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論文 - 早稲田大学

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論文 - 早稲田大学
Miki Toshio
第 66 回日本国際経済学会全国大会第 15 分科会
2007 年 10 月 8 日
場所:早稲田大学
中小企業(SMEs)の多国籍企業化―マレーシアと中国の事例をもとに
札幌学院大学・中小企業診断士
三木 敏夫
はじめに
かつて、東西冷戦構造が崩壊し、国民国家(nation state)をこえ、国境が大幅に低くな
る経済のグローバル化が進展すると信じる者が少なかったように、資金力、技術力、営業
力、情報力、人材不足など 1 が一般的に指摘される SMEs(Small and Medium-sized
Enterprises)が、多国籍企業(Multi-national Corporation、MNC)化する、と誰が考え
ただろうか。
アジア通貨危機後における東アジア経済の大きな変化の一つは、日系セット・メーカー
による海外生産拠点の見直しと、FTA・EPA2(自由貿易協定・経済連携協定、Free Trade
Agreement、Economic Partnership Agreement)による生産ネット・ワークの再編に対応
した SMEs の多国籍企業化にある。
これまで国際経済において多国籍企業と呼ばれてきた企業の活動は、一国を代表し、国
際展開してきた大企業をあらわす用語として使われてきたといってよい。しかし、1985 年
プラザ合意による「円高ドル安」を契機とした大幅な為替レートの調整により、電子・電
器や自動車産業などの組み立て作業を中心としたセット・メーカーである大企業にとどま
らず、
「好むと好まざるとにかかわらず」SMEs(中小企業基本法によれば、製造業の場合:
資本金 3 億円以下ないし従業員 300 人以下3)も海外進出する時代を迎えた。とりわけ
ASEAN への進出が活発化し、その後、中国にシフトした。この結果、日本企業の直接投資
(foreign direct investment、FDI)の投資残高は、ASEAN が中国の 2 倍を記録し、東ア
ジア域内での生産ネット・ワークの形成に伴い垂直的分業関係が構築され、ASEAN を軸に
分業関係が展開されている。
2005 年現在、海外で経済活動を行っている日系企業数は 2 万 680 社、その内アジアに 1
万 2、076 社が進出し、SMEs が大部分を占めていると推計される4。プラザ合意前には、
SMEs 製造業の海外進出は、非常に珍しかった。
日本政府は各種政府金融機関、たとえば(財)
海外貿易開発協会(JODC)5は海外投資資金を低利で長期貸付を行い、SMEs の海外投資、
1 経営管理では Man、Machine、Money を 3M と表し、重要な経営資源である。
FTA・EPA は GATT 第 24 条の地域貿易協定(regional trade agreement、RTA)の一つであり、自由、平等、無差
別原則の例外規定である。詳しくは、拙稿「世界貿易機関(WTO)と自由貿易協定(FTA)
」
『商経論集』札幌学院大学
2007 年 7 月参照。
3 1999 年中小企業基本法が改定され、卸売業(資本金 1 億円以下、従業員 100 人以下)
、サービス業(同 5000 万円以
下、同 100 人以下)、小売業(同 5000 万円以下、50 人以下)
。改定法では、SMEs を従来のマルクス主義経済学が主張
した二重経済構造下の「弱者」ではなく、
「日本経済の担い手」としているところに特徴がある。
4東洋経済新報社『海外進出企業総覧』2006 年による。
5 1970 年代央ごろは、SMEs が海外投資するのは珍しかった。JODC は SMEs の海外投資を支援するため資金的援助
(金利 0.75%、4 年の据え置きと 20 年前後を目途とした返済期間)を行っていた。当時、海外経済協力基金(OECF)
や日本輸出入銀行も SMEs に業務拡大を開始し始めた時代であった。SMEs の海外投資に非常な関心を持っていた永野
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とりわけアジアや南米などの発展途上国(Less Developed Countries、LDC)への進出を
後押しした。
1980 年代央からみられるようになった活発な SMEs の海外展開は、円高不況を克服する
ため、日本からタイ、マレーシア、あるいは中国などに「止むを得ず」国境を横断し、海外
に生産・輸出拠点をシフトするため進出したところが多く、多国籍企業として分類するよ
り、SMEs の「国際化」と捉えたほうが、現状をよくあらわしていた。この意味から、1985
年は日本企業の実質的な「国際化元年」でもある。
しかし、1990 年代に入り、東西冷戦構造の崩壊とともに、急激に進展した経済のグロー
バル化、東アジア諸国の門戸開放、経済の自由化、規制緩和は、1997 年未曾有のアジア通貨
危機を招いたが、「企業が投資先を選ぶ6」国際経済環境を作り出した。こうした環境下、
SMEs の中に、ホスト国を拠点に複数国に進出するところがあらわれ、大企業と同様に、
経営の多角化の一つとして、多国籍企業化するところがでてきた。
また、日本の国際収支の黒字は、所得収支が貿易収支を上回り、「貿易立国」からクエー
トなどのように「金融投資立国」へと経済構造を変化している。この一翼を担っているの
が SMEs の海外進出による送金である。2005 年の日本の直接投資収益率は、前年の 5.5%
から 8.0%に高まった。地域的にはアジア通貨危機時には大幅なマイナスを記録したアジア
地域は、通貨危機以前の 10%以上に回復し、北米、EU などを大幅に上回る状況にある7。
1.「線」から「面」の企業展開
欧米諸国と比較し、日本企業による FDI の大きな特徴は、SMEs の FDI が非常に多いこ
とである8。事実、1989 年には SMEs の FDI は、投資金額、数量ベースともピークを迎え9、
その後、減少傾向に入ったが、現在でも日本企業の FDI の牽引車は SMEs であるといって
も過言ではない10。日本企業の中国進出件数は 3 万社以上11を数え、またタイ約 3,000 社、
マレーシア約 1,300 社にのぼる日系企業が活動していると推測されており、その大半を
SMEs が占る12。
1985 年プラザ合意以前の SMEs の経営形態は、下請け、内向きの国内市場が中心13であ
ったが、「円高ドル安」を背景に SMEs の経営戦略は、国際化へと大きく舵を切った。
重雄理事長(当時、日本商工会議所会頭)は、貸付案件を審査する理事会に必ず出席されていた。
6 同キャッチフレーズは、拙著『アジア経済と直接投資促進論』ミネルヴァ書房
2001 年で、初めて使った。これを可
能としたのは、1989 年の東西冷戦構造の崩壊に伴う、経済のグローバル化と東アジア諸国の門戸開放政策の進展である。
7 ジェトロ:
『貿易投資白書』2006 年版 pp28-29
8 UN, Small and Medium-sized Transnational Corporation – Role, Impact and
Policy Implication, NY, 1993, p105
9 1988 年海外進出企業数は、2775 件、その内 SMEs は 1625 件(全体の 58,5%)を占めた。同年をピークに SMEs を
含め全体の海外進出件数は減少している(通商産業省、
『中小企業白書』各年版による)
。
10 中小企業庁ホームページ:
『中小企業白書概要』2006 年、p6 によると、1995 年から 2004 年の SMEs の海外進出件
数は、1,303 件、全体の 18.8%を占めている。
11 日本企業の中国への進出件数につき、色々な統計が入り乱れているが、一般的に FDI の定義は、経営支配・参加を目
的とし、発行済み株式の 10%以上所有した場合となっている。
12 ジェトロ海外事務所などからの聞き込み調査による。
13 中小企業診断士は、SMEs が独自の自社ブランドを開発し、大手企業の下請けとしてではなく、自立性を持つように
指導していた。
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こうした状況の中、東アジア地域において加速した労働集約型セット・メーカー(電子・
家電産業を中心)による生産ネット・ワークの構築により、国境横断型 SMEs の中には、
電子電器及び自動車産業などのセット・メーカーの国際的展開に対応し、国境横断による
「線」から複数国にまたがる「面」による企業展開を開始するところがみられるようにな
った。大企業と異なりその投資企業規模は非常に小さいが、複数国に生産・製造拠点を構
える SMEs の多国籍企業化が形態的に東アジアで確実に進展している状況を迎えた。
企業の国際化状況を判断するクライテリアは、売上高に占める輸出比率と海外からの部
品調達比率が一般的に使用される。すなわち、企業活動に占める貿易の占める比重により、
国際化を図る。これらの基準をもとに MNC を定義する伝統的な要因は、資本金額、従業員
数、売上高、輸出比率、海外生産比率や海外進出拠点数などを使い、大企業(東証一部上
場)の海外経済活動をあらわしていた。これに対して、企業規模が小さい SMEs の活動分
野は国際市場ではなく、国内市場に限定されることが多い。この SMEs の企業活動領域を
考慮し、多国籍企業の伝統的定義14を海外で企業展開している SMEs に適用すると、MNC
の範疇に分類するには少し無理があるように考えられる。このため SMEs の多国籍企業化
を定義する明確なクライテリアは、存在していないのが現状であった。
しかし、SMEs の FDI は国境を横断して第 3 国に投資し、2 ヶ国(日本とホスト国)以
上で生産活動を行っていることは事実であり、多国籍企業化している。大企業と比較し、
投資規模、生産高、従業員数、対象市場、技術開発規模などは、比較にならないほど大きく
異なっているが、MNC の定義を単純化し、
「複数国で企業活動をする企業」と定義すれば、
国境を横断し、経営の多角化を進める SMEs の企業活動を、MNC と定義することに、その
合理性を見出すことができる。
これにより国境横断型 SMEs の国際化も多国籍企業活動の一部として考察が可能となる。
また、MNC を大企業のみに限定した国際展開と理解すれば、SMEs の海外進出が活発化し
ている日本企業の国際経済活動を歪曲してしまうことになる。こうした大企業と異なる
SMEs の企業活動=多国籍企業化を明らかにしていく必要がある。
さらに、「線」から「面」へと多国籍企業化を進める SMEs が、東アジア地域において、
部品メーカーであるデンソーやアルプス電気などのように、域内垂直分業体制を生かして、
屈指の国際的な製品・部品メーカーに成長する可能性を、秘めていることを理解しなければ
いけない。
3.
SMEs 多国籍企業化の要因
なぜ、SMEs は国境を横断して FDI を行うのか。また、近隣諸国に進出し、
「面」として
14
テキストでは、産業組織論のアプローチに分類されるハイマーの企業支配及び企業の優位性、キンドルバーガーの独
立的優位、赤松要の雁行的形態、バーノンの PC 理論、ダニングの折衷理論、内部化理論などの代表的なもののほか、
資本移動の基本的動機を明らかにした資本収益率、資源豊かな LDC に進出する欧米企業の行動を説明した立地論、通
貨地域論、バンドワゴン効果、企業行動論などが解説されている。これら理論の特徴は大企業の多国籍企業化を説明す
る上で有益であるとともに SMEs の MNC 化を説明する上で大いに参考になる。
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多国籍企業化を展開するようになったのか。その答えは、SMEs の FDI の動機に求めるこ
とができる。
SMEs の FDI の目的は、1985 年プラザ合意による円高不況を克服するために、
「好むと好まざるとにかかわらずに」海外進出しなければいけないことに大きな特徴を有
し、その目的を大別すれば次の通りであった。
国連(UN)の調査報告書によると、SMEs の直接投資の動機は、①ホスト国の市場拡大
に期待する、②低廉で豊富な労働コストの存在、③国際競争力の強化を指摘している。こ
の 3 条件を満たしていたのが日本の SMEs にとってアジア地域であった15。こうした要因
による SMEs の進出により、
「必要なとき、必要なだけ」部品やコンポーネントを調達する
ジャスト・イン・タイム(just-in-time、JIT)16による生産を可能とした。
すなわち国境横断型の第 1 タイプの SMEs が、貿易を通して形成された雁行形態的経済
発展に対して、プラザ合意以降の「FDI ブーム」
による大企業による投資活動の展開に SMEs
が呼応したものであるある。雁行形態的経済発展の概念は図 1 の通りであり、部品やコン
ポーネントなどの原材料を供給するホスト国のサポーティング・インダストリー
(supporting industries、裾野産業)の脆弱さをカバーし、Q(quality、品質)C(cost、コ
スト) D(delivery、納期)と JIT による生産を可能とするため、親企業の要請に基づき、
親企業が進出したホスト国に追従し、進出したことに大きな特徴をもっている。
マレーシアの自動車産業へのベンダー開発スキームに対する SMEs の誘致が、その代表
的な例である。
図 1 東アジアにおける雁行形態的発展形態
1)家電製品の場合
1970 年代
日本
1980 年代
1980 年代央
1990 年代
カラーTV
エアコン
アジア NIEs
カラーTV
エアコン
ASEAN
カラーTV
エアコン
中国
カラーTV
エアコン
UN, Small and Medium-sized Transnational Corporation-Role, Policy, and Implication, NY, 1993 p41
3M(ムダ、ムリ、ムラ)を廃し、
「必要なとき、必要なだけ」を生産するとトヨタ生産方式の基本理念を意味し、生
産活動(PQCDMT)は、P(生産、production)Q(品質、quality)C(コスト、cost)D(納期、delivery)M(モラ
ール、morale)T(時間、time)を運営管理する生産技術に依存する。
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注)例えば、C 社のメッキは、製品の最終仕上工程と機能強化(金メッキは銀メッキより通電効果を高める)を図るう
えで必要不可欠な工程である。このためセット・メーカーに追従する必要がある。
2)自動車の場合
1960 年代
日本
1970 年代
1980 年代
1990 年∼ 2000 年代
自動車
アジア NIEs
自動車
ASEAN
自動車
中国
自動車
注)投資は日本からアジア NIEs、ASEAN、中国に移行しており、国内市場の拡大と輸出のため現地生産を行っている。
これに伴い、部品メーカーは追従せざるを得ないことになる。
出所:拙著:
「東アジア諸国の経済発展の奇跡」
『アジア通貨危機の経済学』東洋経済新報社
1998 年
p46 を参考に作
成。
最新の投資有望国に関する調査17によると、同様に、①安価な労働力の存在、②現地市場
の今後の拡大をあげている SMEs が大半である。
第 1 の動機は、大企業の直接投資の動機と異なることはない。電子電器および自動車産
業などのセット・メーカーが、1985 年プラザ合意以降、円高ドル安による円高不況と国際
競争力回復を図るため、一般特恵関税(GSP)を活用し、豊富で低廉な労働力が存在する
ASEAN を迂回輸出基地として選定したことは周知の事実である。この日本企業やアジア
NIEs 企業による東アジアにおける「外国投資ブーム」が ASEAN 諸国の工業化を促進し、
経済水準の向上と雇用拡大に伴う国内市場の拡大を生むこととなった。
事実、ASEAN の先進国であるタイやマレーシアなどの一人当たり GDP は、表 1 の通り、
1980 年代央から 10 年前後で倍増し、それぞれ 7,450 ドル(2003 年)、8,940 ドル(同)と
なり、テイク・オフ(離陸)した。また、1990 年代央から中国も急速にテイク・オフを達
成し、13 億人市場が市場経済に組み込まれていくことが、現実的なものとなっている。
表 1 東アジア諸国の一人当たり GDP(2004 年)
為替レート換算
購買力平価換算
A
(PPP)B
単位:ドル
A/B
日本との物価水
準比較
国際協力銀行『開発金融研究所報』2006 年 2 月号 p64, 中国、ベトナム、インド、タイ、米国が投資有望国である理
由は、①安価な労働力ではベトナム 79.5%と高く、次いで中国 58.1%、また、②現地市場の将来性では、中国 68.8%、
次いでインド 56.1%であり、ベトナムとタイは 30%台であった。
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日本
37,180
30,040
123.8
100
シンガポール
24,220
26,590
91.0
73.5
韓国
13,980
20,400
68.5
55.3
マレーシア
4,650
9,630
48.2
38.9
タイ
2,540
8,020
31.7
25.6
インドネシア
1,140
3,460
32.9
26.6
中国
1,290
5,530
23.3
18.8
ベトナム
550
2,700
20.4
16.4
注)韓国の物価水準は日本の約 1/2、マレーシア約 1/3、タイ、約 1/4、インドネシア約 1/5、中国 1/5、ベトナ
ム約 1/7 である。
出所:World Bank, World Development Report
2005
pp292-293 から作成。
このようにホスト国の国内市場が拡大しているにもかかわらず、SMEs が国境を横断し、
多国籍企業化するのは、①親企業の東アジアでの生産ネット・ワークに対する呼応、②ホ
スト国以上に国内市場の拡大が期待できる投資先が現れたことである。その代表が BRICs
であり、アジアでは中国とインドにほかならない。加えて、南アフリカ共和国、トルコや
エジプトが有望視されている18。
SMEs の FDI は、SMEs の技術は低ないし中位技術であることが多く、技術の比較優位
によるものではなく、ホスト国におけるサポーティング・インダストリーの脆弱さをカバー
するために、親企業ないし取引先からの進出要請により、品質維持のための進出動機が大
きいことである。親企業による要請、追従が、欧米諸国の SMEs と比較した場合、日本の
SMEs による FDI の大きな特徴となっている。
最新のデータ19では、SMEs の企業進出目的は、進出当初は人件費などのコストダウンが
40.8%、取引先の進出要請が 19.1%で過半数を占めていたが、現在、単なるコストダウン
目的 31.7%や取引先への追従から市場開拓 30.5%へシフトしている。こうした中、取引先
の要請が進出時 19.1%から現在では 8.5%へ低下したが、自社の判断での追随は 15.5%で
あり、進出時 18.9%をやや下回るに過ぎない。同時に、現地市場の拡大が進出時の 14.0%
から現在では 30.5%と倍増しており、SMEs の海外進出目的が大きく変化してきている。
すなわち、取引先からの要請から自社判断での進出と現地市場の開拓が主流となっている。
こうした変化から、SMEs の自立性の高まりが読み取る。このことが既進出 SMEs の多国
籍企業化を進める大きな要因となっているといえよう。
また、依然として、ホスト国以上にも安価な労働力と国内市場の拡大が SMEs の多国籍
有望国として①ネクスト 11(イラン、インドネシア、エジプト、韓国、トルコ、ナイジェリア、パキスタン、バング
ラデシュ、フィリピン、ベトナム、メキシコ)、VISTA(ベトナム、インド、南アフリカ、タイ、アルゼンチン)、③VITCs
(ベトナム、タイ、インド、中国)などの分類がある。
19 中小企業庁:
『中小企業白書 2006 年』p81 及び同ホーム・ページ
www//:chusho.meti.go.jp/pamtlet/hakusho/h18/download/hakusho-gaiyo/pdf, p10
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企業化を促していることは否定できない。その代表国がベトナム、タイであり、ベトナム
の賃金水準は中国の 2 分の 1 ないし 3 分の 1 に過ぎない。UN の調査からも SMEs の直接
投資の要因として、とりわけアジアへの投資誘因として安価な労働コストと国際競争力強
化がリンクしていることが読み取れるし、現在ベトナムとタイは、東アジア地域において
「チャイナ+ワン(China + one)
」の有力候補である。
このように SMEs の海外進出目的は、大企業による FDI 目的とほぼ類似したものである
が、この他に、①3K(きつい、汚い、危険)を避ける国内での若年労働者不足と、賃金上
昇、②LDC によるキャッチ・アップ(catch up)への対応、③為替変動による経営の不安定
化阻止、④ホスト国の税制などの各種優遇措置(投資インセンティブ)などが指摘できる。
表 2 SMEs の直接投資要因
単位:%
北米
欧州
アジア
南米
世界
安価な労働コスト
3.9
3.8
31.2
16.7
14.5
ホスト国市場の拡大
5.8
44.3
52.7
16.7
50.6
国際競争力の強化
25.0
29.0
31.2
16.7
27.3
注)筆者が 1990 年以降、定期的に行ってきた SMEs のヒヤリング調査でも同様な回答が寄せられ、UN の調査結果と
変化はみられない。日本の SMEs の特徴として、取引先・親会社からの要請が欧米諸国の SMEs と異なり、かなりの比
重を占めている。
出所:UN, Small and Medium-sized Transnational Corporations-Role, Impact and Policy Implications, NY, 1993、
p41
3.SMEs の多国籍企業化の 3 形態
前述の SMEs の直接投資の要因をもとに、SMEs の国際化=多国籍企業化の形態を次の
三つに分類することが可能である。
第 1 に、図 2 のように、SMEs の国際化の初期段階にみられる国境横断型(transnational
SMEs、cross border SMEs)である。このタイプの SMEs は、ホスト国で生産した製品の
ほとんどを、日本市場に依存しているところが多い、あるいはホスト国に進出している親
企業への納品である。プラザ合意以降、円高ドル安による円高不況を克服するために、低
廉で豊富な労働力を求めて LDC に進出した。この条件を満たしていたのが、最初が ASEAN
諸国であり、次いで 1990 年代後半以降、中国であった。輸出価格競争力を回復するための
FDI を目的とした。また、多くの親企業が同様に低廉で豊富な労働力を求めて海外進出し
たため、親企業に追従し、要請により企業進出を行った SMEs が多かった。この結果、日
本国内の産業の空洞化現象が生じたことは周知の事実である。
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図 2 タイプ 1 SMEs 国境横断型多国籍企業―A 社の事例 (
は FDI の方向を
示す。以下同じ。)
国境横断(cross border)FDI
日本
マレーシア:メッキ、木工製品、ゴム製品、工作器具、キー
ボード、電子部品、セラミックス、自動車部品、医療器具な
ど
①製品の大半を欧米及び日本に輸出あるいはホスト国進出親
企業に納品。
②大部分が出資比率 100%で進出。
③資本集約型、設備投資型投資形態をとる。
1985 年以降、FDI を行った SMEs の大多数がこの第 1 のタイプに分類できる国境横断型
であり、ホスト国から製品、部品を日本に輸出した20。この例として A 社(北海道、資本金
2 億 2,392 万円、従業員 430 人、売上 70 億円、医療器具製造)21の経営展開をみてみよう。
同社は 1988 年にマレーシアに進出、現地従業員数は 470 人を雇用する。製品のほとんどが
日本に輸出されている。
A 社は需要拡大に対処するために、マレーシアを拠点にスリランカなどの近隣諸国への進
出を計画したが、2005 年にマレーシア工場を大規模に拡張し、輸出と同時にマレーシア国
内市場でのシェア拡大に乗り出した。同社が選択したホスト国工場の拡張という選択は、
SMEs が一般的に抱える海外要員不足22と取扱商品が医療機器23であること、また、国内市
場の拡大が期待できることを考慮すれば、ASEAN の先進国マレーシア工場の拡張は賢明な
選択ではなかったのではないかと評価できる。
例えば、マレーシアに 100%日本側出資条件で進出しても、製品の 20%まで国内市場で
さばくことが許可されており、この条件を利用して同国での販売拡大を図る企業戦略をと
るところもでてきている。このタイプの SMEs の進出は、比較優位に基づき進出した第 1
のタイプと異なり、将来のホスト国市場をにらみ、ホスト国での再投資を積極的に行い生
産・製造面で「ホスト国での多国籍企業化」を進めているといえる。
また、このタイプの SMEs の進出形態はセット・メーカーと異なり、資本集約型であり、
設備投資型であることが多く、間単に、顧客を追従して近隣諸国に再投資することが容易
ジェトロ勤務時、日本企業の対マレーシア投資促進事業に従事したとき、進出支援をした SMEs の大半は、この国境
横断型であった。現時点で、当時進出した SMEs が撤退したという話はあまり聞かない。
21 主力商品は使い捨てマスクであり、サーズが東アジアで広範囲に流行したとき、使い捨てマスクの増産を行い、社会
的不安を拭い去るのに大いに貢献した。
22 15 年以上マレーシアでの操業経験を有する同社でも日本人スタッフの育成は容易でないようである。現地社長は、生
産管理本部長として日本とマレーシアの両工場を管理することになり、マレーシア工場の現地化の方向に動き出してい
る。
23 衛生状態がおもわしくない LDC で製造すれば低賃金だけを狙った「安かろう、悪かろう」のブランド・イメージを
払拭することに努力を払わなければいけない。
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でないことを特徴としている。この結果、ホスト国から部品、コンポーネントを輸出する
こととなり、東アジアにおける生産ネット・ワーク24形成の一翼を担うことになる。
第 2 のタイプとして、文字通り大企業と同様に複数国に生産拠点を構え、ホスト国を拠
点として、経営の多角化を展開する SMEs である。本稿ではこのタイプを SMEs の典型的
な多国籍企業化として捉えている。考察対象でもあるこのタイプの SMEs は、東アジア地
域の経済発展形態である雁行形態的経済発展に対応したものである。
制度的枠組みを出発点として形成された EU と異なり、東アジアにおいては貿易を通し
て自然発生的に形成された雁行的経済形態的発展を基礎として、東アジア共同体構想につ
ながる自然発生的に形成された東アジア経済圏が、SMEs の多国籍企業化を支えている。
この代表的なケースとしてマレーシアに進出した B 社(兵庫県、資本金:9,100 万円、従業
員:286 人、自動車部品製造)と C 社(東京都、資本金 1 億 5000 万円、従業員 122 名、
金属表面処理)をあげることができる。
図 3 タイプ 2 SMEs 多国籍企業―B 社と C 社の例
1)B 社の事例
2002 年 60%
日本
1986 年
中国
100%
2002 年 40%
2005 年 100%
インド
マレーシア
タイ
1999 年 100%
計画中
インドネシア
注 1)マレーシアを拠点として、同社の意思決定は、「バーチャル本社」で行われる。
注 2)タイ・インド FTA により、アーリー・ハーベスト品目(EHP) に自動車部品が対象となっており、タイからイ
ンドへの輸出の可能性が生まれ、両国間の調整が求められることになろう。
こうした東アジアにおける生産のネット・ワークは、FTA(自由貿易協定)及び AFTA (ASEAN 自由貿易協定)とと
もに ASEAN 共同体(2020 年を前倒しして、2015 年を目途)及び東アジア共同体構想のプラットフォームを形成して
いる。また、同構想は、
「開かれた経済協力」であり、この点 EU と大きく異なる。
24
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2007 年 10 月 8 日
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2)C 社の事例
1953 年設立
タイ・フィリピ
日本
中国
メッキ
マレーシア
メッキ
ダイキャスト(合弁企業)
食品(パン)加工(9 箇所)
マレーシアが経営管理
インドネシア・ジャカルタ
バタム島バタミンド工業団地
メッキ
ダイキャスト
工場移転
ダイキャスト
注)バタミンド工業団地のダイキャスト工場はジャカルタから移転され、経営管理はマレーシアから行われている。
注)マレーシアにおいて異業種(ダイキャスト、製パン業)に進出した後、インドネシアでダイキャスト工場を立ち上
げた。一種の「コングロマリット」といえよう。
出所:拙著『ASEAN 先進経済論序説―マレーシア先進国への道』現代図書
2005 年
p283 及び聞き取り調査をもと
に作成。
第 3 のタイプは、大企業と同様に日本からの輸出を補完ないし輸出代替型進出であり、
日本を拠点として多国籍企業化したところに特徴を持つ。このタイプの多国籍型企業とし
て D 社(北海道、資本金 2 億 750 万円、従業員 383 人、売上 71 億円、ベアリング製造)
があげられる。
国際事業活動の統括は日本で行い、日本の本社の指示に従い国内生産と現地生産を管理
している。同社は、米国や韓国などの販売会社を通して世界市場でのシェアを拡大するた
めに進出した。このタイプの SMEs は、国境を横断した SMEs に過ぎない第 1 のタイプと
類似した性格を有するが、ホスト国において製品別に現地法人を 3 社設立し、ホスト国市
場の拡大を期待している。
D 社のように、進出先の経済発展に伴い国内市場の拡大に伴い、ホスト国での再投資を
行う SMEs が増加傾向になる。SMEs の FDI の目的が、ホスト国市場の拡大に期待してい
ることが明白となってきている。特に、タイ、マレーシアや中国に進出した SMEs の中に、
ホスト国市場のシェア拡大を図る SMEs が多くなっていることは事実である。
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場所:早稲田大学
図 3 タイプ 3 SMEs 多国籍企業化―D 社の事例
1996 年設立
出資 50%
韓国販売会社
合弁
1959 年設立
マーケティング(営業・販売促進)
36 カ国代理店 80 社
日本―国際事業統括
出資
100%出資
1969 年設立
国内工場
1993 年設立
経営管理
出資 50%
中国 3 工場
米国販売会社
2 工場に統合準備中
注1)
2004 年設立
合弁
国内工場では付加価値の高い精密ベアリングを製造し、上海工場では汎用性のあるベアリングを製造する分業
形態をとっている。
注2)
国際事業(海外工場の経営管理、輸出入、市場開拓、顧客管理)は、日本の本社が統括している。
出所:D 社会社案内と聞き取り調査をもとに作成。
4. 典型的な SMEs 多国籍企業化の過程―B 社、C 社
(1)ホスト国を拠点とした B 社の多国籍企業化
1986 年マレーシアに進出した自動車パーツ・メーカーの B 社は、21 世紀に入り、積極的
にマレーシアを拠点にアジア地域での企業展開を開始した(図 2−1)参照)。1999 年には
タイに、2004 年中国大連、2005 年インドに生産拠点を構え、日本を含め 5 ヶ国に生産拠
点を有する。また、現在インドネシアへの企業進出のタイミングを探っている。同社の多
国籍企業化の過程は、典型的なタイプ 2 に属し、日本企業によるアジアにおける生産ネッ
ト・ワーク形成に促されたものである。
B 社は、アジア通貨危機後、タイに自動車関連産業が集積し、近隣諸国への自動車輸出国
「東洋のデトロイト」となり、自動車関連部品への需要増加が予測されことを見越して、
タイに進出した。タイには 2000 社以上の自動車関連企業が集積していると推計されている。
尚、表 3 は、最近のタイ国内の自動車販売台数の推移を表している。
表 3 タイ国内の自動車販売台数の推移
合計
乗用車
単位:台
商業車
1 トンピック・ア
ップ
2003 年
533,176
179,005
354,171
309,144
2004 年
626,026
209,110
416,916
368,911
2005 年
703,405
188,211
515,194
469,657
出所:B社提供資料から作成
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同社の投資形態の大きな特徴は、資本出資元が日本企業からではなく、100%マレーシア
企業から投資されていることにある。日本企業の「孫会社」となるが、法的にはマレーシ
ア資本によるタイ進出に分類される。この資本投資形態から、この SMEs の海外展開は、
もはや国境横断的 FDI、すなわち SMEs の国際化といえる経済現象ではなく、「線」から「面」
による多国籍企業化と定義するにふさわしい企業活動と考えられる。
中国進出に当たっての資本関係は、マレーシア企業から 40%、日本の親会社から 60%と
なっており、日本企業とマレーシア企業の合弁形態による企業進出となっている。投下資
本は2ヶ国から中国に、工場従業員は中国人を中心に、日本そしてマレーシアの 3 カ国か
ら構成されている。同社の敷地には、日本国旗、中国国旗とマレーシア国旗の 3 カ国の国
旗がひらめいている。一見こうした取るに足らない光景であるが、改革開放を掲げ、門戸
を開放し、FDI 誘致を促進する社会主義市場経済の中国において、工場敷地に 3 カ国の国
旗が掲揚されていることは、ある意味で社会主義市場経済の象徴でもあり、非常に重要な
意味を持つ。
SMEs の国際化の動きが中国を飲み込み、多国籍企業化している象徴でもあり、従来の
SMEs の国際化として処理するには大きな問題があることは明瞭である。
さらに、インド進出の契機は、BRICs の一角であり、自動車市場の急拡大が見込まれ、
自動車セット・メーカーがインド進出を決めたこと、また、このセット・メーカーから進出
要請があったことによる。加えて、タイ、中国への進出実績とともに、マレーシアで 20 年
以上の操業経験をもとに、育ってきたインド人技術者が活用可能と判断したことによる。
(2)ホスト国市場の急拡大と株式上場
B社が近隣諸国への多国籍企業化を図る契機は、輸出よりホスト国市場が拡大したこと
である。1990 年代初め、プロトンの国内市場占有率は約 90%(現在 36%程度)占め、マ
レーシア国内市場が急成長し、輸出需要より国内需要が大きくなったことである。このた
め製造許可書を入手するさいの「80%以上製品輸出を条件とした日本側 100%出資」条件
を履行することが困難になってくる一方、モータリーゼーションがマレーシアと同じよう
に進んだタイなどの近隣諸国への部品供給を継続しなければならず、需要がある顧客の近
くに工場を建設しなければならない地域経済環境が、東南アジアに生まれたことが指摘で
きる。
加えて、自動車関連産業において SMEs の多国籍企業化を後押ししたのは、タイ、マレ
ーシアやインドネシアなどの先発 ASEAN 諸国が、工業化の柱として、第 2 次輸入代替工
業化(重工業化)の柱として、自動車産業の誘致に力を入れたことと大きく関係している。
工業化の中心産業に自動車産業を据えたのは、経済効果において前方連関効果と後方連関
効果25の両効果が高いことにある。
さらに、資本関係におけるこの SMEs の東南アジアでの企業展開は、日本の親企業を軸
25
Albert O. Hirshman(小島監修、麻田訳) 『経済発展の戦略』
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巌松堂
1993 年
p170−207
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に実施されているのではなく、最初に海外進出したマレーシアを基点に投資されているこ
とであり、同国がアジアでの「地域本社的」役割を果たしている。これは、同社がマレー
シアの政治社会の安定性を高く評価しているあらわれでもある。
2006 年 9 月 20 日、タイでクーデターが久ぶりに発生した。タイでは、1990 年以前、ク
ーデターが日常茶飯事に発生した26。今回のクーデターで、タイが改めて開発独裁国家であ
り、民主化が進んでいるとはいえ、依然として「軍事政権」的であることを改めて認識さ
せるものであった。クーデターによる経済的活動への影響は日本タイ FTA の批准が遅れう
などの影響が出ており、「地域本社(拠点)」としてのマレーシアの評価が高まることが考
えられる。政治的安定性は、日本からタイに立ち寄りマレーシアに入国すると、タイと比
べて同国の自由さ、開放性を感じさせるものがある。
同時に、マレーシアにおいてタイ進出のための資金調達を可能としたのは、①プロトン
をはじめとするマレーシアの自動車産業が予想以上に成長したことにより、社内留保がで
きたこと、②ホスト国のクアラルンプール株式市場に上場したことにより、現地直接金融
が可能となり、日本で資金調達する必要性が大幅に低減したことが指摘できる。現地直接
金融による資本調達負担コストの軽減と容易化は、日系企業の現地化とともに、SMEs の
多国籍企業化にとって今後、大きな役割を演じることになろう。
同社の場合、ホスト国で株式を上場すると、日本では SMEs に分類されるが、資本金、
従業員数や売上高などの企業規模から、ホスト国では「大企業」とみなされ、その国を代
表する企業グループに加わることを意味する。マレーシアの中小企業の定義は表 4 の通り
である。
表 4 マレーシアの中小企業の定義
製造業の場合
規模
売上高/年 リンギ
従業員数
零細(マイクロ)企業
250,000 リンギ以下
5 人以下
小企業
250,000 から 10 百万リンギ
6−50 人
中企業
10 百万から 25 百リンギ
51 人から 150 人
SMEs 定義
25 百万リンギ以下
150 人以下
農業の場合
規模
売上高/年
リンギ
従業員数
26
軍事クーデターでサリット政権ができて以来、タイの政権交代はクーデターが日常茶飯事となっていたが、1990 年
代、ASEAN の先進国となり、1991 年の軍事クーデター(首謀者スチンダ将軍)以後、
「民主化」が進展していた。
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零細企業
20 万リンギ以下
5 人以下
小企業
20 万から 100 万リンギ以下
5−19 人以下
中企業
100 万リンギから 500 万リンギ
20−50 人以下
中小企業
500 万リンギ以下
50 人以下
規模
売上高/年
従業員数
零細企業
20 万リンギ以下
5 人以下
小企業
20 万から 100 万リンギ以下
5−19 人以下
中企業
100 万から 500 万リンギ以下
20−50 人以下
中小企業
500 万リンギ以下
50 人以下
サービス業の場合
注)バンクネガラは資本金 10 百リンギ以下としており、中小企業政策を実施する機関で、それぞれが SMEs の定義を
行い、事業を実施しているのが現状である。SMEs 政策はブミプトラ政策と微妙な関係を有する。
出所:National SME Development Council, Small and Medium Enterprise Annual Report 2005, p63
要約すれば、多民族国家であるマレーシア27に進出して 20 年以上経過し、また、株式を
上場することにより、経営の国際化が進み、日本人を含めて海外展開を可能とする人材が
社内的に育ってきたことも大きな要因としてあげられる。特に、インド進出決定の大きな
要因は、マレーシア企業におけるインド人従業員(中間管理職、技術者など)の活用があ
ったことは確かである。
さらに、マレーシア進出を決定・実行した B 社社長(当時)が、青年期から抱いてきた「海
外進出の夢」
、「熱意及び志の高さ」が、現在の多国籍企業化の下地となったといえる。同様
に、A 社会長は、
「自分にあるのは「専門家」にない自由な発想法‐‐独立心と欲だけ」28と
経営哲学を語っている。D 社社長は、
「異端を恐れない精神力」29が国際化の原動力であり、
加えて、C 社長は、「郷に入れば郷に従え」を経営哲学30とし、異文化経営に情熱を燃やし
ていた。こうしたことから、SMEs が国際化する原動力は、社長の独創的な経営哲学、指
導力と人間的な魅力にある。
(3)異業種参入による経営の多角化―C 社
他方、マレーシアに進出した C 社の多国籍企業化の過程は、特異な例であり、SMEs の
多国籍企業化に対する多様性を示している。
27
マレー人、中国人、インド人と多数の少数先住民族で構成されている。
北海道新聞「野わけ」に 1993 年 1 月 5 回に分けて掲載した記事と、同社会長からの聞き取り調査による。
29 同社社長からの聞き取り調査による。
30 ジェトロ:
『ジェトロセンサー』1999 年 4 月号、p49 とヒヤリングによる。同社社長は「対等な人間関係と地域社会
への貢献、フェアなビジネス」をかかげている。
28
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同社は、メッキ関係の薬品の輸出から海外進出をする典型的な SMEs の国際化過程をた
どったが、ホスト国において異業種(アルミ・ダイキャストと製パン業)に投資参入する
ことにより、多国籍企業化した SMEs である。
同社は、当初、メッキの試験プラント31を設置するとして進出したが、試験プラントであ
るため売上に限界があり、運転資金を捻出するために日銭商売である製パン業32を開始した。
ホスト国でメッキから異業種に進出するのも特異なケースであるとともに、アルミ・ダイキ
ャスト会社33を買収し、マレーシアを拠点にインドネシアに進出した。
メッキ技術とダイキャスト技術との間に、共通した固有技術関係は存在しない。ただ、
同社は、メッキ薬品を米国などに輸出しており、海外での取り引き経験が豊かであり、国
際感覚がある社員が育っていたことが、ホスト国を拠点に多国籍企業化と異業種参入を推
し進めることができた原動力ではないかと考えられる。
C 社は、ジャカルタにあるダイキャスト工場をインドネシア・バタム島34に移転し、クア
ラルンプールから経営管理を行うなど、マレーシアの地域拠点化を進めている。SMEs も
大企業 MNC 同様に、海外拠点の見直しを行い、効率的生産体制の構築を行う時代を迎え、
東アジア共同体構想を現実的なものとする材料を提供している。工場をバタム島に移した
のは、物流の中心地であり、消費地であるシンガポールに近いことをあげている。
いずれにしろ、同社のようにホスト国で異業種に参入し、企業活動形態を多角化し、多
国籍企業化を図ることは、SMEs の斬新な国際化の方法を提示している。
(4)「偶然」と「追従」そして「バーチャル本社」
経営面における多国籍企業化した SMEs と大企業 MNC との大きな違いを B 社にみると、
第 1 に、大企業 MNC のように国際経営戦略をもとに、用意周到に戦略的に計画されたも
のではないことである。円高ドル安下で、「低廉で豊富な労働力」活用を目的として東南ア
ジアに進出していく、セット・メーカーを追随しなければいけなかったことであり、海外展
開に対して大企業 MNC のように明確な戦略意識を持ったものではないことである。言葉を
換えていえば、東アジアにおける雁行形態発展がもたらしたもので、顧客確保のため海外
に生産拠点を構えた親企業追従型であり、国内的には産業の空洞化をもたらす大きな要因
となった。
すなわち、東アジアにおける代表的な製品の雁行形態をみると、1870 年代日本で生産さ
れていたカラーTV、エアコンや冷蔵庫は、1980 年代にはアジア NIEs と先発 ASEAN 諸国
35へ、1990
年代には中国で生産されるようになった。また、自動車ではトヨタ、日産、三
31
メッキ業は現地企業でも十分にできる業種とされていたため、外資の参入が難しく、試験プラントとして許可された。
小規模企業のためブミプトラ政策の規制を受けず、外資が進出し易かった。
33 同社はアルミダイキャスト企業に資本参加(日本側 55%、現地側 45%の合弁会社)し、ホスト国で異業種に参加し
た。
34 成長の三角地帯の一つ SIJORI の一角を占め、バタミント工業団地には日系企業が 40 社以上進出している。詳細は
拙著『アジア経済と直接投資促進論』ミネルヴァ書房 2001 年を参照乞う。
35 タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンを意味する。この場合、シンガポールはアジア NIEs に分類される。
32
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菱、いすゞ、ホンダなどの自動車メーカーが、先発 ASEAN 諸国の第 2 次輸入代替工業化
に対応して進出したが、2000 年に入り、トヨタ、日産、ホンダなどのメーカーが中国に本
格進出を開始した。
また、トヨタがアジア通貨危機後タイをアジアにおける自動車の輸出基地とすることに
より、同国では自動車関連部品メーカーが集積し、自動車部品を製造する SMEs の多国籍
企業化が展開されることとなった。その典型的な例が、B 社といえよう。
第 2 に、大企業 MNC のように、組織的にグローバル経済への対応した企業活動ではな
く、先に指摘したように、経営トップの海外進出の夢、熱意、志が海外進出を後押ししたも
ので、組織的な企業経営活動ではない。創業者の強い意志が働いている。D 社社長は、
「異
端」を恐れない精神力が同社を世界的レベルの国際的中堅企業に押し上げたと自負する。
第 3 に、大企業 MNC では国際的に構築された生産ネット・ワークによる生産、販売計画
などの調整を行うのに対して、多国籍企業 SMEs はグループ全体として生産、販売計画など
を行うことは稀であり、場合によっては、需給が逼迫したとき、一時的に、競合関係に陥
ることがある。輸出調整をケース・バイ・ケースで、柔軟に行っているのが B 社である。
第 4 に、日本の親会社と進出先企業間の調整と経営意思決定は、日本から社長が定期的
に業務出張してくる際に、当座の経営戦略を協議と中長期的な計画、展望を話し合い、進出
先の各責任者(現地社長)が社長の意向に沿って、工場を操業していることである。この中
核をなすマレーシア工場の社長は、株式の上場に伴い、現地化をはかり、中国人が社長を
務めている。経営スタッフの現地化は SMEs の多国籍企業化を推し進める重要な位置を占
めているといえよう。
いずれにせよ、社長を含め各国の現地責任者が集まった時、B 社の最高経営意思決定会議
となる。このため最高経営意思決定機関が毎回異なった場所、時期に開催される。B 社の経
営幹部が集まったところが本社であり、経営意思決定を行う場所である。臨機応変の対応
を行っている。
特に、タイ企業は、マレーシア企業が株式を 100%所有する子会社であるため、非常勤役
員が定期的にバンコクを訪問し、調整と経営会議を行っている。このように調整と意思決
定において、組織的に対応する大企業 MNC と大きく異なっている。
こうした意思決定の方法を、同社会長は「基本的人材(経営幹部)が集まるところが本社」
であり、「バーチャル本社」と呼んでいる。日本資本が中心だから、日本が本社だとすると
ころが多い中、
「バーチャル本社」と中核現地会社経営スタッフの現地化は、まさに SMEs
らしい柔軟な発想であり、グローバル化に対応した SMEs の在り方を提供している。これ
を可能としたのは、SMEs では珍しく、各国工場間の調整のための使用言語を英語とした
ことが大きい。
また、第 5 に、さらに、C 社の場合、ホスト国での異業種参入が同社の多国籍企業化に
拍車をかけた。これも、東アジアにおける雁行形態的発展による日本企業の生産ネット・
ワークの形成により促されたものであり、ホスト国を含めた東アジア諸国の工業化に伴う
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国内市場の急速に拡大した結果といえよう。
5.
国際統括部門による意思決定と現地化
他方、D 社の場合、B 社及び C 社と大きく異なった経営管理、意思決定システムをとっ
ている。同社は製造部門と国際部門統括部門を分社し、図 3 の通り、中国に3工場を有し、
本社において中国工場と国内工場の生産計画を統括するとともに、市場開拓を行い、最終
意思決定を下している。使用言語は B 社と異なり、日本語で行っている。また、顧客の大
半は欧米諸国であるため「時差」を活用したクイックリスポンスにより、信用をかち得て
いる。時差を利用するうえでのファックスの登場は、現在のインターネットと同様、同社
にとって画期的なものであった。
ホスト国において、再投資をすることにより、工場を 3 つ設立し、ホスト国で経営の多
角化を図り、同時に、米国、韓国に販売会社を設立し、日本を拠点として、文字通り大企
業と酷似した多国籍企業としての活動を展開している。同社の経営形態は、タイプ 1 に属
する SMEs の大部分は、国境を横断して投資したものの、その製品の販売・輸出は専門商社
などを通して行われているのと、大きく異なっている。
タイプ 1 に属する SMEs の多国籍企業化が多い最大の要因は、国際感覚を持った人材を
社内で養成するのが難しく、海外経験が豊富な商社などの外部に人材に依存しなければい
けないところにある36。社長の志が高くとも、タイプ 1 は「人材が集めにくい、集まらない」
ため、タイプ 2 ないし 3 に発展していかない大きな原因となっていることは確かである。
ここに、現時点での、日本企業の国際化の限界があるといえる。
D 社は、国内市場と同時に海外市場の開拓に力を入れ、北海道からの輸出(2006 年現在
36 カ国)を行ってきた。しかし、1985 年プラザ合意によるコスト競争力維持のため、中国
企業へ部品の外注(相手先ブランド、OEM)を手がかりに、中国に 100%出資で進出した
典型的な生産拠点のシフトによる多国籍企業である。海外市場開拓の経験と、上海での
OEM 経験が現在の経営形態を形成する基礎となっている。
加えて、中国工場には常駐の日本人スタッフがゼロであり、中国人スタッフ37に任せてお
り、SMEs の海外進出形態として稀有である。現地化が進んでいる。これは同社が創業以
来、国内市場開拓と同時に海外市場開拓に力を入れ、海外との取引経験による経営ノウハ
ウ蓄積による自信のあらわれでもある。それは中国工場に日本人スタッフが常駐していな
いところに読み取ることができる。社長による上海工場の統括を任せている中国人スタッ
フへの信頼には、並々ならぬものを感じさせるものである。
日本人スタッフが常駐していないと現地経営がうまく回っていかない、というのが定説
であったが、D 社は SMEs でありながら現地化を達成しており、海外要員に事欠く SMEs
36
大手商社などで海外経験が豊富な方が、SMEs に移られても、SMEs の歩んできた歴史と体質が異なるため、仕事へ
の取り組み方、人生観などに齟齬をきたし、あまり長続きがしないといわれる。
37 同社は室蘭工業大学に留学していた中国人留学生を雇用し、上海工場の経営管理を任せている。社長は年に2−3度
訪れるほか、頻繁に電話で意思疎通を図っている。
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の海外経営運営に斬新な形態を提供している。
このため、中国人スタッフの待遇は、日本人スタッフの待遇と同じであり、工場の運営
を任されるチャンスをつかんだ中国人スタッフが、「不祥事でチャンスを手放すことはな
い」、としている。また、人事面での停滞を防止するために、中国人スタッフの日本への人
事異動のローテェーション38を組み、国内と中国工場との経営の一体化を図る計画を有して
いる。こうした中、中国の経済発展にともない、所得上昇によりコストが高くなってきて
おり、日本工場の自動化の進展により、中国での生産にメリットがすくなくなってきてお
り、ベトナム39への進出も検討している。特に、2007 年、中国政府は 5 年をかけて外資優
遇税制を取りやめことになった40ため、他国への進出を考えざるを得ない状況にあるといえ
よう。
加えて、マレーシアに進出したタイプ 1 の国境横断型 E 社(埼玉県、工具製造)は、経
営スタッフの現地化を 2007 年春実行し、現地社長は中国人女性となった。経営スタッフの
現地化を進めた背景として、一般的に海外要員が払底していることが指摘できる。同時に、
マレーシアを拠点として東アジアで本格的な多国籍化を図る準備段階にあるともいえる。
図 5 は日本企業による有望投資先ランキングである。2006 年には上位3ヶ国を中国、イ
ンド、ベトナムで占められ状況にある。
図 5 日本企業の中期的投資有望国(ランキング)
ランク/年
2002
2003
2004
2005
2006 年
1
中国
中国
中国
中国
中国
2
タイ
タイ
タイ
インド
インド
3
米国
米国
インド
タイ
ベトナム
4
インドネシ
ベトナム
ベトナム
ベトナム
タイ
ア
5
ベトナム
インド
米国
米国
米国
6
インド
インドネシ
ロシア
ロシア
ロシア
ア
注)BRICs が上位を占めているとともに、チャイナ+1 としてのVITCs(ベトナム、インド、タイ、中国)が同時に
上位を占めているのが特徴である。
出所:国際協力銀行
『開発金融研究所報』
2006 年 2 月
第 28 号
p52 から作成。
例えば、日本と中国勤務を 3 年勤務周期で人事異動を行う。
各種シンクタンクの調査では、チャイナ+ワン国としてここ数年ベトナムの人気が高まっている。筆者も 1990 年代
初め世界銀行(Multi-national Investment Guarantee Agency, MIGA)勤務時代、中国への一国集中を避けるため、ベ
トナムへの FDI の促進を提案した。
40 外資への優遇税率は 10%台であったが、2013 年には外資、国内企業とも税率が 25%となる。
38
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SMEs が国際化するに当たり、日本人の海外要員があまり育たない経営環境、育てよう
としても時間と投資がかかる。こうした現状を考えれば、B 社はマレーシアに進出すること
により、海外経営のノウハウを蓄積し、日本人スタッフを育てるのに成功したのに対して、
D 社のやり方は、SMEs が多国籍企業化するうえでの意思決定と経営管理の在り方として、
B 社と同じく、一つのモデルを提供している。
以上のことから、日系 SMEs 多国籍企業の誕生は、国際経済環境の変化に適応した偶然
と親企業追従によるものである。異文化下でのその経営意思決定は、組織より従前と同じ
「ヒト」に依拠したものであるとはいえ、益々グローバル化する国際経済環境に対応する
ために、これまでの伝統的な SMEs の経営形態から脱皮、脱却あるいは新しい SMEs 的経
営意思決定の有り方を、模索する過程にあるといえよう。大企業 MNC の組織的対応に対し
て、臨機応変に経済環境に対応していくところに SMEs の持つ良さがあり、その臨機応変
さが B 社を多国籍企業に押し上げ、その過程はアジアで操業している他の日系 SMEs にと
って大いに参考になるところが多い。
6.
SMEs の多国籍企業化を支える FTA
東アジアにおける経済協力は、1967 年に結成された ASEAN が常にリードしてきた。LDC
が経済協力(統合)をリードするのは世界的にも珍しい現象であるが、ASEAN がその経済
協力機能を文字通り発揮するようになったのは皮肉にも 1997 年発生したアジア通貨危機以
後、二国間経済協力を柱としたマニラ・フレーム・ワーク(Manila Frame Work)による
金融協力(通貨スワップ協定)であり、また、日本が従来の国際機関主義による自由貿易
から対外通商政策を FTA に大きく舵を切ったことによる。SMEs の多国籍化を促進したの
は、日本企業による生産ネット・ワークの構築と FTA 締結の促進とともに、ASEAN の経
済協力とりわけ 1992 年に合意した ASEAN 自由貿易協定(ASEAN Free Trade Agreement、
AFTA)の発展によるところが大きい。表 5 は ASEAN の経済協力(統合)の推移を表して
いる。
表5
ASEAN 経済協力・統合の推移
1967 年
ASEAN 結成(オリジナル5:タイ、マレーシア、インドネシア、フ
ィリピン、シンガポール)、1984 年ブルネイ、1995 年ベトナム、1997
年ラオス、ミヤンマー、1999 年カンボジアの加盟により ASEAN10 が
できあがる)
1992 年
AFTA 合意(1993 年から域内関税削減開始、現地調達比率 40%)
2002/2003 年
ASEAN オリジナル5+ブルネイ(先発 ASEAN6 カ国域内関税を 0−
5%に削減。
2010 年(予定)
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先発 ASEAN6 カ国域内関税を撤廃。後発 ASEAN4 カ国(カンボジア、
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ミヤンマー、ラオス、ベトナム)は 2015 年を予定。
2015 年(予定)
ASEAN 共同体創設(ASEAN 経済協力共同体、ASEAN 安全保障共同
体、ASEAN 社会文化共同体から構成される)
出所:ASEAN 事務局ホーム・ページ及び各種報道から作成。
典型的な SMEs の多国籍企業化した B 社はこうした ASEAN の経済協力の進展とともに、
タイが中国と FTA を締結したことにより、経営の意思決定において、組織的な対応を必要
とする時期が早まりそうである。また、FTA は生産ネット・ワークとあわせて SMEs の多
国籍企業化を促進することになると考えられる。図 4 は東アジアにおける FTA のマトリッ
クスである。図 4 から明らかなように FTA は、ASEAN を中心に展開されている。日本の
対 ASEAN 累積投資額は中国の 2 倍を占めているように、日本企業の東アジアにおける経
済活動の拠点は、現時点では ASEAN であり、ASEAN を軸に垂直的生産ネット・ワークが
形成されている。
FTA 締結による FDI 誘致促進効果は、図 4 の通りであり、FTA の排他的性格が FDI を
促進することになる。タイプ 1 では、A国とB国が FTA を締結することにより、両国間の
関税障壁が取り払われ、従来関税がかかっていた生産物の関税がゼロになることにより、
両国以外の国で該当品を生産する企業がホスト国A国とB国に投資することになる。企業
進出することにより、A国、B国に輸出する流通コストが大幅に削減される。このタイプ
の FDI と FTA の関係で SMEs の多国籍化は、国境横断型が大方を占めることになる。
図4
タイプ 1
FDI
FDI
その他の国
A国
FTA 締結
B国
その他の国
注)A 国と B 国が FTA を締結すると拡大した国内市場を目的に FTA 締結国以外の国からの FDI を誘発する。
タイプ 2
日
FDI
本
FTA
FDI
FDI
AFTA41ないし EU など
A国
FTA
B国
FTA
41 AFTA は GATT 第 24 条の例外規定によるものではなく、
LDC に認められた授権条項による地域貿易協定によるもの
である、原則 10 年以内に関税を撤廃する等の条件が免除されている。
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注)FTA ネット・ワークを基盤に広範囲に FDI を相互に誘発する。FTA と FDI の両ネット・ワークをプラットフォー
ムとして EU の通貨経済統合に発展しなくても、東アジア共同体への可能性を持っている。
タイプ 2 では SMEs の多国籍企業化を大いに促進する FTA ネットといえる。すなわち、
AFTA ないし EU は大きな共同市場であり、それぞれが締結している FDI を活用するため、
各国から FDI が流入する。また AFTA や EU 域内だけでなく、域外国への企業進出するチ
ャンスが発生することになる。ASEAN に生産拠点を構えている SMEs にとって、AFTA
ないし EU 内部だけでなく、FTA 締結国への企業進出がおこり、SMEs が多国籍企業化す
るおきな契機となるといえる。
しかし、ASEAN は中国に FDI が集中することを牽制し、FDI の受け皿として ASEAN
投資地域(ASEAN Investment、Area AIA)を AFTA と重複させているが、投資の自由化
の核をなす内国民待遇(national treatment)などをめぐり、ASEAN 各国の足並みがそろ
わず、あまり効果を発揮していないのが現状である。
東アジアの経済協力の実質的な展開は、アジア通貨危機を契機とした 2000 年のチェンマ
イ・イニシャティブ(Chiang Mai Initiative、CMI)合意による通貨スワップ協定を出発
点とし、東アジア域内貿易シェアの高まりによる相互依存・補完関係と WTO での一括交渉
(ドーハー・ラウンド)の遅れを背景に、自由貿易の推進役を WTO から FTA に軸足を移
した。この結果、東アジアに形成された垂直分業を梃に、通貨危機を未然に防ぐために金
融ネット・ワーク(ASEAN+3による通貨スワップ協定)42が整備され、SMEs が ASEAN
の先進国タイやマレーシアを地域本社とし、アジア域内で多国籍企業化を展開していくう
えでの地域インフラは整ってきている。
図 5 東アジアにおける FTA マトリックス
日本
日本
韓国
△
中国
ASEAN
シンガポー
インド
△
ル、マレーシ
ア、フィリピ
ン、タイ
韓国
△
○(除タイ)
△
1997 年のマニラ・フレーム・ワークを受け 2000 年チェンマイで開催された ASEAN+3 蔵相会議で金融協力が話し
合われ、チェンマイ・イニシャティブ(CMI)として合意した。2006 年末現在、通貨スワップ協定額は 790 億ドルに
達している。
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○
中国
ASEAN
シンガポー
○
○
○
AFTA
ル、マレーシ
インド
○
ア、フィリピ
( ASEAN10
ン、タイ
カ国)
△
△
○
注)○は FTA 締結、△は FTA 交渉中を示す。
出所:Rahul Sen, Free Trade Agreement in Southeast Asia, Institute of South Asian Studies, Singapore 2004 及び
各種報道から作成。
B 社にとって FTA のメリットは、アーリー・ハーベスト(early harvest products、EHP43)
である。タイ・インド FTA では、枠組み合意の中で同条項が規定されており、自動車及び
電子部品関係が EHP の対象品目となっている。東アジアにおける FTA 締結・交渉状況は、
図 6 の通りである。先に FTA の FDI 誘致促進効果でみたとおり、SMEs を含めてタイに進
出している日系企業にとって、両国間の同条項による関税撤廃は物流コストの削減を促進
し、FTA を利用した SMEs による多国籍企業化が進展することは確かである。
表 6 東アジアにおける FTA 締結状況
国
発効
署名・基本合意
交渉中
日本
シンガポール、マレ
タイ(署名)
、ブルネ
韓国、ASEAN、チリ、
ーシア、フィリピン、 イ(同)、インドネシ
メキシコ
GCC
ア(2007 年 6 月最終
合意)
中国
香港、マカオ、
チリ(署名)
ASEAN
ニュージーランド、
オーストラリア、
GCC
韓国
シンガポール、
EFTA(署名)、米国
日本、インド、カナ
ASEAN、チリ
(同)
ダ、EU
ASEAN
AFTA、中国、韓国
シンガポール
日本、インド、韓国、 チリ、パナマ、カタ
米国、EFTA
FTA 締結国間で、関税の引き下げ(撤廃)が可能な品目を、10 年期限を目途とせず、引き下げができる品目から関
税を逐次撤廃していく方式を意味する。また、ゴチックはアジア諸国を意味する。
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ニュージーランド、
ール(署名ないし基
EFTA、オーストラリ
本合意)
ア、米国、ヨルダン
タイ
オーストラリア、ニ
日本(署名)
、バーレ
ュージーランド)、イ
ーン、
(枠組み合意)、
ンド
ペ ル ー ( 同 )、
米国、EFTA
BIMST-EC(同))
マレーシア
日本
オーストラリア、ニ
ュージーランド、米
国、パキスタン
インド
タイ、シンガポール、 BIMST-EC
スリランカ、SAFTA
オーストラリア
米国
マレーシア、中国、
ASEAN
ニュージーランド
オーストラリア
マレーシア、香港、
中国、ASEAN
注)ゴチックは東アジア諸国を意味する。東アジア共同体構想では、ASEAN+1(インド)、ASEAN+3(日中韓)、
ASEAN+6(インド、ニュージーランド、オーストラリア、日中韓)の 3 方式が構想されているが、本稿では東アジ
ア共同体構想としてはインド、オーストラリア、ニュージーランドを除外した。
出所:図 5 に同じ
インドには自動車市場の拡大を見込み日系自動車メーカーの企業進出ラッシュである。B
社はインドに進出したが、こうした日系自動車メーカーの需要に応えた部品供給を行うた
めに、タイ・インド FTA を活用して現地生産を補完することが可能となる。そのためには、
アジア地域での地域統括本部をマレーシアないしタイ、あるいはシンガポールに設置し、
クイックリスポンスによる対応が求められることになり、文字通り多国籍企業に脱皮して
いくことになることが予測される。ただ、タイ・インド FTA では、ASEAN 累積が認めて
おらず、原産地規則が障害となるとともに、アジアにおける FTA ブームによるスパゲティ
ー・ボールによる混乱も危惧される。
また、D 社は製販を分離し、国際事業を日本で統括する多国籍企業といえる。こうした
経営形態をとることを可能としたのは、海外と国内の販売管理コストの重複を回避し、同
時に技術の集積により、販売促進をかけることなく OEM 注文が海外からくることになった
ことが大きく影響している。特に、海外からの注文は日本で一括し、プライシングを行い、
日本で生産するか、中国で生産するかを決めている。特に、米国はベアリングにアンチダ
ンピング税をかけていることから、中国で生産するメリットは米国市場向け製品に大きい
といえる。また、今後予想される中国進出の日系自動車メーカーからの注文も、日本で一
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括管理し、コスト低減を図るとしている。
B 社と D 社の多国籍企業化過程を比較すると、B 社は日本の自動車メーカーのアジアで
の展開に対応したものであり、D 社は「自社ブランドを売り物にしない44」を原則に、経営
資源を日本に残した多国籍企業化すなわち北海道経済の地域経済の活性化をにらんだグロ
ーカル化によるものであり、業種により多国籍企業化過程の相違がよくあらわれている。
7.
多国籍企業化のパターンと中小企業基本法改正
(1) 多国籍企業化のパターン
マレーシア及び中国に進出した SMEs の国際化、多国籍企業化の事例を考察してきた。
これらの事例を敢えて誤りを恐れず、パターン化すると図の通りである。
一般的に企業の国際化(多国籍企業)過程は、国際経済のテキストにおいて代理店(商
社など)を通して輸出、駐在員事務所の開設、現地販売支店の開設、現地生産そしてグロ
ーバル化をたどると説明されている。これは大企業の国際化の過程を説明するには都合の
よいものであるが、これまで考察してきたように SMEs の国際化過程を説明するには不都
合が生じ、必ずしも一般化過程をたどるとは限らない。
B 社にみられる偶然、追従による多国籍企業の過程は、東アジアで生産ネット・ワークを
構築し、垂直分業関係を構築している大手セット・メーカーに呼応したものであり、国境
横断型 SMEs の本格的な多国籍企業化過程の一般的な流れあらわしているといえる。
また、D 社のタイプは、日本での統括を軸に、国境横断型 SMEs が文字通り多国籍企業
として成長していく過程で、経営の現地化を勧めることは、ネックとなっている人材不足
を補い、ホスト国で企業規模を拡大する一つのモデルとなっている。さらに、多国籍企業
化のパター4 である A 社では、経営の責任者を常駐させず、マレーシア工場と日本工場を
統括的にみる経営形態に 2007 年から移行している。同社会長は、近い将来経営の現地化は
止むを得ない動き、となるとしている。
図 5 SMEs の国際化、多国籍企業化のパターン
1)企業の国際化(多国籍企業化)の一般的過程
日本
輸出
代理店
駐在事務所
販売会社設立
現地生産
2)偶然。追従型多国籍企業化(B 社の事例を参考に)
円高・ドル安=円高不況
44
お客様が製品の PR をしてくれるまでに、国際的にその製品の優秀さ業界に知れ渡っていることを意味する。
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偶然
海外進出
追従
国境横断型 FDI
近隣諸国への進出
バーチャル本社
多国籍企業化
セット・メーカーの生産ネット・ワーク、
JIT に対する対応
地域本社
*
グローバル経営
地域本社の設置の必要性と FTA
FTA
本格的生産調整
タイ・インド FTA45
生産補完型輸出
地域本社
組織的な受注・生産・輸出
組織的経営と意思決定
*
バーチャル本社からアジアでの生産ネット・ワーク形成に伴う本格的な地域本社化から必ずしも FTA が契機
とならないが、地域本社設置に大きく影響を与えることになる。
3)経営の現地化による多国籍企業化(D 社の事例をもとに)
日本
米国輸出
中国進出
米国輸出
米国販売会社設置
アンチダンピング税46 中国での複数工場の設置
中国工場経営の現地化
注1)
迂回輸出を契機とした多国籍企業化は一般特恵関税(GSP)を活用した 1980 年代央以後の日本企業の
ASEAN 進出の典型的要因の一つであった。
注2)
中国企業の経営の現地化は、中国での給与水準の上昇によるジョブホッピングを防止するため有効な手
段である47。経営の現地化を進めていくうえでこうしたやり方は有効な方法であると考えられる。
4)ホスト国での企業拡大
日本
ホスト国での生産
工場拡大・増産
ホスト国でのシェア拡大
タイ ASEAN の FTA ではアーリーハーベスト(EHP)条項において電子部品と自動車部品が対象となっている。
ASEAN に生産基地を構える多くのサポーティング・インダストリーとしての部品メーカーにとって、有利な条項であ
る。ただ、原産地規則は、ASEAN 累積を認めていないことに注意する必要がある。
46 日本から米国にベアリングを輸出するとアンチダンピング税(約 10%)を課されることが多い。
47 中国に進出している日本精工㈱などでは、人材を集めやすく、ジョブホッピングを防ぐため日本人と同じ給与水準や
待遇を保障するなどの試みを行っている(日本経済新聞平成 19 年 2 月 19 日付け)。
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(2)中小企業基本法の改正
SMEs が海外進出するに当たり直面する問題点として①現地資金調達のための現地金融
制度の利用制限48、②海外でのビジネス経験不足と海外要因不足であり、この点は大企業と
決定的に異なるところである。③下請けとして国内市場向け企業活動を行っていたため、
1985 年以降の急速なグローバル化に対応できない、④経営スタンスは中長期的であるより
短期的であること、⑤大企業と異なり、一般的普及型技術の導入であるため、ホスト国へ
の技術移転効果があまり大きくないことである49。表 5 は SMEs を受け入れたホスト国に
おける SMEs の直接投資に対する評価である。
表 7 ホスト国公的機関による SMEs の評価
長期交渉の準備不足
2.07
マネージメント不測
2.35
コミットメントの脆弱さ
1.94
不十分な資金力
2.42
技術・ノウハウの移転効果不足
1.88
技術・ノウハウの定型化
1.66
国際ビジネスの経験不足
2.18
ホスト国に関する知識不足
2.42
短期的活動の選好
2.18
注 1)数字は問題の大きさを表し、1が平均である。
注2)どの項目をとっても大企業と比較して SMEs は重要な問題を抱えている。調査時点と比較してグローバル化が
進展している現在、SMEs が抱える問題点は、UN の調査時点と比較し、複雑化、深刻化していることは否定で
きない。こうした中で SMEs が多国籍企業化しているところに、日本の FDI の大きな特徴がある。
注3)日本の国際収支は、これまで貿易収支の黒字が大きく貢献してきたが、2000 年以降、所得収支の増加が顕著で
あり、最近は貿易収支の黒字を上回っている。SMEs の多国籍企業化がこの投資収支増加に貢献しているといえ
よう。
出所:UN, Small and Medium-sized Transnational Corporations-Role, Impact Policy and Implications, NY, 1993、
p138
FDI を行うにあたって、表 7 の問題点を SMEs が抱えているにもかかわらず、このよう
な問題点を克服し多国籍企業化していく力強さは、中小企業基本法の改正と大きく関係し
ている。
48
現地で資金を調達する場合、親会社が借入を保障し、現地金融機関から借り入れるケースが多い。このやり方には、
時間がかかり、ビジネスチャンスを逃がすことにもなる。
49
UN, Small and Medium-sized Transnational Corporations-Role, Impact Policy and Implications, NY, 1993、p138
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1999 年の中小企業基本法改正の狙いは、SMEs を「新産業創出、就業機会の増大、市場
競争の促進と地域経済の活性化の担い手」にするところにあった。これまで SMEs は、日
本経済の二重構造における底辺部を担い、わずか一握りの大企業が上部を構成し、「搾取さ
れる弱者」ないし「保護される弱者」と位置づけられてきた。
確かに、戦後、日本経済の発展過程で二重経済構造による「弱者」として SMEs を位置
づけることは容易であるが、かつてのソニー、松下電器産業やホンダがそうであったよう
に、「搾取される弱者」から国際企業に成長した SMEs が存在した。
改正前の中小企業基本法(製造業の場合、資本金 1 億円以下ないし従業員 300 人以下)
では、「弱者」としての保護と利益を享受するため、競争意欲を欠き、依存性が強い傾向が
あり、SMEs 経営者の「意欲」が空回りし、結果として、SMEs の枠内にとどまろうとす
る傾向があった。こうした弊害を打破し、SMEs 経営者の「意欲」を引き出したのが、同
法の改正であったと評価できる。旧法による SMEs の枠内でくすぶっていた SMEs が、国
際的な中堅企業として多国籍企業化する可能性を生み出した。
これにより、SMEs は「弱者」ではなく、国際化のカードを切ることにより、新しい経
営形態を作り出し、日本経済の国際化、活性化の担い手となることが十分に期待できる状
況を作り出している。
兵庫県の B 社や北海道に基盤を置き多国籍企業化に成功した D 社は、中小企業基本法の
改正主旨に沿った経営の在り方を提供している。
本州より 10 年近く早く少子高齢化が始まり、
「ジャンボ機の後輪」と揶揄される北海道
経済にとって、D 社は地域の特性を生かして、地域経済の活性化と雇用機会の創出に大き
く貢献している50。同時に、中国人経営幹部の北海道と中国勤務のローテェーションを組も
うとする試みは、内向き志向の強い、排他的な北海道社会にあって、異文化をもたらし、
地域経済の活性化と国際化を促進するインパクトを与えることになる。
多国籍企業化した SMEs にとって、日本とホスト国との経営の一体化は、日本国内の産
業の空洞化を防止し、FTA を軸とした東アジアにおける生産ネット・ワークを強固とする。
また、SMEs の国際化の展開は、SMEs 全体の高度化をもたらすものであり、中小企業基
本法改正の具体的な効果と評価できよう51。
さらに、SMEs が海外で企業活動する上での弱点は、先に指摘した資金調達である。現
地資金調達が困難なことが多き。こうした状況を緩和し、SMEs の資金面での支援を強化
するために、SMEs の海外子会社向け信用保証枠を 2 億円に拡大し、円滑な資金調達を可
能とする措置を講じることになった。これにより SMEs の海外展開すなわち多国籍企業化
の裾野を広げることになることが期待できる52。
50
同社は、地域の過疎化を防ぐため、団塊世代と身体障害者の雇用促進を積極的に進め、地域社会への貢献を図ってい
る。
51 『中小企業白書』2006 年版
p79 で、SMEs の国際化展開後の経営形態の変化として、①販路の拡大による国内外の
売上の増加、②事業構成全体の効率化による生産性の向上(国内での高付加価値化、海外での一般技術生産による分業
体制)、③自立した SMEs への脱皮(下請けから自前の経営へ)が指摘されている。
52 2007 年 8 月中小企業信用保証法と産業活力再生法の政令改正を行った。
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表 8 SMEs 対象信用保証枠の拡充
ケース
内容・目的
保証枠
海外進出した子会社融資
海外子会社の現地金融機関
2 億円
からの融資を保証する。これ
により為替変動リスクや送
金手続きを回避する。
出所:日本経済新聞 2007 年 7 月 15 日付け
日本の国際収支構造は、1998 年に貿易収支と所得収支が逆転し、2005 年以降所得収支が
貿易収支を上回る状況が定着化する傾向にある。まさに、日本経済は「金融投資立国」へ
の転換が進んでいるといってよい。国際収支からも分かるように、日本企業に期待されて
いるのは、高品質な工業製品と国際金融資本市場への資金供給源へと変化していることが
読み取れる。この一翼を担っているのが SMEs の多国籍企業化でもある。SMEs の多国籍
企業化は、生産技術と固有技術の拡散に加え、利潤及び配当金の送金の増加を意味し、日
本の産業構造の脱工業化を後押ししているといえよう。
海外進出 SMEs の多国籍企業化は避けることはできない。一部の大企業で日本国内回帰
現象がみられるが、脱工業化による産業の空洞化を防止するには、外資を積極的に誘致し、
均衡の取れた産業の構築を促進する必要がある。バブル経済崩壊後、内向き志向が強くな
った現在、異文化を受け入れる経済構造の構築と精神構造の変革を推し進める必要がある53。
最後に、アジア通貨危機後、東アジア共同体構想が注目を浴びるようになった。同構想
の基本的な土台を提供するのは、FTA 、EPA や生産ネット・ワークであるが、そのサブ的
土台として SMEs の多国籍企業化は、東アジア共同体を現実させる役割を担っているとい
えよう。グローバル化と地域主義が同居した東アジア地域において、日本(日系)の SMEs
の多国籍企業化を促進するためには、①中小企業の定義から資本の上限を撤廃し、従業員
数だけとすること、②多国籍企業化した SMEs への税制を含めた優遇措置をとることが必
要ではないか、と考える。
おわりに
敗戦後、経済復興を図る過程で高度経済成長を達成した日本経済は、対外通商政策は輸
出促進が基本であり、内向きの経済政策であった。こうした状況の中で、資金力、人材や
海外経営ノウハウ不足が一般的であった SMEs が、大企業のように海外進出を図り、さら
にホスト国を基点に多国籍企業化する、と誰が予測しただろうか。
53
日本は現在低金利状況を脱することができないでいる。これが円安の大きな原因となっている。また、脱工業化を図
った米国などから円安を非難する声は大きくない。むしろ、国際的、日本には投機的であるが、円キャリー・トレード
などによる資金供給源としての役割に期待しているようにみえる。金融の量的緩和は、円高を阻止する役割を果たして
おり、国際経済環境を考慮すると、当面、円安傾向が続くと予測される。
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1985 年のプラザ合意以降、日本の SMEs がアジアに進出したことにより、域内貿易比率
は 50%以上54に達し、域内において垂直分業体制が形成された。これが生産ネット・ワー
クである。日本から技術と生産設備・機械が ASEAN に輸出され、ASEAN から部品、コン
ポーネントといった半製品が中国に供給され、製品に組み立てられ、世界市場に輸出され
る域内国際分業体制である。
とはいえ、日本の SMEs は、工業化したアジア NIES、ASEAN や中国から追い上げられ
ていることも確かである。また、これらアジア諸国は産業革命を達成し、かつての日本がそ
うであったように、「モノ」造りの方法を学び、「モノ」造りの面白さを感じ、経済発展に
よる生活水準の向上としての果実を享受し、日本のライバルとして日本経済をキャッチ・ア
ップする過程にある。
戦後、東アジア地域では、日本を先頭に雁行形態的経済発展メカニズムが構築されてき
たが、1985 年プラザ合意以降、貿易を軸として展開されてきた雁行形態的発展から FDI
を軸とした「同時多発的経済発展形態」に移行し、大競争時代を迎えることになった。こ
れに伴い自然発生的に「東アジア経済圏」が形成され、FTA・EPA を軸に東アジア共同体
構想が盛んに議論される状況となった。
こうしたアジア経済環境の変化の中で、内向き志向が強かった日本の SMEs が、SMEs
であることの特性を生かし、維持、発展そして生き残り策としての国際化を、模索しなけれ
ばいけない状況となった。その一つが、プラザ合意以降に海外に進出した SMEs が、生産
ネット・ワーク形成に対応した「線」活動から「面」活動への移行による多国籍企業化である。
1970 年代前後、SMEs が今日のように海外投資を、当然のように行うと誰が予想しただ
ろう。JODC などを設立し、また、海外経済協力基金(OECF)や輸出入銀行などが業務を
拡大し、SMEs を支援したがその効果は遅々としたものであった。
しかし、1985 年のプラザ合意による国際経済環境の構造変化への適用すなわち海外進出
の歴史的偶然的必然性に直面し、顧客・親会社追従が SMEs の多国籍企業化を生み、技術
を生かし、潜在的成長力を海外で生かすため、SMEs が日本国内の枠を乗り越え、国際市
場での活躍の場を自ら創出し、企業活動の継続・発展をかけた企業活動の一つの戦略が、
現在の SMEs による多国籍企業化であるといえよう。この原動力は、かつてのホンダ、松
下電器やソニーがそうであったように、SMEs の経営者の個性的な経営哲学と創造的チャ
レンジ企業家精神のあらわれであり、これが SMEs の多国籍企業化に大きく貢献している
ことは否定できない。
最後に、東アジアにおける大手セット・メーカーが展開する生産ネット・ワークを支え
る東アジア域内のサポーティング・インダストリーは、SMEs の多国籍企業化の進展によ
るところが大きく、これに加えて FTA による物流コストの低減は、東アジア共同体構想の
プラットフォームとなり、その共同体構想を現実的なものとしているのが、アジア通貨危
機後、10 年を経た東アジア経済の現状といえる。
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拙著「世界貿易機関(WTO)と自由貿易協定(FTA)」札幌学院大学『商経論集』2007 年 7 月参照。
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Miki Toshio
第 66 回日本国際経済学会全国大会第 15 分科会
2007 年 10 月 8 日
場所:早稲田大学
注)本稿は、『世界経済評論』2007 年 3 月号に掲載した論文を大幅に加筆、修正したものである。
注)本稿は、平成 18 年度(SGU-S06-200011-12)及び平成 19 年度札幌学院大学研究奨励促進補助(SGU-S07-200011-04)
による研究成果の一部である。
参考資料
三木敏夫:『アジア経済と直接投資促進論』
ミネルヴァ書房
2001 年
同上
:『ASEAN 先進経済論序説―マレーシア先進国への道』
同上
:「東アジアにおける中小企業(SMEs)の多国籍企業化」
会
同上
:「世界貿易機関(WTO)と自由貿易協定(FTA)」
同上
2006 年 7 月
(社)世界経済研究
札幌学院大学
『商経論
第 23 巻第 1 号
:
「マレーシアの中小企業政策の現状と問題点」
(財)国際貿易投資研究所(ITI)
依頼原稿
伊藤賢次
2005 年
2007 年 3 月号
『世界経済評論』
集』
現代図書
2007 年 4 月
:『国際経営』
創成社
渡部幸男他:『21 世紀中小企業論』
1997 年
有斐閣
2001 年
中 小 企 業 庁 :『 中 小 企 業 白 書 』 2006 年 版 及 び 各 年 版 及 び ホ ー ム ・ ペ ー ジ
www//:chusho.meti.go.jp
国際協力銀行:『開発金融研究所報』2006 年 2 月
第 28 号
Rahul Sen, Free Trade Agreement in Southeast Asia, Institute of South Asian Studies,
Singapore 2004
SMIDC, SMI Development Plan (2001-2005)、Malaysia
UN, Small and Medium-sized Transnational Corporations-Role, Impact Policy and
Implications, NY, 1993
この他、協力いただいた各社会長及び社長からの聞き取り調査、工場見学と会社案内及び
ホーム・ページを参考にした。
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