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阪え音楽学報

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阪え音楽学報
~ANDAI ONGAKUGAKU~O
2010. 3 月発行
抜刷
阪え音楽学報
第8号
パンメロディコンとその音楽
19 世紀前半における鍵盤楽器文化芹考一一一
DαsPαnmelodicon
und seine Musik:
nstrumente i
n derersten
Eine Betrαchtung der Kultur der Tαsten i
HαIfte
des 19. Jαhrhunderts
筒井はる香
TSUTSUI J
iaruka
JournαI of HANDAI MusicStudies vol.8
え阪末学文学部・木学院文学研究科音楽学研究支
OSAKAUNIVERSITY(=J-iANDA I) , MusicologyDivision
パンメロディコンとその音楽
19 世紀前半における鍵盤楽器文化再考一一
筒井はる香
はじめに
1 8 世紀末から 19 世紀初頭にかけての鍵提楽器事情 は複雑である 。 1 8 世紀を代 表する音楽
理論家 、 ダニエル・ゴットロープ ・ テュルク(1 750- 1 8 1 3 ) が著書 『クラヴイーア教本j (
17
8
9)
で述べたように、当時ヨーロッパには、チェンパロやクラヴイコードやフォルテピアノの他
に、非常に多くの鍵盤楽器が存在していた 。テュ ルクが挙 げた鍵盤楽器をざっと数え上げた
だけでも 20 種類近くある 。
しかし 、 これらは 普 及することなく 、 現存していないものがほ
とんどである 。 本稿では 、 このような忘れ去・られた鍵盤楽器に 焦点 をあてて 論 じるものであ
る l 。 それらの楽器の考察を通じて 、 今まで長い間埋れていた 音 楽史のある 側 面に新しい光
を照らすことができると考えるからである 。
なお本論文は、 『阪大 音楽学報J 第 3 号 に掲載された論文 í 1 800 年前後に発明された鍵盤
楽器一一一 『 一 般音楽新聞 J での報 告 より 一一J (筒井 2005) の続編にあたる 。 そこでは 、
1798 年から 1 820 年の間に紹介された鍵盤楽器についての記事に基づき 、 発音原 理や制作の
コンセプ ト に焦点をあてて分類を試みた 。 その後の調査に よ って パンメロデイコンという
発明楽器のために書かれた楽譜がオースト リ ア国立図書館音楽部門に存在することが分かつ
た 。 この 一 冊の楽譜は 、 実際にパンメロデイコンが存在したことを 裏付ける 貴重 な 記録であ
る。もちろん図版やスケッチや批評記事 などの 二 次資料により、その存在は 認 められるし、
一部 のピアノ曲や声楽曲をパンメロデイコンで代用して演 奏さ れたことも確認できるのだ
が、それがどの よ うな場所で演 奏さ れ 、
どのような音楽的特徴があったのかについてほとん
ど分かっていないのが現状である 。
l 渡辺 裕は 著書 f音楽 機械劇場J にお い て 18 世紀後半か ら 1 9 1止紀前半にかけての時代を 「 新楽器発明の附代 」 と名
付けている(渡辺 1 997 :32) 。
1
3
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阪大音楽学報第 8 号
作品の成立
ウィーンのトランクイッロ・モッロ社 2 から出版された楽譜の表紙には 、 美 しく装飾さ
れた丈字で次のように書いてある(図版1) 。
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. (ルイーズ皇女殿下
とナポレオン I 世皇帝陛下、すなわちフラ ンス 皇 帝、イタリア国 王 、並びにライン同
盟の守護者との結婚式のための賛歌 、カール・ ウンガ一氏による作詞、プラ インドル
楽長による作曲、そしてフランツ・レッピヒ氏によって新しく作られたパンメロデイ
コンもしくはピアノフォルテの伴奏。 1810 年 3 月 10 日に 歌われた 。 )
図版<<ルイーズとナポレオンの結婚賛歌》表紙(オ ー ストリア国立図書館所蔵)
、、ミ
2
トランクイッロ ・ モッロ主|と は、スイス 生 まれのイタリア人のグラフィックデザイナー兼楽譜出版者のトランクイ y
ロ ・ モァロが、ウィーンの楽諮出版社アルタリア社を退職後、 1798 年 に設 立 したウィーンの出版社である 。玉 に
地 図 や 美 術や楽譜の出版に力を入れると同時に、新人で鉦名の作曲家たちの作 品 も多く出版した 。
1
3
8
パンメ ロデ ィ コ ンとその音楽
すなわちこれは、ナポレオン ・ ボナパルト(1 769- 1 82 1)とハプスブルク家の 皇 女マリー・
ルイーズ 3
( 1 79 1 - 1 847 )
との結婚式を祝する賛歌である ( 以下、 《 ルイーズとナポレオンの
結婚賛歌〉と表記 ) 。 記録によれば、
3 月 11 日にアウグスティーナ教会で代理結婚式が行わ
れたので、この賛歌は代理結婚式の前日に歌われたことになる 。 塚本哲也によるマリー・ル
イーズの伝記に代理結婚式の模様を描写した部分があるのでヲ | 用しよう 。
「 代理結婚式は 3 月 11 日 午後 6 時から、 王宮近くのアウグスチー ナ教会 [ママ]
で執り行われた 。 マ リー ・ アントワネットの時も同じ場所で代理結婚式が行われた 。
まず結婚式開始を 告 げる暁々たるラッパが響き渡 る 。 アウグスチーナ教会の錨が鳴り
渡ると同時に、全国津々浦々で一斉に教会の錨が l鳴り響く 。 王宮 から馬車で到 着 した
マ リ ー ・ ル イ ーゼは、 皇 帝 、 皇 妃に続いて教会に入る 。弟 妹の多いハプスブルク家の
皇族 やメッテルニヒ外相ら政府 高官 がそのあとに続く 。 ( 巾略)神を賛 美 するラテン
語の合唱 が流れる中、マリー ・ ルイーゼとナポレオンの代理であるカール 大公が祭壇
に上がり 、 結婚の約束と祝福を受け、今度はカール大公に腕をあずけて長い廊 下 を新
郎新婦の席に戻 っ た 。 礼砲が鳴り響いて、結婚式の終わ り を 告 げる鐙の音がいつまで
も、新しくフランス 皇 妃にな っ たマ リー ・ルイーゼの耳に残 った 。 J ( 塚本 2006
:
3
6)
このようにラッパや教会の鐘の響きや 合唱 の声や礼砲などさまざまな音が鳴り響くなかで
代理結婚式が行われた 。 この前日に歌われたくルイーズとナポレオンの結婚賛歌 〉 も同様に
祝祭的な雰囲気に包まれて歌われたことだろう 。 この作 品の 作 詞を担当し たカール・ウンガ ー
(1 77 1 - 1 836 ) は、 1 771 年ハンガリ ー のツイップス ( 現スロヴアキアスピシェ ) で生まれ 、
その後 、
ウィーンのテレジア ・ アカデミーで法律を学び、法制史の教師になった 。 1810 年
からはある貴族の財政顧問の傍 ら 、 複数の定期 刊 行物の編集 長 やアマチュアの歌手や伝記作
家な ど幅広く文化的活動をした 。 またシューベルトがウンガーの 詩に付 曲したこと でも知ら
れている( < ナイチンゲール > D724 と 〈 人生の喜び> D609 ) 。
作曲を担当したヨ ー ゼフ・プラインドル(1 756- 1 823)
は 当 時、シュテファン大 聖堂 の楽
長であった 。 16 歳でオルガニス ト としての職を得てウィ ー ンに来たとき 、
オルガンのヴ イ
ルト ゥ オーソとして知られていたヨハン ・ ゲオルク ・ アルブレヒツベルガー(1 736- 1
8
0
9)
のもとでオルガンと作曲を徹底的に 学 んだ。 その後、ミヒャエル教会でオルガニストとして
務め 、 ベータ ース教会 で楽長としての経験を積んだ後 、 1 795 年からシュテファン 大聖堂で
楽長補佐になった 。 そして 1 809 年に楽長のアルブレヒツベルガーが亡くなり、プラインド
ルが後任に選ばれたのである 。
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は、引 用文などの例外を|徐き 、 H;t日 11 と し てフランス話読 みのマリー ・ ル イー ズと表記する 。
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3
9
阪大音楽学報第 8 号
パンメロデイコンの発明者であるフランツ ・ レッピヒ( 生 没年不詳 ) についての情報は極
端に少なし、 。 彼は機械工 で、ウィーンのグラーベン通りにある住居で週に 3 回、パンメロデイ
コンのデモンストレーション出奏を行っていた 。 この頃、ウ ィ ーン滞在中だった作曲家コン
ラーデイン ・ クロイツアーと知り 合 い、意気投合した 二 人は、王 宮 内のレドゥーテンザール
や、アウガルテン宮殿内のホールで7寅 奏会 を行ったことが知られている 。
話が前後するが、ハプスブルク帝国中で 最高 の地位であるシュテファン大 聖堂 の楽長の座
に就いたプラインドルは極めて伝統主義的な理論 家 で、あった 。 ベートーウc ェンの伝記記者ア
ントン ・ シンドラーによると 、 1 801 年 8 月にプラインドルがベートーヴ ェ ンの家を訪れた
時、彼は く プロメテウスの創造物)> op .43 の序 J1J:iの不協和 音 で始まる冒頭部分を非難した 。
曲の冒頭は必ず協和 音 で始めるべし、という作曲 上 の提が破られていたからである 。 ベー
トーヴェンはプラインドルを説得しょっとしたが許しは 得 られずじまいだったという ( Cl ive
2
0
01:271 -272 ) 。
ブラインドルが伝統主義者 だったことを顧慮するなら 、 彼がナポレオンとルイーズの結婚
という重要な儀式のための作品にパンメロデイコンという風変わりな楽器を指定したことに
若 干 の違和感が残る 。
しかし、この違和感というのはおそらく現代の進歩史観的な見方 、 つ
まり短命の発明楽器を過渡的、非本質なものとして位置づける見方であって、 1 91並紀初頭
の時期を支配していた価値観と必ずしも 一 致していないだろう 。 そのことを明らかにするた
め次にパンメロデイコンをめぐる当時の 記述を見てみることにしたい 。
二、フランツ・レッピヒのパンメロテ、 ィコン
1 835 年に出版されたシリングの音楽事典にはパンメロデイコンについて次のような説明
がある 。
「 ウマユルツブルク出身のフランツ ・ レッピヒが 1810 年に作り 、 公式に披 露 した 。 リー
フェルゼンが発明したメロデイコンの模造品 。 メロデイコンを知 っ ている者はもうパ
ンメロデイコンがどんなものか分かるだろう 。 これは 、
メロデイコンと同じく、弾み
車 (ein Schwungrad) で回転させる円錐形のシリンダーより成る 。 鍵盤を押さえる
と 、 金 属 製の小さな棒がシリンダーを擦 っ て振動させて音が出る 。 この類の楽器はす
べて、クラドニの発明したクラヴィシリンダーの原理に基づいている 。 公の記録によ
れば、パンメロデイコンはウィーンの 音 楽会で大喝采を 受 けた 。
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ところが、後世に広
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シリングの説明を繰り返し読んでみても、リーフェルゼンの「メロデイコン 」 も、クラド
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パンメ ロ ディ コ ンと その音楽
ニの「クラヴイシリンダー 」
も、もはや身近でない我々にとってパンメロデイコンの正体を
想像するのは容易ではなし、 。 クラヴィシリンダーとは、 1799 年にドイツの 音響学者 エルン
スト・クラドニが発明し、鍵盤 ( Clavi )
と ガラスを樋 っ たシリンダー
( Cylinder) から構
成されていることからそう名付けられた(図版 2) 。
図版 2
工ルンスト・クラド二によるクラヴィシリンダ一( 1815 年頃製作)
横幅 95cm , 奥行 57 . 5cm , 高さ 86.5cm (1く insky 1910:399)
後者は、 1802 年コベンハーゲン出身の機械工 リ ーフェルゼンが発明した楽器で 、 改良を重
ね、最終的に質の 高い楽器に まで仕上げられた 。 なお 、リー フェルゼンは自らの楽器に「メロ
デイカ」と名付けた ので、シリングの 言 う 「メ ロデイコン」は間違いである 。
レッピヒがパンメロデイコンを発明する前にドイツ北部のアルトナでリーフ ェ ルゼンの発明
によるメロデイカを見たと 主張 した人物がしミた 。 それは 、ハングルク の医師で、 音楽学者 だ、っ た
ルートヴイヒ ・ ムツツ ェ ンベッヒャー博士(1 766
聞Jl
- 1838) である 。 彼によると、 『一 般音 楽新
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cheZeitung. 以下 AMZ と略記) 1811 年 2 月 号 に掲載されたパンメ
ロデイコンのスケ ッチ は、アルトナで展示されたメロデイカとそっくり同じだという 。 彼の他
にも 、 パンメロデイコンはメロデイカの模倣品であって 真 の発明ではない、という趣旨の批判
が AMZ に数々寄せられたのは事実である 4。 それに対して レ ッピヒ本人はパンメロデイコン
が他ならぬ 自分の発明で あることを公表している 。 1810 年 6 月 2 日 付『 ウィーン新聞 』 にお
いてレッピヒは次のように 記 した 。
「 この日は 、 新しく発 明 され、ウィーンで作られたパンメロデイコンを、ご当地で
聴く 最後の日となることでしょう 。 発明の斬新さ 、 音 の魔術 、 鳴りやまぬ拍手 、 そし
て今までどこの都市の芸術家もこの楽器に表した感嘆が 、 多くの 素 晴らしい聴衆を保
4
例えば AMZ 1 811 年 4 月号 Sp 278- 179 を 参照 。
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阪大音楽 学 報第 8 号
証します 。 J
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図版 3 が AMZ 1 8 11 年 2 月 号 に掲載され
たパンメロデイコンのスケッチである(図
版 3 )。
この 記 事によれば、パンメロデ イ コ
ンの内部は、 一 本の真鍛製のシリンダ一、
シリンダーを動かすための弾み 車 、それを
固定する円盤 、 折れ曲が っ た真鍛製の椋ーな
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どから構成されている 九 それぞれの鍵は、
ステッキ状に祈れ Itl1 がった棒と対応してお
り 、 鍵を押し下げると、鍵に固定されてい
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図版 3
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フランツ ・ レッピヒによるパンメロデイ コ ン
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せ、その棒の先端に付けられた革がシリンダーと接触 し、 摩擦を起こして 音 を出す仕組みに
なっている 。 こ のように 金 属を革で、擦って音を出すのだが、 当時の記録によると 、 グラスハー
モニカやヴアル ト ホルンの 音 色に似た 、 穏やかで柔らかい 音 がしたという 。
さらに AMZ
1810 年 5 月号にはパンメロデイコンの演奏法についても紹介されている 。
「弾み車によって回転する、 円 錐状の金属性のシリンダーからできているこの楽器
は(中略)、鍵盤に較く触れるだけで 音 が出る 。 その 音 色は今まで私たちが知ってい
るどの楽器よりも優し く 、愛らしく 、 澄んでし、る 。 音をかなり強く出すことができる
し 、 好きなよ う に減 衰 させることもできる ( n ach
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下線は筆者による )
クラドニによるとこれらの新楽器のタッチはピアノのそれと大きく 異 なるという 。 すなわ
ちピアノでは 、 鍵を「打つ schlagenJ のに対して、クラヴイシリンダ一系の新楽器では、
軽い 手 でわずかに「押す drucken J だけである 。 これはオルガンの 奏 法に近いというにhladni
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21:1 22 ) 。 ただ 、 疑問が残るのは 、 先の引用にある「好きなように 音 を大き く したり減
衰 させたりできる」という記述である 。
このような強弱に関する指摘は 、 AMZ 1 809 年 7 月
5 日に 書 かれたリーフェルゼンのメロデイカについての記事にも見られる 。 すなわち「音
の立ち 上 がりがデリケー ト で 、 最初は微かに柔らかい 音 が出て、非常に繊細に 、 段階的に
(gradweise) 音 の大きさを変 化 させることができる J (
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5)6 これは、
あたかも人間の歌う様子を描写しているようで、クラヴイシリンダ一系の楽器の優れた音楽
5 パンメロデ イ コン の部位の名 称に ついては ( 筒井 2∞5 ) を参 照 の こと 。
6
パンメ ロ テ イ コ ン の音 色と強弱に つ い て 次 の よう な 記事が ある 。 「音 色 はも っ とも俊し く愛らしく 、ポジテイ ヴ ・
オルガン の昔栓 からt-H て く る i泣かな 音 量とよく ~1,\ltD し ていた 。 見事 な クレ ヅ シ エ ンドと デイ ミヌエンド ができる 」
(
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パンメ ロテ イ コ ンとその音楽
的効果を示唆している 。
しかしながら 当 時のピアノでも、思うままにクレッシ エ ンドやデイ
ミヌエンドを付けることは可能であ っ たはずである 。 それなのになぜパンメロデ イ コンが強
弱の点で優れていたことを改めて強調する意味があったのだろうか。 次にパンメロデイコン
の音楽的特徴に注目してくルイーズとナポレオンの結婚賛歌 〉 を分析したい 。
三、 《ルイーズとナポレオンの結婚賛歌》 分析
この作品は 、 賛歌によく用いられる 二 部形式で、 書 かれている 。 4 分の 3 拍 子で 、 「 荘厳に 」
「堂々とした」という意味をもっ Majestoso がこの作品の性格を特徴づける(諮例1) 。
譜例
<< ルイーズとナポレオンの結婚賛歌>>
1 頁(T. 1-5 l)
(譜例 1 ~ 3: オーストリア国立図書館所蔵)
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11 小節聞の前奏の後、ソプラノのソロによる 12 小節 ( T. 12- 23) の息の長いフレースが歌
い出す 。 この時伴奏 部分においても歌と同じ旋律をなぞる 。 短い間 奏 を挿んで 再度 この 旋律
が現れるときには 14 小節 ( T .29-42) にヲ |き延ばされ、伴 奏 部分は、前回とは 異 なり、和 音
の連打で、歌の旋律と 3 度の関係を保 っ ている 。 10 小節間 ( T.42-5 l)の 間 奏 の後、独唱か
らソプラノ 、アルト、テ ノール 、パ スの 4 声の 合唱 へ編成が変わる (譜例 2 ) 。合唱がユニ
ゾンで「神はフランスの気 高き王座に選ばれました 」 と朗唱風の旋律を歌うと、打楽器を想
起させる 奏 法のパンメロデ イ コンが合いの手を入れる 。 この歌詞が 3 度繰り返されるごとに
転調し、 音高 を cis' → a' → c
へ徐々に高めることによ っ て、
1
4
3
3 度目に曲全体のクライマッ
阪大音楽学報第 8 号
クスを迎え、 「 ルイーズをナポレオンと共に 」 と高らかに歌い上げる 。 この 時伴奏部分はフォ
ルテ イツシモで 、!平みの あ る 手11 音の 連打によ っ て尚揚!惑を高める 。 その まま 後奏へ続き 、曲
は華やかなまま閉じられる
譜例 2
(諮 例 3 ) 。
<<ルイーズとナポレオンの結婚賛歌>>
2 頁(T. 52-79)
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見するとこの伴 奏 部分は 、 ごく 普 通のピアノ譜と何ら変わりがない らし かし前 章で、確
認したパンメロデイコンの知見を踏 ま えると 、 プライン ドルが明 らかにこの楽器の効果を熟
知していたことが分かる 。 まず 全体に鎮められている和 声音 型 。 前 奏 、後 奏 、簡のクライ マッ
クスなど至る 所に兄られる 。 この書法はパンメロデイコン演 奏 にふさわしいものだ っ た 。 ク
ラドニは次のように述べる 。
「テクニ ッ クの完墜 さを誇 示 する曲よ りも 、歌いやすく和 声 的な同|がこの楽器[ク
ラヴイシリンダーとそれに類する楽器 ] にふさわしし、 。
もし 望 むならクラヴイシリン
ダーで、とても速い曲を数曲練 習 すればよい 。 もし望まぬなら 、しなくてもよい 。 そ
れが最も相応しい 訳で はないのだから 。 ( 中略 )つ まり私がお薦めするのは多 声音 楽
であ る 。 一声帝1) だけが速く動く問、他声 部で 音 を保持している悦l が特に良い 。 この種
7 楽譜 l ページ日の f'I"奏部分には r forte Piano J のみ占かれているが 、 表紙に記載されている通り 、 1 8 10 年 に行わ
れた公 IJf.J iiÎi 奏会ではパンメロデイコンで演奏された ( 1苅 1 ) 。
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4
パンメ ロデ ィ コ ンとその 音楽
の楽器は 長 い間広まらなかったし 、
この楽器のために 書 かれた作品がほとんどない 。
(中略)ピアノフォルテのために書かれたいくつかの曲 ( 特にレガートの 書 法を好
む作曲家によるもの)の中からこの楽器に相応しい作品を見つけることができる 。」
(
Ch
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21:1
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)
第二に着服すべきなのはソロが「国民たちよりと歌う部分である
(譜 例1) 。 ここでは
パンメロデイコンが歌と同じ旋律をなぞる( T. 14-15) 。 歌の方は休符があるが 、 パンメロデイ
コンは 、 旋律の最後の 音 ( es)
を 含 む和 音 を連打する
( T.1 5- 1 6 ) 。 この部分のクレッシ エ ン
ドもピアノで弾く場合とは効果が異 なるだろう 。 パンメロデイコンの方がより自然、な方法で
音量 を増加させることができ 、
また人間の 声 とよく 調 和しただろう 。『一 般文学新聞 j
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年 6 月号には次のような報告がある
「音 楽それ自体はそれほど長くなかったのに 、
この楽器 [ =パンメロデイコン]
は 、 興味を 惹 きつけて離さなかった 。 優れたオルガ ン にも引けを取らないほどだ 。 こ
の公開演 奏会 でレッピヒ氏はパンメロデ イ コンが他の楽器を伴 奏 する楽器として相応
しく、 声 とも調和することを証明した 。 J
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パンメロデイコン伴 奏 で聴いた者は、 実際 にはソプラ ノ・ ソロの旋律が鳴り終わ っ ていて
も 、 パンメロデイコンがこれを引き継ぐことによ っ て、まだ鳴 って いるように聴こえたこと
だろう 。
第 三 に挙げるのは、もっともパンメロデイコンの 音楽 的効果を現している部分、つまり前
奏と後奏部分において保持された和音についているク レ ッシエンドである 。
譜例 3
~ルイーズとナポレオンの結婚賛歌>>
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3 頁 CT. 80-91)
引何時同日帰必:.;$!せf
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ここでは後 奏部 分を 詳 しくみよう
(譜例 3 ) 0 85 小 節目から右手で 2 オクターフー上まで駆
け上がる音型には 「デ イミヌエン ド 」の指示がある 。 当時の演奏習慣では、上行音 型にはク
レ ッシエンド 、
下行 音型 にはデイミヌエンドをつける暗黙の規則がある
( つまり楽 譜 に何も
指示がなくてもそのように演 奏 される )。 その後、 2 拍聞の休符があり 、 音が何もなくなり 、
8
これは 〈 ルイ ーズと す ポ レオン の結婚賛歌 〉 が上演 された 年月に位めて 近 いときに 告かれた記事で あ り 、この 演奏
会そのものの記事で あ る 可 能性も考えられる 。
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阪大音楽学報第 8 号
静かになる 。 その状態で属七和 音 が鳴る(T.88) 。 和 音 を保持したまま、フォルテまで一気
に「クレッシエンド J をしなければならなし、 。言 うまでもなくピアノでは、いったん鍵を押
した後、その音を大きくすることは不可能である。しかしパンメロデイコンでは、鍵を押し
た後でも、足ペダルの操作でシリンダーをより速く回転させることによって音を強めること
ができた 。 クラドニによると、「多数の 音 を同時にある一定の強さで弾くとき、もしくはそ
れらを大きくするとき、足踏みを少し早めると良いだろう 。 そうすると摩擦が増えて(シリ
ンダーの)動きを滞らせない J
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1:127) なお、「足踏みを少し早める j とは、
オルガンのペダルのように、両足でペダルを踏む速度を早めることを意味する。
またこのクレッシエンドの効果は、実際にこの種の楽器を聴いた者による次の感想と一致
する 。 「最初は微かに柔らかい音が出て、非常に繊細に、段階的に音の大きさを変化させる
ことができる J
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9:40) 。
おわりに
オーストリア国立図書館に所蔵されているくルイーズとナポレオンの結婚賛歌〉には、今
までその存在すらほとんど知られていなかった鍵盤楽器であるパンメロデイコンが伴奏楽 器
として指定されている。それ故、パンメロデイコンの新たなレパートリーとして数えること
ができる 。 また本論考により、パンメロデイコンに備わっていた独自の音響的特徴が明らか
にされた。「好きなように 音 を大きくしたり減衰させたりできる」とは、すなわち、いった
ん弾いた和音を保持しながらその 音量 を自由に変えることができる、と言い換えることも司令
能だろう。
最後に、 当 時のピアノの性能に関して付 言 したい。ここで思い出すのは、 1796 年夏にベー
トーヴェンがウィーンのピアノ製作家シュトライヒャーに宛てた一通の手紙である 。 ベー
トーヴェンは当時のピアノについて以 F のように批判した。
「ピアノの演奏法があらゆる楽器のなかで最も洗練されていないことは間違いあり
ません。私は、あなたがピアノでも歌わせることを可能にする数少ない一人であるこ
とを嬉しく思っています 。 ハープとピアノが全く違う二つの楽器とみなされる時が来
ることを願っています。 J
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「歌うように弾けるピアノ j とはすなわち、歌うことや語ることやささやくことなど、人
間のありとあらゆる感情を、楽器の音量や音質などの変化によって表現できることができる
楽器だ、と理解できるだろう。現代のピアノでなら、近代の奏法を駆使さえすれば、そのこ
とは決して不可能ではない、と我々は考える(例えば、シャンドールの『ピアノ教本』 には、
1
4
6
パンメ ロデ ィ コ ンとその音楽
どうすれば 「歌う 音」 を作り出すことができるかについて 一章 が割かれている) 。
しかし 当 時の楽器や 奏法では 、 明 f活;な発音 で、弁論するように弾くことはできでも、オペ
ラ歌手のように朗々と歌うように弾くことには限界があり、だからこそシ ュ トライヒャーも
ベートーヴ ェ ンからのこの高度な要求に応えようと構造の変革を試みたと 言 うことができ
る 。 その結果 、 1801 年に 出 版されたシュトライヒャ一社のカタログ『フォルテピアノのた
めの演奏・調律・ 管理の手引き 』 において 、彼 は「まろやかで耳をた っ ぷり満たす音で、
我々の情感に訴えかける人間の 声 や管楽器の 音 色 J (
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「苦労せずに 、容易に、歌うように、十 分に表情豊かに 弾ける楽器をもつこと J
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1:3) がピアニストにと っ て最も重要だ、と明言するに至った 。
このように歌える鍵盤楽器を作ることが 1 8 世紀後半から 19 世紀前半における鍵盤楽器製
作の課題だ、ったことを考えれば 、
レッピヒはパンメロデイコンを完成させることによって一
足早く これ を実現させたと 言 えるだろう 。 だからといって 筆者は 、パンメロデイコンが完全
な楽器だ った と 主張するつもりはな い 。実 際にパンメロデイコンは流布する間もな く 忘れ去
られてしまったのだから 。 だが 、 独特な 音 色を備えたパンメロデイコンは 、
ピアノよりも自
由自在に音量を調節することに 長 けていたことは心に留めておくべきだろう 。 我々はと も す
ればどの時代においてもピアノが最も完成された楽器だ っ たという錯覚に陥るが 、 決してそ
うではない 。 数々の発明楽器の存在がそのことを証明しているのだ 。
引用・参考文献
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阪大音楽学報第 8 号
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