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第7回報告書:巻頭、旅行記録 - npo
(2013 年 10 月 18 日~24 日実施) アンコールやまなみファンド Angkor Yamanami Fund 第七回“やまなみ塾”訪問と遺跡見学ツアー報告 目 次 ページ 巻頭 継続することの大切さ ……………………………………… 中川 武 ………… 1 旅行記録 第7回やまなみ塾訪問と アンコール遺跡見学ツアー行程記録 …………… 久世 基 ………… 3 参加記1(カンボジア、ミャンマー) 「ツアーを続けていきたい」 ……………………………… 多賀 正夫 ………13 第7回旅行感想記 …………………………………………… 関野 晉 …………16 六度目のカンボジア訪問と初めてのミァンマー ~雑感を綴る~ …………………………………… 青木 克子 ………19 クラウ村は変わりつつある ………………………………… 大野 一枝 ………22 第七回やまなみ塾訪問ツァーに参加して ………………… 佐脇 修司 ………25 第七回やまなみ塾訪問と遺跡ツアーに参加して ………… 森尻 ふみ子 ……27 参加記2(カンボジア) アンコール遺跡見学とやまなみ塾訪問 …………………… 横山 貴文 ………29 雨季のカンボジア訪問 ……………………………………… 盛 和子 …………35 3度目のやまなみ塾ツアー参加 …………………………… 岡田 寛 …………39 やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアー ………………………… 酒井 光 …………41 はじめてのカンボジアと村の子ども達 …………………… 早内 佳子 ………43 「やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアー」に参加 …………… 天坂 裕也 ………46 私が見たカンボジアのシェムリアップ …………………… 横山 貴文 ………48 交流会 交流会プログラム ………………………………………………………………………52 みんなで歌って踊ろう ……………………………………… 関野 晉 …………53 授業風景、クロラン、牛車と「アラッピア」 …………… 多賀 敏美 ………54 「クロラン」 、 「牛車」と「ふうせんアート」 …………… 喜田 粂吉 ………56 紙飛行機コーナー …………………………………………… 岡田 寛 …………58 “子ども達って最高!“ …………………………………… 松崎 節子 ………60 やまなみ塾の交流会に参加して …………………………… 中嶋 治長 ………62 初めてのカンボジアで子ども達と交流 …………………… 杉本 峻太郎 ……64 編集後記 ……………………………………………………………………………………………66 継続することの大切さ 中川 武 AYF アンコール・ツアーは今年で7度目である。毎回参加されている方や何度も参加さ れている方もいらっしゃるので頭の下がる思いである。 また、 これは単なる観光ではなく、 アンコール・クラウ村の子供達を訪問し、ふれあいの楽しい時間を持つと共に、AYF の活 動の今後のあり方を考える重要な機会でもある。それだけに様々な準備をして下さる方々、 お世話をして下さる方々のおかげで成り立っているので、そのような皆さんには本当に感 謝申し上げている次第である。 ところが、本年は、8 月に新宿高島屋で「アンコール・クラウ村の子供達の絵画展」1を 行ったため、その準備、運営、後始末等々に、AYF 主力メンバーの精も根も尽き果たした ため、10 月のアンコール・ツアーの実行はかなりきついものになった、とのことであった。 私は絵画展初日の前日に帰国し、翌々日には再出国したため、ロクに手伝いもせず、恐縮 至極ではあるが、今回の絵画展は、極めて大きな意義があったように思われた。有森裕子 さんが初日に出演して下さった効果が大きかったと思いますが、クラウ村の子供達や AYF の活動を多くの人に知ってもらうよい機会になったと思います。そして、そのこととは別 に、 ①多くの子供達が豊かでダイナミックな感性を育みつつあること、中にはかなりの子供が アンコール遺跡を描いていること ②絵画展の会計収支は、 かなり厳しく、この面でも負担が大きかったとのことであったが、 それでも、AYF と協働している現地 NGO JST が主体となって建設運営している、アン コール・クラウ村のバイヨン中学へ支援金を寄附すること ができたことである。 バイヨン中学では既に、アンコール遺跡修復に関する授業や実習も始めていることを考 えると、将来、アンコール遺跡を描いたことのある豊かな感受性の子供が遺跡修復のこと 1 AYF 事務局注:2013.1 に東京渋谷で開催された、 「カンボジアの子供たちの小さな絵 画展」と、2013.8 に日カンボジア友好 60 周年記念事業の一つとしてに新宿髙島屋で開 催された「カンボジアの子どもたちの絵画展」。どちらも AYF 主催。他の人の感想文で 「絵画展」とあるのは、これら絵画展を指す。 1 を学び始め、確実にその予備軍として育ちつつあるイメージが描けるようになりつつある ようにも思われるのである。JST は内外の NGO や公的機関とも連携を探りつつ、将来バ イヨン中学に職業訓練所を併設する、という希望も持っています。 正面側 裏側 バイヨン中学 今回のツアーは、村の青年団と JST の牛車ツアーの企画や、笠原先生2の授業の様子など を眼の当りにしたこと、そして何よりも例年のとおりとはいえ、その都度驚かされる子供 達の元気な姿が印象的であった。 .. 実際に運営や準備に当って下さっている方々には本当に感謝、雨、アラレですが、でき ... るだけ、絵画展もツアーも是非続けましょう、と改めて想いを新たにしているところであ る。 2 「小さな美術スクール」をカンボジアで主宰。やまなみ塾にも週1回の絵画指導をお願 いしている。 2 第7回やまなみ塾訪問と アンコール遺跡見学ツアー行程記録 久世 基 <10月17日(木)> ~出発~ (東京朝グループ) 11:30 東京朝グループは、ANAの 10:50 発バンコク行きで、台風明けの成田を 1 時間 弱の遅れで出発。夕刻バンコク・スワンナブーム空港に到着し、バンコク・エア ウェイズでシェムリアップへ向かうが、こちらも機材の調整で 1 時間弱の遅れで 出発した。機内で中川教授と合流した。 19:30 シェムリアップ空港に到着し、JSA職員石塚氏の出迎えを受ける。ホテルへ向 かう国道6号線沿いに、ずらりと並ぶ新築ホテル群が、観光地としての爆発的な 発展を感じさせる。 20:10 ソマデヴィ・アンコール・ホテルに到着。 (東京・富山夜グループ) 22:00 富山を 20:15 発ANAで出た富山夜グループと、東京夜グループは、羽田で合流。 空港で、AYF事務局からやまなみ塾等へ渡す品物を受け取る。なんとか分担し て旅行鞄に納め、チェックインする。日付の変った 0:30、ANAバンコク行きで 出発。 <10月18日(金)> ~やまなみ塾訪問準備と遺跡見学~ 夜グループは早朝バンコクに到着し、8:00 のバンコク・エアでシェムリアップへ。 9:10 シェムリアップ空港に到着し、JSA職員石塚氏の出迎えを受ける。 9:40 ソマデヴィ・アンコール・ホテルに到着。ところが予定と異なり、部屋が準備で きるのは 15 時ということで入れない。 10:00 何はともあれ、全員合流する。予定を調整し、女性は全員が先着組の部屋で 20 日に交流会で使う背景画の準備、男性は小さな美術スクールで画材等の授受をす る組と、JASAオフィス、インフォメ ーション・センター見学組に別れる。 10:40 JASAオフィス組は石塚氏の案内で バンにて出発。 小さな美術スクール組も別のバンでス クールへ。笠原先生に持参した絵具(画 材屋さんより寄付)を手渡し、日本に持 ち帰る額(ガラスなし)を受けとる。笠 3 スクール2階の教室 原先生が建てたフリー・スクールは、街はずれにあり、2階建てのゆったりした 作りになっている。生徒たちの絵が沢山置いてある。結構高いレベルの絵も多く、 先生の5年間のご苦労の成果がうかがえた。 11:40 希望者はホテル斜め向かいの高級スーパーへ。野菜、果物、菓子、飲物、台所用 品等の雰囲気は日本と変らない。地元焼酎も置いてある。 12:40 マイクロ・バス 1 台で昼食に向かう。今回は中川教授を入れて 20 名と、手ごろ な人数である。 13:00 モイモイで小出さんに説明を聞きながらカンボジア料理をいただく。さつま揚げ も出てきて、これはやはり南の食べ物であったかと納得した。 14:00 先ずはアンコール・トムに向け出発。カンボジアの人が付く規則になったという ことで、JSA職員のナムアオイさんが同乗する。アンコール地区の入場券売場 で若干の問答の末、写真撮影付の入場券(3日分、1 週間有効、20 ドル)を購入 する。 14:45 バイヨン見学 入口前で中川教授が説明を始めると、ポツポツと雨が降り出す。バイヨンは一帯 の神殿群の中心であるので、何年か前に国王が来て平和祈願をした時も、アンコ ール・ワットではなく、バイヨン前の広場で行われたとのことである。壁のレリ ーフの中に出ているジャヤバルマン7世が、武器でなく棒だけ持って指揮してい るのは、国の勢いが強い時代であることを示すとのことである。 16:05 バプーオン見学 幸い雨が上がる。フランスが 1995 年から行っていた修復が終了したので、昨年 から公開されたという幸運に恵まれる。階段は 60 度はある急勾配の連続で、年配 者には少し厳しい。高いテラスで、中川教授より、アンコールの遺跡はすべて、 敷地の中心軸と建物の中心軸がずらしてあるという説明を聞く。 17:20 バスで帰路途中に、JASA事務所を見てない人のために、事務所に少し立ち寄 る。 19:00 夕食はドイツ風ステーキハウス「tell」。 修復なったバプーオン 4 <10月19日(土)> ~遺跡見学~ 9:10 アンコール・ワット見学 今日の同乗者はJSA職員 タウリさん。西門から入った 参道脇の、日本が最初の頃に 修復した経蔵(お経はなく、 本当は祀堂)は健在である。 第一回廊西面へ北側から上 る。先ずは必見の、神話の戦 いの場面。猿の軍団のレリー フの、浅い彫りでこの緊張感 を出せる美術センスはやは アンコール・ワットの回廊を東に出た所で りすごい。第二回廊の江戸時代の落書きなどを見てから到達した中央の第三回廊 の階段は、残念ながら「週1度の掃除日で閉鎖」という看板の掛かった扉で閉鎖。 タウリさんの説明は「雨季から乾季への移行のお経の日だから」であったが、何 れの気配もない。シーズン・オフとは言え、有名な「創世神話」のレリーフ辺り は各国観光客が群がる。 11:10 タ・プローム見学 東から入口の道を歩いていくと最初の建物は駅。すなわち時代が進むにつれて宗 教施設に社会機能が加わったものである。中は、絵葉書に欠かせない巨大な樹木 の絡まった建物群である。入口からすぐの所はインドが修復工事中で、右脇の臨 時の木道を廻って奥へ進み、中川教授の硬軟両刀の説明を聞きながら通り抜ける。 12:20 昼食はイタリア・レストラン「L Oasi」 。ホテルへ帰って一休み。 15:20 プリア・コー見学 シェムリアップの市街から 10km余り東の、最初の都ロリュオスに建てられた古 いお寺。入口にムーン・ストーンがあり、そこから先は聖域につき、本来裸足に なるべきところを、失礼してそのまま進む。ドイツが修復中である。 16:00 バコン見学 入口脇のお寺に大勢の僧が座り、読経 が大音声で流れていた。雨季から乾季 への移行の儀式とのことである。段差 の大きい急な階段を上って、塔の頂上 で 360 度の景色を堪能する。はるか北 東にクーロン山のなだらかな稜線が見 える。クーロン山は、王が神託を受け て降りてきたという神話の山である。 5 バコンよりクーロン山を望む 高天原伝説はここにもある。最上階テラスの擁壁に、きれいな阿修羅像の彫刻が ある。百万円あれば複製を作って記念館に収められるが、この国はお金を出す気 がないと。どなたか・・・。 16:50 ロレイ見学 元々6塔あったが、4つしか残っていない。裏に寺院、庫裏があり、現在も宗教 施設で、遺跡のお堂にも沢山の線香や花が供えてある。敷地の隅にお墓(納骨堂) が1つある。お金のある人は1人で1塔建て、お金のない人は骨壷に入れてお寺 に置いてもらうか、家に置いておくのだそうである。 19:10 夕食は「スープ・ドラゴン」で寄せ鍋。最後に麺を入れるところは日本と同じ。 カンボジアの麺かと聞いたら、ヴェトナムの麺とのことであった。 <10月20日(日)> ~やまなみ塾授業参観、村内見学、交流会~ 8:30 クラウ村やまなみ塾へ出発。9時に着いて授業を見る予定だったが、バス運転手 が道に迷って遅れる。ナムアオイさんがオートバイで迎えに来てくれる。 9:35 やまなみ塾到着。日本語授業参観 先生はヒーア氏で、生徒は7名、13~14 才。残念ながら時間が少なく、授業は聞 けなかった。皆さん「私は○○、XX歳。よろしくお願いします。」と挨拶してく れた。 9:50 美術教室参観 笠原先生が教え、通訳のヒーア氏、アシスタントの坂田さんが付く。生徒は5才 から 18 才、ざっと数えて 44 名である。先生は先ずホワイト・ボードに 10 枚ほど 生徒の絵を貼り、色の使い方を指示する。後は生徒をグループ分けし、どんどん 描かせる。大きい子はやはり色、形とも様になっている。授業参観後、日本から 持参した画材を笠原先生に預ける。 10 時前より 並行してカンボジア料理体験 教室脇の東屋で、村の女性の指導を受け、カンボジア料理2種類の体験実習。ク ロラン(米と豆のココナツミルクの竹筒蒸し)と、アンサムプラウ(しゅろの葉 に包むちまき)である。 11:05 牛車ツアーで遺跡見学 バスに乗って隣の部落へ。部落中心部から牛車6台に分乗し、村内の小さな遺跡 プラサート・プレイ、別名イエイシアウ(近所のおばあさんの名)を見学。ここの 説明は村の青年団のヨンさん。ジャヤバルマン7世が作った 102 の施療院の1つ である。どうも祈祷所のようで、今でも病人が出ると、ここに家族がお参りに来 るという。牛車でやまなみ塾に戻ったが、乗り心地は今一。青年団企画の初の客 ということで、後でJSAインターン大学生の伊藤さんが感想を聞き取りに廻っ て来る。 6 12:30 開会式 雨季ですぐ横が川になっている多目的ホールで、日本側からは多賀代表が、カン ボジア側からは青年団リーダのソピー氏(英語教師)等3名が挨拶する。 12:45 昼食はモイモイのケータリングで、皆でご飯とおかずを分け合う。さっき蒸した クロランも良い味である。 13:40 棟梁と副棟梁がそれぞれ挨拶する。 その後、多賀代表が贈り手、チア氏が受け手を代表して、今回持参したプレゼン トの贈呈式を行う。プレゼントは衣類、文房具、ボール等々。 14:00 みんなで歌って踊ろう 教室で交流会開始。集まった子供たちは 約 100 人。先ずは関野氏指揮で、子供 たちと一緒に、「かえるの歌」の輪唱、 「さくらさくら」の合唱、そして日本で 一所懸命(?)練習したカンボジア語の 「アラッピア」 。すると間を置かず、子 供たちが「幸せなら手を叩こう」、 「もも たろう」 、 「ぞうさん」 、 「静かな湖畔」を 歌ってくれた。日本語の歌詞も滑らかである。その後広場で、皆で輪になってア ラッピアを歌いながら踊る。残念ながら子供たちも青年たちもほとんど踊りを知 らないようで、踊りを覚えるには至らなかった。 14:30 みんなで作ろう 一昨日模造紙に描いた背景用風景画を前に貼り、子供たちにはそれぞれ画用紙に 動物や花などを書いてもらう。早内さんの説明をタウリさん が通訳して、スタートしたが、なにせ人数が多く、年齢差も あって、皆に意図が伝わるまでが大変であった。それぞれが 描いて切り取った動植物を、風景画の上に貼り出す。優秀作 品3位まで選び、賞品のおもちゃを授与した。 15:45 みんなで遊ぼう 先ずはボール蹴り。並行して、紙飛行機とゴム発射の組立飛行機、ゴム風船遊び。 続いて学生組に準備してもらった「だるまさんが転んだ」。ルールを覚えてもらう ために、先ずは日本のおじさん、おばさんが童心に帰って、モデル・ゲームを見 せる。子供たちの人数が多かったこともあって、日本でやっているようには行か なかったが、何とか楽しんでもらえたようである。 16:50 閉会。多賀代表の挨拶をもって締める。 17:00 帰路、チア夫妻が建設に尽力しているバイヨン中学に寄る。グラウンド付きの広 い敷地に、1棟完成済み、更に2棟建てる予定である。中学のなかった地域なの 7 で、生徒は 140 人入学したが、公立にもかかわらず先生が集まらず、難航中との ことである。 19:10 夕食。中華料理。全員での最後の晩餐は、21 時を大分廻った時間まで続いた。 <10月21日(月)> ~遺跡見学と移動~ (東京直帰組) 9:00 ミャンマー組に見送られ、ベンメリアに出発。メンバーは盛、岡田、酒井、松崎、 早内、横山、天坂、杉本の各氏(8名)と中川教授。同乗者はナムアオイさん。 国道6号線を 19 日に行ったロリュオス遺跡群を通過して一路東進する。途中、バ スの車窓から地雷撤去作業を見る。 10:45 ベンメリア見学 ベンメリアはコーケーと共に別の管轄になるらしく、5ドルの入場料が必要であ った。シェムリアップから離れていることもあり、修復体勢がどの援助国も取り にくく、観光客用の通路はあるものの、荒れ放題という感じである。もちろん、 アンコール・ワットやバイヨンのような混雑はない。 13:45 シェムリアップ市内に戻り、インドカレーで昼食。 14:45 帰路、市内の市場に寄り、土産などを購入。中川教授と別れる。以後、ナムアオ イさんがガイドをしてくれる。 15:15 一旦ホテルに入り、チェックアウト。 16:15 空港に向かう。途中、アンコール・クッキーのお土産屋に寄る。 19:20 バンコク・エアの 19:05 発バンコク行きに搭乗。バンコクでのANA羽田行きへ の乗換はスムースであった。小さな美術スクールから預かった額の持込みは、シ ェムリアップでもバンコクでもまったく問題なかった。 6 時過ぎ(10 月 22 日) 羽田着 額をAYF事務局に送るため、国内線ターミナル2まで行って発送した。 (ミャンマー組) 9:40 ホテルをチェックアウトしてシェムリアップ空港へ。メンバーは多賀夫妻、喜田、 中嶋、佐脇、森尻、関野夫妻、青木、大野、久世の各氏(11名) 12 時過ぎ バンコク・エアの 12:20 発バンコク行きで発つ。バンコクでバンコク・エア の 16:45 発ヤンゴン行きに乗換える。 18:30 ヤンゴン空港に到着し、ガイドのティン・ニン・マーさんの出迎えを受ける。ヤ ンゴン名物の交通渋滞に巻き込まれつつレストランへ。夕食は鍋料理。スープが 2 種類あって、辛い方のスープを注がれたら、飲みきれなかった。 21:10 グリーン・ヒル・ホテルにチェックイン。 8 <10月22日(火)> ~バゴー見学~ 朝8時、モン族の古都バゴーへ、2時間強のバス旅に出発する。 バゴー手前のチャイプーン・パヤーに参拝(いわゆるパゴダは英語、パヤーがミャン マー語) 。大仏が4体、背中合わせに座っている。そのマニキュア、ぺディキュアが華 やかである。ミャンマーの寺院は、敷地内は裸足で、靴下もだめ。ということで、バス からパヤー敷地まではぞうりが便利で、ちゃんと参道の売店で売っている。 次がシュエモードー・パヤー。かなり大きく、仏塔の高さも 114mと、ヤンゴン最大 のシュエダゴン・パヤーより高い。寄進品の展示館があり、各地の善男善女からの金銀 の細工物多数を展示している。中にはニューヨークから、すなわち米国へ逃れたミャン マー人からの寄進の棚もある。 昼食はタイ料理店の2階で尖塔を眺めながら取る。隣の団体は、静かと思ったらタイ 人という。当団体の方が賑やかであったかもしれない。そう言えば、今回訪れた所では、 中国人、韓国人の団体を見かけなかった。 午後、先ずはロンジー(腰巻)の機織りを見学。田舎道を行った所の小さな作業場だ が、ベテラン職人のシャトルさばきの速さに、皆で感心した。 巨大なシュエターリャウン寝仏に参拝。正面の広い階段は土産物売場になっている。 当地は値切るのが常識ということで、何人かが交渉の小手調べに小物を購入する。 ヤンゴンのホテルに戻ってから、近くの湖にせり出した船型のレストランで、多国籍 料理のバイキングで夕食。ミャンマー・ダンスのショーと、獅子舞ならぬ象舞を見物す る。ひょうたんのフライが珍しい。それにしても、その巨大な建物と、入口の橋やホー ルに並ぶ何人もの民族衣装の男女という演出に、当地の観光産業への積極的な投資の様 がうかがえる。 <10月23日(水)> ~ヤンゴン近郊農村、マーケット、パヤー見学~ 午前中は市街の西のライン川を渡って、新興工業団地になりつつある農村地帯へ。一 つの村の入口でバスを降りて、稲の穂が出始 めた田んぼの間を通り、村の家並の間を散策 する。村への配電はなく、百軒弱見た限りで は発電機のある家が2軒、ソーラ・パネルらし きものが1軒である。村を貫く道路を、何度 もバイク・タクシーが往復していた。 昼食は中華料理。 午後、ボジョー・アウンサン・マーケット で買い物。女性は全員絹のロンジーの店でお あつらえ。15 分で仕立てのはずが、お直しも 入って結局 1 時間強掛かる。 9 道端のタナカ売り(白粉の木) 昼の暑さを避け、ヤンゴン最大のシュエダ ゴン・パヤーに 17 時入場。ティンさんが調べ てくれた各自の誕生した曜日に合せて、該当 する仏像に水を掛けた。塔頂直下の傘状の部 分には全国から寄進された金の宝飾品が取付 けられており、その写真館がある。その数の 膨大なこと。ティンさんも、ご家族もこの寺 に沢山寄進したとのことである。釣鐘が大小 いくつかあって自由に突けるが、日本でこれ だけ大きな釣鐘を突く機会はないので、気持 誕生曜日の守護像に水掛け ち良く突かせてもらう。 夕食はミャンマー料理。東南アジアはどこでもそうだが、中華料理に似たものが多い ので、中華料理ではないと強調された。 <10月24日(木)> ~喜捨、アウンサン・スーチーさん宅、国立博物館~ 午前中はナーガ渓谷パヤーで、若い修行僧の托鉢に喜捨体験。と言っても、地元の人 がよそってくれるお椀のおかずを鉢の中に入れるだけである。次々来られるので、合掌 している暇がない。尼僧修行の少女たちも並んでいた。 アウンサン・スーチーさんの家の前で降車。家は湖を背後に控え、高い塀と政党のス ローガンの掛かった門で、大通りに面する。この時は欧州訪問中だったはずだが、門前 で記念撮影した。 昼はボジョー公園内の中華料理。独立の英雄、ボジョー(将軍)・アウンサンの像が 立っている。数年前までは、この像も軍事政権に遮蔽されていたということである。 午後は最後の見所、国立博物館。とにかく、金と宝石にあふれた国であることと、そ の建築技術の高さが分かる。また、ミャンマーの歴史は多民族統一の歴史ということで、 何十もの民族のそれぞれの衣装もまた華やかである。 18:20、ヤンゴン空港からバンコク・エアでバンコクへ。23 時頃、定刻 22:25 のAN A羽田行きに搭乗する。 <10月25日(金)> 6:10 羽田着。台風を日本の南海上でかわし、関東への襲来前日に滑り込む。 東京グループは適宜解散。小雨だったが、暖かい。 富山グループは 9:30 のANA富山行きに。 皆様大変お疲れ様でした。 10 あとがき 10 月後半、雨期明けの時期は、5月ほど酷暑ではなく、動きやすい季節でした。日 に何度か雨が降り、もちろん晴れると日差しは結構強く、晴雨両方の対策が必要という 面倒はありましたが、濃い緑が目を和ませてくれました。 また、観光シーズン前なので、遺跡も混雑していません。というわけで、ゆったりと 遺跡見学ができました。中川教授には重ね重ね感謝です。 村の青年団のツアー企画もあり、その事業の発展性は分かりませんが、彼らの具体的 な活動に関われたことは、お互いに良かったのではと思います。 しかし、交流会の時、風船などの箱に突進して、ひったくって行く子供たちの様子は、 かつて見られなかったものでした。日本人訪問者との付合い、そして経済発展の中で、 早い者勝ち、独り占めという、殺伐とした心に変ってきたのであれば、我々の側も考え なければならないと思いました。 寄贈品等 (1) AYF事務局より やまなみ塾への寄贈品 ・画材(ペンテル水彩絵具(40 箱)、マーメイド紙(八つ切り 600 枚) ) (2) ツアー参加者および賛同者より クラウ村へのプレゼント ・文房具(鉛筆、ボールペン、クレヨン、ノート、コピー用紙) ・衣類(Tシャツ、半袖ワイシャツ、ズボン、その他) ・保健用品(目薬、傷絆創膏、老眼鏡、歯ブラシ、歯磨きセット) ・装身具(女性用アクセサリー、髪飾り) ・鞄 ・サッカー・ボール、同空気入れ 参加者 (敬称略) 東京朝グループ:関野晉、関野二三子、久世基(3名) 東京夜グループ:青木克子、盛和子、岡田寛、酒井光、大野一枝、松崎節子、早内佳子、 横山貴文、天坂裕也、杉本峻太郎(10名) 富山夜グループ:多賀正夫、多賀敏美、喜田粂吉、中嶋治長、佐脇修司、森尻ふみ子 (6名) 現地合流 :中川武 11 日程表(やまなみ塾訪問とアンコール遺跡見学ツアー) 平成 25 年 10 月 日程 日 出発地/到着地 時刻 内容 成田/バンコク (NH953) バンコク/シェムリアップ (PG907) 11:30 16:00 18:30 19:30 東京朝グループ 20:15 21:20 0:30 5:20 8:00 9:00 富山夜グループ <東京朝グループ> 1 17 日 (木) 成田出発 (時差;-2時間) Somadevi Angkor Hotel & Spa <富山夜グループ・東京夜グループ> 1 2 17 日 (木) 18 日 (金) 富山/羽田 (NH892) 成田/バンコク (NH173) バンコク/シェムリアップ (PG903) 羽田へ 富山夜グループ・東京夜グループ 羽田出発 (時差;-2時間) Somadevi Angkor Hotel & Spa <全員> 2 18 日 (金) シェムリアップ 3 19 日 (土) シェムリアップ 4 20 日 (日) シェムリアップ 午前 午後 午前 午後 午前 午後 (全員合流) 交流会準備/機材搬送 遺跡見学(バイヨン、バプーオン) 遺跡見学(アンコール・ワット、タ・プローム) 遺跡見学(プリア・コー、バコン、ロレイ) 授業参観(日本語、美術) 、牛車ツアー 青年団と昼食(モイモイ仕出し) 交流会 <東京直帰組> 5 6 21 日 (月) 22 日 (火) カンボジア シェムリアップ/バンコク (PG908) バンコク/羽田 (NH174) 午前 午後 19:20 20:10 22:25 6:10 遺跡見学(ベンメリア) 自由 12:10 13:10 17:40 18:30 ミャンマーへ移動 羽田着 <ミャンマー組> 5 21 日 (月) 6 22 日 (火) 23 日 (水) 24 日 (木) 7 8 9 25 日 (金) シェムリアップ/バンコク (PG906) バンコク/ヤンゴン (PG703) ミャンマー ミャンマー ミャンマー ヤンゴン/バンコク (PG704) バンコク/羽田 (NH174) 羽田/富山 (NH883) (時差;-30 分) Green Hill Hotel バゴー観光 夕食(ミャンマー・ダンス・ショー付) ヤンゴン観光 ヤンゴン観光 18:20 20:00 23:00 6:10 9:30 10:30 羽田着 航空会社: NHxxx;ANA、PGxxx;Bangkok Airways 12 「ツアーを続けていきたい」 多賀 正夫 「出発まで」 今回は迫られて出発というイメージがあった。第6回のツアーは 11 年 11 月末、毎年の 事業予定には「やまなみ塾」訪問を掲げながら6回ツアー以降は「絵画展」重視となり、 今年 8 月までは絵画展に主力がむけられていたからである。 私自身、代表理事と言う立場にあるが会の主体は東京で、現実的には受身。とはいうも のの、ここ富山にはこれまで会の PR をし、ツアーへの参加者を誘って、そのあと食べな がら、飲みながら会を語り合うという「とやま会」ができている。それぞれにお年寄りを 抱えるということなどの状態になりながらも「今度はいつですか?」と聞かれ、会員同士 の「今度もいっしょに行こうね」との会話を聞いたりすることがプレッシャーになってい た。そうかといって絵画展の開催も大変なこと、様子も聞いていたのでツアーの話しを持 ち出すことを少し控えていた。 7 月に入って関野さんからツアーが計画されていることの案内をもらった。さっそく「と やま会」を中心とした会員に計画を知らせ、参加者を募集、 「待ってました!」とばかり 6 人のメンバーから申し入れがあった。いつものことながら事情があって参加できない人が ある。いわゆる東京メンバーもそうだったのだろう、なじみのない名前が学生寮寮生を含 めて半数ちかく、正直言って少し不安を覚えた。 しかしながら続々とくる関野さんからのメールでは参加者同士の連絡、学生寮寮生との やりとりから交流会への準備が伺えた。9 月には富山まで足をむけ、 「アラッピア」練習の 機会まで作ってもらい、気持ちは不安から安心へ変った。練習の日はたまたま私が不在で あり、私的事情で旅行を断念された岡田さんにも応援してもらった。感謝、感謝である。 「出発」 10 月 17 日(木)「とやま組」6 人は預け入れ荷物を「シェムリアップ」までとし、富山発 ANA892 便に乗った。羽田で荷物を分担して運んで欲しいとのことだったが、荷姿も量も わからない。持込荷物として少しでも持っていければ、と思ったが、それが絵の具である ことを知ったのは羽田で東京メンバーと出会ったとき。絵の具では機内持ち込みできない、 東京メンバーに迷惑をかけてしまった。とりあえずは互いに紹介をし、NH173 便に乗り 込んだ。ほんとは搭乗前に一杯飲みながらメンバー紹介のつもりだったが・・・。 13 「遺跡見学」 18 日、19 日には恒例の遺跡見学を行った。アンコールワット、バイヨン周辺遺跡群、 今回、初めてのバプーオンを見ることができた。10 年近く遺跡群を訪問しながらいつも工 事中であり、見ることが出来なかったところである。中川先生の発音はバッポーンでいつ も耳に残っていた。フランスが修復したとか・・・。さすが水平ラインが整然としており 新しく作られたものといわれても納得しそう。 「交流会」 20 日(日) 、交流会の日であったが道路がきれいになってバスの運転手も初めてだった のかなかなか「やまなみ塾」へたどり着けない。何とか迎えに来てもらっての到着、午前 中は「日本語」 「絵画」の授業見学である。交流会はアラッピアではじまった。かなりのレ ベルアップ、今回は合唱から輪唱、しまいには振り付けまでついて大いに盛り上がった。 いっきに垣根がとれてしまった。 「ダルマさんが転んだ」はやはり遊びを覚える まで時間がかかってしまう。手っ取り早いのはい っしょに踊る、ボールや縄跳びなど簡単な道具を 使った遊びだろう。 「こんにちは」 、 「こんにちは」 と手をつないだ少年は話しかけてきた。同じ反省 をいつもしているが我々のほうが現地の言葉を覚 える、英語で話す努力が必要なのデス。 「ミャンマー」 21 日(月) 、カンボジアから日本へ直帰するグループの遺跡見学をホテルで見送りし、 グループ 19 人のうち 9 人はミャンマーへ向かった。われわれの年代なら「ビルマの竪琴」 の映画を思い出してしまう。その程度の知識でヤンゴンにつき、ビルマがミャンマーへ、 ラングーンがヤンゴンへ変わった話をガイドさんから聞いて少し納得、夜の街を走る中、 ライトアップされたパゴダがいくつも見える。京都でのお寺のイメージだろう。 22 日(火)ヤンゴンの町をぬけパゴーに向かう。 今日は一日パゴー見物。道路はいろいろ規制がある ようだが朝はやはり渋滞。トラックを改装したとい うか、屋根をつけただけというバスをたくさん見か ける。これから働きにいく人たちだろう。女の人は 顔の頬の部分になにか塗っている。タナカという木 を擂った粉らしい。肌を保護するとか。街は英領時 代の面影を残している、どこの家もしっかり面格子がとりつけられていて治安がよくない 14 ことを物語っている。今は旅行者にとって安全な街とされているが・・・。2 時間ほど走 ったろうかバゴーにつく。 バゴーではシュウェモーダー・パゴダ、 「ビルマの竪琴」の舞台にもなったというシュウ ェタリャウン寺院の寝仏など観る。寺院の見学はハダシ、金色に光る塔、足裏の熱さが記 憶に残った一日だった。 翌 23 日はヤンゴンの市内見学、僧院でのこどもの僧への托鉢、列がきれない。つづい て女子の僧の列、衣の色で女子だと教えられる。5 歳くらいの子どもから 4~5 百人くらい か、厳しい修行の一面をみせられた。やはり、最高の見ものはシュウェダゴンのパゴダ。 金色のパゴダを中心に幾十の寺院がとりまく。華やかなこと極まりない。仏像には宝石が 埋め込まれ、金色がまぶしい。 「旅を終えて」 今度は「ミャンマー」をまわって帰ろう。思いつきのように出したことだった。軍事政 権で隠されていたものが観られる、と簡単に考えていた。事前の不勉強を後悔している。 もう少し事前に勉強していればもっと充実した旅ができたかもしれない。 グループでの旅行、みんな旅がうまくなった。今回は体調を崩した人もいなかった。絵 画展から日もなく、メンバーも随分かわっていたのに事故もなくスムーズに遂行できたの は幹事を引き受けてくれた関野さんのおかげ。はじめに書いたようにカンボジアのこども たちとの交流がこの会の趣旨でもあり、なんとか続けていきたい、会員のみなさんの協力 をお願いしたい。 15 第7回旅行感想記 関野 晉 (シェムリアップ) これまでは、クラウ村の生活は「茶褐色の荒野のような所での生活」なので大変だろう な」と感じていたが、今回は雨期の終わり頃の季節で、水田には稲があり、緑も多く見ら れたので、そんなに厳しい生活環境ではないのだなと今までの印象が随分変わった。 前回までは飛行場からシェムリアップの中心街へ行くまでは、暗い道をかなり走った記 憶があるが、今回、その間が全く街続きになっているのでびっくりした。しかも、その間 のほとんどの建物がホテルなので、こんなに観光客が多いとは信じられなかったが、最盛 期にはほとんど埋まると言うことなので本当に驚きである。たった7年の間にこんなにも 街の様子が変わるのをほぼ毎年見続けれたのは貴重な体験なのかも知れない。 (ミャンマー) ○釈迦の教えが生きている国 寺院などで人々が深々と礼拝している姿は、他のインドシナ半島の国々では見られなか った光景で、その信仰心の厚さに感じ入るものがあった。その信仰心を示すものとして、 例えば『他の人に飲み水を恵め』と言う釈迦の教え に沿って、誰でも飲む事ができる飲み水を入れた素 焼きの壺が街の中でいくつも見られた。今、日本で は世界に誇れる日本の精神文化が話題になっている が、ミャンマーにも違った形の素朴で信仰心に富ん だ豊かな心の文化が存在していることが見て取れた。 先進国にこのような水瓶が用意してあったら、 『悪用 されたらどうしよう』と先ず心配になるが、ミャン マーもこれから西洋文化を取り入れて行く中で、この豊かな心の文化をどのように守って いけるかが大きな問題になって行くことだろう。 ○圧巻の寺院の荘厳さ シュエダゴン・パヤの素晴らしさは、他の旅行者も述べると思うので詳細は省くが、そ の形、色(黄金) 、規模から来る荘厳さには本当に圧倒された。亡くなった親族の魂がそこ に集まって幸せに暮らしているのをガッチリ守ってくれているという言う感じを抱かせて くれるこのような塔を持ち、お参りできるミャンマーの人々は、日常的に心安らかな幸福 感を感じれる事だろうなと強く思った。 16 ○村の暮らし(約 400 軒、1,800 人の典型的な農村集落) 元来、 「人が造った物」より、 「自然」や「自然の中での人の暮らしぶり」に興味がある 私にとって、7回目にしてようやく願いがかなったような気がした。旅行社には当方の希 望は伝えていたのに話が通じていなかったが、ガイドさんの機転で、思いつきの村を訪問 する事になり、村の人にとっては、おそらく観光客は初めての経験だろうと思われ、観光 慣れしていない所を訪問できたのは、非常に幸運であったと言うしかない。村の様子は私 が小学校時代を過ごした時の周辺の村の様子に通じるものがあり、世の中が進歩(?)し て行く中で私たちが失ってしまったものがまだ多く残っているような気がした。記憶に焼 き付いているシーンをいくつか紹介したい。 ・大きな道路から村へ入る道路の入り口には、簡 素な小屋(右の写真)があり、そこには誰でも 飲むことが出来る水が素焼きの水瓶に用意し てあった。 (前ページ写真) ・集落に入るまではカンボジア風景よりはるかに 豊かな水田が広がっていた。 ・少し入った所に池があり、その中央に村の守り 神の祠が奉ってあった。 ・集落は曲がりくねった細い小道の両側に家々が点在して続いていた。 ・集落の入り口に飲料水用のポンプがあった。 ・各家に雨水を貯めておく水瓶があり、その水瓶の数がその家の豊かさを表しているよ うで、多い家の水瓶には立派な模様が入っていた。 ・闘鶏を飼っている家があり、見ている間ずっと二羽の鳥が闘っていた。 ・村人がバイクタクシーの後ろに乗って出かけるのを何度も見た。 (メイン道路のバス停 まで乗り、そこからバスに乗って行くとのこと。 ) ・店と言えるものは、駄菓子屋が3軒ほどあった。 (食料品は自前だろうし、衣服などは 街に出かけるので、必要なのは駄菓子屋くらいなのか?) ・床屋さんが一軒あったが、椅子が一つ置いてある程度だった。 ・一軒だけ、屋根に太陽温熱器のような物があり、異色な感じがした。 ・村の中ほどに水田用の大きな池と生活用水用の大きな池が並んであり、水田用は濁っ ていたが、生活用水用は澄んでいて本当にきれいな景色だった。 ・途中で洗濯していた人がいたが、衣類を台に叩きつけていて、あれでは衣類が、傷ん でしまわないかと心配になるほど叩きつけていた。 ・寺院があったが、民家のような茅葺ではないが特に特徴のある建物ではなく裸足で入 る必要があり、皆、気が進まないようなので、中に入るのは残念ながら遠慮した。 ・僧衣のようなあざやかな黄橙色をした大きな蚊帳が干してあった。 ・日本でウナギを取るような漁の道具が数多く軒下に吊るしてあった。 (次ページ写真) 17 少年たちの顔は第一回訪問のクラウ村で見た ような純朴で物珍しそうな表情をしており、大 人の人の顔もいわゆる商業主義に毒されてお らず疑いを感ずることのない表情をしていた が、これからいろんな文化(?)が入って来て 貧富の差が拡大すると、表情も変わって行って しまうのだろうなと思いつつ村を離れた。 ○政情 ミャンマーは長く軍政が続いた国で厳しい統制をして来たが、ごく最近は、ティン・セ イン大統領が軍政ながら民主化を進めていると言うニュースもあり、政治的な質問をした 時、果たして正直に答えてくれる環境にあるのか疑問を持って出かけたが、ガイドさんは 比較的軍政やスー・チーさんに対する評価を素直に話してくれた。但し、 『数年前にこんな 話をしたら捕まっていた』と話していて暗く長い時代を生きてきた様子が伺えた。 18 六度目のカンボジア訪問と初めてのミァンマー ~雑感を綴る~ 青木 克子 第 7 回目のツアーに参加させていただくことができ、私は 6 回に亘りやまなみ塾とアン コール遺跡(アンコール・ワット、アンコール・トム周辺)を訪問したことになりますが、 やまなみ塾に近づくと“懐かしい!”処にやって来たという気持ちにさせてくれるのが嬉 しい。 今回は日曜日ということもあって子供たち全員に会うことはできませんでしたが 20 数 人の比較的年齢の小さい子供たちが集まっていて、日本語の勉強をしているところを参観 することができました。と言っても、ほとんどの子は外で遊びながら教室に出たり入った りしながらおおらかに学んでいました。 「わたしの名前は○○です。私は将来△△になりたいです」と一人一人はっきり答えて いました。年齢にして 12 歳から 14 歳ぐらいの子らのようでしたが、われわれもこのぐら いはカンボジア語でいえなくては・・・と反省させられました。昨年は東京でも皆で挨拶 ぐらいはと、練習してみたのですがこの年齢になると初めての言葉を覚えるのは至難の業 であきらめてしまいました。 (すべて歳を逃げ口上に) 将来は「将来はアンコール遺跡の石工にな りたい」などといってくれる子が一人でも出 てくれれば拍手を贈りたいところですが、そ れにはわれわれの仕向け方、導き方が足りな いことも併せて考えさせられました。 日本語の勉強の次は絵画の時間となりいつ の間にか外で遊んでいた子たちもなんとなく やってきて銘々絵を描き始めました。笠原先 生の上手い指導のもとに水彩を塗り重ね仕上げていました。 塾訪問の前日には毎年決まってアンコール・ワットとアンコール・トム、バイヨンを中 川教授の案内で廻ったのですが、6 回も訪れていながら、新たな発見があったり、説明も 哲学的になってきて非常に難しく、覚えていることといえば、中川教授の決まったところ で決まって出るダジャレぐらいで情けない限りです。 この度は希望者 11 名でミャンマーに 3 泊 4 日の旅をすることができました。 19 初めて訪れる国であり、かつての軍事政権のことがあるのでなんとなく不安なものが無 くはなかったのですが、ヤンゴンに着いてみると個人の車(日本車の中古)のラッシュで 民間の人も車も堂々と行き来して、軍政の名残は全く見受けられませんでした。 ミャンマーは仏教国でありあちこちに金色に輝く仏塔がみられ、ヤンゴンにはミァンマ ー最大の聖地であるシュエダゴォン・パヤの巨大な黄金の仏塔周辺を見学(中には入れな い)したのですが、聖地であるが故、すべての人は裸足になって上がらなければなりませ ん。歩くところはきれいなタイル張りになっていて、中央には 114mもの天を刺すような 仏塔がそびえ、先には宝石が埋め込まれ、全体は金箔で張りめぐらされている、まさにキ ンピカです。 (日に当たると輝きが強く写真が暗くなってしまいました) さすが資源として鉱石(ルビー、アメジスト、ヒスイなど)が採れる国なので仏像の顔 や足裏には惜しみなく宝石を埋め込ませてあり、最高の崇拝を表現しているのでしょう。 同じ仏教国でありながらそれぞれの国によって信仰の表現の仕方の違いに驚かされました。 初めてのミャンマー(ヤンゴンとバゴー)でしたが、思いの他経済的に潤っているよう な印象を受け、軍人さんの高級住宅街はあるし、別に民間の金満家の高級住宅街もあり、 資源はあるしで、外国の企業にとっては良い市場となりうる国のようで、今後発展のスピ ードは速くなるのではないかと実感しました。 ただ、ミャンマーは 100 以上もの民族が集まっているとのことですので、これまでは軍 政が故にまとまっていたのでしょうが民主化されるといろいろな困難にぶつかるのではな いかという思いもしました。 下左の写真は、子どもの托鉢僧に喜捨しているところですが、托鉢僧行列はあちこちで 目にはいりました。下右はピンクの衣装をまとった、これも子どもの僧列ですね。カンボ ジアの子どもより、日本の子どもに似ている気がします。 ミャンマーといえばアウンサ・スーチーさんを思ってしまうのですが、広大な邸宅は門 が閉ざされたままひっそりとしており、外から観光(?)させてもらえました。 20 シュエモードー・パヤー アウンサ・スーチーさんの家の前 ミャンマーもカンボジアも国民の大半は仏教徒でありながら、信仰、崇拝の表現は全く 異なっており両極端のような印象をうけました。 カンボジアの巨大遺跡には哲学的・宗教学的深い意味が潜んでいるようで、何度教授の 説明を聞いても私には難しすぎますが、 「いろいろな分野の専門家にとって研究の対象とし て面白いところなのだろうなぁ」ということだけはわかりました。 21 クラウ村は変わりつつある 大野 一枝 今回、日本語の学習と絵画教室の学習風景を見せてもらいました。私たちは一年に一回 行くかいかないかです。学習活動を見ると日常の様子が見えてくるようでした。クラウ村 での実践活動が定着してきた様子が実感できました。 指導者が変われば子供の絵が変わる。笠原先生に絵画指導をしてもらうようになって、 子供たちの絵はすばらしくなりました。絵が大きく描けるようになったことや色彩が美し くなったことです。大きく描くことは自信を持って描いているのだと思います。また、大 きく描くことで細かな部分にも目が届くようになったように思います。 アクリル絵の具の使い方にも感心しました。画用紙に新聞紙を張って下地の色を塗り、 次に、マジックで絵を描く。その画はアプサラや葉っぱです。自分の描きたい物を選択す るのもいいですね。その次に色をつける。手順のよさにもびっくり。初めての子は別の場 所で最初の段階を取り組むなど、段階別に指導しておられました。また、アクリル絵の具 の特性をよく考えて指導しておられるので、色鮮やかな絵が多かったです。 坂田先生に話を聞くと「はじめは大変だったのです。このところ、ようやく落ち着いて かけるようになりました。 」とのこと。継続することが大切だと改めて感じました。 共同で、好きな物を描いて貼り付けたときも、大きくのびのびと描いていました。あの ザワザワした中でクレパスや絵の具を使って描き、しかも、片づけの仕方を年上の子に教 えると、言葉は通じなくても気持ちよくやってくれました。片づけができるようになった ことでも、子供たちの成長ぶりを感じました。 交流会で、ご馳走の向こうにいる男の子たちに気がつきました。どこかで見た子たちだ なあと思って考えていたら、向こうのメンバーもこっちを見てニヤニヤ。 「桃太郎に出た子 22 だ」と、とっさに思いました。 「桃太郎」と声を上げるとうれしそうにうんうんと うなずいています。すっ飛んでいって写真を撮らせ てもらいました。鬼の役の子、桃太郎の子、猿の子 など。みんなもう青年団なのかな。なぜここにいる のか、わざわざ来てくれたのかしらと。一つの劇を やり遂げたことで人間関係が膨らんだのかなど、頭 の中は問いたいことがいっぱいあるのに言葉が通じ ない。単語だけの会話でしたが、興奮してしまいま した。私たちのことを忘れないで来てくれたのですから。こんなつながりって最高ですね。 ここまで活動してこられた先輩たちのクラウ村の活動に改めて敬意を表したいと思いま す。今後は、成果のあった部分をのばし、改善していかなければならないことを、みんな で話し合って方向性を決めていかなければならないと思いました。私たちが思う以上にク ラウ村は変化していっているようです。 今度訪問した、ミャンマーはホテル代が高かったようですが、値段が高くても行ってよ かったです。5年後には変わってしまうのですから。 行く直前に爆破騒ぎがあったのですが、ほんの一部のことのようで、心配することもな かったです。でも、着いた日はびっくりしました。街灯が暗く、不気味な感じでした。 その時は、暗く感じたのですが、国は明るくすばらしく、元気一杯の国でした。 皆ロンジーをまとい、ブータンの民族衣装をみるようでした。パヤー(仏塔)も個性的 で日本の寺院とも違い、別世界をみるようでした。仏教も伝播していくうちに変化してい くのですね。また、仏教に対する信仰も厚い国でした。 特に、私にとっては、ヤンゴンから川を渡ったところにある農村訪問は印象に残りまし た。ここは、日本でいえば、都市近郊の農村地帯なのでしょうか。とても豊かな農村のよ うに思えました。 のんびりと生活している様子や人々の表情に生活の豊かさを感じました。また、生活の 工夫もありました。私たちの訪問に、珍しげに各家々から、人々が出てきて、ガイドさん の質問に答えてくれました。まるで、視察団のような雰囲気でした。 生活の工夫では、村に入ってすぐのバス停に、素焼きの水壺がありました。誰でも喉が 渇いたら水が飲めるようにしてあるのです。お釈迦様の教えが今も生きています。小川の そばのうちの屋根には魚が丁寧に干してあります。軒下には鰻をつかまえるような魚籠が あります。各家には池から組んできた水を入れる水瓶が10個程度おいてあります。その 水を使って洗濯したり料理をしたりするのでしょう。生活水に使う水と農耕用に使う水は 区別しているなど、各所で生活の知恵を感じました。 23 太陽光発電があったのにはびっくり仰天でした。山小屋の発電が太陽光なのですから、 当然といえば当然ですが。これから発展する国は、今の私たちにとって一番便利なものを 即取り入れていくのですね。 固定電話はなくとも携帯に、発電所はなくても太陽光発電に。どんどん先進国に追いつ いていくようです。日本もしっかりしなくてはいけませんね。 自分の心を耕した旅でした。 24 第七回やまなみ塾訪問ツァーに参加して 佐脇 修司 この度のツアーに参加させていただき、無事にとても楽しく、多くの場所を見学できた 事を中川先生、多賀会長、関野様はじめ皆様に深く感謝いたします。 今回で、やまなみ塾訪問ツァーに参加するのは、私にとつて3回目ですが、雨期の終わ りの10月中旬の為、1日に一度は雨に降られる旅行でした。 クラウ村やまなみ塾訪問では 『楽しかったこと、驚いたこと、うれしかったこと』 1 子供たちとの交流会は、学校の就業時間 の関係で、日曜日1日だけとなりましたが、 「A Lappi Yah!」の踊りを教えてもらいなが ら一緒に踊ることが出来て大変楽しいひと ときでした。 2 絵画展の絵でも驚きましたが、子供たち が絵を描く事が大変上手になったように思 いました。色の配色は元々鮮やかで天性のも のを感じていましたが、書き方の順序などを先生が指導されたこともあり、素晴らしい 出来栄えでした。 3 新しい観光の試みとしての牛車に乗っての見学では、村に残る施療院遺跡まで牛に 尾で撫でられながら揺られて行った初めての楽しい体験でした。 4 カンボジアへの訪問を重ねる毎に、ドイツ、イタリア、中華、新カンボジア料理と 食事の種類が多様化し、都市化、観光地化とともに発展する力を実感しました。 5 遺跡見学では、フランスが長く修復工事を行っていたバプーオン遺跡、王宮跡、ヒ ミアナカス等を今回新しく見学できた事がよかったです。 『落胆したこと、反省したこと』 1 オルガンの故障、備品の紛失等、管理、保管、メンテナンスの悪さを感じました。 2 日本から持って行ったサッカーボールを有刺鉄線で穴を空け、5 個中 2 個を駄目に してしまった事は残念でしたが、子供たちはサッカーが好きで上手でした。 3 おみやげの風船やゴム付き飛行機を、子供たちが列をついて並ばず、箱の中から我 先に勝手に持っていったので、渡し方の難しさを感じました。 25 それなりに手ほどきするものの、すこしあきらめ気味の私でした ミヤンマーでは 今回のツァーでのミヤンマー観光は、最大の都市ヤンゴン と古都バコーの仏教寺院見学が中心の、小人数の和気あいあ いの旅でした。 圧巻はヤンゴンの中心部に建つシュエダゴンバヤー、仏陀 の聖髪八本を奉納した 2500 年前から続く仏塔で、金色の派手 さ、電飾付きの色鮮やかな仏様、23 トンの巨大な釣鐘、塔の 最頂部に一個 76 カラットのダイヤモンド、5451 個のダイヤ モンド、1383 個のルビー、その他ヒスイ、8700 の金箔が寄進 された絢爛豪華な仏塔でライトアッフ゜がとても美しかった です。 それにミヤンマー伝統歴「八曜日」で自分が生まれた曜日の祠にお参りする風習も楽し い体験でした。 余談ですが私は不信心なので、仏塔の宝石が風等で落下してこないか下で待っていたい 気分でした。 最後に、スケジュール、旅行社への手配、交流会の計画、会計等に大変ご苦労かけた関 野様、そして楽しい旅をご一緒させていただいた皆様に感謝し、また参加できることを心 より願っています。 26 第七回やまなみ塾訪問と遺跡ツアーに参加して 森尻 ふみ子 11 月 17 日午後 7 時富山空港集合、第七回やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアー始まる。前 回初めて参加させてもらい、次はいつになるのか、もうしっかり行く気まんまん、楽しみ でならなかった。何故なのかわからない。強烈な何か惹きつけて忘れられない思いがあっ たわけでもないと思うのだけど。 シェムリアップ到着機内から景色は水浸し、洪水なのかと思った。この時期は雨期の終 わり頃なのだと聞いた。やまなみ塾も教室の後方は、前回にはなかった水がいっぱい。教 室が高床になっていることに納得した。 シムリアップ着陸直前、機内から 子どもたちと会って、歌を歌って、特別授業。ホテルで下書きした背景に子どもたちが 作った絵を貼り付けていく作業、始めた時はどうなるのかと思っていたけど、時間が経っ て子どもたちの目の輝き、笑顔がいっぱいになり完成。でも、やっぱり好き嫌いはあるね。 歌の好きな子、運動が好きな子、それぞれ。みんな確実に成長しているし、世話をしてく れた若者たちも頼もしい。教室で子どもたちといると、なにもしてあげられないけど楽し い。教室のなかで犬が寝そべっているのも楽しい。いろいろ楽しかった。 クラウ村の牛車散策。今回は皆さんについていけたタプローム、相変わらず美しいアン コール・ワット、バイヨンのアヒルと鵜。チアさんの始めた中学校、夢がある。 いま思うと、クラウ村の子どもたち、アンコールの遺跡、一緒に旅した皆様、みんな私 27 を優しくつつんでくれていると感じたから、次もと自然に思ったのだろうと思います。 ミャンマーも良かったです。SHWEDAGON パゴダ、金ピカで大きかった。ライトアッ プされてきれいだった。でも裸足がね。熱いしちょっと不潔。今から発展する都市の持つ 感じがありました。しかし、私はシェムリアップの方が好きです。 シュウェモーダー・パゴダ前、みな裸足です 何のお役に立てなく、感想文ひとつ書くにも、四苦八苦している私です。皆様に本当に お世話になりました。ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。 28 アンコール遺跡見学とやまなみ塾訪問 横山 貴文(富山県学生寮 電気通信大学 修士 2 年) 1 日目 10 月 18 日(金) ホテルで一休みした後、日本人が行っている美術 学校へ額縁を受け取りに出掛けました。この学校は 貧しい子供だけを対象にしており、授業料を無償で 運営しています。ただし子供たちの書いた絵を国内 で販売したり、今年の夏に高島屋で行われたような 出張販売をしたりして収益を得ています。 見て驚きました。 特にお手本もなく書くそうです。 図 1. 自分では書けない素晴らしい絵 これだけ芸術的な絵を書けるなんて才能かな?と思 いました。 昼食。AYF が関係しているモイモイという所で昼食。 タロイモのフライドポテト風が健康的で美味しかった です。 さて、肝心の遺跡見学です。初めはアンコール・ト 図 2. タロイモ揚げ ムのバイヨン(仏教)を訪れました。この遺跡が今回 案内して下さっている早稲田大の中川教授が遺跡修復 をしようと思ったきっかけだそうです。 19 世紀末からフランスによって遺跡の修復がなさ れたそうです。さすがフランスですね。美術に貪欲な 国民だからこそ、蘇らせようと考えたのでしょう。そ の後 100 年以上経過し、日本の外務省が主導となり、 遺跡調査を行うようになったそうです。 (確かに空港に 図 3. バイヨン遺跡にて 着陸する前にも日本国旗とカンボジア国旗が並べ られていたなぁ。 ) アジア文化は地域的国家が多数です。日本民族 しかりです。アンコール・ワットはその出来栄え が良かった為に東南アジアの多くの国でその建築 様式が採用され、 土着文化との融合を図りました。 遺跡を辿ることにより、どの地域までカンボジア 様式が浸透していたのか調査できるというわけで す。 29 図 4. 庶民生活が彫られている バイヨンにはアンコール・ワットのような広大さはありませんが、政治的な重要行事も この場で行われたそうです。日本でいう伊勢神宮です。 そしてこのバイヨンには、アンコール・ワッ トと決定的に異なるところがあります。アンコ ール・ワットが宗教的・政治的な彫刻に対し、 バイヨンは庶民的な彫刻がされています。 もう 1 つオススメの場所があるということで バポーンへ行きました。1~2 年前までフランス による修復がなされ、常連の方々も初めて訪れ 図 5. バイヨンにて たということでした。 ここで中川教授は重要なことを言いました。 「カンボジアと日本は調和建築で似たところがある」 中華思想の時代、隣国の香港や韓国は、その影響を 強く受けました。というか受け入れざるを得ません でした。しかし亜周辺と呼ばれる隣国の周辺を取り 囲む国々は中央の影響も勿論受けますが、古来の土 着的な文化と調和を図りながら、緩やかな建築物に 図 6. バポーン なります。日本でもカンボジアでもそのような影響 が見られるということでした。またカンボジアの遺跡群は、土地と建物の中心軸がずれて いるそうです。なぜそのようになっているのか未だに明らかになっていませんが、中川教 授の説は次の通りです。 土地は元々あるもので自然的なものに対し、建物は人間が作った人工的・社会的なもの である。このような旧来からあるものと新しいものを共存させるために中心軸がずれてい ると考えられるということでした。 2 日目 10 月 19 日(土) いよいよアンコール・ワットです。段々神聖な領域へ近 づいて行くのですが、 「建築のリズム」というものがあり、 ゆっくりと徐々に近づけるようになっています。 通常、宗教建築では時計回りに時が進むように設計され ます。しかしアンコール・ワットは反時計回りに時が進 むように設計されています。なぜ通常の回り方と変えた 図 7. 神聖な領域に近づく前に 楽器演奏を奏でるところ(右側) のか理由は定かではありません。 中の彫刻模様も違いがあります。時代が経つと兄弟 間の争いが起きたので、絵が醜くなるそうです。 修復にも色々あります。インドの修復は見栄え第一 で行った為、 強度が弱く再修復の必要があるそうです。 図 8. アンコール・ワット内部の彫刻 30 窓にそろばんの玉みたいなものが作られてい ます。連子格子と言います。これは太陽光を複 雑な模様で拡散し採光を施すことで、カーテン レースのような役割を果たします。結果、中の 石造が柔らかな光に包まれて見えるようになる ので、堅苦しさを和らげる効果があります。こ れは遺跡に限らず街の中でも見かけられます。 図 9. インドの修復跡 (左奥と右下の飾り部分の高さは元々同じ高さ) 図 10. 連子格子 アンコール・ワットは上から見て神聖 な気持ちになれるかが大事なところなの ですが…残念ながら今日は祀りごとで立 図 11. 上は立ち入り禁止 ち入り禁止でした。ここでも中心軸がず れているのが分かります。写真右側・北の 柱間隔が長く、左側・南の柱間隔が短いで す。 西側から入って東側から出たのですが、 真ん中の通路には階段が付いていません。 なぜかというと、日本の寺でもそうなって いるのですが、 「後ろ戸」と言って礼や精霊 の出入り口の為階段がないとされています。 ただし本当の理由は確かではありません。 図 12. 中心軸がずれており、写真右側の方が長い 図 13. 後ろ戸 図 14. 集合写真(アンコール・ワット東にて) 31 午後はロリュオス遺跡群に行きました。 ここは 9 世紀に建築されたもので、アン コール最古の遺跡だそうです。 ここでも「建築のリズム」と思われる 作りが感じられます。登っていく際の最 初の段は「ムーンストーン」という作り になっており、神聖さを高めています。 図 15. ムーンストーン またロリュオス遺跡群の 1 つであるバ コンは登ってみてみると東西南北 4 方向 の対称性が見られます。像や東西南北に ある階段、ピラミッド的構造、周囲にあ る寺院の配置等、細かいところにまで配 慮がされています。 この時代は柱一つ一つに神様が宿って いると考えられていました。それではお 参りに不経済ということで、 「回廊」を作 図 16. バコンの上から(回廊の無い造り) るようになったそうです。 さて 2 日目の遺跡話はこの辺にして、 街の様子を見てみます。ロリュオス遺跡 群に向かう途中、国道 6 号線は日本で言 う所の「秋葉原」でした。 やはり似た店が揃うのでしょうね。 図 17. 国道 6 号線の様子 図 18. SANZYO ! まがい物も多いです。扇風機に”SANYO”なら ぬ”SANZYO”だったり、”BRIDGE STONE”なら ぬ”DEESTONE”だったり… 市場で売っているバッグもまがい物です。見分 図 19. DEESTONE ! けるポイントは”ファスナー”です。こちらでは NORTH FACE が多く、商品についている紙の タグは恐らく本物と同じ事が書かれているでしょう。しかしファスナーはごまかしがきき ません。YKK のファスナーではありませんでした。しかし空港の免税店では、カンボジ ア製の製品に YKK ファスナーが使われていました。感心です。 32 3 日目 10 月 20 日(日) 今回の旅の山場、クラウ村の学校で交流会で す。通常滞在先のホテルから学校まで車で約 30 分なのですが、バスの運転手が道を知らなかっ たため、1 時間程かかってしまいました。 到 着すると、我々は早速子供たちに遊ばれます。 図 20. 子供たちとふれあう 日本語の授業、絵画の授業を見学した 後、牛車に乗り、遺跡へ向かいました。 初めて乗ったのですが、乗り心地は…。 昔の貴族の苦労を知ることが出来ました。 プレイ・プラサ(森の遺跡)という、 ガイドブックには掲載されていない素朴 な遺跡でした。アンコール・トムと同 図 21. 牛車 じ時代に建設され、病気の祈祷をする 目的で使用されました。周辺の人の寺と 言ったところでした。 午後から交流会でした。記念品の贈呈、 合唱、ダンス、お絵かきを行った後適当 な人数に分かれて、風船アート、紙飛行 機、サッカーを行いました。子供たちの あまりの威勢の良さに我々学生が考えて いた「だるまさんがころんだ」がなかな か出来ませんでしたが、なんとか収拾 図 22. プレイ・プラサ し、最後は皆で行いました。 図 24. だるまさんがころんだ 図 23. みんなでうたおう 図 25. クラウ村の子供たちと 33 帰りぎわに出来たてほやほやの中学校へ訪 れました。この学校は、周辺を取り仕切って いるチアさんが建てられました。この中学校 はバイヨンの西側に位置することから、将来 的には建物の数を増やし、 「早稲田大学」にし たいという高い理想を持っておられました。 図 26. 中学校 4 日目 10 月 21 日(月) カンボジアもとうとう最終日になってしまいました。今日は車で 2 時間程行ったところ にあるベンメリアへ見学に行きました。 ここの遺跡はまだまだ修復途中で、遺跡の傷 んでいる場所と傷んでいない場所の差が激しい そうです。 図 27. 傷んでいる場所(左)と 傷んでいない場所(右) 遺跡の石をよく見てみると、穴が空いている のが分かります。この穴は石を積み上げるのに 使われました。穴に木を入れて、てこの原理を 利用して積み上げていったそうです。 図 28. 石造の穴 最後に 3 泊 5 日の旅行でしたが、大変濃い時間を過ごすことが出来ました。まず遺跡見学につ いては専門家の中川先生からジョーク交じりの分かり易い解説をしてくださりもっと色々 な遺跡を見てみたくなりました。 またクラウ村の学校訪問では、たくましく生きる子供達と存分にふれあう事が出来まし た。今回のいろいろな教訓を踏まえて、今後の交流会をより良いものにしていけたらと思 いました。 最後にこの旅に参加された皆様には大変お世話になりました。この場を借りて感謝申し 上げます。ありがとうございました。 34 雨季のカンボジア訪問 盛 和子 カンボジア訪問も、回を重ねて 5 回目になりました。 その間色々な季節の景色を見ましたが、 初めて見るこの季節の遺跡は、大きく繁茂した樹木々を背景 に、雨にぬれて黒ずんだ組石がいつにも増して迫りくる気がしました。 修復工事は更に進んでいますが、風化も一層進んでいるように見受けられました。至るところで、見 学歩行路や進入禁止柵等が目立ちました。遺跡保護が逼迫しているのでしょうか。 バイヨン寺院 歩行路や柵 見学者一同 35 2日目はアンコール・ワット中央祠堂や経蔵、そしてタ.プロムを見学、この辺り何度来ても建物の 全体を把握できず、部分しか記憶に残りませんが、今回は見学者が少なく、比較的楽に見学できました。 アンコール・ワット:回廊の天井(正確には屋根の裏側) 雨漏りを防ぐために貼った鉛板 遺跡保護のため、いろいろな手立てが施されている 林の中の隠れ家のようなレストランでイタリアンの昼食を頂いた後、ロリュオス遺跡群を見学しまし たが、ここもまた、乾季と雨季の差があまりに大きく、乾季に見た、記憶にある祠堂とはまるで違う別 物のようで、この熱帯の国の自然の力の強さをひしひしと感じました。 3遺跡のうちのバコンは、一度全部が崩壊し、フランスチームが建て直したとの中川先生の説明で、 他の二つの遺跡の精緻さに比べて、違和感を感じていたことの理由がわかり、腑に落ちました。 バコンの上部のテラスから、遠くクーレン山のほうを眺めたり、お尻の張ったシンハの後ろ姿を可愛 いなと思ったり、しばし楽しいひと時を過ごしました。 バコンのそばの寺院から出てきたおばあさんが、何か私に話かけてきた のですが、言葉がわからず、アオイさんに聞いたら「あなたの幸せを祈り ます」とのこと。嬉しくて思わず「オークン」といったら、また何か返事 がありました。アオイさんが、 「クメール語が上手ですねと言ってます」と 教えてくれましたので、笑顔で挨拶を交わしておばあさんと別れました。 チャンパの花 3 日目、いよいよクラウ村やまなみスクール訪問 朝、バスに乗ってホテルを出発したのですが、いつもと違う立派な舗装道を走るバスは迷子になって しまい、迎えに来てもらってやっとやまなみスクールに着きました。 日本語教室や、笠原先生の絵画教室を見学しているうち 食事の準備が始まり、私達も竈の隣で、村 ちまき の人達に教わりながら竹筒にお米を詰めたり、 粽 を作ったり、それは賑やかなことでした。 日本語教室 お昼の支度 粽づくり 36 今回目玉のイベントは 牛車ツアー。初めてクラウ村の様子を見ながら、村の奥まで行きました。 スールヤバルマン 7 世によってつくられた祠堂がここにもひっそりと建っていました。 初めて牛車に乗る(平安貴族の気分?) 森の遺跡 プレイ・プラサート(施療院) 牛車ツアーを終えた後、関係者一同の交流会。みんなで先程作った竹筒ご飯や、その他の御馳走、果 物を頂きながら、談笑、大分顔見知りの人達も増え、小さかった桃太郎君もすっかり大人っぽくなって、 はにかんでいました。 桃太郎君と仲間達 棟梁のサオサムさん . この後、みんなで次々合唱や、入り乱れての遊び。今回参加の 3 人のお兄ちゃん達は、子供たちにお ... おもてで、子供たちがぶら下がったり甘えたり。そしてポーズ取りの女の子も楽しそうでした。 ねえ、ねえ、どうして? それはね… 37 私達アプサラよ 沼になったスクールの周辺。雨季はいつもこうなるのでしょうね。 旅の最終日は、ミャンマー組と別れ、念願叶ってベンメリア見学。 幸いお天気に恵まれ、遠くにサトウヤシの見える街道を一路ベンメリアへ向かいました。 ↑崩壊したまま散乱する石と樹木 回廊・連子格子とレリーフ ↓乳海撹拌のレリーフ アンコール・ワット以前に造られたというこれら の遺跡は、森の奥深く、まだまだほとんどが整備 されずに苔むして眠っていますが、そのいたると ころに、精緻なレリーフが施され、興味は尽きま せん。 今回は、中川先生がずっとついて下さって、大変贅沢な遺跡見学にな りました。有難うございます。 また、JST職員のアオイさんの心遣いと上手な日本語のおかげで、 何不自由することなく旅が続けられたことを感謝いたします。 そしてなにより、皆さんのおかげで、元気に訪問旅行を終えられたこと を嬉しく思います。有難うございました。 38 3度目のやまなみ塾ツアー参加 岡田 寛 第三回(2008.2)、第六回(2011.11)のツアーに引き続き今回が3度目のツアー参加になり ました。前回は 11 月で雨季が終わっていたようで雨の心配がありませんでしたが、今回 は雨季の最後で、朝は晴れていてもいつの間にか雲行きが怪しくなる毎日でした。遺跡見 学時、中川先生が傘をさしたまま色々と説明されることも多い状況でした。20 日の交流会 時にも朝ホテルを出る時はシムリアップに来てから一番の青空と思ったら、昼前にもう入 道雲が発生。当然雨もあり、雷の音も一度だけ聞きました。やまなみ塾の裏側すぐ傍まで 川か田の水が来ており、外側からのカメラ撮影は、足元が不如意でできない状況でした。 やまなみ塾へ向かう道と晴天 やまなみ塾は床下浸水(?)状態 今回のツアーでは、たまたま声をかけた友人・知人二人が一緒に参加してくれました。 一人は市民ランナーを自認する人。中川先生のランニングは、第六回ツアーでも見ていた ので、先生にも声をかけて私と 3 人で朝食の前に 30 分ほど、一緒に走りました。コース は、第三回、六回ツアー時のホテルリベエラの前を流れるシムリアップ川両岸を走ったあ と、ロイヤル・インディペンダンス・ガーデンの中を走るものでした。西洋人もカンボジ ア人もそれなりに走っていました。 「アンコールワット国際ハーフマラソン」というのがあ ることは夏の「子ども達の絵画展」のイベント、トークショーで有森裕子氏の話で初めて 知ったのですが、AYF ツアーと兼ねてマラソンに参加できるチャンスが無いかと密かに思 っている次第です。 カンボジアの経済発展が進み、他のツアー参加者も書いている通りで、ホテルなどの建 設がドンドン進んでいる様にはやはり驚きました。塾の英語の先生が言うには、習う子ど も達は街のレストランやホテルで働くことを夢見ている子も多いとのことですが、さらに 39 は中学の授業などを生かして遺跡修復意欲までになって欲しいと思いました。 車が多くなっているのも当然なのでしょうが、ナンバーの無い車が時々見かけたどころ か、私たちのマイクロバスもナンバー無しでした。申請中なら運転してもよいらしい。こ れが社会風土、政治風土ということかもしれません。政治と言えば、カンボジアは7月に 総選挙が行われ、現与党が楽勝かと思われたが野党が大幅に躍進、最終結果がいまだ不明 確ながら、11 月 16 日に安部首相訪問時は現与党のフン・セン首相と会談したから選挙の 最終結果はウヤムヤか。そう言えば、町中に写真のよう看板をよく見ました。以前は無か った気がします。 乗ったマイクロバスの前後、ナンバープレート無し 与党宣伝看板か? 政治向きで言えば、今回の遺跡見学の候補の一つあったプレアビヘール、付近はタイと 国境紛争中であったが、ツアー帰国後の 11 月 11 日に、国際司法裁判所は周辺地域につい てカンボジア領と認定する判決を下したようです。 ロリュオスを遺跡群のバコンを訪れた際、ピラミ ッド式寺院故に非常に高い中央祠堂から周辺を見下 ろすと、周りを取り囲む 8 つレンガ造り祠堂の一つ には修復工事用の足場が組まれているのが目に入り ました。修復という観点で足元を見ると明らかに修 復した箇所と思われるところが随所にあり、ガイド によれば、1940 年頃のフランス工事らしいから、再修復が必要なのかもしれません。 ← 鉄筋と モルタル? 被覆電線 の流用?→ 鉄筋が抜けて無くなっている。 40 やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアー 酒井 光 事務局並びに関野様、今回の訪問見学ツアーにおいては、手配、連絡、案内等多岐に渡 り、お世話になり誠に有り難うございました。初参加の私でしたが皆様方の行動力、チー ムワークの良さに感心しました。 2000 年 1 月、初めて私はパックツアーでアンコールワットを訪れています。当時も、参 道に鉄パイプで囲った修復途中の遺跡がありました。完成時にはどのようになるのだろう かと考えていたことを思い出しました。今回、その場所は中川先生が修復なさったと聞き、 長い御苦労の成果を目の当たりにしました。 バイヨンの四面仏は前回より全体にくすみ、白い苔も多く見受けられました。これは、 今回が雨季のせいか。それとも劣化のせいでしょうか?事務局から借りたやまなみ塾開校 式当時(2006.5)の写真を1枚借りました。比較的似たアングルの今回撮った写真を並べてみ ました。カメラの違い、天気など撮影条件は全く違うのですが、どうでしょうか。「今の時 季は雨季の最後だから、藻類がたくさん生えているのが大きな理由かも」と、中川先生か 誰かが言っていましたが、そういうことかもしれません。 2006.5 月撮影 2013.10 月撮影 バイヨン寺院 やまなみ塾見学では、村の子供たちの熱心で素直な勉強ぶりと純真な笑顔に感動しまし た。子供たちを楽しませるため、事前に紙飛行機を数十機手折りし持参したものを現地で ホッチキス組み立てしたのでした。しかし、富山組喜田さんの既製品の飛行機やゴムふう せん等には叶わず、人気はイマイチでしたね。仕方なく自分たちで飛ばしました。 41 ↑ 人気の風船アート ← .... 人気はイマイチの 折紙飛行機 カンボジアの都市部は車も多くなりホテルも乱立し目を見張る発展でした。が、村は自 転車、バイクが主であり貧富の差が大きい印象です。観光以外の産業がもっと必要ではな いかと実感しました。 今回の参加は友人、岡田寛さんに誘われたのですが、正直「会」の意義について深い理 解もなく同行してしまいました。今後の「会」の発展をお祈りし感想文を終えます。 車窓から撮った市内某ホテル クラウ村内で見たバイク 我々が乗った牛車と脇を走る自転車 クラウ村内の、自転車に乗る子ども 42 はじめてのカンボジアと村の子ども達 早内 佳子 「カンボジアの子ども達の絵画展」それが AYF との出会いだった。その絵は素朴で村の 暮らしぶりがわかるかわいらしいもので、とてもひかれるものがあった。話を伺うと 10 月に村を訪問するという。行きませんかといわれ、すっかりその気になっていた。どんな 子ども達がこの絵を描いているのだろう。子ども達が絵を描くところを見たい、一緒に描 きたいと思った。 嬉しくてアッという間に 10 月になった。 早朝バンコクで小さい飛行機に乗り継ぎ、空から見たシェムリアップは私の想像と少し 違っていた。発見されたときアンコールワットはジャングルに埋もれていたと聞いていた ので、熱帯の密林を想い浮かべていたが、意外とひらけた平地に森が見える。 遺跡見学はバイヨン、アンコールワット、タプローム、ロリュオスと見ごたえのあるも のを見ることができた。本で見ていた有名な遺跡と以前、展覧会で見たアンコール遺跡の 仏像達。でもそれは実際に見ると壮大なスケールに圧倒され、気の遠くなるような永い年 月の間にできた濃密な空気感をもった場所だった。 アンコールワットやアンコールトムは寺院というより一つの世界のようだ。建物も素晴 らしいが壁にうめつくされたレリーフの精巧さ、美しさも素晴らしい。中川先生の解説も 観光とは違ったものでとても楽しかった。最後の日に行ったベンメリアもとても素晴らし かった。森の精が住んでいるようなひっそりとした美しい遺跡で光と影のコントラストが きれいだ。元の姿を見てみたいと思うと同時に、このままの姿も美しくそっとしておきた いようにも思った。 43 遺跡見学の途中見た村の風景。素朴な暮らし。簡単な家々。人びとは高床式になった家 の日陰になった地面でハンモックをかけて昼寝をしたり、テーブルを囲んで何か飲んだり していた。ゆっくりした時間が流れていた。教育は必要だが、日本のこんなにも慌ただし い暮らしは必要なものなのかと思わずにはいられなかった。中川先生に言われた「カンボ ジアは、はまりますよ。 」の言葉が私の心のどこかから聞こえた。 村の子ども達との交流会はとても楽しみにしていたものだった。私の担当は、 「みんなで 作ろう」 。事前に準備した背景画の上に子ども達の描いた絵を立体的にして貼るものだ。 1日目にホテルに着いてすぐ皆で描いた背景画を持って、どんな感じかなと思いながら 村に向かった。学校はいかにも南国の村の学校といった感じでのどかな感じだが、思った より子どもの数が多い。絵を描くスペースもあまり広くない。お姉さん、お兄さんについ てくるのか子守りをしながら来るのか、すごく小さい子どももいる。絵を描くという感じ ではない。大きい子と小さい子は分けてそれぞれが楽しめることをさせないと無理だと思 った。 今回は立体的なものを作らせたいというリクエストがあったが、大きい子達でも紙を立 体にするということがよく伝わらなかった。説明だけでは難しいので課題の選び方、説明 の仕方にももっと工夫が必要だった。準備も、その前のアラッピアの踊りの間に背景をは ったり、道具を並べたり、段取りをしておくべきだったと反省。あたふたしていたら皆さ んが手伝ってくれてなんとか開始できた。描き始めてからは、普段絵を習っている上手な 子が何人かいて全体のお手本になってひっぱってくれた。大きい絵を描くことにあまり慣 れていないようで小さい絵が多かったが、 色使いがきれいでいい絵があった。 背景をみて、 ここに貼りたいと言ってくれるのが嬉しい。 考えていた立体にはあまりならなかったが、最後にはみんなでおおきな絵が出来上がり ほっとした。 言葉は通じなくても子ども達はみんな素直で人なつっこくてとてもかわいい。 筆を洗う水を頼んだら横の沼から汲んできたのに驚いたり、やっぱり牛の絵が多いなと思 ったり、とても楽しい経験ができて感激した。 44 上:出来上がった子ども達の作品と私 下:部分拡大 ↑:左半分の左側 ↑:左半分の中央部 ←:左半分中央の下側 ↓:右半分の右側中央部 45 「やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアー」に参加 天坂 裕也(富山県学生寮) ①交流会に参加して・・・ やまなみ塾の交流会では現地の子供たちと丸一日使い、いろいろな活動を通して交流を 深めてきました。その日は午前中授業参観し、牛車に乗って遺跡を見学、午後には「みん なで作ろう」や「みんなで歌って踊ろう」、 「紙飛行機・風船アート」、 「サッカー」、 「ダル マさんが転んだ」などを行いました。 現地の子供たちとの触れ合いについて、当初ワ クワクした気持ちや好奇心からとても楽しみにし ていたのと反面、言葉も通じない中でコミュニケ ーションがとれるのかという不安もかなりありま した。しかし、いざ学校に着きバスを降りるとす ぐに子供たちが寄ってきて、(写真)のようにすぐ に打ち解けられ、とても楽しかったのを覚えてい ます。 また、学校には赤ちゃんから高校生くらいの子 たちまでいろいろな年齢の子がいて、紙飛行機で は小学生くらいの男の子たち、風船アートでは女 の子たち、サッカーでは中学生くらいの男の子た ち、といったように様々な遊びを通して、多くの子たちと触れ合い親睦を深められたと思 います。最後に行ったダルマさんが転んだでは、説明が難しく教えるのにとても苦戦しま したが、多くの子供たちが真剣に耳を傾け一緒に参加してくれて、本当にやって良かった と思えました。 ②旅行全体を通してみると・・・ この旅ではカンボジアの遺跡見学に参加しました。遺跡は、シェムリアップ周辺のアン コールワット、バイヨン、タプローム、バプーオン、ピミアナカス、ロリュオス遺跡群、 ベンメリアなどを回りました。 46 あまり日本にいるときに遺跡といったものに触れる機会がない分、壮大な遺跡群を前に したときとても感動しました。特にかの有名なアンコールワットでは何とも言えないパワ ーを感じられたように思います。また、ガイドの方や中川先生の丁寧で貴重な説明を聞き ながら見学することが出来て、調査状況・修理状況・歴史等々詳しく知ることが出来、何 倍も意味のある遺跡見学になったと思います。 バコン遺跡のナーガ ベンメリア遺跡のナーガ1 ナーガ2 ........... ナーガ色々(いろんなががあったちゃ) タプロームにて 見るべきは、「腕」・・・・・・・・ 「足」と「腰」 ...................... おらも色々やったちゃ、みなさんもやってみられ 最後に、このツアー全体を通して感じた事は、一緒に旅行した方々や現地でお世話にな った方などとても人々に恵まれた旅だったという事です。おかげ様で、朝から夜まで毎日 楽しく笑いの絶えない旅行が出来たと思います。本当にありがとうございました。 47 私が見たカンボジアのシェムリアップ 横山 貴文(富山県学生寮 電気通信大学 修士 2 年) 現地ではやはりバイクが多く走っています。中でもホンダ・ドリーム 125cc はトゥク・ トゥクと呼ばれるタクシーにも使われ推定シェア 1 位。 街中の様子です。高くてせいぜい 5 階建ての建物でした。かつてフランスの植民地だっ たせいか、なんとなく日本でも一時期流行った南欧風建築が多く、屋根がオレンジ色、壁 がクリーム色の建物が多かったです。 図 1. ホンダ・ドリーム 図 2. 市街地の様子 宿泊したホテルの洗面台は「TOTO」ならぬ「KATO」でした。パクリでしょうか?ま た、トイレは American Standard で先日 LIXIL が買収したアメリカの会社です。こんな ところでも使われているなんて恐るべしです。TOTO はやはり高級路線1本なのでしょう ね。 図 3. KATO の洗面台 図 4. American Standard のトイレ 今回の旅行で1番おいしかったのは1日目の夕食でした。日本の「しゃれた洋食屋」と 言ったところでしょうか。ビアグラスもしゃれていましたね! 1番おいしかった料理です。マッシュルームの揚げものらしいです。日本でも絶対売れ ます。ビールのつまみに最高! 大変日本的なものを見かけました。プリウスにキティちゃんのシールが貼ってありまし た。恐るべし、JAPAN POWER ! 48 図 5. 天坂・杉本と共に 図 6. うまかった揚げ物 図 7. 日本的なもの その場で遊んでみました。アンコール・ワットをな めんなよ! 今回一番びっくりした物乞いです。皿に自分の顔 をプリントした皿を売ってきたのです。そういえば デジカメを持った子供が通り過ぎていったなと思い 出しました。PC からプリントアウトしたシールを 張り付けていたの でしょう。それく らいのお金はある のですね。誰か1 図 8. アンコール・ワットをなめる自分 人くらいは買って くれると思ってい たのでしょうか。誰も買ってくれなかったので、私たち の乗って帰るバスをたたき始めました。びっくりしまし 図 9. お土産を売る少女 たね。 ちゃんと日本メーカーのディーラーもあります よ。今回はその他にトヨタ、フォードがありまし た。町で走っている車はトヨタとヒュンダイが殆 どでした。 これまた日本に導入 してもらいたいもので す。簡易ビールサーバー 図 10. 三菱の販売店 です。日本のピッチャーと同じで、単なるビールが入っているだ けですが、わくわくしますね。日本だったらピッチャーより高値 を付けても売れるでしょう。 図 11. ビールタワー クラウ村の子供達もやはり新しいもの好きでした。iPhone を出すと興味津々で覗いてい ましたね。クラウ村で食べたちまきです。ココナッツが入っていて、外側の生地はパリパ 49 リで、中はモチモチしていて甘く大変おいしかったです。 図 12. iPhone に興味津々 図 13. ちまき 交流会で絵を描いている途中に、準 備段階の風船アートを作っていたので すが、1 つ 2 つと子供たちにとられて いくと絵そっちのけで若干収拾がつか なくなり大変でした。やはり子供は新 しい物好きですね。今後の反省材料で す。 図 14. 風船アートで遊ぶ子供達 カンボジア国民は少し裕福な人になると、みんな携帯電 話を持っていました。昔のストレートタイプが主流です。 そして AM アンテナの上に携帯電話のアンテナがありまし た。他にもテレビの中継回線や電話の中継回線も相乗りし ていました。日本だとまずあり得ませんね。専門家から言 わせればそれぞれが干渉して伝搬環境を乱しますが、まぁ とりあえず電波が届けば良いのでしょう。 図 15. カンボジアの相乗りアンテナ 4日目の道中で、家屋が立ち並んでいたのですが、貧富の差が激しかったですね。高そ うな家は 1 軒 200 万円らしく、 田んぼを沢山持っているか出稼ぎに行っているのでしょう。 図 16. 推定 200 万円の家 図 17. 貧富の格差を感じる ホテルでは日本の NHK 総合テレビもばっちり映りました。地元のテレビ局でしょうか。 50 パラボラアンテナが沢山ついていました。何気なく町を見ていたら光岡自動車がいました。 日本からの中古車でしょう。日本車は丈夫ですね。 図 18. 地元テレビ局 図 19. 光岡自動車 取り留めなく書きましたが、色々な先進国の文化を取り込みながら急速な発展をし続け ているカンボジアは今後どのような方向に向かうのか興味津々です。遺跡修復状況と合わ せてまた何年後かに行ってみたいです。出張ないかな? 51 交流会プログラム ツアー一日目 10 月 18 日(金) 午前 「みんなで作ろう」の背景画の制作 (女性グループ) ※早内さんにあらかじめ小さな紙に絵を簡単に描いて おいていただいて、それを見て模造紙に描く ツアー三日目 10 月 20 日(日) 午前 日本語教室参観 9:00~9:30 絵画教室参観 9:40~10:10(絵具引き渡し) 「村案内ツアー」 10:20~11:50 (昼食)青年たちとやまなみ塾で 12:00~午後 1:50 午後 2:00~2:20 (挨拶) (村長さん、多賀さん、チアさん、中川さん) 交流会 2:30~6:00 ① みんなで歌って踊ろう 2:30~3:10 ② みんなで作ろう 3:20~4:50 ③ みんなで遊ぼう(パートに別れて)5:00~6:00 ・紙飛行機 ・風船アート ・楽器遊び ・外で遊ぼう(ダルマさんが転んだ、サッカー等) ※ 授業参観は、道に迷い少し遅れる。 楽器遊びは、塾内に装備してある器具が故障・調整不備等で出 来なかった。 52 みんなで歌って踊ろう 関野 晉 第5回訪問から3回続けて、日本の歌を斉唱、輪唱、合唱で親しんでもらおうという事 で、いくつかの歌を紹介して来ましたが、目的は達成出来たと思うので、このシリーズは 一応ここで一区切りにしたいと感じました。各歌毎の感想は次の通りでした。 ○『カエルの歌』 (輪唱) この歌は歌いやすく、また、リズム的にも輪唱がしやすい曲なので、子供たちは完 全にマスターしており、恐らく、日本の子供たちが歌う感じに最も近いと感じました。 (カエルの鳴き声に日本語発音の「ゲゲゲ」の代わりにカンボジア語発音の「オップ、 オップ」を一部入れたのが親しみ易かったのかも知れません。) ○『さくらさくら』 (合唱) 日本の歌と言えばなんと言っても「さくらさくら」と言う事で、斉唱で紹介し、そ のまま合唱曲に採用しましたが、和音がきれいに響くような合唱曲になっておらず、 選曲ミスであったと反省しています。(讃美歌がベースになっている小学校唱歌のよ うな曲が良かったかも知れません。 )しかし、子供たちは良く練習して歌ってくれて、 一応合唱曲らしく聞こえ、一つの経験をしてもらったと思っています。 ○『アラッピア』の歌 前回は、日本で練習した発音と現地の発音があまりにも違っていたので、録音して 帰り、今回はその録音から何とか彼らの発音に近い歌詞で練習したせいか、一緒に歌 ってもそんなに違和感を感じずに歌うことができました。(但し、一部の言葉は日本 人では発音できない言葉もあり、この壁は相当厚いと感じました。) ○『静かな湖畔』 これは、以前歌った曲を彼らが覚えていて、 彼らから楽しそうに披露してくれた曲ですが、 歌詞の切れ目が日本語の単語の途中で切れるの で、非常に奇妙な曲に聞こえたのが残念なよう な気がしました。 ○『アラッピア』の踊り 私の先入観でアラッピも日本の盆踊りのように、一通りの振り付けがあるものと思 い込んでいたので、皆が勝手に好きなように手、足、腰を動かしていたのには驚きま した。後で小出さんに確認したところ、正式には振り付けはあるらしいが小出さんも 見た事はなく、普段は皆好きなように踊っていると言うことでした。 53 授業風景、クロラン、牛車と「アラッピア」 多賀 敏美 18 日、ホテルに着いてすぐに、東京からのメンバーと一緒に交流会に使う絵の下準備が 始まった。なにをどんな風にするのかよくわからずの作業だったからお手伝いができたか どうか。午後と翌 19 日は恒例の遺跡巡り、初めてきたのは 10 年ほどまえだったがアンコ ールワット、バイヨン、タ・プロームは旅行者のために木造の歩廊、階段がつくられ特に タ・プロームは見られるところが少なくなっていく。安全が第一だろうがなにか少しさび しい。 20 日、いよいよクラウ村への訪問、前回は水害のあとで道もひどかったが、驚いた事に 道路が途中まで舗装されていた。きれいになったせいかどこかこの辺りと思うがなかなか 村にたどり着けない。塾についたら日本語の授業が行なわれており、子供達が自分の名前 と年齢を日本語で恥ずかしそうに自己紹介してくれた。全員 13 歳から 14 歳の女の子であ る。引き続いて机の位置を移動させ笠原先生の指導で絵の授業に入る。小さな子供達も参 加し、クレヨンや絵の具・鉛筆やマジックなどを使って思い思いの絵を楽しそうに仕上げ ていく。 塾の横では村のおばさんがカンボジア で「クロラン」と呼ばれる料理を作って いた。早速、JSTのワット・タウリンさ んの説明で私達も「クロラン」に挑戦、 大きなボールにもち米・小豆・ココナッ ツミルクとココナツの果肉を細く切った ものを混ぜた材料を作り上げる、それか ら竹筒に入れバナナの皮で蓋をしてその 上からワラで固定させた。竹が真っ黒に なるまで 2 時間ほど焼きあげると出来上がるという、楽しみだ。 ↑ ククロラン作り 今回の目玉、特別企画で今回初めてクラウ村へ行き牛車に乗った。とても乗り心地が良 い、とはいえないがこれもおもしろい。2 頭の牛を操る少年はカウボーイ気取り、乗って いる客のわれわれはときどき牛のシッポで頬を叩かれる。突然に止まって落し物をしてい くのには参ったが‥。牛車にゆられて村にある遺跡を見学、村人には怪訝にみられたり、 手を振られたりで楽しんだ。牛車での遺跡めぐりはこの村出身のスレイヨーンさんの発案 のようで村の発展の一助になればとの事であり、私達は試され役、乗り心地などの意見を 54 求められが、なんと表現していいか‥。 クラウ村の皆さんとの交流会の食事で、 いろんなカンボジア料理やランプータン・ リュウガンなどの果物と一緒に先ほど作っ た「クロラン」も皿に盛られていた。私の 作ったのも入っていると思うといっそう美 味しく感じた。 棒状のは、クロラン 赤いのは、ランプータン→ 茶色の小さいのは、 「竜眼」 カンボジア料理の一部 交流会では、いつものように子供達は目を輝かせ「桃太郎さん」 「さくら・さくら」など 日本語で一所懸命うたってくれる。輪唱もうまくなった。私たちも少しはうまくなってい るはずの「アラッピア」はとても勝てない。 「アラッピア」はそのうち踊りになって子供達 との交流の輪になった。後は、サッカー、風船アート、紙飛行機などで子供達と時間いっ ぱいの交流となり、 「来年もね」と別れを惜しんだ。 55 「クロラン」、 「牛車」と「ふうせんアート」 喜田 粂吉 文章を書くのは大の苦手、 「報告書が出ていないのは喜田さんだけ」と言われてなんとか 報告書を作成しました。締め切りをかなりすぎてしまっています。ゴメンなさい。 AYF ツアーは大きな楽しみのひとつ、ことに子供たちが「ふうせん」欲しさに大きな目 を見開いて、駆け寄ってくる姿が目に浮かび、今回も日程も決まらないうちから「ふうせ ん」と「紙ヒコーキ」を準備しておりました。 シェムリアップへ着いて三日目、いよいよ 交流会です。午前中は授業風景の参観。私は 外での「クロラン」作りが気になりました。 早速行って作り方を教えてもらいました。も ち米、あずき、ココナッツミルクと果肉で主 材料をつくって竹筒にいれ、バナナの皮でふ たをする。焼き上がって食べるのが楽しみで す。 今回は思いもかけず牛車に乗りました。「ワァワァ」と子 どもの遠足のようでした。どうも村人もそれを面白がってみ ていたようですが‥。子どものころ馬車にだまって乗り、し かられては降りて、またすきをみて乗るという遊びをしたこ とを思い出させてくれました。 塾へもどり食事です。クロランは上手に焼き上がり、米に くっついた竹の内皮の風味がなんともいえません。添えられ た他の食べ物、果物も美味しくいただきました。 会場では「みんなで作ろう」が始まっています。仲間へ入れない小さな子供たちのため にと思い「ふうせんアート」の準備を始めました。 「ふうせん」作りは簡単にはいきません。 空気を入れて結ぶのにコツがいるのです。「ふうせん」を見つけた子供達が駆け寄ってくる のですが「ふうせん」の数がふえません。結局はかなりの数のふうせんをそのままで置い てくる形になってしまいましたが、見送ってくれた子供達が「ふうせん」を手にして手を 56 振ってくれたのをみて、嬉しく思いました。紙ヒコーキも喜んでくれたようです。 次にはもっと楽しませてやりたいと心に念 じながら現地をあとにしました。 57 紙飛行機コーナー 岡田 寛 紙飛行機コーナーは、前六回目に引き続いて担当し、次の①、②、③に示す 3 種類を用 意した。今回は、ツアーに同行してもらった酒井光さんにも手伝ってもらった。 ①折り紙飛行機おりがみブックシリーズ 7 『紙ひこうき』 (編集・発行: (株)大創出版) ②http://homepage2.nifty.com/musashinoPPC/(武蔵野ペーパー・プレーン・クラブ) ③ゴムとばしグライダーの包装袋 (埼玉県 ツバメ玩具製作所製) 58 前六回ツアー時は、①をお手本に新聞の折り込みチラシを使い、先ず手本を見て折る、 次にそれを飛ばすというステップを踏んだ。しかし、今回は交流会全体の流れが、「みんな で作ろう」からあぶれた子とか、既に風船アートで飛び跳ねている子がいたり、また塾の 外での折り紙用デスクが用意できなかったりで、何となく落ち着きの無い状態で始まった。 そのためか、子ども達に直接に折らせることはできず、事前に日本およびホテルで組み立 てた①、②それぞれ 20~50 機を子ども達に渡して遊んだ。①は手投げで飛ばす。②は、少 し厚いケント紙で作るが、割り箸と輪ゴムで作ったカタパルトを使うと比較的遠くまで飛 ぶ。折ったり組み立てたりする手間は現地では不要だ。 しかし、事前に組み立てたて持ち込んだ紙飛行機は、注意して運んだ積もりであったが、 形の曲り、反り、捩りなどが多少は生じていたのであろう、思うほど軽快には飛ばない。 しかも子ども達に渡した紙飛行機、数が多すぎて歪みなどを微調整する作業が追いつかず、 子ども達も飛行機も制御出来なかったというのが実情である。 ③は、胴体、主翼、尾翼の 3 部品が薄い紙状の発泡スチロール製で、胴体の先頭部分に 鉛筆のキャップ状のものを付ける。1~2 分程度で組み立てられる上に、よく飛ぶ。これは、 風船アート担当の喜田さんも何機も持参していたので、とにかく数だけは沢山あった。 ③のプロペラ付き やまなみ塾の屋根に引っかかるのも 反省点は、飛行機が多すぎて個々に大人の手ほどき、アドバイスを十分に出来なかった ことだ。よき餓鬼大将になれなかったということかもしれないが、子どもに自由に遊ばせ ると言う意味では、全く問題はないのかもしれない。与えすぎのおもちゃと同じ問題かも。 また、塾側の担当者・指導者・アシスタントとの事前打ち合わせを一切しなかったことに も多少の原因があるのでしょう。これは紙飛行機コーナーに限らないが、次回以降に生か したい。 59 “子ども達って最高!” 松崎 節子 クラウ村やまなみ塾に訪問旅行に誘って下さった岡田さんに感謝です。2月の旅行はア ンコールワットの観光が主で、今回のツアー は2回目のカンボジアでした。 20 日は、期待が一杯のやまなみ塾訪問の日 でした。青年から赤ちゃんまで、年令がバラ バラの子ども達が集まって来ていました。哺 乳ビンを片手に赤ちゃんを抱っこしている女 の子を見て、とまどってしまいました。 そんな中で3人の若者は、遊んでもらおう とちょっかいを出し、おんぶに抱っこをと、甘えをぶつけて来る子どもに、汗だくになっ てかかわっていました。 若者1 若者2 若者3 私も、子ども達の中に入ってゆきまし た。集まった子ども達と手あそびから、 触れ合い遊びになり、♪トウキョートニ ホンバシ・・・・カイダンのぼってコチ ョコチョ♪とくすぐってあげると次々に 手を出して来ました。片方の手が一巡す ると「もっとやって!」と反対側の手を 出す子ども達。 男の子がやっと出した手、気がつきま した。指が一本多かったのです。お姉ちゃんがその手を引っ込ませましたが、その男の子 60 はまたその手を出しました。その手を私の手のひらにうけて、♪トウキョートニホンバ シ・・・♪をやってあげると、満足した表情の男の子。笑顔を交わし合いました。 “だるまさんが転んだ”は止めようかの声もあったのですが、大野さんと「せっかく準 備してきたんだから、やった方が良いんじゃない!」と後押し。人数が多かったり、ルー ルが伝わったかなという感があったものの、みんな楽しそうでした。結果は良かった。 大野さんがオニになって、手前にいる子ども達にお手本を示す 一人の青年が「日本語と 英語を勉強して日本に行 きたい。」と私に話してく れました。「来年も来てく れる?」彼の目をしっかり 見て「来年も来るよ。」と 約束しました。 AYF 代表とのスナップ 後ろ二人は英語の先生 私なりに緊張したやまなみ塾の旅、中川先生の解説によるアンコールワット観光がとて も良かったです。今回参加されたみな様と過ごした日々、子ども達と共有し合った時間は 忘れられない体験となりました。ありがとうございました。 いつも思います“子ども達って最高!” 。 61 やまなみ塾の交流会に参加して 中嶋 治長 第4回の訪問ツアーから毎回参加して、今回で四回目のツアー参加になる。2 年のブラ ンクがあり私も久々の海外旅行となる。前回会った子供たちもすっかり大きく成っている ことだろう。 今回もバンコク航空でのシェムリアップ乗り入れである。この航空会社は、サービスも そこそこで並みのキャリヤーだが、何と言っても嬉しいのは、エコノミークラスでもラウ ンジが使えることだ。乗継迄の退屈な時間をゆったりと過ごすことができる。一緒にラウ ンジへ入った仲間が、 「ここにあの面倒なカンボジア入国書類は置いてないだろうか?」と の一言で、聞いてみると「ある」との事。書面に書き込み、写真を貼って手持無沙汰のひ と時を有意義に過ごした。お蔭で今回のランチ機内食はゆっくりと堪能した。 久しぶりに訪れたクラウ村は、 今年の雨量が多かったとの事で、水の引きが悪いようだ。 それよりも校舎の老朽化が目立ち床板が朽ちて抜け落ちているところが散見される。メン テナンス工事の必要性を感じた。 今回は、現地食を皆で味わおうと、地面で枯れ木に火を熾し始めていた。何を食べさせ てくれるかと見ていると、竹にコメを詰め込んでいた。竹筒飯との事である。それと粽(チ マキ)に似た物で、何かの葉でコメを包んでいた。これなら私にも出来ると思い挑戦して みるが彼らのように上手く締め包めない。それにしても喜田さんは、巧い。流石は料理人 だ、飲み込みが早い。竹筒ご飯は、簡単だった。餅コメを竹に入れて頭に藁のようなもの で蓋をすると出来上がりである。 日本でも作ってみようかと思うが、 コメに混ぜ合わせる、 小豆?と椰子油、それにレシピが判らない。諦める。 愈々出来上がった、竹筒を燃え上がった焚火に投入であるが、これは、彼らに任せて炊 62 き上がるのを待つことにする。交流会も昼 飯時間がきた。食卓に沢山の馳走が並び、 炊き上がった竹筒ご飯も一番端に盛られて いた。真っ先に一本取ってきて、おもむろ に竹皮を剥いでゆく。竹は、炎で焼けてい るので皮は造作も無く剥けて中身が出てく る。誰がこの料理を考えたのであろうか、 中身は、竹の薄皮でサランラップに包まれ たように掌にのっかる。サランラップではないのでこのまま食すればエコでもある。 さてお味は、 ・・・美味しい、美食也。私は、ココナッツオイルの入った料理は嫌いでは ないので、口に合った。また、小豆なの何かの穀物も、もち米の餅もち感と相まって食欲 も増し 2 本も食してしまった。満腹である。 残念なのは、チマキ (しゅろの葉に包んだ もので、アンサムプラ ウというらしい)を食 べていない。私が作っ たのも一つ以上あるはずだが。果たしてチマキ は、食卓に出ていたのであろうか?次回の楽し みに残しておこう。 今回は、 彼らと食事作りから現地食に触れ合うことができ楽しい交流に成った気がした。 次回も、出来れば現地カレー食で親密な交流ができれば私にとって幸甚である。 63 初めてのカンボジアで子ども達と交流 杉本 峻太郎(富山県学生寮) 2 年に 1 度私の寮からも何人か参加させて頂いている、やまなみファンドさんのカンボ ジア訪問。 前回訪問した先輩方の話を聞き、 とても興味を抱き今回参加させて頂きました。 僕にとっては初めてのカンボジア。1 台に 3~4 人乗るのは当たり前の原付バイク、ヘ ビ・タガメ・イナゴなどを素揚げにして食べ物として売る屋台、突然降っては直ぐに止む スコール、日本とは全く違い何もかも新鮮で興味深かったです。 その中でも私が一番思い出に残っているのは、やはりやまなみ塾での子供たちとの交流 会です。元気いっぱいに個性溢れる子供達がそれぞれ私と交流してくれました。まずはバ スを降りた瞬間アタックしてきた 5~6 歳の悪ガキ 7 人程!私の限界を考えず抱っこ、お んぶ、肩車と飛び乗ってきて最高で 4 人を抱えあげました!!言葉はお互い全く通じない のにあんなに楽しく触れあえたことにとても嬉しかったです。 次に、1歳ほどの子供をずっと抱え世話をしながら授業を受ける 7 歳の女。7 歳の子が 1 歳の子供を世話することだけでも凄いことだが、それに加え義務教育でないので行かな くてもいい学校に勉強したいから来ていることに驚愕し、自分の学問に対する態度を見つ めなおそうと思いました。 そして、習った英語や日本語を片言だが必死に使い私にしゃべりかけてくれた 11~12 歳の子供達。日本で外人さんに話そうとするが焦って片言になり伝えられないいつもの私 と反対立場にたてて、とても新鮮な気持ちでした。 私に抱きつく子ども達 64 さまざまな印象を与えてくれた子供達ですが、その中でも一番印象的であったのがどの 子も顔をくしゃくしゃにした最高の笑顔を持っていたことです。食生活、住まい、衣類な ど様々な面で日本よりもはるかに過酷な生活環境でしょう。しかし、日本の子供達以上に 無邪気で素直な笑顔をしたカンボジアの子供達をみて、とても心が暖まりました。 この旅で私は楽しいこと、驚いたこと、悲しいことなど沢山の事を見たり聞いたりし本 当に充実した 4 日間を過ごさせて頂きました。この経験を必ず活かし今後の自分の人生に 繋げます! 最後に、このような貴重な体験をさせて下さったやまなみファンドの関係者の皆様、本 当にありがとうございました。遺跡見学の中で面白い写真も撮れたので、載せさせてもら います。 「何を意識したモデルながけ?」と言われそうですが、お許し下さい。 遺跡の師匠 絵画の師匠 売薬の師匠 一緒に行った学生寮の 3 人 上左:バイヨン遺跡 上中:タプローム遺跡 上右、下3:ベンメリア遺跡 65 編集後記 2013.1 の「カンボジアの子供たちの小さな絵画展」 、2013.8 の「カンボジアの子どもた ちの絵画展」の方に会員達の勢力が集中し、結果として AYF 活動の最大イベントである、 塾訪問と遺跡見学ツアー恒例行事が、2年ぶりになってしまいました。参加者の中には、 その絵画展を機に参加することになった人もいましたが、総勢は 20 名を切りました。 いつもより少なめの参加者ながら、交流会では子ども達が何人も参加者に抱きついてく るなど、今までの交流会ではあまり見られなかった嬉しい場面もありました。一方で、塾 に置いてある楽器などが粗末に扱われている実情も わかりました。 今回のツアー報告書、写真もふんだんに集まった ので、各人の記事中に勝手に織り込ませてもらいま した。雨季の最後だったこともあり、今までのツア ーでは無かった傘を差しながら遺跡見学する写真も ありました。ここでそれを一枚載せます。 本報告書編集の最中、 『仲間由紀恵の蒼い地球8~世界遺産を守る日本人~』と題した TV 番組が元日に放映(テレビ東京)され、世界遺産に登録されるが故に生ずる問題・危機遺 産にも成りかねない事の解説がありました。ツアーでお世話になった方の登場もあり、そ れら問題等を克服するための地道な方策の例として、バイヨン中学での絵本を使った遺跡 修復の授業の他、子ども達が遺跡の絵を描く様子などが未来につなげる活動として紹介さ れていました。我々AYF の活動もその一端を担っているものと自負した次第です。 2014.1. 事務局 H.O. 第七回 〝やまなみ塾〟交流会と遺跡見学ツアー 発行日 2014年1月25日 発行者 アンコールやまなみファンド 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-17-3 渋谷アイビスビル9階 NPO 歴史文化交流フォーラム内 TEL:03(3400)1216 Eメール:[email protected] FAX:03(3400)1217 URL:http://www.npo-if.jp/yfund/ 66