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地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究

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地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究
地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究
水 谷 清 佳*
Studies about Seoul as Part of Regional Studies and Research about Seoul in Japan
Sayaka MIZUTANI
1.はじめに ―日本における韓国研究のレビューから―
韓国の教育機関において地域研究に関連する学部及び大学院がその対象とする国は、中国に次いで
日本であるという 1 。国立ソウル大学日本学科開設も間近に迫るという報道にも日本研究の関心の高
さを窺うことができる。
それでは、我が国における韓国研究の状況はどうであろうか。服部(1997)は『社会学評論』の文
献目録に掲載された著書や論文を中心に、日本における韓国に関する社会学的研究をレビューしてい
る。社会学的な研究方向として韓国社会全体に関する研究と韓国伝統社会に関するもの、産業化に関
するものの二点を挙げ、それ以外には日本社会との比較研究及び在日朝鮮・韓国人研究を挙げてい
る 2 。社会学以外の社会諸科学分野においては、既に1960年代から人類学が韓国の研究者と連携しな
がら人間関係、村落、シャーマニズム研究を行なっており、経営学も早い段階から急激な経済成長に
着目して韓国研究を蓄積してきているとされる 3 。1970年代初めからは政治学からの研究も盛んに行
なわれるようになり、社会学による韓国研究の立ち遅れを指摘している。
2000年に創立した現代韓国朝鮮学会発行の『現代韓国朝鮮研究』創刊号(2001年)では「現代韓国
朝鮮学の現状と課題」特集が組まれ、日本における政治・国際関係、経済、北朝鮮、社会学からの韓
国研究がレビューされている。その中で大畑(2001)は服部(1997)を引継ぐかたちで、服部論文発
表後に発行された社会科学における韓国研究をレビューしている。大畑も政治学や国際関係論からの
知見以上に、早くから韓国をフィールドとしてきた文化人類学の蓄積への注目を促している 4 。社会
学的研究において「韓国の歴史的現実にてらしたモダニティの探求が、社会学理論と社会変動論一般
に大きな寄与をなしうる」とし、現代韓国研究の可能性を期待させた。
しかしながら、政治学的観点から韓国研究をレビューした木村(2007)は、2000年代に入りマスメ
*
Sayaka MIZUTANI 国際言語文化学科(Department of International Studies in Language and Culture)非常勤講師
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東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 19 号(2012)
ディアによる韓国の報道が活発になったこととは裏腹に1990年〜2005年の間に劇的な増加は見られな
いとしており、交流や関心向上が研究増大には結びついていないことを指摘した。グローバリゼー
ションによって他国と日本との交流が増大するものの、隣国との交流はその一部にしか過ぎなかった
こともその要因であるという 5 。木村は『現代韓国朝鮮研究』創刊号に掲載されている倉田(2001)
のレビュー論文を取り上げながら、日本における研究が歴史的アプローチによる「古い」/民主化以
降の「新しい」韓国像という考え方を持っていることを指摘した。政治学における議論は「新しい」
とは言えず、隣国が故の「ぬるま湯」に浸かっている状態であるという。今こそが日本における韓
国・朝鮮研究を積極的で能動的なものへと転化させ、議論の方向転換の時期だと示唆する。
それでは各学問が注目する人類学の視点からの研究をみてみよう。人類学の研究方法上フィールド
ワークが不可欠となる。韓国での調査は国交正常化する1965年以降に可能となり、それ以前の資料は
全て植民地時代に依拠せざるを得なかったという 6 。国交正常化と同時に人類学者泉靖一は訪韓す
る 7 が、1971年に行なわれた佐藤信行らによる済州島調査 8 が本格的なフィールドワークであるとさ
れている。全(2004)によると初期の関心地域は全羅南道と慶尚北道に集中しており、それぞれ契 9
や巫俗、族譜や親族といった伝統文化に関心が高かったという。しかし1980年代以降になると、伝統
文化という切り口以外からも、韓国社会を分析する研究が蓄積され始める 10 。
以上のように韓国研究は国交正常化以降、多角的な視点から研究が蓄積されてきていることが分
かったが、都市部の研究の希薄さが指摘されていることを看過することはできない。大畑(2001)
は、社会学的な観点から韓国の一般市民を明らかにした研究は乏しく、文化人類学的な生活誌に依拠
せざるを得ないとしている。他方、嶋(1998)は文化人類学における韓国の研究は農村・漁村に集中
しており、都市部の研究は大きく遅れていると指摘している。
韓国の都市研究にはどのような蓄積があるのだろうか。そこで本稿では韓国の都市研究について日
韓においてどのような研究があるのかを明らかにしたい。既存の学問体系からの考察というよりは、
韓国の都市をテーマにした研究に注目したいと考えている。そこで各学問の方法論を兼ね備えなが
ら、より都市生活や地域に迫ることのできる有効な手段として地域学がある。都市の中の関心に一層
迫ることのできる地域学の視点から、韓国研究を検討したい。
2.韓国における地域学研究
各論者たちが指摘するように既存の研究において、地域や人々に向ける視点への注目が喚起されて
いる。都市を研究するうえで、ミクロな視点を持った分野の一つとして地域学に目を向けてみたい。
地域学とは一言で言ってしまえば「地域をさまざまな方面から見る学問
11
」であるが、柳原
(2011)によれば「解決すべき問題に応じて地域を設定し、地域の構造と特性をとらえつつ効果的な
施策を考えて、人々の生活と幸せを高めようとする視点 12 」を持つ学問である。よって研究者だけの
ものではない、それぞれの地域の関心や問題をダイレクトに扱うことで地域に寄り添った学問と言え
よう。1980年代以降「江戸東京学」や「大阪学」に代表されるように地名を冠した「地元学」を総称
して「地域学」と呼ぶケースも登場している。各県及び市町村単位で立ち上げられ、行政や大学の他
に市民団体や個人が組織するケースも見られる。
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地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究
その方法論は人文科学、社会科学、自然科学の学際的研究という特徴があるが、具体的な方法とし
て社会科学、自然科学の系統をひくマクロ地域学的見方と、人文科学の系統をひくミクロ地域学的見
方をとることによって人間味ある地域分析が可能になる 13 という。
以上のような状況は、日本のみならず韓国においても見られる傾向である。それでは韓国における
地域学を概観しよう。
韓国における地域学研究は1990年代以降、本格化したとされる。その理由として①国家の規定力の
弱化及びグローバル化②地方自治の本格化③ソウル学研究所設立の三点を挙げることができる。①に
ついては民主化の影響とグローバル化に伴い国際的・世界的標準に対する認識の拡大が「生の質」に
対する関心を向上 14 させたことにあるとされる。②については1991年より地方自治制度が部分的に復
活したことが背景にある。よって地域のアイデンティティや発展可能性が模索 15 され積極的に地域研
究が推進された。また大学には地域研究所の設置、国際関係ないし地域研究を主に行う学部・学科が
開設され、新しい学問として「地域学」概念が検討された 16 。韓国における地域学が盛んになった理
由は①②に加え、ソウル学研究所の開設も大きな要因となっている。1994年、ソウルが遷都600年を
迎えるにあたり記念事業の一環として、前年1993年にソウル市立大学校に「ソウル学研究所」が設立
された。
ソウル学の詳細については次章に譲ることとして、地域学が本格化する以前の様子を概観しよう。
韓国における地域学の嚆矢は1957年にソウル市史編纂委員会によって創刊された『郷土ソウル』とさ
れる。『郷土ソウル』では1980年代まで宮殿、都城、建築物の開発的建設過程・沿革、建設規模の考
証、行政制度史の把握等を「ソウル市史」として研究していた 17 。『郷土ソウル』は行政によって構
えられたものであるが、研究者たちによる自主的な研究活動としての地域学研究は「済州学」が先陣
を切っていたとされる。1978年に民俗学・国文学・人類学・考古学専攻者たちが集まって済州島研究
会を立ち上げ、1997年に済州学と改名された 18 。この流れは1980年代後半以降顕著になり、1985年に
開始された大邱の若手研究者による研究会を始めとして、1988年に釜山にて地域歴史研究会、全州に
て湖南社会研究会、1989年に光州にて全南社会研究会が矢継ぎ早に結成されていった 19 。1993年のソ
ウル学研究所の設立以後、各地域において地域学研究が展開されている 20 。
キムソクジュン(2003)は韓国における地域学の誕生を「各地域社会が形成されてきた歴史的過程
に対して深く詮索しながら地域社会と当面している懸案問題を、韓国社会主義の発展過程から生まれ
た地域的不均等発展の脈略から糾明するという問題意識を共有している 21 」と分析する。
ここで「地域学」という名称について確認したい。地域学が指す「地域」とは学術分野においては
国家単位を指すものが一般的であった。イギュテ(2007)は国家単位を研究対象とするものは国際地
域学ないし地域学であり、国家内にある特定地方を研究する場合は「地方学」が適当だという見解を
示している。
上述のように日本においても1980年代後半以降、地名を冠した学問が登場した。バブル景気に伴う
地域開発の結果、地域の豊かさや良さを見失ったことへの異議申し立てであり抵抗 22 により生まれた
という経緯も持つ。「地域学」や「地元学」と自称されたり、「地元学」の総称として「地域学」と
呼ばれる場合もある。
ソウル学という名称は「江戸東京学」をモデルにしているといい 23 それならば、イギュテの主張す
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る「地方学」も地域を研究する学問の総称としての「地域学」と捉え、本稿では論じていきたい。
3.ソウル学研究の特徴
ソウル学研究所初代所長のアンドゥスンは1993年7月、ソウルに残された資料の保存、未発掘資料
の発掘等がソウル学の出発であった 24 という。ソウル学は既に述べたとおり、ソウル遷都に合わせて
1993年にソウル学研究所が設立されたことにその起源を求めることができる。現在は『ソウル学研
究』論文集の発行、史料叢書、翻訳叢書の作成等を行なっている。
3-1 ソウル学研究の目的
チョンウヨン(2002)はソウル学の目的として以下の三点を挙げている 25 。①ソウル市民が市民と
してのアイデンティティを持てるようにソウルの歴史・文化的個性を発掘し伝える。②市民の生の質
を向上させる。③世界の中の韓国を象徴するソウルのイメージをマーケティングの対象にする。しか
しチョンは、いずれも政策的であり、意図的な学問であると指摘を加えている。一方でアンドゥスン
は1994年当時の論文で「ソウル学はある特定分野に入る体系的で科学的な学問というよりは、ソウル
のルーツを探しソウルの歴史的、文化的な本当の姿を生かすための複合的で総合的な学術活動を総称
するためのもの 26 」であるとしている。
ソウル学が指すものは「ソウルのルーツ探し」すなわちソウルのアイデンティティを探すことであ
り、その目標は「もう一度ソウルについてまだ知らなかった事実を新しく明らかにするだけでなく、
既存のソウルに対する常識や仮設を新しい資料と状況に照らして検証することにある 27 」のである。
ソウルを一つの地域・地方と考えてソウルの地域性・地方性を読み取ろうとするものがソウル学なの
である。
3-2 ソウル学の研究対象と方法の模索
ソウル学が指称するソウルの範囲及び、時代の範囲については様々な意見がある。まずソウル学が
対象とする範囲は現行の25の行政区域に加え、歴史的にソウルと関係にある地域も含まれるとされ
る。また、その時代についても首都がおかれた李氏朝鮮時代に限るものではなく、広く過去から未来
までと明確な範囲はない 28 。
研究方法についても同様である。ソウル学成立当時、ソウル学の研究方法としてその難しさを語り
ながらも「歴史、地理、文化、都市、建築、経済、自然、環境、生活など様々な分野でソウルの生
成、成長、発達及び発展過程を体系的に総合的に研究 29 」すると発表した。当時ソウル学の方法はい
わゆる学際的な学問としての出発であり、各自の研究分野からのアプローチをソウル学研究の方法論
とするしかない 30 とされていたのである。
しかしながら後に議論が熟され、既存の社会科学の方法論では目的を達成できず、ソウル学がいつ
までも学際的な学問に終わってはならないという意見が持ち上がる 31 。ソウル学には特定の研究方法
論のみを使用したり、既存の方法論を利用するだけでは独自性を発揮できない。ソウル学のための新
しい方法論を作り出すことが、ソウル学が学問として成立するための必要条件なのである 32 。
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地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究
チョミョンレ(2002)は既存のソウル論に対して批判的意見を示している。それは、これまでのソ
ウル論は科学的・実践的で政策の部分にのみ力を入れており、それが支配的な言説にしかならなかっ
たからだという。さらに、ソウルが全ての中心であるが故に起こる社会の過程や構造の問題など、ソ
ウルの現状をみるために必要な視点をその範疇に入れていないからである 33 。西欧の都市社会理論で
はソウルの具体的な議論を提示することができないため、韓国の現実に即した学問としてソウル学が
機能しなければならないのである。
また金容儀(2010)も湖南学を例に挙げながら、韓国における地域学が抱える一番の問題点を「地
域割拠主義」から抜け出していないことであると指摘する。国内外地域及び東アジア地域の特定の地
域学研究者との共同研究及び比較研究を不可欠とし、各地域人による各地域文化のアイデンティティ
確認の枠組みに留まらず、開かれた学問であるべきだとしている。
3-3 ソウル学の研究動向
それでは、具体的にソウル学ではどのような研究がされているのであろうか。<表1>はユスンヒ
(2010)が創刊から2009年までに刊行されたソウル学関連雑誌に掲載された論文(『郷土ソウル』、
『ソウル学研究』
、『都市歴史文化』等)682本を基に、ソウル学研究の対象を分類したものである。
ユスンヒはソウル学研究の主要研究テーマを大きく基礎研究、ソウルと空間、ソウルと政治、ソウ
ルと社会、ソウルと経済、都市文化と表象、その他の七つに区分し、さらに類型として内容を示して
いる。加えて<表2>で七つの区分(大分類)の論文件数を年代順に表している 34 。
<表2>を見ると基礎研究54本、空間212本、政治88本、社会122本、経済54本、文化145本、その他
7本という結果になっており、空間研究が31%を占めている 35 。対象とした時代についてはソウル学
研究成立以前・以後に分類しながら主に1994年以降を中心に分析している。ソウル学成立以前は199
本の論文中94本が朝鮮時代、近代54本、高麗時代3本、古代7本で圧倒的に朝鮮時代に集中していた
ことが明らかにされた 36 。ソウル学が成立された1994年以降は、都市史や都市学にその対象が移った
というが、研究対象時期については、先史4本、古代37本、高麗時代10本、朝鮮時代162本、近代162
本、現代73本、その他32本で以前と比較すれば拡散がみられるものの、依然として朝鮮時代と近代に
集中しているという 37 。<表2>は研究数の推移が一目で分かるものの、該当する論文名が挙げられ
ていないため、具体的な研究内容が分からないというのが難点である。
以上の動向に加えて、最新のソウル学研究の動向と照らし合わせながらさらに検討していきたい。
ソンインホ・チョンジヨン(2011)は修士・博士学位論文と単行本を中心に2009年から2010年まで
に発刊されたソウルを対象とした研究について、その動向を明らかにしている 38 。まず、博士論文に
ついては12本提出されており、ソウルという場所の歴史を究明しているものに集中している傾向があ
る。対象時期は先史〜現代まで全時代をカバーしているが、建築学や都市工学からの提出が多い。修
士論文についてはジャンルが多様で、ソンらは計39本の論文を韓国史及び建築史、都市組織及び立
地、都市開発及び保存・都市再生・場所性、都市景観及びイメージ、その他の六つに分類して紹介し
ている。とりわけ都市再生問題における歴史資源の活用や、保存問題を提起する論文が多いことが特
徴であり、「デザインソウル」等近年活発である再開発に関する論文も目立つという 39 。やはり修士
論文においても建築学分野からの提出が集中していることを指摘することができる。
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表1 ソウル学研究の対象と分類
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単行本については学術書よりも大衆向けの著作が多く、特に近代を対象にしたものが多いという。
それは日韓併合100年にあたる2010年と重なったことがその要因であると推測する 40 。それ以外に
も、人文地理学や建築学の見地からソウルを歩くといったような著書が多く、その対象として漢江や
ソウル城郭が取り上げられている。歴史都市と冠された題目も目立つ。ソンらは2000年以降、ソウル
は都市再生論議のなかで最も重要なモデルであると結論付けている。
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地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究
表2 韓国におけるソウル学研究の推移
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以上のように、ソウル学は近年増して研究対象が多岐にわたっている。しかしながら建築学や都市
計画等の既存の学問への依存や、イギュテ(2007)が指摘した学際的研究から未だに抜け出せていな
いことを確認できるのではないだろうか。
そこで、2011年に韓国学中央研究院韓国学大学院から提出された家永祐子の博士論文『北村韓屋村
のソウル学的研究』を取り上げたい。家永は北村地域の変遷と、韓屋村として再認識される過程を明
らかにしている。その中でも特に興味深いのが、研究方法として民俗文化学とソウル学を用いている
点にある。家永はコソッキュ(2004)が示した「時間、空間、人間を結合させる新しいジャンルを創
出することを目的」にするというソウル学成立当時の目的に依拠しながら、ソウル学を「ソウルを一
つの都市空間と認識し接近する研究」であると位置付けている。そこで家永はソウル学の方法論を二
つ提示している。一つ目に朝鮮時代の漢城府・植民地時代の京城・解放後のソウルなど各時期におけ
る異なる文化の3軸を見る縦の比較考察、すなわち時代比較である。二つ目に、ソウル・北京・東京
をはじめとする異なる文化地域を研究する横の考察、すなわち他地域との比較である。これら二点を
ソウル学の方法論とし、自身の論考の基礎的方法論として使用している。
ソウル学研究成立の初期段階では「ソウル市民によるソウルの研究」が提案されたが、外国人研究
者によるソウル学研究は金容儀(2010)の指摘への回答となり得るのではなかろうか。
4.日本におけるソウル研究
第1章で概観したように、これまで多くの研究者が韓国に関する様々な議論を重ねてきたものの、
近世を含め韓国の都市研究については各分野において未だ乏少であることが言及されている 41 。本章
では現代の都市に注目し、日本におけるソウル研究について考えてみたい。ソウルが「ソウル特別
103
東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 19 号(2012)
市」となったのは1946年のことである。そこで日本における「ソウル特別市」を対象とする研究を取
り上げることとする。
4-1 日本におけるソウル研究の対象と分類
ここでは1946年以降、「ソウル特別市」(以下ソウル)研究を対象とし、とりわけ学術雑誌に掲載
された論文を取り上げる。雑誌は学術的論文を扱っているものを範囲とし、紀行等は除いた。学会誌
以外でも大学紀要は無論、公開されている学会要綱、著者が学術的対象としてソウルを扱っていると
判断したものについては取り上げた。国立国会図書館NDL-OPAC、国立情報学研究所CiNii、東アジ
ア建築情報ネットワークeAINAによる検索を手掛かりに、日韓文化交流基金日本における韓国・朝
鮮研究文献データベース、各学会HP及び学会誌等を確認し研究論文を選定した。調査の結果、以下
の雑誌からソウルを対象とする論考が提出されたことが明らかになった。
建築 :『日本建築学会環境系論文集』
(日本建築学会)
、
『新建築』
(新建築社)
、
『日本建築学会技術報
告書』
(日本建築学会)
、
『都市・建築学研究』
(九州大学大学院人間環境学研究院紀要)、『民俗建築』
(日本民俗建築学会)
『日本建築学会計画系論文集』
、
(日本建築学会)、
『都市住宅学』
(都市住宅学会)、
『建築文化』
(彰国社)
、
『マンション学』
(日本マンション学会)、『住居福祉研究』(日本居住福祉学
会)
、
『不動産研究』
(日本不動産研究所)
都市・都市計画 :『新都市』
(都市計画協会)
、
『都市問題』
(東京市政調査会)
、
『総合都市研究』
(東
京都立大学都市研究所)
、
『都市計画報告集』
(日本都市計画学会)、『都市問題研究』(大阪府)、『都
市計画論文集』
(日本都市計画学会)
、
『都市計画別冊都市計画論文集』(日本都市計画学会)、『都市
文化研究』
(大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センター)
、
『財団法人福岡アジア都市研
究所若手研究者研究活動助成報告書』
(福岡アジア都市研究所)、『都市政策研究』(福岡アジア都市
研究所)
地理 :『地理学評論』
(日本地理学会)
、
『地理学報告』
(愛知教育大学地理学会)
、
『茨城地理』
(茨城
地理学会)
、
『東北地理』
(東北地理学会)
、
『歴史と地理』
(山川出版社)
、
『季刊地理学』
(東北地理
学会)、『地理』
(古今書院)
、
『歴史地理学』
(歴史地理学会)、『人文地理』(人文地理学会)、『地域
研究』
(立正地理学会)
地域研究 :『地域学研究』
(日本地域学会)
、
『日本地域政策研究』
(日本地域政策学会)
、
『国際地域学
研究』
(東洋大学国際地域学部)
、
『日本地域政策研究』
(日本地域政策学会)
、
『地域開発』
(日本地
域開発センター)
、
『自治研究』
(第一法規)
、
『月刊自治研』(自治労システムズ自治労出版センター)
経済 ・ 経営 :『アジ研ワールド・トレンド』
(日本貿易振興機構アジア経済研究支援部)、『東亜経済
研究』
(山口大学東亜経済学会)
、
『経済文化研究所年報』(神戸国際大学経済文化研究所)、『経営研
究』
(大阪市立大学経営学会)
『運輸と経済』
、
(運輸調査局)、
『経済科学通信』(基礎経済科学研究所)
韓国 ・ 朝鮮 :『韓国朝鮮の文化と社会』
(韓国・朝鮮文化研究会)、『朝鮮史研究会論文集』(朝鮮史研
究会)
、
『朝鮮学報』
(朝鮮学会)
社会 :『ソシオロジ』
(社会学研究会)
、
『現代社会研究』
(京都女子大学現代社会学部)
、
『アジア障害
社会学研究』
(アジア障害社会学会)
、
『老年社会科学』(日本老年社会学会)
104
地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究
教育 :『幼少児健康教育研究』
(日本幼少児健康教育研究)、
『アジア教育』(アジア教育学会)、
『運動・
健康教育研究』
(日本幼少児健康教育学会事務局)、『発達障害支援システム学研究』(日本発達障害
支援システム学会)
、
『BERD』
(ベネッセ教育開発センター)
土木 ・ 工学 :『土木施工』
(オフィス・スペース)、『生活造形』(京都女子大学生活造形学教室)、『土
木学会誌』
(土木学会)
、
『造園雑誌』
(日本造園学会)
、
『交通工学研究発表会論文報告集』
(交通工
学研究会)
、
『土と基礎』
(地盤工学会)
芸術 :『民族藝術』
(民族藝術学会)
その他 : 各大学紀要(明星大学、大阪樟蔭女子大学、横浜市立大学大学院、立教大学大学院、昭和
女子大学、愛知教育大学、東京学芸大学、四国大学経営情報研究所、淑徳大学大学院総合福祉研究科、
名古屋大学留学生センター、神奈川大学人間科学部)、
『高速道路と自動車』(高速道路調査会)、
『東
アジア比較文化研究』
(東アジア比較文化国際会議日本支部)、
『JARTS』(海外鉄道技術協力協会)、
『APC アジア太平洋研究』
(アジア太平洋センター)、『Keio SFC review』(慶應義塾大学湘南藤沢
学会)
、
『用水と廃水』
(産業用水調査会)
、
『下水道協会誌』
(日本下水道協会)
、
『電気鉄道』
(鉄道
電化協会)
『河川』
、
(日本河川協会)
『PRI review』
、
(国土交通省国土交通政策研究所)、
『戦争と平和』
(大阪国際平和研究所紀要)
『九大法学』
、
(九大法学会)、
『現代法学』(東京経済大学現代法学会)、
『下
水道研究発表会講演集』
(日本下水道協会)
、
『公共研究』(21 世紀型 COE プログラム「持続可能な
福祉社会に向けた公共研究拠点」公共研究センター)、『月刊廃棄物』(日報アイ・ビー)、『環境情
報科学論文集』
(環境情報科学センター)
、
『大学行政管理学会誌』(大学行政管理学会)、『環境の管
理』
(日本環境管理学会)
、
『道路と自然』
(道路緑化保全協会)、
『日本家政学会誌』(日本家政学会)、
『日本保健福祉学会誌』
(日本保健福祉学会)
、
『都市緑化技術』(都市緑化機構)、『学苑』(光華会)
<表3>は<表1>を参考に、日本におけるソウル研究の対象を分類したものである。基本的に<表
1>の分類方法を使用し、日本における研究の関心対象に沿うように一部編集した。また、類型の部
分については、関心対象が明確になるように敢えてまとめずにキーワードとして残したものもある。
まず削除した箇所は基礎研究である。韓国研究の動向を表した論考はあるものの、ソウル研究に関
しては皆無のため省略した。次に追加した部分については網掛けで示したが、「ソウルと空間」の小
分類に「都市空間」を加えた。<表1>の場合、空間の変化等は地域概説史に包含されているのかも
しれないが、詳細が明らかではないうえ、日本における研究は歴史的な変化ではないことを考慮し、
新たな項目として追加した。「ソウルと社会」の小分類として、「自然・環境」、「観光」、「災
害」を加えた。<表1>の場合、「ソウルと空間」中「住居地及び都市区域」の類型として小川があ
るが、都市区域における川の問題というよりは、川をめぐる政策や環境に論点が置かれるため、新た
な項目として設置した。「観光」及び「災害」については<表1>に項目がなかったため設置した。
また、類型を移動させた部分としては、「ソウルの空間」中「住居地及び都市区域」に属していた市
場を「商業及び貿易」に移動させた。
<表3>を見ると、「ソウルの空間」について関心が高いことが目に留まる。特に、「都市計画と
再開発」、「都市建築」に関心が集中している。<表1>と比較すると住居のなかでも低所得住居に
関して関心が寄せられているようである。<表1>では「社会問題」区分にも住居が分類されていた
105
東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 19 号(2012)
表3 日本のソウル研究分類
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地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究
が、<表3>ではそれも「都市建築」として扱った。
交通についても関心が高いことが窺える。敢えて類型の中に詳細を残したが、あらゆる交通機関、
設備について研究が提出されていることが分かる。自然・環境については新たに加えた項目である
が、この対象のほとんどを占めるのが、清渓川の復元に関する論考である。また<表1>では観光に
ついて一切記述がなかった。ソウル学の研究関心対象とならない分野なのであろうか、観光も一つの
都市文化ととらえ<表3>で新たな項目を作成した。
都市文化と表象においては、パフォーマーが類型に加えられている。これは未だ韓国ではソウル研
究はおろか都市研究の対象とされておらず、日本独自のものだと言えよう。
それでは、<表3>を補完する意味も込めて<表4>に目を向けてみよう。
4-2 日本におけるソウル研究の推移
<表4>は日本におけるソウル研究の推移を示したものである。参考にしたユスンヒ(2010)論文
でも同じ手法を取っており、本稿でも採用することとした。
まず、ソウル研究の先駆けとなっているのが1971年『地理』に掲載された洪始煥の「人口集積より
みたソウルの都市的発展」研究である。その後1978年に成ヨウ俊「ソウル市の市域拡大と人口密度分
布」が『人文地理』から発行されている。1980年代に入ると『東北地理』から「ソウル市における人
口密度の地域傾向面分析」(朱京植)が刊行され、ソウル研究においては地理学が先駆的な役割を果
たしており、特に人口密度に関心が寄せられていたことが分かった。
1973年には交通・通信分野で4件もの研究が蓄積されている。これは『自治研究』において、上中
下の3回に渡って地下鉄建設をめぐる政策に関する論考が掲載されたからであるが、1974年にソウル
に開通した地下鉄に関心が寄せられていたことが要因である。交通に関しては1990年までブランクが
あるものの、それ以降継続して研究され、蓄積の多い分野である。
最も論文数の多い自然・環境分野は特に2004年以降急激に増加し、2006年にピークを迎えるも現在
に至るまで多くの研究蓄積がある。これは2005年に復元された清渓川復元事業に関する研究で、日本
に留まらず世界中から注目を浴びた。本調査資料からは除外した研究雑誌以外でも、清渓川の事業は
数多く取り上げられたとともに、研究者らが現地見学に訪れている。清渓川に関する研究は建築学や
都市計画分野に多く見られ、その特徴として大まかに分類すると清渓川復元の事業そのものに関する
もの、復元による環境効果、周辺地域の変化を論じたものになる。
それでは<表2>と<表4>を比較してみたい。まず年代別に確認すると<表2>は1993年に提出さ
れた論文が199本にものぼり、全体の30%以上を占めている。一方<表4>では、2002年以前は年間
に提出される論文数は1桁台であったが、2002年を境に研究が活発になっていることが分かる。木村
(2007)は、2000年以降の韓国の報道の増加や、関心向上が韓国研究へ繋がらなかったことを指摘し
たが、ソウル研究については多少の影響があったと推測される。日本では2004年から2008年にかけて
ソウル研究が最も多く提出され、その理由を清渓川復元に関する研究としたが、韓国においても類似
した現象を確認することができる。韓国においては都市建築、住居地及び都市区域の増加が著しい。
具体的な論文名が発表されていないため、韓国国会図書館電子図書館サイトを利用して2004年から
2008年に『郷土ソウル』及び『ソウル学研究』に発表された論文を確認した。すると驚くべきこと
107
東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 19 号(2012)
表4 日本におけるソウル研究の推移
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に、この期間中に清渓川に関する論考は1本も発表されていないことが明らかになった。朝鮮時代と
日本帝国時代を対象とした論考が発表論文のほぼ半分を占める年もあった 42 。両研究雑誌は、現在の
ソウルを研究するというよりは、「ソウルのルーツ探し」にその多くが割かれていることが分かっ
た。
4-3 日本におけるソウル研究の地区別推移
<表5>は<表4>で示したソウル研究の中で、特に特定の区を対象に研究しているものを取り上げ
た。論文の中には複数個所対象にしているものもあり、それに関しては対象区1につき1とカウントし
た。そのため論文本数としてみれば重複しているが、個々の区にどれだけ関心が集まっているのかを
確認するためには有用であると考える。また、最下段に「清渓川」の欄を設定した。清渓川は地区
ではないが、各地区と関係するという理由から取り上げた。鐘路区、東大門区等複数の区にまたがる
ため、特別に欄を設定することとした。表の中心部分にあたる麻浦区と陽川区の間に二重線を施した
が、二重線上部がソウルの中心を流れる漢江の北側にあたる江北、下部を江南としている。
<表5>をみると、清渓川の研究数が圧倒的に多いことが一目瞭然である。これに関しては前節を
参照いただきたいのだが、次いで多いのが鐘路区である。鐘路区はソウルの中でも特に歴史的建造物
が集中し、宮殿や朝鮮総督府があった場所であることから、朝鮮時代や植民地時代を対象とした歴
史的な考察をしている論考が多い。例えば金銀眞(2005、2006、2007、2008)は植民地時代の鐘路の
都市空間について建築学の視点から考察している 43 。今回の調査では対象となる時代が異なるため除
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地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究
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外したが、ソウル学研究の蓄積として多大な貢献を果たした論文であると言えよう。2002年以降継続
的に研究されている対象は、仁寺洞や韓屋の密集する北村等、歴史的景観や建造物の保存に関する研
究に集中している。これらは初めて文化地区に制定された場所であったり、ソウル市の積極的な支援
により「北村つくり」(まちづくり)や「ソウル韓屋宣言」(2008年発表)といった歴史的な町並み
保存が積極的に行なわれている地域であるとともに、観光名所の一つでもある。しかし、華やかな鐘
路の繁華街を一本裏通りに入ると、チョッパン(簡易宿所)と呼ばれる低所得者住居の密集地域があ
る。韓国においても不良住宅に関する研究は1960年代以降、チョッパンについては1999年以降本格的
な研究が開始されている。1997年の経済危機により失職野宿者が急増し、チョッパンがその受け皿と
なった。日本においても2000年に入るや否や水内 44 (2000)によって調査報告がなされており、日韓
共に近似したスピードで研究が進められていることが窺える。
江南区の研究にも注目したい。江南区は1980年代から1990年代中盤にかけて建築・不動産市場が活
発になり、大型建物や大規模住宅が建設された地区である。さりながら論考を見るとアパートなどの
建築に関するものよりは教育、特に英語教育に関するものが目立った。ソウルにおいて南北の教育格
差も大きな社会問題であるが、日本においては住宅地よりは教育に関心が注がれているようである。
5.まとめ
地域学の視点から概観した韓国におけるソウル学研究及び、日本におけるソウル研究について整理
109
東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 19 号(2012)
表5 日本におけるソウル研究の行政区域の推移
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したい。現在のソウル学研究では圧倒的に朝鮮時代を扱う研究が多く、ソウル学というよりは「漢陽
学」になってしまっている。ユスンヒ(2010)も漢陽を対象としたものが60%を占めており、当然な
がらその範囲も四大門の中に集中していることを指摘している。
日本の場合、漢陽はおろか都市自体の研究の遅れがしばしば指摘されているが、2001年以降毎年10
〜20数本の論文が提出されており、着実に研究が蓄積されてきていることが分かった。年々関心対象
が増加し、近年最も注目された対象は清渓川で、2006年がピークとなる。行政区別に見ると鐘路区に
集中していることが明らかになったが、1990年代後半以降、江南地域にも関心が寄せられていること
が分かった。
日本にはソウル学という体系が存在しないため、今回は各学問分野を横断しながらソウル研究を掘
り起こす作業を行なった。日本におけるソウル研究と韓国におけるソウル学では、問題関心が異なる
ようである。現在ソウル学として寄稿されている論文を見る限り、歴史的な観点に集中するばかりで
「韓国の現実に即した学問」に成り得ていない。ソウル学を地域学として確立するためにはバランス
調整が必要不可欠となろう。
ソウル研究は、一部の分野においては日韓が共に研究を積み上げているものの、各国の視点・関心
から研究が進められているのが実際のところである。ソウル学の方法論の確立が日韓のソウル研究の
110
地域学研究としてのソウル学と日本におけるソウル研究
ための軸となることを願いたい。
注
1
チンイルサン 2011 p.74
2
服部 1997 p.19
3
服部 1997 p.20
4
大畑 2001 p.34
5
木村 2007 p.36
6
全京秀 2004 p.301 ll.1-2
7
全京秀 2004 p.301 ll.6-7
8
嶋 1998 p.15 ll.13
9
日本の頼母子講に値する互助組織。
10
全京秀 2004 p.308 ll.18-19
11
光多長温 2010 p.29 ll.1
12
柳原 2011 p.3 ll.27-29
13
マクロ及びミクロ地域学の方法論については、光多(2011)pp.44-46を参考されたい。
14
チョンウヨン 2002
15
地域学に対する問題意識がより具体的に台頭したのは1990年代である。地方自治制が1991年から部分的
に開始され、地域のアイデンティティ、発展の可能性を模索するという背景から発展可能性を模索し始
める。それにより地域学の関心が高まり始めた。①1990年代以降本格的な世界化の影響を受け、積極的
に地域研究が推進された。大学には地域研究所の設置、国際関係ないし地域研究を主に行う学部・学科
が開設され、新しい学問として「地域学」概念が模索された。(キムソクジュンpp.15-16)
16
キムソクジュン 2003 pp.15-16
17
ユスンヒ 2010 pp.139-141
18
イギュテ 2007 pp.198 ll.17-19
19
キムソクジュン 2003 pp.14-15
20
韓国における地域学研究については、金容儀pp.96-99を参考されたい。
21
キムソクジュン 2003 p.15 ll.6-9
22
柳原 2011 p.23
23
チョンウヨン 2002 p.21 ll.18
24
アンドゥスン 1994 p.6 ll.24-26
25
チョンウヨン 2002 pp.21-22
26
アンドゥスン 1994 p.7 ll.25-26
27
アンドゥスン 1994 p.8 ll.6-8
28
例えばアン(1994)はソウル学が対象とする時期を「ソウルが創られてから現在は勿論のことソウルが
存在する遠い未来まで」(p.12 ll.3-4)、「ソウル学研究は仕方なく朝鮮の首都が決まった時期からに
するしかないと言うかもしれないが、必ずしもそうではない」(p.12 ll.7-8)としている。
29
30
アンドゥスン 1994 p.12 ll.19-21
アンドゥスンはソウル学に演繹法と帰納法の二種類を活用すべきであると論じている。(1994 p.18
ll.10-11)
31
チョンウヨン 2002 pp.21-22
32
イギュテはある特定の研究方法論を適応させるには、大きな限界があると言う。それは、比較政治学、
111
東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 19 号(2012)
経済学や社会学のような文科学問から提示された方法論を主に利用しているだけだとする。そのため学
問的独自性を論じるのに限界があるという点が国際地域学の一番の問題であるとし、それは地域学でも
同じであるとしている。(2007 p.191 ll.12-16)
33
34
チョミョンレ 2002 p.299
区分中<表1>では政治欄に「地域政治」があったが<表2>には入っていなかった。そのまま抜粋翻訳
した。また、<表1>では区分中社会欄の順番が日常生活、人口問題であったが<表2>では逆になって
いた。本論文では混乱を避けるため<表1>の順にそろえて<表2>を作成した。
35
スユンヒ 2010 p.145
36
ユスンヒ 2010 p.147
37
ユスンヒ 2010 p.148
38
ソンインホ・チョンジヨン 2011 39
ソンインホ・チョンジヨン 2011 p.319 ll.11-15
40
ソンインホ・チョンジヨン 2011 p.322-323
41
吉田光男 2010 p.2
42
『ソウル学研究』に掲載された論文中、2004年に発表された論文は14本中朝鮮時代対象論文が6本、日
本帝国時代対象論文が3本、2005年は14本中朝鮮時代6本、日本帝国時代3本、2006年は13本中朝鮮時代
3本、日本帝国時代2本、2007年は16本中朝鮮時代2本、日本帝国時代7本、2008年は23本中朝鮮時代9
本、日本帝国時代5本であった。
43
金銀眞「鍾路の変容を通してみるソウルの近代化に関する一考察--大韓帝国期(1883-1910年)の新聞記事
を題材に」『日本建築学会計画系論文集』588 2005、「ソウルの中心地における都市の賑わい空間に
関する考察--植民地初期(1910-1919年)の新聞記事を題材に」『日本建築学会計画系論文集』599 2006、
「ソウルの中心地における都市計画と道路改修の変化に関する考察--植民地中期以降(1920-1945年)の新
聞記事を題材に」『日本建築学会計画系論文集』609 2006、「ソウルの中心地における街並みの変貌に
関する一考察--植民地中期以降(1920-1945年)の新聞記事を題材に」『日本建築学会計画系論文集』620
2007 、「鍾路一帯の商業社会における都市空間構造(一九一七年-一九四〇年)」『建築史学』50 2008
44
水内俊雄「韓国ソウルの都市貧困層の住居問題―ホームレスとスクォッタ―」 『季刊Shelter-less』
No.8 pp.27-44 野宿者・人権資料センター、以後水内らを中心にソウルの貧困層の住居問題やチョッパ
ンの研究が行なわれている。
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112
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長崎県教育庁学芸文化課 HP http://www.pref.nagasaki.jp/nagasakigaku/tiikigaku/index.html(2011/11/13
確認)
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