...

見る/開く - 東京外国語大学学術成果コレクション

by user

on
Category: Documents
26

views

Report

Comments

Transcript

見る/開く - 東京外国語大学学術成果コレクション
Journal of Asian and African Studies, No., 
論 文
13 世紀のインド洋交易港アデン
取扱品目の分析から
栗 山 保 之
(東洋大学非常勤講師)
The Indian Ocean Trading Port of Aden during the 13th Century:
An Analysis of Its Trade Items
Kuriyama, Yasuyuki
Parttime lecture, Toyo University
Before the appearance of the Portuguese and other European powers in the
Indian Ocean in the late fifteenth century, ‘Adan (Aden) in South Arabia,
lying between the Red Sea and the Indian Ocean, was a seaport well-known
as an important centre of sea traffic. is was because of its favourable geographical location. Under the Rasūlids in particular, who ruled Yemen from
the thirteenth to fieenth centuries (626–858/1228–1454), the port of ‘Adan
functioned as an international trading port for the collection and distribution
of many varied and diverse articles and products produced and traded in various regions ranging from the Mediterranean, East Africa, and Iran to the west
coast of India, Southeast Asia, and East Asia, and it enjoyed considerable economic prosperity.
In recent years there has been discovered and published a new historical source relating to the port of ‘Adan. Bearing the title Nūr al-Ma‘ārif fī
Nuẓum wa Qawānīn wa A‘rāf al-Yaman fī al-‘Ahd al-Muẓaffarī al-Wārif, it is an
Arabic work dealing with the reign of the second Rasūlid Sulṭān, al-Muẓaffar
Yūsuf b. ‘Umar (r. 647–94/1249–95). A work of wide-ranging content relating to the practical duties of officials during this sultan’s reign, it will provide
much information for future research on the history of the Rasūlids and the
regional history of Yemen and South Arabia. Of particular note is the fact that
it includes the tariff schedule employed by the customs house at the port of
‘Adan during the reign of Sulṭān al-Muẓaffar.
is tariff schedule records in detail a total of 413 articles and products
that were traded at the port of ‘Adan in the thirteenth century and also specifies the amounts of the various taxes levied on each item. is tariff schedule
Keywords:
aghr ‘Adan, Furḍa, Rasūlids, Maritime Trade, al-Yaman
キーワード :
アデン港,税関,ラスール朝,海上交易,イエメン
* 本稿は,日本オリエント学会第 48 回大会(2006 年 10 月 29 日,早稲田大学)でおこなった報告を
もとに作成したものである。
6
アジア・アフリカ言語文化研究 75
would thus appear to be of great value as a primary source for elucidating in
more concrete detail the actual state of trade at the port of ‘Adan at this time.
In this article, I accordingly examine what sorts of articles and products
were handled by customs (furḍa) at the port of ‘Adan under the Rasūlids by
organizing and analyzing the content of the tariff schedule as part of a study
of the history of trade in the Indian Ocean in the premodern period. e article is divided into three sections.
Section 1: classify the 413 items handled by the ‘Adan customs, calculate
the percentage accounted for by each group of items within the total number
of items, and consider the significance of the results. In addition, I also educe
and analyze the places where these items were produced or from where they
were exported.
Section 2: I analyze the places through which items handled by the ‘Adan
customs passed en route to the port of ‘Adan.
Section 3: I examine the taxation standard, customs duties (‘ushr, pl.
‘ushūr), brokerage tax (dilāla), and shawānī tax, and I also consider the tax
rates and methods of taxation for the customs duties and brokerage tax.
On the basis of the above, it can, I think, be reconfirmed that the port of
‘Adan in the thirteenth century was a major trading port in the maritime world
of the Indian Ocean.
はじめに
2-2 経由地の割合とその分析
1 取扱品目について
3 課税標準および税について
1-1 品目の種類とその割合
3-1 課税標準
1-2 品目の生産・積出地とその割合,お
3-2 関税
よび品目の等級
3-3 仲介税
2 経由地について
3-4 シャワーニー税
2-1 経由地とその所在
おわりに
た諸地方の海上商人たちがさまざまな商品や
はじめに
物産を携えて集散するインド洋海域の最も重
要な国際交易港の一つとして,おおいに活況
紅海とインド洋とが出会う,南アラビアの
を呈していた。
南西端に位置するアデン ‘Adan は,二つの
このアデン港に関する先行研究は多い。歴
海洋が交わる航海上の好条件ゆえに,海上交
史の展開における海域の役割に注目する家島
通の一大拠点として古くからよく知られた
彦一は,インド洋を媒体として形成される一
港であった。とりわけ,13 世紀から 15 世紀
つの有機的・総合的世界としてのインド洋海
にかけてイエメン al-Yaman およびハドラマ
域世界という概念を提唱し,同海域世界にお
ウト Ḥaḍramawt を広く領有したラスール朝
けるアデン港の重要性を指摘して,国際交
al-Rasūlids(626-858/1228-1454 年)統治下
易港としての機能や役割に関する研究を発
においてアデンは,紅海沿岸地域,東アフリ
表している 。また,インド洋交易に従事し
カ,インド西岸,東南アジア,東アジアといっ
ていた海上商人たちの諸相を,膨大なゲニ
1)
7
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
ザ文書(Cairo Geniza documents)を用い
から得られるアデン港においてみられた商
てきわめて具体的に描写したゴイテイン S.
品・物産に関わる情報が必ずしも十分ではな
D. Goitein は,紅海とインド洋を往還する
く,それら既出の史料に記載された商品・物
海上商人たちが頻繁に寄港していた重要な港
産を主な検討材料とすることができないから
2)
の一つとしてのアデン港を描き出した 。さ
であった。これに対して本稿で利用する新出
らにイエメン史研究者スミス G. Rex Smith
史料は,アデン港で取り扱われていた多種多
は,国際交易港としてのアデン港に到来す
様な品目の詳細を多数包含しており,これ
る交易品や税関の様子などを,13 世紀の南
らの取扱品目の多面的な分析からアデン港
アラビア地誌の研究によって詳細に再現し
について検討することが可能であるように
3)
ている 。この他にも,南アラビア地域史研
思われる。そしてこの点に着目したシャム
究の大家サージェント R. B. Serjeant はかつ
ルーフは,すでに紹介したように,その著書
て, ク ロ ー ド・ カ ー エ ン Claude Cahen と
『イエメンにおけるラスール朝の商業と貿易
の共著で,イタリアのアンブロシアーナ図書
(e commerce and trade of the Rasulids in the
館(Biblioteca Ambrosiana)に所蔵されて
Yemen, 630–858/1231–1454)』において,こ
いる,15 世紀初頭のアデン港税関関連のア
の史料の記載事項を一覧表にまとめ,これを
ラビア語文献史料を紹介し,その後のイン
分析したのであった。しかしながら筆者が最
ド洋交易史研究の進展に大きな影響を与え
近,この史料と彼が作成した一覧表の内容を
4)
た 。また近年では,以下に紹介するアデン
照らし合わせる確認作業をおこなってみたと
港に関するラスール朝史関連の新出史料を用
ころ,彼の一覧表に多数の欠落がみいだされ,
いて,クウェート人研究者のシャムルーフ
アデン港の取扱品目の一覧としてはかなり不
Nayef Abdullah al-Shamrookh が ラ ス ー ル
十分なものであることが判明した 。さらに,
朝の商業と交易についての研究をより深化さ
彼が分析している関税をはじめとしたアデン
せようと試み,この新出史料にみえるアデン
港の諸税についても,この史料にみいだされ
港の取扱品目およびその税額などの項目を抽
る記述を訳出,列挙するにとどまっており,
5)
出して,大部な一覧表を作成している 。
従来のアデン港に関わる研究において,同
6)
それらを解釈するまでには至っていないよう
7)
にみうけられる 。
港に集散していたさまざまな商品・物産自体
そこで本稿では,この新出史料にもとづい
を主要な分析材料とした研究は,上述のシャ
て 13 世紀のラスール朝治下アデン港税関が
ムルーフのそれ以外にはみられない。なぜな
取り扱った商品 ・ 物産の一覧表を改めて作成
らそれは年代記・地理書・地誌・旅行記など
し,同港税関の取り扱った品目に関わる諸相
1) インド洋海域世界については,家島 1991: 32-8; 2006: 17, 20-1 を参照のこと。また氏のアデン港
にかかわる論考は数多いが,とくに家島 1993: 174-95, 家島 2006: 319-29, 406-8, 435-7 が詳しい。
なお,本稿で随所に用いるインド洋海域世界という用語およびこの用語をめぐる概念は,氏が論じ
るインド洋海域世界にかかわる諸研究の成果に依拠している。
2) Goitein 1973.
3) Smith 1995; 1996.
4) Cahen & Serjeant 1957.
5) al-Shamrookh 1996. この研究書は家島氏のご厚意により閲覧,複写することができた。ここに記
して深謝いたします。
6) 彼の一覧表における史料の欠落は数多くある(al-Shamrookh 1996: 316, 317, 318, 322, 323, 326,
327 など)。
7) 詳しくは本稿第 3 章にて述べるが,とくに関税や仲介税についての分析は,全く不十分であること
は明らかである。
8
アジア・アフリカ言語文化研究 75
のうち,とくにその品目名や生産 ・ 積出地,
れた)が複数の書記官僚や写字生らによって
および同港までの経由地,そして同港税関で
書写されたものを編纂したものである 。こ
賦課された関税などの諸税について検討して
のため,その記述内容は課税対象,課税・徴
みたい。これは,アデン港をインド洋海域世
税方法,税種,税額,および税務にかかわる
界の交易港としてより明確に位置づけるのな
さまざまな役職とその職掌など,ラスール朝
らば,何よりも第一に交易の中核を占める商
初期の税制および税務行政全般に関連する事
品・物産について十分に検討すべきであると
柄がきわめて具体的に描写されており,今後
の立場によるものである。具体的には,イン
のイエメン・ラスール朝史研究やインド洋交
ド洋を東西に往還していたさまざまな商品・
易史研究の進展におおいに資する第一級の史
物産が一体いかなるものであり,それらは果
料的価値を有していると思われる。
8)
たしてどこからもたらされていたのか,そし
てそれらの商品 ・ 物産に対して,アデン港税
1 取扱品目について
関の取扱品目としていかなる種類の税が,ど
のような基準で課せられていたのか,といっ
1-1 品目の種類とその割合
た諸問題の究明を目的としている。アデン港
本稿において分析対象とするアデン港税関
税関の取扱品目を主要な検討材料として,こ
の取扱品目は,『知識の光』のなかに収載さ
れらの諸問題を考察することにより,先行研
れた記事にみいだされる 。「アルファベッ
究で述べられたインド洋海域世界における交
ト順による,神がその所有者の主権を永らえ
易港としてのアデン港について,より具体的
給うところの,神に守護されたるアデン港
かつ明確なイメージを新たに加えることがで
(thaghr ‘Adan)における,人や物によって
きると考えている。
9)
10)
占められた税関(al-furḍa al-ma‘mūra) の
さて,本稿で検討するラスール朝史関連
祝福されたる関税(‘ushūr)の賦課」と題さ
の新出史料とは,
『壮麗なるムザッファルの
れた一節には,同港税関において取り扱われ
時代におけるイエメンの統治と法律そして
ていた諸々の物産名がアルファベット順に列
諸慣習に関する知識の光(Nūr al-Ma‘ārif fī
記され,次いでその物産名に関連する経由地,
Nuẓum wa Qawānīn wa A‘rāf al-Yaman fī al-
課税標準,関税,仲介税(dilāla),シャワー
‘Ahd al-Muẓaffarī al-Wārif)』(以 下, 本 稿 で
ニー税(shawānī)といった項目が順番に併
は『知識の光』と略記する)と題された著
記されている 。取扱品目によっては経由地
者不明のアラビア語史料である。本史料は,
の記載がないものもあれば,逆に複数の経由
ラスール朝第 2 代スルタン・ムザッファル
地を明記しているものもあり,さらにはシャ
al-Muẓaffar Yūsuf b. ‘Umar の統治期(647-
ワーニー税の税額表示の後に特記事項が付さ
94/1249-95 年)に作成された税務関連の諸
れている場合もある。これらの項目は,すで
文書(その多くが 1290-94 年の間に作成さ
に紹介したように,ラスール朝統治下のアデ
11)
8) 本史料の解題および価値にかかわるより詳細な紹介は,校訂者で本史料の発見者でもあるイエメ
ン人のイエメン史研究者ジャーズィム al-Jāzim による序文を参照のこと(Nūr al-Ma‘ārif, I: a-z)。
なお,本史料の史料的価値は,すでに以下の各研究にも言及されている(Varisco 1989: 153; alShamrookh 1993: 22; 家島 2006: 326)。
9) Nūr al-Ma‘ārif, I: 409-60.
10) furḍa はアラビア語で通常,港と訳されるが,『知識の光』にみえる記載でアデン港に関する限り
においては,ルーグレン Löfgren の用語解説にみえる「税関(custom-house)」と解釈した(Abū
Makhrama, Ta’rīkh aghr ‘Adan, II, 50)。cf. Goitein 1973: 189.
11) 一覧表の表記に関しては同表末尾の凡例を参照のこと。また経由地,課税標準,関税などと訳出し
たアラビア語の原語およびその解釈に関しては,それぞれ,後述する第 2 章,3 章を参照のこと。
9
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
ン港税関業務の実務担当者たちによって作成
al-Mujāwir は,その著書『イエメン地方と
された文書にもとづいているものであり,そ
メッカおよび一部のヒジャーズ地方誌(Ṣifat
の意味でラスール朝当局の税務行政の内容や
Bilād al-Yaman wa Makka wa Ba‘ḍ al-Ḥijāz al-
姿勢をきわめて如実に反映しているとみなす
Musammāt Ta’rīkh al-Mustabṣir)』において,
ことができるだろう。
12 世紀のアデン港で輸出入されていたさま
この税関関連の記事を分析するに際して筆
ざまな物産名を記録しており,この南アラ
者は,『知識の光』に収録されたアデン港税
ビア地誌に記載されている物産を数えてみ
関の取扱品目としての商品・物産にかかわる
たところ,それは合計 33 点であった 。ま
項目を,一覧表の形式によって整理した。本
た,15 世紀初頭のラスール朝第 8 代スルタ
稿末尾に付した《アデン港税関の取扱品目一
ン・ナーシル al-Nāṣir Aḥmad b. Ismā‘īl(在
覧》(以後,本稿では一覧表と略記する)が
位 803-27/1401-24 年)の時代にまとめられ
それであり,以下ではこの一覧表にもとづい
た,ハサン・ブン・アリー Ḥasan b. ‘Alī al-
て考察を進めてゆくこととする。なお,本稿
Ḥusaynī の『アデン港の書記官提要(Kitāb
で取扱品目という場合は,アデン港税関にお
Mulakhkhaṣ al-Fiṭan wa’l-Albāb wa’l-Misbāḥ
ける関税賦課などの税関業務において,税官
al-Hudā li’l-Kuttāb)』(815 年 ジ ュ マ ー ダ ー
吏たちによって取り扱われた輸出入商品・物
II 月/1412 年 9 ∼10 月 編 纂) に は, ア デ ン
産という意味で用いる。これに対して単に商
港税関の取扱品目としておよそ 180 点の品
品あるいは物産という場合は,広くインド洋
目数を確認することができた 。これら二点
海域を往還していた商人などが携えていたさ
の史料のうち,前者は南アラビア地域を遍歴
まざまな売り物,物品という一般的な意味で
する商人の案内書のごとき性格を帯びてお
用いることとする。
り ,アデン港だけを特に取り上げたもので
13)
14)
15)
さて,一覧表によってまとめたアデン港
はない。そのため,この史料にもとづいて
税関の取扱品目の総点数は,413 点を数え
12 世紀の同港の取扱品目数が 13 世紀のそれ
12)
る 。同時代のインド洋海域に存在する数多
よりも少なかったと判断するのは早急である
くの港の交易取扱品目数と比較して,この
と思われる。その一方で後者は,いわば税関
数が多いか否かについてはにわかに判じ難
業務担当書記官のマニュアルであったという
い。しかし,同じアデン港については時代が
点において,一覧表の典拠である『知識の
多少前後するものの,比較することができる
光』と同様の性格を有しているといえる。そ
史料が残存している。13 世紀の南アラビア
れは,両史料の取扱品目の記載様式がほぼ同
地域を広く旅し,同地域の都市や村落の景
一であることからも明らかである。そこで,
観,情況,習慣や生産物などの諸情報を詳細
後者の『アデン港の書記官提要』に記載され
に記録したイブン・アルムジャーウィル Ibn
た約 180 品目と比較してみると,一覧表に
12) 取扱品目の総点数は,史料中にみえる物産数をかぞえたものである。なお同一物産でありながら,
輸入・輸出の別や異なった経由地の記載がある物産も史料にはそれぞれ記載されているが,ここ
では同一物産であるという点に鑑みて,数に入れなかった。ただし一覧表には史料に記載されて
いる通りに表示してある。なお,地理書,旅行記などにみえるアデン港にかかわる記述について
は,以下の通り。Abū al-Fidā, Taqwīm, 92-3; Abū Makhrama, Ta’rīkh aghr ‘Adan, I: 2-23; Ibn
Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 37; Ibn Khurdādhbih, al-Masālik, 61; Ibn al-Mujāwir, Ṣifat; 106-48; alIdrīsī, Nuzhat, 54; al-Iṣṭakhrī, Masālik, 25; al-Muqaddasī, Aḥsan, 85; Yāqūt, Mu‘jam, III: 621-3; E.
I. 2nd ed., I: 180-2 (‘ADAN);『大旅行記』3: 132-7.
13) Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 140-1. cf. Goitein 1973: 15; Smith 1995: 132-3.
14) al-Ḥusaynī, Mulakhkhaṣ, 4a-b, 13a, 14a-b, 17a, 18a-26b.
15) Smith 1990: 72-88.
10
アジア・アフリカ言語文化研究 75
表 1.【アデン港税関の取扱品目の品種】
品種
品目例
品目点数
糸・布・衣服類
金銀糸(265)・高級腰布(280)・赤色ベルベット(350)・絹亜麻混紡肩
掛け(387)など
200
香料・薬種類
山奈(126)・長胡椒(130)・甘松香(173)・クマール産沈香(243)・シ
ナ産龍脳(319)など
86
ガラス・陶磁器類 エジプト産ガラス(158)・泉州積出磁器深皿(211)など
18
硼酸(41)・亜鉛(42)・茜(275)・藍(409)・サフラン(413)など
17
白赤色アズファール(20)・真珠のビーズ(124)など
11
鉱物類
錫(145)・黒鉛(146)・赤銅(207)など
10
果実類
ナツメヤシ(38)・干しブドウ(157)など
10
顔料・染料類
貝・珊瑚類
奴隷
穀物・粉・豆類
動物皮革類
木材・竹籐類
エチオピア産家内奴隷(147)・黒人奴隷(151)など
6
ヒヨコマメ(107)・小麦(109)・大麦粉(131)・黍(140)・米(143)など
6
牛皮革(97)・ラクダ皮革(98)・山羊皮革(99)など
6
切断済みチーク板材(22)・竹製槍(154)・マーシフ産弓用ナツメヤシ材
(261)など
5
紅玉髄(249)・高級真珠(337)など
4
動物
馬(129)・ザンジュ産ロバ(153)など
3
紙類
イラク産紙(321)・シナ産紙(322)など
3
胡麻油(169)・鯨油(226)など
3
宝石・真珠類
油脂類
動物歯牙類
その他
2
象牙(229)・切断した象牙(230)
縒合ロープ(10)・紐無婦人用靴(33)・高級亀甲羅(137)・塩漬け魚肉
(225)など
23
まとめた『知識の光』にみえる 13 世紀の取
も多かったことを勘案すると,13 世紀のア
扱品目数は,15 世紀の 2 倍程度だったこと
デン港における交易活動は,15 世紀のそれ
が確認できる。もちろんこの結果は,13 世紀
よりも活発におこなわれていたとみなすこと
と 15 世紀のアデン港をめぐるインド洋海域
ができるだろう。
世界の交易動向の推移や,同港を管理下にお
ところで一覧表を一瞥してわかるように,
いていたラスール朝の政治・経済・社会情勢
アデン港で取り扱われていた品目は実に多彩
の変容,あるいはそれら情勢の変化に連動し
であり,その種類は多岐にわたっていた。そ
た同王朝のインド洋貿易政策のあり方などと
こでこれらを大別すると,表 1.【アデン港税
16)
いったさまざまな要因と無関係ではない 。
関の取扱品目の品種】のように分類すること
それゆえ性急な議論は慎まねばならないもの
ができる。
の,取扱品目数に限ってみれば,13 世紀の
上掲の表にみえるように,アデン港の取
アデン港の取扱品目数が 15 世紀のそれより
扱品目は 18 品種に分類することができる 。
17)
16) とくに 15 世紀におけるラスール朝の貿易政策について家島は,自身が発見・校訂した同王朝の写
本史料をもとに,このナーシルの治世において発生したスルタン位をめぐる内紛や北方のザイド派
勢力やアラブ諸部族の侵攻が軍事費の増大と国家財政の窮迫をまねいたため,ナーシルがその軍事
費をイエメンの主要貿易港に来航する外国船や商人たちへの不当関税や積荷没収などの強制策を
とったことにより,ラスール朝の経済基盤であった国家と商業との紐帯が断ち切られ,歳入の急激
な減少をまねいた,と指摘している(家島 1974: 175-6; 家島 2006: 458, 746-7)。
17) 分類の方法に関しては,従前の研究においてこれだけ多くの品目を分析した研究がないことから,
それぞれの取扱品目の分類は筆者が独自におこなった。しかし,たとえば硼酸は顔料として用 ↗
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
それぞれの品種がどのような物産によって占
11
としてみえる。
められていたのかを概観してみると,まず
また,ガラス器・陶磁器類としては,エジ
糸・布・衣服類のなかには,その一例として
プト産ガラス器(zujāj Miṣrī)
[158]やシナ
18)
スール産赤糸(ghazal aḥmar Ṣūlī)[263]
産陶磁器類[211∼24]がみえる。とくに陶
やバルーチ産糸(ghazal Barūjī)[264],金
磁器類については,大型磁器茶碗(al-aqdāḥ
銀糸(ghazal qaṣabī)[265]などの各種糸
al-kibār)
[212]や磁器水差(anṣāf)
[215],
を は じ め と し て, 絹 布(ibrīsim)[1] や,
20)
有孔四脚磁器壺(al-arbā‘ al-bikār)[219]
ダイブール産 10 ジラーア幅無漂白布(khām
など,各種シナ産陶磁器がアデン港にもたら
‘ushārī Daybūlī)[119], ダ ビ ー ク 産 金 刺
されていたことがわかる。
繍 入 亜 麻 布(shuqaq Dabīqī mudhahabba
顔料・染料類は,陶器の彩色や織物の染色
[sic])[196],4 ジ ラ ー ア 幅 絹 亜 麻 混 紡 腰
に用いられていたものだが,それらには硼酸
布(fūṭa ḥarīr wa kattān rubā‘ī)[300] と
(tinkār)[41]や亜鉛(tūtiyā)[42]などの
い っ た 布 類 や, イ ラ ク 産 縞 紋 外 套(abrād
顔料や,蘇芳木(baqqam)[29],サフラン
‘Irāqīya)[7],更紗腰巻布(uzur muḥshā) (za‘farān)
[161],茜(fuwwa)
[275]といっ
[14],山羊毛白色平織服(badhalāt sādhaj
bīḍ wa sha‘rī)[26]などの衣服がみられ,
た染料類がみえる。
これら以外にも,多くの品目がアデン港税
さらに衣類以外にも,7 ジラーア幅標準クッ
関で取り扱われていた。貝・珊瑚類としては
ション(dusūt subā‘ī wasaṭ [sic])[135]や
各種珊瑚(murjān)[354∼7]があった。鉱
漂白テーブルマット(shīlān maqṣūr)[198]
物類には錫(raṣāṣ abyaḍ Qal‘ī)[145],黒
など,実にさまざまな繊維製品が取り扱われ
鉛(raṣāṣ aswad)[146], 赤 銅(ṣifr aḥmar
ていた。
21)
[sic])[207]
などが,そして果実類として
香料・薬種類には,黒檀(abnūs)[2]や,
ペルシャ湾のキーシュ産ナツメヤシ(tamr
さまざまな地域産の白檀(ṣandal)[199∼
Qaysī)[40], パ パ イ ヤ(‘anbarūt)[259]
203], 沈 香(‘ūd)[232∼43], さ ら に は 未
などが運び込まれ,さらに各種奴隷(raqīq)
熟肉桂(qirfa bikār)[308],丁子(qurunful
19)
munqā [sic])[309]
, ク ミ ン(kammūn)
[330],麝香(misk)[364]などが取扱品目
↗
[147∼52]がエチオピアから送られてきて
いた。また穀物・粉・豆類には小麦(ḥinṭa)
[109],黍(dhura)[140],米(ruzz)[143],
いられる一方で,うがい薬や洗眼剤など薬種としても利用されたし,鉱物として分類した亜鉛は白
色顔料として用いられていた。このように取扱品目によっては薬種にもなれば顔料や染料としても
用いられていたものが『知識の光』には散見するため,表 1.【アデン港税関の取扱品目の品種】に
みえる数値には多少の誤差が生じる可能性があることを付記しておく。
18) 取扱品目名の後ろに付したカッコ内の数字は,一覧表の左側に記した番号と対応させている。以下,
同様。
19) 原文では qurunful munqā と表記されているが(Nūr al-Ma‘ārif, I: 448),munqā が munaqqa の
誤記であるとするならば,「精選された丁子」と訳出することができる。
20) シナ産陶磁器のうち,有孔四脚磁器壺[219]のアラビア語原語にみいだされる単語「bikār」は,
ドズィー Dozy によると「貯水槽や大皿の孔」という意味があることから(Dozy, Supplément, I:
106),ここでは有孔と解釈した。一覧表にまとめた[213, 216, 222, 224]もまた同様の解釈をし
た。なお,エジプトのフスタートで出土した 12 世紀から 14 世紀の南宋から元にかけて西アジア
にむけて輸出された青磁には,高台部の裏からみると貼付紋の下に孔が開いている特殊な大型青磁
皿,鉢があり,しかも同種類の青磁鉢はエジプトをはじめとして,トルコやイラク,イラン,アラ
ビアなどで発見され,中国や日本では出土しない典型的な西アジア向け輸出品であるという(三上
1988: 157-8; 佐々木 1999: 69)。
21) 銅はアラビア語で ṣufr であるが,
『知識の光』に記載された原文のまま ṣifr と翻字した。一覧表内
の他の銅[207∼9]についても同様。
12
アジア・アフリカ言語文化研究 75
グラフ 1.【アデン港税関の取扱品目の割合】
大麦粉(dādhī)
[131],ヒヨコマメ(ḥummus)
目数のほぼ半分にあたる 48%を占め,他の
[107]などがみられ,さらに牛,山羊,ラ
品種と比較して圧倒的に多かったことがわか
クダなどの各種動物の皮革類(julūd)[97∼
る。いうまでもなく,この数値は取扱量自体
9]があった。木材・竹籐類としては切断済
を表しているものではないため,各品目の取
みチーク板材(alwāḥ sāj shaqīq [sic])
[22],
扱量が現実にどの程度であったかを明らかに
竹製槍(rimāḥ qanā)[154],ナツメヤシ材
することはできない。しかしながら糸・布・
(‘aydān)[261∼2],竹籐(khayzrān)[127]
衣服類は,運搬の際に相当程度の場所を必要
な ど が, 宝 石・ 真 珠 類 に は 紅 玉 髄(‘aqīq
とする,いわゆるかさばり物であり,この種
aḥmar)[249] や 真 珠 の ビ ー ズ(kharaz
のかさばり物の運搬に関しては船による海上
jumān)[124], 真 珠(lu’lu’)[337∼9] と
輸送の方が,ラクダやロバなどの荷運び用駄
いったものが含まれていた。動物類として
獣を用いる陸上輸送よりも,より大量にしか
はザンジュ産ロバ(al-‘ulūj al-Zunūj)[153]
も迅速に目的地へ運び得たと考えられる。さ
や,馬(khayl)[129]が取り扱われ,また
らにこれら糸・布・衣服類のなかには,後述
紙類(kāghid)
[321∼3]や,油脂類に含ま
するように,商品価格に応じて税額を決定す
れる胡麻油(salīṭ)
[169],鯨油(ṣifā)
[226]
る従価税品目として設定されたきわめて高価
などがあり,そして動物歯牙類として象牙(‘āj)
な衣服が含まれる一方で,価格ではなく総重
[229∼30]がみられた。
量をもとにして捌かれた従量税品目としての
このように,アデン港税関で取り扱われて
安価な布・衣服類が非常に多くみいだされる
いた物産はきわめて多種多様であったことが
ことから考えると,糸・布・衣服類はその取
認められるが,それでは,これらの取扱品目
扱品目数の多様さに比例して,その取扱量自
について,それぞれの品目がすべての取扱品
体もまた大量であったと推測することができ
目のなかでどの程度の割合を占めていたので
る。またこれに加えるならば,糸・布・衣服
あろうか。すなわち,アデン港で取り扱われ
類に次いで高い割合を占めていた香料・薬種
ていた物産は如何なる品目が多かったのであ
類は,古くからインド洋交易の重要な商品の
ろうか。グラフ 1.【アデン港税関の取扱品目
一つであったものの,その取扱品目数の割合
の割合】は,先に提示した表をもとに,すべ
は糸・布・衣服類の半分にも満たないもので
ての取扱品目の割合を示したものである。
このグラフによると,糸・布・衣服類に含
まれる取扱品目数がアデン港税関の全取扱品
あり,しかも希少かつ高価ゆえに相対的な取
扱量が少量であったことは容易に想像できる。
したがって,13 世紀のインド洋交易におい
13
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
て,アデン港がかかわる海上交易によって取
引された最も主要な商品は,糸・布・衣服類
22)
であったと指摘することができるだろう 。
や泉州積出四脚磁器壺(al-arbā’ al-Zaytūnī
[sic])[217],泉州積出鼎磁器壺(al-athlāth
al-Zaytūnī [sic])[221],そして泉州積出磁
器 皿(sakārij Zaytūnī [sic])[223] な ど は
1-2 品目の生産・積出地とその割合,およ
び品目の等級
いずれも,
「泉州産(Zaytūnī)」と解釈でき
る表記がなされているが,もとより海港であ
つぎに,一覧表によってまとめた『知識の
る泉州において陶磁器が生産されていたわけ
光』にみえる取扱品目の生産・積出地につい
ではなく,それらはその周辺地域一帯の複数
て検討する。取扱品目名のなかには,その冒
の窯で生産されていたものであった。この
頭に生産地名が付されているものがかなり
13 世紀前後に中国から海外に輸出されてい
みいだされる。たとえば,キーシュ産ナツ
た陶磁器としては,浙江省の龍泉窯や越州窯
メヤシ[40]や一般ベネチア産衣服(thiyāb
で生産された青磁がきわめて大量であったこ
Bundqī muqāraba [sic])[64]とあるのが,
とから判断すると ,この時期のアデン港に
それに相当する。前者は言うまでもなくペル
輸入されていたシナ産陶磁器もまた,龍泉窯
シャ湾に浮かぶキーシュ島において産出さ
や越州窯において生産された後に,泉州へ運
れたナツメヤシと解釈でき,後者は地中海
び込まれ,そしてそこから西アジアにむけて
北岸の都市ベネチアで織られた衣服である
輸出されていたものであると考えられる。し
とみなすことができる。ところが,このよ
たがって,これらシナ産の陶磁器類は「泉州
うに生産地名と解釈できる場合がある一方
産」という表記がなされてはいるものの,厳
で,生産地名ではなくむしろ積出地の名称と
密には泉州で生産されたと解釈するよりも,
解釈した方がよい地名が付されているものも
むしろ「泉州の海港から積出された」と解し
ある。たとえば,シフル積出椰子色平織絹
た方がより適切であろう。いずれにせよ,こ
織 物(jawzāyī Shiḥrīya sādhaj)[93] や シ
のように取扱品目名に付された地名は,生産
フル積出沈香(‘ūd Shiḥrī)[239]にみえる
地名あるいは積出地名と解釈するべきであ
「Shiḥrīya」あるいは「Shiḥrī」がそれにあ
る。そこで,それらを列挙すると,つぎのよ
23)
たる。それらは通常,
「シフル産」と解釈する。
うになる(カッコ内の地名が,『知識の光』
しかし,シフルでは絹織物や沈香は産出され
に記載された生産・積出地名)。
ないことから,これらは他所から運ばれてき
たものがシフル港から積出されたと解すべき
24)
インド地方:(インド al-Hind ・バルージュ
25)
であろう。またこれと同様に,泉州積出磁
Barūj ・カンバーヤ Kanbāya26)・ダイブー
器深皿(al-mathārid al-Zaytūnī [sic])[211]
ル al-Daybūl ・マラバール al-Mulaybār ・
27)
28)
22) 糸・布・衣服類がインド洋交易において最も多く取引された品目であるという状況は『アデン港の
書記官提要』においても同様に確認でき,そこにみえる取扱品目のなかでも,衣服(thiyāb)の品
目が最も多く記載されている。cf. Goitein 1973: 16.
23) 佐々木 1999: 203; 三上 2000: 24; 長谷部 2002: 32.
24)『知識の光』にはインド産コスタス (qusṭ Hindī)[310]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 449)。コスタス
とはラテン語名 costus arabicus のことで,香料 ・ 薬種として利用された(al-Muẓaffar, Kitāb alMu‘tamad, 386-8)。ヌワイリーはインドの物産として「そこ(インド)には,赤い宝石(al-yāqūt
al-aḥmar),白檀(al-ṣandal al-abyaḍ),象牙,各種香料(aṣnāf al-‘iṭr),ベルベットの衣服(al-thiyāb
al-mukhmala),
それ以外の衣服,モスリン(al-lānis),布類がある」などと,
記している(al-Nuwayrī,
Nihāyat al-Arab, I: 366)。cf. E. I. 2nd ed., III: 404-54 (HIND).
25) 今日のブローチ Broach のこと。グジャラート地方のナルマダー川沿いの港。一覧表にはバルージュ
産無漂白布(khām Barūjī)[111],バルージュ産糸[264],バルージュ産赤色敷布(maḥābish ↗
14
アジア・アフリカ言語文化研究 75
29)
30)
クーラム Kūlam ・マアバル al-Ma‘abar ・
31)
グ ジ ャ ラ ー ト al-Jūzarāt ・ ス マ ー ナ ー ト
32)
33)
Sumānāt ・マカーシル Maqāṣir )
34)
イ ラ ン 地 方:(イ ラ ン Fāris ・ キ ー シ ュ
Qays(Kays)35)・サーブール Sābūr36)・カン
37)
38)
ジャ Kanja ・イスファハーン Iṣbahān ・
39)
40)
ヤズド Yazd ・シーラーズ Shīrāz )
41)
イラク地方:
(イラク ‘Irāq ・バグダード
ḥumr Barūjī [sic])
[345]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 426, 445, 453)。イドリーシーは「バルージュ
について言えば,それは大きな都市で,大層美しく,建物がすばらしくて,漆喰とレンガででき
ている。…(中略)… そこはシナ al-Ṣīn から到来する者のための港(furḍa)であり,またシンド
al-Sind から到来する者のための港でもある」と記し(al-Idrīsī, Nuzhat, 187),またヤークートは
「海沿いのインドの町のなかで最もよく知られ,そして最も大きくて,最もすばらしい町。その町
から藍染料(nīl)やラック染料(lakk)が輸出される。」と記している(Yāqūt, Mu‘jam, I: 5956)。さらにヌワイリーは「バルワス Barwaṣ,すなわちバルワジュといわれるが,バルワジー布(alqumāsh al-Barwajī)はまさにそこに由来する」と述べ,織物産業が盛んな様子を伝えている(alNuwayrī, Nihāyat al-Arab, I: 237)。cf. Hobson-Jobson, 116.
26) グジャラート地方のキャンベイ湾の港。今日のキャンベイ。『知識の光』にはカンバーヤ産縞紋
外套(abrād Kanbāyatīya)
[5],カンバーヤ産高級 7 ジラーア幅クッション(dusūt subā‘ī rifā‘
Kanbāyatī [sic])
[134]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 410, 428)。イドリーシーは「カンバーヤの町は
海から 3 マイルのところにあり,…(中略)… そこには全ての地方からの商品や通商の全てがある。
そしてそこからさまざまな地方へと運び出される。またその町は船がそこに入る一つの湾に沿って
いて,船はその湾に投錨する」と述べ(al-Idrīsī, Nuzhat, 181),匿名のペルシャ語地理書には「サ
ムール Ṣamūr,シンダーン Sindān,スーバーラ Sūbāra,カンバーヤの四つの町は海岸沿いにあ
り,そこにはムスリムやヒンドゥー教徒が居住している。…(中略)… これらの町の人びとは長髪
であり,一年中,腰布(izār)のみ着用している。これらの町の近くには一つの山があり,そこで
は竹籐,胡椒,ココヤシの実が成育している。カンバーヤでは靴(またはサンダル na‘lain)が生
産され,世界中に輸出されている。
」とある(Ḥudūd al-‘Ālam, 88)。またヌワイリーは「カンバー
ヤ布(al-qumāsh al-Kanbāyatī)はまさにそこ(カンバーヤ)に由来している」と記し(al-Nuwayrī,
Nihāyat al-Arab, I: 237),織物産業による繁栄を示している。
cf.Abū al-Fidā, Taqwīm, 356-7; al-Dimashqī, Nukhbat, 172; E. I. 2nd ed., IV: 993-4
(KHAMBĀYAT); Hobson-Jobson 150;『大旅行記』6: 96.
27) 今日は廃れてしまったシンド地方の港。
『知識の光』にはダイブール産無漂白布(khām Daybūlī)
[113],ダイブール産 10 ジラーア幅無漂白布[119],ダイブール産紙(kāghid Daybūlī)[323]
とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 426, 450)。イスタフリーは「ダイブール:それは海に沿ってミフラー
ン(Mihrān:すなわちインダス川)の西側にあり,大きな商業の中心地であり,この地方やそれ
以外の地方の港である」としている(al-Iṣṭakhrī, Masālik, 175)。アブー・アルフィダーは「そこ(ダ
イブール)からダイブール産織物の材料(al-matā‘ al-Daybūlī)が輸出される」と記し(Abū alFidā, Taqwīm, 349),織物産業の盛んな様子を描写している。
cf. al-Dimashqī, Nukhbat, 174; Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 50; al-Idrīsī, Nuzhat, 167; Yāqūt,
Mu‘jam, II: 638; E. I. 2nd ed., II: 188-9 (DAYBUL); Hobson-Jobson, 292, 320.
28) 今日の南西インド沿岸地域。
『知識の光』にはマラバール産檳榔子 (fūfal Mulaybārī)[276],マラ
バール産カルダモン(hāl Mulaybārī)[410]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 446, 459)。 ディマシュ
キーはこの地域を「胡椒の国(bilād al-filfil)」と呼ばれる胡椒の一大産地として伝えている(alDimashqī, Nukhbat, 173)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 353-435; Hobson-Jobson, 539; Yāqūt, Mu‘jam, IV: 639; E. I. 2nd ed., VI:
206-7 (MALABAR);『大旅行記』6: 112-9.
29) 今日の南西インドのクイロン Quilon。『知識の光』にはクーラム産腰布(fūṭa Kūlamī [sic])
[289]
とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 447)
。
ディマシュキーは「クーラムの町は胡椒の地方の一番外れ(ākhir)
」
としているように(al-Dimashqī, Nukhbat, 173),マラバール地方の南側周縁部分にあたる。また
アブー・アルフィダーは同地の物産として蘇芳木をあげている(Abū al-Fidā, Taqwīm, 360-1)。
cf. al-Idrīsī, Nuzhat, 180; E. I. 2nd ed., V: 360-1 (KŪLAM); Hobson-Jobson, 751;『大 旅 行 記』6:
134-8.
30) 今日のインド南東部のコロマンデル海岸のこと。『知識の光』には小型マアバル産腰布(fūṭa
Ma‘abarī ṣighār [sic])[290]とある(Nūr al-Ma‘ārif, 447)。アブー・アルフィダーは「そこ(マ
アバル)からモスリン織物が輸出されている」と述べている(Abū al-Fidā, Taqwīm, 360-1)。
cf. al-Dimashqī, Nukhbat, 173; Hobson-Jobson, 526;『大旅行記』6: 320-2.
↗
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
15
31) 一覧表でグジャラート産衣服(thiyāb Jawjarī [sic])[71]とした部分のうちで,グジャラート産
と解釈した「Jawjarī」については,
『知識の光』の校訂者がこれをグジャラートと解釈しているこ
とに筆者は従った(Nūr al-Ma‘ārif, I: 421, n. 3144)
。
グジャラートはインド北西部のカティアーワー
ル半島地域のこと。
cf. al-Dimashqī, Nukhbat, 170; E. I. 2nd ed., II: 1123-30 (GUDJARĀT); Hobson-Jobson, 388;『大
旅行記』5: 149-50.
32) ソームナート。グジャラート地方の港の一つであり(Abū al-Fidā, Taqwīm, 356-7),アデン港から
の船が到来するところであった(al-Dimashqī, Nukhbat, 170)。『知識の光』にはスマーナート産無
漂白布(khām Sumānātī)[115]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 426)。
33)『知識の光』にはマカーシル産白檀(ṣandal Maqāṣirī)[202]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 438)。マ
カーシルは,インド低地(sufālat al-Hind)のマカースィールと同じか。マカースィールについて
詳しくは,家島 2006: 521 参照。
34)『知識の光』には無染色イラン産絹衣服(thiyāb Fārisīya maqṣūr [sic])[57],無漂白イラン産絹
衣服(thiyāb Fārisīya khām [sic])[58],イラン産無漂白衣服(thiyāb khām Fārisīya [sic])[59],
イラン産ギンバイカ(hadas Fārisī)[412]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 420, 459)。
35) ペルシャ湾に浮かぶキーシュ島のこと。海上交通の要衝で,良質な真珠の採集場としても有名。『知
識の光』にはキーシュ産縞紋外套(abrād Kīsīya)[8],キーシュ産ナツメヤシ[40]とある(Nūr
al-Ma‘ārif, I: 410, 411, 417, 419, 420, 431, 432, 436, 439, 447, 451, 453, 455, 456)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 372-3; al-Dimashqī, Nukhbat, 166; al-Idrīsī, Nuzhat, 156-7; Yāqūt,
Mu‘jam, IV: 215-5; E. I. 2nd ed., IV: 832 (K
. AYS);『大旅行記』6: 284; 家島 1993: 147-75.
36) ビ ー シ ャ ー プ ー ル Bīshāpūr の 町 の 一 つ。
『知 識 の 光』 に は サ ー ブ ー ル 産 縞 紋 外 套(abrād
Sābūrīya)
[6]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 411)。アラブの地理書にはサーブーリーヤ衣服(thiyāb)
の 産 地 と し て 記 さ れ て い る(Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 179; al-Idrīsī, Nuzhat, 404; al-Iṣṭakhrī,
Masālik, 27; Yāqūt, Mu‘jam, III: 5-6)。
cf. al-Muqaddasī, Aḥsan, 424; Serjeant 1972: 56-7.
37) 今 日 の ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン 地 方 に あ た る ア ッ ラ ー ン(bilād Arrān) の 首 邑(qaṣaba)(Yāqūt,
Mu‘jam, IV: 308)。『知識の光』にはカンジャ産衣服(thiyāb Kanjī [sic])[47]とある(Nūr alMa‘ārif, I: 418)。匿名のペルシャ語地理書によれば,そこではあらゆる種類の毛織物を生産してい
たという(Ḥudūd al-‘Ālam, 144)。cf. Serjeant 1972: 69-70.
38) イラン中部の都市イスファハーン Iṣbahān のこと。
『知識の光』には絹製イスファハーン産衣服
(thiyāb Iṣfahānī ḥarīr [sic])[81],イスファハーン産クフル(kuḥl Iṣbahānī)[328]とある(Nūr
al-Ma‘ārif, I: 422, 450)
。イドリーシーは「イスファハーンにはアッタービー風の衣服(thiyāb al‘Attābīya)や紋様入り衣服(Washī),そして絹織物の全てや綿織物を生産する工房があり,商人た
ちはこれ(織物)をその町から運び出すためにその町に向かい,そしてそれを携えて諸地方へゆく」
としている(al-Idrīsī, Nuzhat, 677)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 422-3; al-Dimashqī, Nukhbat, 183; Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 362-3; Ibn
Rusta, al-A‘lāq, 151-63; Ya‘qūbī, Kitāb al-Buldān, 274-5; Yāqūt, Mu‘jam, I: 292-8; E. I. 2nd ed.,
IV: 97-107 (IṢFAHĀN); Serjeant 1972: 84;『大旅行記』2: 310-3.
39) イランの一地方都市。
『知識の光』には絹製ヤズド産衣服(thiyāb Yazdī ḥarīr [sic])
[80]とある(Nūr
al-Ma‘ārif, I: 422)。なお,ラスール朝後期の 838/1435 年に,同王朝によって捕らえられた侵犯船
(marākib al-mujawwarīn)に積載されていた物産の一つに,高級ヤズド産亜麻織(al-bazz al-‘ālā
al-Yazdī)があった(A Chronicle, 175)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 330-1; Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 266; al-Idrīsī, Nuzhat, 430; Yāqūt,
Mu‘jam, IV: 1017-8; E. I. 2nd ed., XI: 302-9 (YAZD);『大旅行記』2: 330; 家島 1993: 219.
40) ファールス Fārs 地方の首邑。『知識の光』にはシーラーズ産衣服(thiyāb Shīrāzīya)[50]とある
(Nūr al-Ma‘ārif, I: 418)。 ムカッダシーはシーラーズの産物として「シーラーズからは,そこ以外
に他のどこにも見出しえない魅惑的な外衣(al-aksiyat al-barrakānāt)や,素晴らしさやかわいら
しさにもかかわらず着心地において他に類をみない二重の織物(munayyarāt),そして素晴らし
い着物や,さらに絹やブローケード織,良質亜麻織や外套がある」と記している(al-Muqaddasī,
Aḥsan, 442)。またラスール朝時代末期のスルタン・ザーヒル al-Sulṭān al-Ẓāhir Yaḥyā の治世に
関する記録によると,834/1431 年にアデン港からスルタンに宛てた商人たちやナーホダーたち
(nawākhīdh)の贈物(hadīya)のなかに,シーラーズ産の亜麻織(al-bazz al-Shīrāzī)が含まれ
ていたとある(A Chronicle, 142)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 328-9; al-Dimashqī, Nukhbat, 119; Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 279-81; al-Idrīsī,
Nuzhat, 405; Yāqūt, Mu‘jam, III: 348-51; E. I. 2nd ed., IX: 472-9 (SHĪRĀZ) ;『大旅行記』2: 318-9.
16
アジア・アフリカ言語文化研究 75
Baghdād42)・アッタービー ‘Attābī43)・シン
44)
45)
ジャール Sinjār ・カンダル al-Qandal )
46)
エジプト地方:
(エジプト Miṣr ・アレキ
47)
48)
サンドリア al-Iskandarīya ・クース Qūs ・
49)
50)
ダビーク Dabīq ・ダミエッタ Damyāṭ )
地 中 海 北 岸・ 東 岸 地 方:
(ベ ネ チ ア
51)
52)
Bunduq ・アンティオキア Anṭākīya ・シ
53)
チリア島 Ṣiqlīya )
54)
東アフリカ地方:(エチオピア al-Ḥabasha ・
55)
ザ ン ジ ュ al-Zunūj ・ ム ガ デ ィ シ ュ ー
Maqdishū56)・マリンディ Malindī57)・バル
58)
バル Barābir )
59)
東南アジア地方:
(ジャワ Jāwa ・カーク
60)
61)
ラー Qāqullā ・クマール Qumār ・サン
41)『知識の光』にはイラク産縞紋外套[7],一般イラク産縞紋外套(abrād ‘Irāqīya muqāraba)[9],
イラク産オカヒジキ(ushuna ‘Irāqī [sic])[16],イラク産紙(kāghid ‘Irāqī)[321],イラク産バ
ラ水(mā’ ward ‘Irāqī)[342]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 411, 412, 450, 452)。ラスール朝スルタ
ンへの贈物の一品としてイラク産亜麻織(al-bazz al-‘Irāqī)がみいだされる(A Chronicle, 142)。
としてイラク産の物産については,al-Muqaddasī, Aḥsan, 128 を参照。cf. E. I. 2nd ed., III: 125068 (‘IRĀK
. ).
42)『知識の光』には高級バグダード産白色絹布(naṣāfī Baghdādīya rifā‘ [sic])[400],バグダード産
白絹布(naṣāfī Baghdādī wasṭānīya [sic])
[403]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 458)。匿名のペルシャ
語地理書には「バグダードは木綿,絹織物を生産する」と述べられている(Ḥudūd al-‘Ālam, 138)。
cf. Yāqūt, Mu‘jam, I: 677-93; E. I. 2nd ed., I: 894-908 (BAGHDĀD).
43) バグダードの街区の一つ。イブン・ジュバイルは「(バグダードの)街区の名前の一つはアッター
ビーヤであり,アッタービー織物は絹や色とりどりの木綿からなるが,それはそこで製造される」
としている(Ibn Jubayr, e Travels, 226)。一覧表にはアッタービー産衣服(thiyāb ‘Attābī[sic])
[52],一般アッタービー産衣服(thiyāb ‘Attābīya muqāraba)[74]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I:
419, 421)。
44) モスル西方の急峻な山岳地帯。
『知識の光』にはシンジャール産杜松子油(sandarūs Sinjārī)
[175],
シ ン ジ ャ ー ル 産 固 形 杜 松 子 油(sandarūs Sinjārī mulabbas)[176] と あ る(Nūr al-Ma‘ārif, I:
434)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 282-3; Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 220; al-Iṣṭakhrī, Masālik, 73; alMuqaddasī, Aḥsan, 137, 140, 145; Yāqūt, Mu‘jam, III: 158-60; E. I. 2nd ed., IX: 643-4
(SINDJĀR);『大旅行記』3: 52-3.
45) ヤークートは,バスラ al-Baṣra にある場所と記す(Yāqūt, Mu‘jam, IV: 183)。『知識の光』にはカ
ンダル産弓用ナツメヤシ材(‘aydān Qandal)[262]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 445)。
46)『知識の光』にはエジプト産ガラス器[158],エジプト産明礬(shubb Miṣrī [sic])[189](明礬は
shabb であるが,原文のまま翻字した。[187∼8]も同様),大型エジプト産ターバン(sharābiyāt
Miṣrī kibār [sic])[192],エジプト産銅(ṣifr Bayrawa [sic])[210](Bayrawa は意味不明。それ
ゆえここでは『知識の光』の校訂者ジャージムの解釈 Nūr al-Ma‘ārif, I: 439, n. 3255 に従う),高
級エジプト産亜麻布(maqāṭi‘ Miṣrīya rifā‘ [sic])
[366],エジプト産毛布(malāḥif Miṣrīya)
[375]
とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 430, 435, 436, 439, 456)。このほかに,ラスール朝年代記によるとエジ
プト産亜麻織(al-bazz al-Miṣrī)が外国商人たちの贈呈品としてラスール朝スルタンにもたらされ
ていたことがわかる(A Chronicle, 142, 150)。またエジプト産の物産については,al-Muqaddasī,
Aḥsan, 203 を参照のこと。
cf. E. I. 2nd ed., VII: 146-86 (MIṢR).
47)『知識の光』にはクース・アレキサンドリア産腰布(fūṭa Qūṣī Iskandarī [sic])
[301]とある(Nūr
al-Ma‘ārif, I: 448)。イエメン・ラスール朝史家ハズラジーは「(788/1386 年)エジプト[・マム
ルーク朝]の地から贈物がスルタン(=アシュラフ・イスマーイール)のもとに到来した。また
その贈物に伴ってアレキサンドリアの絹織物職工たち(‘ummāl al-ḥarīr min al-Iskandarīya)の
一団が来訪した」と記述し(al-Khazrajī, al-‘Uqūd, II: 158),アレキサンドリアの織工が集団でイ
エメンに送られていたことがわかる。また,817/1414 年のスルタン・ナーシルの治世には,アレ
キサンドリア産の上等な亜麻織(al-bazz al-fākhir al-Iskandarānī)がメッカより届けられ,また
837/1434 年および 838/1435 年にはいずれもメッカから到来した二人の商人(khawāja)からの贈
物の一つとしてアレキサンドリア産布(qumāsh al-Iskandarānī)がそれぞれ献上されている(A
Chronicle, 92, 169, 170)。またウマリーはアレキサンドリアで生産された多種多様な織物を列挙し
ている(al-‘Umarī, Masālik, 89)。
cf. Yāqūt, Mu‘jam, I: 256-6; E. I. 2nd ed., IV, 131-7 (AL-ISKANDARIYYA).
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
17
48) ナイル河東岸に位置する上エジプトの一都市で,紅海の港クサイルから約 200 キロのところにある。
アブー・アルフィダーやヤークートは,クースはアデンから来る商人の港としている(Abū alFidā, Taqwīm, 110-1; Yāqūt, Mu‘jam, IV: 201)。『知識の光』には一般クース産長衣(sawāsī Qūṣī
muqāraba)[186],クース産ターバン(‘amā’im Qūṣī [sic])[255],クース産刺繍入ターバン
(‘amā’im muṭarraza Qūṣī [sic])[256],クース・アレキサンドリア産腰布[301],大判クース産腰
布(fūṭa Qūṣī kibār [sic])[302],小判クース産腰布(fūṭa Qūṣī ṣighār)[303],無漂白クース産
腰布(fūṭa Qūṣī muḥshā [sic])[304],クース産亜麻布(maqāṭi‘ Qūṣī [sic])[369],クース産肩掛
け(malāwāt Qūṣī [sic])[383],クース産ハンカチ(manādīl Qūṣī [sic])[391],クース産編込み
ハンカチ(manādīl Qūṣī mushabbaka [sic])[392]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 435, 444, 448, 456, 457)。
cf. al-Dimashqī, Nukhbat, 232; Ibn Rusta, al-A‘lāq, 334; al-Idrīsī, Nuzhat, 128; al-‘Umarī, Masālik,
86-7; E. I. 2nd ed., V: 514-5 (K
. ŪṢ);『大旅行記』1: 114.
49) ヤークートが「ファラマー al-Faramā とティンニース Tinnīs との間にあった地で,エジプトの行
政州に属し,ダビーク産織物はここに由来する」と述べているように(Yāqūt, Mu‘jam, II: 548),
毛織物産業でよく知られた地。『知識の光』にはダビーク産金刺繍入亜麻布[196],ダビーク産肩
掛け(malāwāt Dabīqī [sic])[384]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 436, 456)。
cf. E. I. 2nd ed., II: 72-3 (DABĪK
. ).
50) ナイル河河口付近東側入り江にある下エジプトの一大織物業の都市。『知識の光』にはダミエッタ
産金刺繍入亜麻布(maqāṭi‘ Damyāṭī mudhahhaba [sic])
[370),ダミエッタ産漂白亜麻布(maqāṭi‘
Damyāṭī maqṣūr [sic])[371],ダミエッタ産無漂白亜麻布(maqāṭi‘ Damyāṭī khām [sic])[372]
とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 456)。イドリーシーは「ティンニース とダミエッタの町にはダビーク
風の織物や亜麻(sharb),そして染色織物(muṣabbaghāt)があるが,それは世界中にその美し
さや価値において近づき得るものはないのである」としている(al-Idrīsī, Nuzhat, 338)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 116-7; Ibn Khurdādhbih, al-Masālik, 82; Ibn Rusta, al-A‘lāq, 338; alMuqaddasī, Aḥsan, 201-3; al-‘Umarī, Masālik, 93-4; Yāqūt, Mu‘jam, II: 602-6; E. I. 2nd ed., II:
292 (DIMYĀṬ); Serjeant 1972: 143.
51)『知識の光』には高級ベネチア産衣服(thiyāb Bunduqī jiyyād [sic])[62],標準ベネチア産衣服
(thiyāb Bunduqī wasaṭ [sic])[63],一般ベネチア産衣服[64]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 420)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 210-1; al-Dimashqī, Nukhbat, 143; Serjeant 1972: 113.
52) 北シリアの都市アンティオキア。『知識の光』には標準アンティオキア産衣服(thiyāb Anṭākīya
wasaṭ [sic])[60],一般アンティオキア産衣服(thiyāb Anṭākīya muqāraba)[61],アンティオキ
ア産小判ハンカチ(manādīl ṣighār Anṭākīya)
[396]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 420, 457)。イドリー
シーは「アンティオキアにおいては良質の単色衣服(al-thiyāb al-muṣmata)やアッタービー風の
織物やタスタリー風の織物(Tastarī),そしてイスファハーン風の織物が作られている」と記して
いる(al-Idrīsī, Nuzhat, 645)。
cf. Yāqūt, Mu‘jam, I: 382-8; E. I. 2nd ed., I: 516-7 (ANṬĀKIYA);『大旅行記』1: 223.
53)『知 識 の 光』 に は シ チ リ ア 島 産 タ ー バ ン(‘amā’īm Siqlīya)[258] と あ る(Nūr al-Ma‘ārif, I:
444)。『知識の光』では「Siqlīya」と表記されているため,一覧表でもそのように表記したが,本
文ではより一般的な表記に従う。イブン・ハウカルによると,この島の羊毛や山羊毛で織った織物
は素晴らしく,エジプトにて売買されているそれよりもより良品であるとし,またシチリア王国君
主ルジェーロ 2 世に仕えていたイドリーシーは,同島のミーラース Mīlāṣ において良質亜麻が生
産され,輸出されていたとしている(Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 131; al-Idrīsī, Nuzhat, 595)。
cf. al-Dimashqī, Nukhbat, 260; Yāqūt, Mu‘jam, III: 406-10; E. I. 2nd ed., IX: 582-91 (ṢIK
. LLIYA);
Serjeant 1972: 191-2.
54)『知識の光』にはエチオピア産家内奴隷(raqīq al-Ḥabasha khādim)[147],エチオピア産男奴隷
(raqīq al-Ḥabasha ‘abd al-faḥl)[148],エチオピア産女奴隷(raqīq al-Ḥabasha jārīya)[149],
エチオピアからもたらされた男奴隷(‘abd al-faḥl min al-Ḥabasha)
[150]
,
エチオピア産樹脂(qāṭir
Ḥabashī)[306],エチオピア産コスタス(qusṭ Ḥabashī)[311],エチオピア産肩掛け(malāwāt
Ḥabashī [sic])[386]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 429, 448, 449, 456)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 153; Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 50, 56, 59; Ibn Khurdādhbih, al-Masālik,
45; al-Idrīsī, Nuzhat, 46; al-Iṣṭakhrī, Masālik, 29; al-Muqaddasī, Aḥsan, 241; E. I. 2nd ed., III: 2-8
(ḤABASH).
55) 今日の東アフリカ沿岸をさす。
『知識の光』にはザンジュ産ロバ[153]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I:
429)。
cf. al-Iṣṭakhrī, Masālik, 29; Ibn Khurdādhbih, al-Masālik, 70; Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 59; E. I.
2nd ed., XI: 444-6 (AL-ZANDJ).
18
アジア・アフリカ言語文化研究 75
62)
アラビア半島地方:(イエメン
フ Ṣanf )
63)
68)
67)
・ザビー
69)
東 ア ジ ア 地 方:(シ ナ Ṣīn ・ ヒ タ ー al-
ド Zabīd ・ シ フ ル al-Shiḥr ・ ソ コ ト ラ
Khiṭā64)・泉州 Zaytūn65)・シラー al-Silā66))
島 Ṣuqṭrā ・ハドラマウト Ḥaḍramawt ・
70)
71)
56) 今日のソマリアの首都。『知識の光』にはムガディシュー産檳榔子(fūfal Muqadishī)[277]とあ
る(Nūr al-Ma‘ārif, I: 446)。ヤークートは「バルバルの地(barr al-Barbar)にあるイエメンより
南部のザンジュの地の最初の都市」であり,
「そこから白檀や水牛,龍涎香,象牙が輸出される」
としている(Yāqūt, Mu‘jam, IV: 602)。
cf. E. I. 2nd ed., VI: 128-9 (MUK
. ADISHŪ);『大旅行記』3: 137-8.
57)『知識の光』にはマリンディ産白檀(ṣandal Malindī)[201]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 438)。マ
リンディは東アフリカにあるアラビア海沿岸の都市。イドリーシーはその町の住人は陸に豹や
ジャッカルを狩り,海に鯨の一種を漁すとし,またここには鉄の鉱山があるとしている(al-Idrīsī,
Nuzhat, 59)。
cf. E. I. 2nd ed., VI: 283 (MALINDI).
58) ベルベラ Berbera のことで,ソマリアのアラビア海沿岸部のこと。『知識の光』にはバルバル産羊
(ghanam Barābir)(268)とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 445)。
59)『知識の光』には標準ジャワ産沈香(‘ūd Jāwī wasaṭ)[233]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 441)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 368-9; Ibn Khurdādhbih, al-Masālik, 66; al-Idrīsī, Nuzhat, 81; E. I. 2nd
ed., II: 352 (DJĀBA) ;『大旅行記』6: 394-5, 403.
60)『知識の光』には高級カークラー産沈香(‘ūd Qāqullī jayyid)[232],一般カークラー産沈香(‘ūd
Qāqullī muqārab)
[234]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 441)
。
カークラーは,
カークラ Qāqula,
カークッ
ラ Qāqulla とも言う。カークラーの場所はマレー半島付近であると考えられるが正確な場所は不明。
なお家島は,イブン ・ バットゥータの伝えるカークッラをマレー半島の東海岸のシャム湾に面した
クラ地峡付近の港としている(『大旅行記』6: 432)。
cf. al-Idrīsī, Nuzhat, 207;『大旅行記』6: 407; 家島 2006: 514.
61) 今日のカンボジアにあたる。真臘のこと。『知識の光』にはクマール産沈香(‘ūd Qumārī)[243]
とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 443)。イドリーシーによれば「サンフ産沈香がそこ(クマール)にある
が,それはクマール産沈香よりも良質である。なぜならばそれはその上質さゆえに水に沈むからで
ある」とある(al-Idrīsī, Nuzhat, 83-4)。
cf. al-Dimashqī, Nukhbat, 155; Ibn Rusta, al-A‘lāq, 132-3; Ibn Khurdādhbih, al-Masālik, 68;
Yāqūt, Mu‘jam, IV: 173; 家島 2006: 513-4.
62) 今日のヴェトナム中部に繁栄したテャンパ Campa(Champa)を指す。『知識の光』にはサンフ産
沈香(‘ūd Ṣanfī)[240]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 442)。ヤークートは「サンフ産沈香とはそこ
に由来する」としている(Yāqūt, Mu‘jam, III: 429)。なおイドリーシーによればそこでは沈香以
外にディーバージュ織やシナの絹,米,ココヤシなどが生産されているとある(al-Idrīsī, Nuzhat,
84)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 369; al-Dimashqī, Nukhbat, 153, 168-9; Ibn Khurdādhbih, al-Masālik,
68; E. I. 2nd ed., IX: 17-8 (ṢANF). 家島 2006: 514-5.
63)『知識の光』にはシナ産大黄(rāwand Ṣīnī)
[142]
,
シナ産竜脳(kāfūr Ṣīnī)
[319]
,
シナ産紙(kāghid
Ṣīnī)[322],シナ産ヒッチョウカ(kabāba Ṣīnī)[324]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 428, 450)。
cf. Yāqūt, Mu‘jam, III: 444-58; E. I. 2nd ed., IX: 616-25 (al-ṢĪN);『大旅行記』7: 15-57.
64) ヒターは北東アジアのこと。
『知識の光』にはヒター産ブローケード紋絹衣服(thiyāb dībāj
Khiṭā’[sic])[53]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 419)。『大旅行記』7: 49-50.
65) 一覧表に泉州積出磁器深皿[211],泉州積出四脚磁器壺[217],泉州積出鼎磁器壺[221],泉州
積出磁器皿[223]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 440)。これら以外にも,シナ産の陶磁器として,大
型磁器茶碗[212],有孔磁器深皿(al-mathārid al-bikār [sic])[213],磁器椀(khawāfiq)[214],
陶磁水差[215],有孔磁器水差(anṣāf al-bikār [sic])[216],標準陶磁茶碗(al-aqdāḥ al-wasaṭ)
[218],有孔四脚磁器壺[219],有孔標準磁器茶碗(al-aqdāḥ al-wasaṭ al-bikār [sic])[220],有孔
鼎磁器壺(al-athlāth al-bikār [sic])
[222],有孔磁器皿(sakārij bikār)
[224]などがみいだされる。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 364-5; E. I. 2nd ed., XI: 487 (ZAYTŪN);『大旅行記』7: 26.
66)『知識の光』にはシラー産檳榔子(fūfal Silā)[279]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 447)。シラーとは
シーラー(al-Sīlā)の誤記か。なおシーラーについては,アブー・アルフィダーが「それはシーラー
Sīlā といわれ,シナの最上方に位置する。…(中略)… それは東シナ海(baḥr al-sharq)にある島々
に属する」と記している(Abū al-Fidā, Taqwīm, 367)。
cf. E. I. 2nd ed., IX: 440-1 (AL-SHĪLĀ or AL-SĪLĀ).
19
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
72)
73)
マーシフ Māsikh ・ズファール Ẓufār )
74)
中央アジア地方:(ホラズム Khuwārizm )
マグリブ地方:(マグリブ
75)
ン Juwān・ タ ブ タ ラ Ṭabtar・ ダ ク ー ク
Daqūq・バランド Baland・ダフワ Dafwa・
)
ス ー ル Ṣūl・ タ ー ラ Tāra・ カ ル ク Kark・
76)
ブーザ Būza・タイム族 Taym )
その他不明:
(アルカ ‘Arka ・ジュワー
77)
67)『知識の光』にはイエメン産鉄(ḥadīd Yamanī)[102],イエメン産糸(ghazal min al-Bāb)[266]
とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 424, 445)。イエメン産糸の「イエメン産」と解釈した「min al-Bāb」
に関しては,後掲注 85 を参照のこと。イブン・フルダーズビフはイエメンから輸出されるものと
して紋様入り衣服(washī),その他の衣服(thiyāb),龍涎香(‘anbar),染料(wars),ラバ,そ
してロバをあげている(Ibn Khurdādhbih, al-Masālik, 71)。またムカッダシーはイエメンの特産
品としてザビード産の藍染料(nīl),アデン産の亜麻織衣類(shurūb),リーフ līf と呼ばれるマフ
ジャラ al-Mahjara 産のナツメヤシの繊維を束ねたロープ(masad),スハーラー Suḥālā とジュラ
イブ al-Jurayb にて産出される縞紋織物(burūd),サアダ産の皮革製マットや鞄,サナア産のサイー
ディー織物(sa‘īdī),そしてサナアで採掘される紅玉髄などをあげている(al-Muqaddasī, Aḥsan,
98)。cf. E. I. 2nd ed., XI: 269-80 (al-YAMAN).
68)『知識の光』にはザビード産ターバン(sharābiyāt Zabīdī [sic])[191],ザビード産亜麻製肩掛け
(malāwāt kattān Zabīdī [sic])[388]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 435, 456)。ラスール朝時代にお
いては紅海沿岸の学術都市として大いに繁栄していた。ラスール朝時代の農事暦にザビード産の木
綿(‘uṭb)の栽培準備時期,植えつけ時期が記されている(Varisco 1991: 7)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 88-9; al-Hamdānī, Ṣifat Jazīrat, 94; Yāqūt, Mu‘jam, II: 915-6; E. I. 2nd
ed., XI: 370-1 (ZABĪD); 栗山 1994: 栗山 2006 c.
69) イエメンのハドラマウト地方の港。龍涎香の産出地として知られる。
『知識の光』にはシフル産ナ
ツメヤシ(tamr Shiḥrī)[39],シフル積出椰子色平織絹織物[93],シフル積出沈香[239]とあ
る(Nūr al-Ma‘ārif, I: 416, 423, 442)。 ヤークートは「イエメン辺境のインド洋海岸沿いにある場
所で,…(中略)… シフル産龍涎香(‘anbar al-Shiḥrī)はそこに由来している。なぜなら,それ
はその海岸線においてみいだされるからである」と記している(Yāqūt, Mu‘jam, III: 363-4)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 90-1; al-Dimashqī, Nukhbat, 217; Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 38; Ibn
Khurdādhbih, al-Masālik, 147; al-Idrīsī, Nuzhat, 154-5; al-Iṣṭakhrī, Masālik, 25; E. I. 2nd ed., IX:
438-9 (al-SHIḤR).
70) アデン湾沖に浮かぶ島。航海上の目印としても知られる。『知識の光』にはソコトラ産蘆薈(ṣabir
Suqṭrī)
[204]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 438)。10 世紀の南アラビアの地理学者ハムダーニーは「ソ
コトラ島は,まさにソコトラ産蘆薈がその島に由来している」と記し(al-Hamdānī, Ṣifat Jazīrat,
52),またラスール朝時代の薬物誌には「蘆薈の最上品はソコトラ産であるが,ソコトラとはイエ
メン沿岸にある島」と記されているように(al-Muẓaffar, Kitāb al-Mu‘tamad, 281-3),蘆薈の特産
地として有名であった。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 370-1; Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 266-8; al-Idrīsī, Nuzhat, 50-2; Yāqūt,
Mu‘jam, III: 101-3; E. I. 2nd ed., IX: 806-11 (SUK
. UṬRA); 蔀 1993, 2000.
71)『知識の光』にはハドラマウト産蘆薈(ṣabir Ḥaḍramī)[206]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 438)。ハ
ドラマウトとは,今日のイエメン東部の一地域。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 84; al-Dimashqī, Nukhbat, 217; E. I. 2nd ed., III: 51-3 (ḤAD
. RAMAWT);
栗山 2004.
72)『知識の光』にはマーシフ産弓用ナツメヤシ材(‘aydān Māsikh)[261]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I:
445)。
73) 今日のオマーン西部の一地域。
『知識の光』にはズファール産檳榔子(fūfal Ẓufārī)(278)とある
(Nūr al-Ma‘ārif, I: 446)。
cf. Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 260-4; Yāqūt, Mu‘jam, III: 576-7;『大旅行記』3: 150; 家島 2006: 333-60.
74) アム川下流地域を指す名称。
『知識の光』にはホラズム産絹衣服(thiyāb ṣirf Khuwārizmī)[69]
とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 421)。
cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 477-81; Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 477-82; al-Iṣṭakhrī, Masālik, 299; alMuqaddasī, Aḥsan, 284-6; Yāqūt, Mu‘jam, II: 480-6; E. I. 2nd ed., IV: 1060-65 (KHWĀRAZM);
『大旅行記』4: 149-50.
75)『知識の光』にはマグリブ産クフル(kuḥl Maghribī)[329]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 451)。今
日のチュニジア,アルジェリア,モロッコを包含する西方アラブ諸国地域のこと。Yāqūt, Mu‘jam,
IV: 583.
20
アジア・アフリカ言語文化研究 75
上に挙げた地名は,アデン港税関の取扱品
目の生産・積出地が,西はマグリブから東は
わっていた交易圏の広域性をも表徴している
といえるだろう[地図参照]。
中央アジアや東アジアに至るまで,きわめて
ところでこの生産・積出地の表記は,そ
広範な地域に及んでいたことを如実に示して
の表記を付した物産が,ある地域において
いる。そしてそれは同時に,アデン港がかか
生産・積出されたものであることを特定す
76)『知識の光』にはアルカ産一般衣服(thiyāb ‘arka muqāraba)[49],ジュワーン産衣服(thiyāb
Juwānīya)
[54],ジュワーン産一般衣服(thiyāb Juwānīya muqāraba)
[55],タブタラ衣服(thiyāb
ṭabtar)[78],ブーザ産無漂白布(khām Būzī)[112],ダクーク産白檀(ṣandal Daqūqī)[200],
バランド産白檀(ṣandal Balandī)
[203],ダフワ産沈香(‘ūd Dafwa)
[242],スール産赤糸[263],
ターラ産竜脳(kāfūr Tāra)
[317],カルク産珊瑚(murjān Karkī)
[357],とある(Nūr al-Ma‘ārif, I:
418, 419, 422, 426, 438, 442, 445, 449, 454)。
77)『知識の光』にはタイム(族の)衣服(thiyāb Taymīya)[70]とある(Nūr al-Ma‘ārif, I: 421)。
地名ではなく,アラブの一集団名であるタイム・ブン・ムッラ Taym b. Murra に由来すると思わ
れる。
cf. E. I. 2nd ed., X: 401 (TAYM B.MURRA).
21
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
ることができるため,それによってある種の
のである。たとえば,9 世紀の地理学者ヤァ
物産には特産品としての付加価値がつくこ
クービー al-Ya‘qūbī は龍涎香や沈香の品質
ととなった。とくに,『知識の光』に記載さ
を述べる際に,より良質な龍涎香や沈香を
れた糸・布・衣服類や香料・薬種類のなかに
産出する生産地を順番に挙げ,生産地別に
は同一種の物産が数多く含まれており,それ
よって龍涎香や沈香の商品価値に序列があっ
ら同類物産の間では他地域産出の物産との区
たことを示している 。また優れた薬物学者
別をつけて特産品としての商品価値を高める
でもあったラスール朝第 2 代スルタン・ム
ために,生産・積出地の特記がなされていた
ザッファルは,その薬物誌『薬物に関して
78)
78) 龍涎香は良質さの順に,シフル産(al-Shiḥrī),ザンジュ産(al-Zanjī),サラーヒト産(al-Salāhaṭī),
カークラー産(al-Qāqulī),インド産(al-Hindī)とし,また沈香についてはクマール産(alQumārī)
,
カークラー産,
サンフ産(al-Ṣanfī)
,
シナ産(al-Ṣīnī)という順番で紹介している(Ya‘qūbī,
Kitāb al-Buldān, 366-8)。なお,インド洋交易の商品としての沈香の生産地や流通などに関する最
cf. E. I. 2nd ed., I: 484 (‘ANBAR), X: 767-8 (‘ŪD).
新の研究としては,
家島 2006: 505-32 に詳しい。
22
アジア・アフリカ言語文化研究 75
信頼できる者の書(Kitāb al-Mu‘tamad fī al-
バ ン(baqā’ir)[30∼2], 山 羊 毛 刺 繍 入 更
Adwīya al-Mufrada)』において動物・植物・
紗 女 性 用 ベ ー ル(talāthim muṭarraza rifā‘
鉱石などのさまざまな薬効を述べているが,
sha‘rīyāt [sic])[35∼7],アンティオキア産
そのなかでたとえば蘆薈の項目はソコトラ産
衣服[60∼1],ベネチア産衣服[62∼4]や
(al-Usuqṭrī),アラブ産(al-‘arabī),スィミ
亀甲羅(dhabl)[137∼9],珊瑚[354∼6],
ンジャーン産(al-Siminjānī)の順に紹介さ
真珠[337∼9]などの物産には,品質や程
79)
れている 。このように,地域別に記述され
度の良さの順に上から「高級(rifā’)」,「標
た特産品としての物産は,それらを売買する
準(wasaṭ)」,「一 般(muqāraba)」 と い う
商人たちの間において,その生産・積出地に
等級づけがなされていることに気づく 。こ
応じて特産品としての付加価値がつけられて
のような等級づけがおこなわれていた物産に
いたのである。ただし,『知識の光』にみえ
は衣服類や奢侈品あるいは珍奇・希少品の類
る生産・積出地の表記はアデン港に来航する
が多くみいだされ,等級の違いは当然,物産
海上商人たちがおこなったものではなく,同
に賦課される諸々の税額に反映するところと
港の税関において検査,確定がなされていた
なっていた。等級が付されたものは,同種の
と考えるべきである。イブン・アルムジャー
物産間においてその品質や状態による価格の
ウィルによると,アデン港に入港を求める船
変動が顕著な物産であり,先に検討した生
は,港内から艀(ṣanābīq)で寄せてくる税
産・積出地表記とあわせて,アデン港の税関
関官吏たち(mubashshirūn)の臨検を受け,
当局が海上商人たちの自己申告にもとづいて
80)
その際にナーホダー nākhūdha
は乗務員,
82)
等級を精査,確定していたと考えられる。こ
乗客,積荷などにかかわる諸事項を自己申告
れは,すでに述べた生産・積出地の表記と同
することになっており,税関官吏はこの申告
様に,物産を持ち込む海上商人たちが高額の
にもとづいて船を検査し,その入港を許可し
税を賦課される可能性のある,より良い等級
81)
たのであった 。このようなアデン港入港時
を自ら申告するはずがないからであり,税関
における臨検の様子から,生産・積出地の表
当局側においても効率的かつ効果的な課税・
記は税関当局が確定していたと判断できる。
徴税業務を遂行するためには,物産の等級を
後述するように,生産・積出地の表記は賦課
税関自体が的確に判断,把握する必要があっ
する関税などの諸税の税額にも大きくかか
たからである。なお,このような等級の検査,
わっていたため,来航する海上商人たちが物
決定に際しては,税関当局にそれぞれの物産
産の生産・積出地表記について決定権をもっ
の品質や優劣を判別する能力を有した仲介人
ていたとは考えられないのである。
最 後 に, 取 扱 品 目 の 等 級 に 関 し て 検 討
し て み た い。『知 識 の 光』 を み る と, タ ー
(dallāl)が存在し,彼らがそれぞれの専門
分野において物産の等級や生産・積出地を検
83)
査,確定していたのだった 。
79) al-Muẓaffar, Kitāb al-Mu‘tamad, 281-3. ソコトラ産については前掲注 71 を参照のこと。シィミ
ンジャーンとは,アム川上流域南岸の地トハリスターン Ṭukhāristān の一地方のこと(Yāqūt,
Mu‘jam, III: 142-3)。
80) ナーホダーとは船の航海と積荷の輸送・販売・購入を委託された船の実質的な全経営者のことであ
り,船員雇用の権限や航海中の事故などについても,すべて彼の監督・責任のもとに処理された(家
島 2006: 409)。
81) Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 138-9. cf. 家島 1993: 136-7; Smith 1995: 129.
82) かような等級づけは,この他に,無漂白絹長衣[181, 2],漂白絹長衣[183, 4],コケ色沈香[237,
8],7 ジラーア幅腰布[284∼6],亜麻布[367, 8]などがある。
83) 第 3 章を参照のこと。
23
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
84)
ト, ダ イ ブ ー ル, フ ー ル Fūr , イ エ メ ン
2 経由地について
85)
(al-Bāb al-‘Azīz) ,シフル,ザビード,ア
86)
87)
フワーブ al-Ahwāb ,キシン Kishin ,ニ
2-1 経由地とその所在
88)
89)
ズワ Nazwa ,ザイラゥ Zayla‘ ,エチオ
90)
前章において確認したように,アデン港に
ピ ア, マ ル ガ ッ ワ Marghawwa , マ イ ト
もたらされた物産の生産・積出地は,地中海,
Mayṭ91),ダフラク[島]Dahlak92),サフラ
紅海,アラビア海,ペルシャ湾,さらにはベ
al-Sahla93), 海 路(baḥr), 山 岳 地(jabal)
ンガル湾,南シナ海,東シナ海といった幾多
である。これらのうち,海路と山岳地は後で
の大洋を介して,西はマグリブから東は中央
検討するとして,それ以外はいずれも地名に
アジアや東南アジア,そして東アジアにまで
よる表記である。これらの地名をみて気づく
達する,非常に広範な地域に及んでいた。そ
ことは,港であるアデン港と連結する経由地
のためアデン港に到来する物産は,じつにさ
として挙げられているものが,必ずしもシフ
まざまな経路を通過していたと想像すること
ルやザイラゥなどの特定の港だけではなく,
ができる。そこで本章では,このアデン港へ
インド,エジプトといった広域的な領域を示
の物産の来航経路にかかわる問題として,ア
す地方名や,ニズワ,ザビード,メッカなど
デン港税関の取扱品目の経由地について検討
の内陸に所在する都市名,さらにはキーシュ
してみたい。
島,ダフラク島といった島名のように,さま
すでに述べたように,『知識の光』では取
ざまな空間領域を示す地名が付されている点
扱品目としての物産名のつぎに経由地と推測
である。海上交通によって諸地域と連関する
される地名が併記される場合が多く,それ
アデン港にあって,同港の税関当局がいかな
はアラビア語の前置詞「min~(∼から)」を
る基準でこのような経由地を挙げたのかは分
用いて表記されている。このことから,この
からないものの,取扱品目に付された生産 ・
記述が経由地を示しているものであると解釈
積出地名と同様に,これらのさまざまな経由
することができ,一覧表では物産名の右隣
地がアデン港を取り巻く交易圏の広域性を示
に「経由地」という項目を設けて,この経由
していることは確かである。
地と判断できる地名を提示した。『知識の光』
さて,これらの経由地のなかで最も多く
において経由地として挙げられるものは,イ
言及されているのは,ペルシャ湾のイラン
ンド,キーシュ島,メッカ Makka,エジプ
沿岸に浮かぶキーシュ島である 。たとえ
94)
84) アラビア半島のヤマーマ地方(al-Yamāma)に所在する一地域。Yāqūt, Mu‘jam, III: 923.
85) 直訳すれば,「偉大なる御門」となるが,ラスール朝史ではラスール朝支配領域を指すことから,
本稿ではイエメンと解釈した。
86) イエメン紅海沿岸の港の一つ。Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 247-8.
87) 所在位置不明。
88) 今日のオマーン内陸のアフダル山脈(Jabal Akhḍār)東側に位置する一都市。
cf. al-Idrīsī, Nuzhat, 158; Yāqūt, Mu‘jam, IV: 776; E. I. 2nd ed., VIII: 85 (NIZWA).
89) 紅海とインド洋とをつなぐバーブ・アルマンダブ海峡付近にある東アフリカの代表的な港。Yāqūt,
Mu‘jam, II: 966-7; E. I. 2nd ed., XI: 481 (ZAYLA‘);『大旅行記』3: 137.
90) 所在位置不明。
91) 東アフリカの地。後掲注 129 を参照のこと。
92) 紅海のエリトリア沿岸の港マッサワ Maṣṣawa‘ の向かいに浮かぶ島。ディマシュキーは「ダフラク
はその地を支配しているブジャの王(Malik al-Buja)の名に由来する」としている(al-Dimashqī,
Nukhbat, 151)。cf. Yāqūt, Mu‘jam, II: 634.
93) ヤークートは「 バフライン al-Baḥrayn の一村落」,あるいは「イエメンにあるアブヤン Abyan の
要塞の一つ」と記している(Yāqūt, Mu‘jam, III: 205)。
24
アジア・アフリカ言語文化研究 75
ば『知識の光』には,サーブール産縞紋外
までもなくメッカはムスリムの聖地であり,
套[6], 亜 鉛[42], 無 染 色 イ ラ ン 産 絹 衣
それゆえに巡礼地であった。そのため,ムス
服[57],絹製ヤズド産衣服[80],イラク
リムが居住する諸地域から毎年多数の巡礼者
産紙[321],菓子用白黒斑銅製皿(ma‘āshir
たちがメッカを訪れ,巡礼時期にあわせるよ
khalnaj ḥalawī)[362]などがみえる。これ
うにしてメッカには非常に大量の物産が商
らの取扱品目のなかにはイランやイラクで生
品として各地からもたらされていた。たと
産ないし搬出された物産が数多く散見してお
えば著名なイブン・ジュバイル Ibn Jubayr
り,それらはおそらく河川航行用の平底船に
の巡礼記には「メッカには巡礼時期(awān
よってチグリス川 Dijla を下り,ペルシャ湾
al-mawsim) に の み 交 易 品(matājir) が あ
の港で外洋航行用の大型船に積み替えられて
るが,その時には[メッカは]マシュリク
から南下するか,あるいはザクロス山脈越え
やマグリブの人びと(ahl al-Mashriq wa al-
のキャラバン・ルートを通ってペルシャ湾に
Maghrib)の集まるところとなり,
[交易品は]
至り,そこからキーシュ島を経由してアデン
一日でそこで売られるのである」とあり ,
95)
港に到来していたと考えられる 。
西アジア地域においては 10 世紀半ばを境
97)
巡礼時期にあわせてメッカで活発に商取引
がおこなわれていたことが言及されている。
として,アッバース朝の首都バグダードの凋
メッカを経由地とした取扱品目を概観する
落に伴い,西方のカイロを都とするファー
と,サーブール産縞紋外套[6],キーシュ産
ティマ朝,アイユーブ朝,マムルーク朝など
縞紋外套[8],ブローケード紋絹衣服(thiyāb
の諸王朝が続けて隆盛し,これによってそれ
dībāj)[51],イラン産無漂白衣服[59],亜
までのペルシャ湾を基軸としたインド洋交易
麻布(shuqaq kattān)[194]などの衣服類
は紅海を基軸とするように変容したといわれ
をはじめとして,イラク産バラ水[342]や
96)
ている 。しかしこのことは,あくまでも地
イラン産ギンバイカ[412]といった香料・
中海とインド洋を連結する交易ルートの変遷
薬種類などが多数みいだされる。これら取扱
の問題なのであって,ペルシャ湾における交
品目の多くはイラクやイランを生産・積出地
易が衰退したわけではない。13 世紀のイラ
とすることから,おそらくこれらの取扱品目
ンやイラクにおいて生産 ・ 搬出された物産が
もまた巡礼時期にあわせてメッカへもたらさ
ペルシャ湾のキーシュ島を経由してアデン港
れたものであったと推測できる。13 世紀の
へ搬送されるという,いわばペルシャ湾とア
メッカを取り巻く主要な巡礼路はエジプト
ラビア海とを取り結ぶ海上交易は,確実に機
道,シリア道,イエメン道,イラク道の四つ
能していたのである。
であった 。これらのうちイラク道は,イラ
98)
キーシュ島と同様に数多くみいだされる経
クのクーファ Kūfa を起点としてイラクやイ
由地として,アラビア半島中西部のヒジャー
ランの巡礼者たちがここに集結して巡礼団を
ズ地方に位置するメッカが挙げられる。いう
結成し,メッカへ向かっていた。巡礼団が利
94) キーシュ島についての典拠は前掲注 35 を参照。なお,イブン・ムジャーウィルによれば,キーシュ
島を支配していた人物に対してインド西岸のカンバーヤやスマーナートの町は服属していたという
(Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 298)。
95) このザクロス山脈越えルートについては,実地踏査を踏まえた研究である,家島 2006: 208-49 に
詳しい。
96) ペルシャ湾軸から紅海軸へのインド洋交易ルートの推移に関しては,家島 1991: 383-96 を参照の
こと。
97) Ibn Jubayr, e Travels, 119. cf. 家島 2006: 164-5.
98) メッカへ連結する各巡礼道に関する研究は,家島 2006: 139-67 に詳しい。
25
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
用していた巡礼路としてのイラク道は物流の
いたのかはわからないものの,アデン港税関
道という側面をも兼ね備えていたことから,
がジェッダ経由とせずにあえてメッカ経由と
メッカへもたらされていた物産がこのイラク
表記したのは,かような区別をする必要性が
99)
道を介していたことは当然のことであった 。
メッカとアデン港とのつながりについては,
あったからではないかと考えられる。
さて,紅海側に目を転じてみると,その経
メッカが紅海からおよそ 60 キロ内陸に入っ
由地の一つとして,エジプトが挙げられる。
た都市であるために,主として海上交通に
『知識の光』によって,白鉛(raṣāṣ abyaḍ)
よって他と接続していたアデン港とは直接連
[144],黒鉛(raṣāṣ aswad)[146],エジプ
100)
結し得なかった
。
ヤークート al-Yāqūt がそ
の地名事典『諸国集成(Mu‘jam al-Buldān)』
において「それ(ジェッダ)はメッカの港
(furḍa)」と記しているように
101)
,メッカは,
ト産銅[210],阿片チンキ(lādhān)[333]
などの取扱品目がエジプトを経由してアデ
ン港に到来していたことがわかる。ただし,
『知識の光』では単にエジプトとのみ表記さ
ジェッダ港 Judda をその外港として,アデ
れているだけであり,具体的にエジプトのど
ン港と連結していた。しかしラスール朝の税
この港を経由地としていたのかは判然としな
関当局が,アデン港と海上交通によって直接
い。しかしながら,当時のマムルーク朝治下
的に連絡していたこのジェッダ港を経由地と
のエジプトに属する紅海岸の主要な海港とし
して表記せず,アラビア半島内陸の都市メッ
て機能していたのは,アイザーブ ‘Aydhāb
カを経由地として表記していた理由について
と ク サ イ ル al-Quṣayr, そ し て サ ワ ー キ ン
はいまのところ明らかではない。ただし『知
Sawākin であったので,これらの港がアデ
識の光』には,アデン港から諸地方へ航行す
ン港と接続していたエジプトの港であったと
る船の賃貸料に関する記事として,
「以下に
推測できるだろう
記す諸方面へ向かう商人のための船の賃貸料
は,ヤァクービーの地理書に「アイザーブは
(kirā’ al-sanbūq li-l-tujjār):メッカへは 50
海(al-baḥr al-māliḥ:すなわち紅海)の沿
[ディーナール],ジェッダへは 40[ディー
岸にあり,人びとはそこからメッカ,ヒジャー
ナール]」とあり
102)
103)
。アイザーブに関して
,アデンからジェッダへ
ズ,あるいはイエメンへ渡り,そして商人た
行く船よりもメッカへ行く船の方が高く賃貸
ちは金(tibr)や象牙,それ以外のものを運
料が設定され,
両者は明確に区別されていた。
ぶためにそこへやって来る」とあり
どのような理由でこのような区別がなされて
イザーブが 9 世紀の段階において紅海を介
104)
,ア
99) イラク道以外にペルシャ湾方面からメッカに至るルートとしてバスラ・メッカ間ルートもあった
(Ibn Khurdādhbih, al-Masālik, 146-7)。
100)もちろんメッカとアデンとを連絡する陸路は存在していた(Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 41; Ibn
Khurdādhbih, al-Masālik, 148)。なお,ラスール朝時代の著名なウラマーであるアフマド・ブン・
ウジャイル Aḥmad b. Mūsā ‘Ujayl は,幾度も陸路によるメッカ巡礼を挙行し,一度たりとも道中
において遊牧民などによる襲撃や妨害を受けなかったことから,彼の巡礼行は「イブン・ウジャイ
ルのキャラバン(qāfila Ibn ‘Ujayl)」と呼ばれ,それにあやかろうとして多くの人びとが随行して
いた(al-Khazrajī, al-‘Uqūd, I: 219)。この一事例からでも,陸路によるイエメンからのメッカ巡
礼が必ずしも安全ではなく,むしろ困難の伴うものであったことがわかる。
101)Yāqūt, Mu‘jam, II: 41 cf. Ibn Ḥawqal, Ṣūrat al-Arḍ, 31-2.
102)Nūr al-Ma‘ārif, I: 107.
103)ムザッファルの子どもの一人で,
そのスルタン位を継承して,
第 3 代スルタンとなったアシュラフ alAshraf ‘Umar b. Yūsuf が著した農事暦(al-Tabṣira fī ‘Ilm al-Nujūm)は,主としてラスール朝時代の
イエメンにおける栽培作物の作付けにかかわるさまざまな時期を記したものであるが,この農事暦
にはイエメンに到来する外国船の来航および出航時期もまた明記されており,そのなかではエジプ
トから来航する船はいずれも単に Miṣrī(エジプト船)と表記されている(Varisco 1994: 23, 32, 33)。
104)Ya‘qūbī, Kitāb al-Buldān, 335. cf. Great Britain, Red Sea, 108.
26
アジア・アフリカ言語文化研究 75
してイエメンと連結していたことがわかる。
クートの記事を傍証する史料として,1980
このアイザーブについてはすでに家島による
年代にクサイルで発見された大量のアラビア
研究があり,それによるとラスール朝時代に
語文書の一つには,13 世紀においてクサイ
おけるエジプト∼イエメン間の最も重要な紅
ルとイエメンとを定期的に往還する船に関す
海交易ルートはアイザーブとアデンとを結ぶ
る記述がみいだされる
105)
111)
。またアブー・ア
。『知識の光』にも
ルフィダー Abū al-Fidā もクースの説明に際
このアイザーブにかかわるいくつかの言及が
して,
「クースはアデンから到来する商人た
なされている。たとえば,
「(外交使節・贈物・
ちの港であり,それはナイル河の岸辺にあ
運輸などの)送付のためのアイザーブ行き
り,クースの港はクサイルである」と記して
大型船(al-markab al-kabīr ilā ‘Aydhāb li-l-
いる
rusul)の賃貸料は 500[ディーナール]」とい
によると「ジャールの海(baḥr al-Jār)の海
ルートであったという
う記述や
106)
「ズファールやアイザーブへ[胡
,
107)
椒を運搬する]小型船(qiṭ‘a)
の手配料
(ujura) は,1000 バ グ ダ ー ド・ ラ ト ル raṭl
Baghdādī で,10 ディーナールである」など
とあり
108)
112)
。最後に,サワーキンはヤークート
岸沿いにあるよく知られた町であって,アイ
ザーブの近郊にあり,その町へジェッダか
らやって来る船(sufun)が投錨する」とあ
り
113)
,また先に引用した『知識の光』にみ
,アデンとアイザーブとの間で大
える商人のための船舶賃貸料に関する記述に
小さまざまな規模の船の往還が頻繁におこな
は,サワーキンへ向かう船の賃貸料が「70
われていたことがうかがえる。このことは,
[ディーナール]」と明示されていることから
114)
ほぼ同時代のディマシュキー al-Dimashqī
も
が「アイザーブはエジプトにあるイエメンの
ンとの間で商船の恒常的な往来を確認するこ
港町(madīnat furḍa li-Miṣr al-Yaman)
」
「
,エ
とができるだろう。
ジプトやイエメンの商人たちの港」と記して
109)
いることによっても裏付けられるだろう
。
,この時代におけるサワーキンとアデ
ところで,キーシュ島,メッカに次いで
最もよく言及されているインドもまた,エ
アイザーブと並ぶエジプトの紅海岸の港クサ
ジプトと同様に,具体的な港名が挙げられ
イルについては,ヤークートが「クサイル:
ていない。『知識の光』から,インドを経由
アイザーブ近郊の場所で,そこ(クサイル)
してアデン港に入った取扱品目として,絹
と上エジプトの首邑であるクースとの間は 5
布[1],タマリンド(ḥumar)[106],生姜
日行程であり,そこ(クサイル)とアイザー
(zanjabīl)[162], 胡 麻 油[169], 胡 麻 絞
ブとの間は 8 日間行程である。そこにはイ
エメンから到来する船の投錨地(marfa’)が
り カ ス(‘uāra)[231], ク ミ ン(kammūn)
[330],藍染料(nīl)[409]などを挙げるこ
110)
,クサイルがイエメ
とができる。インドを経由して到来していた
ン船の停泊,往還する紅海の交易港として機
これら取扱品目が,インドのどの港を経てき
能していたことが明示されている。このヤー
たのかはわからない。しかし,物産名に付
ある」と記しており
105)家島 2006: 178. cf. 家島 1986; 家島 1989.
106)Nūr al-Ma‘ārif, I: 107.
107)qiṭ‘a は小型船,小舟の意味。cf. Serjeant 1974: 135.
108)Nūr al-Ma‘ārif, I: 175.
109)al-Dimashqī, Nukhbat, 151, 269. cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 23, 120-1.
110)Yāqūt, Mu‘jam, IV: 126-7.
111)Guo 2004: 153-6.
112)Abū al-Fidā, Taqwīm, 23, 111. cf. Great Britain, Red Sea, 102-3; E. I. 2nd ed., IX: 87-9 (SAWĀKIN)
113)Yāqūt, Mu‘jam, III: 182. cf. Great Britain, Red Sea, 112; E. I. 2nd ed., V: 518-9 (K
. UṢAYR).
114)Nūr al-Ma‘ārif, I: 107.
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
27
されている生産・積出地名をもとに,イン
のどの港からアデン港に来航したのかを,あ
ドのいかなる港を経由していたのかを推測
えて明確に区別する必要がなかったからであ
することは可能である。ダイブール産無漂
ると考えられる。
白布[113],カンバーヤ産無漂白布(khām
シフル,アフワーブはいずれもイエメン
Kanbāyatī)[114],マラバール産杜松子油
の港であり,ザビードは紅海沿岸の大都市
(sandarūs Mulaybārī)[174]などのインド
であった。アラビア海沿岸のハドラマウト
産物産から,ブルージュ,カンバーヤ,ダイ
地方の外港であるシフルは,同地方の人びと
ブール,クーラム,スマーナートといったイ
がインド西岸や東南アジア,あるいは東アフ
ンド西岸の諸港を生産・積出港,あるいは経
リカへと移動,移住する際の,またはそれら
由港としていたことが明らかである。これら
諸地方とを往還する時の窓口として機能し
の港以外にも,
『知識の光』にはマンジャルー
ていた
115)
ル Manjalūr
116)
,ヒナウル Hinawr
117)
カヌール Fākanūr
,ヒーリー Hīlī
,ファー
118)
,ジュ
119)
ルファッタン Jurbattan
123)
。『知識の光』には地金(al-fiḍḍa
al-liymās)にかかわる記述として,
「地金は,
スーリーヤーンの船(marākib al-Ṣūlīyān)
,ファンダライナ
[が来航する]時期以外に,アデンにおいて
Fandarayna120)といったインド西岸の諸港が
は少ない。このことはすなわち,スーリー
121)
,アデン港とこれらの港
ヤーンたちが来ると,それ(地金)はシナか
との間には密接な連関があったことを改めて
ら到着し,スーリーヤーンたちからズファー
122)
。一覧表にまとめた
ルやシフルにもたらされるが,アデン[にも
経由地としてのインドとは,具体的にはこれ
たらされる量]よりもより多いのである」と
らのインド諸港を総称したものと考えられ
あり
る。なお,これらの諸港を経由地としながら
いた様子がわかる。紅海沿岸の港アフワーブ
も,それらをアデン港税関が明記しなかった
は,それまでのザビードの外港であったガ
理由は,第 3 章において述べるように,アラ
ラーフィカ Ghalāfiqa に代わって,ラスール
ビア海を介してインド方面から到来する物産
朝時代に活発に利用されるようになった港で
に対してシャワーニー税が課せられ,インド
あり,ザビードを中心としたティハーマ地
記載されており
認めることができる
124)
,アデンとシフルが緊密に連携して
115)
『大旅行記』6: 119-20. cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 354.
116)
『大旅行記』6: 106.
117)
『大旅行記』6: 118.
118)
『大旅行記』6: 120-1. cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 354.
119)
『大旅行記』6: 121. イドリーシーは「それは小さな湾に沿ってある人の多く住む町であり,それは
多量の米と多くの穀物の国であり」,
「その山々には胡椒の木が多く植わっている」としている(alIdrīsī, Nuzhat, 192)。
120)
『大旅行記』6: 126. イドリーシーは「ファンダライナの町は広い湾に面していますが,その湾はマ
ラバールの端から至っていて,そこにはインドの島々からの商人たちの船やシンドの船が停泊する。
その町の住民は金持ちである」と述べている(al-Idrīsī, Nuzhat, 191)。
121)Nūr al-Ma‘ārif, I: 261-2.
122)とりわけ馬の交易においてアデンとインドの諸港とが緊密に連結していた(家島 2006: 565-89)。
また,ラスール朝はインド西岸諸都市の裁判官や説教師に対しても贈物を送っており(Nūr alMa‘ārif, I: 516-20),これら都市部で民衆に大きな影響力を有する人びとに贈物を送付することに
よって,インド諸地方における同王朝の政治的影響力の伸張を図っていたことがうかがえるが,こ
れに関しては別稿にて検討する予定である。
123)ハドラマウトの人びとの移動一般については,家島 1993: 345-77 を参照。また多少時代は下るも
のの,16∼17 世紀に関しては,栗山 2004 を参照されたい。
124)Nūr al-Ma‘ārif, I: 496.「al-fiḍḍa al-liymās」の「al-liymās」に 関して,家島は恐らくアラビア語の
「fiḍḍa lamīsa」(触って柔らかい銀,銀地金)のことであろうと解釈している(家島 2006: 577-8)。
28
アジア・アフリカ言語文化研究 75
方(al-Tihāma:イエメンの紅海沿岸・平原
125)
Fawā’id fī Uṣūl ‘Ilm al-Baḥr wa’l-Qawā’id)』
。そ
において港として記されており,それによる
のザビードはイドリーシーが「そこにはヒ
とマイトと南アラビアのハドラマウトに位置
ジャーズの地,エチオピアの地,そしてエ
する古港カナー(Jabal al-Qanā)との間に
ジプトの地からの商人たちで,船でジェッ
は直行航路があったという
ダを目指す人びとが集まる。またエチオピ
フリカの港がアデン港への経由地として列記
アの人びとはそこに彼らの奴隷をもたらし,
されているのは,それらの港がいずれも紅海
またそこからインド産の香料(al-afāwīh al-
とアラビア海とが合流するバーブ・アルマン
Hindīya)やシナ産の商品(al-matā‘ al-Ṣīnī)
ダブ海峡付近の海域における航海上の重要地
地域)の物産を集荷,搬出していた
が運び出される。」と述べているように
126)
,
イエメンにおける紅海への出入り口として機
129)
。これら東ア
点を占めていたからであると考えられる。
さて,経由地のなかで山岳地と解釈したも
のは,
『知識の光』において単に「山(jabal)」
能していた。
ザイラゥ,マイト,マルガッワはいずれ
と表記されているものである。その意味する
も,紅海を挟んでイエメンの対岸に位置する
ところはイエメン北部の山岳・高原地域を示
東アフリカの諸港であった。ヤァクービー
していると考えられる。イエメンの自然地
が「ザイラゥは[バーブ・]アルマンダブ
理,環境は,山岳・高原地帯を中心とする北
al-Mandab の向かい側にある」と記してい
部イエメン地域(al-Yaman al-A‘lā,または
127)
,ザイラゥはバーブ・アルマン
al-Yaman al-‘Uliyā)と,高原・平原地帯を
ダブ海峡を挟んでアデンの対岸に位置するよ
中心とする南部イエメン地域(al-Yaman al-
く知られた港であった。ラスール朝時代に著
Asfal)とに区分できる。アデン港を掌握して
された農事暦にはアデン港からザイラゥに航
いたラスール朝は主として南部イエメン地域
るように
128)
。また
を領有し,その一方で北部イエメン地域につ
マイトは地理書や旅行記には記録がみえない
いてはシーア派の一分派であるザイド派(al-
ものの,15 世紀末に大洋航海者のイブン・
Zaydīya)のイマーム al-Imām によって築か
マージド Ibn Mājid が著した航海技術書『海
れた政権が支配的であった
洋の学問と基礎に関する有益の書(Kitāb al-
イエメン支配を二分していたラスール朝とザ
行する船の出航日が記されている
130)
。このように,
125)Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 247-8. ところでイドリーシーはガラーフィカに関して「それはザビードの
港(marsā)であり,そこからザビードまでは 5 マイルである」としており(al-Idrīsī, Nuzhat,
52),12 世紀の段階ではザビードの外港であったことがわかる。cf. Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 239-41:
栗山 1994: 栗山 2006c. なお,アブー・アルフィダーはガラーフィカをアラーフィカ ‘Alāfiqa と表
記しているがその文脈から明らかにガラーフィカの誤写と考えられる(Abū al-Fidā, Taqwīm, 89)。
126)al-Idrīsī, Nuzhat, 52-3. cf. Abū al-Fidā, Taqwīm, 88-9.
127)Ya‘qūbī, Kitāb al-Buldān, 319.
128)農事暦には「10 月 21 日:アズヤブ風(rīḥ al-azyab)が強くなる。…(中略)… その時にアデン
からザイラゥ[の船]は航海するが,彼らの[ザイラゥの船の]航海は,秩序立てられてもいなけ
れば,彼らの到来は途切れもしなかった。彼らはアズヤブ風でアデンからザイラゥへ航海するので
ある …(後略)
」とある(Varisco 1994: 42)。
129)Ibn Mājid, Kitāb al-Fawā’id, 47b. cf. Tibbetts 1981: 166. 今日のビイル・アリー Bi’r ‘Alī にあるカ
ナー港はかつて,ここからハドラマウト内陸部を通過して地中海世界へ香料を運ぶための窓口とし
て機能していた。なお,筆者が同地を実地調査した 2007 年 1 月の時点では近郊の漁村所属の小型
漁船が船の修理等で一時的に利用する遠浅の入り江のみが残り,港の跡は確認できなかった。イブ
ン・マージドの航海技術書に「カナー山」と表記されているのは,カナーの入り口に位置する黒い
岩山のことであり,海からみると白砂の上のある黒岩が格好の目標物となったからだと考えられる。
130)イエメン・ザイド派イマーム勢力および同政権の動向に関しては,栗山 1998, 1999, 2001, 2002,
2006a, b を参照されたい。
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
29
イド派イマーム政権とは常に政治的,軍事的
もイエメン産の物産と目されること,そして
対立関係にあった。そのためアデン港税関で
すでに検討した山岳地が同じイエメンの別地
は,ラスール朝支配を「偉大なる御門(al-Bāb
域を想定してつけられた経由地名であり,わ
al-‘Azīz)」とし,ザイド派イマーム政権が
ざわざ固有名詞を付していないことから考え
支配するイエメン北部の山岳・高原地域を
ると,おそらく海路とあるのは,ラスール朝
「山」と表記して,双方を区別していたと考
支配内で産出され,その沿岸航路を航行して
えられる。しかし,ラスール朝とザイド派イ
アデン港にもたらされたものという意味では
マーム政権とがこのような対立関係にあった
ないだろうか。
ものの,両地域の商人および物産の往来は比
較的,自由になされていたようである。たと
2-2 経由地の割合とその分析
えば,ラスール朝時代の最も著名な歴史家ハ
さて,前節で検討したように,諸地方の物
ズラジー al-Khazrajī の『ラスール朝の歴史
産を積載した船がアデン港に来航する際には
に関する真珠の首飾り(al-‘Uqūd al-Lu’lu’īya
いくつかの経由地に寄港していた。それら複
fī Tārīkh al-Dawla al-Rasūlīya)』には,「この
数の経由地が『知識の光』においてそれぞれ
年(758/1357 年)に,
[イエメン北方の]シャ
どの程度の割合で表記されているのかを表し
アミーヤ方面から商人たち(tujjār min al-
たものが,グラフ 2.【経由地の割合】である。
jihāt al-sha‘mīya)が多くの馬を携えて,彼
このグラフをみて最初に気づくことは,
らの慣習の通りに馬をアデン[からインドへ
キーシュ島経由とメッカ経由がいずれも同
出航する]船団(mawsim ‘Adan)に割り当
率の 29%であり,その一方でインド経由が
てようとして,[アデンに]到来した」とあ
わずか 7%にとどまっているということであ
131)
,アデンの北方に位置する北部イエメン
る。このことから,インド経由の取扱品目数
山岳・高原地域からインド洋の航海期に合わ
がキーシュ島やメッカ経由のそれよりも少な
せて定期的に到来する馬商人の存在が記され
かったという仮説を導き出すことができる。
ている。さらに『知識の光』には,アデン港
従来,アデン港との交易関係を形成していた
り
で開催されていた馬の公設市場(ḥalqa)に
インド洋海域世界のそれぞれの地域が具体的
おいて,イエメン北部山岳・高原地域の主要
にアデン港とどの程度のつながりを有してい
都市サナア Ṣan‘ā’ を拠点とする馬商人たち
たのかを数値で表した研究は管見の限りでは
132)
。
なく,その意味でこのグラフによって表され
最後に,
この山岳地と対比するものとして,
たアデン港の取扱品目数における経由地の割
が競売に参加していた様子も記されている
一覧表において海路としたのは,
『知識の光』
合は非常に大きな意義があると考えられる。
では単に「海(baḥr)」と表記されているも
しかしながら,この経由地の割合を示すグラ
のであり,この記述から海路と解釈した。し
フのみで,ただちにインド経由の取引品目数
かし,紅海とアラビア海に囲まれたアデン港
が少なく,インドとの交易関係がメッカや
において,この海路が海上ルートを意味して
キーシュ島との交易関係と比して希薄であっ
いたことは明らかではあるものの,それが具
たとするのは結論を急ぎ過ぎるようにも思わ
体的にどのような海路を意味しているのか
れる。なぜならば,すでに前節において述べ
は,いまのところわからない。しかしなが
たように,『知識の光』には明らかにインド
ら,この経由地が付された取扱品目がいずれ
産と確定できる取扱品目が数多く記載されて
131)al-Khazrajī, al-‘Uqūd, II: 90.
132)Nūr al-Ma‘ārif, I: 505. アデン港における馬の公設市場については,家島 2006: 581-4 を参照のこと。
30
アジア・アフリカ言語文化研究 75
グラフ 2.【経由地の割合】
おり,それらはその名称から,その産地・積
留保すべきではあるが,13 世紀においてイ
出地まで確実に辿ることができるため,アデ
ンド経由の取扱品目数と比して,キーシュ島
ン港の税関当局はそれらの品目に対してわざ
やメッカ経由のそれがアデン港へ相当程度も
わざ経由地を注記する必要性を認めていな
たらされていたということだけは確認するこ
かったと考えられるからである。これに加え
とができるであろう。
て,明らかにインド以東の地において生産・
なお『知識の光』には,亜麻布[194]や
搬出された取扱品目であるにもかかわらず,
桜桃果樹皮(qishir al-maḥlab)[313]など
その経由地が記されていないものもまた『知
のように,同一の取扱品目でありながら,キー
識の光』にみえる。たとえば,シナ産大黄
シュ島経由またはメッカ経由というように,
[142],シナ産の陶磁器[211∼24],サンフ
経由地の異なる品目が提示されており,さら
産沈香[240],シナ産竜脳[319]などは東
にこれらはいずれもキーシュ島経由の方が
アジアや東南アジアにおいて産出されたもの
メッカ経由よりも,関税や仲介税が 2 倍近
であり,それらは南シナ海,ベンガル湾を介
く高く設定されていたことがうかがえる。物
して,南インドやインド西岸のクーラム,ファ
産に賦課される税額は,その品質や数量,そ
ンダライナ,ヒーリーといった諸港に寄港
して状態などに応じて賦課されたが,これと
し,その後,アデン港のあるアラビア海へ向
あわせて,物産がもたらされたルートもまた
けて出港していたはずであった。このような
税額決定の重要な要素の一つであり,アデン
点から鑑みても,『知識の光』において経由
港まで到来するルートの距離,道程,安全性,
地が記されていないインド以東の取扱品目も
あるいは交通の利便性,さらには経由地の政
また,インド産のそれと同様に,明らかにイ
治的,経済的状況なども税額の設定に大きく
ンド経由と判断することが可能であるため,
かかわっていたと考えられる。しかし,この
かならずしも経由地を明示する必要がなかっ
税額の違いについて筆者は今のところその理
133)
たと考えられるのである
。いずれにせよ,
由を説明できないので,ここでは同一の取扱
史料上に表記された経由地にのみ依拠した分
品目でありながら経由地の相違により税額が
析によって,アデン港と他のインド洋海域世
異なっていたという点のみを指摘するにとど
界の諸地域との連関の多少を結論づけるのは
めたい
134)
。
133)この点に関して言えば,逆にキーシュ島を経由してきたシナ産の物産については,キーシュ島を経
由地として明示している。たとえば,ヒター(北東アジア地方)産ブローケード紋絹衣服[53]は
その例である。
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
31
は 1 ブハール buhār を課税標準として取り
3 課税標準および税について
扱われ,それぞれ税額が設定されていたので
ある。
このような課税標準にもとづいてアデン港
3-1 課税標準
本章では,取扱品目に賦課された諸税にか
かわる事柄について検討する。
税関で課せられていた税種には,関税(‘ushr
pl.‘ushūr),仲介税(Dilāla:一覧表では D
一覧表の経由地の右隣に記載した課税標準
税と略記),シャワーニー税(Shawānī:一
という表記にあたるアラビア語は,
『知識の
覧表では S 税と略記)の三種類が存在して
135)
光』では用いられていない
。しかし『知
136)
いた
。賦課された税額については,整数
識の光』には,課税標準とみなされ得る記載
と い く つ か の 分 数(1/2・1/3・1/4・1/6・
事項の前に取扱品目名や経由地名が並び,ま
1/8)を組み合わせることによって,その税
たその記載事項の後に関税,仲介税,シャワー
額を表示し,また税額の単位はディーナール
ニー税といった一連の税種とその税額が列記
(dīnār:一覧表ではその表記を省略)・キー
され,しかもこの記載事項自体が数値とさま
ラート(qīrāṭ:一覧表では q と略記)・ファ
ざまな量目,単位との組み合わせによって表
ルス(fals:一覧表では f と略記)の組み合
記されていることから判断すると,この記載
わせによって明示されていた。たとえば,樟
事項が明らかに今日の関税用語でいう課税標
脳水(mā’ kāfūr)
[341]の課税標準は 10 マ
準にあたると解釈することができる。
ン mann で,関税が 1+2/3+1/8+2f であり,
課税標準は通常,従価税品目と従量税品目
仲介税が 2q+2f であり,シャワーニー税が
との二つに区分される。従価税品目とは取扱
1/6+2f であった。このような整数と分数と
品目の価格や価値に従って税額が決定される
を組み合わせた税額の表記法は『知識の光』
品目のことであり,従量税品目とは取扱品目
のみではなく,ゴイテインが用いたゲニザ文
の重量,容積,数量といった量目に応じて税
書や,13 世紀のエジプトの紅海沿岸港クサ
が賦課される品目のことである。そしてアデ
イルにて出土した文書群,あるいはイブン・
ン港税関の取扱品目もまた,これら二つの税
アルムジャーウィルの南アラビア地誌や 15
目によって分類され,課税されていた。たと
世紀の『アデン港の書記官提要』といった海
えば,従価税品目としてのエジプト産ガラス
上交易関連の諸史料においても共通して用い
器[158]や高級真珠[337]はそれぞれの
られている税額表記であることから判断する
各価格(kull mā yaswā mi’a)に応じて賦課
と,かような表記法がアデンをはじめとする
され,また従量税品目としてのキーシュ産
南アラビアの交易港の税関において一般的に
縞紋外套[10]はその重量が 10 マン mann
用いられていた方法であったとみなして大過
を課税標準として,また阿魏(ḥiltīt)[105]
ないと考えられる。
134)なお,メッカ経由の物産に対する税額がキーシュ経由のそれよりも低く設定されていることについ
て,メッカ経由の物産をラスール朝が保護していた可能性も考えられる。ただし,同王朝がメッカ
経由の物産をとくに保護する理由を今のところみいだすことはできない。それゆえ,メッカ経由の
物産の保護を理由とする解釈については今後の課題としたい。
135)課税標準についての定義は,大山 1992: 40-2 参照のこと。
136)ラスール朝時代のアデン港税関における諸税は前代のアイユーブ朝のそれを踏襲していた。そのた
め,ラスール朝時代には関税,仲介税,シャワーニー税以外に,ダール・アルウィカーラ税(dār
al-wikāra)とダール・アルザカート(dār al-zakāt)の二つの税種が存在していた(家島 1993:
137; Smith 1995: 130, 134; Smith 1996: 209, 211; al-Shamrookh 1996: 268-9)。しかしながら,
『知
識の光』にはこの二つの税種の記述がなされていないので,本稿では取り上げなかった。
32
アジア・アフリカ言語文化研究 75
商品,物産に対して賦課された関税とみなす
3-2 関税
さて,本章の冒頭で関税と訳出したアラビ
ア語のウシュルとは,イスラーム法で通常,
べきである。
つぎに,関税率について考えてみたい。『知
137)
,ムスリム商人の場
識の光』では,各取扱品目に対する関税の税
合にはその年収の十分の一が,そして非ムス
額が明示されており,税関において関税額が
リム商人(ハルビー商人)の場合には彼らが
厳密に把握されていたことは言うまでもな
持ち込む商品価値の 10%が,それぞれ賦課
い。しかし,各取扱品目の商品としての市場
されていた。そこで『知識の光』をみてみる
価格や価値が『知識の光』には明記されてい
と,ウシュルと記載された税はいずれも各取
ないために,関税率がどの程度であったのか
扱品目に対して賦課されており,ここからウ
を算出することはできない。加えて取扱品目
シュルとは,アデン港に来航する非ムスリム
に対する関税がいずれも同率で賦課されてい
商人がもたらす商品に対して賦課されていた
たのか否かも判然としない。イブン・アルム
もののようにうかがえる。しかしながら,ア
ジャーウィルの南アラビア地誌に記載された
デン港には非ムスリム商人と並んで多くのム
アデン港の関税について研究したスミスは,
スリム商人が往還していたと考えられ,彼ら
ウシュルという用語から価格や価値の 10%
が携えていた商品や物産に対してラスール朝
が関税の税率として適用されていたとも推測
が何ら賦課しなかったと考えるのはいささか
しているが
無理があろう。事実,ラスール朝の年代記な
のところみいだせない。そのイブン・アルム
どには来航するムスリム商人の商品や物産に
ジャーウィルの記録によると,エジプトから
対して,同朝による課税が実施されていたこ
アデン港に来航していたある商人が積載す
十分の一税を意味し
138)
139)
,それを検証する記録はいま
。したがって,13 世紀
る,1 マンあたり 6 ディーナールの価値をも
のラスール朝治下のアデン港税関で用いられ
つ沈香に対して,1.5 ディーナールの関税が
ていたウシュルの意味するところとは,アデ
課せられていたという
ン港を訪れるムスリム商人・非ムスリム商人
ならば,沈香の関税率は 25%となり,いわ
の別を問わず,彼らの携えた商品や物産に対
ゆる通常のウシュルよりも,より高い税率で
して賦課される関税を意味していたと考える
あったことになる。しかしながらこのことを
のが妥当である。それゆえに,『知識の光』
もって,沈香のごとき奢侈品に属する物産
にみえるウシュルもまた当然,アデン港に集
が,
『知識の光』にみえる布端切れ(ẓahāyr)
散するムスリム商人および非ムスリム商人の
[228]や胡麻絞りカス[231]などのような,
とが記されている
140)
。この記事による
137)E. I. 2nd ed., X: 917-9; Khalilieh: 1998: 82-3.
138)ハズラジーやヤマニーによって記録されているラスール朝時代の海上商人の一人アブド・アルア
ジーズ・ブン・マンスール・アルハルビー ‘Abd al-‘Azīz b. Manṣūr al-Ḥalbī について,ハズラジー
はつぎのように記している。「この年(703/1303-4 年)に,シナの道に沿って,ヒターの国(Bilād
al-Khiṭā)からアブド・アルアジーズ・ブン・マンスール・アルハルビーと呼ばれる一商人が,莫
大な財貨を伴って到来した。そのとき彼が携えていた物は 300 バハールの絹∼ 1 バハールは 300
ラトル・バグダーディーである∼,そして鉛壺入りの麝香 450 ラトル,シナ産陶磁器多量,香炉,
色とりどりの着物,男女奴隷多数,そして銀 5 ラトルであるが,それはその(ヒター)地方の商
人たちから彼の手を介して二聖都のための喜捨とするつもりのものであった。そうして彼ととも
にアデン港へ到来したものの関税は 3000 ディルハムに達した」とある(al-Khazrajī, al-‘Uqūd, I:
290)。
cf. Tāj al-Dīn al-Yamanī, Bahjat al-Zaman, 231-2。なおこの商人に関する研究として,家島 2006:
446-51 がある。
139)Smith 1995: 131.
140)Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 144.
33
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
いわゆる一般日用品に類する物産と,同率の
から到来する商人たちの大波(maujāt)か
関税率であったと直ちに解するのはいささか
ら[もたらされるもの]である。…(中略)
合理性を欠いている。それゆえ関税率は,取
… そしてそれ(アデン)はイエメンにおけ
扱品目の種別によって異なっていたと考えた
る最大の寄港地(marāsā)であり,…(中
方が適切であろう。
略)… それはこの地方の諸王の財貨の宝物
さて,アデン港税関の取扱品目に対する関
庫(khizāna)である。…(中略)… まさに
税賦課に関して,『知識の光』には,つぎの
そこ(アデン)こそ,旅の仲間たち(rafāq)
ような記述がある。
が集まるところ,そしてアデンを取り囲む諸
地方であるシナ,インド,シンド,オマー
茜の関税(‘ushūr al-fuwwa)は,それが
ン,バフライン,エジプト,ザンジュ,そし
山岳地域(jibāl)からもたらされる場合,
てエチオピアへの旅の場所であり,アデンに
それには輸入関税(‘ushūr al-wārid)が課
おいて多数の商人たち(tujjār),船(sufun),
せられる。…(中略)… またそれ(茜)が
訪問者たち(wāridīn),さまざまな種類の商
海路によってターナ al-Tāna やグジャラー
品(baḍā’i‘ shattā)や物産(matājir)が一
ト,そしてそれら以外の地へ運ばれる場合,
週間として途絶えることはないのである」と
それには輸出関税(‘ushūr al-ṣādir)が課
記している
せられる。関税とは,輸入される物と輸出
上交易に大きく依存していたことを示すこの
される物に課せられる義務であり,何一つ
実態に照らし合わせてみると
141)
それを免ぜられないのである
。
142)
。ラスール朝の国家財政が海
143)
,交易から
最大限の収益を得るためにラスール朝が輸入
関税,輸出関税を賦課していたことは十分に
この記事から判断すると,アデン港税関の
あり得ると考えることができるだろう。
取扱品目には,輸入される時と輸出される時
に,関税が賦課されていたことになる。この
ような輸入関税と輸出関税の賦課に関して,
3-3 仲介税
ディラーラ(dilāla)と表記される仲介税
他に直接的な言及をした史料は現在のところ
は,『知識の光』において関税と並んで記載
みいだせない。しかし,14 世紀に『大都市
されている。この税は,アデン港税関と商人
を持つ諸王国に関する洞察の道筋(Masālik
とを仲介する仲介人のための,いわば仲介手
al-Abṣār fī Mamālik al-Amṣār)』を著したウマ
数料として,物産に課せられたものであった。
リー al-‘Umarī は,イエメンおよびアデンに
『知識の光』によると,仲介人は商品価格や
関して,
「イエメンの財政(amwāl)の大部
品質を調査し,その結果を所轄官庁へ報告し
分は,イエメン国内からもたらされるものと
ていた
ともに,インドやエジプトおよびエチオピア
ように,取扱品目の産地や等級は税額の多寡
144)
。すでに第一章において検討した
141)Nūr al-Ma‘ārif, I: 496.
142)al-‘Umarī, Masālik, 154-5, 157. ウマリーの記述を引用したカルカシャンディーもまたアデンにつ
いてほぼ同様の記述をしており,それによれば,
「そこ(アデン)は,イエメンの諸王の財貨の宝
蔵庫(khizāna)であり,…(中略)… イエメンの港(furḍa)であり,また商人たちの立ち寄る
ところ(maḥaṭṭ),そしてトゥッバゥ Tabābi‘a の時代から私たちの生きている時代まで交易の地
(balad tijāra)であり続けていて,ヒジャーズやシンド,インドやシナ,そしてエチオピアから到
来する船がまさにそこへ到達するのである」としている(al-Qalqashandī, Ṣubḥ, V: 9)。
cf. 家島 2006: 320-1.
143)ラスール朝が海上交易によって得られる財政収入と大商人や外国使節のもたらす寄贈品などに依拠
する「港市国家」としての性格を備えていたことは,すでに家島によって指摘されている(家島
2006: 321)。
34
アジア・アフリカ言語文化研究 75
に大きく関係する重要な事柄であった。商人
ザビード産亜麻製肩掛け[388]などは明ら
たちがもたらした物産については,彼ら自身
かにラスール朝の支配領域内にて産出され
による自己申告が税関によって義務づけられ
た,いわば国産品とみなすことができる物産
ていた。しかしながら,商人たちの申告にも
であるにもかかわらず,それらにも仲介税が
とづいて彼らの物産を検査,確認するのは,
賦課されていることが確認できる。したがっ
あくまでも税関当局の管轄であった。そして
て,国産品には仲介税は賦課されないとする
税関当局において物産の検査,確認を担当し
彼の解釈は妥当ではないと考えざるを得な
たのが,他ならぬ仲介人であった。
い。仲介税の賦課に関しては,国産品と輸入
仲介人は複数存在し,それぞれの仲介人
が得意とする専門分野において物産の検査,
確認にあたっていたと考えられる。それは,
品の区別は必ずしも厳密ではなかったと解釈
すべきである。
さて,
『知識の光』には仲介税額が明記さ
『知識の光』にみえるアデン港税関の取扱品
れている。しかし,その税額から税率を明ら
目がきわめて多種多様だからである。たとえ
かにすることはできない。シャムルーフは仲
ば糸・布・衣服類に通じている仲介人や,香
介税の税率に関して,同一種類の物産につい
料・薬種類の判別に精通した仲介人など,各
ては,たとえ産地が異なっていても,同額の
分野に秀でた仲介人が複数存在していなけれ
仲介税が課せられていたと指摘している
ば,膨大な品目を数える取扱品の価値や品質,
しかし,たとえば白檀[199∼203],杜松子
等級などを正確に把握することは困難であっ
油[174∼6],ヒッチョウカ(kabāba)[324
たに違いない。事実,『知識の光』にはアデ
∼5]などをみると,異なった産地のものが
ン港の書記官の一人ハサン・ブン・アッバー
アデン港にもたらされていたにもかかわら
ス Ḥasan b. ‘Abbās なる人物の筆によって作
ず,その仲介税の額はかならずしも同額に設
成された,アデン港における複数の仲介人た
定されていない。
『知識の光』には,同種の
ち(dallālīn)の雇用料金(ujura)に関する
取扱品目に課せられる仲介税が同額である場
明細の写しが収載されており
145)
,それはまさ
147)
。
合もあれば,異なっている場合もみられる。
に様々な分野に通暁した仲介人が複数存在し
おそらく関税率と同様に,仲介税の税率もま
ていたことを裏付けているといえるだろう。
た一律ではなく,取扱品目ごとに異なった税
ところで本稿冒頭にて紹介したシャムルー
率で課せられていたとみなした方がより妥当
フは,仲介税は国産品に対しては賦課されず,
であろう。
輸入品にのみ課せられていたと指摘し,その
ところで,この仲介税はいつ課せられるの
例として鉄,馬,胡麻,木綿,茜といった物
だろうか。この問題については,たとえば黒
産をあげ,それらは保護され仲介税を課せら
檀[2],丸形香料[19],白赤香料[20]の
146)
。しかし馬
仲介税の項目をみると,輸入時に賦課されて
[129]に関してみてみると,5+1/2 の仲介
いた仲介税が輸出の際には賦課されていない
税が課せられており,このシャムルーフの解
ことに気づく。これは,輸入時にその物産名,
釈が適当ではないことは明らかである。また
価格,品質,量などを仲介人が検査,確認し
『知識の光』をみると,イエメン産糸[266],
ているために,輸出の際に改めて再検査する
れていなかったと述べている
144)Nūr al-Ma‘ārif, I: 513-4. cf. al-Shamrookh 1996: 268.
145)Nūr al-Ma‘ārif, I: 181. なお同様の事例として,茜の取扱業務にかかわる記事のなかで,仲介人たち
の取り分(ḥaqq al-dallālīn)とあり,複数の仲介人が業務に介在していたことを示す記事もある
(Nūr al-Ma‘ārif, I: 179)。
146)al-Shamrookh 1996: 272.
147)al-Shamrookh 1996: 271-2.
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
35
必要がなかったからであると考えられる。し
税に関する記述に,「もしそれがインドから
たがって『知識の光』に記載される仲介税と
到来した場合には,それにシャワーニー税が
は,各物産の輸入時に賦課され,輸出時には
課せられるが,それは関税の十分の一であ
課せられなかったとみなすべきであろう。
る(‘ushr al-‘ushūr)」とあることから確認
でき
149)
,ここからシャワーニー税が関税の
10%程度であったとみなすことができる。
3-4 シャワーニー税
一覧表にまとめた最後の税種であるシャ
また,シャワーニー税の賦課対象となった
ワーニー税は通常,保安税と解釈される税種
取扱品目は 179 品目あり,それは全体のお
である。569/1173 年にイエメンに侵攻した
よそ 4 割程度(約 43%)を占めていた。こ
アイユーブ朝がアデン港をその支配下におい
れらシャワーニー税の対象品目は,アイユー
て,インド洋交易に大きな影響を与えたこと
ブ朝時代のシャワーニー税の対象品目と同様
はよく知られている。シャワーニー税のシャ
に,アラビア海を介して東方からアデン港に
ワーニーとは,アラビア海を経由してアデン
来航する商船が携える物産であった。それゆ
港に入港する商船を海賊の襲撃から防衛する
え『知識の光』にみえるインド経由と記され
ために,このアイユーブ朝から派遣された警
た品目や,インド産あるいはインド以東の地
備船団のことであり,同王朝の船団を維持す
域の品目には当然,シャワーニー税が賦課さ
る費用として徴収された税が,他ならぬシャ
れていた。またこれに加えて,ペルシャ湾方
148)
。626/1228 年にアイ
面からアラビア海を介してアデン港に到来す
ユーブ朝を排除してイエメンを統治したラ
る船が積載した物産にもシャワーニー税は課
スール朝は,アイユーブ朝が課していたシャ
せられており,それは『知識の光』のキーシュ
ワーニー税の適用を踏襲し,アデン港に到
島経由のシーラーズ産衣服[50]やブロー
来する船の積荷に対して同税を賦課してい
ケード紋絹衣服[51]などの 24 品目から確
た。それは,
『知識の光』の無漂白布[110∼
認することができる。このように,シャワー
19],長胡椒(dār filfil)[130],7 ジラーア
ニー税はインド・ペルシャ湾方面からアラビ
幅 ク ッ シ ョ ン(dūsāt sub‘ī)[133∼6], 腰
ア海を航行してアデン港に来航する商船の積
布(fūṭa)
[280∼289]などの物産にシャワー
荷に賦課されていたのである。
ワーニー税であった
ニー税が課税されていたことからも確認で
きる。
関税や仲介税の税率は判然としなかった
ところで,このシャワーニー税はいつ課せ
られたのであろうか。つまり輸入時に課せら
れ,輸出時には賦課されなかったのだろうか。
ものの,シャワーニー税の税率は史料に明
この点を明示する記述は『知識の光』にはみ
確に示されている。それは,キーシュ島経
いだせない。しかし,亜鉛[50]の特記事
由でアデン港にもたらされたシーラーズ産衣
項として,
「それ(亜鉛)がインドから到来
服(thiyāb Shīrāzīya)
[50]のシャワーニー
した場合には,それにシャワーニー税が課せ
148)Ibn al-Mujāwir, Ṣifat, 140-1. cf. Smith 1995: 131-2; Smith 1996: 212; al-Shamrookh 1996: 266-7.
家島によると,ラスール朝はインド洋から来航するすべての外国船をアデンに一時入港させ,イエ
メン船団と一緒にバーブ・アルマンダブ海峡を通過して,紅海に向かわせる一方で,このシャワー
ニー船(al-Shawānī)(またはディーワーン船(markab al-dīwān)とも呼ばれた)によってアデ
ンに入港せずに紅海に直航しようとする船を違反船(marākib al-mujawwarīn)とみなして捕らえ
たという(家島 2006: 269)。なお,スルタン・ムザッファルが運営していたシャワーニー船につい
ての記録は,A Chronicle, 17; al-Khazrajī, al-‘Uqūd, I: 182 を参照。
149)Nūr al-Ma‘ārif, I: 418.
36
アジア・アフリカ言語文化研究 75
150)
,またヒター産ブローケー
たものであっても,アラビア海を介さずにエ
ド紋絹衣服[53]の特記事項には「それ(ヒ
ジプトからもたらされた場合にはシャワー
ター産ブローケード紋絹衣服)がキーシュや
ニー税は非課税であったからである
られる」とあり
154)
。
その行政州(a‘māl)から到来した場合には,
それにシャワーニー税が課せられるが,エジ
おわりに
プトからの物には,すなわちシャワーニー税
151)
は課してはならない」という記事はある
。
本稿では,13 世紀のラスール朝治下アデ
これらの記述はいずれも「インドから到来し
ン港税関の取扱品目を分析することによっ
た場合」,あるいは「キーシュやその行政州
て,インド洋海域の交易港アデンについて考
から到来した場合」とみえるように,アデン
察した。以下に,本稿での検討で明らかになっ
港へ到来する物産に対してシャワーニー税を
た点を挙げるが,この検討によって従前の研
152)
課すか否かについて述べているのであり
,
究で提示されたインド洋海域の交易港アデン
アデン港から出てゆく物産に関しては一切触
に関わる実像を,さらに明瞭かつ具体的にす
れていないばかりか,そのような記述すらみ
ることができたと考えている。
いだせないのである。つまりこのことは,シャ
第一章では,取扱品目自体に関してつぎの
ワーニー税は到来する物産,すなわち輸入品
諸点を明らかにした。すなわち,『知識の光』
にのみ賦課されていたのであって,アデン港
にもとづいて作成した一覧表によって,総計
から積み出される物産であるところの輸出品
413 点を数えたアデン港税関の取扱品目は
には課せられていなかったことを示してい
糸・布・衣服類,香料・薬種類,ガラス器・
る。このような点から,シャワーニー税は輸
陶磁器類・鉱物類などきわめて多岐にわたっ
入時にのみ賦課され,輸出時には賦課されな
ていたことが明確となり,従来の研究では詳
かったと考えられるのである。
しく確認できなかった取扱品目の詳細が明ら
なお,このシャワーニー税の賦課について
かになったのである。これら取扱品目のなか
確認しておく点がある。それは,たとえイン
で糸・布・衣服類が最も多く,それゆえにア
ド以東の地の物産であっても,アラビア海を
デン港が関わっていたインド洋交易における
介さずにアデン港へもたらされたものに対し
主要な取引物産は糸 ・ 布・衣服類であった。
ては,シャワーニー税は非課税であったとい
また取扱品目としての諸物産はアラビア半島
うことである。なぜならば,先に引用したヒ
や西アジアはもとより,マグリブや中央アジ
ター産ブローケード紋絹衣服[53]の特記
ア,東アジアなど非常に広範な地域からもた
事項にはキーシュやその行政州からの場合に
らされていたが,このことはアデン港が関連
はシャワーニー税が課税され,エジプトから
する交易圏の広域性を如実に示していたとい
の場合は課せられないと注記されているよう
える。このアデン港税関の取扱品目には特産
153)
に
,北東アジアであるヒターで生産され
品としての付加価値を示す生産・積出地や,
150)Nūr al-Ma‘ārif, I: 417.
151)Nūr al-Ma‘ārif, I: 419.
152)インドから到来した場合にシャワーニー税が課せられるという記述内容は,ほかにもいくつかみい
だされる(Nūr al-Ma‘ārif, I: 418, 426, 427, 428, 441)。
153)Nūr al-Ma‘ārif, I: 419.
154)類例として,ジュワーン産一般織物[55]の特記事項には「メッカからの場合にはシャワーニー
税は課すべきではない」とあり(Nūr al-Ma‘ārif, I: 419),ジュワーンがいずれの地名なのかはわか
らないが,この記述内容から件の織物がジュワーンという地からメッカを経由してジェッダ港に至
り,そこから紅海を南下しアデン港に到来していたと考えられ,ここからもアラビア海の航行がシャ
ワーニー税賦課の条件であったことがわかる。
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
37
その程度,優劣を示す等級が付記され,生
つぎに,今後の課題について述べたい。本
産 ・ 積出地や等級の検査,確定は,税額の多
稿ではアデン港税関の取扱品目についてさま
寡に関わる事項ゆえに,税関当局が実施して
ざまな角度から検討したものの,各取扱品目
いた。
それ自体の性質や用途や生産地などの検討は,
第二章では,取扱品目としての諸々の物産
おこなわなかった。その理由は,それら全て
がアデン港に来航する際の経由地について分
を本稿において一度に取り上げることはきわ
析し,キーシュ島,メッカ,インド,イエメ
めて煩雑になり,議論が散漫になると考えた
ン,エジプトなど実に多数の経由地が各所に
からである。しかし,取扱品目自体にかかわ
存在していたことを明確にした。これら多く
る分析はインド洋海域の交易港アデンの特質
の経由地は海上交通によってアデン港と連結
をより明らかにするためには必要不可欠であ
していたが,経由地の一つであるメッカがイ
ると考えているので,今後は一覧表にまとめ
ラン ・ イラク地方と接続するアラビア半島内
た各種の取扱品目にかかわる諸情報を整理,
陸ルートにおけるアデン港の窓口として機能
検討する作業をおこないたいと考えている。
し,アデン港が陸上交通とも密接に連絡して
また,これに関連していえば,一覧表によっ
いたことを明らかにした。また,イラン ・ イ
て整理したすべての取扱品目の関税や仲介
ラク地方生産 ・ 積出の取扱品目の多くがキー
税,およびシャワーニー税の具体的な税額の
シュ島を経由地としてアデン港にもたらされ
表示が明示されているにもかかわらず,シャ
ており,ペルシャ湾とアラビア海とを結ぶ海
ワーニー税以外の税率がわからないことか
上交易ルートが活発に機能していたことを確
ら,本稿では税額にかかわる分析は留保せざ
認した。そしてこれらの点と関連して,メッ
るを得なかった。しかし,たとえばエジプト
カとキーシュ島という二つの経由地を通じて
産ガラス器[158]と泉州積出磁器深皿[211]
アデン港にもたらされていた物産の取扱品目
について,それぞれの課税標準にもとづく関
数が,インド経由のそれに比肩するほどで
税額の違いを分析すると,前者は従価税品目
あったという結果を得た。
として 1 枚あたりの価格に応じて関税額(5
第三章では,アデン港税関の取扱品目に対
+1/6+1/8)が算出され,後者は従量税品目
する諸税に関して検討した。取扱品目は課税
として 10 枚一組に対して関税額(1+1/2+
標準によって従量税品目と従価税品目に分類
1/3+2f)が算出されている。この課税標準
され,関税,仲介税,シャワーニー税といっ
と税額との関係から,この時にアデン港で取
た諸税が賦課されていた。関税については,
り扱われていたエジプト産ガラス器の方が泉
取扱品目に対して輸入関税,輸出関税が課さ
州積出磁器深皿よりも高価であったこと,そ
れ,しかもその税率は取扱品目ごとに異なっ
して泉州積出磁器深皿の 1 枚あたりの価格が
ていた。仲介税に関しては,物産の輸入時に
比較的安価であったことなどが推測される。
各専門分野に特化した仲介人によって取扱品
それゆえ今後は,このような各取扱品目間の
目の検査,確認が実施され,その仲介手数料
課税標準にもとづく税額の比較,分析を通じ
としての仲介税が,取扱品目ごとに異なった
て,アデン港にもたらされた商品・物産の価
税率で賦課されていた。シャワーニー税につ
格や価値についても検討をすすめてゆきたい。
いては,それがインド・ペルシャ湾方面から
さらに,本稿ではアデン港税関の取扱品目
アラビア海を航行してアデン港に来航する船
を中心に検討したために,アデン港税関が同
の積載品(輸入品)に課されたことを明ら
港にもたらされる物産をどのように取り扱っ
かにし,その税率は当該する積荷の関税の
ていたのかという実務的な側面には,全く触
10%であったことを確認した。
れることができなかった。しかし『知識の光』
38
アジア・アフリカ言語文化研究 75
には,アデン港の税関業務にかかわっていた
官職,職能,職掌や,税関実務の様相,ある
いは来航する海上商人たちの様子などについ
て具体的な記述がなされており,アデン港の
税関実務に関する諸相については,多くの分
析すべき事項があるように思われる。この問
題もまた,上に示した今後の取り組むべき多
くの課題とあわせてあげておきたい。
参 考 資 料
◉史料◉
Abū al-Fidā, Taqwīm al-Buldān (Géogtaphie
D'aboulféda), ed. M. Reinaud & M. de Slane,
Paris, 1840.
Abū Makhrama, Ta’rīkh Thaghr ‘Adan (Arabische
Texte zur Kenntnis der Stadt Adenim Mittelalter),
ed. Löfgren, O., 3vols., Leiden, 1936, 1950.
Anonymous, A Chronicle of e Rasūlid Daynasty of
Yemen, ed. Hikoichi Yajima, Tokyo, 1974.
Anonymous, Ḥudūd al-‘Ālam (“The Region of the
World”, A Persian Geogrhaphy), English trans.
by V. Minorsky, Institute for the History of
Arabic-Islamic Science at the Johann Wolfgang
Goethe University, Frankfurt am Main,
1993 (Reprint of the Edition London 1937).
Anonymous, Nūr al-Ma‘ārif fī Nuẓum wa Qawānīn
wa A‘rāf al-Yaman fī al-‘Ahd al-Muẓaffarī
al-Wārif (Lumière de la Connaissance Règles,
lois et coutumes du Yémen sous le règne du sultan
rasoulide al-Muẓaffar), ed. Muḥammad ⁽Abd
al-Raḥīm Jāzim, Centre Français Archéologie
et de Sciences Sociales de Sanaa, 2vols.,
Ṣan‘ā’, 2003, 2005.
al-Dimashqī, Abū ‘Ab d Allāh Muḥammad
Nukhbat al-Dahr fī ‘Ajā’ib al-Barr wa al-Baḥr,
ed. A. Mehren, Leipzig, 1923.
al-Hamdānī, Ṣifat Jazīrat al-‘Arab (Geographie
der Arabischen Halbinsel), ed. Müller, D. H.,
Leiden, 1968.
al-Ḥasan b. ⁽Alī al-Ḥusaynī, Mulakhkhaṣ al-Fiṭan
wa'l-Albāb wa Misbāḥ al-Hudā li'l-Kuttāb,
Ambrosiana Library (Mirano), Ms. no. H130.
Ibn Ḥawqal, Kitāb Ṣūrat al-Arḍ, ed. M. j. de Goeje,
BGA, II, Leiden, 1967.
Ibn Jubayr, e Travels of Ibn Jubair, ed. William
Wright, Institute for the History of ArabicIslamic Science at the Johann Wolfgang
Goethe University, Frankfurt am Main, 1994
(Reprint. Originally published Leyden, E. J.
Brill, 1907).
Ibn Khurdādhbih, Kitāb al-Masālik al-Mamālik,
ed. M. j. de Goeje, BGA, VI, Leiden, 1967.
Ibn Mājid, Kitāb al-Fawā’id fī Uṣūl ‘Ilm al-Baḥr
wa’l-Qawā’id (Ferrand, G., Instructions
nautiques et routiers arabes et portugais desXVe et
XVIe siècles), 3vols., Paris, 1921-28.
Ibn al-Mujāwir, Ṣifat Bilād al-Yaman wa Makka
wa Ba‘ḍ al-Ḥijāz al-Musammāt al-Ta’rīkh alMustabṣir, (Descriptio Arabiae Meridionalis),
ed. O. Löfgren, 2vols., Leiden, 1951-1954.
Ibn Rusta, Kitāb al-A‘lāq al-Nafīsa, ed. M. j. de
Goeje, BGA, VII, Leiden, 1967.
al-Idrīsī, Kitāb Nuzhat al-Mushtāq fī al-Ikhtirāq
al-Āfāq (Opvs Geographicvm), ed. Instituto
Universitario di Napoli, 9vols., Leiden,
1970-84.
al-Iṣṭakhrī, Masālik al-Mamālik, ed. M. j. de
Goeje, BGA, I, Leiden, 1967.
al-Khazrajī, al-‘Uqūd al-Lu’lu’īya fī Ta’rīkh alDawla al-Rasūlīya, ed. Muḥammad b. ‘Alī alAkwa‘, 2vols., Ṣan‘ā’, 1983.
al-Muqaddasī, Kitāb Aḥsan al-Taqāsīm fī Ma‘rifat
al-Aqālīm, ed. M. J. de Goeje, BGA, III,
Leiden, 1967.
al-Muẓaffar, Kitāb al-Mu‘tamad fī al-Adwīya alMufrada, ed. Mṣṭafā al-Safā, Beirut, n. d.
al-Nuwayrī, Nihāyat al-Arab fī funūn al-Adab,
33vols., n. p., n. d.
al-Qalqashandī, Ṣubḥ al-A‘shā’, 14vols., Cairo.
Tāj al-Dīn ‘Abd al-Bāqī b. ‘Abd al-Mujīd alYamanī, Bahjat al-Zaman fī Ta’rīkh al-Yaman,
ed. ‘Ab d Allāh Muḥammad al-Ḥibshī,
Ṣan‘ā’, 1988.
al-‘Umarī, Masālik al-Abṣār fī Mamālik al-Amṣār,
ed. Ayman Fu’ād Sayyid, Cairo, 1985.
Ya‘qūbī, Kitāb al-Buldān, ed. M. J. de Goeje,
BGA, VII, Leiden, 1967.
Yāqūt, Mu‘jam al-Buldān, 6vols., Leipzig, 18661873.
イブン・バットゥータ,イブン・ジュザイイ編『大
旅行記』家島彦一訳注,東洋文庫,全 8 巻,
平凡社。
◉参考文献◉
Cahen, C. & Serjeant, R. B. 1957 “A fiscal survey
of the medieval Yemen: notes preparatory to
a critical edition of Mulaḫḫaṣ al-fiṭan of alḤasan b. ⁽Alī al-Šarīf al-Ḥusaynī”, Arabica, 4:
23-33.
Dozy, R. 1881 Supplément Dictionnaires Arabes,
2vols., Leiden. (reprint, Beirouth, 1991)
Goitein, S. D. 1973 Letters of Medieval Jewish
Traders, Princeton.
Great Britain Hydrographic Department Abmiralty,
Red Sea and gulf of Aden pilot, London, 1955.
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
Guo, Li. 2004 Commerce, Culture, and Community
in a Red Sea Port in the Thirteenth century,
Leiden.
Khalilieh, Hassan S. 1998 Islamic Maritime Law:
An Introduction, Leiden.
Serjeant, R. B. 1954 “Hūd and Other Pre-Islamic
Prophets of Ḥaḍramawt”, Le Muséon, LXVII,
pp. 121-79.
Serjeant, R. B. 1972 Islamic Textiles Material for a
History up to the Mongol Conquest, Beirut.
Smith, G. Rex 1995 “Have you anything to declare?
Maritime trade and commerce in Ayyubid
Aden: practices and taxes”, Proceedings of
the Seminar for Arabian Studies, 25: 127-140
(reprinted in Smith 1997).
Smith, G. Rex 1996 “More on the port practices
and taxes of medieval Aden”, New Arabian
Studies 3, (ed. G. Rex Smith, J. R. Smart and
B. R. Pridham), 208-218 (reprinted in Smith
1997).
Smith, G. Rex 1997 Studies in the Medieval History
of the Yemen and South Arabia, London.
al-Shamrookh, Nayef Abdullah 1996 e commerce
and trade of the Rasulids in the Yemen, 630-858/
1231-1454, State of Kuwait.
Tibbetts, G. R. 1981 Arab Navigation in the Indian
Ocean before the Coming of the Portuguese,
London.
Varisco, D. M. 1989 “Medieval Agricultural Texts
from Rasulid Yemen”, Manuscripts of the
Middle East (Leiden), 4: 150-4 (reprinted in
Varisco 1997).
Varisco, D. M. 1991 “A Royal Crop Register from
Rasulid Yemen”, JESHO, 34: 1-22 (reprinted
in Varisco 1997).
Varisco, D. M. 1994 Medieval Agriculture and
Islamic Science: The Almanac of A Yemeni
Sultan, Washington.
Varisco, D. M. 1997 Medieval Folk Astronomy and
Agriculture in Arabia and the Yemen, London.
Yule, H. & Burnell, A. C. 1995 Hobson-Jobson,
London.
大山綱明 1992 『関税の知識』(日経文庫),日
本経済新聞社(初版 1963 年)。
栗山保之 1994 「ザビード∼南アラビアの学術
都市∼」『オリエント』37(2): 53-74。
栗 山 保 之 1998 「中 世 イ エ メ ン の ザ イ ド 派 イ
マームと部族」『日本中東学会年報』13: 21532。
栗山保之 1999 「中世イエメンにおけるザイド
派イマームの租税制度」『東方学』98: 132(1)121(12)。
栗山保之 2001 「11 世紀後半∼12 世紀前半にお
けるザイド派勢力のヒジュラ」『東方学』102:
92(1)-78(15)。
39
「9 世紀末∼ 11 世紀後半におけ
栗山保之 2002 るイエメン・ザイド派勢力のヒジュラとその
変質」『東洋学報』83(4): 533(24)-505(52)。
栗山保之 2004 「16∼17 世紀のハドラマウトの
人びとの移動・移住活動」『西南アジア研究』
61: 47-66。
栗山保之 2006a 「17 世紀のインド洋西海域世界
におけるイエメンの対外関係」
『東洋史研究』
65(2): 406(1)-372(35)。
栗山保之 2006 b 「17 世紀のイエメン・エチオ
ピア関係と紅海情勢」『人文研紀要(中央大学
人文科学研究所)』58: 27-54。
栗山保之 2006c 「南アラビアの学術都市ザビー
ドとイブン・アッダイバ」
『アジア遊学』86:
62-72, 勉誠出版。
佐 々 木 達 夫 1991 『陶 磁 器, 海 を ゆ く ―「物」
が語る海の交流史』増進会出版社。
蔀 勇 造 1993 「ソ コ ト ラ ∼ そ の 歴 史 と 現 状」
『日本中東学会年報』8: 299-321.
蔀 勇造 2000 「イスラム以前のインド洋世界
―ソコトラ島から垣間見る」尾本恵一・濱下
武志・村井吉敬・家島彦一(編著)『モンスー
ン文化圏』(海のアジア)岩波書店,2: 67-98。
長谷部楽爾 2001 「陶磁器からみた東西世界の
交渉」『出光美術館館報』117: 28-44。
三上次男 1998 『陶磁貿易史研究 下』中央公
論美術出版。
三上次男 2000 『陶磁の道―東西文明の接点を
たずねて―』中央公論美術出版。
家島彦一 1974 「イエメン・ラスール朝史に関
する新写本」
『アジア・アフリカ言語文化研
究』7: 165-81。
家島彦一 1986 「ナイル渓谷と紅海を結ぶ国際
貿易ルート―とくに Qūṣ~‘Aydhāb ルートを
めぐって」『イスラム世界』25/26: 1-25。
家島彦一 1989 「紅海の国際交易港 ‘Aydhāb の
廃港年次をめぐって」
『東西海上交流史研究』
1: 167-97.
家島彦一 1991 『イスラム世界の成立と国際商
業―国際商業ネットワークの変動を中心に』
岩波書店。
家島彦一 1993 『海が創る文明−インド洋海域
世界の歴史』朝日新聞社。
家島彦一 2006 『海域から見た歴史―インド洋
と地中海を結ぶ交流史』名古屋大学出版会。
原稿受理日―2007 年 9 月 28 日
40
アジア・アフリカ言語文化研究 75
アデン港税関の取扱品目一覧
番号
経由地
課税標準
関税
インド
10m
9
1/2
1/3
同上
キーシュ
10m
9
1/2
1/3
同上
上記以外
10m
9
1/2
1/3
同上
メッカ
10m
6
黒檀(abnūs)
10b
5
同上
10b
6
2q
2f
3
亜麻織縞紋外套(abrād qaṣabīya)
10m
2
2/3
1/4
2f
4
バルージュ産縞紋外套(abrād Barūjīya)
ニズワ
10m
2
1/3
1/4
2f
同上
フール
10m
2
1/3
1/4
2f
同上
ダイブール
10m
2
1/3
1/4
2f
10m
2
1/2
1/4
2f
1枚
1
1/8
1
2
商品名
絹布(ibrīsim)
5
カンバーヤ産縞紋外套(abrād Kanbāyatīya)
6
サーブール産縞紋外套(abrād Sābūrīya)
7
イラク産縞紋外套(abrād ‘Irāqīya)
同上
キーシュ
1/3
メッカ
1枚
1/3
1/4
2f
キーシュ
10m
5
1/4
2f
同上
メッカ
10m
2
1/3
1/4
2f
8
キーシュ産縞紋外套(abrād Kīsīya)
メッカ
10m
2
1/3
1/4
2f
9
一般イラク産縞紋外套(abrād ‘Irāqīya muqāraba)
キーシュ
10m
4
1/2
1f
メッカ
同上
10
10m
6
1/2
1/4
1f
縒合ロープ(akhriba maūl)
1b
2
1/2
1/3
1/8
1/8
重量動物皮革(idam naqīḍ)
1b
3
1/2
1/4
同上
1b
1/2
1/4
2f
軽量動物皮革(idam khafīf)
1ṣ
1/2
?
同上
1ṣ
1/2
1/4
2f
13
動物生皮革(idam ḥurr)
1b
3
1/3
1/8
14
更紗腰巻布(uzur muḥashā)
10m
1/2
1/3
1/8
15
白色腰巻布(uzur bīḍ)
10m
1/2
1/3
1/8
16
イラク産オカヒジキ(ushuna ‘Irāqī [sic])
1b
2
1/6
2f
同上
1b
1
1/4
2f
山岳産オカヒジキ(ushuna Jabalī [sic])
1b
1/3
1/4
11
12
17
同上
1b
1/4
1f
10m
3
1/4
1/6
丸形香料(aẓfār mudawwar [sic])
1b
3
1/3
1/8
2f
同上
1b
1/4
1/6
1/8
1f
白赤色香料(aẓfār mushaqqar [sic])
1b
6
1/2
1/8
2f
同上
1b
1/4
1f
4
18
アシーラ(ashīla)
19
20
3f
21
白色長衣(aksiya bīḍ)
10m
22
切断済みチーク板材(alwāḥ sāj shaqīq [sic])
総量
23
高級刺繍入服(badhalāt muṭarraza rifā‘ [sic])
1枚
1
5q
2f
24
標準刺繍入服(badhalāt muṭarraza wasaṭ [sic])
1枚
1/2
1/4
1/8
25
金糸刺繍入服(badhalāt muzahhaba)
1枚
6
1/2
26
山羊毛白色平織服(badhalāt sādhaj bīḍ wa sha‘rī [sic])
10m
7
5q
一般平服(badhalāt muqāraba)
1枚
1/3
1/4
2f
28
茴香(bisbāsa)
10m
5
1/3
1/4
29
蘇芳木(baqqam)
1b
2/3
同上
高級ターバン(baqā’ir rifā‘ [sic])
10m
7
31
標準ターバン(baqā’ir wasaṭ [sic])
10m
1/2
32
一般ターバン(baqā’ir muqāraba)
10m
4
5q
5q
2f
2f
27
30
1/8
2f
1/8
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
S税
その他
典拠
3
5q
1/2
1/3
1/8
3f
409
3
5q
1/2
1/3
1/8
3f
409
3
5q
1/2
1/3
1/8
3f
3
5q
1/2
1/4
409
409
1/2
1q
輸入
410
輸出
411
1/4
1/4
1f
1/4
1/4
1q
1f
410
410
1/4
1/4
1q
1f
410
1/4
1/4
1q
1f
410
5q
1/4
3f
410
輸入
2q
411
1/4
411
1/4
411
1/4
411
1/4
411
2q
411
2q
411
1/6
1/6
1/8
1f
411
2f
412
輸出
412
412
輸出
412
輸入
412
1/8
3f
412
1/8
3f
412
1/6
1/8
412
1/8
2q
1/6
2q
413
輸入
412
輸出
413
2f
413
2/3
1/6
輸出
1/8
1/8
輸入
413
輸出
413
輸入
413
輸出
413
注1
414
2f
413
2f
414
2q
414
1/8
414
2/3
3f
2q
1f
414
414
4
1/3
1/4
1/4
1/2
1/3
2f
1/6
1/8
3f
415
注2
415
輸出
415
輸入
415
415
2f
415
41
42
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
課税標準
関税
33
紐無婦人用靴(baysar bi-ghayr shuruk nisāīya)
商品名
経由地
1k
2/3
1/4
34
下剤(フウセンアサガオ turbud)
1b
5
1/4
1/8
同上
1b
1
2q
2f
10m
6
5q
6
35
山羊毛高級刺繍入更紗女性用ベール(talāthim muṭarraza rifā‘ sha‘rīyāt [sic])
36
山羊毛標準刺繍入更紗女性用ベール(talāthim sha‘rīyāt wasaṭ [sic])
10m
37
山羊毛一般刺繍入更紗女性用ベール(talāthim sha‘rīyāt muqāraba)
10m
4
5q
2f
38
ナツメヤシ(tamr farḍ)
1b
6
1/6
1/8
2f
39
40
シフル産ナツメヤシ(tamr Shiḥrī)
1b
1
2q
同上
1b
1/4
2f
キーシュ産ナツメヤシ(tamr Qaysī)
1b
1
2q
同上
1b
1/4
2f
1b
11
1/2
1b
4
1/2
41
硼酸(Tinkār)
42
亜鉛(Tutiyā’)
43
赤タマリンド(thamara ḥamrā’)
同上
同上
44
潰したタマリンド(thamara ma‘ṣūr [sic])
キーシュ
2f
メッカ
1b
3
キーシュ
1b
6
2/3
メッカ
1b
4
2q
キーシュ
1b
5
1/8
2f
1b
1
1/4
2f
10m
6
1/4
1/2
同上
1/8
45
梳毛衣服(モスリン thiyāb lānis)
46
無染色白衣服(thiyāb maqṣūr [sic])
1k
3
47
カンジュ産衣服(thiyāb Kanjī [sic])
1枚
1/2
48
白黒縞衣服(thiyāb malbūniyāt)
10m
1
5q
2f
49
アルカ産一般衣服(thiyāb ‘arka muqāraba)
10m
2
1/6
1f
1/4
50
シーラーズ産衣服(thiyāb Shīrāzīya)
キーシュ
10m
4
2/3
51
ブロケード紋絹衣服(thiyāb dībāj)
キーシュ
1枚
1
2/3
同上
52
アッタービー産衣服(thiyāb ‘Attābī [sic])
同上
メッカ
1枚
1
5q
2f
キーシュ
1枚
1
5q
2f
注 18
1枚
2/3
2f
53
ヒター産ブローケード紋絹衣服(thiyāb dībāj Khiṭā’ [sic])
キーシュ
1枚
6
1/8
2f
54
ジュワーン産衣服(thiyāb Juwānīya)
キーシュ
10m
1/3
1/4
1/8
メッカ
10m
5
5q
2f
10m
4
10m
4
同上
55
ジュワーン産一般衣服(thiyāb Juwānīya muqāraba)
同上
56
緋色絹衣服(thiyāb siqlāṭūn)
57
無染色イラン産絹衣服(thiyāb Fārisīya maqṣūr [sic])
58
59
2f
1枚
2
キーシュ
10m
2
2/3
無漂白イラン産絹衣服(thiyāb Fārisīya khām [sic])
キーシュ
1k
2
1/3
1/4
1/8
イラン産無漂白衣服(thiyāb khām Fārisīya [sic])
キーシュ
1k
2
1/3
1/4
1/8
メッカ
1k
1
1/2
1/3
1/8
1枚
1/2
1/3
3f
同上
60
メッカ
2f
標準アンティオキア産衣服(thiyāb Anṭākīya wasaṭ [sic])
61
一般アンティオキア産衣服(thiyāb Anṭākīya muqāraba)
1枚
2/3
1f
62
高級ベネチア産衣服(thiyāb Bunduqī jiyyād [sic])
1枚
1/2
1/4
1/8
2f
63
標準ベネチア産衣服(thiyāb Bunduqī wasaṭ [sic])
1枚
1/3
1/4
1/8
2f
64
一般ベネチア産衣服(thiyāb Bunduqī muqāraba [sic])
1枚
1/4
1/6
1/8
65
鮮紅色絹衣服(thiyāb qarmaz)
10m
6
2/3
1/8
1/2
66
ルビー色絹衣服(thiyāb yāqūtī [sic])
10m
3
67
クスターン衣服(thiyāb qusṭān)
10m
5
68
絹製衣服(thiyāb muḥarrara)
1枚
1/4
1/8
69
ホラズム産絹衣服(thiyāb ṣirf Khuwārizmī [sic])
1枚
1/2
1/3
1f
70
タイム(族の)衣服(thiyāb Taymīya)
10m
1/2
1/4
1/8
メッカ
2f
3f
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
S税
2q
2q
1f
1/4
1/8
1/4
1/6
1/3
1/4
1/2
1/3
1/3
2f
2q
3f?
その他
典拠
注3
415
輸出
416
注4
416
416
2f
416
416
1/8
1f
416
1q
416
輸出
1q
416
416
3
1/2
1/2
1/4
1/2
1/4
1
1/8
輸出
416
注5
417
3f
416
417
1
2/3
2f
417
1
417
2/3
1/2
2f
417
輸出
417
1/2
2/3
5q
1/3
2f
418
2q
1q
2f
418
2q
2f
417
1/8
418
5q
418
注5
5q
1/2
1/6
1/4
2f
1/8
2f
1/3
1/4
3f
1
2q
3f
1/4
1/8
3f
418
418
2q
419
2q
419
2q
419
1/2
1/2
1/8
1f
1/6
1/8
1f
1/8
注6
419
419
419
419
注7
1/8
419
419
1/8
1/4
2f
420
1/6
1/4
2f
420
1/6
1/4
2f
420
1/8
420
2q
1q
420
1f
420
2q
1q
420
2f
420
1q
420
1/2
2/3
2f
2q
420
420
1/4
1/6
1/2
420
2q
2f
1q
421
2q
2f
2q
1/8
1f
421
421
43
44
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
商品名
経由地
課税標準
関税
71
グジャラート産衣服(thiyāb Jawjarī [sic])
10m
2
1/2
1/8
72
繻子衣服(thiyāb aṭlas)
1枚
2
1/3
1/8
73
一般織衣服(thiyāb muqrab [sic])
1枚
1/2
1/8
74
一般アッタービー産衣服(thiyāb ‘Attābīya muqāraba)
1枚
1/3
1/8
75
マスフィーヤ衣服(thiyāb maṣfīya)
10m
1
2q
76
染衣服(thiyāb muṣabbagha al-māraz)
10m
1/4
1/6
77
絹衣服(thiyāb murawwaza)
10m
2
5q
78
タブタラ衣服(thiyāb ṭabtar)
10m
1
1/2
79
一般再利用絹衣服(thiyāb khazz muqārab [sic])
1枚
1/3
1/8
1f
1/8
1/3
80
絹製ヤズド産衣服(thiyāb Yazdī ḥarīr [sic])
1枚
1/4
1/6
1/8
81
絹製イスファハーン産衣服(thiyāb Iṣfahānī ḥarīr [sic])
1枚
1/4
1/6
1/8
82
ナツメグ(jawzā’)
83
椰子色絹布(jawzāyī ḥarīr)
1枚
1
2q
84
椰子色絹織物(jawāzī muḥarrara)
1枚
1/4
1/6
85
椰子色紗織物(jawzāyī muḥashā)
1枚
1/3
2f
86
椰子色一般方形平織物(jawzāyī sādhaj murabba‘ muqābara)
10m
1
1/2
87
マーリズ・椰子色絹織物(jawazāyī māriz)
10m
1/2
1/4
1/3
1f
88
椰子色方形紗織物(jawzāyī rubā‘īya muḥashā)
10m
1
3 ジラーア幅椰子色紗織物(jawzāyī muḥarrara thulāthīya)
10m
1
6f
90
高級方形椰子色絹織物(jawzāyī ḥarīr rubā‘īya rifā‘ [sic])
10m
1
2/3
91
3 ジラーア幅椰子色絹織物(jawzāyī muḥarrara thulāthiīya)
10m
1
1/3
1/8
92
高級椰子色絹織物(jawzāyī muḥarrara rifā‘ [sic])
10m
2
1/3
1/4
93
シフル積出椰子色平織絹織物(jawzāyī Shiḥrīya sādhaj)
1枚
1/3
3f
1/4
94
標準椰子色絹織物(jawzāyī muḥarrara muqāraba)
1枚
1/6
2f
95
3 ジラーア幅平織物(jawzāyī sādhij thulāthīya)
10m
1/2
1/4
96
方形平織絹織物(jawzāyī rubā‘īya sādhaj)
10m
2/3
1/8
97
牛皮革(julūd baqrīya)
10m
1/2
1/3
98
ラクダ皮革(julūd jamalīya)
10m
1/3
1/4
2f
99
山羊皮革(julūd mi‘zīya)
10m
4
2q
3f
100 鉄(ḥadīd)
1b
5
101 鋼鉄(ḥadīd fūlādh)
1b
1
1/4
1/8
102 イエメン産及びそれ以外の産地の鉄(ḥadīd Yamanī wa ghayr-hi)
1b
1/4
1/6
同上
104 色付ストライプ柄外衣(ḥulal mulawwana)
同上
1b
3
1/2
1b
2
5f
キーシュ
10m
9
1/2
1/4
1/8
メッカ
10m
4
1/2
1/3
1/8
1b
4
1/2
1/3
インド
1b
1
1q
1b
1/2
1f
1b
1/4
2f
1mu
1/2
108 カバー(ḥanābil)
10m
2
1/3
109 小麦(ḥinṭa)
1mu
2
1/2
同上
107 ヒヨコマメ(ḥummuṣ)
1f
注 19
ザビード
同上
3f
イエメン
105 阿魏(ḥiltīt)
106 タマリンド(ḥumar)
3f
1/8
89
103 クコの実(ḥuḍaḍ)
1f
1/8
1/4
3f
110 リネン織無漂白布(khām qaṣabī)
1k
2
1/2
1/3
2f
111 バルージュ産無漂白布(khām Barūjī)
1k
2
1/2
1/3
2f
112 ブーザ産無漂白布(khām Būzī)
1k
2
1/2
1/3
2f
113 ダイブール産無漂白布(khām Daybūlī)
1k
2
1/2
1/3
2f
114 カンバーヤ産無漂白布(khām Kanbāyatī)
1k
2
1/3
1/4
1/8
115 スマーナート産無漂白布(khām Sumānātī)
1k
2
1/3
1/4
1/8
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
2q
S税
その他
2f
典拠
421
1/4
421
1/8
2f
421
1q
1f
421
2q
2f
421
1
5f
421
5q
422
1/8
422
1q
422
3f
422
3f
422
注8
5q
2q
422
2f
423
6f
2q
422
423
2f
423
1q
423
5q
423
2q
1/6
423
1/8
423
5q
1/6
423
1/8
423
2f
423
5f
423
5f
423
6f
423
423
424
424
1/4
1/6
1/3
1/4
1/6
1/3
1/4
2f
1/3
1/4
2f
輸入
424
輸出
424
輸出
424
3f
424
424
1/2
1/3
1/8
3f
424
424
1/2
425
2q
2q
2f
425
2q
425
輸出
2f
1/8
2f
1/4
425
425
2f
注9
注 10
1/4
425
425
5q
1/6
1/8
426
5q
1/6
1/8
426
5q
1/6
1/8
426
5q
1/6
1/8
426
1/6
1/4
2f
426
1/6
1/4
2f
426
45
46
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
課税標準
関税
116 10 ジラーア幅リネン織無漂白布(khām ‘ushārī qaṣabī)
商品名
経由地
1k
3
1/3
1/4
117 10 ジラーア幅ムイッジー無漂白布(khām ‘ushārī mu‘izī)
1k
3
1/3
1/4
118 バルージュ産 10 ジラーア幅無漂白布(khām ‘ushārī Barūjī)
1k
3
1/3
1/4
119 ダイブール産 10 ジラーア幅無漂白布(khām ‘ushārī Daybūlī)
1k
3
1/3
1/4
120 無漂白布(khām)
6k
1/2
1/3
121 ミロバラン色小貝(kharaz halīlajī)
1 万個
3
1/2
1/4
122 大きな美貝(kharaz mazyūn kibār)
1 万個
3
2/3
2f
123 小さな美貝(kharaz mazyūn ṣighār)
1 万個
3
1/4
1/6
1個
1/2
124 真珠のビーズ(kharaz jumān)
125 アスマフ貝(kharaz asmaḥ)
1/8
2f
1b
13
1/2
同上
キシン
1b
16
2/3
2f
同上
メッカ
1b
8
1/4
1/6
126 山奈(khūlanjān)
10b
2
1/3
1/8
127 竹籐(khayzrān)
1000 本
1
1/2
1/3
2f
1b
1
1/4
1/6
2f
128 カシア果(khiyār shanbar)
129 馬(khayl)
1頭
126
1/2
130 長胡椒(dār filfil)
1b
6
1/4
131 大麦粉(dādhī)
1b
2
1q
132 クッション(dusūt)
1/8
10m
3
1/3
133 バルージュ産高級 7 ジラーア幅クッション(dusūt subā‘ī rifā‘ Barūjī [sic])
1k
3
2/3
1/8
1/8
134 カンバーヤ産高級 7 ジラーア幅クッション(dusūt subā‘ī rifā‘ Kanbāyatī [sic])
1k
3
2/3
1/8
1/8
135 7 ジラーア幅標準クッション(dusūt subā‘ī wasaṭ [sic])
1k
2
2/3
1/8
1f
136 ラサミー・7 ジラーア幅クッション(dusūt subā‘ī rasamī)
1k
2
1/2
2f
137 高級亀甲羅(鼈甲)(dhabl jayyid)
10m
2
1/4
138 標準亀甲羅(鼈甲)(dhabl wasaṭ)
10m
1
1/2
1/3
2f
139 粗悪亀甲羅(鼈甲)(dhabl khafīf)
10m
1
1/2
1/8
2f
140 黍(dhura)
1mu
1
1/2
141 アンチモニー(rāsikht)
10m
1/2
2f
142 シナ産大黄(rāwand Ṣīnī)
10m
14
1/3
1/8
2f
143 米(ruzz)
1mu
2
1/2
1mu
1/8
1/2
1/4
2f
1/4
2f
同上
144 白鉛(raṣāṣ abyaḍ)
エジプト
同上
145 錫(raṣāṣ abyaḍ qal‘ī)
146 黒鉛(raṣāṣ aswad)
同上
同上
1b
3
10b
11
1b
5
1/2
海路
1b
2
6f
エジプト
1b
1
5q
1b
1/4
1/6
147 エチオピア産家内奴隷(raqīq al-Ḥabasha khādim)
1人
4
148 エチオピア産男奴隷(raqīq al-Ḥabasha ‘abd al-faḥl)
1人
2
2f
149 エチオピア産女奴隷(raqīq al-Ḥabasha jārīya)
1人
2
150 エチオピアからもたらされた男奴隷(‘abd al-faḥl min al-Ḥabasha)
1人
1
151 黒人男奴隷(al-raqīq al-zunūj al-‘abd)
1人
2
152 黒人女奴隷(al-raqīq al-Zunūj al-jārīya)
1人
2
1/4
153 ザンジュ産ロバ(al-‘ulūj al-zunūj)
1頭
1
1/4
1 万本
12
5q
2f
1b
1
1/2
1/8
1b
1/3
1/8
2f
154 竹製槍(rimāḥ qanā)
155 乳香(rawsā)
同上
1/4
156 明礬(zāj)
1b
1/2
2f
157 干しブドウ(zabīb)
1b
1/2
1/4
2f
2f
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
S税
その他
典拠
1/4
1/6
1/6
3f
426
1/4
1/6
1/6
3f
426
1/4
1/6
1/6
3f
426
1/4
1/6
1/6
3f
426
輸出
426
1/3
注5
426
1/2
注5
426
注5
426
1/3
1/8
注 11
426
6
427
6
427
6
427
2/3
1/3
1/4
1/8
1/6
427
2f
427
2q
5
1/2
1
1/4
1/2
1/6
1/8
5q
1/3
1/4
1/8
1/4
1/8
1f
1/3
1/4
1/8
1/4
1/8
1f
1/3
2f
1/4
3f
1/4
1f
1/8
注5
427
注 12
427
2f
427
427
428
1/4
2/3
428
428
428
428
注5
1/8
1/2
1/4
1/6
428
注5
428
注 10
5q
1/3
428
注5
428
429
1/4
1
1/4
1/6
1/4
3f
429
注 10
429
輸出
429
1
429
輸出
1/3
1/4
1/3
1/6
1/8
5q
1/6
1/8
1/4
429
429
429
429
輸出
429
429
429
429
429
429
429
429
1
5q
2f
430
1/8
430
輸出
430
2q
430
7f
430
47
48
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
商品名
経由地
課税標準
関税
各価格
5
1/6
1/8
159 黄色砒素(zirnīkh aṣfar)
1b
2
1/6
1f
160 櫟(zarnabā)
1b
4
2/3
158 エジプト産ガラス器(zujāj Miṣrī)
161 サフラン(za‘farān)
キーシュ
1m
1
1/4
1/8
メッカ
1m
1/2
1/4
2f
1b
5
5q
同上
インド
1b
3
1/3
同上
イエメン
1b
3
6f
同上
162 生姜(zanjabīl)
同上
163 辰砂(zanjafar)
164 水銀(zaybaq)
165 香附子(カヤツリグサ si‘d または su‘d)
同上
1b
1
2q
10m
2
1/8
1/4
10m
1
1/3
1/4
1/8
キーシュ
1b
1
1/2
1/8
2f
メッカ
1b
2/3
1/8
3f
166 砂糖(sukkar mukarrar)
1b
3
5q
1b
2
1/3
1/4
168 サアリ砂糖(sukkar ṣa‘rī)
1b
1
5q
2f
同上
2f
インド
1b
3
1/6
1/8
ザビード
1b
1
1/2
1/8
1b
3
1/6
1/8
1mu
2
1/2
1mu
1/8
1b
1
1/2
1/8
2f
1b
1
1/2
1/8
2f
1b
1/4
1/6
1b
8
1/2
1/4
1/8
1b
2
6f
170 バター(saman)
171 胡麻(simsim)
同上
同上
1/8
2f
167 ラサミー砂糖(sukkar rasami)
169 胡麻油(salīṭ)
2f
ザビード
172 金剛砂(sunbādh)
同上
173 甘松香(sunbul)
同上
174 マラバール産杜松子油(sandarūs Mulaybārī)
1b
1
1/2
175 シンジャール産杜松子油(sandarūs Sinjārī)
1b
4
2/3
1/4
176 シンジャール産固形杜松子油(sandarūs Sinjārī mulabbas)
1b
4
1/2
1/8
177 高級長衣(sawāsī rifā‘ [sic])
10m
7
1/6
178 標準長衣(sawāsī wasaṭ [sic])
10m
5
1/4
1/6
179 一般長衣(sawāsī muqāraba)
10m
4
1/4
3f
180 無漂白絹長衣(sawāsī ḥarīrī khām [sic])
10m
12
6f
181 標準無漂白絹長衣(sawāsī ḥarīrī khām wasaṭ [sic])
10m
8
1/2
182 一般無漂白絹長衣(sawāsī ḥarīrī khām muqāraba [sic])
10m
6
5q
2f
1/8
1/3
183 高級漂白絹長衣(sawāsī ḥarīr maqṣūr rifā’ [sic])
10m
8
1/2
184 標準漂白絹長衣(sawāsī ḥarīr maqṣūr wasaṭ [sic])
10m
7
1/6
185 一般絹長衣(sawāsī ḥarīr muqāraba)
10m
5
1/4
1/6
1/8
186 一般クース産長衣(sawāsī Qūṣī muqāraba [sic])
10m
2
1/2
1/3
1/8
1b
1
1q
1/2
187 明礬(shubb [sic])
シフル
1/3
188 山岳地産明礬(shubb jabalī [sic])
1b
189 エジプト産明礬(shubb Miṣrī [sic])
1b
1
1q
190 シュッバーブ(shubbāb)
1b
2
1/3
191 ザビード産ターバン(sharābiyāt Zabīdī [sic])
10m
3
1/4
3f
192 大判エジプト産ターバン(sharābiyāt Miṣrī kibār [sic])
10m
2
1/3
1/4
193 黄色ターバン(sharābiyāt ṣufr [sic])
10m
1
1/3
3f
キーシュ
10m
1
2q
2f
メッカ
10m
2
2q
2f
194 亜麻布(shuqaq kattān)
同上
195 無漂白亜麻布(shuqaq muḥashā)
10m
1/8
1/8
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
S税
その他
典拠
430
1/4
430
1/8
2/3
1/8
2f
1/3
1/8
2f
1/3
1
5q
輸入
1/3
1/8
2f
1/8
2f
431
1/2
2f
432
1/4
1/8
432
431
5q
432
輸出
2f
431
1
5q
1/3
1/4
1/6
432
432
1/8
2f
432
1/6
432
1/6
432
2/3
432
1/4
1/6
1/6
1/8
432
432
1/3
433
433
1/3
注 13
433
1/4
注 13
433
輸出
433
433
1/6
1
1/6
2/3
1/2
2q
1/8
433
1/4
3f
1/4
輸出
434
434
434
434
1/4
434
1/2
434
1/6
1/8
1
1/2
1f
434
434
1
1/3
434
2f
434
1/8
1/2
1/8
輸出
435
1/4
2f
435
1
435
1/2
1/4
435
1f
1/2
435
2/3
2f
435
2q
435
2q
435
2q
435
1/6
1/8
435
1/3
2f
435
2f
1/4
436
1/8
2q
436
2f
2q
3f
436
6f
436
5q
436
49
50
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
商品名
経由地
課税標準
関税
10m
4
1/3
1/4
海路
1b
3
1/3
1/4
アフワーブ
1b
2
6f
196 ダビーク産金刺繍入亜麻布(shuqaq Dabīqī mudhahabba [sic])
197 蜜蝋(sham‘)
同上
198 漂白テーブルマット(shīlān maqṣūr)
1k
2
2/3
199 ジャウズ産白檀(ṣandal jawzī)
10b
4
2/3
10b
1
2q
2f
10b
7
1/4
1/6
同上
200 ダクーク産白檀(ṣandal Daqūqī)
1/4
201 マリンディ産白檀(ṣandal Malindī)
10b
9
202 マカーシル産白檀(ṣandal Maqāṣirī)
10b
2
1/4
2f
203 バランド産白檀(ṣandal Balandī)
10b
1
1/4
1/8
204 ソコトラ島産蘆薈(ṣabir Suqṭrī)
1b
6
1/3
1/4
1b
2
2q
2f
2f
同上
205 山岳地産蘆薈(ṣabir Jabalī)
1/8
1/8
1b
1
5q
1b
1/4
1/6
206 ハドラマウト産蘆薈(ṣabir Ḥaḍramī)
1b
2
1/4
207 赤銅(ṣifr aḥmar [sic])
1b
4
1/4
1/6
1b
1/2
1/4
1/8
208 良質銅棹(ṣifr quḍub ḥilw [sic])
1b
8
2/3
1/4
209 銅棹(ṣifr quḍub murr [sic])
1b
8
1/6
エジプト
1b
1/2
1/8
キーシュ
1b
4
2q
211 泉州積出磁器深皿(al-mathārid al-zaytūnī [sic])
10 枚
1
1/2
1/3
2f
212 大型磁器茶碗(al-aqdāḥ al-kibār [sic])
10 客
1
1/2
1/3
2f
213 有孔磁器深皿(al-mathārid al-bikār [sic])
10 枚
1
5q
214 磁器椀(khawāfiq)
10 枚
2/3
1/8
2f
215 磁器水差(anṣāf)
10 口
2/3
1/8
2f
216 有孔磁器水差(anṣāf al-bikār [sic])
10 口
1/2
3f
217 泉州積出四脚磁器壺(al-arbā’ al-Zaytūnī [sic])
10 客
1/4
1/8
3f
218 標準磁器茶碗(al-aqdāḥ al-wasaṭ)
10 客
1/4
1/8
3f
219 有孔四脚磁器壺(al-arbā‘ al-bikār [sic])
10 客
1/4
2f
220 有孔標準磁器茶碗(al-aqdāḥ al-wasaṭ al-bikār [sic])
10 客
1/4
2f
221 泉州積出鼎磁器壺(al-athlāth al-Zaytūnī [sic])
10 客
1/3
1/8
222 有孔鼎磁器壺(al-athlāth al-bikār [sic])
10 客
1/4
3f
223 泉州積出磁器皿(sakārij Zautūnī [sic])
10 枚
1/8
3f
224 有孔磁器皿(sakārij bikār)
10 枚
2q
同上
同上
210 エジプト産銅(ṣifr Bayrawa [sic])
同上
225 塩漬け魚肉(ṣayd māliḥ)
226 鯨油(ṣīfa)
227 石灰(ṭabāshīr)
228 布端切れ(ẓahāyr)
229 象牙(‘āj jill)
同上
230 切断した象牙(‘āj daqq)
231 胡麻絞りカス(‘uṣṣāra)
同上
インド
注 20
1/8
2f
1f
100 匹
3
1/4
100maqra
6
1/8
1b
10
2q
10m
1
1/2
1/3
1b
5
1/3
2f
1b
1
1/4
1/8
1b
5
1/8
2f
1b
2/3
1/4
2f
1/8
1b
1/3
2f
232 高級カークラー産沈香(‘ūd Qāqullī jayyid)
10m
21
1/2
233 標準ジャワ産沈香(‘ūd Jāwī wasaṭ)
10m
17
1/2
1/3
234 一般カークラー産沈香(‘ūd Qāqullī muqārab)
10m
14
1/6
2f
235 多色沈香(‘ūd mulawwana)
10m
17
1/2
1/3
2f
236 一般多色沈香(‘ūd mulawwana muqārab)
10m
10
1/4
1/6
1/8
2f
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
1/4
S税
その他
1/6
436
1/2
1/4
1/8
1/4
2f
436
1/2
437
5q
1/3
1/4
437
1/2
437
輸出
2/3
1/4
1/2
1/4
1
1/2
1/2
1/4
1
6f
5q
2f
2f
1/3
2/3
2f
1/6
典拠
1/4
438
438
1/8
3f
438
438
輸出
438
輸出
438
438
1/8
438
輸出
1/3
438
438
1
438
輸出
1
1/2
1
1/6
1/3
439
439
439
2/3
439
2/3
1/4
1/6
439
1/4
1/6
2f
439
1/4
1/6
2f
439
2q
1/8
2q
2f
2q
2f
439
439
439
5f
6f
440
5f
1q
440
5f
1q
440
2f
3f
440
2f
3f
440
1q
5f
440
3f
3f
440
2f
2f
440
2f
1f
440
440
440
3
1
7f
1/4
1/6
440
5q
1/4
440
1/6
1/8
441
輸出
441
注5
1/3
1/2
2f
3f
2q
1f
14
2
1/8
3f
10
1
2/3
1/8
6
1
1/4
1/6
1
2/3
1/8
1
6f
441
441
1f
441
10
3
注5
5q
441
441
1f
442
442
442
51
52
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
課税標準
関税
237 高級コケ色沈香(‘ūd ushunāh jayyid)
商品名
10m
12
1/3
2f
238 標準コケ色沈香(‘ūd ushunāh wasaṭ)
10m
10
1/4
1/6
239 シフル[港]積出沈香(‘ūd Shiḥrī)
10m
12
1/3
2f
240 サンフ産沈香(‘ūd Ṣanfī)
10m
28
1/4
1/6
241 シーラー産沈香(‘ūd Sīlī)
10m
7
5q
3f
242 ダフワ沈香(‘ūd Dafwa)
10m
3
1/3
1/4
1/8
243 クマール産沈香(‘ūd Qumārī)
10m
2
2/3
1/4
3f
244 蜂蜜(‘asal)
245 同上
経由地
海路
1b
3
1/2
メッカ
1b
1
1/2
1/3
1b
1
1/4
1/8
1b
1
1/6
1/8
イエメン
1b
2/3
1b
1/4
キーシュ
1b
2
5f
メッカ
1b
1
5q
1b
1/2
1/3
246 繰られた綿花(‘uṭb maḥlūj)
同上
同上
248 没食子(‘afṣ)
同上
同上
249 紅玉髄(‘aqīq aḥmar)
250 亜麻織(‘aqdāt kattān)
同上
251 小判亜麻織(‘aqadāt ṣighār)
100mi
8
2q
10m
1
5q
メッカ
10m
2/3
1f
キーシュ
10m
1/3
1/4
10m
1
2f
252 大判木綿ターバン(‘amā’im quṭn kibār)
253 木綿ターバン(‘amā’im quṭn)
イエメン
2f
3f
10m
2/3
254 小判木綿ターバン(‘amā’im quṭn ṣighār)
10m
1/2
1f
255 クース産ターバン(‘amā’im Qūṣī [sic])
10m
1/2
1/3
256 クース産刺繍入ターバン(‘amā’im muṭarraza Qūṣī [sic])
10m
1
257 亜麻織ハバーシー・ターバン(‘amā’im ḥabāshi kattān)
10m
3
3f
258 シチリア島産ターバン(‘amā’īm Siqlīya)
10m
4
1/2
1/4
1b
4
1/6
3f
8mi
1/2
1/8
259 パパイヤ(‘anbarūt)
260 龍涎香(‘anbar)
261 マーシフ産弓用ナツメヤシ材(‘aydān Māsikh)
全重量
262 カンダル産弓用ナツメヤシ材(‘aydān Qandal)
全重量
2f
263 スール産赤糸(ghazal aḥmar Ṣūlī)
1b
28
2/3
264 バルージュ産糸(ghazal Barūjī)
1b
6
1/3
1/4
265 金銀糸(ghazal qaṣabī)
1b
5
1/2
1/3
266 イエメン産糸(ghazal min al-Bāb)
1b
3
1/2
1/3
1b
1
1/4
1/8
1頭
1/4
1/8
267 糸(ghazal)
268 バルバル産羊(ghanam Barābir)
マイト
同上
マルガッワ
1頭
1/4
同上
ザイラゥ
1頭
1/4
インド
1b
4
1/6
エチオピア
1b
3
1/4
269 ヒッチョウカ(fāghira)
同上
同上
1b
1
2q
1b
5
1/8
2f
イエメン
1b
2
1/3
1/4
イエメン
1b
2
1/2
1/4
270 フルフラーン(furfurān raṭb sham‘ī)
同上
271 フルフラーン・ハッブ(furfurān ḥabb)
同上
2f
1/6
キーシュ
3f
1/8
2f
2f
1b
1
1/4
1/8
272 ターバンの一種(fushūrīya)
10?
5
1/4
1/8
273 同上の一般タイプ(fushūriyāt muqāraba)
10?
2
1/2
2f
1/8
全重量
247 種付き綿花(‘uṭb mubar‘am)
同上
1/8
2f
1f
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
S税
3
1/3
3
5q
3
1/3
1/4
1/4
18
1/6
1/8
2f
1/4
1/6
1/8
2f
1/6
3f
その他
1
5q
1
6f
1
5q
3f
2
1/2
1/3
2f
1/3
1/4
1/8
1/4
1/8
1/6
1/8
1/3
2f
2f
典拠
442
442
442
442
2f
442
442
1f
443
443
443
1/6
1/8
注 14
443
輸出
443
1f
443
1/6
443
輸出
1/6
1/8
1/6
1/8
5q
443
443
輸出
3
443
443
2q
1/8
444
2q
444
1q
2q
443
6f
2f
2q
444
2f
444
2q
444
1q
5f
444
5f
444
6f
444
1/4
444
1/4
1/6
1/4
1/6
444
1/4
1/6
1f
444
444
注 21
444
444
1
1/2
2
2/3
1/4
2/3
2/3
2/3
1/3
1/2
1/4
1/8
1f
445
445
1/4
2f
445
1/4
445
輸出
445
445
445
445
1/8
1/3
1/8
445
1/6
445
輸出
445
1/3
446
1/3
446
1/6
446
輸出
1/6
1/8
1/4
2q
2f
1/4
1/6
1/8
446
446
446
53
54
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
商品名
経由地
274 胡椒(filfil)
同上
275 茜(fuwwa)
課税標準
関税
1b
7
1/3
1/4
1b
1
2q
2f
12
イエメン
1b
同上
同上
1b
1
同上
海路
1b
12
同上
同上
1b
1
276 マラバール産檳榔子(fūfal Mulaybārī)
1万ḥ
10
1/6
1/8
277 ムガディシュー産檳榔子(fūfal Muqadishī)
1万ḥ
10
1/6
1/8
278 ズファール産檳榔子(fūfal Ẓufārī)
1万ḥ
10
1/6
1/8
279 シラー産檳榔子(fūfal Silā)
10 万 ḥ
9
1/4
10 万 ḥ
2
1/2
2k
4
5q
同上
280 高級腰布(fūṭa rifā‘ [sic])
サフラ
1/8
1/4
281 ラサミー腰布(fūṭa Rasamī)
1k
3
5f
282 標準腰布(fūṭa wasaṭ [sic])
1k
3
1/3
1/8
2f
283 小判ラサミー腰布(fūṭa rasmī ṣighār)
1k
2
2/3
1/4
2f
284 高級 7 ジラーア幅腰布(fūṭa subā‘ī rifā‘ [sic])
1k
3
2/3
1/8
285 標準 7 ジラーア幅腰布(fūṭa subā‘ī wasaṭ [sic])
1k
2
2/3
1/8
286 一般 7 ジラーア幅腰布(fūṭa subā‘ī muqāraba)
1k
2
1/2
2f
287 小判赤色腰布(fūṭa ḥumr ṣighār)
1k
3
5q
288 マアバル産腰布(fūṭa Ma‘abarī [sic])
1k
7
1/4
1/6
289 クーラム産腰布(fūṭa Kūlamī [sic])
1k
7
1/4
1/6
290 小判マアバル産腰布(fūṭa Ma‘abarī ṣighār [sic])
1k
10m
1
1/8
イエメン
10m
2/3
キーシュ
291 小判クーラム産腰布(fūṭa Kūlamī ṣighār [sic])
1k
292 木綿腰布(fūṭa quṭn)
同上
293 絹腰布(fūṭa ḥarīrī [sic])
1f
10m
4
1/2
1/8
294 絹亜麻混紡腰布(fūṭa ḥarīrī wa kattān [sic])
10m
2
1/2
1/3
295 亜麻腰布(fūṭa kattān)
10m
2
6f
1/6
1/8
3f
1/8
1f
296 3 ジラーア幅亜麻腰布(fūṭa thulāthīya kattān)
10m
1/4
297 一般絹亜麻混紡腰布(fūṭa ḥarīr wa kattān muqāraba)
10m
2/3
298 3 ジラーア幅絹腰布(fūṭa ḥarīr thulāthīya)
10m
1
1/6
299 4 ジラーア幅絹腰布(fūṭa ḥarīr rubā‘īya)
10m
1
1/2
300 4 ジラーア幅絹亜麻混紡腰布(fūṭa ḥarīr wa kattān rubā‘ī)
10m
2/3
1/8
1f
301 クース・アレキサンドリア産腰布(fūṭa Qūṣī Iskandarī [sic])
10m
1
1/3
3f
302 大判クース産腰布(fūṭa Qūṣī kibār [sic])
10m
2/3
3f
303 小判クース産腰布(fūṭa Qūṣī ṣighār [sic])
10m
1/2
3f
304 無漂白クース産腰布(fūṭa Qūṣī muḥshā [sic])
10m
2/3
1/4
1/2
305 龍血樹樹脂(qāṭir munqā)
1b
6
306 エチオピア産樹脂(qāṭir Ḥabashī)
1b
6
1/2
307 サリー産肉桂(qirfa Salī)
1b
1
2/3
1/6
308 未熟肉桂(qirfa bikār)
3f
1b
3
10m
11
310 インド産コスタス(qusṭ Hindī)
1b
5
1/4
1/6
1/8
311 エチオピア産コスタス(qusṭ Ḥabashī)
1b
1
1/2
1/3
2f
1/4
1/8
309 丁子(qurunful munqā [sic])
312 コスタス(qusṭ)
313 桜桃果樹皮(qishir al-maḥlab)
同上
同上
314 乳香樹皮(qishir al-lubān)
1b
1/4
1/6
キーシュ
1b
2
1/2
メッカ
1b
2
2q
1b
1/4
1/6
1b
1/6
1/8
3f
2f
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
S税
1/2
1
その他
典拠
446
輸出
446
446
輸出
446
446
輸出
446
1/8
1f
446
1/8
1f
446
1/8
1f
446
2/3
1/4
1f
447
輸出
1/4
1/6
1/4
1/6
1f
1/6
2f
1/8
1/6
1/8
2f
1/6
1/8
1/3
2f
1/6
1/8
1/6
1/8
1/3
1/4
1/4
1/8
1/3
2f
1/4
3f
1/8
1/4
1/3
2f
1/4
1/6
1/4
1/6
1/4
1f
1/6
1/8
1/8
1/2
1/4
1/8
1/2
1/4
447
447
447
447
1f
447
447
447
3f
447
447
447
注 15
447
注 16
447
6f
447
6f
1/2
447
1/4
1
1/6
447
1/8
1/3
1/8
1/6
1/8
1f
447
447
5q
447
2q
447
2q
2f
447
1/8
3f
447
5q
447
2q
448
1/6
448
5f
448
3f
448
1/3
4
448
1/2
1
1/3
1/4
2f
448
1/2
448
1/8
1/6
1/8
1/6
1/8
3f
1
2q
2f
1/4
1/6
1/8
2
1/4
1/2
1/6
448
448
448
2f
449
1/3
449
輸出
1/3
1/4
1/3
1/4
1/6
1/8
449
449
輸出
5f
449
449
449
55
56
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
課税標準
関税
315 細紐(qinbār bikār)
商品名
経由地
1b
1
1/3
316 革紐(qinbār maftūl)
1b
2
5f
317 ターラ産竜脳(kāfūr Tāra)
1m
11
1/4
318 マンスール竜脳(kāfūr manṣūrī)
1m
7
2q
3f
319 シナ産竜脳(kāfūr Ṣīnī)
1m
2
1/8
2f
320 精製竜脳(qaṭr)
321 イラク産紙(kāghid ‘Irāqī)
同上
1/4
メッカ
1s
7
2q
キーシュ
1s
1
1/2
1s
1
6f
1/8
323 ダイブール産紙(kāghid Daybūlī)
1s
1
6f
324 シナ産ヒッチョウカ(kabāba Ṣīnī)
1b
12
5q
2f
325 マラバール産ヒッチョウカ(kabāba Mulaybārī)
1b
3
1/6
1/8
326 ヒッチョウカ(kabāba)
1b
1/2
1/3
327 亜麻(kattān)
1b
1
1/2
1b
1/4
1/6
キーシュ
1b
6
2/3
メッカ
1b
4
1q
同上
同上
329 マグリブ産クフル(kuḥl Maghribī)
同上
330 クミン(kammūn)
同上
1
1/2
1b
1/2
1/3
1b
2
5q
シフル
1b
1
1/2
1b
1/4
1/6
1b
5
1/6
全重量
1
2/3
331 クーダ(kūda)
332 ラッカ染付け染料(lākka)
同上
同上
1b
インド
同上
333 阿片チンキ(lādhān)
キーシュ
エジプト
1/3
2f
3f
1/8
1/3
1/4
1/8
2f
1b
1
2q
2f
1b
14
1/3
1/4
1b
6
1/3
2f
10m
6
1/3
1/4
335 乳香(lubān)
1b
1/2
2f
336 乳香の一品種(lubān nasīkh)
1b
1
1/3
3f
337 高級真珠(lu’lu’ jayyid)
各価格
16
1/4
1/6
338 標準真珠(lu’lu’ wasaṭ)
10mi
4
1/6
1/8
2f
339 一般真珠(lu’lu’ muqāraba)
10mi
2
1/2
1/4
1/8
340 ミーラーン水(mā’ mīrān)
10m
2
1/2
1/3
341 樟脳水(mā’ kāfūr)
10m
1
2/3
1/8
2f
キーシュ
10m
1
6f
メッカ
10m
1/2
1b
2
2/3
1/4
2f
1b
1
2q
2f
334 絹製織物(lālis)
342 イラク産バラ水(mā’ ward ‘Irāqī)
同上
343 没薬抽出物(mā‘ila sā’la)
同上
344 乾燥没薬抽出物(mā‘ila yābis)
同上
1b
2
2/3
2f
1b
1
1/4
1/8
1/6
345 バルージュ産赤色敷布(maḥābish ḥumr Barūjī [sic])
1k
6
346 …産赤色敷布(maḥbish ḥumar R--ī)
1k
5
347 サリー産敷布(maḥābish Salī [sic])
1k
3
1/4
キーシュ
1b
7
1/6
メッカ
1b
4
1/4
1/6
1b
1
1/4
1/8
キーシュ
1b
4
2/3
1/4
メッカ
1b
3
1q
348 桜桃樹果(maḥlab munqā)
同上
同上
349 皮付き桜桃樹果(maḥlab bi-gishir-hu)
同上
1f
全重量
322 シナ産紙(kāghid Ṣīnī)
328 イスファハーン産クフル(kuḥl Iṣbahānī)
1/8
1/6
1f
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
S税
1/6
1/6
1/6
5q
4
1/6
その他
1f
典拠
449
449
1
1/8
4
1/3
1/4
1/6
5q
2f
449
1/8
1f
450
450
450
450
450
2q
3f
2q
3f
3
1/2
1/6
1/8
450
450
1/4
1/8
1
5q
2f
450
2/3
450
輸出
1/2
450
輸出
1
1
2/3
2f
451
451
輸出
1/3
5q
2f
451
1/8
2f
1/2
1
1/2
1/2
1/3
1/3
1
輸出
451
注 17
451
輸出
451
2f
451
2
1/3
1/8
451
452
1/2
2/3
452
1/4
452
1/4
452
1
1
1/4
1/6
1/6
1/8
1/2
1/8
2f
452
2f
452
452
1
452
2f
5q
1/6
2f
452
2q
3f
452
5q
453
2/3
453
輸出
1/6
1/8
1/4
1/4
2f
1/3
1/4
2f
1
1/6
1
1/6
1/2
1/3
1/2
1/3
453
453
1/2
1/4
453
453
輸出
1/3
451
451
1/4
2q
450
451
1f
1/3
1/6
450
453
1/3
1f
1/3
1/4
453
1/8
1f
453
453
輸出
1/3
1/8
2f
453
453
453
57
58
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
商品名
経由地
課税標準
関税
1b
1/4
1/6
350 赤色ベルベット(makhāmil ḥumr)
10m
6
1/2
351 白色ベルベット(makhāmil bīḍ)
10m
5
1/2
1/4
352 赤色クッション(makhādh ḥumr)
10m
1/4
1/6
1/8
1b
1
1/2
1/8
1b
1/4
1/6
同上
353 没薬(murr)
同上
同上
イエメン
2f
1b
2/3
1/8
2f
354 高級珊瑚(murjān jayyid)
20r
2
1/2
1/4
1/8
355 標準珊瑚(murjān wasaṭ)
20r
2
1/4
1/6
1/8
1f
356 一般珊瑚(murjān muqārab)
357 カルク産珊瑚(murjān Karkī)
同上
20r
2
5q
ダフラク島
1b
2
1/3
1/8
アスル
1b
1
1/3
2f
1b
8
1/6
1b
7
1/4
1/8
海路
100 枚
4
1/2
1/4
イエメン
100 枚
2
キーシュ
10m
4
1/2
1/3
1/8
メッカ
10m
2
1/3
1/8
2f
キーシュ
10m
1/3
1/6
1/8
358 乳香樹脂(muṣṭakā)
同上
359 衣類(maṣāwin)
同上
360 色付織布帯(ma‘ājir mulawwana)
同上
361 白黒斑銅製皿(ma‘āshir khalnaj)
同上
メッカ
10m
キーシュ
10m
1
1/2
メッカ
10m
1/3
1/8
キーシュ
10m
6
1/3
メッカ
10m
3
1/4
2f
10mi
1
1/2
1/8
10m
1/3
1/4
3f
10m
1/3
366 高級エジプト産亜麻布(maqāṭi‘ Miṣrīya rifā‘ [sic])
10m
2
1/2
1/4
367 標準亜麻布(maqāṭi‘ wasaṭ [sic])
10m
2
5q
2f
362 菓子用白黒斑銅製皿(ma‘āshir khalnaj ḥalawī)
同上
363 大型銅製皿(ma‘āshir kibār)
同上
364 麝香(misk)
365 乳白色亜麻布(maqāṭi‘ bīḍ labanīya)
同上
メッカ
1/4
1/8
368 一般亜麻布(maqāṭi‘ muqāraba)
10m
1
2/3
1/4
2f
369 クース産亜麻布(maqāṭi‘ Qūṣī [sic])
10m
1
1/4
1/6
3f
370 ダミエッタ産金刺繍入織亜麻布(maqāṭi‘ Damyāṭī mudhahhaba [sic])
10m
2
1/6
1/8
371 ダミエッタ産漂白亜麻布(maqāṭi‘ Damyāṭī maqṣūr [sic])
10m
2
1/6
2f
372 ダミエッタ産無漂白亜麻布(maqāṭi‘ Damyāṭī khām [sic])
10m
1
1/2
5q
1f
373 毛布(malāḥif)
海路
10m
1
イエメン
10m
2/3
374 厚手毛布(malāḥif mu‘izzīya)
10m
1
375 エジプト産毛布(malāḥif Miṣrīya)
10m
1
1/4
1/6
376 無漂白綿毛布(malāḥif makhshā quṭn)
10m
1/2
1/4
2f
同上
2f
377 山羊毛製肩掛け(malāwāt sha‘rī [sic])
10m
2
5q
2f
378 樟脳色肩掛け(malāwāt kāfūrī [sic])
10m
2
5q
2f
379 標準山羊毛肩掛け(malāwāt sha‘rī wasaṭ [sic])
10m
1
1/2
1/4
1/8
380 玉虫色肩掛け(malāwāt ṭāwūsī [sic])
10m
2
5q
381 山羊毛玉虫色上着用肩掛け(malāwāt sha‘rī wa futūḥī wa kāfūrī wa ṭāwūsī [sic])
10m
4
1/6
382 山羊毛上着用肩掛け(malāwāt sha‘rī wa futūḥī [sic])
10m
3
1/4
1/6
1/8
383 クース産肩掛け(malāwāt Qūṣī [sic])
10m
1
1/3
1/4
2f
384 ダビーク産肩掛け(malāwāt Dabīqī [sic])
10m
2
1/4
1/6
385 木綿製肩掛け(malāwāt quṭn)
10m
1
1/2
1/4
386 エチオピア産肩掛け(malāwāt Ḥabashī [sic])
10m
4
1/6
1f
1/8
2f
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
S税
1/2
1/4
1/6
1/2
1/8
1/3
1/4
1q
5f
1/8
1/6
その他
典拠
輸出
453
3f
453
454
454
454
輸出
1/8
1
454
454
1/4
1/6
454
1
454
1/3
1/4
454
1/6
1/8
454
1/6
1/8
3
1/2
454
1/8
454
輸出
1/8
455
1/8
455
1/4
1/2
1/4
1
455
455
455
2f
455
455
2q
455
6f
455
1/4
1/6
1/4
1/6
455
455
1/2
1/6
1q
456
1q
2f
456
1/6
1/8
5q
1/8
455
2f
456
456
2f
456
2q
456
5q
456
5q
1/6
456
2f
456
2q
456
5f
456
6f
456
1/6
2f
456
2q
2f
456
5q
456
5q
456
1/6
456
5q
456
1/6
456
1/4
1/8
2q
2f
5q
2q
1/2
2f
456
456
456
2f
456
456
59
60
アジア・アフリカ言語文化研究 75
番号
課税標準
関税
387 絹亜麻混紡肩掛け(malāwāt ḥarīr wa kattān)
商品名
経由地
10m
1/2
1/4
1/8
388 ザビード産亜麻製肩掛け(malāwāt kattān Zabīdī [sic])
10m
1/4
1/6
3f
389 絹製ハンカチ(manādīl lālis)
10m
1
1/2
1/8
2f
390 亜麻製ハンカチ(manādīl kattān)
10m
1
2f
391 クース産ハンカチ(manādīl Qūṣī [sic])
10m
2/3
392 クース産編込みハンカチ(manādīl Qūṣī mushabbaka [sic])
10m
1/2
1/4
1/8
2f
393 編込み漂白ハンカチ(manādīl maqṣūr mushabbaka [sic])
10m
1
1/3
394 大判羊毛雨衣(mamāṭir ṣūf kibār)
1枚
1
1/3
3f
395 小判羊毛雨衣(mamāṭir ṣūf ṣighār)
1枚
3
1/3
1/8
396 アンティオキア産小判ハンカチ(manādīl ṣighār Anṭākīya)
10m
2
1/6
2f
1b
10
1/8
397 染料(wars)
398 高級平織衣類(wasṭānīya sādhij rifā‘ [sic])
399 アンモニア(washaq)
400 高級バグダード産白色絹布(naṣāfī Baghdādīya rifā‘ [sic])
10m
4
2/3
1b
2
1/4
2f
2f
10m
6
2/3
3f
401 金糸混紡白色絹布(naṣāfī mudhahhaba)
メッカ
10m
1/4
1/6
1/8
402 高級白色絹布(naṣāfī rifā‘ [sic])
メッカ
10m
5
1/4
1/8
10m
4
2/3
1/4
メッカ
10m
4
1/4
1/6
2f
キーシュ
10m
1
1/2
1/3
1/8
10m
1
1/2
1/4
1/8
406 麝香嚢(nawāfij fārigha al-misk)
1m
1
1/3
1/4
1/8
407 未成熟のナツメヤシの実(nawā)
1mu
1
5q
1f
403 バグダード産白絹布(naṣāfī Baghdādī wasṭānīya [sic])
同上
404 一般白絹布(naṣāfī muqāraba)
405 白絹布(naṣāfī ḥarīrī)
408 アンモニアゴム(nūshādir)
409 藍染料(nīl)
同上
10m
1/2
1f
インド
1b
12
1/8
山岳地
1b
4
2q
1b
2
6f
1b
6
1/2
1/4
1b
1
1/4
1/8
1b
4
1/6
1/8
1b
1
2q
2f
同上
410 マラバール産カルダモン(hāl Mulaybārī)
同上
411 カルダモンの一品種(hāl muṣawwaf)
同上
412 イラン産ギンバイカ(hadas Fārisī)
同上
413 サフラン(hurd)
同上
同上
キーシュ
1b
1
1/2
1/8
メッカ
1b
2/3
1/8
3f
インド
1b
2
1/4
ザビード
1b
1
1b
2f
2f
2f
2f
3f
1/4
1/6
凡例
*略 号 b=buhār(ま た は bahār) ṣ=ṣubra m=mann q=qīrāṭ f=fals D 税=dilāla S 税=shawānī k=kawraja mu=mudd mi=mithqāl
*一覧表のなかで,関税・D 税・S 税の欄において数字だけの表示のうしろにはいずれも,ディーナール(dīnār)が省略されている。
*たとえば,一般ベネチア産織物(thiyāb Bunduqī muqāraba)[64] や,泉州積出磁器深皿(al-mathārid al-Zaytūnī)[211] などは,本来ならば,
覧表を含む本稿におけるアラビア語原語のローマ字による翻字については原文のままにして,[sic] を挿入した。
*以下の注は,一覧表のスペースの関係上,備考に収まりきれない原典の記述を注記したものである。
(注 1):総量の 25%徴収。
(注 2):時価の 25%徴
が 100 d 毎に 10 d 課税。(注 5):インドからの場合,シャワーニー税課税。
(注 6):キーシュやその行政州(a‘māl)からの場合にはシャワーニー税が
れない。
(注 8):1/3 徴収。
(注 9):インド以外の場合,シャワーニー税免除。
(注 10):1 mudd は 60 mikyāl。
(注 11):インドからの場合にはシャワーニー
(注 15):大判([280] の取扱品目)の関税の半分徴収。
(注 16):大判([281] の取扱品目)の
(注 13):インドからの場合。
(注 14):全体の半分徴収。
(注 18):メッカ,およびそれ以外。(注 19):インド,およびそれ以外。(注 20):ザビード,およびそれ以外。(注 21):[現物の ] 半分徴収。
栗山保之:13 世紀のインド洋交易港アデン
D税
1/8
S税
その他
3f
456
2q
456
5q
2q
典拠
1/6
2f
1/8
457
3f
457
5f
457
2q
2f
457
1/8
2f
457
2q
2f
457
1/6
1/8
457
5q
457
457
1/4
1/8
457
1/3
458
1/2
458
458
1/6
2f
458
5q
458
1/8
458
1/8
1/8
458
2f
458
1
1/2
1/6
1f
459
1/8
459
5q
459
5
1/4
1/2
1/4
1/8
1
5q
1f
459
459
輸出
1
2/3
1/6
2/3
1/4
1/6
1f
1/6
459
輸出
459
輸出
459
2f
459
2f
459
1/6
1/3
5q
459
459
2f
460
1/4
460
輸出
460
ḥ=ḥabb s=shadda r=raṭl
Bunduqī は Bunduqīya,al-Zaytūnī は al-Zaytūnīya と表記されなければならない。しかし,一
収。(注 3):1K は 20 足。踵なしの場合は無税。
(注 4):インドからの場合にはシャワーニー税
課税され,エジプトからの場合は無税。
(注 7):メッカからの場合にはシャワーニー税は課せら
税課税,仲介料なし。(注 12):輸入の場合は 50 d,輸出の場合は 70 d 課税,馬押し上げ賃 1 d。
関税の半分徴収。
(注 17):全体の 25%徴収,その後 1b ごとに 5 d 徴収。100 毎に 1 と 1/3 課税。
61
Fly UP