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医療労働者の国際移動と医療人的資源政策

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医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
立命館国際地域研究 第29号 2009年 3月
13
<論 文>
医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
― 南アフリカの事例 ―
佐 藤 千鶴子
International Migration of Nurses and the Health Human Resources
Policy – A Case of South Africa.
SATO, Chizuko
This paper discusses the extent and some characteristics of international migration of
South African nurses in the late 1990s and early 2000s and how it affected the provision of
nurses in South Africa as a sending country. Since 1994, the number of South African
nurses going abroad increased. Their major destination was the UK, which had vigorously
recruited foreign nurses in order to expand its National Health Service. International
migration was not the only reason that caused shortage of nurses in South Africa.
Nonetheless media reports tended to attribute the problem of shortage of nurses to an
increasing emigration of nurses to greener pastures abroad. This prompted the South
African government to embark on the first comprehensive health human resources policy
in 2006, in which retention measures such as the introduction of rural allowance and
community service were the central features. It also led to an increase in the salary of
nurses in South Africa.
Keywords:International migration, Nurse, Health human resources policy, South Africa,
Retention policy
キーワード:国際移動、看護師、医療人的資源政策、南アフリカ、保持政策
14
佐藤 千鶴子:医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
はじめに
1990 年代半ば以降、医師、看護師を中心とする医療・保健労働者の国際移動が急激に増加し
た。グローバライゼーションの進展により国境を超える人の移動が全般的に活発化したことに
加えて、先進諸国における少子高齢化の進展によって、医療や看護・介護を担う労働者に対す
る需要が高まったことが背景にある。医療労働者の国際移動は、イギリスから北米、オースト
ラリアへ、あるいは EU 内部での移動など先進諸国間でも行われている。だが、その大半を占
めるのはアジア、アフリカ諸国からヨーロッパや北米、東アジア諸国への移動である。2008 年
7 月に発効した経済連携協定により、翌月にはインドネシア人看護師・介護福祉士候補生が来
日したが、同様の協定を通じて、今後、フィリピンやタイ、ベトナムからも看護師・介護労働
者の来日が予定されている [ 安里 2007]。
日本自体が外国人看護師・介護労働者の受け入れ国であるという事情も手伝って、日本にお
ける医療労働者の国際移動をめぐる議論は、患者や高齢者およびその家族と外国人看護師・介
護労働者の関係をどう構築するか、多文化化する職場での対応をどうするかなど受け入れ社会
が直面する課題に集中してきた1)。今後、少子高齢化がますます進むことにより、不足が予想
される看護・介護の人材をどう確保するかという問題はさらに深刻なものとなるだろう。だが、
それと同じぐらい、あるいはそれ以上に、看護師・介護労働者を送り出しているアジア、アフ
リカ諸国にとって、医療労働者の国際移動は貴重な人的資源の流出というより深刻な問題を提
示している。
本稿では、南アフリカを事例に、南アフリカ人看護師の国際移動の現状と看護師の国際移動
の増加が南アフリカ国内の医療人材確保・供給にどのような影響を与えたのかを考察する。
OECD の研究によれば、2000 年頃の時点で、OECD 諸国内におけるアフリカ人看護師の中で
南アフリカ人看護師はナイジェリア人に次いで 2 番目に多い [OECD 2007: 175]。アフリカ国内
では突出した経済力を誇る南アフリカであるが、1994 年のアパルトヘイト廃絶後に誕生した黒
人多数派政権は、近隣の南部アフリカ諸国から南アフリカへの頭脳流出を防止するために、原
則的に南部アフリカ諸国からの医療労働者に対しては就労ビザを発給しない政策を採用した
[SA-DOH 2006b]。そのため、アフリカ諸国からの看護師の受け入れは原則的に行っておらず、
南アフリカはイギリスを中心とする英語圏諸国への看護師送り出し国である。他方で、HIV/
エイズの成人感染率が 30%を超え(2005 年)、世界中で最大の HIV 感染者を抱えるなど、南
アフリカが抱える医療ニーズはきわめて大きい [UNAIDS 2007]。
医療部門の労働者を考えた場合、その中核を担うのは医師と看護師であり、人材不足という
観点からみると、南アフリカでは医師不足の方がより深刻な状況にある。にもかかわらず、本
稿が看護師に焦点を当てるのは、次の 2 つの理由からである。第一に、予防医療(プライマリ・
ヘルス・ケア)に焦点を移行した民主化後の南アフリカの新しい医療政策においては、看護師
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が中核的な役割を果たすことが期待されているからである [Chabikuli et al 2005]。第二に、医
師のような高度の専門性を持った医療従事者の移動が数十年前から頻繁に見られたのに対し、
看護師の国際移動は 1990 年代後半以降に急激に増加した比較的新しい現象であるからである。
今日、医療労働者の国際移動についての関心が急激に高まったのも、看護師のような人数的に
は医療機関のなかで多数派を占め、技術的にはミドルレベルの専門性を備えた職業従事者の移
動が急激に増えたためである。
以下、まず第 1 節において、送り出し国からみた看護師の国際移動を捉える理論的な考察課
題を示す。第 2 節では、南アフリカ人看護師の国際移動の現状を示すとともに、1990 年代後半
に南アフリカ人看護師の国際移動が急激に増加した理由を説明する。第 3 節では、看護師の国
際移動が増加した過去 10 年間における南アフリカ国内の看護師供給の状況について検討する。
最後に第 4 節では、民主化後の南アフリカの医療人的資源政策の内容を検討し、看護師の国際
移動の増加に対して南アフリカ保健省がどのような対応策を講じたのかを考察する。
1.送り出し国からみた看護師の国際移動についての分析視角
看護師の国際移動を送り出し国の観点から分析する際には、次の 3 つの理論的課題が存在す
る。
第一に、看護師が、非熟練の労働者とは異なる、専門的知識と技能を持った労働者であると
いう点を重視し、国際移動は送り出し国にとって甚大なる「頭脳流出」であると捉えることで
ある [SAMP 2001]。近年では、医師や看護師などの医療労働者の国際移動の規模があまりにも
増加したため、単なる「流出」にとどまらず、
「頭脳大出血(hermorrhage)」という呼び方を
する研究者もいる [Interview Galvez-Tan]。医師、看護師の海外流出を「頭脳流出」の観点か
ら捉えた場合にもっとも重要な問題は、アフリカの多くの国々のように、医師、看護師養成の
ための学校が公的に運営されている場合、人材育成コストを途上国が負担し、その成果を先進
国が享受している、ということである [Dolvo 2007]。これは、看護師の国際移動が持つ経済的
コストに関わる問題である。
第二に、看護や介護の職が、多くの国で伝統的に女性によって担われてきたという事実から、
看護師の国際移動の増加を国際移動の「女性化」の視点で捉えることができる。女性労働者の
移動として見た場合、
家事労働者の国際移動を事例に展開されてきた「グローバル・ケア・チェー
ン」の理論が、看護師の国際移動を説明する際にも有用となる [Hochschild 2000]。
グローバル・ケア・チェーンとは、途上国の女性が家事労働者として海外に出稼ぎに行き、
出稼ぎ先で雇用主の子どもの面倒をみる仕事に従事するようになる一方で、家事労働者自身の
子どもは残された祖母や拡大家族によってケアされるようになることで、ケア労働の連鎖が生
まれるということを指す。この考え方はもともと子どもをめぐるケア労働の連鎖について言わ
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佐藤 千鶴子:医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
れてきたことだが、少子高齢化の進展に伴って必要とされる高齢者介護のためのケア労働につ
いても同様のことが言えるだろう。看護師や介護労働者が海外の出稼ぎ先で高齢者の介護に従
事する一方で、残された両親や祖父母のケアを担うのは拡大家族ということになる。母親の長
期不在による婚姻関係の崩壊や子供の非行といった問題も指摘されている。これは、看護師の
国際移動の社会的・心理的コストに関わる問題である。
第三の視点として、看護師の国際移動が、医療・介護という人間の生活の質に直接的にかか
わる職種の移動である点に着目し、人間の安全保障のジレンマという観点から捉えることがで
きる。人間の安全保障(ヒューマン・セキュリティ)とは、広くは国連の人間の安全保障委員
会の定義にあるように人々が恐怖や欠乏から自由である状態を指す[人間の安全保障委員会 2003]。だが、実際には、安全保障論と人間開発論の 2 つの領域から議論が展開されてきたこ
ともあって、使用する人々によってさまざまに定義され、解釈される概念となっているのが現
状である。それでも、国家ではなく人間を中心において、直接的な暴力のみならず、構造的な
暴力からも人間を守ることが重要であるとする人間の安全保障の考え方は従来の国家安全保障
概念よりもはるかに前進した考え方であることに変わりはない。
ここでは特に人間開発論の領域から発展してきた人間の安全保障の概念に依拠することに
よって、看護師の国際移動は、受け入れ国における医療・看護のニーズを充足させることがで
きる一方で、送り出し国における医療・看護のニーズに対しては悪影響を及ぼしかねない、と
いう人間の安全保障のジレンマを導き出すことができる。これは、上記に述べた「頭脳流出」
と基本的には同じ問題だが、その「頭脳」が看護・介護(ケア)という人間の福祉に直接かか
わる仕事に従事していることをより重視する議論である。
さらに、看護師の国際移動による人間の安全保障のジレンマはもう一つ存在する。それは、
国際移動が看護師である労働者自身およびその家族の経済状況を改善するのに役立ちうる一方
で、残された社会一般の人々の医療ニーズについては悪影響を及ぼしかねないというジレンマ
である。グローバル化の進む今日、国際移動は移動する人々にとっての機会の拡大を意味する。
国際移動はいわば誰もが自由に享受しうる人間としての基本的な権利である。だが、国際移動
によって看護師を失う社会全体からすれば、看護師の喪失は社会の構成員が受けられる医療
サービスの悪化を意味するかもしれない。
専門職労働者の移動、女性労働者の移動、医療・介護労働者の移動という上記に述べた 3 つ
の視点は対立するものではないし、いずれかの視点が際立っているというものでもない。だが、
本稿では最後に述べた人間の安全保障のジレンマという側面に注目する。なぜならば、看護師
の国際移動は、移動する看護師自身や看護師の家族という狭い範囲ではなく、送り出し社会と
受け入れ社会というより広い視点で理解する必要があり、そうすることで初めて、送り出し社
会と受け入れ社会双方ならびに移動する看護師と看護師の出身社会の両方にとって必要な政策
的対応策を導くことができると考えるからである。
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2.南アフリカ人看護師の国際移動
海外に流出する南アフリカ人看護師に関する統計は存在しない2)。われわれが参照可能なの
は、海外での雇用先である医療機関あるいは海外での雇用先を見つけるための雇用斡旋業者か
ら看護師に対してしばしば要求される「看護師資格証明書」の発行依頼がどれだけ行われたか、
ということである。この「看護師資格証明書」は南アフリカ看護協会が発行しており、その発
行依頼件数は、1991 年から 2000 年までについては OECD による先行研究 [OECD 2004: 125]、
2001 年から 2004 年までについては南アフリカ看護協会のウェブサイトから入手することがで
きる3)。
「看護師資格証明書」の発行依頼件数は、あくまで海外で働くことを希望している、あるい
は海外での雇用先を求めている南アフリカ人看護師の数であり、実際に海外に流出した南アフ
リカ人看護師の数ではない。だが、このような断りを加えたうえで検討してみると、第一に、
南アフリカ人看護師による「看護師資格証明書」の発行依頼が 1994 年以降急激に増加したこ
とがわかる。南アフリカ人看護師の国際移動はアパルトヘイト廃絶後の現象なのである。1991
年∼ 1995 年までの証明書発行依頼件数は 500 件程度に過ぎなかったが、1998 年には依頼件数
が 1800 件弱まで 3 倍以上増加した。さらに、
1990 年代後半と 2000 年代初頭に飛躍的に増加し、
2001 年∼ 2003 年の期間には毎年 4000 件程度の発行依頼が行われている。しかし、2004 年に
は発行依頼件数が 2500 件弱まで急速に減少した。
南アフリカ人看護師の出稼ぎ先については、アフリカ諸国からの医師、看護師の主たる受け
入れ先となっている 9 カ国(英国、アメリカ、フランス、カナダ、オーストラリア、ポルトガル、
スペイン、ベルギー、南アフリカ)について、それぞれの国の 2000 年ごろの人口統計などか
らアフリカ生まれの医師、看護師を抽出したクレメンスらの研究から知ることができる
[Clemens et al 2008: 23]。それによれば、南アフリカを除く受け入れ 8 カ国における南アフリ
カ生まれの看護師の総数は 5,105 人で、そのうち 2,884 人、つまり 56%に相当する南アフリカ
人看護師が英国在住であった。英国以外の出稼ぎ先は、8 カ国の中の多い順にオーストラリア、
アメリカ、カナダといった英語圏諸国である。さらに、クレメンスらの研究には含まれていな
いものの、アイルランドやニュージーランドなどの英語圏諸国やアラブ首長国連邦を中心とす
る中東諸国にも、近年、南アフリカ人看護師の出稼ぎが行われている4)。
南アフリカ人看護師がなぜ海外に出稼ぎに行くのかについては、通常、プッシュ・プルの概
念を用いて説明される。たとえば、プッシュ要因については、相対的・絶対的な観点からみて
出稼ぎ先でより良い賃金を得られるという期待が存在するため、南アフリカにおける劣悪な労
働条件・環境から脱出するため、南アフリカでは看護師の仕事に対する尊敬が得られないため、
南アフリカにおける治安の悪さから逃れるため、などがあげられる。国民の 3 ∼ 4 人に 1 人が
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HIV に感染していると推定される南アフリカでは、感染の危険から逃れて安全な職場で働きた
いという願望も看護師の国外流出の大きな要因である。それに対してプル要因には、報酬の高
さや医療人材不足に直面している先進国による積極的な雇用斡旋活動などが含まれる
[Oothuizen 2005]。
国際移動を行う看護師の主観に焦点を当て、国際移動を引き起こしているプッシュ・プル双
方の要因を明らかにすることは重要だが、プッシュ・プル要因だけでは、1990 年代後半から
2000 年代初頭にかけて南アフリカ人看護師の国際移動がなぜ急増したのかというタイミングを
説明することはできないし、南アフリカ人看護師の半数以上が英国に行く理由も説明できない。
そこで、2000 年頃の時点で海外在住の南アフリカ人看護師の半数以上が集中していた英国の状
況に目を向けてみると興味深いことがわかる。
図 1 は、1998 年度から 2006 年度までの間に、英国看護・助産師協会に新規に登録した外国
人看護師のなかで、南アフリカ人看護師といくつかのアフリカ諸国からの看護師を拾いだした
ものである。ここから、絶対数という点では、英国におけるアフリカ人看護師のなかでは南ア
フリカ人看護師が群を抜いていることがわかる。ただし、南アフリカとナイジェリアを除くと、
そもそも国内で生産される看護師の数がアフリカ諸国では限られているため、限られた数のな
かでどれほどの割合が海外に流出しているのかという点では、他のアフリカ諸国の方が状況は
深刻である。
【図 1 英国における南アフリカ人看護師新規登録者】
出所:英国看護・助産師協会ウェブサイト(2008 年 11 月 6 日最終アクセス)より筆者作成
図 1 から、英国で新規に登録する南アフリカ人看護師の数が、1998 年度以降、増減を繰り返
しつつ、2001 年度にピークを迎えたものの、2003 年度以降は急激に減少していることがわかる。
英国の看護・助産師協会に新規に登録する南アフリカ人看護師の数が増減を繰り返したのは、
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後述するように、英国の国民保健サービス(NHS: National Health Service)が経営する医療
機関による外国人看護師の雇用斡旋活動に対して、1999 年以降、さまざまな規制が試みられる
ようになったからである。外国人看護師の雇用斡旋に対する規制の導入は、そもそも 1990 年
代後半から 2000 年代初頭にかけて NHS による外国人看護師の雇用斡旋が大規模に行われた
からだった。そのことは、1998 年度から 2006 年度までの時期の英国における新規の看護師登
録者数とその中での外国人看護師の登録者数をあらわした図 2 より明らかとなる。
【図 2 英国における新規看護師登録者数と外国人看護師登録者数】
出所:英国看護・助産協会ウェブサイト(2008 年 11 月 6 日最終アクセス)より筆者作成
まず、外国人看護師の増加と新規の看護師の総登録者数の増加が連動していることがわかる。
1999 年度の時点では、英国で新規に登録する看護師のうち外国人看護師の割合は 34%強程度、
すなわち 3 人に 1 人程度だった。それに対して、2001 年度には、新規に登録する看護師の半数
が外国人となっている。これについて、ブカンは、2000 年代初頭の英国における外国人看護師
の増加を、労働党政権の NHS 拡充政策によって、NHS が海外に積極的に看護師を求めた結
果であると指摘している [Buchan 2007: 1323]。
2000 年代半ば以降、英国人看護師生産の増加と NHS による外国人看護師の積極的な雇用斡
旋活動を抑制するための国際的な合意が次々と締結されたことにより、英国における外国人看
護師の受け入れは減少した。2006 年度には、新規に登録する看護師のなかで外国人の割合は
30%弱まで減少している。つまり、1990 年代末から 2000 年代初頭にかけて起こった南アフリ
カ人看護師の国際移動の増加は、基本的には、英国の公立病院による大々的な雇用斡旋活動の
結果だったと言える。2003 年度以降、英国において新規に登録する南アフリカ人看護師の数が
減少しているのも、特殊な専門性をもった看護師を除くと、現在、英国における看護師需要は
充足したとされているためである。それゆえ、1990 年代末から 2000 年代初頭に起こった英国
への外国人看護師の流入の激増は、英国政府の医療・保健政策によって引き起こされた一時的
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佐藤 千鶴子:医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
な現象だったとすら言えるかもしれない5)。
英国における南アフリカ人看護師の新規登録者数が 1998 年度から 2004 年度まで毎年増減を
繰り返したのも、英国政府による政策的介入の結果だった。NHS による外国人看護師の積極
的な雇用斡旋に対しては、ネルソン・マンデラを初めとするアフリカ人政治指導者から、アフ
リカの貴重な人的資源を「密漁」しているとしてさまざまな批判が行われた。その結果、1999
年に英国政府保健省が、NHS は南アフリカと西インド諸島からの雇用斡旋をやめるべきであ
るとのガイドラインを出すにいたったのである。
2001 年には、NHS による国際的な雇用斡旋活動について英国政府保健省が「倫理的斡旋に
関する実践規約」を導入し、この実践規約は 2004 年に拡大・強化されて、NHS のみならず、
斡旋業者や NHS にサービスを提供している民間企業・組織に対しても適用されることになっ
た。この実践規約によって、規約のリストに載っている途上国については、途上国政府が正式
に合意しない限り、NHS が労働者の積極的な雇用斡旋を行うことは禁じられることになった。
また、NHS は規約に同意することに合意した斡旋業者のみを用いて雇用斡旋を行うよう求め
られることになった [Buchan 2007: 1331]。医療労働者の国際的な雇用斡旋に関する同様の実践
規約は、2003 年、コモンウェルス諸国の間でも結ばれた [Commonwealth Secretariat 2003]。
実践規約は強制力や罰則を持たず、途上国の労働者個人による就職活動は対象外とされたり、
NHS 以外の民間の病院や高齢者施設は NHS へのサービスの提供にかかわっていない限り規
約の対象外とされるなどの抜け道が存在したため、人材の不足するアフリカ諸国から英国への
外国人看護師の流出を完全に止めたわけではなかった。実際に、2004 年度には斡旋が禁止され
ているリスト上の途上国から 3,000 人の看護師が英国看護・助産師協会に登録している [Buchan
2007: 1333]。しかしながら、1999 年にガイドラインが出された直後の 2000 年度には、英国に
新規に登録する南アフリカ人看護師が減少し、翌年には数が増えたものの、2001 年に実践規約
が結ばれた直後の 2002 年度には再び新規に登録する南アフリカ人看護師が減少したというよ
うに、短期的な抑制効果はあったようである [ 図 1 参照 ]。
また、2003 年には、英国政府と南アフリカ政府が教育的観点にもとづく医療分野での人材交
流を中心とする 2 国間協定に調印した。それにより、南アフリカの医療労働者が一定期間、
NHS で働き専門的技術を身につけた後に南アフリカの公的な医療機関の職に戻ることができ
るようになった。さらに、英国人の医療労働者が南アフリカの公立病院で働くこともこの協定
によって促進されることになった [UK-DOH 2003]。英国看護・助産師協会に新規に登録する
南アフリカ人看護師の数が 2001 年度の 2,114 人から 2004 年度には 933 人へと 55%以上も減少
したのは、この 2 国間協定の成果であると南アフリカ保健省は自負している [SA-DOH 2006c]。
2003 年度以降、英国看護・助産師協会に新規に登録する南アフリカ人看護師の数は減少の一途
をたどり、2006 年度にはわずか 39 人であった。
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3.南アフリカにおける看護師の供給と不足
英国の医療機関が外国人看護師を積極的に斡旋し、雇用していることに対して、アフリカ人
の政治家は辛辣に批判し、南アフリカにおける看護師不足と海外出稼ぎを結びつける報道がし
ばしばなされた [Business Times, 2 February 2003; AllAfrica, 25 May 2005]。それにより、前
節でみたような医療労働者の雇用斡旋に関する国際的な合意や二国間・多国間協定が締結され
るにいたったのである。だが、クレメンスらの研究によれば、2000 年頃に海外で雇用されてい
る南アフリカ人看護師は、実際には雇用されている全南アフリカ人看護師のわずか 5%程度に
すぎなかった [Clemens et al 2008]。看護師の海外出稼ぎの増加に対してメディア、政府は迅
速に反応したが、そもそも国際移動は南アフリカにおける看護師不足の根本的要因なのか。次
に、南アフリカ人看護師の国外流出が増加した過去 10 年間において、南アフリカ国内におけ
る看護師の供給状況がいかに変化したのかを検討してみよう。
南アフリカでは、3 種類の看護師資格―正看護師、準看護師、看護助手―が設けられている。
正看護師資格は 4 年制の大学ないし看護学校を経ないと取得できないのに対し、準看護師は 2
年間、看護助手は 1 年間の養成機関での訓練を経て得られる資格である6)。図 3 は、1996 年か
ら 2007 年までの期間における南アフリカ看護協会に登録している看護師の数を表している。
1996 年∼ 2002 年まではすべてのカテゴリーの看護師総数が 17 万 3,000 人前後で推移していた
が、2003 年以降着実に増加し、2007 年には 20 万 3,948 人に達している。つまり、南アフリカ
における看護師総数は、過去 10 年間でおよそ 1.18 倍に増加した。
【図 3 南アフリカ看護協会登録者数】
出所:南アフリカ看護協会ウェブサイト(2008 年 11 月 6 日最終アクセス)より筆者作成
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南アフリカ看護協会に登録している看護師総数の増加は、看護学校や看護師養成機関の入学
者数の増加にも表れている。過去 10 年間における 3 つの看護師資格養成機関への入学者数を
記したのが図 4 である。
【図 4 南アフリカにおける看護学校・養成機関の入学者数】
出所:南アフリカ看護協会ウェブサイト(2008 年 11 月 6 日最終アクセス)より筆者作成
図 4 から、正看護師養成のための 4 年制コースについては、1990 年代後半に入学者が減少し
たものの、2001 年以降は増加していることがわかる。準看護師養成のための 2 年制コースの入
学者も 2005 年と 2006 年を除くと、2000 年以降増加している。看護助手養成の 1 年制コースは、
1999 年∼ 2004 年までは増加しているが、その後は減少傾向にある。すべてのカテゴリーの入
学者総数でみると、1997 年には看護学校・養成機関の入学者が 1 万 7,342 人であったのに対し、
その数は 2007 年には 2 万 9,598 人となっている。つまり、過去 10 年間に看護学校・養成機関
への入学者数は 1.7 倍に増加した。
だが、同時期の看護学校・養成機関の卒業生についてのデータをみると、4 年制コースと 1
年制、2 年制コースでは大きな違いがあることがわかる。
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【図 5 南アフリカにおける看護学校・養成機関卒業生】
出所:南アフリカ看護協会ウェブサイト(2008 年 11 月 6 日最終アクセス)より筆者作成
図 5 から、すべてのコースの卒業生については 5,768 人(1997 年)から 1 万 3,236 人(2007 年)
へと 2.3 倍に増えていることがわかる。とりわけ、1 年ないし 2 年間で修了できる準看護師、
看護助手養成コースの卒業生が 2002 年以降急激に増えている。逆に、4 年制コースの大学・看
護学校の卒業生は、入学者数の増加と比例するようには増加していない。つまり、4 年制の看
護コースからの中退率は高いと言える。1997 年から 2001 年までの 5 年間については 4 年制コー
スの入学者が減少しているため、2001 年から 2005 年までは卒業生の数が当然減るとしても、4
年制コースの入学者数と卒業生の間の開きは大きい。1997 年から 2003 年までの 7 年間におけ
る 4 年制コースの年平均の入学者数が 1 万 645 人であるのに対し、この 7 年間に入学者した人々
が卒業する 2001 年から 2007 年までの 7 年間の卒業生は年平均で 1,837 人である。これは、4
年制コースの修了者が平均してわずか 17%にすぎないことを意味する。
4 年制コースの中退率の高さが南アフリカにおける看護師供給の増加を阻んでいることに加
えて、南アフリカ看護協会に登録している看護師すべてが南アフリカ国内の医療機関で働いて
いるわけではないという事実も南アフリカにおける看護師不足の原因となっている。南アフリ
カ看護協会に登録している看護師のなかでどれほどの割合の看護師が実際に医療機関で働いて
いるのかについて長期間にわたる趨勢をあらわしたデータはない。だが、ホールらの研究によ
れば、表 1 に示したように、2001 年の時点で南アフリカ看護協会に登録している看護師のなか
で、およそ 18.4%、すなわち 5 人に 1 人弱に当たる看護師が医療機関で看護師として働いては
いなかった [Hall and Erasmus 2003: 537]。
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佐藤 千鶴子:医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
【表 1 南アフリカの医療機関で働いている看護師の割合(2001 年)
】
南アフリカ看護協会に
登録している看護師
人数
医療機関で働いている看護師(推定)
登録者に占める
人数
19 万 449
割合(%)
15 万 5,484
登録しているが、医療機関で働いては
いない看護師
登録者に占める
人数
81.6
出所:Hall and Erasmus 2003: 537
割合(%)
3 万 4,965
18.4
7)
さらに、南アフリカの医療部門の二重構造に起因する看護師供給の偏りの問題もある。南ア
フリカの医療部門は、公立の医療機関と民間の医療機関に大きく二分されている。南アフリカ
看護協会に登録している正看護師と準看護師のなかで公立の医療機関で働いている正看護師お
よび準看護師の数を示したのが図 6 と図 7 である。
【図 6 公的部門で雇用されている正看護師の割合】
出所:南アフリカ看護協会ウェブサイト、医療保健システム信託基金(HST: Health Systems Trust)
ウェブサイト(2008 年 11 月 6 日最終アクセス)より筆者作成
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【図 7 公的部門で雇用されている准看護師の割合】
出所:南アフリカ看護協会ウェブサイト、HST ウェブサイト(2008 年 11 月 6 日最終アクセス)より筆者作成
南アフリカ看護協会に登録している正看護師のなかで公的な医療機関で働いている正看護師
は 2000 年∼ 2007 年の年平均で 43.5%にすぎない。準看護師についてみると、正看護師と比べ
て、公的な医療機関で働く準看護師の割合は高く、2000 年代前半には平均して 63%の準看護
師が公的な医療機関で働いている。だが、2000 年代半ば以降、南アフリカ看護協会に登録して
いる准看護師の数が増加するとともに、公的な医療機関で働く準看護師の割合は平均して 53%
程度まで減少している。2000 年代において、南アフリカでは準看護師の供給が増加したにもか
かわらず、公的な医療機関における準看護師の雇用は増加しなかったのである。
すでに述べたように、南アフリカ看護協会に登録している看護師すべてが医療機関で働いて
いるわけではない。日本と同じように、いわゆる「休眠看護師」が南アフリカにも一定数存在
するのである。それゆえ、南アフリカで働いている看護師の中で公的な医療機関に勤務してい
る正看護師、準看護師の割合は実際にはもっと高いだろう。だが、問題は、医療保険に加入し
ていて、民間の医療機関での処置を受けることのできる南アフリカ人人口が、2001 年の時点で
国民のわずか 16%に過ぎないということである [McIntyre and Doherty 2004: 386]。南アフリ
カ国民の 84%が公的な医療機関に依存しているにもかかわらず、公的な医療機関で働いている
正看護師、準看護師は南アフリカ国内で雇用されている看護師のおよそ半分から 60%程度にす
ぎないのである。
公的な医療機関における看護師不足は、看護師の空席率の増加に表れている。1990 年代初頭
には、公的な医療機関における看護職全体のおよそ 80%が埋まっていたのに対し、2001 年に
は看護師の空席率が 25%に増えた [Hall and Erasmus 2003: 537]。つまり、南アフリカ人看護
師の国際移動が増加したのとちょうど同じ時期に、南アフリカの公的な医療機関では看護師不
足が深刻化したのである。だが、2000 年代半ば以降、南アフリカ人看護師の国際移動が減少し
たのに対し、南アフリカ国内の公的な医療機関における正看護師の空席率は増加し続け、2006
26
佐藤 千鶴子:医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
年には 31.5%、2007 年には 36.3%、2008 年には 40.3% に達した8)。公的な医療機関では、3 分
の 1 以上の正看護師のポストが埋まっていないのである。最近では、南アフリカにおける看護
師不足は公的な医療機関に限られた現象ではなくなっている。民間の医療機関すら看護師不足
に直面しているのであり、南アフリカの私立病院・診療所の経営者のなかにはインド人看護師
の輸入を試み始めたものもいる [Interview Warral-Clare; The Mercury, 11 July 2008]。
さらに、南アフリカにおける将来的な看護師不足はより深刻化するだろうと予測されている。
2007 年末の時点で南アフリカ人正看護師の大多数が 40 代(35%)ないし 50 代(26%)であり、
40 歳未満の正看護師はわずか 25%、30 歳未満はわずか 3% に過ぎない。準看護師については、
40 歳未満が 42% を占めるものの 30 歳未満はわずか 13% である9)。現在 40 代および 50 代の世
代が退職を迎える 10 ∼ 20 年後には、南アフリカにおける看護師、とりわけ正看護師不足はま
すます深刻なものとなるだろう。かつて看護の職は、特に黒人女性にとって、数少ない専門性
を持った職種の一つであったが、アパルトヘイトの廃絶とともに職種における人種制限は撤廃
され、現在では若い女性にとってさまざまな雇用機会が存在する。そのような状況において、
若い女性の間での看護の仕事に対する人気が減ってきていることを指摘する南アフリカ人研究
者もいる [Interview Oothuizen]。
その一方で、南アフリカにおける看護師に対する需要は今後も増加することが予想される。
第一に、南アフリカの人口は 2001 年には 4,481 万人であったが、2008 年には 4,870 万人に増
加したと推定されている [Statistics South Africa 2008: 3]。第二に、国民の間での HIV/ エイ
ズ感染率が高いため、感染者に対する医療ケアの提供や感染防止のための予防・啓発活動にお
いて看護師が求められる。第三に、予防医療(プライマリ・ヘルス・ケア)政策の進展とともに、
これまで移動診療所のサービスしか受けられなかった地域に診療所や病院が建設されていくな
かで、全体としての看護師需要も増加する。
南アフリカにおける看護師供給の偏りは、公立の医療機関と民間の医療機関の間に限られず、
農村と都市の医療機関の間にも存在する。表 2 より、看護師一人当たりの人口が州ごとに大き
く異なっていることがわかる。
【表 2 看護師一人当たり人口の州別比較】
1998 年
州
2007 年
看護師一人当たり人口(人) 州
リンポポ
ムプマランガ
東ケープ
ハウテン
西ケープ
458
387
291
165
162
リンポポ
ムプマランガ
東ケープ
ハウテン
西ケープ
看護師一人当たり人口(人)
295
359
333
182
183
出所:南アフリカ看護協会ウェブサイト(2008 年 11 月 6 日最終アクセス)より筆者作成
立命館国際地域研究 第29号 2009年 3月
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ジョハネスバーグ、プレトリア、ケープタウンなどの大都市を抱えるハウテン州や西ケープ
州と比べると、1998 年の時点で、リンポポ州の看護師一人当たりの人口はおよそ 2.8 倍、ムプ
マランガ州では 2.4 倍に達していた。この差は 2007 年の時点では、リンポポ州で大きな改善
が見られたことにより 1.6 倍まで減少したが、ムプマランガ州に関してはいまだおよそ 2 倍と
大きな開きがある。リンポポ州、ムプマランガ州、東ケープ州などは、旧ホームランドを含め
た貧しい農村地帯を多く抱える州であり、大都市が集中する州と比べると医療人材の配置が著
しく不足している状況にあると言える。
4.南アフリカの医療人的資源政策
以上の考察により、医療部門での人的資源政策によって解決されなければならない課題が、
国際移動の問題に限られず多岐にわたることが明らかになった。最後に、南アフリカ政府によ
る医療人的資源政策の内容を検討し、南アフリカ政府が医療部門での人材供給・確保について
どのような政策的取組みを行っているのかを論じる。
民主化後の南アフリカ初の包括的な医療人的資源政策が発表されたのは 2006 年である。そ
れは、
「医療のための全国人的資源計画フレームワーク」
(以下、フレームワーク文書)と題され、
保健省によって作成された。医療人的資源政策が立案された背景に、国際労働移動による医療
人材の流出に対する懸念が存在したことは明らかである。フレームワーク文書の前文において
は、「豊かな諸国への〔人材の〕国外流出」問題が、民間の医療機関への人材の移動や経験豊
かな医療労働者の退職問題と並んで、南アフリカが取り組まなければならない人的資源政策の
優先的課題の一つとして位置づけられている [SA-DOH 2006a: iv]。
実際には、フレームワーク文書が発表される以前から、医療部門での人材不足を解消するた
めの政策は導入されていたのだが、その焦点は主として医師の確保にあった。たとえば、2003
年に導入された希少な専門技術手当および僻地手当は、医師、看護師双方に対する手当であっ
たが、希少な専門技術手当を得られた看護師は、癌治療専門の看護師と手術室や ICU 付きの
看護師に限られていた。僻地手当も、医師が給料の 18 ∼ 22%を僻地手当として受け取ったの
に対し、看護師に対する僻地手当は給料の 8 ∼ 12% と定められたため、看護師からは不評だっ
た。さらに、僻地手当に対しては、都市部の大病院で働く看護師からの不満も大きかった。彼
女たちは、患者の搬入先として最後の砦である大病院で働く自分たちの仕事が正当に評価され
ていないと感じたのである [Interview MaMkhize]。
さらに、南アフリカ政府は、二国間協定を通じて、医師不足がもっとも深刻な農村地帯の病
院で勤務することを条件に外国から医師を受け入れてきた。1995 年に締結されたキューバ人医
師の受け入れについては有名であるが 10) [Hemmett 2007]、キューバ以外にもイラン、チュニ
28
佐藤 千鶴子:医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
ジアからも南アフリカ政府は医師を受け入れている [Interview Groenewald]。より最近では、
2007 年に設立された農村医療イニシアティブという非営利団体を通じて、アフリカ諸国以外、
とりわけヨーロッパやオーストラリア、ニュージーランドからの医師の受け入れ、僻地の病院
への派遣事業も行われている [Interview Hudson]。
1990 年 代 後 半 に 南 部 ア フ リ カ 諸 国 経 済 共 同 体(SADC: South African Development
Community)諸国の保健相が会合を持ち、相互に医療部門での人的資源の奪い合いを行わな
いことに合意して以降、南アフリカ政府は医療部門での人材不足問題を抱えている南部アフリ
カ諸国からの医療労働者に対しては原則的に就労ビザの発行を認めていない [SA-DOH
2006b]11)。2001 年 10 月には、特別な協定による受け入れを除き、南アフリカ政府はすべての
G77 諸国およびコモンウェルス諸国から医師や看護師の雇用斡旋をしないことを発表した
[OECD 2004]。南アフリカ保健省によれば、この政策の意図は、アフリカ諸国から南アフリカ
への医療労働者の頭脳流出を止めることにある [DOH 2006a: 28]。
二国間協定と農村医療イニシアティブを通じた例外的なケースを除いて、原則的に外国から
の受け入れを制限しているため、南アフリカ政府にとっての医療部門での人的資源を確保する
ための政策は、自国の医師、看護師を保持するための政策が中心となる。希少な専門技術手当
や僻地手当が看護師にとっては十分なインセンティブを与えるものではなかったことはすでに
述べたが、手当以外の代表的な保持政策が、強制的なコミュニティ・サービスの導入である 12)。
コミュニティ・サービスは、1999 年に医師に対して導入され、その後、歯科医、薬剤師、リハ
ビリ技師など医療部門のさまざまな職種について導入されたのち、最後に 2007 年になって看
護師にも導入された。この政策により、それぞれの訓練・養成課程を修了したのち、1 年間、
農村地帯を中心とする医療サービスの手薄な地域の医療機関での労働が義務づけられ、コミュ
ニティ・サービスを終えない限り、南アフリカで医師や看護師として働くために医師協会や看
護協会に登録することが認められないことになった。
看護師に対するコミュニティ・サービスの導入はつい最近のことであり、コミュニティ・サー
ビスが看護師にどのように受け入れられたのかについてはまだ研究は出ていない。だが、この制
度が導入されて 9 年が経過した医師についてみると、反応はさまざまなようである。南アフリカ
保健省の人的資源プランニング担当者によれば、南アフリカ人医師の多くがコミュニティ・サー
ビスをいわば「罰」のようなものとして捉えており、きわめて不人気な政策であるという
[Interview Groenewald]。他方で、プレトリア大学医学部の学部長によれば、初めは嫌がってい
た医学生たちも、彼らがそれまでの人生において付き合うことのなかった農村住民との交流を通
じて、医学の役割について新たな認識を持つようになったものもいるという [Interview Mariba]。
2006 年に南アフリカ保健省が作成した医療人的資源計画に関するフレームワーク文書は、す
でに存在している医療労働者の「保持」政策を一つの枠組みに統合する一方で、医療労働者の
生産についても数値目標を挙げ、医療労働者全体の増加を目指すとした。たとえば、医学部の
立命館国際地域研究 第29号 2009年 3月
29
卒業生は現行の毎年 1,200 人から 2014 年までに毎年 2,400 人まで倍増することや、正看護師に
ついては、現行の毎年 1,900 人弱から 2011 年までに 3,000 人まで 1.5 倍に増加することなどで
ある [DOH 2006a]。だが、医師や看護師の倍増計画が実際にどのように実施されるのかまでは
フレームワーク文書は述べていない。たとえば、医師の訓練を民間の医療法人にも開放するか
どうかという点について、南アフリカ病院協会(私立病院の連合体)は積極的な姿勢を見せて
いるものの、政府の側は私立病院からの提案を受け入れてはいない [Interviews Warral-Clare;
Groenewald]。
2007 年、公的な医療機関で働く看護師による賃上げストライキが起こった。看護師の同僚が
より良い賃金を求めて海外へと流出した結果、残された看護師の負担が増大したことも一因と
なっていた。数か月間にわたる交渉ののち、同年 9 月、保健省と 5 つの医療部門の組合が合意
に達し、「特定職に対する給与体系の改編制度」によって、最終的にすべてのカテゴリーの看
護職に対して初任給が 20 ∼ 24%増加することが決定された [SA-DOH 2008]。南アフリカ政府
はこの賃上げが看護師にとって公的な医療機関で働くうえでの大きなインセンティブになるだ
ろうと考えている [Interview Groenewald]。この政策が実際に看護職希望者の増加や公立病
院・診療所における看護師不足の解消にどれほどの効果を持つかは未知数であるが、南アフリ
カ政府が医師のみならず看護師の確保・保持に真剣に取り組む姿勢を体現した政策であること
は確かである。
結論
本稿では、1990 年代後半から 2000 年代初頭にかけて急増した南アフリカ人看護師の国際移
動が、南アフリカにおける看護師の供給と医療人的資源政策にどのような影響を及ぼしたのか
を考察してきた。南アフリカにとって、看護師の国際移動は基本的には 1994 年のアパルトヘ
イト廃絶後の現象であり、イギリスにおける NHS の拡充とそのための積極的な外国人看護師
斡旋活動を背景に起こった短期的な現象であった。しかも、南アフリカ人看護師全体の中で国
外で働いている看護師の割合は、必ずしも多くはなかった。
にもかかわらず、南アフリカ政府保健省が感じた医療部門での人的資源の確保に関する危機
感は甚大であった。1999 年の医師を皮切りにさまざまな医療・保健部門での職種に対してコミュ
ニティ・サービスが導入されたのち、2003 年には希少な専門的技術に対する手当や僻地手当が
導入された。そして、2006 年には初めて包括的な医療部門での人的資源政策が立案され、翌年
には看護師の給料体系の見直しが行われた。看護師の国際移動の増加によって、南アフリカ政
府保健省は医療部門での人的資源の供給・確保のために包括的な人的資源政策の立案に取り組
まざるを得なくなったのであり、看護師の給与を中心とする待遇の改善につながったのである。
だが問題は、看護師の待遇や権利の向上が国内における医療サービスの向上と同一ではない
30
佐藤 千鶴子:医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
ということである。加えて、第 3 節で述べたように、南アフリカにおける看護師不足は決して
国際移動のみによって引き起こされているのではなく、南アフリカが予防医療(プライマリ・
ヘルス・ケア)の提供を拡大するために必要な予防医療を専門とする看護師は、海外で需要が
高い看護師でもない。国内での農村・都市間の移動や教育施設の不十分さ、中退率の高さなど
といった看護師の供給を妨げているほかの要因に対する取り組みも必要である。看護師の国際
移動の増加を通じて、医療部門における人材不足問題に対する関心が高まった。南アフリカ政
府保健省は、自国の看護師を保持するための政策をすでにいくつか打ち出してきた。これから
は、「保持」した医療・保健部門での人材を医療サービスの改善に結びつけるための新たな政
策が求められるだろう。
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<インタビュー実施者一覧>
Dr. Jaime Galvez-Tan, University of Philippines-Manila, Manila, 29 August 2007.
Dr. Anne-Mart Oothuizen, Faculty of Nursing, UNISA, Pretoria, 25 February 2008.
Mr. Hennie Groenewald, Department of Health, Pretoria, 26 February 2008.
Adv. K. Worral-Clare, CEO of South African Hospital Association (SAHA), Cresta, Johannesburg, 27
February 2008.
Prof. Thanyani Mariba, The Dean, and Prof. Van Rooijen, Head of Healthcare Sciences, School of
Healthcare Sciences, University of Pretoria, Pretoria, 28 February 2008.
Ms. Frayne Furniss Mathijs, Democratic Nurses Organisation of South Africa (DENOSA), Pretoria, 29
32
佐藤 千鶴子:医療労働者の国際移動と医療人的資源政策
February 2008.
Ms. Tracey Hudson, Rural Health Initiative, Hillcrest, Durban, 6 March 2008.
Ms. MaMkhize, A retired nurse who still works for the Edendale hospital, Eastwood, Pietermaritzburg,
8 March 2008.
Ms. Peggy Vidot, Adviser, Health Section, Social Transformation Programme Division, Commonwealth
Secretariat, 22 July 2008.
<注>
1)この問題については、たとえば、[カルロス他編 2008] を参照。
2)南アフリカ統計局が出している出入国統計は、恒久的な移住の意思を持って出国する人々については
把握しているが、海外に流出する南アフリカ人看護師のほとんどが恒久的な移住の意思をもって国外
に出ているわけではないので、出入国統計はここでは役に立たない。
3)南アフリカ看護協会は、2005 年半ばまでの「看護師資格証明書」発行依頼件数についての統計をウェ
ブサイト上で公開しているが、以後の数値は公開していない。
4)南アフリカ看護協会ウェブサイトで公開されている 2001 年∼ 2004 年までの「看護師資格証明書」発
行依頼の内訳による。
5)ただし、英国は自国の看護師をアメリカ、
オーストラリア、ニュージーランドなどへの流出によって失っ
ている [OECD 2007]。また、看護師に対する需要が消滅したとしても、英国が高齢化社会へ向けて歩
み続けていることには変わりはない。それゆえ、今後、看護師ではなく、介護労働者に対する需要が
増える可能性は大いにある。しかも、途上国で看護師の資格を持つものが受け入れ国の高齢者施設な
どで介護労働者として働く事例はすでに見られる。それゆえ、英国における看護師需要の減少がその
まま送り出し国からの看護師流出の減少につながるとは限らない。
6)ただし、準看護師資格所有者は、2 年間の橋渡しコースを経て正看護師となることができる。
7)ただし、ホールらの研究で引用されている 2001 年に南アフリカ看護協会に登録している看護師の数は、
南アフリカ看護協会ウェブサイトで公表されている同年の看護師登録者数とは一致していない。
8)HST ウェブサイト、「正看護師の職位空席率」(http://www.hst.org.za/healthstats/256/data)、2008
年 11 月 6 日最終アクセス。
9)南アフリカ看護協会ウェブサイト、2008 年 11 月 6 日最終アクセス。
10)南アフリカとキューバの二国間協定には、キューバ人医師の南アフリカへの派遣の他に、南アフリカ
政府の奨学金を用いてキューバで南アフリカ人医学生を育成する事業も含まれている。この場合、南
アフリカ人医学生は 5 年間をキューバの医学部で過ごしたのち、南アフリカに帰国して実習に従事し、
南アフリカの医師国家試験を受けることになる。その後、1 年間のコミュニティ・サービスに加えて、
最低 5 年間、公立の医療機関に勤務することが義務付けられている [SA-DOH 2006d]。
11)クレメンスらの研究によれば、2001 年時点で南アフリカでは 500 人のアフリカ諸国生まれの看護師が
働いており、その大多数がジンバブエ人とナミビア人であった [Clemens et al 2008]。これは、同年
の南アフリカにおける全看護師のわずか 0.3%に過ぎない。ただし、1980 年代後半には南アフリカの
独立ホームランドの教育・医療制度を確立するためにアパルトヘイト政権によってサブサハラアフリ
カ諸国から熟練(専門職)労働者の受け入れが積極的に行われており [Waller 2006: 4]、その期間に来
たアフリカ人看護師がどれほど現在も南アフリカに残っているのかは不明である。
12)医師不足解消のために、准臨床医(clinical associate)という大学で 3 年間の学習・訓練を得て取得
できる新たな資格が導入され、2006 年に第 1 期の学生が募集された。だが、南アフリカ医師会は、3
年間という正看護師よりも短い訓練機関を経て育成される准臨床医を補助的な医師と見なすことに反
対しており [Interview Mariba]、准臨床医が実際にどのような役割を果たすことになるのかはまだ明
らかではない。
謝辞
本研究は、平成 20 年度科研費(20710195)「医療労働者の国際的移動とその社会経済的影響に関する実
証研究」
(代表:佐藤千鶴子)の助成を受けたものである。
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