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会員だより - 東京滋賀県人会
「会員だより」 ─旅と写真─ 森岡 進一(近江八幡市出身) 前号では、滋賀県南東部の3神社3件と、湖南三山天台3寺院4件の合計7件の国宝建造物をご紹介しました。滋賀県の国宝建造物保有件数が全国第 3位であることをご存知でしたか(全国217件・奈良県64件・京都府48件・滋賀県22件)。今号では、残り15件の国宝建造物をご紹介します。 平成25年度 北進近江商人 追悼法要・ [墓参] 日 程:平成25年9月19日(木)〜9月20日(金) 1泊2日予定 函館空港集合、松前町役場を表敬訪問。専念寺の北進近江商人物故者の法要・墓参 参加者募集/詳細は、東京滋賀県人会事務局迄 月例法要 毎月第一木曜日PM14:00から、滋賀県人会ホールにて行なっておりますので、どうぞお越し下さい。 年内開催日(原則1月・8月は除く):6月6日・7月4日・9月5日・10月3日・11月7日・12月5日 善男善女のお申し込み 善男善女の縁結び、お写真を承っております。お気軽にご紹介、ご利用下さい。 なお、現在多数のお写真等お預かりしています。お気軽にご連絡下さい。 ①延暦寺根本中堂(大津市坂本本町、江戸前期):日吉(ひえ・比叡)山は古代より大山昨神(おおやまくいのかみ)が鎮座する神山とし崇められ ていました。下坂本の人で伝教大師最澄上人は、新しい天台宗の発足地として788年薬師如来を本尊とする一乗止観院(現在の総本堂・根本中 堂)を創建し比叡山を開きました。朝廷から期待され桓武天皇時代の年号「延暦」を寺号に賜りました。最澄は、鎮護国家の為には真の指導者 「菩薩僧」を育成しなければならないとし12年間の教育制度を確立し鎌倉時代以降は、浄土念仏の法然上人・親鸞聖人・一遍上人等、禅の臨済宗 栄西禅師・曹洞宗道元禅師、法華経信仰の日蓮聖人等、多くの日本仏教の祖師を育み比叡山は日本仏教の母山と仰がれています。延暦寺が浅井 朝倉両軍を匿った事が発端で織田信長によって全山焼き討ち、その後、豊臣秀吉や徳川家の外護や慈眼大師天海大僧正の尽力により比叡山は再 興されました。現在の根本中堂は1640年に再建され、前に中門・回廊をめぐらし銅版葺の堂々たる堂宇で、内部は外陣を礼堂として板敷、内陣 を土間としています。これは密教建築の基本的形式を残し文化上重要な遺構です。本尊の薬師如来像の前に1200年間絶やさず灯されてきた不滅 の法灯があります。 ②日吉大社東本宮本殿(大津市坂本本町、桃山時代):日吉大社は、約2100年前に創祀されました。全国3800余の分霊社(日吉・日枝・山王神社) の総本宮です。この東本宮は二宮とも呼ばれ、ご祭神は大山昨神(おおやまくいのかみ)で日本最古の書物古事記にもその御神名が記されてい る比叡山の山の神様です。伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてより天台宗の御法神として多くの方より崇敬を受けています。1571年織田信長 の軍勢により延暦寺と共に当時の社殿は焼かれ、本殿は1595年に秀吉によって再建され、檜皮葺で屋根の形式は「日吉造」という日吉大社特有 のものです。正面から見ると入母屋造で、背面中央の庇部分の軒を切り上げこの部分が垂直にカットされた形(縋破風)が特徴です。今回の訪 問時は、44年が経過した屋根葺替修理をしていました。 ③日吉大社西本宮本殿(大津市坂本本町、桃山時代):この西本宮は大宮とも呼ばれ、ご祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)で、天智天皇の御代 に奈良から大津への遷都が実施された際に三輪山より御神霊をお迎えし、国家鎮護の神として祀られたと言われます。1571年織田信長の軍勢に より当時の社殿は焼かれ、本殿は1586年に秀吉によって再建されました。東本宮本殿とこの本殿は一見すると同じように見えますが唯一背面の 三の間の高さが東本宮本殿の方が一段高い点が異なります。建造年は西本宮本殿が古く、建築形式は東本宮本殿の方が古い方式であると言われ ています。 ホームページ活用のお知らせ 東京滋賀県人会は、ホームページにより長い歴史を待つ県人会の組織と活動をお知らせしています。 http://shigakenjinkai.Jp/tokyo 東京滋賀県人会 検索 奮ってアクセス頂ければ幸いです。 湖国寮の寮生募集 ➡ ⑧石山寺本堂(大津市石山寺、平安後期):747年聖武天皇の勅願により、東大寺の開山である良辨僧正により開基されました。珪灰石の珍し い地質の伽藍山に建つ事から石山寺と名が付いたとされています。1096年本堂再建、本堂は懸下木造建築(舞台造)最古のもので、内陣の 厨子に安置されている観音様は「本尊如意輪観世音菩薩」で日本唯一の勅封の秘仏です。外陣(礼堂)は1602年淀君の寄進により増築され たと言われます。東寺真言宗のお寺で、枕草子や蜻蛉日記や更級日記や和泉式部日記等の文学作品に登場し、源氏物語の作者紫式部が起筆 したことにちなむ「源氏の間」も内陣にあります。 ⑨石山寺多宝塔(大津市石山寺、鎌倉前期):「源頼朝の兄の悪源太義平を匿ったお礼に」と石山寺に伝わっている源頼朝の寄進で1194年に建 立されました。檜皮葦で上重は塔身が細く華奢で軒の出が深い、優美な日本最古の多宝塔と言われています。日本三大多宝塔(和歌山県の 金剛三昧院と広島県の浄土寺)の一つです。ご本尊は大日如来様で、鎌倉時代の著名な仏師快慶作です。 ⑩都久夫須麻神社本殿(長浜市早崎町、桃山時代):ご祭神は湖水を支配する浅井姫命(あざいひめのみこと)で、明治時代迄は神仏習合で宝 厳寺を別当としており、総檜皮葺で、入母屋造の本殿内部は狩野光信による襖絵や天上絵をはじめ蒔絵が施された柱や床など豪華絢爛です。 宝厳寺の旧弁天堂である本殿は、向拝及び庇が1567年再建されたものに、1602年に身舎部分として豊臣秀頼が伏見城の建物(日暮御殿)を 寄進し組み合わせたものであると言われます。方三間の身舎部分が伏見城の遺構で、漆塗・金蒔絵・彫刻・極彩色・鍍金金具に以って装飾 し、極めて豪華冨麗で且つ手法の優秀なこと等、桃山時代の代表建築と言われます。 ⑪宝厳寺唐門(長浜市早崎町、桃山時代):宝厳寺は、724年聖武天皇の命で行基が建立したと伝えられ、本尊は大弁財天像(高台の本堂弁才 天堂に安置)と千手観世音菩薩(唐門より内部の観音堂に安置)で、共に60年に一度開帳される秘仏です。弁才天は、広島厳島・神奈川江 ノ島と並ぶ日本三弁才天の一つに数えられます。唐門は、唐破風を持つ門で1603年に京都の豊国廟極楽門を豊臣秀頼の命で片桐旦元が普請 奉行として移築したと言われ土地の条件から観音堂に接し建てられています。檜皮葺で建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具で ちりばめる等、豪華絢爛と言われた桃山様式の唐門の代表的遺構です。都久夫須麻神社本殿や宝厳寺唐門は、立ち止り眺める程には人目を 惹きません。幕や看板に覆われ薄暗く実体がよく見えず、建物の風化が激しく、特に唐門の屋根は酷すぎこれが国宝だと気がつきません。 また、他に見学した多くの唐門は扉が閉められ威風堂々としていましたが、ここでは参拝者が通り易い様スロープがつけられ常に開かれて おり、門は閉ざすために造られたものだと気付きました。 男子寮に加え女子寮も完備、寮費も月額6万円(室料1室2名使用で32,000円・共益費3,000円・食費25,000円) と格安に設定しています。水道光熱費は実費。通信費は各自負担。入寮の初期費用(敷金50,000円・入寮申込 証拠金50,000円)となっています。ただいま入寮生を募集しています。 会員の皆様のふるさとの親戚、知人等で来年上京する学生、既に上京して学生 TOKYO Student-House Mother Lake Shiga 生活を送っている人の情報等ありましたら県人会宛にご紹介下さい。 公益財団法人 湖国協会 首都圏進学予定の みなさんへ 教育講座開催日程 閣があり、元寇を退けた戦勝を記念して近江の守護で佐々木頼綱の寄進により、須弥壇の金具に鎌倉時代(1288年)と刻銘がありその頃に 建てられたと考えられ、装飾や構造の様式から室町前期(1333〜1392年)に建てられたとする説もありはっきりしていません。屋根は檜皮 葺で一重の入母屋造で天井の高い規模の大きな和様建築です。 ⑬西明寺本堂(犬上郡甲良町、鎌倉時代前期):平安時代834年に仁明天皇の勅願で三修上人が開山したと伝えられ、その後、祈願・修行道場 とし栄え、延暦寺が勢力を伸ばし始めた頃に天台宗となり、戦国時代には兵火に荒れ果て、江戸時代天海大僧正等の尽力により望月越中守 友閑により再興されました。本堂は、瑠璃殿と呼ばれ創建は鎌倉前期(1185〜1274年)です。梁の上に飾る「かえるまた」と言う彫刻から 後に増築されたと言われています。飛騨の匠が釘を一本も使用せず屋根は檜皮葺で一重の入母屋造で金剛輪寺本堂と類似点が多い純和風建 築です。本尊は、平安時代作の秘仏薬師如来像で内陣の厨子の中に鎮座しておられます。 ⑭西明寺三重塔(犬上郡甲良町、鎌倉時代後期):本堂の右方に23.7mの三重塔が聳えています。鎌倉後期(1275〜1332年)に建てられた総檜 の優美な塔です。初層内部には極彩色で金剛界の三十二菩薩等の極楽浄土が描かれています。本堂と同じく飛騨の匠が釘を一本も使用せず 造った純和風建築です。 ⑮彦根城天守、附櫓及び多聞櫓(彦根市金亀町、桃山時代):井伊直政が1603年に佐和山城より居城を移して以来の井伊家代々の居城です。天 守隅木の墨書や文書から少なくとも1606年には完成したと言われます。牛蒡積みと呼ばれる石垣は、自然石が使われ重心が内下に向くよう に作られた粗雑で強固な造りとなっています。その上に天守(本瓦葺で地下階段室玄関付の三重三階)が建っています。壁・軒裏・破風を 漆喰で塗り込め金箔を押した飾り金具や黒漆を多用するなど華麗な意匠が特徴で、規模は小さいが屋根の曲線の調和が美しく荘厳な雰囲気 があります。また、附櫓及び多聞櫓(各々本瓦葺で一重櫓)も国宝建造物です。元々四重五階の大津城の天守を移築した可能性があると考 えられています。 ○今回夫婦で巡った滋賀への旅の感想:自然体でがつがつせず地道に頑張る出会った人達、滋賀がますます素敵に見えてきました。 ④園城寺金堂(大津市園城寺町、桃山時代):三井寺と言われるこのお寺は、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に御産湯に用いられたれ霊泉 (閼伽井屋から湧き出る清水)があり「御井(みい)の寺」と呼ばれていたものを、後に智証大師円珍が法水に用いたことに由来します。正式に は長等山園城寺と言い天台寺門宗の総本山で、琵琶湖南西の長等山中腹の広大な敷地にあります。平安時代の第5代天台座主の智証大師円珍和尚 の卓越した個性により天台別院として中興されました。金堂は、1599年に北政所が再建され、入母屋造の檜皮葺の建物は全体として木割が太く 過剰な装飾も無く気品を保ち、桃山時代の代表的な遺構と言えます。また、ご本尊の弥勒仏は天智天皇が信仰されていたといわれる霊像で秘仏 として静かにまつられています。 ⑤勧学院客殿(大津市園城寺町、桃山時代):勧学院は、天台宗寺門派の本山園城寺中の一院で早くから学問所として山中にあったと言われます。 その後、火災や秀吉の破却にあい現在の客殿は1600年に豊臣秀頼の寄進で毛利輝元の造営奉行により建てられました。屋根は一重の入母屋造で 柿葺、正面に軒唐破風を設けてその下に妻戸の正門を開き、左側に連子窓・右側に蔀戸がある等、平安時代の寝殿造の特徴が見られます。内部 は南北を大きく三列に分けられ、狩野光信作の華麗な障壁画が部屋を飾り全部の部屋は襖で仕切られています。襖をはらうと広い空間となり学 問所として多くの人数の使用が出来る機能となるよう考えられています。この客殿は一般公開されていない為、特別拝観はお寺にお問い合わせ 下さい。(写真はNHK国宝への旅12より加工しました) ⑥光浄院客殿(大津市園城寺町、桃山時代):光浄院は、天台宗寺門派の本山園城寺子院の一つで山内でも最も格式が高く、外郭には城郭を思わせ る豪快な石垣が見られます。室町時代に山岡氏によって建立されました。現在の客殿は、秀吉の闕所後、光浄院のかっての住持の山岡道阿弥が 1601年に再興したものです。外観は、建具は妻戸に蔀戸と寝殿造の特徴が見られる勧学院客殿とほぼ同じですが、内部の部屋数や配列等に相違 が見られ、狩野派による華麗な障壁画が残され桃山時代の書院の代表的建築として極めて貴重なものです。この客殿は一般公開されていない為、 特別拝観はお寺にお問い合わせ下さい。 ⑦園城寺新羅善神堂(大津市園城寺町、室町時代前期):園城寺5社鎮守のひとつで860年に智証大師円珍が勧請した所と伝えられ、新羅明神像を安 置する現在の建物は、1347年に足利尊氏が造営されました。本殿は、檜皮葺の流れるように軽快な屋根のカーブが美しい流造の発展形に属して います。欄間に緻密な透彫を施す他は目立った装飾をせず、簡素さの中に上品さを表し、南北朝時代を代表する建築です。近江には、このよう な三間社流造の建築が多く伝わっていますが、その中でも最も形の整ったものとして高い評価を受けています。園城寺の外の寂しい所にあり非 常に判り難い所にありますが、一見の価値は十分にあります。 KOKOKURYO 財団法人東日本橋真宗会堂維持財団主催の下記の講座が開催されます。 会員の皆様方のご参加をお待ち致しております。 7月7日(日) 13時30分〜16時:「てんびんの詩」第2部、第3部(激動編)上映と講演 講師:山田正氏(当法人理事) 場所:湖国寮 7月9日(火)18時30分〜20時:「写経」 筆ペン必要 講師:前田壽雄氏(武蔵野大学講師、東京仏教学院講師) 場所:滋賀県人会ホール パンフA.indd 2 ⑫金剛輪寺本堂(愛知郡愛荘町、室町時代前期):741年聖武天皇の祈祷寺とし行基が開山したと伝えられ、その後一時衰退し、平安時代に最 澄の弟子慈覚大師が天台宗の寺院として再興しました。本尊聖観世音菩薩は行基の作と伝えられています。長い参道を登りきると本堂大悲 湖国寮 2012/07/10 14:48:14