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味をこめ、 また新しいモティーフや表現を使っ(笹自分の作品を書きあげ
112 パロの心を頑なにするヤハウェ - 祭司文書の出エジプトの物琵甲-- (-0 (co) 木 幡 藤 子 ( ( - 0 祭司文書(p) の著者は古い文書資料をよ-知っていてヘ音-からあるモティーフを独自に変容し'新しい意 (5) 味をこめ'また新しいモティーフや表現を使って自分の作品を書きあげていった。すでにヤハウィスト (∫) の 出エジプトの物語に出て-るエジプト王パロの心の頑なと﹁エジプト人やパロがヤハウェを知るために﹂という UD 定式化した表現を祭司文書の著者がどのように変えて用いているかを問うことによりへ その著者が出エジプトの 物語に入れこんだ解釈の一面へ とりわけ祭司文書の神理解へ そしてそれがpの置かれた歴史的状況の中でどんな (7) 使信となっているかを明らかにすることを本稿は意図している。この両方の表現が出て-るモーセの召命の後 半部でのヤハウェの言葉(七3以下)から出発し'それを詳し-検討した後へ祭司文書のエジプト脱出の物語全 体に論を進めたい。 T⊥ o まずヤハウィストの場合を短くまとめると次のようになるoエジプトの各災禍の前に、ヤハウェがモーセを通 してパロにイスラエル人らをエジプトから去らせないならへ災害を下すと告げる。パロはもちろん民を去らせな 113 パロの心を頑なにするヤハウェ い。そこで災禍が予告通りもたらされる。災害に苦しめられるのが続-と'パロはモーセを呼んで'要求を容れ るから災禍を止めるように神に頼んで-れと言う。モーセがとりなすと災禍は止む。しかし'パロは事態が好玩 Q するとへ自分の心を頑なにして先の約束を守らず、イスラエル人を去らせない(八>-i.。oT-1'Cv)へ九これらの場合 パロが動詞kbdのヒフィル形の主語となりへ彼の心がその目的語になっている。ペストの際は(九,-r-)へ災害 が発生すると即座にエジプトの家畜が全て死んでしまうので'うち続-災害を中止するということはありえない。 ヽっ ヽてそこでは'パロは本来イスラエル人をこれ以上とめお-理由もないのに'心が頑なになってしまい自由に 従 去らせなかったとなっており、動詞がカル形でもパロの心が主語である(九7)0 このように1では﹁パロの心の頑な﹂は一連のエジプトの災禍の物語にだけ出て-るが'祭司文書では災禍に 当る一連の奇蹟の部分(七1 3へ八1 5、九12)の他へその前のモーセの召命記事(七〇)とも後の海の奇蹟の物語 (S) (一四"5)にも見られる。すでにこの分布状況からして'﹁パロの心の頑な﹂が祭司文書のエジプト脱出の物 語全体を貫いておりへその著者の解釈のひとつの柱になっていることが窺えるO 祭司文書より古いモーセの召命物語で神ヤハウェはイスラエルをエジプトから導き出すとモーセに告げる(三 ooH-,.CT>pq)。祭司文書ではそれに加えてヤハウェがパロとエジプト人にこれからしようとすることをすでに モーセの召命の際に彼に語る。その最初の七3aでヤハウェが﹁そしてこの私がパロの心を頑なにしよう﹂{w'ny ォ) ・ash't-1bpr'h)と言われる. (3) この言葉の中に祭司文書の出エジプトの解釈が凝縮されている。 (3) まず第一に動詞の主語がパロでも、パロの心でもなく、ヤハウェ自身である。 ヤ ハ ウ ェ は こ こ で 、 こ れ か ら こ ういう事が起るとかへ パロがこういう事をするだろうと予言するのでなくへ自分自身の行為を告げている。ヤハ HE! (3) (3) ウェ自身がなすということを1人称単数の動詞の前にわざわざ置かれた一人称単数の代名詞が特に強調している。 P以外にも101にも見られる。一〇1・2は申命記的'申命記 (S) (17) ヤハウェがパロの心を頑なにするというのはt (2) 史家的用語と神学的関心を含みt Jの一連の災禍の物語に後から加えられたものである。この付加がなされたの は、JがPとひとつにされる以前であることは幾つかの理由からかなり確かであるが、pがその付加を知ってい たかどうかは不明である。しかし'もし知っていたとしても祭司文書と一〇1・2との相違は明らかである。そ れが第二点である。 つまり'一〇1・2では'宅の災禍の前にそれまでの一連の災禍をふり返って'何故パロがそれらの災害にか かわらずヤハウェの言葉に聞き従わないかを問題にしている。従って動詞も完了形である。それに対し祭司文書 ではまだ災禍が全然始っていないへ モーセの召命の時点で'パロの心を頑なにすることが'これからヤハウェが パロに対してなす最初の行為として述べられる。従って動詞も未完了形になっている。これによって、ヤハウェ 自身が未来を形成し'出エジプトを遂行することが明確にされている0 そして何によって未来を形成するかと言えば'心を'それも外国の王であるパロの心を頑なにすることによっ (19) てである。人の心は'古代イスラエル人によっても'外から見えず'奥深-隠されたものと受けとられていた(エ レ一七O>・2'詩六四7'茂二〇5。詩三三l 'サム上1六7を参照)O外国の王の心という遠-手の届かない' ( S ) 奥深-隠れたものにまでヤハウェの未来を形成する力は働-と祭司文書の著者は言うのである。 出七3bは後の付加であるので'祭司文書では、﹁ヤハウェがパロの心を頑なにする﹂にすぐ続いてへ パロがモ (2) ーセやアロンに聞き従わないだろうと予言される(七4)O つまりPではパロが自由に決断する余地は無くへ彼が 聞き従わないのは'彼に関係な-もうすでに決められてしまった事なのである。 115 パロの心を頑なにするヤハウェ 以下に続-エジプトの災禍・奇蹟の各段落の終りに'(ヤハウェが主語でな-) パロの心が頑なになったと述べ られるときも(七13、八15)へ七3aのヤハウェの決定の後ではヤハウェの働きの結果として理解される。最後の 災禍で再びヤハウェが主語となり(九12)へ海の奇蹟でもエジプト人が'逃げるイスラエル人を追う前にへ ヤハウ ェがパロやエジプト人の心を頑なにしたと-り返されて (一四^・・5)へ出エジプトの出来事はパロとエジプト人 ( 2 2 ) ( 2 3 ) ` の滅亡という終局に至る。このように、エジプト脱出の歴史が、すでにモーセの召命のときへ全て事細かに定め られているのではないが、_結末への進行はヤハウェのエジプト王の心への働きによって決められている。 f"サ1 パロが不服従なのはヤハウェの働きの結果であるから、以下でヤハウェがパロやエジプト人に対してなす行為 の理由となりえない。つまり﹁パロが聞き従わないので私(-ヤハウェ)がパロやエジプト人に災禍を送る﹂と言 われえない。事実七4以下でヤハウェがエジプトに敵対して手を出すと言うときも、退避しのときエジプトの初 子を撃つと言うときも(1二l)'海の奇蹟で再びパロの心を頑なにすると宣言するときも(1四^・・5)パ パロ が聞き従わないからと言われない。ヤハウェがエジプト人やパロに対してなす事に動機は一切つけられていない。 このようにパロの心を頑なにするのがヤハウェ自身なので、以下のエジプトへのヤハウェの敵対行為がパロが 心を頑なにした結果であるとはならない。では七3aのヤハウェの行為はそれ以前パロが何かしたことへの報復 となっているだろうか。ところがモーセの召命記事以前で祭司文書は (一r-i-in*・ォ>.ォ.'二23aβb1 25) パロについて口を喋んでいる。賦役労働をイスラエルの人々に課するのがヤハウィストの物語では (一8- ヽ 1)王であるが'祭司文書ではエジプト人がすることになっている(一13)0またエローヒストとされる物語でへ プル人の男の子を殺すようにと王が命じるが(715以下)へ それに当る話はPにない.このように七3a以前にパ ヽ ヽ ヽ ロ自身は全然登場しない。しかしパロはやはりエジプトの王であり、エジプト人の代表者だから、エジプト人が 116 ヽ ヽ ヽ ヽ した事に対する報復としてヤハウェがパロの心を頑なにするという関連になっているのだろうか。そこでエジプ ト人について祭司文書で七3a以前でどのように物語られているかを見なければならない。 エジプト人がイスラエル人に賦役労働を課し(I S)へ それに苦しんだイスラエル人が助けを求めへ それをヤハ ヽ ウェが聞き届け(二23aβ-25)、モーセにイスラエル人をエジプトから導き出すことを告げる(六6)。そのと き、エジプト人がイスラエル人を賦役労働につかせたことに言及する(六inrtV Lかしこの全体のつながりも' (25) 六5aで賦役労働の故にイスラエル人が坤いたと言われるのも祭司文書の著者が作り出したことでな-'すでに 古い物語でそうなっていた(18- ..">122 Eへ三 ,.o> W)c 祭司文書の著者はそれをそのまま 採用することはせずへ﹁ヤハウェがイスラエル人をエジプトから導き出す﹂の前にヤハウェが﹁自分の契約を想い (8) 起す﹂(六5a)を入れて'エジプトから導き出すという神の行為があ-まで神自身のイニシアテ-ヴによるこ ( S ) と、﹁神の自由な恵みの行為﹂であることを描調Lへ自分の民が苦しめられたことへの報復であるという関連を破 っている。そしてモーセの召命でヤハウェがパロの心を頑なにするというときへ パロやエジプト人に敵対すると 告げるというときに'そこで彼らがイスラエル人を使役したことをこれらのヤハウェの行為の動機として最もあ げ易い所であるのに'それには全然触れられていない。 このようにへ ヤハウェが自分の行為を告げるとき'それが人の行為によって理由づけられることはない。人間 が何かをすれば'それに応じて神が特定の事をしなければならないとでもいうような'いわば法則になりかねな い事はありえない。祭司文書の神は何にも拘束されず自由であり'一人で出エジプトの歴史を形成する神である。 (2) 祭司文書によればイスラエルに対する救いも'エジプトに対する審判も自由に神が決定するのである。ところが 神の自由が強調されるあまりへ神が自分自身のすることに敵対するほどになってしまっている。なぜならへ パロ 117 パロの心を頑なにするヤハウェ やエジプト人がモーセやアロンに聞き従わないのも、海の奇蹟でエジプ-人がイスラエル人を追跡するのもヤハ ウェの働きによるのであり、これらのパロやエジプト人の行為はヤハウェがイスラエル人声エジプトから導き出 すという最終日的(六7、七4) の実現を邪魔するものであるからである。このような祭司文書の神理解に似た ものが'神自身が光も闇も'幸いも災いも創造するとの第二イザヤの言葉に見られる (イザ四五7)0 K t s i ) ヤハウィストの出エジプトの物語で神の語りかけに対する人間の応答が極めて重要な役割りを果しているのは ヽ ヽ 祭司文書と対照的である。Jによればモーセがパロと交渉したときパロがヤハウェの要求を聞き容れず'民を去 i f s f t らせなかったので (五2)へ ヤハウェはモーセをパロのもとに遣わし (七 、災禍を始めると告げる (七 1)Oそれに続-1連の災禍でもヤハウェが災禍をもたらすかどうかそれはパロの決断次第であるとなっているb その後ヤハウェがパロにもはや語りかけな-なりへ初子殺害と海の奇蹟でエジプト人を滅ぼすのは'パロが災禍 ヽ ヽ で苦しめられるとち イスラエルを去らせるから災害を中止するよう神に頼んで-れと言っておきながらへ そして ( S ) ヤハウェへの罪の告白をしておきながらへ災禍が止むとその約束を-り返し破った結果である。このようにヤハ ウィストの物語で神は人間が特定の事をするように初めから定めることな-、彼に語りかけへ自由に決断させる その決断とそれに基-行為に応じて、神もなさることを変えるのである。従ってパロやエジプト人が海の奇蹟で 滅びるのは、パロのヤハウェの誤った応答をヤハウェが処罰したものである。祭司文書ではパロがヤハウェに逆 fcsn らうのはパロ自身の決断でなくへ ヤハウェが決めたことなので、パロやエジプト人の滅亡は彼らへの処罰となら ないo 祭司文書と同時代の申命記史家の歴史解釈においても人間が何をするかが重大な意味を持たされている。神の 民イスラエルの運命は神に対する態度へ とりわけその代表者である王が神に忠実であったかどうかにかかってい 118 る。神の意志は神のおきてとして人間に知らされており、それを守るようにと命じられている。申命記史家がヤ AS]邑 ハウェが将来どのように行為されると述べるとき'人間の行為が条件文の中に置かれている (ヨシ二三12へ 王上 ( S ) 九4以下へ一 また現在の災い、不幸は、神の意志が明らかにされているのに'それを踏みにじったからで ( ﹂ ) ( 8 ) あるとされ、人間の罪がその理由としてあげられる (王下二一i-I*,-I 、三上一四16) か'罪の結果として災いが 告げられる (王上1四o>・3' -9'王下1三2・3t t七CO-00.O>-olt 申命記史家は挿囚による亡 国という事態を'イスラエルの不服従に対するヤハウェの義しい審判と解したOこの歴史家によれば、歴史にお ( f t ) いて災いが生じるかそれとも幸いとなるかは神に対する人間のあり方にかかっているのである。祭司文書では災 いも幸いも神自身が自由に決定する。 人間が自由に決断できる所ではへ その決断に基-行為の結果についてその人間に責任があることは明白であろ う。ところが祭司文書のようにヤハウェが一方的に全てを決めてしまい'パロが何かする前にヤハウェがパロの 心を頑なにしてしまうのでは'パロは自分の心が頑なになってしまったこと (七13、八15) に対して責任がある のだろうかという疑問が生じる。神の言葉に出会いへ神の語りかけの中に生きている者にとって'その人の決断 (8) や行為はあ-まで自分の決断、行為でありつつ同時に神から与えられたものと受けとられる。ところが祭司文書 ではヤハウェがパロに語ることな-、パロはヤハウェを知らない。ヤハウェがパロやエジプト人に対し直接むか ( s o うことが全然ないので'物語の中に留まる限りへ祭司文書でパロは自分のなすことに責任があるかどうかという 問は答えられないと思われる。 丁⊥l T⊥ 119 パロの心を頑なにするヤハウェ ( S ) 祭司文書の著者はパロの心の頑なという以前からあるモティーフをとりあげへ それを神自身の行為としへ パロ (3) が何をするより前に置-ことによってへ出エジプトの出来事がヤハウェだけの働きによることを弦詞した。同じ くすでにlの物語に見られるモティーフである﹁パロがヤハウェを知る﹂(七53'八堕九29)を用いて'ヤハウ pでヤハウェは﹁私がパロ(ないしエジプト人)の心を頑なにする﹂と告げると、その後で必ず﹁私がヤハウ ェについての独自の解釈をしている。 . ェであることをエジプト人が知るために/であろう﹂と語り続ける (七3-5へ一四^・5ォ3)-ヤハウェの言 葉でな-物語の地の文では'ヤハウェがパロの心を頑なにしたと'述べられても、﹁ヤハウェを知るために﹂と続 ,, ,, けられない(九i-1/ 祭司文書によれば、パロやエジプト人の心を頑なにするというヤハウェの否定的な働きを告 げることは神の究極的な本来の言葉でな-'それは彼らがヤハウェを知るということに導-ためなのである。こ の点で祭司文書は捕囚前の預言者イザヤと異なる。イザヤも民の心を頑なにするようにと神に命じられたが、そ れに対し'﹁いつまでそれを続けるのか﹂と尋ねる。この問いから、イザヤがそのような任務は一時的なものにす ぎないと暗に前提していたことがわかる。ところが神は﹁国が完全に滅びるまで﹂と答える(イザ六cサー3)c イ ザヤの神の言葉では'民の心を頑なにすることに関してへ滅びをこえて何ら積極的なことは語られていない。 神の審判が神の最後的な言葉でないということを祭司文書の著者はノアの洪水の物語の中に入れこんでいる。 それをすぐ捕囚のイスラエルの人々への慰めの吉葉として理解できるかどうか、ノアの洪水に出て-るのがイス m, ラエルでな-人類であるから、争われる所であるがヘ アモスの有名な審判の言葉﹁わが民イスラエルに終りが来 た﹂ (アモ八2)を誰でもすぐ思い出す言葉をノアにむけた神の最初の言葉としているのだから (創六13)、祭司 文書の著者はノアの洪水を、自分の時代すでに現実となってしまったイスラエルへの審判と関連づけていると思 120 われる。そして洪水の後に神は契約を立てへ再びこのような破滅をもたらさないと約束される(九r-1¥。 水物語に﹁イスラエル﹂を持ちこむことは出来ないのでpは人類への言葉に託して、自分の同時代の人にむけて 語っていると思われる。祭司文書の著者はその文字面よりはるかに強度に自分の時代を念頭に置いているとの指 (3) 揃は正しい。 蝣-1/ノアの洪 誰が神を知るべきなのか'動詞yd.の主語を祭司文書で見ると'それはいつも神が働きかける相手である.神の 働きを受けた者だけが神を知ることができるとPの著者はそれ以前の出エジプトの物語での用法を変えて主張し (3) ているOlO1・2で心を頑なにされるのはパロであり、ヤハウェを知るべきなのはイスラエル人であるOlの 場合も、ヤハウェの奇蹟的な災禍の業にまってパロがヤハウェを知るはずであると言われるがへそのときパロ自 身がその業を自分の身に受けるとは限らない(七17へ八18へ九cT1-1。 (S) 神の働きは出エジプトのときのイスラエルの人々に対するような神の助けである(六7)こともあるが、パロ やエジプト人にとってそれはヤハウェに滅ぼされることである。祭司文書の著者はヤハウェが滅ぼすにもかかわ らず、いやヤハウェによって滅ぼされるときにこそへそのことにおいてパロやエジプト人はヤハウェを知るべき だと言う。なぜならこの著者はヤハウェのエジプト人への敵対行為を﹁ヤハウェを知るために﹂の後に前置詞bを (5)(S8) つけた不定詞句で-り返しているのに(七5、1四8)へイスラエル人への神の助けの場合には神の行為を1度も -り返さないからである。 出エジプトの話の筋は'イスラエルの人々が救出され、パロやエジプト人は災禍で苦しめられ'初子を殺され' 海の奇環で滅ぼされるといつもなっておりへそのように語り伝えられ'文書資料にも記されてきたoP以前にす でに決ったこの枠があるので'pの著者はヤハウェがイスラエル人にむかって敵対行息をなし、彼らがその敵対 121 パロの心を頑なにするヤハウェ 行為を身に受けつつその中で神を神として知るというふうに構成し直すことは出来ない。そこで祭司文書の著者 はヤハウェの審判(sptym六6'七4。〓遠を参照)を受けるパロとエジプト人の姿に託して'捕四の中にい (49) る人が浦田の中でヤハウェをヤハウェとして知るべきだと言っていると思われる. それともエジプト人の中に捕囚に連れて行かれた人々が直接経験した外国人である新バビロニア人を見てへP (5 0) の出エジプト物語を解釈すべきだろうか。神の民が外国にいるという共通の状況と、エジプトの魔術師に(七11 (S) ・Ofgr八-・i九11)へpよりずっと後代のダニエル書に登場するバビロンの魔術師と同じ請(甘rtmymダニ ISr二2)が使われていることに基いて'エジプトの奇蹟でヤハウェの言葉がエジプトの魔術の力に勝つとい (S) うPのテーマの中に当時のバビロンの魔術、宗教へのPolemikが込められていると解すことも不可能ではない。 しかし出エジプトの出来事全体を新バビロニアからの解放への希望と解すことは以下にあげる理由から無理であ ると思われる。H第二イザヤで、捕囚からの解放が第二の出エジプトと理解されているのは事実だがへしかしこ の比較で言われていることは'捕囚からの帰還というヤハウェの新しい業が﹁先の事﹂であるエジプトからの導 (S) き出しにはるかにまさるということである。33エジプト人の課する賦役労働に苦しんでいる所に神が介入し、イ スラエルの人々を導き出すと出エジプトではなっているがヽバビロンで捕囚の生活を送っていた人々はそのよう (54) な状況に置かれていなかったらしい0日pの著者はエジプト人が審判において神を知ることを入れこんでいるが、 ヽれ ヽを当時のバビロニア人に当てはめてみても'祭司文書の著者が語る相手は彼らでな-捕囚の地にいるユダの こ 人々なのだから、そこから何ら積極的な主張は生れないことになる。 神に撃たれ'裁かれるときにヤハウェを知るべきだとtPと同時代で、場所をも同じ-した預言者エゼキエル も言っている(エゼ七9'1Io>.g、一±in-o r-1*CSl2 ') 二、 二エ 2ゼキエルでは通常神がイスラエルに対し直接語 122 (55) りかける。では祭司文書の出エジプトの物語をたどってみるとどうだろうか。 (56) ヤハウェが命じた通りモーセはパロの所に行きへ イスラエルの人々をエジプトの地から去らせるようにとl亨っ (57) が(出六11。七2を参照)へ その言葉は﹁私がヤハウェである﹂という自己紹介と結びついておらずへ ﹁ヤハウェ がこう言われた﹂という使者の定式で始められているわけでもない。従ってパロは﹁イスラエルの人々を去らせ よ﹂という言葉を聞いても'それを命じるのがヤハウェであることがわからない。それに応じて、パロが聞き従 わなかった相手がpではヤハウェでなくモーセとアロンとなっている (七22へ 八>-I.LOへ九 連のエジプト の奇蹟でも'モーセがアロンに言うべき言葉をヤハウェがまずモーセに語る。この言葉の中にもヤハウェ自身は 1度も出て来ない (七gr八.^'九8)Oだからもしパロとエジプト人の前でこの言葉が語られたとしても' , , 彼らはせいぜい何か神的な存在が問題になっていることを知るにすぎない。事実第四の奇蹟でエジプトの魔術師 たちは﹁これは神の指が働いている﹂(八g3)と言ってへイスうェルの神の名をロにしないOその後の過越しでも 海の奇蹟でもモーセはもはやパロに会わず'彼に語ることもない。このように祭司文書では著るしいことにヤハ ( f f i ) ウェがパロやエジプト人に直接語りかけることも'モーセがパロにむかってヤハウェについて語ることもない。 従ってパロはヤハウェを全然知らずへ ヤハウェはパロに隠されたままである。 隠されたままのヤハウェをパロやエジプト人はそれにもかかわらず、審判において神として知るべきだと祭司 ( S ) 文書の著者は物語っている。これはどう解されるだろうか。捕囚が神の民にとって何を意味したかといえば'ナ タン預言にかかわらず王家を失い'族長への約束にかかわらず土地を失い'シオン伝承にかかわらず'エルサレ ムの町とその神殿が破壊されたことであった。神の民は捕囚によってへ 歴史の中での神の約束の担い手であった ものを全て喪失した。こういう状況の中で、ヤハウェはもはや自分の民にかかわらないへ いやかかわろうとされ パロの心を頑なにするヤハウェ 123 (3) ない'そしてかかわることができないのでないかと捕囚の民が神に失望落胆していたことを第二イザヤによって 引用されてる民の言葉が示している(イザ四〇㍍'四九E)。祭司文書の著者はそのような神理解に対し否を言っ ている。捕囚はヤハウェがもはや働かれなくなったことを意味するのでない。ヤハウェは働いておられるが'以 (62) 前とは違うやり方においてである.以前は出エジプトの際イスラエルに対しては、iE]分の名を告げ、エジプトか ら連れ出すと約束された。ところがエジプト人やパロには知られず、隠されたヤハウェであるが'それにもかか わらず彼らは完全にヤハウェの働きのもとにある。ヤハウェが隠れてなお働いていることを発見すれば、災いも' 国の滅亡も神の働かな-なった証拠でな-、神の自分に対する審判として受け取ることができる。審判の中でこ (63) そ神を神として知るべきだとPの著者は捕囚の時代の同胞に求めていると思われる。このことによりPの著者は 本当に神を知ることはまず神が隠れていることを知ることから始まると言っているのだろうか。 ( S ) 神の語られたことがそのまま事実となるというのが'そもそも祭司文書の神学と叙述の特徴であり'ヤハウェ が告げた'パロやエジプト人の心を頑なにすることや彼らの反抗は事実そのようになったと物語られている。そ れに対し神を知ることはどこにも実現したと述べられない。しかしだからといってへこの事から、Pの著者が捕 囚の民は審判の中で神を神として認めなかったという否定的な判断を下しているという結論をひき出すことはで きない。何故なら祭司文書ではパロやエジプト人だけでなくへヤハウェが助けへ護るイスラエルの人々の場合も (65) (出六7'1六S'二九S)へ事実彼らがヤハウェを知ったと物語られないからであるO祭司文書で神を知ること は一度も現に起った事として述べられず、いつも未来についての神の言葉に入れられている。 124 珪 おぼろげな記憶をたぐりよせて見ると'私が緊張して、しかし今から考えればいかにものほほんと'関根先生のゼミ の末席に初めて連なったとき、そこで取り上げられていたのは出エジプト記であったようです。先生は岩波文庫で出版 なさるためのお仕事をしてらしたのでしょうか。当時そのゼミでどういう方法が問題になっていたのか等はもはや覚 えていません。今ここにへひとつの文書資料の出エジプトの解釈についての論考を長年にわたる御指導への感謝とし、 も複数の人の集りかもしれないが'一応﹁著者﹂と呼んでお-0 これからも御健康が与えられ'お仕事を続けられますようにとお祈り申しあげます。 (1) 本稿で祭司文書という場合、厳密にいえばその基本文書(鞄)をさしている。それを書いたのは1人であるかそれと ると'祭司文書の著者臥古い文書資料を、編集的付加も含めてよく知っていたが'しかし眼前に置いてそこから書き写 (2) 私の学位論文(F.Kohata.JahwistundPriesterschriftinR昆'ks3-14:BZAW166,1986) の結論を1文にまとめ すようなことはしなかったとなる。 (3) 出1-7四章ではr神が契約を想い起す﹂(二24へ六5)へ﹁神が自らを知らす﹂(二2 '六3)へr契約定式﹂(六 7)へ﹁審判し(六6、七4、一二 、﹁ヤハウェの軍勢し(七4、1二4)、rイスラエルの人々が聞かない﹂(六9) 等。これらに関するPの解釈については私の論文﹁祭司文書におけるヤハウェとイスラエル﹂r日本の神学L二七号一 九八八年 六五-七八頁を参照。 (4) 祭司文書はモーセ五首のひとつの編集の層でなく元来独立していた文書である。その理由については私の﹁研究ノ ートL r聖書と教会&一九八七年五月号を参照。 (5) 少くとも出三-一四章でヤハウィストはひとつの文書層であり、幾世代にもわたる'幾層からなる文書でない。この geninExdus3-14",AJBI12,1986,3-28bes,14fを参照。 事についてはF.Kohata,"VerzichtaufdieQuellenschriftenimPentateuch?-KonsequenzenausTextbeobachtun- l二1-1 (6) ここでpに属すのは次にあげる章節である。一<-in (恐ら-1節bと5節aは除-) *-・ 二23aβbI * 、 一 三 2 ' 一 四 r H - " ^ ・ O O ・ O > r t , q β ・ 1 5 - 3 ・ 3 * α 0 4 α . 0 0 - < - < T > - ES'六2-冥七1-C-*・。。-C0-0- n!fc 4=>-輿 八1-co・^jnjβ 九8-SY た構造を示す。初めにヤハウェが命じた事を(六ォ"3)モーセが終りに実行する(六9、七6)。エジプトからの導 (7) Pのモーセの召命は六219が第1部へ六10-堕七1-7が第二部となっている。両部分は共通の表現を含み'似 125 パロの心を頑なにするヤノヽウェ き出し(六6・7'七-a-・in)に続いて神を知ること(六7'七5)が言われる。これは各々神の言葉の終りに来てい る。位置は異るが'﹁聞かない﹂(六9'七4)も共通である。 (8)どの災害についても'ほぼ同じ物語要素が似た順序で出てくる。詳しくは﹁旧約釈義・出エジプト記﹂r聖賓と教会h 一九八九年四月号三二貢の表二を参照。lのエジプト脱出物語全体の解釈については同誌五月号三一貢⊥一云頁、六月 号三〇貢以下を参照。 (9)この事をJは﹁パロは∼を見て﹂(八11、九34)と記している。 (10)過越しのときに出てこないのは'そこではエジプト人らは一方的に撃たれるだけで、抵抗するということが全然無い からだろう。 (3)p-では﹁頑なにする﹂に通常動詞廿zqが用いられるのにここだけqshとなっているo何故そうなのかその理由はまだ 十分解明されていない。しかしここだけ別の動詞だからといって七3aを後の付加であるとするのは(R.Smend,Die ErzahlungdesHexateuchaufihreQuellenuntersucht,1912,125.129;R.Frieb geschichtedesPlagenzyklusExodus7,8-13,16,DissertationHalle1967,XXX 乱暴すぎる。しかも後で﹁ヤハウェが言われたようにパロの心は頑なになった﹂とくり返されるのだから(七S'八 祭司文書で﹁心を頑なにする﹂に、ヤハウィストでの動詞kbdが使われることはない。これは祭司文書のエジプト irv九12。八11を参婿)へ七3aを除いてしまったのでは﹁ヤハウェが言われたように﹂のかかる所がな-なってしま にs 脱出物語でなく、それに続く部分の解釈によって規定されている。つまり祭司文書にとって重要な神学概念である﹁ヤ ハウェの栄光﹂の﹁栄光﹂(カーボード)と同じ語根の動詞を避けたためと思われる.﹁ヤハウェの栄光﹂は砂漠とシナ イで現われる(出1六t>.2'二四蝣S.t;'レビ九民1四1'1六Sf1七7、二〇6)が、それへの橋渡し として動詞kbdがこファル形ですでに出7四C--C 蝣o ・Iで使われている。 (3)上述のようにlの場合このどちらかである。 (3)例えば七o>(Pw)でパロがひとつの徴を求めるだろうとヤハウェがモーセに語る場合0 ¥T-ilI 7四 に1 も同様の事が見られる。エジプトにいるイスラエル人に対するヤハウェの最初の行為の前にもぎが置か れている(六5)0 (B)そこでも動詞の前に、nyがある。 印m. (S) Iここでヤハウェが徴を行うのはイスラエルの人のためであり、パロやエジプト人のためでない。関心がイスラエル に向けられておりへ モーセのヤハウェの言葉の中の﹁君たち﹂がイスラエル人を指している。fE未来の世代に対する教 育的配慮が働いている(出一二 三".3'申六^・S'三一csi.co、ヨシ四oq cm/ 臼神が﹁私の徴 i'tty)﹂ と言う。この語は﹁不思議﹂と対になって'出エジプトの際の神の働きに用いられる(申四3'六22へ七19へ 二六8、 二九2、三四11へエレ三二N CM、ネヘ九10、詩1三五90出七3bt九 I Iサを参照)o "DieQuellenvonExodusVII,8-XXIV,ll",JPThVIII,1881,96f;B.Baentsch,Exodus- Leviticus-Numeri:HKl,2,1,1900,78f;H.Holzinger,Exod罵 KHC2,1900,29.比較的最近でもG.Fohrer, (1) すでにA.Jiilicher, 1EH uberlieferungund Geschichte desExodus:BZAW91,1964,125;B.S.Childs,Exodus,OTL,1974,131.142. (望 Hl01の動詞が直接の九 (Ah)の甘qでな-九3(∫)のkbdと同じであるo Oパロの僕たちの心が特別の理由 もないのに'パロの心と並んでとり上げられるのは'九!(-サ)に影響された結果である。従って一〇1・2は九﹂(*) 1964,386を参照。 を知らずへ九34 (l) に続いていた。 (3) G.v.Rad,Theologie desATsII,1962(4),161;W.H.Schmidt, "AnthropologischeBegriffeimAT",EvTh24, り'それがIm'nで始る目的文で記されている。 (8) その理由については、V聖書と教会J l九八九年1月号三三貫下段以下で述べた。 (﹂) B.Baentsch上掲香(上記註(1))五四貢を参照一〇lでは﹁心を頑なにする﹂に統-のはヤハウェの行為であ (22) 例えば、ヤハウェは'パロが徴を求めるだろうと予言をするが(七g)、モーセとアロンの奇蹟に対してパロがエジ ト人の心を頑なにする﹂からは'それに﹁パロやエジプ-人の抵抗﹂﹁ヤハウェの彼らに対する敵対行為﹂﹁ヤハウェを プトの魔術師らを呼び寄せる (七11) ことは前もって言われていないO (2) 七1以下、l四2以下・15以下の三つのヤハウェの言葉の始りはまちまちであるが'﹁ヤハウェがパロないしエジプ 知ること﹂が続き、1致した構造を示す。さらにI四15以下は七3以下と次のような共通点を持つo Hl人称単数の動 と最後が特によ-対応している。 詞の前に、nyがつけられている0この事については上述二三貢以下を参照o jJ﹁ヤハウェを知る﹂に前置詞b+不定 詞句が続-。この意味については後述二一〇頁を参照oこのように、ヤハウェがパロの心を頑なにするとの告知の最初 (S) ヤハウィストの場合上述のように'このような事柄の連関になっている。 パロの心を頑なにするヤハウェ 127 (8) 三尊の資料分けについては、F聖書と教会﹄ 1九八八年10月号三四頁以下と-九八九年二月号三〇貢以下で論じ zakar imsemitischenSprachkreis:WMANT15,1967(2),204fを参照O た。 (S) B.Baentsch上掲書へ上記註(5))四六貢 W.Schottroff, 'Gedenken'imAlienOrientundimAT.DieWurzel 劇的なものに仕立てていない B.Baentsch上掲書へ上記註(17)) 〓ハ貢とW.H.Schmidt,Exodus:BKII1974ff, (S5) それに応じてPでは、エジプトでイスラエル人がしたのは賦役労働であり、彼らが奴隷とされていたと、その状況を 41を参照。 zumATII,TB48,1973,189-198bes.193f;B.S.Childs上掲書(上記註(1)) 二八貢を参照。 (S!) G.v.Rad, "BeobachtungenanderMoseerzShlungExodusl-14",EvTh31,1971,579-588=GesammelteStudien いかける二連の災禍物語におけるJのヤハウェの言葉について私は'r聖書と教会)一九八九年五月号三三貫以下で (8) この相違は両文書資料の神の言葉にも明らかである。Jで神は人間に命令もしへ告知もするが'人間に語りかけ、問 論じた)。それに対し、Pで神はこれから起ることを告知Lへ人間に命令するが'人間に問いかけ、その意志を尋ねる ことはない。 (3) ﹁もし君が私の民を去らせることを拒むなら﹂とパロの意志決定(m'nピエル形) が条件文で述べられる (七27a、 とM.Noth(DaszweiteBuckMose.Exodus:ATD5,1965(3),47) は"wollen"を使って訳している。 八17aα、九2'10"*rt)c 八17にはこの動詞がないけれどへB.Baentsch(上掲書(上記註(1))六七二ハ八頁) (55) によれば、創造された園においても人間は最初から神への離反に定められておらずへ神の言葉に対し自由に決断す ることが許されている(創三<NMCO-二16を参照)。しかし人間が神の命令に背-ので(三6)へ それへの処罰として神 が呪いを告げる (14節以下)o Baumgartner,Lexiconin VeterisTestamentiLibros,1958,1003)でな-'﹁審判﹂と訳すのが適切である(B.Baentsch (望 従ってへPの出エジプトの物語に出て-る澄ymという語(六6'七4、1二 は﹁罰としての審判﹂(L.Kohler-W. 上掲書(上記註(^1)四八・五四頁へM.Noth上掲書へ上記註(S3)))0 (3) ﹁もし (、m) ∼するなら﹂ と。 (3) ﹁∼の故に (/ォ,bgll)﹂という接続詞で始まる文で. (35) 接続詞lknで。 128 これらの箇所で'接続詞なしで二文が並列されているが'第一文の帰結として第二文が理解される。 上述のように、ーのパロの場合がまさにそうである。 ただpの時代のイスラエルの人々がパロやエジプト人の姿の中に自分自身を見出し、自分たちと神の関係を読み取 後述二二一頁以下を参照。 るならへ問題は違って-るだろう。これについては後述1二二貢以下を参照。 39 38 37 36 5 C W e s t e r m a n n , G e n e s i s : B K I / 1 , 5 1 f ︰ W . H . S c h m i d t , E i n f i t h r u n g i n d a s A T , 1 9 8 5 ( 3 ) , 1 0 0 ; . S m e n d , ' " D a GottesnachdemBuckEzechiel:AThANT27,1954-GottesOffenbarung: 6 R TB19,1963,41-119bes.46を参照。なお102でも﹁ヤハウェを知るために (Im'nを使って)﹂がパロの心を頑な ついてはW.Zimmerlie,Erkenntnis 続詞Wで始められるが、やはり﹁ヤハウェを知るために﹂とml的に解せられる。なぜならPではそもそも接続詞がめ ったに使われず'﹁ヤハウェを知る﹂の文がヤハウェの語る言葉の終りに位置するからである。この位置とその意味に ) にするに続-がへ その主語はパロでもエジプト人でもない。これについては後述1二〇頁以下を参照。 6 7 - 7 2 . Endeistgekommen'EinAmoswortinderPriesterschrift",DieBotschaft und dieBoten,FS H.W.Wolff,1981, 照。しかしそうであるからこそ、Pに明言されてない事を何でも持ちこんで勝手な解釈をしてしまう危険も大きい。 (5) R.Smend前掲論文(上記註(5))七一貢 J.Wellhausen,ProlegomenazurGeschichtelsraels,1905(6),340を参 ( s (3) *で﹁ヤハウェを知る﹂の文は、1でのように目的文を導入する接続詞(Im'n八l r九29)と結びつかず'単に接 異る。lの災禍の物語に相当する部分七8-九12には全然出てこずへモーセの召命記事と海の奇蹟の物語にだけ出てく る。 ェを知る﹂はそこではヤハウェがモーセを通してパロに語りかける間だけへつまり一連の災禍においてのみへパロ一人 を主語として、ヤハウェの吉葉の中に出て-る。祭司文書でもいつもヤハウェの言葉の中にあるが、分布の仕方はーと 上掲書(上記註(2))各々九五二 1八・一二〇二二三貢以下を参照。lでは'ヤハウェが下す災禍にヤハウェの 力を認め'﹁私の民を去らせよ﹂という要求に応えることがヤハウェを知ること、認めることである。従ってへ﹁ヤハウ (3) 八6、九l '702、1 77の﹁ヤハウェを知る﹂は1への二次的付加であるO これらの箇所の文献批判については (?) 自分の民イスラエルの積極的な共働をPのヤハウェは考えもしない。この事については上掲論文(上記註(3))を 参照。 ′ ヽ ( ′ .、 ( 129 パロの心を頑なにするヤハウェ この前置詞b+不定詞句は時間的に﹁∼のときに.[だけでなく、﹁∼によって﹂と根拠をあげていると解されるべき ヤハウェのモーセへの貫葉の中の二人称複数{wydctm) にイスラエル人が含まれている。 この他にも一六12で﹁ヤハウェが養う﹂、二九46で﹁エジプトから導き出す﹂がある。 m (3) 出1四8にはない。エゼキエル書でも(箇所については下記1二二貫を参照)同様に-り返されている。 であることをすでにW.Zimmerlie上掲書(上記註(4))五三貢が指摘している。 (47) (3) この語はいつも外国人で夢解きをする者に使われている。ダニエル書以外ではヨセフ物語にエジプト人として出て 私自身この可能性に触れたことがある。上掲書(上記註(2))三三九貢註1五七と三四三貢註1七二。 pはヤハウェとイスラエルの関係をモーセの召命の前半で正面からiJりあげている。その事の詳細は上掲論文(上記 註(3))で論じた。 (3) ( g ) や安息日(二2・Sへ 出1六 蝣S3) を守ることが自分たちを他民族から区別するしるLとして意味を持つのは外国で 次の理由から私は'祭司文書の著者はパレスチナの地でなくバビロニアにいたと想定する。日割礼(創一七9以下) -る (創四一ォォS)- (51) 3折E あるバビロニアにおいてであるO制札を新バビロニア人はしないのであるからなおさらそうである(G.v.Rad, Theologie desATsI,1962(4),92;A.S.Kapelrud. "TheDateofthePriestlyCode(P)",ASTI3,1964,59;W.H. Schmidt上掲書(上記註(4))九六・九七頁︰P.Klein, "TheMessageofP",DieBotschaftunddieBoten,FSH. いる0日祭司階級の伝承はエルサレムに生き続けたので、そこでの方が容易に手に入ったかもしれない(R.Smend,Die W.Wolff,1981,57-66bes.64)-ftバビロニアの地でのエゼキエル預言や第二イザヤとの多-の共通点をPは持って イザ五二12、四八21をそれぞれ出一二11、一七5・6と比較すれば明らかである。 EntstehungdesATs,1984(3),58)が、しかし祭儀伝承は口伝であったらしいので (K.Koch,DiePriesterschri/tvon LP25bisLev16:FRLANT71,1959,97) それらはその担い手とともに動-からである。 ヽ ′ ー 壊したこと(8節)であり、詩人がエルサレムから遠-離れていることであって、バビロンで厳しい労働に苦しめられ ていることでない。 としなかった人が多かった。また捕囚の地での詩篇一三七で問題にされているのは、新バビロニア人がエルサレムを故 捕囚初期についてエレ二九を参照。長老たち(エゼ八1、一四1、二〇 ・CO)のもとにある程度の自治も許されて いたらしい J.Conrad, "zqn",ThWAT II,647を参照O事実、後でパレスチナへの帰還が許されてもすぐに帰ろう 54 53 130 (B) 上記の箇所のうち〓15だけイスラエルについて三人称で語っているO最初の記述預言者アモスは外国の民に'サマ リアの暴虐の証人として語りかける(アモ三->-3)が'外国の民への審判は直接その民に二人称で語りかけず三人称 で述べる(一3-二3*)。イスラエルへの審判は三人称でも(二6-8)へ 二人称でも(ニー>*-3)語られる。時と 所をPと同じ-するエゼキエルではヤハウェが外国の民にむかっても二人称で語りかけ、審判を告げる(例えばエゼ二 七1以下、二八22へ 二九co・Tj<)。預言書の諸外国への審判の言葉には二次的なものが多いので、いつから預言者の神 が外国の民にも二人称で審判を告げるようになったのかを確定するのは難かしい。 (8) *でもイスラエル人に告げるときはそうなっている (六6)0 (fe) でもモーセがパロに語る言葉はそうなっている (七t-.toへ 八16、九-・・s、一〇3)0 (m望 この'Ihymが固有名詞でな-、普通名詞であることについてはB.Baentsch上掲書(上記註(1))六七頁を参照。 (S) *とひとつにされたーで、ヤハウェとパロの応答関係がテーマになっているので'pのこの特徴は今の出エジプト記 では消えてしまっている。 (g) シオン伝承についてはW.H.Schmidt,Alttestamentlicher Glaubeinseiner Geschichte,1987(6),249ffを参照。 (Jo) L.Perlitt, "DieVerborgenheitGottes",ProblemeBiblischer Theologie,FSG.v.Rad,1971,381;B.Janowski, und imAT:WMANT55,1982,355を参照。 Siihnea打Heilsgeschehen.StudienzurSilhnetheologie derPriesterschrift undzur WurzelKPR imAlienOrient (S) 上述のような神を思い描-捕囚の民にこの歴史を語っても、それは過去の神であって、今の自分たちに何の関係があ るだろうかとの反按しかひき起さないのではないだろうか。 ヽ ヽ (S3) G.v.Rad上掲書(上記註(S)V ZZ.四〇二を参照。 (S)一四4を8節と比較。ヤハウェがエジプト人を減ぼすこと二四18)は28節に言葉通り-り返されていないが、出来 事として描き出されている。 (65) エレミヤ書の終末預言(エレ三一 によれば、神がイスラエルの人々の心に律法を刻まれた結果、彼らは神を 知るようになる。祭司文書全体の中でイスラエルの人々がなすことはせいぜいヨシュアに聞き従うことであり(申三四 9)、祭儀においても民が神をはめ襲えることなど全然考えられていない(K.Koch㍉DieEigenartderpriesterschrift- イスラエルがr信じる﹂のをモーセのなす奇蹟の目的としてあげるだけでな-(四5)へ﹁民は信じた﹂(四31at 1四 1ichenSinaigesetzgebung",ZThK55,1958,44を参照)Oそれに対し出エジプト物語の編集者ないし付加をした者は 131 パロの心を頑なにするヤハウェ 31) と事実として述べている。 ︹付記︺ 本稿は私の学位論文(上記註(2))のVI.InterpretationdurchdiePriesterschrift,D.JahweundAgyptenをもとに キリスト教学会で発表しました。 表題のテーマのもとに検討を加え、まとめ直したものです。本稿の骨子を一九八七年九月三〇日関西学院で開催された日本 ヘブライ語聖書で出七草は25節で終っておらず、29節までありへ八草は協会訳の八5から始っているので、八草の節数は 本稀のものに四を足すと協会訳のものになります。