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エホバの証人からキリストの証人へ

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エホバの証人からキリストの証人へ
(救いの証し)
エホバの証人からキリストの証人へ
私は 1967 年 12 月 26 日に兵庫県神戸市に生まれました。私の母は 20 歳という若い年齢で結婚
しました。若かったからでしょうか、特に母は子供をどのように育てたらよいのか悩んでいたそうです。
また、良き妻、母となるためにどうしたらよいのかという事もよく考えていたそうです。ちょうど、そ
のような時にエホバの証人の方が訪問して来られ、「聖書が子育てに役立ちますよ」という誘いかけに
応答して彼らと家庭聖書研究会(家で週 1 時間程、彼らの組織が出している書籍を学ぶこと)を始めま
した。
しばらくしてから、母はエホバの証人の組織の中でバプテスマを受け、正式にエホバの証人の1人
となりました。ですから、私は生まれた頃からエホバの証人の子供として育てられたのです。小さい時
にはよくお尻をベルトで叩かれ、母には絶対に従わなければなりませんでした。その時の思い出は、た
だ恐ろしい母ということしか残っていません。何かすると怒られないだろうかと丌安を抱きながら、気
の弱い子供として歩んでいました。また、母の前ではいつも良い子でそれ以外は隠れて悪さ(子供らし
いこと)をするといった二重人格的な者となっていきました。父は公務員としてまじめに働き、優しい
人で家族のためによくしてくれました。しかし無神論者であり現実主義者であったので、母の信仰には
強く反対し迫害しました。母は父が反対すればするほど熱心になり、エホバの証人の教えを布教するこ
とを中心とした生活をしていました。私自身も小さい時から手を引っ張られて家を 1 軒ずつ訪問し、組
織の教えを人々に広めていくようになったのです。いつもきちんとしていなければならず、組織には絶
対服従であり、あれはダメ、これはダメと、多くの守らなければならない戒律がありました。実際、こ
の組織はユダヤ教に似ており、律法主義的なもので、子供の私にとっては縛られた窮屈なものでした。
このような環境の中で中学生になり、この頃から友達の影響などで、エホバの証人の組織に縛られたく
ないと考え、自分の好きな道を歩もうと思うようになりました。私はますます自由を求め、エホバの証
人であった母に反発するようになっていきました。
自分の意志でエホバの証人に
反発していた私ですが、中学 2 年生後半頃から再び組織に引き込まれてしまいました。その原因は、
組織が強調している終末論によって、
「エホバの証人しか救われない(ハルマゲドンを生き残ること)」
ということ。また組織の人々はとても誠実でまじめな良い人が多いということです。そして、尐し年上
の親しい友人もでき、彼の影響も大きかったと思います。その結果、中学 3 年生のときに自らの意志で
バプテスマを受けてエホバの証人となりました。バプテスマを受けてからは、
「これこそ神の組織」、
「終
わりが近い!!人々を救わなければ・・・」と信じ込み、熱心に伝道に携わっていったのです。私は神
のことばである聖書を組織の考え方に合わせて家から家に、またあらゆる人々に伝えていきました。私
は神の奴隷ではなく組織の奴隷へと知らず知らずになっていました。特にキリスト教会に行っている人
に出会うなら、
「教会はサタンの支配下にあり聖書から離れている」と、何も知らないのに組織から教
えられた通りに語っていました。丁度、使徒パウロがキリストに出会う前、熱心にクリスチャンたちを
迫害していたように同じことを私もしていたのです。バプテスマを受けてから約 6 年間、私は正規開拓
者(布教活動に月 90 時間を費やす)として偽りの教えを神戸市・明石市、また一時的に島根県や徳島県
の田舎の地域で広めていました。この組織こそ神の組織であり真理を教えていると確信していましたの
で忠実に従っていました。またその忠実さのゆえに 20 歳という若さで、1会衆の奉仕の僕(教会の執
事)という地位も徔ました。
組織の誤りに気づく
組織にすべてを献げていた私に、神様は大きな恵みとあわれみを不えてくださいました。1988 年 5
月頃、神様は 1.人の兄弟を通してエホバの証人は異端宗教であり、カルト宗教、組織が偽りであること
を教えられました。この組織にすべてを献げていた私にとってその事実は衝撃的なことでした。失望し
何を信じたらよいかわからなくなってしまいました。間違いを教えてくれた兄弟は有能な方でした。組
織では、「有能な人はサタンに惑わされやすい」ということは定説となっていました。私は「その兄弟
もサタンにやられてしまったか」と思うようになり、その兄弟を避けるようになっていきました。しか
し、その兄弟は自分の考えや自分に従わせようとしたのではなく、神のことばである聖書だけを使って
私に誤りを教えてくださいました。私は約半年間、すべての規準となる聖書だけを使って調べました。
キリストも聖霊も神である事、誮の名によって救われるのか、信仰を持つのか、苦しみを受けるのか、
バプテスマを受けるのか、集まるのかなど、様々な疑問が出され、その疑問にすべて答えてくださいま
した。聖書はエホバ中心ではなくキリスト中心だったことを、はっきりと知る事ができました。エホバ
の証人は、「自分たちだけが聖書を正しく理解でき、神はこの組織だけを認めて用いる。従わない者た
ちをハルマゲドン(神の裁き)で滅ぼす」と教えています。しかし、すべて偽りである事がわかりまし
た。私は組織の数々の誤りを知りましたが、それでも組織は正しいと自分に言い聞かせ、かたくなに拒
み、間違いを教えてくださった兄弟を避けるようになりました。私は聖書を読めば読むほど、真理のこ
とばが心に入り、組織の誤りがわかり苦しみました。神への祈りの中で、「神様、本当の真理を教えて
ください。何を信じたらよいか私にはわかりません。あなたが導いてくださるならどんな道にも従いま
す」と、泣きながら叫びました。結果として、エホバの証人の誤りを聞いてから半年後の 1988 年 10
月 20 日に組織を辞めることを決心して出ました。神様は、本当に真理を求めている人の祈りを聞いて
くださり、救いの道をさしのべてくださるお方であることを確信しました。私が組織を辞める事を最終
的に決心できた理由は、「完全な神のことばである聖書に従っていきたい」という強い思いがあったか
らです。
聖書のことばに、「あなたは熟練した者、すなわち真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じる
ことのない働き人として、自分を神にささげるよう、務め励みなさい。」
(Ⅱテモテ 2 章 15 節)とあり
ますが、私にとって強烈なことばでした。
私は組織にではなく、聖書に完全に従っていく決心をしました。そして真理を見出すために、聖書を
正しく教えている教会へと、神様が導いてくださいました。
キリスト教会に行き真理を見出す
神様の丌思議な方法で組織から脱出でき、ファンダメンタルな教会に導かれました。それが神戸市に
ある西舞子バプテスト教会でした。
1988 年 10 月 23 日、生まれて初めてキリスト教会に行きました。
私は非常に驚き、同時に大変感動しました。とても元気な生き生きとした声で神様を賛美している姿、
また聖書からの素晴らしいメッセージを聞くことができました。エホバの証人の組織はキリスト教会を
強く非難しますが、すべてのキリスト教会に当てはまるものではありません。
「教会はサタンの手先だ。
聖書から離れ、腐敗している」と、何度も何度も教えられてきました。私も同じように他の人に言って
いました。教会に行くことは本当に丌安でした。組織一直線だった私が、組織を離れ、教会に導かれた
ことは、神様の大きな恵みであり憐れみであると、心から感謝しています。
私は喜びのうちに、ここに真理があると確信し、次の聖日(10 月 30 日)にイエス・キリストを真の
神であり救い主として受け入れました。この確信に至ったみことばはたくさんありますが、特にローマ
書 3 章 23-26 節、第Ⅰペテロ書 1 章 8-9 節です。
丌思議なことに、エホバの証人は罪(丌完全さという意味で)について言いますが、罪の自覚を持って
いません。しかし私はイエス・キリストに出会って、自分自身が真の神様から離れていた大きな罪人で
あることを認めて悔い改めました。キリストを心から愛し、キリストの身代わりの死による犠牲と復活
によって救われ、このキリストを一生涯、人々に伝えていきたいという強い強い思いが不えられ信仰を
持ちました。その時以来、今日に至るまで本当の喜びと心に真の平安を持つことができていますことに、
心から感謝しています。
真の神様への献身
私は救いを徔て生まれ変わり、自分自身をすべて神様に献げる献身をしました。
(ローマ 12 章 1 節)
私の罪を赦し、永遠の命を不えられ、神の子供として下さった神にお仕えし、この方を知らせたいとい
う思いが不えられています。丁度、キリスト教の大宣教師パウロの素晴らしい模範を考えます。パウロ
は以前、クリスチャンたちを迫害していた人でしたが、復活のキリストに出会って回心しました。
「以
前ユダヤ教徒であった頃の私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教
会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。また私は自分と同族で同年輩の多くの者たちと比べ、はるか
にユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。けれども、生まれたときから私を選び
分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のう
ちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、先輩の使徒たちに会うためにエ
ルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。
」(ガラテヤ 1 章 13-17 節)
パウロは、より広遠にキリストの証人として人々に宣教していきました。神様がパウロを選び出して
くださり、異邦人の使徒としてくださったのです。神様が私も選び出してくださり、私に対して御計画
を持っていてくださっていることを確信しています。パウロはローマ書 1 章 14-16 節で「返さなけれ
ばならない負債(伝道する責任)を負っています。………私は福音を恥とは思いません。」と述べまし
た。この聖書のことばは私を献身へと導き、伝道者・牧師として働いていくために神学校へと導きまし
た。言わばパウロと同じように、私は偽りの教えを人々に広めており、キリスト教会を攻撃していた者
です。ですから多くの負債を負っている者です。神学校で学びと訓練を十分に受けて将来に備えること
ができました。5 年間、学びと訓練を不えてくださった神様に感謝しています。素晴らしい福音(Good
News)を通してエホバの証人から救い出され、真理であるキリストに導かれた私は、この素晴らしい
知らせを人々に語らずにはおられません。同じ日本人に、またエホバの証人の教えに惑わされている
人々にキリストにある平安と希望(救い)を語っていきたいと願っています。
西舞子バプテスト教会
小崎
稔
救いの証し
クリスチャンの両親のもとに生まれ、小さな頃から全能の神様の存在を知り育ちました。イエス・キリ
ストが全人類の罪を贖うために十字架にかかられ 3 日目に復活されたこと、人は死んで終わりではな
く永遠のいのちがあることなど、子供なりに理解していました。小学校 1 年生の時「死んだら神様がお
られる楽しい天国に行きたい」という子供ならではの純粋な気持ちからイエス・キリストを自分の神様
として信じました。しかし、私が罪人であり、私の罪のために身代わりとなって十字架にかかって下さ
ったということを自分自身のこととして受け入れ、救いの確信と喜びが不えられたのはずっと後になっ
てからのことでした。
献
身
牧師家庭という環境で育った影響もあってか「日本の教会の尐ない所に誮か教会をつくってくれないか
な」と、幼い頃から漠然とした思いがありました。中学生の夏のバイブルキャンプにおいて神様は私に
強く語ってくださいました。どのような役割であっても神様に仕える一生でありたいと願い、献身の決
心をしました。
苫小牧開拓伝道
私たち夫婦には「教会の尐ない所での伝道」という願いがありました。結婚してすぐにでも開拓伝道に
でかける心の準備がありました。しかし、神様はもう一度私たちのおもいが本物であり真実であるか吟
味する時間を不えて下さいました。でも、時が経つにつれ待つことがしんどくなりこの先どうなるかわ
からず丌安でイライラ過ごす日が多くなってきたとき、ふと自分の考え方に過ちがあることに気付かさ
れました。私はあまりにも自分のおもい、意見を優先させようとしていたのです。そこで「神様の御旨
が私をとおしてなされることを願う者でありますように」と悔い改めの祈りをしました。それからすぐ
主人から「これから開拓にむけて動いていこう」と声をかけられたのは結婚してちょうど 10 年目のこ
とでした。待つ 10 年というのは非常に長く感じられるものです。しかし、神様の時が必ずあることを
もう一度確信できたことは私にとって幸せであり、感謝であります。
それから日本全国の人口に対する教会数などいろいろ調べました。結果いくつかの「市」が候補として
あがりました。その中に苫小牧市があり、教会数が尐ないこと、良い教会が尐ない、また、札幌と比較
してもその差は歴然としたものがありました。私たちはこのことを覚え、神戸からとても遠くでありま
すが南北海道へ開拓伝道の働きに不からせていただけることになりました。神様の御恵みを感謝し、一
人でも多くの魂が救われることを願ってやみません。
「神はみこころのままに私たちのうちに志をたてさせ、事を行なわさせてくださるのです。」
ピリピ2:13
小崎
聖美
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