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第8回「ハンガリー旅の思い出」2011年コンテスト作品
第8回「ハンガリー旅の思い出」2011年コンテスト作品 E賞 渡邉 貴子さんの作品 ヘレンドとハンガリーと、そして亡き母への想い 私は9月末から長い付き合いの女友達と初めてハンガリーを訪れました。ブダペストに7泊して、その 間ホッロークやヘレンドにも行ってきました。新しい出逢いと発見の毎日で、語れば丸1日あっても時間 が足りませんが、今日はヘレンドについて主に報告したいと思います。 実は少し前まで、ハンガリーという国についてほとんど知りませんでした。高校の世界史の授業で、ハ ンガリーはアジア系民族であることを教わり、それに特段の興味を持ったわけではありませんでした が、なぜかそれだけ忘れずに覚えていました。そして10代のときに器械体操に夢中になり、また18歳く らいから陶磁器(主にコーヒーカップ)を収集していた私が、当時ハンガリーについて見聞きしてずっと覚 えていたことと言えば、1970年代に活躍した体操選手のマジャール、陶磁器ブランドのヘレンド、そん なところでした。 そんな私が、先月になって急にハンガリーを訪れようと重い腰をあげた直接のきっかけは、最近テレビ で紹介された、低い湯温のブダペストの温泉が私の持病(リウマチに少し似ていて、体中にこわばりや 激しい痛みが走る難病)にも気分転換にもよいかも知れないと思ったことからです。たまたま30年来の 友人が仕事でブダペストに駐在していて、そろそろ転勤になってもおかしくない時期であったということ も、「今秋こそ」行きたい理由のひとつでしたて加えて、8月ごろからしきりにテレビで放映されたハンガ リーの食や建造物に関する番組は、さらに私の興味をそそりました。幸い私の体調のほうも9月中旬に は落ち着いていて、医師から特段の反対意見もなく、むしろそうした挑戦を喜んでいただいているようで した。 しかしハンガリーに関心を持ち始めた背景はさらに数年前に遡ります。ヘレンドの陶磁器です。そこに は、ハンガリーという国への憧れとともに、今は亡き母への想いが浮かんでくるのです。ヘレンドの食器 は、その技術・品質・デザイン性を考えるとあたりまえですが、ほとんどが高価で私の手が届かない存 在でした。しかし数年前のある日、母がデパートのアンティーク・フェアでヘレンドの1940年代の「夏の 庭園」というシリーズのカップを買ってきて、私にプレゼントしてくれました。年金1カ月分が吹き飛ぶくら い高かっただろうに・・・「質の良いものを愛情もって長い間大切にする」ことをモットーにしていた母は、 私が小さい時から私に質の良いものを与えては、なんとなくそう私に教え込んでいたようです。(こんな 上等な物、私にはもったいないのに!)残念ながら母は3年前に亡くなりましたが、その後、ヘレンドの 中では比較的手に入れやすい「アポニー」や「ロスチャイルド・バード」シリーズの絵柄のカップを国内の デパートで買い、眺めたり使ったりしては、母のことを思い出しています。つまり母が私とハンガリーを最 初に結び付けてくれたとも言えるのです。 ヘレンド村は、ブダペストから100kmくらい西にあり、夏のバカンスで賑わうバラトン湖の北方にあり ます。車がないとたいそう不便なところですが、私たちは南駅を午前11時前に出発する電車でヴェスプ レーム駅まで行き、そこからタクシーで13km離れたヘレンドに行きました。(ちなみに往復+3時間の 待ち時間、チップ込で5000Frt支払いました。「地球の歩き方」には往復で4000Frtくらいと書いてあり ますが、英語も通じたし、とても紳士的で穏やかなドライバーでしたので、私たちは満足でした。なお、 ヴェスプレーム駅で先に待っていたもう一台のタクシーは英語がわからず、筆談で値段を聞きましたら、 片道5000Frt,往復なら8000Frt+待ち時間2000Frtというので断りました。) ヘレンドの美術館前で車を降りると、白・オレンジを基調としたライオンの像が私たちを出迎えてくれま した。 美術館とは反対側、ライオン側の建物の窓口で、14時開始の英語ガイド付きのミニ工場見学を予約し チケットを購入しました。それまで少し時間があったので、先にショップを見てから、カフェでケーキをい ただきました。 いよいよ見学ツアーの時間。通訳ガイドの背の高い美男子が私たちの前に現れました。まずシアター に通され、ヘレンドの歴史を簡単にビデオ(日本語字幕あり)で紹介していただきます。ビデオに陶磁器 を掲げて華麗に登場する美しいモデルたちは、プロのモデルさんたちかと思っていましたら、こちらの工 場で日々製作にあたる従業員の方々だそうです。陶磁器が主役だからモデルさんたちは皆が黒ずくめ です。ビデオ終了後は、実際に製作している部屋に次々に通され、各過程の説明を受けます。カオリン 粘土や釉薬、などの材料の紹介、型どり・成形、パーツの組み立て、バスケットの紐編み、透かし彫り、 さらにデッサンからの下絵写し、絵付けなど、一連の製作工程を順を追ってデモしてくださいます。成形 の過程では、まるでテレビのお料理番組のように、「これを乾かしたものがこちらです」などと、一部の過 程は早送りで、別に準備された中途過程のサンプルを使って説明されます。透かし彫りや絵付けの過 程では、全視線、全神経を1点に集中させて細密な線や点をひとつひとつ掘り、あるいは描いていく。思 わずこちらも息をとめて見入ってしまう。その見事さに言葉を失って、普段おしゃべりな私が急に寡黙に なる。・・・そんなことの繰り返しでした。(言葉を失うほどの素晴らしさって、これなんだ!)この一連の工 程と職人技の繊細な数々を見たあとは、商品への価値への評価と愛情が一層深まるような気がしま す。 ミニ工場といっても、職人さんたちは見るからにベテランだし、実際に商品になる品物も作っているそう です。神経を使うひと筆ひと筆の合間に、私たちのほうをみてニッコリしてくれました。首を少し傾けてバ ラの花びらを1枚1枚丁寧に組み立てていく姿、大変細い筆で、花びらのグラデーションをつけていく 姿、動物の毛並みひとつひとつ描く姿な、この仕事を誇りに思い心から愛しているんだなと感じました。 私たちのような観光客に対するサービス精神も旺盛で、英語で話しかけて下さったり、またある絵付け の仕事台では、実際に絵付け中の人形やお皿の前で筆を持たされました。うっかり筆を皿に落としりな んかしてこれまでの長い過程の品物を台無しにしてしまわないものか、ものすごくドキドキしましたが、嬉 しかったです。 見ごたえたっぷりの約1時間のガイド付きミニ工場見学のあとは、向かい側の美術館内を見学しまし た。この美術館と同じ建物には広い中庭つきの工場もあります。美術館には動物の剥製を多数置いた 部屋もありました。おそらく職人さんたちは、庭の虫たちや鳥たち、森の動物たちの観察とデッサンや彩 色の訓練を繰り返し行うのでしょう。剥製のものも使って訓練するのでしょうか。美術館には、窯のモデ ルも展示してあります。そして上の階はいくつかの部屋に区切られ、時代やスタイルやテーマごとに作 品が展示されています。 説明によると、1708年にヨーロッパ初の硬質白磁の製造に成功したのはハンガリーでしたが、当時 ハンガリーを支配していたオーストリア皇室は、自国の国益を守るためにハンガリー国内での産業発展 を阻害し、1718年に創業したウィーンの磁器製作所を保護するためにもハンガリーでの工場設立も禁 止していました。そしてずっと後、ハンガリーで1820年代に起こった改革の波で、1826年、ヴィンツェ・ シュティングルにより、ヘレンド村に小さな磁器工房が設立されるに至ったのです。その後シュティング ルは素地や釉薬の実験に巨額の資金をつぎ込んでやがて破産して、工房は債権者の一人であるモー ル・フィシェルの手に渡りますが、彼により実験は継続され工房も近代化されます。1842年には王室御 用達の工場という称号を与えられ、エステルハージ家やセーチェニ家など名門貴族からも受注し、上流 貴族のコレクションに出会う機会を多く得たことで、モチーフも増えていきました。さらに1851年のロンド ン万博や1867年のパリ万博、1873年のウィーン万博でも出品され、その評価と人気はヨーロッパ全 土に、そして世界へと広まるのです。 美術館には息をのんでしまうような美しく高貴な芸術的作品ばかりですが、いかにも宮廷や貴族向け の植物文様や風景や人物の優雅なモチーフから、18世紀後半のヨーロッパで流行したシノワズリや アールヌーボーなどの文様も多数あります。またマイセン窯、セーブル窯やウィーン窯などに由来する 文様もあり、中には日本の影響もうかがえます。 一風変わった作品がありました。(なんだろう、これは? 普通はこのようなモチーフをお皿に描かな い。)おそらく、絵皿というものは、食品を盛るというより飾るものだから、陶器製の記録手段としての「絵 画」作品なのでしょう。ヘレンドの工場は1843年に火災に見舞われ大きな被害を被ったのですが、それ を描いたものだそうです。後日訪れたブダペストの工芸美術館にも同じものを見つけました。 ショップでは欲しいと思うものが数多くあります。日本では売られていないものもあります。もちろん、高 級品だけに誰もがそう簡単に買えるものではありません。カップ1客だけ凄いものを買おうか、それとも 日常的なものを複数買おうか迷いましたが、結局は、日本では見かけた記憶がないもので、そしてその 時の穏やかな気分にぴったりの控え目な小花模様のカップ1客と、製作過程を見たためにどうしても欲 しくなった透かし彫りと、大好きな猫がついている蓋物との、値段もお手軽な3点を購入しました。今回の 旅の思い出が詰まったものとして大切にしたいです。日本で1客10万円以上する白地にブルーとレンガ 色の「トゥッピーニの角笛」や持ち手に唐人形のついたシノワズリのシリーズさえ、ここハンガリーでは手 の届かない値段でもないけれど、次回にしよう!(だって、持病がよくなったら毎月何万もの医療費が浮 くわ!)と自分にそう言い聞かせて、多少の未練を残しながらも私たちはヘレンドを後にしました。 (ああ、母が生きていたら!丁寧にコーヒーを入れて、このカップでコーヒーを飲みながら、いろんな話を したかった。) 先ほどのタクシーでヴェスプレーム駅に戻り、そこから再び列車に乗ってブダペストへ。ブダペストに到 着する頃、空は夕日に染まっていました。駅周辺には職場などから家路を急ぐ人々の往来で、お昼前 の出発の時にはなかった活気がありました。ヘレンドへの直通の電車はなく、ヴェスプレームへの往復 の電車もそれぞれ2時間に1本だけ、車両も古いし決して快適ではない、ヴェスプレーム駅からヘレンド を通るバスもわかりにくい。都心の便利な交通網に慣れている私には、車なしでヘレンド村までたどり着 くのは大変でしたが、頑張って来ただけのことはありました。列車であろうがレンタカーであろうが、私ひ とりだけでここまで来る勇気はなかったに違いありませんが、同行してくれたお友達がいたから来ること ができたのです。(本当にありがとう!)ハンガリーの人々は親切で、言葉ができなくても何とかできると いう確信が持てたので、次回はひとりで地方回りも大丈夫だと思います。 駅から王宮西壁に沿うアッティラ通りを徒歩で下り、地元の人でほぼ満席になっているレストランに入 りました。ところで、ハンガリーの人はたいていがもの静かで奥ゆかしいイメージを持っていたのです が、それはこのレストランに入ったとたんに崩れ去りました。どこの国にもいろんなタイプの人がいるの は当然ですね。なぜかこのレストランの従業員はやたら威勢よく、東京下町の居酒屋の主人っていう か、スペインのマドリッドとかアンダルシア地方のバルの陽気な大将って乗りでした。ナマズの煮込み料 理にも挑戦しましたが、まったく臭みなどなく大変美味でした。少し「ラテンな」雰囲気の中、楽しく食事し ました。フォアグラのグリル(とは言っても、ガチョウでなくアヒルのフォアでした)は一皿がものすごい量 で食べきれず、半分くらい残していたら「持ち帰るか」って聞かれました。レストランの格にもよるかもしれ ませんが、少なくともこのレストランの主人いわく、ハンガリーでドギーバックは別に恥ずかしいことでは なく割と普通のことのようです。食後は店の人にタクシーを呼んでもらって、ゲッレールトの丘の上でしば し夜景を楽しんだあと、待たせておいたタクシーでホテルにもどりました。こうしてハンガリー5日目は終 わりました。 ブダペスト7泊の間に、毎日のように温泉で心身を癒したほか、王宮の丘や国会議事堂、オペラ劇 場、市民公園、アンドラーシ通り、中央市場、ヴァーツィ通りのような観光名所も訪れました。地下鉄に 乗ってレトロな雰囲気を味わい、ドナウのナイトクルーズにも参加してライトアップされた素晴らしい夜景 を満喫しました。地元の人が行くレストランのほか、グンデルやオニキスといった有名レストランも、ジェ ルボーやセントラル・カフェ、ミューヴェーズなといった歴史あるカフェで朝食をとったりケーキを食べたり しました。これらの場所はどこも食事もケーキもおいしかったですが、バスターミナルや地下鉄の駅など で売っているパンも、安くてなかなかおいしかったです。今回は文章抜きで少し写真を添えてみます。 ハンガリー人は、建造物が火事や戦争などで壊されると、その場所に同じものを建てなおしたり、修復 してまた使うそうです。2度の世界大戦や1956年の動乱でも多くの建造物が壊されましたが、後で復元 されたものが多くあり、自国の良いものを誇りに思い、先人を敬うという心が感じられえます。ただ、財政 的な問題こともあるので、昔の建造物や風情を修復・維持したり復元・再建設するのは簡単なことでは ないようです。余談ですが、修復されないまま入居者なく空っぽになっている建物を多くみかけたため、 不動産用語のEladoとかKiadoというハンガリー語を自然に覚えてしまいました。 そうそう、冒頭に述べたとおり、私の今回の旅の本当の目的は在住のお友達訪問と温泉でした。到着 の翌日には、そのお友達に市内とセンテンドレを車でざっと案内していただきました。温泉については、 ビジターで市内の2か所の温泉と、宿泊でゲッレールトの温泉を連日利用しましたが、なかなかのもの でした。入退場はシステマティックでわかりやすく、各温泉で共通しています。温泉の効果で半日くらい は普段の体の痛みが半減していました。日本の温泉は温度が高くてとても気持ちがよい一方、私の場 合は5分くらいで顔が赤くなってのぼせてしまい、よくめまいを起こしてしまうのですが、こちらの温度が ぬるめでのぼせることなく長時間使っていられることがよいと思います。お湯のなかで体操をしたり、ス トレッチをしてみたり、お湯から出たり入ったりしながらたっぷり1時間。火曜日に女性専用になるルダ シュ温泉は独特な雰囲気がありました。なにしろ古い建物なので、外から見るとまさにお化け屋敷みた いでしたが(関係者殿、失礼!)中は改装されて大変清潔・綺麗です。従業員の方々も英語がかなりわ かるし、とてもフレンドリーでした。次回ハンガリーを訪れるときは、もっとブダペストの他の温泉やエゲル の温泉などもめぐって、温泉紀行も書いてみたいです。本当は1カ月くらい滞在して湯治をすると効能が 出るのでしょう。 今回の旅がきっかけで、ハンガリーについていろいろなことを知りました。もっともっと深く知りたいと思 いますし、もう一度会いたい人々、試していない食べ物やワイン、まだ行っていないレストラン、まだ行っ ていない町、欲しいけれど未だ買っていないヘレンドの製品など、私の頭の中の「To Doリスト」にいくつ もあります。ハンガリー語が全くわからない私ですが、いろいろな場で笑顔で接してくれた多くのハンガ リーの皆さまに感謝します。また、今回の旅の計画・実行に際し、ハンガリー政府観光局のホームペー ジからの情報は大変参考になりました。この場をお借りして、関係者の方々にお礼を申し上げたいと思 います。 作品一覧へ戻る 2012年1月