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『伊勢物語』古注における紀有常の娘 - MIUSE

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『伊勢物語』古注における紀有常の娘 - MIUSE
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
『伊勢物語』古注における紀有常の娘
木戸, 久二子
キド, クニコ
三重大学日本語学文学. 2000, 11, p. 23-32.
http://hdl.handle.net/10076/6556
木戸久二子
すれば、七∧四番歌の作者は詞書に登場する「きのありつねか
中で既に示された場合の作者名省略と考えられる。素直に解釈
皇族以外の作者での同様の例は三六八番に見られるが、詞書の
さて、この七∧四番歌には作者名表記がない。『古今集』中、
『伊勢物語』古注における紀有常の娘
『古今和歌集』巻第十五・恋五(七八四・七八五)に、次の
むすめ」になるのだが、「有常の娘の作と見るのか順当。ただ
ような贈答歌がある。
業平朝臣きのありつねかむすめにすみけるを、うらむ
し、有常か詠んだとも考えられる。」(新潮日本古典集成)
(注1)
には男女が夫婦として安定した関
せいであろうか」
(注3)と、業平の舅にあたる紀有
(『古今和歌集全評釈』)
(注4)と見るの
・つことからも、その恨んだ原因を「女が他の男に好意を示した
分である。主語は業平で、昼に釆て夕方には帰ってしまうとい
ここで注意したいのは、詞書の「うらむることありて」の部
れるので、紀有常の娘の歌と見ておぐ。
み手が有常ならば、当然作者名を「紀有常」と明記すると思わ
と有常の親密さか影響しているのであろう。しかし、もしも詠
常本人か詠んだ歌と見るのである。『伊勢物語』における業平
(新編日本古典文学全集)
て恨み事があったのであろう。/有常が詠んでやったものかt)」
2)というように、了っは考えない立場もある。「有常に対し
ることありてしばしのあひだひるはきてゆふさりはか
へりのみしければよみてつかはしける
(七八四)
なりひらの朝臣
あま雲のよそにも人のなりゆくかさすがにめには見ゆるも
のから
なり(七八五)
詞書に「業平朝臣きのありつねがむすめにすみける」と記さ
し支えないとする。「住む」
れているところから、諸注、二人は夫婦関係にあったと見て差
ことを言った。
係を保つという意味があり、男が特定の女のもとに通い続ける
-23-
(注
‥
ゆ書かへりそらにのみしてふる事はわかゐる山の風はやみ
返し
は自然の流れである。返歌の下旬「わがゐる山の風はやみなり」
(新日本古典文学大系)
(『顔註密
(注5)ととる
については、「わたくしが共住みするそのお山の様子がきびし
すぎるからなのです」
ものが多いが、「女のもとに男のあまたかよへば」
とよめりけるは、また男ある人となむいひける。(注7)
返歌の上二句を「ゆlき引利叫裾引引にのみして」から「列藩画
粛割にのみして」と改変し、贈答事情も全く別のものに設定し
『伊勢物語』本文中、紀有常の娘の名は全く見えないが、父
ている。
親の紀有常は第十六・三十八・八十二段の三つの章段に実名で
(注6)と解釈するものも古くからある。もちろん、後
登場する。
勘』)
者の解には次章で見る『伊勢物語』第十九段の影辛を考えなけ
やるという話である。婁は登場するが、娘は出てこない。
る友達が経済的に余裕のない有常に代わって装束などを贈って
第十六段は、有常の妻が尼になるというので、業平を思わせ
ればなるまいか、紀有常の娘に関する唯一の資料である『古今
集』歌の中に、そのような見方を生む素地が存在することを確
認しておきたい。
はずの昔男が、同性の有常を待ち焦がれた様を恋の初体験とし
-24-
第三十八段は、有常の家に昔男が訪ねて行ったが留守で、待
っていた男と遅く帰宅した有常が、男女間の恋愛にも通じるよ
て詠み、有常は有常でとばけた歌を返している。二人の親密な
うな歌を詠み交わす章段である。恋にかけては並ぶ者などない
用い、女を紀有常の娘だとは記さないで一章段を創作した。
第八十二段は惟喬親王章段の一つとして著名なもので、業平
交際を請る話になっている。
交野の渚の院の桜の下で酒を飲みつつ、、和歌を詠むという設定
を暗示する「右の馬の頑なりける人」や有常らが親王を囲み、
天婁のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆる
では、有常の子に女子二名が載り、姉
の方には「〔在原〕業平朝臣董/歌人古今作者」、妹の方には
『尊卑分脈』(注8)
り、有常は親王の伯父に当たる。
である。惟青竜王の母は紀名虎の娘静子、つまり有常の妹であ
みなれノ
天雲のよそにのみしてふることはわがゐる山の風はや
とよめりければ、男、遷し、
ものから
らず。女、
女の目には見ゆるものから、男は、あるものかとも思ひた
あひ知りたりける、ほどもなく離れにけり。同じ所なれば、
むかし、男、宮仕へしける女の方に、都連なりける人を
『伊勢物語』第十九段は『古今集』の七∧四・七∧五番歌を
二
「藤原敏行朝臣室」と記されている。業平の子としては棟梁・
の母には「斎官悟子内親王」の名か見えるものの、「密通」と
師尚・滋春の三人が載るが、棟梁と滋春の母は記されず、師尚
で業平の
ある。『伊勢物語』で業平と関係があったように堵かれる高子
「室」と記されるのは、有常の娘ただ一人なのである。
についても、何ら記されてはいない。『尊卑分脈』
もっとも、『尊卑分脈』に見える女性は盾などの特別な場合
ものかとも思われる。
まずは、古注の二大流派、『和歌知顕集』と冷泉家流舌注が
の表では、各章段のポイントになると思われる本文をあげ、
登場人物の女に紀有常の娘を当てている章段を見てみよう。次
○
伊
小
有
○
○ 慶
○
伊
○
有
○
○ 注
小
○
小
○
○
○ 十
○
○
小
○
○ ○
○
○
小
○
○
大 る
和 人
宮
仕
な
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ま り ご
心 け ろ
父 武
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方
り 母、
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女
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釆
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は
ら
か
ら
桜
ヽ
の
る
の
なあ
の
に
て な
、む
れ
ざ
の
五…五条后
『知顕集』は宮内庁青陵部本(注9)を用い、冷泉家流舌注系
女
』
増
○ 奥
二…二条后
を除き、その信憑性には疑わしいものか少なくない∵この場合
○ 書
け
女
四・‥四条后
統は六本(注川)を此較する。
○
女
/
宮
仕
巳
す
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人
お
と
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内…染殿内侍
○
な
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国
/
母
初
冠
/
奈
良
れ
ば
り 女
伊…伊勢
も、かえって『古今集』や『伊勢物語』 の記述を元に記された
さ
と
ヽ一
『
*冷泉家流古注大本で当てられている人物の暗号
小…小野小町
り
た
の
有…紀有常
小
あ
る
ヽ
な
り
人
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ま
に
人
和
歌
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顕
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女
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女 文
る
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○…紀有常の娘
○
巳
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ー25-
三
○
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女
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た
る
春
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ーーヽ
○
ま
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女
章
段
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九
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○
○
九
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五
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七 六
五
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四
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女 き の 后 田
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○
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○ ○
○
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女
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て 束
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菟
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あ
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ば
ヽ
う
と
四
によって冷泉家流古注を代表させ、『知
五
によると夫婦関
「ほどもなく離れ」
「宮仕へ」が一つのキーワードになっている。右に示し
てしま
む。「また男ある人」についても、第二十四段の三年帰って釆
た九章段中、第二十・二十四段の二幸段が「宮仕へ」の語を含
この
ることが分かる。
っていること、女は「また男ある人」、つまり他に通う男のあ
仕へ」をしていること、二人の仲は
係にあった二人だが、『伊勢物語』第十九段では男も女も「宮
たところから始まったものだろう。『古今集』
と業平の贈答歌を出典とする第十九段の女を有常の娘だと解し
九章段ということになる。
こうした注は、『古今集』七八四・七∧五番歌の紀有常の娘
十七・十九・二十・二十四二二十九・四十一・四十四段の合計
顕集』と共通して有常の娘を当てる章段をあげると、第一・十・
陵部蔵『伊勢物語抄』
冷泉家流古注の系統にはかなりの揺れがある。今、宮内庁書
ヽJ′
なかった男を待ちわびて別の男と逢おうとした女の話と重ねて
四
内 ○
う
や
う
飽
き
方
/
行
に
か
るものがある。また、業平と継続して夫婦関係にあったのが有
常の娘だとすれば、第一段、初冠彼の初めての恋の相手を有常
と
であり、右方の
における最大のヒロイン、紫の上に負けるの
るのは、当然と言えば当然のことであったのだ。
見される女はらからに当てられる有常の娘が紫の上と合わされ
に登場するのか紫の上なのである。『伊勢』第一段の垣間
考えてみれば、『伊勢』第一段を踏まえている若紫巻で
るのであろう。
時、この「有常女君」が業平の正妻だと思われていたことによ
は当然という感じもするが、紫の上と合わされているのは、当
も、『源氏物語』
紫の上の勝となっている。たとえどのような女性が出たとして
の紫の上に対して 『伊勢』は「有常女君」
勢』三勝で『源氏』五勝、四持である。これの第三番は、『源
がえてその優劣を競う『伊勢源氏十二番女合』 (注12) と題す
る写本かある。『伊勢』が左方、『源氏』が右方、勝負は『伊
『伊勢物語』と『源氏物語』から女性を十二人ずつ選び、つ
の娘とするのもうなずける。
む
人
け 女
り /
立てれ桜花年にまれなる人も待ちけり」と詠む第十七段も通じ
る
注
解釈される。第二十四段の「待つ」に関しては、久しぶりに桜
形
見
ふ
に
ヽ
の
思
男
′一\
の盛りにやって釆た男に対し、あるじが「あだなりと名にこそ
-27-
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に
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奥
陸
に
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草
ふ
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な
思
『源
氏』
氏』
○ ○
○
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万
葉
?
い
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/、
⊥
′ヽ
九
四
昔男と女か女車に相乗りし、内親王の葬儀を見物に行く第三
によって冷泉家流
舌注を代表させると、『和歌知顕集』のみが有常の娘のことだ
とする章段は、第十八・二十一・二十二・三十一・五十段であ
前章同様、宮内庁書陵部蔵『伊勢物語抄』
り、冷泉家流舌注のみが有常の娘を当てるのは第二十三・三十
に置き、有常の娘としたように思われる。
十九段は、光源氏が紫の上を連れて葵祭に出かけた葵巻を念頭
つまり主婦、とある第四十四段は、それだ
また、「家刀自」
けでも有常の娘が当てられたであろうが、餞別に女の装束を贈
(書陵部本)とす
『知顕集』と冷泉家流舌注の違いの一つは、『知顕集』が業
三・四十・八十六・八十七段となる。
せもする。
さらには、第一段は「奈良の京、春日の里」が舞台なので、
る第二十三段を、冷泉家流舌注では業平と有常の娘のこととす
平とは関係がなくて「とを、きむかしの事也」
る点である。初冠後の初めての恋の相手を有常の娘と考える第
第二十段の「大和にある女」と通じ、「女はらから」が登場す
る点で第四十一段も有常の娘姉妹の諸になる。その第四十一段
一段と、幼なじみの淡い恋が実る第二十三段を結び付けるのは
理解しゃすいであろう。第一段と第二十三段は、大和が舞台の
の「女はらから」は、「ひとりはいやしき男の貧しき、ひとり
はあてなる男」を夫に持っていた。『知顕集』も冷泉家流舌注
のも、『古今集』 の歌を使った『伊勢』第十九段で「また男あ
話である点も共通している。第二十三段で男か妻の浮気を疑う
で高貴な出
も「あてなる男」の方を業平とする。『伊勢物帯』
る人」と言われているのと通じる。また、親が結婚に反対した
り女の親かはかなくなったという記述も、親が登場する他の章
一28-
る点において、有常が実名で登場する第十六段との類似右思わ
の
自の男と言えば当然業平なのだが、第十段の武蔵の固まで惑い
ところで、第十段の「武蔵の国」という地名は、舌注では武
「さかしらする親」、第八十六段「おのおの親ありければ」
段、第十段「父はこと人にあはせむといひけるを」や第四十段
敷術されている。第八十六段と八十七段は先に見たキーワード
「宮仕へ」を含んでもいる。
それから、第三十三段と粛∧十七段は「津の国、菟原の郡」
では有常の妻の所領で
あったものを彼女の出家後に娘が譲り受けたと説明している。
が舞台であり、書陵部蔵『伊勢物語抄』
に
歩いた男も「あてなる人」という設定であった。
では
蔵野イコール春日野と解釈したり、登場人物が武蔵守であるこ
との寓喩と読んだりすることで説明する。東下りを否定する盲
注では、第十二段の歌の初句「武蔵野は」が『古今集』
「春日野は」となっていることを根拠として、そのように解釈
しているのである。
四
の中で宮仕えした
なのであるが、業平の恋人(とされる女性)
における有常の娘は、「津の国、菟原の郡」
一方、『知顕集』
をたてゝ、こゝろさだまらず」
では伊勢が『伊勢物帯』 の補筆着で
の紀有常の娘像は冷泉
(書陵部本第十段)、「おんな
(書陵部本第一段)、「この女は、かぎりなくなまいろごのみ
『知顕集』の記述を見ると、「この女、なまいろごのむ女にて」
家流舌注のそれより色好みであることが推測できる。実際、
するものが多いのを見ると、F知顕集』
『知顕集』が紀有常の娘とする段を冷泉家流古注では小町と
が共通する第十九段に従って紀有常の娘とするのである。
あり、自分の名を物帝上から消したと読むので、「都連」の請
物語っている。『知顕集』
詞書から伊勢とはしなかったのであろう。冷泉家流舌注の中で
も伊勢を当てる『慶応本註』・『注ネ』の存在が、その事情を
『古今集』
人と言えば、史実から見ると当然伊勢になる。しかし、「都連」
「むかし、男、かたゐなかに
の汚が共通する第十九段に関しては、和歌の出典の
とは一切関係ないのである。
冷泉家流舌注では、大和や津の国は京を離れた場所、つまり
(第二十三段)
田舎ということなのであろう、「むかし、ゐなかわたらひしけ
(第∧十七段)と、「.ゐなか」とある章段はすべて
(第三十三段)・「ゐなか人の歌にては、あまれりや、
(第二十四段)・「ゐなか人の言にては、よしや、
る人の子ども」
住みけり」
あしや」
たらずや」
紀有常の娘を当てている。恐らくは第二十三段からの派生なの
であろうが、「ゐなか」が一つのキーワードになっていること
『知顕集』が紀有常の娘とするのに冷泉家流古注ではそれ以
が分かるのである。
段中三章段(第十∧・二十一・五十段)ある。書陵部蔵『伊勢
外の女性を当てる章段には、小町か当てられているものか五章
物語抄』 では、第十八段は「女寄よむ人とは、小町なり」と、
(島原本第十九段)といった説明を加えてい
(書陵部本第十八段)、「おとこのかよふは、す
いろくしくて、ふたごゝろありときゝて、う
(島原本第十七段)、「いろくしき心の
ぺしければ」
にけるが」
さまじとよめる」
「なま心ある女」が歌人だということと男に対して歌を詠みか
るのである。
「おひつきていひやりける」
の意ではなくて、文字通り「追
歌を拝借して返歌した、と業平との恋に対する彼女の積極的な
いついて」と解釈している。有常の娘が業平に追いつき、融の
「おひつ尊て」を「すぐに」
また、『知顕集』 では第一段の
は家を出て行く女という設定から、第五十段では「あだくらべ
ける色好みであるところから女を小町としている。第二十一段
の
かたみにしける男女」なので、それぞれ小町が当てられている
の誇から釆てい
小町以外を当てている残りの二幸段については、第二十二段
のである。
の染殿内侍は第九十四段と共通する「秋の夜」
ると思われる。第三十一段の「御達」は冷泉家涜舌注では伊勢
-29-
ト
姿勢を読み取っているのである。
(島原本
ただし、「伊せ物がたりに、いろごのみとは、たしかにか卓
さだめたるおんなは、みな、をの∼こまちがこと也」
に関しては、
第二十五段)と記すように、本文に「色好み」と明記されてい
る女性(第二十五・二十∧・三十七・四十二段)
『知顕集』 もすべて小野小町を当てている。
誓いながらも、業平が垣間見すると至の以前書いたものを広げ
て眺めていた。それで、業平は家を出て行った、ということで
けれど、それぞれが他の人との恋をし、お互いに恨みなから
ある。
も線は切れなかったらしく、書陵部本の総論部分には「この女
は、心つ善ぐさにして、あだをなす時もありしかど、恩をそむ
くれいなければ、廿余年かれはてざりし女也」とある。長年連
れ添った唯一の女性ということで、やはり有常の娘こそが業平
『伊勢物語』の舌注における小野小町については以前論じた
ことが、あるが(注13)、小町説昔の特徴の一つは男を捨てて出
の正妻であるとするのであろう。
ったのか説が分かれるが、冷泉家流舌注では女を小町とし、家
奔することであった。第二十一段は男女のどちらが家を出て行
を出て行ったのは彼女だと解釈している。現在の注釈書を見る
と、出奔するのは冷泉家流古注と同様に女だとするものが大半
である。
その第二十一段の女を、『知覇集』
では有常の娘としている。
の解釈では、家を出て行くの
では、『知顕集』は有常の娘が家を出ると見ているのかという
と、答えは否である。『知顕集』
は業平の方なのである。『知覇集』 の説を総合してみると、第
二十四段で新枕することになっていた男は源至であり、女は
「いたづらになりにけり」ということであるが、実際は死んで
『尊卑分脈』上では「女子」としてしか伝わらない紀有常の
娘であるが、彼女の名を「阿子(あこ)」だとする説をしばし
ば見ることかできる。
相しるとは、有常が娘を阿子とて染殿后都内に行て仕るを、
(注14)
(宮内庁書陵部蔵『伊勢物誇抄』第十九段)
業平、彼女に忍びく通ひけるをいふなり
(『伊勢物語難義注』)
きのあこ、きのありつねのむすめ。
女ハラカラト云ハ少納言大輔紀有常娘姉妹ナリ
中には、「阿子」以外の有常の娘の名を記す舌注もある。
ハ阿房妹ヲハ王子卜云ナリ
姉ヲ
しまったわけではない。「春日の里にありし時、業平、三年来
ざりしに、新枕して(至が)通ひはじめたりしかば」
(青陵部
本第二十段)とあり、その関係はしばらく続いていたが、有常
の娘は業平とよりを戻した。しかし、彼女は圭とは逢わないと
-30-
五
(注15)
(慶応義塾図書館蔵『伊勢物語註』第一段)
わかき女は、紀有常四女裸子なり。
(彰考館文庫蔵『伊勢物語抄』第八十六段)
心謬、こゝろあやまり、賀陽親王にさぶらひける有常か養
(同第育三段)
の次の文章からの派生であ
子花子にあひそめてよみてやりける也。
これらはすペて、『和歌知顕集』
ると考えられる。
(青陵部本『知顕集』第十九段)
いふがごと
ごたちとは、いたういやしくもなく、たかくもなき、わか
女どもの事也。あこたちなど
『知顕集』 では「都連」
の説明に「喜子(あこ)」、つまり、
の研究者の立場から、有常の娘の人物造形が『伊勢物語』古注
で見てきたように、舌注の中でも『知顕集』と冷泉家流舌注を
に比べて美化されているとの指摘がある(注16)。美麻、本稿
へ続く一連の流れとも矛
いることが確認できるのである。これは、『井筒』から旧注の
比べると、冷泉家流古注の有常の娘の方が色好みの面が薄れて
有常の娘を貞女とする読み方(注17)
盾しない。
有常の娘像の変貌の原因としては、武士の価値観中心への社
会構造の移打変わりもあろうし(注18)、『井筒』の作者であ
る世阿弥の描きたかった有常の娘像という面も大きいだろう。
そして何より、色好みの典型としての業平像・小町像が固ま
いるのだが、冷泉家流舌往などに女の名前の「阿子」と勘違い
の姿が押し付けられてしまう。浮気な恋人は小野小町だけで十
みという有常の娘像は消え去り、彼女にはステレオタイプの妻
っていったということがある。書か夫に負けないくらいの色好
っていくにつれ、彼の恋人たちのそれぞれの持ち場が明確にな
されてしまったのであろう。有常の娘は姉妹で登場することも
我が子同然に慈しんでいる人を親しんで言う「書子」を用いて
あってそれがエスカレートし、「阿子」だけではない他の名か
分、℃のである。
でシテが名乗る
良妻・貞女のイメージを求めていったのではないだろうか。
え、結局はその忍耐と思いやりによって夫を取り戻したという
はその異伝は知りつつ、有常の娘には、業平の浮気に黙って耐
我が胸で燃える嫉妬の炎を金鉄の水で鎮めたりはしない。人々
第二十三段の女は、『大和物語』第盲四十九段の女とは違い、
「人待つ女」という呼称に象徴的に表されている。『伊勢物語』
有常の娘に割り当てられた役割は、『井筒』
作られていったのだと思われる。実際、「阿子」以外の名を載
に触れる章段は皆第十九段であり、
の影響であることがうかかえるのである。
せるものを除けば、「阿子」
すべては『知顕集』
おわりに
夢幻能の傑作とされる謡曲『井筒』は、『伊勢物語』古注と
の関連で論じられることが恐らくは最も多い作品である。謡曲
31
し○
(注)
注…神宮文庫蔵r伊勢物語痙本」
(片桐洋一【鉄心斎文庫伊勢物
r三重大学日本
(廣岡義隆・山口悦子・木戸久二子
「翻刻『伊勢物袴注本』
号、平成2年12月)。
F伊勢物韓継義注』
(r鉄心斎文庫伊勢物帝古注釈叢
(F鉄心斎文庫伊勢物薄青注釈叢
(『中古文学論致』第十一
(F伊勢物韓の研究〔資料篇〕』)。
の歌を用いて創作したと見ている。
彰考銘文庫蔵『伊勢物詩抄』
三号第二部、平成4年2月)。
『伊勢物籍宗長間書』
心に」
能r井筒】翰」
(【皇学
(『伊勢物詩の研究〔資料篇〕』)。
(F椙山女学園大学研究論集」第二十
(『中古文学』第三十四号、昭和59年川月)。
東海女子短期大学散見]
青木賜鶴子「室町後期伊勢物詩注釈の方湊T--宗舐・三条西家流を中
ある。
に、「女はありつねかむすめなり。貞女なるゆへに名をあらはす也」と
(F伊勢物詩の研究〔資料篇〕』)第二十三段
と『井箇こ・--有常娘像の変貌」
館大学紀要」第十八輯、昭和55年1月)、飯塚恵理人「伊勢物帝盲注釈
の「今」と「昔J
西村聡「「人待つ女」
(『伊勢物請の研究〔資料篇〕」)。
拙稿「伊勢物語の盲注における小野小町」
【伊勢源氏十二番女合』
業平自身が「万葉集』
刊』第二巻、∧木書店、平成元年)。
奥…鉄心斎文庫蔵r伊勢物韓奥秘書』
刊』隻二巻)。
増…鉄心斎文庫蔵『増纂伊勢物語抄』
語舌注釈叢刊』第】巻、八木書店、昭和63年)。
十…鉄心斎文庫蔵r十巻本伊勢物語謹巴
(上)・(中)・(下)」
『古今和歌集』本文は、F新編国歌大観」第一巻(角川書店、昭和謂
語学文学」第三・四・五号、平成4・5・6年5月)。
(新日本古典文学大系、岩波書店、
(請談社、平成川年)。
(新編日本古典文学全集、小学館、
(新潮日本古典集成、新潮社、昭和53年)。
による。
奥村僅哉r古今和歌集』
小沢正夫・松田成穂r古今和歌集J
片桐洋一F古今和歌集全評釈」
平成6年)。
小島意之・新井栄蔵r古今和歌集」
による。
(鈴木知太郎「天福
「顕註密勘』本文は、日本古典文学影印叢刊二十二【顕詮密勒】
平成元年)。
本古典文学金、昭和62年)
r伊勢物語こ本文は、学習院大学蔵r伊勢物語』
本伊勢物語』武蔵野書院、昭和38年/小林茂美r伊勢物韓』影印校注古
により、適宜表記等を改めた。
(片桐洋一r伊勢物帝の研究〔資料
(新訂増補国史大系、富川弘文館、昭和33年)。
典叢書六、新典社、昭和50年)
『尊卑分脈」
宮内庁書陵部蔵r和歌知顕集】
篇〕」明治書院、昭和44年)巻第六の「物籍牛女共事」により、紀有常
せる。紀有常の娘以外の女が当てられる手段と誰も当てられていない章
の娘が当てられている場合は、章段ごとに記される「∼女」の呼称を載
段は、括弧内に記述内容をそのまま載せる。
研究と資料一国文学論叢第三輯、至文堂、昭
(慶応義塾大学国文学
(r伊勢物語の研究〔資料篇〕】)。
冷泉家流舌注六本の内訳とその略号については、以下のとおり。
書…宮内庁書綾部蔵r伊勢物詩抄】
研究会r平安文学
【書ど くにこ
-32-
年)
慶…慶応義塾大学図書館蔵一定家流伊勢物語旺」
和34年)。
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