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トルコ共和国における国民舞踊の創造/松本奈穂子
トル コ共和 国 にお ける国民舞踊 の創造 松 序 本 奈 穂 子(お 茶の水女子大学大学院) 国 」 を指 す が, 実 際 には この 語 彙 は広 義 ・狭 義 双 方 を含 む 地 域 の名 称 と して も, そ こ に住 む トル コ 語 系諸 民 族 の 総 称 と して も用 い られ る。 本 論 で は 「トル コ」 とい う語 彙 の単 独 で の使 用 は 避 け る。 本 研 究 は, トル コ共 和 国 に お け る 国 民 舞 踊 の創 出過 程 を 明 らか にす る こ とを 目的 とす る。 異 文 化 交 流 あ る い は異 民 族 間の 軋 櫟 の解 決 が 大 きな課 題 とされ てい る今 日, 多 民 族 ・多 文 化 が 交 錯 す る ト ル コ共 和 国 の舞 踊 を整 理 し,「 国家 」 とい う枠 組 み にお け る再 構 築 の 過程 を明 らか に す る こ とは, 例 え ば 国 家 と して の トル コは 「トル コ共和 国」 と 記述 す る。 さて, トル コ共 和 国 で は, 1924年 憲 法 第88条 に て 「トル コ共 和 国 にお い て は, 宗 教 お よび 人種 の 課 題 解 決 へ む けて の 大 き な示 唆 を与 え て くれ る と 考 え られ る(注1)。 また, 国 民 舞 踊 の 「創 造 」 とい う観 点 か らの検 討 は, 従 来 舞 踊 学 に お い て舞 台 芸 術 舞 踊 と は一線 を画 して 検 討 さ れ が ち な民 族 舞 踊 へ の ア プ ロー チ に新 た な 方 向 性 を与 え, た と え ば民 族 音 楽 学 に お け る フ ォー ク ロ ア と フ ォー クロ リズ ム とい う捉 え 方 に と ど ま らず, 舞 台 舞 踊 と して 他 の 芸術 舞踊 との比 較 検 討 を可 能 にす る視 点 を提 起 で き よ う。 区別 な しに 国籍 の 見 地 か ら全 住 民 を トル コ人 とい う」 と規 定 し, 現 行 の1982年 憲 法 第66条 に お い て は, 「トル コ国 籍 を 有 す る者 はす べ て トル コ人 (=ト ル コ市 民)で あ る」 と規 定 して い る。 内 情 は, 40以 上 の 少 数 民 族 を内 包(Andrews l989)す る多 民 族 国 家 で あ り, 公 式 の 見 解 と して は, トル コ共和 国 内 にお け る少 数 民 族 は, 宗 教 の 違 い に よ り, ギ リ シ ャ人, ア ル メ ニ ア 人, ユ ダ ヤ 人 の3つ と され て い る。 彼 らの帰 属 意 識 の所 在 に は微 妙 な 調査 は, 文 献調 査, 面 接 調 査, 参 与 観 察 等 の 方 法 を と った。 各項 と も, 1996年6月 か ら1997年9 月 にか け て, イ ス タ ンブ ー ル の 国 立 トル コ音 楽 院 留 学 時, お よび1998年8月 ∼9月, 1999年8月 ∼ 9月 の 現 地調 査 が 主 体 とな っ て い る。 差 異 が あ り, 何 らか の少 数 民 族 の範 疇 に属 して い て も, 自 らの 出 自, 民 族 へ の帰 属 意 識 が 濃 厚 で あ る と, 「 『トル コ共 和 国 民 』 だ が, 『トル コ人 』 で は ない,『 ○ ○系 トル コ共 和 国民 』 で あ る」 と い う認 識 に な る。 逆 に この 意 識 が 希 薄 で あ る と, 1ト ル コ共和 国 に お け る 国 民舞 踊 の 創 出 過 程 1-1ト ル コ共 和 国 民 とい う認 識 トル コ人 の祖 国, す な わ ち現 代 の トル コ共 和 国 (1923年 建 国)に ほ ぼ該 当 す る地 域 を 「トノ レコ」 と呼 ぶ試 み は, 19世 紀 後 半 に な っ て や っ と芽 生 え た に す ぎな い(山 内1993: 118-124)。 己の国 を 「トル コ」 と して認 識 す る感 覚, 自 らの こ と を 「トル コ共 和 国民 」=「 トル コ人 」 とい う認 識 に な る。 い ず れ にせ よ, 自身 が 「トル コ共 和 国 民 」 であ る, とい う認 識 は, 誰 にた ず ね て も, 揺 ら ぎ の ない 認 識 で あ る とい え る。 「トル コ」 人 と して 認 識 す る感 覚 は比 較 的 新 しい もの で あ る。 しか し, この 「トル コ 人」 とい う概 念 も, 後 述 す る よ う に曖 昧 な点 を多 々含 ん で い る。 広 義 の トル コ と は, ユ ー ラ シ ア大 陸 を東 西 に貫 く乾 燥 地 帯 を 中心 に住 む, トル コ語 系 諸 言 語 を使 用 す る トル コ系 諸民 族 の総 称 で あ る とさ れ て い る。 こ の広 義 の 「トル コ人」 す なわ ち 「トル コ系 諸 民 族 」 との連 帯 感 は, トゥ ラ ン主 義(注2)お よび 汎 トル コ主 義(注3)と い った 思 想 と は性 格 を異 にす る もの の, ミ ッ リエ トチ リ ク(注4)す なわ ち トル コ共和 国民 とい う意 識 ・愛 国 心 形 成 の た め に利 用 され た。 一方, 狭 義 の トル コ と は, トル コ 1-2「 国 民 舞 踊 」 の用 語規 定 1980年 代 以 来 現 在 に至 る まで, トル コ共和 国 に お け る い わ ゆ る 「民 族 舞 踊 」 「民 俗 舞 踊 」 に対 し て用 い られ る 用 語 と して最 も定 着 して い る の は, 「TurkHalk Oyunlar テ ユ ル ク ・ハ ル ク ・オユ ン ラル」, 直 訳 す る と 「トル コ の民 衆 舞 踊(テ ユ ル ク=ト ル コ, ハ ル ク=民 衆, オ ユ ン ラ ル=舞 踊)」 で あ る。 こ こで い う 「トル コ」 とは, 公 式 の見 解 で は トル コ共 和 国 民 全 体 を指 して い る とい え よ うが, 実 際 に踊 る人 々 の認 識 の レベ ル に よ り, トル コ共 和 国民 全 体 に も, トル コ語 系 諸 民 族 の み を指 す も の と して も解 釈 さ れ う る。 この 「トル コ」 とい う語 彙 の 曖 昧 さ を避 け るた め, さ らに民 衆 の 日常 生 活 レベ ル で の舞 台 化 され て い ない 舞 踊 と区 別 す る た め, 本 論 で は, 公 定 化 され た 「国 民 共 和 国 を中 心 に, バ ル カ ン諸 国, シ リ ア, キ プ ロ ス, イ ラ ク等 に居 住 す る トル コ系 諸 民 族 を指 す。 日本 で は一般 に トル コ とい う語 彙 は 「トル コ共 和 文 化 」 と して の舞 踊 を 「国 民 舞 踊 」 と し, 国 民 舞 踊 化 され ず, 公 定 の規 定 に と らわ れ ない 舞 踊 は, -31- そ の ま ま 「民 衆 舞 踊 」 と して 区 別 して 記述 す る。 1-4国 1-3思 想 的背 景 19世 紀 か ら芽 生 え は じめ て い た フ ォー ク ロ ア と い う概 念 は, オ ス マ ン朝 末期 ズ ィヤ ・ギ ョカ ル プ, 国民 舞 踊 の創 出 に向 けて 具 体 的 な活 動 を行 った の は, セ リム ・ス ッル ・タル ジ ャ ン(1873-1953) で あ っ た。 トル コ共 和 国 にお け る身 体 教 育 の始祖 で あ る タル ジ ャ ンは, 1917年 イス タ ン ブ ー ル にお キ ョ プ リ ュ リ ュ ザ ー デ な ど帝 国 内 の知 識 人 ら に よっ て, そ の 「応 用 」 が 説 か れ始 め る。 「民 衆 文 化 か らの 国 民 文 化 の創 造」 とい うギ ョカ ル プ の提 唱 は トル コ共 和 国 の 国 民 文化 の形 成 に 強 い影 響 を 与 え た。 音 楽 の分 野 に お け る彼 の思 想, す な わ ち 「民 衆 音 楽+西 洋 音 楽=国 民 音 楽 」 とい う図 式 け る 「第 一 回体 操 フ ェス テ ィバ ル」 に て初 めて の 民 俗 舞 踊 公 演, エ ーゲ 海 地 方 の 舞 踊 で あ るゼ イベ ク(注5)公 演 を果 た す。 「国 民 舞 踊 」 と して彼 が 創 出 したゼ イベ クは, しか しなが ら, 多 数 の ゼ イベ クの 収 集, 吟 味 の末 に編 み 出 され た, 「国民 的 特 質 を とどめ た」 民 俗 舞 踊 動 作 をモ チ ー フ とす る彼 の 『創 作 舞 踊 』 で あ っ た。 こ の ゼ イ ベ ク は 1917年 以 来, 師 範 学校 で タル ジ ャ ン 自 らが教 え て お り, 1925年 には イ ズ ミル に お け る公 演 で, トル コ共和 国建 国 の 父 ア タテ ユ ル ク か ら 「 全 国民 に踊 られ るべ き」 と賞賛 さ れ, 現 代 トル コ共和 国 の イ メ ー ジ にふ さわ しい と して, 1920-30年 代 に か け て踊 られ続 け た(ozturkmen 1998: 231)。 彼 の ゼ イ ベ クの創 出活 動 は, 20世 紀 初 頭 に お け る国 民 (G6kalp1999: 147)を 国民 音 楽 の創 出 に実 際 に 応 用 した の は, 音 楽 学 者 で あ り, 民 俗 学 者 で もあ る マ フム ー ト ・ラ ー グ プ で あ っ た。 「トル コ民 俗 音 楽 の調 べ が 中央 ア ジ ア起 源 で あ る」 こ と,「 民 衆 音 楽 と西 洋 音 楽 との総 合 」 は柔 軟 性 を もた せ な け れ ば な ら ない, つ ま り 「個 人 の創 作 の 自 由」 を も考 慮 に い れ るべ きで あ る, とい う彼 の 主 張(ベ ハ ー ル1994: 232-240)は, そ の ま ま国 民 舞 踊 の創 造 に も反 映 され て い る とい え よ う。 そ れ ど こ ろ か, 現 在 の 国 民 舞 踊 の継 続 的 な創 出 の過 程 にお い て も, この3要 素 は重 要 な柱 と な って い るの で 舞 踊 創 出 とい う視 点 とそ の 実 践, そ して そ れ を記 録 に と どめ た とい う点 で, 重 要 な位 置 を 占 め てい る とい え よ う。 あ る。 す な わ ち, こ れ ら3要 素 を国民 舞踊 にお け る用 語 に置 き換 え る な ら ば,「 汎 トル コ主 義-広 義 の トル コ との 連 帯 意 識 」 「西 洋 的 要 素 の付 加 」 「コ レオ グ ラ フ」 と い う こ とが で き よ う(図1)。 こ れ ら3要 素 を念頭 に置 い た 上 で, 国民 舞 踊 の創 1-5フ ォ ー ク ロ ア活 動 の 組 織 化 及 び 「トル コ」 とい う認 識 の 強 化 組 織 的 な フ ォー ク ロア の 収 集 活 動 は, 19世 紀 か ら始 ま っ てい た。 そ れ らは 帝 国 内 の 主 だ った 少 数 民 族 に よ る各 々 の 言 語 や工 芸 品 の 収 集 な どが, 組 織 的 活 動 に よ って 各 々 の民 族 の ア イ デ ンテ イテ イ 造 過 程 を検 討 す る こ と とす る。 図1ラ 民 舞 踊 の朋 芽 期 一 タル ジ ャン に よ る国 民 舞 踊 創 造 の試 み一 ー グ プ の 思 想 に 基 づ く国 民 舞 踊 の 成 立 要 因 -32- を啓発 す るた め に始 め られ た の が発 端 で あ る 上 げ るた め の最 適 の 組織 で あ った。 地 方 にお け る (fJzturkmen 1998: 420 トル コ民 族 主 義 者 ら に よる, トル コ民 族 主 義 を 基 盤 と した, 上 記 の よ う な組 織 が創 られ るの は, 20世 紀 に入 っ て か らの こ とで あ る。1912年3月 に は, 共和 国 設立 前 後 の フ ォー ク ロア 活 動 に最 も大 き な役 割 を果 た す公 的 組 織 「テ ユ ル ク ・オ ジ ャク ラル(ト ル コ の炉 辺)」 が 設 立 さ れ る。 同組 織 に お け る フ ォー ク ロ ア に関 す る活 動 と して は, 「ト ル コ民 族 の文 化 の継 承 ・維 持 の た め」 に伝 統 的慣 民 衆 舞 踊 も, こ の経 路 を通 じて, 国民 舞 踊 と して 国家 へ と集 約 さ れ て い っ た の で あ る。 中 央 に集 め られ る舞 踊 は, 舞 踊 の種 類 別 で は な く, た とえ ば 「エ ル ズ ル ム 県 の 舞 踊 」 な ど の よ う に, 所 属 す る 行 政 単 位 の 名称 で 類 別 さ れ, 踊 られ る よ うに な っ て い っ た。 習 ・伝 説 ・民 謡 ・諺 等 の 収 集 等 を行 う と と もに, 「地 方 の 舞 踊 の 形 成 」 と 「西 洋 音 楽 と西 洋 の ス ポ ー ツの 青 少 年 へ の奨 励 」 が 行 わ れ て い た。 少 な く と もこの 時 期 か ら国 民 舞 踊 の 組織 的 収 集 ・形 成 が な され て い た こ とが, 理 解 で き よ う。 この 国 民 舞 踊 の 組織 的 収 集 ・形 成 の根 底 には, 常 に 「 広義 の トル コ」 へ の 関 連 づ けが 意 図 され て お り, そ れ は今 日に 至 る まで, トル コ共 和 国民 を束 ね る 政策 と して, 連 綿 と続 い て い る。 1-6「 民 衆 の家 」 の 誕 生 1932年2月19日,「 ハ ル ク ・エ ヴ レ リ(民 衆 の 家)」 と呼 ば れ る 国民 啓 発 の ため の組 織 が, 共 和 人民 党 政 府 に よ り, 開設 され た。 「民 衆 の 家 」 の 二 大 目的 は,「 社 会 改 革」 と 「文 化 ・芸 術 活 動 を 通 じて の西 欧 化 」 で あ っ た。 後 者 は国 民 文 化創 出 の ため の 「 『民 衆 文 化 』 と 『西 洋 文 化 』 の 融 合」 を 目的 と して お り, 先 に述 べ た ギ ョカ ル プの 思想 を受 け継 ぐもの で あ っ た とい え る。 これ ら を通 じ て 国民 意 識 の 確 定, 全 国 民 の 団結 力 強化 の た め に 「『民 衆 の 家 』 にお け る フ ェ ス テ ィバ ル や 国民 の 祝 日な どで 『 公 定 文 化 』 と して踊 られ る慣 習」 が つ く りあ げ ら れ て い っ た の で あ る(ozturkmen 1998: 70-71, 114-116)。 こ の よ うに従 来 継 承 され て きて い た コ ンテ クス トか ら離 れ, 多 様 な人 々の 前 で踊 る とい う現 象 に は, 当 然 なが ら もとの 1-7民 間舞 踊 組織 の 出 現 1950年 代 は, フ ォー クロ ア活 動, と りわ け 国 民 舞 踊 活動 に多 大 な変 化 が現 わ れ た 時期 で あ る。 こ れ まで 「民 衆 の家 」 とい う国家 主 導 型 の組 織 内 で 収 集, 享受 され て きた国 民 舞 踊 は, 国 家 の保 護 の 下 か ら脱 し, 民 間 組 織 の 支 援 の 中で, さ らに活 動 の 発 展 を続 け た(注7)。 「民 衆 の 家 」 の 閉鎖 か ら, 民 間 の舞 踊 組 織 の 隆盛 に至 る まで の 空 白期 間 を埋 め た のが, 大 学等, 大都 市 に お け る 高 等教 育 に従 事 す る学 生 た ち の舞 踊 活 動 で あ っ た。 彼 等 が 行 った 国 民 舞 踊 活 動 は, 舞 踊 が 内包 あ る い は 深 く 関 与 す る, 本 来 の社 会 的機 能 を切 り捨 て, 単 に 身 体 動 作 の コ ピ ー に終 始 す る傾 向 をつ く りだ した。 これ らの 学 生 国 民 舞 踊 運 動 は次 第 に組 織 化 さ れ る ようにな り, 60年代 にはます ます盛 ん になる(注8)。 50年 代 に お け る 学 生 国 民 舞 踊 活 動 と双 壁 を なす の が1955年 に 設 立 され た 民 間 組 織 「トル コ国 民 舞 踊 普 及 継 続 協 会」 で あ る。 この 時代, 地 方 同 士 の 舞 踊 紹 介, そ れ ら を一 同 に 集 め て 同 一 プ ロ グ ラム 内 で 順 に 公 演 す る こ とで 「国 民 舞 踊 レ パ ー ト リ ー」 の成 立 に役 立 て る とい う方 法 は, 「 民衆 の 家 」 の 時代 に始 ま り, 同組 織 に よ っ て確 固 と した もの に され た(ozturkmen 1998: 2o3-204)。 こ の 意 味 にお い て, 同組 織 の 開催 した フ ェ ス テ ィバ ル の 意 義 は 大 きい とい え る。 民 間 にお け る国 民 舞 踊 活 動 が 著 しい 中, 国 家 管 轄 の組 織 も設 立 され つ つ あ った。1960年 に は教 育 省 の管 轄 下, 各 郡 ご と に民 衆教 育 セ ン ター, 1966 年 に は 「 国 民 フ ォ ー ク ロ ア協 会 」 が 設 立 され た。 両 組 織 は, 国民 文 化 の教 育, 普 及 に お い て, 大 き な役 割 を果 た して お り, 国民 舞 踊 活 動 の活 性 剤, あ るい は維 持 装 置 的役 割 を果 た して い る。 民 間 国 民 舞 踊 組 織 活 動 の活 発 化 の 陰 に は, こ れ ら国家 直 轄 組織 にお け る国 民 舞 踊 推 進 活 動 が あ る とい え よ う。 この よ う な経 過 を経 て, 「国 民 舞 踊 を踊 る」 慣 習 は, トル コ共 和 国 の 明 らか に主 要 な大 衆 文 化 の 一 つ に な って い った。 舞 踊 を舞 台 用 に改 作 す る とい う作 業 が 行 われ, 各 地 方 で舞 台 化 され た これ ら舞 台 化 舞 踊 の 中か ら全 国 各 地 で踊 られ る 国民 舞 踊 の レパ ー トリー が 集 め られ て い っ た。1950年 に民 主 党 が 政 権 を掌 握後, 1952年 に廃 止 さ れ る ま で, 同 組織 は社 会教 育, 文 化, 体 育 な ど の新 しい民 衆 活 動 を農 村 の 隅 々 ま で 普 及 させ, 国 民 教 育 を推 進 す る上 で 大 きな役 割 を 果 た した(注6)。 ま た, 各 支 部 の 活動 の独 自性 と, そ れ らの 中央 へ の 集 約 に よっ て, 各 地 方 ご と の独 自性 の 相 違 と, そ れ らす べ て を一 要素 と して 50年 代 に盛 ん に な りは じめ た公 民 双 方 に よ る国 民 舞 踊 活 動 の 一 つ に, 「国民 舞 踊 コ ン クー ル」 と い う形 態 が あ る。 この 活動 が もた ら した新 しい局 集約 す る国 民 文 化 とい う認 識 形 成 の推 進 に も貢 献 した。50年 代 以 前 の, 共 和 人 民 党 時 代 にお け る フ ォー ク ロア は,「 祖 国 に関 す る知 識 の蓄 積 」 の た めの 手段 で あ り, そ の 知 識 の 普 及 が 政 府 の 管 理 の もとで効 果 的 に実施 され て い た とい え る。 「 民 面 は 「国民 舞 踊 レパ ー トリー」 の確 定 化 で あ る。 50年 代 か ら60年 代 に か け て 国際 フ ェ ス テ ィバ ル と と もに組 織 さ れ た多 くの コ ンク ー ル活 動 は, 国民 衆 の家」 は これ らの知 識 を地 方 か ら 中央 へ と吸 い 舞 踊 を踊 る こ とに たい す る興 味 の 増 加, 音 楽 家 ・ -33- に, 最 終 的 に は集 約 され る の で あ る。 「国 内外 ヘ ァ ビニ ル す るた め の 国民 舞 踊 」 は, 鑑 賞 す る側 と され る側 の視 点 ・審美 眼 の変 化 と と もに, そ れ に あ った形 で修 正 を加 え な け れ ば評 価 され な い。 か な り柔軟 にな った とは い え, 常 に存 在 す る 一定 の 制 約 下 で の 国 民 の 自発 的 な舞 踊 活 動 の 中 か ら, 新 鮮 な 国民 舞 踊 の ス タイ ルが 創 出 されつ づ け てい る とい え よ う。 舞 踊教 師 ・衣 装 屋 の市 場 の提 供, 人気 の ない 舞 踊 の衰 退, 新 しい 舞 踊 の 収 集 活動, 舞 台 化 な どを促 進 した。 1-8国 立民族舞踊 団設立 1976年, 観 光 省 の も と, 国立 民 族 舞 踊 団 が 設 立 され る。 この こ とに よっ て, そ れ まで に普 及 して い た レパ ー トリー の さ らな る確 立 が促 進 され, 国 民 舞 踊 の様 式 化 が 国家 の 政 策 の も と合 法 化 され た。 そ の ス タイ ル は テ レ ビ放 送 を通 じて全 国 的 に浸 透 して い く。現 在 の 同舞 踊 団 の 国民 舞 踊 に対 す る認 識 は, 「 民 衆 舞 踊 」 の要 素 を生 か した 「舞 台 芸術 舞 踊 」 に な って い る(注9)。 す なわ ち, ラー グ プ の思 想 に 基 づ く国 民 舞 踊 の成 立 要 因, 「コ レオ グ ラ フ」 と 「西 洋 的 要 素 の付 加 」 が 重 要 視 され て い る。 広 義 の トル コ との連 帯 意 識 が 基 盤 とな って い る の は, 国 家 の 政 策 上, い うまで も ない。 1-9音 楽 院 にお け る 国民 舞 踊 教 育 1984年 イ ス タ ン ブ ー ル の国 立 トル コ音 楽 院 に, 1-11異 な る視 点 一 「民 族 別 分 類 」 の導 入前 述 の よ う に, 一 般 的 に 国 民 舞 踊 の 分 類 は, 「国民 舞 踊 文 化 」 の一 部 を県 ご とに構成 す るパ ー ツ と して, 県 別 に行 われ てい る。 これ は, 多様 な 民 族 が 混 在 す る 国 内 を穏 便 に統 括 す る ため の 国 家 の政 策 と して有 効 で あ る と考 え られ る。 す なわ ち, 県 とい う行 政 上 の区 画 に よ る分 類 に よ って個 々 の 舞 踊 が 本 来 有 してい る民 族 色 を弱 め て い る とい え る。 一 方, 民 間国 民 舞 踊 活動 組織 の 中 に は, 民 族 別 分 類 の も と舞 踊 活 動 を行 って い る組織 も存在 す る。 彼 らの 舞 踊 活 動 は, 県 とい う行 政 上 の 区分 を 越 えた, 出 自 を同 じ くす る民 族 間 の ネ ッ トワー ク を持 ち, 各 々 の独 自の文 化 継 承 を 目的 と して い る。 そ の 事 例 と して, 本 論 で は カ フカ ス舞 踊 を と りあ げ る。 トル コ共和 国 にお け る カ フ カ ス舞 踊 は, 全 国各 地 で カ フカ ス系 トル コ共 和 国民 に よっ て継 承 され な が ら も, 同 国東 北 部 の カ ル ス県 の舞 踊 と して, しか もカ フカ ス とい う, トル コ共 和 国 とは異 な る 国民 舞 踊 学 科 が 開 設 され る。 当 学 科 で は, 通 例 に な らい, 舞 踊 を各 県 ご とに分 類 し, 原 則 と して, 当該 県 出 身 の教 師 が, そ の県 の 舞 踊 を教 え る, と い う形 式 を とっ て い る。 こ こで 教授 され る舞 踊 の 性 質 は, オ ー セ ン テ ィ ッ ク な もの, す な わ ち コ ミュ ニ テ ィの 中 で 継承 され て い る コ レオ グ ラ フ を 伴 わ な い舞 踊 と され, 舞 台 化 の た め の授 業 は, 各 地 舞 踊 の実 技 授 業 とは 別 に設 け られ て い る。 しか しなが ら, オ ー セ ンテ ィ シテ ィ を謳 い なが ら も舞 地 域 ・民 族 を表 す名 称 を保 持 した ま ま 国民 舞 踊 の 一部 に取 り込 まれ た数 少 ない 舞 踊 の一 つ で あ る。 台 化 の授 業, バ レエ の授 業 が 設 け られ て い る こ と は, 国 立 国民 舞 踊 団 同様 民 衆舞 踊 と西 洋 的 要 素 と の融 合 が, 根 底 に意 図 され て い る こ とは明 らか で しか しな が ら, 一 見 トル コ と は異 な る よ うに見 え て, ア ゼ リー とい う広 義 の トル コ の一 民 族 を内 包 す る カ フカ ス地 域 の舞 踊 は, ラ ー グ プ の思 想 に基 づ く国民 舞 踊 の成 立 要 因 を三 つ と も兼 ね 備 えて い あ る(注10)。 1-10創 造 の継 続-「 国民 舞 踊 」 の形 成「国 民 意 識 」 形 成 の た め の 国民 舞 踊 形 成 にか わ り, 1990年 代 後 半 に あ ら わ れ て き て い る現 象 は 「舞 踊 表 現 にお け る多 様 性 」 で あ る。 「文化 省」 の 「オー セ ン テ イ シ テ イの追 及 」(注11), 「 教 る とい え る。 トル コ共 和 国 が 多 様 な民 族 を束 ね る ため に, 個 々 の民 族 独 自の 文 化 を巧 み に国 の 文化 の一 部 と して吸 収 し, トル コ共 和 国 民 も同 舞 踊 を 積 極 的 に享 受 してい るケ ー ス の 好 例 とい え よ う。 以 下 に, この 事 例 の検 討 を通 じて, さ ら に国 民舞 踊 成 立 要 因 モ デル を模 索 す る。 育 省 」 の 「時代 の ニ ー ズ に適 っ た舞 踊 」(注12), 「青 少 年 体 育 省 」 に お け る 「オ ーセ ンテ ィ ッ ク」 と 「コ レオ グ ラ フ」 とい う分 類 の見 解(注13)に 2事 例: 国 民 舞 踊 と して の カ フカ ス 舞 踊 2-1ト ル コ共和 国 とカ フカ ス 見 られ る よ う に, 開始 当初 の 「国 民 意識 」 形 成 と い う 目的 は薄 ら ぎつ つ あ り, か わ って 舞踊 表 現 形 現在 一 般 に カ フ カス(コ ー カ サ ス と もい うが, 本 論 で は カ フ カ ス で統 一 す る)と 呼 ば れ る 地 域 (図2)は, 16世 紀 以 来, オ ス マ ン帝 国 とイ ラ ン, 18世 紀 以 降 は ロシ ア も含 め て の領 土 拡 張 の た め の 態 の 多様 性 が 模 索 され は じめ てい る。民 間 レベ ル にお い て も, 比 較 的 自 由 な舞 踊 活動 が行 わ れ て い る。 彼 らの 国 民 舞 踊 活 動 は, 「アメ リカ の ス テ レ オ タイ プ 的 な フ ォ ー ク ダ ンス 活 動 よ りは, ブ レー ク ダ ンス を楽 しむ 感 覚 に よ り近 い」 とい うジ ェ フ キ ン の 指 摘 は 言 い 得 て 妙 と い え よ う(Cefdn 1993: 111)。 こ れ らす べ て の模 索 は, も う一 つ の政 策 「トル コ共和 国 の 文化 的 イ メ ー ジ」 の 創 造 戦場 とな っ て い た。1921年 の トル コ ・ソ ヴ ィエ ト 友好 条約, カ ル ス条 約 に よ る 国境 の確 定 に よ り, トル コ共 和 国 とカ フ カス 諸 国 の接 す る地 域 は, 人 為 的 に線 が ひ か れ た ものの, 同 じ文 化 を共 有 す る 地 域 で あ る とい え る。 特 に, 現 トル コ共 和 国 の東 -34- 図2カ フ カ ス地 域 図 (O.Ozbay「Kuzey Kafkasya」 よ り) 北 に位 置 す る カ ル ス県(注14)は, 他 の カ フカ ス 地域 同様 大 国 の領 土 争 い の 中 に常 にあ った。 ゆ え に同県 は トル コ共 和 国 内 の 「カ フ カス 地域 」 とい る者, う位 置 づ け に あ る とい え よ う。 本 研 究 で は, カ フカ ス本 国 に お い て 旧 ソ連 体 制 下, 国 民 舞 踊 と して高 度 に舞 台化 され た舞 踊, 及 び そ れ を も とに して各 民 族 舞 踊 活 動 組織 に お い て 踊 られ る公 演 用 の舞 踊 を 「舞 台 化 カ フ カ ス舞 踊 」 と し, トル コ共 和 国 に お け る カ ル ス県 の 国民 舞 踊 と して1950年 代 以 前 に公 定 化 さ れ た カ フ カ ス舞 踊 を 「カ ル ス ・カ フ カス 舞 踊 」, 一 方50年 代 以 降 民 間 の 国民 舞 踊 活 動 の 中か ら新 た に誕 生 した, 概 念 と して の 「カ ル ス ・カ フ カス 舞 踊 」 と舞 踊 動 作 と して の 「 舞 台化 カ フ カス 舞 踊 」 の 融合 体 を 「カ フ カ ス 国民 舞 踊 」 と規 定 して 記 述 す る。 また, カ フ カス 系 トル コ共和 国 民 の あ い だ で, 結 婚 式 な ど民 2-3本 2-2カ フ カス 系 トル コ共 和 国民 「カ フ カス 人」 と は カ フ カ ス地 域 の住 人 を指 し, 特 別 に民 族 集 団 を意 味 して は い な い。 この地 域 の 住 民 構 成 は複 雑 で あ るが, 言 語 上 か ら, カ フ カス 諸 語 系(グ ル ジア 語, ア デ ィゲ 語 な ど), イ ン ド ・ヨ ー ロ ッパ 語族 系(ア ル メニ ア語 な ど), ア ル タ イ諸 語系(ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン語 な ど)に3分 で き る。 この ア ル タイ諸 語系 民族 中 の トル コ語系 諸 民 族, と りわ け ア ゼ ル バ イ ジ ャ ンの アゼ リー系 ト ル コ民族 が, 広 義 の トル コ人 へ の 帰 属 意 識 と と も に, トル コ共 和 国 とカ フ カス との接 点 と な って い る と考 え られ る。 さて, 本 論 で い うカ フカ ス系 トル コ共和 国民 と は, この カ フ カス 諸 民 族 に起 源 を持 つ トル コ共 和 国民 を指 す。 祖 国 か ら現 在 の トル コ共 和 国土 内 に 移 住 して き た もの(主 に北 カ フカ ス系), 現 在 の 国境 確 定 以 前 か ら トル コ共 和 国領 土 内 に住 んで い る者(主 に南 カ フ カ ス系)な どに分 類 され る。 彼 と多 種 多様 で あ る。 論 に お け る カ フカ ス 舞踊 の用 語 規 定 衆 の 社 会 生 活 レベ ル に お い て 踊 られ て い る舞 踊 は 「民 衆 カ フ カ ス 舞踊 」 と して 区別 した。 な お, こ こで の 名 称 の分 類 は現 地 で使 用 され て い る もの で は な い が, 各 レベ ル で の舞 踊 の特 徴 を 明 らか に す るた め に, 本 論 で便 宜 的 に用 い る もの で あ る。 2-4カ ル ス ・カ フ カ ス舞 踊 カ ル ス 県 は, トル コ共 和 国 の東 北 に位 地 し, グ ル ジ ア, アル メ ニ ア, アゼ ルバ イ ジ ャ ン等 と国境 等 の ア イデ ン テ ィ テ ィ の所 在 は, 他 の トル コ共 和 国民 と同様 で, 「カ フ カ ス系 」 で あ る こ とを強 く 認 識 す る者, ま った く認 識 す る必 要 が ない と考 え を接 して い る。 古 来 様 々 な民 族, 国 家 に領 有 され た歴 史 を持 ち, 1878年 か ら1920年 まで は, ロ シ ア -35- ・ソ ヴ ィエ トの 支 配 下 に あ っ た。 多 様 な 国民 文 化 ジ ャ ン系, 北 カ フ カス系, の 一 部 と して トル コ共 和 国 が 国家 と して こ の カ ル ス県 の舞 踊 に与 え た役 割 の 一 つ, あ る い は カ ル ス 県 の舞 踊 が 国 民 舞 踊 の一 部 を形 成 す る もの と して 次 第 に獲 得 して い っ た特 質 は, 「勇 者 た ち の フ ロ ンテ ィ ア」(Baranseli 1965)(注15)と い うロ マ ンテ ィ ッ ク な イ メ ー ジ の表 象 と, 「汎 トル コ主 録 画 に よ り, 民 族 的 カ フカ ス舞 踊 の舞 踊 動 作 に多 くの 変化 が あ らわ れ る よ うに な っ た。 各 種 舞 踊 グ ル ー プは, そ れ らの舞 踊 ス タイ ル を模 倣 し, 公 演 の レパ ー トリー に取 り入 れ る よ うに な っ た。 興 味 義 」 の体 現 で あ る。 国 境 を超 え て カ フ カス を横 断 し中央 ア ジ ア の トル コ民 族 へ と続 くイ メ ー ジの 連 続 は, トル コ共和 国 の 国民 文 化 の国 際 性 を も象 徴 した。 そ の 国 際性 は トル コ民 族 だ け で な く, カ フ カ ス の歴 史 的 背 景 を通 じて ロ シ ア ・ヨ ー ロ ッパ へ もつ な が る もの で あ っ た。 この 国民 舞 踊 と して の カ ルス ・カ フ カス 舞 踊 と は, 一 般 に男 性 は チ ェル ケ ス カ(男 性 の 上 衣。 写 真 参 照)を 身 に つ け, 激 しい 舞 踊動 作 を伴 い, 伴 奏 楽 器 と して は, 両 面 太 鼓 の コル トゥ ク ・ダ ヴル とア コ ー デ ィオ ン も し くは鍵 盤 楽 器 ガ ル モ ンが用 い られ る舞 踊 で あ る。70年 代 には, 国民 舞 踊 と し て の カ ルス ・カ フ カ ス 舞 踊 は, 教 育 機 関及 び民 間 舞 踊 組 織 にお い て 全 国 的 に 人 気 の あ る レパ ー ト リー の「 つ と して定 着 して お り, 国 内外 の フ ェ ス テ ィバ ルや コ ンク ー ル にお い て も多 々踊 られ て い る。 2-5国 グル ジ ア系 の3種 に大 別 され る。 カ フ カス諸 国 か らの 国 民 舞 踊 団 に よる トル コ共和 国 内 で の公 演 は民 族 的 カ フ カス 舞踊 グ ル ー プ活 動 に拍 車 をか け, ビデ オ テ ー プ の 流入 ・ 民 文 化 と して の 「シ ェ イ ブ ・シ ャ ー ミ ル」 ま た は 「レズ ギ ンカ」 深 い の は各 系 統 と も, 協 会 で対 内外 的 に行 う舞 台 化 カ フ カス舞 踊 と, 村 で の 結 婚 式 な ど, 内輪 で 行 う場 合 の民 衆 カ フカス 舞 踊 とが, レパ ー トリー, 舞 踊 動 作 な どの観 点 か ら明 らか に 区別 して実 施 ・ 伝 承 され て い る点 で あ る。 民 衆 レベ ル と協 会 レベ ル で の差 は, 衣 装 の 有 無, 楽 器 の 数, 舞 踊 動作 の 難 度 な どに あ らわれ て い る。 協 会 にお け る舞 台化 カ フ カス 舞 踊 活 動 は, 対 外 的 な もの, 全 トル コ共 和 国民 に 開か れ た もの で あ る と もい え る。 す な わ ち, 民 族 レベ ル と国 家 レベ ル の 舞 踊 の接 点 で あ り, ナ シ ョナル ダ ンス の形 成 に 一役 買 っ て い る とい え よ う。 実 際, これ ら協 会 に お け る, 特 に ア ゼ ルバ イ ジ ャ ン系 統 を 中心 と した舞 台化 カ フカ ス舞 踊 が 国 民 舞 踊 と して の カ フカ ス舞 踊 と して取 り上 げ ら れ て い るの で あ る。各 系 統 ご とに異 な る特 色 を持 つ が, 唯 一 共 通 して い る レパ ー トリー は, 「レズ ギ ン カ」 ニ 「シェ イ ブ ・シ ャ ー ミル」 の名 称 で 知 られ る 舞 踊 で あ る。 「勇 者 た ちの フ ロ ンテ ィア」 カ ルス 県 を視 覚 的 に表 象 す る媒 体 と して, 勇 壮 で激 しい 舞 踊 表 現 を 2-7国 特 徴 とす る カル ス ・カ フ カ ス舞 踊 は格 好 の 素 材 で あ った。 そ して, そ の 中 で 「シ ェ イ ブ ・シ ャ ー ミ ル」 あ るい は 「レズ ギ ン カ」 の名 で 呼 ばれ る同 一 の 舞 踊 は, この イ メ ー ジ を表 象 す るの に最 もふ さ わ しい舞 踊 で あ った。37年 のサ イ グ ンの 著 書 を は じめ と して, カル ス の 舞 踊 あ るい は カ フカ ス の舞 踊 と して最 も頻 繁 に言 及 され るの は, この 「シ ェ イ ブ ・シ ャー ミル」 あ るい は 「レズ ギ ンカ」 で あ る。 「レズ ギ ンカ」 とは, 本 来 ダゲ ス タ ン共 和 国 の レズ ギ族 の舞 踊 と され, 「シ ェイ ブ ・シ ャー ミ ル」 は, こ のバ リエ ー シ ョンの一 つ と され て い る。 国立 国民 舞 踊 団 の レパ ー トリ ー は, 国 家 の カ フ カ ス舞 踊 に対 す る見 解 が 広 義 の トル コ民 族 との 連 本 来 の 「レズ ギ ンカ」 は, 男 女 一対 で踊 られ る求 愛 舞 踊 とさ れ るが, 国民 舞踊 と して踊 られ る場 合 は, 爪 先 立 ち や, 膝 で の 着 地, 回転 な ど難 技 を こ ら した男 性 の踊 り比 べ の よ うな形 態 で踊 られ る。 帯 感 に基 づ く もので あ る こ と を, 如 実 に示 して い る。 同舞 踊 団 の カ ルス ・カ フ カス 舞 踊 は 「レズ ギ ンカ」 な ど実 際 に民 衆 カ フ カス 舞 踊 にお い て も踊 られ て い る舞 踊 と, アゼ ル バ イ ジ ャ ン語 の 有 名 な 民 謡 に カ フ カス 風 の振 り付 け を施 した創 作 舞 踊 か らな る。 す な わ ち, 舞踊 ス タイ ル には カル ス県 の カ ルス ・カ フ カス舞 踊 で は な くて も, そ の イ メ ー ジ を想 起 させ る もの で あ れ ば取 り込 ん で も よい, とい う姿 勢 が, 暗黙 の うち に承 認 され て い る。 こ の 姿 勢 は, 各 舞 踊協 会 を は じめ, 各 種 コ ン クー ル へ の 出場 グル ー プの レパ ー トリー に も反 映 され る。 カル ス ・カ フカ ス舞 踊 の 国立 国民 舞 踊 団 に お け る位 置 づ け は, そ の 「舞 台 芸 術 」 と して の価 値 に お い て他 の レパ ー トリー よ り も高 く評 価 され て い る。 華 や か な舞 台構 成, 観 衆 の熱 気 を沸 き立 たせ る音 楽 や舞 踊 が公 演 の最 後 に最 もふ さわ しい とさ れ て い る(注16)。 この, い わ ば 「陳 列 型 公 演 形 国内 外 の フ ェ ス テ ィバ ル で カ ル ス県 の 国民 舞 踊 が 踊 られ る と き, フ ィナ ー レ を飾 る の は ほ とん どこ の舞 踊 で あ る。 2-6民 立 国民 舞 踊 団 にお け る カ ル ス ・カ フ カ ス舞 踊 族 的 舞 台 化 カ フカ ス舞 踊 活 動 の 興 隆 態 」 に お け る カ ル ス ・カ フ カス 舞 踊 の位 置 づ け も, 民 間舞 踊 協 会 の公 演 形 態 に反 映 され て い る。 民 族 的 カ フ カス 舞 踊 活 動 が 本 格 的 に始 動 しは じ め るの は, 「民 衆 の 家 」 閉鎖 後 の1950年 代 か らで あ る。 こ の 活 動 を行 う民 間 の 協 会 は ア ゼ ルバ イ -36- 2-8「 融 合」 カ フ カス ・トル コ国民 舞踊 の 誕生 一 一 般 大 衆, そ して 国外 へ 一 前 述 した協 会 に お け る舞 台 化 カ フ カ ス 舞 踊 は, 公 演 な ど を通 じて対 外 的 に そ の存 在 が知 られ る よ う にな る。 ま た, 国 立 国民 舞 踊 団 の 「イ メ ー ジ 重 視 」 の 姿 勢 が, 民 間 に も浸 透 す る。 そ の よ うな 中 で, ア ドリー ・ア イ テ ル に よ る カ ル ス ・カ フカ ス 舞踊 と舞 台化 カ フ カス 舞 踊 との 融 合 が 行 わ れ る。 アイ テ ル は1989年 トル コ共和 国 の代 表 と して, カ ル ス ・カ フカ ス グル ー プの デ ィ レ ク タ ー と して, フ ラ ンス の デ ィ ジ ョ ンで 毎 年 開催 され る国 際 民 族 舞 踊 フ ェ ス テ ィバ ル に参 加, 優 勝 を もた らす。 こ の と きカ ル ス ・カ フカ ス と して踊 られ た 舞 踊 に は, 従 来 の 定 式 化 され た カ ル ス ・カ フカ ス 舞 踊 は ま っ た く含 まれ て お らず, そ の実 体 は ダゲ ス タ ン国 立 民 族 舞 踊 団 とア ゼ ルバ イ ジ ャ ン国立 民 族 舞 踊 団 の 舞 踊 レパ ー トリーの 混 合, 抜 粋 で あ っ た。 つ ま り, こ こで い う融 合 とは, 国民 舞 踊 と して の カ ル ス ・ カ フ カス 舞 踊 とい う公 定 の認 識 と, 舞 踊 動 作 と し て の民 族 的 舞 台 化 カ フ カス 舞 踊 の 融 合 を指 す。 い ず れ にせ よ, カル ス ・カ フ カス 舞 踊 の 名 の も と に舞 台化 カ フ カス 舞 踊 が 踊 られ る こ とが 暗 黙 の うち に認 め られ る よ う に な り, 以 後, 出 自 を カ フ カス系 諸 民 族 に限 定 せ ず, 舞 踊 レパ ー トリ ー-もカ フカ ス 国民 舞 踊 の み に限 定 しない, 民 間 の 一 般 的 国 民 舞 踊 グ ル ー プ の カ ル ス ・カ フ カ ス 舞 踊 の レ パ ー トリー に, この カ フカ ス 国民 舞 踊 も含 まれ て い くこ とに な る。 特 に カ フカ ス 国民 舞 踊 の精 力 的 な活 動 を行 っ て い る の は, イ ス タ ンブ ー ル ・ハ ル ク ・ダ ン ス ラ ル観 光 協 会(以 下IHTD, 1989年 設 立)で あ る(注17)。 当協 会 の メ ンバ ー の 中 に は, カ フ カス 国 民 舞 踊 を小 ・中 ・高 ・大 学 等 教 育 機 関 の課 外 活 動 で 教 え てい る者 も多 い。 こ の よ うに し て, カ フ カス 国 民 舞 踊 活 動 は, よ り広 い 国民 舞 踊 活 動層 に波 及 しつ つ あ る。 国 民 舞 踊 コ ン ク ール の 要 項 の 一 部 に は, 「トル コ共 和 国 域外 の 舞 踊 の 名 称 で 出場 す る場 合 に はユ ス キ ュ ッ プ ・ トル コ, カ フ カス ・トル コの よ う に 『トル コ』 名 を付 加 す る こ と」 とい う規 定 が 設 け られ て い る こ とが あ る。 こ う した規 定 の 設 定 か ら, 民 間 か ら発 した 国民 舞 総括 本 研 究 か ら浮 上 して きた カ フ カス 国 民 舞 踊 の成 立 要 因 と して は 「 民衆舞踊 の一形式が国家 によっ て 国民 文 化 の鋳 型 には め な お され る作 業 」 「エ ス ニ シ テ ィに根 ざ した舞 踊 活 動 の 集 約」 「舞 踊 そ の もの の魅 力 に起 因す る大 衆 の支 持 」(図3)な ど が 挙 げ られ よ う。 これ らを具 体 的 に カ フカ ス舞 踊 に あて はめ てみ る と, まず 概 念 と して の ア ゼ リー ・ トル コ を通 じての 「広 義 の トル コ」 との 関連 性 の 内 包, 及 び 実 際 に は トル コ共 和 国 の ほ ぼ全 域 で 踊 られ て い る 民 衆 カ フカ ス舞 踊 の, カル ス 県 へ の 概 念上 の 集約 が, 国家 に よ り, 国 民 文 化 の 鋳 型 に は め直 さ れ る作 業 と し て 行 わ れ て い た。 また, 「エ ス ニ シ テ ィに根 ざ した舞 踊 活動 」 す なわ ち各 カ フカ ス民 族 系 統 の文 化 協 会 に お け る舞 台化 カ フ カ ス舞 踊 活 動 が, 各 民 族 の ア イ デ ンテ イテ イの 維 持 継 承 の機 能 を果 たす と とも に, 国民 文 化 形 成 に も貢 献 してい る こ とが 観 察 され た。 さ らに, カ フ カス 国 民 舞 踊 の もつ, コ レオ グ ラ フ等 に よる強 調 され た 華 や か さ を は じめ とす る魅 力 に よ り, 舞 踊 そ の もの の オ ー セ ンテ ィ シテ ィが さ ほ ど追 求 さ れ る こ とな く, 一般 大衆 に よっ て も好 ん で 踊 られ て い る こ とが観 察 され た。 大 衆 の 嗜 好 と コ レオ グ ラ フ とは密 接 な 関係 に あ り, 新 た な モ ー ドを作 り出 す 上 で も欠 かせ な い要 素 で あ る とい え よ う。 バ レ エ ・テ ク ニ ック の応 用 な ど の西 洋 的要 素 の付 加 は, 共 和 国初 期 の近 代 的 な イ メ ー ジ を作 り出 す とい う 目 的 で は もは や な く, コ レ オ グ ラ フ の必 然 性 と し て 位 置 づ け られ よ う。 これ らの 成 立 要 因 は, 例 え ば トル コ共和 国 内 の ヨー ロ ッパ 側 で あ る トラ キ ア 地 方 の 諸 舞 踊 に もあ て は まる こ とか ら, 同国 に お け る新 た な国 民 舞 踊 の成 立 要 因 と して 提 唱 で き る と考 え られ る(注18)。 ま た, 民 衆 舞 踊 か ら国 民 舞 踊形 成 の過 程 で, 舞 台 化 舞 踊 とい う中 間層 が 存 在 し, 国民 舞 踊 へ の い わ ば予 備 群 と して 機 能 して い る こ とが確 認 さ れ た(図4)。 両 モ デ ル は, 同 踊 活動 が 国家 に よっ て 制 限付 きで は あ れ承 認 され つ つ あ る の が理 解 で き よ う。 ま た, カ フ カ ス 国民 舞踊 を レパ ー トリー の 一部 と して加 え る とい う一 般 国 民 舞 踊 協 会 の 姿 勢 か らは, 大 衆 の 同 舞 踊 レ パ ー トリー に対 す る嗜 好 が窺 え る。 こ の よ うに し て, 現 在 で は, カ フ カ ス 国民 舞 踊 は, 共 和 国 の 多彩 な 舞踊 文化 の 一 つ 」 と して, 同舞 踊 が 与 え る鮮 烈 な イ メ ー ジ を脳 裏 に刻 み付 け て帰 る の で あ る。 国家 の政 策 で あ る 「文化 の 宝 庫 」 トル コ共 和 国 の イ メ ー ジ を 国外 に発 信 す る機 能 を, カ フ カス 国 民 舞 踊 は十 分 に果 た して い る とい え よ う。 トル コ共 和 国 の代 表 レパ ー トリ ー の一 つ と して 国 内 外 の様 々 な フ ェス テ ィバ ル, コ ン ク ール 等 で 踊 られ てい る。 国 内 にお け る観 光 客 相 手 の ナ イ トク ラ ブや ホ テ ルで の ター キ ッ シ ュ ナ イ トにお い て も, 同 舞 踊 は 国 民舞 踊 シ ョ ーの 最 後 を華 や か に飾 る舞 踊 レパ ー トリー と して 欠 か せ ない。 観 光客 た ち は 「トル コ -37- 国 に お け る他 の 国民 舞 踊 の 検 討 に際 して, 有 用 な 指 標 とな り うる と考 え られ る。 今 後 の展 望 と して は, 舞 台 化 カ フ カ ス舞 踊 の最 も重 要 な レパ ー トリー で あ る レズ ギ ン カ の形 成 過 程 をた ど る と と も に, 動 作 分 析 を も含 め て, 民 衆 舞 踊 が 舞 台 化 舞 踊, そ して 国民 舞 踊 と して鋳 直 さ れ る段 階 で, どの よ うな 要素 が重 要視 ・拡 大 され, 何 が そ ぎお と され て い くの か を検 討 し, 現代 の 国 民 舞 踊 創 造 の過 程 にお け る ダ イ ナ ミズ ム を捉 えた い と考 え る。 また, 国民 舞 踊 を舞 台舞 踊 の 中 に位 意 義 につ い て も, さ ら な る検 討 を試 み たい。 置 づ け る 要 素 と して 重 要 で あ る, コ レ オ グ ラ フの 図3 カ フ カ ス 国 民舞 踊 の成 立 要 因 モ デ ル 例1カ フカス舞 踊 踊 られ る環境: 一般 国民舞 踊 活動 グル ー プ におけ る 公演 レパ ー トリ 一の 呼称 ニカル ス ・カ フカ ス舞 踊 衣装: カ フカス舞 踊衣 装(写 真参 照) 踊 られ る環 境: 民族 的舞踊 活 動グ ル ープ にお ける 公演 レパ ー トリーの 呼称: 各 民族 の言 語 によ る 衣装: カ フカス 舞踊衣 装(写 真参 照) 踊 られ る環境: 結 婚 式 割礼 式な ど レパ ー トリーの 呼称: 各 民族 の言 語 によ る 衣装: 平服 図4 国民舞踊の創 出過程 モデル -38- 注1: 注2: トル コ共 和 国 にお け る 国民 舞 踊 につ い て の 主 要 参 考 文 献 と し て は Cefldn (1993), ozurren (1998)等 が 挙 げ られ る。 に行 うか に つ い て は, 様 々 な意 見 が とびか い, 解 決法 が 模索 され て い る(Derh 1991)。 トゥ ラ ン主 義: 19世 紀 後 半 にハ ン ガ リー の 東 洋 学 者 ア ル ミ ン ・ヴ ァムベ リー ら に よ っ て提 唱 され た もの で, トル コ系 諸 民 族 を 中 民 舞 踊 の舞 台 化 に まつ わ る諸 問題 」 につ い て の シ ン ポ ジ ウ ムが 首 都 ア ン カラ にて 開催 され た(文 化 観 光 省1988)。 また, 国民 心 に, 時 に は ブ イ ン人, モ ン ゴ ル 人, マ ジ ャー ル 人, トゥ ン グ ー ス諸 族 な ど を も含 め た アル タイ 及 び ウ ラル 両 語 系 諸 民 族 の 一 舞 踊 教 育 を ど う行 うべ きか に つ い て も, 1990年 に 「トル コ国 民 舞 踊 の教 授 に まつ わ る諸 問 題」 につ い て の シ ンポ ジ ウ ム が文 化 体性 を追 及 し よ う とす る立 場 で あ る。19世 紀後 半, ロ シ ア統 治 下 の トル コ系 住 民 の 間 に生 まれ た トゥ ラ ン主 義 は, 「青 年 トル コ」 革命 後, オ ス マ ン帝 国 内 に もち こ ま れ 省 主 催 の も と開 催 され た(文 化 省1991)。 音 楽 とい う言 葉 を舞 踊 に置 きか え る な らば, 中村 の い う 「国民 音 楽 」 「現代 都 市 音 楽 の オ ーセ ンテ イシ テ イ」 「民俗 的 ポ ピ ュ ラー 1987年 に は文 化 ・観 光 省 主 催 の 「トル コ国 た。 注3: 注4: 多種 多 様 な 国民 意 識 の統 合 を図 るケ マ リズ ム の6原 則(ジ ュ ム ブ リイ ェ トチ リ ク=共 音 楽 」 とい っ た概 念 が, 現代 の トル コ共和 国 にお け る 国民 舞 踊 の現 状 に た いへ ん近 い もの と い え よ う(中 村1991: 65-87)。 注10: 民 俗 学 者 タ ン は, 国 立 国民 舞 踊 団 お よび音 楽 院 にお け る国 民 舞 踊 学 科 に お い て, バ レ エ の 教 育 は 必 須 で あ る と述 べ て い る(Tan 和 主 義, ミ ッ リエ トチ リク=ナ シ ョナ リズ ム, ハ ル ク ジ ュル ク=民 衆 主義, デ ヴ レ ッ 注11: 汎 トル コ主 義: トゥ ラ ン主 義 か ら生 ま れ た, トル コ民 族 の一 体 性 を追 及 す る 立 場。 ミ ッ リエ トチ リク: 1937年 に条 文 化 され た, 1991)a トチ リク=・国 家 資 本 主 義, ラ ー イ ク リ ク= 世 俗 主 義, イ ン ク ラ ー プ チ リ ク=革 新 主 義)の 一 つ。 トル コ民 族 の歴 史 と伝 統 を 自 覚 して健 全 な愛 国 心 と国民 文 化 を昂揚 しよ う とす る もの で あ る。 こ の観 点 か ら, トル コ語 文 字 改 革, トル コ語 純 化 運 動, トル コ 注12: 1998年9月 教 育省E.ギ き取 り調 査 に よる。 注14: 現 在 カ ル ス 県 か らは ア ル ダ ハ ン県, ウ ー ド ゥル 県 が 独 立 して い る が, 国民 舞 踊 と し て の カ ルス ・カ フ カ ス舞 踊 形 成 は両 県 が 独 立 す る前 の1950年 代 以 前 で あ る の で, 本 論 文 で は カ ルス 県 と一 括 して扱 う。 注15: 古 来 カル ス 県 の 位 置 す る場 所 は, オ スマ ン 帝 国, ロ シ ア, イ ラ ンな ど大 国 の勢 力 争 い の場 で あ り, 戦 場 で あ っ た。 共 和 国 設 立 直 手 はせ ず, 抑 揚 の あ る ゆ っ た り と した動 作 で 踊 られ る。 ハ ル クエ ヴ ィは1963年 に再 び開 設 さ れ るが, そ の 機 能 は す で に 時代 の 要 求 にか な う もの で は な く, 昔 日の よ う な活 発 な活 動 は行 わ れ なか った。 活 動 の 中 心 は専 ら国 民 舞 踊 の 収 集 活動 に あ て られ た(Baykurt Oztiirkmen 1998: 207-2090 前, トル コ側 に と って は カル ス 地 方 は ロ シ ア か ら奪 回 した 前線 で あ り, カ フ カス 諸 民 族 は場 所 が ら常 に戦 場 で あ った こ とか ら勇 士 と して の 覚 え が 高 か った。 これ らの こ と か ら, この よ う な呼 称 が使 わ れ て い る。 l976: 85, 注7: ジ ェ フキ ンは構 造 的 には, ハ ル クエ ヴ レ リ の役 割 は民 衆 教 育 セ ン ター にゆ だ ね られ た と述 べ て い る(Cefkin l993: 32)。 注8: 舞踊 活動 を含 む, 主 な 学生 活動 組織 と して は,「 トル コ国民 学 生連 盟 」,「 トル コ国 ュ ロル 氏 か らの 聞 注13: 1998年9月 青 少 年体 育省 エ ロル ・ハ ジベ キ ル オ ウ ル氏 か らの 聞 き取 り調 査 に よ る。 現 語 学 協 会 ・トル コ歴 史 学 協 会 の 設立 な ど が 実 施 され た。 注5ニ ゼ イベ ク: トル コ共 和 国 西 部 工 一 ゲ 海地 方 の, 本 来 は傭 兵 の 踊 りとい わ れ る舞 踊。 連 注6: 1998年9月 文 化 省 ア フ メ ッ ト ・チ ャ クル 氏 か らの 聞 き取 り調査 に よ る。 注16: 1998年9月 国立 国民 舞 踊 団 団 長 ム ス タ フ ァ ・ トゥラ ン氏 か らの 聞 き取 り調 査 に よる。 注17: トル コ共 和 国 で は, 多 くの民 間 国民 舞 踊 グ ル ー プ に 「Turizm Demei トゥー リズ ム ・ デ ル ネ イ(観 光 協 会)」 とい う名称 が使 わ れ るが, そ の大 半 は舞 踊 活動 の み を行 い, 民舞 踊 連 盟 」,「 イ ス タ ンブ ー ル 大 学 学 生 連 合 」,「 国 民 トル コ学 生 連 合 」 な どが 特 別 に観 光 案 内活 動 等 を行 っ て は い な い。 IHTDも 同様 で あ る。 挙 げ られ る。 注9二1998年9月 ア ンカ ラ に て, 国立 民 族 舞 踊 団, トゥル グ ト氏 か ら の 聞 き取 り調 査 に よる。 な お, この オ ー セ ンテ ィシ テ ィを巡 る論 争, 注18: 1998年9月 トル コ 国立 音 楽 院 国民 舞 踊 学 科 長B.ク ル テ ィ シ ュ オ ウ ル氏 か らの 聞 き取 り調 査 に よ る。 す な わ ち コ ン ク ー ルや, フ ェ ス テ ィバ ル に お け る公 演 に伴 う民 俗 舞 踊 の舞 台 化 を い か -39- 主要参考文献: ANDREWS, Peter Alford (ed.) 1989 Ethnic Groups in the Republic of Turkey. 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