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全ページ - 高森町
夏 に処すも のとて団扇 五 ・六本 手を取ら ぬ事が何 より暑 に耐ゆ る 折 から の寺 の晩鐘魂 迎う 久潤 の話 尽きざ る夜涼 かな 鮮 とり の子等 と出遇 いて登 り来 し 打水 に火山灰を洗 いて客迎う 孫 ら来 て小 さき竹 に星祭 る 格好 の石あ り母子夕涼 み 帰省子 や屈託 のなき笑 い声 古稀祝う母健 やかに夏羽織 外輪 の空あ ますなく揚花火 夏霧 か ヨナの流れ か根子覆う あ り が と うご ざ いま し た 岳 人 こう 女 あ や女 蕗 信 子 寿 ふ い子 久 占い 泰 子 るり子 ふみ子 扶 美 9歳死亡︶ ︵ 父、彦平 さん 。8 ◎町社会福祉協議会 へ ▽尾下馬渡 の田上勝行 さんから ゛ ︵ ︶ ﹂ ¨ 原 永 岡 田 谷 原 L ョ 〓 〓 〓 〓〓三 Ξ 亡 美 香 女 7.29 旭 通 伊藤 晴雄 龍 介 j り 7.13 芹 日 有藤 補: 美 り; 7.20 久 女 恵 亡ヽ ヽ 齢八年月 日ノ ▽色見西丁 の興相 昭夫 さんから ︵ 山室 イ ツ エさん 。8 7歳死去︶ ﹀高森上町 の丸野 ニツ ヨさんから 3歳 死去︶ ︵ 夫、守 さん 。6 ▽大字津留 の馬原範 三さんから 3歳 死去︶ ︵ 熊谷積也さん 。4 ▽高森校区婦人会 から金 一封 ﹀大字津留 の興相武春 さ んから 0歳死去︶ 父、竹松さ ん 。8 ︵ ▼高森下町 の二股 三治郎 さんから 7歳 死去︶ ︵ 妻、 キ ヨ子さ ん 。6 ◎ その他 の寄付 ﹀松岡求 さんから山室 イ ツ エの香 典返 しとして中 西老人会 ヘ ﹀尾下馬渡 の田上勝行 さ んから香 典返しとして尾下老人 クラブ ヘ 三 三 〓三 Ξ ≡ ≡ 三 〓Ξ ≡ 〓三 ≡ ≡ 〓三 三 ≡ 〓三 〓Ξ 三 〓Ξ 〓三 三 三 三 Ξ 三 Ξ Ξ 三 三 ≡ 三 Ξ 三 ヨ三 〓〓Ξ ≡ Ξ 〓三 三 〓三 〓〓三 ≡ 〓Ξ 〓三 F 父、長 さ ん 。5 ▽高森冬野 の加藤貞治 さんから ︵ 7歳死去︶ 野尻 光雄 肥 後 狂 句 笑 上 在 馬 の恋、 カ メラの並ぶ草千里 手形、私 の腹 に押 してあ る 雨晴れ て、 ウ ナギ手甫 には良 え濁 り 馬 の恋、 い っとき鞍 の乗 せられ ん 押 しや って、風邪 こじらかす農繁期 馬 甲斐 敏文 り; 田 上 黙 公 子 原 3 日 9 月 2 4 日 9 月 2 0 日 9 月 3 0 0 0 0 0 0 馬 原 医 院 高森② 0646 東 医 院 高森② 0309 寺 崎 医 院 高森② 0378 平 田 医 院 高森② 0216 渡 辺 医 院 南阿⑦ l777 藤 本 医 院 南 阿⑦ 0020 前後 午午 はら 療か 診時 届出な し 馬 上 在 瀬井 幸一 飽き の来 て、別な パト ロン喰 わえ込 み 雨晴れ て、遠足 の子が飛び上り 飽き の来 て会釈負けどません給仕 手形、 太 ェ社印が喰 わ せも ん 飽き のき て、封も切ら んな焼く手紙 押 しや つて、 テ レビが茶碗洗わ せん 声、あくびが返事 しおるば い 飽き の来 て、もう 八 ミリも お倉入り 雨晴れ て、 レイ ン コートば打 ち忘れ 父 I二 田 苔む せる石碑偲 んで語り合 い 都 心より帰 りし子等 に峰時 雨 朝霧 にカナ′ ‘ヽ岬 の大合唱 蝿叩持 ちてあ ち こちそぞろ足 紫陽花もうだ る暑 さに頭垂れ 眠 る児 に何 と名づけ ん縁涼 み 今 日も亦 よな べ待 ち肥盆迫 る 月見草黄 色き蝶 のこば れ立 つ 鬱 稔 び・ a 婚 スイ カ栽培軌道に (色 見地区)・ … 女 A == 結 → ロ の 花﹂ 8. 3 ′ 郷 上の ` 夏 だ 祭 りだ 。 山引き、 濃 い緑 の中 で鮮 かに咲く カ ンゾ ウの花︱︱ 。 80 □ 美 高森 の晩夏 に見られる風情 の 一つとして心引 かれます。 退職後 の楽 し みに習 い始 めたば かりな ので、絵 にな って いるかどう かが 心配 です。 L色見 荒 牧 アヤ子 典相 武春 父 興什1 4/J松 i医 :1′ 町役場25人 の職員が異動 …………… 友 ヽ一 ︰ヽ 一 ︱■ヽヽヽ ・ 7.18 ,│〕 75 □ 吉良 嘉人 、● 田上 長 : ・ ′― 上 町 ミヽベ ・ 一S 一 一ミ 勝行 : IW 菅牲 日洋展夏期大学開 く・……………… □ り, ・ ・● ■ 7.23 日 行 響 ヽ ¨ 一 一一一巡一一一 凶一 ヽミ一 義信 妻 l: 1町 lf: 下 ノゝ 9 日 日 15 16 か ら秋の交通安全運動・… 時 まで 7.23 21日 政 良夫 守 IIlj │1召 │′ 斐 63 9月 佐藤今朝弘 俊 r年 ヽ r死 族)(続 柄)(死 亡者) (遺 「) lり 甲斐 シズエ 62 │ド 9 月 │ 9 月 九野 ニ ツヨ 夫 丸野 9 □ 74歳 以上の長寿者は 549人 ………… 昭 和 尾 下 夫縁故者山室イ ツエ 78S.54.717 興什│ 月 □ ヽ■●■・●・ 山岩 平 占柴 林 桐 弥 松 内 熊 馬 7.21 リサ 0 死 7.25 仁 0 (イ 7.18 嘉 第 241号 月 7.16 渡部 吉基 ‐ 沐 半 村 下 田 庄 田 日 召禾口54年 S54.7.8 昭 和 ″下 ″塚 ″ 田 ″ 本 ﹁野 (イ 寸) (出 生 児) ││)(出 41月 ││) (1生 り │∵ i: (寄 ) S54.7 16.∼ 8.15.受 何 生 出 (住 所) (保 護者) 11 忘 天 ,li `―(_ノ ウ 「 氣 一 哀 岡 林 浦 岩 l何 不 . I J^ 内 容 も な お 森局09676)② 1111〔 代表〕 林 ロ 晏 :::1::`:炎 世帯数………………・ 2,608 藤 田 部 石 藤 藤 井 0 ● 句 6 死亡 転出 チ 春 ヤ lliや 訓 夕 昭 ソ よ エ 嵐 ・ 六 い r工 利 tヽ ヽ 出生 12 転入 30 32 TEL(高 発行 阿 蘇 郡 高 森 町 役 場 俳 9,541人 報 後 後 瀬 森 後 本 阿 白 ││ 現在― 31日 -7月 口 人 ⑩ 第 241号 り も か た 報 広 昭和54年 9月 1日 昭和 54年 9月 1ロ り も か た 報 広 第 241号 (1) 」【 I■ ト ップ は後藤 さ ん 動歳一 見 なが ら の タ マゴ し、 夜 は テ レビ を 静 かな H 々を過 ご し て います 。 約 城 井辰 彦 さ んは人字 野 尻 の介 地 で 人存 ら し でし たが、 宮 郎 さ ん は自 ︱ 五年 前 に奥 さ ん の ミ スさ んを 亡 く し て から は養 r の富 郎 さ んと 二 衛 隊 に人隊 、 しま は全 く の 一人暮 酒 の晩 酌 ︵一合 ︶ が何 よ り も 楽 し み。 午後 九時 過ぎ のも ので、 食 事 は白炊 c た ま に は し かし九 ︱ 五歳 にし て は元気 そ ら し です 。 に は床 に つ き ま す。 せず 、 な ん でも よく食 べる こと。 メブ ,子な し で新 聞 に目 を や っ た り、 ムシ ロを敷 いては屋 敷 の卓 取 りを し て います。 ﹁いま は敬 老会 が待 ち 遠 し い﹂ と いう ご様 子 で す。 ヽ. 、 tす るた め 町 で は今年 も 町内 八 1 し ます 。 ご案 1 催 地 区 で敬 老 会 を︱ ︲ i l 内 す る お年 寄 りはl ︱ ︱LI 四歳 以 L ︲ のソ、 . 日程 は次 の通 りとな って し ます 。 ″ 色 見 小 学 校 上 色 見 ″ 草部南部集会所 草部北部集会所 高森町林業 センター 地 区 一 場 九月卜五日は敬老 の日。 そして 九月 二十 一日までは老人福祉週間 とな っています。長 い年月 にわた って社会 のために尽く してこられ たお年寄りを敬愛 し、長寿を お祝 いう こと です。 一方 、 男 性 で町内 一の長 寿 者、 人 と楽 しく 語 り合 う こと﹂ だ そう で病 気 ら し い病 気 は し て いな いと 神 経 を使 わず 気 楽 に過 ごす こと。 長 寿 の秘 け つは ﹁好 きき ら いを ″ な んでも食 べ、早寝早起き ″ 人 の町民 のう ち有 数 の町 の歴史 の 八月末調 □ 本町 で今年満七十 四歳以L の長寿者 は五百 四十九人 ︵ 。九月卜五日 の敬老 の日を前 に、 □ べ︶ で、 ト ップ は九十 七歳︱ ︱ 町 では敬老会ご招待 のため の名簿を調製 しました。 七十 四歳 以上 □ の長寿者数 は平均余命 の伸びととも に年 々増 えて今年 は昨年 より □ 三十 七人も増加、さら に記録を更新 しました。 敬老会名簿 によると、ト ップ は、 住む後藤 ト エさん。明治十五年 四 、 昨年 と 同様、女性 で 大字 河原 に 月 二日生 まれ の九十 七歳 で 一万 生 き字 引 き 的 存 在 。 以 下 九 ︱ 六歳 一人 。 九 十 五歳 一人、 九 十 三歳 二 人 など と明 治 生 まれ が続 いて いま す。 男 性 のト ップ は野 尻 の介 地 に 住 む城 井辰 彦 さん で明 治 卜 六年 ト 一月 二十 九 日生 まれ の九 卜 圧歳 。 七十 四歳 以 卜 の人 は 四︱ 六年に 四百 二︱ 五人 だ った のが年 々増 え ︰ 高 森 枝 区 ︰ ︲祁 打 郁 ︲ ,︲ ″ “] 日伯 ︲色 兇 ″ 1 中部北部 ″ 創立 百周年を 祝 い ました。明 治七年 に矢津田小学校、 二年遅 れ て中小学校が創立、 こ のあ と大正十 一年 に二校 が合併 して車部北部尋常 高等小学校 に改称、昭和 二十 二年 の学制改革 で、 代 目 の友田弘道校長 ら八人。児 童 の通学距離 の四キロはざ らで、 遠 いと ころ の子 は大畑、百刈 な ど約六キロの山道を通 って います 学校 の歴史 は古く、 五年前 に り の農家c O 現在 の児童数 は五十 七人 で、 四、 五年が複 一学級当 式 の五学級。 たり八︱ 十 一人 は へき 地ならで は の教育環境 です。先生 は十 八 尾 下 ″ 尾 下 小 学 校 野 眈北 部 ″ ・河 原 ″ 野 尻南 部 ″ 所 敬 老 会 日程 表 一 午前0 1時 1時 午前 1 ″ ″ 午前 1 1時 日 一時 5 日 ″ 1 5 日 9 月 ︲ /ヽ た く︶ D 草 部北部小学 校 れ たと ころにあ ります。校区 は 大字矢津田と中、 の二地区 では と んど の家庭 は高冷地野菜づく 百七十五材 の山 ふと ころ に抱 か 道津留︱柳谷線 に分れ て、約 六 、赤羽根 の農協 を過ぎ て大 カ キロ ーブ に差 しかかると左側 の高台 が学校 です。外輸山越えした い わゆ る山東部 に位置 し、海抜七 国道 三二五号線 の柳谷 から県 友 田弘道校長 7人 ︵5学級︶ 児童数5 間 て昨年 は五百 1 二人 。 今 年 はさら に三F L人増 え て五百 四︱ 九 人 と 内 訳 は 男 三百 三ト な りま し た。 ー人、 女 i百1 六人 と 三対 二 の割 合 で女 性 が長 寿 ぶりを発 揮 し て い 町内 き って の長 寿 者 の後 藤 ト エ ます 。 3 日 ″ 1 5 日 ″ 1 ″ 4 1 日 4 日 ″ 1 6 日 ″ 1 9 日 ″ 1 ● さ ん は五 ヵ月 前 に九卜 七歳 の誕 生 内 を祝 ったば かり。 二男 の 一二さ ん 町 七 ︶と孫 の昭敏 さん︵ 四五︶ 夫婦、そ ︵ 八 れ にひ孫 三人 に囲 まれ ての生活 で すが、毎朝 七時 には起き、庭 の卓 取 り や散 歩、昼 寝 で日中を過ご く 、 全 く の貰 いも のであ る。 ほか 一生 江 のう ち に、 二 の宝 な らば 、 回 も f国も貰 う ことが でき る かも 知 れ ま せ んが、 命 の宝 は、 た った 一日 のかけ が え のな い尊 いも ので す。 私 た ちが 自分 の手 で作 ったも のな ら、 自分 の好 き な よう にし て も よ いかも知 れ ま せ んが、 ﹁いた だき も の﹂ と いう こと にな ると、 かりそ め にも 命 だ け は、 お粗末 な 取 り扱 いは でき な いはず であ る。 一生 江 に 一回 き り の大 切 な命 、 ″ 命 は宝 ″ 大 切 な命 に ついて、 と く と考 え て生 き 抜 き た いと思 う こ のご ろ です 。 ︹投 稿 要 領 ︺ 題材 は自由。 四百字 詰原稿用紙 一︱ 二枚 にまとめてくださ い。短 くす る こともあ ります。 住所、氏名、年齢、職業、匿名 希望 の場合 はそ の旨を明記してく ださ い。住所、氏名 のな いも のは 掲載 されな い場合があ ります。 ま た、 帰 り道 に車窓 です 。 から タバ コの吸 いが ら を投 げ捨 て て いる光 景 を見 ま した。 ﹁自分 さ と思 います 。 ︵一主婦 ︶ いよう な ことが、 結 局、 日本 人 の マナー低 下 に つな が って いる のだ え よけ れば ﹂ と いう考 え はなく し ても ら いた いも のです。何 でも な ︰ ⋮ ⋮ ︲ ︰ ⋮ ■ チ ク リ一一=一 一 一 = 一 ==一 ⋮ 一 = ⋮ i r ⋮ ︰ Oと 躍≧ 先月、夏休 み に家族連れ で海水 浴 に行 った際 に、車 の往来 の激 し い道路 で スレ違 った車 の 一台 に、 車窓 から幼児が手を出 している の があ りました。あれは本当 に危険 月 の一二 トエ 朝 から晩まで勉強だけ に追 いま くられ て、暗 い気分 になり、悪 い 誘惑 に 引きず り 込 まれ て いく学 生、自分 の仕事 に不満 で、果 ては とう とう自殺す る青年︱︱等 々。 命 は求 めて与 えられたも のでな 5 津鼎 馬 原 範 一 二︵ 7︶ 「 くる くるまわ るよ」 ● , t ″命 の大 切 さ を 知 ろ う 〃 ﹁ 安 心決定砂﹂ と いう仏法 のこ とを解 かれた本 の中 に、次 のよう な ことが書 かれて います。 ﹁私たちが幼少 のとき には、自 分 の 命 のこと は全くわか らな い が、 やが て物 心が つき はじめ、次 第に 成人 になるに つれ、自分 の命 を自分 の私有物 のよう に考 え勝 ち であ る。何 かの機会 に、縁 に恵 ま れて、仏 の道を聞く よう にな って から、 はじめて自分 の命 と いうも のを考えるよう になる﹂ と︱ ︱。 私 たちは人 の命 の大切 さ、そし て この世 に生 まれ て来 た こと の大 一日 一日を充実 切 さをよく考 え、 したも のにしな ければ な りま せ ん。 眸匹 けるのがちょっびり悩 現在 の小学校が生 まれま した。子供 たちは素直 で 底抜け に明 るく、全校児 童 の仲 の良 さは抜群。言 われ た ことも良く守 る反 面、自主性、創造 性 に欠 創造性 を育 て る ︶ か ︺ ふ がr. 議 す斜 供﹂﹁たく まし い体 で最後 ま でや り抜く子供﹂を めざ し、 一貫 し た教育が続けられ ています。十 一月 には郡指定 による国語 の二 年 次発表が予定され ており、 二 学期 は説明文 の読解力などを高 める勉強 に力が入れられ ていま す。 自 主 己・ 一 け 撃撫 魏﹂ 鶉一 つ . ヽ 光 夫 瀬 井 尾下小 以上 の 長寿 者 餞型)豊 顎 ヲ そ _ )硼 (2) 第 241号 り も こ か チ 報 広 昭和 54年 9月 1日 昭和 54年 9月 1日 り も か た 報 広 第 241号 0 若 い力 で 国 を 守 ろう F国 せん。詠進歌 は白作 の歌 で 一人 一 首 とし、未発表 のも のc要領 は半 紙を用 い、毛筆 で自書 してくださ 管、塗装、 木 工、 和裁 の 六職種 建築科 は実技 試験 と学 科試 で、 験、それ以外 は学科試験だけ。 申請書 の受付 は九月 二十日から 二十九 日まで。 学科試験千 五百 円、実技試験 八千 五百円。 受験資格、試験 の科目など詳 し く は熊本県庁職業訓練課 ︵審⑬ l l ll内線 2328︶ ヘ 五卜 四年度 の職業訓練指導員試 験が十月中 に行 われます。試験が 実施 され る の は建築、 左官、配 職業 訓練指導員 0月 に実施 試験 1 い。病気 または身体障害者 のため 自衛官募集中 の代筆 はかま いませんが、そ の場 ﹁若者 の手 で国 上 の防衛 を﹂ 合 は理由を書 いた別紙を添 える こ と、 いま防衛庁 では、 二等陸海空 と。な お、盲人は点字 で詠進 でき 士を募集 していますc ます。詠進 の期 間は九月 一日から 資格 は十 八蔵 から、 二十 五歳未 十 消印有効︶ まで。 月十 一日 ︵ 満。中 学校卒業程 度 の試験 があ あ て先 は東京都千代 田区千代 田 り、合格すると自衛官 の誕生 とな 一 番 一号、宮内 庁 ります。 ※詠進 の書式、注意事項など詳 希望 の方 は、町役場総務課 ︵雪 し く は、総務課文書広報係 へ。 ②l lll番︶ へご連絡 くだ さ い。 任給 は、月額 八万五千 八百 初 円、 ︵ 十 ヵ月後に 九万 三千 二百円︶ 賞与 は年 二日、合計 四 ・九 ヵ月分 が支給 されます。 また制服 や衣 類、靴、それ に食費も無償 で供与 されるなど優遇されます。 歌 会始 め の お題 は ﹁ 桜﹂ 詠進要領決 まる 五十五年 歌会始 のお題、および 詠進要領が次 のとおり宮内庁 から 発表 されました。 お題 は ﹁桜﹂c化木 の桜 ですが 花 と詠む ことはふさわしくあ りま 子供 と老 人守 ろう ゛ヽ ヽ 県 職員 。警察 官 採 用試験 を実施 県 人事 委 員 会 高等学校卒業程度 の採用試験が 次 のとおり実施 され ます。 ︹ 職員採 用試験︺ ▼受験資格 昭 和 三十 一年 四月 二日から同 三十七 年 四月 一日までに生 まれた人 ﹀受 付期間 九月 一日から二十 日まで ▼第 一次試験 十月十 四日 ︵ 日︶ ︹ 警官採用試験︺ ▼受験資格 家 庭 の 日 の 作 文 を 募 集 県 では ﹁家 庭 の日﹂ に ついて の 作文 を 九月 二十 九 日ま で募 集 し て います。 作文 の主 題 は﹁家 庭 の日﹂ わが家 な り の ﹁家 庭 の日﹂ の具体 的 な事 柄 や、 明 るく て健 康 な家庭 づく り の意 欲 が みられ る よう な、 内。 ①昭 和 二十七年 四月 二日から同 三 十七年 四月 一日までに生 まれた男 子② 大学卒業者 ︵ 卒業見込 みを含 む︶以外 の人③ そ の他身体 に つい ての基準があります ﹀受付期間 九月 一日から二十 日まで ▼第 一次 試験 日 卜月 二十 八日 ︵日︶ 回受験案内、申 込書 は県人事委 員会事務局、県事務所総務課、県 立図書館 に用意 してあ ります。な く だ さ いc 今年 の交通安 全運 動実施 の主 な目標 は 0子供 と老人 の交通 事 故防止②白転卓 お よび原動機付き自転 す 。 そ のう え シー ト ベ ルト着 用 の 事 故 は逆 に増 加 し て います 。 高 森 小 の完 成 予想 図 階 は計楽室 、 理科室 、 家 庭 科室 、 準 備室 からな って います 。 ま た、 これ と並 行 し て建 設 さ れ る体 育 館 は鉄 骨 づ く り で千 百 二ト 四平方 眉 c バ レー コー トニ面、 ミ ニバ スヶ ットニ面、 バ ド ヽ ヽ ヽント ン 放 四面 のいず れ かが 同 時 に利 用 でき ますc 前 面 には ステージ と 送 本町 は振興計 画 に基づく メー ン 、 、 事業 として、 五十 三年度 からニカ 室 控 室 が付 き 後 方 にも外 来 用 、 、 更 衣室 が でき ます c 年継続 で高森小学校 の改築を行 っ 玄 関 使所 これ ら 二 つの建物 とも 九月 中 に着 ていますが、本年度 は北側校舎跡 、 に特別教室 と管 理棟、さら に東側 工 来年 二月 に 完 成す る 予定 で c に敷地を拡張 して体育館 を建設 し す ます。総事業費 は二億九千万円。 ″ この第 二期 工事 で建設され る特 建設 工事 でお願 い″ 別教室 と管 理棟 は鉄筋 コンクリー この第 二期 工事 では地域 の皆 さ ト三階建 てで、広 さは延 べ千 三百 んに騒音 やグ ンブ公害など大変ご 五十 二平方材。 一階 は職員室、校 迷惑 をお掛 けす ると思 いますが、 長 ・応接室 をはじめ、視聴覚室、 どう か寛大なご協力をお願 いしま 多 目的 ルー ム、 スタジ オなど。 二 す。 高 森 小 第 二期 工事 いよ いよ建設 へ 管 理棟 と体育 館 それ ぞ れ の立 場 で正 し い交 通 ルー ルを守 るようご協 力 く だ さ い。 件 数 の減 少 を図 る こと にし て いま す 。 どう か町 民 の皆 さ んも 各 自が う し た点 の対 策 に力 を 入れ て事 故 不徹 底 によ る負傷 事 故 も多 い こと から、 町 で は今年 の安 全 運動 を こ く 普 及 し、 そ の事 故も 増 え て いま 故 が いぜ ん減 って おらず 、 ま た婦 人 を中 心 に原 動機 付 き 自転 車 が 広 最 近 は全 国 的 に子 供 と老 人 の事 内 の昨 年度 の死傷 者 は これ と類似 し て減 少 し つ つあ るも の の、物 損 車 の安全利用 の促進 0安全運動 の確保 と シートベ ルトの着 用 の推進︱ を重点 に掲 げ て います。 苦情、要 望 の実現 に協 力 ここ数年 の相談内 容を見 ると、道路 や河 川、年金、社会保険、交通安 全など生活 に 密着 した身近な問題が多くな っています。 ちなみに、道路問題 では補修、 ガード レー ルやカーブ ミラーの設置など の要望、年金 問題 では年金受給 の手続き や資格をめぐ る トラブ ル、そ のほか郵便物集配、電信 ・電 話 に関す る問題、 不動産登記など、多岐 に わた っています。 行政相談委員 はこう したさまざ まな相談 を受け ると、相談 した人 に必要 な助言をす るほか、関係行政機関 に苦情 の内容を通知 し、問題 の解決 に当 たりますc 情 や要望を受け付け て、そ の解決 に当 た っ ています。 ︵盤⑬ l l l l︶ へ直 接 おたず ね 詳 しく は県 福 祉 生活 部 青少年 課 小 学 生 三 枚 以内 、 中 学 生 五枚 以 実 際 の生活 を中 心 に述 べてく だ さ いc 応募 方 法 は 四百字 原稿 用 紙 で お警察官 に ついては県人事委員会 事務局、県警本部警務課、各警察 署 に備 えてあ ります。 ﹁行 政相 談 委 員 ﹂ の役 割 は ︻問 い︼国 の仕事 や公社、公団など の仕事 に ついて、苦情 や要望があ る時 は行 政相談委員 に相談す るとよいと聞 き ましたが、行政相談委員 とはど んな 役割 と権限をも っています か。 ︻答 え︼ 行政相談委員 は、行政相談委員 法 と いう法律に 基づ いて、本町 では高 森上 町 の桐原央吉 さんが行政管理庁長官 の委嘱 を受け、行政 に対す る意見や要望などさま ざ まな相談を 受け付け て います。 たとえ ば、国 の仕事 や国鉄、公社、公団 の仕事 に ついて、納得 できな いこともあ ったり、 不 親切な扱 いを受けたり、あ るいは仕事 の処 理が ス ロー モーであ ったりした場合 に、苦 イ ク な ど の安 全 利 用 も ノ 解体 の際 も見 つか っており、 二 つ の内容 から察す ると、 旧校舎 は昭 和 五年 八月起 工、同八年完成、 ま た旧高森町 の戸数が六百六十 二戸 だ ったこともわかります。 この棟 簡 は 学校 沿革 の貴 重な資料 とし て、 学校 で大切 に保管 して います 。 4■ 0 0 1 ‐ ・ ‐ □ 県下 の交通事故 は全国的な傾向 □ とは やや違 って、昭和 四十 八年を 圏 ピ ークに事故発生件数、 なかでも □ 死者 の減少傾向が続き、昨年度 の 目 場合 は対前年 比 二九 。九イ と全国 □ 一の好成績 です。 しかし高森署管 こ の種 の棟 簡 は昨年 の北側 校舎 員 の名 前 ま でく わ しく記 され て い ます。 飯 干計吾 氏 ら 十 一人 の町議 建 築 委 一県知 事 を はじ め、津 留 清 喜 町 長 、 高 崎 得 三助役 、後 藤 淳 校 長 、 ます。 そ し て裏 には当 時 の鈴木 敬 F〓=m〓〓“”■〓””■■””〓〓“”〓〓””〓・””〓〓︲ 1=〓〓”“〓〓””〓〓==〓 〓==・・”=〓 〓=”・ 交通事故 による死亡者 は近年全国的 に減少傾向を示してい 、 ますが 事 故 の発生件数 や負傷者 は逆 に増加 して いるなど、 〓 昨 交通悲劇 は依然大きな社会問題 とな っています。総 理府 では 一 一 九月 ニト 一日から三十日ま で秋 の全国交通安 全運動を実施、 一 一 とく に子供 と老人 の交通事故防止 や自転車等 の安全運転 など 訓 に力 を入れ、事故件数 の減少 を図 ること にしています。 校舎解 体中 に 棟簡 み つかる 高 森小学校 このほど高森小学校 の南側校舎 が解体 されましたが、 そ のとき屋 根裏 から棟簡 ︵とう かん︶ と いう 板ぎ れが出 てき ました。 棟 筒とは棟 上げ のとき に建物 の 安 全、家内 の繁栄を祈 って、屋根 裏 に上げ る 一種 のお守 り札。同小 で見 つか った のは、長 さ約 一・七 M、幅 三︱考。表 には家 の守 り神 ﹁屋船 大神﹂ ﹁手置帆負 大神﹂ ﹁彦狭知大神﹂が書 かれ、 そ の下 に ﹁諸 々の災 から守 り、当学校 か ら名 士が 出 て 郷土 の 名声があが り、校合 は後肛 まで長く残 るよう に﹂ と の意味 が漢語 で書 かれ てい 南側枝舎を解体■に見つか った 棟簡 0 0 0) 第 241号 り も か た 報 広 昭和 54年 9月 1日 昭和54年 9月 1日 り も か た 報 広 第 241号 (3) 人 nu 00 こ ■■ ■→ 阪 口 休 足 した公募展。同時 に新 人 の発掘 にも力 を入 れ ており、夏 期大学 は を 目的 に熊 本 、 仙 台 、東 京 日展審 査委員など による地方在住 画家 の指導 と相 互交 流 による刺激 の 三 カ所 で 開 かれ て いま す 。南 阿 蘇 国 民休 暇村 への 参 加者 は県 下 から 六卜 九 人 を 含 め全 国 から百 八十 人。 日展 入選 回数 の経 験 者 から ア マチ ュア画家 ま で、職 業 も 美 術 教 師 や主 婦 、 サ ラリ 三日間 の授 業 は ヌード や ー マンな ど さ まざ ま。 バ レリ ー ナーを描 く 人物 班 と雄 大 な阿蘇 周 辺 の景 観 を 、 描 く 風 景 班 に分 れ て勉 強 ま た夜 は講 師陣 を囲 んで の 製 作 指導 や作 品 を 持 ち込 ん で の ミー テ ィングも み っち り行 わ れ ま し た。 こ り 捕虜 を連 れ帰 る状態 ではな か っ 朝鮮 出兵 の末期 に しか し、 は、勝利 ど ころ かむ しろ 敗戦 で、秀吉 の死 ととも に敗退 し、 一 ¨ 一 ヽ一 ヽ 一 一 一 ヽ ヽ 一 一 一ヽ ¨ ヾ ヽ ミ ■一 一 一 熊本 で真実 かのよう に流布 され ている加藤 清正 の捕虜 説 であ り ます。豊臣秀吉 の命を受けた加 藤 清正が、朝鮮出 同和 問 題 の お た のです 。 こ のよう に、 こ の説 は ﹁歴史 兵 を行 った際多 数 の捕虜 を連 れ帰 り、 そ の子孫 が 上 の真 実 性﹂ が なく 、 企 く の誤 り です。 起き た。 ドイ ツはも のの見事 に 解決 した。 マス コミも民間人も 政府 に全面的 に協力 した。す べ て沈黙を守 り、首都ボ ンの首相 さ れ た人 々のF 字 架 を見 た。 ベ は地球 より 重 い﹂ と哲 学的 理念 に の っと り、 金 を渡 し、 刑 務 所 から 釈 放 し、 い ず れ か の国 へ飛 び立 た 会 の見解、そして集団 の立場を 認識 さ せて いる。基本理念 は ヨ ー ロッパ人 として の育成、そ し て国際人 として の人材登用 であ る。民主 々義 に対 して徹底的 に 教育 して いる のは ヨー ロッパ諸 国共通 であ る。 日本 は 悲 しい かなそ れがな い。 ヨー ロッパの西側 には、 こ れ まで三回行 ってき た。 行く度 に多く の友人を得 る。某 国 の 日本人大使 と 度 々語 り 明 す。そ の度 に、滞欧中 は日本 は このままで いいのだろう かと思 って 一人ね むれ なくな ってく 際会議 に出席 した。現 地 の新聞 は、 日本人 の発言なし、何 を考 え ているかさ っば りわからな い と言 って通烈 に批判を した。 政治教育が徹底 している のは ドイ ツであ る。小学校 から議会 傍聴 に連 れて行き、歴史 の正 し い見方を程度 に応 じて勉強 して いる。 一人 一人 の見解を大事 に 育 てている。個人 の意見、分科 同 和 地区 住民 であ ると の説 であ り ます。 聞記者が私 に声明を 求 めた ので、私 は こ う答 えた。 ﹁奴隷が シ ャンゼソゼ通 りを 毎 日数百人歩 いて い る姿を何 と見 る﹂そ 官 邸付 近 が び悩 んだc 滞在中 ハイジ ャック事件 が二 つ ルリ ンの刑務 所 に老 人 一人 が収 逃 亡 し よう と し て失敗 し、 銃 殺 容 され て いる。 ナ チ戦 犯 ルド ル 慌 し か った だ け だ。 日 の職 員 ︱百人 。 ヨー ロッパ で議 論 百出 の人 気 を呼 んだ ″ヒ ット ラ ︲ル の映 画を見 た。 ド イ ツの イ スラ エん大使 館 の管 国 の厳 し さ と とも に、 屋 L に森 林 のご と く 乱 立 し て いる巨 人 な ア ンテ ナ を見 た。 ﹁赤 いオ ー ケ ストラ﹂ の名 で ゾ ルゲを し のぐ スパイ を し て い た レオボ ルド ・ト レ ッペ ル氏 の 友 人 と 二日程 語 り明 した。 ヨー ロッパ共 通 の悩 み︱︱ ュー ロ コ せ て し ま った。 日本 はそ れ でよ ヨー ロッパ の 一般市 かろう が 、 民 は、 私 にブ ウブ ウ言 った。 フラ ン スの共産 党書 記 長 マル ミ ュニズ ムに ついて多 く の人 と 語 り合 った。 本 は ﹁人命 フ ・ヘス氏 であ り、 そ れ に警 同 母 な る ライ ン川 で N A TO軍 の大演 習 を夜 明 け ま で見 た。 ベ ルリ ンの壁 の前 で、東 よ り西 ヘ 寿 わけ︹ゝ足赫炒[艤 一 津一 留 ︿二朝一 職 生、 百姓 と いう よう に﹁ 業を 世襲﹂ と し、 さ ら 商、 そ の下 に、 士 ・ 農 。工。 に各種賤民 と い った ﹁身 分制度﹂を つく り、 これ を強化 しました。 これが 同和問題 のおこりです。 ここで、ぜ ひ、 は っき りさせ ておかねば ならな いのは、特 に し て大名 . 百姓 に生 まれ たら 一 1 、 ︱ ︱の永 続 ︱︱ ︱れ 府 は 外 淋 体 ︱ ︱ のた め、 人 名 は生 まれ な が ら に ﹁ 日洋展夏期 大学が八月 一日 か ら 三日間 の日程 で本町 の南 阿蘇国 民休暇村 で開 かれました。 日洋展 は県出身 の井手宣通氏ら日展系 の 画家が中 心となり ″ 新 しい具象絵 画 の探求″ を揚げ て 一昨年 から発 絵 画 を探 求 エ氏 が ﹁日本 の女 性 はド レイ で あ る﹂ と、 昨 年 春 の総 選 挙 期 間 Cあ な た の A世界青年意識調査 の 一例∨ 得 ぬ事情 で 国 が 止むを 一日 局 長 や 座 談 会 開 く 高 森電報 電話局 県内 の加入電話が 五十万台を突 破 した のを記念 して、さる七月 三 十 一日は県内 二十 八 の電報電話局 でこれを祝う行事 が催されました が、本町 の高森 電報 電話局 でも 一 日局長 や局内見学、映画観賞、座 談会 など多彩 な催 しが行われまし た。 高森 電報 電話局 の 一日局長 に選 ば れた のは、高森グ リー ン コー ル ︵コーラスグ ループ︶ の代 表、馬 見 ﹂ に結 び ついたも のであ る こ ま せ んc 。馬原さ んは午前 三七︶ 原要子さん︵ 八時半、局長室 で堀江局長 から委 嘱状をもら ったあと、局内広場 で 職員 にあ いさ つ、 このあ と初仕事 に局長室 で、係 から の決裁文 書 に 判を押 しました。 一方、 この日招待を受けた同局 管内 の老若男女 二十人 は営業、線 路、運用、機械 の各部門を見学 し ました。全員局内 を見 る のは初 め てとあ って、機械室 や交換室 はと く に 興味 深げ に見入 っていまし た。 このあ と、局側 は招待者 を南阿 蘇国民休暇村 に送 って座談会 を開 き ましたが、会場 から はダ イヤ ル 通話 の度数 に ついてほか、 電話帳 に関す るも の、 O番 サービ スなど 公社 に対す る意見、要望 などが活 発 に出されて いました。 趾 ■r 一 F■ 一■ ・ 一 一 一 一 熙 一ヽ 一一一一 一 ¨ 決 裁 す る 一日局 長 の馬 原 さ ん ︶ ″ とを正しく認識 しなければな り ▽︰︰︰ 鐵頸熙騰 一 農協 から出荷される高森 スイカ 一 色見地区 の高森 。高冷地 スイ カ にも満な か った作付 面積 が、 いま が高森農協 から盛 んに出荷 され て では出荷体制も整 い、十 五診 に増 ″ いますが、 糖度も満点 と市場 え ています。 これまで出荷 した成 ″ 、 六︱ 績 では 一玉 の平均 六 ・五キロ から引 っ張 りだ こです。 高森 スイ カの品種 は天竜 二号。 七百円 と高 く、ピ ーク時 のお盆前 、 千1 三千 今年 は長雨 に見舞 われ着果が悪く には 一日 約 二十ト ン 一一 玉数 は昨年 に劣 りますが、生育 は 玉、 キ ロ当 たり百円以上 のも のが ほかの生産地 にくら べると、 まず 数多く出荷 されました。 同農協 では ﹁県内平 たん部 のス 順調。出荷 は例年ど おり七月中旬 、 から始 まりました。 イ カの出荷最盛期が五 六月な の 高森 スイ カは高冷 地 で昼夜 の寒 にくら べ、高森 スイ カは八月上旬 暖 の差が大き いため糖度が高 く、 から九月上旬 と遅く、反当 たり の 新鮮 で歯ざ わり の良 いのが特徴。 収 入も良 いので、将来 は百珍 程度 高森 スイ カ″ の銘 高森町農協が転作 の 一つとして、 の増反を図 り ″ 四十八年 から スイカ栽培を奨励 し 柄を確立 した い﹂ と話 し て いま 七戸︶ す。 た のが始 まりで、当時 一診 ︵ ― ―糖度 の 高 さで人 気呼 ぶ ― ― バ レ リーナーをモデルに絵を描 く参加者たち 他国と 交戦 した時、あなた は ︱。 ﹁ 絶対戦闘 に参加 せず﹂= イギ リ ス三打。 フラ ンスニで。 ドイ ツ 一四ぞ 。日本 四九ギ ⋮。 ‐ │:斗 1鼠 │ : =L熱 0 ::::: :::凛 区 ■ 地 新 しい 具 象 日本 の財 界首 脳 が、 ボ ンで国 : ● ― ス イカ栽培軌道 に一 ● ● 訪欧 で学 んだ :真 の民主主 義 見 ・ :::::即 色 >6< ・ …'79日 洋展夏期大学“ 中 に高 ら か にう た いあげ た。 新 る ′ヽ ④ 第 241号 り も か た 報 広 昭和54年 9月 1日 昭和 54年 9月 1日 り も か た 報 広 第 241号 0 ● 岩下課長 宇藤課長 福祉 長︶中尾篤志 ﹀徴収係主事 ︵ 第 一係主事︶古庄良 一▽課税係主 事 ︵ 行政係主事︶佐伯恵美子 ▽同 土木係主事︶渡辺哲郎 ▽固 主事 ︵ 国民年金係主 定資産評価係主事 ︵ 事︶ 二子石 三治 徴 収係 経済 課︺ ▽経済 課長 ︵ ︹ 町有林 長︶宇藤幸弘 ▽産業係長 ︵ 野係長︶松本彰 夫 ▽農 地 係 主事 ︵ 産業係主事︶佐伯実範 ▽産業係事 経 済 課長 は宇 藤 氏 建設課長 に岩下氏 点。 町 は八月 一日付 で 課長 ク ラ ス ニ、係長 クラ ス九を含む合計 二十 五人 の人事異動を発令 しました。 空席 と な っていた 経済課 長 の補 充 と長期 勤務者 の 配置替 えが重 一 不 法 電 波 を 一掃 し ょ う 三立 ︱ ト ゴ一一 一′オ ー けた同 チー ムは 一回戦不戦勝、 二 回戦 は、群馬 の藤岡市剣道教室 を 41 1で敗 ったあ と神奈川 の川崎 御幸少年剣友会も41 1と 一方的 いました。 なお、小学生 の部 に出場 した尚 武館 の豆剣 士たちは善戦 及ばず上 位進出 はでき ませんでした。 に下 し、準決勝 で惜 しくも佐賀 の 武陵館 に31 2で敗れました。 チー ムは後藤幸充六段教 士を監 督 に、大将 杉田龍彦、副将矢野泰 宏、中 堅 立山経 久、次鋒 岩下紳 記、先鋒岩下憲正 ︵いずれも高森 今 中 三年︶ の五人。同 チー ムは ﹁ 後も練習 に励 み、 ほかの試合 でも 好成績を残 した い﹂ と張 り切 って 一 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 一一 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一一一一一一 一一一一一 一 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一一一一一一一 第十 四回全日本少年剣道 練成大会 で、本町 の尚武 館道場 ︵ 藤原 静雄主宰︶ の高森中 チー ムが パート 中学生 の部︶ と 三位 ︵ なり、そ の報告 に役場を 訪れました。 一 一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一 一一 一一一一一一一一一一一 一一一一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一一一一一一一 . とく に二十 六 メガ ヘルツ、 二十七 農家台帳作製事務嘱託︶ 務嘱託 ︵ メガ ヘル ツ帯 の周波数 の電波を使 広木富 八 用す るトランシーバ ーが普及 して 建設課︺ ▽建設課長 ︵ 社会教育 ︹ います。 保健 主事︶岩下時 雄 ▽建築係長 ︵ と ころが、免許を受 けな いで運 衛生係長︶馬原岳夫 ▽土木係主事 九州電波監理局 用 して いる人、別 のア ンテナを立 ︵ 課税係主事︶甲斐睦子 ▽同主事 てて運用 して いる人、輸出用 のC ︵ 農林振興係主事︶上村秀幸 徴収 最近、免許を受 けな い 無 線 機 B無線を使 って違法電波 を出 して 管財 課︺ ▽町有林野係長 ︵ ︹ こ な場合 は、 係主事︶桐原 一紀 ▽車輛整備係長 ︵トラ ンシーバ ーなど︶で、勝手 に いる人、 さら に悪質・ 不法 電波を発射す るも のが多く、 れ に高出力 の増幅回路を取 り付け ︵ 管財係技師︶臼井 清光 企画 テ レビ oラジ オの受信 に対す る障 て法定外 の周波数 や空中線 電力を 企 画課︺ ▽地籍調査係長 ︵ ︹ 航空 発射 して いる違反者が いると いわ 係主事︶村島兵志郎 害 が生 じてい ます。 また、 。 議会事務 局︺ ▽議会事務局長 機 。船 舶 の通信、 パトカー ・消防 れ ています ︹ そ こで、 トラ ンシーバ ーを お使 ︵ 建設課長︶森 日敏生 ▽議会事務 車 の緊急連絡など の人 の生命 にか 、 局出向 ︵ 文書広報係主事︶古沢 み かわる通信 にも たびたび支障 をき いになりた い方 は 郵政省無線機 たしています。九州電波監 理局 で 器型式 の検定合格品 であ るかどう さ子 産業 は他人 に迷惑 を かけたり、人 の生 か、 また使用区域 に合致 したも の ︹ 教育委員会︺ ▽庶務係長 ︵ 、 係長︶ 二子石範男 ▽同主事 ︵ 議会 命 にかかわる不法 電波 の発射 はや であ るかどう か これらを確認 の うえ、 必ず所轄地方電波監理局長 事務 局出向︶古庄秀子 ▽社会教育 めるよう訴 えています。 係長 ︵ 教委庶務係長︶後 電波が社会 のあ らゆ る分野 で有 の免許を受け て正しく運用す るよ ・ 。 、 藤万蔵 効 に利用され ていますが、最近 う にしてくださ い ¨ 0 パ この大会 には全国 から選抜され た四百 チー ムが参加、十 六 パート に分れて それぞれ 優勝を 決 めま す。尚武館道場 チー ムのパートに は二十 一チー ムが出場、地力 を つ 森 中 は 全 日本 少 年 剣 道 練 成 大 会 可 「 さる八月 三、 四日東京 の日本武道館 で開 かれた [_3 新 しい経済課長 には税務課徴収 土 町民課︺ ﹀福祉第 一係主事 ︵ ︹ 木係主事︶ 工藤春美 ▽保健衛生係 長 ︵ 課税係主事︶甲斐昭文 ▽国民 、建 五・ ︶ 係長だ った宇藤幸弘さん︵ 設課長 には教育委員会社会教育主 四八︶ がそれ 事だ った岩下時雄さん︵ ぞれ昇格 しました。異動 のあ った 職員 は次 の通 りです。 農林振 ︹ 総務課︺ ﹀行政係主事 ︵ 興係主事︶岩下昭久 教育委員会庶務係主 年金係主事 ︵ 事︶有働幸子 建 築係 ︹ 税務課︺ ▽ 徴収係 長 ︵ 役場 を訪れた尚武館道場チーム 昭和54年 9月 1日 り も か た 報 第 241号 広 (→ 風鎮 祭終わ る 商 工会 共催 の かけ、 町 と町 から十 八 日 に 八月 ︱ 七 日 ■ュ レ 1 P りました が、そ の 後 は天 気も回 復、真夏 の 祭 り日 和 とな りまし た。初 日は午前零時 の爆竹 と向上 会青年 の祭 り開幕 のフレでスター ト、年前十時 から子供手踊 りが練 り回 ると、町内 はす っかりお祭 り ムード。午後 からも自衛隊音楽隊 の風鎮祭 は台風十号 の影響 で、十 七日夕方 から翌朝 にかけ小雨が降 オケ大会 や花火大会、風鎮太鼓 と 多彩 な行事 にど っと見物客が繰 り 出 しました。 二百年以上 の伝統 を誇 ることし 夜 は花 火 と演 芸 に沸 く 基 ハ 一風鎮祭﹂が ことしも華 やかに催 されました。 三十度を越す猛暑を 吹き飛ば して踊 りや、仮装、造 り 物 パ レードが町を練り、 またカラ 磯不 の演奏 と風鎮太鼓、婦人会員 によ る山引き踊 り 続き、夜 は仮設舞 と 台 で町 村 対 抗 カラオケ大会、舞踊 など おそ で ぎ わ いました。 く ま に 風鎮祭 の圧巻 ″ 造 り物″ は昨年 より 一基多く 二十基が出陳。軍手 軍足 で作 った ﹁白鳥﹂、給食用具 で工夫された ﹁し ゃちは こ﹂、盆 ち ょうちんを利用 した ﹁ワシ﹂、 オ ワンや サラなど家庭用品 で作 ら れた ﹁ 恐竜﹂ や ﹁鶴 の 一声﹂、農 機 具 で 造 った ﹁ 恐竜 の 骨 格﹂ な ど、 いず れも審査員泣 かせ の傑作 が随所 に勢 ぞ ろいしました。 十 八日は高森阿蘇神社 で五穀豊 じ ょうを祈 る神事があ ったあ と、 役場職員 や町内有志 の手踊 りが町 を練 り回 る 一方、威勢 のいい樽 み こしが ワ ッシ ョイ、 ワッシ ョイと 練 り、見物 人が水を浴 せて景気づ けましたc期待 された商 工会員 の 仮装行列 は見られませんでしたが これ に代 って議員さ ん総出演 の仮 装行列 ﹁山引き場所﹂が登場、す もう甚句や横綱 の上俵入り の演出 に見物 人は大喜 びでした。 午後 五時、造 り物 の山 の引き立 てが始 まると祭 りも最高潮。目抜 き通 りは人垣 の波が いく重 にも揺 れ動き ました。 このあ と、 ﹁節 刀渡 し﹂ の儀式 が中央四 ッ角 で行 われ、旭通 りか ら上町 へ引渡 しがす んだあ と、花 火大会が別所 の堤 で開 かれ、万余 の見物客を集 めました。 農機 具 で出 来 た ﹁恐竜 の骨格 ﹂ ヽ ばヽ り 物 機 勝解” の 「 しゃちほ こ」 6組 横 町 ` 」L 特 賞 に な った 下 町 3 組 の ﹁恐竜 ﹂ ● 20 , (6) 第 241号 り も か た 報 広 昭和54年 9月 l日