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詩章』 第七四歌の研究

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詩章』 第七四歌の研究
Kobe University Repository : Kernel
Title
『詩章』第七四歌の研究(A study of canto 74)
Author(s)
菱川, 英一
Citation
文化學年報,20:55-79
Issue date
2001-03
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81001507
Create Date: 2017-03-29
5
5
1
『詩章』第 74歌の研究
菱
川
英
一
パ ウン ド (
Ez
r
a Pound,1
8
8
5-1
9
7
2) に第 1回 の ボ リ ンゲ ン賞 (
Bol
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i
nge
n
Thens
an Cant
os
,1
9
4
8)の なか に奇
Pr
i
z
e,1
9
4
9)をもた らした 『ピサ詩章 』(
妙 な一節 がある。これ まで容易 な読解 を拒 んで きた詩節 であ る。これ に対 し、本
論ではパ ウ ン ドの用 いた聖書 の版
(
AS
V)と、並行法の枠組み 、さ らに儒教 的観
点な どに注 目して解読 を試 み る. さらに、その一節 中の二要素 の対照が作 り出す
意味の均衡 を破壊 しかねない第三の要素 について も考察す る。
問題 となるのは第7
4
歌 に現 れ るつ ぎの一節 であ る 。
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hepr
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7
4
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2
9)
1.問題の所在
第7
4
歌の この箇所 は、大 き く分 ける と三つの部分か ら成 る。イザヤが言 った部
分 と、ダビデが言 った部分、そ してその後 に附け加 え られた コメ ン ト部分 とで あ
る。パ ウ ン ドの詩作 品中の一節 ではあるが 、前 二 つ は明 らか に引 愉 (
al
l
us
i
on)
の技法 を用いてい る。つ ま り、なにか先行す るテクス ト (この場合 は聖書 )があっ
て、それに対す る言及 の形 をとってい る。言及 の仕方 にはい ろい ろあ り、その ま
ま原文 を引用す るような形か ら、かな りの程度 の加工 や変形 を経 てい るため に殆
ど原形 をとどめない もの まで様 々である。この技法 その もの は現代 詩で は珍 しい
もので ない。加工 の仕方 については、あ とでテ クス トの検討 の ところで触 れ る。
これに対 し、後の コメ ン ト部分 は詩人の独創 に発す る もの と一応考 え られ る。 つ
5
6
文 化
学
年 報
ま り、全体 として、この一節 は先行テクス ト2点の引用 ない し加工 と、それ に対
する詩人の発言 とか ら、成 り立っている
。
言及の仕方でな く、何 に言及 しているのか、そ して、いったいなぜ この二つ を
並べているのかに着 目す ると、この二つは、発言者が異 なるだけでな く、その発
j
us
t
i
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e
" を問題に し、ダビ
言内容 も相当に違 っていることが分かる。イザヤは "
i
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t
" を話題 にする。さらに、イザヤにおいて "
j
us
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i
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" が問題 にな
デは "
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onとの関連 においてであ り, ダビデ において "
i
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るのはシオ ンの r
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r
e
s
t
"の状態で成す行為が問題 となる。 トピックが全 く違 う
e
s
t
"は "
。
一方は預言者であ り、他方は王である その社会的役割 に違いがあることを考 え
O
に入れた うえで も、その内容の隔た りは通常の理解 を超 えると言わねばならない。
問題は、なぜ詩人が この異質な二つ を並置 しているか ということである。並置
しているか らには意味があるのである。 しか も、その後 に附加 された詩人の コメ
ン ト。これ らは、読者 に、この一節 を総体 として理解す ることを要求 している
。
この ような戦略に覚 えがないだろうか。実は、詩人は短詩 を書いていた初期 の時
。「メ トロの駅 にて」
代か ら、この ような異質要素の並置 を行 っているのであ る
(
Ⅰ
naSt
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i
onoft
heMe
t
r
o,1
9
1
3)はその典型的な例 として挙 げるこ とがで き
るo Lか し、いまわれわれが見ているこの一節 は、さらにその後に詩人の コメ ン
トが附 き、明 らかにその コメン トを読者 も読み取 るように促 されている。この コ
メン トの印刷上の物理的な位置 を見ると、これは前二者 に対す るコメン トではな
く、後 ろのほうの、ダビデその人に照準が合わせ られていることが分かる。文法
的に解 くなら、これは "
Dav
i
dr
e
x" に対す る同格語句 (
appos
i
t
i
v
e) とい うこ
とになる。つ ま り、ここでは、最初の二つの要素がなぜ並置 されているか とい う
ことと、その後に附された コメン トはなにか とい うこと、これ らを解 くことが ま
ず要求 されているのである。無関係 に見える二者 を結 びつけるとい う第-の課題
だけで も手 に余 るのに、その うえ王 を罵倒す るコメン トの真意 を解 くとい う第二
3
の課題 まであ り、ます ます読解 は困難 になる
。
2.議論の前提 となる諸条件
第二次世界大戦末期 に敵国ローマか らの放送 を反米活動 と疑われたパ ウン ドは
1
9
4
5年 5月 3日に捕 え られ、『ピサ詩章』 を ピサ郊 外 の収容 所 (
U.S.Ar
my
5
7
『
詩章』第7
4
歌の研究
Di
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nar
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ni
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元nt
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r;DTC)で同年 5月か ら11月の間に書 いた。許 さ
れた持 ち物は少 ない。聖書 を含む宗教的な書物がそのなかに入 っていたことは確
Mor
r
i
sSpe
ar
e)編のポケット版英米詩アンソロジー
実である。あ とは、ス ピア (
と、儒教の古典である四書 を含むわずかの書物 とであ る。パ ウ ン ドは、『
詩章』
(
TheCant
os)中で も屈指の詩篇 を、わずかの書物 とあ とは記憶 を頼 りに綴 った
。
のである 『ピサ詩章』の初版が米国で出版 され るのが 1
9
4
8年 7月3
0日であ り、
Li
br
ar
y ofCongr
e
s
s)が翌
これを顕著な詩的業績 と認めて、米国議会図書館 (
年に第 1回のボ リンゲン賞 を授与することになる。米国での裁判で反逆罪 に問わ
れていたパ ウン ドが受賞 したことで問題 となる。
9
4
7
年 3月1
8日に孔 子の
その直前のパ ウン ドのお もな出版状況 を点検す ると、1
『
中庸』 と 『
大学』の英訳 を米 国で出版 してい る (
Con
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uc
i
us
.TheUnwobb
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i
n
g
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ge
s
t
)
。これは 『ピサ詩章』を書 いていた同時期 に ピサ の
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9
4
5年 2月 に伊訳 を
収容所で執筆 した ものである。『
中庸』については、すで に1
。
Cl
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a) 『
大学』 の ほ
イタリアで刊行 している (
9
4
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年 (
Con
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e) と1
9
4
4年
うの伊訳は1
(
Te
s
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ament
odiCon
f
uc
i
o)とにどちらもイタリアで刊行 してい る。 『
大学』 の
英訳は1
9
2
8
年 に出 した英訳 (
Tamo
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heGr
e
atLe
ani
n
g)の改訂版 であ る。
1
9
4
14
4
年の時期 は政治論や経済論の書物が多 く、なかで も1
9
4
4年 の政治経 済論
Je
f
f
e
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oneMus
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ol
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ni
)は、1
9
3
5
年 に英語で出
『ジェフアス ンとム ッソリーニ』(
した書 (
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f
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nand/
orMus
s
ol
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ni
)のイタリア語版であるが、当時の イ タリ
ア政権 との関係 を考 えると、注 目に値す る。この時期、パ ウン ドが孔子の イ タリ
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ni
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oMus
s
ol
i
ni
)の政治 を矯正
ア語訳に精 を出 していたのは、ム ッソリーニ (
Mar
yChe
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e)の研究 に よ りほぼ確 実 だか
する意図があったことがチ一 ドル (
らである。母 国の ローズ ヴェル ト (
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ano Roos
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) につ い て も
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『
アメリカ、ローズ ヴェル ト、お よび現下の戦争の原因』(
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ague
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apr
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s
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)をイタ リアで 1
9
4
4年 に出版 してい るが 、 こ
れはイタリア語の著作であ り、英語版が出るのは1
9
5
1
年のことである -方 、書
O
9
4
0
年1
2
月 5日刊行の 『
選詩集』(
A Se
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e
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on o
f
物の形で出 した詩集 となると、1
9
4
0年 1月
Poe
ms)にまで遡 らねばならないO新 しい詩 を収めた詩集 となる と、1
2
5E
]刊行の 『
詩章 第5
2
歌 一第7
1
歌』(
Cant
osLI
I
I
LXXI
)になる
。
そ して、われわれが問題 に している詩節 を含 む 『ピサ詩章』は第7
4
歌 か ら第8
4
5
8
文 化 学 年 報
歌 まで を収める。1
9
4
0
年版の 『
詩章』に続いて出 される 『
詩章』であるのに、間
2
歌か ら第7
3
歌のイタリア語詩篇 は飛 び越 されている。この両篇が 『
詩章 」
】
の第7
に収 め られて初 めて刊行 されるのが 1
9
8
5年 のデ ・ラ ッヘ ヴ ィル ツ (
Mar
y de
Rac
he
wi
l
t
z)訳編のイタリア版 『
詩章』(
ICant
os)お よび1
9
8
6
年 の米 国版 『
詩
2
歌の英訳が刊行 されるのが 1
9
9
5
年の米国版 『
詩章』 であ
章』であ り、さらに第7
4
3
歌の英訳 はまだ見つか ってい ない 。1
9
4
4年 1
2月か ら1
9
4
5
年 1月にかけ
る。 第7
て執筆 されたと推定 される両篇は、当時敗色濃厚であったイタリアに奮起 を促す
1
9
4
4年 6月 ) で 、 『詩 章 』 の聖 地 で あ る Te
mpi
o
面 が あ る。 リ ミニの爆 撃 (
Mal
at
e
s
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i
anoを破壊 された と思い込んだパ ウン ドは、 これ に対 し復讐せ よとの
T
l
Ri
mi
n主ar
s
a")
。さらに、教皇 シクス トウス を "
us
ur
ai
o"
思いを込めている ("
の息子 と呼び、その一派 を "
D'
us
ur
agr
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s
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" と酷評する Ez
z
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nodaRomano
(
1
1
9
41
2
5
9)の亡霊や、ロシア戦線で戦 ったあ と、この第 7
2歌執筆 の直前 (
1
9
4
4
年1
2月 2日)に死去 した Fi
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ppoTomas
oMar
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ne
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i(
1
8
7
6-1
9
4
4)の亡霊 も登場
6
す る。これ らの亡霊 は us
ur
aと共産主義 とに対 す る "
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us
twar
" を戦 って死 ん
でいったがゆえにファシス トの天国篇 (
Fas
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s
tPar
adi
s
o)の登場人物 となって
e
nbr
oc
kはい う (
1
3
0)
。現実のイタリア情勢のなかで、儒教 的な徳 を
いると Das
備 えた統治者 による強力 な政治 を待望す る思いはパ ウン ドに強かったが、その夢
が破 れた後の残響 は 『ピサ詩章』のそこか しこに聞かれる。
『ピサ詩章』の米国版のほぼ 1年後 に、英国版が1
9
4
9
年 7月2
2日に出版 される。
この時に米国版の うち、い くつかの箇所が削除 された り、伏せ字にされている
。
われわれの議論の対象である詩節の第 3行 目の 3語 (`
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.
0.
b.
'
'
) も削
除 の対 象 とな って い る。 ほ か に削 除 の対 象 とな っ て い る の は チ ャー チ ル
(
Wi
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t
onChur
c
hi
l
l
)や英国皇太子 などに関す る箇所であるが、ダビデ王 も同等
の検 閲保護 を英 国では受けていたことになる。ダビデ王 に関す るこの 3語が英 国
9
7
5
年版の 『
詩章』以降である。
版で復活す るのは1
以上、概観 した出版状況か らは、国を治める者-のパ ウン ドの政治的関心が、
現代 と古代 との両方 に及んでいることが見て取れる。現代のほうは自分が属す る
西欧世界が対象であるのに対 し、古代のほうは古典 を通 して知 る中国や中東 とい
う東洋 を対象 に している。そのことは、古今東西 を包含す る叙事詩たろうとす る
『
詩章』の性格 をよ く反映 しているともいえる。また、『ピサ詩章』執筆前後 に詩
人の置かれた状況 と英国での出版検 閲か らは、現実 との相互交渉が文字通 り相互
『
詩章 』第7
4
歌 の研究
5
9
的に行 われているこ とが分 か る。詩人は硯実世界 を古典 の智慧 に よって変革 しよ
うとして逆 に反逆罪 に問われ、現実 の側 は詩人の出力す る もの を体制 をゆるがす
もの として恐 れ隠すのであ る。その ような現実 との接 点か ら生 まれ る複雑 な力 学
が、第7
4
歌 の一節 の難解 さに影響 を及 ぼ してい る可 能性 は否定 で きない。
3.テクス トの検討
外部世界 との複雑 な交渉 は、テクス トの産 出す る意味 に影響 を及ぼ しはす るが、
しか しまた、テ クス トはテ クス ト自体 の原理 に よって動 く側面が ある。第 7
4歌 の
一節 はテクス トと して他 の どの ようなテ クス トと交渉 を もちなが ら成立 してい る
のであるか。
この一節 を成す三要素 の うち、第- の要素 はイザヤの発言 であ る。この発 言 内
容 に相 当す る聖書 の箇所 と して想定 で きるのはイザ ヤ書 の 1章 2
7
節 である。 第二
の要素 はダビデの発言である。その発言 内容 の典拠 と して想定 で きるの は詩 篇 1
5
の 5節 である。これ らの聖書 中の違 う箇所 を結 びつ けて並行 をつ くりだ した とこ
ろに、詩人の独創 が存 す る。
これ らの聖書 の詩句 を本節 に用 い るにあた り、パ ウン ドが依拠 した英訳聖書 は、
手近 に現物 があ ったにせ よ、記憶 によったにせ よ、い ったい どの版 であった ろ う
か。パ ウン ドが ピサの収容所 で持 つの を許 された書物 の なか に どの聖書 があ った
7
かは特定 されてい ない。 したが って、我 々はテ クス ト内部 の証拠 に よって推 測 す
る しか な い 。 そ して 、 そ れ に よ る 限 り、 こ こで パ ウ ン ドの用 い た版 は Th
e
Ame
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c
anSt
andar
dVe
r
s
i
on(
ASV,1
9
0
1)の可能性 が高 い。それ は、本節 お よ
び関連す る箇所 の聖書 の引用が こ とご と く AS
Vの語句 と一致す るか らであ る。
第一の要素 は "
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or
e
de
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c
e/s
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" で あ る。 この典
拠 と考 え られ る AS
Vの箇所 は "
Zi
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c
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,andhe
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e
ous
ne
s
s
.
"(
I
s
ai
ah1
.2
7)である。 なお 、第二次 大 戦 末期
までにパ ウ ン ドが利用可能であった他 の英訳聖書 を参考 に して、その一部字句 を
変 更 した可 能性 は、排 除 で きないが 、 低 い 。TheAu
t
hor
i
z
e
d Ve
r
s
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on (
AV,
1
6
1
1
) に よ る 同節 は "
Zi
on s
hal
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de
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d wi
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udgme
nt
,and he
r
v
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dVe
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on(
RV、 旧約 聖書
c
onv
e
r
t
swi
t
hr
i
ght
e
ous
ne
s
s
.
"であ り、TheRe
部分 は1
8
8
5)の 同節 は "
Zi
on s
hal
lber
e
de
e
me
d wi
t
hj
udge
me
nt
,and he
r
6
0
文 化 学 年 報
8
c
onv
e
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t
swi
t
hr
i
ght
e
ous
ne
s
s
.
'
'である。す なわ ち 、ASV との違 い は j
udgme
nt
ない しj
udge
me
ntの一語のみである。AVや RVが用いているこの語 は聖書 に特
j
us
t
i
c
e
" を意味す る (
OED2
,1
0
a)
。パ ウ ン ドが
有の用法で、現代英語でい う "
『ピサ詩章』執筆時 に即興 で この箇所の一語 を変換 した可 能性 は低 い。 ピサか ら
9
4
6
年 、担
米 国へ連行 されての ち裁判 を経 て精神病 院に収容 されたパ ウン ドは 、1
当の精神科 医 に対 し、 "
MyZi
oni
s
tpr
ogr
am-Zi
on s
hal
lber
e
de
e
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d wi
t
h
j
us
t
i
c
e
" と述べ ている (
Kav
ka,1
5
9
)
。この言葉 を見 て も、パ ウ ン ドの頭 の なか
には同箇所が ASV と同 じ語句 で完全な形 で入 っていることが窺 われ る。AS
V
を典拠 とす る理 由は第二の要素の ところで も触 れるO
ここで最 も重要 なことは、パ ウン ドが古風 な "
j
udgme
nt
"でな く、 "
j
us
t
i
c
e
"の
語 を用いていることである。その意義 を捉 えるために、ヘブライ語の原文を見ると、
"
Zi
on s
hal
lber
e
de
e
me
d wi
t
hj
us
t
i
c
e
"9
の部分 はT
l
「ら
nt
3
9伽 ⊃T
l
'
y(
s
i
yy6n
be
mi
畠
patt
i
pade
h)の 3語で書かれている。この 3語 を英語 に逐語訳するならば、
Zi
onwi
t
hj
us
t
i
c
es
he
wi
l
l
be
r
e
d
e
e
me
dとなる。 "
j
us
t
i
c
e
" と訳 され るヘ ブ ライ
菖
patであ り、旧約聖書 中に4
2
5
回使 われる。同語の意味 については多 くの
語 は mi
議論があるが、旧約学者 のカルヴァ- (
Robe
r
tCul
v
e
r)は、この語 は "
whati
s
doubt
l
e
s
st
hemos
ti
mpor
t
anti
de
af
orc
or
r
e
c
tunde
r
s
t
n di
a
ng ofgov
e
r
nj
udgme
nt
" と訳す ことは "
of
t
e
nde
f
e
c
t
i
v
ef
or
me
nt
" を表す と指摘 し、これ を "
usmode
r
ns
" である とい う。なぜ な らば、その訳語 だ と、政治 を立法 、行 政 、
司法の 3機 能 に分 けて考 える現代 人は、司法 の ことを意味す ると受 け取 って しま
1
0
うか らである。 ところが、ヘ ブ ライ語 にはその 3機 能がすべ て含 まれてお り、
"
j
udi
c
i
alpr
oc
e
s
s
"のみに限定 されてはいないのである (
9
4
8
)
。パ ウ ン ドが この
j
udg(
e)me
れt
"では不十分であっ
部分 について どう考 えたにせ よ、AVやRVの "
j
us
t
i
c
e
'
'を使 っている以上、米 国人パ ウン ドに とってはそのほ う
た。別の版が "
が よほ ど適切 で幅広い意味 を備 えている と映 ったはずであ る。 ここで 、AS
Vの
翻訳 は、RV の翻訳 を行 っていた英 国の学者 たち と共 同作業 を していた米国側 の
学者 た ちに よる ものであ る こ とを想 起 した い 。 さ らに、 "
s
oc
i
alj
us
t
i
c
e
"と
"
e
c
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cj
us
t
i
c
e
" とについてのパ ウン ドの特異 な考 え方 も、 この版 の選択 を
1
.
1
促 したであろ う。つ ま り、現実の政治 に対す る鋭 い意識が "
j
us
t
i
c
e
"の語 を選 ば
せ た ともいえるoカルヴァ-は、mi
菖
patの中核概 念 に由来す るあ らゆ る側 面 を
j
us
t
i
c
e
"の語 しか考 え られない と断言する
包含す る英語 の語嚢 としては "
(
9
4
8
)
。
『
詩章』第7
4
歌の研究
61
その点で 、mi
菖
patの翻訳 に関す る限 り、ASV は今や AV を "
updat
e
" したので
あるとす る (
9
4
8)
。 したが って、ある意味では、詩人パ ウン ドの直観 は、あ るい
は直観 に基づ く注意深い研究 は、イザヤ書 の この箇所 を、最新の聖書学 の水 準 で
捉 えた といえる。
第二の要素 は "
Notoutoni
nt
e
r
e
s
ts
ai
dDav
i
dr
e
x"である。この典拠 と考
え られ る AS
V の箇所 は "
Het
hatput
t
e
t
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smone
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hi
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rbemov
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d.
"(
Ps
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ms1
5
.
5)である。AV による同節 は "
Het
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" であ り、RV の 同節 は "
He
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hatdoe
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ngss
hal
lne
v
e
rbemov
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d.
" と、AV とほ
ぼ同 じである。AV におけるイ タリック体 は原文 にない部分 を英訳 で補 った こ と
を示すが、その標識が RVではないだけで あ る。ASV と AV との違 い は、後者
の散文 に対 し前者 が詩 と して翻訳 してい る以外 に、後者 の "
us
ur
y" が前者 で
"
i
nt
e
r
e
s
t
" となっていることである。 "
Us
ur
aCant
o" (第 4
5
歌 ) を想 い起 こす
まで もな く、この語 はパ ウ ン ドの詩行 では一種 の中心 的な位置 を占め、第-要素
の "
j
us
t
i
c
e
" と鋭い対照 をなす。この語 については、す ぐあ とで考察す るO この
場合 も、AVや RV を利用 して、その一語のみ を即興的に変更 した可 能性 は、排
除で きないが、低 い。パ ウン ドは詩篇 の同 じ箇所 を 5頁あ とに再 び引用 してい る
wi
t
hj
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t
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es
hal
lber
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de
e
me
d/who
が、やは り ASV に近 い表現 を と り、 "
7
4
/4
3
4)と書いている。この詩節 を B
put
t
e
t
hnotouthi
smone
yoni
nt
e
r
e
s
t
"(
節 、前の節 を A節 と呼ぶ ことにす る。A節 と B節 とを読 み比べ る と、A節 の第
二要素が詩篇1
5の 5節 に基づいていることは鮮 明になる。B節では、A節 で省 略
put
t
e
t
h'
'や "
hi
smone
y"が現れ、意 味が はっ き りす るか らであ
されていた "
る。A節 だけを読 んだ場合 、 "
Donotputoutyourmone
y oni
nt
e
r
e
s
t
" と、
否定命令文に読むことは可能になるけれ ども、B節 も考慮 に入 れた場合 は "
He
t
e
t
hnotouthi
s
t
hatput
t
e
t
hnotouthi
smone
yoni
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s
t
"か 、 "W hoput
mone
yoni
nt
e
r
e
s
t
'
'の ような名詞節 と読める。後者 の場合 、それに続 く述部は、
5の 5節 にある通 り、 "
s
hal
lne
v
e
rbemov
e
d" となる
原典 によれば本来は詩篇 1
7節 を組
はずであるが ,A節 、B節いずれの場合 も、パ ウン ドは イザヤ書 の 1章 2
6
2
文 化 学
年 報
み合わせている。B節 は文法的に意味が通 るように組み合わせてあるが 、A節 は
Notoutoni
nt
e
r
e
s
t
'
'とい う表現 によ り何が
そ うではない。いずれに して も、 "
話題 になっているかは、A節 と B節 とを読 み合 わせ ればはっ きりす る。す なわ
ち、利子 を附けて金 を貸 さない とい うことが話題 になっているのである
。
"
Notoutoni
nt
e
r
e
s
t
"に相当す るヘブライ語原文 を見 ると、「肋 ユT
nr氷り15ロ⊃
(
kas
e
p61
6'
nat
anbe
ne
昌
e
k)と、先の場合 と同 じく、 3語で書 かれている。 こ
i
l
v
e
rof
hi
m not
hel
e
ndswi
t
hi
nt
e
r
e
s
tと
の 3語 を英語 に逐語訳するならば 、s
なる。ここで A節 と B節 とをヘブライ語の要素 に照 ら して比較 してみ ると、奇
妙 な法則 に気づ く。ヘブライ語の 6語が表す要素の うち、つねにどれか一つが各
金」 (
級)
節で欠けているのである。A節の場合、欠けているのは第二要素 の 「
であ り、B節の場合、第-要素の 「シオン」が見当た らない。 したが って、 これ
ら両節の同 じ典拠 に気づ く者 だけが原文 を復元で きることになる。
i
nt
e
r
e
s
t
'
'に相当す るヘブライ語 は ne
菖
e
kであるが、 この原語 につい
ここで "
9
3
9
年の "
Ont
heDe
gr
e
e
sof
てはパ ウン ドが知 っていた とい う証拠が存す る。1
Hone
s
t
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nVar
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ousOc
c
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de
nt
alRe
l
i
gi
ons
" とい う文章 のなかで、 この語 につ
Dur
l
ngt
hepas
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heMos
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odeoroft
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alc
ons
e
que
nc
eoft
hi
se
il
v
.
"(
SP,65) と述
I
1
.
1
べている。つづ1ナてパ ウン ドは、自らもその仲 間に列せ られたい と願った、文学
Dant
e,Shake
s
pe
ar
e and,I am t
ol
d,t
he e
ar
l
i
e
r
者 の 一 群 を挙 げ て 、 "
El
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hanswe
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hepr
obl
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m.
" と述べ る。 この間題 が季 む
"
s
oc
i
alc
ons
e
que
nc
e" に意識的な文学者 として、パ ウ ン ドはその後 ま もな く孔
子のイタリア語訳 に取 り組み始める。チ一 ドルが指摘するように、ム ッソリーニ
c
or
r
e
c
t
i
v
e"の役割 をそれに担 わせ るためである(
2
)
。パ ウ ン ドは
政権 に対する "
儒教的倫理が西欧に とって最 も必要な ものだ と考 えてお り、今やそれをイタリア
に注入す る時期 が到 来 した とい う使命 感 を抱 い てい たの で あ る
。『詩 章』 に
"
ne
s
c
he
k"が最初 に登場す るのは第 5
2
歌 (
1
9
4
0)であ り、最後 に現 れるのは第
1
3
1
0
0
歌補遺 (
1
9
41
頃)である。後者 においては、対応 す るギ リシア語 7
6
KO
S
Lと共
に用い られてお り、さらに、ことによるとこの語の語源的意味 をも知 っていたの
昌
e
kは動詞 n白
.
岳
ak (
噛むの意)に
ではないか と思わせ る表現 も出て くる。名詞 ne
l
i
t
e
r
alphys
i
c
als
e
ns
e
" において用 い られ る ときは
由来するが、この動詞 は "
『
詩章』第 7
4
歌 の研 究
6
3
必ず "
as
nakeors
e
r
pe
nt
" を主 語 とす る (
Fi
s
he
r,6
0
4)。 第 1
0
0歌 補 遺 に は
"
s
e
r
pe
nt
"早 "
s
nake" また "
c
r
awl
i
ng" とい った語が頻 出す るのであ る。
以上 、見て きた ように、第7
4
歌 でわれわれが問題 にす る一節 の第一 と第二 の要
素 とは、それぞれ聖書の違 う箇所 か ら引かれている。その際 に詩人の頭 にあ った
聖書 の版 はおそ ら く ASV であ る。ASV を用 いた理 由は、主 と して、そ れ らの箇
j
us
t
i
c
e
"と "
i
nt
e
r
e
s
t
"が用 い られているため と考 え られ る。後 者 につ い
所で "
て、その原語 に当たるヘ ブライ語 をパ ウ ン ドが知 っていた こ とは、前者 につ い て
もそれ をヘ ブライの文脈 で考 えるだけの素地 を持 っていた ことを窺 わせ る。 しか
し、問題 はヘ ブライの文脈 に とどま らない。原典 にあ った並行 でな く、まった く
無関係 の箇所 にある聖書 のテ クス トを組 み合 わせ て新 たな並行 を作 り出 した こ と
は詩人の創意工夫 に よるのであるが 、これが現代詩 と して、現代世界 との関係 で
いか なる意味 を産み出す のか とい う別の問題 が生 じて くる。
4.先行研 究 の検 証
『ピサ詩章』に関 してはモ ノグラフを始 め と して、す で に膨 大 な研 究 の蓄積 が
ある。ここでは、第7
4
歌 でわれわれが問題 に してい る一節 (
A節 、7
4/4
2
9) と B
節 (
7
4
/4
3
4)について、先行研 究が存在す るか どうか、存在す る とす れ ばそ れ ほ
どの ような ものか を検証 してみ る。聖書 の典拠 と、鍵 に な る 2語 ("
j
us
t
i
c
e" と
"
i
nt
e
r
e
s
t
")の問題 、さらには異質 な 2要素 の並置 の仕方 を ど う捉 えて い るか に
着 目す る。
テ レル (
Car
r
ol
lF.Te
r
r
e
l
l
)は、『
詩章』研 究者が最初 に赴 く基 本 的 な手 引 を
著 している。その なかで 、A節 の イザヤ について
Lat
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s
s
'
'(
I
s
ai
ah1:
l
l,2
7)
1
4
と、書いてい る (
3
6
8)
。B節 については触 れてい ない。つ ま り、A節 の第一 要素
6
4
文 化 学
年 報
の典拠 をイザヤ書の 1章2
7
節 と同定するとい うことが、すべてである。テ レルが
v
i
s
e
dSt
andar
dVe
r
s
i
on (
RSV)である。 と
上記で引用 している聖書の版 は Re
ころが 、RSVの旧約聖書部分、すなわち上記 イザヤ書 を含 む部分が刊行 された
1
5
9
5
2
年のことであるか ら、『ピサ詩章』の執筆 には間に合 わない。第7
4
歌の
のは1
t
heBi
bl
e
" と記すのみで 、版 の違 いに顧慮 してい
源泉 についての項では単に "
(
3
6
第7
4
歌 の箇所 につい て は以上 の通 りで あ るが 、 "
i
nt
e
r
e
s
t
" の原語 で あ る
ne
s
c
he
k(
ne
菖
e
k)を使用 している第1
0
0
歌補遺 (
1
9
4
1)についての註解の なかで、
ない
1 )。
ヘブライ語 を使用 している理由について
Att
het
i
met
hi
swaswr
i
t
t
e
n Pound wasawar
et
hathewasbe
i
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meofMos
e
shad
r
ul
e
sagal
nS
tus
ur
y.
と、テ レルは興味深い考察 を している
(
7
2
4)
。つ まり、モーセ五書 にすでに利子
を取 ることを禁 じる律法があることをパ ウン ドは示唆 しているとす るのだが、こ
2
章2
4
節 とレビ記 2
5
章3
63
7
節 にその
れはその通 りで、た とえば、出エ ジプ ト記2
邑
e
kの語が使 われている。 しか し、ダビデの時代 になっ
規定がある。 どちらも ne
て もこの トーラー (
モーセ五書 )の規定は依然守 られることな く、債務者が解放
2
章 2節 に示唆 され
の希望 を抱 いて ダビデをあお ぎ見ていたことがサムエル記上2
ている。パ ウン ドが第1
0
0
歌補遺で n
e
s
c
he
kを用いてい る理 由は、 トー ラーの規
定 を示唆す るためだけではな く、後代の ミシュナ - (
TheMi
s
hnah,タルムー ド
の一部 を構成す る口伝律法)にも同語 についての細かい規定があることを示す た
BabaMe
t
z
i
a)の 5章 1節 に もその規定が
めか もしれない。た とえば、「中門」(
ある
(
3
5
53
5
7
)
。つ ま り、どこか ら見て も、ユ ダヤ人 自身の提 に よ り、n
e
菖
e
kは
禁 じられていることを示すために、原典で使われているヘブライ語をわざわざ使っ
た と考 えられる。
(
1
9
8
4)は、『詩章』第 7
4
歌 についてのそれ までの主要 な解釈
3
6
1)
。それ らの研究のなかにはわれわれが問題 に してい
の試みを列挙 している (
テ レルの手引書
る一節 を論 じた ものはひ とつ もない。そこで 、1
9
8
4年以降に発表 された研究から、
『
詩章』第7
4歌の研 究
6
5
6
1
同節 に関連す る もの を検討す る。
直接 に同節 を論 じた もので はないが、ス トイケ フ (
Pe
t
e
rSt
oi
c
he
f
f
)が 『
草案
と断篇 』(
Dr
af
t
sand Fr
agme
nt
s [第 1
1
0歌 -第 1
1
7歌 ],1
9
6
9) を論 じた もの
(
1
9
8
5)のなか に、やや関連す る箇所 があ る。パ ウ ン ドの "
f
ai
t
h" を論 じるなか
で、ダンテの 『
天 国篇』の第六天 に言及 した第 1
1
3
歌 をまず引用 す る。
Andt
oknow i
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Sac
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o)
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hi
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phe
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ei
sGi
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i
z
i
a.(
1
1
3
/7
8
9)
この箇所 についてス トイケ フは
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l
l
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r
at
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si
n
Par
adi
s
oXI
X.
と、述べ る (
2
8
7)
。確 か に、『
天 国篇』第 1
8
歌 において、「義 を愛 せ よ、地 上 の統
治者 たち よ」(
DI
LI
GI
TEI
USTI
TI
AM,QUII
UDI
CATI
STERRAM)と、(ソロ
モ ンの)知恵の書 の巻頭句 を引いて説 く聖 なる霊 た ちの光 の文字が現 れ る。地 上
の正義 は天上 の正義 を映すべ きこ とを説 く箇所 だが 、この地上 の正義 を 「
地上 に
おける経済上 の公正」 とパ ウ ン ドは読 んでい る と解釈す るわけで、これは当 を得
ている。さらに、この第 1
1
3
歌 の一節 は、我 々が 問題 に して い る一節 と同 じキ ー
i
nt
e
r
e
s
t
"と "
Gi
us
t
i
z
i
a" ("
j
us
t
i
c
e
" に相 当す る イ タ リア語 ) とを含
ワー ド、 "
0
歌 で、(
第六天 で )最 高位 の光
んでい る。 ところが 、『
天 国篇』のす ぐあ との第2
i
lc
ant
ordel
oSpi
r
i
t
oSant
o" と形容 され た ダ ビデ王 が
を発す る者 として、 "
4
歌 のそれ とは、まさに正 反対 で
出て くる。この ダビデの描写 と、パ ウ ン ドの第 7
ある。 したが って、問題 の節 の三要素 の うち第三要素 の解釈 に難点が あ る。
パ ウ ン ドにおける理想都市 の建設 の問題 に焦点 を当てた研 究 (
1
9
8
8)で チ ャ ン
r
ayanaChandr
an)は、つ ぎの箇所 を引用す る。
ドラン (
K.Na
6
6
文 化 学
年
報
4gl
ant
Satt
he4c
or
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hr
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hedoor
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d/I
s
ai
ah.
(
7
4
/4
2
9)
われわれの一節 に直前部分が加 わっているが、後半部分 はない。チ ャン ドラ ン
はこの箇所 は Gas
s
i
r
e'
sLut
e伝説へ の言及 と読 む (
1
8
3-1
8
4)
。パ ウ ン ドが フロ
ベ ニ ウス (
Le
o Fr
obe
ni
us
,1
8
7
311
9
3
8; ドイ ツの文 化 人類 学 者 ) の Af
r
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c
an
1
7
Ge
ne
s
i
s(
1
9
3
7)か ら借 りて きた伝説であるoつ ま り、Fas
a族 の族 長 Gas
s
i
r
eの
腐敗 によ り四たび破壊 され、四たび蘇 った都 市 Wagaduの伝 説 と、腐敗 した シ
オ ンの町に正義が蘇 るとのイザヤの預言 とを併せ読 むわけである。この箇所の最
初の 4行 は 、DTC の収容所内の四隅にいる衛兵や、訓練 を受 けてい る捕 虜 に対
す る言及 なのであるが、後者 の男たちが親切 に もパ ウン ドの梶の周 りに溝 を掘 っ
て くれる様 を永遠の理想都市の建設 になぞ らえている。この ような都市空間の建
設 はまず心のなか よ り始め るべ きもの との含意がある。Wagaduは人々の心のな
か に、その渇望 のなかに存在す る砦である といわれるか らである。その ような都
市 とシオ ンとを、都市 を鍵 に して結 びつける着眼点 は示唆 に富 む。惜 しむらくは、
その直後の ダビデ関連の字句 を省いたことであるOそれがあれば、「ダビデの町」
たるシオ ンについて、よ り掘 り下げた考察が可能になったであろ う。シオ ンは、
もともとエブス人の拠点であったが、ダビデが征服 し、ダビデの町 と呼 んだ もの
である (
サムエル記下 5章 7節 )
。
ワ ッカー (
Nor
manWac
ke
r)はチ ャン ドランとほぼ同 じ箇所 を引 き、 さらに
"
Notoutoni
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r
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x/t
hepr
i
mes
.
0.
b.
" まで引 いてい る
。
われわれが問題 にす る一節 をまるごと引用 した数少 ない研 究論文 (
1
9
9
2) と考 え
られ るo Lか し、どうい う意図で引用 しているのかは明確 でないo唯一、関連 の
Thi
sl
as
t
あ りそ うな見解 は、パ ウ ン ドの樫 の周 りに溝 を掘 る箇所 につ い て "
t
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ymbolf
ort
he
6
7
『
詩章 』 第 7
4
歌 の研 究
whol
es
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3
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rv
i
ol
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e
" と述べ る もので あ る (
この見解 は、引用箇所 とどの ように関連 しているのか分 明でない。か りに、 シオ
ンが言及 されるのはブ レイクのエルサ レム像 との関連であると捉 えているにせ よ、
ダビデをどう捉 えているのかは不 明である。
ステ ッ ド (
C.K.St
e
ad)は広範 な現代 詩論 の著書 (
1
9
8
6)で ワ ッカー と同 じ
箇所 を引 き、さらに3
0
数行 を加 え、つ ぎのページの中ほ どの "
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"の行 まで引いている。われわれが問題 にす る一節 の周辺 につ
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'
' と述べ る (
3
0
1
)
。引用箇所 が長
す ぎるために、この見解が どこに焦点 を当ててい るかははっ きりしないが、パ ウ
ン ドの樫の周 りに溝が掘 られるあた りか らパ ウン ドの頭 に去 来す るの は、 「
宿年
の妄想」(
hi
sol
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s
i
ons)である としている。その妄想の具体例 として ここ
で挙げている ものは、われわれが問題 にす る一節 に関わる もの とい うよ りは、そ
れ より9行あ とか ら始 まる "
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あろう。 しか し、ステ ッ ドが "
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" を否定 的
な意味で書いている とすれば、それはパ ウン ドが他 の箇所 で書 いている ところか
1
8
らして、誤読である。武器商人 に関す る記述 は、ステ ッ ドの意図 とはべつ に、 わ
れわれが問題 にす る一節 と関わ りを持つ可能性がある。それは後述す る。
カシロ (
Robe
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o)はパ ウ ン ドの対 ユ ダヤ人観 を徹 底 的 に攻 撃す る書
(
1
9
8
8)の なかで 、われ われが 問題 にす る一節 の前 半 ("
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") を引 き、 これ は第 一 イザ ヤ の 1章 2
7節 に対 す る註 解
1
9
(
gl
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s)であるとして、同節 を RSVか ら引用 してい る。 だが 、 これ は、テ レル
の場合 と同 じく、誤 りである。1
9
4
5
年 に書かれた 『ピサ詩章』が 1
9
5
2年 に刊 行 さ
Vの註解であることはあ り得 ない。つづ けて、カシロは、主が獣 のい け
れた RS
1
1
節 )にある とのテ レルの指摘 に触 れ
にえの血 を拒 む旨の記述が、同節の直前 (
6
8
文 化 学
年 報
る。この指摘 を援用 した うえで、カシロは、パ ウン ドが ここで主張 したいの はた
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" とい うこ と
であろうとす る (
2
7
5)
。「たぶん」 (
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i
hood)の よ うな言葉 を用 いてい
るのは、ここでの論証がパ ウン ドの詩ではな く、その出典 と考 え られる聖書 の箇
所 の前方のテクス トに依拠 しているか らである。テ レルの指摘の意図は不明だが、
カシ ロの論証 の意 図 は明瞭 で あ る。 さ きの推論 につづ けて カシロは "
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'と述べ るか らである (
2
7
5)
。ここで も "
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y"の語 を使 わ ざるを得 ないのである。 しか も、この ような言 明 をす る 目的が
何 であるか といえば、犠牲 について論 じる うえで、アブワー ド (
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d)
2
0
の見解 に反駁す るためである。パ ウン ド論の本筋 とはいえない。 もしも、テ レル
1
節 に関連す るパ ウン ドの何 らかの
や カシロの ような論 じ方 をす るのであれば、1
詩句 な り発言 な りも論拠 として提 出 しなければな らないだろ うO-つの方法 と し
て、問題 の詩節後半の ダビデに関す る記述 を何 らかの補助線 を用 いて1
1
節 に結 び
7
節 とを結 び
つけることも考 え られるが、それについては後述す る。単 に1
1
節 と2
7
節 のパ ウン ドの意 図は1
1
節 にあ りとす るのは論証 として弱い。それ に
つけて 、2
はカシロ もおそ らく気づ いていて、す ぐあ とに本筋論 を展開す る (
2
7
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問題 の一節 はパ ウン ドの 3つ の考 え を基 に考 えね ば な らない とす る。第一 は、
(
利子 を禁 じた)律法 にユ ダヤ人みずか らが反 してい る とす る考 え。第二 は、預
∴
言者 は絶 えず 同朋 の行動 に異 を唱えていた とす る考 え。以上 、二つの考 えはパ ウ
ン ド独 自の考 え とい うよ りは、広 く認め られている見解 といえる。律法 に禁忌 が
何度 も出るのはそれに反す る行 いがあった証左 であろう し、預言者 は神 の言葉 を
代言 し民- の警告者であ りつづけるのが使命 である。第三 は、高利 を取 り、 タル
6
9
『
詩章』第7
4
歌の研 究
ムー ドを信奉す る (
現代 の)ユ ダヤ人はなお も異邦人 とい う家畜 を犠牲 に しっづ
けているとい う考 えで、これは今 もユ ダヤ人が律法 に反す る行い を してお り、古
の預言者の警告 に耳 を貸 していない とい う見解 になる。この第三の考 えは、そ れ
に基づいて本節 を考 えるべ き材料 とい うよ りは、む しろ、本節か ら導 き出 され る
解釈であろう。その証拠 に、この考 えを述べ たパ ウン ドの言葉 は論拠 として使 わ
れていない。さらに、以上の観点か ら導かれるカシロの結論 のなか に、この第三
の考 えが形 を変 えて出て くるのである (
2
7
5)
。
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7
4
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2
9)
.
第三の考 えを、ここでは引用箇所 のつ ぎの部分 を論拠 として使 い、繰 り返 してい
る。従 って、現代のユ ダヤ人の行 っていることはま さに r
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onの反対 にな
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" をた だ しくダビデ に帰 してい るの
ると解釈 している。その際 に "
はよいが、果た して `
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" とい うア イロニ ー を込 めた構
文 をここに読み取 ることは可能か。B節 (
7
4
/4
3
4)を考 え併せ る と、その解釈 に
7
4
/4
2
9)の "
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"の "
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" の部分 が
は無理がある。少 な くとも、A節 (
この構文では解 けない。A節 の第一要素 と第二要素 との結 びつ きについて何 らか
の考察 を試みている希少 な研究ではあるが、第二要素の同定 に関 しては唆味であ
る。その結合 に立 って、無理や り第三要素 を結 びつけている
。
この論証の 3側面の最後は、論拠 (
第三の考 え)と結論 (
現代ユ ダヤ人の反律
法的な高利貸 し)とが同 じである。 トーロ トジー と言 われて も仕方あるまい。他
の 2側面の、第一第二の考 えはパ ウン ド特有の ものでな く、特殊 な考えで もない。
これ らか ら上記のパ ウン ドについての結論 を導 くのは無理である。一般的な命 題
か ら特殊 な命題 (
パ ウン ド)を導 くことは通常 の論理 的な手続 きではで きない
。
か くして、ユ ダヤ人 自身の律法 に対す る態 度 を不正確 に語 ってい る (
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d) の 言 葉 を借 りて 、 パ ウ ン ドを
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) と して 、 ジ ラ ー ル (
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"の徒 とカシロが断ず るのは、根拠がない と言 わねばな らない
7
0
文 化 学 年 報
(
2
7
52
7
6)
。パ ウ ン ドの理解が不正確 である とい う論拠 は何 も示 されていないか
らである。それ を言 うためには第三の考 えが不正確 である とい う根拠 を示 さねば
な らない。
St
e
phe
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i
)はパ ウン ドとダンテや ウェルギ リウス との関連 を
シカ- リ (
論 じた書 (
1
9
9
1)で 、A節 と B節 との両方 に触れる。まず 、A節 はチ ャ ン ドラ ン
7
4
/4
2
9)を引 く。その うえで、ここにはイザ ヤ書 1章 2
7
節
とまった く同 じ箇所 (
への言及 が あ る と して、 テ レル と同 じく RSV を引用 す る。言 うまで もな く、
RSV を引 くのは誤 りである。シカ- リが この箇 所 を引用す るの は、パ ウ ン ドと
ヘ ブライの預言者 たち (
エ リア、イザヤ、エ レミア、 ミカ)との関わ りを明 らか
にする試みの一環 でイザヤに触 れた ものである。チ ャン ドランと同 じく、理想都
市 の建設 とい う観点か らここを読み、 "
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.
" と述べ る (
1
2
3)
。そのあ と、7
4
/4
4
0を
引いてエ レミアについて触れる。つづいて、シカ-リの議論の中心であるアユネアースに結 びつけるため に、7
4
/4
3
43
5か ら長い引用 をす る際に、B 節が含 まれ
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ることとなる。 ところが 、B節の うち "
に簡 単 に触 れ る だ け で 、 そ の つ ぎの行 (
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)はまった く軽視 した まま議論 をつづ けるので 、A 節 との関連 について
9章3
5節 か らの引用 行 ("
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は不 明瞭 であ る。代 わ りに、そのつ ぎの、 レビ記 1
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" と述べ る。結論部分 の妥
当性 は ともか く、 "
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'の語 を使 ってお きなが ら 1行 とば して 「
並置」
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し結論 を導出す るその手続 きは不可解 である。"
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" の行 を しっか り理解 した うえで この結論 を導いた な らば、説得力 あ る
議論 となったであろ う。
ギプス ン (
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on)はパ ウ ン ドとヴ ィク トリア朝詩 人 (と くに
Br
owni
ng)との関わ りを論 じた書 (
1
9
9
5)で、パ ウ ン ドは 自分の立場 をヘ ブラ
『
詩章』第7
4
歌の研究
71
イの預言者たち (
エ リア、イザヤ、エ レミア、 ミカ、お よびユズ ラ)が置かれ た
それ と同一視 しようとしている と論 じ、その文脈 で A節 と B節 との両方 に触 れ
る。ただ、それ らの詩行 としての解釈 に力点がある とい うよ りは、自分の論 点の
171)
。
例証 として、一部 を抜 き出 して使 っている (
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"(
7
4.
4
4
8)[
7
4
/4
3
4]
.
この論 じ方では、結局 は、B節 に根拠 を置いて A節 を読 んでいるに過 ぎず 、A
節の第二要素 を預言の一部 と見な して しまっている。これは誤読 とはいえない ま
で も、根拠 を欠 く読みである。
5.解読の試み
以上 、検討 した結果か ら、先行研 究の うちに A 節 と B節 とに触 れ た ものが あ
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us
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e" と
る こ とは分 か る もの の 、 異 質 な 2要 素 の並 置 につ い て 、 また "
"
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'
'との問題 について、聖書 の典拠 に基づ いて きちん と考 察 した研 究 は、
調べ た範囲ではない ことが判明す る。われわれがお さえるべ きは、パ ウン ドの一
par
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m)は、聖書のある-箇所 か らとられた並行法でな く、文
節の並行法 (
脈的に全 く異質な別々の箇所か らとられた独 自の並行法 を成 していること、その
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" との鋭 い対立 を軸 と してい る こ
並行法の結合の仕方 は "
2
2
AS
V)の別 々の箇所 か らと ら
とである。前者 をとらえるためにはある聖書 の版 (
れた とい う理解が必要である し、後者 をとらえるためにはパ ウ ン ドの この時期 の
関心のほほ中心 にあった儒教 的観点があるいは有効であろ う。
7
2
文 化 学 年 報
パ ウン ドが水戸学の会沢安 (
1
7
8
21
8
6
3
)を読 んだ、あ るい は知 っていた可能
性 は きわめて低い と考 えられるが、もし読んでいた と した ら、「
誤解」 に基づ い
2
3
て、自分の同類が ここに もいる と感 じたことであろう。ここで、会沢 を 「
誤読」
して、パ ウン ドの問題の一節 に光 をあててみたい。
1
8
5
7
)で、「見利忘義 (
利 を見て義 を忘 る)
」 と述べ る (
3
9
1)
。
会沢 は 『
新論 』(
自分の利益 のみ を考 えていては義が失 われ る と説 くのであ る
。
ここで 、利益
(
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t
)を利息 (
i
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s
t
)の意 に誤読 してみたいO利 に固執す ることは義 を
な くす ことである とい う命題 を、モーセ五書の文脈 に置いてみる。利息 をとる行
為 を禁 じる神 の律法 を無視 して、利息 をつけて金 を貸 し、みずか らの得ばか り考
える者 は、もはや義 を行 っていないがゆえに呪われると解するのである。この よ
うに解 した会沢の言葉 は、利息の追求は義 を破壊す るとい うパ ウン ドの考え方 に
見利忘義」はわれわれが問題 にす る一節 の第-第二要素 間の
通 じるであろうo 「
対立 をよく浮 き彫 りにす る言葉 とも見ることがで きる
。
さらに、会沢は 「
国無廉恥、則天下無生気、而弱形見央 (
国に廉恥 なければ、
すなはち天下 に生気 な くして、弱形見 [
あ らわ]る )」 と述べ る。国民がみな 自
己の利 を一番 に考えるような国は恥の感覚 を失い活力 をな くし、弱体化するとい
うのである。この考えは きわめて儒教的である。
この ように、会沢 を誤読 し、パ ウン ドの考 え方 に結 びつけるとい うことには、
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c
e とは根本的に相
まった く根拠がないわけではない。i
容れない ものだ とい うパ ウン ドの信念 は、会沢の言葉の背後 にある儒教の基本教
義、す なわち、個人がみずか らを律す ることがで きなければ、あるいは自己の利
益 を抑 えることがで きなければ、(
社会の)
義は達せ られず、そのことは結局 、国
の衰退 を招 くとい う考 え方 に通 じるものがあるか らである
。
ここで重要 なことは、会沢の言葉 もパ ウン ドの詩行 もほぼ同 じ構造 をしてい る
ことである。す なわち、どち らも、義 と利 とが並 び立たぬ とい うことが表 されて
会沢 )
、義 を立てようとすれ
いる とい うことである 利 を見れば義は立たない し(
O
ば利子 をつけてはいけないのである(
パ ウン ド)
。この ように、義 と利 とのいずれ
かに否定的な語 を加 えることによって、両者が並立 し得 ないことを表 している
。
その点では、パ ウン ドにおいて "
Notoutoni
nt
e
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"の "
not
" の否定の意味
は重要である。
この ように して、聖書 にはない並行法 をパ ウン ドが作 り出 し、その二要素が産
『
詩章』第7
4
歌の研 究
7
3
み出す鋭い対立 は新 しい並行法 として十分 に詩的意義 をもち、なおかつ当時のパ
ウン ドの儒教 的思想 に合致す る もの となってい る。 ところが、そのあ とに くる第
三要素 はその ような詩的並行法の均衡 を破壊す るような性格 を帯 びている。なぜ
な ら、第二要素 を高 らかにうた うダビデその人 を痛烈 に批判す る言葉 となって い
るか らである。義 と利 との鋭い対立、す なわち義 と利 とが両立 し得 ない との意義
を並行法 と して見事 に提示 してお きなが ら、その思想 を表明 していたはずの偉 大
な王 を決然 と罵倒す るO このあ ま りに も劇 的な対照 は、ただちにその理 由が理解
で きないだけに、いっそ う、この一節 の陰影 を深 くしている。
ダビデは、王 になる前、借金 に苦 しむ者 たちか ら自分たちの解放者 となる との
期待 を込めて眺め られていた (
サムエル記上 2
2
章 2節 )。 この こ とは律 法 で禁 じ
2
章2
5
節 )が多かったことを示唆す る。ダ ビデ は詩篇
られた貸主 (
出エ ジプ ト記 2
1
5
で、神 の聖なる丘 に受 け入 れて もらうためには、利息 を附けて貸 してはな らな
いことをうたっている。だ とすれば、なぜパ ウン ドはこの ように うたった ダ ビデ
を痛罵す るのであろうか。この痛罵 は、ダビデが実際にはこれ に反 している とパ
ウン ドが捉 えていることを示すのではないだろ うか。ダビデに対す る厳 しい非難
2
章 11
2
節 、 同1
6
章 51
4節 な ど)、
は旧約聖書 に多いけれ ども (
サムエル記下 1
ダビデの利息 に関す る非行 に言及す る箇所 はない。ただ し、王 になって以後 の ダ
ビデについて、借金 に苦 しむ者 に救 いの手 を差 し伸べ た とい う記述が聖書 にない
ことは、ダビデの王 としての冷淡 を示唆す る とも考 え得 る。
パ ウン ドが ダビデを "
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.
0.
b.
" と痛罵す る理 由につ いて は、間接 的
にダビデの利息観あるいは金銭観 を述べ ていると思われる聖書の箇所 と、パ ウ ン
ドの もう一つの ダビデ批判の詩 とを併せ て考 えてみ るのが有効か もしれない。 ダ
ビデが利息 を禁 じる律法 に反 した との記述 は聖書 にはないのだが、国の富 に対 す
るダビデの強い関心 はサムエル記下2
4
章 に示唆 されている。そ こでは、民 の数 を
知 ろうとす るダビデの姿勢が神 に罪 とされ、厳 しい罰 を受 ける。民の数の ような
知識 は "
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らである。人口調査 の 目的は "
3
0
4)であった。人口調査が神 の 目か ら見て良 しとされ ない理 由は明示 されてい
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ないけれ ども、 "
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rofYhwh" とい うことであ り、その ような危 険
性 は、 そ もそ も民 が王 を求 め た と きにサ ムエ ルが 指摘 した ところ で あ っ た
7
4
文 化 学
年 報
(
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0
4)
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1
Sam.8:
1
01
2)
" と述べ ている (
3
0
4)
。パ ウン ドの詩 "
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4)
における H̀
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6
4)の非難 の対象 とな って い る
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Dav
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dとは、「
戦の人」 としての ダビデ (
サ ムエ ル記 上 1
7章 1
8節 以下 な ど)であ
るように思われ る。ダビデが人口調査 を悔 い改めた 目に、彼の預言者であるガ ド
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e
" に主 の祭壇 を築 くよう
が "
4章 1
8節 )。 これに応 え
にと (
い う神 の命令 を)ダビデに伝 える (
サ ムエ ル記 下 2
て,エブス人アラウナは、麦打 ち場 だけで な く、bur
nts
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f
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c
eに必要 なあ ら
ゆる もの (
牛や薪 な ど)をダビデ王 に無償 で提供 しようと申 しでる。 ところが 、
ダビデはこの 申 し出を断 り、麦打 ち場 と牛 とを銀で買い取 るのである。この よう
なダビデの態度 は、あ ま りに も金 にこだわ り過 ぎている とパ ウン ドは見なすか も
しれない。そ うだ とすれば、それはパ ウン ドにイザヤ書 1章 (
われわれが問題 に
す る一節の第一要素 )を想起 させ たであろう。そ こでは、多 くのいけにえ を良 し
としない神が、 "
Zi
ons
hal
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i
c
e"(
ASV)とい うのであ る
。
シオ ンは決 して金 (
で買い取 られた捧 げ物 )によって購 われることはない。サ ム
エル記下2
4章が伝 える、ダビデが築 いた主の祭壇 はモ リヤ山にあるが、これ はの
ちにソロモ ンが神殿 を建てる場所 である (
歴代誌 下 3章 1節 )
。 ダ ビデの詩篇 1
5
(
われわれが問題 にす る一節 の第二要素 )は神殿 の庭 ("
hol
yhi
l
l
")に参 内で き
る者の資格 をうたってお り、その ような者 とは利息 を附けて銀 を貸 さぬ者 となっ
ている。これが、サムエル記下2
4
章 におけるダビデの行動 に矛盾す るとパ ウ ン ド
は考 えたのか もしれない。つ ま り、金で主の祭壇 の地 を、す なわち、の ちの神殿
5をうたう資格 な どない。 さらに、イザヤ書 1章 に も
の地 を買い取 る者 は、詩篇 1
反 している、 とい うことになる。以上 をまとめる と、パ ウン ドが イザヤ書 1章 と
5とを結 びつけて書いた とき、念頭 にあった背景 はサムエル記下2
4章 と歴代
詩篇 1
誌下 3章 1節 ではないか。こう考 えれば、われわれが問題 にす る一節の第三要素
が第二要素 を破壊す るような働 きを している理 由 も理解で きる。その ような背 景
2
4
を考 える手がか りはパ ウン ド自身が短詩 "
Al
f
'
sNi
nt
hBi
t
" に残 している
。
パ ウン ドは、意識 していたにせ よしていなかったにせ よ、「アメ リカのエ レミ
ア」の偉大 な伝統 につ らなって、母国の不正 を正そ うとしていたけれ ども、最後
『
青草」第7
4
歌の研究
7
5
にはエ レミアが人間の気 ま ぐれに関 して言 う言葉 に反 していた と気 づ く。ASV
によるエ レミア書 1
7
章9
節は "
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" とある。パ ウン ドはヴェネツィア
で死 ぬ 直前 (
1
9
7
2) に 、us
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dPr
os
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,3) とい う
言葉 を残 している。 もし、そ こまで遅 くなる前 にこの ことに気づいていれば、会
沢 と同 じような言い方 を、彼 にふ さわ しい詩的言語 において、見 出 していたか も
しれない。会沢の言葉 は人間性 に巣食 う傾 向 を しっか り見つめていた。すなわち、
利益へのあ くなき欲望 は義 を破壊 し、究極 的には国 を衰 えさせ る とい う傾 向で あ
る。会沢が この ことを認識 していたのは、彼 の水戸学がその基礎 を儒教 に置 い て
いたか らである。パ ウン ドはこの ことに気づ くべ きであった。彼 はム ッソリーニ
政権 を矯正す るのが主たる 目的で、イタリアにおいて孔子 をイタリア語 に翻訳 し
ていたか らである。
註
1 本論は、1
9
9
8
年1
0月3
1日に日本エズラ ・パウン ド協会大会 シンポジウム 「パ ウン ドとイタリア」 にお
いて発表 した内容 を出発点 とするが、その後の研究 をふ まえて新たに構築 した ものである。
2 『詩章』第7
4
歌 、4
2
9頁を示す。パ ウン ド研究者が用いる慣習的記述法であ る。文末 の引用 文献 に示
される 『
詩章』の版 を見れば、引用場所が特定で きる0
"
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0.
b.
" という言葉は、旧約聖書 において最 も偉大 な君主 とされ (
詩篇8
9の2
7
節など)
、
新約聖書 においてはキリス トの祖 とされる (
マ タイ 1章 1節)人物 に対する形容 としてはそ ぐわない。
3
信徒 にとっては冒湧的 とも映る言葉であろう。
4 第7
2歌の 93
5行 は "
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5年 1月 1
5日付 けの Ma
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ana紙 (イ タ リア海 軍 の 新 聞 ) に 、 ま た 第 7
3歌 は "
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'の題で1
9
45
年 2月 1日付 けの同紙 に発表 された。発表媒体が特殊 なため、一般読者 の
27
3
歌が初めて触れたのは1
9
8
51
8
6
年 と考えてよいだろう。なお、ICa
T
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Sは 、1
9
4
9年 の英 国
目に第7
版 『ピサ詩章』 と同様 に、第7
4
歌 においてダビデ王 と同格語句 をなす箇所 ("
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he pr
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0.
b.
'
'
)を
削除 してある。この削除はパ ウン ドの最終校訂 を反映 した ものである可能性 はあるが、註 には削除の説
明はない。 その前 の 2行 は "
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4
7)
。ただ し、それ以前 に出た 、Al
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diが イ タ リア語 に訳
di
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de" と訳す (
した 『ピサ詩章』(
Ca
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9
7
7)は同箇所 を載せ、 "
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put
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ana]
" と訳 している。その前の 2行の訳は deRac
he
wi
l
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zと殆 ど同 じだが、最後の 2語 をパ ウン
Davi
dr
e
x" としている (
l
l)
0
ドの表現そのままに "
5 第7
2
歌 と第7
3
歌 との執筆時期の推定は Bac
i
gal
upoによる (9)。第72歌の引用 は以下、『
詩章』1
9
9
5
年版による。
6 教皇 シクス トゥス とは、 システ ィナ礼拝堂 の建 立 を命 じた 4世 (
1
4
1
4-8
4) の こ とで あ ろ う と
Bac
i
gal
upoは推定する (
1
3)
0
7 ブ ル ッカー (
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U.S.
]
Ar
my" を持 っていたと記す (
3
0
9)
。だが、その根拠 は明示 していないCなお、パ ウン ドが収容所 内の
76
文 化 撃
年
報
0
歌5
1
3頁で書 くスピア編の詩集には AV か らの抜粋 が含 まれている
振込み便所の便座で見つけた と第8
ne
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s編の TheBi
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が、その抜粋の基 となる版 は Er
Li
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ngLi
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・
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ur
eとある (
2
5)
。同詩集 を見 る限 り、AV とは異な り、すべて詩の形式 で印刷 されて
3、2
4、9
5、1
21
が収め られているQイザヤ書 を含め預言者 は収 め られ
いる 詩篇の うちでは詩篇 8、2
ていない。なお、パ ウン ド収容時 、DTCの司令官であった St
e
e
l
eは、全捕虜が持つのを許 された読み
物は TheBi
bl
eのみであった と記憶すると書いている (
2
9
3)
。
8 これ以外 にも、カ トリックの版 に至 るまで、パ ウン ドが各種の聖書の翻訳 を知っていたことは疑 いが
ない (
01
s
on,5
8)
。
9 ヘブライ文字の翻字方式は Koe
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rに従 う (1:l
XV
1
Ⅹvi
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)
0
1
0 同 じような危険は、た とえば、 日本語訳の場合にも存在する。カ トリックとプロテス タン トで共通 に
用い られる現行の標準 日本語訳である新共同訳聖書 (
1
9
87,1
9
8
8)はイザヤ書 1章2
7
節 を 「シオ ンは裁
O
きをとお して購われ / 悔い改める者 は恵みの御業 によって購われるO
」 とし、「
裁 き」の語 を用いてい
る。
l
l 「キ リス ト教 は "
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e" を推 進 す る に は 明 らか に不 適格 な宗 教 であ る ("
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alc
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y")
」 と、パ ウン ドは西欧の宗教論の なかで
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8)
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述べている (
1
2 このほかに、1
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4
0年頃に書かれた Cat
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41).なお 、ne
畠
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は AV では一貫 して "
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y" と訳 されているが、注意 しなければならないのは、聖書語法 において
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" を意味す る とい うこ
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" の意では用い られていない とい
と、また、 "
うことである (
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,そこで、ASV においては、ネヘ ミア書の 2例 をのぞ き、
AV の "
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ury" は "i
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" に置 き換 えられるのだが、 この `
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" なる語 は AV では用い
られていない (
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5
7)
0"
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乱"Cant
oと呼ばれる第4
5
歌 においてパ ウン ドは
これに相当するラテン語 "
us
ur
a" を特 によく用いているが、ラテ ン語 としては "
1
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Le
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,1
9
3
8) を意味す る。 新約 聖書で は事情 が違 うが
(
マ タイ2
5章 2
7節 な ど)、 それは ローマ帝 国 にお ける "
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mac
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" を反映 しているか らである (
Br
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sandWe
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gl
e,3
57)
。ところが、パ ウン ドは "
Us
ur
a
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dsonに対 して "
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Cant
oについて、D.G.Br
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ot
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s
t
i
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'とコメン トしている (
1
72 )
。この語 を使った ときに読者が誤解する可能性 を意
ani
mal
sandpl
ant
s'
識 していたといえる。
1
3 第1
0
0
歌補遺は現行の英米の版では巻末に置かれ、 "
Adde
ndum f
orC" という題が附けられている。
これを本来の位置である第71
歌 と第7
2歌 との間に収めた唯一の版がイタリア版の ICaT
L
t
OSである。 同
Adde
nda'
'と訂正 されている。
版では題 も "
1
4 テ レルの註解の最後の部分は原文では角括弧である
1
5 このことを指摘する手紙 をテ レルに1
9
9
8
年 に送ったが、今に至 るまでその点に関する返事はない。
1
6 パ ウン ド研究の専門誌 Pai
de
umaの第1
2巻 1号 (
1
9
8
3)が同書で扱われている最新の号 であ り、 同
誌の第1
3
巻 (
1
9
8
4)以降への言及はないので、同書で取 り扱われている研究は1
9
8
3
年 までの もの と判 断
で きる。ただ し、当時末刊行の ものであって も草稿の段階で参照 されている研究 も存在する。たとえば、
。
Wi
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aPound,1
9
8
5が第1
0
4
歌の解釈 に使われて
いる。
1
7 パ ウン ドは Fr
obe
ni
usのほうを Fr
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rより好み、T.S.El
i
otに対 して も1
9
4
0年 2月 1目付 けで
"
Howe
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C,Hi
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77
『
詩章』第7
4歌の研究
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odr
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s.
" とい う手紙 を送っている (
Le
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'
・
S
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3
6)
0
1
8 パウン ドは、1
9
4
2
年にイタリア語で書いた CaT
・
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adau
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s
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t
aと、1
9
4
4年にイタリア語で書いた Or
oe
l
au
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oのなかでこの件 に関 し肯定的に書いている0両者 とも、John Drummondはつ ぎの ように英
訳 している。"
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9 「第一イザヤ」 とは、今 日の旧約聖書学において一般的な、イザヤ書 を二つない し三つに区分す る見
9章 を指す。 この見方ではその部分の著者 を預言者 イザ
方をとった場合の第一の部分で、第 1章か ら第3
ヤ (
紀元前 8世紀)と見な し、他の部分は別人の著作 と見る
。
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0 イザヤ書 1章 1
1-1
4節 に見 られ る "
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7
3)
。念 のため、 アブ
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41).この 「そよ風」のことをカシロは "
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2
7
5)
。 ところが、このアブワー ドの発言はイザヤ書 1章1
ト1
4節 (第イサヤ)に対するものなのに、この 「
そよ風」は第二 イサヤの基礎 であるとアブワー ドは主張 してい る
とカシロは書 くのである (
2
7
5)
。パ ウン ド論の本筋か らずれているだけでな く、アブワー ドに対す る反
論の論旨も混乱 してお り、根拠 と結論 とが対応 していない。
2
1 この RB はパ ウン ドが第二次大戦中に行ったラジオ放送を収めた Doob編 の書 を指す 。 カシ ロが引
9
42
年 5月 4日の放送である (#3
3)
。なお、同日の放送 の は じめの ほ うで "
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とパウン ドは言っているが、聖書 については要約的な発言があるだけで、聖書か らの引用はない。
2
2 並行法の分析 においては 、Lowt
h 以来の伝 統 的 な 3分類 (
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ms)を基礎 として考えるのが一般的である。その見方 に立 てば、 ここの並行 法
は第三の型である総合的並行法 と見なす ことがで きる。Lowt
hはこの型 をつ ぎの ように定義 してい る 。
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7)
.第一の要素 (
述べ、第二要素はダビデ王の詩篇を引いて、利子 を附けて金 を貸す こと-の反対 を唱える。両者 は二 つ
の違 う内容 を表すが、組み合わさると、国家のひとつの理想状態 を表 しているO一
応、この ように伝統
的な過行法の分類 に従 って考えることはで きるが、パ ウン ドはここでは別の効果 も産み出 してい る 第
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" との対立関係 を浮 き彫 りに し、後者 を
二要素に否定形 を使 うことによって、 "
追求するならば前者は失われるであろうとの含意 を持たせているのである。このように、総合 的であ り
なが ら (
潜在的に)対立的であるような並行法の型 とい うのは新機軸であ り、少な くとも現代 詩 におい
てこれを用いることはパ ウン ドの発明になると認め られて しかるべ きであ ろ う。Lowt
h以来 の さまざ
まな並行法の型の議論については Be
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nのす ぐれた要約 を参照の こと (
1
5
562)。 また、パウン ドと並
行法の関連については拙論 「
パ ウン ドの詩 とヘブライ詩」(
1
9
9
5)を参照 の こ と なお 、 "redeem" の
"
redeem'
' に相 当す
部分について も、もうひとつ別の対立 を読み取 ることが可能であるo とい う
のひとつ との対照 を成
るヘブライ語は 2種類あ り、その うちのひとつが ここで用いられていること
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すからであるOここで用い られてい るのはT
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" を意味する。この ような 2語の対照 を念頭に置 くな ら、第一
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" を意味 し得 るが、それは "
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"に深 く関係 した第
る。
2
3 藤田幽谷の弟子である会沢安(
正志斎 )
は後期水戸学を代表する学者で
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あ
る書物のひとつである 『
新論』は 日本の歴史、なかでも
古事記 (712) と
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化
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場 か ら再解釈す る こ とを 目指 した ものであ る。
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4 この詩 は現行 の決定版短詩集 (
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引用文献
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