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2 これまでの育ち
第 4 回勉強会 吉本 幸子様 2015 年 11 月 22 日 配布資料 2 これまでの育ち ① 幼 稚園 まで 盲学校の支援、2・3歳∼お稽古(音楽、英語) さて、目を悪くし て生まれた娘は生後八 か月から週一回岡山盲 学校の「たんぽぽ教室 」で支援 を受けるようになりました。また、お医者様からどのくらい見えるかは分からないと伝えられ、 耳を鍛えようと思い二 歳ごろから音楽教室、 三歳ごろから英語教室 に通わせ健常の子供た ちと一 緒にレッスンを受けま した。 ➁ 幼稚園 幼稚園選びの経緯、 それから、幼稚園のこ とを考え始めましたが 、岡山盲学校には幼稚 部の併設がないため、 一般 の幼稚園・保育園を探 さないといけませんで した。たんぽぽ教室の 先輩のお母さん方は地 元の幼 稚園は中々受入れが難 しく苦労した と言わ れていたので、断られ る覚悟で幼稚園にお願 いに行 きました。幸いなこと に私の甥と姪の通った 私立の幼稚園に入園す ることができました。 幼稚園での印象的な(出来)事〔友達との関わり、保護者の理解、規則正しい生活〕 幼稚園は 3 年保育 でした。娘が実際どの くらい見えるのかが分 からない頃だったので 、集団生 活に慣れていけるのか 、お友達に受け入れて もらえるのかとても心 配でした。 しかし、私の心 配 が吹き飛ぶぐらい、 幼 稚園の先生はとても 良 くしてくださいまし た 。強くま ぶしさを感じる娘の た めに、屋外では、太 陽 の日差しを避けるよ う に娘の前に立ち日陰 を 作って くださるほど目配り気 配りをして下っていま した。 幼稚園から戻ると、毎 日お友達の家に行かせ てもらい、そこに来ら れていたお母さん方に 娘の 見え方・見えにくいか ら出来ないことなどを お話しました。 幼稚園は娘にとっ て社会生活の始まりで した。見えない相手と どう接していけば良い のか、 「こ こ に あ る 」「 そ こ に あ る 」 が 分 か ら な い 時 、 先 生 や お 友 達 に 尋 ね る こ と が で き る の か 、 日 々 を 重 ねていくことで経験し 慣れていったと思いま す。楽しいこともあり ましたが、辛いことも 沢山あ ったと思います。しか し、いつもニコニコし て幼稚園の話をしてく れたのは先生方・お友 達・保 護者の方々のご理解が あったからだと感謝し ております。 盲学校の支援〔相談、小学校入学の基礎力〕 幼稚園に毎日通い 、お稽古事も行ってい ましたが、盲学校のた んぽぽ教室にも 週に 1度のペ ースで行きました。盲 学校では目を使って確 認してものをつかむ遊 びや校庭を散歩しなが ら色々 なものを探してくるな ど一見これが訓練?と 思えるようなことから 始まりました。4才頃 から単 眼鏡を首から下げまし た。単眼鏡とは、少し 離れたところのものを 拡大してみることがで きる物 です。単眼鏡など道具 を使えば、興味を持っ た物が見えるという喜 びを教わり、5才・6 才で板 書写し、物差しの使い 方、単眼鏡やルーペを 場面に応じて効果的に素早く使うことなど、 小学校 に入学してすぐに必要 なことを習得しました 。 見えるということは普 通に情報が目から入っ てきますが、見えにく いということはそこに 知っ ている人がいても分か らない・看板も見えな い・見ようと思わない と見ないまま過ごすと いうこ 1 と で す 。 見 え に く い 娘 に と っ て 一 番 大 切 な 力 で あ る 「 道 具 を 使 え ば 見 え る 」「 見 え る と 楽 し い 」 という見る意欲をはぐ くみ、娘の自立の基盤 づくりをしていただけ たと思っています。私 は娘の 育て方の悩みをお話し て相談相手になってい ただきました。 保護者としての役割〔体験プログラム、デパート〕 家庭では、弱視児は 多くのことを経験する ことによって 見て理解 できないものを理解で きるよ うになるため体験プロ グラムを探しては連れ て行きました。例えば田植え・稲刈り・トウ モロコ シ狩り・搾乳・料理な どです。デパートにも よく連れて行きました 。デパートは多種多様 のもの があるので色々なもの を触って何に使うもの かを教えました。 就学先の検討〔選択のポイント〕 幼稚園に入園したらす ぐに就学を考えるよう になり、盲学校と特別 支援学級の弱視教室ど ちら に通わせたら娘に楽し い学校生活を送らせて やれるのかを考えまし た。健常のお子さんと 一緒に お稽古ができているこ とや、盲学校で訓練を しているなどから弱視 学級でもやっていける のでは ないか、親学級で過ご す時間が長いのでお友 達も盲学校より多くで きるのではないか、と いうこ とで弱視学級に就学す る道を選びました。 ③ 小 学校〈 弱視 学級 〉 入学時〔保護者の心配と先生の対策〕 娘 が 入 学 し た の は 、「 岡 山 中 央 小 学 校 」 が 統 合 さ れ る 前 の 「 岡 山 中 央 北 小 学 校 」 で 、 各 学 年 多 くても 2 クラスという 児童の少ない学校でし た。県下で弱視学級を 持つ唯一の小学校で歴 史も長 く不安もなく通わせま した。 弱視学級とは、特 別支援学級の一つで、 眼鏡をかけても見えに くくて、学習・生活上 特別な配 慮が必要な児童生徒が 、学習する場です。 弱視学級では、国 語と算数、習字が始ま ってからは習字を取り 出し授業で教えていた だきまし た。自立活動という時 間には、調理やラジオ 体操、工作など、目が 悪いがゆえに見て真似 をする ことができないため、 経験を重ねて、できる ことを増やしていただ きました。 学校や先生を信頼し、「 娘を託す・お任せする」、その姿勢を娘に見せ 安心させることが私の 役 目だと思いました。嫌 なことを言われていな いか、いじめにはあっ ていないか、口に出し て言え ば娘も敏感になると思 い、娘の話をいつも気 にしながら聞いていま した。 弱 視 メ ガ ネ を 初 め て お 友 達 の 前 で 掛 け る と き の お 友 達 の 反 応 が と て も 気 に な っ て い ま し た が、 親 学 級 の 先 生 の 、「 み な さ ん 、 か な こ さ ん の メ ガ ネ 、 博 士 の メ ガ ネ み た い で か っ こ い い で す ね 。」 という、その一言でス ーッと受け入れてもら い、メガネに関しては からかわれることもな く過ご しました。このような 場面では先生方がうま くフォローをしてくだ さいました。 中学年〔担当の先生との関係づくり、保護者の理解が課題〕 3年生で弱視学級の担 任が変わりました。3 月まで普通学級を持た れていた先生なので、 1学 期のスタートと同時に 、弱視学級スタートと はいきませんでした。 子供たちも普通学級の 授業と あまり変わらない授業 で不服がでるようにな ってきました。そこで 、6月頃から先生に毎 週お時 間を頂き、学校での様 子・学習面のお願い・ 子供の思いを直接お話 ししてご理解を頂くよ うにし ました。 2 高学年〔友達関係の難しさ、お稽古の仲間の支え、障害の説明〕 高学年になり健常のお 子さんの動きはかなり 活発になっていきまし た。悲しいことにいじ めを 体験しつらい思いもし ました。自分の何が悪 いのか何度も私に問い ました。担任と親学級 の担任 二人が間に入り何度か 話し合いも持たれまし たが、解決はしません でした。大きな声で悪 口を言 われたり持ち物を壊さ れたりと、どんな顔で どんな態度でいるかも わからず、ただ反論せ ず学年 が変わるのを待ってい たようです。 しかし、娘には学校以 外のお友達がいました 。ピアノ・エレクトー ンで一緒にコンクール に出 る仲間。英語を一緒に 習う仲間。慰めてもら ったり、励ましてもら ったり、一緒に笑える 仲間が いました。だからどん なに辛いことがあって もこの仲間に会うこと で自分の存在を確認で き自分 を大切にできたのだと 思います。 6 年生になり授業の前 に 5 分娘にお時間をく ださい、本人から自分 の目の病気のこと、お 願い ごとなどをお話しさせ てください、とお願い をしました。 お友達の中には、どの くらい見えるの?と聞 いてくる生徒さんも出 てきました。先生や親 から の話ではなく本人から本当のことを聞きたがっているのだったら良いチャンスだと思いました。 目の病気のこと、自分 のできることできない こと、手伝ってもらい たいことなどをしっか りと話 すことができたようで す。 全 て の 子 ど も た ち に 理 解 を 頂 く の は 難 し く 色 々 な こ と が あ り ま し た 。 娘 は 、「 学 校 に 友 達 は い らない、学校は勉強を するところ」といって 学校生活を頑張りまし た。そして、娘は、ク ラスの 子と同じ中学に上がり たくないと、岡山操山 中学校への入学を希望 するようになりました 。 弱視学級への願い〔良いところと改善点〕 弱視学級の頃を振り返 ってみて、私が少し残 念に思ったことは、弱 視教室の先生は弱視学 級専 任の先生ではなく、普 通の先生が数年に一度 変わられることです。変わられた年の 4 月 5 月、先 生は必死に指 導方法を 考えられ授業 をしてく ださいました 。2∼ 3 年たって慣れ られたこ ろに次 の先生に変わり、また 一から始まりです。そ れから、弱視教室の生 徒が少ないと、他学年 の図工 や書道を受け持たれた り渉外の仕事をされた りしてお忙しくされ、弱視学級の保護者とし ては少 々複雑な気持ちがあり ました。 私がお願いしたいこと は支援学級の必要性の 周知と担任の強化です 。 また、周囲の保護者へ の理解をどうしても得 なければならないと思 います。 弱視学級に進学する児 童はきわめて少なく、 理解されにくく、孤立 しやすいと思いました 。親 学級では、どのように したらハンディを理解 してもらえるか、障害者ではなく一人の人間 として クラスメートとして受 け入れてもらえるか、 学年が上がるにつれ思 いは強くなりました。 本人が 努力しても受け入れ側 が閉ざされていれば努 力を重ねただけ辛くな ります。 で す か ら 、 学 校 側 か ら の 話 だ け で な く 、 家 庭 で の 保 護 者 の 話 も と て も 大 切 だ と 思 っ て い ま す。 保護者から子供たちに 、ハンディがあっても 一人の人間であり同じ ように気持ちがあり心 がある ことと、支援学級は今 の勉強を分かりやすく 教えるだけでなく社会 生活面、自立活動を通 じ将来 において生きていく上 での大切な勉強をする ところ。だから少ない 人数に先生がついて勉 強をし ていることを、年齢に 応じた言葉で分かりや すく説明していただき ご理解をお願いしたい と思い ます。 入学時には弱視学 級に2人の先輩1人の 同級生がいました。1 年生の時は複式学級で 他学年と の授業を受けました。担任は弱視学級での授業のない時はサポートの必要な親学級での授業に 入って教えて下さり、 その場でできなかった ことは弱視学級でおさ らいをしていただいて いまし 3 た。生活面・体調面に も気を配っていただき 連絡帳に毎日細かく気 が付いたことを書いて 下さい ました。私も毎日家で の様子お願いごとを書 き6年間続けました。 2年生から複式学級が なくなり学年ごとの授 業となりました。先輩 が卒業して4年生の時 弱視 学級が2人になり6年 生の時に下級学年に編 入生が入りました。 ④ 中学 校へ 進路先の選択〔選択のポイント、取り組んだこと・話し合い〕 さて、次に中学校受験 のお話をします。 中学受験というものが 弱視の娘にさせてもら えるのだろうかと不安 でしたが、とにかく本 人が 受けたいというのであ ればできる限りのこと をしてやろうと思い、 塾にも通いました。 10月になり岡山操山 中学校の説明会に娘と 参加し相談をお願いし ました。改めて相談す る日 を設けて下さり学校側 の考えを伺い、私の考 えと娘の思いを伝えま した。弱視であること を伝え ると、点字対応はして いません、支援員はつ かないですと言われ、 出願後にテストに関す る措置 は話し合いましょうと 言われました。 12月に入り、出願後 中学校よりお電話を頂 き措置の話し合いとな りました。視覚補助具 の持 ち込み、時計の持ち込 み、テストの文字の拡 大及びフォントの変更 、面接時の指名の仕方 、時間 延長などをお願いしま したが時間延長だけは 認められませんでした 。文字の大きさは何枚 か見本 を作っていただきその 中から読みやすいもの をお願いしました。受 検当日は別室受験で大 きな机 を用意していただきま した。面接は他の受検 生と一緒に受けました 。 合格後〔話し合い?、支援、学校の対応〕 そして、受検から10 日後に合格通知が届き ました。娘は泣きなが ら喜びを体全体で表し てい ました。学校での辛い ことも、勉強の大変さ も愚痴ることなくこの 日のためによく頑張っ たと思 いました。 2月になり入学後の支 援について先生方との 話し合いがもたれまし た。最初に副校長先生 から 他の生徒たちにとても 良い影響になります。 という言葉をいただき ました。私はこれから 大変お 手数をお掛けすること を申し訳なく思ってい たので、とても嬉しく 思いました。授業の進 め方な どこちらの要望を尋ね てくださいました。 入学前には盲学校の関 係の先生方が中学校に 来て下さり、娘にとっ て生活や勉強がしやす いよ う先生方にお話をしてくださいました。盲学校との連携で入学の準備を進めてくださいました。 学習や生活〔学校の対応、本人の努力、後輩への思い〕 入 学 式 が 終 わ り 教 室 に 戻 る と 、 担 任 が こ ん な お 話 を さ れ ま し た 。「 そ れ ぞ れ 色 々 な 小 学 校 か ら 来たと思います、早く お友達を作りましょう 、でも一番にお友達に なってほしい人がいま す」そ れから娘の名前を言い 、目が見えにくいこと 、サポートが必要なこ とを話され、そして最 後に「 吉本さんのせいで目が 悪いのではなく生まれ つきの病気です。みん なと同じテストを受け 入学し ま し た 。 困 っ て い る の に サ ポ ー ト を し な い 、 そ ん な こ と を 先 生 は 許 し ま せ ん 。」 と お 話 し さ れ ま した。このお言葉のお かげで娘は素晴らしい スタートができたと思 います。 今でも保護者の方から 担任の先生の言葉が忘 れられない。同じクラ スになれて良かったわ 、と 言われます。いつも心 のどこかで娘の事が他 の人にとって迷惑にな っているのではないか という 思いがあるのですが、 このような言葉をかけ ていただけると気持ち が楽になります。 4 中 学 校 の 勉 強 は 想 像 以 上 に ハ ー ト ゙な も の で し た 。 人 の 2 倍 程 勉 強 に 時 間 を 要 す る た め 、 寝 る のは毎日日付が変わっ てからでした。それで も自分で選んだ学校な ので泣き言も言わず、 予習・ 宿題は欠かさずしてい ました。また、補助の 必要な体育や調理実習 には手の空いている先 生がつ いて下さり、できる限 り本人の希望を受け入 れてくださいました。 授業で使用するプリン トは各 教科の先生が拡大をし てくださいました。連 絡伝達のプリント、テ ストの文字や図・表も 見やす く作ってくださいまし た。娘も、何が見やす くて何が見えにくかっ たかを伝えるようにし ていま した。毎週月曜日の学 年団の打ち合わせの時 に学年主任の先生から 娘のプリントの拡大を 忘れな いようにと声を掛けて くださっていたとも伺 っています。 う ま く 娘 の 個 性 を 発 揮 で き る よ う ご 指 導 い た だ き 成 績 も 少 し ず つ で す が 上 が っ て い き ま し た。 大好きな英語の発表や 弁論大会は負けたくな い気持ちで毎晩寝る前 に練習をしていました 。ディ ベート部に所属し全国 大会にも出場しました 。先生方・お友達にサ ポートをしていただき ながら 数多くの経験を重ねる ことができました。ま た、娘とはハンディを 持って入学したことは 後に続 く視覚障害を持った後 輩たちのために道をつ けるということが大切 な役割であること、娘 自身が いかに学校生活を送る かで視覚障害の生徒の 印象が変わることを話 しています。 ⑤ 高 校へ 学校の対応〔引き継ぎ〕 高校については、中高 一貫校ということで高 校への進学が決まって いましたので、不安な こと は 授 業 の ス ピ ー ド ゙に つ い て い け る か ど う か で し た 。 中 学 校 か ら の き め 細 か い 申 し 送 り を し て い た だ く と と も に 、高 校か ら i Pa d に 教科 書を 入 れ て の 導 入 の許 可を い た だ き 、 勉 強が しや す い よう配慮をしていただ きました。中学校で教 えていただいた先生が 高校での担任となり勉 強や生 活面で支えていただい ています。 大学受験に向けて頑張る様子=本人の工夫や学校の理解〔iPad、など〕 高校の授業は予習の上 に成り立っています。 また、黒板も教科によ っては何度も書き換え られ ます。先生の話されて いる言葉を要約しなが らノートに書き、黒板 をiPadのカメラで 写しま す。また、先生からは 事前に授業の内容のプ リントを頂き書き写す 作業を簡単にできるよ うに配 慮を頂いています。一 年生の後半からは定期 テスト・実力テスト・ 校外模試で時間延長を してい ただいています。 ※ここで岡山盲学校の 講師・竹内昌彦先生に ついてご紹介したいと 思います。 竹内先生は幼少の時に 高熱から視力を徐々に 失い全盲となられまし た。講演や本の売り上 げ でモンゴルに盲学校を 作られ、卓球でパラリ ンピックにも出場され ています。 拝啓、竹内昌彦先生 私たちはあなたの生き 方に深い感銘を抱かせ ていただきました。生き る理由まで気付かせ ていただきました。そ のご恩に報いる方法は 、あなたの生き方をも っと多くの人に知って もらうことだと考えま す。 そこで、あなたの歩 ん だ道を映画にして、あ なたの理想をもっと全 国に、世界に広めるの だという一大決心をい たしました。 と始まり、竹内昌彦先生の社会活動に感動し参加した仲間が映画化実行委員会を立ち上げ、 5 映画化募金で「みえな いからみえたもの」と いう自主映画ができあ がりました。 是非「拝啓 竹内昌 彦先生」というホーム ページをごらんくださ い。 http://haikei-takeuchi.jp 6