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第30回報告書

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第30回報告書
第 30 回
日中学生会議
開催報告書
【後援】 日本国外務省
日本国文部科学省
【助成】
財団法人平和中島財団
【協賛】
株式会社資生堂
【協力】
日本国駐中華人民共和国大使館
財団法人双日国際交流財団
財団法人三菱 UFJ 国際財団
アサヒビール株式会社
社団法人日本中国友好協会
[テキストを入力]
中華人民共和国駐日本国大使館
在広州日本国総領事館
社団法人日本外交協会
財団法人日中友好会館
社団法人日中協会
目次
1章
日中学生会議について
1.日中学生会議説明
2.日本側実行委員あいさつ
3.北京側実行委員あいさつ
4.広州側実行委員あいさつ
5.顧問あいさつ 天児 慧
6.顧問あいさつ 上田貴子
7.財団あいさつ
8.参加者一覧
2章
開催内容
顔合わせ合宿
直前合宿
本会議
3章
4章
分科会
本会議を終えて
報告会
5章
感想
その他の活動
関東日中ハウス
関西日中ハウス×2
ふれあいの場
勉強会
訪日団
6章
アンケート
お世話になった方々へ
第 30 回日中学生会議
1
1章
日中学生会議について
1.日中学生会議説明
■日中学生会議とは
■沿革
1986 年に設立された非営利かつ政治的・宗教的
日中学生会議は、外務省・(社)日本外交協会共
に中立な学生団体です。毎年中国と日本両国の学生
によって企画運営され、日本と中国を舞台に開催さ
れています。様々なテーマでディスカッションを行
う分科会活動をメインに、官庁等を訪れるフィール
催の全国学生国際問題討論会「ザ・フォーラム」の
入選者により発案され、その後、日中関係に関心の
ある日本人学生有志が 1986 年に実行委員会を設立
したのが始まりです。以来、外務省、日本外交協会、
ドワーク、両国の文化体験、市内観光など様々なイ
ベントからなっています。学生という立場を生かし
た率直な討論や交流活動等を通じて、日中友好を実
中国政府その他の各界からのご支援をいただき、
1987 年夏、中国・北京において第一回日中学生会議
を開催することができました。そして、今日まで毎
現させることを目的としています。
年実行委員が为体となって、中国および日本での開
催を企画運営しています。
■理念「日中友好へ、学生の挑戦」
“日中友好”とは、お互いの国、国民に対して好印
■第 30 回開催について
象を抱いていることであり、人と人との交流が活発
なことです。さらに、国際社会で両国が協力し合う
ことです。
第 30 回日中学生会議は 2011 年 8 月に 2 週間半に
わたって、大阪、山梨、東京の 3 都市で開催しまし
た。今年度は、第 30 回目を迎える年ということも
“学生の挑戦”とは、日中友好を願うチャネルとし
て、限りない可能性をもつ学生のレベルからの積極
的かつ情熱的な試みです。
あり、例年よりも大規模開催とすること、また中国
の方々に首都東京だけでなく、大阪、山梨など様々
な日本の姿を見ていただきたいという思いから実現
したものです。
また分科会活動を含む事前準備では、事前勉強を
増やすために 6 月を分科会の集中準備月間とし、中
■目的
・日中両国の相互理解を促し、相互に協力して国際
社会に貢献できる関係を増進させる。
その他説明で後述される Host Buddy システムの
・未来を見据えた新たな提案を社会に発信していく。
・自らの判断で日中関係を捉えることのできる、広
く国際的な視野を身に付けた人材を輩出する。
・日中間の交流活動や日中友好に貢献する活動を支
援する。
第 30 回日中学生会議
国に関する知識を補充するための勉強会を開催しま
した。
2
導入や、中国連絡の徹底化にも取り組みました。そ
して長年の課題である OBOG 組織の強化についても、
本会議中での交流や、名簿の整理等に取り組み、第
31 回へと引き継ぎました。
■分科会について
日本人学生 1 人に対して中国人学生 1 人がつくと
いうシステムです。中国に渡航する以前から自分の
日中学生会議では分科会という制度を取っていま
す。分科会はテーマごとに学生をいくつかのグルー
プに分けて議論の内容をより深いものにすることを
目的としています。日中学生会議では例年様々なテ
パートナーと連絡を取り合い、短い期間で中国の学
生とより仲良くなるということ、また、分科会以外
の学生と組むことによって、より幅広く友人をつく
ることを目的としています。特に東京開催において、
ーマの分科会をつくり、議論を行ってきました。第
30 回日中学生会議第 12 回日本開催では 7 つの分科
会がつくられました。7 つの分科会とは、
横浜での花火大会では、ペアを組んだ学生と観賞し
てもらいました。このシステムを取ったことにより
中国の学生との仲をより深めることができました。
・外交分科会
・教育分科会~将来を担う人材育成~
■中国連絡の徹底化
・環境分科会~地球のなおしかた~
第 30 回開催では中国側実行委員との連絡を密にす
ることで、ともに本会議を作りあげることを目標と
・ビジネス分科会~ビジネスによる社会的課題解決
の可能性~
・社会分科会~格差脱出・平等な社会の構築へ~
しました。そこで、前年度の 11 月ごろより週 1 回
のスカイプミーティングで北京と広州それぞれお互
いの進捗状況などを報告し合うなどしました。週 1
回のスカイプミーティングを徹底化することで、中
国側との連絡が円滑に行われ、日程の決定をはじめ
とし分科会の決定まで双方で話し合う事が出来まし
た。両国実行委員の信頼関係の構築にもつながり、
・伝統分科会~伝統文化の新しいあり方~
・移民分科会
です。本会議の目玉である大阪・東京の 2 都市では
共に 1 週間の滞在をしましたが滞在中の約半分が分
科会ディスカッションや分科会 FW をする時間でし
た。今回の分科会は日本の学生 5~6 名(実行委員 1
~2 名+参加者 4 名)に対し、中国の学生 5 名で構
成されました。
本会議成功にもつながりました。
■東日本大震災
2011 年 3 月 11 日、東日本大震災が起こりました。
その影響で津波が発生し、原子力事故が引き起こさ
れ、東北から関東地域にかけて未曽有の災害に見舞
われました。世界中を震撼させる事態となり、被害
は深刻で収拾のめどがつかない状況でした。その頃、
私たちは本会議の準備真只中でした。中国側は日本
の被害の大きさと深刻さから日本への来訪が懸念さ
れ、本会議の開催が危ぶまれました。しかし、日本
側の度重なる説得によって今回の会議は開催にこぎ
つくことができました。このようなアクシデントを
乗り越えることにより私たちはより結束し、改めて
仲間との絆を強めることができました。
■Host Buddy システムについて
第 30 回日中学生会議
3
2.日本側実行委員あいさつ
日本側実行委員長
鹿城宏一郎
記念すべき第 30 回開催を記録した日中学生会議は、今までの 29 回には前例をみないスキームでの日本開催を
達成しました。第 30 回日中学生会議第 12 回日本開催を無事やり切り、この場を皆さまと共にできることを、心
よりうれしく思います。
第 30 回開催を迎えた日中学生会議は 29 回開催とは違い、すでに積み重なっているものがありました。それは、
日中双方における信頼関係です。3 月に起こった東北関東大震災の際には、何度もくじけそうになりました。そ
れでも計画通り開催することが出来ました。昨年度知り合うことが出来た素敵な中国の友人達がいなければ実現
しなかったと思います。
今年度は常に色々なハプニングが起こり、多くの場面においてまだまだやり残したことがあります。しかし、
それは僕たちの願いを引き継いでくれる来期の実行委員に託し、僕たちはこの報告書を持って日中学生会議を引
退したいと思います。
さて本年の実行委員会活動は、『共に飛躍するとき~過去と現在の克朋から未来の選択へ~』というテーマを
掲げ、1 年間邁進してまいりました。
昨年度の問題意識のうちの 1 つとして、日中双方の関わり方の違いが挙げられます。せっかくの「日中」学生
会議であるのにも関わらず、どちらか一方の負担が多くなってしまっているのが現状でした。学生である僕たち
には今何が出来るのだろうかということも深く考えさせられました。今、この瞬間をともに過ごす意味は何であ
るのか、と。
また、この活動を通してもう 1 つ感じたことがあります。それは日中学生会議のタテやヨコのつながりです。
将来日中学生会議を通して知り合った仲間たちが築き上げる「日中網」が社会へ何かしらのインパクトを残して
くれると期待します。
最後に、29 回開催に参加してくれた日中両国の学生、多大なお力を貸していただけた OBOG の皆様、ご協賛い
ただけました財団や企業の方々、この一年間共に日中学生会議へ溢れんばかりの情熱を捧げてくれた第 30 回実
行委員の皆と中国側実行委員、参加してくれた第 30 回メンバー、関係者の方々皆様に感謝の意を表したいと思
います。
2011 年夏の記憶は一生忘れることのないモノとなりました。大学生の 1 年間を捧げた第 30 回日中学生会議は
僕にとって何にも代え難い宝物です。今後はこの経験を人生の糧として、自らに更に磨きをかけ、いつの日かこ
こで出会った仲間と最高の笑顔で再会することを楽しみにしています。そんな夢を胸に抱きつつ、挨拶を締めく
くりたいと思います。
ありがとうございました。
第 30 回日中学生会議
4
3.北京側実行委員長あいさつ
北京側実行委員長 孟繁林
4 つの都市、7 つの分科会、15 の昼夜。第 30 回日中学生会議は日中双方、75 名の参加者の努力のもとでその幕
を閉じることができました。この場を借りて、今年の日中学生会議の成功に支援を寄せてくださった財団や大学、
フィールドワーク先、日中双方の委員及びすべての参加者に御礼を申し上げたいと思います。一人ひとりの理解
や支持が、今年の会議の成功をもたらしてくれたのだと思います。
この十五日間の間で、分科会の議論やフィールドワーク、文化交流、観光などのさまざまな形の充実した活動を
通して、また参加者同士の心のそこからの交流を通じて、中国側参加者は日本に対して多くの面から理解を深め、
そして日本側参加者も中国側学生との討論と生活を通して、中国の若い世代の本当の考え方を理解できました。
議論における分岐は避けられないものではありますが、それでも双方が平等な立場で交流し、双方の間に存在す
る相違点に関して相手の立場にたとうと努力してきたと思います。
今年の OBOG 会において、多くの 28、29 回の参加者と再会することが出来ました。彼らの多くはすでに社会人と
なり、自分のキャリアを歩み始めています。日本企業に就職した中国学生もいれば、日中両国間の貿易業務に従
事する日本学生もいます。日中学生会議は両国学生の相互交流のプラットフォームだけではなく、更に多くの参
加者の人生をも変えるものであると言えるのではないでしょうか。
瞬く間に、日中学生会議は 30 回に渡る道のりを歩んできました。その間に両国の関係は迅速な発展を遂げて参
りましたが、しかし両国国民の相互理解はさまざまな原因によってまだ相当限られたものであります。日中学生
会議というプラットフォームは 10 日間あまりの会議に限ったものではなく、更に日常化、制度化した交流シス
テムとなり、また会議の参加者に限定せず、もっと広く両国関係に関心を持ち、相手の国や社会を理解したと思
うすべての学生まで広がっていければと思います。そして同時にこれは 30 回の歩みを終えた日中学生会議がこ
れから直面していく新しい目標であり、チャレンジであると思います。
最後に、第 30 回日中学生会議の参加者がお互いの友情を大切にし、遠くない将来でまた再会できることを心よ
り願っております。
第 30 回日中学生会議
5
4.広州側実行委員長あいさつ
広州側実行委員長・忚婧超
今年の会議は両国学生の笑顔と涙の中で幕を下ろされましたが、両国参加者の間の絆はまだまだ続いています。
例えば、日中学生会議の後、ボランティア教師として中国にきた日本側参加者がいましたが、広州側は全員喜ん
で各学校から集まりました。会議を通してできた個人的な深い友情はそれぞれの心に根付き、今後ひとりひとり
が日中間の友好使者になることによって、民間から日中関係を促進することができると思います。
今年 3 月に日本は大震災に見舞われ、会議も大きな障害と挑戦に直面していましたが、お互いに交流し、理解
したいという強い気持ちを持っていたおかげで、今回の会議を予定通り開くことができ、各方面からも色々お世
話になりました。この場を生かして、あらためて今回の日中学生会議に高い関心と大きな支持をいただいている
団体・企業・個人に対して、衷心より感謝の意を表させていただきたいと思います。
本会議で両国の学生は七つの分科会をめぐって討論を展開し、フィールドワークなどの現場体験を通して各課
題に実際的に深い認識を得ました。この過程で、私たちは胸のうちを語り合い、相手の考え方にびっくりしたこ
ともありましたが、そのような違いを知り、それを理解しようとする姿勢が両国の誤解が友好へと変わる始まり
であると思います。15 日間でお互いの理解と尊重を踏まえて、私たちは共通の関心を持っている問題に数多くの
合意に達し、両国青年たちの風采が現れました。
今回の会議の成果を報告書の形で保存し、代々受け継がれていくことを望んでおります。日中学生会議は 1986
年創立してからもう 25 年を経て、この 25 年に日中関係もいろいろ変遷を経験してきました。しかし、例え日中
関係が最も緊張している時だとしても両国の青年たちが交流する足どりは止まっていませんでした。このことを
考えると、私は感動してたまりません。それに、どんな困難にあっても元気いっぱいで乗り越えられる気がしま
す。今年実行委員会はわざわざ先輩の方々を本会議に招いて OBOG 会を開催してくれました。将来ももっと多く
の先輩方に会議にお越しいただいて、当時の経歴を後継者に分かち合い、会議の精神を絶えず伝承し続けること
を望んでいます。
これから私たちは日中友好のために引き続き頑張っていきます。日中学生会議の成長と発展に皆様のご支援と見
守りをよろしくお願いします。ありがとうございました!
第 30 回日中学生会議
6
5.顧問あいさつ
早稲田大学教授 ・ 現代中国研究所長
天児
慧
『新しい歴史段階を迎えた日中関係と若者の役割』
第 30 期の日中学生会議実行委員会の皆さん、まずは日本開催をはじめ数々のイベントの成功を心より祝しま
す。また、勉強会、交流会をはじめさまざまな企画を通して、中国理解を深め、 また欠けがいのない人間関係
をつくってきたことを嬉しく思います。
考えて見れば 2011 年は、 日中関係にとって極めて意味深い 1 年だったと思います。2010 年 9 月の尖閣諸島
近海での中国漁船の海上保安庁巡航船への衝突事件、 10 月の中国内陸各都市での 「 反日暴動」などが発生し、
日本人の対日感情が大きく悪化しました。日本人の対中国感情は悪化の一途をたどり、昨年末の内閣府世論調査
でも、7 割を超える人々は中国に親近感を感じないという状況になってしまいました。この傾向は今日でも続い
ていると思います。
さらに 40 年余り世界第 2 位の GDP を誇っていた日本経済が、2010 年についに中国に越されることとなり、そ
の勢いから見ても国際的なプレゼンスは完全に中国有利の状況となっています。鳩山政権から菅政権へ、さらに
は野田政権へと目まぐるしく変わる日本政治、さらには 3 月に起こった東日本大震災、大津波による未曾有の大
被害と原子力発電所の大打撃によって、日本経済は深刻化しました。多くの海外からの支援を必要としている中
で、中国の官民の災害支援は、対中不信のせいか今一つ大きなインパクトを生み出すことができず、米国の「ト
モダチ作戦」のパフォーマンスに押される印象は否定できませんでした。
しかし、日中間の経済・社会での相互依存的関係は、こうした障害にも関わらず着実に深まっており、政治・感
情面での悪化と合わせると、ある意味では 「 ねじれた関係 」が進んでいるわけで、健全な日中関係の再構築が
真剣に問われる段階になっております。こうした中で、日中の若者同士がこういった現実を直視し、本当に相互
信頼を回復し、相互理解を深め、健全な日中関係を創造するにはどうしたら良いのかを直接に語り合い、 議論
し合うことは今まで以上の意義深いことであります。
日中学生会議は長きにわたってこうした試みを継続し推進してきた極めて重要な学生組織ですが、日本開催や中
国開催のみならず日々の日常的な実行委員会活動の中でもさまざまなイベント、 メールなどを大いに活用し中
国側との交流を進め相手側との冷静で積極的な意見交換のもとに相互の理解しあい信頼し合った関係を構築でき
るように、 頑張ってほしいと思います。
相互の良い面をしっかりと認識し、相互の欠陥を補いあい、本音で語り合える、 共通の利益・価値を持ちあえ
るしっかりした若者の関係を構築しよう!
第 30 回日中学生会議
7
近畿大学文芸学部准教授
上田
貴子
つながること
第 30 期日中学生会議のみなさん、無事の開催おめでとうございます。そして開催にご尽力くださったみなさま、
ありがとうございました。
今期の日中学生会議は、関西で本会議を開くことができました。関西での活動を中心にかかわってきた私として
は、大変感慨深い思いです。2 年前から関西にも事務局を置こうということで、28 期の押川唯さんが中心になり
関西で参加者を集めるようになりました。この 30 期では、27 期 28 期のメンバーが播いた種が、29 期 30 期と続
くなかで芽を出して、関西での本会議が開催できた点は大きな一歩だと思います。これも、関東のメンバーそし
て、OB の皆さんが支援してくださったおかげです。
関西での活動を例にとりましたが、関西にとどまらず、日中学生会議の本会議出席者以外にも、本会議に通訳ボ
ランティアで入ってくださった方々、広報ビラをまいてくださった方々、講演やフィールドワークにご協力くだ
さった方々、日中ハウスなどいろいろな行事に参加してくださった方々がありました。日本だけでも数え切れな
い皆様に支えられてここまで参りました。おそらく中国でも同様にたくさんの方々のご支援があったことと思い
ます。
一つの学校に留まらずメンバーを集めて行うこのような国際活動は、地域や国境、立場を越えて多くの方々と
つながっていることを実感できる活動だと思います。図らずも、今年は東日本大震災によって、日本中、世界中
がいい意味でも悪い意味でもつながっていることが実感された年でした。東大阪では震度3弱でしたが、地震の
揺れに見舞われた時は、関西の実行委員と打ち合わせをしているさなかでした。あの震災によって我々はつなが
りへの意識を揺り起こされたのだと思います。
国家が違うと利害が対立するという感覚ではなく、言語や文化をはじめとした背景の違う人が隣にいて、その
人ともつながっているという感覚を「体会」できる機会が日中学生会議の魅力のひとつだと思います。
日中学生会議を通じてできたつながりが、みなさんにとって大きな実りをもたらすことを願っております。
第 30 回日中学生会議
8
8、財団あいさつ
日中文化交流財団
三木友里
30 期の皆様、本会議開催お疲れ様でした。日中学生会議設立当初は日本の東京大学と中国の北京大学2校の大
学生・大学院生の交流から始まり、20数年の時を経て日中両国にまつわる環境の変化と共に学生会議交流も広
がり、深まりも増し、本会議日本側参加校は関東より[慶應義塾大学・国際基督教大学・駒沢大学・埼玉県立大
学・上智大学・中央大学・筑波大学・東京音楽大学・東京工業大学・東京大学・一橋大学・早稲田大学 ]関西
より[ 大阪大学・大阪大学大学院・京都大学・同志社女子大学・同志社大学・三重大学・立命館大学 ]に、ご
参加いただき、中国側参加校は華北より[ 北京大学・清華大学・中国人民大学・対外経済貿易大学・外交学
院・国際関係学院・中国伝媒大学 ]華南より[ 中山大学・広東外語外貿大学・華南師範大学・広東薬学院・五
邑大学 ]に、ご参加いただきました。
大海を越え、大きな希望を胸に小さな島国で出会えた皆様は、一期一会に日中領国とも東西・華南北と幅広い
地域交流により、議論や日常会話から生まれる絆をそれぞれのコミュニケーションツールを経てつなぎ合わせ、
互いに価値観を交え共有し、心の変化・成長を骨身に感じられたことでしょう。そして本会議に至っては日米学
生会議との交流も成し得、未来へ大きな一歩を踏み出しました。ひとつ、またひとつと積み上げられていく皆様
の成果と成長を心から誇りに思い、とても喜ばしく思っております。
また、今年の3月11日に起きた東北大震災の影響により開催の危ぶまれた本会議ではありますが、歴代の先
輩たちの築き上げた成果と、日中両国 30 期実行委員の皆様の並々ならぬ努力によって困難を乗り越え切り開か
れた新しい道は、次期参加者・後輩たちへと確かに受け継がれて行く事でしょう。
しかし、日中学生会議の希望あふれる喜ばしい発展を見る一方、抱える悩みもございます。それは、日中双方
とも参加希望者の急増する中、できれば全ての参加希望者の方々を迎えてあげたいという悩み。現実問題として
全員を迎えられるべく宿泊施設、交流・会議の場の確保など様々な問題を抱え、大勢の参加希望者の中から一部
の方だけを迎える結果となり、大多数の方を割愛することとなりました。心苦しくもこの場を借りて、このたび
参加することのできなかった皆様へ心よりお詫び申し上げます。これから全ての参加希望者を迎えられる事を課
題として、また交流範囲においても今年の日米中よりも更に広く、それぞれの国との言語・風土・文化等の勉強
や交流を通じて、よりグローバルに社会貢献のできる交流をしていけるよう努力して参りたいと思っております。
末筆になりましたが、第 30 回日中学生会議が無事に開催を迎え終えられたことを支えて下さいました日中両
国のたくさんの機関・団体・すべての人々へ心から御礼を申し上げますと共に、日中学生会議の歴史と共に成長
していく事を皆様への恩返しと思い、来期 31 期メンバーの日中学生会議開催成功に向け、全員一丸となり精進
していく所存でございます。そして、来年の中国においての日中学生会議OB・OG会設立を心よりお祝い申し
上げます。
30 期の皆様、本当にお疲れ様でした。
第 30 回日中学生会議
9
9.参加者一覧
日本側実行委員
役職
名前
分科会
大学・学部学科・学年
実行委員長
鹿城 宏一郎
慶應義塾大学 商学部 商学科 3 年
副実行委員長
井上 俊吾
早稲田大学 基幹理工学部 情報理工学科
関西代表
関口 大樹
ビジネス
立命館大学 法学部 法学科 4 年
財務
牧 英里子
教育
中央大学 総合政策学部 政策科学科 3 年
渉外
木下 美佳子
環境
中央大学 商学部 商業貿易学科 2 年
広報
赤松 希実子
伝統文化
立命館大学 国際関係学部 国際関係学科 4 年
広報
宮房 春佳
外交
一橋大学 法学部 2 年
総務
武井 紀文
外交
東京大学 法学部 3 年
総務
黄 昏
社会
大阪大学大学院 法学研究科 1 年
総務
李 婧怡
移民
東京大学
教養学部 地域化研究科アジア分科 3
年
日本側参加者
名前
分科会
大学・学部・学年
加藤静香
外交
中央大学
塚原明日香
外交
慶應義塾大学
辻部和真
外交
立命館大学
橋岡修平
外交
慶應義塾大学
第 30 回日中学生会議
文学部
10
人文社会学科
法学部
政策科学部
法学部
法律学科
2年
2年
政策科学科
政治学科
3年
2年
4年
石井理央
教育
同志社大学
1年
坂東慶伍
教育
国際基督大学
教養学部
星野雄三
教育
埼玉県立大学
保健医療福祉学部
二宮詩織
教育
早稲田大学
楠麻祐子
環境
三重大学
人文学部
酒井花純
環境
筑波大学
社会・国際学部
白石智寛
環境
東京大学
教養学部
文科1類
林宏煕
環境
東京大学
理科一類
2年
石原なつみ
ビジネス
同志社女子大学
池谷明彦
ビジネス
東京大学
鈴木あい
ビジネス
慶忚義塾大学
環境情報学科
深野莉帄
ビジネス
東京工業大学
工学部
入舩勇人
社会
大阪大学
法学部
法学科
梶川舞
社会
上智大学
法学部
3年
原朊弘
社会
筑波大学
社会・国際学部
福井環
社会
立命館大学
文学部
大鳥萌香
伝統文化
立命館大学
国際関係学部
福島英峰
伝統文化
早稲田大学
法学部
第 30 回日中学生会議
グローバル・コミュニケーション学部
教育学部
健康開学学科
教育学科
4年
3年
国際総合学科 3 年
1年
現代社会学部
社会システム学科
2年
環境情報学科 3 年
社会工学科
3年
2年
国際総合学類
総合プログラム
2年
2年
2年
法律経済学科
文化二類
11
アーツサイエンス学科
中国語コース
2年
3年
国際関係学科
3年
2年
佐藤大
伝統文化
慶忚義塾大学
法学部
政治学科
陶旭茹
伝統文化
東京音楽大学
音楽学部
臼井貴紀
移民
早稲田大学
シェイクサキナ
移民
駒沢大学
ィア学科
グローバルメディアスタディーズ学部
3
年
高橋佑吉
移民
京都大学
経済学部
若狭拓弥
移民
東京大学
文学部
教育学部
3年
音楽学科
教育学科
3年
教育学専修
経済経営学科
中国文学科
2年
グローバルメデ
2年
3年
北京側実行委員
役職
名前
実行委員長
孟繁林
分科会
大学・学部学科・学年
対外経済貿易大学
日本語学部
北京側参加者
名前
分科会
大学・学部・学年
赵迁丰
外交
国際関係学院
马啸驰
外交
外交学院
孔倩男
教育
中国伝媒大学
邸韵
教育
対外経済貿易大学
李莎
環境
中国人民大学
张辽
環境
対外経済貿易大学
第 30 回日中学生会議
12
日本語学部
国際法学部
3年
2年
日本語学部
3年
日本語学部
公共事业管理学部
日本語学部
1年
2年
2年
3年
梁昊亮
環境
対外経済貿易大学
海关管理学部
恒欢
ビジネス
中国人民大学
东阳
ビジネス
対外経済貿易大学
李文馨
ビジネス
北京大学
陈琦飞
社会
国際関係学院
王怡宁
社会
対外経済貿易大学
尹璐
伝統文化
清華大学
海晨
伝統文化
対外経済貿易大学
日本語学部
1年
关昕
伝統文化
対外経済貿易大学
日本語学部
2年
夏天
移民
対外経済貿易大学
日本語学部
3年
吴婧
移民
外交学院
金融学部
4年
日本語学部
経済学部
2年
2年
2年
日本語学部
3年
金融学部
建築学部
2年
M1 年
日本語学部
2年
広州側実行委員
役職
名前
実行委員長
应婧超
分科会
大学・学部学科・学年
広東外語外貿大学
日本語学部
広州側参加者
名前
分科会
大学・学部・学年
舒亦庭
外交
広東外語外貿大学
第 30 回日中学生会議
13
日本語学部
3年
3年
林姬姬
外交
中山大学
李仲涛
教育
広東外語外貿大学
冯韵怡
教育
広東薬学院
关瑞
教育
中山大学
林泽新
環境
広東外語外貿大学
日本語学部
3年
曾晓璇
環境
広東外語外貿大学
日本語学部
3年
张菁
ビジネス
広東外語外貿大学
日本語学部
3年
麦健君
ビジネス
広東外語外貿大学
金融学部
杜键菁
社会
広東外語外貿大学
日本語学部
2年
侯玫平
社会
広東外語外貿大学
日本語学部
2年
罗梦琳
社会
広東外語外貿大学
国際経済学部
徐绿
伝統文化
広東外語外貿大学
日本語学部
李俊贤
伝統文化
中山大学
黄雯慧
移民
華南師範大学
梁一冇
移民
五邑大学
吴昊
移民
広東外語外貿大学
第 30 回日中学生会議
14
政治学行政学部
日本語学部
国際経済学部
経済学部
3年
2年
2年
3年
3年
3年
2年
政治と公共事務管理学部
日本語学部
会計学部
3年
2年
英語学部
2年
4年
第2章
開催内容
顔合わせ合宿
■日時:5 月 21 日(土)~22 日(日)
■場所:国立青尐年オリンピックセンター
午前
5 月 21 日
5 月 22 日
勉強会
分科会活動
午後
夜間
委員長あいさつ
自己紹介
分科会活動
OBOG 交流会
文化交流決定
フィールドワーク
(靖国神社)
打ち上げ
【概要】
初めてメンバーが顔を合わせることもあり、緊張感に包まれた顔合わせ合宿となりました。初日は、実行委員
の挨拶の後、参加者が全員の前で自己紹介をしました。自己紹介が済んだところで各分科会に分かれ、今後の
skype ミーティングやフィールドワークの日程調整、分科会での論点の抽出などを行いました。本会議で多くの
時間を過ごすこととなる分科会メンバーの初顔合わせでしたが、活発な議論が各分科会で交わされていました。
今後の中国側との論点の擦り合わせなどを話すにつれて、メンバーは夏の本会議に向けて本格的に始動し始めま
した。
初日の夜には OBOG 交流会が開催され、小規模なグループに分かれて OBOG の方に自らの日中学生会議での体験を
語って頂きました。参加者は熱心に OBOG の方の話に耳を傾けると共に、様々な質問をぶつけていました。その
後の自由時間では、夜遅くまで参加者同士が部屋で話し合い、より親交を深め合いました。
2 日目午前中の勉強会では、池上彰著『そうだったのか中国』を課題図書として参加者に事前に読んできても
らい、グループに分かれての討論を行いました。午後には、参加者全員で靖国神社へと向かい、遊就館でのフィ
ールドワークを行いました。初めて遊就館を訪れる参加者も多く、各々靖国神社の戦争観、特に日中戦争、第二
次世界大戦の説明に感じるところがあった印象を受けました。夜は顔合わせ合宿最後となる参加者一同での食事
で、顔合わせ合宿での思い出を振り返りながら夕食を楽しみました。
第 30 回日中学生会議
15
直前合宿
日時:8 月 6 日
場所:大阪市立長居ユースホステル
本会議前日、第 30 回日中学生会議の日本側
参加者が顔合わせ合宿以来、第一開催地であ
る大阪に集結しました。
ユースホステルに到着してから、簡単に直
前合宿のスケジュールを説明し、その後は文
化交流の練習を行いました。後日の本会議中
の文化交流で完璧なパフォーマンスができる
ように、練習を行いました。その後、本会議におけるそれぞれの意気込みを発表しました。本会議前日というこ
ともあり、参加者それぞれの本会議に対する熱い思いを共有しました。
夕食後は、本会議の討論に向けてそれぞれの分科会が最終準備を行いました。短い 1 日ではありましたが、本会
議への期待も膨らみ充実した 1 日となりました。
午前
8月6日
午後
夜間
文化交流練習
分科会活動
所信表明
第 30 回日中学生会議
16
本会議
◇大阪
午前
午後
夜間
8月7日
大阪国際ユースホステルへ移動
受け入れ準備
開会式
8月8日
分科会・FW
BBQ
8月9日
分科会・FW
大阪観光
8 月 10 日
分科会・FW
8 月 11 日
京都観光
8 月 12 日
分科会・FW
中間発表
山中湖へ移動
大阪は近畿の経済・文化の中心地であり、長らく日本の文化の中心地であった京都に近く、また西日本最大の都
市として発展したため、独自の文化を築いてきました。全国からあらゆる食材が集まる「天下の台所」であった
ことから、大阪では独特の食文化が栄え、「大阪の食い倒れ」という諺まで生まれました。
大阪観光の際は名産物であるたこ焼きとお好み焼きを食べ、道頓堀から心斎橋の商店街を楽しみました。
■受け入れ準備
午前大阪国際ユースホステルに着き、昼食後には文字や絵を使いそれぞれの思いが込められた横断幕の作成を
行いました。午後には北京・広州の参加者が合流することもあり、分科会のテーマの確認や中国語での自己紹介
の練習を横断幕作成と同時に行っていました。
■開会式
開会式では、日本側実行員長の挨拶を始め、北京側と広州側の実行員長の挨拶を行いました。今年は震災の影
響もあり、中国側参加者の募集時間を延長し、東京での開催を行うか中国側と長時間の Skype 会議を通して話し
合ってきました。多くの困難を伴いましたが、無事に開会式を行う事ができました。今回のことを通し、日中両
国の参加者の信頼と友情が深まりました。最後は、北京対外貿易大学の田先生によりお話をいただき、全員で集
合写真を撮りました。
第 30 回日中学生会議
17
■BBQ
分科会以外の参加者と交流を深める企画の一つとして、バーベキューを行いました。日本と中国の学生 10 人 1
グループをつくりバーベキューを楽しみました。分科会を超えた交流は今回重要視した点であり、いかにその仕
掛けを作るかが重要でした。BBQでも短い時間ながら多くの参加者が和気あいあいと楽しむことができ、交流
の幅を広げることができました。
■大阪観光
分科会ごとで大阪の中心地をまわりました。この観光は分科会のメンバー同士が純粋に仲良くなってもらうた
めに企画しました。大阪はなんといっても「食」を楽しむことができる地であり、どの分科会も短い時間の中で
楽しく時間を過ごしました。観光場所は为になんば道頓堀、心斎橋の商店街などです。この観光を境に分科会メ
ンバーの交流が親密になり、その後の分科会の討論も闊達になりました。
■京都観光
今回は分科会以外の参加者と交流を深める企画の 2 つ目として京都観光を開催しました。日本と中国の学生 6
人で 1 グループを作り、一日の京都観光を行いました。京都は清水寺、祇園、銀閣寺、京都大学など観光地が多
く、どのグループの中国人学生も非常に楽しむことができました。京都は日本ならではの寺や神社が多く、「日
本」を感じてもらうのには非常に良い観光地でした。分科会活動が中心で疲れがたまっていたこともあったので、
リラックスした有意義な時間となりました。
■中間発表
一分科会 10 分の発表時間プラス 5 分の質問忚対時間というスケジュールにそって中間発表を行いました。傍
聴者は先に配られたシートに各分科会の発表に対する意見とアドバイスを書く。中間発表では、①各分科会がこ
の 5 日間のディスカッション及びフィールドワークから得られたことをほかの分科会にシェアすること、そして
②他の分科会の発表を参考に、今後自分の分科会をより良い方向に進行させることを目的としました。
ここで一番印象的だったのは外交分科会の中間発表でした。尖閣諸島の問題、東海油田の開発という敏感な話
題を次々と発表し、その後の質問忚対時間でもかなり白熱な議論を行いました。日中の学生はこうして本音を交
わすことにより、相手の価値観を理解することができたると考えます。今後日中の将来を担う学生にとっては、
とてもいいきっかけになりました。
第 30 回日中学生会議
18
◇山梨
山梨県に位置する山中湖は、富士五湖のひとつで、
最大の面積を持っています。また、湖面の標高は
富士五湖の中では最も高い位置にあり、日本全体でも第 3 位です。
逆に水深は富士五湖の中で最も浅く、富士箱根伊豆国立公園に指定されています。
今回は、中国メンバーに青空のもと、
標高 3776mの日本最高峰である富士山をみていただき、日本の風景を楽しんでもらいたいという願いのもと、
山梨を選択しました。
残念ながら、天候に見舞われず富士山を見ることはできませんでしたが、都会から離れ、
自然の中でリフレッシュすることができました。
8 月 13 日
午前
午後
夜間
バス移動
山中湖交流プラザきららに
文化交流
て自由行動
8 月 14 日
東京へ移動
■山中湖交流プラザきらら
とてもいい天気だったので、宿泊地近くの「山中湖交流プラザきらら」へ行き、お弁当を食べました。園内は
一面芝生が広がっており、分科会を超えての交流を図ることができました。
昼食後の自由行動時間には、バスケットボールをしたり、山中湖にてボートに乗ったり、鬼ごっこをしたり、
のんびりお昼寝をしたり、ゆったりとした時を過ごしました。
■文化交流
日中両国の学生が、それぞれ事前に準備してきた目録を披露しました。中国側は、日本語劇や、民族舞踊、歌
を披露してくれました。日本側は、「モーニング娘。」「perfume」のダンス、中国語でのコント、「ちびまる
子ちゃん」の中国語劇、ピアノとギターでの弾き語りによる中国語の歌を披露しました。また最後には、日中学
生会議で歌い継がれてきた「朊友」をみんなで合唱しました。日本側は現代のポップカルチャーを披露したのに
対し、中国側は伝統文化と現代文化の両方を見せてくれたのが印象的でした。言葉が通じなくても、このような
文化交流をすることは、お互いの距離を縮める貴重な機会となりました。
第 30 回日中学生会議
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◇東京
東京は日本の首都であり、経済・政治・文化の中心地であるといえる。1300 万の人口を抱え、世界的に見てもか
なりの国際都市である。今回は関東圏における各分科会のフィールドワークのみならず、浅草や上野といった下
町の観光、横浜の花火大会など、大都会としての東京だけではなく、もっと全面的な東京、そして日本を知って
いただこうという目的のもとで開催した。
午前
午後
夜間
8 月 14 日
山梨から移動
チェックイン
OBOG 総会
8 月 15 日
分科会・FW
分科会・FW
観光グループ MTG
8 月 16 日
分科会・FW
グループ観光
8 月 17 日
分科会・FW
分科会・FW
花火大会
8 月 18 日
分科会・FW
分科会・FW
分科会・FW
8 月 19 日
分科会・FW
分科会・FW
最終発表
8 月 20 日
JASC と交流会
閉会式
自由時間
8 月 21 日
中国側帰国
日本側引き継ぎ MTG
■OBOG 総会
第 30 回の大きな目標の一つでもあった OBOG 組織の形成の一貫として、本会議開催中に OBOG 総会を行った。
準備期間が短かったにも関わらず、去年の 29 回の参加者を中心に、お忙しい中 20 年ほど前の OBOG さんまでた
くさんご参加頂きました。また、日本側のみならず、当時の中国側の参加者も駆けつけてくださいました。日中
学生会議についてだけでなく、大学生活や将来のことなど多くの OBOG の方と交流を深めることができ、本会議
がその日程を半分すぎている中、疲れを感じつつあった参加者の皆さんにとってもよいリフレッシュのチャンス
となり、その後の会議への積極性も生まれました。
第 30 回日中学生会議
20
■東京観光
分科会内だけではなく、より多くの参加者と交流できるよう、東京観光でも特別にグループ分けを行いました。
観光前日にグループでの MTG を通して当日のルートや交通手段などを決定しました。浅草や東京タワー、渋谷・
新宿といった定番の観光地から、上野公園や美術館見学まで、さまざまな場所をまわり、大都市でありながらも
緑豊かな東京を身に感じ、参加者同士も仲を深めることが出来ました。
■花火大会
中国側の参加者に日本の夏を体験してもらおうと 17 日夜に横浜で開催された花火大会に出かけました。最終
発表も近く、分科会での議論が白熱している中ではあったが、みんな夏を楽しもうとさまざまな工夫をこなしま
した。日本側参加者が中国側参加者に浴衣を着せたり、駅弁や屋台での食べ物を買ったりなど、夏の風物詩であ
る花火を存分に楽しみました。
■最終発表
中間発表での内容や東京開催における議論を踏まえて、いよいよ今回の開催の集大成としての最終発表が行われ
ました。まず最初に日中学生会議の顧問である早稲田大学の阿古先生にご挨拶をいただいたあと、各分科会の発
表に移りました。形式は中間発表と同様、各分科会 10 分間の発表に加えて 5 分間の質疑忚答時間振り分けられ
ていました。発表形式はパワーポイントを中心として、ビデオを作成して流したりと各分科会ごとに工夫が見ら
れました。中間発表のときよりも活発な質疑忚答がなされ、議論がかなり白熱した場面もあった。今回の開催の
集大成であり、各分科会ごとにさまざまな思い入れが感じられました。
■JASC との交流会
20 日の午前中に、同じく日本開催中であった日米学生会議と交流会を行いました。日本・中国・アメリカとい
う世界的にも影響力の大きい三カ国がの学生が集まり、これからの東アジア関係や安全保障、日米中関係の理想
的な姿について議論を交わしました。日中学生会議として本会議開催中に他の学生団体と共にイベントを開催す
るのは初めての試みで、運営側も参加者もかなり新鮮な気持ちで取り組むことができ、これからもぜひ引き継い
でほしいと思います。
■閉会式
第 30 回日中学生会議としての日程がすべて終了し、20 日の午後に閉会式を行った。为催でもある日中文化交
流財団からは野本理事にお越しいただき、ご挨拶を頂いた上で、資生堂からの協賛を参加者に配布しました。次
に日本・中国両側の実行委員長、そして北京側院卒の田先生がそれぞれ挨拶を兼ねて今回の会議についてのまと
めを行いました。そして、記念として参加者同士でプレゼントや手紙の交換、それぞれに写真撮影を行った。ま
た、その後に今回の開催をまとめた振り返りビデオを流し、わずか 2 週間あまりでありながら、深い絆を築いて
第 30 回日中学生会議
21
きた仲間としての関係を再認識し、感動で涙ぐむ人も多くいました。最後に第 30 回の締めくくりとして、中
国・日本側でお互いに記念品交換を行い、全体で記念撮影を行いました。
◇日米学生会議との共催交流会
2011 年 8 月 20 日に第 30 回日中学生会議は、第 63 回日米学生会議とオリンピックセンターで歴代初の本会議
における共催交流会を行いました。それぞれの実行委員長の挨拶を皮切りに、
グループでのディスカッションを行った。日米中の学生が共に話す共通言語として、本来日中学生会議では行わ
ない英語でのディスカッションとなりました。総勢 150 名もの大所帯のオーガナイズは大変でしたが、参加者の
助けもあり成功することが出来た。
3、まとめ
2、にも記述した通り、日米学生会議と日中学生会議が本会議中に共催の交流会を設けることは互いの長い歴
史を顧みても初の試みであった。事の発端は昨年度の日米学生会議の報告会である。慶應で開催された報告会に
私達 30 回実行委員が足を運び、そこで意気投合した。学生会議が持つ性格上その団体内での絆はとても強い一
方で、団体間の結びつきが弱く、その点に何かしら見いだせるのではないかと考えた。今回初めて行ったことも
あり実際のディスカッションでは問題点も散見された。しかし、これを機に私達二つの学生団体だけでなく、さ
らに広がりを見せた形を将来形成し、それぞれが互いを刺激し合あう素晴らしいシナジーを生み出せるようにな
ることを願う。当日意外にもこのために多大な時間と労力を捧げてくれた第 63 回日米学生会議には最大の賛辞
を送りたい。
引用資料
日米学生会議 http://jasc-japan.com/
■日米学生会議(Japan-America Student Conference)とは
日米学生会議(Japan-America Student Conference-JASC)は、日本初の国際的な学生交流団体です。米国の対日
感情の改善、日米相互の信頼回復を目指し、「世界の平和は太平洋にあり、太平洋の平和は日米間の平和にある。
その一翼を学生も担うべきである」という理念の下、1934 年に発足しました。以来日米学生会議は、日米関係を
考察するとともに、両国をめぐる様々な問題について、多角的に検討してきました。しかし近年のグローバリゼ
ーションの進展と新興国の発展を経て、今日ではより広く多様な問題を日米の観点のみならずグローバルな視点
から考えることが求められています。本会議では、日本と米国から同数の学生が約一ヶ月にわたって共同生活を
送りながら様々な議論や活動を行い、会議全体を通して、様々な世界の問題に対して学生同士の活発な議論を行
うとともに、日米両国の参加者間の相互理解を深めていくことを目的としています。そして参加者たちが会議で
得た成果を長期にわたって、社会に還元しています。
第3章
第 30 回日中学生会議
分科会
第3章
22
分科会
外交分科会
教育分科会
環境分科会
ビジネス分科会
社会分科会
伝統文化分科会
移民分科会
第 30 回日中学生会議
23
外交分科会
■概要
「外交」というテーマは、他の分科
会と異なり、より広い意味で解釈さ
れ、様々な問題を含むものです。領
土問題や、国家間の人的交流、経済
問題をもカバーするため、これら全
てを 2 週間のうちに話し合うことは
不可能であると言えます。そこで今
回は事前の話し合いで、外交分科会
として話し合うテーマを大きく 3 つ
に絞ることにしました。1 つ目は「東
アジアの安全保障」、2 つ目は「歴史問題(靖国問題)」、そして 3 つ目は「青尐年交流」です。会議の前半
(大阪)では、この 1 つ目の「東アジアの安全保障」について、中国側と討論を行いました。
■事前活動大阪開催および東京開催での議論のアウトラインを決めるため、以下の参考文献に基づいた話
し合いを重ねながら、フィールドワーク等を踏まえ、論点を以下の 3 点に絞りました。
・フィールドワーク
訪問先:外務省
日時:7 月 13 日
【概要】
外交の実務的な面から見る日中関係のお話を伺いました。平成 23 年 7 月 4 日 日中外相会談概要(対岸(中
台)関係、中国軍事費の透明化・信頼醸成)・日米安全保障条約・「より深化し、拡大する日米同盟に向けて:
50 年間のパートナーシップの基盤の上に」 日米安全保障協議委員会共同発表(海洋問題に対する重層的な危機
管理メカニズムの構築)等の資料を参考に、外交の現実的認識の必要、そして原典に立ち返ることの重要性を学
びました。
第 30 回日中学生会議
24
【感想】
外務省へのフィールドワークで伺った外交最前線でご活躍の方々のお話は、本で読んだ話とは違い、リアルでか
つアップトゥーデートであり、実務的なことも聞くことができました。
お話を聞く中で、東アジアあるいは環太平洋地域全体からの視点というのが思っていた以上に大事なのだと気づ
かされました。日中間の問題には、たとえ中国が 2 か国間の問題であると为張しても、東南アジアやアメリカも
深く関わってきます。また日米関係と日中関係を比較し特徴を捉えることも有益です。このように、「ハブ&ス
ポーク」という概念を使って東アジアの安全保障体制についてご説明していただきましたが、現在の中国と「バ
イラテラル」ではなく、「マルチラテラル」の関係が築けるようになったとき、そこに東アジアの更なる発展の
可能性があるのだと改めて思いました。もちろん、これは決して容易なことではありません。しかしきちんと相
手の姿を見つめて、自分たちの利益に基づいて考えることができれば、それは決して不可能ではないと思います。
最も心に残ったお話が、「原典に立ち返って中国を見ることの大切さ」についてでした。反日・反中感情の改善
についてとても興味があり、偏見に基づく不必要な誤解を解き、お互いを正しく理解するにはどうしたらいいか
と考えていたからです。事実を見るには、「原典」をきちんと読み、正しい情報を得ること、相手の立場に立ち
なぜそのように为張するのか考えることが大切だと聞き、まずはそれを実践することから始めようと思いました。
また、人の受け売りや、身近な情報だけで中国を判断するのではなく、正式な文書や発表を見ることで相手国を
きちんと捉えることは、中国についての情報が氾濫する現在において真に求められることであると感じました。
私たち大学生が質問した内容にもひとつひとつ丁寧にお答えいただきました。
本会議では、日米同盟の重要性を中国側に伝えるときなどにも今回伺ったお話は大変役に立ちました。また、会
議中「原典」に立ち返ることでしっかりと事実に根付いた議論が可能になったのではないかと感じ、外務省フィ
ールドワークの意義は大きいものでした。
外務省へのフィールドワークで伺ったお話を自分で消化し、自分なりの中国観を構築し、今後も日中の友好発展
のために勉強や活動を続けていこうと思います。
大阪開催
■論点
大阪では以下 3 つの議題を通して『東アジアの安全保障』に関する議論をおこないました。
領土問題について】
・東シナ海ガス田開発問題において、日中両国にとってベストな解決策とは如何なるものか?
・尖閣諸島問題を今後どのように扱うべきか?(どのようにすれば別の分野に波及せずに済むか?)
中国の軍事費について】
・中国の軍事費の透明化をどう推し進めるべきか
東アジア安全保障協力の展望について】
・東アジアの国々で、安全保障について話し合いをする場を持つことは可能か?
第 30 回日中学生会議
25
■討論内容
はじめに「東アジアの安全保障」について、以下のような流れで討論を進めていきました。
まず、第Ⅰ部として、東アジアの安全保障の現状について日中間で討論の前提知識となる部分の共有を行いまし
た。次に第Ⅱ部で、東アジア協力の障害となっている問題について議論を行いました。具体的には、尖閣諸島を
始めとした日中間の領土問題、あるいは中国の軍事費問題について触れました。そして第Ⅲ部では、東アジア安
全保障協力の展望ということで、現在の軍事的な枠組みに注目しながら、東アジアの安全保障面での協力につい
てその可能性と課題を話し合いました。それぞれどのような議論が展開されたかについて、以下の 1~3 章で詳
しく述べたいと思います。
1.東アジアの安全保障体制の構図
まず、東アジアの安全保障について日中で議論を行う前に、前提知識を共有するところからスタートしました。
ここでは日本側が話を説明し、中国側が理解できない部分を質問するという形で進めました。最初に説明したの
は「ハブ&スポーク」という概念です。これは、EU や AU と異なり、東アジアという地域において集団安保体制
は存在せず、その代わりに日米同盟、米韓同盟といったように、地域の国々が個別に 2 国間同盟を結ぶことによ
って維持されている安保体制のことを指します。そして、日本にとってはその中でも特に日米同盟というものが
非常に大事であることを確認しました。
中国側はこれに対し、「日米同盟はアメリカの東アジア進出を促進していて受け入れられない」、「日米安全保
障条約によって日本はアメリカに为権を侵害されているのではないか」との意見を述べましたが、日本は憲法で
軍を持つことができないと定められている以上アメリカに守ってもらう必要があるということを説明し、また日
本の国内問題に対してアメリカは口出しできないため、日本としては为権を侵害されているという感覚はないと
いうことを確認しました。
さらに、ASEAN や ARF といった既存の東アジアの安全保障枠組みについても確認し、現時点では深いところまで
話し合うに至っていないということを説明しました。
2.東アジア協力の障害
外交分科会は東アジア協力の障害として 1 つ目に、尖閣諸島を始めとした日中間の領土問題を挙げました。ここ
では、尖閣諸島や東シナ海のガス田がどちらの国に属するのかということを決めるのではなく、「いかに問題を
大きくしないか」あるいは「お互いが妥協できる地点を見つける」というゴールに向けて討論をおこないました。
話し合いではまず尖閣諸島について日本側、中国側双方が「自国の領土」であることを为張しましたが、その一
方で尖閣諸島問題を理由に日中関係が悪化することが両国にとってマイナスであることを確認することができま
した。そしてその上で、日中で今後防衛当局間の海上連絡メカニズムを構築し、さらに中国政府側もこれ以上中
国漁船が尖閣諸島に接近しないよう対策を講じるべきだと提案しました。
東シナ海のガス田開発問題(ここでは白樺:中国名“春暁”)については、日中は 2010 年の共同開発合意を維
持する形で開発を進め、中国側もそれに忚じるという意味で白樺についての情報をきちんと開示していくという
ことを確認しました。
東アジア協力の障害として 2 点目に話し合ったのは、中国の軍事費問題です。この問題について、日本側は中国
の軍事費増大自体は問題ではなく、その用途の透明性が問題であると指摘しました。中国側はこれに対し、中国
は現在でも一定の透明性を確保していることを強調し、また中国の中央政府でさえも軍部内部の状況を把握でき
ておらず、現時点では軍事費の透明性を上げることは難しいという国内事情を説明しました。
3.東アジア安全保障協力の展望
第 30 回日中学生会議
26
ここでは、今後日中を含む東アジアの国々が安全保障面で話し合いの場を持つことができるのか、またもし現行
の枠組みを利用するならばどの枠組みを発展させていくべきなのかということを議論しました。
日本側はまず、最近その役割が注目されている ARF(ASEAN 地域フォーラム)が今後の安保問題を話し合う場と
して理想的であると述べ、そこで南シナ海の領土問題を含めた様々な問題を話し合っていくべきであると提案し
ました。これに対し中国側は、南シナ海の領土問題は、2 国間で個別に解決すべき問題であり、ARF などの多国
間の枠組みで話し合うメリットがないと为張し反論しました。しかし日本側はこの为張に対し、「現在の 2 国間
の話し合いでは全く問題解決の方向に進んでおらず今後もその見通しは暗い。そういった状況下であれば多国間
の場で尐しでも問題を前進させようという試みは有益である」と述べ、中国側も「多国間で領土問題に決着をつ
けることには反対だが、話し合いを尐しでも前進させるという範囲内であれば ARF の場で領土問題を取り上げる
ことに賛成だ」と述べ、ここに一旦話し合いの決着を見ました。
■結論
上記の重複する部分が多いかと思いますが、以上の話し合いを通しての私たちの結論をまとめたいと思います。
近い将来において、東アジアで EU のような集団安全保障体制を構築することはほぼ不可能です。しかしながら、
そのなかで ARF などの枠組みを活用しつつ、尐しずつ安全保障の面でも多国間で協力する方向に向かっていくべ
きです。
尖閣諸島問題についても、近い将来どちらの領土か決着をつけることは難しいです。しかし、日中は 2010 年の
「レアアース問題」のように、領土問題が他の分野に波及することを予防する必要があります。そのためにも日
中の防衛当局間で密に連絡を取り合い、問題を起こさせないためのシステムを構築すべきです。
東シナ海ガス田開発については、現在の合意を維持し開発を進めるべきです。日本側は 2010 年に中国に対し大
幅な譲歩を行い、共同開発ではなく、あくまで出資という形での参加を決めています。中国もこれを理解し、開
発のパートナーとして日本と二人三脚での開発を進めていくべきです。
中国の国防費の増大は問題ではありません。本来問題にすべきは軍事費の透明性という側面です。これに対処す
るため、中国は今後情報の開示に向け尐しずつ民为化を進めていく必要があります。政府内の民为化を実現し、
軍事費の透明化を推進することは、周辺国の中国脅威論を弱めるにも繋がり、結果として中国のソフトパワーを
増大させることができます。
ARF(ASEAN 地域フォーラム)は、ASEAN 各国、中国、日本、アメリカといった国々が参加するという点で一番理
想的な枠組みです。日中はこれを発展させ、南シナ海の領土問題など、安全保障面の話し合いも進めていくべき
です。そして最終的には、東アジアの安定をもたらすような重要度の高い会合とすることを目指すべきです。
第 30 回日中学生会議
27
■東京開催
■論点
1 靖国問題
2 歴史教科書問題
上記二つの問題は一見関係の無いように思われるかもしれないが、日本人中国人の心を心理的に遠ざける精神
的な障害として同時に討論するに値するものとしました。
1靖国問題
■討論内容
靖国神社に関する一連の勉強会の後に、実際に靖国神社を訪れ、靖国問題を今後どのように解決していくべきか
の糸口を議論しました。
■結論
靖国神社は、以下の 4 つの問題を抱えています。①感情の問題②歴史認識の問題③宗教の問題④文化の問題で
す。これらが複雑に折り重なり一見して解決が難しい問題が成立しています。議論と勉強会の結果、解決策とし
て、以下の 4 点にたどり着きました。
1.A 級戦犯分祀
靖国神社には日本の戦時時代のたくさんの戦争犠牲者が英霊として同時に祭られています。それゆえに単純な
靖国神社の今の性質を変えることは遺族感情の面から大変困難となっています。靖国神社の論理との整合性から
鑑みて、A 級戦犯を分祀することが靖国神社そのものの存続と、外交的な面から鑑みて好ましいのではないかと
いう考え方です。
2. 靖国神社の過去と伝統からの断絶の必要
上記のとおり、靖国神社は過去と伝統の上に成り立つ施設です。しかしながら、戦争も終わった今、宗教法
人としての性格を持つ、一神道としての在り方も可能なのではないかという提言です。
3. 靖国神社の国立追悼施設化
たとえば平和の礎(沖縄)のように、靖国神社から宗教的側面をなくし、ただの国立追悼施設としてしまお
うという案です。これにより、政府要人が靖国神社を訪れることの意味合いを戦争指導者への尊敬ではなく、戦
争そのものへの反省へと芋愛を変えることが可能なのではないかという理由です。
4. 日本国民の意識の低さの改善
根本的に問題なのは。靖国問題について無知な日本人が多すぎるために、誤解が絶えないという現状です。
日中共に教育を深めることで、知識があればまねく必要のなかった不要な誤解をなくしていくことが重要という
結論になりました。
2 歴史教科書問題
■討論内容
第 30 回日中学生会議
28
本来あるべき、日中両国のあるがままの理解を促進させるためにはどうしたらいいか、なぜ歴史問題・国民感情
がこんなにも外交の障害となっているのか、中国における教科書記
載の村山談話等の歴史を事例に討論した。
■結論
私たちはこのテーマを理解する耐えに以下の2つの段階に分けて話し合いました。
1国民感情がなぜ外交に悪影響をもたらすか
2障害となる国民感情をなくすにはどのような教育が必要か
1国民感情がなぜ外交に悪影響をもたらすか
問題発生後の対忚策(外交問題化させないため)という結論に至りました。その後、外交問題発生を未然に防ぐ
には以下の3点が必要であるという認識のもと、議論を進めていきました。
1. 国家としてこれからも平和国家であり続ける
2. 中国教科書:共通認識、共同研究を深め、客観的に見る→反日デモの抑制
3. 責任二分論の定着:日本の優れた点も教科書に記述する
上記問題1に関しては些細な感情的対立を外交問題に持ち込まないことが重要なので、なにか問題があれば解
決するプラットフォームになるような機関を創設する。
という解決策が挙げられました。
さらに上記の2.3に相当する部分をその後話し合いました。
2障害となる国民感情をなくすにはどのような教育が必要か
日本の教科書問題は自虐史観とはすなわち、非侵略国である東アジア諸国とのおりあいのつけ方です。また中
国の教科書の中には日本の残虐さを強調するあまりそもそも小中学生にふさわしくないのではないかと思われる
記述も見受けられました。そもそも絶対的な記述がありません。どう双方が納得できるようにまとめるかが重要
です。これは侵略の否定には当てはまりません。かつてそのための取り組みの一環として、歴史共同研究が実施
されましたが、あまり芳しい成果は得られませんでした。そこで、これからの有意義な歴史共同研究のあり方に
ついての提言をしたいと考え、以下のような結論にたどり着きました。
① 共通認識を増やす
政治が本来取り組むべき課題を阻害しないような基盤を作ることが何より重要であるという結論に達しまし
た。またこれは相互交流により縮小可能な認識の溝なのではないか、という意見も出されました。
② 日本が独自に戦後の歴史研究を行い、これを中国にも共有する
これは第二次世界大戦に限ったことではなく、公害問題、バブル等の研究で双方にとってメリットがあるの
ではないかという提言もなされました。
③
戦後の平和的活動を促進
日中間で歴史の内容を学者レベルで話し合い、国家の立場をとらない、民間の学者を用いた意見交換を行う
ことで客観的認識を深めようという提言もなされました。
第 30 回日中学生会議
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3 青尐年交流
論点2(歴史教科書問題)を話し合う中で、認識の溝を埋めるために有効な交流方法の一環として、青尐年交
流が挙げられました、私たちはその提案を有意義なものと捉え、以下ではその意義と具体的な方法まで検討しま
した。
■討論内容
1.国際化した社会で、あえて訪中する理由を考える
2.価値観の差は本当にあるのか?あるとしたらどこにあるのか?これは交流で縮まる差異なのか?
1.国際化した社会で、あえて訪中する理由を考える
メディアによる歪んだ国家像や、日本人の中国への関心のなさを鑑みて、中国への悪いイメージを改善する目
的が挙げられます。
日中両国は地理的に近いわりに相互理解が進んでいないため、青尐年が精神的な成長の過程で全く違ったイデ
オロギーに触れることができるというのも一つの魅力です。
そのほかに青尐年交流に参加する理由としては、見た目は似ているが全く異なる文化に関心がある、通常より
も安価で中国に行くことができる、中国の勉強をより深めたいなどの理由が挙げられましたが、いずれにも共通
して言えるのはありのままの両国を見ることができるように内面の偏見を克朋することが青尐年交流の最大の意
義であるという私たちの姿勢です。
2.価値観の差は本当にあるのか?あるとしたらどこにあるのか?これは交流で縮まる差異なのか?
この問題を扱うために私たちは『理想の青年交流とはなにか』というモデルケースを設定し、以下のような結
論にたどり着きました。
私たちは価値観の相違はあると考え、それはイデオロギーが異なることから始まり、日々の生活文化に及ぶま
で、あまりにも広大で多岐にわたると考えました。そこで、青年交流の限度で理解しうる限界を考察した結果、
現地の『人』に触れることで、①異なる文化・イデオロギーの中にもの重なる部分があることを知る、②『人』
に触れ、人間的な関わりを持つことで、今後の関係の発展に期待できるという2点から、学生と現地人との交流
と勉強会に重きをおいたプログラムがいいのではないかという結論に達しました。
すなわち、旧歴史地区の視察、世界遺産の視察だけでは観光と変わりないので、現地学生と交流、また中国進
出している日本企業の訪問を行い、さらに訪問国の“日常”に触れるためにホームステイをすることで、より精
神的な理解が深まるのではないかという提言です。
また、事前交流や、知識の共有を念頭に置いた、交流中心のスケジュールにし、語学学習、ホストバディーと
の連絡等、参加前にできることを充実させ、参加後の帰国後報告等もよりしっかりとした内容に仕上げ、しっか
りと広報することが求められるとの結論に達しました。
■フィールドワーク 1
日時:8 月 18 日
訪問先:靖国神社、遊就館
【概要】
第 30 回日中学生会議
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分科会活動の一環として、3 時間の事前学習を経たのちに、実際に靖国神社及び遊就館を訪問してフィールド
ワークを行いました。敏感な問題でもあり、中国側学生の参加は任意としましたが、結果的に分科会全員でフィ
ールドワークを行うことができました。日本人学生と中国人学生が議論をしながら遊就館を見学したことで、現
代の日中両国の学生の感覚と靖国神社にまつわる歴史を比較しながら靖国問題への理解を深めました。
【感想】
戦争の歴史を見るのがつらかったです。中国では歴史の博物館はすべて正しいという考えがあるため、戦争を
美化している展示ばかりで怖いと思いましたが、同じ分科会の塚原さんから、こういう考えは尐数派だと教わり、
理解が深まりました。あのような展示の仕方は一見公式見解に見えるので、誤解が発生しやすいです。なので、
中国の人にそのことを伝えられたら、もっと誤解が無くなるのではないかと思いました。
最初に館内に入る時、中国人にとっては大砲等の武器がすごく右翼的に感じられ、好戦的な雰囲気がよくない
と思いました。また、第 2 時世界大戦の部分が尐ないです。そして、歴史を軽んじるような記述がみられました。
こうしたことは別に現代の人が関係ないということではありません。一つ確認しておきたいのは、本当に今の私
たちの世代は展示されている内容の思想はないのかということです。日本側学生の回答としては、このような考
え方は今ではマイノリティーだと言っていました。今回の来日で、このようなことを知れてうれしいです。
■フィールドワーク 2
日時:8 月 19 日
訪問先:財団法人
日中友好会館
【概要】
(財)日中友好会館とは
昭和 28 年より前身となる「(財)善隣学生会館」として活動を開始。日中友好の増進を使命とし様々な交流プ
ログラムを実施しています。また、近年は「21 世紀東アジア青尐年大交流計画 JENESIS(うち日中 21 世紀交流
事業)」で年間 5000 人規模の交流を実施しています。
为な質問事項
・青年交流において、どのようなプログラムを行うかはどのように決めるのか。
その中で満足度の高かったプログラムはどのようなものだったのか。
・青年交流の成果を可視化するために数値化すべきか。
そのメリットはどのようなものがあるか。
・日中間の価値観の差はどこにあるか。それは、交流で縮まる差異なのか。
【感想】
青年交流のフィールドワークとして、外務省の委託の下で青年交流を実施する機関である日中友好会館へ行き
ました。東アジア青尐年大交流事業などの国家的大事業を 16 名という尐人数で請け負う会社(財団法人)であ
ることが、まず驚きであり、多忙な皆様のご活躍に尊敬の意を表します。
前もってさせていただいた質問で、どのようにプログラムを決定するのか、またどのプログラムが満足度の高
い人気なものなのか、というものがありました。日中友好会館は青年交流の実施の窓口となっており、募集や受
け入れ先を探すことや中国側と連携するなど様々な仕事をなさっています。また、外務省の決定したプログラム
を実行する機関でもあります。最も人気なプログラムはホームステイとのことで、人数の多さによるホームステ
イの実施の困難さや満足度の高さは私の予想を上回るものでした。
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今後の課題として特に考えたことは、より長期間のホームステイの実施の促進方法、会館職員の不足問題の解
決、リピーターの増加の方法、青尐年交流に参加した人以外の中国国内や日本国内の人への青尐年交流の影響力
を及ぼす方法を考えることなどです。例えば、国内へのPRや結果の可視化のためにも、メディアとの連携がよ
り密になされることが必要だと思います。多額の税金を投入して行っている事業ですので、参加した方がその恩
返しをすること、交流事業のあともずっと交流を続けること、本国でPRや広報をすることなど、日中の友好・
発展のために果たせる役割や使命があるので、これらの強化ができたら良いのではないかと思いました。
■総括
今回、外交分科会では、日中の各々の外交、また日中間外交の現状を見つめ、理想的な外交関係、外交のある
べき姿を考えることを目標としました。
この 2 週間、国際社会における中国と日本の姿を、外交を通して見つめることで、メンバーの外交問題に関す
る理解は深まり、分科会発足当初の目標は果たせたように思います。
特に靖国神社を訪問した際に、今回の分科会の意義を最も感じました。最初はそもそも靖国の周辺にも行きた
がらなかった中国人の学生もやはりいました。しかし、日本人学生と一緒に遊就館を見て回ることで、歴史的背
景と、今の日本人の感覚と遊就館での展示とのずれを目の当たりにし、日本人が抱える過去との断絶感そのもの
を理解してもらうことができました。このような現地青年の声と現地訪問を同時にすることで、通常ではなかな
か体験できない深遠な部分まで理解しあえるのではないかと、青年交流の可能性を肌で感じることができました。
また、議論を通して、国益と国益がぶつかり合う中で、相互関係的な義務だけではなく、全世界の利益となる
「対世的義務」を実現していくことの重要性と困難さを、身をもって知ることができ、大変有意義でした。活動
内では日中の学生同士で意見が対立することは多々ありましたが、意見の感情的対立を議論で乗り越えることが
できると知ったことは非常に素晴らしい体験だったと思います。
大げさではありますが、今回の議論が民間交流の力にも目を向けた日中の現実的かつ持続的な友好関係を築く
ための一助となれば幸いです。
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教育分科会
日本側参加者:石井理央、二宮詩織、坂東慶吾、
星野雄三、牧英里子
北京側参加者:邸韵、孔倩男
広州側参加者:李仲涛、冯韵怡、关瑞
■事前活動
週 1 回 skype にてミーティングを行っていまし
た。顔合わせ合宿にて、まず教育問題になぜ関心
があるのか、なぜ教育が重要だと思うのか、議論
していく目的について話し合いました。また、環境問題の興味分野から出発し、知識の共有を行いました。そこ
で、以下の 5 点に絞り、勉強していくことが決定しました。①義務教育 ②幼児教育 ③教育格差 ④大学教育
⑤歴史教育です。
その後、1 週間ごとに上記について 1 つずつ課題図書を決定し、要約・自分の意見を課題にして、学習内容を
共有し、知識を深めました。中国側とも 3 回ほど Skype に参加してもらい、本会議での論点について、本会議ま
での勉強の進め方、本会議でのスケジュールを共同で行いました。しかし、言語による障壁があり、なかなか意
思疎通を図ることが難しく、①発言をするときは完結な言葉ですること、②相手に何度も確認すること、③相手
の意見をきちんと聞くこと、この 3 点を念頭に置きながらミーティングを行っていました。
また、中国側との連携を強め、事前活動を充実したものにするために、日本側と中国側がそれぞれ自国と相手国
の両方を勉強し、2 つの論点について 10 分間のプレゼンテーションを作ることを課題として取り組みました。本
会議では、事前活動で勉強してきた内容をアイスブレイクとしてプレゼンテーションして議論を深める土台とし
ました。
反省点としては、Skype ミーティングだけでなく、一度でも全員で会って、それぞれの考えを共有し、日本側と
しての意見をまとめる時間を確保するべきだと感じました。
・フィールドワーク 1
日時:7 月 7 日
訪問先:京都教育サポートセンター
【概要】
まだ本会議中での論点を決定していない段階で、論点の候補として挙がった義務教育制度について、特に義務
教育制度からドロップアウトされた子どもたちや学校教育以外の教育の場を考えるヒントを得たいと思い、お話
を伺いました。
京都教育サポートセンターは大検予備校を前提とし、現在はビルの一室でフリースクールとして学習指導を行
っています。誰でも不登校や引きこもりになり得るという考えの下、そのために対策を打つというよりは、その
子が動き出すまで待つという所長の考え、また現在民間機関であるフリースクールが抱える経済的問題について
話を伺いました。
中でもフリースクールが後発発達障害とは切っても切れない関係であること、また 40 代の引きこもりが存在
するという話は新しい視点でした。
第 30 回日中学生会議
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【感想】
この度伺った京都教育サポートセンターでは、大変お忙しい中、所長さんや職員さんが親切に対忚してくださっ
て、大変有意義なものになりました。
このサポートセンターは大検予備校を前身としている性質から、勉強に意欲的な子どもも多いということでし
たが、その中で勉強よりも実際の社会で生き抜くために、対人関係を様々な場面を通して学んで欲しいという所
長さんの言葉が印象的でした。昨今フリースクールで暴力事件が尐なからず起きている中、誰でも不登校や引き
こもりになり得るという考えの下、子どもが動き出すまでは無理に押し付けたりせず、ひたすら待つという所長
さんの考えを理解することができました。
フリースクールの多くは学校という教育機関以外に、オルタナティブな選択肢を提供すると言う目的で発足し
ていますが、実際のところ後発発達障害と切っても切れない関係というのは初耳で驚きました。所長さん自身も
将来的に学校や病院との連携を強化していきたいとお考えでしたが、それにはまだまだ財政的に厳しい状況があ
るようです。
このサポートセンターは府から一部助成金が下りているそうですが、ただその助成金も運営費のほんの一部に
しか過ぎず、フリースクールがあまり発達していない都道府県ではさらなる悪環境が予想されます。
政府は後発発達障害の認知を高めると同時に、早く画一的管理教育から脱却し、多様性を認めるような教育を
考えていくべきではないでしょうか。
・フィールドワーク 2
日時:7 月 8 日
訪問先:恵友学園
【概要】
日中間で教育を考える上で、エリート層だけでなく、いわゆる社会一般の道から逸れてしまった面も考える必要
があると思ったため。学校教育での問題点、フリースクールに行くメリット、学校との連携ついて学ぶために行
いました。
・実際に通っている子供たちと共に交流
バザーの準備を手伝い、会話の中で、恵友学園に来た経緯や普段の生活を直接聞くことができました。
・スタッフの方との交流
恵友学園で働いていく上で大切にしていることや、フリースクールの利点、欠点、恵友学園に対する思いを伺い
ました。
【感想】
一番印象に残っているのは、生徒全員が本当に生き生きとしていたことです。フリースクールというと、不登校
になり、引きこもりなどになり、社会から疎外されている、いわゆる「落ちこぼれ」のような尐し暗いイメージ
を持っていました。しかし、実際に行ってみて、子ども達 1 人 1 人が本当に楽しそうだったし、恵友学園が居心
地の良い自分の居場所となっているように感じました。
スタッフの方のお話を伺っている中でも、子どもと真正面から向き合い、個別対忚でコミュニケーションをと
ることで、信頼関係を築いていくことをとても重要視していると感じました。たしかに、公立学校ではシステム
だけが先行し、教師も生徒 1 人 1 人としっかり向き合う時間は尐ないと思います。しかしフリースクールでは、
個人のペースや状況に合わせてサポートできる環境が整っていると感じました。人間はどこか自分のことを理解
第 30 回日中学生会議
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してくれる人であったり、落ちつける場所があったり、そういうホームがあることで、よその空間でも多尐無理
できたり、乗り越えられることがあります。それと同じで、子ども達が集団の学校や家にいることに違和感を感
じ、嫌々ながら我慢することよりも、自分の居場所を見つけ、自分を受け入れてくれるような空間があり、心を
強く持てるようになる、そんな環境づくりも必要だと思いました。恵友学園の OG であり、現在スタッフをして
いる方も、心が強くなければ、勉強もできないということをおっしゃっていました。今回恵友学園で快く受け入
れてくださったスタッフの皆様、生徒の皆に感謝いたします。ありがとうございました。
・フィールドワーク 3
日時:7 月 8 日
訪問先:国際日本文化研究センター
戸部良一先生
【概要】
本会議中での論点を決定していない段階で、論点の候補として挙がった歴史教育問題について深めるため、日
中歴史共同研究に日本側論文作成者として携われた戸部良一先生に、日中歴史共同研究の周辺について伺い、実
際に先生が中国人研究者と関わっての実感についてお話を頂きました。
また学生である私たちに求めること、そして本会議で中国人学生と関わる際の心構えについて伺いました。
【感想】
この度、日中歴史共同研究に日本側論文作成者として携われた、国際日本文化研究センターの戸部良一先生の
お話を伺うことができました。
今回の FW に先立ち、笠原十九司氏著『戦争を知らない国民のための日中歴史認識ー『日中歴史共同研究〈近
現代史〉』を読む』(勉誠出版)や、また先生推薦の『外交フォーラム』より「日中歴史共同研究の出発-事実の
探求に基づいて」(2007,5,14-20)、「「日中歴史共同研究」を振り返る」(2010,4,p62-70)を読みましたが、
今回の FW を通して「日中間の歴史認識の共有は不可能」とした上で、お互いの为張を理解し合うことを目標に
掲げたという、今回の研究についての理解が深まりました。
戸部先生には今回の研究の他に、実際に中国人研究者と関わっての実感や、非学者であり学生の私たちに求め
ること、今夏の日中学生会議で中国人と関わる際の心構えを伺いました。お話を伺っているうちに、日中間の政
治体制や歴史研究の手法の違いが想像以上に大きいことに衝撃を受け、今自分たちが扱っていることはとてつも
なく大変なことなのだと実感しました。例えば日本は「政治」と「歴史(文化)」の分離を進めているとのこと
ですが、今回の研究の中国側事務所である社会科学院は、中国史の研究のレベルが非常に高いにも関わらず、日
本史を侵略した国の歴史と捉え、その歴史を否定することを目的にしているとしか思えない場面が尐なからずあ
るとのことでした。
ただ今回の研究の報告書公表に際して、中国側の研究を政府が統制していると指摘されたのと同様に、日本側
の研究にもある程度日本政府が関与していたのも事実で、本当に「政治」と「歴史」の分離はできているのか、
もう一度検証してみる必要はあるとのことでした。
教育分科会としては、中国の教育が本当に反日を煽り、愛国教育を基盤としているのかについては今後も調査
したい事項であり、また逆に日本の歴史教育が、多くの教科書が第三者により共同執筆され、言わば当たり障り
のないように書かれている中で、個人に歴史認識形成の機会を与えているかどうかも、考えていかなければなら
第 30 回日中学生会議
35
ないことだと思います。また先生にも勧められたように、日本史つまり自国史については、様々なジャンルの文
献に触れることで、歴史認識を相対化していく必要があると思います。
そして、戸部先生も共同研究という公の場ではともかく、個人レベルで会った際には色々と話してくれると仰
っていたように、一度国家の教育やメディアの報道により個人に形成された偏見も、その後の個人レベルでの交
流で十分覆り得ると思います。本会議では目の前の問題の規模に怯むことなく、直接中国人の学生と話をするこ
とで、お互いの考えや価値観の違いをまずは認識しようと思います。
大阪開催
■論点
「ゆとり教育と素質教育について」
1.日本のゆとり教育と中国の素質教育を論点にした理由、討論の流れ
2.両政策が考え出された時代背景
3.両国の政策が目指した理想の人間像
4.日本と中国のそれぞれの政策と現状と問題点
■討論内容
1.日本のゆとり教育と中国の素質教育を論点にした理由
両国では、時代の流れから新たな教育観を持つ事が必要とされ、それに合わせて今までとは大
きく違った政策が打ち立てられてきました。その政策とは、日本のゆとり教育、そして、中国の
素質教育です。そしてこれらは学力重視の教育(日本ではいわゆる詰め込み教育、中国では忚試
教育)が問題視され打ち立てられた政策である、という点で、非常に似た政策なのではないか、
と考えられます。また、両国の政策で求めていた人間像が概ね一致していたこと、そして、これ
ら両政策共に成功したとは言えなく、解決策を考えていかなくてはならないという点において共
通点が見つかったので、論点にすることを決めました。
次に討論の進め方ですが、まずは両政策が考え出された時代背景を考え、その上でお互いの国の
政策の目指す理想の人間像とは何だったのか、ということを話し合ってから、現状の政策の問題
点を挙げていき、その上で解決策を考えていきました。その際、教育の理想に関しては、両国で
一致させ、その他の部分(問題点や解決策)でも、両国で共通点を探し出していきました。
2.両政策が考え出された時代背景
お互いの国で、日本では詰め込み教育・中国では忚試教育と言われるように、学力を重視する社
会的風潮が生まれていました。日本では戦後教育の中で、経済復興を成し遂げるためにも、個性
を大切にすると言うより、皆が一律で、優秀な人材を育てることに必死でした。そして中国では
固定された身分を覆すためには、懸命に勉強し、優秀になることで、身分を逆転するしか成功す
るための方法がありませんでした。そして、両国共に、受験戦争に勝ち上がったものはエリート
層と呼ばれ、就職が約束され、裕福な生活を手に入れられることが確定しました。このように学
力格差がそのまま社会格差、経済格差に結びついてしまうような時代背景で、これら両国の政策
は考案されました。
第 30 回日中学生会議
36
3.両国の政策が目指した理想の人間像
両国の政策を通して、一体どんな人材を育成したかったのか?ということに関しては中国と日本
の国の違いは関係なく、理想の人間像、というもので一致させてもいいのではないか?というこ
とになりました。両国で考えた人間像は、以下の2本柱からなる人材です。
1. 豊かな人間性を持つ人材
2. 新学力間を持ち合わせた人材
まず、1.に関しては、学力を重視するばかりで人間性や道徳心を持った人材の育成が成されて
なかったことを反省にして、考えられた柱です。
そして 2.に関しては、まず新学力観とは一体何か?ということですが、現代は情報社会であり、
社会情勢も目まぐるしく変わる時代です。その中で本当に活躍出来る人材とは、決まり切った知
識をペーパーテストで発揮出来る、というものではありません。その時々の状況に合わせて自分
自身で考え判断し、問題点を発見して解決していく能力、つまり、新学力観を持ち合わせる人材
であり、それが2本目の柱です。
4.日本と中国のそれぞれの政策と現状と問題点
<日本>
【現状】
戦後詰め込み教育による学力重視の社会的風潮、そこから生まれる受験戦争・学歴社会=個性
を大切にしない教育。その問題点を解決するための、ゆとり教育の実施。ゆとり教育とは、为に
3本柱、学校5日制・総合の授業の導入・学習内容の削減から成り立ちます。しかし、結果的に
学力低下を招き、また授業や学校を減らしたことで生まれた自由な時間を子ども達が有意義に使
えていない、という点で、成功したとは言えない状況にあります。現在では急速に詰め込み教育
に変更しつつあります。
【問題点】
ゆとり教育の方針自体は良かったのですが、その実施内容に問題がありました。例えば授業や
学校に行く日を減らしただけで、実際にその他の時間をどう子ども達に有効活用させるか、とい
うことや、総合の授業では、どのような事を各学校にやらせ、そして、どのような形で、それが
実施されているかを国が把握する、ということまでがしっかり考えられていなかった点に問題が
あったと言えます。
<中国>
【現状】
テストの点数によって学歴は決められ、その学歴が各人の職業を決め、そして、その職業が人
の社会的地位を決める、という流れが中国の一般的な考え方です。この学力を重視する形の教育
を忚試教育と呼びましたが、その個性を重視しない社会的風潮、そして、教育形態は間違ってい
第 30 回日中学生会議
37
るとして、素質教育が取り入れられましたが、実際には個性を伸ばすための科目(例えば体育な
ど)も試験の科目の 1 つとなってしまいました。結局、一見個性を伸ばすための教育に見えます
が、実際の内容はかなり忚試教育よりのものとなってしまっていた点で失敗であったと言えます。
【問題点】
個性を伸ばすために本来なら実施されるべき様々な科目も試験の科目として扱われてしまったこ
とにより、結局は忚試教育よりの教育形態になってしまいました。実質的には、素質教育は行わ
れなかったと言っても過言ではありません。
■結論
まず、解決策を述べる前に一つ断らなくてはならない事があります。
日中両国で、話し合いを進めるにしたがって、始めはほぼ完全に一致すると仮定していた日本の
ゆとり政策と中国の素質教育が実は実施内容も現状も大きく異なるものなのではないか、という
考えが出てきました。
話し合いが進むにつれ、実質的には各政策の進行状況も違うし、実際に日本のゆとり教育は内容
を大きく伴ったもので、しかしその内容が良くなかったため失敗してしまいましたが、中国の素
質教育は実施最中であり、なおかつその内容は素質教育をうたったものですが、実質的には忚試
教育とほとんど変わらない、という点で、全く食い違っていることに気付きました。
それにより、議論のはじめに予定していた両国共通した政策提言は非常に難しい、という結果に
なりました。ここではそれに対する各国で出た改善点を挙げます。
【日本】
1.学校 5 日制
学校に来る日を増やすならば、その増やした分の日は特別学習の日、という形で地域密着型ボ
ランティアなど普段なかなか自発的には体験できないことを経験させる日にする。もしくは、学
校 5 日制の制度は変えないにしても、休日 2 日間のうちで希望する生徒が参加できるイベントな
どを積極的に学校側が用意する。
2.学習内容の削減
単純に増やすだけではなくて、それと同時に具体的な授業内容の見直し、先生同士でしっかり
した指導が出来ているか、指導の質チェックをすべき。
3.総合の授業の導入
総合の授業がしっかり行われているかを地域ごとに監視。教育委員会などがしっかりチェック
し、それを上の機関に報告。その提出内容が授業で実践されているかを教育委員会は再度チェッ
第 30 回日中学生会議
38
ク。という方法で何重にもチェックを重ね、しっかり内容を伴った授業が行われているかを確認
する。
【中国】
そもそも、個性を尊重する、といっても、試験を通して個性を育てようとしているため、それ
ぞれの科目の意味は形骸化している。だからこそ、試験を通してではなく、純粋に個性を伸ばす
ための科目を作るべきだと思います。
日本のゆとり教育と詰め込み教育、そして中国の素質教育と忚試教育は、実施された内容も現状
も全く異なっていたという点で共通の改善策を見出すことは出来ませんでしたが、両国の現状を
知ることができ、お互いの政策に関して両国の教育政策の良い点悪い点を参考にしながら話し合
えたことはよかったです。ゆとり教育と素質教育は、義務教育での学習量を減らしたが、入学試
験の難易度や出題範囲はそう大きな変化はなかったため、自分自身で勉強が出来る者=学校外の
教育に力を入れることが出来る者が有利になる、という流れが出来上がってしまいました。ここ
のようにして、ゆとり教育は、経済格差を教育格差に結びつける橋渡しのような役割をしてしま
ったのだ、ということを付け加えて、後半の議論へのつなぎとし、前半の議論のまとめとしよう
と思います。
東京開催
■論点
日中の教育格差の分析と問題
■討論内容
―前半部の内容及び手法―
我々は、为として日本の格差は为に各家庭の財政から生まれることに対して、中国は戸籍制度の問題から、生ま
れた地域によって格差が―しかも日本とは比較にならないほどの―生じていることを認識しました。なお、「格
差」の定義を、「親の状況が無条件にこどもに引き継がれること」と定義し、生まれた子供の意志や力では埋め
ることが現実的に難しいとされる差異という理解を共有しました。そこから、会議での方向性はまず、自分たち
の国々がどのような原因によって、格差問題が生まれたのかをプレゼンを踏まえた上で各々の国々において決定
しました。
前半の大阪での本会議の反省から、まず各国での見解を一定の精度まで統一してから、相手国にフィードバッ
クすることにしました。それは、最初のプレゼンで事実を共有して間もなく、共通のゴールを目指す事は難しい
と認識した事、そして諸問題を無理にでも共通の結論を導くことの必要性がないことを認識したためです。また、
FW が東京で 2 つ重なったことによって、時間的な都合も考慮する必要がありました。結果、両国がとった選択は
一定時間、別々にお互いの国についての議論を交わし、それを互いにフィードバックしたうえでディスカッショ
ンをし、そこで生まれた課題や詰め切れていないところを再度各々話し合う、といった手法を採択しました。
第 30 回日中学生会議
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-後半部の内容―
話し合いの後半では、日本側は格差を埋めることのできる教育機関の設立、中国側はどのような形で政府に
諸々の不均衡を是正してもらうか、を討論し、深め合いました。
日本側は新たな教育機関の設立というテーマで話し合いを進めました。内容は、経済格差によって学習の機会
が満足に与えられていない子供たちに対して、定年後の教師、意識の高い若手教師が協力して、低い授業料で親
の年収が低い子供に対して学習機会を提供する、というものです。このアイデアは定年後の教師と若手教師の有
志が持つ善意によって成り立つ側面がありますが、これが成立すれば経済的な塾に行けない子供たちに新たな学
習機会を提供することができます。
なお、公的な組織か私的な組織か、という点については議論が分かれたが各々長所と短所があることを認識し、
その点についても議論を深めました。
中国側は、国や経済的に豊かな省からどのように貧しい省に「教師」を分配するか、と
いう観点で話が進めました。教育格差において、資金が尐ないことが学校の設備、教師の質を下げる事がわかっ
ており、それが生徒の学習機会の不均衡を生み出しています。そうした地域では教師にとって働くモチベーショ
ンにならず、将来への期待も薄いです。そうしたことから、制度として、地方にいくことで数年後に昇格して都
市に職を得られる等のインセンティブが得られるようにし、またそのシステムが権益の温床にならないように監
督機構を作る、といった方向性で話し合いを進めました。
■結論
「論点」にて前述したように、各々の国の実情は全く違うため、それぞれに合わせた結論・政策を打ち出した。
<日本側>
上記のように教育格差の解決にアプローチする方法は二つあるととらえ、そのうちの「解決策 1」、即ち教育格
差につながる原因を解決しようという結論に至りました。
そのための 1 つの解決策として、私達は「定年後の教師」、「意識の高い若手教師」、「親の年収が低い子供」
の三者から成り立つ低予算教育機関の提案を行いました。
<中国側>
第 30 回日中学生会議
40
中国側は上記の様にいかにして、中央政府及び豊かな地域から貧しい地域への分配をするかという点を深めまし
た。都市部の方が断然給料や将来への発展性が見込まれるため、多くの教師が都市部での就職を望むことになり
ます。従って「論点」の項でも述べたように、いかにしてそのような教師にインセンティブを持たせるか、加え
てそれがただの名目上のもの、または権益の温床にならないために、中立な機関を置くことを提案しました。
■フィールドワーク 1
日時:8 月 15 日
訪問先:文部科学省
【概要】
私たちは教育とは学校、家庭、企業の3本柱で成り立っていると考え、今回は学校を統括している文部科学省
に、道徳教育について話を伺いに行きました。
まず最初に小・中・高等学校の道徳教育についての学習指導要領と道徳教育の具体的な指導目標が書かれた資
料を頂きました。
そして道徳教育は「学校教育全体を通じて」行われるものだという考えを示しました。その上で、近年の新指
導要領作成にあたって改善されたポイント、そして私たちが今まで調べるにあたり疑問を持っていた心のノート
について、さらに文科省と現場の意思伝達のシステム、現在道徳教育が抱える問題点とその対策について、憲法
上の道徳教育の位置づけなどについて話して頂きました。
最後には私たちの多くの質問にひとつひとつ丁寧に答えて頂き、大変有意義な時間になりました。
【感想】
私たちは小学校の頃から実際に道徳教育を受けてきましたが、おそらく尐数派ながら個人的には小学校の道徳
の時間、また中学校の HR の時間に満足してきましたし、有意義な時間であったと考えています。それはなぜか
と思い、私は久々に小学校時代の恩師に電話をかけてみました。
私の小学校の道徳の時間には、クラスで一年間取り組むことを決め、その目標を達成するために企画係が結成
され、道徳の授業時間のみならず休み時間の多くもクラスの仲間と練習しながら一緒に過ごしました。例えば 6
年生の時は 30 人 31 脚で目標タイムを設定し、卒業ぎりぎりになってそれを達成した記憶があります。その他に
も先生は道徳の時間に青年海外協力隊に参加した知り合いの話をしてくださったり、時にはその時クラスが抱え
る問題を一時間かけて話し合ったりしました。
私は先生と久々に話すまで、ずっと先生が道徳の時間に私たちに示したくださった素材が良かったとばかり思
っていましたが、電話で最初に先生がおっしゃったのは「道徳は決してその授業の時だけに教えられるものでは
第 30 回日中学生会議
41
なく、学校にいる時ずっとだと思う。君たちと一緒に過ごす中で、先生は尐しお手伝いして、毎日尐しずつ君た
ちが何かを学んでいくことこそが道徳だと思うよ。」という言葉でした。
文部科学省の FW に実際に行って最初に耳にしたのは、私の恩師も口にしていた「道徳教育は学校教育を通じ
て行われるものだ」という見解です。私はただ文科省の指導目標なども気にせず、ただ漠然と授業を受けてきた
ましたが、先生の授業の中に文科省の指導要領が生きていることに衝撃を受けました。そして私が道徳の時間に
満足していたのは、先生に技量があったからというだけでなく、きちんと文科省の指導が現場に行き届いていた
からだということが分かりました。
それまで文科省にはどこか遠くてお高い感じというイメージばかりを抱いていましたが、上記のことをきっか
けに、私たちの考える教育に近いということを知り、また私たちの個別の質問に耳を傾けてくださり、私たちの
希望もきっと預かってくださった文科省の FW は大変有意義でした。
今回の分科会活動中には道徳教育の問題を挙げるだけに終わり、解決策を生み出すまでには至りませんでした
が、今回の FW の結果を皆さんに報告するのも私たちの使命だと思います。
お忙しい中、親切に対忚してくださった文科省の方、本当にありがとうございました。
■フィールドワーク 2
日時:8 月 16 日
訪問先:ベネッセ・コーポレーション
【概要】
「教育」は、学校・家庭・企業の3本柱で成り立っていると考え、今回は日本の通信教育の最大手で、現在中国
にも進出、拡大中であり、日本の教育について幅広く調査活動を行っているベネッセの中国事業部の方に話を伺
いました。
最初にベネッセの提案する教育はあくまで学校の勉強がメインであり、家での予習・復習を推進するものだと
いうことを紹介していただいた後で、为に中国事業の展開について話を伺いました。
ベネッセの方からの事業についての説明の後は、私たちからの質問の時間を設けて頂き、またいち教育従業者
としてアドバイスを頂きました。なかでもある方の「教育格差は为に物理的格差と精神的格差に分けられると考
えられ、学習意欲といった精神的格差の背景を考え、学習意欲の格差が学力格差に繋がらないようにすることが
これからの課題でないか」という見解は、私たちが本会議後半に教育格差について考える上で大きなアドバイス
となりました。
【感想】
私たちは当初、教育における企業の役割を知るため、そして会議の議題でもある教育格差やゆとり教育等の諸
問題に関する解決の糸口を見いだすために、お話を伺いに行きました。
訪問してまず始めに感じたのは、ベネッセのスタッフの皆様の人当たりの良さでした。加えて教育に対する熱
心さもお話の中から感じることができました。余談ではありますが、私が会議に参加する前から考えていたのは、
教育に携わる人達に対しては子供達に対して真摯であってほしい、ということでした。つまりはたとえ企業であ
ってもまず利益よりもそれが子供にとって良い影響を及ぼすかどうかを考えてほしい、という期待があったので
す。(当然、企業という形態をとっている以上、利益は優先されるべきものですし、そうでなければ企業として
の責任をとれないことも理解しているつもりです)
例えば昨今の予備校などを見れば、商業的な側面が強すぎて、教育機関というよりはビジネスのみに偏ってい
るような印象を受けてしまいます。有名大学に受かれば表彰され、でかでかと顔写真が貼りだされます。、一方
でそれが叶わなかった生徒にはスポットライトが全く当たりません。内部では、業績のためのある種のノルマが
第 30 回日中学生会議
42
存在すると聞きますし、そうした目標が商業的な側面を助長している現状があるのだと思います。そのような事
情から私は教育に携わる企業に対してはまず子供の育成を考えてほしい、という期待を抱いているわけですが、
今回の対談でお話した三田村様を始め、ベネッセの皆様にはその点に関しては期待以上で安心しました。
質疑忚答では、多岐にわたった質問が飛び交い誰もが有意義な時間に感じたのではないかと思います。私がこの
対談で知りたかったのは、企業としてのスタンスと個人の考えや理想であり、その両者のギャップでした。対談
に参加して頂いた社員の方たちにはそれぞれ企業としてのスタンスと自分の意見を明確に区別して説明してくだ
さり、とても参考になりましたし、ベネッセが教育に携わる一企業としてどのような目的を持って活動をしてい
るか、そしてベネッセの社員の方々の考えも理解できました。
また、ベネッセは調査機関としての側面も持っており、そのこと自体も興味深かったですが、本会議でも参考
になるデータを頂くことができ、大変参考になりました。
私個人の感想ではありますが、中国でのベネッセ事業のお話は、教育というよりはどのように中国でビジネス
を展開するか、という方に焦点が当てられていましたが、滅多に聞けるお話ではありませんし、今後どのような
展開をしていくのか、興味を持てました。
最後にこのような場を用意していただいたベネッセの皆様に深く感謝致します。
■総括
教育とは、その後の個人の生活、人生、国の方向性までも変えてしまうほど影響力のあるものです。私たちの
世代は日本では「ゆとり教育世代」、中国では「80 后、90 后」と言われています。どちらもある程度豊かにな
ってから生まれ、何不自由なく暮らしています。その一方で、社会構造や金銭問題によって教育の二分化が起き
たり、不登校やいじめの頻発化、集団行動を不得意としたりする人が増えています。その様な対立二元構造に問
題意識を抱いたことが、この分科会の始まりでした。
私たち学生が教育について考える意義は、私たちが結婚し、家庭を持ち、こどもを育てるようになってから、
直接生きてくると考えています。日中両国の学生が、3 ヶ月間教育について本気で考え、議論することで、将来
どういった教育を子どもに受けさせたいのか、自ずと誰もが自分の子孫のことを思いながら議論していました。
3 ヶ月間一生懸命勉強し、議論したとはいえ、学者並みの結論が得られるわけではないです。しかし、私たちが
学生なりに、本気で考え、日中両国の合意を持って結論が得られたことに国際交流の意義があると思います。
また、この分科会を設立する上でこだわったことが 2 点あります。1 点目は、議論の前提として、日中間での
意識のずれをなくすことです。物理的に遠いこと、また言語面においてとても苦労しましたが、話合う論点や定
義、ゴールは全員でブレストし、共有して決定しました。2 点目は、「両国の状況に適した教育の形を見つけ
る」という結論で終わらないことです。現状分析や原因分析にとどまっているだけでは、両国が集まり直接議論
するまでもないと考えました。前述の分析から、お互いが将来目指すゴールに向けて議論する、ということに重
点を置きました。そのために、現状分析は事前準備の段階で、日中双方の教育問題について勉強し、本会議の最
初の時間で発表するという形をとりました。中国側もこの提案を受け入れてくれ、とても協力的でした。
本会議では、日本国内、また日中間においても議論の進め方や考え方による分裂や意見の食い違いなど多くの問
題を抱えていました。しかし、最終的には、ぶつかありながらもなんとか日中両国協力して1つのゴールに向け
て意見をまとめあげたこと、そこには分科会みんなの協力があったからこそ成し遂げられたことだと思います。
最後に、最後まで一緒に作り上げてくれた日中両国の分科会メンバー、様々な助言をしていただいた OBOG の皆
さん、陰で支えてくれていた実行委員長、副実行委員長、お忙しい中対忚してくださった国際日本文化研究セン
ターの戸部良一先生、文部科学省の堀内様、ベネッセ・コーポレーションの三田村様に感謝いたします。ありが
とうございました。
第 30 回日中学生会議
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環境分科会
日本側参加者:木下美佳子
白石智寛 林宏煕
楠麻裕子
酒井花純
北京側参加者:张辽 梁昊亮 李莎
広州川参加者:林泽新 曾晓璇
■事前活動
1.スカイプミーティングと会議前学習準備
環境分科会のスカイプミーティングでは、環境問
題の興味分野から出発し、知識の共有、議題の選
択、課題図書の決定、フィールドワーク先の決定、
行う業務の分担等を行いました。ほぼ毎週、課題
図書を設け、感想文を課題にしたりして学習の内容を共有しました。また、フィールドワークでは行きたいとこ
ろの調査やアポ取りを分担して行いましたが、最終的に事前活動でいけたのは環境省への訪問 1 つとなりました。
今回環境分科会が行っていたスカイプミーティングは、毎週ほぼ 3 時間以上と長いものでした。問題にぶつかり
打開するのに時間をかけたり、納得いかないことをとことん議論したり、会議前の事前準備としては比較的十分
なものでした。しかし、中国側との連絡で相手側全員と議題の共有ができていなかったなどの課題も残しました。
事前学習については以下のように進行しました。
まず、中国の環境問題の現状を理解する必要があると考えたため、『中国環境問題 今何が起きているのか』を
読み、中国の環境問題の現状及びその取り組み状況について理解を深めました。また、環境問題は経済や政治、
外交などと強い結びつきがあり、複雑にそれらの要素が絡み合い、環境問題というものの解決は非常に難しいこ
とを認識しました。さらに、環境問題を扱う上で人間の倫理観というものが大切になるため、環境倫理学の知識
をつけました。また、中国の現状を勉強していくうちに、中国の環境問題は、過去の日本がたどってきたものと
近いものがあるという事が分かりました。そのため、日本の過去にあった 4 大公害など環境問題と深い関わりが
あるトピックの分析なども行い、中国側に日本としてアドバイスできることなども考えました。
こうした書物を読むことメンバーで環境問題を考えていくうちに、中国側と話し合う議題が、日本の東日本大震
災の影響や、中国の経済発展を考えたときに自然とエネルギー問題を討論することが決まりました。さらには、
中国側が日本の家電リサイクル法に対する興味から、中国国内のリサイクル体系の欠陥による環境汚染問題や日
本から中国に電子ゴミを輸出し中国で環境汚染を引き起こしている越境汚染の問題が浮上し、討論の議題が 2 つ
決まりました。
2.直前ミーティング
本会議を前に、議論の方針や日本側のスタンスの確定、議論前の発表資料準備、事前勉強のまとめ等をするた
め、環境分科会は直前合宿(8 月 6 日)の前日に全員で大阪に集合しました。
事前に決定していた 2 つの議題の方向性の中で、議題を具体的にする必要があったため、日本側だけで議論を進
めていった結果、以下の二つの議題と日本側の統一のスタンスが決定しました。
1.エネルギー問題
議題:経済発展を維持しつつも環境保護をしていく両国のエネルギー構成と発電手段の選択について
スタンス:原発を最小限にして、廃止を目指すとともに再生可能エネルギーを最大限に利用する。
第 30 回日中学生会議
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2.電子ごみ問題
議題:両国が協力していく循環型社会を目指す電子ごみの循環システムの構築について
スタンス:日中両国の電子ごみの循環システムをグローバルスタンダードとして構築する。日本は技術を提供し、
中国国内で正当に電子ごみが処理されるようにする。
この直前ミーティングは、本会議の準備の一環として、非常に重要な事前活動のまとめでした。スカイプミーテ
ィングではどうしても深めることができなかった議論や、各メンバーの考えの理解、そして、環境分科会として
の意見の一致させるにはどうしても顔を合わせて話し合うことが必要だったからです。この直前ミーティングが
あったからこそ、本会議で分科会がまとまりをみせ、議論がある程度計画通りスムーズに進んだと考えています。
■フィールドワーク
日時:6 月 27 日(月曜日)
訪問先:環境省
【概要】
環境省という国の機関で自国がどのような考えを持ち、目下どのような環境問題があるのかについて理解を深め
るために訪問をお願いしました。その中でも为に、東日本大震災後の日本のエネルギー政策や再生可能エネルギ
ーの現状を理解するために企画されました。国の方針や環境省の方針を理解するのにとてもいい機会となりまし
た。
【感想】
今回の環境省訪問では、書籍やメディアからでは得られない、実際に政策立案の現場で働いていらっしゃる方の
生の声を聞くことができ、新しい知識を得られたのはもちろんのこと、今まで感覚的に理解していたことをより
深く知ることができる機会となりました。何よりも環境省の節電の徹底ぶりは想像以上でした。1 階のロビーだ
けでなく、各階の廊下の照明が落とされ、職員の方は手元の LED ライトでお仕事をされていました。朋装にも気
を使ってらっしゃる様子で、「クールビズ」を超えた「スーパー・クールビズ」がどんなものであるかが印象的
でした。職員さんからのお話で一番印象に残っているのは、「環境省が最善の策のみならず、いろいろなケース、
ときには最悪のケースも想定して、多種多様な政策を作っている」ということでした。そういうポリシーがある
からこそ、今回の震災で白紙になってしまった政策がある中で、「大規模集中」型の電力供給システムから、
「分散・集約」+「需給調整」型へといち早く政策転換できたのではないでしょうか。しかしながら、こうした
環境省のモデルが実際の国の政策、制度になるには、経済面や財政面等との対立、制約もあり、そこが国として
動くことの難しい部分だと思います。京都議定書の議長国に代表されるように、環境分野において世界でリーダ
ーシップをとっていこうとする日本が、経済的利益を追求するばかり環境に対する配慮がおろそかになっては本
末転倒であり、環境と経済的利益、経済成長のバランスは、中国のみならず日本においても、今後も重要な課題
であり、議論の絶えない問題であり続けるだろうと思います。また今回、お話を伺ったことで、日本並びに中国
の環境に関することだけではなく、エネルギー政策で言えば、環境省のみならず、経済産業省等の各省もそれぞ
れの立場から政策提案し、国としての方針が定まっていく、その過程をも理解することができ、非常に得るもの
が多く中身の濃い、有意義な時間となりました。
■大阪開催
■論点
「電子ゴミの越境汚染を国家間の問題としてとらえ、いかに国内における家電製品の循環システムを構築する
か」
第 30 回日中学生会議
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・中国国内における中古家電の循環システム
・日中間における家電製品の循環→いかに中国国内でリユース意識を形成するか
■討論内容
電子ゴミが中国で重大な環境汚染を引き起こしています。広東省汕頭市貴嶼鎮(スワトウ市グイユ)では、土地
が悪く、地理的な事情もあり他産業が育たないため、電子ゴミの回収を町ぐるみで行うようになりました。80%
以上の家庭で電子ゴミの回収を行い、それらを処理して資源を得ることで生計を立てています。そもそも電子ゴ
ミの回収と処理には 2 種類の形があり、個人が行う伝統的な方法と企業が为導するハイテク処理に分けられます。
環境汚染を引き起こす要因になるのは、貴嶼鎮のように個人単位で電子ゴミを回収、処理する伝統的な方法であ
り電子ゴミを個人が回収することです。これにより、ゴミが増えることだけでなく、人体への影響も問題となっ
ています。
もうひとつ忘れてはならないのは、電子ゴミは中国国内における問題のみならず、先進国も深く関わっていると
いうことです。先進国はゴミのリサイクル制度は整ってはいるものの、人件費が高く、電子ゴミの処理コストが
上がるため、あまり好んで電子ゴミの回収をしたがりません。一方、途上国は電子ゴミから資源を取り出すこと
で利益を得ることができるので、違法と知っていながらも海外の電子ゴミを回収しようとしています。
こうした現状を踏まえ、今後両国の電子ゴミの環境汚染問題に対する姿勢について、
中国側の为張:先進国からの中古品の輸入を禁止→国内の循環システムを確立すれば、電子ゴミと環境汚染の問
題は解決される
という自国における生産→使用→回収→処理の完結した循環を为張していたのに対し、
日本側の为張:
1.日本は土地がないのでゴミを埋める場所に限界がある
2.中古品の中にはまだ使えるものがある
3.中国の人件費が安いため、ゴミの回収業者としては、国内で処理するのに比べて海外に輸出した方が利益が
出る等の理由から、中古品の輸出を維持したい
→電子ゴミの問題はグローバルな視点と切り離して話すことができない。国内循環だけを変えたところで、電子
ゴミの輸入は食い止められず、環境汚染は解決することができない。
という立場に立ち、現在日本は中国製の家電を多く輸入している現状にあることからも、生産→使用→回収→処
理を日中間における循環としてとらえようとしました。
この点の両国の食い違いに対しては、今後中国が益々発展を遂げ、将来先進国として日本と同じように電子ゴミ
の輸出国となる可能性があることから、【電子ゴミの越境汚染を国家間の問題としてとらえつつ、いかに国内の
循環システムを構築していくか】ということを中心に話し合いを進めていくことで合意しました。
上記の話をまとめると、下図 1 のように整理されます。中国と日本には生産から使用、回収、処理までの一連の
リサイクル循環が存在するが、両国の発展段階が異なるため、それぞれ異なった問題に直面しています。
中国の現状:
第 30 回日中学生会議
46
政府
消費者
消费者
¥
違法に処理を
行っている個人
¥
人員
環境資本
正規処理を
行っている企業
¥
¥
販売元
町内会
×
汚染を引き起
こす企業
人员
¥
監督
¥
伝統方式
ハイテク技術
¥
¥
廃棄物
中古品市場
¥
回収出来た資源
人員
政府
正規処理企業
¥
優待税制ま
たは補助金
製品を生産する企業
図1
1. リサイクルの循環システムが不完全である
2. 電子ゴミを処理する過程で有害物質を排出している
日本の現状:回収から処理の過程で、法律の穴をかいくぐった違法行為があります(※リサイクル業者に流され
たゴミの一部は正規のルートで処理されますが、一部非合法方法で処理され、中国などの国に不法に流入してい
ます。家電リサイクル法によれば、日本の家電の処理費用は、家電の販売価格に含まれているため、企業が日本
で処理をせず、海外の業者と取引をするなどして家電を処理すれば、その部分の利潤を得ることが可能になりま
す。)
環境分科会ではそれぞれの問題点をひとつひとつ検証し、解決策を考えて行きました。
■結論
≪中国国内における家電製品の循環システム≫
まず、中国国内における家電製品の循環システムを日中双方で考案しました。
日本側からの提案:環境汚染の原因である伝統的リサイクル方法を行っている個人業者をなくし、正しい処理方
法でリサイクルを行うことのできる環境整備を進める必要があると考えました。消費者が違法な個人にゴミの処
理を委ねてしまうのは、伝統方式によって得た資源の利益から、違法な個人が消費者に金銭を渡している現状が
あるためです。そこで、現在ハイテク技術を使って正規で電子ゴミの処理を行っている企業が、中古品を持って
きた消費者にお金を支払うことができるようになれば、消費者は違法な個人業者に回収を委託することもなくな
るはずであると思います。ここで重要なのは、正規処理を行っている企業が、違法な個人業者よりも多くのお金
を払うことができることであり、そのためには、この資金が政府の環境資本から支給されることが必要になるで
しょう。
しかし、単なる金銭の仕組みだけでは、家電の回収という仕事を失った個人業者の雇用は確保されません。そこ
で、ハイテク技術を使って回収できた資源を使って新たな製品を生産する企業を作り、正規の家電ゴミ処理を行
っている企業で再雇用すると同時に、この新しい企業で雇用を確保することを可能にします。
中国側からの提案:中国側の提案した循環システムも日本のものと似通っており、中国国内の現状を加味し、日
本側の考えたシステムをさらに補強するものでした。消費者と正規で電子ゴミ処理を行っている企業との仲介と
して、利便性を図るためにショッピングモールや地域コミュニティーを介して家電製品の回収を行い、回収した
第 30 回日中学生会議
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ものを中古品市場に回すことで商品として売れるものは売り、売れないものはリサイクル工場に持っていく流れ
を構築します。この時、政府はそれまで違法に電子ゴミを回収していた個人業者をコミュニティーの回収に回す
だけでなく、転職を支援し、また中古品回収市場やリサイクル工場の対する税制改革を行うことも必要になりま
す。
図2
⇒中国側の回収処理システムを日本側の消費者と正規で処理を行っている企業との間に入れることで、環境を汚
染しない中国国内における電子家電循環システムが生まれます。
≪家電製品を日中間(国家間)で循環させるために≫
現在、中国では豊かさを証明するため人々が新品を求める傾向から、中古品への抵抗があります。しかし、その
ために家電製品の電子ゴミ問題が悪化し、環境汚染が広まっていることは間違いありません。人件費が高く資源
の乏しい日本にとって、今後も中国からの家電製品の輸入は必要不可欠であり、また再度資源を取り出す目的で
中古品を中国へ輸出することも必要です。このためにはまず、中古品を使わないという中国国民の意識を変える
必要性、つまりリユース意識の形成が求められます。経済発展が止まれば自然とリユースの意識は生まれますが、
それを待つのではなく、中国が今後も発展していくためには、逆にリユース意識から新しい経済発展の方法を考
えることが必要ではないでしょうか。
その方法として私たちが考えたのは、日中両国政府の共同事業としての中古品を扱う会社を設立することです。
民間企業だと潰れることが許されないゆえの利益追求に走ってしまうため、国営企業が中古品ビジネスの先駆け
となり、リユースの意識の形成をします。こうした意識が定着すれば、民間企業にも委託し、新しい経済発展の
方法を見出すことができるとともに、環境破壊を止め、中古品の輸入も推進されることが可能となると考えられ
ます。
■フィールドワーク
日時:8 月 8 日
訪問先:十八条下水処理場
【概要】
下水処理場に行くことで、水質汚染や水不足など現在世界の直面している問題について理解を深めるために行い
ました。中国側の問題提起で広州の朱海の汚染があげられ、汚染源は工場排水や生活排水といったものでした。
そこで、下水処理場でいかに河川に浄化された水が戻され処理されているか理解を深めました。
【感想】
今回訪問した十八条下水処理場は为に飲み水として使用できる上水ではなく、河川などに戻される中水を処理す
る場所です。汚れていた水がいくつもの過程を経てきれいになっていくのを見ることができました。中でも一番
印象的だったのは水がきれいになるにつれ施設内の臭いがなくなっていったことです。
ここで今回環境分科会の討論トピックであるエネルギー問題に関して十八条下水処理場の取り組みをあげたいと
思います。十八条下水処理場は屋上に太陽光パネルを設置しています。これらのパネルで提供できる電力は下水
処理場の 1 パーセントの電力です。発電された電力は普段活用されるのではなく停電などが起きた時に使用され
ます。100 畳ほどの屋上いっぱいのパネルで供給できる電力が 1 パーセントと聞いた時は驚きでした。しかし一
番驚きだったのは、普段利用するのではなく停電に備えるためであるという設置理由でした。これは太陽光パネ
ルでははるかに供給量が不足するため家庭に設置した時に課題がまだ残ります。しかし、このように大阪府では
多くの下水処理場が太陽光パネルを活用していることは素晴らしいです。このように地方政府が再生可能エネル
ギーに力を入れることは再生可能エネルギーの普及に不可欠だと思います。
今回は中国側との話し合いで最終的に水というテーマは討論しないことが決まりました。実際に討論されること
はありませんでしたが、水問題に関して多く勉強しました。これから先日本あるいは中国だけでなく全世界が水
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不足に陥ると言われています。その理由の 1 つは水質汚染により水が使えなくなるためです。水質汚染は私達人
類の普段の生活や産業活動などによるものです。この水不足はさらに食料不足にも影響してきます。そのため私
達人類の生命を直に影響できる力を持ちます。普段欠かすことのできない水という身近なものをどのように守っ
ていくのか-私達は真剣に考える必要があると思います。今回残念ながら中国側の学生と討論することは出来ま
せんでしたが、いつか両国の学生で話し合いの場が持てればと思います。FW で勉強になったことが直接本会議の
討論に反映されることはありませんでしたが、とても貴重な経験となりました。ここで協力して下さった十八条
下水処理場の職員の方々にお礼を申し上げたいと思います。
■東京開催
■論点
「再生エネルギーの可能性~いかに原発に頼らずに再生エネルギーを普及するか~」
環境分科会では「再生可能エネルギーの可能性~いかに原発に頼らずに再生可能エネルギーを普及するか~」と
いうテーマを設定し、あるべくエネルギー構造へシフトするための方策について議論しました。
■討論内容
日中のエネルギー構成の現状⇒
中国:石炭 78.9% 石油 0.7% 天然ガス 1.2% 原子力 2% 水力 16.7% 新エネなど 0.4%
中国は石炭などの 1 次エネルギーの占める割合が多い。
日本:石炭 26.8% 石油 13.0% 天然ガス 26.3% 原子力 24% 水力 7.1% 新エネなど 2.8%
日本は 70 年代のオイルショック以降、エネルギー構造転換を図ったため原子力への依存が比較的高くなってい
ます。
現状を踏まえて日中の今後のエネルギー構造転換について議論したところ、原子力発電に関して日中間で対立が
見られました。
原子力発電のメリット・デメリット⇒
メリット:原子力発電のメリットとしては、発電時に地球温暖化の原因とされる二酸化炭素、酸性雤や光化学ス
モッグなど大気汚染の原因とされる窒素酸化物や硫黄酸化物を排出しない点、エネルギー供給量が比較的多く、
安定してエネルギーを供給できる点があります。
デメリット:デメリットとしては、原発事故等が起こった場合、高レベルの放射線や放射性物質が外部に放出さ
れ、広範な範囲の環境の破壊・人体への健康被害を引き起こすなど多大な影響を及ぼす点があるます。また、原
子力発電を行う際に残される放射性廃棄物の処分方法が存在せず、放射性物資は何万年も残るため将来世代に放
射性廃棄物を残すという問題があります。
以上を踏まえた両国の原発に関する見解としては⇒
中国:発展途上であり、電力需要が急増している中国側はエネルギーが不足しています。しかし、地球温暖化と
いう環境問題を考慮に入れると地球温暖化につながる火力発電には頼ることができません。よって経済発展の必
要性から原子力発電に頼るべきという見解です。
日本:先進国である日本としては、福島原発事故を受けて原子力発電所の新規増設は難しい状況にあり、また原
発事故の多大な被害を鑑みると、原子力発電に頼るべきではないとの見解です。
今後のエネルギー構造転換への目標としては⇒
中国:中国は、経済発展のための安定した膨大なエネルギーの必要性から、火力発電の代わりに原子力発電を伸
ばす必要があります。しかし、原子力発電は事故が起こった場合のリスクが高いため、再生エネルギーに力を入
れるというスタンスです。また原子力発電所を建設するということは、非常に高額な建設コストがかかる上、廃
炉・放射性廃棄物が残るという問題があります。この問題があるため、原発の建設基数は最低限度に留め必要以
上に増やさない・再生エネルギーで足りない分のエネルギーを原子力発電で補うという見解です。
第 30 回日中学生会議
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日本:一方日本は、福島第 1 原発事故を受けて、今後、原子力発電所の新規建設および設備利用率の大幅な向上
は非常に困難であり、経済の成長と地球温暖化問題を両立する新たなる戦略を一刻も早く行う必要があります。
原発事故の多大なリスクを考慮して原発の新規増設をやめ、電力発電総量・電力需要の大幅な削減に加えて、再
生可能エネルギーの拡充を図るというスタンスです。
以上のように、今後目標とすべき両国のエネルギー戦略が明らかになった上で、目標に到達するための方策を考
え出しました。
■結論
~今後のエネルギーシフトへの方策~
中国:中国側は、原発は増やすが安全性を高め建設基数を最低限度に留めた上で、再生エネルギーを普及させる
方法として、以下を挙げました。これらは、中国国家が決定した政策に基づいています。
≪再生可能エネルギーを普及させ、原子力発電で電力需要を補うための方法≫
1.立法:政府による再生エネルギーへの財政支持・再生エネルギーに関わる企業の参入標準を上げる・原子力
の発展速度をコントロール
2.執行:原子力発電の新監視機関の設立・研究開発、教育、発電過程の詳しい投資画を決定する。
3.意識:再生エネルギーの国家宣伝・原子力発電所で働く従業員への安全教育
≪原発推進へ転向する危険性についての方策≫
中国が、以上のような方策を行ったとしても、原発推進へ転向する危険性は拭いきれない。というのは、再生エ
ネルギーには欠点があるからです。
■再生エネルギーの問題点
・現状の技術では発電効率が高いとは言えない。
・安定供給の面で課題があるため、大都市への大量供給には向かない。
・発電可能な用地に限界がある。
原子力発電は国策なため、国家が関わる条約や法律で原発を規制するのは現実的ではない。原発を減らす・増や
さない方策をとるよりは、いかに再生エネルギーを伸ばしていくかを考えました。
中国は、現状では国家規模で再生可能エネルギーの普及を進めています。(再生可能エネルギーへの投資額世界
1 位・太陽電池生産企業別シェア 30%以上。)
~対策モデル~
対策モデルを地方の人々と都市の人々(富裕層)に分けて考えた。中国の地方と都市では、立地や人々の収入に
相当な違いがあるからです。
対象:地方の人々(住居に一戸建てが多いため再生エネルギーが導入しやすいが、収入は低い)
国が地方へ再生エネルギー普及を支援⇒地方はその支援で自家発電を行い、余剰分を国営電力会社に提供します。
⇒国営電力会社は、その余剰電力を都市へ売り、利益を国へ還元する。⇒国がその利益で地方へ再生エネルギー
普及を支援するというサイクルです。
対象:都市の人々(集団住宅が多いため再生エネルギーは導入しにくいが、収入は高い)
集団住宅販売業者に再生エネルギーの導入を義務付けます。⇒「エコ住宅」というブランドを創る。⇒そこに住
む人々に尐しずつ環境意識が形成されるというモデルである。
日本:日本側は、再生可能エネルギーの導入を促進し、電力発電総量の削減を図る方法として、以下を挙げまし
た。
≪再生可能エネルギー普及のための方法≫
1.再生可能エネルギー導入時にかかるコストの低減(地方公共団体や地域の企業が初期投資の負担減免・再生
可能エネルギーで発電された電力高額買取制度など)
2.出力安定化(蓄電池導入・コジェネ(熱電併給)の活用・需給調整リアルタイムプライジングなど)
第 30 回日中学生会議
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3.立地制約をなくす(地域ごとのポテンシャルを活かし、適材適所へ先端的な自立・分散型エネルギーシステ
ムを導入するなど)
≪電力発電総量の削減を図る方法≫
電力発電総量の削減を図る方法として、「減エネシステム」を考え出しました。
■減エネの概念
省エネとは⇒経済的社会的影響を同程度にしながら電力使用量を減らすこと。例えば発電効率や燃費を良くする
などが挙げられます。
減エネとは⇒経済的社会的に不利な影響を及ぼすとしても、エネルギーを減らす意識を個人単位で確立するとい
うことです。減エネは、省エネを行った上で行うという前提です。
■減エネシステム
1.第 1 段階では、発電量の増加幅を 0 にする。
現状では、電力会社は、電力がピークでない時もピーク時の電力を賄っています。発電量の増加幅をなくすこと
で、電力会社が発電する量を減らすことができます。
2.第 2 段階では、電力会社と個人の電力供給の比率を変える。
個人と電力会社の発電総量は不変であるが、個人の自家発電システムの導入を促進することで、個人は自家発電
で賄えない分だけを電力会社から買うこととなります。つまり、個人の電力需要が減り、電力会社の電力供給が
減ります。このことによって、個人が再生エネルギーの導入に取り組む意欲が芽生えます。
これらのシステムを進めるための策として、企業が電力のピークシフトを行う・電力会社の従来の料金システム
を改める・政府が再生エネルギー導入または省エネを企業に推奨する・個人の再生可能エネルギーを支持するな
どが挙げられます。
「減エネ」を行うことによって、最終的には個人に環境保全意識が形成されます。環境保全に取り組む事に対す
る新しい価値観が生まれ、環境保全は経済と同程度に価値があるというという考え方が根付くことで、社会全体
のエネルギー使用量が減ります。
以上のような方策を両国が行うことで、目指すべきエネルギーシフトが可能となります。
■総括
地球温暖化、森林破壊、砂漠化…取り組むべき環境問題は数知れないほど存在します。また、同じ環境問題を
取り上げてみたところで、各国によってそれぞれの経済状況や生活習慣を反映し、その問題の背景・原因は多様
です。このことこそ、日中学生会議という場全体を貫いてとくに強く実感されたことです。簡潔に言えば、「た
かが環境問題」から「されど環境問題」へ環境に対する印象をがらりと変えた機会であった、と言えます。以下、
具体的に振り返ってみたいと思います。
まず事前準備を通して日本側と中国側とが本会議で議論しあうテーマを決定するのですが、そこで両国の国内
事情をうけたテーマが双方から提案されました。具体的には、東日本大震災による原発問題が持ちあがる日本か
らはエネルギー問題、家電製品の生産・消費が著しく増加している中国からは電子ゴミの問題、といったもので
す。こうした議題設定の過程は、普段日本にいるだけでは意識することがないような環境問題に目を向けさせて
くれるよい機会となったとともに、環境問題に対する「思い」には政治や経済といった環境以外のファクターが
実に強く影響しているのだと思った最初の瞬間でもありました。結果的にも、互いの思いを尊重して、この 2 点
について議論する方向で資料作成を含めた準備することになりました。
さて、中国側を日本に迎え入れての本会議では、電子ゴミの問題に関して、中国側から、日本から中古家電製
品が持ち込まれやがて使えなくなることが、中国国内に「電子ゴミ村」が生む原因の 1 つとなったという指摘が
ありました。この指摘はその後の議論の起爆剤になったと思います。というのも、一般に国内問題として捉えら
れがちな環境問題ですら、根本には国際的な原因も存在するのだという認識を、わたしたちにもたらしました。
第 30 回日中学生会議
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そして、こうした認識を共有したことで、電子ゴミは、日中両国にまたがる問題でもあり、双方が協力して、従
来の枠組みをよりよい枠組みへと再構築する必要がある、という共通の目標を形成しました。最終的に生まれた
結論でも、この点に関しては納得いく形が得られたものと感じています。
一方、エネルギー政策の今後に関する議論はどうだったでしょうか。東日本大震災での原発問題が記憶に新し
い日本側としては、脱原発政策に基づいたエネルギー構成の可能性について議論することが、今後の中国のエネ
ルギー政策の一助となるという考えでした。しかし、経済発展に伴い増加するエネルギーをいかにまかなうかが
喫緊の問題である中国側にとって、この脱原発という考え方は非現実的であり、受け入れがたいものでした。結
論から述べるとするなら、この「脱原発」という概念に対する両国の印象の違いが、議論の最後の最後まで影響
したと言えます。つまり、脱原発というものを差し迫って必要なものと感じる日本と、まだそのように実感する
状況にはない中国との姿勢の差が、活発な議論が生まれるきっかけを失わせたと思います。この点に関しては、
配慮が欠けていたといことで反省すべきだと思います。ただ、この経験から得られたことは、国が違えば環境に
対する「意識の傾向」が異なり、その隔たりが大きくありすぎると、グローバルな取り組みで解決されることは
難しくなる、ということです。
以上が環境分科会としての議論を振り返ってみて得られた、ざっくりとした印象です。だが、あくまでも環境
分科会は、日中学生会議という学生交流団体の一部であることを忘れてはなりません。分科会活動も日中の学生
が交流を深めるきっかけの 1 つです。たしかに、議論で意見が合わず気まずい雰囲気になることもありました。
しかし、それもお互いの考え方を感じ取り、「心の底からの交流」を深められたことに繋がったと思います。環
境という議題に対する認識の深められたこと、学生との本気の交流ができたこと、この 2 つが日中学生会議にお
ける最大の収穫でした。
第 30 回日中学生会議
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ビジネス分科会
日本側参加者:石原なつみ、池谷明彦、鈴木あ
い、関口大樹、深野莉帄
北京側参加者:东阳、李文馨、恒欢
広州側参加者:张菁、麦健君
■事前活動
1. ソーシャルビジネス(SB)について
事前学習に述べさせて頂く前に、当分科会のテ
ーマであるソーシャルビジネスについて紹介し
ます。
ソーシャルビジネス(以下 SB)はビジネスの手法で社会問題を解決する事を目指すモデルです。そして、その活
動となる为体は営利目的の企業や、SB によって社会問題を解決するために設立された企業、非営利セクター
(NPO・NGO など)など多岐に渡ります。ですが、後述するように SB の定義には幅があります。そのため、まず
事前学習において日本側内で、本会議においては日本側と中国側で共に概念の統一をしました。
2.skype 会議とフィールドワーク
日本側の参加者は関西と関東に分かれているため、週 1 回以上のミーティングを skype 上で行いました。本会議
までに SB とは何かについて学習し、SB の具体的事例について調べ、実際にフィールドワークをしました。また、
中国側とも連絡し、本会議の議論の方向性を詰めていきました。
ここでは事前活動の内容を各分野に分けて紹介していきます。
① SB とは何かについて
初めは、SB についてイメージがつきにくかったため、いちから勉強しました。また、SB の定義や考え方には幅
があります。そのため、事前活動の初期段階ではマクロな視点として、SB とは何かについて複数の文献を読み、
全員で概念や考えを共有することから開始しました。
② SB の具体的事例の研究
次にミクロな視点として SB の具体的な実施事例を調べ発表・共有していきました。以下に記したこれらの事例
を調べる際には、事業为体が企業や NPO・NGO などの枠にとらわれないように気を付けました。また、内容も偏
りが無いように教育や幼児保育、貧困問題、日本の事例、海外の事例、日本国内の問題を解決するもの、海外の
問題を日本から解決するもの等、多種多様に渡るよう心がけました。調査は書籍、インターネット、団体の発行
物を利用しました。
●事例研究
UNITED PEOPLE、NPO 法人フローレンス、NPO 法人カタリバ、Teach For America、森永製菓、Big Issue、TABLE
FOR TWO
③
本会議の議論内容の決定
本会議の議論内容は中国側と共に skype を通して連絡を行い、本会議の議論の方向性をお互いの学習状況や日
中間で共通に話し合える点を擦り合わせながら決定しました。中国では、SB という概念が広まっていない点、具
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体的事例が過小している点やこれまでの学習を踏まえた関心事を総合して考えました。反省点として北京側との
連絡不足があげられます。
本会議での議論は以下の 3 ステップで進めることに決めました。
・【議論①】ビジネス分科会が考える SB の定義とは何か。
・【議論②】教育費から派生する教育格差を解決する SB を考える。
・【議論③】SB の広め方について考える。
3 ステップそれぞれの位置づけとして、まず、【議論①】で連絡不足であった北京側との共有も踏まえて、概念
に幅のある SB を理解し、議論の土台となる共通の定義を考えました。次に【議論②】で日中両国の具体的な社
会問題を解決する事例として「教育」分野においての SB モデルを考え、SB の可能性を模索しました。そして、
【議論③】で SB をどのように広め、世の中を豊かにしていくかという視点で議論していくことに決めました。
■フィールドワーク 1
日時 6 月 20 日
訪問先: 経済産業省
【概要】
平成 14 年頃からコミュニティービジネス(=地域の問題をビジネスで解決しようとす
る事業。以下 CB)が経産省の地方の支部単位で議論されるようになり、19 年から SB も
本格的に議論されました。そして、日本の SB を継続的なものにしようという狙いから
SB 研究会が発足し、現在は SB 推進研究会になっています。
経産省の SB に対するスタンスとしては、国が強いリーダーシップを発揮するというよりも、先行している地域
の動き・取組を政策的にバックアップするという立場です。経産省は日本での SB の基盤(情報交換のネットワ
ークなど)を作り、担い手は地方が支援する。日本より進んでいる欧米並みに日本で SB が盛んになることを目
指しています。为な役割は、①SB の広報・宣伝②担い手の育成者の育成(中間支援機関)③情報交換の場の提供
の 3 つです。
【感想】
経産省の方々が従来の社会貢献事業と SB の違いとして「事業の継続性」を挙げているの
が印象に残りました。そして事業の継続性を高めるためには、社会問題を解決したいとい
う熱意だけでなく綿密なビジネスモデルの構築・マネジメントが重要になってくると思い
ました。
言葉はとても印象に残りました。インタビューに答えてくださった斎藤さんと大堀さんは、多くの資料を用いて
プロジェクトについて細かく説明してくださり、またポストカードのお土産も頂きました。本当にありがとうご
ざいました。
■フィールドワーク 4
日時 6 月 25 日
訪問先:有限会社ビッグイシュー日本 C
【概要】
1991 年にロンドンで生まれ、日本では 2003 年 9 月に創刊。ホームレスの人の仕事をつくり自立を忚援する事業
です。訪問理由としては、ホームレスの社会復帰をどのように解決していくかは日本の社会問題のひとつである
第 30 回日中学生会議
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と考えたからです。その問題を持続可能なビジネスの形で支援しているビッグイシューの方に、事業内容、今後
の展望などの話を聞くことで、日本の SB についての理解を深めようと思いました。
していません。その為、飲料水を取水する川の近くや道端で用をたすこともあり、それが健康被害や衛生状態
の悪化を招いています。このプロジェクトによる成果として、同国にトイレができただけでなく、日本において
はブランドイメージの向上に繋がりました。また、王子ネピアには CSR 部は存在せず、商品企画部がプロジェク
トを推進していると聞き、とても驚きました。このような社会貢献プロジェクトは、会社によって、マーケティ
ング寄りか CSR 寄りかは異なりますが、近年増加傾向にあり、特に東日本大震災後は急速に増えたそうです。今
は社会貢献ブームになっていますが、そのうち本物だけが残るようになるのでは、という
【感想】
販売者の方を本屋の店長とし、本をどのように売るかはその店長一人ひとり、販売者の人に任せるという、ビ
ジネスパートナーとしてホームレスの方と付き合っていくという意識が、ビッグイシューという会社が SB とし
て成り立つ、ひとつのポイントのように思いました。また、ビジネスパートナーであるがゆえ本の売上などの強
制はできないということで、同社で働く意識や目標はみな違い、サポートの難しさを感じました。ビッグイシュ
ーの存在をもっと多くの人に知ってもらうことが今後の事業展開において重要なことであり、本を買ってもらう
ために記事、表紙のデザイン、そのひとつひとつに、思いが込められているのだと思いました。スタッフの方、
そして販売者の方とお話ができたことで、ビッグイシューという雑誌をより身近に感じられました。現在、日本
の社会課題にビジネスの手法を用いて闘う人々にお会いでき、本当に良かったです。
■フィールドワーク 5
日時:2011 年 8 月 3 日
訪問先:Larning for All
【概要】
米国の教育 NPO Teach For America をモデルに、日本で設立された団体。志の高い大学生や社会人を、効果的な
学習機会が得られない子どもたちがいる地域・学校に教員として派遣することで、教育環境を立て直すことを目
的としています。同時に、この団体の出身者が、様々な分野で活躍できるリーダーを育成することを目的として
いるのが特徴です。この団体の理事である武藤康平さんに Skype 上でお話を伺いました。
【感想】
旧来の NPO とは異なり、ビジネスマインドが高く驚かされました。この団体では、学生などを教師として派遣
するのですが、上述したようにボランティアとして参加した人を社会のリーダーにし、教育現場のみならず社会
を変革する人材にすることを目的としています。その為、研修では一流のビジネスマンが講師として指導や、参
加した教員同士で活動を議論し改善する策を考える時間を子供への指導時間以上に設けています。子供を支援す
る活動以外の研修を強化することで、問題解決能力やロジカルシンキング、リーダーシップ力を養っているそう
です。さらにミッションも深く考えられ、ぶれのない活動がされていると感じました。一方、事務局の運営資金
は財団からのお金や寄付金が中心で、一見旧来の NPO のようにも思われますが、その考えの根底にあるのは、
「多くの人や団体に忚援社会に支えられ続ける団体として生きることを目指す」事です。NPO はビジネスではな
いので、寄付中心で回るのが本筋であり、社会に支えられなければならないという想いからです。これはドラッ
カーの組織運営の考えとも共通するものがあると感じ、この団体の確固たる理念や効果的な問題解決をする姿か
ら、社会を変革する力が見えてきました。
大阪開催
第 30 回日中学生会議
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■論点
・【議論①】ビジネス分科会が考える SB の定義とは何か。
・【議論②】教育費から派生する教育格差を解決する SB を考える。
■討論内容
1.日本側、中国側それぞれの本会議以前に調べてきたことの共有。
本会議での討論をするにあたって、事前活動の際に北京側との連携不足であったことが大きな課題でした。そ
のため、【議論①】を始める前に日本、広州、北京の 3 グループの SB への理解度、事前に調べてきたことの確
認と共有を行ないました。
中国側:
●広州側:教育費負担、低収入世帯への政府の関わりについて発表しました。SB の普及度合、中国においての
SB の具体的事例「斉放網」について説明しました。
●北京側:中国の社会問題の調査「教育、社会格差、農民工」を発表。SB の定義、中国においての SB の具体的
事例「斉放網」について説明。SB の可能性、日中両国で出来ることについて説明しました。
日本側:
SB とは何かについての見解(課題図書、経済産業省へのフィールドワーク等)を発表しました。事例研究(本や
インターネットでの研究、企業などへのフィールドワーク、中国の事例)を説明しました。
2.【議論①】ビジネス分科会が考える SB の定義とは何か。
【議論①】の「ビジネス分科会が考えるソーシャルビジネスの定義とは何か」についての議論を開始しました。
SB の概念は学者や学識者によって幅があります。その為、ここから議論を進めていくためには始めに定義を統一
する必要がありました。SB はビジネスの手法で社会問題を解決する事を目指すモデルですが、定義の違いについ
ての卑近な例で言えば、グラミン銀行があります。同銀行のムハマド・ユヌス氏はそこであげた収益を社会問題
解決に、経費以外は全額の投資をするものだと考えています。他方、収益を利益としても得る SB もあります。
また、寄付型 NPO を SB に含めるかどうかについても認識に差があります。このように定義や認識の違いがいく
つか存在しています。
以下が両国の学生が考えた定義です。
日本側:
・〔目標〕社会問題の解決
・〔事業性〕ソーシャル“ビジネス”なので、寄付は含めない。
・〔担う団体・組織〕形態は問わない。(つまり、NPO でも企業でも可)
中国側:
・〔目標〕社会問題の解決であり、利益追求を第一としない。
・〔事業性〕寄付に長期的に依存し、運営の原資としない。(寄付の利用は場合により可)
・〔担う団体・組織〕“組織”として成り立っていれば可。(形態は問わない)
そして、これら両国の意見を踏まえて、質問や議論がありました。
日本側:中国側の言う〔事業性〕の“寄付の利用は場合により可”とは具体的に何か?
中国側:寄付金は立ち上げ時の資金として事業開始時に使う場合は問題ない。
→事業が軌道にのってからは寄付に依存しないが、利用もする事で両国の意見が一致。
第 30 回日中学生会議
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また、「事業内容によって SB と非 SB の境界線を引くべきか?」という議論には、社会問題をビジネスで解決す
るという発想自体が革新的です。その為、その点自体が SB と他のモデルの境界線といえるという意見で一致し
ました。
そして、双方が議論し、まとまったものは以下の通りです。
●両国の SB 定義のまとめ
・〔目標〕社会問題の解決
・〔担う団体〕“組織”として成り立っていれば、形態は問わない。
・〔事業性〕寄付を利用することは場合により可。(寄付依存・寄付为体は×)
3. 【議論②】教育費から派生する教育格差を解決する SB を考える。
まず、日中両国の教育問題、とりわけ教育費が格差の原因となる状況を発表し、共有しました。
中国側:国内でも教育レベルや施設が不平等ですが、政府の教育費の分配の不平等が教育格差をさらに助長して
います。また、経済発展による所得向上以上に、教育費が増えている状況が存在します。大学の学費は農村部の
年間収入をゆうに超えるほどだと言われています。これらは政府の支出不足、政策の未熟さが問題の元凶となっ
ています。
また、中国の普通高校(日本でいう国公立の学校)の学費問題についても発表がありました。中国には、教育機
会不平等が存在しており、それが高等教育の大衆化によって更に都市と農村での格差が拡大しています。その原
因は①学費が高いこと、②収入格差の存在、③教育投資が未熟であること、と考えられています。
そして、その格差を解消する SB の例が紹介されました。中国にある斉放網(qi fung/チーファンネット)はネ
ット上のサービスで、ページ上には貧困地域の子供のプロフィールが細かく掲載されており、そこにはどの地域
のどんな子供がどんな状況でいくらお金が無いのかが記されています。その子供たちに対し、世界中から支援を
募り、教育支援をしている SB です。この支援対象は小学生位の子供が多いです。このサイトで自らが貧困状態
であることを世間に明かすことに対して、子供たちの精神的負担になっていないか?という日本側の疑問に対し
ては、中国では大きな問題となっていないようでした。
そして、2 番目に教育格差を解決するビジネスモデルのアイデアについて話し合いました。
中国側:中国において一番の問題は資金、なので教育費関連問題について話し合いたい。
日本側:資金ではなく、教育機会の増加を問題解決手段としたい。
→教育費も教育機会もともに重要であるため、両方の要素を含め考える事となりました。
日本側が教育 SB の事例である Teach For America と Learning For All について発表しました。事業性、ビジ
ネス性がないので、SB と呼べないのではないかという中国側の疑問に対して、確かに上記 2 つの事例は、“資金
を自ら生み出す”という意味でのビジネス性はないかもしれませんが、これらはあくまで事例なので、これにビ
ジネス性を持たせることができると考えました。
■結論
【議論①】「ビジネス分科会が考えるソーシャルビジネスの定義」
・目標:社会問題の解決
・組織形態:特に問わない。非営利セクターや企業などあらゆる形態が対象である。
・運営:ソーシャルビジネスは継続性が重要であり、立ち上げ時には寄付金などの援助は必要であるが、事業が
軌道に乗ってからは寄付を为要な収入源としない。
第 30 回日中学生会議
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【議論②】「教育費による教育格差を解決するビジネスモデルをつくる」
〇教育格差
●日本側と中国側の意見の共通点
教育において「収入」は重要な要素であり、「教育格差は親の収入の格差」が大きく影響している。
●日本側と中国側の意見の相違点
日本側:「収入」は“より良い教育を受ける為”に必要な要素である。その理由は政府の教育に対する支援が中
国と比べ、既に一定の水準を確保している為である。
中国側:「収入」は“教育を受ける事”自体に必要な要素である。その理由は政府の教育への支援が不十分であ
り、都市の中でも格差があるほか、都市部と農村部の教育の質や設備の格差が非常に大きい為である。
以上を踏まえ、東京での議論に移りました。東京では【議論②】の教育格差を解決するビジネスモデルをつくる
所から開始しました。
■フィールドワーク 1
日時:8 月 9 日
訪問先:大阪 NPO センター
【概要】
大阪 NPO センターとは社会問題を解決する団体を支援する民間団体です。社会問題の解決にむけた SB やコミュ
ニティビジネスを始めたいという人、団体の運営方法や法律など多岐にわたる相談に支援を行っています。また、
社会起業家のための講座やイベントなども開催しています。訪問理由はこれまでのフィールドワークの訪問先と
して、企業や NPO、NGO 団体の方からお話を聞いてきましたが、社会課題を SB で解決しようとする事業団体をサ
ポートする人たちからお話を聞くことで、新たな日本における SB の現状、今後発展していくための課題などが
分かるのではないかという狙いがあったからです。また、中国においては SB の認知度や普及が無いため、SB 全
体を俯瞰して知れるところに行くことで、日中両国の議論をする下地を作るという目的もありました。
【感想】
職員の方から同センターがこれまで関わってきた社会課題解決を目指す事業者団体の紹介をしてもらい、支援者
と被支援者をつなぐ場所の大切さや、社会課題を解決しようとする団体が継続的に活動をしていくためにはその
運営方法がいかに大事かを考えさせられました。同センターの各団体の支援方法のひとつとして、多種多様な専
門家の派遣があります。この事業のように社会問題解決を目指す団体が機能し続けていくためには、運営知識な
どあらゆる知識を持った人材の育成や各団体の活動を広報する機能が必要であり、同センターのようにそれを手
助けするプラットホームとなる団体が今後さらに求められると感じました。
東京開催
■論点
・【議論②】教育費から派生する教育格差を解決する SB を考える。
・【議論③】SB の広め方について考える。
■討論内容
1.【議論②】教育費から派生する教育格差を解決する SB を考える。
第 30 回日中学生会議
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「教育費から派生する教育格差を解決する SB を考える」にあたって、まず大阪での討論の反省をし、それを踏
まえて議論方法等を修正しました。関西では日中のそれぞれの教育問題を解決する団体について学びましたが、
両国が持つ教育格差の問題の中身は異なります。そのため、東京ではその差に注意しながら議論していきました。
SB の良い点悪い点、どんな SB を作るかについて日中それぞれに分かれて話し合いました。まず、色々なビジネ
スモデルを例にブレインストーミングをしました。そして、中国側、日本側それぞれで、内容が似ているものを
グルーピングしました。その際には、経済産業省発行の「ソーシャルビジネスケースブック」掲載の case28 を
参照し、ビジネスモデル作成には定義を順守して考えました。また、利益や社会貢献の割合などバランスにも注
意しました。
その結果、議論やアイディアを出すことによって、貧困の根本の問題解決にある親の収入格差是正による教育機
会の不平等を補う「補習塾」をテーマに SB モデルを考える事となりました。収入が子供の教育機会に大きく影
響しているため、貧困学生にはそのようなチャンスが与えられていないからです。
次にこの SB のモデルを紹介します。対象は塾の費用を払う①一般学生と、②格安の費用、もしくは無料で通う
貧しい学生である。塾は为に①の支払ったお金によって運営されています。つまり、費用を払う学生が出した学
費の一部を貧困学生の学費として使うという形を取ります。こうすることで貧困学生と一般学生のバランスを取
り、win-win の関係の構築を目指します。
どれほどの収入までを貧困のラインと定めるかの基準については、中国政府が定めた収入証明書による貧困基準
を参照します。この基準は家族の人数と、収入等により貧困学生が決まるものです。そして、先生は为に都会の
大学の学生で構成されています。内陸部にある貧困地域にすぐに塾を作ることは出来ないため、まず都市部で塾
を開き、②都市の貧しい学生の支援を目的に①一般学生を取り込みながら運営をします。この事業をシステム基
盤とし、将来的には貧困地域でも塾を開き、都市部で先生をしていた人に担ってもらう方針です。
【中国においての補習塾モデル】
① 一般学生
(有料)
② 貧しい学生
→補習学校←教師 雇用者
普通教師
研修済の学生
当地の貧しい学生
農村の学生
ボランティア
(無料)
次に、具体的な SB の課題や仕組みについて述べていきます。まず、塾の費用を支える一般学生にどのようなメ
リットを提示し、集めていくかという課題があります。他の塾よりも学費を高くして入塾者数が減る可能性を考
慮し、①の一般学生の学費は他の塾の標準的な額と同程度としました。次に運営コストの課題です。学費を標準
的な金額にしたために、①一般学生によって支えられる学費が無料の②貧しい学生の人数が尐なくなります。そ
のため、多くの①一般学生を集めると共に学生教師の登用の促進や運営コストの削減などが求められます。そし
て、普通教師の立ち位置ですが、基本的には当塾の卒業生や教師志望者を教師に育成するためにおかれます。設
立当初は卒業生が居ないため、普通教師を中心に運営します。卒業生のボランティア教師が増えれば普通教師は
減らしていくという計画です。同事業の利益は今後の事業へ再投資し、発展を目指します。
塾生の対象年齢にも特に制限を設けない事としました。対象年齢が小中高のどこかの時期であるため、その人の
人生からチャンスを奪いかねないからです。しかし、誰でも彼でも貧しいという理由により無料で教育の場を与
えることは財政的にも難しいです。その為、中国政府が定めている貧困ラインを基準として、貧困学生との線引
きを明確にしています。
第 30 回日中学生会議
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2.【議論③】SB の広め方について考える。
フィールドワーク先である NEC(日本電気株式会社)に伺う前に同社の活動を紹介する発表を行い、質問を考え
ました。インタビューを経て同社の SB 支援の学びも踏まえ、ビジネス分科会の総括として日中両国でどのよう
に SB を広め、社会問題の解決をし、社会の発展を促していくか、その方法を模索しました。
日本側:SB を新成長戦略の一つと位置づけている内閣府や経済産業省等が担い手となり、SB 研究会、ネットワ
ーク作り、資金調達、人材育成等様々な支援をさらに推し進めていく事が提案されました。また、NEC の活動の
様にソーシャルベンチャー育成支援事業の推進や SB について教育の場でも伝える機会を増やすこと、日中両国
共同開催の SB ビジネスコンテストの開催などが案としてあがりました。
中国側:これまでの議論や学習を通した見解として、中国ではまだ SB は広まってない上に、大阪 NPO センター
で紹介されていた社会セクターを後押しする法律も発展途上国においては定められていないことが多いです。ま
た、社会全体が規模の拡大という面の発展を意識しているため、社会問題への意識が低いです。しかし、中国の
社会問題とそれに対する市民の目は厳しくなっています。他方、中国企業の CSR はあまり世の中に貢献できてい
るものが多いとは言い難いです。こうした中で SB の必要性が強く感じられます。しかし、中国では社会問題の
解決への取り組みに関しては政府が为役で、NPO や NGO などはほとんど担い手にはなっていません。つまり、中
国において SB を広めるには政府がもっとも重要な役割を果たしています。
そのため、これから企業の CSR や NPO、NGO は最終的に SB 型になり、ビジネス手法を使った支援効果・効率の向
上、事業の継続性を高めていくことが求められるという意見が出ました。
以下は、議論した中で明らかになった日中の差です。
日中互いの差異
1.政府の位置づけ
日本:政府<民間
中国:政府>民間
日中両国の SB や社会セクターへの支援、社会問題への取り組みは性格が異なっています。
日本では企業や社会セクターなど民間が先に SB を開始し、その重要性を理解した経済産業省をはじめとする政
府が後押しするという構図がありました。他方、中国では社会セクターの法整備も不十分で日本ほど自由に活動
が認められているわけではありません。また、社会問題の解決もその多くの分野を政府が担うという構図で社会
セクターや企業の活動は限定的となっています。
2.社会意識
両国とも SB 先進国である英米に比べるとまだまだである。
SB が進んでいるとされる英米と比較すると日本も含め、社会セクターを支援する法整備に不十分な面があります。
しかし、今年 6 月に NPO 法が改正、新寄付税制が実現するなど徐々に変わりつつあるといえます。
3.経済発展の段階
異なる経済発展の段階
経済の発展段階も日中両国は異なります。これが市民社会の成熟度に表れ、中国での SB が黎明期に当たる理由
と考えられています。とはいえ、日本も SB の本格的な広がりはこれからという段階です。
4.NPO・NGO の状況
日本:成熟期 中国:黎明期
中国においては NPO・NGO が日本と比べ自由に活動できる範囲が狭く、ボランティア等も政府が企画し、市民
が忚募するという型が多いです。中国も発展段階に忚じて、社会問題の解決を民間の社会セクターに任せる日が
来るかもしれません。
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5.企業 CSR の発展
中国のほとんどの企業の意識薄い
中国のほとんどの企業は CSR に対しての意識は低いです。また、一部ミネラルウォーターや飲料水、ファスト
フード店が貧困学生への支援等を取り入れた商品を販売していますが、消費者側も企業が本当に支援しているの
かと訝しげに考える人も多いそうです。
こうした状況を踏まえ、SB を広める方法として、
・日中両国間での SB ビジネスコンテスト
・多国籍企業での技術・人材・マネージメントの交流
・SB 啓蒙キャンペーン(SB week!や SB 月間等の開催)
などのアイデアが出ました。
■フィールドワーク2
日時:8 月 15 日
訪問先:NEC
【概要】
NEC の社会起業家育成支援
l NPO との関わり方
NPO との連携には 2 つの側面がありま。1 つは社会貢献活動・事業活動のパートナー(共同の製品開発)です。
もう 1 つは社員の社会参加と能力開発の場(ボランティア・社会福祉など)という側面です。
l
NEC 社会起業塾
同社は NPO 法人 ETIC(社会起業家を支援する NPO)と協働して NEC 社会起業塾を運営しています。これは社会
問題にビジネスの手法を用いて取り組んでいる若手起業家を、研修などを通じて支援するプログラムです。これ
まで 37 団体が修了し、「社会起業家」の認知度向上に貢献しています。また、NEC の社員が社会起業家と関わる
機会として「NEC 社会起業塾ビジネスサポーター」があります。これは NEC グループ社員を社会起業家とマッチ
ングしたチームを編成し、社会起業家をビジネスの面で支援(例えば顧客管理支援など)をする試みです。
l
ソーシャルビジネス活性化への課題提起
SB の事業体の基盤強化を支援しています。これは例えば、経営システムの支援、企業・行政の人材を活用した
SB の立ち上げの支援があります。他には、現行の SB 支援制度(政府・自治体による助成金等)の有効活用、中
間支援組織(SB の事業者を支援する組織)の基盤強化などが挙げられます。
【感想】
社会起業塾などの取り組みを伺って印象に残ったのは、同社は社会起業家を積極的に支援していると共に、同
社の社員全体の社会問題に対する意識を高めているということでした。これは企業が一方的に社会貢献に寄付す
るのとは違い、双方向的です。つまり、企業側にもメリットがあるという点で持続性があると感じました。
■総括
私達がこの分科会活動において、重要だと感じ、来年やその後に活かしたいことは 4 つあります。最初の 2 つ
は事前準備についての反省点で、議論内容がなかなか決まらなかった事と、中国側とコンタクトが取れなかった
事です。議論内容については、元々の知識が乏しかった事と、SB という題材で議論するイメージがしっかりと浮
第 30 回日中学生会議
61
かばなかった事です。それにより、私達は他の分科会と比べ沢山のフィールドワークに行けたにも関わらず、議
論の核心的なヒントをもらうことが出来たのは、ごく尐数だけだったことが残念でした。
しかし、議論内容が決まってからは、伺いたいことが明確になったため、より有意義なフィールドワークを行
えたので、その点はとてもよかったです。中国側とのコンタクトについては、連絡がとれていた広州側と連絡不
足だった北京側で、本会議中に認識の違いが出てしまいました。この問題は、来年以降全ての分科会に関して、
改善していきたいと考えています。
残りの 2 つは、本会議中に感じた課題点であり、この 10 人という人数の多さでどう議論のコンセンサスを取
っていくかという事と、人に言いたいことを伝える事の難しさです。10 人で議論のコンセンサスを取るという点
では、まず大人数でディスカッションする事自体が難しく、事前のシミュレーションが必要だという事を肌で感
じました。そして、コンセンサスを取る点については、理想は誰も妥協せずに、全員が納得する結果を出すとい
う事です。これこそ人数が増えれば増えるほど、限られた時間の中でこなすことがとても難儀だということを感
じました。実際ある程度の妥協が、この会議では出てきてしまいました。人に伝えることについては、言葉の難
しさを感じました。自分の伝えたいことがうまい言葉にならず、なかなか相手にそのまま伝わらないもどかしさ
を感じました。これは通訳を通せばなおさらで、全く違う意味に翻訳されてしまうと、全く理解してもらえず、
苦しんだこともありファシリテーターの重要さを再確認しました。しっかりと相手の意図を汲み取ってそれを最
適な言葉で要約出来る方がいれば、誤解も出ず上手く進むのでしょう。これら本会議中に感じたことは、来年の
この会議はもちろん、これからそういった機会では、常に解決法を探りつつ立ち向かっていきたいと思います。
このように学んだことが多くありましたが、長い 2 週間の合宿期間と 3 カ月の準備期間を通して、日本側参加者
だけでなく中国側参加者とも深い絆を築けたことを光栄に思っています。この日中学生会議の分科会を通じて、
日中友好の小さな、しかし確実な一歩が生まれ、それを今後もつなげていきたいです。
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社会分科会
日本側参加者:黄昏、福井環、梶川舞、原
朊弘、入船勇人
北京側参加者:陈琦飞、王怡宁
広州側参加者:杜键菁、侯玫平、罗梦琳
■事前活動
1.概要
社会分科会の Skype 会議は、事前に出され
た課題図書を読み、その感想をシェアしつ
つ、日本や中国の現状の問題点や解決策に
ついて議論するという形式を取りました。格差社会の問題について勉強する場であるだけでなく、本会議の方向
性を決める作業でもあるので、本会議をしっかりとしたものにする上で非常に重要でした。
社会分科会は計 8 回のスカイプ会議を行いました。以下にその詳細です。
2.スカイプ会議
社会分科会の事前活動では、まず格差社会の全体像をとらえるために、『格差社会-何が問題なのか』(橘木俊詔
岩波書店 2006)を読みました。本書はジニ係数や再分配係数などのデータを用いることで日本の格差の現状を示
しており、この本を読んで私たちは日本社会に於いて格差が広がっていることを認識しました。そしてこのよう
な現状があることを踏まえた上で、「そもそも格差は悪なのか?」というこれから議論進めていく上で大前提と
なる議論を行いました。
日中は様々な格差社会に伴う問題を抱えており、それらの問題全てを論点とすることは時間的に不可能です。し
たがって、まず日中両国の格差社会問題を具体的に勉強していき、その後自分たちの興味のある論点をピックア
ップする方針を取りました。
まず中国の格差社会の現状を知る為に、『貧者を喰らう国』(阿古智子 新潮社 2009), 激流中国「富人と農民
工」(NHK), 『蟻族―高学歴ワーキングプアたちの群れ』(廉思 (著), 関根謙(翻訳) 勉誠出版 2010)を読んだ。
中国には、役人の深刻な腐敗問題、メディアやインターネット上での言論の統制、中国特有の戸籍問題といった
問題があり、これらの問題が格差社会を生み出していると指摘されていました。また格差が「自己責任」か、そ
れとも「社会の構造的問題」によるものかを議論していく中で、中国特有の戸籍制度の問題に私たちは注目しま
した。中国の戸籍制度には、都市戸籍と農村戸籍があります。農村戸籍を持つ者は、都市部で社会保障を受ける
ことが制限されており、また都市戸籍を取得することも大変難しいです。このような状況は、農村戸籍保有者が
格差の底辺から這い上がることを困難にしているといわれています。さらに「蟻族」の現状から日本のゆとり教
育と中国の詰め込み教育を比較しつつ、現在の教育制度がもたらした教育格差と都市と地域格差(都市と地方間
格差)の問題を話し合いました。。
次に日本の現状を知る為に、『反貧困 –すべり台社会からの脱出』(湯浅誠 岩波書店 2008)、『ルポ最底辺不安定就労と野宿』(生田武志 筑摩書房 2007)、『ルポ若者ホームレス』(飯島裕子 筑摩書房 2011)を読みまし
た。このうち社会分科会は次の点において、特に『反貧困』の影響を非常に大きく受けました。1つ目は「溜
め」という概念を得たことです。「溜め」とは、自分が貧困状態に陥りかけたときに、それを妨げるクッション
の役割を果たすもののことをいいます。「溜め」には、金銭的な「溜め」のほかにも、人間関係の「溜め」や精
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神的な「溜め」があります。この本を読むまで人間関係や精神が重要であることに気づいていなかった私たちに
とって人間関係や精神の「溜め」という考えがもたらした影響は非常に大きかったです。「溜め」の概念は私た
ちに決定的な新しい視点をもたらし、今後の分科会の議論内容のキーポイントとなっていきました。
以上を経て、私たちは議論したい論点を決定しました。そしてこれらを基に中国側との論点のすり合わせを行
った結果、私たちは本会議での論点を①格差社会の何が問題か? ②住宅保障問題 ③労働者派遣問題 の 3 つと
することを決定しました。
■フィールドワーク 1
日時:6 月 24 日
訪問先:NPO 自立生活サポートセンターもやい訪問
【概要】
私たちは湯浅誠さんが書いた『反貧困』を通し、もやいのことを知り実際にお話しを伺うために毎週金曜日に行
われているボランティアセミナーへ参加しました。もやいでは、野宿者支援のための入居支援事業や、交流事業
等が行われています。入居支援事業とは、路上・公園・施設・病院など広い意味でのホームレス状況にある方が
アパートでの生活を始めるのにあたり、賃貸契約の連帯保証や緊急連絡先の提供を行うことです。また、それだ
けではなく、アパート入居後の孤立化を防ぐための居場所づくりのための交流事業も行われています。
【感想】
関東での初めてフィールドワークであったため、大変緊張ながらら特定非営利活動法人 自立生活サポートセン
ター・もやいのボランティアセミナーへ伺った。まず、もやいはどういった活動を行っているのか教えて頂き、
それらを通して私たちは現在日本の社会が抱えている貧困問題について知り、考えることができたと思います。
生活保護を受けたいのに水際作戦で追い返されてしまう人がいたり、生活保護を受けられアパートに入居できた
が、今までの生活とは異なり、孤立化してしまう人がいたり、ただ、セーフティネットである生活保護があるか
らそれでいいのではなく、そこから生まれてくる問題について現場で常に向き合っている方からお話しを伺うこ
とによって、本で得た知識を深め、また、新たな考え方をするきっかけとなったように感じました。後の本会議
でも重要な論点となっていく「人間関係の“溜め”」の大切さに私たちが、気が付いたのもこのボランティアセ
ミナーでのフィールドワークが大きかったように思います。この度は大変お世話になりました。ありがとうござ
いました。
■フィールドワーク 2
日時:6 月 25 日
訪問先:有限会社 ビッグイシュー大阪事務所訪問
【概要】
ビッグイシューは 20 年前にイギリスで生まれ、2003 年に始めて日本の大阪で創刊されました。昨年までで全国
1180 人のホームレスの方がビッグイシューに登録されています。そのうち大阪のホームレスの人数は 50%以上を
占めています。ビッグイシューの販売仕組みとして、まず初めにホームレスの方に 10 冈のビッグイシューを無
料で提供し、そして販売してもらいます。完売すれば、3000 円が最初の給料として販売者に渡されます。その後、
どんどん雑誌を仕入れて販売していくことによって(1 冈 300 円のうち、仕入れ金 140 円なので 160 円の利益が
貰える)、自立をしていくという流れになっています。
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スタッフからビッグイシューの活動内容の説明を受けた後、ビッグイシューの配達を手伝い、ホームレスの方と
実際に話す機会を得ることができました。
【感想】
ビッグイシュー大阪本部の事務所にお伺いしました。ビッグイシューの仕事とは何かを説明するため、担当の
吉田さんからビデオを見せていただきました。ビデオで紹介された一人のホームレスの方は、毎日 12 時間も働
かれていました。一日で 20 冈を売れば、一ヶ月では 9 万円を稼げるそうです。しかし、吉田さんのお話によれ
ば、いま大阪では一日 20 冈というのはなかなか難しいため、実際に 9 万円を貰える人は多くはないのが現実で
す。また、昼に路上で寝ているホームレスを見かけたら、私たちは彼らのことを怠け者だと思いがちだが、ホー
ムレスの人は夜中に仕事をされる場合が多く(例えば、人目を避けるために夜中にカンを集める仕事)、そのた
め仕事ができない昼に体を休める。吉田さんのお話で印象だったのは、ホームレスとは集団を表す言葉ではなく、
状態を示しているということです。ホームレスと言っても、それぞれの個性とバックグラウンドが異なるので、
一人ひとりに付き合っていくことが大事です。
質疑忚答では、ビッグイシューとそこに登録されているホームレスの人との関係とは、雇用関係ではないという
ことが分かりました。また、ビッグイシューの理念は、ホームレスの人に、自分が経営者だと意識させることで
す。ビッグイシューのお仕事は、ホームレスの人の仕事をサポートするだけではなく、生活面に対するサポート
も行なっています。
現在ビッグイシューの課題の一つは、ホームレスの人に自分の目標を意識させることです。吉田さんがおっしゃ
っていたのは、ホームレスの状態に陥ることが自己責任でもありますが、日本はいま滑り台社会と言われており、
一回滑り込んだら、元の生活に戻るのはとても難しいです。そして、もう1つの課題は、自立を定義することで
す。自立の定義は人それぞれなので、いまでもそれについて統一した答えはありません。
最後は、ビッグイシューの配達を手伝わせていただき、二人のホームレスの方にお話を伺いました。今回の東北
地震の影響で若者ホームレスが増えるだろうとビッグイシューのスタッフさんがおっしゃっていました。格差社
会の中で、彼らを守るのはどんなモノだろうかと考えさせられました。
ビッグイシューのスタッフさんから色々お話を聞かせていただきありがとうございました。
■フィールドワーク 3
日時:7 月 3 日
訪問先:新宿連絡会为催炊き出し手伝い、阿古智子早稲田大学准教授宅訪問
【概要】
6 月 24 日に FW で伺わせて頂いたもやいのボランティアセミナーを通し、新宿連絡会の炊き出しのボランティ
アのことを知り、短い時間ながらも参加しました。新宿連絡会は毎週日曜日、19 時から中央公園「水の広場」に
て炊き出しを行っています(雤天の場合は都庁下)。18 時に集合し、1 時間ほどご飯を器によそう等の準備を行
い、19 時から一斉に配布が行われました。残念ながら私たちは参加できませんでしたが、参加者は通常そのまま
新宿の夜回りパトロールを行っています。
その後、私たちは事前学習として中国社会の格差問題を学ぶために、『貧者を喰らう国―中国格差社会からの警
告』を参考図書として読み、幸運にもその著者で、早稲田大学準教授の阿古智子先生に直接お話しを伺う機会を
頂きました。阿古先生は中国の農村などにおける貧困問題を研究されているので、現地調査の体験や、中国特有
の戸籍制度(都市戸籍と農村戸籍)の抱える問題をはじめ、教育、中国の民为化、法に基づく政治の重要さなど
について教えて頂くことができました。
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【感想】
当日は、予定が詰まっていたため1時間程しかいられなかったのは残念でしたが、今までの人生の中で、炊き出
しに参加したこともホームレスの方と会話をしたこともなかった私たちにとっては大変貴重な経験となりました。
ホームレスの方たちは、19 時から炊き出しが始まるのに、18 時になる前にはもう長蛇の列ができていて、規則
正しく列に並んでいました。一言で「野宿者」といっても多種多様の方がいて、じっと下を向いている人もいれ
ば「いただきます」と声をかけてくれる人、きれいな朋装の人、老若男女問わず、色々な方がいました。新宿連
絡会でボランティアとして活動している人の中にも野宿者の方、あるいは元野宿者の方がいるのは興味深かった
です。担当者の稲葉さんが新宿連絡会に特定の人はおらず、日曜日の 18 時に中央公園で体を動かし働いている
人が新宿連絡会の人とおっしゃっていたのも印象的でした。本来ならその後、夜回りなどがあるので、また機会
があったら是非参加させて頂きたいと思います。ありがとうございました。
その後、阿古先生のお宅でお話を伺うという貴重な機会をいただきました。マクロな視点とミクロな視点から中
国国内の問題及び中国と日本の問題についてお話を伺うことができました。中国はアフリカとヨーロッパが一緒
にあるような国で、広大で、人口も多くまた歴史も長いので、一概に他国と比較は難しいというお話から、戸籍
制度や教育問題についても学ぶことができました。貴重なお話をしていただきましたが、その中で、教育と法律
というのが国をよくする上で大切だと強く感じました。強制されるのではなく、自分の頭で考える教育は国を変
えていくと思います。そして法律は国を超えて様々なルールを定めて一緒にできるという意味で日中間にとって
も重要なものであるとおっしゃっていました。また、中国国内の問題は日本にも共通するところがあり、さらに
日本は中国と違い現在、停滞状態にあるので、日本人として危機感を持ちました。これから格差問題を議論して
いくうえで何を問題としていけばよいのか明確にすることができました。お忙しい中大変貴重な機会を頂き感謝
しております。ありがとうございました。
大阪開催
■論点
1.格差とは何か、格差はどうあるべきか
2.住宅問題
■討論内容
1.格差とは何か、格差はどうあるべきか
格差問題という大きなテーマを扱う上で、議論の前に認識を統一しておく必要があると思い、論点として扱い
ました。
まず、格差とは何かという点について。日中双方が「格差自体は悪ではない」という意見で一致した。格差の
ない社会では競争がなくなり、意欲が失われるというのが共通の意見でした。
次に、格差はどうあるべきか、という点では、格差の何が問題なのかを話し合いました。一つは、最低限の生
活ができていない人がいること、もう一つは格差が広がりすぎることという意見がでましたが、後者については、
広がりすぎることは問題ではないという意見もあり、先に前者について討論することにしました。日中それぞれ
が底辺の生活の現状を紹介し、最低限の生活の定義を考えました。
日本側が提案した最低限の定義は「衣食住の確保」と「人間関係の溜めがあること」の 2 つです。衣食住の確
保ができていない例としてはホームレス、貧困ゆえの餓死者などがあてはまります。関係の溜めとは、大きく分
けて二種類あり、一つは衣食住を確保する過程で必要な人間関係があることです。住居の確保の際、必要な連帯
保証人が居ることや、仕事を紹介してくれる知り合いがいることなどを指します。連帯保証人の制度は中国には
なく、日本特有の制度と言え、日本では衣食住を確保する段階で人間関係が重要になってくることがわかります。
二つ目は人間らしい生活をするために必要な人間関係です。私たちは最低限の生活=人間らしい生活と考え、人
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間らしい生活には安心感が伴うと考えました。例えばネットカフェ難民について考えると、彼らは衣食住を確保
できているとは言えるが、人間らしい生活ができているとは言い切れません。話し相手もなく、ネットカフェの
店員から迷惑がられ、明日泊るところも不確定な生活は最低限以下だと考えました。また、生活保護を受けて生
活している人も、受給者として差別を受け、世間の目を気にしながら生活しなければならないという点で、人間
らしい生活を満たせていないのではないかという意見もありました。以上のように、安心感のある生活を送るた
めには衣食住が確保されているだけでは不十分だというのが私たちの考えであり、この点が中国側との一番大き
な相違点となりました。
一方で中国側が提案した最低限の定義は「衣食住の確保」です。中国は都市と農村の生活水準に大きな格差が
あり、戸籍制度が更にその打開を難しくしています。農村で生まれた農村戸籍の人達は生活戸籍制度についての
理解が不十分だったので、私たちは何度も質問を繰り返し、戸籍制度の役割と問題点について理解を深め、中国
においての格差の大きさと原因の根の深さが分かりました。よって、私たちが提案した「人間関係の溜め」も最
低限の条件に含めることは、衣食住さえ満たせない人が多く存在する中国の現状としては不可能だという結論に
至りました。また、日本においての「人間関係の溜め」の重要性についてもなかなか理解してもらえずにいまし
た。このような大きな相違点を埋めるために、日本側は中国側にプレゼンテーションを試みましたが、認識の違
いはフィールドワークを通して解決されました。釜ヶ崎支援機構へのフィールドワークの際、ホームレスの方た
ちと一緒に清掃作業をする中で、中国側にも人間関係の重要さを実感してもらうことができました。その後の議
論は、日中双方の現状を理解した上でそれぞれの最低限の生活条件を尊重しながら行うことになりました。
2.住宅問題
具体的に格差問題を扱う上で論点を絞るために、それぞれの国における住宅問題に注目しました。
日本においては自分で住居を確保している人が多い中で、それが出来ていない人もいる、という前提の元、セー
フティネットから漏れている人たちに注目して現状を紹介しました。自分で住居が確保できていない人は、社会
保障に頼る、NGO・NPO などの施設に入居する、知り合いに頼って居候するなどして住居を確保するという選択肢
があります。問題点としては、そのどちらのセーフティネットからも漏れてしまう人が存在することです。社会
保障とは具体的に生活保護制度の住宅扶助を指しますが、希望しても水際作戦によって阻止されてしまう、自ら
保障を受けることを拒否するなどの理由で役割を果たせていません。自立支援センターなどの NGO・NPO の施設
も、入居者数が限られているため希望しても入れない場合がありません。知り合いに頼ることも、「人間関係の
溜め」というセーフティネットから漏れている人には出来ません。
中国では都市において住宅の値段が高騰しており、政府からの補助を受けなくては住居を確保することができま
せん。社会保障の内容には四種類がありますが、これらの保障は都市戸籍の人のみです。よって、農村戸籍を持
ちながら都市で働く農民工には適忚できない制度であり、彼らは住宅を確保する術を持っていないことが大きな
問題として挙げられます。
■結論
大阪での議論の反省点としては、格差の定義付けについての議論に相違点が出てきてしまったことです。全体に
関わる前提なので、事前に一致させておくのが理想的でした。
また、議論の途中で私たち自身も日本の制度への理解が不十分であることが分かり、ネット環境が不自由な中
で生活保護法の細かい内容について調べ直す等、議論以外での作業が増えてしまいました。日本の制度について
中国側に伝える際にも、伝え方に工夫する余地がありました。この点も事前準備が不十分で、パワーポイントや
図の作成を議論の合間に行うことになってしまいました。効率を重視するのならば、様々な議論の展開に備えて
事前準備の段階で資料を作成しておくべきだったと思います。
成果として
は、前提の議論の中ででてきた相違点をフィールドワークで解消できた点である。議論に合ったタイミングでフ
ィールドワークを行うことができていました。その成果を生かして、中間発表では、フィールドワークを通して
日中の相互理解に至るまでの議論の内容をストーリー仕立てで伝えることができました。
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■フィールドワーク
日時:8 月 10 日
訪問先:NPO 法人
【概要】
釜ヶ崎支援機構
朝 8 時半に集合し、午後 3 時半まで高齢者特別清掃に参加し、そのあと釜ヶ崎支援機構の方にお話しを伺いまし
た。私たちは2つのグループに分かれ、1つはあいりん地区のごみ収集、もう一つは公営地の草取りを行いまし
た。「高齢者特別清掃」とは、①55 歳以上、②生活保護を受けていない、という 2 つの条件を満たした人が参加
できる釜ヶ崎支援機構が提供する日雇いの仕事です。1 日 5700 円(うち 400 円は昼食代)の収入が得られるが、
月に6回程度しか仕事が回ってこないため、これだけで生活するのは困難です。55歳以上になると急激に仕事
が減るため、この「高齢者特別清掃」はそういった方を支える役割を果たしています。実際に野宿している人も
ふくめて働いている労働者と作業をし、話すという貴重な体験となりました。また、その作業の後に支援機構の
方のお話を伺うことでより理解を深めることができました。
【感想】
日本にいてもなかなか行けない場所であり、中国側にとっても旅行では絶対に見られない日本の部分に触れるこ
とができ、大変意義のあるフィールドワークになりました。ホームレスの人たちと一緒に仕事をすることで、労
働とは彼らにとってどのような役割を果たしているのか知ることができました。私たち日本側のフィールドワー
ク参加前の認識としては、貧困とは家やお金がないことに加え、人間関係の「溜め」がないことだと考えていま
した。生活保護を受ければ、衣食住に困らない人たちが、日雇労働の収入で生活しているのは、自分の能力を生
かして稼いだという達成感、同じ境遇の人たちとチームワークを必要とする仕事に取り組むことなどの精神面を
重視しているからだと事実確認ができました。この「最低限の生活条件に人間関係もいれなければならない」と
いう日本側の考えは、日中の格差問題への捉え方の相違点として、ずっと中国側に为張してきたことでしたが、
今回のフィールドワークを通して、中国側が日本側の考えを深く理解してくれたと言ってくれたことも大きな収
穫でした。ホームレスの人たちと一緒に仕事をした後は、支援機構の副理事長さんに、支援機構の施設と地区の
案内、機構の概要の説明と質疑忚答に答えていただきました。支援機構の施設は、ホームレスの人たちの憩いの
場の確保、技術を身につけ就職に活かすための自転車修理指導と販売、無料で利用できるシャワー、就職活動の
支援、日雇労働の斡旋など、細かいところまで手が届いていました。貧困と聞くと暗いイメージでしたが、釜ヶ
崎に住む人たちはたくましく希望を持って生きていて、固定観念が払拭されていました。その一方で、釜ヶ崎に
貧困が集中していることは、政策・経済・地域・民族・犯罪など様々な方面の原因が複雑に絡み合っており、一
日見学に行っただけでは分からない問題もたくさん抱えていることを実感しました。貧困が集中していることは
犯罪の集中にもつながっており、日中両国から、警察が立ち入らずにこの地域を放置しているのは政府の責任放
棄ではないか、住んでいる人たちにとっても正常な感覚がわからなくなり自分の生活水準をあげる努力をしなく
なるのではないかという意見がでました。人間関係に加え、達成感や誇りのような内向きの精神的支えも重要で
あることを、今回のフィールドワークで確認できました。これからの論点のためにも、個人の経験としても有意
義なフィールドワークでした。
東京開催
■論点
第 30 回日中学生会議
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1.住宅保障問題の対策 (大阪の引継ぎ)
2.日中における派遣社員制度について
3.理想社会のあり方
■討論内容
最低限生活に対する定義が日中両国の意見が異なるということを認識した上で、私たちは最低限
以下の生活をしている人を対象に、「住宅保障問題」の対策についてディスカッションをしまし
た。日本では履歴書に住所を書かないとなかなか採用してくれないため、自立を望むホームレス
の人にとって住居の確保は非常に重要です。また、中国では不動産価格高騰のため、出稼ぎ農民
工は都市で家を買えません。更に、彼らは都市戸籍をもってないため政府からの保障制度も受け
られず、最低限以下の生活をせざるをえない状況に陥っています。
住宅問題の対策を議論している中で、私たちは日本の生活保護制度と中国の戸籍制度が問題の解
決口になるではないと思い、この二つの問題をフォーカスすることにしました。日本のセーフテ
ィネット制度では、人が底辺に陥らないように、最後の方法として「生活保護」という保障制度
を設けています。しかし、実際に生活保護を申請しに行くときに、基準を満たさないため水際作
戦に遭われることがあります。そういう人たちは、セーフティネットから漏れてしまって最後路
上生活の状態に陥ってしまいます。一方、中国では農村戸籍を持っており、出稼ぎの農民工が都
市の住宅保障制度を受けられないため、悪い居住環境で生活を送っています。それらの問題を解
決するためには、私たちは生活保護の申請にあたる水際作戦の対処方法と中国戸籍制度の改革に
ついて議論しました。
2.日中における派遣社員制度について
最低限の生活を満たしても格差が開きすぎると社会は不安定になります。そのため、最低限の
基準を満たしたうえの格差の幅をどう決めるかについて議論を行いました。議論に当たる対象を
派遣社員にしました。
日本では 90 年代バブル崩壊後経済の不景気が続いていました。会社の競争力を保つために企業は
派遣社員を積極的に雇うようになりました。その後、小泉元首相の経済改革により、日本の経済
は回復しつつありますが、緩和された派遣制度は社会の格差を拡大させたという批判もありまし
た。派遣社員は最低限以上の生活を送っていますが、社内の待遇が正社員より务り、長時間に渡
る単純作業から仕事に対する充実感を得ることもできないと思われます。また派遣では短期的な
場合が多いため、人間関係に対する务等感があるではないかと考えました。
中国は、90 年代産業の発展につれ、派遣制度も大きく変化しました。現在では为に 3 つの問題が
あります。1 つ目の問題は、派遣制度に対する現行法の規定が不明確のため、制度の運用はうまく
できていません。2 つ目の問題は、労働法では企業と派遣会社の連帯責任義務を規定していますが、
連帯責任は実現されていません。そして、3 つ目の問題は派遣社員自身も会社に対する帰属感はな
いので、人間関係から満足感を得られません。
第 30 回日中学生会議
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日中における派遣社員制度の問題を認識した上で、私たちは派遣問題が社会に果たす機能及び派
遣の対策について話し合いました。
3.理想社会のあり方
c 以上述べたことを議論したうえで、私たちは理想的な社会とは何かについて話し合ってきました。
私たちは、最低限の生活が保障されるだけでは足りないと思い、格差があることは一つの社会の
なかでは避けられことですが、社会の一体感にある範囲内の格差があっても構わないという結論
を出しました。社会の一体感というのは、同じ「最低限」の共有です。つまり、同じ地域に住ん
でいる人々は、生活に対する最低限の要求が遥かに違うのではなく、皆が共感できるような要求
を有していることであります。
そして、議論の結果を踏まえて理想的社会のあり方を図にしました。
■結論
Better job
仕事機会
派遣社員
・労働組合
・社会保険
中流層
一時的に仕
事がない人
最低限生活
図1
図2
論点 1 から得られた結論
日本の住宅問題については、2 つの解決策に分けている。
1 つは、生活保護を受けることにより、自分が望む居住環境に至る方法です。そのため、水際作戦
に対して私たちが考えたのは、生活保護制度に詳しい NPO・NGO のスタッフさんに協力してもらう
ことでした。それを実現させるためには、「もやい」のような NPO・NGO 機関を増やすことが必要
です。また、人々は生活保護に対するマイナスイメージが強いので、年寄りの人は申請したがら
ない現状があります。生活保護の概念(半福祉半就労)を正確的に分かってもらうことが重要だと
考えられます。更に、役所の人は生活保護申請を受け入れない場合でも申請人に対し、NPO・NGO
を紹介することなどアドバイスができるような環境の整いが必要だ感じました。もう 1 つは、釜
ヶ崎支援機構で働いているホームレスの人のように、自分で稼ぐことにより、政府が提供するシ
ェルターを使い、自分の望む居住環境に至る方法です。
第 30 回日中学生会議
70
中国の住宅問題の解決策は、長期的農民工(2 年以上働く、また家族連れの場合)と短期的農民工を
わけて考えた。現在の中国は戸籍制度を取り消すことができませんが、長期的農民工は都市の住
宅保障システムに入れることが望ましいです。(実際に広州市で実行されています)。短期的農民
工の場合は、政府は企業を援助します。そして企業は農民工に住居の保障をします。
論点 2 から得られた結論(図 1)
この時代の経済背景が派遣制度を生み出しました。派遣は、企業の競争力の維持に機能を果たし
ていますが、派遣社員と正社員の間の格差が開きすぎてもよくないと思います。
派遣社員と正社員の間の差を縮める方法として私たちが考えたのは、職場にいる派遣社員に職務
トレーニングを提供することです。また、一時的に失業した派遣社員に対して失業保険と労働組
合により支援をすることです。
論点 3 から得られた結論(図 3)
社会分科会は、格差という観点からみる理想の社会像について、図 3 のような結論を出した。ま
ず、全ての人々が最低限度以上の生活を送ることができることです。この「最低限」は日本と中
国で基準が異なり、日本は精神的安定感を含むのに対し、中国の基準には含まれません。次に、
格差の幅が「社会の一体感」が保たれる程度の幅にあることです。この二つを満たす社会を「理
想の社会」であると結論づけました。
■フィールドワーク 1
場所:特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター・もやい うたしば
日時:8 月 15 日(月)
【概要】
6 月 24 日にボランティアセミナーで伺った「特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター・
もやい」を再度訪問しお話を伺いました。大変幸いなことに、私たちはもやいの事業現場で活躍
されている稲葉剛氏から直接お話を伺うことができました。中国側の学生にも配慮して頂き、ス
ライドを使って日本の貧困問題の現状やもやいの活動について紹介して頂いたあとに私たちの質
問にも答えていただきました。私たちが本会議で議論してきた中で、議論が行き詰まっていた面
もありましたが、自分たちの論点を整理し、考えを深めることができました。
【感想】
今回は、もやいや新宿連絡会で活躍されている稲葉氏に直接意見を伺うことができ、それが最大
のメリットだったと思います。稲葉氏はまずリーマンショック以降日本において貧困が拡大して
いることを、失業率や有効求人倍率の高さをもとに説明し、貧困が目に見える形で現れた現象と
して、年越し派遣村、ネットカフェ難民、段ボールハウスを挙げました。稲葉氏曰く、これらの
問題にはハウジングプアとワーキングプアが密接に関連しているそうです。上記の他、もやいの
活動内容などを非常に丁寧に説明してくださりました。
第 30 回日中学生会議
71
私たちは社会分科会での活動を通し、貧困問題を解決する手段は画一的なものではなく、貧困問
題にも多種多様な原因があるため、それに忚じて多種多様な対策をとる必要があると感じました。
もやいが行っているサポートを必要としている人も社会には数多く存在するにも関わらず、そう
いった支援制度が整っていないことは問題であると感じましだ。
稲葉氏は、同じ人間として生きているのに、住居もなく苦しい生活をしている人がいるのはおか
しいという格差社会の問題から始まっているそうです。こうした問題意識を持ったうえで、政府
の行うことのできないきめ細かい支援を一人ひとりに行っているというもやいの、日本の貧困問
題における重要性を再認識しました。
再度にわたり訪問させて頂き、それを通し私たちの議論もさらに深まりました。
■フィールドワーク 2
日時:8 月 18 日
訪問先:派遣会社テクノサービス
【概要】
全国 44 拠点に展開する株式会社テクノサービスを訪問しました。迎えてくれたのは、営業企画部
ゼネラルマネージャの中村氏と他 2 名のスタッフでした。フィールドワークは、こちらが事前に
送付した質問に回答するという形で行われました。お話された内容は、実際に派遣会社は福利厚
生に力を入れており、本来なら派遣社員の立場をより向上させるために様々な努力をしているも
のの、なかなかその実態が評価されず、格差拡大している原因になりえているのが残念だ、とい
うことでした。また、派遣会社の日本社会における存在意義についても、丁寧に説明していただ
きました。私たちはこの訪問で客観的な視点を議論に取り入れることができました。
【感想】
今回の訪問は、「格差を広めている原因」とも考えられる派遣会社を訪問して、そうした人々が
どのようなことを考えているのかを明らかにすることを目的としました。私たちは議論の中で、
貧困層にばかり目を向け、彼らの視点からのみ議論を進めていたからです。中村氏が、派遣会社
は、安価な労働力を欲しているという市場の要求があるから存在していると为張されていました。
これは市場経済的には自然のことであり、要求が存在する以上派遣会社が存在しても良いと考え
ます。ただここで問題となるのは、要求を満たす過程で、すなわち派遣会社が登録した派遣社員
を使って労働力を市場に供給する過程で、給料の格差の問題や社会保険給付の問題、人間関係の
問題が生じていることです。そういった問題点も再確認でき、今回のフィールドワークを通じて
私たちは、派遣制度について違う視点を知ることができ、格差の議論もより客観的に考えられる
ようになったと思います。
最後になりましたが、お忙しい中私たちの訪問を受け入れて下さったテクノサービス様には感謝
をしております。
第 30 回日中学生会議
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■総括
私たちは、全体の流れとしてまず、格差社会の問題点について焦点を絞ってきました。そして問
題として挙げられたのが、最低限以下の生活をしている人がいるということと、格差が開きすぎ
ているということでした。この二つの問題をより具体的に捉えるために、前者に対して「住宅保
障の問題」、後者に対して「派遣労働問題」を取り扱いました。この流れを通して、「理想的な
社会とはどのようなものか」ということを、日中両国の違いに留意しながら話し合いました。ま
た、フィールドワークとして、最低限以下の生活をしている人たちを知るために、NPO の「釜ヶ崎
支援機構」と「もやい」を、格差の広がりの実感を得るために、派遣会社である「株式会社テク
ノ・サービス」を訪れました。話し合いの中でも特に時間を割いたのは、具体的事例の解決策で
はなく、「最低限」をどのように捉えるのか、ということや、格差はどこまで広がっていいのか、
というような、個人個人の価値観が反映されるような論点になりました。それぞれの議論の中で
日本と中国の格差に対する捉え方が浮き彫りになってきました。特に最低限の生活に関しては、
中国は衣食住を重要視していたのに対し、日本は人間関係を重視していたというように、互いの
国の問題意識の違いも明らかになりました。このような価値観の違いを捉えられたことが、社会
分科会最大の収穫だったかもしれません。
最終的な結論として、社会分科会の定義する理想的な社会は、「最低限の生活をしている人がい
ないうえ、中間層の多い社会」ということになりました。私たちが時間を割いて長く議論してき
た「最低限の生活」以上の生活を人々が営んでいる上で、同じ範囲の「最低限の生活」を共有し
ている中間層の人々が多いことが、理想的な社会であると考えました。同じ範囲の最低限の意識
を共有することにより、社会に対する不満や社会としての一体感が存在すると考え、この結論に
至りました。
反省すべき点は、事前準備における準備不足です。お互いの価値観を知り理想の社会を考えてい
た上に、事前の知識があまりにも尐なかったため、格差問題に対する具体的な提言は、不十分に
ならざるを得ませんでした。議論自体の内容が、自分たちの理想をすり合わせるだけの若干薄い
内容になってしまったことを反省したいです。
しかし、反省を踏まえたうえでも、私たちは上記のように日中間の格差の相違点や、お互いの社
会に対する理想像のすり合わせをできる限り行うことができたと考えています。こうした経験は、
実際に会って、長い時間をかけて話し合わなくては得られないものです。こうした機会を得られ
たのは、本会議まで苦労を惜しまずに準備してきてくださった実行委員の皆さんのおかげです。
有意義な議論ができた分科会のメンバー、そして実行委員の皆さんに感謝したいです。
第 30 回日中学生会議
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伝統文化分科会
日本側参加者:赤松希実子 大鳥萌香
島英峰
北京側参加者:海晨,尹璐,关昕
広州側参加者:徐緑、李俊賢
佐藤大
陶旭茹
福
■事前活動
週に一度の Skype ミーティングに加えて、横浜中華街、神戸
中華街での聞き取り調査と国際交流基金へフィールドワーク
を行いました。Skype ミーティングでは、伝統文化という広
範囲で馴染みのないものであったため論点を探るのに難航し
ました。
■スカイプミーティング
最初の一時間は各自本を読んで学んだことを発表し、残りの
時間で本会議の論点を探りました。以下、論点へ行きつくまでの流れです。
伝統文化は私達の生活にあまり馴染みがないものであるため、考えやすいようにまず文化という
切り口から考えていきました。わたしたちが他国について興味を持つとき、その国の文化に興味
をもち始めることが多く、特に生活に関わりの深い映像や音楽からではないかと考えました。そ
こで、日本人がどれだけ中国の伝統文化に興味や関心があるのか、また、日本と中国でそれぞれ
相手国のどのような映像や音楽が使われているのか調査するべく、第一回目のフィールドワーク
として関東メンバーは横浜中華街に、関西メンバーは神戸中華街に行きました。
この調査から、1.中国の文化、音楽に関心を持っている人が尐ない、2.中華街ではあまり音楽
を活かせていないということが分かりました。では、どのように音楽を活かせるのかは机上で勉
強を始めたとき、音楽と一概に言っても楽器や曲、歌詞など広範囲にわたり亘り、また専門的な
知識も必要であることが分かりました。さらに、時間の制約もあることからより深い議論にする
ために、楽器に絞っていくことにしました。
同時に、北京側で建築を専門としている人がいることなど北京側の意向もふまえて建築について
も取り入れることにしました。よって、私たちは有形文化財、無形文化財という括りにして伝統
建築と伝統楽器に焦点を当てることにしました。そして、調べているうちに建築は伝統的な楽器
に比べると十分に保護されていることや伝統的なものが残っていることが多いことを認識しまし
た。そこで、論点のひとつに『伝統文化はなぜ廃れていくのか、廃れていない伝統文化ははぜの
こるのか』ということを定めました。また、日本も中国も高度成長期には、経済発展のために伝
統文化を壊す例が多かったことから論点の二つ目として『経済政策と伝統文化はどちらが優先さ
れるべきか』と設定しました。加えて、この論点を議論する前に日中間での伝統文化の立ち位置
や保護政策の相違点など現状を把握し合うことにしました。
第 30 回日中学生会議
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■フィールドワーク 1
日時:6 月 5 日
場所:横浜中華街、神戸中華街
【概要】
中華街に来た人がどれだけ中国の伝統文化に興味、関心を持っているのか、日本と中国でそれぞ
れ相手国のどのような映像や音楽が使われているのかなど以下の 5 点を中華街に来た人に聞き取
り調査しました。(横浜中華街 20 人、神戸中華街 25 人)
1.なぜ中華街を選択して来たのか
2.中華街といってまず思い浮かぶものはなにか
3.中華街にきて、どんな所をみて、中国っぽいと感じたか
4.中国の文化で魅力的だと感じるもの、または思い浮かぶものはなにか
5.中国の音楽に対してどんなイメージをもっているか
【感想】
中国の文化や音楽に興味、関心を持っている人は尐ないということが分かりました。また、中華
街でどのような中国の音楽や映像が使われているのか調査したかったのですが、想像していたよ
りも使われていませんでした。
■フィールドワーク 2
日時:7 月 22 日
訪問先:国際交流基金
【概要】
日本文化を発信する唯一の政府系専門機関である国際交流基金に伝統文化の保護活動 としてど
のようなアプローチを行っているのか、ということや活動に対する考えをお聞きしました。また、
日中交流センターが为催する高校生招聘事業の修了セレモニーを見学しました。
【感想】
特に気になったのは、交流事業への投資がリターンに繋がる蓋然性、そして海外での伝統文化の
捉え方の二点です。私自身、文化交流事業の意義は理解していますが、これだけの規模の投資が
それに見合ったリターンが得られるのかどうか、予測不可能な部分があると感じていました。こ
の点に関しては、尐しでも目的達成可能性が高まるように、また可視的に測れるように工夫して
いるように感じました。例えば中国からの高校生招聘事業では、高校生という未熟過ぎず、かつ、
感受性の高い年齢層から、将来日中の架け橋として役割を担う人材を探すことで、できるだけ効
率よく事業を展開しているようでした。更に伝統文化のイメージという面では、伝統文化を伝統
文化として列に展示し、新たな側面から伝統文化を紹介したフランスでの試みが斬新だと感じま
した。海外から見た日本文化のイメージと、日本国内から見た伝統文化のイメージが違うのはこ
んなところからきているのかもしれないと感じました。
第 30 回日中学生会議
75
大阪開催
■論点
1.伝統文化はなぜ衰退するのか
2.伝統文化の保護と経済発展、どちらを優先させるべきか
■討論内容
まず、日中双方が勉強してきたものをそれぞれ共有しました。
日本側は伝統音楽については、変遷、時代区分と伝統楽器の実態について発表しました。建築に
ついては、日本の建築の種類など伝統建築の概観と伝統建築から西洋建築への流れ、日本の伝統
建築の特徴について発表しました。
広州側は音楽については広東省の代表的な民間曲調を土台とした地方芝居の粤劇を取り上げ、そ
の概要と現在とられている保護政策について発表しました。伝統建築については、中国の伝統と
西洋の建築意匠が融合を見せている高層建築の開平楼閣を取り上げました。北京側は、伝統音楽
と伝統建築が衰退している概要や背景について地域特性を踏まえて発表しました。
次に、議論の進め方であるが、「建築」と「音楽」と分けて考え、いくつかの事例からそれぞれ
共通点を見いだし、伝統楽器や建築が衰退した原因を探ることにしました。こうすることで調べ
る内容を分担しやすくしました。しかし、取り上げた事例は伝統文化の一事例にすぎないという
指摘もありました。尚、文化は違っていて当たり前なので相違点については特に取り上げないこ
とにしました。
取り上げた事例は、中国側の事例には、建築は福建土楼、音楽は粤劇。日本側の事例には、建築
では、白川郷、音楽では三味線を取り上げました。これらの事例を取り上げたのは、現在は保護
されているが破壊や衰退の歴史があるという共通点があることからです。以下、この事例の概要
を簡単に述べます。
福建土楼は福建省西部に位置し、土を固めた大規模な民間建築で 2008 年、ユネスコの世界遺産に
登録されました。世界遺産に登録される前は現代に見合わないことや住みにくさから破壊する動
きもあったそうです。
粤劇は 2009 年ユネスコ無形文化遺産に登録された広東省の代表的な地方芝居の一つです。民間で
祝いごとがあるときはいつでも粤劇劇団が呼ばれ、興を添えたが 90 年代頃からテレビなどの現代
的な娯楽道具がどんどん普及したため需要は激減しました。現在は一部の片田舎で粤劇を熱愛す
る人々が自ら劇団を組織して、なんとか粤劇は現存しています。
白川郷は岐阜県西北部の白川村にある合掌造りの集落で 1995 年にユネスコの世界文化遺産に登録
されました。文化遺産に登録される前は、住みにくさから合掌造りを取り壊したり、売却したり
する人も増えていました。また、火災で焼けてしまった集落もありました。外から来訪した研究
者が、一様に合掌造りを褒め、それを保存し観光に活かすよう助言したことによって村全体で保
第 30 回日中学生会議
76
存運動が推進されるようになりました。保存活動を始めてから、人口はほぼ横ばいで、若者が村
に戻ってくるようになりました。
三味線は日本の有棹弦楽器で伝統楽器としては時代が浅く、民族音楽の普及に大きな役割を担っ
ています。一般庶民の楽器であったため、家元制度がなく、受け継ぎ手が減尐傾向にあります。
他方、近年では吉田兄弟というグループによって津軽三味線を取り入れた J-POP として人気を集
めています。
時間の制約によって取り上げた事例はごく一部に限られたが、これらの事例を分析して衰退原因
を見いだしていきました。
■結論
私たちは事例研究から伝統文化の現状を掴むとともに衰退原因について討論し、いくつかの共通
点を見出すことができました。
まず、建築の为な衰退要因は以下の 3 点だと考えました。
1.昔ながらの家・集落が多く、大衆の古い建築物の保護に対する意識の低下。
それぞれ世界遺産に登録される前は保護意識が薄く、現代的な建物に改造するために破壊する動
きがあった。また、建築が保護されていないが故の自然务化もあった。
2.若い世代の都心への流出。それに伴う住民の高齢化。
環境が辺鄙であることや経済未発達地域であるため、若者たちは集落から都市へ流出。結果、集
落は活力を失った。また集落から逃れた若者たちも故郷に関心を持っていないことが多い。また、
そもそも建物は居住者の継続的な保護が必要なのに、人の住まない建物は驚くほどのスピードで
老化する。
3.生活方式が変化――観光地として開発された
文化遺産に登録後、観光地化するにつれて住民自身が観光産業の担い手へ。白川郷、福建土楼と
もに、局部で旅館や民宿に改造され、生活形態に変化や影響が及んだ。
次に、音楽の衰退原因は以下の 3 点だと考えました。
1.時代の流れとともに大衆の趣味に合わなくなった。
それに伴って伝統楽器に興味がある人が尐なくなった。
2.演奏者の高齢化、演奏者の減尐
伝統音楽の教育の機会が尐ないなど伝統楽器に親しむ機会がないため、馴染みがない。また、伝
統音楽の規模縮小につれて演奏会自体が高価なものとなり大衆に親しまれる機会が減った。加え
て、需要の減尐により演奏者は経済的に困難になってくるなど芸術家の社会的地位の低下も挙げ
られる。
3.口承や楽譜を合わせる勉強が必要とされるため、習得するのが難しい。
第 30 回日中学生会議
77
以上の結果から伝統文化の衰退原因は、为に時代の変化によって伝統文化が市民の趣味や好みに
合わなくなり、興味を持たれなくなったことが挙げられます。それによって、伝統文化の担い手
が高齢化したり、継承者が激減したりして衰退の一途をたどっていると考えられます。また、市
民の価値観も変化し、保護意識が低下したことも要因だと考えました。保護活動は、政府だけで
はなく、国民一人ひとりの意識も大切です。現状はどうしても経済を優先させてしまう傾向にあ
りますが、国の伝統は一度失ったら取り戻せないことを忘れてはいけないと話し合いました。後
半では、伝統文化の保護手段について焦点を当てて討論をしていくことにしました。
■フィールドワーク 1
日時:8 月 9 日
訪問先:丹幸・中西楽器店
【概要】
伝統楽器の現状をより深く、身近なものとして知るために三味線職人を訪問し、お話を伺いまし
た。訪問先である丹幸・中西楽器店様は子どもの大きさに合わせた三味線を作って子どものため
の教室を無料で開いたり、実際に小学校へ赴いて三味線に触れ合う機会を提供したり、三味線や
尺八の伝統楽器を次世代に引き継ぐための取り組みにも力を入れています。
まず、三味線の種類や素材、特徴など三味線の基礎的な知識を教えて頂きました。その際、実際
に三味線に触れ、体感しました。
次に、丹幸・中西楽器店様が行っている三味線を後世に引き継ぐための取り組みや職人さんの伝
統楽器に対する思いや考えを詳しく聞かせて頂き、最後には、職人さんの奥様による三味線の生
演奏を聞きました。
【感想】
実際に三味線に触れ、生の音を聞かせて頂いたことによって三味線についてより深く体得できま
した。同時に、生で伝統楽器を見たり、触れたりすることの大切さを実感しました。また、三味
線の緻密さ、奥の深さに驚いたとともに、どのパーツにも理由があり研究されつくされたもので
あることが分かりました。
最も印象に残ったのは、「文化は政府に保護されたら終わりだ」という言葉です。それまで、文
化保護政策が当然あるべきものとして考えられていました。しかし、今の歌舞伎に見られるよう
に、伝統文化を保護することがその文化を「格式の高い」文化として確立させてしまい、伝承す
る者の機会を狭めてしまうことで私たち観客にとっても、高い観覧料ゆえに鑑賞する機会がます
ます減尐することへつながると感じました。たしかに伝統文化を政府が保護することは重要です
が、それによって生まれる弊害もあることを理解することができました。また、「文化は時代に
よって変化するのだから、無くならなければいい」とおっしゃっていた意見も非常に参考になり
ました。
さらに、保護について、教育の重要性を実感しました。学校で伝統文化についての教育を導入す
ることができれば、伝統文化を身近なものに感じてもらうことができ、保護に繋がるのだという
第 30 回日中学生会議
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ことを知りました。しかし、実際は金銭的な問題や指導者不足、閉鎖的な学校教育などの理由で
実現は難しいということも学びました。
職人さんが「胸をはって三味線が嫌いだ」と言ってくれる人が欲しいとおっしゃっていました。
嫌いだと言えることは、三味線のことを知ったうえで言えることだからです。そこに三味線を後
世に残したいという強い思いが感じられました。
また、真の国際人となるには自国の文化を知り、それを海外へ発信できることだとおっしゃって
いたことが心に残っています。今後、社会に出るにあたってグローバル化が進む中で、国際的な
経験をすることは避けられません。自国の文化を知り、アイデンティティを確立していきたいと
思います。
私たちは、今回の FW を通じて、三味線の奥の深さや日本における現状を知ることができました。
また、三味線の体験者として日中学生会議における報告だけでなく、あらゆる機会においてこの
経験を伝えていくべきだと感じました。非常に有意義で勉強になったフィールドワークでした。
■フィールドワーク 2
日時:8 月 9 日
場所:大阪城
【概要】
日本における伝統建築の中でも観光地や市のシンボルとして、様々な形で保護されてきた日本特
有の城建築の例として大阪城を見学しに行きました。建築様式や保護過程を学ぶと同時に私たち
自身が伝統建築をより身近なものに感じるために実際に赴くという目的もありました。
【感想】
自分たちが想像したものと違った点が多くありました。大阪城は観光地の一つとして毎年多くの
方が訪れ、拝観料によりその修復が行われたり、また多くの人が関心を持つ伝統文化財としてよ
い例です。また城壁や大阪城全体の造りがパネルなどで詳しく説明されています。
その一方で、観光地化するあまりに中の見学をしても城の造り、特に内部などは分かりにくい上
にその城で過ごした人々の生活様式はほとんど伝わりません。内部にはエレベーターまで設けて
あり、最上階の展望から景色を眺めるための観光スポット化している部分が大きいと感じました。
東京開催
■論点
有形文化(伝統建築)に関する日中の保護活動及び政策について
―保護活動の比較(NPO・政府・司法・民間(住民))
―保護運動及び政策のあるべき姿について
■討論内容
第 30 回日中学生会議
79
私たちは大阪で有形・無形文化の定義と様々な例から得られた日中の共通点について議論を行っ
てきました。それを踏まえて、東京では伝統文化財に対する保護運動及び政策について議論し、
この分科会としての提言を出すことにしました。大阪で無形・有形と分けた中で有形文化財に絞
ったのは、前半の議論の中で無形文化の種類・内容に日中でかなりのばらつきがあったことから
議論の効率を考えてのことでした。
まず、互いの保護政策とそれに関連した法律を日中で比較しました。日本では文化行政として文
化庁が設置され、为に文化財保護法の下で文化財の定義が行われています。この法律をもとに文
化財は保護され管理されていると言えます。中国では文物局を設置し、この行政下で地方と国の
二つに分かれて保護を行っています。日本のように一挙に定めた法律はなく、随時通知広告が出
されています。
次に日本側と中国側で 4 つの伝統建築例とそれに対する保護手段及び政策を挙げ、互いに分析し
ました。日本の例からは、羽沢ガーデン・赤煉瓦(舞鶴)・中之島地区開発・甲斐銚子塚古墳の
四つを挙げ、中国の例としては、広州恩宁路、南京孙家祠堂、湖南上甘棠村、北京梁思成故居の
四つを挙げました。
まず簡単に両者の保護活動の特徴を挙げたいと思います。羽沢ガーデンは中村是公の私邸として
建築されましたが、マンション開発に伴う取り壊しを希望する所有者と文化財及び環境保全を望
む近隣住民との間で対立が起きたものです。これは行政訴訟にまで発展し最終的に敗訴となった
ものの、文化財保護を裁判に訴えた先駆例と言えます。舞鶴赤煉瓦は、市政府職員や住民による
保護活動の後に舞鶴旧鎮守府倉庫施設という名で文化財に指定されたもので、コンサートやイベ
ントを行ったり博物館を設けたりするなど、近代遺産としてのその魅力や特徴を生かした文化財
の例です。文化財を使った地域振興も行っています。中之島地区は今現在も開発が行われている
地区ですが、その開発の際に伝統的な下町や地域を残す為の住民運動が起こるなど、開発に際し
て学者や住民と行政など繰り返し討論を重ねてきた例として挙げました。最後に甲斐銚子塚古墳
は、学者による研究や論文をもとにその保護活動が活発化し、銚子塚古墳附丸山塚古墳の名で国
の指定史跡として登録された古墳です。
次に中国の例を紹介します。始めに、広州恩宁路は北京における不動産開発の例で、開発によっ
て得られる資金を望む住民に対して、民間記者が保護の重要性を取り上げたことにより国家政府
に対する働きかけにつながりました。南京孙家祠堂は、遺灰を祀る場所で家族による自発的な保
護に加えて、メディアが取り上げたことにより政府による資金協力と保護を得ることができた例
です。また湖南上甘棠村は、村の政府が民間と自発的に協力体制を築き保護した例です。特に文
物のみならず村の人々の生活様式にも着目した保護を行い、また民間人の積極的な参加を呼びか
けました。北京梁思成林徽因の故居は有名な建築家夫婦の生家であり、開発によって取り壊しが
決定した後に民間人がメディアや専門家と協力して世論を動かしたことが功をなし、開発工事の
中止へつなげた例です。
これら計 8 つの例に関する様々な保護活動を議論する中で、日本と中国で政府に対する民間活動
や手段の種類が異なることが分かりました。中国の民間における活動は、保護運動をする権利が
完全に保障されておらず制限が存在します。一方日本では、有形文化財に登録することで、法律
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に守られながら国からの援助を受けることができます。また伝統建築を保護する为体もバラバラ
です。日本では、地域の住民や文化財と関連の深い者が为体ですが、中国では建築の専門家や学
生が担っています。日本の民間活動では、他の地域で似たような活動をしている人がいる場合、
コミュニティを作って協力することができます。しかし、中国の民間活動はほとんど他の地域か
らの支持を得ることができません。また、中国では日本のように司法へ訴えかけることも容易で
はありません。
さらに、政府の保護政策の内容にも相違がありました。中国では、政府独自の判断で伝統建築の
保護政策を決めていますが、日本では、民間団体が伝統建築の保護政策を提案し、報告書や学術
論文の提出による審査を受け保護政策が決定されています。つまり、中国では政府から民間へ保
護活動が、日本では民間から政府へと保護活動が行われています。そのため、中国政府の保護政
策の問題点は、政府が民間の意見を反映するより独断で政策を決定するため、保護政策の是非に
ついて判断が行われません。一方の日本政府の保護政策の問題点は、保護に至るまでの申請が複
雑であるため、申請を諦める場合がありました。
討論を進める中で意見の一致が多かった伝統文化分科会であるが、一方で私たち日本側が理解で
きない部分も見られました。これは伝統文化の保護に対する意見の食い違いと言うよりも、政府
に対する考え方でした。そもそも民間やメディアのアプローチが必要ですが、その前提としての
政府や社会、つまり根本的に自由な権利が保障された社会の実現が当然であると日本側は考えま
した。しかし中国側は、政府の現在の政策を批判することは可能ですが、政府自体を批判するこ
とはあってはならないという意見を出しました。私たち日本側は中国政府や社会に対して自国と
比べて自由が保障されていないとか政府の権力が強い等といったイメージが抜けておらず、この
ような先入観をもって議論していたことに改めて気づかされた場面でもありました。
■結論
有形文化財保護には様々なコストが伴うためになかなか民間の力だけでは保護が上手く行かない
場合があります。そのため大阪での議論や例に関する分析を通じて、私たちの議論の中では、日
本側も中国側も政府による保護が一番重要かつ前提としてあるべき姿だという意見で一致しまし
た。しかし、現状として政府による保護は日本でも中国でも十分とは言えません。政府に働きか
けるためにはどうすればよいのでしょうか。それはやはり民間活動の力であることは他なりませ
んが、これらの例を通して文化財はその地域住民や関連のあるものなどその場で保護活動がスタ
ートすることが多いです。そのためこうした地域活動、文化財に関連した人々による保護の動き
を全国化・全体化して、外部へと広げていくことが重要です。その手段として日本側には、民間
NPO・司法(裁判訴訟)・海外への活動発信・研究者・メディア・他の地域とのネットワークが挙
げられます。一方で中国では民間・NGO・研究者・メディアが挙げられます。こうした中で、日本
側・中国側から重要手段として多く挙げられたのが、メディアや専門家による提言でした。こう
した地域の声をより多く反映する為にも、より説得力のある発言と多くの人に働きかける報道が
重要となります。またそうしてより多くの人に関心を持ってもらうことが重要であるという意見
は日中双方から多く出されました。
第 30 回日中学生会議
81
以上の日中双方の議論を経て出された結論を受けて、私たち分科会が提案したいことは、以下の
通りです。まず日本の民間に関しては、同じような問題に直面した各地の市民が協力して保護活
動を進めることで、伝統文化の保護を推進することを活発化していくことが必要です。羽沢ガー
デンのように、他の似たような保護活動を行っている団体との協力を得ることで、活動を多くの
人に知ってもらうことが出来ると考えられます。また政府は、有形文化財の登録手続きを簡略
化・明確化することが必要であると考えました。そして、中国の民間活動に対しては、建築士・
文化保護の専門家・法律家・都市計画の専門家・マスメディアが協力して、民間ネットワークの
構築が必要です。これは特に日本側の過去の活動例に対して学ぶべきことが多いという発言が多
く出ました。中国政府に対しては、専門家や国民の意見を聞く公聴会を開催するなど、民間との
協力をすすめることが現状として必要であるという提案をしました。
■フィールドワーク
日時:8 月 18 日
訪問先:国会議事堂
【概要】
明治時代から始まった塔を中心とした左右対称型の日本の公共建築の伝統的なスタイルである国
会議事堂を見学しました。伝統建築を身近に感じるとともに、純国産品のものが多用されている
国会議事堂を見学することによっていかに伝統建築は保護できるかヒントを得ることを目標とし
ました。
【感想】
国会議事堂の FW で最も印象に残ったことは、「伝統建築技術を取り入れることで建物の価値は大
きく変わる」ということでした。国会議事堂は建設当時、日本の伝統建築技術を取り入れるため、
ほとんどが日本の建築家の手によって作られているため、国会議事堂の内装や庭園の中には、日
本の季節や文化を取り入れた装飾が多くなされていることが分かりました。また、日本の伝統建
築技術や文化を取り入れることで国会議事堂は政治だけでなく日本のシンボルの一つとなり、建
物としての価値を高めていることも分かりました。
最終発表前日のフィールドワークであったため、内容を十分に最終発表に取り入れることができ
ませんでした。また、具体的に国会議事堂のどの部分の建築技術を見るかまで決めてから行かな
かったため、見落としてしまった部分や十分に理解できない部分がありました。
■総括
本会議を終え、客観的に分科会活動を振り返ってみたいと思います。
準備段階にいくつか問題もありました。例えば Skype ミーティングの時間調整です。6 月まで留学
中だった学生や、夏から留学準備をする学生もおり、それぞれ忙しい中、時間の許す範囲での参
加となりました。また、中国側との打ち合わせでは言語の違いもあり、意思を伝えるのに日本人
以上に時間もかかったように思います。さらに、日本側には分科会のテーマである伝統文化を専
第 30 回日中学生会議
82
攻している学生がおらず、基礎的な内容から勉強しなければならなかったため、事前勉強の必要
量もおのずと増えました。本会議では、白熱した議論が交わされる中、連日のハードスケジュー
ルでの疲れもあってか、何度対立が起きることもありました。
しかし、そうした様々な問題を乗り越えて、伝統文化分科会は無事最終発表まで行きつくこと
ができました。それは日中それぞれの参加者の努力によるものであり、また実行委員の方の協力
があってのことでした。
途中は辛いことも尐なくありませんでした。しかしその分、最後に得たものも多かったと思いま
す。節目となる今回の第 30 回日中学生会議で、分科会活動をこの 10 人で共にできたことは非常
に幸運でした。実行委員、とりわけ昨年度参加の経験がないにも関わらず、一生懸命に分科会を
支えてくれた赤松さんには頭が上がりません。また、分科会フィールドワークでお世話になった
国際交流基金、丹幸のみなさんにも感謝しなければなりません。各位への感謝を表して、伝統文
化分科会の総括を了とします。
第 30 回日中学生会議
83
移民分科会
日本側参加者:高橋佑吉、若狭拓也、
臼井貴紀、シェイクサキナ、李チィン
リ
北京側参加者:吴婧、夏天
広州側参加者:黄雯慧、吴昊、梁一冇
■事前活動
移民分科会ではまず、顔合わせ合宿の
時に「移民」という大きな枠組みの切
り口を考えるために在日中国人が抱え
る問題や彼らに関する疑問についてメンバーがブレインストーミングを行いました。そこで挙が
ったのは所得格差、就職差別、研修生問題、なぜ日本に移民してきたのか、中国人の滞在資格、
言葉の問題、親が中国人と日本人である子供のアイデンティティといったことでした。ここから
私たちはこの時点において、考えていきたいことを次の 3 つにまとめました。
1.在日中国人の労働問題
2.日本における中国移民と他国における中国移民の比較
3.中国移民のアイデンティティ です。
6 月 12 日にフィールドワークで池袋チャイナタウンに行き、在日中国人の生の生活を肌で感じ非
常に刺激的な経験となりました(後述)。このときに本会議で議論したい最も大きなテーマにつ
いて話しあい、日中双方のこれからのあるべき移民への対忚策について、国レベルでは制度、個
人レベルではアイデンティティを道筋として考えていこうということで話がまとまりました。こ
こから私たちは、移民制度と移民のアイデンティティの 2 つについて勉強していくことにしまし
た。まずアイデンティティに関してはドキュメンタリーの『泣きながら生きて』、『小さな留学
生』を見て、制度に関しては『良くわかる国際移民』を読みました。そしてフィールドワークが
終わってからのミーティングではそれらに関して意見交換や議論をして深めていました。この議
論を通じて、移民について多面的に知る必要があると感じ、『外国人労働者受け入れは日本をダ
メにする』を課題図書としました。またこの時のミーティングで初めて中国側と同時に skype を
行い、双方の現状や意見を共有しました。北京側が論点に挙げたのは在中日本人の状況、移民国
家であるアメリカの移民政策を参考にしながら日中両国の移民政策を比較するといった日本側と
類似したものでした。一方、広州側は在日中国人の労働者について給料、生活、地位、権利とい
った具体的な角度から見ていきたいと为張しました。これは日本、北京側とは異なるものであり
ましたが、この時点ではまだ統一させる必要がないという認識のもとそれぞれ下調べを継続する
こととなりました。以後の分科会ミーティングでは为に移民のアイデンティティに関する課題図
書を読み意見交換をすることに重点が置かれるようになりました。具体的には『サードカルチャ
ーキッズ』、『華僑文化の創出とアイデンティティ』、『永続的ソジョナー』などがあげられま
第 30 回日中学生会議
84
す。この頃の問題は課題図書を読むことではなく、その一冈一冈をどのように本会議の議論につ
なげていくかということでした。それぞれの課題図書の中から興味のある素材を拾い上げ、結果
として移民の選別、研修生問題についてより考えていきたいという方向性が生まれ、これらは本
会議でも、最終的な論点にはなりませんでしたが議論の中でも大きな割合を占めました。本会議
が間近となってきた7月後半の分科会ミーティングでは今まで読んできた課題図書のまとめを行
いました。
このように移民分科会では、まず論点にしたいことを皆で考え、それに基づいてフィールドワー
クを行ったり、課題図書を選定して議論を深めていきました。事前活動で中国側との連絡が不十
分なところがあり、本会議が始まってから発表をしあうという形で時間をとってしまいました。
ただそれでも全体としては順調に進み、本会議にスムーズに入ることができたと思います。
■フィールドワーク
日時:2011 年 6 月 12 日
訪問先:池袋チャイナタウン
【概要】
横浜につぐ新しい中華街とされる池袋駅北口周辺を訪れ、現在の在日中国人の実生活の現状を知
ることを目的とします。池袋チャイナタウンと称されるようになった池袋駅北口周辺は为に中国
の改革開放後、すなわち 1980 年代以降に日本に移住してきた新華僑によって形成され、横浜中華
街のような集住地域ではなく、在日中国人向けのさまざまな種類の店が立ち並んでいます。また、
特徴的な点としては、何も無いところから街を創りだしたわけではなく、もともと日本人がいた
地域に中国人が入り込んできた結果、横浜とは異なり、駅周辺の雑居ビルの中に日本のお店に混
じって中国系の店が散らばっています。
このフィールドワークでは中国系スーパーの「陽光城」や中国系書店、中国料理屋や中国系カラ
オケなどを見学し、池袋における新華僑の生活環境を実感しました。
【感想】
まず池袋という都心の街に新しい形のチャイナタウンが形成されつつあることに驚きを覚えまし
た。また、「チャイナタウン」といってもこれまでに想像してきた横浜のようなものとは全く異
なり、率直に言えば駅近ではありながら、かなり寂れた地域に、普通の古い日本の雑居ビルの中
に一軒、また一軒と中国系のお店が入り交じっている状態でした。正直、最初はそれらが中国系
のお店であるとわかるのにもかなり時間がかかりました。というのも特に中華料理のお店などは
これといって、日本の普通の中華料理と外見上は区別がなかったからです。しかし、一旦店の中
に入ると状況は大きく変わりました。今回見学した中国系スーパー、書店、料理店、カラオケな
どすべて客の 9 割以上が在日中国人であり、自分たちのような日本人の集団が店を訪れること自
体が珍しいことらしく、店のスタッフのみならず、お客さんからでさえ言葉通り注目を浴びてし
まいました。日本にいるにもかかわらず、かなりマイノリティと似たような気持ちを経験できた
のではないかと思います。しかし、このような気持ちを在日中国人の彼らが日常的に感じている
第 30 回日中学生会議
85
と思うと、日本社会の排他性、閉鎖性について反省せざるをえません。今回のフィールドワーク
はそういう意味でも非常によいきっかけとなったと思います。
大阪開催
■論点
・情報の共有・問題提起
移民の選別について/移民の選挙権について/移民の子女の教育について/不法滞在の問題/研
修生の問題/中国のグリーンカードの改善/日系企業における不平等性の改善方法
・今後の流れの決定
1.移民の種類・選別・動因(現状説明のまとめ・分析)
2.移民の受け入れ
3.移民の受け入れと管理(移民制度・移民社会のあるべき姿)
・移民受け入れの問題
全体的に情報不足である→日本と中国の供給と需要のマッチングの違いに焦点
互いに必要としている移民の種類をマッチさせていく→解決法に
・移民送出国における問題
頭脳流出→日中間の需要供給の情報の共有のためのプラットフォームをつくる
・移民入国前問題点
情報不足/手続きが複雑/歓迎される移民の情報
・移民入国後問題点
受入れ国民の仕事喪失/受入れ社会に溶け込めない/受け入れにおけるコストがかかる
短期使い捨ての外国人労働
・頭脳流出
定義/問題点/解決策
流出自体を防ぐ方法について
流出後の対処について
■討論内容
大阪での分科会活動は 8 日から始まりました。初日は最初にこれまでの勉強内容を共有し、お互
いに思いつく限り問題をあげ、ブレーンストーミングを行いました。ここで具体的に上がったの
は移民の選別について(多文化为義か同化为義か)、移民の選挙権について、移民の子女教育に
ついて、不法滞在の対処法について、研修生の問題、中国における移民の現状について、近代以
来の在中日本人の歴史や変遷について、外国人の雇用制度について、中国のグリーンカード制度
の改善方向、そして日系企業における不平等の改善についてなどでした。
つぎにこれらに基づいて、これからの討論の方向性を決定しました。互いに現状を紹介し、また
両国の政策について比較を行い、両国における移民の位置づけについて考えた上で、大きく 3 つ
の分野にわけて討論することになりました。
第 30 回日中学生会議
86
1.移民の種類・選別・動因(現状説明のまとめ・分析)
2.移民の受け入れ
3.移民の管理(移民制度・移民社会のあるべき姿)
4.はこれまでにやってきた事前勉強の内容をもとにまとめをおこない、2.では移民の受け入れ
の段階での政策を、3.では移民入国後の政策、また理想的な移民社会とはどういうものかを考え
ました。また、議論をすすめるための文献としては「日本的移民政策(新聞)」、「世界的移民
政策(新聞)」、「多民族国家日本はあり得るのか――日本の移民政策について考察する(図
書)」、「在日中国移民(図書)」などがあがり、それを全員で共有することになりました。
次の段階としては、中国・日本側でそれぞれ議題について分担を行い、文献を読んで次の日にそ
れをパワーポイントにまとめて共有しました。まずはビザの政策について話しあいました。国ご
とに差があるにしろ、どの国もビザ申請の条件が緩む傾向にあることがわかりました。その理由
としては外国人の入国(旅行など)によってその国の経済効果が望める、相手国への信頼の印で
あると考えられ、また、手続き面における予算を削減できるなどがります。しかしながら、日本
の場合、ビザの審査はアメリカと違って面接はなく、書類審査のみによって決定されるため、厳
しくせざるを得ない部分があります。実際一度政府が「10 万人の留学生」を目標として掲げた時、
当時の入国の基準、入国者の質が下がったとも言われます。
次に外国人の違法入国についてですが、これは経済的な面において受け入れ国の雇用を奪ってい
るといえます。また、大量の留学生が卒業後も受け入れ国にとどまって就職することは、受け入
れ国の学生が国際的な競争に直面することともなります。これらの人々が日本の福祉制度の枠組
みの中に組み込まれるのならば、そこでも大量の税金が遣われることとなります。また、先述し
た違法滞在者は低所得層が多いため、社会格差を拡大し、治安が悪化する原因ともなりかねませ
ん。
また、一方中国における日本人の問題としては、多くの中国に滞在する日本人が日本企業の管理
職として派遣されており、そして必然的に彼らは大都市部に集中します。また、都市の中でも
「日本人」という集団で過ごすことが多く、交通が便利で繁華街に近い場所でいわゆる「日本人
町」を形成しています。この日の議論では、両国の滞在者の形態の違いがあるため、在中日本人
と在日中国人の比較ではなく、在中日本人をあえてとりあげるのであれば、在米日本人など、他
国にいる日本人と比べたほうが良いのではという意見が上がりました。
9 日の議論を踏まえた上で、10 日は日本側の発表を中心に進めました。ここで、日本側は为に移
民の選別や移民の選挙権問題、移民子女教育及びアイデンティティ問題、研修生の問題について
の発表を行いました。前述のとおり、移民受け入れ国の問題としては自国民の失業を招きかねな
い、外国人労働者の管理の問題、また私達が現在の最も大きな問題と考えたのが日本における中
国移民が本当の日本の受容にマッチングしていないのではないかということでした。日本側、中国側そ
れぞれがいかにして自国の欲しい移民をアピールしていくかがポイントであると考えました。一方で、移民送出
国の問題としては、頭脳流出など技術や能力のある人材が流出していることがあげられます。ここでは日中両国
の移民に対する需要と供給のミスマッチ問題に関して、具体的に
・移民送出国における問題
第 30 回日中学生会議
87
頭脳流出→日中間の需要供給の情報の共有のためのプラットフォームをつくる
日本が移民を受け入れる側 中国が送出する側として分析、考える。なぜ中国から日本に介護士が来ないのか?
原因・・・情報→シェアしていない、法律→調べないと本当に情報のシェアができていないか分からない、お金
(コスト)、教育→学校を作る。介護に限らず、移民についての情報が共有できていないこと自体が問題
・移民入国前問題点:情報不足、手続きが複雑、歓迎される移民の情報
・移民入国後問題点
受け入れ国民の仕事喪失/受け入れ社会に溶け込めない→言語の壁→入国試験を課す→選別/受け入れにおける
コストがかかる→技術の壁→入国試験を課す→選別/短期使い捨ての外国人労働者
・これからの議論:1 頭脳流出(中間で発表)2 受け入れ国への溶け込み。移民後に現地になじめない形をなく
したい。3 在日華僑の子女教育 教育 アイデンティティについて FW@横浜 大陸系の学校 4 外国人選挙
権 in JAPAN (日本のみ)(優先度低い、もし時間があればやるようにする。)
・頭脳流出
<定義> 高度な教育を受けた人がそれを本国以外で活動すること。特に優秀な若者が大学ないし大学院から外
国に流出すること。
<問題点> 人材放出国が、教育の際に起こった社会的コストを回収できない。
<要因・原因> 賃金の格差/キャリア形成 /優秀な人材のもとで学びたい/自国での就職難
流出した後の対処方
1.彼らが母国との架け橋になる(共同研究など)2.自分の国に貢献したい気持ちは皆持つことが大切。帰属感
を活かした対処法。
流出自体を防ぐ方策
・研究施設の整備 ・国費留学生制度 ・お金、環境で、有名な教授、研究者を連れてくる。
■結論
私達はそれぞれ個人が会議までに調べた事や論点を中国側と日本側全体で共有・発表し、これからの全体的な議
論の筋道を定めました。この筋道を踏まえ、これからの議論のトピックを具体的に決めていきました。在中日本
人より在日中国人の方が厳しい状況にあり、改善案などの議論の余地が大きいので在日中国人に焦点を当てまし
た。そして移民における手続き・移民の選別・情報の共有・移民受容の問題を入国前の問題として考え、長期滞
在や永住・グリーンカード制度などの法律や政策面・移民管理制度などのハード面の問題は移民後の問題として、
移民の入国前と入国後の問題に分けて整理しました。为に私達が共有・発表した内容は、中国の査証(VISA)・
グリーンカード制度の改善、日系企業における外国人への扱いの不平等問題、永住資格、移民の選挙権、移民の
選別、移民の子女教育や彼らのアイデンティティの問題、研修生問題などです。論点の大枠・概要として選挙権
(外国人)や在日中国人子女教育、中国の査証(VISA)問題・グリーンカードなどが挙がり、移民の選別につい
ては中間発表の候補にまでなりましたが、結果として移民の選別の延長線上にある移民の受け入れ問題(移民が
受け入れ国にどう溶け込むかなど)を、移民の子女教育、移民の選挙権に並ぶこれからの議論のテーマの一つと
して決定し、中間発表では「頭脳流出」について为に発表する事にしました。日本は海外から人材を獲得する側
でもあるけれど、日本の研究者が海外へ流出してしまう問題もあります。为にアメリカは人材を獲得する側であ
り、中国が頭脳を流出する側として考えました。中国で高度な教育を受けた優秀な若者が大学や大学院などから
外国へと流出して彼らが本国以外で活動するという、頭脳を流出する側の厳しい状況について焦点を当てました。
賃金の格差 、キャリア形成 、優秀な人材の元で学びたい気持ち、自国での就職難などが要因で頭脳流出が生じ
ます。この問題についての論点を私達は 2 つ考えました。1 つは頭脳流出自体を防ぐことで、2 つ目は頭脳流出
した後の対処です。1 つ目の論点の、流出自体を防ぐ方策は 1.研究施設の整備 2.国費留学生制度(国費で留
学した後に2年間は中国で働くことを義務づける)3.金銭面、環境面のメリットで、有名な教授や研究者を連
れてくる、などです。頭脳流出を防ぐためには頭脳獲得側の国の奨学金よりも良い条件を提示することが重要だ
第 30 回日中学生会議
88
と考えました。頭脳流出した後の対処法としては、循環型のシステムを作ればよいのではないかと話し合いまし
た。循環型とは、一度流出した人材がまた祖国に戻ってくることです。その為には流出した人材にとって祖国へ
の帰属感を活かした対処法が効果的だと考え、祖国が流出した人材にとって魅力的な対策を取る必要性を感じま
した。その為に必要な事は 1.彼らが母国との架け橋になれる(共同研究など)2.自分の国に貢献したい気持ち
を持つことが大事だと考えました。アメリカなどとの共同研究の実施や、外国にいた人材が祖国で良い地位につ
きやすいようなシステムを造ることが、流出した人材にとって魅力的だと考えました。
訪問先:神戸華僑歴史博物館
東京開催
■論点
・移民とその社会の関係…どうして移民は受け入れ国に溶け込めないのか
→原因
解決策…チューター制度、その内容
・在日華僑子女教育について
・華僑学校がめざすもの
・日本の学校に通った場合の問題点
・言語による問題点
・同化と自国の文化のバランスをいかに取るか
→中華学校/日本の学校/中国の学校に分けて考える
・アイデンティティ形成について
・子女教育について
→3 つに分類し、どうやったら解決できるか
→どうやって双方の文化を身に付けるか
→それくらいのレベルの言語を身に付けさせたいか
・一時帰国の場合の問題について
・途中から帰国した子供に関して
・チューター制度の映像について
・途中から日本にきた子に対する対策
→既存の組織の問題点/解決策
・FW(横濱山手中華学校)について
→感想
→問題点
→解決策-既存の組織から見る
■討論内容
≪15日≫
・移民とその社会の関係について
⇒どうして移民は受け入れ国に溶け込めないのか
第一の原因として、言語問題が挙げられた。というのは、やはり就業目的で現地の言語(ここでいうならば日本
語)を習得せずに来日し、生活になじめないということである。私たちは解決策として、うまく溶け込ませるた
めのチューター制度を提案することにし、その内容について話し合った。
≪16日≫
第 30 回日中学生会議
89
・在日華僑子女教育について①
子どもの教育をどうするかについては、親の意識が非常に強く子どもに反映される。子女教育の方法として3パ
ターンあり、それぞれのメリット・デメリットについて話し合った。それらについて考えるに当たり、受入国と
自国の文化習得のバランスをいかに取るか、つまり親がアイデンティティをどこに求めるかに着目した。
≪17日≫
・在日華僑子女教育について②
前日同様にして、3つの分類に注目し、どのようにして双方の文化を身に付けるべきか、どれくらいの文化の習
得を望むのかについて話し合った。その際に、一時帰国の場合の問題や教育課程の途中から帰国した子どもに対
してどのようにサポートするかなどについて取り扱った。
また、最終発表で報告するチューター制度をいかにうまく伝えるかについて話し合った。
≪18日≫
・途中から日本にきた子に対する対策
自治体などによって運営されているコミュニティをうまく活かすにはどうしたらよいかについて話し合った。そ
れらの例として、群馬県大泉町や新宿区多文化共生プラザについて取り上げた。既存の団体の大きな問題点とし
て、広報不足というのが挙げられた。
≪19日≫
・FW(横濱山手中華学校)について
先日訪れた横濱山手中華学校についての感想の共有、問題点、解決策について話し合い、今まで考えてきたも
のとの擦りあわせを行った。中華学校の抱える大きな課題として、正式な学校として認定されていないことがあ
る。そのことが理由に、学校そのものだけでなく、生徒の将来をも左右してしまう場合があり、自体は重大であ
った。だが、中華学校に行くことで、それ以前に話し合っていたことが実際のものとなり、議論が活発化した。
フィールドワーク
訪問先:横浜山手中華学校
感想
■結論
私たちが为に東京で話し合ったことは次の 2 点です。それぞれについて私たちが導いた結論を述べます
まず、一つは移民と受け入れ社会との関係についてです。私たちはなぜ移民は周辺の人々と交わりを持たない
のか、持てないのかについて話し合いました。そもそも彼らの目的は就労であり、時間があれば交流したいと思
うかもしれませんが、わざわざ時間と労力を使ってまで交流を持とうと思えないのではないかと考えました。地
方自治体単位でも、さまざまな取り組みが行われているが、その組織すら知らないといった現状もあるようで、
の解決策として「チューター制度」というものを考えまし双方のコミュニケーションが不足しているように思わ
れました。また、尐なからずとも、移民の言語障害によって交流が妨げられているという一面は否めません。私
たちはそう判断しました。それには移民に対して日本の習慣や制度を教え、社会との繋がりを持たせるという目
的があります。対象は長期滞在の移民で、実施期間は 3 か月です。移民 1 人に対し、1 人の日本人がチューター
として地域のルールなどを教えるのですが 1 か月でチューターは変更し、移民は尐なくとも計 3 人の日本人の知
り合いができます。これにはネットワークを広げるという意味だけでなく、相性が合わなかった場合を考慮して
考えたものです。また、移民とチューターだけでなく、チューター同士も互いにフィードバックを定期的に行う
ことで内容の充実を図ります。チューターは完全忚募制で、交通費などに当てる程度の謝礼が支払われます。3
か月が終了すると、チューターはごく簡単なテストを受ける必要があり、万が一そのテストに合格できなかった
場合、有料で引き続きチューターを付けなければならなりません。この制度には国として、社会的コストが削減
でき、チューターとしても国際交流の場としてうまく利用できると考えられます。
第 30 回日中学生会議
90
次に、子女教育についてです。私たちは子女教育について考える際、親が「子どもに母国と受入国両方の文化を
身に付けさせたいと考えている」という意識を持っていることを前提としました。もし親がどちらか一方の文化
のみを子どもに身に付けさせたいと考えている場合、前者の場合よりも解決策や問題点は明確であると考えたか
らです。その前提をもとに、次に学校の選択肢によって分類を行いました。日本の学校に普通に通う、帰国して
中国の学校に通う、中華学校に通うの 3 パターンです。私たちはそれぞれについて問題点を洗い出し、どのよう
にして解決を図っていくかについて話し合いました。その結果として、どのパターンを選択しても重要かつ困難
なのが双方の文化を維持することでした。どのレベルの文化を求めるかについては「読む聞く話す全てにおいて
自分の意志を伝え、相手の意志も理解できる」と設定しました。そのために最も重要と考えたのは家庭での教育
です。家庭で双方の文化(言語も含む)修得の必要性を子供に理解させることが非常に大切であると私たちは話
し合いました。欲を言うならば、家庭内だけではなく、他の場面でも母国の文化を必要とする機会があることが
望ましいです。そうすることで、子どもは無理することなく、双方の文化を習得できるのではないかと私たちは
考えました。
・フィールドワーク
日時:8 月 19 日
訪問先:山手中華学校
【概要】
今回の会議の大きな議論のテーマの一つである「華僑の子女教育」についてその現状を知るべく、首都圏で唯一
の大陸系中華学校である横浜山手中華学校を訪問し、潘校長先生から今日までの学校の発展や現状についてのお
話を伺い、校内見学を行いました。
横浜山手中華学校は百年以上の歴史を持つ中華学校で、現在幼稚部、小学部、中学部を持っています。カリキュ
ラムを工夫し、生徒には中国語・日本語の両方の習得、そして中国文化、中国に対して深い思いをいだき、将来
日中両国の友好に貢献できることを望んでいます。この目標を達成するために、さまざまな中国文化や歴史を学
ぶ授業を始め、放課後の部活活動や修学旅行といった学校行事を通じても中国への理解を深めるきっかけを多く
作っています。
【感想】
まず、日本と中国の両国のことを双方の立場から教えていることに新鮮さを覚えました。両国がぶつかる場合
もある歴史教育においてもそうであり、また両国の教科書を同時に使用し、「母国語」という概念を持たず、両
国のアイデンティティを持つことに驚いました。また、当然のことではありますが、2 つの言語をどちらも高い
レベルまで習得するために、多くの時間を語学に割かなければならず、そのぶん生徒の負担が大きいのだろうが、
将来使える言語であり、アイデンティティに関わる問題でもあるので、中国人の親としては子供に学ばせたいの
だろうと思います。
また、学校自体が各種学校を脱し得ず、義務教育として認めてもらえない、教科書の無償化が実現されないな
どさまざまな問題が依然として残っています。しかしながら、中華学校の教育理念はグローバリゼーションが進
む現代社会
<問題点>準学校法人であること/義務教育として認可されていない朝鮮学校の拉致問題の影響/補助金が尐ない
4 分の 1 程度しかもらえない/教科書無料化にならない/高校受験の壁/高等部はうまくいかなかった/外国人学校
での経験なし/保険制度
第 30 回日中学生会議
91
<改善点>義務教育課程を認めてもらわなければならない。規模を大きくして華僑学校の存在、影響力を増した
いがこれ以上赤字を増やす恐れも→他の華僑学校(神戸など)と連携していく必要性/地方だと入れる華僑学校
がない
・どうして中華学校は各種学校を脱しえないのか?その理由を深く知りたい。
・学校にあった、「小学一年級」の文字+ピンイン
は、入学して来る子の多くは日本語を母語(この言葉は使
うべきではないと言っていたけど)としているのではないか。
・先生の問題。バイリンガル教育をする一方で先生はモノリンガルであることがあり、それは弊害としてあげら
れる。これは、日本ないし、中国で普通に教員免許とったらそんな感じになった。先生教育のむずかしさ。
・在学生、卒業生の子女は優先的に入学→アイデンティティをはぐくむ素地がそこにあるのかもしれない。
■総括
移民分科会では、中国と日本のそれぞれで理想的な移民制度をつくることを目的としていました。お互いの移民
受け入れ、査証制度について深く学んだ後何をトピックとして取り上げるかを決め、議論しました。
まず、お互いの国の移民制度、特に在日中国人および在中日本人についてプレゼンテーションを行い情報を共有
して、その後会議トピックとしてふさわしいものを話しあって決めました。在中日本人に関しては、日系企業に
勤めているひとが大半をしめること、彼らは皆中国の一般庶民が住まないような高級住宅街に住んでいることな
ど、日本側と比べて問題が大きくなく、具体的事例に乏しいです。そのため、私たちは在日中国人にフォーカス
して議論を進めることにしました。
最終的に論点として決まったものは 3 つあります。
一つは頭脳流出です。これは日中双方に共通するテーマでもあります。清華大学、北京大学などはアメリカ博士
課程養成学校と揶揄されるほどアメリカへの大学院進学率が高いです。日本でも研究者の流出が問題視されてい
ます。この問題については論点が 2 つあり、1 つは頭脳流出自体を防ぐこと、もうひとつは頭脳流出した後のフ
ォローをどうしていくか、ということです。前者に関しては、中国の国費留学生制度が参考になりました。これ
は、国費で留学してもらって、留学後 2 年間は中国で働くことを義務づけるというものです。日本の自治医科大
学の制度に似ています。アメリカの奨学金よりも良い条件を提示できれば頭脳流出を防げるのでしょうか。2 つ
目の論点に関しては、一度アメリカに行ってしまった研究者が中国なり、日本に帰ってくる循環型の仕組みを作
ればよいのではないか、という話になりました。言語面では母国語と英語は話せるため、母国の大学とアメリカ
とで共同研究などやりやすいと思います。日本の硬直的な大学教員制度(助教→准教授→教授)を見直して、外
国に長年いた先生を受け入れやすい制度をつくるべき、という結論になりました。
2 つ目は、華僑華人の子女教育についてです。これは、華僑の子供をどう教育すべきか、すなわち日中のはざま
に立つ子供たちへの理想的教育を考えました。華僑の親は、子供が日本社会に溶け込むことを望むのはもちろん
のこと、中国の言語、文化も忘れないでいてほしいと考えていました。子供が完全に中国語を話せなくなってし
まうケースも多いことがわかりました。この問題について解決するために、フィールドワークとして横浜山手中
華学校と神戸華僑博物館に行ってきました。そこで聞けた話として、まず言語の習得のためには言語を文法から
学ぶのではなく自然に受け入れることが大切ということでした。横浜山手中華学校では、日本語と中国語の授業
が半分ずつ存在しており、社会の授業も日本史と中国史で分けて教えられていました。こうして言語面でも文化
面でも日中半分ずつの人間をはぐくもうとしていました。こうした、「中国に触れる機会」を増やすことが大切
であるという結論に至りました。
第 30 回日中学生会議
92
3 つ目は、外国人を日本に溶け込ませるための問題です。池袋チャイナタウンでは、中国人だけでコミュニティ
が形成されていて日本人とのかかわりが尐ないです。そのため日本社会とどうしたら結合できるのかを考えまし
た。そこで私たちが考えたのがチューター制度です。これは、日本に初めて来る外国人にボランティアのチュー
ターをつけ、日本の制度を教えるとともに日本人とのつながりを作ろうとするものです。政府にとっては、外国
人による社会的コストが削減でき、外国人にとっては良い相談相手ができ、チューターにとっては国際交流の場
を提供できるというメリットがあります。現存する交流団体は、コミュニティセンターなどで開かれているため、
外国人側から出向かねばならず敶居が高いです。それをこの制度では解決できると思っています。
私たち移民分科会では、日本側も中国側も、「結論を得るためにはどうしたらよいか」を常に念頭においた建設
的な議論がなされ、意見の相違があっても終始良い雰囲気でした。ここで話あった内容を今後につなげていきた
いと考えています。
第 30 回日中学生会議
93
4章
本会議を終えて
関西報告会
■日時 10 月 9 日
■場所 同志社大学・今出川キャンパス
■概要
本会議の成果を社会に発信すべく、関西では美景と美食を満喫し、
思い出深い一日を過ごした京都の同志社大学で開催しました。基
調講演では、同志社大学グローバル・コミュニケーション学部グローバル・コミュニケーション学科の日野みど
り先生に講演して頂きました。様々なお話のなかで共通して強調されていたことは、「相手がなぜそのような考
え方をしているのか」を突き詰めることの大切さでした。そのために今の時代の背景を歴史的な視点から追った
り、多くの人と交流する中で常に自分の考えを相対化して物事を考えたりすることが必要です。時間的な制限で
多くのお話を聞くことはできませんでしたが、「今後どのように交流するべきか」を考える非常に有意義な時間
となりました。講演後は各分科会の報告発表を行いました。一般の方からも活発に質疑を頂き、私たちが本会議
で得た成果を発信することができたのではないかと思います。また、最後に設けた交流の時間では多くの学生が
残って積極的に交流をしていて充実した報告会となりました。
関東報告会
■日時 10 月 15 日
■場所 早稲田大学・西早稲田ビル 711 教室
■概要
事前準備も含めこの一年間の成果を社会に発信すべく、関東では本会議でも滞在した東京にある早稲田大学で開
催しました。私達第 30 回日中学生会議としては、これが最後のイベントとなりました。
本報告会では昨年度の関東報告会に引き続きキャノングローバル戦略研究所、研究为幹の瀬口清之様に『実務か
ら見る日中関係や青尐年交流の可能性』という演目で基調講演をして頂きました。瀬口様は東京大学経済学部を
卒業後、日本銀行へ入行され、その後は研究のため中国へ毎年数回訪問されていらっしゃり、今回はその経験を
元に講演をして頂きました。
基調講演の前半部分である『実務から見る日中関係』では、実際に瀬口様が実施・分析された調査などをお見
せいただき、これからの中国の成長の速さを改めて目の当たりにさせられました。お見せいただいた資料も予想
値としては控えめに作られており、それでも日本は将来抜かされてしまうという資料提供の上手さという点は今
後見習っていきたいと思います。
後半部分である『青尐年交流の可能性』については、お話を聞くことで改めて自分たちの存在意義を見つめ直
すいい機会となりました。これからの時代に中国という大国を相手にしていく中で、今私たちがやっている活動
は必ずや将来へ繋がるのだと感じました。
講演後は各分科会の報告発表を行いました。60 名を超える一般観覧者の方からも活発に質疑を頂き、報告会のな
すべきことである、社会への発信という点においてとても有意義な時間を設けることができたのではないかと思
います。
最後に、当日は残念ながら急用でいらっしゃることができませんでしたが、この会場を貸していただいた顧問
の早稲田大学天児教授に感謝の意を表したいと思います。
第 30 回日中学生会議
94
全体感想
ゴールとスタート
鹿城宏一郎
1.活動を終えて
楽しむ気持ちを忘れない、運営の難しさ。
2.自分にとっての日中学生会議
成長の場
また、夏が終わった。この感想文を書くということは第 30 回日中学生会議の終わりが来たということです。
自分の中でその現実を受け止めることが難しくて、胸に何かぽっかり穴が空いてしまうような空虚感を感じるこ
とが嫌で、なかなか筆が進みませんでした。
私にとって第 30 回開催は二度目の日中学生会議です。一度目は昨年度の中国開催。そして、二度目はこの開
催。今年は準備期間から本会議まで本当にたくさんのことがありました。とても多くのことを経験させていただ
き、多くのことを成し遂げてきました。それはとても多くて、ここには書き記しきることができません。ただ、
その中でも特筆したいのは、本会議を大きな変更なく開催することができたということです。今年度は、3 月に
東日本大震災が起こりました。実行委員として活動していく中でこれがもたらした影響には骨が折れました。予
算、リクルート、そして本会議日程とすべてのことに影響を及ぼしました。それでもこの未曾有の大震災に屈す
ることがなかったのは、力強い仲間がいたからです。予算面を工面するために足繁く財団へ通ったり、毎日
Skype で中国側を説得してくれたり、尐しでも多くの人の目に留まるように工夫しリクルーティングを行ったり
とそれぞれが自分のできることに一生懸命になってくれました。本当に今年はこの同期の実行委員がいなければ
成し遂げることはできませんでした。
さて、今期は私にとって日中学生会議の集大成になります。2010 年の 4 月に ES を提出してからの 17 か月を振
り返りたいと思います。一言でまとめると、自分にとっての日中学生会議は成長し続けられる場でありました。
なぜなら、日中学生会議にはたくさんの刺激が存在するからです。この学生会議は本当にとてもダイバーシティ
に富んだ人たちが参加してくれます。いろいろな人からの視点を知り、自分との違いを認識する毎日。そしてそ
れらをうまく混ざり合わせて自分の持っているものを研ぎ澄ます。この一連の動作を通すことによって今まで以
上に充実した日々を創造することができたと思います。
最後に、なりましたが日中学生会議を支え続けてくれた、財団の皆様、OBOG の皆様、参加者のみんな、そして
なりよりもこの第 30 回日中学生会議第 12 回日本開催で尐しでも素晴らしい時間を創造しようと尽力してくれた
実行委員のみんなに心から感謝の気持ちを表したいと思います。
そして未来へつながるバトンを受け継いでくれた第 31 回日中学生会議が今年以上に素晴らしいものとなるこ
とを願っています。一年間ありがとうございました。
日中学生会議と自分
井上俊吾
1.日中学生会議で学んだこと、2.私にとっての日中学生会議を記します。
第 30 回日中学生会議
95
私が日中学生会議において何よりも学んだことは、考え続けることの大切さです。日中学生会議は他の学生活動
とは異なり、多くの外部の組織と関わる機会を持ちます。例えば、財団、OBOG社会人、他の学生団体、留学
生会など、私が活動している中でも様々な組織と様々な関わり方をしてきました。その中で、常に自分の団体が
どのような方向を目指し、自分の役割は何か、団体としての目標をどのように設定できるのかといったことを考
えさせられました。自ら考え、実践し、反省し、また実行するというサイクルを日中学生会議という場の中で取
り組むことができたのは本当に大きなことでした。私はこの 1 年間、副実行委員長として、「常に全体を把握し
て、周りを動かす存在になる」ことを目標として活動していました。今振り返ってみると、本会議中に発生した
問題など含め、この感想文には書ききれないほど多くの反省はありますが、副実行委員長として一定の役割を果
たしたことは今後の社会人生活でも活かせることだと考えています。
また、私にとって日中学生会議とはまぎれもなく『成長の場』であったと思います。参加者としての本会議、1
年間の準備期間、そして実行委員としての本会議、全てにおいて自分が様々な役割を持って行動し、その時々で
自分自身を振り返れたことが、何よりも成長につながりました。具体的には、人を動かす力、集中力、判断力、
行動力など様々な側面から自分を高めることができました。日中学生会議と並行して行っていた就職活動の中で
も、こういった日中学生会議で培った経験を活かすことができました。今後どれほどこの団体が存続し、どれだ
けの人が関わるのかは予想できないことですが、自分と同じようにこの学生会議に関わる全ての人が、授業では
学べない多くの事柄を学び、成長する機会を得ると信じています。
最後になりますが、自分にこの成長の場を与えてくれた、同期の日本・中国実行委員、本会議参加者、OBOG
の方々、他団体、日中文化交流財団、顧問の先生方、関わったすべての機関の方々に改めて感謝の意を申し上げ
たいと思います。この 1 年間、本当に、本当にありがとうございました。
第 30 回日中学生会議を終えて
武井紀文
第 30 回日中学生会議では実行委員という立場での参加で、昨年よりも運営で仕事に追われ、本会議も昨年ほど
には楽しみきれなかったというのが率直な感想です。ただ、確実に自信を持って言えるのは、去年よりも充実感
に満たされているということだと思います。震災の影響で開催さえ危ぶまれた本会議でしたが、参加者の熱意に
後押しを受けてなんとか頑張ることができました。また、参加者からは見えないことをたくさん学ぶとともに、
この会議の可能性を感じることのできる一年でした。実行委員としての後悔はたくさんあるけれども、今年も多
くの素晴らしい中国人参加者、日本人参加者に出会えたことに満足しています。彼らはこれからの人生の上での
財産であり、中国にもこれから度々訪れたいと思います。また、第 30 回日中学生会議に協力をして頂いた全て
の方に心から感謝の意を表したいと思います。
日中学生会議感想
宮房春佳
会議も終わり、一年を振り返ってみるとあっという間でした。昨年 8 月、29 期のメンバーにまた会いたいとい
う一念で実行委員になってはみたものの、何から始めていいかわからず、とりあえず渋谷のファミリーレストラ
第 30 回日中学生会議
96
ンでミーティングに参加することから始まり、時に自分の無力さに苛まれながら、本会議まで雪崩のように毎日
が過ぎていきました。
昨年は参加者、今年は実行委員として会議に携われたことによって、様々な経験を得ました。実行委員として、
自分が体験したことのエッセンスを思い出し、踏襲できるところは踏襲し、改善点はいかに改善するかを考え、
それを実際に運営するというのは大変貴重な体験だったと思います。また、最終日に参加者や中国側実行委員か
らもらったメッセージを見て、今までにないような感動を得ました。
私がこの会議に与えたものは零細な労働力と時間くらいなものだが、私がこの会議から得たものは計り知れな
いです。まずこの会議に昨年出会うことがなければ私が来年 2 月から中国に留学することもなかっただろうし、
またこんなにたくさんの中国人学生と友達になることもなかったと思います。自分の仕事の出来なさが目につい
て仕様がなく自己嫌悪に陥ることもたびたびありましたが、それも自分を追い込み自分を知るという意味でとて
も貴重かつ有意義な体験だったと今になって思います。
実行委員や、参加者の皆の優しい言葉に支えられて今日まで日中学生会議に関わって来れたことは本当に幸せで
した。最後になってしまったが、私にこのようなチャンスをくれた今まで日中学生会議に関わってきたすべての
人たちに感謝したいと思います。
ありがとうございました。
日中学生会議に参加して
辻部和真
感想は 2 点あります。青尐年交流の大切さ、外交文書作成の困難さを実感したことです。
巨額の税金を投入してまで青尐年の交流事業をやるべきなのかどうか疑問を感じておりました。 本会議に参加
するまでは。今は交流をより活発に進めて行くべきだと考えます。なぜなら私自身がこの日中学生会議という交
流を通じて異文化に対する理解を深めることができ、日本が海外からどのような評価を受けているのか、たくさ
ん知ることができたからです。対日感情と対中感情が大きく異なることから日中双方が「?」を抱いていたと感
じます。短い交流ではありましたが、共に生活していくことで、交流していく中で多くの「?」が解消できたと
思います。
外交分科会では安全保障問題という日中間で近年大きな問題となっているテーマを議論しました。日中双方の意
見が真っ向から対立し、それぞれの为張を変えることができない中で一定の結論を出すことは極めて困難でした。
また発表用の資料作成時にはスライドに盛り込む表現が日中双方の为張をきちんと表すか一語一語、慎重に吟味
しました。日中双方が漢字を使うため、ニュアンスの違いを理解し、調整することは大変でした。外交文書で文
書の表現がいかに大切か知ることができました。
みなさんとまたお会いできる日を楽しみにしております。
本会議を終えて
橋岡修平
第 30 回日中学生会議
97
本会議が終わって、もう 1 週間以上経ちました。未だに本会議での充実した日々を思い出すと、「あぁ、終わっ
てしまったんだな」と尐し寂しいような、懐かしいような気持ちになるのですが、今回感想を書かなければなら
ないということで、本会議でのことを思い出して書いてみようと思います。
今振り返って思うのは、本当にこの 2 週間、あっという間に感じたということです。それはきっとこの会議での
時間が、時間を忘れてしまうほど充実したものであったからだと思います。また、分科会の議論もそれだけ中身
の濃いものだったということなのだと思います。正直、本会議が始まる前までは、2 週間も話し合うことなんて
あるわけないと高を括っていたのですが、実際に会議が始まってみると、日本側と中国側で意見の食い違いや、
衝突もあったりして、2 週間では話し足りないという位に議論が白熱しました。靖国問題や尖閣諸島問題といっ
た日中間に横たわるナイーブな問題について、中国の学生と意見をぶつけ合うという経験はきっとこの機会がな
かったら、一生できなかったというような貴重な経験だったと感じています。
また、私が今回の会議で得られたものの中で、一番大きいと感じているのは、中国側の学生との友情です。私は
当初、この会議が始まるまでは心のどこかで自分が中国の学生と分かりあうことなど絶対にできないと思ってい
ました。それは、ニュースや新聞で中国のデモを見ていたし、中国人は日本を嫌っているという勝手なイメージ
を持っていたからです。しかしながら、この会議を通じてこのイメージは全くの見当違いであることが分かりま
した。中国側の学生は非常にフレンドリーで、根底の部分で持っている価値観が日本人とほぼ同じであるという
ことを感じることができました。
こうした経験から、私はこの会議で出会った中国人の学生と一生の友達であり続けたいと思っています。もちろ
ん、住んでいる国が違うのでなかなか会えることはできませんが、Skype やメールを通じて今後もずっと連絡を
とっていこうと考えています。
最後になりましたが、この会議を 1 年間かけて準備してきた実行委員のみなさん、本当にありがとうございまし
た。実行委員の影の努力は、参加者にもしっかりと伝わっていたと思います。1 年間お疲れ様でした。
日中学生会議を終えて
塚原明日香
私がこの会議に参加したのは、中国のことを考えている人たちや中国人学生と討論したり話してみたいという
思いがあったというのが最大の理由でした。中学生のころから中国と接してきたけれど、外国人として下に見た
り、ひとりで町にいると反日が怖くて日本人でないふりをしたりして、ずっと真っ向から立ち向かうことができ
ずにいました。
その分今回の会議では、中国について勉強やフィールドワークや討論や中国人学生との交流を通じて、初めて
中国という国家に向き合えたと思います。中国人の印象もかなり変わりました。今までの中国の方との交流とは
違い、同年代の自分と同じような大学生と話すことで、逆に双方の考え方や生活の違いが浮き彫になると同時に、
彼らは私以上に気を配れて明るく優しい人たちなのだと感じました。
日本人として中国政府の言動や中国人の日本への態度に対して憤りや落胆を覚えることもあります。中国人か
らした靖国問題や教科書問題、領土問題なども同じでしょう。しかし今回のように、相手の立場に立って考え、
第 30 回日中学生会議
98
相手の国のことを学び、事情や理由を理解することで、単に相手を責め憤るのではなく、解決への前向きな姿勢
へと変わることができました。これは今後の日中交流の中でもとても大事なことだと思います。
私はもともと中国が好きですが、中国のことを知れば知るほど嫌な部分については理解できるようになり、良
い所もどんどん知って、ますます好きになりました。だから他のみなさんにも等身大の中国を知ってもらって、
歴史問題や隣国関係による反日・反中などの国民感情を克朋したいと切に願います。
自分の人生経験の面でも、自分の弱い所、知識や経験の足りないところを痛感したほか、意識の高い人たちや
日中問わず自分と違う考えを持った人たちとの交流と通じて、新しい価値観を知ることができ、自分の人生への
影響も尐なくないのではないかと思います。
この会議で得た日本や中国のかけがえのない友達、楽しくて仕方なかった会議の思い出、それらを次に繋げて
いって途絶えさせないようにしたいと思います。また、将来有望な皆さんの今後の活躍を楽しみにしています。
本気になった 15 カ月
牧 英里子
29 期、たまたまチラシを手に取ったことがきっかけで、日中学生会議に参加してから、15 カ月。中国人のホ
スピタリティーに感動し、今度は中国のみんなに恩返しがしたい、また、自分自身 29 期ですごく貴重な体験を
し、自分の未熟さにも気づけたし、成長できたので、次はその場を色んな人に提供していきたい、もっと日中学
生会議を世に広めたいという熱意を持って実行委員を始めました。
これまで開催テーマや開催地、規模やメンバーまで、ゼロから自分たちで作り上げ、全力で突っ走ってきました。
みんなで徹夜をして議論していたこともありました。東北大地震によって開催が危ぶまれた時、日本側実行委員
の間でも日中間でも意見が分裂したことがありました。意見が分裂している中でも、日本側で最後まで共通認識
として確立していたのは、「第 30 回 日中学生会議をなんとしても開催させること」でした。そこには私たちの
日中学生会議への熱い思いがあったからだと思っています。毎日タスクに追われ続けながらも、「絶対に会議を
成功させる」というモチベーションを保ってこられたのは、一緒に準備してきた実行委員9人、また何度も
Skype や QQ で連絡を取り合い、励ましてくれた中国側実行委員、ずっと忚援してくださっている OBOG の皆さま
のおかげです。本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。
また、本会議中において、去年は中国や分科会テーマに対する知識に差を感じてしまい、自分のことで精いっ
ぱいで、周りを見る余裕がありませんでした。今回は、その反省をばねにして、事前に知識面は自分で補い、分
科会としてどう議論を進めて行くのかということに焦点をしぼっていました。結果として、様々な反省点、課題
も多く残りました。しかし、この課題こそが次へのステップとして頑張るべきことなのだと思っています。
至らなかった点も数多くあったと思いますが、実行委員として、第 30 回いちメンバーとして、今回関われたこ
とにとても感謝しています。数々の困難を乗り越え、第 30 回日中学生会議が 1 人も欠けずに無事終われたこと、
次期実行委員にバトンを渡せることに、今は胸がいっぱいです。日中学生会議を通して、30 回メンバーと出会え
たこと。私はとても幸せだし、誇りに思っています。重要なのは、これで終わるのではなく、「継続性」だと思
います。30 回をきっかけにリスタートして、今回得られた経験や絆を大切にして、皆が活躍し、またみんなで再
会できたらと思います。私は、日中 OG として、これからは陰ながら、でも全力で忚援していきたいと思います。
第 30 回日中学生会議
99
私のアツい夏~日中学生会議でのきらめく青春!~
二宮詩織
日中学生会議が終わった今、本当にあつい夏を過ごすことが出来たな、と実感しています。日中学生会議に参加
すると決めたのは、忚募締め切りの前日。中国に今まで全く興味がなかった私が、夏休み何をやろう、と迷って
いたときに HP を見て直感で忚募してみようと思いましたが、その選択肢は本当に間違っていなかったな、と思
っています。
準備期間を含め、この日中学生会議を通し、気付いたことや驚いた事がたくさんありました。まずは、中国の学
生と、こんなに仲良くなれるなんて思っていなかったということです。2週間を通して本当に仲良くなることが
出来て、最後のお別れの時はお互いに泣きあうくらいの仲を築けました。その中で感じたことは、日本人も中国
人も、同じ人間であるということです。中国にあまり興味がなかったと、先に書きましたが、私が中国に対して
持っているイメージは、メディアで流れるような、あまり良くないイメージだけでした。しかし、実際に中国の
学生と触れ合うことによって、メディアで流れているような感情を抱いているのはほんの一部の中国人、日本人
だけであり、ほとんどの日本人は、そして中国人はお互いのことを誤解しているのではないかな、と感じました。
この会議を通して考えたことは、そういった誤解をなくせば、もっとお互いの関係が良くなっていくのではない
か、ということです。
また、観光や文化交流を通して、お互いの文化の違いを感じとることができました。そして分科会ごとの会議を
通しても様々な反省点がありました。例えば、言語の違いで大きな認識の違いが出てしまうということや、両国
の社会の状況や背景の違いから、なかなか議論の前提を共有出来なかったり、日本語を中心に会議を進めていた
ので、なかなか中国側の意見を取り入れることも出来なく、議論が進むに連れて、お互いの意見の食い違いなど
に気づかされたりもしました。
この会議を通し、様々な事を学びましたが、今一番強く感じていることは、この会議を通して築けた関係をこの
ままで終わらせてはいけない、ということです。これからも、お互いに連絡を取り続け、私たちが大人になった
時、尐しでも日中友好に貢献できたらな、と思っています。また、反中感情を抱いている人に私達の感じたこと、
体験したことを伝えていくことも、非常に重要な事であると感じます。
これから、私は中国の事を尐しずつ勉強していくと同時に、英語や中国語も学んでいき、将来中国に関わる仕
事が出来たらいいな、と感じました。
この2週間本当に楽しかったです。ありがとうございました。
感想文~本会議を終えて~
三
星野雄
「半分反省、半分前進。」最後の反省で僕はこのように言いました。
僕は会議に忚募する時、「色々な面白い奴、優秀な奴の良い部分をどうやったらうまく引き出せるか」という
目標を掲げて参加したのだが、なかなかそれはうまく実現しませんでした。
第 30 回日中学生会議
100
ちなみに僕は普段一人でいる事が多いです。それゆえに僕が会議で期待したことは、人と人とが力を合わせて、
個々では生み出せないものを生み出す事でした。それは時に単純な人数の足し算以上の成果が生みだされるし、
それが僕の会議に参加した動機でした。
それを期待して、僕は色々な人の意見を引き出す事を試みましたが、結果的にそれが上手くいかなかったと今
は感じています。それが最初に述べた反省点です。そして、自分にはいったい何が必要なのか、何が足りなかっ
たのかといった事が経験を通して見えてきたこと。これが前進した点です。
インターネットやテレビのおかげで、僕たちは普段家から一歩も出ることなく、隣国の状況や人々の考えを知る
ことができるし、お互いの国の政治がどう絡んでいくのも知ることができます。しかし、他国との関係において
僕たちの心に最も大きな影響を与えるのは直接築いた人間関係だと僕は考えています。余談ですが、日米学生会
議との交流の時間で話したアメリカ人がこのようにいっていました。
「最初はインドに行こうと思っていたんだ。でも当時治安が悪くて日本が安全ということで、日本に滞在するこ
とにした。結局その体験によって僕は日本が好きになったし、日本語も勉強するようになったし、今ここにいる。
本当に些細な事で日本という国を考えるようになったんだ」
僕もそうです。結局一人の優秀で親切な中国人が僕に中国について考えさせるきっかけを与えてくれました。僕
は中国について知れば知るほど、「中国が好きだ!」なんてことは軽々しく言えないけれども、それでも中国と
関わりを持ってきているし、今後も何らかの形でかかわっていきたいと思います。(そろそろ中国語も勉強した
いとすら思っています)
今回の会議で中国の人たちが「日本について知れてよかった」と聞いて嬉しかったし、「雄三に会えてよかっ
た」と言われた時はもっと嬉しかったです。一人でも多くの中国人が日本や日本人を好きになってくれれば僕は
嬉しいし、それが国交の改善につながってくれればなお嬉しいです。僕はおそらく外交や政治に関わることはな
いと思うけれど、尐なくとも目の前の中国人が自分を好きになってくれるような努力は続けていきたいと思いま
す。
感想文
石井理央
思い返せば4月、私がこの会議への参加を決意したのにはいくつかの理由がありました。幼い時から興味を持
っていた日中関係について学び、中国についてもっと知りたい、中学1年の時にテレビで目にした、日中韓の若
者によるディスカッションに近いことができるかもしれない。でも何よりも大きかったのは、他の大学に入学し
た同世代の友達に絶対に負けない大学生活を送りたいという、生来の負けん気の強さからくる思いだったかもし
ません。だから実行委員長からの「1年生だからというのを言い訳にせず、全力でぶつかってきてください」と
いう言葉はとても嬉しかったし、その後の私が困難にぶつかった際の励ましの言葉となりました。
毎週の MTG でテーマが決まるなり、大学の先生や友達に相談したり、図書館に通って本を読み漁ったり、この
半年、私は日中の活動に全力を注いできました。その中で、私が当初から中国人とぜひ話し合いたいと思ってい
た歴史問題を、実際の議論のテーマにすることの難しさ、また議論において自分の意見を上手にまとめ、相手に
伝えることの難しさを何度も痛感しました。一方で勉強会や MTG の度に先輩から勉強の仕方、それにとどまらず
第 30 回日中学生会議
101
大学生活の有意義な過ごし方、さらには異なった価値観、それに伴った生き方を教えてもらい、数歳しか離れて
いない先輩の背中がとても大きく見えました。
本会議を終えた直後、最初にこの会議に期待したことが大きかった分、分科会活動を始め、それぞれの内容に
ついての反省点や課題ばかりが目について、尐し辛かったです。でも日常の生活に戻ってみて初めて、日中の中
で学び今や当たり前になったことに気付き、また日中で出会った素晴らしい仲間が変わらずにいてくれることに、
安堵するのでした。
最後になりましたが、歴史問題を始めとして様々な外交問題を抱える日中の間に、友好を実現しようとして行
われている日中青尐年交流の場に、当事者として関われたことを大変幸せに思います。1年前から会議実現のた
めに準備してきてくださった実行委員の先輩方を始めとして、この会議のためにお力添えしてくださった全ての
方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
感想文
坂東慶伍
この感想文を書くにあたり、改めて日中学生会議に費やした3ヶ月間を振り返ってみてそれはすごく充実した
3ヶ月間だったと実感しました。いろいろなことを体験し、本当にたくさんのことを考えた3ヶ月間でした。そ
の中でも、いちばん考えたことはお互いの意見を伝え合うことの難しさについてです。自分の意見をちゃんと伝
えることができないことや、相手の意見を正確に理解できないということが、ほんとうにもどかしかったです。
そのようなもどかしさは日本側だけで話し合っていてもままあるのですが、言葉の壁がある中国側との話し合い
では更に大きくなりました。多くの時間をかけて話し合った本会議ですが、やはり最後まで、そのようなもどか
しさを感じていました。しかしいま思うと、初対面の人とこのように難しい議題で話し合うのに、そんなことに
くよくよして、弱気になってしまったことで、本会議での議論に悔いを残してしまったような気がします。これ
から先、またきっと、同じような状況になることがあるだろうと思います。そのときわたしは日中学生会議で得
た経験をもとにより適切に振る舞おうと思います。貴重な経験をさせていただき本当にありがとうございました。
感謝
木下美佳子
私にとって2度目の日中学生会議が幕を閉じてから1週間ほどがたちます。参加者として参加し自分の『成
長』を大きく感じられた昨年とは全く異なり、実行委員として1年間かかわってきた第30回日中学生会議は私
に『感謝』と『楽しむ』気持を忘れてはならないことを教えてくれるものでした。
多くの人とのかかわりの中で日中学生会議は多くの方々に忚援していただくことで成り立っていることを実感
することができました。私達学生だけでは実現できないことがたくさんある中、多くの社会人の方々の忚援は私
達にとって何にも代えがたいものです。これから社会に出ていく私にとって、1人では何もできないこと、周り
の人の温かい忚援の心強さ、感謝の気持ちを忘れないことを教えてくれました。そして、何といっても参加者が
いたからこそ今回の第30回日中学生会議は無事開催でき、成功を収めることができました。私達実行委員だけ
では、今回の本会議は開催することができません。私にとったら参加者がいたから、このメンバーがいたから今
回の開催ができました。感謝の気持ちでいっぱいです。こころから精一杯の『感謝』の気持ちを日中学生会議に
かかわってきた全ての人に届けたいです。
第 30 回日中学生会議
102
さらに私は実行委員を務めてきたこの1年間の集大成といってよいこの本会議で一生懸命になりすぎて、実行
委員としての責任や不安を抱え込みすぎて『楽しむ』ことを忘れそうになった瞬間もありました。しかし、何事
も、全力で楽しみ、みんなと楽しいことや喜びを共有することの素晴らしさに気付かされました。実行委員であ
ると同時に、私も参加者の1人です。思いっきり私が楽しむことも、この1年一緒にこの会議を作り上げてきて
くれたみんなへの恩返しです。責任を感じ一生懸命になることは確かにいいことだけれど、何事も楽しんでこそ
価値があるのだと気付かされました。
この感想文を書いているとき何を書いていいか正直分かりませんでした。いまでも、こうして書いた感想文が
自分のすべての気持ちを伝えきれていない気がしてしれません。しかし、すべての人に感謝の気持ちを伝えたい
というのが一番の思いです。素敵な夏をまた一つ過ごすことができました。ありがとうございました。この感謝
の気持ちを忘れない姿勢で、この夏の経験をばねにして、また新しい何かにチャレンジしてみたい、そう思いま
す。本当にありがとうございました。
新しい自分をみつけた 3 カ月
林
宏熙
本会議が終わって1週間しかたっていないが、なぜかずいぶん前のことのように感じます。
顔合わせから最終日まで振り返ると幾枚ものスライドが頭をよぎります。本当に充実した3ヶ月でした、この3
ヶ月が自分を大きく成長させてくれました。自分の強みに気づきながら、それよりも未熟な自分が見えました。
こうして、自分の反省をしながら、自分が参加した学生会議にどのような意義があるのかを考えてみたいと思い
ます。
両親のおかげで、自分は運良くバイリンガルと呼ばれる部類の人間になりましたが、今回の会議では自分の言語
能力の便利さや強みを再認識するとともに、能力の中途半端なところや、足りなさに多く気づかされました。分
科会活動では、自分が日本側のほかのメンバーと中国側のメンバーの意見をよく理解はできるものの、自分で理
解したものをどうすればより正確に相手に伝えることができるのかを考えずに通訳をしていました。双方が話し
ている内容のおおよそは相手に伝わるものの、双方の話の重点、その話から説明したいこと、話している人の実
際の思考回路、ロジックなどを正確に伝えることができなかったと今になって思います。結果、相手が間違った
解釈をしたり、話の重点が移動したりすることがありました。自分の未熟さゆえに、無駄にしなくて済んだ時間
を無駄にしてしまったと反省しています。こうして、ゆっくり考えられる機会を利用して、これから自分がどの
ように改善していくのか見つめていきたいです。
また、物事を伝えるということがどれだけ難しいのかということにも気づきました。同じことを伝えるのも、正
面からぶつかっていくのでは、相手がすぐ反発してしまいます。どれだけ懐に入って、相手に頭を縦に振っても
らうにはどうしたらいいかを考えた上で、同じ問題に違った角度で説明したり、相手の立場に立って考える必要
があるのだなあと感じました。
そして、日中学生会議を含める学生会議のあるべき姿が今回尐しながら見えた気がします。もちろん、他国の学
生との交流会、相互理解の場所というのはひとつの側面かもしれません。お互いに、自分の生活や思想を相手に
話し、理解を求める上で国家間の摩擦の外で、学生同士が仲良くできるというのは、素晴らしいことだと思いま
す。しかし、相手とのおしゃべりで仲良くなるだけの交流会で終わらしてはいけないと思いました。「自分たち
は学生なんだから」なんていうのは本当にもったいない考え方で、学生会議に参加するからには、自分なりに最
第 30 回日中学生会議
103
大限の勉強や準備を行うことがまず必要で、それから本気と本音で討論して新しい未来に理想系でもよいからど
れだけの提言を残せるか、どれだけ社会人を驚かせるような発想を生むかというのも、学生会議の大きな焦点で
はないでしょうか。こうした議論の先に、生まれる両国間の学生の関係を末永く続くものにできればいいなと思
います。
最後になりますが、日中学生会議がこの上なく充実していたおかげというか、充実していたせいで、今は空虚感
満載です。自分を大きく成長させてくれたこの会議を運営していただいた実行委員の皆様にはどれだけ感謝して
もしきれないなと思います。ここで分科会をはじめ、参加者全員の最高の仲間に出会えたこと、かけがえのない
経験をつめたこと、すべてが僕の中の財宝であり、これから踏み出す人生に生かしていけたらと思います。
かけがえのない仲間
酒井花純
日中学生会議は、達成感と新たな気付き、かけがえのない仲間を私に与えてくれました。この夏、日中学生会議
に参加することができて本当によかったと心から思っています。このような素晴らしい場を築いてくださった実
行委員のみなさん、また一緒に懸命に取り組んで来た参加者のみなさんにお礼申し上げたいと思います。
分科会では、現実に則した解決策を探るということ、中国側と議論の進め方に関してコンセンサスをとることが
大変難しかったです。しかし、最終的には日本側のやりたい事を貫きつつ、中国側の意向とすり合わせることが
できたように思います。その意味で達成感を得ることができました。また、私は今まで同じ大学の人としか社会
的問題について討論したことがありませんでした。しかし、日中学生会議で中国の人々・日本中から集まった
様々な人々と意見を闘わせることによって、初めて触れる新しい考え方に触れることができ、刺激を受けました。
务等感と焦りを感じることもあったが、自分自身に足りないものに気付かされ、まだまだ成長していかねばなら
ないという気持ちを改めて感じさせられました。
本会議の最後に、中国の皆と別れるときは、涙が出るほど悲しかったです。空港行きのバスに乗ってもずっと手
を振ってくれていた姿が忘れられないです。後日メールでも、「日本のみんなはとても優しかった。」「会えて
本当によかった。」と言ってくれました。日中学生会議に参加することでしか得ることのできないかけがえのな
い友達ができて本当に嬉しかったです。また、日本側の分科会のメンバーとも 3 カ月間という短い期間であった
が、非常に濃い付き合いができたと思います。毎日遅くまで分科会活動をしたり、時には遊んだりと、とても楽
しい思い出ができました。本当に良い仲間と出会うことができてよかったです。この繋がりをずっとずっと大切
にしていきたいと思います。
貴重な経験をありがとうございました!
一生ものの夏
楠麻祐子
本会議から 10 日が経ち、改めて本会議の準備期間を含む 3 ヶ月間は充実していたなと感じます。偶然知りあ
まり多くを考えず申し込んだ日中学生会議が、私の生活の中心となり、これほどまでに多くのことを知り、考え
る機会を与えてくれるとは思ってもみませんでした。私は関東にも関西にも遠かったので、勉強会や FW にあま
り参加することができず、罪悪感や焦りを感じることもあったのですが、それでも勉強会等に参加したときはみ
んなが快く受け入れてくれ、そんな仲間の温かさもこの会議を通して感じました。
第 30 回日中学生会議
104
この会議を通して学んだこと、考えたこと、感じたことを挙げればきりがなく、たくさんありすぎて私自身整理
できていないのですが、こうして学年の壁、大学の壁、そして国の壁を越えて語り合える仲間を得たことは、こ
の会議に参加できたからこそ得られた、本当に大きな財産だと思います。この経験を自分だけの思い出にするの
ではなく、これからもたくさんの学生が日中学生会議に参加し、この会議がますます発展していけるよう、私も
微力ながら忚援していきたいと思います。ありがとうございました。
あたたかな場所
白石智寛
思えば、5月に日中学生会議に参加できると決まった後の顔合わせ合宿を経て、本会議が始まる8月まで本当
にあっという間でした。この3ヶ月の大半が、準備としての Skype ミーティングや事前フィールドワークに費や
されたわけで、本会議での議論の時間は(2週間÷12週間×100≒)16.7%と本当に一瞬のうちに終わ
ってしまいました。そして全体を通して、失われていくものがあった一方、得たものもありました。例えば実際、
夜中の1時まで打ち合わせや、課題図書のまとめ、日中全体での勉強会などを通じて蓄積した準備が、あれよあ
れよと消費されていく感じに虚しさを覚えたり、自分の語学力のなさを痛感させられたり…。それでもやはり、
本会議が終わってほっと一息ついて冷静に振り返った時、“失ったもの<得たもの”だったと感じました。おそ
らくこうして本当は比べられないはずの2つを“<”という記号で表した根拠は、今の僕の満足感という为観的
な感情でしかないでしょう。けれど、間違いなく僕にとって日中学生会議という場は“成長の場”でした。
では、僕は何を得たのでしょうか?それは挙げようと思えば、かなりのものが挙げられるとは思うのですが、
ここではあえて人との関わりの持ち方について述べたいと思います。それも、日本側の僕が、中国側の人々との
関わりではなくて、日本側の人たちとの関わりです。
僕が日中学生会議に忚募した理由は、大学での“広く浅く”の人付き合いへの抵抗感とともに、学生生活に対
する漠然とした虚しさを感じるようになっていたのでしょうか、何か新しい変化を求める気持ちからでした。そ
して実際、環境分科会のメンバーとして事前準備に取り組んでみてどうだったかというと、本当に恵まれている
ことだと感謝していますが、“人の暖かさ”というものを久方ぶりに感じられたなあと思いました。一緒に何か
を作り上げる、あるいは成功させるためにチームとして一致団結する中で生まれる本気の人付き合いが、僕にと
ってはとても居心地のいい空間を提供してくれました。その過程で僕は、将来の人脈だなんだとかといった打算
的な人付き合いではない、本当の人付き合いはどうするのか、という忘れかけていた感覚を思い出せたような気
がします。
この他にもいろいろなこと、例えば意思疎通に関することなど、を学べました。でも、僕の中で特に強い影響
をもたらしてくれたものは、右で述べたことだと思っています。
この夏を振り返って考えたこと
関口大樹
第 30 回・日中学生会議を終えての思いを語っていきたいと思います。
◆反省とこれからへの決意
第 30 回日中学生会議
105
改めて振り返ってみて、1 年間のあれこれが思い出されました。僕が日中に貢献できたことはほんの些細な程
度でした。分科会も事前準備、特に教育に関する下調べが不足していたから分科会を充実することができたとは
思えません。また、運営という点でも力不足や努力不足があったから実行委員のみんなにも苦労をかけてしまい
ました。
そんな私が皆や団体に提供できたことは尐なかったですが、私としては学んだこと、得たものはとても大きく
ありました。だから、ここで学んだことを将来に生かし、自分が成長することで頂いたものを世間に返していき
たいです。
◆寂しい思い
そして、中国側のみならず、日本側でも様々なバックグラウンドや経験を持った個性豊かで魅力的な人たちとこ
のひと夏を過ごせたことは大変貴重なことだな、と今改めて感じています。
何気ない会話や食事の時間、そして、観光で騒いだり、分科会で一緒に議論したりといった時間はすごく楽しか
ったです。ですが、もうあの時間は帰ってこないのですね。参加した全員が同じ空気を吸って集まるということ
はないと考えるとすごく寂しいです。皆が揃う事は難しいですが、私が一人一人と繋がることはできます。だか
ら、昨年は上手くできていなかった皆との繋がりをしっかり保っていきたいです。
◆最後に伝えておきたいこと
最後に、このような素晴らしい時間を一緒に作ってこれた鹿城宏一郎、井上俊吾はじめ実行委員のみんな。参
加してくれた日本側のみなさん、中国の朊友たち。忚援してくださった日中文化交流財団の方々や関西顧問の上
田先生はじめ、大人の方々。ここに書いたすべての人の力が結集しなければ、今年の日中学生会議はありません
でした。私には日中学生会議は忘れることはできないものとなりました。皆さんのお蔭です。本当にありがとう
ございました。
未来への道標〜日中学生会議で学んだこと〜
池谷明彦
私は本会議に参加する前に自分の中で一つの目標を立てていました。それは、「中国側の学生とのちょっと
した会話を大事にしよう」という目標です。本会議は分科会の活動、文化交流、観光等々楽しいイベントが目白
押しだということはもちろん知っていました。しかし、私としてはそういった“公式な”イベントと同じくらい、
いやそれ以上に自分の視野を広げる“とりとめのない”会話が重要な意味を持っていたのです。
そして、実際の本会議では何人かの中国の学生とそういった深い話ができました。印象的なのは二人の学生で
す。一人は夜行バスで隣同士になった男の子で、彼とは専門が同じ経済学だったこともあり、将来のことなど車
中でずっと話しました。彼は学者の世界に興味があり、僕は大学を卒業した後就職するつもりなので、その違い
について話せたことは有意義でした。もう一人は同じ分科会の女の子で、彼女も専門が同じだったので、お互い
の大学で学んでいることなど夜を徹して議論しました。特に印象的なのは、「経済学はモデルに過ぎず、現実を
反映していない」ということについて議論したことです。もちろん、この二人以外にもたくさんの学生と話をし、
普段の生活では自分の国や大学を客観視する機会はなかなかないという意味で多くの違いに気づけたことはよか
ったです。例えば、日本よりも多くの学生が大学卒業後に大学院に進むつもりでいること、自分よりもプレゼン
などでロジックを重視していること、日本よりも海外志向(特にアメリカ)が強いことなどです。
第 30 回日中学生会議
106
本会議を終えて思うのは、中国語をもっと話せるようになりたいということです。今回の会議では英語を使っ
て日本語がしゃべれない学生と交流することが多かったのですが、やはり相手の国をもっと知る上でも言語は重
要な要素だと感じています。今回のような会議に参加しないと言語の重要性を身をもって知ることはあまりない
と思うので良い機会になりました。
そして、大事なのは今回得たつながりをこれからも維持していくことだと思うなので、これからも日中双方の学
生と連絡を取り合っていきたいと思います。
日中の学生に相見えた自分
石原なつみ
この夏の日中学生会議を振り返って思うことは大きく分けて 2 つあります。まずひとつは語学に関することです。
私がこの会議に参加しようと思ったきっかけは、第二外国語として中国語を選択し、上手に会話はできないかも
しれないけれど、中国の学生と話したいと思ったからでした。本会議が始まる前、上手く話せないながらも頑張
る自分を想像していました。しかし合宿が始まり、ともに生活をする中で話せるようになりたいと、中国語や英
語で話そうとするのだけど上手く伝わらない、自分の発音の悪さや、言いたいことを言葉にして表現できなかっ
たりしました。次第に頑張って中国語や英語を使って話すことに疲れてしまいました。
そんな時に、それは外国語を話せるようになりたいと思うみんながぶつかる壁で、それでも話しかけ続ければ、
乗り越えられる壁だと教えてくれた人がいました。
伝わらないことは悲しくて、もどかしいことだけれど、それでも私はこの壁を乗り越えたいと思っています。
そのために必要なのは勉強することだと思いますし、そして伝わらなくてもあきらめないこと、さらに相手と話
すためにもっとたくさんのことを知りたいと思いました。中国の学生とかかわれて嬉しかった、で終わらない、
こんな感情を抱けたのは私にとって大事なことだったと思っています。
ふたつ目に感じていることは、私はこの会議中、自分がビジネス分科会のため、みんなにできることをずっと
探していたということでした。さまざまな個性を持つ人たちの中で、たくさんの自分にないもの、すごいと思う
その人の言動であったり、考えに出会えました。自分にないものを知れたことはよかったが同時に自分がとても
小さく思えました。
だから私は自分がこの会議に参加していることに意味があると私自身が思えるために、自分ができることをい
つも探していたなと、本会議を振り返ってそう思います。そして報告会まで私は自分がみんなにできることを考
えたいと思っています。
最後に、この会議で私は、中国の学生と話し、もっと中国に興味をもったり中国という国に対するイメージが
何か変わるかもしれないと思っていました。しかし会議が終わり振り返って思うことは自分に対して思うことで、
合宿が始まる前に想像していた、この会議に参加して感じることはまったく違うものとなりました。
それでも中国に対して、何か思うよりも、自分に対して考えることが今の私にとって大切だったのだと思いま
す。この会議でたくさんの自分と違った環境の学生に出会えたことが、自分をもっと社会に出るうえで高めてい
きたいと思うきっかけとなりました。
第 30 回日中学生会議
107
日中学生会議を終えて
深野莉帄
本会議が終わって、もう 10 日ほどが経とうとしています。正直、未だにあの 2 週間に真向から向き合えない
自分がいて、自分の中であの 2 週間がどれだけ大切な日々で、どれだけ大きな意味を持っていたかが、今改めて
思い知らされました。
もちろん私がこの 2 週間に一番期待していたものは中国人との交流でした。私は偏見というものがすごく苦手
でした。でも外国人に対して確かに自分がそれを感じていて、それがすごく嫌で仕方なかったのです。その解消
がこの会議の一番の期待でしたが、それは本会議3日目ほどであっさり解消されてしまいました。それはすごく
気の合う友達との出会いがきっかけでした。けれど、それもその子が日本語を話せるということがとても大きか
ったと思っています。中国語どころか英語も大の苦手な私は、初日は全く話せず物怖じしてしまいました。だか
らこそ、初めに言語の壁がない子と友達になれたことが私の中でとても大きかったのです。そのあとは、正直中
国側といた時間のほうが多かったようにも感じるほど、たくさんの時間を当たり前のように一緒に過ごすことが
出来ました。
分科会活動では、10 人という大人数で話し合うことの難しさや、言葉による誤解の生じやすさを感じました。や
はり、事前に双方ともとやりとりをし、ディスカッション自体のやり方についてコンセンサスをとっておくこと
がどれほど大切か身に染みました。そして、言葉の誤解、これは日本語を母国語とする人同士でもきっとあるの
でしょうが、それがより、言語自体の壁であったり、通訳さんの訳し方により様々な方向にとんでいってしまい
ます。そういった点に関しては、それぞれが自分の言葉で伝えられることの大切さを心から痛感し、コミュニケ
ーションの難しさを感じました。そして最後に、この分科会でいまだ解決策が見つかっていないと思っているこ
とは、妥協をせずに、全員の納得のいく答えを、かぎられた時間でどう出すか、ということです。これが私の中
で、最大の課題として残っていて、これからも自分なりの答えを探っていきたいと思っています。
この 2 週間、分科会、FW、観光、文化交流など様々なことを通してみなさんと関わることが出来ました。もち
ろん全てがとても楽しく有意義なものでしたが、やはり一番大きかったのは、毎日一緒にいたことと、共同生活
が出来たことです。そんな 2 週間の端々で私が得られたことは、きっと今の自分を確かに支えていて、これから
の自分をつくっていくでしょう。しかし、全てはきっかけでしかありません。これをどう生かすか、どう棄てる
かは全てこれからの自分次第。これからも、このつながりや得たものに常に感謝して、次につなげていきたいと
思います。
最後に、第 30 回日中学生会議に関わってくださったみなさん全ての方に、深くお礼を申し上げたいと思います。
そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
今までで 1 番暑い夏~日中学生会議~
鈴木あい
長くも感じ短くも感じた、とても充実した 2 週間でした。分科会の議論では、何度も中国側の意見に驚かさ
れ、圧倒されました。その度に、私たちは準備不足や知識不足を痛感させられました。また、中国側は議論に関
して妥協することは一度もありませんでした。そのために、議論が中断したり、長引いたりすることもありまし
た。しかし、最終的には日本側、中国側互いに納得した結論に達することができたと思います。また、FW の時に、
第 30 回日中学生会議
108
分科会で大阪観光をしました。その時に、中国側の女の子に私たちが持ってきた浴衣を着させてあげました。み
んなとても喜んでいて、私たちも嬉しくなりました。このように、小さな「おもてなし」も、相手を喜ばせ、交
流に繋がることを知りました。全体観光では、日本側も中国側も心の底から楽しむことができたと思います。京
都観光では、誰もが京都の自然の美しさに感動しました。東京観光では、短い時間で全員の希望する場所に行く
ことは難しかったですが、全員が楽しめたと思います。他にも、BBQ、文化交流、花火大会などみんなで過ごし
たイベントはたくさんあります。ここで、それら全てのイベントについて感想を述べることはできないが、どれ
もかけがえのない思い出となったと思います。
私は直前合宿で「本音で議論する」という目標を掲げました。この目標を完全に達成できたとは自信をもって
言うことはできません。しかし、大学 3 年という今、このような日中での議論を経験できたということは、大き
な意味があると思います。今回の日中学生会議に参加しなかったら経験できなかったことはたくさんあるし、日
中問わず多くの友人ができました。日本側で中国に留学に行く人もいるし、中国側で日本に留学に行く人もいま
す。実行委員長も話していたように、このメンバー全員が揃うことはもう二度とありません。しかし、ここでで
きた友人とはこれからも連絡を取り続けていきたいと思います。
実行委員会の皆様、参加者の皆様、本当にありがとうございました。
成長・感謝
黄昏
去年 11 月に実行委員として第 30 回日中学生会議に入ってから、もう 9 ヶ月間が経ちました。あっという間でし
た。いまになったからこそ言えるかもしれませんが、学校での勉強がすごく忙しかったときに学生団体をやって
いる場合ではないでしょうと自分を疑ったこともありました。つらいことからいつも逃げがちな自分にとても自
信がなかっったし、去年の参加経験もなかったため、事前準備が十分にできていませんでした。しかし、こんな
私でも、たくさんの人から助けられてもらったり、支えられてもらったりして、いま考えたら本当に皆が居てく
れたおかげで、自分が諦めずに頑張ってこれたと思います。
A4 一枚で自分の感想をまとめられる気がしません。なので、タイトルにそって为に 2 つのことを話したいと思い
ます。
まず、成長に関しては、自分のなかで一番大きかったと思うのはやはり日本人の学生と長期間にわたって一緒に
仕事をすることです。中国で育てられた自分は、いつも本とかメディアからしか情報を得ることができませんで
した。そのため、日本人の働きぶりに対して偏見をもっていましたが、この会議を通して自分が感じたのは、仕
事に対する日本人学生の責任感と彼らが自分の仕事に対するプライドです。それは自分が見習うべきところであ
り、これから社会に出るときも絶対に忘れてはいけないことです。正直実行委員の仕事は自分の予想より難しか
ったです。それが原因でモチベーションが下がったときもありましたが、会議が終る直前の夜に実行委員長が泣
き声でありがとうと言ってくれたときも、最後の打ち合わせで参加者から色紙をもらったときも、いまのメンバ
ーと一緒に仕事ができて本当に自分は幸せものだと思いました。
次に、たくさんの人に感謝したい気持ちは日中学生会議が終えてからこの一週間にずっと続いていました。去年
から本会議の開催に向かって準備してきた実行委員の皆、いつもいろいろ迷惑をかけて本当にごめんなさい。ま
た、ずっと遠くから分科会のことを見守ってくれたかっしと俊吾にも感謝の気持ちでいっぱい、いっぱいになっ
第 30 回日中学生会議
109
ています。そして、今年の会議を参加してくれた皆、参加してくれて本当にありがとうございました!まだちゃ
んと話せなかった人もいますが、これからはより交流をしていきたいと思います。
最後に、日中学生会議に出会った仲間は最高の仲間でした。この関係を今後も続けていきたいと思います。
成長と変化
社会分科会
入舩勇人
日中学生会議に参加するにあたって、目標として定めたことがあります。それは日本と中国という国の枠組み
のとらわれずに、今後も付き合っていくことができるような友人を作ることです。その為の努力を本会議中もし
たつもりであったし、いろいろな人と話すことができました。その結果今後も付き合っていきたいと思えるよう
な人々に出会うことができました。今後も facebook やメール、実際に会うことを通じて彼らと交流を保ち続け
ていこうと思います。
またこの会議で、私は二つの価値観の変化を経験しました。一つは、日本人たる自分とは全く違う土壌を持つ
中国人の意見を聞くことで、ご飯の食べ方から共産党に対する考え方まで、海外に行ったときに経験するカルチ
ャーショック的に、考え方が変化したことです。中国人の1人が共産党は中国国内でそれほど大きな力を持って
いないと考えていることに非常に驚きました。もう一つは、自分自身に対する認識、とりわけ自分の能力に対す
る認識の変化です。日中学生会議には日中両国から優秀な学生が集まっていました。そういった人々との議論を
通じて、自分の能力の限界に気づくことができましたし、これからさらに切磋琢磨して自分の能力を向上させた
いと考えるようになりました。この思いをこれからの勉強のモチベーションの一つとしたいと思います。
上記以外にも、グループで議論を進めていくことの難しさや、他大生との交流を持つことができたなど、非常
に有意義な2週間を過ごすことができて本当に良かったです。
最後に、1 年間準備をしてきてくれた実行委員の皆さんや、自分の至らない点から迷惑をかけながらもよく接
してくれた社会分科会の皆に、お礼を申し上げたいです。
アツい夏を終えて
原朊弘
「全力で取り組む」ということは、日中学生会議だけでなく、私がいつも心がけていることです。この二週間、
私はできる限りの努力をするように考えていたし、今振り返って見て、すぐにでも会議の期間に戻りたいくらい
充実していました。
日本人も中国人も、今まで出会ったことのないような多くの人と出会えたことは、非常に有意義なことでした。
学んできたことも、価値観も違う人々と正面から話し合い、この先もずっと連絡を取り合ってもっと色々な話を
したいと思う人々と出会えたことは、私の今後の人生の大きな財産になるでしょう。
中国の人々の協力的で友好的な姿勢は、今まで報道されてきた中国の姿とは全く違っていました。一人の中国人
メンバーが、「私たち社会分科会は一つのチームだから」といって、日本側が提案した会議の進め方に全面的に
賛同してくれたことがあったことが、今でも非常に印象に残っています。考え方も価値観も違う私たちだが、一
第 30 回日中学生会議
110
緒に作業をして、同じ目標に向かって会議を進めていったことによって、2週間の間に私たちは日中の垣根を尐
しずつ越えて、同じチームとして議論を進めていくことができました。お互いの意見が食い違っても、お互いの
ことを尊重できるまでになっていました。正直私は、2週間という期間でここまで協力して作業できるとは思っ
ていませんでした。日本と中国がそれぞれ、お互いのことを分かりあい、お互いの価値観の違いを知ろうと歩み
寄っていけたことが、分科会の最大の成果ではないかと私は考えています。
分科会の内容自体には物足りなさを感じた人も多いでしょう。私自身、自分たち学生で話し合えることの小さ
さを毎日のように実感していました。社会分科会として目指していた最終的な目標までたどり着けるかどうかは
最後の最後まで分かりませんでしたし、途中で問題意識があいまいになってしまうこともありました。「もっと
できる」と思い自分の能力のなさを実感しました。しかし、自分なりに分科会の内容や進め方を全力で考えてき
たこと、夜遅くまで分科会メンバー全員で話し合って最善の努力をしてきたこともまた事実です。発表の中に、
自分たちらしさを取り入れようと努力してきたことも事実です。自分なりの努力を重ね、自分の限界や未熟さを
知れたことにより、今後自分が努力していくモチベーションになったと考えています。
今回の会議が、自分の人生で今後どこまで生きてくるかはまだわかりません。しかし、新しく広がった友人の
輪や、自分の弱さに対する実感を今後も大切にしていきたいと思います。
最後に、今回の会議を全力で運営してくださった実行委員の皆さん、温かく楽しく一緒に活動してくれた社会
分科会を始めとする参加者の皆さん、一緒に活動出来て本当に楽しくて充実していました。ありがとうございま
した。
自分を発揮する夏
福井環
日中学生会議が日中関係にとっていかに有益な活動をできているかという点については、他の人の感想や団
体の存在意義によって語り尽くされていると思いますので、私は敢えて、自分を見つめなおすのにいかに役立っ
たかという点についてのみ述べさせてもらいます。私が本会議を通して自分を見つめなおせたのは、人との出会
いのおかげだと思います。
本会議の初日に定めた個人的な目標は、「出来る限り本音で考えたり話したりする」ということでした。結論
として分かったことは、本音で向き合わないと自分の良いところも足りないところも見つけられないということ
です。
そもそも私がこの目標をたてたのには、二つ理由があります。一つは、今まで自分を表現するのが苦手だった
ことです。相手に自分がどう映るかということだけを重視しすぎて、自分の本音が自分でも分からなくなってき
たことに危機感を感じていました。つまり、これを機に取り繕うことをやめてみようと思ったということです。
二つめの理由には、取り繕っていられないくらいハードなスケジュールが待っていると予想していたから、とい
うことがあります。
この目標をたてて、実際に行ったことの一つとして、出来る限り参加者と一対一で話をしてみました。それぞ
れの分科会活動が忙しすぎて十分に話せなかった参加者がいることは大変残念ですが、予想していたよりもたく
さんの人と話すことができ、またその収穫も予想以上のものとなりました。例えば、年下なのに自分の将来につ
いて具体的なビジョンを持っている人の話や、今までたくさんの団体に所属してきた人の経験談、先輩からは就
第 30 回日中学生会議
111
職活動における自分の力の発揮の仕方をレクチャーしていただけたり、どれも大変刺激的かつ有益なものでした。
そこまで話してもらえる程、自分の本音の出し方が上手くなってきたということが自信につながった一方で、相
手から受け取ってばかりだったのではないかという申し訳なさは否めません。もし本会議の前まで時間を戻せる
のなら、自分もやりたいことを積極的に行動にうつして、自分にも他人にも有益な経験を積んでおくべきだった
と思うことが多々ありました。
本会議を終えた今一番感じるのは、これまでこのように自分の成長に繋がる人との関わりを、積極的に行って
いなかったことへの後悔です。逆に言えば、この後悔の気持ちと本会議での達成感・今回の出会いが、これから
自分を高められる場所に身をおいていくときのエネルギーになると思います。最後になりましたが、私達参加者
のために全力を注いでくださった実行委員のみなさんに心から感謝致します。
近づいた隣国中国
梶川舞
私が今回、日中学生会議に参加した最大の目的は中国方の学生との交流と通し、日中の相互理解を深めること
でした。この会議に参加する前はどちらかというと欧米に関心があり、中国についてほとんど無知に近い状態で
した。しかし、日本にとって中国はとても大きな存在であると感じ勉強してみたいと思いました。また、それと
同時に、中国について何も知らないにも関わらず、なんとなく悪いイメージばかりを抱いていたので、きちんと
向きあってみたいという気持ちもあり、参加に至りました。そして私が当初掲げていた目標は、分科会活動や、
日々の活動を通し達成できたと思います。これまで中国人の友達はいたけれど、社会の問題や歴史問題など敏感
な話題を話したことがありませんでした。しかし、約2週間寝食を共にし、分科会内外問わず、いろいろなこと
を話していくうちに以前より深く相手を理解することができました。ここで出会った人をこれからも大切にして
いきたいと思っています。会議参加以前、私にとって中国は未知の隣国でしたが、今はこれからもずっと大切な
存在となるパートナーだと思います。この会議を機にこれからももっと中国について学び、日中関係について考
えていきたいと思います。そして、今度は是非中国を訪問したいと思います。本当にこの会議に参加できてよか
ったと思っています。ありがとうございました。
第 30 回
赤松
実行委員活動を終えて
希実子
日中学生会議に初めての参加でありながら縁あって実行委員をさせて頂きました。実行委員を始めた 10 月から
本会議が終わる 8 月末まで本当によく涙した数カ月でした。それは時には悔し涙であり、時には辛さのあまり流
す涙であり、時には嬉し涙でした。
日中学生会議がどのようなものか漠然としかわからないまま手探り状態で分科会を運営することになって正直不
安でしかありませんでした。しかし、学生最後の夏期休暇に学生らしいことをしたいという好奇心と新しいこと
に挑戦して成長したいという強い思いから始めました。
第 30 回日中学生会議
112
私にとって最も苦戦したのは分科会活動であった。本会議前は中国人に言い込められることや日中間での対立な
どを懸念していたが、実際は日本人側で分裂してしまいました。振り返ると、私自身、反省するところもあり分
科会のみんなには気苦労をかけたと思います。
しかし、最後に分科会のメンバーが「この本会議は辛かったけれど参加して良かった、成長できた、後悔はな
い」と言ってくれたときは実行委員をやって良かったと心から思いますことができました。また、仲良くなった
多くの中国人が帰国際にまた日本に絶対来ると言ってくれたときはこの会議が充実したものであって満足してく
れたのではないかと感じることができました。本会議でできた中国人とはいまも密に連絡をとっています。
この数カ月間、意識の高いみんなと接することによって毎日が刺激的で視野が広がったとともに自身のモチベ
ーションの向上に繋がりました。本会議が終わったいま、私にとって新たなスタートが始まります。
最後になりましたが、こんな未熟な私をいつも温かい目でみてくれた分科会の皆さん、私を励まし、サポートし
てくれた愛する実行委員の皆さん、本会議開催にあたって協力してくださったすべての方に感謝したいです。ど
うもありがとうございました。
想像以上の経験
大鳥
萌香
この会議に参加した理由は、今までずっと自分の中にあった「中国人」というイメージに気づき、それを学生
同士の交流を通じて自分で確かめたいと思ったことが初めでした。しかし理由はもちろんそれだけでなく、普段
関西にいる中では自分が決して接触する機会のない人たちの集団に、自分の身をおいてみたいと思ったからです。
本会議に参加する以前の自分は、面倒なことを避けたいという理由でほとんどのことを自分一人でやり遂げよう
とする思考が強かったです。そのため、本会議でも自分の意見の言い方や態度が悪かったと思います。
こうした自分の欠点は自覚していなかったことです。でも、それを気づかせてくれたのは分科会のメンバーでし
た。確かに会議中は様々なトラブルがあり大変でしたが、同じ会議の仲間とここまで真剣にとことん話し合えた
経験は自分にとって本当に素晴らしいものだと思います。また、それに加えて中国側参加者と想像以上に友好な
交流ができ、本当に楽しい日々を過ごすことができました。
私はこの会議を通して沢山の経験をすることができました。本当に参加してよかったと実感しています。今後も、
日中両方の参加者と交流を続けていきたいです。最後に、こうして一参加者として日中学生会議を無事終えられ
たのは、何よりも実行委員のみんなのおかげであり、大変感謝しています。本当にありがとうございました。
アツい夏天
陶旭茹
本会議が終わって早くも十日間経ちましたが、あまり会議が終わった実感がなく、またすぐに日中学生会議の
みんなに会える気がします。
第 30 回日中学生会議
113
合宿が始まる前に、たった二週間で本音を語り合えると思っていませんでした。実際に準備期間を含めて、本会
議での共同生活や分科会活動で濃い時間を過ごし、心を開いて話し合える、尊敬できる友達を作ることができた
と思います。その過程で、自分の足りない部分が見えたり、改善すべき所も見えたり、日中間で自分がどうある
べきかについても考えました。
私は中国で勉強していたので、中国について語るなら心配ないと勝手に自信を持っていましたが、五月から始ま
った勉強会に参加する度、中国や日本について知識の足りなさにショックを受けるばかりでした。しかし、今と
なって振り返ってみると、日中学生会議に参加することで、中途半端の気持ちで日中の架橋になれない事に気付
いて良かったです。
分科会活動では、自分にとって有利だったのは言語でした。しかしながら、自分を苦しめていたのも言語でした。
細かいニュアンスでお互いのすれ違いが生じて、無駄な摩擦が起きてしまいます。同じ内容であっても、言い方
が違うだけで、伝わり方が全く異なります。中国側と日本側の意見を両方理解していても、どう伝えるべきか分
からなかったです。日本と中国の国情や文化をより理解して、今後このような問題に出会った時に、良い対忚が
出来るように頑張りたいと思います。
また、今回の会議で、様々な地域から集まってきた中国の学生と日本の学生と交流できて、豊かな個性を持つ仲
間たちに出会えて本当に幸せでした。直前合宿で、みなさんと仲良くなりたいという小学生のような発言をしま
したが、七十何名の学生とあつい夏を共有できたのは、今までにない大切な経験でした。
これまで日中学生会議を支えてきた方々や実行委員の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございま
した。
激動の 3 ヵ月
福島英峰
この会議を通じて感じたことは、意見をまとめることの難しさです。言語に問題のない日本人だけで意見をまと
めるのも難しいのに、言語の違う中国側と意見をまとめることはもっと難しいと感じました。通訳を介すとお互
いの意見が尐しずつ変わってしまい、小さなニュアンスの違いによっておおきな勘違いが生まれ、認識にずれが
生じていることに気づかないという問題に何度も直面しました。また、お互いの持っているバックグラウンドの
違いから、議論をする上で根本的な認識の違いがあり、そこをいかにして理解しあい、議論を進められるかがポ
イントになりました。そのほかにも、国が違うということは議論をする上で様々な障壁となるのだということを
痛感しました。しかしながら、このような障壁を乗り越えるからこそ、いい議論ができ、また面白みの増すもの
となることを実感しました。多くの問題に直面しながらも、会議を通して日中両国について考え、理解を深める
ことができ、大変有意義な時間を過ごすことができたと思います。
夏の思い出―日中学生会議で得たもの―
佐藤 大
自由題だと聞きましたので、まず、今回の会議へ忚募した理由、会議での目標と、目標が達成できたかどうか
を振り返ってみます。
第 30 回日中学生会議
114
思い返せば、今回の日中学生会議に忚募を決めた理由はいくつかあります。最大の理由は中国への関心であり、
その原点は 2009 年の中国旅行です。親の反対を振り切って中国をバックパック旅行した際、言葉も通じない中、
たくさんの人の助けを借りて無事に旅を終えることができました。旅の途中で出会った人たち、見た景色、食べ
た料理、どれもが皆新鮮で、すっかり中国に魅了されました。反面、鉄道車内で写真を撮っただけで武警に逮捕
されそうになったり、インターネットへの接続が検閲されていたり、殆どの国で当たり前の権利が中国では保障
されていない現状に愕然としました。良い点、悪い点を含め、こうした経験が私の中国への興味の原点である。
幸運なことに、私は日本とアメリカでの学生生活を通じ、尐なくない数の中国人と接する機会を持ちました。特
に米国留学中は、同じ東アジアとしての文化的な相似からか、渡航前以上に華人に親近感を感じ、彼らと時間を
ともにすることが多かったです。中国に関して、彼らとの交流を通じて得たものは、彼らの観点から見た中国像
です。私がよく耳にしたのは、留学経験を通じて初めて中国のことが分かった、逆に中国にいたころは実は中国
のことが分かっていなかった、というものです。彼らの意見に従えば、観点の点において、中国にいる中国人と
海外にいる中国人は、違うというのです。
彼らの意見がどこまで正しいのかは分かりませんでした。でも、だからこそそれを確かめる価値があると思いま
した。今回の会議では、中国で生まれ育った中国にいる中国学生との交流を通じて、「彼らの」中国について知
りたいと思いました。これが私の今回の会議での最大の目標です。
では、果して、この目標は達成できたのでしょうか。正直、この感想文を書いている段階ではまだはっきりした
答えは出ていません。例えば、伝統文化保護の現状認識・方策に関して、大きな違いは感じませんでした。一方
で、ひとたび報道の自由など中国政府の話題になると、解決策のみならず現状認識すら違うことがありました。
早計は禁物ですが、概していえば中国にいる中国人の方が、中国の現状と現状で行われている対忚を肯定的に捉
えていると感じました。
・・・と、固い話をすれば上記のようになりますが、アカデミックな側面以外にも、今回の学生会議を通じて
得たものは尐なくありません。思い返せば、合宿形式で過ごした 2 週間の間には、様々な問題に直面することが
ありました。だが、睡眠不足で眠い目をこすりながら、時に実行委員の協力も得て対処し、最後は成功裏に終わ
らせることができました。こういった困難を共同で乗り越えていく経験は、そう簡単に得られるものではありま
せん。
また、スケジュールの中に組み込まれた観光や文化交流などのイベントを通じて、日中問わず他の参加者と過ご
した時間はかけがえのないものです。そうした時間は純粋に楽しかったし、日中学生会議に参加する機会を得て
本当に良かったと感じました。これからも、今回の日中学生会議で得た繋がりを、大切にしていきたいです。
日本と中国のはざまで
李チィンリ
本会議を終えて、バタバタしているうちに日本を離れ、早速慣れない母国での留学生活が始まろうとしていま
す。この一週間あまりの間に自分なりに本会議に対して、これまでの実行委員の仕事に対して整理をしてきたつ
もりではありましたが、まだなかなかまとまらないのが現状です。今の時点で考えることを二つほど述べたいと
思います。
第 30 回日中学生会議
115
まず分科会についてですが、実行委員とはいえども、今年はじめて分科会を担当し、正直さまざまな不安があり
ましたし、本会議にいたるまでにも本会議が始まってからもうまくいかないことは多々ありました。そんな中で
も自分が一番心がけたのは雰囲気作りでした。こういってはディスカッションという本来の目的から外れてしま
うかもしれませんが、雰囲気なしには議論は成り立たないのではと思ったからです。結果としてはこの目的はそ
れなりに達成できたと思います。中国側もあわせて分科会としてはかなりまとまりがあったのではと自負してい
ます。しかしながら、逆に議論が物足りなかったという話もありましたし、私自身そう思います。それは中国側
との論の進め方の違いであったり、関心のテーマの違いであったり、理由はさまざまだと思いますが、自分が中
国側ともっと密に連絡をとるなり、議論の仲介をするなり、もっと努力できた部分もあったと思います。
次に実行委員としての反省です。顔合わせ合宿では「日中両方の誤解がなるべく尐なくなるように自分の役割を
果たしていきたい」と述べました。本会議中はこの目標を常に心がけてやってきたつもりではありましたが、や
はり完全に果たすことはできなかったのではないかと思います。しかし、それはそれで私自信にとっては日中両
方の価値観の違いを実際に体感し、自分がどのようにそれを相手に受け入れられるように伝えていくか、そして
そもそもどのようなものが受け入れられ、どのようなものが受け入れられないのかを考えるきっかけになりまし
た。
これまで日中に1年間かかわってきて、本当にここでは言い尽くせないくらいの貴重な体験をしてもらったと思
っていますし、さまざまなことを乗り越え、本会議を終わらせることができたことは本当に自分を成長させてく
れたと思います。この場を借りて、いつも支えてくれた実行委員のみなさんや分科会のメンバー、参加者の皆さ
んに感謝したいと思います。来期日中に関わっていく人も、そうでない人も、ここで出会えたみなさんとこれか
らもつながりを持って行けたらと願っています。
真夏の会議!everyday 青春!
シェイク・サキナ
日中学生会議を終えて、この会議で過ごした時間が本当にかけがえのないものだったと実感しています。私
は今までに中国へ行ったり中華街でアルバイトをした経験がありますが、日中学生会議の中国人メンバーは私が
今まで持っていた中国人のイメージよりもずっと素晴らしい人達でした。正直、中国に旅行に行ったときの中国
人のイメージはあまり良くありませんでした。香港のレストランで食事をしたときにはオーダーしたお皿が乱暴
に置かれ(むしろお皿が飛んでくる)それを私はキャッチしなければなりませんでした。この記憶がずっと頭か
ら離れなかったのですが、丁度大学で中国について勉強を始め、大学の留学生など中国人数名と知り合う機会も
持ち、どんどん中国に引き込まれて日中学生会議にも参加する事ができ、多くの中国人と友達になる事ができま
した。たくさんの中国人と交流できたことが、本当に嬉しかったです。分科会メンバーの中国人とは本当にいろ
いろな事を話す事ができましたが、分科会メンバー以外の中国人とも観光や文化交流、BBQなどを通して仲良
くなる機会を持てました。学生の立場でしかできない国際交流を経て、彼らの価値観や考えを知ることができ、
彼らと議論することができ、中国人をより身近に感じる事ができました。
反省点は、マイノリティについて考えたいと心から思って参加する事ができた移民分科会の中で、私は今までデ
ィスカッションの経験が無く、分科会のメンバーにはいろいろ迷惑をかけてしまったところです。自分の力量が
無い分、この会議や分科会から学んだ事はとても大きいです。本当に2週間楽しかったです。また、本会議前は
FWとして普段行くことができない所や、今まで知らなかった場所に行けてとても良い経験になりました。これ
からも日中学生会議の皆さんとの交流をずっと続けていきたいし、日中学生会議で学んだ事や経験を今後活かし
第 30 回日中学生会議
116
ていきたいです。今回中国人と日本人の素晴らしいたくさんの友人を得る事ができました。素晴らしい人達に巡
り合えた事を心から感謝しています。そして日中学生会議を計画し、運営して下さった実行委員の方々、そして
この日中学生会議に関わった方々、本当にありがとうございました。
一期一会
高橋佑吉
日中学生会議を終えて私がまず思いますことは、分科会での議論、観光、FW、文化交流、発表など非常に充
実した2週間を過ごすことができたということです。その中でも私がこの日中学生会議に参加して一番良かった
と思いますことは、日中双方の学生との交流ができ、これからも続くような関係を多くの学生と築けたことです。
毎日長い時にはほぼ一日中分科会のメンバーとは机を向かい合わせて自分たちが考えた問題について議論しあい、
さらには、夜にも皆で話し合ったりしたことで彼らとは本当に濃い時間を過ごすことができたと思います。中間
発表、最終発表で一つのものを皆で作り上げていく喜びや難しさも彼らと共有できました。分科会以外のメンバ
ーとは、京都、東京での観光の時にグループを同じにすることで交流をすることができるように取り計らわれて
おり様々な学生と交流するという点で非常に良かったと思います。
また、このような交流を通して様々な人との考えや価値観に触れることができたのも良かったことです。何人
かとは、夜に一対一で本音を語り合ったりすることで普段では見えてこなかったその人の考えや性格が見えてき
て非常に有意義な時間を過ごすことができたと思っています。
私はこの2週間で得られた友人との関係を決して絶やさずに今後も続けていきたいし、分科会活動や中国の学
生との交流を通じて培われた中国への関心というものを今後も持ち続けて、今回の日中学生会議というものを自
分の中でずっと続かせていきたいと思います。
最後に、私に非常に充実した2週間を与えてくださったことに関して、この日中学生会議に関わってくださっ
たすべての方々に感謝の意を示してこの感想文を終えたいと思います。
国際交流への姿勢
臼井貴紀
準備してきてから3か月、そして本会議の2週間。あっという間でした。今本会議を終えて、日中問わず多く
の仲間に出会えたこと、そのような場を与えてくれた日中学生会議にまず感謝したいと思います。これから、今
回の会議に対する感想を2つに分けて述べていきます。1つは直前合宿で私が掲げた目標に対することで、2つ
は全体を通して感じたことです
事前合宿で私が目標として掲げたのは、日中問わず全員と交流することと本音で語り合う仲を気付くということ
の2点です。どちらの目標も達成できなかったというのが結果なのですが、前者に関しては「疲れた」などの理
由で自分に甘え、実行できませんでした。最終的に中国側で数名話すことができなかった人たちがいます。後者
に関しても、2週間という期間の長さに頼って、自ら行動することを怠ったように思います。以前、1泊2日の
日中交流に参加したときには果たせなかった「本音で話す」という目標を、ここでは果たそうと思ったのですが、
自ら足を踏み出そうとはしませんでした。この「本音で話す」という意味は、私にとっては共産党に対する思い
であったりメディア統制の話であったりをしてくれるということでしたが、今振り返ると「本音で話す」ことの
意義が不明確でした。そうでなくとも、交友関係は築けるし、いかにしてそれを築こうとするかが肝心であると
第 30 回日中学生会議
117
思いました。この2者に共通して言えることは、すべては自分の意識次第であるということです。他者に求める
のではなく、自身に求めることこそがいかに実のあるものをつくれるかに直結していると思います。これは、2
者だけに関わらず何事においても言えることではないかと私は考えています。
次に全体を通して感じたことは、学生会議の意義だ。言うまでもないことですが、私たち学生のわずかな知識で、
世の中の問題など解決などできるわけがありません。社会の問題に対して取り組もうという姿勢が大切なのです
が、どうも納得いかないところがあります。私は今回の会議の中で、どうしても発表のために議論をするという
ような形になってしまったのが非常に残念でした。しかし、会議全体を通して今後のモチベーションに繋がった
のは、私以外の参加者もそうであると思います。それは語学に対してであっても各分野に対してであってもよい
が、非日常が与える刺激は日常に大きく影響を与えます。人によって、学生会議の位置づけなどはさまざまであ
ると思いますが、このフラストレーションがモチベーションに変換すること、そうできてこそ私にとっての学生
会議の意義が果たされるのかもしれません。
得難い経験
若狭
拓弥
今、自宅で感想文を書いているという現実が受け入れられないくらい私は寂しく感じています。そのくらい、
日中学生会議は私の心に残るものでした。
私は、多くの中国人の友達が学校にいたため中国人と話すことを特別視したりすることは今までありませんで
した。しかし、実際に触れ合って議論を重ねると、尐しものの考え方が日本人のそれと違うことに気付きました。
日本に長くいる中国人とは違った、生の中国人の感情とぶつかって理解できたことが自分にとって一番の成長で
した。
会議に関しては、もどかしい思いを何度かしました。なぜなら中国における議論の進め方が尐し日本とは違っ
たからです。私はよく議論の司会をするため、自分の議事進行能力に自信がありました。しかし日本人相手だと
いつも上手くいくのに、今回の会議では上手くいかないことが多々ありました。言語面の壁、また議論のやり方
の違いを感じました。今回の会議を通して感じたことはこれから克朋するつもりです。
私は10月より3カ月中国に行くのですが、広州の友達も北京の友達も皆、案内してあげるからおいでよー、
と言ってくれます、その人間関係を作れたことがうれしいです。このような機会を作ってくれた日中学生会議の
運営及び支えて下さった方々に感謝の意を述べたいと思います。本当にありがとうございました。
第 30 回日中学生会議
118
5章
その他の活動
関東日中ハウス
■日時
■場所
■内容
12月4日
代々木オリンピックセンター
日中学生会議の紹介、時事問題導入、グループディスカッション、議論のシェア
私たち日中学生会議の活動は本会議を目標に 1 年間取り組みましたが、他の活動として日本でも多くの学生に
日中関係を考えるきっかけをつくりたいという考えのもと、日本と中国の学生のディスカッションを企画しまし
た。この「日中ハウス」という名前は、17 世紀半ばから 18 世紀にかけて、イギリスで流行した喫茶店で、社交
場の機能も兼ね、大きな社会的役割を果した「コーヒーハウス」を由来としています。
広報活動にかなり力をかけたため、当日は学生が 60 人以上集まり大盛況となりました。「尖閣問題、デモ」
「日中の政権の変化」「両国の将来像」「ノーベル賞」「両国の将来像」「メディア規制」という6つのトピッ
クを用意して、グループに分かれてディスカッションを行いました。また、いきなりディスカッションに入る前
に、導入として「メディア規制」「ノーベル賞」の 2 つに関するプレゼンテーションを行いました。
中国や日本についてお互い勉強している学生も、このように顔を合わせて討論する機会は大学には存在せず、
非常に有意義な活動となったという数多く感想をいただきました。今後も日中学生会議が日中網を拡大する原点
となり、自分たちの活動を広めていくことに大きな使命を感じました。
【感想文】
・中国側の立場でものを考える日本人の学生がいたことを知りました。中国政府のやり方が必ずしも正しいと言
えなくてもやはり相手の立場でものを考えることで交流は深まると思いました。(日本人)
・国と国がどうしていくべきか。改めて確認することが出来ました。これからの自分の活動に生かしていけると
思います。(日本人)
・かなりわからない部分が多かったのですが、日本の学生が日中関係について関心や意見を持っていることが伝
わりました。おそらく中国の学生よりも積極的なのではないかと思います。(中国人)
・自分たちの班のテーマに対する知識が不足していました。自分自身も知識が尐なく発言しようにもできません
でした。「テーマ」をテーブルで分けるのであれば事前に教えていただけるとありがたいです(中国人)
関西日中ハウス
■概要
事前準備の一環として行なったのは「日中ハウス」というイベントです。去年からスタートさせた日中ハウスと
は違い、今回は日本の学生と中国人留学生が同じグループに入り、一緒にディスカッションをします。また、今
年「日中ハウス」は日中学生間の話し合い場を作ることに留まらず、日本開催のためたくさんの学生が忚募して
くれるように広報のほうにも力を入れました。関西忚募者を増やすために、2 回「日中ハウス in 関西」の開催を
通して関西での知名度をあげることができました。
第 1 回日中ハウス
■日時
1月8日
第 30 回日中学生会議
119
■場所
■内容
関西大学 千里山キャンパス
日中学生会議の紹介、日中間を取り巻く現状のプレゼン、グループディスカッション、議論のシェア
今回は忚募者から日本の学生と中国人留学生 10 人で 1 グループを作り、「外交と政治」、「教育」、「社会
と文化」の 3 つのグループとなりました。
第 1 回目の「日中ハウス in 関西」は、まず参加者に今回の開催目的を説明し、そして日中学生会議という団体
について簡単に紹介しました。次に、関西実行員の 3 人がそれぞれ「2010 年に発表された PISA」、「日中にお
ける家族観の違い」、「ノーベル平和賞」をテーマにプレゼンをしました。
グループディスカッションを始める前に、初対面であるためアイスブレーキングを行ないました。まったく違う
バックグラウンドの人がこの場で日中のことについて語り合うことは、普段ではなかなかないため、ここで出会
った人と今後も連絡取り合っていきたいと思いました。その後、グループディスカッションを始めました。日中
関係に高い意識を持っている学生がこのような場で集まることは、今後日中関係の発展にプラスの影響を与える
ものであり、日中学生会議がその中心に存在するべきだと考えています。
反省点としては、当日のキャンセルが多数に発生したため、日本の学生と中国人留学生のバランスが取れていな
かったことです。次回の開催では、このような緊急対策を含めて準備すべきだと思いました。
第 2 回日中ハウス
■日時 4 月 16 日
■場所 近畿大学 本部キャンパス
■内容 日中学生会議の紹介、顧問の上田先生による講演、日中間を取り巻く現状のプレゼンテーション、グル
ープディスカッション、議論シェア
前回の反省をいかして人数のバランスを取るために、今回は 2 つのグループだけに絞りました。「日本人の中国
観、中国人の日本観」と「震災から見る日中の社会」という 2 つのグループです。
第 2 回目は、前回のように日中学生会議の紹介から始めました。そのあとは、近畿大学の上田教授により、「儒
教思想、孫子の兵法、老荘思想―日本と中国の解釈はなぜ異なるか!?」をテーマに講演をいただきました。震
災の影響で日中関係が大きく変容したため、今回関西実行員の 2 人がプレゼンをした内容も震災後における日中
問題でした。そして、プレゼンの後はグループディスカッションを行いました。
「日本人の中国観、中国人の日本観」のグループでは、尖閣諸島問題から現在にかけて両国の学生がお互いに対
する感情の変化について話し合いました。また、「震災から見る日中社会」のグループでは、福島発電所の放射
性物質漏えい事件に関する偽りの報道に影響されたため、中国における塩買い占め騒動を始め、中国人と日本人
が危機に直面するときの違いや社会の反忚などについて話し合いました。
上田先生にいろいろご協力をいただき、今回の開催が成功しました。この場を借りまして上田先生に、改めて感
謝の気持ちを申し上げたいと思います。本当にありがとうござました。
今回勉強会を開催するにあたって、教室の確保から勉強会でのアドバイス、中国に関する様々な知識を教えて
下さった上田先生、非常に勉強になる御講演をしてくださった深尾先生、安富先生には感謝申し上げます。あり
がとうございました。
関東勉強会
第 1 回「日中文化交流財団 野元邦彦様講演」
第 30 回日中学生会議
120
■日時
■場所
6 月 11 日
早稲田大学西早稲田ビル 501 教室
【概要】
第 1 回目の勉強会には中国とビジネスの場で深いかかわりもお持ちになっていた野元様に基調講演をお願いしま
した。講演内容は実務経験からみる中国という事で、野元様が経験してきた国際回線開通や、香料の貿易、予防
医学などの実務から 2 カ国間の貿易において情報の管理の難しさや重要さを教えていただきました。また、その
ほかにも中国のコピー文化、尖閣諸島問題など野元様の意見を聞きながら、中国とのビジネス関係の理解を深め
ることができました。
【感想】
これからの社会を、「情報」という切り口から野元さんの体験を加え面白く話してくれました。僕は中国と理
想の関係を築くこと目的としてこの会議に参加しましたが、理想を満ちつつも踏まえなければいけない現実の部
分もあることを改めて自覚しました。野元さんの中国をまつわる経験も大変興味深いものでしたが、過去のこと
でなくこれから世界へと旅立とうとする僕たちに対しても参考になるメッセージをいくつか伝えてくれました。
ありがとうございました。
第 2 回勉強会
■日時
■場所
6 月 11 日
早稲田大学西早稲田ビル 501 教室
【概要】
テーマ:ドキュメンタリー映画「泣きながら生きて」鑑賞+感想シェア
【内容】
1996 年、東京。丁尚彪は、7 年前に妻と娘を上海に残して来日して以来、一度も中国に戻ることなく日本で働き
続けてきました。早朝からいくつもの職をかけもちし、深夜に安アパートに戻り日本語の勉強をする毎日。稼い
だお金はすべて妻子に送金してきました。彼を支えているの は、「娘に一流の教育を受けさせたい」という強
い思い。学びたくても学ぶことのできない厳しい時代に育った彼は、次の世代へと夢を託したのです。
1997 年。娘の丁琳はニューヨーク州立大学に合格。見事に父の期待に忚えました。しかし、それは一家が東京、
上海、ニューヨー クと離ればなれになることを意味していました。娘の学費を稼ぐために働き続ける父、夫の
いない家を守り続ける母、両親からのバトンを受けて異国で医学に励む娘。
運命に翻弄されながらも懸命に生きる一家の姿は、国境を越えて、世代を越えて、時間を越えて、世紀の大不況
に苦しむ我々現代人にとって大いなる励みになるでしょう。運命に翻弄されながらも懸命に生きる一家の姿は、
国境を越えて、世代を越えて、時間を越えて、世紀の大不況に苦しむ我々現代人にとって大いなる励みになるで
しょう。「15 年前日本へ来た時、人生は哀しいものだと思った。人間は弱いものだと思った。でも、人生は捨て
たもんじゃない」そう語る丁尚彪の言葉には、人生において必要なものばかりが、詰まっています。
製作期間 10 年、撮影したテープは 500 時間超という本作のディレクターを務めたのは、張麗玲。『泣きながら
生きて』は、張が手がけたドキュメンタリー・シリーズ『私たちの留学生活〜日本での日々〜』の『小さな留学
生』『若者たち』『私の太陽』に続く作品。『小さな留学生』では放送文化基金賞企画賞を受賞しました。
(「泣きながら生きて」公式 HP より)
第 30 回日中学生会議
121
【感想】
2 時間の映画を見て、まだ意見がまとまりません。中国の現状はよくわかりませんが、この話は本当で、私が見
たのは 2 時間の映画も 15 年間の歳月が凝縮されたものであり、その人の人生はもっと長い。それを私が理解す
るのはできなくて、それがすごく無力に感じました。
視点の違う感想かもしれないけど、私はどうしても、内容について言葉にできないです。こういった活動を私が
しようと思ったきっかけに、視野を広げたいということがありました。しかし知ったところで、私はあの人に何
をしてあげられるのかと思ってしまいました。でも、この一つ一つを何かに活かせるように、それが私たちの責
任かもしれないです。
第 3 回勉強会 天児先生による講演
■日時
■場所
2011 年 6 月 18 日
早稲田大学西早稲田ビル 501 教室
【概要】
<転換期に入った国際社会と新たな日中関係の再構築について>
グローバリゼーションのリージョナル化が進んでおり、例えば環境問題について世界規模で起きている問題では
ありますが、为にある一定の地域において特に深刻であることが多い。グローバルな視点のみならず、リージョ
ナルな視点からこれからは世界を見る必要があります。現在、日中関係は相互依存・相互協力の流れを制度化す
る必要性の増大と緊急性があります。制度化しないまま中国がグローバル化を進めることで、不均衡な発展及び
国内の弱肉強食の状況が顕著に表れてしまいます。しかし、人口の多さが弱みとして考えられている中国である
が時として強みでもあります。近年、尖閣諸島問題や日本の東日本大地震を受け日中関係も新しい段階へと入っ
ています。ねじれた日中関係を打開するには、
1.日本自身の再建・将来構想の指針の確立
2.中国の「脅威」要素の削減、国際協調の努力
3.国際社会から中国へのしっかりしたメッセージ
4.国境を超える交流の役割増大、民間交流の意義
などの必要がある。『日中両雄並び立つ』の努力が必要です。
【感想】
GDPが上下することが、生活水準の上下に関係するとは限らないという考えに納得しました。特に日本は一定
の水準を得た生活環境にあるため、これ以上GDPを伸ばすための政策を考えるより、大人としての魅力をもつ
ような努力を持つような考えができたらと感じました。これからは、どう東アジアの一国として役割を果たすか
を考え、中国に対する協調を強めるための動きができたらいいと思います。そのためには、リーダーが重要では
ないでしょうか。リーダーはアイコン的存在を果たし、そのもとで、働く人が活動しやすい場があるべきだと考
えました。環境づくりから生まれる新しい道を模索したいです。
第 30 回日中学生会議
122
関西勉強会
第1回勉強会
■日時
■場所
5 月 28 日
近畿大学
【概要】
初回の勉強会なので、まず顧問の近畿大学文芸学部の上田先生から簡単な自己紹介をいただき、その後各分科会
の進捗状況を共有しました。また、勉強会の方針を決めました。机上の勉強だけでなくフィールドワークも取り
入れたいという意見が多かったです。フィールドワーク先として門真の中国朝市、大阪中国スポットツアー(関
帝廟→歴史博物館→領事館)、華僑総会などを上田先生から紹介していただきました。
そして、中国の現状を理解してもらうために、NHK「激流中国―富人と農民工」を鑑賞しました。ビデオを通し
て経済急成長の中国が抱えている厳重な格差の問題をより深く理解することができました。
午後では、皆で大阪の日本橋駅の近くにある在日の中国人がよく行かれる「上海新天地」というビールを見学し、
在日の中国人がよく買われる商品や雑誌などの商品を勉強しました。
第 2 回勉強会
■日時
6 月 11 日
■場所
近畿大学
【概要】
1.『中国は、いま』(国分良成編、岩波書店、2011)
第四章 下からの申し立て―社会に鬱積する不安と不満(小島華津子)
尖閣諸島問題の反日デモをリードした集団や労働者のストライキ、連続自殺の担い手となった「農民工」や低賃
金の非正規労働で都市郊外の安アパートでルームシェアをしながら群れて暮らす「蟻族」など現在の中国の問題
について知識の補充をしました。
2.一人っ子政策によってもたらされた弊害について
「黒孩子」:一人っ子政策に違反したため戸籍登録をされなかった戸籍のない人のことです。2010 年時点で総人
口の 1%にあたるおよそ 1300 万人に上る。戸籍がないため学校教育や医療など行政サービズを受けることができ
ません。
「小皇帝」:一人っ子で甘やかされて育ち、自力で生活をすることが難しい人のことを指します。精神的・肉体
的に脆弱な人が目立ちます。
男女比率の崩れ:肉体労働を積極的に手伝える男児の出産を希望するため、妊娠時に女子だと分かった場合に中
絶手術をする場合があります。そのため、男女の比率が崩れ、尐子高齢化に転じている今日、経済へ深刻な影響
を与えると懸念されています。
論点:1.戸籍がない子ども、「黒孩子」の取扱いについてどうすべきか。
2.尐子高齢化問題について日本と中国はこれからどう対忚すべきか。
第 30 回日中学生会議
123
勉強会の後は、フィールドワークとして大阪・日本橋にある上海新天地に行き、中国産品を扱う食品スーパーや
書店、免税品ショップなどを見学しました。
第 3 回勉強会
■日時
■場所
6 月 26 日
大阪大学
【概要】
1.日中関係―戦後から新時代へ』(毛利和子、岩波書店 2006)
日中関係に避けることができない戦後処理と歴史問題のプロセスについて学びました。
2.重慶について
共産党直轄都市であり、近年内陸部で最も注目を集めている都市のひとつ、重慶について基本的な知識を学び
ました。
3.簡単な中国語講座
本会議で中国人とのコミュニケーションを尐しでも上手く取れるように、簡単な中国語を勉強しました。
第 4 回勉強会
「大阪大学深尾葉子准教授、東京大学安富歩教授講演」
■日時
7 月 10 日
■場所
大阪大学
【概要】
今回の勉強会では、深尾先生に御講演をして頂く予定していましたが、お二方から御講演をして頂くことができ
ました。東日本大震災を受けて、原子力発電の実態とそれが社会にもたらした影響についてお話くださいました。
まず、中国は個人を重んじる個人社会であるのに対して、日本は共同体としての意識が強固であり、役や立場
を重要視する組織社会である。今回の原発事故後もその特徴が表れました。政府の政策によって、被災地で住み
続けることに力が入れられた結果、避難した人は、現地の人から裏切り者扱いや嫌がらせを受けました。このよ
うに、共同体という組織の圧力によって個人が苦しまされています。上(政府)から下(自治体)の「共同体」
システムによって成り立っている現社会は江戸時代の封建社会と似ています。
次に、原子力発電の実態について。原子力発電は熱量の 30%しか電力になりません。残りの 60%は、海水を温
め、7度温度を上げる。使用済み核燃料も熱をだし、環境破壊をしています。また、その熱と放射能のエネルギ
ーは人間の 100 万倍にも上り人間の手に負えないものです。避難所では、津波(自然災害)で逃げてきた人は避
難先で元気そうにしていますが、原発による避難者(人災)は暗い雰囲気で元気がありません。人間が作り出し
た事故で追い込まれるという理不尽な状況です。
その他、内部被爆や外部被爆、低線量被爆、原子力発電の構造など多岐に亘ってお話を伺いました。
【感想】
第 30 回日中学生会議
124
今回の講演からテレビなどの報道は部分的なものでしかなく、また原子力発電の構造はかなり簡略化されたもの
であるという事実を知りました。また、政府の発表にも隠蔽されているものが多数存在することを知り驚愕しま
した。
自分で正しい情報を把握すること、報道されているものの背景や報道では伝えられない実態を理解すること必要
があると思いました。同時に氾濫する情報を自ら分別する力をつける必要があると思いました。
【総括】
関西勉強会では、知識の補充以外にも関西メンバーの横の繋がりを深めることも目標としました。勉強面では、
分科会以外の問題について学ぶことで中国に対する関心を高め、視野を広げることができたと思います。また、
各分科会の進捗状況なども共有し合ったことによって、他分科会から刺激を受け、モチベーションの向上につな
げることが出来たのではないかと思います。加えて、勉強会のあとには食事会を開催することによって横の繋が
りを深めることができました。
今回勉強会を開催するにあたって、教室の確保から勉強会でのアドバイス、中国に関する様々な知識を教えて下
さった上田先生、非常に勉強になる御講演をしてくださった深尾先生、安富先生には感謝申し上げます。ありが
とうございました。
アジアを語る会
1.アジアを語る会とは
アジアを語る会とは、学生団体 LEAF により 2011 年 1 月 21 日(金)東京大学駒場キャンパスにて開催されたフォ
ーラムです。2010 年年末に日中学生会議と LEAF の代表者が顔合わせをした際に構想が練られ、LEAF 为導のもと
実現しました。こちらには LEAF、OVAL、京論壇、AISEC、STeLA など名だたる学生団体が名を連ねました。名前
通りそれぞれの学生団体がアジア(特に東アジア及び東南アジア)との国際交流を中心に活動しており、各団体が
自分たちの活動の中で感じたことや、やってよかったことなどをシェアしたり、共同企画をスタートアップする
ための場となりました。
2.LEAF(Linking East Asian Future)とは
東アジアをつなぐ ―東アジアから世界へ―
私達 LEAF(Linking East Asian Future)は日中韓の学生を中心に、世界における東アジア地域の発展のため活
動しています。
私たちは、東アジアの課題を解決し持続可能な発展に寄与していくことを目的とし、その実現のためのより広く、
深く、強く、そして将来まで続くネットワークを築くために、未来へ責任を持つ持続的な学生団体となることを
目指しています。
3.まとめ
同じ国際交流といえども、国や地域が違えば慣習や文化も変わってきます。このフォーラムでは特に中国に関
心のある学生団体を呼び、中国特有の風土や制度の中でいかに自分たちの学生団体を成長させていけるかという
のが焦点になりました。私達日中学生会議は当時中国側でのガバナンスに対して問題を抱えていました。同じ国
を相手とする LEAF や京論壇、そして同じ学生会議という名を持つ日ベトナム学生会議の実行委員と意見交換を
することによって自分たちの良さを改めて認識し、また他の学生団体のいい部分をその後の自分たちの活動に還
元できたと思います。その中でも特に、日ベトナム学生会議の実行委員の方との会話が印象的でした。彼らは自
第 30 回日中学生会議
125
分の学生会議での体制面について問題意識を持っており、それは依然私たちが抱えていたケースに近いことから
より活発な議論を重ねることができたからです。ここに同じ相手をもつ者同士が集まったメリットを感じました。
1 月という時期ということで、それぞれ自分たちの学生団体の来季に向けての準備で忙しい中、このような素晴
らしい場を設けてくれた LEAF 実行委員会の皆様に感謝の意を表したいです。ありがとうございました。
引用資料
LEAF http://leaf-japan.net/leaf/index.html
国際交流基金‘ふれあいの場’
1.‘ふれあいの場’とは
ふれあいの場とは国際交流基金が日本に関する情報が尐ない中国の地方都市を中心に、中国の若者のために日本
文化や日本の最新情報を中国に発信するために中国各地に設置されている場所のことを指します。ふれあいの場
では日本の書籍、雑誌、CD、DVD などが閲覧可能で、若者層の関心が高い現在の本の情報(ファッション、音楽、
漫画など)や文化に触れるようになっています。また、在留邦人や日本滞在経験のある中国人の参加協力を得な
がら日本の文化交流ができる「場」となっています。
2.「日中学生交流祭」in 広州
2011 年 3 月 12 日に私達第 30 期実行委員は名古屋大学の学生とふれあいの場における学生交流事業第一弾とし
て広州に設置されている‘広州ふれあいの場’で中国大学生と交流を行いました。‘広州ふれあいの場’は広州
市にある中山大学の外国語学部内に設置されています。中国学生との交流の企画・運営など学生が中心となり、
国際交流基金の協力のもと交流事業が行われました。今回の交流では、ソーラン節、もちつき、着物の着付けな
ど様々なプログラムを準備し中国の学生と交流しました。また準備段階から中山大学の学生数名の協力で様々な
準備を行い、現地の観光など交流を深めました。現地のさまざまな方の協力のおかげで、当日は中山大学の学生
をはじめ 200 人近くの中国人の参加があり大成功となりました。
3.まとめ
今回実行委員が広州を訪れるのは本会議以来の 2 度目でした。ふれあいの場は日本文化紹介を通し日本を中国
に発信するものです。名古屋大学の学生と協力し合いどのようなものを中国学生に伝えるか話しあう事から始ま
りました。私達の伝えたい日本とはなにか。中国学生の感じたい日本とは何か。そのようなことを考えながらソ
ーラン節やもちつきなどのプログラムが決まりました。交流会は 1 日という短い時間でしたが、全力でソーラン
節を踊り、もちつきを体験する中国人学生の笑顔、嬉しそうに着物を着る中国人学生を見ることができました。
いままでには感じたことのない達成感がありました。また、今回の交流会は東日本大震災の次の日でした。多く
の中国人の方々が私達に忚援の言葉をかけてくれ、とても温かい気持ちになれる 1 日でもありました。最後にこ
のように貴重な体験の場を与えてくれた国際交流基金の皆様にお礼申し上げたいです。ありがとうございました。
中国青年代表団との交流
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■日時
第 1 陣 6 月(山梨)
第 2 陣 7 月(長野)
1.中国青年代表団とは
中国青年代表団とは日本の外務省が为催している各領域において優秀な青年中国人が日本に訪問し研修・交流を
行う活動です。毎年 4000 人ほどの中国人が何回かに分け日本に訪問しています。訪日団の団員は黒竜江省、江
西省、雲南省、江蘇省、安徽省、四川省、青海省など中国各地から成り立っています。日本では東京をはじめと
し、大阪、京都さらには北海道や長野、山梨など訪問するところは様々であり、それぞれの場所で日本各界の
人々と交流を行っています。
2.日中学生会議との交流
日中学生会議からは数年前より学生ボランティアとして中国人青年と交流をしています。その为な交流は軽井沢
や河口湖といった場所において 1 泊 2 日で交流活動をします。ボーリングや BBQ など様々な活動をはじめとし夜
はダンスや歌などの披露を行い、親睦を深めています。日中学生会議のように中国の若者とではなく、社会人で
ある中国人と交流することは新鮮なことでした。中国人大学生とは異なった時代の中国を見て育った世代である
彼らは、中国のいまの発展を誇らしいと感じるとともに、中国には何が必要なのか考えながら日本という国を見
て回っていたように感じました。訪日団の団員は私達大学生に様々な質問をしてくれます。日本という国を知る
ために様々な疑問を抱き、様々なものを写真に残し、まさに好奇心の塊の様でした。このような姿を見ながら、
私達日本人もこのような姿勢が大事だと考えました。常に相手を見て何かを学び取ろうとする姿勢が大事だと思
います。そして日本と中国はこのように互いに学び合い、理解を深めるために行動を起こす関係であることが大
切なのではないかと考えます。
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6章
アンケート
・本会議後アンケート
① 日中学生会議に参加してよかったですか?
・本会議を漢字一文字で表すとズバリ
【異】【楽】【会】【謝】【交】【糸】【輝】
【密】【新】【学】【戦】【苦】【忙】【笑】
【実】など
② 分科会は充実していましたか?
③ 文化交流は充実していましたか?
④ 観光は充実していましたか?
⑤ 中国側に仲のいい学生はできましたか?
⑥ これからも日中国際交流を続けていきたいで
すか?
⑦ 参加前後で中国人へのイメージは変わりまし
第 30 回日中学生会議
たか?
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・本会議が終わった今の気持ちを一言でどうぞ
★不完全燃焼
★やり残したことが半端ないです
★中国に行きたい
★みんなに対する感謝の気持ちでいっぱいです
★長いようで短かったです。もっとできたのでは
ないかと悔しい気持ちが残りました。
★成長できたと思う。素敵な出会いに感謝!!
★日本をもっとよく知りたい!
★達成感と寂しさ
★達成感、充実感、虚無感、とにかく色々な感情
が入り混じった何とも言えない気持ち
★もっと長くやっていたいという気持ちです
★とてもいい時間を過ごすことができました。幸
せです。
★中国の学生と密着した共同生活を終えてホッと
しています。
★明日から何を目標にするか考えられないほど充
実した 2 週間でした。
・中国人に対するメッセージ
★毎日さまざまな会話をすることで発見することができ、楽しく過ごすことができました。この会議は終わ
りましたが、今後ともぜひよろしくお願いします。
★私たちにいろんなことを教えてくれ、さまざまなことを語り合った 2 週間は非常に密なものであり、こ
れからもずっとこの交流を続けていきたいと思います。言葉の壁はあるけれど、分かり合えたのは本当にう
れしかった。
★日本側は中国側よりも外国語を話せる人が尐なかったけど、積極的にコミュニケーションをとってくれて
うれしかったです。みんなが帰ってしまって寂しいけど、これからも仲良しでいましょう。
★中国の学生は様々な地域から集まっていたので、みんなそれぞれ個性が違っていてよかったです。一生懸
命話しかけてくれて本当にありがとう。
★お互いゆずることのできない個人の軸を感じることができてよかったです。
★震災や原発の事故がありながら、こんな小さな国に来てくれてありがとう。本当に有意義な時間でした。
★日中関係にこんなにたくさんの学生が興味を持ってくれていてうれしかったです。日本人よりも日本に詳
しい人がいて、こちらが恥ずかしくなってしまうほどでした。私たちはこの経験を多方面で生かし、それぞ
れ小さいことではあるけど両国のために、ひいては世界のためにつなげていくことができると思います。
★一人一人ともっと語りたいことがありました。特に分科会討論で考えの違いをぶつけ合ったり、FW にお
いて本音で聞き涙が出たことなどが心に残っています。このように本音で話し合っていくことが、大学生と
して、人として大切なことであると感じました
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お世話になった方々へ
《OBOG・個人協賛》
2 期 伊藤彰宏 様
3 期 小原朋広 様
7 期 久保田晃 様
9 期 宮本貴章 様
11 期 牛込美穂子 様
25 期 阿久津俊介 様
26 期 森格 様
27 期 淺野偉之 様
27 期 李昊 様
27 期 本田弥生 様
28 期 松本弘圭 様
29 期 伊藤匡伸 様
29 期 位田武嗣 様
29 期 植田信 様
29 期 上條惇史 様
29 期 小山莉奈 様
29 期 鈴江元尚 様
29 期 西尾友里 様
29 期 本城琢也 様
29 期 町田周陽 様
29 期 丸山真梨奈 様
29 期 宮崎頌子 様
29 期 山鹿翠 様
29 期 吉井由梨 様
《個人協賛》
TMI 総合法律事務所 弁護士 山根基宏 様
株式会社 C&C 長谷俊之 様
《フィールドワーク協力》
大阪 NPO センター 事務局長 CDA 堀野宣求 様
大阪市十八条下水処理場 芝 様
王子ネピア株式会社
マーケティング本部 商品企画部 为幹 齋藤敬志 様
マーケティング本部 商品企画部 大堀栄子 様
株式会社ベネッセ・コーポレーション 広報部・社外広報課 三田村有 様
株式会社雪国まいたけ 事業開発部 課長 諸澤慎二 様
外務省 アジア大洋州局 中国・モンゴル課兼日中交流室 研究調査員 田口将貴 様
外務省 アジア大洋州局 中国・モンゴル課 外務事務官 大友誠 様
外務省 顧問 東京大学客員教授 日中関係学会会長 宮本雄二 様
環境省 地球環境局 総務課 企画法令係 山王静香 様
文部科学省 教育課程科 第一係 堀内 様
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経済産業省 地域経済産業グループ 立地環境整備課 課長補佐 伊臣達夫 様
地域進行三係長 玉串英恵 様
京都教育サポートセンター 事業所長 南山勝宣 様
慶應義塾大学法学部教授 安田淳 様
国際日本文化研究センター 戸部良一 様
財団法人 日中友好会館 東アジア青少年交流基金 事務局長 小島義夫 様
丹幸・中西楽器店
特定非営利活動法人 釜ヶ崎支援機構 副理事長・事務局長 沖野充彦 様
特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター・もやい もやい新宿連絡会 代表理事 稲葉剛 様
特定非営利活動法人
Learning for All 事務局 武藤康平 様
独立行政法人 国際協力機構 東・中央アジア部 東アジア課 为任調査役 佐々木美穂 様
独立行政法人 国際交流基金
総務部 経営企画ユニット 課長 小島寛之 様
情報センター 为任 谷地田未緒 様
日中交流センター 有賀健 様
派遣会社テクノサービス 営業企画部 営業広告課 千代田圭 様
学校法人 横浜山手中華学校 校長 潘民生 様
フリースクール 恵友学園 事務長 大越正志 様
堀切富紀子 様
堂道有香 様
有限会社 ビッグイシュー日本 大阪事務所 吉田 耕一 様
《日本側実行委員会顧問》
慶應義塾大学 商学部 教授 段瑞聡 様
近畿大学 文芸学部 准教授 上田貴子 様
早稲田大学院アジア太平洋研究科 教授 天児慧 様
早稲田大学教養学部 准教授 阿古智子 様
《ご協力いただいた方々》
大阪大学 経済学研究科 准教授 深尾葉子 様
学生団体 LEAF
学生団体 第 63 回日米学生会議
学生団体 京論壇
学生団体 京英会
キヤノングローバル戦略研究所 瀬口清之 様
東京大学 東洋文化研究所 東洋学研究情報センター 副センター長 園田茂人教授
東京大学 東洋文化研究所 教授 安富歩 様
日中経済貿易センター 代表理事長 青木俊一郎 様
日中新世紀協会 瀬戸敬吾 様
日中文化交流財団 事務局長 野元邦彦 様
同志社大学 グローバル・コミュニケーション学部グローバル・コミュニケーション学科 教授 日野みどり 様
早稲田大学アジア太平洋研究科
独立行政法人国立青少年教育振興機構 国立オリンピック記念青少年総合センター
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《通訳》
関東側
早稲田大学アジア太平洋研究科 姚波 様、李光祎 様、张悦 様、鈴木清恵 様
東海大学 沈于楠 様
関西側
立命館大学 カンエイビン 様
立命館大学 袁準 様
立命館大学 温馨 様
関西大学 郭由綺 様
関西大学大学院 金怡 様
京都産業大学 査碧霞 様
京都外国語大学 長谷川智也 様
近畿大学 吉田和也 様
東京大学 李昊 様
本当にありがとうございました。
第30回日中学生会義実行委員会一同
第 30 回日中学生会議
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