今まで群馬大学医学
部から1社、前橋工科大学から2社、高崎健康福祉大学から1社です。
さらに近いうちに群馬大学工学部から1社設立されると聞いています。
工学部は製造業に直結しているわりには出にくいですね。
インキュベーション活動についてはどのようなことを行っていますか。
根津 もともと東武デパートが入っていたビルを利用して現在、桐生市が
インキュベーションオフィスを設けています。16 社入居していますが、
近いうち、別の場所に高齢者住宅がつくられ、その1階部分もインキュ
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ベーションオフィスにする予定ですので、そうなると 20 数社となります。
オフィスの管理はあくまで桐生市がやって、私たちは、入居者の世話を
するインキュベーションマネージャーを派遣しています。
施設の内容は、机とパソコンを置いてのソフト開発ならできますが、
実験や機械装置の組み立てができるほどではありません。その場合は、
群馬大学に行って、設備やスペースを利用することになります。
◆今後の展開
今後の活動について何か具体的なことはお考えですか。
根津 3つほど、やりたいことがあります。1つは人材育成です。県と連
携して、地場産業の繊維人材とアナログ人材の養成に努めたいと思って
います。あとは小中学生、高校生を対象にした科学教室です。これは中
学校の空き教室を利用して、発明協会や桐生市と共同でやりたいと考え
ています。
2つ目は技術移転事業です。ただ、これはなかなか微妙な問題があり、
すぐには難しいですね。というのは、各大学が独自の TLO(技術移転機関)
をつくろうとする動きのあるなかで、そこに私たちが新たに TLO をつく
ると、他の大学が考えているものに抵触する恐れがあるので、慎重にな
らざるを得ない状況です。だから、私が今考えているのは、組織として
TLO を新たにつくるのではなくて、各大学と契約書を交わし、大学の特
許を私たちがお預かりして、それを私たちのコーディネータが持って各
企業を回り、うまくマッチングできたら、大学に紹介して、あとは大学
と企業が直接交渉してもらうという形です。その際、技術移転成立の実
績は大学のもので結構ですし、若干の手数料はいただきたいと思います
が、あまりロイヤルティーにこだわるつもりはありません。また、この
方式のほうが現在の陣容に若干のプラスアルファでできて、人件費もか
かりませんから。
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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3つ目は人材紹介です。大手企業を定年退職された方を地元の企業に
紹介しようというものです。実はこれは今までもやってきました。地元
企業のニーズもあって、実際、求人リストはできたのですが、県内の大
手企業を訪問し、人材登録をお願いしたものの反応は鈍いです。そこで今、
群馬大学工学部の同窓会に働きかけ、同窓会員の中で、近々、大手企業
を定年退職し、地元に戻り就職を希望される方のリストを作成してもら
おうとしています。それで企業からは紹介手数料をいただいて、そのう
ち半分は私どもが受け取り、残り半分は同窓会に渡し、同窓会から工学
部にそのお金を、工学部が自由に使えるお金として寄付していただける
ような仕組みづくりをしています。これがうまく回れば、ほかにも波及
していくのではないかと考えています。ただ一方で、企業からは、定年
退職者だけではなく、働き盛りの人、つまり中途採用ですね、その人材
紹介はしないのかという声もあり、その点は今後検討したいと思います。
最後に、今後の運営方針についてお聞かせください。
根津 北関東産官学研究会の設立、また国立大学の法人化で、幸い、大学
の先生、特に工学系の先生たちの社会貢献や産学官連携の意識が高まっ
てきました。そのため、多くの先生方に登録顧問団に入っていただき、
企業も大学の敷居が低くなったという印象をお持ちのようですが、そこ
は個々の先生方で意識の濃淡はあります。最近ではほとんどいませんが、
かつては「菓子折り1つで2時間も粘られたよ」とぼやく先生が結構い
ました。確かに企業の相談に乗るのは負担もかかるわけで、こちらも少
額ながら謝礼を払っていますが、やはり快く引き受けてくれる先生に企
業の相談を回しがちで、偏りが見られるようになりました。この辺は改
善したいと考えています。
それから、何と言っても、事務局の人数が足りず、私が、あれをやりたい、
これをやりたいと思っても、現在の業務をこなすのに精一杯で、なかな
か手が出せないことですね。研究会の性格上、企業からの相談には個別
対応にならざるを得ず、結構、手間ひまがかかります。人手の問題が一
番大きいでしょう。先ほどの技術移転事業をするにも、国や県に人を新
たに雇用する補助金をお願いしているところです。
また現在、補助金をいただいている市町村は桐生市だけですが、会員
企業には、当然、桐生市外の企業もいます。桐生市の補助金で桐生市外
の大学や企業が産学共同研究をして、その成果を得るのはやはりどうか
と思いますので、周辺市町村にも補助をお願いしていきます。これは北
関東産官学研究会の財政基盤の強化にもつながりますので、頑張ってい
きたいと思います。
どうもありがとうございました。今後ますますのご活躍をお祈りいたし
ます。
聞き手:文部科学省 科学技術政策研究所 客員研究官 遠藤達弥
インタビュアー/構成:遠藤達弥氏
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原 健二
◆(株)リクルート テクノロジーマネジメント開発室の概要
私たちテクノロジーマネジメント開発室は、株式会社リクルートの一部
署として、大学の技術移転の事業を行っています。1998 年の7月にフィ
ージビリスタディを開始し、2004 年4月より本格的な事業としてスター
(はら・けんじ)
(株)リクルート テクノロジー
マネジメント開発室 ディビジョ
ンオフィサー
トしました。今年で取り組み開始後8年目を迎えます。
現在約 15 名の体制で、内訳はアソシエイト(営業担当)約9名、リサー
チスタッフ(技術・特許・市場調査担当)約2名、 そして事務管理スタッ
フ(運営・経理・特許管理・契約管理担当)約4名です。そのほかに、バ
イオ・メディカル系の技術顧問や、特許・ライセンス戦略の顧問、米国・
カナダの技術移転顧問らと契約しており、また有能な特許事務所や弁護士
事務所と緊密な関係を築くなど、量・質ともに整備を進めてきています。
私たちの仕事は、民間の広域 TLO(技術移転)事業と言えると思います
が、特徴としては以下の通りです。
①発明開示段階(出願前)から実用化(契約後フォロー)まで一貫して支
援する。
②大学や TLO、研究者の「エージェント」の立場で、権利者・契約主体
にはならない。
③完全成功報酬型で、企業などから権利者に収入が入って初めて、そこ
から報酬(最初に一定割合、残額から特許費用*1や営業経費相当額)
をいただく。
1:特許費用を大学にご負担
いただく場合もあります。
*
◆これまでの実績件数
これまで全国の研究者の方々から、機密保持を前提に技術開示を受けた
件数は、累計で 1,200 件以上になります。技術開示を受けた中で、弊社が
エージェント契約しマーケティングさせていただくのは2割程度で(事業
開始当初は7割近くありましたが)、残りの約8割の技術については、今一
段の研究成果をお待ちするなどしています。
そしてマーケティングの結果として、企業と何らかの技術移転契約に至
った技術は累計で約 120 件(1技術で複数社との契約もありますので、契
約累計としては約 220)になりますが、そのうち商品化までたどり着き、
それなりにランニングロイヤルティー収入を得る技術となりますと、今後の
商品化の可能性が高いものを含めても、いまだ 30 件程度しかありません。
このように弊社の実績に基づけば、今のところ技術開示を 100 とすれば、
⇒(出願して)マーケティングを行うのが 20 程度
⇒企業への技術移転の成約が 10 程度
⇒それなりの商品となるものは3程度
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といった確率です。
大学の技術を移転することの厳しさを、あらためて実感しているところ
ではありますが、さらに事業の効率を上げるとともに、有望な技術から大
きな収入が得られるよう、いかに育てていけるのかが、私たちの今後の課
題となっています。
◆技術分野
私たちは当初から、取り扱う技術分野を限定していたわけではありませ
ん。しかし昨年度の実績を見ると、結果的には医療・バイオテクノロジー
が約4割と一番多く、次に電気・機材で約2割、その次に素材・高分子材
料、そしてコンピュータ・ネットワークシステムと続いています(なお最
近は分野をまたがる技術も多いため、この分類はあくまでも私たちの主観
に基づくものです)。
分野によって技術移転のしやすさに違いがあるのか、という観点ですが、
全体としてはバイオテクノロジーや高分子材料のように、大学の研究室の
設備規模でもある程度完成度の高い発明ができるものや、最終製品におけ
る発明のシェアが大きいものの方が、企業にはマーケティングしやすいと
言えます。もっとも最後は個々の技術の魅力度で決まるということは、言
うまでもありませんが。
またソフトウエア技術については、デモができるぐらいまで完成してい
ないと、なかなか企業の担当者に見ていただけないということがあります。
ソフトウエア技術に限りませんが、試作品はマーケティング上、とても重
要な要素となります。
◆「死の谷」を乗り越えるための取り組み
さて、大学の基礎研究と企業の製品開発との間にあるギャップ、いわゆ
る「死の谷」については、これまでいろいろな定義で語られていると思い
ます。しかし私たちが日々、大学と企業の間をつなぐ仕事をしている中で
は、具体的に次のようなギャップを実感しています。
何に使えるのか?
一緒にやるプレーヤー(供給会社、共同事業者、見込み客)はいないのか?
技術の内容は実証されているのか?
評価するサンプルはあるのか?
特許はどうなっているのか?
開発予算は確保できるのか?
これらはすなわち、大学の技術を持ち込んだときに企業から言われるこ
とそのものでもあります。
このような要求に対して私たちは、
製品化までのストーリーを作る。
プレーヤーを集める。
追加実証やサンプル作製の支援をする。
より有効な特許を作りこむ。
プロジェクト全体の進行管理をする。
といった活動を行っています。
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このように私たちが大学の研究者から、さらには企業の開発担当者から
も期待されているのは、企画力や行動力、それにプロジェクト管理といっ
た能力です。技術の追加実証・開発や特許の権利確保など、個々の専門家
に果たしていただく役割ももちろん重要ですが、それを全体としてまとめ
て運営することが、強く求められているのです。
◆試作品製作や実証実験のリスクは誰が負うのか
一方で私たちの事業範囲は、あくまでもエージェントとしての支援活動
です。労力は惜しみませんし、それぞれの専門家とのネットワークも確保
していますが、私たちが自ら資金投資して事業主体になることはありません。
そんな中、技術移転の活動における大きなハードルの1つに、試作品製
作や実証実験を行う主体者がなかなか見つけられない、ということが挙げ
られます。製作や実験を有償で受託する企業はそれなりにありますが、将
来の成功を報酬として、製作や実験の前段階から自らリスクを取って実施
していただける企業は、まだまだ少ないようなのです。それでも昨今バイ
オ系の分野では、動物実験の段階からリスクを取って組んでいただけるベ
ンチャー企業も出始めていますが、そのほかの分野でもこのような企業が
数多く出てくれば、日本の技術移転も今一段進むのではないでしょうか。
またベンチャーキャピタルなどが既存企業ともうまく組んで、試作品製作
や実証実験の段階から積極的に投資していただくことも期待しています。
◆技術移転とは、会社や機関をまたがる新規事業開発である
私は「技術移転とは何ですか?」と尋ねられると、「会社や機関をまたが
る新規事業開発です」とお答えしています。
企業でも、新規事業開発室を作れば新規事業が生まれると考えている経
営者など、もはやいないと思いますし、コンサルタントの言った通りにや
れば成功するとも思っていないでしょう。それと同じように、大学の技術
移転も、制度や組織を整えたり、理屈をならべ、米国事例の分析をするだ
けでは難しいと思います。
実際に現場で起こっている問題は、もっと人間的なことが大半です。例
えば大学の先生と開発企業担当者との間で、ちょっとした行き違いから不
信感が生まれることは日常茶飯事なのですが、そのような時、いかにお互
いの主張や感情を整理してうまく進められるかが、技術移転成功のための
大きな要因だといえます。技術を実用化したいという思いは皆に共通して
います。その目的に向け、関係者のエネルギーをどれだけ集中できるのか
が重要なのです。
また大学の技術は、発明届が出された時点では、まだ実用化までの長い
道のりの第1歩といった段階だといえます。すなわち追加の技術開発や、
特許の権利化、関係企業との契約内容の調整、そして製品開発など、それ
以降に育つ部分がかなり大きいということです。その意味では研究者のみ
ならず、企業の事業推進者や、弁理士の先生、あるいは私たちアソシエイ
トといった当事者一人ひとりの「熱意」と「裏づけ」、そして「運」にも支
えられ、長い時間をかけて実現していくものだと思いますし、その答えは、
現場の日々の試行錯誤の中にしかないと思うのです。
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
21
八木 嘉博
(財)大阪科学技術センター(OSTEC)における産学官等連携への取り組
みについて、2回の連載で紹介することになった。第1回は、OSTEC の紹
介と産学官等連携の OSTEC モデル、第2回は、個別事例の一つとしてテラ
(やぎ・よしひろ)
(財)大阪科学技術センター
技術・情報振興部 副部長
光情報基盤技術開発への取り組み事例を紹介することにしたい。
1. 産業界主導で生まれた(財)大阪科学技術センター(OSTEC)
(財)大阪科学技術センター(OSTEC:オステック)は、科学技術庁(当時)
による財団法人認可を得て、1960 年4月 22 日に設立された。今から 45
年前のことである。
OSTEC の設立計画は、1956 年に大阪商工会議所、大阪府、大阪市が設
置した大阪経済振興連絡協議会で「大阪技術振興センター構想」が検討さ
れたことにはじまる。当時の関西経済界においては、経済活性化のために
は科学技術の推進が重要課題であるとの認識があり、このため、科学技術
を振興する専門団体を設立する計画が検討されたわけである。
1959 年に設立構想がまとまり、国への建議が行われたが、当時、東京、
名古屋においても科学技術の振興を推進する財団の設立構想があり、科学
技術庁の指導で3地域の財団構想が統合され、(財)日本科学技術振興財団
として設立されることになった。OSTEC は、同財団の関西地方本部として
発足した。その後、1967 年8月 30 日に分離独立し、関西地方本部は(財)
大阪科学技術センターとして再発足した。さらに、OSTEC は産業技術開発
との関係性が深いため、1980 年6月 16 日に通商産業省(当時)の認可も
得ることとなった。現在は、文部科学省、経済産業省共管となっている。
OSTEC 設立にあたっては、大中小企業、個人もあわせて約6億 4,000 万
円の寄附が集まった。あわせて、科学技術庁、大阪府、大阪市から土地購
入あるいはビル建設補助金を交付いただき、寄附金とあわせて、現在の地
に大阪科学技術センタービルが建設された。
2. 設立当初から産学官等の連携に取り組む
OSTEC は、構想段階から産業界主導で進められた背景があり、産学官等
の協同による「科学技術の振興」と「関西産業発展の基盤の強化」が目的
として掲げられている財団である。このため、設立当初から 45 年にわたり、
産学官等の連携は、OSTEC にとって、科学技術なり産業技術開発を推進す
るためのキーワードとなっている。
近年では、ライフサイエンス、ナノテクノロジー、エネルギー・環境、
情報通信などの国における重点分野をはじめとする各種の委員会、研究会、
フォーラム、共同研究プロジェクト等を編成し、産学官等が協力するかた
ちで活動を展開している。それらの諸活動の中で、年間約 1,200 名の学識
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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経験者、約 600 社の企業群、文部科学省や経済産業省をはじめとする関係
省庁、(独)科学技術振興機構や(独)新エネルギー・産業技術総合開発機
構などの独立行政法人等の協力・支援をいただき、OSTEC 職員等が産学官
等連携のコーディネートを推進している。
3. 産学官等連携によるアウトプット
産学官等の連携というのは、一つの方法論であり、その連携活動から
何をアウトプット(目的、出口)するかが重要なことはいうまでもない。
このアウトプットは、ケースバイケースで異なってくるものであるが、
OSTEC の場合、主に次のようなアウトプットを想定して事業展開を図って
いる。
〈産学官等連携によるアウトプット(目的・出口)〉
①研究コミュニティ・人的ネットワーク形成
講演会、研究会、交流会等の諸活動を通じて、当該技術及び産業に
関わる研究コミュニティと人的ネットワークの形成
②情報交流
講演会、研究会等により、当該技術に関わる技術動向や社会ニーズ
の探索、ニーズとシーズのマッチングを促進
③調査研究・提言
当該技術・産業に関わるビジョン、振興方策、拠点構想、シーズ・
ニーズ探索等に関する調査研究及び提言の実施
④研究開発プロジェクトの企画・運営・成果の創出
当該技術及び産業に関わる研究開発プロジェクトの企画立案、提案、
研究開発成果、新技術の創出(必要に応じて知的財産権化)
⑤新規事業(新製品・サービス等)の創出
シーズとニーズのマッチングによる新規事業(新製品・サービス等)
の創出
⑥科学教育
一般市民等に対する科学技術の理解増進、人材育成
4. 研究開発における産学官等連携のOSTECモデル
上記の中で、特に研究開発における OSTEC の取り組みをモデル的に整理
すると次のとおりとなる。
【企画段階】
この段階は、主に調査研究が中心となり、当該の技術分野や産業につい
ての短期あるいは中長期の課題認識からはじまる。時代の流れや学界・産
業界・行政機関の方向性などについて、広く産学官等からの意見を聴きな
がら、これからの目指すべき方向性・方針を検討し、コンセプト立案や計
画づくりを進める。この段階は、OSTEC 事務局レベルの取り組みとなる。
実行するために何らかの推進組織を設置する必要があれば、研究会等を設
置するための準備を進めることになる。
企画段階はもちろんのこと、次以降の段階でも重要なポイントとなるの
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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は、キーパーソンの指導・助言である。
【研究会等先導的研究】
企画段階からこの段階に移行すると、産学官等のメンバー構成による研
究会等を編成して活動を推進するかたちになる。キーパーソンのリーダー
シップのもとに、その研究会が母体となって情報交流、調査研究、プロジ
ェクト企画などを推進する。具体的な共同研究テーマの組み立てが進んだ
場合は、プロジェクト展開へと進むことになる。
【プロジェクト展開】
共同研究プロジェクトは、主に国等の提案公募型制度の活用によって推
進している。OSTEC が中核機関や管理法人をつとめる制度の場合は、採択
されるとプロジェクトの運営を行うとともに、次の波及的テーマの探索、
実用化の促進などの取り組みを行う。プロジェクトの中から、次なるテーマ、
課題が見いだされた場合は、次の企画段階へと至る。
以上は、一つのサイクルを描く進め方をモデル的に描いたもので、すべ
てのケースが必ずしもこのサイクルを描くと限るわけではない。ケースに
よっては、途中でストップするものもあれば、途中段階からスタートする
ものもあり、いくつかのバリエーションがある。
OSTEC は、産業界が中心となって学官の協力、支援によって生み出され
た組織であり、産学官等の連携は、ごく自然な手法となっている。 OSTECの研究開発におけるモデル的産学官連携事業展開例
企画段階
研究会等先導的研究
調査研究
科学技術政策、
産業政策、
技術開発動向、
技術シーズ・ニーズ、
研究会テーマ抽出
方法:自主調査研究、
受託調査研究
当該分野キーパーソンの指導・助言
研究会準備
趣旨、
指導者、
研究内容、
期間、
予算規模、
産業界参加打診、
資金調達方法
コア・メンバーによる研究会企画
研究開発・産業創出の支援
研究会発足
研究会運営
委員長などのリーダーシップ
幹事会などの企画・運営会議体の設置、
必要に応じ
サブテーマによる分科会などの設置
メンバー・ゲストスピーカーの話題提供・講演、
調査研究
(文献、
ヒアリング、
アンケートなど)
、
学会・シンポジウム参加、
国内・海外実地調査
成果報告書作成、
成果発表会
プロジェクト展開
プロジェクト提案
企画・提案の作成、
国などの施策反映
産学官など関係機関への提案、
国などの制度への提案
プロジェクト運営
共同研究プロジェクトの実施運営
(研究調調整、
進捗管理、
事務管理など)
研究機関の設立準備・支援
連携促進・支援プロジェクトの実施運営
成果報告書作成、
成果発表会
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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私は、大阪大学産業科学研究所 *1 のナノバイオ系の研究者であり、大阪
大学大学院理学研究科の教員でもあるが、いろいろな経緯があって、(株)
バイオリーダースジャパン *2 および(株)ビークル *3 という2つの大学発
ベンチャーの設立に関与し、取締役として兼業で勤務することになった。
黒田 俊一
(くろだ・しゅんいち)
大阪大学産業科学研究所助教授/
(株)ビークル取締役(CSO)/
(株)バイオリーダースジャパン
取締役
しかも両社はペーパーカンパニーではなく、それぞれ5億円以上の投資を
集め、研究所を設置し、実際に 10 名近くの専業の従業員を雇用し、製薬
会社や試薬会社を取引先として活動している。両社とも本格的な大学発バ
イオベンチャーに成長してきており、2008 年の株式公開(IPO)を目指し
て着実に歩んでいる。しかし、数年前までは、このような産学連携を絵に
描いたような大学教官に自分がなろうとは想像すらしていなかった。それ
よりも、大学の教官というものは研究と教育のみに注力するべきものと考
えていた。本稿では、今後、大学発ベンチャーに関与すると思われる方々に
何らかの役に立つのではと考え、普通の大学教官であった私が、どのよう
にして大学発ベンチャーの経営に取り組むようになったのかを紹介したい。
◆(株)バイオリーダースジャパン設立の経緯
2000 年1月に私の大学院時代からの古い友人である成文喜博士(当時、
韓国生物工学研究院幹部)は、自分の保有する微生物に関する知的財産を
基に、(株)バイオリーダース(BLK 社)を韓国のサイエンスタウンである
大田(テジョン)市に設立した。当時、日本においては大学発ベンチャーと
いう言葉もなく、公務員が兼業でバイオベンチャーを起業するというシス
テムもなく、彼から技術顧問就任を要請された時には、逆に「研究者とい
*1:http://www.sanken.
osaka-u.ac.jp
筆者の所属する研究室は生体触
媒科学研究分野である。
*2:http://www.bioleaders.
co.kr
(株)バイオリーダースジャパン
のホームページは現在準備中で
あるので、韓国の親会社の(株)
バイオリーダースのホームペー
ジを参照されたい。
*3:http://www.beacle.com
うものは研究に集中しなければならない」と言った記憶がある。その1年
後には、日本のバイオの中心は関西であるという彼の信念から、子会社と
して(株)バイオリーダースジャパン(BLJ 社)が大阪に設立された。この時、
私は発起人として参加したが、経営自体にはまったくタッチしなかった。
両社のビジネスモデルは、BLK 社が開発して権利化した基礎技術を基に、
大きなバイオ市場を有する日本で BLJ 社が独占的再実施企業として製品化
するというものである。製品群は、①他社製品の 10 倍以上の大きさの超
高分子量ポリγグルタミン酸を使用した、化粧品用保湿剤、食品用保湿剤、
ワクチン用アジュバントなどと、②食用乳酸菌の表層に種々の外来性タン
パク質を提示する系を基本として、外来抗原提示乳酸菌による経口ワクチ
ン(動物用およびヒト用)、バイオマス代謝酵素提示乳酸菌によるポリ乳酸
生産などの、2つのパイプラインから構成される。既に、前者は韓国国内
では化粧品として市販され、日本でも大手化粧品会社への納入が開始され
ている。また、後者の一部は韓国国内で飼料添加物として販売され、複数
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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の経口ワクチン候補は国内ワクチンメーカーでの評価を受けており、近日、
共同研究開発契約を締結できる見通しである 。
*4
そのような中、私は現在のゲノム創薬の中心に位置するヒト由来7回膜
貫通型受容体(GPCR)を出芽酵母表層で機能を保持したまま発現させ、同
*4:BLK 社および BLJ 社の詳
細は、バイオインダストリー
誌(CMC 出版)2005 年5月
号 82 − 88 頁に記載されてい
るので参考にされたい。
受容体のアゴニストやアンタゴニストを酵母表層でハイスループットスク
リーニングするシステムを、2003 ∼ 2004 年度の経済産業省地域新生コ
ンソーシアム開発事業のプロジェクトリーダーとして開発および権利化し
た。そこで、BLJ 社における3つめのパイプラインとして、本システムを
科学機器および情報機器メーカーの協力により製品化するべく、2004 年
夏に取締役として経営に参加した。
BLJ 社はこの4月に新入社員を3名迎え、8月の2回目の第三者割当増
資にむけて突き進んでいる。この増資が終了すれば、売上高も伸びている
ことから、会社基盤も一層安定し、3年後の IPO まで確実に歩めるものと
考えている。
◆(株)ビークル設立の経緯
前項の BLJ 社に関しては、韓国の古い友人が代表取締役社長を務める会
社を手伝うというスタンスでベンチャー設立に関与したが、(株)ビークル
に関しては完全に自分自身の技術を基に起業した。
(株)ビークルは、さまざまな薬物(遺伝子、タンパク質、化合物)の生
体内ピンポイント投与を可能にするまったく新しい DDS(Drug Delivery
System:薬物送達システム)キャリアーである「バイオナノカプセル」を
実用化するために 2002 年に設立された大学発バイオベンチャーである。
発起人は大阪大学(筆者および谷澤克行博士)、神戸大学(近藤昭彦博士)、
岡山大学(妹尾昌治博士)、慶應義塾大学(上田政和博士)の4校にまたが
っており、他の多くの大学発ベンチャーと異なっている。
「バイオナノカプセル」は、リポソーム法の簡便さとウイルス法の高い
物質導入能を兼ね備えたハイブリッド法であり、従来の DDS キャリアー
にはない能動的標的化能を有しており、血液中に低濃度で存在しても、生
体内の患部にピンポイントで集積することができる。現在はヒト肝細胞
に対して極めて特異的に物質送達できるほか、任意の細胞や臓器に対して
もピンポイントで物質送達が可能である。基本技術は、2003 年の Nature
Biotechnology 誌(21 巻 885 頁)に発表しており、Lancet 誌(7 月 5 日号
48 頁)および Nature Materials 誌(8 月号 504 頁)には、「強い感染力と高
い細胞特異性を持つウイルスゲノムフリーな画期的な生体内物質送達法」
として紹介された。現在、本カプセルは臨床応用に非常に近い DDS キャリ
アーであると考えられている。近年、抗体医薬、RNAi、新規抗癌剤などの
各種バイオ新薬が開発されているが、臨床においてどのように患部に送達
させるかが問題となっている。この「バイオナノカプセル」が、この最後
まで残された課題を解決する切り札になると考え、研究用から臨床用まで
各種カプセルの開発と製造を自ら行い、国内外の試薬会社および製薬会社
とアライアンスを組むことで販売および臨床応用を目指している。既に数
社の国内外大手企業と共同研究開発契約の締結に向けて極めて前向きに交
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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渉中である *5。
◆(株)ビークルと科学技術振興機構(JST)との関係
2000 年に JST の有用特許制度で、「バイオナノカプセル」の基本コンセ
*5:(株)ビークルの詳細は、バ
イ オ イン ダ ス ト リー 誌(CMC
出版)2005 年4月号 88 − 95
頁に記載されているので参考に
されたい。
プトを特許化し、2001 ∼ 2002 年度の権利化試験事業(研究リーダー:黒
田)
に採択され約 10 件の周辺特許を申請
(すべて9カ国へ国際特許申請済み)
することができた。この頃、カリフォルニア大学サンディエゴ校分子医薬
研究所とソーク研究所が合同で設立した遺伝子治療を行うセラドン社から、
我々の特許の実施権をすべて買い取りたいという申し出が突然舞い込んだ。
当時の我々には米国スタイルの分厚い契約書を取り扱うことができる人材
も経験もなく、目の前の大金に目が眩み(?)、正常な判断ができなかった。
この経験から、我々は早急に企業体を形成しなければいけないと判断し、
2002 年の(株)ビークル起業に結びついた。
当時は「大学発ベンチャー」という言葉がささやかれはじめてはいたが、
従来型産業の零細企業設立のマニュアルしかなく、先端技術を売り物にす
るベンチャー設立のすべてが手探りであった。特にベンチャーキャピタル
(VC)から投資を得ようとしたが、幾つかの致命的な問題が露見した。特に、
多くの VC から、ベンチャーの基本は特許であって、その特許を独占的に
実施できないとベンチャーとしての価値はないとされた。これまでに我々
も含めた多くの大学教官は JST から特許出願している。確かに JST は出願
費用を肩代わりしてくれるので大変有り難い。しかし、当時は大学教官が
自分の発明した特許を基に起業しようとしても、いかなる条件でも JST が
実施権を有していたので、現実には起業自体がナンセンスであった(現在
は制度が改定され、発明者による起業を促進する仕組みに変更されている)。
2003 年に「実験動物由来各種細胞及び臓器に対する新規バイオナノカ
プセル開発」が JST 育成研究(研究リーダー:黒田)に採択され、JST 研究
成果活用プラザ大阪、地域事業推進部および技術展開部が中心となってビ
ークルによる事業化支援を強力に推進してくれた。その結果、2004 年夏
に基本特許(優先的な実施権を含む)の JST からの買い取りに成功し、周辺
特許についても JST から優先的な実施権を得ることに成功した。今、振り
返ってみると起業における最大のストレスはこの実施権問題にあった。
国立大学も法人化されて知的財産本部が設置され、大学教官自身による
発明の取り扱いが難しくなった。これまでのように簡単に特許が個人帰属
になることは少ない。特に即効性のある実用性の高い発明は大学帰属の特
許となる可能性が高い。また、研究予算の出処によって特許権の割合が左
右されたり、新たな権利者が生じる。我が国は大学発ベンチャーによる景
気浮揚を国策としているのであるから、起業ブームに水を差すような規則
や仕組みは、今後緩和されるものと信じるが、研究者自身に自分の関与し
た発明の実施権が確実に与えられる、もしくは、実施に対して意向が反映
できる保証は完全ではないのも現実であり、早期の改善を望みたい。
◆最後に
最近、大学教官の職務とは何であろうかと考えることが多い。少なくと
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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も5年前までは「教育と研究」と何の疑いもなく明言しており、実際に学
生の研究を指導して、自らも研究を行い、できるだけインパクトファクタ
ーの高い国際学術雑誌に掲載されるような研究成果を発表することに注力
してきた。一方、特許などの知的財産に関しては無頓着で、たまに企業と
の共同研究の成果で特許申請をしなければならない時に、「面倒臭いな」と
内心思いながら大学の発明委員会に諮った記憶がある。恐らく当時のほと
んどの理系大学教官は同じ考えであったであろう。しかし、国立大学の法
人化が議論されはじめ(実際の法人化は 2004 年)、大学発の知的財産を活
用して大学本体および社会全体に還元するという考え方が大学内外に流布
し、自分を含む多くの大学教官に変化が現れはじめた。具体的には、社会
にとって役に立つもしくは影響力のある研究成果を生み出すか否かが、大
学における研究活動を評価する新しい物差しとして急速に受け入れられは
じめた。特に私の所属する大阪大学は、かなり早い時期に多くのバイオベ
ンチャーが設立され、中には IPO まで行ったアンジェス MG*6 が存在する
ことから、学内の実用化研究およびビジネス化に対する意識は高い。
*6:アンジェス MG
大学発ベンチャーのエースとさ
れる。
そのような状況において、半分、時代に流されるように、私は自らの研
究成果の権利化を行い、2社のバイオベンチャーの起業に関与した。幸い
にも仲間および支援者にも恵まれているが、「この方向性は果たして正解な
のだろうか?」と未だに自問自答する毎日である。以前、私は前・神戸大
学学長の故・西塚泰美先生のグループで助教授を務めていた。西塚先生は
誰もが認めるノーベル賞級の仕事(プロテインキナーゼCの発見)をされた
が、その先生のお言葉の中に「本当に良い研究というものは世の中の役に
立たねばならない」というものがあった。このお言葉を思うに、今の私の職
務に対するスタンスは決して間違ってはいないのではと考える次第である。
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下平 武
◆なぜニーズデータベースなのか−中小企業の立場から−
(しもだいら・たけし)
2004 年 12 月 6 日に学術総合センターで催された関東圏 17 大学・20
機関が参加する交流会・シンポジウムに、「産業界と大学間のニーズとシ
田中科学機器製作株式会社
代表取締役会長
ーズの出会いの場をどのようにすべきか」というテーマを掲げた分科会が
ありました。その概要に 大学側から産業界を見たときに、産業界のニー
ズを知るための仕組みが現状においてほとんどなく…… とあるのを見て、
ようやくここまで来たかという思いを深くしました。実は数年来筆者もこ
の問題を追いかけてきたので、大きな期待を持って参加しました。
筆者は、科学機器という分野の業界団体役員の1人として、過去 5 年ほ
ど業界の産学連携活動に携わってきました。第1期基本計画の終わりの頃
でしたが、ある座談会で当時の科学技術庁政策課長・丸山剛司氏(現大臣
官房審議官)とシーズデータベースのことをお話しする機会がありました。
TLO(技術移転機関)は当時 17カ所程度だったと思いますが、シーズデータ
へのアクセスがあまりにも不自由だったので、何とか全国規模で会員たち
が自由にアクセスできるようにできないものかというご相談をしたのです。
この業界は産学連携という言葉が生まれるよりもはるか昔、明治の文明
開化の頃から今で言う産学連携で育って来ました。考案された先生の名を
冠した製品や「東工試式」「燃研式」など国公研の名を冠した製品がたくさ
ん生み出されましたし、今もその名残を留めています。
しかし昨今はメーカーの専門化が進んで、汎用品以外は学術、技術の広
範な分野に特化していますから、それにふさわしいシーズを狭い地域で見
つけるのは極めて困難になってきています。
例えば筆者の身近な某社は、2004 年度東京発明展で都知事賞に輝きま
したが、受賞製品はレーザービームによる気温、湿度、エアロゾルの高度
分布などのリモートセンシングシステムで、福井大学との共同研究です。
もともと気象観測機器という狭い分野で優れた実績を持つ同社の力と、遠
隔地大学のシーズとの結びつきがもたらした成功例と言えます。
中小企業=地域という思考が行政にまだ根強いようですが、近隣諸国と
の競争激化もあって、中小企業といえども地域志向では成り立たない産業
分野が増えてきています。今我々が担っている先端計測・分析機器分野で
は、開発段階から世界市場を目指せという野依良治先生のお言葉を待つま
でもありません。
このようなマッチングを期待するのならば、学側に 検索可能な全国規模
のシーズデータベース がなければなりませんが、それはいまだに夢物語
のようです。
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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産学連携は中小企業で最も生きる と言われますが、中小企業の立場か
ら言えば、同時にいくつものシーズに手を染めるわけにはいきませんか
ら、どうしても慎重な選択が必要になります。もちろんお仕着せのシーズ
で成功する場合もあるでしょうが、産側のニーズとよくマッチするシーズ
が用意された方が、成功の可能性が高いのは当然です。
冒頭に記したシンポの分科会でも、その産側のニーズをすくい上げる仕
組みがないと言っているのです。それならば具体的にニーズを広く集める
手段を工夫すればよいのではないか。そこで ニーズデータベースシステ
ム の構築はそれに役立たないでしょうか、というのがこの提案の趣旨です。
◆3年前に作られたニーズ情報データベースパイロットシステム
全国規模で検索可能なシーズデータベース の実現がなかなか難しい
と知ったとき、それならば ニーズを発信するシステム の方が可能性は
高いし能率的ではないか、と考えたのがそもそもの始まりです。
しかしそれは簡単なこととは思えません。データベースですから、まず
データを集めるために広い基盤が必要です。当時(社)日本経済団体連合
会では産学連携を検討する部会を作ってシンポジウムを開催するなどの動
きがありましたが、中小企業は組織力が弱くバラバラで、声をあげる手段
を持っていません。我々の業界や周囲の関連団体に声をかけることはでき
ても、全国規模の運動に広げるにはもっと広い基盤が必要です。
次にニーズは企業にとっては重大な秘密に属しますから、厳格な匿名性
が要求されます。そのためには仕組みの工夫が必要ですし、中立性の高い
斡旋機関を作る必要も出てきます。
ここで筆者は全国に張り巡らされているハローワークのシステムを思い
浮かべました。求人側も求職側も情報を完全には公開できないでしょうか
ら、事情はかなり似ていると思ったのです。
ちょうどこの頃に東京商工会議所から紹介されたのが(社)ニュービジ
ネス協議会・産学連携推進委員会の高橋委員長です。意見交換の結果、同
じようなことを考えていることが分かりました。そこで同氏とつながりが
ある2つの財団法人に呼びかけて参加していただき、筆者が籍をおく日本
科学機器団体連合会との4団体による協力体制を組み、計画を練ることに
なりました。ちなみに協議会にはベンチャー企業を中心に全国に 3 千数百
社の会員がいますし、連合会にも約 1,300 社(内メーカー約 450 社)が参
加していますが、いずれも大部分が中小企業です。大手の島津製作所も堀
場製作所も一部上場企業ではありますが、個々の製品の生産規模から見れ
ば中小企業並みなのです。
さて 4 団体で協議の結果、具体的なシステムは I T 関連財団法人の技術
陣の協力で開発していただくことになり、斡旋機関はもう1つの財団法人
の組織の中に専門機関を設置することになりました。この機関にはマッチ
ングのためのコーディネータ機能を持たせ、さらに中小企業の技術的バッ
クアップのためにポストドクターを斡旋する事業構想まで出そろいました。
2001 年暮れの骨組み案から、2002 年夏には具体的に利用者登録機能、
登録項目、検索項目、登録手順や産業カテゴリー分類などを決めるところ
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
30
まで進みました。これを我々は ニーズ情報データベースパイロットシス
テム と称しました。最後に少数ながら我々が用意した仮データを入力し
て実証試験を行い、機能を確かめました。
しかし運用の中核を担う中立斡旋機関設立のめどがつかなくなり、また
システム構築の主役を務めた IT 機関も予算の関係で事業縮小を余儀なくさ
れ、本格システムには進めないという事態に立ち至りました。
それ以来3年間、この構想は宙に浮いたままです。
◆システム復活を目指して
以上にご紹介したパイロットシステムは3年前のものですから、すでに
技術的にも陳腐化していますし、セキュリティーも心配です。従って復活
するとしても全面的に見直さなければなりません。
ところで筆者は 2004 年、仲間と産学連携の研究会組織を立ち上げまし
たが、設立のきっかけは某研究大学の研究器材ニーズでした。この場合機
器メーカー仲間は、ものづくりのシーズ集団と位置付けられています。
この大学に限らず、かつての技官が姿を消して学内の器材開発機能を失
った大学が多いことは総合科学技術会議でも指摘され、いま先端分野の機
器開発基盤整備が鋭意進められています。
筆者もこの1年間専門委員として文部科学省 先端計測分析技術・機器
開発小委員会 に加わり、この問題に取り組んできました。その過程で公
募締め切り間際に駆け込み応募する研究者が多いことが JST、機器メーカ
ーの双方から指摘され、普段から産学連携を推進する体制が重要なことを
改めて思い知らされました。
ニーズデータベースシステム は、このような場合に学側ニーズとメー
カーをつなぐという機能も発揮できそうです。もっとも先端分野では学側
ニーズの完全な匿名化は難しいという指摘もあります。しかしそこはコー
ディネータに知恵を絞っていただきましょう。産業側が利用する場合に
も、コーディネータの働きは不可欠です。
この構想は最初から大ヒットを狙うのではなく、実績を作りながら拡大
して行くべきだと考えています。ご賛同いただければ幸いです。
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
31
スージー・K・チョードリ
◆概 要
Sujeet K. Chaudhuri
カナダ・ウォータールー大学
前工学部長/WACE常任理事
平成 17 年 2 月 21 日に学術総合センター(於東京)で開催された文部
科学省主催のインターンシップ推進フォーラム 2005:「高度人材育成を目
指す新しい産学連携教育の実現に向けて」における基調講演を収録した。
モントリオールに所在するウォータールー大学(University of Waterloo)
では、コーオプ教育(cooperative education)を長年にわたり実践してき
た。大学は、学生、雇用者、教育機関三者が協力した教育システムである
コーオプ教育をとおして、学生を対象とした高度人材育成を行ってきてい
る。学生は、大学で学ぶ専門知識と産業現場でそれら知識を実践・適用す
るというカリキュラムのもとで、専門性を備えたリーダーシップのとれる
企業のみならず、国にとっても必要な人材へと成長していく。チョードリ
博士は、コーオプ教育の内容、コーオプ教育の世界的動向、今後のアドバ
イスなどを話された。以下に、それらの要点をリストする。また、その中
で使われたパワーポイントも随所で示す。
◆コーオプ教育とは?
コーオプ教育は、知識社会の構築、優れた人材育成、経済発展のために
非常に重要である。HQP(High Quality Personnel =高い能力を持った人材)
の育成は、企業のみならず国にとって必要であり、そうして育つ専門性や
リーダーシップを備えた人材は、広くグローバル社会にとっても重要となる。
定義−『コーオプ教育とは、教室でのカリキュラムと専門分野に関連し
た職業体験とを統合させた教育戦略である。学生、教育機関、雇用者とい
う3つの立場からの協力を必要とすることから、「コーオプラティブ教育」
とよばれる。従来のアカデミックなカリキュラムに、学んだ知識の現場へ
の適応・実践を組み合わせることにより、批判的思考能力の強化と発達を
はかるものである』(図 1 参照)。
◆パートナーシップの重要性
コーオプ教育を実践する上でもっとも重要な要素の
図1:
コーオプ教育
3つのパートナー
ひとつが、パートナーシップである。特に国(資金面
のみならず学生のインセンティブを促す面でも)、卒
業生の協力は大切である。関係者各人が共通の目的を
学生
雇用者
設定した上で取り組み、各人の利害が合致すれば、積
極的な姿勢につながる。どの立場からも踏み込んだコ
ミットメントが必要であり、関係者間のコミュニケー
ウォータールー
大学
ションをはかることが重要である(図 2 参照)。
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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◆コーオプ教育の特徴
コーオプの特徴は、学生が主体的に参加するという
点である。ただの見学でなく、生産的な仕事を行い、
図2:
パートナーシップ
その対価も受け取れる。
教育機関は実施状況のモニターを行い、雇用者は学
生の進捗状況を評価する。また、職務体験期間が、教
育プログラムの中に継続的に設けられている(全プロ
グラムの 30 ∼ 50%)。
◆カナダにおけるコーオプ教育
パートナーシップは、
コーオプ教育を成功
させ、持続させる上で決定的である。
パートナー
学生
雇用者
教育機関
政府
卒業生
機関内
機関外
実施している教育機関の数は 2003 年で 85、参加
学生数はカナダ全体で約 7 万 5,000 名、ウォータールー大学のあるオンタ
リオ地域では約 4 万名にのぼる(いずれも学部生)。プログラム数も 1,000
以上あり、実施モデルも多様。
モデルとしてはウォータールー大学で取り入れている産学実施交互型
(Alternating)を特におすすめしたい。
◆実施のメリット
学生、雇用者、教育機関それぞれに、実施のメリットがある。
長期的にみれば、雇用者が若いプロフェッショナルを養成することは、
国際社会や経済への貢献にもなる。教育機関にとっては、机上の理論を実
践に移し、その効果を確認できる貴重な機会である。成果を学習現場へフ
ィードバックできることも大きい。
また、カナダの場合、長期の実施期間(4カ月)に学生は成長する。企業
にとっても生産性が高いため、期間終了時に惜しまれることもしばしばで
ある。
◆ウォータールー大学での実例
大学について
1957 年に小さなリベラルアーツカレッジとして誕生。大学は、カナダ
経済の 60%を担うオンタリオ湖周辺地域の中心に位置しており、地域の産
業界との連携をとって進めている。
学部生 2 万 1,500 名、院生 2,400 名、教授陣 787 名、スタッフ 2,100
名を擁する。年間予算8億 7,500 万ドル、学外研究費1億ドル。世界 135
カ国に 11 万 2,000 人の卒業生がいる。
運営主体
CECS(Co-operative Education & Career Services)が中心となってコーオ
プ教育を運営している。
実施状況
参加学生数は 1 万 1,000 名(フルタイム学部生の 60%以上が参加)、コ
ーオプ教育の実施規模としては最大である。学生が期間中に得た収入1億
1,900 万ドル(2002 年)。3,500 名の雇用者がコーオプに参加(民間 75%、
公的機関 25%)している。カナダ国外でも実施しており、2002 ∼ 2003
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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年は 862 名が参加した。経験学生は、研究分野において重要な人材に成長
している。
実施分野ごとにみると、数学分野でコーオプ参加学生の割合が最大とな
っている。プログラム数は 100 を超え、人文科学分野でも多く設置してい
るが、エンジニア分野ではすべての範囲を網羅している。これまでの経験
から、数学分野でコーオプを実施する形がもっとも効果的であると考えら
れる(図 3 参照)。
◆キャリア教育
履歴書の書き方、面接での心得、職場での
エチケット、人権意識に至るまで、事前カリ
図3: 2003年∼2004年におけるウォータールー大学の
コーオプ教育科目を履修した学生および
通常の科目を履修した学生の割合
コーオプ科目
(選択)
応用健康科学
キュラムの中で広く指導している。
通常の
科目
55.1%
◆学生の雇用
コーオプ科目
(選択)
芸術
コーオプ
科目
44.9%
コーオプ
科目
25.2%
通常の
科目
74.8%
コーオプ科目
(選択)
環境研究
コーオプ教育に参加した 3,000 名の雇用者
のうち、以下の雇用実績がみられた。
コーオプ
科目
65.0%
通常の
科目
35.0%
①雇用者全体の 60%が学生 1 名を雇用。
コーオプ科目
(選択)
科学
コーオプ科目
(選択)
数学
②雇用者全体の 30%が 2、3 ないし 4 名の
学生を雇用。
コーオプ
科目
68.8%
通常の
科目
31.2%
③雇用者全体の 10%が 5 名ないしそれ以
コーオプ
科目
34.3%
通常の
科目
65.7%
上の学生を雇用。
◆世界におけるコーオプ教育
40 カ国以上で実施されている「コーオプ
教育」は急速に広まりつつあり、効果的な教
図4:
実績評価
­新規雇用の状況­
90.0
73.1
育の場として、大学と産業界との境界線はぼ
やけてきている。特に発展途上国が自国経済
62.5
60.0
の発展を目指して取り入れる例が多く見られ
る。インドネシア、マレーシア、タイなどでも、
30.0
科学技術、IT 分野の発展のため、積極的に導
入されている。
世界コーオプ教育協会(WACE)が、コーオ
プ教育の世界的規模での発展促進に寄与して
21.7
11.3
0.0
12.5
9.4
3.3
6.1
0.0
0.1
常にすべての
常にすべての
常に
すべての
往々にして
ジョブ必要条件を すべてのジョブ ジョブ必要条件を ジョブ必要条件を ジョブ必要条件を
越える
満たす
満たさない
満たさないか
必要条件を越える
一部は満たす
おり、今年はボストンで会議開催が予定され
コーオプ教育
非コーオプ教育
ている。
コーオプ教育の実績を評価したグラフを示す(図 4 参照)。
◆これからのコーオプ教育へのアドバイス
コーオプ教育をただのファッションとしてとらえるのではなく、これか
らの社会、産業の発展にとって意味が大きいものであることを理解した上
で、大規模な大学による積極的なコミットメントが必要である。
成功へのカギ
①コーオプ教育を教育プログラムの中に完全に取りこむ形で実施するこ
と。
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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②教育機関がコーオプ教育という概念を深く理解し、意欲的に取り組む
こと。
③各関係者が責任を持って取り組み、良好なパートナーシップを形成す
ること。
④関係者同士でコミュニケーションを密に取りあうこと。
今後への課題
どのモデルを適用していくか(ウォータールー大学の経験から言えば、
産学/実践交互型が最適)経済、学生、雇用者、教育機関の状況変化に、
今後どう対応していくかなどである。
インターネットウェブサイト
WACE:http://www.waceinc.org
CACEE:http://www.cacee.com
CEA:http://www.ceainc.org/
CAFCE:http://www.cafce.ca
University of Waterloo:http://www.uwaterloo.ca/
CECS:http://www.cecs.uwaterloo.ca
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標題大会が平成 17 年 5 月 26 日・27 日、好天下、空気の凛とした風光
明媚な徳島で開催された。産学連携が国策として打ち出されてから 9 年に
なるが、今回の産学連携学会第 3 回大会が、早くから産学連携が組織的に
進んだ徳島で開催されたこと、大会参加者も 220 名を超えたことの意義は
大きかった。円滑な大会運営の中で、活発な議論が展開された第 3 回大会
は今後の産学学会の発展を大いに期待させるものであった。また、26 日の
夕刻に開催された交流会は、同日、徳島市内で開催された文部科学省と徳
島県主催の地域科学技術振興会議との合同で開催され、両会議の参加者は
大いに交流を深め、その盛会を享受した。
一般講演では、まず、研究開発における組織論から見た産学連携、産学
連携の方法論的課題、産学連携学が対象とする範囲、方向性などの提案
が議論された。一般講演の課題は『連携研究』、『人材育成』、『地域連携』、
『知的財産』、『ベンチャー』に大別され、それぞれの中で、示唆に富む発表
がなされた。26 日に開催されたシンポジウムでは、地元徳島の産学連携を
中心的に進めておられる発表者の方々の話があった。徳島は大塚製薬、日
亜化学工業を生み出した産学連携の実績がある。これらの企業は中小の規
模のときから徳島大学と継続的に連携してきたと聞く。今後も横断的、継
続的な産学官協議会などのフォーラムを期間を区切って作ろうとの決起が
なされた。産学連携の政策実施は、ニーズとシーズのマッチングからスタ
ートしたわけであるが、既に9年が経過し、大学の知的財産部門と TLO、
ベンチャー企業との間で利益相反が起きつつある。発生する問題点を克服
し、多面的な議論を繰り返しながら、産学連携は発展していくのだとの感
を強くした。
これまで都市主義、都市集中でやってきた日本社会で近年、地域が注目
され、地方での産学連携が活発化している。地域の産学連携と一口で言っ
ても、産業構造は地域ごとに異なり、特色がある。特色とは他の地域との
差別化、ないしは多様化であるともいえるが、その中で産学連携が実践さ
れる。産学連携が地域を活性化し、ひいては産業立国に寄与することが期
待される。 一方、近年の失業率の上昇トレンドは 10 年以内に 10%に近づくのでは
ないか、という議論もあるなかで、産学連携が地域の雇用創出をもたらせ
ば有益である。大会では地域連携のあり方に関する何らかの標準化の必要
性といった議論もでたが、そうなれば何らかの形態の標準化の上で地域の
多様化を加味するといったやり方の産学連携事例となろう。時代のキーワ
ードであるグローバル化が一種の標準化を伴うのなら、地域展開にもその
ような考え方があり得るのだろう、と多くの講演を聴きながら考えた。
(本誌編集部 次長 加藤多恵子)
開会式挨拶。産学連携学会会長
湯本長伯氏(写真左)、大会実行
委員長 佐竹 弘氏(写真右)
シンポジウムの模様
会場風景(ウェルシティ徳島)
合同交流会では、阿波踊りも披露
されるなど大いに盛り上がった
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★平成 17 年度がスタートし、編集部本体の体制にも大きな変化がありました。
科学技術振興機構に産学連携事業本部が設置され、今まで本ジャーナルの担当部
署であった地域事業推進室から産学連携推進部の産学連携推進課に移りました。
これに伴い、編集部に加藤さんという編集次長が就任されました。本ジャーナル
は、創刊号から女性の活躍の場としての産学官連携を題材として取り上げてまい
りましたが、本ジャーナルにもいよいよ女性編集長の出現が近いのでは、という
期待が高まっています。そのうちに、インタビューなどでその辣腕振りを発揮し
ていただく予定です。ご期待ください。 (江原委員長)
★第 4 回の産学官連携推進会議が、今年も国立京都国際会館で、6 月 25 日
(土)、26 日(日)に開催される。第 1 回は 2002 年に開かれて、産学官連携が実
質的かつ着実に進展することが期待されると言われた。この時期が、産学官連
携の揺籃期で、国もこの事業の推進に力を入れはじめたと思われる。本号に掲
載されている大阪大学の黒田先生の大学発ベンチャー企業もこの年に設立され
ている。この3年間で黒田先生の会社も 10 億円の増資等、非常に発展されてい
るが、全国でも大学発ベンチャーが 1,000 社を超え、産学官連携もまさに実質
的な、新技術・新産業の創出の時代に入ろうとしており、そのスピードの早さ
には驚かされる。
(阿部委員)
★ローカル証券取引所廃止論が話題になり、実際に広島証券取引所が廃止になっ
たのは数年前のことである。これに刺激され、他のローカル証券取引所は生き残
りをかけ上場基準のハードルを下げ、ベンチャー企業向け市場を創生してきた。
創生したものの実績が上がらず廃止されるのも時間の問題かと覚悟していたが、
昨年から急に活気をおびてきた。
その背景には、マザーズ上場企業が半年から 1 年待たないと上場できない状況
のために、待つよりローカル証券市場に上場しようとの変化が生じたことが主た
る原因と言われているが、各証券取引所の意識改革と努力によるものである。
福岡証券取引所のQボードでは売上高 2 億 5000 万円の会社が 4 月に上場し
た。これは証券取引史上画期的なことである。この程度の売上実績で上場が可能
であれば、大学発ベンチャー企業が続々上場する時代も遠くないであろう。
(古賀委員)
産学官連携ジャーナル(月刊)
第6号 2005年6月15日発行
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編集・発行:
独立行政法人 科学技術振興機構(JST)
産学連携事業本部 産学連携推進部
産学連携推進課
編集責任者:
江原秀敏 文部科学省
都市エリア産学官連携促進事業
筑波研究学園都市エリア科学技術コーディネータ
コラボ産学官事務局長
問合せ先:
JST産学連携推進課 森本、手柴
〒102-8666
東京都千代田区四番町5-3
TEL :(03)5214-7993
FAX :(03)5214-8399
産学官連携ジャーナル Vol.1 No.6 2005
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