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「オホーツク地域のアクティビティと実学教育の可能性」(PDFファイル
2006 年度 東京農業大学「現代的教育ニーズ取り組み支援プログラム(現代GP」フォーラム
北海道未来展望カレッジ
オホーツク地域のアクティビティと実学教育の可能性
平成19年2月17日(土)、18日(日)
エコーセンター2000
大ホール・大会議室
東京農業大学「現代GP」フォーラム実行委員会
北海道企画振興部
網走支庁
刊行にあたって
東京農業大学「現代GP」フォーラム実行委員会
委員長
伊
藤
雅
夫
(東京農業大学生物産業学部長)
東京農業大学生物産業学部が当地網走市に開設され早くも 18 年が過ぎようとしていま
す。昨年 4 月よりアクアバイオ学科が新設されました。本学が培ってきた農学を中心と
した教育体系に加えて、水圏科学系のカリキュラムを充実させたことにより、より広い視
点に立った総合農学を展開出来る環境が整ったといえます。そもそも、本学部が生物産業
に関わる生産・加工・流通・経営の教育・研究を当地で展開しているのは、その背景に、
大学の理念でもある、「人物を畑に還す」をモットーにした「実践農学」を生物資源の宝
庫であるオホーツクの大地で実現させようとする強い思いがあるからであります。一昨年
より取り組んでおります「現代GP」プログラム「地域連携によるオホーツク学の展開」も
そうした理念の下に、生物産業を核として地域活性化を図るための教育・研究・活動の総
合推進力と位置づけております。
そして、本学の「現代GP」の取り組み成果を公開するかたちで2月17日(土)、1
8日(日)の2日間にわたり、2006 年度 東京農業大学「現代GP」フォーラム(北海道
未来展望カレッジ)を「オホーツク地域のアクティビティと実学教育の可能性」として開
催することができました。参加者は2日間で約 180 名をもって終えることができました。
基調講演では、作家で本学の客員教授でもある佐々木譲氏に「榎本武揚と実学教育のフ
ロンティア」と題して講演していただき、榎本武揚は旧幕臣でありながら明治以降の日本
の近代国家の大きな足跡を残し、東京農業大学の創始者として知られているが、彼が長崎
海軍伝習所やヨーロッパ留学で得た知識(技術)と経験がその後の蝦夷共和国樹立や北海
道開拓、東京農業大学の創設などの行動力にも通じており、日本の実学教育のパイオニア
であることが紹介されました。
また、パネルディスカッションⅠは、「オホーツクの体験型教育と地域連携の展望」と
いうテーマで行われ、本学の「現代GP」の実学教育プログラムにおいて実践性の高い5
つのプログラムの受講学生の代表者が、プログラムを通じて得られた視角や課題について
報告しました。そして受講学生の報告に対して、コメンティターやアドバイザーの先生方
とフロアーとの間で活発な意見交換が行われました。
パネルディスカッションⅡでは、「オホーツク地域における新産業育成と大学の役割−
オホーツクの魅力再発見・AIとのかかわりで−」というテーマで行われ、網走支庁が推
進しているオホーツクAI(エリア・アイデンティティ)やオホーツクの地域産業と大学
との関係について活発な議論が行われました。
最後に、本事業の開催にあたりましては、北海道企画振興部、網走支庁をはじめとして
地元の関係各機関より大きなご支援とご協力をいただきました。また、基調講演や報告者
として参加してくださいました皆さまには、たいへん貴重な示唆に富むお話を聞かせてい
ただきました。心より厚く御礼申し上げます。
2007 年 3 月
2006 年度
東京農業大学
第2回「現代GP」フォーラム
北海道未来展望カレッジ
報告書
目次
Ⅰ開会式
・・・
1
Ⅱ基調講演
・・・
8
Ⅲパネルディスカッション1
・・・21
Ⅳパネルディスカッション2
・・・66
Ⅴ「現代GP」フォーラム実行委員会
Ⅵ後援団体一覧
委員名簿
・・・95
・・・96
「現代GP」フォーラム
報告次第(第1日目)
◇基調講演◇
「榎本武揚と実学教育のフロンティア」
佐々木 譲(作家・東京農業大学客員教授)
◇パネルディスカッションⅠ◇
“オホーツクの体験型教育と地域連携の展望”
コーディネーター:黒瀧
吉田
秀久(オホーツク実学センター長)
穂積(東京農業大学 生物生産学科
教授)
Aクラス報告:「環オホーツク海圏をめぐる交流の課題」
報 告 者:小川 繁幸(東京農業大学大学院博士前期課程2年)
アドバイザー:田村 正文(東京農業大学 オホーツク実学センター)
Bクラス報告:「知床世界自然遺産と体験教育の現在」
報 告 者:森 はるか(東京農業大学 食 品 科 学 科 3年)
アドバイザー:石堂 典秀(東京農業大学 産業経営学科 講師)
Cクラス報告:「流域連携の課題と連携方向」
報 告 者:渡辺 秀樹(東京農業大学 産業経営学科 3年)
アドバイザー:園田 武(東京農業大学 アクアバイオ学科 講師)
Dクラス報告:「新規就農と新たな農業展開」
報 告 者:岩瀬 正明(東京農業大学 産業経営学科 3年)
アドバイザー:菅原 優(東京農業大学 オホーツク実学センター)
Eクラス報告:「新しいツーリズムと地域活性化」
報 告 者:相田 拓紀(東京農業大学 産業経営学科 4年)
アドバイザー:當間 政義(東京農業大学 産業経営学科 講師)
コメント
君塚 倖 一((有)自然文化創舎 代表取締役)
進士 五十八(東京農業大学 造園科学科 教授)
質疑応答・総合討論
◇閉会の言葉◇
増子
孝義(東京農業大学
ⅰ
生物生産学科
教授)
「現代GP」フォーラム
報告次第(第2日目)
◇パネルディスカッションⅡ◇
“オホーツク地域における新産業育成と大学の役割
−オホーツクの魅力再発見・AIとのかかわりで−”
コーディネーター:田中
野村
俊 次(東京農業大学
比加留(東京農業大学
報告1「北海道の総合開発計画とエリアアイデンティティ」
白野
暢 (北海道網走支庁 地域振興部
産業経営学科
産業経営学科
地域政策課
報告2「東オホーツクシーニックバイウェイ…広域連携による地域づくり」
高谷 弘志(東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
報告3「農を生かした地域ブランドの構築」
門脇 武一(㈱イソップ・アグリシステム
報告4「新産業育成と大学の役割」
永島 俊夫(東京農業大学
コメント
堀内
淳一
食品科学科
(北見工業大学
教授)
講師)
課長)
代表)
代表取締役)
教授)
化学システム工学科
教授)
質疑応答・総括
◇閉会の言葉◇
横濱
道成(東京農業大学
ⅱ
生物産業学研究科
大学院委員長)
Ⅰ
総合司会:菅原
優(東京農業大学
開
会
式
オホーツク実学センター
専任研究員)
皆さん、おはようございます。これより 2006 年度東京農業大学第2回現代 GP フォー
ラム北海道未来展望カレッジ「オホーツク地域のアクティビティと実学教育の可能性」を
開催いたします。私は本日の総合司会を務めさせていただきます東京農業大学のオホーツ
ク実学センターの菅原でございます。どうぞ、よろしくお願いいたします。
実
挨拶:伊藤
行
雅夫(東京農業大学
委
員
長
生物産業学部
挨
拶
学部長)
皆様、おはようございます。本年度の GP フォー
ラムの開催に当たりまして、一言ごあいさつ申し
上げます。
初めに、ご来賓にいらしていただきました安田
網走開発建設部長様、大場市長様、猪俣支庁長様、
本当に週末でお忙しいところ、朝早くからおいで
いただきましてありがとうございました。厚く御
礼申し上げます。
さて、今日の GP フォーラムのタイトルといたしましては、先ほど司会のほうからご紹
介がございましたように、
「オホーツク地域におけるアクティビティと実学教育の可能性」
ということで企画させていただきました。本年度は既に3回に渡り関連のシンポジウムを
開かせていただきまして、実学センターからの情報を発信させていただいたところでござ
いますけれども、本日は1年間の GP の活動の成果報告ということで開かせていただきま
した。
皆様、もう既にご案内のことと思いますけれども、現代 GP と申しますのは、こんにち
までの教育と違った新しい教育体系であります実践教育ということのプログラムでござい
ます。現代社会のもっている教育ニーズに従って、よりよい実践を教育活動するプログラ
ムに対しまして、文部科学省が支援しているものでございます。一昨年採択されました我
々の取り組みは、地域連携によるオホーツク学の展開ということでございますが、ここで
いうオホーツク学というのは、いわゆる地域学としてのオホーツク学ではなくて、具体的
に申し上げますと、豊かな自然と豊富な生物資源を擁したオホーツク地域で、生物産業を
核として地域活性をしていくための教育と、研究と、そして活動。この総合力をもってオ
ホーツク学と位置付けております。結果といたしまして、実践性の高い教育プログラムと
いうことで評価を受けまして、採択されたということでございます。
そもそも東京農業大学は、建学の理念が「人物を畑に還す」という実学主義でございま
す。したがいまして、現代ここで行っています GP の活動、農大の建学の理念を実現して
いくための新しい試みという受け取り方もできるかと思います。そういった意味で、本日
-1-
は実学を基本理念にして、東京農業大学をつくられました学祖の榎本武揚をテーマにした
基調講演を企画させていただきました。「榎本武揚と実学教育のフロンティア」という題
で、榎本武揚伝をお書きになりました佐々木譲先生にご講演をいただきます。午後からは
実際の活動の報告というかたちでパネルディスカッションをしていただきまして、オホー
ツクの体験教育と地域連携というようなことでお話し合いをしていただくことになってい
ます。
明日は北海道網走支庁との連携によりまして、「オホーツク地域における新しい地域産
業の育成と大学の役割」というようなタイトルでパネルディスカッションをしていただき
まして、地域活性の取り組みと、それからエリアアイデンティティという観点から見たオ
ホーツク地域の魅力というようなことを話し合っていただくことになっています。
二日間の短いプログラムでございますけれども、先ほど言いましたように、1年間の成
果ということをとりまとめて、これをまた来年からの新しい指針として参考にさせていた
だくという企画でございますので、皆様の活発なご討論をいただきまして、いい成果が上
がりますように祈っております。
最後に、この会が大変有意義なもので楽しい会になればということで、皆様のご協力を
お願い申し上げて開会のごあいさつとさせていただきます。どうも、ありがとうございま
した。
-2-
主
挨拶:大澤学長(東京農業大学
催
学長)
校
挨
代読:黒瀧
拶
秀久
大澤学長に代わりましてメッセージを代読させていただきます。
東京農業大学第2回現代 GP フォーラム「オホーツク地域のアクティビティと実学教育
の可能性」をテーマに、関係機関のご協力を得て、ここにエコーセンターで開催の運びと
なりましたことを、心より感謝申し上げます。
東京農業大学は 1891 年に創立され、農業、および関連産業を支える農学、生命科学、
環境科学、バイオ産業学で構成される、他大学に例を見ない特色ある農学系の総合大学で
す。世田谷キャンパスには応用生物化学部、地域環境科学部、国際食料情報学部、短期大
学部、厚木キャンパスには農学部、そしてオホーツクキャンパスには生物産業学部、3キ
ャンパスで6学部、21 学科を擁し、食糧問題、地球環境問題、バイオマスエネルギー問
題、さらには人間と自然との共生問題等々、21 世紀の人類の未来に差し迫って求められ
る諸課題に取り組んでおります。
平成 17 年度に文部科学省の現代教育ニーズ取り組み支援プログラムに採択された地域
連携によるオホーツク学の展開は、ここにオホーツク地域における生物産業分野の研究、
フィールド研究、地域活動全体の取り組みをオホーツク学と位置付け、その一環として教
育システムを構築しようとするもので、ベーシックプログラム、実学教育プログラム、ス
ペシャルプログラムと三つの類型プログラムで構成されています。そして、本プログラム
が実施されることで地域との連携がさらに深まり、教育の質の向上、地域活性の両面で大
きな成果が期待されると共に、地域連携教育システム構築のモデルとなることが期待され
ております。このプログラムの目指すものは、まさに初代学長横井時敬博士と実学主義に
基づく教育理念を継承し、実践することであるといえます。
最後になりましたが、このフォーラムが会を増すごとに大きな成果を上げることが出来
ますよう、また皆様方の積極的なご協力を賜りますようお願い申し上げまして、ごあいさ
つとさせていただきます。2007 年2月 17 日、東京農業大学学長、大澤貫寿。黒瀧代読
です。
-3-
主
挨拶:猪俣
茂樹(北海道網走支庁
催
者
挨
拶
支庁長)
皆さん、おはようございます。網走支庁長の猪俣でございます。現代 GP フォーラムの
開催に当たりまして、一言ごあいさつを申し上げます。
本日より二日間に渡り開催されますこのフォーラムは、今年度における現代 GP の取り
組みを総括するものと聞いております。また、道といたしましては、平成 20 年からスタ
ートいたします新しい総合計画について地域の方々に考えていただく機会としても、この
フォーラムを活用させていただくこととしております。
さて、東京農業大学におかれましては、現代 GP に基づき実学の観点に立って五つの教
育プログラムの実施や、市民公開講座開催など、オホーツク地域全体を広く教育のフィー
ルドととらえた取り組みを展開されております。一方、網走支庁におきましても、今年度、
地域が一体となってオホーツクのブランド化を目指し、オホーツクエリアアイデンティテ
ィ、略しましてオホーツク AI 事業を立ち上げ、その推進に努めているところでございま
す。両者の取り組みはオホーツク地域の一体感の醸成といった観点で方向性を同じくする
ものであることから、これまでもお互いに連携を図りながら取り組みを進めていたところ
であり、今後もその連携をより一層密にし、さまざまな取り組みを加速し、オホーツクの
活性化を図ってまいりたいと考えております。
結びに、東京農業大学がオホーツクの更なる発展のために貢献されますことを大いに期
待いたしますと共に、お集まりの皆様のご健勝をご祈念申し上げ、私からのあいさつとさ
せていただきます。
-4-
来
挨拶:安田
脩(北海道開発局
賓
挨
拶
網走開発建設部長)
ご紹介ただきました網走開発建設部長の安田でござ
います。本日は第2回目の東京農業大学現代 GP フォー
ラムの開催に当たりまして、一言ごあいさつ申し上げ
ます。また、ご列席の皆様方には日ごろより北海道開
発事業の推進にご支援、ご協力いただきまして、この
場を借りてお礼申し上げます。
東京農業大学は北海道の中でも特に豊かな自然資源
の豊富な、恵まれたこのオホーツク地域に、これを研究フィールドとして活用するために
網走市にオホーツクキャンパスを 1989 年に開設以来、地域に密着した大学として地域の
産業振興に大きな役割を果たしてこられました。私ども網走開発建設部は、さまざまな分
野で東京農大のご協力を得て事業を推進しているところでございます。具体的には、例え
ば私どもが約半世紀に渡りまして管内の農地開発、排水改良、区画整理、あるいは大規模
かんがい整備事業等を行ってまいりましたが、特に自然の幸が少ない地域で、しかも天水
に頼っていたこの地域に新規利水、水利事業として畑地かんがいを導入してまいりました。
これまでに北見地区をはじめとしまして約1万 4000 ヘクタールを整地しまして、今年
度末、この3月で 18 年度が終わるわけですが、斜網地域の3地区が完了しまして、新た
に2万ヘクタールの畑かん事業を整備するわけでございます。この畑地かんがいの導入に
当たりまして、東京農大とはオホーツクキャンパス開設以前の網走寒冷地農業時代から畑
かん連携プロジェクトを継続的に展開しまして、協力をいただいてまいりました。その成
果としまして、ニンジンだとか、タマネギ、大根などの野菜をはじめ、ビート、ムギ、馬
鈴薯などの期間作物、これらに適期に水の使用を試みまして増収を図りつつあります。ま
た、高圧で多量の水が確保されたということで、農作業の省力化だとか、効率化ができる
ようになって、農業経営コストの削減に大きく貢献しております。
このような連携だとか、協力関係を今回の GP 教育プログラムの、横文字でコンソーシ
アム、連携、協同ということになるのだと思いますが、このコンソーシアムの中で引き続
き築いて行くということが必要だと考えております。必要だというよりは、ぜひこちらか
らお願いして、仲間に入れていただきたいと考えているところでございます。
例えば、今回のオホーツク学の展開のプログラム、このパンフレットにございます第Ⅲ
類型プログラムの各クラスがございますが、D クラスの「新規就農ビジネス教育プログ
ラム」におきましては、この畑かん営農技術発展のための連携が可能。というより、むし
ろ必要だというふうに考えております。地球規模での温暖化によりまして、世界中で水飢
饉(ききん)が発生している状況の中で、多様な農業の振興に活用できるシステムが構築
されたということは、未来に向かって何にも換えがたい財産であり、この水の使い方を更
に工夫すれば、農産物に付加価値をつける大きな可能性があるというふうに確信しており
まして、このプログラムでぜひ次の後継者たる学生、次の人材を育てていきたいというこ
とに我々も参加させていただきたいと考えております。
-5-
またAクラスの「環オホーツク海圏広域交流教育プログラム」、あるいはCクラスの「流
域生態系連携活性化教育プログラム」。これに関連する予算として、来年度の北海道開発
予算の北海道開発計画費の中にオホーツク海域を利活用した交流に関する検討調査。こう
いう予算が計上される予定でございます。これはこの農大さんの教育プログラムとほぼ、
全く目的を同じにしたような調査でございまして、私どもも協力、連携をさせていただき
たいと考えております。
今年は第6期北海道総合開発計画の最終年を迎え、次の新しい北海道総合開発計画への
橋渡しの年でございます。これまでの成果と北海道を取り巻く諸課題を踏まえ、北海道の
新たな発展基盤の構築に向けた施策の効果的な展開を図ることが必要でございます。この
ような中、大学、地域の研究機関と、行政、産業界がより一層の協力、連携を深めながら
地域に密着して変化に柔軟に対応するきめ細やかな施策の展開を行うことが、ますます重
要になっております。まさにこのような時期に立ち上げられた東京農大の地域連携教育シ
ステム構築プログラムが、オホーツク地域の社会基盤整備の推進力になるものと期待し、
東京農大、ならびにオホーツクキャンパスのますますの発展と、皆様のご活躍を祈念申し
上げましてごあいさつといたします。
挨拶:大場
脩(網走市長)
ご紹介いただきました網走市長の大場でございます。
2006 年度、東京農業大学現代 GP フォーラムの開催に
当たりまして、一言ごあいさつを申し上げます。
東京農業大学におきましては、文部科学省による平
成 17 年度現代的教育ニーズ取り組み支援プログラム
で、地域連携によるオホーツク学の展開が採択をされ、
学生の新たな教育プログラムや、市民公開講座などに
取り組まれてまいりましたが、本日、その成果の報告を含め、地域連携に関してのフォー
ラムが盛会のうちに開催されますことをお喜び申し上げますとともに、日ごろより地域の
振興、発展に多くの貢献をいただいておりますことに、心より感謝を申し上げます。
現在、北海道の経済は拓銀の破たん以来 10 年が経過し、一時の最悪な状態からは抜け
出たとは言いながら、公共事業頼みの経済、製造業は少なく建設業の多いいびつな産業構
造、自立しきれていない農業など、ぜい弱な地域経済への危機感は、なお根強いものがあ
ります。こうした現状から、地域経済の自立化、活性化に向けた課題は喫緊の課題となっ
ております中で、本フォーラムにおきましても明日、二日目のテーマとして「オホーツク
地域における新産業育成と大学の役割」が取り上げられ、討論されますことは、大変有意
義なことと感じております。
最近の地域産業起こし、地域ブランドの形成は全国の市町村の基本的な取り組みの方向
になりつつありますし、近年大学の受験年齢人口の減少を踏まえた大学による地域連携の
動きと、地域の活性化に大学の知識を必要とする地域の産学官のニーズ。この双方の要請
から各地域で産学官協同の取り組みが進んでおります。網走市といたしましては、これま
で新製品創出支援事業、事業化と、スタートアップ支援事業、ものづくりフォローアップ
-6-
支援事業など進めてきておりますが、さらに新年度から新製品プロモーション支援事業、
ニュービジネス研究支援事業を加えて新産業創出に取り組んでいくことといたしておりま
すが、地域経済の自立化、活性化に向けては地域全体で現状に対する危機感を共有し、具
体的なテーマを明確にして大学の知恵を借りながら取り組んで行きたいと考えておりま
す。
その点からも、今日、明日の二日間に渡りますフォーラムが、大学と地域の連携のため
に有意義なものとなりますことをご期待申し上げて、ごあいさつといたします。
-7-
Ⅱ
基
調
講
演
テーマ:榎本武揚と実学教育のフロンティア
講演者:佐々木
譲(作家・東京農業大学
客員教授)
皆さん、おはようございます。佐々木譲です。昨日、嵐の中
を飛行機が女満別空港に着くかどうかハラハラしながらやって
来ました。ちょっと寒かったものですから風邪をひいてしまい
ました。ちょっと声がかれております。お聞き苦しい点があり
ましたら、ご了承ください。今日はいま司会の方からご紹介が
ありましたように、東京農業大学の前身である東京農学校の創
設者、榎本武揚と彼が受けた教育、そして彼が教育に託した希
望、夢というものについてお話ししていきたいと思います。
榎本武揚という人物は、残念ながら日本の幕末の歴史、ある
いは明治維新史の中でも非常に過小評価されている人物です。私などは、日本人で歴史上
の好きな人物ベスト 10 に入っていてもおかしくはない人物だと思っているのですが、な
かなか業績は評価されておりません。簡単にご紹介しますと、榎本武揚という人物は幕臣
でありまして、長崎海軍伝習所に学び、幕府が派遣した第1次ヨーロッパ留学生のメンバ
ーとして、日本で最初に近代ヨーロッパを見て帰ってきた人物です。そして帰って来たの
ちは、徳川艦隊の事実上の司令官となって戊辰戦争を戦いました。そして江戸開城がなっ
たあとは幕臣たちを引き連れて仙台経由で箱館に上陸、箱館で独立共和国を樹立しようと
しました。
箱館戦争は、ご承知のように榎本軍の敗北で終わりまして、榎本自身も3年弱獄につな
がれるのですが、最終的には赦免されます。明治政府側の司令官だった黒田清隆に見込ま
れて北海道開拓の要職に就き、明治早々、北海道全体を調査しました。例えば、空知近辺
の炭鉱の調査などをやったのも榎本です。当然ながら網走を含めた北海道東部地方も調査
しております。明治政府の中では非常に有能な、技術に明るい理系の官僚としてさまざま
な要職を歴任し、最終的には子爵として亡くなります。日本の近代化の歴史を考える上で
非常に重要な人物です。ただし、その功績はあまり知られておりませんし、徳川家と明治
政府の両方に仕えたということで、双方がことさら非難しがちな人物でもあります。
ところで、今日お話ししようと思っているテーマに非常にぴったりの本が最近出ました。
皆さん、日本の実学教育と言いますと、多分それはほとんど明治維新以降に始まったとお
考えかと思います。明治維新以前は日本には実学教育の伝統もなく、そしてまた産業革命
を経験しておりませんから、例えばものづくりという点で西洋と比べても非常に見劣りが
したんではないかとお考えかと思いますが、決してそんなことはありません。榎本武揚自
身が幕末の江戸で実学教育を受けておりますし、もっと言いますと、日本はアジアの中で
は特に珍しく実学の盛んな国だったのです。特にものづくりの伝統があり、職人さんの地
位が非常に高い国です。今でもそうです。中国やアジア、韓国などを旅行したり、中国の
人たちや韓国の人たちと話をしていると分かると思いますが、あちらの国々は職人さんの
地位は大変低いのです。中国の人が、あるいは韓国の人が日本にやって来て、職人さんの
-8-
地位が高いことに驚くといいます。こういう国というのはアジアの中では本当に日本だけ
なのです。
この野村進さんという方が書かれた本『千年、働いてきました』という新書には、日本
の老舗(しにせ)企業、特にものづくり関係なのですが、そちらの企業が一体どのぐらい
の伝統を持っているのかという点について、驚かされる事実が書かれております。
日本で一番伝統ある企業、今も活動を続けている企業で一番古い企業は何年ぐらいに始
まったと思いますか。その創立の時期は、いつごろだと思いますか。
実は私もこの本で初めて知りました。593 年なのだそうです。6世紀。聖徳太子の頃に
ある工務店が産声を上げまして、ここは今も大阪で金剛組という工務店として続いている
のだそうです。1400 年の歴史を持っている企業が、日本にあるのです。
ヨーロッパでもこんなに続いている企業はないのです。ヨーロッパの、例えばブランド
物のメーカーの歴史なんかをちょっと調べてみても、意外に新しいことに気付きます。多
くは、せいぜい第1次大戦前後ぐらいの創業。もうちょっといったとしても、せいぜい 19
世紀の半ばぐらいまでしかたどることが出来ません。ところが、日本ではその程度の伝統
ある老舗企業は、とてつもない数あるのです。よく冗談で言いますが、京都の人たちは、
創業が 200 年、300 年だと老舗とは言わないのだそうです。応仁の乱以前に創業していな
いと老舗とは言われないとか。多少誇張はあるかもしれませんが、日本ではそのぐらいも
のをつくることが大事にされてきて、その伝統が続いているのです。
日本も江戸時代の一時期、鎖国をしまして、西洋から新しい技術が入ってくることが1
回止まってしまいました。戦国末期には、例えばザビエルであるとか、フロイスであると
か、そのほかの多くの宣教師たちがやってきて、キリスト教だけではなく多くの産業技術
も広めていったのですが、残念ながら江戸時代鎖国の時期にその伝統は途切れました。た
だし、この江戸時代でも正式な教育機関としてではなくて、私塾のようなかたちで実学の
伝統というのは続いていたのです。
そして幕末近くになって榎本武揚の教師に当たる人物が登場
します。江川太郎左衛門英竜という幕臣です。伊豆韮山の世襲
の代官の家に生まれた代官です。この人は 1801 年生まれですか
ら 19 世紀が始まった年に生まれた人なのですが、ペリーの再来
航の次の年に死にます。日本の近代史と実学教育を語るうえで
は榎本武揚と並んで絶対に欠かせない人物です。
この江川太郎左衛門の肖像画は、本人の手による自画像です。
代官の家に生まれましたので、彼は当時の武士のたしなみとし
て、漢文であるとか、詩歌であるとか、あるいは絵画であると
か、こういったことを学ぶのですが、その成果の一つがこの自
画像です。決して様式的ではない、正確なデッサン力のある絵
だと思います。ご本人は身長 170 センチあったそうですから、当時の日本人としては割合
背が高いほうだったでしょう。普段は非常に粗末な着物を着ていましたが、いざ外国人と
応対するなどというときには豪華な着物を着て、相手を格負けさせたというエピソードが
伝わっています。
江川太郎左衛門という人は、韮山代官の職を継ぎますと幕府の中で大変発言力が強くな
-9-
ります。伊豆が支配地ですので、伊豆半島の海防ということについて幕府に対して何度も
建議をするようになります。伊豆の沖合を押さえられてしまっては上方と江戸との交通、
流通が遮断されます。そうすると、例えば戦争になればたちまち負けて、外国の圧力に屈
してしまうことになりかねない、ということで、まず幕府の命を受けて江戸湾、伊豆近辺
を測量します。伊能忠敬の技術を受け継いだ人たちと一緒に洋式の測量技術で江戸湾、そ
れから伊豆の近辺を測量するのです。これが幕府に認められて、海防問題の第一人者とし
て、そのあと重用されるようになります。さらに江川太郎左衛門は蘭学に接近します。渡
辺崋山ら当時のそうそうたる蘭学者のあいだのサロンで、国際事情や近代産業の実情をよ
く知るようになってゆくのです。自分自身はオランダ語は学んでいないのですが、渡辺崋
山ら当時のそうそうたる蘭学者たちのサロンに加わり、さらに周りに蘭語のできる人たち
をたくさん集めまして、彼らから西洋技術、それから西洋の歴史、地理について多くを学
んでゆくのでした。
そのような時期に、アメリカが日本に開国を求めて艦隊を派遣するという情報が、オラ
ンダ政府からもたられれます。そこで江川太郎左衛門は長崎にいた高島秋帆という砲術家
を江戸に呼ぼうと提言します。高島秋帆というのは武士ではありません。町人なのですが、
父親が貿易商で西洋砲術を学んでおりました。息子の秋帆も、長崎で私塾を開いて西洋砲
術を教えていた。その人物を江戸に呼び寄せようという提言を幕府が受け入れまして、高
島秋帆は自分の門弟たちを引き連れて江戸にやってきます。最新鋭の大砲数門と小銃も運
ばれてきました。幕府や諸大名の前で、西洋砲術の演習をするためです。この演習の、い
わば実行委員長となったのが江川太郎左衛門で、演習の場所は、徳丸原という河原でした。
現在の東京都板橋区に高島平という土地がありますが、この地名は高島秋帆の名前から取
られたものです。この徳丸原、現在の高島平で、高島秋帆は最新の西洋砲術を披露するの
です。
当時の日本の砲術というのは戦国時代に入って来た技術がそのままフリーズされてしま
ったようなものでした。その後の 200 数十年の間の西洋の砲術の技術の進歩に追いついて
いないのです。高島秋帆は最新の技術を披露するわけで、なにより最新鋭の砲は射程距離
がちがいますし、威力もちがう。榴弾のような技術も開発されています。初めて見る西洋
近代砲術に、幕閣たちは驚きました。
幕府内部の保守派の抵抗はありますが、ここで江川太郎左衛門が幕府鉄砲方を命じられ
ます。高島秋帆から西洋砲術の伝授を受け、さらに幕臣たちに教授するという資格を与え
られたのです。これができたのが、伊豆韮山にあります幕府公認の砲術学校、韮山塾と通
称言われている教育機関です。ここは全寮制で、幕臣たち、それから陪臣たちの間からも
向学心にあふれる生徒たちが入学してきます。蘭学者の佐久間象山も最初の生徒のひとり
です。ここで製鉄術、銃砲の製造術、それから当然砲術ですから物理学の簡単なことも教
えなければなりません。数学もやる。火薬も製造しなければなりませんから化学もやる。
そういった実学の教育機関が、韮山塾です。
そして一方で、江川太郎左衛門は代官ですので、1年のうち半分は江戸詰めです。大体
夏の間は江戸にある自分の屋敷にいるのですが、ここでも江川太郎左衛門は塾を始めます。
これは幕府公認の塾ではなくて私塾ですが、ここで江戸の有為の若者たちに、蘭学、蘭語
を教えるのです。この中に若き日の榎本武揚がいました。
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江川太郎左衛門の事跡はさまざまあるのですが、現在、江川太郎左衛門がどうしてあま
り知られていないかというと、彼が幕府の軍制改革に関して、非常に大胆なことを提案し
たからだと言われています。戦後の平和憲法下では、江川太郎左衛門の提案は軍国主義的
に聞こえて、江川太郎左衛門を評価することが、ある種、危険に思われたのかもしれませ
ん。
当時は戦争は武士の役割でしたが、もう当時ヨーロッパでは国民国家が成立し、軍隊と
いうのは王様や領主の私兵ではなくなっていたのです。戦争は国民軍の役目でした。江川
太郎左衛門は、ヨーロッパにならった軍制を志向します。軍制を改革し、農兵制を採用せ
よと訴えるのです。武士以外の市民にも軍事訓練を施して、いざとなったら彼らを軍に徴
用、彼らを組織した軍隊として外国軍と闘おうと提案するのです。さらに、伊豆と江戸湾
を守るために台場、砲台をつくることを提案するのですが、それだけでは江戸を守ること
はできません。それで海軍の創設も提案します。江川太郎左衛門の構想では、30 隻の洋
式船を建造し、通常平和なときはそれは商船として使えばいいだろう。ただし、いったん
戦争になればそれはすべて徴用して軍艦として使う。そういう海軍をつくろうと提案しま
す。
それから、今も韮山に残っていますが、高性能の製鉄炉としての反射炉というものがあ
ります。当時日本の溶鉱炉ではあまり温度を上げることができなくて、質の悪い鉄しかつ
くることができなかったのです。江川太郎左衛門はヨーロッパから取り寄せた製鉄術の本
を翻訳しまして、最初は自分のところで、書かれているサイズの3分の1の大きさの反射
炉を作ってみます。幕府の予算がつかなかったのです。しかし、路の内部の容積が足りな
かったせいでしょう。これでは鉄をつくることに失敗します。それで江川太郎左衛門は、
当時財政が豊かであった佐賀藩に、この反射炉の図面を提供し、自分が使っていた鍛冶職
人を派遣して、文献にある通りの反射炉を佐賀藩に作ってもらいます。ですから、日本で
最初に反射炉をつくったのは佐賀藩として記録されているのですが、2番目にできたのが
伊豆韮山の反射炉です。今も残っています。
この韮山塾で質のいい鉄ができるようになると、江川太郎左衛門は新型の銃と砲の製造
を始めます。これも幕閣や各地の大名、藩から注文がありまして、とても生産が追いつか
なくなる。特にいい砲をつくるための青銅が足りなくなり、一時期は江戸から青銅が払底
してしまうという事態になったそうです。
もう一つ、江川太郎左衛門の功績のひとつに、洋式船の建造があります。ペリー来航後、
ロシアの軍船ディアナ号も日本にやってきますが、大地震の津波を受けて伊豆で難破して
しまうのです。大津波を受けて引っ繰り返ってしまう。これに代わる船を伊豆で造ろうと
して、「きみさわ(君沢)型」とも呼ぶのですが「くんたく型」という小型の洋式船をつ
くります。その指揮をとったのも江川太郎左衛門です。
時間があとさき逆になりましたが、ペリーが浦賀に来航して開国を求めたあと、幕府は
江戸湾を守るために大慌てでお台場、砲台をつくります。今も東京港のフジテレビの本社
のそばに台場が一つ残っていますが、あのお台場群の築造責任者となったのも江川太郎左
衛門です。残念ながら江川太郎左衛門は、ペリー再来航のときには応接係を言い付かるの
ですが、もうその時は激務続きでかなり健康を害しておりまして、翌年慌ただしく死んで
しまいます。ただし、江川太郎左衛門の江戸屋敷、そして韮山塾からはその後の日本の近
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代化に貢献するそうそうたるメンバーが巣立っていきます。日本の実学教育を考えるうえ
で、江川太郎左衛門英竜という人は忘れることのできない人物と言えます。
さて、榎本武揚の話になります。榎本武揚は幕臣ではありますが、旗本ではありません。
榎本武揚の父親は備後出身の郷士です。箱田真与といいました。大変小さいころから学問
ができて、土地の藩主に認められて、江戸に出て伊能忠敬の下で測地術、数学、それから
天文学を学びます。測地術というのは当時の最先端科学です。それを学び、伊能忠敬の内
弟子となって日本中を歩き回ります。そしてこの箱田真与はそのあと、御家人の株を買っ
たという言い方をしますが、幕臣の婿となって、榎本円兵衛を名乗るようになるのです。
そして生まれたのが榎本武揚です。逆に言いますと、榎本武揚というのは大変技術に明
るい、当時はやや異色の武士でありますが、その DNA は父親から引き継がれたものだと
いうことです。技術者の血を引いた技術系の幕臣、それが榎本武揚です。
これは榎本武揚の 19 歳の時の写真です。おそらく長崎海
軍伝習所に入学する前に、横浜の写真館で撮ったものだと思
います。
榎本武揚は幼名釜次郎といいまして、最初は幕府の昌平坂
学問所という所に学ぶのです。JR の御茶ノ水の駅の前に立つ
と真正面に東京医科歯科大学が見えます。その右側にあるの
が湯島の聖堂です。孔子をまつる聖堂ですが、ここが幕府公
認の儒学の学校、昌平坂学問所です。昌平黌(しょうへいこ
う)とも呼ばれます。ここは5年制の学校で、大体幕臣の子
弟であれば望めば大体入学できるのです。ここで5年間、大
体儒学を勉強します。昌平坂学問所の教育の目的は、立派な
幕臣、役人をつくることです。ですから全体が徳目教育なの
です。自然科学がないわけでもなく、本草学、今で言う博物学なども簡単なものは教授す
るのですが、全体が徳目教育で、実学の学校ではありません。
先ほども言いましたように、榎本武揚自身は技術者の父親の血を引いていますから、そ
ういう学問は性に合わなかったのだろうと思います。成績は良くありませんでした。5年
間で卒業して幕府の、いわば公務員上級職試験を受けます。学問吟味というのですが、甲
乙丙とありまして、学問吟味を受けて甲き成績であればかなりの役職に就けます。乙であ
ればそこそこ、丙だと任官されません。卒業したことは認めるけれども役には就けないよ
ということです。榎本釜次郎は丙の成績でした。でも片一方で、すでに榎本武揚の胸には
実学への志向が芽生えています。江川太郎左衛門の江川屋敷に通って蘭語と蘭学を勉強す
るようになっています。
そこにと起こった歴史的事件が、ペリーの来航です。ペリーからの開国せよという圧力
で幕府の中はてんやわんやとなるります。その時に、一時期鉄砲方を解任されてうつうつ
と伊豆で過ごしていた江川太郎左衛門のもとに、幕閣が「やっぱりお前しかいない。出て
来い」という命令を出して、伊豆から江川太郎左衛門が急きょ呼び出されます。海防対策
と外交交渉の責任者とするためでした。そして幕府は、事実上、翌年には開国することを
約束してペリーをいったん返し、慌てて軍事制度の改革に乗り出すのです。
榎本武揚のほうは、ペリー来航直後、堀利熙という人物の従者として、北海道、蝦夷が
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島と樺太島の視察に出発します。江差から海岸伝いにずっと稚内まで行きまして、樺太の
ちょうど真ん中、北緯 49 度の線まで榎本武揚たちは行ったそうです。当時、既にロシア
軍があちこちに砦(とりで)を築いているとうわさされていたのですが、実際にはこの時
期にロシアは樺太から軍隊を引き上げていました。あるはずの砦の所にロシア軍はいない
のです。どこまで行ったら会えるだろうとずっと北上するのですが、結局 49 度まで北上
しても、ロシア軍はいないのです。そのことを確認して稚内に戻ってきます。
今度はオホーツク沿岸を通り、国後を通り、そして箱館までやってきます。江戸にいた
とき、当然釜次郎はペリー艦隊の来航を品川沖で見ているはずですが、この箱館ではプチ
ャーチン艦隊を目の当たりにするのです。ちょうど榎本武揚たちが北海道、蝦夷地を回っ
て帰って来たそのときに、箱館にロシアのプチャーチン艦隊が入っていたのです。この短
時間に榎本武揚はいきなり世界の現実を知るという立場に置かれたわけです。いよいよ榎
本武揚は、自分は日本の近代化のために何かできないだろうか、実学、学問を身につけて、
その後の日本の近代化のために役立てることはできないだろうか。そのように考えるよう
になります。
そしてオランダが、この時期に幕府が海軍をつくる予定があるのであれば、その士官た
ちの教育は私たちが引き受けましょうと提案します。幕府はこれに乗ります。長崎海軍伝
習所という学校がつくられます。教官たちは全部オランダ人。生徒は幕臣たちが中心です
が、自分の藩からも生徒を出したいという藩には認めました。一番熱心だったのは、先ほ
ど反射炉を日本で最初につくったといいました佐賀藩。佐賀藩がまた 50 人、60 人という
単位でここに生徒を送り込みます。
これは長崎の絵図です。これが有名な出島
です。オランダ人たちはここに住んでおりま
した。そして出島のすぐ横に大波止という船
着場があります。この大波止には広場があっ
て、その真正面に石段があります。石段を上
がったところが長崎奉行所西役所なのです。
この中に長崎海軍伝習所が設立されたのでし
た。
榎本武揚はもうオランダ語ができました。ただし、お目見以下の御家人という幕府の中
では低い地位の幕臣の子弟ですので、すぐには正規生徒にはならなかったのです。1年目
は蒸気船の釜炊きとしての聴講生の扱いです。二期目から正規伝習生となります。
この伝習所に第二期教官団長としてやってきたカッテンディケというオランダ海軍の大
尉が、榎本釜次郎と接してびっくりします。まずオランダ語ができるのです。それから北
緯 49 度まで樺太を探検したという経験を持っている。翻訳では「企画的な」という表現
になっていますが、いまで言うクリエイティブなセンスのあった青年だということなので
しょう。カッテンディケ大尉は、榎本釜次郎が世界の事情によく通じた、想像力が豊かな
青年だったということに感嘆します。そして武士の出でありながらヨーロッパでは低い階
級の人間の仕事と思われていた釜炊きの仕事を文句も言わずに黙々とやっている、むしろ
喜んでやっている。釜炊きをやりながら蒸気機関を学ぼうとしている、そのことに驚いて、
カッテンディケ大尉は「長崎海軍伝習所の日々」という回想録の中で榎本釜次郎のことを
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絶賛しています。
長崎海軍伝習所で行われた教育はこういったものです。特に第1期目の教官団というの
は、日本人はろくに数学ができないと思っていたらしいのです。それで初歩数学しか教え
るつもりがなかったのですが、いざ教えてみると、日本には和算の伝統があります。たち
まち西洋数学を理解してできるようになる。中でも、陪臣の小野友五郎という生徒がいま
した。この人物も江川英龍塾で蘭語を学んだ青年なのですが、小野友五郎は教官団があっ
けにとられるぐらいに数学が優秀です。彼だけは特別扱いになりまして、彼は海軍伝習所
の中だけではなくて、出島のほうにも通って数学を学ぶようになります。そのぐらいオラ
ンダ人にしても、日本人が元々受けてきた実学教育の伝統に圧倒されるのです。
この長崎海軍伝習所の中にはこういう生徒がいました。1期から3期まで蒸気機関学を
学んだ中島三郎助という男です。浦賀奉行所の与力でペリー艦隊と最初に接触した日本人
です。彼は浦賀で見よう見まねで洋式帆船をつくっていたのですが、長崎海軍伝習所がで
きたときに伝習所に正規伝習生のひとりとして入学します。歳がその時もう 35 歳です。
彼も日本の近代史では無名ですが、素晴らしい武士であり、砲術家であり、技術系の役人
でした。浦賀にいた当時、彼のもとに吉田松陰や桂小五郎が、造船学や海防問題について
教えを請いたいと訪ねてくるような人物でした。
彼は戊辰戦争では榎本武揚と行動を共にして、箱館戦争の最
後の局面で討ち死にします。いまも函館に中島町という町があ
ります。ここは中島三郎助と息子二人が死んだ場所です。函館
の市民はどういうわけは榎本武揚のことはあまり好きじゃない
らしいのですが、中島三郎助は大好きなのです。たいへん開明
的な人物でしたが、同時に武士道を体で現している武士の鑑(か
がみ)と言えるような人物です。
この絵は箱館で撮られた写真です。洋装ですが刀を差してい
ますね。当時、榎本軍の大部分はちょんまげを結っていなかっ
たのですが、中島三郎助はちょんまげを結っていました。つま
り、武士の魂と西洋技術者としての誇り、これをこの写真は実
によく表しているような気がします。
長崎海軍伝習所の生徒代表みたいな言い方をされる勝海舟という人物がいますが、彼は
長崎海軍伝習所では落第生でした。1期目、卒業できない。2期目も卒業できない。勝海
舟は旗本ですから生徒の中でも待遇は良かったのです。それで生徒代表の扱いをされるの
ですが、学校の成績は良くない。さぼる。船長を任せても大変無責任で、実際に船を操る
力もないわけで、ほかの生徒たちには大変ばかにされてしまうのです。彼もそのことを承
知してか、3期目は途中でさっさと江戸に帰ってきます。多分、勝海舟について書かれた
本では、長崎海軍伝習所での役割がすごく大きく書かれていると思いますが、そんなこと
はありません。落第生でした。
さて、長崎海軍伝習所ではオランダ人教官たちの手引きで製鉄所をつくります。製鉄所
ということは造船所でもあるわけですが、これが今の三菱重工の長崎造船所の敷地の中で
す。ちょうど製鉄所ができた場所に、古いレンガ造りの建物を生かした資料館ができてい
ます。
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さて、長崎海軍伝習所を卒業した榎本武揚は、今度は築地に移ります。幕府は長崎海軍
伝習所は3期で閉鎖してしまうのです。もう十分日本人生徒に技術は伝わった。今度は教
えられた生徒たちが改めて別の日本人にその技術を伝えればいい。それで築地海軍操練所
という学校をつくりまして、長崎海軍伝習所の大部分の卒業生たちは、その築地海軍操練
所のほうで今度は教官になります。榎本武揚ももちろん教官となりました。榎本武揚の専
門は造船学、蒸気機関学です。
そうこうしているうちに、日米修好通商条約の調印式のために、幕府はアメリカに正使
を派遣することになりました。このときに、どうせだったら日本人の手で太平洋を横断す
るということもやってみようではないかということで、咸臨丸の派遣が決まります。これ
の艦長に選ばれたのがなぜか勝海舟なのです。
勝海舟は、先ほども言いましたように航海術なんかできない、船を操作することもでき
ないし、そもそも人望がない人物ですから、水夫たちをまとめて扱うこともできないので
す。結局、江川太郎左衛門が自分の屋敷に置いていた、このときはもう江川太郎左衛門は
亡くなっていますが、ジョン万次郎が乗り込みます。彼はアメリカの捕鯨船で1等航海士
にまでなった男です。大変帆船なんかには長けている男です。それから、アメリカ人の海
軍の士官と水兵たちも何人か乗り込みます。一応同乗しただけだということになっていま
すが、実質的にはアメリカ海軍の士官たちが咸臨丸を動かします。
咸臨丸の乗組員たちは築地軍艦操練所の、あるいは長崎海軍伝習所の最優秀の生徒たち
で占められているのが本当のはずです。初めて日本人が自分たちの手で太平洋を横断する
のですから。
ところが、勝海舟は自分と肌の会わない人間を選びませんでした。小野友五郎だけは乗
組員に選ばれたのですが、例えば中島三郎助であるとか、もちろん榎本武揚、こういった
人物は咸臨丸には乗れなかったのです。それで武揚が腐っているところに、アメリカに留
学させようかという話が出てきます。このアメリカ留学生のメンバーの中には武揚は入っ
ていたのですが、アメリカで南北戦争がぼっ発します。アメリカのほうから、ちょっとい
ま留学生を受け入れるわけにはいかない、待ってくれというお断りがきます。それで幕府
は、じゃあ代わりにヨーロッパ、特にオランダが熱心に勧誘してくれましたので、オラン
ダに留学生を派遣しようということにするのです。
文久二年(一八六二年)榎本武揚たちはじめ、15 名の留学生たちはオランダに向かい
ます。長崎を出てインドネシアのバタビア、今のジャカルタです。ジャカルタに行ったこ
とのある方はお分かりかと思いますが、ジャカルタの北のほうにコタという町があって、
運河が内陸のほうに引き込まれています。あの辺りがバタビアという町でした。オランダ
が植民地につくった植民地都市ですが、オランダ人のほかにインド人、中国人、マレー人
といった人たちも大変たくさん働いている国際都市です。バタビアで今度はちがう船に乗
り換えてインド洋を横断し、喜望峰を回り、ナポレオンが流されたセントヘレナ島まで来
ます。このインド洋から喜望峰を回るまでは全く無帰港です。かなり長い時間を掛けてセ
ントヘレナ島に着きます。そのあとヨーロッパに入り、オランダに到着します。
留学生たちは武士の身分の者と、職人たちも混じっていました。職人たちはそれぞれ学
校に入るというよりは、工場にいきなり行って、そこで実際的な教育を受けるようになる
のですが、武士の身分の者たちはハーグ、ライデンで造船学だけではなく、法律や医学な
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どさまざまな学問を勉強をします。これはハーグで撮られた榎本武揚たちの写真です。最
初は幕府は日本人留学生を外国にやって、外国人の習慣に染まって帰ってくることを心配
したのです。ちょんまげも切ってはならん。和装にしろ。もちろん、刀も差して歩けと言
っていたのですが、もう行ってみたらそんな格
好をしていたら、歩けば人だかりができてとて
も勉強なんかしていられる状態じゃないです。
やむなく団長が、もうしょうがないから洋装に
しようということでちょんまげを切りまして、
洋服を着て、それで記念写真を撮ったのがこの
写真です。榎本武揚はここにいます。ちょっと
おでこが広いけれども、これは月代(さかやき)
を剃っていたせいかもかもしれません。
航海術、鍛冶術、鋳物術といったものは職方、職人たちの学んだことで、造船学、蒸気
機関学、物理、化学、法学、経済学、医学といった学問は、大体士官たちが学んだことで
す。法学者では西周という人物をご存じかと思いますが、この留学生の中に西周が入って
いました。西周は法学、経済学、統計学を学んで、帰国後徳川慶喜に対してプロシア型大
君の国家構想を提案するのですが、この国家構想が、西周が学んだ法律、とくに憲法学の
成果と言ってよいでしょうか。
榎本武揚はハーグで学びました。ハーグと
いうのはオランダの事実上の首都になります。
元首、オランダ国王はアムステルダムに住ん
でいますので、元首がいる所が名目上の首都
になります。ハーグのほうは議会があります。
それから中央官庁がほとんどそろっています。
ですから、ハーグというのはオランダの事実
上の首都と言ってよいでしょう。そんなに大
きな町ではないのですが、各国大使館なども
こちらのほうにあります。
榎本武揚たち留学生はハーグ市内にばらばらに下宿をします。武揚の下宿のあった通り
は、元々は運河があったところで、かなり繁華街に近い所なのですが、100 何十年か前の
ハーグの町の規模を考えると、もしかしたら、もう町外れに近いところだったのかもしれ
ません。番地で探していきますと、この辺りが榎本武揚の下宿のあった場所なのですが、
建物は全く新しいものに変わっていました。
榎本武揚は3年半、ヨーロッパで主に造船学、それから蒸気機関学を学ぶのですが、そ
の途中でヨーロッパで大事件が起きます。デンマークとプロシア、オーストリアとの間に
戦争が起こるのです。ユトランド半島の南にホルスタイン地方という土地があります。乳
牛のホルスタインもここから出てきたものですが、この領有を巡って戦争になるのです。
このときに榎本武揚は、ヨーロッパの戦争では観戦武官という制度があることを知ります。
双方の政府が了解すれば、武官としてこの戦争を見学できるのです。見学のための便宜も
図ってもらえる。それで榎本武揚は和装に着替えまして、これは日本海軍の軍服であると
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うそを言って、その格好で前線見学の許可を取り、ヨーロッパの陸戦の様子をつぶさに見
学します。さらにデンマーク側に渡って、その要塞を見るのです。ここでヨーロッパの軍
事技術の最先端を目の当たりにします。
ペリーが来たときにすでに日本にも電信の技術は伝えられていましたが、野戦電信がこ
の戦争の中でも非常に大々的に使われていました。この戦争の見学が終わったあと、榎本
武揚はドイツのクルップ社に行きまして工場を見学します。さらにモールス通信機を自分
で買い込み、モールス通信の練習を始めます。
さらにもう一つ、このデンマークとプロシア、オーストリアの連合軍の戦争は、途中で
ある程度軍事的な決着が着いたところでイギリスが仲介して和平協定が結ばれることにな
るのです。この事実を知って、榎本武揚はもう一つ自分がやりたい学問のテーマを見つけ
ます。国際法です。榎本武揚が観戦から帰って来て、国際法の先生について国際法を1か
ら勉強するということを始めます。それまでは法学は全然勉強したこともない武揚なので
すが、日本の近代化にとって、国際法を熟知することは日本の近代化を推進させる大きな
力になるのではないかということをその戦争の中で発見するのです。
このとき使った教科書が有名な『海律全書』というものです。箱館戦争のさなかに黒田
清隆に渡されて、一時宮内庁に備えられていたそうですが、現在は外務省にあるそうです。
『海律全書』、海律というのは国際海洋法のことですが、今で言う国際法だと思って差し
支えないと思います。
片一方で、榎本武揚たち留学生たちの目的は、オランダで最新鋭の軍艦を造ることでし
た。それを回航して日本に帰り徳川艦隊を創設するというのが榎本武揚たちに命ぜられて
いた使命でした。ハーグから汽車で1時間半ぐらいのところに、ドルトレヒトという町が
あります。マース川という川に面した町なのですが、ここで開陽丸の建造が始まります。
ただ開陽丸を造った造船所はもうなくなっていて、駐車場になっていました。
それで開陽丸が造られました。トン数でいうと 2600 t以上、長さ 80 m。蒸気機関を備
えた汽帆船です。全体は木造です。ヨーロッパではそろそろスチールの船ができつつある
時期だったのですが、過渡期です。開陽丸は木造船として造られました。
開陽丸に乗り込んでリオデジャネイロ経由で武揚たちは日本に帰ってきますが、帰って
来て一年もたたないうちに戊辰戦争がぼっ発します。榎本武揚は開陽丸の艦長となり、徳
川艦隊の事実上の司令官となって薩長軍と戦います。海軍のほうは薩長軍に対して圧倒的
優位にありますが、徳川慶喜は大言壮語が好きなくせに危機にあたっては必ず腰砕けとな
るタイプのリーダーで、王政復古のクーデターが起こると、京都からたちまち大坂城に引
き揚げてしまいます。慶喜はそもそも西周の建白を受けてプロシア型大君の国家をつくる
構想を持っていたのですが、鳥羽伏見の戦いの敗北のあとはあっさりと大坂からも脱出、
薩長軍とはそれ以上戦うことなく江戸を開城してしまいます。
しかし榎本武揚は、自分は日本で最初に近代を見て来たという自負もあります。薩長の
というか、西側雄藩中心の国家構想にはとてもなじめないのです。日本の近代化のために
は、むしろやはり徳川慶喜が計画していた大君の国家構想のほうがはるかに優位であると
思っていたのですが、徳川慶喜が残念ながら恭順し、徳川家は大幅に減封されてしまった。
それで榎本武揚たちは行き場を失った幕臣たちを引き連れて箱館に脱走、箱館に政権を打
ち立てるのです。
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箱館での土方歳三の写真も有名です。当時もう幕府歩兵隊というのは完全にフランス式
に調練されていました。土方歳三が着ているのは幕府陸軍の士官の制服です。ブーツを履
いて洋服です。土方自身もちょんまげを切って総髪にしています。ただし、日本刀だけは
持っている。さっきの中島三郎助の写真と共通するところがありますが、魂は武士。ただ
し、近代軍の士官です。土方歳三を語るときには、どうしても武士道の美学で語りがちな
のですが、もう箱館戦争に来たときは、この写真から見るとおり、もう武士道に生きた男
という見方は通用しないのではないかという気がします。彼はもう完全にここで近代的な
軍人に成長していました。
さて、榎本たちは箱館で士官以上の者の入れ札、選挙で総裁、そのほかの政権の幹部を
選びます。榎本武揚は 32 歳でしたが総裁に選ばれました。言ってみれば1国の大統領に
なったわけです。小さな、小さな国ですが、彼は国家指導者となったのです。そのときの
政権首脳の記念写真がこれです。
そして、榎本武揚がハーグで学んだ国際法の知識がここで役立ちます。榎本武揚は北海
道に共和国を樹立しようと考えます。もう既に榎本武揚は若い頃に樺太まで回っています
から、北海道の無限の可能性ということについて気がついていました。確かにお米はとれ
ないかもしれない。だけどもほかの海産物、鉱物資源、それから潜在的な農業生産力を考
えれば十分に独立国としてやっていけると考えたのです。
一つ大事なのは、その独立した共和国は、あるいは榎本軍は薩長軍、官軍と戦って勝つ
必要はないという点です。なぜかというと、津軽海峡というのは国際海峡でした。それか
ら本拠地にした箱館は国際港でした。各国の政府にとっても津軽海峡を安全に自分の国の
船が航行できること。そして、国際港としての箱館が使えるということは非常に重要だっ
たのです。榎本武揚たちは、開陽丸という日本最精鋭の軍艦を擁した海軍を持っていまし
た。海軍力では薩長軍を圧倒しているのです。この海軍力をもって津軽海峡の制海権を取
れば負けることはないのです。そして、この状態が何年か、つまり官軍と津軽海峡をはさ
んで対峙する状態が一年か二年続けば、いや応なく各国政府が調停に入ります。調停に入
ったら、もうしめたものです。事実上、そこでもう北海道統治の実績ができているわけで
すから、北海道は十分に独立できました。そういう目論見があって榎本武揚が各国領事と
交渉を始めます。
まず、交戦団体だと認めさせるのです。交戦団体というのは、国家に準ずる主権団体の
ことです。国家の3要素というのがあります。領土があって、国民がいて、主権があるこ
と。榎本政権は既に箱館でその三つ、国家の3要素を手にしていました。ただし、内戦状
態にありましたからまだ完全には独立した国家ではない。でも、国に準ずるものとして交
戦団体であることは明白です。これを各国外交団に認めさせるのです。
交戦団体と認めた以上は、各国政府は中立を守らざるを得ません。どの国も、官軍の側、
明治政府の側に武器を輸出したり、軍事援助をしたりということはできなくなります。つ
まり交戦団体であることを認めさせるということは、非常に大きな外交的勝利なのです。
榎本はさらに中立破りの軍艦に対する取り締りを徹底して行いました。これで実質的に
津軽海峡を押さえているのは榎本軍であるということを、各国も認めざるを得なくなるわ
けです。
そしてもう一つ、今日のテーマに直接かかわってきますが、プロシア人のガルトネルと
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いう人物に農場を開くことを認めます。当時、箱館にいたプロシア領事ガルトネルの弟が
箱館で小さな農園を作って、外国船のための細々と農産物を供給していたのです。できた
ばかりの榎本政権に対して、このガルトネルが 1000 町歩の土地を貸して欲しいと申し込
んできます。榎本武揚はこの 1000 町歩を 99 年間貸すことを認めます。榎本に批判的な人
たちには、その契約は国土を切り売りしたようなものだという言い方をするのですが、西
洋的契約の概念では、99 年間の貸与契約は、切り売りしたとか、放棄したということに
はならないのです。香港の契約が切れたときにイギリス政府が香港を返したことは、まだ
記憶に新しいかと思います。
そしてここで榎本武揚は酪農、畜産といった、洋式農業、特にジャガイモとかタマネギ
とか、それまで日本では栽培されていなかった農産物の生産をOKします。というか、榎
本の側から提案したのかもしれません。それから加工品、ハム、ソーセージとかバター、
チーズなどの乳製品の加工、販売も許します。
そして一番大事なところはここなのです。榎本は、農場で使う日本人たちは数年ごとに
入れ替えてくれということを条件として出します。つまり、榎本武揚は、ガルトネルの農
場を学校にしようとしたのです。数年ごとに洋式農業を学んだ日本人たちが入れ替わって
いけば、その人たちはガルトネルの農場を出たあと、自分の手で北海道の未開の地を開拓
して洋式農業を始めます。それを期待したのです。ですから、もしかしたら榎本武揚にと
っての東京農学校の発想の原点というのは、このガルトネルとの契約ではないかと考えら
れるのです。
残念ながらこれは明治元年に結ばれた契約です。明治2年に箱館戦争は終わり、明治政
府がガルトネルともう1回契約をやり直すのです。その結果、この契約はないことにして
くれということになりまして、残念ながらガルトネルの農場は永続しませんでした。でも、
今函館郊外の七飯には、当時ガルトネルが植えたという果樹が一部残っています。そうい
う意味ではガルトネルは、札幌農学校のクラーク教頭とか、あるいはエドウィン・ダンと
並ぶ日本の洋式農業の先駆者、功労者になりえたかもしれないのです。
そして結局箱館戦争で榎本軍は敗北します。榎本武揚はリーダーだったわけですから当
然打ち首になることは覚悟して降伏します。しかし明治政府の中から、これほどの人物を
放っておくわけにはいかん、という声が上がってきます。じっさい明治政府の中、あるい
は日本全体を見渡しても、当時榎本武揚ほど優れた、技術に明るい指導者はいないのです。
しかも国際法の使い手であり、外交手腕は各国外交官たちが舌をまくほどのものでした。
余人をもって替えがたいという言葉がありますが、近代化を進めるうえで榎本武揚の代わ
りになるほどの人物はほかにいなかったのです。それで結局榎本武揚は、二年半、獄につ
ながれた後に赦免されます。
明治政府が榎本武揚に最初に命じた仕事は、北海道の開拓地の調査でした。榎本がすぐ
に手掛けたのが北海道空知一帯の炭鉱の調査、それから先ほど言った北海道東部の調査を
やっています。それから樺太・千島交換条約をまとめる。これは国際法の使い手ですから、
サンクトペテルブルクに赴きまして、ここで樺太・千島交換条約をまとめるのです。その
後、近代化プロジェクトの責任者として、いくつも大臣を経験します。郵便制度や、それ
から電信制度を整備したのも榎本武揚の功績と言ってもいいと思います。それから気象台
をつくった。そして東京農学校の創設となります。
- 19 -
つまり榎本武揚は日本の近代黎明期の、実学教育の最優秀の生徒であり、同時に指導者
でした。そういうふうに榎本武揚の人生をまとめることができるかと思います。
あと5分ありますので、もう一つだけ興味深いことを語りましょう。
榎本武揚がサンクトペテルブルクにいた時に、北極圏航路というのを構想するのです。
当時ヨーロッパから船でアジアに来るとすれば、喜望峰を通って、まだスエズ運河はでき
ていませんから、かなり遠回りしてこなければいけないのです。ヨーロッパと極東アジア
というのはたいへんに離れていた。ところが、北極海は1年中凍結しているわけじゃあり
ません。夏の間は水路ができるのです。その水路をうまく使えば、ヨーロッパと日本、ア
ジアはたいへん近く結ばれます。そのため、多くの探検家が北極圏航路を探索してきたの
ですが、それまで成功したひとはいませんでした。
ちょうど榎本武揚がサンクトペテルブルクに居るときに、スウェーデン人の探検家ノル
デンシェルドが、ベガ号という船に乗って、北極圏航路探検の航海に出発します。一八七
八年のことです。この航海には、こんどこそ航路が見つかると期待が集まっていました。
武揚は、多分事前にこの計画のことを聞いていたのだと思います。ストックホルムをノル
デンシェルドが出航した5日後、ペテルスブルグを引き払ってシベリア経由で日本に帰り
ます。
ところが残念ながらノルデンシェルドはシベリアの北部で氷に閉じ込められてしまって
一冬過ごすのです。それでアジアにやってくるのは翌年になってしまいます。春になって、
わずかに出来た水路を通ってベーリング海峡を通り、カムチャッカ沖を抜けて横浜にやっ
てくる。榎本自身は陸路シベリアを横断し、ウラジオストックから小樽に上陸して横浜に
一足先に着いています。横浜にノルデンシェルドが到着したとき、武揚は東京地学協会の
副社長として、歓迎会では乾杯の音頭を取るのです。
この航路が開発されていれば、ヨーロッパと日本はたいへん近くなっていたのですが、
すでにスエズ運河は開通しており、それから蒸気船の性能が非常に良くなって、この航路
の必要性がいったんなくなるのです。
この航路の重要性が認識されるのは 20 世紀の後半になってからです。1960 年代から 70
年代にかけてアンカレッジ経由でヨーロッパに行くのが普通だったことを覚えているでし
ょうか。アンカレッジ経由の航路というのは榎本武揚が構想していた北極圏航路とほぼ同
じです。榎本武揚は当時既に、地球儀の形で世界を考えることができた人間だったと言い
切れる、その一つの証左ではないかと思っています。
時間となりました。このように、榎本武揚というのは日本の実学教育の伝統の中で、そ
の幕末の時期の最もいい部分を受けて、そしてそれを日本の近代化のために尽くした、私
は日本の最高の知的な英雄の一人だと思います。もっと榎本武揚のことを調べて欲しいな
と思っております。
どうも、ご清聴ありがとうございました。
- 20 -
Ⅲ パネルディスカッションⅠ
「オホーツクの体験型教育と地域連携の展望」
コーディネーター:黒瀧
秀久(東京農業大学
オホーツク実学センター長)
それでは、午後のパネルディスカッションⅠを始めさせていただきたいと思います。
私は、司会、コーディネーター役を務めさせていただきますオホーツク実学センターの黒
瀧です。私の専門は農林業経済学、環境経済学を専攻しております。よろしくお願いしま
す。
コーディネーター:吉田
穂積(東京農業大学
生物産業学部
生物生産学科
教授)
同じくコーディネーターを仰せつかっております、東京農業大学の吉田と申します。
私の専門は作物生産管理学です。よろしくお願いします。
コーディネーター:黒瀧
秀久
今日は、お忙しい中、コメンテーターとしてお二方をお招きしております。お一人は君
塚倖一さんです。君塚さんは現在、自然文化創舎の代表取締役を務められております。経
歴を簡単に申し上げますと、横浜市の本牧にてお生まれになったあと、東京・横浜シンク
タンク、コンサルタント業務にて都市、地域、環境、保健・福祉、教育等の分野の調査研
究や企画立案をされておりまして、2000 年 12 月に北海道へ移住されました。2002 年か
ら、隣の小清水町にお住まいになられて『自然文化創舎』を設立して、地域にかかわるさ
まざまな業務に従事され、現在に至っています。略歴の中で、若干の役職等をご紹介いた
しますと、現在、北海道総合開発計画委員会の委員をなさったり、神奈川県大磯町のまち
づくり専門家、町田市のまちづくりコーディネーター等をご担当なさっているということ
です。
もうお一方のコメンテーターは、本学の進士五十八先生です。進士先生は、皆さん知ら
ない方はいらっしゃらないと思いますが、前学長でございます。この現代GPの企画を構
想してご提案していただいたのも進士先生です。進士先生のお略歴も簡単に申し上げます
と、京都市でお生まれになったあと、世田谷キャンパスをご卒業後、東京農大の教授を歴
任されまして、農学部長、地域環境科学部長、2005 年7月まで学長をなさっております。
また、社会活動では日本造園学会会長、それから日本土地計画学会会長、東南アジア国際
農学会会長、日本環境教育学会運営委員等をご歴任されております。また著書も、ご承知
だとは思いますが多数お書きになられていて『アメニティ・デザイン−ほんとうの環境づ
くり−』『農の時代−スローなまちづくり−』最近では皆さんも目にされた方もいらっし
ゃるかもしれませんが、中公新書で『日本の庭園−造景の技とこころ−』これは私も拝読
させていただいております。研究書であるばかりではなくてエッセイ性にも富んでいて、
大変楽しい内容の企画にもなっています。ということで、お二方のコメントをいただきな
がら、今日は進めさせていただきたいと思います。それでは、恐縮ですが座ったままで司
会進行をさせていただきます。
まず、この「現代GP」、これは本学の学生諸君や教職員の皆様はおわかりかとは思い
- 21 -
ますが、「GP」とは何か。先ほど、ある学生が「『GP』とはジャングルポケット(農
大の学食)ですか」などという話も出ていましたが、そうではございません。今日のプロ
グラムとは別に、「五感で感じ大地から学べ、オホーツクのフロンティアたち」というパ
ンフレットが受付にございます。お持ちでない方は是非これを後ほどご参照いただきたい
わけですが、この一番後ろのページに「現代GPとは何か」ということが書いてあります。
文部科学省が新しい大学選びの基準ということで「good practice」、すなわち『すばらし
き実践』という、各大学が地域における問題といった社会要請の強い政策的課題に対応し
てテーマを設定し、文部科学省がこれを選択する。とくに研究分野ではCOEというのが
有名ですが、このGPは教育の分野で優れた大学を採択して、GPを実践してほしいとい
うことです。本学はこのパンフの冒頭と、プログラムにも書いていますが、地域連携によ
るオホーツク学の展開、地域と連携しながらオホーツクの総体的な学習、それを私たちは
オホーツク学と仮称しておりまして、それを実践する、より良き実践として学んでいこう
ということが基本です。プログラムは第Ⅰ類型から第Ⅲ類型まで分かれております。
とくに実践性が重視されるのは、この第Ⅲ類型プログラムでございます。実はこのスペ
シャルプログラムと名づけられました第Ⅲ類型プログラム、A∼Eクラスまでの少数精鋭
のプログラムとして設定されておりまして、今日はその1年間の活動の成果を学生諸君か
ら、どういうことを学んだか、どういう点が非常に関心事であったか、またどういった点
が課題だったのか、そういったところをお話しいただいて、それを指導していただいた先
生方に代表でお一人ずつ登壇していただきま、その中でアドバイザーとして若干のコメン
トをしていただきます。それらを総括して、コメンテーターの先生方に後ほどお話を伺い
たいということです。
また、これは通常の大学が行っている授業とは異なりまして、コンソーシアムを基軸と
した教育プログラムを念頭に置いております。それは自分の専門だけではなくて、専門を
超えて地域と共同作業しながらいっしょに教育をつくりだしていこうということです。
そのモットーには、5つのポイントがあります。まず1番目は「地域が学校である」2番
目は「現実は実学研究テーマの宝庫である」3番目は「実学とアカデミズムの融合は新た
な研究者の評価を生み出す」。すなわち、理論だけ、それから座学だけでは新たなものは
生まれないということです。4番目は「現場体験の積み重ねが学力と人間力を高める」。
現在、いろいろな人間の病理現象が起きておりますが、人間力を高めることを追究するの
が本学のGPの狙いであります。そして最後が「文理融合的研究教育が社会的ニーズとシ
ーズを生み出す」。すなわち、理系も文系も全部学んだ上で、地域力を引き出すような体
験をしていこう。より良き実践をしていこうというところがモットーでございます。
また、これは午前中、基調講演をいただきました佐々木譲先生の「榎本武揚論」です。
榎本武揚というのは本学の二大学祖にあたります。最初の創始者、榎本武揚は、フロンテ
ィアスピリットを持った実学主義の原点でもあります。さらに初代学長の横井時敬先生の
「稲のことは稲に聞け、農民のことは農民に聞けという」、こういう実学です。2つの実
学の源流、これをオホーツクで展開したい。そこがこのパネルディスカッション、そして
GP フォーラムの狙いであるということを申し上げまして、本番に移りたいと思います。
それでは報告に関わっては、吉田先生からよろしくお願いします。
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コーディネーター:吉田
穂積
それでは、これからそれぞれのパネルディスカッションの発表をしていきます。まず
最初にAクラス、「環オホーツク海圏広域交流教育プログラム」からお願いします。代表
報告者として東京農業大学大学院博士前期課程2年生の小川繁幸君から発表してもらいた
いと思います。よろしくお願いします。
環オホーツク海圏広域交流教育プログラム(Aクラス)
報告者:小川
繁幸(東京農業大学大学院
生物産業学研究科
博士前期課程2年)
こんにちは。それではさっそく環オホーツク海圏広域交
流教育プログラム、Aクラスの報告をさせていただきます。
Aクラスの受講生を代表いたしまして小川が報告させてい
ただきます。
まず、環オホーツク海圏とは何なのかということについ
て報告させていただきます。環日本海、環太平洋造山帯な
ど、「環」の付く言葉はよく耳にしますが、環オホーツク海圏という言葉はあまり耳にし
ません。では、オホーツク海圏とは何なのかと言いますと、オホーツク海を中心としたそ
の周辺諸国を指します。通常、海圏域というのは1つの海に3つ以上の国が隣接していな
ければ海圏域と言うことができないのですが、オホーツク海圏は他の海圏域よりも資源が
豊富であり、また、あまり研究が展開されていない未開の地ということで、オホーツク海
圏において地域連携を展開することには大いに意義があるのではないかと思います。
Aクラスでは、本日パネルディスカッションの開催趣旨にもありますように、環オホー
ツク海圏という大きな視点から地域連携の課題について学習していくことを目的としてお
ります。
この地図ですが、これがオホーツク海です。ここに日
本がありまして、ここにサハリンがあります。海圏域と
しては2つの国しかないので言えないのかもしれません
が、ここにはモンゴルもありますし中国もあります。そ
こで本プログラムでは、日本、ロシア、モンゴル、中国
という、この4つの国をオホーツク海圏と捉えて展開し
ています。
この「環オホーツク海圏広域交流教育プログラム」で
は、具体的に環オホーツク海圏諸国との地域交流につい
て学習するために、中国、モンゴル、サハリン、それぞ
れの地域のことを理解することで環オホーツク海圏にお
ける広域交流の課題について検討していきます。また、オホーツク海圏は資源が豊富であ
り、環境が豊かなことから、環境との共生についても検討していきます。
これが本年度のAクラスの開講状況です。今年度は全 11 回を開講いたしました。第1
回は「サハリン・モンゴル・中国と環オホーツク海圏広域交流」と題しまして、黒瀧先生
に講演していただきました。第2回目は、
「北東アジアにおける中国の位置」としまして、
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范先生に講演をしていただきました。第3回目は、「北東アジアにおける中国企業とコー
ポレート・ガバナンス」と題しまして、芳澤先生に講演していただきました。第4回は、
「環オホーツク海圏の文化交流」と題しまして、中田先生に講演していただきました。第
5回は、「人間中心主義とシステム論的発想」と題しまして、橋本先生に講演していただ
きました。第6回目は、
「オホーツク海における船舶の往来とそのリスク」と題しまして、
田村先生に講演していただきました。第7回は、「オホーツク海の流氷と環境」と題しま
して、水野先生に講演していただきました。第8回目は、「オホーツク海の水産」と題し
まして、千葉先生に講演していただきました。第9回目は、「環オホーツク海交流の拠点
・サハリンの社会経済動向」と題しまして、沓沢先生に講演していただきました。第 10
回目は、「カナダで考えた姉妹都市交流」と題しまして、大本先生に講演していただきま
し。そして第 11 回目に成果発表会としまして、本年度の活動報告を行いました。
今年度の講義はすべて座学でしたが、学外からの講師の方々からいろいろなお話を伺う
ことで、オホーツク海における各国々の地域力を知ることができました。ここでは時間の
都合上、第4回の中田先生の講義と第9回の沓沢先生の講義を紹介させていただきます。
まず、第4回の講義は、「環オホーツク海圏の文化交流」と題しまして、北方民族博物
館の学芸員の中田先生からオホーツク文化を中心に講演をしていただきました。中田先生
のお話によりますと、かつてからオホーツク海を超えて交流がなされていたということで、
そのことに非常に関心を得ました。これがこの講義の授業風景になりますが、受講生が少
人数ということもあって、中田先生からはオホーツク文化について詳しく伺うことができ
ました。
続きまして第9回の講義ですが、「サハリンの社会経済
動向」と題しまして、北海道庁サハリン事務所で3年間
所長をされ、またサハリンに勤務されておりました沓沢
敏先生から、日本とサハリンの交流について講演してい
ただきました。講義では、サハリンと日本の貿易の現状
を中心に、サハリン・プロジェクトの現状やサハリンの
生活についてもお話をいただきました。これがその際の
授業風景ですが、このときは受講生が多く講義も大変盛り上がりました。
最後に、Aクラスの今年度のまとめと学生の感想の一部を報告させていただきます。学
生からはオ「ホーツク海の科学的なメカニズムを理解した。」また、「オホーツク海の今
後の重要性、資源、産業を理解した。」「国際広域交流について講師の先生方を通じて興
味、関心を持った。」「網走市を中心とした地域においての国際化を念頭に置き、活躍さ
れている方々がいることを知った。」という意見が得られました。
また、その他の学生からは、「実習があればもっとよかった。」「現代 GP を履修してよ
かった。」「オホーツク海の可能性について理解できた。」「もう少しクラスの人数が多い
ほうがよかった。」「少ない人数だったので講義の話をじっくり聞けた。」「流氷に関する
講義は興味深かった。」「『伝書鳩』の記者の方の講義がおもしろかった。」などといった
意見がありました。
これらの意見を踏まえまして、来年度はもっと充実した講義が展開されればありがたい
と思っております。簡単ではありますが、Aクラスの報告を終わらせていただきます。
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コーディネーター:吉田
穂積
どうもありがとうございました。Aクラスのアドバイザーの、オホーツク実学センタ
ー、田村先生、お願いいたします。
Aクラスアドバイザー:田村
正文(東京農業大学 オホーツク実学センター 専任研究員)
こんにちは。Aクラスの小川君のほうから今、今年度の概要が説明されましたが、私
のほうから簡単な補足説明と次年度以降のことについて若干説明をしたいと思います。
受付のところに現代GPのパンフレット、皆さんもお持ちいただいているかと思います
が、Aクラスのところに「環境との共生」ということがあります。これと交流のつながり
というのはどういうことかということについて、今年度ちょっと授業で十分に扱うことが
できませんでしたので、そういうことも交流の一部に踏まえられているということを補足
いたします。
たとえば、今ポイントで示したこの部分、これはサハリン島ですが、その上のところに
河口があります。この川というのはアムール川、そして中国名では黒竜江という大河川と
なっております。
たとえば今朝、私は珍しく早く起きたものですから、自宅の周辺を散歩したのですが、
今日は完全なすばらしい流氷が来ていました。この辺からずっと流れて、網走の方まで流
氷が達すると言われております。
例えばこの川の上流域のほうに行きますと、中国、あるいはもっと行きますとモンゴル
があるわけですが、この辺の河川で仮に毒が流れたということをイメージ的につかんでい
ただきますと、それが河口を、もちろん河川のあたりを汚染するかもしれませんが、それ
がこちらのオホーツク海を通りまして、網走の方まで被害を及ぼすかもしれない。そうい
うようなこともありまして、オホーツク海という非常に大きなところを扱いつつも、それ
ぞれの各地域が環境ですとか、あるいは地域間での交流、それが今まで以上に国際化社会
の中で重要だということを認識しつつ教育プログラムを進めていく次第です。
来年度に向けた今年度の反省は、実習ができなかったということがあります。例えば海
外に学生さんの方々と一緒に行くというのも非常に大変なことです。ですから、次年度は
学生の興味関心に応じて実習を交えつつ、もう少し実学的に楽しみながら行っていきたい
と思います。私からは以上です。
コーディネーター:吉田
穂積
どうもありがとうございました。質問等あるとは思いますが、残る4課題を進めたあ
とに質疑応答に移りたいと思います。続きましてBクラス、「知床世界自然遺産エコシス
テムマネジメント教育プログラム」から代表しまして、食品科学科3年の森はるかさん、
よろしくお願いします。
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知床世界自然遺産エコシステムマネージメント教育プログラム(Bクラス)
報告者:森
はるか(東京農業大学
生物産業学部
食品科学科
3年)
私はすばらしい発表はできないので、皆さんどうか肩の
力を抜いてお聞きください。準備が整いましたので始めさ
せていただきます。私はBクラスの代表をさせていただい
ております森はるかと申します。これからBクラスの1年
間の活動について報告していきたいと思います。
まず第1回目から第3回までは、産業経営学科の石堂先
生からクラスの概要について説明を受け、そのときにエコシステムマネジメントの考え方
についてレクチャーを受け、また知床の抱える問題点を学びました。
まだ「エコシステムマネジメント」ということは考え方であり、決まった定義というも
のは存在しておりません。それに関して進めていくということは、実際に考えてみると難
しいことだと思います。その難しいことに関して私たちは1年間学んでいきました。
そして、ただいま知床が直面している課題というのは、この7つの問題があります。上
の3つはニュースなどでも聞かれたことがあると思いますが、観光客の増加による渋滞や
遊歩道の混雑などの問題、またマナーの問題、環境破壊、ダムの問題などは有名な話だと
思います。しかし実際問題としては、下の乱開発やエゾシカの問題、海洋汚染、地域経済
での住民との兼ね合いなど、いろいろ抱えている問題は多く存在しています。
このスライドは、第4回のクラスの実学の講義風景のも
のです。アクアバイオ学科の小林万理先生に講師をお願い
し、北方四島の現状について報告していただきました。小
林先生は、実際に調査で北方四島によく行かれているそう
ですが、今年度は許可が下りず調査ができなかったそうで
す。その授業のときに、興味深い写真をたくさん見せてい
ただきました。その中でも私が一番印象に残っているのは、
北方四島の生物には外来の生物がいないというものです。
これはとても興味深いところでした。また、生物や生態系
から見ていくと、国境は関係がないということがわかって
きます。知床の原風景が実は北方四島にあるということが
わかってきます。
自然豊かな北方四島ですが、乱獲のためあまり自然が守られているわけではなく、密漁
などの被害が横行しております。そのことを踏まえて、知床の世界自然遺産を守るために
も北方四島は欠かすことができない存在であるということを学びました。
次に、網走の観光の話を聞くということをテーマに授業を行いました。東京農業大学の
裏手の畑で、NPO団体の方々が造られた花畑で実習作業をしました。知床だけでなく、
体験型観光を各地で実施していることが一極集中を避けるためにも必要です。この日は観
光の裏舞台の大変さを実感しました。
大学院生の嶋崎さんに、ファイントレールを案内していただきました。生態系の仕組み
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をわかりやすく解説していただき、この日は同志社大学の学生さんも同行してキャンパス
を案内しました。
また、東オホーツク・シーニックバイウェイ代表の高
谷さんに、1日オホーツク地域を案内していただきまし
た。知床以外にもたくさんの魅力があるということを教
えていただきました。写真は「桜の滝」というサクラマ
スが溯上している風景です。残念ながらこの上にはダム
があって、これ以上高いところへは安全上登ることはで
きません。そこが知床が抱えている隠れた問題であると
いうことを学びました。
次は、同志社大学室田先生による「コモンズの現代的意義」について講義を受けました。
室田先生は、外国や日本の各地で地域の人々たちが共同しながら自然環境を保護している
活動を紹介してくださいました。その中で、栽伐やコモンズという考え方を、地域の人た
ちが共有していることが大切だということがわかりました。
8回目のクラスでは、知床でのエコツアーを体験しました。なぜエゾシカが人間の背丈
以上まで食べることができるかという問題について教えていただきました。シカに食べら
れた木はほとんど枯れてしまいます。
ここは世界で最もクマが密集した地域です。知床の世界自然遺産登録は陸と海との複合
した特異な特徴が認められた結果です。
この場所は貴重な海鳥の繁殖地です。海鳥のコロニーがこの崖にたくさん存在していま
す。また、ここはトドがいる場所です。そこを『エコツアー』と称して、ボートやクルー
ザーなどが近くを通っていくことによって、トドや海鳥の生態系が脅かされるのではない
かという問題がいま危惧されております。
『第2回オホーツク実学市民講座』に参加しました。印象に残った先生は、「有限会社
らうす海洋深層水」代表取締役の湊屋稔さんのお話です。この方は海洋深層水を取り扱っ
ている方で、もともと漁師さんです。そこの漁が今どのような状況になっているか、また
地域産業として海洋深層水を開発していくには、どのような問題があるかなどを教わるこ
とができました。
シンポジウムを行ったときにコメンテーターとして席に座られたときに、目の前にあっ
たペットボトルが「京極の名水」であったことがショックだったそうです。その方のお話
では、地域産業などもエコシステムマネジメントの中に入っているならば、湊屋さんが作
っている海洋深層水を是非持ってきてほしかったという話です。そして今日のペットボト
ルも「京極の名水」です。ちょっと残念です。失礼しました。これは余談でした。
牛来町長さんからは世界自然遺産登録がどれだけ大変であったか、苦労話を伺いました。
そして私たちが報告書を考え、書きました。ご覧のとおり、あまり統一性はみられない
のですが、しかし「エコシステムマネジメント」というのは色々な人が集まり、違う意見
で物事を見ていかないと解決していかない問題です。その中でこのように各自それぞれ意
見を持ち寄り、報告によって色々な問題点が浮かび上がったことが今回の収穫だと私は考
えております。
これが授業風景です。このときはあまりまとまっていなかったり、人によって成果はば
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らばらでしたが、とても楽しい報告会でした。報告の中で感じたことは、先ほど現代 GP
の意義の中でありましたが、各学科の生徒が集まり知床の問題について考えるというとこ
ろがとてもおもしろかったです。ありがとうございました。
コーディネーター:吉田
穂積
どうもありがとうございます。それではBクラスのアドバイザーの石堂先生、よろし
くお願いします。
Bクラスアドバイザー:石堂
典秀(東京農業大学
生物産業学部
産業経営学科
講師)
ご紹介ありがとうございます。皆さん、本日はお越し頂きど
うもありがとうございます。
Bクラスの課題と言いますか、実際に今年度から初めて開始
してみて、最近、考えていることをちょっとご紹介させていた
だきたいと思います。
皆さんご承知のとおり、知床では知床財団から始まって観光
協会やNPOなどいろいろな団体・組織が既に環境関連の活動して
いるわけです。これら団体が既に知床で活動している中で、こ
ういう授業を始めるということで、財団や行政機関などいろい
ろな方にお話を持ちかけていったのですが、「今さら農大が何をするんだ」という指摘な
どもあり、参入していくにはなかなか壁は高いという印象を持ちました。そのため、「わ
れわれに何ができるのか」ということが、実は1年間学生さんとディスカッションしなが
ら考えきました。
エコシステムマネジメントというのは、従来の環
エコシステムマネジメントの発想
境保護のようにある生態系なら特定の生態系を守る
というような縦割り的な考え方から、さっき森さん
も言っていましたが、もうちょっと広く地域全体、
種
地域経済を視野に取り込んだなかで、生態系を考え
生態系
ていくという発想が必要だということです。逆に、
地域がきちんと持続発展していなければ生態系その
生態系+人
地域社会全体
ものも守ることができないだろうということです。
ですから、逆の場合には、経済活動として生態系の
部分が浸食されていくことになるわけで、だからいかにここの生活環境との境界範囲を守
っていく、あるいは保全地域を広げていくのかということが課題なんだろうということが
わかってきたわけです。
とくに、知床もそうなんですが、世界遺産ということでこれからこの「遺産」を持続的
に守っていかないといけないということで同じような課題があるということでして、エコ
システムマネジメントの観点から、いろいろな人たちに、先ほど湊屋さんの話もありまし
たが、すでに地域を守ろうと活動している人たちの話を聞く機会を作ってきたわけです。
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そのなかで分かってきたのは、結局、個々人ないし諸団体がそれぞれの領分で活動してい
るわけですが、お互いの交流がほとんどないということです。これは、実は前回行われた
市民講座の中で分かったことですが、それぞれがそれぞれの中で完結した活動をしている
のですが、システムマネジメントという地域全体を守っていくという発想のなかでいくと、
これらの連携がどうしても必要になってくる。そういう意味では、まず第1に、われわれ
が今回確かめたかったのは、どういう活動が知床で行われているのかということです。
午前中の佐々木譲先生の基調講演の中でも技術伝承に関わる榎本先生の話の件がありま
したが、個人の経験や知識というものいかに習得していくかということが重要なのかとい
うことです。Bクラスでは、知床での様
ナレッジ・マネジメント
々な活動を調査しながらそこで習得し
てきたものを、知識として共有化して
いくプロセスを通じて、新たな技能や
知識へと昇華させながら、地域に何と
か還元していくというのがこれからの
第1ステージ:個人の経験や
知識、職人の技、地域の歴
史、伝統的文化・儀式
第2ステージ:グループ
や組織内での知識の
共有化
知識の内面化
対話
新たな個人の体験や知に
昇華
第3ステージ:新しい知
識・アイディアの創造
新しい知識・アイディアの
シュミレーションや実践
われわれの課題だろうというふうに考
対話
えております。
ナレッジ・マネジメントは、新しい地域における知の
循環型システム
農大がたぶんできるのは、おそらく
こういったものを、それぞれの活動の
連携を繋いでいくということだと思い
EU政策領域
ます。この図は、ヘルシンキ大学のヒ
ュールライネン教授のものを翻訳した
混合政策領域
国家政策領域
戦略知(SI)
ものなのですが、いわゆるナレッジマ
品質保証
ネジメントからネットワーク連携型へ
戦略知(SI)
戦略知(SI)
集積・分散
ノード
広域圏政策領域
と発展してくわけです(オホーツク産
経論集15巻2号参照)。いろいろな活
戦略知(SI)
戦略知(SI)
動組織体があるなかの中心には、シン
テーマごとの政策領域
戦略知(SI)
地方自治体政策領域
クタンク的な組織が必要であり、農大
がその役を担えるかどうかわかりませ
表2:S.Kuhlmannによるナレッジ・マネジメント・ネットワークとして共有網化した戦略知(出典:Meyer,2001,159)
んが、そういった個々の活動とか知識
を集めながら、横の連携をわれわれがどう結んでいくのか。たぶんそういった分野であれ
ば、農大が非常に活躍できるのではないかという実感を実は得ているところです。個々の
活動としては非常に弱いかもしれませんが、知のストックというか、知の集積というのが
これからのBクラスの課題というか、あるいは実学センターそのもののかもしれませんが、
重要ではないかというように私自身は考えております。以上です。ありがとうございまし
た。
コーディネーター:吉田
穂積
どうもありがとうございました。石堂先生の提案のように進めばいいと思います。そ
- 29 -
れでは続きましてCクラス、「流域生態系連携活性化教育プログラム」ということで、代
表しまして産業経営学科3年、渡辺秀樹君よろしくお願いします。
流域生態系連携活性化教育プログラム(Cクラス)
報告:渡辺
秀樹(東京農業大学
生物産業学部
産業経営学科
3年)
Cクラスの開講名は流域生態系連携活性化教育プログラ
ムです。本日は、流域連携の課題とその方向性という題名
で渡辺秀樹が報告させていただきます。よろしくお願いし
ます。私は本日初めての報告となります。非常に緊張して
いて、いろいろと聞きづらい点は多々あるかと思いますが、
よろしくお願いします。
Cクラスの目的としまして、まず流域とは何を指すのかということがあります。流域と
は社会学的にみると河川の流れに沿う地域であり、そこに産業が混在し市民が生活してい
る場所といいえると思います。他方、生態学的にみると河川に流れ込む降水の降り集まる
地域、森林、平野、河川、湖などの生態系が成り立っている場所といえます。
今日流域では、人間活動、社会、経済による自然への富栄養化、土砂流出、地下水汚染
などによる環境汚染が生じています。そこでCクラスでは、流域における危機的状況を問
題提起し、オホーツク地域の河川を中心に循環型の環境共生型社会とは何か、自治体や企
業が行っている環境問題対策はどのようなものかを、フィールドワークを通してこの問題
の解決策や課題について考察ししました。時間の関係上、9回開講された中で私がとくに
関心があった講義を三つ取り上げていきたいと思います。
第3回の講義、森林生態系の現状と森林認証による流域活性化の可能性、講師は東京農
業大学植物自然保全学研究室の鈴木悌司先生でした。この中で、主に北海道の森林の変遷
過程と森林の生態系の現状について紹介します。
北海道の森林変遷過程では 1850 年代、針広混交林、針葉樹林と広葉樹林の混交が広が
っていました。また 1900 年代では、開拓によって平地の広葉樹林が水田、耕地に変化し
ていきました。また 1985 年代では、十勝、根室、釧路の平野部が農地や草地に変化し、
広葉樹林がカラマツ人工林になってきました。この図で黄色の部分が開拓地となります。
次に、現在の北海道の森林構成を見ていきたいと思
います。森林総面積 557 万haのうち人工林が 29.3 %、
天然林が 70.7 %を占めております。森林構成の変化
に伴って森林生態系も変化していったと思われます。
そもそも森林は多様な構造を持っており、動物に多様
なニッチを提供しておりますが、カラマツ人工林、落
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葉広葉樹林、針広混交林では、構造が異なり提供されているニッチが異なっています。
多様性があればあるほど森林は豊かであり、森林の多様性のパラメーターとなるのが鳥
です。鈴木先生の資料によりますと、樹
種の違いにより鳥の種類が異なります。
針広混交林では 28 種類、広葉樹林が 23
種類、カラマツが 11 種類となっており、
カラマツ人工林の鳥は天然林と比べて3
分の1程度と少ないです。
次に営巣場所別にみた林層による種類
数の違いを見ていきたいと思います。緑
色のところが枝葉ややぶを営巣している鳥の種類です。次に、グレーのところが枝を営巣
としている鳥の種類です。このゼロと書いてあるところが樹胴を営巣とする鳥となってお
り、このようにカラマツ人工林では樹胴をすみかにしている鳥へのニッチがありません。
森林の構造が多様なほど鳥の多様性が高く、また森林が複雑な階層構造であればあるほど
鳥の種類も多様化します。
鈴木先生の授業の中では、やはり鳥の多様性が森林のパラメーターとなると考え、鳥の
多様性を持った森林を維持していくことが重要なのではないかと感じました。そして最終
的には流域を保全する重要性につながると考えます。
続きまして第5回の講義、エコ・カールマットを用いた環境保全型農業への取り組み、
ホクレンの桑原誠さんにお話ししていただきました。その中で主にエコ・カールマットの
意義についてご紹介したいと思います。
そもそも流域においては、家畜糞尿の処理が問題となっており、家畜糞尿が河川へ流入
しているといわれています。したがって家畜糞尿の適切な処理が必要となります。また、
家畜糞尿の何が問題かというと糞尿の処理、糞尿はおもに有機質肥料として処理されてい
ますが、堆肥として利用するためには十分に発酵させる必要があります。また悪臭も問題
です。
そこで、これを問題解決してくれるのがエコ・カールマットであり、エコ・カールマッ
トはこのようにカール状に加工したことによって木の細胞を生かし、おがくず状と違って
通気性がとてもいいです。
エコ・カールマットの使用例を見ていきます。写真
のようになっております。主な特徴として、一つ目に
木材をカール状に加工したこと。二つ目に間伐材・小
径木の有効利用、三つ目に薄くスライスしたことによ
って水分吸収能力が向上、四つ目に悪臭の緩和、五つ
目に均一した良質な堆肥となります。また、堆肥の発
酵は早く、戻し堆肥が容易です。最後に戻し堆肥を使
用することによって敷料費の削減が見込まれます。また、そのほかに木材の使用による牛
へのリラックス効果があり、血圧、心拍数の安定やストレスホルモンの低下が挙げられま
す。
エコ・カールマットを家畜の敷料として利用し、エコ・カールマットによって十分に発
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酵した良質な堆肥は畑に還元され、畑から取れた飼料がまた家畜のえさとなります。ホク
レンが描く循環型農業システムのイメージ図ですが、このように循環型農業が形成されれ
ば、家畜糞尿の河川への流入が抑制され、流域の環境保全としても望ましいと思われます。
次に第7回の講義、知床における漁業環境問題、標津町での調査・見学、講師である椎
久五郎さんのところで見学させていただきました。その中でおもに、標津町の漁業の実態
と漁業活性化に向けた取り組みを紹介します。
標津町のサケの漁獲量は日本の中でも高い水準にあり、サケの町と言えます。しかし昭
和にかけて標津川上流、中流部での林業、農地の開発や、下流部での河川の直線化によっ
て、河川の環境が悪化し、それに伴いサケの漁獲量が低下しました。そのほかに O-157
による食中毒事件の風評被害によって、地元の主要水産加工品であるイクラの信頼性の低
迷があり、標津町での流域管理体制や町内にある漁業・水産加工業・流通業の連携や危機
管理体制が必要とされてきました。
そこで標津町では標津町地域ハサップを導入しました。まずハサップについて説明した
いと思います。ハサップとはこうなっており、食品の製造工程において発生する危害を分
析し、その危害を押さえ込む方法を決め、その方法を継続的にチェックすることで安全な
食品を作り出そうとするものです。
こちらが海のハサップのグラフで、漁業では陸揚げ、流通まで8℃以下の魚体温度を実
現し、また水産加工業の段階では厳しい衛生チェックがあります。この一連の水産物の流
れが海のハサップで、標津町では町が中核となっています。このように町全体で漁業、水
産加工業、流通業が連携し、環境対策や危機管理体制を整えています。そして町として河
川蛇行工事などの流域管理もしています。今後、このようなモデルの町が増えていくと考
えられます。また、将来は農業とも連携することによって、ますます流域の“環境修繕”
から“保全”へ、持続的な農業・漁業へ発展していくと考えます。
流域連携の課題と連携の方向性ですが、流域には森、川、海という水を媒体にしたエコ
システムがあります。森は森、川は川、海は海というようにばらばらに利用すればエコシ
ステムそのものが壊れてしまいます。海、川、森の連携が必要です。すなわち流域環境を
改善していくには、流域に存在する林業、農業、漁業が連帯していく必要があるといえま
す。たとえ林業の活性化によって多様性を持った森林を維持管理したとしても、またエコ
・カールマットを用いて循環型農業を構築したとしても、そしてハサップなどを用いて持
続的な農・漁業を展開したとしても、連携してい
かなければ流域の改善はしません。すなわち、こ
こに流域管理システムの構築の必要性があります。
林業、農業、漁業、独自の環境活動には限界があ
り、また河川の水質環境には生活排水なども大き
く影響することから、市民の環境活動も必要とな
ります。産学官民の連携による流域管理システム
の構築が必要だと言えます。
最後に今後の活動に向けて、今後のGPに期待することなのですが、森、川、海という
一連のエコシステムについて、より理解を深めるために林業関係者、農業関係者、漁業関
係者と同じテーブルでディスカッションをしたいです。林業の立場からみた農業や漁業、
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農業の立場からみた林業や漁業、漁業の立場から見た林業や農業があります。産学官民の
連携による流域管理システムの構築について考察するために、NPOの環境活動や市民活
動についても調査・見学していきたいです。そして今後、より一層フィールドワークを中
心に活動していきたいです。以上で報告を終わります。ありがとうございました。
コーディネーター:吉田
穂積
どうもありがとうございました。では、Cクラスアドバイザーの園田先生、よろしく
お願いします。
Cクラスアドバイザー:園田
武(東京農業大学 生物産業学部 アクアバイオ学科 講師)
皆さん、こんにちは。アクアバイオ学科の園田です。い
ま渡辺君からかなり充実した内容の発表があったかと思い
ますが、時間がちょっと少ないものですから簡単に。
最後、渡辺君が示してくれた森、川、海という3つの生
態系がありました。そしてそれぞれの生態系を基盤とする
生物産業である林業、農業、水産業・漁業という、そうい
った3つの産業がありましたが、この流域ではその3つがそれぞれ具体的につながり合っ
ていて連携して守っていく。そのことによって本当に豊かな生物生産業が成立するという
ことなのですが、地域の色々な問題があって、このことについてなかなか具体的な問題解
決の話し合いができないということもあります。
この隣に流れています網走川、網走川水系、流域の面積が 1300 ㎞
2
ぐらいある、そう
いった大きな一級河川の水系ですが、ここの流域においても今言った3つの林業、農業、
漁業、それぞれの立場の方たちがなかなかうまい具合に同じ1つのテーブルについて話し
合うことが難しい。でも、それに向けていろいろな努力をしているというような現状でも
あります。
この教育プログラムでは、具体的なそういった現場に入っていって共に色々なことを学
んでいきたいと考えています。どうもありがとうございました。
コーディネーター:吉田
穂積
どうもありがとうございます。引き続きましてDクラス、「新規就農ビジネス教育プロ
グラム」、報告者は産業経営学科3年の岩瀬正明君、よろしくお願いします。
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新規就農ビジネス教育プログラム(Dクラス)
報告者:岩瀬
正明(東京農業大学
生物産業学部
産業経営学科
3年)
新規就農プログラムを受講した産業経営学科、岩瀬正明
です。本日はよろしくお願いします。
今日は、私たちが1年間、現代GP、新規就農ビジネス
教育プログラムの活動内容、またその活動から学んだこと、
身に付けたこと、成果を発表したいと思います。
まず、新規就農ビジネス教育プログラムの内容を簡単に
説明します。プログラムを持っておられる方は 20 ページを開いてください。本プログラ
ムでは、新規就農・農業後継者および日本農業を理解する人材の育成を目的に、地域社会
の人的資源を活用した融合プログラムを目指しています。
具体的には、1、就農に関する課題の理解とその課題の克服について。2、営農現場を
対象とした多面的で持続的な農業の生産環境づくりのための統合力と実践力を育成する。
3、地域社会における農業の多様な役割を周りの人々に理解してもらえるコミュニケーシ
ョン能力の向上。以上が主な目的です。
次に、今年度の活動状況について説明します。プログラムの 20 ページに今年度の活動
状況を載せてあるので開いてください。年間で大きな活動が7回と、活動の内容について
のディスカッションやグループ内の成果発表の練習会を数回行いました。
では、文章だけではいまいち活動の内容を理解し
づらいと思いますので、スライドの写真を使いなが
ら活動の取り組みについて3点ほど紹介したいと思
います。この写真は6月8日に行った第1回目の座
学による講義の様子です。ここでは農大OBで現在
鹿追町にある農事組合法人西上経営組合に従業員と
して就農し勤められている森雄一郎さんに就農する
までの経過や、現在取り組んでいることについてお
話を伺うことができました。
大学の講義ではなかなか聞くことができない新規就農者の生の声を聞くことができて、
具体的な新規就農のイメージを持つことができました。森さんの話から連想できたのは、
農業する喜びや楽しさなどです。また、それと同時に農業の厳しさについても話していま
したが、森さんの話す顔は生き生きとしていました。たしかに大変なのだろうけれど、農
業とこれからの人生に対して大きな夢を持って取り組もうとする前向きな気持ちを持って
いるということを理解することができました。
次にこの写真は、プログラム 20 ページに載っている青空教室、作物の作況の視察およ
び作物生産実習の様子です。この調査では実際の農業の現場に出て、網走市内のあちこち
の土壌の粘度、硬度を測り、市内の農地間で比較しました。
また、寒冷地農場の白波瀬さんから、網走の農家戸数、主要作物、栽培方法、また小麦
の収量の地域間格差などの問題について教えていただきました。オホーツクキャンパスの
生物生産学科の学生は、実際に農業の現場に出て作況の説明や実施を行っているのですが、
僕は産業経営学科の学生なのでこのような説明を受けたことがなかったので、ものすごく
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新鮮でためになる実習でした。生産、産経、食品、アクア、全学科を含めたこの実学プロ
グラムならではの利点だと思いました。
次に、この写真は7月 28 日に行った体験実習の様
子です。この実習では食育教育として神奈川県厚木市
と網走市の小学校の交流授業に加えさせてもらい、ア
シスタントとして小学生といっしょにジャガイモ掘り
やカレー作りを行い、食育について考えました。
次に、受講学生の成果発表の内容についてです。プ
ログラム 21 ページに受講生の成果発表の概要を載せ
てあるので、詳しくはそちらをご覧ください。私たちは成果発表にあたって、統一のテー
マとして食文化を挙げることにしました。新規就農という課題について食文化の視点から
考えました。食文化の基礎となるのは食、食を生産するのは農業、しかし現在日本の食文
化も農業も衰退傾向にあります。それをいかに防ぎ、今後維持していくにはどうしたらよ
いかということを考えることにしました。
次に、成果発表の主な内容を説明します。主な内容は次の2点です。1、食育の重要性
についてです。最近、牛乳はどうやってつくられるのか、野菜はどうやって育っているの、
このような問題に答えられない小学生が増えていることは皆さんもご承知でしょう。なぜ
こんな問題が解けないのか。その原因は小学生の食に関する知識が大幅に不足しているか
らです。そんな子どもたちがこのまま大人になっていったら、この世の中はどうなってし
まうのでしょうか。考えただけでもぞっとします。ですから、現在子どもへの食育教育の
必要性が重要視されているのです。
でも、なぜ一昔前の子どもはある程度の知識があったのに、最近になって子どもの食に
関する知識が不足するようになったのか。原因は何なのか。それに対する私の答えですが、
その要因は親や家庭環境にあるのではないかと思います。食育というものは、本来親が家
庭で、台所で、時には屋外の家庭菜園で教えるものではないでしょうか。社会情勢が変化
したとはいえ、本来の親による食の教育をおろそかにしてもいいものだろうか。是非この
会場にいる子どもを持つ親たちに、食育の重要性について考えてもらいたいと思います。
次に、新規就農支援についてです。学習の成果
として私たちが考える新規就農支援の新しいビジ
ョンについて説明したいと思います。まず、新規
就農支援を目的とした会社をつくります。そして
新規就農者の受け入れ事業を行います。新規就農
者は1∼3年間、会社の農地で実施研修を行いま
す。4年目以降は社員として受け入れたり、独立
する人がいたら土地や農機具のレンタルを行いま
す。また、受け入れ後、冬期間は個人の成長を促すための座学の授業と農産物加工の生産
に従事します。
そのほかの事業としては、グリーン・ツーリズムや学校などの体験学習といったような
農業体験の受け入れを行うこと。クラインガルデン、農業体験付き宿泊施設の設置、収穫
時期などの農繁期の人材派遣事業、これらのように総合的な農業の事業化、ビジネス化を
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成立させます。農業を行う上で必要な土地や農地は、離農者から借ります。また、離農者
は指導員として会社に就職してもらいます。
このような新規就農支援システムの会社をつくることができたらよいのではないかとい
うことが今、私たちが導き出した答えです。
次に、プログラムを受講した成果についてです。私たちは年間の活動計画を通して農業
に対するより強い関心を持つことができました。新規就農者の森さんや、北海道農業共同
組合中央会の小南さん、寒冷地農場の白波瀬さん、北海道農業担い手育成センターの夏井
さんたちの現場サイドの生の声、意見、アドバイスを受けて、今の農業の厳しい現状を知
ると共に、取り組み次第ではやりがいのある職業であることを知りました。
次に、コミュニケーション能力の向上です。この要因としては次の2点が挙げられます。
1、実習や講演会、懇親会を通じて現場で働いている人との交流、情報交換を行ったこと。
2、グループの成果発表で一人ひとり壇上で傍聴者に自身の意見を発表、伝えるという経
験ができたこと。以上のことから現場の働いている人から問題状況を供給し、彼らから得
た現場の生の声を参考にした自分たちの意見を成果発表会で傍聴者に伝えることによっ
て、自身のコミュニケーションが向上すると共にプログラム参加の充実感を感じました。
次に、受講生の感想を紹介したいと思います。外部の人間を交えた講演やディスカッシ
ョンは普段の大学での学習では会得できないようなことを習得できた。農業に対する思い
や現場の声を意見交換しながら農業に必要な知識を持つことができ、職業として農業を考
えられるようにもなった。
感想を総括すると、現代GPの特徴である普段の大学の座学では学習できない現場サイ
ドの生の声を聞き、それをもとに学習するといった農大特有の実学教育を体験することが
できました。現在、農業の現状は厳しくなっています。本当に新規就農する人がいるのか
どうか、疑っていました。しかし現在、現代GPの実学プログラムを通して実際の新規就
農者の声、現場の方の意見を聞くことにより、私は自信を持つことができました。私は、
今後就農するかは定かではありませんが、農業と関係のある仕事に就きたいと思っていま
す。いずれにしても、今後この新規就農ビジネスで学んだことを次のステップにつなげて
いきたいと思っています。
最後に、プログラムの今後の展望について挙げて終わりたいと思います。私たちが考え
る意見は主に3点あります。一つ目、年間の活動計画を明確にすることです。今回初年度
ということで、計画する先生方も前例がなかったので戸惑ったという要因もありますが、
受講している学生としては活動する曜日が決まっていないので、部活やバイトなどと重な
り、せっかくのプログラムに参加できない学生もいました。来年度は講義の時間割にこの
プログラムを入れるなど、年間の活動計画を明確にする必要があると思いました。
次に、一貫性のある活動計画にすることです。前項で述べた部分と重なる点もあります
が、活動内容について一貫性のある活動計画ではなかったので、来年度は新規就農に直接
つながるような活動計画にする必要があると思いました。
次に、広い視野で新規就農について学習することです。今年度のプログラムでは、基本
的に北海道に限った新規就農について集中的に行い、北海道の農業についての知識を得る
ことができましたが、来年度はこれに限らず都市近郊型や中山間地域の農業、そしてそれ
らの新規就農スタイルについても学習できたらよいなと思いました。
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以上の3点について今後検討し改善していくことで、より良い新規就農プログラムにす
ることができると思います。以上で終わります。ご清聴ありがとうございました。
コーディネーター:吉田
穂積
どうもありがとうございました。それではDクラスのアドバイザー、菅原先生よろし
くお願いします。
Dクラスアドバイザー:菅原
優
こんにちは。新規就農ビジネス教育プログラム(Dクラ
ス)の担当をしております菅原です。今、岩瀬君から非常
に元気のいい発表がありました。本クラスでは、寒冷地農
場を基盤として、年間を通じた農業体験や座学によるプロ
グラムを行ってきました。
私からは、本プログラムの背景ということで少し補足し
たいと思います。新規就農の課題は2つあります。1つは非農家出身者が農業を始めると
きに、土地や資金をどうしたらよいかということで、新規参入の問題です。もう1つは、
既存の農業者が後継者をどうやって育成し継承していくかという問題です。とくに前者の
新規参入の問題は、これまでにも土地や資金の確保や経営の安定性・持続性について議論
されています。
そこで新規就農ビジネス教育プログラムでは、そういった新規就農にかかわる問題を考
えていこうということで、先ほど岩瀬君の報告にもあったように新しい新規就農支援シス
テムが紹介されておりました。非常にユニークなアイデアと言いますか、さまざまな農業
関連事業を多角的に取り組むことによってビジネス化につなげていく。再生産可能な仕組
みをつくっていく。そういった新規就農支援システムがこれからは必要になってくるので
はないか、という提案でもあったのではないかと思いました。
それから、この新規就農ビジネス教育プログラムを受講した学生さんたちは、とくに後
半、クラスで行った1月の成果発表会に向けて勉強会を毎週開催しながら、自分自身のそ
ういった発表能力を磨いていったように私には見受けられました。そういった意味では、
岩瀬君から提示されていた反省点を改善していくことによって、このプログラムを通して
より良い教育効果を学生さんたちに与えることができるのではないかと私は思いました。
コーディネーター:吉田
穂積
どうもありがとうございました。それでは最後のクラスになりました。Eクラス、「エ
コ・グリー・マリン・ツーリズム教育プログラム」を代表して、産業経営学科4年生の相
田拓紀君、よろしくお願いします。
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エコ・グリーン・マリン・ツーリズム教育プログラム(Eクラス)
報告者:相田
拓紀(東京農業大学
生物産業学部
産業経営学科
4年)
生物産業学部産業経営学科4年相田拓紀です。よろしくお願いします。プログラムの 23
ページをご覧ください。
Eクラス、エコ・グリーン・マリン・ツーリズム教育プログラムについて発表します。
はじめに、ツーリズムとはどういう概念なのかということから説明させていただきます。
一般的にツーリズムとは観光のことと考えられています。それでは、観光とはいったい何
なのでしょうか。もともと観光の語源は中国の古典『易経』の中に出てくる、「国の光を
観る」というのが語源で、本来は他国の輝かしい文物を視察するという意味でした。しか
し、各自で調べまとめてみた結果、どうやら日本では観光=ツーリズムとして使われてい
るようですが、本当にツーリズムと観光は同じなのであろうかという疑問がわき出し、し
たがってこの点を確認するために学習体験を行いました。
ツーリズムの代表的な扱われ方として、エコ・ツーリズム、グリーン・ツーリズム、マ
リン・ツーリズムがあります。まずエコ・ツーリズムとはその土地の歴史や文化、自然環
境を対象として体験、学習を行いながら同時に保全する環境のことで、エコ・ツーリズム
はもともと発展途上国の環境破壊を防ぐためにつくられました。発展途上国では、外貨を
稼ぐために木材や象牙を売っていました。そこで豊かな自然を観光の商品として外貨を稼
ぐというのがエコ・ツーリズムの始まりでした。したがって持続可能な観光と考えられて
います。
次に、グリーン・ツーリズムですが、緑豊かな農村地域においてその自然、文化、人々
との交流を楽しむ滞在型余暇活動のこと。簡単に説明しますと、農村で休暇を楽しむ観光
のことです。
最後は、マリン・ツーリズムですが、漁村を訪れ海やなぎさ、漁村の生活、文化を体験、
学習し、地域の人と交流を楽しむ余暇活動のことです。つまりは漁村で休暇を楽しむ観光
のことです。
私たちEクラスでは、これらのツーリズムを実際に体験してみました。最初はエコ・ツ
ーリズムのときの写真です。涛沸湖で白鳥やカモにえさとなる食パンを与えてみました。
これは斜里町にある秘密の展望台よりオホーツク海を写しました。とても眺めが良く、
北海道に来た日のことを思い出しました。
次は、皆さんもご存じ、知床にあります
オシイコシンの滝です。
最後は知床でエコ・ツアーを開催して
います株式会社知床ネイチャーオフィス
の事務所で夏休み、エコ・ツーリズムの歴史や日本でのエコ・ツーリズムの取り組みなど
について教えていただいている風景です。現在、エコ・ツ
ーリズムの推進モデル地区というのが全国に 13 か所あるそ
うですが、そのうちの一つが知床だそうです。知床のエコ
・ツーリズムとして知床の動物ウォッチングやフィールド
ウォーキング、凍った海の上を歩くツアーなどがあるそう
です。この写真を見ますと、学生は普段の授業よりも真剣
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にメモをとりながら熱心に勉強していました。
次は、グリーン・ツーリズムでトレッキングツアーを行ったときの写真です。私たちは
二ツ岩からから能取岬まで続く道の脇にある森の中を約4時間かけて歩きました。森の中
には昔アイヌの人が住んでいた竪穴式住居跡や衣装の原料となるニレの木がありました。
ところどころ道が悪く能取岬まで行くのに大変苦労しました。
途中で海岸に下りる道があったので下りてみると、こん
な看板を見つけました。この写真は密猟者が海の密漁を行
った痕跡です。さらに途中には密猟者が海岸に下りるため
に設けたロープがいくつもありました。また、海岸にはた
くさんのゴミが打ち上げられており、環境破壊の現状を目
の当たりにしました。つまり、これだけ海が汚されている
ということです。身近なところでもこのような環境破壊が起こっているのです。私もそう
ですが、1人ひとりがこういった問題に目を向け、真剣に考えていく必要があると感じま
した。
さて、この写真は網走にある滝の写真です。知っている人は少ないと思いますが、私も
4年間住んでいて初めて知りました。なお、ほかにもあまり知られていない滝があるそう
なので、探してみるとおもしろいかもしれませんね。
最後は、マリン・ツーリズムでサロマ湖にある水産会社に行
ったときの写真です。水産会社からおいしいカキの見分け方や
カキの養殖の方法などについてお聞きしました。カキはとても
乾燥に強く陸に揚げても1週間は生きているそうです。この写
真は、カキのカラむき体験を行っているときの写真です。上手
にカラをむくためにはコツがあるそうなのですが、初めて体験
する人が多くカラをむくのに大変苦労しました。むいたカキを
食べてみるとカラが混じってジャリジャリとしていましたが、
苦労してむいた分、大変おいしく感じられました。
この写真は、カキやホタテの試食を行っているときの写真です。真ん中に写ってカキを
狙っているのは當間先生です。
さて、これらの体験を通じてわかったことは、1つ目、観光はその土地へ行き、ただ楽
しむだけ。2つ目、ツーリズムは味覚、嗅覚、触覚、聴覚、視覚の五感を使って文物を楽
しむ観光のことでした。Eクラスで行われたエコ・ツーリズム、マリン・ツーリズム、グ
リーン・ツーリズムを通してこのような結論に至りました。以上で発表を終わります。ご
清聴ありがとうございました。
コーディネーター:吉田
穂積
相田君、ありがとうございます。それではEクラスのアドバイザーであります當間先
生、よろしくお願いします。
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Eクラスアドバイザー:當間
政義(東京農業大学
生物産業学部
産業経営学科
講師)
産業経営学科の當間です。ちょっと風邪をひいていまし
て、お聞き苦しい点がありましたら、申し訳ございません。
事前にお断りします。
さて、今回のEクラス、1年目なのですが、相田君の発
表にもあったと思いますが、「ツーリズム」という概念を改
めて考えてみようということに努めてきました。観光とい
う言葉、それからツーリズムという言葉、意外と混同して使っていることが多いようです
が、この点をエコ・グリーン・マリン、3つの体験を通して「ツーリズム」という概念を
受講者それぞれが確認していくということです。
冒頭にもありましたように、オホーツク実学センター長の黒瀧先生がおっしゃっていま
したが、地域が教育現場、あるいは現場体験の人間力を高めるという意味では、今回のE
クラスの体験は非常に良かったのではないかと思っております。今回は「ツーリズム」の
概念の精緻化に集約してきましたが、次年度以降は「エコ・ツーリズム」につきましては、
先ほどありました、海岸のゴミを何とかしようかと考えております。そういった意味で自
然環境、あるいは環境保全、エコ・マネジメントというものはどういうものなのだろうか
ということを受講者に考えてもらいたいと思っております。
2つ目として「グリーン・ツーリズム」、先ほど散策路を歩いたシーンがありましたが、
松浦武四郎が北海道という名前をつけましたが、道東のこの地をどうやら歩いているよう
です。4月以降、その散策路を整理をするということに努めて、そして歴史的な深い何か
を受講者に感じていただきたいと思っております。
「マリン・ツーリズム」につきましては、アキアジの皮を使ってクラフトのようなもの
を作成するということを予定しております。アイヌ、あるいは北方民族の文化を顧みるこ
とによって、ツーリズムの新たな視点が見えてくるのではなかろうかと思っております。
以上です。
- 40 -
コ
コーディネーター:黒瀧
メ
ン
ト
秀久
それでは、総合討論に入る前に、まず今日ご登壇いただきました2人のコメンテーター
の先生方にコメントしていただきたいと思います。君塚さんのほうからコメントをよろし
くお願いしたいと思います。
コメンテーター:君塚
倖一((有)自然文化創舎
代表取締役)
君塚と言います。私は隣の小清水町に5年前から住んでいますが、このオホーツク実学
センターのことは知りませんでした。声をかけていただいてから殆ど時間も無く、実学セ
ンター自体知らなかったので、ホームページ等を見させていただきました。今日コメント
を何かということでしたので、もしかするともう既に、そんなことやっているよというの
があるかもしれませんが、とりあえず今のお話を聞いてコメントさせていただきます。
5つのクラスについてお話しいただいたので、5つそれぞれについて色々意見があると
ころと、あまりないところとあるのですが、順番にコメントさせていただきます。
まずAクラスの、「広域交流の環オホーツク圏」というとらえ方、交流ということ自体
私は非常に賛成で、交流というと異業種交流とか、そういったある分野の異なるという分
野は、実は認知科学という研究分野です。ロケットのシャトルの乗組員3人を専門家にし
てコックピットで仕事をした場合と、1人をアホにして2人を専門家にした場合とで、ど
ちらのほうが効率良いかということをNASAが測ったらしいのですが、そのときに1人
アホを入れたほうが効率がいいという結果が出て注目されているらしいのです。そんなこ
とで、東大でも良いアホを探しながら研究したいということらしいですが、このような取
組みはこちらの学生だけではなく、非常にいい交流であろうと思います。聞いていて学生
諸君が1年間サハリンに関わった方々の話を聞いて、総論としての知識の導入としては非
常に良かったと思いますが、これからよりこれを発展させていくためには、交流というな
かに色々な交流がありますが、各論としての具体的なテーマが必要じゃないかと率直に感
じます。
『環境共生』という言葉も出ていましたが、色々な形、産業だとか、文化だとか、
テーマはいくつか絞ったほうがいいような印象を受けました。
Bクラスの「知床のエコシステムマネジメント」については、私も近くに住んでいるの
で意見がいくつかあります。まずは、確かに知床は世界自然遺産として、ある一定の地域
が指定されたのですが、斜里町の環境関係の担当者の話などを伺うと、生活環境や住環境
について、まだまだ意識が低いそうです。自然からちょっと脇にそれたような環境意識に
ついては、まだまだ低い状況のようです。私自身も、よく斜里に行きますが、まだまだ首
都圏や、環境の先進的なことをしているところに比べて、まだまだ環境全般についての意
識が低いという印象を受けます。確かにここでは自然環境を教育プログラムに挙げていま
すが、今後、「エコマネジメント」に関する意識を変えていくためにも、生活環境をはじ
めトータルな環境から自然環境へと焦点を絞っていく。あるいは調査範囲にしても、「エ
コシステム」ということから考えると、単に知床という指定エリアの中だけではなくて、
- 41 -
摩周水系、知床周辺全体含めるべきではないか。地元で摩周湖を見続けている方から今、
摩周湖が危機的状況になっているという話をよく聞きますが、その意味においても、もっ
と広い見地から現状を調べた上で最終的にマネジメントとして知床のエリアに収斂してい
く、そういう手順があってもいいのではないかと感じました。
Cクラスの流域の教育プログラムですが、これについてはまずテクニカルなことから言
うと、河川法が改正されて河川整備計画というのが日本中のあちこちの川で行われていま
す。その中には、「市、流域住民を交えて参加させながら計画を策定しなさい」という文
言が入っています。役所も一生懸命、流域交換会や流域委員会をつくりながら策定はして
きています。昨日ホームページで見たら、この辺だと『斜里川』あるいは『常呂川』『湧
別川』等、色々な流域委員会をつくりながら策定してきたようです。先日『標津川』のほ
うも根室でお話を聞く機会があり、そのときに標津川でも確かに国土交通省の呼びかけで
そういったものをやってきましたが、最近はそれが終わってしまったら何もやらなくなっ
てしまいました。考えはそれぞれでしょうが、せっかくそういう組織があるのであれば、
そこにこういったプログラムなどもくっつけて一緒に連携し、計画は終わって役所はそれ
で手を引いたかもしれませんが、流域の住民として、そして、学生の中立的な立場で融合
し継続させていただくということは、意義があるのではないかと思います。
それから、二次林の話が出ていましたが、確かに二次林について今報告されたとおり、
樹木、森林、そういった方向からはそれで十分なのだと思います。私はまちづくりに携わ
っているので、まちづくりの視点から言うと、代表的な例は札幌ですが、札幌も二次林的
な町なのです。それはなぜかというと、札幌の中心部を見れば『大丸』や『西武』、『東
急』等、ありとあらゆるところに外来種が入ってきて、北海道の中心と言われる札幌の原
生林はどこにあるのかというと、ほとんど見られません。最後に残っていた『丸井今井』
も、とうとう腐りかかって外来種に支えられながら生きていかざるを得なくなりました。
実は別に森林だけの話ではなくて、町の全体も外来種にそうやってあっさりと明け渡し
てしまうような状況が北海道にはあるということです。京都なんかも、確かに最近は色々
景観も変わりましたが、やはり外来種が入りにくい雰囲気というか、そういう環境はまだ
まだ残っています。今後、天然林というものをもっと意識の高いところで理解し、そして
周りにもっと広めていくようなかたちで捉えて、これから社会に出ていくときに、「それ
は広い意味合いもあるんだ」ということをよく理解しながら、森林から社会全体を学んで
いただければと思っております。
Dクラスの「就農プログラム」については、目的の中に非常に重要なコミュニケーショ
ン能力の向上ということが出ていたので、この一言で私は、これが本当に体で実感してわ
かっていることであれば、就農プログラムについては十分かと思います。
私は数年前に、北海道の『男女平等参画』という審議会の委員をやっていたときに、根
釧農業試験場からいただいた資料で、浜中農協と酪農学園大学のあるグループが、浜中の
女性にアンケートをしたというのを読みました。浜中町はご存じのように、酪農中心の町
なので、その実態をよく把握ができるように手配り手回収で行ったアンケート調査です。
その結果、「半分以上という割合で離婚を考えている」とか、あるいは「自殺したい」と
か、「子供を人質にとられて何ともできない」とか言う報告が掲載されていました。最近
農業生産法人が色々できていますが、お金がどういったかたちで自分の報酬としてもらえ
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るかどうか、その辺の不平感など、そういったものが切々と訴えられるようなアンケート
結果でした。今後の農業について、あるいは水産業について、非常に悲観的にならざるを
得ないような結果が出ていました。この辺の人の意識、物理的な就農をするときにお金や
土地の問題、そういったこともありますが、そういった精神的な現状、いま農林水産業の
中でどういうふうに行われているのか、どういう現状になっているのかということをよく
調べた上で、外から入ってくる人に対して土地の状況も踏まえて就農支援をしていく。あ
るいはそのような異なる環境で育った異文化同士の交流ができるような道筋を検討してい
ただければ、よりいいなと感じました。
それから最後、Eクラスの「エコ・ツーリズム」についてです。今日来ておられる進士
先生が理事をやられているNPOで『社叢学会』という鎮守の森の学会があります。これ
はご存じのとおり鎮守の森ですから、神社など、必ず1つの町に1個以上はあると思いま
すが、私の町にもあります。しかしながら、なかなか鎮守という、そういう『社叢』とい
うものに対しての理解が相対的に本州よりかなり低いと思います。社叢と言えないような
神社もかなり多くみられますし、社叢の原生林を中心としたような環境と人間社会のバッ
ファー空間のようなものに対して、どういったとらえ方をしているか。その辺のことにつ
いても私は是非、このエコ・ツーリズムの中に、社叢という視点を捉えてもらいたいとい
うことです。
それを一番大きく感じたのは、私は北海道に来て最初に仕事をしたときのことです。5
年くらい前に夕張市の仕事を下請けでお受けして、町に行きました。夕張の中心部に神社
がありますが、そこは鎮守ではなく、大阪から移転した石切さん系の神社でした。その神
社の長い階段を昇って上に行ったとき、社がアシのような草でぼうぼうになり、お参りも
できるような状況でなく、廃虚になっているわけです。
そういう状況を見て、確かに鎮守ではないですが、神社が町の中心部にあるのに放置し
ているような町を見たときに、「この町は以前から聞いているような評判の夕張だ。やは
りそういうふうになるべくしてなっていくのかな」という印象を率直に最初に感じました。
それ以来、「夕張はいずれ駄目になるのかな」ということを感じました。去年、夕張の職
員の方と話したときに「来年にはうちの町も、もう駄目なんですよ」という言葉を聞いて、
「私は以前、そういうことが感じていたんですよ」という話をしました。そういった経験
を含めて、エコ・ツーリズムの中に「社叢」という要素を汲み入れて、自然を売り物にし
ている北海道だからこそ、文化として、あるいは畏敬の象徴として、自然の入口としての
「社叢」というものをエコ・ツーリズムの中に取り入れるべきだと思います。これは観光
の拠点というのではなくて、そこに住んでいる人たちの精神的なつながりというものを、
逆に外から来た農大生がどんどん地域の中に提言してもらえればと思います。最近この辺
りの神社運営も難しいとも聞いていますので、その辺のことを含めて是非とも何とか地域
に刺激を与えてほしいと思います。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。コメントを含めて後ほど相互討論や質問を受け付けたいと思
います。続きまして進士先生、よろしくお願いいたします。
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コメンテーター:進士五十八先生(東京農業大学
地域環境科学部
造園学科
教授)
学生諸君、準備その他で大変がんばったと思います。中
身は良かったと思います。ただ、岩瀬君以外はちょっと元
気がないですね。秀才タイプかもしれないけれど、もうち
ょっと、森さんはなかなか良かったんだけど、下を向いて
いたからちょっと声がこもっちゃったね。
5つのプログラムは、本当によくできていると思います。
国際だとか環境問題とか地域の活性化というような、まさに現代 GP が求めている、日本
社会が抱えている代表的な課題なのです。それを入り口にしているわけです。全体の組み
方が良かったということももちろんあるけれど、それにそれぞれが真正面から取り組んで
きた内容もとてもよかったと思います。皆さんの発表の経験も貴重です。例えば、岩瀬君
が最後のほうで会社の構想を語ったけれど、あれはいいね。つまり、私は「自分が体験し
て勉強しました」で終わったら駄目だと思います。勉強した過程もいいし、結果もいいの
ですが、彼のはその結果、新しいトータル目標を出しています。どうやったら利益になる
か。どうやったら新規就農を促進できるか。自ら構想してみるということが大事です。分
析型で学習するだけでは駄目で、それをまとめて新しく構想する。
それから相田君は、さっきゴミの話をしていました。當間先生が最後フォローしました
が、「こういうのがあるんだということを感じて考えました」、と言っていました。考え
たんじゃいかん。「ゴミがある。拾っていこうということをしました」、ぐらいのアクシ
ョンがほしい。これは大学生では大事なことだと思います。
私はいつも言ってきたのですが、頭で理解するだけではなく、もちろん理解はしなくて
はいけませんが、頭からずっと下ってきてお腹あたり、つまりは腑に落ちることが大切だ
と思います。腑に落ちれば、必ず行動を起こすようになるからです。最初、君塚さんもお
っしゃったように、座学になっては駄目。体験が第一。できれば新規就農プログラムも、
農家に住み込んでもらえたらいい。このプログラムでは年間 15 回しかやれないでしょう。
夏休みにはそこへ参加した岩瀬君が2、3人仲間を誘って本当にやってみるとかね。
岩瀬君の家は農家みたいだから、既に体験のある 人は必要はないけれど、そうでな
い人はそういう体験ができる。つまりこのプログラムは、日常の大学では学べない学びと
か、全く別のキャンパスライフを導くリーディングプログラムなのです。今日みんなの話
を聞いてますます、それはものすごい意義があったと思います。
それから、今5つそれぞれ意義ある課題だと申し上げましたが、学生諸君に言いたいの
は、自分のプログラムを予定どおりこなすというのではなくて、そこからどうはみ出して
いくかだと思うのです。例えば環境問題をやっていく。環境問題だと地域開発とかが出て
くる。これは流域の生態系のことも、BクラスだけじゃなくEクラスでもやろうとしてい
る。そういうふうにおそらく、なにかみんな同じこと、どこでも色々なことになってきた
ということになる。4年後か5年後にはどこのプログラムに参加しても、ほとんどすべて
のことが必要だということがわかってくるでしょう。たまたま入り口は国際交流だったり、
環境問題だったり、産業の活性化だったりしたのだけれど、実は産業の活性化も環境が悪
ければ駄目だし、あるいは地域連携といっても上流、下流だけやっても、広域のオホーツ
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ク圏という広域圏でやらなきゃいけないとか、実際の社会というのはそうやって全部連関
しているということがわかってくるわけです。テーマを与えられてテーマの中で学ぶ。そ
してテーマの中で行動してそれで終わりというのが今までの、残念ながら戦後日本の分業
化社会であり、分科教育の問題点だったのです。
だけど本当は、人間というのはそうではなくて、いろいろなことを全部学びながら、そ
して自分自身が、百姓、トータルマンに、成熟していくのです。色々なことに関心を持つ
ようになってほしいです。Eクラスの観光とツーリズム、確かにツーリズムって旅行です。
観光というのは『国の光を見るために旅行する』ことです。昔はよく『物見遊山』と言い
ました。それが今度は時間的概念で捉えようとするとレジャー、アクティビティで捉える
とリクリエーションと言ことになる。レジャーは時間概念、リクリエーションというのは
自己実現という目的的概念です。みんな違った言葉を使う。だから観光〓ツーリズムでは
ないというのは正しい。ただ、そういうふうに言葉の定義に入っていくよりは、そういう
アクションを通じて自然と付き合ってみたり、それから自然だけではなくて社会、産業、
経済ともつながっているとも学ぶ。ツアーで現場に出てみる。現場に出るとこんなに広い
海岸線になっていて、密漁が盛んだとかにも出くわして、それをどう問題解決するかとい
うことだと思います。問題に出会ったときにアクションを起こすという、これが一番大事
だと思います。そうなったときに、本当に行動的な人間教育になるのです。それが社会を
動かしていくのです。
私はこのプログラムはそういう意味では入り口だけれども、とても大事な意味あるプロ
グラムであり、できればこういう会場が農大生でいっぱいになってほしい。実際、今の社
会が貧困なのは、それから活力というか、若干停滞気味であったりするのは、全体を見よ
うと思えば見られるサイズの社会であるにもかかわらず、蛸壺化してしまっています。漁
業者は漁協にだけ集まっている。農業者は農業団体で小さくまとまって、他の世界は意識
しない。観光というのは旅館とかホテルの人だけがやると思っている。大人口の大都市は
分業化もしょうがないけれど、こういう地域社会ではせっかく複数の複眼的なものの見方
で暮らしたほうが、自分自身の暮らしも豊かになると私は思います。それから、もともと
人口密度が低いのですから、お互い1人何役もやるというライフスタイルが好ましい。何
役もやりながら生きる生き方がオホーツク型の充実人生の暮らし方。オホーツクじゃない
と獲得できない生き方なんだ。それが社会そのものが活性化する。そういういい循環をつ
くるモデルでしょう。今までは、大都市型で先進国型で分業型で、非常にシャープに鋭く
それぞれの専門を伸ばすことばかり考えていた社会です。これからはむしろ横へ裾野を広
げて、一人ひとりがトータルマンとしての人生を過ごすと、そういう社会をどうやってつ
くるのか、ということではないかと思います。
ですから、このプログラムは学生諸君の発表の場として、いいトレーニングでもあるけ
れど、そういう見方と、もう1つ、地元貢献の意味もあると思います。学生はああいう程
度でも感動しているのだから、自分の仕事は感動的な意味ある仕事なんだ、そう農家が自
覚してくれる。芋掘り体験だけではなく、もうちょっと踏み込ませれば 50 倍ぐらい喜ぶ
だろうことを農家の人たちがわかってくれればいい。我々がやっていることは、現代っ子
にとってはすごく意味ある学びのスタイルなんだということを共有すること。私はそうい
う価値観が広まっていくことが、オホーツク学というか、このプログラムが最終的に地域
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に貢献できるという大きなテーマにつながるのではないかと思っています。
いずれにしても、アドバイザーの先生方のご努力、学生諸君の参加に感謝したいと思い
ます。
コーディネーター:黒瀧
秀久
どうもありがとうございました。お二方のコメントは、実は GP も今までの大学の教育
を超えている部分がございまして、そういった点では私たち実践する教師にも、また体験
する学生にも、ノウハウやマニュアルといったものはまったくございません。そういった
点では試行錯誤しながら積み重ねてきています。そういった点では、これを次回の GP か
らは、よりたくさんの市民参画と学生参画と、そこから何か課題解決のために色々な視点
を提起できるというかたちにしていかなければならないことを改めて実感したわけです。
お二方のコメントをいただきましたので、後でまたパネラーとアドバイザーの先生方に
はご発言いただくとします。フロアーからご意見、ご発言がございましたら受けたいと思
います。いかがでしょうか。何でも結構ですが、発言、それからこの企画、今後の見通し
について等でも構いません。ご質問、ご意見ございましたら、お願いしたいと思います。
それでは北見工大の高橋先生、よろしくお願いします。
質問者:高橋
修平(北見工業大学)
北見工大の高橋です。お聞きしたいのは学生さんたちはこのプログラムが「おもしろ
かったのか」という点です。おもしろかったとすれば、どんな所でしょうか。あと、おも
しろかったという点とは逆に、難しかったという点、それぞれお聞きしたいと思います。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。先ほどコメンテーターの君塚さんからもいくつかコメントが
出ておりましたが、それを踏まえてリプライと感想、すなわち今、高橋先生から、おもし
ろかったのか、それから難しかったのか、両方あったとすればどういう点かというところ
を率直な意見として伺ってみたいと思います。小川君からよろしくお願いします。
報告者:小川
繁幸
おもしろかった点として、サハリンやモンゴル、近くにあって近くではないような国
々の生活の現状を知ることができた点はおもしろかったと思います。両地域とも普段関わ
ることのない地域でしたので、より一層興味深かったです。難しかった点としては、座学
だけだったのでなかなかイメージが湧かなかったというのが実感です。来年度は是非フィ
ールドワークを行いたいです。
コーディネーター:黒瀧
秀久
小川君は中国に行ってるかと思うのですが、オホーツク海圏域に関わって中国を見た場
合どうでしょうか。中国に行った感想も含めて付け加えていただければと思います。
- 46 -
報告者:小川
繁幸
別件で中国に調査に行ったことがあるのですが、その際、中国の学生と交流しまし
た。そのとき一番感じたのは、向こうの学生はものすごいパワフルで、自分が圧倒さ
れるぐらい色々な発言をしていました。その辺が日本の学生の学ぶべきところだと恥
ずかしい思いをしたのを覚えています。今後は積極的にこのような場に参加し、日々
の研究共々励みたいと思っています。
報告者:森
はるか
Bクラスでおもしろかったところは、学生のチームの皆さんがおもしろかったことで
す。石堂先生や小林先生や室田先生、知床ナチュラリスト協会、知床エコツアーの方々な
どの話を聞いて、それもまさに勉強だというような姿勢で聞いているのですが、その講義
を受けたあと、
「どうだった」という話を通して、同じ先生の話を聞いているはずなのに、
皆さん違う感想を抱いていたという発見ができたことや、またエコシステムマネジメント
というものは、もともと考え方がまだできていない、定義が確立されていないので、皆さ
んがバラバラなことを考えていたので、発表をするときが一番楽しかったです。
そして難しかった点は、エコシステムマネジメントの確立されていない点が難しかった
です。13 ページに載っている開講情況をご覧のとおり、よく見ていくとエコの場所は、
エコシステムの場では強調されているのですが、マネジメントの学習についてはちょっと
弱いところがあったと思います。そこに関して私はちょっと難しさを感じました。ありが
とうございました。
報告者:渡辺
秀樹
Cクラスのほうでは、9回中、座学が6回なんです。6回の中でも実際に先生、ホク
レンの方などを講師に迎えて話を聞いて、実際問題になっていることを学生に考えさせる。
その中でもディスカッションなどは、楽しいところなんですが、また難しいところでもあ
り、先生とかそういう教師とかではなく、また社会、地域としても林業とか農業とかの利
害とかそういうことも考えさせられるという座学でした。
また、見学・調査では、標津町だったら町全体の取り組みが見れたということがとくに
うれしかったんですが、実際いろいろ見学に行ったところでも生の声を聞けたという、取
り組みの難しさとか、解決策はこうであるみたいな、そういうことをまた学生たちに考え
させられる場だと僕は思いました。
報告者:岩瀬
正明
僕は1年活動してきて、おもしろいなと思ったことは、普段の大学では学習できない
ような現場の声を聞けたことというのが良いと思います。大学の授業の中だと学者的な意
見でしゃべることがよくあって、現場で生の声というのが尊重されていないんじゃないか
と個人的に思ったんです。すいません。(笑)そういう面で、やはり現場の人の声を聞け
て、また新しいことを勉強できるというところがすごくよかったと思います。
でも逆に難しいのは、僕自身、知識がないというのもあるんですが、新規就農とか今後
- 47 -
の日本の農業について、どうしたらいいか、どんな対策をしたらいいかという具体的な回
答というのがつくれなかったし、そういう面が難しかったです。
来年は僕もできたらプログラムのアドバイザーとして地域就農プログラムにかかわっ
て、そういう点も含め僕が2年間活動してきたなかでわかったこと、今後改善したらいい
なということを先生と会議しながら、もっといいプログラムにしていきたいと思います。
以上です。
報告者:相田
拓紀
楽しかったこととしては、今まで知らなかった網走や知床のことや、あと初めて行っ
たカキのカラむき体験など、今までやったことがない新鮮なことがいろいろ味わえて、本
当に自分は4年生で残り少ししかないんですが、もうちょっと北海道のことを知れたらと
思って今回のプログラムに参加したのですが、今回のプログラムでいろいろなことを知れ
て、とてもよかったです。
難しかったことと言いますか、大変だったことは、今回初めてということで、先生のほ
うも学生のほうも何をどうしたらいいのか、また自分たちはいろいろなところに出かけた
ので、学生同士の都合、先生の都合がなかなか合わなくてとても大変でした。
コーディネーター:黒瀧
秀久
はい、ありがとうございました。他にございませんでしょうか。わざわざ京都から立
命館大学の先生方がお越しですが、立命館大学の黒木先生、いかがでしょうか。
質問者:黒木
正樹(立命館大学)
立命館大学の黒木と申します。実を言いますと昨年3月に、東京でディスカッション
があった時以来、東京農業大学さんでやられているプログラムを直に確認したくて本日参
りました。その当時 76 校の大学が独自の取組を紹介していましたが、その時から、我々
の頭の中では、東京農業大学さんの取組に対する興味で一杯で、絶対にここに来るぞと言
う思いでした。どの様なことをやっておられるかを実際に、発表会を通して見たかったの
です。本日の発表全体を通して言えることは、やはり発表は元気があるのが一番良いと思
います。それはうちの大学でも同じです。それとこれだけの人数の先生方がいっしょにな
ってやられている。大変すばらしいことだなと思います。
お話を聞きながら私なりに解釈したのは、先生方、あるいは東京農業大学のこの教育プ
ログラムを通して目指される教育は、学生達に「地域のリーダーになるんだ」と言う自覚
を持ってもらい、尚かつ専門性の学力を伸ばしてもらいたいと言う考えを感じております。
立命館大学の現代 GP も同じ思いで学生達に地域のリーダーになってもらいたい、その素
養を身につけてもらいたいとの思いでアントレプルヌールという横文字のアメリカの概念
を使いプログラム開発に取り組んでまいりました。私の思いは、学生に、チャンスがあれ
ば、ベンチャー企業を興してほしいというのもあるんですが、それよりも地域のリーダー、
あるいは会社に入っても新しい製品・作品をつくるためのリーダーになってほしいという
思いです。東京農業大学さんのご説明を聞いていると学生さん皆さんに、それぞれに地域
社会のリーダーになってほしい。そのためには色々なプロジェクトのリーダーの下で学ぶ
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のが一番良いという貴大学の取組と意気込みを感じております。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。黒木先生のお話ですと、黒木先生のほうの GP は企業化、新
しく社会で企業化するというアントレプレナーの養成に関わっておられる。実は GP の中
で直接的には取り上げておりませんが、実学センターのプログラムの基礎にはそのような
地域資源を使った企業化という問題もございまして、今後の GP ではそちらのほうの課題
もくみ上げていきたいと考えています。今こういったところも準備中であると補足してお
きたいと思います。他にいかがでしょうか。伊藤先生お願いします。
コメント:伊藤
雅夫(東京農業大学
生物産業学部
学部長)
先ほど来、コメンテーターの君塚さんがおっしゃっていたように、みなさん大変いい
経験をしたなと思って聞いておりました。それから岩瀬君が言っていましたように、座学
ではやれない実体験という、現場の意見が聞けたということはそのとおりだと思いますが、
この農大が進める GP の課題から少しずれているところもあると思います。それは何かと
いうと、地域活性化につながっていくようなことを本当にやっているのかどうか。このよ
うなことにちょっと疑問を感じたんです。実学が現場に入って教育を受けるという意味で
の実学、先ほど午前中にあったような、榎本武揚がやったような実学という概念にもう少
し則したテーマを考えていかなければならないのではないか、というのを感じました。そ
れは今後のテーマだと思いますが、コーディネーターの先生方に考えていただきたいと思
います。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。今、伊藤先生のおっしゃった件に関しては、進士先生のお
話にもつながりますし、先ほどの黒木先生のお話にもつながります。実践力で地域を少し
ずつ変えていく、ないしはリーダーとして変えていく。そういった視点でこの GP がさら
なる展開ができるかどうかという点は、私もセンター長として大変責任の重大性があるこ
とを改めて考えているところです。それがこの GP の究極的な展開として重要になるとこ
ろであろうかと思います。
そういった点では今の伊藤先生のコメントを重く受け止め、次年度のプログラム展開の
一層の充実化に繁栄させていく検討を、実学センターやプロジェクトリーダーの先生方と
共々検討していきたい思います。
他にいかがでしょうか、田中先生。
コメント:田中
俊次(東京農業大学
生物産業学部
産業経営学科
教授)
今の伊藤先生のお話に関係しますが、最初に説明がありました。1つ、地域が学校で
ある。それから現実は実学研究テーマの宝庫である。現実に直面してはじめてそこから何
を学ばなきゃいけないか、どういう学び方をしなきゃいけないか、そういう学び方を学生
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はずいぶん習得したんだなという印象があります。最後、5つ目に文理融合的研究教育が
社会的シーズとニーズを生み出す。ここまでくれば、現実の社会的ニーズといったものに
つながっていく。こういうふうに思っています。すでに指標はできた。今回の5つのクラ
スの学習やこのような発表の場でそれぞれやっていくと成果が上がるという感じがしま
す。
それと、ものすごく僕は感動したのですが、学生諸君たちがこんなに積極的に学んでく
れたんだなというのを非常にうれしく思いました。それと同時に、これだけの学びを与え
てくれた地域と地域の人々にものすごく感謝をします。また、それに関わった、彼らたち
に教えたくれた地域の人たちをさらに巻き込む、今後その点もおおいに進めていっていた
だきたいというように思います。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。実は、田中先生が今ご指摘していただいた GP の狙いの「文
理融合的研究教育が社会的ニーズとシーズを生み出す」というところでは、先生方はそれ
ぞれのプログラムごとに理系の先生も、社会科学系の先生も、両方携わっています。だか
らプログラムも、両方入っているというところにメリットがあるのだと思います。そうい
った点で、もし感想を言っていただければ。皆さん、両方学んでいるわけですよね。そう
いった点での感想がありましたら発言していただきたいと思います。岩瀬君、どうでしょ
うか。
報告者:岩瀬
正明
難しい質問であまりうまく言えないですが、理系の場合は研究する、新しいものを発
見するという色彩が強いと思います。新しいものを発見するということと、それについて
文系は、僕は経済学なんですが、文系の立場からそれをどう利用していくか。どうマネジ
メントしていくか。文系理系一体化したような活動していくことが今後理想的な大学じゃ
ないかなと思います。ちょっと偉そうなことを言ってすいません。
報告者:渡辺
秀樹
僕たちのクラスは流域ということで、やはりその基礎にあるのは上流から下流、さら
には海に関する理系的、つまり生態学的知識だと思います。その上で例えば経済学的に見
ていく点が重要だと感じています。実際に環境対策をするということに対して生態学を踏
まえて、経済学的に効果がどれくらいあるのか、流域住民への暮らしへの影響などをしっ
かり考慮していく必要があると。環境対策を行ったはいいけども、そのせいで生活が苦し
くなる人がいたりすれば、やはり社会的に問題だと思いますので。
報告者:森
はるか
私もあまりうまいコメントはできないので、どうかその点はご了承ください。
まず、12 ページのエコシステムマネジメントのところで、どうかエコシステムとマネ
ジメントを区切って考えてください。そこでエコシステムのところは私が受講したかぎり、
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理系の内容が多く、マネジメントというのは文系のことなので文系の授業がほとんどでは
ないのかなと思いました。そこでエコシステムマネジメントというのは理系と文系の両方
が協力しないとできない課題でした。
しかし 15 ページの成果報告を行ったら、うまく切れていて、ちょうど紫藤さんから私
までは東京農業大学では理系の生物生産学科と食品科学科なのですが、この4人は1つの
自然環境に関して見ていきました。そして、その下の扇子さんから入野谷さんに関しては、
全体的な視点で見ていました。しかし、この文系と理系がうまく調和できて意見交換が活
発にできたかはちょっとよくわからないですけれど、専門的なところは専門的、専門的じ
ゃないところは互いに調べることなどをすることによって各自の疑問を解決するようには
していました。私のいた今回のBクラスでは、あまり生徒同士で集まることができず調和
できていなかったのか、うまく言葉にまとめられませんが、あまり良い結果は生み出せま
せんでした。なので、来年度はどうか文系と理系が融合して、エコシステムマネジメント
なBクラスになっていただきたいと考えております。ありがとうございます。
報告者:小川
繁幸
文理融合という視点は、とくにAクラスはすごく有効なのではないかと私は思ってお
ります。報告の中でもお話ししたのですが、オホーツク海というのはすごく資源が豊富で、
まだ未開の部分も多く、そういうなかで海を見る視点が重要だろうと思います。現在メタ
ンハイドレード、サハリンプロジェクト等が世間を賑わせておりますが、まずは科学の面
からしっかりと効果・影響などが分析され、その上で経済学的な視点からの分析が重要に
なってくるのだと思います。
また、Aクラスは「交流」ということをずっとテーマとしていますので、まず遠いモン
ゴルやサハリンの大学と連携しながら、ということが大切になってくるのではないかと思
っています。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。広域圏形成の大学の連携ということまでお話をいただきま
した。ほかにいかがでしょうか。もう1人か2人、フロアーからお話をいただいて全体の
総合討論に入っていきたいと思いますが、いかがでしょうか。
市民の方、少ないなかで何人かお越しいただいておりますが、消費者協会の小路さん、
いかがでしょうか。感想を含めてご発言いただければと思います。
コメント:小路
康子(網走消費者協会
会長)
とても楽しく聞かせていただきました。皆さん方が学ぶように、市民である私たちも
ここに来て学ばなければならないと思って聞かせていただきました。ありがとうございま
した。
このプログラムを実践するだけではなく、色々なお話を聞いていて、私も本当にこれが
突破口になって、生徒の皆さんが自分で考えて自分でプログラムを作って、そして実現に
邁進できる、将来は基調講演できるぐらいの人が生まれたらいいなと思ってエールを送り
- 51 -
たいと思って聞かせていだきました。
一般の市民の方というのは今日は本当に少ないようなので残念だなと思っています。皆
さん方も本当に地域の人に学ぼうとする視点があるということは、私たち地域の人も皆さ
ん方がどういうお勉強をしているのかがわかります。なるほど、こういう勉強をしている
んだなと思うことができるんです。私自身学ばせていただいたなというのが今日の率直な
感想です。ありがとうございました。
コーディネーター:黒瀧
秀久
どうもありがとうございました。もうお一方ぐらい、いかがでしょうか。指名で恐縮
でございますが、それでは、本学の私のゼミの卒業生で、網走市役所で活躍しておられま
す有我さん、どうでしょうか。先輩として感想を一言お願いしたいと思います。
コメント:有我
克博(網走市役所)
今日、皆さんの発表を聞かせていただいて、本当に私も勉強になったと思いました。一
つ、今の発表でですが、私もまだ勉強不足でしてあまり確かなことは言えないのですが、
BクラスとCクラス、環境に関する関係で、たとえば森林の関係のプログラムで、針葉樹
と広葉樹の混交林で鳥の種類が針葉樹林や広葉樹林より多いということが、おもしろいな
と思って聞かせていただきました。現在、北海道の施策の中で針広混交林整備に誘導して
いる補助事業もあります。その中で、針葉樹の伐期がきて主伐が進んでいるなかで、道の
事業により針広混交林に整備されていくということができるとすれば、そのとき今までの
北海道の針葉樹に偏った森林から、針広混交林へ転換していくことも難しくないかもしれ
ません。もしかしたら今の環境の問題の視点から、先ほどの発表の内容を考えていけると
いうのがいいのかなと感じました。
それと、これは君塚さんのご発言なのですが、『河川整備計画』という住民が参加して
計画策定されていくなかでの色々な問題ですが、私も実は行政の立場で地域福祉などの計
画策定に携わったことがありまして、実際計画というのを通じて、果たしてどれだけ住民
の意見が集約できたか、そこを考えますと、これはそれぞれの立場で、それぞれの意見を
持ちながら参加していますので、なかなか意見を集約することができません。それは今も
皆さんがやっていた、環境問題の視点での体験のなかでも感じられたと思います。そうい
う意味では温度差を解消していくということをやっていくのが、産業と地域の活性化につ
ながっていくと思います。みなさんの取組みをもっと踏み込んでできれば、それらの温度
差の解消に役に立つのではないかなと思います。以上です。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。針広混交林は今後政策的にも、ある程度展開可能ではない
かという積極的なご意見と、もう1つは、河川整備計画等で先ほど君塚さんがおっしゃっ
たような整備計画と現実、つまり実態とがずれがある。その温度差を埋めていくという努
力、それをしていく必要があると思います。私も、当然それが必要だと思います。実はC
クラスは今、園田先生にプロジェクトリーダーを担当していただいておりますが、私も入
- 52 -
っておりまして、この点、非常に痛感されるところでございます。それは次年度以降のプ
ログラムで是非にとは思っております。
だいたいフロアーとの討論は以上で終わらせていただきます。また最後に若干、もし全
体に対してご質問、ご意見があればフロアーに向けたいと思いますが、先ほど君塚さんの
ほうから個別にいくつかのコメントが出ておりますので、報告者ないしは報告者の課題と
しては重ければアドバイザーの先生のご意見として、できる範囲内でリプライをしていた
だければと思います。
まず私のほうで君塚さんの発言をもう一度、簡単にまとめて繰り返しますと、Aクラス
に関しては、サハリン、モンゴルとの交流という問題を総論的に展開しているけれども、
参加している学生の具体的なテーマを確定しながら、よりもう少し具体化するべきではな
いかといった点です。この点をどう考えるかという点に関しまして、小川君ないしはアド
バイザーの田村先生、ご発言がありましたらよろしくリプライをしていただければ。
A クラスアドバイザー:田村
正文
Aクラスについて、非常に貴重な、そして本当にていねいなご指摘をいただいてどう
もありがとうございます。Aクラスはいろいろな教育プログラムの中でも対象地域が広域
的であるということで、非常に切り口が広くなってしまいます。そして国際化などという
非常に大きいテーマとして扱っているところです。今年度1年間で、まずオホーツク海の
環境問題、国際問題ですとか、そういう専門的な領域そのものが非常に少ないわけでござ
いまして、手探りの状態で始めていったわけです。
その結果、座学中心ということになったわけですが、今後たとえばサハリン、あるいは
モンゴル、中国といった国々との交流、とくに交流の仕方というのは様々あるという君塚
さんのご指摘は、非常に本クラスの次年度以降の活動に対し、励まされるものがございま
すが、今後教員の間で環オホーツク海ということについて共通の認識を持ちまして、そし
て学生が環オホーツク海の理解を深められるような、例えばサハリンやモンゴルにしても
中国に関しても、進士先生の言われたような、学生にとって非常に貴重な経験になるよう、
プログラムを次年度以降、本格的に活動していきたいと思っています。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。具体的テーマというのは、たぶん学生やそれから取り上げ
るテーマということなんだと思います。その点、またご留意いただければと思います。
Bクラスの知床エコシステムマネジメントのほうには、2点ほどコメントの中からお話
が出ておりました。1つは、自然保護に対する認識は高いけれども、実際に暮らしている
人たちの生活や住環境の環境意識、生命の町としての意識が低いのではないか。その点の
意識変革をどう考えていったらいいのだろうか。その点が重要じゃないかといった点があ
りました。
もう1つは、知床という半島だけのエリアではなく、オホーツクを拡大させた、知床か
ら摩周湖まで連携させたような広域マネジメントとして考える必要はないのだろうか。こ
の2点ですが、森さん、石堂先生、どちらでも結構です。両方でも結構ですが、もしリプ
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ライできましたらお話しいただきたいと思います。
Bクラスアドバイザー:石堂
典秀
どうもありがとうございます。まさに進士先生のおっしゃるとおりで、いろいろな問
題を抱えている地域であるということを学生さんにまず認識してもらうということから、
9月 23 日にシンポジウムを開催いたしました。このシンポは、まさに知床で第一線でご
活躍されている方々をお呼びしたのですが、その中で、湊屋さん(有限会社らうす海洋深
層水代表取締役)という方に地域の視点から話をしていただきまして、たとえば知床世界
自然遺産といっても、地域住民が環境問題にどのように取り組んでいるのかというと、実
はそれほど高い環境意識を持っているわけではないのです。そういったなかで、湊屋さん
は、海をきれいにしたいという想いから、たとえば、羅臼の町では、普通の市販の洗剤は
使わないといった宣言をすべきであるとか、様々な地域住民を巻き込んだ活動を提案され
ました。また、地域住民の視点でいきますと、湊屋さんご自身は、漁師をされている方な
のですが、漁師の子どもたちですら番屋というものを知らなくなっているおり、地域の歴
史や文化といったものを環境教育と一緒に考えていくことはできなのか、そういったもの
をも大学の支援事業にできないかという話もいただいていまして、伊藤学部長からご指摘
を受けたように、そういったものもこれから地域活性の活動に繋げていけるのではと考え
ております。従いまして、今年度はとりあえずいろいろな地域の課題を拾い集めていくと
いうことで動きました。
また、君塚さんからは摩周湖の話をしていただきましたが、このクラスのタイトルが「知
床」とついていますが、我々自身は、北方領土も含めて、オホーツク・エリア全体のエコ
システムマネジメントを考えておりますので、ご指摘のように、網走を含めた地域の活性
化も含めて少し広い視点でこの問題を取り上げていきたいと考えております。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。Cクラスに関わっては、先ほど有我さんの質問にもござい
ましたが、1つは政策的に行っている河川整備をめぐる流域住民の懇談会が、政策の終わ
ったあとすぐ消えてしまうのは問題ではないだろうかと思います。そういった点では、学
者も関わって継続的に実態に合うようなかたちでプログラムを推進する必要があるのでは
ないかという点が1点目。
2点目は、原生的自然が予想外に守られていない。そういった点で原生的自然をまちづ
くりに生かしたり、自然の、特に天然林、原生林を大事にするという視点がより大事なの
ではないか、この2点だと思います。もしお答えできれば渡辺さん、園田先生、どちらで
も両方でも結構ですが、お答えお願いします。
報告者:渡辺
秀樹
私はカヌーをやっていまして、川に関して言いますと、川からみた全体像、川の上流
から中流、下流へと全体を見ていかないと川の状況がわからないということがあります。
常呂川ですと漁協の方が河川整備に関して訴えを起こしていて、川を改善していこうとい
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う動きがあります。それについてカヌーに乗って実際の川の状況を調べたりという活動を
しています。これはちょっと本プログラムとは違いますが、そういうことを含めていった
ら、いいプログラムになると思います。
森林のことについては、国有林自体がカラマツ人工林がやはり多いので、モザイク型森
林、つまり針広混交林へと変えていくときの、森林を伐採するときの経済負担などをどう
したらいいだろうか、ということについて林業者や農業とか漁業の方の立場からいろいろ
意見を聞いて、自分たちで考えていきたいです。
C クラスアドバイザー:園田
武
最初の政策的問題は、これは黒瀧先生のご専門だと思いますので黒瀧先生にお願いし
たいと思います。原生的な自然の保全という問題ですが、流域生態系の健全性を保つため
にも、天然林の保全は重要だと思います。流域の森林が貧相化することは流域の水や物質
循環に甚大な影響を与えます。先進的事例が多い海外では、森林を含めた流域全体の再自
然化というような構想とその実践例もあります。そういったことも積極的に学びながら、
今後の活動に生かしていきたいという気持ちがあります。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。それでは、私なりのこの流域に関する見解を述べてみたい
と思います。
1つは、私は林業に関わって、主に流域管理システムをやっています。こういった会議
を開くときに何が一番大変かというと、上流、中流、下流の利害が本当にまったく対立す
るということです。
例えば、まず一緒の会議を開く場合に、農業者がほとんど出てくれないのです。つまり、
道東エリアの河川の環境負荷の問題点としては、これは渡辺君の報告にありましたが、家
畜の糞尿、すなわち窒素やリンが糞尿起源である。もう1つはそれだけではなくて、網走
川等では化学肥料、これが相当流入しているということです。ですから農業のほうから相
当流入していて、網走湖の富栄養化などは、それらが汚染原因としては大きな要因になっ
ているという現実があります。
そこで、
「糞尿をどうにかしろ。糞尿を流すような環境負荷をかける農業はけしからん」
という話が漁民からたくさん出てきます。その点で農業者がなかなか出てきてくれない。
テーブルについてもらうだけでも大変だということです。
もう1つは、漁業者は最終的に末端の影響度を受けますので、台風などで雨が降ると、
流木や土砂が山ほど流れます。山を適正に管理していない問題、それから乱伐、これらが
原因だというわけです。そうすると、林業者は何と言うかというと、「世界の河川で洪水
時に流木が流れない河川があったら教えろ」、こういう話が出てくるのです。
こういった点で、適正な山の管理がなされていないという部分もないわけではないです
が、それを巡ってどういう利害調整をしていくかというところでは、利害の当事者だけで
はなかなか難しいです。ましてや、ここに今日のシステムの枠組みでは市民という概念が
ちょっと抜けていました。市民も家庭の雑排水を排出したり、逆にウォーターフロントや
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親水性の問題で、川や湖からプラスの影響を受けるというところもございまして、そうい
った点では上流から下流まで市民も加えたかたちでの連携を組みながら、この問題を解決
していかなければならないだろうと思います。
そういった点では、補助金だけをあてにするような、先ほど君塚さんがおっしゃったよ
うなあり方では持続性がないだろうということは確かだと思います。ですから、持続的に
統一した議論に持っていくまでは相当紆余曲折が予測されるわけですが、それを避けて通
ることはできません。そういったところをCクラスも、流域市民会議のようなかたちで提
起していければ、先ほどの実践性につながっていく可能性があるのではないかと考えてい
ます。そこまでまだ行っていないということなので、今後の課題として申し上げておきた
いと思います。
それからDクラスに対しては、浜中町の事例の話で、たとえば精神的なストレス、不安
感、後継者不足、状況によっては負債の問題や自殺を考えているような事例まであるので
はないか。そういった点を突破するという問題。負債というのは特に、根室の酪農地帯を
行きますと億単位の負債を抱えている農家ありますし、浜中の農家は比較的少ないとは思
いますが、それでも本州に比べればかなり大きい負債額です。そういった点でどう考えて
いくのかという問題が新規就農の場合でも大きい問題として出てくると思います。
それからもう1つは、異文化交流。つまり新規参入、ないしは移住してくる側と迎える
側の農村、農家、農協。そういった異文化交流のインターフェイスをどうするかという点
に関して、もし考えがあれば岩瀬君、菅原先生、よろしくお願いします。
報告者:岩瀬
正明
意見、コメント、ありがとうございました。まず最初の問題についてですが、負債が
多いという面は、収入が少ないというのもある気がするんです。出ていく面も収入の面も
経営者の工夫次第で出費も減らせるし、収入も消費者、ユーザーに応えるような農産物な
りを出すことによってある程度ですが改善はできると思いますが、そういうところも考え
ていく必要があるのではないか。
あとコミュニケーション能力です。コミュニケーション能力育成というのはすごく難し
いことだと思いますが、自分からどんどん前に出ていろいろな人と触れ合ってしゃべって
意見交換して、それでうまく成長していけたらいいのではないかと思います。変なことで
すいません。
2点目については僕もよくわからないので、菅原先生からお願いしたいと思います。
D クラスアドバイザー:菅原
優
君塚さんからもコメントがありましたが、普通、農業は家族経営でやっていますが、
最近は国際化のなかで農産物価格が下落してくると、生産効率性を追求せざるをえな
い。そのために何軒かの農業者が集まって法人経営をやろう。こういった事例は北海
道でもたくさん出てきておりまして、とくに水田地帯では非常にこういった事例が増
えています。
私もこういった事例を調査しておりましたが、人間関係が大きな問題としてありま
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す。例えば今までは、平等原理で物事を進めてきた集落の仕組み等が、いわゆる会社
形態へ移行することによって、様々な精神的な人間関係のストレスや問題を抱えてい
るのだという話は非常にたくさん耳にしております。
北海道農業は非常に大規模な経営が多いですが、こういった大規模で生産効率追求
型の農業が一定の限界に達してきている側面があるのではないだろうか。そういった
なかで、これからの農業は、どういったところに新たな価値観を求めて展開していく
のか。そうなってくると、例えば消費者交流を深めて顔の見えるネットワークをつく
っていくことによって農業へ生きがいを感じるとか、あるいは健康面とか環境問題に
配慮した仕組みづくりをみんなで考えていくとか、ただ単に生産効率一辺倒では、こ
れからの農業は立ち行かないのではないかと思っております。そういったなかで、非
常に簡単に会社化とかビジネス化といっても、農業の分野においては実際は大きい課
題も抱えていると思います。
今年度は、実際のフィールドで農業経営者と接した教育プログラムとまでは行きま
せんでしたが、いまの農業が置かれている問題を正確に認識して、課題をどうやって
解決していくか。そういった認識を共有していく観点が重要になってくると思いまし
た。
異業種交流という部分では、やはり農産物流通を通じたネットワークづくり、「地
産地消」といった顔の見える関係を構築していく。個人経営でやるのが大変だという
ことであれば、仲間づくりをして取り組むとか、そういった取り組みが農業のやりが
いとか、生きがいにつながっていくのではないかと思いました。以上です。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。最後に、エコツアーに関しましては、君塚さんから、特に
社叢学会、いわゆる「里山等の鎮守の森」を考えた場合に、鎮守の森を管理するとか保全
するとか、そういったようなツアーも有り得るのではないか。それも地域を見るうえで大
事ではないか。それに対してどう思うかという点で、相田さん、當間先生、ありましたら
発言をよろしくお願いします。
E クラスアドバイザー:當間
政義
自然の入り口を通じて、あるいは自然の入り口として、精神的なつながりを社叢とし
てどうシステムとしてエコ・ツーリズムに組み込むか、というようにおっしゃられたと記
憶しておりますが、そういった意味では次年度以降のプログラム、あるいはエコとグリー
ンとマリンの3つの視点から、そういうものも考えていきたいと申し上げましたが、エコ
としては海岸の片付け等をして自然環境をどのように考えるのか。それからグリーンにつ
いては散策路の整備を通じて北海道アイヌ文化を知るとか、あるいはマリンを通じて北方
民族やアイヌ文化の知恵を知ることを探ってみるとか、こういったところが1つの視点に
なろうかと思っております。
また、進士先生がおっしゃったことにつながっていくと思います。地域貢献といたしま
して、どのような地域貢献を考えていくかということにつながっていくと思います。やは
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り問題というもの、あるいはテーマというものを多角的な視点で、我々アドバイザーが提
示して教えたものではなく、そして、義務付けられたものではなく、むしろ体験を通じて
学生たちが掲げた問題について、体験を通じて現実と照らし合わせながら理解すると、初
めてそれが「ツーリヅム」の概念そのものになると考えております。
したがって問題というのも、こちらはアドバイザーという立場になっておりますので、
我々から提示するというよりは、むしろ体験を通じて受講生各々自らが提示し、そしてそ
れを解決しうる問題、あるいは究明すべき原因といったところに地域貢献あるいは社会の
貢献を考えることに非常に重要なことではないのかなと考えております。
そういった意味で、1年目は時間的には無理なこともあり、また経験的に未知なことも
あり、スムーズにいかなかった部分もあるのですが、来年度はもう少し核心に迫ったツー
リズムというものにピントを合わせながら活動していきたいと思っております。次回のE
クラスの発表にてお答えに代えさせていただきたい。以上でございます。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。だいぶ時間も押してまいりまして、そろそろ終盤に入って
いくわけですが、最後に学生のパネラーの皆さんから、先ほど進士先生と伊藤先生からも
出た課題の共通部分をお聞きして、次の展開に結び付けていきたいと思います。
1つは実践性が大事である。どういう実践をしていくべきなのか。どういうことが考え
られるか。自分の課題としてそれをお答えいただきたいと思います。
もう1つは、地域活性化につながるプロセスはどういうことなのだろうか。これは答え
られる範囲内、考えられる範囲内でいいです。それをお一人ずつ手短に語っていただいて、
学生の皆さんのリプライはそれで終了していただきたいと思います。
相田君のほうから、どういう実践性か、それからどういう地域活性化があるか、考えら
れる範囲でよろしくお願いします。
報告者:相田
拓紀
エコ・ツーリズム等の実践性については、オホーツクはフィールドに恵まれているの
で、いろいろなことが試せると思います。例えば自分たちが行った海岸のゴミ拾いです。
これは地域活性化とも結びついてくると思います。知床岬に漂着するゴミなどを拾うツア
ーなどあればおもしろいと思います。普段はなかなか入れない場所だと思いますので、エ
コ・ツアーとしての付加価値もありながら、海岸の美化にもつなげていこう。そういう興
味深い取り組みを多方面で継続することによって地域活性化ということが考えられると思
います。
報告者:岩瀬
正明
Dクラスの新規就農ビジネス教育プログラムでは、ちょうど進士先生に言われたこと
でもあるのですが、夏に泊まりこみで農業実習というか、実際の農家に1週間ぐらい泊ま
りこみで、経営ノウハウも含めた食物生産の内容なり、モロオカさんといろいろ意見検討
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会をしながらやっていくことで、より実践性が高まるのではないかと思います。
地域活性化につなげるには、僕たち受講した学生が現代GPの受講者ノウハウを生かし
て、それを社会に出たときに地域に還元できるような次のリーダーになることが必要なん
じゃないかと思います。以上です。
報告者:渡辺
秀樹
Cクラスの前提としては、私たちが積極的にフィールドワークを主に実践性としてあ
げていきたいのと、それ以外でなくフィールドワークをし、ディスカッションをし、最後
に結果を出すという実践のプロセスが一番重要なポイントだと思っています。またそのプ
ロセスにおいて、農業、林業、漁業、その他さまざまな視点、それら経済活動の視点を入
れることによって、地域活性化につながるのではないかと思います。また、そのような目
標をもって今後活動していきたいです。
報告者:森
はるか
Bクラスでは、実践というのは力不足であったと考えております。まず私の意見から
述べさせていただきます。私はただいま川や海を汚したくないという意味で、洗剤を洗濯
するときに使わずに石鹸で行っております。しかし石鹸を使うことによってさらに問題が
生じるということがプログラムの中でわかってきました。それを通して、まず、どのよう
なことが環境にやさしいのかというエコシステムの見直し、また、もし環境にやさしいと
訴えている商品があるとしても、従来の化学製品と比べて使い方が難しかったりすると問
題がありますので、とりあえず実生活において体験してきて、それを地域の方に打ち出し
ていくということに関して、東京農業大学の学生として可能だと思っています。なので、
まずは地域の企業はどのような環境の問題を抱えているかを調べることと、次に実際に実
生活に生かしていくことだと思います。
そしてさらに、私が考えたことは、私はただいま網走市で合唱をやっており、地元の高
校生や住民の方々と練習を行っております。その中で感じたことは、両者にとって東京農
業大学というものがいかに知られていないかということについて理解しました。その中で
も特に我々、「東京農業大学バイオインダストリー」の活動について販売している化粧品
が実際どのように肌にやさしいのかなど実演販売しているのですが、従来の化粧品と比べ
ると自分たちで販売しているのでどのようなことが行われているのかがわかると考えてい
ます。せっかくバイオインダストリーのほうでいい商品を作ったとしても、それがコマー
シャル力として地域の方に密着していないということに気づきました。
さらに新しいことに気づいたのは、バイオインダストリーでは東京の郊外の生徒が中心
に活動を行っておりますが、それを高校生と共有することによって新しい戦力を得られる
のではないかと思います。高校生の皆さんはバイオインダストリーの製品であるそれを用
いることで地域との密着性、そして活性化につながると思います。話をまとめさせていた
だきますと、問題点から構想を練り、その製品を作り実際に使ってみること、そして与え
られた新たな問題点から再試行していく。この4つの要素が必要だと感じました。ありが
とうございました。
- 59 -
報告者:小川
繁幸
実践性といたしましては、語学力を付けて実際に交流する必要があるのではないかと
思っていますので、Aクラスには語学の先生がいますので、勉強したいと思います。地域
活性化につきましては、オホーツクという地域を海圏域でお互いに発信することで地域活
性化につながるのではないかと思っています。
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。学生諸君とアドバイザーの先生も恐縮ですが、これで発言
は終了させていただきたいと思います。
フロアーのほうで全体に関して何かご発言なさりたい方、いらっしゃいますでしょうか。
お一方かお二方、よろしいですか。ないようでしたら、最後にアドバイザーの先生方から
全体を通した感想を含めてご発言を若干いただいて終了したいと思います。それではまず
君塚さんのほうから一言よろしくお願いします。
コメンテーター:君塚
倖一
今日は色々お話しいただいてありがとうございました。私は「オホーツク実学センタ
ー」という存在を知らなかったのですが、今もまだ話を聞いても、学生と一緒に活動した
わけではないので、進士先生の言い方ですと、まだ府に落ちないところです。おそらく産
業革命のあとに機械化、ロボット化というのがどんどん社会の中に進んできて、その社会
に適合させるように大学の教育も脳化教育が行われてきたような気がしています。そうい
う中で僕は二十前後のころ、もっとヘテロで社会に対して尖っていまして、ここにいる皆
さんのように立派ではなかったようです。
そういったロボット化、脳化社会に対応したようなかたちで 20 世紀をずっと発展して
きた大学や社会だったのですが、どうもここへ来て環境問題をはじめとして、文明社会は
これでいいのかと自然から突きつけられたような気がしています。そういった意味で、今
後は私の中では文化教育というか、心、身体というものをきちんと見直した、例えばホン
ダなどではロボットを開発して階段を上らせたり、壇上で歩かせたりしているところを見
せていますが、それをテレビで見ている人は「すごいな」と言うんですが、実はすごいの
は自分たちのほうで、あんなに階段をギクシャクと上ったり走るということは、私たちに
とってはたやすいことで何のたわいもないことで簡単にやるのです。あるいはコミュニケ
ーションにしても、話しを聞いて理解して、それに対応してまた話して、という言葉のキ
ャッチボールをロボットにさせるようとしたら大変なことです。しかし、我々はそれを瞬
時に判断しながら、非常に大きな情報処理を行っていることを考えると、もう一度、自分
たちの身体というもののすごさ、生命力というものを見直さなければならない時代なのか
と思います。
そういう意味で、『実学教育』という新しい取り組み、新しい文化教育という意味で発
展していっていただいて、オホーツク地域にとっての「ローカルシンクタンク」として、
一緒に共同していただけるところがあれば、いっしょに地域のために何かやりたいなと思
っております。
- 60 -
コーディネーター:黒瀧
秀久
ありがとうございました。それでは進士先生、よろしくお願いします。
コメンテーター:進士
五十八
いま君塚さんがおっしゃったことも大事なのでしょう。しかし、榎本武揚の話を佐々
木さんにしていただいた。そこではたぶん、カリキュラムが作られ体系的に教わったとい
うより、必要に迫られ、生きる必要があっての学び方だったのではないでしょうか。だか
ら、戦争が起こったというとすぐ、これは是非見ておかなければと、観戦武官にしてもら
う。こうして、あの頃はみんな主体的に学んでいったわけです。
だけど、いま君塚さんも言われたように、日本の戦後の大学教育というのは、主体的に
学ぶというよりは、とりあえずの通過儀礼のようで、大学を出ないとまずいと、目的意識
も、学ぶ意識もなくて入ってきて出て行く。それをマッスとして受け入れてきた。立命館
ほど農大は元気ではありませんが、農大も頑張ってマッスを受け入れてきたわけです。
だけど、今の、たとえば相田君が、カキのカラをむく体験をして、あれが彼には非常に
印象的だったのです。3∼4回言っていましたから。とても新鮮だったのです。これが正
直な姿です。それはもう、今や彼らの親御さんの世代がそうです。みんなお金を出してプ
レハブの家を買い、スーパーで食べ物を買い、衣類もユニクロから買って着るだけで生き
ていけるわけです。衣食住、全部外部化しているわけです。学生に勉強しろといっても、
動機がないのです。
だから私に言わせれば、今ここで試みているのはそんなに高級な話ではないのです。本
当は人間として当たり前のこと、やらなきゃいけなかったことができていなかったことを
きちんとやろうとしているのだと思います。
結局彼らの責任ではないのです。もっと早い段階で、小学校とか中学校の段階で体験教
育を徹底すべきなのです。教育再生会議をやってシステムや制度を変え、枠組も変えても
駄目です。
体験がぜんぜんないんだから、今回皆さんが体験したのは、僕らの世代だとだいたい小
学校ぐらいで体験しています。そこから問題を発見し、自分が興味のあるところへどんど
ん迫っていって、そしてそれを大学で学びたいから学んだのです。今は逆です。今、大学
に入って改めて体験して、それで岩瀬君は農業をやろうかどうか考えはじめた。でも多く
の大学は、就職してから迷っているのですから、農大は早く気づくように努力していると
いうことです。
この発表会でいいと思ったのは、パワーポイントでダルマが出てきたとき。岩瀬君はコ
ミュニケーション能力が大事だと自覚しているようだから発表も一番元気だった。青年の
主張に出たらどうかな。来年のプログラムのアドバイザーをやって、夏は1か月農家に入
って、それから青年の主張に出る勉強をしてほしい。
そういう色々な雑学的な知恵にも気が付くんです。本当に頑張れば。皆さんは、ある意
味で幸せすぎてお気の毒で、体験のない世代になってしまった。ここ 20 年ぐらいの学生
はずっとそうです。だから大学のやり方をこの辺で本気で考えなきゃいけない。オホーツ
クキャンパスが最初にこれ行動に移しました。オホーツクのフィールドの価値は、まさに
地域教育、環境教育にピッタリです。厚木にあるバイオセラピー学科でやっている「園芸
- 61 -
療法士」の受験資格は実践 2000 時間ということになっています。たとえ1日 10 時間や
ったとしても 14 回だから 140 時間でしょう。だから本当は体験のうちに入らないんです。
でも、それでも皆さんは、結構体験した気になっているわけだから、よほど他を体験して
いないということです。
農学というのは、人間が生きるために必要なもの、食べ物を確保しようとしたわけです。
それも大きな自然の生態系の中で大自然と闘って人間が生きられるようにしてきたわけで
す。それにはやはりフィールドなんです。
今日のねらいではないですが、本当は体験教育を小中学校からやってもらう国民運動を
提案したいですね。伊藤先生は網走市の教育委員長でいらっしゃるんでしょう。そういう
お立場で率先して教育改革をしていただきたい。フィールドがこれだけ背後にある網走市
なら、そのメッカになれる。
「オホーツクっ子」は体験豊富、というブランドになります。
もう1つ、農大3つのキャンパスの中で、このオホーツクキャンパスだからこそという
ことでしょう。次年度のカリキュラムは半分ぐらい実習とか演習とか現地へ行って、それ
で問題を発見してから、その問題を解決するには何が必要かというものに気が付いて、そ
れを聴講していって、そして問題解決策を最後に導ければ、あとはどんな課題が与えられ
ても応用力が生きていって一人前に勝負できる。いろいろな生き方ができる。どんな状況
になっても幅が出て生きていけると思います。そういう人材。強い人間をつくる。
そういった人間が先ほど君塚さんがおっしゃったように、地域貢献をする。地域のリー
ダーは、私はこれは専門ではありませんからとか、それは誰かに聞いてくださいとか、言
うような人は駄目です。どんな問題が出てきても、それにきちっと対応できるのが基本だ
と思います。そういう意味で、農大は本格的に体験し勉強した地域のリーダーを養成する
ことを目指していただきたい。私も精一杯エールを送りたいと思います。
今、地域が疲弊しているのはそこだと思います。みんなどこかに頼ってしまう。シンク
タンクとかコンサルタントに頼るのも僕は問題だと思っているので、それは本気でオホー
ツクキャンパスのメインテーマだと思っています。
地域が学校である、この1∼5までの、文理融合なんていうのはアクションを起こせば
ひとりでに実現するもので、目的化するものではないと思いますが、上の4つは非常に大
事、これそのものが建学の理念に取りあげていいぐらいのすばらしいテーマだと思います。
是非これからもこの活動を頑張っていただきたいと思います。以上です。
コーディネーター:黒瀧
秀久
どうもありがとうございました。お二方のコメント、今後の GP を推進していく上で、
それからまた網走地域、オホーツク地域とのコラボレートしていく上で非常に大事なコメ
ントだったのではないかと思います。
最後に、簡単にコーディネーター2人の発言で、長い長い今日の午後のシンポジウムを
終了したいと思います。では吉田先生お願いします。
コーディネーター:吉田
穂積
もうすべて語り尽くされまして、私から改めてと言うことはないのですが、私もDク
- 62 -
ラスのほうを担当させていただきまして、地域と活性化ということで1年目、何から始め
ていいのかと非常に悩みました。今お話がありましたように、この地域、たとえば農業に
関しましては学びの場としては最高の場所です。それはそうだと思ったのですが、これは
今だから言わせていただくけれど、最初は心配だったわけです。本当に実践の場の中に学
生を入れて怒られないだろうか。現場は真剣にやっているわけで、その中にちょっと1年
間、勉強してみようかなという学生を送り込んだときに大変恐いなと思いました。そうい
う意味で、自分たちができる範疇の中でのフィールドワーク、そういったものしか企画で
きなかったということがあります。
ただ後半、実は我々のクラスで先ほどの話から、なかなかみんなの意見が見えてこない
ということに我々のほうが気づきまして、学生さんたちに賽を投げて、「自分たちの考え
る新規就農とは何なのか考えてください」としました。
そうすると、それぞれが非常に活発な考えを持って、そして意見を言って、そしてパワ
ーポイントを作って、そして成果発表会に出してきている。ですから非常に潜在能力があ
る。私たちが思っていたのは大間違いでした。
それからもう1つは、最後に外部コンソーシアムの先生方に来ていただいて、成果発表
会に聞いていただきました。その後に外部コンソーシアムの先生からは、「もっと何回も
呼んでくれればよかったのに」というご意見もいただいています。そういう意味で、次年
度に向かっては、外部の先生、あるいは有名な先生を呼んでくるのもいいけれど、地域の
先生、あるいは学生が頻繁に密に接して、そしていつでも意見が言えるような、そういっ
たようなものになると、ますます先生方からいただいたエールにお応えできるのではない
かと思います。他のクラスもたぶんそうだと思いますので、そのように進んでいければい
いかなということで、私の意見としたいと思います。
コーディネーター:黒瀧
秀久
どうもありがとうございました。
長い間、本当にありがとうございました。5つの第Ⅲ類型プログラムは、専門家的なス
ペシャルプログラムですが、私も期待した以上に学生諸君やアドバイザーの先生がいい報
告をしてもらったのではないかと思っております。
と申しますのは、今年まだ制度としては試行錯誤をする試験的な制度として出発してお
りまして、完成されていません。そういう点ではまだ未熟な部分があるのですが、その中
で学生諸君がいろいろと悩みながら、自分の視点、たしかに解決されていないところがあ
りますが、それはそれとして色々と成長したあとが見えたのではないかと思っております。
次年度以降の展開としては、やはりプログラム自身が進化するプログラムであること。
もう1つはサステーナブル(sustainable)、すなわち持続可能なプログラムである。そ
れから自主性、それから実践性を伴うというところでは、自立的展開を伴うプログラムで
あるという内容に展開できるよう、私どもも学生諸君と、また市民の皆さんにも入ってい
ただいて、先ほど進士先生もおっしゃったように、東京農大の全体の壮大なフィールドと
しての実践場としてここを位置付けながら、オホーツク海アイデンティティを確立するこ
とにつなげていければ、この GP の意義があるのではないかと思っております。
また、今検討の最中ですが、このプログラムはコンソーシアム委員として外部の方に入
- 63 -
っていただくと同時に、受講生としても市民の皆さんに開放することも検討しております。
今日お集まりの皆さん、それから今日集まっていただけなかった皆さんにも、おおいに参
画していただいて、学生と共に地域の活性化に連携していただければ、この GP プログラ
ムも血税を投じていただく意義があるのではないかというところを申し上げまして、最後
の総括にさせていただきたいと思います。今日は長い間、どうもありがとうございました。
- 64 -
閉会のことば
挨拶:増子
孝義(東京農業大学
生物産業学部
生物生産学科
学科長)
朝から始まりまして、ちょうど4時 10 分ですが、時間どおり
に進んでびっくりしております。私がよく経験するシンポジウ
ムでは、発表者が時間オーバーして、そうすると長くなってき
てしまいまして、最後のほうの討論がほとんど難しくなってし
まうのが大半なんです。今日は進行のほうも円滑に進めてもら
いましたので、ついつい休憩を忘れるぐらい、4時間ずっと開
演しっぱなしという状態で進んできたわけですが、これも一重
に発表者の学生たちが、きちんと時間を守って発表してくれた
からだと思っています。
この現代 GP は、2005 年に採択されたわけですが、2009 年度までですから4年間です。
2009 年度に向けて完成しようということでばく進しております。本年度はちょうど節目
にあたる中間年度です。内容的には第Ⅲ類型まで進んで開講して、そしてそれらの勉強成
果をここで発表していただいたと思います。これも一重に、ちょうどこの冊子の 44 ∼ 45
ページに書いていますが、本当にたくさんの学外、学内の関係各位のご尽力とご支援があ
ったからだと考えていまして、感謝申し上げます。この場を借りてお礼申し上げます。
そして午前中の基調講演では、本学の創始者がたいへん豊かな才能をもち、数々の功績
を残したということがよく理解できました。日本では近年、高校生の授業の問題では、歴
史の勉強を軽んずる傾向があるということが新聞等でも報じられています。そういう背景
を考えますと、歴史の伝道師と言いますか、佐々木先生の役割はたいへん大きいのではな
いかと思います。また、先生が特別講義をされていまして、学生にたいへん好評で、今後
ともご指導を頂戴したいと思います。
パネルディスカッションは学生の発表でありまして、それは各クラス代表者が集約した
内容なのですが、それぞれ既に各クラスで発表されたものです。そのときの評価では若い
柔軟な発想に基づくものが多かったという評価も出ていまして、まさしく期待したとおり
と考えています。
また発表に対して的確なコメントを頂戴しました君塚さんと進士先生、本当にありがと
うございました。現代 GP は 2009 年度まで継続しますので、これからも関係者各位には
ご支援を頂戴したいと思っています。よろしくお願いします。本日はどうもありがとうご
ざいました。
- 65 -
Ⅳ パネルディスカッションⅡ
「オホーツク地域における新産業育成と大学の役割
−オホーツクの魅力再発見・AIとのかかわりで−」
コーディネーター:田中
俊次(東京農業大学
生物産業学部
産業経営学科
教授)
皆さん、おはようございます。先ほど黒瀧先生のからもお話がありましたが、このパネ
ルディスカッションの趣旨としましては、これはどこでも言われていることですが、格差
の問題が強く言われます。色々な意味での格差があるわけですが、中央と地方の格差。こ
の地域間の格差が問題だろうと思います。この地域格差をなくすためには、政策をつくる
ことも当然必要なのですが、地域自らが活性化をしていくということも重要な課題であり
ます。もっと言うならば、国民経済から見たら地域経済の活性化、もしくは地域産業の振
興というのは非常に重要な問題です。これは新しいけれど昔からある、いわゆる古くて新
しい課題と言ってもいいかと思います。
考えてみれば、戦後の新産促法の時代から、1960 年代の神奈川県長洲知事の「地方の
時代」とか、もしくは大分県の平松知事の「一村一品運動」。こういった言葉が生まれま
して、最近では「まちづくり3法」という政策によって更に活性化を進めていこう。これ
がまたさらに新法、「新まちづくり3法」というかたちで進んできています。いわゆる第
3段階に入ってきたという感じがしております。いずれにせよ、この活性化の第3段階に
入ってきた部分では、それぞれ個々さまざまにアプローチされてきたものが、これからは
いよいよ総合化していく、統一していくという段階に入って来ていると思います。
そこで新しい取り組みということで、今日は4人の報告者からお話をいただく予定でお
ります。それでは始めたいと思います。進行は野村先生に進めていただきます。
コーディネーター:野村
比加留(東京農業大学
生物産業学部
産業経営学科
講師)
進行役の野村でございます。皆様のお手元にに質問状というのを配らせていただいてい
ると思います。時間の制約もございますので、報告者の方々の報告をお聞きになりながら、
そこで浮んだ質問を記入していただければありがたいと思います。
それでは、白野様からご報告をよろしくお願いいたします。
- 66 -
第1報告:「北海道の総合開発計画とエリアアイデンティティ」
報告者:白野
暢(北海道網走支庁
地域振興部
地域政策課
課長)
皆さん、おはようございます。網走支庁地域政策課長の白野
と申します。私からは、平成 20 年度から始まります、北海道の
新しい総合開発計画及び支庁が最重要施策として、今年度から
推進しております「オホーツクエリアアイデンティティ」、通称
「オホーツク AI」の取り組みについてご報告させていただきま
す。
まず、「オホーツク AI」の内容をご説明する前に、全道・全国
の方がオホーツクをどのように認識されているのかについてお
話しさせていただきたいと思います。網走支庁では、昨年7月
にインターネットを通じて調査を実施いたしました。全国の 1040 人を対象に、オホーツ
ク地域に対する認知度に関する調査、来訪に関する調査、イメージに関する調査を実施し
たわけです。あまり時間がありませんので、結論のみお話ししていきたいと思います。
まず、オホーツク海の認知度は非常に高いものがあります。これは小中学校の授業で習
うからということが大きな要因と思いますが、「オホーツク」という名前をほぼすべての
人が知っているというのが実態です。一方、道外の半数以上の方々がほとんどの町村の名
前を知らない。このことからも、1つの自治体での取り組みというのは限界があるのかな
と考えております。それから、流氷、水産業以外は道内外でほとんど認知されていません。
特に道外の方の約5分の1は、「森が多い」とか、「農業が盛ん」といったオホーツク地
域の特性をほとんど知らないというのが実態でございます。水産物に関する認知度は比較
的高いのですが、例えば道内ではホタテの大産地として認知されていても、道外ではそれ
が知られていない。また、タマネギ、ハッカの大産地という私どもからすると当然の情報
が、道外では全く認知されていない。これが現実でございます。
一方、非常にうれしい結果もありました。回答者の8割以上の方が「機会があれば来て
みたい」と答えていらっしゃいます。こ
の資料からだけでは分からないのですが、
「何回来たことがありますか」という別
の問いと重ね合わせてみますと、来訪回
数の多い方ほど「また来てみたい」と答
えています。一方、一度も来たことがな
い方の多くが「あまり行ってみたいと思
わない」と答えていらっしゃる。つまり、
一度でもオホーツクに来ていただければ、
リピーターにできる力をオホーツクは持
っているということが言えると考えております。
地域名から連想するイメージを聞いた結果がこの表ですが、オホーツクから連想するも
のは流氷が圧倒的に多いです。網走から連想するものは刑務所が圧倒的でございます。そ
れから、「明るい」とか、「美しい」とか、どちらかというと肯定的な形容詞と、それと
反対の意味を持つ否定的な形容詞を並べて、「十勝」と「オホーツク」と「網走」でそれ
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ぞれどちらのイメージに近いですかと聞いてみました。結論といたしましては、道内外共
にオホーツクは、北海道で最もブランド価値が高いと思われる十勝に匹敵するイメージを
持っている。特に「すがすがしい」でありますとか「クリアな」といった、透明感のあふ
れるイメージにおいて、オホーツクは十勝に勝っています。さらに、「珍しい」とか「ロ
マンチックな」という非日常的なイメージにおいても勝っています。これが私ども、オホ
ーツクの武器になるだろうと考えております。
今の調査結果からも分かりますとおり、私どもオホーツクに住んでいて、オホーツクが
好きな人間にとっては当然の情報、例えば水産業は全道1位、農業は十勝についで2位、
森林面積も1位、知床をはじめとするたくさんの自然公園もある。長い日照時間、澄み切
った空、こんな多様な素晴らしいオホーツクの魅力というのが全く全道・全国に知られて
いない。こうした実態を踏まえた上で、オホーツクのためになんとかしていこう。このイ
メージを変えていこうというのが「オホーツク AI」の発想の原点であります。
近年、オホーツク財団の「オホーツクブ
ランド」の認証制度がスタートいたしまし
たし、管内の農協が連携して「FROM オホ
ーツク」というロゴを地域で獲れる農産物
の段ボールに印刷しようといった動きが出
てきております。「オホーツク AI」は、こ
うした取り組みと連携して、オホーツクと
いう言葉が産業や観光、暮らしなどの各分
野に付加価値を与えることを目指していま
す。つまり、オホーツクと聞けば「行って
みたい」「住んでみたい」、オホーツクと付けば「買ってみたい」「食べてみたい」、オホ
ーツクに暮らしていることを「自慢したい」。そう思っていただけるようにオホーツクの
イメージアップに取り組んで、それを広く発信していくことが狙いであります。言葉を変
えますと、「オホーツク AI」の取り組みを通じて地域間競争を勝ち抜くオホーツクをつく
っていきたい。そのことによって、ここに住む私たちが一層オホーツクを誇りに思うよう
な、そんな地域をつくっていきたいと考えております。
ここで道の新しい計画についてお話しいたします。現在、道では平成 20 年度からおお
むね 10 年を展望した計画を策定している最中です。道民と道の共通の指針という位置付
けで道民の皆さん、それから市町村や大学とも様々な議論を重ねながら双方向対話型と称
する手法を通じて計画を策定していきたいと考えております。冒頭、黒瀧先生からお話が
ありましたとおり、このフォーラムは、道の総合計画の策定作業において北海道の将来像
を考える「未来展望カレッジ」としても位置付けさせていただいております。
この新しい計画の特徴を若干申し上げますと、なるべくシンプルな計画を目指しており、
計画そのものは基本構想編と重点プラン編の2本立てとなっています。個別具体的な事業
はそれぞれ分野別に別途策定することになっております。計画においては道内を6圏域に
分けており、オホーツク圏についてはイコール網走支庁でございますが、この圏域の今後
10 年の方向というのは、支庁が圏域政策展開方針として、とりまとめることになってお
ります。
- 68 -
実は、これは私ども支庁職員にとって
も非常に重要な話なのです。何が重要か
といいますと、今まで道の計画は地域の
計画も含めまして本庁が決めておりまし
た。地域計画の案をつくる段階で支庁が
関わっても、最終的には札幌で決めてお
りました。しかし、新しい計画では、今
回のようなフォーラムの場を活用して皆
さんからご意見を聞きながら、圏域の姿
を支庁長が主体性を持ってまとめて、皆
さんと一緒に推進していくというかたちに変わっております。その中で「オホーツク AI」
は、今のところオホーツク圏域の今後 10 年の政策展開の柱と位置付けまして、中長期的
に進めていきたいと考えているところです。
ここから「オホーツク AI」の具体的な内容についてお話しいたします。
「オホーツク AI」
の取組は、「インナーコミュニケーション」、「プロモーション」、「モデルプロジェクト」
の3つの柱から成り立っています。
「インナーコミュニケーション」というのは圏域内の住民の方々を対象としたものであ
り、地域の魅力の再認識と一体感を醸成するという取組です。
それから「プロモーション」は、オホーツクにこだわって地域が一体となって情報発信
をしていこうという取組です。
そして、多くの方に「オホーツクAI」の取組をアピールできるようにモデルプロジェ
クトを実施することにしております。これは後ほどまたお話ししますが、このプロジェク
トとして「オホーツク流氷トラスト運動」を実施することとしています。これは、オホー
ツクの象徴であります流氷の保護をキーワードに「環境先進地オホーツク」を打ち出すよ
うなプロジェクトを進めてまいります。
それから、地域の有識者にお集まりいただきオホーツク AI 推進会議を設置しておりま
す。これはオホーツク AI の取組の参謀本部とお考えいただきたいと思います。黒瀧先生、
それからこの後お話しされます高谷さんもこの会議にご参加いただいています。お二人と
は、「オホーツクAI」の取組として、こんなことができるのではないかというような話
を日頃から重ねております。
「インナーコミュニケーション」の具体的な内容ですが、まず「オホーツクAI・オー
プンハウス」と称しまして、地域の様々なお祭りやイベントに出かけまして、「オホーツ
クAI」の取組の周知ですとか、先ほどのネット調査の結果などをお知らせして PR をし
ております。それから、東京農大と非常に深く連携をさせていただきまして、3回に渡る
市民公開講座を「オホーツク AI」のインナーコミュニケーションの一環と位置付け、東
京農大と支庁の共催というかたちで開催をしております。
次に「プロモーション」については、企業とのタイアップを中心に進めております。昨
年9月には、セブン‐イレブン・ジャパンと連携をいたしまして、オホーツクの食材を使
ったお弁当やおにぎりを全道約 830 店舗で販売していただきました。それから、11 月に
はカルビーの九州カンパニーと連携をいたしまして、ポテトチップスの袋にオホーツクの
- 69 -
マーク、それから袋の裏側にはオホーツクの紹介をしていただきました。オホーツクのジ
ャガイモは、九州のカルビーに送られポ
テトチップスに加工し、九州・沖縄で販
売されていますが、毎年11月頃には、オ
ホーツクのジャガイモ 100 %のポテトチ
ップスが製造されていることから、オホ
ーツクの宣伝をしていただくとことにな
ったものであります。
このポテトチップスの袋にも印刷して
いただいたオホーツクのキャラクターに
ついてでありますが、これは、津別町に
住んでいるアーティストの大西重成さんにデザインしていただいたものでございます。オ
ホーツクに関係する個人や団体、企業であれば誰でも自由に使っていただけますので、機
会があったら可愛がっていただきたいなと思っております。
それから、11 月に札幌赤れんがでオホ
ーツクキャンペーンを実施いたしました。
これは観光 PR や「NPO 法人イッショ移
住オホーツク」との移住相談コーナーで
すとか、企業とのコラボレーションコー
ナーなど色々な仕掛けを実施いたしまし
た。これと同じ期間、セブン‐イレブン
との連携によるオホーツクフェア第2弾
も開催いたしました。オホーツクフェア
第1弾が非常に好評でありまして、セブ
ン‐イレブンさんもさらに本腰を入れまして、先のキャラクターマークを対象商品にプリ
ントし、商品数も増やしまして全面的に展開をしたわけです。さらに、オホーツクに本社
を置く北見の『回転寿しのトリトン』さん、『焼き肉味覚園』さん、美幌の『肉の田村』
さんなどにもご協力いただきまして、オホーツクの食材を使ったフードメニューを全道の
店舗で提供していただきました。この結果、企業との連携を通じまして、およそ 100 万
食のオホーツクの食材を消費者にお届けできたものと考えております。
最後に「モデルプロジェクト」についてであります。「オホーツク流氷トラスト運動」
の旗印のもと、環境保護につながる様々な取組を展開してまいります。これには、「環境
先進地オホーツク」といったクリーンなイメージを広く打ち出していきたいといった狙い
がございます。
いま具体的に進めておりますのが、オホーツク圏観光連盟と連携をいたしまして、観
光客をお迎えするに当たって、この地域が環境に配慮した質の高い観光地であるというこ
とをお客様に感じていただけるような取組をしましょうという議論をしております。
例えば、宿泊施設の室温を適正に管理して CO
2
の排出を抑える取組でありますとか、
アイドリングストップにご協力いただくとか、ホテルの厨房などで出る廃食油を精製した
BDF、バイオディーゼル燃料を使って送迎バスを走らせる取組ですとか、色々なやり方
- 70 -
があると思いますが、できることから1
つずつ形にして、この地を訪れる観光客
の方々にも環境保護に寄与したことを気
持ちよく感じていただく。こういったオ
ホーツクらしい観光の形をつくっていけ
ればいいと考えております。
以上が「オホーツク AI」の概要でござ
いますが、私どもは良いアイデアがあり
ましたら、柔軟に取組に反映していきた
いと思っておりますので、ぜひ市民の皆
様からご提案をいただきたいと考えております。どうも、ありがとうございました。
コーディネーター:野村
比加留
どうも、ありがとうございました。白野様から「オホーツク AI」という取り組みにつ
いて基本的な考え方と、具体的な事例を報告していただきました。
それでは、次に高谷様から「東オホーツクシーニックバイウェイ」ということで、ご報
告いただきます。
第2報告:「東オホーツクシーニックバイウェイ…広域連携による地域づくり」
報告者:高谷
弘志(東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
代表)
東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議の代表を務めて
おります高谷と申します。今日は「シーニックバイウェイ北海
道」、及び私たちの「東オホーツクシーニックバイウェイ」での
取り組みの一端をご報告をさせていただき、その中で、この地
域の新たな観光や、広域連携による地域づくりについてお話を
させていただきたいと思っています。
「シーニックバイウェイ」というのは、英語の「景色」を意
味するシーンの形容詞シーニックと、「脇道」を意味するバイウ
ェイの組み合わせで、直訳すると「景色のいい道路」となるの
ですが、それは一面にすぎません。
シーニックバイウエイ北海道は、「自分たちの地域を、自らの意識と行動で、より魅力
的にすること」で、その柱は「美しい景観づくり」「活力ある地域づくり」「魅力ある観
光空間づくり」の3つです。
それでは、具体的に私たちの東オホーツクシーニックバイウェイの活動についてお話を
したいと思います。
まず、東オホーツクとは、美幌町、大空町、網走市、小清水町、清里町、そして斜里
町の、1 市5町のエリアを申します。エリア規模は、なんと東京都の 1.2 倍もあります。
世界自然遺産の知床、並びに網走国定公園、斜里岳道立自然公園や、阿寒国立公園、そし
て日本で唯一流氷の来るオホーツク海に囲まれている大変自然豊かな地域です。その広域
- 71 -
なエリアの中で、「ロマンティックヒーリング・風を感じて走る道」をテーマに、海沿い
を主にした「流氷ステージ」、田園地帯を通る「田園ステージ」、そして六つの峠で構成
する「山岳ステージ」という3つのステージを設け、48もの民間団体が関わり様々な活動
を展開しています。
3つのステージには様々な地域資源があります。この写真は「神の子池」です。清里町
商工会と私たち東オホーツクシーニックバイウェイが連携をして、昨年から実施をしてい
るのですが、「神の子池のかんじきトレッキングツアー」というのを実施しています。
清里町の『パパス』という町営温泉の駐車場に各自集合し、そこからバスで神の子池
の入り口まで行ってカンジキに履き替え、約 2 ㎞の雪道を歩き、冬でも凍らず緑に染ま
る神の子池を見てコーヒーブレーク、同じように戻ってきて、温泉で汗を流し昼食をとっ
て解散というツアーです。もちろん有料で、昨年は 40 人、今年は 70 人が参加しました。
キーワードは「ここだけの、今だから、ほかにできない」です。神の子池は夏場多く
の観光客が訪れる観光ポイントですが、冬場は除雪をしないので行けません。行けないか
ら逆に売りだと考えました。
また、ちょうど今の時期、藻琴山に行きますと、だいたい 800m 付近でこのような樹
氷が見られます。800m 程度の標高で、なお且つ、主要道路のすぐ側で樹氷が見えるのは
全国でもおそらく唯一ここだけでしょう。
次に、48 の団体ですが、それぞれ既存で色々な活動をしています。例えば、今日もご
参加いただきましたが「網走湖・水と緑の会」では、水芭蕉の保全、「オホーツク 21 世
紀を考える会」では、季節ごとの体験ルートマップの作成、私が所属しております「オホ
ーツクホーストレッキング研究会」では、年 2 回の野外乗馬イベント、「ウトロナチュラ
ルクラブ」では、沿道の花の植栽、「清里町商工会」では、町民あげての沿道清掃活動、
「小清水ボランティアガイド協議会」では、原生花園での花ガイド、美幌町の「自然の会」
では、2,000本の桜並木を作るための植樹活動などをしています。
様々な活動団体が元々活動しているものは継続し、広域で、なおかつ 48 もの団体が一
緒になったのだから何か新しいことをやってみようじゃないか。広域で連携することで新
たな魅力の創造ができるのでは!!との想いで取り組みを始めました。
先にも述べましたように、私たちのテーマは「ロマンティックヒーリング・風を感じて
走る道」です。車でただビューンと走るのではなくて、窓を開けてゆっくりと風を感じな
がら、脇道にもある魅力に触れてもらいたいという想いです。
私たち東オホーツクシーニックバイウェイルートでは、「東オホーツクライフの確立と
発信」というものを大目標に、「東オホーツクエリアのイメージの確立」ですとか、この
「エリアの文化、ライフの発掘・育成・発信」、そして「住んで楽しい地域づくり」とい
うものを目指しています。
景観形成、観光振興、地域づくりの3つの分科会を設け、さまざまな連携活動をこの1
年半ほどしてまいりました。
例えば、これは昨年実施しました小清水原生花園の「根無しカズラの除去作業」です。
色々な団体の方々と、蚊がたくさんいる時期なのですが、一緒になって行いました。それ
から、沿道の清掃活動も各地で一緒に実施しています。また、2年前の強風で倒れ、国道
沿いの水芭蕉群落地の景観を阻害していた倒木を、多くのボランティアで除去しました。
- 72 -
シンポジウムや地域の魅力を再発見しようということで、「景観探しツアー」も実施し
ました。40 人がバスに乗り、エリア内のビューポイント、逆にビューポイントではない
所を見学し、その評価を行いました。
この写真は、網走市の中園地区から東藻琴に行く近道の桜の老木です。斜めに傾いた老
木に桜の向こうに道路が真っ直ぐに続き、その正面に三角すいの藻琴山が入るという構図
です。右からは、同じように斜里岳が木の合間に入る、大変景観がいい場所なのですが、
知らなかったという方が、地元の方も含めて殆どでした。
また、ここに1本の農業用水管の位置を示す標識がありますが、景観にマッチングしな
いとの参加者評価で、網走市では標識を移動してくれましたので今は在りません。景観探
しツアーの1つの効能です。
この写真は、北浜海岸です。正面に斜里岳があるのですが、道路に色々な表示があっ
て見えません。
それから、昨年6月には大空町女満別のメルヘンの丘の国道沿いに、日本初の「ビュー
ポイントパーキング」が完成しました。メルヘンの丘はビューポイントですが、駐車帯が
無かったため、そこを見学したり写真を撮影するには非常に危険でした。そこを改修し大
型バス 2 台、乗用車 10 台程度が留まれる駐車帯と 1 段下がったカメラ目線の位置にも人
の通路を設け、畑に人が入り込まない配慮もしています。また、畑と通路を仕切る木の柵
ですが、高さが 60 ㎝になっています。またげそうでまたげない。なお且つ、これ以上高
いとカメラ目線に柵が入ってしまうことにも配慮しています。この様な利用者ニーズに合
った細かな配慮が出来たのは、私たちの活動団体の1つである「オホーツクフォトグラフ
ァーメンバーズ」の助言が活かされたからです。
2つ目の「ビューポイントパーキング」を網走の海岸線につくるためのワークショップ
にも我々のメンバーが委員として参加しています。
皆さん、この写真の「P」の中にカメラのイラストがある標識をご存知でしょうか。
これは「とるぱ」という愛称名で全国展開されている「景色のよい駐車帯」を意味する標
識です。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、昨年の秋口から冬にかけて小清水
の原生花園に新しい駐車帯ができました。その駐車帯の前後 200m にこの標識がありま
す。つまり、このマークのある駐車帯は景色が良い、この駐車帯に車を止めて数分移動す
ると景色の良い場所があるというサインです。今インターネットで「とるぱ」の応募をし
ています。審査の上「とるぱ」に指定されるとこの標識が設置され、インターネットにも
掲載されますので、ここぞという所があれば是非、応募してください。地域の宣伝にも役
立ちます。
次に、観光振興に関する取り組みについていくつかご紹介します。
先ず、一昨年モニターで試験的に実施した「世界遺産知床へのスローな旅」です。
これは、女満別空港から知床まで、ただ車で走るだけだと 90 分足らずで着いてしまいま
すが、それをあえて 2 泊 3 日をかけて、なおかつ毎日、乗馬とサイクリングとウォーキ
ングを楽しみながら、車では味わえない地域の魅力を感じてもらう。そして移動には、廃
食油を再生したバイオディーゼル利用のバスで移動するという、究極のエコツアーです。
モニターとして道内外の 5 名の方にご参加いただきました。その方たちに「もしもう一
度このツアーに参加するとしたら、もしくは、どなたかにお勧めするとしたら、いくらだ
- 73 -
ったら参加しますか」とのアンケートを実施したところ、飛行機運賃を除いた 2 泊 3 日
で 9 万円ということでした。同時期の旅行会社が主催する東京からパックツアーは約5万
円で、飛行機代を除くと 3 万円程度でしょうから、たったの 5 人でも、経済効果からは1
5名以上の効果があることになります。
ともすると観光の効果を数の議論することになりがちですが、観光は経済ですからむ
しろ質の話をすることが必要です。
知床が世界遺産になってたくさんの人が訪れることは良いのですが、そのことで渋滞
やオーバーユースによる環境悪化を招くことになりかねません。良質な、なおかつ滞在型
の方々にお越しいただく方が、ちゃんと経済活動が保たれながら環境も守られることにな
ります。お客さんの数は減ったけれど経済的には潤った。そういうことを今後は研究すべ
きではないでしょうか。
私は、この地域にお越しになる方々のご案内を頼まれることがよくあります。清里町
に立ち寄った際には、必ず焼酎工場を見学し隣接のレストハウスに寄って芋焼酎の購入を
お勧めします。そうすると、皆さんがほとんど一番高いのをお買い求めになってお帰かえ
りになります。それは、一緒に旅を共にし、地域の歴史や文化、時には人生観なども含め
た会話を交わす中で、信頼や安心が醸成され、この人の勧めは間違いないと感じていただ
けるからだと思います。地域のエリアガイドの必要性を実感しています。
昨年の 2 月には、「大雪原をひとりじめ」という企画を実施しました。実際の模様を見
ていただこうと思います。この地域にはいろんな魅力ある資源があるのですが、私は魅力
ある資源を再発見すると共に、魅力ある資源を新しく創つくっていく事も重要だと思って
います。ハード物は大変な労力とお金が掛かりますが、既存にあるものにソフト的な手を
加え、さらに上手な情報発信をすることで新たな魅力づくりをすることが可能です。
これからご覧いただくのは、昨年のちょうど今ごろに STV の「どさんこワイド」とい
うテレビ番組に 3 分間取り上げられたビデオです。もし有料でテレビコマーシャルを 3
分間やったら莫大な費用がかかりますが、それを無料でやっていただきました。(VTR)
それから朝日新聞の全国版の「青鉛筆」欄にも記事として取り上げられ、インターネ
ットの ASAHI COM にも掲載されるや、3 日間で 1 万 7000 件のアクセスがありました。
そして、3 組 5 名の方々が、わざわざ「大雪原」を体験に網走までやってきました。
私たちは持続可能な地域の観光を推進したい、持続可能な経済をコツコツとやってい
きたいと考えています。まだまだ実験段階でビジネスや産業までいっているものはありま
せん。しかし、世界自然遺産も、ラムサール条約登録地もあるこの地域ですが、自分の足
元を見つめ直して、それをどう発信していくかによって新たな経済につなげていくという
ことが十分に可能ではないかなと思うのです。
まだまだたくさんお伝えしたい事がありますが、時間が来てしまいましたので、今日
はここまでとさせていただきます。
最後に、現在シーニックバイウエイ北海道では、正式指定ルートとして 6 つ、候補ル
ートとして 3 つ、計 9 つのルートで地域に根ざした様々な活動が幅広く行われようとし
ていますので、是非、ご期待をいただきたいと思います。
ご清聴、ありがとうございました。
- 74 -
コーディネーター:野村
比加留
ありがとうございました。東オホーツクシーニックバイウェイということで、“道”を
キーワードに観光や地域づくり、文化づくり、景観づくりという具体的な事例を報告して
いただきました。続きまして門脇様から「農を生かした地域ブランドの構築」というテー
マでご報告いただきます。
第3報告:「農を生かした地域ブランドの構築」
報告者:門脇
武一
((株)イソップ・アグリシステム
代表取締役)
「イソップ・アグリシステム」の門脇でございます。
我々は「農業生産法人イソップ・アグリシステム」と
いうことで、平成 14 年に株式会社で農業法人から立
ち上げてやっています。実際の構成は農業、それから
観光、中小企業を含めて色々な要素を融合した農業の
かたちを日本で初めて作っているというところです。
我々のテーマは「生活文化提案型のものづくり」。こ
ういうものを農業を核にしてやったらどうかということで具体的な取り組みをしておりま
すので、その一端を今日は簡潔にご紹介したいと思います。
我々が地域をどういう具合に共通のテーマで情報共有しているか、みんなが1つのテー
マに基づいてダイナミックに、あるいはフレキシブルにそういう目標に向かって行動を起
こそう、そういう1つのデザインを色々なかたちで共有しています。根っこのほうに、私
の本業はシステムサプライという情報関係の仕事をやっておりますが、そういう情報、農
業も観光も情報だろう。食品関係も情報産業であるということで、オホーツク間での情報
産業というか、もっともっと大きな広義の情報産業という意味のとらえ方として考えよう。
そういうものが根っこにあります。
最終的な目的とする部分については、1
つ 1 つは大したパワーがある企業もない
し、パワーのある産業という部分でも付加
価値という面では非常に弱い。そういう意
味では、色々なかたちの組み合わせをして
生活文化提案型のものづくりをして、多様
性のある、そういう付加価値を出そうじゃ
ないかということでございます。
今取り組んでいる、今日ご紹介する部分
について 3 つあります。
1 つは、農業というテーマ。それも精密農業という見方で、工業と、それから農業、情
報という部分で融合している新たな営農知財をつくろうじゃないか。それから、知恵の伝
承を図っていこうじゃないか。そういう 1 つのグループ・ファクターがあります。IT 活
用型の事業ということで、これは平成 18 ∼ 20 年と農水省の生産局の事業としてもやっ
ております。IT を活用して環境保全型、それから品質の保持安定、そしてコスト低減。
- 75 -
それも同時に達成するような営農の仕組みを考えているところです。
そういう精密農業というものの仕組みをつくりながら、ここでは情報ということで色々
なかたちの情報、科学的な情報も生成されます。その科学的な情報、そういう1つのファ
クトをより分かりやすく伝達することの中で、ひとつの創造システムをつくろうというこ
とで若干ご紹介いたします。小麦粉や、大豆クラスターということで具体的に1つの畑か
ら口に入るまでの色々な畑のクラスターを手掛けております。
2 つめは、今日の白野先生、高谷先生のお話にもありましたが、観光というのが管内の
1つのキーワードだろうと思っています。我々は観光といっても、頭が楽しくなるような
観光、農業と食と観光というの中で広域融合を図ろうじゃないかという取り組みの中で、
フードチェーンというものを今構築しております。
3つめです。色々な加工をする過程において情報・距離を持ちながら最終商品をつくっ
ていこうということです。最後の商品ばかりではなくて、その取次ぎ自身を売っていこう。
そういう仕組みを構築しようとしています。やっていること自身を、それも1つの情報と
いうことでコンテントをつくりながら『ものづくり』ということと、こういうかたちに融
合する。そういうコミュニティを再生していこうじゃないかということで、これも今年と
来年、これは農水省の農業振興局のプロジェクトの一環ですが、衣食、環境の融合、免疫
バランスの実証ということで、これをビジネスにしようと具体的に取り組みをしています。
このように、顔の見える安心経済の構築を、環境、科学、情報というキーワードでもの
づくり、1つの具体的なビジネス、継続できる事業として仕事をつくっていこうじゃない
かという取り組みをしています。今日、この 3 つを簡単に説明したいと思います。
精密農業に関してましては、これを説明するとなると 1 時間ぐらい必要なのですが、
精密農業、環境、それから生産分化性、
品質の向上、安全と、基本的にばらつき
をどういう具合に解消するかということ
になります。そのために色々な IT、これ
はリアル土壌センサー、それから窒素セ
ンサー、そういう機材を使いながら生産
工程をシステム化していこう。そういう
システム化をすることによって、それぞ
れの仕事をパーツに分けることによって
専門家、小麦をつくる専門家、大豆をつ
くる専門家、畑は違っても作物をつくるということをキーワードにして進めています。
地域の遊休している農地がありますが、そういうものを受け皿としていこうと思ってい
ます。アグリシステムは今 11ha ですが、今年 12 月に 2ha 取得しまして、4 月に入って
さらに 20ha受けることになりました。先週にも再び、25ha の畑をなんとか計ってくれん
かという話があります。離農者といいますか、体調を崩して農業ができなくなってくる人
たちが出てきますので、そういう土地を『買う』というよりは『借り』ます。農業生産法
人ですから、農地取得はできますので、今回も購入する土地はあります。今年中には多分
50ha から 80ha の土地を運営することになる予定です。しかし、それは一人ではできま
せん。そして今までの畑がバラバラな畑ですから、色々な畑の土壌を診断をしたり、そう
- 76 -
いう経営資源としての農地を科学的に把握しないと営農もできません。したがって、IT
を使った土地の分析、『イノベーション』という言い方ですが、これも今北見工業大学と
連携しながら、それから農業改良普及所や農業試験場と推進会議をつくりまして農業イノ
ベーションを推進していこうとしています。
こういうものをセールスにして、今日の『ものづくり』という部分では『食』もものづ
くりです。これは精密農業ということですが、生産者の中にも色々な人がいます。我々の
グループにも、有機栽培をしている人もいますし、減農薬をしている人もいます。そうい
う人たちを1つの農作物の情報として、フォーマットの中で入れていこう。当然畑も特定
する部分では地図情報、それから畑を特定する部分では GPS、それから『ギャップ』と
いう、品質を保証するような端末を使いながら、後から情報を入れるのではなくて、作業
をしつつ、実際にリアルタイムに情報を蓄積します。そういうことが IT 活用型の営農の
仕組みですが、そんなことをテーマとしてやっております。
色々な仕組みがあるのですが、今回は
小麦と大豆のクラスターという具体的な
事業を紹介します。
イソップ・アグリシステムはまだ集荷
業の免許を持っていません。今年中に取
る予定です。さて、出荷業をやっている
人たちにイソップの生産品を送ります。
そして『製粉』というから小麦ですが、
網走管内には小麦の製粉がありませんの
で、管外で我々の畑からの小麦を粉にし
ています。そして食品加工はパスタということに力を入れてやっており、その点は後ほど
紹介します。生パスタを使いながら、オホーツクにパスタ文化をつくって、シーフード、
それからミート関係、色々あるのですが、ただ売るのではなく食文化につながるような、
そのボディーをつくろうということをやろうとしています。
我々は倉庫を持っていますので、卸もやっています。しかし、量的にはスーパーに卸す
には足りませんので、ホテルに直接卸しています。パスタ、それからパンを含めた硬質小
麦、蛋白質含有量が 13 %以上の小麦をつくっています。一番需要があるのはホテル関係
です。特に阿寒のグランドホテルです。
もう1つ大豆ですが、これは農水省の認定の集荷業者でないとできません。これも今年
中にそういう会社を起こします。集荷業としてきちんと管理をして、マーケットのほうは
具体的には京都、大阪、神戸、東京、横浜、それから大分県、非常にこだわった地豆腐倶
楽部の方々を考えています。そういうまんざい豆腐というのですが、付加価値を付けよう
という取り組みを紹介します。
さらにこの医食同源に関してです。アレルギーなどに対して、この地域の持っている経
営資源が、あるいはその地域の持っている食に関する資源、環境としての資源、それが体
内のバランス、環境にどうバランスを取り戻すのか。そんなところを大学と協力しながら
コンテントづくりを今重ねているところです。この辺のところご紹介します。
大豆や小麦クラスターなど、精密産業で色々な分析をしています。蛋白もそうですし、
- 77 -
いかにばらつきがないか、窒素センサーでばらつきをなくすということ。それと最低限の
コスト。農水省の事業では、今の農薬の 50 %削減と、それから肥料の 50 %流出防止、
削減をする。そんなことを継続的にやろうとしています。そういうことです。我々もそれ
を平成 20 年までにある程度システム化して仕組みをつくりたいと考えています。
我々が今つくっているのはパスタです。パンはいろんなところで、女満別のブランジュ
・アンジュさんもそうですが、パン屋さんにはいろん
な所でイソップの粉を卸しています。硬質小麦、これ
をイソップの特定した粉ということでたんぱく質の含
有量 13 %以上の粉を使ってパスタを作る。商品として
も当然売っていますが、こういうパスタをシーフード
系、それからミート系、いろんなかたちでやっていく、
そういう商品づくりを今やっています。
3月1日ですが、これもまたいろんな企画会議でシートパスタということで今ラザニア
をやっているのですが、ラザニアの中で牛肉、それからダチョウ、それから鹿肉も含めて
ミートソースを使って、そういう仕組みをつくる。メニューといいますか、商品づくりを
やろうじゃないかということで、3月1日は企画会議を含めて商品の試食会をやることに
なっています。さらにはリコピンの高いトマトでソースを作るということもやっています。
それから大豆の部分です。大豆もこれから非常に大事になってくると思いますが、一つ
のテーマとしては、ゼロエミッション型のフードビジネスを構築したい。ゼロエミッショ
ンとは何かというと、豆腐をつくるとおからができるわけです。その大豆の皮がおからに
なっちゃうわけです。これもイソップは年間 500kgほどいろいろなグループに提供してい
るわけですが、日本では豆乳をつくる際に出るおからが年間 80 億ぐらいの産業廃棄物に
なっているという部分で、おからを出さないような仕組みができないかということで、脱
皮をして大豆のフレーク化をやっています。小型装置も開発していいまして、20 分で豆
乳が絞れる。普通、大豆から豆乳を絞るのには大体5tぐらい水が必要なのです。洗って、
ひたして、そして豆乳にするのに5tぐらいの水が必要なのですが、10 分の1以下、本当
に必要な水だけで豆乳が絞れる。こんなような仕組みを今回つくりましたので、これをビ
ジネス化していきたいなと考えています。
それでショップというか、大豆タンパクのいろいろな総合コンサル、そういうものを含
めてやろうということで大体仕組みが見えてきましたが、その中身としては、これは特許
を持っているわけですが、おからから鶏
肉と同じような食感のものが今回できま
した。ほとんど鶏肉と同じです。具体的
にはこういう焼き鳥もできますし、ザン
ギやフライドチキンにもできます。これ
はおからじゃなくて鶏肉かと思うのです
が、これをベースに酢豚に使ったり、あ
るいはカレーの鶏肉の代わりにする、タ
マネギ、ニンジンなどを使ってハンバー
グにしようということで進めております。
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これらはもう製品にされて流通しておりますが、このように付加価値を伸ばそうというこ
とでやっています。
来年からイソフラボンの高い大豆、あるいはリボキシナーゼのない大豆、そんなものが
市場に出てきます。それは、ほとんど大豆臭のないような大豆ですが、そうするとアイス
クリームなどにも使いやすくなります。いろんなものに大豆を使って、特に脱皮した大豆
はえさにしようということで、捨てられる前に大豆の皮を畜産飼料に回すということを推
進するプロジェクトのメンバーに我々も入っています。そのための大豆の皮を流通させな
いということを今、仕掛けとしてやろうということで始めています。
既存のビジネスだけではなかなか広がりがないので、今回サンリオのキティちゃんとコ
ラボレーションを始めます。一応5月の連休明けから。今こういうことをやっていること
もトータルプロモーションをスタートしているわけですが、その中で、単独ではできない
オホーツク
のでお宝創フードチェーン協議会を立ち上げました。その中で顔の見える一つのメンバー
が地域の食に関する部分、そして医療、それから先ほどの観光ということも、これから我
々も一緒に融合させていただきたいと思います。
単にキティちゃんだけでも今 500 万人ぐらいのコミュニティができています。そうい
う意味で、次世代型のネットということでソーシャルネットワーク、顔が見えている関係。
その中で、出来上がったものをただ売るのではなくて、どんどん企画をする。注文受託を
する。あるいは、遊びに来てください。ここに来ればアレルギー、花粉症がなくなります
よ。あるいは、アトピーがなくなりますよという食材、環境も含めて、要は、そういう人
たちがこちらに来るということ。それからリピーターになってくる。そういうきっかけを
つくるということです。これが最終的な目標です。
そういう1つのソーシャルネットワークがございますから、それの新企画として5月か
らスタートさせます。サンリオさんはアミューズには仕組みはたくさんあるのですが、食
に関するものはなったのです。それで北海道ということですが、北海道はあまりに広いと
いうことで一応オホーツクということで、そのコンテントをつくってやっていこうという
ことでスタートしています。5月連休明けからスタートするために、コンテントづくりを
やっているところです。
これは今言った「ものづくり」という部分では、我々地域が持つ様々な自然、優れた環
境、冷涼な気候、安全で安心な食といろんなことが言われていますが、単純にそれだけで
はビジネスにはならないのです。感覚的なもの、潜在的なもの、そういうものを有機的に
結合して、そういう戦略的に幅をもたせる仕組み、そういう事の中で科学的な情報に基づ
いてものづくりをする。ものづくりというのは、最終的なものじゃなくてプロセス、そう
いう全体的なオホーツクの食に関する一つの総合的な企業と見立てて、フードチェーンと
しての機能を果たしていくというコンテンツについては、永島先生も非常にこういうこと
に対しては協力的ですし、一緒にやっていきましょうということでやっていますので、こ
ういう仕組み作りを今進めているところです。そしてメインとして継続できるようなビジ
ネスではないかということでやっています。
最後ですが、先ほど黒瀧先生からカタカナが多すぎるということなので、これからは漢
字にしようと思います。これで「御宝創(おほうつく)」、今まではカタカナばっかりだ
ったのですが、これで「おほうつく」と呼ばせれば「カナはない」、じゃあ「オホーツク
- 79 -
.....
にはかなわない」というのはどうだろうと思っています。
以上雑ぱくでございますが、事例紹介をさせていただきました。ありがとうございまし
た。
コーディネーター:野村
比加留
どうも、ありがとうございました。門脇様から大豆、小麦のクラスターを中心にご報告
いただきました。続きまして永島先生のほうから報告をいただきたいと思います。
第4報告:「新産業育成と大学の役割」
報告者:永島
俊夫(東京農業大学
生物産業学部
食品科学科
教授)
東京農業大学の永島です。どうぞ、よろしくお願い
いたします。田中先生から 10 時 50 分までには終わる
ようにと言われておりまして、今皆さんのお話を聞い
ていてラジオに生出演したときのことを思い出してい
ました。なんとか頑張って、少しオーバーするかもし
れませんが、私のほうから話をさせていただきます。
私はこのような大きなテーマをいただきまして何を
話したらいいか全く考えていなかったのですが、私の
専門が食品製造学ということなので、色々な地域の皆さんと話しながら食品の開発のよう
なことをやってまいりました。それが実際の商品にもなっているということで、そういう
ことが大学の役割としての一部を果たせるのかなという考えから、そんな紹介をさせてい
ただこうと、今日は準備をしてまいりました。
これまで私どもがやってきた取り組みというのは、こういう色々な地域とのつながりの
中で協力させていただいたし、また色々なご支援もいただいたということです。私の専門
領域は食品製造ということもあって、こちらに来て 14 年目ぐらいになりますが、色々な
地域に無駄なものが非常に多いということを実感しております。特に農産物の規格外品で
すとか、あるいは水産物でも質の落ちたものは廃棄するとか、そのようなことをよく目に
しておりました。なんとかそのようなものを有効利用できないかということは、こちらに
来てはじめて実際に体験して分かった部分です。ですから今、私はそれを1つの大きなテ
ーマとして取り組んでおります。
このような色々な未利用資源、あるいは規格外というようなものを利用して、なんとか
付加価値をつけて商品化していくことで地域の活性化につながらないかなということで、
幾つかの例をご紹介したいと思います。
最初に、昨日懇親会が行われました網走ビールですが、これは私どものやっていたこと
がきっかけになって会社が立ち上がったということで、ご承知の方も多いと思います。農
大の研究成果によって地域に会社が立ち上がったという1つの例だと思います。これは長
いもを用いた発泡酒ということで一時大変話題になったのですが、東藻琴の青年部の人が、
遊び半分にビールをつくりたいと私の所に来たわけです。それだったらせっかくだから一
緒にやろうよということを話し、東藻琴は長いもの産地だから長いもも使おういうことを
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提案して、実際にビールをつくることができました。
製品を試飲した結果、それだけで終わってはもったいないぞということになりまして、
東藻琴で何とか商品化したいということになり、それだったら網走ビールでやってもらお
うということになりました。私どもは試験免許なものですから実際に製品としてつくるこ
とができませんので、網走ビールに醸造委託しました。そして製品を東藻琴で販売すると
いうようなことをしたわけです。そうしましたら、しばらく経ってからなのですが、青年
農業者会議で、その青年部の人たちがこういう取り組みを発表する機会がありました。そ
こでこの農大の先生と私たちが一緒になってこんなことをやったと発表したところ、北海
道で1位を取ってしまったのです。そのようなことから、長いもを使ったビールというの
が色々な意味で反響を呼びまして、それから他の地域にも広がっていったわけです。
もう1つの例としては、士幌町から
スイートコーンを使った発泡酒がで
きないかということで、これも同じ
ようなかたちで製品化をいたしまし
た。さらに、同じ十勝のほうに陸別
という町があります。これは日本で一番寒い町で、オーロラが見える町ということで、こ
こはオレンジ色をイメージとして町のカラーを持っているわけですが、ニンジンを使った
ものができないかという話しがありまして、これも同じような取り組みをしてまいりまし
た。
こういうことによって1つのかたちができてま
いりました。これは私も全然意識しなかったの
地ビールの委託醸造
ですが、地ビールの委託醸造ということです。1
地域自治体など
つは、地域からこういうことをやりたいという
ことが出てまいります。そして農大で色々検討
して、何かよいものをつくる。成果は網走ビー
ルに農大から技術を提供して、できた製品は地
製品
研究委託
醸造委託
試験醸造
網走ビール
(委託醸造)
東京農業大学
(試験醸造 )
技術提供
方に返す。そういうことによって、この地域で
は全く設備投資をしないで自分の地ビールが売れることになります。したがいまして、ま
た作るほうも全部買い取ってくれるわけですから効率良くつくることができます。農大が
間に入ることによってこういう三者関係が構築できたということで、これは1つの地ビー
ルのやり方じゃないかなということを逆に私どもは教えてもらいました。そのようなこと
で今でもいろいろな試験をやっております。
- 81 -
簡単にビールを紹介しましたが、もう1
つはエミューです。これは地域の方がエミ
ュー牧場というところで、この東藻琴に行
く途中ですが、200 羽ほどエミューを飼っ
ています。これをきっかけに農大のほうに
話がありました。最初は生物生産学科の石
島先生に卵の人工ふ化の条件についての依
頼がございました。これで人工ふ化ができ
るようになりましたら、ヒナが生まれたら
雌雄判別ができないかということで、今度
は横濱教授に雌雄判別の方法についての依頼がありました。その結果、DNA 鑑定によっ
て 100 %、幼鳥のときに雌雄判別ができることになりました。雌雄判別が出来るのであ
れば要らない雄はなんとか加工に回したいということになりまして、今度は食品科学科の
私のほうに話がまいりまして、エミューの加工について取り組みました。ソーセージです
とか、ハムなどです。そうしますと、製品ができるのだったら今度は会社を作って販売し
ようじゃないかということになりました。今度は産業経営学科の出番になりまして、こう
いうような農大の学部の横断的な取り組みによってベンチャー企業を立ち上げることがで
きました。
東京農大バイオインダストリーという会社なのです
が、これはこのような特徴を持った1つの地域活性化の
ための会社として立ち上がったわけです。この製品は、
非常に人気があるエミューの卵を使ったどら焼き。そ
れから、これも卵を使ったパンですが、あとはエミュ
ーの肉を使ったソーセージ。このソーセージとパンを
合わせたホットドッグのようなもの、あるいはエミュ
ーの脂の利用ということで、石けんですとか、クリームなども商品として販売しておりま
す。
それからまた別な話になりますが、それぞれ商品化したものを紹介させていただきます。
「鮭太郎」「鱒次郎」という魚醤油(しょうゆ)です。サケ、マスを使った醤油というこ
とで、このような魚醤油が製品化されました。それからもう1つは、鮭冬葉(さけとば)
というのがございます。サケの切り身に味をつけて乾燥させるわけですが、味付けにこの
魚醤油を使おうということで、すべてサケから作った商品が出来ました。
これは黒瀧先生が中心になってやったものですが、鱒寿司です。この地域の色々な材料
を使ってつくろうということで、商品化したもので空港などで非常に人気があります。こ
れはちょっと前になりますが、田中先生が委員長をされて開発したもので、斜里町の特産
品をつくるということでコロッケの製品化です。
さらに、人間だけじゃなくて動物も、犬の食べ物もやろうということで、このようなド
ッグフードも私のほうで開発しました。余談ですが、これは女満別空港で一時期置いてく
れたときの写真です。ですが、こんな下の方に置かれて一般の人は分からない状態だった
ものですから、売れないというのでとうとう女満別空港から外されてしまいました。日本
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の空港で動物のためのお土産を置いている所は絶対ないですよね。私はこれはすごいとい
うことで色々な所で宣伝したのですが、こんな所に置かれてしまって、なんの説明も書い
てくれていない。これじゃ売れるわけがないなと思っていたら、半年ぐらいで撤退してし
まった。ただ、北見のほうの動物病院やペットショップなどで非常に人気があるというこ
とで置いてもらっております。
まだ、色々ご紹介できないこともたくさんあるのですが、またいずれ機会を見て紹介し
たいと思います。
あとは、商品開発だけではなくて、こ
のような市民講座を通して、市民の皆さ
んにこういう実習をやりながらいろいろ
な食品加工の面白さを伝えて行くという
こともやらせていただいています。
最後に、キーワードとして地域連携と
いうことですが、大学の役割としてはこ
れじゃないかなと私は考えます。昨日か
ら、今日もそうですが、連携という言葉
が何回も出てまいりました。地域の皆さ
んと連携を取りながら、いろいろな部分で協力しながらこの地域の活性化をしていくとい
うことが大切です。せっかくこの地に東京農大というものがあるわけですから、特に東京
農大のこの学部は1次産業から3次産業まで全部カバーした学部になっておりますので、
いろいろな地域産業の育成に対して果たす役割は非常に大きいと思っております。いろい
ろな意味で協力しながら、これからも貢献していきたいと思っております。
非常に急いでお話ししまして申し訳ございませんが、また機会がありましたらゆっくり
とご説明させていただきたいと思います。以上です。
コーディネーター:野村
比加留
ありがとうございました。永島先生からは地域連携、および地域住民と農大が連携した
いろいろな取り組みの具体的な事例を挙げていただきました。どうも、ありがとうござい
ました。
続きまして、北見工大の堀内先生からコメントをいただきたいと思います。では、よろ
しくお願いします。
- 83 -
コ
コメンテーター:堀内
メ
ン
淳一(北見工業大学
ト
工学部
化学システム工学科
教授)
北見工業大学の堀内と申します。ご指名ですので、ただいま
お話しいただきました内容を踏まえて若干のコメントをさせて
いただきます。
まず、全体を通じて私が強く感じたことは、やはりこの地域
は、今後の展開を考えるうえで色々な資源や、環境であるとか、
そういうものに非常に基本的には恵まれている地域だと思いま
す。近くに自然遺産がないような地域はたくさんありますし、
農林水産資源に恵まれていないような地域も、流氷が来ないよ
うな地域も日本中にはたくさんあります。そういうものがある
ということは今後の展開を考えるうえで非常に優位な地域にあって、今回のようなシンポ
ジウムの意味は、やはりそれをどう生かしていくのかということが課題であるということ
になるのではないかと思います。
いろいろ興味深いお話がありましたが、今後の展開を考えるうえで、やはり我々の社会
がこれからどういう方向に動いて行くのか、例えばグローバル化や少子高齢化、地球環境
問題の進行などの社会的課題に沿って、こういういろいろな観光の開発であるとか、地域
資源の利用を考えて行くことが重要であるという観点から若干コメントをさせていただき
ます。
例えば、経済について言いますと、先ほど来黒瀧先生からお話が出ましたが、グローバ
ル化が進んでいます。今後も進むでしょう。経済のグローバル化が進む中でどうするかと
いうことを考えると、例えばこの地域で言えば、近くではサハリンであるとか、中国の東
北部といった地域は気候も非常に似ていたり、主な産業も似ている。あるいは石油・ガス
資源ということもあるので、そういったような地域との関わりや連携というものを考えな
がら今後の地域の発展を考えていくことがやはり1点だろうと思います。
また、観光についても、恐らく今既に多いのですが、台湾であるとか、東南アジアから
の観光客が非常に増えています。グローバル化が進めばますますこういう所の交流が増え
ていくだろう。したがって、こういうところとの関係をどう構築していくのかといったよ
うなことが重要な課題になるのではないかと思います。例えば、日本の社会について話題
になっていますが少子化、高齢化というのは間違いなく進むだろうと言われています。そ
うすると、例えば高齢化して年配の人が増えたときに、この地域はどういった付加価値で
あるとか、ニーズにこたえていけばいいのか。
例えば、私の祖父母は二人とも静岡にいましたが、真夏に亡くなりました。暑さという
のは非常に年寄りに応えるわけです。例えば高齢化した社会の中で、涼しいこちらの地域
で避暑が出来る。これは1つ、今思いついただけですが、例えばそういうことでもあれば
だいぶ違ってきますし、少子化についても、子育てが非常にしやすい地域であるとか、例
えば教育コストが低いとかなんとか、この自然豊かなところで子供が育てられるとか、色
々な時代にあったサービスの提供の仕方がありうるのかなと思ったりしています。
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また、もう1つ今年は非常に暖冬だと日本全国言われていますが、地球全体の環境問題
というのは、やはりこれからどんどんクローズアップされてくるだろうと思います。この
地域は非常に豊かな自然がありますが、20 ∼ 30 年経つうちに、もしかしたら流氷が来な
くなるかもしれません。それは分かりませんが、ぜひともそういう環境の変動にさらされ
る時代になるわけで、そういった中でこの地域がどのように変わり、時代にあった価値を
提供できるか。例えば農畜産物の種類とか、そういうものを含めて検討していくことが必
要になるのかなと思いました。
ここで、今日お話になられたようないろいろなアイデア、エリアアイデンティティをは
じめとした観光などは、1つ1つは非常に面白くてもっと詳しくお話を伺いたいのですが、
そういったようなものを、我々の社会のこれからの好むと好まざるとにかかわらず進んで
行く方向に沿ったかたちでアイデアを提供されたら、より効率的に展開するのではないか
と思いました。以上です。
コーディネーター:野村
比加留
どうも、ありがとうございました。ここで進行役を田中先生に交替いたします。
コーディネーター:田中
俊次
4人の報告者から非常に興味深い、初めて伺うようなこともありました。時間があれば
もう少し長くお話が伺えただろうなという気持ちですが、恐らく会場の皆さんたちもそう
いうお気持ちを持たれていると思います。話を聞いた範囲の中では分からなかった点に関
してご質問とか、あるいはご意見とかがあれば、ぜひ遠慮なくご発言いただければと思い
ます。いかがでしょうか。
質問者
産業経営学科3年の岩瀬正明です。永島先生に質問があります。昨日の懇親会の中でも、
ある先生が「この網走ビールさんは経営難なんだよね」と冗談交じりにおっしゃっていま
した。今日は網走ビールさんについて関係をもっておられる永島先生がパネルディスカッ
ションすると聞いたので、僕なりに網走ビールさんに対する考えをつくってきたので発表
したいと思います。
ちょっと偉そうなことなのですが、網走ビールさんの問題点として、これは全国の地ビ
ール会社共通の問題点でもあると思うのですが、一般的な消費者のレベルの視点から、た
くさんある地ビールの会社の中でもなぜ網走ビールを飲みたいのか、網走に来たなら網走
ビールを飲まなきゃいけないと思わせるような、ここだけの、ここだけしかない特色がな
いという点にあると思います。
僕が考える今後の改善点ですが、この網走には全国的にも知名度の高い流氷、クリオネ、
網走監獄、知床の自然など、ここだけしかない地域の特色がたくさんあると思います。そ
の地域の特色を生かすことが大切だと思います。具体的な改善点を3点ほど考えてきたの
で述べたいと思います。
まず、建物の改築です。たとえば言うなら建物を網走監獄を感じられるようなイメージ
にしたり、網走というのを前面に押し出した建物にするのがいいと思います。
- 85 -
2点目に、ビール瓶のラベルの変更です。流氷やクリオネなどを使って消費者にも網走
ビール、網走というのを一目で分かるようなラベルにすることが必要だと思います。
3点目に原料の変更です。例えて言うなら、水にはオホーツク海の流氷を蒸留したもの
を使ったり、原料に網走の大麦を 100 %使用するなど、網走産 100 %にすることがいい
と思います。
いずれにしても消費者の視点のレベルで分かりやすい特色をつくる必要性があると思い
ます。この意見に対して、先生はどう思われますか。
報告者:永島
俊夫
とてもよいところを見てくれていると思います。地ビール会社はどこも苦しいのです。
これはなぜかというと、1つは今言ったように特色がないからです。ここに行って、この
ビールという特徴がない。これはなぜかというと、ほとんどが輸入原料を使っているから
なのです。国産の大麦というのはどうしても割高で、そうでなくても地ビールは高いとい
う印象を持っていると思いますが、国産麦を使うとなると余計高くなってしまうというこ
とです。もう1つは、使いやすさもあるのです。輸入の大麦、麦芽のほうが使いやすいし、
安いしということがあって、ほとんどそういうものを使ってしまう。それでどうしても特
徴が出ないというのが1つの理由です。
いろいろまだ細かいことはあるのですが、そういうようなことと、もう1つは、今の日
本のビールに対するイメージというのは、大手のビールにならされているわけです。100
年以上も今までのピルスナータイプの大手のビールを飲んできていますから、ちょっと変
わったビールは受け付けないのです。
「ああ、面白いね」とは思うかもしれないけれども、
じゃあこれを普通に飲むかというと、そこまではいかない。それは日本人におけるビール
の食文化というのはまだまだ貧弱なのではと思うのです。それを、やはり地ビール会社が
頑張ってもらって、なんとか日本のビールの食文化をもっと広げてもらいたい。それは私
の大きな希望なのです。
それには、やはり非常に経営的に苦しいし、高いし、これをなんとか維持していくには、
なんといっても地域の応援がなければ駄目だと思います。そんな小さな会社が単独でやっ
ていこうといってもなかなか大変なものなのです。しかも、今言ったようにそういう建物
にしても、設備にしても非常に金がかかっているわけです。それを返済していくような利
益を出すというところで、本当に大変な思いをしています。それだったら、なんでもっと
地域が応援してやらないかということを私はすごく思うのです。
1つ、ちょっとこれも話が長くなって申し訳ないのですが、やはりビールの講演をこの
地域でしたことがあります。そこは観光客がいっぱい来るホテルだったのです。その夜懇
親会があって、懇親会で出てきたビールがあったのですが、その主催をしてくれた人は、
「先生、ここで網走ビールを出したかったんですが、ここには置いてないんですよ」とい
う話があったのです。だからいけないんだということを、これでまた私は懇親会の席で 30
分ぐらいお話ししてしまいました。これは地域の人もそうだし、それから網走ビールの営
業も悪いのだと思いますけれども、やはりその地域のものであれば、その地域のみんなで
応援して、その自慢になるようなものにしていかなくてはいけない。
それが私は基本だと思うのです。しかし、そのようなことがどこの地域でも欠けている
- 86 -
んじゃないかなと思います。特に網走ビールというのはせっかくこれだけの、農大の技術
的なバックアップがあるわけですから、もっともっと元気になってほしいのです。そうい
う意味で、私の希望ばっかりを言って申し訳ないんですが、そのようなことをいつも強く
感じています。ご指摘のとおりだと思います。
コーディネーター:野村
比加留
ありがとうございました。他にございませんか。
質問者:清水氏
白野さんに質問です。色々と外部からの評価でこの地域のアイデンティティをはっき
りさせようということだと思うのですが、大体アイデンティティというのは外部の評価じ
ゃなくて自己主張なんですよね。この地域が、私はかようなものですと、そう名乗るもの
であって、外部から言われて何がいいって色々言うけれども、その辺り、多分、差異を、
アイデンティティというのはつくるものだと思います。その他所との差異は都会、ことに
都会から離れていますから、この地域は都会との差異をはっきり明確にすべきじゃないか
と思います。
僕はオホーツクにおいては森林文化を主張していく。高谷さんがおっしゃったように森
林ばかりじゃなくて畑もありますが。ああいうものを主張。とにかく自然を、そういうも
のの象徴として森林と、水もいっぱいありますが、文化を主張していく。そういう姿勢が
ないと、他からこう評価されたからこれだというのは、ちょっと頭をかしげてしまいまし
た。僕はものづくりを仕事にしているので、とにかく自己主張というか、そこが何かとい
うことですよね。時代を、どういう要請によってそれがなされているかということも含め
て、よろしくお願いします。
報告者:白野
暢
先生のおっしゃるとおりでございまして、ちょっと私の説明が悪かったかと思います。
まさに、我々の地域のアイデンティティというのは我々が議論して考えて作り出していく
ものだろうと思います。
冒頭、どう見られているかというのを挙げましたのは、実はこんな自然の豊かさなどに
富むいいところであるにもかかわらず、不当な見られ方をしている。そういったショック
療法ではないのですが、それを1つ実証してみたかった。そこから始めたかったのです。
こういう意味でありまして、外からこう見られるために、それに合わせてということでは
ないということはご理解いただきたいと思います。
コーディネーター:田中
俊次
ありがとうございました。今、発言のありました清水さんからは各先生方にご質問が来
ています。内容としては、全体的にはすべての取り組みというのは非常に分かりやすく、
定期的にアピールをする必要があるんじゃないかと。それから片仮名文字が多いのが市民
に関心が持たれないのではないか心配という指摘もあります。せっかく現代 GP のアイデ
アを提供していただいた、我々の産みの親のような存在ですが、進士先生がいらしており
- 87 -
ますのでいかがでしょうか。先生のほうから何かお話かコメントがあれば。
コメント:進士
五十八(東京農業大学
地域環境科学部
造園科学科
教授)
素晴らしいお話というよりは、本当に色々なことが動いているということを今日はし
みじみ伺って、大変心強く思いました。別に余計なことを言うことは1つもありませんが、
先ほど岩瀬君の発言があって、前段は良かったけど、あとのアイデアがもう1つだったの
で(笑)。ここが、こういう議論というか、大変重要な問題だと思うんですね。今は市民
社会で誰もがいろんなリアクションはするのです。いろんな感想も持つし、意見も言うの
です。そのときに、それに沿っていってしまうとずい分いい加減なものになってしまうわ
けで、そういうことを専門家とか、行政とか、NPO とか、それぞれに農業生産法人とか、
今日は永島先生の話をずっと、本当に農大が、というか永島先生個人も手堅く地域と付き
合って着々といい仕事をされたなというのを本当に共感を持って、敬意をもって聞いてお
りました。
それぞれの、そういう専門家という存在。これは結構大事だと思うのです。例えばいま
教育再生会議がある。そうするとワタミの社長が入ってしまうのです。あれは飲み屋さん
ですからね。別に飲み屋だからいけないとは言いませんよ。だけどちょっとした話題で、
かなり乱暴なと言ってもいいのですが、非常に極端なことをやった人が、マスコミはつい
話題性があるものだから非日常的な、とんでもないものをポンと取り上げて話題にする。
そうすると、その人があたかも教育全般が語れるかのように評価して、そして行政はとい
うか、政治と言ったほうがいいでしょうね。行政のほうはあんまりそういう志向は無かっ
たはずなんですが、バランス感覚が取れていますから。しかし、今は政治主導になりまし
たから、どうしてもそういう話題性のある人を委員にしてしまいます。
ただ、それをみんな、ある意味で非常に偏っているのです。偏っているというのは、偏
っているからマスコミに乗ったのですから。全部右も左も両方大事ですとかという人はと
らないのです。白でも、これは黒だというような話が通るというのがマスコミュニケーシ
ョンの怖さですから。そういう時に、別に岩瀬君が悪いわけではないですが、そう考える
ということは大事なんですよ。だから、それは賢い国民ができて、賢い市民ができてくた
めにものすごく必要なことなのです。ただ、それを受けたほうが、今の永島先生のように
実にうまく大人の対応をされた。私は監獄的な建物が良くなくてチロル風がいいですよと
か、そのように答えてしまったら、全体のレベルが落ちちゃうわけですからね。ですから、
そこのところがやっぱり行政とか、専門家集団が、いったいどれだけ自分の哲学を持って
いるかということではないかと思います。
今の後ろの方がお話しになったアイデンティティという話もそうだと思います。私はこ
ういうフォーラムを通じて、まさに市民がみんなで学習して、議論して、同じレベルに達
することができればいいと思います。もちろん、その前提に今日の高谷さんのお話も、門
脇さんのお話も私は本当に感心して聞いていました。高谷さんのああいうやり方の話は、
もう全国区でも十分魅力的だと思います。私は来週か再来週に観光コンクールの審査員を
やるのですが、高速道路を使ったそういう全国区のコンクールをやっていますが、そこに
出ている事例をはるかに超えてるぐらいです。あれを応募すれば、賞金が 3000 万円ぐら
いもらえるのではないでしょうか。ですから、そういうことなのです。そういうことを十
- 88 -
分にやっておられる。私は今日の4人の発表は、本当にそういう意味で全国に通じている
レベル以上のことをやっておられるんだから、自信を持ってやっていけばいいと思います。
市民の意見を聞くなとか、学生のつまらない意見を聞くなと言ったんじゃないですよ。
そうではくて、そういうところのたくさん、そういう話題が出るのを引き出しながらも、
しかしそれぞれの専門家としての蓄積の中で的確な判断をする。浮ついた判断はしない。
今の政治そのものがフラフラしていますから、むしろこういう組織というか、今日ご発表
の皆さんのような立場での方たちが本当に賢い道を着実に歩むということこそが、実はそ
の地域の自立とか活性化ということになるだろうと実感しました。本当にありがとうござ
いました。
コーディネーター:田中
俊次
ありがとうございました。このあと私のほうから総括をしなければならいのですが、進
士先生には総括になるぐらいの話をしてもらいました。
清水晶子さんのほうからも質問をいただいております。門脇さんにです。
質問者:清水氏
網走管外で製粉された粉を使っているので、もし地元に製粉所ができるんだったら、ぜ
ひ地元の粉を使いたいと思っています。
コーディネーター:田中
俊次
地元産の、それでいて製粉までを地元で行った粉を使いたいというところで期待されて
いるということです。
コーディネーター:田中
俊次
時間が迫ってまいりましたので、私のほうは総括の時間をそんなに取るつもりはありま
せん。
感想としてはこの場にもいろんな方がいろんな取り組みをされていると思います。さま
ざまな取り組みをされている。個々にいろんなアプローチをされているということは、こ
れ以外にも私も聞いたことがあります。やっぱり今後、それらを整合的に総合化していく
というか、そういうことをすることによってかなりの具体的な成果が上がってくるんじゃ
ないか。そういう意味で、調整とか総合化をしていくための力に、永島先生ではないです
が、東京農業大学が、我々の力が提供できれば、ぜひ協力をさせていただきたいなと考え
ております。
まだご質問はたくさんおありかと思いますが、予定の時間がもう既に過ぎてしまいまし
たので、4人の先生方のほうで何か補足的にお話をしたいという点があれば、いかがでし
ょうか。よろしいですか。
それでは、会場のほうで少し時間を取りたいと思いますので、ご質問があれば。せっか
くの機会ですので、いかがでしょうか。
- 89 -
質問者
農大があるので伺いたいのですが、ここでは農業から出されてる残渣ですね。ライムケ
ーキっていうのが、ビートとか、そういうのが出るらしいのですが、それについての研究
はなさってないのですか。それが、要するに1つの川をつぶしてしまう。斜里の自然の部
分をつぶしてしまったのかな。そういケースが起きているのですが、ライムケーキについ
ての、残渣についての研究はしているところはありませんか。わかる人がいればお答えい
ただきたいと思います。
コーディネーター:田中
俊次
永島先生、分かりますか。
報告者:永島
俊夫
農大はいろいろなことをやっているけれども、それがすべてではありません。私が先ほ
ど申し上げましたように、環境に関してもそうですし、自然環境もそうですし、いろいろ
な意味でまだまだやっていかなくてはいけないことがたくさんあると思うんですね。その
中で取り組めることはできるだけやって、そうでないところはまだ手がついていないとこ
とがありますけれども、そういうような色々な皆様方の問題点をお聞きしながら、我々と
してもできるだけ対応できるように研究対象を考えていきたいと思っています。現在ライ
ムケーキそのものは私のところではやっていません。
質問者
そうですか。大きい問題になってくると、それを知るべきであって、皆様のご意見を聞
く前に、それが地域の大きな問題であるということを認識していただきたいということで
すね。それがすごく重要なものです。皆様のご意見を聞いて何かやるという、そういう姿
勢ではなくて、地域の産業にビートとデンプンというのは非常に大きい問題ですよ。そこ
から出る残渣が川を、きれいな清流をつぶしてしまっているのだとすれば、すごく大きい
問題ですよね。それを認識してください。
報告者:永島
俊夫
そうですね。いろいろなトータルな意味で、やはりそういうことは考えていかなくては
いけないと思いますので、我々としてもできるだけ気をつけながら対応できるような、そ
んなことは考えてはいきたいと思います。専門領域が色々あるものですから、その辺の連
携を取りながらやるようにしていかなくてはいけないことだと思います。
質問者
生物産業学部というのが、この農業残渣を大きな問題として、テーマとして取り上げ
るように僕は思いますけどね。
報告者:永島
俊夫
分かりました。その点に関しては宮地先生からお話いただきたいと思います。
- 90 -
宮地
竜郎(東京農業大学
生物産業学部
食品科学科
助教授
)
宮地です。今の農業残渣の問題ですが、私どものところではそれを液化して、例えば
バイオエタノールに使ったり、発酵させて酢をつくるとか、そういうことに関して基礎的
な研究をしております。
質問者
そういうことをやっていただけるのであれば、それはすごく我々としてうれしいですね。
ぜひ、それは早いうちに実現して、困っている地域があるわけですから。
石灰だとか、それから燃料かすとか混ぜて、ぐしゃぐしゃにし、本来ならば有効活用さ
れるべきそういったものが、有効活用されないで環境破壊のほうに行っている、この現実
を一刻も早くなんとかしなければならないんじゃないかと思うんですよね。
宮地
竜郎
私も現場を見ておりまして、かなり河川の汚染とかにつながっていると認識しておりま
すので、工場の方と連携して進めていきたいと思っております。
コーディネーター:田中
俊次
今後、そういったようなかたちでどんどん積極的に進めていく必要があろうかと思いま
す。質問状に関しましては時間が迫っていますので、白野さんに一言回答していただきま
して、あと3人の先生に関する質問については個々にお話ししていただきたいと思います。
報告者:白野
暢
清水晶子さんから、「FROMオホーツク」ではなく、「オホーツクからの贈り物」な
らいかがというお話。それがオホーツクの魅力と考えるならば、地域住民にとって何が大
切か、道民にとってオホーツク地域の優位性を唱えていく必要があるのではないか。環境
問題は何を考えているのか。自然エネルギー 100 %の暮らしに向けた取り組み。水産農
業からの残渣のリサイクルによるクリーン農業の確立。こういったご意見といいますか、
ご質問をいただきました。
おっしゃるとおりだと思います。「オホーツクからの贈り物」というフレーズはいいで
すね。何か使える場面があったら使いたいですね。それから地域住民にとって何が大切な
のか。まさにそれを考えていくのがこういう場の意義であり、また計画策定に当たって清
水先生からもお話がありましたけれども、こういった議論を通してかたちをつくっていく
のが大変重要だと私は考えております。
それから自然エネルギー 100 %の暮らしですとか、それから残渣の問題。これを将来
オホーツクでどうしていくのか。まさに今後 10 年間、オホーツクのかたちを考えていく
際の重要なポイントだと思います。このような地域を目指そうではないか。そういったご
意見をいただいて、圏域政策展開方針の中に書き込めれば、あるいは少しでもそれがかた
ちになれば、オホーツクらしさにつながっていくのではないか。今これしか申し上げられ
ませんけれども、ぜひ方針をつくる際には両先生に、こういったご意見を改めてちょうだ
いしたいと思っております。
- 91 -
コーディネーター:田中
俊次
よろしいですか。では大変恐縮ですが、これで時間が尽きてしまいましたので、これに
てシンポジウムを終了させていただきたいと思います。4人の先生方にもう一度拍手をお
願いします。
- 92 -
閉
東京農業大学:横濱
会
の
言
道成(東京農業大学大学院
葉
生物産業学研究科
大学院委員長)
横濱です。どうぞ、よろしくお願いします。本日は地
域の活性につながる色々な事例を報告していただきまし
た先生方、それからコメントをいただきました堀内先生、
どうもありがとうございました。
昨日と今日、2日間に渡りまして学生たちの取り組み
とか、それから今日の地域の新しい活性化に向けてのい
ろんな取り組み、事例を報告していただきまして、それ
に対して今日も活発な討論がありました。それから、コメントの先生も適切な非常に分か
りやすいコメントをしていただいたということで、今回の2日間に渡る現代 GP が主催し
たフォーラム、地域の連携ということを1つキーワードにしてもらうならば、成功に終わ
ったんじゃないかと思っております。これは自己評価として進士先生に「ちょっと甘いん
じゃないか」と怒られそうな気もしますが、そういうことで成功のうちに終わったと思い
ます。
本日はまた 60 名の方々に日曜日にもかかわらず参加していただきまして、ありがとう
ございました。私も実行委員の一人になっているものですから2つほど述べさせてもらい
ます。
昨日、学生から5コースの取り組みを報告していただきました。それも現代 GP の1つ
の目的でもあるわけですが、その中にもう1つ、オホーツク学を展開して地域の活性化に
つなげるということ。そういう点でいくと、農大でいくと例えば寒冷地農業が1つ、その
施設としてあります。それから、永島先生が中心に行っております食品加工センター。そ
れから今年度、アクア学科が開設してから臨海実験所が立ち上がりまして、来年4月から
本格的な稼働に入ります。こういうところで取り組んでいるいろんな事例、これをもっと
行政サイド、または民間サイドに公表するといいますか、それを連携していくようなやり
方というのを、この現代 GP を通してもっと具体的な案として実現できれば非常にいいの
かな、大学としての役割として1つ、今日のテーマに対応できるんじゃないかと思います。
そのほかに、先生方は特許を含めて色々な研究成果があります。それも併せてもう少し
民間の視点で分かりやすく公表していく。それで連携を図っていくということを現代 GP
として力を入れて、来年、その辺についてもう少し模索するということも必要ではないか
という感じがしました。
もう1つ、せっかく学生たちが取り組んでいるのですが、これは教育の一環として行っ
ているのですが、学生の参加が少ないということと、それから一般市民へのアピールもち
ょっと少ないということで、このフォーラムを開催する時期とか、やり方についてももう
少し我々実行委員のほうで検討して、もっと民間の人に関心を持っていただけるようなか
たちにこの現代 GP の運営を展開していけば非常にいいのかなと思います。
来年も3年目に入るわけですが、そういうことで地域の皆さんにいろいろ学生たちがま
たいろいろお邪魔して協力を得て、こういうプログラムを実行するということで、そのお
- 93 -
願いと、今回の反省点を含めて、来年また改善されたかたちでフォーラムを開催すること
を約束までいかないですが、そういうかたちになればということを願って今回のフォーラ
ムの閉会の言葉にさせていただきます。どうも、ありがとうございました。
- 94 -
Ⅴ
「現代GP」フォーラム実行委員会
顧問
松田
藤四郎
理事長
〃
大澤
貫寿
学長
〃
進士
五十八
前学長
実行委員長
伊藤
雅夫
学部長・アクアバイオ学科長
副委員長
横濱
道成
生物産業学研究科委員長
〃
境
博成
学生部長
〃
増子
孝義
生物生産学科長
〃
永島
俊夫
食品科学科長
〃
田中
俊次
産業経営学科長
黒瀧
秀久
オホーツク実学センター長
永井
毅
〃
梅村
博昭
生物生産学科
〃
范
為仁
産業経営学科
〃
芳澤
輝泰
産業経営学科
〃
水野
眞
アクアバイオ学科
〃
千葉
晋
アクアバイオ学科
〃
中川
智行
食品科学科
〃
石堂
典秀
産業経営学科
〃
宇仁
義和
学術情報課程
〃
宮地
竜郎
食品科学科
〃
白木
彩子
生物生産学科
〃
金岩
稔
〃
相馬
幸作
生物生産学科
〃
妙田
貴生
食品科学科
〃
笠井
孝正
食品科学科
〃
中村
隆俊
生物生産学科
〃
園田
武
〃
山崎
雅夫
食品科学科
〃
吉田
穂積
生物生産学科
〃
伊藤
博武
生物生産学科
〃
朝隈
康司
アクアバイオ学科
〃
笹木
潤
〃
白波瀬幸男
網走寒冷地農場
〃
當間
政義
産業経営学科
〃
吉川
欣亮
生物生産学科
委
員
食品科学科
アクアバイオ学科
アクアバイオ学科
産業経営学科
- 95 -
委員名簿
〃
亀山
祐一
生物生産学科
〃
小林
万里
アクアバイオ学科
〃
渡部
俊弘
食品科学科
〃
野村
比加留
産業経営学科
〃
井上
正道
教養分野
外部コンソーシアム委員
中川
元
〃
松田
光輝
〃
湊屋
稔
㈱らうす海洋深層水
〃
川崎
克
オホーツク地域調査研究会
〃
本間
保司
〃
法師人春輝
オホーツク網走農業協同組合
〃
菊地
恒夫
北海道指導農業士
〃
古都
育郎
NPO法人 網走ねいちゃあいんふぉめいしょん
〃
白野
暢
北海道網走支庁地域振興部
〃
中村
昌彦
北海道網走支庁地域振興部
〃
堀内
淳一
北見工業大学
事務局長
菅原
優
事務局次長
廣谷
淳一
事務部長
〃
田村
正文
オホーツク実学センター専任研究員
事務局員
小川
繁幸
大学院生リーダー
〃
新井田篤志
大学院生リーダー
〃
加来
聡伸
大学院生リーダー
〃
嶋崎
太郎
大学院生リーダー
〃
佐藤
孝弘
大学院生リーダー
〃
笠井
文考
大学院生リーダー
〃
原田
雄太郎
大学院生リーダー
〃
漆崎
瑞絵
オホーツク実学センター事務員
Ⅵ
斜里町立知床博物館
㈱知床ネイチャーオフィス
網走市農政課農務畜産係
オホーツク実学センター専任研究員
後援団体一覧
網走開発建設部、網走支庁管内町村会、北網広域圏組合、(財)オホーツク地域振興機構、
網走市、網走市教育委員会、網走商工会議所、(社)網走青年会議所、オホーツク網走農業
協同組合、網走漁業協同組合、西網走漁業協同組合、網走消費者協会、北見工業大学地域
共同研究センター、オホーツク地域自治研究所、オホーツク地域調査研究会
- 96 -
編
集
後
記
2006 年度 東京農業大学「現代GP」フォーラムは、北海道企画振興部の「北海道未
来展望カレッジ」、北海道網走支庁の「オホーツク・エリア・アイデンティティー(オ
ホーツクAI)」と相互連携による企画としても実施されました。参加者数は2日間で
約 180 名にのぼり盛会のうちに終了することができました。
事業の企画・準備にあたっては、オホーツク実学センターを中心に東京農業大学の教
員を中心とした実行委員会において進められてきました。今年度は、7月、9月、12月
に既にオホーツク実学市民公開講座を実施しており、本フォーラムの実施は2月であっ
たことから準備期間が短く、また、より多くの学生や市民の参加者を募るにはいささか
無理があったような気がする。こうした反省点を次年度に活かしながら、事業の企画・
運営にあたっていきたい。
最後に、本報告書の刊行にあたって、膨大な記録おこしや編集・校正作業に携わって
いただいた皆様のご協力に感謝申し上げます。(菅原)
2006 年度 東京農業大学
「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代 GP)」フォーラム
「オホーツク地域のアクティビティと実学教育の可能性」
( 報 告 書 )
発行日
2007 年 3 月
編
集
東京農業大学
オホーツク実学センター
発
行
東京農業大学
オホーツク実学センター
〒 099-2493
TEL
印刷所
株式会社
0152-48-3889
大
〒 093-0005
TEL
網走市八坂 196 番地
成
印
FAX
東京農業大学生物産業学部内
0152-61-5111
刷
網走市南 5 条東 2 丁目 15-2
0152-43-2033
FAX
- 97 -
0152-43-6126
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