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準備書面(1)―①
平成 23 年(ワ)第5号 損害賠償請求事件 原告 大桃 聰 外 14 名 被告 魚沼市 外2名 準備書面(1)―① 平成 23 年2月 14 日 新潟地方裁判所長岡支部民事 D 係 御中 原告訴訟代理人弁護士 鷲見一夫 鷲見国際法律事務所(送達場所) 〒950‐2002 新潟市西区青山 2 丁目 3 番 32 号 プレステージ青山 1411 号 電話 025−231−3569 FAX 同上 被告の答弁書「求釈明」に対する回答 第1 被告佐藤英重について 1 要件事実の問題 被告訴訟代理人は、 「不法行為責任を主張するなら、民事訴訟規則 53 条2項に基づき、本件において、原 告らが不法行為の要件事実として主張する事実とそうでない事実、あるいは事情とを区別して主張された い。 」と言う。この言い方からみると、被告訴訟代理人は、国家賠償法(以下、 「国賠法」と言う。)の規定、 特に第1条第1項の規定内容について御存知ないようなので、同規定のイロハについて以下に説明する。 国賠法第1条第1項の要件事実は、 「国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うに ついて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えた」ことである。この要件事実について、仙田富士 夫判事は、 「国家賠償請求訴訟と要件事実」と題された論文(『新・実務民事訴訟講座6不法行為訴訟Ⅲ』 、日 本評論社、昭和 58 年、17 頁)において、構成要件として、主観的要件と客観的要件に分けて、次のように説 明している。 「民法 709 条における要件事実が、通説によれば主観的要件と客観的要件とに分けられるように、国家 賠償法1条1項の要件事実もまた、主観的要件と客観的要件とに分かれる、とされる。この考え方に従え ば、国家賠償法1条1項の規定による主観的要件としては、次の三個、すなわち、①国又は公共団体の公 権力の行使に当たる公務員の行為であること、②右の公務員の行為は、職務を行うについてなされたもの であること(したがって、右の公務員の行為は、公権力の行使であること)、③右の公務員の職務執行すな わち公権力の行使には、故意又は過失があること、が、また、客観的要件としては、次の三個、すなわち、 ①右の公務員の職務執行すなわち公権力の行使が違法であること、②第三者が損害を被ったこと、③右の 公務員の違法な職務執行すなわち公権力の行使と第三者が損害を被ったこととの間に因果関係が存するこ と、があることとなる。 」 1 以下には、国賠法第1条第1項の要件事実について、ここに掲げられる構成要件の分類を参照にしつつ、 本件における要件該当性について説明することにする。 (1) 「国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員の行為」について これは、行為の主体についての要件事実である。この点についての主張・証明責任が原告にあることは確 かであるが、本件においては、これについて一々説明することもない事柄である。なぜなら、魚沼市が地方 公共団体であること、被告佐藤英重が、同市の代表監査委員であり、特別職公務員であること、また監査業 務が「公権力の行使」に該当することは自明の事柄であるからである。 (2) 「職務を行う」について これは、公務員の行為に一種の限定を付する要件事実であるが、公務員の行為が客観的に職務行為の外形 を具備していれば良いとされ、公務員の主観的意思の如何を問わないとされる。この点は、損害賠償請求権 の存在を主張する原告側が、当該公務員が一般的職務権限、少なくとも事物管轄を有していることを主張・ 立証することになるが、本件については、被告佐藤英重が監査業務に携わったことは歴然としているのであ るから、ことさらに主張・立証するまでもない事柄である。 (3) 「故意又は過失」について これは、公務員の主観的な要件事実であり、国賠法第1条第1項に基づく損害賠償請求権が成立するため には、当該公務員に故意ないしは過失のいずれかが存しなければならないが、両者の要件事実としての性質 が全く異なることは言うまでもない。なぜなら、故意が社会的事実であるのに対して、過失は、当該公務員 が職務執行に際して尽すべき注意義務を懈怠することであって、しかもそれは当該公務員が職務上通常有す べき知識経験を基準として判断されるのであるから、 法的価値判断の対象となり得るものであるからである。 ところで、国家責任を代位責任と見るか、それとも自己責任と見るかについては学説上争いがあるが、前 者が通説である。これとの絡みにおいて、伊藤瑩子判事は、 「国家賠償責任の要件としての、行為の違法性と 行為者の故意・過失および両者の関係について――実体法上および訴訟法上の問題――」と題された論文(訟 務月報第 19 巻第8号 147 頁)において、次のように説明している。 「国賠法1条にいう行為者の『故意・過失』の概念については、同条の国家の責任の性格を代位責任と みるか、自己責任とみるかによっておのずから異なる----------代位責任とみる通説の立場からは、故意・過 失を当該公務員の主観的要件とするから、故意・過失は、公務員の第三者に対する職務義務違反の主観的 側面をさすものだとする。したがってこの見解からすると、故意とは、一定の結果の発生と右結果の発生 原因となった行為が違法すなわち職務義務違反することを認識しながら、あえて行為にでたという心理状 態をいい、 『過失』とは、右の事実を注意すれば認識しえたにもかかわらず不注意にも認識せずに行為にで たという心理状態であるといわれる。 」 この「故意」と「過失」の定義に照らしてみるならば、被告佐藤英重が自ら補助金受給者であること、従 って監査業務を行う資格のないことを知りつつ、あえて原告らの住民監査請求を実施したこと、そして当該 監査請求を却下したことには、明らかに「故意」があると言わねばならない。この点については、訴状訂正 の申立書において、以下のように記述しておいたはずである(3頁)。 「原告訴訟代理人は、住民監査請求書を魚沼市監査事務局に持参して提出したのであるが、その際に代 表監査委員である被告佐藤英重は、本件補助金については、復興基金からの交付であるから、魚沼市独自 の公金支出とは言えない面があり、監査業務の点で難しさがある旨の発言をした。これを受けて、原告訴 訟代理人は、その点での難しさがあることは理解できないでもないが、少なくとも補助金申請手続の事務 2 処理について魚沼市の公金を支出したこと、 特に不正受給問題の事後調査について、 魚沼市が 301 万 3,500 円の公金を支出したのであるから、この点での監査を行う必要があるのではないかと指摘した。そして、 監査請求を求めている住民からの意見聴取の機会を設けてもらいたいこと、また市関係者からの事情聴取 を行う場合には、住民側からの参加の機会も設けてもらいたい旨を要求した。 ところが、魚沼市監査委員は、住民からの意見聴取、市関係者からの事情聴取は一切行わず、 『本件住民 監査請求は、法第 242 条第1項の要件を満たさない請求であるから却下する。 』旨を通知してきた(甲第2 号証)。しかも、この通知書においては、調査費支出問題については何ら触れられていなかった。 」 このように、被告佐藤英重は、住民監査請求書が提出された時点において、自らが補助金を受給していた こと、従って除斥の対象となっていることを隠したままで。故意に監査業務を実施したのである。しかも、 住民からのヒアリング措置の機会も設けず、また関係市職員からの事情聴取も行わないままに、いきなり住 民監査請求の却下という措置を講じたのである。これは、地方自治法の下で設けられている監査前置主義の 法意をないがしろにするものである。 ここには、二つの問題がある。一つは、地方自治法第 199 条の2の規定違反の問題である。もう一つは、 住民監査請求の実施の仕方の問題である。前者の問題は、 「違法性」の問題であるので後述することにして、 ここでは後者の問題について眺めてみることにする。この点については、訴状訂正の申立書においては、 「監 査委員が住民監査請求書の記載内容または添付書類に不備があると判断する際には、いきなり却下措置を講 ずるのではなく、それを補充する機会を設けるべきであるというのが、これまでに通常採られてきている行 政実行である。そのような措置を講じなかったことが不適法と判断された事例もある。 」と記述し、その典型 例として、福井県南条郡今庄町長海外旅費事件について触れておいたはずである(3頁)。 この事案では、 町長の欧米視察旅費(60 万円)、 ソビエト視察旅費(54 万円)および交際費(30 万円)について、 その支出行為が違法であるとして、住民により、地方自治法第 242 条の2第1項2号に基づく取消請求と同 項4号に基づく不当利得返還請求が提起された。訴訟の過程において、被告側は、監査請求には、 「事実を証 する書面」が添付されておらず、従って本件提訴が、地方自治法第 242 条第1項に違反しており、適法な監 査手続を経ていないと主張した。この問題について、福井地裁昭和 42 年3月 10 日判決(行裁例集第 18 巻第 3号 214 頁)では、以下のように判示された。 「しかしながら住民監査を請求するに当っての要件は同法同条第1、2項に規定されている如く、(イ) 住民であること、(ロ)執行機関又は職員の行為であること、(ハ)一定の財務会計上の行為であること、(ニ) 一定期間内に提起すること等であって成立に争いのない甲第4号証の1によると、原告等の監査を求める 対象は特定しているものと云うことができる。しかして『事実を証する書面』の添付が監査請求当時仮り になかったとしても同条第5項によって請求人に証拠の提出及び陳述の機会を与えて不備な点は補充すべ きであるのに、それらの措置をとらずして監査請求を却下したことは、広く個々の住民に右請求の権限を 与え地方財政の公平を保持せんとする法の趣旨からして適法ではなく、結局同条第4項の期間に監査又は 勧告を行わない場合に当り、出訴できるものと云わざるをえない。 」 同様に、加古川市議会議員期末手当・調査研究費事件においても、 「証する書面」の不添付が問題となった。 本件は、加古川市の住民が、市議会の議員に対する期末手当の支給と市議会の各会派に対する調査研究費の 支給が違法であるとして、地方自治法第 232 条の2第1項4号に基づいて、同市の市長を相手取って起した 損害賠償請求訴訟である。本件では、本案前の問題として、住民監査請求の特定性と「証する書面」の有無 が争点となった。というのは、 「加古川市長違法措置請求書」と題された住民監査請求書には、以下のように 3 記載されているだけで、また「証する書面」も添付されていなかったからである。つまり、 「調査研究費一人 月額5万円、年間 60 万円、37 人で 2220 万円は、俗に言う第二報酬であり、ヤミ給与である。 」 「加古川市 議会の会派に対する調査研究費交付要綱第5条の市長に対する使用状況を報告する規定を無視し、永年に亘 り無報告という杜撰な現状である。 」 「 『天に口無し人を以て言わしむ』私は天の声を二度聞いております。一 度は補助金は全部分け取り、二度目は、会派で必要な経費を引いて残りは分配するとのことである。 」 そのため、被告側は、本件調査研究費についての監査請求は特定性を欠いているため不適法であり、また 本件監査請求には当該行為等を「証する書面」の添付がないから違法であると主張したのである。前者の監 査請求の特定性の問題については、神戸地裁平成3年 11 月 25 日判決(判例時報 1442 号 88 頁)では、前記の 「加古川市長違法措置請求書」を引用して、以下のように説示した。 「以上の記載を総合すると、原告が求めているのは、加古川市議会議員 37 人の1年分の調査研究費に ついての監査であり、その主張している事実は、会派に支給された調査研究費補助金の全部又は会派の必 要経費を引いた残額を当該会派所属の議員が分配しており実質上は各議員のヤミ給与というべき状態にな っており、この状態は永年にわたり継続され、その間、交付要綱5条が義務づける市長に対する使用状況 の報告も怠っているというものであると認められる。 この主張を吟味すると、原告が問題としているのは、本件調査研究費について、政治資金に使ったとか 遊興費に使ったとかいうような一定期間中にされた種々の行為やその使途についてなどではなく、永年に わたり会派所属議員に分け取りされてきたと原告が主張するような調査研究費補助金の交付という制度そ のものについてであることは明らかである。そうすると、原告は、加古川市の調査研究費補助金制度全体 を一体とみてその違法又は不当性を主張していると解することができる。 」 また、住民監査請求書に「証する書面」が添付されていないという被告側の主張については、神戸地裁は、 これを斥けて、次のように説示した。 「ただ、本件監査請求においては、その記述が、形式的には、添付されている事実証明書にあるのでは なく、加古川市長違法措置請求書自体の中にあり、いわば、本件調査研究費に関しては、監査請求書と『証 する書面』が一通の文書を構成しているのである。しかし、本件において、法律の専門家でない原告に、 請求する書面と『証する書面』の厳密な区別を期待することは相当ではなく、監査請求書の中に、 『証する 書面』に相当する記載はあるが、独立した『証する書面』は添付されていないという形式を捉えて、監査 請求を不適法とすることも相当ではない。 」 これらの判決に照らしてみるならば、被告佐藤英重の住民監査請求の却下措置は、明らかに不適法なもの である。そこには、まともな監査業務を遂行する場合には、自らの補助金受給が不正なものであることが露 見してしまうために、それを回避しようとの明らかな意図を読み取ることができる。 (4) 職務執行の「違法性」について 国賠法第1条第1項の「違法に」とは、厳密な意味において、法令に違反する場合に限られるのかどうか をめぐって狭義説と広義説との対立がある。つまり、前者では、法令違反の場合に限られるとするのに対し て、後者では、人権の尊重、権力濫用、信義誠実、公序良俗違反などの諸原則も、違法性の判断基準にしな ければならないというのである。 しかし、本件の場合には、被告佐藤英重の違法性の存否については、原告側が証明するまでもない事柄で ある。なぜなら、地方自治法第 199 条の2の規定違反が明々白々であるからである。この点については、訴 状訂正の申立書においては、以下のように記述しておいたはずである(4頁)。 4 「地方自治法第 199 条の2では、 『監査委員は、自己若しくは父母、祖父母、配偶者、子、孫若しくは 兄弟姉妹の一身上に関する事件又は自己若しくはこれらの者の従事する業務に直接の利害関係のある事件 については、監査することができない。 』と定めている。 この規定が設けられた趣旨は、監査業務の執行の公正性を確保するためである。監査委員自身またはそ の親族が絡むような事件については、公正な判断を下すことが期待し得ないからである。それ故、監査委 員が、このような立場にある場合には、当該監査委員は、監査業務からは除斥されるのであって、その職 務は、他の監査委員によって行われなければならないのである。 この規定に照らしてみるならば、被告佐藤英重は、本件について監査を行う資格を有していなかったこ とは明白である。なぜなら、彼は、先に見たように、本件に絡む農業用井戸の補助金の直接の受給者であ ったからである。 」 そして、 これに続いて、 「監査委員には、 地方公共団体の首長からは独立した強大な権限が付与される反面、 厳正中立の業務遂行姿勢が要求される。 」と指摘して、阪南町町有地売却事件について触れておいたはずであ る。 この事案は、阪南町長が、同町所有の山林を随意契約により売却したのに対して、同町住民らが、当該山 林売却契約の随意契約による締結は、地方自治法第 234 条第2項および同法施行令第 167 条の2第1項1号 (現行2号)に違反していると主張して、地方自治法第 242 条の2第1項1号に基づいて、町長に対して所有 権移転登記手続の差止を求めた住民訴訟である。 この住民訴訟においては、 山林買受契約の当事者の一人が、 監査委員であったことから、彼への売却契約の有効性が問題となったのである。 当該訴訟では、監査委員を契約当事者とする売却契約については、当然無効とされた。この点について、 大阪地裁昭和 55 年6月 18 日判決(行裁例集第 31 巻第6号 1334 頁、判例タイムズ 425 号 95 頁)では、次の ように判示された。 「本件土地(1)は、売却される場合、監査の対象となり得る町有財産であるから、監査委員であった被 告根来弘がこれを買い受けたことは違法であり、法 238 条の3第2項により無効である。したがって、原 告らの被告根来弘に対する請求は、その余の点についての判断をするまでもなく理由があることに帰着す る。 」 同様に、大阪高裁昭和 56 年5月 20 日判決(行裁例集第 32 巻第5号 818 頁)でも、以下のように判示され た。 「なるほど本件においては、控訴人は----------本件土地(1)の特別縁故者であって、----------令 167 条の2 第1項1号により随意契約によりその売渡しを受け得る者に該ると認め得るとともに、控訴人が買取るこ とにより直ちに伐採が行なわれるとも認め難く、本件における町の売却目的を損うおそれもないと考え得 ることは控訴人主張のとおりであろう。しかし、法は同条2項により同1項違反の行為を無効とするとと もに、これに対する何らの除外規定をももうけていないのであって、その違反の有無はこれを形式的に判 断し、右のような具体的事情によってその適用を区区にすることを許さないものと解すべきである。よっ て控訴人による本件土地(1)の買受は無効とせざるを得ない。 」 この判決の基盤となっているのは、監査委員は「公正不偏」でなければならないとの法意である。つまり、 地方自治法第 198 条の3第1項では、 「監査委員は、その職務を遂行するに当たっては、常に公正不偏の態 度を保持して、監査をしなければならない。 」と定められているのである。それ故、この点に関して、訴状訂 正の申立書では、 「この判決に照らしてみるならば、監査委員の地位にある被告佐藤英重が締結した補助金受 5 給契約は、当然無効である。そればかりではなく、彼には監査委員としての適格性も欠いていたと言わねば ならない。 」と指摘しておいたはずである(5頁)。 もしも被告訴訟代理人が被告佐藤英重の違法行為、つまり補助金受給者という利害関係者でありながら監 査業務を実施することが適法であると主張するのであれば、この点についての反証を行うべきである。この 点が本件のキーポイントである。 (5) 損害の発生について 国賠法上の損害賠償請求権の客観的要件として、違法な行為の結果、損害の発生することが必要であるこ とは言うまでもない。この場合、 「損害」のうちには、単に財産的損害ばかりでなく、非財産的損害も含まれ る。この点について、古崎慶長判事は、 『国家賠償法』(有斐閣、昭和 49 年、183 頁)において、次のように 言われる。 「損害とは、法益侵害のために被る不利益である。この不利益は、財産的損害であると、非財産的損害 であるとを問わないし、積極的損害であると、消極的損害(得べかりし利益の喪失)であるとを問わない。 」 本件において、原告らが主張しているのは、非財産的損害である。つまり、一つには、本来除斥されるべ き監査委員による違法な業務行為により、監査前置主義という目的が、不適正に損なわれたこと、従って公 正な地方自治行政への信頼が裏切られたことへの精神的不快感という損害である。もう一つには、適正な監 査業務が行われたのであれば、 住民訴訟を提起する必要はなかったのであるが、 それを余儀なくされたこと、 また住民訴訟において、被告らは、違法・無効な監査結果を持ち出して、監査請求を経ていないとの詭弁を 弄することに対する精神的怒りである。 このような公正な地方自治行政への期待権は、人格権の一種であり、それの侵害は、国賠法上の権利侵害 である。このような法益の侵害が不法行為を構成することは、水俣病認定遅延損害賠償請求事件に関する最 高裁平成3年4月 26 日判決(民集第 45 巻第4号 653 頁)でも認められている。この判決では、以下のように 判示された。 「ところで、一般的には、各人の価値観が多様化し、精神的な摩擦が様々な形で現れている現代社会に おいては、各人が自己の行動について他者の社会的活動との調和を充分に図る必要があるから、人が社会 生活において他者から内心の静穏な感情を害され精神的苦痛を受けることがあっても、一定の限度では甘 受すべきものというべきではあるが、社会通念上その限度を超えるものについては人格的な利益として法 的に保護すべき場合があり、それに対する侵害があれば、その侵害の態様、程度いかんによっては、不法 行為が成立する余地があるものと解すべきである。 これを本件についてみるに、既に検討したように、認定申請者としての、早期の処分により水俣病にか かっている疑いのままの不安定な地位から早期に解放されたいという期待、その期待の背後にある申請者 の焦燥、不安の気持を抱かされないという利益は、内心の静穏な感情を害されない利益として、これが不 法行為法上の保護の対象になり得るものと解するのが相当である。 」 この判決に照らしてみても、原告らの「内心の静穏な感情を害されない利益」の侵害は、その程度におい ては水俣病患者のほどではないにしても、その性質においては同じである。なぜなら、農業用・養鯉用の補 助金の目的外使用の問題が再三再四にわたって報道され(甲第 12、13、14 号証)、それについての情報開示 を請求しても個人情報を理由に、それを開示せず、しかも被告大平悦子は、いったん補助金不正受給者を告 発すると表明しながら(甲第 22、26 号証)、それを取り止め、さらに住民監査を請求すれば、被告佐藤英重は、 監査を行うこともなく、請求を却下するという事態が続いてきているのであって、こうした行政の「腐敗隠 6 し」に対して、原告住民らは、怒り心頭に達しているからである。 (6) 違法行為と損害との間の因果関係について 国賠法上の損害賠償請求権が成り立つためには、加害行為と損害との間に、相当因果関係のあることが必 要であることは言うまでもない。本件においては、原告らは、本来監査委員からは除斥されるべき被告佐藤 英重の違法・無効な監査請求却下措置により、非財産的損害を被ったと主張しているのである。この点につ いては、訴状訂正の申立書においては、以下のように記述されている(5∼6頁)。 「原告らは、 『人格が高潔で』 、 『識見を有する者』という資格を備えた監査委員によって適正な監査業務 が行われるものと期待していた。しかし、この期待は、見事に裏切られた。そして、それによって、著し い精神的苦痛を受けた。その上、被告魚沼市は、このような監査結果の無効を自省することもなく、臆面 もなく被告高橋信行を通じて訴訟活動を続けている。 」 このように、原告らの損害賠償請求権の根拠は、適正な監査業務が行われなかったこと、公正な地方自治 行政への信頼を裏切られたこと、そのために別訴住民訴訟の提起を余儀なくされたこと、さらに別訴住民訴 訟では、被告高橋信行は、本来無効であるべき監査結果を悪用しているという点にある。それ故、原告らは、 訴状訂正の申立書において、以下のように記したのである(6頁)。 「このような被告佐藤英重の違法行為により、またそれを放置した被告大平悦子市長により、さらに無 効のはずの被告佐藤英重の監査結果を悪用した被告高橋信行により、原告らは、公正な地方自治行政への 信頼を大きく裏切られた。これを金銭で慰謝するには、被告らは、連帯して原告ら各自に対して金 45 万 円を支払うのが相当である。また、本件訴訟遂行のための弁護士費用としては、原告ら各自について5万 円を支払うのが相当である。 」 (7) 小括 被告佐藤英重に絡む国賠法上の損害賠償責任の問題に関しては、その要件事実のうち、 「国又は公共団体の 公権力の行使に当たる公務員の行為であること」 、 「職務を行うについてなされたものであること」 、 「損害が 発生していること」 「違法行為と損害との間に因果関係が存在すること」 、 という4つの構成要件については、 大きな問題はない。それ故、最大のポイントは、違法性と故意の点である。 「違法性」の点については、地方自治法第 199 条の2の規定違反は歴然としている。また、 「故意」の点 については、代表監査委員である被告佐藤英重が地方自治法第 199 条の2の規定を知らなかったというのは 考えられず、しかも自らが補助金受給者であることは熟知していたはずである。 それ故、被告佐藤英重は、適正な監査業務を実施すれば、自らの補助金不正受給を問題とせざるを得なか ったことから、住民監査請求の却下という措置を講じたのである。ここには、明らかに「故意」がある。 2 公務員個人の責任の問題について (1) 問題の所在 被告訴訟代理人は、答弁書において、 「原告らは、民法 709 条に基づき、被告佐藤個人に損害賠償請求を するが、被告佐藤は被告魚沼市の監査委員としての公務員であり、原告らは被告佐藤の監査委員としての職 務執行についてその責任を問うもののようである。しかし、国家賠償法1条においては、公務員の不法行為 によって他に損害を与えた場合には、公共団体が賠償責任を負い、公務員個人は賠償責任を負わないとする のが確立した判例である。 」と言い、 「それにも拘わらず、被告佐藤個人が賠償責任を負うとする法的根拠を 明らかにされたい。 」と主張する(2頁)。 ここにおいて、 「法律実務の専門家」を自負する被告訴訟代理人の無知と正義感の欠如が見事に露呈してい 7 る。なぜなら、国賠法絡みでの最高裁判決では、未だに個人責任を認める判決が出されていないことは確か であるが、高裁、地裁レベルでは、これを肯認する判決が出されているからである。被告訴訟代理人の言う 「判例」とは、最高裁判決のみを指すようである。 また、 この点について学説も分かれており、 個人責任を否定する学説が多数説であることは確かであるが、 肯定説も根強く主張されてきているのである。 このように、公務員の個人責任を肯認する下級審判決が出され、また学説上もこのような考え方が唱えら れてきているのには、主として三つの理由がある。一つには、正義・公平の観点から眺めるとき、民法では 機関個人または被用者自身の被害者に対する直接責任を負うとされているのに比して、公務員の場合にそれ と別異に取扱うのはフェアではないという理由である。二つには、公務員の違法行為のうちでも、とりわけ 悪質な違法行為については、被害者の救済に加えて、個人責任も問うべきではないかという理由である。三 つには、国賠制度は、単に損害補填的機能だけではなく、違法行為に対する監視的機能をも有していること が考慮に容れられるべきであるというのである。 この点は、本件については、極めて重要な問題である。なぜなら、監査委員が補助金を受給していながら、 それを隠して監査業務を行うという前代未聞の出来事について、このような公務員の悪質行為を不問にする ことが、はたして妥当なのかどうかという問題が絡んでいるからである。 (2) 学説 ① 否定説 多数説は、公務員の個人責任を全面的に否定するのであるが、その実質的根拠は、第一に、国または公共 団体が責任を負うことによって被害者の救済は十分に図れるということ、また第二に、もしも公務員の個人 責任を認めるならば、公務員が萎縮して公務の円滑な遂行が麻痺するということにある。この見解を採る代 表が、古崎慶長判事である。同判事は、前掲書(200 頁)において、否定説を採ることを表明している。 西埜章新潟大学教授も、 『国家賠償法』(青林書院、平成9年、245∼246 頁)において、 「筆者もまた、国賠 制度は損害填補的機能だけではなく、違法行為に対する監視的機能をも有していると考えている。 」のである が、 「しかしながら、国賠制度の監視的機能を重視する立場に立脚したとしても、そのことが直ちに公務員の 個人責任を肯定することに結びつくわけではない。監視的機能は、それ以外によっても十分期待され得るか らである。例えば、国・公共団体に損害賠償責任を負わせたり、加害公務員に対して求償権を行使したりす ることの中に、すでに監視的機能が働いているものといってよい。 」と述べられる。 ② 肯定説 学説上は、公務員の個人責任を否定する見方が多数説であるが、これを肯定する見方も有力に唱えられて きている。例えば、植村栄治成蹊大学教授は、 「公務員個人の責任」と題された論文(ジュリスト 993 号 159 頁)において、次のように述べる。 「しかし、いずれにせよ、公務員に職務執行の意思が全くないような場合には公務員を保護する必要は ないのであって、公務員個人の責任を肯定しなければならない。かかる場合であっても公務員の行為が職 務執行の外形を備えるときは国家賠償法1条1項が適用され国は賠償責任を負うとするのが判例であるが、 かかる場合にまで、国が責任を負うからとの理由で公務員個人の責任を否定するのは全く不合理と言わな ければならない。 」 なお、肯定説のうちには、公務員に軽過失があるにすぎない場合にも被害者に対して直接賠償責任を負う とする見解もあるが、このような観点に立った判例はない。地裁、高裁レベルで公務員の個人責任を肯認し 8 たいずれの判決も、当該公務員に「故意」がある場合、ないしは「故意または重過失」がある場合に限られ ている。 この点で、肯定説は、二つに分かれる。一つは、制限的肯定説であり、もう一つは、加重制限的肯定説で ある。 制限的肯定説は、公務員に「故意または重過失」がある場合に限って、個人責任を肯定する見方である。 例えば、室井力名古屋大学教授は、 「国家賠償法と公務員の個人責任――芦別国家賠償請求第一審判決を契機 に」と題された判例評論(判例時報 664 号 108 頁)において、次のように述べられる。 「なお、軽過失の場合についてまで個人責任を認める説について簡単に触れるなら、現代国家活動・行 政活動はきわめて複雑多様化しており、公務員が公務遂行に当って軽い過失による違法な権利侵害を侵す ことはままありうるところであり、そのような場合にまで個人責任を負わせることは酷であるといわねば ならない。純理論的には、この全面的肯定説も十分に成り立ちうるが、右のような現代行政活動の私人の 社会活動に対する特殊性からして、現行法の解釈論としては、国家賠償法1条2項の求償権の限定規定を もあわせ勘案しつつ、公務員の個人責任は、故意または重過失のある場合にかぎって認めるのが妥当であ ろう。 」 これに対して、加重制限的肯定説は、公務員に「故意」がある場合に限って、個人責任を肯定すべきであ るとする見解である。この観点に立つ代表的判例は、後掲の大阪高裁判決である。 (3) 否定説に立つ判例 これまでの最高裁判決は、基本的に否定説の立場に立っており、公務員の個人的責任を認めることには消 極的である。 ① 最高裁昭和 30 年4月 19 日第三小法廷判決(民集第9巻第5号 534 頁、判例時報 51 号4頁) 「次に上告人等の損害賠償を請求する訴について考えてみるに、右請求は、被上告人等の職務行為を 理由とする国家賠償の請求と解すべきであるから、国または公共団体が賠償の責に任ずるのであって、 公務員が行政機関としての地位において賠償の責任を負うものではなく、また公務員個人もその責任を 負うものではない。従って県知事を相手方とする訴は不適法であり、また県知事個人、農地部長個人を 相手方とする請求は理由がないことに帰する。 」 ② 最高裁昭和 46 年9月3日第三小法廷判決(判例時報 645 号 72 頁) 「公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行なうについて、故意又は過失によって違法に他 人に損害を加えたときは、国がその被害者に対し賠償の責に任ずるのであって、本件のような事実関係 のもとにおいては、公務員個人は被害者に対して直接その責任を負うものではないと解するのが相当で ある。 」 ③ 最高裁昭和 47 年3月 21 日第三小法廷判決(判例時報 666 号 50 頁) 「公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行なうについて、故意または過失によって違法に 他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はそ の責任を負わないと解するのが相当である。したがって、右と同旨の見解に立って上告人の本訴請求を 排斥した原審の判断は相当であって、原判決には、国家賠償法1条の解釈について所論の違法があると はいえない。 」 ④ 最高裁昭和 53 年 10 月 20 日判決(民集第 32 巻第7号 1367 頁、判例時報 906 号3頁) これは、芦別国家賠償請求事件に対する判決である。本件については、後に見るように、札幌地裁判 9 決では、検察官3名の個人責任が肯認されたのであるが、札幌高裁は、この判定を覆した。そして、最高 裁は、この高裁判決を是認した。 しかし、ここで留意する必要があるのは、上記の最高裁判例では、とりわけ悪質な公務員の行為が審理対 象となったわけではないという点である。この点について、阿部泰隆神戸大学教授は、 『国家補償法』(有斐 閣、昭和 63 年、72 頁)において、次のように指摘する。 「最近は否定説に固まってきたように見えるが、最高裁が、上記の判示だけで、過失ならともかく、公 務員に故意がある場合でもなお個人責任はないとまでいいきっているといえるのか、疑問であり(その事案 は公務員に故意があるという程の例ではない)、そういう趣旨なら、それにふさわしい事件において、上記 のような検討をふまえて多角的に検討したうえで、理由を付けて決めるべきであろう。目下のところは、 最高裁は故意の場合にまで判断したものではないと解したい。 」 この指摘は、妥当である。これまでのところ最高裁に係属した事案は、公務員の故意または重過失が問題 となるような事案ではなかったのである。そうしたことから、下級審判決においては、公務員の悪質な行為 について、その個人責任を肯認する判決が出されてきているのである。 (4) 制限的肯定説に立つ判例 ① 警察官暴行事件 本件は、警察官による暴行事件である。原告田々辺岩造は、昭和 43 年5月6日午後8時頃、御徒町で飲 酒の上、 常磐電車を利用して帰宅しようとして、 上野駅構内の上野警察署警備派出所附近を通りかかった際、 突然被告内海厳――警視庁上野警察署を勤務地とする警察官(巡査)――により、警備室内へ強制連行された。 そして、被告は、 「酒なんかくらいやがって生意気だ」と言い、 「この野郎、すれ違いさまに、女の身体に手 をさわったろう」と怒鳴り、原告が、それを否定すると、蹴り上げるなどの種々の暴行を加えられ、一時失 神するに至った。 事件後、原告は、東京都、警視庁、東京都議会、弁護士会などに働き掛けて、加害警察官の氏名の確認と 救助を求めて奔走した。しかし、警視庁は、加害警察官の氏名を明らかにすることを拒否したばかりでなく、 捜査をも行おうとしなかった。こうした状況の下で、東京法務局人権擁護部が原告の申立を受理した。そし て、その調査結果を受けて、原告は、東京都と加害警察官を相手取って、損害賠償請求訴訟を起したのであ る。 東京地裁昭和 46 年 10 月 11 日判決(下民集第 22 巻第9・10 号 994 頁、判例時報 644 号 22 頁) 判決では、公務員が個人責任を負うかどうかを考えるにあたっては、以下の要素を考慮する必要がある とした。即ち、 「(1)公務員個人の直接責任を認めると公務員の職務執行を萎縮させてしまうというが、民 法では機関個人又は被用者自身の被害者に対する直接責任を負うとされていることと対比すると、公務員 の場合にそれと別異に解釈して取り扱うべきだとする合理的理由が見出しがたいこと。(2)加害公務員に 対する責任追求は、公務員に対する国民の監督的作用にとって極めて有効な手段であり、本来国民全体の 奉仕者であるべき公務員が故意或は重大な過失によって国民の権利を侵害する場合にすら公務員個人に対 する直接責任の追及を認めないのであれば、経済的充足だけでは満されない国民の権利感情を著しく阻害 する結果を招来するおそれがあること。(3)他方国家賠償法第1条第2項の規定が民法第 715 条第3項と 違って加害公務員の軽過失の場合の求償権の行使を制限していること。 」である。 そして、 「以上の要素を総合勘案すれば、加害公務員に故意又は重大な過失があったときは自らも民法第 709 条の規定による責任を負担せざるをえず、そのような場合の加害公務員と国又は公共団体の責任は不 10 真正連帯債務の関係に立つものと解するのが相当である。 」と説示し、 「これを本件についてみるに、被告 内海の前記行為が民法第709 条の法律要件を充足していることは前認定の諸事実により明らかであるから、 被告内海も原告の被った前記損害を賠償する義務がある。 」と判示した。 ② 身柄拘束者への書籍差入れ拒否事件 本件は、A が、公職選挙法違反事件の被疑者として警視庁留置場に拘留されていたところ、その友人 B が、 東京地裁の許可を得て書籍を差入れようとしたところ、留置場の係官が、書籍の受領を拒んだために差入れ ができなかったことについて、A と B が、東京都と当該係官を相手取って起した損害賠償請求事件である。 東京地裁昭和 40 年3月 24 日判決(判例時報 409 号 14 頁、判例タイムズ 176 号 183 頁) 本件について、判決では、差入れの拒否を違法としたが、A の被った精神的苦痛は極めて小さいものであ ったとして、名目的な損害賠償として、東京都に対して金 1,000 円の慰謝料の支払いを命じた。また、留置 場係官の個人的責任の問題については、以下のように判示した。 「国家賠償法は国又は公共団体の機関である公務員の違法な権力作用によって国民が被った損害につき 救済を与えようとするものであって同法第1条が『---------国又は公共団体が、これを賠償する』と定めて いることから考えても同法により国又は公共団体が賠償の責に任ずるときは職務の執行に当たった公務員 個人は原則として責任を負わず、公務員が個人として不法行為上の責任を負うのは、当該公務員に故意又 は重大な過失がある場合にかぎるものと解するのが相当であるところ、前認定の事実関係によれば、被告 尾崎個人に故意又は重大な過失があったとは認められないので同被告に対する請求もまた理由がないもの というべきである。 」 ③ 芦別国家賠償請求事件 芦別事件は、昭和 27 年7月 29 日の夜半に、国鉄根室本線芦別・平岸間の鉄道線路が何者かによってダイ ナマイトで爆破された事件である。地主照と井尻正夫の2名が逮捕・起訴された。両名は、一審では有罪と された。検察側と弁護側の双方が控訴したが、井尻正夫が死去したため、井尻正夫に対しては公訴棄却の裁 判がなされ、二審では地主照は無罪とされた。 これを受けて、刑事事件の被告人であった地主照とその家族および井尻正夫の遺族らが、国および当時の 警察官・検察官らに対して、捜査、公訴の提起・追行について故意または重大な過失があったとして、損害 賠償と謝罪広告を訴求したのが、本件事案である。 札幌地裁昭和 46 年 12 月 24 日判決(判例時報 653 号 22 頁) 本判決では、国の損害賠償責任と並んで、検察官3名の賠償責任も肯認された。そして、原告らの主張が ほぼ認められ、被告らに対して総額 893 万 6,000 円の損害賠償の支払いが命じられた。 本件裁判の過程において、被告側は、公権力の行使に当たる公務員の職務執行が違法である場合には、国 または地方公共団体のみが賠償責任を負うのであって、当該公務員が個人として賠償責任を負うものではな いと主張したのであるが、札幌地裁は、かかる主張を斥けて、以下のように判示した。 「たしかに、公務員の故意過失により、国家賠償法の適用の対象となる違法行為の行なわれたすべての 場合に、国又は公共団体と並んで加害公務員の個人責任を認めることには疑問があるが、少くとも、右違 法行為が、公務員の故意又は重大な過失によって行なわれた場合についてまで、右公務員が個人責任を免 れると解するのは相当でない。なぜなら、まず、もしもかかる場合についてまで、加害公務員の個人責任 を否定するとすれば、公務員は、公務員たるが故に、民事責任の面において一般人に比し過当な保護を受 けることになって著しく権衡を失する。のみならず、公務員による職務執行の適正は、同法第1条第2項 11 による求償権の行使、その他国家機関内部における規律によって、一応これを担保することが可能である が、それのみでは必ずしも十分とはいえず、右のような場合に被害者たる国民から直接その責任の追及を 許すことが、右の観点から必要であると認められる。もっとも、右のような解釈に対しては、十分な賠償 能力を有する国又は公共団体が賠償の責に任ずる以上、そのほかに、公務員個人の責任を認める必要はな いとの反論が一応は可能である。 しかしながら、 国家賠償ないし不法行為に基づく損害賠償制度の趣旨を、 被害者の純経済的救済という点のみに止めることなく、これに公務執行の適正を担保する機能をお営むも のとして理解することは、必ずしも、右制度の趣旨を不当に拡大したものとはいえないと思われる。しか して、かくして肯定される公務員個人の損害賠償責任は、民法第 715 条の場合における通説判例の見解の 趣旨に準じ、使用者である国又は公共団体の責任と不真正連帯の関係に立つと解するのが相当である。 」 ただし、この札幌地裁判決は、札幌高裁と最高裁によっては受け入れられなかった。札幌高裁と最高裁で は、以下のように判示された。 札幌高裁昭和 48 年8月 10 日判決(判例時報 714 号 17 頁) 札幌高裁判決では、 「本件において検察官が個人責任を負うべき筋合いでないことは国家賠償法の法意に 照らして明らかである。 」と判示して、検察官3名の個人責任を否認した。 最高裁昭和 53 年 10 月 20 日第二小法廷判決(民集第 32 巻第7号 1367 頁、判例時報 906 号3頁) 公務員に故意または重過失がある場合には、当該公務員個人に対して損害賠償請求を行い得るという上 告理由を斥けて、最高裁第二小法廷は、次のように判示した。 「しかし、公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違 法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人 はその責を負わないものと解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁判所昭和 28 条 (オ)第 625 号同 30 年4月 19 日第三小法廷判決・民集9巻5号 534 頁、最高裁判所昭和 46 年(オ)第 665 号同 47 年3月 21 日第三小法廷判決・裁判集民事 105 号 309 頁等)。したがって、右と同旨の見解に立 って上告人らの被上告人高木一、同三沢三次郎、同金田泉に対する本訴請求を排斥した原審の判断は相 当であって、原判決には、国家賠償法1条の解釈について所論の違法はない。論旨は、独自の見解に基 づいて原判決を論難するものであって、採用することができない。 」 ④ 共産党幹部宅電話盗聴損害賠償請求事件 本件は、日本共産党中央委員会幹部会委員・国際部長である緒方靖夫の居宅の電話に対して盗聴施設が取 付けられた事案について、国賠法第1条第1項および第3条第1項に基づいて国および神奈川県の損害賠償 責任が訴求されるとともに、関与警察官3名の個人責任も訴求された。本件について、東京地裁は、国およ び神奈川県の損害賠償責任を肯認するとともに、関与警察官の個人責任も認めて、以下のように判示した。 東京地裁平成6年9月6日判決(判例時報 1504 号 40 頁、判例地方自治 130 号 86 頁) 「思うに、公務は、私的業務とは際立った特殊性を有するものであり、その特殊性ゆえに、民事不法行 為法の適用が原則として否定されるべきものであると解されるが、右の理は、本件のごとく、公務として の特段の保護を何ら必要としないほど明白に違法な公務で、かつ、行為時に行為者自身がその違法性を認 識していたような事案については該当しないものと解するのが、相当である。このように解しても、公務 員の個人責任が認められる事案は、行為の違法性が重大で、かつ行為者がその違法性を認識している場合 に限られるのであるから、損害賠償義務の発生を恐れるがゆえに公務員が公務の執行を躊躇するといった ような弊害は何ら発生するおそれがないことは言うまでもなく、かえって、将来の違法な公務執行の抑制 12 の見地からは望ましい効果が生じることさえ期待できるところである。 」 本件訴訟の過程において、被告警察官らは、前記の最高裁昭和 53 年 10 月 20 日判決を引用して、これ らの者が個人責任を負うことはないと主張したのであるが、東京地裁は、かかる主張を斥けて、次のよう に説示した。 「なお、被告個人ら引用の判例は、加害者たる公務員個人が行為当初より自己の行為の違法性を認識 しつつ行動していたものではないという点において本件とは実質的に事案を異にするものであって、前 示理由に照らし、本件事案が右判例の射程外の事案であることは明らかと言うべきであるから、何ら前 記の結論を左右するものではない。 」 この地裁判決は、基本的に東京高裁判決でも維持されたのであるが、警察官の個人責任については、否定 的判断がなされた。 東京高裁平成9年6月 26 日判決(判例時報 1617 号 35 頁) 「国家賠償制度は、広い意味における不法行為制度の一環として、損害の填補を目的とするものであっ て、加害者個人に対する制裁等を目的とするものではないところ、国家賠償法1条を前記のように解して も、何ら被害者の救済に欠けることとなるものではないし、他面において、加害者個人に対する制裁等の 点については、事柄の性質上、刑事訴追等別途の方法にゆだねられるべき筋合のものというべきである。 」 しかし、この東京高裁判決は、学界では不評である。その主な理由は、一つには、国賠法上の「違法性」 の問題を刑事訴追の問題に摩り替えてしまっている点にある。もう一つには、盗聴行為という明らかな職権 濫用行為について、つまり故意による違法行為について国と神奈川県だけが損害賠償責任を負えば良いとい うのは、官僚の甘えを助長するだけであるという点にある。 (5) 加重制限的肯定説に立つ判例 ① 警察官左遷事件 本件は、尼崎北警察署に勤務していた警察官が生野警察署に左遷されたのは、監察官らが、当該警察官 に対する私的反撥から、その報復的措置として、当該警察官に関する公私にわたる虚偽の事実を捏造した 内容の報告書の作成し、それを兵庫県警察本部長に提出したことによるものであるとして、このような行 為は、職権濫用行為であるとして、民法上の損害賠償を請求した事案である。ただし、判決では、当該事 案においては、職権濫用行為はなかったと認定された。 大阪高裁昭和 37 年5月 17 日判決(高民集第 15 巻第6号 403 頁)、判例時報 308 号 22 頁 本判決では、前記の最高裁昭和 30 年4月 19 日第三小法廷判決(「第一の判例」と略称)と最高裁昭和 31 年 11 月 30 日第二小法廷判決(「第二の判例」と略称)を引用して、以下のように述べられている。 「若し公務員が職務の執行に藉口して、故ら越権行為をなし、或は私心を満足するための報復行為を なして、之が為他人に損害を及ぼしたものとすればそれは職権の濫用であって本来は職務の執行ではな く、正しく公務員個人の不法行為と見るべきものであるが、それがいやしくも客観的に職務執行の外形 をそなえる行為である限り、国民の権益の擁護の立場から国家賠償法に基き国家において、損害賠償責 任を負うべきものとしたのが前掲第二の判例であって、之は当該公務員個人の責任の有無については何 等触れるところはない。而してこの点は同法第1条第1、2項の明文上においても解決されていないの で、専ら解釈に委ねられる問題である。もとより単に被害者の受けた損害の救済という面のみを考える と、国又は公共団体において損害賠償責任を負担しさえすれば十分であると謂えないこともないけれど も、職務の執行を装うという方法を選んで公務員が不法行為を行ったものとすれば、之に対し直接被害 13 者より損害賠償責任を問う道を遮断することは、民法の道義性の見地よりしてその当否は極めて疑わし いものがある。昭和7年5月 27 日の大審院判例は法人の機関として不法行為をなした以上、その者は 個人としても損害賠償責任を負うべきものとしたが、公務員についてのみ之を別個に解する余地は全く ないと謂わなければならない。かように解しなければ、右第二の判例の事案のごとき、巡査が職務行為 をよそおい、強盗殺人を犯したような場合にも、国家賠償法の救済があるとの一事により被害者の遺族 から右犯人に対する直接の損害賠償請求を許さない結論を生じ、その不当なること明白である。前掲第 一の判例は、単に旧農地調整法施行令第 28 条の4第1項に基き地方長官が職務行為としてなした市町 村農地委員会解散命令に付公務員が個人として名誉毀損による損害賠償責任を負うものではないこと を判示したものであって、公務員の私心に基く権限濫用行為に関する判例ではないから、本件に適切で はない。 」 こうした指摘を行った上で、大阪高裁は、 「以上の理由により当裁判所は少なくとも公務員の故意に基く職 権濫用行為については、当該公務員は個人としても損害賠償責任を負担すべきものと解する。 」としたのであ る。ただし、本件については、当該公務員にかかる職権濫用行為はないとして、原告警察官の控訴を棄却し た。 3 小括 公務員の個人責任については、これを否定するのが、多数説である。しかし、違反行為が悪質な場合であ っても国ないしは公共団体が損害を填補すれば事足れりとするのでは、必ずしも正義・公平の観念にそぐわ ないと言わねばならない。東京地裁昭和 46 年 10 月 11 日判決が、警察官の個人責任を肯認したのは、こう した考慮によるものであった。この事案について、下山瑛二東京都立大学教授は、昭和 46 年度重要判例解 説(ジュリスト 509 号 27 頁)において、次のようにコメントした。 「国賠法関係の事件は、約 25 年の歴史をもつことによって、判例もかなり集積し、徐々に混乱期を脱 して整序が進みつつあるが、まだまだ未検討の問題が多い状況にある。公務員個人の責任問題もその一つ であり、最高裁判決も存在するが、それによって解明されきっているわけではないということを指摘せね ばならない。 」 実際にも、その後にも、加害公務員の個人責任を肯認する下級審判決が相次いで出されてきているのであ る。その典型が、芦別国家賠償請求事件に関する札幌地裁昭和 46 年 12 月 24 日判決である。この判決では、 国の責任とともに、検察官個人の責任も認められた。しかし、この判断は、控訴審と最高裁によっては受け 入れられなかった。 同様に、共産党幹部宅電話盗聴事件の東京地裁平成6年9月6日判決でも、盗聴に携わった3名の警察官 の個人責任が肯認された。この判断は、東京高裁平成9年6月 26 日判決によって覆された。なお、本件に ついては、当事者のいずれからも上告がなかったために確定したのであるが、被害者救済がなされれば良い とする発想の仕方に問題のあることは、先に指摘したところである。この点について、真柄久雄明治学院大 学教授は、 「公務員の不法行為責任」と題された論文(『現代行政法大系6国家補償』 、有斐閣、昭和 58 年、 193∼194 頁)において、次のように言う。 「行政の適正確実な執行を保障するために公務員の責任の軽減を図る必要があるという点についていえ ば、国家賠償法では、公務員に対する求償権に制限を加え、当該公務員に故意または重過失ある場合に限 ることとしている。つまり、行政の適正確実な執行を保障するためには、軽過失の場合の免責で足りると いうのが、国家賠償法の採った政策であるといえよう。求償権を行使されるのと直接責任を負わされるの 14 とでは、勿論、同一には論じられないが、前述のように求償権行使は現実には行われていないのであり、 公務員に故意・重過失がある場合でも全く責任を負わないでもよいとする方法がとられたのと同じような 結果になっているのであるから、政策論的には、直接責任を肯定する説も、国家賠償法のとった政策と必 ずしも相反するものとばかりはいえないであろう。 さらに、判例が、 『故意の職権濫用』という旧憲法下での『職務外』不法行為理論(もっとも、それは国 家無責任法制下でのせめてもの被害者救済の拡張という実践的意図・性格をもって主張・承認されたこと ではあったが)すら捨て去ってしまったかにおもわれる点は、問題である。国は、そのような『著しい逸脱 行為』をも予想しうべき組織体として、自己責任を負うべきであるといえても、その故に公務員自身の免 責が認められるかどうかはまた別問題である。少なくとも公務員の『故意の職権濫用』の場合には、これ を『職務外』の行為として公務員自身の直接責任を認めるべきであり、それが同時に『職務を行うについ て』加えた損害であるとして国の賠償責任が認められるという場合には、両者の責任の競合を認めるべき である。そして、このことは、最高裁判決によっても、必ずしもはっきりと否定されているとばかりはい えないようにおもわれる。昭和 47 年判決でも昭和 53 年判決でも、故意または過失のある場合に責任を負 うのは国であって公務員個人ではないことを一般論的に判示しているにとどまり、 『職務外』行為と同視す べき『職権濫用』行為の場合にも積極的に公務員の個人責任を否定しているのかどうかは依然として、は っきりしていないともいえるからである。 」 同様に、猪股弘貴明治大学教授も、 「公務員の個人的責任」と題された論文(『行政判例百選Ⅱ』(第5版) 別冊ジュリスト 182 号 478 頁)において、次のように指摘する。 「いずれにせよ、公務員の個人的責任を否定することは、今日確立された判例法理となっている。しか し、その射程距離の範囲に、 『故意の職権濫用』までも含まれるのかについては、なお検討の余地があるで あろう。また、判例法理を離れて考察してみても、 『故意の職権濫用』の場合、国家賠償法の要件について の外形標準説によって、賠償の対象にされるとはいえ、実質的には職務権限外の行為であり、個人責任の 追及を認めることが可能であるとされてもおかしくはない。さらに、このような場合に個人的責任を認め たとしても、公務員に萎縮的効果が働くとは考えられず、逆に公務の適正な行使のために有効に機能し、 公務員に対する求償権を故意又は重過失に限定していることとの均衡を失することを懸念する必要もない。 この加重制限的肯定説は、公務員の個人的責任についての学説として、注目に値するものである。 」 「法律実務の専門家」を自負する被告訴訟代理人は、こうした真柄教授や猪股教授の指摘を、どのように 受け止めるのであろうか? これまでのところ、 「故意の職権濫用」の事案は、最高裁判決の射程外である。 それ故に、東京地裁昭和 46 年 10 月 11 日判決、札幌地裁昭和 46 年 12 月 24 日判決、東京地裁平成6年9 月6日判決などに見られるように、最高裁判決にもかかわらず、下級審レベルにおいては、公務員の個人責 任を肯認する判決が出されてきているのである。東京地裁平成6年9月6日判決が説示するように、 「公務員 の個人責任が認められる事案は、行為の違法性が重大で、かつ行為者がその違法性を認識している場合に限 られるのであるから、損害賠償義務の発生を恐れるがゆえに公務員が公務の執行を躊躇するといったような 弊害は何ら発生するおそれがないことは言うまでもなく、かえって、将来の違法な公務執行の抑制の見地か らは望ましい効果が生じることさえ期待できるところである。 」というのは、極めて説得的である。 本件に即して言えば、被告佐藤英重の補助金不正受給は、 「職務外」の行為である。そして、補助金受給者 でありながら、監査業務を実施するというのは、 「故意の職権濫用」である。このような悪質な行為について までも免責するというのであれば、公務員の倫理水準の低下に拍車を駆けるだけである。 15 第2 被告魚沼市について 1 問題の所在 被告訴訟代理人は、答弁書において、 「原告らは被告魚沼市に対する国家賠償法1条1項の責任を求めるべ きであるが、そうとするなら、公務員である市長のいかなる行為が不法行為に当たるというのか、前記第3・ 1・(1)と同様に要件事実に即して整理して主張されたい。 」と言い、また「原告らは『人事管理/監督上の 故意/過失責任』と表記しているが、故意と過失によっては要件事実も異なるうえ、人事管理と監督とでは どのように異なるのか前記(1)と合わせて具体的に明らかにされたい。 」と言う(2∼3頁)。 国賠法第1条第1項の要件事実のうち、 「公権力を行使する公務員」という構成要件については、被告大平 悦子が、 「特別職に属する地方公務員」である(地方公務員法第3条第3項1号)ことは言うまでもない。そし て、 「普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体を統轄し、これを代表する。 」(地方自治法第 147 条) ことから、被告大平悦子が、一般的職務権限を有することは言うまでもない。 本件において、 「職務を行う」にあたっての構成要件の充足性が問題となってくるのは、監査委員の選任問 題と除斥問題との絡みにおいてである。この点については、原告訴訟代理人は、訴状訂正の申立書において、 以下のように記載しておいたはずである(5頁)。 「監査委員は、地方自治体の長が、議会の同意を得て選任する。監査委員は、 『人格が高潔で、普通地方 公共団体の財務管理、事業の経営管理その他行政運営に関し優れた識見を有する者』および議員のうちか ら選任されることとされている(地方自治法第 196 条第1項)。 このように、被告大平悦子市長は、地方自治法上、 「人格が高潔で」 、 「識見を有する者」を監査委員とし て選任する責任を有する。ところが、同市長は、被告佐藤英重が、前市長星野芳昭の下で適正な監査業務 を行わなかったことを知りつつ続任させた。 この点で、被告大平悦子市長の監査委員の選任上の過失責任が問われてくる。これに加えて、被告大平 悦子市長には、人事管理/監督上の故意/過失責任も問われてくる。なぜなら、被告大平悦子市長は、被 告佐藤英重が農業用井戸にかかわる補助金受給者であることを知っていたのであるから、監査業務から除 斥すべきであったにもかかわらず、それをしなかった。この懈怠が、監査結果を歪めることとなったので ある。その意味で、被告大平悦子市長には、人事管理/監督上の故意/過失責任があると言わざるを得な い。 」 被告佐藤英重が、前市長星野芳昭の下で適正な監査業務を行わなかったことが補助金不正受給問題が続発 したことの一因であった。それ故、被告佐藤英重自身が補助金不正受給者であることを知っていて監査委員 に選任したのであれば、被告大平悦子の故意責任が問われてくるであろう。そして、被告大平悦子が、関係 幹部職員からの十分な情報を得られなかったために、被告佐藤英重が、補助金不正受給者であることを知ら なかったのであれば、その場合には過失責任が問われてくるであろう。 これに加えて、原告らにより住民監査請求が出された時点では、すでに魚沼市当局による調査結果(甲第4 号証)が出ていたのであり、被告佐藤英重が補助金受給者であることは明らかであったのであるから、被告大 平悦子は、被告佐藤英重を監査業務から除斥すべきであった。 この点で、被告大平悦子が、被告佐藤英重が補助金受給者であることを知っていて、同人を除斥せずに監 査業務を遂行させたというのであれば、故意責任が問われてくることになる。しかし、実際には、被告大平 悦子は、幹部職員により、適切かつ十分な情報を与えられていなかったということもあり得る。 いずれにしても、この点で、被告訴訟代理人は、被告大平悦子が、なぜに被告佐藤英重の除斥措置を講じ 16 なかったのかについて説明する義務がある。それによって故意なのか過失なのかが決まってくる。 2 過失責任の問題 仮に被告大平悦子が、被告佐藤英重が補助金受給者であることを知らなかった場合には、そこで問題とな ってくるのは、過失責任の問題である。ここでは、注意義務の程度が問題となってくる。この点について、 近藤昭三九州大学名誉教授は、 「行政救済法」と題された論文(成田頼明ほか『現代行政法』第5版、平成 14 年、263∼264 頁)において、次のように述べている。 「国家賠償法1条は、代位されるべき公務員の不法行為責任について、過失責任主義を定めるが、ここ で問題となるのは抽象的過失であって、具体的過失ではない。すなわち、公務員の過失とは、職務上要求 される注意義務の違反であり、注意義務の内容は、公務員の職種と地位により客観的に一定し、特定個人 の知識・能力・経験のいかんにより左右されない。公務員の過失を立証するためには、通常、加害者を特 定する必要があるけれども、加害者の特定自体は、国家責任の成立要件ではない。損害の発生状況から、 損害が公務員の地位にある何者かの行為により生じたことが認定され、右の意味での過失が加害行為につ いて事実上推定されれば、たとえば、事務が多数の公務員の手を経て処理されたり、公務員の集団により 暴行を受けたときのように、不法行為者を特定できない場合でも、国家責任は成立しうる。 」 これから知られるように、被告大平悦子に問われてくるのは、魚沼市長として「職務上要求される注意義 務の違反」なのである。そして、この場合、副市長らの部下から適切かつ十分な報告を受けていなかったと いう抗弁も成り立たないのである。なお、この点に関して、組織過失(制度的過失)の問題について、以下に 触れておくことにする。 3 「組織過失」(制度的過失) 加害公務員の特定は、必ずしも容易ではない。そのため、加害公務員を特定できないことを理由に国賠法 または民法上の損害賠償責任が否定されるわけではないというのが、多くの判例で採られてきている判断の 仕方である。 こうした考え方をさらに発展させて、 「組織過失」の理論も唱えられてきている。これは、行政の組織に一 体としての過失の存在を肯認する考え方である。 また、これと類似の考え方として、 「制度的過失」の理論も唱えられてきている。これは、制度そのものに 欠陥がある場合、ないしは欠陥のある制度を設けたことについて、過失責任を認める考え方である。 この「組織過失」とか「制度的過失」の考え方は、単なる理論上のものにとどまらず、すでに判例上も採 り入れられてきている。その典型例が、津市立橋北中学校水泳訓練溺死事件である。 (1) 津市立橋北中学校水泳訓練溺死事件 本件は、津市立橋北中学校が特別教育活動(臨海学校)として行った水泳訓練の最中に 36 名の女子生徒が溺 死した事件である。本件に関しては、学校関係者の刑事責任とともに、民事責任も問われた。溺死生徒の父 母などが起した損害賠償請求訴訟においては、本件への国家賠償法第1条第1項の適用の是非、従ってその 脈絡において当該中学校の校長を始めとする教職員および津市教育委員会の過失責任の存否が争点となった。 本件について、津地裁は、以下のように述べて、 「公権力の行使」のうちには「非権力的作用」も含まれると 判示し、学校当局と教育委員会の「組織過失」(制度的過失)の存在を認定して、原告の損害賠償請求を認容 した。 津地裁昭和 41 年4月 15 日判決(下民集第 17 巻第3・4号 249 頁) 本件判決において、津市立橋北中学校の校長を始めとする教職員の注意義務の懈怠について、津地裁は、 17 次のように指摘した。 「従って本件事故は決して不可抗力な事故ではなく、教職員が前記注意義務(再説すれば事故当日の水泳 場設定にあたり附近の海底の地形潮流を調査し、安全性を確かめるべき注意義務、生徒を入水させるに当 り本件澪ないし異常流につき生徒に警告を与えるべき注意義務ないし澪筋に生徒が落ち込まないよう標示 竿からの生徒の逸脱を防止するため厳重に監視すべき注意義務)を果していれば事前にこれを防止し得た ものというべく、本件事故はこれら教職員の右注意義務けたいに基因するというべきである。 」 また、本件事故についての津市教育委員会の注意義務の欠如の問題に関しては、判決では、以下のように 指摘された。 「しかして教育委員会はその指示に基いて特別教育活動として行う公立中小学校の水泳訓練について危 険の発生の予測される場所(澪筋)に近接して水泳場が設定されようという場合においては、その危険なこ とを注意し、当該学校に対し場所の変更ないしその場所で水泳訓練を行う場合の危険防止の方策を具体的 に指導助言するべき注意義務が存するものというべきであり、(先に認定した雲出小学校に対し水泳場所の 変更を指導したのはその例である。)右注意義務を怠った市教育委員会の教育長、指導主事、教育課長及び これらを指揮監督すべき各教育委員にも本件事故に対する過失責任を免れないと考える。 」 以上に見たような指摘を行った上で、津地裁は、本件については、 「組織過失」があるとして、以下のよう に判示した。 「本件事故は前示認定のとおり津市立橋北中学校が特別教育活動として行った水泳訓練の際生じたもの であり、右事故につき橋北中学校の校長以下全教員及び右中学校に対し指揮助言を行う立場にある津市教 育委員会の各教育委員、教育長、指導主事、教育課長に過失が存するものとすれば、これらの者の過失は 当然に国家賠償法第1条にいう公共団体の公権力の行使にあたる公務員の過失に該当すると考える。津市 立中学校の校長及び教員は津市の地方公務員であり、教育委員は被告が主張するとおり1名は津市市会議 員の中から議会において選出され、他の4名は津市の住民から選挙によって選出されるのではあるが、右 各教育委員は津市の一機関である教育委員会を構成するものである以上制度上公務員たる身分はないとし ても同法の適用上からはこれを一種の公務員と解すべきである。教育長、指導主事、教育課長が津市の地 方公務員であることは当然であろう。 」 (2) 予防接種ワクチン禍事件 本件は、種痘、百日咳ワクチン、三種混合ワクチン、ポリオ生ワクチンなどの予防接種を受けた後に、死 亡または後遺障害の残存する被害児とその両親らが、国賠法第1条第1項に基づいて、国を相手取って起し た損害賠償請求事件である。本件においても、 「組織過失」または「制度的過失」が認められた。例えば、大 阪高裁平成6年3月 16 日判決では、以下のように判示された。 大阪高裁平成6年3月 16 日判決(判例時報 1500 号 15 頁) 「予防接種による副作用被害を避けるためには、予診が極めて重要で有効なものであり、禁忌該当者を 識別、除外するための予診が十分に行われるためには、接種場所・接種に費やす時間・接種を行うスタッ フといういわば接種体制の面での充実以外にも、接種を行う者とこれを受ける者の双方における予診の重 要性等についての知識・認識レベルとが相まって向上することが必要であるから、伝染病の伝播及び発生 の防止その他公衆衛生の向上及び増進を任務とする厚生省の長として同省の事務を統括する厚生大臣には 接種担当医お及び被接種者である国民の双方に予診や禁忌の重要性を周知徹底させるための具体的な施策 をとるべき義務もあったところ、前記認定のように、予防接種を担当する医師や保健婦等の禁忌や予診の 18 重要性についての認識が低く、禁忌を識別するためには、予診が必須不可欠のものであるという認識が接 種を行う側に浸透していなかったのであるから、こうした実情に対して速やかに適切な措置を講ずべきで あったにもかかわらず、これらの点については、厚生大臣は、昭和 45 年ころに日本医事新報に実施規則 や実施要領の全文を登載する程度の措置をとったにとどまり、予防接種を担当する医師向けに、予防接種 の副反応や禁忌の内容を詳細に解説した正式な手引書を刊行するという具体的な対応をとったのも昭和 50 年7月になってからであって、こうした経過からすれば、厚生大臣には、接種を担当する一般の医師に 禁忌者を除外するための予診の重要性を周知徹底すべきであったのに、昭和 50 年ころまで積極的にこれ を行わなかった過失があるというべきである。 」 (3) 農地競落事件 本件は、強制執行の目的物件である農地について、最高価競売人が、所有権移転許可申請書を農業委員 会に対して提出したのであるが、農業委員会の委員が、県知事に対して申請書を進達するのを怠ったため に当該農地を競落取得することができなかったとして、国賠法第1条第1項に基づいて損害賠償請求を行 った事案である。本件では、農業委員会委員による「組織過失」が認定され、原告の損害賠償請求が認め られた。 高知地裁昭和 33 年9月3日判決(下民集第9巻第9号 1739 頁) 「以上の事実を綜合すると、右農業委員会が右のように進達を遅延させたことは、その構成員たる農 業委員会委員の過失に基くものといわざるを得ない。 」 (4) 土地買収事件 本件は、原告の先代新井与七が山林を開墾し農地として使用していたにもかかわらず、岡部村農地委員会 が、これを未墾地と誤認したために、埼玉県知事により違法な買収処分がなされたとして、国賠法第1条第 1項に基づいて、国を相手取って提起された損害賠償請求事件である。本件においては、農地委員会の土地 買収手続に「組織過失」があったとして、かかる違法処分が取消されるまでの期間において、本件土地の使 用収益を妨げられたことによる得べかりし利益の喪失に対する損害賠償として 45 万 8,030 円(消極損害 26 万 8,030 円、弁護士費用 19 万円)が認容された。 東京地裁昭和 35 年4月5日判決(下民集第 11 巻第4号 749 頁) 「本件の買収処分は農地を未墾地と誤認してなされた違法な処分であって、特別の事情につき何んら主 張立証のない本件においては右の買収手続に関与した被告の公務員に少くとも農地を未墾地と誤認して買 収手続を進めた点に過失があったものと推認せざるを得ない。従って、また、被告は原告に対して原告及 び先代与七が本件買収処分によって蒙った損害を賠償する義務がある。 」 (5) 土地買収処分事件 本件は、原告土地所有者が、昭和 15 年5月頃に宅地予定地として買収した当該土地について、食糧不足 の折から、その一部を耕作希望者に無償使用させ、また他の部分については近隣の住民が家庭菜園として無 断で耕作していたところ、戦後になって本荘村農地委員会が、自作農創設特別措置法(自創法)第3条に基づ いて、当該土地の買収計画を立案し、それに依拠して岡山県知事が、この土地を買収して、耕作者に売却し た。 そのため、原告土地所有者は、かかる売却処分は違法であると主張して提訴した。しかし、一審判決(岡山 地裁昭和 34 年 12 月1日判決)では、原告敗訴の判断が下された。そのため、原告は、これを不服として控 訴した。控訴審では、控訴人の主張が認められ、農地委員会が尽くすべき調査を行わなかったために、非農 19 地であり、非小作地である土地を小作地とする誤りが犯されたとして、かかる誤認に基づいてなされた本件 買収処分には「明白な瑕疵」があったとした。そして、原判決を取消して、以下のように判示した。 広島高裁岡山支部昭和 36 年2月 27 日判決(行栽例集第 12 巻第2号 235 頁) 「しかして、自創法第3条第1項第1号においては、小作地たることを買収の要件としているから、農 地でないものを農地と認定し、かつ、小作地でないものを小作地として買収処分をなした場合、その瑕疵 は重大なものというべきであり、しかも、その瑕疵が前記のとおり明白である以上、本件土地買収処分、 惹いてはその売渡処分もまた無効であって、本件土地は、なお控訴人の所有に属するものというべきであ る。 」 (6) 宅地買収処分事件 本件は、茨城県結城郡千代川村の住民が賃借していた宅地について、旧宗道村農地委員会が、自作農創設 特別措置法(自創法)に基づいて買収計画を樹立して、これに依拠して茨城県知事が、本件土地を2名の申請 者に売渡した。そのため、土地所有者と賃借人は、茨城県知事を相手取って当該買収処分の無効確認の訴え を起し、勝訴判決を得た。続いて、土地所有者と賃借人は、国を相手取って、違法な買収処分によって精神 的損害を被ったとして、国賠法第1条第1項に基づいて、損害賠償請求訴訟を起した。 東京高裁昭和 41 年 12 月 22 日判決(訟務月報第 13 巻第1号 57 頁) 「斉藤周之助は上記宅地につき自作農創設特別措置法第 15 条第1項第2号所定の賃借権その他の権利 を有していなかったばかりか、附帯買収の申請をなしたことはなく、また、浅野庄一郎は上記宅地のうち 東北部 20 坪(別紙目録記載(1)の宅地の東北部 20 坪)について賃借権を有していただけなのに、60 坪の賃 借権があるとして、昭和 22 年 11 月 11 日旧宗道村農地委員会に対し附帯買収の申請をなした。右農地委 員会は、農地委員の一員で、主として前記買収計画の手続を担当した訴外杉田一郎の口頭による報告に基 づき、上記宅地 165 坪5合のうち別紙目録記載(1)の宅地部分は浅野庄一郎に、同目録記載(2)の宅地部分 は斉藤周之助に、それぞれ売り渡すべきものと速断し、上記認定のように分筆して右(1)および(2)の各宅 地につき買収計画を樹立、公告し、縦覧に供した上、県農地委員会に申達し、その結果、上記認定の買収 計画がなされるに至った。旧宗道村農地委員会は、右買収計画に当って、上記宅地についての賃貸関係に 関する資料について十分の調査をしなかったばかりか、所有者である控訴人斉藤長一に対し賃貸関係の有 無について問い合すことすらしなかったもので、もし右委員会において控訴人斉藤長一に上記宅地につき 賃貸借などの有無を問い合せるとか、その他の資料について調査を遂げたとすれば、斉藤周之助が上記宅 地につき賃借権その他の権利を有せず、かつ附帯買収の申請もなしていないことはもちろん、浅野庄一郎 の賃借権は上記宅地のうちの東北部 20 坪についてであり、別紙目録記載(1)の宅地の全部でないことを容 易に了知し得たものである。右認定を覆えすに足る証拠はない。 上記確定事実によれば、上記確定判決によって違法無効なものと確認された本件買収処分がなされたの は、少なくとも、その前提たる買収計画の樹立に当った旧宗道村農地委員会を構成した農地委員らの過失 に因るものと認めるのが相当である。 」 ただし、土地所有者と賃借人の損害賠償請求については、東京高裁は、以下のように述べて、これを棄却 した。 「したがって、他に特段の主張、立証のない本件では、控訴人らは上記認定の判決の確定によって、上 記(1)、(2)の各土地の所有権ならびに賃借権をそれぞれ回復し得たものと認め得るから、これによって、 控訴人らの上記精神的苦痛もすでに慰籍されるに至ったものといわなければならない。 」 20 (7) 大阪市公会堂使用許可取消事件 本件は、日本共産党大阪府委員会が昭和 44 年7月 21 日に大阪市公会堂において集会を開催することを計 画し、大阪市教育委員会に対して公会堂使用許可申請を行ったところ、大阪市教育委員会は、いったんこれ を許可しながら、その後これを取消す処分を行ったため、日本共産党大阪府委員会(以下、 「原告委員会」)と 同委員会の選挙対策部副部長が、大阪市を相手取って、当該取消処分の違法を理由に国家賠償を請求した事 案である。本件問題の背景には、日本共産党と部落解放同盟との間での対立、特に大阪市教職員組合東南支 部役員選挙に際しての共産党候補者の挨拶状における差別的文言の有無をめぐっての対立問題があった。 こうしたことから、訴訟の過程において、大阪市側は、本件取消処分の理由として、当該集会が、大阪市 の進める同和対策にとってマイナスであり、また不測の混乱を回避するという点にあったことを主張した。 しかし、一審および二審とも、かかる大阪市の主張を斥けて、本件取消処分は、大阪市公会堂条例の適用を 誤り、地方自治法第 244 条第2項に違反した違法な処分であると判示して、損害賠償請求を認容した。最高 裁もまた、原審の判断を是とした。 大阪地裁昭和 50 年5月 28 日判決(判例タイムズ 329 号 223 頁) 「さきに認定した事実によれば、市教委の委員は、公会堂の使用許可を取消すについて何ら合理的理由 がないことを知りつつ、故意に原告委員会の集会を妨害抑圧する意図で本件処分をしたとはいえないけれ ども、公会堂の管理運営を所管する公務員として当然に要求される判断をあやまり、違法な処分に及んだ 点において、少なくとも過失があったものといわざるをえない。 」 なお、本件判決では、原告個人に対する賠償も認められた。つまり、大阪市は、原告委員会に対して 20 万 420 円の賠償を行うとともに、選挙対策部副部長に対しても5万円の支払いを行うことが命じられた。 最高裁昭和 54 年7月5日第一小法廷判決(判例時報 945 号 45 頁) 「大阪市教育委員会が大阪市公会堂条例(昭和 26 年大阪市条例第 73 号)4条2号、2条但書により公会 堂使用許可を取り消したことは、右条例の適用を誤り、地方自治法 244 条2項にいう正当な理由がないの に公の施設の利用を拒んだものであって、違法であるとした原審の判断は、正当として是認することがで きる。 」 (8) 東京護憲連合デモ進路変更事件 本件は、憲法擁護東京都民連合(以下、 「東京護憲連合」と略称)が、昭和 42 年6月 10 日に、憲法施行 20 周年を記念して、杉並区役所から日比谷公園までのデモ行進を企画して、東京都公安委員会に対して許可申 請をしたところ、東京都公安委員会は、国会周辺の道路を通過しないことを条件にこれを許可したのに対し て、東京護憲連合の星野安三郎代表委員と藤永哲夫常任幹事が、かかるデモ規制は、憲法第 21 条に違反し ており、それによって精神的損害を被ったとして、国賠法第1条第1項に基づいて、東京都に対して損害賠 償請求を行った事案である。この提訴について、東京地裁は、本件条件付許可処分が、憲法第 21 第の保障 する表現の自由を侵害したもので、違憲、無効であるとして、東京都に対して 10 万円の支払いを命じた。 東京地裁昭和 44 年 12 月2日判決(行栽例集第 20 巻第 12 号 1608 頁) 「集団行動による表現の自由は、民主政治にとってきわめて重要な基本的人権であること、都公安条例 がその運用のいかんによってはこれを侵す危険があるものであることは先に述べたとおりである。 しかも、 すでに昭和 35 年7月 20 日最高裁判所大法廷判決も、都公安条例は『その運用の如何によって憲法 21 条 が保障する表現の自由の保障を侵す危険を包蔵しないとはいえない。条例の運用にあたる公安委員会が権 限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力 21 戒心すべきものである』と説示している。したがって、東京都公安委員会は、右都公安条例の規定の運用 に当たっては、いやしくも集団行動による表現の自由を不当に侵害することのないように慎重にこれを執 行すべき職務上の注意義務があることは改めていうまでもない。 しかるに、---------東京都公安委員会は、本件申請を審議するに当たって、本件集団示威行進が都公安条 例3条1項にいう『公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合』また『公共 の秩序又は公衆の衛生を保持するためやむを得ない場合』であったか否かを慎重に審議することなく、単 に従来の方針に従って国会開会中はその周辺の集団示威行進は許されないとの理由で本件条件を付して許 可することを決定し、このため前記のとおり、集団行動による表現の自由を侵害するにいたったもので、 本件条件を付したことにつき少なくも過失の責めを免れないといわざるを得ない。 」 (9) 日米貿易経済合同委員会会議反対デモ事件 本件は、昭和 41 年7月5日に国立京都国際会館において開催された日米貿易経済合同委員会の会議に反 対する抗議意思を表明するために、日本労働組合総評議会京都地方評議会の傘下の労組、社会党、共産党の 諸団体によって企画されたデモについて、京都府公安委員会が、京都市公安条例に基づいてこれを全面不許 可としたために、かかる不許可処分は、憲法第 21 条に違反するとして、日本労働組合総評議会京都地方評 議会が、国賠法第1条第1項に基づいて、国と京都府を相手取って起した損害賠償請求事案である。本件に おいて、京都地裁は、国には違法性がないとしたが、京都府公安委員会の不許可処分は、憲法第 21 条に違 反する違憲処分であるとして、京都府に 10 万円の損害賠償の支払いを命じた。本件においても、京都府公 安委員会の「組織過失」が認められた。 京都地裁昭和 50 年3月 25 日判決(訟務月報第 21 巻第5号 969 頁) 「府公安委員会は、本件条例の解釈、運用に当っては、前記集団行動による表現の自由の重要性にかん がみ、国民の右自由を不当に侵害することのないよう細心の注意を払い、慎重にこれを解釈、運用すべき 職務上の注意義務を負うことはいうまでもない。 しかるに、すでに認定した事実によれば、府公安委員会は、本件デモ申請の許否を審議するに当って、 本件デモが前記全面禁止の要件を具備したものであるか否かを必ずしも慎重に審議することなく、日米会 議出席者の安全と会議の円滑な進行をはかり、会場付近の静穏を保持することに急なるあまり、そのため の万全の措置をとるという基本方針の下に、前記全面禁止の認められる場合でないにもかかわらず本件不 許可処分を行なったものであるから、右処分につき少なくとも過失の責任を免れないものといわなければ ならない。 」 4 小括 以上の考察から知られるように、被告大平悦子は、魚沼市長として職務上要求される注意義務を負うので あって、被告佐藤英重の選任の点でも、また補助金受給者であるにもかかわらず、監査業務を遂行するのを 宥恕したという点でも、注意義務違反があったと言わねばならない。 さらに、本件の問題、つまり被告佐藤英重が補助金を不正に受給していたこと、それにもかかわらず監査 業務を遂行したことは、魚沼市の行政組織全体に問題があったことを意味している。そうした意味では、本 件は、 「組織過失」ないしは「制度的過失」の問題であるとも言える。 第3 総括 1 本件における争点のポイントは、被告佐藤英重が補助金を不正受給しながら、監査業務を行った点で ある。これは、明らかに地方自治法第 199 条の2に違背する「違法な」行為である。もしも被告訴訟代理人 22 が、そのような監査業務行為を違法でないと主張するのであれば、その法的判断根拠を示すべきである。 2 被告訴訟代理人は、国賠法問題における個人責任問題がなぜに生起してきているのかを全くに知らな いようである。本件に即して言えば、監査委員が補助金を受給していながら、監査業務を遂行するなどとい うのは、恐らくは本邦始まって以来の醜態である。このような悪質な行為は、住民監査請求制度を歪めるも のである。 こうしたことから、原告訴訟代理人は、訴状訂正の申立書において、 「この点で、被告佐藤英重には、その 違法行為について二面性があることを指摘しなければならない。一つは、非職務関連の違法行為、つまり補 助金を不正受給したという違法行為である。もう一つは、その職務執行性に絡む違法行為、つまり監査業務 を行う資格がないにもかかわらず、それを無視して故意に違法な監査行為を行った違法性である。 」と記述し たのである(6頁)。 このような異常な醜態事件については、 「公共団体が賠償責任を負い、公務員個人は賠償責任を負わないと する」というアプローチで済むのかどうかが問われているのである。この点では、前記の東京地裁昭和 46 年 10 月 11 日判決が公務員の個人責任を肯認するにあたって挙げた理由の一つ、即ち「加害公務員に対する 責任追求は、公務員に対する国民の監督的作用にとって極めて有効な手段であり、本来国民全体の奉仕者で あるべき公務員が故意或は重大な過失によって国民の権利を侵害する場合にすら公務員個人に対する直接責 任の追及を認めないのであれば、経済的充足だけでは満されない国民の権利感情を著しく阻害する結果を招 来するおそれがあること。 」という理由づけは、本件の場合には、とりわけ考慮に容れられるべきであろう。 3 訴状訂正の申立書において指摘しておいたように、被告佐藤英重は、 「農業用井戸の名分で、二つの井 戸の補助金交付申請を行った。一つは、申請額 577 万 5,000 円、もう一つは、申請額 598 万 5,000 円であっ た。ともに限度額 600 万円に近い金額で、いずれも申請が認められた。 」のであるが、 「請求書を見る限り、 2本の井戸とも横井戸で、水源は湧水である。従って、それほど難しい工事でもない。これに 1,176 万円も の工事費が必要であるとは到底思われない。しかも、実際には、1本の井戸しか機能していない。もう1本 の横井戸も、導水が、チョロチョロと出ているような状態で、田畑を潤すことができるような水量ではない(甲 第7号証)。この事実からは、被告佐藤英重の補助金受給が、不正なものであったことが裏付けられる。 」の である(4頁)。 この点については、原告訴訟代理人は、訴状訂正の申立書において、かかる補助金不正受給が、民法第 709 条の不法行為責任の問題であることを指摘しておいたはずである(6頁)。しかし、 「法律実務の専門家」を自 負する被告訴訟代理人は、国賠法上の責任問題と民法第 709 条の不法行為責任問題との区別ができないよう である。そのため、前記のように、 「被告佐藤個人が賠償責任を負うとする法的根拠を明らかにされたい。 」 とピント外れの釈明を求めているのである。 逆に「法律実務の専門家」を自負する被告訴訟代理人に対して質したいのは、このような補助金不正受給 は、民法第 709 条上の不法行為ではないのかという点である。 4 被告訴訟代理人は、被告佐藤英重の職務執行性に絡む違法行為について公費での弁護活動を行うのは ともかく、補助金不正受給問題について弁護活動を行う資格はない。 「法律実務の専門家」を自負する被告訴 訟代理人が、非職務執行行為、つまり補助金不正受給問題についての弁護活動を行うことが違法であること も理解していないようである。 これに関連して指摘しておかねばならないのは、 「訴状記載の請求の原因(訂正後のものによる)は、到底法 律実務の専門家が作成したとは思えない内容」という記述である(2頁)。地方自治法第 199 条の2に違背し 23 て監査業務を行っても不法行為ではないというお粗末な理解しかできないような 「法律実務の専門家」 から、 そのような言い方をされる筋合はない。また、代理人の行為は、本人に帰属するのであるから、これは、魚 沼市長大平悦子の原告訴訟代理人に向けられた暴言であると解することができる。 このような言い草は、およそ訴訟活動とは無縁のものである。この名誉毀損問題については、別の機会に 取り上げることにして、本件に関しては、以下の点についての釈明を求めたい。 第4 求釈明 1 被告佐藤英重の監査業務行為は、地方自治法第 199 条の2に明らかに違背しているのであるが、それが 違法でないというのであれば、その理由は、何か? 2 裁判官の場合には、除斥原因がある場合には、その裁判官が下した判決は無効となるのであるが、監査 委員の場合には、監査結果が無効でないというのであれば、その理由は、何か? 3 被告訴訟代理人は、被告佐藤英重が個人責任を負わないと主張するのであるが、このことは、被告佐藤 英重が民法第 709 条の上での不法行為責任をも負わないと主張するのかどうかを明らかにされたい。 証拠方法 1 甲第8号証(農林水産業対策事業(農業用水水源確保支援)補助金交付要綱[旧要綱]) 2 甲第9号証(農林水産業対策事業(農業用水水源確保支援および養鯉池水源確保支援)補助金交付要綱 [新要綱]) 3 甲第 10 号証((財)新潟県中越大震災復興基金平成 21 年 10 月 16 日「復興基金報道資料」) 4 甲第 11 号証(「新潟県報」第 16 号、平成 22 年2月 26 日) 5 甲第 12 号証(新潟日報平成 21 年2月8日付報道) 6 甲第 13 号証(新潟日報平成 21 年2月 10 日付報道) 7 甲第 14 号証(新潟日報平成 21 年2月 11 日付報道) 8 甲第 15 号証(新潟日報平成 21 年2月 12 日付報道) 9 甲第 16 号証(民報うおぬま平成 21 年2月 15 日付報道) 10 甲第 17 号証(越南タイムズ平成 21 年2月 19 日付報道) 11 甲第 18 号証(民報うおぬま平成 21 年2月 22 日付報道) 12 甲第 19 号証(新潟日報平成 21 年2月 26 日付報道) 13 甲第 20 号証(新潟日報平成 21 年3月 12 日付報道) 14 甲第 21 号証(越南タイムズ平成 21 年3月 12 日付報道) 15 甲第 22 号証(新潟日報平成 21 年4月 17 日付報道) 16 甲第 23 号証(民報うおぬま平成 21 年4月 19 日付報道) 17 甲第 24 号証(越南タイムズ平成 21 年4月 23 日付報道) 18 甲第 25 号証(民報うおぬま平成 21 年5月 10 日付報道) 19 甲第 26 号証(朝日新聞平成 21 年8月5日付報道) 20 甲第 27 号証(新潟日報平成 21 年8月6日付報道) 21 甲第 28 号証(朝日新聞平成 21 年9月 16 日付報道) 22 甲第 29 号証(新潟日報平成 21 年9月 17 日付報道) 24 23 甲第 30 号証(新潟日報平成 21 年9月 25 日付報道) 24 甲第 31 号証(越南タイムズ平成 21 年 10 月1日付報道) 25 甲第 32 号証(新潟日報平成 21 年 10 月 10 日付報道) 26 甲第 33 号証(新潟日報平成 21 年 10 月 17 日付報道) 27 甲第 34 号証(越南タイムズ平成 21 年 10 月 22 日付報道) 28 甲第 35 号証(新潟日報平成 21 年 10 月 23 日付報道) 29 甲第 36 号証(新潟日報平成 21 年 10 月 29 日付報道) 30 甲第 37 号証(越南タイムズ平成 21 年 10 月 29 日付報道) 31 甲第 38 号証(越南タイムズ平成 21 年 11 月5日付報道) 32 甲第 39 号証(新潟日報平成 21 年 11 月6日付報道) 33 甲第 40 号証(越南タイムズ平成 21 年 11 月 26 日付報道) 34 甲第 41 号証(新潟日報平成 21 年 12 月6日付報道) 35 甲第 42 号証(新潟日報平成 21 年 12 月9日付報道) 36 甲第 43 号証(越南タイムズ平成 21 年 12 月 10 日付報道) 37 甲第 44 号証(越南タイムズ平成 21 年 12 月 17 日付報道) 38 甲第 45 号証(越南タイムズ平成 21 年 12 月 24 日付報道) 39 甲第 46 号証(越南タイムズ平成 22 年1月1日付報道) 40 甲第 47 号証(越南タイムズ平成 22 年1月7日付報道) 41 甲第 48 号証(越南タイムズ平成 22 年1月 14 日付報道) 42 甲第 49 号証(越南タイムズ平成 22 年1月 21 日付報道) 43 甲第 50 号証(市民グループによる告発状案) 44 甲第 51 号証(別訴住民訴訟原告訴訟代理人「準備書面(1)」) 45 甲第 52 号証(別訴住民訴訟原告訴訟代理人「準備書面(2)」) 25