...

平成28年度 座間市福祉推進作文・標語 入選作品集

by user

on
Category: Documents
3

views

Report

Comments

Transcript

平成28年度 座間市福祉推進作文・標語 入選作品集
平成28年度
座間市福祉推進作文・標語
入選作品集
第43回座間市福祉大会
目
次
【小学校1・2年生の部 最優秀賞】
相模が丘小学校2年 おかざき まゆ 「おばあさんとおじいさんにやさ
しくしよう」................................................................................................................................................... 1
【小学校1・2年生の部 優秀賞】
ひばりが丘小学校2年 前川 瑛太 「おばあちゃん早く元気になって」
.................................................................................................................................................................................... 2
【小学校1・2年生の部 佳作】
相模が丘小学校2年 清水 琉夏 「みんなのしあわせ」 ................................... 3
立野台小学校2年 鷹觜 良太朗 「やさしい気もちをもとう」................... 4
【小学校3・4年生の部 最優秀賞】
東原小学校3年 すがわら あいり 「すきになったおじいちゃん」........ 5
【小学校3・4年生の部 優秀賞】
座間小学校4年 田中 鳳人 「おばあちゃんとの七年間」 .............................. 7
入谷小学校4年 栗村 和香 「おねえちゃん」.......................................................... 9
【小学校3・4年生の部 佳作】
栗原小学校4年 萬德 珈子 「手話ときぼうとやさしさと」 ..................... 10
相模野小学校4年 雪山 明日香 「ゆずれなかった席」 ................................ 11
相武台東小学校4年 小川 愛菜 「私にできること」 ...................................... 12
立野台小学校4年 瀬古 百花「体が不自由な人のために出来ること」
................................................................................................................................................................................ 14
【小学校5・6年生の部 最優秀賞】
座間小学校5年 吉岡 瑞紀 「障害者のために私達が出来ること」..... 16
【小学校5・6年生の部 優秀賞】 ............................................................................................ 18
座間小学校6年 若林 拓真 「びょうどうな世界に」 ...................................... 18
相模野小学校6年 永田 唯一 「一人一人の心がけ」 ...................................... 20
【小学校5・6年生の部 佳作】 .................................................................................................. 22
相武台東小学校5年 佐藤 縁和 「共に助け合える心」 ................................ 22
栗原小学校6年 小田 花音 「バリアフリー」....................................................... 24
相武台東小学校6年 平本 菜々子 「あたたかい心で」 ................................ 26
立野台小学校6年 山口 花南 「笑顔」 ....................................................................... 28
【中学校の部 最優秀賞】................................................................................................................... 30
栗原中学校2年 長谷川 海帆 「今、私たちにできること」 ..................... 30
【中学校の部 優秀賞】 ........................................................................................................................ 32
南中学校2年 小林 夢華 「私にとっての福祉」 ................................................. 32
南中学校2年 森田 るな 「自分にできる事」....................................................... 35
【中学校の部 佳作】 .............................................................................................................................. 38
栗原中学校2年 東本 陽人 「勇気と感動を与えてくれるもの」 .......... 38
栗原中学校2年 三浦 寧久 「祖母の救世主」....................................................... 41
南中学校2年 長岡 芽生 「普通」 .................................................................................. 43
東中学校3年 園田 しずく「桜梅桃李」 ....................................................................... 46
【標語の部 最優秀賞】
神尾 貞子 ..................................................................................................................................................... 49
【標語の部 優秀賞】
相模が丘小学校5年 阿部 航大.............................................................................................. 49
南中学校3年 俣江 美里 .............................................................................................................. 49
【標語の部 佳作】
座間小学校2年 曽根 瀧冬......................................................................................................... 49
東中学校3年 藤田 里紅 .............................................................................................................. 49
山口 周子 ..................................................................................................................................................... 49
山口 正俊 ..................................................................................................................................................... 49
※児童・生徒の氏名及び本文中の漢字の使用については、原文の表記に従
っています。
【小学校1・2年生の部 最優秀賞】
おばあさんとおじいさんにやさしくしよう
相模が丘小学校2年 おかざき まゆ
わたしは、どうとくの、じかんに日野はらしげあきさん
の文をよみました。
その中に「そのいのちあなたのつかえるじかんというい
のちを、これからは人のためにも、つかってみようとかん
がえてみませんか」というのをきいてやってみようとおも
いました。
それをやったのがおばあちゃんとおじいちゃんに、かた
をもんであげました。
そしたらおばあちゃんとおじいちゃんが
「ありがとう。」
といってくれてうれしかったです。
みなさんもおばあさんとおじいさんにやさしくしてあげ
たらどうですか。
-1-
【小学校1・2年生の部 優秀賞】
おばあちゃん早く元気になって
ひばりが丘小学校2年 前川 瑛太
ぼくのおばあちゃんは、左がわのさこつを、こっせつし
ています。こっせつしたりゆうは、だんさに、ころんじゃ
ったからです。四年まえに、びょう気で体のはんぶんが、
うごきにくくなりました。だからいっしょうけんめいリハ
ビリをがんばってたのに、ころんじゃったからかわいそう
だとおもいました。ほねが、早くなおるために、かなぐを
入れて、れんしゅうをするのがおばあちゃんは、がまんで
きないほどいたいそうです。
早くなおして、つぎにあうときは、元気になってたらい
いなとおもいました。そして、ぼくのおうちに、とまりに
きたら、すごくうれしいです。
-2-
【小学校1・2年生の部 佳作】
みんなのしあわせ
相模が丘小学校2年 清水 琉夏
でん車にのるときは、すぐにざせきがあいてるときは、
すわってしまいます。おとしよりやにんぷさんや足のうご
かない人がせかいには、いっぱいいます。ぼくはおばあち
ゃんちにいくときは、でん車でいきます。おとしよりや、
目がふじゆうな人には、せきをゆずるようにしています。
どうろであるいてる人もいっぱいいます。その中の一人ぜ
ったいに、目のみえない人やおとしより、にんぷさん、車
いすの人、いろんな人がいます。その中で、そのはなしを
思うとずっとなおんない人は、かわいそうだとおもって体
のどこかがわるい人にえがおでいられるように、やくだち
たいです。
-3-
【小学校1・2年生の部 佳作】
やさしい気もちをもとう
立野台小学校2年 鷹觜 良太朗
ぼくはゴールデンウィークに青森にいきました。なにし
にいったかというとぼくのおかあさんのおばあちゃんにあ
いにいきました。
そのおばあちゃはろうじんホームにいました。おばあち
ゃんはおはなしができなかったそうです。そのときぼくは
楽しくおはなしができないんだとかわいそうにおもいまし
た。でもほかにもいっぱいのかたがたがしゃべれなくてこ
まってる人がたくさんいます。その人たちもおばあちゃん
もたすけてあげたいなとおもいました。おかあさんはひさ
しぶりにあったおばあちゃんの手をぎゅとにぎりないてい
ました。おもわずぼくもなきそうになりました。おばあち
ゃんとしゃしんもとりました。そのときもなきそうになり
ました。そのときはこころでおかあさんがおばあちゃんが
しんじゃうまえにあえてよかったねとおもいました。
-4-
【小学校3・4年生の部 最優秀賞】
すきになったおじいちゃん
東原小学校3年 すがわら あいり
わたしには、おじいちゃんとおばあちゃんがいます。そ
のおじいちゃんは、歩くと、
「こしがいたい。」
と言っています。歩くとたいへんそうです。ある日家ぞく
で神社に行きました。そしたら長いかいだんがありました。
おばあちゃんは元気よくいい音をたてながら歩いていまし
た。わたしも行こうと思って一だん上がったら、おじいち
ゃんも一だん上がったけど、つらそうな顔をしていました。
だけど、おばあちゃんは、どんどん行っちゃいます。わた
しは、「だいじょうぶ。かいだん上れる。」
と言いました。だけど、おじいちゃんは、手つだってもら
うのはきらいなので、すぐおこります。おじいちゃんは、
おこるとお母さんよりもお父さんよりもこわいです。おじ
いちゃんは、
「手つだいなんかいい。自分で上る。」
と、はりきって五だん上がりました。だけど五だん上がる
とまたつらい顔をしてしまいました。わたしは、がまんで
きませんでした。わたしは、心の中で、
「おじいちゃんの足がわるくなったらどうしよう。もうお
こられてもいい。おじいちゃんを手つだう。」
と決めて、おじいちゃんに
「手をかして。」
と言いました。そしたらおじいちゃんが、手を上げたので、
かたをくんでたすけてあげました。おじいちゃんは、
-5-
「こら、たすけるな。」
と言っていたけど、だんだんえがおになってきました。お
ばあちゃんも足を止めてまってくれました。この日からお
じいちゃんは、たすけてもおこらないでニコニコしてくれ
るようになりました。わたしは、このことでおじいちゃん
がすきになりました。
わたしは、この前学校でNHKの番組を見ました。その
番組のテーマは、お年よりや体のふ自由なひと、にんぷさ
んをたすけるしごとについてでした。わたしは、とくにお
年よりにごはんを作るえいようしがすごいと思いました。
いつもメニューを考えて作るのは、たいへんだと思います。
わたしのおじいちゃんも足こしがじょうぶじゃないのでた
すける人がひつようです。わたしは、はじめておじいちゃ
んをたすけてよろこんでくれたので、うれしいきもちにな
りました。テレビで見たえいようしさんも、お年よりをた
すけたらうれしいきもちになっていると思います。これか
らも、わたしは、つらそうな顔をしている人みんなをたす
けてあげたいです。
-6-
【小学校3・4年生の部 優秀賞】
おばあちゃんとの七年間
座間小学校4年 田中 鳳人
ぼくが生まれてから、おばあちゃんはぼくの好きな乗り
物のおもちゃでたくさん遊んでくれました。他にも、お買
い物をしたり、おやつを食べたり、かっていた犬と毎日い
っしょに公園でおさん歩したりしました。
それからしばらくして、だんだんとおばあちゃんの様子
がおかしくなってきて、病院へ行ったら、「にん知しょ
う」という病気だと分かりました。
そんな時、おばあちゃんは、ぼくがちらかしたおもちゃ
のことでおこりました。今までとはちがうくらいこわい顔
でぼくは泣いてしまい、「おばあちゃん大きらい。」と思
いました。
そのことをお母さんは、
「おばあちゃんは病気にかかってしまったのがつらかった
んだよ。脳が、上手く働かなくなる病気だから、鳳人を嫌
いになったわけではないんだよ。」
と教えてくれました。まだ三才だったぼくにはよく分から
なかったけれど、九才になったぼくにはなんとなくりかい
出来るようになりました。
そして、ぼくがようち園生の時、おばあちゃんの病気が
進んで、しせつに入ることになりました。
時々しか会えなくなって、ぼくが出来たことは、車いすを
ゆっくり押したり、おばあちゃんのとなりでおり紙をおっ
たり、手をつないだり、おばあちゃんの好きな物をいっし
ょに食べたりしたことです。
-7-
おばあちゃんは、何も話さなくなってしまったけれど、に
ん知しょうにかかってもぼくのことをおぼえてくれていた
と思います。なぜなら、手をつないでいたらぼくの目をじ
っと見てはなさなかったからです。「大きくなるとしてあ
げられることや、分かってあげられることが増えるんだ。
今でもおばあちゃんが生きていたら、ぼくには何が出来た
かな。」そう思えるようになりました。
おばあちゃん、気付かせてくれてありがとう。
-8-
【小学校3・4年生の部 優秀賞】
おねえちゃん
入谷小学校4年 栗村 和香
わたしの、おねえちゃんは、びょうきをもっています。
わたしは、おねえちゃんがびょうきでもいっしょにあそん
だりねています。おねえちゃんがびょうきでもおかしくは、
ありません。うまれつきなのでおかしくは、ありません。
びょうきをもっていても「アイアイ」と言います。それに
はいはいもできます。学校もかよっています。
そんな毎日がんばっているおねえちゃんは、びょうきを
もっていてもわたしのヒーローだと思っています。
おねえちゃんのようなびょうきの人たちをわらっては、
いけません。みんなわたしのおねえちゃんのようにがんば
っている人だと思うからです。
わたしは、びょうきの人の気持ちをもっともっと深く知
りたいと思うことがあります。びょうきの人たちは、どん
なにくるしんでいるのかを少しでも分かりたいからです。
あそべないくるしさ、しゃべれないくるしさ、あるけない
くるしさを知って体に不自由な人の気持ちをもっと理かい
してあげられたら良いのに…と思います。
おねえちゃんのごはんをたべさせてあげたり、いっしょ
にねたり、おふろにいれてあげたりしたいです。おねえち
ゃんのようにこまっている人がいたらたすけてあげたいで
す。
-9-
【小学校3・4年生の部 佳作】
手話ときぼうとやさしさと
栗原小学校4年 萬德 珈子
わたしは、一年くらい前に道を歩いていたら手話でお話
をしている2人がいました。わたしは、2人がしていた手
話を本で調べてみたら、「ありがとう。」や「おはよ
う。」などのあいさつでした。もしかしたら2人のうちの
1人が耳が聞こえず、1人はけんこうだったかも知れませ
ん。でもけんこうな人が手話を知っていたのがわたしは、
「たのもしい人だな。」と感じました。なぜかというと体
や目や耳が不自由になっても生きるきぼうはなくしてはい
けないからです。なので私は2人がとてもゆうかんな人で
すてきな人だと思いました。たとえ、耳が不自由でこまっ
ていたりしていた時にはしょうがいのない人の1人に助け
てもらっていると思います。しょうがいのない人は体の不
自由な人の気持ちが知りたくても知れないことがあるとわ
かります。だれでも苦しい時、うれしい時があります。そ
れは、かならずです。手話でしか話せない人がようじなど
で病院に行った時、たんとうしたお医者さんが手話ができ
なかったらしょうがいのある人が不べんです。なので私は、
そんな人ががっかりしてしまわないように、手話を少しず
つべんきょうしていきたいと思います。そして私のしょう
らいのゆめは手話のできる「かんごし」になりたいと思っ
ています。
- 10 -
【小学校3・4年生の部 佳作】
「ゆずれなかった席」
相模野小学校4年 雪山 明日香
私は、おばあちゃん家に電車で行きました。電車の座席
に座っていると、お年寄りが一人乗ってきました。
そのお年寄りは、体が不自由そうだったので、私の心の
中は
「ゆずりたいけれど、あの人に言えないよ、どうしよ
う。」
とそんなことを考えて、心と頭の中がいっぱいでした。お
母さんに相談したかったのですが、なかなか言えなくて、
そのまま時が過ぎていきました。
その間、私は頭の中で、ずっと悩んでいました。
次の駅で、そのお年寄りがおりようとしていました。私
は、
「あのっ。」
と立ち上がって声を出しました。
「なぜ、こんな時に声がでたの。」
と小さな声で言いました。お母さんに、
「どうしたの。具合が悪いの。」
と言われましたが、私は、
「ううん。なんともない。」
と答えました。
その時はちょっと悔しいと思いました。次は
「絶対に言う。ぜったいに言いたい。」
と思いました。
- 11 -
【小学校3・4年生の部 佳作】
私にできること
相武台東小学校4年 小川 愛菜
私はいろいろな所で、お年よりの人や体が不自由な人を
見かけたことがあります。前に見かけたときに私は思いま
す。「どうしたら、お年よりの人が幸せになってもらえる
のだろう、どうしたら体が不自由な人に幸せになってもら
えるのだろう。」
と家に帰ってお母さんに、
「どうしたらお年よりの人や、体の不自由な人に幸せにな
ってもらえるの?」
と聞いてみました。そのとき、お母さんは、
「自分で考えてごらん、きっと発見があるよ。」
と言うだけで、どうしたらお年よりの人や体の不自由な人
が幸せになれるかは、教えてくれませんでした。だから自
分で考えてみることにしました。そのときうかんだことは
三つでした。
一つ目は、もしお年よりの人が道が分からなくて困って
いたら、「だいじょうぶですか」と声をかけて、道のこと
やこまっていることを教えてあげたいです。理由は、もし
駅に近いお店に行きたいのに場所が分からなくて、駅の反
対に行ってまいごになってしまうからです。
そして体の不自由な人が目が見えなくて、自転車をたお
しそうな所をみたことがあるし、耳が聞こえない人がじし
んがきたときのほうそうが聞こえなくて、困っていたら、
早目に気づいて教えてあげようと思いました。理由は、目
が不自由な人は、どんどん自転車をたおしちゃってそのう
- 12 -
ちにたおしてしまった人が自転車につまずいて転んでしま
うとあぶないからと、耳が不自由な人には、もしじしんが
きても「にげてください」とか伝えなかったらその人が大
きいじしんだったらまきこまれちゃうかもしれないからで
す。
二つ目は、今はかんけいないけど、大人になってから地
図内でイベントや、お祭りをするときにレジやお年よりが
こまらない仕事をわかものがやったらいいと思いました。
理由は、お年よりがレジをやると、計算やお金をいくら返
せばいいのかがわかんなくなっちゃうからです。
三つ目は、もしかぞくのだれかが目が見えなかったり耳
が聞こえなかったりしたら、ずっとそばにいてあげた方が
いいと思いました。理由は家族だからと、もし家族のだれ
かがかけたら悲しいからです。
私は今までぜんぜんそんな事を考えたりしなかったけど、
よく考えたらお年よりや体が不自由な人いがいにもこまっ
ている人やくるしんでいる人がいるから、こんごもう少し
気をつけるようにしたいです。
- 13 -
【小学校3・4年生の部 佳作】
「体が不自由な人のために出来ること」
立野台小学校4年 瀬古 百花
みなさんは体が不自由な人のためにどうすればよいか考
えたことはありますか?
私は、登校はんで体の不自由な人を見たことがあります。
その人は、黒いサングラスをかけていました。その時はひ
ざしが強くなかったので、ぎもんに思っていました。でも
つえををついていたので体が不自由な人なんだとわかりま
した。その人は、目も不自由らしく、とてもあぶなっかし
く歩いていて車にぶつかりそうになりました。このような
ことがあるとみなさんも事故にまきこまれてしまうかもし
れません。なので私は、次のように考えます。
1つ目は、点字ブロックを横断歩道につければよいと思
います。そうすればななめに歩かず、まっすぐに歩くこと
が出来ます。2つ目は、しんごう機のたてと横の音どこも
全部いっしょにしたらよいと思います。私の家の近くにも、
音が出るしんごう機がありますがちがうしんごう機では、
ちがう音が出ていたので、もし私が考えたようになれば、
いちいち、他のしんごう機の音をおぼえなくてよいし、た
てと横だけおぼえればよいからです。
その他にも、もうどう犬やちょうどう犬やセラピー犬な
どが人々に一生をささげています。私はこのような犬に感
動して、一番きょうみをもったもうどう犬になるラブラド
ールの子犬などが住んでいる所へ行ったことがあります。
そこで、目かくしをして目の不自由な人になりきり、もう
どう犬にひっぱってもらいましたが、思った以上にこわく
- 14 -
て足が止まりそうでした。でも、もうどう犬が力強く歩い
てくれて、あらためてすごいなと感じました。目の不自由
な人には、このような犬がとてもたよりになると思います。
だから、目の不自由な人、全員にもうどう犬がいきわたる
よう、私はぼきんかつどうにさんかしています。
今、世の中には、目の不自由な人がたくさんいます。み
なさんの助けがひつような人がいます。そんな人が、安心
するような社会が私はひつようだと思います。
- 15 -
【小学校5・6年生の部 最優秀賞】
障害者のために私達が出来ること
座間小学校5年 吉岡 瑞紀
私は耳に軽い聴覚障害があります。といっても障害手帳
を持つほど悪いわけではありません。それでも補聴器を耳
につけています。
私は、一般人と障害者の間の難聴で、低い音が聞き取り
づらいタイプです。難聴だと分かったのは、小学校三年生
の時でした。何度も病院で検査を受けて、骨に原因があり
そうだと言われ、補聴器をつけることになりました。
補聴器をつける理由は二つあります。一つ目は、学年が
上がるにつれ、勉強がむずかしくなって聞き逃しや聞きま
ちがいがあると、成績が落ちてしまうからです。将来に困
らないようにするには補聴器をつけて一生懸命勉強しなけ
ればなりません。二つ目は、周りの人とのコミュニケーシ
ョンをとりやすくするためです。何度も聞き返したり、声
をかけてくれたのに気づけなくて、周りの人にごかいされ
るかもしれないからです。そうなると、友達が減ったりす
るからです。
補聴器をつける前までは、自覚がなかったので周りの人
も友達も気づくことはありませんでした。それなのに、と
つ然補聴器をつけ始めたので周りの人達はこれ何?という
ように質問ばかりして来ました。私はイヤだなと思いまし
た。最初は誰も理かいしてくれなかったからです。質問に
答えるのは大変でした。
それでも友達は気にせず今まで通り話しかけてくれまし
た。大きい音が鳴りそうな時は先にもうすぐ鳴るという合
- 16 -
図を出してくれてびっくりせずにすみました。プールの時
は、となりの人が先生のいっていることを教えてくれまし
た。なので聞き忘れを防ぐことが出来ました。みんな今ま
で通り接してくれて、たい度も変わらなかったので嬉しか
ったし、さりげなくフォローしてくれたのが一番嬉しかっ
たです。
最近では、耳の聞こえない人をサポートする聴導犬や、
字まくがふえています。これらは、耳が聞こえづらい人達
にとっては欠かせないものです。しかし、聴導犬は数が少
ないことで問題になっています。育てるのにもお金がかか
るし訓練費用も必要になるので、そうかん単には聴導犬を
ふやすことは不可能です。育てる人も十分にいますが訓練
を卒業してデビューする犬は約三~七割なので耳が聞こえ
ない人達は困っています。
このように大きな問題もあるけれど、障害があってもな
くてもくらしやすい国になってほしいです。東京オリンピ
ックには、世界中の人々が来ます。なので、バリアフリー
になって、どんな人でも使いやすく、楽しめる会場になっ
て、日本は障害者想いなんだと思ってもらえたら嬉しいで
す。
- 17 -
【小学校5・6年生の部 優秀賞】
びょうどうな世界に
座間小学校6年 若林 拓真
ぼくには足に障がいを持っている弟がいます。足が不自
由だと自分で行きたい所に行く事が限られてしまいます。
日常に欠かせない場所に自分の力だけでは行く事が困難
になるのです。例えばトイレやお風呂の湯船に入るために
はだれかの助けが必要なのです。
そしてぼくの弟は外で移動するために車イスやウォーカ
ーやつえを使って移動をします。4年生の時にぼくも車イ
スを体けんしました。車イスにまず乗るのにも足を使わな
いと乗ることができなかったのです。ぼくが車イスに乗っ
て移動していておどろいた事は、車イスだと少しの坂でも
行くのはとても大変だったしぼくたちがふつうにこえられ
る段差でも車イスではこえる事ができませんでした。車イ
スはぼくが思っていたよりも使うのが難しかったです。
休みの日に家族で出かけて気づいた事があります。一つ
目はエレベーター乗るときです。エレベーターがきた時に
人が多く乗っている場合、車イスだと場所をとってしまう
ので入りづらいと思ってしまいます。二つ目はせまい道や
人が多い場所を通る時には、人や物にぶつからないように
するためにおして歩くのに苦労しました。三つ目は障がい
者用トイレが一か所しかない所が多い事です。トイレが使
われている時だとふつうのトイレより長く待たされてしま
うし逆に自分が使っていて人が待っているとあせってしま
います。
このような事もあって車イスは便利な反面扱かいづらか
- 18 -
ったり利用しにくくなる物もある事が分かりました。
どうすればもっと体の不自由な人がすごしやすくなるの
かぼくなりに考えてみました。
エレベーターでは、車イスの人が入ってきたら体の不自
由な人の事を思い車イスが乗れるように場所をゆずったり
せまい道や人の多い場所では、車イスが通れるように道を
開けたり車イスにあたらないようにしたり障がい者用トイ
レではもう少し数が増えたらいいなと考えました。
ぼくは、この作文を書いていてばくらが便利に使ってい
たりそうだと思っていた物もぼくたちがせんりょうしすぎ
ていて障がいを持っている人が使いづらいと思っているか
もしれません。
これからぼくは、障がいを持っている人たちの事を考え
体の不自由な人がすごしやすくなるように自分なりにやさ
しくしたいです。
- 19 -
【小学校5・6年生の部 優秀賞】
一人一人の心がけ
相模野小学校6年 永田 唯一
ぼくはこの前電車に乗って博物館に行きました。電車に
乗ろうとしたときに、一つとなりのとびらで、ベビーカー
を乗せようとしている女の人がいました。電車とホームの
間の段差でベビーカーを乗せるのに困っていました。しか
し、周りの人は、助けることもなくむしろ迷わくそうにそ
の人を見て、さけながらズカズカと電車に乗りこんでいき
ました。少し手伝ってあげれば、だれもいやな気持になら
ないのに、どうしてだれも手伝ってあげないのだろうと心
の中で思いました。
博物館につくと、入る前に長い階段がありました。ぼく
がベビーカーの人はどうするのだろうと見ていると、近く
にスロープがありました。このときぼくは、前に本で読ん
だバリアフリーという言葉を思い出しました。バリアフリ
ーとは、障害のある人や老人の人でも、安全で住みよい社
会を作るために、じゃまになるものを取りのぞくという取
り組のことです。バリアフリーのものは、だんだん増えて
きているようですが、まだ完全には整備はされていません。
しかし、ここは整備されて良かったなあと、思いました。
館内には、二段くらいのとても小さな階段がありました。
そこでちょうど車いすの人が苦労して上ろうとしているの
を見かけました。(大丈夫かなあ。)と心配していると、
「大丈夫ですか。」
と、1人手伝おうとしている人がいました。その人のおか
げで車いすの人は階段を上ることができました。手伝うこ
- 20 -
とは大変で、勇気もいるけれど、それを承知で車いすの人
を手伝えたその人は、とてもいい人だなあと思いました。
このようなことを目にして、考えたことがあります。そ
れは、バリアフリー設計のものを増やすことはとてもいい
ことだけれど、それよりも一人一人の気持ちや心がけが大
切だということです。バリアフリーにすることは、お金や
労力をたくさん使い、何度も悪い点を直していかないとい
けないので、大変です。しかし、一人一人が「体の不自由
な人がいたら助けよう。困っていたら、手伝ってあげよ
う。」と思い、「大丈夫ですか。」と声をかけることはと
ても簡単なことで、だれでもできます。だから、これから
ぼくは、困っている人がいたら、勇気をだして自分から声
をかけて、助けてあげたいです。
- 21 -
【小学校5・6年生の部 佳作】
共に助け合える心
相武台東小学校5年 佐藤 縁和
白じょうをついた人、それは目が不自由で周りの人に助
けてもらいたいと思っている人です。あなたならそんな人
をどうしますか。「助けたい」と思う人もいれば、「少し
むずかしい」という人もいると思います。「助けたい」と
いう心の広さが、ぼくは大事だと思います。しかし、この
世の中にはこんな人もいるのです。
半年ほど前、ぼくは自転車で公園に行く最中の事でした。
信号待ちをしていると、向こうから白じょうをついたおば
あさんが歩いてきました。ゆっくりと横断歩道をわたって
きて、ようやく反対側に着いたと思ったその時、後ろから
走ってきた男の人が、白じょうをついたおばあさんとぶつ
かってしまったのです。おばあさんはその弾みで転んでし
まいました。一方でぶつかった人は、自分が転ばせてしま
ったおばあさんに謝りもせず、そのまま走り去って行って
しまいました。転んだおばあさんが周りの人たちにかたを
かしてもらいながら歩いていくのを見ました。ぼくは、こ
こまでの様子をただただ見ていただけでした。後から考え
れば、ぼくにも手助けはいくらでもできたということを考
えると、とてもくやしいなと思いました。それから、また
このような事に出くわすことがあったら、積極的に助けよ
うと思いました。このように、体の不自由な人と他の人と
のトラブルにそうぐうしたことがある人もあると思います。
そんな時、やさしく手をさし伸べられる人こそが、心が広
い人だと思います。これからも、体の不自由な人もそうで
- 22 -
ない人も皆平等にくらせる世界になることを願います。
- 23 -
【小学校5・6年生の部 佳作】
バリアフリー
栗原小学校6年 小田 花音
小さいころ私は、障がいのある方を少しさけていました。
でも、もくせい園というしせつのお祭りに行ってから少し
変わりました。
障がいのある方は何もできないのかな?とかいつもない
ているのかな?とかそういうイメージがありました。今考
えるとさける理由もないのにさけていたんだなと思います。
ですが、イメージとはちがって何もできないわけじゃない
し、いつもないているわけじゃありませんでした。そのお
祭りでは、しせつにいる方たちが作ったストラップがうっ
ていました。ビーズなどで作ってあってとてもすてきな物
でした。テレビなどでも見ましたが、障がいのある方はと
ても明るかったです。すごくにこにこしていました。私の
イメージとは、ちがいました。かってにイメージをもって
は、いけないなと思いました。
それから私は、障がいのある方をさけなくなりました。
私はとてもひどいことをしていたんだなと思いました。
私は電車で障がいのある方に席をゆずっている人をみか
けました。その時私は、あの人のように今後そういう時が
あったら、席をゆずりたいなと思いました。でも、ゆずる
人は障がいのある人にかぎらずお年よりの方などこまって
いる人がいたら席をそういう方たちにゆずりたいなと思い
ます。
小さいころの私のように障がいのある方をさべつしてい
る人はいると私は思います。なのでそういう人たちが少な
- 24 -
くなっていくといいなと思います。そしてだれもがしあわ
せにくらせるようになってほしいです。
- 25 -
【小学校5・6年生の部 佳作】
「あたたかい心で」
相武台東小学校6年 平本 菜々子
私は、一年くらい前テレビで「つんく」さんという人を
見ました。私はその人をよく知らなかったので、ふつうの
芸能人だと思って見てました。しばらくしてテレビの上の
方にラインの画面が出てきて、つんくさんがパソコンをひ
らきました。その時私は「え、何するんだろう。」と思い
ました。そして、司会の人がつんくさんに質問をしました。
つんくさんは「こくっ。」っと一回うなずき「カチャカチ
ャ。」っとパソコンで何かうちました。すると、テレビの
上の方にうつっていた、ラインにつんくさんの返事がでて
きました。そのしゅん間私は、「えっ。」と思いすぐにマ
マに「ねぇこの人、何でしゃべらないの。」と聞きました。
ママの返事はまったく予想もしなかったことでした。ママ
は「あぁこの人は手術で声帯をとってしまったから声が出
せないんだよ。」と言いました。私は、「そうなんだ。」
と言ってから、またテレビを見始めました。しばらくして
から、気づいたことがあります。それは、つんくさんが楽
しそうに質問に答えていることです。その時私は気づきま
した。声が出せなくても、人と会話も楽しくできるし、み
んなふつうに話しかけている。それはラインのおかげだと
私は思いました。でも、ラインのおかげだけではありませ
んでした。テレビの司会の人も、いっしょにでている他の
芸能人もみんなつんくさんをあたたかい目で見ています。
つんくさんは耳は聞こえます。だから気軽に話しかけら
れる、ということもあるかもしれませんが、耳が聞こえな
- 26 -
い人でも、ラインなどすぐに返信できる無料アプリをつか
えば本当に気軽に会話することができると思います。でも、
それだけじゃただの会話です。みんながあたたかい心でせ
っすればその会話は何倍も、何十倍も耳が聞こえない人に
とっても、みんなにとっても楽しい会話になるはずです。
最近、ラインいじめなどがあり、ラインがこわいものと
思う人も増えていると思います。でも、使い方をまちがえ
なければとっても便利なものになります。
私もあたたかい心をもっていろんな人と会話をしていき
たいです。
- 27 -
【小学校5・6年生の部 佳作】
「笑顔」
立野台小学校6年 山口 花南
私のおばあちゃんは、耳が不自由な人のための手話サー
クルをボランティアで開いています。その手話サークルに
おばあちゃんにさそわれて行くことになりました。
ある日、手話サークルに行くことになり私はドキドキして
いました。それは、耳の不自由な人会ったことがなかった
し、手話もそんなに知らなかったからです。
手話サークルの会場に着いて私はおどろきました。なん
と、耳が不自由なはずなのに人と楽しそうに手話で会話を
していたからです。しかもその中には、私と同じくらいの
子どももいました。私はこの時、「私もこんな風になりた
い。」そう思い、私はおばあちゃんに手話を教えてもらい
ました。でもすごく難しくてなかなかうまくゆびで表すこ
とができません。それなのに、耳の不自由な人は、私のへ
んな手話でもそれを分かってくれて、私に笑顔でこたえて
くれました。それがすごくうれしかったです。
私は、耳が不自由な人は、お話ができないと今まで、か
んちがいをしていました。手話を使うことでお話ができる
ことを知りました。しかし、お話をするためには、相手が
手話を知らないと、会話にならないということも、知りま
した。
おばあちゃんはいつもニコニコして、手話サークルに行
きます。おばあちゃんは、なにか不自由なわけでもないの
になぜニコニコして行くのか。それは、「耳が不自由で会
話ができない人たちを笑顔にしてあげたい。」そう思って
- 28 -
いるのではないかなと私は思います。そんなおばあちゃん
を思うと、私も、耳が不自由な人を「笑顔」にしてあげた
いなと思います。
- 29 -
【中学校の部 最優秀賞】
「今、私たちにできること」
栗原中学校2年 長谷川 海帆
「ペットボトルのキャップを集めて、持ってきてくださ
い。」
文化福祉常任委員の私が、クラスの仲間に呼びかけている
言葉だ。
私の中学校では、ペットボトルキャップの回収を行って
いる。集められたものは、「NPO法人エコキャップ推進
協会ECOCAP」というところに運ばれる。エコキャッ
プは、八百六十個集まると一人分のポリオワクチンを購入
することができる。つまり、この活動は人の病を防ぐこと
につながるのだ。
一昨年、私の中学校で集まったエコキャップは約三万四
千四百個で、累計五十七万二千六百六十個集まったそうだ。
つまり、今まで集まったエコキャップで、六百九十四人分
のポリオワクチンを買えたということになる。
ポリオとは、どんな病なのか。ポリオウイルスに感染す
ると、手や足に麻痺があらわれることがある。場合によっ
ては、一生麻痺が残ってしまうことがある。現在日本では、
ポリオは発生していない。それは、ワクチンを当たり前の
ように受けられる環境にるためだ。しかし世界には、その
ことがままならない国も多くある。その国で暮らす子ども
たちのために、この活動があるのだ。
さらに、集まったエコキャップの分だけ燃やしたときに
発生する二酸化炭素の量を減らすことができる。すなわち、
地球温暖化を防ぐこともできるのだ。
- 30 -
このことを知った私は、とてもすばらしい活動に協力で
きていることをうれしく感じ、積極的に参加したいという
思いを強くした。
文化福祉常任委員会では、赤い羽根共同募金も行ってい
る。この募金で集まったお金は、地域の福祉活動や社会的
課題を解決するために使われているようだ。
具体的には、町づくりや福祉活動、社会的課題を解決す
る活動がある。例えば、不登校や児童虐待、非行などの子
供に関わる問題から、社会的孤立、ホームレスなど、大人
にも関わる問題もある。不登校や非行などは、まさに今の
自分たちがそれにあたる。助ける側から助けてもらう側に
なることも、十分あり得るのだ。
エコキャップ同様、募金も少しでも多く集めることがで
きれば、より多くの困っている方々を助けることができる
だろう。
私は、この福祉作文を書くにあたって改めて今、自分の
していることがどのように役に立っているのか、そしてそ
の先にあるものとは何なのかを調べ、考えることができた。
こまっている方が救われ、幸せになることができたら、と
てもすばらしいことだと思う。
今は委員会活動としてやっていることだが、今後違う立
場になったり、大人になっても、周りの人の協力も得なが
らボランティア活動に貢献していきたいと思う。
- 31 -
【中学校の部 優秀賞】
私にとっての福祉
南中学校2年 小林 夢華
皆さんは「福祉」と聞いて何の意味かすぐわかります
か?私は、初めて聞いた時、わかりませんでした。でも総
合で福祉の事を学び、自分で色々な事を調べ、少しずつわ
かるようになりました。
最初に、福祉の意味を調べました。福祉とは、「しあわ
せ」や「ゆたかさ」を意味する言葉であり、すべての市民
に最低限お幸福と社会的援助を提供するという理念を指す、
と書いてあります。これを読んでも私には意味がわかりま
せんでした。
次に、語源を調べてみました。「福」も「祉」も、どち
らも「幸福」や「しあわせ」を意味する漢字になる事がわ
かりました。つまり、福祉とは、ひとの「しあわせ」に関
係することだと思いました。
そして、福祉を英語で何というか調べました。英語では、
ウェルフェアといいます。このウェルフェアという言葉は
造語であり、「ウェル=よく」という言葉と、「フェア=
生きる」という言葉が合わさってできた言葉で、「よりよ
く生きる」という意味になるそうです。アメリカンスクー
ルでは、ボーイスカウト、ガールスカウト、レッドリボン
などのボランティア活動がたくさんありましたが、この言
葉は知りませんでした。調べれば調べるほど奥が深いと感
じました。
総合ではブラインドサッカーを通して貴重な経験をする
事ができました。これは、点訳、拡大写本、手話、災害体
- 32 -
験、高齢者介護、障がい者スポーツのどれかを生徒一人一
人が、担当して勉強しました。私はジャンケンで障がい者
スポーツの担当になりました。ブラインドサッカーは、視
覚障害者のプレイするパラリンピックの公式種目です。一
般的なフットサルのルールに加え、独特な決まりがいくつ
かあります。アイマスクの着用フィールドプレイヤーの四
名はアイマスクをして視覚を遮断してプレイを行います。
障害の有る無しに関わらず、同じ条件でサッカーを楽しむ
事ができます。ボールには鈴が埋め込まれていて、シャカ
シャカと音が鳴ります。しかしながら、私はサッカーをし
た事がありません。ルールも知らないし、まして目が見え
ないとは想像つきませんでした。実際やってみてすごい怖
かったです。これは体験してみないとわかりませんでした。
今回、教えてくれたのは寺西選手です。彼は、目が不自由
なのに自分の事は全部やっていてすごいと思いました。先
日、ニュースエブリイに、寺西選手が出ていました。彼は、
学校や会社にブラインドサッカーのやり方を説明していま
した。本当にすごいと思いました。私はうまく説明できま
せんが、寺西選手がすごくて、感動しました。これからも
日本代表としてがんばってほしいと思います。
先月、私は部活中膝がいつもと違うと感じはじめました。
病院に行くと膝に異常があると言われ、MRIをとり、半
月板損傷と言われました。半月板とは、膝にかかる衝撃を
吸収するクッションのようなもので、弾力のある軟骨の一
種です。その半月板に傷が入ったり、割れてしまったりす
る事を半月板損傷といいます。右膝内側半月版損傷と、診
断され、手術も検討してみましょうと言われました。先生
と話し合い、リハビリ治療を始める事になりました。私は
- 33 -
半月板損傷の意味は全然わかりませんでした。でも、膝が
痛くて、階段の上り下り、自転車、坂、せい座、トイレな
ど、今までふつうにやっていた事がものすごく大変になり
ました。私が住んでいる地域では、病院以外、身体の不自
由な人が使えるトイレはあまりありません。今の私は、和
式トイレは使えません。自分がけがをして、不便な事がわ
かりました。
私は、アメリカンスクールで人の肌の色の差別について
習いました。キング牧師とローザ・パークスをリスペクト
しています。彼らは差別をなくす方向に導いてくれた人々
です。
また、二才の時から芹沢はやし蓮でたいこをたたいてい
ます。年に十回くらいのイベントがあります。主に、地域
の行事に参加して活動しています。その一つに、老人ホー
ムにいもんします。おじいさん、おばあさんは手をたたい
てよろこんでくれます。私は、みなさんの笑顔を見れてう
れしく思います。
あらためて、福祉とは人のしあわせに関係すると思いま
した。「福祉」とはただ「弱い者の救済、たすけること」
ではありません。相手が「弱者」だから、お手伝いをした
り、サービスを提供しているのではなくて、そのひとにと
っての「しあわせ」や「よりよい生きかた」をするなかで、
必要であるからお手伝いをしたり、サービスを提供してい
る事だと思います。自分は今までかわいそうだとか思って
しまいました。でも、相手にとって、何が必要なのかを理
解することが福祉には大切だと思います。
- 34 -
【中学校の部 優秀賞】
自分にできる事
南中学校2年 森田 るな
みなさんは、車いすやまつばづえを使ったことがありま
すか?そして、それらを使い、生活したことはあります
か?
私は、今、その生活をしています。私は、部活のバレー
ボールでよく小さなけがをします。でも、今回は、そんな
小さなけがでは済まなかったのです。ネットに近かったボ
ールを相手コートにかえそうと、ジャンプしたところに仲
間がいて、着地したら、足をくじいてしまい、全治約二週
間のじんたい損傷をしてしまいました。そして、今は、ま
つばづえを使って生活しています。
私は、まつばづえを使う前は、簡単に歩けるようになっ
て、体に害がないものだと思っていました。ですが、それ
は私の思い込みだったのです。
私が実際、生活の中で不便だな、いやだなと思ったこと
を場面ごとにいくつか紹介したいと思います。すべての場
所において、不便なことは、まつばづえで歩くと、人2人
分の面積を使ってしまい、人混みの中などだと人をよけて
歩かなければならないのです。また、長時間、使っている
と肩やわきがとても痛くなってしまいます。次に、買い物
などの時は、商品棚と商品棚との間は狭くないのですが、
人がいて、そのまま歩いていくとぶつかってしまう時は、
まつばづえをとじて、片足ケンケンで通るなどをしないと
ダメなのです。最後に学校です。私は学校で一番きらいな
場所は階段です。私は、今、足をつくことが痛くてできな
- 35 -
いのです。なので、両足をつかないといけない階段は、片
足ジャンプで登り降りしています。もう一つ、階段でいや
なことは、階段の段の数が多いのと、階段の数が多いこと
です。体育や朝会があるときが一番いやです。なぜなら、
体育館に行くまでに階段が2つもあるからです。
去年の福祉学習で私は、高齢者疑体験を体験し、その中
の車いす体験を学習しました。
車いす体験の内容は、校舎一階、友情の輪付近に、作ら
れた、難所を車いすで周るというものです。私は、この学
習で初めてちゃんと車いすに乗りました。学習中はとても
楽しいなぁ~と思いながら学習をしていたんですが、家に
帰って、母親に体験のことを話すと、母は、「それを町中
ですることはできるの?」と言われました。そう言われた
ので私は、思い返してみました。「そう考えると、町中で
はできない」と思い。言いました。また、車いすは一人で
は、困難なこと、例えば、段差の登り降りや、坂の上り下
りなどがあります。一人では困難なことは、家族・友達な
どがサポートできるといいんじゃないかと、私は思いまし
た。
私は、高齢者の方も、障がい者の方も、車いすやまつば
づえを使っている人も、みんな同じ人間なので、やさしく
接していかなければならないと思います。やさしく接する
というのはどういうものなのでしょうか?私は、先日、エ
レベーターに乗ろうとした時、先に乗ろうとしていた年配
のご夫婦の方が、エレベーターの扉をおさえ、先に乗せて
くれたのです。また、降りる際に、「しばらく不自由で大
変だけど、がんばってね」とはげましの言葉をかけてくだ
さいました。この体験で考えさせられたことが二つありま
- 36 -
した。
一つは体の不自由な人とどう接したらよいのかを考えま
した。まずは声をかけなければ、行動には移せません。バ
スや電車などで席をゆずることも、声をかけなければでき
ません。まず、勇気をもって、声をかけることがとても大
切だと思います。
2つ目は、はげましの言葉です。私もはげましの言葉を
かけてもらったときは、うれしく、前向きな気持ちになれ
ました。言葉は相手の気持ちまで動かすことができると、
実感しました。
私が、体が不自由な人と会った時には、勇気を出して、
声をかけ、行動に移せるように日頃から、意識していきた
いです。それができるようになれば、一人の小さな力だが、
みんなでできるようになれば、大きな力になると思います。
- 37 -
【中学校の部 佳作】
勇気と感動を与えてくれるもの
栗原中学校2年 東本 陽人
私は、陸上部に所属し、日々練習に励んでいます。今年
八月、ブラジルで開催される四年に一度の、オリンピック、
パラリンピックに私は大変興味があります。私が感心させ
られるのは障がいのある方々が、色々な種目で競い合うパ
ラリンピックです。体にそれぞれ障がいのある人々が切磋
琢磨し頑張る姿を披露することはとても意義があり、スポ
ーツの偉大なことを全世界に発信されることは素晴らしい
ことだと思います。
中でも私が特に、尊敬している選手がいます。その選手
は野田隼平さんです。野田さんは二〇〇八年三十歳の時に、
帰宅途中、駅のホームから転落し、左足をひかれてしまい
ました。左足はその後手術により、股関節から切断されま
した。その後リハビリ担当の理学療法士の助言であっとい
う間に杖なしで歩けるようになりました。また義足の調整
の担当になった臼井さんに陸上の世界に導かれました。野
田さんは左足の股関節から下を失ってしまったので、股義
足を使っています。股義足で走る人はなかなかいないそう
です。だから、どう走ればいいのか分からない未知の世界
でした。野田さんが走ると外国人選手から、「股義足で走
る人を初めて見た」「どうやって動かすんだ」などと、す
ごく注目されていました。野田さんは、「僕が走り続ける
事で股義足で走る選手が増えて股義足のクラスだってでき
るかもしれない」そう信じて走っています。私は野田さん
の「タイムや順位は気にせず、完走して記録をのこすこと
- 38 -
に意義がある」という言葉に感動しました。また野田さん
を支える周りの人達の支援や援助はとても素晴らしいと思
いました。
中学一年生の三月に私も、疲労による腰椎分離症になり
かけ練習に参加できず、大会にも出場出来なかった事があ
ります。MRIの検査等をしたので大好きな陸上競技が出
来なくなってしまうのではないかと不安になりました。大
事には至らずリハビリでだいぶ良くなり、また走る事が出
来る様になりました。
この経験を通して普段当たり前のように思っている健康
のありがたさを再確認する事と共に、障がいを抱えながら
パラリンピックに挑戦したりスポーツに励まれている方は
本当に精神的にも強いと改めて思いました。
私は以前、障がい者スポーツの支援を受けている選手は
ほとんどいないと聞いた事があります。また国からの公的
支援も個人の支援には、遠くパラリンピックに挑戦する障
がい者スポーツ選手の多くは、自費で練習環境を整備して
いるそうです。私は国の代表として挑戦してくれている選
手にもっと国や企業、社会全体で、公的援助や、環境整備
に取り組んでいくべきだと思います。
次に私にもできる支援や援助を考えてみました。プルタ
ブ八〇〇キログラムで車椅子一台を寄付できるプルタブの
回収活動や、困っている方には積極的に声をかけて、でき
ない事のお手伝いをしてあげる事だと思います。
オリンピックもパラリンピックも分け隔てなくスポーツ
の素晴らしさや感動を伝えてくれるのでテレビでの放映時
間等も含めパラリンピックももっと注目されるべきべきだ
と私は思います。私達にスポーツを通して勇気や感動を与
- 39 -
えてくれる選手達に感謝し、また私達も選手達を支えてい
くことが大切だと思います。
四年後に開催される東京オリンピック、パラリンピック
に私もボランティアなどで少しでも携わる事ができたら嬉
しいです。
私は四年後が待ち遠しい気持ちでいっぱいです。
- 40 -
【中学校の部 佳作】
祖母の救世主
栗原中学校2年 三浦 寧久
私は、物心ついた頃から祖母の元気な姿・声を聞いたこ
とがありません。なぜなら、私が五歳のとき、脳梗塞で倒
れ体に麻痺が残ってしまったからです。祖母は、倒れて九
年経った今でも昔と変わらず帰宅した私を、温かく迎えて
くれます。温かく迎える祖母の顔は、私だけでなく、家
族・家を訪ねてくる方々の気持ちを安心させるものでした。
でもその顔で迎えてくれる祖母に、慣れてしまった私がい
ました。どんなに学校で辛い事があっても、温かく私を迎
える祖母の顔は、どんなに私を救ってくれていたのか、そ
のことに気づかされたのは、つい最近のことです。
祖母の容体が変わったのは、私がまだ中学一年生だった、
二〇一六年三月のことでした。祖母は数日前から熱を出し
ていました。心配した私は、祖母の顔をよく見に行くよう
になりました。しかし、そこにある祖母の顔はとても苦し
そうであり、見ている事がとても辛かったのをよく覚えて
います。その顔を前に私は、ただただ祖母の手を握ること
しかできませんでした。
「頑張って、頑張って。」
そう思う気持ちとは、反対に何も行動できない自分にもど
かしさを感じていました。こうしている間にも、祖母の熱
は上がったり、下がったりし、私の気持ちは不安に襲われ
ました。熱を出してから数日後、家に訪問診療をしてくだ
さる、お医者さんが来ました。自力で食事・トイレなどの
事が出来ない祖母は、祖父の介護によって暮らしていまし
- 41 -
た。ですが、少しでも祖父の介護の負担そしてなにより、
祖母の通院する大変さを減らすため、訪問診療のサービス
を利用していました。祖母の容体が心配であった私は、診
療の様子を見ていました。私は、病院での治療とほぼ変わ
らない事ができる、訪問診療の素晴らしさに驚きました。
病院と同じように診察してもらい適切な治療をしている間、
祖母がこのまま家で治療を進めていくか、それとも入院す
るかという話になりました。様々な事を考えた結果、祖父
は家で治療をしていくという結論を出しました。その後、
祖父は私たちに理由を話してくれました。
「おばあちゃんにとって、一番居やすい場所はこの家な
んだよ。だから、おじいちゃんは入院させないことにし
た。」
この話を聞いたとき、祖母の気持ちになった祖父の考えは
すごいなと思ったと同時に、その気持ちを叶えてくれる訪
問診療に感動しました。
その後は、自宅で治療を受け次第に体調が良くなってい
きました。今では、昔と変わらない温かい顔で私を迎えて
くれています。
最後に私は、この訪問診療というサービスは祖母にとっ
て「救世主」だったのではないかなと思いました。
家で治療することで、安心していられる。これが最大の
メリットだと思います。この訪問診療で祖母が救われた通
り、日本中の人々がこのサービスで救われていけばとても
良いなと思います。
- 42 -
【中学校の部 佳作】
普通
南中学校2年 長岡 芽生
私は今、学校に行って勉強する。友達とお弁当を食べて、
家に帰ると母がいる。だから、「ただいま」って言うと、
「おかえり」って返ってくる。夜はご飯を食べてテレビを
見て、お風呂に入ってその後は寝るだけ。これが今の私の
『普通』である。でも、今のこの世界では、みんながこう
いう生活を送れているわけではない。世の中には、家がな
くて道路や外で暮らしている人や、体が不自由で自分一人
では動けない人、貧しい国の、学校へ行くことのできない
子どもがいる。きっと自分も将来、一人では動けなくなる
と思う。そう考えると、今自分が学校へ行ったり、ご飯を
食べたりできるのは、とても幸せなことなんだ、普通じゃ
ないんだなと思う。でも、このままでは、今苦しんでいる
人がこの先もずっと苦しんだままになってしまう。そのた
め今では、募金活動やボランティア活動が行われている。
でもその活動に参加、協力している人は極めて少ない。み
んな、私も含めてだが、参加しようと呼びかけているわり
に自分は参加しない。困っている人に手をさしのべようと
する人もいない。でも今の私一人ではこの状況をかえてい
く事は難しいと思う。そのためには、大勢の人の力が必要
だし、その大勢の一人一人の強い気持ちが必要になる。今、
誰もが参加できる活動は、募金活動で、ボランティア活動
は、細かく言うと日程、地域によって様々だから参加でき
る人は限られてくる。だから、今私たちが一番協力できる
のは、募金活動。募金といっても色々なものがあり、種類
- 43 -
は様々。例えば赤い羽根と緑の羽根の募金、東日本や熊本
の地震、災害に使われるお金や、世界で苦しむ子どもたち
のためのお金があげられる。しかしお年寄りや体の不自由
な人の募金はあまり知られていない。基本から説明して
「募金」とは、寄付金などを広く一般からつのること。近
年では、募金の減少も話題をあつめている。一九九五年に
おける募金の総額は二六五億八〇〇〇万だった。それに比
べ、二〇〇八年の募金額は二〇八億七〇〇〇万。十三年間
で二一,五%も減っている。そのため今では自販機募金とい
う活動も行われている。だから今の世の中、だれもが簡単
に募金が行えるようになっているのだ。私もこれからは、
口で言うだけでなく、行動にうつし、積極的に募金を行え
るようにしていこうと思う。もう一つ私が今回話題に挙げ
るのは、体の不自由な方について。私が今回説明するのは
視覚障がい者の方で、まず視覚障がいとは、全く目が見え
ない、見えづらい、人のこという。実は、普段私達の利用
している情報の八〇%は視界から入ってくるため、目が見
えづらくなったり、見えなくなってしまうと、普段の生活
がとても大変になるそうだ。そのため、外で利用する白杖
というものもある。白杖とは、自分の周りにある障害物を
自らに知らせるものである。しかしその杖にはもう一つの
役割がある。それは、自分のことを周りにつたえるという
こと。その杖をもっていれば、周りに自分の目が不自由だ
と伝えることができる。このように、すごく便利なものも
あるが、まだまだ人の支えや理解が大切であり、助けが必
要だという。このような苦しんでいる人が増え続けないよ
う、私達には今なにができるのかを考え実行していくこと
が一番大切だと思う。
- 44 -
私たちが今行わなければならないのは、人を理解し受け
入れ、支え合い、助け合う心を自分で作ること。でもいき
なりやるのは難しい。だから少しずつ自分の身の周りにも
気を配り、気にかけ、手をさしのべる。自分がやらなくて
も他の人がやってくれる。と思っていたら、それは間違い
だ。自分がやらない分多くやらなければならない人もいる
し、もし他の人も同じ考えをもっていた場合、だれもやら
なくなってしまう。だから、自分しかやらない。自分がや
らなきゃだれがやる。という気持ちを常にもって生活すれ
ば、必ず自然と行動できるようになるだろう。私もこれか
らは絶対に困っている人には手をさしのべるようにする。
だれもが平等に幸せに生活できるように。
- 45 -
【中学校の部 佳作】
「桜梅桃李」
東中学校3年 園田 しずく
皆さんは、桜梅桃李という四字熟語を知っていますか?
この言葉は、桜には桜の、梅には梅の花が咲くように、世
界中に同じものは一つもない、そんな意味があります。
私に、その言葉の本当の意味を教えてくれた出来事があ
ります。
私は二年前まで、友達という存在が苦手でした。それは、
友達が私に言った「変わり者」という言葉がきっかけでし
た。その言葉は、私に人より劣っているのだという劣等感
と不安を植え付けました。
そんなある日、バスの中で妊婦さんに出会いました。大
きなお腹をさすり、吊革に掴まり、危なげに揺れる妊婦さ
んに、私はすぐ気付きました。
しかし、「私が譲っても、はた迷惑に思われるに決まっ
ている。」そんな卑屈な心の声が頭の中まで響きわたり、
私は席を譲らなかったのです。
その時、一人の男性が立ち上がり、妊婦さんに「どう
ぞ」と席を譲りました。
私は、その男性の足元に視線を落とした瞬間、ぎょっと
しました。その男性の足は、右足が義足だったのです。
義足なのだから、立っていれば足にかかる負担は普通よ
り大きいはずだろう。そう考えてはいましたが、当然のこ
とをしたまで、という表情で吊革につかまるその男性を見
て、驚かずにはいられませんでした。
その日から一日経っても一週間経っても、その出来事が
- 46 -
頭に刻みこまれたかのように深く、私の記憶に残っていま
した。
その出来事から二週間経ったある日、私はソファーに寄
りかかって、読書をしていました。
すると、ある四字熟語が目に留まりました。「おうばい
とうり?」読んだだけでは意味が分からず、辞書を引いて
調べました。
桜も梅も桃も李も、違う時期に違う花を咲かせます。そ
こから、人間の一人一人違う様を表す言葉として、「桜梅
桃李」という四字熟語ができたそうです。
その言葉は私に教えてくれました。人と違っているから
「変わり者」なのではなく、人と違うから、人と関わるこ
とは楽しく、素晴らしいのだということを。
妊婦さんの為に席を譲った義足の男性は、勇気を出して
行動に移すことができなかった私に、人の為に何かをする
ことがどれほど尊く、美しいものかを気付かせてくれまし
た。
今年の四月、熊本で震災が起き、今も尚、被災された多
くの方々が不自由な生活を強いられています。そんな震災
情報を悪用し、ツイッターなどではデマが広がった、そん
なニュースを聞き、憤りと虚しさで心がえぐられるような
思いでした。
でも、そんなニュースの中でも、心の底から感動する事
がありました。銭湯を無料で20分交代で入ったり、被災
された方々に食品や生活品を寄付したりする働きかけが行
われていた事です。
人は桜梅桃李であっても、互いを思い合う気持ちに変わ
りはありません。
- 47 -
私も、人の為に、良いと思ったことは信念を持って行動
できる、自分でありたいです。
「桜梅桃李」な自分も、周りも愛せる私でありたいので
す。
- 48 -
【標語の部 最優秀賞】
優しさを
あなたの肩に
そっと添え
神尾
貞子
【標語の部 優秀賞】
ゆずりあう
気持ちのよゆう
大切に
相模が丘小学校5年
やさしさは
誰もが持ってる
阿部
航大
俣江
美里
宝物
南中学校3年
【標語の部 佳作】
ぼくの手は
手だすけするため
あいている
座間小学校2年
私とあなた
みんなだれかの
福祉の輪
心でつなぐ
一人ひとりが
- 49 -
瀧冬
大事な人
東中学校3年
思いやる
曽根
藤田
里紅
山口
周子
山口
正俊
福祉のわ
幸せに
Fly UP