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Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 ・・・~~ 旭川医科大学第ー4回卒業者
第 口 71 写 'F成4年3月25H 編集 旭 川 厚 発行 山田 守 英氏) 鼻ー ー 、 セ ﹁ し 」 ・ 瓢 驚膿 こ 撫ボ 麟購 b, 算13期 凧9N荊 Φ/φ/掴 。}。1荊 。N。}。/"/ΦNOIO/。/。}。Nq◇}φ/ΦNΦN甲 第14期 生 を 送 る に あ た っ て ・・ …・ …学 長 …2 原 田教 授 第14期 卒 業 生 を送 る に あ た っ て … ・Nll秀 道 …3 新 歓 合 宿 の お 知 らせ14 旭}ll医 科 大 学 第14回 卒 業 者 名 簿4 卒 業 生 、Φ λ零 「旭 川 市 文化 奨 励 賞 」 受 賞14 学 生 団 体 の 設 立 ・継 続 届 に つ い て14 卒 業す る にあ た っ て 碓 井Il{…4 病 院 ロ ビ ー で クi)ス マ ス コ ンサ ー ト行 わ れ る …14 六年 間 とい う時 間の 中 て 梅津 暁 子 …5 教 官 の 異 動14 卒業にあたって イ 夘川 丁中幸 …5 平 成n年 退官にあたって 一法医学36年問の思い出 退官にあたって 一岡の歳 月一 退官にあたって 一匹 ∫い残したいこと … 石橋 小 野 寺 壮 占 …7 …… 保坂 明 朗 …8 退官にあたって 一内群 から臨床検査医学へ一 牧 野 幹 男 …9 退官にあたって 一創業ど械 とし・ ずれか難きか一 美 甘 助 教 授 に昇 任 して 衛藤 旭 川 医 大 に 留 学 し てPA勇 戴 賦 心、献 心u,t賦 …16 平 成4年 度 前 期 分授 業 料 免 除 及び 和 哉 …io 平 成n年 度 日本 育 英 会 奨 学 生 の 募 集 に つ い て …17 雅li召…11 学 生 教fi研 究 災 害 傷 害 保 険 の 加 入 に つ い て … …17 延 納 ・分 納 に つ い て … …17 ス キ ー 教 室 で留 学 生 と 交 流 深 め る11 1年 の あ ゆ み 度 の 地 区 体 に つ い て15 諜 外 活 動 短 信15 宏 …fi 204'以 12 窓 トの 学 生 の 国 民 年 金 へ の 加 人 に つ い て …18 外 献 心t,、心レ憾 悼bu賦 1 林 心u賦 ρ⊃r 溜ルル︾溜 身溜多浄溜 二r 多多多多 を 彩丹 ζ で ζ ζ ζ ご 戸み 浩 。 ζ ζ 戸。 ζζζ ぱ戸 轡 ♂ 陣 。 7 ワ , ミ'∵ 〆 ' 軌 無 ▼ 偽 い 凶鷲 ? ` It 骨 r,い }蓬 曳 ︽ 、 ㌔ 礁、 1 ? 賦艦 晒'鵠 、 ヤ ♂ 礎 .q..《 ・'i ポ 励 激 ・圃 電 4・1 会 旭 川 矢科 大学 教務 部学 生 課 ー` 、 'バ 学 貝 ち ー 朧 、〆 大 委 "ー ー ー " ' ノ ・、 冨 璽 鷺 1嵐 覧4㌧㌦ ● 、 ,!「71h 、評 惑 沖 、曜爵 赫 繋 鮮 瞳 、 6 簿灘 強 Eや 科 導 ∼ ∼ ∼ 禦煙 !l講/総薙 医 補 ーー ∼ ∼ ー ∼ (題字 は初 代 学 長 生 由 紀 子 …18 賦,モ心u,u辰 月 第14期 生 を送 る に あ た って 学長 清 水 哲 也 第14期 生 の 皆 さ ん、卒 業 おめ で と う〃 一般 教 青 か ら始 ま って 、基礎 医学 、 そ して臨 床 医学 教 の み で な く、 医 の心 、 患 者 さん の捕 み を我 が 痛 み と して 育 に至 る長 い期 間の 学 習努 力 が報 い られ 、今 、学 士学 位 てい る こ と、 自己 を犠 牲 に して で も悪 者 さん の幸 せ の た 記 を手に され た皆 さん 、 そ してや さ しい 慈 愛の まな ざ し め に 尽 くす こ との で きる職 業 で あ るが故 に、'プロ フェ ッ とらえ られ 、 息者 さん をいた わ っ てあ げ る心 に滴 ち滴 ち で 見守 って こ られ た ご父兄 の 皆様 のお 気持 ちに 思 い を馳 シ ョナ ル フ リー ダム とい うこ とを声 高 に主 張 し うるの で せ るにつ け 、私 自身 も萬感 の 想 い ま さに胸 に迫 る もの が す。 あ ります 。 この想 いは只 単 に私 一 人に と どま らず 、教 青 自由に は 強烈 な責任 感 を常 に伴 う こ とは 、今 、私 が あ に 当 られ た 全教 官 に 共通 した感 慨 で もあ ります 。 と くに 第14期 らため て 申 し上 げ るま で もな い ところ です 。 生 の皆 さん か らは 、 「 卒 業 証 書授 与 式 」 医師 の貴 任 として も う一 つ 片時 も忘 れ て な ら ない こ と とい う冒葉 にか わ って 、「学士 学 位 記授 与式 」に か わ った は,「 生 涯学 習」 で す。 意味 合 い を十 分 に か み しめ て頂 き たい と思 い ます 。 医師 程 、「 生 涯 学 習」に 徹 しなけ れ ば な らな い職 業 は他 こ の こ とは単 な る字 句の 変 更 では な い の です 。大 学 審 に は な いで しょ う。 議 会 の答 申 に基 づ く改革 の 一つ で あ って 、今 、 日本 の 大 こ とは た だ ちに 人命 に か か わ るが故 に 当 然 とい えぱ 当 学 を と り ま く環 境 が 国際 性 を身 につ け る こ とが殊 の外 強 然 で あ りま しょ う。 く望 まれ て い る こ とは周 知 の とこ ろで あ ります が 、そ の 国際 化 に 対処 した 措 置 であ るこ とに 第14期 人生 とは 、生 涯 「 重 荷 」 を背 負 い て歩 くが如 し とい う 「た とえ 」が あ ります が 、医 師 とい う天職 こ そ まさに 「生 生 の皆 さん は思 い を新 たに して頂 きた い の です 。 涯 学 習 」 な い しは 「生 涯研 修Jを 旨 とす るが故 に杜 会 的 さ いは て の地 に あ る医 科 大学 を卒 業 して もそ の気 宇 を 一 層 壮 大 に して 、 国際性 豊 か な医 学 者 に な って 頂 きた い に も存 在感 が あ る ので す 。 とい う国家 社 会 の心 か らな る願 望 の 表現 なの です 。 る 人達や 社 会 か ら、一 瞬 に して 僧順 を失 う厳 しい立 場 に 逆 に い えぱ 「生涯 学 習Jの 精 神 を失 った 医師 は 、病 め 医 学 者 の素 地 と して要 求 され る もの は積 極 的 な国 際性 立 た され る ので す 。 につ け加 え て、 豊 か な人 間性 であ ります 。 個 々 の症 状 に 眼 を奪 わ れ て し まっ た、 単 な る技術 中心 の浅 薄 な職 業 人 で はな く、 その病 を荷 って い る患者 さん 患 者 さん の痛 み を、人 の痛 み を我 が痛 み と とら え るこ との で きる医 療 人 に是 非 な っ てほ しい とい うこ とです 。 の全 体像 を 豊か な感 性 と、 そ して鋭 い洞 察 力 を もって把 常 に そ の手 の ひ らのぬ く も りが病 め る 人達 に伝 わ っ て 握 で きる心 や さ しい医 師 に な って ほ しい の です 。 い くよ うな対 応 が で き る医 師に な ってほ しい の です 。 心 豊か な医 師 とは、 換 言す れ ば教 え を乞 うた そ の遭 の 皆 さん の 目の 前 にお られ る患 者 さんは 、不幸 に して病 先 達 へ の畏 敬 の 念 きわ め て篤 く、 また 後 輩 に対 しては 、 を得 て 来院 され る結 果 に な って は い る もの の 、 人生 を生 六 月の そ よ風 に も似 た 、 さわや か さ を もっ て損 し うる人 き抜 く見 識や 学 識 、 人生 経験 に つ い ては 若 い皆 さん よ り の こ とで もあ ります 。 は るか に その 年輪 を重 ね て お られ る 人生 の 先達 ば か りな 皆 さ ん 、今 日 とい う 日は 「こ と」 の お わ りで は な く、 の で す。 ま さに もって 「こ と」 の は じ ま りであ ります 。一 日一 日 医 師 とい う職 業 が 社 会 の なか で 「存 在価 値 」 が あ るの を大切 に して 、健 康 に留 意 され ご活 躍 くだ さい。 は 、 ただ 単 に 診断 や 治療 の技 術 がす ぐれ て い るか らでは な い の です 。 高 い倫 理性 に裏 づ け され た 「医 の心J.「 医 の 原 点Jに 立 脚 して い るが故 に こそ信 頼 され 、尊敬 され るの です 。 く りか え します が 、 医の 原 点 は あ く まで も単 な る技 術 z .調 鑑 r .一 第14期 卒 業 生 を送 る に あ た って 1Iil. 0 1罐鐸鱗 座 教授)小 川 秀 道 14期 生の 諸 君 、 ご卒 業お め で とう。 学 者 と して の素 養 の 第一 歩 は 断 え る こ とな き好奇 心 と言 医 学 を志 し、 良 き医 師 、良 き研 究 者 に な らん こ と を 目 われ るが 、医学 の 領域 で も異 な る もの で は ない 。 諸領域に 指 して 学ん だ6年 聞 は 諸君 に とって 決 して 平坦 な遭 の り 目を配 りそ れ らに精 通 す る こ とは容 易な こ とで は ない。し で はな か った で あ ろ うが、 そ れ だけ に こ こに卒 業 の 春 を か し知 ら ざる を恥 じず 、 知 らん と欲 せ ざる を恥 ずの心 掛 け 迎 え られ てそ の喜 び もまた ひ としお で あ ろ う。心 か らお は是 非持 ち続 け て貰 い たい と願 う もの で あ る。 祝 い 申 し上 げ る 。 2.諸 君 の 多 くは 卒 業後 医学 の 中 で も細 分 化 され た各 専 同時 に これ まで経 済 的に も精 神 的 に も陰 ひ な たな く援 門分 野 に進み 、それ ぞれの 部 門に お いて研 究 あ るい は研 修 助 を続 けて こ られ た ご家 族や 、 君 達 の成 長 、目的達 成 に心 を開 始 す る こ とに な る。各領 域 に お け る専 門 医 の養 成 は 、 を砕 き、直接 的 、 間 接 的 に支援 され て きた 多 くの方 々 が お 医育機 関 あ るい は研修 施 設 の持 つべ き機 能 で あ り、は っ き られ るこ とを忘 れ て はな らな い。その 感謝 の 気持 を是 非 こ りした 目的 の一 つに もな って い るが 、過度 の専 門分 化 は研 れか らの 社会 活動 を通 して世 の 人々に還 元 して貰 い たい。 究 面 で は ともか く、 医 療 の 面 では 必 ず し も得策 では な い。 さて 、 大 学 こ とに医科大学 の卒業 はひ とつ の区切 りで あっ これ か らは各 専 門医 を 目指す 諸 君が 、それ ぞれの専 門技 術 て決 してゴー ル では ない。間 もな く訪 れ る国家 試 験 を ク リ を どの よ うに生 かす か 、 効率 的 な生 か し方 をす るには どの ア さえ すれ ば 、 知 的専 門職 と して の 医師 行為 が始 ま る。ま よ うに すべ きで あ るか を考 え なが ら診 療 に 当 って 頂 きた い。かつ て それ ぞれ が 、木 を 見て 森 を 見ず の 喩 えで 表現 さ さに 医 師 と しての 人生 の ス ター トポ イ ン トで あ る。 今 こ そこ こで 入学 前 か ら希望 し、入学後 培 われ た良 き医 れ か ね なか った 各専 門医 に よ る診療 を、で きる こ とな らそ 師像 を反錫 しこれ に到 達 すべ く決 意 を新 た に して頂 きた の幾面 か ずつ で もmultidisciplinaryなapproachが い。 ない ものか と念 じて い る。 良 医 として社 会 的責 任 を全 うす る上 に 必要 な基礎 的 条 3.今 や わ が 国は 経 済大 国 とな り、ODA政 とれ 策 に もみ 項 は諸 君 も十分 に 認識 してお られ る こ とと思 うが 、ヒポ ク られ る よ うに 、世 界 に 貢献 しな けれ ば な らな い立場 に あ ラテ ス と並 び世 界 の二 大医聖 の1人 で あ る ガレ ンは 、 既に る。 医学 の世 界 で も、 かつ て 欧 米先 進 諸 国か ら教育 援 助 2,000年 も前 に「 最 高の 診療 は 医師 と患者 の飾限 りない信頼" を受 け 、医療 技術 も輸 人が 主体 で あ った 時代 か ら、逆 に と"深い 愛情"に よって築 か れ る」と述べ てい る。昨今 、 単に 途上 国へ の教 育 指 導や 技術 援助 を求 め られ る時 代 に変 っ 医学知 識 の伝 達 、医療 技術 の行 使 に走 りが ち な医師 へ の苦 てい る。 交 通手 段 が 発達 した こ ともあ り国際 間 の 交 流が 言 と も とれ るが 、本 来愛 情 か ら派生 す る とこ ろの労 り、 思 極 め て頻 繁 に な され 、 国際 学 会や 国 際 シン ポ ジ ウム の開 いや りは 医の原 点 であ り医 人の持 つ べ き心 で もあ る。これ 催 も 目白押 しで あ る。今 後 は 早 くか ら国際 人 と して の感 を全 うせ んが ため の医学 的知 識 の蓄 積 、 高度 医 療 技術 の習 覚 を身 につ け 、国 内 と同等 に 国際 社 会 で 貢献 し活躍 で き 得 であ り、 医学 的研 究の推 進 もその ため にあ る といってよい。 る医師 に な っ て欲 しい と願 って い る。 これ らを踏 まえ て諸 君は 今 その緒 に着 こ うと してい る。 医 育機 関 に携 わ る者 の1人 として大 いに期 待 も し、 また これ か らが楽 しみ で もあ る。 な るが 、 中 で も大切 なの は信 頼 で き頼 りになる朋友 であろう。 さて ここか らは 、 これ か ら医 師 あ るい は医 学研 究 者 と して研 錨 の 第一 歩 を踏 み 出す 諸 君 に2、3の z.は 4.今 後 諸 君が 医 師 と して また社 会 人 と して活動 す る場 合、 予 想 だに しない数 多 くの 人 々 と接 し係 りを持 つ こ とに 心掛 け を伝 この 場 合 、 最 も身 近か な とこ ろ で接 した期 間 も長 く、 か つ分 野 は 多少 異 な るに して も同 じ医 学 を志 して 共 に学 ん だ 同期 生 が最 も頼 りに な る こ とは古 今 を問 わず 間違 い な なむけ の 首葉 に 換 え させ て頂 く。 1.諸 君 は この6年 間 の修 学 課程 を終 え 、 断 片 的か も知 い。か つ て 同期 の 桜 な ど と首 っ て謳 わ れ た よ うに 、同期 生 れ な いが それ ぞれの 領 域 にお け る現 時 点 での 最 高水 準 の の間 柄 には 比類 な き良 さがあ る。そ してこ の交 友関係 は5 医学 知 識 と医療 技術 の概 要 を学 び とっ た こ とに な る。しか 年過 ぎ、10年経 って年 を取 れ ば とる程 、 親 密 とな りその 絆 し医学 の 進歩 は まさに 日進 月歩 で あ り,3年 、5年後 に は も堅 くな る もの で 、これ は 不思 議 で もあ る。現段 階 では こ その水 準 も大 き く変 貌 す る こ とを考 え て おか な くて は な の関 係 を理解 しえ な いか も知 れ ないが 、ともあ れ諸 君は旭 らな い。 十年 一昔 と言 われ るが学 問 の世 界では一 年一 昔 と 川医 科大 学 の14期 同期 生 同志 なの であ る。 お 互 い切瑳 琢 磨 考 えね ば な らな い。生 涯教 育 が叫 ば れ る現 今 で あ るが 、 今 し、 時 に励 ま し合 い 、 協 力 し合 って世 界 にasば た き、 大 いに 日直 ちに この こ とを念頭 に置 き研鐙 に励 ん で頂 きた い。 科 人生 を謹 歌 し て頂 き た い。ご 活躍 を祈 る。 一3 一 鱒""" 鱒" 鱒 鱒 逢 . 簿 名 一 者 一業 卒 ⋮ 一 回 14 第 一 学 大 1 爾 " " n川 一 ⋮I ・ I ⋮ 旭 鱒""" φ - - 介 晶 摩 篤 志 俊 厚 樹 子 哉 敏 朗 教 久 晴 明一 -- -- -- -- -- ・- ら- ・- ら- ・- ・- ・- ・, ●6▲ ﹂ " ⋮7 子 司 健 子 樹伸 一 直 貴 訓道克雄淑泰純 圭英拓仁正友美齢琢雅憲 一 鱒 伏越葉榮永村江田澤野城田川岸野内本山官邊 卜 鱒 田 中 眞 山山 四渡 横 谷 玉千辻徳 西花東平平藤堀堀 牧 田中中 貝木木 村 木 蔭 山 谷 口 田藤 垣 水 藤 條 林 崎 古 田田 川 北小小西齋齋櫻佐杉清須鈴鈴高竹 片勝加兼上 . 幸 翼 樹 雄 範 美 志 則 直 聡 久 き 美 理 正 り 子 子 智由ゆか 一英文雅正伸英美太亜王克由高み和昌ゆ寛芳. 博 寿 夫 稔 郎 凡 彦行 聡明 子 郎 均 恵 子 仁 香 広 秋 計 扇 研 司 二也一賀 眞 彰久英権和智伸泰美勇和千秀理昭康正 彦 樹 彦 彦一 震 ㌫ 翻 髄 縮 翻翻東 瀦珊 擁桝沸 一 鑓 """" 也 胤 郎 子 秀 子 樹 治 子 隆 浩 子 雄 基 郎 香 宏 仁 彦 幸 己 治 枝" 聡 周 克 史" 憲 一朋を鯨敏舗寿利砧秀 孝献寛 英伸 " 田 田中 地東澤島庄" 井馬尾尾村 藤倉木岡村木根内 井 原 中中 多田 佐宍芝下杉鈴関竹 坂平福古 新能 玉丹封寺 ⋮ ■" 之 徹 彦 哉 羽 子 樹 子 え 祐 佳 人 聡 民 裕 公 介 康 子 文 子 美" ず津恵 こ 俊英卓羊智秀暁 圭史英育徳一圭文亜秀美聡" 御 山田藤地村屋藤藤藤木" 津藤村 森川嵐川 間 居 森 子 ↑ 孫 々 婆 雨 荒五 石 岩 梅遠 岡 折 片 勝 加 側 菊木 古 近 齋 齊 佐 ⋮---ー⋮ーし るに 当 た って 、 これ らの事 を忘 れ ず 従事 して い きた い と 思 って い る。 第6学 年 碓 井 正 また以 前 、 あ る先 生が 新 約聖 書 の 中 のル カ伝 の 金持 ち か ぐらお か の原稿 を引 き と貧 乏 な ラザ ロの た とえ話 を して くだ さ った 。 これ は い 受 け たは い いが 、締切 りま い話 だ と思 い心 に 残 っ て い るの であ るが 、私 もこの 話の で 早一 日を残す の み とな り 中で た とえ られて い るこの よ うな 人間的 医 療 が 出来 るよ 何 を書 いた らい いの か 、例 う常 に心 に 留 め て行 きた い と思 って い る。 近 年 の 日本 も 年 の諸 先 輩 方 の文 を参考 に 百 才 の双 子 の おば あ ちゃ んがTV出 演す る様 な世 の 中 に しよ う と見 て い る と、一 つ な り、 これ か らの我 々 に とって は 、医療 とい う現 場 で求 は六 年 間 を回 想的 に つづ っ め られ て い る もの も変化 し増 して くる と思 わ れ 、責 任 と た もの 、 も う一つ は 六 年 間の クラ ブ活 動 な どに打 ち込 ん い う面 で も重 くな る こ とが 考 え られ る。 しか し、医 学 に だ 活動 集 の 様 な もの との 二つ に分 け られ る と思 った 。 たず さわ る者 と して 、こ れか ら先 も勉 強 には げ む こ とを そ こで私 は 例年 の 方 々 とは 少 し異 な る内容 につ い て書 お し まず 、医 療 につ いて考 えて いけ た らす て きでは な い きた い と考 え、思 いつ くま まに筆 を進 め た い と思 う。 「少 年 老 いや す く、学 な り難 し」 とは孔 子 の 言葉 で あ る か と思 う次 第 で あ る。 が 、六年 間は 本 当 に瞬 く間 にす ぎ去 って しま った 気 がす 様 な もの を書 い て しまっ た。 以 上 の様 に卒 業 を迎 え て とい うよ りは 、今 後 の抱 負 の る。 我 々 は医 学 とい う学 問 のほ ん の 入門 部 を終 え よ う と しか しなが ら卒 業 とい う一 つ の 人生 の 区切 りを迎 え、 して い る だけ で 前途 には広 大 な開拓 され た 、或 い は 未開 これ か らは 余 り区切 りの な い年 齢 を迎 え て い く前 に 、 こ の 知 の 森が 広 が っ て い る。 前者 を知 る とい うこ とは 、 こ れ か ら先 の 一 つ の 目標 を掲 げ て お くの も卒 業 に は悪 くな れ か ら先 も 日々 勉強 をお しまず 推進 して行 くこ とであn, い こ とで あ ろ う と思 う。 後 者 を開拓 して行 く とい うこ とは 日頃 、疑 問 に思 って い る こ とを追 究 して行 くこ とで あ り、 医 を ど うい う型 で あ 最 後 に六 年 間 お世 話 に な った先 生 方 、 そ して 同級 生 の れ 学 ぶ もの として は 、何 か一 つ で も良 い か ら自分 の 力 で 方 々 、本 当に あ りが と う、大 変感 謝 して い ます 。 これか 未 知 の 分野 を切 り開 き先鞭 をつ け た い と考 え るの は 当然 ら もお互 いに 、が ん ば りま し ょ う。 の こ とで あ ろ う。私 は 実際 に臨 床 医学 の 一部 門 を専 攻す 4 自分 に 素 直 で 忠 実 で あ っ た の は こ の6年 六 年間 とい う時間 の 中 で 第6学 年 梅 津 間 だ った か もし れ な い とさえ思 って い る。 暁 自分 自 身 とつ き あ う時 間 か 多 か った 反 画 、 様 々 な 人 達 子 ヒの 交 流 も 多か ・ ・,た。 ク ラ ス の 中 で 、部 活 動 で 、学 外 で 、 今・ か ら 何 与 月 か 前 に6年 間 を振 返 っ た時 、 あ っ とい う問 で あ った と思 っ て い た 、 年 齢 もkJ.hか ら中 高生 まで 、 国籍 も様 々 と、 こ う して r,;る とそ の 範 囲 が 広 か っ た 事 に 自 分 も驚 く,,こ れ だ け し かL卒 広 い 範1川 と い う事 は 、 そ の ぶ ん 私 との ギ ャ ッ プ が 大 き い 業 ま でわ ずか な時 問 を残 し た 今 、 実 は と て も こ と に な る わ け で 、そ の 中 で は#;q:い 長 い6年 う ま くゆ か ず にlflし ん だ 事 も あ ・ ・ ノた 。 け れ ど 、 そ ん な 時 「 昌1では な か っ た か と思 い 始 め て い る 。 大学 に 人 ・ ・,て一・番 大 き な 変 化 は 、 ・・人 で 暮 し た 事 だ ・, は い つ も 、 相rか の 思 い か 行 き違 い 、 譲'、 て くれ た り 、 第 三 苫が 救 ・ って くれ た り して問題 は解 決 した。 わ が ま ま な私 は何 もせ ず に 、 た,1そ れ よ で は'家族 と 一 緒 の せ い か 、rl分 白 身 に 向 け た た た 感 謝 す る だ け だ'・ 、た 、LかLそ 注 意 とい うの は そ れ は ど 多 くな か 一 った 様 に 思 う 。Lか し ・人 で い る 時 間 が 長 くな る と 、 い や で も 自 分 と 貞 正 面 か か 深 ま っ た りす る か ら 、 人 間 関 係 は 不 思 議 で あ り 、 お も ら 向 き あ う よ うに な り、 私 の 知 ら な い 私 か 次 々 と現 れ て 私 は どん な に 成 長 させ て も ら っ た こ と だ ろ っ。 し ろ い と思 う。6年 の 後 、 か え'って 交 流 間 の 中 で 出 会 っ た 人達 の お か げ で 、 大 学 生liiの 思 い 出 は 、 そ の ほ とん ど が 誰 か との 思 い 出 驚 か され た。 例 えば 、そ れ まで は何 か を観 て感 動 か大 き 観 て で あ る,、そ う し て 振 返 っ て み る と 、 お き た 事 が 次 か ら次 いる時 に 、は ・ っと気 か つ く と ハ ラ ハ ラ と 涙 を 流 し て い た へ と甦'っ て き て 、 本 当 にfi年 間 で ず い ぶ ん と た く さ ん の り、 スポ 事 か あ っ た も の だ と思 う、 、や は りfi年 間 は 長 い 時 間 で は くて も泣 く様 な 事 は な か っ た,そ ツの 中継 を観 て れが ・人 でTVを 一人 で 叫 ん で い る の た 、,初 め て 泣 い た 時 は 驚 き の あ ま りLば ら く 呆然 と して し ま っ た 。 な か っ た か と思 う の た 。 け れ ど 、 長 くて も 全 て が 私 の 時 こ れ を 最 初 と し て 、 思 っ て い た よ り も ず っ と感 情 的 で あ 間 と し て 大 切 な の で あ る 、,そ の 中 の ど の 一一 一瞬 か 欠 け て も る 自 分 をxuる の だ が 、 こ の 他 に もず い ぶ ん と 自 分 の 本 音 今の私 はな い 。 を み つ け て き た 、,初め は と ま ど う 事 も 多 か っ た か 、 そ の こ の6年 う ち そ ん な 自 分 と一 つ 一 つ ぶ つ か り な か ら も納 得 し な が ら 次 へ 進 む 様 に な っ た.今 間 の 中で 起 きた出 来 寮 、そ して 出 会 って きた 入達 、全 て を 大 切 に 胸 に 残 して 卒 業 し て い き た い と思 う. 6年 間 、 本 当 に あ り か と う 二 ざ い まLた では 、 これ までの 中で 、最 も 。 た 私 に と っ て 、医 帥 の あ り方 と い う も の を 啓 示 し て ドさ っ 卒 業 に あた って た あ りか た い お 首 榮iであ る と感 謝 し て い る,,も う一 つ は 、 第6学 年 柳 川 昭 和61年4月 伸 私 か 生 物 学 の 実 習 書 を た び た び 注 意 さ れ た の に 返 却Lな 幸 入学以 米 、 か っ た時 の事 で ある 、 、後 日 、生 物7に そ れ を返 却 に 行 .い 数 多の く先 輩 方 を 送 り 出L 蹴 て き て 、 い ざ 今 度 は 自分 自 師 に な ろ う とす る な ど 以 て の 外 だ1、 そ ん な 気 持 で 医 師 に 身 か 送 り出 さ れ る 番 で あ る な ろ う とす る こ と は 許 され な い 、 一 と い う お 言葉 で'あ る 。 こ とをふ と我 にか えっ て 考 こ の 時 ほ と 、留 午 を 覚 悟 し た 時 は な か っ た 、, く と 、美il『教 授 か い ら っ し ゃ っ て 、「約 束 を 守 れ な い 者 が 医 こ れ ら 二 教 授 の おnN、 えてみ る と、 手離 しで喜 べ ない 複雑 な 心境 であ る。 自 お 叱 りの お 蔭 で 、 そ れ ま で 怠 惰 で怠 慢 で あ った 自分 が 、少 しは更 生 す る事 が で き、 ま 分 の/:rI'f:ifiが 本 当 に 有 意 義 な も の で あ っ た の か 、 確 認 た 、 医 学 生 と し て 、 医 師 に な ろ う とす る 者 と して 、 そ の す る 意 味 を も 禽 め て6年 厳 し さや 医 師 と して の 人格 養 成 の た め の き ・ 一 ノか け を作 ・ っ 間 を 振 り返 ・,てみ た い, 入学 当 初 は 、 大学 に 入 学 で き た と い う安 堵 感 と受 験 勉 て ドさった 事 に 対 して 感謝 に堪 え な い。 強 か らの 開 放 感 と で 、 時 の 流 れ る ま ま 無 為 な 時 間 を 過 ご Lて い た よ う な 気 か す る 。 学 生 の 本 分 は;f.で そ の 後は 、 基礎 や 臨 床の 勉 強 にか か わ らず 、十 分 とは あるこ と z.な い か 、 先 の 事 を 見据 え た 勉 強 、 物 事 の 考 え 方 か で は 分 か ヲて い て も 、 目 先 の もの に と ら わ れ て 、 進 級 試 験 に 通 り さ え す れ は い い と 安 易 な 試 験 勉 強 で2年 Lて し ま っ た よ う な 気 が す る.そ き る よ うに な っ た と 思 う。 学 業 の み な ら ず 、 ク ラ ブ 活 動 生 に進 級 (弓 道 部 に6年 ん な一 般教 育 も、 も う 問 在 籍)に お い て も、 人間 の縦 の つ な が りや 横 の つ な が り 、集 団 を 動 か す 事 の 難 し さ 、良 き 先 輩 、 終 盤 に さ し か か ろ う と し て い た あ る 日の こ と 、 私 に と っ 後 輩 達 との 出 会 い や 学 外 の 方 々(特 て 人生 の 転 機(?)と の 楽 し さ、大 会 で皆 の努 力が 実 っ て賞 を戴 くこ との喜 び も 言 え る2つ の 大 き な 出 来事 か は に ご 老 人 〉 と4)交 流 とん ど時 を 同 じ く し て 起 こ 一 ・ ・た の で あ る 。 一 つ は 哲 学 の 岡 川 教 授 の 「医 師 に な ろ う とす る 者 が 医 学 を 味 わ う事 が で き 、 私 は 幸 せ だ っ た と思 うLI の み に 精 通 し て も 、他 の 学 問 に あ ま り 関 心 を持 た な い こ と あ る が 、 こ の 様 な す は ら し い 教 育 の 場 を 与 え て 下 さ'った 程 、 寂 しい もの は な い 。」とい うお 言 菓 で あ る。医 学 部 に 入 っ 諸 先生 、 職 貝 のh々 て 、な ぜ そ れ 以 外 の 勉 強 を せ ね ば な ら な い の か と思 っ て い し て 深 く感 謝 し た い,、 最 後 に学 問 の修 得 、 人間 性 に お い て まだ ま だ 未熟 では 、 いつ も 力に な っ て くれ た両 親 に対 5. 退 官 に あ た っ て 法 医 学36年 間 の 思 い 出 法医学講座教授 石 Hi和;i1に 北/:r):医 学 教 室 に 研 究 生 と し て 人 ・ ・'てか ら 争 年 ま で36年 が 経 過 し た.旭 川 に き た の が 昭 和50年 宏 こ の こ とは 若 い 私 に 非 常 に 有 益 な 教 訓 を 与 え て くれ た,、 なの で'、3(i年 開 の うち17年 は 旭 川 医 大 で.過 ご し た こ と に な る.. 法 医 学 教 室 に 入 る 前 の5年 橋 す な わ ち 、実 験 のdataは 率 直に受 け 取 ら なけれ ば な らな い 予 想 に 反 し たdataを 捨 て るこ とは非常 に 危険 であ る。 理 論 的 にjら 間 は 礼 幌 医 大 び)産婦 人 科 学 れ な い結 果か 出 た場 合 、 この結 果は現 在 の 科 学 が 未 だ つ か ん で』 い ない 貴重 な宝 石が 顔 の 教 室 で 臨 床 の 勉 強 を し て い た 、, 法 医 学 を 專 攻 す る よ う に な っ た 動 機rAか ら・ っ とiし なけ れば な て い る か も知 れ な い とr;る ・部 を ち こ と で'あ る 、 、 こ の 経 験 か 二 度 と 臨 床 に 戻 らす 法 医 学 を36年 間 続 け る ら な い と思 うが 、 私 が 産 婦 人 科 医 と し て 道 内 の 或 る 病 院 に 出 張 してい た時 に強 姦 事件 の 被 害者 の 診断 書 を書 いた こ とに な 一 った 。 そLて こ と が あ..・たD大 ボ ー ン と な り 、 色 々 な 研 究 を続 け る こ とか で き た.、退 官 腿 内 側 に 爪 で で'き た と.7ら れ る三 日 、 こ のr;hが 以 後 の 私の バ ッ ク 月 型 の 表 皮 剥 脱 が あ ・.・ た の で 、 成 傷 器 は 人 間 の 爪 と判 断 を 迎 え る に 当 た っ て 、 芯 い 時 の 経 験 が 人 生 を変 え る程 の し 、 そ の 旨 を 診 断 書 に 記 載 し た.と 影 響 を 与 え て くれ る も の だ と 感 じ て い る. こ ろ が 、 そ れ がfJi'Y9 と な り法 廷 に 証 人 と し で 召 喚 さ れ た 、 、被 告側 の 弁 護 入か ら 学 生諸 君に は動 機 は どうで あれ 、一 つの 学 問 を続 け て 現 場 は 鎌 で{lfら れ た 熊 笹 が 生 え て い た の で 、 そ の 切 行 け ば 必 ず 向 白 く な る もの で あ り 、 た と え 法 医 学 の 試 験 口が 被害 苫の 大腿 に 接 触す れ ば 八間の 爪 の よ うな 形 の創 成 績 が 悪 くて も 、 法 医 学 を 続 け て 勉 強 す れ ば 、 ヒ派 な 法 医 傷 が て1き ま.trん か 」 と 質 問 さ れ た 、 、 そ れ も そ うだ と思 い 「で きる 」と 答 え た 。す る と弁 護 八 は す か さ ず 「貴 与 が 八、問 学 者 に な れ る とLIい た い 。 のlrkとLた 昭 和49年 の 春 に 大 学 姪 設 予 定 地 を 見 に き た が 、 現 右 の 理 由 を の べ て ドさ い 」と追 打 ち を か け て き た 尺学 か 建 っ て い る あ た りは 粘 ヒ地 で 、 プ ル トー ザ ー が 粘 Lの 中 に 埋 ま っ て い た1,果 法 医 学 で は 成 傷 器 を 具 体 的 な 名称 で 表 現 し な い の か 原 し て こ ・に 新 しい 大 学 か で き 則 で あ る が 、 当 時 の 私 は そ うい う こ と も 知 らず 、 強 姦 に る の だ ろ うか と不 安 を覚 え た 、,昭和50年8月8日 対 す る 義 憤 で 診 断 書 を 書 い た よ う に 記 憶 し て い る.そ の 室 が あ っ た 市 立 旭 川 病 院 か ら 完 成 した 基 礎 臨 床 研 究 棟 に に 仮教 い 、 し どろ も どろの 答弁 を繰 人 り、 そ れ か ら 新 しい 教 室 作 りか 始 よ.った 。 新 しい 教 室 黒 ヒ 詫.'て い た 筈 な の に 白 と 言 ・.2てい る 自 分 に を 作 る の は 生 まれ て 初 め て の 経 験 な の で 随 分 苦 労 が 多か っ 気 付 き な が ら そ の 軌 道 を 修1ドす る こ と が で きず 、 言 菓 に た 。 釦 一・本 か ら 用 意 し な け れ ば な ら な か っ た か ら 、 設 計 後 は す.っか り あ が っ てLま り返L、 炎 廿 な い 屈 辱 を受 け て 退'廷 した 、 眉1で しii[Xし 法 廷 に 証 八 と し て 立 ・.・ た 場 合.堂 々L答 て い た 新 しい 実 験 台 か 据 え 付 け ら れ た 時 の 喜 び は 争 で も忘 れ ら れ な い. 弁でき る よ うに な ら な け れ ば ヒ思 い 、 法 医 学 を 少 し勉 強 し て で 、 臨 床 の 外 来 に 相 当 す る 司 法 解 剖 は 昭 和50年 か ら 杓 戊3 う ・度 臨 床 に 戻 る 積 り で 法 医 学 教 室 に 入 っ た 、 こ れ は 弁 年 ま で に7帆 体 に な り 、た学 の 法 医 学 教 室 ヒし て 少 しは 社 護 人 を;r,め た 裁 判 所 に 対 冨4ー る 私 憤 を は ら す た め とい コ た 会 に 貞献 で き た とY,え て い る. もの て'ド{↑ 曼 で1きる もの で1は な い 、1 法 医 学 教 室 に 入 っ て か ら2年 本 学 も開 学 以 来18年 が 経 過L、 ㌍ 業 生 も1,000名 く らい経 った頃 、道 南 の 道 内 は 勿 論 、 道 外 で も 活 躍 し て い る.も IIIJで母 親 と娘 が:i人 組 の 強 盗 に 殺 害 さ れ る 事件 か 起 こ …, う 名 称 を 自 ら 外 す 時 期 か き て い る と思 わ れ る. た1.娘 の 膣 内 容 検 査 を 行'・)たと こ ろ 精 液 か 認 め ら れ 、 そ のdu.液 死qはAB型 か や は りAB型 か と間 わ れ 、 検 の 精 液 かie(ILて あ 一,た、 膣 内 にBh7と い た た ダ)AB型 に な る.最 近 で は 精 液 のDNAを と判 定 され た こL .蹴 騨 ,1tb'N 判 定 す る こ ヒに よ ・.'て犯 際 一 人、を 圏r∼ ヒす る/ii);力 弓采ら れ て い る か 、du液 型 の 判 定 も重 要 な 決 めrで い 、 ・入の 男 が 強 " A型 そ のd[i液 型 はAnnで 最 後 の 寄 稿 とLた と出 る 、.f可と な く割 り 切 れ ない 想 い を抱 い て いた が 、 公判 中 に もう 姦 を 自 供L、 益 々 の 発 展 を心 か ら 祈 念Lて と い う こ とに な る が 、 強 姦 を 自供 し て い る 男1よBPI;u'であ り 、 教 授 か ら 本 当 にAB型 盛 を 繰 り返Lた 長 い 間 の 私 に 対 す る 御 乏援 に 感 謝 す る と と も に 本 学 の であ・ った.1娘 の 血 液 型 はOFII!な の で 、 声 犯 人 はAB型 を1 う新設 医 大 とい 一 ・ 欄 レ 鞭 諺il…1∴ :瓶.. ..狐 い兜'∼. あ る 二 と に は 変 わ りは な い 、 (最 終 講 義) 、} 一 岡 の 歳 月 内 科学 第一 講座 教授 一 月の 衣 に 、 動 物 実 験 の.二 と な ど で 時 折 ご教 示 に あ ず か ・、て い る 丈n'教 授 か ら 電 話 をfl't戴し ま し た.お 小 野寺 暗 くな り 、 点 在 す る 燈 火 と 話は専 壮 吉 ・ 定 の リ ズム で点滅 す る旭 川 空 港 の標 識 燈 が わ『 す'かに 人の 営 、 みを知 ら一 せる ばか りで し 門 の こ とで は な く 、 退 官 に あ た っ て1か ぐらお か 」 に 執 へ ρ cノ)才 ∫'爲 ダ)一 こ ㌔しズご.f・1]うと、 」 見イ 匠庭ζ幸 艮山と、 編 集 委C1長 七'で才∫ 眺 め る 八に 安 ら ぎ を 与 え て くれ る よ う で'能,病 ら れ る 由 、1司 ヒ時 期 に 退 官'書 一る ご「 司役 か ら の お 話'ぐ 、 ま に は 夜 か 一一 段 と淋 し い もの で す 、 こ とに痛 み 入・ ヲた 次 第 で す 、1ドイん でHか '昼」 女 し まLた 、, るの で 、や す む前 に カー テ ン をち ょ ・ ・.と寄 せ て 病 棟 の ろ 1'話 を させ て も ら い ま す と 緒 に 旭 川 医 大のr事 せ て 戴 く 旨.二返 を養 う 人 わ が 家 の 寝 率 は 南 に 面 し て お り窓 か ら病 院 が よ く見 え 、 昭 和48年 に 美 甘 教 授 と一 を 眺 め ま11亜 合 を眺 め に 神 楽 岡 に や っ て か 、そ う い う 部 屋 の 明 か りが 夜 遅 く ま で つ い て い る の は 、 の 進iT具 き た こ とか あ り ます た、 最近 は 新 しい住 宅 か連 な って 、 夜 、家 々の明 か りけ 旭 川医 科 大学 設 置 関係 法 案 の国 会 症 音の 伽1室は 病 棟 の 北 側 に 並 ん で い ま す 私 共 に と ブ ご心 平 か な こ と で は あ り ま せ ん.昼 間 のfl:串 審 議 は進 まず 、大学 創 設 準備 室 は既 に 北 大か ら旭 川の 仮 か ら心 理 的 に 解 放 さ れ な い こ と に な る か も 知 れ ませ ん が 、 校n(北 長い 間 に身 につ いた動 作の 門 町 〉 に 移 ・.,てき て お り 、 のU'の る 開;fに 備 え て 満 を 持Lて びに な っ て い い た 頃 の こ ヒで す.私 は図 書 ・ つ です 、 旭 川の 俘は素 敵 です 、 、5月 に 人 る と ・斉 に 緑 か 繭 え て 、 館 の こ と を 担 当 す る よ う に い わ れ て お り ま した の で 、 予 そ の 勢 い に 自 然 か 沸 き 立 っ て い る よ うに 感 ず る 二 と か あ 定 され て い る 部 屋 を 覗 い て み る と 、 職 員 が ひ と り た け 書 り ます 物 の 山 のIHIで 、 い か に も ひ っ そ り と仕 事 を 続 け て い た こ ブ「)・'つて1-‡ 一,二 ¢ ノ)十数 年IAIIこf本=験し た 旭 月iグ)レ し【f三1とtf 、 と を 思 い 出Lま 院 のH1い ポ、 神 楽 岡 で は 、 そ の 年 に 分 譲 され た 病 目 ご とに 色 彩 の 変 わ る 秋 、VIIそ 初 夏 の 頃 で あ ・た よ うに 思 い ま す. そ の 年5月 折 々 の 記 憶 は1き 7ン に 起llさ れ た.・般 教 育 の 建 物 グ)近 く の 現 地 工 事 事 務 所 の あ た りで 、 周 囲 に ひ ろ か る 水 川 跡 地 を 眺 め て 、 完 成Lた 。 岡 のLの 要 の雲 、 れ ぞ れ の 日没 の 風 景 、 な い の で す か 、 な か で も樹 氷 や グ イヤ ドダ ス トな ど 冬 の 印 象 は と くに 鮮 烈 で す 、 大 学 の 隣 接 地 に 新 し い 建 築 物 か 次 々 と 加 わ り、 か つ て の ま ち は ず れ に 大学 が あ る と い う風 景 か ら 、 尺学 を 中 心 大学 を 想 像 した も の で す 、 神 楽 岡 との ご 縁 の 始 よ り で 弓』, と し た ま ち な み と い う た た ず ま い に な っ て き まLた や が て 、 緑 かG.lt1地 の2期 ⊥事 か 完 成Lて 、 その に 現 在 の わ か 家 をつ くる こ とか で き 、 昭 和49年 れ で17年 余 を 神 楽 岡 で 過 ごLた ・ 画 二 ん だ とい う現 在 のhか こ と に な り ま す1 ず っ と女fよ し い 姿 で す 。 情 報 セ ン タ・一と し てv)大 学 び)も'つ先 見 性 ヒβ 付属 り 府巨 完0)i白H変陸ζ≠ か 体制 は 、地域 の 哩門家 に ヒ…ては 強 い 芝えで あ り、市 民 川 厘学:iく、 庚 野 教 授 、 藤 沢 教 授 ク)お宅 の 傍 を 通 り過 ぎ 圭す..年 、 、孤 高 と い う も の も悪 く あ り よせ ん か 、 い か に も地 域 に 溶 け 冬か ら こ 雪 の 季節 の ほ か は 団 地 の な か の 小 道 伝 い に 人こ 学に通い .よLた..黒 病 院 の 前庭 の エ ゾム ラサ キ ツツ ジ は早 春 の彩 り と り も な お さず 神 楽 岡 のIOW季 でLた の新 しい団地 の 区画 が まだ遺 成 中 で したか ら 、 に と っ て も 大 きな 利 益 で す.、 旭 川 医 大 グ痔 門 的 能 ノJの蓄 と と も に 道 沿 い の 茂 み は 濃 くな り 、fis 宅 は 少 し ず つ 増 改 築 さfi、 住 む 八 も 入れ か わ り 、 俘 、 夏 、 ff'iは引 き 続 きlts:くな りつ つ あ る の で 、 北 方 の 知 的 拠 点 の ・つ とLて 圭す ま す 存 でLを 主 弓長し て も ら い た いL 、 ま た 1;'1い秋 そ れ ぞ れ の 風 情 も楽 し く 、 と く に 時 候 の よ い#li!.t そ うLな けれ ば な らな い時 に な ・ ・ 、 、て い る と思 い ま す 。 ill勤 と い う よ り 散 歩 を し て い る よ う な も の で す 。 こ グ)数年 、 キ ャ ン バ スは 整 備 さ れ 、1J1木 は 根'ブい て 大 き くな り 、 大学 も 年 輪 を 重 ね つ つ あ る こ と を 感 ヒ さ せ ま u ・1い す,、大 学 の 北 側 の 団 地 との 境 の 環 状 線 沿 い の イ タ リヤ ホ s_; リ プ ラ の 列 や そ れ と 並 ぶ 松 の 成 育 ぶ り も 見 事 な もの で す . バi}1り の フ.ラ タナ ス も緑 のr'llpに は 秤 よ いh<r`を つ く ろ り 、 厨 ∫哲 も運 転 折 も 、 ま ち の 落 ち つ き とLeh4i .か さ を 感 す 巣 る よ う て"す印 梶 附 属 病 院8階 コ 生 軟 訟 病 棟 か ら 眺 め る と、 北 側 の 団 地 や 旭 川 中 心 街 の 眺 望 と 異 な り 、 南 側 は 開 院 当時 に は グ ラ ウ ン ドの 「_曹叩一 先は 何 も な く 、 秋 の 深 ま る 頃 か ら は 回 診 の 途 中 で す で に へ 一 ■遍 隊 L邑 ︻' 一 退 官 に あ た っ て 幽2ユ 「.口 塾.陶 ● 。吊 (最終講 義) 麿 醒 磁 退 官 に あた って 、 一 言 い残 した い こ と 一 囎 眼科学講座教授 う な 配 慮 を し てlfiい た.現 が経 過 した 。 在職 巾 、二 度 の 人院 で数 箇 月の ブ ラ ン クが あ り 、 御 迷 惑 を か け た が 、Aは の 内 に は 数 箇 所 増)の 健 康 で 停年 を迎 え い う 、 い わ ばfi:事 の 完 成 期 と も い うべ き時 期 を 、 こ の 旭 在 、 道 内10数 箇 所(2-3年 関 連 病 院 を持 ・って い る 。 こ れ は 道 に す る こ と か で き る と思 一 って い る,、 教 室 内 で は 「何 で も相 談 で き 、何 で もLIい あ え る 雰 囲 気 」 川 医 科 大 学 で 、 そ れ こ そ 大 過 な く過 ごせ た と い う こ と は 作 り をII標 と し て 来 た 。 本 当に嬉 しい限 りであ る、 、 ・ 番 の 年 長 者 で さ え 私 と25歳 も ,:う の で 、こ の こ と は 自戒 の 意 味 も 含 め た つ も りで あ る 、 、 み.ト げ 型 の 人 間 で あ る か ら 、 こ の 頃 は 両 親 で さ え 昭 和 二 桁 と い う 人が 多 い の で 、少 し 突 如 と し て 眼 を み は らせ る よ う な 仕 事 は で き な い が 、 そ れ な りの 努 力 で 、 ど うや ら 所 期 の 目的 は 果 たLて 郎 2年 の 交 代 制 を と っ て い る が 、 数 年 後 に は 何 とか 固 定 制 あ る 、,一 人 の 平 凡 な 入 間 に と'一)て、48歳 か ら65歳 ま で と 外 に も)積 明 内 主 要 公 的 病 院 の 半 数 に 近 い 。 現 在 は 皆 若 い の で 、1 る こ.ヒが で き た の は 皆 様 の お 蔭 と感 謝 の 気 持 ち で 一・ 杯で 私 は1L来(意 坂 新 の も の も揃 え て 、 派 遣 医 局 員 の や る 気 を な く さ な い よ 新 し い 大 学 を 作 ろ う と い う希 望 に 燃 え て 着f「:して か ら 、 満17年 保 遠 慮 が 出 て 来 て い る よ う な の は 淋 し い,,是 非 教 率 の 伝 統 来た と 自 負 して い る、 、学 問 的 に は30年 来 の テ ー マ で あ る 近 視 に と し て 残 し て 貰 い た い と思 う 、 既 成 価 値 感 や 概 念 の 中 に 取 り 組 ん で き た 。 今 や 近 視 が 眼 軸 延 長 に よ る こ とは 確 実 固 ま る と 、新 し い 研 究 発 想 が 生 ま れ て 来 な い か ら で あ る 。 であ るが 、 その 発生 機 構 は 残念 な が ら 未だ に謎 であ る、 、 研 究 費 の面 で は私 の テー 一マ の 関 係 も あ っ て 資 金 援 助 が し か し電 気 生 理 学 的 検 討 、 猿 の 実 験 近 視 、 フ ル オ ロ フ ォ 少 な く、教 室 に は 不 自由 な 思 い を させ た とい う思 い が あ る 。 ト メ ト リー な ど 、 と くに 本 学 卒 業 生 の 新Lい 業 績 が 増 す と と も に 、この 点 も緩 和 され ることを願 って いる,、 ア ヅ ロー チ 大 学 全 般 に つ い て も 研 究 費 か 余 りに も 過 少 で あ る,,こ に よ り、早 期近 視 で すで に 血液 眼 内棚 の 障 害 の あ るこ ヒ が 確 か め られ、 以 後は それ が何 故 起 こ るか に つ い て検 討 れ は 以 前 か ら 言 わ れ て い る こ と だ が 、[本 中 で 、 今 後 の い っ そ うの 発 展 が 期 待 さ れ る 、, ん な こ と に 金 を 使 うべ き か 」 の 意 見 が 変 わ ら な い 限 り 、 診 療 面 で はft本 変 わ る 見込は な い と、 この頃 は 諦 め の境 地 に達 して きた の 網 膜 剥 離 治 療 が 立 ち 遅 れ て い る(と く に 北 海 道 は レ ベ ル か 低 か っ た)現 人 全 体 の 「ど /た だ し 今 後 益 々 声 を 大 に し て 国 民 の 意 識 を 引 き 上 げ る 状 をR,急 に 改11'す る 必要 が あ った。 そ れ には 若い教 室 貝 を専 門の 施 設 に送 り 努 力 は 必 要 で あ る).こ 込 ん で 教 育 し て 貰 う必 要 性 を痛 感 し た.幸 物 実 験 施 設 は 「入 間 の 知 恵 の 反 映 」 と も い え る だ ろ っ。 い に も 二の 分 そ も そ もは 当 局 の 示 唆 が あ っ た の か も 知 れ な い が 、 資 金 野 で は 世 界 て 屈 指 のFclinaFoundation(F.ychcs≪rch institute)(Boston,所 で き 、 現 着 も ほ ぱ2年 協定 か 不 足 の 弱 小 大 学 で は 、 重 要 研 究 機 材 を一 箇 所 に 集 め て 共 の教 室 貝 を派 遣 して い 同 利 用 す る と い う運 営 方 針 は理 に 円 っ た もの で 、近 年 益 々 長 は 有 名 なPr.Schepcns)と 交 代 で2入 の 点 で 、本 学 の 機 器 セ ン ター 、動 る1,そ の 後 世 界 的 な糖 尿 病 の 激 ♪曽か ら 、 同 研 究 所 で い ち 「i1 ・く{1肖子f叡 切 除 術(vilrectamy)が 行 ナ)れ る よ う に な り 、 利 用 度 が 高 ま っ て い る こ とは 喜 ば し い.た だ物 に よ って 当 教 室 で は こ のr術 後 の 整 理 整 頓 か 悪 い 人 も屠 る よ う で 、 資 金 前1を 含 め 、7, は 使 用 頻 度 か 高 く混 雑 す る 事 態 も生 じ て お り、 ま た 使 川 を 〒・くか ら採 用 す る こ とか で き た 、1 ま た 同 時 に 、と く に 留 学 経 験 薪 の 中 に 網 膜 ・硝 了・ 体 疾 患へ ム ー7,な 運 営 に は 利 用 舌 各 位 の い'、 そ う の 自覚 か 要 求 さ の 関 心 か 高 よ り 、基 礎llくJ研 究 をli.f3、現 在 で はBostonと れ る よ う で あ る 、, の 協 同 研 究 に よ る 成 果 か ヒが っ て い る 。 中 で も網 脈 絡 膜 の 物 質 代 謝 の 研 究 が 近 視 の 研 究 に お い て も 有/lなfL段 全 く関 係 な い か 最 後 に 一 つ,本 kLて に 学 の ク ラ ブ 活 動 のiつ 謡 曲 部 を 企 てた か 遂 に 希 望 者 か 少 なく、残 念 で あ …た1、 な一 一Jてい る こ と は 特 筆 に 値 す る 、 、 さ て地 域医 療 の重 要 性 が唱 え られ て 久 しい が 、眼 科 に つ い ては 眼科 医 の絶 対 数 の 不 足の み な らず 、札幌 を中心 とLた 者附 藻 0 中性 が著 しく、地 方で は眼 科 医 不足に 頭 を 悩 ま し て い た,,当 教 皐 で は 主 要 都fflの 公 的 病 院 か ら 補 充 し て 行 き 、必 要 度 に 応 じ て 拡 大 す る と い う 方針 を と っ た. 病 院 の 性 格 上 、 俸 給 は 多少 低 く 、 ま た 病 院 間 の 隔 差 が あ 』調 る に し て も 、 地 域 病 院 の 育 成 に 力 を 貸 す べ き だ と判 断L た か',で あ る 、,た だ し診 断 ・治 療 用 機 材 は で き る 限 り最 (最 終 講 義) 8 声 瓢 納 螂∼、 ﹂ . 豊 職 退 官 に あ た っ て 内科 学 か ら臨 床検 査 医学 へ 臨床検査医学講座教授 牧 野 幹 遭 く ㌔ 鱒 昭 和5[年m月 、 本 学 附 属 病 院 の11NI>〉 に 合 わ せ て 着任 し て 以 米 、 長た た く間 に15年 Lい 大 ド1:、新Lい 余 かi尚 ぎ てL圭 い 裏Lた 検 在 部 でv>&iの 、新 は 、 人 々 に ヒ 、てめ 、た に 遭 過Lな L:た 二 と を覚 え て い ま1.'[1時 と い 一1人Fiで は 、 毎 年 爆 発11{」 に 増IJ[1 し 現{il.a〔1(1を越 え る 検 査項 目 数 に 対 応 で き な い と い う 点 い 、 花栄 あ る 機 会 て あ る.二 と を 、ll付属 病i二 完開1二 完∫℃にvq席Lて 問 題,・ 主llは 、 配 置 冬れ る検 査 技 師 数 か 少 な く 、 わ つ か16名 病 醗:を1/'る ヒし・うfl∵;ト に 直面 団る こ と に あ り ま す .病 、心 に 沁 み て感 白{」 允 実Lた は 学 内 の あ ド、ゆ る 部 門 の 院 ㌧ll局グ)御理 解 に よ り設 備 、施 設 は 比 較 も の ヒす る 二Lか 不 尾 は 致 命ll{」 な 欠 陥 ヒLて 職 貝か 、 そ れ ぞ れ ♂バノ:場を 越 え て 、 新Lい もの を つ く る Lい う 共通 の 目 標 にllrlか..,て心 を ・ つ にLて 議 論 を繰 り す 返L.て い た ニ ヒ を 、 な り かL<想 か4(学 に 監L置 ざ れ 左Lた.こ い 出Lま す.教 あ り ま せ ん でLた の:熱気 と ユf几 .今 す.同 ったの た ろ う ヒ 議 π命か あ..、 まLた.そ え を 継 承Lた 展 させ る も の}fち の 後 、 米 国 に 留 学L、 とLて5年 いま れ は 米 国 で の('lini(・al もの で あ り ま し た 、 そ れ は 病 理 π二 態 学 で は 取 り扱 わ な い 臨 床1i?t'r)分 野 を 統 合L発 私は北 大 卒 業後 、生埋 学 教 室 を経 て 北 天第一 内 科に 入 学 と病 理 学 レ!デ!ト 御 尽 力 と、 講 座 は 私 立 尺岸:で は 終 戦 後 、 臨 床 病 理 学 講 座 と し Palhok,gyン)考 た 方か 面 白 い と,思い ま す. 局 し内 科 医 を志LまLた.そ れ は 歴 代 学kの て 次 々 ヒ:ll11{さ れ ま し た,こ れ ぞ れ 自 分 の 仕 事 に 精 を 出Lて お られ る の で し 」 うか 、時 に は 大 声 てでL熱Lた か 、'そ張 り 入 貝 教 授 会 諸 先 生 の 御 埋 解 と御 支 援 の 賜 もの4感II射Lて 振 り返..・て み て 、 あ の 当 時 、一・ は ヒ ニにit..,てLま 思 う こ とか あ り ま1.そ で き まLた 将 来 に 残 る こ ヒか 懸 念 さ れ ま 平 成1〔 年 度 に は 我 々;T)念 願 で あ ・た 臨 床 検 査 医 学1溝座 授 会で も 夕itを は さ ん で 、 深 夜 に 埴 ん てi.u'uHNかitわ 才した こ ヒ ≠, 珍Lく 男 り ま した、 、 しか し 田 ン ニ尺学 で は 昭 和56 年 に 尺阪 尺学 に 試 置 さ れ た の か 最 初 て 、-k!年 に 新 潟 大 学 内科 と以 後 続 々 とL{立 さ れ.ま し た か 、 本 学 の よ う な 新 設 医 大 間 勉 強 を さ ぜて もらい =は の 間 、 肺 弥 患 に 関 心 を も ち 、 と くに 肺 気 腫 の 本 学 と 愛 媛 大 学 かli火 を 切..、た こ ヒに な り ま す 、 臨 床 検 査 医 学 講 座 は 、 生 化 学 、 血 液 学 、dur]学 物 学 等 の 智 改ヒ技 術 を 基 盤Lし まLた..5年IHIcノ)レ/テ 床 検 査 法 の 開 発 、 一 各柿 臨 床 検 査 法 の 技 術 的 、 臨 床 的 評 ン トt./Illrt、 ま ノ ㌧:一ノブー こ1.t口 葉 、1新 、微 生 臨 床 、呼 吸 生 理 学 、 病 理 形 態 学 を 勉 強 す る 機 会 に 忠.まれ しい よ り有効 な臨 と の 斗・ い で も あ り まLた,Off"i'i,室 で 動 物 を 相 手 に す る 什 '1」 とは 異 な り 、 臨 床 で患 者 さ ん 相 手 の 仕 事 丸す か ら 、 大 価 、お よ び3病 変 な 苫 しみ で も あ り まLた,渡 残 念 で す か 、 二の 若 い 研 究 領 域 は 今 後 飛 躍 的 発 展 六 な す 米3る 備 を し た 訳 で も あ り よ ぜ ん の'.、 分 か ら な い の に,患 前 に特 に 高葉の 準 普通 に話 され て もよ く 、 夜 ヒな く レ/テ い ます 。 も ク)Lf言 じ 、}胡待…し て い ま す 、, 菖 券ん が モ ゴ モ ゴ 言 う言 菓 な ど分 か る は ず も あ り ま せ ん.昼 態 解 析 理 論 の 確 立 で あ る ヒY,て 講座 の 設 置 後 、数年 で本 学 を 去 ら なけ れば な らな いの は 昭 和60年 か らz年 ン ト1司志:や 、 間fの あ りhに 間,附 属 図 書 館iを 命ゼ られ 、 その 関 して 自己点 検 と評価 をす るため の 、 ア テ ン デ ィ ン クlh師 との 間 で、 、 寸諭 か 子1'われ ま す か 、:...nu議 大学 年 報 を 発 行 弓 る こ と と な り 、 そ の た め(乃 委 員 会 をill か 白 熱Lて 織 し 、 委 貝 会 案 を ま とめ 、 今IIま く る と 、 二 ち ら か5つ ま ㌧\lirrL.し 言 う間 に1〔)言わ れ て し ・A堅 し・を し た ニ ヒカ`fpr[1IIも 、 ちり ま 寸 帰 国 後 も1呼吸 器 病 理 のfいFを 続 け 、4,')・ され てい る こ と も、想 い出 の 度最 初か ら で す で に 第2り'が 私 に とっ て 旭 川 は 算当zの 故 郷Lな >L」ti『41'つ も り'で、Nili11包 数O)算,i三 べ・肘il抱∼ζirl汗 直ぴ)r.則 を そ'f 第2>1,J1と い ま し た 、,ま た 肺 気 腫 や 慢1生 気 管 支 疋 の 、 い わ ゆ る181 展L、 な り 素Lた り、 旭川 医 科大 学 は こ の 新Lい'大 充 実 す る こ ヒ を 念 願L匿 ぐda.ま 学 が 年 とtiに 発 せ ん昏 旭 川 に 附 属 病 院 教 授 と して 着f「Lて 以 来 、病 院 や 検 査 部 る こ とは 困 難 と な り 中 断 せ ざ る を え な い 事 情 ヒ な り ま し 皆1:∴ 剛 ㎜ ▼ 駒 多 変量 解 析 や 、人 工 智 1 ∴織1蝋 }h た 。 そ の 後 は 臨 床 検 査 を 巾 心 とLた .舗.冒 ﹄ r v)f川 諾とと い うff:`鉾に1自:1血1し 、1づ也 し た よ うtafl:事 を斜*壽 売⇒一 ゐ ・肖乳 要 な 因 子 と な っ て い る こ と を 見 出 し ま した 。 . 駈熱 卜'の細 気 管 支の 狭 窄 、 閉 塞 が 重 トぎ 篤黒 カ ム ズ ム を 解 明 す る た め 、 剖 検 肺 に 様 々 な11夫 を し て 検 敦 野 抄 男 藪 笹 髄.朴 瞬 翼 題 臼 ,臨奄 伸 サ ヤ 飯ゆ 飼 性 肺 疾 患 が 肺 高dn.圧 →lbli性心 → 右 心 不 全 へ と進 展 す る メ 索 し た 結 果 、 直 径lmm以 発行 ・ つ とな ・ りて い ま すn 能 を 応 用 し た 病 態 解 析 理 論 の 構 築 に 意 を 注 ぎ ま し た,、 ︹ 、 (最 終 講 義) 退 官 に あ た っ て 一 創 業 と守 成 とい ず れ が 難 き か 一 生物学教授 美 甘 和 る よ う に 調 整 さ れ て い て 、医 師 とLてvii#低 退 官 に あ た っ て 、 こ こ に 一 文 を 寄 せ る 機 会 を 頂 い た. 哉 必 要 レベ ル の 最 彼 の 機 会 な の で 、 創 設 期 か ら 今 日 ま で 、 私 が こ の 大学 知 識 を 試 す もの で'あ る か ら 、司 法 官 試 験 ぺ・ 公 務Ll試 験 と比 を ど の よ うに 見 て 来 た か 、 率 直 に 記 さ せ て 頂 き度 い. べ る と は るか に 易 し い もの で あ る.良 面 目 に 勉 強 し て 卒 裳 出 来 たYで 表 題 は 、 唐 の 太宗 李 世 民 が 近 臣 に 施 政 の 大 綱 を た だ し た11で あ れ ば 、合 格 す る の が り1'1り 前 で は な い か,,明 ら か に 、卒 業 認 定 基 準 を 甘 く し て い る 教 官 や 安 易に か ま え る あ る 。「古 よ り 黙 を 創 め て こ れ を失 う もの は 少 く、 成 る を守 一 っ て こ れ を 失 う も の 多 し 」。太 宗 は 剛 直 の 臣 魏 徴 学 生 達 が 凋 落 の 責1.n首 だ と思 うが 如 何 で あ ノJう、,か つ ての の 言 を容 れ て 守 成 の 困 難 を 戒 め と し 、唐;代:il}0年の 礎 を築 我 が 大 学 に は 、_ificのレ ッテ ル を跳 ね 返 え そ う と0る い た とL}わ れ て い る.私 か 満 ち て い た 。今 は 、三 流 に 甘 ん ヒ る 無 気 わ がL々 し て 、 そ れ が 甚Lく は 、 本 学 の 創 裳期 の 困 難 を 体 験 気迫 な レベ ルに浸 透 して しま ・ った よ う に 思 わ れ て な ら な い 。 不 如 意 に 満 ち た 辛 い もの で あ っ た こ と を よ く心 得 て い る 積 り で あ る 、,し か し 、 今 や 、 銀 難 の 最 近 、我 か 国 の 大 学 が 次 世 代 育 成 の 責 任 を 自覚Lて いな い 、と 」}う識 者 の 批 判 が 頻 繁 に な っ た.近 頃 の 大 学 プ)実情 な か に 築 い た 貴 重 な もの が 失 わ れ て 行 く よ うに 感 ヒ ら れ て 、 守 成 の 難 し さ を思 わ ざ る を 得 な い.、 本 学 も 一 日設 立 を み れ ば 当 然 で あ る,か つ て 、ラ イ シ ャ ワ ー 氏 がr体 さ れ た か ら は 、 欧 米 の 書bな7の 学 のa年 よ うに 何 f年 も続 く の大 間 は 時 間 の 浪 費 で あ る と断Llた が 、残 念 な が ら 反 堂 々 た る ものに なっ て もらい 度 い。 創 業 期の 何 十倍 も長 論 のiiも い 守 成 期 の 真 の 難 し さ に 対 処 で き る 大 綱 を し っ か り と建 行 さ れ 始 め た 。本 学 もや っ と 自 己 評 価 委 貝 会 を 発 足 させ よ て て こ そ 、 揺 ぎ な い 伝 統 と 輝 か し い 歴 史 を 築 く こ とが 出 う と し て い る 。外 圧 に よ ら ず に 始 め て も ら い た か.っ た 来 る の で は な い で あ ろ りか 。 非,曖 昧 な お 茶 濁 しに 終 らせ な い で も ら い 度 い 。欧 冴tの大 /L 学 に は 、教 官 で も学 生 で も安 逸 を 貧 る 者 を排 除 す る ン ス テ さ て 、 本学 の 創 業期 は 何 時 終 り 、 守 成 期 は 何 時 始 っ た の で あ ろ う か 。 異 論 が あ る か も知 れ な い が 、 私 は 、 な い 。い よ い よ 、大学 の 自 己 評 価 か 表 彰 ・て 実 ム が 確 立 して い る.特 に 医 学 校 で は そ れ が 厳 し い 、 、 医帥の ・期 社 会 的 責 任 の 重 さ を 考 え れ ば 当 然 で あ ろ う., 生 か 卒 業 し た 昭 和54年:i月 を も っ て 創 業 期 を 終 り、 大 学 院 か 開 設 さ れ た 同 年 の4月 を も っ て 守 成 期 が 始 っ た と考 左学 の 自 己 評 価 に は 、教 官 の 業 績 評 価 だ け で な く 、カ リ え てい る。 本学 の大 学 院 は 、 ま さに 薄 氷 を踏 む様 な 危 機 キ ヱ ラ ム の 再 評 価 も是 非 や っ て も ら い 度 い 。教 育 機 関 の 背 を 経 て や っ と 認ufさ れ た 、,私 も 大学 院 設 置 委 員 の 骨 で あ る か ら大 事 で あ るII先 年 の カ リ キ ⊥ ラ ム 改llこは ま だ ・人 と して 、こ の創 業 期最 後 の 大 難所 を越 え た時 の 喜びは 実 に ま だ 生 温 い 。医 学 教 育 の 先 見性 に も 欠 け て い る 、 」ウミ学 の 急 た き か'一、た 。 し か し 、 私 の 見 る と こ ろ 、 そ の 頃 か ら 大 学 速 な 追i歩 や 医 師 の 質 的 向 ヒ を 求 め る 社 会 の 要 望 に 答 え ら は 足 踏 み を 始 め 、や が て は 地 盤 沈 下 を き た し 始 め た 、 れ そ う もな い 。確 か な 改 善 もあ っ た が 一 部 に 過 ぎな か っ た 、, 真 面 目 な 学 生 の 中 に 、勉 学 意 欲 を 殺 か れ る とii)声 本 学 は 、 後 続1'数 校 の 国 凱 新 設 医 大 の ト ・・ブ を 切 一.、 て がある 出 発 し 、色 々 な点 で それ らの 手 本に な った輝 しい時 代 か こ と に 、大学 当 局 は 是非 耳 を{頃け て もらい たい 。さらにf1ー ば 、 碓:かに あ ・ ・,たり と こ ろ が 、 本 州 の 刺 激 の 多 いf環境 の 中 で 大 学 院 の 制 度 も他 た学 と比 べ て遅 才げ こ.よ よで は ないv>/r,, "fの 未来 の 栄 光 を 願 い 、 敢 え て 呂肩 を も っ て'、}:成 の難 ト分 揉 ま れ て い る 後 続 校 が 着 実 に 力 を 蓄 え て 来 た の で あ る,本 [.さ を 述 べ た,私 の 真意 を ・入 で も 多 くの ノ ∫か 汲 み 取 ・ ・,て 'ドさ る よ う希 一 ・ ・て 、退 官 のrfと させ て い た だ い た 、 、 学 が 次 々 と 遅 れ を と … て 来 て も 、「夜 郎 自 大 」 を き め 込 ん で 、 相 変 ら ず 新 設 医 大 の リー9`一}i4で あ るか の よ うな 神 話 を 信 じ る 人 が 学 内 に 多か っ た の は 残 念 で あ っ た, ア ,44 鱗 漁糠蜘 や か て 、 総 て を 大 過 な く過 ごそ う とす る穏 健 派 や 慎 重 派 が一 レ流 と な る と 、 大 学 の 運 営 は こ と こ と に 右 顧 左 阿 し て 百 橋 を 叩 くの み 、 余 程 強 い 外 圧 が 無 け れ ばNら 動 き出 そ う とは しない受 身態 勢 とな っ て し まっ た。 そ の結 果 、新 .1 uuら し い 意 欲 に 満 ち た 後 発 医 大 群 に 大 き く水 を 開 け ら れ A 滑 て し ま'った の は 」 然 で あ る,、 例 を 挙 げ れ ば 限 りが な い が 、一一番 解 り 易 い の で 医 師 国 家 じ1'悔 、、隻 邑 嘱 邑㌔ 試 験 を例 に 取 っ て み る と 、こ こ 数 年 合 格 率 が 甚 し く低 ドL .脳 ...1.蜘 蝋..1.帰 . 馬..{. し }A げ r 「 て し ま っ た 。IL、 医 師 国 家 試 験 は 合 格 者 がH(〕%以 一トに な P嘔...調 (最終 講 義) 10 L亟 璽≡ 垂LZ⊥L⊥ 内科 学 第二 講 座 が 後 輩 を指 導 す る 、 か易 と な り 、 全 力 を 尽 くす 所 存 で あ り コ 衛藤 よす。 雅昭 大 し て 業 績 も な い 私 で す か 、 こ の 機 会 に7人 私 は 本学 の ・ 期 生で 、 昭 として の 考 え を 少 し述 べ て み た い と 存 じ ま す 。 医 科 大学 の 使 命 和48年 に 人学 し昭和54年 に に は 教 育 の 他 に 診 療 と研 究 が あ り よ す 、,最 高 の 医 療 を 求 卒 業 し ま した1、卒業 と同時 め て 、病 め る 患 者 さ ん は 大 学 病 院 を訪 れ て い る 訳 で す か に、 本 学 第二 内 科に 入局 し、 ら 、 大 学 人 と し て そ れ に 答 え る よ う 日夜 研 鐙 に 努 め な け 初 代 教授 の故 百井 兼 央 教授 れ ば な ら な い の は.∫ う よ で も あ り ませ ん 。 高 レベ ル の 医 の 御 指導 を受 け ま した 。昭 療 を保 つ には 、高 レベ ル の研 究 をす る必 要 が あ る と確信 和63年 に故 石井 教 授 が停 年 して 今[ま 退 官 され 、 牧 野 勲 教 授 が 二代 目 教 授 と し て 赴 任 さ れ ま し で 努 め て き た つ も りで い ま す 。 私 の 専 門 分 野 は 糖 尿 病 、 高 脂dn.症 、 動 脈 硬 化 症 で あ り ま す が 、 ユ0年 ぐ た 。 平 成 元 年 か ら 二 年 間 余 米 国 に 留 学 す る機 会 を 与 え ら ら い 前 、 私 が 当 初 発 表 し た 研 究 は 国 内 で は 余 り関 心 を も れ 、II乍年8月 た れ な か っ た よ う で し た 。そ れ で 英 文journalに に 帰 国 致 し ま し た1、此 度 、牧 野 教 授 の 御 高 投 稿 し続 配 に よ り第 「 内 科 の 助 教 授 に 任 ぜ ら れ ま し た 。 「か ぐ ら お か 」 に 何 か 感 想 を 書 い て くれ と 、同期 生の け て 参 り ま し た が 、 や っ と最 近 少 し は 認 め ら れ た と思 っ 皮 膚 科 の 松 尾 助 教 授 か ら執 筆 依 頼 を 受 け た の で あ り ま す 大 学 に は ハ ン デ ィー が あ る よ う な 印 象 を も っ て い ま す が 、 か 、 こ の よ う な 文章 を 書 くの は 苦 千 で あ り ま し て 、 拙 文 本 学 を世 界 に 出 す に は 〔 〕riginalityの 高 い 研 究 成 果 を ど し を おd7し 頂 け れ ば 幸 い で す1、感 想 で す が 、 医 局 で 年 齢 か ど し英 文 で 発 表 す る こ とだ と確 信 し て い ます 。3は 二 番 目 と い うだ け で そ の 資 格 は あ る の だ ろ うか と常 に 自 く り研 究 す る の に 適 し た 環 境 に あ る と 言 え ま す の で 、 で 問Lて て い ます 。日 本 で は;1;身 大 学 で 評 価 さ れ が ち で 、localな き ま した が 、 最 近 は そ の 責 任 の 重 さ を ひ し ひ し と じっ き る だ け 多 く の 若 い 先生 方 が 本 学 に 残 り研 究 に 従 事 さ れ 感 じ て い る 次 第 で す 、,ま た 、 苦 労 の 多 か っ た 大 学 の 創 設 ん こ と を 切 に 塑 む も の で あ り ます 。 期 よ り無 知 な る私 を 教 育 、 指 導 し て 下 さ い ま し た 、 学 長 諸 先 輩 を さ しお い て 、 と り とめ も な い こ と を 書 い て 恐 先 生 は じめ 本 学 の 諸 先 生 た ち お よ び 第 二 内 科 の 諸 先 輩 た 縮 し て い ま す 、 今 後 と も御 指 導 、 御 鞭 捷 よ ろ し く お 願 い ち に 深 く感 謝 の 意 を 表 し た い と 存 じ ま す 、 、今 度 は 私 自 身 致 します 。 [ ス キー 教 室 で 留 学 生 と交 流 深 め る 今 年 も12月is日(ID・17日 伏}の 両 日 に わ た り 旭 岳xキ ー 中 級 ク ラ スは 真 剣 な 表 情 で 講 師 の 後 を 追 い 、 初 級 ク ラ7, 場 に お い て ス キー 教 室 が 実 施 され た 。 は 講 師 の 個 別 指 導 を うけ な か ら 雪 と親 し ん で い た 。 留 学 北 海 道 の 代 表 的 な7,ポ ー ツ で あ る ス キ ー を通 じ て 、 白 己 グ)健康 管 理 、 技 術 の 向 上 、H然 生 も技 術 に 応 じた ク ラ ス に 入 り、 本 学 学 生 と い 一 っし ょに に 親 しむ と と もに 、 本 ス キ ー を楽 しん だ 。 学 学 生 と外 国 人 留 学 生 との 親 善 交 流 を 目 的 と し た こ の ス キ ー 教 室 に 、 留 学 生4名 1日 目(16日)は 2口 を 言 む34名 が 参 加 し た 。 、 参加 者全 貝が 旭 岳 スキ ー場 に お い て 、1.$k・ 中 級(2班)、 初 級 の4ク 行 わ れ 、L級 の ク ラ スはrPdiと 目(17日)は 、 ゲ レ ン デ コ ー スの ほ か に 、 歩 くス キ ー に よ る 自 然 観 察 コ ー ス も あ り 、 北 国 の 冬 の 自 然 を満 喫 し た 、, ラ7,に 分 れ て 講 習 か よ た 、16日 夜 は 宿 些にf憂宥1な 滑 り を 披 露 し 、 泊 地 の 天 人峡 温 泉 で 親 善 交流 会 が 行 わ れ 、 ユ ー モ ア を交 え た 自 己紹 介 や 、 ロ 本 語 ・ 外国語 が 飛 び か う会 話 な ど で大 い に 交流 を深め 、予定 の時 間 が オー バ ー したほ ど の 盛 況 で あ っ た,, (旭 岳 ロ ー プ ウ ェ ー 駅 前 に て) (木の 洞 よ り自然観 祭) 11一 平 成3年 度 1年 の あ ゆ み 4月 5口 ・ 卜成3年 道 度 ぺ11∫ ℃[於 iiii人i・1〔 月 名 体 育 館} に)ち 15ilX#r入'4.4汁fiを5第1「 の妖 女f学 成 績:男f・ 生16名 目 ' _'1日 冬 口ill 第2--4一 ω 、軟,悔 球(男 女)、 ハ ン ド 総111Ci 粥34i口陳[1イ く医 科'≠ 生 総 合 体 ず扶 q,管 8月11日 16ヒ1/ち 弓道 明 ボ ・一ノ し ヒ ミー ナー一 補モ、 手11空} 校 東 京 慈 恵 会 医 科 却 1本 学 参 加1種 田iiをL競1支 球,硬 球 式 庭 球 ト ン1男 〔り汝)、r望 〔男 如.軟 〔男fzl,バ 式 庭 球 レ ー ホ ー ル 女)、 サ'カ 会 愛 到 く会 γ二} 硬 式 野 鳴 如 、 中 〔男 如 、 バ ト ミン ー、バ ス ケ'ト ホ ・ 几 〔男 女 〕、 柔 道 、 剣 道 、 弓 道 、 空 弄 、 水 泳(男 女 ノ、 ゴ ル フ (入 学 P+… 式) 5月 14目 合17f立 「「 賓 [π コ 晦 鰻終' 医 帥 国 家 試 験 合格 者 発 表 〔本 学 合 格 昔121名 F」 比績:総 、 合格 率88.3%1 団 酌 A・ ・ 「 ・し ρ1' 6月 (地 13目 第17回 医 大 祭 1r;目 テ ーマ ニr起 己授 与 式 「於 第2会 ;,f,位 記 被 授 与 者 体) 8月 叱回生「 /医 大 祭 実 行 委 員 会 委 員 長1専 ' ,?811学f妬 区 ナ楓 樹1 8月1日 議i`.1 第34回 :瑚25目 東 日本医 科学 生総 合体 育 大 会 冬季 大会 住 管校 δ 名1 慶 応 義 ウl!大学 医 学 部 〕 [本 学 参 加 樽 目1ラ ホ 7日 ク ピ ー 、 乳 キ ー、 ア イ ス ・ケ ー 乎 成3年 度 納 骨 式ti・.,本 学 納 骨 堂) 9月 4rl体 育 左 会 ■ 『催 [競 技 種11〕 サ'力 学 生 ノ 一、 バ ス ケ ■ ・ポ 几 、 ソ フ ト ボ ・一ル 、 糸岡 弓1き 、 リ レ ・一、!・4尺 仕、 (医 大 祭 医 学展 「救 急 蘇 生 」) 17月 5日 ,.. .噛1 ..ユ 第38回 北 海 道 地 区 た 学 体 育 大 会 7ile「1番 校 バ ス ケ リ トボ ・ 一 ル1男 サh-、 織騨 騨鎧 灘継 北 海 道.k学} 「本 学 参 加 柿 目]陸 中球 ヒ鮒 芝1男 如 、準 硬式 野 球 、 女 駄 ハ レ.'ド 「男 如 、 バ ト ミ/じ ー'し1男3 嶋1、 、 1辱 剣 、 ㌧ 恥冊 蝋沸 懸1臨 (体育大 会) 12 25日 平 成3年 度 解 剖 体 慰 霊 式 並 び に 文部 大 臣 感 謝 状 伝 達 式(於 体 育 館 ・第4ヤ 学 位 記 授'チ 式r於 第2会 箋 参 (学 位 記 被 授 与 者6名 ミナ … 室) 議 室} 曳 30日 〕 レ 論 瀟1 一,漉 \ 71「 搬 贋' 魯r蕊 ,:u:: ● 一 哩麟 一 一一 るコ .・ ㌧溶 げ'榊 岬 醗 μ芝 (ス キ ー 教 室) 嚥 匿 驚.. 晦:鞠 .愚= ⑱ 』,, 1月 11日'iξ 12目 成4年 度 大 学 入 学 者選 抜 人 学 入試 セ ン タ ー 試 験 〔本 学 会 場669名) (解剖体 慰 霊 式) 2月 口o月 平 成3年 3日 ち 31日 'LHH ∼ 度公 開 講座 「琶年 期 を す こや か に 」 新 入生研 修 11月1目 (於 第2回 第3--4セ 目 7日 美 甘教 授 最 終講 義 20日 百 橋教 授 ・牧 野(幹)教 24日 平 成4年 度 大学 院 入学 者選 抜 試験 27N 小 野 毒数 授 ・保 坂 教授 最終 講 義 三ナ ー 室} 授 最 終 講義 3月 5日 6日 11目 平 成4年 度 人学 者 選 抜 第2次 (受 験 者5!11名 試験 〉 石 橋 教 授 ・小 野 寺 教 授 ・保 坂 教 授 ・牧 野(幹)教 授 ・美tr教 授 歓 送 式 F 1211 平 成4年 度 大 学 院 入 学 者選 抜 試 験 合 格 者 発 表 ユ9日 平 成4年 度 人 学 者 選 抜 第2次 '1 .511 博 士 学 位 記 授 ワ式(於 試験 合格 者 発表 笛2会 議 室) 〔f専 士fi立riLy皮 才 受!ノ・者24名) 体 育 館) けみ マ ヘ れ ハリコ 謄ぜ 唾 へ サ 溝 師5名 ー鑛 ス キ・一教 室(於 17日 声ぜ 塾 ジ lfiII ▼ - 12月 ﹂ 風 ﹂ , ∫`7㍉}己 念[1 . ` 月 農 噸 川 ﹁ 聴 (新入生 研 修) , 〔於 購驚 ('丁士 学 位 記 被 授 与 者113名) 雛贈_, 5日!‡ 度 学 十 学 位 記 授 与・ 式 u﹂ 凋 鞍 醗 盛 平 成3年 旭 岳 ス キ ー 場) 、厚 生 補 導 委 買 会 委 員 艮 参 加 学 生34名 り 25日 学 位 記 授'」式(於 第2会 (退官 教 授歓 送 式) ('1:f立〔1己 被f受 与・ 者2名} 一13一 0 詰 議 室) 職禦 聴響 禰 「 病 院 ロ ビー で ク リス マス コ ンサ ー ト行 われ る 室 内 合・4糾・hと合 唱 部{二 よ る ク リ スマ ス コ ン サ ー一トか1'L 月20日 ㈲ ・21H(1)の3ijH、 附 属 病 院 ロ ビ ー でi1'わ れ た1, 出 教 授 へ 旭 月1市文fヒ奨 励 賞 力唄曽ら れ ま し た1 こ の コ ンサ ー トはf口 ごろの 練 習 成果 を発 長す る と と こ の 賞 は 、 旭 川 市 の 文 化 の 向1,発 展 の た め に 、 多 大 な も に 単 調 な 入 院 生 活 に ひ と と き の 憩 い の 時 間 を 過 ご して 良献 を さ れ た 個 人 及 び 団 体 に 贈 ら れ る も の で 、 原 川 教 授 も ら お う1と は 、 永 年 に わ た り雁 史 の 研 究 に 情 熱 を 注 か れ 、特 に 北 海 学 生 の クラブ 団体 が 毎年 この 時期 に 開 いて い る もの で 、 両Hと 道 乍 般 の 地 域 史 研 究 に お い て 優 ね た 携 書 ・論 文 を 発 表 す 職 員 ら 約200八 る と ヒ もに 、 新 し い 北 海 道 史 の 編 集 者 と し て 活 躍 さ れ 、 も 、 入 院 さ れ て い る ノ∫や 看 護 婦 、 教 が 美 し い メ ロ デ 仁 一に 聞 き 入 っ て い た 。 史 に 、旭リlliiil刑 期 f年 を 記 念'す'る 「目 で 見 る 旭 川1のb:み 」 の 出 版 に 貞 献 さ れ た こ とに よ り受 賞 され 圭Lた 、 に≠ 生 課 〉 新 歓 合 宿 の お知 らせ 年 ↑日例 とな っ た 「新 人 生 歓 迎 合 宿 」 を 、G年 1'?日に も う 二Lに な り よ し た,予 定 内 容 とLて 現 場 で 働 い て い る 先1iを 招 い て の 溝 演(今 の 葛 西 先 生 を お 招 きLま く ら や お もLろ 年 は 第2 す)、 各 ク ラ ブ の 紹 介 な ど(め い よ!!)か 、ま ず 学 校 で 行 わ れ ま す, 泉 宿 ま で 出 向 い て 、 先 輩 与 とuuる グ,一 (室 内 合 奏 団 の コ ン サ ー ト風 景) フ討 輩 方 の 失 敗 談 か 聞 け るか も?)、 新 人 生 全 員の 自 己 紹 命(fl'1年 は ハ'ク 転Lた . 論 会1先 は、 嘱 後.温 も 墨月 入 、恋 人 宣 言 を し た 氏 な ど 、 嶺 い ろ い ろLい まLた よ!ハ 、 ク ラ ブ 勧 誘 〔Lつ こ い よ ハ 、 そ し こ皆 で 飲 み 明 か す の だ!!と は ゴ ・ って も 、 寝 た い 人 は 布 団 も あ るL、 無 理 に 飲 ませ な い か ら 、 救 急 卓 の 心 配 も あ り ませ ん 〔万 ・の 、 二と か あ ・,て も 、 先 輩 が 助 け て くれ ま す1, と.まc,き さに つ つ り まLた け ど 、二 の お も し ろ 茎は 、 ま 「i'ilk1は一 見 に 如 か ず 」 で す 、ぜ ひ 参 加 し て 、 こ の お も し ろ さ を 実 際 に 肖 分 の 肌 で 体 験 し て ドさ い. (新 入 生 歓 迎 実 行 委 貝 会 よ り 〕 教 官 の 異 動 r 昇 学 生 団体 の設 立 ・ 継続 届 につ い て 平 成4年 任 ◎113.12.1.内 度 に お い て 、 新 し く設 立 し よ')と す る学 生 団 ◎H4.2.ユ.ユ 体 、 も し くは 活 動 を 継 続 し よ う と す る 団 体 は 、4月30日 科 学 第 二 講 座 助 教 キ受 、衆 子 岸f」二学5轟 座Hh教}受 衛 藤 別1昭 」1えlilt'.41⊥ 三 il,Q`,務。 果) ㈲ ま で に 設 立 届 ま た は 継 続 届 を学 生 係 に 提 出 し て ドさ い 、 、 な お 、 継 続 届 の 提 出 か な い 学 生 団 体 は 、 解 散 し た もの と1.て 処 理 す る の で 注 意 す る こ ど, 〔学 生 、 、 果} …14… ■■■』一一 r ・ 艦1 ㍑ 体(協 会)と の打 合 せ 、7月10日 働 総 合開 会 式 及 び 第2回 鱒紬瓢体にr鍍耀 匡'匡1 主 将会 議 を予 定 して い ます 。 平 成4年 度 の北 海道 地 区 大学 体育 大 会 は 、 本 学 が 当番校 大会 運 営 に 当 た って は関 係 クラブ の ほ か 、 全 学 の教 職 員 とな り実 施 す る こ とは 「か ぐらお か」の67号 で お知 らせ し 及 び学 生 諸君 の 協 力 が必 要 とな ります の で 、 絶 大 な協 力 を ま したが 、日程 ・ 会場 ・ 分 担 大学 が下 記 の とお り決 ま りま し お願 い し ます 。(学 たの で 、お知 らせ します 。 実 施 租 目別 分 担 大 学 一 覧 な お 、硬式 野球 、バ スケ ッ トボー ル 、卓球 、バ ドミン ト 分 担 種 ン、ハ ン ドボー ル の5種 目に つ い ては 、私 立 大学 の協 力 に 担 大 札 幌 学 院 バ ス ケ ッ トボ ー ル 男女 旭 川 卓 球 男女 北 海 道 工 業 大 学 ト ン 男女 北海道東海大学旭 川校舎 硬 した。従 って本 学 関係 ク ラブ貝 につ いて は直 接 運営 に参画 す る必 要 は な くな りま したが 、主 将 会議(組 合せ 抽 選)等 の 作業 は協 力 して い ただ きたい と考 えて お ります。 また、 今 後 のス ケ ジュー ルに つ いて は5月 中 旬顧 問教 官 ・ 主将 会 議 、5月23日 ㈹ 第1回 主将 会 議 、6月 中 旬競 技 団 開 催 期B平 番 号 1 z 3 4 5 6 7 陸 上 硬 目 名 競 式 技 野 性別 式 球 庭 ッ ン ド ボ ー ル 性別 男 分 北 星 学 大 学 大 学 園 大 球 カ ー 2日 ㈹ 3日 囲 4日 (t1 0 0 0 0 0 5日 (日) 11日 cu 平 成4年7月10日(斜16時 12日 (日) 13日 競 (月) 技 会 旭川陸上競技場 0 札 幌 学 院大 学 総合 グラ ウン ド野 球場 江別市営球場 0 0 0 男女 0 0 男 0 0 0 旭川市総合体育館 女 0 0 0 旭川大学体育館 男 O 0 0 旭 川大 雪 ア リー ナ 女 0 O 0 旭川市総合体育館常盤分館 0 0 O 旭川市富沢運動広場 0 0 男 男 男女 ト ン 男女 旭 川 スタル ヒ ン球 場 旭川医科大学野球場 旭 川花 咲 テ ニ ス コー ト 旭 川医 科 大学 サ ッカ ー場 9 バ 10 柔 道 男 0 旭川市総合体育館 11 剣 道 男女 0 旭 川 医 科 大学 体 育館 ・武 道場 13 球 0 卓 12 弓 ハ 道 ン 学 場 8 ド ミ ン 学 ∼旭 川医 科 大学 体 育 館 0 レ ー ボ ー ル サ ド ミ ン ハ 球 0 男 バ ス ケ ッ トボ ー ル バ 野 バ 合 開会 式 男女 準 硬 式 野 球 軟 式 成4年 度)北 海 道 地 区大 学体 育 大会 開催 期 日 ・種 目 ・会 場 成4年7月11日(1)-13日(月)総 開 催 種 目 名 男 よ り分 担大学 として 大会 を実 施 して いた だ くこ とに な りま 第39回(平 生 課) ド ボ ー ル 北海道工業大学体育館 0 0 男 0 北海道東海大学旭川校舎体育館 0 0 女 旭川医科 大学弓道場 0 男 0 札幌市魁平区体育館 O 崇7月13日(月)旭Iq市 総合 体 育 館 ・ 常 盤 分 館 は休 館 の ため 当 日会 場 を移 動 して 実施 す る。 課 外 活 動 短 信 サ イ ク リ ン グ ・ク ラ ブ 「ち ゃ りん こ の 会 」 第5回 第4ス ア イ スホ ッケー 部 第34回 東 日本 医科 学 生 総 合体 育 大 会 冬季 大 会 ツ ー ル ・ ド ・北 海 道3年10月4日 テー ジ 5位 入 賞 木 ー 般 個 人 ロ ー ドレ ー ス37km 栃 木 県 日光 市3年12月26日 村 Aリ ー グ3位(総 圭 介 [昨年Bリ 個 人賞 一15一 新 一・30日 合3位) ー グ優 勝(総 合6位)] 高 橋 淳 一 ポ イ ン ト王 千 ベ ス ト6土 人 賞 里 居 直 之 忠 臨 「旭 川 医 大 に 留 学 して 」 談 私 は1990年10月 、 研 究 留学 生 として旭 川 医大 に 来て か ら 1年4ヶ 勇 と持 ちつ づ け て お り ま した。これ ま で長 い間 、医療 の実 践 に当 た ってお りま したが 、難治性 柊痛 を もつ 多 くの患 者 さ 月が 過 ぎ ま した 。 んに大 変悩 ま され 、中 国に おけ るペ イ ン ク リニ ックの 遅 れ 南 京は 中国 の古 都 と して皆 さん ご存知 の 通 りで すが 、 母 校 の南京 中医学院は北京 お よび上 海中医学院 と並 んでWHO が 一 層留 学の希 望 をつ の らせ た こ とで もあ りま した。1990 か ら伝統 医学 、acupunctureの 年4月 、 小 川教 授が 訪 中 され た折 り、私達 の大 学 で「日本 に 教 育研修 セ ン ター に指定 さ れ て い る3大 学 の1つ です 。 大 学 は、人口300万 人の 南京 市 おけ る柊 痛治 療 の現状 」とい うすば ら しい講濱 を聴か せ て 内 で も一 番賑 や か な街 の 中心 部 に あ ります0 頂 いた のが縁 で 、 夢 に もみ た留 学が 実現 す る こ とにな った 旭 川 に着 いて 、市 内 を静 か に流 れ る石 狩 川 や 、 雄大な大 の です 。しか し来H前 は 、神経 ブ ロ ッ クの 知識 は 全 くゼ ロ 雪 山系 を眼 に した時 、 騒 々 しい南 京 と比べ 何 と爽 やか な と の状態 で あ りま した。ここ1年 間 に硬 膜 外、くも膜 下ブ ロ ッ クは も とよ り、 胸部 、 腹腔 、 腰部 交感 神経 節 ブ ロ ックな どの こ ろか と とて も印 象的 で した。 夏 に は ラペ ンダ ー の紫 、ポ ピー の 自や赤 、ピー トや 牧 草 高度 の 各種神 経 遮 断術 を見 学 させ て頂 き、日常 的 な星状 神 の緑 が 美 しく、 秋 に は濃緑 の エ ゾ松や 、白樺 、 紅葉 等 に よ っ 経 ブ ロ ック、仙骨 ブ ロ ッ クな どの 手技 の コツ も繰 り返 して て織 り成 され る 多彩 な絵 の よ うです 。 近 くの森 で は小 鳥 が 「 羽 衣 の滝 」の神 話 を伝 えるか の よ うに噌 り、田畑 では農 作 教 え て頂 きま した。その ほ か に 、 教授 は西 洋 医学 と中国 伝 物 が整 然 と収穫 の 時 を待 っ てい ます 。冬に な る と一 面 は 白 手段 の研究 を進 め られ て お られ ます。私 の本 来の 専門 で あ 統 医学 の両 者 を結 合 させ た診か た 、 考 えかた で有効 な除痛 る産 科 婦 人科 の 接点 で も、 辺 縁科 学(frontierscience)に 銀 の世 界 に 変貌 します 。 旭 川医 大 は あ たか も大 雪 山や 十勝 連 峰 の裾 野 に広 が る 関 す る 面で新 しい発想 が で き、これが 私 に とって何 よ りの 庭 園 の よ うで 、 構 内 の緑 の 芝生 は真 赤 な 夕焼け 空 の も とに 収 穫 で もあ りま した。また この1年 間 に6回 も学 会 に参加 美 し く照 り出 され ます。夏の晴 れ た 日に は リハ ビ リ丘 の散 させ て 頂 き、また3回 論文 を発 表 させ て頂 き ま した。毎 回 歩 を楽 しみ 、 冬 の寒 い 朝に は医 局 で熱 い コー ヒー を味 わ い つ た ない発 表文章 を教授 が睡 眠不 足 を顧 みず 直 して下 さっ なが ら、 窓越 しに 白い雷 山 を眺望 で き、「なん と美 しい田 園 た こ とや 、色 々な機 会 に人 の生 き方 、 過 ご し方 、 趣 味 の もち 都 市 、な ん とす ば ら しい 別荘 大 学 で しょ う」と何 度 も感慨 方、 勉強 の 方法 等 、さま ざ まな面 で教 育 を受 け、これ らは 一 にふ け っ た こ とで した。 生忘 れ るこ とが で き ませ ん。 仕 事 と研究 の 面か ら、 教授 は極め て 厳 しい先 生 として尊 この1年 余 、豊 か な 自然 の 恵 を受 け なが ら、有意 義 な研 敬 され てい るか た わ ら、 患 者 さんか らは誠 に もって親切 な 究 生 活 を送 らせ て頂 き ま した。 先生 として慕 わ れ て い ます。学 生 と も密 に接 し、教育 熱 心 歴 史 的 に み て 中 国 伝 統 医 学(TraditionalChinese 日本 の 医学 は切 って も切 れ な い関 係 に あ り な上 に大 変温 厚 で 人情 味 豊 か な教授 で あ る と感 銘 させ ら ま したが 、明治 以 降 の医 学 教 育改 革 で 、 長 い間 中 国医 学 が れ ま した。医局 の 先 生方 や 、 秘 書 の 人達 も仕事 あ るい は生 遠避 け られ て き ま した。本 当に寂 しいこ とです 。しか し旭 活上 の 色 々な 面で 大変 お世 話 に なって お り、患者 さん には .川 医科 大 学 に は 中国 医学 に つ い ての 豊 富 な知 識 を もたれ 誠心 誠 意 、 奉 仕の 精神 で の ぞむ とい っ た崇 高 な考 え方 で接 Medicine)と て い る先 生が 少 な くな く、 熱 心 に研 究 され て い る先 生 も多 くい らっ しゃい ます。私 は麻 酔 学教室 に着 い たばか りの 時 、 して お られ ます。 早 くも1年 余が過 ぎて しまい ま したが 、この あ とは研究 教 室 に「 漢 日辞典 」、「日中大辞 典 」、 「中国漢 方 医譜辞 典」、 「中 面で も、 人 間 と しての 自己 の成長 面 で も、どの よ うな進 展 、 英 辞典 」等 の 辞典 類 や 、中 国医 学 の研 究 に 必要 な書籍 が 多 展 開が み られ る ことで し ょう。VISEの 延 長手続 きの ため 市 数 用 意 され てい るの に び っ く りし、また一 番嬉 しい こ とで 役 所 に行 く道 す が ら、 旭 川 の市樹 であ るナ ナ カマ ドの真 赤 もあ り ました 。 教 授 の豊 富 な 中国 成語 の 知 識 に驚 か され 、 な実 を眺 め なが ら、 魯迅 の 「希望 とは 、も と もと有 るよ うな 温 和 な 口調 に よる ご懇篤 なご教 導 に支 え られ て 、 楽 し くか 無 い よ うな もの で あ る。そ れは 地 上の 道 に た とえ られ る。 つ 意義 深 い留 学 生活 を送 ってお ります 。 教 室 の皆 さんや事 地 上 に は も とも と道 は ない 、 歩 く人が 多け れば 道は 出来 て 務 の 方 々に も親切 に して頂 き、また熱 心 に手助 け して頂 い ゆ く」とい う訂葉 を思 い出 しま した。開期100年 の旭 川 の街 た こ とに感謝 してお ります 。こ う して訪 日前 に抱 い て いた 路、 創 立18年 の 若 々 しい旭 川医 大 の構 内通 用路 を歩み なが 緊張 や 不安 感 は 完全 に な くな りま した 。 ら、 残 る期 間は ペ イ ン ク リニ ッ クの研 究の ため に懸 命 に歩 私 は約8年 前 、 亡 き祖 父の著 書 を翻 訳 して頂 いた 日本 の 友人が い るこ とを聞 か され てか ら、日本へ の留学希望 をず っ 一16一 き続 け よ う と考 え て い ます 。 新 しい道 が開 か れ るよ うに と 望 み なが ら… … r 平成4年 度 前期分授業料免除 及び延納 ・分納 について 平成4年 度 日本育英四奨学生の 募集 について 平成4年 度 前 期分 授 業料 免 除 及 び延 納 ・分 納 を希 望 す る者 で 、 下 記基 準 の いず れ かに 該 当す る と思 わ れ る者 は 、 教務 部 学生 課 厚 生係 で 必要 書 類 を受 け 取 り下 記 の期 間 内 に 申請 す る こ と。 な者 に学 資 を貸与 して お ります 。 本学 では 、 日本 育 英 会か らの推 薦 依 頼 に 基づ き、 出願 者 の種 々の 条件 を考 慮 して選 考 を行 い、 日本育 英 会へ 推 なお 、 申請 者 につ い ては 、 選 考の 間授 業 料 の納 入 を猶 予 します。 薦 します 。 た だ し、 日本 育 英 会 では 奨 学金 貸 与の種 別 ご とに推 薦 また 、 不明 な 点は 、 同係 に 問 い合 わせ 願 い ます。 基 準が 定 め られ て お り その 資格 が あ っ て も採 用枠 の関 係 で推 薦 で き ない場 合が あ ります 。 記 奨 学 生 の募 集 要項 を 、4月 上 句 に 公 用掲 示 板 に掲 示 し 1.授 業 料 免 除基 準 (D経 目本育 英会 は 、優 秀 な学生 で経 済 的理 由 の た め就 学 困難 済 的理 由 に よ って授 業 料 の納 付 が 困 難 であ り、 ます の で 、貸 与 を希望 す る者 は、 提 出期 限 に 遅 れ な い よ う所 定 の書類 を教 務 部学 生課厚 生係 に 提 出 して くだ さ い。 か つ 、学 業 優 秀 で あ る と認 め られ る場合 なお 、平 成4年 度 に お いて 原級 に留 置 され て い る 者又 は 、最 短就 業 年 限 を越 えて在 学 して い る者 は 、 なお 、募 集の 時期 以 外 に家 計 の 急変 に よ り 学資の支 弁 に 困 難 な事 情 が生 じた場 合は 、同係 に相 談 してください。 免除 の対 象 と しな い(休 学 の理 由 に よる者 を除 く。) ② 学生教育研究災害傷害保 険の 加入について 授 業料 納 期 前6月 以 内(新 入生 に つ い ては 、 入学 前1年 以 内)に お い て学 生 の学 資 を主 と して 負担 し て いる者(以 下 「学 資負 担 者」 とい う。)が 死亡 し、 又は 本 人若 し くは 学 資負 担 者が 風 水害 等 の 災害 を受 け た こ とに よ り、授 業 料 の納 付 が 著 し く困 難 であ る と認 め られ る場 合 (3)② に準 ず る場 合 で あ って 、学 長 が相 当 と認め る事 由 が あ る場 合 2,申 請 書 本学 は 、学 生 の正 課 中 ・課 外 活動 中に お け る災 害事 故 補償 の ため に 『 学 生教 育 研 究 災 害傷 害 保 険』 の 賛助 会 員 大学 とな り下記 の とお り加 入受 付 事務 等 を行 って い ます 。 本 保 険 は 、学 生 の互 助 共 済 を基 本 と して運 営 され てお り、学 生 生 活 中のh一 の 場 合 に備 え、 で き るだ け全 貝 の 加 入 を勧 め て い ます。 まだ加 人 して い な い学 生 は 、加 入 す る よ うに して くだ 類 さい。 (i)授 業 料 免除 申請 書 記 (2)学 資 負担 者 が死 亡 した場 合 は死 亡 診 断書 (3)災 害 を受 け た場 合 は罹 災 証 明書(市 区町 村 、警 寮 、 消防 署が 発 行 した もの。) 1.受 2.受 (4)市 区町 村 発行 の 所 得証 明 書(給 与 所得 者 に つ い て 3.保 付期 間 付窓 口 険 料6年 は 、平成3年 分 の 源 泉徴 収 票 を 、給 与所 得 者 以外 に 自 平 成4年4月1日 至 平 成4年4月30日(N 休} 教務 都 学生 課 厚 生係 間3,400円 5年 間2,950円 つ いて は 、平 成3年 分の 確 定 申告 書(一 面 ・二面) 4年 聞2,450円 等の 写 し(生 計 を一 にす る家族 全 員分)を 、 ま た 、 3年 間1,900円 学 資 負#u.者が死 亡 した場 合 は 、死 亡前の 所 得証 明 書 2年 間1,300円 を併せ て添 付す る こ と。) 1年 間750円 (5)失 業者 は 、民 生 委 貝又 は職 業安 定所 の 証 明書 4.支 払 い保 険 金 の種 類 と金額 {6)生 命保 険 金の 支 払 い を受 け た場 合 は 、当 該保 険 会 区分 社 の保 険 金 支払 証 明書 止 (7)家 族 の 中 に就学 者が い る場 合 は 、 その 者(申 請 者 課 学校施 設内の休憩中 学校施 設内外の課外 活動 中(学 校 施 設外 の 課外 活動 に つ い ては 、 大 学 に届 出 た 活 動 に 限 る。) 中 本 人 及び義 務 教 育 の就 学者 は 除 く。)の 在学 証 明 書 学校行事中 (H)自 動 車保 有 に 関す る申 立 書 種類 (9)そ の 他家 庭 事情 に よ り参 考 とな る証 明書 等 3.申 請 期 間 (1)在学 生 1,200万 54万 円 一1,800万 平 成4年2月17日(月) ∼3月31日 ② 平 成4年 度 人学 生 死亡 保 険 金 後 遺 障害 保 険 金 平 成4年4月1日 ∼4月20日 ㈹ 医 療 保 険金 休) 入院加 算金 ㈲ 一17一 円 600万 円 円 実 治 療 目数4日 以 上 が対 象 6千 円 一一30万円 1日 に つ き4.000円 27万 円 一900万 円 実 治 療H数14日 以 ヒ が対象 3Hf9-30万 円 1日 に つ き4,000円 一 出 騨 那 彫1∵ 羅 、Eb1瀞 』 洲1灘 鴛灘 繍1顧灘灘 ・ て い ます が 、学 生 は 、任 意加 入 とされ てい た ため20才 以 上 の在 学 期 間 中に 、 国民 年 金 に加 入 して いな か った もの に つ い ては 、卒 業 後 年金 制 度 に加 入 して も満 額の 老 齢基 国民 年 金 法 の改正 に伴 い 、大学 に 在 学 す る学 生 で20才 以上 の者 は 、平 成3年4月1日 礎 年 金が 受 け られ ませ ん で した 。 か ら国 民年 金 の 被保 険 者 この ため 、国民 年 金 法が 改 正 さ れ 、平 成3年4月1日 (当 然加 入)と して適 用 を受 け るこ とに な りま した 。 か ら、20才 以 上 の学 生 も全 て国 民年 金 に 当然 加 入す るこ 従 来学 生 に つ いて は 、20才 以 後 在学 中 に 障害 者 とな っ た 場合 、国 民年 金 に加 入 して いな い 限 り障 害基 礎 年 金が とに な りま した 。 なお 、 国民 年 金へ の加 入の 手 続 き 、保 支 給 されず 無 年 金 となっ て い ま した 。 また 、基 礎 年 金制 険 料 の納 付 方 法 及 び保 険 料 の免 除 等 の詳 細 につ い ては 、 度 は 、 原 則 と して 、20才 か ら60才 までの40年 間加 入 す る 学 生 課厚 生 係 又 は 、住 民 票 を登 録 してい る市区 町村 の 国 こ と を前提 に 満 額 の 老齢 基礎 年 金 を支給 す るこ とと され 民年 金 担 当 窓 口へ 直接 問 い合 わ せ くだ さい 。 倉倉 倉 倉倉 。 § 噂 倉 倉 や 倉。 §.........。 》噸 噸 倉 や 倉 倉 や 倉 倉 や 倉 倉 ゆ や 。 》。 》。 》 で 立 派だ ったけ ど、病 人 を含あ3人 の ス ネか じ りの い る サ ラ リー マ ンの 家 庭 で は 、 とて も その時 期 に得 られ る よ 駕 うな もの で は なか った。 驚 い て い る ら しい母 にMさ んが こ う話 され るのが 聞 こ え て きた。「腐 らせ て捨 て て しま う よ うな もの が例 え あ って もわ しちの よ うな者 に分 け て く れ る人 は いな い。 その 気持 が嬉 し くて …。 これ はお 礼 だ か ら受 け取 って欲 しい」 とい うの だ。 金額 に す れば わ ず か の 野菜 に対 して 、 また 日頃 の生 活内容 か らす れば そ れ 由紀子 は法 外 な散 財 だ っ たは ず 。 何 気 な い同 情心 の表 明 に大 袈裟 に いえ ば 、平 等 な博 愛 初 も のの ス イカ 精 神 とで もい う もの を感 じ、そ れ に最 大 限 の意 味 を与 え 1960年 代 後 半 、 父 の転 勤 に よ り我 家 はノ 】 ・ 樽 か ら札 幌 に たMさ ん の半 生 は どの よ うな もの だ った の だ ろ っ。 この 転 居 した 。現 在 の 時 点か ら 日本 の 戦 後 を振 り返 る と、 当 よ うな境涯 に あ りなが ら、年 老 い て なお そ の ス イカの よ 時 は朝 鮮 戦争 の 特 需 な どに よ り戦 後 復興 の 時期 を脱 し、 うに瑞 々 しい感 性 と深 い洞 察 力 を保 ち続 け るMさ んに よ 今 日の経 済 的繁 栄 へ と連 な る高 度 成 長 の初 期 とい う時代 り、病 院 と学 校 とベ ッ ドの 中 だけ で しか 生 きて なか った だ っ た よ うだ。 新 しい官 舎 は鉄 筋 コ ン ク リー ト造 りで ブ 私 は 、心 の 奥深 く、 人間 の希 求 す る もの を認識 させ られ ロ ックの 塀 がめ ぐらされ た、 そ の頃 の庶 民 の レベ ル では た。 今 この あた りには 巨大 な商社 と、 コン ビ3タ 上 の方 の 家 だ っ た ら しい。 豊平 川 の川 岸 に あ り、 反対 側 ー付 プ に 少 しい くと平 岸 に まだ リン ゴ園が あ った よ うだ 。私 は ル ドーザ ー といわ れ た政 治家 の関連 会社 の建 て たマ ンシ ョ 病 気療 養 中で 、歩 いて7、8分 ンが た ち並 ぷ典 型 的 な 中 流 日本が 出現 してい る。 「乏 し き ほ どの病 院 に週2回 通 院 す る以外 は 家 の 窓際 のベ ッ ドか ら外 を見 て い る よ うな毎 を憂 えず 、等 しか ら ざる を憂 え る」 とい う理 想 が物 の レ 日だ っ た。 塀 の む こ うに 占 くさび れ た感 じの木 造 アパ ー ベ ルでは あ る程度 実 現 され て しま った よ うに見 え る現 在 、 トが あ り、 この 二階 の 窓 か ら も同 じよ うに 日が な一 日外 人間 と して平 等 に尊 重 され生 き る自由 が 物以 外 の面 へ ど を見 て い る老 人 が い た。 そ の まな ざ しは 暗 く押 し黙 っ て れ だけ 広 げ られ た のだ ろ う。 よか れ あ しかれ 物 に よ りか いて 、 少 しこわ い よ うな 印 象だ った。 この ア パー トの管 な り直 接 的に 示 され てい た 人間 と しての 幸不 幸 が 、 あふ 理 人か ら母 が 聞 い た とこ ろで は 、そ こ は生 活保 護 を受 け れ る よ うな物 で 意 図的 に 隠 され て しま うよ うな状 況に あ て い る人 用 の市 営 アパ ー トで 、住 人は お年 寄 ばか りとの るよ うな気が す る。物 に よっ て実 現 され た カ を得 て増 々 こ とだ った 。 欲望 実 現 の ため 日夜勤 勉 に動 き廻 る 人違 の 傍 で 、彼 らに 両 親 は どこへ 行 って もそ うす る よ うに 、 この 官舎 の 庭 よっ て利 用 され る人 問ば か りで な く、動 物 も植 物 も天 も に も花 や 木 を植 え、 野菜 を育 て て いた 。若 い前 任 者の と 地 も破 壊 され て い くとい う。せ め て 自分 は破 壊 者 の側 に きには 、そ こ は コ リー 犬の 運動 場 だ った らしい 。母 は ほ は 立 ち た くな い と思 うな ら、 彼 らか らで き るだけ 遠 く離 とん ど生 まれつ いて の性格 とで もい うの か 、 お年 寄 で 困 っ れ てMさ んの 声 を聞 き続 け なけれ ば な らな い。それは 思 っ て い る 人が い る と、何 くれ とな く心 尽 しの お手 伝 い をす た よ り もず っ と難 しい こ との よ うだ 。 る くせ が あ り、 奥 さん を亡 くして一 人ぽ つ ねん と二階 か ら我家 を見 て い る このMさ ん に も畑 の 収 穫 な ど をおす そ 分 け して いた よ うだ。 ある 日突 然Mさ んが 我 家 の玄 関 に大 きな ス イ カ を運 ん で こ られ た。 そ の ス イ カは初 もの で 、家 だ け は官 舎 な の 一18一 (臨床検 査 医 学講 座 講 師) 1