...

2004 年ノーベル物理学賞の詳細情報(スウェーデン王立科学アカデミー)

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

2004 年ノーベル物理学賞の詳細情報(スウェーデン王立科学アカデミー)
2004 年ノーベル物理学賞の詳細情報(スウェーデン王立科学アカデミー)
漸近的自由と 量子色力学 :強い 相互作用の理 解への鍵
自然界に於ける基本 的力
我々は日常生活で経験するうえで巨視的なスケールでの2つの基本的な力を
知っている:太陽系を結び付け地球に我々を保つ重力と電気的な粒子間の電磁
力とである。両方共距離を隔てて働き、その力は対象物体間の距離の 2 乗に反
比例する。アイッザック
ニュートンは 1687 年に彼の著作プリンシピアの中で
重力を記述し、1915 年アルベルト
アインシュタイン(1921 年光電効果でノー
ベル賞)はニュートンの理論を一般化する重力の一般相対性理論を提出した。
アインシュタインの理論は恐らく科学の歴史の中で最も大きな業績であり、記
念すべきものである。電磁力の法則はジェームス
クラーク
マクスウェルに
よって 1873 年に定式化されているが、これも人類の努力に対する偉大な飛躍で
ある。20世紀初頭の量子力学の発展によって、光を含む電磁場は 量子化され、
粒子と光子のながれとして見られる。この描象では電磁力は、一つの対象が力
を伝達するために他に対して投げるような、光子の衝撃として考えられている。
同様に重力はグラビトンと呼ばれる粒子によって伝達されると信じられている
が、重力は電磁力よりも 1040 倍も弱いので、グラビトンは検知されていない。
原子核と電子は電気を持っているので、電磁力は原子をお互い結び付けてい
る。原子核の構成は、しかし量子力学の初期の時代に理解されてはいなかった。
しかし、陽子と電子とから出来ているという共通の信念はあった。1932 年ジェ
ームズ
チャドウィック(1935 年ノーベル賞)は電気的に中性の新しいタイプ
の中性子とよばれる粒子を発見した。2 年後、ユージン
ウイグナ−は原子核内
にははっきりとした2つの力があるにちがいない事を示し、1つは放射能に関
係ある弱い力、もう一つは陽子と中性子とを結びつける強い力であるとした。
両方とも原子核の大きさぐらいのサイズの非常に短い範囲で働き、それゆえ巨
視的なアナロジーはなかった。ウイグナーの仕事から僅か 1 年後、日本の若い
学生である湯川秀樹(1949 年ノーベル賞)は強い核力は電磁力に関係ある新し
い粒子によって媒介されていることを提案した。しかし、電磁力は長距離力で
あり、強い力は短距離力である。湯川は電磁力は光子のような質量のない粒子
1
によって媒介され、強い相互作用は質量のある粒子によって媒介されているに
ちがいないと考えた。そのとき質量は力の範囲で自然な大きさを与える(量子
物理学では、長さは質量またはエネルギーに共役で、基本パラメーターの意味
で、プランク定数hと光速cは長さのスケールで質量に変換されうる)強い力
の近似的な範囲である10−13mを理解した上で、湯川は粒子の質量は 100-200
Mev/c2であると評価した。湯川の仕事からほんの1年後その粒子がアンダーソ
ン(1936年ノーベル賞)によって宇宙線の中から発見された。しかしその
後この粒子はパイオンであるとすると相互作用の大きさが小さすぎることがわ
かった。パイオンは第2次大戦後の1947年セシル
パウエル(1950年
ノーベル賞)によって発見されるまで見つからなかった。
量子電磁力学
第2次大戦後の数年の間に、量子電磁力学(QED)が発展した。鍵となった
物理学者はリチャード
ファインマン、ジュリアン
シュウィンガー、朝永振
一郎(1965年ノーベル賞)であった。彼等は(見たところ)矛盾のない量
子論が電磁力に対して定式化できることを示した。特に彼等は組織的な摂動展
開が定式化できることを示した。これは散乱に対する荷電粒子の振幅が電気力
の強さの目安である微細構造αem のパワーの展開の形で表現できることを示した。
これらの項を計算すると。その殆んどが無限大になることがわかった。しかし、
全ての無限大を吸収するユニークな方法がある。その無限大は電子の質量と、
チャージそれに波動関数の形に起因するものとして解釈された。これらのパラ
メーターを自由にすることによって、実験と比較できる展開において、各々の
オーダーを有限の値として定義できることが可能になったパラメーターは繰り
込みと言われる。有限の数あるパラメーターのみが有限の摂動展開を定義する
ために繰り込まれるのに必要な量子論は繰り込み理論と呼ばれる。リチャード
ファインマンは全ての摂動計算でルーチン的に使用できる非常に便利な概略的
な定式化を導入した。即ちファインマングラフである。各々粒子に対して彼は
粒子の自由な伝播を記述するプロパゲーターを導入した。特別な図を作るため
にプロパゲーターを結びつけるような理論が相互作用の頂点(vertex)を定義する。
QED では2つのプロパゲーターがある。
電子1つに
光子1つに
があり、頂に
2
がある。ファインマンは又時間的に戻る粒子が時間的に前進する反粒子に相当
するという規則も導入した(従って電子線上の矢)
。理論はポジトロンの散乱も
記述出来る。
全てのプロパゲーターと頂点に対して解析的な表現があり、ダイヤグラムを
作るための定義的な規則がある。運動量は vertex で保存され、もしダイヤグラ
ムの中でループがあれば運動量は積分されねばならない。これは発散の根であ
る。これらの規則によって散乱振幅に対するかってより複雑だったダイヤグラ
ムの無限の級数を作ることができる。1つの電子から別の電子への散乱を考え
る。これは次のようなダイヤグラムで与えられる。
これらの発散は 1930 年代の初めから知られていた。その当時はこの発散は他か
らの相互作用によるいくつかの効果であり、全ての相互作用が考慮される時は
消えるということが議論された。QED それ自身が発散を扱うことが出来るとい
うことが示された時は科学的にはセンセーショナルなことであった。摂動計算
も極めて精密な結果を示した。1つの有用な要因は展開パラメーターα、所謂超
微細構造の小ささである。水素におけるラムシフトは、大変な正確さでもって
実験と一致する計算結果が得られた(ウイル
ラム、1955 年ノーベル賞)。
相対論的量子電磁力学は、時間成分が空間成分に対して相対的に負のノルム
であるような4つのヴェクトル
ルマン
ポテンシアルによって記述される。1929 年へ
ワイルは理論の中に局所的な対称性を導入してゲージ不変な理論を建
設した。この対称性はゲージされない(測定されない)電子波動関数の位相の
局所的な変化である。この対称性のグループは可換、アーべリアンであるので
アーべリアンと呼ばれる。対称性は時間の余剰を導き、電磁場の縦方向成分と
物理的自由度は横方向の変換によってまかなわれる。QED の繰り込みを証明す
る鍵はゲージ不変性が全ての量子的な補正によってもなおも存在することを示
すことである。ジョン
ワードは所謂ワード不変性を導入してこれが満足され
る時は正しいとした。これは別の言葉でいえば繰り込みを証明するコンパクト
な方法を提供している。両方のゲージ不変とワード同一性は非アーベルゲージ
3
理論が20数年後に繰り込み可能であることが証明された時に鍵となる要素で
あった。
湯川理論
QED が相対論的な他体問題を記述する道すがら、湯川理論が類似のアプロー
チを試みていたのは自然なことである。この場合、対称性とアイソスピン対称
性はグローバルである、則ち、対称変換は全ての時空点で同じであり、ワード
同一性は必要でない。プロパゲーターが再び核、陽子および中性子に対して導
入され、存在し得る点に対して電荷は-1, 0 および 1 である。自然な3点カップ
リングは簡単である。ファイマンの規則は:
核プロパゲーター
頂点は
パイオンプロパゲーター
があり、3 点
で、簡単な散乱項
は強い力の荒っぽい振る舞いを記述する、これは級数展開の第1項である。こ
の理論は繰り込み可能であることが示される。しかし実験と比較した時、結合
力は1より大きい(約14)ことが示される。このような摂動理論は、いかな
る新しいオーダーも前のものより大きいので無意味である。ダイヤグラムの数
はいかなる高いオーダーでも急速に増大する。これは漸近級数の数学的結果が
使えないことを示している。
素粒子の急増
強い核力を満足に記述する湯川場理論の欠陥は物理コミュニテイーに相対論
的量子場の啓示を疑わせるものであった。おそらく QED の成功は偶発的であ
る;他の力を記述するには幾つかのそれに替わるべき定式化が必要である。多
くの試みは次の年になされた。
しかし、1950 年代の偉大な実験の発展は、核とパイオンのみを含む理論は不
4
完全であることを示した。新しい粒子加速器がジュネーブの CERN やアメリカ
のブルックヘブンで 1959-60 年に稼動し、新しい強い相互作用粒子が発見された。
それらの殆どは 10-23 s の非常に短い寿命であった。パイオンのように、幾つかは
10-6 から 10-10 s であった。後者は弱い核力で崩壊している、一方短い寿命の粒子
は強い核力で崩壊している。この発展は自然の基本法則を理解するために、知
らなければならない基本的な自然の建設ブロックであることを示している。粒
子のこの過度を注文する物理学者はマレー
ゲルマン(1969 年ノーベル賞)で
あった。ゲルマンは 1950 年代の半ばから 1970 年代にかけて理論素粒子物理学
の支配的な顔だった。彼は、これらの全ての粒子の組織的な記述を見つけるた
めには新しい量子数よって区別すべきであると認識していた。自然界には空間
と時間に直接関係しない他の対称性があるに違いないと考えていた。1959 年彼
は強い相互作用の下で粒子を安定に分類するために SU(3)対称性群を導入した。
ユーバル
ネーマンもこのアイデアを前進させた。短い寿命の粒子はこの対称
性のパターンに従うことが分かり、1960 年代にスピン量子数は質量の 3 乗で線
形的に成長して所謂レッジェ軌道--則ち、質量の3乗の関数としてスピンを示す
ダイヤグラム--を導くことが見い出された。(弦理論はこれらの粒子間の散乱に
対して可能なモデルとしてやってくる)これは、短い寿命の粒子はより安定な
粒子のより高い励起状態であることを意味している。そしてゲルマンとジョー
ジ
ツバイクはクオークの概念を導入した。3つのクオークとそれらの反粒子
のおかげでその時間の全ての粒子を作ることが出来る。量子場理論にクオーク
を持ち込んだことは自然である。しかし場の理論は全く信用ならないので クオ
ークの物理を理解するために他の道が研究されなければならない。ゲルマンは
クオークに対して、計算の関係を学ぶために新しい電荷の保存電流を精密化す
るために自由量子場理論を使った。彼は、物理電流は同じ関係を満足すること
を仮定した。これらの流行の代数は 1960 年代に集中的に研究され、弱い相互作
用と強い相互作用を発展させる手段であった。
非可換ゲージ理論
1954 年揚(1957 年ノーベル賞)とロバート
ミルズは核に対する量子場理論
を記述する試みの中で、アイソスピン群 SU(2)に基礎をおく非可換ゲージ理論を
建設した訳者註)。スウェーデンの物理学者オスカー
クラインは 1938 年に同様の
アイデアを議論しているが、戦争の勃発と他の問題への興味でこのアイデアは
5
消えてしまった。ヤンーミルズ理論は、力を媒介する質量のないヴェクトル粒
子を含んでいるので、特に、ウォルフガング
パウリ(1945 年ノーベル賞)に
よって、批判された。そのような粒子は知られておらず、前にも述べたように、
粒子は強い相互作用の短距離力の代わりに長距離力を媒介にしなければならな
い。アイデアは捕らえられていない。代わりに、この時期の偉大な進歩はパリ
テイが弱い相互作用において破れるという揚と李政道(1957 年ノーベル賞)と
による発見である。その後、効果的な量子場理論(V-A 理論)がロバート マ
ーシャックとジョージ
スダルシャンによって弱い相互作用に対して定式化さ
れ、さらにファインマンとゲルマンはエンリコ
フェルミ(1938 年ノーベル賞)
の初期のアイデアを発展させた。この理論は繰り込み可能ではなく、それゆえ
量子的補正は信じられないが、弱い力の結合距離が非常に小さく、最初の項は
しばしば十分良い近似である。これは明らかに正しい理論のエンブリオという
べきものである。シュウィンガーとゲルマンの両方が正しい理論は非可換ゲー
ジ場理論であるべきであることを提案したが、繰り込み可能ではないと信じて
いた。さらに。弱い相互作用は短距離であると知られ、一方非アーベル理論は
長距離を導く。このアイデアは魅力的であるので、生き残ったが、非常に少数
の物理学者によってのみ追求されていた。
自発的対称性の破れ
1960 年頃の著しい他の発展は南部陽一郎が超電導からのアイデアを素粒子物
理学に適用したことである。彼は BCS 基底状態(1972 年ジョン
レオン
クーパー、ロバート
バーデイン、
シュリーファーへのノーベル賞)が自発的にゲ
ージ対称性を破るということを示した。これは、正しいハミルトニアンは電磁
ゲージの選択に関して不変である時は BCS 基底状態はないことを意味している。
この事実は BCS 理論(物理的によくモチベイトされているがゲージ不変である)
の範囲内においてマイスナー効果の元の説明の妥当性にたいして幾らかの疑問
を投げかけている。南部は遂にこれらの疑問をフィリップ アンダーソン(1977
年ノーベル賞)の初期の寄与に与え、残りを十分厳密な理論とした。素粒子物
理学の言葉では、局所ゲージ対称性の破れは、通常の金属が超電導である時、
超電導内の光子場に対する有限の質量を付加する。共役な長さ長はロンドン侵
入の深さではない。超電導からのこの例は、ゲージ理論が、もし局所的対称性
が破れ、短距離になれば、短距離になることを示している。1960 年のこの論文
6
で南部はカイラル対称性をもった仮定的なフェルミオンに対する量子場理論を
研究した。この対称性はグローバルでゲージタイプではない。彼は自発的に破
れることを仮定して、彼がパイオンであると解釈したフェルミオンの基底状態
があることを示した。この結果は幾つかの相互作用を詮索することなしに一般
的な原理に従う。もし、対称性が厳密であればパイオンは質量がない。フェル
ミオンに小さい質量を与えて、対称性がわずかに破れるとパイオンは小さな質
量を与えられる。この発展はクオーク仮説の4年後になされたことは注目すべ
きである。南部は実験と合う、放出されるパイオンの反応に対する散乱振幅に
ついての仕事をしている。1965 年彼はムー
ヤンと一緒に場の理論は、それが
フェルミオンに対して整数の電荷(電子の電荷の項で)を与えているにも拘わ
らず、非アーべリアン
ゲージ理論でなければならないことを提案した。ゲル
マンのスキームに従えば、クオークは1/3の大きさの電荷を持っている。南
部の場の理論は全て啓示的で正しい理論である。しかしそれは恐らく早すぎた。
その当時の興味は他の問題に向けられた。
南部の自発的破れのゲージ理論の理解は 1964 年にロバート
ンシス
エングラートそれにピーター
ブラウトとフラ
ヒッグスによって相対論的ゲージ場の
理論に外挿された。自発的破れのゲージ場理論は質量を持ったヴェクトル粒子
を持ち、一方ゲージ対称性は依然として成り立つことを示した。この段階で弱
い相互作用の量子場理論に関連ある全ての現象が短距離相互作用で起こるが、
共通の認識はそのような理論は繰り込み可能ではないということであった。
スケーリングと漸近 的自由
前に述べたように、1960年代の後半に現代代数学の研究が盛んだった。
新しい実験が 1967 年にアメリカのスタンフォードの線形加速器 SLAC で始まり、
そこでは電子が深い非弾性散乱過程で分離するものがあった。1968 年にクリッ
ツ
カレンとダビッド
グロスは電磁カレントを含む或る結合子に断面積の漸
近的な積分を関連させて、テストできる和の法則を得た。この結果はジェーム
ス
ブジョークンによって一般化された。彼は運動量が無限大に近づく時のケ
ースを研究していた。運動量変換が虚数になるような、物理的に意味のない領
域の計算を実行して、彼は断面積は n=E-E’(エネルギー損失)と q2(運動量変
換の2乗)に依存するのではなくこれは通常の場合だが、無次元量 x=q2/2Mνに
依存することを証明した。彼は、漸近極限で物理的な運動量変換に対して同様
7
のことが正しいことを議論した。この現象は スケーリング と呼ばれ、SLAC
での実験と一致することがわかった(1990 年、ジェローム
ンリー
ケンデル及びリチャード
フリードマン、ヘ
テイラーのノーベル賞)
ブジョークンの論文は遠到達近似を含んでいるが、実験的に確認されたスケ
ーリングを導くという事実は物理学会における大きなな衝撃であった。そのア
イデアは如何にして物理理論をスケーリングの中に含ませるかということであ
ったが、1970 年にクルツ
シマンジクは負の所謂β−関数の理論のみがスケーリ
ングを含ませ得ることを議論した。則ち
漸近的自由
の項がこの種の理論に
作られたわけである。1950 年代の初めにゲルマンとフランシス
ンドレ
ピーターマンとアーネスト
ローさらにア
シュトッヶルベルグは量子電磁力学にお
ける結合定数はスケールに依存することを示していた。
(その値α
1/137
は小
さな運動量変換に対してのみ正しい)この現象は繰り込みのスキームによる。
このことは如何なる繰り込み可能な量子場理論においても正しく、スケーリン
グの振る舞いは摂動理論が計算できるβ—関数によって支配される。新しい方法
によって繰り込みのスキームを解釈することによって、ケネス
ウイルソン
(1982 年ノーベル賞)は 1960 年代の後半に、結合定数の漸近的振る舞いはβ—
関数によって一意的に決まることを示した。
QED の場合においてはβ−関数は正である。これは結合がエネルギーと共に増
大することを意味する。同様に、それは電荷は我々が測定する遥か彼方で消え
ることを意味する。我々はこの意味を直感的に遮蔽の項で理解できる。電子と
陽電子の仮想的なペアは電荷を遮蔽する。これも我々の直感と合う。負のβ−関
数は、反遮蔽に相当するので理解しにくい。力は電荷が動くと遠くに届くと強
くなり、電荷に近づくと弱くなる。あたかも見えないゴムが粒子に巻き付いて
いるように見える。巨視的に我々が知っている力は、電磁力や重力のように、
電荷(質量)から遠ざかると弱くなる。漸近的自由は量子場理論と自己撞着で
はなく、そのような理論は信頼性は薄い。量子場理論はゆっくりと消え行くの
であろうか?これは、ゲルハード
タフト(1999 年マルチネス
ヴェルトマン
とノーベル賞)が非アーベルゲージ理論は自発的破れのフェイズでも繰り込み
可能であることを証明した 1971 年の状況であった。その翌年かそれ以降タフト
と
ヴェルトマンは完全な証明に必要な全ての詳細を作り、その結果は現代物
理学の一大センセーションとなった。そのようなモデルが弱い相互作用に対し
て以前から提案されていたものであり、これらのモデルが理論的に矛盾のない
8
ものであることは非常に早く理解された。これは、グラショーーサラムーワイ
ンバーグのモデルにつながり、1970 年代の間に実験と一致することが証明され
た(1979 年、シェルドン
グラショー、アブダス
サラム、ステーブ
ワイン
バーグのノーベル賞)。
グラショーーサラムーワインバーグのモデルは弱い相互作用が量子場理論で
記述できることのみを示しただけではない。弱い相互作用と電磁力相互作用の
共通の起原についても言及している。しかし強い相互作用はどうであろうか?
強い相互作用に対す る量子場理論
シマンジクは負の結合力と4点相互作用及びスカラー場をもった負のβ—関
数を発見した。しかしこの種の理論は、安定な粒子スペクトルを持たないので
それ程よく定義されているわけではない。これは負のβ—関数で一意的に現実的
な量子場理論のアイデアを作る。多くの指導的な理論家は強い相互作用に対す
る量子場理論の可能性について懐疑的であった。1972 年のマルセーユの会議で
シマンジクは負のβ—関数の必要性とタフトが非可換ゲージ理論に付いて行っ
た計算に関する緊急の報告に対して注意を呼び掛けた。ゲラルダス
タフトは
彼自身もシマンジクさえもそれ以上追求しなかった良く知られているネガテイ
ブな結果を正した。従って、結果は広がらず物理学会の残りの人にはあまり知
られることはなかった。アメリカで指導的な大学、多分プリンストンでダビッ
ド
グロスのグループそれにハーバードのシドニー
コレマンのグループがも
し漸近的自由であった場合の可能な量子場理論はどのようなものであるかを見
つけるプログラムに着手し始めた。プリンストンでグロスは同僚の大学院生フ
ランク
ウィルゼックと非アーベル量子場を研究した。ハーバードでは大学院
生ダビッド
ポリッツアーが同じ研究を行った。この計算は今では標準的で教
科書にも出ているくらいのものだが当時は全く需要的なもので暫くして驚くべ
き結果が得られた。1973 年の春グロスと
フィジカル
レヴユィ—
ウィルゼックそれにポリッツアーが
レターズに負のβ—関数に関する一致した結果を示
す2つの並行した論文を発表した。両方とも結果については一致しており、物
理学会は嵐に包まれた。グロスと
ウィルゼック等は強い相互作用に対する量
子場の理論の提案を直ちに行い、力を媒介する質量のないヴェクトル粒子を伴
うクオークに対してゲージ群 SU(3)に基礎を置いた非アーベルゲージ理論を作
った。これらの粒子は
グルーオン
と名前がつけられた。似たような理論は
9
1年前にハラルド
フリッツとゲルマンによって全ての可能なモデルのカタロ
グの中に納められてはいたが、南部が何年も前に提案していたものと本質的に
同じものであった。漸近的自由はそれを一意的に可能なものとして選ぶ。ゲー
ジグループ SU(3)は全ての粒子に対して 色 チャージを導入する。この種のチ
ャージは既に1960年代の半ばにハンと南部によって提案されていたもので
ある。同様の方法はオスカー
グリーンバーグによってクオークモデルにおけ
る統計性の問題を解くために提案されている。
量子場の理論の漸近 特性の詳細な 研究
ゲルマン、ロー、ピーターマンそれにシュテユッケルベルグが研究した顕著
な業績は QED の繰り込みに関するもので光子プロパゲーターの漸近的形が結合
定数(電荷)のゼロの関数に支配されているということである。これは摂動級
数で計算できる。繰り込まれる関数は2つのパラメーターを含み質量の項は正
の次元と次元のないものの2つである。大きな空間的な運動量(特異点はない)
に対するグリーン関数を考えると、正の次元をもつパラメーターは無視できる。
それゆえ、計算は質量のない理論でやる時のように実行できる。そのような理
論はスケールはない。そのアイデアは単純な次元解析は振幅の形を決定するだ
ろう。これはナイーブまたは正凖スケーリングと呼ばれる。しかし、実際は理
論が隠れた質量長を含んでいるので成り立たない。もし理論を繰り込む時に質
量スケールµが繰り込み項が差し引かれた時に導入されなければならない。これ
は光子の質量がないために特畏点をさけるため質量殻から遠く離れて実行され
る。理論はこのアイデアに依存しないばかりかこれは繰り込まれたグリーン関
数に対しての微分方程式を導く。(これらは繰り込み不可能なものに比例して、
µに依存しない、それゆえこれらはµに関する微分がゼロになるように働く微分
方程式を満足する)。控除点の変化は電荷と運動量のスケールの変化に相当する
ものによって補償される。この方法により、1セットの運動量と電荷に対する
グリーン関数はこれらのパラメーターの他の値におけるグリーン関数に関連づ
けられる。特に、高い運動量における漸近的振る舞いは運動量の幾つかの固定
した値に関連づけられる。振幅の極紫外線的振る舞いは結合定数の漸近的値を
計算することによって評価される。これは或る関数—β—関数のゼロを見つける
ことによって計算できる。この関数は単純に
10
β = µ∂g/∂µ
ここに、g は結合定数で、全ての他のパラメーターは固定されている。スケーリ
ングによってグリーン関数上の全ての運動量は一様に p—>λp, t =lnλと書くと結
合定数 ge は方程式
dge(t、g)/dt=β(ge)、ge(0、g)=g
を満足する。解
lim g (t,g) = g
t! "
e
"
が存在すると仮定して、g∞は極紫外線固定点であるということが出来る。そのよ
うな点はβ(g)のゼロによって決定できる、このように、もしβ(g)が ge で単純にゼ
ロになったとすれば、これはもし、
β(g∞) = 0, dβ(g∞)/dg < 0
ならば極紫外線が安定になるだろう。dβ(g0)/dg >0 であるような g0でのβのゼロ
は g が t -> -∞ (λ -> 0)の時そのような点に近づくので赤外線安定固定点と呼ばれ
る。この種の結合は高い運動量で成長する。これは QED に対する場合であるが、
レフ
ランダウ(1962年ノーベル賞)とアレクセフ
年ノーベル賞)それにアイザック
アブリコッソフ(2003
カラニコフは 1954 年という早い時期に摂動
理論は運動量が e2ln(p2/m2)~1 の値に近づく時は意味がないことを発見した。これ
は QED がそれ自身真に矛盾があることを示している。
上に述べたようにゲージ理論は4つの場の自由度が2つの物理的な縦方向の
自由度を記述するために使われているので冗長である。局所的ゲージ対称性は
物理的量を計算するために我々は場を拘束しなければならない、即ちゲージを
特定化する、ためにこの定式化を許す。グロスとウェルツエックそれにポリッ
ツアは所謂ランダウゲージにおける計算の実行を選んだ、そこではベクトル場
Aµが拘束∂µAm=0 を満足しなければならない。β−関数を計算するため波動関数
の繰り込みと3点結合に対して最初の量子補正が計算されなければならない。
11
これはタフトとベルトマンによって発展されたテクニックでなすことが出来る。
ファイマンのルールはグルーオンのプロパゲーター
ロパゲーター
クオークのプ
3点グルーオン結合
4点グルーオン結合
グルーオンークオーク結合
計算されるべきダイヤグラムは
ループにおいて所謂
ゴースト
ゴースト
を伴う類似のダイヤグラムもある。即ちこの
はゲージ不変の結果としてある。最終的な結果は
3
β(g) = -g /16π2[11/3C2-4/3T(R)] + O(g5),
ここに、C2 は共役表示̶ベクトル場の1つであるーにおけるゲージ群に対する 4
次のカシミールオペレーターの値である、T(R)はクオーク表示̶基本的なもの
であるーに対する相当するカシミールオペレーターである。関数β(g)はクオーク
の数に依存する後者がそう大きくない場合に限り負である。カラーゲージ群
SU(3)の場合要求されるように負であり、漸近的自由が証明される。
12
漸近的自由に対する 実験的サポー トと QCD
QED の瞬時の成功は理論的結果が実験と比較できるということその一致が極め
て正確であるという事実によって確かなものになった。何年にもわたってその
比較はさらに改良されて、確かな実験的量の一致の精度は今や 1:109 である。そ
の制限は高いオーダーの量子効果を通した他の相互作用を考慮するかしないか
にまでになっている。
電気弱い相互作用の理論の弱点は正確にテストするのが若干難しい。古い理
論では第一近似で一致して実際のテストは予言さるべき新しい粒子と現象であ
った。中性カレントは1973年に CERN で実際に発見されたが、重い中間ベ
クトル粒子、Z-W-ボソンが同じく CERN で発見されるまでには何年も要した(カ
ルロ
ルビアとシモン
ファンデアメール、1984年ノーベル賞)
。その前の
鍵となる発見はモデルが予見していた原子物理学におけるパリテイの破れであ
った。このモデルは今や非常によくテストされ、全ての実験と一致している。
QCD は正確にテストするのは非常に難しい。主な理由は、クオークやグルー
オンのような、モデルの基本的な粒子が自由な粒子としては存在せず、粒子加
速器で加速され或いは直接衝突で検出からである。それでも、実験の精度は改
良され特に CERN の LEP 加速器は非常に興味深い。グロスとウィルツエクとポ
リッツアは非常に早くから SLAC の実験の大域的な振る舞いがモデルに従うこ
とをチェックした。色(カラー)の概念もハドロンの生成と1970年代の始
めにローマ近郊の ADONE 加速器での電子̶陽電子衝突実験でミューオン対生
成とから早い時期ににサポートされた。結果は3つのカラーが起こるときはフ
ァクター2の精度で一致してカラーがないときは 2/3 であった。1970年代の
終わりに、ハンブルグの PETRA で、
3つのジェットを伴うエベントが観測され、
これは1つのグルーオンと2つのクオークがハドロンに崩壊するものと解釈さ
れた。
漸近的自由は結合定数がエネルギーと共に小さくなることを意味している;
これは今では非常によく実験と一致している。下の結合定数の図でαs と呼ばれ
る量はエネルギーの関数として表され、QCD と実験とを比較する計算の種類に
は制限があるにも拘らず、それでも理論が正しいものであるという圧倒的な証
拠がある。非常に工夫に富んだ方法がテストするために考案されえられたデー
タは CERN の LEP 加速器で得られたデータを含めて豊富にある。チェックされ
る時はいつでも一致は1%よりもよく、ずれは計算が不十分な方法のせいであ
13
る場合のみである。
上の左の図は2002年のモンペリエでの量子色力学における高エネルギー国
際会議から、べスケによって示された異なる測定を集めたもの。右の図は P.
ルバスによるまとめ(Eur. Phys. J. C34 (2004) 41 より)である。JADE は
ゼ
PETRA
の DESY での実験結果である。
素粒子物理学の標準 モデル
QCD は自然なやり方で電気̶弱理論を完全なものにした。この理論はクオー
クを含み全ての3つの相互作用を1つのモデル̶ゲージ群 SU(3) x SU(2) x SU
(1)を持った非アーベルゲージ理論̶にまとめているのは自然の成りゆきであ
った。このモデルは「素粒子物理学の標準モデル」と呼ばれる。この理論は SLAC
の実験を説明し、又何故クオークが自由な粒子として存在できないか(クオー
クの閉じ込め)についての可能な説明を含んでいる。クオーク間の力は
奴隷
赤外
の為に距離と共に大きくなる、そして永久に閉じ込められているという
ことを信じることはたやすい。理論には多くの含蓄があるが、これはまさにそ
のようなケースであり、決まった数学的な証明があるわけではない。
標準モデルは3つの異なる相互作用が1つのゲージ群を含んだモデルに統一
されるより一般的な理論に対する自然な出発点であるとも言える。幾つかの対
称性の自発的破れを通して、標準モデルは出逢った。そのような理論は大統一
14
理論と呼ばれる。CERN の LEP 加速器は、低いエネルギーで全く異なる値をも
つ3つの結合定数が異なるエネルギー依存性を持ち、もし現在の値が外捜する
と 1016 Gev 以上に一致することを示した。この外捜を達成するために、新しい
拡張された時空対称性、超対称性が導入されなければならない。3つの相互作
用が統一できるように見える事実はまた重力に対しては何が起こっているかと
いう質問を引き起こす。他の3つは統一されるのであろうか?重力は現在の加
速器のエネルギーされ得るような弱い力である。しかしながら、1019 GeV のオ
ーダーのエネルギーではそのエネルギーの大きさは他の3つと同じオーダーで
あり、無視できない。真の統一理論に対して候補がある。それは
超弦理論
である。この理論は基本的な建設ブロックは1次元の物体̶ひも̶でそれは小
さいのでその拡張は現在測定できるエネルギーでは現れない。超弦理論は基本
的な対称性として超対照性を含んでおり、標準理論と重力理論をも含んでいる。
しかしながら、この理論に対する実験的な証拠はまだない。にも拘らず、その
枠組みは全くユニークで、全ての相互作用を統一出来るユニークな理論を見出
す正しい道であるとして物理学会で強い信頼がある。これが正しいかどうかは
全て将来が答えるであろう。
非アーベルゲージ場理論が繰り込み可能であるという証明がなされて、暫く
して、一つの誤りが発見された。ある場合において、ゲージ不変を破る量子補
正が幾つもあるということである。そのような理論は正しくない。それは
ノーマリー
ア
と言われる。もし理論が全てのファミリーの粒子を含んでいる時
はこれは正しい。実際、これは、もしアップークオークとダウンークオークの
両方それにボトムークオークとトップークオークがなければ理論は生き残れな
いことを意味する。トップークオークの発見は標準モデルの3番目の家族を完
成した、それゆえモデルはアノーマリーに対して自由である。この方法でアノ
ーマリーはさらにモデルを拘束し、よりユニークなものになる。
最後に、非アーベルゲージ場理論を含む多くの話は4つの時空次元において
は唯一の矛盾のない理論であるということが全くもっともらしいことを示した。
そのような理論はもしそれが矛盾がなければ漸近的自由であることが必要であ
る。ここに、QED はそれ自身、すでに述べたように矛盾があり、非アーベル理
論と結び付けねばならなかった。結び付けられた理論は、ランダウやアブリソ
コフとカラト二コフによって提起された問題を解いた。グロスとウィルツエク
とポリッツアの仕事は強い相互作用の理論を正しただけではない。非アーベル
15
ゲージ場理論を一意的に矛盾のない4次元の相対論的量子理論として理解する
手段をも我々に与えたのである。これらの3人の科学者は我々が続いて見るこ
とになる QCD のエキサイテイングな発見のスタートとなる可能性のある発見を
なした。LEP 加速器での実験と全ての理論的な発展の結論を一緒にすると、今
や強い相互作用の謎は解かれたと結論してよいだろう。実際、標準モデルは、
ポール
デイラック(1933年、ノーベル賞)によって始められた相対論的
に不変な量子力学を建設するという試みの最終的な解決である。(二松五男訳)
さらなる文献
原論文
D.J. Gross and F. Wilczek, “Ultraviolet Behavior of Non-Abelian Gauge
Theories”, Phys. Rev. Lett. 30, 1343 (1973)
H. D.Politzer, “Reliable Perturbative Results for Strong Interactions”, Phys.
Rev. Lett. 30, 1346 (1973)
D.J. Gross and F. Wilczek, “Asymptotical Free Gauge Theories”, Phys. Rev. D8,
3633
(1973)
H. D.Politzer, “Asymptotic Freedom : An Approach to Strong Interactions”,
Phys. Rep. 14 129 (1974)
書籍
The rise of the Standard Model
of
Physics in the 1960s and 1970s, eds. L.
Holddesson, L. Brown, M. Rioran and M. Dresden, Cambridge Univ. Press
(1977)
Link: http://nobelprize.org/physics/articles/brink/index.html
内山龍雄はこの理論が出た2年後の 1956 年非局所ゲージ不変性はアイン
訳者註)
シュタインの重力理論まで適用できることを示した。
16
17
Fly UP