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Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 ・・・~~ 旭川医科大学第ー4回卒業者
第
口
71
写
'F成4年3月25H
編集
旭
川
厚
発行
山田
守 英氏)
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第14期 生 を 送 る に あ た っ て ・・
…・
…学
長 …2
原 田教 授
第14期 卒 業 生 を送 る に あ た っ て … ・Nll秀
道 …3
新 歓 合 宿 の お 知 らせ14
旭}ll医 科 大 学 第14回 卒 業 者 名 簿4
卒 業 生
、Φ λ零
「旭 川 市 文化 奨 励 賞 」 受 賞14
学 生 団 体 の 設 立 ・継 続 届 に つ い て14
卒 業す る にあ た っ て
碓 井Il{…4
病 院 ロ ビ ー で クi)ス マ ス コ ンサ ー ト行 わ れ る …14
六年 間 とい う時 間の 中 て
梅津
暁 子 …5
教 官 の 異 動14
卒業にあたって
イ
夘川
丁中幸 …5
平 成n年
退官にあたって 一法医学36年問の思い出
退官にあたって 一岡の歳 月一
退官にあたって 一匹
∫い残したいこと
… 石橋
小 野 寺 壮 占 …7
…… 保坂
明 朗 …8
退官にあたって 一内群 から臨床検査医学へ一 牧 野
幹 男 …9
退官にあたって 一創業ど械 とし・
ずれか難きか一 美 甘
助 教 授 に昇 任 して
衛藤
旭 川 医 大 に 留 学 し てPA勇
戴 賦 心、献 心u,t賦
…16
平 成4年
度 前 期 分授 業 料 免 除 及び
和 哉 …io
平 成n年
度 日本 育 英 会 奨 学 生 の 募 集 に つ い て …17
雅li召…11
学 生 教fi研 究 災 害 傷 害 保 険 の 加 入 に つ い て … …17
延 納 ・分 納 に つ い て … …17
ス キ ー 教 室 で留 学 生 と 交 流 深 め る11
1年 の あ ゆ み
度 の 地 区 体 に つ い て15
諜 外 活 動 短 信15
宏 …fi
204'以
12
窓
トの 学 生 の 国 民 年 金 へ の 加 人 に つ い て …18
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旭 川 矢科 大学 教務 部学 生 課
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(題字 は初 代 学 長
生
由 紀 子 …18
賦,モ心u,u辰
月
第14期 生 を送 る に あ た って
学長 清
水
哲
也
第14期 生 の 皆 さ ん、卒 業 おめ で と う〃
一般 教 青 か ら始 ま って
、基礎 医学 、 そ して臨 床 医学 教
の み で な く、 医 の心 、 患 者 さん の捕 み を我 が 痛 み と して
育 に至 る長 い期 間の 学 習努 力 が報 い られ 、今 、学 士学 位
てい る こ と、 自己 を犠 牲 に して で も悪 者 さん の幸 せ の た
記 を手に され た皆 さん 、 そ してや さ しい 慈 愛の まな ざ し
め に 尽 くす こ との で きる職 業 で あ るが故 に、'プロ フェ ッ
とらえ られ 、 息者 さん をいた わ っ てあ げ る心 に滴 ち滴 ち
で 見守 って こ られ た ご父兄 の 皆様 のお 気持 ちに 思 い を馳
シ ョナ ル フ リー ダム とい うこ とを声 高 に主 張 し うるの で
せ るにつ け 、私 自身 も萬感 の 想 い ま さに胸 に迫 る もの が
す。
あ ります 。 この想 いは只 単 に私 一 人に と どま らず 、教 青
自由に は 強烈 な責任 感 を常 に伴 う こ とは 、今 、私 が あ
に 当 られ た 全教 官 に 共通 した感 慨 で もあ ります 。
と くに 第14期
らため て 申 し上 げ るま で もな い ところ です 。
生 の皆 さん か らは 、 「
卒 業 証 書授 与 式 」
医師 の貴 任 として も う一 つ 片時 も忘 れ て な ら ない こ と
とい う冒葉 にか わ って 、「学士 学 位 記授 与式 」に か わ った
は,「 生 涯学 習」 で す。
意味 合 い を十 分 に か み しめ て頂 き たい と思 い ます 。
医師 程 、「
生 涯 学 習」に 徹 しなけ れ ば な らな い職 業 は他
こ の こ とは単 な る字 句の 変 更 では な い の です 。大 学 審
に は な いで しょ う。
議 会 の答 申 に基 づ く改革 の 一つ で あ って 、今 、 日本 の 大
こ とは た だ ちに 人命 に か か わ るが故 に 当 然 とい えぱ 当
学 を と り ま く環 境 が 国際 性 を身 につ け る こ とが殊 の外 強
然 で あ りま しょ う。
く望 まれ て い る こ とは周 知 の とこ ろで あ ります が 、そ の
国際 化 に 対処 した 措 置 であ るこ とに 第14期
人生 とは 、生 涯 「
重 荷 」 を背 負 い て歩 くが如 し とい う
「た とえ 」が あ ります が
、医 師 とい う天職 こ そ まさに 「生
生 の皆 さん
は思 い を新 たに して頂 きた い の です 。
涯 学 習 」 な い しは 「生 涯研 修Jを 旨 とす るが故 に杜 会 的
さ いは て の地 に あ る医 科 大学 を卒 業 して もそ の気 宇 を
一 層 壮 大 に して
、 国際性 豊 か な医 学 者 に な って 頂 きた い
に も存 在感 が あ る ので す 。
とい う国家 社 会 の心 か らな る願 望 の 表現 なの です 。
る 人達や 社 会 か ら、一 瞬 に して 僧順 を失 う厳 しい立 場 に
逆 に い えぱ 「生涯 学 習Jの 精 神 を失 った 医師 は 、病 め
医 学 者 の素 地 と して要 求 され る もの は積 極 的 な国 際性
立 た され る ので す 。
につ け加 え て、 豊 か な人 間性 であ ります 。
個 々 の症 状 に 眼 を奪 わ れ て し まっ た、 単 な る技術 中心
の浅 薄 な職 業 人 で はな く、 その病 を荷 って い る患者 さん
患 者 さん の痛 み を、人 の痛 み を我 が痛 み と とら え るこ
との で きる医 療 人 に是 非 な っ てほ しい とい うこ とです 。
の全 体像 を 豊か な感 性 と、 そ して鋭 い洞 察 力 を もって把
常 に そ の手 の ひ らのぬ く も りが病 め る 人達 に伝 わ っ て
握 で きる心 や さ しい医 師 に な って ほ しい の です 。
い くよ うな対 応 が で き る医 師に な ってほ しい の です 。
心 豊か な医 師 とは、 換 言す れ ば教 え を乞 うた そ の遭 の
皆 さん の 目の 前 にお られ る患 者 さんは 、不幸 に して病
先 達 へ の畏 敬 の 念 きわ め て篤 く、 また 後 輩 に対 しては 、
を得 て 来院 され る結 果 に な って は い る もの の 、 人生 を生
六 月の そ よ風 に も似 た 、 さわや か さ を もっ て損 し うる人
き抜 く見 識や 学 識 、 人生 経験 に つ い ては 若 い皆 さん よ り
の こ とで もあ ります 。
は るか に その 年輪 を重 ね て お られ る 人生 の 先達 ば か りな
皆 さ ん 、今 日 とい う 日は 「こ と」 の お わ りで は な く、
の で す。
ま さに もって 「こ と」 の は じ ま りであ ります 。一 日一 日
医 師 とい う職 業 が 社 会 の なか で 「存 在価 値 」 が あ るの
を大切 に して 、健 康 に留 意 され ご活 躍 くだ さい。
は 、 ただ 単 に 診断 や 治療 の技 術 がす ぐれ て い るか らでは
な い の です 。
高 い倫 理性 に裏 づ け され た 「医 の心J.「 医 の 原 点Jに
立 脚 して い るが故 に こそ信 頼 され 、尊敬 され るの です 。
く りか え します が 、 医の 原 点 は あ く まで も単 な る技 術
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第14期 卒 業 生 を送 る に あ た って
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1罐鐸鱗 座 教授)小
川
秀
道
14期 生の 諸 君 、 ご卒 業お め で とう。
学 者 と して の素 養 の 第一 歩 は 断 え る こ とな き好奇 心 と言
医 学 を志 し、 良 き医 師 、良 き研 究 者 に な らん こ と を 目
われ るが 、医学 の 領域 で も異 な る もの で は ない 。
諸領域に
指 して 学ん だ6年 聞 は 諸君 に とって 決 して 平坦 な遭 の り
目を配 りそ れ らに精 通 す る こ とは容 易な こ とで は ない。し
で はな か った で あ ろ うが、 そ れ だけ に こ こに卒 業 の 春 を
か し知 ら ざる を恥 じず 、
知 らん と欲 せ ざる を恥 ずの心 掛 け
迎 え られ てそ の喜 び もまた ひ としお で あ ろ う。心 か らお
は是 非持 ち続 け て貰 い たい と願 う もの で あ る。
祝 い 申 し上 げ る 。
2.諸 君 の 多 くは 卒 業後 医学 の 中 で も細 分 化 され た各 専
同時 に これ まで経 済 的に も精 神 的 に も陰 ひ な たな く援
門分 野 に進み 、それ ぞれの 部 門に お いて研 究 あ るい は研 修
助 を続 けて こ られ た ご家 族や 、
君 達 の成 長 、目的達 成 に心
を開 始 す る こ とに な る。各領 域 に お け る専 門 医 の養 成 は 、
を砕 き、直接 的 、
間 接 的 に支援 され て きた 多 くの方 々 が お
医育機 関 あ るい は研修 施 設 の持 つべ き機 能 で あ り、は っ き
られ るこ とを忘 れ て はな らな い。その 感謝 の 気持 を是 非 こ
りした 目的 の一 つに もな って い るが 、過度 の専 門分 化 は研
れか らの 社会 活動 を通 して世 の 人々に還 元 して貰 い たい。
究 面 で は ともか く、
医 療 の 面 では 必 ず し も得策 では な い。
さて 、
大 学 こ とに医科大学 の卒業 はひ とつ の区切 りで あっ
これ か らは各 専 門医 を 目指す 諸 君が 、それ ぞれの専 門技 術
て決 してゴー ル では ない。間 もな く訪 れ る国家 試 験 を ク リ
を どの よ うに生 かす か 、
効率 的 な生 か し方 をす るには どの
ア さえ すれ ば 、
知 的専 門職 と して の 医師 行為 が始 ま る。ま
よ うに すべ きで あ るか を考 え なが ら診 療 に 当 って 頂 きた
い。かつ て それ ぞれ が 、木 を 見て 森 を 見ず の 喩 えで 表現 さ
さに 医 師 と しての 人生 の ス ター トポ イ ン トで あ る。
今 こ そこ こで 入学 前 か ら希望 し、入学後 培 われ た良 き医
れ か ね なか った 各専 門医 に よ る診療 を、で きる こ とな らそ
師像 を反錫 しこれ に到 達 すべ く決 意 を新 た に して頂 きた
の幾面 か ずつ で もmultidisciplinaryなapproachが
い。
ない ものか と念 じて い る。
良 医 として社 会 的責 任 を全 うす る上 に 必要 な基礎 的 条
3.今
や わ が 国は 経 済大 国 とな り、ODA政
とれ
策 に もみ
項 は諸 君 も十分 に 認識 してお られ る こ とと思 うが 、ヒポ ク
られ る よ うに 、世 界 に 貢献 しな けれ ば な らな い立場 に あ
ラテ ス と並 び世 界 の二 大医聖 の1人 で あ る ガレ ンは 、
既に
る。 医学 の世 界 で も、 かつ て 欧 米先 進 諸 国か ら教育 援 助
2,000年 も前 に「
最 高の 診療 は 医師 と患者 の飾限 りない信頼"
を受 け 、医療 技術 も輸 人が 主体 で あ った 時代 か ら、逆 に
と"深い 愛情"に よって築 か れ る」と述べ てい る。昨今 、
単に
途上 国へ の教 育 指 導や 技術 援助 を求 め られ る時 代 に変 っ
医学知 識 の伝 達 、医療 技術 の行 使 に走 りが ち な医師 へ の苦
てい る。 交 通手 段 が 発達 した こ ともあ り国際 間 の 交 流が
言 と も とれ るが 、本 来愛 情 か ら派生 す る とこ ろの労 り、
思
極 め て頻 繁 に な され 、 国際 学 会や 国 際 シン ポ ジ ウム の開
いや りは 医の原 点 であ り医 人の持 つ べ き心 で もあ る。これ
催 も 目白押 しで あ る。今 後 は 早 くか ら国際 人 と して の感
を全 うせ んが ため の医学 的知 識 の蓄 積 、
高度 医 療 技術 の習
覚 を身 につ け 、国 内 と同等 に 国際 社 会 で 貢献 し活躍 で き
得 であ り、
医学 的研 究の推 進 もその ため にあ る といってよい。
る医師 に な っ て欲 しい と願 って い る。
これ らを踏 まえ て諸 君は 今 その緒 に着 こ うと してい る。
医 育機 関 に携 わ る者 の1人
として大 いに期 待 も し、 また
これ か らが楽 しみ で もあ る。
な るが 、
中 で も大切 なの は信 頼 で き頼 りになる朋友 であろう。
さて ここか らは 、 これ か ら医 師 あ るい は医 学研 究 者 と
して研 錨 の 第一 歩 を踏 み 出す 諸 君 に2、3の
z.は
4.今 後 諸 君が 医 師 と して また社 会 人 と して活動 す る場
合、
予 想 だに しない数 多 くの 人 々 と接 し係 りを持 つ こ とに
心掛 け を伝
この 場 合 、
最 も身 近か な とこ ろ で接 した期 間 も長 く、
か
つ分 野 は 多少 異 な るに して も同 じ医 学 を志 して 共 に学 ん
だ 同期 生 が最 も頼 りに な る こ とは古 今 を問 わず 間違 い な
なむけ の 首葉 に 換 え させ て頂 く。
1.諸 君 は この6年 間 の修 学 課程 を終 え 、
断 片 的か も知
い。か つ て 同期 の 桜 な ど と首 っ て謳 わ れ た よ うに 、同期 生
れ な いが それ ぞれの 領 域 にお け る現 時 点 での 最 高水 準 の
の間 柄 には 比類 な き良 さがあ る。そ してこ の交 友関係 は5
医学 知 識 と医療 技術 の概 要 を学 び とっ た こ とに な る。しか
年過 ぎ、10年経 って年 を取 れ ば とる程 、
親 密 とな りその 絆
し医学 の 進歩 は まさに 日進 月歩 で あ り,3年 、5年後 に は
も堅 くな る もの で 、これ は 不思 議 で もあ る。現段 階 では こ
その水 準 も大 き く変 貌 す る こ とを考 え て おか な くて は な
の関 係 を理解 しえ な いか も知 れ ないが 、ともあ れ諸 君は旭
らな い。
十年 一昔 と言 われ るが学 問 の世 界では一 年一 昔 と
川医 科大 学 の14期 同期 生 同志 なの であ る。
お 互 い切瑳 琢 磨
考 えね ば な らな い。生 涯教 育 が叫 ば れ る現 今 で あ るが 、
今
し、
時 に励 ま し合 い 、
協 力 し合 って世 界 にasば た き、
大 いに
日直 ちに この こ とを念頭 に置 き研鐙 に励 ん で頂 きた い。
科
人生 を謹 歌 し て頂 き た い。ご 活躍 を祈 る。
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るに 当 た って 、 これ らの事 を忘 れ ず 従事 して い きた い と
思 って い る。
第6学 年
碓
井
正
また以 前 、 あ る先 生が 新 約聖 書 の 中 のル カ伝 の 金持 ち
か ぐらお か の原稿 を引 き
と貧 乏 な ラザ ロの た とえ話 を して くだ さ った 。 これ は い
受 け たは い いが 、締切 りま
い話 だ と思 い心 に 残 っ て い るの であ るが 、私 もこの 話の
で 早一 日を残す の み とな り
中で た とえ られて い るこの よ うな 人間的 医 療 が 出来 るよ
何 を書 いた らい いの か 、例
う常 に心 に 留 め て行 きた い と思 って い る。 近 年 の 日本 も
年 の諸 先 輩 方 の文 を参考 に
百 才 の双 子 の おば あ ちゃ んがTV出
演す る様 な世 の 中 に
しよ う と見 て い る と、一 つ
な り、 これ か らの我 々 に とって は 、医療 とい う現 場 で求
は六 年 間 を回 想的 に つづ っ
め られ て い る もの も変化 し増 して くる と思 わ れ 、責 任 と
た もの 、 も う一つ は 六 年 間の クラ ブ活 動 な どに打 ち込 ん
い う面 で も重 くな る こ とが 考 え られ る。 しか し、医 学 に
だ 活動 集 の 様 な もの との 二つ に分 け られ る と思 った 。
たず さわ る者 と して 、こ れか ら先 も勉 強 には げ む こ とを
そ こで私 は 例年 の 方 々 とは 少 し異 な る内容 につ い て書
お し まず 、医 療 につ いて考 えて いけ た らす て きでは な い
きた い と考 え、思 いつ くま まに筆 を進 め た い と思 う。
「少 年 老 いや す く、学 な り難 し」 とは孔 子 の 言葉 で あ る
か と思 う次 第 で あ る。
が 、六年 間は 本 当 に瞬 く間 にす ぎ去 って しま った 気 がす
様 な もの を書 い て しまっ た。
以 上 の様 に卒 業 を迎 え て とい うよ りは 、今 後 の抱 負 の
る。 我 々 は医 学 とい う学 問 のほ ん の 入門 部 を終 え よ う と
しか しなが ら卒 業 とい う一 つ の 人生 の 区切 りを迎 え、
して い る だけ で 前途 には広 大 な開拓 され た 、或 い は 未開
これ か らは 余 り区切 りの な い年 齢 を迎 え て い く前 に 、 こ
の 知 の 森が 広 が っ て い る。 前者 を知 る とい うこ とは 、 こ
れ か ら先 の 一 つ の 目標 を掲 げ て お くの も卒 業 に は悪 くな
れ か ら先 も 日々 勉強 をお しまず 推進 して行 くこ とであn,
い こ とで あ ろ う と思 う。
後 者 を開拓 して行 く とい うこ とは 日頃 、疑 問 に思 って い
る こ とを追 究 して行 くこ とで あ り、 医 を ど うい う型 で あ
最 後 に六 年 間 お世 話 に な った先 生 方 、 そ して 同級 生 の
れ 学 ぶ もの として は 、何 か一 つ で も良 い か ら自分 の 力 で
方 々 、本 当に あ りが と う、大 変感 謝 して い ます 。 これか
未 知 の 分野 を切 り開 き先鞭 をつ け た い と考 え るの は 当然
ら もお互 いに 、が ん ば りま し ょ う。
の こ とで あ ろ う。私 は 実際 に臨 床 医学 の 一部 門 を専 攻す
4
自分 に 素 直 で 忠 実 で あ っ た の は こ の6年
六 年間 とい う時間 の 中 で
第6学
年
梅
津
間 だ った か もし
れ な い とさえ思 って い る。
暁
自分 自 身 とつ き あ う時 間 か 多 か った 反 画 、 様 々 な 人 達
子
ヒの 交 流 も 多か ・
・,た。 ク ラ ス の 中 で 、部 活 動 で 、学 外 で 、
今・
か ら 何 与 月 か 前 に6年
間 を振 返 っ た時 、 あ っ とい
う問 で あ った と思 っ て い た 、
年 齢 もkJ.hか
ら中 高生 まで 、 国籍 も様 々 と、 こ う して
r,;る
とそ の 範 囲 が 広 か っ た 事 に 自 分 も驚 く,,こ れ だ け
し かL卒
広 い 範1川 と い う事 は 、 そ の ぶ ん 私 との ギ ャ ッ プ が 大 き い
業 ま でわ ずか な時
問 を残 し た 今 、 実 は と て も
こ と に な る わ け で 、そ の 中 で は#;q:い
長 い6年
う ま くゆ か ず にlflし ん だ 事 も あ ・
・
ノた 。 け れ ど 、 そ ん な 時
「
昌1では な か っ た か
と思 い 始 め て い る 。
大学 に 人 ・
・,て一・番 大 き な 変 化 は 、 ・・人 で 暮 し た 事 だ ・,
は い つ も 、 相rか
の 思 い か 行 き違 い 、
譲'、 て くれ た り 、 第 三 苫が 救 ・
って くれ
た り して問題 は解 決 した。 わ が ま ま な私 は何 もせ ず に 、
た,1そ れ よ で は'家族 と 一 緒 の せ い か 、rl分 白 身 に 向 け た
た た 感 謝 す る だ け だ'・
、た 、LかLそ
注 意 とい うの は そ れ は ど 多 くな か 一
った 様 に 思 う 。Lか
し
・人 で い る 時 間 が 長 くな る と 、 い や で も 自 分 と 貞 正 面 か
か 深 ま っ た りす る か ら 、 人 間 関 係 は 不 思 議 で あ り 、 お も
ら 向 き あ う よ うに な り、 私 の 知 ら な い 私 か 次 々 と現 れ て
私 は どん な に 成 長 させ て も ら っ た こ と だ ろ っ。
し ろ い と思 う。6年
の 後 、 か え'って 交 流
間 の 中 で 出 会 っ た 人達 の お か げ で 、
大 学 生liiの 思 い 出 は 、 そ の ほ とん ど が 誰 か との 思 い 出
驚 か され た。 例 えば 、そ れ まで は何 か を観 て感 動 か大 き
観 て
で あ る,、そ う し て 振 返 っ て み る と 、 お き た 事 が 次 か ら次
いる時 に 、は ・
っと気 か つ く と ハ ラ ハ ラ と 涙 を 流 し て い た
へ と甦'っ て き て 、 本 当 にfi年 間 で ず い ぶ ん と た く さ ん の
り、 スポ
事 か あ っ た も の だ と思 う、
、や は りfi年 間 は 長 い 時 間 で は
くて も泣 く様 な 事 は な か っ た,そ
ツの 中継 を観 て
れが
・人 でTVを
一人 で 叫 ん で い る の た 、,初 め
て 泣 い た 時 は 驚 き の あ ま りLば
ら く 呆然 と して し ま っ た 。
な か っ た か と思 う の た 。 け れ ど 、 長 くて も 全 て が 私 の 時
こ れ を 最 初 と し て 、 思 っ て い た よ り も ず っ と感 情 的 で あ
間 と し て 大 切 な の で あ る 、,そ の 中 の ど の 一一
一瞬 か 欠 け て も
る 自 分 をxuる の だ が 、 こ の 他 に もず い ぶ ん と 自 分 の 本 音
今の私 はな い 。
を み つ け て き た 、,初め は と ま ど う 事 も 多 か っ た か 、 そ の
こ の6年
う ち そ ん な 自 分 と一 つ 一 つ ぶ つ か り な か ら も納 得 し な が
ら 次 へ 進 む 様 に な っ た.今
間 の 中で 起 きた出 来 寮 、そ して 出 会 って きた
入達 、全 て を 大 切 に 胸 に 残 して 卒 業 し て い き た い と思 う.
6年 間 、 本 当 に あ り か と う 二 ざ い まLた
では 、 これ までの 中で 、最 も
。
た 私 に と っ て 、医 帥 の あ り方 と い う も の を 啓 示 し て ドさ っ
卒 業 に あた って
た あ りか た い お 首 榮iであ る と感 謝 し て い る,,も う一 つ は 、
第6学
年
柳
川
昭 和61年4月
伸
私 か 生 物 学 の 実 習 書 を た び た び 注 意 さ れ た の に 返 却Lな
幸
入学以 米 、
か っ た時 の事 で ある 、
、後 日 、生 物7に
そ れ を返 却 に 行
.い
数 多の く先 輩 方 を 送 り 出L
蹴
て き て 、 い ざ 今 度 は 自分 自
師 に な ろ う とす る な ど 以 て の 外 だ1、 そ ん な 気 持 で 医 師 に
身 か 送 り出 さ れ る 番 で あ る
な ろ う とす る こ と は 許 され な い 、
一 と い う お 言葉 で'あ る 。
こ とをふ と我 にか えっ て 考
こ の 時 ほ と 、留 午 を 覚 悟 し た 時 は な か っ た 、,
く と 、美il『教 授 か い ら っ し ゃ っ て 、「約 束 を 守 れ な い 者 が 医
こ れ ら 二 教 授 の おnN、
えてみ る と、 手離 しで喜 べ
ない 複雑 な 心境 であ る。 自
お 叱 りの お 蔭 で 、 そ れ ま で 怠
惰 で怠 慢 で あ った 自分 が 、少 しは更 生 す る事 が で き、 ま
分 の/:rI'f:ifiが 本 当 に 有 意 義 な も の で あ っ た の か 、 確 認
た 、 医 学 生 と し て 、 医 師 に な ろ う とす る 者 と して 、 そ の
す る 意 味 を も 禽 め て6年
厳 し さや 医 師 と して の 人格 養 成 の た め の き ・
一
ノか け を作 ・
っ
間 を 振 り返 ・,てみ た い,
入学 当 初 は 、 大学 に 入 学 で き た と い う安 堵 感 と受 験 勉
て ドさった 事 に 対 して 感謝 に堪 え な い。
強 か らの 開 放 感 と で 、 時 の 流 れ る ま ま 無 為 な 時 間 を 過 ご
Lて い た よ う な 気 か す る 。 学 生 の 本 分 は;f.で
そ の 後は 、 基礎 や 臨 床の 勉 強 にか か わ らず 、十 分 とは
あるこ と
z.な い か 、 先 の 事 を 見据 え た 勉 強 、 物 事 の 考 え 方 か で
は 分 か ヲて い て も 、 目 先 の もの に と ら わ れ て 、 進 級 試 験
に 通 り さ え す れ は い い と 安 易 な 試 験 勉 強 で2年
Lて
し ま っ た よ う な 気 が す る.そ
き る よ うに な っ た と 思 う。 学 業 の み な ら ず 、 ク ラ ブ 活 動
生 に進 級
(弓 道 部 に6年
ん な一 般教 育 も、 も う
問 在 籍)に
お い て も、 人間 の縦 の つ な が
りや 横 の つ な が り 、集 団 を 動 か す 事 の 難 し さ 、良 き 先 輩 、
終 盤 に さ し か か ろ う と し て い た あ る 日の こ と 、 私 に と っ
後 輩 達 との 出 会 い や 学 外 の 方 々(特
て 人生 の 転 機(?)と
の 楽 し さ、大 会 で皆 の努 力が 実 っ て賞 を戴 くこ との喜 び
も 言 え る2つ
の 大 き な 出 来事 か は
に ご 老 人 〉 と4)交 流
とん ど時 を 同 じ く し て 起 こ 一
・
・た の で あ る 。
一
つ は 哲 学 の 岡 川 教 授 の 「医 師 に な ろ う とす る 者 が 医 学
を 味 わ う事 が で き 、 私 は 幸 せ だ っ た と思 うLI
の み に 精 通 し て も 、他 の 学 問 に あ ま り 関 心 を持 た な い こ と
あ る が 、 こ の 様 な す は ら し い 教 育 の 場 を 与 え て 下 さ'った
程 、
寂 しい もの は な い 。」とい うお 言 菓 で あ る。医 学 部 に 入 っ
諸 先生 、 職 貝 のh々
て 、な ぜ そ れ 以 外 の 勉 強 を せ ね ば な ら な い の か と思 っ て い
し て 深 く感 謝 し た い,、
最 後 に学 問 の修 得 、 人間 性 に お い て まだ ま だ 未熟 では
、 いつ も 力に な っ て くれ た両 親 に対
5.
退 官 に あ た っ て
法 医 学36年 間 の 思 い 出
法医学講座教授 石
Hi和;i1に
北/:r):医 学 教 室 に 研 究 生 と し て 人 ・
・'てか ら
争 年 ま で36年 が 経 過 し た.旭
川 に き た の が 昭 和50年
宏
こ の こ とは 若 い 私 に 非 常 に 有 益 な 教 訓 を 与 え て くれ た,、
なの
で'、3(i年
開 の うち17年 は 旭 川 医 大 で.過 ご し た こ と に な る..
法 医 学 教 室 に 入 る 前 の5年
橋
す な わ ち 、実 験 のdataは
率 直に受 け 取 ら なけれ ば な らな
い 予 想 に 反 し たdataを
捨 て るこ とは非常 に 危険 であ る。
理 論 的 にjら
間 は 礼 幌 医 大 び)産婦 人 科 学
れ な い結 果か 出 た場 合 、 この結 果は現 在
の 科 学 が 未 だ つ か ん で』
い ない 貴重 な宝 石が 顔 の
教 室 で 臨 床 の 勉 強 を し て い た 、,
法 医 学 を 專 攻 す る よ う に な っ た 動 機rAか
ら・
っ とiし
なけ れば な
て い る か も知 れ な い とr;る
・部 を ち
こ と で'あ る 、
、
こ の 経 験 か 二 度 と 臨 床 に 戻 らす 法 医 学 を36年 間 続 け る
ら な い と思 うが 、 私 が 産 婦 人 科 医 と し て 道 内 の 或 る 病 院
に 出 張 してい た時 に強 姦 事件 の 被 害者 の 診断 書 を書 いた
こ とに な 一
った 。 そLて
こ と が あ..・たD大
ボ ー ン と な り 、 色 々 な 研 究 を続 け る こ とか で き た.、退 官
腿 内 側 に 爪 で で'き た と.7ら
れ る三 日
、 こ のr;hが
以 後 の 私の バ ッ ク
月 型 の 表 皮 剥 脱 が あ ・.・
た の で 、 成 傷 器 は 人 間 の 爪 と判 断
を 迎 え る に 当 た っ て 、 芯 い 時 の 経 験 が 人 生 を変 え る程 の
し 、 そ の 旨 を 診 断 書 に 記 載 し た.と
影 響 を 与 え て くれ る も の だ と 感 じ て い る.
こ ろ が 、 そ れ がfJi'Y9
と な り法 廷 に 証 人 と し で 召 喚 さ れ た 、
、被 告側 の 弁 護 入か
ら
学 生諸 君に は動 機 は どうで あれ 、一 つの 学 問 を続 け て
現 場 は 鎌 で{lfら れ た 熊 笹 が 生 え て い た の で 、 そ の 切
行 け ば 必 ず 向 白 く な る もの で あ り 、 た と え 法 医 学 の 試 験
口が 被害 苫の 大腿 に 接 触す れ ば 八間の 爪 の よ うな 形 の創
成 績 が 悪 くて も 、 法 医 学 を 続 け て 勉 強 す れ ば 、
ヒ派 な 法 医
傷 が て1き ま.trん か 」 と 質 問 さ れ た 、
、 そ れ も そ うだ と思 い
「で きる 」と 答 え た
。す る と弁 護 八 は す か さ ず 「貴 与 が 八、問
学 者 に な れ る とLIい た い 。
のlrkとLた
昭 和49年 の 春 に 大 学 姪 設 予 定 地 を 見 に き た が 、 現 右 の
理 由 を の べ て ドさ い 」と追 打 ち を か け て き た
尺学 か 建 っ て い る あ た りは 粘 ヒ地 で 、 プ ル トー ザ ー が 粘
Lの 中 に 埋 ま っ て い た1,果
法 医 学 で は 成 傷 器 を 具 体 的 な 名称 で 表 現 し な い の か 原
し て こ ・に 新 しい 大 学 か で き
則 で あ る が 、 当 時 の 私 は そ うい う こ と も 知 らず 、 強 姦 に
る の だ ろ うか と不 安 を覚 え た 、,昭和50年8月8日
対 す る 義 憤 で 診 断 書 を 書 い た よ う に 記 憶 し て い る.そ
の
室 が あ っ た 市 立 旭 川 病 院 か ら 完 成 した 基 礎 臨 床 研 究 棟 に
に 仮教
い 、 し どろ も どろの 答弁 を繰
人 り、 そ れ か ら 新 しい 教 室 作 りか 始 よ.った 。 新 しい 教 室
黒 ヒ 詫.'て い た 筈 な の に 白 と 言 ・.2てい る 自 分 に
を 作 る の は 生 まれ て 初 め て の 経 験 な の で 随 分 苦 労 が 多か っ
気 付 き な が ら そ の 軌 道 を 修1ドす る こ と が で きず 、 言 菓 に
た 。 釦 一・本 か ら 用 意 し な け れ ば な ら な か っ た か ら 、 設 計
後 は す.っか り あ が っ てLま
り返L、
炎 廿 な い 屈 辱 を受 け て 退'廷 した 、
眉1で
しii[Xし
法 廷 に 証 八 と し て 立 ・.・
た 場 合.堂
々L答
て い た 新 しい 実 験 台 か 据 え 付 け ら れ た 時 の 喜 び
は 争 で も忘 れ ら れ な い.
弁でき
る よ うに な ら な け れ ば ヒ思 い 、 法 医 学 を 少 し勉 強 し て で
、
臨 床 の 外 来 に 相 当 す る 司 法 解 剖 は 昭 和50年 か ら 杓 戊3
う ・度 臨 床 に 戻 る 積 り で 法 医 学 教 室 に 入 っ た 、 こ れ は 弁
年 ま で に7帆 体 に な り 、た学 の 法 医 学 教 室 ヒし て 少 しは 社
護 人 を;r,め た 裁 判 所 に 対 冨4ー
る 私 憤 を は ら す た め とい コ た
会 に 貞献 で き た とY,え て い る.
もの て'ド{↑
曼 で1きる もの で1は な い 、1
法 医 学 教 室 に 入 っ て か ら2年
本 学 も開 学 以 来18年 が 経 過L、 ㌍ 業 生 も1,000名
く らい経 った頃 、道 南 の
道 内 は 勿 論 、 道 外 で も 活 躍 し て い る.も
IIIJで母 親 と娘 が:i人 組 の 強 盗 に 殺 害 さ れ る 事件 か 起 こ …,
う 名 称 を 自 ら 外 す 時 期 か き て い る と思 わ れ る.
た1.娘 の 膣 内 容 検 査 を 行'・)たと こ ろ 精 液 か 認 め ら れ 、 そ
のdu.液 死qはAB型
か や は りAB型
か と間 わ れ 、 検
の 精 液 かie(ILて
あ 一,た、 膣 内 にBh7と
い た た ダ)AB型
に な る.最 近 で は 精 液 のDNAを
と判 定 され た こL
.蹴
騨
,1tb'N
判 定 す る こ ヒに よ ・.'て犯
際 一
人、を 圏r∼
ヒす る/ii);力 弓采ら れ て い る か 、du液 型 の 判 定 も重
要 な 決 めrで
い 、
・入の 男 が 強
"
A型
そ のd[i液 型 はAnnで
最 後 の 寄 稿 とLた
と出 る 、.f可と な く割 り 切
れ ない 想 い を抱 い て いた が 、 公判 中 に もう
姦 を 自 供L、
益 々 の 発 展 を心 か ら 祈 念Lて
と い う こ とに な る が 、 強 姦 を 自供 し て い る
男1よBPI;u'であ り 、 教 授 か ら 本 当 にAB型
盛 を 繰 り返Lた
長 い 間 の 私 に 対 す る 御 乏援 に 感 謝 す る と と も に 本 学 の
であ・
った.1娘 の 血 液 型 はOFII!な の で 、
声
犯 人 はAB型
を1
う新設 医 大 とい
一
・
欄
レ 鞭 諺il…1∴
:瓶..
..狐
い兜'∼.
あ る 二 と に は 変 わ りは な い 、
(最 終 講 義)
、}
一 岡
の
歳
月
内 科学 第一 講座 教授
一 月の 衣 に
、 動 物 実 験 の.二 と な ど で 時 折 ご教 示 に あ ず
か ・、て い る 丈n'教 授 か ら 電 話 をfl't戴し ま し た.お
小 野寺
暗 くな り 、 点 在 す る 燈 火 と
話は専
壮
吉
・
定 の リ ズム で点滅 す る旭 川
空 港 の標 識 燈 が わ『
す'かに 人の 営 、
みを知 ら一
せる ばか りで し
門 の こ とで は な く 、 退 官 に あ た っ て1か
ぐらお か 」 に 執
へ
ρ
cノ)才
∫'爲
ダ)一
こ
㌔しズご.f・1]うと、 」
見イ
匠庭ζ幸
艮山と、
編 集 委C1長 七'で才∫
眺 め る 八に 安 ら ぎ を 与 え て くれ る よ う で'能,病
ら れ る 由 、1司 ヒ時 期 に 退 官'書
一る ご「
司役 か ら の お 話'ぐ 、 ま
に は 夜 か 一一
段 と淋 し い もの で す 、
こ とに痛 み 入・
ヲた 次 第 で す 、1ドイん でHか
'昼」
女 し まLた 、,
るの で 、や す む前 に カー テ ン をち ょ ・
・.と寄 せ て 病 棟 の ろ
1'話 を させ て も ら い ま す と
緒 に 旭 川 医 大のr事
せ て 戴 く 旨.二返
を養 う 人
わ が 家 の 寝 率 は 南 に 面 し て お り窓 か ら病 院 が よ く見 え
、 昭 和48年 に 美 甘 教 授 と一
を 眺 め ま11亜
合 を眺 め に 神 楽 岡 に や っ て
か 、そ う い う 部 屋 の 明 か りが 夜 遅 く ま で つ い て い る の は 、
の 進iT具
き た こ とか あ り ます
た、 最近 は 新 しい住 宅 か連 な って 、 夜 、家 々の明 か りけ
旭 川医 科 大学 設 置 関係 法 案 の国 会
症 音の 伽1室は 病 棟 の 北 側 に 並 ん で い ま す
私 共 に と ブ ご心 平 か な こ と で は あ り ま せ ん.昼
間 のfl:串
審 議 は進 まず 、大学 創 設 準備 室 は既 に 北 大か ら旭 川の 仮
か ら心 理 的 に 解 放 さ れ な い こ と に な る か も 知 れ ませ ん が 、
校n(北
長い 間 に身 につ いた動 作の
門 町 〉 に 移 ・.,てき て お り 、 のU'の
る 開;fに 備 え て 満 を 持Lて
びに な っ て い
い た 頃 の こ ヒで す.私
は図 書
・
つ です 、
旭 川の 俘は素 敵 です 、
、5月 に 人 る と ・斉 に 緑 か 繭 え て 、
館 の こ と を 担 当 す る よ う に い わ れ て お り ま した の で 、 予
そ の 勢 い に 自 然 か 沸 き 立 っ て い る よ うに 感 ず る 二 と か あ
定 され て い る 部 屋 を 覗 い て み る と 、 職 員 が ひ と り た け 書
り ます
物 の 山 のIHIで 、 い か に も ひ っ そ り と仕 事 を 続 け て い た こ
ブ「)・'つて1-‡
一,二 ¢
ノ)十数 年IAIIこf本=験し た 旭 月iグ)レ
し【f三1とtf
、
と を 思 い 出Lま
院 のH1い
ポ、 神 楽 岡 で は 、 そ の 年 に 分 譲 され た 病
目 ご とに 色 彩 の 変 わ る 秋 、VIIそ
初 夏 の 頃 で あ ・た よ うに 思 い ま す.
そ の 年5月
折 々 の 記 憶 は1き
7ン
に 起llさ れ た.・般 教 育 の 建 物 グ)近 く の 現 地
工 事 事 務 所 の あ た りで 、 周 囲 に ひ ろ か る 水 川 跡 地 を 眺 め
て 、 完 成Lた
。 岡 のLの
要 の雲 、
れ ぞ れ の 日没 の 風 景 、
な い の で す か 、 な か で も樹 氷 や グ イヤ
ドダ ス トな ど 冬 の 印 象 は と くに 鮮 烈 で す 、
大 学 の 隣 接 地 に 新 し い 建 築 物 か 次 々 と 加 わ り、 か つ て
の ま ち は ず れ に 大学 が あ る と い う風 景 か ら 、 尺学 を 中 心
大学 を 想 像 した も の で す 、 神 楽 岡 との ご 縁
の 始 よ り で 弓』,
と し た ま ち な み と い う た た ず ま い に な っ て き まLた
や が て 、 緑 かG.lt1地 の2期
⊥事 か 完 成Lて
、 その
に 現 在 の わ か 家 をつ くる こ とか で き 、 昭 和49年
れ で17年 余 を 神 楽 岡 で 過 ごLた
・
画
二 ん だ とい う現 在 のhか
こ と に な り ま す1
ず っ と女fよ し い 姿 で す 。 情 報 セ
ン タ・一と し てv)大 学 び)も'つ先 見 性 ヒβ
付属 り
府巨
完0)i白H変陸ζ≠
か
体制 は 、地域 の 哩門家 に ヒ…ては 強 い 芝えで あ り、市 民
川 厘学:iく、 庚 野 教 授 、 藤 沢 教 授 ク)お宅 の 傍 を
通 り過 ぎ 圭す..年
、
、孤
高 と い う も の も悪 く あ り よせ ん か 、 い か に も地 域 に 溶 け
冬か ら こ
雪 の 季節 の ほ か は 団 地 の な か の 小 道 伝 い に 人こ
学に通い
.よLた..黒
病 院 の 前庭 の エ ゾム ラサ キ ツツ ジ は早 春 の彩 り
と り も な お さず 神 楽 岡 のIOW季 でLた
の新 しい団地 の 区画 が まだ遺 成 中 で したか ら 、
に と っ て も 大 きな 利 益 で す.、 旭 川 医 大 グ痔 門 的 能 ノJの蓄
と と も に 道 沿 い の 茂 み は 濃 くな り 、fis
宅 は 少 し ず つ 増 改 築 さfi、 住 む 八 も 入れ か わ り 、 俘 、 夏 、
ff'iは引 き 続 きlts:くな りつ つ あ る の で 、 北 方 の 知 的 拠 点 の
・つ とLて 圭す ま す 存 でLを 主 弓長し て も ら い た いL 、 ま た
1;'1い秋 そ れ ぞ れ の 風 情 も楽 し く 、 と く に 時 候 の よ い#li!.t
そ うLな
けれ ば な らな い時 に な ・
・
、
、て い る と思 い ま す 。
ill勤 と い う よ り 散 歩 を し て い る よ う な も の で す 。
こ グ)数年 、 キ ャ ン バ スは 整 備 さ れ 、1J1木 は 根'ブい て 大
き くな り 、 大学 も 年 輪 を 重 ね つ つ あ る こ と を 感 ヒ さ せ ま
u
・1い
す,、大 学 の 北 側 の 団 地 との 境 の 環 状 線 沿 い の イ タ リヤ ホ
s_;
リ
プ ラ の 列 や そ れ と 並 ぶ 松 の 成 育 ぶ り も 見 事 な もの で す .
バi}1り
の フ.ラ タナ ス も緑 のr'llpに は 秤 よ いh<r`を
つ く
ろ
り 、 厨 ∫哲 も運 転 折 も 、 ま ち の 落 ち つ き とLeh4i
.か さ を 感 す
巣
る よ う て"す印
梶
附 属 病 院8階
コ
生 軟
訟
病 棟 か ら 眺 め る と、 北 側 の 団 地 や 旭 川 中
心 街 の 眺 望 と 異 な り 、 南 側 は 開 院 当時 に は グ ラ ウ ン ドの
「_曹叩一
先は 何 も な く 、 秋 の 深 ま る 頃 か ら は 回 診 の 途 中 で す で に
へ
一
■遍 隊
L邑
︻'
一
退 官 に あ た っ て
幽2ユ
「.口
塾.陶
● 。吊
(最終講 義)
麿
醒
磁
退 官 に あた って
、
一 言 い残 した い こ と 一
囎
眼科学講座教授
う な 配 慮 を し てlfiい た.現
が経 過 した 。 在職 巾 、二 度 の 人院 で数 箇 月の ブ ラ
ン クが あ り 、 御 迷 惑 を か け た が 、Aは
の 内 に は 数 箇 所 増)の
健 康 で 停年 を迎 え
い う 、 い わ ばfi:事 の 完 成 期 と も い うべ き時 期 を 、 こ の 旭
在 、 道 内10数 箇 所(2-3年
関 連 病 院 を持 ・って い る 。 こ れ は 道
に す る こ と か で き る と思 一
って い る,、
教 室 内 で は 「何 で も相 談 で き 、何 で もLIい あ え る 雰 囲 気 」
川 医 科 大 学 で 、 そ れ こ そ 大 過 な く過 ごせ た と い う こ と は
作 り をII標 と し て 来 た 。
本 当に嬉 しい限 りであ る、
、
・
番 の 年 長 者 で さ え 私 と25歳 も
,:う の で 、こ の こ と は 自戒 の 意 味 も 含 め た つ も りで あ る 、
、
み.ト げ 型 の 人 間 で あ る か ら 、
こ の 頃 は 両 親 で さ え 昭 和 二 桁 と い う 人が 多 い の で 、少 し
突 如 と し て 眼 を み は らせ る よ う な 仕 事 は で き な い が 、 そ
れ な りの 努 力 で 、 ど うや ら 所 期 の 目的 は 果 たLて
郎
2年 の 交 代 制 を と っ て い る が 、 数 年 後 に は 何 とか 固 定 制
あ る 、,一 人 の 平 凡 な 入 間 に と'一)て、48歳 か ら65歳 ま で と
外 に も)積
明
内 主 要 公 的 病 院 の 半 数 に 近 い 。 現 在 は 皆 若 い の で 、1
る こ.ヒが で き た の は 皆 様 の お 蔭 と感 謝 の 気 持 ち で 一・
杯で
私 は1L来(意
坂
新 の も の も揃 え て 、 派 遣 医 局 員 の や る 気 を な く さ な い よ
新 し い 大 学 を 作 ろ う と い う希 望 に 燃 え て 着f「:して か ら 、
満17年
保
遠 慮 が 出 て 来 て い る よ う な の は 淋 し い,,是 非 教 率 の 伝 統
来た と
自 負 して い る、
、学 問 的 に は30年 来 の テ ー マ で あ る 近 視 に
と し て 残 し て 貰 い た い と思 う 、 既 成 価 値 感 や 概 念 の 中 に
取 り 組 ん で き た 。 今 や 近 視 が 眼 軸 延 長 に よ る こ とは 確 実
固 ま る と 、新 し い 研 究 発 想 が 生 ま れ て 来 な い か ら で あ る 。
であ るが 、 その 発生 機 構 は 残念 な が ら 未だ に謎 であ る、
、
研 究 費 の面 で は私 の テー
一マ の 関 係 も あ っ て 資 金 援 助 が
し か し電 気 生 理 学 的 検 討 、 猿 の 実 験 近 視 、 フ ル オ ロ フ ォ
少 な く、教 室 に は 不 自由 な 思 い を させ た とい う思 い が あ る 。
ト メ ト リー な ど 、 と くに 本 学 卒 業 生 の 新Lい
業 績 が 増 す と と も に 、この 点 も緩 和 され ることを願 って いる,、
ア ヅ ロー チ
大 学 全 般 に つ い て も 研 究 費 か 余 りに も 過 少 で あ る,,こ
に よ り、早 期近 視 で すで に 血液 眼 内棚 の 障 害 の あ るこ ヒ
が 確 か め られ、 以 後は それ が何 故 起 こ るか に つ い て検 討
れ は 以 前 か ら 言 わ れ て い る こ と だ が 、[本
中 で 、 今 後 の い っ そ うの 発 展 が 期 待 さ れ る 、,
ん な こ と に 金 を 使 うべ き か 」 の 意 見 が 変 わ ら な い 限 り 、
診 療 面 で はft本
変 わ る 見込は な い と、 この頃 は 諦 め の境 地 に達 して きた
の 網 膜 剥 離 治 療 が 立 ち 遅 れ て い る(と
く に 北 海 道 は レ ベ ル か 低 か っ た)現
人 全 体 の 「ど
/た だ し 今 後 益 々 声 を 大 に し て 国 民 の 意 識 を 引 き 上 げ る
状 をR,急 に 改11'す る
必要 が あ った。 そ れ には 若い教 室 貝 を専 門の 施 設 に送 り
努 力 は 必 要 で あ る).こ
込 ん で 教 育 し て 貰 う必 要 性 を痛 感 し た.幸
物 実 験 施 設 は 「入 間 の 知 恵 の 反 映 」 と も い え る だ ろ っ。
い に も 二の 分
そ も そ もは 当 局 の 示 唆 が あ っ た の か も 知 れ な い が 、 資 金
野 で は 世 界 て 屈 指 のFclinaFoundation(F.ychcs≪rch
institute)(Boston,所
で き 、 現 着 も ほ ぱ2年
協定 か
不 足 の 弱 小 大 学 で は 、 重 要 研 究 機 材 を一 箇 所 に 集 め て 共
の教 室 貝 を派 遣 して い
同 利 用 す る と い う運 営 方 針 は理 に 円 っ た もの で 、近 年 益 々
長 は 有 名 なPr.Schepcns)と
交 代 で2入
の 点 で 、本 学 の 機 器 セ ン ター 、動
る1,そ の 後 世 界 的 な糖 尿 病 の 激 ♪曽か ら 、 同 研 究 所 で い ち
「i1
・く{1肖子f叡 切 除 術(vilrectamy)が
行 ナ)れ る よ う に な り 、
利 用 度 が 高 ま っ て い る こ とは 喜 ば し い.た
だ物 に よ って
当 教 室 で は こ のr術
後 の 整 理 整 頓 か 悪 い 人 も屠 る よ う で 、 資 金 前1を 含 め 、7,
は 使 用 頻 度 か 高 く混 雑 す る 事 態 も生 じ て お り、 ま た 使 川
を 〒・くか ら採 用 す る こ とか で き た 、1
ま た 同 時 に 、と く に 留 学 経 験 薪 の 中 に 網 膜 ・硝 了・
体 疾 患へ
ム ー7,な 運 営 に は 利 用 舌 各 位 の い'、 そ う の 自覚 か 要 求 さ
の 関 心 か 高 よ り 、基 礎llくJ研
究 をli.f3、現 在 で はBostonと
れ る よ う で あ る 、,
の 協 同 研 究 に よ る 成 果 か ヒが っ て い る 。 中 で も網 脈 絡 膜
の 物 質 代 謝 の 研 究 が 近 視 の 研 究 に お い て も 有/lなfL段
全 く関 係 な い か 最 後 に 一 つ,本
kLて
に
学 の ク ラ ブ 活 動 のiつ
謡 曲 部 を 企 てた か 遂 に 希 望 者 か 少 なく、残 念 で あ …た1、
な一
一Jてい る こ と は 特 筆 に 値 す る 、
、
さ て地 域医 療 の重 要 性 が唱 え られ て 久 しい が 、眼 科 に
つ い ては 眼科 医 の絶 対 数 の 不 足の み な らず 、札幌 を中心
とLた
者附 藻
0
中性 が著 しく、地 方で は眼 科 医 不足に 頭 を
悩 ま し て い た,,当 教 皐 で は 主 要 都fflの 公 的 病 院 か ら 補 充
し て 行 き 、必 要 度 に 応 じ て 拡 大 す る と い う 方針 を と っ た.
病 院 の 性 格 上 、 俸 給 は 多少 低 く 、 ま た 病 院 間 の 隔 差 が あ
』調
る に し て も 、 地 域 病 院 の 育 成 に 力 を 貸 す べ き だ と判 断L
た か',で あ る 、,た だ し診 断 ・治 療 用 機 材 は で き る 限 り最
(最 終 講 義)
8
声
瓢 納
螂∼、
﹂
.
豊 職
退 官 に あ た っ て
内科 学 か ら臨 床検 査 医学 へ
臨床検査医学講座教授 牧 野 幹
遭
く
㌔
鱒
昭 和5[年m月
、 本 学 附 属 病 院 の11NI>〉
に 合 わ せ て 着任 し
て 以 米 、 長た た く間 に15年
Lい 大 ド1:、新Lい
余 かi尚 ぎ てL圭
い 裏Lた
検 在 部 でv>&iの
、新
は 、 人 々 に ヒ 、てめ
、た に 遭 過Lな
L:た 二 と を覚 え て い ま1.'[1時
と い 一1人Fiで は 、 毎 年 爆 発11{」
に 増IJ[1
し 現{il.a〔1(1を越 え る 検 査項 目 数 に 対 応 で き な い と い う 点
い 、 花栄 あ る 機 会 て
あ る.二 と を 、ll付属 病i二
完開1二
完∫℃にvq席Lて
問 題,・
主llは
、 配 置 冬れ る検 査 技 師 数 か
少 な く 、 わ つ か16名
病 醗:を1/'る ヒし・うfl∵;ト
に 直面 団る こ と
に あ り ま す .病
、心 に 沁 み て感
白{」
允 実Lた
は 学 内 の あ ド、ゆ る 部 門 の
院 ㌧ll局グ)御理 解 に よ り設 備 、施 設 は 比 較
も の ヒす る 二Lか
不 尾 は 致 命ll{」
な 欠 陥 ヒLて
職 貝か 、 そ れ ぞ れ ♂バノ:場を 越 え て 、 新Lい
もの を つ く る
Lい う 共通 の 目 標 にllrlか..,て心 を ・
つ にLて 議 論 を繰 り
す
返L.て い た ニ ヒ を 、 な り かL<想
か4(学 に 監L置 ざ れ 左Lた.こ
い 出Lま
す.教
あ り ま せ ん でLた
の:熱気 と ユf几
.今
す.同
ったの た ろ う ヒ
議 π命か あ..、
まLた.そ
え を 継 承Lた
展 させ る も の}fち
の 後 、 米 国 に 留 学L、
とLて5年
いま
れ は 米 国 で の('lini(・al
もの で あ り ま し た 、 そ れ は
病 理 π二
態 学 で は 取 り扱 わ な い 臨 床1i?t'r)分 野 を 統 合L発
私は北 大 卒 業後 、生埋 学 教 室 を経 て 北 天第一 内 科に 入
学 と病 理 学 レ!デ!ト
御 尽 力 と、
講 座 は 私 立 尺岸:で は 終 戦 後 、 臨 床 病 理 学 講 座 と し
Palhok,gyン)考
た 方か 面 白 い と,思い ま す.
局 し内 科 医 を志LまLた.そ
れ は 歴 代 学kの
て 次 々 ヒ:ll11{さ れ ま し た,こ
れ ぞ れ 自 分 の 仕 事 に 精 を 出Lて
お られ る の で し 」 うか 、時 に は 大 声 てでL熱Lた
か 、'そ張 り 入 貝
教 授 会 諸 先 生 の 御 埋 解 と御 支 援 の 賜 もの4感II射Lて
振 り返..・て み て 、 あ の 当 時
、一・
は ヒ ニにit..,てLま
思 う こ とか あ り ま1.そ
で き まLた
将 来 に 残 る こ ヒか 懸 念 さ れ ま
平 成1〔 年 度 に は 我 々;T)念 願 で あ ・た 臨 床 検 査 医 学1溝座
授 会で
も 夕itを は さ ん で 、 深 夜 に 埴 ん てi.u'uHNかitわ 才した こ ヒ ≠,
珍Lく
男
り ま した、
、 しか し 田 ン
ニ尺学 で は 昭 和56
年 に 尺阪 尺学 に 試 置 さ れ た の か 最 初 て 、-k!年 に 新 潟 大 学
内科
と以 後 続 々 とL{立 さ れ.ま し た か 、 本 学 の よ う な 新 設 医 大
間 勉 強 を さ ぜて もらい
=は
の 間 、 肺 弥 患 に 関 心 を も ち 、 と くに 肺 気 腫 の
本 学 と 愛 媛 大 学 かli火
を 切..、た こ ヒに な り ま す 、
臨 床 検 査 医 学 講 座 は 、 生 化 学 、 血 液 学 、dur]学
物 学 等 の 智 改ヒ技 術 を 基 盤Lし
まLた..5年IHIcノ)レ/テ
床 検 査 法 の 開 発 、 一 各柿 臨 床 検 査 法 の 技 術 的 、 臨 床 的 評
ン トt./Illrt、 ま ノ
㌧:一ノブー
こ1.t口 葉
、1新
、微 生
臨 床 、呼 吸 生 理 学 、 病 理 形 態 学 を 勉 強 す る 機 会 に 忠.まれ
しい よ り有効 な臨
と の 斗・
い で も あ り まLた,Off"i'i,室 で 動 物 を 相 手 に す る 什
'1」
とは 異 な り
、 臨 床 で患 者 さ ん 相 手 の 仕 事 丸す か ら 、 大
価 、お よ び3病
変 な 苫 しみ で も あ り まLた,渡
残 念 で す か 、 二の 若 い 研 究 領 域 は 今 後 飛 躍 的 発 展 六 な す
米3る
備 を し た 訳 で も あ り よ ぜ ん の'.、
分 か ら な い の に,患
前 に特 に 高葉の 準
普通 に話 され て もよ く
、 夜 ヒな く レ/テ
い ます 。
も ク)Lf言 じ 、}胡待…し て い ま す 、,
菖 券ん が モ ゴ モ ゴ 言 う言 菓 な ど分 か
る は ず も あ り ま せ ん.昼
態 解 析 理 論 の 確 立 で あ る ヒY,て
講座 の 設 置 後 、数年 で本 学 を 去 ら なけ れば な らな いの は
昭 和60年 か らz年
ン ト1司志:や 、
間fの
あ りhに
間,附
属 図 書 館iを
命ゼ られ 、 その
関 して 自己点 検 と評価 をす るため の 、
ア テ ン デ ィ ン クlh師 との 間 で、
、
寸諭 か 子1'われ ま す か 、:...nu議
大学 年 報 を 発 行 弓 る こ と と な り 、 そ の た め(乃 委 員 会 をill
か 白 熱Lて
織 し 、 委 貝 会 案 を ま とめ 、 今IIま
く る と 、 二 ち ら か5つ
ま ㌧\lirrL.し
言 う間 に1〔)言わ れ て し
・A堅
し・を し た ニ ヒカ`fpr[1IIも
、
ちり ま 寸
帰 国 後 も1呼吸 器 病 理 のfいFを
続 け 、4,')・
され てい る こ と も、想 い出 の
度最 初か ら
で す で に 第2り'が
私 に とっ て 旭 川 は 算当zの 故 郷Lな
>L」ti『41'つ
も り'で、Nili11包
数O)算,i三 べ・肘il抱∼ζirl汗
直ぴ)r.則 を そ'f
第2>1,J1と
い ま し た 、,ま た 肺 気 腫 や 慢1生 気 管 支 疋 の 、 い わ ゆ る181
展L、
な り 素Lた
り、 旭川 医 科大 学 は
こ の 新Lい'大
充 実 す る こ ヒ を 念 願L匿 ぐda.ま
学 が 年 とtiに 発
せ ん昏
旭 川 に 附 属 病 院 教 授 と して 着f「Lて
以 来 、病 院 や 検 査 部
る こ とは 困 難 と な り 中 断 せ ざ る を え な い 事 情 ヒ な り ま し
皆1:∴
剛
㎜
▼
駒
多 変量 解 析 や 、人 工 智
1
∴織1蝋
}h
た 。 そ の 後 は 臨 床 検 査 を 巾 心 とLた
.舗.冒
﹄
r
v)f川 諾とと い うff:`鉾に1自:1血1し
、1づ也 し た よ うtafl:事 を斜*壽
売⇒一
ゐ
・肖乳
要 な 因 子 と な っ て い る こ と を 見 出 し ま した 。
.
駈熱
卜'の細 気 管 支の 狭 窄 、 閉 塞 が 重
トぎ
篤黒
カ ム ズ ム を 解 明 す る た め 、 剖 検 肺 に 様 々 な11夫 を し て 検
敦 野 抄 男 藪 笹 髄.朴 瞬 翼
題 臼 ,臨奄 伸 サ ヤ
飯ゆ
飼
性 肺 疾 患 が 肺 高dn.圧 →lbli性心 → 右 心 不 全 へ と進 展 す る メ
索 し た 結 果 、 直 径lmm以
発行
・
つ とな ・
りて い ま すn
能 を 応 用 し た 病 態 解 析 理 論 の 構 築 に 意 を 注 ぎ ま し た,、
︹ 、
(最 終 講 義)
退 官 に あ た っ て
一 創 業 と守 成 とい ず れ が 難 き か 一
生物学教授
美
甘
和
る よ う に 調 整 さ れ て い て 、医 師 とLてvii#低
退 官 に あ た っ て 、 こ こ に 一 文 を 寄 せ る 機 会 を 頂 い た.
哉
必 要 レベ ル の
最 彼 の 機 会 な の で 、 創 設 期 か ら 今 日 ま で 、 私 が こ の 大学
知 識 を 試 す もの で'あ る か ら 、司 法 官 試 験 ぺ・
公 務Ll試 験 と比
を ど の よ うに 見 て 来 た か 、 率 直 に 記 さ せ て 頂 き度 い.
べ る と は るか に 易 し い もの で あ る.良 面 目 に 勉 強 し て 卒 裳
出 来 たYで
表 題 は 、 唐 の 太宗 李 世 民 が 近 臣 に 施 政 の 大 綱 を た だ し
た11で
あ れ ば 、合 格 す る の が り1'1り
前 で は な い か,,明 ら
か に 、卒 業 認 定 基 準 を 甘 く し て い る 教 官 や 安 易に か ま え る
あ る 。「古 よ り 黙 を 創 め て こ れ を失 う もの は 少 く、
成 る を守 一
っ て こ れ を 失 う も の 多 し 」。太 宗 は 剛 直 の 臣 魏 徴
学 生 達 が 凋 落 の 責1.n首 だ と思 うが 如 何 で あ ノJう、,か
つ ての
の 言 を容 れ て 守 成 の 困 難 を 戒 め と し 、唐;代:il}0年の 礎 を築
我 が 大 学 に は 、_ificのレ ッテ ル を跳 ね 返 え そ う と0る
い た とL}わ れ て い る.私
か 満 ち て い た 。今 は 、三 流 に 甘 ん ヒ る 無 気 わ がL々
し て 、 そ れ が 甚Lく
は 、 本 学 の 創 裳期 の 困 難 を 体 験
気迫
な レベ
ルに浸 透 して しま ・
った よ う に 思 わ れ て な ら な い 。
不 如 意 に 満 ち た 辛 い もの で あ っ た こ
と を よ く心 得 て い る 積 り で あ る 、,し か し 、 今 や 、 銀 難 の
最 近 、我 か 国 の 大 学 が 次 世 代 育 成 の 責 任 を 自覚Lて
いな
い 、と 」}う識 者 の 批 判 が 頻 繁 に な っ た.近 頃 の 大 学 プ)実情
な か に 築 い た 貴 重 な もの が 失 わ れ て 行 く よ うに 感 ヒ ら れ
て 、 守 成 の 難 し さ を思 わ ざ る を 得 な い.、 本 学 も 一 日設 立
を み れ ば 当 然 で あ る,か つ て 、ラ イ シ ャ ワ ー 氏 がr体
さ れ た か ら は 、 欧 米 の 書bな7の
学 のa年
よ うに 何 f年 も続 く
の大
間 は 時 間 の 浪 費 で あ る と断Llた が 、残 念 な が ら 反
堂 々 た る ものに なっ て もらい 度 い。 創 業 期の 何 十倍 も長
論 のiiも
い 守 成 期 の 真 の 難 し さ に 対 処 で き る 大 綱 を し っ か り と建
行 さ れ 始 め た 。本 学 もや っ と 自 己 評 価 委 貝 会 を 発 足 させ よ
て て こ そ 、 揺 ぎ な い 伝 統 と 輝 か し い 歴 史 を 築 く こ とが 出
う と し て い る 。外 圧 に よ ら ず に 始 め て も ら い た か.っ た
来 る の で は な い で あ ろ りか 。
非,曖 昧 な お 茶 濁 しに 終 らせ な い で も ら い 度 い 。欧 冴tの大
/L
学 に は 、教 官 で も学 生 で も安 逸 を 貧 る 者 を排 除 す る ン ス テ
さ て 、 本学 の 創 業期 は 何 時 終 り 、 守 成 期 は 何 時 始 っ た
の で あ ろ う か 。 異 論 が あ る か も知 れ な い が 、 私 は 、
な い 。い よ い よ 、大学 の 自 己 評 価 か 表 彰 ・て 実
ム が 確 立 して い る.特 に 医 学 校 で は そ れ が 厳 し い 、
、
医帥の
・期
社 会 的 責 任 の 重 さ を 考 え れ ば 当 然 で あ ろ う.,
生 か 卒 業 し た 昭 和54年:i月
を も っ て 創 業 期 を 終 り、 大 学
院 か 開 設 さ れ た 同 年 の4月
を も っ て 守 成 期 が 始 っ た と考
左学 の 自 己 評 価 に は 、教 官 の 業 績 評 価 だ け で な く 、カ リ
え てい る。 本学 の大 学 院 は 、 ま さに 薄 氷 を踏 む様 な 危 機
キ ヱ ラ ム の 再 評 価 も是 非 や っ て も ら い 度 い 。教 育 機 関 の 背
を 経 て や っ と 認ufさ れ た 、,私 も 大学 院 設 置 委 員 の
骨 で あ る か ら大 事 で あ るII先 年 の カ リ キ ⊥ ラ ム 改llこは ま だ
・人 と
して 、こ の創 業 期最 後 の 大 難所 を越 え た時 の 喜びは 実 に
ま だ 生 温 い 。医 学 教 育 の 先 見性 に も 欠 け て い る 、
」ウミ学 の 急
た き か'一、た 。 し か し 、 私 の 見 る と こ ろ 、 そ の 頃 か ら 大 学
速 な 追i歩 や 医 師 の 質 的 向 ヒ を 求 め る 社 会 の 要 望 に 答 え ら
は 足 踏 み を 始 め 、や が て は 地 盤 沈 下 を き た し 始 め た 、
れ そ う もな い 。確 か な 改 善 もあ っ た が 一 部 に 過 ぎな か っ た 、,
真 面 目 な 学 生 の 中 に 、勉 学 意 欲 を 殺 か れ る とii)声
本 学 は 、 後 続1'数 校 の 国 凱 新 設 医 大 の ト ・・ブ を 切 一.、
て
がある
出 発 し 、色 々 な点 で それ らの 手 本に な った輝 しい時 代 か
こ と に 、大学 当 局 は 是非 耳 を{頃け て もらい たい 。さらにf1ー ば 、
碓:かに あ ・
・,たり と こ ろ が 、 本 州 の 刺 激 の 多 いf環境 の 中 で
大 学 院 の 制 度 も他 た学 と比 べ て遅 才げ こ.よ
よで は ないv>/r,,
"fの 未来 の 栄 光 を 願 い 、
敢 え て 呂肩 を も っ て'、}:成
の難
ト分 揉 ま れ て い る 後 続 校 が 着 実 に 力 を 蓄 え て 来 た の で あ
る,本
[.さ を 述 べ た,私 の 真意 を ・入 で も 多 くの ノ
∫か 汲 み 取 ・
・,て
'ドさ る よ う希 一
・
・て 、退 官 のrfと させ て い た だ い た 、
、
学 が 次 々 と 遅 れ を と … て 来 て も 、「夜 郎 自 大 」 を き
め 込 ん で 、 相 変 ら ず 新 設 医 大 の リー9`一}i4で
あ るか の よ
うな 神 話 を 信 じ る 人 が 学 内 に 多か っ た の は 残 念 で あ っ た,
ア ,44
鱗 漁糠蜘
や か て 、 総 て を 大 過 な く過 ごそ う とす る穏 健 派 や 慎 重 派
が一
レ流 と な る と 、 大 学 の 運 営 は こ と こ と に 右 顧 左 阿 し て
百 橋 を 叩 くの み 、 余 程 強 い 外 圧 が 無 け れ ばNら
動 き出 そ
う とは しない受 身態 勢 とな っ て し まっ た。 そ の結 果 、新
.1
uuら し い 意 欲 に 満 ち た 後 発 医 大 群 に 大 き く水 を 開 け ら れ
A
滑
て し ま'った の は 」 然 で あ る,、
例 を 挙 げ れ ば 限 りが な い が 、一一番 解 り 易 い の で 医 師 国 家
じ1'悔
、、隻
邑 嘱 邑㌔
試 験 を例 に 取 っ て み る と 、こ こ 数 年 合 格 率 が 甚 し く低 ドL
.脳 ...1.蜘
蝋..1.帰
. 馬..{.
し
}A
げ
r
「
て し ま っ た 。IL、 医 師 国 家 試 験 は 合 格 者 がH(〕%以 一トに な
P嘔...調
(最終 講 義)
10
L亟 璽≡
垂LZ⊥L⊥
内科 学 第二 講 座
が 後 輩 を指 導 す る 、
か易 と な り 、 全 力 を 尽 くす 所 存 で あ り
コ
衛藤
よす。
雅昭
大 し て 業 績 も な い 私 で す か 、 こ の 機 会 に7人
私 は 本学 の ・
期 生で 、 昭
として
の 考 え を 少 し述 べ て み た い と 存 じ ま す 。 医 科 大学 の 使 命
和48年 に 人学 し昭和54年 に
に は 教 育 の 他 に 診 療 と研 究 が あ り よ す 、,最 高 の 医 療 を 求
卒 業 し ま した1、卒業 と同時
め て 、病 め る 患 者 さ ん は 大 学 病 院 を訪 れ て い る 訳 で す か
に、
本 学 第二 内 科に 入局 し、
ら 、 大 学 人 と し て そ れ に 答 え る よ う 日夜 研 鐙 に 努 め な け
初 代 教授 の故 百井 兼 央 教授
れ ば な ら な い の は.∫ う よ で も あ り ませ ん 。 高 レベ ル の 医
の 御 指導 を受 け ま した 。昭
療 を保 つ には 、高 レベ ル の研 究 をす る必 要 が あ る と確信
和63年 に故 石井 教 授 が停 年
して 今[ま
退 官 され 、 牧 野 勲 教 授 が 二代 目 教 授 と し て 赴 任 さ れ ま し
で 努 め て き た つ も りで い ま す 。 私 の 専 門 分 野
は 糖 尿 病 、 高 脂dn.症 、 動 脈 硬 化 症 で あ り ま す が 、 ユ0年 ぐ
た 。 平 成 元 年 か ら 二 年 間 余 米 国 に 留 学 す る機 会 を 与 え ら
ら い 前 、 私 が 当 初 発 表 し た 研 究 は 国 内 で は 余 り関 心 を も
れ 、II乍年8月
た れ な か っ た よ う で し た 。そ れ で 英 文journalに
に 帰 国 致 し ま し た1、此 度 、牧 野 教 授 の 御 高
投 稿 し続
配 に よ り第 「 内 科 の 助 教 授 に 任 ぜ ら れ ま し た 。
「か ぐ ら お か 」 に 何 か 感 想 を 書 い て くれ と
、同期 生の
け て 参 り ま し た が 、 や っ と最 近 少 し は 認 め ら れ た と思 っ
皮 膚 科 の 松 尾 助 教 授 か ら執 筆 依 頼 を 受 け た の で あ り ま す
大 学 に は ハ ン デ ィー が あ る よ う な 印 象 を も っ て い ま す が 、
か 、 こ の よ う な 文章 を 書 くの は 苦 千 で あ り ま し て 、 拙 文
本 学 を世 界 に 出 す に は 〔
〕riginalityの 高 い 研 究 成 果 を ど し
を おd7し 頂 け れ ば 幸 い で す1、感 想 で す が 、 医 局 で 年 齢 か
ど し英 文 で 発 表 す る こ とだ と確 信 し て い ます 。3は
二 番 目 と い うだ け で そ の 資 格 は あ る の だ ろ うか と常 に 自
く り研 究 す る の に 適 し た 環 境 に あ る と 言 え ま す の で 、 で
問Lて
て い ます 。日 本 で は;1;身 大 学 で 評 価 さ れ が ち で 、localな
き ま した が 、 最 近 は そ の 責 任 の 重 さ を ひ し ひ し と
じっ
き る だ け 多 く の 若 い 先生 方 が 本 学 に 残 り研 究 に 従 事 さ れ
感 じ て い る 次 第 で す 、,ま た 、 苦 労 の 多 か っ た 大 学 の 創 設
ん こ と を 切 に 塑 む も の で あ り ます 。
期 よ り無 知 な る私 を 教 育 、 指 導 し て 下 さ い ま し た 、 学 長
諸 先 輩 を さ しお い て 、 と り とめ も な い こ と を 書 い て 恐
先 生 は じめ 本 学 の 諸 先 生 た ち お よ び 第 二 内 科 の 諸 先 輩 た
縮 し て い ま す 、 今 後 と も御 指 導 、 御 鞭 捷 よ ろ し く お 願 い
ち に 深 く感 謝 の 意 を 表 し た い と 存 じ ま す 、
、今 度 は 私 自 身
致 します 。
[
ス キー 教 室 で 留 学 生 と交 流 深 め る
今 年 も12月is日(ID・17日
伏}の 両 日 に わ た り 旭 岳xキ
ー
中 級 ク ラ スは 真 剣 な 表 情 で 講 師 の 後 を 追 い 、 初 級 ク ラ7,
場 に お い て ス キー 教 室 が 実 施 され た 。
は 講 師 の 個 別 指 導 を うけ な か ら 雪 と親 し ん で い た 。 留 学
北 海 道 の 代 表 的 な7,ポ ー ツ で あ る ス キ ー を通 じ て 、 白
己 グ)健康 管 理 、 技 術 の 向 上 、H然
生 も技 術 に 応 じた ク ラ ス に 入 り、 本 学 学 生 と い 一
っし ょに
に 親 しむ と と もに 、 本
ス キ ー を楽 しん だ 。
学 学 生 と外 国 人 留 学 生 との 親 善 交 流 を 目 的 と し た こ の ス
キ ー 教 室 に 、 留 学 生4名
1日
目(16日)は
2口
を 言 む34名 が 参 加 し た 。
、 参加 者全 貝が 旭 岳 スキ ー場 に お い
て 、1.$k・ 中 級(2班)、
初 級 の4ク
行 わ れ 、L級 の ク ラ スはrPdiと
目(17日)は
、 ゲ レ ン デ コ ー スの ほ か に 、 歩 くス
キ ー に よ る 自 然 観 察 コ ー ス も あ り 、 北 国 の 冬 の 自 然 を満
喫 し た 、,
ラ7,に 分 れ て 講 習 か
よ た 、16日 夜 は 宿
些にf憂宥1な 滑 り を 披 露 し 、
泊 地 の 天 人峡 温 泉 で
親 善 交流 会 が 行 わ れ 、
ユ ー モ ア を交 え た 自
己紹 介 や 、 ロ 本 語 ・
外国語 が 飛 び か う会
話 な ど で大 い に 交流
を深め 、予定 の時 間
が オー バ ー したほ ど
の 盛 況 で あ っ た,,
(旭 岳 ロ ー プ ウ ェ ー 駅 前 に て)
(木の 洞 よ り自然観 祭)
11一
平 成3年 度
1年
の あ ゆ み
4月
5口
・
卜成3年
道
度 ぺ11∫ ℃[於
iiii人i・1〔 月 名
体 育 館}
に)ち
15ilX#r入'4.4汁fiを5第1「
の妖
女f学
成 績:男f・
生16名
目
'
_'1日
冬
口ill
第2--4一
ω 、軟,悔
球(男
女)、 ハ ン ド
総111Ci
粥34i口陳[1イ く医 科'≠ 生 総 合 体 ず扶
q,管
8月11日
16ヒ1/ち
弓道 明
ボ ・一ノ
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ヒ ミー
ナー一 補モ、 手11空}
校
東 京 慈 恵 会 医 科 却
1本 学 参 加1種 田iiをL競1支
球,硬
球
式 庭 球
ト ン1男
〔り汝)、r望
〔男 如.軟
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式 庭 球
レ ー ホ ー ル
女)、 サ'カ
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硬 式 野
鳴
如
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〔男 如
、 バ ト ミン
ー、バ ス ケ'ト
ホ ・ 几 〔男
女 〕、 柔 道 、 剣 道 、 弓 道 、 空 弄 、 水 泳(男
女 ノ、
ゴ ル フ
(入
学
P+…
式)
5月
14目
合17f立
「「
賓
[π コ
晦 鰻終'
医 帥 国 家 試 験 合格 者 発 表
〔本 学 合 格 昔121名
F」
比績:総
、 合格 率88.3%1
団
酌
A・
・
「
・し ρ1'
6月
(地
13目
第17回 医 大 祭
1r;目
テ ーマ ニr起
己授 与 式
「於
第2会
;,f,位 記 被 授 与 者
体)
8月
叱回生「
/医 大 祭 実 行 委 員 会 委 員 長1専
'
,?811学f妬
区
ナ楓
樹1
8月1日
議i`.1
第34回
:瑚25目
東 日本医 科学 生総 合体 育 大 会 冬季 大会
住 管校
δ 名1
慶 応 義 ウl!大学 医 学 部 〕
[本 学 参 加 樽 目1ラ
ホ
7日
ク ピ ー 、 乳 キ ー、 ア イ ス
・ケ ー
乎 成3年
度 納 骨 式ti・.,本 学 納 骨 堂)
9月
4rl体
育 左 会
■ 『催
[競 技 種11〕
サ'力
学 生 ノ
一、 バ ス ケ
■ ・ポ
几 、 ソ フ
ト ボ ・一ル 、 糸岡 弓1き 、 リ レ ・一、!・4尺
仕、
(医 大 祭
医 学展
「救 急 蘇 生 」)
17月
5日
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第38回 北 海 道 地 区 た 学 体 育 大 会
7ile「1番
校
バ ス ケ リ トボ ・
一 ル1男
サh-、
織騨 騨鎧 灘継
北 海 道.k学}
「本 学 参 加 柿 目]陸
中球
ヒ鮒 芝1男
如 、準 硬式 野 球 、
女 駄 ハ レ.'ド
「男 如 、 バ ト ミ/じ
ー'し1男3
嶋1、
、
1辱
剣
、 ㌧
恥冊 蝋沸 懸1臨
(体育大 会)
12
25日
平 成3年
度 解 剖 体 慰 霊 式 並 び に 文部 大 臣 感 謝 状 伝
達 式(於
体 育 館 ・第4ヤ
学 位 記 授'チ 式r於
第2会
箋
参
(学 位 記 被 授 与 者6名
ミナ … 室)
議 室}
曳
30日
〕
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論 瀟1
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(ス キ ー 教 室)
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1月
11日'iξ
12目
成4年
度 大 学 入 学 者選 抜 人 学 入試 セ ン タ ー 試 験
〔本 学 会 場669名)
(解剖体 慰 霊 式)
2月
口o月
平 成3年
3日
ち
31日
'LHH
∼
度公 開 講座
「琶年 期 を す こや か に 」
新 入生研 修
11月1目
(於
第2回
第3--4セ
目
7日
美 甘教 授 最 終講 義
20日
百 橋教 授 ・牧 野(幹)教
24日
平 成4年 度 大学 院 入学 者選 抜 試験
27N
小 野 毒数 授 ・保 坂 教授 最終 講 義
三ナ ー 室}
授 最 終 講義
3月
5日
6日
11目
平 成4年
度 人学 者 選 抜 第2次
(受 験 者5!11名
試験
〉
石 橋 教 授 ・小 野 寺 教 授 ・保 坂 教 授 ・牧 野(幹)教
授 ・美tr教 授 歓 送 式
F
1211
平 成4年
度 大 学 院 入 学 者選 抜 試 験 合 格 者 発 表
ユ9日
平 成4年
度 人 学 者 選 抜 第2次
'1
.511
博 士 学 位 記 授 ワ式(於
試験 合格 者 発表
笛2会
議 室)
〔f専
士fi立riLy皮 才
受!ノ・者24名)
体 育 館)
けみ
マ
ヘ
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謄ぜ 唾
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溝 師5名
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ス キ・一教 室(於
17日
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12月
﹂
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﹂ ,
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川
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(新入生 研 修)
,
〔於
購驚
('丁士 学 位 記 被 授 与 者113名)
雛贈_,
5日!‡
度 学 十 学 位 記 授 与・
式
u﹂ 凋 鞍
醗
盛
平 成3年
旭 岳 ス キ ー 場)
、厚 生 補 導 委 買 会 委 員 艮
参 加 学 生34名
り
25日
学 位 記 授'」式(於
第2会
(退官 教 授歓 送 式)
('1:f立〔1己
被f受 与・
者2名}
一13一
0
詰
議 室)
職禦 聴響 禰
「
病 院 ロ ビー で ク リス マス コ ンサ ー ト行 われ る
室 内 合・4糾・hと合 唱 部{二 よ る ク リ スマ ス コ ン サ ー一トか1'L
月20日 ㈲ ・21H(1)の3ijH、
附 属 病 院 ロ ビ ー でi1'わ れ た1,
出 教 授 へ 旭 月1市文fヒ奨 励 賞 力唄曽ら れ ま し た1
こ の コ ンサ ー トはf口
ごろの 練 習 成果 を発 長す る と と
こ の 賞 は 、 旭 川 市 の 文 化 の 向1,発 展 の た め に 、 多 大 な
も に 単 調 な 入 院 生 活 に ひ と と き の 憩 い の 時 間 を 過 ご して
良献 を さ れ た 個 人 及 び 団 体 に 贈 ら れ る も の で 、 原 川 教 授
も ら お う1と
は 、 永 年 に わ た り雁 史 の 研 究 に 情 熱 を 注 か れ 、特 に 北 海
学 生 の クラブ 団体 が 毎年 この 時期 に 開 いて
い る もの で 、 両Hと
道 乍 般 の 地 域 史 研 究 に お い て 優 ね た 携 書 ・論 文 を 発 表 す
職 員 ら 約200八
る と ヒ もに 、 新 し い 北 海 道 史 の 編 集 者 と し て 活 躍 さ れ 、
も 、 入 院 さ れ て い る ノ∫や 看 護 婦 、 教
が 美 し い メ ロ デ 仁 一に 聞 き 入 っ て い た 。
史 に 、旭リlliiil刑
期 f年 を 記 念'す'る 「目 で 見 る 旭 川1のb:み 」
の 出 版 に 貞 献 さ れ た こ とに よ り受 賞 され 圭Lた
、
に≠ 生 課 〉
新 歓 合 宿 の お知 らせ
年 ↑日例 とな っ た 「新 人 生 歓 迎 合 宿 」 を 、G年
1'?日に も う 二Lに
な り よ し た,予
定 内 容 とLて
現 場 で 働 い て い る 先1iを 招 い て の 溝 演(今
の 葛 西 先 生 を お 招 きLま
く ら や お もLろ
年 は 第2
す)、 各 ク ラ ブ の 紹 介 な ど(め
い よ!!)か
、ま ず 学 校 で 行 わ れ ま す,
泉 宿 ま で 出 向 い て 、 先 輩 与 とuuる
グ,一
(室 内 合 奏 団 の コ ン サ ー ト風 景)
フ討
輩 方 の 失 敗 談 か 聞 け るか も?)、 新 人 生 全 員の 自
己 紹 命(fl'1年 は ハ'ク
転Lた
.
論 会1先
は、
嘱
後.温
も 墨月
入 、恋 人 宣 言 を し た 氏 な ど 、
嶺
い ろ い ろLい
まLた
よ!ハ 、 ク ラ ブ 勧 誘 〔Lつ こ い よ ハ 、
そ し こ皆 で 飲 み 明 か す の だ!!と は ゴ ・
って も 、 寝 た い 人 は
布 団 も あ るL、
無 理 に 飲 ませ な い か ら 、 救 急 卓 の 心 配 も
あ り ませ ん 〔万
・の 、
二と か あ ・,て も 、 先 輩 が 助 け て くれ
ま す1,
と.まc,き
さに
つ つ り まLた
け ど 、二 の お も し ろ 茎は 、 ま
「i'ilk1は一 見 に 如 か ず 」 で す 、ぜ ひ 参 加 し て 、 こ の
お も し ろ さ を 実 際 に 肖 分 の 肌 で 体 験 し て ドさ い.
(新 入 生 歓 迎 実 行 委 貝 会 よ り 〕
教 官 の 異 動
r
昇
学 生 団体 の設 立 ・
継続 届 につ い て
平 成4年
任
◎113.12.1.内
度 に お い て 、 新 し く設 立 し よ')と す る学 生 団
◎H4.2.ユ.ユ
体 、 も し くは 活 動 を 継 続 し よ う と す る 団 体 は 、4月30日
科 学 第 二 講 座
助 教 キ受
、衆 子
岸f」二学5轟 座Hh教}受
衛 藤
別1昭
」1えlilt'.41⊥
三
il,Q`,務。
果)
㈲ ま で に 設 立 届 ま た は 継 続 届 を学 生 係 に 提 出 し て ドさ い 、
、
な お 、 継 続 届 の 提 出 か な い 学 生 団 体 は 、 解 散 し た もの
と1.て 処 理 す る の で 注 意 す る こ ど,
〔学 生 、
、
果}
…14…
■■■』一一
r
・
艦1
㍑
体(協 会)と の打 合 せ 、7月10日 働 総 合開 会 式 及 び 第2回
鱒紬瓢体にr鍍耀
匡'匡1
主 将会 議 を予 定 して い ます 。
平 成4年 度 の北 海道 地 区 大学 体育 大 会 は 、
本 学 が 当番校
大会 運 営 に 当 た って は関 係 クラブ の ほ か 、
全 学 の教 職 員
とな り実 施 す る こ とは 「か ぐらお か」の67号 で お知 らせ し
及 び学 生 諸君 の 協 力 が必 要 とな ります の で 、
絶 大 な協 力 を
ま したが 、日程 ・
会場 ・
分 担 大学 が下 記 の とお り決 ま りま し
お願 い し ます 。(学
たの で 、お知 らせ します 。
実 施 租 目別 分 担 大 学 一 覧
な お 、硬式 野球 、バ スケ ッ トボー ル 、卓球 、バ ドミン ト
分 担 種
ン、ハ ン ドボー ル の5種 目に つ い ては 、私 立 大学 の協 力 に
担
大
札
幌 学
院
バ ス ケ ッ トボ ー ル
男女
旭
川
卓
球
男女
北 海 道 工 業 大 学
ト ン
男女
北海道東海大学旭 川校舎
硬
した。従 って本 学 関係 ク ラブ貝 につ いて は直 接 運営 に参画
す る必 要 は な くな りま したが 、主 将 会議(組 合せ 抽 選)等
の 作業 は協 力 して い ただ きたい と考 えて お ります。
また、
今 後 のス ケ ジュー ルに つ いて は5月 中 旬顧 問教 官 ・
主将 会 議 、5月23日 ㈹ 第1回 主将 会 議 、6月 中 旬競 技 団
開 催 期B平
番
号
1
z
3
4
5
6
7
陸
上
硬
目 名
競
式
技
野
性別
式
球
庭
ッ
ン
ド ボ ー ル
性別
男
分
北 星
学
大 学
大
学
園 大
球
カ
ー
2日
㈹
3日
囲
4日
(t1
0
0
0
0
0
5日
(日)
11日
cu
平 成4年7月10日(斜16時
12日
(日)
13日
競
(月)
技
会
旭川陸上競技場
0
札 幌 学 院大 学 総合 グラ ウン ド野 球場
江別市営球場
0
0
0
男女
0
0
男
0
0
0
旭川市総合体育館
女
0
0
0
旭川大学体育館
男
O
0
0
旭 川大 雪 ア リー ナ
女
0
O
0
旭川市総合体育館常盤分館
0
0
O
旭川市富沢運動広場
0
0
男
男
男女
ト ン
男女
旭 川 スタル ヒ ン球 場
旭川医科大学野球場
旭 川花 咲 テ ニ ス コー ト
旭 川医 科 大学 サ ッカ ー場
9
バ
10
柔
道
男
0
旭川市総合体育館
11
剣
道
男女
0
旭 川 医 科 大学 体 育館 ・武 道場
13
球
0
卓
12
弓
ハ
道
ン
学
場
8
ド ミ ン
学
∼旭 川医 科 大学 体 育 館
0
レ ー ボ ー ル
サ
ド ミ ン
ハ
球
0
男
バ ス ケ ッ トボ ー ル
バ
野
バ
合 開会 式
男女
準 硬 式 野 球
軟
式
成4年 度)北 海 道 地 区大 学体 育 大会 開催 期 日 ・種 目 ・会 場
成4年7月11日(1)-13日(月)総
開 催 種
目 名
男
よ り分 担大学 として 大会 を実 施 して いた だ くこ とに な りま
第39回(平
生 課)
ド ボ ー ル
北海道工業大学体育館
0
0
男
0
北海道東海大学旭川校舎体育館
0
0
女
旭川医科 大学弓道場
0
男
0
札幌市魁平区体育館
O
崇7月13日(月)旭Iq市 総合 体 育 館 ・
常 盤 分 館 は休 館 の ため 当 日会 場 を移 動 して 実施 す る。
課 外 活 動 短 信
サ イ ク リ ン グ ・ク ラ ブ 「ち ゃ りん こ の 会 」
第5回
第4ス
ア イ スホ ッケー 部
第34回 東 日本 医科 学 生 総 合体 育 大 会 冬季 大 会
ツ ー ル ・ ド ・北 海 道3年10月4日
テー ジ
5位 入 賞
木
ー 般 個 人 ロ ー ドレ ー ス37km
栃 木 県 日光 市3年12月26日
村
Aリ ー グ3位(総
圭
介
[昨年Bリ
個 人賞
一15一
新
一・30日
合3位)
ー グ優 勝(総 合6位)]
高
橋
淳
一
ポ イ ン ト王 千
ベ ス ト6土
人
賞
里
居
直
之
忠
臨
「旭 川 医 大 に 留 学 して 」
談
私 は1990年10月 、
研 究 留学 生 として旭 川 医大 に 来て か ら
1年4ヶ
勇
と持 ちつ づ け て お り ま した。これ ま で長 い間 、医療 の実 践
に当 た ってお りま したが 、難治性 柊痛 を もつ 多 くの患 者 さ
月が 過 ぎ ま した 。
んに大 変悩 ま され 、中 国に おけ るペ イ ン ク リニ ックの 遅 れ
南 京は 中国 の古 都 と して皆 さん ご存知 の 通 りで すが 、
母
校 の南京 中医学院は北京 お よび上 海中医学院 と並 んでWHO
が 一 層留 学の希 望 をつ の らせ た こ とで もあ りま した。1990
か ら伝統 医学 、acupunctureの
年4月 、
小 川教 授が 訪 中 され た折 り、私達 の大 学 で「日本 に
教 育研修 セ ン ター に指定 さ
れ て い る3大 学 の1つ です 。
大 学 は、人口300万 人の 南京 市
おけ る柊 痛治 療 の現状 」とい うすば ら しい講濱 を聴か せ て
内 で も一 番賑 や か な街 の 中心 部 に あ ります0
頂 いた のが縁 で 、
夢 に もみ た留 学が 実現 す る こ とにな った
旭 川 に着 いて 、市 内 を静 か に流 れ る石 狩 川 や 、
雄大な大
の です 。しか し来H前 は 、神経 ブ ロ ッ クの 知識 は 全 くゼ ロ
雪 山系 を眼 に した時 、
騒 々 しい南 京 と比べ 何 と爽 やか な と
の状態 で あ りま した。ここ1年 間 に硬 膜 外、くも膜 下ブ ロ ッ
クは も とよ り、
胸部 、
腹腔 、
腰部 交感 神経 節 ブ ロ ックな どの
こ ろか と とて も印 象的 で した。
夏 に は ラペ ンダ ー の紫 、ポ ピー の 自や赤 、ピー トや 牧 草
高度 の 各種神 経 遮 断術 を見 学 させ て頂 き、日常 的 な星状 神
の緑 が 美 しく、
秋 に は濃緑 の エ ゾ松や 、白樺 、
紅葉 等 に よ っ
経 ブ ロ ック、仙骨 ブ ロ ッ クな どの 手技 の コツ も繰 り返 して
て織 り成 され る 多彩 な絵 の よ うです 。
近 くの森 で は小 鳥 が
「
羽 衣 の滝 」の神 話 を伝 えるか の よ うに噌 り、田畑 では農 作
教 え て頂 きま した。その ほ か に 、
教授 は西 洋 医学 と中国 伝
物 が整 然 と収穫 の 時 を待 っ てい ます 。冬に な る と一 面 は 白
手段 の研究 を進 め られ て お られ ます。私 の本 来の 専門 で あ
統 医学 の両 者 を結 合 させ た診か た 、
考 えかた で有効 な除痛
る産 科 婦 人科 の 接点 で も、
辺 縁科 学(frontierscience)に
銀 の世 界 に 変貌 します 。
旭 川医 大 は あ たか も大 雪 山や 十勝 連 峰 の裾 野 に広 が る
関 す る 面で新 しい発想 が で き、これが 私 に とって何 よ りの
庭 園 の よ うで 、
構 内 の緑 の 芝生 は真 赤 な 夕焼け 空 の も とに
収 穫 で もあ りま した。また この1年 間 に6回 も学 会 に参加
美 し く照 り出 され ます。夏の晴 れ た 日に は リハ ビ リ丘 の散
させ て 頂 き、また3回 論文 を発 表 させ て頂 き ま した。毎 回
歩 を楽 しみ 、
冬 の寒 い 朝に は医 局 で熱 い コー ヒー を味 わ い
つ た ない発 表文章 を教授 が睡 眠不 足 を顧 みず 直 して下 さっ
なが ら、
窓越 しに 白い雷 山 を眺望 で き、「なん と美 しい田 園
た こ とや 、色 々な機 会 に人 の生 き方 、
過 ご し方 、
趣 味 の もち
都 市 、な ん とす ば ら しい 別荘 大 学 で しょ う」と何 度 も感慨
方、
勉強 の 方法 等 、さま ざ まな面 で教 育 を受 け、これ らは 一
にふ け っ た こ とで した。
生忘 れ るこ とが で き ませ ん。
仕 事 と研究 の 面か ら、
教授 は極め て 厳 しい先 生 として尊
この1年 余 、豊 か な 自然 の 恵 を受 け なが ら、有意 義 な研
敬 され てい るか た わ ら、
患 者 さんか らは誠 に もって親切 な
究 生 活 を送 らせ て頂 き ま した。
先生 として慕 わ れ て い ます。学 生 と も密 に接 し、教育 熱 心
歴 史 的 に み て 中 国 伝 統 医 学(TraditionalChinese
日本 の 医学 は切 って も切 れ な い関 係 に あ り
な上 に大 変温 厚 で 人情 味 豊 か な教授 で あ る と感 銘 させ ら
ま したが 、明治 以 降 の医 学 教 育改 革 で 、
長 い間 中 国医 学 が
れ ま した。医局 の 先 生方 や 、
秘 書 の 人達 も仕事 あ るい は生
遠避 け られ て き ま した。本 当に寂 しいこ とです 。しか し旭
活上 の 色 々な 面で 大変 お世 話 に なって お り、患者 さん には
.川 医科 大 学 に は 中国 医学 に つ い ての 豊 富 な知 識 を もたれ
誠心 誠 意 、
奉 仕の 精神 で の ぞむ とい っ た崇 高 な考 え方 で接
Medicine)と
て い る先 生が 少 な くな く、
熱 心 に研 究 され て い る先 生 も多
くい らっ しゃい ます。私 は麻 酔 学教室 に着 い たばか りの 時 、
して お られ ます。
早 くも1年 余が過 ぎて しまい ま したが 、この あ とは研究
教 室 に「
漢 日辞典 」、「日中大辞 典 」、
「中国漢 方 医譜辞 典」、
「中
面で も、
人 間 と しての 自己 の成長 面 で も、どの よ うな進 展 、
英 辞典 」等 の 辞典 類 や 、中 国医 学 の研 究 に 必要 な書籍 が 多
展 開が み られ る ことで し ょう。VISEの 延 長手続 きの ため 市
数 用 意 され てい るの に び っ く りし、また一 番嬉 しい こ とで
役 所 に行 く道 す が ら、
旭 川 の市樹 であ るナ ナ カマ ドの真 赤
もあ り ました 。
教 授 の豊 富 な 中国 成語 の 知 識 に驚 か され 、
な実 を眺 め なが ら、
魯迅 の 「希望 とは 、も と もと有 るよ うな
温 和 な 口調 に よる ご懇篤 なご教 導 に支 え られ て 、
楽 し くか
無 い よ うな もの で あ る。そ れは 地 上の 道 に た とえ られ る。
つ 意義 深 い留 学 生活 を送 ってお ります 。
教 室 の皆 さんや事
地 上 に は も とも と道 は ない 、
歩 く人が 多け れば 道は 出来 て
務 の 方 々に も親切 に して頂 き、また熱 心 に手助 け して頂 い
ゆ く」とい う訂葉 を思 い出 しま した。開期100年 の旭 川 の街
た こ とに感謝 してお ります 。こ う して訪 日前 に抱 い て いた
路、
創 立18年 の 若 々 しい旭 川医 大 の構 内通 用路 を歩み なが
緊張 や 不安 感 は 完全 に な くな りま した 。
ら、
残 る期 間は ペ イ ン ク リニ ッ クの研 究の ため に懸 命 に歩
私 は約8年 前 、
亡 き祖 父の著 書 を翻 訳 して頂 いた 日本 の
友人が い るこ とを聞 か され てか ら、日本へ の留学希望 をず っ
一16一
き続 け よ う と考 え て い ます 。
新 しい道 が開 か れ るよ うに と
望 み なが ら… …
r
平成4年 度 前期分授業料免除
及び延納 ・分納 について
平成4年 度 日本育英四奨学生の
募集 について
平成4年 度 前 期分 授 業料 免 除 及 び延 納 ・分 納 を希 望 す
る者 で 、
下 記基 準 の いず れ かに 該 当す る と思 わ れ る者 は 、
教務 部 学生 課 厚 生係 で 必要 書 類 を受 け 取 り下 記 の期 間 内
に 申請 す る こ と。
な者 に学 資 を貸与 して お ります 。
本学 では 、 日本 育 英 会か らの推 薦 依 頼 に 基づ き、 出願
者 の種 々の 条件 を考 慮 して選 考 を行 い、 日本育 英 会へ 推
なお 、 申請 者 につ い ては 、 選 考の 間授 業 料 の納 入 を猶
予 します。
薦 します 。
た だ し、 日本 育 英 会 では 奨 学金 貸 与の種 別 ご とに推 薦
また 、 不明 な 点は 、 同係 に 問 い合 わせ 願 い ます。
基 準が 定 め られ て お り
その 資格 が あ っ て も採 用枠 の関
係 で推 薦 で き ない場 合が あ ります 。
記
奨 学 生 の募 集 要項 を 、4月 上 句 に 公 用掲 示 板 に掲 示 し
1.授 業 料 免 除基 準
(D経
目本育 英会 は 、優 秀 な学生 で経 済 的理 由 の た め就 学 困難
済 的理 由 に よ って授 業 料 の納 付 が 困 難 であ り、
ます の で 、貸 与 を希望 す る者 は、 提 出期 限 に 遅 れ な い よ
う所 定 の書類 を教 務 部学 生課厚 生係 に 提 出 して くだ さ い。
か つ 、学 業 優 秀 で あ る と認 め られ る場合
なお 、平 成4年 度 に お いて 原級 に留 置 され て い る
者又 は 、最 短就 業 年 限 を越 えて在 学 して い る者 は 、
なお 、募 集の 時期 以 外 に家 計 の 急変 に よ り
学資の支
弁 に 困 難 な事 情 が生 じた場 合は 、同係 に相 談 してください。
免除 の対 象 と しな い(休 学 の理 由 に よる者 を除 く。)
②
学生教育研究災害傷害保 険の
加入について
授 業料 納 期 前6月 以 内(新 入生 に つ い ては 、 入学
前1年 以 内)に お い て学 生 の学 資 を主 と して 負担 し
て いる者(以 下 「学 資負 担 者」 とい う。)が 死亡 し、
又は 本 人若 し くは 学 資負 担 者が 風 水害 等 の 災害 を受
け た こ とに よ り、授 業 料 の納 付 が 著 し く困 難 であ る
と認 め られ る場 合
(3)② に準 ず る場 合 で あ って 、学 長 が相 当 と認め る事
由 が あ る場 合
2,申
請
書
本学 は 、学 生 の正 課 中 ・課 外 活動 中に お け る災 害事 故
補償 の ため に 『
学 生教 育 研 究 災 害傷 害 保 険』 の 賛助 会 員
大学 とな り下記 の とお り加 入受 付 事務 等 を行 って い ます 。
本 保 険 は 、学 生 の互 助 共 済 を基 本 と して運 営 され てお
り、学 生 生 活 中のh一 の 場 合 に備 え、 で き るだ け全 貝 の
加 入 を勧 め て い ます。
まだ加 人 して い な い学 生 は 、加 入 す る よ うに して くだ
類
さい。
(i)授 業 料 免除 申請 書
記
(2)学 資 負担 者 が死 亡 した場 合 は死 亡 診 断書
(3)災 害 を受 け た場 合 は罹 災 証 明書(市 区町 村 、警 寮 、
消防 署が 発 行 した もの。)
1.受
2.受
(4)市 区町 村 発行 の 所 得証 明 書(給 与 所得 者 に つ い て
3.保
付期 間
付窓 口
険
料6年
は 、平成3年 分 の 源 泉徴 収 票 を 、給 与所 得 者 以外 に
自
平 成4年4月1日
至
平 成4年4月30日(N
休}
教務 都 学生 課 厚 生係
間3,400円
5年 間2,950円
つ いて は 、平 成3年 分の 確 定 申告 書(一 面 ・二面)
4年 聞2,450円
等の 写 し(生 計 を一 にす る家族 全 員分)を 、 ま た 、
3年 間1,900円
学 資 負#u.者が死 亡 した場 合 は 、死 亡前の 所 得証 明 書
2年 間1,300円
を併せ て添 付す る こ と。)
1年 間750円
(5)失 業者 は 、民 生 委 貝又 は職 業安 定所 の 証 明書
4.支
払 い保 険 金 の種 類 と金額
{6)生 命保 険 金の 支 払 い を受 け た場 合 は 、当 該保 険 会
区分
社 の保 険 金 支払 証 明書
止
(7)家 族 の 中 に就学 者が い る場 合 は 、 その 者(申 請 者
課
学校施 設内の休憩中
学校施 設内外の課外
活動 中(学 校 施 設外 の
課外 活動 に つ い ては 、
大 学 に届 出 た 活 動 に
限 る。)
中
本 人 及び義 務 教 育 の就 学者 は 除 く。)の 在学 証 明 書
学校行事中
(H)自 動 車保 有 に 関す る申 立 書
種類
(9)そ の 他家 庭 事情 に よ り参 考 とな る証 明書 等
3.申
請
期
間
(1)在学 生
1,200万
54万 円 一1,800万
平 成4年2月17日(月)
∼3月31日
② 平 成4年 度 人学 生
死亡 保 険 金
後 遺 障害 保 険 金
平 成4年4月1日
∼4月20日
㈹
医 療 保 険金
休)
入院加 算金
㈲
一17一
円
600万 円
円
実 治 療 目数4日 以 上
が対 象
6千 円 一一30万円
1日 に つ き4.000円
27万
円 一900万
円
実 治 療H数14日 以 ヒ
が対象
3Hf9-30万
円
1日
に つ き4,000円
一
出
騨
那 彫1∵
羅
、Eb1瀞
』
洲1灘
鴛灘 繍1顧灘灘
・
て い ます が 、学 生 は 、任 意加 入 とされ てい た ため20才 以
上 の在 学 期 間 中に 、 国民 年 金 に加 入 して いな か った もの
に つ い ては 、卒 業 後 年金 制 度 に加 入 して も満 額の 老 齢基
国民 年 金 法 の改正 に伴 い 、大学 に 在 学 す る学 生 で20才
以上 の者 は 、平 成3年4月1日
礎 年 金が 受 け られ ませ ん で した 。
か ら国 民年 金 の 被保 険 者
この ため 、国民 年 金 法が 改 正 さ れ 、平 成3年4月1日
(当 然加 入)と して適 用 を受 け るこ とに な りま した 。
か ら、20才 以 上 の学 生 も全 て国 民年 金 に 当然 加 入す るこ
従 来学 生 に つ いて は 、20才 以 後 在学 中 に 障害 者 とな っ
た 場合 、国 民年 金 に加 入 して いな い 限 り障 害基 礎 年 金が
とに な りま した 。 なお 、 国民 年 金へ の加 入の 手 続 き 、保
支 給 されず 無 年 金 となっ て い ま した 。 また 、基 礎 年 金制
険 料 の納 付 方 法 及 び保 険 料 の免 除 等 の詳 細 につ い ては 、
度 は 、 原 則 と して 、20才 か ら60才 までの40年 間加 入 す る
学 生 課厚 生 係 又 は 、住 民 票 を登 録 してい る市区 町村 の 国
こ と を前提 に 満 額 の 老齢 基礎 年 金 を支給 す るこ とと され
民年 金 担 当 窓 口へ 直接 問 い合 わ せ くだ さい 。
倉倉 倉 倉倉 。
§
噂 倉 倉 や 倉。
§.........。
》噸 噸 倉 や 倉 倉 や 倉 倉 や 倉 倉 ゆ や 。
》。
》。
》
で 立 派だ ったけ ど、病 人 を含あ3人 の ス ネか じ りの い る
サ ラ リー マ ンの 家 庭 で は 、 とて も その時 期 に得 られ る よ
駕
うな もの で は なか った。 驚 い て い る ら しい母 にMさ んが
こ う話 され るのが 聞 こ え て きた。「腐 らせ て捨 て て しま う
よ うな もの が例 え あ って もわ しちの よ うな者 に分 け て く
れ る人 は いな い。 その 気持 が嬉 し くて …。 これ はお 礼 だ
か ら受 け取 って欲 しい」 とい うの だ。 金額 に す れば わ ず
か の 野菜 に対 して 、 また 日頃 の生 活内容 か らす れば そ れ
由紀子
は法 外 な散 財 だ っ たは ず 。
何 気 な い同 情心 の表 明 に大 袈裟 に いえ ば 、平 等 な博 愛
初 も のの ス イカ
精 神 とで もい う もの を感 じ、そ れ に最 大 限 の意 味 を与 え
1960年 代 後 半 、 父 の転 勤 に よ り我 家 はノ
】
・
樽 か ら札 幌 に
たMさ ん の半 生 は どの よ うな もの だ った の だ ろ っ。 この
転 居 した 。現 在 の 時 点か ら 日本 の 戦 後 を振 り返 る と、 当
よ うな境涯 に あ りなが ら、年 老 い て なお そ の ス イカの よ
時 は朝 鮮 戦争 の 特 需 な どに よ り戦 後 復興 の 時期 を脱 し、
うに瑞 々 しい感 性 と深 い洞 察 力 を保 ち続 け るMさ んに よ
今 日の経 済 的繁 栄 へ と連 な る高 度 成 長 の初 期 とい う時代
り、病 院 と学 校 とベ ッ ドの 中 だけ で しか 生 きて なか った
だ っ た よ うだ。 新 しい官 舎 は鉄 筋 コ ン ク リー ト造 りで ブ
私 は 、心 の 奥深 く、 人間 の希 求 す る もの を認識 させ られ
ロ ックの 塀 がめ ぐらされ た、 そ の頃 の庶 民 の レベ ル では
た。
今 この あた りには 巨大 な商社 と、 コン ビ3タ
上 の方 の 家 だ っ た ら しい。 豊平 川 の川 岸 に あ り、 反対 側
ー付 プ
に 少 しい くと平 岸 に まだ リン ゴ園が あ った よ うだ 。私 は
ル ドーザ ー といわ れ た政 治家 の関連 会社 の建 て たマ ンシ ョ
病 気療 養 中で 、歩 いて7、8分
ンが た ち並 ぷ典 型 的 な 中 流 日本が 出現 してい る。
「乏 し き
ほ どの病 院 に週2回 通 院
す る以外 は 家 の 窓際 のベ ッ ドか ら外 を見 て い る よ うな毎
を憂 えず 、等 しか ら ざる を憂 え る」 とい う理 想 が物 の レ
日だ っ た。 塀 の む こ うに 占 くさび れ た感 じの木 造 アパ ー
ベ ルでは あ る程度 実 現 され て しま った よ うに見 え る現 在 、
トが あ り、 この 二階 の 窓 か ら も同 じよ うに 日が な一 日外
人間 と して平 等 に尊 重 され生 き る自由 が 物以 外 の面 へ ど
を見 て い る老 人 が い た。 そ の まな ざ しは 暗 く押 し黙 っ て
れ だけ 広 げ られ た のだ ろ う。 よか れ あ しかれ 物 に よ りか
いて 、 少 しこわ い よ うな 印 象だ った。 この ア パー トの管
な り直 接 的に 示 され てい た 人間 と しての 幸不 幸 が 、 あふ
理 人か ら母 が 聞 い た とこ ろで は 、そ こ は生 活保 護 を受 け
れ る よ うな物 で 意 図的 に 隠 され て しま うよ うな状 況に あ
て い る人 用 の市 営 アパ ー トで 、住 人は お年 寄 ばか りとの
るよ うな気が す る。物 に よっ て実 現 され た カ を得 て増 々
こ とだ った 。
欲望 実 現 の ため 日夜勤 勉 に動 き廻 る 人違 の 傍 で 、彼 らに
両 親 は どこへ 行 って もそ うす る よ うに 、 この 官舎 の 庭
よっ て利 用 され る人 問ば か りで な く、動 物 も植 物 も天 も
に も花 や 木 を植 え、 野菜 を育 て て いた 。若 い前 任 者の と
地 も破 壊 され て い くとい う。せ め て 自分 は破 壊 者 の側 に
きには 、そ こ は コ リー 犬の 運動 場 だ った らしい 。母 は ほ
は 立 ち た くな い と思 うな ら、 彼 らか らで き るだけ 遠 く離
とん ど生 まれつ いて の性格 とで もい うの か 、
お年 寄 で 困 っ
れ てMさ んの 声 を聞 き続 け なけれ ば な らな い。それは 思 っ
て い る 人が い る と、何 くれ とな く心 尽 しの お手 伝 い をす
た よ り もず っ と難 しい こ との よ うだ 。
る くせ が あ り、 奥 さん を亡 くして一 人ぽ つ ねん と二階 か
ら我家 を見 て い る このMさ ん に も畑 の 収 穫 な ど をおす そ
分 け して いた よ うだ。
ある 日突 然Mさ んが 我 家 の玄 関 に大 きな ス イ カ を運 ん
で こ られ た。 そ の ス イ カは初 もの で 、家 だ け は官 舎 な の
一18一
(臨床検 査 医 学講 座
講 師)
1
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