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中島重の社会的基督教と妹尾義郎の社会的仏教
2008 年 9 月 15 日 筑波大学 日本宗教学会第 67 回学術大会パネル 「宗教者は社会にどのように向き合ってきたか―近代日本の事例―」 中島重の社会的基督教と妹尾義郎の社会的仏教 大谷 栄一(南山宗教文化研究所研究員) 【1】はじめに――本報告の目的 ・ 近年、公共哲学研究、公共宗教論、Engaged Buddhism 研究等を通じて、宗教(仏教)の公共的役割 (public role)に関する議論が活発化している。 ・ 本報告は、1930 年代の日本社会で、宗教の社会性を強調し、理想の「共同社会」の建設をめざした 宗教運動を展開した中島重(1888~1946)の社会的基督教と妹尾義郎(1889~1961)の社会的仏教 の比較分析を行い、近代日本社会における宗教の公共的役割について検討することを目的とする。 【2】中島重と妹尾義郎の略歴 2-1 中島重のプロフィール ・ 中島重は、岡山県上房郡高梁町(現在の高梁市)出身の政治学者、法理学者、社会哲学者で、同志社 大学、関西学院大学で教鞭をとった。 ・ 「神学者ではなく、社会科学領域を学究するキリスト者」[嶋田 1971:292]。思想的背景として、 大正リベラリズム(美濃部達吉、吉野作造) 、多元的国家論、自由主義神学(海老名弾正、賀川豊彦) 。 ・ 学者として、 『多元的国家論』[中島 1922]、 『法理学概論』[中島 1925]、 『日本憲法論』[中島 1927]、 『国家原論』[中島 1941a]、 『法 『社会哲学的法理学』[中島 1933]、 『発展する全体』[中島 1939]、 理学』[中島 1941b]、 『道徳・宗教と社会生活』[中島 1943]を著し、学究的な信仰者として、 『神と 共同社会』[中島 1929]、 『社会的基督教概論』[中島 1930]、 『社会的基督教と新しき神の体験』[中 島 1931]、 「社会的基督教」[中島 1934b]、 『社会的基督教の本質』[中島 1937]等を発表した。 ・ 賀川豊彦の影響で、1925(大正 14)年 11 月に「雲の柱会」を創立。1927(昭和 2)年 12 月、会を 発展的解消し、 「同志社労働者ミッション」を結成(1929 年 1 月に「日本労働者ミッション」と改称) 。 ・ そして、学生キリスト教運動(Student Christian Movement、以下、SCM)の運動(後述)を契機 として、1931(昭和 6)年 9 月に「社会的基督教関西連盟」 (1933 年 8 月に社会的基督教全国連盟と 改称、以下、社基)を結成し、社基の指導者として社会的基督教運動を組織した1。 ・ 中島と社会的基督教に関する先行研究としては、[田畑 1964] [嶋田 1969;1971] [武 1971; 1972a;1972b(→1991) ;1974(→1991) ;1977;1978;1989(→1991) ;1991] [竹中 1973] [西 田 1982] [熊野 1982][田中 1982] [井田 1990]がある。 2-2 妹尾義郎のプロフィール ・ 広島県奴可郡東城村(現在の庄原市東城町)出身の妹尾義郎は、戦前から戦後にかけて、革新的な仏 教運動を実践した仏教社会運動家であり、「人道主義から出発し、反戦と変革を求めつづけた仏教 者」[稲垣 1974:ⅵ]。 ・ 戦前に「大日本日蓮主義青年団」 (1919 年 11 月創立)および「新興仏教青年同盟」 (1931 年 4 月結成、 以下、新興仏青)を組織し、戦後は「仏教社会主義同盟」 (1946 年 4 月創設、48 年 4 月に「仏教社会 同盟」と改称) 、全国仏教革新同盟(1949 年 4 月設立)に幹部として参加している。 ・ 1933(昭和 8)年に上梓された『社会変革途上の新興仏教』 [妹尾 1933]は、妹尾の「もっとも代 表的な思想上の所産」[稲垣 1974:132]。 ・ [稲垣 1974;1975→1993][松根編 1975]を始め、[しまね 1959→1978][吉田久一 1966;1993] [小室 1969→1987][福島 1980][交告 1980][中濃 1969;1970;1972;1977][吉田静邦 1987] 1 社基の歴史については、 「社会的基督教の運動の沿革」 ( 『社会的基督教』5 巻 9 号、1936 年)や[嶋田 1969]を参考にした。 1 [木村 2000;2001][大谷 2003;2005a;2006;2007;2008][松岡 2005]等の先行研究がある2。 ・ なお、SCM と新興仏青を比較した貴重な先行研究として、中濃教篤の研究[中濃 1979]があるが、社 会的基督教と新興仏青を比較した研究は、本報告が初の試みである。 2-3 中島重と妹尾義郎の接点 ・ 1932(昭和 7)年 10 月 9 日、44 歳(数え年)の妹尾は日本組合基督教会の牧師・石田英雄と会談し、 石田から組合教会の関係者が新しく「社会的キリスト教主義」を唱導しており、 「中島君の話が僕の話 とすっかり一致している」と聞かされたことを日記に記している3。 ・ じつは中島と妹尾には十代の頃からの接点がある。中島も妹尾も岡山県立高梁中学校(現在の高梁高 校)の出身者で、中島は妹尾の一年先輩。高梁中学校卒業後、中島は第六高等学校に進み、東京帝国 大学法科大学独法科を卒業し、妹尾は第一高等学校に進学したが、病気のため、中退している。 【3】1930 年代の宗教をめぐる状況 3-1 1930 年代の歴史的・社会的文脈 ・ 満州事変(1931 年 9 月 18 日)以降の日本主義(日本型ファシズム)の興隆と政府の教化体制に対す る伝統教団の動員=参加。社会危機と社会不安の慢性化。 ・ 1931(昭和 6)年、 「反宗教闘争同盟準備会」 (共産主義系)と「日本反宗教同盟」 (社会民主主義系) 「反宗教闘争は階級闘争の一翼であると云ふ見地に立ち、総ての勤労大 の反宗教運動の生起。前者は、 衆をあらゆる形態の宗教的観念より解放し以てマルクス=レーニン主義的世界観を獲得せしむる」こ とを掲げ4、運動は、マルクス=レーニン主義的世界観のアジテーション、プロパガンダと政治闘争へ の従属という運動方針にもとづいて展開された。 ・ 1934(昭和 9)年 3 月の友松円諦による『法句経講義』のラジオ講義を契機として、ジャーナリズム、 知識人層、都市中間層の間で宗教復興(仏教復興)が生起する5。 ・ 都市下層民、小市民層、一部知識人を担い手とする新宗教(ひとのみちや生長の家など)の伸張。 3-2 1931 年の宗教運動の同時代的発生 ・ 4 月 3 日、高楠順次郎を理事長とし、伝統教団の「全日本仏教青年連盟」 。 ・ 同日、今東光によって、僧侶の政治進出、とくに政治結社加入の自由を掲げた「仏教青年連盟」 。 ・ 4 月 5 日、妹尾による既成教団の改革と資本主義社会の変革を主張した「新興仏教青年同盟」 。 ・ 4 月 7 日、秋田雨雀、川内唯彦、秋澤修二らによる「反宗教闘争同盟準備会」 (9 月 20 日に創立大会 が開かれ、I・P・F(プロレタリア無神論者インターナショナル)への加盟が決議され、 「日本戦闘的 無神論者同盟」 (戦無)と改称) 。 ・ 7 月 20・21 日、藤田逸男を中央執行委員会議長とする「日本 SCM 研究会」 。 ・ 9 月 24 日、社会的基督教関西連盟(のちに社会的基督教全国連盟) 。 ・ 11 月 1 日、高津正道、堺利彦らによる「日本反宗教同盟」 。 【4】日本 SCM 研究会、社会的基督教関西同盟、新興仏教青年同盟の結成 4-1 SCM の特徴 ・ 1930 年代初頭、日本基督教青年会(YMCA)同盟を母胎として、「現段階においてはプロレタリア 階級解放運動こそ唯一の神の国実現運動」であるとの主張を掲げた学生キリスト教運動(Student 本報告は、[大谷 2006]の内容を発展させたものである。 「兄[石田のこと─大谷注]は中島重君や賀川豊彦氏と親近の間柄ゆゑ、同世界の新傾向にあかるくたいへん啓発されるもの が多かった。組合教会は社会的キリスト教主義を新しく唱導し之に対して従来のキリスト教を福音主義といってをる。宗教は 個人的福音主義も一面にもち、更に一面に社会運動をも持ってをるものだ。そのいづれもが表面に提唱されるかは時所位に応 じて止揚されるべきもので一概には論定されない。石田君の批評によると中島君の話が僕の話とすっかり一致してるといって ゐられた。 」 ( 『妹尾義郎日記』第四巻、国書刊行会、1974 年、102 頁) 4 「反宗教闘争同盟準備会規約」 ( 『反宗教闘争』創刊号、反宗教闘争同盟準備会、昭和 6 年 6 月 15 日) 、12 頁。 5 1930 年代半ばの宗教復興(仏教復興)については、[大谷 2005b]を参照のこと。 2 3 2 Christian Movement、以下、SCM)が、当時の危機的な社会状況とロシア・マルクス主義の隆盛、 「キリスト教の改革をめざす運動であり、 反宗教運動の興隆に対応した運動を展開した6。その特徴は、 その方法は研究活動であった」[中原 1962:3]。 ・ 1928(昭和 3)年 3 月 24 日~4 月 8 日に開催され、 「信仰の社会化」をテーマとしたエルサレム宣教 大会の影響で、日本国内で日本 YMCA 同盟により、現代社会におけるキリスト教の使命が討議され、 研究会が結成される。 ・ 1930(昭和 5)年 7 月 21~28 日、 「イエスを現代に生かせ」という標語を掲げた、日本 YMCA 同盟 の第 40 回夏期学校で、従来のキリスト教が「個人主義的キリスト教イデオロギー」 「観念的救済」と 批判され、新たなキリスト教の立場の確立が主張される。 ・ 翌年 7 月 20、21 日に日本 SCM 研究会が組織され、以下の綱領が採択された[中原 1962:142]。 一、我らは、神と人間、信仰と行為とを全異者的に対立せしむる既成キリスト教の誤謬を改革し、社会 的・実践的キリスト教の建設を期す 一、我らは、真にイエスに従うために、キリスト教二千年の歴史と伝統に学ぶと共に、現代社会悪の根 源を克服・排除して、より高度なる共同社会の建設を期す 一、我らは、神の国実現運動の進展を信じ、神への信仰と同胞への奉仕とを、我らの実践において統一・ 具現せん事を期す ・ 伝統的なキリスト教と教会の批判、現代社会の批判、 「共同社会の建設」という理想、プロレタリア階 級の解放運動、社会的・実践的行動による「神の国運動」実現の追及。 ・ さらに、昭和 7(1932)年 3 月 27、28 日に開催された SCM 支部責任者会議(30 校以上が参加)で、 プロテスタンティズムの止揚と反動的既成宗教の克服、プロレタリア宗教の建設、ブルジョワ文化へ の抗争、プロレタリア解放運動への積極的参加、帝国主義的侵略戦争への反対からなる「SCM 行動綱 領」が提出された[中原 1962:221]。 ・ しかし、その後、SCM の極左的転回が進み、組織内での対立が激化する。社会的基督教の理論を確立 し、教会に働きかけるべきだとする動きと、プロレタリア宗教としてのネオ・プロテスタンティズム を創り出し、 プロレタリア解放のための階級闘争に参加すべきだとする動きの対立[土肥 1980:377]。 そして、1932(昭和 7)年 7 月 20~26 日の第 42 回夏期学校でその対立が頂点に達し、解体。 4-2 社会的基督教関西同盟の特徴 ・ こうした動向に対し、穏健な立場にから社会的基督教を主張したのが、1931(昭和)年 9 月 24 日、 中島重を委員長とし、約 50 名のキリスト者たちによって結成された社会的基督教関西連盟である7。 ・ 「我等の企図する所は純然たる宗教運動であり、宗教思想運動である」[中島 1932]ことを掲げた連 盟の綱領は、以下の通りである8。 一、我等はイエスに従ひて神を人類共同の父と信じ「神の国」の実現を以て基督教徒の根本使命なりと 信ず。 一、 我等は「神の国」の実現はイエスの十字架に顕はれたる贖罪愛の実践に依りてのみ可能なりと信じ 自ら贖罪愛の生活者たらんことを期す。 一、我等はイエスの福音に依り「神の国」に適はしき人格を造り且神の国の理想に背反する一切の社会 組織及び制度の根本的改革を図り以て新しき共同社会の建設を期す。 以下、日本 YMCA と SCM については、当事者としてこの運動に関わった中原賢治[中原 1962]に依拠する。また、[武 1977] [土肥 1980] [熊野 1982][金田 1996]も参照した。 7 ちなみに、中島は SCM の中央委員で京都支部長だったが、1932(昭和 7)年 7 月 18 日付で、左傾化した京都支部メンバ ーの行動に責任を取り、辞表を提出すると同時に、 「左翼張りの組織、機関名、用語等の大半を此際一掃し、宗教運動らしき 組織、機関名、用語等を用ふること」や「何処迄も社会的基督教の宗教運動として進み、実践規定は、ファシズム排撃、コン ミュニズム批判の条件を以て発展さすこと」 などとのべた建議書を、 SCM 中央執行委員長に提出している[中原 1962:259]。 8 『社会的基督教』第 1 号、1932 年 5 月 15 日。 6 3 ・ 現代社会の批判、 「共同社会の建設」という理想、 「贖罪愛」による「神の国」運動の実践。また、社 会主義、国際主義、無産大衆の解放運動の強調。 4-3 新興仏教青年同盟の特徴 ・ 1931(昭和 6)年 4 月 5 日、妹尾義郎は、大日本日蓮主義青年団を解消して、新興仏教青年同盟を結 成する。 「全既成教団を否定し、直爾に仏陀に帰り、新しく仏陀のみ名による新興仏教青年同盟を実現」 し、 「仏陀の愛と認識とに従つて、現資本主義経済組織を否定して、共産共栄の新社会建設運動に邁進 すること」を主張した[妹尾 1931a:3]。 ・ 結成当初は、マルキストの同盟員によって結成された新興仏教解体期成同盟によるフラクション活動 があり、組織解体の危機に陥るが、それを脱する9。 ・ 同盟の綱領は、以下の通り10。 一 我等は人類の有する最高人格、釈迦牟尼仏を鑚仰し、同胞親愛の教綱に則つて仏国土建設の実現を 期す 一 我等は、全既成宗団は仏教精神を冒涜したる残骸的存在なりと認め、之を排撃して仏教の新時代的 闡揚を期す 一 我等は、現資本主義経済組織は仏教精神に背反して大衆生活の福利を阻害するものと認め、これを 革正して当来社会11の実現を期す ・ 仏陀(歴史的釈尊)への回帰による伝統的な仏教と既成教団の批判、現代社会の批判、 「当来社会(共 同社会)の実現」という理想の追求、 「仏国土」という理想世界の提示。 ・ また、加持祈祷や御利益信心を否定し、葬式の簡素化を訴え、信仰に対する「客観的科学的要素」を 重視する合理的な仏教解釈や、国際主義を標榜した社会主義(より正確には合法的な社会民主主義) 、 無産階級の解放という特徴。 【5】中島重と妹尾義郎の思想と運動 5-1-1 中島重の社会的基督教思想 ・ 中島によれば、 「社会的基督教」は 19 世紀終わりから 20 世紀はじめに発展してきたイギリスの社会 的基督教(social christianity)やアメリカの社会的福音(social gospel)に見られる名称であり[中島 1928:1]、従来の「個人主義的基督教」と異なる特徴を持ち、実践においては社会主義的とならざる をえない「社会主義基督教」であるという。 ・ 中島の社会的基督教の中核をなすのは、 「神と共同社会」に関する、社会科学に基礎づけられた神学的 説明である。 「神の国は一種の社会関係である。現在の社会学に依りて之を表明すれば神の共同社会 Community of God, Community in God である。国家とか教会とか其他の組織団体ではなく此等よりも根本的包括的 なる、而も人格と人格との本来関係に基く所の共同社会である。」[中島 1929:40] ・ そもそも中島の社会観の基本は、国家主権の絶対性を相対化し、国家を他の社会集団の中の一集団と して考える多元的国家論にある。イギリスにおけるラスキ、パーカー、マッキーバーらの多元的国家 論を日本に紹介した『多元的国家論』 [中島 1922]の刊行から、自らの国家論を体系化した晩年の 『国家原論』 [中島 1941]に至るまで、中島の基本的立場は一貫している。 反宗教闘争同盟準備会の機関誌『反宗教闘争』昭和 6 年 8 月号には、中乃元太郎「 『新興仏青』を倒せ!」と題された記事 が掲載されており、 「今度進歩的な人々によつて、新興仏教解体期成同盟が結成され、反宗教闘争同盟と共にガツチリ手を組 むのを見て、たまらなく共鳴した」 (26 頁)とある。 10 『新興仏教の旗の下に』創刊号、1931 年 4 月 1 日。 11 この「当来社会」は、のちに「共同社会」と改められた。 9 4 ・ 中島は、コミュニティ(基本社会)とアソシエーション(団体)を区別するマッキーバーや、ゲマイ ンシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)への社会変遷を説くテンニースの議論に依 拠して、国家は(治安維持や共同防衛、経済的職能、文化発達のための条件設定等の特別な職能を持 つものの)他の団体と同様の一職能団体であり、国家の基盤にはコミュニティやゲマインシャフトな どの基礎的な社会関係があり、全体社会とはこれらの総称であると捉える。この基礎的な社会関係を 「人格と人格との最も根本的、内的結合を意味する所の社会」[中島 1928:6]、つまり、「共同社会」 と呼び、「神の国」が神を結合原理とする共同社会であると説明する。 ・ その共同社会は非歴史的なものではなく、歴史的なものであり、「神の国」の実現を歴史的な社会進 展(社会進化)のプロセスの中に説く。階級闘争史観を否定し、マルクス主義の唯物史観に対抗して 打ちたてられた、中島独自の「結合本意社会観(結合本位社会進展論) 」[中島 1939:44]。 ・ 中島は「新約聖書一巻之を貫く根本精神は何といつても贖罪愛といふことである」[中島 1929:3] とのべ、この贖罪愛を「社会化愛」と呼び、それが「神の国を実現する原動力」で、 「非社会的なる人 格を化して、社会化せしめ、共同社会を発展実現せしめる愛である」[中島 1928:10]と説く。 (社基 の綱領にあるように)この贖罪愛=社会化愛の実践を、社会的基督教運動の基礎として動機づけた。 ・ 以上のように、イエスの宗教を「神の国」を中心とした社会本位の基督教[中島 1931:41]と考える 中島の思想と実践は、 「在来の神学思想の個人主義的傾向に対する挑戦」と「社会体制の資本主義的構 造に対する変革の要求」という、二重の「プロテストの意味」[嶋田 1969:170]を持った。 5-1-2 社会的基督教全国同盟の活動 ・ 社基の運動方針として、 「宗教運動」と「社会運動」の二側面が掲げられ、前者として「既成教会に対 する啓蒙運動」 「一般大衆に対する積極的伝道」が、後者として「経済運動」 「政治運動」 「教育運動」 が示された。とくに、「政治運動よりも[経済活動としての─大谷注]組合運動に重点を置くべきである」と 『社会的基督教』1934 年 7 月号では、組合運動(農村共同組合、消費組合運動)の特集 提起され12、 (同志社労働者ミッションによ が組まれている13。その中で、賀川豊彦による神戸消費組合と並んで、 る同志社消費組合の系統として)1930(昭和 5)年 12 月 1 日に創設された洛友消費組合が紹介され ている。社基の田原和郎が専務理事、中島が理事に就いており、400 余名の会員を抱えていた14。 ・ また、 『社会的基督教』1936 年 9 月号「社基読本」の「社会的基督教の実践」 (竹内愛二執筆)では、 「社会主義社会の実現を以て『神の国』の現代に於ける実現の契機であるとなし然もマルキシズムに 与せざる以上我々の実践は政治的には自然社会民主主義となり、現代に於ては社会大衆党を支持援助 することとなるのではなからうか。又経済運動としては協同組合運動に参加し又支持するのが当然で あらうし、直接間接に無産階級の解放に尽力すべきものであらう」とのべられている。 ・ 社基の勢力だが、1936(昭和 11)年 9 月の段階で「会員は二百名に過ぎず支部も全国唯六七を有する 丈」だった15。 5-2-1 妹尾義郎の新興仏教 ・ 「新興仏教」とは、「仏陀のみ名による全宗派仏教の解消とその統一、および資本主義の共同社会的 改造」[妹尾 1933:1]を意味する。 「社基関西連盟協議会概況/昭和七年八月二十四日山崎宝寺にて」 ( 『社会的基督教』昭和 7 年 9 月号) 、10~16 頁。 この号の巻頭言「 『神の国』実現と協同組合運動」で、岩間松太郎は、次のようにのべる。 「 『神の国』は神を基本とする共 同社会である。人類社会の機構の中に共同社会的関係が深度を加へ行くことに依りて『神の国』は地上に実現されて行くので ある。然して、共同社会の発展は、之を経済的観点よりすれば、社会の凡ゆる経済活動が、現在の利潤中心の金儲本位の資本 主義的活動より脱して、相互扶助を目的とする協同組合的活動となることに外ならぬ。此の意味に於て我等社会的基督教徒は、 協同組合運動に対し特別の関心を持つ者である。 」 (1 頁) 14 田原和郎「消費組合運動に於ける基督者の参加──近畿地方その一、京都府、大阪府、兵庫県」 ( 『社会的基督教』1934 年 7 月号) 、16 頁。ちなみに、神戸消費組合の会員数は、当時、2,800 余名(同) 。 15 「社会的基督教の実践」 ( 『社会的基督教』1936 年 9 月号) 、14 頁。ちなみに、1940(昭和 15)年 6 月の時点で、会員数 が 107 名、機関誌購読者数が 175 名( 『社会的基督教』1940 年 6 月号、19 頁) 、1941(昭和 16)年 6 月の時点で、支部数は 本部(京都) 、地方支部(東京、大阪、神戸、北海道、九州、四国、新京、京城)という状況だった( 『社会的基督教』昭和 16 年 6 月号、奥付) 。 12 13 5 ・ 妹尾は、社会的基督教と同じく、 「個人主義的幻想的安心」を根本信条とする(とされた)寺院教団と、 「非仏教的な資本主義経済組織」に対する二重のプロテスタントを掲げ、社会主義的生活を強調し、 仏教が本来的に持つ(とされた)国際主義的思想を掲げた。 ・ 妹尾の「新興仏青運動の指導原理と運動方針私案」によれば、 「新興仏青運動の主眼は従来の個人的観 念的福音主義から社会的生活的解放運動へと進められねばならぬ」ものであり、 「此の具体運動こそ直 接間接資本主義改造でなければならぬ」ものであった[妹尾 1933:90]。 「新興仏青運動は階級対立の社会相を無視してはならぬ。而して社会の弁証法的発展をハツキリ認識 して新興階級の解放戦線に合流して各種の具体運動を強化し、同時に其の人格的浄化を既成すべきで ある。 」[妹尾 1933:91] ・ 三帰礼(自帰依仏・自帰依法・自帰依僧)の近代的解釈による新興仏教の思想と実践の基礎づけ。 ・ ①自帰依仏: 「法」 「僧」の理想的体験者・唱道者としての仏陀釈尊への渇仰、②自帰依法:共同社会 実現の基礎哲学としての空観・縁起、私有否定、相依相関の実践的無我イズム、仏教弁証法、 「無我愛 の実践」 、③自帰依僧:僧(sanga)は、 「 『僧伽とは元来、衆を意味する言葉であり、gana と同じく 衆議に従つて立法行政その他の国事を決定する政体、即ち共和政体を意味』する言葉だから、共同社 会実現にはもつて来いの指導信条である。 」[同:92] ・ その社会観は、 「相互扶助を実践する共同社会」 「搾取なき支配なき人格平等の共同社会」と定式化さ れた[妹尾 1933:92] 。 「国家」に対する「社会」形成の主張と、 「仏陀と共同社会」という定式。 ・ ちなみに、 「社会的仏教」という言い方は、明らかに、中島重の社会的基督教の影響を受けている。1932 (昭和 7)年の機関誌『新興仏教』11 月号の「教界時評」で、妹尾は、 「社会的キリスト教の発展」と いう記事を執筆している(中島との共通性と指摘されてすぐのこと) 。 ・ それによると、 「我国に於ても基督教界の新人中島氏等によつて社会的キリスト教は提唱されだしたが、 米国に於ても同様この運動が近年盛んに宣伝され、従来の個人的福音主義を第二義として社会的政治 的救済を主眼として社会的キリスト教政党樹立されもくろまれてをるといふ」として、その運動綱領 が転載されている。 ・ また、 『新興仏教』昭和 8 年 4 月号の「新興仏教運動の理想」では、妹尾の共同社会観が披瀝されてい る。 「同盟の理想は、一口でいへば共同社会の建設だ。吾々がこれまで仏国土建設といつたそれである」 と説かれ、そのモデルが「原始仏教徒の僧伽生活――私有なき共同生活」にあるとのべられている。 ・ その具体例として、般若経の空思想が社会生活上に表現された(とされている)法涌菩薩に指導され た衆香城の生活形態が示されている。そして、共同社会建設のために自己の一切を捧げることに悦び を見出すことが大事で、それは「この頃キリスト教界に新しく提唱されだした社会的キリスト教が、 神の内容を共同社会的意識とし、その実現を十字架を背負ふことだ、と主張するのとおなじことであ る」と断言している16。 5-2-2 新興仏教青年同盟の活動 ・ 新興仏青の勢力は、 司法省刑事局のデータ17によれば、 全国 17 県に 22 支部、 400 余名の同盟員と 1,000 18 名を越す誌友と記録されている 。 ・ その活動は講演会を中心とし、地方支部では農民学校の開催(金沢支部)や消費組合の実施(広島支 部) 、仏教共済組合(和歌山支部)の計画、地方政治への参加(岡山支部) 。 ・ 新興仏青の活動の中心は、制度的な政治参加。たとえば、1931(昭和 6)年 10 月の仏教無産党の設 立計画[妹尾 1931b]。しかし、仏教改革運動なのか、政治運動・社会運動なのかとの賛否両論が沸き 16 「社会的仏教」をより明確に主張したのは、新興仏青の幹部である林霊法(1903~2000)である。その教説については、[林 1933;1934]を参照のこと。また、 「社会的仏教」の用語自体は、渡辺海旭や矢吹慶輝の思想に遡るが、ここでは言及しない。 17 『思想研究資料』特輯第 52 号「仏教と社会運動──主として新興仏教青年同盟に就て」 (昭和 14 年 2 月) ( [社会問題資料 研究会編 1972:284] ) 。ちなみに、日蓮主義青年団の団員数は、最盛期で 3,000 名を数えた。 18 一方、内務省警保局によれば、 (司法省刑事局にくらべて)詳細なデータ(組織図や同盟員名)を示しながら、14 県 18 支 部、同盟員 146 名、誌友 524 名としている( 『社会運動の状況 9 昭和十二年』 [内務省警保局編 1972:253] ) 。 6 起こり、結局、既成政党を支持するにとどまる(妹尾は、合法左翼の社会民主主義を支持) 。 ・ ただし、中央委員も務めた岡山支部の辻孝平は県下の無産運動に積極的に関わり、岡山支部は、1936 (昭和 11)年頃から「県下無産政治戦線の重要な一翼を担」った[岡山県労働組合総評議会編 1977 ~1981(10) :103] 。また、妹尾個人も、1933(昭和 8)年以降、個人的に無産運動にコミットする19。 5-3 社会的基督教全国同盟と新興仏教青年同盟の交流 ・ 『社会的基督教』1937 年 7 月号には、 「昭和十二年五月九日」付の以下の「新興仏青メツセーヂ」が 掲載されている。 「現代日本の反動的状勢下にあつて常に宗教的真理の何ものたるかを宣明せられ果敢なる闘争を神の名 において続けられてゐる貴連盟に対して、我が同盟は深く敬意を表するものであります。・・・・・・我等の 信ずる同胞信愛の宗教的共同社会の実現のためには、たとへその教義において異る所あるも、共にこれ が実現途上に横はるあらゆる苦難圧迫を突破すべきと念願するものであります。 」 ・ しかし、前年の 12 月に妹尾は治安維持法によって検挙されており、妹尾の跡を継いだ林霊法ら幹部や 同盟員たちもこの年の 11 月には同じく治安維持法で検挙され、新興仏青は壊滅する。 ・ 一方、社基は 1941(昭和 16)年に機関誌の刊行が停止し、中島は「我日本民族が実現したる東亜の 民族国家を中心として、東洋全体が一体に纏ることが出来」る「東亜共同体」論、 「東亜共栄圏」論[中 島 1941a:249]を発表するなど、当時の「苦難圧迫」に対応せざるをえなかった。 ・ なお、新興仏青の思想と運動は、戦後の「仏教社会主義同盟」 (1946 年、のちに「仏教社会同盟」 ) 、 全国仏教革新同盟(1949 年)を経て、現在の日本宗教者平和協議会(1962 年)の宗教者平和運動に 継承されている。 ・ 一方、社基の機関誌『社会的基督教』は、1950(昭和 25)年に『社会基督教』として復刊されたほか、 社基のメンバー(たとえば、竹内愛二)は生活協同組合運動に挺身した。また、賀川豊彦の指導によ って設立された灘購買組合(現在の日本最大の生協・コープこうべの前身)文化部が 1946(昭和 21) 年に始めた聖書研究会から、社基のメンバーが関与した、 「社会的基督教東神戸伝道所」 (現在の東神 戸教会)が生まれ、現在に至っている[日本基督教団東神戸教会 50 年誌編纂委員会 2003]。 【6】結 論──SCM、社基、新興仏青の思想と運動の比較を通じて ・ SCM と新興仏青を比較した中濃教篤は、 「反宗教運動に対する宗教者としての『証し』をするため『ア ヘン的宗教の全き止揚』 ( 「SCM 研究会」の宣言)を達成するということ、絶対主義天皇制の体制に追 随する既成教団への批判、資本主義社会の変革という点では、思想的に共通していた」[中濃 1979: 214]と指摘している。さらに、社会的基督教全国同盟も加えて比較をすれば、以下のようになる。 ①既成教団にみる宗教の個人性の批判と宗教の社会性の強調(SCM、社基、新興仏青) ②既成宗教(キリスト教、仏教)の批判=信仰復興(SCM、新興仏青) ③資本主義社会の批判と「共同社会」建設の理想(SCM、社基、新興仏青) ④理想世界としての「神の国」 (SCM、社基)と「仏国土」 (新興仏青) ⑤国際主義、社会主義イデオロギーの宣揚(SCM、社基、新興仏青) ⑥マルクス主義の肯定(SCM) 、否定(社基、新興仏青) ⑦無産大衆の解放運動(SCM、社基、新興仏青) ⑧宗教理念(贖罪愛、無我愛)による運動参加の動機づけ(社基、新興仏青) 反ナチス・反ファッショ粉砕同盟(1933 年 7 月) 、極東平和友の会(同年 8 月) 、東京無産団体協議会(同 1945 年 9 月) 、 東北飢饉救援無産団体協議会(同年 12 月)への加盟を始め、 『労働雑誌』編集発行人就任(1935 年 10 月) 、労農無産協議会 (1936 年 5 月)や城北勤労市民倶楽部への個人参加(同年 7 月)など、数多くの無産運動団体に関わっている。また、東京 市電争議等の労働争議の支援も積極的に行い、1936(昭和 11)年 6 月には、自ら東京府議会議員選挙に立候補し、落選して いる。妹尾の反戦・平和運動については、[大谷 2008]を見よ。 19 7 ・ 伝統的な宗教と宗教制度の批判(①、②) 、社会体制の批判と理想とする社会像の提示(③、④) 、 運動のイデオロギー・目標・参加の動機づけ(⑤、⑥、⑦、⑧) 。 ・ これらの運動は、宗教(制度) 、社会体制、マルクス主義(反宗教運動)との関係において、自らの位 置取りを図った。その意味で、社基と新興仏青は、宗教(制度) 、社会体制、マルクス主義(反宗教運 動)に対する三重のプロテストを掲げ(SCMの最左派は二重のプロテスト) 、自分たちの集合的アイ デンティティを形成した。 ・ ただし、サービス型の社会活動を重視する社基と、アクティビズム型の社会活動を重視するSCM、 新興仏青という違いがあり(新興仏青にもサービス型の活動があった) 、組合運動を通じて、社会改良 主義的に現世における理想世界(神の国)の実現をめざしたキリスト教社会運動が社基であり、政治 参加を通じて、社会変革的に理想世界(仏国土)の実現をめざした仏教社会運動が新興仏青である (SCMの志向性は、後者) 。なお、いずれの運動も大衆的基盤を欠いていたという短所があった。 ・ つまり、1930 年代の社会危機と社会不安の中で、宗教(制度) 、社会体制、マルクス主義(反宗教運 動)に対するプロテストに図りながら、復古的に捉え直した自分たちの宗教的立場にもとづいて、 社会の公共領域で、現状の社会を理想の「共同社会」に作り替えることで、究極の理想世界を現世に おいて実現することをめざした宗教的社会運動が、SCM、社基、新興仏青の運動であった。公共領域 における社会改良的あるいは社会変革的な社会活動の実践が、これらの運動の公共的役割だった。 しかし、その試みは大衆的基盤を持たず、途中で挫折せざるをえなかった。 8 【参考文献】 <一次資料> 林霊法 1933 『新世紀の使命と社会的宗教』仏旗社 林霊法 1934 『危機における社会宗教の信仰』仏旗社 林霊法 1976 『妹尾義郎と新興仏教青年同盟──社会主義と仏教の立場』百華苑 内務省警保局編 1972 『復刻版 社会運動の状況 9 昭和十二年』三一書房 中島重 1922 『多元的国家論』内外出版 中島重 1925 『法理学概論』理想社 中島重 1927 『日本憲法論』厚生閣書店 中島重 1928 『社会的基督教概論』同志社労働者ミッション 中島重 1929 『神と共同社会』新生堂 中島重 1930 『マルキシズムに対する宗教の立場』新生堂 中島重 1931 『社会的基督教と新しき神の体験』基督教学生運動出版部 中島重 1932 「発刊の辞」 ( 『社会的基督教』第一号) 中島重 1933 『社会哲学的法理学』岩波書店 中島重 1934a 「最近に於ける宗教的関心の興起と社会的仏教の諸問題」 ( 『思想』149 号) 中島重 1934b 「社会的基督教」 ( 『日本宗教講座』7、東方書店) 中島重 1937 『社会的基督教の本質』日独書院 中島重 1939 『発展する全体』理想社出版部 中島重 1941a 『国家原論』三笠書房 中島重 1941b 『法理学』理想社出版部 中島重 1943 『道徳・宗教と社会生活』河出書房 中島重 1946 『国家本質に関する二大思潮の対立』新教出版社 日本基督教団東神戸教会 50 年誌編纂委員会 2003 『東神戸教会 50 年の歩み』日本基督教団東神戸教会 妹尾義郎 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