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言語接触による文法変化

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言語接触による文法変化
ソルブ語の否定生格にみられるドイツ語の影響について
山 口 和 洋
0.
ソルブ語はドイツ東部に存在する孤立言語島で言語系統的にはスラヴ語派西スラヴ諸語に
属している。ソルブ語という名称によりくくられてはいるが,言語学的,地理的にホシェブ
ス(Chośebuz [ドイツ名;コトブス(Cottbus)
])を中心とする地域に分布する下ソルブ語,
ブディシン(Budyšin[ ドイツ名;バウツェン(Bautzen)])を中心とする地域に分布する上
ソルブ語,およびこの二言語間に分布する方言がある 1)。ソルブ語は前述のように孤立言語
島であるが周りを取り囲んでいる言語がドイツ語であるが故にドイツ語との間に言語接触を
生じておりその接触期間も長期間にわたっている。ソルブ語とドイツ語の言語接触について
ジークフリート・ミハルク(Siegfried Michalk; 1990)は次のように述べている。
Die multilinguale Sprachkompetenz der Träger der sorbischen Schriftsprache, die Jahrhunderte währende bedeutende Rolle, die Deutsch als Bildungs- und Administrationssprache vor allem in den Städten der Lausitz spielte und die Konkurrenz von Sorbisch und
Deutsch auch auf dem Lande sind die Voraussetzungen dafür, daß es in der sprachlichen
Kommunikation häufig zum Codewechsel kam und kommt. Dabei sind Interferenzwirkungen in allen Richtungen unvermeidlich.2)
「ソルブ語文章語の使用者が備える多言語の能力,つまり特にラウジッツの諸都市にお
いて,教育や行政のことばとしてドイツ語を用いる何百年も続く重要な能力であるが,
および都市に対する地方においてソルブ語とドイツ語の間で起こる競合は,過去におい
ても現在においても言語コミュニケーションにおいて頻繁にコードスイッチングの状態
になる前提条件である。この際,あらゆる方向での干渉の現象は避けられないものであ
る。」
この指摘によれば,ソルブ語はドイツ語から多大な言語的影響を受けていることに疑問
の余地はないようである。ソルブ語はスラヴ系言語であり,その研究はスラヴ言語学の手法
70
言語接触による文法変化
によるところが大きいことは指摘するまでもないが,ヘルムート W. シャラー(Helmut W.
Schaller; 2003)の見解のように,スラヴ言語学による研究と平行してドイツ語との関係に関
する研究も極めて重要な研究領域である 3)。先のミハルクの指摘によるドイツ語の言語的な
影響についての記述のとおり,その影響は音声から語彙,文法まであらゆる言語的領域に及
ぶと考えるのが普通であるが,言語接触に起因する言語的影響が比較的早い段階で認められ
るのは語彙の借用である。語彙の借用は比較的容易に識別が可能であり,例えば,ヘルムー
ト・イェンチ(Helmut Jentsch; 1999)は,18 世紀から 20 世紀初頭までのソルブ語の語彙に
関する詳細な研究においてドイツ語起源の語彙を提示している 4)。
ドイツ語
上ソルブ語
Schatz(宝)
➡
šac(pokład)
schützen(守る)
➡
šucować(zakitać)
ドイツ語においても新しい語彙が生まれ,ドイツ語との言語接触を生じている限りドイツ
語語彙のソルブ語への浸透の回避は困難であると考えられるため語彙の浸透に関する研究は
今後継続されるべきものであるが,これはその専門研究にゆだね,本論文ではソルブ語にみ
られるドイツ語の文法的な影響について考察を試みる。
1.
インド・ヨーロッパ語は言うまでもなく 8 個の格,つまり主格(Nominativ)
,
属格(Genitiv)
,
与格(Dativ)
,対格(Akkusativ)
,具格(Instrumental)
,位格(Lokativ)
,奪格(Ablativ)
,
呼格(Vokativ)を有していた。ドイツ語では歴史的に,呼格が主格へ,奪格が与格へ,具格,
位格が前置詞格へと格の融合が進行し,現代ドイツ語では形式として 4 個の格が認められる
ことは改めて指摘するまでもない。
このうち属格(ドイツ語文法では 2 格)は,現代ドイツ語においてその主たる機能が付
加語(Attribut)であることは疑問の余地はないが,ウラディミル・アドモーニ(Wladimir
Admoni; 1970)によれば現代ドイツ語の 2 格の機能は,付加語的な機能を除外すれば 8 個の
機能に分類される 5)。アドモーニが比較的詳細に説明を行なっている機能のみを列挙する。
①
Objekt【目的語】
Ich harre deiner.(私は君を待ち焦がれている。)
Ich bedarf deiner Hilfe.(私は君の助けが必要だ。)
これは 2 格の形式である deiner(君)
,deiner Hilfe(君の助け)が動詞の目的語として機
能している用例であるが,これは,
Er belehrte mich eines Besseren.(彼は私の誤りを悟らせた。)
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Er schämte sich seiner Tat.(彼は自身のしたことが恥ずかしかった。)
の用例からも分かるように再帰動詞で 2 格(eines Besseren,seiner Tat)の他に目的語と
して 4 格(mich,sich)を要求する動詞が圧倒的である。しかしながら,再帰動詞の場合
でも 2 格は前置詞句による代替表現があり,
Ich erinnere mich deiner.(私は君のことを覚えている。)
は
Ich erinnere mich an dich.(私は君のことを覚えている。)
のように deiner は an mich という形式の前置詞句による代替表現が優勢ではあるが,ド
イツ語文章語から 2 格の目的語が消滅したわけではない。
Die adverbiale Bestimmung【副詞規定】
②
des Weges(gehen)
(自分の道を歩み続ける)
動詞グループ 6)における 2 格の使用は極めて衰退しており,これは半ば形式的に固定し
た表現で使用される。
③
Der präpositionale Genitiv【2 格支配の前置詞とともに現れる 2 格】
前置詞の格支配による 2 格は,特殊な位置づけが可能である。つまり単純 2 格の有す
るいくつかの機能(動詞の目的語,副詞規定語など)を共有できるからである。副詞規
定語としての単純 2 格はその用法が極めて限定的であるが(②参照),一方で前置詞の格
支配による 2 格は副詞規定語としての頻度が高い。こうした 2 格の変種は,
「因果関係
(kausal);wegen des Diebstahls(泥棒が入った故に)」,「認容(konzessiv)
;trotz seiner
Bemühungen(努力にもかかわらず)
」
,
「目的(final)
;zwecks weiteren Studiums(さら
なる勉学を目的として)
」の意味を併せ持つ。前置詞の格支配による 2 格においても別の
格(3 格)と結合する 例もあり両者にゆれが生じている。例えば,前置詞 wegen は 2 格
支配の前置詞であるが 3 格と結合する例を認めつつ wegen は文書語では再び 2 格と結合
する傾向を強めている。前置詞の格支配による 2 格は動詞に統語的に依存し,当然この
2 格は動詞の必須成分ではないが,特に文章語においては直接的(単純 2 格)ではなく前
置詞の格支配によるとは言え,動詞との関連(Valenz)を未だ示唆している。
④
Das Prädikativ【述語】
述語内容語としての 2 格は連辞(Kopula)的な動詞に限定されるが,これは状態,性質,
部分的には属性をも表す意味を有することが多い。
Dieses Substantiv ist männlichen Geschlechts.(この名詞は男性名詞である。)
Ich bin der Meinung.(私は [...] 考え方である。)
固定的な表現もみられる。
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Ich bin guter Dinge.(私はご機嫌だ。)
「副詞規定語としての単純 2 格」
,
「形容詞の要求する 2 格」,「間投詞と共起する 2 格」,は
限定的であり,ドイツ語では 2 格は「付加語」,
「2 格支配の前置詞と共に共起する 2 格」と
しての機能をますます強め,
全体的には機能としては縮小の傾向が伺える。エルケ・ヘンチェ
ル ⁄ ハラルト・ヴァイト(Elke Hentschel / Harald Weydt; 1994)は,「2 格は動詞との関係か
ら切り離され,付加語としての役割が残っている」とのヘニッヒ・ブリンクマン(Hennig
Brinkmann; 1971)の見解を紹介している 7)。
2.
名詞屈折語尾の変化による格表示をほとんど行わず,格表示を冠詞の変化にゆだねるドイ
ツ語とは異なり,スラヴ諸語は格形式において各スラヴ諸語間での差異を認めつつも古い形
式をよく保存しておりこの中にはドイツ語ではみられない形式も有している。例えば,造格
の形式は多くのスラヴ諸語でその形式(名詞 + 屈折語尾 -om8))を有し前置詞を伴わず単独
で用いられる 9)。ドイツ語では前置詞 mit(英語の with に対応)+ 名詞の形式が対応する。
例えばロシア語では,
( 1 ) Я пищу письмо карандашом.(私は鉛筆で手紙を書いている。)
[ich schreibe Brief +4 Bleistift(mit dem)]
[Ich schreibe einen Brief mit dem Bleistift.]10)
属格(スラヴ語文法では生格)がスラヴ諸語においても付加語的な機能をもつことは指摘
するまでもないが,ドイツ語の 2 格と比較した場合その機能はドイツ語より広範囲にわたっ
ていることがわかる。各スラヴ諸語の生格の機能もまた各スラヴ諸語間で差異が生じている
ので各言語横断的な生格の機能を列挙することは回避するが,現代スラヴ諸語全体に共通す
る生格の機能についてカリン・ターフェル(Karin Tafel; 2009)は次のようにまとめている 11)。
Genitiv(生格)
①
kann nach bestimmten Verben(des Wünschens, Fürchtens, Beraubens)eine
Objektfunktion übernehmen(
「願望」
,
「懸念」
,
「剥奪」という意味を持つ特定の動詞が
要求する目的語の機能を有する。
)
②
wird nach Negation verwendet(Ausnahme: Tschechisch)
; bezeichnet das Negierte, das
Nicht-Vorhandene(否定に対応して用いられ(チェコ語を除く)動作の否定および存在
しない事物を表す。
)
③
ver tritt im Rahmen der(einzelsprachlich unterschiedlich ausgestalteten)
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Belebtheitskategorie den Akkusativ(
(各言語間で差異はあるが)男性名詞活動体対格の
代わりに用いられる。
)
④
Verwendung als Genitivus partitivus(部分生格として用いられる。)
ドイツ語の 2 格とスラヴ諸語の生格を対比させてみると,部分生格においてドイツ語の 2
格もこの機能(der zweite der Genossen;
「仲間のうちの 2 人目」)12)を有することを除外す
れば,他の機能については差異が認められる。つまり,ドイツ語の単純 2 格が動詞の目的語
として用いられることは限定的である。さらにスラヴ諸語の男性名詞には活動体,不活動体
の意味的区別があり,活動体名詞対格(4 格)は生格(2 格)と形式上の一致をみるという
現象であるが,ドイツ語の男性名詞には言うまでもなく活動体,不活動体という区別はない。
3.
ドイツ語とスラヴ諸語における属格において極めて異なる機能は否定生格である。否定生
格はドイツ語には見受けられない文法現象であるが,一方でスラヴ諸語には典型的な文法現
象である。否定生格とは簡潔に述べれば,存在しない事物あるいは他動詞の動作が否定され
るときにドイツ語ではそれぞれ 1 格(主格)もしくは 4 格(対格)である形式が 2 格(生格)
の形式で現れる文法現象である。ロシア語では,
( 2 ) У вас есть книга У меня нет книги.
[Bei Ihnen ist Buch+1 Bei mir nicht Buch+2]
[Ist ein Buch bei Ihnen ? Bei mir ist kein Buch.]
(あなたのところに本がありますか? 私のところに本はありません。)
( 3 ) Пищаещь ты письмо ? Я иет пишу письма.
[Schreibst du Brief +4 Ich nicht schreibe Brief +2]
[Schreiben Sie einen Brief ? Ich schreibe keinen Brief.]
(君は手紙を書いているの? 僕は手紙を書いていない。)
しかしながら否定生格は常に現れるものでなく,完全な否定を表現するときに用いられる
現象であって,例えば次のような部分的な否定では現れない。
( 4 ) У меня сейчас нет книга.(私のところに今は本はない。)
[Bei mir jetzt nicht Buch+1]
[Bei mir ist jetzt kein Buch.]
( 5 ) Я нет пишу сегодня письмо.(私は今日は手紙を書かない。)
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[Ich nicht schreibe heute Brief +4]
[Ich schreibe nicht heute einen Brief.]
4.
ソルブ語の生格の機能は概ね他のスラヴ諸語との間に大きな乖離はない。生格は第一に付
加語的な機能を持つ 13)。さらに他のスラヴ諸語が備えている生格の機能も有している。し
かしながら否定生格においては他のスラヴ諸語と事情が異なっている。
(6)Njebě so prosće wjace žana hudźba hrała […]14)
[nicht-war sich einfach mehr kein Musik+1 gespielt]
[Es war einfach keine Musik mehr gespielt worden [...]]15)
(とにかくもはや音楽は演奏されていなかった。)
( 7 )Skónčnje so Lucija na kromu łoža posydny, ale njezaswěći lampu.16)
[endlich sich Lucija an Rand Bett setzte aber nicht-schaltete Lampe+4]
[Endlich / schließlich setzte sich Lucija an den Rand des Bettes , schaltete aber die
Lampe nicht an.]17)
(やっとルチヤはベットの端に座った,そのときしかしランプを消さなかった。)
例文( 6 )は文意から「音楽(hudźba, Musik)」は存在していない事物でありながら主格
であり,例文( 7 )も「ランプ(lampa, Lampe)
」は他動詞 zaswěćeć(点灯する)の要求す
る対格である。存在しない事物および他動詞の動作が否定されると考えられる場合には,ス
ラヴ諸語の文法に照らし合わせると「音楽(hudźba)」および「ランプ(lampa)
」は対格(hudźbu,
lampu)ではなく生格(hudźby, lampy)の形式で現れると仮定される 18)。つまりソルブ語で
は,あくまでも現段階では提示した例文で考えた場合に限定されるが,否定生格という文法
現象が現れないという点において他のスラヴ諸語との間に乖離を生じている。スラヴ諸語に
おける各言語間での文法の共通性からみれば,ここにソルブ語において否定生格が衰退する
に至った理由が問題点として浮かび上がって来る。
5.
ヒンツ・シェウツ(Hinc Šewc; 1968)では,ソルブ語文法における否定生格の記述につい
て以下のような記述が行われている 19)。
Wón(執筆者補:Genitiw)ma tute funkcije:
negacisku(njeměć chwile, njeprajić ani słowa, běłeje mróčałki na njebju njewidźeć)
, [...]
「生格は否定の機能を持つ。
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njeměć chwile(時間がない)
[nicht-haben Zeit / Weile+2]
njeprajić ani słowa(一言も言わない)
[nicht-sagen weder Wort+2]
běłeje mróčałki na njebju njewidźeć(空には白い雲がない)
[weiß+2 Wölkchen+2 an Himmel nicht-sehen]」
ヘルムート・ファスケ(Helmut Faßke; 1981)は全体論として,存在しない事物の場合に
主格が生格で,および他動詞の動作が否定される場合に対格が生格で現れるとの前提を示し
ているものの,否定生格の個別動詞語彙の使用例について比較的詳細な調査を行いその結果
を提示している 20)。
まず第一に,他動詞の動作が否定される場合の否定生格では,否定生格が現れる使用例
は極めて少ないとの調査結果を前面に提示したうえで否定生格が現れた動詞語彙 53 個と
いう数字を示している。個別の具体的な動詞語彙は,53 個の動詞語彙のうち 42%が měć
(haben「持っている」
)である。残りは měć と意味的に近似性の高い dać(geben「与える」),
dóstać(bekommen「得る」
)
,namakać/nadeńć(finden「見つける」),
požčić(borgen「貸す」),
trjebać(brauchen「必要とする」
)
,wzać / brać(nehmen「取る」
)で měć を含めれば 19 個
の動詞語彙である。さらに残りの 34 個の動詞語彙の中には,例外なく rada(Rat「手段,方
策」
)を伴う wědźeć(wissen「知っている」
)
,
słow(čk)o「語」のみを伴う prajić(sagen「言
う」),piknyć(mucken「ぶつぶつ不平を言う」),porěčeć(sprechen「話す」)が見られるが
これらの動詞語彙も wědźeć が(Information besitzen「情報を所有する」),
prajić が(jemanden
zum Besitzer einer Information machen「誰かを情報の所有者にする」
)であるように haben
と意味的に近似性が高い。
( 8 ) Njeběch dotal žaneho wjetšeho wohnja widźał
[nicht-war
(+ich)bisher kein+2 größer+2 Krieg+2 gesehen]
(私はこれまでこんな大きい戦争を見たことがない。)
( 9 ) Tola najměrniši čłowjek nima měra, hdyž druzy jemu njepopřeja
[doch ruhigst Mensch nicht-hat Frieden+2 als andere ihm nicht-wünschen
(+sie,pl.)
]
(けれども最も穏やかな人間も,
別な
(人間)が望まないときには平和を維持しない。)
(10) Hišće lista wot njeho dóstali njejsmy
[noch Brief +2 von ihm bekommen nicht-sind
(+wir)]
(まだ私たちは彼についての手紙を受け取っていない。)
(11) […], k tomu ja žaneje protyki njetrjebam
[zu diesem ich kein+2 Kalender+2 nicht-brauche]
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(それに加えて私はカレンダーを必要としていない。)
(12) Ani słowka njejstej sebi prajiłoj
[weder Wort+2 nicht-sind
(+wir, zwei)
sich gesagt]
(私たち 2 人は一言も言っていない。
)
第二に,存在しない事物を表す場合の否定生格については,先と同様に使用例は極めて
少ないとの見解に立ったうえで,使用例の調査結果が提示されている。これによると使用
例の 70%が być(sein「∼である」
)の(Valenz が要求する)必須成分としての生格である。
残りは存在動詞(Verbum existendi)の同義語および意味的に近似性の高い動詞語彙で,
zwostać(bleiben「とどまっている」
)
,wobstać(bestehen, existieren「起こる,存在する」
)
,
stać so(werden「起こる,なる」
)
,nastać(entstehen「生じる」
),falować(fehlen「不足す
る」),widźeć być(seine Existenz sichtbar kundtun「(存在を)知らせる」),słyšeć być(seine
Existenz hörbar kundtun「
(聞こえるように)知らせる」)がある。
(13) Za nich njeje čłowjeskeje zhromadnosće, njeje škita zakonja.
[für sie nicht-ist menschlich+2 Gemeinsamkeit+2 nicht-ist Schutz+2 Gesetz]
(彼らのためには人間的な連帯,法の保護はない。)
(14) Tak praweje bjesady njenasta
[so recht+2 Unterhaltung+2 nicht-entsteht]
(そのように真の会話は成立しない。
)
ファスケの否定生格の記述は個別の動詞語彙にまで言及が及び,執筆者が知りうる記述
の中ではとりわけ詳細な説明であるが,実際の使用においては「否定生格は義務的ではな
い」21)との見解に立っている。
ヘルムート・ファスカ(Helmut Faska22); 2003)では,1981 年の文法説明より簡潔な記述
が行われている 23)。
Při negowanym predikaće, wosebje po partikli ani, trjeba so subjekt druhdy tež w genitiwje. W tajkich padach rěčimy wo genitiwje negacije. Genitiw negacije so zrědka trjeba, na
př.:
「述語が否定の場合に,特に助詞 ani(執筆者補:「さえも」)の後で,生格(の形式)でも
主語が必要とされる。この生格に否定生格(genitiwje negacije)という語句を用いる。
否定生格が必要なのは稀である。例えば,
(15) Maćeri njezwosta ani krošika.(母は一文無しだ。)
[Mutter nicht-bleibt weder Groschen+2]
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(16) Mjez tym a tamnym njeje žanoho rozdźěla.(これとあれの間には差がない。)
[zwischen dieser und jener nicht-ist kein+2 Unterschied+2]
(17) Njeje dźiwa, zo su jeho domoj pósłali.
[nicht-ist Wunder+2, dass sind(+sie, Pl.)ihn nach Haus geschickt]
(
(彼らが)彼を家へ送り届けたことは驚くことではない。)
(18) Njebě drje serbskeho zarjadowanja, na kotrymž so wón wobdźělił njebě.
[nicht-war zwar sorbisch+2 Veranstaltung+2, an welcher er teilgenommen nicht-war]
(そうは言っても(これは)彼が参加しなかったソルブの催し物ではなかった。)
(19) Zo njeby so nikomu křiwdy stało, přeprosychu cyłu wjes na kwas.
[dass nicht-wäre sich niemandem Unrecht+2 gestanden, luden(+sie, Pl.)- ein ganz Dorf zu
Hochzeit]
(誰にも不正が起きないように(彼らは)村全体を婚礼に招待した。)
(20) Jeho row běše nahi, ani kamjenja tam njebě.
[sein Grab war nackt, weder Stein+2 dort nicht-war]
(彼の墓は裸で,石さえもそこにはなかった。)
Tež při njenegowanym predikaće so subjekt druhdy w genitiwje trjeba, a to přede wšěm w
retoriskich prašenjach, na př.:
「述語が否定されていない場合でも生格の主語が必要であることがあるが,全てレト
リック上の問題で,例えば,
(21) Hač je hišće tajkich woporniwych ludźi?
[ob ist noch solche opferbereit+2 Leute+2]
(そんな犠牲になるような準備のできている人々がまだいるのかどうか?)
(22) Móže da hdźe być lěpšeho wotpočinka?(一体どこにより良い休養があるのだ?)
[Kann
(+3. Sing.)denn wo sein besser+2 Ruhepause+2]」
否定生格の頻度については zrědka「まれ」という表現を用いて 1981 年の文法説明と大差
のない立場を取っていることがわかる。
レンカ・ショルツェ(Lenka Scholze; 2008)は,否定生格についてファスケ(1981)の見
解を踏襲した上で,
Bei diesem weiteren Abbau des typisch slavischen Genitivs der Verneinung hat sicher das
Deutsche eine Rolle gespielt.24)
「典型的なスラヴ語の否定生格のこうしたさらなる衰退には,確実にドイツ語がひとつ
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言語接触による文法変化
の役割を演じてきた。
」
との見解を示している。
ソルブ語の否定生格についての記述は,全体的にはシェウツ,ファスケ,ショルツェとも
形式としては存在しているという立場を取り,ファスケは頻度についての見解も提示してい
る。ショルツェのみ否定生格とドイツ語との関連に言及がみられるが,ショルツェはソルブ
語の日常語 25)を考察対象としており文章語には言及を行なっていない。否定生格の衰退と
ドイツ語との関連に関する記述は,執筆者の知るところではショルツェのみであるが,地理
的にドイツ語と接触があるポーランド語,またオーストリアのドイツ語と接触するスロヴェ
ニア語ではやはり否定生格は生産的であり,反対にもちろんドイツ語と接触するチェコ語の
否定生格は後述のように壊滅状態に近い。同じくドイツ語と接触する言語間において同じ文
法現象が異なる様相を呈することを考慮すれば,ソルブ語の否定生格の衰退がドイツ語の影
響によると言う根拠のより詳細な説明が必要である。
6.
ソルブ語における任意の文法現象についてドイツ語の影響を判断する有力な言語的指標は
チェコ語およびポーランド語である。これはソルブ語が西スラヴ諸語に属しており同じく西
スラヴ諸語に属するチェコ語およびポーランド語とは近似性および共通性が高いからであ
る。従って任意の文法現象がドイツ語とソルブ語にみられチェコ語およびポーランド語にみ
られないとすれば当該の文法現象はドイツ語の言語的影響によりソルブ語に現れた文法現象
であると推測することが可能である。
もちろん任意の文法現象がドイツ語とソルブ語にみられチェコ語およびポーランド語にみ
られないといった言わば理想的な分布に至る場合と並んで,ドイツ語とソルブ語およびチェ
コ語にみられポーランド語にみられない,反対にドイツ語とソルブ語およびポーランド語に
みられチェコ語にみられないという場合も当然予想され,この場合にはチェコ語およびポー
ランド語を個別に検討することになるが,3 言語の高い共通性を考慮すれば,やはりソルブ
語の当該の文法現象に対応するチェコ語およびポーランド語の文法現象はドイツ語の影響の
判断の指標としては有力である。従ってチェコ語およびポーランド語の否定生格の検討を行
わなくてはならない。説明の都合上ポーランド語から検討する。
ポーランド語の否定生格は生産的な文法現象である。モニカ・スキビツキ(Monika
Skibicki; 2007)によれば否定生格は次のように説明されている 26)。
Im Genitiv steht: [...]
ein Substantiv als Objekt in verneinten Sätzen, das in bejahenden Sätzen im Akkusativ
steht:
言語接触による文法変化
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「2 格(生格)で現れるのは,[...]
肯定文においては 4 格(対格)であるが,否定文では目的語として 2 格(生格)の形式を
取る名詞がある。
(23-1)Ona czyta książkę. (23-2)Ona nie czyta książki.
+4
[Sie liest Buch ]
[Sie nicht liest Buch+2]
Sie liest ein Buch.
Sie liest kein Buch.
(彼女は本を読んでいる。
)
(24-1)Ona ma książkę.
(彼女は本を読んでいない。)
(24-2)Ona nie ma książki.
+4
[Sie hat Buch ]
[Sie nicht hat Buch+2]
Sie hat ein Buch. Sie hat kein Buch.
(彼女は本を持っている。
)
(25-1)Ona widzi książkę.
(彼女は本を持っていない。)
(25-2)Ona nie widzi książki.
+4
[Sie sieht Buch ]
[Sie nicht sieht Buch+2]
Sie sieht ein Buch. Sie sieht kein Buch.
(彼女は本を見ている。
)
(彼女は本を見ていない。)
Steht das direkte Objekt im bejahenden Satz im Genitiv, bleibt es auch im verneinten Satz
im Genitiv:
肯定文における直接目的語が生格である場合,否定文においても生格のままである。
(26-1)Ona słucha27)muzyki.
(26-2)Ona nie słucha muzyki.
+2
[Sie nicht hört Musik+2]
[Sie hört Musik ]
Sie hört Musik. Sie hört nicht Musik.
(彼女は音楽を聞いている。
)
(彼女は音楽を聞いていない。)
ein Substantiv in verneinten Sätzen, das auf das Nichtvorhandensein eines Gegenstandes
oder einer Person an einem Ort hinweist :
ある場所に存在しない事物および人物を否定文において示す名詞がある。
(27-1)Adam jest tu.
(27-2)Adama tu nie ma28).
[Adam+1 ist hier]
[Adam+2 hier nicht ist]
Adam ist hier.
Adam ist nicht hier.
(アダムはここにいます。
)
(28-1)Adam był tu.
(アダムはここにいません。)
(28-2)Adama tu nie było.
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言語接触による文法変化
[Adam+1 war hier]
[Adam+2 hier nicht war]
Adam war hier.
Adam war nicht hier.
(アダムはここにいました。
)
(29-1)Adam będzie tu.
(アダムはここにいませんでした。)
(29-2)Adama tu nie będzie.
+1
[Adam wird-sein hier]
[Adam+2 hier nicht wird-sein]
Adam wird hier sein.
Adam wird nicht hier sein.
(アダムはここにいるだろう。
)
(アダムはここにいないだろう。)
ボーダナ・ロマッチュ / ハナ・アダム(Bohdana Lommatzsch / Hana Adam; 2010)では,チェ
コ語の否定生格は次のような説明がされている 29)。
Der Verneinungsgenitiv wird nicht mehr regelmäßig verwendet. Er findet sich nur
noch in festen Wendungen:
「否定生格はもはや規則的に用いられることはない。否定生格は固定的な表現にのみ見
受けられる。
není divu(驚くことではない。
)
[nicht-ist Wunder +2]
Das ist kein Wunder.
nebylo po něm ani vidu30)ani slechu(彼は消息不明だ。)
[war-nicht von ihm weder weder Ohr+2]
Von ihm war nichts zu sehen und zu hören.
po sněhu ani památky(雪は消え去った。
)
[von Schnee weder Erinnerung+2]
Vom Schnee(ist es)spurlos verschwunden. 」
(30) Kdepak, člověče, to není žlučník, […]31)
[woher denn Mensch das nicht-ist Gallenblase+1]
とんでもない,きみ,それは胆のう炎じゃないよ,
(30)の例文からチェコ語では否定生格は通常現れず,チェコ語では固定的な表現を除外
すれば否定生格を有せずポーランド語とは異なっており,つまりソルブ語の文法現象の判断
の指標となるチェコ語およびポーランド語で差異が生じている。やや乱暴なまとめ方をすれ
ばドイツ語,ソルブ語,チェコ語,ポーランド語の 4 言語の比較の場合にドイツ語は言うま
でもなく否定生格を有せず,西スラヴ諸語内ではソルブ語は形式としては有するが義務的で
はなく,チェコ語では固定的表現を除き衰退しておりポーランド語のみ生産的である。従っ
言語接触による文法変化
81
てドイツ語とソルブ語にみられチェコ語およびポーランド語にみられないという理想的な分
布になってはいない。
しかしながらチェコ語の否定生格については興味深い指摘が行われている。現代のチェコ
語使用地域と重なるボヘミア地域は歴史的推移からドイツ語とチェコ語が接触状態にあった
ことは想像が容易であるが,ティルマン・ベルガー(Tilman Berger; 2008)はチェコ語の語
史を包括的に扱う著書の中でチェコ語の個別の文法現象にみられるドイツ語の影響について
先行研究の紹介を行なっている 32)。古期チェコ語(Alttschechisch)の時代にはまだ保存さ
れていたチェコ語の否定生格の例文(31-1)
(31-1)nemám peníz.(私は金がない。
) (31-2)nemám peníze.(私は金がない。)
[nicht-habe
(+ich)Geld+2]
[nicht-habe
(+ich)Geld+4]
Ich habe kein Geld.
Ich habe kein Geld.
は,現代では例文(31-2)が一般的であるが,例えばブルス(Brus; 1894),バルトーシ(Bartoš;
1901)
,ゼンクル(Zenkl; 出版年不記載)は,ドイツ語の影響により衰退したとの見解を示し
ている 33)。
同一文法現象であり接触する言語がドイツ語であるという客観的事実およびチェコ語にお
ける否定生格が衰退に至る理由をドイツ語との接触に求める先行研究を認めるとすれば,西
スラヴ諸語内ではチェコ語を除外しドイツ語,ソルブ語,ポーランド語の 3 言語の比較で観
察を行うことが可能である。この 3 言語を比較してみると形式上はドイツ語およびソルブ語
に近似性があることになる。ソルブ語およびポーランド語はもともと近似性が高い言語であ
りながら否定生格においてドイツ語とソルブ語において類似していることを考慮すればソル
ブ語が否定生格を有しないドイツ語と接触したことにより否定生格が衰退に至った可能性が
考えられる。チェコ語の否定生格の衰退がドイツ語の影響によるという研究者の見解は,同
一文法現象および同一言語との接触という観点による研究であることからソルブ語における
否定生格の衰退をドイツ語の影響と考える理由の傍証として十分に成立すると思われる。
7.
エルス・オクサール(Els Oksaar; 1996)は,
「言語接触研究は幅の広い諸学横断的な分野
であって,マクロ分析的には文化的,経済的,政治的,科学的な接触の研究であり,ミクロ
分析的には母語および他方の言語を用いる話者の研究である」と述べている 34)。本論文は
言語学的考察を柱とするのでソルブ語およびドイツ語の言語接触に関するマクロ分析的な言
語外要素の指摘および検討は行わずその専門研究にゆだねるが,ここではソルブ語母語話者は
ドイツ語母語話者と同様に日常的にドイツ語を使用していることを指摘すれば十分であろう。
R.M.W. ディクソン(R.M.W.Dixon; 1997)は,二言語間で起こりうる相互影響について,
「言
82
言語接触による文法変化
語接触下において相手側言語による影響は,当該言語 X および言語 Y の言語的規模が同程
度のようであれば基本的には相互方向的なものとなる。結果として両言語に両言語の特徴が
相互にみられることがある。しかし当該の言語 X および言語 Y において,言語 Y の話者数
およびこれに起因する社会的立場が小規模である場合には言語的影響は言語 X からの一方
通行となる場合があり,この場合には言語 X の特徴が言語 Y にはみられるがこの反対は起
きない。
」との内容を述べている 35)。
ベルント・ハイネ / タニア・クテヴァ(Bernd Heine / Tania Kuteva; 2005)は,相手側言
語の文法を模倣し相手側言語をモデルにして新しい構造を獲得することについて,
「
(言語)
接触状態では,稀にしか使用されない型が別の言語をモデルにした新しい主流の型へと発展
する可能性がある。
」36)との指摘を行うと同時に,
「のちに主流になる型がレプリカ言語(執
筆者補:ここではソルブ語)で萌芽をはじめるとき,まず起こることは,いくつかの型のモ
デル(執筆者補:ドイツ語の文法形式)の影響により(レプリカ言語に)存在するようにな
る型の使用の増大である。つまりレプリカ言語(執筆者補:ここではソルブ語)の話者はご
くまれに用いられていた型を使用し始め,彼らはこれをより頻繁に使用する。これにより,
自らの言語に存在し始めた相手側言語の特徴を自らの言語にもともと存在している型と同一
視しその型を念頭においた模写が起こる。
」37)と相手側言語の特徴が浸透することについて
も指摘を行なっている。
ドイツ語はソルブ語に対して圧倒的な大言語であって,ディクソンの見解を認めるならば
ソルブ語にみられる任意の文法現象についてドイツ語と近似性の高い現象がみられる場合に
はドイツ語の影響により出現した現象であると仮定することが可能であり,そのドイツ語的
な特徴がソルブ語に浸透する可能性がハイネ / クテヴァの見解により示されている。
8.
ソルブ語とドイツ語に限らず,先の言語接触理論を踏まえて任意の言語 A の特徴が任意
の言語 B にみられ,その特徴を相手側言語による影響と考える場合,その特徴について考
慮しなければならないことはアドホック(Ad-hoc)である。ここではアドホックをクラウ
ディア・マリア・リール(Claudia Maria Riehl; 2009)にならい,「相手側言語の語彙を一時
的に取り入れること」と理解しておくが 38),任意の文法現象の検討を行う場合,一定の期
間において当該の文法現象が相手側言語に取り入れられていることを前提とするならば,ア
ドホックを排除しなくてはならない。アドホックを排除するためには通時的検討が必要にな
る。また当該の文法現象が歴史的文献に一定数見られるのであれば,その現象は当該言語の
中で定着をみていると仮定できる。
ドイツ語と異なりソルブ語の歴史的文献は,断片的な文献を除外すれば,宗教改革以降の
資料体に検討が可能である。しかしながら現存する初期の資料体は宗教的な文献が多く,ソ
ルブ語に自然な形で浸透したドイツ語的な言語現象を考察する場合,散文に調査を行うこと
言語接触による文法変化
83
が理想的であることを考慮し,本論文では散文作品の比較的多い 19 世紀の資料体を調査対
象の中心とした 39)。
▶否定生格の例
(32) S.106., S.107.(1809)
Ach ja nimam chwile, [...]
[Ach nicht-habe
(+ich)Zeit+2]
Ach, ich habe keine Zeit, [...]
(ああ,私には時間がない。
)
▶否定生格ではない例
(33) S.88., S.91.(1700 年代)
[...]a tych starych šědźiwcow, kotřiž němske słowa njeznaja, [...]
[und die alt Greise welche deutsch Worte+4 nicht-kennen(+3, Pl.)]
[...]und alternde Greise, die freilich deutsche Worte nicht kannten, [...]
(もちろんドイツ語の語彙を知らない高齢者を)
(34) S.125., S.126.(1827)
Mječ, hlebiju, proki a škit nima serska prawica wjace, [...]
[Schwert+4 Lanze+4 Pfeile+4 und Schild+4 nicht-hat sorbisch Hand mehr]
Schwert, Lanze, Pfeile und Schild sind nicht mehr in sorbischer Hand, [...]
(剣,槍,矢そして盾はもはやソルブの手にはない。)
(35) S.144., S.145.(1800 年代)
Daj sebi pokoj a njeswar dźěćo, [...]
[Gib sich Frieden und nicht-schilt Kind+4]
Besänftige dich und schilt das Kind nicht, [...]
(落ち着け,子どもを叱るな。
)
(36) S.201., S.201.(1841)
Lóško dosć ta bojosć, zo njebudźe nichtón žane druhe knihi kupować.
[wahrscheinlich genug die Furcht dass nicht-wird niemand kein ander Bücher+4 kaufen]
Wahrscheinlich die Besorgnis, daß niemand Bücher von anderem Inhalte kaufen
werde.
(おそらく,誰も別の内容の本を買わないだろうという憂慮。)
(37) S.201., S.201.(1841)
[...], ale dokelž w samym wótcnym kraju bjez nawědźitymi Serbami žane zjednoćenje
města njenamka, [...]
84
言語接触による文法変化
[aber weil in einzig Vater- Land zwischen in-Erfahrung Sorben kein+1 Vereinigung+1 Stadt
nicht-stattfand]
[...], aber, weil im Vaterlande selbst unter den gebildeten Wenden keine Vereinigung
stattfand, [...]
(しかし祖国においてさえソルブ知識人の間に都市の連合が行われていなかったので,
)
(38) S.202., S.202.(1841)
[...] a dokelž ći Serbjo hač dotal hišće žanu připrawu a žanu nowinu njemějachu,[...]
[und weil ferner Sorben bis jetzt noch kein+4 Einrichtung+4 und kein+4 Neuigkeit+4 nichthatten(+sie, 3, Pl.)
]
[...], und weil ferner die Wenden bisher noch kein Organ und keine Zeitschrift hatten,
[...]
(そしてさらにソルブ人たちはこれまでも機関や新聞を持って来なかったので,)
(39) S.204., S.204.(1841)
To su tajcy połojčnacy, kiž Němcy njejsu a w serskim mało zamóža.
[das sind solche Halbding welche Deutsche+1 nicht-sind und in sorbisch wenig vermögen]
Das sind solche Halblinge, die nicht Deutsche sind und im Wendischen wenig
vermögen.
(それはドイツ人でもなく,そしてソルブ語でも理解ができない半端者たちだ。)
(40) S.204., S.204.(1841)
[...] Ale ja sebi myslu, zo žadyn rozomny čłowjek tehodla swoju narodnosć zacpěć
njebudźe,[...]
[aber ich sich denke dass kein+1 verständig Mensch+1 deshalb sein Nationalität verachten
nicht-wird]
[...] Aber ich denke, daß kein verständiger Mensch deswegen seine Nationalität
verachten wird, [...]
(私が思うに,分別のある人間はそれ故に自らの民族性を蔑むことはないだろう。)
(41) S.344., S.345.(1897)
[...], serbski lud mój nihdy njezahinje.
[sorbisch Volk+1 mein+1 niemals nicht-untergeht]
niemals wird mein Sorbenvolk vergehn vergehn !
(決して我がソルブ民族は滅ばないであろう。)
▶対格か否定生格か形式上の判断が困難な例 40)
(42) S.347., S.352.(1877/1878)
[...], dokelž nimamy zahrodnika, [...]
言語接触による文法変化
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[weil nicht-haben
(+wir)Gärtner+2,4]
[...], weil wir keinen Gärtner haben, [...]
(我々には庭師がいなかったので,
)
(43) S.265., S.266.(1884)
Serbja žanych duchownych, wučerjow a wučenych ludźi nimaju !
[Sorben kein+2,4 Geistlichen2,4 Lehrer+2,4 und gelehrt Leute+2,4 nicht-haben(+sie, 3, Pl.)]
Die Sorben haben keine Geistlichen, Lehrer und Wissenschaftler !
(ソルブ人には聖職者,教師,研究者がいないのだ。)
検討した 12 個の例文で観察すれば否定性格の例は例文(32)の 1 例であり,形式上の区
別が困難な例文(42)
,
(43)を否定生格と仮定しても否定生格を用いない例文が圧倒的に多
いことが浮かび上がってくる。検討した例文に限定すれば 19 世紀には否定生格は既に衰退
傾向にあったことが推測される。19 世紀は鉄道開通,石炭炭鉱など産業化により,ソルブ
語使用地域へのドイツ語の浸透が急速に進んだ時期であり,19 世紀の資料に否定生格の用
例が少ないことと,ソルブ語へのドイツ語の影響には密接な関係があるとの仮説を排除する
積極的な理由は見当たらないと考えられる。
9.
同族のスラヴ諸語間における比較,言語接触理論および語史から,執筆者はソルブ語にお
ける否定生格の衰退をドイツ語との接触によって影響を受けたものと考えるが残された課題
もある。否定生格はチェコ語およびソルブ語で衰退したが,ポーランド語では生産的であり
ポーランド語はもちろんドイツ語との接触もある。つまり,ソルブ語の否定生格の衰退の理
由をドイツ語との接触を理由とすることの説得力に欠けている部分があることもまた事実で
ある。この場合にはドイツ語との接触についてチェコ語およびポーランド語について個別の
検討が必要になる。
ハウゼンブラス(Hauseblas; 1958)も,チェコ語の否定生格衰退についてドイツ語の影響
によるとの見解を示しているが,
「否定生格における生格の衰退は別のスラヴ諸語にとって
も典型的であり,動詞格支配(Rektion)として生格を要求する動詞語彙の衰退という一般
的な背景の中で捉えなければならない。
」41)という興味深い指摘も同時に行なっている。ス
ラヴ諸語では一般的に生格を支配する動詞語彙は多く,ハウゼンブラスの主張を完全な形で
認めることは現段階では躊躇するが,動詞の格支配という視点で検討を加えるならば否定生
格の衰退の理由をドイツ語の動詞の格支配の影響の有無という観点による観察の可能性を開
き,また同時に格支配について生格のみならず,ドイツ語の個別動詞語彙の格支配全般とソ
ルブ語の個別動詞語彙の格支配全般の関係という研究にも道を開くものと考えられるが,こ
れについては稿を改めて論じてみる。
86
言語接触による文法変化
注
1) 本論文では上ソルブ語を考察対象としており,従ってソルブ語という語句を用いるとき,こ
れは基本的に上ソルブ語を表しているが,下ソルブ語を完全に排除するものではない。両者
を区別する必要がある場合には上ソルブ語,下ソルブ語という名称を用いる。また方言につ
いてはゲオルグ・ホルツァー(Georg Holzer; 1999)の指摘にあるように大多数が消滅してい
ることから方言は考察対象としない。
Vgl. Holzer, G.(1999): S.252f.
2) Michalk, S.(1990)
: S.432.
3) Schaller, W. H.(2003)
: S.411f.
4) Jentsch, H.(1999)
: S.160.
語彙のみを引用している。ドイツ語の語彙が借用されていることを概略的に示すための矢印
の記号は執筆者による。( )内の語彙はソルブ語オリジナルの語彙である。
5) Admoni,W.(1970): S.112ff.
付加語(Attribut)としての機能も日常語では前置詞による代替表現により衰退の傾向にある
との見解は示されている。
6) アドモーニは動詞との関連で用いられる 2 格について,Gruppe des Verbs(動詞グループ)と
いう語句を使用しているが,これは Valenz(動詞結合価)により動詞が要求する必須の文成
分としての 2 格という意味で使用されていると考えられる。
7) Hentschel, E. / Weydt, H.(1994)
: S.154.
8) 男性名詞単数形の形式のみ提示してある。
9) 厳密には全ての造格が単独の形式で用いられるわけではない。共同格(付帯状況)の意味の
ときは前置詞を伴う。
Vgl. Пулкина, И.М. / Захава-Некрасова, Е.Б.(1975)
: c.88.
10) [ ] 内の斜字体のドイツ語語彙およびドイツ語訳は文法関係を表示させることを第一の目的
として執筆者が付記しこれをもとにドイツ語訳を行ったものである。従ってドイツ語訳とし
て的確なものではない可能性がある。
11) Tafel, K. et al(2009): S.128.
Tafel の著書は各スラヴ諸語間の言語現象の比較に重点が置かれているがソルブ語は比較対象
になっていない。なおスラヴ諸語における生格の機能は,バルドゥール・パンツァー(Baldur
Panzer; 1991)からの引用である。
Vgl. Panzer, B.(1991)
: Die slavischen Sprachen in Gegenwart und Geschichte: Sprachstrukturen
und Verwandtschaft. Peter Lang, Frankfurt a. M.
12) Admoni,W.(1970): S.114.
13) Faßke, H.(1981): S.453.
14) Korjenje, In: Hołbik čornej nóžce ma.,1999, str.69. [ ] 内の斜字体のドイツ語語彙は執筆者に
よる。
15) ドイツ語訳;Šołćina / Wornar(2002): S.174., S.175.
16) Korjenje, In: Hołbik čornej nóžce ma.,1999, str.70. [ ] 内の斜字体のドイツ語語彙は執筆者に
よる。
17) ドイツ語訳;Šołćina / Wornar(2002): S.175.
言語接触による文法変化
87
18) hudźba は女性名詞であり例文( 6 )ではドイツ語の kein に対応する žadyn も主格 žana の形式
をとっているが,hudźba が生格の形式で現れるとすれば žadyn もこれに対応して生格 žaneje
の形式となる。
19) Šewc, H.(1968): str.66.
20) Faßke, H.(1981): S.457f.
prajić,piknyć,porěčeć に対応するドイツ語の動詞語彙のみ執筆者による。また例文は全て
の例文を提示していない。[ ] 内の斜字体のドイツ語語彙は執筆者による。
21) ibd. S.458ff.
22) Helmut Faska = Helmut Faßke
23) Faska, H.(2003): str.205.
三谷(2003)にも否定生格は義務的ではなく通常は使用されないとの説明がある。
三谷(2003): 666 頁,704 頁
24) Scholze, L.(2008): S.80.
25) 日常語の定義は多様でありショルツェも日常語の定義を行なっているが,本論文は基本的に
文章語を考察対象にするので日常語の定義には言及しない。
Vgl. Scholze, L.(2008): S.24ff.
26) Skibicki, M.(2007): S.31ff.
ドイツ語訳はスキビツキによる。[ ] 内の斜字体のドイツ語語彙は執筆者による。
27) słuchać(hören「聞く)はドイツ語では 4 格の目的語に対応する目的語として生格を要求する。
28) być(sein)の 3 人称単数現在形は jest(ist)であるが,否定詞 nie(nicht)を伴う否定文では
nie ma となる。ma は mieć(haben)の 3 人称単数現在形と一致するが,あくまでも być の否
定である。
29) Lommatzsch, B. / Adam, H.(2010)
: S.37.
[ ] 内のドイツ語語彙は執筆者による。ドイツ語訳は,Langenscheidt Taschenwörterbuch
を参考に作成した。
30) vid は Aspekt,Aktionsart(アスペクト,動作様態)の意味であるが当該の文では対応する訳
語がなく [ ] 内のドイツ語語彙は不記載にしてある。
31) 飯島(1990): 84 頁,日本語訳 : 85 頁,[ ] 内のドイツ語語彙は執筆者による。
32) Berger, T.(2008): S.58ff.
チェコ語の場合には「音声的にも文法的にもチェコ語はドイツ語の影響を受けておらず,長
期間の接触にもかかわらず名詞の豊かな曲用,動詞アスペクトの存在,また冠詞も有しない
ままである」との内容を述べるポヴェイシル(Pvejšil; 1659)のような立場,反対に 19 世紀
のチェコ語純粋主義的な案内書(Handbücher)には,編集者の見方により取り入れられた数
ページにわたるドイツ語的構文が見られるとベルガーは指摘しているが,ドイツ語の影響に
ついて異なる立場の見解が提示されることはソルブ語の場合と大きく異なっている。
33) ibd. S.59.
Brus(1894): Brus jazyka českěho. Praha, str.133.
Bartoš(1901): Nová rukovět správné češtiny. Telč, str.50f.
Zenkl(出版年不記載): Přiručka správné mateřštiny. Praha, str.58f.
34) Oksaar, E.(1996): P.1.
88
言語接触による文法変化
35) Dixon, R.M.W.(1997): P.22, 23.
36) Heine, B. / Kuteva, T.(2005): P.40.
37) ibd. P.45.
38) Riehl, C. M.(2009): S.38.
リールは Ad-hoc-Entlehnung(即席借用)という語句を用いているが,即席借用は語彙にとど
まらず文法現象の借用にも適用されるとの見解を示している。
39) Lorenc, K.(Hrsg.: 1981): Sorbisches Lesebuch / Serbska čitanka.
例文番号の後の頁は,ソルブ語本文,ドイツ語訳の記載頁を示す。[ ] 内の斜字体のドイツ
語語彙は執筆者による。日本語訳は執筆者による。なお(32)は Jan bohuchwał Dejka,(33)
は Jurij Mjeń,(34),
(35)は Handrij Zejler,
(36)∼(40)は Jan Arnošt Smoler,
(41),
(42)は
Jakub Bart-Ćišinski,(43)は Michał Hórnik の作品である。
40) 男性名詞活動体人間形の名詞は,対格(4 格)および生格(2 格)の形式が同形であるために,
対格か生格かの判断を留保した。
41) ベルガーによるハウゼンブラスの見解の紹介である。
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