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臨床経験が浅いセラピストとのセラピスト・フォーカシング事例

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臨床経験が浅いセラピストとのセラピスト・フォーカシング事例
臨床経験が浅いセラピストとのセラピスト・フォーカシング事例:
トレーニング・セラピーの要素を含むセラピスト援助の方法について
Aiding the Beginning Therapist with Therapist Focusing:
A Case Study
池見
*
陽* 河田悦子**
神戸女学院大学人間科学研究科
**
東加古川病院
Akira Ikemi, Ph.D. (Kobe College), Etsuko Kawata, M.A. (Higashikakogawa Hospital)
ABSTRACT
In recent years, the significance of therapists focusing on their clients has been observed and several attempts are being made to describe the process and effects of therapist focusing. Among several ways with
which therapist focusing can be carried out, this paper describes an ongoing type of therapist focusing with a
beginning therapist. A summary of the eight-interview sequence from both the therapist and the therapist listener (guide) shows that therapist focusing helps therapist understand the client and the therapeutic situation,
and that ongoing therapist focusing sessions have the implications of therapy training. The differences in effects
between therapist focusing, supervision and therapy training, as aids for therapists are discussed. Moreover, the
characteristics of felt sense as a matrix of relationships is explicated and contrasted with the theoretical constructs of counter-transference and regression.
Keywords: Therapist Focusing, Focusing, Felt Sense, Training Therapy
― 3 ―
心理相談研究
第7号
大なデータ量である。それらは、セラピストが明在
!.はじめに
的に整理できる範囲を超えているのは当然のことで
ある。そして、認知的に整理できていないが、薄々
フォーカシング、あるいはフォーカシング指向心
理療法(Gendlin1996)を特徴づけるのは、「フェル
と感じられている部分がフェルトセンスとして感じ
られるのである。
トセンスとかかわる視点」であると言えるだろう。
そこで、セラピストがクライエントとの面接を振
フェルトセンスは、薄々と、確かに感じられてはい
り返り、セラピストに感じられるフェルトセンスに
るが、はっきりと言葉や概念として認識されていな
フォーカシングを行うことは、ケース理解に役立つ
い感覚のことである。それは「感情」と呼べるほど
という事実はフォーカシング関係者の間では知られ
には、はっきりしておらず、むしろ、一般的には「モ
ていた。また、フォーカシングという内省の様式を
ヤモヤした感じ」、「余韻」、「雰囲気」などと呼ばれ
明示的に知らないセラピストも、クライエントの印
ている。薄々と感じられているものの、フェルトセ
象や面接のあとのフェルトセンスに触れて内省する
ンスには何らかの意味が感じられる。明在的(ex-
ということを日常的に行っているのではないだろう
plicit)な意味として形成されていないものの、私
か。
たちは常に、多くを暗在的(implicit)に感じ取っ
このように、人が自然にフェルトセンスに触れて
ている。そのように暗に感じられた意味の断片が私
内省する、あるいはセラピストがクライエントにつ
たちの「アウェアネスの縁(edge of awareness)」
いて振り返るときに自然にフェルトセンスに触れて
にあり、そこに注意を向け、そこから発話し、概念
いることがある。このような内省の様式を明示的に
形成していくと、最初は明確にアウェアネスにはな
記述したのが、「フォーカシング」であるが、吉良
かった意味内容が明らかになっていくのである。
(2002,2005)はセラピストがクライエントとの心
このように、フェルトセンスに注目し、それとか
かわり、意味が立ち現れる一連の過程を「フォーカ
理療法についてフォーカシングをする際の様式を記
述し、それを「セラピスト・フォ ー カ シ ン グ 法」
シング」と呼ぶことができるが、それは特別な技法
(TFM)と呼んだ。吉良が現在、行っている TFM の
ではなく、むしろ多くの人が自然に行っている内省
セッティングには特徴がある。それらは、セラピス
の様式である。このような内省の様式を臨床の場で
トの「主体感覚」が損なわれた状態に陥ったときに、
クライエントとともに行うことがフォーカシング指
単発的に TFM のセッションを受ける、というセラ
向心理療法の特徴である。
ピスト援助の設定である。しかし TFM とは別に、
しかし、フェルトセンスの意味を感じ取っていく
セラピストがクライエントについてフォーカシング
プロセスの臨床的意義は、クライエントの過程に限
をするセッティングはいくつかある。それらは次の
定されるものではない。実は、セラピストもクライ
ようなものである。
エントから多くを感じ取っているのである。セラピ
1)継続的なスーパーバイズの中でセラピストが
ストがクライエントとの面接を振り返ったときに、
クライエントについてフォーカシングをする
まだ何だかわからないが、はっきりしない、モヤモ
ことがある(フォーカシングを用いたスー
ヤとした感じが残っていることは、しばしば観察さ
パーバイス)。
れる。これらはアウェアネスの縁からクライエン
2)単発的にセラピストがクライエントについ
ト、あるいはクライエントとの治療関係のあり方な
て、TFM の方法ではなく、標準的なフォー
どについて、多くの意味の断片を含んだものと思わ
カシングを用いて内省することがある。
れる。ひとつの面接だけでも、それは想像を絶する
3)トレーニング・セラピーの意味を含めてセラ
ほどの大容量の情報を含んでいる。クライエントが
ピストが継続的にフォーカシングを受けるこ
話した内容だけではなく、クライエントの声の調
とがある。この場合、フォーカシングで取り
子、表情、クライエントが別の面接で話した内容と
上げる事柄はケースについて、と限定してお
の関連性、セラピストの反応、連想、想像など、膨
く。
― 4 ―
臨床経験が浅いセラピストとのセラピスト・フォーカシング事例
これらのように、クライエントについてセラピス
ない。
トがフォーカシングを行うセラピスト援助の方法を
総称して、ここでは「セラピスト・フォーカシング」
[場所]
(「セラピスト・フォーカシング法」と区別して)と
呼ぶことにする。これらのセラピスト・フォーカシ
TL がスーパーバイズなどを頻繁に行っている大
学外の研究所。
ングについて、TFM は吉良が報告しており、1)に
ついては伊藤(未公刊)が報告し、2)については
[方法]
池見他(2006)が報告している。本論では3)の様
式について報告したい。
セッションは次のように進められた。TF が来室
したあと、気になっているクライエントのことから
これらの異なったセッティングで行ったセラピス
話し始めた。「セラピスト・フォーカシング」であ
ト・フォーカシングについて、何が見いだされるの
るため、ここではセラピスト自身のことではなく、
かを厳密に検討していくことが、新しいセラピスト
クライエントについて取り上げることを原則とし
援助の方法の開発に繋がる可能性がある。本論はそ
た。また、その日によって、気になるクライエント
の一旦として、臨床経験が浅いセラピストとの継続
が異なる可能性があるため、どのクライエントを取
的なセラピスト・フォーカシングの過程を紹介し、
り上げるかは、固定しないこととした。実際に、8
考察する。
セッションの中で複数のケースが登場した。また、
同じセッションの中でも、あるクライエントから別
!.セラピスト・フォーカシングの
実施状況について
のクライエントが連想されることもあった。さら
に、セラピスト・フォーカシングでは、クライエン
トとの面接で感じられるフェルトセンスを取り上げ
本論で紹介する事例はセラピスト・フォーカシン
るので、クライエントについての詳細な情報や面接
グの研究の一貫として行うこととした。そのため、
記録は一切不要であることが伝えられた。TF は最
すべての面接及び振り返りセッションは MD あるい
初の2回までは面接記録を持参したが、フォーカシ
は、wav 形式で録音された。また、研究成果の報告
ングで面接時間をすべて使ってしまい、実際には記
は参加者である「セラピスト」と「リスナー」の両
録を TL とともに見る時間はないことがわかったた
者で行うことを最初から申し合わせていた。
めか、それ以降、面接記録は持参していない。TL
はフォーカシング的な傾聴を中心にかかわった。し
[実施期間]
かし、ときには、スーパーバイザーのような具体的
X 年6月∼X 年11月の期間に計8セッションと2
な助言をする場面もあった。TL はマックに簡単な
回の振り返りセッションを設けた。原則的に隔週50
メモ程度の記録を各セッション後に書き留めた。TF
分で行った。なお、セッション数は予め8セッショ
は各セッション終了後、セッションの印象や感想を
ンに限定されていた。
書き留めておくこととした。これらの記録や感想は
振り返りのセッションで相互に付き合わせて検討し
[セラピスト]
たが、それまでは双方に開示しないこととした。な
20代の女性。臨床心理士養成指定大学院修了後1
お、8回のセッションには研究目的があるため、通
年目、フォーカシング経験はなかった。本論では
常のスーパーバイズの半額以下の料金を TL が徴収
「TF」と表記する。
した。振り返りセッションは完全に研究目的である
ため、無料とした。
[リスナー]
40代の男性。フォーカシング経験25年以上の臨床
[本論の記録について]
心理士。本論では「TL」と表記する。TL は大学教
以下、本論で報告する8回の面接経過については
員であるが、TF は TL が勤める大学院の修了生では
TL の記録に続き、TF の感想を紹介する。なお、論
― 5 ―
心理相談研究
第7号
文等において公開できる内容であることの確認を双
■物事を全体的に見られた(#1)
方で行った。公開できない内容について削除した。
これまでは自分とクライエントの関係、自分と親
担当セラピストの関係、というようにケースについ
!.TL、TF の両者から見た面接経過
て、個別に考えていたように思うが、クライエント
の母親を含めた4人を全体的に捉えられた。ケース
[第1回∼第2回面接 TL の記録より]
は4人が皆、関わっており、それぞれに思いがある
第1回面接
ことに気付き、それぞれの視点を含めてケースにつ
小学生女児のクライエントとのプレイセラピーを
いて考えられるようになった。
取り上げる。プレイセラピーを2年前から行ってい
る。クライエントとのプレイセラピーに関するフェ
■ケースを今に固執せずに振り返られた
ルトセンスに触れようとする。うまくフェルトセン
(#1∼#2)
スが感じられていないが、なにかひっかかる、
「押
記録がないためか、これまでの流れでケースを振
し黙ってしまう」感じがある。その感じから浮かん
り返ったり、ごく最近のセッションを振り返った
できたのは、クライエントの母親に対して、TF が
り、自由に時間を行き来できた。記録があると、つ
何か敵意のようなものをもっていること。また、ク
いそのセッションにこだわってケースを思い浮かべ
ライエントの母親と、このケースの母親担当セラピ
たり、自分を振り返ってしまう。記録がなかったた
ストが「ごちゃごちゃになっている」ことであった。
め、これまで、クライエントが変わってきた様子や、
クライエントの持ついろいろな側面を思い出しやす
第2回面接
かったように思う。
前回のセッションのあと、いろいろ自分の中で動
いていることがわかった。とくに母親担当のセラピ
■ケースについて(#1∼#2)
ストと TF との間に、クライエントの母親とクライ
スーパーバイザー{TL とは別人}とも、共同治
エントの関係が再現されていることがわかった。
療者(親担当セラピスト)とも意思疎通がうまく
「逆転移に気づいた」。でも、まだ「逆転移という言
いっていないことがわかった。
葉が自分の言葉じゃないけど」と付け加えた。また、
このケースの問題点として、母親担当セラピストに
■自分で手がかりを見つけていく(#1∼#2)
うまく気持ちを伝えられないこと、そのために、長
私はセラピーについて、まだ極基本的なことも分
期的にも、短期的にも、治療のビジョンがもててい
かっていないため、折にふれ、アドバイスをもらう
ないことが問題であることがわかった。
こともあった。しかし、TL は全くと言っていいほ
ど、「ああしなさい、こうしなさい」と言うことが
[第1回∼第2回面接 TF の感想より]
なく、「∼しなさい」という態度も一切感じられな
■頭と心が繋がった(#1)
かった。TL が言うことは「提案」であり、選択肢
以前から、親担当セラピストに対して自分から働
の一つと感じられた。私がクライエントと出会って
きかけなければいけないなぁ、とは思っていたけれ
いる時に自分がどうありたいか、クライエントにど
ども、どこか「頭で処理している感じ」がずっと
う関わることが、お役に立てることかを考えるのを
あった。自分がこうしたいからこうする、というの
じっと待って下さり、私の中から出てきた手がかり
がはっきりした感じがした。親担当セラピストとは
について、後押ししてもらっているようだった。
ケースに関係なく、1人の人間として関係をつくっ
ていきたいと思うようになった。それは他の仕事で
[第3回面接 TL の記録より]
も応用されていった。
前回まで話していたケースは、母親担当との関係
を築いていくことにした。当たり前のことなんです
けど。ケース自体にも動きがあって、あまりきてい
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臨床経験が浅いセラピストとのセラピスト・フォーカシング事例
ない。今日は別のケース、スクール・カウンセラー
分がキューブになっているように感じた。(これに
をしている学校でのケースを取り上げる。男子高校
気づくことは重要なことだ。
)また、クライエント
生、自殺をほのめかす記述や、現在の学校に入学し
の「魔術」で他の人もみんなキューブになってし
たことを悔いる記述があった。その子の攻撃性が強
まって、クライエントとは誰も人間的に接触できな
く感じられて、ぐったりになった。会うのが怖く
いのかも、どう人間にもどるか?
なった。(どのように攻撃性を感じる?)世の中に
対する怒りと私に向けられる怒り。(例えば?)〈親
に愛されていない、でも今さらそんなこと思ったら
[第4回面接 TF の感想より]
■怖いと思っていたクライエントに出会いたいと思
マザコン〉という、そして、それに対して「そんな
う(#4)
ことないよ、親はいつまでも...」と答えたら.
..
(そ
#3に引き続き怖い思いを話す。セッションが始
りゃ怒るわ!)(クライエントの気持ちを否定しな
まる前は正直に言うと、
「もう会いたくない」と思っ
いように。自分の意見は「私は∼と思う」とくくっ
ていた。しかし、終わる頃にはそのクライエントに
て自分の反応を言うなどの工夫が必 要。)よ く わ
また出会いたいと思っていることがとても不思議で
かった。(納得したような笑顔)
あり、嬉しかった。
[第3回面接 TF の感想より]
[第5回面接 TL の記録より]
■ケースに関することだけではなく、自分が幸せと
面接開始後すぐに泣き出す。ケースが夏休みだっ
感じる(#3)
たが、今年度前半を思うと、しんどい。そのしんど
#3では当時、本当に出会うのが怖かったクライ
さには触れたくないようで、だけど触れないと後半
エントの話をした。研究所を出ると、なんだか自分
に行けないような感じもある。
(今、話していてど
がとても幸せに感じられて、にこにこ、ウキウキし
んな感じがありますか?)のどが詰まった感じ、か
ていた。ケースのことに関して気持ちが楽になった
らだがこわばった感じ
だけではなく、自分自身が、1人の人間として幸せ
私には聞こえてきますが)そう怖かった。自分が面
だと感じていた。セラピスト・フォーカシング終了
接をしているときはそれに気がつかなかった。今、
後につけている日記の文字も#2と比べると全く
それがわかった。
(いまは、どんな感じですか?)怖
違って、のびのびとした字だった。
さが少し残っている。(イメージで残った怖さを少
→(
「怖い」というように
し遠ざけてみることはできますか?)すこし残った
[第4回面接 TL の記録より]
怖さは蔵の2階に置いてみます。今年の後半はもっ
前回の怒りをもった高校生との面接について取り
と強くなりたい。
(強く?
強い、というのはどん
上げる。スクール・カウンセラーをしている学校で
な感じ?どんなイメージ?)トトロ。(イメージし
の面接室の本などを生徒に「貸してくれ」と言われ
てみてトトロの強さを感じてみましょう。
)いや、
ると、どう答えたらいいかわからない、など学校で
アラジンのジーニー。(ジーニーをイメージしてみ
の状況についての話があった。また、前回のセラピ
ましょう。)でも、 いつかジーニーはいらなくなる。
スト・フォーカシングのあとはとてもいい気分で
こうやってセラピストとして成長するのかな。ジー
「頑張ろう」と思えたが、 実際に翌日会ってみると、
ニーのおなかの上でセラピーをしているイメージ。
また怒りを感じて、心療内科の先生に相談するよう
に勧めたりしてしまった。
(この話をめぐって、TL
は2点、スーパーバイザーのような助言を行った。
[第5回面接 TF の感想より]
■第5回の全体的な印象
それらは、医療受診の目的と勧め方について、とス
息苦しく酸素が薄い中で動いていた(逃げ惑う小
クール・カウンセラーを し て い る 学 校 で の TF の
さな虫)⇒ど∼んとしたイメージ⇒トトロではない
「居場所づくり」についてであった。)前回のセラピ
もう少し知的なもの⇒ジーニー。セッションの中で
スト・フォーカシングの翌日の面接で、面接中に自
上記のように『今の自分のイメージ』から『なりた
― 7 ―
心理相談研究
第7号
い自分のイメージ』を見つけていった。ジーニーは
[第7回面接
TF の感想文より]
知的だとはいえないと思うが、後から考えるとトト
■「寂しさ」を味わうと別れ方が浮かんだ(#7)
ロとジーニーの大きな違いのひとつが言葉を話すか
クライエントと別れる寂しさに目を向けようとし
どうかであり、「言葉を使えるようになりたいのか
た時は、自分の『別れ辛さ』が出てくるのかなぁ、
なぁ」、と感じた。
思っていた。実際は、クライエントと出会ってきた
なかで、私が得たもの、クライエントに与えても
■怖がる自分を暖かく受けとめる
らったものに気付き、どのように別れるかが浮かん
これまで僅かながらクライエントに出会っていて
できたことに驚いた。からだの感じはクライエント
恐怖を感じることがあった。怖がっている自分にと
と私、しいてはプレイルーム全体のぬくもりに感じ
ても暖かく、優しく声をかけられたセッションで
られ、それをずっと味わっていくと、からだに吸収
あった。今までは少しでも怖さが残れば完璧になん
されて徐々に消えて行った。そこからクライエント
とかしようとしていたが、蔵の2階におけたのが不
とどのように別れていくかのヒントを得たように思
思議。
う。
[第6回∼第7回面接 TL の記録より]
■Cube から人間に(#5∼#7)
第6回面接
クライ エ ン ト と 出 会 っ て い る と き に、自 分 が
気になるケースが2つある。1)小学生男児。プ
cube のようになっていると感じ、とても、とても
レーで は 同 じ 遊 び ば か り し て い る。TF も 一 緒 に
寂しい思いをしたことがあった。その話をした#5
なって遊んで、言葉を話すのを忘れる。2)小学生
では TL に「成長している感じする?」と尋ねられ
女児。親の方から、もう終わりたいと言われている。
ても、おこがましくて「はい」とは言い切れなかっ
男児のケースを取り上げることにする。
(その子と
た。同時に、クライエントと出会っていて、もっと
のセラピーの感じは?)→静かな時間がとてもいい
勉強したいという気持ちが引き起こされていること
感じ。
(治療している意義がみつからない?)そう
を考えると、成長しているところもあるのだと思っ
ですね。話していて誰のためにプレーしているのか
ていた。
わからなくなった。母親の問題かもしれない。それ
#7では、ぬくもりが体の内に吸収されていく感
と終わるのが寂しい。
(それは2つ目のケースとの
じがした。そのぬくもりによって私の血と肉がつく
共通する感じ方?)そうですね。
られているように思う。具体的にこれができるよう
になった、あれができるようになったというのはな
第7回面接
いかもしれない。けれども、cube から少し肉付き
今日は、ケースを終わることへの気持ちをみてみ
のある人間に、ジーニーになりつつあるように感
たい。男の子のケースは、驚いたことに、いきなり
じ、それを成長と言えるのではないかな、と思う。
プレーが変わった。ビリヤードではなく、オセロ
だった。こっちの見る目が変わると、こんなに変わ
■人間的な深み
るのかと驚いた。(その子を思うと、どんな感じ?)
面接#6∼#7では、小学生男児とのセッション
暖かい マ リ モ の よう な フ ェ ル ト セ ン ス、そ れ が
を振り返り、どちらがセラピストかわからない感じ
フェードアウトしていく。終わりの儀式が必要と
があった。人間的な深みをもたせてもらった感じに
思っていたが、そうではなく、暖かいものを感じて
気付いた。
フェードアウトしたい。「そんなこともあったかな」
とその子が思ってくれるようなフェードアウト。
[第8回面接]
クライエントや共同治療者についての情報が含ま
[第6回面接
TF の感想文はない]
れるため、TF、TL で協議し、研究報告から除外し
た。
― 8 ―
臨床経験が浅いセラピストとのセラピスト・フォーカシング事例
[全体を通しての感想:TF の感想文から]
行きたくない時があった。駅のホームのベンチで自
■私自身がクライエントになっていた
分のからだの感じに注意を向ける。すると、からだ
TL とお会いしている時は、私自身がクライエン
のだるさがスッとなくなった。からだに「気付いて
トであったように思う。これまではスーパーバイ
くれてありがとう」と言われたような印象だった。
ザーの先生は『教授』、『先生』というような権威を
3)自分を大切にするようになった
感じずにはいられないような存在であると思ってい
これまでも「自分が好き」だと思うことは多々
た。しかし、セラピスト・フォーカシングでは私自
あったが、今はより愛おしいと感じ、優しく声をか
身がクライエントでいられたように思う。
けてあげることができるようになったと思う。
■セラピストとして
■全体的に
自分自身がクライエントのようにセラピスト・
面接#1では自分の中で、何が起こっているのか
フォーカシングを受けていたなかで、TL が私にし
分からず、とても驚いた。何が起こっているのか興
てくださったことを嬉しく思い、その経験から私自
味を持ち、フォーカシングに関する本を読みたいと
身の臨床にそのまま活かしていきたいと思うことが
も思ったけれども、知的に考えるのではなく、起
あった。それらは次のようなことである。
こっていること、自分の感じをそのまま大切にした
1)新鮮に、真実として受けとめて頂いたこと
いと思っていた。
私の口から出てくる言葉を、とても新鮮に受けと
最初のうちはどうしようもなく情けない自分に出
めて下さったこと、また、どんなことでも、自分で
会うことが多く、面接でも愚痴を言いにきているの
も「根拠がない」と思うことでも、私の中で浮かび
ではないか、と不安になることもあった。飾るので
上がってきたことを、真実として受けとめて下さっ
はなく、等身大の自分でいたいという思いがあっ
たことは、とても幸せなことだったと思う。私もク
た。情けない自分に出会うのは大変なことではあっ
ライエントに対して、そうありたいと思う。
たけれども、1人で出会うのではなく、側で私を決
2)TL が「ごめんなさい」と言ったこと
して責めず、ゆったりとした様子で TL がいてくだ
#1か#2で、TL が私の言葉の一つを伝え返さ
なかったことで、
「ごめんなさい」と言った。それ
さったことが、私自身が自分に優しくなっていった
理由のひとつなのではないか、と思う。
は、とてもさりげなく、重すぎず、軽すぎない言葉
8回のセッションを通して、自分がどのような側
だった。TL が責任を持ってそこにいてくださるの
面を持っているかを知り、いろいろな側面を持つ自
だなぁと感じ、とても嬉しかった。私もそうありた
分自身を愛おしく感じるようになり、仕事をしてい
いと思う。
く上でも、その他の生活の中でも、随分楽に生きら
れるようになったと思う。
■≪個人として≫
!.考
1)自分の感覚を大切にするようになった
察
10月にふと出かけた美術展で、作品の前にいる自
分の感覚に注意を向けてみると、これまでに経験し
多層的な関係としてのフェルトセンスと「逆転移」
たことのない感動を味わった。一目見た時はあまり
第1回面接からフェルトセンスに触れることの特
好きでない色合いだと感じた作品も、その前にいる
徴を表すような展開がみられた。それは、クライエ
自分はとても居心地が良かった。また木彫の作品の
ントとのプレイセラピーのフェルトセンスについて
前では包み込まれたような感じで暖かさを味わえ
触れていくと、クライエントのみならず、TF が担
た。それまでとは違う、作品の味わい方を経験し、
当していない、クライエントの母親に対して感じら
驚いた。とても満ち足りた、豊かな気分だった。
れていることが浮かんできた。また、母親担当セラ
2)からだの感じを大切にするようになった
ピストとの関係のあり方の問題点も浮かんできた。
仕事に行く前に、どうにもこうにも、しんどくて
さらに、クライエント―クライエントの母親、TF
― 9 ―
心理相談研究
第7号
―親担当セラピストといった2つの関係が重なり合
後半にも暗示されているようにも思える。面接過程
うように体験されていることがわかってきた。この
が終盤に入る第7回では、TF はクライエントとの
ことから、フェルトセンスについて3つの観察をす
「別れ」について取り上げはじめている。TL はこの
ることができる。
点について触れていないが、クライエントとの「別
れ」と TL との「別れ」が重層している可能性があ
1)フェルトセンスの全体性
るかもしれない。これについては、TF と確認して
TF がセッション#1∼2の感想に紹介している
ように、フェルトセンスは全体として感じられる。
いないので、TL の想像としておくことにしよう。
3)「逆転移」について
概念世界ではクライエントとのプレイセラピーと母
TF はセッション#2で、上記のフェルトセンス
親の面接は別のものかもしれない、あるいはケース
の多層的な関係を「逆転移」と表現し、それがまだ
記録では1回のプレイの記述しかない。しかし感じ
「自分の言葉になっていない」ことを述べている。
られるフェルトセンスの世界は常に全体性をもって
事実、「逆転移」という言葉は広く使われるように
いる。従って、クライエントのみならず、ケースを
なってきて、どのような意味で「逆転移」なのかを
取り巻く治療状況の全体が感じられるのである。そ
記述しなければならないほどである。厳密な意味で
の意味では、ここでクライエントの母親や母親担当
は、「転移」や「逆転移」には次の2つの特徴があ
セラピストが連想されて当然なのである。通常の
るだろう。それらは、
「幼少期の対象」が関係して
スーパーバイスでは1回の面接記録をもとに行わ
いること、より早期の関係が基盤となり、それが現
れ、その方が臨床指導としては適切な面があるが、
在の関係と重なっているという「時間の順序」であ
セラピスト・フォーカシングはフェルトセンスの全
る。セッション#1と#2では、クライエントとク
体性とかかわるため、ケースをめぐる様々な側面が
ライエントの母親!TF と母親担当セラピストという
言い表されてくる。
2層の重なりがみられた。TL の中では、さらに、TF
2)フェルトセンスは多層的な関係
と TF の母親という3つ目の層があるのではない
セラピスト・フォーカシングを別の形態で実施し
か、と連想したが、これについては TL 側からは持
た研究(池見他 2
006)でも、フェルトセンスは多
ち出していない。いくら精神分析が好きなセラピス
層的な関係であることが見いだされており、このこ
トでも、第1回面接からそのような解釈を持ち出す
とはフェルトセンスやフォーカシングを特徴づける
のは早すぎるだろう。TF にはそれが感じられてい
性質であると思われる。この事例の場合は面接1と
ない、あるいはそれについて言及していないので、
2にみられるように、プレイに対するフェルトセン
3つ目の層の存在はセラピストの想像でしかない。
スは二つの重なった関係として感じられていた。そ
しかも、この想像上の3つ目の層が他の2つの層よ
れはクライエントとクライエントの母親!TF と母親
りもプライマリーであると考える根拠は何もない。
担当セラピストである。そして、クライエントとク
このような理由で、TF がセッション#1と#2で
ライエントの母親の間で起こっていることが、TF
述べている現象は、厳密な意味では逆転移とはいえ
と母親担当セラピストの間で起こっていることに
ないと考えられる。しかし、この第3の層は語られ
「再現」されていると、TF が述べている(#2)。
「再
ていないだけで、TF には感じられていた可能性は
現」という言葉が適切かどうかはわからないが、
否定できない。本論では、TF が幼少時の対象との
フェルトセンスは多層的な関係である、と言えるだ
関係を語り、それがより本質的であると語らない限
ろう。さらに、このような関係のあり方について自
り、「逆転移」という表現を避け、
「多層的な関係」
由に連想して語れるような TF!TL 関係がバックグ
という表現を使用する。
ラウンドに存在しているからこそ、このような連想
が浮かんできた、という背景の関係の層もはたらい
セラピスト・フォーカシングとスーパービジョン
ているだろう。
セラピスト・フォーカシングはスーパービジョン
ところで、同じような関係の多層性が面接過程の
とは明らかに異なる様式のセラピスト援助の方法で
―1
0―
臨床経験が浅いセラピストとのセラピスト・フォーカシング事例
ある。その大きな違いは次の一点に集約されるかも
覚であったり、根拠がないことでも、「丁寧に聞い
しれない。それは、スーパーバイザーには、ある程
てくれる」といったように、1人の人間存在として
度、クライエントに対する責任が存在しているので
妥当化され、尊重される体験である。日常では、こ
ある。スーパーバイザーは毎回の面接でのセラピス
のような姿勢で接してもらう経験が少ないだけに、
トとクライエントの関わりを見て、間違った方向に
TF がこれを特筆すべきこととして感想文に記して
進んでいないかを確認していく責任がある。そのた
いたのではないだろうか。すなわち、このような姿
め、大学院生がみているケースについては、スー
勢で目の前にいるリスナーがかかわる感覚は、クラ
パーバイザーにお願いすることになっている。
イエント体験をした者にしかわからないのかもしれ
しかし、セラピスト・フォーカシングはスーパー
な い。TL が ク ラ イ エ ン ト 中 心・体 験 過 程 学 派
バイズにはならない。
(もちろん、スーパーバイズ
(Person-Centered!Experiential)のオリエンテーショ
という枠組みの中でフォーカシングを行うことは可
ンをもつから、それらが強く印象に残った面もある
能だが。)なぜならば、セラピスト・フォーカシン
かもしれないが、おそらく、このことは学派を超え
グで取り上げている事象はセラピストがクライエン
て、臨床心理学のテキストではわからない心理療法
トについて感じるフェルトセンスだからである。本
全般に共通する「香り」のようなものではないだろ
事例では TL は TF のフェルトセンスとかかわった
うか。
が、ケースの詳細についてはほとんど何も聞いてい
さらに、全体の感想文をみて、TF がより自分自
ない。その意味では、TL はケースについての責任
身の感覚(「からだの感じ」)に開かれてきたことが
を負うことができない。
明確である。Rogers, C.(1961)が記述したセラピー
スーパーバイズではないにしろ、初心者セラピス
を受けた人の成長的体験の特徴のである「経験に開
トが困っていることについては、具体的な助言が必
かれること」(openness to experience)や自分の有
要である。それらは、第3回面接と第4回面接にみ
機体的感覚(organismic
られるが、臨床の先輩としてセラピストに与える指
そのものといった感想文である。
sensing)を信じること、
導 的 な 助 言 で あ る。こ の よ う な こ と は、池 見 他
また、Gendlin, E.(1984)が示した比喩のように、
(2006)のように、聞き手が臨床家ではない場合、
フェルトセンスは「クライエントの中のクライエン
あるいは TF の方が臨床経験豊富な場合にはみられ
ト」で、通常は、感じていることに共感的にかかわ
ない。このようなかかわりは、TF の臨床経験が浅
ることができないクライエントが、セラピストをモ
い場合に観察されるが、上記の理由で、指導的な助
デルとして、自分のフェルトセンスに肯定的関心を
言をしたからといって「セラピスト・フォーカシン
もち、共感的にかかわれるようになる、という過程
グはスーパーバイズである」とは言えないのであ
がこの面接過程にも見られたのではないだろうか。
る。
TF の第5回面接の感想では、TL との関係の中で、
「怖がっている自分を受け止める」ことができたこ
クライエント体験を通して体験的にわかる心理療法
とが示されており、また全体の感想の中にある「駅
の「香り」と個人的成長
のベンチ」での下りは、このような自己受容的な関
経験の浅いセラピストの多くは、実際にクライエ
ント体験をしたことがない。いきなり、臨床の世界
係性が自己の中で成立していることを示唆してい
る。
に脚を踏み入れ、スーパーバイズは受けるものの、
全体の感想の最後にある、「自分が愛おしくなり
セラピーそのものの「香り」を味わったことがない。
…楽に生きられるようになった」という部分は、今
今回の TF も同じであった。しかし、面接第1∼2
回のセラピスト・フォーカシングが、わずか8セッ
回から、すでに、セラピーでの人間関係のあり方に
ションであっても、TF にとって、セラピーとして
ついて感想文に記している。それは、TL が TF 自身
の効果が十分あったことを言い表している。
の思考を見守る姿勢であったり、
「∼しなさい」で
はなく「提案」する姿勢であったり、尊重される感
―1
1―
心理相談研究
第7号
セラピストとしての成長
さがあったことがわかり、さらに、この怖さと距離
TL から見ると、今回のセラピスト・フォーカシ
を取ることもできた。
ングを通して、TF はセラピストとして成長したこ
このあと、トトロやジーニーが登場している。こ
とが明らかであった。それを物語っているのが、第
れらでは、セラピストが自分の気持ちに気づくこと
4回面接に登場する「キューブ」である。この発言
ができたたけではなく、イメージやファンタジーの
を聞いたとき、TL はある種の興奮を感じた。クラ
中で遊んだり、のびのびすることができたり、必要
イエントとの面接を行っているその場で、セラピス
な「強さ」を感じられたりすることができた。この
トが自分のフェルトセンスに触れることができるこ
ように、TF は自分に感じられるものに浸ってみる
とを示しているからである。この「キューブ」は TF
ことができたのである。
の感想文にも登場していることがみて、TF にもイ
ンパクトがあったのではないだろうか。
さて、一般的に、このような展開は「退行的」と
言えるかもしれない。あるいは、それらは「自我の
「キューブ」についてさらに考察を進めると、そ
ための退行」と考えることもできるかもしれない。
れは池見他(2006)に報告されているフェルトセン
しかし、フロイトがファンタジーの方が原始的で、
ス の 性 質 を あ ら わ し て い る。す な わ ち、こ の
幼稚であり、論理的な推論の方がより成熟した思考
「キューブ」は誰のフェルトセンスなのか、という
様式であるから、幼稚的ファンタジーに戻るという
問いである。池見他(2006)に登場する「恐れ」が
意味で「退行的」である、とした考え方にはいささ
そうであったように、それはセラピストに感じられ
か疑問が残る。なぜならば、フェルトセンスに触れ
ているが、実はクライエント自身が感じている感覚
たり、そこからイメージやファンタジーを展開する
である可能性がある。上記に考察したように、フェ
ことは、論理とは異なった優れた思考様式である、
ルトセンスは常に全体であり、たとえば日本語の
と見ることができるからである。ここで、TF が求
「場の雰囲気」という表現にあるように、感じられ
めている「強さ」は論理的に推論し、定義できるも
る感覚は個人の枠を超えている可能性がある。西洋
のではなく、感覚的に「ジーニー」のようなもので
哲学は往々にして、世界が個別の特定できる実体か
ある、という発想は了解可能であるばかりでなく、
ら成り立っていることを前提しており、「私」と「あ
「ジーニーのおなかの上でセラピーをしている」TF
なた」はそもそも別個の存在であると前提してい
には、ある種のたくましささえ、感じられるのであ
る。そのため、私の中に感じられる感覚は本質的に
る。これには、求められている「強さ」の質と方向
「私の」であり、それを「あなた」に「投影」して
性が暗に示されている、と TL は受け止めていた。
いるか、反対に「取り入れ」ているか、あるいは、
「あなた」への「私」の反応であると仮定している。
また、トトロやジーニーが何を表しているのか、
といった象徴的な意味について、TF 自身が、ジー
しかし、日本語の「場の雰囲気」にある「雰囲気」
ニーのフェルトセンスを味わいながら、いろいろな
は「私の」とも「あなたの」とも言えず、場にいる
概念(たとえば、ジーニーは「男性」であることの
者 に よ っ て 共 有 さ れ て い る。同 じ よ う に、こ の
意味など)と照合しながら、時間をかけて感じ取っ
「キ ュ ー ブ」は TF の「反 応」で も「逆 転 移」で も
ていくだろうと TL には思えた。事実、TF は、その
「投影的同一視」でもなく、クライエントとセラピ
ような試みを行っていたことが感想文からうかがえ
ストが場において共有している実存の様式である可
る。
能性がある。
このように、セラピスト自身がクライエントとの
さらに、第5回面接では、面接中に気がついてい
関係の中で本当は何を感じているのかを明らかにし
なかった「怖さ」に気づくことができた。面接中、
たり、フェルトセンスに触れたり、そこからファン
セラピストは、往々にして、「怖がってはいけない」
タジーを展開したり、体験的な距離を調整したりす
といった自己規制があるため、「怖い」という気持
ることができることは、セラピストとしての成長体
ちに気づかないことが多い。
(「否認」されている、
験につながるものであると思われた。
とまでは言えないが.
..)しかし、この面接で、怖
―1
2―
臨床経験が浅いセラピストとのセラピスト・フォーカシング事例
ness” In R. L. Levant & J. M. Shlien(Eds.)
, Client-
!.結
centered therapy and the person-centered approach.
論
New directions in theory, research and practice, pp.7
6―
上記のように、セラピスト・フォーカシングを経
1
0
7. New York: Praeger.
Ikemi, A.
(2
0
0
5)
: Carl Rogers and Eugene Gendlin on the
験の浅いセラピストと行うことは、セラピストの個
Bodily Felt Sense: What They Share and Where They
人的な成長やセラピストとしての成長につながるも
Differ. Person-Centered & Experiential Psychotherapies
のと考えられ、この設定でのセラピスト・フォーカ
2.
4:(1)
3
1―4
シングはトレーニング・セラピーとして有効である
池 見 陽、矢 野 キ エ、辰 巳 朋 子、三 宅 麻 希、中 垣 美 知 代
と考えられる。それはスーパーバイズとは異なった
(2
0
0
6)
:「ケース理解のためのセラピスト・フォーカ
シング:あるセッション記録からの考察」神戸女学
意味のセラピスト援助であると思われた。また、こ
院大学人間科学研究科紀要「ヒューマンサイエンス」
の事例を詳細に検討することによって、フォーカシ
ングあるいはフェルトセンスの性質を言い表す側面
第9号(印刷中)
。
吉良安之(2
0
0
2)
:「フォーカシングを用いたセラピスト
もあり、基本的な概念を、事例を通して検討する機
自身の体験の吟味:「セラピストフォーカシング法」
会となった。さらに、TF の感想を通して、フォー
カシングの面接を受ける体験とはどのようなもの
の検討」『心理臨床学研究』2
0
(2)
:
9
7−1
0
7.
吉良安之(2
0
0
5)
:「セラピスト・フォーカシング」伊藤
義美編著『フォーカシングの展開』ナカニシヤ出版
か、それによってどのような個人的な変化が生じる
のかをみることができた。今後、このようなセラピ
4
9―6
1.
Rogers, C.(1
9
6
1)
: “What it means to become a person”, in
スト・フォーカシングが多くのセラピストに対して
On Becoming a Person, Houghton-Mifflin, Boston.
援助的に用いられることを望んで、本論の結語とし
たい。
付
参考文献
記
本研究の一部は、平成16年度科学研究費補助金
Gendlin, E.(1
9
9
6)
: Focusing-Oriented Psychotherapy. Guilford Press, New York.
Gendlin, E. (1
9
8
4)
: “The client’s client: the edge of aware-
萌芽研究「セラピストフォーカシング法の開発に関
する研究」(代表
―1
3―
吉良安之)を利用して行った。
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