鍋倉山ブナ観察ガイド ~残雪編~

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鍋倉山ブナ観察ガイド ~残雪編~
鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
≪
農林オリジナル版 ≫
今の景色から過去、未来の姿を
今の景色から過去、未来の姿を想像しながら楽しむ
の姿を想像しながら楽しむ
鍋倉山ブナ
鍋倉山ブナ観察
ブナ観察ガイド
観察ガイド
~残雪編~
残雪編~
長野県下高井農林高等学校
環境緑地クラブ
このガイドブックは、5 月の連休前後の鍋倉山での観察の様子をまとめたものです。半年
間の長い期間雪に覆われる鍋倉山のブナの生活を知ることにより、夏のブナ林の生態や景
観の理解を深める内容で作成しました。
新潟県と長野県の境をなす開田高
原は標高約1、288mの鍋倉山を
最高峰とする低い山脈です。しかし、
冬季には日本海から大量の水分を含
んだ季節風が最初にぶつかる尾根が
この開田高原です。このため、12
月から5月までの半年間は雪に覆わ
れ、雪の消えた6月から11月の半
年間、私たちは鍋倉山のブナや自然
を観察することになります。
5月の鍋倉山
学校のある下高井郡木島平村では
豪雪だった今年(2012年)、4m
を越した積雪もようやく消えました。
しかし、学校から鍋倉山を見ると白い
山並みが見えます。
冬季間、鍋倉山の入り口が閉鎖され
ていた道路が開通し、車で昇っていく
と飯山市温井地区あたりからブナが
雪の中からそびえたつ姿が見え始め
ます。この辺りの水田は、たくさんの
残雪の中の芽吹き
雪が残り、田植えにはまだまだ時間が
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
かかりそうです。残雪の残る斜面を見ながら登っていきます。
車の中から見える景色はとてもすっきりとしており、夏の道路沿いの多様な樹木が繁茂
している景観とはたいへん異なります。これは雪が多くの背丈の低い樹木を隠しているか
らです。雪の中に見える樹木は、樹高の高いものです。傾斜にもよりますが、10m以下
の樹木は雪の中に埋もれていると思います。残雪は恐らく4m~6mくらいです。どうして、
この高さの残雪の中に10m以上ほどの樹木が埋もれているのでしょう。
私たちのガイドブックは、現在の景観からブナなど自然の生態を理解し、過去や将来の
姿を想像しながら、自然を理解することを目的に作りました。この雪による景観の構成は
雪の消えた夏の景観を構成する大変重要な要素になっています。ぜひ、この観点から読ん
でいただけると、夏の鍋倉山の観察にも役立つと思います。
それでは本題に戻りますが、雪が大きな樹木を隠すシステムは、斜面が大きく関係して
います。傾斜のある斜面に水を流すと傾斜に沿って下へ流れます。この現象が雪でも起こ
っているのです。つまり、斜面に積った雪が、重力により斜面にそって下方へ動きます。
積もった雪は少しずつ山を下るのです。
つまり、11月の初冠雪から積もった雪は本格的な降雪が始まる12月から雪が消える
5月いっぱいの間まで、少しずつ斜面にそって下へ移動しているのです。雨と雪の違雪は、
液体と固体です。水は液体として働くので土壌の浸食を行いながら斜面を下ります。それ
に対して雪は、固体として働き、斜面に積もった雪が一つの塊となり、ゆっくりと斜面を
下ります。6mを越す積雪が、斜面に沿って移動する力に耐えることのできない樹木は、
根元から少しずつ横、そして斜面の傾斜角までに倒れてしまいます。そして、その上に雪
が降り、下方へ移動することを繰り返し、4m程の雪の中でも視界からは完全に消えてし
まっているのです。
おそらく10mを越す樹木も雪の中
に埋もれてしまうので、雪は最低でも
10m以上、ゆっくりと斜面を下るの
だと思います。
大きな被害をもたらす雪崩は、一気
に斜面を下るので瞬間的な破壊力は大
変強くなりますが、ゆっくりと斜面を
下る現象がこのような景観を作りだし
たのです。
大きな木だけしか見えない景観
雪の中に埋まっている樹木の姿を想
像してください。おそらく、ほとんどの樹木が水平状態よりも下の斜面方向に倒れている
と思います。このことが、ブナの根曲がりと言う形態を生みます。そしてこの大きな力で
ブナの根元が縦方向に割れます。この修復過程で縦にこぶ状の模様ができるのです。大き
なブナの根元から5mくらいまで縦にさけた後やこぶがたくさんついています。このよう
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
に、斜面に沿って移動する雪の現象が、夏のブナ林の根曲がりやこぶブナなどの景観を作
っているのです。
写真のように、大きなブナやカエデなどの樹木だけが雪の中で芽吹きだしている景観は
大変美しいものです。この景観は多雪の環境が関係しているのです。夏にはこのような整
然とした鍋倉山の景観を見ることはできません。5月の GW 前後にしか楽しむことのでき
ない景観と言えるでしょう。
雪の壁の中を進む道路
森太郎駐車場まで開通
森太郎の入り口付近にある駐車場を目指し、雪壁を進んでいきます。駐車場に着くと、
そこから上は除雪作業を行っているところで、GW 明けすぐには、車でここから上には行
くことができません。今回は、この駐車場より少し下ったカーブにある砂利の駐車スペー
スに車を止め、山に入ります。ここにも5m以上の雪があり、この雪壁を登り山へと入り
ます。夏山の園路(山には、多くの動物が生活しています。生活するには、餌を求めあち
こち歩き回ります。歩くときは歩きやすいところを歩きます。こうして多くの動物が通る
道、ケモノ道ができます。人間も同じよう
に山に入ると、クマやタヌキなどが作った
ケモノ道が歩きやすくなっているので歩
くようになります。このようにしてできた
のがこの園路です。今では森太郎など有名
になり多くの人が入るようになり、踏み固
められなどして人工的な園路のようにな
ってしまってます。よく山の中でクマにば
ったり出会うことがありますが、彼らが作
ここから登る
巨木の谷へ向かう尾根
った道を私たちが歩いているのですから、
当たり前のことなのです。私たちは、他の動物の作った道を通らせていただいているとも
思いで迷惑をかけないように歩かなければならないのです)は等高線にそって緩やかな傾
斜に作られていますが、雪の上では反対に等高線に直角に、斜面の角度を感じながら最短
距離で登っていきます。
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
道路付近では道路開通などのためブナの原生林が切られたため、巨木は残っておらず、
景観的には何もないスキー場のような状態です。まず、写真のスカイラインとなっている
尾根を目指し登ります。この尾根を超えた向こうには鍋倉山でも特に大きなブナが残って
いる「巨木の谷」となり、森太郎や森姫などがあります。
GW 明けのこの時期の雪は、下が圧縮さ
れ長靴だけで登ることができる。これは日
中の気温が20度以上となり、雪解けがか
なり進んだことによります。みなさん、真
冬の雪は大変軽く、気温の上がった時の雪
は重いのはどうしてでしょう。答えは簡単
です。気温の低い時の積もった雪は結晶の
すきまに空気がたくさん含まれています
最短距離で登ります
が、この時期になると空気にかわって水分
が隙間を埋めるからです。そのため重くな
り、良く締まった状態となり、雪の上を歩
いても沈み込むことはないのです。また、
表面温度は20度ほどあっても、雪の中は
氷点下なので、ちょうどかき氷の状態とな
っているのです。
このような状態の雪を踏みしめながら、
直線距離で約200mから300m(極め
見下ろすと大変急です
て適当な数字です)くらい、目標の最初の
尾根を目指して登ります。途中、雪の表面からは斜めになった状態の樹木の先端がところ
どころで顔を出しています。おそらく雪が消えると10mを超す高さの樹木だと思います。
途中、傾斜角を測定してみました。測量
で使うポールを使い、20cm幅の紅白の
数を数えると、おおよそ鉛直方向に5、水
平方向に10、つまり1:2の傾斜となり
ます。角度は大体30度弱ほどとなります。
下を見降ろすと、怖い気もする程の急斜面
です。下から見上げた時に感じた距離と、
見下ろした時に感じる距離は明らかに違
傾斜角
い、見下ろす距離は長く感じます。
約30°
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
先ほどの駐車場の登り口から休憩時間を入れて20分で、写真のように、あと少しの所
までたどり着き、最後の急斜面を登ります。
最初の尾根付近
尾根からの眺め
尾根にたどり着くと、開田山脈の尾
道路付近にはカエデ類
根筋がよく見え、その下に広がる千曲
川の流れと氾濫原の地形を見ること
ができます。夏は、人間の背丈以上の
樹木が茂り、展望は木陰からわずかに
見えるくらいですので、この時期なら
ではの景観ということができます。足
元は雪の下に横になっている樹木の
枝先がところどころから出ています。
雪解けがだいぶ進んできているよう
です。
ここから眺めていると、芽吹いている樹木によって色が違うことがわかります。淡い黄
緑色をした樹木はブナです。そして道
森太郎のある巨木の谷
路沿いに広がる少し橙色がかったも
のはカエデです。モミジなどのカエデ
類は陽樹といって直射日光が当たら
ないと育ちません。つまり、ブナなど
の下では育たないのです。道路付近に
カエデ類が多いのは、ブナなどを伐採
した証拠です。
斜面のところどころにカエデの黄
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
色に芽吹いたものがありますが、これは大きなブナなどが何らかの原因で枯れ(ブナの最
後は、立ち枯れ、幹折れ、寝返りのいずれかである)、そこに陽樹が芽生えたと考えること
ができます。やがて数百年の年月の中で、巨木になったカエデも最後はブナの森に変わっ
ていきます。これが遷移です。ブナはこの地域の極相林であり、鍋倉山のような多雪地帯
の冷温帯地域ではブナの原生林が広範囲で残っています。
さて、反対の巨木の谷のほうを
カモシカがいます
見てみると、カモシカの子供が見
えました。写真の中央下側に写っ
ています。黒い毛色で、こちらに
気付いたらしく、立ち止まり様子
をうかがっています。
森の中では、多くのカモシカや
ウサギのふんや足跡が雪の上に残
っています。運が良ければ、この
ように野生動物にも会えることが
できるのです。
この雪の上には、ブナの実が結構
あります。殻はもちろんですが、実
もあります。普通ドングリなどの実
は、実が落ち、そのあとに葉が実を
覆うように落葉するものが多いよ
うです。この時期に積雪が 4m を超
える上に実があるのは、降雪がおそ
らく5m以上積もったところで実
を落としたということです。1月中
ごろから2月の初旬の間だと思い
ブナの立ち並ぶ景観
ます。どうして、こんな時期まで実
を落とさずにいたのでしょう。この雪の多い鍋倉山のブナの森では、4月・5月の春先の
雪の上で活動する動物たちがたくさんいます。その動物たちの食料として、ブナが風雪の
中、実をつけたまま耐えていたのかもしれません。ブナもこのような森を作るには数千年
から1万年以上の年月が必要です。この長い時間の中で、育まれた生態系は、多くの生命
を支えるシステムが確立しているのだと思い知らされます。原生林の生物多様性について
考えたとき、少しのシステム変化が長い時間の中で大きな変化につながり、まさにフィー
ドバック現象となるのです。私たち、人間は、わずかな変化が長い時間の経過の中で、大
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
きな変化を生みだすフィードバック現象について考えながら、自然と接する態度が必要な
のです。昨今の急激な気象変動からくる災害は、地球規模で人間が行ってきた活動がフィ
ードバックしながら引き起こされたものです。CO2削減が急務の課題として、国連の気
象変動会議で取り上げられていますが、未来の地球のために人類は大きな決断をしなけれ
ばならないことに気が付かなければなりません。大きなブナの木がここ数年で大変弱って
いることも、おそらく私たちの気が付かない環境変化が起因しているのかもしれません。
写真は巨木の谷の大きなブナです。写
枯死した森姫の根あけ
真では、なかなかその大きさを表現する
ことができませんが、おそらく5mを超
す雪の上から見ているのですが、樹高や
枝の広がりは大変なものです。夏にはこ
のような全体の大きさは、見ることがで
きません。これもこの時期にしか見るこ
とのできない景観だと言えます。
この木は森太郎と並ぶ巨木の森姫で
す。しかし、ここ数年、その衰弱ぶりは
激しく心配されてきましたが、残念なが
ら平成23年春に枯死したことが確認
されました。森太郎と並び鍋倉山のシン
ボルとして多くの人に愛されてきただ
けにこのニュースは大きな衝撃を与え
ました。雪の中で見る森姫は、キツツキ
のあけられた穴が目立ち、キノコがたく
さんついており、枯れてから年月が立っ
たような大変痛々しい姿です。長い時間
森太郎(中央)を目指す
をかけて衰弱してきたことが良くわか
ります。
この森姫から、斜面を見上げると10
0mくらい上ったところに森太郎が見
えます。その右側には太いブナの幹折れ
したものが二つ見えます。おそらくこの
ブナは謙信ブナと言われていたものだ
と思います。かつて、巨木の谷には森太
サワグルミ(中央)の巨木
郎、森姫、謙信ブナ、こぶブナの4本の
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
大きなブナがあったと言われています。この巨木の谷もブナの寿命が終わりに近づき、今
は新しい若いブナの林に更新している時なのかも知れません。しかしこの更新も長い時間
をかけて行われますので、私たちはその1シーンを見ているにすぎないのです。
この谷は、沢があり夏には冷たい水を楽しむことができます。この沢沿いには、ブナの
巨木に負けないほど太く大きく枝を広げたサワグルミが何本も立っています。サワグルミ
は沢沿いなど湿ったところに育つ代表的な樹木です。ブナとは幹肌が違うのですぐにわか
ると思います。
雪が斜面に沿って滑り降りる力に負けない樹木、太くて大きな樹木だけが見える景観を
観察できることは、この時期にしか見ることのできない大変素晴らしいことです。夏は、
園路しか歩くことができず、低木、中高木のすきまからこのような大木を見ることしかで
きません。そのため大木があることさえも気が付かないのです。雪の上を歩くことができ
るこの時期は、行きたい所へ行き、それぞれの樹木の様
子を観察することができるのです。
ここから見える森太郎も、夏は根元から枝先までこの
ような全景をみることはできません。根元まで行き、見
上げることで全景を確認することがかろうじてできる
ことです。しかし幹の太さと上空の枝などは見ることが
できる程度です。また、森太郎などブナの巨木の点在し
ている様子も観察できません。この谷は多くの雪が積も
り、斜面にそって下るのでブナなどの巨木には決してい
い条件とは言えません。しかし、巨木の谷といわれる環
夏の森太郎
境を作りだしたのは、ブナにとって厳しい自然環境が、
私たち人間にとっても厳しいものだったのです。人々
は厄介な雪でさえ時として利用し、生活をしています。
鍋倉山の積雪が残る春に、伐採した木を雪の上を滑ら
せ、運びだしていたと思います。しかし、この谷は深
すぎて切りだしなどができなかったのでしょう。この
ようなことを想像しながら、自然を観察し、現在の景
観を理解することで、
「きれいだ」、
「すごい」など感覚
的な感動とは違った感動を感じることができると思い
ます。
森姫から等高線に直角に上ると、森太郎が近づいて
雪の中の森太郎
きます。森太郎の周りには数本、森太郎より劣ります
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
が、太く枝の広がりは森太郎よりも大きなブナがあります。また、このあたりは大きな木
が点在しますが、ぽっかりとあいている空間も多いように感じます。このぽっかりと空い
た空間はどうして出来たのでしょう。想像してみてください。
答えは、森姫が昨年の春に枯れたこと(その前年に枯れたと言われているようです)で
す。つまり森姫が枯れたことにより、森姫の占有していたあたりは大きく空間ができます。
そこには光が注ぎ、多くの植物が競争を開始します。夏に行くとこのようなところは同じ
高さのさまざまな種類の樹木が少しでも上に行こうとしている姿を見ることができます。
いわゆる藪の状態になっています。しかし、この時期、雪に負けずに顔を出す太さのブナ
に成長するには100年以上の年月が必要となります。つまり、このぽっかりと空いてい
る空間は次世代のブナが育っている中途の景観です。いわゆるパッチと呼ばれている空間
です。このあたりは、今から100年ほど前は、さらに多くのブナの巨木があったと想像
できます。その巨木たちが一つ減り、二つ減りを繰り返し、昨年は森姫が枯れ、そしてこ
れから10数年後には森太郎が枯れるだろうと思います。100年後は新たな森太郎や森
姫となるブナがお互いせめぎあいながら成長しているブナ林の景観を見ることができると
思います。
写真は、森太郎の根元の幹の太さを
見るために、3人で手を広げている様
子です。おそらく5人から6人ほどで
ようやく一回りできるほどの太さです。
根元から6m ほどの高さまでは、写真
でもわかるように、こぶや筋がありま
す。これは先ほども説明しましたが、
雪が斜面に沿って流れるときに起こし
た幹割れの傷跡です。400年を超え
森太郎の太さ
る時間、生き抜いてきた傷跡が残って
いるのです。今でも毎年、このような
厳しい環境を体験しているのです。改
めて、自然の厳しさとその中で生き抜
いてきた森太郎の生命の尊さを感じま
す。
ちなみに、夏、このあたりを歩いて
みると森姫から森太郎へ向かう園路の
途中にはブナの植生でなく、ホウノキ、
森太郎から次の尾根
リョウブなど6m ほどの陽樹といわれ
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
る樹木がところどころにやぶのようにあります。そして付近には太い幹のブナが腐朽した
状態で横たわっています。この辺りでは、他にもあちこちに横たわっているブナの姿を見
つけることができます。このことからも、かつてこの森は、今以上に森太郎のような巨木
がたくさん残っていたことがわかります。
私たちが作成した鍋倉山のガイドブックは、現在の景観から過去の出来事、そして未来
の姿を想像しながら森を理解し、楽しむ内容にしています。
私たちが目にしている現在
の自然の景観には、過去もあり、未来もあります。本当の自然保護や環境保全を考える上
で、自然がきれいとか、ブナは素晴らしいといった感覚的な楽しみ方ばかりでなく、現在
の景観から過去のこと、未来の姿を想像しながら森を楽しむことが重要だと考えています。
ぜひ、夏の鍋倉山のガイドブックもあわせてご覧ください。
先にの述べましたが、積雪が5m も残
る5月の鍋倉山で、雪の上にたくさんの
ブナの実を見つけることができます。写
真は、わかりづらいですが殻に残ってい
るブナの実から発芽した様子です。
これを見つけた時は大変珍しいと思い、
ブナの生命力の強さに感動しましたが、
山を登るうちにあちこちで見られること
がわかりました。
雪の上で芽吹いたブナ
5月の鍋倉山は日によって変わります
が、気温が日中、15度を超え20度になることもあり、雪解けが急激に進みます。急激
な気温の上昇が雪解けをすすめブナは発芽を始めるのです。ブナの実は、秋に落ちた後は
乾燥しないよう雪の中に置いておくことが、発芽にとって一番良いと言われています。こ
のように雪の中にあった実は、発芽に一番適した状態だったのです。しかし、せっかく発
芽した実も、夜間などの寒さで枯れてしまい、雪解けの後にやがて訪れる夏を迎えること
はできないのでしょう。
余談ですが、鍋倉山のふもとの集落に限
らず、栄村などブナの残っている集落で
は、6月に山に入り、発芽したばかりの
ブナの苗を「ブナもやし」と称し、テン
プラや御浸しなどに料理し、食べている
ということです。評判では、大変におい
しいとのことです。
ブナもやし
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
さて、森太郎のある巨木の谷を越え、
次の尾根を目指します。このあたりは、
標高も上がり、まだ芽吹いているブナ
はなく、気温の差が等高線に沿って変
わっていることがわかります。おそら
く、積雪は6m を超えているかもしれ
ません。森太郎から15分程で、最後
の急斜面を上りきると尾根にたどり着
きます。
次の尾根からの眺め
ここからも、この関田山脈の尾根の
連なりがよく見え、飯山市や栄村などを取り囲むように尾根筋がきれいな曲線を描いてい
ることがわかります。
飯山市を流れる千曲川は、長野県の南佐久郡川上村を源流とし、上田市、長野市を通り
新潟市内に入ると信濃川に名を変え、全長367kmの日本一長い川として広く知られて
います。しかし、この関田山脈が誕生する以前は、長野市から上越市へ流れ、日本海へ注
いでいたそうです。この流れは関田山脈の出現により遮られ、開田山脈の脇を通りながら、
現在の信濃川の流れになり、日本一長い川となったのです。
ここからは尾根に沿って東へ進み、関
田山脈の最高峰、1,289mの鍋倉山
を目指します。尾根筋ということもあり、
比較的なだらかな登りです。このあたり
のブナは樹齢200年以上で太さもほ
とんど同じくらいの林になっています。
写真でもわかるとおり、低木や下草は
なく、太いブナの木だけの景観は、大変
緩やかな傾斜のブナ林
美しく、雄大な風景です。このブナ林の
中を歩きながら感じることは、2~3週
間後(5月中下旬)の気温がさらに高く
なった時、ブナが芽吹き、頭上はブナの
葉、足元は白い雪に覆われた景観の中を
歩いてみたいことです。白い雪の中、根
あけから太く真直ぐに延びる灰色のブ
ナの幹、そして新緑の上空、想像するだ
けでわくわくします。鍋倉山は 1 年を通
雪の中のブナ
じてその時期ならではの景観を私たち
11
鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
に見せてくれます。
このような幻想的なブナの林を抜け、
巨木の谷を越えた尾根沿いを15分ほ
ど進むと、写真のような鍋倉山の山頂が
見えてきます。夏に鍋倉山に登ると、こ
の写真のような地形、最後の急斜面があ
るので、経験のある人は山頂がもう少し
であることがわかります。しかし、この
写真から山頂まではまだ10分程かか
ります。
山頂まであと10分
山頂付近まで登ると、ブナの巨木が減
ってきています。山頂は、日当たりも良
く、日照的な条件は良いはずです。しか
し、山頂は、大きなブナや他の樹木はあ
りません。さらに登ると山頂の周りにも、
樹高の高い樹木は見当たりません。どう
してなのか、想像してみましょう。
答えは冬の冷たい季節風にあります。
鍋倉山の山頂に大きなブナなどの樹木
山頂まであと5分
が生育していないその訳は、北アルプス
などの亜高山帯など標高の高い地点の植栽がハイマツなど低木樹となっていることと同様
なのです。
冬の日本海側は西高東低の気圧配置
により、北西から南東へ向かう強い季節
風が日本海の水蒸気を大量に含んだ状
態となり、日本海側に雪を降らせます。
この冷たい風が、秒速30m を超える強
さでこの関田山脈に吹きつけます。もと
もと気温が低い上に、風速により体感の
温度はさらに低くなります。山頂の風速
は斜面に吹く風の 2 倍以上となるので
鍋倉山山頂間近
す。
次に問題になるのは、積雪量です。
冬の鍋倉山は場所にもよりますが、雪は7mから8m 以上積もっています。しかし山頂
12
鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
付近や尾根にはこれほどの雪は積もりません。山頂は、他の地点、たとえば山裾、谷など
の中腹と比べると、数倍の風速となります。そのため降った雪はこの強い風により飛ばさ
れてしまいます。おそらく積雪は多くて3m ほどだと思います。どうして3mかというと、
この辺りの木の大きさが、一番高い枝先でこのくらいだからです。
樹木は冬季間、この気温の低下に耐えるため、樹液の糖分濃度を高め凍結から身を守り
ます。しかし、山頂付近の強い風による体感温度は低下に耐えることはできず、雪の中に
埋まっていないと、おそらく凍結してしまうのです。つまり、山頂付近など風が吹きぬけ
るところでは、雪に埋ま
っている背丈、つまり積
雪の高さまでしか、樹木
は伸ばすことができま
せん。
夏山の時期には、こ
の鍋倉山のある関田山
脈の尾根つたいに散策
ルート、信越トレイルが
整備されています。この
信越トレイルを歩くと、
尾根筋は高い大きな木
はなく、3~4mほどの
鍋倉山山頂から関田山脈の景観
灌木となります。このこ
とから、この尾根筋の積雪はこの樹木の背丈くらいだと思われます。ちなみに山頂付近の
横に寝ている樹木は、雪が斜面を下ることの影響ではなく、風によるものです。
雪に埋もれた鍋倉山山頂は比較的
広い範囲で平らです。北側には新潟
県となり、この日はうっすらと日本
海の海岸線が見えました。空気の澄
んだ秋などは、日本海の海岸線ばか
りでなく佐渡島も見ることができま
す。東側は、開田山脈の峰がきれい
に弧を描きながら東に伸びる景観が
広がりますが、やはり、ここ鍋倉山
山頂からの眺めが一番美しいものと
なります。
また、見下ろすと等高線に沿うようにブナなど芽吹きの進み具合も観察でき、気温が標
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鍋倉山「森太郎」 残雪のブナを歩く 観察ガイド
高100mで約0.6度変化すると言われますが、この景観はこのことを納得させてくれ
ます。
帰りは来たルートを下ります。景観
木島平方向の景観
は登るときと違い、余裕もあるのでブ
ナの巨木を見下ろしながらの景観と
なります。写真でわかりますが、ブナ
の大きさ、原生林の広がり、その先に
広がる木島平の盆地、その奥にそびえ
る高社山の景観を見ながらのものと
なります。
木島平は日本でも有数の豪雪地帯
ですが、実はこの高社山の存在が大き
く影響しています。高社山が、もしなければ木島平には現在ほどの豪雪地帯にはなってな
いと言われています。そして、木島平に降る雪は、中野、須坂、長野に広がり、長野盆地
は相当量の雪が降るようになります。このことを考えるとこの高社山の山ひとつで大きく
長野県北部の気候が変わることに驚かされます。
雪山は雪崩や突然の天候の変化など危険なことがあります。雪のある鍋倉山の登山は、
「なべくら山森の家」でガイドをしてくれますので、そちらのガイドにより楽しまれるこ
とをお勧めします。
6月~11月の半年間の緑に覆われる鍋倉山、12月~5月までは雪に覆われる鍋倉山。
それぞれの景観の仕組みや現象を理解することで、鍋倉山の魅力がさらに大きくなると思
います。そして、その時々でしか見ることのできない景観の素晴らしさ、生態系、生い立
ち、そして未来の姿を想像しながら楽しんでください。
14
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