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崩壊と狂気の幻想

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崩壊と狂気の幻想
∼絵画とともに聴く古楽
須田 純一(銀座本店)
第33回 崩壊と狂気の幻想
ドン・カルロ・ジェズアルド:
レスポンソリウム集
ヴァルター・テストリン指揮 デ・ラビリント
■CD:STR 33842 輸入盤オープンプライス
<STRADIVARIUS>
崩れ落ちる巨大建造物、黄色く燃え上がる
炎、狂乱の中逃げ惑う人々…。恐ろしい崩壊
と狂気の幻想がここにはあります。17世紀初
頭ナポリの画家モンス・デジデリオ描く
「聖女
の殉教」。モンス・デジデリオは、あの澁澤龍
彦がエッセイで取り上げるなど、日本でも一
部で熱狂的に受け入れられていた存在です
が、一般的な知名度はほとんどないでしょう。
モンス・デジデリオという画家自体、いったい
誰なのかということさえ判然としていないと
いう謎の画家です。以前は、
ディディエ・バッラ
というナポリの画家だとされていましたが、現
在では、
フランソワ・ド・ノーメというフランス
の画家が中心となった共同ペンネームではな
いかという説が有力視されているようです。
この画家のものとされる絵画は廃墟や、現
在進行形で崩れ去る町や巨大建造物、そして
狂乱に陥る人々などなんとも不穏な空気が漂
う絵画ばかりを描いています。いったいなぜ
こんな絵画ばかりを描いたのか、精神分裂病
説をとる学者もいるようですが、今の所これと
いった確証のある説は出されていないようで
す。モンス・デジデリオの絵画は鑑賞していて
気持ちのいい絵画ではありません。人を不安
や狂気に導こうとするような、なにかを感じま
す。シェイクスピア時代のシュルレアリスト と
も評されたそんな彼の絵画は、20世紀以降の
シュルレアリスムの画家たちに多くのインス
ピレーションを与えたそうです。確かにシュル
レアリスムと通ずるものがあるのかもしれま
せん。
この奇怪な画家モンス・デジデリオの少し
前、同じくナポリに音楽家としても名を馳せた
大貴族がいました。
ドン・カルロ・ジェズアル
ド、現在では 妻殺しの作曲家 として知られる
特異な作曲家です。
当地でも最高ともいえる貴族の家に次男と
して生まれ、幼い頃から聖職者となるための
宗教教育を受けながら、非凡な音楽的才能も
見せ、20歳になる前にすでに音楽家として高
い地位を確立していたジェズアルド。
しかし兄
の急死により、家督を継ぐ事となり、20歳にし
て結婚、その後、妻には不倫され、その報いと
して妻とその愛人を、死を持って成敗するも、
複数の人手を連れて殺害した事に、イタリア
国中から非難を浴びることになります。その
報復を恐れ、田舎の城に隠れるように住み、
罪の意識と追っ手の恐怖にも苛まれるように
▲モンス・デジデリオ:「聖女の殉教」(個人蔵)
なる。生来、内向的で自らの世界にこもりがち
であったジェズアルドにはとても堪えられな
いことだったのでしょう。妻殺しの罪の意識と
刺客に襲われるかもしれないという底知れぬ
不安に苛まれた、そんな彼の心の慰めは音楽
でした。
しかし、彼の音楽を見てみると、その
背負った負の感情が作曲に出てきてしまって
いるのです。
彼のマドリガーレ集は、妻の殺害後の中期
から晩年にかけて凄まじい音楽へと変貌して
いきます。音楽で生計を立てる必要がないほ
どの高い身分と財力を持っていたため、依頼
者の趣味などに合わせる必要が無く、自分の
望むままに音楽を作ることが出来たという環
境もあるのですが、それにしてもジェズアルド
はあまりにも特異な音楽を生んでいったので
す。そこには当時の音楽様式では(その後も
19世紀後半までは)考えられない和声や半
音階進行、不協和音の多用がなされていま
す。例えば、マドリガーレ集第6巻の有名な作
品「私は死ぬmoro lasso」
では、冒頭から衝撃
的な和音が展開していきます。死ぬ 嘆く な
どの言葉が連呼される作者不明の歌詞の内
容も救いようのないものです。
そんなジェズアルドは晩年、神へ救いを求
めるように宗教曲を作曲します。それが「聖週
間のためのレスポンソリウム集」
です。教会音
楽というジャンルゆえマドリガーレ集第5&6
巻ほどの過激な和声展開ではありませんが、
それにしても当時の一般的な作品と比べても
相当に個性的な、かつ前衛的な作品だと言え
るでしょう。苦悩の表現や悲しみの表現など
で、強烈な不協和音、半音階進行を多用し、聴
き手に眩暈を起こさせるような音楽となって
います。
この作品は全曲、抜粋合わせると様々な録
音が存在しますが、最近、
イタリアの気鋭の声
楽グループがすばらしい録音を発表しまし
た。それが今注目のイタリアのルネサンス声
楽グループ、デ・ラビリントによる
「レスポンソ
リウム集」
です。
ジェズアルドのレスポンソリウ
ムの抜粋に、鬼才ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者
ヴィットーリオ・ギエルミによるジェズアルド
作品にインスピレーションを得て作曲された
ガンバ独奏曲を挿入した、凝った構成のアル
バムとなっています。
これまでのジェズアルド演奏はイギリスの
グループによる精緻な歌唱がこの作品の演
奏の基礎となっていましたが、彼らの演奏は
その表現力においてこれまでの録音を上回っ
ています。歌詞に合わせた強烈な音楽も聴き
手にストレートに差し出され、思わず顔をし
かめずにはいられない表現さえ、あえて用い
ています。
しかしこれによって美しく響く和音
は一層の美を手に入れ、そのコントラストが
ジェズアルドの音楽をより高みへと引き上げ
るかのような効果を発揮しています。
ただでさ
え難しいジェズアルド演奏においてここまで、
突っ込んだ解釈を行うというのは相当に勇気
のいる事だと思いますが、デ・ラビリントは見
事にこれに成功しています。今後のジェズア
ルド録音のスタンダードとなることでしょう。
元々不向きな為政者という自ら望まない地
位を得、妻には裏切られ、殺害せざるを得な
くなり、やがてその罪の意識に怯えるようにな
る。そんな様々な受難が襲い掛かってきた
ジェズアルドに心安らぐ時はあったのでしょう
か。苛まれるような現実から逃れるように作曲
し、それによって心の平安を保とうとしていた
であろうことは想像がつきます。
しかし彼の作
り出す音楽は救いようがないものばかりでし
た。
どんなに望んでも得られないような非常
に高位の身分と権力、莫大な財力を持ってい
たにもかかわらず、あまりにも痛切な人生で
はないでしょうか。
そんなジェズアルドを思ってか、
このCDに
は隠しトラックが存在します。最終曲が終わる
と2分近い長い空白があり、その後にもう一曲
収録されているのです。
ブックレットにも載っ
ていない「Ave dulcissima Maria(めでたし、
いと優しきマリア)」。
ジェズアルドの作曲した
教会音楽の中でも特別に美しく響くこのモ
テットが最終トラックに収められています。苦
悩の人生を送ったジェズアルドへの演奏者か
らのせめてもの捧げ物なのかもしれません。
モンス・デジデリオの絵画もジェズアルドの
音楽も芸術上、非常に特異な稀に見る作品で
あることは間違いなく、その存在意義は大き
いものです。
しかし、
これにばかり浸ってしまう
ことには注意が必要だと思います。私もこれ
を書くにあたってジェズアルドの音楽を聴き
ながら、モンス・デジデリオの絵画を見ていた
のですが、胸がざわつくような不安感に取り
付かれそうになりました。彼らのような 負 の
面が強い作品に触れた後には、なにか 陽 の
ものに浸ることをオススメします。
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